前進か後退か? ーー
「性同一性障害特例法」に関する意見
(04年7月29日『朝日新聞』の元の原稿)
「性同一性障害特例法」は、前進か後退か?
私は男女という性別区分概念って大阪府出身か京都府出身かぐらいの違いでしかないと思っている。ジェンダーとセクシュアリティに関して少しでも学べば、体は男だが自分のことを女と思っている人、男から女になった人、女から男になった人、女でも男でもある人、男でも女でもない人、同性を好きになる人、ある面では男である面では女で何とも説明しようがない人、どこにも分類されない人、分類されたくない人など、本当に人は100人100色、まさにいろいろ色々な存在だとわかる。
その多様な状況の人々がそのまま尊重されるべきだという観点から、自分の気持ちに照らしあわせたときに自分の身体的性区分に違和感があるから手術して自分の望む性として生きたいという人が生きやすくなるようになることは望ましいことだと私は考えている。
ところが今回施行された「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」(特例法)には、独身、子どもがいない、生殖能力がない、性転換(性再適合)手術を経ているといった条件を満たす場合のみ戸籍の性別変更が認められることとなったので、その評価について意見が分かれている。
「性の多様化を認めていく」とか「少数派の権利の保障」と言うとき、「多数派」(の権利)のなかに「性的少数派」といわれる人たちを入れてあげるというのではなく、「少数派」の人たちがそのままのありようで差別なく自由に生きられるようになるというのが、目指されるものである。それを妨げるものには、異性愛が当然という発想の男女2分法(A)と、特別なパートナー関係を国家が承認してそこに特権(保護)と義務を与え、それを社会の標準(基本単位)とする結婚制度(B)の2つがあり、私はこの両者を合わせて「家族単位システム」と呼んでいる。
今回の特例法は、直接的にはこのAとBの両方をほとんど揺るがさない。完全に異性愛・男女2分法の枠を残したままで、1回だけ戸籍の移動を認めるだけだからであり、従来の標準・固定的な家族像(異性間夫婦と子ども)とその標準性もあまり影響を受けない。同性間の婚姻関係やパートナーシップについてはなんら前進はない。
また「性同一性障害」という呼称に関することであるが、性別違和感をもった人の中には、「病気/障害/異常」ととらえない人や性再適合手術を求めない人もいる。当事者が自分のことを「病気/障害」ととらえることもとらえないこともその人の自己選択の問題である。ただ、今回の特例法は、その「特例」という呼称にも現れているように、多数派が自分たちの性のありよう(上記A・B)を当然とした上で、例外的に性の移動を認めてあげましょうという発想で作られている。その意味で、「正常/異常」の枠組み、多数派の少数派への不寛容な姿勢も不動のままだ。
さらに戸籍変更が認められる上記条件に適合しない人たち、すなわちすでに結婚している人、子どものいる人、手術を受けたくはないが自分が当然だと感じる(希望する)「心の性」の人として社会的に承認されたい人、経済的あるいは健康上などの理由で手術を受けられない人たちの権利が保障されていない。以上の諸理由から性的少数派全体の権利の保障という点で、今回の特例法は全く不十分なものである。
しかし戸籍の変更に伴い住民票など公的書類の性別も変えられるようになるので、性的少数派の一部とはいえ、今まで苦しんできた多くの人の希望がかなえられる(変更した性別での生活がしやすくなり差別が減る)ことに加え、元女性が男性になり(あるいはその逆)、その上で就職する、結婚する、親になる(連れ子や養子?)などという実績が積み重ねられ、多くの人の目に触れていくということによって、上記AとBは徐々に侵食されていくということも考えられる。特例法がらみで地方行政において、性別記載をなくすことができる文書を洗い出す作業が進められ、多くの文書から性別記載欄が削除されてもいる。スポーツ界でも規定の見直しが議論されていくであろう。やはり法律の力は「正当性」として強力である。
したがって、今回の特例法を、現在の差別秩序(A・B)を揺るがし変革していく長い道のりの過渡期の一段階として、限定的にではあるが評価するべきであろう。少数派の社会的承認を求める運動の評価は、その質いかん如何であり、「長いものに巻かれる」のか、少数派を異質なまま認めさせることで、「長いもの」自体(多数派中心の構造)を解体していくのかの違いで理解しなくてはならない。特例法施行がこれだけにとどまらず、今回「条件」によって排除された人や同性愛者・インターセックスの人たち、結婚しない人たちなど、多様な人たちの権利獲得につながっていく契機になること(性別や結婚を問題としない多様性容認社会になっていくこと)を願う。大切なことは、これを機に議論が広がり、性にかかわる人権意識と制度の改善が真に進むこと、とくに差別をしてきたことに無自覚であった多数派の意識が変わっていくことである。
HOMEへ