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今年で中ニになった妹

遠い夜(?)

617 名前:遠い夜 :03/09/29 20:58 ID:PwpRSIuR
小料理屋のカウンター、女が1人で酒を汲んでいる。
テレビでよく見かける顔、30を過ぎているのだろうが、
表情は華やかで、充分に美しい。

618 名前:遠い夜 :03/09/29 21:00 ID:PwpRSIuR
「久美さんはあんまり週刊誌になんか噂が載りませんね」
板前が包丁の音を響かせながら声をかけた。
店にはもうほかに客の姿もない。
「ああ、そうね」
女はあいまいな声で答える。

621 名前:遠い夜 :03/09/29 21:22 ID:PwpRSIuR
「男なんか卒業ですか」
「そうでもないけど、いそがしくて」
「いそがしくても、やる人は結構やっているんでしょ」
「そうねえ。まめな人もいるから・・・・・。私も昔は少しくらいやったのかしら。ウフフ」
女は残りの酒を喉に流しながら少し笑った。

622 名前:遠い夜 :03/09/29 21:24 ID:PwpRSIuR
「昔ったって・・・・・まだ現役でしょうが」
板前は茗荷を刻んで小鉢に盛り、鰹ぶしをかけて差し出す。

625 名前:遠い夜 :03/09/29 21:37 ID:PwpRSIuR
「好きな人が現れれば、いつだってやるわよ」
「いくらでもいるでしょうに」
「そう簡単にはいかないわ。夢中にならなきゃつまんないし、
夢中になったら毎日が大変よ。今のまんまでいいの。結構楽しくやってんだから。
惚れたの、はれたのって四六時中ドキドキしてたんじゃ、身が持たないわ」
「なるほどね」
板前は適当な相槌を打つ。

626 名前:遠い夜 :03/09/29 21:40 ID:PwpRSIuR
「これ、茗荷? 今が旬なの? おいしい」
「温室栽培ですがね。酔ったあとは、さっぱりしていいでしょ」
女は箸をななめに使いながら薄色の香りを口に運んだ。

627 名前:遠い夜 :03/09/29 21:51 ID:PwpRSIuR
「でも茗荷って、あんまりたくさん食べると忘れっぽくなるんですって?」
「さあ、どうですかね。落語にはありますけど」
「あ、ほんと?」
「宿屋の主人がお客からお金を預かるんですよ、たしか。
それを忘れさせようとして茗荷をたくさん食べさせるんだけどね」
「ええ・・・・?」
「ところがお客のほうは宿賃を払うのを忘れちまって。そんな話じゃなかったですか」
「聞いたことあるみたい」
「ありますよ有名な話だから」
「お銚子、もう一本いただこうかしら」
「どうぞ」
話が途切れ、薬缶だけがかすかな声をあげている。

630 名前:遠い夜 :03/09/29 22:06 ID:PwpRSIuR
外の通りを足音があわただしく駆けて行った。ハイヒールの響きかしら
 
 〜いつかもこんな夜があったわ〜

女はぼんやりと思い出す。茗荷の香りが遠い日の記憶を胸に運んで来る。



                                        つづく

635 名前:遠い夜 :03/09/30 15:17 ID:PHFQ48kj
そう、あれは・・・・初めて主役を勤めた舞台が大好評で、
数人の仲間と一緒に六本木のスナックで祝盃をあげた夜だった。
洋風の店なのに奇妙に和食のメニューがあって、茗荷スライスなどもでる。

気分は最高に浮き立っていた。舞台に立つ者には、
゛一夜にして世界が変わる″ときがあるんだとか。
あの夜がそうだったのかもしれない。飲むほどに酔うほどに・・・

636 名前:遠い夜 :03/09/30 15:19 ID:PHFQ48kj
「あ、いけねえ。大事な電話を忘れていた」
だれかが大きな声をあげた。

〜あら、私も忘れていた〜

一瞬、得体の知れない不安がフッと脳裏をよぎった。

〜せめて彼に電話くらいかけてあげなくちゃあ〜

637 名前:遠い夜 :03/09/30 15:25 ID:PHFQ48kj
五日ほど前 ゛彼″から手紙が届いた。

゛舞台は好調のようですね。陰ながら成功を祈っております。
こちらは相変わらずウダツがあがりません・・・・。
いたずらに年を取っているうちに、また年の瀬がやって来ます。
そう、何年目かの12月。あなたはもう忘れてしまったでしょうけれど・・・・
あの冷たい夜が僕にとってどれほど暖かい夜であったか。
肌のぬくもりを昨日の出来事のように思い出すことができます・・・・。
あなたの声が聞きたい。声さえ聞けば立ち直れるような気がします。
電話でかまわない。たった一言でかまわない。あなたの声がほしい。
どうか忘れずに・・・・。19日には旅に立ちます″

短い手紙だったが、不思議に息苦しい気配が漲っていた。

〜今夜は18日〜

639 名前:遠い夜 :03/09/30 15:27 ID:PHFQ48kj
彼は手紙を投函してからずっと待ち続けていたのではあるまいか。
電話をかけようと思ったのだが、驚いたことに電話番号が思い出せない。
昔はなによりもよく記憶していた番号だったのに。

640 名前:遠い夜 :03/09/30 15:30 ID:PHFQ48kj
あわてて電話帳を捜したが、スナックには備えてなかった。
「ちょっと出て来るわ」
「どこへ行く? いい男に会いに行くんだろ」
「ちがうわよ。すぐに戻って来るわ」
声を振り切って外に出た。あの夜も冷たい雨が落ちていた。
あちらの電話ボックス、こちらの赤電話、ハイヒールで雨の道を走った。
電話帳は喫茶店にも見当たらない。
104番にかけてみたがいっこうに通じない。

641 名前:遠い夜 :03/09/30 15:32 ID:PHFQ48kj
あきらめてスナックへ戻った。
「もう少し飲めよ。強いんじゃないか」
「ええ」
飲んでいても不安が小骨のように喉にささっている。
仲間と別れたあとでタクシーを飛ばす気になったのは、なぜだったろう。

〜あのときスナックに電話帳があったら〜

何度か思い返したことだった。

643 名前:遠い夜 :03/09/30 15:38 ID:PHFQ48kj
「どうしました?」
板前がまな板を洗いながら尋ねた。
「この店にも・・・・電話帳、ないわね」
「どこかへかけるんですか」
「ううん、いいの。どうしてどこの店にも置いてないのかしら」
「かさ張るからでしょ。せまい店じゃね。104に聞きましょうか」
「いいのよ。べつに今いるわけじゃないから。昔ね、電話帳がなかったばっかりに・・・・」

644 名前:遠い夜 :03/09/30 15:41 ID:PHFQ48kj
「はあ?」
「どうしてもかけなきゃダメな電話を忘れちゃったの。そのときも茗荷を食べていたわ」
「まさか」
「本当よ。茗荷って効くみたい。遅くなってから電話の人のところへタクシーを走らせたわ」
「相手は男ですね」
「かもね。昔、住んでたところだから道はよく知っていたの」

646 名前:遠い夜 :03/09/30 15:44 ID:PHFQ48kj
「いい話じゃないですか。昔、一緒に暮らしていた男のところへ、急に思い出してフラッと訪ねて行くなんて」
「そんなんじゃなかったわ。電話番号も思い出せないくらい忘れていたんだから」
「なるほど」
「ただ一声かけてあげれば、役に立つような気がして・・・・。
彼、あんまり仕事がうまくいっていないみたいだったし」

女の視線がどこか遠いところを捜している。

647 名前:遠い夜 :03/09/30 15:45 ID:PHFQ48kj
「喜んだでしょう?」
女は板前の言った言葉の意味がよくわからないように眼をあげた。
女の表情がかすかに強張っている。

「変なものね。電話帳があればそれでよかったのに」
「・・・・・・・・・・・」

648 名前:遠い夜 :03/09/30 15:47 ID:PHFQ48kj
「アパートの脇に大きな公孫樹の木があったの。
もう葉っぱなんかすっかり落ちてしまって。
だから暗かったけど、よく見えたわ。彼がその木のところで・・・・」

「待ってたんですね?」

649 名前:遠い夜 :03/09/30 15:48 ID:PHFQ48kj
「ええ・・・・。待っていたのかもしれないわね。板さん、見たことないでしょ?」
「なにを?」
「あやつり人形」
「あやつり人形?」

650 名前:遠い夜 :03/09/30 15:50 ID:PHFQ48kj

「そう。頼りないものね。人間の体なんか。
風に吹かれて・・・・雨に打たれて、糸で引くみたいに揺れてたわ」




板前の手が止まった。

651 名前:遠い夜 :03/09/30 15:51 ID:PHFQ48kj
女は思う。

一緒に暮らしたアパート。
ままごとみたいな生活。
苦しい時代をたがいに傷をなめあうようにして生きていたっけ。
あれからもう何年たったのかしら。

652 名前:遠い夜 :03/09/30 15:52 ID:PHFQ48kj
「その人が初めての方ですか」
板前が細い声で尋ねた。

653 名前:遠い夜 :03/09/30 15:53 ID:PHFQ48kj
女はうつむいたまま小さく首を振り、
次にあげたときにはもういつもながらの人気稼業の微笑に戻っていた。

654 名前:遠い夜 :03/09/30 15:54 ID:PHFQ48kj
「忘れちゃったわ、みんな。茗荷って本当に効くみたい。とてもおいしかった」

窓を立って格子戸を開けた。

655 名前:遠い夜 :03/09/30 15:55 ID:PHFQ48kj
外は雨。今夜みぞれに変わるかもしれない。





                               おわり
 
 
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