山田太一「早春スケッチブック」 

 (09年7月ブログより)

 

山田太一「早春スケッチブック」についてブログに書きました。

それをまとめておきます。

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甘える男

 

山田太一「早春スケッチブック」は、大好きな話だが、少し問題がある。それについて一言。

 

「早春スケッチブック」で、病気の山崎努は、無理を言って周りの人を巻き込む。

自分が死ぬということで、それをいいわけに、甘える。

 

そばにいてくれとか、会いたいとか、帰らないでくれ、もうすこしいてくれ、一人でいたくない、電話に出ないでくれとか、そういうことをいう。

 

ある日、元恋人で、今、別の人と結婚している岩下志麻が尋ねていって、なかなか帰らない。子どもが電話しても出ない。みなが心配する。

実は、山崎努が帰らないでくれといっていた。だからずっとそばにいてあげたという。

「怖さに圧倒されている人をみて、そばにいてあげたくなった。だきしめてあげたくなった。電話のベルが鳴っても、あの人はしがみついていた。突き放して帰ることなどできなかった。そんなときでも、一度結婚したら、他の男性には触ってもいけないのかしら?

私、ずいぶん、自分を縛ってて、あの人の不幸に率直になれなかったわ。自然に、やさしくなれなかったわ。」

 

夫 「結婚してりゃ当然だよ。俺だって自分を縛ってる。結婚ていうもんはそういうもんだ。二度とよしてくれ。」

 

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山田太一は、家族という枠とか、けじめとか常識とか、そういうものを守らないといけないという常識に挑戦する。人のつながりの流動性とか、ダイナミックさを考えさせる。

それはいい。

 

だが、今から観たとき、山崎努の甘えに、山田太一が寛容すぎると感じる。

人は矛盾だらけだし、弱いところもある。理屈どおりにもできない。

だが、山崎のやっていることは、他者の操作の面がある。樋口可南子にしても、岩下志麻にしても、その他、周りの人も、混乱をもたらされている。病気だ、死ぬんだということを口実に、混乱させ、すっきり考えられないようにし、そうして結局、巻き込む。非難したり攻撃したり、泣きついたり、わめいたり、弱さを見せて、いろいろして、気を引く。

これは、虐待する親とか、DV加害者とか、ストーカーの常套手段ととても近い。

山田太一は、そういうのを美化しすぎていると、いまの僕は思う。支配関係に警戒心が低すぎると思う。

 

その上で。

 

過度に巻き込まれるのではなく、適切な距離で、関わる、というのは、大きな「課題」だと思う。「責任をもてないといって、全面的に離れる」か「べたーと、恋愛や家族や親友といった概念で一体化つながる」のではなく、そのどちらでもない適度な距離、適度な関わりというものが、僕たちには大事じゃないかと思う。

だがドラマの中の山崎は、もっと無自覚で、それに回りは翻弄される。そこへの危険性への警戒心が、25年前のドラマではなかった。

 

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とは言うものの、このドラマ全体は、すばらしい。

自分が、自分以上のものになろうとする気高さ、意志の力を描いて、すばらしい。

僕が大好きな話。

 

「早春スケッチブック」は、20年以上前のテレビドラマで、僕が一番好きな山田太一のドラマで、本(大和書房、1983年)になっている。

DVDで6巻あって、レンタル店でみれる。

 

昔、大学院生の時、塾でバイトしていて、受験前の中学3年に、このシナリオの一部をコピーして配っていた。受験しているみんなに、大きな生き方を伝えたかったんですね。

 

ちっぽけな、型にはまった人間になるな、って言う、メッセージだった。普通という枠に縛られるんじゃなくて、瞬間、瞬間、自由に生きよと。

でも山田太一なので、ああでもないけどこうでもない、そうも言えるがこうでもある、という感じで、バランスが取れている。

 

最近、クドカンが『早春スケッチブック』が完璧だ、みたいなことを『朝日新聞』で書いていたので、なつかしく思い出して、再見した。皆さんにぜひおすすめしたい。

 

ぼくが「あなたを好き」と思えるような人には、このドラマの中軸の感覚がある。

それがわかるからこそ、このドラマを見ていて切ない。

 

所有できない。だから離れる。だが、ある種の、つながり方というものでつながれる。

そういうすばらしい瞬間があると、このドラマは切り取った。

これが分かる人がいる。

それが希望。

なのに、離れるとしたら、悲しい。

 

山田のドラマの最後はもう一つということもあるが、このドラマは、最後まで練り上げられている。

すごいです。

 

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偉大という言葉が似合う人生

 

「早春スケッチブック」 その2

 

やろうと思えば出来る、ということ。

無難に普通の、普通の生き方をしている人間というのに対して、骨の隋までありきたりでいいのか、と問いかけます。

別れた息子との出会い。そのなかで、受験して普通に生きていこうとしていた自分の問い直しが始まります。山崎勉と重なるところが僕にはあります。山田太一もそうです。でも、バランスにも気づきます。簡単に「ありきたり」を批判するなという深いメッセージです。

僕が大好きな、僕の生き方に大きく影響を与えた、というか、僕の思想と大きく重なる作品です。

 

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ああいう連中は本当にしあわせか、と思っていた。いい人間のつもりが流れからはずれたやつには冷たい。そういうことにあのころは敏感だった。

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お前らの暮らしはいったいなんなんだ。

たいした未来はないか? どうせどこかに勤めるか?

そんなふうに見切りをつけちゃいけねえ。

人間ってのはもっとすばらしいもんだ。給料の多寡を心配したり、電車がすいているといって喜ぶだけの存在じゃないんだ。

その気になれば、いくらでも深く激しく、広く、優しく、世界をゆり動かす力だってもてるんだ。偉大という言葉が似合う人生だってあるんだ。あんなおやじに、聞いてみろ。心の底までひっさらうようなものすげえことに感動したことがあるかって。世界に向かって「オレを重んじよ」といえるような人間になるんだ。

 

 

家庭が幸せならことたれるというようなやつになるな。

あいつは、ロクデナシでさえない。お人よしは徹底的に俺をはねつけることさえできない。一回ぐらい合わして、自分をいい人間だと思いたいだけ。ああいう手合いは自分を悪人にすることができない。自分が誰かに悪く思われることが耐えられないんだ。

誠実? あれは誠実なんてもんじゃねえ。気が小さいだけだ。アンタはあいつを愛しているか? 愛してなんかいるもんか。ああいう男が人を愛するなんてできるわけがねえ。自分のことばっかりよ。中を覗いてみろ、安っぽくて簡単で、ガラガラ音がしているだろうぜ。

 

適当に生きるなんてことを考えるな。体裁のいい仕事について、女房もらって子供作って、平和ならいいなんて、そんなくだらない人生を送るな

アンタの亭主なんて、こんなちいさな魂しか持ってねえってこと、あんた百も承知だろうが。それで何が悪いと開き直っている。

あいつがあんたを愛してるもんか。うんざりしながら便利に使っているだけだ。あんたがあんなやつに満足してるわけがねえ。それでなにがわるいといなおっている。

 

やつは、自分の魂の安っぽさに悩んだことがあるか。少しでも魂を豊かにしようと自分を鍛えたことあるか。

悩んでいることは、月給だの、体の調子だの、天気の具合、なんてことばっかりだろうが。

誇りに思っている?

あんなやつをどうやったら誇りに思えるんだ。

 

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人間として立派? 現実は甘くない?

 

「早春スケッチブック」 その3

 

好きな場面の言葉のメモ

 

あなたに会う前、受験のことしか考えてなかった。いい大学に入らなきゃ、負けだと思っていました。そしていい会社に入らなきゃって。

でも人格的にちゃんとしようとか、精神を高めようとか、そういうことは不思議なくらい考えませんでした。

人のためになろうとか、社会のためになにかしようとか、そういうことは自分でもヘンな気がするけど、考えませんでした。

自分のことばかり、それも大きなことを望んでいるんじゃなくて、体裁のいい会社に入って、ほどほどの位置までいければいいって、おもっていました。

「自分に見切りをつけるな」って言われたとき、ショックでした。「偉大って呼ばれる人生っだってあるんだ」と言われたとき、ほんとにそうだなって思いました。

そういう立派な生き方、自分には関係ないように思ってきたけど、僕だってその気になれば、どんな生き方だって可能なんだと、そう思いました。

といったって、さしあたって何をしたらいいかわからないけど、自分のことだけ考えて、趣味を大事にしたり、そういうことだけで一生をおわりたくないと思います。なにかのために生きたいと思います。

そういうことはあたりまえなのかもしれないけど、僕はあなたと会うまで気がつきませんでした。

大学に入ったら、誰かのためとか社会のためとか、何か自分のため以外のことをしたいとおもっています。

 

それにたいして山崎努がいう。

 

水を差すわけじゃないが、そういうことを思っている人間はとかくいやみなもんだぞ。

自分はいい生き方をしている、それにひきかえ、周りのやつは何をしている、そんなふうに考えて、みんなを教育しようとしたりする。

いいかい、人間は結局、自分のことばかりよ。そう思ってちょうどいい。

俺は人のために生きているなんて、本気でそんなことを思っているやつなんか、そんなやつは大雑把な野郎だ。

人のために生きたいが、どうしても自分本位になっちまう。

そうおもっている奴のほうが、たぶん、目が覚めてる。

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3流大学、就職大変だぞ。はいった大学でその後が決まるからな。だから浪人しないか。という義理の父

 

それに反発しての発言。

どうして入った大学で一生が決まるんだよ。

親なら言うべきだよ!「あんな大学からあんなすごいヤツが出てきたのかって、そういわれるるぐらいのやつになれ」って、それぐらい言うべきだろ!

いい大学だの、いい会社だの、ムカムカするよ! 問題は人間だろ!人間としてどんなやつになるかってことが問題なんじゃないのかよ!

 

そういわれて打ちのめされる父親

 

母「あなたにそんなえらそうなこと言う資格あるの。あなただって、お父さんと同じようにいい大学じゃなかったから、浪人しようかって思った悩んでいたくせに。」

 

確かに悩んでいたよ。でもそれじゃ、いけないって、そうも考えていたよ!問題はどう生きるかってコトだって・・・そういうことも考えていたんだよ! 俺はお父さんとは違うよ!

 

(父にむかって)「人間として立派なら、どこにいたって、何やったっていいんだって、それぐらいのこといってみろよ!」

 

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酔う前は、タテマエをいっていた父が、酔ってホンネを言う

「和彦、かっこいいこというなよ。3流大学で抜きんでればいいだと? 笑わせるなよ。ぬきんでるのは簡単じゃないから、みんな一流大学の名前で箔をつけてなんとかしようとしてんだよ。現実はそう甘かぁないよ。3流大学をでれば3流会社、そして3流の人生よ。そりゃ中には、どう見たって一流ってやつはいるだろう。でもそんなのは1万人にひとりよ。俺たち凡人には関係ないことだよ。現実、そんな甘かぁないよ」

 

つぶやく息子「1万人に一人なら、その一人になろうとしちゃ、いけないかな。現実は甘く凪いだなんて、おどかすだけの親なんて、なさけなくないかな」

 

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深く複雑に味わう、自分を越えようとする意志

 

「早春スケッチブック」 その4〔ラスト〕

 

好きな場面の言葉のメモ

 

山崎努が、和彦の妹に言う。

「細かな味がわかってくるというのはとても大切なんだ。そういうことが魂を細やかにするんだ。マンガでもロックでも、深く好きになれる人は、他のものも深く好きになれる。一番恥ずかしい人間は、くだらないとか言って、何に対しても深い関心をもてない人間だ。そういう人の魂は干からびている。

干からびた人間は、人を愛することも、ものを愛することもできない。ビールのふたを集めるより勉強した方がいいというかもしれないが、肝心なのは夢中になるということなんだ。何かに深く心を注いでいるということなんだ。それが心を育てるんだ。それに比べれば、勉強ができるなんてことはつまらないことだ。何かを深く好きになることが必要だ。しかしそれはほっといてできることじゃない。好きになる訓練をしなくてはいけない。

マンガでもいいが気持のままに読み散らしてるだけじゃいけない。細かな魅力をわかろうとしなければいけない。

すると誰のが「ちゃち」で、誰のが「いい味だ」というようなことがわかってくる。もっと深い味が欲しくなる。もっと複雑な魅力が欲しくなる。

それはもう、マンガじゃダメだということになったら、他のものを求めればいい。その分、君の心は豊かになっている。好きなものがないということはとても恥ずかしいことだ。何かを無理にでも好きになろうとしなければいけない。若いうちは特に何かを好きになる訓練をしなくてはいけない。何かを好きになり、夢中になるところまでいけるのは、すばらしい能力なんだ。ものや人を深く愛せるという能力は、誰もがもてるというもんじゃない。大切な能力なんだ。努力しなければ持つことができない能力なんだ。

 

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俺は自分勝手なことは何ひとつしてないぞ。いつだって家族のことを考えて、仕事で手を抜いたこともない。マジメに正直に、だれに恥じることもなく働いてきたんだ。それなのに、あっち〔山崎努〕のほうがステキだなんて、どういうことなんだ!。そんなこといわれてたまるか。

 

お兄ちゃんは、すぐいい子になる。非難されてもすればいいのに。会いたけりゃ、いけばいいのに。

 

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身の回りの世話に来てくれているつっぱり不良少女

それをとがめる岩下志麻

そんな常識っぽいことしか言わない岩下にいらだつ山崎

 

自分を押さえているのかと思ったが、本当につまらなくなった。昔のアンタはもっと人を見る目が柔らかだったぜ。あんたのいうとおりだ。人間は変わるね。

 

変わった。そのことをさびしいとも思っている。じたばたしてきた。今もじたばたしている。

平凡な生活だって、そんなに単純じゃない。たまらないときもある。主人が平凡に見えてつまらなく見えて叫びだしたいときもある。

どっか行っちゃいたい、とか思うこともある。

 

無理にむちゃを言っているのさ。無理にでも言わなきゃ、こびりついた殻はとれやしない。先ず主婦であることを忘れる。子どものいることを忘れる。亭主を忘れる。

そして耳を澄ます。自分が何をしたいか? 本当には、何を求めているのか? やっぱり子どもの成長化? 家庭円満か? 亭主の優しさか? 金か? 健康か? それとも若さか。ひとりになることか?恋か?若い男の肌か? 今とはまったく違う人生、別の男との別の人生か――

 

人は変わるといってしまえば、あのころのつっぱりはなんだったんだ。昔のアンタは自分を何とかしようとしていた。自分を鍛えようとしていた。どうせ人生、こんなもの、なんて訳知りになる事を嫌っていた

 

以上

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