ふるさとの歴史を知る
 
第一探検地からの報告
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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信楽町
 
焼もののまち信楽。信楽町ではこれまで各種の遺跡発掘が行われていますが、窯跡発掘は約二十年ぶりということなんで、探検隊は、この貴重な機会を逃すまいと、「漆原B遺跡」のある発掘現場に向かったのです。遺跡の登り窯は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて使われていたもので、小皿や徳利など小さな生活用品が出土しました。これらは、京焼のように薄い食器であることから、京都の職人かあるいは京都で習ってきた人が作っていたのではないかと考えられています。小皿や徳利は、江戸の武家屋敷で使用されていたものと同じで、当時の生活様式を解明したり、どのような経路で江戸方面に伝わったのかなど、信楽焼製品の流通経路を調べる上で大変貴重な資料となるのです。
 
発掘現場での探検隊
陶芸の森
 
隊員たちは、用具を借りて発掘作業を体験し、次々と出てくる遺物を手に取り、改めて時代の変遷を肌で感じ取りながら、「町内には現在百四十カ所もの遺跡があるそうで、これからもっと発堀調査が進めば、今までわからなかった町の歴史や、当時の生活様式を確かめることができます。遺跡で昔を知り、そして新しく完成した“陶芸の森”で信楽の未来を描いていきたいと思います。平成三年四月に開催される“世界陶芸祭”で探検隊の沢山の仲間と再会できることを楽しみにしたい。」と感想を語ってくれました。日本六古窯(信楽、瀬戸、常浪、舟波、備前、越前)の一つである信楽焼の歴史は、今から約千二百年 前(奈良時代)、聖武天皇が紫香楽宮を造営した頃に始まるのです。鎌倉時代から穴窯によって水瓶や種壷、擂り鉢などが焼かれ、室町・桃山時代には茶道の隆盛とともに、茶人が信楽焼茶陶を茶道の奥の院と称し珍重しましたし、江戸時代に入ると、登り窯が築かれ日用雑器が盛んに焼かれるようになりました。信楽町では、毎年七月下旬に陶器まつりが盛大に行われ、陶器の祖である土の神と火の神が祀られる陶器神社(愛宕神社)に松明が奉納されます。信楽は「繁る木」の里に語源があるともいわれるように、周囲を山に抱かれた自然豊かな高原のまちです。こうした環境の中で古い歴史を持つ伝統産業の信楽焼は、時代の変遷とともに押し寄せる大きな波を乗り越えてきました。そして、今日、二十一世紀に向かって、その優れた陶土を生かし、伝統技術を駆使して、人々に親しまれる焼きものとして更に発展させ、信楽町が世界に誇れるユニークな国際工芸都市を目指して飛躍していくことが期待されているのです。
   
陶器まつり
陶器神社の火祭り
宮町遺跡より出土した土師器 (注)信楽古陶愛好会発刊 「信楽焼歴史図録」より
保良の宮橋
      
 
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