


| 1989年 (創世期) |
●バンドブームにあやかり、仙台一中2-8の仲間(KANI、チャボ、ICHI、G、マサヒコ)の5人で『CITY&COUNTRY』という名前でバンド結成。メンバーは『C&C』と呼称した。ICHIが初作詞した『Oh!Poor!』で活動を開始しようとした矢先、誰一人として楽器ができないことが判明。麻雀をしたり恋の話をするだけに終わる。(KANIとは、当時KENがユニコーンのベーシスト・EBIが大好きで、同じ系統の名前がいいと言って自ら命名した名前。誰にもそう呼ばれず終わる。) ●野外活動でKENがバスガイドに持参したカセットを渡し、「このテープを流せ」と脅迫してカラオケ大会勃発。 周りが疲れきっているにも関わらずユニコーンを熱唱。 |
| 1990年 (停滞期) |
●ICHIが知り合いからクラシックギターを譲り受け、練習を始める。 ●ICHIが別バンド『ストライキ』にドラムパッドで参加。 鬼才・柴田サトシの作詞&ヴォーカルで、『Love you Valentine』 『LAST GOOD-BYE』等の腐臭漂うラブソングを演奏。 ●高校受験のため、CITY&COUNTRY活動休止。 ●G、真っ先に進路決定。 |
| 1991年 (活動期) |
●全員無事高校合格。各々活動を始める。 ●小室教信者・Gが小室モデルのシンセサイザーを大枚はたいて購入。 ●ICHIがお年玉貯金をはたいてエレキギターとアンプを購入。 |
| 1992年 (混迷期) |
●ICHIが別のバンド『CONTROL』のギタリストとしてライブハウスデビューするも、客の盛り上がりに欠ける。 テンションの下がったメンバーで打上直後にCONTROL解散。このライブをKENとGが見に来ていた。 ●KENの家に集まったKEN、ICHI、Gの3人で『JUNK CRUSH』結成。バンド名はICHIがジャンクマンの必殺技から命名。 ●KENがベースを購入。ICHIの指導のもと練習を始めるも、指がつりそうになりあっさり断念。 ●ICHIが高校でなぜかヤンキーに気に入られ、「学園祭の俺のバンドで弾いてくれ」と頼まれ、『ククレカレー』というバンドにギターで参加、学園祭に出場する。嫌々BUCK-T●CKのカバーをやるハメに。 ●JUNK、サポートメンバーを入れて『DODA』という名前で『せんだい高校生アマチュアバンドコンテスト』に出場。 |
| 1993年 (暗雲期) |
●KEN、学校に行かず公園で昼寝する毎日。出席日数足りず留年⇒中退。 「俺を面白がって歌わせてるだけだろう!?」と被害妄想全開の発言を残しバンド活動休止。 ●ICHIが『悲しき玩具』というパンクバンドにベースで参加。パンクキッズ・デブケン(健一ではない)のもとライブハウスや学園祭に多数参戦。 |
| 1994年 (再生期) |
●KEN、ICHIの説得に心を開き、再び歌うことを決意する。 ●ICHIとKENによるユニット『あひるの子』始動。デモテープを制作。 ●GとKENによるユニット『ミリオン・セラーズ』始動。『Hey-Hey POP』という意味不明な曲を1曲だけ作り活動休止。 ●ICHIが『オカマラス』というロックバンドを遊びで結成。Theピーズのコピーバンドで1回のみライブハウスに出場。 ●ICHIが地元パンクのカリスマ・ケンケンのもと『デジタル・イディオット』というパンクバンドにベースで参加。『エレキのサムライ』 『ニューレヴォリューション』等、キャッチーなパンク楽曲を作り数回ライブを行う。 |
| 1995年 (衰退期) |
●ICHIがヒッピー系パンク野郎・マナビーのもと、『pish』というバンドにベースで参加。歌詞が無く、「ヴォアー!!グゥオー!!」と叫ぶだけ、且つ、7拍子・11拍子等、メンドい上にリズムを取りづらく、覚えにくい・気持ち悪い曲ばかり作る。 ●KEN、仕事に行かずに失踪。親に頼まれ、ICHIとGが夜中に市内を探し回る。葛岡霊園で車の中で寝ている所を発見。KENはICHIとGを無視して逃げ出したが、律儀にも赤信号で止まった所を車2台で前後から挟み込み確保。刑事ばりに親に引き渡す。 |