いきいき介護セミナー第3回目
日時:平成20年8月30日(土)
場所:大津第一生命ビル
講師:白杉 滋朗 先生(ねっこ共働作業所)

私も障がい分野で3級訪問介護ヘルパーの資格を持っています。月に一回重度訪問介護、お風呂の介護に行っています。滋賀県では知的障がいの人に 3級ホームヘルパーの資格を取ってもらう制度が6、7年前から始めていますが、その時一緒にとりました。3級から2級、介護福祉士へステップアップするのではなく、知的障がいの方だから出来る介護があるのではないか?知的障害だからこそ持ってるものが介護分野だからこそ伸ばせるものがあるのではないかと思っています。
B4資料の「手をつなぐ」がねっこの歴史をコンパクトにまとめられています。A3資料は補強資料です。
共同作業所と共働作業所の違いは?違いはないんです、勝手に言っているだけ、作業所の中には協同・協働を使っているところもある。ねっこは共働作業所なりの考えはあります。ねっこは1975年に開始し、その当時は「あらくさ印刷共働作業所」として大津市冨士見台で始まりました。今も滋賀病院の裏で看板がかかっていますが、バイクではあがりにくい坂のかかりにあります。是非、怖いもの見たさで見に行っていただいたらよいと思います。北小松の山奥に「あらくさ共同体」という集まりがありました。今は入所施設と呼びますが、当時は収容施設と呼んでいました。ひどい言い方ですが、当時法律では障がい児といわずに異常児といっていました。そんな時代に施設解体の思想に共感して一緒に暮らそうと集まった連中が今は60才になっているわけですが、その人たちがいろんなところに共同体を作ったのです。しかし町の中につくる言ったら「何やあいつら」と拒否反応を示される、また、町の中でつくるお金もない、そして山奥に入ることになります。ともに生きていこうとする姿に"すばらしい生き方やなぁ"と感じた人たちが40年前の若者の中にいたのです。ねっこの創設者で、われわれの先輩である連中が、われわれは共にという思いは非常に正しいと思うしかし山の中はちょっとということで、大津の町で共に働くことから始めることを提案するのです。仕事の内容は何でも良かった。では、何で印刷なのか。障害者作業所のメニューというとクッキーやパンは、そして今はメンテナンスです。大津でもふれあいスポーツセンター等の施設の清掃を担当していますが、クッキーのような大きな設備投資がいらないのです。
メンテナンスは人さえいればよいというのでブームになってる。では、ところで40年前は印刷がブームであったのか?
ゼンコロ(全国コロニー協議会)をご存じですか?この辺であれば京都の城陽にありますが、コロニー運動は結核回復者の運動でした。結核回復者は低肺状態といって、肺が十分に機能しないので、普段の生活もたいへんで、身体障がい者であり就労困難者でした。地域で自分たちも働きたいということでガリ版 (いわゆる謄写版)の筆耕をすることになりまた。ガリ版の博物館が滋賀県の豊郷??にあるのですヨ(正しくは、東近江市蒲生にガリ版伝承館がある。ガリ版は、明治27年蒲生町(現・東近江市)出身の堀井新治郎父子により発明され//www.pref.shiga.jp/minwa/28/28-06.html)
初歩的印刷方法であります。先輩たちも勝手に思ったんでしょうねぇ。"障がい者が働くのなら印刷だ"と思ったのでしょう。しかしそれは大きな勘違いで、今から考えると障害のない人がやってる仕事は、基本的に障がい者も出来るはずです。そのとき僕も「何で印刷の仕事なんですか」と聞きました。すると「いろんな工程があるやろ。つまりお客さんのところへ行く営業、原稿を活版印刷するために活字を拾う、印刷する工程、間違いがないかチェックする、組んだ版・活字を返していく作業があるやないか」といわれた。またお金の計算する会計があり、いろんなところで働く仕事がある。でも、うどん屋でもいろいろな工程はある。お菓子屋でも様々な工程がある。しかし、当時は印刷で成功しているところがあったから、広がったのかも知れません。それで印刷を始めるのですが、そもそも作業所というと障がいを持った人が働く職場はあったのですが、障害のない人は先生、障害のある人は訓練生、という位置づける観念に支配されていました。だから、家族も職員のことを先生先生と呼んでいました。そういう障がいのある人ない人の関係性にわれわれの先輩は疑問を持った。同じ人間やのに対等やろ。対等・平等の関係を大事にしていこう、となるわけです。そこでそこから働き合うことをまずは考えよう。これが、われわれの実践している"決まり事"です。実際これに尽きるのです。問題が起きたときに、対等・平等性が担保できているか。そこに立ち戻って考えたら、この問題を対処できるかの答えが出るのではと考えている。ところが、ほんとにブームにのって印刷をやったのですが、印刷経験ある人が一人もいなかった。経験もない、やったこともないのに、印刷を始めるのやからメチャメチャなことやったのです。でもやったのです。一人はツテを頼って仕事を取ってきたり、大阪に習いに行ったりしました。中古の機械を買ったが、でも100〜200万円はしました。(今ある機械は2000万円するのもあります。でも、もっと本格的にするには5000万円くらいするのです。)当時、みんな若くてお金がない。そこで謄写版の上級機種であるドイツ製の輪転機を使っていました。印刷した紙のインクが裏写りしないように、間に紙を入れるようになっていたのです。そういう機械で印刷していました。当時、同人誌などはガリ版印刷でした。その後、版材とドラムがぶつかり、処理したところだけにインクがのるオフセット印刷に移行します。このほうが印字などはシャープになります。そこで、このオフセット印刷機を買わなければならなくなったのです。これが今だったら新品で一番小さな機械で300万円する。精度のグレードが上がると1000万、2000万5000万円、一億円する。設備整備をしなければならない。それ以上に困ったことは、まずそこに働く人間が、飯を食っていかなければならない。若いと理想だけでいけるが、お腹が減っていたらひもじいし、お金を稼がなあかんし、しかし素人だし、名刺も持っていない、そういう人間が仕事取りに来ても、ほんまに仕事できるのといって仕事がもらえないわけです。あらくさ印刷創設メンバーの当時の青年達は、肢体不自由児父母の会のボランティアみたいなことをやっていた関係から、その御家族から仕事を紹介してもらい、また支えてもらったのです。しかし、すぐにはその輪が広がるわけにはいきません。稼ぎは月に10万円くらい、みんなでですよ、みんなで稼いだのです。その時10人近いメンバーがいたので、働き合う関係は、人である以上対等・平等であるとの理念がありますから、分配も一緒になるわけです。そうするとひとり1万ですが、1万円では到底生活できません。障害のあるメンバーも、ないメンバーも恥ずかしながら、親のすねをかじっていました。二十歳そこそこですから・・・今は障害者には、障害基礎年金というものが二十歳になったら給付されます。2級年金は老齢基礎年金と同額です。月に66000円入ってきますが、当時は月に20000円くらいの福祉手当みたいなものがありました。障害のないものには、ねっこからもらう10000円それっきりです。たいへんやということで創始者のメンバーの一人は、生協の牛乳配達を朝早く起きてやっていました。ねっこで仕事が増えそれなりにお金が払えるようになっても続けていた。そういうことをしながら、自分たちの働く場を支えようとしていたのです。普通なら、月に10000円しかあたらへんのやったら、辞めてしまって、別の職場行くやん!と思われるでしょ。でも彼らはお金も大切ですが、それに加えて当時のあらくさ印刷の中での働きがいみたいなものを感じていたのではと思います。対等平等に働くのや、というところにやりがいか何かを感じたんやないかなぁ。だから続けてこれたんや、と思います。
でも34年前の先輩たちの試みというのは非常に冒険主義的で、もし自分の息子がやるといったら、「アホなこと考えるな」と僕は言うでしょうねぇ。人生の先輩としては、まずそうアドバイスしないとあかんでしょう。「そんなんで飯が食うていけると思うのかぁ。」しかし、その先輩たちの冒険的な取り組みがなかったら、僕は今ここでしゃべっていません。ねっこ共働作業所あるからこそ今があるんですから。
作業所、事業所の違いを説明しなければなりませんが、その前に"きょうどう"と発音する言葉の意味についても考えてください。発音が、同じならひとつの言葉にすればいいのに、あえて漢字を変えているのに何か意味があるのでしょうか? ねっこは障害があってもなかっても、言葉が違っても、文化が違っても、人である以上は平等にこの社会のなかで生きていけるべきで、お互いがお互いを尊重しながら生きていくべきや、ねっこが社会全体を変える力はないけれど、少なくてもこの大津市はそういう市であってほしいと思っている。これに対して皆さんはあまり異論は唱えられないと思う。でも今の世の中は本当に共同なのかと言ったら、決して共同ではないのですが、それを目指したい。つまり、共同でないということは、障害者にとっては差別を受ける側になるわけで、差別の社会やということになるんです。われわれねっことしてはみんな平等やと思ってますよ。だから10万円の儲けは10人で1万ずつ分配しているのです。しかし、一歩外に出たら共同ではなかった。それは、何故か、どんなことか? 今でこそJRの駅には車椅子の人でもほぼ駅のホームまでひとりで京都大阪へ行けるようになっていますが、今から30年前は車イスは自由に行けませんでした。たとえば石山駅、京阪石山駅なんかは、階段が5,6段あったから、乗れない。JR(当時は国鉄)の石山駅も道から15センチの段差を上がらねばなりません。車椅子の人は介護者がなければ、ここでアウトです(その後長い階段が・・・)。決して共同の社会やないやんということになります。ねっこの中でいくら共同を実践してても、一歩外に出たら共同の社会やない、それなのに共に同じとういのは、おこがましいという風に思いました。それで共同の社会実現のために、なにができるか?自分らの中でできることは、ねっこという箱の中で共に働き、そこから共にを発信することはできるのと違うんかなぁと思ったわけです。ですから"共働"の字が大切なんです。ワープロで打ったら出ません。"共働き"と打って"き"を消す。時々"き"を消すのを忘れて、ねっこ共働き(ともばたらき)作業所となり、恥ずかしい思いをすることもあります。
共同性 賃 金 対等性
共同作業所 × × ×
共働作業所 ○ × △
一般事業所 ? ○ ×
共働事業所 ○ ○ ○