出雲路山 毫摂寺 (2006/04/08)


本願寺三世覚如に帰依した乗専が丹波国六人部(福知山市)の天台宗寺院を改宗して毫摂寺と称し
京都に移して覚如の末子・善入が住職となった。
その末裔の善秀が明応年間(15世紀末)に小浜庄を開き、この地にも毫摂寺を建立した。
その後寺内町として発達した小浜は、交通の要衝で武将の往来も多く
豊臣秀吉が有馬湯治の際千利休を伴い毫摂寺に宿泊し、茶を点てたという。
また、秀吉の養子・秀次も有馬湯治の際に毫摂寺に宿泊し、寺の次女亀姫を見初めて側室(小浜の局)としたが
、秀次が失脚・切腹すると、妻子や他の側室とともに亀姫も三条河原で処刑され、毫摂寺も焼き打ちにあう。
江戸時代には小浜は宿場町として復興し、毫摂寺は八本松の名所として知られるようになった。