以上、松本の「世界言語のなかの日本語-日本語系統論の新たな地平-」をテキストとして、“言語類型地理論”の理解に努めてきたが、その理解を通じて「日本語の起源」をどのように構築したら良いだろうか。
まず松本は、後期旧石器時代の太平洋沿岸言語圏について大略次のように述べている。
1)現在の東南アジア島嶼部は、海水位の大幅な低下によってスンダ亜大陸を形成していた。そのスンダラ
ンドで使われていた言語は、オーストラリア原住民語やニューギニアのパプア系言語に近いタイプであっ
た可能性が高い。(∵クメール語などの数詞体系が、元々オーストロアジア語などが持っていた10進法で
はなく、先住民の言語の影響と見られる5進法となっていること。)
2)黄河文明の代表的文化・仰韶文化の始まりが6,800年前と言われるが、当時黄河中流域にいて文明を
起こした民族は、非漢系のミャオ・ヤオ族(苗族)であった。
長江中流域にも分布していた苗族は、彭頭山文化や大渓文化、屈家嶺文化を残した。
3)長江上流域では、オーストロアジア系言語を話す民族が、龍馬古城文化や三星堆文化などを残し、長
江下流域では、オーストロ・タイ語(含むタイ・カダイ語)を使う越系民族が、河姆渡文化や良渚文化を残し
た。
4)チベット高原から一部の集団が黄河に沿って北東進して、今から3,000年余り前に黄河中流域に定着
したのが後の漢民族(および中国語(漢語))の始まりと見られている。中国語の成立には、その地域の
先住民であったミャオ・ヤオ(苗)族との間で激しい言語接触起こし、一種のピジン・クレオール化がおこっ
たと考えられる。 |
この松本の考えを地図上に落とすと、環日本海諸語の位置も自ずと決まってくる。下図は筆者が想定した後期旧石器時代の言語分布図である。
(先に掲げた、ミャオ・ヤオ語族・オーストロアジア語族・タイカダイ語族の分布と比較していただきたい)

(日本列島の最初の言語)
丁度太平洋沿岸言語圏が上図のような言語分布であった頃、日本列島には考古学の知見から、最初の文化が認められるようになった。30,000〜35,000年前の華北型石刃石器文化である。
まさに最初の日本人が、日本列島に足を踏み入れたと言っていいだろう。

この時代、旧石器時代を通して、石器は最重要の生産手段であった。優良な石器を手に入れることが、生存競争に打ち勝つ条件であった。
石器というのは、原人・旧人の時代から現生人類の時代に至るまで、原石から不要な部分を打ち欠いて作るか、原石を一つ二つ打ち欠き、その剥片に若干の加工を施すというのが長い間の常識であった。
ところが丁度最初の日本人が登場した頃、石器に俄に変革が訪れた。突然、“石刃技法”なるものが出現したのである(32,000年前)。
この技法は、原石に適当な加工をまず施し、石刃という縦長の剥片を連続的に原石から打ち剥がしてゆく、画期的な、生産性の高い石器の製作技術であった。

筆者は、この石刃石器の出現と言語の発展とは、相互に影響し合った結果だと考えている。
何故なら、ただ力でもって打ち割っていた方法から、石材を選定し、予備的加工を施し、薄皮を剥ぐように剥片を打ち剥がしていくという、高度な技術を“説明”し、“学ば”せて、“実践”させ、子孫に"伝えて”いくには、どうしても高度な言語の助けが必要であったはずだからである。
したがってこの時代、日本列島の言語は、おそらく「環日本海祖語」の初期言語のレベルを脱して、
物に関する語彙の増加段階から、概念を説明できる語彙の造語段階に達し、文法も精密化の方向に歩き出していたものと考えられる。
(ナイフ形石器全盛時代の日本語)
30,000年前〜20,000年前の10,000年間、日本列島人は石刃石器の作りこみ技術の高度化に邁進する。既にこの頃から、現代日本の物づくり文化の萌芽が始まっていたようにさえ感じられる。
そして、20,000年前〜13,000年前頃には、本土日本は宝石のように見事に洗練された「ナイフ形石器」全盛の時代を迎えた。

石器の洗練化は相互に関連しあって言語の洗練化をもたらしたであろう。
それは徹底した原石へのこだわり、遠方の産出地の選定など、広域の情報獲得、広域の商取引を必要としたからである。
おそらく石器文化がここまで成熟したとき、本土日本の言語も、「環日本海祖語」の一変形(方言)から抜け出し、「プロト(原)日本語」という独立した言語の段階に達し、文法の精密化なども高度な段階に達していたのではなかろうか。
しかも成熟したナイフ形石器は、本州・四国・九州に4つの亜型を生じ、北海道では欠如していた。
小山修三によれば、これら5つのブロックで活動した遊動民(定住民に対する言葉)は、アボリジニの例からすると500〜600人規模の部族であったろうという。これらの部族はそれぞれに、おそらくプロト日本語諸語とも言うべき方言を使っていたであろう。

(細石刃文化の流入による言語接触)
ナイフ形石器が成熟期にあった20,000年前〜15,000前頃、それまで確たる文化が感じられなかった北海道地区に、バイカル湖系の荒屋型彫器(下図・中)という“ノミ”を伴ったクサビ形細石刃文化が流入した。

この細石刃文化は、暫くの間北海道に留まり、津軽海峡を越えなかった。
ところが、13,000年前頃、この北海道に留まっていたバイカル湖系のクサビ型細石刃文化が、怒涛のように東日本地区に押し寄せ、それまでの杉久保型や茂呂型と言われた東日本系ナイフ形石器文化を駆逐した。
同じ頃、西日本地区には、華北系の半円錐形細石刃文化が流入し、こちらは既存のナイフ形石器文化と共存した。
更に少し遅れて、九州には、荒屋型彫器を伴わない、クサビ型細石刃文化(福井型細石刃文化とも言われる)が流入した。この文化は、同じく華北系とも言われ、また華南系とも言われ、その原発地は明らかではない。
これら3つの石器文化をもたらした集団の言語は、現地で激しい言語接触や緩やかな言語融合を起こしたに違いない。しかし、それぞれの地域で、その地域の「プロト日本語」とどんな「外来の言語」が衝突したのかは、明らかではない。
これはあくまで筆者の“ひとりよがり”の想定であるが、
・東日本地区は、細石刃文化流入の激しさから判断すると、既存の東日本系「プロト日本語」は駆逐
され、「プロトアイヌ語などの北方系環日本海諸語」に置き換わってしまったのではなかろうか。
・西日本地区では、西日本系「プロト日本語」が基本的に継続し、華北系言語の影響は新しい語彙
の受け入れなど、緩やかな言語融合があった程度と思われる。
・九州地区では、九州系「プロト日本語」と非漢系のミャオ・ヤオ語や越系のオーストロ・タイ語ないし
はプロト朝鮮語のいずれとも判じかねるが、激しい言語接触が起こった可能性がある。
その結果「ピジン・プロト日本語」などを想定する必要があるかもしれないし、そのような文化摩擦の活力が、列島最初の土器「隆線文土器」を生み出したのかも知れない。
(縄文時代・弥生時代を通じた現代日本語の成立)
細石刃文化の時代は、意外に短く(1,000〜2,000年)、土器の発生をもって縄文時代に移行してゆく。言語も基本的には、細石刃時代のまま縄文時代を通じて受け継がれたと考えられる。
その後、弥生時代の初め、北部九州の縄文語をベースにした弥生語が、水田稲作農耕の東方への伝播とともに東北地方まで広がった。
さらには古墳時代を通じて、上代日本語が形成され現代日本語の基礎になったことは、既に次の各節で論じているのでご参照願いたい。
・第2部 05.日本人形成の基層に在った集団−北部九州の人々−
・第5部 03.日本語の起源を探る-語彙統計学から-
・第5部 04.日本語は「混合言語」だ!
ただ、松本克己の主張によれば、ツングース語が沿海州から日本海西岸に到達したのは、歴史時代に入ってからという。
また多くの学者が唱える、高句麗語=ツングース系言語説も誤りで、むしろ高句麗語は環日本海諸語の一つと見做したほうが良いとしている。
このようにツングース語との関連について松本の考えは、上記3つの記述とは考えを異にしていることを付け加えておきたい。今後の課題である。
以上、筆者は、松本克己の所論に学び、古層の言語がユーラシア内陸圏と太平洋沿岸圏に分かれて分布し、精密な文法を持つに至っていたという知見を得てきた。
そして日本語の起源は30,000年以前に遡り、“言語の成熟と石器文化の発展・完成は相互補完関係にあった”という仮説を置くと、ほぼ12,000年前、すなわち細石刃文化の終わりか、縄文時代の初めには「プロト(原)日本語」が完成の域に達していたのではないかと論じてきた。
これが、“独りよがり”の日本語論かどうかは、読者の判断に待つこととしたい。
この節を終わるに当たり、プロト日本語完成時期の「細石刃文化の分布」と「現代日本の方言の分布」とが、不思議にも一致していることを指摘しておきたい。(完)
