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| “おじいちゃん、おばあちゃんと昔を語るつどい“ |
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(つどいは、びわ湖放送の小川加代子さんと杉江理恵子さんの司会によって進行しました。) |
| 歓迎のことば |
水口県事務所長・松田武芳
ふるさと料理の味はいかがでしたか。古くから伝わる料理、新しく工夫された料理色々ありましたが、やはりこの甲賀郡ならではの料理としていつまでも伝えられていくことと思います。私達は、自分たちの住んでいる町や地域のことについて充分知っているつもりでも、案外知らないこともあるようです。今日一日、皆さん自身の目や耳、そして足で郷土の良さを再発見していただきたいと思います。そして、これをきっかけにして、皆さんがご家庭や地域でふるさと甲賀を語り合っていただき、まちづくりに積極的に参加していただきますようお願いします。
土山町長・松山正巳
私達の毎日はお天気に影響されて暮らしています。そして、生活をしていく上では自然というものをよく考え、自然と仲良くお付き合いして暮らしていくことが非常に大切です。甲賀地域の自然のこと、昔の生活のことをしっかり学び立派な大人に成長してくださることをお願いします。 |
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| 探検隊長の発言 |
各町の隊長が、わが町で発見したことや感じたことを発表しました。少し緊張気味ながらもみんな元気一杯マイクに向かって発表し、おじいちゃん、おばあちゃんの大きな拍手を浴びました。
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| 語り部によるふるさとよもやま話 |
ふるさとのことをもう少し学ぶために、第二探検地であった矢川神社の宮司でもあり、郷土史に詳しい杣庄章夫先生のお話を聞きました。大変ユニークな話ぶりの中からその一部を紹介しましょう。数字の遊びをしてみたいと思います。六分の一という数字はふるさと滋賀に関係のある数字・・・・・・。そうです。県全体の六分の一の面積がびわ湖の広さです。では、十二といえば?今から千三百年程前、律令制度ができて郡というものができました。滋賀県では郡の数が十二でした。甲賀もその一つです。甲賀だけが湖に面していません。しかし川によってびわ湖と結ばれています。甲賀郡の地図を見ると、剣士が“面”と言って飛びかかっていく姿に似ています。これは未来に向かって飛躍していく甲賀郡全体の姿ではないでしょうか。次は、約二百という数字です。これは自治会の数です。では、次は三・・・・・・・。甲賀郡の江戸時代に関係があります。東海道五十三次の宿場が三つあり、石部、水口、土山です。本陣を中心に沢山の宿屋がありました。それから未来に向かって二という数字をあげてみましょう。これからできるものですが、甲賀郡を第二名神高速道路が通り、インターチェンジが二つ計画されているのです。皆さんとともに注目していきたいと思います。五十三と二十一という数字はどうでしょう。隊長さんの発表にもありましたが、甲賀五十三家、あるいは二十一家という武士が活躍していたのです。次は十万日です。今から百四十九年前、天保十三年十月十四日、甲賀郡の農民が徳川幕府の理不尽な検地に反対して一揆を起こしました。矢川神社から三上山(野洲郡野洲町)まで甲賀の人たちが何万人も集まったのです。一揆は三日で終わりましたが、この時、幕府は検地を十万日、日延べ(延期)しますと言ったんですね。二百年以上たたないと十万日になりません。先の長い話ですね(笑い)色々数字でふるさとを考えてみました。
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天保義民之碑 |
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おじいちゃん、おばあちゃん 昔を大いに語る |
土山のおじいちゃん、おばあちゃんと探検隊員が一緒に、甲賀の昔の生活や文化について語り合いました。ちびっ子隊員から一体どんな珍問、奇問が飛び出したのでしょう。隊員の質問に熱心に答えてくれたお年寄りの答えは・・・・・・。
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問 昔の遊びについて教えて下さい。
子供時代の遊びは、ガイセンやメンコ。ガイセンは紫と赤と水色の三つで勝ち負けのルールが決まっていて、それを持って追っかけごっこをするんです。メンコは、丸いのや四角い厚目の紙切れで打ち合いをして、相手のメンコの下に入れた方が勝ちという遊びです。女の子の遊びとしては、ぞうり取りやケンパ、縄跳び、かくれんぼ、お手玉、それにウロコ取りというのがありました。ウロコ取りは、手でウロコのような図を書いていく陣取りのことです。
問 昔はバイクや自転車とかあったのですか。
そんなものはありません。小学校六年の伊勢参りの修学旅行では、駅までの十二キロをぞうりを二足持って、暗いうちから歩いたものです。提灯を持たされてね。車なんかなくてもみんなうれしく歩いたもんです。
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問 お小遺いはどうでしたか。
子供の頃はお金なんかほとんど見たこともなかった。お正月に一銭か二銭もらうぐらい。おやつも家で作ったものばかり。そら豆の炒ったものやカキモチとか・・・・・。野イチゴを食べて口の周りを真っ青にしたこともあったね。
問 昔はどんな水着を着ていましたか。
私は大正四年生まれですが、水着というものはなかった。始めはタオルを腰に巻くぐらいで、小学校二年生頃からパンツが流行しだして、それからパンツで泳ぐようになりました。胸はみんな放り出したままでしたね。(笑い)
問 昔は電話もなくて困らなかったですか。
ほとんど言い伝えとか、連絡に歩いていました。それしか手段がなかったからね。急病人が出たら救急車なんてないから、リヤカーに乗せて必死で歩いたもんです。どこの家でも売薬なんかを置いておくんです。病気がひどい時はリヤカーで、そのリヤカーもない時は戸板に乗せて運んだりしたのです。
問 一番好きだったおやつは何ですか。
昔はガムなんかはなかった。一銭で大きなアメ玉が二つ買えて、それを一時間ぐらいペロペロなめてましたね。炒り粉に砂糖を入れてなめたりもしました。
問 お風呂のお水はどうして汲んでいたのですか。
井戸からバケツで汲んでいました。学校から帰って来ると手伝わされたんです。昔は桶風呂と言われるもので、下に焚き口があり紫をどんどこ焚いて沸かします。五右衛門風呂のまだ前のものですね。
問 食べ物の貯蔵方法はどうしたんですか。
ご飯はカゴに入れ布巾をかけて井戸に吊しておくと、少しもいたみませんでした。
問 土山はお茶の産地ですが、生産方法で昔と変わったところはありますか。
子供の頃一番大変だったのは茶摘みでした。今は何ヘクタールも経営していますが、昔は十アールが精一杯。製造工程が変わって、大きな経営ができるようになったんですね。お茶は動脈硬化を防ぐので、皆さんにも今から飲んでほしいですね。(笑い)
問 農閑期はどうやって過ごしていましたか。
夜なべで縄を編んでいました。テレビもない時代でしたから子供達もむしろ織りなどを手伝っていました。
問 次の世代に是非伝えたいことはなんですか。
もう少し物を大切にする心を持って欲しいね。食べ物でも中途半端で捨てたりしないでね。土山町の文化は資料として残っているけど、各地域にはまだまだ伝承すべきものがあります。若い世代の人が研究し、長く残してもらいたいと思います。もっと山や川へ行き自然に親しむ子供になって欲しいです。
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| 肩たたきのプレゼント |
隊員とおじいちゃん、おばあちゃんとの話し合いはあっという間に時間が過ぎてしまいました。いよいよフィナーレです。ちびっこ隊員がお年寄りのみなさんにプレゼントをしました。プレゼントは、肩たたきです。音楽に合わせて「タントン タントン」と小さな手で肩たたきが続きますと、お年寄りの目にもキラリと光るものが・・・・・・。きっと自分のお孫さん達に思えてきたのだと思います。この“つどい”に参加した大人の隊員は、「おじいちゃん、おばあちゃんのとっても味わいのある言葉に心を打たれました。物の無い時代に工夫し、苦労をして子供を育てられたことに敬服します。次の時代を担う人間を育てる大切な仕事が私達に課せられているのだと責任を痛感しました。今日学んだことを参加できなかった人達に是非伝えたいと思います。」「これからの世の中は、心と伝統の時代になると思います。次代を担う子供たちにしっかりと郷土の良さを伝承し、文化財を引き継ぐように啓発することが必要です。」と、感想を語ってくれました。隊員そして地元のお年寄りは、またいつか再会できる日を楽しみに帰路に着いたのです。こうして、ふるさと甲賀の歴史や文化を学び、共に語り合った貴重な夏の旅は終わりました。 |
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