日本人の源流を探して         (敬称は全て省略しています) 


            第1部  最初の日本人の系譜


09.黒曜石を運んだミラクルな古代の海上輸送

 
  大陸と列島の陸橋はあったか?

 ここまで、この列島に残された文化の痕跡や、現代日本人の血液に残る祖先の遺伝子を調べることによって、先史時代、どういう集団が渡来して来たかを調べてきた。
 そして、それらの集団がこの列島にやって来た経路についても、捉えてきた。
 
しかし、“その時”列島が都合よく大陸と繋がっていたのだろうか、彼らはどういう方法で列島に渡って来れたのだろうか。
 次の課題に進む前に、これらの問題をクリアしておく必要性を感じる。

 まず海峡深度の問題から検討したい。右図は現在の海峡深度である。1万年以上前とは地殻変動、海流による侵食や堆積などの変動が考えられる。
   
しかし、その変動は地球の歴史から見れば微々たるものであろうし、またその変動の詳細を推測したり把握することは、なかなか困難なことであろう。
 一方、海水面の高さの推算も容易ではあるまい。海水面の上昇・下降は、大陸氷河の容量で決まると言われている。しかしそれは“気温という一つの変数”で計算できるほど単純なものではなさそうである。地球の各地における気温の変動に、どうもかなりの差異があり(Wikipedia:過去の気温変化 -参照)、それを大陸氷河の生長や後退に正確に反映させるなど、容易には出来ないことであろう。
 次の図は、長崎県佐世保市、福井洞穴の辺りの気温変動として、安田喜憲が、「環境考古学事始」で提示しているものである。
 
 通説のように、18,000〜20,000年前が極寒期で、現在より気温が7〜8℃低かったことが判る。ある試算によると、このときの海水面は現在より120〜140m低くかったとされる。
 そうすると、上記海峡深度との比較から、北海道は宗谷海峡、間宮海峡の深度からみて、シベリアとかなりの期間繋がっていた、といっていいだろう。
 また、屋久島〜奄美大島間は1,000mという深さから考えて、繋がったことはなかったと、明確に言い得るだろう。すなわち、台湾から南西諸島が一本道で九州に繋がったということはなかった。港川人がたとえ奄美大島まで辿り着いても、それ以上先には、少なくとも徒歩では進めなかったといえるだろう。

 問題は、津軽海峡と対馬海峡西水道(=朝鮮海峡)である。水深140mというのは極めて微妙で、現在と2万年前との深度の誤差、当時の海水面の推算によって、結論が大きく変ってしまう恐れがある、微妙な水準なのである。
 また、真冬に海が凍って、徒歩で行き来が出来たかもしれないし、大潮の時には、潮が引いて一面干潟のような状態が現出したかもしれない。そういうことを想像することも可能な水準である。
 古生物学の亀井節夫によると、ヴェルム氷期に、ユーラシア北部の亜寒帯に分布する「マンモス動物群」で、マンモスゾウはシベリアからサハリンをへて北海道まで南下し、ヘラジカ、ヒグマ、野牛(バイソン)などは本州まで南下していた、という。
 これは足の遅いマンモスは津軽海峡を渡れなかったが、足の速いヘラジカとかバイソンは津軽海峡を渡れたということを意味する。ということは、潮の満ち干で陸橋が通じたり、切れたりしていたのではないかということを想像させる。

 したがって、この陸橋説だけでヒトの移動の可否を論じることは、陸橋の証拠が曖昧であることから、かなり無理があるといわざるをえない。

  列島人が好んだ離島産の黒曜石

 日本列島が大陸と陸橋で繋がったかどうか、直接、証明することはなかなか困難であるとして、他にどういう可能性があるだろうか。陸橋は出来なくても、海を渡る手段を当時のヒトが持っていたとすれば、列島へのヒトの渡来は可能であったわけである。
 そこで旧石器時代の最重要原材料であった、黒曜石の流通、運搬を通じて---森浩一の図説 日本の古代 をテキストとして---その可能性を調べてみよう。
 
 黒曜石は黒色(茶色、半透明もある)のガラス質の美しい石である。割るとガラス同様非常に鋭い破断面を生じることから、世界各地で先史時代から有用な石器材料として重用されてきた。


見事な黒曜石の石器群 拡大はココをクリック)

 黒曜石は火山活動によりマグマが地表に噴出したり、地表近くの割れ目に入って急速に冷却するときに生成する。従って火山帯や活火山など火山活動の活発な日本列島は有力な産地である。ただし、黒曜石はどの火山でも産出するものではなく、黒曜石を生じやすい性質のマグマを伴っている火山でしかつくられない。

 日本では約60ヶ所の産地が知られているが、良質な産地は信州八ヶ岳周辺や和田峠、北海道白滝村、伊豆諸島の神津島、山陰の隠岐島、佐賀県伊万里市の腰岳など限られている。
 旧石器時代、縄文時代の人々も意外なほど石器の材質へのこだわりが強く、いいものは困難を厭わずに手に入れていたらしい。(これは04.項の野川遺跡でのナイフ形石器の原料調達でも触れた。)
 右図は、伊豆半島沖の神津島産の黒曜石を石器原料として使っていた遺跡とその分布範囲である。
 この地域には箱根産という別の立派な黒曜石があるにもかかわらず、神津島産を多くの集落が利用していたとみられる。

 イギリスの若い研究者マーク・J・ハドソンの「古代のミロス島と神津島における黒曜石の調達」という論文(1988年)によれば、
 ---神津島の黒曜石は早くも2万7000
   
年前に本州島に搬入され、後期旧石器時代と縄文時代とに、「他の伊豆諸島や南関東との間で定期的な交易があったことは間違いない」と述べている。---
 神津島と伊豆半島の間の海は水深が400mもある。したがって、陸橋が出来ていたわけでも
ない。当然、27,000年前という、石刃石器文化でも初期の時代から、何らかの海上運搬手段が使われていたということになる。
 しかもせっかく苦心して入手するのであるから、それほど少量でもなかっただろう。
 右の写真はその一例で、下田の北方にある段間遺跡の黒曜石の塊である。段間遺跡は神津島産の黒曜石の集積場であったといわれている。塊の大きさは、破片や拳大の石塊に比べればかなり大きなものであろう。
 
 この日本列島では吃水線の高い外洋航行が可能な舟は縄文時代には見つかっていない。 
   
次の中里遺跡出土のような丸木舟だけである。                                  
 このような丸木舟に、黒曜石の塊を数個載せ、動かないように固定し、波の大きい外洋を操船していく。筆者の想像をはるかに超える、非常に困難かつ危険な作業であったろう。しかし黒曜石の塊が、神津島から本州島へ飛んで行けるわけではないから、それは間違いなく運ばれていたとみなければなるまい。
 複数の丸木舟を双胴船のように繋いだり、ポリネシアの舟のようにアウトリガーを付けていたのだろうか(そのような痕跡は見つかっていないが)。あるいは複数の丸木舟の船団を組んで転覆対応の何らかのノウハウを駆使していたのかもしれない。
 しかし、筆者はそれでも、丸木舟で外洋を重量物を載せて航海したとは信じられないでいる。
 発掘されていないので何とも言えないが、筏舟の可能性を否定できないでいる。
 右の写真の筏舟は、中国桂林の観光に利用されている太い竹を10本束ねた筏である。
   
この筏は海の波を予想して作られたものではないが、このような筏なら、あるいはこの筏のようなものを複数繋いだものなら、外洋の波にも転覆することなく、石の塊のような重量物も容易に固定して操船出来そうである。
 
 逆に考えれば、どういう舟であれ、舟という運搬手段が使えるのであれば、黒曜石のような重量物の運搬は、陸上輸送より海上輸送の方がはるかに楽であるに違いない。島から取り寄せれば、陸上の搬送は短くて済むはずである。神津島や隠岐の黒曜石が好まれた理由には、その品質だけでなく、運搬の便利さが関与していたのかもしれない。

  大陸からも求められた日本列島産の黒曜石
 
 火山列島・日本は、旧石器時代から高品質の黒曜石を産出する場所として、北東アジアに知れ渡っていたのではなかろうか。
 石器の原料に拘ったのは、なにも列島のヒトばかりではなかった。
 北東アジアの細石刃技術など先端技術を駆使していた集団も、日本列島産の高品質黒曜石を渇望したらしい。
 列島内に於ける黒曜石の流通をはるかに上回る規模で、列島産の黒曜石は北東アジアに拡散していたのである。
 南サハリンの旧石器時代の遺跡・ソーコル遺跡には、当時陸橋となっていた宗谷海峡を陸路、白滝の黒曜石が届いていたと思われる。
 しかしそれ以外の新石器時代の遺跡では、間違いなく舟が使われたに違いない。
   
渡海に限らず、サカチアリャンやグロモトゥハの遺跡はアムール川沿いにあり、水運を利用して運んでいたことが明らかである。
 しかも、これは列島人のほうから交易品として、大陸の方に持っていったものではあるまい。むしろ、大陸の人々が列島各地に高品質黒曜石を求めてやって来て、持ち帰ったものであろう。隠岐や男鹿産の黒曜石は、ウラジオストク辺りから日本海を横断して来島し、潮や風向きなどを見計らって持ち帰ったものであろう。

 以上のように、この列島の祖先たちが、どういう舟乃至は海上交通手段で、どういう操船技術で、黒曜石の塊を海上輸送したのか、実のところ明確には解らない。しかし、黒曜石という当時の最重要物資が、海を越えて運ばれたということは、紛れもない事実である。
 そしてこの事実は、この列島の祖先が、大陸との陸橋の有無にかかわらず、この列島に到達し得たという証でもある。
     

         
         
         

 
 

1