| ー第1代神武天皇から第26代継体天皇までー 2003.2 『四旧事紀』と『記紀』の天皇等の在位年数及び聖寿一覧表 (単位;代・年・歳) |
|||||||||||||
| 代 数 | 天皇名 | 白河本旧事紀 | 古事記 | 日本書紀 | 十巻本旧事紀 | 延宝本大成経 | 鷦鷯伝大成経 | ||||||
| 在位年数 | 聖 寿 | 在位年数 | 聖 寿 | 在位年数 | 聖 寿 | 在位年数 | 聖 寿 | 在位年数 | 聖 寿 | 在位年数 | 聖 寿 | ||
| 1 | 神 武 | 76 | 127 | 137 | 76 | 127 | 76 | 127 | 76 | 227 | 76 | 227 | |
| 2 | 綏 靖 | 33 | 84 | 45 | 33 | 84 | 33 | 33 | 86 | 33 | 86 | ||
| 3 | 安 寧 | 38 | 67 | 49 | 38 | 57 | 38 | 38 | 57 | 38 | 57 | ||
| 4 | 懿 徳 | 34 | 77 | 45 | 34 | 34 | 34 | 77 | 34 | 77 | |||
| 5 | 孝 昭 | 83 | 113 | 93 | 83 | 83 | 83 | 113 | 83 | 113 | |||
| 6 | 孝 安 | 102 | 137 | 123 | 102 | 102 | 83 | 139 | 102 | 139 | |||
| 7 | 孝 霊 | 76 | 127 | 106 | 76 | 76 | 76 | 127 | 76 | 127 | |||
| 8 | 孝 元 | 57 | 117 | 57 | 57 | 57 | 57 | 117 | 57 | 117 | |||
| 9 | 開 化 | 60 | 111 | 63 | 60 | 115 | 60 | 115 | 60 | 115 | 60 | 115 | |
| 10 | 崇 神 | 68 | 120 | 168 | 68 | 120 | 68 | 120 | 68 | 120 | 68 | 120 | |
| 11 | 垂 仁 | 99 | 140 | 153 | 99 | 140 | 99 | 140 | 99 | 140 | 99 | 140 | |
| 12 | 景 行 | 60 | 143 | 137 | 60 | 106 | 60 | 106 | 60 | 125 | 60 | 106 | |
| 13 | 成 務 | 60 | 108 | 95 | 60 | 107 | 60 | 107 | 60 | 116 | 60 | 117 | |
| 14 | 仲 哀 | 9 | 100 | 52 | 9 | 52 | 9 | 52 | 9 | 100 | 9 | 52 | |
| 14−2 | 神 功 | 摂政69 | 112 | 100 | 摂政69 | 100 | 摂政69 | 摂政69 | 112 | 摂政69 | |||
| 15 | 応 神 | 41 | 111 | 130 | 41 | 110 | 41 | 110 | 41 | 111 | 41 | 110 | |
| 16 | 仁 徳 | 87 | 143 | 83 | 87 | 83 | 87 | 143 | 87 | 143 | |||
| 17 | 履 中 | 6 | 77 | 64 | 6 | 70 | 6 | 70 | 6 | 70 | 6 | 70 | |
| 18 | 反 正 | 6 | 60 | 60 | 5 | 5 | 60 | 6 | 6 | ||||
| 19 | 允 恭 | 42 | 78 | 78 | 42 | 若干 | 42 | 78 | 42 | 78 | 42 | 78 | |
| 20 | 安 康 | 3 | 56 | 56 | 3 | 3 | 56 | 3 | 56 | 3 | 56 | ||
| 21 | 雄 略 | ー | ☆61 | 124 | 23 | 23 | 124 | 23 | 23 | ||||
| 22 | 清 寧 | ー | ー | 5 | 若干 | 5 | 5 | 5 | |||||
| 23 | 顕 宗 | ー | ☆48 | 8 | 38 | 3 | 3 | 3 | 40 | 3 | |||
| 24 | 仁 賢 | ー | ☆51 | 11 | 11 | 11 | 53 | 11 | 51 | ||||
| 25 | 武 烈 | ー | ー | 8 | 8 | 57 | 8 | 8 | 8 | ||||
| 26 | 継 体 | ー | ☆82 | 43 | 25 | 82 | 25 | 82 | 25 | 82 | 25 | 82 | |
注1:白河本旧事紀欄の数値は、三重貞亮訓解・松下松平解題『旧事紀白河家三十巻本』新国民社・昭和60年による。ただし、雄略天皇 21年10月で途切れている。また、顕宗天皇は、仁賢天皇の兄になっている。 注2:古事記欄の数値は、倉野憲司校注『古事記』岩波書店・1988年による。 注3:日本書紀欄の数値は、坂本太郎ほか校注『日本書紀』岩波書店・昭和49年及び50年による。 注4:十巻本旧事紀欄の数値は、天理大学出版部『先代旧事本紀』八木書店・昭和53年による。 注5:延宝本大成経欄の数値は、小笠原春夫校注『先代旧事本紀大成経』神道大系編纂会・平成11年による。 注6:鷦鷯伝大成経欄の数値は、宮東斎臣編『鷦鷯伝先代旧事本紀大成経』先代旧事本紀刊行会・昭和56年による。 注7:☆印の聖寿は、生年と『日本書紀』の在位年数を用いて算出した。 |
|||||||||||||
★平成18年5月30日追加 一部歴史掲示板より転記
鎌田純一著『先代旧事本紀の研究』(研究の部)の『三十巻本先代旧事本紀』の関連部分を示す。
一 諸本について
(三) 派生本について
1 旧事大成経
2 三十一巻本旧事大成経
3 三十巻本先代旧事紀本紀
4 先代旧事大成全経
★★追加
次に「3 三十巻本先代旧事本紀・白河本旧事紀」に遷る。(69頁)
追加★2
《松下松平氏の前記解題では、「三十巻本旧事紀は大成経に酷似する所があり、而も両者の中には、大成経出現以前の古典には嘗って見えない記事があり、尚大成経に於て非難の焦点となった箇所が三十巻旧事紀には巧みにぼかしてあるかの感があって、同書は大成経を改竄したものとも一応想像出来る」と記されており、河野博士もこれにしたがって、「大成経以後のものとの創造が可能である」と云っておられる。加藤玄智博士編の「神道書籍目録」の…》
『旧事紀訓解』の四頁の「一応想像出来る」以下のところを丁寧に読んでいただきたい。
《「三十巻本旧事紀は大成経に酷似する所があり、而も両者の中には、大成経出現以前の古典には嘗って見えない記事があり、尚大成経に於て非難の焦点となった箇所が三十巻旧事紀には巧みにぼかしてあるかの感があって、同書は大成経を改竄したものとも一応想像出来る」が、松庵は大成経を評して「後人白河家ノ本(三十巻本を指す)ノ意ヲ偸ミ付会杜撰セルモノ」と断定してをる。》
☆☆どういうわけか「が、松庵は大成経を評して「後人白河家ノ本(三十巻本を指す)ノ意ヲ偸ミ付会杜撰セルモノ」と断定してをる。」の文章がない。都合が悪い文面は目に入らなかったのか、故意に落としたか、故意に落としたとなると改竄ではないだろうか。どこかの建築士に似ている。
『先代旧事本紀の研究』は、『十巻本旧事紀』をデッチアゲる書であり、日本古代史の構造にも関係するものである。飯を食うためには止むを得ないというのだろうか。あまりにも寂しいではないか。虚構はやがては取り壊される。
追加★3
《加藤玄智博士編の「神道書籍目録」の同書の項でも「伯家所伝の三十巻本を註釈すと称するも大成経系統のものならん」と註し、岩橋博士もこれを肯定しておられる。するとこの三十巻本旧事紀は太平記の記事より暗示をうけたか否かは、ともかくとして、旧事大成経の欠陥を知って後人がその欠を矯めつつ撰したものであり、それも他の人でなく、この訓解の作者三重貞亮が自ら本文を作成し訓解を施したものとみてよいのでなかろうか。三十巻本旧事本紀本文のみの写本が端本でも一本位残存しそうなものであるが、それがなく、すべて訓解本のみであるのをみると、そう推察するのが妥当ではなかろうかと思えるが、しかし貞亮の学への真摯なる態度、その著の隅々にまで渉る敬虔な態度よりすれば、この三十巻本旧事本紀の作成者はあるいは別で、写本も多く出ない中に三重貞亮によってその訓解が施されたとみるべきかも知れない。いずれにしても先代旧事大成経より派生した一本と云えよう。三十一巻大成経より七十二巻大成経へ、七十二巻大成経より三十巻本旧事大成経が生じて来たものとみられるのである。》(70頁)
☆☆研究してない人はこのように書けるが、研究している人はこうは書けない。聖寿を比較すればわかるが『三十巻本旧事紀・白河本旧事紀』は『十巻本旧事紀』から派生したものではない。『三十一巻本・鷦鷯伝旧事紀大成経』は『七十二巻本・延宝本旧事紀大成経』から派生したもので、改定したとき『日本書紀』寄りにハンドルをきっている。
系譜からみると『七十二巻本』の種本は『十巻本旧事紀』より古いものを使用している。それは物部氏の系譜の最後の人物を比較すればわかることであり、成立時点は『三十巻本旧事紀・白河本旧事紀』、次に『七十二巻本旧事紀・延宝本』の種本、次に『十巻本旧事紀』の順になる。『七十二巻本・延宝本』と『三十一巻本・鷦鷯伝』は、系譜からすれば文字の違いがあるが同じである。
出版時点では『鷦鷯伝』が先行するが『鷦鷯伝』は『延宝本』から派生している。これは歴代天皇の聖寿を比較すれば明らかである。
反論を期待したい。パンドラの箱を開ける思いがする。誰かがやらなければならない。
追加★4 2006・6.19
| ■神武天皇聖寿の記紀比較 |
1、神武天皇の聖寿について『古事記』と『日本書紀』の記載には十歳の差がある。これについて本居宣長の『古事記伝』には、紀に百二十七歳とあり、記と十歳の差があるが元より伝えの異なるものであり、また二十、三十とも一画の差で、常に誤る字でどちらが正しいか決められないといっている。
2、神武天皇の東征について『古事記』は次のように記す。
@筑紫の岡田宮に一年。
A安芸の多祁理宮に七年。
B吉備の高島宮に八年。
Cその他おおむね一年。
合計十七年
3、『日本書紀』は、次のように記す。
@甲寅の年十月東征。
A乙卯の年三月吉備国。
B戊午の年二月難波碕。
C己未の年二月層富県。
D庚申の年、天皇、正妃を立てむとす。
合計七年。
辛酉の年即位。
4、『古事記』の神武天皇聖寿百三十七歳は、百二十七歳に十年上乗せしたものであって、その逆ではない。つまり『日本書紀』の元の古典のほうが『古事記』より古いと考えられる。
★平成21年4月13日追加
『白河本旧事紀』と他の『旧事紀』との比較について、『旧事紀訓解』の巻頭で三重貞亮が見解を述べているのでここに掲載する。
《貞亮謹テ按ズルニ先代旧事本紀ト云フ者ノ三本アリ、一ツニハ、世間流布ノ先代旧事本紀十巻アリ、此ハ、聖徳太子ノ撰ジ始メ玉ヒ、蘇我ノ馬子ノ宿禰等ガ、成就シタル者也トイヘリ、二ツニハ、先代旧事本紀ト名ヅケ、大成経ト名ヅケ、七十二巻アリ、此ハ、大(オホ)方ハ、聖徳太子ノ撰ジ玉ヒ、推古天皇及ビ秦ノ河勝ノ大連等ノ成就シラレタル者也トイヘリ、三ツニハ、白河ノ神祇伯ノ家ニ、先代旧事本紀三十巻アリ、此ハ、誰レ人ノ所作タルコトヲイハズ、聖徳太子ノ製作ナリト伝説セリ、然ルニ、今此三本ヲ閲(ケミ)スルニ、白河家ノ本ハ事理倶ニ全備シ、文章モ、顛倒錯字アルコトナク、誠ニ太子ノ製作トモ謂フベシ、世間流布ノ本ハ、神代ハ、略(ホボ)詳ナリトイへドモ、但ダ事相ノミナリ、王代ハ、甚ダ粗略ニシテ、脱漏多シ、文章ニハ、顛倒錯字多シ、太子ノ製作ニ、アラザルベシ、大成経ハ、事理ヲ説クコト、甚ダ詳ナリ、然レドモ、九天六地ノ説ハ、周易道家ノ説ヲ模(ウツ)シ、四天ハ、仏書ノ成住壊空ノ説ヨリ出ヅ、伊勢神宮ノ説、三百六十王ト、王代ヲカギリ、通変占ヲ以テ、太占(フトマニ)本紀トシ、此外、不経ノ甚キモノ、枚挙スルニ遑アラズ、文章ハ、甚ダ鄙拙ニシテ、顛倒錯字多クシテ、太子ノ製作シ玉ヘル、十七個ノ憲法及ビ勝鬘維摩法華経ノ義疏ノ文ト、照観スルニ、宵壊懸(ハル)カニ隔リ、黒白大イニ異ナリ、似ルベキモノニ非ズ、後人、白河家ノ本ノ意ヲ偸スミ、附会杜撰セルモノニシテ、決シテ、太子ノ製作ニアラザルナリ、今ママサニ訓解スルモノハ、白河家ノ先代旧事本紀ナリ、然ルニ、此書ハ、神代皇代ノ事迹ヲ詳カニ録シ、神道ノ事理ヲ、明カニ示シ、君臣ノ格言ヲ、アラハセリ、誠トニ天下ノ大経大法ト謂フベシ、蝦夷入鹿ガ乱ニヨリケルカ、脱亡スルモノ多ク、其全部タルコトヲエズ、甚ダ歎惜スベシ》
この3本の『旧事紀』のうちで三重貞亮が最も高く評価しているのは『白河本旧事紀』である。しかるに、松下松平さん以降の人々はこの事実を曲解してしまったようである。
なお、『鷦鷯伝旧事紀大成経』についてはここで触れていないが、刊行年次の前後はあるにせよ仲哀天皇および神功皇后の聖寿を比較すれば、『鷦鷯伝旧事紀大成経』は『延宝本旧事紀大成経』より派生していることは明らかである。23.8.11.