大阪経大論集55巻4号 04年11月発行
スピリチュアルに生きる人々(6)
目次
「働かない」ことは悪いこと? 、 アーニー・ゼリンスキーの考えから学ぶ
仕事がない歓び、 人目を気にせずチャレンジ、 人のせいにせず、自分で動く
マズローの欲求階層説を利用して、 したいことは何?
受身的生活をやめて能動的なスロー生活へ、一瞬一瞬を生きる、負け惜しみ?
☆ ☆ ☆
前号に引き続き、私の提唱する〈スピリチュアル・シングル主義〉的な生き方や思想や行動に近いと思えるイメージと具体例を紹介していく。
「働かない」ことは悪いこと?
「働く」、特に「勤勉に働く」というのは「いいこと」だ、したがって「働かないことは悪いこと」と、多くの人は信じ込んできた。ある人が「仕事を辞めようと思う」と言うと、多くの人はほとんど自動的に「どうやって生活をするの」と尋ねる。左翼的な人々ももちろん「労働は神聖」だし、また「労働者階級は資産を所有しておらず労働力以外に売るものがない」ということで、働くのが当然、働かなくてもいいやつは「有産階級、有閑階級」だとしてきた。そこには、「働くこと」についてそれ以上考えさせない「倫理と金(生活費)」という「疑うことない思考の出発点」のようなものが染み付いている。でも、本当にそれは出発点なのか。
もちろん、貧しい人(普通の人)が黙々と生活の一部として働くというイメージには、私もいいよなあ、それだよなあという感じがある 。「働かない快楽」などというのはお気楽な中流階層の考えだといいたくなる気持ちも、近年の弱肉強食化・階層格差拡大の風潮の中ではわからないことはない。
だが、本当にそのあたりで思考をとめていいのだろうか。生活のために働かなくっちゃといって、今の生活の枠組みや消費水準を前提にしていることは、ある種の囚われではないのか。それも金に囚われているといえないか。思考停止といえないか。いつまでも「喰うために働く」というレベルでとまっていていいのか。日本での「最低の生活水準」というのは人によって違う。一人当たり月10万円で生活というとどうなのか。安すぎて無理? それとも可能? 一世帯で30万円、20万円というとどうか。大学の学費?自動車の保有?持ち家?家の広さ? 何が「生活のため」の前提水準なのか。そうした中で、多くの人がワーク・ライフ・バランスをとっておらず、働きすぎになっており 、性役割の中でくたくたになっており、世間並みということで高い消費水準を維持している。
だからこそ、思う。成熟段階に至った日本社会の中の人々の今後の生き方という点で考えるならば、「少ない時間働いて少ない消費で楽しく生きる」というイメージにはとても魅力があるのではないだろうか。それはとても体制に対してラジカルな態度なのではないか。「働かない」(少ししか働かない)ということを選択肢に入れる積極性を考えてみたい 。
アーニー・ゼリンスキーの考えから学ぶ
そこで、前稿に引き続いて、アーニー・ゼリンスキー[2003]『働かないってワクワクしない?』(Joy of Not Working, by Ernie Zelinski, 2001)の紹介を通じて、その考えが〈スピリチュアル・シングル主義〉的であるということを示していきたい 。
アーニーは、1日24時間のうち、睡眠や仕事や最低必要な雑事をのぞいた時間を「自由時間」と呼び、のんびりしたりクリエイティブなことをしたり、自分を知り自分を育てたりする大事な時間とみる。バランスのある生活のためには、睡眠時間を除いた1日の約4分の1(約4時間)には何の予定も入れないことが大事だという。他者のためとか仕事のために、「自分の体と〈たましい〉を休ませ元気にする自分のための時間」を犠牲にするのは間違っており、自由な時間がとれないと嘆いていたり、そのうちにゆっくりしようというのではなく、いますぐ仕事奴隷生活をやめて、自由時間の楽しみを追い求め、仕事と生活のバランス(ワーク・ライフ・バランス)をとるべきだという。そのために、借金や仕事や子どもや持ち物について具体的に考え、必要ならば仕事を変える(辞める)ことまで考えることが大事だという。
自分のアイデンティティの土台を仕事(出世)におくことは、仕事をなくしたときに自分自身も失ってしまう。これはとても危険なことだ。他のざまざまな要素に基づいて自分のアイデンティティをもっていると、仕事がなくなっても大丈夫なので、仕事の奴隷にならなくなる 。
よく言われることだが、あなたがいなくなっても会社(組織、社会)は動いていく。毎日、株価がどうなった、為替がどうなった、売り上げや経済成長率がどうなった、景気がどうだこうだ、政治がどうだ、内閣がどうだ、選挙がなんだかんだといっているが、時間が過ぎてみればなんてことないということがほとんどだ。出世競争も、人並み志向も、少し横から見れば、おろかの一言につきる 。
以上のような意味から、仕事中毒をやめて、短時間労働者(週35時間以下、週休2−3日)になり、1年の中でかなりの長期休暇(2ヶ月以上)をとり、5年から10年ごとに休養や旅行や研究などのための半年以上の長期休暇(サバティカル) を利用し、人生全体のバランスを考えて転職や「仕事を辞めて無職になること」を思考に入れていくことがとても大事なのである。 アーニーは、おおむねそのようなこと主張する。
つまり「働かない」というイメージ概念が象徴しているものは、自分(自己決定、自由、余裕、休暇)を大事にするという意味で、シングル単位的であり、自分の人生全体(死を入れた射程)からみる点、および大切な周りの人々(自然、社会)とのつながりを重視し、「自分の使命」から生き方を考える点で、スピリチュアルなのである。「安定を求め、リスクを冒したくないという気持ち」が日本社会の停滞と保守性をもたらしている大きな要素の一つだが、それを打破するためにも、「仕事がないこと」は祝福すべき「変化のための挑戦への入り口」なのである 。
仕事がない歓び
仕事がないという世界は、まったく新しい刺激的な世界だ。仕事がない、いやな職場に働きに行かなくてもいい、朝夕(夜)の通勤がないという解放感は、それ自体が楽しい感覚だ。まるで毎日が夏休みの感覚! 仕事から離れると、働いていたときとは違う方法で人生を楽しめるようになる。働かなくてもいいなら、余暇活動を思う存分楽しめる理想的な生活を送れる。これはかつて経験したことがない生活だ。この点をまず確認しておこう。
さらに、仕事がなくても満足感・幸福感が得られるということも確認しておこう。次の詩はラルフ・ワルド・エマーソンによる「成功の定義」である。
「成功とは?」
よく笑い、たくさん愛すること/ 聡明な人々の尊敬と子どもたちの親愛を得ること/
正直な批評家に認められ、偽りの友人の裏切りに耐えること/ 美を賞賛すること/
他人の中の最高のものを見つけること/ 見返りのことなど一切考えずに自分を献身的に捧げること/ 健康な子ども、救われた魂、美しい庭、改善された社会状況を通して、世界をほんの少しよくすること/ 熱心に遊んで笑い、思い切り歌うこと/ あなたが生きているおかげでたった一人でも慰められた人がいると知っていること/
これが成功するということだ
こうしたことは、金がなくても仕事がなくても可能なことだ。
人目を気にせずチャレンジ
世間並みの普通の生活から外れる人を、周囲(世間)のたいていの人はいいようにはおもわない。自分たちの常識が批判されているとか、ちまちました自分が惨めになるという感覚が根底にあるために、チャレンジする人を疎ましく思うからであり、失敗するとそら見たことか、自由なんて夢見るから不幸になるんだと笑う(そうして自分のつまらない日常しかないんだという諦めを何とか再肯定する)。チャレンジしたいと思う本人自身も、安定(地位や経済的基盤)を失ったり、世間の笑いものになったり、人生の落伍者というレッテルを貼られることを恐れがちだ。
だが充実した人生を送るためには、「失敗」して世間から何かを言われることを恐れてリスクを避けるのでなく、世間を気にせずに自分の信じる道を行くことだ。何かを得るためには、動きださなけばならない。なんらかの「成功」までの道のりには、失敗が敷きつめられている。常識の枠を超えられない保守的な人々には、無謀だとか、考えられないようなこと、愚か者のすることだと思われるようなことをあえてしていけばいい。アーニーは、自分の人生を面白くワクワクしたものにし、自由時間にクリエイティブになるということは、社会の枠(体制)に順応せず、勇気を持ってありきたりではない考え方や行動ができるオリジナルな人になること、大きな変化をもたらす人になることだという。世間の批判は、無視するか、まったく的外れだとして処理すればいいという。
人のせいにせず、自分で動く
自分で自分を苦しめる人にありがちなマイナス思考は次のようなものだと、アーニーはいう。
「私は他の人とは違う人生の問題を抱えている。こんな大きな問題を抱えている人は他にはいない」「あなたの話は、私がすでに知っていることばかりだ」「多くの人に好かれないと私は惨めになる。誰かに嫌われると、私は自分が嫌いになる」「世界は公正であるべきだ。とくに私に対しては」「すべての人々は、あるべき姿からかなり逸脱している」「私は生まれつきこうなのだから、自分自身を変えるのは不可能だ」「子ども時代が私に影を落としている。私がこうなったのは完璧でない両親のせいだ」「政府は私たちのような普通の人々に対して十分なことをしていない」「私は十分なお金がなく、美しくもなく、権力のある人も知らないために、不利な立場におかれている」「私はいい人間で、みんなにも親切にする。どうしてみんなは同じことができないのだろう?」
つまり、このような発想で他者や社会(状況)に不満を言っていることは、自分で自分の人生を充実させるための行動をしない言い訳になることが多く、それでは自分も社会も何も変わらない。自分の人生の責任者は自分自身なのだ。
マズローの欲求階層説を利用して
有名なマズローの欲求階層説には批判もあり、私(伊田)も必ずしもその順番どおりに上昇するものとは考えないが、大雑把に見て、欲求の分類に一定の適切性があり、また私の人権論(エンパワメント論)の観点から見れば、基礎的な「生理的欲求」「安全と安心の欲求」「愛情と所属欲求」だけで人間として十分な発達や成長があるとか、人権が豊かに満たされているとは言えず、「セルフ・エスティームと他者からの尊敬欲求」「自己実現欲求」といった、より高いレベルで各人の欲求が満たされてこそ、豊かな状態であるとみることができる、その意味で参考にできる説であると考えている。
それを利用して、生き方論として強引にまとめれば、「生理的欲求」「安全欲求」「所属欲求」のレベルにとどまっていたりしがみついていたりするときには、チャレンジ的・創造的であるよりも、リスクを避けて、社会平均的な枠組みの中でおとなしく人並みにしている生き方となる。自信がなかったり、人間関係や金や仕事のことで愚痴ってばかりいたり、どこかの集団(グループ、クラブ、組織、仲間)に属さないと不安になったりする。広く浅く友人のようなものを持とうとする。他の人に合わせる体制順応型の対応、すなわち、冠婚葬祭やさまざまなやり方、暮らし方、考え方について、自分の独自性を追及するのでなく、従来のやり方、みんなのやり方に従うような生き方となる。他者や社会や権力ある人たちの期待に沿うような生き方をしてしまう。大きなメディアのいうことに影響されすぎる。象徴的にはお金やモノや地位・肩書きに対する執着心が強い生き方となる。ファッションでは、流行遅れの服を着るか、今、はや流行っているが、決して奇抜過ぎない多数派の服(みなと同じ服)を着るような生き方となる。
それに対し、自分というものをもっている人(セルフ・エスティーム:自分を大切に思える自尊心ある状態の人)なら、世間の目や孤独を怖れずに、自信を持って、自分の目的(使命)に向かって自分の道を進んでいける。創造的かつ独創的なことができ、スピリチュアルな(内面的な)生活を大事にできる 。お金やモノや地位・肩書きに対する執着がなくなる。ファッションも、自分らしい独創的なおしゃれを追及できる。適切に社交的だが、ひとりの時間も大切にできる 。友情は量より質を大事にできる 。つまり、高いレベルの人が自由時間を最も楽しめるのは自己実現ができたときだといえる。
こうした2分法は確かに単純すぎるが、私やアーニーが「働かない」ことの価値を考えるときに、目指しているものを明らかにする上で有効だろう。
したいことは何?
自分というものをもっているセルフ・エスティームのある人は、自分の本当の深い欲求――私の言葉で言えば自分と世界の〈たましい〉――が見えている、わかっている状態だといえる。アーニーもそこのところがわかっているので、「人生であなたが本当にほしいものは何ですか?」と問う。これはもちろんスピリチュアルな問いだ。自分の〈たましい〉が見えている人は、世間やメディアの期待に合わせて自分を殺す必要がなくなる。ゆるぎなく生きていける。
アーニーの本では、自分のしたいことを明らかにするために、自由時間に何をしたいかをツリー状に記述するエクササイズを提起している(図―1参照)。以前、夢中であったこと、現在夢中であること、これからしたいと考えていること、などどんどん具体的に書き出す(書き出そうとする)ことで、自分というものが明確になってくるだろう。アイデアが足りない人は、次のリスト(表―1)を参考にすればいいという。するべきこと、やれば楽しいことはいっぱいあるのだ。自分自身を制約しているのは自分だということに気づこう。自分の深い欲求に目を向けること、それはもちろんスピリチュアルな姿勢だ。
図―1、表―1 挿入 2ページ分
受身的生活をやめて能動的なスロー生活へ
以上を踏まえて、アーニーは、受身的な余暇の過ごし方ではなく、のんびりできるクリエイティブな時間のある、能動的なスロー生活、ダウンシフトした生活を提唱していく。
受身的な活動とは、「テレビを見る、酒を飲んで酔っ払う、食べ物をむさぼ貪り食う、ドライブに行く、ショッピング、金を使う、ギャンブル、スポーツ観戦、ルーティーンとしての仕事 」などであり、それ自体がすべてダメというわけではないが、そうしたものが中心になっている限り、深い楽しみや深い満足は得られない。自己実現など得られない。適切に能動的な活動があることが大切だ。特に現代人にとって、テレビは創造性の大敵だ。テレビに多くの時間が奪われ、思考パターンがコントロールされている。自由時間の質が低下している元凶の一つがテレビだ。テレビはまさに受身的でラクちんすぎる。運動をせず、考えない人間を作る。すぐにテレビのスイッチを入れてしまう人は、中毒だといえる 。忙しいなどといって、以下の「能動的な活動」をしない理由はすべて言い訳に過ぎない 。やる気をもてばそのための時間を作ることはできる 。
ではその能動的でスローな活動とはどのようなものか。小説・エッセイや絵・音楽など芸術的または創造的な創作活動をする、読書をする 、体にいいエクササイズをする、サイクリング・ジョギング・水泳・ヨガなどをする、公園を散歩する 、音楽を演奏する、楽器の演奏を習う、歌(替え歌)を作る、ダンスをする、講座に参加する、勉強する、瞑想する 、何の予定もない時間を1日に30分以上持つ、いつもと違うことや予定外のことをやってみる、夕陽をじっくり15分以上眺める、誰かと心から打ち解けた〈たましい〉が通う深い会話をしてみる、自然に始まり自然に終わるおしゃべりを楽しむ、朝のシャワーを味わう、一杯のコーヒーや紅茶を飲むときにそのことに集中して楽しむ、車のスピードを落とす、不必要なことで思い煩わない 、他の人と一緒では訪れないであろう人々の家を訪れる、ボランティア活動をする、自分の夢を夢見る時間を持つ、新しい趣味を見つける、人間観察をする、家をリフォームする、雨の中を歩く、昼寝をする、手紙を書く、ガーデニングをする、買い物に行くとき車でなく歩いていく、誰かを助ける活動をする、一人で過ごす時間を増やす、話して面白い人を見つける、パーティーを開催して、面白い人たちを招待する、十本の映画を批評する、地元の面白そうなスポットを探検する、近隣にいるすべての種類の鳥の写真を撮る、地元のさまざまなレストランに行き、自分の町ではどんな料理が楽しめるかを発見する、自分だけの手作りの旅行をする 、特別な目的をもたずに午後いっぱい図書館をぶらぶら見て回る、夜空を見る、笑いを生活に入れる、ゆっくり眠る・・・・・・。
いっぱいあるものだ。あなたはこうしたことをしたくないだろうか。〈スピ・シン主義〉は単なる理想論ではない。今から私やあなたがどのように生きたいかということに対する具体的な回答でもあるのだ。
一瞬一瞬を生きる
こうした活動をしなくてはならないのではない。自分の深いところに照らし合わせてしたいことがあることが大事なのだ。しかもアーニーは楽しいだけが大事なのではないという。むしろ、ポイントは、「深く関わる」ことだという。ひとつのことに「完全に没頭する」ことで、深いかかわりになる。いいかえれば、一度に一つのことしかせず、全力を尽くしてそのひとつのことを楽しむことができれば、幸せになれるという 。彼がこのような感覚をもって「仕事をしないでダウンシフトした生活を送ろう」というのを知って、私はとても〈スピ・シン主義〉的な匂いを感じた。
「一瞬一瞬を生ききる」(今を生きる)という概念は、スピリチュアルな感覚がわからない限り真には理解できない種類のものである。その感覚に近づくための方策として、自分の死を想像してみるというものがある。
スピリチュアルケア論が、ホスピスなど死を目前にした状態(いのちの有限性)に関わって最もよく議論されるように、危機においてスピリチュアルな世界と触れやすくなるということは一般に言えるが、スピリチュアリティは、厳密には死に限らず、どの時点、どの領域においても、日常生活のすぐ横に口を開いて「存在」している 。
その上での話であるが、自分の〈たましい〉を見つめるエクササイズとして「自分の人生があと半年の命だ」となったとき、その間にどうしてもやりたいことをアイデア・ツリーの中から選んでみるといい。それが自分にとってもっとも意味のあるもの、言い換えれば〈たましい〉に近いものだということができる。自分の「本質」が出ていて、自分を最もワクワクさせるものに出会えれば、それは幸せな人生だ。
それがわかったら、今すぐやる、優先順位の上位に上げるということが大事なのだ。つまり、あと半年しか生きられないと宣告された人のように生きる。他のことに気をそらさず、一つ一つ、楽しくてたまらない、時間の感覚を忘れるようなことに集中することができたら、それが「一瞬一瞬を生きる」ということをマスターしたということになる 。死んでも後悔しないように、やりたいことをして、今このかけがえのない一瞬一瞬を味わいつくそうという、人生の有限感覚が、スピリチュアルな視点ということになる。幸福は、一日一日、一瞬一瞬をどう生きるかという、この私の足元にたち現れる。「当たり前のこと」と鈍感に見過ごしていたら、スピリチュアルな窓は開かない。目の前の人を大事にしなかったら、大切なものを見落としてしまう。毎日見る夕陽は少しずつ違う。昨日と今日の風の感触も違う。毎日や瞬間を楽しむためのセンスとアイデアを身に着けよう。
負け惜しみ?
以上のような考えを負け惜しみ(負け犬の遠吠え)だと思う人もいるだろう。だが、そう思う人は、「リッチになりたい、多くのものを所有したいという自分の実感」が、今の資本主義社会によって埋め込まれたものであり、自分の実感の奥には、別の心理的な問題が隠されていることを知るべきだろう。少しでも冷静に考えてみれば、お金がたっぷりあることが幸福をもたらすとは限らないこと、すでにかなりの金があるのにもっとお金をとあせっている人がいること、金に執着するがゆえにさまざまな問題を抱えがちであること 、つまりお金の力には限界があること、安心を金に求めないがゆえに幸せに暮らしている人がいることに気づくであろう。所有しているモノを失っても生きていけるような、自分の存在の芯とでもいうべき力がある人こそ、安定した心の状態の人であり、幸せな人なのである 。
まとめてみよう。
「仕事をしない/辞めるってワクワクしない?」に対し「生活費はどうするの?」という問いが必ず帰ってくる。それにはこう答えたい。
「私には仕事や肩書きが必要なんじゃなくて、自由とその瞬間瞬間を生きることが必要なんです。お金はほしいけど、自由がもっとほしい。仕事がない、仕事を辞めるって、とっても楽しい感覚でしょ。生活水準を下げてでも自分が満足できるシンプルなライフスタイル(ダウンシフトな生活)を選びたいんで、物質的には貧しくても精神的に裕福といえます。だから、いわゆる“働く”必要がないんです。郵便局で「公的年金だけで大丈夫?」というチラシを見て、そこに平均的生活を送るには月35万円以上、年収450万円程度必要ですよと書いてあるのを見て、「ケッ!」と思う感覚があります。
もちろん、生活のために少しは働くこともあるけど、自由な時間をたくさんもちたいので、組織とスケジュールから離れて、仕事を最低限にしようと思っています。いやな人に接する時間を減らし、仕事や組織に縛られず、自分の〈たましい〉、エッセンス、使命に忠実に、自由にしたいことをして生きていきたいんです。仕事がまずあって余暇を何しようではなく、どう生きるかということを中心にして、1日の生活時間全体の質を第一に考えるのです。
仕事・肩書き・するべきことがないのは、自分がどんな人間なのか、どのように生きるのかを常に考える時間をもたらす面もあります。そこがいいのです。自分がなりたい自分になるように、人生の時間を使える。それがすばらしい。今まで何をやっていたんだ、とさえ思います。今まで、まだまだスケジュール的なものに囚われていた部分が多かったと反省したからこそ、人生の後半が見えてきて、早めに路線転換を考えたんだと思います。
それに、この感覚は伝わりにくいだろうと思うんですけど、僕は昔から何か、この目の前の社会(常識)を超えたところの大きなあるいは広い感覚が好きだったんですが、今ではそれはもっと明確に、浅い感覚の世界に対し、深い、スピリチュアルなレベルで世界と関わりたいと思うようになったのです。もう浅い世界でのあれかこれかはどうでもいい、それよりこっちだという感覚です。近代社会の常識を疑い、それを超えて根本的に考えれば、根源的なところから自分の価値を作れます。宮台真司さんの言葉で言えば、僕は〈社会〉で絶望したからこそ、〈社会〉オンリーの中でなく〈世界〉の中で生きたいのです 。
人生は短く、いつ何が起こるか本当にわからないんです 。だから今を悔いなく生きたいと思います 。親しい人とのしっとりとした、ちゃんとした時間もとりたいです。注意深く見る力でもって毎日を味わい深く生きたいと思うし、柔軟でポジティブな考え方を持つために、毎日真っ白なところからチャレンジしていきたいと思うんです。アートに生きるということをテーマに、自分をちょっと追い込みたいと思うのです。エエ加減に、自由に、ちょぼちょぼで、ずーっと“先”で生きたいんです。何とか暮らせるなら、仕事をしないとか、短く最低限で働くって素敵なことだと思います。」
これが、アーニーの『働かないってワクワクしない?』の、そして私の〈スピ・シン主義〉の感覚である。私は問いたい。
「仕事がない生き方というのを想像してみて。どんな感じ?」、そして「あなたは何をしたいの?」
★★★★★★★★★★★★★★★★★
大阪経大論集55巻5号 05年1月発行
スピリチュアルに生きる人々(7)
伊田広行
目次
サンタはいるの? 、 子猫をお願い 、 誰も知らない
キッチン・ストーリー 、 「スロー」の毒と政治性
子どもの時間、そして、トントンギコギコ図工の時間
映画にみる、豊かな時間
過去の目次
スピリチュアルに生きる人々(1)
ブルーハーツ、『八日目』、安積遊歩、今里哲、キング牧師、芸術とヘルスケア協会、大学の先生を辞めてあいりん地区へ移住(遠藤比呂通)、繊細な写真家(野寺夕子)、イスラエル徴兵拒否、落書きを消す(友人)、自分を振り返る人権論(平野広朗)、ラブ・ピース・クラブ(北原みのり)、〈たましい〉に触れる子育て(友人)、僕の姿を見ればみな勇気がわくだろう(ボブ・ウィラード)、4年3ヶ月の有給休暇(坂本達)、殺すな(ソウル・フラワー・ユニオン、中川敬)、国境なき医師団(かんと貫戸ともこ朋子)
スピリチュアルに生きる人々(2)
ハンセン病回復者の痛み(藤森重紀)、解放の神学(ステファニ・レナト)、非暴力主義(マハトマ・ガンジー)、小さな出会いの必然性(関田寛雄)、朗読劇「この子たちの夏」、チヒロ、「ハッシュ!」の朝子、労働裁判闘争(やかび屋嘉比ふみ子、住友裁判原告)、国労の闘い、映画『人らしく生きよう』、あなたはもっと優しくてあなたはもっと強い(田中哲朗)
スピリチュアルに生きる人々(3)
アンジェリーナ・ジョリー、夜回りの水谷(水谷修)、斎藤武(チャプレン)、貧乏人大反乱集団(松本哉)、ラコタ族からの学び、トルストイ、ヘンリー・D・ソロー、シュタイナー
スピリチュアルに生きる人々(4)
「ソウル・フラワー・ユニオン」と「満月の夕」、石蕗の花咲く:ハンセン病回復者(田端明さん)、
ネーネーズ、マイケル・ムーア:『恐るべき真実』
スピリチュアルに生きる人々(5)
普通の人々 、タイの修行僧、藤川チンナワンソ清弘さん、小林カツ代の父
グラミン銀行総裁、働かないってワクワクしない?(アーニー・ゼリンスキー)
スピリチュアルに生きる人々(6)
「働かない」ことは悪いこと? 、 アーニー・ゼリンスキーの考えから学ぶ
仕事がない歓び、 人目を気にせずチャレンジ、 人のせいにせず、自分で動く
マズローの欲求階層説を利用して、 したいことは何?
受身的生活をやめて能動的なスロー生活へ、一瞬一瞬を生きる、負け惜しみ?
☆ ☆ ☆
前号に引き続き、私の提唱する〈スピリチュアル・シングル主義〉的な生き方や思想や行動に近いと思えるイメージと具体例を紹介していく。
サンタはいるの?
友人がサンタクロースについての新聞記事を送ってくれた。日本の新聞ではこのような答え方をしないだろう。これをみて、キリスト教国だからと、自分から切り離して思考停止するのでなく、そこに何かを見てみたいと思う。
そしてある意味、サンタがいるといえるように、「人の人への思い」というものもある。先日も障害者介護で働いている友人が、目(眼球)と口元の少しの動きでしか意思表示できない人とコミュニケーションをとっているといっていた。その人の人への接し方、心の通わせ方には、スピリチュアルな匂いがある。スピリチュアリティとはそういうことだ。
1897年9月21日 ニューヨーク・サン新聞「社説」
ニューヨーク・サンしんぶんしゃに、このたび、つぎのような手紙がとどきました。さっそく、社説でとりあげて、おへんじしたいとおもいます。この手紙のさしだし人が、こんなにたいせつなしつもんをするほど、わたしたちを信頼してくださったことを、記者いちどう、たいへんうれしくおもっております。
きしゃさま
あたしは、8つです。 あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」っていってる子がいます。
パパにきいてみたら、「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」といいました。ですから、おねがいです。おしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
バージニア=オハンロン
ニューヨーク市 西95番街115番地
バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちは、まちがっています。きっと、その子の心には、今はやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものが、しみこんでいるのでしょう。うたぐりやは、目にみえるものしかしんじません。うたぐりやは、心のせまい人たちです。心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。けれども、人間の心というものは、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうちっぽけなものなんですよ。わたしたちのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、1ぴきの虫のようにそう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。そのひろく、ふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。
そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごごろがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。あなたにもわかっているでしょう。
世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしくしているものなのだということを。もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!あなたのようなかわいらしい子どものいない世界が、かんがえられないのとおなじように、サンタクロースのいない世界なんて、そうぞうもできません。サンタクロースがいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、こどもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。
サンタクロースがいないですって!
サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。ためしに、クリスマス・イブにパパにたのんでたんていをやとって、ニューヨークじゅうのえんとつをみはってもらったらどうでしょうか?ひょっとすると、サンタクロースを、つかまえることができるかもしれませんよ。しかし、たとい、えんとつからおりてくるサンタクロースのすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。
バージニア、あなたは、妖精が芝生でおどっているのを、みたことがありますか?もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。この世の中にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべてみることはできます。けれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、人間のつくったでたらめでしょうか?いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。
サンタクロースがいないですって?
とんでもない! うれしいことに、サンタクロースは、ちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。1千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。
子猫をお願い
映画に感じる〈スピ・シン主義〉を少し紹介してみたい。
まず、韓国の若い女性監督チョン・ジェウンの作品『子猫をお願い』(監督・脚本)をあげてみたい。見終わって、感動した。粗筋は書かない(これから観る人のために)。ただ、感想を書きたい。観ていない人にはわかりにくいだろうが、〈スピ・シン主義〉的な感覚の部分だけを確認してみたい。
貧しい友人がいる。だがそのことを本人は表に出さない。高校生のときのような明るさがなくなったこと、その“すね方”に反発する友人もいる。女子高校同窓生の女の子五人の日常は、決して、メディアが作り上げるようなふわふわとしたものではなかった。そこには階級も、学歴・能力差も、民族差もある。その中で、主人公の一人(テヒ)の友人(ジヨン)への寄り添い方がすごいと思った。
この映画は、2001年の「韓国女性が選ぶ最高の韓国映画」の第1位に選ばれ、評論家からも「2001年の韓国映画界の収穫」と大絶賛されたが、興行的には失敗し、その後、ファンなどによって再公開運動がおこされ、ソウルでの再興行が成功して再上映にもかかわらず拡大公開されたり、映画祭などで評価されるなどで話題となった作品という。日本ではほとんど話題にならなかったが、すばらしかった。通常、この映画の評価は「みずみずしい感性」「若い女性の平凡な生活空間をリアルに描いている」「ケータイ文字を映し出す斬新な手法」などといわれているようだが、私にはなんといってもラストに至る友情のあり方のすごさがよかった。そこにとてもスピリチュアルなものをみた。
ジヨンは心を閉ざしたかのように、重いものを抱えて生きている。そこに悲劇が襲う。力を奪われ、茫然自失の小さきものは、牢屋に閉じ込められてしまう。でもそれも本人にはどうでもいいことだったのかもしれない。そんな状況に何ができるだろう。友情とは何だったのだろう。
ラスト直前まで、見えないものがあった。真夜中、ヘッドランプでテヒが読書をしている。テヒは、親父のジェンダー差別に鈍感なことに象徴される、この世のすべてのありきたりなるものにうんざりしている。
そのテヒが、自分とジヨンの“解放”を行動する。それが、ラストのつながり方。そうか、そうだよなあ。泣ける。その前、テヒはジヨンの家に行く。そこは今にも崩れそうなバラックだった。貧しい。おばあちゃんが貧しい食事(おまんじょう)を出してくれる。それを食べることが〈たましい〉のつながりだ。みなが忙しい中で、隠しているかのような家に行くってことは、〈たましい〉の関わり方だ。だからラストがある。こんな「エンパワメントする関わり方」を作ることで、この映画はとんでもない高みに届いた。
いつの時代にもジェンダーフリー・バッシングのようなことがある。だが、もう、ぜんぜん次元が違うんだよなあ。勝負は完全についている。それがわかる映画だ。
誰も知らない
04年カンヌ映画祭で主演の柳楽優弥が最優秀男優賞をとったことで有名になったこの映画(『誰も知らない』是枝裕和監督)については、すでに多くのことが語られている。
母親が父親の違う子供4人を置き去りにするという衝撃的な事件(1988年西巣鴨子供置き去り事件)を元に、是枝監督は、直接的に母親や社会を非難するのでも、かわいそうな涙物語にするでもなく、子どもたちのいのち生命の輝きを描くことで、間接的に“何か”を描いた。
それが何を描いたとみるかによって、この映画の批評の仕方は分かれる。なんとなく多いのは、過酷な状況の中で光る、子どもたちの明るさ・希望・迫力・しぶとさに重点を見る見方。絶望的とか社会的問題と暗く見るのではなく、子どもの時間とパワーに感動するというもの。もうひとつは、そういう無垢な子どもたちに襲い掛かるこの社会の力に、胸がつぶされるというようなもの。「大人の責任」が問われていると受け止めるもの。
まあ、どちらも間違いじゃない。でも、きれいに“感動”と「私たちの責任」一般に閉じ込めてしまっていいのかな、と思う。というのは、この映画を見た後、僕らは「自分の日常」に何を引きずって生きていくのかと思うからだ。上記前者の感想だと、自分の日常は何も変わらない可能性が高い。せいぜい、自分の子どもをぎゅっと抱きしめるぐらいのような気がする。後者も、口では「大人の責任」というが、では果たして何人の人がそれを行動にして自分の生き方を変えていくだろうか。
お兄ちゃんの思いが沁みてくる。姉の、少し大人に近づいた分、複雑になった抑制ととまどいの感情が胸に迫る。妹、弟の全面的に兄たちに頼るけなげさは、かわいすぎる。だからこそかわいそう過ぎる。それらは間違いない。
でもパンフを読んでいて私が涙ぐんだのは、現実の西巣鴨子供置き去り事件で、兄が死なせた妹を埋めた場所に、電車に乗って何度もお墓参りしていたというところと、そして裁判の法廷で、母に再会した兄は、母の期待にこたえられなかったと自分を責め涙を流したというくだりだ。
苦しい。14歳の子どもにそこまで思わせる家族的な力に苦しくなる。墓参りという行動しか、そのエネルギーを示せない無力さに泣ける。それに対して大人たちは何をしているの、という突きつけを感じる。母親や、さらにその背後で逃げてしまっている父親、母親とセックスをした大人たち、彼らだけが悪いのではない。大人たちが囚われている恋愛とか結婚とか家族といった物語を、観客である私たちは共有しているではないか。「無責任な母親」と非難する私たちの視点は、自分が無責任でないということを前提にしているがそうなのか。子どもたち自身の、助け合い、寄り添いあい、信頼しあい、笑いあい、責任をもって何とかしようとする兄の気持ちの、そういったこと事態のおぞましさを、直視しないでいいのか。だって、それが、母親をどうしても求めてしまう愛情的な力、自分を捨てた母親にすまないと思ってしまう“まじめな責任感”とつながっているのだから。それを母子や兄弟姉妹たちの間の「豊かさ」ときれいに描いてしまうことこそ、自分たちへの免罪の姿勢、この映画を無化する行動ではないのか。
母親がベランダに出てはいけないと決めるとそれを守ることはほほえましいことなのではない。それは大人が自分の犯罪を表面化しないようにする管理、言い換えれば人をコントロールする卑怯な暴力の現れに過ぎない。子どもは親の愛を求めて、支配される道を突き進む。子どもは、大人の悪さを非難することもできず、自分が悪いのだと思ってすがる。そこにつけこむ大人と、弱者である子どもを対等に見立てること自体にバイアスがある。子どもが学校に行きたいといっても、大人の狡猾さではぐらかす。それがいくら天然の性格でも、弱さでも、同情して免罪すべきものではない。監督の演出が唯一正しいわけではない。
また、兄をはじめとした兄弟たちが、決して大人たちに助けを求めなかったそのかたく頑なさは、大人たちが「福祉」(行政)、「地域」という概念を血の通ったものとしてこなかったことのツケでしかないのではないのか。誰一人、周りの大人たちが、気づかないということは、単に無関心ということではない。「私の子」という所有格でしか親子をとららえないエゴイズムな生き方を皆がしていることの反映である。優しいコンビニのお姉ちゃん、お兄ちゃんたちも、弁当をやってはいても、実は何も大事なことができていないではないか。彼らも実は何も知らない。行政的なことだけでなく、自分がいかに生きて、いかに家族以外の人と関わるべきなのか、がわかっていない。親をはじめとして、周りの大人たちが、家族以外の世界(家族を超えた愛)があることを教えられなかったという、日本社会の非スピリチュアルな状況が、この悲劇を生んでいる。「兄弟がバラバラになるのが怖い」という言い方でわかったような気になっている観客のお気楽さ(無知)が、この犯罪を支えている。
つまり日本社会で、実は私たち自身が、生きる豊かさとつながりの現実化の力を奪われて生きている。どうしたらいいかもわからない。だから家族のみで肩を寄せ合っている。しかしそれだけではどうしようもなくなる。なのに何もできない無力な存在。
この映画を観ていて苦しいのは、このかわいそうな子どもたちをどうにもできなかったからだけではない。自分たちがどう生きていったらいいのかわかっていないもどかしさが、この子たちをどう“救えば”いいのかという無力と重なっているからだ。あの放置した母親は私たちなのだ。それをみつめず、子どもたちのエネルギーの美化だけに話を限定するのは、大切なものをみつめることからの逃避だ。
子どもたち一人一人の表情や存在に力があること、子どもたちに近代合理主義とは別次元の「子どもの時間」があること、子どもたちに優しさとすごさがあること、それはその通りだ。それを狭い家族の物語、母親の物語に回収してはならないということだ。子どもたちが原石のようにもっている輝きは、決して家族的なものに閉じるべきものではない。私たち大人が、存在、表情自体で、家族を超えてつながっているだろうか。一人一人の生き方が問われている。そんなことを引きずらせる映画。だから私にとってこれはとてもスピリチュアルな映画だ。
キッチン・ストーリー
2003年の ノルウェー=スウェーデン映画『キッチン・ストーリー』(ベント・ハーメル監督・脚本)は、とてもいい味を出していた。
1950年代初頭にスウェーデン研究者が、ノルウェーの田舎町に「独身男性の台所行動パターン」を調査するためにやってきた。調査員は調査される男性と交流してはならない規則のため、調査員フォルケは台所の片隅の高い椅子に座って黙って上から被調査員イザックを観察する。観られていてうっとうしいのでイザックは台所を使わず、気まずい日々が流れていく。だが、2人はふとしたきっかけで会話を始め、心の交流が始まっていく。そんな映画だ。同じ北欧といっても微妙な国民性の違いやそれぞれの歴史を持つという問題も背景に入れて、静かに独身男性たちの孤独と友情をユーモアを交えて描いている。
この2人に加えて、イザックには独身友達のグラントもいる。彼らはみな、人付き合いがうまくない。生真面目で、会話が弾まず、おとなしく、無骨で、さえなくて、ダサくて、むさいおじさんたちだ。こういう人たちは、今の日本では生きにくいだろう。メディアなどでも決して光を当てられない存在。「コミュニケーション能力が低い」などとくくられてしまうだろう。
彼らは孤独を抱えて生きている。その世渡り上手でない彼らどおしが“近づく”ということが、この映画では描かれている。それをみるのがうれしい。暖かい。よかったなと思う。ここに流れているものを、私は、スピリチュアルなものと呼ぶ。
ここには決して結婚とか家族とか金とか成功とか上昇などといったわかりやすいカタチはない。「美」という言葉も似つかわしくないような気がする。「愛」でもない。「愛」は狭すぎる。素朴な交流に名はない。あえて言えば友情、友愛。そんな感じ。ただ友達が心遣いをしてくれる。家族ではない“友だち”。
友情。私はこれが人間関係の “基本形”だという感覚がある。恋愛や家族愛や国家(会社・所属組織)への愛などというのは、この広い“友情”概念の一形態に過ぎないと思っている。だから、独身男たちの物語を「家族があればいいね」という文脈で見るのは転倒していると思う。
誕生日を祝ってくれる。ぎこちないかもしれない。上手な、派手な、テンションの高い、明るい、盛り上げ方があるわけではない。高給なプレゼントなどもちろんない。その逆で、世間的には、地味な、静か過ぎる関わり方。しかし、それがいい。こっちのほうがずっといい。少人数。ぽつぽつとした会話。ゆっくりとした時間。しみじみとした間合い。ほほえみ微笑。沈黙。ろうそくの光。穏やかさ。
私はパーティー的なるものが嫌いだ。結婚式が嫌いだ。その司会者的なものが嫌いだ。テレビ的な、芸能界的な、派手な、明るさ、華やかさが嫌いだ。
無名の、おとなしい、静かな人たちの、片隅でのひっそりとした友情が好きだ。やさしい。口先での表現が下手な分、表情で、朴とつさで、口下手さで、沈黙で、つまり身体全体で、何かを伝えている。その豊かさ。孤独との付き合い方は、ある意味とても慣れている。孤独と仲良しだ。自然を愛するのもうまい。手でいろんなものを作っていく。生活を自分で組み立てる。
そういうところにスピリチュアリティをみる。そのように生きたいと思う。そのような作品を作り(表現をし)、それを共感する人とつながって生きていきたいなと思う。そういうつながりのある社会(地域・ネットワーク)を作ることに貢献できたらなと思う。
若くない。仕事についてもエリート的成功組とは対極のところにある。金もなく貧しい。老年で、しかも独身。若いときももてるほうではなかったろう。どっちかというと寡黙で話し下手。そんなイザック。彼は病気がちの年老いた馬に自分を重ねる。寒い納屋でその馬をなでているシーンがある。そんな彼の優しさを受け止める友人たち。そういうことが描かれている。映画を観る、思い出せるということの幸せは、そういうところにある。
付け加えれば、この映画には、北欧社会の(そこの人々の)実直さがにじ滲み出ている。ほほえましい。好ましい。抑制されたというか、穏やかというか、シャイなというか、仰々しくない緩やかな、スローなコミュニケーション。モノに囚われることに警戒的で、景観を大事にし、自然を愛する。すてきだ。
対して日本では、ラジオのDJがうるさく言葉を積み重ねている。意味のない言葉で沈黙を消している。金、地位、世間並みに囚われ、〈たましい〉を置き忘れた饒舌さが幅を利かせ、全体として殺伐とした空気が充満している。過密、スピード、効率、モノ信仰に覆われている。そしてそのことのおかしさに誰も気づかない。そんな日本社会に、スピリチュアルなそよ風をそっと流してくれる映画だった。
「スロー」の毒と政治性
この映画が日本で宣伝されるときに、昨今提唱されている<スローライフ><スローフード>と結び付けて、ほのぼの系のコメディとして扱われていることに、少し違和感を覚えた。それは日本で広がっている<スローライフ><スローフード>的なものの毒のなさへの違和感と重なっている。
辻信一さんなどが提唱する「スロー」概念は、私の〈スピ・シン主義〉的な感覚と重なるところも多く共感している。しかし、ちまたに流行しているときの「スロー」系はあまりにも非政治的過ぎる。とても忙しくて、モノの所有に追われ、人目を気にして緊張して生きている日本の人々が、そこを見直すことなく「付け加え」の商品として購入するような「スロー」になっていないか 。
「北欧のゆるやかな生活、素朴ながら温もりのある調度品、けっして贅沢ではないけれどもゆったりとしたシンプルな食事、そして心通わす会話」は、日本社会にとって実はとても危険な挑戦だ。それを実現させることは、物質至上社会の根幹を揺るがす。「小さき人々」との微細な時間を大事にするというのだから、暴力や差別に敏感になる必要がある。メディアにあおられる「フツー信仰」から離脱するように、自分の生き方(性格、スタイル、思想)を変えることになる。戦争などもってのほかで、いかに繊細に非暴力的な関係、多様性を認め合う共生の関係を作っていくかに真剣に取り組まなくてはいけない。働きすぎ、会社従属を見直し、ジェンダーへの囚われから離れ、モノの所有を減らすという、したがって今の政治や経済のすべてと意識的に対抗的になるという、とても政治的な問題だ。今までの経済至上主義と闘う極めてラジカルな闘争だ。
「スロー」をたたえるとき、それだけの覚悟があるのだろうか。私の言葉で言えば、〈スピ・シン主義〉的な視点なしに「スロー」などというのはまやかしだということだ。だが、中流以上階層の家庭が、わが家族だけが美味しいものを食べ、気持ちのよい環境で良く眠り、自分の子どもを健康にすくすくと成長させたい、というような、とても保守的でスノッブな感覚で「スロー」を語ることが多すぎないか。戦争や差別や過労死やパート低賃金とは無関係に、安全な食材を丁寧に調理しゆっくり味わうというスローフードと家庭周りの「幸福」に限定するようなことの危険性に目を向けるような総合的視点を持ちたいものだ。友情と家族愛の違いに敏感になりたい。そんな視点で「キッチン・ストーリー」をみたい。
子どもの時間、そして、トントンギコギコ図工の時間
野中真理子監督は『こどもの時間』(2001年)を撮った監督だ。そこには、埼玉県桶川市にある無認可「いなほ保育園」に通う0歳から6歳までのおよそ100人のこどもたちのすばらしい表情が、元気な声が、“野蛮”な動作が映しとられていた。
裸足で鼻を垂らした子どもたちが手づかみで焚火で焼いたさんまを食べていた。手作りのプールで歓びの奇声をあげていた。大人たちが、人に迷惑をかけない子のルール、清潔な都会の部屋も服も汚さない生活のルール、いい子ちゃんのルール、時間を守る規格品になるルールを押し付けるのでなく、いい意味で放任する。「それしちゃだめ」、「早くしなさい」というような、命令と否定・禁止のかかわりの逆をする。暖かく、微笑を持ってみつめる。見守る。ともに体を動かす。
その中で子どもたちは、仲間の肌に触れ、自然の鼓動と響き合いながら、たくましく育っていく。大きな泣き声も必需品だ。泥だらけになること、竹馬、カブト虫捕り、動物の世話、節分の鬼退治など、かって日本のあちこちにあった、大切なものがそこで再現されていく。広大な自然に触れながら、何も気にせず、「自由に遊ぶこと」。大声を出したり、走ったり、汚したりすることをとがめられない。それがどれだけ大切か。食べて、遊んで、寝るだけ。それだけで、もうほんとに幸せ。そして子どもたちは育っていく。
野中監督自身が、東京から引っ越して、いなほ保育園に長男を預けながらとったこの映画は、スピリチュアルなものとスピリチュアルな時間をつかみとっていた。
その野中さんが、公立小学校の図工の授業を写しとったドキュメンタリー映画が「トントンギコギコ図工の時間」である。出演するのは、東京都品川区の区立第三日野小学校のみんなだ。小学校の図工の時間って、こんなにステキな自由な、ゆるりとした時間が流れているんだったっけ。そんなことを思い出させてくれる、とてもスローでスピリチュアルな映画だ。
図工の先生がいい。自由な気持ち、隠されているアートな力を引き出してくれる。3年生が板にかなづちで釘を打って作品を作る授業。こんなふうに釘を打つだよと教えて、後は好きにやらせてくれる。釘を打つっていいなあ。トントン、ドンドン、バコバコ打ち付ける。大きな音がしてもいい。重いかなづちを振り下ろす。釘が木にめり込んでいく。気持ちいい。こんなに危険なこと、するって、他にないもんなあ。いつも汚しちゃいけない、こわしちゃいけないって言われているもんなあ。
先生はこうするのが正しいことですなんて言わない。このようなきれいな、役に立つものを作りなさい等とは言わない。なにをどうしてもいい。曲がってもゆがんでもいい。釘がさびてても、先が飛び出して危なくてもいい。バコバコ、トントンたたいていると、単純なようだけど、楽しいし、知らぬ間に、何か形になってくる。知らない間に自分がいいなと思うものが飛び出してくる。そしてふと顔を上げてみてみれば、自分の作品と他の子の作品はみんな違う。大きく違う。テストの答えはみんなおんなじでマルだけど、図工の作品はみんながまったく違う。
他の学年の子どもたちもすばらしい。こんなにユニークなものを作るのかと思う。媚びていない子どもたちの表情がいい。抱きしめたくなる。何を作るか、どうするか、考えているときのまなざしがいい。もし大人がこうしたことができないとすれば、あるいはこうしたことが大事じゃないと決め付けているとすれば、それは完全にまちがっている。大人も含めて誰もが、こういう時間がいるし、そういう才能を持っているし、そういうことは楽しいし、とても大事なのだ。教育というと、英数国理社なんてものばかりが前に押し出されているけど、教育の中で図工のようなものがどうして中心にならないのだろう。不思議だ。
映画にみる、豊かな時間
その他、スピリチュアルだなと思えるいくつかの映画にも簡単に言及しておこう。
『イン・アメリカ――3つの小さな願いごと』(ジム・シェリダン監督、2003年)には細やかで痛々しい感情が流れている。それが感じられない、見えない人には、できすぎの作り話とか、子どもがかわいいとか、寓話によって観客に希望と夢を約束しているとか、わけのわからないトンチンカンな感想をもつことになる。
息子フランキーを亡くした夫婦、サラとジョニーは、娘二人を連れて、アイルランドからアメリカへ渡ってきた。そこでの貧乏暮らし。ここでの問題は、長女のクリスティが、その危うい家族のことを思う深い祈りの匂いである。死んだフランキーが、家族を救う三つの願い事をかなえてくれる、その3つの願いをどこで使うかと心を痛めるクリスティというその枠組みだけで、もうこの映画はスピリチュアルなのだ。
だから同じアパートに住むマテオというナイジェリア出身の画家がからむ、いのちの再生とつながりは、スピリチュアルな映画にあっては当然の表現であって、なんらおかしなことではない。不治の病の彼が「命あるすべてのものを愛している」という言葉のどこに紛れものを見出すというのか。監督自身が言う。「脚本家はいつも知的、論理的な意味で物事に整合性を持たせようとする。でも実人生はそうではない。実人生にはもっと深い論理がある場合が多い。僕たちがその場では気づかないような物事のつながりだ。それはいわゆる完璧な3幕形式にはなじまない」と。作り話と距離をおいてみることしかできない人は、かわいそうだと思う。
愛する友人の子どもを引き取り、一緒に生きていく『フォーエバー・フレンズ』の友情にはもちろんスピリチュアリティがある。20年以上も新宿の路上で生活しているあしがらさんが誰にも心を開かない中で、彼の言葉に耳を傾けるからこそ少しず信頼を得て撮れたドキュメンタリー『あしがらさん』(飯田基晴監督)。その時間の流れ方、人への関わり方、まなざしはスピリチュアルな匂いを少し持っている。
12歳で日本に渡ってきた在日一世の母(金本春子さん)は、無責任な夫に振り回され、子どもたちを養っていくためにヤミ商売で37回も逮捕されながら生きてきた。その母を記録した息子もまた、けっして優等生ではなく、怒鳴ったり怒ったりしている。その彼の撮った映像を素材にできた映画『HARUKO ハルコ』。そこには作り物でない、激動の時代を生き抜く親子の生の姿があり、人の人生、親子というものを考えさせる深さがある。長い歴史時間を考えさせ、在日ということを考えさせるという点でこれもスピリチュアルな作品だったといえる。
サトウキビ畑のアルバイトに本州からやってきた7人の若者たちの物語、『深呼吸の必要』(篠原哲雄監督)。35日間、必死にひたすら体を使って自然に、そして仲間の人間たちに関わる。その中でようやく見えてくるもの、時間と体をかけてわかるものを、青空に向けての深呼吸というキーワードであらわす。作品自体の力は弱いけれど、今の日本の時代を切り取っているという意味で、これもまたスピリチュアルな映画の末席にあるといえる。
母・金本春子さん、韓国名チョン・ビョンチュン。韓国・済州島生まれ。87歳。
そしてこの作品は、彼女が一番幸せを感じる瞬間を映し出して幕を閉じる…。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
大阪経大論集55巻6号 05年3月発行
スピリチュアルに生きる人々(8)
伊田広行
目次
ル=グウィン、サン=テグジュペリ、
自らを振り返る人:釜が崎にネパールを見た入佐明美さん
沁みてくる歌(サンボマスター 他)
タイマグラばあちゃん
人の人へのかかわり方・再考:スクウェアとヒップ
☆ ☆ ☆
前号に引き続き、私の提唱する〈スピリチュアル・シングル主義〉的な生き方や思想や行動に近いと思えるイメージと具体例を紹介していく。
ル=グウィン
ル=グウィン(1929− )は、東洋思想(特に道教)と西洋思想の統合を追求しており、またユング心理学、フェミニズム、先住アメリカ民族文化などの影響を受けているといわれている、女性のSF/ファンタジー作家である。〈スピ・シン主義〉は彼女から学んだ多くのことをベースにしたものであるが 、ここでは、彼女が、「アメリカ人はなぜ竜(ファンタジー)が恐いのか」という問いを考察したエッセイをとりあげてみたい。
30歳過ぎの男たちは、ファンタジー(的なもの)は、暇なときの楽しみ、娯楽であり、女・子どものものであり、2次的で、付け足しで、自己陶酔や逃避でしかないと思っている。ピューリタン的勤労精神=功利的なこと、ビジネスマン的価値(即座に有形の利益をもたらすものしか意味はない)、旧来の男性・女性観(ジェンダー)などが、「そんなものが何の役に立つのか」とファンタジーを駄目と決め付けさせている。こう決め付けるのは、男であり、エリート女性である。日本の政治、経済、学問でも同じように、認識されている。読むのはベストセラーで、それは売れているからよいらしい。自分も成功の秘密にあやかりたいというのだ。例えば日本で言うならば、「勝ち組」系、中谷彰宏氏や「超……法」を書いてる学者、秋元康氏、占いや「精神世界・スピリチュアル」系の人たち(細木数子や江原啓之氏)など、年間に何冊も本を出したりテレビでの売れっ子といわれる人たちの浅はかさを、なぞりたいというのである。人間は自分の精神的背丈(スピリチュアル度)を越えられないものである。
だが、ル=グウィンが求め、価値を認めるものは、イマジネーション、すなわち知的感覚的な精神の自由であり、目先の実益に執着しない自発的な行為であり、「プレイ」(再創造、リクリエーション)すなわち既成のものを組み合わせて新たなものを作ることである。 私たちには、イマジネーションの鍛練がいる。真の鍛練は、抑圧と懲罰でなく、押さえつけることの逆、つまりそれを熟達させること、その成長を促し、活動・結実を促すことにある。イマジネーションの力を正しく鍛えないと、現実を自己満足的に解釈するようになってしまう。男(女)たちの見るポルノ、三文ウエスタン、スポーツ、逃避的読み物(気楽に読める内容のない読み物)、どうでもいい情報(その最たるものが非リアルの権化、株式日報)などは不毛、救いがたく不毛である。なぜならそれは、リアリティがなく、イマジネーションがないからである。
では、なぜファンタジーは必要なのか。それはまず第一に、悦びと楽しみを与えてくれるからであり、第二に、イマジネーション豊かなフィクションは、私たちの感情や宿命や社会に対する理解――世界観――を深めてくれるからである。ファンタジーは「事実」ではなく、偽りや真実をあぶりだす。それは自由とは何かを教える。
逆に言えば、悦びや楽しみがなくてもいいと思っている人、車や昇給、収入、物質的成功、社会的地位しか望まない人には、「世界観」は、したがってファンタジーは必要ないといえる。億万長者はホビットを読まない。億万長者はやつれた顔をし、子ども時代をなくした顔をしている。
「成熟」とは子どもが死んで大人になることでなく、子どもが生き延びて大人になることであるとル=グウィンは考える。イマジネーションの効用は、すぐれた大人になる能力を伸ばすことにある。日常と狂気の狭間に位置するものに触れる豊かさを知ることの素晴らしさを彼女は自覚する。大人の能力は子どもに内在するのであり、子どものそれを伸ばすことが大人の楽しい義務であるとする。したがって、それを女/子どものものとあざわら嘲笑うのは愚かなことであると。結論は明確である。大人たちは竜(ファンタジー)が恐い。なぜなら自由が恐いから 。
サン=テグジュペリ
作家でありまた職業飛行家であったサン=テグジュペリ(1900−1944)は、大自然に触れ、人間の真実を、人道的大義のために自己を滅却すること(その時の死は責任の観念に深く根差したものであること)のなかにみた。アンデス山中の吹雪の中を生き抜いた友人ギヨメの勇気、生へのエネルギーに、価値の根本をみた。大空を駆け巡り、砂漠に一人たたずむ中で、つまらない世間ごとにひっかかって、本当のことのよさや想像力や「ひとつのバラのなかにあるもの」に無頓着な人間(大人)たちの功利主義的情けなさを嘆いた。それを本にしたのが、『星の王子さま』であり『人間の土地』であった。そこでのスピリチュアルな言葉をいくつか引用しておく。
『人間の土地』より
「ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人を親和させる点にあるかもしれない。真の贅沢というものはただひとつしかない。それは人間関係の贅沢だ。物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。人はそこへ孤独の自分を閉じ込める結果になる。…あの飛行の夜と、その千万の星々、あの清潔な気持ち、あのしばしの絶対力は、いずれも金では購いえない」
(ギヨメの言葉)「ぼくは断言する、ぼくがしたことは、どんな動物も為し得なかったはずだと」
「彼(ギヨメ)の偉大さは、自分に責任を感じるところにある。……僕は死を軽んずることをたいしたことだとはおもわない。その死がもし、自ら引き受けた責任の観念に深く根差していない限り、それは単に貧弱さの表われ、若気のいたりにしかすぎない」
「国家を建設しつつある移民にとって、生命の意義は征服にある。つまり兵士が農耕を軽蔑するのだ。しかしこの征服の目的も、終局はこの移民がその地に落ち着くことではないだろうか? こうして進歩の熱に浮かされて僕らは多くの人を鉄道の敷設や、工場の建設や、油井のくっさくに従事させた。その間僕らは、これらの施設を行うのも、結局は人間のためにするのだという事実をいささか忘れがちだった。征服が続けられたあいだじゅう、僕らのモラルは軍人のモラルだった」
「人間にあっては全てが矛盾だと、人はよく知っている。ある一人に、彼がおもうがまま創作に力を注ぎうるようにと、食う心配をなくしてやると、彼は眠ってしまう。勝利の征服者は、やがて軟弱化する。気前のよい男に金を持たせると守銭奴になってしまう。…僕らを豊富にしてくれる未知の条件があるということ以外、何が、僕らにわかっているだろう?」
「他のある人たちは、先駆者の喜びも、宗教者の喜びも、学者としての喜びも、すべて禁じられたあらゆる職業の歯車に巻き込まれている。人は信じたものだった、彼らを偉大ならしむるには、ただ彼らに服を着せ、食を与え、彼らの欲求の全てを満足させるだけで足りると。こうして人は、いつとなしに、彼らのうちに、クリトリーヌふうな小市民を、村の政治家を、内生活のゼロな技術者を、作ってしまった。人は彼らに教育は与えるが、修養は与えない。教養の意味を、もっぱら公式を鵜呑みにすることだと信じるような厄介な意見が行われることになる。技術学校の劣等生でも、自然やそこに行われる法則についてなら、デカルトやパスカル以上のことを知っている。だがはたして、彼に、あの二人と同じほどの精神力があるだろうか?」
「(戦争の)勝利は最後に腐る方の側にある。しかも双方とも、たいていは同時に腐ってしまうのだ。…戦争は僕らを欺く。憎悪は、競争の昂揚に、何ものをも加えはしない。何故憎みあうのか? 僕らは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、これがお互いに憎みあうにいたっては言語道断だ」
「飢え、僕らが、感ずるところのもの、スペインの兵隊を砲火を冒してまで、植物学の講義に導くあの飢え、メルモスを西大西洋調査にと追いやり、また別の一人を彼の詩に追いやりつつあるあの心の飢えは、この伝授の系統がまだ終わっていない、僕らが僕ら自身と世界を認識しなおす必要のあることの証拠だ。僕らは、夜の中へ、タラップを放つ必要があるのだ。ただ、自分たちの知能を、利己的な存在だと信じ、自他の区別をしている人たちだけが、この飢えを知らずにいるが、実にあらゆる事物がこの種の知能を否認する! 僚友諸君、わが僚友諸君、僕は君たちを証人に立てる、これまでに、どのような場合に、僕らが幸福であったかを思い出して!……眠りっぱなしにされている人間が、あまりに多くありすぎる」
「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」
『星の王子さま』より
「どうやらものわかりのよさそうな人にでくわすと、ぼくはいつも手元にもっている第1号の絵を、その人に見せました。本当にもののわかる人かどうか、知りたかったのです。ところが、その人の返事はいつも<そいつぁ、ぼうしだ>でした。そこでぼくは、ウワバミの話も、原始林の話も、星の話もやめにして、その人のわかりそうなことに話をかえました。つまり、ブリッジ遊びや、ゴルフや、政治や、ネクタイの話をしたのです。するとそのおとなは、<こいつぁ、ものわかりのよい人間だ>といって、たいそう満足するのでした」
(砂漠に星がひとつだけの絵にたいして)「これが、ぼくにとっては、この世で一番美しくって、一番悲しい景色です。……もし、このところを、お通りになるようでしたら、お願いですから、お急ぎにならないでください」
自らを振り返る人:釜が崎にネパールを見た入佐明美さん
入佐明美さん(現在、大阪建設労働者生活相談室、ボランティアケースワーカー相談員)の話を聞き、本を読んだ。感動した。というより、改めて、〈スピ・シン主義〉的にちゃんと生きていかなくては、と自分の原点、進むべき方向を強く再確認する契機となった。背筋が伸びた。すばらしい、ホンモノの人だった。新聞でこの人の活動とお名前は見たことがあった。本も買っていた。でも読まずにそのままにしていた。ようやくお話を聞く機会をもてて、彼女に出会えてよかったと思えた。彼女の実践に遠く及ばないが、近づく努力を続けねばと思えた。彼女のお話と本の内容の一部を紹介するが、ぜひ本を直接読んでいただけたらと思う 。
1955年生まれの入佐さんは、中学2年(1968年)のとき、「何のために生きているのだろう?」と疑問がわいてきて、生きる意味がつかめなくて悶々として悩み始めたという。ただ食べて寝るだけの繰り返しでいいのかと空しくなったと。人のために何かして、充実してすごしたいと思った。そのとき、当時ネパールで医療活動(栄養失調や結核で苦しんでいる人とともに暮らしながらの治療)をしている日本人医師(岩村昇さん)を道徳の教科書で知って、彼のように苦しんでいる人を助ける仕事をしたいと思い、そんな生活ができたらどんなにいいだろうかと夢を持った。そしてその夢を持ち続け、それを目指してがんばって看護師の資格を取った。くじけそうになったときにも夢を思い出しなんとかがんばったという。2年9ヶ月看護師として働いた後、23歳のとき憧れの岩村先生に会ってネパールにいきたいというと、了解を得ることができとても嬉しかった。これで長年の夢がかなうと。
しかし、その前に2−3年、日本であなたを必要としているところがあるのでそこで働いてからネパールにいきましょうという話をされ、彼女は迷った。そのとき提示されたのが、大阪の釜が崎でのケースワーカーだったからだ。そこは日雇いなどの「労働者」約3万人が密集して住んでいるところであり、私(入佐)のようなものがそこで何ができるのか自信がなかったという。実際に見に行っても自信は崩れる一方であったし、相談した人もみな反対するようなところだった。最初は歩くだけでも緊張して足が震えた。第一、私が行きたかったのはネパールであり、どうしてこの釜が崎なのか。
1年ほど迷った。労働がきびしいから病気の人が多い。結核の人も多い。いまどきの日本にまだ結核があったのかという驚き。病気がうつったらどうするのと相談した人にも言われた。若い女性である自分が歳上の男性たちに何ができるのだろうか。男性社会で通用するのか。迷った。しかし、自分がネパールに行きたい気持ちも、助けを必要としている人のところへ行くということだった。何度も釜が崎をたずねて、医療従事者を必要としていることを実感し、少しずつなにかできるかもしれないと思って、決心した。数年がんばってみようと。その後ネパールに行こうと。そしてそれから25年、ネパールには一度も行かず、釜が崎にずっといることになった。
釜が崎でのケースワーカーの活動であるが、正式には、サービスを提供して賃金を得るという意味での「仕事」ではなく、基本的に個人によるボランティア(無償)である。最初は組織に属していたが、途中からは、個人レベルでいろいろな人から支えてもらいながら、カンパ、講演料、本、貯金などで暮らしている 。
やっていることは、釜が崎地区の中を歩き、皆に声をかけて、できることを探していくようなものである。最初は人間関係がなかったので、「寒いですね」「お元気ですか」などと声をかけても無視されるか、「こんなところで若い小娘が何してるんや」「小娘にわしらの気持ちがわかったたまるか」「大学生がレポート書きにきたんやろ。研究材料にするな」「警官やろ」「エエカッコするな」というように怒られたりすることがほとんどだった。「がんばってね」といっても「なにをがんばるんや」「仕事がないのにがんばってどうするんや」といわれるような日々だった。病院では看護師という地位があるから患者さんのほうから寄ってきてくれていたのだ、患者さんのほうが一歩引いてくれていたのだ、と気づいた。やっぱりやっていけないと自信をなくす日々だった。
しかしあきらめずに言葉かけを繰り返していると、一過性の観察者ではないとわかってくれたのか、「がんばりや」「看護婦してたら給料あるのに、あほやな」と声をかけてもらえるようになってきた。「あのねーちゃん、看護婦らしいで」とうわさが広まり、徐々に「どうにかしたってーな」というような相談のようなものをもらえるようになっていった。病気相談だけでなく、おいたちや身の上話なども聴かせてもらうようになっていった。きついことを言われたときにも、他の人が「しんぼうしたってや。みんないらいらした気持ちを持っていくところがないんや」といってフォローしてくれる人もいた。
とけつ喀血した人に声をかけてもほっといてくれといわれたこともある。いまさら元気になってもしゃーないというのだ。退院してももう働ける年齢でなく、仕事がないと路上生活するほかなく「生き地獄」なので、死んだほうが楽だ、どうなってもいいからやけくそで酒でも飲んで死にたいというのだ。病気が治っても喜んでくれる人もいないと。入佐さんは絶望感に襲われ、どうしたらいいかわからない(病院では、みんな早く病気を治したいと思っているのが当然だった)。とにかく、一ヶ月話を聞き続けた。そのような中でようやく「病院連れて行ってくれるか」という言葉が出てくる。入院して見舞いに行ったときに、同室の人から「あの人は、ねえちゃんが話を聞いてくれたのが一番うれしかったって言うてたで」ときく。「ホンネで話せる人がおったら、人はなんとか生きていける」といってもらえる。そういう「仕事」「関わり」だ。
この釜が崎には、選択肢がない、「人生を選べなかった」人がたくさんいる。追いやられ、差別され、ここで日雇い労働者になるしかなかった。歳をとり病気や怪我で仕事からもみはなされ、路上生活するしかなかった人がたくさんいる。簡単な解決はない。でも一人でも聴いてくれる人がいれば、また一人でも本音で話せる人がいれば、人は生きていける。それを信じて、目の高さをあわせて、話を聴いていき、できる範囲での援助をしていくのが入佐さんのしていることだ。関わる側が元気すぎると、しんどい人には重すぎることがある。派手な格好でも距離ができるだろう。入佐さんは運動靴、ズボンにジャンバー姿だ。相手が心を開ける距離や間のとり方、話し方、声の大きさはどのようなものか。それを探りながら活動している。
若くて元気なころ、最初は、それでも上から同情・要求のような面があった、と入佐さんは自分を振り返る。「この人たちを立ち直らせてあげたい」というような視点を持っていた。「こっちもこんなにがんばっているんだから、おじちゃんもがんばってよ」と心の中で思っていた。だからよくケンカしていた。「おじちゃんががんばってくれないから、関係が作れないのよ」と相手のせいにしていた。自分は高いところにいて、変わるべきは相手だと思っていたのだ。
しかし徐々に話せる関係になるなかで、多くの人が自分の人生を語ってくれた。九州で炭鉱夫であったこと、別れた家族や親のこと、会社が倒産してここに流れてきたこと、不景気になると真っ先に切られる存在であること、在日朝鮮人で差別されいじめら続けた人生であったこと、教育を受けられず字が書けないことなど・・。それらを聞いて入佐さんは自分が変わっていったという。徐々に、よくそんなきびしい環境の中、がんばって生き抜いてこられましたね、本当にすごいですね、と頭が下がる思いになっていった。その人の人生に対して尊敬の気持ちを持てるようになっていった。
私が相手から学び、私が変わらねばならない。そうわかっていく過程だった(長い時間がかかった)。自分の自己実現欲のために、労働者の人たちを単なる対象として扱ってきたと気づいていった 。そんなことを考えてばかりいて、無気力になったり、食べられなくなったり、寝られなくなるなど心身で苦しむことがあったが、「人の役に立つ」というのでなく、「まず私自身が、学ぶことからはじめよう」とおもうと楽になっていった。「人の役に立ちたい」と思っていたが、「してあげる」と思う人間だったのだとわかって、それを反省して自己改造をしていった。労働者の人たちがどのような気持ちで生きているのか、全身を傾けて聴いていきたいと思うようになっていった。
それはしんどいことであったが、それをしていくと関係が作れるようになっていった。相手から声をかけてもらえるようになり、親切にしてもらえるようになっていった。たこやきやジュースをおごってもらえるような関係になっていき、楽しくなっていった。ありのままを出したらいいんだとわかると、楽になっていった。病院に行くよう説得するのに苦労していたのに、むこうから病院に行くといってもらえることが増えた。変わらねばならないのは、私だった。
現実の厳しさに、「私がやっていることは対症療法・もぐらたたきに過ぎず、根本解決になっていないのでは。社会は何にも変わっていない。話を聴いてもしんどいだけだ」とむなしくなり、悩み、落ち込むことが何度もあった。しかし、たとえば次のようなことがあって、立ち直っていったという。
しんどそうにしていると、ある労働者のおっちゃんが「元気ないやん」と声をかけてきてくれた。そのころは肩の力がだいぶ抜けていたので、彼にしんどい思いを全部話すと、話を肯定も否定もせず、「そうか、そうか」と集中して全身でうなずくように聴いてくれた。話をしているうちに楽になっていった。話し終わって、「ねーちゃんががんばってもカマ(釜が崎)はよーならへん。せやけど、声かけてくれるねーちゃんは、それだけでええねん。みんなそれが一番うれしい」といってくれた。こちらがありがとうというと、「自分のようなもんでエエねんやったら、いつでもゆうてや」とニコニコしてくれた。彼もまた満足そうな顔をしていた。
そうした中で、私の役割というものが見えてきた。声をかけ、話を聴くことに徹底していけばいいんだとハラが座って、悩みが解決していった。小さなことでも心をこめてしよう、あの人がしてくれたように私も努力しようとおもった。こちらが一方的に関わるのでなく、お互いが聴き合える、助け合える関係の中で、相手が元気になるんやなと教えられた。労働者からいただこうと思えるようになった 。
行き倒れの人たちが、父やおじいちゃんとだぶる。父ももし出稼ぎに来ていたら、こうなっただろうと胸が痛む。何かいい方法はないか。住所がないと、大阪市のやり方では生活保護が降りない。そこで、なんとかアパートを借りて(最初の必要なお金は入佐さんが貸し、保証人にもなる)、生活保護をとって(その手続きにも付き添っていく)、生活を安定させることを一つの活動とした。これはうまくいくと喜んでもらえるし、健康にも本当によい。安心して寝られるということがなかった人、自由がなかった人に、安心と自由があるということがどれだけ大切か。岩村先生の言う「病気を治す」とは「生活を直すことだ」ということが本当にわかってきた。
そのとき、まず、相手の人の希望を徹底してゆっくりと聞いていく。4畳半がいいのか、3畳がいいのか、1階か2階か、トイレつきの部屋がいいか、共同トイレがいいか、駅からの距離などなど。そしてその希望にあった物件を手間ひまかけて探していく。名前で呼ばれず、十把一絡げで扱われてきた人々。その人たち、これまで自分の希望を聞いてもらったことがなかった人たちにとって、一人一人の違いを大切にされることが大事だと思うからだ。好みを言う喜び、選べる喜びを経験してほしいなあと思ってそうしている。そのために、入佐さんは事前に希望にあった物件をいっぱい探しておき、当日、その全部を見てもらって、この中のどれがいいですかと聞いていくという。アパートを借りるのを断られることも多いが、一緒に苦労する中でつながれるものがある。アパートが決まると後は自由ですよと伝える。入佐さんは朝の一定時間に必ず事務所にいるので、何かあったらそこに連絡くださいという形で安心も持ってもらう。
アパートが決まり、生活が落ち着き、自主的な生活になっていき、安心してぐっすり寝ることができるようになると人は健康になる。また周りの人や離れていた肉親などとの人間関係を回復することで、いきいきとしてくる。何十年ぶりかに家族に手紙を書く人も出てくる。過去につらいことがあろうとも、今が幸せだと過去のこともいいように思えてくる。過去の事実は変えられないが、老後の生活を心地よくすることがとても大事と思うからこそ、入佐さんはアパートの取り組みを重視する。
そうした中で、200人以上の人と関わったが、みな、ちゃんと借りたお金は返してくれる 。ある人は、「生活の安定もうれしいけれど、外で寝ているとき、服ボロボロやのに、こんなワシを信頼して金を貸してくれた。一緒に部屋探してくれた。いまやから言うけど、そうして信用されて一人前に扱こうてもろたことがいちばん嬉しかったんや。せやから借りたお金を返せてほっとした。姉ちゃんを裏切らへんで、ほっとした。姉ちゃん、ワシも最近、人間ってもんが信じられるようになってきた」といってくれた。別の人も「小さいときから養護施設で育って苦労してきた。今までの人生でこんなに人に大切にされたことなかった。ねえちゃん、おおきに」といってくれた。「世間から見たら最低かも知れへんけど、わし、今が一番幸せや。心が落ち着いて生活できるの始めてや」という人もいた。
入佐さんは、こうした体験の中から、労働者が一番求めていたものは、こういうことやったんやなあとわかっていった。以前はあせって、生活保護や病気を治すことという現象にひきずられていたが、「こんなワシを信じてくれる人がいるんやな、こんなワシもかけがえのない人間なんやな」と思ってもらえる関係を作っていくのが一番大事なんやなあと教えられていった。
さらに、労働者の人たちと関わってわかってきたことは、頭だけでなく、体で自分がどう生きているかが大事なんやなあということだと、入佐さんは言う。自分にもだめなところ、弱いところ、自己嫌悪するところ、心の傷などがあるが、それでもかけがえのないものとして生かされていると思えて自分を肯定でき自己受容できたとき、他者の弱さを本当に優しく受け止められる。今の世の中、成績や仕事・収入・能率で評価されるばっかりだが、まずは、存在していること自体が不思議で、存在しているだけでいとおしいと思えることが大事なのだ 。「がんばらないと存在が認められない」というのが、人をしんどくさせている。存在しているだけでいいのに。死ぬ人をたくさん見てきたからこそ本当にそう思う。心の傷や弱さをどう受け止め癒していくかの答えはそこにある。そうした気づきを、「自己肯定は他己肯定に、自己受容は他己受容に比例する」、「人と向き合うことは、私自身と向き合うことなのだ」とまとめる 。またある医者の言葉「心の静かさが一番大切」という言葉を大事にする。心の静かさが深い人に話を聴いてほしいと思う 。
ネパールに行きたい気持ちは自然といつしか消えていったという。彼女は最後に友人の言葉で締めくくる。「あなたが若いころから行きたがっていたネパールだけど、あなたは釜が崎でそのネパールに出会えつつあるんじゃないの」。わざわざネパールに行かなくとも、この目の前のことを大切にすればいい。「ネパール」は場所ではなかったのだと、彼女は今、言い切るのだ 。
沁みてくる歌
スピリチュアルだなと思う歌(歌手)を少し紹介しておく。無数にあるのだが、思いつくままに、いくつかだけ。(このシリーズですでに紹介したものを除く)
サンボマスター。「そのぬくもりに用がある」他。TVでインタビューとライブ風景を見て一発でほれ込んだ。彼らはあら露わだ。一見、ダサい、普通の丸っこい兄ちゃん(山口隆)が、魂をかけて叫び、むせぶ。まっすぐで、センスあって、ほんとに心をぶち込んでいる。なんてかっこいいんだろう。むき出し性はブルーハーツ系。CDよりもライブだろう、彼らは。
ひととよう (一青窈)。 癒し、泣かせ系でメジャーになったし、軽い曲には合わないのもあるが、ライブでの「アリガ十々」は、し沁みた。“ありがとう”という言葉のすばらしさを伝える、歌と歌唱力。表面的なエエカッコシいじゃ、こうはならない。「ハナミズキ」は、ちゃんと失恋が終わりますようにという切なる願い。相手にも自分にも優しい。昔、彼女と別れた頃の切なさを思い出す。
元ちとせ。 「ワダツミの木」「心神雷火」「ひかる・かいがら」他。スピリチュアルそのまま系。
ビギンBEGIN。「しまんちゅ島人ぬ宝」他。大切なものを、わかりやすく歌う、やさしい人たち。
平原綾香。 「明日」「The voice」「BLESSING 祝福」などいい歌を歌うときの感じはいい。
中島みゆき。 言うまでもない大御所だし、多くのスピリチュアルな作品を持っているが、あえてあげるなら「誕生」と「二艘の舟」、「ファイト」、「命の別名」などが好み。油断させてくれる関係についての言及多し。
タイマグラばあちゃん
『タイマグラばあちゃん』(澄川嘉彦監督、2004年作品)の主人公「ばあちゃん」(向田マサヨさん)の生き方は、スピリチュアルというにふさわしい。岩手県の山奥、はやちねさん早池峰山のふもと麓に「タイマグラ」と呼ばれる小さな開拓地がある。昔開拓で入植した人たちもその不便さと現金収入のなさから次々と山を降りていき、向田久米蔵・マサヨさん夫婦だけが、その人里離れた場所で住んできた。水道なし、電気なし、ガスなしで、湧き水・沢の水とランプ、まき薪の素朴な生活。畑でとったものを中心とした生活。味噌を自分で作り、ときには豆腐も一から作る。毎日毎日体を動かして生きている。神様(お農神さま)に収穫の感謝の言葉をいって畑仕事をしている。自然の中に住む生活。大雨にたたられると不作になる生活。冬は雪に埋まる生活。昭和63年(1988年)にようやく電気がひかれたが、日の出とともに起き、日が暮れると寝る生活なのでテレビもあまりみない。長年連れ添った久米蔵さんが1989年に92歳で亡くなってからも、曲がった腰で、一人でその生活を続ける。一人で畑をやっていくのはしんどい。草取りなどは重労働だ。80歳近い1921年生まれのマサヨばあちゃんにはきつい労働だが、それを当然のこととして生きてきた長い歴史がある。毎日の生活を「極楽だあ」と笑って過ごしている。
1988年に大阪出身の若者、奥畑さんが隣の空き家に住み着き、結婚し、子どもも生まれた。20年ぶりのお隣さん。タイマグラばあちゃんの生活に少しいろどり彩が加わる。奥畑さんは、自然を大切にする向田夫婦の生き方からいろいろなものを学んでいく。2000年の春にばあちゃんが心臓発作で倒れた。病院での闘病生活のあと2002年暮れに亡くなったが、奥畑さんの家族が、ばあちゃんから教えてもらった手法で、味噌作りを引き継いでいく。
この映画は15年にわたる生活を写し撮っている。年老いたカラダでさまざまな労働をこなしていくところを見ていると胸が締め付けられる。監督の澄川嘉彦さんは、最初はNHKの取材記者としてばあちゃんに出会うが、途中で退社し、自分もタイマグラに住み着き、この映画を作った。不便で大変な生活。そこに写し撮られているものをスピリチュアルなものと私はいうのだろう。
人の人へのかかわり方・再考:スクウェアとヒップ
先日、ある集まりで、東工大のA先生という人のひどい姿勢を見せてもらった。私たちが行った実験的ワークショップをこっぴどく批判をするのだが、その言い方がとても権威的でびっくりした。まさに“反面教師”だった。
ワークショップとは、「問い」を発するもので、答えを与える(一方的に教える、Q&A的に答えを提供する)ものではないはずだ。プロセス、そのなかでの感情などの変化を味わったり、一緒に考えていくものだろう。参加した者一人一人が、自分(の内面)や社会を振り返るもののはずだろう。未完成の作品に対しても、一緒に作っていこうね、こうすればマイナス面・欠点は克服できるんじゃないかなというような、ともに解決を探っていくような共感的なかかわりをもとうとするのが、「これまでの一方的な上からの教育への反省」としての、私の考えるワークショップ的な姿勢だ。
だがそのA先生はまったく笑えるほどに逆の姿勢だった。私たちを傷つける言葉をいくつも吐いていて、それでいてそのことに少しも気づいていない。だからあとで私たちの仲間の一人が近づいていって意見交換しようとした(わかりやすく言うと、仲直りしようとして歩み寄った)ときにも、「よく僕のところに顔を出せましたね。勇気ありますね」というような皮肉っぽいことをいう人だった。
「素人が」とバカにするような言い方、態度。自分はわかっているという教師的な態度。不十分性を見つけてそこを自分のもっている「あるべき姿」を基準に、上からの態度で、批判する。自分をぜんぜんワークショップの中で振り返らず、ワークショップの作り方が悪いという一方的な責任転嫁をする。自己を正当化して、こちらを攻撃するだけ。「問いを出してともに考えていく」という態度の真逆だった。私たちが提供した1人2役ロールプレイで、何を感じ取るか、感じ取れなかったのか、そこから何を導いたのか、を少しでも自分から見つけ出そうという前向きな姿勢を見せないで、こんなひどいものを出してと怒っている。説教してくださる。不十分で欠点のあるワークでも、いいところを少しでも見い出そうとして勇気付けるものでなく攻撃していた。むしろ曲解して悪く取られ、不十分なところを拡大解釈され、攻撃されたとこちらが感じる様な態度であった。つまり先生的に外部に怒りをぶつけていた。そんなだから、この人に尊敬心をもつとか、「この人から学ぼう」という気になれない。「指摘してもらってありがたい」と思えない 。
私たちの設計の不十分さはもちろんある。しかし100%悪いか。あのワークをする中で、気づきは一つもないのか。そんな人が、ワークショップを学ぼうという場にきていて、実践もしているというのだから驚く。こんな人が教師だなんて、といいたいが、まさに悪い意味で、教師的!
これは、学生の論文を、学者のようでない、私の期待する水準ではないと、上から減点法的に非難するような態度ではないか。しかし、不十分ながらも、その人が作り出したものの面白さ、努力、いいところ、未完成だが光っているところに焦点を当てることが大事だと私は思う。面白がったり、学ぶことが大事だと。(入佐さんはそのような人だった。)学問的であることがそんなに大事かと思う。それってとてもスクウェアな態度だと思う 。学問なんて役にたたねえ、ってほうが今、パワフルだと思う。
スクウェアだというのは、「安全」を過剰に言う姿勢にも感じる。安全でないというとホント悪いもののように聞こえる。だが「安全」を前に出すのはとてもいやらしい。
それに関するある例を一つ。ある理科の先生が宿題課題として家庭での実験をいろいろ考えてプリントでくばったら、「家でやらせるのなら、安全性は大丈夫でしょうね」と念押しされた。何かあった際に責任が問われますよ、と。そうした空気が日本中に広がっている。あれもだめ、これもだめ。結局、幼児でもできるような簡単で安全な実験だけの課題としたという。つまりつまらなくしたのだ。安全のために。そんなことでいいのだろうか。ぜんぜんヒップじゃないよね。
ワークショップも同じだろう。そもそも、管理的で工場のベルトコンベア式教育への反省から、自主性・創造性を重んじる教育改革として出てきたはずだ。あつれき軋轢やしんどさを体験したり、失敗したり、作っていく中で学ぶものというダイナミックな思想があったはずだ。
しかし、そのA先生が体現していたのは、そういう自らのスクウェア性を反省するものでなく、まさに、否定的な気持ちでの足引っ張り攻撃。チャレンジングなものをつくったので不十分なところは確かにあったが、これまでの枠の中だけでなく、一歩突っ込んで深めようとしたものだった。それにたいして、「安全性」「完成していない」という名で、全面否定。「よくこんなものを出してきたな」と。こんな足引っ張りされると、「もうこの人(たち)の前では発表しないでおこう」「非難されるぐらいなら無難なものにしよう」となる。結果、これまでのような、条件の整った、変数の少ない、予定調和な、入門的な、楽しい、フォローが十分できる、ノーリスクな完全なものとなる。つまらなくなる。
私の思う〈スピ・シン主義〉は、けっしてスクウェアなものにならないようにとおもって、「上層建築」批判、「闇の混沌のエネルギー重視」をつけている。ヒップな精神でのシングル単位感覚を忘れたくないねえ。