ミトコンドリアDNAとは
ヒトの体は、およそ60兆個の細胞
で構成されているが、その細胞の一つ一つに核があり、核の中には両親から由来する二組の染色体が収められている。染色体は23対46本あり、DNA(デオキシリボ核酸)と各種タンパク質から出来ている。その辺りのことは次図がわかり
やすい。

一つ一つの細胞内には核の他に、粗面小胞体
や滑面小胞体、ゴルジ体、リソソームなどいろい
ろのものが詰まっているが、その一つがミトコンド
リアと呼ばれる小器官である。
ミトコンドリアという小器官は、細胞が活動する
ためのエネルギーをつくりだすという、極めて重
要な働きをしている。 |
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しかも、核DNAとは異なる独自の、mtDNAを持っている。
mtDNAは核DNAと同じ二重らせん構造だが、核DNAが線状(糸のように細長い形状)であるのに対し、次図のように環(リング)状である。

ヒトと最も近縁な動物・チンパンジーvsゴリラ
環(リ
ング)状のmtDNAは、右図のような遺伝
子を持っている。全部で37個の遺伝子があり、そ
れらはmtDNAの93%の領域を使って指定されて
いる。無駄な塩基配列はわずか7%しかなく、90
〜95%が無駄だと言われる核DNAとは、際立っ
た違いを見せている。
右図のオレンジ色で示された部分が、何の働き
もしていないmtDNAの領域で「Dループ」と呼ば
れている。この領域は、塩基置換の起こる速度
が特に速いので、mtDNAの分析によく使われ
る。 |
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mtDNAは、進化の研究をするのに有効な、いくつかの特徴を持っている。
一つは、何といってもmtDNAの数の多さである。
一つの細胞にミトコンドリアは数百から数千個含まれており、ミトコンドリア一個にmtDNAが5〜6個存在する。そのため一細胞当りでは少なくとも、
1000個以上のmtDNAが存在することになり、一細胞当り1個の核DNAとは、比較できないくらいの大量収集が可能であり、化石化した骨などからの困
難な抽出も、確率的に可能性が高いことになる。
二つ目は、塩基置換(突然変異)の起こる速度が、核DNAに比べて5倍から10倍も早いことである。
これは、たとえば下図のヒトとチンパンジーとゴリラのような近縁種の間で、どういう進化をしたのか、5倍〜10倍の細かい刻みの時間帯で調べることが出
来るということに他ならない。
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1980年代以降、DNAの塩基配列を比較する分子系統
進化学の進歩で、いろいろの報告が出たが、左の3通り
のうちどれが正しいか、データ量の不足のため統計的に
有意の差が見出せなかった。
mtDNAからの検討もアラン・ウィルソンらによって約90
0塩基の領域でなされたが、決定的結論は出なかった。
そこで宝来らのグループは、類人猿のmtDNAの全塩
基配列を決定する事を決意した。 |
それから7年後の1995年、全ての類人猿四種のミトコンドリアの塩基配列の解読が完成した。
その結果から、種の間の塩基置換数を
求め、遺伝距離を計算して系統樹を作成
したのが右の図である。
まずオランウータンが枝分かれし、次に
ゴリラが分かれ、さらに490万年前、ヒトと
二種のチンパンジーが共通の祖先から
分かれた。
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すなわち、現存する動物でヒトと最も近縁なのは二種のチンパンジーということに結論付けられたのである。
ここで注目されるのは、推定分岐年代に付いている、プラスマイナスの誤差の小ささである。
これはmtDNAの全塩基配列を決定し分析が出来たこと、またmtDNAの塩基置換速度が速く、置換量が大きいことから、計算誤差を小さく出来たという
ことであろう。
すなわち、mtDNAは、比較的短い進化時間の中で生じた、DNAの変異を、効率よく測ることが出来る特徴があると言える。(とはいえ、塩基置換の起こ
る、いわゆる進化速度は、1万年に1回というような悠遠な時間空間の単位であることも、感覚的に理解しておきたい。)
三つ目は、母性遺伝をする、ということである。
核DNAの場合、父親のDNAと母親のDNAとが半分づつ遺伝するが、mtDNAは不思議なことに、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代
に全く関与しない。
これは米川博通らによれば、受精の際に一旦、ミトコンドリアを持った精子が卵子の中に入るが、細胞分裂の始まる初期の段階で、父親由来のミトコンドリア
が除去されてしまうという、奇妙な機構が存在するかららしいのである。
何故そういう機構があるのかはともかく、これは系統関係を復元するのに、mtDNAが極めて適しているということが出来る。
一般の核DNAの場合、一人一人の10世代前の祖先数は、2の10乗、1024人存在する。したがって、
我々は、46本×1024=47,104本の染色体のうちのいずれか、46本だけを数多の祖先の中から受け
継いでいるのである。したがって各染色
体がどの
祖先に由来するものか、特定することはほぼ不
可能である。
一方、mtDNAは母性遺伝であるの
で、右の模
式図で判るように、現世代のa〜oの人たちは確
実に14世代前の一人の母系の祖先が持ってい
たmtDNAに行き着くことが出る。
すなわち、祖先を特定することが可能である。
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1.のグループは5世代前の母親が共通の祖先であり、2.および3.のグループでは4世代前の母親がそれぞれの共通の祖先であり、2.と3.の両方の共
通の祖先となると、11世代前ということになる。
全く不思議なことに、このmtDNAでは、世代を遡るほど、現世代のより多くのヒトの共通の母方の先祖が特定できるのである。
アイスマンの母方の子孫が見つかった!
1991年夏、オーストリアとイタリ
アの国境付近のアルプス氷河の
中から、ミイラ化した遺体が発見
された。氷河表面近くに閉じ込め
られていた遺体が、その夏の異
常高温で溶け出してきたものであ
った。
愛称アイスマン或いはエッツィと
呼ばれるこの男は、年代測定が
行われた結果、5300年前の新石
器時代人であることが判明した。
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アイスマンの死亡原因など、いまも広範な分野からの探求が行われているが、稀に見る保存状態の良いミイラから、オックスフォード大学のブライアン・サイク
ス博士によって、アイスマンのミトコンドリアのDループ領域から、354文字(塩基)が抽出された。それは次のような並びになっていた。

アイスマンのmtDNAの文字配列は、現代ヨーロッパ人が「CCCT」となっていると
ころが、「CCCC」という特徴的な並びになっており、また「TAGT」となっている部分が「TAGC」となっていた。
この二つの特異な文字配列をキーにして当時の全世界のデータベース、現代人1253人と比較したところ、13人が該当した。すなわち、この13人はアイ
スマンの母系の先祖を同じくする現代人だ、ということが出来る。
中でもアイルランド系イギリス人、マリー・モーズレーさん(右の
写真)は特徴的な二ヵ所を含め、354文字全てが一致した。マリー
さんの祖先を母親伝いにたどると、およそ250世代で、アルプス
のどこかに住んでいたアイスマンとその一族の母親に行き当たる
ことになる。 |
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このように母性遺伝というmtDNAの特性は、ヒトとチンパンジーの分岐年代を明らかにしたり、はるかな世代を超えて祖先を特定出来るなど、種の起源や
民族の系統の把握などに威力を発揮する。
しかし、母性遺伝と言う特性は好いことばかりではない、注意しなければならない面も持っている。たとえば、戦闘軍団の襲来が新たな集団発生の契機となっ
たような場合、mtDNAには何の痕跡も残さない。軍団が一般的には男性だけの集団であるからだ。
戦闘軍団ではなく、渡来人の場合も男性主体の移動集団というケースが多かったのではないか、と想定できる。
したがって、mtDNA上は差異が認められない集団同士であっても、形態上や他の遺伝特性などが違う場合、十分な検討が必要である。
(したがって、最近では、男性の持つY染色体が必ず父親から伝えられるという特性を利用して、mtDNA分析を補完するようになって来ている。)
(追加)2012年2月29日、「アイスマン}の血液型などが判ったというニュースが流れた。以下のようなものである。
「アイスマン」:胃腸弱かった? 独伊チームがゲノム解読
イタリア北部のアルプスの氷河で見つかった約5300年前の男性のミイラ「アイス
マン」は、血 液型がO型で瞳は茶色、胃腸が弱かった可能性のあることがゲノム
(全遺伝情報)解読で分かった。独伊のチームが、28日付の英科学誌ネイチャー
コミュニケーションズ電子版に発表した。
アイスマンは1991年、凍った状態で発見された。チームは、骨盤の骨からDNA
を取り出し解読、血液型と瞳の色を特定した。
遺伝子の特徴から、乳製品などに含まれる乳糖の消化酵素をつくれず、下痢しや
すかったことや、心臓に血液を送る冠動脈の流れが悪くなる病気になりやすい体
質だったことが判明した。
(共同)
毎日新聞 2012年2月29日 1時59分(最終更新 2月29日 2時04分)
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ネイチャーの2012年2月28日号には、以上の記事のほか、
アイスマンのゲノムからハンセン氏病の原因となる細菌、ライム病菌のゲノムが見つかった が、アイスアンの生体組織には、ハンセン氏病の兆候は見ら
れないという。
アイスマンの背骨や足首の上、右膝の裏の刺青は、関節痛の治療のためだったのではない かと推定している。
以上
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