藤原紀香・陣内智則の離婚について

 

ふたりの離婚について思うことあれこれ。

二人の関係の内実の実際はわからない。ふたりに別にいやな気持ちはなく、普通に幸せになってほしいなと思う。ま、その上でのジェンダー関係の話として。

 

あるブログで、

「”陣内、紀香の離婚”ですが仲間内ではほとんどが思もてるし言うてます。陣内も頭悪いし、大した芸人やないけど紀香はその上を行くずるい女で、自分の過去、都合を計算してかく下の男を選び結婚!自分の面子をつぶされたと思うとさっさと離婚!ところが、決して何があっても私は悪くない 「常に私はいい子!」ぶっている・・・これが見え見えでうざーい女。」

と書いていましたが、これを書いている人は、紀香がきらいなんだなー、美人で成功して、今後ものし上がっていきそうな紀香がうざいんだろうな、と感じました。

 

僕は藤原紀香に別にそれほど「ずるい」という批判意識とか憎しみとか嫉みの気持ちはない。男だから美人に甘いといわれるかも知れんが。

 

まず、離婚も、まあよろしいやん、勝手にどうぞ、という感じ。

ただ、結婚制度、ジェンダーとの関係で少し書いておきたい。それは他の人、特に若い人への教訓となるから。

 

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ふたりは06年7月に放送された日本テレビ系ドラマ「59番目のプロポーズ」で共演し、少し軽い友だち付き合いが始まり、10月ごろから恋人として付き合って、12月にはもう婚約、結婚という速い展開。つまり、スピード恋愛、スピード婚であるということ。

僕は、DVなどの関係で、スピード恋愛やスピード婚には批判的。

相手のことよくわかるはずもないのに、ということ。

すぐに「結婚しよう」という人は絶対におかしいと思っておいたほうがいい。

ジェンダー、人間というものに、無知すぎる。無垢で愚か過ぎる。コントロールされすぎ。流されすぎ。速すぎる展開は、そうしたことの象徴だといえる。

 

ただし、紀香は並の女性より“強そう”なので、単純に陣内にコントロールされたとはいえないようにおもう(実際のところはわからない)。

ただ少なくとも、ふたりとも人間関係や結婚制度というものにナイーブ過ぎるというだけの事だとはいえる。

テレビで大々的に婚約会見、結婚式と披露宴の中継などを通じ、ふたりともこれで芸能人として成功、アップしたのだから、戦略としてはよかったのかも。でも人間として、結婚をそのように使うかねぇってこと。

 

ツーショットで婚約会見。生田神社で挙式。ホテルオークラ神戸で結婚披露宴を盛大に開催、等ですべてテレビ中継。つまりとってもジェンダー秩序を強化する行動を取っていた。陣内は紀香のことを「嫁」とよぶし、男やから彼女を守っていくとか、収入が藤原紀香よりも陣内のほうがかなり低いのに、生活費・家賃など、男の俺が養わなあかん、みたいな事をよく言っていた。テレビでは、そういうことを言うと、男らしいとか、さすがとか、そりゃそうやわな、という言葉が返ってきていた。

そういうところに、二人の「責任」はある。

 

そもそも「格差婚」といわれるところに、ジェンダーがある。つまり、「幅広く活動をする人気女優と、全国区になったばかりの芸人では、男性が“下”になるのでうまく行かないのでは」というのだが、これこそ、男性上位、男性中心主義の結婚でないとうまく行かないという世間のジェンダーに則った概念。女性のほうが背が低いなら、女性のほうが収入が低いなら、知名度が低いなら、格差婚とは言われない。

 

なお、話はそれるが、美輪明宏江原啓之がオーラの泉』で、「あなたは昔、イギリス貴族の文学青年だったので、身分もプライドも高かったから、まったく気にしてないはずよ。それどころか、あなたは誰の言う事も聞かない頑固者よ。紀香さんくらいの人じゃないと、あなたはダメよ」みたいなことをいっていたという。

はい、時流に乗って都合のいいことを言ったので、いまそのいい加減さが露呈しました。みわさんは好きだけど、江原啓之なんかと一緒になって、霊視できるとか、「前世は・・・」みたいなのは、いい加減すぎる。インチキだと知っておいたほうがいい。世間に悪い影響を与えすぎ。あくまでエンターテイメントであって、信じちゃダメですよ。

 

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藤原紀香は、人道支援の寄付募集などのチャリティー活動、戦渦のアフガニスタンを撮影した写真展、親善大使、戦災についてのテレビレポート、日本赤十字社の広報特使をするなど、アフリカの貧困救済や国際貢献、環境問題にも関わっている。それはそれとして、そんなことをしない芸能人よりもいいんじゃないの。

 

でもことジェンダーに関しては、ジェンダー秩序強化のほうの動きが目立ちます。

たとえば、「007シリーズのボンドガール、峰不二子が憧れというぐらいだし、本や発言で、その外見の美しさを磨くということに重点をおいて、世間に美しくあらねばならない、という意識を拡大再生産している。

 

格差婚を意識してか、紀香は「これからは芸人の妻として彼についていきます」みたいなことをいっていたし。世間ではどれだけ「男についていく女」が多いことだろう。男はそれを求め、女がそれに従がう。まさにジェンダー秩序。

苗字の決め方でも、住む場所でも仕事でも、育児や介護でも話し合ってといいながら結局は、女性が従属的なものばかり。

紀香は、そういう意味で、女ジェンダーそのままでいることで、世間からほめられていた。

 

プライベートでは陣内が望むような芸人の妻になろうと努力していた、と報じられているが、それは陣内がそのようなことを言っていたという面があるだろう。彼が望むのは、格差婚といわれたけど、俺が上だ、俺の女だ、俺のヨメだ、いつまでも下と思われたくない、と言うようなことではないか。それは、男のプライド意識だったのかもしれない。まさにそれが男ジェンダー。あの美女、紀香を手なづけ、めろめろにさせている男、としてのし上がりたかった。でも世間は、紀香が上と見ている、クソー、いまにみておけ!ってなもんだ。

そんな陣内と一緒になったという意味で、紀香も自業自得の面がある。

 

離婚にかんする自分のブログ(2009.03.24)でも

「ずっと添い遂げたかった。お墓に入るまで。と神様の前で誓ったんだもん」と書いている。

「あれだけの披露宴をしていただき、日本じゅうに祝福を受けたことは日々感謝していました」と書いているけど、別に祝福してないよ。祝福されていると思うところに、見えていない感じがある。そうした愚かさが、ああした披露宴をやっちゃうという鈍感さにもあふれていた。まあその程度のふたりだったということ。でもそれはこのふたりだけの話ではなく、テレビや芸人仲間全体、世間全体に言えること。

 

日本中の注目を集めたみなに祝福されうらやましがられた、愛情あふれる夢のような“世紀の結婚”が、わずか2年で幕を閉じたということからも、結婚というもののいい加減さ、幸せなときの誓いの言葉などの軽さ、観点に浮気する男の愛情など、を考えるならいいが、もちろん、「婚活」などといって結婚制度に乗る話ばかりの世の中で、結婚制度/恋愛制度自体に批判的になるような意見や情報はテレビやメディアには出ない。

 

「誓い」「愛してる」といったって、この程度ということを学ばず、保守主義と金儲けも手伝って、思考停止でジェンダー秩序に加担している人たちが多いと言うことの表れが、このふたりの結婚騒動であり離婚騒動だということ。

浮わついたときの言葉を美化するのは、中学生を騙すようなことなので、DV問題を通過した社会としては、ちゃんと恋愛や結婚への批判意識も教育しないといけないということ。対等で、誠実な関係性とはなになのか。安易に結婚を美化するだけじゃなく、ホルモンに促された言葉より、大事なことは責任と尊敬と共感のある、適切な行動だということを、少なくとも「大人」は伝えていくべきなんじゃないかねぇ。

 

「受験も就職も、失敗してやり直すと褒められるのに、どうして結婚だけは失敗すると許されないんだろう」と紀香はいうけど、今、離婚しても全然、藤原紀香レベルならOKでしょう。むしろ彼女はこれでのし上がる。

ある人がいっていたが、今、女性のランクは、一番下が結婚していない人、少し上が結婚した人、その上が、結婚して離婚して元気に生きてる人、そして一番上が、結婚して離婚して(子どももいるけど)最高にステキな彼と再婚するような人、という感じがあるという。

 

つまり、離婚だけならジェンダー秩序を揺るがさない。少なくとも、また次の恋愛や結婚に向けて前向きにがんばります、といっておけば、世間は、安心する。「離婚して、「自分らしさ」を取り戻すことができるなら、未来へ一歩進んでみようと思いました。」と紀香は言うが、ここまでならOK

でも「結婚制度にだまされていました。みなさん、スピード結婚なんてするもんじゃないですよ。女性も自立が先ず大事ですし、女性は仕事を続けましょう。それを尊重する男性じゃないとダメですよね。読めとか行って、浮気も芸の肥やしなんていう人はダメですよ。パートナーはジェンダー平等がわかる、権威的暴力的でない人にしましょうね」なんていったら世間は、「どうしちゃったんだ、紀香は?誰かに洗脳された?」なんて大騒ぎになるけど、絶対、彼女はそんなことはいわない。風水で、そんなことを言ったらダメになるよといわれているから(冗談)

 

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あと、確かなことはわからないが、メディアに出てきている情報では、

陣内は、結婚3ヶ月でもう浮気をしていて、その場面のベッド写真・浮気メールが流出しているという。「その程度の人」と付き合うところに、陣内の小ささ、ばかさがでている。2−3人の浮気なら何とかわかるが、それにとどまらない、等とも言われている。「飲みにいって、モテて、軽く何人もの女性と浮気」というのは、深く人と関わっているようには見えない。

 

また『女性セブン』49日号では、紀香と近い風水師がいろいろ話している。真偽のほどはわからないが、そこでいっているようなことが事実なら、陣内は暴力的に関わっていたといえる。

つまり、言い合っているうちに陣内が紀香を引きずりまわした、それで爪がはがれた、浮気を疑った紀香に陣内が「疑ったことを謝れ」「土下座しろ」などといっていた、というようなこと。「大阪にこんでもええ」、と陣内が怒鳴ったということ。

 

大声で怒るのもDV的である。土下座しろというのは、暴力である。引きずり回すのは暴力である。

 

また紀香と泊まるホテルの中に、別の女性との部屋もとっていたという。それに対して陣内は謝るのではなく、「なんでそんなことまで調べてんねん」「俺がやることに文句つけるのか」「好きにさせろ」といったという。

 

人と人が複雑な関係をつくることはあるし、僕は単純にモノガミー(一夫一婦制)を支持しているわけではない。だが、誠実に関わらないと人を傷つけるということには考慮を払うべきだと思っている。「芸人が浮気するのは芸の肥やし」みたいな、浮気の居直りは、今ではパートナーに対する精神的な暴力だと思う。

 

世間のDV加害者は、ボコボコに殴るのだけをDVとおもっている。だが、乱暴な言葉で相手を罵るのは暴力である。相手の誠実な心を傷つけるのも暴力である。

陣内のしていたことが、雑誌に載っているようなことだったら、それはDVといえる。

 

テレビを見ているだけでも、芸人仲間の感覚はおかしいと思う。浮気は当然みたいなことを言っている。女性の側の自己決定や性的自由を考えて、相手を独占することができるのか悩む、といったフェミ的な悩み方ではまったくない。女性には昔ながらの貞淑な女性を求めつつ、男性だけ「遊んでもいい」等というのは、古臭い性差別的な感覚である。

いまどき、「男なら、芸人ならこれくらいいいじゃないか」というのは、批判しておきたい。

 

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藤原家の側が離婚騒動で主導権を握っていたようには見える。多分、状況をうまくコントロールするアドバイザーがついているのだろう。

だが、だからといって、何人もの女性と浮気していた陣内に同情するようなものでもない。あの芸人世界で周りに影響されて、とても保守的なジェンダー意識で行動していたツケが回ってきた、という面はあるようにおもう。

 

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紀香自身が、女ジェンダーにのっとって動いていた。でも現実の中で、彼女は結婚関係にガマンすることに疲れたのだろう。だからこそ、彼女には自分自身が、「芸人の嫁としてついていきます」「少しの浮気くらいは・・・」みたいなジェンダーばりばりの発言をしたことを反省し、自分の望む、対等でピースフルな関係と言うものをもっと発言していけばいいと思う。それは先輩としての教育的な責任だと思う。

  

だが人気商売で、世間に好まれたいから、彼女はそうした「しっかりした意見」「みなの夢を壊すような知的な意見」などいわないだろう。誰もがほめるようなことだけをしていくだろう。彼女に限界があるとすればそういう点である。 

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