レベッカ・ブラウン『体の贈り物』

 (09年8月ブログより)

大江健三郎さんは「異化という小説の手法」を「よく知っている、見慣れている対象を、その新奇な様相を洗い出すように表現し、めずらしいものとして受容させるというもの」と説明しています。〔『朝日新聞』「定義集」より〕

 

ウィキペディアでは、「異化(いか)は、日常とは異なる表現を与え、非日常にいったん意識を落とし込むことによって、却って日常のリアリティを生々しく喚起させることを目的とした行為、作用。芸術文学哲学心理学などで使われ、一定の効果が認められるが、多用すると今度は非日常が日常となってしまうために、効果がなくなる」と書いています。

 

『大辞泉』には、「異化効果」の説明として、

ブレヒトの演劇論用語。日常見慣れたものを未知の異様なものに見せる効果。ドラマの中の出来事を観客が距離をもって批判的に見られるようにするための方法の意に用いた。」と書いてあります。

 

あるコラム(Djinn(ジン)さんの『水底のオアシス』)では、「異化とは評論家などの間で使われる言葉で、「慣れ親しんだものから乖離しようとする動き」のこと。分かりやすくいえば、わざと人と違う表現をして印象づけようとすることである。」と書いています。

 

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少しずつ違いがありますが、大事なことは、普通よく見られているものを、どのように深く新しく、すごく表現するかということでしょう。それがすばらしいものであるならば、そのような表現をした人の観察力や表現力、感受力、感性がすばらしいということになります。

 

スピリチュアルという感じは、日常とかこの世界にあるのに、見えない人には見えないものを、見える人には見えているからこそ、それをつかまえ、表現したものです。

 

レベッカ・ブラウン『体の贈り物』(マガジンハウス)は、介護における日常というか、要介護者と介護者の間に流れている何かを掬い取って表現しています。

それを異化というのがいいのか、僕にはわかりませんが、あまりにうまく的確に表現するので、僕にとっては、これこそ異化だなと思いました。

 

したがって最後に引用した「ブログ・水底のオアシス」に書いてあるような、「わざと人と違う表現をして印象づけようとする」というのとは、ちょっとちがいますね。

 

もっとすごい表現です。

 

レベッカ・ブラウン『体の贈り物』を読んでいます。

 

波乱万丈とかすごい設定のはらはらドキドキの物語というのではなく、平易な言葉での、すごーーく地味な、静かな、抑え目の、謙虚な、それでいて的確な、〈たましい〉の表現の作品です。

 

そして僕の感性の100倍くらいの繊細な感性を持った人が書いたものだろうなと思える作品です。

 

静かな、静謐な、しーんとした、主人公の「私」がいろいろな思いを感じていること、その情景がぐっと浮かび上がってくる。

 

で、読んでいると心にきれいな水が流れて、目詰まりさせていたり表面を覆ってくすませていた埃(ほこり)や泥が洗い流されます。

 

泣けます。

 

テクニックというより、レベッカ・ブラウンさん自身がステキな人なんじゃないかなって思います。

これを書いた人だということで僕はレベッカ・ブラウンさんを好きになります。

これを読んで好きだという人の感性をぼくは信じます。

 

そんな本です。

僕のコラムをまあまあいいなとおもって読むような人には向いているんじゃないかな。

 

訳者あとがきにも書いてあるように、この本は、筋を要約してそのよさ、おもしろさを伝えるような類の本ではない。

読んでもらわないと、この文章のよさは伝わらない。

読んでもらっても、ある種の人たち以外には、このすばらしさは伝わらない。

 

この本が好きになる人は、たとえば、『セックスと嘘とビデオテープ』の主人公のおどおどさや痛さに少し共感するような人。『海の仙人』などのイトヤマさんの作品をいいなあと思うような人。吉田秋生『海街diary』で泣くような人。かな。

 

すごい作品を書く人なので、彼女には強烈なファンがいるということです。

僕も、そのひとりになりました。

 

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レベッカ・ブラウン『体の贈り物』は、介護を必要とする人と、私〔ヘルパー〕との関わりの話だ。

 

このセンス。 

このように生きたいと思う。

存在しないものの存在感を感じるように。

たとえば 「あの人」とのことを隅々に抱えて、生きていくように。

 

同時に、でも、離れていないということの大切さも思う。

目の前のこの介護している人との関わり。汗やにおいや痛みでしかめる顔。

 

家族とか好きな友人というのではない。

数年の付き合い。あるいは、今日からの付き合い。

 

だが、身体性を介しての、そこに介助を必要とするというひとが目の前にいるという関係性。それは、ずっと離れていて、ただ想っていることとは違う。そこに、心がぐんぐん動くような、静かな時間がある。

 

身近な人で、必死に関わってくる人を大事にしたいとおもう。

 

僕はここに生きている。ここにしか生きられない。同時に、過去にも未来にも、あそこにもいけない。

 

「あなた」は、今、この同時瞬間、この地球上、この宇宙に生きている。

遭えなくても、よしとしよう。

 

目の前の「人」とかかわろう。

 

レベッカ・ブラウン、おすすめです。

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読まないとわからないだろうけれど、自分のためのメモ。(引用や感想メモ)

 

「汗の贈り物」

 

私は掃除をはじめた。いつもならキッチンからやるのだが、キッチンに足を踏み入れて、キッチンテーブルを見たとたん、駄目だ、と思った。回り右して、少しの間廊下に立って息をとめていた。しばらくして、息を吐き出した。

     ・・・

キッチンテーブルにあったのはこんなものだった。彼の一番お気に入りのコーヒーマグ2つ(自分用のと、かってバリーのだったもの)。一方のマグに、挽いた豆がたっぷり入ったメリタが載せてありいつでもいれられるようになっている。デザート皿が2つ、その上にシナモンロール2つ。〈ホステス〉で買ってきた、焼き皿の真ん中にあった柔らかくて粘りっ気のあるやつ。

私はリックが店に行く姿を想った。道を歩いていくのにどれぐらい時間がかかるか、一番いいやつを買うのにどれぐらい早くに行かねばならないか。私をびっくりさせてやろうと計画を練っている彼の姿を、私は思い浮かべた。自分にできないことをやろうとしている彼の姿を。

     ・・

彼が私たちふたりのためにしつらえた食卓に、私は座った。両肘をテーブルに載せて、手を組んだ。目を閉じて、頭を垂れ、おでこを両手で包んだ。リックはどんなふうに考えるだろうと考えてみた。バリーの姿も想像してみた。

 しばらくして、私は目を開けた。彼は希望を込めてこの食卓をしつらえたのだ。彼が私のために用意してくれた食べ物を私は手にとり、食べた。

 

☆  ☆  ☆  ☆

「動きの贈り物」

 

ホスピスに彼女が来たとき、もう仕事ではないから、どうして来るんだと聞く。

そうするとあなたが好きだからという。

かるく、ふうんっていう。

でも帰り際、エドは、抱きしめて別れの挨拶のとき、「また来てくれる?」って聞いた。

「また来たい」と彼女は言う。「オーケー」とエドはいった。

 

☆  ☆  ☆  ☆  

そういうところが泣ける。この本は何度も泣ける。

「また来るわ」ではなく、「来たい」という。

 

淡々と最低のことを飾らず書くが、最低必要なことが書いてあってすごい。神経が隅々にまで行き届いている。

 

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「飢えの贈り物」では、食べたいのに食べると吐いてしまう人の話。

その人の意志を尊重する。だからみなかったり、聞こえなかったりという態度をする。彼女のいうとおりにする。彼女が呼ぶまでは何もしないし行かない。でも心はちゃんと深く深く向けている。

悲しみが伝わってくる。

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