ワーキングプア問題への私のスタンス 

新自由主義者よ、恥を知れ! −−−NHK「ワーキングプア」を観て


                                          (ブログ 2006年 7月23日)

NHKスペシャル「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜」(2006723日(日)9001014)をみた。

〈番組紹介〉
 働いても働いても豊かになれない…。どんなに頑張っても報われない…。
今、日本では、「ワーキングプア」と呼ばれる“働く貧困層”が急激に拡大している。ワーキングプアとは、働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人たちだ。生活保護水準以下で暮らす家庭は、日本の全世帯のおよそ10分の1。400万世帯とも、それ以上とも言われている。
 景気が回復したと言われる今、都会では“住所不定無職”の若者が急増。大学や高校を卒業してもなかなか定職に就けず、日雇いの仕事で命をつないでいる。正社員は狭き門で、今や3人に1人が非正規雇用で働いている。子供を抱える低所得世帯では、食べていくのが精一杯で、子どもの教育や将来に暗い影を落としている。
 一方、地域経済全体が落ち込んでいる地方では、収入が少なくて税金を払えない人たちが急増。基幹産業の農業は厳しい価格競争に晒され、離農する人が後を絶たない。集落の存続すら危ぶまれている。高齢者世帯には、医療費や介護保険料の負担増が、さらに追い打ちをかけている。
 憲法25条が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」。それすら脅かされるワーキングプアの深刻な実態。番組では、都会や地方で生まれているワーキングプアの厳しい現実を見つめ、私たちがこれから目指す社会のあり方を模索する。 (紹介おわり)

◎ ◎ ◎

いい番組だった。そして落ち込んだ。

この10年、いわれ続けてきたこと。すこしでも生活実感がある人、庶民の現場を知っている人、非正規雇用の実態を知っている人なら、すでに「知っていること」である。この数年、NHKのドキュメントなどでも、格差社会、タクシー運転手、漂流する派遣労働者、などが明らかにされてきた。すでにわかっていることである。収奪と差別のグローバル化に対抗しうる社会をつくりだそうと思ってきた人は、〈プレカリアート〉などの概念を出しながら、方向を模索し、ネオリベを批判してきた。非正規雇用問題を扱ってきたコミュニティユニオンなどの運動は、ひどい実態を示し続け、まともなことをずっと要求してきた。若者問題・フリーター問題として議論してきた人にはわかってきたことである。 もうすでにわかっていることである。

しかし、それにしても、落ち込む。むかつく。苦しくなる。許せなくなる。

非正規雇用(パート、派遣、非常勤など)という低賃金不安定雇用を放置拡大し、規制緩和ということで、ますます労働者の権利を破壊していく。そういう労働省・厚生労働省は、一貫してパート法の改正などによる均等待遇、同一価値労働同一賃金の実質進展を財界に同調して阻止してきた。新日本的経営論の路線の実質化を支援してきた。それを含めて、新自由主義路線を推し進めてきた自民党政権。

ワーキングプア問題は、その結果である。責任は、政治家・官僚・財界、そして戦わない労働組合、非正規問題に無関心な正社員にある。責任は、「努力しない個人」にあるのではない。

番組で、元大蔵省の関西学院大学教授 村尾信尚氏は、いう。ワーキングプアを救済するな、規制緩和の流れを止めるべきでない、景気をよくして企業に稼いでもらわないと税も集まらず、結局貧乏人を助けられない、という。

この番組のような実態ビデオを見てもそれをいう。なんと愚かな。
もう聞き飽きた。竹中平蔵、そして財界人の言い続けてきた論理だ。このような先生に教えられている学生よ、こうしたインチキ学者の正体を見抜き、批判しろ! こんな先生に教えられていて黙ってるのは、人間として恥だと思う。

自分は金持ちのヤツがいつもこうした新自由主義的能力主義をいう。自分が、野宿することを1日でも体験してもそれが言えるか。もし自分が急に、住む家もなく肩書き・履歴もなく、この社会に放り出されたら、ほとんどの人は、やり直しなどできない。皆がうまくやっていける人であるわけがない。
地方に生まれ、イチゴ農家や仕立て屋を引き継いでどうしろというのか。自分の子どもがフリーターになったら、どうするのか。引きこもりになったらどうなのか。うつ病になったら? 労災で働けないからだになったら? 貧乏な家に生まれたら? 暴力を振るう親、子どもを放置・虐待する親の家庭に生まれたら? 
自分は「豊かな生活」をしているものが、努力が大事、チャレンジが大事という。「結果の平等」「社会保障充実」はだめという。福祉ばら撒きはよくないという。直接税はもっと低くし、企業減税をし、庶民から取る間接税を上げろという。

私は、学者とか政治家・官僚で、偏差値的頭がそこそこ賢い人が、この程度の戯言を繰り返すのを見て、もうとっくにあきれて、なんの期待もしていない。学者の多くはこの程度のばか者だ。何が欠けているのか。それは人間の尊厳全体への感受力だ。だから、私は、スピリチュアル度が高い/低いという概念で、人としてまともな感性を持っているかどうかを示そうとした。
スピリチュアル度の低い人には、何をいっても伝わらない。理屈の話、論理の話ではないのだ。〈たましい〉感受力の問題だからだ。どのような階層の、どのような人たちの生活実態を見ているか、知っているかだ。

新自由主義者たちは、今後、いっそう、福祉・社会保障サービスを切り下げ、増税・受益者負担を推し進め、格差をいっそう大きくしていく。そしてのたまう。「格差ではなく、貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います。」(竹中平蔵氏発言『朝日新聞』2006616日)

新自由主義たちは、自分たちがもっと金儲けできるようにしようと思っている。彼らにとって、ワーキングプアがいることは問題ではない。一定程度いても、大きな社会的反抗にならないでひっそりと暮らし、ひっそりと病気になり死んでいってくれたらいいのである。問題はないのである。
町を歩けば、買い物客でごったがえしている。テレビをつければ、お笑いでみんな笑っている。「いい国じゃないか、日本は」というわけである。格差、ワーキングプアを問題にすれば、「成功した人たちをねたんじゃいけませんよ」と首相が言う。

何がいるのか。どこに希望はあるのか。
この番組を作った人たちの心意気に希望はある。この番組をみて憤ったひとたちの怒りに希望はある。
ワーキングプアとそれに連帯しようとするものたちは、あきらめずに、この怒りをはっきりと示していこう。
やられっぱなしはもうやめよう。 もっと反乱を! 謀反を! 抗議を! 

自分ひとりからでも、新自由主義的・能力主義的ではない生き方をしていくこと。職場の小さな問題と思われているようなセクハラ・いじめ・会社人間同調圧力にも、適切に対応できるような、〈スピリチュアル・シングル主義〉的な人間になっていくこと。そうした感性のない人では、何も変えていけない。そうした自立した人が増えなければ、謀反は起こらない。少人数でもいい。自分ひとりからでも反乱していける人になろう。
それを支えるために、もっと連帯できる場所を作ろう。集える場所を作ろう。

村尾先生、竹中先生、小泉先生よ、恥を知りなさい!


追記:『朝日新聞』の連載記事「分裂にっぽん・新しき富者」719日〜
税負担を逃れるために「永遠の旅人」になる人やプライベートバンキング利用、従業員法人化制度等利用の人たち・・・ここには、税への哲学、金儲けや企業することへの哲学がない。税を逃れることに微塵も疑問がない人たちの哀れさ。
租税回避のために頭を使うのが、「最高の知的ゲーム」だとさ。

相続税、所得税、法人税などを下げ続けてきた、この20年の自民党政権、特に98年以降。規制緩和という名の下。だれがそれで潤ったか。消費者金融の高い金利をどうして存続させたがるのかねえ。

銀行ぼろもうけの紹介・・・・週刊金曜日 06721

 

富者の“のざばり”と、行政の冷たさ

 

格差がないと政府は言う。成功者を嫉むなという。努力して大金持ちになれる夢が大事、活力が大事という。

7
23日の「ワーキングプア」ブログでも書いたが、
『朝日新聞』の連載記事「分裂にっぽん・新しき富者」(719日〜)にでている、富者ののさばりをどうおもうのか。

金があれば投資ファンドや株の売買などでさらに儲ける。年、数千万、何億円儲けるというレベル。規制緩和で株式分割を認めるなど政府が後押し。
相続税、所得税、法人税などを下げ続けてきた、この20年の自民党政権。税負担を回避する金持ちたち。


そして年収200万以下の人が多数存在。だから先進国の中で米国と並んでもっとも貧富の格差が大きいことは明白な事実。

金を儲けた人は、普通の仕事をやる気がなくなったという。

それに対し、「25条の現場から――生活保護のいま」という記事(『朝日新聞』72931)

ちまたでは、生活保護で優雅な暮らし、不正受給への恨み節がよく聞かれる。
だが、1016万程度でどうして優雅といえるのか。

保護率(1000人あたり何人が生活保護を使っているか)は、たったの11.1人。少ないじゃないか。
世の中にはいろいろな事情の人がいる。皆が元気に働けるわけじゃない。100人に一人しか受給していないのは国際的に見て最低レベル。
100
人に1人が生活保護を受給しているのが悔しい、許せないというのはどういう神経か?

ヤクザが不正受給しているという。
じゃ、それをやめさせようよ。不正受給額が62億円という。どうやって計算したのか。すぐにやめさせればいいじゃないか。

しかし、本当に必要な人に、申請書も渡さない、間違った情報であきらめさせる、辞退届けを強制的に書かせる、退院時に保護打ち切りなど、ヤクザにいえない分、「弱い人」にしわ寄せする。(だから今、不服申し立ても増えている)
愚かなことだ。そんなことに関わっている公務員よ、それは恥ずべき仕事だ。

ずっと前から研究者は、本来、生活保護を受けられるほど収入が低い、低水準生活をしているのに保護を受けていない人が多いという問題(捕捉率は2割程度)を指摘してきた。
またパートタイマーなど、一生懸命働いても生活保護水準以下という、最低賃金制度のひどさ、非正規雇用の賃金の低さ、つまり同一価値労働同一賃金がないという問題を指摘してきた。

だが、恥ずべき官僚たちは、捕捉率などの実態調査をしないし、均等待遇も進めず、最低賃金制度も変えない。

働けというなら、一緒に職安にいって、仕事を見つけてみろといいたい。
自分が生活保護水準の生活、パートタイマー生活をしてみろといいたい。
絶対にしないし、想像もしない。

貯金が全然ない生活がどれほど怖いか。だから生活保護を受給する人に少しぐらい貯金があってもよいとすべきだ。だがそうはなっていない。

資産・収入調査でも、親族の扶養をいれるために、なかなか受給できないが、家族・親族関係が悪ければどうなるのか。

そもそも、個人単位で原理は設計すべきである。大人になってどうして親に扶養してもらわなければならないのか。
それはある種、屈辱ではないのか。
親子一体視、夫婦一体視、子どもは親の所有物、そういう根底の発想自体に問題がある。障害者は身内で面倒見ろという前時代的な意識。
障害者も自立する一人の人間と考えない。

財政悪化を理由にするが、私は生活保護に使われる金(税負担)を出すことには反対しない。私は社会民主主義者であり、北欧レベルの税金水準にすればいいと思っている。
先進国で最低の国民負担率の国で、増税反対を言うのは、連帯反対といっているのと同じである。
ただし、もちろん、小さな政府、新自由主義の中での増税には反対である。

いままでの悪政を反省するなら、大企業や富者から大増税すべきは当然である。社民主義=大きな政府路線のなかで、サービス充実を進めながらの増税をするべきである。
連帯社会をつくることこそが大事である。

税負担は連帯の表れ。そう思える国民が増えるようにしていこう!

★★★★★★★★

「生活保護行政の非人間性」

これに関連して、20031126日の『毎日新聞』記事を紹介しておきたい。

2003
年、東尋坊で飛び込みしようとしていた東京の男女(当時、55歳、72)が、茂幸雄さん(当時定年前の警察署員)に説得されて自殺を思いとどまった。

茂さんは保護し行政に引き渡したので、生活保護制度などでなんとかしてもらえるだろうとおもっていたが、その2人は、福井県や三国町役場で、生活保護の相談中に「死ぬならどうぞ」といわれ、生活保護をあきらめ、東京に戻るしかないと思った。施設への保護を求めたが『他県のものなどもってのほか』といわれた。

帰途、お金がないので、地元の市役所に行くと、そこでも同様の対応をされ、どこでも保護してもらえず、500円程度のわずかな交通費だけ渡され追い出され続けた。
雨で傘を借りようとしても、「傘は2本もいるのか、いい物を着ているのに」といわれた。

そうして希望の心を役所役所で砕かれ続けて、ついにその二人は東京に戻る前に力尽きて自殺してしまった。

そのとき助けてくれた茂さんに最後の手紙をだし、そこに事情が書いてあったので、そうした冷たい仕打ちが明らかになった。


茂さんは行政にこんなひどい対応をしたのかと詰め寄ったが、どこも知らぬ存ぜぬの対応。
業を煮やした茂さんは、首になる覚悟も持って、メディアにこの顛末情報と手紙を伝え、それが新聞記事になった。

この体験から、茂さんは、その後東尋坊で自殺防止活動をすることを決意し、NPOを立ち上げ、いまも見回り活動をしている。

私は先日、大阪自殺防止センターで茂さんの話を聞き、この記事・この事件のことを知った。

いまの生活保護行政の冷たさとつながっている問題だ。

公務員よ。何のために働いているのか。この世の苦しい人を助けるために働いているのではないのか。町に住んでいる住人の幸福のために働いているのではないのか。
恥を知り、誇りを知る人になろう。

自分で判断し、勇気ある一歩を踏み出せる人間になろう。

私たちは、どこにいようと、瞬間瞬間、生き方が問われている。

 

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