デートDV防止教育のあり方について
――「アサーティブ」という名で、「怒る自由」を奪うな
瀧田信之著・藤原千尋構成『それ、恋愛じゃなくてDVです』(WAVE出版、2009年3月)は、わかりやすいデートDV入門の本。事例がリアルで、伝わりやすい口調。
明確ではないが、カップル単位的な恋愛観自体が問題だというような内容の部分もある。
しかし、質的には問題のところもある。
たとえば、アサーティブに対応しよう、ということが、対策の中心になっているが、それは、問題である。
実際の被害者になりうる人にたいして、ちゃんといいたいことを言っていこう、という実践的な提起であることはわかるが、被害者の対応能力・コミュニケーション技術の問題に矮小化しているという側面に自覚的でないことが問題である。
DVは加害者の歪んだ考え方に中心的な原因があるのであり、その背景としての社会全体の暴力容認的、ジェンダー従属的な価値観と構造、カップル単位社会構造がある。つまりそっちを変えないといけないときに、アサーティブな表現能力をつけようというのは、被害者の自己責任論につながりかねない。
著者のスタンスは実践的で、実際に役立つ場合があることは認めるので、揚げ足取りするつもりはない。この本を読んだ人が少しでもデートDV被害を減らせたらいいと思う。
ただし、上記の問題点が、たとえば、以下のような会話例ででてきたとき、私としては批判しておきたい。
p174に、アサーティブになれずに「攻撃vs攻撃」の対話になっている、つまりどちらも悪いという会話例が載っている。だがこれを読めば僕などは、「これは男性が完全に悪いでしょ」とおもってしまう。
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付き合って半年の恋人の会話
陽一「(テレビ見ながら)陽子、腹減った。なんか食うもんないの?」
陽子「今作ってる。ちょっとまってて」
陽一「あー腹減ったーぁ、早く作ってくれよー、おせーよー」
陽子「(むっとしながら)文句言うならちょっとは手伝いなさいよ」
陽一「はぁ?何で俺が手伝わなくっちゃいけないの?メシつくるのはオマエの仕事だろ?」
陽子「(さらにむっとしながら)何それ。ムカつくっ。陽一こそいつもウチでゴロゴロしてるんだから、掃除くらいしてよ」
陽一「オマエさあ、ああいえばこういうのって、カワイクないでしょ。なんでそうつっかかってくるわけ?」
陽子「文句言ってつっかかってきたのはそっちでしょ。何で私がカワイクないとかいわれなきゃなんないの?」
陽一「あーハイハイ、もういいです。それより早くメシつくってよ」
陽子「できたわよ。さっさとたべなさいよ。(といってチャーハンの皿を無造作にテーブルに置く)」
陽一「(いただきますも言わずにほおばりながら)・・・このチャーハンさあ、味薄いし、べちゃべちゃしてね?チャーハンはやっぱりパラパラがいいっしょ。」
陽子「うるさいっ!文句があるなら自分で作れっ!!(激怒)」
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この事例に対し、この本では、陽一さんにも問題はあるが、だからといって陽子さんが同じように陽一さんに言い返すのも適切な関係ではないという。攻撃に攻撃で言い返してしまえば、どっちもどっちになってしまい、相手の非を責められなくなるという。
そして次のようなアサーティブな対応をするのがいいという。
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陽一「あー腹減ったーぁ、早く作ってくれよー、おせーよー」
陽子「そんなに腹が減ったんなら少し手伝ったら?」
陽一「はぁ?何で俺が手伝わなくっちゃいけないの?メシつくるのはオマエの仕事だろ?」
陽子「ううん。メシを作るのは私の仕事じゃないわよ。陽一がやってもいいのよ。いっしょにつくる?」
陽一「何で俺が手伝わなきゃいけないのよ。人に頼んでないで、自分でやれよ」
陽子「私、『いっしょにつくる?』ってきいいただけで、『手伝え』とも『手伝って』ともいっていないわよ。それに私『やれよ』って命令されるのは好きになれないの。『やれよ』じゃなくて『やってね』のほうがいいな」
陽一「いちいちいいかえすなよ。かわいげがないなあ。それよりメシ・・・」
陽子「(ごはんをつくるのをやめて陽一のそばに来て)『かわいげがない』っていわれると、傷つくし落ち込むし怒りたくなる。このままだと、とてもメシを作る気持にはなれないかもしれない」
陽一「オレにどうしろっていうんだよ」
陽子「命令したり、かわいげがないっていわないで欲しいの。」
陽一「・・・わかったよ。わかったから、早くメシをつくてください・・・・」
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この本の著者は、この後者の会話例は「これはうまくいった例」だといいます。でも僕はそうは思いません。
僕は、まず、最初の事例で、陽子さんは怒ってもかまわないので、あの対応で問題はないと思います。陽一が悪い。ひどすぎる。こんな男は、教育しないといけない。恋愛の最初で、一回は、教えてあげる必要があるでしょう。「そんな言い方をしないで」というのもいいでしょう。「メシを作るのは私の仕事じゃないわよ。あなたの仕事だよ」と明確にシングル単位感覚を教えてあげてもいいでしょう。怒ってもいいし、説教してもいいし、丁寧にアサーティブにいってもいい。つまり、自分の気持をちゃんと伝えることが必要です。
でも、それは基本1回だけです。一回いって態度を変えないこんなえらそうないいかたをするやつとは別れたほうがいいと思います。(笑)それくらいの気持で、はっきりといわないと、ジェンダー関係、つまり女性が食事を作る、それを男があたりまえのようにえらそうに言うという権力関係が続きます。
性役割バリバリで、えらそうで、上から目線で、ひどすぎますから、いってわからないならこんなやつは捨てたほうがいい。(笑)
なにが、「あーハイハイ、もういいです。それより早くメシつくってよ」だ。
僕ならこんな言い方されたら部屋を飛び出して別れるね。
こんな男のこんな態度をいったん許すと付け上がってこれが続くので、徹底的に戦うしかないと思います。アサーティブなんて生ぬるいことをいってる場合じゃありませんね。
つまり、まず、同書の著者(瀧田)の「陽子さんが同じように陽一さんに言い返すのも適切な関係ではない」というのはまったく間違った考えです。こんな感覚でデートDVを考えていては、デートDVは無くならないと僕は思います。
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次に、後半のアサーティブの事例について。
頑張って陽子さんがなんとか説明しようとしていますね。涙ぐましい努力だと思いますが、それに対してバカなこの男は相変わらずひどい対応をとっています。これにいつまで付き合わないといけないのかと思います。
アサーティブは、もうすこしまともな相手に対して、こちらが攻撃的にならないようなコミュニケーションをとろうという話であって、こんなひどいやつには、もっとガンガンいっていくか、怒るか、別れるという(態度変更を迫る)ことが必要です。
この事例は、あまりに、陽子さんが下手に出すぎで、妥協しすぎで、これでは男を付け上がらせてしまいます。
陽子さんは「私、『いっしょにつくる?』ってきいいただけで、『手伝え』とも『手伝って』ともいっていないわよ。」といいますが、『手伝え』とか『手伝って』といってもまったくいいとおもいます。
つまりシングル単位感覚があれば、当然、「自分で作れ!」ですから。「メシを作るのは私の仕事じゃないわよ。」の後に、「自分の食事を作るのは自分の仕事でしょ。私は善意、愛情でたまに作ってあげたいと思うけど、同じ程度の回数、代わりにあなたが私のために作ってくれて当然でしょ。その程度の愛情がないなら、私はあなたとの関係を考え直すわ。自分の食事は自分で作り、自分で皿を洗う。これが基本!わかった?!」とはっきり言うのが、真のアサーティブです。それは決して攻撃的コミュニケーションではありません。
メシつくるのは自分です。そこからはじめないとダメです。
えらそうに言うな、というのが基本です。
好きだから作ってあげる、といって作る役割を恒常的に引き受けてしまっている女性は、あまりにジェンダーに鈍感すぎると思います。自分で自分の首を絞めています。好きであるということと、男をバカなまま放置するのとは違います。
親が子どもを愛するのと、何もかもしてあげてスポイルしてバカな子にするのとが違うように。性役割どおりにやってしまうのは、権力関係に鈍感すぎます。そうなっていること自体がデートDV関係なのです。「この人は性役割については変わらないからしかたない」というようなあきらめは、自分がちゃんとした対等な関係を作るという課題から逃げた言い訳です。自分を見つめず、自分たちの関係を見つめないで逃げるのは、決してアサーティブではありません。それは自分の人生の課題から逃げているのです。
「勝手をするものを許す」、というのは楽です。勝手をいったもの勝ちになる。たとえば、横暴な父がいる。家族はあきらめ、「お父さんはこういう人だから」といって、残りの家族はお父さんを怒らせないように暮らす。お父さんは家事もせず、気分次第で怒鳴り散らし、家族はあきらめていいなりになる。そりゃ、お父さんには居心地のいい家庭になるでしょう。お父さんは機嫌がいいときもあるでしょう。でも、「いつもと違うことをすると、父がまた爆発する」。だから父がまた怒って爆発しないように、先回りして家族は父中心に、父の機嫌がよくなるような状況を作る。
まさに、支配の完成です。怒らなくても「怒るかもしれない」という見えない恐怖によって――あるいは「変わらないから」という言い訳によって――、父の支配が成立しています。
これはDVと同じ構図です。DV関係は毎日が暴力の連続ではありません。月に1回でも、爆発し、それが怖くて日ごろから、加害者の望むような状況になるよう相手〔被害者〕がガマンしているなら、表面的にはニコニコしていてもそれは支配であり、権力関係であり、DV関係です。だって被害者が自由にやる自由は無いのですから。
こういう状態をフェミニズムはずっと問題にしてきました。
でも実際は、こうした支配、性役割の貫徹、みえにくいDV関係はいたるところで今でも見うけられます。
だからこのデートDVの本でも、会話例として、このようなジェンダーばりばりなものがでてきたのです。瀧田さんという人も、この程度の会話に違和感がないのでしょう。
これが支配が完成した関係の会話だと気付かない。つまりデートDVと気付いていない。
こうした支配を変えるよりは、従がうほうが楽。そうやって、性役割もデートDV関係も続いてきたのです。
事例に戻って。
陽子さんが「『やれよ』じゃなくて『やってね』のほうがいいな」といったことにたいし、
陽一が「いちいちいいかえすなよ。かわいげがないなあ。それよりメシ・・・」なんていってますが、そんなことを言ったら、そこで怒ったらいいのであって、ここでまたまた下手にでてガマンするのは、やりすぎです。「いいかえす?何いってんの? 私が正しい事を言っているのに、あなたが正面から聞こうともせずに、かわいげがないとか言うなんて、信じられない。!!あなた私のことちゃんと観てるの?愛してるの?大事にしてるの?私を尊重してる?尊敬してる?女にはえらそうにしてもいいなんて思ってないでしょうね。ちゃんと謝ってよ。私のいってることわかる?」と、本気で話し合うしかないでしょう。
なのに、この事例では、妥協しすぎです。そのこと自体が権力関係の承認です。権力関係を変える営みをしていくような力が必要なのです。それができないのは、力を奪われているのだと理解することが必要なときに、本書では、従属していくような会話になっています。
陽子が、ごはんをつくるのをやめて陽一のそばに来て話すのはいいですが、その内容が「『かわいげがない』っていわれると、傷つくし落ち込むし怒りたくなる。このままだと、とてもメシを作る気持にはなれないかもしれない」といいますが、「かもしれない」というのも腰が引けすぎた表現です。どうして女性ばかりがこのように間接的に婉曲な表現をしないといけないのでしょうか?
しかもばかな陽一が「オレにどうしろっていうんだよ」なんて居直るのですから、「自分で考えろ、バカ!」といって部屋を出て行けばいいのです。
なのに、最小の要求をするだけの陽子さんは、もうDV関係にはまっています。
だから陽一は、「・・・わかったよ。わかったから、早くメシをつくってください・・・・」とまたまたメシを作らせる。本当に彼はわかったのでしょうか。NOです。
口先で「わかった」というので済ませてはダメです。メシを作らせるという権力的上下関係をみなおすことこそ必要なのに、そこはまったく見直していない。話し方のえらそうな感じも見直していない。自分のこれまでの態度の問題がわかっていない。
つまり、アサーティブといっても、ちゃんと適切なことは伝えないといけないのに、この事例では大事なことがちゃんといえていません。だから陽一は、よくわからないけど陽子が怒っているから妥協して「早くメシをつくってください」という言い方で「ください」といえばいいとおもっている。
まったく小手先です。世間でよくある「女のヒステリーには困ったもんだ」程度です。「怒らしちゃったから謝っとこう」程度です。女はこんなことぐらいで俺からはなれるはずが無いと思っています。俺の言ってることも間違ってないのに、うるさい女だなあという程度で、もっと黙ってやればいいのに、と女性の性格の問題にしています。こういうことを言わずに黙ってさっさと料理する女性を、かわいげがある、と言っているのです。
だとしたら、女性は、そんな女性になってはならないといえます。男の程度に比例した女性になります。男の歪んだ意識を変える、関係を変える、変わらないならその関係から離脱する、というところから、自分の尊厳ある生き方は始まります。
自分の質は、自分の生き方に出ています。自分を高める課題は、毎日目の前に出されています。
デートDVを考えるとは、その課題の一つです。
そういうことを伝えられないような、デートDV予防講座には、問題があるとおもいます。
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加害者の理屈を知っておく
瀧田信之著・藤原千尋構成『それ、恋愛じゃなくてDVです』(WAVE出版、2009年3月)を先ほど批判しましたが、本全体としては、デートDVをなくそうという意欲がちゃんとある本です。
特に僕がいいなと思ったのは、実際に若者に接し、多数のデートDVの被害者/加害者の言葉を聞いているからでしょうが、ヤンキー文化的な加害者〔被害者〕の言い分・考え方が沢山リアルに出てくるところです。もちろんヤンキー系だけではなく多様な加害者がでてきます。
たとえば、「できた女性は男性をたてるものだ」「女性は男性の好みにあわせるものだ」「頭のいい女は男をうまく操縦するもの」「男を手のひらに乗せて好きな事をさせてやるのがいい女だ」「オレを上手に操縦できないオマエが悪い」「女は弱いほうが言い」「女は少しバカなほうがいい」「もっとセンス磨かないと、オレにはついてこれないよ」「成長したな」「何で返事しないわけ?」「オレをバカにしてんのか?」「今から、オマエんちにいくから」「オレ、なにすっかわかんねぇからな」「今、○○にいるからすぐに来い」「何回もメールさせんなよ」「心配させんなよ」「他の男と会うなよ」「どうして他の男がいるところに行くんだ」「エッチさせなかったら、浮気されても文句言えないですよね」「エッチさせなかったら浮気してもしんねーぞ」「彼女なのにエッチさせないって言うのは、男の人にとってはサイテーだっていうでしょ」「気休めなんか言うな!あたまのわるいお前に司法試験の大変さがわかるはずない!」
(茶碗が少し汚れていると)「汚い。洗い直せ」「(料理の味に)味が薄い。」「パーマはかけるな。チャパツにするな」「タンクトップは着るな」「胸元があいた服は禁止」「いかがわしい男の目から君を守りたいんだ」「恋人の好みに合わせるのも、かわいい女の条件の一つだし・・」
「恋人は唯一無二の存在。恋人ならば、どんな要求も受け入れて当然だ」
「二人の関係は親子や友達にも勝るかけがえのないもの。この関係を大切にしたいなら、何をおいても恋人を最優先にすべきだ」
「男の好みに合わせて自分を変えるのがいい女」
「男をたてて男に尽くすのがいい女」「いい男は女を育てるもの」
「男は多少手が出て当たり前。暴力的なのは元気な男である証拠」
「男の浮気は甲斐性」「オマエの○○のせいでこうなった」
「○○するなんて、それでも恋人か!」「こんなこともできないのか」
「○○するなんて、どうしようもないヤツだな」
「つらい仕打ちを耐えて、彼への愛を全うしている自分はすごい」「ひどいことをされているけど、優しい所もある。この優しさがあれば、暴力を振るわれても耐えていける」
「献身的につくすことで、このひとの性格をかえてあげたい」
「彼と別れたら生きていけない。私と付き合ってくれる人なんかいない」
「私が彼に暴力を震わせている面もある」
「彼はとても弱い人なの。私が見捨ててしまったらかわいそう」
「別れると彼はダメになってしまう」
「優しいところもあるの。私が信じてあげないとかわいそう」
「男性はいつまでたっても子どもの様なもの」
「見捨てないでくれ」「別れたら死ぬ」
舌打ちする、わざとらしいため息をする、モノをどさっと投げつける、外出や趣味、習い事などに口出しする、携帯電話をチェックする、アドレスを消すように言う、浮気をちらつかせて言うことを聞かせる、別れたくない気持ちにつけこんで自由を奪う、「献身的な愛情」を逆手にとって自由を奪う、態度が急変するので相手は混乱する・・・
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適切なアサーティブ精神を次のように説明しているところもあります。
恋人の欲求に対して相手を傷つけないように、ということで過剰に自分を抑えるのはよくないという話。ある会話例の後の説明。
Aさんは、「ちょっと待って」といったり、目をそらすことで「ノー」という気持を伝えようとしていますが、「ノー」であるにもかかわらず、笑ったり、不安な顔で「イヤじゃない」というなど、言葉と振る舞いが一貫していません。「イヤといったら傷つけてしまう」「笑ってごまかせば何とかなる」と考えたのかもしれませんが、笑ってごまかそうとしたり、あいまいな態度でさけようとするのは、相手を困惑させたり、傷つけたりすることになります。「雰囲気や空気で察してもらおう」と考えるのは、相手を尊重していることにはならないのです。
愛想や作り笑いでおもねるのではなく、思いやりをもって誠実にちゃんと伝えることが大事です。
以上
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