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| 土山町 |
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| 隊員は、土山公民館で土山の起源ともいえる地層や化石のことを学び、東海道五十三次の第四十九番目の宿場町の中心であり、諸大名等が宿泊した“本陣”を探検しました。今から千七百万年もの昔、土山は太平洋に面した湾であったのです。 |
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鮎河層群の化石 |
何人かの研究者が山を歩きその証拠を集めました。そして、この入江の生き物の化石を含んでいる地層を地域の名前から“鮎河層群”と名付けたのです。隊員は、「土山は県内でも一、二位を争うほどの化石の宝庫と聞いていたが、伊勢湾が土山まで入りくんでいたなんて信じられない。」と驚くばかりでした。
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次に訪れたのが本陣跡。隊員は、「本陣に入り中を見たのは今回が初めてです。まるで江戸時代にタイムスリップしたような気持ちでした。歴史上の有名な人々やオランダ人が泊まったところと聞かされると、時代劇の風景が、また歴史の授業が一度に蘇ってくるようだ。」と感激していました。時代とともに変わりゆく宿場町を、当時の衣類、道具そして貨幣などの貴重な遺物によって奥深く学んだのです。 |
| 薩摩藩主・島津斉彬やオランダ人の名も記された本陣の宿帳 |
古より旅人が、土山の宿に入る前、悲喜こもごもの思いをしたのが鈴鹿峠です。 |
“坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る”
の馬子唄で知られるこの街道は、京と伊勢とを結ぶ東西交通の要街として栄えました。峠にはかつて東海道を旅する金比羅参りの講員の安全を祈って立てられた万人講灯籠が昔のままに旅人の安全を見守っています。難所の鈴鹿峠を越えて旅装を解いた土山宿は、諸侯、宮家の休憩所である本陣や脇本陣のほか、庶民が泊まった旅籠も軒を連ね、大変な賑わいだったといいます。 |
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万人講灯籠 |
旧街道に復元された松並木 |
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町では、昔旅人が木影で旅の疲れを癒したといわれる松並木を旧街道に復元しています。土山は、緑の山々と清流に恵まれた自然のパラダイスであり、旅人が行き交い賑わった歴史のまちです。また、緑美しい茶畑は土山らしさを一層醸し出しています。 |
畑の中を走る ゛あいの土山マラソン゛ |
| 土山茶の歴史は古く、文和五年(一三五六)、南土山にある常明寺再興の僧鈍翁了愚禅師が京都の大徳寺から茶の種を持ち帰って植えたのが始まりです。その後、北土山にある永雲寺三代目の僧、天嶺師は『高座園』と称する茶畑を作り、村民に採れた茶を与えることともに、旅人に販売したといわれています。そして、今では、土山は県下一のお茶の産地となっています。今日、土山町では、往時の賑わいを取り戻そうと新しい息吹が芽生えています。毎年十一月鈴鹿山麓が紅葉で真っ赤に染まる頃、“あいの土山マラソン”が行われ、全国から多くのランナーが参加し、雄大なダム湖畔や広大な茶畑の中を駆け巡っているのです。 |
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