
歴史研究会編集『歴史研究』第472号(平成12年9月)に登載された文はつぎのとおりである。多少訂正した。
崇神天皇の漢風諡号は、崇神紀の「神祇を崇重す」によったのであり、このことは、神社本庁調査部編『神社名鑑』を調べてみても、崇神天皇の御代に神社が創建されたという伝承が多いことからもうかがえる。
ところで、開化記をみると伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)は、孝元天皇の妃であり、開化天皇の皇后でもあったらしい。
このことは、開化紀にも《6年の春正月の辛丑の朔甲寅(14日)に、伊香色謎命(いかしこめのみこと)を立てて皇后とす》と、また、細書で〈是は庶母なり〉とあることからしても確からしい。
ところで、『白河本旧事紀』の天皇本紀の孝元天皇35年1月の条に、つぎのように記載されている。『古事記』や『日本書紀』にもないいわゆる「記紀漏文」である。
《三十五年辛酉春正月、伊香色謎命を納れて妃とす。伊香色謎命は乃ち物部の祖、大綜杵命(おほへそぎのみこと)の女なり。容顔美麗、聡明恩恵、婦徳の秀なる者と謂ふべかりぬ。
天皇乃ち群臣に謂て曰く。朕、諸を天皇に聞けり曰く。人の善悪、多くは婦人に由る。故に聖主、明君、必ず后妃を択ぶに色を舎てて徳を取る。夫の闇庸の主の如きは、則ち徳を舎てて色を取りて、我れ一人の目を悦ばして、以て万古の大道を失ふ。而して億兆の憂苦を作す。懼(おそれ)ざるべけんや。
又曰く。人の子の心、必ず其の父母に肖(に)る。父は是れ善と雖ども、母若し是れ悪ならば、則ち其の子安んぞ純善を得んかな。夫れ王は天下の本なり。故に天皇悪なれば、則ち天下皆な悪を興す。是に於てか国家乖乱し、人民穏ならざりぬ。是を以て賢聖の君は、其の后妃を立るに、必ず容色を択ばずして、其の徳を択ぶ。
朕、今ま之を思ふに、伊香色謎は、唯だ嬋娟(たんえん)のみにあらずして、聡明温恵にして、女徳の尤なる者のなり。乃ち之を皇太子に賜ひて、以て其の賢嗣を得んことを願ふ。然りと雖ども、父の妾を以て子の婦とすること、亦た乱とならざらんや。而して今ま朕、自(みづから)乱の咎を取て、以て宝祚(ほうそ)の賢嗣を作して、億兆の歓楽を成さんや。将(は)た仍を其の常を守りて、以て天の興廃に任せて、民の苦楽を忘れんや。此れの是非、朕、之を能く決することなかりけり。群卿請ふ、之を相ひ議れ。
群臣、奏して曰く。夫れ賢嗣を求めて天下の泰平を期するは、乃ち其の大なるものなり。妃を遷して乱となし、節を舎てて非を取るは、則ち其の小なるものなり。而して今ま小を舎てて大を取る、是れ聖賢のする所にして、凡庸のする所にあらざるなり。今ま則ち宜く以て叡慮に任すべかりけるのみ。
是に於て、伊香色謎命を以て之を皇太子に賜ふ。已にして、五月を経て天皇の子、彦太忍信命(ひこふとをしまことのみこと)を生む。開化天皇の時き、立て皇后となりて、崇神天皇を生む。果して是れ賢聖の君なり》
これを読むと、『古事記』や『日本書紀』の記述が中途半端なことがわかる。
なぜ削除されたのか。それは、天皇家の権威を損なうものと判断されたからであろう。五倫の思想から考えると問題があるようにおもう。しかし、さらにその上をいくものかもしれない。つまり、『白河本旧事紀』の編者のほうが『日本書紀』のそれより、思想的に一まわりも二まわりも大きいようにおもえるのであるが、いかがであろうか。
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