検索エンジンと SEO の歴史
SEO の歴史はそれほど長くはないと述べてきたが、実は、時間の長さ以上に、めまぐるしい「戦い」の歴史があった。戦いとは、もちろん検索エンジンと SEO 業者との戦いだ。
SEO は、そもそも検索エンジンと共存共栄を図らなければならない。検索エンジンがなければ、成り立たないプロモーション手法であるからなのは、言うまでもないだろう。ところが、このごく当たり前の原則が主流になったのは、ほんの2年ほど前、 2000年前後のことである。では、2000年より前の検索エンジンと SEOは、どのような関係にあったのだろうか。
1996年~1997年において、検索エンジン自体は非常に貧弱なシステムしか持ち合わせていなかった。代表的であるのは、「ページの中にキーワードがいくつ含まれているか」という、単なる個数を元にページの重要度を決めるという手法だ。これは、現在でもある程度妥当性を発揮する指標だが、この手法一辺倒では、選挙のように「キーワードを連呼すること」=「検索結果1位になる」という正しくない結果を導くことになる。
そこで、キーワード出現数や、全体の文字量に対する出現率に上限を設けるというオプションを実装していくことになり、現在でもこの手法は検索エンジンにおける順位決定要因の1つとして存在している。
そして、1997年~1999年における最も大きな基準の一つは、「METAタグ」と呼ばれるHTMLの部品に注目し、 METAタグとキーワードの出現数を掛け合わせた形式のページ判断がされるという方式だ。しかし、METAタグは目(ブラウザ)に見えない情報であるため、やはり、人間にとってそれほど歓迎される結果に繋がるものではなかった。現在において、 METAタグは検索結果順位を左右する要素には全くならないが、間接的にいくつかの効能がそれぞれに存在することが確認されている程度だ。
ここまでは、検索エンジン自身のシステムが稚拙であったため、小手先の様々な順位上昇の試みが行われてきた。上記の解説から、具体的な手法は説明に及ばないだろう。
1999年~2000年における検索エンジンの流れは、「第二世代」と呼ばれる。つまりはPageRank という、単一サイトだけでは解決できない判断基準を盛り込んだ Googleの登場により、検索エンジンは自らの進化を急激に遂げることとなった。実に、日本における SEO の登場は、Googleが日本語検索システムをリリースした2000年9月からと言っても良いであろう。
それまでは、いわば検索エンジンの穴を突くことによって上位に進出するといった、言ってしまえば非常に簡単な手法で、内容としてはお世辞にも便利とは思えないサイトが露出する状況が生まれてしまったのだ。
例えば、1997年に「サッカー」と検索しても、ワールドカップに関するページは得られなかった(当時はサイト自体も今ほど多くはない)が、今は、ページ内に「サッカー」という単語をあまり多く含まないようなワールドカップサイトも、しっかりと検索結果に現れるようになった。このような連想ゲーム的なページ分類方法も現在の検索エンジンは備え、 2001年以降「第三世代」と進化を遂げている。
ここまでで、おそらく「旧体制の SEO が検索エンジンにとって有益なアプローチをしてきたのだろうか。」ということと、「何をやらないべきか」ということは、うっすらと見えたのではないだろうか。では、次回からは「何をすべきか」について、触れていきたいと思う。
▲ ページトップへ
SEM/SEOの歴史
「サーチエンジンのアルゴリズムの歴史と表裏一体にある技術競争」
(Bold太文字がSEO関連項目)
1990
McGill大学生Alan Emtageが初のサーチトゥールである「Archie」を発明。
1991
Minnesota大学でMark McCahillが「Gopher」を発明。
1992
Nevada大学でGopherサーバーをスキャンするサーチトゥール「Veronica」を開発。
1993
Gopher Searchを進化させキーワードサーチを組み込んだ「Jughead」がリリース。
1993 MIT大学生Mattew Grayが初期型WebロボットWorld Wide Web Wanderer acclaimを開発
1994
初期型サーチディレクトリー「Galaxy」の立ち上げ。
1994 Hot Wired(www.HotWired.com)創刊日に初のバナー広告が誕生。
1994 Stanford大学電気工学博士課程のJerry YangとDavid Filoがディレクトリーサービスの「Yahoo!」を設立。
1994 Washington大学生Brian Pinkertonが今日のWebロボットの原型とされる「Web Crawler」を紹介。
1994 Carnegie Melon大学生Michael Maldinが「Lycos」サーチエンジンを発明。
1994 ウェブマスターやサイトオーナーがサイトを登録し始める。
1995
Netscapeのデフォルトエンジンとして「Infoseek」が出現する。
1995 Washington大学生Erik SelbergとOren Etizioniが代替Metaサーチ「Meta Crawler」を開発。
1995 カリフォルニアの6社合併企業でExiteサーチエンジン発足。
1995 「Yahoo!」ディレクトリーのACMEスタイル(アルファベティカル・オーダー=ABC順)に照準を合わせたオプティマイゼーションが始まる。
1995 「Automatic Search Engine Submission Software」の登場でサイト登録が容易になる、同時にランキング獲得競争が始まる。 (注: 現在では検索エンジン各社とも自動登録ソフトの使用には厳しい対応をとっています)
1995 「AltaVista」発足。
1996
Colorado州立大学でDaniel Dreilingerが初のMetaサーチエンジンSearch Savyをリリース。
1996 ウェブマスターやウェブ開発者は、HTMLのMeta Tagsを使用し検索結果の上位にあげる手法を主に利用しだす。ランキング獲得競争激化しスパミング・テクニックが開発されだす。
1996 Eric BrewerとPaul Gauthierが「Inktomi」を設立。
1996 HotBotが1日1千万ページのインデックスを作成するにいたる。
1996 カテゴリライズされたディレクトリー型リスティングサイトとして「LookSmart」が発足。
1997
「Search Engine Rank Checking Software」が開発され、自サイトがメジャーサーチエンジンでどの位置にくるかを決定する自動トゥールとなる。
1997 初のロボット「Algo Cracker」が出現。その当時からSEOのコミュニティーが誕生しはじめる。Algoのメカニズムを解読するため Exciteの35全てのパラメーターをデコードしAlgoに最適化した正確なページを製作した。その結果ランキング1位を生み出すことに成功。この事件がSEOとしての技術的バックグラウンドの起源とされる。
1997 「Yahoo!」を筆頭にサーチエンジンのポータル化。サーチエンジンが様々な方法でユーザーの固定化・長期滞在化に注力をはじめる。
1997 文章解析能力を重視したサーチエンジン「AskJeeves」が設立。
1997 ロサンゼルスで広告型サーチエンジン(Pay-Per-Click型サーチエンジン)「GoTo」が設立。
1997 マサチューセッツのケンブリッジで「Northern Light」サーチエンジンが設立。
1997 「Infoseek」のdaily refresh機能を悪用した「Joeオプティマイザー」が出現。午前8時前にサブミットするとInfoseekのデータベースに登録可能になり夕方には検索結果として表示された。プログラマーでなくとも24時間以内にInfoseekの検索結果にあげることが可能となった事件。ある意味でこれはスパム行為と定義され問題として深刻化する。「Hotbot」や「Altavista」は 1997年後半から正確な検索結果を導くことができないほどの影響を受ける。1997年後半から1998年はサーチエンジンにとって「暗い時代」と考えられる。またこの時期にAlgo Crackerがクローキングページを創りだす。当時はよく保険や自動車産業のページに見られた。
1998
ディレクトリサービスの「Open Directory Project」がスタート。
1998 AlgoコピーがInktomiのエンジンにも影響を及ばす。Algo Crackerもこの時期にピークを迎える。
1998 サーチエンジンの巻き返しが始まる。サーチエンジン「Alta vista」がドアウェイページ・ジェネレーターを使用した悪質なサイトのバーン(削除)を開始。他に「promote」などのキーワードを多用したサイトを大量にバーンするサーチエンジンもあった。この手法は多くのサーチエンジンでも今だ受け継がれている。
1998 サーチエンジン各社はアルゴリズムをさらに複雑化し、アルゴリズム解読はより難解になる。SEOも従来の考えからさらに有効なデコードを要するプログラマーを採用しはじめる。
1998 Stanford大学コンピューターサイエンス学院生Larry PageとSergey Brinが客観的相関性に着目した「Google」サーチエンジンを発表.今日ではサーチエンジンが悪質な「スパミング」「クラッキング」「ページジャッキング」「ページコピーイング」「ミラードページ」との戦いに終止符をうつ第一手と位置づけられる。
1998 サーチエンジンが多国語対応化を促進し、ベータ版「Google」では2千500万サイトのデータベースから立ち上がる。サーチエンジンの近代化として名高い評価を受ける。
1999
サーチエンジンアルゴリズムに変化が訪れる。「Google」は新しいランキング演算法として、外部からのリンク比重をアルゴリズムに取り入れた「Link Popularity」を開発。さらに他のサーチエンジンが経営難や負債の山で苦しんでいたのを横目に、「Page Rank」をリリースし、確実にサーチエンジンとしての名声と権威を獲得しはじめる。同時にSEOの矛先も変わりだす。伝統的なAlgoデコーディング・テクニックが姿を消しはじめ新しい歴史が始まった。
1999 マイクロソフト社がMSNとインターネットエクスプローラーのユーザーを対象としたMSNサーチをリリース。
1999 ディズニー社がInfoseekをベースに「Go」ネットワークを開設。
2000
SEOはGoogle対策に集中。「Fake Link Popularity」に代表されるFake ProgramやFake Systemを開発しはじめる。
2000 PPC(Pay-Per-Click)型モデルがWebマーケッターから注目を集めだす。
2000 Search Engine Marketing(検索エンジンマーケティング)がWebマーケッターの間で浸透。SEOコミュニティーがひとつのインダストリーとして認識され始める。
2001
Googleキラーと称されたサーチエンジンの新興勢力「Teoma」「WiseNut」「Vivisimo」が登場。
2001 元Novell CEOのEric SchmidtがGoogleのCEOに就任。商業色が強くなりはじめる。
2001 「Goto」が「Overture Services」に改名しE-Businessサービスカンパニーとしてのイメージ改革を図る。「広告型検索エンジン」の代名詞的存在になる。
2002
弊社SEOサービスの需要増大、対応処置としてシステム開発事業部 からSEO事業をスピンオフしSEO戦略ディビジョンを設立。同時に当Webサイトを自社Webサイトから分離独立。
2002 「Google」がCPC(Cost-Per-Click)型モデルを商品化。検索エンジン・アドバタイザーからの収益獲得を本格化。
2002 「WiseNut」「Teoma」が「LookSmart」「AskJeeves」にそれぞれ買収される。
2002 「Overture」が消費者保護団体「コマーシャル・アラート」から起訴される。連邦取引委員会(FTC)からも警告。PPC型・ CPC型検索エンジンの見直し。その後EarthLink、AOL、Netscape、AskJeevesとのパートナー・アグリーメントを喪失。同時に「Google」のプロフィタブル・プロセス化の促進。

HOME
前のページへ
