烏来高砂義勇隊慰霊碑の碑文撤去事件について
初出:『台湾原住民族との交流会News』27: 20-22、2006年5月
(後日語句の修正をしました)
中村 平
今年(2006年)2月、台北県烏来郷の高砂義勇隊慰霊碑の碑文が、台北県により撤去されるという事件が起きた。本事件をめぐって、日本の軍国主義・植民地主義の再来を懸念するという立場と、国家権力の人民に対する記憶の自由を踏みにじるものであるとする立場が現れ、台湾の言論界において耳目を集めている。
日本の読者にその経過と、台湾先住民族知識人の見解の一部を伝える。台湾先住民族が、中国との統一派と、台湾の独立派の間にある状況を考え、分断を押し広げるのではない形で、東アジアの近現代史の暴力と苦しみの克服を考えていきたい。一部メディアが、ひとびとの分断を押し広げるような形で、分断を煽るように書いているが、そうした言説に慎重に対峙することが求められている。
経過
1992年 「山胞観光公司(会社)」(代表周麗梅、タイヤル人)が「霊安故郷」の題字を持つ碑を烏来に建てる。
2004年 公司(会社)が倒産。
2004年 産経新聞とあけぼの会会長門脇氏が、新しい碑の建設のための資金を日本で募る。募金は3000万円を超える。
2005年10月 移転先を台北県管轄の公園に決め、烏来風景特定区管理所が許可を出す。
2006年
2月8日 烏来郷瀑布公園にて、新しい碑の除幕式。李登輝前総統、日本交流協会、産経新聞社代表、現代文化基金会理事長黄昭堂、自由時報社長呉阿明らが参列。台日両国の国歌を流す。碑文の一部には、「高砂英霊帰宿を全うして/より大和魂の復帰あり/日の本の民此処烏来の地/謹みてとはに此れを祀らん/皇民の赤誠伝へし烏来の里」と書かれた。
2月17日 中国時報の記事「烏来公園が日本に『占領される』」が出る。台北県副県長と高金素梅立法委員が碑を視察。台北県職員が、碑の回りの義勇隊旗を取り除く。
2月18日 台北県から、碑の撤去命令が出る。
2月24日 台北県が警官を動員し、碑の碑文部分を強制的に撤去。碑文部分はベニヤ板で覆われる。烏来郷高砂義勇隊記念協会は同意書を提出。
2月26日 タイヤル民族議会が撤去に対しての抗議声明を出す。
4月4日 台北県が、記念碑再建準備会議を開く。高金素梅立法委員が召集人に任命される。
4月18日 民進党エスニック局(族群事務部)が「高砂義勇隊および六士先生記念碑事件」に関する座談会を開く。後者は、台北市の芝山岩にある、日本時代の学務官僚の「遭難碑」について、台北市廖咸浩文化局長が是正を求めたことに関する問題。
4月24日 烏来郷高砂義勇隊記念協会が、台湾人権促進会の弁護士団に委任し、内政部訴願審議委員会に訴願を提出する。
関係団体・人物
あけぼの会 会長:門脇朝秀(旧陸軍情報将校)
台北県県長 周錫瑋(2005年12月より、国民党籍) 副県長 李鴻源
高金素梅(チワス・アリ)立法委員(タイヤル民族、2001年から、山地先住民枠議員二期目)
烏来郷高砂義勇隊記念協会 理事長:簡福源、総幹事:マカイ・リムイ(邱克平、馬偕・理牧)
台湾人権促進会 会長:呉豪人
タイヤル民族議会 議長:マサ・トフイ 秘書長:ウトゥフ・ルバック(2000年設立の民族議会、キリスト教長老教会関係者が多い)
士林国民小学校同窓会(校友会) 会長:林政毓
芝山岩コミュニティ(社区)発展協会 理事長:廖岳則
先住民族知識人の発言を聞こう。考試院考試委員イバン・ノカン(タイヤル民族)は以下のように述べる。碑の建設問題は、タイヤルの人々の歴史の解釈権の掌握、民族想像の構築、ポストコロニアル論述の中の植民と脱植民の弁証に関わる。碑の性格が「慰霊碑」なのか「記念碑」なのかを明らかにし、高砂義勇隊事件の歴史の全貌を理解し、烏来山胞公司と記念碑建設委員会、日本の関係組織団体の間の権力関係、設立趣旨を明らかにしなければならない。これは複雑だが、積極的に向き合わなければならない課題である。
彼は、碑の建設費用は主に日本側から出されてはいるが、もし碑が烏来当地のタイヤル民族高砂義勇隊員と亡くなった者の魂を慰めるものであるとするならば、より適当な方法は、屈尺群タイヤル(mstaranan)が共同で協議し、少数の特定の家族が主導するべきではないと述べる。(中村註:屈尺は、ほぼ烏来郷に相当するタイヤルの伝統的居住範囲。)また、もし碑が、台湾のすべての高砂義勇隊員と亡くなった者の魂を記念するものであるならば、より包容力を持たせた方向に問題を進めてゆくべきであり、関係先住民族がすべて共同で参加できるようにしなければならない。
記念碑、慰霊碑、または記念館を作るということに関しては、先住民族についてはおのおの別の見方があるが、当事者または当事者の遺族により、問題を進めるやり方を各民族の伝統文化の脈絡におくべきである。例えば、タイヤル民族であれば、ガガ(旧慣、祖先の訓示)や、祖霊(ウットフ)に対する崇拝のやり方である。
台北市立教育大学・語文教育学系系主任の浦忠成(ツォウ民族)はこう述べている。歴史は忠実に現されなければならない。しかし、烏来に日本国歌「君が代」と国旗により記念するという方法が採られたことは、当事者による「先住民族の立場」とは矛盾するものである。このたびの事件は、先住民族の視点から事態を明らかにすべきであり、台湾の民族構成は相当に多元的である現状の中、各界が高砂事件について考える際にお互いにお互いの立場を了承すべきではあるが、外の人々が、先住民族のために歴史を解釈したり、記念のあり方を決定するべきではない。
東華大学民族発展研究所所長の孫大川(プユマ民族)はこう考える。高砂義勇隊事件およびその他の先住民に関する歴史的な事件は、すべて記念されるべきであり、その記念のあり方は中央の行政院「原住民族委員会」が統一して計画案配し、人道的、人権の視点から思考し、高砂遺族の傷と痛みをやわらげ、亡くなった者の霊魂を慰め、その中から教育的意義を与えるべきであり、後の人々に戦争の残酷さを直視させ、教訓を銘記させるべきである。
孫大川はこうアドバイスする。「原住民族委員会」は台北県政府と積極的に最も適当な記念方式を検討し、双方がまだ具体的なコンセンサスに至る前に、撤去命令を暫時停止すべきであり、不必要なエスニック・グループ間の誤解を避けるべきである。また、民間団体の祖先を記念する方法を尊重するべきであり、政府と民間の記念のあり方を、平行して存在させるべきである。
淡江大学公共行政学系教授の施正鋒(漢民族)はこう言う。「歴史和解」の視角から見れば、もし外省人がずっと本省人に二二八の傷あとを放念するように求めるのであれば、外省人は南京大虐殺事件についても放念するべきではないのか。このたびの事件においては、先住民族は解釈される客体となっており、各党は一貫した道理において先住民族の歴史的状況をみなすべきである。(以上は、中央社2006年2月24日報道による)
黄智慧氏は、あるメーリングリスト上で、台湾先住民族にとっては、日本人の「右」も「左」も関係ない。手を差し伸べてくれるかどうかが大事なのだと言う。
柳本通彦氏は、ウェブ上の記事において、次のように述べている。碑文の撤去についての賛成・反対両派の対立には、民族間の軋轢や歴史認識・アイデンティティをめぐる相克が背景としてあり、台湾では、それは中国との関係をどう位置づけるかという「国家意識」に直結する。そうした複雑な土地に、こうしたやっかいなものを持ち込む日本人は「なんともやっかいな人たち」だというのが、一般の人たちの受け止め方ではないか。
日本の植民地統治が台湾と中国を分断したこと、日本の軍隊が先住民族や平地台湾住民を鎮圧していったこと、戦争に日本のため、天皇のために先住民族を動員させたこと、日本の中国侵略、日本と戦った中国人が第二次大戦後に台湾にやってきて住み始めたこと、国民党の白色テロと言論弾圧、中華人民共和国と中華民国(台湾)の緊張関係、米国の東アジア秩序への介入、そして先住民族が現在努力している自治の構想、これらの困難なことがらを、同時に思考する中で、最善の道(和解のあり方)を模索していかねばならないだろう。
民族間、エスニック・グループ間の困難な和解は、お互いが自分のこわばりを見つめなおし、他者の経験と記憶を学習する態度を通してしか、達成しえない。
関連報道(ウェブ上で公開されているもの)
2004「台湾『高砂義勇兵』英霊慰霊碑を保存するための義援金募集」産経新聞
柳本通彦2006/3/1「台湾海峡天氣晴朗なれどNo.2」アジアプレス・ウェブジャーナル
呉叡人2006/4/6「尊重『記憶自由』(Freedom to Remember):関於高砂義勇隊記念碑事件的発言備忘録」台湾人権促進会
台北県政府建設局2006/4/6「烏来高砂義勇隊記念碑移置事件!」台北県政府
台湾人権協会2006/4/22「蛮横北県政府、高砂紀念協会提告」苦労網
2006/4/25「高砂義勇隊および六士先生記念碑事件に関する座談会」台湾民主進歩ニュース
志村宏忠2006/4/27「台湾・高砂義勇隊慰霊碑撤去問題再考『日本の人たちにも事態を見極めてほしい』」日刊ベリタ
(写真)ベニヤ板で覆われた碑(省略)