日本人の源流を探して

            第4部 邪馬台国から大和朝廷へ 

08.白血球の型から先祖集団の故郷を探る

ここまで旧石器時代から古墳時代まで、北や南から、あるいは大陸や半島や島嶼部から、いろんな先祖集団がこの列島に流入して来たことを確認してきた。その先祖集団の故郷を、白血球の型・HLAを調べて探求しようとしているのが、徳永勝士である。徳永が初めてその分析結果を公表したとき、日本人の起源が解明されたと、マスコミが大騒ぎをしたことを記憶している。
 『
東京大学公開講座 
ゲノム‐命の設計図』のなかの徳永の最新の研究成果を学ぼう。

  HLAとはどういうものか

 白血球の型など遺伝子分野を学ぼうとする時に、筆者にとって真っ先にネックとなるのがその専門用語の難解さだ。よく解っている方には余計なことかもしれないが、ここに簡単に筆者の理解を述べる。 

 たとえば、細菌などが体内に侵入すると、体はある種のタンパク質を作り出し、細菌の毒素を中和するなどして、体を
細菌から防御する。
 この反応の仕組みを免疫反応といい、細菌などの異物のことを抗原、ある種のタンパク質のことを抗体とい
う。
 HLAというのはヒト白血球抗原(Human Leukocyte Antigen)の略で、自分の白血球と自分以外の白血球とを区別する印(しるし・・・マーカー)といえ
るものである。
 体がそのマーカーを自分以外のものと認識すると、そのマーカーを持つ白血球は即、異物すなわち抗原となり、ヒトの免疫反応システムが起動し、その白血球を排除しようとする。
 だから、HLAが違うと骨髄移植や臓器移植で拒絶反応が起こり、うまく行かない事態が起こるのはそのためである。

 HLAは当初、白血球の研究で発見されたが、
現在では赤血球以外のすべての細胞に存在していることが分かり、ヒト白血球抗原(Human Leukocyte Antigen)の略としてではなく、HLAという固有名詞として扱われるようになっている。
 ヒトの白血球には赤血球のA型、B型、O型と同様、いろんな型がある。しかもその型の数が半端な数ではない。下図で分かるように理論的には34百万種類を上回る数が想

される。そして一般的にHLAは、主要な染色体上の位置(A,B) や領域(DR)をつかって
  HLA-A33-B44-DR13というような遺伝子のセットとして表現される。


  HLA遺伝子から見た民族集団の近縁度

 徳永勝士等は十数年の歳月をかけて、国内外の研究者との共同研究を通じて、HLAのデータを集積して来たという。その対象の民族集団は次のような12集団に上る。

それらのデータの中から、HLA-A,HLA-B,HLA-DRB1遺伝子の頻度(出現する割合)データを使って、諸民族の遺伝的繋がり、すなわち近縁度を調べたのが、下図の上段の図である。

これから
1)本土日本人は韓国人や中国東北部の漢族、満(州)族に近い関係にある。
  当然といえば当然であるが、これまで調べてきた基層人や渡来人の故郷が、この遺伝子の
  デ−タからも証明されたといえる。
2)本土日本人と琉球人は少し離れ、アイヌ人はもっと離れているが、興味深いことは琉球人と
  アイヌ人が共通の枝から分かれていることである。
 これら本土日本人、琉球人、アイヌ人、および韓国人の関係は、尾本恵一や斉藤成也らが従来からいろんな遺伝標識を用いて分析してきた結果(下段の図)とよく合致しており、信頼性の高い結果が得られた、としている。一方、
3)ブリアートやモンゴルの人々がまとまった形で、別の方向に離れた位置にある。
4)タイ人やシンガポールの中国人、ブイ族(中国の南部に住む少数民族の一つ)の南のグルー
  も別のクラスター(まとまり)を形成している。


 この結果を踏まえ、日本人の3集団について徳永らの解釈は、
1)まず本土日本人は東北アジア、とくに中国東北地方や朝鮮半島からの渡来弥生人の影響を
  強く受けている。
2)また沖縄の人々、アイヌの人々の先祖は、おそらく縄文時代には遺伝的にかなり近かった。
3)その後もアイヌ民族は縄文時代人の特徴をよく残してきた一方で、沖縄の人々には、弥生系
  とは異なる大陸系の新しい遺伝子の流入があったため、結果的には本土日本人や大陸側の
  集団と近縁になった。
としている。
筆者はこの徳永の解釈の中で1)の中国東北地方の影響の時期については異論がある。むしろ古墳時代の方が強かったのではないかと考える。また、沖縄の人々、云々について考古学的証拠があるのか、筆者は知見がない。

 次の図は世界の48集団について同様にグループ別に、また個々の集団ごとに近縁度がどう位置づけられるのか調べたものである。(データの分類や目盛について説明が省かれているので、敢えてそのまま表示する。同様に表題も難解であるが、そのまま使用した。)

徳永の解説によると
1)東北アジアのグループの中で大陸に住む集団(モンゴル人・漢族・満族・韓国人)はかなりコン
  パクトにまとまっているが、本土日本人はやや離れている。さらにやや離れて琉球人、サハリ
  ンに住むニブヒ族、さらにもう少し離れてアイヌ民族が位置している。 

2)東北アジア大陸部の集団からアイヌ民族までの距離をそのまま延長すると、中南米の先住民
  (アメリカインディアン)に行き着く。別の言い方をすると、アイヌの人々は中南米先住民と東北
  アジア大陸集団との中間的な特徴をもっているという結果となっている。  と説明している。
さらに筆者は、トランギットが東北アジアと中南米のグループの中間に位置していることに注目する。東北アジアから順次、アメリカ大陸へモンゴロイドが移動したとすると、終盤にアメリカ大陸の北西海岸に達したトランギットが、まだ東北アジアの要素を残しているということは、十分頷けるところである。
3)東南アジアの集団が一つのグループを形成しているが、このなかに中国南部の漢族(未発表
  のデータ)も入ることが確認されている。
4)台湾先住民は東南アジアグループにやや近く、パプアニューギニア高地人、オーストラリア先
  住民(筆者推定-アボジリニ)は他集団とかなり離れている。

 極めて常識的結論であるが、その常識的事項がHLA遺伝子の分析からも証明されたということは、十分意味のあることだろう。

  HLA遺伝子から見た先祖集団の移住ルート

 本土日本人で最も多いHLA遺伝子のセットは 【A24-B52-DR2】 という組合せである。
(これを専門用語ではハプロタイプというようだが、この用語は使わないで〈遺伝子のセット〉または〈遺伝子の組合せ〉などと表現してゆく。)
 この遺伝子のセットは集団の起源などを探る場合に大変有用な標識になる。すなわち
@全く同じHLA遺伝子のセットが、異なる複数の集団で発生し頻度を増していくことは、ほとんど考
  えられない。したがって、異なる集団間で同じHLA遺伝子のセットが見出された場合、それらの
  集団は少なくとも、一部では共通の先祖を持つ、ということができる。
Aある集団でひとたび発現したHLA遺伝子のセットは、百世代から数百世代に亘って維持される
  性質を持つ。すなわち数千年以上前の先祖集団を想定することできる。
BHLA遺伝子のセットの分布には明瞭な地域差および集団差が認められる。すなわち、容易に
  先祖集団の共通性(故郷)などを判断できる。

  ややデータが古いが右の表で確認してみよ

う。

  日本で一番多いHLA-B52-DR2というHLA

遺伝子のセットは、先祖集団を中国に持つ可

能性がある。

  一方、中国で高い頻度を示すHLA-B13-D

R7の集団はほとんど日本に流入していない。

  またHLA-B54-DR4やHLA-B46-DR8の遺

伝子のセットをもった先祖集団を日本と韓国で

共有していた可能性がある。というふうに読み

取れる。  
   
そういう見方で徳永勝士が、最新のデータで日本人の先祖集団の故郷を示したのが次の図である。(『ゲノム-命の設計図』ではデータは示されていない。)

 徳永によると、
1)スカイブルー色で示したHLA遺伝子のセット(B52-DR2) は本土日本人で一番多い(別の著書か
  ら頻度8.6%)セットである。このセットは韓国人や中国北部の漢族にも2%前後の頻度で認め
  られる。そしてモンゴルの集団で5.8%という高い頻度を示す。中国南部にはほとんど見られな
  い。
   日本列島内部での分布は、北九州から本州中央部を経て福島、山形まで12%以上の高い頻
  度を示す。一方、沖縄では2%、アイヌ民族では1%と低い値にとどまる。
   こうしたことから、このHLA遺伝子のセットは、モンゴル・中国東北部付近から朝鮮半島を経由
  して、日本列島中央部へ至る先祖集団の移動のルートがあったことが推定される。
  
 筆者の見方はこうである。このHLA遺伝子のセットは本来日本列島には存在しなかった。したがって、アイヌの集団や沖縄の集団に低い頻度で見出されるのは、のちに本土日本人との混血によって受け継いだものだろう。
 このルートの渡来人で北九州から関東以北まで影響を及ぼした集団は、これまでの検討から第3部05.で示した、弥生時代の前期末ないし中期初に渡来した東胡民族(のちの鮮卑、烏丸)か、古墳時代に渡来した夫余系騎馬民族だけである。
 しかし、このHLA遺伝子のセットは朝鮮半島では2%前後の頻度でしか出現しない。朝鮮半島ではあまり影響を残さず、日本列島の大部分に12%以上の影響を残す、そういうモンゴル・中国東北部の集団は謎の集団といわなければならない。

2)本土日本人で2番目に多い赤色で示したHLA遺伝子のセット(B44-DR13)も、日本列島では関
  東以南で5%以上の比較的高い頻度で分布する(九州南部、四国南部は4%前後)。且つ、韓国
  人では最も多い頻度(7%)で出現する。
 筆者にはこの集団は明らかに、弥生時代から古墳時代にかけて何波にも亘った朝鮮南部からの渡来人の痕跡だと考えられる。

3)黄色で示した遺伝子セットは琉球人で最も多いタイプであり、九州南部から太平洋岸にかけて
  5%以上と多い傾向がある。大陸側では中国南部で4%程度の頻度で出現する。
(筆者)このルートは考古学的な証拠はあまりないが、神話などの伝播ルートとして従来取り上げられたルートではないか、と思われる。

4)緑色で示した遺伝子セットは本土日本人で2%程度、韓国人では4%程度の頻度で出現する。
(筆者)このルートは縄文時代には照葉樹林文化として、弥生時代には江南地方の水田稲作文化複合体をこの列島に伝えたルートだと考えられる。また同じ照葉樹林が分布する朝鮮南部にも伝播した。
5)青色とピンク色の遺伝子セットは列島まで及んでいない。

 以上のようにHLAの分析をもってしても、考古学や民俗学など伝統的な方面からの知見を確実に
証明することが出来ない状態である。

   HLAから見た日本人の成立過程

 しかし徳永はさらに、HLAの組換え率すなわち世代を重ねる度に起こる、遺伝子の変異の割合を仮定して、移動の年代まで推定しようと試みる。
 次の図の縦軸は遡る年代を表している。

徳永はまず、
1)本土日本人と韓国人は多くの遺伝子セット(青四角、空色四角、黒三角で表示)を共有し、しかも
  3000年前以降に共有関係が発生したと説明する。この年代推定はまだ誤差の大きい推定であ
  るが、弥生時代前後の朝鮮半島経由で渡来した先祖集団の移動を反映しているものと思われ
  る。
2)琉球人については、緑三角(B54-DR4)の遺伝子セット、すなわち中国南部からの影響が比較的
  新しい時期(グラフから読み取ると500年〜1000年前)に推定される。
(筆者)この時期であれば、琉球王国も視野に入る時期であり中国南部との交流も十分考えられる。
  また、沖縄独自の遺伝子セット(青丸)が2セット、5000年前ごろに見られるが、これは沖縄集団
  がすくなからず縄文時代人の特徴を残していると推測される。としている。
3)アイヌ民族については、外の集団と共通する遺伝子セットはない。しかもかなり古いものから比
  較的新しいものもある。古いものはおそらく縄文時代人の特徴を残しているという考えに合致す
  るものであり、新しいものはサハリンやアムール川流域の人びととの交流を反映しているので
  はないかと思われる。と説明する。

 徳永勝士は以上のHLA遺伝子の広範な分析を総合し、次のような日本人の成立モデルを提示する。

これを埴原和郎の「二重構造モデル」と比べてみよう。
             
 以上2つのモデルの基本的違いは、“最初の日本人”が異なることであり、それ以外はほとんど共通している。埴原が最初の日本人を「東南アジアの旧石器時代人」とするのに対し、徳永は「東アジア後期旧石器人」とする。この東アジア後期旧石器人は、またアメリカ先住民にも繋がっているので、実質的には北東アジアの旧石器時代人と考えて良いと思われる。

 人類学からのアプローチと遺伝学からのアプローチとで、最初の日本人の認識の違いはいかにも大きいが、全体のモデル構成はほぼ同じ結果を得ているのは注目される。