拙著紹介
私の本の紹介など
★シングル単位の後ろにある〈たましい〉の感覚
僕はシングル単位論を1990年初頭から主張してきた。それは日本の共同体主義的伝統と家族主義に対抗するものとして、自分としては、奥深い議論で、これは重要かつ有効という直感があった。その発想の背景には、現状秩序を変えようとせずに、その中でぬくぬくと甘い汁を吸っている人への嫌悪感と、僕の強烈な失恋体験があった。
具体的には、僕は大好きで一生いっしょにいると思っていた人にフラれた体験でかなりダメージを受け、愛とかパートナー関係というものを根源的に考えるようになった。恋人がいないという状況を「つらい」と思うことの裏には、「恋人(家族)がいてこそ完全な幸せなのだ」というイメージがあることに気づいて、そこからそうした「カップル・家族」を単位と考える意識と制度のおかしさに気づいていった。もてない人や離婚者はどうしたらいいのか。形式的に家族という形があればいいというのか。そうして年功賃金制度や結婚制度になんの躊躇もなく乗っかっていることへの反省がないのは、少し鈍感じゃないのと思うようになっていった。
おりしも性的少数者からの提起も90年代に入って顕著になり、理論的にも男女二分法の無根拠性が明らかになる中で、男女二分法を前提にして成り立つ「家族=単位」ということの批判は僕の中ではゆるぎないものとなっていった。家族を単位とみている限り、女性差別・少数派差別はなくならないし、問題ともされないことは明らかだった。
だが、家族単位そのものの問題を捉え、それに論理的に対抗するシングル単位、すなわち「男」でもない「女」でもない多様な人(個)を出発点(単位)にしていこうという主張を深く理解する人は日本ではフェミニストのなかでさえなかなか増えなかった。なぜなのか。僕は最初は相手の理解能力の低さ、保守性などに原因を求めていた。
だがそれだけではなかった。シングル単位に対してはある種、共通した批判の論調があった。そうしたものをみる中で、僕は自分が無意識に前提としているものに気づくようになっていった。シングル単位を嫌悪し、家族単位に固執する人は、「単位」という意味を考える前に家族的なつながりへの渇望をもっていた。たとえば、子どもが自分の顔をみるだけで大喜びしてくれるといったような「無条件の愛」への渇望である。シングル単位論はそれを否定しているように感じる人が多かった。
だが、もちろんそれは誤読である。僕の著作を注意深くみてもらうと分かると思うのだが、僕のシングル単位という主張の底流には、人間のつながりへの信頼感のようなものがあった。つまり僕はすでに親しい人たちからその種のものをたくさん得てきたのだと自覚するようになっていった。エンパワメントの中核の自己肯定感である。これがあるから、所有的関係、抑圧や支配や充足従属的関係ではない「シングル」のイメージを自信をもって言えたのだ。その出発点としての「シングル」があらゆる〈国境〉を超えて繋がるときのエネルギーには名前がなかったからいろいろな言い方をしてきたが、徐々に僕の中でそれは〈たましい〉という概念を使うのがいいなと思うようになっていった。
最近は、この点を理論的にも少し整理して、多様性、エンパワメント、シングル単位というような人権論の鍵概念の中核に、そうした〈たましい〉への覚醒を位置付けることを試みている。名づけて〈スピリチュアル・シングル主義〉である。
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新しい人権論の試みとしては『スピリチュアル・シングル宣言』明石書店。ジェンダーバッシングに対抗するためにおじさんにもジェンダーフリーがわかるように書いたのが『シングル化する日本』洋泉社新書です。
★★★★★★★
★『スピリチュアル・シングル宣言』〜生き方と社会運動の新しい原理を求めて〜
明石書店 2520円2,003年4月
伊田広行著
社会・政治制度としての「シングル単位論」を先導する社会政策、労働経済、フェミニズム論の先鋭が「スピリチュアリティ=他者とつながっているきれいな部分」について、論じている。
従来型の「正しい社会運動」に感じる「どこか違うゾ」という感触、かたや「癒しブーム」の背景にある高密度過労社会と社会性の欠落した殺伐さ。そのまた一方で頭をもたげている「スピリチュアル精神」を強調する「伝統」への回帰運動。そうした中にあって、著者は、「ちゃんと、まともな、どっしりとした<たましい>のこもった社会変革運動」を提唱する。すなわち本書のポイントは、「シングル単位」だけでも「スピリチュアル」だけでもないその両者を総合したもの(スピリチュアル・シングル主義)の展開にあるのである。
著者も危惧するように、「教訓の本」と読まれてしまう危険性もある。言葉で近づくのが、とっても難しいテーマである。しかし、今の時代、「運動」と知性、身体、感性、<たましい>を総合的に考える、こうした果敢で刺激的な試みが、必要なのだとつくづく思う。
「シングル単位論」がまだの方、この際整理したい方には、わかりやすく解説した新書版の近著『シングル化する日本』(洋泉社 756円 2003年4月)との併読をお勧めする。
★★★★★★★
★著者インタビュー
『スピリチュアル・シングル宣言』『シングル化する日本』の著者 伊田広行さんに聞く
Q:「シングル単位論」のような現実の変革運動と「スピリチュアリティ論」がセットになってこそ意味が出てくるという主張を総合的に展開した本ですよね。「運動のやり方」といった本はあっても、「変革運動」と「精神的、身体的なもの」を総合的にとらえようという本は、あまりないと思うのですが、反応は?
伊田:いくつか、共感の電話やメイルをいただいています。まだ出たばかりですから、これから理論的な部分も含めて、共感や批判が届くでしょう。なんとなく皆が求めている方向を言葉にできたと思うので、硬直した「確信犯」的な人たちはともかくとして、運動していて何か悩んでいる人たちとは新しい水準でつながっていけると思っています。
Q:〈スピ・シン主義〉でいくと、従来の「運動の姿」のようなものが随分変わると思うのですが。
伊田:従来型の運動が必要な局面もありますから、それ自体を否定はしません。その上で、自分としては、静かな、心をこめた、じっくり交流する運動スタイルをとりたいと考えています。従来型の運動でも、言葉の使い方とか相手との向き合い方とかで、随分違ってきます。
Q:運動をしていると、競合的になったり、傷つけあったり、威圧したりがどうしても出てきます。そういう雰囲気が「運動」から人々を遠ざけている理由の一つだと思うのですが。スピリチュアルなスタイルでいきたいと考えた時、どのようにトレーニングしたらいいのでしょう。
伊田:良質なワークショップ型の学びや運動実践・活動実践に参加し、対等に語り合うことではないでしょうか。瞑想するとか、思いを作品にするとかの形で一人で自分を見つめる静かな時間も必要です。
Q:伊田さんが〈スピ・シン主義〉にいきついたきっかけのようなものは?
伊田:積み重ねの結果なのです。私の<たましい>が、いい人、いい文章の<たましい>を感受して積み重なっていったのです。病気だとか恋人と別れたとか、歳をとったとかという「弱さ」との出会いも作用しているかな
Q:読み進むうちに、自分の中にも「自分の内面としっかり向き合いたい」と熱望する部分があることを発見しました。ありがとうございました。
(聞き手:森屋裕子)
紹介:『シングル単位の社会論−ジェンダー・フリーな社会へ』世界思想社、98年
21世紀のフェミニズムは?
20世紀を振りかえると、フェミニズムが、近代化の中で生まれ、その各時代条件の中で、女性の解放を目指してきたものということが分かる。資本主義への形式的参加を求めるリベラルフェミニズムからはじまり、<平等>概念を武器にリブ、ラジカルフェミニズム、マルクス主義フェミニズムが進展し、その結果、<ジェンダー>概念を獲得して、近代自体を食い破る方向を持ち始めているのが世紀末の現在である。今後は広義の「ポストモダン」社会に向かって、近代二分法を乗り越える<シングル単位>社会要求へとその主張は進展していくであろう。だが、今の日本では、ジェンダー・フリーの意味をシングル単位として深く理解していないものがほとんどである。先進国中もっとも家族単位的性別秩序を強固に持ち、いまだ北欧型福祉国家路線の意味もほとんど理解できていない日本社会は、まず、家族単位という呪縛自体の自己認識からはじめる必要があろう。逆にいうと、人権擁護をめざす運動側は、どのような具体的政策を提起しうるのかという視点で、シングル単位概念を理解しなければならない。
紹介:『シングル単位の恋愛・家族論−ジェンダー・フリーな関係へ』世界思想社、98年
脱恋愛、脱家族へ
巷にあふれている恋愛論も家族論もつまらない。古臭すぎる。いまや近代のジェンダー二分法システム(家族単位システム、異性愛結婚制度)による「性の制限」からの脱却につながるか否か、それを破壊する気があるか否か、そしてそのことの困難性を十分自覚しているか、過渡期の戦略を十分に意識しているか否かが、重大な「評価の分岐点」になっているにもかかわらず、そこを深く本質的に理解しないものばかりだからである。若いやつも新しぶってる学者も、こと恋愛や結婚となると超保守化する。みんな秩序好きなのね。
本書は、離婚は子どもによくないとか、老後が寂しいとか、結婚するのも悪くないとか、愛しあい続けるのはいいことだ、浮気はよくないといった常識を、根源的に批判している。ぴちぴちと生きていくためには、家族や恋愛や性・セクシュアリティについてどんなふうに考えたらいいのかを、本気で考えた。ポスト「近代化」の現在にあっても、日本では「近代化」の終焉を意識したレベルでの議論と運動があまりにも少なすぎる。
<お薦めします!(書評)>
★人々が自立した「シングル」として生きられる、
少しでもマシな社会にするために。
――伊田広行『シングル化する日本』(洋泉社新書y、720円+税)
日本ではこれまで、結婚して子供が2人いる「標準世帯」を想定して、さまざまな社会制度がつくられてきた。でも、もうそんな「標準」自体がすでに標準とは呼べなくなっている。このままの政策を続けていたら日本の経済、社会はますますひどいものになっていく。人々が自立した「シングル」として生きていく(生きていける)社会にするように政策を変えて、少しでもマシな状況を作っていこう。伊田さんは、この本でそんなメッセージを私たちに投げかけている。
結婚や出産をしていなければまるで半人前扱いだった日本の社会でも、すでに大きな変化が起こっている。この本の前半は様々なデータを紹介しながら、その変化の実態を示している。未婚・生涯非婚率の上昇、離婚の増大、晩婚・晩産化と少子化。性役割意識の変化、専業主婦率の低下と女性の社会進出。男女が結婚して子を持ち、家族をひとつの単位として労働、家事、育児、介護などを行うことを前提とした「家族単位」の行政や企業の政策は、すでに現実に対応しえなくなっているのである。これまで日本の「小さな福祉」路線は、家族の無償労働と企業福祉、公共事業による需要拡大に代替されてきたが、もうそれではやっていけない。
では、この現状にどう対応し、将来の社会政策を構築すべきか。本の後半ではこの点がわかりやすく説明されている。従来の「家族単位」システムにかわって、多様性を認める新しい発想のあり方には、大別して「新自由主義」と「社会民主主義」の二つの道がある。伊田さんは後者、それも「新しい社会民主主義的な道」を支持する。そのベースとなるのは、「シングル単位」の考え方である。「シングル」とは独身という意味ではなく、「近代的な役割や秩序にとらわれている限界を超えた『個』のあり方を実践する人間」「深く他者とつながっていける出発点としての個人」を意味している。
「シングル単位社会」では、戸籍制度、税制度や社会保障制度もすべて個人単位に変えていく。労働面では同一価値労働同一賃金・時間給をベースとした個人単位賃金とし、雇用形態差別を禁止、みんなが短時間正社員になる。それは当然ワークシェアリング社会となり、みんなが収入を得る労働と家事活動、余暇や社会的活動の時間を作れるようになる。それはまた「脱成長・質・<スピリチュアリティ>」を志向する道である。弱者を大量に生み出す新自由主義的な社会との違いは、環境や人権などの観点から社会政策的規制を市場原理に組み込み、公正さのバランスを図る点にある。
伊田さんの主張には強い共感を覚えるし、それが実現可能であることも理解できる。たとえば北欧のスウェーデンではそれに近い社会が実現されている。私が出会ったスウェーデン人のカップルはともに仕事を持ち、2人とも複数回の結婚経験者で、お互いの連れ子や養子を含めて10人近くが「家族」として暮らしていた。子供が病気になれば夫も妻も気軽に休みを取るし、夏は2ヶ月ぐらいは休む。日本と比べれば、ずっと多くの人が人間らしい暮らしをし、自分の生きたい生き方を選択できる社会が作られている。
それにしても、日本社会をそのように変えていくのに必要な時間とエネルギーを思うと、ため息が出そうになる。乗り越えねばならない障害の一つは、税金や社会保険料の負担が大きくなること。「社会保障を中心とした公共投資を進めることで税への信頼を取り戻していけば、実現は可能」と伊田さんは言うが、抵抗は相当強いだろう。つまるところは人々の価値観の問題だと思う。自分の収入が減ってでも、より公平な社会を実現すべきと心底望んでいる人がどれだけいるだろうか。また、保守的な性別役割意識に固執している人も意外に多い。私自身、最近離婚したのだが、「無責任だ」とか「人間としての義務を果たしていない」と言う人もいて(離婚自体がそうなのか、子供を産まないことがそうなのか、私にはよく理解できないが)、うんざりした。
私は、少なくとも、そういう保守的な価値観の人を再生産しないために、様々な機会を通じて新しい社会の理想像を話し合い、語りかけていきたいと思う。そう考えて、ことあるごとにこの本を読むことを(特に若い人たちに)薦めている。
(立命館大学非常勤教員・櫻井純理)
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