大阪経大論集54巻5号 2004年1月 から 8回にわたって連載したものです。
スピリチュアルに生きる人々(1)
はじめに
私は拙著や拙稿で〈スピリチュアル・シングル主義〉とは何かということをいくつかの角度から説明してきたが、そうはいっても、「わからん人にはわかりにくい」という状況だということを自覚している。そこで、ここでは、私が〈スピ・シン主義〉的だな、スピリチュアルな人だなとおもえるイメージと具体例をいくつか紹介することで理解の一助としたいと思う。
〈スピ・シン主義〉のイメージ:復習
偏差値的に賢い人が、必ずしも魅力的でないのはどうしてか。優しくないのはどうしてか。権力者の側につき、エゴ的生き方をするのはどうしてか。それは、〈たましい〉の差である。私が世界の他のなにものでもなく、「この私」であるのは、その特性は〈たましい〉の違いである。生態系、他者を「私の身体(利害)の拡張」とみなして、禁欲主義でないかたちで、「人・他者に与える」という喜びに気がついた人がスピリチュアル度の高い人だ。お金など資本主義的/個人主義的/即物的な価値でなく、他者との繋がりを意識するレベルの高いきれいな心をもった人がスピリチュアルな人。
これは、正義というような、自分の深層の闇から離れた、絶対的善、偽善ではない。他者や自分の〈弱さ〉(汚さ)の認識の上に、それでも立ちあがる勇気のようなものを美しいと思う、ひとつの考え方、感性の指標だ。
テレビや人間関係(家族、友情、仕事や付き合い関係その他)や映画で、感動するようなものは、みな〈たましい〉に関わっている。スポーツの感動やドキドキも、冒険のワクワクも、詩の奇跡も皆同じ。素晴らしい友情、とろけるような恋の感情。感動とか、勇気とか、優しさとかは、みな〈たましい〉の表れ。
すばらしいものなんだよ すごいものなんだよ
だが、私が大学の講義で説明したとき、「それが高いレベルの、すばらしいものなんやで」ということをうまくいえなかったことがあった。そのときは抽象的にまとめすぎてしまったのだ。だから、一部の人を除いて、「よーわからんかった」という反応をもらったことがあった。自分の伝える力のなさを感じた。「考え方は人それぞれでいい」となんとも便利な言葉を吐いて、自分に見えていない高いレベルのものがあるってことに、微塵も接近しないまま思考停止するという、もったいない状況でいいとは思えない。でもスピリチュアルな意味での、心の目や肌の感性を閉ざした人にはなかなか、その素晴らしいものは伝わらない。
だから、もっと具体的に〈スピ・シン主義〉的なものを感じてもらえるようにわかりやすく伝えなくっちゃならないということだと思う。というか、それが今の自分にはわからないもんだとしても、「なんか、すばらしくて、すごいもんなんだな」、「それが感じられるようになりたいな」と、思ってもらえるように伝えなくてはダメなんだろう。でもそれが難しい。現場、現物に出会わないとなかなか分からないものだから。なんといっても私自身がまだ中途半端で途中だから。スピリチュアルな生き方・語り方ができる存在になれていないから。〈スピ・シン主義〉を書きつづけ、実践していくなかで、自分自身を変えていく長い旅の一歩一歩を歩んでいきたいと思う。
で、少しでもわかりやすいようにという意味での試みであるが、私は、以下に紹介していくような人々が〈スピ・シン主義〉的で、素晴らしい、美しい、かっこいいとおもう。あるいは、〈たましい〉が染み出ていると思う。そのことを伝えていきたい。
ブルーハーツ
私の1997年発行の本『樹木の時間』で、「ブルーハーツは日本の希望だった。カッコよかった」と書いた。私が、〈たましい〉というものを人に伝えたいとおもうとき、まず思いつくのが、「ブルーハーツを聞いて感じること」というものだ 。
ブルーハーツは、まず優しい。全てのクズども共のために歌うから。自分がロクデナシでクズで、劣等性で、はみ出し者ってことを知っているから。役立たずと罵られる側にいる。そしてドブネズミが優しく美しいというスピリチュアルな目をもっているから。
終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズども共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼らのため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように(『終わらない歌』)
と、彼らが歌うとき、僕は勇気づけられる。
それに、ブルーハーツは、自由を知っている。どの歌もほとんどそればかりいってるといえるぐらいだが、例えば、『僕はここに立っているよ』では、
僕はここに立っているよ 汚れた顔をしてるけど
したがうだけなら 犬でもできるさ
ナイフをつきつけられても
原爆つきつけられても
クソッタレって言ってやる
と。『ラインを越えて』では、次のように言う。
色んな事をあきらめて 言い訳ばっかりうまくなり
責任逃れで笑ってりゃ 自由はどんどん遠ざかる
金がモノをいう世の中で 爆弾抱えたジェット機が
僕のこの胸を突き抜けて あぶない角度で飛んでいく
満員電車の中 くたびれた顔をして
夕刊フジを読みながら 老いぼれていくのはゴメンだ
(略)
机の前に座り 計画を練るだけで
一歩も動かないで 老いぼれていくのはゴメンだ
(略)
ジェニーは戦争へ行った 僕はどこへ行くんだろう
真夏の夜明けを握りしめ 何か別の答えを探すよ
誰かが使いこなす ホンネというタテマエ
僕はラインを越えて確かめたい事があるよ
私はこれを聞いて「俺と同じだ」とおもった。そりゃ青いよ。まるで高校生じゃないか。でもね、そうなんだ。私は、ラインを越えたいってずっとおもって生きてきたんだ。拙著『樹木の時間』で「地下鉄のプラットホームから見る黒くのびる地下軌道の美しさに魅かれる 俺は“あちら”に行きたいのだとわかる」といったのもそういうことだ。
彼らの歌には、この世には差別があり、クソッタレの世の中だというリアリティがある。バカのフリをしなきゃ、やってられねえと分かってる。「いい人ぶったらほめられた」と言える。人を簡単になぐさめてあげられないことを知っている。で、名誉白人の恥ずかしさが分かっている。政治家の偽善を暴く。
拙著『スピ・シン主義宣言』で言うところの、上層建築を批判し、俗であり、「弱き者」であり、〈所有せざる者〉である。批判精神があり、自由を希求している。そういう意味で、彼らの存在はスピリチュアルだとおもう。
『八日目』
映画の中で僕が触れたスピリチュアルなものは無数にある。それを全部紹介しているときりがなく映画評論集になってしまうので、1つだけ例をあげておこう。『八日目』(1996年、ベルギー=フランス映画、ジャコ・ヴァンドルマル監督)は、施設を抜け出したダウン症の青年と、自信満々・仕事一筋に生きてきたが、離婚して子どもにも会わせてもらえなくなり、人生で迷いが生じた中年男との交流を描いた映画。泣けた。障害者を少しステレオタイプで描きすぎとか、ダウン症の青年が自殺してしまうというラストには疑問もあるが、全体として、見失っていた“価値”を再び手にすることができるような元気を与えてくれる映画。
ダウン症の青年が笑うのをみていると僕も笑えてくる。「友達」というときの思いの確かさは、表層的な言葉で生きてた自分を振り返らせる。世間の常識を越えて、ダウン症の仲間たちが通じ合うのは〈たましい〉での交流だ。つらいとき、人が抱き合うのは、ひとりでは立っていられない、存在すらできないからだ。ダウン症の人と思うと拒絶するのは、〈たましい〉で付き合っていないからだ。そして中年男は、ぼろぼろになってはじめて、〈たましい〉で触れ合うということがみえてくる。
これをみているだけで、心に熱いものが流れ、素直に声を出して笑い、一緒に泣き、有能サラリーマンとして肩肘張っていることの病気度がよくわかった。涙と一緒に体の中が洗われ、つきものが落ちる感じ。〈たましい〉に触れる映画の一つだ。
安積遊歩さん
あさかゆうほ安積遊歩さんは、1956年生まれで、骨が折れやすい骨形成不全症の女性で、これまで20回以上の骨折、8回の入院を経験している。障害をもつ人の自立をサポートする「CILくにたち援助センター」代表で、講演や執筆や講義等も含めて障害者解放運動や女性解放運動など人権問題全般に関わっている人だが、その活動の一つとして「バタバタの会」というフィリピンの障害をもつ子どもたちを支援する活動を1992年から7年半続けた。それは、2000年には、障害の有無に関らず貧困状況にある若者の奨学金・生活支援のNGO「グループLINK」として生まれ変わって続いている。納得できないひどいことばかりのこの世の中で、彼女(とその仲間たち)は、腕組みしているだけでは何も変わらないといって、困難に向きあってなんとかいい社会作りをしようと実践を積み重ねている。
安積さんの書く文章や語りには、〈たましい〉を揺さぶるものがある。理不尽なことは理不尽だと諦めないで言う、それを受け止めるかどうかは相手の問題と考えるような人。彼女は、人になんの服従も敵意も同情も求めない「私は私なの」という非常に安らいだものを自分の子ども、うみ宇宙ちゃんにみるような感性の持ち主だ。障害者が生き難い中で差別状況を減らすように自分がやれる範囲のことをいっぱいやっておきたい、そうすれば次の世代はまた別のところにエネルギーを費やせるといういように、社会的なつながりの意識をもてる人。生きる喜びに満ちた存在である私たちが、我慢しないで、泣きながら、怒りながら、そして信じながら生きていけばいいと思い、そのためには差別だらけのこの社会への「宣戦布告」をせざるをえないという、スピリチュアルかつ政治的なバランスのとれた人だ。
彼女が米国の経験から日本に導入した「コウ・カウンセリング」は、専門家が一方的にカウンセリングをするのでなく、相手と時間を均等に分け合い、話を聞きあってエンパワメントしあうというもので、相手を力で黙らせるか、自分のことを主張することばかりがはびこる中で、「聴く」「聴きあう」ことを通じてコミュニケーションするということを広めようとする。その発想は〈スピ・シン主義〉的だ。
僕は1994年ごろに新聞や本で彼女のことを知りテレビで話すのも見て、彼女の素晴らしさを直感した。こういう人もいるのだという喜び。スピリチュアルという感覚は、この人の〈たましい〉の飛翔から得た着想だといってもいいぐらいだ。この人に恥じないように生きたいと、僕は思う 。
今里哲さん
今里哲さんというシャンソン歌手がいる 。おもろくて、〈たましい〉に響く歌と話をする。すばらしい。彼は在日朝鮮人であり、同性愛者だ。そこには差別がある。そのことを笑いにまぶして、普通のおっちゃん、おばちゃん、ねーちゃん、にーちゃんに語る。自分が美しすぎて怖いといい、今の政治やメディアを皮肉り、「おかま、おばけ、あほな自分」だというように「自分を落とし」ながら語るその説得力、そしてそれとの対比で、人生の素晴らしさと悲しさを謳いあげる歌。涙が出る。生きていこうと元気が出る。音楽と笑い・冗談がいかに大事なコミュニケーション手段か、と切実に感じる。カタイい話じゃないのに、ちゃんと来ている人に、「人権」というカタイ話の真髄が伝わる。性や国境を越えて、人は人、みんな同じやん、そうでしょって。
彼は言う。家族が一番よね。でも孤独は当然よと。そして家族的なものがない人は、何か別のそういうミッションを持っているのよと。とてもスピリチュアルだ。人生で何をすべきかということを感じさせてくれる。
彼のパフォーマンスに比べたら、僕の話なんて、ちっぽけすぎる。彼のような、〈たましい〉を伝えられる人に近づいていきたいと思う。
キング牧師
マーチン・ルーサー・キング牧師から受けた影響も大きい。テレビや本で、彼の言葉や行動、彼を先頭とした米国公民権運動に触れ、僕はそこに本物の活動家の〈たましい〉をみた。彼は、話がとてもうまかった。そしてそれはテクニカルな問題ではなく、スピリチュアルな語り方をしたということだった。だから抑圧されつづけてきた黒人の人たちは彼の言葉に熱狂し、彼にカリスマ性をみた。運動戦略も優れていた。非暴力直接行動主義。それは戦わないということでなく、整然とした抗議行動という実践的かつ政治的なものだった。勇気と智恵(創造性)があり、まさにスピリチュアルかつ社会的なものといえた。デモに放水され、警察犬に追い立てられ、警棒で撲られ、逮捕され、虐げられ、十字架を焼かれ、爆弾を投げかけられても、愛の力をもって憎しみに立ち向かわなければならないといいつづけ、実践し、人々を鼓舞したその姿勢は、まともな人とはこういう人だという感覚を僕に教えてくれた。
彼を中心とした運動の特徴を示すエピソードを2つ。公民権運動の「自由の行進」で、何日も行進を続けたある参加者は「足はとても疲れたよ。でも魂は清らかだ」と答えていた。素晴らしい。
もうひとつは、キング牧師が1968年4月3日、テネシー州メンフィスで、解雇された黒人労働者を支援する集会で行った演説の内容とその顛末。
「この先、何が起こるかわからない。
多くの困難が待ち構えているであろうが、今はもう気にならない。
なぜなら私は山の頂にたどり着いたからだ。
私だって長生きしたいと思う。だが私は、主の御意志に従うだけだ。
主は私が山の頂に行くことをお許しになった。
そこで私は、「約束の地」を見たのだ。
私は皆さんと一緒にはそこに行けないかも知れない。
でも誰もが「約束の地」へ行くことができるのだ。
私は今、とても幸せだ。
もう何も怖れてはいない。
私は、主の降臨の輝きをみたのだ。」
この演説の後、皆は立ち上がり泣いていたという。“何か”を感じていたのだ。そして翌4月4日、39歳で銃殺された。テレビのドキュメントで〈たましい〉がこもったすごい言葉というものを僕はみたのだ。
芸術とヘルスケア協会
「芸術とヘルスケア協会」の趣旨文は、とてもよく大事な視点がまとめられている。つながりのかいふく恢復、楽しむ能力、こころとからだの視点、エンパワメント視点、アートの力の利用、人生の質などといったスピリチュアルかつ広義人権擁護の運動=「シングル単位論」的な視点が含まれているこの趣旨文は、まさに〈スピ・シン主義〉の展開例だと思う。その趣旨文を引用することで、紹介にかえたい。
「現代に生きる私たちは、『個人』をベースに人とのつながりの恢復を求めています。そして世界の中の存在として自分というものを確認したいと思っています。そこで出てくる発想の一つが『ケア』というものです。みずから興味をもって関わっていくということ。またみずから関わっていくことを通して、自分を確認し、自分を癒していくということです。
21世紀の社会目標は『賢く、楽しく、健康に生きる』ことといわれています。そこでは努力をすることのできる能力、いわゆるがんばる能力よりも、興味をもつことのできる能力が重要となってきます。
自分が病んでいること、できないこと、下手であることを嘆き責めるよりも、自分にもこんないいところがあったのか、こんなことができたのか、下手だけどなんとかできた、というのが意味あることなのです。
なぜなら、楽しいことは何よりも気持ちがいいからです。気持ちがいいというのは、楽しくて、懐かしくて、安らかで、あったかで、潤いのあることです。そして自分をいとおしく感じることです。
私たちが健康な心をもって生きるためには、自分の存在が認められ、尊重され、プライドをもって生きる体験が不可欠です。この体験から得られるのが『自尊心』という心の力です。そしてただ生きているだけで十分に尊いと思えることが、生きる原動力となるのです。このように人間としての判断力や感性があったからこそ、これまで私たちはお互いに幸福を実現させてきたといえます。
未来に生きる私たちは、20世紀のパラダイムによって痛めつけられた世界を癒し、経済活動によってもたらされた精神の空洞を満たし、人間の全体性を恢復する取り組みをしなければなりません。それには芸術のもつポテンシャルを生かすことが鍵の一つとなるでしょう。
私たちが考える芸術とは、芸術のために存在する芸術、いわゆる特権的なものではありません。人間を幸福にし、癒し、元気づけるもの、精神世界の多様さや面白さを示してくれるもの、人間の生きるエネルギーの素となるアートなのです。
アートというのは、もともと『こころ』と『からだ』に深く関係しています。今までそれが忘れられていることが多かったのです。私たちはアートを通して『からだ』の問題を『こころ』で考え、『こころ』の問題を『からだ』の視点でとらえていきたいと思います。
そのために私たちは、新しい時代における健康とは何か、生命の質、人生の質を高めるということは何か、さらには、一人ひとりが自己実現をはかりながら幸福になっていく社会とは何かを考える『芸術とヘルスケア協会』を設立することにいたしました。
生命の、美の、優しさの恢復をはかる運動の展開によって、時代を開く新しい知と新しい美の創造をめざしたいと思います。また個々のうちに豊かな世界を築き、外の世界とつながっていくことのできる人間組織、それを支える社会についても探求し、提案していきたいと思います。」 (引用終わり)
大学の先生を辞めてあいりん地区へ移住
2001年12月19日『朝日新聞』に紹介された遠藤比呂通さん(当時41歳)の生き方は〈スピ・シン主義〉的だ。27歳で東北大助教授になった憲法学の若きホープとまでいわれた遠藤さんは、1995年夏に大阪の人権集会の後に「あいりん地区」に連れて行かれたが、その現実をみて、動揺し、いろいろ考え、学生を連れていったりした後、大学を辞める決心をし、1996年9月にあいりんに移住した。牧師宅の倉庫に住み込んで炊き出しを手伝い、鉄筋工の日雇い仕事をした。自分の経歴は話していなかったが、厳しい現実に直面する中で、弁護士資格があることを利用して労働者のための弁護士になってくれと頼まれ、あいりん地区内唯一の弁護士事務所を開くようになった。そこで無料法律相談などをしながら、大阪市にテントを強制撤去された野宿生活者の損害賠償訴訟を手がけたりしている。彼は、「ホームレスという言葉からは一人ひとりが見えてこない。ここで人々と向き合うことが自分の仕事だ」という。
僕はこの人を直接には知らない。だが、まともな人だと思う。大学を辞めるということをする人は、まともだ。なぜなら、それは安定した社会的地位と高給を放棄することだからだ。口先で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。それをしたということ、そしてその後やっていることをみれば、〈スピ・シン主義〉を実践している人だと尊敬してしまう。こういう人がいることが希望だ。
繊細な写真家
野寺夕子さんという写真家がいる。その作品、『春の布団』(京都・法政出版)は素晴らしい。エロチックで繊細だ。こういう視点をもって、慎ましやかに生きたい。
題 『目を伏せれば』
「・・・・・・略・・・
へえ
野寺くんて24になるんだねえ
と話すその唇は
少女たちをなめまわした唇だ
私は目を伏せれば
その唇を避けることができるが
少女は目を伏せたことで
選ばれた
30すぎて
金で買った少女の
ういういしさを語る男も
バカヤロウだが
伏し目で手柄話を聞く私は
もっとバカヤロウだ」
イスラエル徴兵拒否
2000年9月にエルサレムにあるイスラム教の聖地「神殿の丘」をシャロン首相が挑発的に訪問したことを契機として、パレスチナとイスラエル双方のテロ報復合戦が激化し、1年半で1400人が犠牲になった。そして2001年9月の米国への同時多発テロを口実に、2001年から2002年にかけてイスラエルのパレスチナ攻撃が激化した 。
そうした中、イスラエル軍の予備役兵士、高校生らの間で、兵役拒否、中東戦争でイスラエルが占領した領土(パレスチナ人居住区のヨルダン川西岸とガザ、東エルサレム)での軍務を拒否する運動の広がりを報じる報道があった 。2001年9月に高校生62人がシャロン首相等に兵役拒否の手紙を送り、また2002年1月に新聞に5軍予備役仕官たち50人による「軍務拒否の手紙」が発表された。それ以来、両方に対して賛同者が増え続けている。(前者については105人、後者については280人に増加。)
これらは、占領地で行っていること(土地の強制収用、家屋の破壊、自治区の封鎖、拷問、病院に行くことの妨害など)は、パレスチナ人の人権を侵害していることで国際人権法違反であり、本来の国防とは関係ないという理由で行われている。軍務拒否の根拠は、「命令が違法だと判断したら、従うべきでない」という軍法規定。1956年のイスラエルによるアラブ人虐殺事件で、兵士が命令に従っただけと主張したことに対し、「命令があっても兵士は良心の声に従わなければならない」と有罪となったことから作られた。しかし、現在の軍幹部は、「平時にある民主国家で、兵士が勝手に軍務を拒否する権利はない」と。だが拒否運動をしている彼らは、「紛争の解決はイスラエルとパレスチナの共存、公正な和平にある」とみており、「入植地は最終的にすべて撤去されるべきだ」という。
兵役拒否の高校生の中には、招集通知がきてそれを拒否して軍刑務所に収監された者や、裁判闘争をはじめた者がいる。彼らの考えは、どんな軍隊であれ反対という絶対平和主義もあれば、イスラエル国家を認めた上でパレスチナとの共存を考えるもの、イスラエルという国のあり方(ユダヤ人の国を作るというシオニズム)自体に疑問をもつものなど多様だ。
軍務拒否したハイム・ワイスさん(32歳)はいう。
「私は国を守る任務なら喜んで軍務につく。しかし占領は、それ自体が非人道的な行為だ。社会経験を積み、世界のことも分かってくると、占領地で軍務を果たすのは人間として耐えられなくなった。パレスチナ人への抑圧がさらなる暴力を生む。占領の任務は国防にあたらない。・・占領に疑問を抱いていたところへ、友人を通じて拒否運動を知り、賛同した。軍でのキャリアを放棄しようというのは簡単な決断ではないが、「拒否の手紙」に署名したのは、軍の刑務所に入れられようとも、占領地には行かないという意思表示だ。」
また裁判闘争をしている平和主義者18歳のアミル・マレンキさんは、「街で誰かに襲われたらどうする」「追いかけてきたら」「殺そうとしたらどうするか」と聞かれても、「話し合う。通じなければ逃げる。襲われたら、自分の身を守るために必要最小限の力を使う」と答えるような青年だ。
イスラエル国内では、彼らに対し「右派、ナショナリスト、愛国者」や「普通の市民」から「裏切り者」「臆病者」という非難と脅しといじめ(無視、子どものつきあいを絶つ、学校中退など)が続いているが、その中で彼らがとった行動は、ホンモノの匂いがする。ここには、「自由も責任も選び取る自立した個人=シングル単位人間」がある。人の痛みを民族を超えて想像し、勇気をもって社会的行動をするスピリチュアルな姿勢がある。
落書きを消す
僕の友人Bさんは母子寮で働いている職員だ。そこでの話。そこに住んでいる中学3年生の男の子A君は、学校でいじめられたりしているらしい。あまり友人もおらず、勉強も得意でなく、年下の子と遊んだりしているという。その彼が、寮の壁に「A死ね!」などとマジックで落書きをされた。ときどきあることらしい。彼のお母さんも知らん顔。寮で働く他の職員もそんなことはよくあることと放置。職員のBさんは、ひどいことするなと思いつつ、数週間が過ぎた。で、数週間後に気づいたという。彼の力になりたいと思いながら、数週間その落書きをそのままにしていた。彼はいやに違いない。連休明けに、消そう。そして、彼に声をかけたという。「今まで消さなくてごめんね。今から消すけど、一緒に消す?」彼は「別にどっちでもいいよ」と答えたらしいが、結局、2人一緒に磨き粉とかを使ってごしごし消したという。
職員のBさんは、数週間放置したことを悔やんでいた。よくあることで、どうしようかと思いつつ、忙しさにかまけてしまっていた。でも彼の気持ちを考えたら、いやに決まっている、と。僕はその話を聞いて、A君はBさんと一緒に消しながら、いろいろ考えたろうなと思う。そして僕なら一緒に消してくれたBさんのことを少し好きになるなと思った。「落書きを消す」という行為ができる人になりたい。
自分を振り返る人権論
平野広朗さんは、『OGCにゅうす』を発行している繊細でステキな人だ 。例えば、平野さんは、「先生、おかまか?」と訊かれたとき、面白半分の質問であっても、「おかま」のいろいろな意味内容(性的対象に関わるもの、性的行為に関わるもの、生業に関わるもの、性自認に関わるもの、ジェンダーに関わるものなど)を説明して、聞いた人がどの意味で言っているのか確認してから「イエス/ノー」を答えるという。そして、「あなたは概念レベルを混同している」とだけいえばすむところを「あんなのと一緒にされたくない」などと感じてムキになって否定しようとしたことがなかったか、胸に手をあててよくよく自省してみなければならない、というような人だ。自分をどこに位置づけようとしていたのか、「あんなの」とは誰のことを指していたのか、「あんなの」と言い放てる自分はいったい何ものであったのか、当事者だけが発言できると言い切れるのか、当事者とは誰か、などと、自分を振り返れるこの人が語る人権論は、まともだ 。僕はこの人の書いたものから、多くのことを学んだ。
自分のカラダ、セックスをみつめる
オンナのセックス・グッズ・ストア「ラブ・ピース・クラブ」(LPC)代表の北原みのりさんは、イイコちゃんの優等生的な言葉でなく、自分の感覚を大事にして話したり書いたり行動したりしているので、すごいなとか、さすがだなとか、そうだよなとか思えて、信頼できる人 。
1970年生まれの彼女は、若い世代ながら、まさにウーマンリブ、フェミニズムの正当な主張を行っている。ただそれが、決して上の世代の口真似や教条の繰り返しでなく、自分の体験をベースにして、センスある語り口で述べているというところがすごい。学者やおすまし近代主義者には真似できないところだ。だから多くの若い人に共感をよんでいる。
「私は自分がフェミニスト、って言わなくっちゃいけないって思ってた。私はフェミの言説にむちゃくちゃ『助かったですぅ』『救われたですぅ』の人なので、フェミがいくらカッコ悪くても、フェミのイメージがサイアクでも、フェミ的なことを言うんだったら、『私はフェミニストじゃないですけど』なあんてヘンな言い訳をしちゃいけないって思ってた。」
これまでの運動のだめさもわかっていつつ、それでもいまどき、「フェミのキャンペーン・ガール」を買って出るというところがいい。のんきに抽象論を語るオトコ学者などを批判するときの眼差しは、オンナたちの痛みをベースにしていてとても温かいものだ。
そんな彼女の真骨頂は、セクシャリティにおけるラジカルな思考と実践だ。彼女は、暴力やわいせつのカケラもない、カラっとしていて、楽しそうで、美しい、女たちの自己決定の下にある、セックスやマスターベーションのイメージを創ろうとしている。暴力やわいせつなんて、セクシーじゃないという。そしてその趣旨のLPCを設立運営していること自体がすごいが、例えば、次のような感覚にも彼女らしさが出ている。
彼女は、自分がセックス産業を通して見えてきたこととかマスターベーションのことなどを語るときに、「セクシュアリティ」という言葉を使ったとたんに「言葉がにごる」ように感じ、その言葉から、オマンコ、オナニー、オチンチンというようなイメージがフェードアウトするように感じるという。それよりも、「セックス」という言葉の「乾いた」感覚が好きだという。 そして次のように言う。
他人(男でも女でも)と『愛』でつながることが最良の生き方とされる社会で、私の身体や私のファンタジーは、愛やコミュニケーション、というてい体のいい言葉でかき消されそうになることがある。そうではなく、からだが語る言葉にもっと耳を傾けていきたい。
また次の文章もすてきだ。
「エログロ・ワイセツ・隠微なセックス」か「すばらしいコミュニケーションとしてのセックス」だけではなく、自分のカラダを語るように、セックスのことを語りたい、と私は常々思っている。愛の証のセックスではなく、自分の欲を見つめるセックス。「私たちのセックス」ではなく、私がやりたいセックス。という文脈で、ヤリマンは素晴らしい。自分のやりたいように、やりたいことをやるヤリマンは素晴らしい。自分のしたいセックスを、したいのよぉ! とやるヤリマンは誇らしい。・・・略・・・というわけで、ヤリチンの横暴ぶりに比べ、ヤリマンの貶められ方に常々悔しい思いをしている私は徹底的にヤリマンの名誉のために戦う気持ちでいます。
私が不思議なのは、たくさんの人がセックスのことを「愛情のバロメーター」だと考えていること。「彼が私に対して感じなくなった」「勃起しなくなった」「彼女に感じない」「他の人とセックスをしていると知り、嫉妬に苦しんだ」とか言って悩んでいる人の話はよく聞くのだけれども、私は彼女・彼らの悩みがほとんど理解できない。そういう時私が思うのは、「ああ、この人は、日常的にセックスが当たり前にある、と信じていられる物理的条件の下に生きているのだなぁ」ということだけである。「私のことを一番優先して! 私とのセックスを何よりも気持ちよく思って!」と相手に望める関係が私にはないので(持たないので)、そういった悩みはおとぎ話のようにさえ感じてしまう。
私には私とセックスをしてくれる人が、私を「愛しているから」セックスをする、という風には思えない。私自身も「愛している」から「セックスをしよう」とはならないから。セックスをすることによって「関係が深まって」いく、ということはあるけれど、「関係が深いから」=「セックスをする」のではないと思うから。
不用意な言葉で相手を傷つけ、関係があっけなく終わってしまうことが時にあるように、セックスは常に「新しく」「現在進行形」で、「二人」の関係を変えていくものだと思う。だから「セックス」だけを「二人の関係」の中から象徴的に取り上げて、「二人の愛」の「バロメーター」としてはとらえられない。 (引用終わり)
北原さんの正直さとクリアーさを時代はまだ「理解」しないだろう。でも、当然、今の時代でも彼女を好きな人がたくさんいる。僕自身、まだまだ自分の体の声に向き合えていない。彼女は僕の先をいっている。僕は徐々にだが彼女(たち)の後を追いかけるだろう。
〈たましい〉に触れる子育て
僕の知り合いのある女性は、自らシングル単位的に生きてきて、僕の「シングル単位論」に出会って、「そうやんな〜!同じや〜!シングルでいてよかった!」と思ったそうだ。その彼女が、今、友人の子どもを育てている。そこで彼女が感じ、発見していることは、とてもスピリチュアルだ。彼女の言葉を引用する。
今の私は『よしくん』のお世話をさせてもらっていますが、毎日感動があります。記憶に残る毎日を生きています。よしくんといると当たり前のことに感動するようになりました。よしくんと一緒にいると、犬に話しかけたり、植物に話しかけたりもできます。この間、犬が「ワン!」と返事してくれました。(マジ)
道ばたにタバコの吸い殻が落ちてると、よしくんは「あんなことしたら逮捕されるよな〜!」と言って怒っています。ある日よしくんがお母さんとケンカをした時、ずっとブツブツ言って怒って素直になれなかったよしくんなんですが、怒りながら「ゴメンネ!」と言ってしまいました。まだ怒っていたかったみたいなのですが「ゴメンネって言っちゃった!!」って。。。(笑) よしくんはお母さんと仲直りしました。
まだまだ語りきれませんが、よしくんは“たましいのかたまり”のようです。
私は病気をしてから「もう子どもは産まないな」って感じたんですが、結婚しなくても子どもと接することができるし、いろんな方法はあるんだって実感しています。
よしくんが初めてたしざんをした時、涙があふれ出てきました。うれしかったです。ずっと遊び相手をしてるので、よしくんと話す言葉はぜんぶ肯定的です。常に言葉を選びながらしゃべってるのでたまに「どうやろ〜?」と言いながら考えてると、よしくんにもよく「どうやろ〜?」って言われるようになりました。(笑)
僕の姿を見ればみな勇気がわくだろう
ボブ・ウィラードさんは、ベトナム戦争で下半身を失った人だが、腕だけでアメリカ大陸5000キロを3年8ヶ月かけて横断した。彼は言う。「僕の姿を見れば、みな勇気がわくだろう」。そして彼は、道中、貧しい人への募金を募った。彼が進む1マイルに5ドルをと訴え、約3700万円を集めて国際赤十字に贈った。ここには、〈たましい〉の交流がある。彼の思い、彼を見て心動かされた人たち、そして、その思いが募金となるというつながり。口先だけでなく、行動が、募金という行為が、各人にある。
4年3ヶ月の有給休暇
ミキハウス社員の坂本達さんは、社長に訴えつづけてついに、一切の宣伝義務などのない、世界一周自転車の旅を有給休暇として認めさせ、実行した人だ。4年3ヶ月の有給休暇をとったということになる。
その彼は、帰国して日本各地を講演で回る中、折に触れて「メッセンジャーとしての役割」を感じることがあるという。無数の人に助けられ、様々な偶然に支えられる体験を重ねるうちに、自分が旅をしているというよりは「なにものか」に旅をさせてもらっている気分になった。だから旅の経験は、自分のモノでないがゆえに、伝えていかなくてはならないという使命(役割)を負っている気がするというのだ。旅行体験を書いた本の印税もすべて助けてくれた人にお返ししようとし、マラリアと赤痢から救ってくれた医師シェリフの村(ギニア)に役立つプロジェクトに充てることにしたという。「みなさんに“生かされている”ことへ感謝、人は善、笑顔は笑顔をよぶ、やっぱり家族は大切、人の役に立ちたい、恨めば恨まれる」とか、「大勢の方々に支援していただけることと、夢や目標に忠実に生きていれば小さな出来事のひとつひとつが無駄なく“つながり合う”という感動が、僕に“正しい道”を歩ませてくれる気がします」という彼は、スピリチュアルな人だ。
(HPはhttp://www.mikihouse.co.jp/tatsu)
殺すな
音楽グループ、「ソウル・フラワー・ユニオン」は、阪神大震災のとき被災地に行っておっちゃんおばちゃんの感性にあうカタチで昔の歌を歌ったり、辻元清美さんの選挙応援したりするユニークなバンドだ。その中心メンバーの中川敬さんのインタビューをいくつか読んだが、恋愛についてシングル単位的であったり、『不登校新聞』で学校へいくこと自体を批判したりしてとてもしっくりくる。その彼が米同時多発テロ後のアフガン攻撃に関してホームページで述べている言葉を紹介しておきたい。
すでに、貧困の真っ只中で生死を問われしんどい生活を強いられている人々の上にミサイル、である。米英が今やっていること。そして日本政府が今から「協力」の名の下でやろうとしていること、これこそが正に「テロリズム」、「殺し」なのだ。9月11日、青天井の殺りくシーンのむごさは、多くの人々に「テロリズム」、「殺し」の恐しさを今一度思い起こさせてくれたのではなかったのか。(白昼、高画質で)生中継で観ることの出来なかった、「南京」「アウシュビッツ」「ヒロシマ・ナガサキ」「ベトナム」「カンボジア」「イラク」「ユーゴ」etc...をこれ以上繰り返すことはない。我々は、自分の愛する人々が苦しみ難死する情景を想像するに充分な体験を、もうすでにしてきたではないか。
俺は「殺し」の傍観者ではいたくない。
30代後半で「国境なき医師団」へ
「国境なき医師団 日本」オペレーション・ディレクターのかんと貫戸ともこ朋子さんは、93年8月から94年2月まで、スリランカ北部の難民キャンプ、94年6月から95年2月まで内戦下のボスニアのスレブレニツァ市民病院で医療活動にあたった。その後、メキシコに2年滞在。今は東京事務所にいて、ホームレスの人たちへの援助をしている 。この人のことも直接は知らない(テレビでは観た)が、スピリチュアルな生き方をしている人だということは明らかだ。
彼女は、危険が迫ったボスニアからの撤退命令がでて、心を通わせた人たちに別れもいえないまま去り、そこに残った人々のことを思う。だが、かえってきた日本では、ボスニアの問題への反応は冷たく、自分だけ安全で満ち足りた場所にいていいのかと悩む。たわいのない楽しい話に興味が持てず、黙り込むようになった。その頃、セルビア人勢力によって、スレブレニツァで多くのモスレム人が追い出され、また虐殺された。多くの知人の死を知り、彼女は張り裂けそうな気持ちと無力感を感じ、そんな中で次第に周囲の人との人間関係がうまくいかないようになった。
幼い頃から不当なことへの怒りが人一倍強い子で、本の世界に浸り、医師を目指していた彼女は、産婦人科医になって充実した日々を送っていたが、8年を過ぎた頃に成長しているという実感が持てなくなって、30代後半で勉強しなおし、医療を受ける権利を奪われた人々のために思想、民族、宗教を越えて出かける「国境なき医師団」に参加するようになった。その中でつらい現実に直面しもしたが、苦しむ人たちの傍からはなれずに生きてきた時間が、彼女に対するかけがえのない贈り物となり、その積み重ねが、次第に心の痛みを和らげていったという。 (続く)
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