池の原日記 特定非営利活動法人ゆずりは学園
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子どもたちと親「心のオアス」の場を
(責任者 沓名和子)

「あなたはひとりじゃない」 子どもたちの居場所として池の原フリースクールを開校して8年目に入りました。今現在、学園では、自然の森の中で木登り、木工、そば打ち、草笛、魚釣り、カニ取り、料理教室、畑作り、ボート遊び、竹細工、しいたけ栽培、芋切り干し、味噌造りなどの体験をしています。

森のスクールではフリーマーケットを開催しています。「仲間作りキャンプ」は毎年8月に開催しております。

通信制高校で学ぶことができ、本年からは通信制大学の開講も準備しております。

十代は二度とありません。この時期に仲間とふれあうことはこどもの発達の中で大切だと思います。
(平成20年現在)

■制作 広報支援室
このホームページは豊橋に住む田中洋が池の原フリースクールの活動を支援する目的で開設しています。
個人情報の保護、著作権の保護を遵守しておりますが、ホームページの内容でのご意見・質問は下記までメールでお願いします。

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■田中洋
豊橋競輪場前に住み自転車競技を愛する損害保険代理店。
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0532-64-2805

 

この日記は設立初期の日記を載せています。古い記録ですが、現在へ続く日々の記録として残しておきます。
現在の日記は、「クツナ先生のカウンセリング日記」としてブログが開設されていますので、
ぜひご覧ください。

 

平成15年3月3日

あの時のりこえた事―投稿欄

沓名先生へ 

先生 ありがとうございました!

A子は今日無事に○○高等学校を卒業する事ができました。

高校生活の中で苦しかった時、先生の御力を借り、のりこえることが出来ました。

A子はあの時の事を忘れる事はないと思いますが、のりこえた事で自分に大切にしなければならないものを見つけたような気がします。

あの時以降の学生生活は楽しく早く過ぎてしまったと、言っていました。 

あの時、先生に会っていなかったら、楽しい学生生活はなかったと思います。

○○の時にも、親のあり方を勉強させてもらった気がします。

でも、まだまだですね。   (略)

いつまでも進歩がない親で…。   (略)

                   (洲浜草 すはまそう)

 

平成15年1月10日
親からの手紙

1年半のブランクのあと、もっと積極的になった我が子がいた
 
11月9日一通の手紙が届きました。子どもに寄り添い子どもを見守る母からの手紙です。

 

めっきり寒くなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

教育相談の方では大変お世話になりました。

 おかげ様で、子どもはこの二学期から学校に登校できるようになりました。

今のところ1日も休まず元気に登校しています。ここまでこれたのも、沓名先生が私に良きアドバイスをしてくれ、勇気づけてくれたおかげだと思います。本当に感謝しています。ありがとうございました。子どもが学校へ行けなくなって、親としてあの子に何をしてあげたら良いか、どうしたらあの子の為になるか、何もできない自分にはがゆさを感じていました。

 沓名先生が私の話を熱心に聞いて下さり、私の気持ちを分かってくれたことがどれだけ私の気持ちを落ち着かせてくれ励みになった事でしょう。沓名先生が私の背中を押してくれなかったら、私は学校の方へ自分の気持ちをぶつける勇気もありませんでした。それで自分から学校へ足を運び、教務主任の先生や教頭先生に話を聞いていただきました。担任の先生よりもはるかに私達の気持ちを分かってくれ安心しました。主人と学校に行き、校長先生にも話を聞いていただきました。その時、子どもはどれだけ学校の方へ気持ちを向けているか、担任の先生とはどうしても意志の疎通ができなかったことなど全部ぶつけてみました。

 それから、3年生になって担任の先生が2人ともかわりました。私はこの先生が担任ならいいなあと思っていた先生です。私たちにとってまさに転機が訪れたのです。今度の担任の先生は不登校の子どもをあつかった事のある先生で、家にも何度も足を運んでいただき、子どもとも1対1で話をしてくれました。それから友達の力を借りて学校へ少しづつ行けるように働きかけて下さいました。

 夏休み前に期末テストも保健室で受けれましたし、終了式にも出ることができました。今、子どもは高等学校へ行けるようにがんばっています。
本当に今思うと1年半くらいのブランクなんてなかったようです。

不登校になる前の子どもが、今います。
というよりそれよりも積極的になったような気がします。
でも私としてはあまり突っ走らずあせらず行ってほしいのですが・・・

でも子どもは自分の事を考えて前向きにがんばっていると思うので、我が子のがんばりを認めつつ見守っていきたいと思います。これまで私達親子はいろいろな人に励まされがんばってこれました。人に感謝するという事がこれ程大切だという事が子どもが不登校になるまで気付きませんでした。

 人というのは支え合って生きていくものだと強く感じました。
あれ程お世話になっておりながら、長い間連絡もせず申し訳ありません。

本当に本当にありがとうございました。      (ポインセチア)

 

平成14年11月15日
「いらっしゃい。手作りの作品ですよ」
つくで祭りに参加して

11月7日のフリースクールはいつもと違い、午前中の勉強はありません。2日後に迫ったつくで祭りに池の原フリースクールが初めて参加するのです。荷物を詰め込んだり、包装したり、忙しい2時間でした。やっと梱包が終わり、ランチの後、天気もいいので久しぶりで森のスクールの頂上まで登ることになりました。山の中は秋の気配で一色です。あちらこちらでどんぐりの実を見つけました。落葉もいっぱいです。腐葉土もいっぱいです。一時間で頂上です。静かな三河湾が広がっています。山の上から見る海のスクールも格別でした。閑かな畑と三河湾の中に、できたばかりのグラウンドを持った海のスクールがはっきり見えます。ちょっと休んで、またどんぐりや檜の林の中を降りて来ました。檜の林は今から60年前に植樹されたものです。

 11月10日 朝7時。出発。8時30分、南設楽郡のつくで(作手)鬼久保広場に到着しました。赤いテントに「池の原フリースクール」と書いてあります。さっそく、子どもたちと作品を並べます。周りの山々はもうすっかり赤や黄色で色付いています。風はとても強く冷たいけど、雨が降っていないのがなによりです。

 店を並べて1時間。誰も買いに来ません。A君が一生懸命「いらっしゃい。手作りですよ」と叫んでいます。するとB君が「先生、僕もやりたいけど、緊張する」と言ってきます。1時間半経ちました。お客さんは来るのですが、買おうとはしません。「先生、みんな通り過ぎていっちゃうね」「先生、誰も買わんね」と言うのを聞いて、今回ボランティアでブローチを50個も作って下さり、さらにこのテントの中で販売の手伝いをしてくれていた友人のTさんが、ふと立ち上がって、店の向こう側に回り、「これ下さい」と言ってくださいました。すると、前にピヨピヨ会(親の会―子育て支援 毎月第2金曜)に来てくれたことのあるKさんが「沓名先生ですね。前に…」と言って、ブローチを二つ買ってくださいました。「子どもにつけてもらいたいのです」と言う言葉に感動しました。

 店の前には多くの人が通ります。でも横の味噌屋さんや、おもちゃ屋さんには行列や人だかりができるけど、手作り流水のアートには、なかなか人が来ません。再び沈滞ムード。

するとスタッフのIさんが「先生、こんなに売り子がいてもなんだから、ちょっと見学に行っていいですか」と助け舟を出してくれました。 

 通りかかる人に声をかけますが、買ってはくれません。祭り太鼓は景気よく鳴っています。しばらくすると子どもたちが帰ってきました。「先生、売れた?」「ううん」と応える私。すると今度はもう一人のボランティアのHさんがこれとこれと買い出しました。「先生、本当にほしかったから買っているのですよ」とは言って下さったのですが、申し訳なく思います。ところが、この買い物に近くの人が寄ってきて、「この松かさ(20センチ)を一つ下さい」「この巣箱下さい」「ハスの花(森のスクールにあるハス池から採ってきたもの)4つ下さい」「ピーチコーミング(この夏中、子どもたちが砂浜で拾って集めた物をアクリルの容器に詰めて、世界の海からの贈り物って売り出した物)って面白いですね」。やっと少し販売できました。でもまた波が引いていきます。うどんや五平餅の前には行列が並んでいます。スタッフのIさんが桜作戦に出ました。C君と店の前に立ちます。すると一人のお客さん。「松かさ4つ下さい。大きいですね」「試験管の一輪挿し。私こういう物がほしかったんです」と買ってくれた女の人。

 待っていてもあまり人が来ないと思ったのか、A君が「先生、売りに行ってくるわ」とおつりを持ってB君とテントを出ていきました。しばらく経って、「ハスが売れたよ」ともどってきます。みんなで拍手です。すると第2段、スタッフとYさん出発です。なかなか作戦通りには行きません。商売ということの難しさを実感です。

 1時30分。もうあと三〇分しかありません。その時、やっとシフォンケーキが届きました。「先生、持っていくから」と言って下さったケーキがやっと届きました。

きれいなリボン付き箱入りで三個入っています。200円ならきっと売れる。メガフォンで叫びます。私から子どもたちへ。次々と子どもたちが叫んでいます。あんなに緊張したB君もC君も大きな声で叫んでいます。YさんもRさんも袋へ入れたり、おつりを出したり大忙しです。やっと販売しているなという実感です。ケーキは森のコンサートでも百売れました。すごくおいしいのです。今回は30個がたったの20分で完売です。

 仕入値を引いた13100円が収入となりました。冬のスクールの灯油がなんとかなりそうです。みんなで得た貴重な体験でした。作手の山々は秋から冬の訪れを告げています。

みんなでスクール運営する一日の体験でした。  (沓名)

 

平成14年10月22日
おまえなんか親じゃあない

「おまえなんか親じゃあない、こんな自分にしたのは、おまえのせいだ」
このような言葉を子どもに言わせてしまうまで、私たち大人や親は子どもを追い込んでしまいます。そしてこうなった時に、初めて自分の育て方のどこかが狂っていたのだと気付かされます。不安や心配が大きくなるのもこの頃からです。家庭内暴力が始まるのもこの頃からです。子どもは一度切れてしまった、心の中の激流を止める方法が分かりません。止めてほしいと言う思いが底辺にあっても、それは言葉になっては出てきません。反対に行動となって、家具を壊し、それを止める親に向かい、激流は堰を切ったように外へと溢れ出てきます。
 このような時、私は心で向かい合ってほしいと親御さんに言います。しかし、子どもの方が体格もあり(子どもの背が親を抜くころ)子どもは自分を押さえ付け、命令してきた親に対して我慢してきたものが一度に出てくるものだから、恐くてなかなか向かい合うことができにくいのが殆どです。向かい合うどころか、逃げてしまう父親が多いように思います。今まで殴って育てた(今は虐待という言葉になりましたが)父親が、家庭内暴力で子どもに殴られると、逆転の方向に歯車が回り始めます。
 その時が子どもと親の向かい合う大きなチャンスなのですが、父親自身が殴られて育ち、殴った父親を嫌悪しているにもかかわらず、子どもを殴っている自分が嫌われているとも気付かないという父親は子どもと向かい合うどころか、「こんなやつ、出ていけもう、二度と家に入るな」と言って、実際に鍵を掛けてしまいました。親子喧嘩をして「先生、今息子と喧嘩して家を追い出しました。もうあんなやつ、息子でもありません。」と言う電話が入りました。こうして電話すれば、多分私が動くという下心?があるのでしょうか。でも「お願いします」という言葉は最後まで出てきません。
 夜の道を車で探しに出かけます。多分ここを歩いているだろうと思うところを探します。靴下で歩いていました。階段から突き落とされた父親はもちろん、彼も一緒に階段から落ちたのですから、ワイシャツは破れ、鼻血があちこちに飛び散り、顔も腫れあがっています。手やら足やら爪で引っ掻いたりした痕があちらこちらにできています。包帯もあちらこちらにしています。今日の喧嘩にしては、包帯もかなり汚れているし、不思議に思って聞くと、おとといバイク事故を起こして病院にきたばかりと言います。
 夜の病院に出かけます。救急車で運び込まれ、その後、治療に行かなかったのですから看護婦さんには「お母さん、なぜ子どもを放っておくのですか。こんなに怪我をしているのに、なぜ昨日来なかったのですか。」とさんざん文句を言われてしまいました。治療の後、「先生、ごめんね。」と言う彼の心の中ではこの場にいるのは他人の私ではなく実の母を求めていたのではないでしょうか。
その晩は私の家に泊めて、翌日は家に帰っていきました。
 親に見捨てられた子どもは悲しいです。この子が大きくなり、親になる時、彼は子どもをどう育てていいのか分かりません。また同じような悲しい子が育ちます。そのくらい子育ては難しいです。悪の連鎖を断ち切るのは本当に難しいです。そうならないよう 親業のスクールが外国では多く開かれるようになっています。親への支援が必要です。
子どもも親も悩んでいるのです。  (沓名)

平成14年9月27日
なぜ非行に走るのか ー子どもたちの叫びー

*自分になければ、人のを取ればいい 
 「なぜ殴っちゃったの」と言う私の問いかけに「殴らなきゃ、俺がやられるもん」上納金10000円。親のサイフから盗んで納めているという。携帯にワン切り。集合がかかると、深夜家を出る。「とにかく面白いよ」「風が気持ちいい」「あのスピードがなんともすごい」 自分が生きているという感じがすると言う。自分でお金が都合できなければ、下から集められるから、上納金は平気だと言う。悪いことをしているという気持ちはない。「自分になければ、取ればいい」。バイクの窃盗も平気だ。

*心の中の自分の無力さを見たくないから 「初めて怒られた」と言って泣いた。母親が泣いているのを見て、泣いた。それでもまた傷害事件を起こした。「もうやらない」と泣いてから、1年経っていない。
「あの時はこうだったから」「あの子がこうだったから」と他に責任を転嫁し、自分の心の中を決して覗こうとしない。心の中を覗くと、淋しくて、親に見放されて、何もできない無力の自分を見てしまうから。覗くと自分の本当の姿を嫌でも見てしまうから。
だから、いきがって、強くみせて、無理して、自分の中の本当の無力さに蓋をしていなければならない。
「もうやらない」「今度は絶対やらない」自分を認めないし、本当の自分を認めるのが恐いから、次にはもっとすごい夢を抱く。自分の力以上のところに夢を築くから、挫折はかなりの速さでやってくる。悪循環になってしまい、また非行へと走ってしまう。
 そして後悔はするけれど、悩まない。言い訳ばかりして、自分と向かい合わない。
だって自分の本当の姿を見つめるには、あまりに淋しく悲しく無力さがあるから。

*親のために頑張って、限界がきて
頑張りすぎて、もう限界になって、親の期待に添うよう努力して、できなくて苦しいと言えずにまた頑張って・・
 「やればできる」・・親にそう言われるたびに、「頑張る僕はよい子」で「頑張れない子は悪い子」だと思い、子どもたちは頑張っている。でもできない。すると親御さんの中には、「おまえの好きなようにやればよい」「言うこと聞かないならこの家から出ていけ」「自分のことは自分で責任を持て」と言われる人がいる。
 親のために頑張って、限界がきて、自分をどうしようと思っている子に・・・長い間何を目標に頑張ってきたんだろうと思った時、子どもたちの心の中に叫びが出てくる。
 テストで80点取れた。喜んで親に見せた。すると「100点は何人いたの?」
「どこがまちがったの?勉強したの?」「あなたなら、もっと取れたのに」
「やればできるよ」
 親のために、家族のために、クラスのために・・頑張りすぎて疲れた子どもたち。
その叫びが非行と不登校にと分かれて出てくるように思う。 (沓名)

*背伸びさせないことが大切  =小学生のお母さんに=
 非行に走らざるを得ない子どもたち。なぜ非行に走ってしまうのか。確かにいろいろな要因があります。家族の問題、両親の不和、同居に関する問題、環境とさまざまな要因はあるけれど、追いつめられた気持ちを誰か家族の中で支えて理解してくれる人があり、 「無理しなくていい、あなたはあなたのままでいい」
と言ってあげられると、どんなにかホッとする子どもたちがいるだろうとよく思います。 「100点取ると、何か買ってあげる」という親の期待が100点にあることを子どもが学んでいくと、90点取った時に泣き出す子になったり、そのテストを教室のごみ箱に捨てていく子であったり、「このくらいマルにして」と脅してくる子さえいます。
 小学生の低学年、高学年、中学に入学の時と子どもさんの心の中をきちんと見ることができると、背伸びが見えてきます。「この子、無理してるな」って見えてきます。この無理が中学の2年ころから、形を変えてでてきます。非行と不登校、形は違うけど、背伸びを認めてあげなかった周りの大人の責任が、形となって現れてきます。
 学ぶことは楽しいといった感覚は、多くの子どもになくなってきています。学力の差はそのまま学校での差になっていきます。100点取る子の意見は正しいように思えてきます。同じことをしても、100点取る子と3点取る子とは、叱られ方が違うと子どもたちは訴えています。日本では何かそういう「えこひいき」が多ようです。そんな「えこひいき」が学校内でのいじめ問題の根のひとつであることは、多くの本の中にもあります。
 「がんばってもできないことはある」「やってもできないことがある」水泳クラブに通うのは、オリンピック出場を目指すためでしょうか。自分の中の可能性を探すのはとても大切です。子どもさんの中の才能を見つけるのはいいのです。
でも、子どもさんの本来の力が分かったら、「やればできる」と追いつめないでほしいし子どもさんが頑張っているときに、その頑張りを他人と比べないでみてあげてください。できることを伸ばしてあげるとよいと思います。背伸びさせないこと、それが大切だと思います。  (沓名)

平成14年7月27日
フリースクールに参加して 愛教大生からのお便り

久しぶりに、フリースクールに来ました。
海があって、山があって、とてもいい場所に教室ができていました。
メンバーも変わっていて、やはり楽しそうという感じはうけました。
でも、ボードにかいてあった俳句をみて、海で見たみんなの笑顔のうらには、私には、わからない何かをもっているのだろうと思いました。
みんなは何を思って、何を求めてフリースクールにきているのでしょうか。
松さんとおがたさんの授業?をみていても、実際自分が接してみても、どんな言葉で何をいったらいいのか、伝えることの難しさをかんじました。みんなと多くは話せなかったけど、それぞれ個性があって はしばしでやさしさを見せてくれることもあって、うれしかった。
権威は、その人の人間性だと思います。言葉では表現できないけど、存在感のある先生。
ここに来ると、先生方2人にそれを感じます。ここにくるみんなは、少なくとも自分の中で、先生にそれを求めているのかなぁと思います。

自然がたくさんあるといいですね。海が楽しかったです。パパさん先生の考え方には、いつもはっとさせられます。でも なかなかそうなれない自分がいます。まじめのからをやぶるのが難しいです。また来ます。ありがとうございました。
フリースクールに参加して   7/8   (愛知教育大学生)


 

平成14年5月26日
高校中退から見つけた人生

ご無沙汰しております。Z男の母です。
 先日の「森のコンサート」はとても良かったです。素敵な森。綺麗な海。地域の人々。多くのボランティアの方々など、多くの人たちに支えられている様子がよくわかりました。一緒に行った娘も、間近で見る演奏に「すごく感動した」と言っていました。
 Z男のことですが、伸びやかで落ち着いた生活を過ごしております。朝は学校に間に合う時間に起き、何もなければ5時半頃に帰ってきます。たまたま、Z男と話すことができ、学校の様子などを教えてくれました。
「自分と同じ歳の生徒がいない。上か下。たぶん大検は受かると思う。でもその後はわからんよ。」   −中略−
 親もZ男の態度に一喜一憂しないように、自然に生活していくようにしたいです。やはりZ男のことは、気になってしまうんですけど。
 一番なんとかしなければと思うのは、妹との関係です。
「元通りにはならん。今のままで普通だ。」こう言いました。これから一生こんな関係とは思えないんですが、いかがなものでしょう。
 ご自分のためにくれぐれもからだを大事にしてください。
               クロッカス(Z男の母)より

平成14年5月
7年ぶりに 電話に出ることができた

A君(中学生)は電話に出ることができません。小学生の時、電話に出て何を話していいかわからなかった。そのときから、電話が鳴る音に恐怖を抱き、電話が3回、8回・・・鳴り終わるまで、ひたすらその時をまっているのです。フリースクールに来ても友達の中に入っていけず、いつも私の傍らにいたA君。その彼が電話に出たのです。
 4月11日。午前10時を過ぎても、姿を見せない彼に電話してみました。おばあちゃんがいつも出ます。
 沓名「もしもし、A君のお家ですか」
 A君「もしもし、先生。ぼくだよ。今から行くよ。」
7年ぶりでした。今、彼は友達に自分から話しかけていくことができるようになりました。ひとつのことを変えるにも多くの時間の経過がいるのです。そしてきっかけも必要です。まだ他の人からの電話に出ることは少し難しいけれど、まず一歩です。
(沓名)

平成14年5月
「またがんばる」社会に戻っていった子どもたち

池の原フリースクールを開校して1年が経ちました。1人だった生徒が12人になり、この3月、4人が卒業して高校へ進学。第1回卒業生がときどき、学校帰りに立ち寄って、いろいろお話してくれます。がんばって学校という社会に戻っていった生徒達。「もう限界だよって思いながら授業受けているのに、あんた、もっとがんばりなさいって言われるんだ」とぽつんと一言。
がんばることができなくて苦しんで、フリースクールに来て笑顔を取り戻した彼ら。今どんな思いで毎日の授業に出ているのだろう。アルファベットがやっと書けるようになったばかりの彼に、英語のテキストが重くのしかかっています。「英語がつらい」と言う彼。「平方根って何?」正の数の加法をやっていても頭が痛くなる彼を、次々と学習の波が襲います。「もう限界だよ」と言う彼の淋しそうな顔を見て、「学校へ行きたい」という彼の夢を叶えてあげたことが、本当に良かったのか。今も悩みます。

                                      (沓名)