必要なのは“新しい男性”ではなく、“男性からの解放”

書評: 蔦森樹編著『はじめて語るメンズリブ批評』東京書籍 (1999)

                      大阪経済大学教員  伊田広行

 

 

 日本にも「メンズリブ」という名の、「男らしさ」という束縛ゆえに抱えている生き難さを問題として男性の解放を目指す当事者の運動がここ10年進展してきた。だが、男性上位の性別秩序がある中で男性自身が楽になろうとすることには、秩序の下位の者たち(マイノリティ)が既成秩序に立ち向かうこととは異なる困難さあるいは危険性が伴う。そのひとつは、メンズリブが「男らしくないことへの恐れ」を無意識の前提にして「正しい、新しい男性のモデル」を探す営みになってしまい、その結果ジェンダー二分法システムと男性上位システムを維持してしまうことであろう。だが、行政も含めて、メンズリブを行っている者たちがそうした危険性を十分に自覚した上でそれを乗り越える明確な将来戦略をもっているのかというとそれは疑わしいと感じた編者の蔦森は、メンズリブに関わるモヤモヤとした疑問や論点を考察し、この運動を積極的な方向に前進させたいと願ってこの本を編んだ。

 その結果、一方でメンズリブおよび男性学といわれるものの多様性と積極性を確認することができたが、他方で、メンズリブもフェミニズムも、いまや近代のジェンダー二分法システム(家族単位システム、異性愛結婚制度)による「性の制限」からの脱却につながるか否か、それを破壊する気があるか否か、そしてそのことの困難性を十分自覚しているか、過渡期の戦略を十分に意識しているか否かが、重大な「評価の分岐点」になっているにもかかわらず、そこに気づき始めている者も一部にいるものの、そこを深く本質的に理解しない者や、入門レベルにとどまっている者も多いという混沌とした状況であることが示された。

「男性」と「女性」の解放戦略においても、ある者は「多様なジェンダーを選べるようにすればよい」とし、他の者は「相互依存的な<対>関係が答えだ」というように、各人各様である。そしてそれらではまったくダメだと私は思う。この分野での第一人者とされる伊藤公雄・上野千鶴子と蔦森の鼎談は、蔦森の奥深い問いかけを他の二者が表面的にしか理解することができないという状況を浮き彫りにしているように思った。

 つまり、本書は、メンズリブ自体にも、それを批評する各論者にも、まだまだ奥深いジェンダーとセクシュアリティの問題の正体が掴みきれていないことをあぶり出したところにその意義も限界もあるといえるのではないか。各執筆者が真摯に男性(女性)という自分を見つめているということは認めるし、各論には面白いところもあり、これだけでも十分に考察の材料となっているけれども、できるならば編者自身が、最終章を設けて自分の見解を整理して提出すれば、もっと「次」に向かう課題が鮮明になったであろう。

 ともあれ、はじめて本格的にメンズリブを正面から批評した本書の登場によって、これからのメンズリブ運動の質的前進、すなわち「男の解放ではなく男からの解放」としてのメンズリブへという前進がもたらされるであろうことはまちがいない。

 

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