だれに責任があるか――「必修漏れ」問題

 

20061031日ブログより)

 

生徒は被害者でなく、インチキ加担者であるといっていくべき 

私は最近、教育に関する小論をまとめた。(「“エリートでない者”に必要な教育――貧困問題への教育からの回答」岩川直樹・斎藤貴男・伊田広行編著『貧困と学力』明石書店2007年3月出版予定)

そこでは、従来の教育体系を根本的に変えるべきだとの提言を行った。英数国理社に偏った教育、ましてや受験に偏った教育などもってのほかで、もっと生活の中で起こる諸問題を題材に総合的に、いまの競争社会に対し、能力主義ではないカタチでサバイバルする力を持たせるエンパワメント教育、身体性やスピリチュアリティを重視した教育にすべきだろうという話である。スピリチュアリティとは、もちろん、私の独特の使い方のものであって、いかがわしい「あの世」のことの話ではない。つながりの覚醒のことである。

その立場からすると、現在問題になっている「必修漏れ」問題(必修科目の授業時間に、数学や化学など大学受験で出題される科目を教えていて、しかし書類には受講したことにするという公文書偽造問題)は、まさに教育にたずさわる者たちにスピリチュアルな感性が欠如していることの典型的証左である。

「必修漏れ」問題の責任はどこにあるか。まず、教員にある。校長だけの問題ではない。教師も履修について知っていなくてはいけないし、教育者として、人間としてエンパワメントされるためにバランスよく基礎的な知識や見識・能力をもつような教育をすべきは当然だ。
受験ということで、偏った教育をしていることは完全に間違った教育であり、今の優勝劣敗の風潮に敗北し、また加担している。そのような教員には責任がある。先ず、関わった校長、教員(わかっていたのに改善を主張しなかった教員には全員責任がある)を注意程度ではなく厳罰に処すべきだ。

 次に、しばしば「生徒には罪はない」「115万人の全生徒が被害者だ」「未履修だった生徒の救済策が必要(=まともに授業を今から受けさせるのはかわいそうだから何らかの授業を受けなくてもいいような手段を考える)」等といっているが、もってのほかの暴論である。完全に生徒自身に責任がある
制度が変更されたことも知っているべきだし、受験に偏ったようになっているのをおかしいと思わないほうがおかしい。ましてやまともに受講していないのに、少し話を聞いたとかレポートを出しただけで単位をもらえているとか、まったく受けていないのに受けたことになっているというのは、その成績証明書が偽造・ニセモノであるというべきで、それを提出した学校はもちろんであるが、その主体たる生徒も責任を問われる。公文書偽造に加担している。偽ものの履歴書を出しているようなものだ。インチキをしているのだ。しらなかったではすまされない。家庭科や世界史など必修科目を受けていないことは自分がよく知っているはずだ。

そうした「考える主体・責任を問えるほどの大人」になっていないというのは今のある種の「現状」であろうが、それ自体を問題にし、変えていくためにも、今回のことは、生徒にも責任があるといっていくべきだろう。テレビなどで散見されるのは、「受験に関係ない授業などうっとうしい」「補修を受けるのは面倒くさい。迷惑だ」といった程度の意見だが、そういう意見を言う愚かな生徒たちを作った大人が悪いが、だからこそ、そういう愚かなことをいったときに間髪いれず、問題提起し、それでいいのか、何のために学んでいるのか、学ぶとは何か、と問いかけていくのが大人であり、教育であろう。
ところが、親や教師といったものたちがまったく愚かな程度になっていることが多いため、今回のことを恥じたり反省するどころか、生徒の受験に差しさわりのないように寛容な対処にすべきなどとほざいている。「補習をやれということになったら生徒らが怒ると思う」などと述べている学校もあった。

そうした意見しか持ち合わせていない大人が多いということを、スピリチュアル度が低い社会状況と私は言っている。あまりにも見えていない。あまりにも愚か過ぎて、こんなだから、戦争はなくならないのだ、小泉元首相や石原都知事、安倍総理が人気あるのだと思ってしまう。子どもたちに何を伝えようとしているのか。

それは保守政治家が言うような「規範」といったものではもちろんない。批判的に考えていく力であり、不正に個人として反対していく力であり、目の前の小さな利益に囚われない、自分の生きる中心軸を構築する教育だ。

話を戻せば、したがって、責任は、教師、生徒に加え、見てみぬふりをしてきた(不正・問題を不正・問題とも感じなかった)教育委員会、親、文科省、受験課目数を減らして受験生集めに走る大学、すべてに責任がある。一校だけでなく、多くの学校でこうしたことがあったということは、これは、日本の空気全体が、今の新自由主義的な風潮の中で、競争に勝つことだけが大切なこと、目に見えるものだけ(受験で合格)しか大切ではない、と思い、自立と責任を求めない、無責任な、非スピリチュアルな状況になっていることを示している。

大事なことは、絶対に関わった教師たち(教師、校長、教育委員会、文科省職員)を厳罰に処することである。また生徒には責任があるのだから、授業をちゃんと受けるべき(受けさせるべき)である。大学は、偽りの調査書(内申書)で推薦入学が決まっている場合など、提出された調査書をうのみにすべきでなく、偽造があれば入学を取り消しにすべきである。そして今こそ、生徒に受験などというものを絶対化する愚かさを本気で言う大人がたくさん出てくることだ。そしてそれに反発する生徒たちに、語り続けることだろう。

当面、受験に差しさわりがあろうとも厳格にちゃんと授業をすべきで、小手先の手続きで済ます(レポート提出で済ませる、「減単」制度を活用、4単位の必修科目について同じ教科の2単位科目への振り替え・拡大解釈の容認)、放課後とか冬休みや3月ごろの集中授業にして休んでも見てみぬふり、皆に単位を与えるなどとすれば、間違ったメッセージを生徒に与えるであろう
つまり、「形式さえ整えればいい、みんなで赤信号をわたれば怖くない、受験こそが一番大事なのだ、生徒は悪くない、大学受験に合格させたい親ごころでしたことだから、皆が悪くない、だから皆が処分されない」、というメッセージだ。

当然、「大学入試の実情に合わせて必修のありかたを見直す」というのは、あるべき改革の真逆である。変えるべきは入試のほうである。3科目以下の受験など禁止にすべきであろう。

履修漏れのまま卒業した人についても調査し、履修できるような手立てを考えることも必要だろう。
笑止千万なのは、今回のことも皆、完全週5日制など「ゆとり教育」が悪いのだというような論法。バカである。受験を前提に、受験に時間がほしい、だから授業数が減ったので仕方なくやったというようなのは、まさに現状追随の枠でしか考えられない、愚かな塾・予備校の「先生」の論理ではないのか。受験体制・受験信仰自体を問いなおさずして話をするから、その程度の話になる。そのようなときに出てくる、「現実」といった言葉の軽さ。あるいは無批判性。

そこを問い直すような教育こそ、「勝ち組」をめざさせる教育に対抗するものだろう。

これに関連して、やはりというべきか、家庭科など主要5科目以外の軽視も出てきた。つまり、「重要なもの=受験課目」というような価値観だからこそ、その対極に、「男が家庭科するなんて」「体育、音楽、美術などは重要じゃない」というものがある。(末尾に参考資料として添付)。「体育祭を、体育の授業に読み替えていた」というのもあるという。ジェンダーフリーどころか、家庭科必修の意味など少しもわからない教師たち。少数の受験課目だけしか勉強しない子どもたち。ゆがんだ、無知な子どもたちをつくってきたのは、学校であった

 

 

以下資料

「必修」の家庭科、リポートのみ 東京の私立巣鴨高校
朝日 200610301700

 東京都豊島区の進学校、私立巣鴨高校で、必修科目である家庭科の授業時間を、国語、数学、英語などに回していたことが分かった。代わりに夏休みに家庭科の教科書に沿ったリポートなどを提出させて単位として認めていた。とくに保護者から抗議はなく、学校側は「逆に、補習をやれということになったら生徒らが怒ると思う」と説明している。

 同校は中高一貫の男子校。生徒は高校で840人いる。94年に家庭科が必修となったときから授業は行わず、1年の夏休みの課題で単位取得を認めてきた。都にも家庭科は履修していると報告していたという。
 堀内不二夫副校長は「限られた時間のなかで大学受験のために力をつける必要があった。(報道されているケースとは違い)全くなにもやっていないというわけではない」と話す。

 一方、文部科学省教育課程課は「まだ把握していないが、授業の時間が別の科目の指導に使われているのであれば、未履修にあたり、適切ではない」と話している。


灘高、3年全員が履修漏れ

200610311438 読売新聞)

 神戸市の名門私立・灘高校でも、3年生全員の約220人に履修漏れがあったことが31日、わかった。同日午後、兵庫県教育課に報告する。

 同高によると、2003年度から、理系クラスの一部生徒が2科目必修の地理歴史で1科目しか履修していなかった。また、家庭科では、同科の教員免許を持たない物理や化学の教諭が教えるなどしており、県教委によると、こうしたケースも履修したことにならないという。

 一方、これまで該当校がないとされていた神奈川県でも、私立3校で必修逃れが判明。鹿児島県でも新たに私立4校が判明し、必修逃れの高校は熊本県を除く46都道府県で、計460校となった。(読売新聞社調べ)

 

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