●記念講演「新しい介護から痴呆論」(生活とリハビリ研究所 三好春樹氏)

本当に「痴呆がでたら早く専門家のところに連れて行きなさい」は本当?

 この会には10年間、毎年お呼びいただき大変ありがたいと思っています。今日も熱心な皆様にお集まりいただいております。「痴呆論」という本を出しました。私は一介のPTです。PTは、physical(肉体の)専門家で、骨の名前や筋肉の名前を言わせれば何百でも言えるわけですが、痴呆に関しては専門家ではないのです。それなのに何故私がそのような本を書いたのか、書かざるをえなかったのかというと、精神科の先生方が書いていらっしゃることが、どう考えても本当とは思えないのです。やっていることもどうもピンとこない。痴呆の症状が出たら出来るだけ早く専門家のところに連れて行きなさいとどんな本にも書いてありますので、30年前、私、特養の職員になって夜中に徘徊する、幻覚ですかね「お父さんが生きとる」なんて、三日三晩寝ないお年寄りを専門家の先生のところへ連れて行ったのですが、5・6回連れて行ったか、皆で相談してもう連れて行くのはやめようという話になりました。お医者さんらしくない人間的なお医者さんも精神科にいますが、ちょっと常識の無い先生が多いような気がしないですか。しかも当時、老人性痴呆のことは知らなかったですね。無理やり何とかだましたり、機嫌をとったりして診察室の椅子に座らせるわけですね。すると、カルテを見ながら、ぱっと向いて本人に向かって「100から7を引いたらいくら?」と訊くんですね。答えないといけない義務がないわけです、検査受けようという気になっているなら大した痴呆になっていないわけですから、そりゃ、黙っていますよね。すると、「今の総理大臣は?」と訊くわけですが、80過ぎて特養入って、総理大臣が誰であろうと自分の生活に何の関係があるでしょうか。それより今日の夜勤が誰かということの方が余程重大問題でありまして、ナースコールを鳴らして怒られるかどうかの瀬戸際ですからね、それなら生きた見当識ということでいいかもしれませんが、本人ぶすっとして黙っているといきなり付き添いの私の方を見て「これは相当呆けていますな」と、おいおい目の前でそれを言うかね、そういうことに敏感なのだということが当時はあまり知られていなかったわけです。さすがに今はそんなことはないでしょうけど、対応方法も2つしかなくて、強い薬を持って帰らされるか、即入院しろと言われるかどちらかでした。2つどうやって使い分けているか分ったときに、不信感を持って二度と連れて行くまいと思ったわけなのですが、それを周りの方と相談してみてください。

答えは、病院のベットが余っていると入院なんですね。入院すると一週間くらい面会禁止と言われるんですね。一週間経つと婦長さんから電話がかかってきて「徘徊しなくなりましたから見に来てください」と、行って徘徊できなくなっているんですね。目がとろんとしていて床ずれが出来ていて、これなら目をつりあげて徘徊してる方が人間らしかった、本に書いてあることは書きかえてほしいですね痴呆の症状が出たら出来るだけ早めに「いい専門家に」相談しなさい。いい専門家がいないときはどうすればいいか。悪い専門家より私はいい素人の方がいいと思います。あまり大きな間違えはしません。どうしたらいいかいろいろやってみるということで、その間振り回されればいいですね。私は介護職の最大の強みは「痴呆老人に振り回されること」だと思っています。これは偉い先生や看護職はやらないですね。治療方針・看護方針を立てて動くのが専門家で、痴呆老人に振り回されるということは専門家としてあるまじきことだ、なんて言うのですけど、強い薬を出して痴呆老人を振り回しているわけですから、こっちも振り回されてちょうど立場がイーブンになるという気がしますね。一晩中振り回されるということもありますね。よくうちの夜勤明けの寮母は朝の報告で○○さんは朝の3時になるまでナースコールを42回鳴らしましたと言っていましたが、鳴らした方も鳴らした方ですが、数えた方も数えた方で、途中から正の字を書いて新記録など言いながらいかに自分たちの夜勤が大変だったか報告しなければいけないのでやっていますね。振り回される快感というのが介護職にはありますね。仮眠が全然とれなくて、家に帰ってすぐに寝れるかというと興奮して眠れないですよね。あれが私、振り回される快感だと思っています。振り回されるということは42回鳴らされても怒らなかったということですよね。ナースコースを抜いたりしませんでした、まして薬を盛ったりしませんでしたということで、それはすごいことです。○さんは朝方寝付いて昼前に目覚めて今何時かと聞いて、「何で朝御飯に起こさなかったか」と怒ります。でも、そこで薬を出していたら3日くらいふらふらでしょう。私は、介護職は「振り回される」という武器をもっていると思っています。

現場の知恵 −B型の生活指導員の場合−

 ちょっと現場から本当のことを言わなければならないと思いました。私は全くの素人でこの世界に入りました。景気のいい時代でとにかく人手が足りなかったのです。老人介護をやろうなんて人はいません。30年前、特別養護老人ホームなんて名前を初めて聞いて、老人ホームは分るけど、「特別養護」の意味がわからず、何が特別なんだろう、特別に給料がいいところに違いないと思って。園長が喜んで、若い男性が来てくれてありがたい、力仕事が回るから、と高校中退でも就職できたわけですね。
当時、素人ばかりでした。資格をもっていたのは看護婦と栄養士の2人だけでした。本当は2人看護婦がいたのですが2人そろっている特養などありはしない。みんな病院に就職したがって、老人介護という名前が成人看護の一部ですからね。5年間婦長を辞めた人がいると聞くと菓子折り持って行って「すみません。一年でいいから来て下さい。」3月になると年度末で辞めるけれど後釜がいないもので、園長が「もう一年」と頼むのですが、辞めたいですよね。入所者と歳が同じだから。あとは全部素人。介護福祉士なんて職はない。力任せに仕事をする「介護力士士」がいっぱいいました。
私もそれで雇われて、就職したその日の午後、特浴介助。セミナーとか研修とか一切なし。16人を抱えて風呂に入れるというのがその日の午後でした。核家族の一人っ子ですから、老人と話をしたこともないのですが、50人の老人相手に仕事をすることになって、50人全員が同じ顔に見えました。爺さんと婆さんの区別がつかないですわね。この人爺さんかな、婆さんかな、女性の部屋だから婆さんの部屋のはずなんだけど、よく見たら人数の調整で爺さんが入ってたなんていう世界ですよね。

 生活指導員という名前はついていましたが、全くの素人で介助員ですね。生活指導員はもともと一人いまして、年上の女性で、明治学院大学で社会福祉を専攻した専門職です。血液型がB型。あだ名が「便所の100W」と呼ばれておりました。無駄な明るさという意味で。本当に明るい人でしたね。いい性格だな、でも一日付き合うと疲れるというような影のない性格の方でした。私の仕事は離床介助・特浴介助でしたが、彼女は何か一週間、月曜から土曜までふらふらふらふら老人の部屋を回って何の仕事をしているんだろうな、メインの目に見える仕事というと、老人の買い物の注文を週一回きいて、スーパーへ行って買ってきてまたそれを配って歩くという仕事なんです。私、ケースワークの勉強をしたソーシャルワーカーがこんな雑用をやるんだなあと思って見ていましたが、そのうち三好君も一緒にちょっと見習いで歩きなさいと言われて付いて歩くわけですよね。当時一番注文があったのが「生姜煎餅」。歯が丈夫な人は生姜煎餅で、歯がない人は玉子ボーロ。それと横綱煎餅。これがベスト3。まあ、素人の私でも2・3回付いて回ると、この人がしていることの意味が分りましたね。この人は買い物を通して50人全員と週1回顔を合わせて会話して様子を見ているんだ。何かケースワークというと狭い部屋で1対1で、というのを想像していたのですがそういうのじゃないんですね。何か元気ないなと思うと面会簿を見て「ああ面会に来ていないわ」と思って家族に電話して、「ちょっと元気なさそうですけど」等言っていたわけです。もっとやってることがあったのですが、これに気が付くまで、私全くの素人だったので、2・3ヶ月かかりました。社会福祉や医療の勉強をしようと思って本を開いて、見たこともないから訳が分らないです。ところがある日、本を見て、このB型の生活指導員のやっていることの意味が分りました。というのは、不思議だなと思うことが度々あったんですね。一緒に注文を聞いて回ってると、「はい、生姜煎餅3つね、玉子ボーロが2つ」などメモして「じゃあね、買ってくるわね」と行くでしょ。すると、私を置いたまま元の部屋に戻って、そのお婆ちゃんに「あっ、今聞いたのメモし忘れたんだけど、あっそうか。ありがとう。ごめんね。」なんてことをしているのです。また、配りながら「86円、はい。お釣りはなんぼかね。」というわけです。このB型の生活指導員が買い物を通してやっていたことは何だったのでしょうか。
 
彼女は買い物を通して、長谷川式痴呆スケールを彼女バージョンに変えまして、本人に悟られないように、生活の中で2ヶ月くらいかけて、やっていたのですね。「さあ、今から検査しますよ」みたいなもんじゃないんですね。大体、入所してから1ヶ月くらいはまず落ち着かなくて本当の数値は出てこないものですから。1ヶ月経って落ち着いて、それから2ヶ月くらいかけるのですね。当時特養入るというのは「姥捨て山」へ行くことですから、老人は入園の前後を覚えていないなんて人は多かったですね。ショック状態です。混乱している。だってもう死にに来たつもりですから。家族も家族。もう病院から追い出されて特養入る。医者に見捨てられて専門家がいないところに入る、死にに行くようなもんだ、と思っていましたから。私たち何も言わないのに「エンゼルセット」を持ってきた人がいたくらいですから。見捨てたっていう罪悪感があるから、「面接に来てくれ」と言っても来てくれないですよ。B型の生活指導員が1ヵ月半して家族に電話して来てもらって「いったいどうしたんですか、こんなに元気になって、どんな薬を飲ませたんですか」と聞かれて「いや飲んでいた薬を全部やめたんですけど」というような奇跡みたいなこともいっぱいありました。彼女はそのように2ヶ月くらいかけて自分なりの検査をします。お釣りを聞いたり、「今何時やったかね」「原爆のときあんた何処におった、歳はなんぼじゃった」、関東では関東大震災ですけどね、広島では原爆ですね、さりげない日常の会話でテストをやるんです。そしてケース検討会で報告をするんですが、ここが重要なところ。数量化しないんです。長谷川式痴呆スケールをよくやっていますが、「この人は痴呆にランクされます」という人がいます。数字にしてどうするんですか。何のために検査をするのですか。私たちがどう関りあうかを見つけ出すため、個性を見つけるためじゃないですか。痴呆って個性的に呆けるんだから。個性を数字にして表して、「この人は痴呆だからうちには入れません」とか、「この人は呆けが重いから4階に行っていただきましょう」と差別と分断のために数字を使うだけですよね。個性を数字にするのは変ですよね。A型は繊細だから100点。B型は自己中心的だから70点。O型は大まかだから60点で、AB型は奇人変人ばかりだから40点、なんてことをやるとA型を基準にするとA型は喜ぶけど、他の血液型の人は文句を言いますよね。そんなことをやっているようなもんですね。彼女は何ができて何ができないか、という中身を語るんです。そうするとその人の呆けの個性が立ち現れて来て、じゃ、われわれが何をすべきかということが分ってくるということです。
長谷川式痴呆スケールの質問項目はいくつかの項目に分けられるんです。4つに分ける人と5つに分ける人がいますが、100から7を引いたらいくらというのは計算能力。「私は誰(名前)」や「ここは何処」あるいは「今はいつ」等、これは見当識。この中にはいくつか項目があります。それから常識問題、見当識と常識問題が一緒になることもあります。それから昔のことを覚えているか、これは記憶力。記憶力と常識問題を一緒にする人もいます。分類の仕方は色々なんです。記憶力とは昔の記憶のことを言いますが、今、ここの記憶のことを何といいますか?「今注文を聞いたのは何じゃったかね?」というチェックは記憶力は記憶力でも、記銘力です。記憶力というと遠い昔のことなんですが、品物3つくらいを並べて覚えさせておいて、隠してから今、何があったかね?というのは記銘力です。記憶というのは記銘して保持して再現するということですが、これだとテープレコーダーみたいですが、そんな単純ではありません。保持する間に再構成したりして、都合のいいように再生したりして、そこが面白いところです。それと計算力、以上分類の仕方はいろいろあります。そのうち、どれが出来てどれが出来ないかを語ることで、私たちがどういう関わり方をすべきか、どういう関わり方をすべきでないかということが見付かってくるわけですから、そのために検査するわけですよね。数量化しないで下さい。

ケアプランの立て方(事例より)

彼女がこういう報告をしました。Aさんというお爺さんがいました。名前まで言うことないのですが、名前を言わないと雰囲気が出ないもんですから。「Aさん、そりゃ皆、呆けていると思うわね、此処がどこかも分からないし見当識は駄目。まあ、名前くらいは言えるけどね。常識問題、ほとんど駄目。記憶力は少しは残っています。今すぐのことは全然駄目です。だけどさすが元商売人ですね、計算力はちゃんとある。」という報告をしました。介護職がAさんにどう関わるべきか。してよいこと、してはいけないこと、Aさんのケアプランを考えてみて下さい。これが分からないと介護職としては駄目ですよね。検査なんてちょっと慣れれば誰でもできるのですが、それをどう活用するかということを誰も教えてくれないから現場は困っているんですね。

さあ、これは大事ですよ。介護の現場にいるのに医療的発想から抜け出しきっていない人、長い間病院で看護婦をやっていた人、あるいは介護福祉士なんだけれど、学校で教えている先生が看護士だから、病院の治療的発想から抜けきっていない人。ここでやり方を間違えるんですね。病院というところは問題点を見つけて、そこにアプローチする所なんです。そりゃそうでしょ、病気で苦しんでいるんだから、どこに問題があるか診断して治療方針を立てて、苦しみを取り除く。当たり前ですよね。しかし介護というのは違うんですよね。病院で専門家が診て、「ここまでしか良くなりません」と言われてから介護の仕事ですから、もうよくならないのに問題点を見つけてまたアプローチするということになると、careにもならないし、勿論cureにもならないですね。特に老人保健施設なんてところは医者や看護婦が多いから、介護という名前が付いているけど治療的アプローチをやって、ある老健施設の施設長さんが私のファンなんです。最近、お医者さんのファンが増えましたが、下は苦労していますね。「施設長、三好ファン、下、迷惑」なんて言われていますが。「三好君、ちょっとうちに遊びに来い、うちには寝たきりがいないから」と言われて見に行きましたが、立派な施設ですよ、外見は。夜になるとライトアップして、夜勤のする仕事は間違えてやって来たカップルを追い返すこと。玄関は大理石、職員も滑る。食堂に入ると家具は全部ヨーロッパ製、このソファはイタリア製で250万円もした、どうせすぐ誰かが小便するのにな、と思いましたが、カーテンはローラアシュレイ、施設長の奥様の趣味。田舎の老人に似合わない。家具が全部猫足。テーブルも椅子も。ヨーロッパ人の体格に合わせてありますから、日本の婆さんが車椅子で連れて来られるでしょ、飯食っているのを前から眺めたら、生首が並んでいるようだった。老人施設じゃないんですよ、何か、老人使って自分たちのセンスを満足させているような、そんなところでした。でも寝たきりがいないというのは本当でしたね。車椅子に乗った老人が廊下にずらっと並んで寝ていました。昼間はベッドに帰る自由もないそうなんですね。「寝たきり老人」が「座ったきり老人になっただけ」みたいなところでした。「うちはケアプランをちゃんと立てています」とおっしゃっていました。会議にも同席させていただいたんですけど面白かったですよ、医者も看護婦もOTもPTも介護職もみんないましたよ、80を過ぎたお婆さんのケアプランですけど、スタッフが「問題点、肥満。介護目標、体重減少。」そう言っているスタッフの半分が肥満。若いもんができないことを80を過ぎた婆さんに要求するかね。肥満で80まで来たってことはそれがその人に合ってたということじゃないかね。もっとすごかったのは、脳卒中片麻痺、右片麻痺で失語症でもう8年経っているんですよ、車椅子自分で乗り移って、片手片足で苦労してナースステーションの前まで毎朝来るんです。そしてタバコくれ、って言うんです。たばこをナースステーションで管理しているから、朝の一本をもらってうまいもんだから根元まで吸う。この人のケアプランは「たばこを下さいと言われるまでは出さない」。ほとんどいじめでしょ。できないところは治療してももう治らない。ではどうしたらいいか。あきらめる。あきらめるというのは消極的に見えるけど違う。「あきらかにする」が語源です。目の前をちゃんと認めるということです。現実から出発するということです。もし治る可能性があったとしてもその方がよく治ります。駄目なところを見付けてアプローチするというのは積極的に見えるけど、「今のあんたは駄目だよ」ということ。私もPTですが、リハビリは未来に対する逃避という気がしますね。老人は今が一番いいんでしょ?明日、明後日はますます老化していくんだから。今、ここで出来ることで、いかに楽しく生活できるかが重要であって、リハビリや介護予防に走ってはいけません。「介護予防」って変な言葉だと思いませんか?差別的ですよね。歳をとって介護を受けるのは当たり前なんですけど、「疾病予防」とか「感染予防」みたいに「介護予防」と呼んでいて、そのうち「育児予防」なんて言い出す人が出るんじゃないかな。育児もあってはならないこと、自立していないから、大きくなってから子どもを産みましょう、みたいなのはどうもおかしい気がすますね。今、ここの状態を誰も認めようと誰も言わないんです。問題点を諦めるか、見てみないふりをするのが礼儀ですよね。どうも介護現場は医療的な人が多いですからね、Aさんへ息子が孫を連れて面会に来るんですよ。誰が面会に来てるか本人、分からないですね、5分経ったら、面会に来たということを忘れているね。でも、すごく嬉しそうな顔をしてるんですよ。介護拒否していたのが風呂に入ってくれるようになるからどっかで分かってるんだろうけど、それでいいじゃないかと思うんだけど、面会に来てると、「Aさん、Aさん、この子誰、誰、分かる?」。これはやめて。分からないというのは恥をかかせるということですよ。人前で恥をかかせないというのは介護の大原則です。分かってたということは、馬鹿にしていたということになりますしね。相手が子どもだったらいいですよ。これからどんどん良くなっていくのだから、そういう風に刺激を与えるということは。お年寄りは逆ですから。できないところは眼をつむる。そのかわり、できることを引っ張り出すんです。いいですか、医療の世界はできることには興味ないんですよね。介護は逆です。できることに興味を示して、これを生活の中に引っ張り出す、ということを介護職はしなければならないんです。さあ、Aさんに残っている計算力を引き出すために、われわれがすべきこと、ケアプランを、具体的に考えてください。

 それぞれの施設で工夫していただきたいのですが、私の施設で何をやっていたかというと、B型の彼女はこういうの、うまかったね。買い物したものを配って歩く助手として連れて歩いていました。「Aさん、ちょっと手伝って」「わしが行ったって、頼りにはならんじゃろう」と言いながらも付いて来るね。それでお婆さんに、生姜煎餅一つ、86円、はい、100円もらった、で、Aさんに「お釣りなんぼかね」と訊くんですよ。すると金を払ったその婆さんが、「これ、呆けとるけん、分からんよ」なんて露骨に言う。こういうのがあって、痴呆の方が差別されるから、痴呆とそうでない人と分けた方がいいなんていうけど、それはおかしいね。差別があるのが当たり前じゃないですか。こういう差別的な社会で80年間生きてきたんだから平気ですよ。介護現場だけ何で天国みたいなところにしないといけないんでしょうね。差別する人もいればしない人もいるし、世の中よりは共感してくれる人の割合が多いよ、とすればいいんでしょ?介護現場だけ天国みたいなところにしようと思うとどこかに欺瞞が生じますから。世の中のレベルが60点ならせめて70点くらいを目指して下さいね。でも、今、本当に困っている老人がいるときは、1週間か2週間かは80点くらいの人間関係を目指して、でも一年中80点でやれと言われたら聖人君主でなければ無理ですよ。2週間くらい80点で過ごしたらまた70点に戻って、という具合に何とか世間より上のレベルを目指す、というくらいで僕はそれで大したもんだと思います。うちは100点にしよう、とすると嘘になる。だから差別する人がいて当たり前なんです。いいんです。本人が「14円」とか言うと、そのお婆さん、「えっ、分かるんだ、この人」ってびっくりするでしょ、それでちょっと見直してくれるんですよ。私は風船バレーボールの審判に使っていました。ちゃんと覚えてて数字のカードを出してくれました。それが医療とは違った介護の見方です。

痴呆のアセスメント

 今日は痴呆のアセスメントについて、ということでその1番は、その人の個性を知ろう、ということです。何のために個性を知るのか。どう係わりあえばよいのか、私たちの係わり方を知るためです、そして、この人にはどの介護職が合うだろう、という相性を見つけ出すためですね。私、今、「実用介護辞典」という辞典を書いているんですけど、最初に出てくる項目は「相性」。相性なんて非科学的じゃないか、なんていうけど、介護は相性でやってるんですね。今日、ケアマネジャーさんが来てるかもしれませんが、この人は要介護度が3だから週何回訪問介護を、なんてなケアプランだったらコンピューターが立てればいいんですよね。現場の人間が立てるケアプランは、あの婆さんにはこのヘルパーが行って、こういう係わり方をすれば元気になるぜ、という固有名詞が出てくるようなケアプランを立てる、相性の組み合わせを考えるというのが、現場の人間でなければできないことです。だってそうでしょ。訪問すればいいってもんじゃない。老人は嫌な人が来たら元気にならないですよ。今日の午後あの嫌なヘルパーが来るな、と思うと立って歩ける人でも布団をかぶって寝ますよね。今日の午後、あの好きなヘルパーが来ると思うと、起きて布団をたたんで、髪を梳いて、お茶を入れる準備をして待ってるかもしれませんから、心も体も元気になりますけどね。そういうことを考えるために、痴呆性老人の個性を知ろうということです。数字にしたのでは何にも出てきません。

痴呆性老人へのアセスメントその2は、問題行動が出たときにどう対応するか。Aさんの次に来るのはBさん、名前を言わないと雰囲気が出ないですね。名前を言うと着ていた服まで思い浮かんで、ベッドサイドの臭いまで再現されますね。入ってきたのが76歳。6年前に脳卒中で倒れて、家でずっと寝たきり。しかも布団でしたから背中がぺっちゃんこ。手と足が固まった状態で、完全な痴呆。数量化するなと言いましたが、数字にすると完全な痴呆にランクされる。「お名前は?」「Bよ。」と答えますが、「歳は?」「18よ。」それ以外は検査不能、そういう方でした。悲惨なケースだったんですよ。陽気でしたけど。小学生の孫2人が介護していたんですから。在宅介護を支える制度が何もないから、ヘルパーではなく近所のおじさん・おばさんに助けてもらいながら介護していました。当時、医者や看護婦が脳卒中で倒れたら絶対安静、風呂に入れるなんてとんでもないと言っていましたから、初めて特養の入ってきて初めて風呂に入れたときに、足の形のまま垢がかぱっと外れたのがこのケース。耳の後ろもかぱっと外れて真っ白な肌が出てきました。その人の担当の寮母が、外した垢をバケツに入れて全職員に見せて回ってました。みんなに見せたんだから、もう流しなさい、いや明日の日勤者にも見せるんだから、と言って一晩置いておいたという人です。
当時来ていた嘱託医の先生、先生といっても若い先生は来てくれませんから、園長が苦労して町内で一番年長の開業医の先生に来てもらっていたのですが、年配ですから、白衣を着て歩いているからお医者さんだということが分かる、白衣を脱いでトイレに行って医務室に戻ろうと思ったら、面会に来ていた家族が「そんなところに入ったらお爺さん、叱られますよ」と言ったくらいの先生。その先生が「これだけ呆けとったら3年はもたん」と言いました。当時は呆けると残りの命は短いと言われていましたが、3年もたないどころか98まで長生きしたんですよ。痴呆一筋28年と言われた人ですから。もうもたないかな、と最初のうちは本当に思いました。3ヶ月に1回くらいですけど、夜中に原因不明の熱がポーンと出ます。気が付いたら40度、41度。いい先生で夜中でも来てくれて「こりゃもたんな、家族を呼べ」とおっしゃって、孫が中学生になってた頃でしたが、親戚のおじさんの車に乗せられて孫が来るわけですね。で、持ち直すんですよ。3ヶ月くらい経つとまた熱がポーンと出て「家族を呼べ」と。また持ち直すんです。また3ヶ月くらい経つと・・・。「死んでから呼んでいただけませんでしょうか?」と家族は言って、でも結局家族の判断の方が正しかったわけですよね、98まで生きたわけですから。
発熱だけではないんです。1ヶ月に1回くらいは寝ない夜がありました。幻覚でしょうかね、「お父さんが来とるけん、呼んでくれ」と大きな声で叫ぶ。機嫌のいいときは一晩中歌を歌うんです。「美しき天然」という歌を知っていますか?老人介護をやっている人はちょっと古い歌を知っていなきゃ。人は18歳の頃に歌ったり聞いた歌を一生涯歌い続けるといいますからね。80歳の老人であれば60年前に流行した曲ですね。ちょうど戦争中は悲しい思い出が多いのでそこはぽーんと飛ばして、戦後の「鐘の鳴る丘」あたりに行くわけですけどね。将来われわれがどんな歌を歌うかというと、われわれビートルズ世代ですから、特養入ってビートルズを歌っているんですかね。民謡とか演歌とかを歌うんですかね。時代なのか世代なのかいまひとつよくわからないんですけど。「空にさえずる鳥の声〜」これが「美しき天然」ですが、Bさんの場合は歌うってもんじゃない。叫ぶ。広島弁では雄叫ぶ(おらぶ)と言いますが、「空にさえずる〜」が廊下に響き渡る。6人部屋のある人が、「うるさい。」と言うと「うるさいのはお前じゃ」と言い返すという状態。

 こういう問題行動が起こったとき、痴呆だからだ、脳細胞に原因があるんだ、と考えたらそれで思考停止。考えることをやめるということですね。だって、同じように脳細胞が萎縮していても、問題を起こす老人と起こさない老人とがいますよね。にこにこ笑う人気者で夜はぐっすり眠るという老人、そちらの方が脳細胞が萎縮していることだってあります。同じBさんでも、落ち着いて寝る夜もあれば、落ち着かない夜もある。脳細胞に原因があるということで説明がつかない。他所の施設で問題行動があった老人がうちの施設に来たら何も問題行動を起こさないということは何度もありますよね。夜勤が誰かによって問題行動があったりなかったりすることもありますよね。こうなると精神障害ではなくて関係障害としか思えない。「何でこの人が今晩、問題行動を起こしているのか」は、脳細胞では全然説明がつきません。何か具体的な原因が生活の中にあるはずだ、と当時の若手の介護職員が、若手といったって、当時は今みたいに20代の若い職員はいませんから、40代が若手ですが、その熱心な寮母たちが残って自発的に勉強会を始めるわけです。Bさんの問題行動が何故起こるのか、対策を考えるのです。夜問題が起こるのは、昼間何かあったからに違いない。過去6ヶ月の寮母日誌をめくっていって、問題行動があった日に付箋をつけて、昼間何があったかを見るんだけど、一般的に見ても分からない。みんなで仮説を立てます。家族が面会に来た日の夜に興奮して寝ないのではないか。日曜の夜に多いような気がするから、そうかもしれない、と思って面会簿と照合するけど、この家族は面会に来ても面会簿に記名しないので、あの日の日曜にお孫さんが来ていたかどうかを思い出さなければならないということで、電話して他の寮母に訊いて見る。
面会ですが、他方で必ず名前を書いて、寮母さんたちに菓子折りを必ず置いて帰る家族もいますよね。顔を見せてすぐ帰るというのがありますね。これをわれわれは「アリバイ面会」と呼んでいますけどね。老人のために来るのではなく、自分は来たぞ、見捨てていないぞということを職員に印象付けるために来る、これをやられると老人は夜、落ち着かないですね。ちょっと顔を見て、話をしたかったのにすっと居なくなってしまったということで、欲求不満がつのって夜寝られなかったということはよくあるから、何もしなくていいから30分ばかり傍に座っててあげてと言うんだけど、どうしたらいいか分からない様子で、施設の職員に対する遠慮もあるのかもしれない。
まあ、いろいろ調べてみましたが、面会があった日に落ち着かないというわけでもない。逆ではないの、他の老人に面会に来たけど自分の家族は来なかった日に、寂しかったから夜騒ぐのではないかと、また他の家族について、面会簿に記名する人、しない人といるからまた、電話して、あの日に家族来てたよね、うん、来てた来てた、お饅頭を持ってきてくれたから覚えてる、うん、おいしかったと話が飛ぶ、飛ぶ。まあ、他の人の面会も関係がないみたい。
次に私が疑われました。私、当時、レクリエーションを担当していたんです。どんな人でも必ず週一回は必ず車椅子に乗せて、リクライニング車椅子から普通の車椅子に移行するのに6ヶ月もかかりながら、リクライニングとだましておいて、外に行ってタバコを吸わせて、その間に直角にするというまで6ヶ月かかかりました。レクリエーションで、ボール送りとか風船バレーとかやった日に興奮して寝ないのではないか、私の訓練日誌との照合が始まりました。無罪放免。むしろ、訓練に出てた日は問題行動は少ない。いろいろ表と照合をしましたがよく分からない。最後に照合してみたもので、Bさんの問題行動の原因が分かりました。ほぼ90%。しかも他の痴呆性老人が夜騒ぐ原因の約半分がこの原因によるものでした。さて、その原因、日常的なある引き金があるんですが、それは何でしょうか。

問題行動の原因

うちの寮母室には大きな模造紙が貼ってありまして、チェック表を毎月1枚、つくっています。タテに名前、ヨコに31日分、そのマス目を作ります。排便チェック表。寮母の記録はリアルです。いっぱい出た日は枠からはみ出るくらい大きな○、ちょっと出た日は小さな○、ある寮母は面白かったですね、朝報告するときに、〜さん、4時のおむつ交換のときにほんの一口出ておりました、と。下痢のときはぐちゃぐちゃと書いて、丁寧に色鉛筆で色まで塗る人もいる。一目瞭然です。
問題行動・発熱が起きたのは、三日以上、便が出ていない日の夜なんです。脳細胞に原因があるのではなく日常的な進退の不調、異常を、非言語的に訴えているのが問題行動です。全問題行動の7割から8割はそうですね。他はいろいろやってみたけど、どうしてもわからないな、というのが2割3割は残りますけどね。全部因果論では説明はつかないけれども、偉い先生が書いた痴呆の本でも、便秘について書いていないものは、私は信用しない方がいいと思います。彼らは一緒に夜勤をしたこともないし、排泄ケアをやったこともない。日常生活をちゃんと支えている介護職はこういうことがちゃんと分かるはずですね。私たちだと、便秘の場合、何か変だな、体が重いし、食欲がないし、だけど便が3日出ていないからだ、と原因も分かるし対策も考えることができます。それで落ち着いていられるわけですが、痴呆老人は原因が分からないで、体の違和感だけがあるんですね。これ一体何だろうと、それを私たちに教えるために、夜、寝なかったり徘徊したり、ということが起こすのですが、それを、ああ呆けのせいだ、と薬を出したり個室という名の独房に閉じ込めたりするのは、どっちが痴呆か分からないという気がします。
痴呆の問題行動の最大の問題は、身体の不調と異常です。その中で一番多いのが便秘でありまして、もし排泄ケアをちゃんとやっていないところは、排泄ケアをまずちゃんとやらないと痴呆のケアはできない。問題行動が起きているのを薬で抑えようとか、あるいはバリデーションなんか「対人関係技術」で落ち着かせようというのは上流でごみを流しているのを下流で一生懸命ごみを拾っているようなものです。上流のもとの部分を何とかするというのができるのは介護職だけなんですね。排泄ケアをちゃんとやりましょう。
日常的な身体異常としてはあと5つほどあります。

 便秘に対してどうするか。Bさんの問題行動をなくすために、私たちは薬に頼るとか対人関係技術でごまかすというではなく、これをなくせばいいという方法があるのですが、その場合のケアプランを立てるにあたって、世の中間違いだらけなんです。まず3日以上便秘になっているのだからまず、下剤を投与して出そう、それが駄目なら浣腸を、という方向に行くのは、介護職としては駄目。最後の最後にそれらの方法に行きますが、それを使う前にやるべきことをやらないで浣腸・下剤など化学物質の力で直腸を異常収縮させて出してやろうというのは、これは医者の発想です。介護職を辞めて医者になるべきです。なれって言われてもなれないけど。でも発想としてはそう。

 そうか、便秘だから水分をいっぱい摂取して、食物繊維をちゃんと摂って、それでも出ないとちゃんとマッサージをして、というのはまだ上を向いて寝ている、という看護の発想から出ていない。この便秘という結果に対してどうするかということを問題にしているわけで、水分をとって食物繊維をとってマッサージをして老人の便秘、治っていますか。治らないですよ。どうしてかというと、この3つの方法が有効なのは、大腸性の便秘に対してのみであって、老人の便秘のほとんどは、直腸性の便秘(またの名は習慣性便秘)だからです。生活習慣そのものを変えるということをやらないと、変えるというのではなく実は当たり前の生活に戻すのですが、おむつがつくっている、排泄ケアがないということがつくっている便秘がほとんどであるわけですから、排泄ケアをちゃんとやらないといけない。
 10分間、休憩とします。「痴呆論−介護からの見方と関わり学」という本を書きました。便秘のこと、長谷川式痴呆スケールの正しい使い方についても第1章で出てきますが、第1章はちょっと医療批判・心理学批判を書いていますので、ちょっと難しいので現場の方は第1章は飛ばして読んでるみたいで、第4章の問題行動、異色、漏便、暴力行為、徘徊、それから助平なおじさん、このへんから読む人が多いようです。それは現場の人間としては健全なことだと思います。ロビーで見てください。惣万さんの本もあります。

問題行動の原因は、脳細胞の中にあるのではない、生活の中にある、ということですが、一番多いのは身体の異常・不調だということをお話しました。その中でも一番多いのが便秘、これが半数を占めていると思います。2番目以降、今、「痴呆論」をお買いになった方は171頁を開いてください、載っています。持っていない方は見せてもらってください。体の不調で問題行動の原因となる2番目は脱水症です。人間の体は7割近くが水でできています。これは命のもとです。人は一日に水が2300cc要ります。2300も飲んでいないぜ、と思うでしょうが、300は代謝水。体の中で造ります。1000ccがお茶とか水として飲むもので、残りの1000ccをどこで水分摂取しているのですが、それは食事です。食べ物は固まって見えるけど、90%以上は水分なんですよ。ですから食事を3度とっていればそれで1000cc足りるのだけど、夏食欲がなくなって食事がとれなくなると、すとーんとその1000ccがとれなくなる、ということになると、夜間譫妄状態、痴呆の症状が出ます。慌てて精神科の薬などを出すと、これでますます水分が足りなくなりまして、夏の間に弱った人が秋風が吹く頃に、ころっと逝くわけです。9月が一番死亡率が高いですね。昔は2月が一番多かったのですが、暖房が完備してからは夏から秋への季節の変わり目に、夏の間、脱水状態が続いている人がやられるんです。脱水の状態にはどのようなものがあるのか、というのが174頁に6つ書いてあります。元気がなくなる、食欲がなくなる、これは普段どれだけ元気があって食欲があるかを知っている家族や介護職でないと分からないですから。脱水症を見つけるのは介護職の仕事ですね。あと、尿量が少なくなる、便秘になる、吐き気を催す、微熱が出る、皮膚が乾燥する。口の中が乾いているともう重症。もっと早く気が付かなければならない。衣服着脱のときに腋の下に指を入れてすーっと動かしてみる。ここが乾いていると、脱水だと思ったほうがいい、と教えてくれているのは竹内孝仁先生。脱水に気が付かないのは介護職が観察力がないからだと言っていいと思います。暖房が効きはじめてからは、冬でも脱水がありますから気をつけてくださいね。

 3番目は、発熱です。気が付くと40度。私たちだと熱があるな、と体温計で熱を計りますが、お年寄りは違和感だけがあってどうしたらいいのか分からないのです。問題行動という形でそれを教えてくれています。4番目は慢性疾患の悪化。これは看護職を中心にコントロールして下さい。自覚症状を訴えません。高血圧症の人だったら血圧が高くなっていないか、糖尿病なら血糖値が上がっていないか下がっていないか。その人がどんな病気をもっているのか、ということをこちらが本人の代わりに把握しなければならない。5番目は季節の変わり目。死亡率が一番高いのは夏から秋。秋風が吹いて、ああ、いい季節だなと私たちが思う頃に、亡くなる方多いと言いましたが、痴呆性老人の問題行動が出てくるのは、どの季節からどの季節に移る頃でしょう。

 広島ですと2月の末と3月の末、2つ山がありました。冬から春に変わっていく時ですね。よく「木の芽立ち」なんて俗な言い方をしますが、精神科でも落ち着かない方が増えるのですが、痴呆性老人も全く同じでありまして、Cさん、って言っても知らないでしょうけど、うちの施設では大変有名な、お嬢様だった人でね、買い物の注文をききに行きましたけど、「あらそう、今忙しいから後にして下さる?」、特養に入ってて何が忙しいのか、「じいさんばあさんの愛し方」という本の一番最初に出てくる問題老人なんですが、この人が梅の花が咲く頃になると化粧が濃くなるんです。眉が真っ黒、口紅が真っ赤で、おはようと出てくると、みんなで「ああ、今年も春が来た」と言ったもんです。10年も冷暖房完備の中で暮らしているんですよ。だけど人間というのは自然のリズムと一緒に生きていますから、ちょうどその頃、交感神経と副交感神経のリズムが入れ替わる時なんですね。冬型で交感神経を高くして体を温めていたのが、急に暖かくなると、興奮して三日三晩寝ずに徘徊すると、というのは大体この時期なんですね。私もちょっとその気があるんですよ。季節が急に暑くなると夜、眠れなくなりまして、夢ばかり朝までみているというのがよくありまして、これは将来問題行動につながるんだろうな、と思うことがありますが、日本人は「梅見」とか「花見」とか酒を飲んでぱーっとというのをやりますね、あれは民族の知恵ですね。変になる前に変になっちゃえ、とそういうことだと思います。だから春の年度末に、職員の勤務交替なんかさせては駄目ですよ。季節が変わって自分の体の変化に付いていけなくて混乱をきたしているのに、職員全員を入れ替えたり、部屋替えをしたり、というのは最悪です。ただでさえ新入社員が入ってくる時ですから。この時期は花見以外は日常のマンネリ化した介護をいかに続けていくか、心掛けなければならないということになるわけです。

6番目は薬。ふらついて、つまづいて、こけて骨折したという原因のほとんどは薬でしょ。医療保険の強い介護現場では、まず薬を抜くというところから始めて下さい。ここにも引用していますが、和田秀樹という、評論家になってしまった精神科の先生がいます。ちょっと額の広いいかにも頭の良さそうな東大医学部出身の先生です。その先生の「間違いだらけの老人医療と介護」(講談社アルファ文庫)はすごいね。家族に薬を抜けということを勧めています。抜いてはいけない薬は治療薬だけである、痴呆に出ている薬は対処療法薬だから、家族と介護職が、出た症状を引き受ける気になれば、抜いて様子を見ればいいと言っているのです。私たちもよく薬を抜きました。勿論、先生に抜いてみましょうかと相談してやるのがいいけど、相談して協力してくれる先生はいないですね。薬のことを持ち出して相談しただけで機嫌が悪くなるような先生ですから、この場合、どうしたらいいのですか。いい方法は主治医を替える。これが一番いいですね。田舎でどうしても主治医を替えれない、という場合はどうすればいいか。家族と一緒にやるんです。何かあったら家族と一緒に責任をとればいい。全部先生の責任だ、と言うからむこうも事なかれ主義になっているのです。大したことはありません。ちょっと落ち着かなくなって、むしろ元気になって目がはっきりしてきた、というのがほとんどです。だって、睡眠剤とか、精神安定剤でしょ。問題が出たってこっちが引き受ければいいという覚悟をすればいいのです。
ですから、問題行動が出たら、脳細胞が原因だと言って薬を出す、それから個室に閉じ込めるなんていうのは非科学的なやり方ですよね。結果をなんとかしようとしているだけですから。介護職は科学的です。原因を変えるんですから。原因の方を見ていく。

便秘のメカニズム

さあ、問題行動の一番の原因である便秘。科学的な介護をするにはどうすればよいのか。便秘についてちょっと勉強しましょう。便秘は大きく分けて2種類あります。アプローチの仕方は全く異なります。一つが大腸性便秘。これは3つに分けることができます。その1つが弛緩性便秘、これは交感神経が高ぶって緊張が続きますと、消化吸収というのは副交感神経で胃や腸が蠕動運動を始めるんですね、そこで緊張が続くと胃が腸が活動しなくなる。だらっとしたまま食べ物を送り込まなくなる、それで便秘をきたす、というものです。4月に新しい職場に行って環境が変わったら、しばらく便秘になったという人は多いと思いますが、これは、この弛緩性便秘。あるいはある種のビタミンが足りないとか、体力がぐっと落ちた老人がこれを起こすことがあります。この場合には、水分の補給、食物繊維それからマッサージ、これらは結構、有効です。もちろん、緊張した生活を落ち着いた生活にするということが基本となりますけどね。だけど、老人性の便秘はこちらではないんですね直腸性の便秘、こちらですから。これについては効果がないということになるんですね。因みに、大腸性便秘にはあと2つありますが、2番目は弛緩性の逆です。収縮したままきゅっと固まったまま動かなくなるという痙攣性の便秘。これは腸に炎症か何かができたときに反射的にそうなってしまうんです。代表的なのが虫垂炎、いわゆる盲腸ですね。あるいは腸炎等の病気が原因となっておりまして、直腸を肛門から除いてみても、全然直腸に便が入ってきていないということがありまして、これは原因の疾患の方を治すということが基本になります。3番目が機械的通過障害によります便秘です。物理的通過障害と言ってもいいでしょう。たとえばこれは腸にガンができている、腫瘍ができているということになると、そこを便が通らないということになりますが、これは放っておくと大変な状態になります。こちらは疾病に属するものです。
 生活の中で見れるのは1番目ですが、大腸性の便秘は老人全体で約10%でして、残りは直腸性の便秘。

直腸性の便秘とは何かといいますと、人間の排便とはどうやって行われているかというお話を、ちょっと解剖生理学を昔、習った方は思い出して下さい。直腸というのは皆、紡錘状に書きますけど、普段はぺっちゃんこなんです。それが普通の姿で、紡錘上になるのは特別な時です。糞便が、S状結腸から送り込まれて来て、ぺっちゃんこだった直腸が便によって押されたときの状態なんです。でも、私たち看護職・介護職は直腸というのはいつも便が入っているものだと思い込んでいます。どうしてか、覗き込むときは、摘便する事か浣腸する時ですから、それは入っているのが出ないのを覗き込むわけですから、いつもあると思っているのですが、直腸は糞便を貯留する器官を排出するところ、溜めるところとは書いていないはずです。糞便を排出する器官です。便を排出するのが直腸のidentityなんですよ。溜めておくというのは異常とまでは言わないけど、少し不自然な非生理的な状態なんですね。入ってきたらすぐ出すというのが直腸の仕事。その仕組みはうまくできていまして、ぺっちゃんこの直腸に糞便が入ってくる、押される、押されると直腸が信号を出すんです。神経を伝わって、どれくらいで信号が出るかというと60mHgで出ると書いてあります。60mHgとは真空の中の水銀を6センチ押し上げるだけの圧力ですよ、分からないでしょうけど、血圧測るときにきゅっきゅっと100くらい来るとちょっと絞められたな、と思うけど、60くらいではあまり感じないですよね。それくらいで信号が出るということですから、結構、敏感な器官です。信号はどこに行くか。脊髄、背骨の中に入っている中枢神経です。大体、その人の小指の太さくらいのものが、大脳からずっと続いて腰のあたりくらいまで来ています。PTのときの解剖実習というのはすさまじい実習で、医者が体表解剖をして内臓を取り出した後の体を、筋肉と骨とを全部ばらばらにするという、ハイエナのような仕事をするんですね。鋸やコンコン槌を使って、背骨から脊椎を切らずに取り出そうということもします。みんなで丁寧に丁寧に取り出して、骨からすーっと出てきたら、もう、色といい形といい、柔らかさといい、ホワイトアスパラの缶詰。あれがすーっと出てくるんですね。それが脊椎なんですが、その腰の辺りに信号が行きます。脊椎は下っ端の中枢神経です。ちょっとだけ自分で判断する力を持っています。ただし単純。今、糞便に押されたぞ、と直腸が言う。脊椎は押されたら、押し返せ、と言います。単純ですね。やられたらやり返すと言う。時々人間でいますね。脊椎レベルで生きている人間。収縮しろと言うんです。と同時に糞便が出ないように内肛門括約筋・外肛門括約筋の二重で肛門を閉めています。その肛門括約筋に「開け」という命令も出します。肛門が開いて直腸が収縮すると、排便が出る、これを排便反射と言います。排便の仕組みは基本的に反射的なもので、基本は意識的なものではなく、自然に出来てしまうものなのですが、ただ反射だけで排便をしているのは下等動物と人間では赤ちゃんだけです。社会人はこういうことをしないですよ。S状結腸からいつ糞便が来るか、自分でコントロールできませんから、入ってきてすぐ便が出るんじゃ、こんな風に大人しく話を聞いているわけには行かないですよね。外出するときにはおむつをつけないといけないことになりますから、我々は、排便反射だけで排便をするのではありません。どうなっているのかと言いますと、直腸から脊椎へ信号が来ますと、脊椎が自分で判断しないんですね、謙虚なんですね、上司にお伺いを立てる。大脳の感覚領野に届いたということ、それを便意と言います、つまり便意とは排便反射を起こしたがっていますよ、と相談が来ていると思って下さい。大脳は脊椎のように単純ではありませんから、色んな神経が集まっていますからいろんな情報を全部集めて、しかも思考能力がありますから、総合的に今、排便反射を起こすべきか起こさないべきかという判断をすることができます。周りを見渡して、今、講演を聴いている最中だから、今、排便反射をおこすとまずいぞ、記憶中枢と連絡をとってみると、保育園の頃、うんこ失敗して、みんなに笑われたという屈辱の記憶が残っている。それらを総合的に判定して、昼休みになるまでは我慢しなさい、と命令を出すということをします。つまり排便反射を抑制する信号を出します。排便反射をしばらく止める、然るべき時間・場所までは駄目だよ、という、これをコンチネンス(禁制)と呼んでいるわけです。

 コンチネンス、失禁を制しているという状態、これによって私たちは社会人になることができたというわけですが、実はこれが宿命を背負うこととなりました。それが直腸性の便秘です。皆さん方は仕事忙しいし真面目ですから、朝、トイレに行きたいなと思いますけど、ゆっくり行っていると今日、遅刻しそうだな、遅刻したらいけないと思って、大脳が抑制の信号を出して、禁制の状態で仕事に行きます。昼飯を食べて、またトイレに行きたいと思ったけど、ちょうど今日はケース検討会で、偉い人が前でしゃべっているから中座してトイレに行くのは失礼だな、と思ってまた我慢します。次の朝、また糞便が送り込まれて信号が出されますが、今日もゆっくり寝たから間に合いそうもないな、と思って仕事に行きます。これがよくないんですね。直腸が伸びきったゴムのようになって、信号を出さなくなるんです。信号が出なくなると、便意を感じなくなるので、本当は出さないといけないのに便意を感じないし排便反射も起こらなくないという状態になります。これが
直腸性の便秘ということになります。これは厄介ですね。これをどうしたらいいのか、というのが実は痴呆性老人のケアの根本
ということになります。

解剖学の勉強で、これはよく職場に喩えられますよね。直腸が現場で、脊椎が支店長、大脳が本社の社長。現場だけで決められないから支店長にお伺いを立てると、自分で決めれないで社長にお伺いを立てて、OKということになるとはじめて現場が動く、と言われますが、これを皆さんの職場にあてはめてみますと、現場の介護職、これは老人のニーズに応えたい、老人の笑顔を見たい、移動用バー・手すりを買ってもらったらこの人、ポータブルトイレ・車椅子に移れるのでおむつを外せるので買ってもらえませんか、と中間管理職の寮母長にお願いすると、寮母長はお金が要ることは園長に相談しないとということになって園長に相談すると、介護保険に制度変わりして金が足りないのに、買えるか、と抑制の信号が出る、そうすると現場は言ってもどうせ買ってもらえないだろうと何も言わなくなる。現場が買ってくれ、と言ったものは買ってくれないのに、買わなくてもいいものをある日買うというのが、どこでも施設長の癖ですね。これをやられると現場はやる気を失くしますね。自分の給料の10ヶ月分くらいのものがある日購入されていて、ちっとも約に立たなかったりしますからね。で、何も言わなくなると、言ってもわからない園長は、ますます現場のニーズがわかりませんから、これを職場の便秘状態と言うんですね。今日、熱心な方が多いから職場の便秘を治す方法をお教えしたいと思います。職場の便秘をなくしていいケアをするにはどうしたらいいか、一番簡単なのは、大脳を取り替えるというのが一番いいですね。現場がやりたいんです、と言えば、おう、すぐやれ、責任はおれがとるから、なんてスケールの大きい上司がこの世界はいないですね。本当に遅れていると思います。民間の会社で生き残っている会社は、今年入った新入社員の何億というプロジェクトを全部任せるなんてことをやるところしか、新しいニーズをひきつけられないから、職場がいきいきしないから、会社が生き残れないんですよ。ところが看護・介護は10年やって一人前、それから文句言いなさいといわれますからね。だから10年遅れたニーズしか把握できない。今年入った新入社員が感じていることをいかに大事にするかということをやらないといけないんですけどね。だから、好きなようにやっていいぞ、責任は俺がとる、
今年の介護用品の予算は500万円だから自分たちで委員会をつくって自由に買っていい、領収書をもってこい、という上司がいたら一生懸命勉強して、無駄づかいしないで現場は頑張りますけどね。そういう上司がいないから、変える前にこっちが変えられてしまうのが関の山です。あんまり現実性がないので、もう一つ現実的な方法がありますね。「脊髄損傷」というのがあるんですね。中間をきってしまう。現場だけで反射的にどんどん動く。いちいちお伺いを立てない。予算があることはそうはいかないけれど、それ以外は自分たちだけでどんどん進める、自分たちで責任をとる、ということです。実際に人間の体はよく出来ていまして、脊椎損傷がおこると、上のお伺い立てずに、直腸がいっぱいになると排便反射が出るんですね、自動直腸あるいは膀胱も自動膀胱となります。直腸自身が自分でいっぱいになると収縮をはじめるようになるんです。よく出来ていますよね。上司が駄目なら下が自律性をもって、と人間の体に介護現場も学ぶべきだという気がしますけど。

排泄ケアの基本

 この仕組みを頭に入れてください。直腸性便秘というのは自然な人間のもっている仕組みを、私たちが無視して、押さえつけてきたことによって起こっているわけです。では、直腸性便秘を治すためにはどうしたらいいのか。便意を感じたときにすぐトイレに行って踏ん張るという介助をやる、ということです。これを私たちは、「排便最優先の原則」と呼んでいます。いいケアをやっているか、私はこれをやっているかで決まると思います。何とか療法をやっています、とかうちには専門家がこれだけいますなんて言ったって、そういうことより「排便最優先」が出来ているところがいいケアが出来ていると思います。何故なら、排泄ケアは生活の後始末ではなく、生活づくりの基本だからです。心身ともに安定して生活するための基本です。これをちゃんとやっている所は、あと何をやっていようが老人はいきいきしますよ。これをやらないでいろいろ専門的なことをやっても、万年便秘状態で元気が出るわけがないじゃないですか。「最優先」ですからたとえ食事の最中でも、トイレに行きたいと誰かが言ったら食事の介助は中断して、そちらを優先。トイレへ連れて行って下さい。ご飯は10分20分遅れようが餓死しないけど、排便を10分我慢しろと言われたら便秘になってしまうんですよ、直腸性の便秘をつくることになる、ひいては問題行動の引き金となるわけですから、「トイレに行きたい」と言ったら最優先。「最優先」ですから天皇陛下が見学に来られていても最優先。
老人が「おしっこ、うんこに行きたいんですけど」と言ったら「おむつしているんだから、その中にしてください」って平気で言いますね。「でもトイレに行きたいんですけど」
「あなたのトイレはお股の下よ」なんて言うのがいたけど、あんな上を向いた格好で出るわけないね。看護士さんは浣腸するときも上向きにさせたまま入れているけれど、あんなことをするから浣腸した晩、おむつを空けたら残便がちょろちょろお尻の方に回っているでしょ、今出るって分かっているんだから、座らせて、下から入れて蓋を閉めて出せばいいんですよね、なんで私たちが座って排便しているかというと、重力を最大限に使うためですよね。これが生理学にいちばん適ったやり方だから。弱った老人ほど重力を使って排便しなければならない。寝たきりの老人でも座れない人はいません。それが介護という仕事。「行きたい」と言ったときにすぐに座らせる。
そんなことを言うとある老人病院の人が、「出ててもわからない人ばっかりなのに、出ますなんて訴える人はうちには一人もいません」と言いましたが、威張って言うかね、そんなことを、便意・尿意はいくら歳をとろうが痴呆になろうがなくならないですよ。なのにそれを訴えられなくなっているということはおむつをつけられて訴えても仕方がないから感覚を忘れてしまっただけの話でしょ。
訴えられない・分からない場合にはどうしたらいいのか。これまた看護・介護の学校で習ったはずです。人はいつ排便をしたいと思うでしょうか。
 
 みんなばらばらではないはずです。ある程度生理的に決まっています。排便反射が起きるときを狙ったらいいわけです。S状結腸に糞便が入ってきたときに起こる。いつ入ってくるか。腸全体が、そう蠕動という蠕動運動をやるときに、糞便を直腸に送り込むと言われています。そう蠕動はいつ起こるか。どの本にも書いてあります。一日三回、食後。いの中に食べ物が入ると、胃大腸反射または胃結腸反射が起こって、それでそう蠕動が起こって、糞便が送り込まれて、排便反射が起こる。体の中で二つの反射、「食べる」と「出す」がつながっているんですよ、体の中で。一日三回朝食後、昼食後、夕食後あるけれど、いつが一番いいでしょうか。また、その根拠は何でしょうか。

 一番いいのは朝食後だ、っていうことは私たちは体験的に分かります。朝食を食べた後、トイレに行きたくなります。根拠は何でしょう。排泄・消化・吸収は副交感神経の支配ですね。交感神経が強いときは抑制されます。大雑把に言えば、昼間が交感神経、夜が副交感神経です。するとまだ交感神経が働いていない朝ご飯の後が、一番排便をしたい時間帯ということです。日常的な感覚を理論的に言っているだけの話だけですから。分かる人・訴える人はすぐトイレに連れて行くけど、分からない人・訴えない人も朝ご飯を食べたすぐ後にトイレに連れて行って踏ん張ってもらうというのが排泄ケアです。
 「うちの施設はプライバシーを守るためにおむつ交換をトイレでやっています」なんて威張っているところがあるけれど、おむつ交換をトイレでやるくらいなら、出る前にトイレに連れて行けということです。おむつを前提に物を言ってもらっては困るんです。おむつを替えるというのは排泄ケアではない。後始末。それが問題行動をつくっているわけですから。
 はい。朝ご飯の後です。人によってはまだ口がもぐもぐ動いているくらいかもしれませんし、ゆっくりお茶を飲んだ後という人もいますし、30分後という人もいろいろいますけれど、ちゃんと座って踏ん張る。出るものはちゃんとここで出ます。

排泄ケアの実践例(1)

 広島に誠和園という特別養護老人ホームがあります。私は「ブリコラージュ」というちょっと変わった名の月刊誌(私の個人誌です)を出していますが、;全国に6000人くらいの読者の方がいて、毎年一回、施設見学を行います。毎年行っているのが広島の誠和園です。広島駅集合で、みんなで見て、帰ってきます。今年は6月の仙台の痴呆のケア、すごいケアをやっていますけどね、山崎秀樹という精神科の先生で、私の「精神科の先生は変な人が多いですよね」という話を一番前でニコニコ笑いながら聞いていらっしゃって後で交流会で名刺を出されてびっくりしましたけど、「物忘れ外来」などやっていらっしゃって、「三好さんのおっしゃる通りだ」とおっしゃって、この方は仙台市内で他所ではみれないと言われた痴呆の老人を全員引き取って、鍵もかけずにちゃんとみています。ピック病が5人いるというから私、びっくりして、というのはピック病の方を介護しているところはほとんどいないですよね、若くて力がありますからね、走って逃げようとするのを止めると投げ飛ばされてしまう。職員は青あざだらけですが、投げ飛ばされるのも給料のうちだ、と言っています。そこを見に行きました。グループホームと民家を借りた宅老所2箇所ですが、びっくりしたのはデイサービスです。ものすごい人数。「雑踏ケア」と言います。家庭的ケアって重篤な人をみれないでしょ。だからグループホームって重くなったら追い出しますよね。どうかと思います。呆けをつくっているようなもんだと思うね。家庭的雰囲気を守れない人は特養に行ってもらいます、って、それで施設のケアは画一的だって文句言っているそれはどういうことよ。グループホームをやっていいけど、グループホームという制度を使って一番重い人を最後までみるという覚悟がないんだったら私はやるべきじゃないと思いますね。一番重くて寝たきりの人をみるのが介護。家庭的雰囲気を守れる人を正しい雰囲気でみましょう、というのはお遊び。形じゃないんです。どんなケアをやっているかという中身が問われる。どんな排泄ケアをやっているかが問われるわけですが、この誠和園は50人程度の施設です。今、特浴ゼロ。機械で風呂に入れていません。最後まで家庭的な普通のお風呂に入れています。おむつがほとんどいませんね。3人くらいでしょう。別におむつゼロなんてものを目標にしているわけではないから、一人一人いちばんいい排泄ケアをしていくうちに、結果的におむつが3人くらいになったということです。ここは私の提案を受け容れて下さって、朝ご飯の後、労働力を集中しました。準早出というのをつくって、朝から皆、三々五々食事に行って、三々五々帰ってくる。一斉にいただきますなんてことはしないから。朝ご飯の幅が2時間・昼も2時間あるからね。時間がかかる人は最初に連れてくると2時間かけて食べる。呆けた人は2回来ますけどね。食事から帰ってくるのを準早出は排便表を片手にトイレの前で待ち伏せをする。○さん、昨日出ている、はい、帰ってよし、○さん3日目、はいこちらへどうぞ、と。体重のある人にはもう一人呼んで2人で抱えてふんばらせる。最初は仕事が増えたという気がしたと言うんですが、そのうち気が付くんです。昼間のおむつ交換に歩くでしょ。大が出ている人が一人もいないんです。出るべき便は朝食後に出るから。どうせ大変な排泄ケアをするんだったらおむつの中にしてくれて始末するよりも、便器の中にしてくれた方が私たちも楽だし、老人もそりゃ嬉しいよね。だってそれまでは定時交換ですよ。定時交換ってのはおむつ交換の時間が決まっている。回数くらいは多かったけれど、それでも部屋から部屋へおむつ交換してまわるんです。時間が経っていると後始末が大変だから持って行くものが増えます。着替えが山ほど男用と女用と、SとMとLと、水とお湯とシッカロールでしょ。ママレモンの空になったのに白湯を入れてシュッシュと吹く。コロコロの付いた台に二人がかりで部屋から部屋へ押して歩く、これをお召し車と呼んでいました。部屋へ入ると悪い予感がします。あっと思って見てみると本当に出てて、ごそごそしてるとおしめしめしめ塗りたくってる人がいて、これとるのが大変で、後ろならまだいいよ、前へ回るとこの毛を剃ってやろうかと思うくらい。時々大きな声で「山田さん、大が出てるからももう一人来てくれる」とか言ってみますから、老人は屈辱にまみれ、職員は糞にまみれというのが老人のおむつ交換。それに比べ、便器の中にしてくれるわけでしょ。職員が呼びに来る。「こんなに出た!とぐろを巻いてるわよ、底が見えないんですけど」と。また全職員に見せて歩くやつがいるわね、これが。獲物だと思ってる。排便していることが嬉しいんです。便器でしてくれれば。おむつ交換で嫌な顔をして、むこうもああ嫌だと思ってやる、それでいいケアができるわけがないよね。だから、いいケアがどうかを決めるのは個室かどうか、ユニットかどうか、少人数かどうかとか、そんなのじゃないんです。まず基本的な介護をどうするかというのがなきゃ、形で誤魔化そうとしても駄目。大人数であろうが少人数であろうが、在宅であろうが施設であろうが、まず排泄ケアをどれだけやるか。人間の尊厳を守るケア、それは排泄ケアをしっかりやることですよ。おむつをしないケアをとことんやる、これですよね。出ていることを喜んでくれるという関係ができて、はじめていい介護関係ができるということになるわけです。
 ある日、3日出ていない人を座らせました。ちょっと呆けたおばあさんで、カーテンを閉めると開けておいてくれと言うんですね。カーテンを閉めると寂しいって言うんです。大体、個室なんか求めていませんよね、現場の人は分かるよね。重たい呆けの人は。やっと夜勤の仕事が一段落して落ち着いてお茶でも飲もうかと思っていると、寝かせつけたはずの婆さんが向こうの隅から出てくるでしょ。どうやって説得して帰そうかと思っていると、あれシンクロしてるね大体。こっちの隅からも出てくる。そして真ん中で落ち合って話し出すともう駄目よね。話し声を聞いて眠れない婆さんがまた一人出てくるともう二時三時まで覚悟しなきゃいかんね。ナースステーションに入れてお茶を出して、こくりこくりとなってもう眠たいから帰ろうかという頃はもう三時で3人くっついてやっと寝付く、みたいなことを毎晩やってる。一人で寝たい夜もあればくっついて寝たい夜もある。一人部屋がいい人もいれば大部屋、大部屋で襖や障子で区切られているのが一番落ち着くというのが日本の老人ですね。いろいろあればいいのに。今日の午後のテーマ、介護は十人十色、百人百色。人生いろいろ。呆けもいろいろ。介護もいろいろ。乱れ咲く咲くというのがいちばんいい介護だと思うから、現場に任せればいいのに厚労省は、画一的だから。昔は個室をつくっちゃいかん、大部屋にしろと言っていたのに、今は個室じゃないと認めんと、どっちも間違っているということに早く気が付かにゃいかんね。まあ、現場は賢いから。ちょっと広めの個室にしてね。そこにベッドを2つ置いて、そこに3人婆さんが暮らしているわ。他の部屋は居間と作業所。監査が来ると一生懸命ベッドを戻していますけどね。そういう形で一人一人のニーズにちゃんと応えている。制度や政策で仕事をするんじゃないんです。ニーズに応えるために仕事をする。使える制度はどれがあるかって、それで選ぶんですね。ニーズに応えるために。制度があるから仕事をするんじゃない。
 カーテンを閉めていると開けておいてくれ、見たくもないけど開けておいてくれ、と言われて傍に立っていたそうです。すると、踏ん張っているけど出ない。排泄のために生活しているわけじゃありませんから、しばらく立っていて今日は出ないから諦めて明日にしようか、と言って車椅子に戻して、念のため便器を覗いてみると、まあ大は出ていないけど小は出ていますよね、これが。大は小を兼ねるっていうでしょ。大を出そうと思って踏ん張るとおしっこ出るのは日本人だけですよ。西洋人は大を出しながらおしっこを我慢できるんですよ。不思議でしょ。むこうから見ると日本人はだらしない民族よ。アジア民族もそうなのか蒙古なのかそれは分からない。東京は外人が多いから訊いてみようと思うけど、事が事だけに聞けないし、どの本にも書いていないからこれは私の研究テーマですけどね。まあ、日本の老人や東南アジアの老人を相手にしている限りでは、この大は小を兼ねるというのは使えますから。大は出なくても膀胱は空になっているわけですから、あと3時間はもつよ、この人はっていう計算成り立つでしょ。で、おむつを外そうあるいは念のために当てて、ということを繰り返しながらおむつを外す。3時間後におしっこが出ていない、それでトイレに一緒に行く。それで午前中おむつが外れ、午後外れ、夜、念のためにおむつをして寝るというのでどんどんどんどん誠和園は、50人中、37人がおむつだったんですよ。それが、夜も昼もおむつという人は、最新のデータは知らないけど、3人か4人になっている、というところまでいっています。生理学をちゃんと把握した介護をやろうと、そうすると老人は落ち着いて来ますから、誠和園さんは死亡率がどーんと下がって、なかなか亡くならない。

 うちの施設はキリスト教の教会の人たちが金を集めてつくった施設です。私はクリスチャンでも何でもないんですが、園長もそのB型の生活指導員も、それから真面目な寮母長。真面目でした。バイスティックの原則が白衣を着て歩いている、と言われた寮母長。みんなクリスチャンです。山の中腹にありました。キリスト教の施設なのに山の名前は極楽寺山。毎週火曜日には教会の牧師さんが来まして、老人集めて讃美歌歌わせてお説教して帰るんですが、聞きに来る方は全員浄土真宗で、数珠を持ってきてみんな集まって、「今日の説教はどんなんだった?」と訊くと「ああ、ありがたやありがたや南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と言って帰ってくるような所でした。30数年前から、園長が障害の方からやって来た人でしたから、寝たきりにしないということを大原則にしようとしたのですが、ただ当時その方法論がよく分かりません。みんな素人でした。でも工夫をして頑張っていました。おもらしをした途端、寝たきりになって、そして呆けたという人がいっぱいいました。意識を失っておもらしをしたら、もう救急車で、痛みがあったら泌尿器科ですが、それ以外のトイレに行こうとして間に合わなかっただとか、くしゃみをした途端、漏れただとかいうのは尿道括約筋が老化に伴って緩んだというだけの話で、眼が薄くなったり、耳が遠くなったりというのと全く同じ現象です。眼が薄くなれば眼鏡を買ってくる。耳が遠くなれば補聴器をつけるのと同様の対応策を考えればいいのですが、当時はそういう対応策がさっぱり分かりませんでした。おじいさん・おばあさんがおもらしをしたとなると近所の薬局に行くんです。薬局に行くと、大人用のおむつとおむつカバー、布おむつしかありません。ドビオリなんていうのが一番さらっとしていいから、なんて言われて、大量に出ます、大人は量が多いからね、いっぱい使います。これが外に漏れないようにというのがおむつカバーです。当時出てきたでかいやつでした。なんせフリーサイズです。大きなじいさんも小柄なばあさんもみな同じ。提灯ブルマのお化けみたいなのをみんなつけて、問題なのは上を向いて寝ている「病人用の」おむつとおむつカバー。おむつをつけて立って歩くなんてのを想定していないんです。だけどおもらしがあるけど歩ける人がいっぱいいたんです。ギャザーとか当時何にもないから、おむつをつけられた途端、起きると苦しい、立つと落ちるなんてことになるので、あっという間に寝たきりにさせられていました。うちの施設はおもらしくらいあったって、立って歩けないわけはないからどうにかしろ、って園長が言いますから、みんなで話し合いをして、大きなおむつでしたから、おむつ交換の後、おむつの上から腰紐をきゅっと締めて、それで廊下に出て歩く。うちの特養の廊下は、みつばちマーヤが何人も何人もうようよしていました。
 Dさんというおばあさんはおもらしをしていましたが、太っていてウエストがないもんだから、いくら閉めても、廊下に出て「おーいおーい」と呼ぶから行って、脱げてしまって足に絡み付いて助けてくれと言っている。みんなで、Dさんのおむつがずれるのをどうしたらいいのかケース検討会を開きました。ケース検討会って言ったって、そんな洒落た時間があるわけじゃない。昼飯を食べながらお話をするというのが私たちのやり方でした。 
介護職の職業病、ご存知でしょうか。飯を食べながらうんちの話を平気でする、というの、あれは家庭に持ち込まない方がいいと思いますが。もう一つありますね、職員の慰安旅行で、温泉旅館か何かに泊まるじゃないですか、夕食が終わるや否や、下膳を始めるね。残飯集めて皿を重ねてね。今日はいいじゃないかというけど、あれは条件反射になってしまってるね。まだ食べてるのに始めますから。仲居さんが来るともう仕事が終わっているからびっくりしますわね。
 大体、ウエストがないからずれるのよ。問題点、肥満。介護目標は体重減少。でも寮母みんな寮母、肥満ですからそれは仕方ないですよね。その日の会議の結論。もっときつく縛ろう。単純なケアプランですね。早速その日の午後、二人しておむつ交換に行って、Dさんのおむつ交換が終わった後、二人できゅーっと締めていました。するとDさんが、「あーわーわー」と言う。「はっきり言ってごらん。何?」よく見てみると、2本のおっぱいを下に入れたまま。上から縛っていますから、そりゃ痛いですよね。慌てて引っ張り出して3枚にたたんで、昔の人はブラジャーをしませんから晒で巻いて、またきゅーっと締めて歩いてごらん。部屋を出るか出ないかのところですとーんと落ちて。
 また昼飯を食べながらケース検討会。今度は私の案が採用されました。私が自分の家から自分が使っていたズボン吊を持ってきまして、これをうまくおむつ吊りにして、これがうまく行きました。ズボン吊を大量購入。廊下をズボン吊を付けたみつばちマーヤがうろうろするという状態。
 
 今思うと、ほとんどズボンなんか付けなくてもどうにかなったな、という気がいたします。痴呆でも尿意はなくなりませんね。だって濡れたパンツを隠したりなんてしてるのは、皮膚感覚や恥ずかしいという感覚が残っているということでしょ。更に見ていてください。尿意がなくなっているわけではないんです。尿意は頭に届いているんですけど、判別が出来ないんです。この感覚は何だろう、切羽詰ってるんだけど、これはおしっこだと判定ができないときの老人の徘徊というのは、その辺をうろうろうろうろ、判断がつかないよ、というのがこれが一番深い呆けの方だと思います。何か考えている風です。助けを求めているような感じ。あっこれはおしっこだと分かるんですけど、次が分からない、トイレに行かなければという判断に結びつかない、という人もいます。その場でうろうろしますね。
こっち行ってはこう、どこに行けばいいんだろうという徘徊の仕方もあります。一番多いのは、尿意も判って、トイレに行かなければという判断まで行き着くのですが、トイレがどこにあるかが分からないという人の徘徊、具体的に何かを探すという徘徊です。もう少し徘徊の範囲が広くなりまして、廊下をこう行っては、こうきょろきょろして、何か探していますね、なんだろうと思って見ていると、トイレをみつけてすっと入りますから、ああ良かったと思っているとすっと出て来ますね。昔のトイレは狭くて暗くて臭いところだったから。施設のトイレは広くて明るくてきれいでしょ。とてもトイレだという気がしないで、そこでしませんから、そのデイサービスは隣に公園があってそこの汚いトイレまで連れて行くと、ちゃんとしゃがんでおしっこをする。そこで職員はデイサービスの一角に板囲いをしまして、電球を黒く塗って、板を敷き詰めて穴を開けてちょっとぽっちゃん便所の雰囲気にして、まあ臭いは再現しませんが、これをやってみると落ち着いてやってくれた、という所もありました。

排泄ケアの実践例(1)

 東京都の北区にあじさい荘という特別養護老人ホームがあります。ここは、セミナーにも来たことがありますかね、鳥海房枝という保健婦さんがやっているところで、看護協会の抑制廃止委員をやっている方です。そこへやって来る痴呆性老人、みんなおむつにつなぎで来るそうですが、それも抑制のうちだと言って入ってきたその日に全部つなぎ服を外すんですね。そのかわりに痴呆のフロアはおしっこだらけで臭いぷんぷんして、職員がちょっとこれはひどいんですけど、と来たそうなんです。「ああどうするの」「もう一回おむつをつけてつなぎを着せる」と言ったら、「いいよ、そのかわり職員全員一日つなぎとおむつで、それでいいと思ったらやりなさい」と答えたといいます。さすが彼女ですね。
 今、おしっこの地図をつくっています。フロアの設計図を拡大コピーいたしまして、何時に誰だどこにおしっこをしたか、全部記録をとっていく。面白いですね。同じ人が同じ所で同じ時間にしますね。特に呆けが深くなっている人とか、ピック病の人ってご存知ですか?ピック病の人はオールド時計症状と言われているのですが、毎日同じ時間に同じ事を繰り返すことで安定しているといいます。だからデイサービスにやって来ると、朝、同じ人が迎えに来ておはようと言うとそれで落ち着いてスーッと過ごすんですが、そこで日常と違うと、違う人がひょっと出たりするとパニックってぱっと走って行ってしまったりという人になるんですね。だから仙台の山崎先生の雑踏ケアを見ると、前頭葉が萎縮して人格崩壊になるわけですね、万引きなんてのも常習なんだからさせればいいんだ、店の人と話をして、今日盗ったものの金を後から払いに行くという、そういう常習性というのをちゃんと個性として認めて落ち着かせるために、それすら使おうよと言っています。そのように本当に同じ時間に同じ表情で来て、そこへしゃがもうとするそうです。これさえ分かれば、もう後は「待ち伏せケア」です。待っていると来るそうですから。トイレへ案内して、今おむつを使っていないけど、全然臭いはなくなったそうで、時々失敗することもあるけどそれはこっちが気づかなかっただけで、見ていると段々分かってくるそうです。
生活リハビリクラブの下山名月さんがおっしゃったのは面白かったね、50代のアルツハイマーの方で、私の顔を見るとすぐ怒る人でした。この人は僕らが風船バレーをやっていようが何をやっていようが全然参加しないで、フロアをぐるぐるぐるぐる、ぶすっとした顔で左回りに回る。痴呆の人は左回りが多いというのはご存知でしたかね。左回りにぐるぐるぐるぐる回るというのが彼の特徴。おしっこに行きたくなると、歌っている鼻歌が長調から短調に変わるというんですね。それでトイレに連れて行くと、百発百中と言いますから。介護職が見たり聞いたり思ったりしていることで、排泄ケアをちゃんとつくっていくということをやれば、痴呆性老人、薬なんかを使わなくたって、夜、ぐっすり寝てくれますよね。まずここからは入って行きたいと思います。

最後に

介護という職業ほど面白い仕事は、もう世の中に残っていないのではないかと私は思います。是非、皆さん、介護の仕事を続けて下さい。職場は辞めても介護はみなさん辞めませんよね。今日も、自分の金を使って、自分の休みの日に、わざわざこうやって来ている人がほとんどだから、おそらく職場では熱心さの余り、浮いている人が多いのではないのかなと私は思っていますが、あれは自分が浮いていると思ってはいけません。みんなが沈んでいるんだと思って、浮き続けなければならない。
今日、並んでいる本の中に「一人からはじめる老人ケア」という本がありまして、これがよく売れるんです。施設の人が買っていくから、よっぽど辞めたい人が多いんだろうと思うんですが、介護保険というのはありがたい制度で、2級ヘルパーの資格さえ持っていれば、自分でNPO法人か1円資本で有限会社をつくって、自宅や借家やマンションの一室でデイサービスをできるんですよね。重たい人を最後までみます、希望があれば、というケアを地域にいっぱいつくって下さい。私はそれがないから在宅ケアが今、崩壊しつつあるのだと思います。だって皆、特養待ちでしょ。最後まで重たい人をみてくれないから在宅ケアは崩壊してるんです。そういうデイがあって、ショートステイがあれば、何とか家と別荘とで死ぬまでみることが私は可能だと思っていますけど、そういうのをどうぞ小学校区に一つ二つつくって行きましょう。今、デイサービスに勤めている人、あの要介護度4とか5の人を2、3人ほど連れて辞めればいいんです。ホステスが店を辞めるとき、常連客を連れて辞めるでしょ。ああいう具合に。4とか5の人が2、3人来てくれると30万、40万になるわけですからね。

それでいいケアをしようよ、ということでありまして、是非、介護の仕事を続けてください。そんなこと言ったって、給料は安いし、仕事はきついし、上司は無理解だし、確かにその通りですが、それでも私は得することがあると思っています。それは何かと言いますと、介護職は将来呆けにくいと言うデータが出るはずだと私は思っています。どうしてかと言うと、「老いのレッスン」ができるでしょ。老い方の見本を毎日見せてもらっているわけですよ。介護をやったことがない人は、自分の呆けがぶっつけ本番よ。ある日突然おもらししたりね、物忘れしたりね、若い人に頼らないといけなくなると、こんな自分が自分のはずはない、と現実の老いた自分を受け容れられないために、若い頃の自分に戻ろうと思って、葛藤型になったり、これは私の痴呆の分類ですが、想像の中でだけ過去に帰る回帰型になったり、現実から遊離して何もしなくなる遊離型になったり、という反応をしていくわけです。それに較べるとわれわれ介護職はありがたい。安い月給だけど、給料をもらいながら毎日20人、30人、老い方の見本を見せていただいているわけです。あんなばあさんにはなりたくねえな、あるいはあんな風に歳をとって言ったらいいんだと思うような人も時々いますよね。大変ありがたい。自分の老いを迎えいれていく準備がちゃんと出来ているわけです。今日、痴呆論を買っていただいた方、中に小冊子が入っています。きらら通信といいますが、ここに私の仮説が出ています。「はげはぼけにくい」というのが私の仮説。あのデイサービスに来ている痴呆の老人を思い浮かべてください。髪の毛ふさふさした人が多いと思いませんか。はげた人はあんまり呆けていないよ。これ、どうしてか分かりますか、はげの人は若い頃から自分の老いを受け入れざるをえなかった。恐らく将来、はげと介護職はぼけにくいというデータが出てくるだろうと、私は思っていますけれど、ただ将来みなさん体が不自由になって、老人施設に入らないといけない、なんてことになった場合には若い頃介護職だったということは伏せて入った方がいいと思いますね。若い職員からすごく嫌われると思います。ちょっと質問すると「それは長谷川式だろう」なんてちょっと可愛げのない老人にならないようにお互い気をつけましょう。
長い間、ありがとうございました。

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