日本人の源流を探して
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第5部 神々の故郷と子孫 |
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安本美典が指摘した日本語の語彙とインドネシア系言語の語彙が、偶然とは言えない関連をもっている、ということをまったく別の言語学的方法で主張しているのが、崎山理(さきやまおさむ)である。 日本語の直接のル−ツ...ツングース語 日本語がアルタイ語系であると唱えたのは、アメリカのR.ミラー(1967年)であるが、現在でもアメリカの言語学者にはこの説を採用している人が少なくない。しかし、最近の研究で、アルタイ諸語の中でも日本語との類似性が非常に強く、直接のルーツと考えられるようになったのが、ツングース語である。 崎山はツングース語と日本語は、語順ばかりでなく助詞、助動詞など文法面で共通点が非常に多いという。しかし、問題もある。日本語には、ツングース語と全く関係のない、語彙や接辞法が豊富にあるということだ。 たとえば、日本語の接頭辞は、ツングース語にはまったくみられない。 接頭辞は、常に他の語の前に付いて用いられる語構成要素で、「お寺」「ま昼」「か細い」「い抱く」などのオ、マ、カ、イがそれにあたる。 このように、日本語は、ツングース語的な文法を持っていながら、ツングース語では説明できない要素も非常に多い。その理由を従来、日本語が孤立語だからと、単純に説明してきた。 しかし、崎山は言語学者として、孤立語という問題回避のやり方はいけないと説く。 崎山は日本語が周辺の他の言葉と大きく異なっているのは、孤立語だからではなく、日本語の成立が非常に古いからだという。そして次の図を提示する。
崎山はこの図で、日本語の置かれた地理的環境を常識的に見ることが必要だと説く。 すなわち、日本語は北端でツングース語を話す民族と接しており、ある程度の類似点が連鎖的にあるのは当然だという。 また南端で接しているのはオーストロネシア語を話す民族であり、崎山の専門分野でもある。(安本美典が指摘するインドネシア系言語もこの語派に属する。) 崎山はツングース語に欠けていた、語彙や接頭辞が、オーストロネシア語では日本語と非常に共通点が多いという。 こうしたことから、「日本語はオーストロネシア語とツングース語の混合言語」ではないかという結論に到達する。すなわち、縄文時代に、日本列島ではすでに原ツングース語を話す人がいたとして、その後、渡来したオーストロネシアンとお互いに混じり合うなかで、日本語の原型が形成された、という。 言葉の「再構」でルーツを特定する もちろん、そのように結論付けるには根拠が必要である。崎山理のその方法は極めて言語学者的である。 言語のルーツを探る研究には言葉の「再構」が欠かせない。言葉の「再構」というのは、研究対象の言語の大元になっている古い語形を復元することをいう。原オーストロネシア語では、多くの研究者の努力で、既に約1万語が再構されているという。
また、先にも例を示したが、上代日本語の「マ」「タ」「カ」という接頭辞は「マ白し」「タ走る」「カ弱し」などと使われるが、この用法のルーツもオーストロネシア語にあったとみられる。 このように、文法については、語順、助詞、助動詞は原ツングース語由来、それに対し語彙、接頭辞、連結詞はそのルーツの殆どを原オーストロネシア語に負っていることになる。 日本語の成立の時期 崎山は、オーストロネシアンの移動の歴史から考えて、今から5000年前ごろ・縄文中期以降にこの混合言語-日本語が成立したと考える。 当時の日本列島では、これまで何度も触れてきたように、東日本に人口が集中していた。 そして言語的にはツングース語を話していた。アイヌ系の人も北海道から東北地方に住んでいて、文化的交流もあったと思われるが、アイヌ語とツングース語は系統が異なる。 崎山によれば、東日本にはアイヌ語を使う人々とツングース語を使う人々の二つの民族集団が共存していたことになる。(筆者にはこうした知見はないが、崎山の説明に従って、このまま進める。) ツングース語を使う集団の南部に移住してきたオーストロネシアンは、平和裏に住み分け、物々交換からはじまって、やがて通婚する者もあらわれ、その混血集団の村単位の集落も出来る。ここで第1段階として言葉のピジン化が起こる。 オーストロネシアンの移住は、その後、幾波も続き、古墳時代まで続いてきたと考えられる。こうした中で、主語−目的語−動詞といった基本的な語順ではツングース語が残り、語彙や接頭辞ではオーストロネシア語が用いられるようになった。 弥生時代から古墳時代にかけて、大陸から中国の文化を携えた人たちがやってきたが、このとき、語彙の一部を借用することは起こったが、言葉の系統にもはや影響することはなった。 以上が崎山理が説明する、日本語の成立過程である。 筆者には崎山の説明が言語学的に正しいとしても、考古学的、文化的整合性があるとは考えられない。いつ、そんな規模で、オーストロネシアンがこの列島に流入して来ただろうか。 筆者の日本語成立論 旧石器時代、当時のホモサピエンスがどの程度文法的に完成された言語を使っていたのか、筆者は浅学にして、言語学者の説明に接したことがない。 しかし、既に高度な剥離技法などを使う石器が発明され、やがて人類史上始めて、化学的変化を伴う「土器」という製品を生み出した人々が、言語とは呼べないレベルの言葉しか使っていなかったとは、筆者には考えられない。 なぜなら、高度な石器や土器の製作技術やノウハウを、多くの人びとに広め、次世代に伝えていくためには、所謂“見様見真似”だけでは困難であり、かなりのレベルの言語的説明や、やり取り(質疑応答)をしなければならなかったと考えられるからである。 すなわち、言語もそのレベルに達していたと考えるのが、自然であろう。
筆者は、古日本語(日本基語)は、かなり早い時代に完成していたと考える。少なくとも、完成し尽くされた言語といわれる、サンスクリット語の成立時期、3000年前には、すなわち新年代観でいっても、水田稲作農耕技術の到来以前に、日本基語は混合言語として既に成立していたと考える。 なぜなら、1万年以上に及ぶ縄文文化が崩壊し、全く新しい、農耕技術や社会制度をもたらした弥生渡来人の故郷が、上代日本語から全く推測できないという、異常としか言いようのない現象は、日本基語がよほど完成され、語彙も当時としてはそれほど借用しなくても済むほどに十分であったから、渡来人の言語を農耕技術関連語として以外必要としなかった、という理由しか説明が付かない。 しかも、農耕技術関連語をセットとして持ち込んだ、渡来人の出自集団(おそらく長江下流域の民族集団)は、現在においては既に消滅してしまったらしい。 また、安本美典は、ビルマ語系の身体語や植物語は、稲作文化と一緒に入ってきたというが、たとえそれが、日本語の語彙としては例外的な単音節語だとしても、身体語や植物関係の言葉が、いわば基礎語彙が、日本基語成立後に借用されることなどあり得ない。 さらに、安本はインドネシア系言語は大和朝廷が、全国を統一する過程で、古くから居住していたインドネシアンを服従させる過程で、取り込んだものだろうと言っているが、これもあり得ない。なぜなら、オーストロネシア系言語の影響が著しい、崎山理のように日本語の語彙の80%がオーストロネシア系ということであれば、1300年〜1700年前の出来事とはとても考えられない。このころは、既に中国語から政治や文化に関する言葉を、借用する段階に入っていたと考えるのが常識であろう。
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