瀬又稲荷神社について
「瀬又稲荷神社は地図上にはあるが、わかりにくいところにある。」と、よく言
われています。
このことについて1979年、歴史研究家故、山下三喜男氏(当時東京都狛江
市在住)は、「天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻めにより土気城が落城した
後、城の再建と地域の安泰を密かに祈願したであろう。」といわれました。
その関係を次のようにのべています。
1.土気城の西方に瀬又八幡神社を結び、更に南東方向に土気城の家臣であ
ったとされる金剛地の成島家がある。その北東に土気城が位置し、ほぼ
直角二等辺三角形でむすばれている。
2.瀬又稲荷神社は瀬又八幡神社の鬼門角(北東方向)にある。いわゆる人々
が嫌う方向に位置し、毎月2回法華信者による、お題目を唱えない千遍
講(通称:せんぼっこう)がおこなわれている。
3.神社の象徴とも言われる鳥居が、通り道から見えないところに建立され
ている。これは、他の神社には見られないたたずまい。
稲荷神社の鳥居について
昭和の中期ごろまで現在の鳥居の位置に袖付で木造の明神鳥居(八幡鳥居)が
ありましたが、その後朽ち果ててしまい、しばらく更地の状態でした。
昭和58年に篤志家の奉納により、現在のような木製の神明鳥居が建立され
ましたが、腐朽が進み崩壊寸前となっています。
そこで、前述の歴史的背景をかんがみ本神社にとって、この鳥居の位置は
最も重要なことで、これを未来永劫に変えることのないように、石製の鳥居
で、以前あった名神鳥居(八幡鳥居)に建て替えることを企画いたしました。
つきましては地域の皆様に、この歴史的伝統をご理解いただくと共に、鳥居の
建立参加にご賛同いただけますようご案内申し上げます。
お訪ねください。 hxckm638@ybb.ne.jp