日本人の源流を探して         (敬称は全て省略しています) 


                      第1部 最初の日本人の系譜 


 
          08.日本人のGm遺伝子から故郷を探る  
 

もう一度、埴原の二重構造モデルを見てみよう

この図からわかるように、本土日本人は縄文人と渡来型弥生人の混血であり、一方、アイヌ人と琉球人は縄文人のほぼ直系である。このことは現在定説となっており、本論でもひとまず定説に沿って研究を進める。

  アイヌ人・琉球人と本土日本人

 アイヌ人・琉球人・本土日本人はGm遺伝子ではどういう違いが認められるのだろうか。
 
 
このグラフはもちろん現代の人々のデータである。従って松本によれば、例えばアイヌの人々のデータは、遺伝学的に60〜70%の純粋さしかないという。しかしそれでも、本土日本人との同化が進んだ現代において、奇跡的なデータといわねばならない。
 また宮古島の人々は一般の沖縄の人との間に言葉が通じない、あるいは民俗的にも違いが見られる人々であるという。上図のデータはそういう風に出来るだけ本来の姿に近づける努力をした結果の数値であると、松本は言う。

 まずアイヌ人と琉球諸島人とくに宮古人とは、非常に高い青のag遺伝子と、極端に低い赤のafb1b3遺伝子をもつという明らかな等質性が認められる。アイヌ人と琉球人が二重構造モデルにもあるように、縄文人の直接の子孫の可能性がGm遺伝子からも窺える。しかもそのGm遺伝子の頻度は、きわめて北方的であり、南方系の可能性はほとんどない。
 一方、アイヌ、琉球人グループと日本列島人とは、南方系の赤のafb1b3遺伝子で2倍以上の頻度の違いが認められる。日本列島人のほうが2倍高い。
 これは本土日本人には、南方のアジア人(おそらく弥生時代に水田耕作技術をもたらした江南の人々)の影響、あるいは縄文時代のいずれかの時期に、照葉樹林文化を伴って渡来した南方の人々の影響があった為であろうと思われる。

  縄文人の祖先は港川人か

 埴原によれば日本民族の基層となっている縄文人あるいはその祖先は、あくまでスンダランドまたはその島嶼部の原アジア人系であり、港川人もその系統と考えている。
 この南方起源説をGm遺伝子のフィルターにかけるとどうなるのだろうか。
 埴原だけでなく、民俗学の泰斗柳田国男 の有名な「海上の道」はあったのだろうか、という問いの答えにもなるかもしれない。
 
 このグラフを見ると、
鹿児島に近い種子島、屋久島までは日本列島人との等質性を示している。
 しかし奄美から与那国までの集団は、afb1b3遺伝子の頻度が非常に低い、極めて北方的な遺伝子セットになっている。アイヌ系と言ってもいいのかもしれない。
 そしてひとたび台湾に入ると、afb1b3が76%という高頻度の南方的なGm遺伝子のセットになる。ab3stという北方蒙古系の標識遺伝子も台湾ではほとんど認められない。
 すなわちGm遺伝子で見ると、日本の南西諸島と台湾とでは断崖絶壁というような集団間の違いがある。もし海上の道を南方の集団が島伝いに北上したとするなら、そういう絶壁のような遺伝子の断絶は見られず、なだらかに南方要素が大から小へ、北方要素が小から大へ推移するはずである。
 したがって、 松本秀雄は言っている。
 −−「現在の日本民族の基層となっている原日本民族が南方から琉球諸島、奄美大島を島づたいに遡上し、原日本民族を形成した」ということは、Gm遺伝子の分布に基づいた人類遺伝学的検証の結果では、全く考え難いことである。もし、南方から遡上したとするならば、南方型蒙古系の標識遺伝子・赤のafb1b3は与那國のみならず、琉球、奄美大島においても、もっと高い値を示すはずである。(p.109)−−
 すなわち、松本は“最初の日本人”が南方の原アジア人や沖縄で発見された港川人起源ではないと、キッパリと否定しているのである。

 原日本人の故郷はどこか

 いまGm遺伝子は二つのことを明らかにしてきた。
 ひとつは、アイヌ民族や琉球人は南方系の赤のafb1b3遺伝子を、僅かしか持たず極めて北方的であること。それに対し、本土日本人は2倍ぐらいの赤のafb1b3遺伝子を持っている。
 二つ目は、琉球人と台湾の先住民とは、まったくGm遺伝子では関連性がない。したがって琉球人の祖先が、「海上の道」すなわち黒潮に乗って北上し、台湾や南西諸島を経由して、たとえば港川人となり、原日本人となった可能性は、少なくともGm遺伝子で見る限り全くない。
 
 次の、やや大きい、環太平洋の民族のGm遺伝子のグラフから原日本人の故郷を推測して行きたい。これは、松本が苦労して集めたGm遺伝子の頻度を、円グラフではなく帯グラフで図化したものである。
 このグラフには、Gm遺伝子として今まで説明してきたうちの、大半のデータが凝縮して表示されている。

 この図から明らかなように、列島の三民族、本土日本人、アイヌ民族、琉球人に見られる非常に少ない頻度のafb1b3遺伝子と、高い頻度で見られるab3st遺伝子の組合せは、チベット以南では急激に消滅している。東南アジアはもとより中国雲南省などの少数民族とも近似性は認められない。
 すなわち、日本列島の三民族は、極めて北方的な民族ということが出来る。しかも、ab3st遺伝子を25%〜26%以上という高い頻度で、現在も保持するという特性を持つ。
 松本秀雄に言わせると、北方的な民族を象徴的に示すab3st遺伝子は、バイカル北部のブリアートを基点として四方に遺伝子の流れを作っているという。
 そしてこの現在も保持し続ける特性に基づき、松本は、
−−私は、「日本民族は北方型蒙古系民族に属するもので、その起源はシベリアのバイカル湖畔にある」と結論する。−−
と述べている。

  Gm遺伝子解析を支持する東アジアの旧石器文化

 この松本のGm遺伝子解析からの結論を、「恐ろしいほどの一致といわざるを得ない。」と
驚きをもって支持したのは、東アジアの旧石器文化に詳しい、考古学の加藤晋平である。
 加藤晋平は自著「日本人はどこから来たか」のなかで(p.171)、
 12000〜13000年前に東日本を覆った、クサビ型細石核と荒屋型彫器を伴った、細石刃文化
を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。
 バイカル湖周辺から東方への拡散の動機は、サケ・マス漁撈の発達と漁場の追求であったらしい。日本におけるクサビ形細石器文化圏と、サケ・マス類の主要遡上河川の分布域とはよく一致している。−−としている。
 加藤は、この考古学からの仮説と、松本秀雄博士の意見は全く同じ結果を示している。恐ろしいほどの一致だと言うのである。
 (加藤の説は、下図によれば、シベリア東方型細石刃石器群の分布地域の青線で示したとこ
  ろ。)
 
 松本秀雄の、日本人バイカル湖畔起源説は、その一元的方法論と断定的結論もあっていろいろな批判にさらされている。しかし、筆者はなかなか魅力的な学説の一つではないかと思っている。
 ただ、筆者は最初に記したように、いろんな研究分野を統合した整合性のある結論を得たいと考えているので、Gm遺伝子からの仮説もその一つと考えている。
 筆者の一応の結論は、第4部09.「日本人の成立モデルを考える」で纏めているので、ご一読願いたい。

     

         
         
         


    
 

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