第2部05. 「日本人形成の基層に在った集団−北部九州の人々−」の中で、筆者は、
・・・縄文時代に、日本列島ではすでに原ツングース語を話す人がいたとして、その後、渡来したオーストロネシアンとお互いに混じり合うなかで、日本語の原型が形成された、という説を採っている。
日本語の普遍化の過程は常識的に考えれば、北部九州で使われていた言語がベースとなって、稲作と共に東進して各地の言語を取り込みながらゆるやかに形成され、さらに北部九州に成立した古墳時代の支配勢力が東進して大和地方に至り、そこで使われた言語をもって、列島の言語を徐々に共通化したのであろう。・・・
と記述した。
いま第4部で、その支配勢力、邪馬台国や卑弥呼大王の誕生に触れた機会に、卑弥呼の当時、どんな言葉が使われていたかを探求しておきたい。
ただし当時のDVDとか倭の文書が残っているわけではない。頼りは魏志倭人伝に出てくる倭の単語とおぼしきものである。
安本美典の「卑弥呼は日本語を話したか」をテキストとして調べよう。
魏志倭人伝に出てくる原始日本語とは
魏志倭人伝の著者は陳寿という西晋の人である。陳寿は魏書巻三十、烏丸鮮卑東夷伝倭人条(魏志倭人伝の正式名)を書くに当って、過去の史書や資料に当たると共に、誰か倭の地に詳しい人から情報提供を受けたであろう。
たとえば帯方郡の役人とか交易に携わる人とか、本人が倭に行き、旅をし、滞在したような人の話や報告書などが情報源であったろう。
その人は、聞き馴れない当時の倭語を聞き取り、理解しようとしたに違いない。彼は耳に入ってきた倭人の発音を当時の中国の発音(周・漢代の上古音or隋・唐代の中古音、どちらを使っていたか明らかではない)で聞き取り、それを同じような音の漢字で記録したことであろう。
国語学者・橋本進吉は『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』など奈良時代の頃の万葉仮名を用いた文献から、当時の日本語には母音がa,uに加え、現在のものと同じ音[i],
[e], [o](甲音)と、[ï], [ë],
[ö](乙音)の8音があったと推定した。
万葉仮名でそれを正確に使い分けていたと橋本は喝破し、上代特殊仮名遣と名づけた。
その時代と400年前の卑弥呼の時代にも、この8母音が使われていたか、且つ中国人の記録者がそれを聞き分けて記録したかどうかは判らない。
しかし、陳寿が先行文書と共に、「その記録ノート」を参考に倭人の条を書いたことだけは確かであろう。これらのことを念頭に置きながら魏志倭人伝に出てくる倭語を検討してゆこう。
倭人伝に出てくる地名
語彙の中で地名というのは極めて残存率が高い、古い時代の地名が現在も良く残るということが知られている。
例を挙げると、卑弥呼の時代北部九州に伊都国があったことはよく知られている。その隣には、のちに志麻国(和名類聚抄に出てくる郡名・・・和名抄は931〜938年頃編纂)というのが出来た。
それが現在の福岡県糸島半島の“糸島”として残っている。以前は糸島郡であったし、その前は怡土(いと)郡、志摩郡であった。
このように1800年前の地名が残るのであり、そうした事例は全国に事欠かないであろう。
安本美典が調べた魏志倭人伝の地名を筆者なりに纏めたのが次の表である。安本は言語学的正確さを期して提示しているが、それは専門家でないと難解で判らない。
ここでは筆者でも判るレベルで纏めているので、安本から引用したとはいえ文責はすべて筆者にある。

対馬から奴までは誰も異存がないと思う。そのあとは各人でご判断いただきたい。
しかし言えることは、地名に関する限り人名や官名と違って、違和感なく1800年前と現在を繋ぐことが出来るということであろう。
ただ地名は残存率が高いがゆえに、この地名をもって当時も現在の我々が理解できる程度の日本語に近い言語だったと言い切ることは出来ないだろう。
たとえばアメリカの州名のように先住民族の言葉がそのまま使われている例(アメリカ50州のうち25州・・・たとえばアラバマ、アリゾナ、テネシー、テキサスなど)が多いからである。
倭人伝に出てくる王名、使者名、官名
邪馬台国の卑弥呼は余りにも有名であるが、卑弥呼以外の王名や使者の名前はあまり検討されたこともない。
安本は奈良時代の多くの文献に当って解明を試みているがあまり成功している様には思えない。
卑弥呼とその一族の娘台与までは大体理解できる。
しかし難升米以下は殆ど日本語とは思えない名前である。
これらの名は先の情報提供者の記録ノートだけから写したものとは考えられない。 |
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より確かな、帯方郡の記録に正式に記載されていたものなども参考にして、写したものであろう。そこには、彼等の署名さえあったかもしれないのである。
それがこれほど解明不能の名前ということになると、卑弥呼の時代の名前と500年後の奈良時代の名前とは別の言語として捉えなければならないことになる。
さらに官名についての安本の研究を纏めてみる。
この官名についても安本の苦労が感じられる。
安本はこれらの官名を神名や人名に求めているが、筆者はまずこの点に違和感がある。
これはあくまで官名であって人名ではない。官名は奈良時代には中国の律令制などに倣った名前になっていたと思われる。
とすれば卑弥呼の時代の官名を奈良時代の文献に求めること自体に無理が |
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あるのではないか。
これらはそれぞれのクニまたは国の当時の官名であったのであろう。表現においても音感についても上代(奈良時代)の日本語に通じるものはないと言ってよい。
地名などと違って官名などはひとたび支配勢力が代われば一気に代わってしまうものである。そういうものだと考えて研究しなければならないものであろう。
筆者はこの安本美典の研究から安本とは別の感想を持つ。
安本は卑弥呼時代の倭人語を、奈良時代の上古日本語や万葉仮名の読みで解読可能といっている。しかし言語の500年という期間はそう短い期間ではない。
安本は自著「日本語の起源を探る」のなかで---紀元前後から4世紀ごろまでフランス地方、イタリア地方、スペイン地方では共通語としてラテン語が使われていた。分裂が始まったのは今から1500年〜1600年程度まえと考えられている。紀元5世紀には現代イタリア語に近い形が現れており、10世紀にはフランス語、イタリア語、スペイン語とあきらかに異なる形に分化している。---と書いている。
この話のタイムスパンと卑弥呼時代の倭人語〜上古日本語のスパンとはほぼ一緒である。
すなわち卑弥呼時代の倭人語と上古日本語は、ラテン語やイタリア語とスペイン語位の違いがあっても不思議ではないと考えられる。
筆者は安本の卑弥呼時代の倭人語の研究からそういう感想を持つのである。それは取りも直さず、卑弥呼時代の倭人語以後、漢字の本格的流入や中国東北部方面からのヒトの流入によって倭人語はかなりの影響を受け、変化して上古日本語が成立したのではないかと思うのである。
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