2015監督名鑑
常磐大高 海老沢 芳雅 コメント ★★★★★
鹿島 一ノ戸 雅弘 コメント ★★★★★
緑岡 上田 英雄 コメント ★★★★★
中央 田口 敬二 コメント ★★★★★
清真学園 辻岡 敦 コメント ★★★★★
水戸商 西川 将之 コメント ★★★★★
水戸工 小澤 直人 コメント ★★★★★
鹿島学園 鈴木 博識 コメント ★★★★★
波崎柳川 海老原 洋法 コメント ★★★★☆
水戸一 竹内 達郎 コメント ★★★★☆
鉾田一 斉藤 雅司 コメント ★★★★☆
鉾田二 加部東 達紀 コメント ★★★★☆
玉造工 坂本 隆 コメント ★★★★☆
水戸啓明 春田 剛 コメント ★★★★☆
水戸葵陵 池上 昌二 コメント ★★★★☆
水城 大川 健次 コメント ★★★★☆
水戸桜ノ牧 喜田 聡 コメント ★★★★☆
水戸農 成田 英彦 コメント ★★★★☆
鉾田農 ○○ ○○ コメント ★★★★☆
波崎 野口昭雄 コメント ★★★★☆
茨城 内山 義朗 コメント ★★★★☆
茨城東 久保木 裕 コメント ★★★★☆
大洗 ○○ ○○ コメント ★★★★☆
桜ノ牧常北 富田 和雄 コメント ★★★★☆
那珂 ○○ ○○ コメント ★★★★☆
友部 山崎 純一 コメント ★★★★☆
笠間 佐藤 将光 コメント ★★★★☆
神栖 倉川 達也 コメント ★★★★☆
(2015年12月31日更新現在)
高校名 監督
部長
コーチ名
写真 コメント
海老沢 芳雅


【海老沢 芳雅】(えびさわ・よしまさ)
水戸農−日体大−鉾田農−茨城東監督−水戸桜ノ牧監督

現役時代の水戸農では速球派で県内屈指の長身投手だった。2年生時よりエース格で
2回戦より登場し磯原、水戸商と強豪校を撃破したが4回戦で大宮に先制機と逆転機
を逃しサヨナラ負けしてしまいベスト8入り出来なかった。 1979年、高校3年生最後の夏は
1回戦で東洋大牛久と対戦、3回表に海老沢が交代した途端に先制され同点に追いつくも
延長11回まで粘ったが勝ち越され敗退し高校3年生最後の夏を終えた。
日体大に進学後に大学でも野球にうちこみ指導者としての道に進む。
1987年から1992年まで監督として鉾田農業で指導したが2回戦が限度だった。
1993年には茨城東に異動し監督に就任、1997年に坂場投手を擁して決勝に進み
井川慶の水戸商業を破って優勝し、わずか4年で茨城東を二度目の甲子園に導いた。
優勝後も1999年まで茨城東を指導したが異動時期がきた為に異動。水戸桜ノ牧監督
に2000年に就任。2004年には準々決勝まで進んだが県北の名監督の山田率いる
磯原高校に2−3で敗れた。指導の甲斐あってか就任6年目の2006年の夏の大会で
は金井投手を擁しての準優勝。常総学院の壁は破れなかった。
2008年には秋の大会で二大主砲の河井、茂垣、俊足打者の河野などの活躍で準優勝
で関東大会に出場。1回戦で埼玉1位の花咲徳栄に6−2で勝利したが、準々決勝で
群馬2位の前橋商に8−0と大敗した。
翌年の2009年の秋に優勝は吉久保、上遠野の二枚看板の投手の活躍で関東大会に
再び出場したが神奈川2位の桐蔭学園に3−0で敗退。
2010年には春の大会で茨城3位として春の関東大会出場したが、当時1年生の
佐藤拓也のいる浦和学院に敗退した。
2006年、2009年、2010年と21世紀枠の東京・関東地区の代表校に3度目の
推薦されるも惜しくも選考もれしてしまった。
近年の水戸桜ノ牧の躍進は海老沢監督の力抜きには語れません。
とにかく人間的にも素晴らしく魅力を持った監督です。
選手の素材に恵まれていない中毎年強いチームを作っている。
部員の数も多く監督の紳士的で品格のある人柄が部員を集めているのだろう。
水戸地区でも文武両道の代表的な学校である水戸桜ノ牧は周囲の期待も大きい。

一ノ戸 雅弘

【一ノ戸 雅弘】(いちのへ・まさひろ)
鉾田一卒−明治学院大学−水戸工監督−鉾田一監督−鹿島監督

元々は北海道の出身で幼少期に鹿島に引っ越してきた。母親の野球好きが元で野球を始める。
県内屈指の強豪校の鉾田一高では内野として1年生からサードでレギュラー。
常に主力選手としてチームを牽引。セカンド・ショートなどで活躍した。
1975年には秋季関東大会にも出場、横浜高校に惜しくも3−1敗れたが、
健闘した試合が評価され翌年の1976年(昭和51年)春のセンバツに出場。
剛腕投手の戸田秀明を擁しノーヒットノーランの伝説の試合で最後のショートフライで
ウイニングボールを掴んだ。選手として甲子園の大舞台を春と夏の二度経験している。
夏の大会は決勝で土浦日大を2−0で破り甲子園出場を決めた。
本大会では2回戦で延長11回の激闘の末に市神港(兵庫代表)に7−4で敗退。
翌年には主将として鉾田一高を引っ張り準決勝まで導いたが惜しくも取手二に惜敗。
明治学院大学に進学後に首都大学リーグで原辰徳(現巨人監督・当時東海大)と首位打者を
争い僅差で及ばなかったが、当時の雑誌にも掲載されたぐらい評価の高い選手で
選手としても相当な実力の持ち主です。
大学卒業後は1985年(昭和60年)に水戸工業で監督に就任。水戸工業の監督時代は
就任2年目の1987年(昭和62年)は好投手の籠嶋を擁して秋の関東大会へと導くなどの
好成績を残した。試合は桐蔭学園に惜しくも延長で負けたが手ごたえを感じた。
優勝候補の一角として臨んだ1988年(昭和63年)の夏の大会では準決勝まで勝ち進み
常総学院と対戦。試合は9−6とリードしたが終盤に逆転され、猛追するも惜しくも結果は
11−14という接戦で敗れた。水戸工業としては数十年ぶりのベスト4という快挙だった。
この試合で一時期リードされた木内は「今日は完全に負けた」と本部席に怒って戻ってきたが
試合を数分見て突破口を見つけベンチに戻り逆転したという逸話もある。
恩師である天野清二監督のライバルでもある名将木内幸男監督を相手に追い詰めた実績は
この後の采配や指導にも自信が持てたという…。
1994年には母校の鉾田一高に戻り、師である天野監督の元で二人三脚で教えを受け。
1998年からは鉾田一高の監督に就任。OB監督としての期待は大きく
1999年(平成11年)には青松典明投手を擁して春の関東大会に出場。
日大三(東京1位)に14−4と大敗するも。母校でも十分に関東に出場できる
という手応えをつかんだ。
2002年(平成14年)にも鬼沢誠−鳴海幸徳バッテリーで春の関東大会に出場。
2回戦で所沢商(埼玉1位)に10−3で勝利。準々決勝で山梨学院大付(山梨1位)
に6−3で敗れた。
鉾田一の監督時代も二度の関東大会出場を残している。
ドラフト7位指名の読売巨人の東野峻の育ての監督としても有名。
プロ野球の開幕投手も務めた事もある選手を育てた育成手腕は県内外からの評判も高く
県内、外で数多くの好成績の実績を挙げていて、関東大会出場数3回は公立の監督としては
上位クラスの戦績だ。
高橋祐二登場以前は、県外で勝てる監督だった。
育成手腕・采配などに定評がある監督としても名が知れ渡っている。
息子は陸上のインターハイ選手の一ノ戸 崇(鉾田一)鹿島野球部がいる。

海老原 洋法


【海老原 洋法】(えびはら・ひろのり)
鉾田南中−波崎柳川−日体大−取手二高監督−波崎柳川監督

波崎柳川の現役時代に水野和彦監督の元で主将も務めショートなどで活躍した。
1994年の秋の大会で準決勝で菅原、美斉津投手の土浦日大と対戦したが敗れ
3位決定戦で7−3と水戸商業を下し神宮大会への出場を果たした。
神宮大会に出場した波崎柳川は好投手の木頭を擁して1回戦で姫路工を相手に接戦
の末に7−6と勝利。続く2回戦では創価に7−3で敗れたが全国の強豪と対戦
した経験は大きかった。
1995年、最後の夏の大会では第7シードで臨んだ試合は、2回戦からの登場で
海老原は1番サードでの出場だったが下妻一高のエース岡田の前に一時は逆転した
が、さらに逆転され3−2の逆転負けで敗退した。悔しい思いを胸に日体大に進学
後に講師などを務め機を待った。
2004年から2008年まで取手二高で監督に就任した。多くの選手を頭を下げ
て集めて古豪取手二高の復活の狼煙をあげ、徐々にチームは強くなってきたが、
2009年に念願叶ってか母校波崎柳川に異動が叶った。半年間、波崎柳川の部長
として過ごし、新監督として迎えた新チームですぐに結果を出した。
秋の大会、快進撃を見せる波崎柳川は決勝で水戸桜ノ牧に9−6で敗れるも2位と
して関東大会に出場した。惜しくも埼玉1位通過の強豪、浦和学院に4−3で敗れ
てセンバツの道は絶たれたが母校での甲子園出場の夢の可能性に手ごたえをつかん だ。
翌年、2010年の春季大会で取手二高が、春の関東大会に出場したが、前監督で
あった海老原洋法監督の指導の力、スカウト力も少なからずは、あったと取手二高
や県南の野球関係者の多くは語る。
茨城の中学野球界の名門、鉾田南中の出身で戦術面に優れ、礼儀正しく非常に我慢
強い野球をする。指導方針は生活などからの指導を重要視し、正しい生活は技術に
も比例するというのが海老原の指導方針の信念だ。人間的にも子供達にも好かれ
人気の監督だ。波崎柳川のOB監督として結果を出す日は近いだろう。

竹内 達郎

【竹内達郎】(たけうち・たつろう)
常総学院−筑波大−竜ヶ崎南−水戸一

竹内達郎監督は常総学院の卒業生で、木内監督の教え子。
常総学院野球部では7期生(90〜91年)で主将を務めた。
1年生の時には3年生に仁志敏久がいた。3年生になり
1年生には根本健志、金子誠、倉則彦、三宅富士雄などがいた。
3年生の時には準決勝で藤代紫水に敗退して甲子園に行けなかった。
木内監督にも似て木内ばりに訛って茨城弁で激を飛ばすのが特徴。
負けず嫌いな性格も木内譲りだ。非常にまじめで熱心な元気あふれる監督さんです。
筑波大学の主将・三塁手として1996年(平成8年)秋の首都大学リーグ戦で優勝。
最高殊勲選手賞、ベストナインを獲得。第27回明治神宮大会に出場。
強打の内野手として同年のドラフト候補にも名があがった。
同期には、国立大学出身初のドラフト1位として注目を集めた杉本友氏(オリックス)
その時の2位指名が巨人の谷選手や、現牛久高校の林健一郎監 督(竜ヶ崎一高出身)
なども同期メンバーの一人です。
卒業後、2005年から竜ヶ崎南の監督に就任したが。選手に恵まれずに結果の出ない
日々が続いたが、2011年に水戸一に異動、監督に就任した。
ジュニア大会や1年生大会などからメキメキ頭角を表し結果を出している。
茨城の高校野球界では、将来が楽しみな期待の監督のひとりだ。

斉藤 雅司

【斉藤 雅司】(さいとう・まさし)
鉾田一卒−大東文化大−茎崎高校−石岡一監督−鉾田一監督
野球の監督としては珍しい国語教諭。

石岡一高の監督時代に2001年秋季大会の地区予選で
常総学院を破った経験もあり、奇跡の大勝利と呼ばれた。

2006年には好左腕の郡司利彰投手を擁する鉾田一高を破った経験もある。
この時の鉾田一は全国3位の鉾田南中出身の選手を多く揃えたチームで周囲
からも期待されていた、しかも母校の鉾田一高を破ったという事が地元からの
批判や批難も多かったが、周囲からの評価が上がり地元の鉾田一ファンからの
評価も上昇した。2008年から母校の鉾田一高に異動したが当時の鉾田一高
の監督の川澄芳文とは大学時代の先輩後輩の為に2年間は地盤堅めに専念した。
2010年に念願の母校の監督に就任すると。好投手の安達大貴を擁して臨んだ
夏の大会では惜しくも優勝候補の一角の下妻二に敗れ4回戦止まりだったが、
この試合で安達は下妻二打線から18三振を奪った。この投手育成も評価され
周囲の信頼を得た。斉藤監督の監督就任時の鉾田一は好素材が集まらず低迷に
苦しみ、まったくと言っていい位に戦力の無い状態での戦いだったが持ち前の
元気で前向きな指導が功を奏したのか、徐々に結果を残し窮地を乗り切った。

斉藤監督は鉾田一出身の監督には珍しく守備的な布陣は敷かず打撃に重点を置く。
積極的な性格から打撃を指導が上手く攻撃的なチームに生まれ変わる。
2012年(平成24年)秋季大会では好投手の高崎雄太を擁して母校の鉾田一
で11年ぶりの4強入りを果たし周囲を驚かせた。
天野清二、長井徹さんの元で監督業の勉強ができたのが貴重な経験と語る。
佐々木力監督とは少年野球時代からの友人だ。

辻岡 敦

【辻岡 敦】
黒磯−日体大−清真学園監督
辻岡さんは本当に良いチームを作るねと周りからも評判の監督。
子供達と一緒に泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりとベンチに
監督と選手が意思疎通ができています。信頼関係を作るのが上手で
チーム一丸になった一体感あるチームを作ります
アメとムチを使い分ける指導も素晴らしく子供達にも大人気。
常に堅守のチーム作りで粘り強い。高校野球で理想的な監督です。

投手育成に定評あり。袴塚、石津などの選手を育てた。

小澤 直人

【小澤 直人】
水戸一−茨城大−水戸工監督

2013年の秋の大会では県内屈指の好左腕の後藤を擁して
土浦湖北に1−0で競り勝ち3位で26年ぶりに同校を
関東大会に出場させた。群馬1位の健大高崎に3−2で敗れるも、
工業高校の躍進により工業高校人気を上げていった監督と
言ってもいいだろう。

石川 勝士
【監督】

石川 勝士
竜ヶ崎一卒−日大−鉾田二監督−勝田工−水戸桜ノ牧−鉾田二監督

1994竜ヶ崎一では遊撃手遊撃手として活躍。とにかく研究熱心で学生の頃から高校野球の監督を
目指して頑張っていた。理想は堅実な守備のチーム。2002鉾田二より監督を務め就任直後の秋の
大会では準々決勝(ベスト8)に進出。惜しくも第2シードの水戸短大付に0−4で敗れるも手ごたえを感じた。
郡司道弘−菅谷岬バッテリーを擁してのチームは玄人好みのチームだ。

2008年に去ったが、育てた戦力は基礎がしっかり作りこまれていた為にその後に県東地区で鉾田一を破って優勝。
平沢周、鈴木蓮、など県東地区を代表する選手に育った良い素材を確実に成長させる、その基礎作りには定評あり。

勝田工、水戸桜ノ牧と異動したが野球部顧問止まりの不遇の時代だったが8年ぶりの2016年に鉾田二高に復帰。
県内でも結果を出している竜ヶ崎一出身の監督として結果が期待される。守谷の谷田川監督と同級生。

とにかく細かい所まで目配り気配りの出来る監督で細かい指導が出来る。夏の大会に強い監督で、厳しい反面、
最後の夏には一緒に涙を共有できる監督さんだろう。今後のご活躍に期待しています。

池上 昌二

【池上 昌二】
佐賀商−日体大−水戸葵陵監督
高橋祐二(霞ケ浦監督)とは日体大野球部の先輩、後輩。年齢も一つしか違わない。
水戸葵陵と霞ヶ浦の両校は定期的に練習試合を行っている間柄。
お互い口にこそ出さないが、どっちが先に甲子園に出場するか意識している。

池上は1985年に水戸短大付水戸(現・水戸葵陵)の監督に就任した。
立派な練習場やグラウンドを用意してもらうなど学校側からは大きな期待をかけられたが
結果を残せないまま月日が流れた。2005年(平成年)苦悩の末に一時、監督を退き、
さらに2年半の月日が流れた。

野球指導を離れ一教諭として生徒に接し、グラウンドに行くことも控えた。
小学校から野球一筋の人生だった池上にとっては新鮮な体験だった。

心機一転、2006年8月に再び監督に復帰した池上は人が変わったかのように指導方法を変えた。
試合中も指示を出す回数を減らし、選手に自ら考えさせ自立させる野球を徹底するようになった。
その結果、2007年の夏の大会では真家政司(2年)、小野瀬大樹(2年)、内山優史(3年)など
有望選手を育て、準決勝まで勝ち進むも惜しくも第7シードの常総学院に5−11で敗れている。

2011年(平成23年)には春の県大会2回戦でライバルの高橋祐二監督率いる霞ケ浦を
4−3で撃破。そのままの勢いで決勝まで進んだが惜しくも常総学院に6−1で敗れ、
2位通過となった。7年ぶりに春の関東大会に出場した水戸葵陵だったが。
1回戦では東海大浦安(千葉4位)を相手に打線が爆発9−1の大差で圧勝した
2回戦で日大三(推薦)に4−0で敗退したが夏の大会への自信を得た。

九州佐賀では甲子園常連校の名門・佐賀商の出身。信念を貫く九州男児。

上田英雄
緑岡監督

【上田英雄】
緑岡−○○大学−緑岡監督
緑岡伝説の捕手としても有名。現役時代は頭脳的なプレーの捕手。
選手としては1986緑岡で春の関東大会ベスト8の実績あり

塚田 浩幸

【塚田 浩幸】
緑岡−茨城大−那珂湊一監督−中央部長


野口昭雄

【野口昭雄】
波崎高校監督
野口昭雄

内山 義朗

【内山 義朗】

【】
那珂高校監督

【】
育成手腕【0票】試合采配【0票】魅力人気【0票】将来性期待度【0票】

【】
育成手腕【0票】試合采配【0票】魅力人気【0票】将来性期待度【0票】

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育成手腕【0票】試合采配【0票】魅力人気【0票】将来性期待度【0票】

【】
育成手腕【0票】試合采配【0票】魅力人気【0票】将来性期待度【0票】


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