『ACT』 247号(05年9月26日付)インタビュー記事
〈スピリチュアル・シングル主義〉って何?
質問1 イダさんは「シングル単位」というものの重要性を説かれてきましたが、なぜ「シングル」が大切なのでしょうか。
イダ:
男女平等ということについては誰でもが賛成しますが、ひとりひとりが深くジェンダーの囚われから自由になるためには、どうしても家族単位の思考と制度を批判し、それに対抗する新しい政策と思考の体系が必要なのです。これは論理的帰結です。
しかし、日本の左翼、人権派、時にはフェミニストでさえ、そこまで思考を突き詰めていない場合が多かったので、そこを明確にして政策体系を具体的にシングル単位に改革するべきだと主張したのです。それがシングル単位論です。院生としての論文をのぞいて、一般の人に読めるものとして明確に世に発表したのは、1991年の「カップル単位からシングル単位へ」という『情況』(2巻10号)に書いたものですね。当初はほとんど理解されませんでしたが、徐々に賛同する人が増えてきました。
男女2分法を所与のものとして、そうした異性が欠けたところを補い合って結合する、つまり結婚することでようやく人間として当然の基本形をなせるのだというのが家族(カップル)単位です。わかりやすくいえば、結婚するのが普通、幸せ、そのなかには性別役割分業があるとし、二人は一心同体、夫が家族のために金を稼いで妻子を養い、妻は家事育児介護をするというものです。「二人のうち、どちらかが・・をする」という発想です。
しかしこれだと、結婚内でジェンダーが再生産されます。女性個人、男性個人が自分で家事をする、自分で稼ぐ、自分で自己決定する、自分のワークライフバランスをよくする、という自由と責任がなくなります。結婚内で干渉や支配や依存や嫉妬が起こりやすくなります。結婚していない人(同性愛など性的少数者の人、独身者、離婚した人、働き続けたい女性など)が、標準外ということで、さまざまな不利益をこうむります。男性は妻子を養うということで高賃金になり、そのかわり長時間労働、女性の賃金は低くなり、採用や昇進や配置で差別されることになります。
男女2分法が絶対ではないなら、男と女が結合して性分業するのが当然・自然ということ自体が無根拠になります。そうするとそれを標準としてそれ以外の生き方を差別するシステム全体が見直される必要があります。そういうジェンダーの基本を踏まえた必然的帰結がシングル単位論です。私のいう「シングル」とは、独身ということではなく、ジェンダーの囚われ(家族単位思考)から自由になろうとする人です。詳しく語る余裕はありませんが、シングル単位の具体的政策を採用していくと、上に述べた家族単位の諸問題がことごとく解決されます。そのかわり、税金をたくさん負担するとか、各人が自己決定する責任を持って生きていくという大変さがあります。
つまり、ジェンダーの囚われから離れるためには、ひとりひとりが自分の頭で考えていき自分で決定していくという自立した人間になることが必要なのです。そういう主体を私は「シングル」と呼び、そうした人を社会の基本単位とすることで、多様な生き方を平等に尊重しあおうと提案しているのです。
質問2
おっしゃること、すごくよくわかります。私もそう生きたいと思っています。
でも、「シングル」単位の生き方って、芯が強くなければできないのでは? 弱い個々人が「シングル」的な生き方をするためには、何が阻害要因になっていて、それをどう取っ払っていったら、いいのでしょうか?
イダ:
この問いはよく出されるのですが、でも考えてみたら、自由に生きる、芯が強い人間になりたいですよね。そう思いませんか? 問題は、それは誰でもがなれるのか、能力や個性の問題でどうしようもないのかということでしょう。
私は、実は、個人の自立、自己決定ということを障害者運動から学びました。重度障害者であっても地域で一人で生きていく、そのために、ボランティアも行政制度も生活保護も使う、というような運動です。障害者であっても、過剰に健常者に気を使うことなく、家族の犠牲もなく、好きなときにスーパーに行き、酒を飲み、テレビを見て、ロックコンサートにも旅行にもいけるようにということです。何をいいたいかというと、それは高みを目指した大変な運動だけれども、もっとも「力を奪われて“弱者”と見られている障害者」でさえ、それは獲得できるし、またその自由は保障されるべきだということです。
ということは、どんな人も、エンパワメントされる必要があるということですし、それは可能だということです。能力や個性の問題ではありません。エリートの自由の話ではなく、非エリートの人たちが、非エリートのまま自分をスキになれるように自由に生きる道を見つけようという提案です。エリートの生き方をバカにできるような、自分なりの物語を私はもてるとおもいます。私がスピリチュアリティという自分の〈たましい〉を大事にしようというのはそういう視点からです。
私たちは現状に問題があると思うから運動し社会や自分の生き方を変えていこうと思うのでしょう?その目指す人間像が高みを目指したものであるのは当然ですよね。そして、それは、自分でよく考え、学び、実例を見て、チャレンジし、仲間に出会い、徐々に自分をエンパワメントしていくことで可能なのです。人は弱くありません。弱いと思わされているだけです。失敗や苦しみや喪失から学んで、強くなっていける存在です。
阻害要因があるとすれば、そうした新しい情報・学問・思想に触れず、考えもせず、自分を高みに持っていくということをあきらめているという環境そのものです。だからこそ、もっとこの思想や情報を広め、それを支えあうネットワーク、仲間がいればいいのです。もう一つの阻害要因は、自分を変えようとしないという姿勢そのものでしょう。世界とのつながりを遮断し、思考停止し、いいわけとして「変えられない」「そんなのは理想だ」と嘆くだけの人は、どうしようもありません。周りは、その人がそれでも立ち上がる時期を待つしかありません。そしてそのときがきたら援助すればいいのだと思います。
質問3
とくに政治との関係で、具体的に、どんな政策が必要になってきますか?
また、今回、イダさんは辻元清美さんを応援されて、見事当選されましたが、辻元さんたち市民派の議員には、何を期待されていますか?
イダ:
これを語るには、『シングル単位の社会論』で書いたような事をたくさんいう必要があります。一つだけ政治との関係で言うなら、「新自由主義」「大きな政府」「小さな政府」「社民主義」「福祉国家」「グローバリズム」「グローバリゼーション」など、すべてそれなりの議論や定義がある言葉に対して、日本のメディアや政治家、評論家はほとんど何も勉強しないで勝手に自分のイメージで使っているという問題があります。この問題が、今度の選挙での郵政民営化の議論に反映し、小泉路線の新自由主義に、民主党がなんら抵抗できなかったことの遠因です。
これらの概念は、大きな政治体制の選択に関わるときの鍵概念なので、それを明確にしたうえで、北欧型の新社民主義的な福祉国家路線を日本は選ぶべきだと思います。私が市民派に期待するのは、民主党では新社民主義を体現できないと考えるからで、辻元さんを中心に北欧型新社民主義路線こそが、日本の改革の展望だといってほしいからです。
私のシングル単位論は、この路線の鍵なので、左翼・環境・市民派の人はもっとフェミを学んでよといいたいですね。関連図書として、スティーガー著『グローバリゼーション』(岩波書店)や広井良典『脱「ア」入欧』(NTT出版)、宮本太郎[1999]『福祉国家という戦略――スウェーデンモデルの政治経済学』(法律文化社)をおすすめします。
質問4
最後に、「シングル」単位論まではよくわかるのですが、なかなか分かりにくいのは「スピリチュアル・シングル」。どういうことでしょう?
イダ:答え
今、世の中の議論や雰囲気は、自分が損するか得するか、あいつが悪い、人など信じられない、助け合いなどする気になれないというものです。そうした中で、増税はいやだ、イラク戦争やアフガンのことはもう考えたくない、ということです。
それに対して私たちが、社会をよくしたいというのは、もっと連帯の気持ちを増やしそれを実行する、制度化するということですよね。自分が幸せになることと、他者、次世代、外国の人、マイノリティの人、動植物、地球環境などが幸せになること、苦しみが減ることは対立することではなく、むしろつながっていることです。具体的には、もっと税金を負担したり、ボランティアやNPO活動や社会運動に関わって当然なのです。
でも日本ではそれが今とてもわかりにくくなっている。社会運動が、労働組合に代表されるような、何かしら利権、ダサいもの、エゴ、改革抵抗勢力のように見られている。ボランティアが偽善や暇人の活動のように見られている。だからこそ、私は、いや社会運動やNPO活動というのは、自分と他者や未来とのつながりを取り戻そうとするとてもステキで、かっこいいものなんだよと伝えたいと思っているわけです。そこのところを浮き彫りにするために、スピリチュアルという言葉を使います。
あなたにとって自分の〈たましい〉ってどんなものですか? 死ぬときに悔いなく生きてきたと思えるためには? 自分が本当に望んでいることは? そういうことを各人が深く問い、自分に恥じることなく、自尊心を持って生きていく。そのことを突き詰めずには、今、社会運動は新しい質に転換していかないと思います。そのとき、スピリチュアリティというのはとても大事な概念なのです。
もうひとつ、共同体主義との区別の問題があります。スピリチュアリティは一言で言うと、自分が他者とつながっている存在だという想像力のことですが、そのとき、共同体とか連帯、公共だけを言うと、個というものがそこに埋没される危険があり、全体主義・国家主義・右翼保守主義・天皇主義・宗教依存との区別が曖昧になります。
だからこそ、私は、常に、自立して自分の頭で考える個(シングル)を基本としつつ、その個が新しいスピリチュアルというべき倫理でつながるというバランスを追求しているのです。それは、従来の愛国心、家族愛、恋愛、宗教心、愛社精神とは違うつながり方です。新しい恋愛/家族/人間関係や新しい社会運動への参加動機の創造という点で、シングル単位とスピリチュアリティという2つの概念の理解はとても重要になっていくと思っているわけです。詳しくはぜひ私の『スピリチュアル・シングル宣言』(明石書店)や私のHPをみてください。〈スピ・シン主義〉によってこそ,新しい反戦・非暴力の論理も展開できると思って書いています。
蛇足の質問
お名前を「イダヒロユキ」さんに変えられたのは
何か意味が……?
イダ:
ないです