第1部 最初の日本人の系譜
日本人の源流を探して
(敬称は全て省略しています)
07.Gm遺伝子が解き明かす人の移動
自然人類学(形質人類学)は人類の祖先や進化を研究する学問であるが、日本の人類学は同時に日本人の起源を研究する学問にもなっている。従って歴史は長く権威もある。しかし、この学問は頭骨を中心に骨や歯といった化石化しやすいものをいろんな角度から計測し研究する、従って“骨”が見つからなければ進歩しないという性質を持っていた。この殻を打ち破ったのが“遺伝”という分野から人類の祖先や日本人の起源を研究するという方法、いわゆる人類遺伝学であり、分子人類学である。
この分野では、尾本恵市、宝来 聰、斎藤成也等が著名であるが、法医学の権威・人類遺伝学の先駆者、松本秀雄
のGm遺伝子の研究も注目すべき労作だと思っている。
狭量な形質人類学者から軽んじられたり、無視されたりしていると私には感じられているが、そのGm遺伝子の環太平洋、グローバルな分布の研究から、いろいろな注目すべき結論を導くことが出来る。
(Gm遺伝子の概要については、まず研究ノートの01.Gm遺伝子および01.-1
を参照ください)
出アフリカを果たした最初の現生人類
ミトコンドリア・イブの愛称で知られる現生人類単一起源説は、いまやこのテーマの多数派となってる。現生人類は約20万年まえアフリカにいたミトコンドリア・イブから生まれた。
進化生物学の根井正利
の遺伝距離の研究によれば、その後黒人グループと将来白人種と蒙古系に分かれるグループとに分かれたのが12万年まえ、次に6万年前に白人種と蒙古系が分化した、蒙古系人種は黒人種よりはるかに白人種に近い、ということである。
Gm遺伝子においては、人種の違いを次の遺伝子のセットで表現することが出来る。
これを見るとGm遺伝子では、蒙古系と白人種はag遺伝子とaxg遺伝子を共有しており、遺伝的な距離が近いという根井の研究とよく合致している。
以上を総合すると、約12万年前、将来白人種と蒙古系人種に分かれるグループが黒人グループと別れ、出エジプト(人類としては2度目の)を果たした。その時の彼らのGm遺伝子は、まだ“agとaxg”だけであったということになる。
(なぜなら、afb1b3は南方アジア人の標識遺伝子であり、ab3stは北方アジア人の標識遺伝子である。またfb1b3は白人種の標識遺伝子である。これらが生じる前の状態が白人種と蒙古系人種が分化しない状態だと考えられる。)
これは予想外のところから証明された。
松本秀雄が収集した現在の集団毎のGm遺伝子分布で、最も古い民族集団ではないかといわれているオーストラリア大陸の西部砂漠の先住民、いわゆる「アボリジニ」がこのパターンを持っていた。また南米とりわけアマゾンの奥深くに住んでいるシャバンティ・インディアンと呼ばれる部族が全く同じパターンを持っていたのである。アマゾンではシャバンティだけが例外的にこのパターンを持っているのではなく、カヤポやペルーのマチゲンガなどがほぼ同様のパターンを示している。
この事実はまだ白人種と蒙古系と分化していないか、あるいは分化して間もない時代の現生人類が、すでに北アジアからベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に達していたことを意味する。また南アジアではスンダランド或いは島嶼部から、サフールランドまたはオーストラリア大陸へ達していたことを意味する。

すなわち初期ホモ・サピエンス(現生人類)がユーラシア大陸からオセアニア・アメリカ大陸まで既に全世界的に拡散していたと想定していいのではないかと考える。松本によればその年代は少なくとも4万年前以前であるという。(根井によれば6万年前)
北方型と南方型、二つの蒙古系民族集団
埴原の二重構造モデルでは、縄文人、その祖先たちは南アジアの原アジア人であった。その後、弥生人として北方アジアからやってきた渡来人も、もとは原アジア人であったが北上して寒冷適応し「典型的アジア人」すなわち新モンゴロイドとなった人々であるとしている。すなわち北方型のアジア人はもともと存在せず、南方型の古モンゴロイドだけが存在したという考えである。
この問題は日本人起源論、南方起源説や北方起源説を探求するためには重要な課題である。これをGm遺伝子から見た場合、どういう結論になるのだろうか。
東南アジアに分布していたagとaxg遺伝子しか持たない初期のホモ・サピエンスが、蚊を媒体とする感染症のマラリアに悩まされていたことは想像に難くない。その環境に適合するため、彼らは、マラリアに対する抗体に関係するとされるGm遺伝子−afb1b3−を大きな頻度(70〜90%)で保有するようになったと思われる。下図では赤の部分である。(表参照)

彼等が主張するように、例えばネグリトのような原アジア人が北上して寒冷適応を果たしブリアートのような北方型蒙古系集団になったのならば、その集団は afb1b3遺伝子 をより高い頻度で持っていなければならない。しかし現実には北アジアには、北方型の標識遺伝子agを40〜50%の頻度でもち、寒冷適応に対応すると思われる遺伝子 ab3st を20〜30%の頻度で持つという全く別の集団が存在するのみである。
筆者の考えでは、

この図のように、北方型蒙古系集団(例:ブリアート)は、もともと北アジアにいたagとaxgの遺伝子を持つ初期ホモ・サピエンス(シャバンテ・インディアンの祖先にあたるような集団)が極寒期に寒冷適応の洗礼をうけ、寒冷気候に抵抗力のあるab3stの遺伝子を持つに至った集団であるといえよう。
また南方系蒙古系集団(例:ネグリート)は、同様に、もともと南アジアにいたagとaxgの遺伝子を持つ初期ホモ・サピエンス(アボリジニの祖先にあたるような集団)が、マラリアに対する抗体を獲得する過程で、afb1b3遺伝子を持った集団であろう。
とてもネグリートのような集団が北上して、寒冷適応した結果、ブリアートのような集団になったとは、Gm遺伝子頻度の内容から、筆者には考えられないのである。
Gm(f)型、Gm(t)型が生じた時期
やや専門的になるがGm(f)とGm(t)の発生時期について触れておきたい。
(Gm(f)はafb1b3と,Gm(t)はab3stと同義と思っていただきたい。)
松本秀雄の著述から引用する。---ヒト以外の霊長類はもちろん、ヒトでもアフリカの黒人種には全く認められず、白人種と蒙古系人種にのみ共通に認められるGm(f)や蒙古系人種にのみ認められるGm(t)などは、サルからヒトに進化したずっと後で、しかもいわゆる「人種」の区別を生じた時期以降に、これらの型を表現する遺伝子の突然変異(アミノ酸置換)が起こったものと考えてよい。
とくに我々の発見した蒙古系民族を特徴づけるGm(t)型の生じた時期は、それよりもずっと後の時期であり、今からおよそ1万数千年位前という時期に、点突然変異によって生じたものと考えている。---
松本はこのように述べている。筆者がこの部分を引用したのは(f)と(t)の生じた時期と原因について松本自身がどう考えているかということである。
(f)については松本の前後の著述から4万年まえ以降、白人種と蒙古系とが分離した時期と推測できる。
(t)の点突然変異とは一つの塩基が置換して生じる変異のことをいうようだが、松本はこの(t)の生じた理由を慎重に表明していない。
こう考えることによって、ab3st遺伝子が点突然変異として現出した必然性と、地域的な遺伝子の流れを、明快に説明できると思うのである。
筆者は、バイカル湖周辺のブリアートなどの民族集団が、極
寒の気候に耐えうる形質として、まずこのab3st遺伝子を獲得し
(約1.8万年〜2万年前ごろ、ヴェルム氷期の極寒期)、次第に
胴長短足の体型や平面的な顔、一重瞼や蒙古ひだなど、目に見
える体質を顕現していった(約1万年前)、と考えている。
逆の言い方をすれば、新モンゴロイドといわれる人々は、こ
のab3st遺伝子をもつ人々ということになる。
アイヌ人や沖縄人、日本列島人もこのGm(t)をしっかり持っている。したがって以上のことを踏まえたうえでGm遺伝子による日本人の起源を探究したい。
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