『週刊エコノミスト』2006103日、72

 

台湾先住民族の権利獲得が進む背景

 

中村(なかむら) (たいら)(日本学術振興会特別研究員)

 

 台湾先住民族は、「大日本帝国」の台湾支配(18951945年)と、その後の中華民国(台湾)の国家体制のなかで、はじめは日本人へ、次に中国国民党が掲げた「中国人」へと同化を強要され続けた。植民地政府による人類学的分類、マジョリティー(多数派)である漢民族からの差別、そして国家暴力により、自分たちは何者なのかという問いを追求し民族を名乗ることは押さえ込まれて続けた。その台湾先住民族が1980年代の台湾民主化運動の一翼を担い、「原住民族(ユェンジュミンズー)」を名乗り始め、民族自治の夢を実現させようとしている。

 台湾先住民族は人口45万人強で、中華民国の人口の2%に満たないマイノリティー(少数派)である。圧倒的マジョリティーは人口2300万人の97%以上を占める漢民族であり、彼らからの差別は、台湾先住民族に自分のアイデンティティを問い返すことを強要し続けた。

言語学的にオーストロネシア語族とされる先住民族各語は、日本語や中国語(いわゆる北京語)とはまったく異なる。「大日本帝国」の植民地政府は日本語を、中華民国政府は中国語を国語として強制した。また、漢民族社会で働き暮らすには、彼らの民衆言語(ホーロー語や客家(ハッカ)語)を習得しなければやっていけない。先住民族はこの100年間、他言語を習得しなければ生きていけなかった。

文化や習俗についても、国家は同化政策を取った。タイヤル民族などに独自の文化的意味を持って存在した出草(しゅっそう)(首狩)と入れ墨は、禁止された。出草ならびに伝統的生計手段のひとつである狩猟に用いられる銃器は、警察に押収された。銃による狩猟は現在、法により規制され、魚を取ることもかつてのように自由にはいかなくなった。

国家が主導する教育や衛生、経済面での近代化政策の背後には暴力があった。植民地政府に従わない先住民族は、徹底的に武力で抑え込まれた。生活の「改善」は警察により指導された。

日本植民地政府は先住民族の土地を「無主」と見なして国有化し、その土地政策は国民党政府に戦後も引き継がれ、山地資源の開発権は先住民族の手から奪われた状態にある。経済的自立は、土地の所有権が先住民族の手に返されて初めて成り立つ。

国民党が実質支配し、戒厳令(194987年)が敷かれた中華民国体制においては、数多くの先住民族エリートが、共産党スパイの罪名を着せられ殺された。戒厳令下で行われた白色テロといわれる国家暴力の実態解明は、緊急の課題となっている。

こうした歴史的背景に触れて初めて、台湾先住民族の自治を求める動きを理解することができる。先住民族は1994年、「原住民」の名称を憲法の条文に入れさせ、96年には先住民族の事務を扱う行政院「原住民族委員会」を発足させた。2005年には「原住民族基本法」が成立。民族自治区の設立にかかわる「原住民族自治区法」草案が現在、審議中である。

自治組織作りも進められ、タイヤル民族議会、サオ民族議会などが成立した。

台湾先住民族のこうした権利獲得の背景には、中華民国が中国大陸の実効支配を諦め、台湾での国家づくりへとシフトしていったことがある。さらに、曲がりなりにも民族自治区を設置してきた中華人民共和国に対して、また国連未加盟(1971年に脱退)という負の条件の中で、中華民国が人権や多文化共生に配慮した国家づくりを国際社会に見せようとしている状況がある。

中台の統一・独立の問題が喧伝されるなか、先住少数民族の経験と視点を尊重する国家体制のあり方を、模索できないだろうか。

 

写真:「カナダの先住民族と交流する、タイヤル民族議会のマサ・トフイ議長(前列右から4人目)=20051月、台湾新竹県で筆者撮影」