ふるさとの歴史を知る
 
第一探検地からの報告
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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水口町

歴史民俗資料館を探検地に選んだ水口町の隊員は、その昔、城下町として、また宿場町として繁栄した時代にタイムスリップしていったのです。水口祭は、資料館の東側にある水口神社の春の祭で、毎年四月十九、二十日の両日に行われます。
資料館での探検隊
この祭は曳山祭といわれ、享保二十年(一七三五)には九基の曳山が巡行し、その後徐々に増え、多いときには三十基余りになったといわれています。
しかし、明治に入ると宿場の衰微とともに曳山も減り、さらに電灯線の架設によって多くの町は巡行が不可能となって、現在では十六基になってしまったのです。(現在巡行している曳山)田町・片町、松原町、作坂町、旅籠町、東町、湯屋町、大池町、池田町、柳町、大原町、呉服町、平町、米屋町、天王町、河内町、天神町
水口祭と曳山

曳山は高さが六メートルもあり、立派な彫刻が施されています。車輪は子供達の背丈より大きいものです。資料館には常時曳山が一基展示され、祭の当日巡行に演奏される“水口ばやし”が流れ、時ならず祭の雰囲気を味わうことができます。隊員は、「車輪の大きさにびっくりした。今この車輪を作れる人は日本に一人か二人くらいしかしかいない。昔は道路も凸凹だったろうから引っ張るのが大変だったと思う。
 
水口宿色絵図(江戸時代後期)
 
今まで倒れたことはないそうだが、どんな工夫がしてあるのだろう。」と感想を述べていました。展示室では、泉地区にある古墳時代の焼きものである須恵器に直接手を触れ、大昔の人々の生活を想像していました。また、「水口城のコーナーでは、刀や銃、兜などに手を触れ、感触や重さを体験できたことは貴重だった。」、「民俗品のコーナーでは、藍染めの古着などが展示してあったが、古い家なら出てきそうなものです。次の世代にとっては貴重なものになるかもしれないのに、ただの古着として処分されてしまわないかと心配になった。」と感想を述べています。地域の人々のエネルギーを感じ、身近な道具を介して“昔”そして“今”を考えるきっかけとなったようです。水口町は城下町でした。豊臣秀吉は、天正十三年(一五八五)中村一氏に命じて大岡山に岡山城を築いています。三代目城主長束正家は、関ケ原の役(一六〇〇)で西軍の石田三成についたため、戦いに敗れ岡山城も落城したのです。また、江戸時代に入ると、水口は交通の要街として再び活況を呈するようになり、幕府は寛永十一年(一六三四)、将軍家光が京へ上る際の宿館として水口城を築城しました。
この城は、茶人、小堀遠州の設計によるといわれ、その美しさから、“碧水城“とも呼ばれました。その後、天和二年(一六八二)には水口藩が成立し、初代藩主は、賎ケ岳七本槍の一人である加藤嘉明の孫である加藤明友です。現在、水口城跡には角櫓、御成門などが復元され、近世の歴史に触れ合うことができます。なお、岡山城には郭の跡があり、昔の面影をとどめています。
           
角櫓が復元された水口城跡
        
 
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