『消えた天使』と性犯罪者(累犯者)の監視の是非

 

070816ブログ

 

性犯罪者(累犯者)の監視。それは必要か。

必要だろう。

 

そこに関心があったので、『消えた天使』を観てみた。

『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウ監督作品。

 

ブログではもう一つなどの評価を書いている人がいたが、僕には面白かった。

 

深淵を覗き観るという経験。

怪物と闘うという経験。

 

自分のなかの深淵。自分のなかの怪物。

そうだろう。

 

(パンフレットで解説している精神科医・片田さんの文章は、自分を棚上げして、精神分析の知識を少し書いてるだけの文章だった。ほんと精神科医って、人間をわかったようつもりになって、ただ教科書の理論を押し付けるだけのダメな人が多い)

 

で、宮台真司さんの解説である。これは読み応えはある。それをベースに、少し私の考えを書いておこう。

 

性犯罪者の行政登録とどんな性犯罪累犯者がどこにいるかなどの情報公開を義務付けたメーガン法が米国にはある。この映画の主人公は、公共安全局で性犯罪者を監視する仕事をしているが、これもメーガン法に基づいている。

 

宮台氏は、社会に「更正出来ない性犯罪者」がいるということを前提に、そういう人が社会にどれぐらいいるか、社会の性質がどう変化したかによって妥当な政策が変わるので、メーガン法が妥当かどうかを抽象的には論じられないとする。そして米国では諸条件からメーガン法は妥当だが、日本では時期尚早だという。またそもそも犯罪や逸脱があるのは当然なのだから、「法を守ることが意味あるような社会」を維持するには、脱法行為を行ってでも猟奇的犯罪者を罰するような英雄(犯罪者と同類の性質を持つ)が必要だという。この映画は、そうした主人公を肯定しているが、非常時を考えない日本社会で平和ボケしたものには、理解できないだろうと言う。(宮台の主張を私なりに簡単な言葉でまとめた)

 

共同体の空洞化、近隣の目(常識、規範、道徳)による相互の縛りと承認が低下してきている日本社会では、以前よりも米国に近くなっている。包摂されない人が増え、脱社会的な存在が増えている。性犯罪は許せないことで、量が米国ほど多くなくても、私は重罰化、行政登録に加えて犯罪者の情報公開と監視が必要と考える。

 

ただし、ときどきの政治的判断の考慮や、どのような条件をつけてそれを進めるかが問題だ。また「従来の対処法の範囲ではあるが有効なもの」を徹底することも大事だ。だが、今の日本社会ではそれがなされない。形式的に条件をつけても実際の政治的展開ではなきものにされてしまうことも多い。だから、旧来型のように見えても反対する勢力がいて論議が尽くされることは、なかなか重要だ。抵抗勢力が一定あるのは望ましいことである。宮台のように「時代遅れに反対する」ものを馬鹿だと切り捨てるのは、実際の政治状況では、単純な重罰化、盗聴法導入、裁判員制度導入を進めるものに協力しているだけになる。

 

例えば、先日、私のブログで紹介した、生田暉雄『裁判が日本を変える』の次のような主張を宮台は批判するだろうが、私は賛成する。

 

「為政者は国民が人権意識に目覚めると困るのです。・・・裁判員裁判にしても、異常な裁判のあり方を覆い隠すためのイチジクの葉にすぎません。・・・実質上はなんらの効果も生じないでしょう。・・・もしほんとうに刑事裁判を改革しようとするなら、裁判員制(参審制)でも陪審制でもなく、勾留期限の短縮、代用監獄の廃止、取調べ過程の可視化、取調べにおける弁護士の立会い、検察官手持ち証拠の完全開示、そして警察手持ち証拠の検察官への完全送付といった、捜査のあり方から手をつけなければならないはずです。」

 

つまり、旧来の枠内ではあるが、先ずやるべきことはまだまだあるのである。例えば、最低賃金を1500円以上に徐々に上げていくこと。ジェンダーフリー教育と性教育を進めること。高額所得者や企業の税負担をあげること。できることはいくらでもある。

それができない中で、宮台が提起する条件は、同じ程度の絵に書いたモチである。実際の政治では、しばしば、つけられた条件など流される。例えば、国旗国歌法は強制しないといって導入されて強制されている。だから国旗国歌法に反対することには意義がある。手続法だというが、国民投票法も、事実上改憲への道をひらく。改憲が悪いとはいえないというのは一般的には正しくとも、現状では、改憲=9条2項の改悪をもたらす危険性が極めて高い。そのとき、国民投票法に反対するものを馬鹿だ、古いと切り捨てるのはマチガイだ。

 

 

さて、そのようなことに注意を喚起した上でなら、私は、一般的には当然ながら宮台が求める「〈システム〉による対応」が必要と思っている。社会変革とはそういうものである。前のまま放置すれば何とかなるというものではない。法や制度を変えていって、もっと現実の変化に対応し、改善していくべきである。

例えばレイプ、セクハラ、DV,ストーカー、監禁など性犯罪者に今まで甘すぎた。法律がまったく不十分だった。新社民主義に変えていくとは、システムの変更の大きなものだ。

そして宮台が言う「長期的には〈生活世界〉の再構築」ということに対しては、「どのような〈生活世界〉の構築なのか」が問われなければならないというだろう。昔がよかったというわけにはいかない。生活世界の再構築をどのようにするかという点では、私は、〈スピ・シン主義〉的な教育が必要だということができる。

 

では次に、「社会を維持するためには脱法行為が一定必要で、それを政治家などリーダーのみならず、一般市民にまで認める」ということについてはどうだろうか。

 

先ず一般的に法律万能主義、何でもかんでも法なら守ればいいというものではない。悪法もある。反抗・修正が必要なこともある。制度設計が不十分なことがあるので、グレーゾーンとして、柔軟に対応すべきことが必要なこともある。公務員が、自分の職務の枠を超えて、市民ニーズを本当に高い質で満たすべく、従来のやり方を超えて動くようなことが求められていると思う。教師にしてもそうだろう。警察でも消防でも、民間企業でも同じだろう。

 

しかし宮台がここで扱っている問題は、そうしたものではなく、米国政府による国際法無視の行動やこの映画の主人公が犯罪の可能性あるものを殴ったりすることだ。

一定の枠を超えた捜査や質問、介入が一定必要ではあろう。官僚的な対応だけでは、この映画でも示されたように、解決できないことがある。

 

にもかかわらず、今の日本で、おおっぴらに「社会を維持するためには脱法行為が一定必要で、それを政治家などリーダーのみならず、一般市民にまで認める」としてしまうのは、マチガイである。

先ず「社会の維持」とは、誰にとってのどのような状況の維持かが問われねばなるまい。多数派、権力に都合のよい安定・安全な社会とは、おぞましい管理社会であるかもしれない。

宮台は「社会性を帯びた脱法好意の社会性を担保するのは何かと問い、それを〈脱社会的存在〉だというが、ここは説得力に欠ける。宗教性も少し持ち出すが、説明不足だ。私なら、絶対的なものはないが、スピリチュアルなものというだろう。それは誰か権力者が保持しているのではなく、社会的なものであろう。ま、ここは難しいところだ。少なくとも宗教が答えではない。

 

次に、後者の「一般市民にまで認める」というのは、私的制裁を肯定してしまい、今のメディアの集団リンチ状況、学校や企業などでのいじめ、『デス・ノート』に共感するような雰囲気からして、容認してはならない。やはり手続きを重んじるしかない。光市殺人事件においても、メディアは、裁判制度の枠を超えて極刑(死刑)を求める風潮を作り出している。

そして一番大事な点であるが、現在、小泉・安倍と続いてきた自民党政権は、戦争ができるような国へひた走っている。そうしたとき、おおっぴらに「脱法行為もやむなし」という荒っぽいことを言ってしまうことは、イラク戦争への参加のレベルで、論理よりも結論ありきで後は多数決、つまりは最初からなんでもアリでやっていく政治の後押しになってしまう。こんなときだからこそ、ダサくても、古い手法であっても、抵抗とか、手続き重視とか、民主主義とは多数決だけではないとか、そういうさまざまなルートを通して、しゃにむに走る暴走列車を止めることが重要である。

 

だから結論は、ことによっては、法律の枠を超えて対応すべきことはあるのだが、現在、そうしたことをいうことで、事実上、小泉・安倍政権の暴走に加担するような愚かなことはしてはならない、というのが先ず第一の点である。

是々非々というのは簡単だが、原則的に反対する勢力がいることは望ましい。その上で、説得しつつ、徐々に条件をつけながら、バランスをとりながらの改変が必要だろう。これが第二の点である。

 

で、性犯罪である。性犯罪に限れば、メーガン法的なものを日本に導入すべきだと思う。問題は、その副作用で、それを契機に、監視が強まり、反体制的な人物というレッテルを貼られることで誰もが秘密裏に捜査・監視され、不法に逮捕監禁までされてしまうようにならないか、表現や政治活動の自由が抑圧されないか、ということだ。多くの人が危惧する点である。

 これは国民番号制の問題や増税問題、ポルノ規制問題などにも通じる論点である。

 

私の見解は、政治状況への影響を考慮しつつも、前向きなシステム改革が必要で、その議論を始め、徐々に変更していくことに躊躇すべきでないというものである。条件付ではあるが、メーガン法的なものを作る必要があるということだ。

すなわち、性犯罪については、早急に重罰化も予防教育も必要で、元犯罪者の監視はやらざるをえない。それが過剰に他の問題に拡大適用されない制約条件(性犯罪に限定する、反論の余地、苦情処理委員会、情報の公開、第3者の介入保障など)を議論して、監視していくというものである。議論し、危険性を取り除き、チェック監視をつけつつ、メーガン法と危険者監視体制の強化の方向へいくべきときであろう。

 

人間の闇は深い。この世は天国ではなく、ひどい環境の元で育ち、まともな感覚を備えていないものは多数存在する。被害者支援、予防教育とともに、一定の監視強化と重罰化(結果としての社会からの隔離)は必要である。