「善き人のためのソナタ」ドイツ/2006年
ひどい体制。そのなかのひどい人々。ひどい人が権力を握っている(シュタージという国民監視組織)。恐怖政治。全体主義。
その中でどう生きるか。
そういうテーマを扱っている。まさに、今の日本でどう生きるか、ということがとわれているなかで、切実に自分にひきつけて観るべき映画だ。(でも多分、多くの人は、東ドイツという社会主義国ってひどいなあ、日本や米国は自由な国でよかったなぁ、程度に観るだろう)
あわせれば、生きていける。自分で考えて声を出せば潰される。
監視組織員のヴィースラーは、社会主義国家に忠実な堅物。だが。
ニセの報告書。証拠隠滅。そして地下室の単純職(閑職)に左遷。そこには、冗談を言ったあの若者もいた。
4年半後、ベルリンの壁が崩れたというニュース。それは希望。
ドイツ統一(東独崩壊)後、ドライマンは、自分が監視されていたにもかかわらず投獄されなかった事実を知る。統一後、ヴィースラーは無名の一労働者として、郵便配達をしていた。地味に。寡黙に。
おびえて、体制側に屈服する人。それを仕方ないと擁護し、勇気をもって発言すると「格好はいいが周りが犠牲、別の抵抗すべきだった」というような批評を書く、川本三郎(日本人)。よくいうよ。
国家のために、ということで、異端を許さないと信じられる人々。その愚かな姿を見て、私は、今の日本の安倍首相以下、権力側の政治家を思い出さずに入られなかった。
安倍首相や石原都知事はこの映画を見て、自分はを誰と重ねるのだろうか。
安倍・石原は社会主義が嫌いというだろうが、自分のやっていることはどうなのだろうか。
君が代を歌わせたい男たち。
ひるがえって、
何か、大事な決断をし、それを引き受けて生きていく。自分が不利になっても、それを誇りに。 それを認める人の存在。 それを〈たましい〉のつながりという。
いい映画だった。
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