「平等」という言葉を理解せず、曲解する人々 (ブログ06年9月21)
「平等」をゆがめて、ジェンダーフリー・バッシングする人々
「平等」とは、差別なく、皆が対等の権利の状況で処遇されることだろう。
「黒人も白人も平等に」ということは、何も黒人も白人も同じ肌の色にしろということではない。異なった肌の人、異なった人種や民族の人々が対等になるようにしようということだ。
アメリカの独立宣言の前文には、次のような言葉がある。
「すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている」
「すべての人間を平等に」という言葉を、正しく理解すれば、「男と女は違うのだから、平等などありえない」というようなレトリックは、子どもだましの暴論といえよう。
この小学生にもわかるイロハのイをムリにゆがめる人々がいる。
ジェンダーフリーを批判する国会議員の皆さんもその一部だ。
バックラッシュ派はあいも変わらず低レベルのデマを繰り返している。その論理は驚くほどお粗末だ。
2006年6月2日 教育基本法に関する特別委員会(第8回)で、戸井田委員(自民党)は、次のようなことを述べている。
「第二条の教育の目標のことでちょっとお伺いしたいんですけれども、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」というふうにあります。
ここに、私は、いつもこの議論をするときにひっかかる言葉があるんです。それは男女の平等という言葉でありますけれども、私は、男女の平等という、平等というのはあり得ないんじゃないかなというふうに思うんですね。男女間の公平というのはわかるわけですけれども、男女が平等であり得るわけがない。男と女は違うんだ、お互い相足らざる部分を補い合いながら生きていく、そういう関係にあるんだというふうに思っております。
自民党の勉強会の中でも、この言葉の持つ危険性、すなわち家庭の崩壊を招くジェンダーフリー思想ということで、猪口大臣にも随分いろいろなことを言わせていただきました。そして、あらゆる機会を通じて私は警告というか御意見を申し上げて、軌道修正をしていただいたと思ってきました。
戸井田発言引用 以上
ここでは、平等とは、まったく同じになること、といったような理解で、男女平等=ジェンダーフリーの考えは、ありえないことをもとめていると批判している。
バックラッシュ派とはこの程度のことを繰り返すばかり。
安倍晋三氏も山谷えり子氏もこの種の暴論で、今後もバックラッシュを進めるだろう。
良心的な官僚の皆さん、まともなところで踏ん張ってください。
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