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一代五時継図講義0658~0690
0658~0690 一代五時継図
0568:01~0660:02 第一章 第一・華厳時を明かす
0660:03~0662:12 第二章 第二・阿含時を明かす
0662:13~0667:11 第三章 第三・方等時を明かす
0667:05~0668:19 第四章 第四・般若時を明かす
0669:01~0670:18 第五章 第五・法華涅槃時を明かす
0671:01~0672:10 第六章 法華以外は小乗なることを示す
0672:11~0673:09 第七章 法華経の超勝性を示す
0673:10~0675:04 第八章 天台における座禅・念仏の意義
0675:05~0677:11 第九章 法華経と諸経の勝劣を示す
0677:12~0680:14 第十章 鎮護国家は法華経に依るべきを示す
0680:15~0682:06 第11章 法華経を広宣流布すべきを明かす
0682:07~0684:10 第12章 再び浄土念仏の限界を糾す
0684:11~0685:13 第13章 再び天台宗の念仏行を示す
0685:14~0687:18 第14章 天台大師の臨終の姿を示す
0688:01~0688:16 第15章 漢・日本の諸師、天台宗に帰伏するを示す
0688:17~0690:12 第16章 法華が仏の極説なるを明かす
0658~0690 一代五時継図top
0568:01~0660:02 第一章 第一・華厳時を明かすtop
| 0658 一代五時継図 01 大論に云く百巻・竜樹菩薩の造・如来滅後七百年出世の人なり十九出家・三十成道・八十涅槃 ・ 02 涅槃経に云く八十入滅 阿含経亦此の説有り云云、 03 ┌兼 説処は中天竺・寂滅道場菩提樹下 04 ├権大乗 05 │ ┌別教┐ ┌六十巻 旧訳・仏陀跋多羅三蔵の訳 ・ 06 ├三七日┤ ├─├八十巻 新訳・実叉難陀三蔵の訳 07 華厳教┤ └円教┘ └四十巻 08 ├乳味 09 ├結経は梵網経 10 ├ ┌他受用報身如来───旧訳の説 11 └教主┼毘盧遮那如来────新訳の説 12 └所居の土は仮立・実報土又は蓮華蔵世界と云う -----― 大智度論は百巻からなり、竜樹菩薩の造とされる。釈尊が入滅してから七百年の後に、この世に出現した人である。釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道し、八十歳で入滅したとある。 涅槃経には、釈尊は八十歳で入滅したとあり、 阿含経にもまたこの説がある。 ┌円教に別教を兼ねる。説法の場所は中央インド、寂滅道場の菩提樹下である。 ├権大乗教である │ ┌別教┐ ┌六十巻本、これは旧訳の仏陀跋多羅三蔵の訳である。 ├三週間で説かれた ┤ ├八十巻本、これは 新訳の実叉難陀三蔵の訳である。 厳教┤ └円教┘ └四十巻本 ├五味のひとつ乳味に配される。 ├結経は梵網経 ├ ┌他受用報身如来と立てる───旧訳華厳経の説である。 └教主┼毘盧遮那如来とたてる────新訳華厳経の説である。 └教主が住する国土は仮に立てる実報無障礙土、または蓮華蔵世界という。 -----― 13 愚法・二乗教 14 ┌ 一に小乗教 一切の小乗経を摂す 15 ├ 空 01 ├ 二に大乗始教 方等部の経を摂す 0659 02 華厳宗五教を立つ┤ 不空 03 ├ 三に大乗終教 般若涅槃経を摂す 04 │ 三乗の中の絶言の理を説く 05 ├ 四に頓教 一切経中の頓悟成仏の旨を摂す ・ 06 │ 別教一乗 07 └ 五に円教 華厳・法華を摂す -----― 愚かな法・二乗のための教 ┌ 一に小乗教、一切の小乗経をおさめる。 ├ 空を説く ├ 二に大乗始教、方等部の経典をおさめる。 華厳宗は五教をてる┤ 不空を説く ├ 三に大乗終教、般若部の諸経と涅槃経をおさめる。 │ 声聞・縁覚・菩薩の三乗の法の中の言語を説く。 ├ 四に頓教、一切経の中の直ちに成仏する教えをおさめる。 │ 別教の一乗 └ 五に円教、華厳経・法華経をおさめる。 -----― 08 ┌馬鳴菩薩──起信論を造る 09 ┌天竺┼竜樹菩薩──十住毘婆沙論を造る 10 │ └天親菩薩──十地論を造る 11 │ ┌杜順和尚──終南山の住・文殊の化身云云 12 │ ├智儼法師──至相寺の住 13 ├唐土┼法蔵大師──京兆・凉山大華寺の住 又賢首大師と云い 又康蔵大師と云う ・ 14 祖師┤ └澄観法師──清涼山大華寺の住又清涼国師と云う 15 │ ┌審祥大和尚─大安寺の住新羅国の人日本最初伝 16 │ ├慈訓小僧都 17 │ ├明哲律師 18 └日本┼良弁僧正 東大寺の本願 01 ├等定大僧都 0660 02 └道雄僧都 海印寺の住 -----― ┌馬鳴菩薩──大乗起信論を造る。 ┌天竺┼竜樹菩薩──十住毘婆沙論を造る。 │ └天親菩薩──十地経論を造る。 │ ┌杜順和尚──終南山に住し、文殊の化身といわれる。 │ ├智儼法師──至相寺に住する。 ├唐土┼法蔵大師──京兆の清凉山・大華寺に住する。また賢首大師といい、また康蔵大師ともいう。 祖師┤ └澄観法師──清涼山大華厳寺に住する。また清涼国師という。 │ ┌審祥大和尚─大安寺に住する。新羅国の人である。日本に最初に華厳経を伝えた。 │ ├慈訓小僧都 │ ├明哲律師 └日本┼良弁僧正。東大寺を創建した人。 ├等定大僧都 └道雄僧都、海印寺のに住する。 |
大論
大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。
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竜樹菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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如来
①「如々として来る」と訳す。仏のこと。②過来・如来・未来のなかの如来。瞬間瞬間の生命。
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滅後
仏が入滅したあと。
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出世
仏がこの世に出現すること。
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十九出家・三十成道・八十涅槃
釈尊が19歳のとき、世俗の王宮の生活を捨てて、妻子眷属の縁を断って出家し、仏道修行に励んで、30歳で仏道得道。80歳で入滅したこと。
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涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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阿含経
釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経51巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
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華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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兼
兼ね具えること。兼任・兼用。
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説処
経が説かれた場所。
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中天竺
インドを東・西・南・北・中と五つにわけたなかの「中」。中央インドのこと。
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寂滅道場菩提樹下
釈尊が悟りを開いたところ。道場は菩提を得る場所。
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権大乗
大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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三七日
3週間・21日間のこと。華厳時の説法の期間。華厳経・法華経の説。
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別教
二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
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円教
円融円満で完全無欠な教のこと。中国では諸教の教相判釈に対して、最高の教を円教と定めた。法華経のこと。
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六十巻
旧訳華厳経が60巻からなること。東晋代・仏駄跋陀羅の訳。
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旧訳
漢訳された経典のうち、唐の玄奘三蔵以前に訳された経典を旧訳という。経文は、どちらかといえば、旧訳の経は意味訳であり、貞元釈教録によれば、訳者は187人あって、うち旧訳141人、また、開元釈教録によれば、訳者176人のうち、旧訳139人とある。
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仏陀跋多羅三蔵
buddhabhadra、(359年 - 429年)は、東晋の中国で活動した北インド出身の訳経僧。姓は釈氏、迦維羅衛の人である。名前は、音写されて「仏陀跋陀羅」もしくは「仏駄跋陀羅」とされ、意訳されて「覚賢」「仏賢」「覚見」とされる。
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三蔵
①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
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八十巻
新訳華厳経が80巻からなること。唐代・実叉難陀の訳。
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新訳
像法の前500年は、中国に仏法が流布し、さかんに翻訳が行われている。竺法蘭・鳩摩羅什などである。これらの経典を旧訳といい、像法の後の500年を新訳という。玄奘三蔵・善無畏三蔵に代表される。一般に新訳は訳者の自我が多い経典とされ、真言宗の善無畏が立てた理同事勝などは代表的な例である。
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実叉難陀三蔵
(652年~710年)は、西域出身で唐代の中国で活動した訳経僧。パミール高原の北、ホータンの出身。初め、武則天が、旧訳の華厳経に不備があり、遠くホータンには梵本があることを聞き、使者を派遣して梵本を求めさせ、併せて訳経者も捜させた。そこで、実叉難陀が、証聖元年(695年)に洛陽に来朝し、大偏空寺で訳経を開始した。武則天みずからが序文を音読し、南インド沙門の菩提流志、義浄三蔵や、法蔵とともに、仏授記寺に於いて、80巻本の華厳経として、聖暦2年(699年)に訳経を完了した。その後、前後して19部の訳経を行なった。景雲元年(710年)10月12日、大薦福寺で亡くなった。春秋59。彼の七層の髪塔は、俗に華厳三蔵塔と呼ばれた。
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四十巻
涅槃経には漢訳が四種あり、北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。華厳経末の入法界品の別訳で、入不思議解脱境界普賢行願品という。
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乳味
五味のひとつ。華厳時の教法をいう。
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結経
中心となる教えを述べた本経に対し、その結びとなる要旨を述べた経典。
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梵網経
「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」上下2巻の略。下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。梵網経すべてを翻訳すると120巻61品となるが、鳩摩羅什が長安で同経中の菩薩心地戒品第十のみを訳出した。梵網とは仏が衆生の機根に合わせて教を設け、病に応じて薬を与えて、一人も漏らさず彼岸に達せしめることが、あたかも大梵天王の因陀羅網のようであるということから名づけられた。この経の教主は蓮華台蔵世界において成道した報身仏の盧舎那仏であり、釈迦応化身の覆述によるのである。大乗律の経典で、衆生の戒は仏性の自覚によって形成されるとしている。上巻には菩薩の階位の十住・十行・十回向・十地の四十法門が、下巻には菩薩戒の十重禁戒、四十八軽戒が説かれている。
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教主
教法を説く主尊。それぞれの教法には、それぞれの教主がいることになる。法華経の教主は釈尊である。
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他受用報身如来
他に法楽をj受容させる仏身のこと。十地の菩薩のために神力を現じて説法し大乗の法楽を享受させる仏をいうのである。
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毘盧遮那如来
毘廬遮那は梵名ヴァイローチャナ(Vairocana)の音写、遍一切処・光明遍照などと訳す。華厳経・観普賢菩薩行法経・大日経等に説かれる。華厳宗では旧訳の華厳経に盧遮那と訳されていることから、毘盧舎那と盧遮那は同じであり、報身等の十身を具足するとしている。天台宗では毘盧舎那を法身・盧遮那を報身・釈尊を応身としている。真言宗では毘盧舎那は法身であり、大日如来としている。
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所居の土
住んでいる国土。
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仮立・実報土
衆生教化のため、菩薩が無明を断じて成道するのを明かすために方便として、爾前経に仮に説かれた実報土のこと。
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蓮華蔵世界
蓮華の象徴的意味から発展した世界観。『華厳経』の華蔵世界品では,この世界が具象的に精緻に描かれている。その大要は,世界の最底に風輪があり,その上に香水海があり,そこに咲く蓮華の上に世界が網の目のように広大無辺にあり,その中心に仏が出現する。
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華厳宗
華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。南都六宗の一つ。一切経の中で華厳経が最高であるとし、万物の相関関係を説く法界縁起によって悟りの極致に達するとする。東晋代に華厳経が中国に伝訳され、杜順、智儼を経て賢首によって教義が大成された。賢首は五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に、唐僧の道璿が伝え、同12年(0740)に、新羅の僧・審祥が華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。
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五教
華厳宗の教判で、釈尊一代の教説を形式・内容等によって五種に分類し、華厳経が最高の経典としている邪義。これには二種がある。①華厳宗第三祖・法蔵の説。小乗教・大乗始教・大乗終教・頓教・円教とし円教のうち華厳経を円融不思議の法門を開示するものとし、三乗を同じて説いた法華経より勝れたとするもの。②華厳宗第五祖・宗密の説。人天教・小乗教・大乗法相教・大乗破相教・一乗顕性教とし、華厳経を一乗顕性教と立てる。
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小乗教
一般には大小相待の小乗・爾前経をいうが、法華経と権教を相対すれば権教が小乗教・本迹相対すれば迹門が小乗教となる。寿量文底下種の大御本尊が建立されたうえでは、釈尊の一切経はすべて小乗教である。大乗小乗分別抄には「夫れ小大定めなし一寸の物を一尺の物に対しては小と云い五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う、外道の法に対しては 一切の大小の仏教を皆大乗と云う大法東漸通指仏教以為大法等と釈する是なり、仏教に入つても鹿苑十二年の説・四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経に対して小乗経と名けたり、又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う華厳の大乗経に其余楽小法と申す文あり、天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり、又法華経第一の巻・方便品に若以小乗化・乃至於一人と申す文あり天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず華厳経の別教・方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う、又玄義の第一に会小帰大・是漸頓泯合と申す釈をば智証大師は初め華厳経より終り般若経にいたるまで四教八教の権教諸大乗経を漸頓と釈す泯合とは八教を会して一大円教に合すとこそ・ことはられて候へ、又法華経の寿量品に楽於小法・徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法なり」(0520-01)とある。
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愚法
愚かな教法。大乗から小乗をみていう。
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二乗教
二乗のための教法。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚乗のために説かれた教法。
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一切の小乗経
すべての小乗教典。
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摂す
おさめる・摂取する・取り入れる。
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大乗始教
華厳宗が行う仏教の分類法のうちの一つ。生教,権教,分教ともいう。このなかには,すべてのものは実体がなく空であると説く『般若経』などの空始教と,因縁によって生じた諸存在の性相を五性各別に説く『解深密経』などの相始教とがある。
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空
固定的実体、もしくはアートマン(我)のないことや、実体性を欠いていることを意味する。空は時代や学派によっていくつかの概念にまとめられるが、その根本的な部分ではほぼ変わらず、いずれも「縁起を成立せしめるための基礎状態」を指している。ただし、下述するように、この概念は初期仏教以来用いられてきたものではあるものの、とりわけ大乗仏教初期の『般若経』や龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』およびその後継である中観派によって、特に強調・称揚・発展されてきた概念であり、そこに端を発する中国仏教宗派の三論宗を「空宗」と別称する[1]ことからも分かるように、一般的にはその文脈との関連で用いられることが多い。
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方等部
方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもの。
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大乗終教
「五教十宗」の一つ。大乗の終極の教え。 漸教の中の終教であるから、その後に大乗窮極の教えとしての大乗頓教や円教がある。終教は、始教よりも深い教えという意味である。始教が法を区別して理解するのに対し、終教は法の相互の間の連続を見る。たとえば、人間が悪人から善人に変わる場合、そこに悪から善へのつながりがなければならない。すなわち善と悪とは、一面では隔絶しているが、同時に、他面においてはつながっていると見なければならない。善と悪との連続を認めないと、悪人が善人に変わり、迷っている人が悟ることは不可能になるからである。すなわち、善と悪、迷いと悟り、生死と涅槃などを区別する立場から法を説くのが「始教」であるのに対し、両者の連続の面、相即の面を重視して法を説くのが「終教」である。故に終教は、煩悩即菩提や、迷悟不二を説く『維摩経』のように、即・不二を説くことがその特色となる。あるいは「如来蔵」を説く経典のように、最初から「悟り」を前提とする教えとなる。佛性や如来蔵を前提とすると、それと現実の凡夫の迷い・煩悩とが、いかに相即するかという問題が起り、「不二・即」の思想を考えざるをえない。如来蔵は「在編修の法身」といわれ、佛性が煩悩に取り巻かれている時をいうのである。如来蔵の教理は『勝鬘経』や『楞伽経』に説かれ、さらに『宝性論』や『大乗起信論』に体系的に示されている。
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不空
(0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
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般若涅槃経
般若経と涅槃経のこと。
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頓教
天台の八教大意に説かれる化儀の四教のひとつ。頓はすみやか・直ちにの意。すなわち頓教は誘因の手段を用いなで、ただちに大乗を説いた教え。
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三乗
十界のうち声聞・縁覚・菩薩の三をいう。それぞれ、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗という。声聞乗は仏説中の四諦の理を観じて自らの成仏を願い、精進するもの、三生または六十劫の後に解脱する機類をいう。縁覚乗は辟支仏乗ともいい、三界の迷いの因果を十二に分けた十二因縁を観じて、この十二因縁を順次滅し、最後に根本の無明を打ち破り、煩悩を断じ灰身滅智して四生または百劫の後に真の寂滅に帰するものをいう。菩薩乗とは一切衆生を済度することを願い、無上菩提を求め、三阿僧祇百大劫または動踰塵劫などの無量無辺の長い劫の間、六波羅蜜を行じて解脱するものをいう。
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絶言の理
言語を絶した甚深の法理のこと。声聞・縁覚・菩薩乗の三乗の法の中で、言葉による表現を超えた真理。
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一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
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頓悟成仏
すみやかに悟りを開いて成仏すること。
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旨
経旨・仏典の趣旨・元意。
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円教
円融円満で完全無欠な教のこと。中国では諸教の教相判釈に対して、最高の教を円教と定めた。法華経のこと。
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別教一乗
華厳宗では華厳経の教えが、三乗とは異なる究極真実の超絶的な一乗であるとしている。
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法華
大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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祖師
一宗一派の祖師。
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天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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馬鳴菩薩
付法蔵の第十二。仏滅後600年ごろに出現し、大乗教をおおいにひろめた。梵名はアシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、富那奢に論破され屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を鳴かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には「仏所行讃」五巻、「犍稚梵讃」1巻、「大荘厳論」15巻等がある。
―――
起信論
漢訳本には冒頭に「馬鳴菩薩造」とあり、馬鳴(アシュヴァゴーシャ)作とされる。内容からすると、本書は、ナーガールジュナ(竜樹)やヴァスバンドゥ(世親)らの思想より後のものであることが明白であるので、いわゆる後1、2世紀に活躍し、『ブッダ・チャリタ』(Buddhacarita、仏所行讃)等の著者とされる同名の馬鳴と、本書の著者は別人と考えられる。そのため、本書の著者を後馬鳴と称することもある[1]。インド撰述の他の論書に引用されることがなく、チベット語訳も存在しないため、中国で撰述されたという説もある。
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十住毘婆沙論
全17巻。竜樹著と伝えられる。鳩摩羅什訳。菩薩の修行段階である十地を広説したものであり、十地毘婆沙論ともいう。
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天親菩薩
生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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十地論
12巻。天親著、菩提流支訳。初期大乗仏教経典の一つ。後に『華厳経』に編入されたため、『華厳経』の「十地品」としても知られる。
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杜順和尚
(0557~0640)。中国隋・唐代の人で華厳宗の祖。僧名は法順。俗姓が杜氏であり杜順と通称される。雍州万年(陝西省西安市)の人。18歳で出家し、僧珍禅師について修行し、禅および華厳を究めた。隋の文帝、また唐の太宗の崇敬を受けた。「華厳法界観門」一巻を著わして、専ら華厳を弘め、その弟子・智儼に華厳宗を伝えた。
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終南山
中国・陝西省西安の南方にある山。昔から多くの僧が寺を構えたが、なかでも、南山律師の祖・道宣、華厳宗の祖・杜順などが住んでいたとされている。
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文殊の化身
中国・華厳宗の祖杜順は、文殊師利菩薩の化身として現われたとされる。
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智儼法師
(0602~0668)。中国華厳宗の第二祖。至相大師・雲華尊者ともいわれる。14歳で杜順について出家し、四分律や涅槃などの諸経論を学んだが、のちに華厳経の研究に専念した。著書に「華厳経捜玄記」5巻、「華厳孔目章」4巻などがある。
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至相寺
中国・陝西省西安にある華厳宗の寺院。智儼が住んでいたとされている。
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法蔵大師
(0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。則天武后の勅で入内したとき、側にあった金獅子の像を喩として華厳経を説き、武后の創建した太原寺に住み、盛んに弘教した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の教判を五教十宗判として立てた。著書には「華厳経探玄記」20巻、「華厳五教章」3巻、「妄尽還源観」1巻、「華厳経伝記」5巻など多数がある。
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京兆
中国・陝西省の中西部、長安を含む地域。
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凉山大華寺
清涼山に大華厳寺のことか。正確には不明。
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賢首大師
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師・康蔵大師・法蔵のこと。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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康蔵大師
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師・康蔵大師・法蔵のこと。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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澄観法師
(0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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清涼山大華寺
中国・山西省にある山。山頂が五つあることから五大山ともいう。大華寺は五大山のなかにあった。
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審祥大和尚
韓国の新羅の人で、唐に渡って賢首大師法蔵に華厳を学び、天平のころ日本へ来て良弁らとともに、華厳宗をひろめた。
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大安寺
奈良市大安寺町にある寺。南都七大寺の一つ。平城遷都に際し,大官大寺を飛鳥から移して大安寺と称したもので,造営には道慈が唐の新様式を取入れたと伝えられる。南大門外に東西両塔を配した大伽藍であったが,中世以後衰え,古い建物はまったく残っていない。
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新羅国
朝鮮半島における最初の統一王朝(前0057~0939)。百済・高句麗とともに三韓の一つ。紀元前0057年頃に辰韓の統一をはかり、朴赫居世が建国、以後7世紀頃まで、高句麗・百済と抗争しつつ並立した。
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慈訓小僧都
奈良時代の奈良興福寺の僧。俗姓は船氏。河内国の出身。興福寺の玄昉、元興寺の良敏に法相唯識を学び、審祥から華厳を学んだ。740年(天平12年)審祥による華厳経の法会では副講師をつとめ、同14年(742年)には講師となった。755年(天平勝宝7年)には宮中講師となる。翌756年(天平勝宝8年)聖武天皇が病気となった際、良弁・安寛とともに看病禅師・華厳講師をつとめ、その功により少僧都に任じられた。藤原仲麻呂政権下では仏教政策の中心者として活躍し、760年(天平宝字4年)良弁らとともに僧位制度の改正を奏上している。その後道鏡が現れると763年(天平宝字7年)僧綱を解任されたが、道鏡が失脚した770年(宝亀元年)には少僧都に復帰している。
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明哲律師
生没年不明。平安初期の華厳宗の僧、慈訓の弟子。奈良・薬師寺に住して華厳経を講説し、律師に任じられている。
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良弁僧正
(0689~0773)奈良時代の華厳宗の僧。朗弁とも書く。東大寺の開山。通称を金鐘行者といった。帰化人の子孫とも,近江または相模の人ともいわれる。2歳のときわしにさらわれて,奈良の春日神社の杉の木に捨てられ,義淵僧正に育てられたという話は有名。
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東大寺の本願
本願は寺院を創設した発起者のことで、東大寺創設した発起者を意味する。
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東大寺
聖武天皇の天平13年(0741)に国分寺の建立が計画され、天平15年(0743)に本尊廬舎那仏の造立が発願され、天平21年(0749)に完成し、天平勝宝4年(0752)盛大な開眼供養が行われた寺院。奈良の大仏のこと。
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等定大僧都
(0721?~0800)養老5年?生まれ。実忠に華厳をまなぶ。河内西琳寺を修復。延暦2年大和東大寺の別当となる。13年豊前八幡・筑前宗形、肥後阿蘇の3社に派遣されて読経。16年大僧都にすすんだ。延暦19年(0800)7月死去
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道雄僧都
(?-851)平安時代前期の僧。真言宗。慈勝に唯識を東大寺の長歳に華厳をまなぶ。のち空海より灌頂をうけ、十大弟子のひとりとなる。山城(京都府)に華厳・真言兼学の海印寺を創建し開山となった。嘉祥3年権少僧都。仁寿元年6月8日死去。讃岐(香川県)出身。俗姓は佐伯。法名は「どうゆう」ともよむ。
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海印寺
京都府長岡京市にあり、弘仁10年(0819)に弘法の弟子・道雄が開いた。文徳天皇の勅願所。応仁の乱で火災にあい、現存するのは一部。当初は華厳宗の寺院であったが、道雄以降・真言宗の寺院。
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本抄は大きく二つの部分に分かれている。前半は日蓮大聖人の仏法の立場から釈尊一代五時の説法の次第と中国・日本で成立した諸宗派との関連が一目瞭然に見渡せるように図示され、後半は27項目にわたって解説が施されている。
以上の内容からいって、特定のだれかに与えられたものではなく、門下の修学の資料とされたものと考えることができる。その点、これまでの一代五時系統のものと同趣旨の内容であるが、そのなかでも最も類似しているのは釈迦一代五字継図であるといってよいであろう。
題名の「一代五時継図」とは、釈尊が成道してから入滅するまでの説法を五つの時期に分けた上で、その次第展開を表した図ということである。「五字継図」というのは五字の順序次第を系統立てて図示するとの意味である。
さて、本文に入って、まず「大論に云く」として「一九出家・三十成道・八十涅槃」とある。「大論」についての注釈として「百巻・竜樹菩薩の造・如来滅後七百年出世の人なり」とある。このあと釈尊に一代五十年間の説法について図示されるに当たり、釈尊の生涯の大きな節目として「十九出家・三十成道・八十涅槃」とされていることを大論によって示されているのである。
大論は大智度論の略称で、釈尊の生涯に関する言及としては、その巻三に「我年十九にして、出家し仏法を学ぶ。我出家してより已来、已に五十歳を過ぎ、浄戒・禅・智慧あり。外道は一分も無く、少分すら尚有ること無し。何に況んや一切智をや」とある。ここには「三十成道」と「八十涅槃」と記した文はないが、当時はほぼ認められていたことなので、このように記されたと思われる。
「八十涅槃」については次に「涅槃経に云く八十入滅」と記されている。涅槃経にも大乗・小乗・種々あり、小乗の涅槃経である仏般泥洹経には「年亦自ら七十有九に至る」、般泥洹経にも「年七十九に至る」とあるが、明確に「八十入滅」と記した文は見当たらない。ただし、釈尊の入滅を八十歳とすることについては、各宗共通して認めていることなので「八十入滅」と記されたと考えられる。
「阿含経亦此の説有り」とは、長阿含経巻二の遊行経に「我已に老いる。年粗八十…是の後、三月…本生じた処の拘尸那竭の沙羅園双樹林間に於いて当に滅度を採る取る」とある文を指されたと考えられる。
次いで「大論に云く」のすぐ下に小さく書かれているのは、大論すなわち大智度論についての説明で、大智度論が「百巻」からなり、その著書が「竜樹菩薩」であり、その竜樹が「如来滅後七百年」に世に出た人であることが記されている。
竜樹の生存の年代についてはさまざまな説がある。撰時抄では「正法の後六百年・已後一千年が前・其の中間に馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩」(0261-02)とあり、また、八宗綱要に「次に竜樹菩薩有り、六百の季歴、七百の初運に、馬鳴紹いで五印に独歩せり」とあるところから、竜樹は仏滅後の700年の初めに出現したとされる。
次に一代五時の説法のそれぞれについて、これら五時の経を依経として成立した諸宗について示される。まず最初の説法である華厳経について「兼」「説処」「権大乗」「三七日「乳味」「結経」「教主」が記されている。
これらの項目は、このあと各経にも記されるわけではないし、順序もまちまちである。おそらく、それぞれの経についての論議の的となってきた項目を挙げられたのであろう。例えば「教主」の項目はこの華厳経だけで、他の段では全く記されていない。また「説処」について記されているのは華厳経と次の阿含経だけである。
こうした各経の特徴点や位置付けについては、本御書の前の釈迦一代五時継図に詳しく記されており、本御書はむしろ、これらの各経を依経として仏滅後に成立した諸宗の系譜を明らかにすることに重点を置かれたと拝される。
ところで、華厳経についてこれらの項目は、必ずしも規則立った順にかかれていないので、内容的に整理しながら見ていくと、華厳経自体に関する点として説処が「中天竺・寂滅道場菩提樹下」であったこと、説法の期間が「三七日」であったことが記されている。
すなわち、この説処は釈尊が悟りを開いて成道した場所であるところから、成道後すぐに行われた説法であること、また「三七日」の間に説いたが、これも現実上の衆生に対して教化するための説法でなかったことを示していよう。
なぜなら、現実上の衆生を教化するためならば、低レベルから次第に高めていく必要があり、どうしても他教のように何年かの時間をかけなければならないからである。
次に、この華厳経が釈尊一代の説法のなかでどのように位置付けられるかの問題にかかわるのが「兼」「権大乗」「乳味」である。
「兼」とは、天台大師が一代仏教を教理内容によって分けた「化法の四教」蔵教・通教・別教・円教のうち、別と円を兼ねるとの意である。別は別して菩薩のために説いたもの、円は成仏を明かしたものをいう。ただし、華厳経は、法華経のように、成仏の種子ではなく、仏の境地の広大さを明かしているという意味の円教で、したがって「権大乗」なのであるが、権大乗のなかでは最も高い経に位置付けられる。
「乳味」とは牛乳を精製するなかで得られる五味のうちの最初で、これは教えの高低よりは、成道直後直ちに、悟りの境地をそのまま説いた経という意味から「乳味」と特徴付けられるのである。
なお、本文の図示では「兼」の下に「説処」がきているが、この二つの間につながりはない。同様に「三七日」の下に「別教」「円教」とあり、さらにその下に「六十巻 旧訳・仏陀跋多羅三蔵の訳」「八十巻 新訳・実叉難陀三蔵の訳」「四十巻」とあるのも、これら相互の間につながりがあるわけではない。むしろ前述したことからいえば、「別教」「円教」は「兼」とつながっていると考えられる。
ここにある「六十巻」「八十巻」「四十巻」は訳者による違いであるが、いずれも膨大な分量である。8年間にわたって説かれた法華経が8巻であるのに比べ、21日間の華厳経がその10倍になっているというのは不思議なくらいであるが、十六大菩薩が来至して次々に説いた内容が延々と記されているので、このように膨大になったのである。
しかし逆にいうと、8年間にわたって法華経がわずか8巻28品として流布したものだとする説がある。日蓮大聖人もこの点について寺泊御書に「一部八巻・二十八品・天竺の御経は一由旬に布くと承わる定めて数品有る可し、今漢土日本の二十八品は略の中の要なり」(0954-02)とおおせられている。
「結経」とは、本経を説いた後、流通のための本経の締めくくりとして説かれた経で、華厳経本経の結経は「梵網経」であることが記されている。
最後に「教主」として「他受用報身如来───旧訳の説」「毘盧遮那如来────新訳の説」と記されている。このあと阿含・方等・般若・法華の各経については「教主」の項はなく、華厳経のみについて記されている。これは、他の経の場合、教主の意義付けについては定まっているが、華厳経の場合、旧訳と新訳で異なっているからであろう。つまり、華厳経を説いた「教主」について、旧訳は「他受用報身如来」としているのに対し、新訳では「毘盧遮那如来」としているのである。もともと梵語でヴァイロ―チャナとあるのだが、旧訳の華厳経・梵網経では廬舎那、新訳の華厳経では毘廬遮那と音訳しているからである。
他受用報身というのは如来・仏の悟りの智慧を他に受け用いさせる仏身で、因位の修行の功徳によって報われて荘厳されたから報身という。大聖人は一代五時鶏図で廬舎那報身を華厳宗の本尊とされている。
次いで「所居の土は仮立・実報土又は蓮華蔵世界と云う」の文は華厳経の教主の居住する国土を指している。天台大師は仏土に四種の仏土を立てる。すなわち、凡聖同居士、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土の四土である。そのうち、華厳経の教主の国土は三番目の仏土に当たるとされている。実報土は無障礙土ともいい、あわせて実報無障礙土ともいう。実報土は完全に解脱した世界であるから、煩悩などの障礙の無い国土、ということであるが、それはまた、真実の功徳に報われた土ということで、報身仏の住む国土である。
しかし、華厳経の教主の住する実報土は「仮立」すなわち、仏が衆生を教化するために方便として仮に立てたもので、あくまで方便にすぎない。この仮立実報土は「又は蓮華蔵世界と云う」とあるように、具体的には華厳経に説かれる世界のことである。それによると、廬舎那仏は蓮華蔵世界の巨大な蓮華の上で成仏し、周りをめぐっている千葉の上には千の釈迦仏が住し、千葉の一つ一つに百億の国があり、娑婆世界はこの百億の国の一つであるとしている。この巨大な蓮華蔵世界もあくまで衆生教化のための方便として仮立された実報土であるということである。
この華厳経の教主を廬舎那他受用報身とするか毘廬遮那法身とするかの問題は、真言宗の問題も絡んできた。真言宗は真言経典の教主・大日如来を毘廬遮那法身とし、それに比べて華厳経の教主は他受用報身であるから一段低い仏であるとして自宗の優位を主張したのである。
しかしながら、華厳経の教主は梵語では「ヴァイロ―チャナ」で、毘廬遮那と同じである。むしろ経典の成立史からいうと、華厳経から「ヴァイロ―チャナ」を借用して真言経典が形成されていったという説が有力であるから、その真言宗が華厳経を真言経典より劣るとする教判を立てたことは、まさに邪道であり、さらに法華経を華厳経より下に位置付けて誹謗したことは論外といわなければならない。
本御書で大聖人が華厳経に関してのみ「教主」として二義あることを示されているのは、以上のような問題が絡んでいるからであろうと拝察される。
次に、華厳経を依経として立てられた華厳宗がどのような教判を立てているかについて「華厳宗五教を立つ」とある。これは中国華厳宗の第三祖の法蔵が華厳五教章巻一で説いたもので、華厳経を最高位に位置付けるために釈尊一代の教説を五種に分類して、その勝劣浅深を分けている。
まず釈尊一代の教法のなかで最も低い教えとして「小乗教」を挙げ、一切の小乗の経典がこれに収まるとしている。
「一に小乗教 一切の小乗経を摂す」の脇書にある「愚法・二乗教」とは、後の大乗経に比べて劣る教えであり、自己の劣った機根である声聞・縁覚の二乗のための教えであることを示している。自己の解脱のみを目的とする教えであるから、民衆救済の乗り物としては狭く小さなものとなり、「小乗教」とされる。
次に大乗経に入るが、そのなかで、小乗から初めて大乗に入った者に説かれた教えを「大乗始教」としている。法蔵はさらにこの大乗始教を祖始教と空始教とに分け、祖教には諸存在の相と性とを区別して五位百法を立てる法相宗を当てて、空始教にはすべての存在を空と説く三論宗に当てている。しかし、ここでは大乗始教について「方等部の経を摂す」として、天台の五時教判における第三時、方等部の経教がこれに配されるとしている。
後に方等部・般若部のところで触れるが、天台の教判では法相宗は方等部に、三論宗は般若部に配している。事実三論宗は竜樹の中論・十二門論・提婆の百論を修学するもので、経典では般若部経典をよりどころとしている。
この三論宗を法蔵が大乗始教に位置つけたのは、故意に貶めたものといわなければならない。大乗始教としては、小乗の倶舎宗の五位七十五位に近似している五位百法を説く法相宗のみが最もふさわしいとすべきであろう。
なお脇書の「空」という注記は大乗の初門としての空、つまり、天台の空・仮・中の三諦論からいえば仮も中も説かない「但空」をといているということである。
次の「三に大乗終教」について法蔵は、大乗説法の終わりに説かれた教えで大乗始教よりも深い教えを意味し、空よりもさらに進んだ「真如」をはっきりと打ち出し、この真如の働きによって現象世界が展開するという真如縁起を説いた大乗起信論や衆生成仏の可能性を説いているということで楞伽経を配した。そして法蔵は般若経を「大乗始教」に入れたのであるが、大聖人はこの図示で般若経を「大乗終経」に摂すとされている。
この「五教」は華厳宗の立てた教判を示されているのであるから、華厳宗の内側で、この五教のそれぞれにどの経を配するかについて、法蔵の説への修正が行われていたとも考えられる。
というのは、法蔵は天台大師より後の唐初の人であるから、天台大師の五時八教判は知らないわけではなかったにしても、天台大師滅後、天台宗に際立った人なく、華厳宗、さらに少し下って真言宗が勝手な教判を唱えても論破する人がいなかった。ところが唐代中期には、天台宗中興の祖とうたわれる妙楽大師が現れ活躍したことから、華厳宗の五時教判についても、天台の五時八教の見解を無視できなくなったからである。
脇書の「不空」という注記は「大乗始教」における「空」が但空であったのに対し、ここでは単なる空に偏るのではなく、空ならざる側面を諸存在に観る立場であることを示している。ここでは般若経も大乗終教に含めることから、竜樹が大品般若経を釈して大智度論を著して説いた、非有非空の中道の理を「不空」としたとも考えられる。また涅槃経も蔵・通・別・円の四教を説くので「不空」の側面を含んでいることはいうまでもない。
次いで「四に頓教」とある。頓教の“頓”とはすみやか、直ちに、の意で、天台の教判において化儀の四教の一つとして立てられたもので、誘引の手段を用いないで、直ちに大乗を説いた教えのことで、第一時・華厳部の教えがこれに当たる。したがって「一切経中の頓悟成仏の旨を摂す」とあるように、釈尊の説いた一切の経の中で、直ちに悟りを開いて成仏するということを説く趣旨をすべて含むとしている。
しかしながら脇書に「三乗の中の絶言の理を説く」との注記があるように、華厳宗・法蔵の教判では釈尊が菩提樹の下で成道した時、まず、華厳経という一乗経を明かし、すべての衆生を救済しようとして説いたが、利益を受けたのは機根の高い大菩薩たちにすぎず、機根の劣る二乗や凡夫は教えを聞く力がなかった。
そこで、仏は一乗の教えの中に、声聞・縁覚・菩薩の三乗を仮にあるものとして説いて、機根の劣る衆生を導いて、一乗の教えに入らしめようとした。
こうして一乗の教えの中に仮に設けた三乗の教えのうち、声聞・縁覚の二乗の教えが「小乗教」で、菩薩のための教えが、「大乗始教」「大乗終教」となる。これら三教は劣った機根を次第に導くから漸教となる。
これに対して「頓教」は、法華経の考えでは、漸教として説かれた三教の教えの中で、「絶言」の理、すなわち、言語によらないで真理を表している教えのことで、維摩経の中の“維摩の一黙”や楞伽経や涅槃経にしめされる“仏は一字も説かない”という教えなどを指すとしたのである。
要するに「頓教」についての理解に華厳宗と天台宗とで相違があり、前者が言葉によらないで真理を表現したものを「頓」としているのに対し、後者は教えである以上、言葉による表現でしかないが、その教えの説き方すなわち化儀面から「頓」としているところにある。
最後に「五に円教」とあり、注記に「別教一乗」とある。「別教」「円教」は化法の四教のなかの立て分けであって、「円教」の説明として「別教一乗」というのは矛盾している。これは先の「頓教」において、天台の教判では化儀の四教の一つであったのを華厳宗の法蔵は化法的に用いたものと同様に、「別教」との意味合いが違うことを知らなければならない。
法蔵は、初めは華厳経と法華経を共に「円教」として認めながら、後に円教に勝劣を設け、一乗教にも「別教一乗」と「同教一乗」があるとしたのである。すなわち法華経は三乗教に同じつつ一乗を明かすもので「同教一乗」であるとし、それに対し華厳経は三乗教に同じないで純粋な一乗を明かしているので「別教一乗」であるとして法華経より華厳経が勝れていたとしたのである。
なお華厳・法華を「円教」に摂することについては、天台の教判でも同じであるが、天台教判では華厳経を基本的には「別教」とし、そのなかに円教も含まれているので、これを「爾前の円」としている。
他方、華厳経と法華経を同じ円経とする華厳宗の考え方を端的に表しているのが、華厳経の「心は工なる画師の如く」の一句を拡大解釈し、華厳経にも一念三千があるとする主張である。
次いで、華厳経をよりどころとする華厳宗の祖師たちの名と事蹟などが天竺・中国・日本の三国にわたって図示されている。
しかし、前述したように、華厳宗はあくまで中国で成立した宗旨であるから、天竺の人たちは中国の祖師たちより、その立義を正当化するために、我田引水的に“祖師”とされてしまった論師である。
馬鳴菩薩は「起信論」すなわち大乗記信論を著し、竜樹菩薩は「十住毘婆沙論」を、天親菩薩は「十地経論」をそれぞれ著している。十住毘婆沙論も十地経論も共に華厳経の十地論の注釈である。
前者は十地論に説かれている菩薩の十地のうち、初地と二地を注釈したもので、ここでの十住と十地は同じ意味である。後者は十地のすべてを注釈している。以上の三つの論はいずれも華厳宗が教判を立てるのにきそとなったものである。
次に「唐土」の祖師たちの名とその事績が示されている。まず「杜順和尚」は天台大師より少し後の人で、晩年は、「終南山」に住み、文殊菩薩の化身とうたわれたとされている。第二祖が「智儼法師」で、彼は「至相寺に住していたので、至相大師ともいう。第三祖が「法蔵大師」で、前述の五教の教判を立てた華厳学者の大成者である。「涼山大華法蔵大師寺」とあるが、清涼山、すなわち五大山のあった大華厳寺と同じあるかどうかは定かではない。清涼山というのは、もともと華厳宗の中に出てくる山の名で、この山は文殊菩薩が住すると同経には説かれており、この山が実際に中国・山西省五台県に存在する天台山と同一視され、華厳信仰が広まったとされている。五大山には大華厳寺をはじめ百ヵ寺が建てられ栄えたという。法蔵は彼に深く帰依した則天武后から「賢首大師の号を贈られたとも、あるいは、「賢首」が彼の字であったともいわれているがはっきりしない。また「康蔵大師」との尊称は彼の祖先が西域の康居国の出身であることから名づけられたとされる。第四祖が「澄観法師」で、澄観法師清涼山の大華寺に住していたので、清涼大師とも尊称されるが「清涼国師」と言われるのは、彼が七朝の天子の師として国師号を贈られたからである。
次いで、日本における華厳宗の祖師たちが挙げられる。まず「審祥大和尚」は「新羅国の人」で東大寺の良弁の要請によって日本に来航して奈良の大安寺に住して我が国で最初に華厳の講義を行ったことから「日本最初伝」と注記されている。
次の「慈訓小僧都」はむしろ法相宗の僧であるが、先の「審祥」慈訓小僧都に華厳を学んだのでここに名が挙げられている。「明哲律師」は慈訓の弟子とされる。また「良弁僧正」は「東大寺の本願」と注記されているように東大寺を創建して初代別当となるとともに、前述したように新羅の審祥を招いた人物である。次の「等定大僧都」も平安時代の華厳宗の僧で、東大寺の別当となっている。最後の「道雄僧都」は平安初期の華厳宗並びに真言宗の僧で、京都の海印寺に住み活動した。
0660:03~0662:12 第二章 第二・阿含時を明かすtop
| 03 ┌一向小乗 波羅奈国・鹿野薗 ┌一に増一阿含 人天の因果を明す 04 ├十二年説 ├二に中阿含 真寂の深義を明す 05 阿含経┼酪味 四阿含経┼三に雑阿含 諸の禅定を明す 06 ├但三蔵教 └四に長阿含 諸の外道を破す 07 └結経は遺教経 08 ┌有部顕宗六百頌 ┌天竺の人なり 09 倶舎宗┼倶舎論三十巻・三乗法を明かす┼世親菩薩の造・如来滅後九百年の人なり 10 │ └新訳 11 └経部密宗十万頌・天親菩薩の造・天竺には婆薮畔豆と云うなり 12 └旧訳 13 ┌玄弉三蔵 14 ├光法師 15 ├宝法師 16 ┌唐土┼神泰 17 │ ├円暉 01 │ ├恵暉 0661 02 祖師┤ └道麟 03 │ ┌善報 04 └日本┴伝灯満位の勝貴延暦廿五年法相宗に付す・私に云く余抄に云う延暦十三年官付云云 05 ┌訶梨跋摩三蔵・天竺の人此に師子鎧と云う 06 成実宗┼成実論十六巻二十七賢聖の位を明す二百二品 07 └如来滅後九百年 08 ┌羅什三蔵 09 ┌唐土┼僧叡 10 祖師┤ └智蔵・開善寺の僧 11 └日本─伝灯満位の賢融 延暦二十五年三論宗東大寺僧に付す余抄に云く延暦十三年云云 12 律宗─如来成道五年の後律を説く・僧祇律之を説く、或は十二年の後・須提によつて戒律を制す四分律之を説く 13 ┌一 曇無徳部 14 ├二薩婆多部 15 五部を明かす┼三 弥沙塞部 16 ├四 婆麁富羅部 17 └五 迦葉遺部 0662 01 五篇七聚を立つ ┌一には波羅夷 02 │ └───────┼二には僧残 03 ├一には波羅夷篇 ├三には偸蘭遮 04 ├二には僧伽婆尸沙篇 ├四には波逸提 05 ├三には波逸提篇 ├五には波羅提提舎尼 06 ├四には波羅提提舎尼篇 ├六には突吉羅 07 └五には突吉羅篇 └七には悪説 08 ┌キク多三蔵 09 ┌天竺┴仏滅後三百年 10 祖師┼ ┌道宣律師 11 ├唐土┴弟子鑒真和尚 12 └日本─鑒真和尚は唐土の人なり、東大寺戒壇院を立てし人なり -----― ┌専ら小乗教である。説法の場所は波羅奈国の鹿野薗である。 ├十二年間に説かれた。 阿含経┼五味の中の酪味である。 ├ただ、三蔵教のみである。 └結経は遺教経である。 ┌一に増一阿含経 人界・天界の因果を明かす。 ├二に中阿含経 煩悩を寂滅した涅槃の深義を明かす。 四阿含経┼三に雑阿含経 諸々の禅定を明かす。 └四に長阿含経 諸々の外道を破折する。 ┌有部顕宗六百頌 ┌インドの人である。 倶舎宗┼倶舎論三十巻からなり、三乗の法を明かす┼世親菩薩の造である。如来滅後九百年に出現した人である。 │ └新訳である。 └経部密宗十万頌。天親菩薩の造である。インドにおいては婆薮畔豆と云うのである。 └旧訳である。 ┌玄弉三蔵 ├光法師 ├宝法師 ┌唐土┼神泰 │ ├円暉 │ ├恵暉 祖師┤ └道麟 │ ┌善報 └日本┴伝灯満位の勝貴、延暦二十五年に法相宗に付する。日蓮は思う、他の文書に延暦十三年官付とある。 ┌訶梨跋摩三蔵はインドの人である。中国・日本では師子鎧と云う。 成実宗┼成実論十六巻。二十七賢聖の位を明かす、二百二品からなる。 └釈尊入滅後、九百年後に興った宗派である。 ┌羅什三蔵 ┌唐土┼僧叡 祖師┤ └智蔵、開善寺に住した僧である。 └日本─伝灯満位の賢融、延暦二十五年、三論宗が修学されていた東大寺僧に付した。他の文書に延暦十三年とある。 律宗─釈尊は成道の五年後に律を説いた。僧祇律がこれである。あるいは成道十二年後とする説もある。須提那の不浄行を機縁として、 戒律が制定された。四分律がこれである。 ┌一 曇無徳部 ├二 薩婆多部 五部を明かす┼三 弥沙塞部 ├四 婆麁富羅部 └五 迦葉遺部 五篇七聚を立つ ┌一には波羅夷 │ └───────┼二には僧残 ├一には波羅夷篇 ├三には偸蘭遮 ├二には僧伽婆尸沙篇 ├四には波逸提 ├三には波逸提篇 ├五には波羅提提舎尼 ├四には波羅提提舎尼篇 ├六には突吉羅 └五には突吉羅篇 └七には悪説 ┌キク多三蔵 ┌天竺┴釈尊の入滅後三百年ごろ分派した律宗の五部それぞれの祖師 祖師┼ ┌道宣律師 ├唐土┴弟子鑒真和尚 └日本─鑒真和尚は中国の人である。東大寺戒壇院を立てた人である。 |
阿含経
釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経51巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
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一向小乗
阿含経は専ら小乗教を説いた教えであるとの意。一向は純粋でまじりけのないこと。
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小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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波羅奈国
ヴァーラーナシー(vārānasī)の音訳。古代インドの国名。釈尊が成道後、はじめて四諦を説いた鹿野苑はこの国にある。
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鹿野園
鹿野苑のこと。中インド波羅奈国にある園で、古くは神仙の住所とされ、国王が狩をつかまえて放しておかれた地といわれる。釈尊は華厳経の3週間の説法のあと。この鹿野苑で憍陳如など五人を済度した。その後12年間、16大国で、阿含時の説法をしたが、これも鹿苑時と総称する。
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酪味
乳を精製するときに経る味を五味に分けた第二。阿含時の経典を酪味とする。
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三蔵教
①経・律・論の三蔵に説かれた釈迦一代の教えの総称。 ②天台宗で小乗教の異名。
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遺教経
鳩摩羅什訳。1巻。釈尊が入滅に際して,弟子たちに最後の説法をなした情景を描く経典。中国,日本で広く普及した。特に禅宗では仏祖三経の一つとして重視する。
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四阿含経
4種の阿含経。長 阿含経・中阿含経・増一阿含経・雑 阿含経のこと。
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増一阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。大衆部所伝。パーリ語経典の「増支部」(アングッタラ・ニカーヤ)に相当するが、内容は異なっている。
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人天の因果を明す
増一阿含教には人界と天界にかかわる因果を明かしているということ。
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中阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「中部」(マッジマ・ニカーヤ)に相当する。
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真寂の深義
真寂は涅槃のことで、涅槃寂静に至るべき道を意味する。
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雑阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)に相当するが、パーリ語経典相応部と異なり、こちらは「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている。
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諸の禅定
種々の禅定のこと。禅定は心を一処に定めて散乱させず、煩悩を断って深く思惟する境地に入ること。戒・定・慧の三学のひとつ。また六波羅蜜の一つ。禅定を得るために結跏趺坐することが最も安定した坐法として用いられている。
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長阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。法蔵部所伝。パーリ語経典の「長部」(ディーガ・ニカーヤ)に相当する。
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外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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倶舎宗
仏滅後900年ごろに出現したインドの学僧・世親の倶舎論を所依とする宗派。南都六宗の一つ。毘曇宗・薩婆多宗・論宗ともいう。倶舎論を主として、六足論・発智論と、発智論を釈した大毘婆沙 論等を所依とする小乗教の宗派である。倶舎とは梵語コーシャ(Kosa)、詳しくはアビダルマコーシャ(Abhidharma-kosa)といい、訳して付法蔵という。その教義は小乗有門の思想を根拠とするものである。インドにおいては、安慧、徳慧らが倶舎論の注釈書を作った頃は、一宗派としては存在しなかった。のちに、中国において、陳の真諦が「倶舎釈論」を著してから倶舎宗と呼ばれるようになった。日本には、法相宗の付宗として伝来し、奈良時代に隆盛をみた。
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有部顕宗六百頌
俱舎頌のこと。世親が彼は有部の根本聖典《大毘婆沙論》を講義し,毎日その日の講義を詩の形で要約した。その結果,六百偈からなる《俱舎論頌》ができ,さらに彼自らの解説が付された《阿毘達磨俱舎論》ができあがった。後者は有部の立場に立脚しつつ,部分的には〈経量部〉の立場から有部に批判を加えたものなの。
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倶舎論
「阿毘達磨倶舎論」のこと。30巻。世親著・玄奘訳。阿毘は対・達磨は法、・俱舎は蔵と訳し、対法蔵論と名づけられる。四諦の理を対観し、知識として含蔵する論との意。倶舎宗正依の論。内容は当時の広範な知識が駆使されており、迷いや悟り、その因果、また無我の理が説かれているが、主として大毘婆沙論を釈して批判したもの。九品からなる。漢訳には陳の真諦が訳した阿毘達磨倶舎釈摩訶衍論論22巻と玄奘訳の二種がある。
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三乗法
三乗のための教法のことで、釈尊が方便として説いた爾前の諸経のこと。三乗の権法とおもいう。
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世親菩薩
生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵名はヴァスバンドゥ(Vasubandhu)。世親は新訳名で、旧訳名は天親。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」30巻、「十地経論」12巻、「法華論」2巻、「摂大乗論釈」15巻、「仏性論」6巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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経部密宗十万頌
世親が経典を重んずる立場から、阿毘達摩俱舎論本頌を注釈した十万の偈頌のこと。
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婆薮畔豆
天親のこと。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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玄弉三蔵
(0602~0664)。中国・唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」600巻をはじめ75部1335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
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三蔵
①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
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光法師
普光のこと。中国・唐代の僧。玄奘の四大弟子のひとり。大乗光と称した。玄奘の訳経を助け、俱舎論の新訳にその注釈書「俱舎論記」を著し、説一切有部の教学を中心として法宝とともに俱舎論を大成した。般若経をはじめ多くの経典の翻訳に連なった。
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宝法師
中国・唐代の高僧。はじめは玄奘三蔵の高弟であったが、玄奘が「婆沙論」を訳し終わったとき、非想の見惑について疑問を発した。玄奘は、みずから十六字を論中に加えてその疑問に答えたが、宝法師は、仏語の中に梵語を入れるとはもってのほかであるとし、玄奘の門を去った。後、俱舎宗を弘めた。
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神泰
生没年不明。中国・唐代の僧。玄奘三蔵の門人で新釈の経論を多く翻釈している。
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円暉
生没年不明。中国・唐代の僧。「俱舎頌疏」29巻を著した。
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恵暉
生没年不明。「俱舎論鈔」3巻の著者。
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道麟
生没年不明。中国・唐代の僧。遁麟のこと。「俱舎論頌疏遁麟記」の著者。
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善報
生没年不明。奈良時代の東大寺の僧。命を受けて俱舎宗の章疏目録を作成した。
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伝灯満位
智徳や年臘 によって僧に与えられる位階。天平宝字4年(760)、大法師位を最高位に、その下に伝灯・修行の二色を置き、それぞれ法師位・満位・住位・入位の四位を設け二色九階が制定された。のち、修行位が廃絶。貞観6年(864)にはその上に法印大和尚 位・法眼 和尚位・法橋 上人位の三階が設けられ、それぞれ僧正・僧都・律師の階位とされた。
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勝貴
生没年不明。天平勝宝3年(0751)に東大寺に住して俱舎宗の雑事を司り統制していたとされる。
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法相宗
解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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官付
管轄下の官庁または諸国に下す公文書。
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成実宗
4世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。成実論は、自我も法も空であると人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では最も進んだ教義とされる。五世紀の初め、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什の弟子達によって盛んに研究された。しかし、天台・嘉祥によって、小乗と断定されてから衰退した。日本に三論宗とともに伝来して南都六宗の一つとされるが、一宗を成すには至らず、三論宗とともに学ばれたにすぎない。
―――
訶梨跋摩三蔵
4世紀頃の中インドの婆羅門の出身。最初はヒンドゥー教の数論派(サーンキヤ学派)に属していたが、仏教に入り、説一切有部の学匠鳩摩羅駄(kumaaralabdha から『発智論』を学び、次いで摩訶僧祇部に移って大乗も研究し、諸派比較の上、経量部の立場から『成実論』202品を著した。後、グプタ朝の王の命により外道の諸論師をことごとく論破して、国師に任ぜられた。なお、鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されたのは、西暦412年のことである。
―――
師子鎧
訶梨跋摩の中国・日本における呼称。
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成実論
訶梨跋摩著・鳩摩羅什釈。小乗の四諦の法を釈したもので、訶梨跋摩成実宗の所依となっている。
―――
二十七賢聖の位
成実論に説かれる滅諦に入るための修行の27段階のこと。
―――
羅什三蔵
(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
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僧叡
(0378~0444)
中国,東晋時代の僧。魏郡長楽の人。鳩摩羅什門下四哲の一人。 18歳で出家し,羅什が中国に来朝したときにその教えを受け,訳経に参加した。羅什訳出の『大智度論』『十二門論』『中論』『百論』などの序を撰述している
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智蔵
飛鳥時代の僧。福亮の子。斉明天皇の時代(655~661)に父とともに呉(中国)から来日。元興の恵灌に三論をまなぶ。のち唐(中国)にわたり,三論宗の大成者吉蔵に師事。帰国後法隆寺でその教えをひろめた。天武天皇2年(673)僧正。俗姓は熊凝
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開善寺
中国・江蘇省寧府鐘山にある寺院の名前。開基は智蔵。
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賢融
生没年不明。奈良時代の成実宗の僧。
―――
三論宗
竜樹の中論、十二門論と提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。大乗の空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破している。究極の教旨として八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道を唱えた。日本には推古天皇33年(0572)1月1日、高句麗僧・慧灌が伝えた。現在は東大寺に伝わるのみである。
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律宗
戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
―――
成道
仏道を成ずること。八相作仏のひとつ。成仏・得道と同義。最高の幸福境涯を得ることをさす。
―――
律
戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
―――
僧祇律
中国,東晋代に成立した律蔵,すなわち教団の規律集の一つ。仏駄跋陀羅 と法顕の共訳。 40巻。大衆部に属する律蔵で,「五分律」とともに原典に基づいた完訳と考えられている。
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須提
四分律に出てくる迦蘭陀尊の長者である須提那のこと。
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戒律
仏教において守らなければならない道徳規範 や規則のことである。 仏教においては本来、戒律は戒(シーラ)と律(ヴィナヤ)に峻別 されるが、一般的には混同して使用されることが多い。
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四分律
仏教の上座部の一派である法蔵部(曇無徳部)に伝承されてきた律である。十誦律、五分律、摩訶僧祇律と共に、「四大広律」と呼ばれる。この四分律は、これら中国および日本に伝来した諸律の中では、最も影響力を持ったものであり、中国・日本で律宗の名で総称される律研究の宗派は、ほとんどがこの四分律に依拠している。
―――
五部
五部律のこと。部派仏教の上座部系統から分れた化地部 (弥沙塞部) Mahīśāsakaに伝わる律。内容が五分されるところからこの名がある。漢訳『弥沙塞部和醯五分律』として現存。
―――
曇無徳部
法蔵部のこと。 仏滅後300年中に化地部から分派。四分律はこの部派が伝持したものである。
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薩婆多部
世親の阿毘達磨俱舎論およびその注疏を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちの学団をいう。俱舎衆,薩婆多宗ともよばれた。インドやチベットにおいて《俱舎論》は、仏教教理学の必修科目としてさかんに研究・講義され、中国においても真諦三蔵によって摂大乗論などとともに漢訳され(566~567)、さらに玄奘三蔵によって多数の唯識学系統の経論とともに再訳されて(654)以後、それぞれ摂論学派と法相唯識学派の学統において研究・講義され、いくつかの重要な注疏がつくられた。
―――
弥沙塞部
仏教における上座部の 一派である化地部によって伝承された律のこと。十誦律、四分律、摩訶僧祇律と共に、「 四大広律」と呼ばれる。
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婆麁富羅部
小乗十二部の一つで釈尊滅後300年ごろ、上座部の説一切有部から分出した学派。
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迦葉遺部
律宗で説く五部の律のうち、弥沙塞部の律である。 迦葉遺部の律は 戒本だけが伝わっており、広律は伝わっていない。
―――
五篇七聚
比丘・比丘尼の戒の総称。五篇は戒を罪の最も重いものから波羅夷・僧残・波逸提・提舎尼・突吉羅の五種に類別する称目。またこれに偸蘭遮を加え(六聚)、突吉羅を突吉羅(悪作)・悪説に分類して七聚とする。
―――
波羅夷篇
あるいは単に波羅夷(はらい、巴:梵:pārājika, パーラージカ、波羅市迦)[2]とは、仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、僧団(僧伽)永久追放に値する最重罪の総称。上座部仏教のパーリ律の場合、比丘(男性出家者)は淫・盗・殺・妄の4つ(四波羅夷)、比丘尼(女性出家者)には更に触・八事・覆・随の4つを加えた8つ(八波羅夷)がある。もし、出家者にして戒律や身分を捨てて還俗をしないで、この戒を破った際には、全ての資格ととを剥奪され、仏教教団から追放されて仏教徒では無くなり、二年間、一切の宗教活動を禁止しなければならない重い罪となる。また、後に罪を悔い改めたとしても、仏教徒に戻ることは許されるが、再び出家者である僧侶となることはできない。
―――
僧伽婆尸沙篇
仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、波羅夷に次ぐ重罪の総称。上座部仏教のパーリ律の場合、比丘(男性出家者)には13条(十三僧残)、比丘尼(女性出家者)には17条(十七僧残)ある。違反しても、波羅夷のように僧団(僧伽)追放にはならず、文字通り僧伽に残ることはできるものの、一定期間、僧としての資格を奪われる。許されるためには。20人以上の僧の前で罪を告白し、懺悔しなくてはならない。
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波逸提篇
仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、「捨堕」で提示された所有物品関連以外の、食事の時間など諸々の禁戒の総称。比丘(男性出家者)には92条、比丘尼(女性出家者)には166条が課される。サンガ(4人以上)、あるいは2-3人の衆、あるいは長老の前で告白することで罪が成立し、受理されることで僧権が復活する点は「捨堕」と同じ。
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波羅提提舎尼篇
①波羅提、様々な好ましくない行為。懺悔が必要。②提舎尼、食物の授受に関する禁則。懺悔が必要。
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突吉羅篇
サンスクリットDuṣkṛtaまたはパーリ語Dukkaṭaの音写語で、悪事または罪を意味する言葉。これには、軽垢、越毘尼の意。突吉羅は、律における罪としては最も軽微なものですが、やはり僧侶のなすべきでない行為です。具体的には、比丘が衆学法に違反した行為は突吉羅であり、その他にも二百五十戒の中には含まれていないものの犍度にて禁止されている行為。
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僧残
仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、波羅夷に次ぐ重罪の総称。上座部仏教のパーリ律の場合、比丘(男性出家者)には13条(十三僧残)、比丘尼(女性出家者)には17条(十七僧残)ある。違反しても、波羅夷のように僧団(僧伽)追放にはならず、文字通り僧伽に残ることはできるものの、一定期間、僧としての資格を奪われる。許されるためには。20人以上の僧の前で罪を告白し、懺悔しなくてはならない。
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偸蘭遮
偸蘭遮は、サンスクリットStūlâtyayaまたはパーリ語Thullaccayaの音写語。原意は「重い罪」「粗い罪」で、波羅夷法や僧残法の未遂罪を意味します。漢訳語には、麁罪など。未遂罪といっても、波羅夷や僧残を実行しようとしてその寸前で止めた、あるいは遂行出来なかった場合の未遂罪がこの偸蘭遮で、波羅夷や僧残を実行しようと思い立っただけで止めた場合は突吉羅になる。このように、同じ未遂罪でもその内容によって軽重の差がある。比丘あるいは比丘尼が、二百五十戒の中で明確に禁止されていない行為でも、常軌を逸した異常な行為をなせば偸蘭遮とされる。
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突吉羅
梵語ドゥシュクリタ(duskrta)の音写で(突色訖里多とも)、懺悔すれば消えるていどの軽い罪をいう。悪作と漢訳するが、悪作には別の意味もある。
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悪説
悪説とは、サンスクリットでDurbhāṣita、パーリ語でDubbhāsitaと言いますが、非法行為である突吉羅を、身体的行為と言語的行為に分け、前者を悪作として後者を悪説として別出したものです。これをまた悪語などとも言う。
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祖師
一宗一派の祖師。
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毱多三蔵
紀元前3世紀頃、付法蔵第4祖。インドの摩突羅国の毱多長者の子。商那和修に師事して仏法を学び提多迦に付している。
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道宣律師
生没年不明。中国・唐代の天台宗の僧。天台県(浙江省)の人。大暦年間(0766-0779)長安に来て盛んに著述を行ったという。妙楽大師の法華文句記を注釈した「法華文句輔正記」10巻などを著した。
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鑒真和尚
(0688~0763)。奈良時代の渡来僧。日本律宗の祖。唐の揚州(江蘇省)の人。14歳にして出家し、南山律宗の開祖・道宣の弟子道岸にしたがって菩薩戒を受け、章安の孫弟子弘景にしたがって天台並びに律を学んだ。天平勝宝5年(0753)渡来。聖武上皇の帰依を受け、東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺に小乗の戒壇を建立した。来日の途上において失明したが、一切経を校し、律本を印行した。
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東大寺戒壇院
天平勝宝6年(0754)鑑真によって設けられた日本最初の戒壇。下野の薬師寺・筑紫の観世音寺とともに、小乗三戒壇のひとつ。
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戒壇
受戒の儀式を行う場所。場内で高く築くので壇という。
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ここでは、釈尊一代五時のうち第二時に説かれた阿含経に関して知っておくべき事項とこの経々をよりどころとする宗派と祖師たちの名、事績などが図示されている。
まず、阿含経そのものについては、波羅奈国・鹿野薗で12年間にわたって説かれたこと、その内容は「一向小乗」「但三蔵教」で、一代仏教を五味に配したなかでは「酪味」に当たることが示されている。
「阿含」はサンスクリット語のāgamaの音訳で、伝来された聖典との意味である。その本来の意味からいえば、他の大乗経典もāgamaと呼ばれてしかるべきところであるが、おそらく最初に経典として成立したことから、この呼称を独占する形となり、その後の諸大乗経典は、それぞれの教主としての仏や教理の特色を表した経題が付けられていったのであろう。
このことは「三蔵教」の呼称についても同じで、三蔵とは仏説である経を蓄えたという意味の「経蔵」教団の秩序維持のための規律を蓄えたという意味の「律蔵」、仏の教えを論議注釈したものを蓄えた「論蔵」を総称した呼び名で、大乗・小乗すべてにわたるはずであるが、「三蔵教」「蔵教」といえば小乗経を指すようになったのである。
大乗の立場でこの三蔵を使っているのが、インドから中国に真言密経を伝えた善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、またインドへ求法の旅に出て法相宗の基を開いた玄奘三蔵などであろう。
いずれにせよ、阿含経は、先の菩提樹下で華厳経説法と、波羅奈国の鹿野宛で行われた12年間にわたる説法をまとめたので、その内容は専ら小乗教である。
「四阿含経」と呼ばれ、増一・中・雑・長の四つに分かれ、それぞれの内容が図示により簡潔に示されている。人天六道の因果を明かし、それに対して、仏道修行の結果、得られる「真寂」の深義を明らかにし、その真寂の境地を達成するための修行として、もろもろの禅定を示すとともに、当時の世に跋扈していた外道を破折しているのがこれらの四阿含経である。いわば、六道輪廻の境界から、いかに脱せしめるかが目的で、菩薩道については、釈尊の過去世における修行の思い出として示されたものにすぎない。
この小乗・阿含経が一代五時を五味に分類した中の、第二の酪味に当たるとされる意味について触れておきたい。第一時・華厳経にたとえられた乳味がちょうど牛から搾りとってまだ精製発酵していない時の味であったのに対し、第二時、阿含経は牛乳を少し発酵させたヨーグルトのような「酪」に相当するということであるが、これは阿含経の方が華厳経より勝れるということでは全くない。
華厳経自体、現実の衆生を教化するために説かれたのではなく、衆生の理解・受容できる程度を予測するための説法であった。これで把握した衆生の機根に合わせ、まず二乗の機根を調えるために、浅い教えから説いていったのが阿含経であったことから、乳を少し発酵、精製した酪味に当たる、とされているのである。
さらに、「結経は遺教経」との注記は、第二時・阿含経を総括する経が遺教経であることを示されている。遺教経は正式には仏垂般涅槃略説教誡経というように、仏が涅槃に臨んで、もろもろの弟子のために、最後の誡めを説いたもので、小乗の涅槃経とされる。説法の時期からいえば仏の最晩年に属するが、内容的には声聞の弟子たちが守るべき戒律が説かれているところから、阿含経典の結経とされたのである。
次に、以上の阿含経をよりどころとする宗派としての倶舎宗・成実宗・律宗とその祖師たちが図示されている。日本では南都六宗のなかの小乗三宗であるが、あとで見るように倶舎宗は法相宗の、成実宗は三論宗の付宗となっていたため、後の時代まで独立を保ったのは律宗だけである。
これら小乗三宗だけでなく、大乗宗の三論宗も含めて、呼称自体、仏教士上の論師たちが著した論を通して仏法の教理を目的としたことを表している。いわゆる南都六宗が成立したころの日本の初期仏教時代は、素朴に釈迦仏や観世音菩薩等を敬い礼拝するのが信仰の姿で、仏教の教理の修学のためには、インド・中国の有名な論師人師の著述を研鑽したのである。言い換えると、今日の大学のゼミナールのようなもので、平安時代中末期以降に熾烈になっていく。信徒を獲得し互いの勢力を競っていく「宗派」とは異なっていたことを知る必要がある。
従って、基本的にこれらを形成していたのは出家僧のみであり、しかも、一人の僧は、小乗教の教理を学びたければ倶舎宗や成実宗に関して権威ある僧のもとへ行き、それを修学して次に戒律を学びたければ律についての権威を認められた僧のもとについた。そして例えば東大寺のような大寺には、そうした、さまざまな権威ある僧たちがいたから、総合大学のような観を呈していたのである。
本御書に示されている倶舎宗や成実宗・律宗について、また、倶舎宗が法相宗の付宗なったということなどについては、以上に述べた事実を前提として初めて正しく理解できるであろう。
まず「倶舎宗」の倶舎とは倶舎論・詳しくいえば阿毘達磨倶舎論を学んだことに由来する。阿毘達磨倶舎は梵語の音訳で「阿毘」は「対する」という意味、「達磨」は「法」であり、「倶舎」は容れ物の意味で「蔵」と意訳する。したがって全体では「対法蔵論」の意味になる。
倶舎論については「倶舎論三十巻・三乗法を明かす」と記されているように全部で30巻から成り、声聞乗・縁覚乗・仏乗の三乗の法、すなわち、三乗の修行とその結果得られる果報の相とを説き明かした論書である。
「三乗法を明かす」というのは、声聞菩薩、独覚菩薩、無上正等菩提の三種菩提を説き、声聞乗は四諦を修して阿羅漢果を成就し、独覚は十二因縁を修して独覚菩提を成就し、菩薩は三阿僧祇劫の間六波羅蜜を修して成仏するとしているからである。倶舎論は「世親菩薩の造・如来滅後九百年の人なり」と注記されているように、世親菩薩の作である。世親は「天竺」のガンダーラ国の出身であり、彼の著した倶舎論は玄奘三蔵によって漢訳されている。なお「新訳」との注記は、著者Vaubandhuの新訳の名だかである。そのあとの「経部密宗十万頌」は、同じVaubandhuの著であるが「天親菩薩の造」と書かれている。この「天親」は旧訳の表現であるので「旧訳」と注記されているのである。
脇に「有部顕宗六百頌」とある「有部」とは、梵語のサルヴァースティヴァーディンを意訳した説一切有部の省略で、一切の有を説くことを宗旨とする部派ということである。部派は小乗経がインドにおいて20の部派に分かれたことからくる名称であり、有部はその代表的なものである。
この「有部顕宗六百頌」というのは、次の「経部密宗十万頌」という注記と密接な関係がある。世親は倶舎論を著すに当たり、説一切有部の教理を600頌にまとめて顕に説き、これを注釈した10万頌は経量部の立場に立って有部の説を秘に批判するという態度をとったからである。つまり、倶舎論は論を重んじる有部の経と重んじる経量部の二つの部派の立場によって構成されているということである。
ついでながら、玄奘の倶舎論の漢訳には二つあり、先に600頌のみを訳した倶舎論本頌一巻があり、後に10万頌を加えて訳した倶舎論30巻がそれである。
このあと、倶舎宗の徒から祖師とされた「唐土」と「日本」の両国にわたる人々の名が列挙されている。この筆頭に玄奘三蔵が倶舎宗の祖師とされているのは、倶舎論を訳したことによる。
次に、小乗をよりどころとする宗派として「成実宗」を挙げられている。成実宗は「成実論」をよりどころとして成立した宗派で、その著者は訶梨跋摩三蔵である。訶梨跋摩は梵名ハリヴィルマンの音訳で意訳すると獅子鎧となる。彼は、出三蔵記集巻11の訶梨跋摩伝第8によると、先の世親と同じく「如来滅後九百年」の出世とされる。
成実の「成」とは成立、「実」とは実義の意味で、経・律・論の三蔵の立義、すなわち、三宝と四諦の真実の意味を明らかにしようとした論というこから名付けられた。本論は全部で「十六巻」「二百二品」から成り、この論の特徴は先の有部・倶舎論本頌が一切の有を説くのに対し、一切の法を仮と説き、その背景には空の思想があるので、後の大乗に少し通ずるところがあり、中国ではこの論の所属をめぐって、小乗とする宗派と大乗とする宗派に分かれて論争が来た。天台宗は成実宗を小乗としながらも、小乗の中では最も勝説を述べるとしている。
次いで、成実宗の人々から祖師とされた人々の名が「唐土」「日本」の両国にわたって列挙されている。まず、中国では「羅什三蔵」の名が挙げられているが、これは成実論の漢訳者が鳩摩羅什であることによる。次の「僧叡」は羅什門下四哲の一人であり、成実論序を著していることから、羅什と共に成実宗の祖とされたのであろう。さらに「智蔵」は梁の三大法師のひとりであるが、成実宗が最も盛んになった梁朝に、この宗を大乗として主張した人物である。
日本では「伝灯満位の賢融」とある。「伝灯満位」は僧位の一つである。賢融は奈良時代の成実宗の僧である。
次に「律宗」について注記されている。律宗は経・律・論の三蔵のうち、律をよるどころとしている宗旨である。この宗について「如来成道五年の後律を説く・僧祇律之を説く、或は十二年の後・須提によつて戒律を制す四分律之を説く」との文が記されている。釈尊は、説法開始間もない初期のころは、まだ門下も少なく、戒律については随犯随制であったという。すなわち、なすべきでない行為をなした比丘が出た時に、それに対応して戒律を制したということである。しかし、だんだん門下の数も増えてくると、教団の規律を明確にするすることが必要となった。そこで定められたのが僧祇律、四分律等である。
釈尊が入滅したあとの仏典結集においても、釈尊が定めた律を整理し明確化することが大きな比重を占め、さまざまな体系化が行われた、それが五部であり「五篇七聚」である。
「五部」とは五部律のことで、付法蔵第五祖・優婆毱多の時代に、律をめぐって異論が生じて五派に分かれたが、小乗20部派のうち有力な五部がそれぞれ律蔵を保持していたという伝承がある。
「一 曇無徳部」は法蔵部の伝持した四分律「二 薩婆多部」は説一切有部が伝持した十誦律「三 弥沙塞部」は化地部の保持した五分律「四婆麁富羅部」は犢子部の伝持した摩訶僧祇律、最後の「五 迦葉遺部」は飲光部の所持した迦葉遺律であるが、これは中国に伝わらなかった。
「五篇七聚」の五篇は、五部第一の曇無徳部の伝持した四分律について立てられたもので、四分律に説かれている比丘戒の250戒、比丘尼戒の348戒の罪の種類から五つに分類し、罪の重いほうから順次、並べたものである。「七聚」は五篇の第三に一つの罪を加え、五篇の第五・突吉羅罪を悪作と悪説に分けて悪作を突吉羅として七種類にしたものである。
最後に律宗において祖師とされる人々の名と事績が図示されている。天竺では「毱多三蔵」の名が記されているが、この人は正式には優婆毱多といい、付法蔵の第四祖とされる。
律を伝承していた祖師たちとしては、迦葉・阿難・末田地・商那和修なども落とせない人々であるが、ここで特に優婆毱多を挙げられるのは彼の時代に前述の「五部」に分かれ、それぞれの律蔵を保持するに至ったからであると考えられる。
次いで「唐土」では「道宣律師」とその弟子である「鑑真和尚」の名が記されている。鑑真和尚は「日本」に律を伝えたことで、日本の律宗の祖とされている。道宣律師は中国の隋唐時代の人で、終南山に住んで四分律の教理を確立したことから、彼の律宗を南山律宗ともいう。
「五部」それぞれが伝承した律蔵のうち、ひとり後代まで支持されたのは曇無徳部の四分律のみであった。道宣の弟子の鑑真が艱難辛苦の末に日本に伝えた四分律であったことはいうまでもない。なお、彼はまた「東大寺戒壇院」を建立したことでも知られる。
0662:13~0667:11 第三章 第三・方等時を明かすtop
| 13 ┌蔵通別円──十六年説時不定 ・ 14 ├対 15 方等部┼権大乗 16 ├生蘇味 17 └結経は瓔珞経 0663 01 ┌解深密経 02 又有相宗と云う ┌─┼瑜伽論百巻・弥勒説・無著筆 03 法相宗──────────-┤ └唯識論 04 惣じては一切経に依り別し │ ┌有初 又有相教とも云う 05 ては六経・十一部に依る └三時教を立つ空昔┼又無相教とも云う 06 └中今又中道教とも云う 07 ┌弥勒菩薩──如来滅後九百年に出づ 08 ├無著菩薩 09 ┌天竺┼世親菩薩 10 │ ├護法菩薩 11 │ └戒賢論師──摩訶陀国の大那爛陀寺の人 12 祖師┤ ┌昉法師 13 │ ├尚法師 14 │ ┌玄弉三蔵──弟子四人─┼光法師 15 ├唐土┼慈恩大師 └基法師 16 │ └智周法師 17 │ ┌智鳳 18 │ ├義淵 01 │ ├空晴 0664 02 └日本┼ 真喜 03 ├善議 04 └勤操 05 ┌観経 一巻── 畺良耶舎の訳 宋の代 06 ├雙観経 二巻── 康僧鎧の訳 魏の代 07 浄土宗┼阿弥陀経一巻── 鳩摩羅什の訳 後秦代 08 └浄土論 一巻── 天親菩薩の造 菩提流支三蔵の訳・天竺の人なり 09 ┌天竺──菩提流支三蔵 10 │ ├─曇鸞法師 難行・易行を立てて一切の経論を摂するなり 11 │ ├─道綽禅師 聖道浄土の二門を立てて一切の経論を摂するなり 12 祖師┤唐土┼─善導和尚 正雑の二行を立てて一切の経論を摂するなり 13 │ ├─懐感禅師 群疑論を造つて一代の聖教を判ずるなり 14 │ └─小康法師 15 │ 已上、五人唐土の人なり 16 └日本──法然上人 選択集一巻 捨閉閣抛入開入皈 17 禅宗┬如来禅──楞伽経・金剛般若経等に依る、又は教禅とも云う 18 └祖師禅──教外別伝不立文字云云 0665 01 ┌西天の二十八祖 別紙に之有り 02 │ ┌菩提達磨禅師──天竺の人なり 03 祖師┤ ├恵可禅師 04 │ ├僧璨 05 └東土六祖┼道信 06 ├弘忍 07 └恵能 08 真言宗┬─胎蔵界── 七百余尊 09 └─金剛界── 五百余尊 10 大日経六巻 卅一品善無畏三蔵の訳開元四年 中天竺の人なり 11 供養法の巻を加えて七巻なり、一巻五品 12 金剛頂経三巻一品金剛智三蔵の訳開元八年 南天竺の人なり 13 蘇悉地経三巻 卅四品善無畏三蔵の訳 14 菩提心論一巻七丁竜猛菩薩の造・不空の訳・或は不空の造 15 ┌大日如来 16 ├金剛薩埵 17 ┌天竺┼竜猛菩薩 18 │ └竜智 19 │ 已上天竺の人なり 01 │ ┌善無畏三蔵 0666 02 │ ├金剛智 03 ├唐土┼不空 04 祖師┤ └恵果 05 │ ┌弘法 又空海と云う 06 │ ├真雅 07 │ ├源仁 08 │ ├聖宝 09 │ ├淳祐 10 └日本┼元杲 11 ├仁海 12 ├成尊 13 ├義範 14 └範俊 15 ┌一に爼多覧蔵乳味経蔵阿難の結集 16 ├二に毘那耶蔵酪味律蔵優婆利 17 ┌五 蔵┼三に阿毘達磨蔵生蘇味論蔵迦旃延 18 │ ├四に般若波羅蜜多蔵熟蘇味文殊華厳・方等・般若・法華・涅槃等を摂するな 01 │ └五に陀羅尼蔵醍醐味金剛蔵大日経・金剛頂経・蘇悉地経を摂す 0667 02 弘法大師義立┤ ┌一異生羝羊住心凡夫悪人 03 │ ├二愚童持斎住心凡夫善人 04 └十住心────────────┼三嬰童無畏住心外道 05 ├四唯蘊無我住心声聞 06 ├五抜業因種住心縁覚 07 ├六他縁大乗住心法相宗 08 ├七覚心不生住心三論宗 09 ├八如実一道住心法華宗 10 ├九極無自性住心華厳宗 11 └十秘密荘厳住心真言宗 -----― ┌蔵・通・別・円のすべてを含む──説法の期間は十六年とする説、定まらないとする説とがある。 ├蔵・通・別・円の四経を対比して説く。 方等部┼権大乗教である。 ├五味の一つ、生蘇味である。 └結経は菩薩瓔珞本業経である。 ┌解深密経 又有相宗という ┌─┼瑜伽論・百巻からなる・弥勒菩薩の説・無著の筆録とされる。 法相宗─── ─ ──────┤ └唯識論 総じては一切経を所依とし別 │ ┌有初ともいい、また有相教ともいう。 ては六経・十一部所依とする └三時教を立つ空昔┼空無ともいい、また無相教ともいう。 └中今ともいい、また中道教ともいう。 ┌弥勒菩薩──釈尊入滅から九百年後に出現した人である。 ├無著菩薩 ┌天竺┼世親菩薩 │ ├護法菩薩 │ └戒賢論師──摩訶陀国の大那爛陀寺に住した人である。 祖師┤ ┌昉法師 │ ├尚法師 │ ┌玄弉三蔵──主な弟子は四人いる─┼光法師 ├唐土┼慈恩大師 └基法師 │ └智周法師 │ ┌智鳳 │ ├義淵 │ ├空晴 └日本┼真喜 ├善議 └勤操 ┌観経 一巻── 畺良耶舎の訳 、劉宋の時代である。 ├雙観経 二巻── 康僧鎧の訳 、 魏の時代である。 浄土宗┼阿弥陀経一巻── 鳩摩羅什の訳 、後秦時代である。 └浄土論 一巻── 天親菩薩の造、 菩提流支三蔵の訳であり、彼は中国の人である。 ┌天竺──菩提流支三蔵 │ ├─曇鸞法師、難行・易行を立てて、難行道に浄土三部経以外の一切の経論を含める。 │ ├─道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、聖道文に浄土三部経以外の一切の経論を含める。 祖師┤唐土┼─善導和尚、正行・雑行の二行を立てて、雑行に一浄土三部経以外の一切の経論を含める。 │ ├─懐感禅師、釈浄土論を造って一代の聖教を判ずる。 │ └─小康法師 │ 以上、この五人は中国の人である。 └日本──法然上人、選択本願念仏集一巻を造って 捨閉閣抛・入開入皈の説を説く。 禅宗┬如来禅──楞伽経・金剛般若経等を依経とする、または教禅ともいう。 └祖師禅──教外別伝不立文字と説く。 ┌インドの二十八祖 別の文書にこのことが記されている。 │ ┌菩提達磨禅師──インドの人である。 祖師┤ ├恵可禅師 │ ├僧璨 └東土六祖┼道信 ├弘忍 └恵能 真言宗┬─胎蔵界── 七百余の仏・菩薩 └─金剛界── 五百余の仏・菩薩 大日経・六巻・三十一品からなる。善無畏三蔵の訳である。中国に入ったのは開元四年である。彼は中天竺の人である。 供養法が明かされている巻を加えて七巻となる。第七の一巻は五品からなる。 金剛頂経三巻・一品からなる。金剛智三蔵の訳である。開元八年であり。南天竺の人である。 蘇悉地経三巻・三十四品からなる。善無畏三蔵の訳である。 菩提心論一巻・七丁からなる。竜猛菩薩の造で不空菩薩の訳・あるいは不空の造とされる。 ┌大日如来 ├金剛薩埵 ┌天竺┼竜猛菩薩 │ └竜智 │ 以上インドの人である。 │ ┌善無畏三蔵 │ ├金剛智 ├唐土┼不空 祖師┤ └恵果 │ ┌弘法 又空海と云う │ ├真雅 │ ├源仁 │ ├聖宝 │ ├淳祐 └日本┼元杲 ├仁海 ├成尊 ├義範 └範俊 ┌一に爼多覧蔵乳味経蔵。 阿難が経を誦して結集した。 ├二に毘那耶蔵酪味律蔵。 優婆利が律を誦して結集した。 ┌五 蔵┼三に阿毘達磨蔵生蘇味論。 蔵迦旃延が経の解釈。弘教に努めた。 │ ├四に般若波羅蜜多蔵熟蘇味。文殊師利菩薩が受持した。華厳・方等・般若・法華・涅槃等の教理を含む。 │ └五に陀羅尼蔵醍醐味金剛蔵。大日経・金剛頂経・蘇悉地経を摂す 弘法大師義立┤ ┌一異生羝羊住心・凡夫の心、悪人の心に当たる。 │ ├二愚童持斎住心・凡夫の心、善人の心に当たる。 └十住心────────────┼三嬰童無畏住心・外道の心に当たる。 ├四唯蘊無我住心・声聞界の心に当たる。 ├五抜業因種住心・縁覚界の心に当たる。 ├六他縁大乗住心・法相宗に当たる。 ├七覚心不生住心・三論宗に当たる。 ├八如実一道住心・法華宗に当たる。 ├九極無自性住心・華厳宗に当たる。 └十秘密荘厳住心・真言宗にあたる。 |
方等部
方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもの。
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蔵通別円
天台大師が立てた五時八教のうちの化法の四教をいう。仏が衆生を化導・教化するために説いた一切の教法を、その内容によって四種類に分けたもので、一には「三蔵教」、二には「通教」、三には「別教」、四には「円教」という。
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十六年説時不定
方等部の説法の期間を16年とする説と説時不定とする説がある。天台寺門派は16年説をとり、山門派は説時不定としている。
―――
対
対立・対比・相対のこと。
―――
権大乗
大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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生蘇味
牛乳を精製するときにできる五味の第三。方等部の経典を生蘇味とする。
―――
瓔珞経
『菩薩瓔珞本業経』のこと。二巻。後秦の竺仏念訳とされる。八章からなり、菩薩の法である十波羅蜜、四諦したい、修行の階位(五十二位)などについて説いた経。
―――
法相宗
解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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六経・十一部
六経は華厳・解深密・如来出現功徳荘厳・大乗阿毘達磨・入楞伽・厚厳経、十一部は瑜伽師地・顕揚聖教・大乗荘厳経論・集量・摂大乗・十地経・分別瑜伽・観所縁縁・唯識・弁中辺・大乗阿毘達磨雑集論をいう。世親の成唯識論をもとにした法相宗の所依経論。
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解深密経
法相宗所依の本経である。深密経ともいい5巻28品からなる。大唐の貞観24年(0674)玄奘の訳。阿頼耶識深密を解説したもの。別訳には菩提留支の深密解脱経5巻がある。
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瑜伽論
法相宗所依の論。瑜伽師地論、ヨーガーチャーラ・ブーミ(Yogācārabhūmi-śāstra)。弥勒説・玄奘訳百巻。瑜伽は相応と訳す。一切の境・行・果・教が互いに相応することをいう。師地は、三乗の行者が聞思等によって次第に瑜伽を修習して境界を深め、それぞれの分に従って諸の有情を教化することをいう。瑜伽論の所行の境界には、第一・五識身相応地から第十七・無余依地までの十七地がある。十七地は以下の通り。1.五識身相応地、2.意地、3.有尋無伺地、4.無尋唯伺地、5.無尋無伺地、6.三摩哂多地、7.非三摩哂多地、8.有心地、9.無心地、10.聞所成地、11.思所成地、12.修所成地、13.声聞地、14.独覚地、15.菩薩地、16.有余依地17.無余依地。
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弥勒
慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆(ほっきしゅ)となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
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無著
「無著」は梵語、漢訳して「阿僧伽」という。仏滅後900年ごろ、インドの健駄羅国富婁沙富羅城の婆羅門の学者、憍尸迦の子に生まれた。弟は世親。はじめ小乗化他部に出家し、小乗教を学んだが、これにあきたらず、大乗に移り「顕揚聖教論」「摂大乗論」「瑜伽論」「十地師経論」など8部37巻の書を著わした。また小乗にとらわれている弟の世親を大乗に帰せしめたことも有名な話である。75歳、王舎城で没。
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唯識論
「ヴィジュナプティ・マートラター」(vijñapti-mātratā)とは「唯識」、「シッディ」( siddhi)とは「成就」、総じて「唯識による悟りの成就についての論」の意。世親が著した『唯識三十頌』を護法が注釈したもので、中国の唐代に玄奘が漢訳した唯識の論典をいう。
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三時教
釈尊の経典を三時期に分類する教判。
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有初
有相教のこと。
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有相教
阿含経の説のように、衆生の我に執着することを破すために仏が四諦の法を説き、我は空であり法みが有であると示したもの。諸法、因果が実有であるため仏が四諦の法を説き、釈尊の説法の初期に説かれたので有初ともいう。
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空昔
無相教のこと。
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無相教
般若経の説のように法も含めてすべてのものが空である。すなわち、一切の諸法の実相は無相空寂であるとして法有の執着を破したもの。空昔という。
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中今
中道教のこと。
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中道教
華厳経・解深密経・法華経などの説のように、菩薩の空執と小乗の有執を破すために非空非有を明かしたもの。
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護法菩薩
(0530~0561)唯識十大論師のひとり。世親の唯識論の30頌の解釈である「成唯識論」を著した。のちに法相宗の重要聖典とされたものは、この護法の釈を中心とし、唐の玄奘が他の釈を取捨、合訳して唯識の義理・修行の位などを立てた。
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戒賢論師
梵語ではシーラバドラ(Śīlabhadra)東インド三摩咀吒国の王族の出身で、幼少のときから学問を好み、諸国を周遊して師を求めた。摩竭提国の那爛陀寺にいたって護法論師に会い、護法を師として出家した。護法は、学にすぐれ、名声も高かったので、あるとき、南インドから外道の者がきて、論議を求めてきた。護法はこれに応じ、出かけようとした。そのとき戒賢は師の前に進み出て、法論を自分にやらせてほしいと願った。周囲の者はこれをあやぶんだが、護法はこれを許し、戒賢を法論の当事者として送った。はたして法論の日、外道は戒賢の鋭い質問にもつまり、遂に逃げ出したという。時に戒賢30歳で、国王は大いに喜び、城壁に囲まれた村を与え、伽藍を建てて戒賢を迎えた。唐の玄奘が西遊して戒賢に会ったとき、戒賢は100余歳になり、那爛陀寺の大長老として、大衆の帰依を集めていたといわれる。法相宗では、戒賢は遠く弥勒・無著に法を承け、世親・護法につぐ第五祖といって尊んでいる。中国法相宗の祖・玄奘に「瑜伽」「唯識」を授けたことでも有名。
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摩謁提国
インド古代の王国、マガダ(Magadha)国のこと。現在のインド・ビハール州南部。仏教に関係の深い王舎城や霊鷲山はこの地にあった。
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那爛陀寺
インドのビハール州ナーランダにあった寺院。5世紀のグプタ朝時代に仏教の那爛陀寺が設けられ,7世紀に玄奘や義浄が留学して仏教教理を学び,中国,東南アジア諸国からも多数の僧が留学した。
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昉法師
中国・隋・唐代の法相宗の僧。玄奘の弟子で大小の経論に通じていたとされる。
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尚法師
嘉尚のこと。中国・唐代・法相宗の僧。玄奘の門下。玄奘ののもとで翻訳に従事した。瑜伽・唯識に深い理解があったといわれる。
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光法師
普光のこと。中国・唐代の僧。玄奘の四大弟子のひとり。約20年間玄奘の訳経を助けた。俱舎論記30巻を著し、説一切有部の教学を中心として法宝とともに俱舎宗を大成した。
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基法師
慈恩のこと。(0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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慈恩
(0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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智周法師
(0678~0733)中国・唐代の法相宗の第3祖。23歳のとき慧沼の門に入り、法相の奥義を究めた。玄宗開元5年(0717)に入唐した日本の僧・玄昉に法相宗の教義を伝えた。著書に「成唯識論演秘鈔」「成唯識論掌中枢要記」などがある。
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智鳳
奈良時代における新羅の僧。大宝3年(0703)智鸞・智雄などとともに入唐し、慈恩大師基の法孫で法相第3祖の濮陽大師智周に師事して法相宗を学んだ。奈良法興寺に住して法相宗を広め、日本における法相宗の第3伝とされる。慶雲3年(0706)藤原不比等が維摩会を復興した折にはその講師をつとめた。弟子に義淵がいる。
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義淵
(?~0728)奈良時代の法相宗の僧。『続日本紀』[1]によると俗姓は市往氏[2]であるが、『扶桑略記』では大和国高市郡の出身で俗姓を阿刀氏とする。『扶桑略記』『東大寺要録』では、父母が長年観音菩薩に祈願して授かった子で、天武天皇により皇子とともに岡本宮で養育されたという。出家して元興寺に入り唯識・法相を修め、龍蓋寺(岡寺)、龍門寺などの5ヶ龍寺を創建した。文武天皇3年(699年)、学行褒賞で稲1万束を賜り、大宝3年(703年)に僧正に任じられた。元正・聖武両天皇の下で内裏に供奉した。『続日本紀』には、先代からの行いを称され727年(神亀4年)に岡連の姓を賜り兄弟に仕えることを許された、とある。
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空晴
(0878~0957)大和(奈良県)の人。興福寺の延賓に法相をまなぶ。承平2年維摩会講師をつとめ,天暦3年(0949)少僧都,興福寺別当となる。真喜,平仁らおおくの門弟をそだてた。天徳元年(0957)」12月9日死去。80歳。俗姓は伊勢。
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真喜
(0932~1000)平安中期の法相宗の僧。空晴に従って法相宗を学び、博識で論議にすぐれていた。正歴元年(0990)興福寺の別当となり、正歴5年(0994)に僧正となった。
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善議
(0729~0812)大安寺の道慈に三論をまなび唐にわたる。帰国後は大安寺の僧として三論宗をひろめ,法将とよばれた。弘仁3年(0812)8月23日死去。84歳。河内国出身。俗姓は慧賀。
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勤操
(0754~0827)奈良時代後期から平安時代前期にかけての三論宗の僧。俗姓は秦氏。大和国高市郡の出身。石淵上人・石淵僧正とも称される。大安寺で信霊・善議に三論教学を学び、千僧度者に選ばれた。比叡山根本中堂の落慶供養の際には堂達をつとめ、延暦15(0796)同門であった栄好の追善のために高円山の麓の石淵寺で法華八講を創始した。弘仁4年(0813)大極殿最勝講で法相宗義を論破し律師に任じられた。弘福寺(川原寺)別当や当時造営中であった西寺の別当を歴任して天長3年(0826)大僧都に至った。当時の日本では新しい宗義であった最澄の天台宗・空海の真言宗とも交流を持ち、最澄・空海から潅頂をうけたほか、没後作成された勤操御影に空海が賛を入れたとも伝えられている。没後には僧正位が追贈された。
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浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
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畺良耶舎
(0383~0441)中国西域出身の仏教者。時称と訳す。阿毘達磨や律に通暁して,特に禅に優れていたといわれる。『観無量寿経』および『観薬王薬上二菩薩経』を翻訳した。
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宋
中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる[1]。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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康僧鎧
仏典翻訳僧。僧伽跋摩とも音写される。康の字は康居国の人という意味のように思われるが,単にインドの人と伝えられている。曹魏の嘉平4 年(0252) に洛陽に来て,中国の最初の仏寺といわれる白馬寺において『郁伽長者経』『大無量寿経』などを翻訳した。
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魏
中国の三国時代に華北を支配した王朝。首都は洛陽。曹氏の王朝であることから曹魏、あるいは北魏に対して前魏とも(この場合は北魏を後魏と呼ぶ)いう。45年間しか続かなかった王朝だが、魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志(『三国志』・『三国志演義』など)などで後世に伝わり、日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる。また、昭和に吉川英治が著した『三国志』を始め、この時代を描いた小説は今なお日本で人気があり、そのため知名度も高い王朝である。
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阿弥陀経
鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。
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鳩摩羅什
(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀?国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
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後秦
(0384年~0417)。中国の五胡十六国時代に羌族の族長姚萇によって建てられた国。姚秦とも呼ばれる。
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浄土論
天親菩薩が無量寿経によってみずからの願生の意を述べたもので、つぶさには『無量寿経優婆提舎願生偈』といい、略して『浄土論』『往生論』『論』と称される。往生浄土の行を大乗仏教の実践道として明確化したものであり、本書の最初の註釈書である曇鸞大師の『往生論註』をとおして、後世の浄土教思想に多大なる影響を与えた。
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菩提流支三蔵
生没年不明。中国・南北朝時代の訳経僧。地論宗の祖。菩提留支とも書き、道希と訳す。北インドの人。北魏の永平元年(0508)洛陽の永寧寺に住し、勅命によって勒那摩提等とともに十地経論12巻を翻訳した。他に金剛経1巻、入楞伽経10巻、仏名経12巻など、合わせて39部127巻を訳出、また曇鸞に観無量寿経を伝授し、天親の浄土論を伝訳している。
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曇鸞法師
(0476~0542)中国念仏の開祖で、菩提瑠支から観無量寿経を授けられ、もっぱら念仏の修行を積んだ。並州の大寺、石壁の玄中寺等に住し、のちに平州の途山寺で、76歳で死んだ。浄土宗では七祖のうちの第三祖としている。「讃阿弥陀仏偈」などを著した。難行道うんぬんの文は「往生論註」の最初の文で、念仏を易行道、すなわち「修行し易き道」として薦め、他の権大乗教を「修行し難き道」と悪口し、排斥している。
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難行
難行道のこと。易行道に対する語。法然の立てた邪義で、出処は竜樹の「十住毘婆沙論」・曇鸞の「往生論註」による。難しい修行のことで、末法の衆生は難行道である法華経などでは往生できないと説く。
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易行
易行道のこと。難行道に対する語。法然の立てた邪義で、出処は竜樹の「十住毘婆沙論」・曇鸞の「往生論註」による。やさしい修行のことで、末法の衆生はただ弥陀の名を唱えるだけでは往生できると説く。
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摂す
おさめる・摂取する・取り入れる。
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道綽禅師
(0562~0645)浄土宗七祖の第四祖。中国唐代の僧で、14歳で出家し、讃禅師に師事して空理を修したが、のち涅槃宗を捨てて浄土門にきえした。貞観2年(0645)84歳で死去した。著書に「安楽集」があり、今日、浄土真宗で読まれている。聖道門を「千中無一」「未有一人得者」として、釈迦一代仏教を誹謗した。
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聖道浄土の二門
聖道門・浄土門の二門のこと。聖道門とはあくまでも、この娑婆世界で悟りを開き、成仏するために説いた教えであり、浄土門とは、この娑婆世界を穢土と嫌い、他方に極楽浄土があるとして、そこへ往生することを目的として修行することを教えた権の教え。道綽が爾前40年についてこの二門を立てたのを、法然は法華経まで我見で含めてけなしている。
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善導和尚
(0613~0681)。中国唐時代の浄土宗の僧。幼くして出家し、太宗の貞観年中に道綽の門に入り観経を信仰しはじめ、以後、人々に称名念仏を勧めた。浄土の法門を演説すること30年、ついに寺前の柳に登り自ら身を投じて、極楽往生を示そうとしたが、地面に落ちて腰を打ち、十四日間苦しんで死んだという。著書に「観無量寿経疏」、「往生礼讃」、「般舟讃」、「観念法門」等がり、その後の浄土教に大きな影響を与えた。
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正雑の二行
正とは一止不邪、雑とは穢悪交雑の義。善導の立てた邪義。善導は観無量寿経疏のなかで、「行に就きて信を立てるとは、然るに行に二種あり、一には正行、二には雑行なり」と修行を正行と雑行に分けている。
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懐感禅師
唐代の僧。長安千福寺に住した。感禅師かんぜんじとも呼ぶ。初め唯識を学び、のち善導ぜんどう大師(613~681)に師事して浄土教の要義を学び、念仏三昧を証得したという。著書に『釈浄土群疑論』7巻がある。
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群疑論
『釈浄土群疑論』のこと。7巻。唐の懐感著。懐感は本書を完成させるまえに没したため、同門の懐惲がこれを完成した。12編百16章からなる。阿弥陀仏の身土をはじめ、往生の行因など、浄土教に関する多くの疑難に答えた百科全書的な書である。
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小康法師
中国の念仏宗の高僧、縉雲の周氏、母は羅氏といふ、7歳の時、父母捨てゝ出家せしむ、15歳の時、法華楞厳等の五部を誦んじ、尋で会稽の嘉祥寺に往き律部を学究し、後に、上元の竜興寺に詣り華厳瑜伽の諸論を聴く、唐の貞元の初年、洛下の白馬寺に至り殿中の文籍を採り、善導(善導大師)の西方化導の文を得、歎じて曰く、劫石も磨すべし、我願くは易ふるなけんと、遂に長安の光明寺和尚の影堂に至り、大に薦献を陳ぶ、南江陵に適き既にして新定に入り、銭を乞うて小児を誘つて曰く阿弥陀仏はこれ汝が導師である、念仏一声すれば汝に一銭を与へんと、児、声に随つて念仏す、月余にして児童の念仏して銭を乞ふもの極めて多い、法師曰く、能く念仏十声するものに一銭を与へやうと、かくすること一年、老幼貴賎の別なく法師を見るもの、みな阿弥陀仏を唱へ、念仏の声は至る処に満ちた、十年鳥竜山に浄土の道場を建て、壇を築くこと三級、衆を集めて行道す、少康毎に座に上つて高声に仏を唱ふれば、一仏の口から出るのを見る連唱十声すれば十仏現はると、21年10月3日道俗に謂て曰く浄土に於て忻楽の心を起し、閻浮提に於て厭離の心を起すべし、汝、此の時能く光明を見れば即ち我が弟子であると、光明を放つて入寂した、郡人為に塔を台岩に建つ。
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法然上人
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
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選択集
法然の代表的著作で、選択本願念仏集という。当時、公卿の有力者であった九条兼実の依頼によって建久9年(1198)選述し、浄土宗の教義を十六章に分けて明かしている。その内容は、念仏以外の一代仏教を捨閉閣抛せよという破仏法の邪義で、当時においてすら並榎の定照から「弾選択」、栂尾の明慧から「墔邪輪」「荘厳記」をもって破折されている。
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捨閉閣抛
法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
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入開入皈
法然の選択集の中にある四文字。①入、「浄土門に『入』りて聖道を捨て」②開、「定散の門を閉じ、一を『開』き以って」③、「聖道門を閣き、選んで浄土門に『入』る」④「諸雑行を抛ち、選んで応に正行に『皈』(帰)すべし」とある。
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禅宗
禅定観法によって開悟に至ろうとする宗派。菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいう。仏法の真髄は教理の追及ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏などの義を説く。この法は釈尊が迦葉一人に付嘱し、阿難、商那和修を経て達磨に至ったとする。日本では大日能忍が始め、鎌倉時代初期に栄西が入宋し、中国禅宗五家のうちの臨済宗を伝え、次に道元が曹洞宗を伝えた。
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如来禅
法身・般若・解脱の三徳を究竟して証得し、衆生のために不可思議な力用を起こす仏の禅をいう。
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楞伽経
漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
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金剛般若経
金剛経・金剛般若波羅蜜経のこと。鳩摩羅什訳・菩提流支訳・真諦訳・義浄訳などがある。仏が舎衛国給孤独国に住んでいた時、須菩提を対告衆として説かれたとされる経。金剛は石の名で堅・利・明の三義を含み、般若は智慧のこと。衆生の執着を破して空観を教え、一切万物の転変の相を示し、金剛のような堅固な仏の智慧によるべきことを明かしている。
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祖師禅
祖師から弟子へ文字によらず直ちに以心伝心で悟りを伝える禅。菩提達磨の流れを汲み慧能によって立てられた禅。
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教外別伝
「以心伝心」「不立文字」等の義に同じ。中国宋代の公案集である「無門関」第十則に「世尊が霊鷲山で説法していると、梵天が金波羅花を献じた。世尊はこれを受け取り弟子たちに示したところ、並み居る弟子衆は誰もその意味を理解できず、黙然とするだけであったが、ひとり摩訶迦葉だけが破顔微笑した。そのとき世尊は『吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙(みみょう)の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す』と言った」とある。即ち禅宗の立義で、仏法の真随は一切経の外にあり、それは釈尊から迦葉に、文字によらずに密かに伝えられ、その法を伝承しているのが禅宗であると主張する。しかし依処である「大梵天王問仏決疑経」は訳者不明の偽経であり、拈華微笑の逸話は中国でつくられたことは自明の理である。「其の学者等大慢を成して教外別伝等と称し一切経を蔑如す天魔の所為なり」(0139-09)、また「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云」(0181-06)と仰せの如く、禅宗は釈尊の一切経を否定し、釈尊以前の〝外道〟に戻ろうとする「仏法の怨敵」(0179-04)である。
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不立文字
禅宗の教義。文字を立てないこと。真実の悟りは経論の語句や文字に依らず、ただ心から心へと法を伝えることによって得られるとする。
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西天の二十八祖
インドで禅宗を伝えたとされる28人の僧。付法蔵24人につづいて婆舎斯多・不如密優波多・般若多羅・菩提達磨を連ね28祖とする。
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東土六祖
中国で禅宗を伝えた六人の僧。達磨・慧可・僧燦・道信・弘忍・慧能をいう。
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菩提達磨禅師
禅宗の初祖。菩提多羅のこと。のちに般若多羅より法を受け、菩提達磨の名を授けられた。般若多羅は、かれの滅後67年に震旦に行って弘法せよと、達磨に游化を許したので、梁の普通元年、中国に入り、武帝に謁見したが受け入れられず、崇山少林寺に寓して壁に向かって坐禅したので、人々は彼を壁観婆羅門と呼んだ。大通2年に死去。唐の代宗は円覚大師とおくり名した。
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恵可禅師
俗姓は姫氏。幼名は神光。中国禅宗の二祖。正宗。洛陽武牢(河南省滎陽市)生れ。はじめは儒教や老荘思想を学んだが得心せず、香山の永穆寺で得度した。出家後は問法のため各地を放浪し、さらに香山に戻り8年間修行を続けた。しかし、ついに疑念を解明することが出来ず、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に面会し弟子入りを請うた。達磨は断ったが慧可はあきらめず、自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている(雪中断臂)。実際は元から臂がなかったため、後からこの伝説が作られたともいわれている。達磨の法統を継ぎ、禅宗第2祖となったとされる。
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僧璨
生年不詳(推定500年~505年頃) 。中国・隋代の僧。禅宗の第三祖。 「璨」とは、「美しい珠」、「光り輝く宝玉(宝石)」のことである。唐の玄宗皇帝により『(鑑)智禅師』の諡を賜った。
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道信
(580年 ~ 651年)。禅宗の第四祖。蘄州を中心として布教に励み、弟子の五祖弘忍と共に「東山法門」と呼ばれる一大勢力を築き、後の禅宗の母胎を形成する。姓は司馬、『景徳傳燈録』など後世の資料では河内(河南省)の出身とされる。『続高僧伝』では出身地は不詳。
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弘忍
(0602~0675)中国禅宗の五祖。没後に代宗の時代になって、大満禅師の諡号と、法雨塔の塔号を賜る。黄梅県(湖北省黄梅県)出身(『宋高僧伝』では、或いは淮左潯陽(江西省)の出身という)で、俗姓は周。若年で出家し、12歳(『楞伽師資記』では7歳)で東山の四祖道信の弟子となり、後に黄梅県の憑茂山(東山)に住して化導に専心し、中国禅宗の本流となる東山法門を発展させ、中国禅宗発展の下地を作った。『続高僧伝』にも既に、師の道信の墓塔を造った弟子として、その名が見える。『伝法宝紀』や『楞伽人法志』による限りでは、弘忍は道信の下で肉体労働もした朴訥な人柄であり、文記を出す事がなかったといわれるが、彼の説とされる『修心要論』があり、晩年には国都の多くの貴顕が帰依したと伝えられる
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恵能
(0638~0713)諡は大鑑禅師、范陽(河北省涿州市)の盧氏出身の禅僧で、中国禅宗(南宗)の第六祖である。
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真言宗
大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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胎蔵界
真言密教の両部の一つで、金剛頂経に説く金剛界に対し、胎蔵界は大日経に説くもの。胎蔵とは母の胎内に児を蔵するとの意。仏の菩提心が一切を包み育成することを、母胎に譬えたとされる。真言宗では、金剛界、胎蔵界の両部を絵にして、曼陀羅と称している。
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七百余尊
言密教で説く胎蔵界漫荼羅の仏・菩薩等の諸尊。
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金剛界
真言密教の本尊の大日如来は、金剛界と胎蔵界の二種がある。慈覚・智証などの台密は金剛を重視し、弘法などの台密は胎蔵界に重点を置く。
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五百余尊
真言密教で説く金剛界漫荼羅の仏・菩薩等の諸尊。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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六巻卅一品
大日経は7巻36品であるが、前の6巻31品が中心である。
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善無畏三蔵
(0636~0735)。中国真言宗の開祖。中インドの人。烏萇奈国(烏荼国)の王子であったが、唐へ渡って真言宗を弘めた。13歳で王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の勅命を受けて興福寺および西明寺に住み、経典の翻訳に従事した。翌年「大日経」七巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏」20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子」三巻、「蘇悉地羯羅経三巻を訳した。開元二十年、翻訳が終わってインドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。とくに大日経において、法華経の一念三千の法門を盗みとって、理同事勝の邪義をうちたてた。
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中天竺
インドを五つの地域、東・南・西・北・中と立て分けたうちの「中」釈尊はこの中天竺の迦毘羅衛国の太子として生まれた。
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供養法
供養の方式・儀式次第のこと。供養の法式を書いた書。
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金剛頂経
金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
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金剛智三蔵
(0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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南天竺
古代インドを五つ(東・西・南・北・中)のいとつ。
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蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
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菩提心論
「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。
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竜猛菩薩の造・不空の訳
菩提心論は中国・唐代の不空訳とされているが、真言宗の弘法は訳者の不空が本論の作者名を記していないことをいいことに竜猛(竜樹)造とし、真言にのみ即身成仏の法であるとしている。
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不空
(0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
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大日如来
大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
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金剛薩埵
真言八祖の第二祖。大日経の対告衆。
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竜猛菩薩
竜樹菩薩の別名。別説あり。
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竜智
真言宗の第四祖。竜樹菩薩の弟子で、金剛智の師。
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恵果
(0746~0806)。照応の人で、俗姓を馬という。不空の弟子で、真言宗東寺派では、大日如来から法を受けついだ第七祖とする。唐の代宗、徳宗、順宗の三朝に国師として尊敬された。日本から留学生として渡唐した弘法にその教えを伝えた。
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弘法
(0774~0835)。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。
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空海
(0774~0835)。弘法のこと。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。
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真雅
(0801~0879)。平安時代前期の真言宗の僧。父は佐伯田公。空海は兄にあたる。讃岐国多度郡屏風浦の出身。空海の十大弟子の一人。清和天皇の誕生以来の護持僧で、天皇とその外祖父藤原良房から厚い信任を得る。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞観寺僧正・法光大師と称される
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源仁
(0818~0887)。平安時代前期の僧。弘仁9年(0818)生まれ。真言宗。元興寺の護命に法相を・東寺の実恵に真言をまなぶ。また真雅・宗叡に師事して灌頂をうけ、内供奉十禅師・東寺二長者となる。南池院を建立し、成願寺と称した。弟子に益信・聖宝。仁和3年(0887)11月22日死去。70歳。通称は池上僧都。
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聖宝
(0832~0909)。平安時代前期の真言宗の僧。醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖。また、後に当山派修験道の祖とされる。
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淳祐
(0890~0953)。平安時代中期の真言宗の僧。父は菅原道真の子菅原淳茂。般若寺の観賢に師事して出家・受戒し、925年(延長3年)に伝法灌頂を受けた。真言宗小野流の法を継いだが、足に障害があり病弱であることを理由に醍醐寺寺主就任を辞退する。その後石山寺普賢院に隠棲した。普賢院では多くの書物を著し、真言密教の事相の発展に寄与した。
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元杲
(0914~0995)。平安時代中期の真言宗の僧。藤原京家の出身で、父は雅楽助藤原晨省。房号は真言房。延命院僧都とも称される。勧学院(藤原氏の大学別曹または諸大寺院が建てた学校)に学んだ後、醍醐寺の元方に師事して出家、また一定・明珍らに学んだ。淳祐・寛空に灌頂を受け、安和元年(0968)内供奉十禅師・東宮護持僧となった。天元4年(0981)権律師、天元6年(0983)権大僧都に至った。真言宗の小野・広沢両流に詳しく「具支灌頂儀式」など多くの書物を著し、また祈雨法を修して霊験があったという。自伝として「元杲大僧都自伝」(続群書類従所収)を残している。
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仁海
平安時代中期の真言宗の僧。父は宮道惟平。和泉国の出身。小野僧正・雨僧正・雨海僧正とも称される。真言宗小野流の祖。高野山の雅真に師事して得度し、その後石山寺元杲に灌頂を受けた。正暦2年(0991)山科小野に曼荼羅寺(後の随心院)を建立し、小野流を開いた。寛仁2年(1018)祈雨法を修して霊験を現したことにより権律師に任じられた。以後祈雨法を修すること9回、その名声は中国の宋まで伝わった。この間、東大寺別当・東寺長者法務を歴任し僧正に至った。晩年には輦車の宣旨を賜っている。
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成尊
(1012~1074)。平安時代中期の僧。長和元年生まれ。真言宗。仁海について出家,京都山科の小野曼荼羅寺の2世となる。後三条天皇の信頼があつく,延久4年東寺一長者となる。延久6年1月7日死去。63歳。通称は小野僧都。著作に「小野六帖口決」「真言付法纂要抄」。
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義範
(1023~1088)。平安時代中期-後期の僧。治安3年生まれ。肥後(熊本県)の人。山城(京都府)曼荼羅寺の仁海について真言密教をまなび,成尊から灌頂をうける。のち山城醍醐寺に遍智院をひらく。応徳3年権少僧都、東寺三長者。法験をもって知られ,白河天皇,堀河天皇の護持僧をつとめた。寛治2年閏10月5日死去。66歳。通称は遍智院僧都
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範俊
(1038~1112)。平安時代後期の真言宗の僧。父は興福寺大威儀師仁静。初め興福寺伝法院末明に師事し、その後小野曼荼羅寺(後の随心院)成尊僧都から金剛界・胎蔵界の両部の秘法を学んだ。永保2年(1082)祈雨法を修して霊験を著したが、義範の妨害にあい那智山に隠遁した。その後、白河天皇は範俊を召し出して小野曼荼羅寺に住まわせ、堀河天皇に譲位した後はその護持僧とした。康和2年(1100)興福寺寺務、嘉承元年(1106)東寺長者、天永元年(1110)権僧正に至った。
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弘法大師義立
日本・真言宗の開祖である弘法大師・空海が立てた釈義。
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義立
義を立てること。法門・教理をより明らかにすること。
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五臓
仏教の典籍を五種に分類したもの。①経蔵・律蔵・論蔵・慧蔵・秘蔵。②爼多覧蔵・毘那耶蔵・阿毘達磨蔵・般若波羅蜜多蔵・陀羅尼蔵。
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爼多覧蔵
経蔵のこと。三蔵のひとつ。五臓の一つ。
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経蔵
仏教の聖典(仏典・三蔵)の一部であり、釈迦の教説である経をまとめたもの。釈迦の死後、僧伽(仏教僧団)では仏教の成り立ちや戒律、その教説などを保全すべく、500人の阿羅漢(五百羅漢)によって結集が開かれ、その内容が文書化され、三蔵としてまとめられた。その内の1つがこの経蔵である。
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阿難の結集
第一回仏典結集は釈尊滅後、仏の教法の散逸を恐れた摩訶迦葉が上首となって、阿難が経を、優婆離が律を誦して、文字化が行われた。
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阿難
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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毘那耶蔵
三蔵のなかの律蔵。五蔵のひとつ。五戒・十善戒などの戒律を明かした文献。
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律蔵
「三蔵」における最初の「蔵」であり、「律」に関する文献が収められた領域のこと。
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優婆利
釈迦の十大弟子の一人。持律第一と称せられた。シュードラ(古代インドの身分制度、四姓の最下層。隷属民)の出身。第1回仏典結集の時、律を誦したとされる。
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阿毘達磨蔵
三蔵のなかの論蔵。五蔵のひとつ。仏教の教理に関する理論の意。釈尊の経典を結集した「経典」に対する語義解釈等の研究の成果が膨大なアビダルマ論書として集大成されたもの。
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論蔵
「三蔵」における最後の「蔵」であり、「論」に関する文献が収められた領域のこと。部派仏教の時代、各部派ごとに各種の「論」が作られた、今日まとまった形で現存している部派仏教時代の「論」は、この南伝上座部仏教のパーリ語テキストと、北伝仏教に伝わる漢訳された説一切有部の『六足論』『発智論』のみである。
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迦旃延
梵語カーティヤーヤナ(katyāyāna)の音写で、迦多衍那・迦底耶夜那とも書く。尊称して摩訶迦延。好眉・文飾・扇縄などと訳す。釈尊声聞十大弟子の一人で、よく外道を論破し論議第一といわれる。
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般若波羅蜜多蔵
大乗真実の智慧を説く法蔵のこと。五蔵のひとつ。五味に配すれば熟蘇味にあたる。
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文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
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陀羅尼蔵
一切経のうち陀羅尼・呪を説いたもの。五蔵の一つ。陀羅尼は能持・総持と訳し、物事を深く記憶して忘れず、多くの悪法を遮って生じさせない能力をいったが、後に呪・真言と混同され、口に唱えた者を守護し、功徳を与える能力があるとされた梵語の章句をさすようになった。
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金剛蔵
金剛蔵菩薩のこと。華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十地の法門を説いた。
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十住心
弘法が十住心論を著して立てた教判。大日経十住心品に十種の衆生の心相があるとして、それに世間の道徳・諸宗を当てはめ、菩提心論によって顕密の勝劣を判じ、真言宗が最高の教えであることを示そうとしたもの。異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心をいう。
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異生羝羊住心
異生は異なった生を受ける者の意で、凡夫、すなわちなみの者の別称。羝羊は雄羊。雄羊がただ性と食に対する欲望をもって生きているだけにすぎないのに喩える。六道とよばれる迷いの世界に輪廻転生する地獄・餓鬼・畜生・阿修羅、およびひたすら悪しき行為をつづける人間の世界が、異生に属する。
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凡夫
梵語で婆羅、新訳では異生という。元来は一般人のこと。後になって断惑証理の聖者に対する称となった。凡庸な士夫。いまだ四諦の理を見ない浅識愚鈍の者で、煩悩に束縛された者をいう。法華経譬喩品第三に「凡夫は浅識にして深く五欲に著し、聞くとも解すること能わじ」とある。
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悪人
悪事をなす人。正法を誹謗する人。五逆罪を犯す人。
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愚童持斎住心
愚童は愚かな少年。持斎は斎を持つということで、節食して他の者におのれの食物を施すことを意味する。
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善人
心がけの善い人。善根を積んでいる人。
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嬰童無畏住心
道徳、倫理を超え、宗教的な理想の世界に生まれることを願う住心である。いわば、宗教心の目ざめの段階である。そこで、宗教的実践の具体的なものとして、インドのサーンキヤ哲学、ヴァイシェーシカ哲学、ヒンドゥー教の獣主派、ジャイナ教など、いわゆる十六種外道とよばれるところのバラモン教その他の宗教・哲学などが紹介される。それらは宗教的実践として何らかの瞑想を説き、天界に生まれることを願う点では共通的であるとみなしている。
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外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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唯蘊無我住心
自我の実体を否定するために、色・受・想・行・識の五つの存在要素(五蘊)のみが仮に和合したものにすぎない、とする。これは声聞の教えである。実体的な自我の存在を否定する点で、バラモン教を越えて仏教に入る初門である。そこで、声聞のさまざまな実践修行の階梯が説かれ、一種の小乗仏教概論の観を呈する。しかし、声聞の住心とてもまた、密教の深秘の解釈によれば、声聞の真言が説かれているように、大日如来の有する万徳のなかに一つの徳性にほかならない。
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声聞
声聞界のこと。縁覚と合わせて二乗という。仏の教える声を聞いて悟る人をいい、小乗教の理想ではあるが、利己主義に陥るため、権大乗教では徹底的に弾呵され、煎る種のごとく、二度と成仏の芽を出すことがないと言われた。法華経にいたって、舎利弗・迦葉・迦旃延・富楼那等、声聞の十大弟子が得道する。そして歓喜した四大声聞の領解の文を開目抄には「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に 阿羅漢なり緒の世間・天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし」とあり、真の声聞とは、仏の弟子として、仏の教え、精神を民衆に聞かせ、後世に残していく人である。
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抜業因種住心
縁覚の住心である。この住心の抜業因種は、『大日経』住心品に、「業と煩悩の根本、すなわち根源的無知(無明)の種子から次第に十二因縁が生起するのを抜除する」と説かれるのにもとづく。また「新しい業の生起するのを完全に除く」といわれるように、同じく小乗仏教の立場にありながら、声聞と縁覚とでは、その瞑想の浅い深いとに差があるとされる。
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縁覚
辟支仏のこと。独覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るという。十法界明因果抄には「第八に縁覚道とは二有り一には部行独覚・仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習い小乗の戒を持し見思を断じて永不成仏の者と成る、二には鱗喩独覚・無仏の世に在りて飛花落葉を見て苦・空・無常・無我の観を作し見思を断じて永不成仏の身と成る戒も亦声聞の如し此の声聞縁覚を二乗とは云うなり」(0433-07)とある。
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他縁大乗住心
法界の有情を縁とする化他行を修め、大乗の初門に至る心のこと。真言宗の弘法が立てた教相判釈の第六。法相宗の教えにあたるとしている。
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覚心不生住心
自身が本来、不生であることを覚知する心のこと。弘法が立てた十住心の第七。弘法は大海の波浪は縁にふれて起こるが、水そのものの本性は変わらないのと同様に、心主も縁によって生滅することはないという道理を知ることが覚心不生心であるとしている。この不生とは三論宗で説く八不をあらわすものとし、心主は不生乃至不常の八不であるという理を覚ることとしている。弘法は覚心不生心の位に住するのは三論宗であるとした。
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如実一道住心
一道は一仏乗、すなわち法華一乗、無為はさとりの真実の世界を意味し、この住心は宗派では天台宗に当てはめられる。天台宗は、中国の唐代における十三宗のうちの天台宗、ならびに最澄の開いたわが国の天台宗をさす。
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極無自性住心
この住心の極無自性の説明はとくにないので、その読み方には、「極めて自性無し」もしくは「自性無きを極む」が一つ、もう一つは「極は自性無し」という二通りが伝えられている。第一の読み方は、この住心が顕教の究極であり、しかも一般に仏教では、条件によって生起するものはそれ自体の固定した本性がないこと、すなわち縁起無自性を説くが、その至極を説くのがこの住心である、と解するものである。この場合、華厳哲学の重々無尽の法界縁起が予想されることはいうまでもないであろう。第二の「極は自性無し」という場合の「極」は第八住心であるが、それを至極とせず、さらに第十住心まで進展するためには第九住心が媒介となるから、そうした連続した心が生ずること(心続生)を無自性としたものである
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秘密荘厳住心
この住心は密教の曼荼羅の世界であることを次のように端的にのべていう。秘密荘厳心とは、すなわちこれをつきつめていえば、自らの心の源底を覚知し、ありのままに自らの身体の数量を証悟するのである。いわゆる胎蔵海会の曼荼羅と金剛海会の曼荼羅とがこれである。このように、秘密荘厳心は曼荼羅の世界として表現されるものであって、それは『大日経』住心品に「いかなるか菩提、いはく、実の如く自心を知る」とあるように、一言でいえば、さとりの世界であり、実の如く自心を知ることにほかならない。心の発達の順序が十住心体系で、それはまさに背暗向明のはたらきなのである。竪の構造を見ると、顕教から密教への階梯が示唆されている。十住心体系の構成からすれば、第一住心より第九住心のすべての顕教より第十住心の密教に到達するのはまさしく背暗向明である。これに対して、横の構造によると、衆生の心身の究極は無量の心識・無量の身があるとする。それは密教においてすべての顕教が包摂され、統合されていることにほかならない。横の構造は九顕十密といわれるように、第一住心より第九住心までは確かに顕教ではあるけれども、深い密教的な解釈からすればことごとくが密教であるという。竪の構造は九顕一密とよぶように、第一住心から第九住心までは顕教で、第十住心が密教である。したがって顕教と密教とは、いわば次元を異にしたものであるといえよう。(これは真言宗の立てた邪義)。
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釈尊が鈍根の二乗を救うために、最も低い教えである阿含経を12年間にわたって説法した後、さらに二乗を中心とする衆生をより高い境地に導くために、それぞれの機根に対応した種々の大乗・小乗の教えを説いた。その時期がここで扱う五時のなかの第三・方等時である。方等の「方」とは「方広」、「等」とは「均等」の意である。すなわち、広く大乗の教えを説いて大乗・小乗に適った人々に等しく利益を与えた期間ということである。
「方等部」の下に「蔵通別円」とあるのは、方等部の教えには化法の四教がすべて含まれるということである。
また「対」とあるのは対比の意味で、方等部の説法は蔵通別円の四教を並べて相対し、大乗と小乗とを対比して説いているので「対」というのである。しかしながら、一代仏教のなかでは真実を明かす法華経へ導くための方便として権に説いた教えであるので「権大乗」と位置付けられたのである。
五味にあてはめれば、乳味・酪味に次いで、さらに精製した新鮮なバター味の「生蘇味」に当たる。
方等部の結経とされる瓔珞経は、正式には菩薩瓔珞本業経という。菩薩の本業、すなわち、修行を52位の階位にとって示すとともに、その結果得られる功徳を明かしているので、天台大師智顗はこの経に菩薩の行位が最も整って説かれているとして重視し、結経としたのである。
続いて、方等部の経々をよりどころとする主たる宗派とその祖師たちの名が「法相宗」「浄土宗」「禅宗」「真言宗」の順に図示で示されている。
まず「法相宗」は諸法の「相」と「性」をはっきりと立て分けるということからこのように名乗ったのである。その立場からいっても、特定の経典によるのではなく「惣じては一切経に依り別しては六経・十一部に依る」とあるように、すべての経をよりどころとする標榜するが、現実には六経・十一部に絞られるということである。六経とは華厳・解密経・如来出現功徳荘厳・大乗阿毘達磨・入楞伽・厚厳の各経であり、十一部というのは十一部論とゆうことで、瑜伽師地論・顕揚聖教論・大乗荘厳経論・集量論・摂大乗論・十地論・分別瑜伽論・観所縁縁論・唯識論・弁中辺論・大乗阿毘達磨集論をいう。しかし、これでも実際には修学しきれるものではなく、六経・十一部の中からさらに絞って、六経からは解深密経が、十一部からは瑜伽論・唯識論の二論が直接のよりどころとなっていた。唯識論も多種あるが法相宗が成唯識論は十巻で、さほど大部ではないものの、瑜伽論については、全百巻である。
次いで法相宗が自らの立場を位置付けるために立てた「三時教」の教判を示されている。
まず、第一時は「有」「初」とあり、さらに「有相教とも云う」とある。これは釈尊の説法の「初め」に説かれた教えで、衆生の我執を破するために四諦の法門をもって「我は空であり法のみが有である」と示したものをいい、阿含経がこれであるとする。
第二時は「空」「昔」とあり「無相教とも云う」とある。「昔」とは般若経等が説かれた時期を指し、法も含めて一切は無相空寂であると教えたものをいうとしている。
これに対して第三時は「中」「今」とあり「中道教ともいう」とある。これは小乗の「有への執着」と菩薩の「空への執着」を破すために非有非空の中道を明かしたもので、華厳経・解深密経・法華経がこれに当たるというのである。
このあと、法相宗が自宗の祖師として立てている人々の名が列記されているが、ここで特に触れたいのは「弥勒菩薩」などインドの論師たちである。
先に瑜伽論に関して「弥勒説・無著筆」とあったように、法相宗が依処としている瑜伽師地論は仏滅後900年ごろ出たとされる無著菩薩の手に成るが、無著は兜率天に登って、そこで釈尊の補処として世に出るところを待っている弥勒に会い、その聴聞したところを筆録したものであるとされているからである。いうまでもなく、大聖人は法相宗の伝承として記されたのである。したがって「如来滅後九百年に出づ」とあるのは、実際には弥勒菩薩のことではなく、無著菩薩のことであろう。
世親は無著の弟で、無著によって小乗教への執着を破折されて大乗に帰依し、大乗論師として「唯識三十論頌」等を著した。この世親の著を注釈したのが護法の「成唯識論」であり、その護法の弟子である祖師として重んじられていたのである。
続いて「浄土宗がよりどころとした経・論と祖師たちの名、事績が挙げられている。浄土宗がよりどころとする経論は、観経・双観経・阿弥陀経のいわゆる「浄土三部経」と、天親の「浄土論」である。
この浄土論を漢訳した菩提流支三蔵は、インドから中国にわたって曇鸞法師に観無量寿経を伝授し中国浄土教成立のきっかけとなったことから、浄土宗インドの祖師として名を連ねている。
浄土宗は中国で浄土教として成立したものであるから、祖師たちの名は「唐土」に多数、列記されている。「曇鸞法師」「道綽禅師」「善導和尚」の三法師はいわば中国浄土教の教義を確立したことで著名である。
インドの菩提流支から観無量寿経を伝受された曇鸞は一切の経論を難行と易行に立て分け、いずれも後者を末代の凡夫に適した信仰として採用し、前者を排除した。
「懐感禅師」は師である善導に会ってさまざまな疑いが解決され、念仏三昧を証得することができたとして、その経緯を群疑論という書物にまとめた。「日本」では法然が祖師であり、選択集一巻を著して、一切経のうち、浄土教以外の経々を「捨て」「閉じ」「閣け」「抛て」と説いた。
次に「禅宗」については、禅法に「如来禅」「祖師禅」の二種あることを図示し、それぞれの禅がよりどころとする経々や教理を示されている。
「如来禅」の場合は如来の禅に基づくもので、仏陀の説いた楞伽経や金剛般若経をよりどころとするものである。宗派を問わず、例えば天台宗でも観心修行のために行じられたものが、この如来禅である。これに対し「祖師禅」は、祖師から祖師へ、すなわち付法蔵第一の摩訶迦葉から連綿と伝えられたとする禅で、仏から迦葉に言葉によらないで伝えられたとして「教外別伝・不立文字」と主張する。いわゆる禅宗はこの「祖師禅」で、祖師として「西天の二十八祖」「東土六祖」を立てる。西天はインドのことで、付法蔵第一の迦葉から菩提達磨にいたるまでの28人をいう。「別紙に之有り」とは28祖の名を記した別紙があったのであろう。
「東土六祖」は中国で禅宗を伝えた6人の僧のことで、菩提達磨は西天の28祖の最後に位置し、中国に禅を伝えたことから、中国禅の開祖とされ、東土6祖の第一に置かれている。
最後に「真言」について、まず、この宗の二種法門の名が挙げられる。すなわち、「胎蔵界」と「金剛界」である。真言宗では、胎蔵界には大日経等に説かれる大日如来の慈悲の世界が明かされていて、700余の仏などからなるとする。一方、金剛界は金剛頂経等に説かれ、大日如来の智慧の世界が明かされている。500余の仏などからなるとする。
真言宗が依処とするのは「大日経」「金剛頂経」「蘇悉地経」の、いわゆる真言三部経と、「菩提心論」である。この「菩提心論」を真言宗では竜猛菩薩が著し不空が漢訳しているが、不空が著したとする説を挙げておられる。大聖人は諸御書で、内容的にむしろ後者が真相で、竜猛の権威を利用しただけであるとされている。
次いで、真言宗の祖師たちの名が天竺・漢土・日本の三国にわたって列挙されている。他の宗派と異なり祖師たちの第一に「大日如来」の名が挙げられているのは、真言宗が、密経の教主は大日如来であると主張していることによる。
この点について日蓮大聖人は真言見聞で「他土の仏なりと云はば何ぞ我が主師親の釈尊を蔑にして他方・疎縁の仏を崇むるや不忠なり不孝なり逆路伽耶陀なり」(0149-04)と破折されているように、真言宗は自ら、仏教にあらず、外道の教えに仏教の衣を装わせたものであることをあらわしているのである。
「唐土」「日本」と続く真言宗の祖師たちの中で特に日本の「弘法」については「弘法大師義立」として、彼が立てた義のうち、「五蔵」と「十住論」と「十心論」を図示されている。
0667:05~0668:19 第四章 第四・般若時を明かすtop
| 05 ┌理趣般若経一巻惣じて八部の般若有り ・ 06 ┌┼大品般若四十巻 羅什三蔵の訳旧訳 07 │└大般若経六百巻 玄弉三蔵の訳新訳 08 │┌通別円 09 │├帯 10 │├権大乗 11 │├十四年の説或は三十年の説 12 般若部┴┼熟蘇味 13 └結経は仁王経 14 ┌百 論二巻 提婆菩薩の造 15 三論宗┼中 論四巻 竜樹菩薩の造 16 └十二門論一巻 竜樹菩薩の造 0668 01 大論を加えて四論宗とも云う。 02 二蔵┬一に声聞蔵 ┌一に根本法輪 03 └二に菩薩蔵 三転法輪┼二に枝末法輪 04 └三に摂末帰本法輪 05 ┌文殊 06 ├馬鳴 07 ├竜樹 08 ┌天竺┼提婆 09 │ ├竜智 10 │ ├清弁 11 │ └智光 12 祖師┼ ┌羅什 13 ├唐土┼道朗 14 │ └法朗 15 │ ┌吉蔵 亦嘉祥大師と云う嘉祥寺の僧なり 16 │ ├観勒僧正 百済国の人なり 17 │ ├恵潅 高麗国の人なり 18 └日本┼善議 19 └勤操 -----― ┌理趣般若経、一巻からなる。総じては八部の般若経がある。 ・ ┌┼大品般若経、四十巻からなる。羅什三蔵の訳の旧訳である。 │└大般若経、六百巻、玄弉三蔵の新訳である。 │┌通教・別教・円教を含む。 │├通教・別教・円教を帯びる。 │├権大乗教である。 │├十四年間、あるいは三十年間に説かれた。 般若部┴┼熟蘇味である。 └結経は仁王般若波羅蜜護国経である。 ┌百 論、二巻。提婆菩薩の造である。 三論宗┼中 論、四巻。竜樹菩薩の造である。 └十二門論、一巻。竜樹菩薩の造である。 大智度論を加えて四論宗ともいう。 二蔵┬一に声聞蔵 ┌一に根本法輪 └二に菩薩蔵 三転法輪┼二に枝末法輪 └三に摂末帰本法輪 ┌文殊 ├馬鳴 ├竜樹 ┌天竺┼提婆 │ ├竜智 │ ├清弁 │ └智光 祖師┼ ┌羅什 ├唐土┼道朗 │ └法朗 │ ┌吉蔵、 また嘉祥大師ともいう。嘉祥寺の僧である。 │ ├観勒僧正、百済国出身の人である。 │ ├恵潅、高麗国出身の人である。 └日本┼善議 └勤操 |
般若部
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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理趣般若経
中国・唐代の玄奘訳。般若の深旨を説いた経で、理趣とは道理趣旨の義。般若の深趣とは清浄の句義であるとして、この般若理趣・清浄の法門を深く信受すれば成仏するまで一切の煩悩に染まることはないとその功徳を明かしている。
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八部の般若
般若経には八部があるとする説。①大般若経・玄奘訳②小品般若経・鳩摩羅什訳③金剛般若経・鳩摩羅什訳④文殊問般若経・曼陀羅仙訳⑤勝天王般若経・月婆首那訳⑥光讃般若経・竺法護訳⑦放光般若経・無羅叉訳⑧大品般若経・鳩摩羅什訳。尚般若経にはこれ以外にも多数ある。
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大品般若
般若経は大品・光讃・金剛・天王問・摩訶の五般若があり、仁王般若経を結経とする。釈尊が方等部の後、法華経以前の14年(30年説もある)に説いた経文で、説法の地は鷲峯山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」40巻、玄奘三蔵の「大般若経」600巻などがあり、前者を旧訳・後者を新訳という。玄奘の「大般若経」には仁王を除く五般若の大部分を含んでいる。
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大般若経
般若経のこと。大品・光讃・金剛・天王門・摩訶の五般若からなり、仁王般若を結経とする。釈尊が方等部の説法を終わり、法華経を説くまでの間に説いた経文で、説処は鷲峰山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」四十巻と玄奘三蔵の「大般若経」六百巻がある。前者を旧訳・後者を新訳という。般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称で般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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通別円
天台大師が立てた化法の四教のうち蔵教を除いた通・別・円を般若部の教に含まれていること。
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帯
ある事柄を帯びること。常に離れないことを義とする。
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十四年の説或は三十年の説
般若部の経典は釈尊が方等部の後に説かれたが、説法の期間には14年・30年等の諸説がある。これは方等部の説時にも関連してくるが、大聖人は、方等・般若部の両部を合わせて30年間としている。
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熟蘇味
涅槃経で説かれる五味のうちの熟蘇味。牛乳を精製する過程を五段階に分けたなかの第四。
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仁王経
釈尊一代五時のうち盤若部の結経である。恌秦の鳩摩羅什(0334~0413)訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、唐の不空三蔵(0705~0774)訳の「仁王護国般若波羅蜜経」がある。羅什訳のほうが広く用いられている。この仁王経は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政道を行ずれば、三災七難が起こらず「万民豊楽、国土安穏」となると説かれている。このゆえに、法華経、金光明経とともに、護国の三部経として広く尊崇された。般若波羅蜜とは、菩薩行の六波羅蜜の一つであるが、般若とは智慧で、その実体は法華経文底秘沈の大法を信じ、以信代慧によって知恵を得ることである。末法においては、この三大秘法を受持して広宣流布することが般若波羅蜜を行ずることになる。法蓮抄には「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・ 小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・ 大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く『聖人去らん時は七難必ず起る』等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」とある。
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提婆菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後750年ごろの南インドの婆羅門の出である。迦那提婆ともいい、提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼であったからこのようにいわれた。一眼を天神に供養したといわれ、また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家して仏法を学び、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうと、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知、凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じ、提婆がひとりで帰るところを襲って害を加えた。しかし、提婆はこれをゆるし、弟子が仇討ちをしようとするのを制して命絶えたという。
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中論
竜樹菩薩の著「中間論」のこと。姚秦の羅什三蔵が訳した4巻27品とし「十二門論」「百論」とともに三論宗の所依である。八不にせよ中道実相の理を説いている。嘉祥は疏10巻をはじめ、元康・琳法師・曇影等の疏がある。
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十二門論
竜樹が著したとされる仏教論書の一つである。『中論』『百論』と共に、三論宗の所依の一つ。空観思想が十二章にわけて論じられる。
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四論宗
中国仏教の三論宗の中の一派。竜樹著『中論』『十二門論』『大智度論』と、竜樹の弟子提婆著『百論』の四論を依り所とする派。鳩摩羅什門下の僧肇・道融らが弘めたが、のち三論宗に合同した。
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二蔵
二種類の法蔵のこと。声聞蔵と菩薩蔵をいう。蔵は教法・経典という財宝を保有する蔵を意味する。①声聞蔵は声聞・縁覚の二乗のために説かれた四渧・十二因縁等。②菩薩蔵は菩薩のために説かれた六波羅蜜経。
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声聞蔵
声聞を相手にして説かれた教え。小乗教のこと。
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菩薩蔵
大乗の菩薩のための教えのこと。六波羅蜜などの菩薩の修行およびその結果を説いた諸大乗教をいう。蔵とは包含の意で、釈尊一代五十年の所説の法を、財宝を所有する蔵にたとえたもの。
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三転法輪
三種類の法輪のこと。①第一法輪 四聖諦・十二支縁起の思想。②第二法輪 般若思想と空の哲学。滅諦に相当する。③第三転法輪では有無を正しく区別した法輪。
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根本法輪
三転法輪の第一。仏法の根本の教えのこと。仏が成道の初めに、一因一果の法門を説いた華厳経を根本法輪とする。華厳宗の法蔵などは、この立場に立つ。
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枝末法輪
三転法輪の第二。一因一果の法門を聞くに耐えない薄福鈍根のために一仏乗において分別して三乗を説いた阿含・方等・般若の諸経・三乗教のこと。三論宗の吉藏は、華厳・三乗・法華の優劣について「初後の一乗更に異なり有ること無し」と、華厳と法華の同等を説いた。
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摂末帰本法輪
三転法輪の第三。三乗の教えを開会して一仏乗に帰せしめる法華経をいう。摂は開会、末は三乗教、本は一仏乗の教をあらわしている。
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清弁
(0490年頃~570年頃)インド仏教の中観派の学者である。唯識派の陳那の影響を受け、龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した。しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された。
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智光
(0709?~0780?)は、奈良時代の三論宗の僧。俗性は鋤田連。河内国安宿郡の出身。頼光とともに元興寺の智蔵に師事して三論を学び、聖教を周覧して「般若心経述義」「浄名玄論略述」など多くの書物を著した。「日本霊異記」によると、行基が大僧正に任じられたのを妬んで行基を誹謗したため、病を得て没して地獄に落ちたが、懺悔して蘇り行基に帰依したという。また、学友の頼光が没した後、頼光が智光の夢に現れ阿弥陀浄土に往生を遂げているのを見て、画工に描かせたのが、現在奈良元興寺極楽坊の残る「智光曼荼羅」と呼ばれる浄土変相図である。以後智光は浄土信仰に徹している。
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道朗
道朗は中国北涼の人で生没年は不明。三論宗を講じた。曇無讖が河西王沮渠蒙遜のため翻訳した経蔵にあい涅槃経を筆致し、さらに曇無讖に願って諸経を出さしめた。
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法朗
(0507~0581)中国,梁~陳の僧。三論宗の第三祖といわれる。僧詮のもとで,『百論』『中論』『十二門論』『智度論』などを学び,僧詮門下の四哲の一人に数えられた。永定2年 (0558) 陳の武帝の命で興皇寺に住し,吉蔵はじめ多くの門弟を育成し,彼らが各地に進出したので三論宗は一宗派として興隆した。
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吉蔵
(0549~0623)。中国隋代から唐代にかけての人で三論宗再興の祖。祖父または父が安息人であったことから胡吉蔵と呼ばれ、嘉祥寺に住したので嘉祥大師と称された。姓は安氏。金陵の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論宗を学ぶ。後、嘉祥寺に住して三論宗を立て般若最第一の義を立てた。著書に「三論玄義」「中観論疏」「法華玄論」をはじめ数多くある。
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嘉祥大師
(0549~0623)。吉蔵大師の別名。中国隋・唐代の人で三論宗の祖。祖父または父が安息人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論(「中論」「百論」「十二門論」)を学んだ。隋代の初め、開皇年中に吉蔵が嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。「法華玄論」10巻をつくり、法華経を讃歎したが、後年、妙楽から「法華経を讃歎しているようにみえても、毀りがそのなかにあらわれている。どうして弘讃といえようか」と破折されている。後に天台大師に心身ともに帰伏し7年間仕えた。
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嘉祥寺
中国・浙江省にあった寺。太和年間(4世紀ごろ)に建立された。その後、三論宗の嘉祥・吉蔵が住み、三論を研究している。
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僧
出家して仏門に入り、具足戒を受けた男子。本来は仏道修行の集団を意味したが、中国や日本では、修行者個人をさすようになった。
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観勒僧正
百済の僧。生没年不詳。推古10年(0602)来朝し,暦本、天文地理書などをもたらした。同32年(0624)、日本で初めて僧正の位に任ぜられ、元興寺について仏法を弘めた。三論・成実の学問に通じていた。
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百済国
古代、朝鮮半島の南西部にあった王国。正しくは「ひゃくさい」というが、日本では「くだら」と呼びならわされている。三国志東夷伝にある馬韓54国中の伯済国がその前身とされる。史料に初めて登場するのは0345年、近肖古王即位前年からで、以後、勢力を拡大して高句麗・新羅と朝鮮半島を三分した。古くから中国文化の影響を受けて仏教が栄えた。日本との交流も深く、大陸文化の日本への伝来に大きな役割を果たした。0660年、義慈王の時代、唐と新羅の連合軍の攻撃を受けて滅んだ。
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恵潅
飛鳥時代に高句麗から渡来した僧。日本の三論宗の祖。吉蔵に師事して三論教学を学んだ。推古33年(0625)高句麗王の授けにより来日し、三論宗を伝え、勅命により元興寺に住した。同じ年の夏は旱魃となり、その際、三論を講じて僧正に任じられたというが、一説によれば孝徳天皇のときに僧正に任じられたともいう。その後、河内国に井上寺を建立し、三論宗を広めた。その後、福亮や智蔵に受け継がれ、智蔵は入唐し、三論教学を学び、法隆寺に住した。その後、道慈に受け継がれ、道慈は入唐し、三論教学を学び、大安寺に住した。
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高麗国
朝鮮三韓のひとつ。(0918~1392)開城の豪族・王建が弓裔を倒して朝鮮北部に建国、国を高麗とした。0935に新羅を併合し、翌年に後百済を滅ぼし、朝鮮を統一した。その後、蒙古の属国となり文永の役には蒙古軍の先導をつとめた。1392年に滅びた。
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善議
(0729~0812)。延暦21年(0802)正月19日に高尾山で伝教大師と対論した奈良六宗・七大寺の僧の一人。(0729~0812) 天平元年生まれ。大安寺の道慈に三論をまなび,唐にわたる。帰国後は大安寺の僧として三論宗をひろめ,法将とよばれた。弘仁3年(0812)8月23日死去。84歳。河内出身。俗姓は慧賀。
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勤操
(0754~0827)延暦21年(0802)正月19日に高尾山で伝教大師と対論した奈良六宗・七大寺の僧の一人。(0758~0827)奈良・平安朝時代の三論宗大安寺流の僧。天平宝字2年(0758)大和高市郡(奈良県高市郡)に生まれ、12歳で出家、宝亀元年(0761)14歳にして勅度1000僧の1人に選ばれ、16歳で高野山に登り、下山してのち東大寺の善議に従って三論を究めた。弘仁年中、大極殿で最勝王経を講じ、紫宸殿の論議には座首にあげられるなど英才の名が高かった。なお勤操の弟子に空海がいた。
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釈尊一代五時のうち第四時の般若部経典について、この般若経典を依経とする三論宗について記されている。
般若部の代表的な経典として「理趣般若経」「大品般若」「大般若経」が挙げられ、それぞれの巻数、漢訳者の名が記されている。
「通別円」とあるのは、化法の四教からいえば、般若部の教えは円教・通教・別教を含んでおり、これら三つを帯びて説いているので「帯」と記されている。
先の大乗経よりもはるかに深い教えではあるが、法華経の実大乗に比べれば、方便として権に説かれたものなので「権大乗」である。
説法の期間については「十四年」とする説と「三十年」とする説の二説が挙げられている。五味でいえば牛乳を、先の生蘇味からさらに精製した「熟蘇味」に当たる。結経は「仁王経」である。
次いで、般若部の諸教をよりどころとする「三論宗」の祖師とされる人々の名が列挙されている。「三論宗」は般若部の中心的な教えである大乗空を理論的に展開した「百論」「中論」「十二門論」の三つの論をよりどころとするところから、このように名乗ったもので、さらに竜樹著とされる「大論」を加える四論宗もかつては存在した。
この二宗は共通して、破邪顕正を立てるが、三論宗をよりどころとする三論が、外道と二乗の在り方を邪として破ることがそのまま顕正であるとするのに対し、四論宗は三論だけでは破邪にとどまり、顕正のためには大智度論が必要であるとするところに相違がある。
次に「二蔵」と「三転法輪」の図示は三論宗の教判で、いずれも吉蔵が立てたものである。「二蔵」は吉蔵が三論玄義、大乗義章等で明かしたもので、釈尊一代の教えを声聞蔵と菩薩蔵の二つに立て分け、般若部経典の優位を主張する。
「三転法輪」は法華遊意・法華義疏等で明かしたもので、仏が法華経を説いた理由を十種あげるなか、その第六に、この三転法輪を説いている。
それによると、仏は華厳経で「根本法輪」を明かし、阿含経から法華経以前の諸大乗経で声聞・縁覚・菩薩のための三乗に「枝末法輪」を明かしたあと法華経で説いて、「末」たる方便の三乗教を摂して「本」である一仏乗に帰一させたとしている。吉蔵は三論宗でありながら、法華経が最上の教えと見る立場をこの教判で示したのである。そのあと、三論宗の祖師たちの名が「天竺」「漢土」「日本」の三国にわたって列記されている。
0669:01~0670:18 第五章 第五・法華涅槃時を明かすtop
| 0669 01 ┌妙法蓮華経 羅什三蔵の訳 ・ 02 ├正法華経 法護三蔵の訳 03 ┌┼添品法華経 闍那笈多の訳 04 │└薩吽分陀梨法華 新訳 05 │┌八箇年の説 06 │├実大乗 07 法華経┼┼醍醐味 08 │├純円の説 09 │└結経は普賢経 曇無蜜多の訳 宋代 10 │┌法華宗┐ 11 │├仏立宗┼四教五時を立てて一代教を摂す 12 └┼天台宗┤ │ 13 └依憑宗┘ │ 14 ├──────────────┬華厳寅時 15 ┌────────―-┘ ├阿含 卯時 16 └┬ 一に三蔵経 諸部小乗の実有の所説を摂す ├方等 辰時 17 │ ├般若 巳時 18 │ └法華 午時 01 ├ 二に通教 諸部の如幻即空の旨を摂す 0670 02 ├ 三に別教 諸部の大乗並びに歴劫行の所説を摂す 03 └ 四に円教 諸部の大乗経の速疾頓成の所説を摂す 04 ┌ 大覚世尊 05 ┌天竺┴ 竜樹菩薩 06 祖師┤ ┌ 天台大師 07 ├唐土┼ 章安大師 08 │ └ 妙楽大師 09 └日本─ 伝教大師 10 ┌ 一日一夜の説 11 涅槃経┼ 醍醐味 12 └ 結経は像法決疑経 ┌ 一北地師 13 涅槃宗の祖師 ├ 二菩提流支師 14 ┌ 一虎丘の岌法師 ├ 三光統法師 15 南三┼ 二愛法師 北七┼ 四護身の法師 16 └ 三法雲法師 光宅寺の僧なり ├ 五耆闍の法師 17 ├ 六北地の禅師 18 └ 七北地の禅師 -----― ┌妙法蓮華経 羅什三蔵の訳である。 ├正法華経 法護三蔵の訳である。 ┌┼添品法華経 闍那笈多の訳である。 │└薩吽分陀梨法華 添品法華経新訳の新訳である。 │┌八箇年の説である。 │├実大乗である。 法華経┼┼醍醐味である。 │├純円の説である。 │└結経は観普賢菩薩行法経である。曇無蜜多の訳である。宋代の人である。 │┌法華宗┐ │├仏立宗┼四教と五時の教判を立てて、その中に一代聖教をおさめる。 └┼天台宗┤ │ └依憑宗┘ │ ├───────────-───┬華厳 寅時 ┌────────-───┘ ├阿含 卯時 └┬ 一に三蔵経、さまざまな小乗経の実有の教説をおさめる ├方等 辰時 │ ├般若 巳時 │ └法華 午時 ├ 二に通教、さまざまな経典の幻の如く空である教旨をおさめる。 ├ 三に別教、さまざまな経典の大乗の教え、並びに歴劫修行の教説をおさめる。 └ 四に円教、さまざまな大乗経の速疾頓成の教説をおさめる。 ┌ 大覚世尊 ┌天竺┴ 竜樹菩薩 祖師┤ ┌ 天台大師 ├唐土┼ 章安大師 │ └ 妙楽大師 └日本─ 伝教大師 ┌ 一日一夜の説 涅槃経┼ 醍醐味 └ 結経は像法決疑経 涅槃宗の祖師 ┌ 一虎丘の岌法師 南三┼ 二愛法師 └ 三法雲法師 光宅寺の僧なり └ 結経は像法決疑経 ┌ 一北地師 ├ 二菩提流支師 ├ 三光統法師 北七┼ 四護身の法師 ├ 五耆闍の法師 ├ 六北地の禅師 └ 七北地の禅師 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。 後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284-08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266-11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546-11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910-17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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妙法蓮華経
①教典の名前。②法華経に説かれる法理。③所詮の法体。南無妙法蓮華経のこと。三大秘法のこと。
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正法華経
法華経の漢訳で現存する法華経の最古のもの。中国西晋の大康7年(0286)竺法蘭の訳、10巻。後の鳩摩羅什訳の妙法蓮華経にはない譬喩等を多く含んでいるが、27品からなり、提婆達多品を羅什訳の見宝塔品に相当する七宝塔品の後半に収めている。方便品第二を善権品第二、如来寿量品第十六を如来現寿品第十五としている。
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法護三蔵
竺法護のこと。中国・三国時代の僧。8歳で出家得道したが、諸大乗経があまり中国へ伝わらないのを嘆き、みずから西域に遊行し、広く言語を学び翻経に一生を捧げた。現存する法華経の三つのうち「正法華経」の訳者である。
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添品法華経
七巻(または八巻)。中国・隋代の闍那崛多と達磨笈多の共訳。添品妙法蓮華経の略称。現存の漢訳三経の一つ。
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闍那笈多
闍那崛多と達摩笈多の2人のこと。添品法華経の共訳者。①闍那崛多(0521~0605)北インド犍陀羅国の人。幼くして出家し文帝の勅命を奉じて多くの翻経に従事している。②達摩笈多(?~0619)南インド羅囉国の人。開皇10年(0590)京城に入り、経典の翻訳に従事している。
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薩云分陀利法華
薩曇分陀利経のこと。中国・西晋代の訳とされるが、訳者不明である。この経は妙法蓮華経の提婆達多品第十二に相当する分が別になったものである。釈尊の前生譚、提婆達多の授記、竜女の成仏が明かされている。
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新訳
像法の前500年は、中国に仏法が流布し、さかんに翻訳が行われている。竺法蘭・鳩摩羅什などである。これらの経典を旧訳といい、像法の後の500年を新訳という。玄奘三蔵・善無畏三蔵に代表される。一般に新訳は訳者の自我が多い経典とされ、真言宗の善無畏が立てた理同事勝などは代表的な例である。
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実大乗
権大乗経に対する語。仏の真実の悟りをそのまま説き顕した経典。法華経のこと。
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醍醐味
①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
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純円の説
法華経の経説・法門のこと。
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普賢経
曇摩蜜多訳。0441年までに完成。法華経の結経とされる。普賢菩薩を観ずる方法と、六根の罪を懺悔する方法などを述べたもの。観普賢菩薩行法経。普賢観経。
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曇無蜜多
(0356~0442)北インド罽賓国の人。劉栄時代の人で多くの経文を訳している。
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宋代
(960年~1279)をいう。中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる[1]。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。
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法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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仏立宗
仏の立てた宗。法華宗のこと。
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天台宗
天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
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依憑宗
伝教大師が弘仁4年(0813)に著した書。本文は13章からなる。内容は天台の義を規範とし、依憑としながら、真言・華厳・三論・法相宗などが仏法の正義からはずれていることを破している。
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四教
天台大師智顗による教判。「化法の四教」と「化儀の四教」がある。❶化儀の四教。。①頓教(覚りの真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③秘密教(仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある)④不定教(衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある)の四つ。❷①三蔵教。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界内の生死・因果のみを明かし、諸法を構成要素に分析して空とする析空観を観法とし、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として声聞・縁覚を対象とし、傍に菩薩を対象とするが、その究極は声聞の覚りにすぎないので、声聞教という。小乗教と位置づけられる。②通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。③別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。④円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。
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五時
釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、説法の順序から五種に分類したもの。
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華厳寅時
寅時は午前4時ごろ。華厳経が説かれた時を一日にあてはまれば、まだ太陽が顔を出していない午前4時頃になるということ。
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阿含卯時
卯時は午前6時ごろ。阿含経が説かれた時を一日にあてはまれば、太陽が上り始めたばかりの午前6時頃で、全体を照らしことができないゆえに小乗教であるということ。
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方等辰時
辰時は午前8時頃。方等教が説かれた期間を一日にたとえられたもの。
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般若巳時
巳時は午前10時。般若教が説かれた期間を一日にたとえられたもの。
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法華午時
午時は正午。法華経が説かれた期間を一日にたとえられたもの。正午はあまねく一切の者を照らすことを法華経にたとえる。
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三蔵教
①経・律・論の三蔵に説かれた釈迦一代の教えの総称。 ②天台宗で小乗教の異名。
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諸部
天台の五時教判に属するそれぞれの部。
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小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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実有
存在を構成する諸法は存在するということ。
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通教
声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通して説かれた大乗初門の教えのこと。天台大師が四教義で立てた化法の四教のひとつ。通教の菩薩には前の三蔵教と同じ果を得る者と、さらに深く進んで後の別教・円教の理を悟るものとがある。
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如幻即空
一切諸法は幻の如く空であり、本体がないこと。
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別教
二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
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大乗
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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歴劫行
爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
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円教
円融円満で完全無欠な教のこと。中国では諸教の教相判釈に対して、最高の教を円教と定めた。法華経のこと。
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速疾頓成
爾前の諸経にも即身成仏に通ずる説法があることをさす。いわゆる爾前の円教といわれるものである。一代聖教大意には「爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門・文に云く『初発心の時便ち正覚を成ずと』又云く「円満修多羅」文、浄名経に云く『無我無造にして受者無けれども善悪の業敗亡せず』文、般若経に云く『初発心より即ち道場に坐す』 文、観経に云く「韋提希時に応じて即ち無生法忍を得」文、 梵網経に云く『衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり』文、此は皆爾前の円の証文なり、此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、其の故は五十二位が互に具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にも成り又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても 仏に成る少少開会の法門を説く処もあり」(0399-02)とあるが、いまだ二乗作仏、悪人成仏、女人成仏が明かされず、十界のさべつも生ずるがゆえに、しんじつの二乗作仏とあいえないのである
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大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
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天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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章安大師
(0561~0632)。中国天台宗第四祖(①北斉の慧文、②南岳慧思、③天台智顗、④章安灌頂)。天台大師の弟子で、師の論釈をことごとく聴取し、結集したといわれる。諱は灌頂。中国の浙江省臨海県章安の人で、七歳で摂静寺に入り、25歳で天台大師に謁して後、常随給仕して所説の法門をことごとく領解した。その聴受ののち編纂した天台三大部(「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」)をはじめ、大小部合わせて百余巻がある。師が亡くなってから「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」20巻を著わす。その名声は高く、三論の嘉祥は章安の「義記」を借覧して天台に帰伏したという。唐の貞観6年8月7日、天台山国清寺で72歳で寂し、弟子智威(に法灯を伝えた。
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妙楽大師
(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の協議を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(江蘇省)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興乗楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」10巻、「法華文句記」10巻、「止観輔行伝弘決」10巻、また「五百問論」3巻等多数ある。
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伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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像法決疑経
仏入滅後に起る僧俗の非法をあげてこれを誡め、大慈布施を勧めたもの。諸経録では疑経とされる。
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涅槃宗
涅槃経を依経とする宗派。
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南三
中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。このうち南三はは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師をいう。
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虎丘の岌法師
伝不詳。中国・南北朝時代の僧で、南三北七10師のうち、江南三家のひとり。虎丘山に住したので、この名前がある。
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愛法師
宗愛法師のこと。
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法雲法師
(0467~0529)。中国・南北朝時代の僧。光宅寺法雲と呼ばれる。開善寺の智蔵・荘厳寺の僧旻とともに梁の三大法師と称され、成実、涅槃の学匠として名高い。江蘇省宜興市の人で姓は周氏。7歳で出家し、30歳で法華経・浄名経を講じた。天監7年(0508)勅により光宅寺の主となり、普通6年(0525)大僧正に登る。南三北七の南三の第三にあたる定林寺の僧柔・慧次および道場寺の慧観の立てた五時教即ち、有相教(阿含経)、無相教(般若経)、抑揚教(浄名経等)、同帰教(法華経)、常住教(涅槃経)の釈を用い、涅槃経は法華経に勝るとしている。
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光宅寺
中国,江蘇省江寧の寺院。梁の武帝が天監3年 (0504) に自分の旧宮城を寺院に改築して,梁の三大法師の一人といわれた法雲を住職とし,さらに武帝は本寺に金銅大仏を安置した。法雲はここで『法華経』を講義したので,光宅寺の名前が天下に広まった。
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北七
中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。このうち北七は北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。
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北地師
北方地論師の略。中国・南北朝時代に教相判釈を立てた南三北七の10師の一人。人天・有相・夢相・同帰・常住の五時教判を立てた。
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菩提流支師
生没年不明。中国・南北朝時代の訳経僧。地論宗の祖。菩提留支とも書き、道希と訳す。北インドの人。北魏の永平元年(0508)洛陽の永寧寺に住し、勅命によって勒那摩提等とともに十地経論12巻を翻訳した。他に金剛経1巻、入楞伽経10巻、仏名経12巻など、合わせて39部127巻を訳出、また曇鸞に観無量寿経を伝授し、天親の浄土論を伝訳している。
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光統法師
(0468~0537)慧光のこと。中国・南北朝時代の僧.四分律宗の祖。13歳で出家、律部を研鑽し、四分律の興隆に努力した。
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護身の法師
中国・南北朝時代の北斉の僧。南三北七の10師のひとり。護身寺の自軌法師。釈尊一代の教法を教相判釈し、因縁宗・仮名宗・誑相宗・常宗・法界宗の五宗を立てた。
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耆闍の法師
(0507~0583)安廩のこと。中国・南北朝時代の僧。南三北七の10師のひとり。鐘山耆闍寺に住したので、この名前がある。25歳で出家、諸経典、禅法を学び、後に四分律、華厳経等を講義した。
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北地の禅師
中国・南北朝時代の南三北七の10師のひとり。北地の禅師には二意がある。①有相・無相の二大乗教を説く者。②ただ一仏乗のみありとする一音教を説く者。
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釈尊一代五時の最後、第五時の「法華経」と「涅槃経」について、またこの二経を依経とする宗派と祖師たちを図示されている。
まず法華経については「妙法蓮華経」「正法華経」「添品法華経」「薩吽分陀梨法華」の四種類の漢訳があることが示されている。ただし、最後の訳本は現存していない。なお、新訳との注記は「薩吽分陀梨法華」ではなく、漢訳年代が最も新しい「添品法華経」を指されたと考えられる。
次いで「法華経」「八箇年の説」で仏の真実の悟りを方便を交えずそのまま説き顕した「実大乗」であること、従って、五味の中では、最高の「醍醐味」であり、純粋に完全な円融円満の教えである「純円」の教えであること、結経は普賢経であることが示されている。この法華経のよりどころとする宗派、つまり「法華宗」は仏自身の本意になっているので「仏立宗」というべきで、他のあらゆる宗が帰依すべき宗であるので「慧馮集」と呼ばれ、それが「天台宗」であることを示されている。
この天台宗が釈尊の一代経を明確にするために立てられる教判が「四教五時」である。この場合の「四教」は化法の四経で、その法理がいかなるものかを簡潔に一つ一つ示されている。
まず蔵教については「諸部小乗の実有の所説を摂す」とされ、阿含時・方等時の経典において、法を実有とする説がこの蔵教に入ると述べられている。
次に通教については「諸部の如幻即空の旨を摂す」とされ、方等・般若のいずれの経典であれ、法を「幻の如く、空なり」とする説がこの通教に入ると述べられている。
さらに三に別教については「 諸部の大乗並びに歴劫行の所説を摂す」とされ、華厳・方等・般若のいずれの経典であれ、大乗菩薩道と歴劫修行を説いている教えはこの別教に入ると述べられている。
最後に円教については「諸部の大乗経の速疾頓成の所説を摂す」とされ、華厳・方等・般若のいずれの経典であれ、速疾頓成すなわち歴劫修行ではなく速やかに成道するという教えがこの円教に入ると述べられている。経典による立て分けでなく、説かれた教えの内容による立て分けが「化法の四教」である。
これに対して、時間的な前後関係で分けたのが「五時」であり、従って「五時」は、一日のなかの時の推移になぞられている。華厳寺を「寅時」にされているのは、釈尊の最初の説法であるから、夜明けの時刻に相当するということである。「寅時」とは、今でいえば午前四時ごとを中心として前後二時間ということになる。昔は日の出をもって一日の時刻を計ったから、まさに夜明けを指しておられると考えられる。それに対し、太陽が中天に昇った時が「午時」で法華経を「午時」に配しているのは、仏の威光が最も強く、あらゆる衆生に注がれていることを意味したと拝される。
「法華宗」の祖師としては「大覚世尊」を筆頭に挙げられ、先の「仏立宗」の呼称と合わせて、法華経を根本依経とする仏意にかなった立義であることを示されている。
涅槃経については、釈尊入滅の様子と最後の一日一夜の説法を収めた経で、一代の教えのすべてにわたっているが、法華経に説かれた教えを重視されているので、五味に配すると醍醐味に当たること、結経は像法決疑経であることが示されている。この経は偽経説が強いが、天台宗では、滅後への戒めを説いた経として涅槃経の結経に位置付けていたのである。涅槃経を依経とする涅槃宗の祖師としては、天台大師によって破折された中国の南三北七の諸師が挙げられている。ただし本文には特に断られてはいないが、いわゆる涅槃宗といえるのは「南三」の人々で「北七」の諸師は華厳第一とする傾向が強かったようである。
0671:01~0672:10 第六章 法華以外は小乗なることを示すtop
| 0671 01 法華の外は小乗の事 02 寿量品に云く小法を楽う徳薄垢重の者是の人の為に我少きより出家して 阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く云 03 云。 04 文句九に云く始成を説きたもうことは皆小法を楽える者と為すのみ云云。 05 疏記に云く但し近成を楽う者・楽小の者と為すは華厳の頓部・諸味の中の円なり文。 06 天親菩薩の法華論に云く一往三蔵を名けて小乗と為し再往は三教を名けて小乗と為す文。 07 文句の九に云く小を楽う者は小乗の人に非ざるなり、乃ち是近説を楽う者を小と為すのみ文。 08 疏記の九に云く楽小法とは久近を以て相望して小と為す文。 09 秀句の下に云く仏滅度の後の六・七百年の経宗論宗九百年の中の法相の一宗は 歴劫修行を説いて衆生を引摂す 10 是の故に未顕真実なり云云。 -----― 法華経以外は小乗の教えであるとういこと。 如来寿量品第十六には「小乗の法を願う、徳が薄く心が濁り深重な人の為にために、釈尊は年少にして出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たと説く」とある。 法華文句巻九には、前記の寿量品の文を訳して「釈尊が始成正覚を説かれたのは、みな、小法の法を求める人のためだけである」とある。 また法華文句記には「ただ始成正覚の説法を願う者を小乗の法を求める者としているのは、華厳経の頓教と、諸味すなわち五味のうち前四味なかの円の人々のことである」。とある。 天親菩薩の法華論には「一往の義では、三蔵すなわち化法の四教のうち蔵教の小乗となすが、再往の義では・蔵教・通教・別教の三教を小乗となすのである」とある。 法華文句巻九には「小乗の教えを求める人が小乗教の人ではなく、始成正覚に執着するものを『小』となすのである」とある。 法華文句記巻九には「正法を求める『楽小法』とは久遠実成と始成正覚とをもって比較相対し、始成正覚に執着する人という」とある。 法華秀句巻下には「釈尊の入滅後、六・七百年の間に興った経宗と論宗や、釈尊入滅後、九百年の間に興った法相の一宗は、歴劫修行を説いて衆生を包摂し引導する。この故に未だ真実を顕していない教えである」とある。 -----― 11 伝教大師の依憑集に云く新来の真言家は則ち筆受の相承を泯し旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠しジン空の三 12 論宗は弾呵の屈耻を忘れて称心の心酔を覆し、著有の法相宗は僕陽の帰依を非して青竜の判経を撥す云云。 -----― 伝教大師の依憑集には「弘法によって新たに将来された真言家は、善無畏の口説を受けて一行禅師が筆記して理同事勝という相承を勝手に作り、天台大師の教義を盗み入れたことを隠し、以前から伝えられてきた華厳家は、天台大師の法門の影響を受け、それを規模としていることを隠している。空理に沈む三論宗は、吉蔵が天台宗の沙弥に呵責・論破されて屈辱を受けたことを忘れて、章安大師から法華経を学んで心酔したにもかかわらず、それを覆して自宗に執着し、妙法を破している。有に執着する法相宗は、僕陽に住んでいた智周が天台大師の教義に帰依して天台大師の義に依って菩薩戒疏を著した事実を否定し、天台大師の説にしたがって青竜寺の良賁の仁王経疏の奉持品第七を正宗分とした教判を排除している」とある。 -----― 13 秀句の下に云く誠に願くは一乗の君子 仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ、仰いで誠文を信じて偽会を信ず 14 ること莫れ、 天台所釈の法華宗は諸宗に勝る寧ろ所伝を空うせんや、 又云く謹みて無量義経を案ずるに云く次に 15 方等十二部経.摩訶般若.華厳海空を説いて菩薩の歴劫修行を宣説す已上経文大唐の伝に云く方等十二部経とは法相宗 16 の所依の経なり、 摩訶般若とは三論宗の所依の経なり、 華厳海空とは華厳宗の所依の経なり倶に歴劫修行を説い 17 て未だ大直道を知らず文。 18 妙楽大師の弘決の九に云く法華以前は猶是れ外道の弟子なり文。 0672 01 伝教大師の守護章の上に云く妙法の外更に一句の経無し文。 -----― 法華秀句巻下には「誠に願わくは、一仏乗の法華経を信じ行ずる者は、釈尊が説いた法華経をよりどころとすべきで、口伝を信じてはならない。真実を記した誠文を信じるべきで偽りの解釈を信じてはならない。天台所釈が法華宗を釈して立てた法華宗は諸宗に勝れている。どうして天台大師から伝授された教法を失ってよいだろうか」とある。 また、同書には「謹んで無量義経を考えてみるならば、次のように説かれている『次に、方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説している』と」とあり、さらに「大唐の伝承には、方等十二部経とは法相宗が依処としている経である。摩訶般若とは、三論宗の依処としている経である。華厳海空とは、華厳宗が依処としている経である。共に、歴劫修行を説いており、いまだ成仏の大直道を知らない」とある。 妙楽大師の止観輔行伝弘決の巻九には「法華経以前の爾前権教を信じている人は外道の弟子である」とある。 伝教大師の守護国界章の巻上には「妙法のほかには、一句の経もない」とある。 -----― 02 智証大師授決集の上に云く経に大小無く理に偏円無からん一切人に依らば仏説無用ならん、 若し然らずんば文 03 に拠て伝う可し 己が父は国王に勝ると執すること莫れ、 又他に劣ると謂うこと莫れ、然も家家の尊勝・国国の高 04 貴大小各分斉有り、 土を以て金と為せば家家に之有り金を以て金と為せば有無処を異にす、久成の本・開権の妙・ 05 法華独り妙に独り勝る、 強いて抑えて之を喪し仏説を哽塞す如来を咎む合し伝者を非すること莫れ、 又云く国国 06 とは五味、家家とは四教八教なり文。 -----― 智証大師の授決集の巻上には「経典に大乗教と小乗経が無く、諸経の理法に偏ったものと完全なものとが無いことがあろうか。いやある。もし、すべてを人師・論師に依るのであれば、経典等の文書によって仏の仏法を伝えるべきである。たとえていうならば、自分の父親が王である釈尊より勝れると執着してはならない。すなわち、みずからに依って立つ爾前権教の教説の教主よりも劣っていると思ってはならない。しかも他の家々を比べて立てる尊勝や国々を比べて高貴や大小などにはそれぞれに分斉がある。土をもって金とするならば、家々に金があることになる。しかも金をもって金とするならば、金が有るか無いかは、ところによって異なることになる。したがって、久遠実成の本地を明かし、開権顕実の妙である法華経だけが、独り妙であり勝れている土ではなく金なのである。ところが、天台法華宗以外の諸宗・諸経は、強いて抑えてこのことを無くさせ、仏が説いた教法をふさいで詰まらせてしまっている。またそれによって仏をとがめる結果になっているし、仏の教説を伝えた者の非を非難してはならない」とある。また「国々の高貴とは釈尊の一代聖教が五味に立て分けられることを譬えているのであり、家々の尊勝とは四教あるいは八教に立て分けられていることを譬えているのである」とある。 -----― 07 天台の玄義の十に云く若し余経を弘むるには教相を明さざれども 義に於て傷むこと無し、法華を弘むるには教 08 相を明さざれば 文義闕くること有り、 但聖意幽隠にして教法弥弥難し前代の諸師或は名匠に祖承し或は思い袖衿 09 より出ず 阡陌縦横なりと雖も 孰れか是なることを知ること莫し、 然るに義雙び立たず 理両つながら存する無 10 し、若し深く所以有りて復修多羅と合する者は録して之を用ゆ文無く義無きは信受す可からずと。 -----― 天台大師の法華玄義巻十には「もし法華経以外の爾前の諸経を弘めるに当たっては、一代聖教の教相教判を明らかにしなくても、各経典の教義を損うことはない。しかし法華経を弘めるに際しては、一代聖教の教相を明らかにした上でなければ、法華経の文と義を明らかにできない。法華経においては仏の聖意は奥深く隠れている。教法を真に理解して会得することはますます難しい。過去の時代のさまざまな師は、あるいは勝れた師から祖師の義を相承し、あるいは、その人の胸中の奥深くから義を出した。このため法華経をめぐってたくさんの論があるが、いずれが仏の真意に叶っているかを知ることはできない。しかしながら、真実の教理が幾つもあることはあり得ないし、真の法理が二つ存在することはあり得ない。もしそこに深い道理があって、経典と合致している人の説は、記録してこれを用いるべきである。裏付けとなる経文もなく教義が正しくないならば、これを信受してはならない」とある。 |
法華
大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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徳薄垢重
徳が薄く、煩悩の垢が重いこと。
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出家
世俗の家を出て仏門に入ること。在家に対する語。妻子・眷属等の縁を断ち切り仏道修行に励む者のこと。比丘・比丘尼のこと。
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阿耨多羅三藐三菩提
梵語anuttara samyak sambodhiの音訳。無上無編知・無上正覚等と訳す。無上きわまりない仏の覚知、仏智が一切の迷いを明らかにして、深く諸法の義を極め、円満自在であること。すなわち、仏の智慧は無上清浄で、正等に偏頗なく一切にゆきわたるという意。分けると阿耨多羅(anuttara)は無上または無答、三藐(samyak)は正等または正徧、三菩提(sambodhi)は正覚、正知と訳す。
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文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
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始成
始成正覚の略。釈尊がインドに応誕し19歳で出家し、30歳ではじめて成道したことをいう。
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疏記
天台の三大部を妙楽が訳した書。各10巻、計30巻からなる。
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近成
始成と同義。久成に対する語。インド応誕の釈尊が30歳ではじめて成道したとする始成正覚のこと。
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楽小
小法を願うこと。
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頓部
化儀の四教のうちの頓教部分。
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諸味
さまざまな味。五味の中の前四味。
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円
まどかのことで完璧な教え。法華経のこと。
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法華論
①2巻。天親訳。中国・後魏代の菩提流支・曇林共著。正しくは妙法蓮華経憂波提舎といい、妙法蓮華経・法華経論ともいう。妙法蓮華経を略解釈したもの。最初に十四句偈を記し、次に序品を釈して七種の功徳成就を明かし、方便品は因果の相について述べ、譬喩品以下は七譬・三平等・十無上をもって釈している。②1巻、天親釈。中国・元魏代の勒那摩提・僧朗共訳。妙法蓮華経憂婆提舎の異称。
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三蔵
①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
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三教
蔵教・通教・別教のこと。
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小乗の人
小乗教を信じ修行する人。
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近説
始成のことで近成の説のこと。
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久近を以て相望して小と為す
久成と近成を比較して、始成正覚の説に執着する人を小乗の人ということ。
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秀句
法華秀句三巻のこと。伝教大師最澄の著。天台法華宗が唯識・三論・華厳・真言などの諸宗よりも勝れていることを、十の観点から論証している。
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経宗
三蔵のなかの経蔵を依処として立てた宗派。
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論宗
三蔵のなかの論蔵を依処として立てた宗派。
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法相
法相宗の事。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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歴劫修行
幾多の劫を経て修行すること。
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衆生
梵語サットヴァ(sattva)の音写。薩埵と訳す。この世に存在するもの、生けるもの。主として人間をさす場合が多いが、感覚をもつ生き物すべてをいう。
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引摂
真実の教えへ誘引すること。摂引ともいう。
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未顕真実
法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
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伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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依憑集
伝教大師が弘仁4年(0813)に著した書。本文は13章からなる。内容は天台の義を規範とし、依憑としながら、真言・華厳・三論・法相宗などが仏法の正義からはずれていることを破している。
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新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す
伝教大師が依憑集の中で、真言の邪義を破折した文。「筆受の相承」とは中国の真言宗の一行が善無畏三蔵より筆受した真言の相承をいい、善無畏が天台宗の意によって釈したものであるのに、弘法は法華経を三重の劣と下した。これは善無畏・一行の真言の相承をも破ったものである。「影響の規模を隠す」とは、華厳宗の義を破ったもの。中国華厳宗の法蔵は、天台大師の義をもととして、華厳義など23巻を造ったが、このことを華厳宗の恵苑が「法蔵の義は天台の義に影響す」と判じた明文があるにもかかわらず、日本の華厳宗はこれを隠して法華経天台宗を下している非を指摘した文である。なお、「新来」とは真言宗が伝教大師と同時代に弘法が伝えたものであり、新しく渡来してきたことをいい、「旧到」とは、華厳宗が真言宗などより古くから渡来していたことを意味する。
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新来の真言家
真言宗の将来は、伝教大師より後に、弘法によって弘められたということ。
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筆受の相承
中国の真言宗の一行が善無畏三蔵より筆受した真言の相承をいい、善無畏が天台宗の意によって釈したものであるのに、弘法は法華経を三重の劣と下した。これは善無畏・一行の真言の相承をも破ったものである。
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泯し
ほろぼす。明らかでないようにする。
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旧到の華厳家
華厳宗が真言宗などより古くから渡来していたことを意味する。
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影響の規模を隠す
華厳宗の義を破ったもの。中国華厳宗の法蔵は、天台大師の義をもととして、華厳義など23巻を造ったが、このことを華厳宗の恵苑が「法蔵の義は天台の義に影響す」と判じた明文があるにもかかわらず、日本の華厳宗はこれを隠して法華経天台宗を下している非を指摘した文である。
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三論宗
竜樹の中論、十二門論と提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。大乗の空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破している。究極の教旨として八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道を唱えた。日本には推古天皇33年(0572)1月1日、高句麗僧・慧灌が伝えた。現在は東大寺に伝わるのみである。
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弾訶の屈恥
三論の祖である嘉祥が、講義中に、天台の学徒で17歳の法盛に論難され、まったく閉口したことを示す。
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称心の心酔を覆う
称心は、章安大師の住所。嘉祥が章安大師の講義を聞いて、体も心も酔うようになったという。
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著有の法相宗
有に執着している法相宗という意味。
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僕陽の帰依
撲揚は、中国法相宗第三祖の智周の住所。智周は初め天台に帰依し、「菩薩戒経」の疏をつくったが、日本の法相宗は天台の義によっていない。
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帰依
帰依依憑して救護を請うこと。尊者・勝者に身をゆだね、よりどころとすることをいう。信服随従の義をもち、仏法僧の三宝に帰依することを三帰といい、仏法信仰の根本とする。
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青竜の判経を撥す
中国青竜寺の良賁が、仁王経の註釈をするとき、従来の法相宗の師の分文に従わず天台大師の仁王経疏によって分文したことを忘れている。
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一乗
一仏乗のこと。仏乗は仏の境地に運ぶ乗り物の意味。一切衆生うをことごとく成仏させる教法を一乗という。法華経・三大秘法のこと。
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君子
徳や学識のある人格者。
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仏説
仏が説いた教法。
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依憑
よりどころとするもの。
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口伝
①口移しに伝えること。言葉で伝えること。②奥義などの秘密を口移しに伝授すること。③奥義を伝えた書物。
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誠文
まことの文。真実を記した文。
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偽会
偽りの解釈。
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無量義経
一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
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方等十二部経
一切の大乗教のこと。方等とは方広平等な大乗経典の意。仏教の経文の形式上の類別を12部にわかつゆえに、十二部経という。
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摩訶般若
摩訶般若波羅蜜経のこと。「大品般若経」ともいう。27巻からなり、羅什の訳。
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華厳海空
華厳経の法門。華厳の教相を海空のたとえによってあらわした語。海空は海印三昧のことで、一切の事物の像が海中に映るごとく、仏の智海が一切の法をはっきりと映し出して覚知できることをいう。菩薩がこの三昧をえると、一切衆生の心行を己心に映すことができるようになるとされる。華厳経が仏の海印三昧の境地で説かれた経であることをさす言である。ここでは華厳経そのものを指した語。
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大唐
隋に続く中国統一の王朝。隋末の群雄の一人、李淵が建てた王朝。都は長安。次の太宗の時に中国の統一が完成されて唐朝の基礎が築かれた。ただし、天台大師は唐朝成立前に亡くなっている。
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大直道
無上の菩提・最高の悟り・成仏の境地のこと。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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守護章
伝教大師が弘仁9年(0818)52歳の時述作した「守護国界抄」のこと。法相宗の徳一が「中辺義鏡」で、天台の法華経を批判したのに対し、これを破折した書。
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智証大師
(0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。諱は円珍。智証は諡号。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し帰国した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。著書に「授決集」2巻、「大日経指帰」一1巻、「法華論記」10巻などがある。
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授決集
円珍(智証)の著作。2巻。円珍が留学中に良諝から受けた口伝の法門などを集成したもの。円珍の他の著作である『大日経指帰』から一転、法華経が一大円教であると説く(306,307㌻参照)。
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大小
大乗教と小乗教のこと。「乗」とはのせる、の義で小乗教は俱舎宗・成美宗・律宗など。阿含の四経をよりどころとして、小乗の戒律を立てる教えで、少ない範囲の人を、わずかな期間救おうというものである。大乗教とは華厳・方等・般若・法華をいい、小乗教より教えが高慢であり、多くの民衆を長い期間にわたって救おうというものである。大乗と小乗は相対的なものであり、文底下種の南無妙法蓮華経に対すれば諸教はみな小乗となる。
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理
諸経の教理。
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偏円
偏ったものと完全なもの。部分的なものと全体的なもの。①一部の真理を説いた偏頗な教と、円融円満で余すところなく説いた教えのこと。天台大師所立の化法の四教のなか、蔵・通・別の三教を偏、円教を円という。②摩訶止観に説かれる五略十広のなか、十大章の第五・偏円章にあたる。教理に偏円等の別があるように止観にも異なりがあるが、いま説く止観はそれらの別を超えすべてを包含した円満な止観であることを述べている。
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国王
①国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。②諸経の王である法華経のこと。
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分斉
ある与えられた内容・程度・範囲。
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久成の本
久遠実成の本地。
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開権の妙
開権顕実(権を開いて実を顕す)の妙。
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喪し
失い、なくす。
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哽塞
仏説・釈迦の説法が塞がれて通じないこと。
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如来
①「如々として来る」と訳す。仏のこと。②過来・如来・未来のなかの如来。瞬間瞬間の生命。
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伝者
仏法を伝える僧。
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五味
①乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味のこと。涅槃経では、牛乳を精製する段階に従って得られる五味を説く。天台大師はこれを、乳味=華厳時、酪味=阿含時、生酥味=方等時、熟酥味=般若時、醍醐味=法華涅槃時としている。②甘・酸・苦・辛・鹹のこと。
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四教
化法の四教のこと。天台大師が釈尊の一代聖教を教判の内容によって四種に分類したもの。(1)蔵教・小乗の教。(2)通教・大乗、小乗に通ずる教。(3)別教・大乗のみを説いた教。(4)円教すべてを包摂する円満な教・法華経をさす。
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八教
釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、法門の内容と形式から化儀の四教と化法の四教の八種に分類したもの。
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玄義
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
―――
余経
法華経以外の経。
―――
教相
①仏の教説に解釈を施し、分類して系統的・組織的に秩序づけること。天台の五時八教・法相の三時教・真言の顕密二教など。②経文の元意を己心に観ずる観心に対し、教法を分別し、釈すること。日蓮大聖人の文底秘沈の仏法を根幹としていく立場を観心といい、それに対して、釈尊の経文どおりに読んでいくいき方を教相という。③真言密教では灌頂・修法などの具体的な法を事相というのに対して教義面の理論的解釈を教相という。
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義
①常住不変の仏の哲理。②文義意のこと。
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文義
文義意の文と義のこと。①文、経文・文献。②意、元意・趣旨・本体。7
―――
闕くる
欠けていること。
―――
聖意
文義意のなかの意。法華経の元意。
―――
幽隠
奥深く隠れていること。甚深。
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前代
今より以前の時代。
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諸師
さまざまな師匠。
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名匠
すぐれた仏宝指導者。
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祖承
祖師の義を承ること。
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袖衿
衣類の袖と襟のこと。転じて衣服の中から取り出すこと。胸の内から取り出すこと。
―――
阡陌縦横
南北を阡といい、東西を陌という。縦横に道路が通じていること。転じて様々な主張や解釈が入り乱れていること。
―――
修多羅
梵語シュタラ(sūtra)の音写。線・① 経文。経典。契経 。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟 の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
―――
録して
記録して。
―――
信受
信じて受けたもつこと。
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これまでの一代五時の立て分けと、それらの経を依処とする宗を示されたのを受けて、法華経をよりどころとしない宗は、小乗であり外道の弟子であると断じられている。これまでは天台大師の五時教判のうち小乗経・権大乗・実大乗の三つの尺度を用いて一代の経教の価値を判じられたが、ここではさらに掘り下げて、真の大乗とは法華経本門寿量品であり、これ以外は小乗であるとされ、その根拠となる経文や論釈を引用されている。
まず、法華経如来寿量品第十六の「小法を楽う徳薄垢重の者是の人の為に我少きより出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く」との文を示され、これを釈した天台大師の法華文句巻九下の文、さらにこれを訳した妙楽大師の法華文句記巻九下の文等を引用されている。
天親菩薩の法華論から引かれている文は、現在残っている法華経のなかにはなく、この法華経が釈した智証の法華論記のなかにある。次の文句の九は「小を楽う者は小乗の人に非ざるなり」と逆説的表現によって、寿量品の「小法を楽う者」とは、寿量品の久遠を知らず、近成すなわち始成正覚の仏に執着する者のことであると強調した文である。そのあとの疏記の文は、あえて説明するまでもないが、秀句の文の「仏滅度の後の六・七百年の経宗論宗」とは竜樹を始祖と立てる宗を指し、真言宗も含む「九百年」とは、いうまでもなく「仏滅後九百年」で、無著・天親を指している。「歴劫修行を説いて衆生を引摂す」とは、釈尊自身についても過去に歴劫修行した結果、インドに応誕して成道したという始成正覚を前提にした教法を指している。こうした歴劫修行・始成正覚の教えは未顕真実の小法であるとの意である。
次の慧馮集の文は、伝教大師の当時存在していた大乗諸宗を片端から挙げ、法華宗たる天台宗に屈服した劣れる宗であることを指摘している。そのころ中国から伝来したばかりの真言宗は、中国における開祖・善無畏が天台の法門を見て、真言経典にもあるかのようにこじつけて、一行に筆授した。自宗が、天台法華にかなわないことを事実上認めながら、それをカムフラージュしているのである。
華厳宗は伝教大師より以前に南都六宗の一つとして到来したが、これも中国において天台大師の一念三千を盗んだり五時教判に影響されて我流の教判を作ったりしている。「沉空の三論宗」「著有の法相宗」については、天台大師に破折されて破北を喫した事実を覆い隠しているのであって、法華最第一は諸宗の内々には認めていることであるというのが、伝教大師の指摘である。
同じく伝教大師の次の秀句の引文は、仏法についての判断は仏説をよりどころとすべきで、人師を勝手な口伝を信じてはならないというものである。「仰いで誠文を信じて」も、仏の説いた言葉を書き記した経典を信ずべきであるとの意である。「偽会」とは仏説に背いて我見で解釈したものを指す。そして天台大師はあくまで仏説に基ずいて法華宗を立てたのであると述べ、天台大師から伝えられた教えを正しく受け継いでいかなければならないと戒められている。そして、そうした仏自身の説の一例として無量義経の「方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて菩薩の歴劫修行を宣説す」との文を引いて、爾前諸経には成仏の大直道は明かされていないと結論している。
このあと、従って法華経以外は仏説とはいえず外道の説というべきであるという妙楽大師の止観輔行伝弘決、伝教大師の守護国界章、智証の授決集が引かれている。このうち授決集は少しわかりにくいが、意味は「経典にも大乗・小乗・理法にも偏ったものと完全なものの差があるから、いずれを依処とするかは仏説を根本に判断すべきで人師の説によってはならない。自分が選んだ権教の仏である父に執着して、実大乗教の仏たる国主より勝れるなどと思ってはならないし、この法華経の仏を他の仏に劣るなどと言ってはならない。『家家』それぞれにこれが尊勝であるとか『国国』それぞれにこれが高貴だとか述べた言句はあるが、それらはその分斉のなかでの位置付けであって、一切経のなかで独り妙にして独り勝るものは『久成の本・開権の妙』を明かした法華経である。この『久成の本・開権の妙』に背いて、仏法をふさぎ如来を咎める結果になっているが、伝者を非とするようなことがあってはならない」ということである。
最後の天台大師の玄義の文は、法華経を弘めるに当たっては、教相を明確にして、それがどのような意図から述べられたものであるかを踏まえなければ「文義」を誤って解釈することになる。しかし、仏の元意は甚深で、言葉に表された教法の正しい理解は容易ではない。このため「前代の諸師」「名匠」によりさまざまな説が立てられてきたが、それは互いに矛盾して対立し合っていて、いずれを選ぶべきかで悩ませることになる。結局、選択の基準は「修多羅」すなわち仏説たる経文と合致しているかどうかであり、裏付ける経文もなく、義に合っていることがないものは信受してはならないとの意である。
0672:11~0673:09 第七章 法華経の超勝性を示すtop
| 11 一、開会の事 12 寿量品に云く諸の経方に依つて好き薬草の色香美味皆悉く具足するを求めて擣簁和合す文。 13 文句の九に云く経方とは即ち十二部経なり薬草は即ち教の所詮の八万の法門なり、香美味とは戒定慧なり、 空 14 観は擣くが如く仮観は簁うが如く中観は合するが如し文。 15 大経に云く衆流海に入りて同一鹹味故に海味と云う文。 16 玄の三に云く諸水海に入れば同一鹹味なり、諸智・如実智に入れば本の名字を失すと文。 -----― 一、開顕会帰の事 如来寿量品第十六には「さまざまな経による処方によって、すぐれた薬草の中から、効能豊かな、しかも色も香りもすぐれていて、それらがみなことごとく具わっている薬草を求め、つきふるい、そして調合して薬をつくる」とある。 法華文句巻九には「経方といっても、釈尊の一切経に相当するものである。薬草とは、釈尊の一代聖教の所詮である八万四千の法門である。香美味は戒定慧の三学に配することができる。また空観は薬草を杵で擣くようなものであり、仮観はついた薬草をふるいにかけよりわけるようなものであり、中観は、よりわけた薬草を調合するようなものである」とある。 大般涅槃経には「衆流は海に入ると同一の鹹辛い味となる。故に、この鹹辛い味のことを海の水の味という」とある。 法華玄義巻三には「諸水は海に入ればすべて同一の鹹辛い味になる。爾前権教の諸経の智慧は、法華経の如実智に帰入してただ一つの智慧となる故に、法華経に開会された後の、爾前権教はそのもとの名称・題名を失う」とある。 -----― 17 一、是諸経之王と云う事 18 信解品に云く並びに親族・国王・大臣を会す。 0673 01 文句の六に云く国王とは一切漸頓の諸経なり。 02 疏記の六に云く諸の小王を廃して唯一の王を立つ是の故に法華を王中の王と名く文。 ・ -----― 一、是の法華経は諸経の王ということ。 法華経信解品第四に「ならびに親族・国王・大臣らを集める」とある。 法華文句巻六には法華経信解品第四の「国王」という文について、「国王とは、一切の漸教・頓教の諸経を指している」とある。 また、法華経の前記の文について、法華文句記巻六には「さまざまな小王を廃して、ただ一つの王を立てる。この故に、法華経を王中の王と名付ける」とある。 -----― 03 一、法華已前の説を権と云う事 04 玄義の三に云く涅槃の聖行品に云く追つて衆経を分別す 故に具に四種の四諦を説くなり、 徳王品に追つて衆 05 経を泯す文。 06 釈籤の三に云く涅槃に追と言うは退なり却つて更に前の諸味を分別す、 泯とは合会なり法華より已前の諸経皆 07 泯す此の意は則ち法華の部に順ずるなり文。 08 弘の三に云く彼の経の四教皆常住を知る故に本意は円に在りと文。 09 玄義の四に云く法華の意を得る者は涅槃に於て次第の五行を用いざるなり文。 -----― 一、法華経が説かれる以前の教説を権教ということ。 法華玄義巻三には「涅槃経の聖行品に、『あとで翻って数多くの経の高低浅深を識別していくので、詳細に四種の四諦を説くのである』とある。また、涅槃経の徳王品に『あとで翻って数多くの経を混合し開会する』とある」と示されている。 法華玄義釈籤巻三には「涅槃経に『追って』と言っているのは、退くことである。もとへ戻って爾前のさまざまな経教の高低浅深を識別していくのである。法華経以前に説かれた諸経の本意は法華経に従うのである」とある。 止観輔行伝弘決の巻三には「彼の経に述べられている四教は、みな、法華経の後に説かれたので、常住の実相を知っている。従って、これら四教の本意は、法華円教に存在するのである」とある。 法華玄義巻四には「法華経の元意を得た者は、涅槃経について、次第の五行を用いないのである」とある。 |
開会
開顕会融・開顕会帰の意。権教を開き顕して実教に会入すること。爾前権教を開して法華経の真実に会入させること。法華経迹門における開会は三乗を開して一仏乗に帰せしめる開三顕一をいう。法華経本門における開会は一切の諸仏を開して唯一の本仏に帰入せしめる開迹顕本である。開会には教法のすべてが一法に帰着するとする法開会と、万人の平等の成道を説いた人開会がある。法開会は一往の理論で、諸経に説かれるが、事相面である人開会は法華経に限られる。開会の法門は諸教になく法華経のみに見られる特質であり、一切の諸法は一つとして捨て去るべきでなく、真実を含有するものとして生かされることになる。
―――
寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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好き薬草
寿量品に「此の大良薬は色香美味、皆悉く具足せり」とある。文上では仏の正法をいうが、大聖人の仏法においては、三大秘法総在の大御本尊のこと。
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色香美味
寿量品に「此の大良薬は色香美味、皆悉く具足せり」とある。文上では仏の正法をいうが、大聖人の仏法においては、三大秘法総在の大御本尊のこと。
―――
具足
具はそなえる・そなわる・うつわ。足はたる・たりる。①十分に具えること、円満具足の義。②器具の総称、甲冑をさすこともある。仏教では仏前に供する灯明・焼香・立華を三具足という。
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擣簁和合
擣はつく、簁はふるう、和合は調合する幾つかの効能を持つ薬を擦り合わせ一丸と和合させて最高の薬を作ったというのこと。法華経如来寿量品第16の文。
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文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
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経方とは即ち十二部経なり
教方は、漢方医学で、医学文献・医術・薬術を意味するが、この文は法華文句からの引用であり、十二部経を教方とよび、一切経を意味する。
―――
教の所詮の八万の法門
経は釈尊の説いた教法、八万四千は実際の数ではなく多数を意味する。釈尊の説いた一切経をいう。
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香美味とは戒定慧なり
香美味は戒定慧の三学に配することができるということ。色香美味の薬草は戒定慧の三学を具足しており、仏法の教法の基本条件を具えている。
―――
戒定慧
「戒」は戒律、防非止悪。「定」は禅定、心を静めて悟りを開くこと。「慧」は智慧、煩悩を断破して真理の本性をえること。日蓮大聖人の仏法においては、定を本門の本尊、戒を本門の戒壇、慧を本門の題目とし、三学を三大秘法とする。
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大経
大般涅槃経のこと。
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海味
海の塩辛い味のこと。
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諸水
あらゆる河川の水。
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是諸経之王
法華経薬王菩薩本事品第23に「又、帝釈の、三十三天の中に於いて王なるが如く、此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり」とある。
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信解品
法華経信解品第4のこと。三周の声聞のうち譬説周の領解を説く。法華七譬の第二・長者窮子の譬が説かれる。先の譬喩品第3の三車火宅の譬を聞いた四大声聞が開三顕一の仏意を領解した旨を長者窮子の譬をもって説明している。
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親族
身内・親戚・親類。
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国王
国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。
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大臣
太政官の上官の長。
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一切漸頓の諸経
漸頓は漸教と頓教のこと。漸教は衆生の機根に応じて衆生を次第に誘引していく教法、頓教は誘引の方法をとらずに、仏の悟りを衆生に対して直ちに説き示す教法。釈尊一代の教法にあてはめると、阿含・方等・般若の教えが漸教、華厳・法華漸頓の教えが頓教となる。
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権
法華経以外の諸教。「権」とは仮の意。
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玄義
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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涅槃
涅槃経の事。釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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聖行品涅槃
北本涅槃経第7・南本涅槃経第19がこれにあたる。
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衆経
数多くの経。
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分別
いろいろな事象を思惟し識別する心の作用のこと。俱舎論では、自性分別・計度分別・随念分別に分けている。
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四種の四諦
天台大師は法華玄義で四種の四諦を立て、これを化法の四教に配している。①生滅の四諦。四諦の因果をそのまま認め一切諸法には因縁・生滅があると説く。三蔵教・蔵教にあたる。②無生の四諦。四諦の因果は共に空無で生滅することはないと説く。通教の所説。③無量の四諦。一切の現象に無量の差別があるように四諦にも無量の相があるとする四諦観。別教に当たる。④無作の四諦。煩悩即菩提・生死即涅槃であるから、集を断じ苦を滅して、道を修し滅を証するなどという作為のない境地を説く。円教の所説にあたる。
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四諦
仏教の最も基本となる四つの真理。①苦諦(迷いのこの世は一切が苦しみであること)②集諦(苦しみが生じる原因は執着であること)③滅諦(その執着を滅することで、苦しみを克服し覚りを得ること)④道諦(苦しみを克服し覚りを得るためには、八つの修行の道があること)。
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徳王品
北本涅槃経第10、南本涅槃経第22に当たる。高貴徳王菩薩に対して、涅槃経を修する者の得る功徳。
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泯
①混合して開会すること。②滅びること。
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釈籤
妙楽大師湛然の法華玄義釈籤のこと。十巻。「妙法蓮華経玄義釈籤」の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に、学徒の籤問に付箋をつけて意味を質すこと)に答えたものを基本とし、後に修正を加えて整理したもの。注釈は極めて詳細で、法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
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退
退くこと。
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諸味
さまざまな教理が説かれる諸経。
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弘
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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彼の経の四教
涅槃経に説かれる蔵・通・別・円の四教。
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常住
過去・現在・未来にわたって常に存在し、生滅や変化がないことをいう。
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本意
本当の意図・気持・意義。
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円
まどかのことで完璧な教え。法華経のこと。
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次第の五行
菩薩の五種の修行法のこと。円の行・不次第の五行に対する語。涅槃経に説かれる。この五行は互いに融合することなく、おのおの独立し、前後に順序次第があるところから次第の五行と称される。①聖行、戒定慧の三学により習得する行。②梵行、空有の二辺に愛着せず、浄心をもって衆生を救う化他行。③天行、天然の理により成ずる行。④嬰児行、嬰児とは人天及び小乗教を意味し、これらを嬰児に対する慈悲の心をもって救う化他行。⑤病行、凡夫の衆生が生老病死、煩悩に苦しむのに対し、同じくこれらの病苦を示現してこれを救う化他行。
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一代五時の立て分けのなかで、法華経と爾前経を対比し、この前の段では法華経のみが仏の本意の経であり、それ以外は法華経迹門も含めて「小法」であり「外道」であると、厳しく排除する立て分けが示されたのが、ここでは法華経は、それ以外の一切経を開会する教法であり、法華経こそ諸経の王であって、爾前経は権経であることが示されている。
開会とは、譬喩品でいえば、これまで作ってきた部品が一つの全体の中に統合されることで、寿量品の良医の譬えでは種々の薬草が色香美味の薬に調合されること、大般涅槃経の文では衆流が大海に流入して同一鹹味になることによって示されている。いずれも、部分が全体の中に組み込まれる関係をあらわしている。
「諸経の王」の項目も、このことを踏まえると理解しやすいし、その間のつながりがはっきりしてくる。「王」とは全体を統括する立場をいうからである。これに対し「臣」は全体のなかの限られた部署を担う立場である。
全体のなかにある部分、部品が「権」である。このことを示すために涅槃経の「追って衆経を分別す」等々の文が引用されたが、そこから退いて各部を再び分別し「四種の四諦」等が涅槃経で説かれているとの意である。何のために再び分別して説かれたかというと、爾前の諸教も「法華経の部に順ず」るときに蘇り、その本来の力を発揮するからである。先の「部品」のたとえでいうと、時計の針は、時計本体の中のあらゆる部品と共に正しくはめ込まれていて、この時計が正しく動いてこそ、その役割を果たせるのである。従って、ある爾前の一経のみを切り離し、法華経に対抗する形でこれを信仰の依処にすることは、針だけを外して、これが正確な時刻を示すよう期待するのと同じ愚行となる。このように全体の部分であることを教えるために涅槃経で「追って分別」とされたということである。
0673:10~0675:04 第八章 天台における座禅・念仏の意義top
| 10 一、常好坐禅と云う事 11 安楽行品に云く亦師と同ずることを楽わず常に坐禅を好む文。 12 普賢経に云く専ら大乗を誦し三昧に入らず文、 又云く其の大乗経典を読誦するもの有らば諸悪永く滅して仏恵 13 より生ずるなり文。 -----― 一、常に坐禅を好むとということ 法華経迹門十四品には「また、師と同ずることを楽わないで、常に坐禅を好む」とある。 観普賢菩薩行法経には「ひたすら大乗教を暗誦し、三昧に入らない」とある。また同経には「その大乗経典を読み、暗誦するものがあるならば、種々の煩悩は永く滅して、仏の智慧より生ずるものである」とある。 -----― 14 一、天台宗阿弥陀の事 15 弘決の二に云く諸教の讃する所多く弥陀に在り故に西方を以て一准と為す文、私に云く此の釈・文殊説・文殊問 16 の両経に依るなり、常坐三昧の下。 17 止観の二に云く弥陀を唱うるは即ち是れ十方の仏を唱うる功徳と等し但専ら弥陀を以て法門の主と為す、 要を 18 挙げて之を言わば歩歩・声声・念念唯阿弥陀仏に在り文、 私に云く此の釈般舟三昧経に依るなり常行三昧の下・口 0674 01 説嘿の下。 02 又云く意に止観を論ぜば西方阿弥陀仏を念ず此れを去ること 十万億仏刹と文、此の釈般舟三昧経の文に依るな 03 り常行三昧の下。 04 又云く陀羅尼咒を誦し三宝十仏を請じ摩訶祖持陀羅尼を思惟せよ文、 此の釈は方等陀羅尼経に依る半行半坐の 05 三昧の下。 06 又云く三宝・七仏・釈尊・弥陀・三陀羅尼・二菩薩・聖衆を礼せよ、 此の釈は諸経に依る非行非坐三昧の下。 07 玄義の九に云く諸行は傍の実相を以て躰と為し体行倶に麁なり文、 又云く諸経の方法に依る常行等の行は傍を 08 以て体と為す体行倶に麁なり文。 09 已上四十余年の経釈 10 止観の二に云く別に一巻有り法華三昧と名く是れ天台大師の著す所なり、世に流伝して行者之を宗ぶ、 此れ則 11 ち説嘿を兼ぬ復別に論ぜざるなり文。 12 法華三昧に云く 道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦未だ必ず形像・舎利並に余の経典を安ず 13 ることを須いず唯法華経を置け文。 14 止観の二に云く意の止観とは普賢観に云く専ら大乗を誦して三昧に入らず日夜六時に六根の罪を懺す、 安楽行 15 品に云く諸法に於て行ずる所無く亦不分別を行ぜざれ文。 16 法華経に云く乃至余経の一偈をも受けざれ文。 17 又云く復舎利を安ずることを須いず文。 -----― 一、天台宗で立てる阿弥陀仏のこと 止観輔行伝弘決の二には「爾前権教の諸教がほめているのは、多くは阿弥陀仏のことである。故に西の方角に向かうのを一往は認める」とある。私の見解を述べるならば、この釈は文殊説経・文殊問経の両経に依るのである。常坐三昧について書かれた文のあとに記されている。 摩訶止観二には「阿弥陀仏の名号を称えることは、すなわち、十方の仏の名号を唱える功徳と等しい。ただ専ら阿弥陀仏をもって、法門の教主となす。重要点を挙げてこれをいえば、一歩一歩運ぶ歩み、一つ一つ発せる声、一つ一つ生じさせる一念はただ阿弥陀仏にある」とある。私の見解を述べるならば、このに釈は般舟三昧経の文によるのである。常行三昧について説かれたあとに記されている。 また、同巻二には「意に止観を論を行ずるとは、西方の極楽浄土の阿弥陀仏を念ずる。すなわち娑婆世界から十万億の仏土を過ぎたところに存する阿弥陀仏を念ずるのがそれである」とある。私の見解を述べるならば、この釈は般舟三昧経の文に依るのである。常行三昧について説かれた文のあとに記されている。 また、同巻二には「陀羅尼咒を誦し、三宝・十仏を請い、摩訶祖持陀羅尼を思量し分別せよ」とある。私の見解を述べるならばこの釈は方等陀羅尼経の文に依っている。半行半坐三昧について説かれた文のあとに記されている。 また、同巻第二には「三宝・七仏・釈尊・弥陀・三陀羅尼・観世音・勢至の二菩薩・声聞・縁覚の二乗を礼拝せよ」とある。私の見解をのべるならば、この釈は、爾前権教の文に依っている。非行非坐三昧について説かれた文の後にある。 法華玄義巻九には「諸行に基づくあまざまな仏道修行は、不完全な実相をもって法体をなしており、法体と修行が、ともに粗末である」とある。また、法華玄義の巻九には「爾前権教の諸経に基ずく仏道修行の方法による常行三昧等の修行は、不完全な実相をもって法体となっており、法体と修行が、ともに粗末である」とある。 以上は、法華経を説く以前の四十余年間に説かれた方便権教と義釈である。 摩訶止観巻二には「別に一巻がある。法華三昧籤儀と名づける。これは、天台大師の著したものである。世の中に広く伝わって、仏道を修行する者はこれを尊んでいる。この法華三昧籤儀による修行は、すなわち、ここでは経文等の読誦と、仏を観念することを兼ねており、説黙を別々に論じないのである」とある。 法華三昧籤儀には「仏道を修行する場所の中において、よい高座を敷き、法華経一部八巻二八品を敬い据えなさい。また、決して、仏・菩薩等の絵像や木像、仏の遺骨ならびに法華経以外の諸経典を敬い据えることを用いてはならない。ただ法華経を置きなさい」とある。 摩訶止観巻二には、「意の止観とは、観普賢菩薩行法品には『ひたすら大乗経典を暗誦して三昧に入らず、一日中、六根の罪を懺悔する』とある」とある。法華経法華経迹門十四品には『諸経の法門に基づいて修行してはならない。また、行ぜず、分別してはならない』とある」とある。 法華経譬喩品第三には「あるいは、法華経以外の爾前権教の一偈をも受持してはんらない」とある。 また、法華経法師品第十には「また、仏の遺骨を敬い据えることを用いない」とある。 -----― 18 一、天台念仏の事 0675 01 止観の六に云く見思の惑即ち是れ仏法界なりと覚して法身を破せざるを念仏と名くと文。 02 止観二に云く意止観とは普賢観に云く専ら大乗を誦し 三昧に入らず日夜六時に六根の罪を懺す安楽行品に云く 03 諸法に於て行ずる所無く亦不分別を行ぜざれ。 04 秀句の下に云く能化の竜女・歴劫の行無し所化の衆生も亦歴劫無し文。 -----― 一、天台宗における念仏修行のこと 摩訶止観巻六には「見思惑は、すなわちこれ仏界であると覚って法身を破らないことを念仏と名づける」とある。 摩訶止観巻二には「意の止観とは、観普賢菩薩行法品には『ひたすら大乗経典を暗誦して三昧に入らず、一日中、六根の罪を懺悔する』とある通りである。法華経迹門十四品には『諸経の法門に基でいて修行してはならない。また、行ぜず、分別してはならない』とある。 法華秀句の巻下には「能く化を化導する竜女は、歴劫修行をしないで速疾頓成する。化導を受ける一切衆生もまた、歴劫修行をしないで速疾頓成できる」とある。 |
坐禅
端坐して禅の修行をすること。
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安楽行品
法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。
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普賢経
曇摩蜜多訳。0441年までに完成。法華経の結経とされる。普賢菩薩を観ずる方法と、六根の罪を懺悔する方法などを述べたもの。観普賢菩薩行法経。普賢観経。
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大乗
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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三昧
サマーディ(Samādhi)の音写、訳して定・調査定・等持・等念という。心を一処に定めて動かぬこと。無量義経の無量義処三昧、法華経の法華三昧など、釈尊の教えの中には多数の三昧が説かれている。日蓮大聖人の仏法においては、一心に御本尊に向かって題目を唱えることが三枚である。
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大乗経典
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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読誦
読と誦のこと。「読」は経文を読むことで「誦」は暗誦すること。それぞれ五種の妙行のひとつで、ともに自行化他の自行にあたる。
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仏恵
仏慧と同意。一切の事理に通じた仏の智慧のこと。最高・無上の智慧をいう。一切種智のこと。
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阿弥陀
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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諸教
もろもろの経・一切経。
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弥陀
阿弥陀如来の略。阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
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西方
西方極楽世界のこと。観世音菩薩は西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の脇侍とされている。
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一准
一往は認めること。
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文殊説
文殊説経2巻。中国・梁代の漫荼羅仙訳。般若皆空空観をほどよい長さで説いた経で、般若部諸経の中、最も中庸を得た経とされる。文殊問経とともに、天台宗の四種三昧の中の常坐三昧の依経とされる。
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文殊問
文殊問経2巻。中国・梁代の僧伽婆邏訳。仏身の不生不滅を明かし、一切の仏は般若の修行によって仏になったと説く。また菩薩の大乗戒を示している。」
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常坐三昧
常に座禅を行ずること。天台大師所立の四種三昧のひとつ。一行三昧ともいう。文殊説経・文殊問経に基づいて90日間、専ら座禅のみを行じ、一仏の名号を称えるほかは余事を行ぜず、実相を観ずる行法。
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止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
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十方の仏
十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
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功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
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法門
仏・菩薩の教え、その仏に従って学べば聖者の智に入ることのできる門。末法では御本仏日蓮大聖人の三大秘法をさす。
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般舟三昧経
3巻。中国・後漢代の支婁迦讖訳「十方現在仏悉在前立定経」ともいう。16品からなり、仏が賢護菩薩に対して、般若三昧を行ずることによって阿弥陀仏をはじめ諸仏を見ることができると説いている。漢訳大乗経典の中、最も初期に成立したもので、阿弥陀仏を説く最古の文献とされる。
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常行三昧
天台大師所立の四種三昧のひとつ。般若三昧・仏立三昧ともいう。般若三昧経に基づいて90日間、阿弥陀仏を本尊とする道場の周りを巡り、口に阿弥陀仏の名を称念することをいう。日本では慈覚が比叡山東塔に常行三昧堂を建立し、常行三昧が行事られた。これが浄土三昧経を依経とする称名念仏の誕生の淵源となった。
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口説嘿
口業における説と嘿(黙)のこと。説は説法・嘿は黙説(不説)。①説、仏道修行において経文や題目、仏の名を口に唱えること。②黙、仏を観念すること。
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十万億仏刹
十万億の仏国・仏土のこと。仏刹は仏の住する所、仏の化導する地をさす。阿弥陀仏の浄土である西方極楽浄土は、娑婆世界から西方10万億の仏土を過ぎたところにあるとされる。
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陀羅尼咒
咒は神仏の秘密語で、治病・滅罪・護法の功力をもった呪文。陀羅尼呪は法華経陀羅尼品第26に説かれている。「世尊我今当に説法者に陀羅尼呪を与えて…世尊我今当に説法者に陀羅尼呪を与えて」とある。
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三宝
仏・法・僧のこと。この三を宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。
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摩訶祖持陀羅尼
大方等陀羅尼経に説く陀羅尼呪の名。方等三昧で修すべき行のひとつ。
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思惟
対象を分別し、よく考えること。
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方等陀羅尼経
大方等陀羅尼経4巻のこと。中国・北涼代の法衆訳。摩訶袒持陀羅尼の因縁・功徳・修懺行法などを説く。南岳大師はこの経によって方等三昧を行じ、天台大師はこの経をもとに方等三昧行法を著した。
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半行半坐の三昧
天台大師所立の四種三昧の第三。これに方等三昧と法華三昧があり、ともに懺悔滅罪を主として、行と坐を兼修するので半行半坐の名がある。
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七仏(方等三昧)
方等三昧を修する時、本尊とする七仏。維衛仏・式仏・随葉仏・拘留奏仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏・釈迦牟尼仏。
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釈尊
釈尊とは通常釈迦牟尼仏をさすが、六種の釈尊がある。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華経本門の釈尊⑥法華経本門文底の釈尊である。⑥を教主釈尊といい、久遠元初の自受用報身如来たる日蓮大聖人である。
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弥陀
阿弥陀如来の略。阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
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三陀羅尼
法華経普賢菩薩勧発品第28に説かれる3つの陀羅尼。①施陀羅尼、差別相である仮諦から一理平等の空諦に入る呪。②百千万億旋陀羅尼、空諦から仮諦へ出る呪。③法音方便陀羅尼、先の空仮の二諦を方便道として中道に入る呪。
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二菩薩(阿弥陀経)
観音菩薩と勢至菩薩のこと。
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聖衆
声聞・縁覚の二乗の人々。
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非行非坐三昧
三昧とは心を不動にして宗教的瞑想の境地を深めること。四種三昧とはそのために行う常坐三昧,常行三昧,半行半坐三昧,非行非坐三昧のこと。常行三昧は元来,般舟三昧経によったもので,おおむね5間(約9m)四方の常行三昧堂(常行堂)に阿弥陀仏を本尊として安置し,90日間にわって口に阿弥陀仏の名を唱えながら,そのまわりを歩きつづけて,つねに仏を念じ,心に極楽浄土や仏の三十二相などを浮かべる修行である。
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諸行
諸々の修行のこと。一切の仏道修行。
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実相
ありのままの姿
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体行
体は法体、行は修行のこと。
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常行等の行
常行三昧等の四種三昧のこと。常坐三昧,常行三昧,半行半坐三昧,非行非坐三昧のこと。
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法華三昧
法華三昧懺儀のこと。懺儀は仏教における懺悔の行法、または法会の儀式およびその儀則。諸仏菩薩に礼拝して自らの罪過を仏前に告白して容認を乞い、罪業を免れることが基調で、懺悔・悔過の行法を内容とする経論から抄出したものが、中国仏教で4、5世紀ころから治病除災などの現世得益のため行われた。それらは梁の武帝により、仏名経典と合して『慈悲道場懺法』10巻に編集されたが、天台智は止観の行法として、在来のものを『法華三昧懺儀・方等昧行法・請観世音懺法・金光明懺法・方等懺法・敬礼法』とつくり直して類形化し、『円覚経道場修証儀』18巻、『華厳経礼懺儀』42巻など膨大なものまでつくられた。日本では、法華三昧懺儀の抄出である法華懺法をさし、宮中で先帝の御忌に用いられ、天台宗勤行儀ともなっている。東大寺の御水取に用いる「吉祥悔過法」や勅会の御仏名会も懺法であり、舎利懺法、薬師懺法、弥陀懺法などがある。
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流伝
世の中に広く流れ伝わること。
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説嘿
①説、経文や題目を読誦すること。②嘿、仏を観念すること。
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高座
一段、高くなった場。
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形像
仏・菩薩等の姿、礼拝の対象となる仏像。
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舎利
梵語(śarīra)没利羅・室利羅・実利ともいう。漢訳すると身骨・骨分の意。仏教上、とくに戒定慧を修して成った堅固な身骨のことをいう。この舎利に二種がある。生身の舎利と法身の舎利とである。生身の舎利にはさらに全身の舎利と砕身の舎利があり、多宝の塔のごときは、全身の舎利を収めたことを意味している。釈尊の舎利でも、これを各地に分けてしまえば砕身の舎利になってしまう。次に法身の舎利とは仏の説いた経巻のこと。これまた全身と砕身にわかれる。すなわち法華経は全身の舎利であり、その他の経典は砕身の舎利である。法華経を全身の舎利とすることは、法華経法師品に「薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならむべし、復、舎利を安んずることを須いず、所以は何ん。此の中には已に如来の全身有す」とある。末法御本仏、日蓮大聖人に約せば、大御本尊こそ大聖人の全生命、全身法身の舎利である。
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普賢観
観普賢菩薩 行法経のこと。1巻。曇摩蜜多訳。法華経の結経とされる。普賢菩薩を観ずる方法と、六根の罪を懺悔(さんげ)する方法などを述べたもの。観普賢菩薩行法経。普賢観経。
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三昧
サマーディ(Samādhi)の音写、訳して定・調査定・等持・等念という。心を一処に定めて動かぬこと。無量義経の無量義処三昧、法華経の法華三昧など、釈尊の教えの中には多数の三昧が説かれている。日蓮大聖人の仏法においては、一心に御本尊に向かって題目を唱えることが三枚である。
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六根
目・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。根とは、生命には、対境に縁すると作用する機能が本然的に備わっており、その機能の根源を根という。六根の対境にあたるものが、六境または六塵で、六根が六境と関係して生ずる感覚を六識という。たとえば、生命には眼根があるため、色境に縁すれば眼識を生ずるのである。また生命には意根があるから、こわいとか楽しい等の意識を生ずるのである。
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諸法
①社会で広く行われている世間法・国法。②あらゆる宗教の教法。③仏教に説かれる一切の経典法。
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分別
いろいろな事象を思惟し識別する心の作用のこと。俱舎論では、自性分別・計度分別・随念分別に分けている。
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乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
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余経
法華経以外の経。
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一偈
「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
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天台念仏
天台宗における念仏修行のこと。
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見思の惑
三惑のひとつ。見思惑のこと。見惑と思惑に分ける。 見惑と思惑。ともに三界内に存する煩悩である。天台宗で立てる三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)の一つ。 見惑は三界の理に迷うもので見道において断ぜられる。思惑は「修惑」ともいい、三界の事に迷うもので修道で断ぜられる。この2惑は三界の生死を受ける因であって、これを断滅することによって修行者は三界の生死を超越する。そしてこれより進んで塵沙惑を断じ、さらに無明惑を断ずることによって次第に悟りを向上せしめ、究極の仏果に達する。この二つの概念は、もと小乗の阿毘達磨において見道で断ぜられる煩悩と修道で断ぜられる煩悩を分けて説いたのを、天台宗が取り入れ再組織したものである。見道は四諦の理を観じてはじめて聖人の位に入る段階、修道はその後に同様の修行を繰返し行なって行く段階である。
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法身
仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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能化
能く化導する人のこと。菩薩は人に対しての能化であり、仏は菩薩・一切衆生の能化である。
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竜女
竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
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歴劫の行
爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
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所化
能化に対する語。弟子のこと。能化を受ける人、化とは教化の義であり、教化する人を教化といい、教化される人を所化という。所とは能動に対して受け身の意味を持つ。仏に対して一切衆生を所化という。
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衆生
梵語サットヴァ(sattva)の音写。薩埵と訳す。この世に存在するもの、生けるもの。主として人間をさす場合が多いが、感覚をもつ生き物すべてをいう。
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歴劫
歴劫修行の略。爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
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ここでひとまとめにした「一、常好坐禅と云う事」「一、天台宗阿弥陀の事」「一、天台念仏の事」の三つの項目は、日蓮大聖人当時の新興宗教であった禅宗と念仏宗が、天台大師、妙楽大師の著作にも禅・念仏を認める文があるとしたことに対し、天台大師、妙楽大師の真意はどこにあったのかを示されたものである。
確かに座禅や阿弥陀仏の念仏を勧めているかのような文が天台大師、妙楽大師の著述のなかにあるが、これらは法華経以前の経々に説かれていることを挙げたものであり、それを修行せよと勧めて書いているわけではない。大聖人は、それらの文がどのような文脈のなかにあるかを示された後、天台大師の本意はあくまで法華経を根本とすることである旨を天台大師の文を挙げて示されている。
まず、座禅については法華経迹門十四品の一文を引用されて、菩薩の親近すべきところとして、師と同ずることを願わず、閑かな処で常に座禅を好んで心を修養することを述べている文を挙げられ、確かに法華経にも座禅を勧める文があることを示されている。
しかし、座禅によって三昧の境地に入るよりも、ただひたすら大乗経典を読誦することの重要性を強調し、読誦することで諸悪を永久に滅して仏智から生ずることができることを明らかにした法華経の結経である普賢経の一文を掲げられている。つまり、座禅はあくまでも法華経読誦のための姿勢としての意義は認めても、それ以上のものではないというもとであろう。ましてや、心を調えるための一手段にすぎない座禅を目的として一宗派を立てることなどは本末転倒であるとの立場がここには暗に示されているといえよう。
次いで、阿弥陀仏を念ずる行については、天台大師の摩訶止観、法華玄義と、妙楽大師の止観輔行伝弘決から諸文を引用されるとともに、「私に云く」として大聖人の解釈が示されている。
まず、弘決の巻二から、阿弥陀仏は多くの爾前諸経が讃嘆するものであるから、一往は西方の方向を向いて修行することを認めてはいるが、必ずしもこだわらなくてもよい、という文を引用されている。これを受けて「私に云く」として、大聖人はこの弘決の釈は摩訶止観で四種三昧の一つとして常坐三昧を説き明かすくだりを釈したもので、この三昧が文殊説・文殊問の二経によって立てられたものであることを付記されている。
次に、摩訶止観の観二上からは、阿弥陀仏の名を称えることは、十方の仏の名を唱える功徳に等しく、阿弥陀仏の周りをめぐる一歩一歩、一声一声、一念一念ごと、阿弥陀仏に集中することを説く文を引用されている。これを受けて「私に云く」として、この摩訶止観の釈は般舟三昧経によっており、四種三昧の一つ、常行三昧を説くなかの「口の説黙」という項目の下に説かれていることを明らかにされている。
同じく摩訶止観巻二から「意に止観を論ぜば」に始まる文を引用されて、西方の阿弥陀仏が十万億の仏国土を隔てた極楽浄土に住していることを止観によって心に念ずることを勧めているくだりを紹介されるとともに、このくだりも般舟三昧経の文により、先と同じ常行三昧を説くなかで明らかにされていることを付記されている。
さらに、同じく摩訶止観巻二から、陀羅尼咒を暗誦し、三宝十仏を要請し、摩訶袒持陀羅尼を思惟することを勧めた文の要旨を引用し、この止観の釈が方等陀羅尼経によって四味三昧のうち半行半坐三昧が明らかにしたくだりであることを付記されている。
さらに摩訶止観巻二から、三宝・七仏・釈尊・弥陀・三陀羅尼・二菩薩・聖衆を礼拝することを勧めた文を引用され、この止観の釈が爾前諸経によったものであることを明かされるとともに、四種三昧のうち非行三昧を明らかにしたうくだりがあることを付記されている。
以上を総括して、これらの行が体、行ともに麤・妙の判釈からは麤であると断定した法華玄義巻九の文が引用されている。
爾前権教による修行の法体が釈尊の不完全な実相を目的としてなされるからであり、また、爾前諸経に説かれる方法に基づく常行などの四種三昧行は修行自体が究極のものでないからである、というのがその趣旨である。
従って、これまでの引分を「已上四十余年の経釈」と位置付けられ、天台宗本来の立場から法華経を根本とした座禅、四種三昧に関する文を引用されている。
まず「止観の二に云く」として、摩訶止観巻二上から、四種三昧のうち半行半坐三昧の法華三昧を挙げ、摩訶止観以外にも天台大師著述の法華三昧行法一巻の書であることを述べた後、その法華三昧行法から、仏道を修行する場所に法華経一部八巻二十八品を安置してそれ以外の経々や仏像・舎利などを置いてはならないと戒めた文を引用されている。
さらに、摩訶止観巻二からは法華三昧における「意において行ずる止観」として、法華経の結経・観普賢菩薩行法経から一文を引用され、先の座禅のところでも説かれていたように、座禅をあくまで大乗経典の法華経を読誦するための手段として位置付け、三昧に入らずに法華経を読誦することで常時、六根の罪を懺悔し、清浄になることが「意の止観」であるとしている。
同じく安楽行品第十四からは、法華経以外の諸法に随って修行することなく、ただ法華経に説く諸法の実相のみを観察すること、また、誤った分別を行わないことが菩薩の振る舞いであると戒めた文を引用されている。
また、以上のことを裏付けるように、法華経譬喩品第三の、法華経以外の諸経の一偈すら受持してはならないという文と法師品第十の仏の舎利を安置することを用いないという文を引用されている。
「一、天台念仏の事」では、仏を念ずるということについて、摩訶止観巻六の文を引用されて、仏を仏像や舎利として念ずるのではなく、凡夫のとらわれている見思惑の煩悩がそのまま仏の境界であると覚悟して、凡夫の内奥に潜在する法身を破らないことが、天台における念仏であることを示されている。煩悩を“そのまま”仏の境界と覚悟する在り方は修行に長期間の時間を要されないので、そのことを伝教大師の法華宗句巻下の文を引用して示されている。また、摩訶止観巻二の文と安楽行品の文の引用は、先の法華三昧のところで引用されたのと同じで、大乗経典・法華経を読誦する「意の止観」を行ずること、実相を観じて、誤った分別を行じないことが天台宗における念仏宗であることを確認されている。
0675:05~0677:11 第九章 法華経と諸経の勝劣を示すtop
| 05 一、法華成仏の人数の事 06 二の巻舎利弗は華光如来.三の巻迦葉は光明如来.須菩提は名相如来・迦旃延は閻浮那提金光如来・目連は多摩羅 07 跋旃檀香如来・四の巻富楼那は法明如来・陳如等の千二百は普明如来 ・阿難は山海慧自在通王仏・羅睺羅は蹈七宝 08 華如来・五の巻提婆達多は天王如来・摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏・耶輸陀羅女は具足千万光相如来・娑竭 09 羅竜王の女の八歳の竜女は無照光如来正法華経の説なり提婆品に云く当時の衆会皆竜女を見る忽然の間に変じて男子 10 と成て菩薩の行を具して即ち南方無垢世界に往き宝蓮華に坐して等正覚を成じ三十二相・八十種好普ねく十方一切衆 11 生の為に妙法を演説す文。 12 又云く爾の時に娑婆世界の菩薩.声聞・天竜・八部.人と非人と皆遥かに彼の竜女の成仏して普ねく時の会の人天 13 の為に法を説くを見て心大いに歓喜して遥かに敬礼す文。 -----― 一、法華経において未来の成仏を明らかにされた人々のこと 法華経巻二において、舎利弗は未来に華光如来、巻三において迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋旃檀香如来、巻四において、富楼那は法明如来、阿闍憍陳如等の千二百の阿羅漢はは普明如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅睺羅は蹈七宝華如来・巻五では、提婆達多は天王如来、摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏、耶輸陀羅女は具足千万光相如来、娑竭羅竜王の女の八歳の竜女は無照光如来となるとの記別を受けてる。竜女の記別の文は「正法華経」にある。 法華経提婆達多品第十二には「その時の仏の会座に集まった大衆は、皆、竜女がたちまちの間に変じて男子と成って、菩薩の修行を具えて、すなわち南方の無垢世界に行き尊い宝蓮華に坐して成仏し、三十二相・八十種好をそなえて、あまねく十方世界のすべての衆生のために妙法を説き演べるのを見た」とある。 また、同品には「その時に、苦悩が充満する人間世界の菩薩・声聞・天・竜等の八部衆、人と人とにあらざる衆生と、それらが皆、はるかに、かの竜女が成仏してあまねく時の会座に集まった人界と天界の衆生のために正法を説くのを見て、心が大いに歓喜して、はるか敬って礼をなした」とある。 -----― 14 一、四十余年の諸の経論に女人を嫌う事 15 華厳経に云く女人は地獄の使なり能く仏の種子を断つ外面は菩薩に似て内心は夜叉の如しと文。 16 又云く一び女人を見れば能く眼の功徳を失う縦い大蛇を見ると雖も女人を見る可からずと文。 17 銀色女経に云く三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無らんと文。 18 華厳経に云く女人を見れば眼大地に堕落す何に況や犯すこと一度せば三悪道に堕つ文。 0676 01 十二仏名経に云く仮使法界に遍する大悲の諸菩薩も彼の女人の極業の障を降伏すること能わず文。 02 大論に云く女人を見ること一度なるすら永く輪廻の業を結ぶ、 何に況や犯すこと一度せば定んで無間獄に堕す 03 と文。 04 往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生ぜず文。 05 大論に云く女人は悪の根本なり一たび犯せば五百生彼の所生の処・六趣の中に輪廻すと文。 06 華厳経に云く女人は大魔王能く一切の人を食す現在には纒縛と作り後生は怨敵と為る文。 -----― 一、釈尊一代説法のうち四十余年の諸経論において、女人を嫌うこと 華厳経には「女人は地獄から派遣された使者である。よく衆生の成仏の種子を断つ。外面に現れた姿形は菩薩に似ているが、その内面は夜叉のようである」とある。 また、同経には「一度、女人を見る者は、よく眼の功徳を失う。故に、たとえ大蛇を見ることがあっても、女性を見てはならない」とある。 銀色女経には「過去世・現在世・未来世の三世のあらゆる仏の眼が大地に落ちるようなことがあったとしても、全宇宙のすべての女性は永久に成仏する時がこないであろう」とある。 華厳経には「女性を見れば、その人の眼は大地に落ちる。いわんや女性を一度犯したならば、三悪道に堕ちる」とある。 十二巻からなる仏名経には「たとえこの宇宙中の大慈大悲の諸菩薩が力を合わせても、女性の重い罪業による成仏の障害を降し伏することはできない」とある。 大智度論には「女性を見ることが一度あっても、永く生死輪廻の悪業を結ぶ、いわんや女性を一度犯せば、必ず無間獄に堕する」とある。 往生礼讃偈には「女性は成仏の機根が欠けている人と、声聞・縁覚の二乗の種性とは、極楽浄土に往生しない」とある。 大智度論には「女性は悪の根本である。ひとたび女性を犯せば、五百回の生死の間、生まれるところは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六趣の中であり、その中を流転する」とある。 華厳経には「女性は第六天の魔王である。よく、すべての人を餌食とする。現在では足手まといとなり、未来世では怨敵となる」とある。 -----― 07 一、真言を用いざる事 08 伝教大師の依憑集の序に云く新来の真言家は則ち筆受の相承を泯す文。 09 安然の教時義の第二に云く 問う天台宗の遣唐の決義に云く此の大盧遮那経は天台五時の中に於て第三時方等部 10 の摂なり 彼の経の中に四乗を説くを以ての故に云云、 此の義云何ん答う彼の決義に云く伝え聞く疏二十巻有り但 11 未だ披見せず云云、 此は是れ未だ経意を知らざる誤判なり、 何なれば天台第三時の方等教は四教相対して大を以 12 て小を斥い円を以て偏を弾ず、 今大日経は応供正遍知衆生の楽に随つて 四乗の法及び八部法を説きたもう是は一 13 切智智一味云云、若し爾らば法華と同じと謂う可し何に方等弾斥の教に摂するや文。 14 広修維蠲の唐決に云く問う大毘盧遮那一部七巻・薄伽梵・如来加持広大金剛法界宮に住して一切の持金剛者の為 15 に之を演説す、 大唐の中天竺国の三蔵・輸婆迦羅・唐には言う善無畏と訳す、今疑う如来の所説始め華厳より終り 16 涅槃に至るまで 五時四教の為に統摂せざる所無し、 今此の毘盧遮那経を以て何の部何の時何の教にか之を摂せん 17 又法華の前説とや為さん 当に法華の後説とや為さん此の義云何、 答う謹みて経文を尋ぬるに方等部に属す声聞縁 18 覚に被らしむるが故に不空羂索.大宝積・大集.大方等・金光明・維摩・楞伽.思益等の経と同味なり、四教.四仏・四 0677 01 土を具す 今毘盧遮那経法界宮に於て説くことを顕す、 乃ち是れ法身寂光土なり勝に従つて名を受くるなり前後詳 02 明す可し云云。 -----― 一、真言宗を用いないこと 伝教大師の依憑集の序には、「弘法によって新たに将来された真言家は天台大師の教義を盗み入れた善無畏の口説を一行が筆記し理同事勝という相承を勝手に作ったことを隠している」とある。 安然の真言宗教時義巻二には「問う。天台宗が唐に遣いを出して得た、決定の義には『この大日経は、天台大師所立の五時の中において第三時の方等部に包摂される。彼の大日経の中には声聞乗・縁覚乗・菩薩乗と一仏乗の四乗を説いているからである』等々とあるが、この義についてはどうか。答える。前記の決義には『伝え聞くところによれば、二十巻からなる大日経の注釈があるという。ただし、いまだ開いては見てはいない』等々とあるように、これはいまだ大日経の真意を知らない誤った判定である。なぜならば、天台大師の立てた五時教判の第三時の方等時の教は、蔵・通・別・円の化法の四教を比較検討して、大乗教をもって小乗経をしりぞけ、円教をもって偏った教えをただしたのである。いま、大日経は、応供・正遍知の仏が衆生の機根を踏まえて、四乗の教法および八部衆の教法を説説いたものである。これは、仏の一切智智と同味である。もし、そうであるならば、大日経は法華経と同じである、というべきである。どうして、阿含部の低い小乗経を弾訶くた方等部の教えに包摂してよいだろうか」とある。 広修、維蠲の唐決には「問う。大毘盧遮那一部七巻は、薄伽梵が、如来の加持されている広大金剛法界宮に住して、すべての金剛杵を執持する者のために説き演べたものである。大唐の時代にインドの三蔵・輸婆迦羅・中国では、訳して善無畏との名前で呼ばれている。『今疑う。釈尊が説いた一代聖教は、初めの華厳経から最後の涅槃経に至るまで、華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時の五時と、蔵教・通教・別教・円教の四教のすべてに包含される。今この毘盧遮那経は、五時のうちのいずれの時、四教のうちのいずれの教に入るのか。また、法華経の前に説いた説となすのか。それとも法華経の後に説いた説と成すのか』と。この義については、どうか。答える。謹んで経文を探ってみると、方等部に属する。声聞界・縁覚界の人のために説いているので、不空羂索神変真言経・大宝積経・大集経・大方等陀羅尼経・金光明経・維摩詰所説経・楞伽経・思益梵天所問経等とおなじ生蘇味である。大日経の教えは、蔵教・通教・別教・円教の四教と四仏並びに、これらの四仏が住する四土を具足しているからである。今、毘盧遮那経は法界宮において説いたとされているのは、法身によらいである大日如来が住する寂光土を顕している。仏の勝れているところに従って、金剛法界宮という立派な名が付けられているのである。前後関係をつまびらかにし、明らかにすべきである」とある。 -----― 03 一、法華と諸経との勝劣の事 04 ┌本門第一 已今当第一なり薬王今汝に告ぐ諸経の中に於て最も其の上に在り又云く我が所説の諸経此の経の中に於て法華 05 法華経 第一┴迹門第二 最第一なり云云 06 涅槃経 第二 是経出世 07 無量義経第三 次に方等十二部経を説く 08 華厳経 第四 09 般若経 第五 10 蘇悉地経第六 第一に云く三部の中に於て此の経を王と為す、中巻に云く猶成就せざれば或は復大般若経を転読すること七遍或は一百遍せよ 11 大日経 第七 三国に未だ弘通せざる法門なり -----― 一、法華教と法華経以外の諸経典との勝劣のこと ┌本門第一 已今当第一なり薬王よ今あなたにに告げる。法華経は諸経の中に於て最も其の上に在る。又云く我が所説の諸経此の経の中に於て法華最第一である。 法華経 第一┴迹門第二 涅槃経 第二 是の経が説かれ世に出でる理由は何か。 無量義経第三 次に方等十二部経を説く。 華厳経 第四 般若経 第五 蘇悉地経第六 第一に云く三部の中に於て此の経を王と為す、中巻に云く猶成就せざれば或は復大般若経を転読すること七遍或は一百遍せよ。 大日経 第七 三国に未だ弘通せざる法門である。 |
成仏
仏になること。成道、作仏、成正覚ともいう。
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舎利弗は華光如来
サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。
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迦葉は光明如来
サンスクリットのカーシャパの音写。摩訶迦葉のこと。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、頭陀(欲望を制する修行)第一といわれた。釈尊の教団を支え、釈尊滅後の教団の中心となった。釈尊の言行を経典として集成したとされる。法華経授記品第6で、未来に光明如来に成ると保証された。
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須菩提は名相如来
サンスクリットのスブーティの音写。釈尊の十大弟子の一人。思索に優れ、よく空の法理を理解していたので、解空第一とされる。声聞の代表の一人。法華経授記品第6では、未来に名相如来に成ると釈尊から保証された。
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迦旃延は閻浮那提金光如来
サンスクリットのカーティヤーヤナの音写。摩訶迦旃延の略。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、論議第一とされる。釈尊の教えを詳しく理解して説明した。法華経授記品第6で、閻浮那提金光如来になると釈尊から保証された。
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目連は多摩羅跋旃檀香如来
サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された。
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富楼那は法明如来
サンスクリットのプールナマイトラーヤニープトラの音写(富楼那弥多羅尼子)の略。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、聡明で弁論に長じ、説法第一とされる。法華経五百弟子受記品第8で、未来世に法明如来に成ると釈尊から保証された。
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陳如等の千二百は普明如来
釈迦仏の弟子の一人である。単に憍陳如とも記される場合も多い。釈迦の最初の弟子。釈迦が成道して最初に教えを説いた五比丘の一人であり、またそのリーダー的人物である。法華経五百弟子授記品第8で500人の大阿羅漢および700の大阿羅漢が未来に普明如来に成ると釈尊から保証された。
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難は山海慧自在通王仏
サンスクリットのアーナンダの音写。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、釈尊の従弟にあたる。釈尊の侍者として、多くの説法を聞き、多聞第一とされる。付法蔵の第2。法華経授学無学人記品第9で、未来世に山海慧自在通王如来に成ると釈尊から保証された。
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羅睺羅は蹈七宝華如来
サンスクリットのラーフラの音写。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、密行(人に知られずひそかに行う修行)第一とされる。出家前の釈尊の子で、耶輸陀羅(ヤショーダラー)を母とする。法華経授学無学人記品第9で、未来世に蹈七宝華如来に成ると釈尊から保証された。
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提婆達多は天王如来
サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。
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摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏
釈迦の叔母であり養母である。また孫陀羅難陀の母である。後に釈迦が悟りを得て仏となると、最初の比丘尼となった。法華経勧持品第13で、未来に一切衆生喜見如来に成ると釈尊から保証された。
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耶輸陀羅女は具足千万光相如来
サンスクリットのヤショーダラーの音写。出家前の釈尊(悉達太子)の正妃で、羅睺羅の母。出家して成道した釈尊より化導され、比丘尼となった。法華経勧持品第13で、未来世に具足千万光相如来に成ると釈尊から保証された。
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娑竭羅竜王
大海。龍宮の王。大海竜王。「沙掲羅」、「娑羯羅」などとも漢語に音訳された。法華経・提婆達多品に登場する八歳の龍女はこの竜王の第三王女で「善女竜王」と呼ばれた。空海が新しく名付けることとなった清竜権現も唐からついて来たこの娑伽羅竜王の同じ娘の事である。
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竜女
竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
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無照光如来
八歳の竜女が未来に成仏する時の名号。
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正法華経
法華経の漢訳で現存する法華経の最古のもの。中国西晋の大康7年(0286)竺法蘭の訳、10巻。後の鳩摩羅什訳の妙法蓮華経にはない譬喩等を多く含んでいるが、27品からなり、提婆達多品を羅什訳の見宝塔品に相当する七宝塔品の後半に収めている。方便品第二を善権品第二、如来寿量品第十六を如来現寿品第十五としている。
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提婆品
妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。
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衆会
仏の説法の座に集まった衆生。大衆。
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忽然
一瞬・にわかに・突然・たちまち。
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変じて男子と成て
女子であった竜女が変じて男子になったとの意で、女人成仏・男女平等の成仏を示している。
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菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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具
そなえる、そなわる。
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南方無垢世界
竜女が成仏した時の南方にある国土の名号。無垢は汚れがないこと。
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宝蓮華
仏・菩薩の坐す台座のこと。
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等正覚
正しい覚り。仏の境地。仏の福徳。一切の真理を正しく徧く覚知することで、この内容が諸仏に平等である。
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三十二相
応化の仏が具えている三十二の特別の相をいう。八十種好とあわせて仏の相好という。仏はこの三十二相を現じて、衆生に渇仰の心を起こさせ、それによって人中の天尊、衆星の主であることを知らしめる。三十二相に八十種好が具り円満になる。大智度論巻四による三十二相は次の通りである。1 足下安平立相(足の下が安定して立っていること。足裏の全体が地について安定している)。2 足下二輪相(足裏に自然にできた二輪の肉紋があり、それは千輻が放射状に組み合わさって車の輪の相を示していること)。3 長指相(指が繊細で長い。4 足跟広平相(足の踝が広く平らかであること。5 手足縵網相(手足の指の間に水かきがあり、指をはればあらわれ、張らなければあらわれないこと。6 手足柔軟相(手足が柔らかいこと。皮膚は綿で編んだように微細である)。7 足趺高満相(足の甲が高いこと)。8 伊泥延膊相(膝・股が鹿の足のように繊細で引き締まっていること)。9 正立手摩膝相(立てば手で膝をさわることができること)。10 隠蔵相(陰部がよく整えられた馬のように隠れてみえないこと)。11 身広長等相(インド産の無花果の木のように、体のタテとヨコが等しいこと。12 毛向上相(身体の諸の毛がすべて上に向いてなびくこと)。13 一一孔一毛生相(一つ一つの孔に一毛が生ずること。毛は青瑠璃色で乱れず右になびいて上に向かう)。14 金色相(皮膚が金色をしていること)。15 丈光相(四辺にそれぞれ一丈の光を放つこと)。16 細薄皮相(皮膚が薄く繊細であること。塵や土がその身につかないことは、蓮華の葉に塵水がつかないのと同じである。17 七処隆満相(両手・両足・両肩・頭の頂の七処がすべて端正に隆起して、色が浄いこと)。18 両腋下隆満相(両脇の下が平たく隆満しており、それは高すぎることもなく、また下が深すぎることもない)。19 上身如獅子相(上半身が獅子のように堂々と威厳があること)。20 大直身相(一切の人の中で、身体が最も大きく、またととのっていること)。21 肩円好相(肩がふくよかに隆満していること)。22 四十歯相(歯が四十本あること)。23 歯斉相(諸の歯は等しく、粗末なものはなく、小さいもの・出すぎ・入りすぎや隙間のないこと)。24 牙白相(牙があって白く光ること)。25 獅子頬相(百獣のように獅子のように、頬が平らかで広いこと)。26 味中得上味相(食物を口に入れれば、味の中で最高の味を得ることができること)。27 大舌相(広長舌相ともいう。舌が大きく、口に出せば顔の一切を覆い、髪の生え際にいたること、しかも口の中では口中を満たすことはない)。28 梵声相(梵天王の五種の声のように、声が深く、遠くまで届き、人の心の中に入り、分かりやすく、誰からもきらわれないこと)。29 真青眼相(良い青蓮華のように、目が真の青色であること)。30 牛眼睫相(牛王のように、睫が長好で乱れないこと)。31 頂髻相(頭の頂上が隆起し、拳が頂上に乗っていること)。32 白毛相(眉間のちょうどいい位置に白毛が生じ、白く浄く右に旋って長さが五尺あり、そこから放つ光を亳光という)。
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八十種好
八十種の好ましい相ことで、八十随形好・八十随好・八十微妙種好・八十小相ともいう。三十二相に八十種好が具り円満になるのである。(1)無見頂相:仏の頂上の肉髻(にくけい)が高く、見上げようとしても愈々高くなって見ることができない。(2)鼻高不現孔:鼻が高く、孔が正面からは見えない。(3)眉如初月:眉が細く三日月のよう。(4)耳輪垂:耳の外輪の部分が長く垂れている。(5)身堅実如那羅延:身体が筋肉質で、天上の力士のように隆々としている。(6)骨際如鉤鎖:骨が鎖のように際立っている。(7)身一時廻旋如象王:身体を廻らすとき象が旋回するように一体となってする。(8)行時足去地四寸而現印文:歩くとき足が地面を離れてから足跡が現れる。(9)爪如赤銅色:爪が赤銅色。(10)膝骨堅而円好:膝の骨が堅く円い。(11)身清潔:身体が清潔で汚れない。(12)身柔軟:身体が柔軟。(13)身不曲:背筋が伸びて、猫背にならない。(14)指円而繊細:指が骨ばっていず、細い。(15)指文蔵覆:指紋が隠れていて見えない。(16)脈深不現:脈が深いところで打つので、外から見えない。(17)踝不現:踝が骨ばっていない。(18)身潤沢:身体が乾いていず光沢がある。(19)身自持不逶:身体がしゃんとして曲がっていない。(20)身満足:身体に欠けた所がない。(21)容儀備足:容貌と立ち居振る舞いが美しい。(22)容儀満足:容貌と立ち居振る舞いに欠点がない。(23)住処安無能動者:立ち姿が安定していて、動かすことが出来ない。(24)威振一切:威厳があり身振り一つであらゆる者を動かす。(25)一切衆生見之而楽:誰でも見れば楽しくなる。(26)面不長大:顔は長くも幅が広くもない。(27)正容貌而色不撓:容貌が左右対称で歪みがない。(28)面具満足:顔のすべての部分が満足である。(29)唇如頻婆果之色:唇が頻婆樹の果実のように赤い。(30)言音深遠:話すときの声が深くて遠くまで届く。(31)臍深而円好:臍の穴が深く、円くて好ましい。(32)毛右旋:身体中の毛が右に旋回している。(33)手足満足:手足に欠けた部分がない。(34)手足如意:手足が意のままに動く。(35)手文明直:手のひらの印文が明快で真っ直ぐ。(36)手文長:手のひらの印文が長い。(37)手文不断:手のひらの印文が途切れていない。(38)一切悪心之衆生見者和悦:どんな悪者も見れば和やかになる。(39)面広而殊好:顔は広々として好ましい。(40)面淨満如月:顔は満月のように浄らか。(41)隨衆生之意和悦与語:衆生の意のままに和やかに共に語る。(42)自毛孔出香気:毛孔より香気が出る。(43)自口出無上香:口より無上の香気が出る。(44)儀容如師子:立ち居振る舞いの威厳あること師子のよう。(45)進止如象王:歩くことも立ち止まることも象王のよう。(46)行相如鵞王:歩くときとは片足づつ交互に運び、鵞鳥のよう。(47)頭如摩陀那果:頭は摩陀那果のよう。(48)一切之声分具足:声にはあらゆる音が備わっている。(49)四牙白利:四本の牙が白く鋭い。(50)舌色赤:舌の色は赤い。(51)舌薄:舌は薄い。(52)毛紅色:毛髪の色は紅色。(53)毛軟淨:毛髪は軟らかく浄らか。(54)眼広長:眼は広くて長い。(55)死門之相具:死門の相が具わる。死はこの世からあの世へ行く門、不死の相ではないということ。(56)手足赤白如蓮華之色:手足の色があるときは赤く、あるときは白い蓮華のようで濁っていない。(57)臍不出:出臍ではない。(58)腹不現:腹は常に隠されている。(59)細腹:腹は脹れていない。(60)身不傾動:身体は傾いていなくて、揺ぎない。(61)身持重:身体に重量感がある。(62)其身大:身体が大きい。(63)身長:背が高い。(64)四手足軟淨滑沢:手足は柔軟で浄らか、滑らかで光沢がある。(65)四辺光長一丈:身体から放たれる光は長さが一丈ある。(66)光照身而行:光は身を照らして遠くに届く。(67)等視衆生:衆生を等しく視る。(68)不軽衆生:衆生を軽くみない。(69)隨衆生之音声不増不減:衆生の音声に随うも、声の大きさが増したり減ったりしない。(70)説法不著:法を説いても、執著することがない。(71)隨衆生之語言而説法:衆生の話す言葉の種類に随って、法を説く。(72)発音応衆声:声を発すれば、衆生を同じ声を出す。(73)次第以因縁説法:順に因縁を明らかにして説法する。(74)一切衆生観相不能尽:誰も相を観て、明らかにし尽くすことがない。(75)観不厭足:観相しても厭きることがない。(76)髪長好:毛髪が長く好ましい。(77)髪不乱:毛髪はまとまって乱れない。(78)髪旋好:毛髪は好ましく渦巻いている。(79)髪色如青珠:毛髪の色はサファイアのような青色。(80)手足為有徳之相:手足は力に満ちている。
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十方
十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。
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娑婆世界
娑婆とは梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳す。この世はあらゆる苦難を乗り越え、また耐え忍ばなければならない故に娑婆世界という。
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声聞
声聞界のこと。縁覚と合わせて二乗という。仏の教える声を聞いて悟る人をいい、小乗教の理想ではあるが、利己主義に陥るため、権大乗教では徹底的に弾呵され、煎る種のごとく、二度と成仏の芽を出すことがないと言われた。法華経にいたって、舎利弗・迦葉・迦旃延・富楼那等、声聞の十大弟子が得道する。そして歓喜した四大声聞の領解の文を開目抄には「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に 阿羅漢なり緒の世間・天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし」とあり、真の声聞とは、仏の弟子として、仏の教え、精神を民衆に聞かせ、後世に残していく人である。
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天竜
天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅迦等の八部衆。
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八部
八部衆のこと。仏法を守護する八種類の神々のこと。①天(天界に住む諸神)②竜(竜王・竜神)③夜叉(鬼神の一種)④乾闥婆 (天の音楽の神)⑤阿修羅(鬼神の一種)⑥迦楼羅(金翅鳥のこと。竜を主食とする鳥)⑦緊那羅 (天の音楽の神)⑧摩睺羅伽(蛇神)。
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非人
①人に非ざる衆生。天・竜・夜叉・等。②遁世の沙門・乞食。
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人天
人界と天界のこと、また、その衆生。人界は人間としてのごく普通な平穏な心・生命状態・境涯。天界は快楽に満ちた境涯。
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四十余年の諸の経論
釈尊が30歳のときに成道してのち、法華経を説くまで、42年間のあいだ、かずかずの経文を説いてきた経。
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地獄の使
地獄から派遣された使者。衆生を惑わし、堕地獄の因となるもの。
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地獄
苦しみに縛られた最低の境涯。古代インドでは、大きな悪の行いをした者は死後、地の下にあって苦悩が深く大きな世界に生まれるとされた。その世界をサンスクリットでナラカといい、音写して奈落と呼び、意訳して地獄という。
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仏の種子
成仏の種子。衆生の仏性をいう。衆生の成仏の因種を草木の種子にたとえたもの。
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夜叉
梵語ヤクシャ(Yakṣa)の音写で、薬叉とも書き、暴悪等と訳す。森林に棲む鬼神。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の三類あって、天・虚空の二夜叉は飛行するが、地夜叉は飛行しないといわれている。仏教では護法神となり、北方・多聞天王(毘沙門天)の眷属。
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眼の功徳
六根のなかの眼根が得る功徳。
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銀色女経
詳しくは仏説銀色女経という。元魏の仏陀扇多の訳。釈尊が過去世に銀色女として乳を施した功徳で変成男子して銀色王となり、命終えてのち、わが身を鳥獣や飢えた虎に施したことをもって不施の功徳と果報を説いた。
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三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
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法界
意識の対象となる一切の事物・事象。有情・非情にわたるすべての存在および現象をいう。法は一切諸法・万法・森羅万象・界は差別・境界。
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三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
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十二仏名経
『十二仏名神呪校量功徳除障滅罪経』のこと。 一巻。 隋の闍那崛多訳。 十二仏の名号を称えることによって、罪障を滅除し、未来に仏果を成ずると説く。
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大悲
仏・菩薩が衆生の苦しみを除こうとする心。
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極業の障
極めて重い罪業による障害。成仏を妨げる障害。
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降伏
①戦いに負けて敵に従うこと、受動的意味。②威力をもって種々の魔や悪などを降し伏することで、能動的意味。
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大論
大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。
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輪廻の業
地獄・餓鬼・畜生の三悪道に、修羅・人・天を加えた六道の生命の境界に生死を繰り返し、抜けることができず、苦悩にあえぐという果報を招く因となる悪業のこと。輪廻とはまわりめぐること。とどまることなく繰り返す事で、流転ともいう。迷いの衆生が三界六道の苦悩の世界を生死、生死と流転するさまが、あたかも車輪が回転して進むようであることから、生死流転・六道輪廻という。
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無間獄
無間地獄のこと。八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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往生礼讃
善導の五部九巻の著作のうち、『観経疏』(「本疏」「解義分」)以外の4部(『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』)はいずれも浄土教の儀礼・実践を明らかにしたものであるので、「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわされている。
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根欠
成仏の機根が欠けている人のこと。
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二乗種声
声聞乗と縁覚乗の二乗の種子。自利のみあって利他がなく、成仏という究極の目的を求めない声聞・縁覚の種生。
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五百生
五百世ともいう。500回の生死の繰り返しをいい、苦悩の時が長いことを示している。
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所生の処
生み出されるところ、境界。
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六趣の中に輪廻す
六趣の中において輪廻するとの意。六趣は迷いの衆生が輪廻する六つの境界。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界、六道ともいう。輪廻は迷いの衆生、凡夫が三界六道の苦悩の世界に流転して生死を繰り返し、苦しみあえぐ状態。
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現在
今・現在世。
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纒縛
からみしばること。転じて足手まとい、有情をまといしばって三界の獄につなぐ一切の煩悩。
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後生
三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。
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怨敵
仏及び仏の正法、またはその修行者に怨をなす敵をいう。謗法の者。
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真言
真言宗のこと。三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗・真言陀羅尼宗ともいう。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法(空海)と相承して付法の八祖とし、大日・金剛薩埵を除き善無畏・一行の二師を加え伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経とし、両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。中国においては、善無畏三蔵が唐の開元4年(0716)にインドから渡り、大日経を訳し弘めたことから始まる。金剛智三蔵・不空三蔵を含めた三三蔵が中国における真言宗の祖といわれる。日本においては、弘法大師空海が入唐して真言密教を将来して開宗した。顕密二教判を立て、自宗を大日法身が自受法楽のために内証秘法の境界を説き示した真実の秘法である密教とし、他宗を応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。空海は十住心論のなかで、真言宗が最も勝れ、法華経はそれに比べて三重の劣であるとしている。空海の真言宗を東密(東寺の密教)といい、慈覚・智証によって天台宗に取り入れられた密教を台密という。
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伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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依憑集
伝教大師が弘仁4年(0813)に著した書。本文は13章からなる。内容は天台の義を規範とし、依憑としながら、真言・華厳・三論・法相宗などが仏法の正義からはずれていることを破している。
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新来の真言家は則ち筆受の相承を泯す
伝教大師が依憑集の中で、真言の邪義を破折した文。「筆受の相承」とは中国の真言宗の一行が善無畏三蔵より筆受した真言の相承をいい、善無畏が天台宗の意によって釈したものであるのに、弘法は法華経を三重の劣と下した。これは善無畏・一行の真言の相承をも破ったものである。「影響の規模を隠す」とは、華厳宗の義を破ったもの。中国華厳宗の法蔵は、天台大師の義をもととして、華厳義など23巻を造ったが、このことを華厳宗の恵苑が「法蔵の義は天台の義に影響す」と判じた明文があるにもかかわらず、日本の華厳宗はこれを隠して法華経天台宗を下している非を指摘した文である。なお、「新来」とは真言宗が伝教大師と同時代に弘法が伝えたものであり、新しく渡来してきたことをいい、「旧到」とは、華厳宗が真言宗などより古くから渡来していたことを意味する。
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安然
(0841~0915)。天台宗の僧。伝教大師の同族といわれる。はじめ円仁の弟子となり、後に遍照について顕密二教の法を受けた。著述に専念し、天台宗を密教化した。著書は「教時問答」四巻、「悉曇蔵」八巻など多数ある。
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教時義
4巻、平安時代の日本・天台宗の僧・安然著。正しくは真言宗教時義。問答形式であることから真言宗教時問答ともいわれる。本書で論ずる真言宗は東密ではなく、慈覚・智証の台密。その教相を理論的に体系づけた書。弘法の十住心論・秘蔵宝鑰などとは対立する台密の教判が述べられている。
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遣唐の決義
法門上の疑問について、中国に死者を遣わし回答を仰ぐこと。これを唐決という。
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大盧遮那経
もとの名は『大毘盧遮那成仏神変加持経』。漢訳は,唐の善無畏による。7巻。密教の根本経典の一つ。漢訳本は 36品から成り,胎蔵法が説かれ,胎蔵界曼荼羅は本経によって描かれた。現存するチベット訳は,9世紀の初めに,インドの僧シーレンドラボーディ Sīlendrabodhiとチベットのパルツェ Dpal-brtsegsとが翻訳したもので,『チベット大蔵経』に収められている。
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天台五時
天台大師が一代聖教を説法の内容によって判釈した五時の教判のこと。華厳・阿含・方等・般若・法華をいう。
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方等部の摂
方等部とは方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもので、摂は包摂すること、入れること、属すること。五時教判の第3.
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披見
文献などを開いて見ること。
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誤判
誤った教判・判定。
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天台第三時の方等教
天台大師が一代聖教を説法の内容によって判釈した五時の教判の第三。
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四教相対
天台大師が立てた蔵・通・別・円の化法の四教をそれぞれ比較検討して勝劣を立てること。
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大を以て小を斥い
大乗教をもって小乗教を斥けること。
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円を以て偏を弾ず
円教である法華経をもって、偏った教えである爾前権教を糾弾していくこと。
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応供
人々から敬われ供養を受ける資格のある人の意で、仏のこと。
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正遍知
仏の十号のひとつ。仏はあらゆる智慧を具え、万法をあまねく完全に理解しているのでこう呼ぶ。
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楽に随つて
衆生が願い求めるところに従っての意。
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四乗の法
声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗に一仏乗を加えた四種の乗法。この四乗法は天台大師所立の化法の四教である蔵・通・別・円とほぼ同義である。
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八部法
八部衆に対して説かれた教法。大日経が八部衆に対して説かれたことからこのように呼ぶ。八部衆は①天(天界に住む諸神)②竜(竜王・竜神)③夜叉(鬼神の一種)④乾闥婆 (天の音楽の神)⑤阿修羅(鬼神の一種)⑥迦楼羅(金翅鳥のこと。竜を主食とする鳥)⑦緊那羅 (天の音楽の神)⑧摩睺羅伽(蛇神)のこと。
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一切智智一味
一切智智は、一切智のなかで最も勝れた仏自証の智のこと。通例、一切智は声聞・縁覚・仏に通じる智とされるが、声聞・縁覚の智と仏の智を分別した場合、より深い仏の智を一切智智という。一切智智一味とは、方便の教えは仏の智である一切智智と同味であるとするとの意。すなわち大日経で、仏が声聞乗道・縁覚乗道・大乗道などを説いたのは方便であって、それらは一切智智道を説こうとしたものにほかならないことを明らかにしたもの。
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方等弾斥の教
天台大師所立の五時教判の第三。方等部の教え。弾斥とは叱りとばすこと。方等部の権大乗教において、阿含部の低い小乗教を弾呵し、これを斥けているので弾斥という。
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広修
(0771~0843)。中国・唐代の天台宗の僧。広脩とも書き、至行尊者ともいわれる。道邃和尚の弟子となり、天台山禅林寺で天台の教観を学び、法華経・維摩経・金光明経等を日々読誦したといわれる。後に、請われて台州に行き、学堂で止観を講じた。円澄の「延暦寺未決三十条」の問いに対して、開成5年(0840)弟子の維蠲とともに答えている。
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維蠲
中国天台宗、天台山広脩座主の高弟。妙楽大師の法曽孫。
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大毘盧遮那
大毘盧遮那経・大日経のこと。
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薄伽梵
有徳・世尊のこと。諸仏の通号のひとつ。よく衆生の貧・瞋・癡の三毒を破り、徳を有し、世の人々の尊敬するところであることを表す。
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如来
①「如々として来る」と訳す。仏のこと。②過来・如来・未来のなかの如来。瞬間瞬間の生命。
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加持
①仏の加護のこと。②真言宗では加被・摂時の義として、仏が慈悲をもって衆生に加え、衆生が信心をもってこれを受け止め、相互に作用し交わること。③災いを除く祈り・修法・祈祷。
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広大金剛法界宮
大日如来の宮殿で、色界の頂上の色究竟天にあるとされる。
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持金剛者
金剛杵を執持する者。真言密教の根本教義とする金剛・胎蔵両界のうち、金剛界の諸尊がことごとく金剛杵を持するところから持金剛者という。
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天竺国
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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三蔵
①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
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輸婆迦羅
善無畏のこと。0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
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華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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涅槃
涅槃経の事。釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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五時
釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、説法の順序から五種に分類したもの。
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四教
天台大師所立の化法の四教、蔵・通・別・円のこと。
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統摂
統べて摂すること。統一して包含すること。
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毘盧遮那経
大毘盧遮那 成仏神変加持経のこと。すなわち大日経をいう。
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声聞
声聞界のこと。縁覚と合わせて二乗という。仏の教える声を聞いて悟る人をいい、小乗教の理想ではあるが、利己主義に陥るため、権大乗教では徹底的に弾呵され、煎る種のごとく、二度と成仏の芽を出すことがないと言われた。法華経にいたって、舎利弗・迦葉・迦旃延・富楼那等、声聞の十大弟子が得道する。そして歓喜した四大声聞の領解の文を開目抄には「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に 阿羅漢なり緒の世間・天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし」とあり、真の声聞とは、仏の弟子として、仏の教え、精神を民衆に聞かせ、後世に残していく人である。
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縁覚
辟支仏のこと。独覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るという。十法界明因果抄には「第八に縁覚道とは二有り一には部行独覚・仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習い小乗の戒を持し見思を断じて永不成仏の者と成る、二には鱗喩独覚・無仏の世に在りて飛花落葉を見て苦・空・無常・無我の観を作し見思を断じて永不成仏の身と成る戒も亦声聞の如し此の声聞縁覚を二乗とは云うなり」(0433-07)とある。
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不空羂索
三十巻。唐の菩提流志訳。不空羂索観音の真言陀羅尼、念誦法、曼荼羅、功徳などを説く。
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大宝積
中国,唐の菩提流支が漢訳した大乗経典。 120巻。 49会から成る独立した経典を集めたもので,法の宝の集積という意味である。『宝積経』という名は,古くから知られており,『大宝積経』の第 43会に相当するもので,『迦葉所問経』と呼ばれる経典であったらしい。
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大集
方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳。②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳。③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳。大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
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大方等
大方等陀羅尼経のこと。 四巻。 北涼の法衆訳。 文殊菩薩らのために十八種の陀羅尼の功徳を説いたもの。
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金光明
釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。
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維摩
釈尊方等時の経で、在家の大信者である維摩詰が、偏狭な二乗の仏弟子を啓発し、般若の空理によって、不可思議な解脱の境涯を示し、一切万法に期すことを説いている。後漢の厳仏以来、7回以上訳されたが、現存するのは三訳。①呉の支謙訳「維摩詰経」2巻②姚秦の鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」3巻③唐の玄奘訳「説無垢称経」6巻。わが国では聖徳太子が「浄名経」の名で、法華経・勝鬘経とともに、鎮護国家の三部経の一つと定めている。
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楞伽
漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
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思益
正式には「思益梵天所問経」という。方等部に属し、羅什訳の4巻である。迦蘭陀竹林で東方の思益梵天等を集めて説かれた。授記の意義、六波羅蜜の授記などを説いている。二乗を弾呵し菩薩の行法が明かされている。
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同味
同一の味。
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蔵・通・別・円の四教のそれぞれの教主である蔵仏・通仏・別仏・円仏のこと。
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四土
4種類の国土のこと。仏教の経典で描かれる種々の国土は、そこに住む衆生の果報であり、依報とされる。仏・菩薩・声聞などの国土は、内面に覚知し証得している境地と対応している。仏の国土は、仏が菩薩の時に立てた衆生救済の大願と積み重ねた修行に相応して建立されるものとされている。諸経では衆生の国土に実体的な環境の違いがあると説くのに対して、法華経見宝塔品第11では、三変土田によって、娑婆世界を中心に多くの国土が浄化されて統一されることが説かれる。本門の如来寿量品第16では、本来、常寂光土の一土であるが、それが衆生の一念に応じて種々の違いとなって実感されるということを明かしている。❶天台宗で立てる四土。①凡聖同居土(人・天などの凡夫も声聞・縁覚・菩薩・仏の聖者もともに住む国土)②方便有余土(見思惑を断じまだ塵沙・無明惑を残す二乗や菩薩が住む国土)③実報無障礙土(別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩が住む国土)④常寂光土(法身・般若・解脱の三徳をそなえ涅槃にいたっている仏が住む国土)をいう。【詳説】①凡聖同居土。略して同居土ともいう。迷いの凡夫と仏法の覚りを得た聖人とが、ともに住む国土をいう。この国土の仏身は劣応身とされる。▷同居穢土②方便有余土。略して、方便土、有余土ともいう。見思惑を断じた声聞・縁覚の二乗が生まれ住む国土のこと。すなわち方便の教えを修行して、煩悩の一部を断ずる小乗経の聖者が住む国土をいう。阿羅漢・辟支仏のように方便道を修行して一切の煩悩を仮に断じたゆえに「方便」といい、いまだ元品の無明を断ずることができないゆえに「有余」という。また七方便九種の行人の生まれ住むところなので、方便土であるという説もある(七方便とは、蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の声聞・縁覚・菩薩、別教の菩薩のこと。九種の行人とは七方便の中の別教の菩薩を三に開いたもので、蔵教の声聞・縁覚、通教の声聞・縁覚・菩薩、別教の六住の思惑・見惑を断じた菩薩、十行の菩薩、十回向の菩薩、円教の十信の菩薩のこと)。方便土は菩薩が成仏するまで見思の惑(三界六道に出た声聞・縁覚・菩薩等の生死)を断じて、さらに智慧を開いて次の実報土に生まれることから、変易土ともいう。③実報無障礙土。実報土のこと。無明の煩悩を段々に断じて、まことの道理を得た菩薩の住む国土をいう。実報とは真実の仏道修行をすることの報いとして、必ず功徳が顕れること。この土は他受用報身を教主とすることから受用土とも呼ばれる。④常寂光土。本仏・円仏が住む国土。迹土に対して本土ともいう。『観無量寿経疏』に「常寂光とは、常は即ち法身、寂は即ち解脱、光は即ち般若、是の三点縦横、並別ならざるを、秘密蔵と名づく。諸仏如来の遊居する所の処は、真常究竟にして、極めて浄土と為す」とある。常寂光を三徳に対応させ、常とは法身、寂とは解脱、光とは般若にあたるとし、それが時系列的・並列的ではなく円融しているので、不縦不横とされる。❷唯識学派(法相宗)で立てる四土。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』巻7などに説かれる、仏が住む国土を4種類に類別したもの。①法性土(自性身の住む国土)②自受用土(自受用身の住む国土)③他受用土(他受用身の住む国土)④変化土(変化身の住む国土)のこと。❸摂論宗の法常らが立てる四土。仏が住む国土を4種に分けて化浄土・事浄土・実報浄土・法性浄土としたもの。
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法界宮
広大金剛法界宮のこと。大日如来の宮殿で、色界の頂上の色究竟天にあるとされる。
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法身寂光土
法身如来とされる大日如来の住する寂光土のこと。
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詳明
つまびらかに、明らかにすること。
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法華経第一
釈尊が説いてきたところのさまざまな経の中で法華経が第一であるということ。法華経を説くことこそ、仏の出世の本懐であるという宣言。
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本門第一
本門が法華経の中で第一であるということ。本門は仏の本地をあらわした法門のこと。迹門に対する語。法華経28品を前後に分け後14品を本門とする。迹門は諸法実相に約して理の一念三千を説き、本門では釈尊の久遠実成の本地を明かし、因果国に約して仏の振舞の上から事の一念三千が示されている。また本門の中心となる寿量品では、釈尊は爾前迹門で説いてきた始成正覚の考えを打ち破って、実は五百塵点劫という久遠の昔に常道していたことを説き、成道の根本原因、本因・本果・本国土の三妙を合わせて明かし、成仏の実践を説いている。
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迹門第二
迹門は法華経の中で第二であるということ。迹門は垂迹仏が説いた法門の意。法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
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已今当第一
持妙法華問答抄には「設い此の経第一とも諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語によるべからず、之に依つて仏は『了義経によりて不了義経によらざれ』と説き妙楽大師は『縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し』と釈し給へり、此の釈の心は設ひ経ありて諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば方便の経としれと云う釈なり、されば爾前の経の習として今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ」(0462-08)とあり、法華経が「已今当説最為第一」の経であるとある。
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薬王
薬王菩薩のこと。法華経薬王菩薩本事品第二十三に説かれている。日月浄明徳仏の世に、一切衆生憙見菩薩といわれ、仏から法華経を聞き、現一切色身三昧を得た。そして身をもって供養しようと、身を焼いて法華経および日月浄明徳仏に供養した。そののち再び生まれて日月浄明徳仏から付嘱を受け、仏の涅槃に際しては、七万二千歳のあいだ臂を灯して供養した。
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涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
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三部
三部の経典のこと。「部」とは、ひとまとまりのある内容をもつものを区分したもの。①無量寿経・観無量寿経・双観経(浄土宗)。②大日経・金剛頂経・蘇悉地経(真言宗)。③法華経・仁王経・金光明経(鎮護国家)。④無量寿経・法華経・観普賢経(法華)等がある。
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大般若経
般若経のこと。大品・光讃・金剛・天王門・摩訶の五般若からなり、仁王般若を結経とする。釈尊が方等部の説法を終わり、法華経を説くまでの間に説いた経文で、説処は鷲峰山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」四十巻と玄奘三蔵の「大般若経」六百巻がある。前者を旧訳・後者を新訳という。般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称で般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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転読
経典をていねいに読誦すること。
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三国
仏教でいうところの三国は、インド・中国・日本をいう。
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「一、法華成仏の人数の事」「一、四十余年の諸の経論に女人を嫌う事」「一、真言を用いざる事」「一、法華と諸経との勝劣の事」の四項目は、一代五時の経のなかで法華経が最も勝れることを明らかにするために立てられたと考えられる。「一、法華成仏の人数の事」の項は、この法華最勝の義に関連して、天台宗の誤りを明らかにするため設けられたものである。
まず「一、法華成仏の人数の事」では、法華経の中で成仏を許された人々とその数が記されている。このように具体的に成仏を明かした経は法華経以外になく、法華経が40余年の諸教に勝れていることを証している。
次いで「一、四十余年の諸の経論に女人を嫌う事」では、先の項目で摩訶波闍波提比丘尼・耶輸陀羅女・竜女などの女人の成仏が法華経では許されていることを明らかにされたが、その関連で、爾前40余年の諸の経論では女人を不成仏として嫌っただけでなく、女人は地獄の使いであるから近づいてはならないと戒めていることをさまざまな文を引用して証されている。これは女人の成仏を説いた法華経に比して、いかに諸経が劣る経であるかを示している。
次いで「一、真言を用いざる事」では、爾前諸経でも特に真言宗とその依経を用いてはならないことを明確にするために立てられたと拝される。これは、法華経を立てる天台宗が、伝教大師亡きあと真言密教に毒され、弘法が開いた真言宗が「東密」と呼ばれたのに対し「台密」とまでに呼ばれるまでに堕落してしまったことから、その過ちを明らかにしようとされたものであろう。
初めに伝教大師の依馮集の文が引かれ、そのあと安然の教時義、そして広州維蠲の唐決が引用されている。いうまでもなく伝教大師は比叡山天台宗の開祖であり、法華最勝の正義を明確にした正師である。この慧馮集の文は、すでに前にも出ており、そこで説明したように、真言宗の「筆授の相承」のでたらめぶりを厳しく指摘している。この伝教大師の教えを引き継いでいれば天台宗が真言に惑わされることはなかったのであろうが、安然に至っては正道を見失い始めた。大聖人は「天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(0286-13)と厳しく弾訶されている。
この教時義の文も、大日経を天台五時教判のなかでは方等部に位置付ける天台宗正統の主張に対して、これは善無畏の大日経疏こそ伝教大師が「筆授の相承を泯し」と打ち破っているのであるから、これを披見しないで決め付けた誤判などでは全くないのである。
この安然の教時義に対して広修維蠲の唐決が掲げられている。これは、安然の文のなかの「天台宗の遣唐の決義」と共通するもので、大日経を方等部に位置付けるべきことを述べられている。ちなみに安然が0841に生まれているのに対し、広は0771年に生まれ0843に亡くなっているから、丸一世代先輩である。大聖人は「良諝・和尚・広修・維蠲なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず但方等部の経なるべし」(0896-02)と彼らが真言の邪義に惑わされていなかったと述べられている。
この広修・維蠲の唐決の内容は「大毘廬遮那経は大日如来が金剛法界宮に住して一切の持金剛者のために説いた経とされているが、この経を五時四教のいずれに位置すべきか」との質問に対して「方等部に位置付けられる。法界宮で説いたというのは法身時寂光土ということから言っているのであって、前後関係からつまびらかにすべきである」との答えがあったというのである。結論的には、大日経は方等部の経であるということである。
その点をさらに明確にするために「法華と諸経の勝劣の事」として、最も勝れるのが法華経であり、次に涅槃経、第三が無量義経、第四が華厳経、第五が般若経、第六が蘇悉地経、第七が大日経となり、大日経は法華経に対して七重の劣であることが示されている。
最後に記されている。「三国に末だ弘通せざる法門なり」とは、大日経第七とすることだけでなく、この諸経の順位付け全体を指していると考えられる。
0677:12~0680:14 第十章 鎮護国家は法華経に依るべきを示すtop
| 12 一、鎮護国家の三部の事 13 ┌法 華 経┐┌不空三蔵大暦に法華寺に之を置く 14 ├密 厳 経┼┼唐の大暦二年に護摩寺を改めて法華寺を立て中央に法華経 15 └仁 王 経┘└脇士に両部の大日なり 16 ┌法 華 経┐┌人王三十四代推古天王の御宇聖徳太子 17 ├浄 名 経┼┼四天王寺に之を置く摂津国難波郡 18 └勝 鬘 経┘└仏法最初の寺なり 0678 01 ┌法 華 経┐┌人王五十代桓武天皇の御宇伝教大師 ・ 02 ├金光明経┼┼比叡山延暦寺止観院に之を置かる 03 └仁 王 経┘└年分得度者二人┬ 一人は遮那業 04 └ 一人は止観業 05 ┌大 日 経┐┌五十四代仁明天王の御宇 06 ├金剛頂経┼┼慈覚大師・比叡山東塔の西惣持院に之を置かる 07 └蘇悉地経┘└御本尊は大日如来・金蘇二疏十四巻之を安置せらる -----― 一、災難を鎮め国家を護る三部の経典のこと ┌法 華 経┐┌不空三蔵が大暦年間に法華寺にこれを安置する。 ├密 厳 経┼┼唐の大暦二年に護摩寺を改めて法華寺を立てる、中央に法華経。 └仁 王 経┘└脇士に胎蔵界の大日如来と金剛界の大日如来を配置した。 ┌法 華 経┐┌人王第三十四代の推古天王の御代の人、宇聖徳太子が、 ├浄 名 経┼┼四天王寺にこれを安置する。摂津国難波郡に建立された。 └勝 鬘 経┘└日本で最初の仏寺である。 ┌法 華 経┐┌人王第五十代の桓武天皇の御代に伝教大師は、 ├金光明経┼┼比叡山延暦寺の止観院にこれを置かれる。 └仁 王 経┘└延暦寺の年分得度者二人┬ 一人は遮那業を修する。 └ 一人は止観業を修する。 ┌大 日 経┐┌人王第五十四代の仁明天王の御代の人、 ├金剛頂経┼┼慈覚大師が比叡山東塔の西の惣持院にこれを安置する。 └蘇悉地経┘└御本尊は大日如来で、その前に金剛頂経の疏と蘇悉地経の疏の二疏十四巻が安置される。 -----― 08 一、悲華経の五百の大願等の事並びに示現等 09 第一百十三願に云く我来世穢悪土の中に於て当に作仏することを得べし 則ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我 10 当に之を度すべしと文。 11 第一百十四願に云く我無始より来かた積集せる諸の大善根一分我が身に留めず悉く衆生に施さんと文。 12 第一百十五願に云く十法界の諸の衆生無始より来かた造作する所の極重五無間等の諸罪合して我が一人の罪と 13 為す大地獄等に入つて大悲代つて苦を受けんと文。 14 悲華経に云く我が滅度の後末法の中に於て大明神と現じて広く衆生を度せんと文。 15 涅槃経の二に云く爾の時に如来・棺の中より手を出して 阿難を招き密かに言く汝悲泣すること勿れ我還つて復 16 閻浮に生じて大明神と現じて広く衆生を度せんと文。 17 又云く汝等悲泣すること莫れ遂に瞻部州に到つて衆生を度せんが為の故に大明神と示現せんと文。 18 悲華経に云く第五百願に我来世穢悪土の中に於て大明神と現じて当に衆生を度すべし文。 0679 01 大隅正八幡の石の銘に云く昔霊鷲山に在つて妙法華経を説く衆生を度せんが為の故に大菩薩と示現すと文。 02 行教和尚の夢の記に云く阿弥陀三尊 03 延暦二十三年甲申春、伝教大師渡海の願を遂げんが為に筑前宇佐の神宮寺に向つて自ら法華経を講ず、 即ち託 04 宣して云く我此の法音を聞かずして久しく 歳年を歴たり幸に和尚に値遇して 正教を聞くことを得て至誠に随喜す 05 何ぞ徳を謝するに足らん苟くも 我が所持の法衣有り 即ち託宣の主・斎殿を開いて手に紫の袈裟一を捧げて和尚に 06 上る、 大悲力の故に幸に納受を垂れたまえ、 是の時禰宜祝等各各之を随喜す 元来此くの如きの奇事見ず聞かざ 07 るかなと、彼の施す所の法衣は山王院に在り文。 08 元慶元年丁酉十一月十三日権大宮司藤原実元女七歳にして託宣して云く 我日本国を持ちて大明神と示現す本躰 09 は是れ釈迦如来なり。 10 延喜二年四月二日二歳計りの小児に託宣して云く 我無量劫自り以来度し難き衆生を教化す未度の衆生の為に此 11 の中に在つて大菩薩と示現すと文。 -----― 一、悲華経に説かれる五百の大願等のこと、並びに示現等 第一百十三願には「私は、未来世のけがれた劣悪な国土の中において、まさに成道することを得るであろう。すなわち、十方の浄土から追い出された衆生を集めて済度するであろう」とある。 第一百十四願には「私は、久遠の昔から積んできたもろもろの大善根を、ごくわずかも私の身にとどめず、ことごとく衆生に施そう」とある。 第一百十五願には「十法界のもろもろの衆生が久遠の昔から作ってきた極めて重い五無間等の諸罪を合わせて、私一人の罪となす。大地獄等に入って大悲のゆえに衆生に代わって苦しみを受けよう」とある。 悲華経には「私の入滅の後、末法の中において、大明神となって出現して、広く衆生を済度しよう」とある。 涅槃経の巻二には「その時に釈迦如来は、棺の中から手を出して、阿難を招き密かに言った。悲しみ泣くのではない。わたしはこの南閻浮に帰ってきて生を受け、大明神となって現われ、広く衆生を済度するであろう」とある。 また、涅槃経には「あなたたちよ、悲しみ泣くのではない。瞻部州に至って衆生を済度するために大明神となって出現しよう」とある。 悲華経の第五百願には「私は未来世に、穢れた国土の中に大明神となって現れて、まさに衆生を済度するであろう」とある。 大隅国にある正八幡宮の石の銘には「昔、霊鷲山あって妙法蓮華経を説く。衆生を済度するために、八幡大菩薩となって出現する」とある。 行教和尚が夢に受けた神宣の記によると、阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩の弥陀三尊が示現した、とある。 「延暦二十三年(甲申)の春、伝教大師は、海を渡って入唐しようとの願いを遂げるために、筑前の宇佐の神宮寺に向って自ら法華経を講述した。すると、これに対して次のように託宣した。『私はこの妙法の音声を聞かないで長い年月を経過した。幸いなことに和尚にお会いして、正しい教法を聞くことを得て心から歓喜いている。いかにすればこの恩恵に感謝するに足りるであろうか。身分不相応ではあるが、私が所持している法衣がある』と。すなわち託宣の主である八幡大菩薩は、大殿を開いて手に紫の袈裟を一つ捧げて和尚に差し上げた。そして『大慈悲の故にどうか受け納めていただきたい』と、この、禰宜は祝らはおのおの歓喜して『これまで、このような不思議は見たこともない。聞いたこともない』と」。「彼の八幡の施したところの法衣は山王院にある」とある。 元慶元年(丁酉)十一月十三日、権大宮司・藤原実元の七歳の娘を通して八幡大菩薩が託宣されるには、「私は日本国を持って大明神と変じて現れたが、私の本体は釈迦如来である」とある。 延喜二年四月二日、わずか二歳ばかりの幼児を通しての八幡大菩薩の託宣されるには「私は、無量劫の遠い過去から済度しがたい衆生を教え導いてこたが、未だ済度していない衆生のため娑婆世界にあって身を変じて大菩薩となって現れたのである」とある。 -----― 12 一、北野の天神法華経に帰して真言等を用いざる事 13 天神の託宣に云く吾円宗の法門に於て 未だ心に飽かず仍つて遠忌追善に当て須く密壇を改めて法華八講を修す 14 べきなり、 所以に曼陀羅供を改めて法華八講を始め 吉祥院の八講と号す是なり、 彼の院は北野天神の御旧跡な 15 り。 -----― 一、北野の天神は法華経に帰して真言宗等の教えを用いないこと 北野の天神は「私は、円宗である法華宗の法門において、未だに心に飽きることがない。したがって、菅原道真の遠忌に追善の法会を営むに当たっては、密壇で密経の修法を行うことを改めて、法華八講を修すべきである」と託宣されたので、真言密経の金剛界曼陀羅・胎蔵界曼荼羅供養を改めて、法華八講を始めた。吉祥院の八講と号するのがこれである。彼の吉祥院は、北野天神の御旧跡である。 -----― 16 一、賀茂大明神法華を信ずる事 一条院の御時年代記に之有り 17 恵心の僧都加茂社に七箇日参篭して出離生死の道は何れの経にか付く可きと祈誠有れば、 示現して云く釈迦の 18 説教は一乗に留り諸仏の成道は妙法に在り菩薩の六度は蓮華に在り二乗の作仏は此の経に在り文。 0680 01 伝教大師加茂大明神に参詣して法華経を講ず甲冑をぬいで自ら布施し給い畢んぬ。 02 文句の十に云く得聞是経不老不死とは此れ須らく観解すべし不老は是れ楽・不死は是れ常・此の経を聞いて常楽 03 の解を得文。 04 涅槃経の十三に云く 是の諸の大乗方等経典は復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲す喩と為ること 05 を得ず 百倍千倍百千万億倍乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、 善男子譬えば牛より乳を出し乳より酪を出 06 し酪より生蘇を出し 生蘇より熟蘇を出し熟蘇より醍醐を出し醍醐最上なり、 若し服すること有る者は衆病皆除く 07 所有の諸薬悉く其の中に入るが如し、 善男子・仏も亦是くの如し仏より十二部経を出生し 十二部経より修多羅を 08 出し修多羅より方等経を出し 方等より般若波羅蜜を出し般若波羅蜜より大涅槃を出す猶醍醐の如し、 醍醐と言う 09 は仏性を喩う仏性とは即ち是れ如来なり文。 -----― 一、賀茂大明神が法華を信ずる事( 一条天皇の御時にこのことが記されている) 恵心僧都・源信は、加茂神社に七日間こもって、生死の苦しみから出離して仏の境地に至る道を成就するには、いずれの経典について修行すべきであろうか、と誠意をこめて祈ったところ、加茂大明神が現れて「釈尊の教えは一仏乗である法華経にとどまり、に諸仏の成道は妙法にあり、菩薩の六波羅蜜の修行は蓮華にあり、声聞・縁覚の二乗の作仏はこの法華経」にあるといわれたとある。 伝教大師が加茂大明神に詣でて法華経を講じたところ、加茂大明神は甲冑をぬいで、自ら布施された。 法華文句巻十には「法華経薬王菩薩本事品第二十三には是の経を聞くこと得ば不老不死ならん、とあるのは、不老は常楽我浄の四徳に配し、不死は常に配される。この法華経を聞いて常楽の悟りを得ることができるということと観解すべきである」とある。 涅槃経の十三には、「この数多くの大乗経典は無量の功徳を成就するとはいっても、この経とは比較にならない。諸大乗経典の百倍・千倍・百千万億あるいは算数も譬喩も及ぶことができないところの勝れた経典である。善男子よ、たとえば、牛から乳を出し、乳から酪を出し、酪から生蘇を出し、生蘇より熟蘇を出し、熟蘇から醍醐を出す。この醍醐が最上である。もし醍醐を服する者は、あらゆる病をすべて治癒させることができる。所持しているさまざまな薬が、皆ことごとくその醍醐の中に入っているようなものである。善男子よ。仏もまたこのようなものである。仏から十二部経を出生し、十二部経から修多羅を出し、修多羅から方等経を出し、方等から摩訶般若波羅蜜を出し、摩訶般若波羅蜜から大涅槃を出す。なお醍醐の如くである。醍醐というのは仏性を喩えるのである。仏性とは、すなわち如来である」とある。 -----― 10 一、金剛峯寺建立修業縁記に云く、 吾入定の間知足天に往いて慈尊御前に参仕すること 五十六億七千余歳の 11 後・慈尊下生の時必ず随従して吾が旧跡を見る可し此の峯等閑にすること勿れと文。 -----― 一、金剛峯寺建立修業縁記には「弘法が入定うると知足天に行って、慈尊の御前にうかがって仕えること五十六億七千年の後、慈尊が兜率天から人界に下り生まれる時、必ず付き従がって戻ってくるであろう。この高野山の峯をなおざりにしてはならない」とある。 -----― 12 一、弘決に云く若し衆生・生死を出でず仏乗を慕わずと知らば魔・是の人に於て猶親想を生ずと文。 13 五百問論に云く大千界塵数の仏を殺すは其の罪尚軽し、 此の経を毀謗すれば罪彼より多し永く地獄に入つて出 14 期有ること無からん、読誦の者を毀呰する亦復是くの如し文。 -----― 一、止観輔行伝弘決には「もし衆生が生死の輪廻を出をでず、仏乗である法華経を慕わないと知れば、魔は、この人において、なお親しい思いを生ずる」とある。 五百問論には「大千界塵数というきわめて膨大な数の仏を殺すのは、その罪はなお軽い。この法華経を毀り謗る罪は、彼の多数の仏を殺した罪よりも多う。長い間地獄に入って出る時はないであろう。法華経を読誦する者をそしる罪もまた同じである」とある。 |
鎮護国家の三部
災難をしずめ国家を守る三部の経典のこと。
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鎮護国家
仏法によって災難を鎮め国家を護ること。国王がその経を受持すれば諸天善神に守護されるとする護国思想を説く経典が、朝廷や貴族の間で重視され、講説・祈禱に用いられた。
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密厳経
3巻。中国・唐代の不空訳。大乗密厳経のこと。8品からなる。三界六道の煩悩を断じた初地以上の菩薩が生ずる国として密厳経を説き、次に如来の法性は不生不滅・清浄無垢であると観ずる境地を如来蔵とし、更には万法の唯識の所現であるとして、その万法の根源を阿頼耶識として説いている。最後に密厳国に生ずるためには阿頼耶識を悟り、如来蔵を得べきであるとして、この三者を一体のものとしている。異訳に中国・唐代の地婆訶羅の大乗密厳経3巻がある。
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仁王経
釈尊一代五時のうち盤若部の結経である。恌秦の鳩摩羅什(0334~0413)訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、唐の不空三蔵(0705~0774)訳の「仁王護国般若波羅蜜経」がある。羅什訳のほうが広く用いられている。この仁王経は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政道を行ずれば、三災七難が起こらず「万民豊楽、国土安穏」となると説かれている。このゆえに、法華経、金光明経とともに、護国の三部経として広く尊崇された。般若波羅蜜とは、菩薩行の六波羅蜜の一つであるが、般若とは智慧で、その実体は法華経文底秘沈の大法を信じ、以信代慧によって知恵を得ることである。末法においては、この三大秘法を受持して広宣流布することが般若波羅蜜を行ずることになる。法蓮抄には「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・ 小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・ 大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く『聖人去らん時は七難必ず起る』等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」とある。
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不空三蔵
(0705~0774)。梵名アモーガバジュラ(Amoghavajra)、阿目佉跋折羅と音写。意訳して不空金剛。不空はその略。中国唐代の真言宗三三蔵(善無畏、金剛智、不空)の一人で、中国密教の完成につとめた。15歳の時、唐の長安に入り、金剛智に従って出家した。開元29年、金剛智死去後、南天竺に行き、師子国(スリランカ)に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、6年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。羅什、玄奘、真諦と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられ「金剛頂経」など多くの密教経典類を翻訳した。
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大暦
中国・唐代の年号で0776~0779まで。
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法華寺
中国の五台山にあった寺院のこと。神英が法華院を建立したものと思われる。
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護摩寺
中国の五台山にあった呉摩子寺のことと思われる。
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脇士
つねに仏の両脇に立ち随って仏の化導を助ける菩薩のこと。夾侍、挾侍、脇、脇立ともいう。釈尊には文殊と普賢、阿弥陀仏には観音と勢至、薬師如来には日光と月光の各菩薩が脇士になっている。
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両部の大日
大日経で説く胎蔵界の大日如来と、金剛頂経で説く金剛界の大日如来のこと。
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浄名経
維摩経のこと。梵本は失われ,大乗集菩薩学論の中に引用文として断片的に残っているだけである。漢訳は鳩摩羅什訳、維摩詰所説経3巻など三種がある。主人公の維摩詰は毘舎離の富豪で、大乗仏教の奥義に精通していた在家の菩薩。内容は病床にあった維摩詰と、見舞いに訪問した文殊師利菩薩をはじめとする仏弟子達との問答形式で、教理が展開されている。大乗の不可思議の妙理によって小乗教を破し、灰身滅智の空寂涅槃に執着する二乗を弾呵し、大乗に包摂することを趣旨としている。
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勝鬘経
勝鬘師子吼一乗大方便広経のこと。
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人王
天上界の王に対して、人間界の王をいう。
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推古天王
(0554~0628) 記紀で第33代天皇(在位0592~0628)の漢風諡号。名は額田部。豊御食炊屋姫とも。欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると,推されて即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行い,飛鳥文化を現出。
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御宇
ひとりの天子の時代。
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聖徳太子
(0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。
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四天王寺
天王寺、荒陵寺ともいう。聖徳太子の建立した寺で元興寺とともに日本最古の寺院。物部の守屋が亡んだ翌8月、崇峻天皇が即位し、聖徳太子は、難波玉造の岸の上の地を選んで四天王護国の寺を創立した。この時馬子は、物部氏の類族273人を寺の奴婢とし、荘園136,890代を寺領として寄進したといわれる。推古天皇の元年に、荒陵の地に移したが、中門、塔、金堂、講堂を南北に一直線にならべてあるので、この様式を四天王寺式と呼ぶ。初めは八宗兼学の道場であったが、後に天台宗に属するようになった。戦後は単立寺院となっている。
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摂津の国
機内の五か国の一つ。現在の大阪府の一部と兵庫県の一部。早くから農耕が発達して集落も多く、畿内と西国、また紀伊を結ぶ交通の要所で大和朝廷の対外通行の地であり、奈良時代には摂津職という特別な役所が置かれた。
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難波郡
摂津国にあった郡の名。現在の大阪市浪速区・中央区・天王寺区など。飛鳥時代には大郡と小郡に分かれており、飛鳥時代には東成郡・西成郡となった。
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金光明経
釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。
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桓武天皇
(737~806)光仁天皇の第一皇子として天平9年(0737)誕生。第50代天皇に即位して、蝦夷の平定、兵制改革、平安遷都など数々の業績を残し、律令政治中興の英王といわれる。蝦夷平定については坂上田村麻呂を征夷大将軍として抜てきし東北開発の実績をあげた。また、政治の堕落の源流が乱れきった諸宗の僧が政治に介入していることにあると看破し、都を平安京に遷したことも、気運の清心化をもたらした。しかし桓武天皇のもっとも大きい業績は、伝教大師最澄と南都六宗との間で公場対決させ、仏法の正邪を明らかにし、正法たる法華経を興隆して善政をしたことである。この結果、政治的にも文化的にも大いに興隆した平安文化の華が咲いたのである。
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伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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比叡山延暦寺
滋賀県大津市にある天台宗の総本山。比叡山は山号。延暦4年(0785)伝教大師最澄がこの地に草庵を結び、同7年(0788)根本中道を創建したことに始まる。
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止観院
比叡山の根本中道のことで、伝教大師の建立、本尊は薬師如来。
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年分得度者
天皇から許可された年に一定の得度者のこと。平安時代の初期・中期に各教各宗ごとに年に得度する人数が定められ、一定の試験を経て得度し、所定の修行を積む者をいった。
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遮那業
大毘盧遮那経業を修学する天台密教の学業のこと。伝教大師の山家学生式には、天台法華宗の学生が修めなければならないふたつの過程の一つ。
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止観業
摩訶止観を読み、四種三昧を修し、経を読み講ずる行業のこと。遮那業と合わせて日本天台宗の両業という。
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金剛頂経
金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
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蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
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慈覚大師
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
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東塔
滋賀県大津市にある比叡山延暦寺の三搭のひとつ。比叡山東面の中腹に位置する。一山の中心地域で、東谷・西谷・南谷・北谷・無動寺谷が属する。根本中堂・戒壇院・大講堂などがある。
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惣持院
比叡山延暦寺の東塔の本院。法華仏頂総持院のこと。慈覚大師伝によると、慈覚は入塔して長安の青竜寺において、義真・法全・元政等から真言の法を受けた。帰朝後、青竜寺の鎮国道場に模して仁寿元年(0851)に建立し、大日如来を本尊とし、十四僧を置いて皇帝本命の道場とした。
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金蘇二疏十四巻
慈覚の金剛頂大教王経疏7巻と蘇悉地羯羅経略疏7巻、合わせて2疏14巻をいう。
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悲華経
大乗仏教経典の一つ。『大乗悲分陀利経』『悲蓮華経』とも訳される。5世紀頃の曇無讖訳。 10巻。『閑居経』など小部の経典の集成らしく,6品から成る。宝蔵如来のもとで,無諍念王とその 1000人の王子が無上心を起して,浄土往生を約束されるというもので,阿弥陀如来の本願を含んでいる。
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五百の大願
五百の請願ともいう。釈尊が因位の修行の時、宝海梵志として一切衆生を救わんがために宝蔵如来の前で起こした誓願が500あること。
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示現
仏・菩薩が衆生を教化し救済するために種々に身を変じて現れることをいう。
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来世
未来世のこと。
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穢悪土
穢土で悪世界である国土。けがれた劣悪の国土。
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作仏
仏に作ること。成仏・得仏・成道・得道のこと。
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十方浄土
全世界のあらゆる世界に存する諸仏の清浄な黒土・仏国土。
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擯出
人をしりぞけ、遠ざけること。住所を追い出すことをいう。
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衆生
梵語サットヴァ(sattva)の音写。薩埵と訳す。この世に存在するもの、生けるもの。主として人間をさす場合が多いが、感覚をもつ生き物すべてをいう。
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度す
済度すること。人々を迷いから救うこと。
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我無始より来かた
無始は始まりがないとの意で、久遠の昔からよりの意。
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積集
積み集めること。
―――
大善根
善い果報を招くべき大いなる善因。根とは結果を生ずべき因。題目を上げること、折伏・弘教への実践活動が最高のである。一生成仏抄には「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(0383-14)とある。
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一分
ごくわずか。
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十法界
十種の法界・十界のこと。
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造作
一切の所作・振る舞い。
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五無間
五つの無間地獄に堕ちる重罪で、五逆罪と同じ。このうち一つでも犯せば無間地獄に堕ちるため、五つの無間の重罪・五無間といわれている。
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罪
宗教や社会における法に反する行いのこと。
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大地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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大悲
仏・菩薩が衆生の苦しみを除こうとする心。
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苦
梵語ドゥフカ(Duhkha)の訳で、苦しみ、心身を悩ます不快のこと。身と心を区別して、身に感ずる苦と、心に感ずる憂に分ける場合もある。楽に対する語で種々に分類されている。①二苦。老病死など自己の身心から起こる苦と外部から受ける苦の二つ。更に外苦には、悪人・獣などによる害苦と風雨寒熱など自然による災害の二種がある。②三苦。1.風水害・天災など好ましくない対象から感ずる苦、2.好ましい対象が崩れる時に感ずる苦、3.森羅万象が無常に感ずる苦。③四苦。生・老・病・死の四苦。④八苦。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えた八つの苦しみ。生老病死を一苦とし、五苦とする場合もある。⑤十苦。生苦・老苦・病苦・死苦・愁苦・怨苦・苦受・憂苦・病悩苦・流転大苦。⑥瑜伽論で説く110苦。⑦老・病・死を三種の身苦、貧・瞋・癡を三種の心苦ということもある。⑧苦の迷界は有漏から起こるので有漏の異名として用いられる。⑨三道(煩悩・業・苦)のひとつ。⑩四諦(苦・集・滅・道)のひとつ。⑪涅槃経には上苦・中苦・下苦の三種が説かれている。
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滅度
●①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。
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末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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大明神
神を尊だ神社の語に大を付け一層の敬意を表したもの。
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涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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阿難
阿顛底迦・阿顛提・畢竟のこと。とどのつまり正法を信ずることができない者。
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閻浮
一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
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瞻部州
一閻浮提のこと。
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大隅正八幡
鹿児島神宮のこと。鹿児島県霧島市隼人町内にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。二つに割れた石があり、片方に「八幡」片方に「昔、霊鷲山に於いて妙法蓮華経を説き」と書かれていたと言われている。
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霊鷲山
中インド摩竭提国(ベンガル地方)の首都である王舎城の丑寅すなわち東北の方角にある。法華経の説処。梵語で耆闍崛山といい、その南を尸陀林といって、死人の捨て場になっていたため、鷲が飛来するので「鷲山」といい、三世諸仏成道の法である法華経が説かれたので「霊山」という。末法においては、御本尊のましますところこそ、霊鷲山であり、また、御本尊を受持する者の住所も、霊鷲山である。
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大菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva])の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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行教和尚
平安時代の大安寺の僧侶。父は山城守紀魚弼。仁和寺益信とは俗兄弟で、石清水八幡宮別当安宗の叔父にあたる。出家前の半生はよく分からない。大安寺で法相・三論・密教を学び、また日本天台宗の祖最澄の師行表や、真言宗の宗叡に師事したともいう。天安2年(0858)真雅の推挙により、藤原良房の外孫惟仁親王の即位を祈祷するため、九州の宇佐八幡宮へ派遣されることとなった。しかし、親王がまもなく即位したことから、翌貞観元年(0859)改めて天皇護持のため宇佐八幡宮に90日間参篭した。このとき神託を受け、翌貞観2年(0860)宇佐八幡宮から山城国男山の護国寺に八幡大菩薩を勧請して石清水八幡宮を創建した。貞観5年(0863)には伝燈大法師位に任じられた。
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阿弥陀三尊
念仏宗が立てる本尊。阿弥陀仏とその脇士である観世音・勢至の二菩薩のこと。観無量寿経には観音は左蓮華に座し慈悲をあらわし、勢至は右蓮華に座し智慧をあらわす。
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延暦二十三年甲午
延暦23年(0804)で甲申であり御書の記述と誤りが生ずる。転写ミスであろう。最澄が入唐したのは延暦23年(0804)である。
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筑前宇佐の神宮寺
大分県宇佐市にある神社。式内社(名神大社3社)、豊前国一宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた。現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。
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託宣
神仏が人にのりうつったり、夢にあらわれたりなどして、その意思を告げ知らせること。神に祈った事によって受けるお告げ。
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此の法音
妙法蓮華経のこと。
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和尚
弟子が師を尊称する用語。
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徳
恩恵・利得。
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法衣
僧侶が身にまとう衣装。
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斎殿
祭殿のこと。祭礼を行う殿舎、本殿。
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袈裟
梵語(Kasōya)の音訳。不正雑色の意。僧侶が左脇から右脇下にかけて、衣の上をおおうように着する長方形の布。大小によって五条・七条・九条の三種がある。法衣・功徳衣・無垢衣・忍辱鎧ともいう。釈尊が修行中に、布施された布を、塵垢に汚染して綴り合せたたのが衣としたのが由来とされる。以来仏教徒のならわしとなり、これを着すること自体が、仏教の僧であることを象徴するよになった。袈裟の色は青・赤・黄・白・黒を避けて、他の雑色を用いることが決まりとなっており、普通似黒・似赤・似青を用いる。インドでは乾陀色、中国では木蘭色、日本では香色という。
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大悲力
仏や菩薩が衆生の苦悩を打ち破る大慈悲のこと。
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納受
受け納め、聞きおさめること。
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禰宜
神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
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祝
神社に属して神に仕える職の一。ふつう神主・禰宜 より下級の神職をいう。
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元来
昔から、過去から。
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奇事
不思議なこと、珍しいこと。
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山王院
比叡山延暦寺東塔の叡山9塔のひとつ。伝教大師の安置した千手観音像があり、千手堂ともいう。擣から帰国した智証がここに住んだので、智証のことを山王院と呼ぶ場合もある。
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元慶元年丁酉
(0877)陽成天皇・光孝天皇の御世。
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権大宮司
神宮の神職で大宮司に次ぐ位と考えられる。
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藤原実元
詳細不詳。
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本躰
本体の旧文字。
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延喜二年
(0902)醍醐天皇の御世。
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無量劫
量り知れないほどの長い期間。「無量」は無限の意。「劫」は長遠の時間。長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を劫としている。(他説あり)。
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教化
教導・化益すること。衆生を教え導き、衆生に利益を与えること。開化・施化と同義。
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未度の衆生
いまだ済度していない衆生。
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北野の天神
菅原道真の霊を祭る。京都市上京区にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。
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円宗
円教である法華経を依経とする宗派。
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遠忌追善
遠忌に追善の法要を行うこと。
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蜜壇
密教の修行を行う祭壇。
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法華八講
法華経八巻を八座に分け、一巻ずつ講ずる法会。
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曼陀羅供
真言密教における金剛界曼荼羅と胎蔵界漫荼羅を供養する法会。
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吉祥院の八講
吉祥院は京都市南区吉祥院政所町にある神社。現在は浄土宗の寺になっている。菅原道真が父の追善のために建立した。この場で法華八講が行われていたが現在は行われていない。
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賀茂大明神
京都府京都市にある賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の2つの神社の総称である。古代の賀茂氏の氏神を祀る神社で、古くは「賀茂大神」とも呼称した。両社の祭事である葵祭は特に有名である。また、この賀茂神社から勧請を受けた、「加茂神社」・「賀茂神社」・「鴨神社」などといった神社が日本各地に約300社ある。
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一条院の御時年代記
何を指すのか不明。
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一条院
(0980~1011)第66代天皇。
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恵心
(0942~1017)。比叡山第十八代座主。慈慧大師の弟子で権少僧都・慧心源信のこと。大和国葛城郡当麻郷(奈良県北葛城郡當麻町)に生まれ、9歳のとき比叡山に登り、慈慧良源の弟子となった。13歳で得度し源信と名のった。32歳のとき宮中の論議に出席し、才能弁舌がすぐれているので満座を驚かせたという。42歳の時、権少僧都に任ぜられ、横川楞厳院の検校となった。43歳で「往生要集」を作り念仏の行に帰依した。浄土宗門徒が慧心をわが国浄土宗の先駆に崇めるようになったのは、この故である。しかし、慧心は、その後悔いて法華経信仰に戻り、権少僧都の位も辞して「一乗要決」を著した。弟子の指導にも努め、教相を重んずる檀那流に対し、観門を重んずる慧心流台学の源となった。「一乗要決」では「日本一州円機純一=日本国中は、法華有縁の機根の者ばかりで、蔵通別三教に縁のある者はいない」と述べた文は有名で、大聖人も諸御書で用いられている。76歳没。著書は他に「法華科文」「法華略観」「法華弁体」などがある。
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僧\\都
僧官の一つ。僧綱のなかの第2位。日本では推古 32 年(0624) にこの官位が設けられ,のち大,少,権大,権少の4種の階級に分けられた。正五位または正四位に叙された。
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加茂社
京都市北区にある賀茂別雷神社(上社)と賀茂御祖神社(下社)神社のこと。
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参篭
あらかじめ時間を決めて神社・仏閣にこもり祈願すること。
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出離生死
生死を出離すること。生死は苦しみ・煩悩・迷いのこと。出離は迷い・苦しみを明らかにしていくこと。三界六道の迷いや苦しみから出で離れ、涅槃・菩提の境地に至ること。生死即涅槃と同義。
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祈誠
誠意を込めて神仏に祈り願うこと。
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一乗
一仏乗のこと。仏乗は仏の境地に運ぶ乗り物の意味。一切衆生うをことごとく成仏させる教法を一乗という。法華経・三大秘法のこと。
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諸仏
十方の諸仏のこと。十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
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成道
仏道を成ずること。八相作仏のひとつ。成仏・得道と同義。最高の幸福境涯を得ることをさす。
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妙法
妙なる法。妙法は梵語・薩達磨(Saddharma)の音訳。「法」(dharma) に「正しい・真の・善」(sat) を被せたもので麤法に対する語。甚深微妙の法、または正しい法のことで、一往は法華経を指すが、再往は法華経の肝心・南無妙法蓮華経のこと。
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菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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六度
六波羅蜜のこと。「波羅蜜」は梵語、パーラミター(Pāramitā)の音写。彼岸と訳す。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧波羅蜜の六行があり、その行は万差であるから、六度万行という。菩薩等がこの六法を修して生死の彼岸よりよく涅槃の彼岸に至るということである。爾前経においては菩薩の歴劫修行を説いてきたが、無量義経にいたって「末だ六波羅蜜の修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」と説かれている。すなわちこれは、三大秘法の御本尊の功徳をたとえ、即身成仏を説いている。
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蓮華
①蓮の花のこと。②妙法蓮華経のこと。
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二乗の作仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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甲冑
ヨロイとカブト
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文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
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得聞是経不老不死
法華経薬王菩薩本事品第23の文の趣旨。「若し人病あらんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」とある。
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観解
観とは心を定め、対境を広く深く、また遠く明らかに見ること。解とは智解の意で、物事の理を思惟することによって明らかになることをいう。すなわち観解とは、すぐれた智慧をもって経教等の義を理解し、その意を悟ること。末法においては、御本尊に題目を唱えることが観解になる。
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常楽
常楽我浄の四徳のうちの常と楽。常徳は仏の境地、涅槃が永遠に不変不改であること。楽徳は無上の安楽であること。
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算数
数を数えること。
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善男子
仏法を信奉する在家・出家の男子をいうが、大聖人の仏法においては男女・僧俗の区別はなく、三大秘法を信じ実践するっひとをいう。
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乳
乳味のこと。五味の一つ。牛乳そのもの。
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酪
酪味のこと。五味の一つ。牛乳を生成した段階の味。
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生蘇
牛乳を精製するときにできる五味の第三。方等部の経典を生蘇味とする。
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熟蘇
涅槃経で説かれる五味のうちの熟蘇味。牛乳を精製する過程を五段階に分けたなかの第四。
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醍醐
五味の一つ醍醐味のこと。①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
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衆病
あらゆる病。
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十二部経
十二部とも十二分教ともいい、仏教の経文を内容、形式の上から十二に類別したもの。 一.修多羅。梵語スートラ(sūtra)の音写。契経という。長行のことで長短の字数にかかわらず義理にしたがって法相を説く。 二.祇夜。梵語ゲーヤ(geya)の音写。重頌・重頌偈といい、前の長行の文に応じて重ねてその義を韻文で述べる。 三.伽陀。梵語ガーター(gāthā)の音写。孤起頌・孤起偈といい、長行を頌せず偈句を説く。 四.尼陀那。梵語ニダーナ(nidāna)の音写。因縁としていっさいの根本縁起を説く。 五.伊帝目多。伊帝目多伽。梵語イティブッタカ(itivŗttaka)の音写。本事・如是語ともいう。諸菩薩、弟子の過去世の因縁を説く。 六.闍陀伽。梵語ジャータカ(jātaka)の音写。本生という。仏・菩薩の往昔の受生のことを説く。 七.阿浮達磨。梵語アッブタダンマ(adbhutadharma)の音写。未曾有とも希有ともいう。仏の神力不思議等の事実を説く。 八.婆陀。阿婆陀那の略称。梵語アバダーナ(avadāna)の音写。譬喩のこと。機根の劣れる者のために譬喩を借りて説く。 九.優婆提舎。梵語ウパデーシャ(upadeśa)の音写。論議のこと。問答論難して隠れたる義を表わす。 十.優陀那。梵語ウダーナ(udāna)の音写。無問自説のこと。人の問いを待たずに仏自ら説くこと。 十一.毘仏略。梵語ヴァーイプルヤ(vaipulya)の音写。方広・方等と訳す。大乗方等経典のその義広大にして虚空のごとくなるをいう。 十二.和伽羅。和伽羅那。梵語ベイヤーカラナ(vyākaraņa)の音写。授記のこと。弟子等に対して成仏の記別を授けることをいう。
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修多羅
梵語シュタラ(sūtra)の音写。線・① 経文。経典。契経 。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟 の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
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方等経
①大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。大乗②方等部の経典。③十二部経のこと。
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般若波羅蜜
サンスクリット語で「完全であること」、「最高であること」、を意味する語で、仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸、度等とも訳す。
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大涅槃
涅槃は梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。
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仏性
無始無終に存続している仏になる性分。
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金剛峯寺建立修業縁記
平安~室町時代を通して制作された各種の大師伝記に詳しい。最も早い時期に成立したのは、大師自身の遺言という体裁をもつの諸本であり、次いで11世紀初頭から12世紀にかけて、《金剛峯寺建立修行縁起》、経範の《弘法大師行状集記》(1089)、大江匡房の《本朝神仙伝》、藤原敦光の《弘法大師行化記》などに大師の説話伝承が集められていく。これらは《今昔物語集》《打聞集》などの説話集の典拠となっている。
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入定
入滅の意で仏の死をいうが、それは単なる死ではなくて不滅のうえの滅であり、禅定に入って存在しているとする考えから、このようにいわれる。法華経如来寿量品第十六には「衆生を度せんが為めの故に 方便もて涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く 我れは常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も見ざらしむ」とある。
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知足天
兜率天のこと。梵語トゥシタ(Tuṣita)の音写。六欲天の第四天。兜率天とも書く。知足、妙足、喜足、喜楽と訳す。歓楽飽満し自ら満足を知るゆえにこの名がある。都率天は内院と外院に分かれ、内院には都率天宮があって、釈尊に先立って入滅した弥勒菩薩が天人のため説法しているという。外院は天界の衆生の欲楽する処とされる。
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慈尊
弥勒菩薩のこと。弥勒は梵語マイトレーヤ(Maitreya)の音写で、慈氏と訳す。したがって弥勒を尊んで呼び慈尊と称した。インドのバラモンの家に生れ、のちに釈尊の弟子となって釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、天人のために説法しているが、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと、菩薩処胎経に説かれている。
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御前
貴人の面前。
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参仕
うかがって仕えること。
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五十六億七千余歳
弥勒菩薩が再びこの世に生まれて成仏し、衆生を救うとされる、釈尊滅後五十六億七千万歳の時をさす。極楽世界では常に仏にあえるが、穢土では仏にあいがたいことを示している。
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下生
弥勒菩薩が兜率天から人界に下り生まれること。
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随従
付き従うこと。供をすること。」
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等閑
なおざり、いい加減。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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生死
生死はたんに「生」と「死」という意味以外に「生命」と訳す場合と「苦しみ」と訳す場合とがある。ともに生死・生死の流転輪廻という意味からきている。「生死即涅槃」の場合は、「苦しみ」。「生死一大事」の場合は「生命」となる。
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魔
魔とは梵語で(Māra)、奪命・奪功徳・障礙・攪乱・破壊等という。正法を持つ者の信心を妨害したり、幸福な生活を破壊し、人命を奪い、病気を起こさせる等の働きをなす。四魔のなかの死魔・病魔等がそれで、他に権力者や父母の姿をかりて信心を妨げる天子魔がある。いずれも仏身や菩薩身や天界の姿を現じながら、仏と反対の働きをする。魔は天界に住むとも、仏と同所に住むともいわれる。所詮は澄みきった鏡に映して魔を魔と見破っていくことが肝要である。「最蓮房御返事」に「予日本の体を見るに 第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす、経に「悪鬼入其身」とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」(1340)、「持病大小権実違目」に「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997)とあるように、正法への信心が強ければ、魔といえども、正法護持者を守護する善神の働きに変えることができるのである。
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親想
親しく想うこと。
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五百問論
妙楽大師の著作3巻。法相宗の慈恩は法華玄賛で法華経を賛嘆しているが、法相宗の立場から説いているため、かえって法華の心を殺していると破折し、真の法華経の妙旨を顕示している。
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大千界塵数の仏
きわめて膨大な数の仏。
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毀謗
誹謗と同意。破りそしること。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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読誦
読と誦のこと。「読」は経文を読むことで「誦」は暗誦すること。それぞれ五種の妙行のひとつで、ともに自行化他の自行にあたる。
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毀呰
そしりとがめること。
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ここでは国家社会の平和と人々の幸福を守る力のある経が法華経であることを示すために立てられた「一、鎮護国家の三部の事」「一、悲華経の五百の大願等の事並びに示現等」「一、北野の天神法華経に帰して真言等を用いざる事」「一、賀茂大明神法華を信ずる事」「一、金剛峯寺建立修業縁記に云く」「一、弘決に云く若し衆生・生死を」の6項目をまとめて扱うことにする。
「一、鎮護国家の三部の事」では、災難を鎮め国家を護る三部経が、中国・日本で、どのように立てられてきたかを示されている。すなわち、中国においては不空が、日本においては聖徳太子・伝教大師・慈覚がそれぞれ三部経を立てている。
中国の唐の時代には不空が護摩寺を改めて法華寺とし「法華経」「密厳経」「仁王経」を護国三部経としたことが示されている。密厳経は不空が訳したもので、密厳浄土、すなわち、大日如来の浄土が説かれた経典である。また、不空訳の仁王経は、正しくは仁王護国般若波羅蜜多経といい、国土が乱れた時、災難を鎮めるためには般若を受持すべきことを説いており、護国の経典として重用された。なお、不空が護摩寺を法華寺と改め、本尊として中央に法華経を配し、その脇士として両部の大日、すなわち大日経で説く胎蔵界の大日如来と金剛頂界で説く金剛界の大日如来を配したということは、真言宗の開祖で三三蔵の一人である不空が晩年に至って法華最勝に気付いたという証として、大聖人はしばしば強調されている。
次いで、日本においては、聖徳太子が四天王寺に「法華経」「浄名経」「勝鬘経」を護国三部経として安置したことを示されている。聖徳太子はこの三部経については、自ら注釈書を著している。浄名経は在家の信者でありながら、舎利弗をはじめとする十大弟子を論破するほど大乗仏教に通達していた浄名の問答を記したものであり、勝鬘経は波斯匿王の娘・勝鬘夫人を語り手とした経典で、小乗を破って一乗真実・如来蔵法身の義を明かしている。浄名経・勝鬘経ともに在家仏教の経典として重んじられた。
次に、伝教大師の立てた護国三部経は「法華経」「仁王経」「金光明経」である。仁王経が護国について説いた経典であることはすでに述べたが、金光明経には、この経を護持する者を、護世の四天王をはじめとする諸天善神が守護することが説かれており、同じく鎮護国家の経として重んじられた。
なお、「年分得度者二人」として、日本天台宗の中から二人を選出し、遮那業・止観業をそれぞれに履修されたことが記されている。遮那業とは大毘廬遮那経業を修すること、すなわち大日経によって、天台密経を修行することであり、止観業は天台大師の摩訶止観を修習することである。
このように伝教大師が真言密経を用いた意については、撰時抄に次のように述べられている。「伝教大師は日本国にして十五年が間・天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘りて天台真言の二宗を伝へ給いし時漢土の人人はやうやうの義ありしかども我が心には 法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに 真言宗の宗の名字をば削らせ給いて天台宗の止観・真言等かかせ給う」(0280-06)すなわち、真言宗の名目を立てないで天台宗の止観・真言としたのであって、このように天台宗の立場から真言をせしめたこと自体、法華経が真言に勝れていると考えていたことを示しているとの仰せである。
さてこの遮那業・止観業に触れられているのは、止観業の者がこの三部経等を読み、修すべきことを規定されているからである。伝教大師は山家学生式に次のように述べている。「凡そ止観業の者は年年毎日、法華・金光・仁王・守護・諸大乗等、護国の衆経を長転長講せしめん」と。
次いで慈覚が護国三部経して「大日経」「金剛頂経」「蘇悉地経」を立てたことが記されている。彼は日本天台宗第三祖でありながら、伝教大師の三部経を用いず、真言の三部経をもって鎮護国家の三部経とし、自ら著した金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏も安置した。中国真言密経の不空さえ、真言の三部経ではなく、法華経を立てたのに、慈覚が真言の邪義に毒されたことに対する無念さが察せられる。
「日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき」(1024-05)
次いで「一、悲華経の五百の大願等の事並びに示現等」の項目では、いわゆる菩薩の誓願と示現を表す悲華経と涅槃経の文が挙げられ、それを裏付けるかたちで日本の守護神の代表格である八幡大菩薩が釈尊の示現であることを示す伝承を紹介されている。
まず、悲華経からは宝海梵志が宝蔵如来の前で立てた大願についての三つの文と、仏・菩薩が衆生救済のためにさまざまな身を変化させて現れるとする誓いを表した幾つかの文も引用されている。なかでも、示現の誓いを表す文では、悲華経、涅槃経ともに、衆生救済のために大明神となって姿を現すことが説かれている。
八幡が釈尊の示現とされることについては、大隅正八幡の石の銘が紹介されている。これに付け随して行満和尚の夢では阿弥陀三尊が示現したという話を挙げられているのは、本来は釈尊であったのが、浄土宗の流行と共に阿弥陀仏にすり替えられていったことを指摘されるためと思われる。
次いで、伝教大師が筑前宇佐の神宮宮の八幡大菩薩に法華経を講じた際、八幡大菩薩が喜んでくれる正法であることを示されている。
なお、この延暦23年(0804)甲申春に伝教大師が宇佐の神宮寺で法華経を講じた話について、伝教大師伝では弘仁5年(0814)の出来事として記されているが、むしろ、大聖人説の延暦23年(0804)が正しいと考えられる。というのは、伝教大師は延暦22年(0803)4月に遣唐使船に乗って難波から出航したが、暴風雨のため九州にとどまり、翌23年(0804)肥前から出航して渡唐し、8か月間、唐に滞在して妙楽大師亡きあとの天台山の後継であった道邃・行満から相承を受け、帰国している。
延暦22年(0803)には暴風雨のために渡唐できず、翌23年(0804)の順風の時期を待っていた春に、本文にあるように「渡海の願を遂げんが為」に八幡の神宮寺で法華経を講じたというのが、最も素直に納得できる。
八幡大菩薩が釈尊の示現であるとの託宣はほかにもあるとして元慶元年(0877)と延喜2年(0902)の例にも紹介されている。
また、八幡だけでなく、北野の天神・賀茂大明神も法華経を尊び、法華経が講ぜられるのを喜んだという伝承が挙げれれ、法華経こそ不老不死の妙薬でり、成仏の法であることを、法華文句の文と涅槃経を引いて示されている。
また、八幡だけでなく、北野の天神・賀茂大明神も「一、北野の天神法華経に帰して真言等を用いざる事」「一、賀茂大明神法華を信ずる事」とあるように法華経を尊び、法華経が講ぜられるのを喜んだという伝承を挙げられ、法華経こそ不老不死の妙薬であり、成仏の法であることを、法華文句の文と涅槃経を引いて示されている。
さらに、弘法大師空海のことを伝える「一、金剛峯寺建立修業縁記に云く」と示されている文の内容は、仏法の正しさを示すためではなく、次の止観輔行伝弘決の文にあるように、魔が親想を生じて一種の不可思議な働きをあらわした例としてであり、法華経を大日経より七重の劣と誹謗した弘法は無間地獄を免れないことを五百問論止観輔行弘決の文によって、結ばれている。
釈尊が八幡大菩薩となって示現したということと、弘法が知足天に往って、はるか未来に弥勒菩薩と一緒に再び現れるということは共通ところがあり、さもありうることのように思わせるが、法華経を誹謗した弘法が兜率天に行けるはずもないし、五十六億七千万歳の後に、再びこの世界に現れるわけもない。なぜなら「永く地獄に入つて出期有ること無からん」だからである。
0680:15~0682:06 第11章 法華経を広宣流布すべきを明かすtop
| 15 一、広宣流布す可き法華の事 16 伝教大師の守護章に云く正像稍過ぎ已つて 末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり何を以て 17 知ることを得ん安楽行品に云く末世法滅時と文。 18 秀句の下に云く代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍 0681 01 の時なり、経に云く如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや、此の言良に所以有るなり文。 02 道暹和尚の輔正記に云く法華の教興れば権教即ち廃す日出れば星隠れ功なるを見て拙を知る文。 03 法華経の安楽行品に云く一切世間怨多くして信じ難し文。 04 薬王品に云く我滅度の後・後の五百歳の中・閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん文。 05 勧発品に云く我今神通力を以ての故に是の経を守護して 如来滅後閻浮提の内に於て広く流布せしめて断絶せざ 06 らしめんと文。 07 文句の一に云く但当時大利益を獲るのみに非ず後五百歳遠く妙道に沾わんと文。 08 一乗要決に云く日本一州・円機純一・朝野遠近同く一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期す、安然の広釈に云く彼の 09 天竺国には外道有つて仏道を信ぜず 亦小乗有つて大乗を許さず、 其の大唐国には道法有つて仏法を許さず亦小乗 10 有つて大乗を許さず、 我が日本国には皆大乗を信じて一人として成仏を願わざること有ること無し、 瑜伽論に云 11 く東方に小国有つて唯大乗の機のみ有り豈我が国に非ずや文。 -----― 一、広宣流布すべき法華経のこと 伝教大師の守護国界章に「正法時代・像法時代がほぼ過ぎおわり、末法がはなはだ近くにある。一仏乗を説く法華経により成仏する衆生の機根は、今まさしき、その時である。何をもってそのこをしることができるか。法華経安楽行品第十四に『末世の法滅せん時』とある」と述べられている。 法華秀句巻下には「時代を語れば、すなわち像法時代の終わり末法の初めであり、地を尋ねるならば中国の東・カムチャッカの西である。人をたずねれば五濁悪世に生を受ける人たちであり、釈尊の仏法のなかにおいて争いがたえず起こる時である。法華経法師品第十には『釈尊がこの世に存在している時ですら、正法を弘める者には非難・中傷・大難があった。いわんや釈尊が入滅した後に法華経を弘める者にはさらに大きな難がある』とある。この経文の文言は、まことに理由があるのである」と述べられている。 道暹和尚の法華経文句輔正記には「法華経の教法が興れば権教はすなわち廃れる。太陽が昇れば星は隠れるのと同じであり、名匠の作品を見たあとは下手な人の作品の拙劣さが分かるのと同じである」とある。 法華経安楽行品第十四には「法華経を説くとあらゆる人が怨み、信ずることが難しい」とある。 法華経薬王菩薩本事品第二十三には「私が入滅した後、第五の五百年のうちに、全世界に広宣流布して、断絶させてはならない」とある。 法華経普賢菩薩勧発品第二十八には「釈尊よ、私は今、神通力を以っての故に、是の法華経を守護して、釈尊の入滅の後の末法に、閻浮提のうちにおいて、法華経を広く流布させて、断絶させないであろう」とある。 法華文句巻一には、「ただ、釈尊の在世当時に大利益を得るだけではない。釈尊滅後の末法の初めである第五の五百年には妙法が流布し、未来遠く衆生はその利益にうるおうであろう」とある。 一乗法華経に帰し要決には「日本一国は、円教である法華経だけを受持する衆生の機根である。朝廷も在野も、都から遠い所も近い所も同じく一仏乗であるに帰し、出家の僧も在家の人も、貴族も庶民もことごとく法華経によって成仏を期する」とある。安然の普通授菩薩戒広釈には「かのインドには外道があって仏道を信ぜず、また小乗教があって大乗教を許さない。その大唐国には道教があって仏法を許さな。また小乗教があって大乗教を許さない。私たち日本国では、皆、大乗を信じて一人として成仏を願わない者はない。瑜伽師地論に『東方に小さな国があって、ただ、大乗教によって得道する衆生の機根のみがある』と述べられているが、この東方の小国とは日本のことである」とある。 -----― 12 一、不謗人法の事 13 安楽行品に云く人及び経典の過を説くことを楽わざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ文。 14 止観の十に云く夫れ仏説に両説あり一に摂・二に折・安楽行の長短を称ぜざるが如き是れ摂の義なり、大経の刀 15 杖を執持し乃至首を斬る是れ折の義なり、与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ文。 16 弘決の十に云く夫れ仏法両説等は大経の執持刀杖等は第三に云く善男子・正法を護持する者・五戒を受けず・威 17 儀を修せず乃至下の文は仙預国王等の文なり文。 18 文句の八に云く大経には偏に折伏を論じ一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、 此の経には偏に摂受を明せども 0682 01 頭七分に破る折伏無きに非ず、各各一端を挙げて時に適うのみ文。 02 顕戒論の中に云く論じて曰く 持品の上位は四行を用いず安楽の下位は必ず四行を修す摩訶薩の言定んで上下に 03 通ずと文。 04 文句の八に云く持品は八万の大士忍力成ずる者此の土に弘経す新得記の者は他土に弘経す安楽行の一品文。 05 疏記の八に云く持品は即ち是れ悪世の方軌安楽行は即ち是れ始行の方軌なり故に住忍辱地等と云う、 安楽行品 06 に云く他人及び経典の過を説かざれ、他人の好悪長短を説かざれと文。 -----― 一、人と法を謗らないこと 法華経安楽行品第十四には「法華経とこれを説く人のあやまちを好んで説いてはならない。また、あらゆる法師を軽蔑してはならない」とある。 摩訶止観十には「仏法に二つの異なった教説がある。一には摂受であり・二には折伏である。安楽行品第十四に説かれる四安楽行の中で、他人の長所や短所を説いてはならないと説かれているのは摂受の義である。大般涅槃経に「刀剣や杖を持ち、大乗経典を誹謗した者の首を斬る、と説かれているのは折伏の義である。このように摂受の義と折伏の義とで、与釈の立場と奪釈の立場という異なりがあるが、共に衆生を利益するためである」とある。 止観輔行伝弘決十には「摩訶止観に『仏法に両説あり』等とあるのは、大般涅槃経に『刀杖を執持し』等とあることを指す。これは、大般涅槃経巻三に善男子よ、正法を護持する者は五戒を受けず持たず振る舞いを正さずととのえなくても、まさに刀剣や弓・箭・鉾・柄の長い矛を持つべきである、とある文の取意である『乃至首を斬る』から下の文は『仙預国王』等の文の取意である」と述べられている。 法華文句巻八には「大般涅槃経にはひとえに折伏を論じているが、一子地に住しており、どうして摂受がないことがあろうか。またこの法華経の安楽行品第十四には、ひとえに摂受を明かしているが、法華経陀羅尼品第二十六では『頭破れて七分と作る』と説いているので折伏の立場がないのではない。大般涅槃経と安楽行品の文は、それぞれの一端を挙げているにすぎず、摂受・折伏の二門のうち、どちらを用いるかは時に適うのみである」とある。 顕戒論巻中には「論じていうには『法華経勘持品第十三の教説に基づいて実践する位の上の者は、四安楽行を修する。摩訶薩の言葉は、上下両方に通じる』」とある。 法華文句巻八には「法華経勘持品第十三は、八万の菩薩の、難に屈せず耐え忍ぶ力を成ずる者が、この娑婆世界に弘経することを説いたものである。新たに成仏の記別を得た声聞たちが娑婆世界以外の世界に弘経することを説いたのが安楽行品である」とある。 法華文句記巻八には「法華経勘持品第十三は、五濁悪世の末法における弘教・修行の規範であり、安楽行品第十四に説かれる四安楽行は、菩薩が仏道修行を始める場合の規範である。故に忍辱の境界に住する、というのである」とある。法華経安楽行品第十四には「法華経の行者および経典のあやまちを説いてはならない。法華経の行者の好ましい点や憎むべき点、長所や短所を云いたててはならない」とある。 |
広宣流布
仏法を広く宣べ流布すること。
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守護章
伝教大師が弘仁9年(0818)52歳の時述作した「守護国界抄」のこと。法相宗の徳一が「中辺義鏡」で、天台の法華経を批判したのに対し、これを破折した書。
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正像
正法と像法のこと。正法は仏の教法が正しく伝わった時代という意味から、この呼称がある。年次については諸経典によって異説があるが、日蓮大聖人は大集経巻五十五に説かれる五五百歳を正像末の三時にあてはめ、第一の五百年(解脱堅固)と第二の五百年(禅定堅固)の一千年間を正法とされている。像法は正法一千年のつぎに到来する時代をいい、像は似の義とされ、形式が重んじられる時代といえる。年次については諸経典によって異説があるが、日蓮大聖人は、大集経巻五十五の五五百歳の中の第三の五百年(読誦多聞堅固)と第四の五百年(多造塔寺堅固)の一千年間を像法とされている。
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末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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法華一乗の機
一仏乗を説き示した法華経によってのみ成仏することのできる衆生の機根のこと。
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法滅時
釈尊の教法が滅尽して功徳がなくなる時。
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唐の東・羯の西
唐は中国、羯は沿海州をいい、その間に「日本」があるとされた。
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五濁の生
五濁悪世の末法に生を受けること。またその人。五濁とは生命の濁りの諸相を五種に分類したもの。劫濁・衆生濁・煩悩濁・見濁・命濁のこと。
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闘諍の時
釈尊の仏法の中において争いが絶えず起こり、正しい教えである白法が隠没する時代。
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如来の現在
インド応誕の釈尊がこの世に存在している時代。
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怨嫉
うらみ、ねたむこと、正しい法を教えのとおり実践する者をあだみ、ねたむこと。
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滅度の後
①インド応誕の釈尊が入滅した後。②末法のこと。
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道暹和尚
中国、唐代の天台宗の僧。生没年未詳。諡は興道尊者。妙楽大師湛然に師事。貞元20年(0804)に龍興寺(浙江省臨海市)に住す。同年より翌21年にわたり、最澄と通訳僧であった義真に天台法門を伝えた。道邃が最澄に出会った時の興味深い逸話が「一代聖教大意」に説かれる。天台山国清寺で入寂した。
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輔正記
中国・唐代の道暹述、「法華経文句輔正記」のこと。妙楽大師の法華文句記を中心に、法華経の文および法華文句の文とを摘録して字義を釈したもの。
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権教
権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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一切世間
すべての世界、あらゆる世の中のこと。世間には三意がある。①世の中・世俗のこと、世は隔別・還流、間は内面にあるもの・間隔の義、世の中のすべての事物・事象をいう。②六道の迷界。③差別の意、五蘊世間・衆生世間・国土世間や有情世間・器世間など。
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薬王品
妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。
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後の五百歳
法華経薬王品第二十三にある。天台はこれを大集経の五五百歳と対照し、第五の五百歳であるとした。末法の初めであり、闘諍堅固の時。大集経第五十五に「我が滅後に於て五百年中は、諸の比丘等、猶我が法に於いて解脱堅固なり。次の五百年は、我が正法の禅定三昧堅固に住するを得るなり。次の五百年は、読誦多聞堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於いて多くの塔寺を造りて堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於いて闘諍言訟し白法隠没し損減して堅固なり」と定めている。
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断絶
絶えてなくなること。
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勧発品
法華経普賢菩薩勧発品第28のこと。神力品以下付嘱流通中の自行流通を勧めている。普賢菩薩が東方宝威徳上王仏の国にいて、この娑婆世界で、釈尊が法華経を説くのを聞いて来至し、仏の滅後にいかにしてこの法華経を持つかとの問いに対して、釈尊は四法成就を説いて、法華経を再演したことをあらわしている。
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神通力
凡夫には計り知ることができない超人的な能力。
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文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
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後五百歳遠く妙道に沾わん
天台の法華文句の文。「後の五百歳」とは、末法の初めであり、遠くは万年の外をさす。「妙道」とは文底秘沈の大法であり、三大秘法のことである。「沾」とは流布の義である。末法の初めより万年の外、未来永々まで、文底深秘の三大秘法を流布しなければならないということである。「道」の字は三義があり、①虚通の義・本門の本尊、②所践の義・本門の戒壇、③能通の義・本門の題目。三大秘法を意味する。
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妙道
妙法の道。
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一乗要決
比叡山横川の恵心院の僧都源信が寛弘3年(1006)に著した書。3巻。法相宗において人の資質や能力に応じて声聞・縁覚・菩薩に固有の3種の悟りの道があるとする法相三乗家の五性格別を破折し、一乗は真実の理、五性は方便の説であると説いたもの。
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日本一州円機純一
慧心の著「一乗要決」の中の句。日本国中はみな円教である法華経に縁のある機根ばかりで、蔵通別の三教に縁のあるものはいないとの意。
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朝野遠近
朝野は朝廷と在野。今日では政府と民間。遠近は都から遠いか近いか。
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緇素貴賎
緇素は僧侶と俗人。インドにおいては僧侶は一般に緇(黒色)の衣を着て、俗人は白い衣を着ていたので、こう呼ばれる。
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安然の広釈
普通授菩薩戒広釈3巻のこと。天台宗の僧・安然の著。妙楽の授菩薩戒儀に基づいて12門に分け、菩薩戒を授ける儀式を解説している。
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安然
(0841~0915)。天台宗の僧。伝教大師の同族といわれる。はじめ円仁の弟子となり、後に遍照について顕密二教の法を受けた。著述に専念し、天台宗を密教化した。著書は「教時問答」四巻、「悉曇蔵」八巻など多数ある。
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天竺国
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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仏道
無上菩提に至る道のこと。またその仏果そのものをさす。
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小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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大乗
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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同法
道教の教法のこと。中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある。
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瑜伽論
法相宗所依の論。瑜伽師地論、ヨーガーチャーラ・ブーミ(Yogācārabhūmi-śāstra)。弥勒説・玄奘訳百巻。瑜伽は相応と訳す。一切の境・行・果・教が互いに相応することをいう。師地は、三乗の行者が聞思等によって次第に瑜伽を修習して境界を深め、それぞれの分に従って諸の有情を教化することをいう。瑜伽論の所行の境界には、第一・五識身相応地から第十七・無余依地までの十七地がある。十七地は以下の通り。1.五識身相応地、2.意地、3.有尋無伺地、4.無尋唯伺地、5.無尋無伺地、6.三摩哂多地、7.非三摩哂多地、8.有心地、9.無心地、10.聞所成地、11.思所成地、12.修所成地、13.声聞地、14.独覚地、15.菩薩地、16.有余依地17.無余依地。
―――
大乗の機
大乗教によって得道する機根のこと。これには権大乗と実大乗の機がある。機根とは仏の教化を受ける衆生の生命の可能性のこと。
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不謗人法
人の法を謗らないこと。四安樂行の口安樂行。仏滅後に法華経を説くとき、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に述べ,説くことをいう。
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過
あやまち、罪業、欠点、短所。
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諸余
あらゆる・もろもろ・すべて・ありあまる。
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法師
よく仏法に通じ清浄な行を修して人の師となる者のこと。
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軽慢
自らおごり高ぶって正法をあなどること。十四誹謗の第一。
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止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
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一に摂・二に折
仏法に二種の化導法があること。説受と折伏。摂受は相手の誤りを容認しつつ次第に誘引し、正法に入らせる化導法。折伏は相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる方法。末法は折伏である。
―――
安楽行
四安樂行のこと。法華経安楽行品第14(法華経423㌻)に説かれる四つの行法。文殊菩薩が浅行初心の行者が濁悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問い、釈尊がこれに対して身・口・意・誓願の4種の安楽行を説き、初心の人がこれによって妙法蓮華経を弘通し修行することを示した。①身安楽行。身を安定にして10種の誘惑を避け、静寂の処にあって修行すること。②口安楽行。仏の滅後にこの経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に宣べ説くこと。③意安楽行。末世になって法が滅びようとする時、この経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと。④誓願安楽行。大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発すること。
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摂の義
人々を仏法に教え導く法の一つで、相手の主張の違いを容認しつつ、次第に誘引して正法に入らせる方法。
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大経
大般涅槃経のこと。
―――
刀杖
刀剣と杖木
―――
折の義
折伏のこと。相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化導法のこと。仏法弘通に用いられる化導法の一つ。摂受に対する語。
―――
与奪
与えることと奪うこと。仏教の教相判釈の用語。与は容与の義で、自己の本意を隠し、妥協して相手の主張を容れる立場。奪は斥奪の義で、直ちに自らの真実を明らかにし、妥協せず相手の主張を斥ける立場。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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護持
①教法を護り保つこと。②祈禱すること。
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五戒
小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。
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威儀
一般的には、重々しく畏敬すべき挙動。いかめしい立居振舞い。作法に適った動作、礼の細則。仏法的には、行住坐臥の四つに分け、四威儀と立てる。さらに分けて三千の威儀、八万の細行ともいう。しかし、これは戒を重んずる小乗教の説くところであって末法においては無用である。三世諸仏総勘文抄には「一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為し儀いと儀う行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の御心と和合して一体なれば過も無く障りも無き自在の身と成る此れを自行と云う」(0750-01)とある。すなわち三大秘法を深く信じて、正法を護持する者は、いっさいの振る舞いが自然のうちに宇宙のリズムと合致し、威儀が整うのである。
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仙預国王
釈尊の過去世における菩薩修行の時の姿。涅槃経の聖行品に説かれている。釈尊はその昔、過去世に閻浮提の大国の王に生まれ、仙予と名のっていた。そして大乗経典を愛念し敬重し、その心は純善で、粗悪の心や人をねたんだり物惜しみをするようなことはなかった。口には愛語、善語を述べ、身は貧窮と孤独を守り、布施、精進を少しも休み廃することがなかった。その時代には仏、声聞、縁覚はいず、婆羅門に師事した。その婆羅門に仙予国王が「師等今応に阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし」といったところ、婆羅門は「大王、菩提の性は是れ有る所無く、大乗経典も亦復是の如し。大王、云何ぞ乃ち人と物とをして、虚空に同ぜしむ」と大乗経典を誹謗した。これを聞いた大王は直ちに五百人の婆羅門を殺した。この因縁によって大王はそれ以来地獄に堕ちず、殺された婆羅門も大乗誹謗を悔い、後の世に大乗の信を発して救われたという。
―――
折伏
相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化導法のこと。仏法弘通に用いられる化導法の一つ。摂受に対する語。▷
―――
一子地
菩薩の修行の位である52位のうち第41位。初地のこと。歓喜地ともいう。法界の衆生をことごとく慈念すること。
―――
摂受
人々を仏法に教え導く法の一つで、相手の主張の違いを容認しつつ、次第に誘引して正法に入らせる方法。
―――
頭七分に破る
法華文句記巻四下の十双歎の第七の文。法華経陀羅尼品第二十六の文によっている。すなわち、十羅刹女が法華経を受持する者を守る誓いのなかに「若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば 頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん」とある。阿梨樹は梵語で、蘭香、蘭香蕱等と訳され、インドに産するシソ科の植物である。その実の部分が割れるのを頭破にたとえてこういったものである。慧琳音義第三十五には「凡そ蘭香の花出づる時、梢頭の花子分れて七分となる」とある。この「頭七分に破れ」の文は肉体的に破れるのみならず、精神的にも破れることを示したものであり、即ち御本尊を誹謗する者は頭がわれ、心が錯乱し、支離滅裂になる、との意。
―――
時に適うのみ
衆生を教化する方法に摂受と折伏があるが、どちらを用いるかは時によるべきであるということ。末法は折伏である。
―――
顕戒論
伝教大師の著。伝教が弘仁10年(0820)大乗戒壇建立と仏教統一を請うたのに対し、南都六宗が激しく反対した。それに対して、伝教大師がその迷妄を破折するために本論をつくり天奏した書である。
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勧持
勧持品のこと。妙法蓮華経の第13章。正法華経の勧説品に相当する。摩訶波闍波提・耶輸陀羅をはじめとする比丘尼への授記と声聞や菩薩たちによる滅後の弘経の誓いが説かれる。声聞の比丘・比丘尼は他の国土での弘経を誓ったが、菩薩たちはこの裟婆世界での弘経を誓う。菩薩たちの誓いの偈(韻文)は、20行からなるので、二十行の偈と呼ばれる。そこには、三類の強敵が出現しても難を忍んで法華経を弘通することが誓われている。勧持品と常不軽菩薩品第20に説かれる逆縁の人への法華経弘通は、滅後悪世における折伏による弘経の様相を示すものと位置づけられ、勧持不軽の行相という。日蓮大聖人は、滅後末法において法華経を弘通され、この勧持品の経文通りの難にただ一人遭っていることによって法華経を身読していると自覚され、御自身が真の法華経の行者であることの証明とされた。それは、滅後弘経を託された地涌の菩薩、とりわけその上首・上行菩薩であるとの御自覚となった。さらに、勧持品のように滅後悪世で三類の強敵に遭いながらも弘経していることは、不軽品に説かれる不軽菩薩が忍難弘経しついに成仏して釈尊となったように、成仏の因であることを確信される。法華経身読によって、末法の一切衆生を救う教主としての御確信に立たれたのである。このことから、大聖人は末法の御本仏であると拝される。
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四行
四安樂行のこと。法華経安楽行品第14(法華経423㌻)に説かれる四つの行法。文殊菩薩が浅行初心の行者が濁悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問い、釈尊がこれに対して身・口・意・誓願の4種の安楽行を説き、初心の人がこれによって妙法蓮華経を弘通し修行することを示した。①身安楽行。身を安定にして10種の誘惑を避け、静寂の処にあって修行すること。②口安楽行。仏の滅後にこの経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に宣べ説くこと。③意安楽行。末世になって法が滅びようとする時、この経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと。④誓願安楽行。大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発すること。
―――
安楽
法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。
―――
摩訶薩
摩訶薩埵のことで菩薩を意味する。無常菩提を求める大乗の修行者をさす。
―――
八万の大士忍力成ずる者
弘教において難に屈せず耐え忍ぶ力を持った八万の菩薩。八万は数ではなく多数をいう。
―――
弘経
仏の教法を弘めること。
―――
新得記
新たに成仏の記別を得ること。法華経の迹門で記別を受ける三周の声聞のうち、最後に記別を与えられた第三の因縁周をさし、五百弟子授記品第8で記別を受けた500の阿羅漢と、授学無学人記品第9で記別を受けた2000人の声聞をいう。
―――
他土
娑婆世界以外のこと。
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安楽行の一品
身口意誓願の四安樂行を説く法華経安楽行品第14のこと。
―――
疏記
法華文句記のこと。妙楽大師が天台の法華文句をさらに解釈した書で、略して「記」という。妙楽は中国の唐代の人で天台宗第九祖。天台より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の教義を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。そのなかでも、天台大師の注釈は天台の幽旨を明解にしたもので、法華玄義を法華玄義釈籤、摩訶止観を摩訶止観輔行伝弘決としている。
―――
方軌
方正規則の意で、正しい法則・手本・規範のこと。
―――
安楽行
法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。
―――
始行の方軌
菩薩修行を始める場合の法則・規範。
―――
忍辱地
忍辱とは菩薩行で、六波羅蜜のひとつ。迫害や侮辱等をよく忍受することをいう。
―――
好悪長短
好ましい点と憎むべき点。長所と短所。
―――――――――
この前の段で示されたように、鎮護国家の根本とすべきは法華経であり、日本の国と人々を守護する神が喜び威光を増すのも法華経を聞くことによってであることから、この法華経こそ日本の人々が信受し、ひいては閻浮提に広宣流布すべきであることを明かされるとともに、この法華経を広める実践の在り方は摂受・折伏いずれかであるべきかを示されている。
まず「広宣流布す可き法華の事」として、伝教大師の守護国界章と法華秀句、道暹の輔正記の文を示されている。伝教も道暹も正像末三時でいうと像法の末の人で、法華経が流布されるべき時は間近に迫った末法であることを述べている。末法ということは、その前に小乗・権大乗の教えが広まった正法・像法時代があるということであり、これら権教の人はもはや人々を救うことができなくなった時代ということである。
守護章の文で「法華一乗の機今正しく是れ其の時」と言っているのは、法華経安楽行品第十四の「末世の、法滅せんと欲せん時」の言句が引用されているように、権教では救われず、法華経を受持する以外にない機根の衆生の時代であることを指している。しかし、正像時代に広まった権教による諸宗は、自然に姿を消すわけではない。勢力をなんとか維持しようとして、自らの依経の正統性を主張するから、必然的に法華経を誹謗するし、法華経を広める人を抑圧し妨害する。秀句の文は、法華経の行者に対し、釈尊在世の迫害を上回る大難が起きることを、末法という時代的条件、文明の中心から離れた辺地という文化的条件、五濁の衆生という生命的特質などから、その必然性を強調している。
すなわち、末法に広宣流布するということは、何もないところに広まるというのではなく、正法時代に成立し栄えた権教の宗派が、その歴史的役割が終わってもなお生き残ろうと執しているところに広めるのであるから、そこに種々の苦難をともなう理由がある。それを見通した上で、法華経には、次の薬王菩薩本事品第二十三、普賢菩薩勧発品第二十八の文にあるように「後五百歳」と時を指示し広宣流布せよと説いているのは、末法においては、この法華経を広宣流布する以外に、人々を根源から救う道はあり得ないからである。これらの法華経の文は、さまざまな御書に引かれており、改めて解説するまでもない。
この文のあとに記されている法華文句、一乗要決、安然の広釈の文について簡単に触れると、まず文句巻一の文は、法華経は釈尊によって説かれた当時の人々を利益しただけでなく「後五百歳遠く妙道に沾わん」と述べている。後五百歳は末法の始めであり、遠くとは末法尽未来際にわたって流布し、利益していくということである。
一乗要決の文は「朝野遠近」「緇素貴賤」と述べ、あらゆる階層、地域にわたって法華経の信仰が広まるであろうと言っている。「緇」とは黒ずんだ色で出家僧の衣をいい、「素」は白で在家の人の衣服をいう。出家在家を問わず人々が信受していくとの意である。
安然の言葉は、日本が「唯大乗の機」の国であることを強調しており、一乗要決の「日本一州・円機純一」と共にこれを示されているのは、先の薬王品・勧発品の文に「閻浮提広宣流布」とあったのに、再び日本一国に逆戻りされたかのような印象があるが、これは日本が起点となって閻浮提に広宣流布していくとの御心と拝すべきであろう。
次に「不謗人法の事」として安楽行品第十四の「人及び経典の過を説くことを楽わざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」の文を挙げ、これをどう考えるべきかを示されている。
上の「広宣流布」の項で示されたように、末法において法華経を流布しようとすると、さまざまな難が起きる。それは、正法像法時代からの諸宗が残存しており、生き残ろうとして抵抗するからであるが、法華経を広めるからには他経徒の勝劣浅深を明らかにせざるを得ないから、他経の過を指摘する折伏行になるし、その実践に対する反発として生じるものである。もし安楽行品の「人および経典の過をといてはならない」との戒めを」守るとすれば、法華経を広宣流布することはできないことになる。
この点について、摩訶止観と止観輔行伝弘決の「人法を謗るなかれという摂受を説く安楽行品も仏説であるが、刀杖を執持し謗法を訶責せよという折伏を説く大般涅槃経も仏説である」との文、文句の「折伏を説く涅槃経の根底にも相手を慈悲で包容する摂受があり、人法を謗ってはならないとする法華経にも頭七分に破るという折伏がある」と述べた文が引かれ、この二つは表裏の関係にあることが示されている。
そのうえで、顕戒論と文句八、疏記八の三文が引用され、あえて分ければ、摂受の実践は「下位」すなわち「新得記の者」のためであり、折伏の実践は「上位」すなわち「忍力を成ずる大士」の為であることが明らかにされている。末法の世は最も悪世で大忍力を必要とするから折伏でならないことが明らかである。
0682:07~0684:10 第12章 再び浄土念仏の限界を糾すtop
| 07 一、念仏の一切衆生の往生せざる事並びに難行道次に六道輪廻の事 08 善導和尚の玄義分に云く問うて曰く 未審定散の二善出でて何れの文にか在る今既に教備つて虚しからず何れの 09 機か受くることを得る、 答えて曰く解するに二義有り一には謗法と無信八難及び非人と此等は受けざるなり 斯れ 10 乃ち朽林頑石生潤の期有る可からず 此等の衆生は必ず受化の義無し、 斯れを除いて已外は一心に信楽して 求め 11 て往生を願ずれば上み一形を尽し下も十念を収む仏の願力に乗じて皆往かざると云うこと莫し文。 12 往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生ぜずと文。 -----― 一、念仏では一切衆生は極楽往生しないこと。ならびに難行道次に六道輪廻のこと 善導和尚撰・観無量寿経疏の玄義分第一には「問うていう。いまだ不審である。定善と散善の二つの善は、いずれの文に出ているのであろうか。今すでに教説は整っていて十分といってよい。いずれの機根の衆生が受けることを得るであろうか。答えていう。解釈すると二つの義がある。一には、誹謗正法の人、信ずる心がない人、八難処にある人、及び人間にあらざる衆生は、受けられないのである。これはちょうど朽ちた林の木に芽が生ずることはなく、頑堅な石が水に潤って湿めることはあり得ないのと同じである。これらの衆生は、必ず、定散の二善の教えを受ける道理がないのである。これ以外の衆生は一心に法を信じて、極楽往生を願うならば、上は、この生涯で往生できる姿を尽くし、下は十念往生の功徳を収める。仏の誓願の力に乗じて、皆、極楽浄土に往かないことはない」とある。 往生礼讃偈には「女性と、成仏の機根が欠けている者と、声聞・縁覚の二乗の種性とは、西方極楽浄土に生じない」とある。 -----― 13 一、八難処の事 14 弘決の四に云く北州と及び三悪に長寿天と並びに世智弁聡と仏前仏後と・諸根不具を加う、 是を八難と為すと 15 文。 16 善導の遺言に云く我・毎日阿弥陀経六十巻・念仏六万返・懈怠無く三衣は身の皮の如く瓶鉢は両眼の如く諸の禁 17 戒を持ち一戒をも犯さず未来の弟子も亦然り、 設い念仏すと雖も戒を持たざる者は往生即ち得難し、 譬えば小舟 18 に大石を載せ大悪風に向つて去るが如し、 設い本願の船有りと雖も破戒の大石重きが故に 岸に就くこと万が一な 0683 01 り文。 02 観念法門経に云く酒肉五辛誓つて発願して手に捉らざれ口に喫らわざれ 若し此の語に違せば即ち身口倶に悪瘡 03 著かんと願せよ文。 04 法然上人の起請文に云く酒肉五辛を服して念仏を申さば予が門弟に非ずと文。 05 観念法門経に云く戒を持ちて西方弥陀を思念せよと文。 06 無量寿経に云く三心を具する者は必ず彼の国に生ずと文。 07 善導の釈に云く若し一心も少ければ 即ち生ずることを得ずと明らかに知んぬ一少は是れ更に不可なることを、 08 茲に因つて極楽に生ぜんと欲するの人は全く三心を具足す可きなり。 09 月蔵経に云く我が末法の時の中の億億の衆生行を起し行を修すとも 未だ一人も得る者有らず、 当今は末法な 10 り現に是れ五濁悪世なり唯浄土の一門のみ有つて通入す可きの路なり文。 11 遺教経に云く浄戒を持つ者は販売貿易し田宅を安置し 人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ一切の種植及び諸 12 の財宝・皆当に遠離すること火坑を避るが如くすべし草木を斬伐し墾土掘地することを得ざれ文。 13 善導和尚の所釈の観念法門経の酒肉五辛を禁ずる事の依経をいわば、 無量寿経一に依り二巻十六観経二に依り 14 一巻四紙の阿弥陀経三に依り一巻般舟三昧四に依り十往生経五に依り一巻浄土三昧経六六に依る一巻 15 雙観経の下に云く無智の人の中にして此の経を説かざれ文。 -----― 一、八種類の難処のこと 止観輔行伝弘決巻四には「北州と地獄・餓鬼・畜生の三悪道、長寿天のそれぞれに在る人と、並びに世智弁聡の人、仏前仏後に生まれる人と諸根不具の人を加えて八難となす」とある。 善導の遺言には「私は毎日、阿弥陀経を六十回読経し、南無阿弥陀仏と六万遍称え、怠ることはない。三衣の身体は皮のように脱ぐことなく、瓶鉢は両方の眼のように身を離さず、種々の戒を持って一戒をも犯さない。未来の私の弟子もまたこの通りである。たとえ称名念仏を修するといえども、戒律を持たない者は、極楽浄土への往生は得難い。たとえば、小さな舟に大きな石を載せて大暴風に向かっていくようなものである。たとえ弥陀の本願の船があるといっても、破戒の石が重い故に、極楽浄土の岸に着くことは万分の一もかないがたい」とある。 観念法門経には「願を立てて、酒と肉と五種の辛味のある蔬菜に手にとってはならないし、口にしてはならない。もし、この言葉に相違するならば、身体と口と共に悪瘡がつくであろう」とある。 法然上人の七箇条起請文には「酒と肉と五種の辛身のある蔬菜とを口に食べて、念仏を修行する者は、私の弟子ではない」とある。 観念法門経には「戒律を守って、西方極楽浄土の阿弥陀仏を思い、念じなさい」とある。 観無量寿経には「至誠心と深心、回向発願心の三心を具足する者は、必ず彼の西方極楽浄土に生ずる」とある。 選択本願念仏集のなかの「善導の釈には『もし三心のうち一心も欠ければ、西方極楽浄土に生ずることはできない』とある。このことから、一心でも欠ければ、西方極楽浄土に生ずることは、全く不可能であることが明らかである。従って、西方極楽浄土に生じようと望む人は、完全に三心を備えるべきである」とある。 安楽集の「月蔵経には『私が入滅した後の末法の時代に数えきれないほど多くの衆生が、修行を起こし、仏道を修するといえども、いまだ一人も成仏の境界を得る者はいない』とある。現在は、まさしく末法であり、現実に五濁悪世である。故に、浄土の一門のみが極楽浄土に入るべき路である」とある。 遺教経には「清浄な戒律を持つ者は、物などを売り買いしたり、田や家を大きくしたり、民や奴婢を使い、動物を畜養してはならない。すべての種・植物を植えることや種々の財宝は、火の海を避けるかのように遠ざけるべきである。草木を斬伐し、大土を耕し開いてはならない」とある。 善導和尚が注釈している観念法門経の、酒肉五辛を禁ずる旨の依処たる経説をいうならば、無量寿経に依り、十六観経に依り、四紙の阿弥陀経に依り、般舟三昧経依り、十往生経に依り、浄土三昧経による。 無量寿経巻下には「仏法で無智なものの中で、この経を説いてはならない」とある。 -----― 16 一、観経と法華経との説時各別の事 17 善導和尚の疏の四に云く仏・彼の経を説きたまいし時処別時別・教別対機別・利益別なり又彼の経を説きたもう 18 時は即ち観経・弥陀経等を説き給う時に非ず文。 0684 01 阿弥陀経に云く況や三悪道無し文、無三悪と説くと雖も修羅・人・天之れ有り。 02 四十八願の第一に云く三悪趣無し設し我れ仏を得んに国に地獄・餓鬼・畜生・有らば正覚を取らじ。 03 第二の願に云く三悪道に更えらず極楽に於て又死す可しと云う設し我れ仏を得るも十方の無量不可思議の諸三悪道には正覚を取らじ 04 文。 05 第三十五の願に云く聞名転女人往生せざる事設し我仏を得んに十方の無量不可思議の諸仏の世界に其れ女人有て我が名号 06 を聞いて歓喜信楽して菩提心を発して女身を厭悪せん寿終の後復女像と為らば正覚を取らじ文。 ―――――― 一、観無量寿経と法華経とでは説法した時が、それぞれ別であること 善導和尚の観無量寿経疏巻四には「仏が彼の経を説かれた時は、説法の場所が別であり、時が別であり、説かれた教説が別であり、対応する衆生の機根が別であり、利益が別である。また彼の経を説かれた時は、観無量寿経・阿弥陀経等を説かれる時ではない」とある。 阿弥陀経には「いわんや、地獄・餓鬼・畜生の三種の悪道の衆生は、無い」とある。国に三悪道が無いように、と説くといえども、修羅界・人界・天界には有るのである。 四十八願の第一には、三悪道は無い「たとえ法蔵比丘が仏道の境界を得ようとする時があっても、国に地獄界・餓鬼界・畜生界の衆生が有るならば、私は仏の悟りを取るまい」とある。 四十八願の第二の願いには、「『国中の人界・天界の衆生が、命終の後、再び三悪道に更えない。西方極楽浄土において、またに死ぬであろう』とある。『たとえ私が仏道を成就して仏界の境界を得たとしても、十方世界にある無数の三悪道のなかで正覚を取ることはない』」とある。 四十八願の第三十五の願には「阿弥陀仏の名を聞いたとしても、女性の身を転じて男性の身となたなければ、西方極楽浄土に往生しないこと『たとえ私が仏道を成就して仏界の境界を得たとしても、十方の無数の諸仏の国土に、女性がいて、阿弥陀仏の名号を聞いて歓喜し、聞くところの法を信じ成仏をねがって菩提心を起こして、女性としての身体を厭いにくみながら、寿命が終わった後、また、女性の姿をとるならば、私は仏の正覚を取らない』」とある。 -----― 07 一、黒衣並びに平念珠地獄に堕つ可き事 08 法鼓経に云く黒衣の謗法なる必ず地獄に堕す文。 09 勢至経に云く平形の念珠を以ゆる者は此れは是れ外道の弟子なり 我が弟子に非ず仏子我が遺弟必ず円形の念珠 10 を用ゆ可し次第を超越する者は妄語の罪に因つて必ず地獄に堕せん文。 -----― 一、黒色の法衣ならびに平念珠を用いる者は、地獄に堕ちるべきこと。 大法鼓経には「黒色の法衣は謗法である。必ず地獄に堕ちる」とある。 阿弥陀本願疏には「勢至経には『平形の念珠を用いる者は外道の弟子である。釈尊の弟子ではない。仏子である一切衆生も、私の滅後の弟子も、かならず、円形の数珠を用いなさい。順序に従わずに越えてしまう者は妄語の罪によって必ず地獄に堕ちるであろう』」とある。 |
念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
―――
難行道
易行道に対する語。法然の立てた邪義で、出処は竜樹の「十住毘婆沙論」・曇鸞の「往生論註」による。難しい修行のことで、末法の衆生は難行道である法華経などでは往生できないと説く。
―――
六道輪廻
衆生が三界六道の迷いの世界に生死を繰り返すこと。「六道」は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界。「輪廻」とどまることなくめぐり流れること。
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善導和尚
(0613~0681)。中国唐時代の浄土宗の僧。幼くして出家し、太宗の貞観年中に道綽の門に入り観経を信仰しはじめ、以後、人々に称名念仏を勧めた。浄土の法門を演説すること30年、ついに寺前の柳に登り自ら身を投じて、極楽往生を示そうとしたが、地面に落ちて腰を打ち、十四日間苦しんで死んだという。著書に「観無量寿経疏」、「往生礼讃」、「般舟讃」、「観念法門」等がり、その後の浄土教に大きな影響を与えた。
―――
玄義分
経の要義をあらかじめ述べたもので、はじめに「帰三宝偈」(「勧衆偈」「十四行偈」)と呼ばれる偈頌がおかれ、以下7門にわたって善導大師独自の『観経』に対する見方が示されている。
―――
未審
つまびらかでないこと。
―――
定散
散心で行う禅定のこと。
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教
悟りを得た人が人々を化導するために説いた言葉。
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機
説法を受ける所化の衆生の機根。
―――
義
①常住不変の仏の哲理。②文義意のこと。
―――
謗法
誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
―――
無信
信仰する心がないこと。
―――
八難
仏を見,正法を聞くことを妨げる八種の苦難・境界。すなわち,地獄・畜生・餓鬼・長寿天・盲聾瘖啞・辺地・世智弁聡・仏前仏後の称。
―――
非人
①人に非ざる衆生。天・竜・夜叉・等。②遁世の沙門・乞食。
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朽林頑石生潤の期有る可からず
善導の玄義分の中のことば、朽ちた木は芽を生ずることなく、頑堅石」が水に潤うことがないように、謗法の人・無信・八難の者および非人が仏の化導を受けることがなく、極楽往生はできないと説く。
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受化の義
仏の化導を受けることをいう。
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信楽
聞くところの法を信じ成仏を楽うこと。
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一形
人間の体・形が存続する期間のこと。
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十念
無量寿経・観無量寿経などで説かれる浄土宗所立の十念。この十念に種々の説がある。曇鸞は往生論註巻上で、観経の十念を訳して数の十を意味するのではなく、阿弥陀仏を憶念し、その名号を他事なく称念して往生の因を完成することを説く。また善導は十念を十声称名と釈している。
―――
往生礼讃
善導の五部九巻の著作のうち、『観経疏』(「本疏」「解義分」)以外の4部(『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』)はいずれも浄土教の儀礼・実践を明らかにしたものであるので、「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわされている。
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根欠
成仏の機根が欠けている人のこと。
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二乗種
二乗の種子のこと。
―――
弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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北州
北インドのこと。
―――
三悪
三悪道・三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
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長寿天
色界・無色界の諸天で、楽しみにふけって仏法を求めないこと。
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世智弁聡
世間的知恵には欠けているが、邪見に陥り仏法を求められないこと。
―――
仏前仏後
仏が出世する以前、あるいは滅後に生まれた場合は、仏法に巡り合うことができないゆえに、八難のひとつとされる。
―――
諸根不具
諸根がそなわっていないこと。眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根のいずれかがか欠けていること。
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阿弥陀経六十巻
阿弥陀経は3巻であり、60巻の意味は不明。
―――
念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
懈怠
おこたること、なまけること、低い教えは民衆を幸福にすることを怠る懈怠の法である。
―――
三衣
僧が着る3種の袈裟 。僧伽梨 (大衣・九条)・鬱多羅僧(上衣・七条)・安陀会 (中衣・五条)。僧の質素な生活をあらわすさまである。
―――
瓶鉢
瓶は食事や不浄の後に手を洗うために、水を入れる焼き物の容器。鉢は托鉢に用いる器で、鉄・石・陶製のものがあり、一般に皿よりも深く、瓶よりも開いている。
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諸の禁戒
悪を禁止する種々の戒律。仏道修行のために守るべき生活・行動規範で、非を防ぎ悪を止めるための戒とキョウダン維持のための律とに分けることができる。
―――
本願
仏・菩薩が過去世に衆生済度のために起こした請願。
―――
破戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
―――
観念法門経
善導の著。『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』のこと。尾題にはこれに「経」の一字が付加されて『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』とあるが、一般には略して『観念法門』と称されている。阿弥陀仏の相好を観想する方法やその功徳について詳述した書で、全体は三昧行相分、五縁功徳分、結勧修行分の3段よりなっている。
―――
酒肉五辛
仏道修行の妨げとなるため、比丘などが飲食を禁じられた酒・肉・五つの辛いもの(にら・ねぎ・にんにく・らっきょう・はじかみ)をいう。
―――
発願
願いを発すること。
―――
悪瘡
悪性のできもの、はれもの。正法誹謗の罪によって起こるとされる悪重病のひとつ。
―――
法然上人
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
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起請文
神仏に誓いを立てて、自分の行為、言説に偽りがないことを表明した文書・誓紙・厳守すべき事項を記した前書き部分と、もしこれに違背すれば神仏の罰を受ける旨を記した神文からなるもの。
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西方弥陀
西方極楽浄土の阿弥陀仏のこと。
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思念
思い念ずること。
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無量寿経
観無量寿経のこと。観経ともいう。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。浄土三部経の一つ。わが子阿闍世王の悪逆を憂え嘆く韋提希夫人の求めに応じて、釈尊が神力によって十方の浄土を示現し、夫人が極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽浄土とを十六観に分けて説いたもの。
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月蔵経
「大方等大集経」60巻のうちの46~56巻の月蔵分のこと。巻10には五箇五百年(釈尊滅後の仏教の展開を五種の五百年に区切って表すもの)をあげ、末法のすがたを説く。
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億億
数えきれないほどの数のこと。
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未だ一人も得る者有らず
仏教に聖道門・浄土門があるとし、末法の衆生は聖道門を修行しても一人も成仏・得道するものはないとする浄土宗の義。
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当今
最近・ちかごろ・現在。
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五濁悪世
五濁が盛んな世の中のこと。正像末の三時のなかで、末法の時をいう。末法では釈尊の仏法が隠没して仏法が濁乱し、煩悩濁・見濁を引き起こし、命濁を生む。そして命濁から起こる衆生濁が広がって、劫濁となる。これが悪世の様相である。「五濁」とは、劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。
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唯浄土の一門
阿弥陀仏の本願にすがって極楽浄土へおうじょうすることを期す浄土門のこと。
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遺教経
鳩摩羅什訳。1巻。サンスクリット原典,チベット語訳は欠本で,漢訳のみ現存。釈尊が入滅に際して,弟子たちに最後の説法をなした情景を描く経典。中国,日本で広く普及した。特に禅宗では仏祖三経の一つとして重視する。
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浄戒
悟りに至るための修行法を二つに大別したもの。乗は実相を開悟するために教理に基づいて修行する意で理戒ともいう。修行する人を乗せて涅槃に到達させる故に乗という。戒は身心の非を防ぎ悪を除くために身・口・意の事相に課するおきての意で持戒ともいう。
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販売貿易
物などを売買すること。
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田宅
田んぼや家。
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人民
人々。
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奴婢
召使い。家に隷属して使われる人。
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畜生
飼い畜われていきるものの意で、動物を総称する。三悪道・十界のひとつ。観心本尊抄には「癡は畜生」(0241-08)とあり、理性を失い、本能の命ずるままに行動する姿をさす。
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畜養
養い育てること。
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種植
種や植物を植えること。
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遠離
遠く離すこと。
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火坑
火の穴、火の海、焦熱地獄。
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斬伐
樹木や草木を伐採すること。
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墾土掘地
大地を耕し開くこと。
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所釈
経や論を論師や人師が解釈したもの。
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依経
各宗派がよりどころとする経のこと。一代聖教大意には「華厳宗と申す宗は智厳法師・法蔵法師・澄観法師等の人師.華厳経に依つて立てたり、倶舎宗・成実宗.律宗は宝法師・光法師・道宣等の人師・阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵・慈恩法師等・方等部の内に上生経・下生経・成仏経・解深密経・瑜伽論・唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経・諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時は いかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し」(0397-05)とある。
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十六観経
観無量寿経で阿弥陀仏とその極楽浄土の荘厳の相を16に分けて説いていること。
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四紙の阿弥陀経三に依り
阿弥陀経はわずか4枚の紙に収まり1巻としていることを指す。
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般舟三昧
般若三昧経のこと。3巻。中国・後漢代の支婁迦讖訳「十方現在仏悉在前立定経」ともいう。16品からなり、仏が賢護菩薩に対して、般若三昧を行ずることによって阿弥陀仏をはじめ諸仏を見ることができると説いている。漢訳大乗経典の中、最も初期に成立したもので、阿弥陀仏を説く最古の文献とされる。
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十往生経
阿弥陀仏の浄土へ往生するのに十種の方法があること、またこの経を信ずるものは二十五菩薩の護持を受けることが説かれている。『貞元禄』では疑経としている。偽書の疑いが強い。
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浄土三昧経
長く散逸していたが近年発見された。偽書といわれている。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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説時
説法した時。
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対機
対応する衆生の機根のこと。
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利益
仏の教え・正法に従い行動することによって、得られる恩恵。功徳と同義。
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弥陀経
阿弥陀経のこと。無量寿経・観無量寿経と共に浄土三部経のひとつ。仏が祇園精舎で舎利弗のために説いたとされる。西方十万億土の極楽浄土と阿弥陀仏の荘厳・功徳の相を説き、この世は穢土であるが、阿弥陀仏の名号を執持して一心不乱に称えるならば、死後、極楽浄土へ往生できると説いている。釈尊の教説の中では方等部に属し、方便権教である。
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修羅
梵語アスラ(Asura)の音訳。非天・非端正等と訳す。戦闘を好み、つねに帝釈・天人等と争う鬼神をいう。大智度論巻十によると阿修羅には毘摩質多羅・羅?羅・婆梨の三兄弟の阿修羅王がおり、ここでは羅?羅阿修羅王をさす。
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人
人界のこと。平凡な人間の生命状態を指す。平均的な能力・平均的な容姿・平均的な頭脳を与えられる。過度に欲望にのめりこまないことに心がければ、来世も平均的な能力・平均的な容姿・平均的な頭脳が与えられるだろうという。
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天
天界のこと。 「喜ぶは天」とのように、願いがかなって喜びに満ちている境界、また先天的な福運により恵まれた生活が送れるような境界。ただし天上界の喜びは 「天人の五衰」といって永続しない。先天的な福運などはバケツに汲んだ水と同じで、もし今生に仏法に背けば、たちまちに消滅してみじめな境界となる。
―――
四十八願
阿弥陀仏が法蔵比丘として修行していたとき、自らの仏国土を荘厳しようと願い、世自在王仏によって示された二百十億の仏国土から選び取って立てた48の誓願。無量寿経巻上に説かれている。
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三悪趣
三悪道のこと。三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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餓鬼
梵語プレータ(Preta)の漢訳。常に飢渇の苦の状態にある鬼。大智度論巻三十には「餓鬼は腹は山谷の如く、咽は針の如く、身に唯三事あり、黒皮と筋と骨となり。無数百歳に、飲食の名だにも聞かず、何に況んや見ることを得んや」とある。
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畜生
飼い畜われていきるものの意で、動物を総称する。三悪道・十界のひとつ。観心本尊抄には「癡は畜生」(0241-08)とあり、理性を失い、本能の命ずるままに行動する姿をさす。
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正覚
正しい覚り。妄惑を断滅した如来の真正の覚智。成仏。
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十方
十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。
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無量不可思議
図ることも思議することもできないほど多いこと。
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聞名転女人往生せざる事
阿弥陀仏の名を聞いたとしても、女性の名を転じて男性とならなければ、極楽浄土におうじょうしないこと、との意と考えられる。
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信楽
聞くところの法を信じ成仏を楽うこと。
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菩提心
悟りを求めて仏道を行ずる心。菩提は梵語ボーディ(bodhi)の音写で、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種ある
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厭悪
厭い憎むこと。
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寿終
寿命が終わること。命終という。
―――
女像
女性の姿・形。
―――
黒衣
僧が着る黒色の法衣。
―――
平念珠
珠を扁平な四角形にした数珠のこと。念仏宗が用いる。
―――
法鼓経
2巻、大法鼓経のこと。劉栄代の求那跋陀羅の訳。仏が波斯匿王の戦鼓に託して説いた経とされる。経の大旨は三乗開会・開三顕一にあり、如来の常住や一切衆生にみな仏性がある等と説いている。
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勢至経
現存する大蔵経にはこの名はなく、何を指すか不明。
―――
次第
順序
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超越
あるものを超えること。
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妄語の罪
うそつきの罪。十悪のひとつ。
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ここでは、「一、念仏の一切衆生の往生せざる事並びに難行道次に六道輪廻の事」「一、八難処の事」「一、観経と法華経との説時各別の事」「一、黒衣並びに平念珠地獄に堕つ可き事」の四項目をまとめて扱うことにする。
先にも「一、天台宗阿弥陀の事」「一、天台念仏の事」という項目で、念仏の誤りを明らかにした諸文を引用されていたが、それは天台宗のなかで一つの初心の行として行われていた念仏修行の場合で、ここでは法然が開いた浄土宗念仏、いわゆる専修念仏の問題を明らかにしている諸文を引用されて、真正面からその誤りを指摘されているのである。
まず「一、念仏の一切衆生の往生せざる事並びに難行道次に六道輪廻の事」では、善導の観無量寿経疏の玄義分第一と往生礼讃偈から、阿弥陀仏の極楽浄土への往生が可能な衆生と不可能な衆生との差別を設けている文を引用されている。つまり、浄土念仏では、一切の衆生の往生が認められていない点で、大きな限界を有していることを示されているのである。
続いて「一、八難処の事」では、浄土念仏によって往生できない者たちを具体的に示している浄土系の経・釈からの文が引用されている。
善導和尚の遺言、観念法門経、遺教経等では、戒を守らなかったり、戒を破った者、あるいは酒肉五辛を口にした者などは念仏しても往生できないとしている。
また、観無量寿経に説く三心、すなわち至誠心、深心、回向発願のうち、一心でも欠けると往生できないとする善導の釈、さらに双観経の下では無智の人には説いてはならない、として無智の人を除外している。
さらに「一、観経と法華経との説時各別の事」では、阿弥陀経の一文と無量寿経における四十八願のうちの第一願、第二願の二つの文とは、いずれも、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の衆生は浄土にはいらないとする点で共通しているし、第三十五の願は女人の姿のままでの往生は除外しており、「一、黒衣並びに平念珠地獄に堕つ可き事」の項では黒衣を着けたり、平念珠を持つ者は地獄に堕ちるとして往生から除外しているところから、黒衣を着し平念珠を用いている法然の浄土宗の人々は往生できないことを示されているのである。
0684:11~0685:13 第13章 再び天台宗の念仏行を示すtop
| 11 一、天台の念仏の事 12 ┌ 一 大意 本尊は阿弥陀 13 ├ 二 釈名 ┌ 一 発大心 ┌一常坐三昧 ──文殊説経・文殊問経に依る 14 ├ 三 躰相 ├ 二 修大行 │ 本尊は阿弥陀 15 ├ 四 摂法 五 略者┼ 三 感大果 ├二常行三昧 ──般舟三昧経に依る 16 止観十章者┼ 五 偏円 ├ 四 裂大網 四種三味┤ 本尊は別有 17 ├ 六 方便 └ 五 帰大処 ├三半行半坐三昧─方等経・法華経に依る 18 ├ 七 正観 │ 本尊は観音 19 │ └四非行非坐三昧─説経・説善・説悪・説無記 20 │ 右四種三昧の次では先段に之を注す 01 ├ 八 果報 0685 02 ├ 九 起教 03 └ 十 指帰 -----― 一、天台の念仏の事 ┌ 一 大意章 ├ 二 釈名章 ├ 三 躰相章 ├ 四 摂法章 止観十章者┼ 五 偏円章 ├ 六 方便章 ├ 七 正観章 ├ 八 果報章 ├ 九 起教章 └ 十 指帰章 ┌ 一 発大心 ├ 二 修大行 五 略 者┼ 三 感大果 ├ 四 裂大網 └ 五 帰大処 本尊は阿弥陀仏である ┌ 一 常坐三昧 ──―文殊説経・文殊問経を依経とする。 │ 本尊は阿弥陀仏である ├ 二 常行三昧 ―――般舟三昧経を依経とする。 四種三味 ┤ 本尊は方等三昧・法華三昧それぞれ別々にある。 ├ 三 半行半坐三昧―大方等陀羅尼経・法華経を依経とする。 │ 本尊は観世音菩薩である └ 四 非行非坐三昧─諸経典に基づいて止観の行法を説く。 善心を止観の対経とする行法を説く。 悪心を止観の対境とする行法を説く。 無記の心を止観の対境とする行法を説く。 上四種三昧の次に説かれている文については、先の段にこれを注記してある。 -----― 04 止観の七に云く 若し四種三昧修習の方便は通じて上に説くが如し、 唯法華懺法のみ別して六時五悔に約して 05 重ねて方便を作す今五悔に就いて其の位相を明す文。 06 弘決の七に云く 四種三昧は通じて二十五法を用いて通の方便と為す、若し法華を行ずるには別して五悔を加う 07 余行に通ぜず文。 08 第七の正修止観とは止の五に云く 前の六重は修多羅に依つて 以て妙解を開き今は妙解に依つて以て正行を立 09 つ文。 10 十疑の第四に云く釈迦大師一代の説法処処の聖教に 唯衆生心を専にして偏に阿弥陀仏を念じて西方極楽世界に 11 生ぜんことを求めよと勧めたまえり文。 12 七疑に云く又聞く西国の伝に云く三りの菩薩有り一を無著と名け二を世親と名け三を獅子覚と名く文。 13 八疑に云く雑集論に云く若し安楽国土に生ぜんと願わば即ち往生を得る等文。 -----― 摩訶止観巻七には「四種三昧を修め習って修行することが方便であるとは、通じて、上記の文に説く通りである。ただ法華経における懺悔滅罪の法だけは、別して六時五悔に約して重ねて方便の修行を行う。今、五悔について、その位に相応した姿を明らかにする」とある。 止観輔行伝弘決巻七には「四種三昧は、通じて、二十五の方便を用いて、通じて方便となしている。もし法華経を修行するには、別して五悔を加える。この五悔は、法華経以外の行には通じない」とある。 摩訶止観の十章の第七の正修止観とは、摩訶止観巻五によれば「正修章の前の六重の止観は、経典をよりどころとして、それによって妙解を開いたのであるが、今は妙解をよりどころとして、それによって正しい修行を立てる」とある。 浄土十疑論の第四には「インド応誕の釈尊一代の説法、さまざまな場所で説かれた教えには、ただ、衆生は心を集中させて、ひとえに阿弥陀仏を念じて、西方の極楽浄土に生ずることを求めよ、と勧められている」とある。 第七疑には「また、インドから伝え聞くところによると、三人の勝れた菩薩がいる。一人を無著と名付け、第二の人を世親と名付け、第三の人を獅子覚と名付ける」とある。 第八疑には「雑集論には『もし安楽国土に生じようと願うならば、安楽国土に往生することができる』等とある」とある。 |
天台の念仏
天台宗の開祖・天台大師所立の四種三昧に明かされている念仏修行のこと。
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天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
―――
止観十章
止観は摩訶止観のこと。十章は、摩訶止観・正宗分・十章のこと。摩訶止観の構成は、章安大師の序分と天台大師の正説分からなる。正説分は大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正修・果報・起教・旨帰からなり、十広ともいう。正修章に十境を立てるなか、第八の増上慢以下は欠文のまま終わっている。
―――
大意(摩訶止観の)
正説分の十章のうちの第一章を大意(章)という。発大心・修大行・感大果・裂大網・帰大処の五段からなり、止観の大網を略説したもので、これを五略ともいう。摩訶止観は十章からなっていて、第一章に五略が説かれており、通常、止観の組織を五略十章という。
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釈名
摩訶止観の正説分の第二章。相待・絶待・会異・通三徳の四段から止観の名義を説いている。
―――
躰相
摩訶止観の正説分の第三章。教相・眼智・境界・得失から次第・不次第・離合と続く止観について述べている。止・観の体は別ではなく同一法性で、寂と照の二つの働きであることを顕している。
―――
摂法
摩訶止観の正説分の第四章。摩訶止観の中には無量の法門がすべて含まれている。一切の理・惑・智・行・位・教が包摂されていることを明かす。
―――
偏円
摩訶止観の正説分の第五章。止観の体に収まる一切の諸法を大小・半満・偏円・漸頓・権実の五段に分けて究明している。そして教理に偏円の別があるように、止観にも異なりがあるが、摩訶止観の一心三観・円頓止観は、それらの別を超えてすべてを包含した最極の円満な止観であることが述べられている。
―――
方便
摩訶止観の正説分の第六章。この章は第七の正観章に入るための準備や用意を具五縁・呵五欲・棄五蓋・調五事・行五法の五科二十五項によって明かしている。これを二十五方便という。
―――
正観
摩訶止観の正説分の第七章。正修章ともいい、正しく止観修行を明かしている。観境として。①陰入界境、②煩悩境、③病患境、④業 相境、⑤魔事境、⑥禅定境、⑦諸見境、⑧増上慢境、⑨二乗境、⑩菩提境を示し、さらに十乗観法①観不思議境②発真正菩提心)・巧安巧安心止観④破法遍⑤識通塞⑥道品調適⑦対治助開⑧知次位⑨能安忍⑩無法愛、を修する様相を示している。
―――
果報
摩訶止観の正説分の第八章。この章から不説のままで終わっているが、大意章の五略によると、止観の結果として証得される果報が略説されている。
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起教
摩訶止観の正説分の第九章。不説のままで終わっているが、大意章の五略によると、証得した果報に化他・教化能力がそなわっていることが略説されている。
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指帰
摩訶止観の正説分の第十章。不説のままで終わっているが、大意章の五略によると、帰着すべきところは法身・般若・解脱の三徳を能化・所化の生命に等しく顕現するところにあると示している。
―――
五略
摩訶止観十章の中第一大意章で十章までの全体を略説したもので五段からなっているので五略といい、①発大心②修大行③感大果④裂大網⑤帰大処、からなる。
―――
発大心
止観の十章の第一・大意章のなかの五略の第一。四諦・四弘誓願・六即などの教説によって、止観の究極・一心三観・一念三千を目指して心を起こすことを説く。十章の第二~第五章を略説。
―――
修大行
止観の十章の第一・大意章のなかの五略の第二。四種三昧に約して止観実践の法を説いている。十章の第六・第七の略説。
―――
感大果
止観の十章の第一・大意章のなかの五略の第三。止観の結果として得られる果報を説いている。十章の第八・果報章にあたる。
―――
裂大網
止観の十章の第一・大意章のなかの五略の第四。証得した果報に化他・教化能力が具わることを説く。大網は衆生が煩悩や邪見に覆われている様相をいい、大網を裂いて衆生を救うという一心三観を修して中道の智慧を証得し、頓漸の諸経に通達して化他行を修することを説いている。十章の第九。
―――
帰大処
止観の十章の第一・大意章のなかの五略の第五。止観の帰着すべきところは法身・般若・解脱の三徳をさし、止観の帰着すべきところは衆生の生命に大涅槃を顕現することであり、この究竟の妙境を略説したものである。止観十章の第十・指帰章にあたる。
―――
四種三味
天台宗で、修行する4種の三昧。常坐三昧・常行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧の称。
―――
常坐三昧
常に座禅を行ずること。天台大師所立の四種三昧のひとつ。一行三昧ともいう。文殊説経・文殊問経に基づいて90日間、専ら座禅のみを行じ、一仏の名号を称えるほかは余事を行ぜず、実相を観ずる行法。
―――
本尊
根本として尊敬するもの。
―――
文殊説経
文殊問般若経のこと。2巻。般若諸経のひとつ。
―――
文殊問経
2巻。中国・梁代の僧伽婆邏訳。仏身の不生不滅を明かし、一切の仏は般若の修行によって仏になったと説く。また菩薩の大乗戒を示している。
―――
常行三昧
天台大師所立の四種三昧のひとつ。般若三昧・仏立三昧ともいう。般若三昧経に基づいて90日間、阿弥陀仏を本尊とする道場の周りを巡り、口に阿弥陀仏の名を称念することをいう。日本では慈覚が比叡山東塔に常行三昧堂を建立し、常行三昧が行事られた。これが浄土三昧経を依経とする称名念仏の誕生の淵源となった。
―――
般舟三昧経
3巻。中国・後漢代の支婁迦讖訳「十方現在仏悉在前立定経」ともいう。16品からなり、仏が賢護菩薩に対して、般若三昧を行ずることによって阿弥陀仏をはじめ諸仏を見ることができると説いている。漢訳大乗経典の中、最も初期に成立したもので、阿弥陀仏を説く最古の文献とされる。
―――
半行半坐三昧
天台大師所立の四種三昧の第三。これに方等三昧と法華三昧があり、ともに懺悔滅罪を主として、行と坐を兼修するので半行半坐の名がある。
―――
方等経
①大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。大乗②方等部の経典。③十二部経のこと。
―――
非行非坐三昧
三昧とは心を不動にして宗教的瞑想の境地を深めること。四種三昧とはそのために行う常坐三昧,常行三昧,半行半坐三昧,非行非坐三昧のこと。常行三昧は元来,般舟三昧経によったもので,おおむね5間(約9m)四方の常行三昧堂(常行堂)に阿弥陀仏を本尊として安置し,90日間にわって口に阿弥陀仏の名を唱えながら,そのまわりを歩きつづけて,つねに仏を念じ,心に極楽浄土や仏の三十二相などを浮かべる修行である。
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観音
観世音菩薩のこと。光世音・観世自在・施無畏者ともいい、異名を救世菩薩という。観世音菩薩普門品には衆生救済のために大慈悲を行じ、三十三種に化身するとある。またその形像の相違から十一面・千手・如意輪・不空羂索観音などと呼ばれる。観無量寿経では勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇士とされている。
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説経
天台大師が摩訶止観巻2で四種三昧の非行非坐三昧を説いた中の第一。諸経典に基づいて止観の行法を説くこと。摩訶止観では諸経に約して正観を得る修行を説いている。
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説善
天台大師が摩訶止観巻2で四種三昧の非行非坐三昧を説いた中の第二。善の心を止観の対境とする行法を説くこと。摩訶止観では諸善に約して正観を得る修行を説いている。
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説悪
天台大師が摩訶止観巻2で四種三昧の非行非坐三昧を説いた中の第三。悪の心を止観の対境とする行法を説くこと。摩訶止観では諸悪に約して正観を得る修行を説いている。
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説無記
天台大師が摩訶止観巻2で四種三昧の非行非坐三昧を説いた中の第四。無記の心を止観の対境とする行法を説くこと。
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修習
修め習うこと。悟りの道を修行し習得すること。
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法華懺法
法華経を読誦し罪障を懺悔する法。
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六時
一日中、晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜のこと。
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五悔
天台宗で、罪過を消滅するために行う五つの行。懺悔 ・勧請 ・随喜・回向 ・発願 。なお真言宗では同一文字を「ゴカイ」と読み、次の五つを立てている。帰命 ・懺悔・随喜・勧請 ・回向
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位相
あるべき位置。姿。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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二十五法
止観に入るための準備的な25の準備方法。❶具五縁①持戒清浄②衣食具足③閑居静処④息諸縁務⑤得善知識、❷呵五欲⑥色⑦声⑧香⑨味⑩蝕、❸棄五蓋⑪貪欲⑫瞋恚⑬睡眠⑭掉悔⑮疑、❹調五事⑯調食⑰調眠⑱調息⑲調身⑳調心、❺行五法㉑欲㉒精進㉓念㉔巧慧㉕一心。
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余行
法華経以外の経。
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正修止観
摩訶止観十章の第七のこと。円頓止観ともいう。三種止観のひとつで法華経を根本にした観法で、修行の段階や能力の差にかかわらず、直地に順一実相を対象として、実相の他に別の法なしと体得する止観のこと。妄念を止め、心を特定の対象に注ぐことを「止」といい、止によって智慧を起こし対象を観ることを「観」という。摩訶止観に体系化して説かれている。
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修多羅
梵語シュタラ(sūtra)の音写。線・① 経文。経典。契経 。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟 の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
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妙解
勝れた理解・知識。円頓止観のための準備・用意となる正しい知識・実践の方軌を教相に通じて理解すること。
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正行
①正しい教えによって立てた正しい行為・修行。②南無妙法蓮華経の題目を唱えること。
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十疑
天台大師の著とされる浄土十疑論。十疑論、阿弥陀十疑などともいう。西方浄土往生の十の疑難と答え。
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釈迦大師
インド応誕の釈尊のこと。
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一代の説法
釈尊が一代50年間に説いた一切経のこと。
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処処の聖教
釈尊がさまざまな場所で説いた教え。
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西国
インドのこと。
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無著
「無著」は梵語、漢訳して「阿僧伽」という。仏滅後900年ごろ、インドの健駄羅国富婁沙富羅城の婆羅門の学者、憍尸迦の子に生まれた。弟は世親。はじめ小乗化他部に出家し、小乗教を学んだが、これにあきたらず、大乗に移り「顕揚聖教論」「摂大乗論」「瑜伽論」「十地師経論」など8部37巻の書を著わした。また小乗にとらわれている弟の世親を大乗に帰せしめたことも有名な話である。75歳、王舎城で没。
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世親
生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵名はヴァスバンドゥ(Vasubandhu)。世親は新訳名で、旧訳名は天親。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」30巻、「十地経論」12巻、「法華論」2巻、「摂大乗論釈」15巻、「仏性論」6巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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獅子覚
5世紀ごろのインド僧。無著の弟子で、彼の著「大乗阿毘達磨集論」を訳した。
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雑集論
『大乗阿毘達磨雑集論』のこと。 16巻。 唐の玄奘訳。 無着『大乗阿毘達磨集論』の注釈書。
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安楽国土
阿弥陀仏の住する西方極楽浄土のこと。
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往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
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先に法然の専修念仏の誤りを示す文を引用されたが、ここでは、天台仏法において天台宗の念仏行がどのように位置つけられているかを、
天台大師の摩訶止観、妙楽大師の止観弘決、天台大師の浄土十疑論からの文によって示されている。
初めに、「止観十章」、「五略」、「四種三昧」のそれぞれが図示されている。「止観十章」というのは天台大師の摩訶止観十巻を構成する十章のことであり、いわば、摩訶止観という書物の目次といってよい。その十章のうち第一章の「大意」で摩訶止観の大綱が五段に分れて略説されており、これを「五略」という。
十章と五略との関係を示すと、次のようになる。五略の「一 大発心」が十章の「一 大意」から「五 偏円」の五章に当たり、「二 修行大」は「六 方便」「七 正観」の二章に当たり、「三 感大果」が「八 果報」に、「四 裂大網」が「九 起教」に、「五 帰大処」が「十 指帰」にあたる。
また「四種三昧」についてはすでに、「一、天台宗阿弥陀の事」の項で摩訶止観の文によって紹介されていたが、ここでは同じ内容を図示によって示されている、図示の注文に「右四種三昧の次では先段に之を注す」とある通りである。
この図示を受けて、摩訶止観巻七、同弘決巻七の文を引用されている。その要旨は図示された四種三昧はあくまで「正修止観」という悟りのための修行に到達する以前の準備段階として行う行であることを示し、同時に、正修止観の直前に修する二十五方便行にも通ずるものであるとしている。
しかしまた、「法華懺法」として、法華経を行ずる時は、四種三昧や二十五方便行とは異なって、特別に「六時五悔」を行うとしている。六時は一日を六つの時に分けたもので、それぞれの時に、懺悔・勧請・随喜・回向・発願の五悔を行うということである。
次いで、「正修止観」を明かした摩訶止観巻五の文を引用して、四種三昧・二十五方便などを説く摩訶止観の第六章までは、修多羅をよりどころとして妙解を得ることに焦点があったのに対し、「正修止観」を説く第七章はこれまでの知識や理解に基づいて正しい修行を立てたものであることを明らかにされている。
最後に、天台大師の浄土十疑論から三つの文を引用されて、天台宗にも阿弥陀仏の極楽浄土への往生を勧める側面があることを示されている。
この天台宗における念仏は四種三昧の図示でもあったように、阿弥陀仏などの仏像を前にして、修行者が自らの一念の中で仏を念じ続けることが中心であって、この現実世界と汝自身を厭離して極楽世界への往生を念ずる浄土宗のそれとは異なるものである。
0685:14~0687:18 第14章 天台大師の臨終の姿を示すtop
| 14 一、天台御臨終の事 15 止観の一に云く安禅として化す位五品に居す文。 16 弘決の一に云く安禅として 化す位五品に居す等とは此れ臨終の行位を出すなり、禅定を出でずして端坐して滅 17 を取る故に安禅として化すと云う文、 又云く法華と観無量寿の二部の経題を唱えしむ文、 又云く香湯を索めて口 18 を漱ぎ竟つて十如・四不生.十法界・四教.三観・四悉.四諦・十二縁を説くに一一の法門.一切の法を摂す、吾今最後 0686 01 に観を策まし玄を談ず最後善寂なり ○跏趺して三宝の名を唱えて 三昧に入るが如し即ち其の年十一月二十四日未 02 の時・端坐して滅に入りたもう文。 03 又云く大師生存に常に兜率に生ぜん事を願う臨終に乃ち観音来迎すと云う、 当に知るべし物に軌とり機に随い 04 縁に順じて化を設く 一准なる可からざることを文、 又云く汝善根を種うるに嬾くして他の功徳を問う盲の乳を問 05 い蹶きたる者の路を訪うが如し実を告げて何の益かあらん文。 06 選択集の上に云く願くは西方の行者各其の意楽に随い 或は法華を読誦して以て往生の業と為し、 或は華厳を 07 読誦し以て往生の業と為し 或は遮那教主及以び諸尊の法等を受持し読誦して 往生の業と為し或は般若・方等及以 08 び涅槃経等を解説し書写して以て往生の業と為す是れ則ち浄土宗観無量寿経の意なり文。 09 又云く問うて曰く 爾前経の中何ぞ法華を摂するや、 答えて曰く今言う所の摂とは権実偏円等の義を論ずるに 10 非ず、読誦大乗の言は普く前後の大乗諸経に通ず文。 11 観無量寿経に云く爾の時に王舎大城に一りの太子有す阿闍世と名く、 調達悪友の教に随順して父の王の頻婆沙 12 羅を収執して幽閉して七重の室内に置く文。 13 法華経の序品に云く韋提希の子阿闍世王・若干百千の眷属と倶なり文。 14 恵心の往生要集の上に云く夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり道俗・貴賎誰か帰せざらん、 但顕密の教 15 法其の文一に非ず 事理の業因其の行惟れ多し 利智精進の人は未だ難と為さず、 予が如き頑魯の者・豈敢てせん 16 や、是の故に念仏の一門に依つて聊か経論の要文を集め之を披らき之を修するに覚り易く行じ易し文。 17 恵心往生要集を破し二十三年已後に一乗要決を作る、 一乗要決の上に云く諸乗の権実は古来の諍なり 倶に経 18 論に拠つて互に是非を執す、 余寛弘丙午の歳冬十月・病中に歎じて曰く 仏法に遇うと雖も未だ仏意を了せず若し 0687 01 終に手を空うせば後悔何ぞ追ばん、爰に経論の文義賢哲の章疏或は人をして尋ねしめ或は自ら思択す、全く自宗 02 他宗の偏党を捨てて専ら権智・実智の深奥を探るに 遂に一乗は真実の理・五乗は方便の説なることを得る者なり、 03 既に今生の蒙を開く何ぞ夕死の恨を遺さん文。 -----― 一、天台大師の御臨終のこと 摩訶止観巻一には「身心を安らかにして禅定に入って遷化し、観行五品の位に住する」とある。 止観輔行伝弘決巻一には「摩訶止観の巻一に『身心を安らかにして禅定に入って遷化し、観行五品の位に住する』等とあるのは、これは臨終の時の修行と位を説かれているのである。禅定に入って出ることなく端座して入滅された。故に、『身心を安らかにして禅定に入って遷化する』とある。 同巻一にはまた「法華経と観無量寿経の二部の経題を唱えさせた」とある。 同巻一にまた「香湯を求めて口をすすぎおわって、十如是・四不生・十法界・化儀と化法の四教・一心三観・四悉壇・四諦・十二縁を説かれたが、その一つ一つの法門に、釈尊のすべての教法が包摂されていた。私は、今、今生の最期に観をはげまし、法華経の深義を談ずる。最後は、善く涅槃に入られた。結跏趺坐して、仏・法・僧の三宝の名を唱えて、三昧に入るかのようである。すなわちその年の十一月二十四日、未の時、端座して涅槃に入られた」とある。 同巻一にはまた「天台大師は生存中は、常に、兜率天に生ずることを願っておられた。臨終の時には、観世音菩薩が来現して、浄土へ迎え導きにくるであろう、といわれていた。まさに知るべきである。ものの規則にのっとり、機根に随い、縁に順じて教化を設けるのであり、一つに決まっているのではない、ということを」とある。 同巻一にはまた「あなたは、善根をうえる修行に励まないで、もっと他に功徳を得る道を問うている。それは、ちょうど目が見えない人が乳の色を問い、足が悪くて歩けない人が道を尋ねるようなものであり、無意味なことである。真実を告げても何の利益があるのであろうか」。 選択本願念仏集の上には「願わくは西方極楽浄土に往生することを願って念仏の修行に励む者は、その意い楽うところにしたがって、あるいは、法華経の読誦をもって極楽往生の修業となし、あるいは華厳経の読誦をもって極楽往生の修業となし、あるいは般若経や方等部の諸経、および涅槃経を等を説いたり書写することを極楽往生の修行となす。これが浄土宗・観無量寿経のこころである」とある。 また、同書には「問うていう。爾前経の中にどうして法華経を包摂するのか。答えていう。今いうところの『包摂』とは、権教か実教か、偏頗な教えか円融円満な教えか等の法理の問題を論ずるのではない。大乗教を読誦するとの文の『大乗教』は、法華経だけでなく、前後の大乗の諸経に通じるのである」とある。 観無量寿経には「その時に、王舎大城に一人の王子がいた。阿闍世と名づける。悪友である提婆達多の教えにしたがって、父頻婆沙羅王を捕えて、七重の壁に囲まれた室内に閉じ込めた」とある。 法華経序品第一には「韋提希夫人の子、阿闍世王はたくさんの従者と共にやってきた」とある。 恵心の往生要集巻上には「西方極楽浄土に往生する教法と修行は、五濁悪世の末法において、人々を導く目であり足である。出家者も在家の者も、身分の貴い者も賎しい者も、誰が帰依しない者がいようか。顕教の教えと密教の教えは、その経文は一様ではなく、事・理の業因である修行も大変多い。智慧が勝れ仏道に精進する人にとっては難しくはないが、私のような頑なで愚かな者には修行できるものではない。この魯の者・豈敢てせん故に念仏の一門をよりどころとし、少しばかりの経文と論書の肝要を集めて披見したところを修行すると、覚りやすく行じやすい」とある。 恵心は自ら説いた往生要集を破折するために二十三年以後に一乗要決を著した。一乗要決巻上には「さまざまな教法のいずれが権教か実教かは昔からの論争の的である。それぞれがみな、経論をよりどころにして互いに是か非かに執着している。私は寛弘丙午の歳の冬、十月、病中にあって、このことを嘆いて考えた。せっかく仏法にあいながら仏の本意を覚り尽くせないで、もし、ついになすすべなく空しく死んでいくならば、後悔しても取り返しがつかない。そこで経論の文言と教義・賢者・哲人の注釈書を、あるいは人をして究明させ、あるいは自ら思慮し選択して、自宗だの他宗だのといった偏見を捨てて、専ら権智と実智の深奥を探っていたところ、ついに法華経の一仏乗の教えこそ仏の真実の法理であり、人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗の教えは、かりの教説であると確信したのである。こうしてすでに今世の生の迷いを晴らしたのであるから、どうして夕べに死んでも恨みを残すことがあろうか」とある。 -----― 04 一、念仏は末代に流布す可き事 05 雙観経の下に云く当来の世に経道滅尽せんに 我慈悲を以て哀愍して特に此の経を留めて止住すること百歳なら 06 ん、其れ衆生有つて斯の経に値う者は意の所願に随つて皆得度す可し文。 07 往生礼讃に云く万年に三宝・滅して此の経住すること百年、 爾の時に聞いて一念もせば皆・当に往生を得べし 08 文。 09 慈恩大師の西方要決に云く末法万年に余経悉く滅して弥陀の一教のみと文。 10 方便品に云く深く虚妄の法に著して堅く受けて捨つ可からず是くの如き人度し難しと文。 11 堅恵菩薩の宝性論に云く過去謗法の障り不了義に執著すと文。 12 方便品に云く若し余仏に遇わば此の法中に於て便ち決了することを得んと文。 13 玄の七に云く南岳師の云く初依を余仏と名く無明未だ破せず之を名けて余と為す、 能く如来秘密の蔵を知つて 14 深く円理を覚す之を名けて仏と為す文。 15 涅槃経疏十一に云く人正法を得るが故に聖人と云うと文。 16 像法決疑経に云く常施菩薩・初成道より乃至涅槃・其の中間に於て如来の一句の法を説くを見ず、然るに諸の衆 17 生は出没・説法度人有りと見ると文。 18 二十五三昧・二十五有の略頌に曰く四州・四悪趣・六欲並びに梵世・四禅・四無色・無想・五那含文。 -----― 一、念仏は末代に流布すべきこと 雙観経巻下には「未来の世に、釈尊一代の経典で説く教えが消滅し、仏道を行ずる道が閉ざされてしまう時に、私は慈悲をもって衆生をあわれんで、特にこの無量寿経をとどめ置くこと、百年間になるであろう。もし、この無量寿経にあう衆生は、心の願いにしたがって皆、成仏得道するであろう」とある。 往生礼讃偈には「末法万年に仏法僧の三宝が滅して、この無量寿経がとどまること百年間、その時にこの経を聞いて、一遍でも阿弥陀仏を念じその名を称えるならば、皆まさに極楽浄土に往生することができるであろう」とある。 慈恩大師の西方要決には「末法万年にほかのあらゆる経はことごとく滅し、阿弥陀仏の教えだけが衆生を利益する」とある。 法華経方便品第二には「偽りの教法に深く執着して、その教法を堅く受けて捨てない人は、済度することが難しい」とある。 堅恵菩薩の宝性論には「過去において正法を誹謗した故に仏道修行が妨げられ、不了義経に執著する」とある。 法華経方便品第二には「もし、念仏に遇うならば、この法華経のなかにおいて悟りを得ることができるであろう」とある。 法華玄義巻七には「南岳大師は、次のようにいっている。『初依の位の人を余仏と名付ける。無明惑を未だ破っていないので“余”というのである。よく如来秘密の法門を知って、深く円融円満の哲理を覚っているので“仏”となすのである』」とある。 涅槃経疏十一には「人、正法を得るが故に聖人という」とある。 像法決疑経には「常施菩薩は、釈尊が初めて成道した時から、入滅まで、その化導の始めと終わりとの間において、釈尊が一句の法を説かれたのを見ない。しかし、もろもろの衆生が迷苦を出たり没したりするのを見て、法を説いて人を救う」とある。 涅槃経巻十四には「二十五有を破すための二十五三昧が説かれている。二十五有は、止観輔行伝弘決巻二に、略頌として「四州・四悪趣・六欲並びに梵世・四禅天・四無色界・無想天・五那含天」とある。 |
天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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臨終
人がまさに死のうとするとき。
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安禅
身心を安らかにして禅定に入ること。禅定に入るとは、心を一処に定めて散乱せず、煩悩を断って深く真理を思惟する境地に入ること。
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位五品
観行五品の位を意味する。観行五品は天台大師が六即位の中の観行即の位を五品に立て分けたもの。天台大師は法華文句巻10で、妙法を修行すぅる者の位を次の五段階に分けている。①随喜品、妙法を聞いて随喜の心を起こす位。②読誦品、自ら受持読誦する位。③説法品、自行に加えて化他のために説法する位。④兼行六度品、前三品に兼ねて六度を行ずる位。六度とは六波羅蜜のことで、布施・持戒・忍辱・精進・一心・智慧の三つ。⑤正行六度品、正しく六度を修する位。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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行位
仏道における修業の位のこと。法華玄義巻2上に述べられている迹門の十妙の中の行と位。仏・菩薩にはそれぞれ行位が定まっている。①不軽菩薩の位は初随喜・行は24文字の法華経。②天台・伝教は観行五品の位である。
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禅定
心を一処に定めて散乱させず、煩悩を断って深く思惟する境地に入ること。戒・定・慧の三学のひとつ。また六波羅蜜の一つ。禅定を得るために結跏趺坐することが最も安定した坐法として用いられている。
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端坐
①威儀を整えて正座すること。②禅定のこと。
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滅を取る
入滅。臨終のこと。
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香湯
香りを入れた香りのある湯のこと。身体や袈裟などを清めるために用いられる。
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十如
方便品に「唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」とある。如是とは生命の中道実相の義で、瞬間の生命の働きを、十の範疇によって、ありのままに見たのが十如実相である。この十如是は十界の依報・正報おのおのに必ず具足しているのである。
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四不生
四句推剣ともいう。竜樹の中論巻1、観因縁品第1の16偈中、第3偈にある4句のこと。すなわち、諸法は自らを原因として生じたものではない。原因がなくして生じたものでもないということ。
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十法界
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。観心本尊抄には「或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり」(0241-07)「四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(0241-11)とある。
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四教
天台大師智顗による教判。「化法の四教」と「化儀の四教」がある。❶化儀の四教。。①頓教(覚りの真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③秘密教(仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある)④不定教(衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある)の四つ。❷①三蔵教。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界内の生死・因果のみを明かし、諸法を構成要素に分析して空とする析空観を観法とし、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として声聞・縁覚を対象とし、傍に菩薩を対象とするが、その究極は声聞の覚りにすぎないので、声聞教という。小乗教と位置づけられる。②通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。③別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。④円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。
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三観
空観・仮観・中観のこと。三観の三とは、相性体の三如是であり、空仮中の三諦であり、法報応の三身である。また観とは「明らかに見る」の意味で、森羅万象をことごとく三如是。三諦・三身と明らかにみていくことが三観である。三諦は法理であり、三観はその実践修行であり、観念観法である。だが末法における三観は、むろん受持即観心である。
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四悉
仏の教法を4種に分けたもので、『大智度論』巻1などに説かれる。①世界悉檀。人々が願い欲する所に応じて法を説くこと。②為人悉檀。詳しくは各各為人悉檀といい、機根などが異なる人それぞれに応じて法を説いて教え導くこと。③対治悉檀。貧り・瞋り・愚かさなどの煩悩を対治するために、それに応じた法を説くこと。④第一義悉檀。仏が覚った真理を直ちに説いて衆生を覚らせること。
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四諦
四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦のことで、苦諦は世間の果報・集諦は世間苦果の因縁・滅諦は出世間涅槃の果、道諦は出世間の果を得る因をいう。
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十二縁
十二因縁のこと生命流転の因果関係を12に分けて説いたもの。権大乗教で説く苦しみの因縁である。十二因縁とは、過去の二因 ①無明 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。 ②行 志向作用。物事がそのようになる力=業 現在の五果 ③識 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元 ④名色 と精神現象。実際の形と、その名前 ⑤六処 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意 ⑥触 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。 ⑦受 感受作用。六処、触による感受。 現在の三因 ⑧愛 渇愛 ⑨取 執着 ⑩有 存在。生存 未来の二果 ⑪生 生まれること ⑫老死 老いと死 をいう。最初の無明が根本となって、すべてが六道輪廻の苦しみであるとする説。
―――
観
一心三観の修行のこと。
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玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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善寂
①善く涅槃にはいること。②安らかな臨終。
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跏趺
結跏趺坐のこと。仏法の座法のひとつ。左足をあげ右の上ももに乗せ、右側をその下側より曲げて左ももの上に乗せる作法で、正座のうちもっとも安定している作法である。
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三宝
仏・法・僧のこと。この三を宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。
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三昧
サマーディ(Samādhi)の音写、訳して定・調査定・等持・等念という。心を一処に定めて動かぬこと。無量義経の無量義処三昧、法華経の法華三昧など、釈尊の教えの中には多数の三昧が説かれている。日蓮大聖人の仏法においては、一心に御本尊に向かって題目を唱えることが三枚である。
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未の時
午後2時前後。
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大師
天台大師のことと。538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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兜率
六欲天の第四天。内院と外院があり、内院は将来仏となるべき弥勒菩薩が住するとされ、外院は天衆の住む所とされる。
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観音来迎
阿弥陀仏を信じて極楽浄土に往生したいと願う者が命終するとき、極楽浄土に住する観世音菩薩が、勢至菩薩とともに来現して、浄土へその人を迎え導きにくるとする浄土宗の教義。
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機
説法を受ける所化の衆生の機根。
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縁
因を助け果を生じさせる間接的要因。
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化
衆生を仏道へ導くために教えを説くこと。
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一准
①一往は認めること。②一つに決まっていること。
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善根
善い果報を招くべき善因。根とは結果を生ずべき因。題目を上げること、折伏・弘教への実践活動が最高のである。一生成仏抄には「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(0383-14)とある。
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嬾くして
なんとなく気が晴れないこと。怠ること。
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功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
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盲の乳を問い
目の見えない人が、乳の色の微妙な違いを問うこと。
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蹶きたる者の路を訪う
蹶は、足が不自由なもの、転じて仏道修行を欠く者。目的地を尋ねても無意味であるとの意。
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選択集
法然の代表的著作で、選択本願念仏集という。当時、公卿の有力者であった九条兼実の依頼によって建久9年(1198)選述し、浄土宗の教義を十六章に分けて明かしている。その内容は、念仏以外の一代仏教を捨閉閣抛せよという破仏法の邪義で、当時においてすら並榎の定照から「弾選択」、栂尾の明慧から「墔邪輪」「荘厳記」をもって破折されている。
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西方の行者
西方極楽浄土に往生することを願って称名念仏等の修行を励む者。
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意楽
意の満足を得て、悦楽すること。
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往生の業
極楽浄土へ往生するための仏道修行。
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往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
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業
①身口意の三業にわたる種々の所作のこと。過去世の業を宿業といい、現世の業を現業という。②業因のこと。苦楽の因果をもたらす因となる善悪の行為をいう。
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華厳
華厳経のこと。正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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遮那教主
大日如来のこと。
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諸尊(真言の)
胎蔵界・金剛界の500・700という多くの諸尊のこと。
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法
①ダルマ(dhamma)。法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨、達摩、曇摩、曇無などとなり、通常は「法」と訳されている。②四念処の一つ、身念処のこと。諸法は無我であると観察する。諸々の法には、本質的な主体(我)というものは存在しないことを観察する。意識の対象を観察する。 私は真理について考えている、私は真理に基づいて考えている、私は煩悩について考えている、私は煩悩に基づいて考えている、私は真理に基づいて想像している、私は煩悩に基づいて想像している、これら意識の対象について観察する。
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般若
般若経のこと。般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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方等
方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
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涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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解説
衆生教化のために経文を解釈し、説き明かすこと。
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書写
経典を書き写すこと。五種の妙行の一つ。自行化他に分けて化他行の一種。
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浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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観無量寿経
観経ともいう。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。浄土三部経の一つ。わが子阿闍世王の悪逆を憂え嘆く韋提希夫人の求めに応じて、釈尊が神力によって十方の浄土を示現し、夫人が極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽浄土とを十六観に分けて説いたもの。
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爾前経
爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
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摂
包摂すること。
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権実
権は「かり」の意で方便をあらわし、実は「真実義」の意。機に応じて一時的に説く法を権とし、究極不変の真実の法を実という。
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偏円
偏ったものと完全なもの。部分的なものと全体的なもの。①一部の真理を説いた偏頗な教と、円融円満で余すところなく説いた教えのこと。天台大師所立の化法の四教のなか、蔵・通・別の三教を偏、円教を円という。②摩訶止観に説かれる五略十広のなか、十大章の第五・偏円章にあたる。教理に偏円等の別があるように止観にも異なりがあるが、いま説く止観はそれらの別を超えすべてを包含した円満な止観であることを述べている。
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義
①常住不変の仏の哲理。②文義意のこと。
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大乗
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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王舎大城
王舎城のこと。古代インド、摩掲陀国の首都。現在のビハール州南部のパトナ県ラージギルにあたる。インド最古の都の一つで、仏教の外護者として著名なシャイシュナーガ朝ビンビサーラ王が建設したと伝えられる。付近には霊鷲山、提婆達多が釈尊を傷つけた所、七葉窟、竹林精舎、祇園精舎などの仏教遺跡が多い。王舎城の故事については法華文句巻第一上、西域記などにある。
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太子
王位を継承すべき皇子・王子のこと。
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阿闍世
梵名アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳す。釈尊在世における中インド・マガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って釈尊を殺そうとするなどの悪逆を行った。のち、身体に悪瘡ができことによって仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど仏法のために尽くした。
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調達
提婆達多のこと。
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悪友
悪知識と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。
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頻婆娑羅
梵名ビンビサーラ(Bimbisāra)の音写。影勝・顔色端正などと訳す。釈尊在世における中インド・摩掲陀国の王。阿闍世王の父。釈尊に深く帰依し、仏法を保護した。提婆達多にそそのかされた阿闍世太子に幽閉されるが、かえって阿闍世の不孝を悲しみ諌めた。阿闍世は獄吏に命じて食を断ち、ついに王は命終した。この時、王は釈尊の光明に照らされ、阿那含果を得たといわれる。
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収執
取り込んでとらえること。
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七重の室内
阿闍世太子が父王、頻婆沙羅王を幽閉した部屋の模様。
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法華経の序品
妙法蓮華経序品第一のこと。
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韋提希
「韋提希」とは梵語、ヴァイデーヒー(Vaidehī)の音写で、毘提希とも書く。訳しては思惟、勝妙身。南インド摩竭提国・頻婆沙羅王の夫人で、阿闍世王の母。後に阿闍世王子のクーデターによって父王が幽閉されると、韋提希は深く王の身の上を気遣い、自分の体を洗い清めて、小麦粉に酥蜜を混ぜたものを塗り、胸飾りの1つ1つにブドウの汁を詰めて、密かに王の許に行き、それを食べさせたという。母である韋提希の行動を知った阿闍世は怒って、その剣を首筋に当てて王舎城から追い出し、同じように牢に幽閉させた。
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若干
①いくらか・多少。②大勢・たくさん。
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眷属
①仏・菩薩などの脇士や従う人。②一族・親族。③従者・家来。
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往生要集
比叡山中、横川の恵心院に隠遁していた慧心が、寛和元年(0985)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる邪義。
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濁世末代の目足
往生要集に「夫れ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者有らん」とある。目足とは「教」を目に、「行」を足にたとえた。教行が具足したところに極楽浄土することができるとしている。
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道俗
出家と在家のこと。
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顕密の教法
顕教と密教のこと。
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事理の業因
往生・成仏の業因に理と事の二種があること。①事の業因、六波羅蜜等の具体的な修行。②理の業因、真理そのものを感得する観念観法などの修行。
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利智精進の人
利智を働かせて一心に仏道を求める人。利智はとどこおりのない鋭い智慧をいい、精進は懸命に仏道修行に励むことをいう。
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頑魯の者
頑固で愚かな人。玩遇の者ともいう。
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経論
三蔵のうち経蔵・論蔵をいう。経は仏が説いたところの教法。論は仏みずから問答論議して理を弁じたもの。また仏弟子が仏語を論じ、法相を講じたもの。
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一乗要決
比叡山横川の恵心院の僧都源信が寛弘3年(1006)に著した書。3巻。法相宗において人の資質や能力に応じて声聞・縁覚・菩薩に固有の3種の悟りの道があるとする法相三乗家の五性格別を破折し、一乗は真実の理、五性は方便の説であると説いたもの。
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諸乗
さまざまな教法のこと。乗とは乗り物、運載の意。仏教では教法を乗り物にたとえる。
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仏意
仏の心・本意のこと。
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経論の文義
仏が説いた経とそれを論じた書における文言と教義。
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賢哲の章疏
賢哲は賢人と哲人。学徳にすぐれ物事の道理に通じた人。章疏は注釈書のこと。
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思択
思慮し選択すること。
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偏党
かたよること。
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権智
仮の智慧。方便智ともいい、仏が衆生の機根に応じて分別して法を説く衆生教化の智慧。
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実智
真実の智慧。仏の内証の智慧。諸法の実相に達した仏の真実の悟り。
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一乗は真実の理・五乗は方便の説
一乗は仏の悟りの真実を明かした教理であり、五乗は方便として説かれたものであるということ。
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末代
正像二千年過ぎて、闘諍堅固・白法隠没の末法のこと。釈迦仏法に功力が失せ、邪法の前に隠れてしまうこと。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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当来の世
未来世のこと。「当に来るべき世」の意。三世のひとつ。
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経道滅尽
経道は経典に説かれる道。すなわち「法」または経典に示された修行法。経道滅尽とは一切の経道が滅し尽くすこと。釈尊の一代聖教とその功徳力が消滅し、仏道を行ずる道が閉ざされてしまうことをいう。
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慈悲
一切衆生を慈しみ憐れむこと。大智度論巻27には、「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く。大慈は喜楽の因縁を以って衆生に与え、大悲は離苦の因縁を以って衆生に与う」とあり、慈を与楽、悲を抜苦の義としている。また涅槃経では一切衆生の無利益なるものを除くことを慈とし、無量の利益を与えることを悲としている。
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哀愍
哀しみ・あわれむこと。
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止住
止まり住することで、転じて経典をとどめおくこと。
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得度
生死の苦海を渡って涅槃の彼岸に至ること。成仏得道をいう。
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往生礼讃
善導の五部九巻の著作のうち、『観経疏』(「本疏」「解義分」)以外の4部(『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』)はいずれも浄土教の儀礼・実践を明らかにしたものであるので、「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわされている。
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万年
末法のことをいう。万は数ではなく長い間の意。
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一念
心に深く思い込むこと、ふと思い出すこと。瞬間の生命をいう。
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慈恩大師
(0632~0862)。中国唐代の僧。法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観6年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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西方要決
1巻。唐・慈恩の述作。14段からなり、西方往生について諸経論に相違があるために生ずる疑いを晴らし、往生をすすめた書。ただし慈恩は中国・法相宗の僧であるため、異作とする説もある。
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弥陀の一教
阿弥陀仏の唯一の教え、念仏のこと。慈恩は西方要決の中で末法万年には阿弥陀仏の教えだけが衆生を利益するとの邪説を立てている。
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方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
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虚妄
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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堅恵菩薩
生没年不明。堅慧菩薩とも書く。六世紀ころの中インドの学僧といわれ、「究竟一乗宝性論」の著者とされるが、異説も多い。他に「大乗法界無差別論」一巻を著したといわれる。
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宝性論
「究竟一乗宝性論」四巻のこと。宝性論と通称される。著者は堅慧といわれるが、弥勒とする説もある。内容としては一切衆生に仏性があるとして二乗、も成仏することができると主張している。
―――
過去謗法の障り
過去の謗法が仏道修行の障害、さわりとなること。
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不了義
仏法の道理が完全明瞭に説きつくされていないこと。
―――
執著
不了義経にとらわれ、執心して離れない心のこと。
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余仏
釈迦牟尼仏以外の仏。
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決了
決着をつけること。
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玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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南岳師
(0515~0577)中国北朝時代の僧、天台大師の師。字は慧思、姓は李。河南に生まれる。15歳で出家し法華経を学んだ。20歳の時に妙勝定経を読んで観じ、修禅に努め、後に法華三昧を得たという。34歳の時、対論した僧に毒を盛られ死に瀕したが、命はとりとめた。その後、多くの禅師を訪ねたり、刺史に法を説いたりしたが、その間にも悪論師によって毒を盛られた。41歳の時に光州の大蘇山に入り、ここで立誓願文の著作や般若経・法華経の書写を行い、また集まりに来たった天台大師等の弟子の育成にあたった。陳の光大2年(0568)戦乱を避けて南岳に移り、ここで晩年を過ごして大建9年(0577)に没した。なお、日本にあっては奈良時代以降、南岳大師の生まれ変わりが聖徳太子であると信じられていた。
―――
初依
釈尊の滅後に正法を弘通して利益を施し、衆生の依怙依託となった四種の人の第1。凡夫ではあるが、出家してなお煩悩を持ちながらも仏より聞いた所説を自ら正しく解し、他にも分別宣説する人で、よく菩薩の方便所行秘密の法を知る人
―――
無明
迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性に対する言葉である。
―――
如来秘密の蔵
如来の秘密の経典である法華経のこと。
―――
円理
円教の理。一切衆生に仏道を成就させる普遍的な円融円満の哲理。
―――
涅槃経疏
中国・北涼代の曇無識訳「大般涅槃経」40巻。または劉宋代の慧観・慧厳訳「大般涅槃経」36巻の注釈書。
―――
正法
正しい法。邪法に対する語。
―――
聖人
①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
―――
像法決疑経
仏入滅後に起る僧俗の非法をあげてこれを誡め、大慈布施を勧めたもの。諸経録では疑経とされる。
―――
常施菩薩
像法決疑経の対告衆。釈尊入滅に際して、跋提河のほとりで、常施菩薩の問いに対して、この経を説いたとされる。釈尊はこの経のなかで滅後1000年後における仏法衰微の相を挙げ、主に布施行を修するようすすめている。
―――
初成道
インド生誕の釈尊が、菩提樹下で初めて悟りを成じたこと。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
涅槃
梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。
―――
中間
化導の始めと終わりの間。
―――
如来
①「如々として来る」と訳す。仏のこと。②過来・如来・未来のなかの如来。瞬間瞬間の生命。
―――
一句
句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。
―――
出没
生まれることと死ぬこと。
―――
二十五三昧
三界六道の存在を25種に分けた二十五有を破すための25種の三昧のこと。
―――
二十五有
有とは迷いの境界のことで、衆生の流転する迷いの世界を二十五種に分けたもの。 ①欲界に四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅)・六欲天・他化自在天・化楽天・楽変化天・兜率天・夜摩天・三十三天・忉利天・四天王・四大王衆天の十四有。色界に 四禅天(初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天)・無想天・浄居天・大梵天の七有。 無色界の 四空(空無辺処天・識無辺処天・無所有処天・悲想非非想天)の四有。合わせて 二十五の有のこと。三界のすべてをいう。
―――
略頌
経文や論釈の頌を略述すること。頌は偈のことで仏の徳や法門を賛嘆する詩。
―――
四州
須弥山を中心とした古代インドの世界観で、須弥山を八重の山と香水の海が囲み、その外側、第九重の鉄囲山の内側に醎海があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとするとある。
―――
四悪趣
四悪・四趣・四悪道と同意。悪行によって趣くべき四種の苦悩の境涯。地獄・餓鬼・畜生・修羅界のこと。
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六欲
欲界には六重の天がある。すなわち四王天・忉利天・夜摩天・兜率天・化楽天・他化自在天で、このうち四王天は須弥山の中腹にあり、忉利天は須弥山山頂にあるという。これを地居天また三十三天と名づけ、兜率天以上は空中にあるので、空居天と名づける。なお、欲界とは、下は地獄界から上は天上界の六欲天までのすべてを含み、食欲、性欲などの欲望の世界である。
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梵世
色界の諸天の総称。
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四禅
四禅定のこと。欲界を離れて色界の四禅天に生ずる初禅・二禅・三禅・四禅の四種類の禅定のこと。
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四無色
四無色界・無色界の四天のこと。
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無想
夢想天・夢想定のこと。
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五那含
不還という。元来は「かえって来ない」の意。部派仏教で修行の段階を,特定の結果に向いつつある段階 (向) とその結果を得た段階 (果) とに分け,すべてを 16段階 (→四向四果 ) に数えるが,阿那含果もしくは不還果を得ると,再び欲界 (欲望の世界) に戻ることがないとされる。
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ここでは「一、天台御臨終の事」「一、念仏は末代に流布す可き事」の二項を扱う。
まず、最初の項では、先の天台宗における念仏の修行についての図示と引用文の関連で、天台宗の開祖である天台宗の臨終の姿を述べた摩訶止観と同弘決の文を引用されている。
まず、摩訶止観巻一の文と、これを受けた同弘決巻一の文では、天台大師が臨終の時に安らかに禅定に入って遷化したことを述べ、その位は天台大師が立てた六即位のうち観行即の段階に位置付けられていることを明かしている。これを受けて、妙楽大師も同弘決で「禅成を出でずして端坐して減を取る」と述べている。
また、妙楽大師は同じ弘決のなかで、天台大師の最晩年の振る舞いを細かく述べている。一つは法華経一部の経提と観無量寿経一部の経提とを従う人々に唱えさせ、さらに、香湯で口を漱いでから十如是・四不生・十法界・四教・一心三観・十二因縁という天台仏法の重要な教理を説き、そこに一切を収めたという。
されに「吾今最後に観を策まし玄を談ず最後善寂なり」とのべている。すなわち、天台大師自身が、いよいよ最後に臨んで、自分を励まして止観を行じ、法華経の深義を講説し、素晴らしい涅槃の姿を示したことを記している。そして、その「善寂」の様子として、結跏趺坐して、仏・法・僧の三宝の名を唱えながら三昧に入ったような端座した姿勢のままで、開皇17年(0579)11月24日、未の時に滅に入った、と記している。
しかし他方、同弘決では、天台大師が生存中に常に弥勒菩薩の浄土である兜率天に往生することを願い、臨終の時には観音菩薩が勢至菩薩と共に迎えに来るであろうとも語っていたことも述べて、結論として天台大師の化導が衆生の機根に応じてさまざまであり、したがって、いかなる教化法をとるかは、一つに決まっているわけではないと妙楽大師は解説している。
つまり、天台大師自身は禅定によって端座しつつ滅をとったが、弟子たちや周りの人々には兜率天や極楽浄土に往生することを念願していることを述べたりもしていて、教えは必ずしも一様でないということである。
従って「汝善根を種うるに嬾くして他の功徳を問う」云云とあるように、大時なのは生前の修行実践の努力であり、これが善根を植えることになっているのである。臨終の姿と死後の果報はその結果であって、これはどのようにでも表現できるということである。
このことは、日蓮大聖人の御書においても、臨終の時には千仏が来迎すると述べられたり、釈迦・多宝・十方諸仏が飛んできて肩に引っ懸けて霊山へ走ってくださると述べられたり、さまざまであることにもうかがわれる。
以上、摩訶止観と同弘決の文を引用された後、日本の浄土宗の開祖・法然の選択集から一文を引用されている。
ここでの引用の意図は天台宗の教義を学んだ法然が、天台仏法の肝要である法華経による「善根を種うる」修行を捨てて、ただ称名念仏によって極楽浄土に往生することのみに一切の仏道修行を還元してしまったことを明らかにされるところにあったといえよう。
次いで、恵心僧都源信の二つの著である往生要集と一乗要決から、それぞれ一文ずつ引用され、往生要集では極楽浄土に往生することがだれにも等しく易しい修行であると讃嘆していた恵心が、23年後に著した一乗要決では、法華経の一仏乗の教えのみが真実であるとして、往生要集の考え方自体を自ら打ち破っていることを明らかにされている。
この項での引用文を通して、極楽往生のみを願う法然の念仏宗は中国・日本の仏教の歴史のなかでも、特異な教説であって、仏教の正統から外れており、全く普遍性をもち得ないことを示されている。
次いで「一、念仏は末代に流布す可き事」では、法然が選択集や極楽往生のみが末代の仏道修行であると固執した淵源を求めて、双観経巻下や善導の往生礼讃偈・慈恩大師の西方要決等から、阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを勧める教えが末代に百歳、あるいは末法万年、継続することなどを説いた文を引用されている。
しかし、その後に引用された法華経方便品第二・堅恵菩薩の宝性論・天台大師の法華玄義巻七・涅槃経疏・像法決疑経などの文を引用されることで、極楽浄土への往生のみを正しいと説く教えは「虚妄の法」「不了義」「余」の教えで、法華経の円教の教えに比べれば格段に劣ることを示されて破折されている。
0688:01~0688:16 第15章 漢・日本の諸師、天台宗に帰伏するを示すtop
| 0688 01 一、漢土南北の十師天台大師に帰伏する事 02 国清百録の第四に云く千年と復五百と復実に今日に在り南岳の叡聖天台の明哲昔は三業を住持し今は二尊に紹継 03 す豈止だ甘露を振旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に振うべし、生知妙悟なり魏晋より以来典籍風謡実に連類無 04 し云云、乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を請し奉る天台大師、俗性は陳氏、字は徳安、諱は智顗、頴川の人なり、 後則ち南ケイ州華容県に遷居す。 -----― 一、中国の南北の十師が天台大師に帰伏すること 国清百録巻四に「千年の間に一人出興する聖人、五百年に一人出る賢人が、実に今日おられる。南岳の叡聖と天台の明哲が、それである。この聖人・賢人は、過去においては身・口・意の三業にわたって法華経を信受し持ち、今、観世音菩薩と薬王菩薩の二人の尊者の跡を継いで出られた。ただ甘露の法雨を中国にそそぐだけであろうか。されにとどまらず、また、まさに法鼓をインドにまで打ち鳴らされたことであろう。南岳大師と天台大師は、生まれながらにして仏法の深妙の理を悟っているのである。魏・晋の時代よりこのかた、経典講説の巧妙なことは、実に、この二人に比肩できるものはない。よっての禅定を修する百余僧と共に、天台智者大師に講説を招請し申し上げる」とある。(天台大師は俗性は陳氏・字は徳安・諱は智顗である。頴川出身の人である。後に南荊州華容県に居を移した) -----― 05 一、伝教大師の一期略記に云く桓武天皇の御宇,延暦廿一年壬午正月十九日伝教大師最澄高尾寺に於て,六宗と諍 い責め破り畢ぬ。仍つ て勅宣を下され帰伏の状を召さる、六宗の 碩学共に帰伏の状を奉りて云く 06 漢明の年・教・震旦に被り礒島の代に訓本朝に及ぼす、 聖徳の皇子は霊山の聖衆にして衡岳の後身なり経を西隣に 07 請い道を東域に弘む、 智者禅師は亦共に霊山に侍し 迹を台岳に降し同く法華三昧を悟り以て諸仏の妙旨を演ぶる 08 者なり、 竊に天台の玄疏を見れば釈迦一代の教を惣括して 悉く其の趣を顕わし処として通ぜざること無し独り諸 09 宗に逾え殊に一道を示す、 其の中の所説の甚深の妙理・七箇の大寺六宗の学匠昔未だ聞かざる所・曾て未だ見ざる 10 所・三論・法相の久年の諍い渙焉として氷の如く釈け昭然として既に明かなり雲霧を披いて三光を見るが猶し、 聖 11 徳の弘化より以降今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数惟れ多し 彼此理を争つて其の疑未だ解けず、 此の最 12 妙の円宗猶未だ闡揚せず、 蓋し以れば 此の間の群生 未だ円味に応ぜざるか、 伏して惟れば 聖朝久しく如来 13 の付嘱を受け深く純円の機を結ぶ 一妙の義理始めて乃ち興顕す、 六宗の学衆初めて至極を悟る、 謂つべし此の 14 界の含霊而今而後悉く妙円の船に載つて早く彼岸に済ることを得と、 如来の成道四十余年の後乃ち法華を説いて 15 悉く三乗の侶をして 共に一乗の車に駕せしむるが猶し、 善議等慶躍の至りに堪えず敢て表を奉つて陳謝以て聞す 16 云云。 -----― 一、伝教大師の一代の伝記に記されているこち (桓武天皇の治世の延暦廿一年壬午正月十九日、伝教大師・最澄は高尾寺において、倶舎・成美・三論・律・法相・華厳の南都六宗と論争して、攻め破った。よって、桓武天皇から勅宣を下して、六宗から帰伏状を出させた。六宗の碩学は共に帰伏の状を奉って次のように述べている。) 漢明の年に仏教中国に伝来した。そして欽明天皇代に、仏教は我が日本国に及んだ。聖徳太子は霊鷲山に集った諸仏・諸菩薩の一人であり、南岳大師の後身である。仏教経典を西隣の国である中国・朝鮮に請い、仏道を東域の日本に弘通した。天台智者禅師は、また共に霊鷲山に在って、天台山に垂迹し、同じく法華三昧を悟り、諸仏の玄妙なる教旨を説き演べた人である。ひそかに天台大師の法華玄妙の注釈を拝見すると、釈尊の一代五十年の聖教を総括して、ことごとくその趣旨を明らかにしており、とどこおるところはない。この天台大師の所説だけが他の諸宗を超越し、とりわけ一仏乗の道を示している。そのなかに説かれている甚深の妙理は、南都の七大寺・南都六宗の高僧のいまだかって聞いたことも見たことのないところである。三論宗と法相宗との長年にわたる教義上の論争もたちまちに氷のように溶け、昭然としてすでに明らかになった。雲や霧が晴れて太陽や月や星などの三光を見えるようになったごとくである。聖徳の皇子が仏法を弘めて以来、今日までの二百余年の間に、さまざまな人々がたくさんの経論を講義し、互いに論争し、疑いが解けないできたのは、この最も勝れた円融円満の教えを説く法華経を依経とする宗が明らかに説き示さなかったからである。なぜなら、考えてみると、この間の衆生は、いまだ円教の法味を味わっていなかったのである。伏して思うに、日本の朝廷は遠い昔から釈尊の付嘱を受られ、深く純円の機を結んでこられたのであるが、一妙法華経の義理が初めて興り、あきらかとなり、六宗の学者は、初めて究竟の法理を悟ることができた。こうして、この娑婆世界のあらゆる衆生は、今より後は、ことごとく妙円の船に乗って、早く彼岸に渡ることが可能となったということができる。釈尊が成道後四十余年にして法華経を説いて、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗の人々すべてを、共に一仏乗の車に乗せたのに似ている。善議らはよろこびにたえず、敢えて表を君主に奉って謝意を陳べるものである」と。 |
漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
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南北の十師
中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三師・北に七師の合わせて十師に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
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帰伏
心から信じて従うこと。帰とはかえる、もとに戻る、身を寄せる、まかせるの意で、伏とは身を低くして、従うという意がある。
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国清百録
4巻。国清寺百録ともいう。隋の章安大師灌頂編。天台大師の伝記。天台大師の天台山入山から滅後9年に至る間の天台大師に関する史料をまとめたもの。
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南岳の叡聖
「南岳」とは南岳大師、「叡聖」とはすぐれた聖人の意。
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天台の明哲
「天台」とは天台大師、「明哲」とは賢明なる哲人の意。
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三業を住持し
身口意の三業にわたって法華経を信受し持つこと。
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二尊
観世音菩薩の再誕といわれる南岳大師と、薬王菩薩の再誕といわれる天台大師のこと。
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紹継
受け継ぐこと。
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甘露
①梵語のアムリタ (amṛta)で不死・天酒のこと。忉利天の甘味の霊液で、よく苦悩をいやし、長寿にし、死者を復活させるという。②中国古来の伝説で、王者が任政を行えば、天がその祥瑞として降らす甘味の液。③煎茶の上等なもの④甘味の菓子。
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振旦
一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
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法鼓
仏の説法は、よく鼓の音が遠く清らかに響くのにたとえた。
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生知妙悟
生まれながらにして仏法の深妙の理を悟ること。もと三論宗の吉藏が、天台大師を讃嘆した言葉。
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魏
中国の三国時代に華北を支配した王朝。首都は洛陽。曹氏の王朝であることから曹魏、あるいは北魏に対して前魏とも(この場合は北魏を後魏と呼ぶ)いう。45年間しか続かなかった王朝だが、魏・蜀・呉の戦国史を描いた三国志(『三国志』・『三国志演義』など)などで後世に伝わり、日本で魏は卑弥呼を記述した「魏志倭人伝」で知られる。また、昭和に吉川英治が著した『三国志』を始め、この時代を描いた小説は今なお日本で人気があり、そのため知名度も高い王朝である。
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晋
中国王朝の名①(~前0376)春明時代の侯国。②(0256~0420)司馬炎が建てた王朝。中国の統一王朝で洛陽を都とした。③(0936~0946)五代の一王朝。後晋ともいう。
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典籍風謡
「典籍」とは、経典の講説。「風謡」とは諷謡のこと。
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連類
同類・仲間。
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禅衆
禅定を修行する者。
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智者大師
天台大師のこと。(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
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俗性
出家前の俗人であった時の名前。
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字
本名に対して別名。
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諱
死後に贈られる称号。
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荊州
中国・河南省一帯。天台大師がこの地に移り住んでいた。
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遷居
引っ越しをすること。
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伝教大師の一期略記
伝教大師の一代の伝記。
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桓武天皇
(737~806)光仁天皇の第一皇子として天平9年(0737)誕生。第50代天皇に即位して、蝦夷の平定、兵制改革、平安遷都など数々の業績を残し、律令政治中興の英王といわれる。蝦夷平定については坂上田村麻呂を征夷大将軍として抜てきし東北開発の実績をあげた。また、政治の堕落の源流が乱れきった諸宗の僧が政治に介入していることにあると看破し、都を平安京に遷したことも、気運の清心化をもたらした。しかし桓武天皇のもっとも大きい業績は、伝教大師最澄と南都六宗との間で公場対決させ、仏法の正邪を明らかにし、正法たる法華経を興隆して善政をしたことである。この結果、政治的にも文化的にも大いに興隆した平安文化の華が咲いたのである。
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御宇
ひとりの天子の時代。
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延暦
桓武天皇の治世で0782~0806年間。
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壬午
干支の組み合わせの19番目で、前は辛 巳、次は癸未である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の午は陽の火で、 相剋(水剋火)である。
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最澄
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。最澄は諱。諡号は伝教大師。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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高尾寺
京都市左京区梅ケ畑にある。現在は真言宗東寺派の別格本山高尾山神護寺となっている。これは延暦年間に和気清麻呂が河内に建てた神興寺を天長元年(0824)に移して、それまでの高尾寺と合したものである。したがって、伝教大師が法論を行った延暦21年(0802)には、まだ真言宗とは関係がなかった、真言宗の祖、空海が帰朝したのは、大同元年(0806)の8月である。
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六宗
南都六宗のこと。三論・成美・法相・俱舎・律・華厳崇のこと。
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勅宣
天皇の命令を宣べ伝える公文書。臨時に出すものは詔書・平常に出すものは勅書という。
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帰伏の状
延暦21年(0802)1月19日、桓武天皇の内意を得た和気弘世の請いによって、伝教大師は高雄寺で南都六宗の碩学に天台法門を講説した。帰伏の状とは、伝教大師によって、自宗の宗義の誤りを破折された南都六宗の碩学が、1月29日に桓武天皇に対して天台法門が南都諸宗よりも勝れていることを認めて提出した謝状のこと。
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六宗の碩学
延暦21年(0802)正月19日、高尾山に桓武天皇列席のもと、南都「六宗の高徳」と伝教大師の対論が行われ、伝教大師の圧倒的な勝利に終わった。「六宗の碩徳」とは善議(三論・空宗)・勝猷(華厳)・奉基(法相)・寵忍(不明)・賢玉(法相)・安福(不明)・勤操(三論)・修円(法相)・慈誥(不明)・玄耀(不明)・歳光(不明)・道証(法相)・光証(不明)・観敏(三論)で「十四人」となる。なおこの法論に破れた六宗・七大寺はいずれも帰伏状を出し、それに連なった僧侶の数は「三百余人」にのぼった。「八人・十二人」については不明。
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漢明の年・教・震旦に被り
中国の後漢・第2代孝明皇帝の時代に、仏教が中国に伝来したことをいう。
―――
漢明
中国・後漢の第2代孝明皇帝(0028~0075)のこと。明帝ともいう。初代・光武帝の第4子。父の意志を継いで内治外政に力を尽くした。
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礒島の代
欽明天皇の在位時代をいう。礒島は奈良県桜井市金屋付近で、この地に欽明天皇の宮室・礒城島金刺宮があった。
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訓
いましめ、教えること。
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霊山の聖衆
霊鷲山に集い来て釈尊から法華経を聴聞した諸仏・諸菩薩のこと。
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霊山
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――
衡岳の後身
聖徳太子が南岳大師の生まれ変わった身であるということ。
―――
西隣
日本からして西に隣接している国。中国・朝鮮。
―――
道
①悟りを得るための修行法、涅槃の道。②無常菩提の仏果。
―――
東域
仏法発祥の地であるインドから見て、東方の地域。中国・日本。
―――
智者禅師
天台大師のこと。智者大師ともいう。
―――
迹
①本地に対する垂迹。②本仏に対する迹仏。③本門に対する迹門。
―――
台岳
中国・浙江省台州府天台県にある天台山のこと。陳の太建7年(0575)天台大師は天台山の仏隴寺に入って修行をはじめた。以来天台宗の根本道場。
―――
妙旨
玄妙なる経旨のこと。奥深くすぐれた内容を持つ教え。
―――
玄疏
天台大師の法華玄妙の注釈の意で、天台三大部の法華玄義・法華文句・摩訶止観等。
―――
惣括
全体を網羅していること。
―――
一道
一仏乗のこと。最高の悟りの境涯、教え。南無妙法蓮華経のことである。
―――
七箇の大寺
奈良・長岡・平安京と遷都されたなかで、奈良は平安京の南にあたるので、奈良のことを長く南都といった。奈良七大寺のこと。東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺である。日寛上人の分段には「南都は奈良の七大寺なり、棟梁は東大寺・興福寺なり、ゆえに註には但二寺を標するなり、四箇の大寺というもこれなり。延暦三年十一月奈良の都を長岡に遷す。同十三年十月二十一日に長岡を平安城に遷す、奈良は平安城の南なりゆえに南都という。東大寺は『人王四十五代聖武帝・流沙の約に称い良弁を請じて大仏の像を創む、実に天平十五年十月なり』と云云。流沙の約とは釈書二十八に出たり、供養の事は太平記二十四巻に出たり。興福寺は四十三代明帝の治、和銅三年淡海公これを建立す。これ藤氏の氏寺なり」とある。
―――
六宗の学匠
延暦21年(0802)正月19日、高尾山に桓武天皇列席のもと、南都「六宗の高徳」と伝教大師の対論が行われ、伝教大師の圧倒的な勝利に終わった。「六宗の学匠」とは善議(三論・空宗)・勝猷(華厳)・奉基(法相)・寵忍(不明)・賢玉(法相)・安福(不明)・勤操(三論)・修円(法相)・慈誥(不明)・玄耀(不明)・歳光(不明)・道証(法相)・光証(不明)・観敏(三論)で「十四人」となる。なおこの法論に破れた六宗・七大寺はいずれも帰伏状を出し、それに連なった僧侶の数は「三百余人」にのぼった。「八人・十二人」については不明。
―――
三論・法相久年の諍
三論宗は、竜樹菩薩の中論・十二門論・提婆菩薩の百論により、般若経の「一切皆空」をその教えの肝要とした。法相宗は、天親菩薩の唯識論・無著菩薩の瑜伽論・解深密経の「唯識実有」の教えを肝要とした。インドでは、竜樹系の青目・清弁・智光らと天親系難陀・護法・戒賢らとが、その義をあい争った。また中国では、興宣・嘉祥は三論宗を立て、玄奘・慈恩等は法相宗を立てて、互いに争った。さらに日本では元興寺等は三論を講じ、東大寺等は法相を講じて空有を争った。しかし伝教大師が、法華真実の法門を宣揚したので、南都六宗の碩徳14人は、空有の論諍が権教方便の説であることを知ったのである。
―――
渙焉
氷などがとけるさまをいいあらわした言葉。
―――
昭然
明らかである様子。
―――
三光
三光天子のこと。日天子、月天子、明星天子の三つをいう。法華経の会座に列なった諸天善神である。法華経序品第一に「名月天子・普香天子・宝光天子・四大天王有りて、其の眷属の万の天子と倶なり」とある。
―――
聖徳
聖徳太子のこと。(0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。
―――
弘化
仏法を弘め衆生を化導すること。
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最妙の円宗
最も勝れた円融円満な教えである法華経を依経とする宗派。
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闡揚
明らかに説き示し、弘めること。闡は「あきらかにする」、揚は「あげる」「あらわす」の意。
―――
群生
「生」とは生類。「群生」とはすべての生物、生類、また一切衆生ということ。独尊に対する語。
―――
円味
円教の法味。法華経の法味。
―――
聖朝
朝廷に対する敬語。
―――
純円の機
純粋の円教である法華経をきく機根をいう。
―――
一妙
一乗妙法のこと。一仏乗を説く法華経をさす。
―――
義理
俗語でいう「義理人情」の義理ではなく、教義・法理の意味。宇宙の森羅万象に厳存し、これを動かしているものを法理といい、それを抽象し経文に説いたものを教義という。
―――
興顕す
興は埋もれていたものがそとにあらわれること。顕は見えなかったものが明らかになること。
―――
学衆
仏法を学ぶ人々。
―――
至極
最上・この上ないこと。
―――
含霊
霊魂を含み持つものである人間およびすべて性情を有するもの、精神活動ができる有情をさす。
―――
而今而後
今より後。今後。
―――
妙円の船
生死・煩悩の大海を越えて一切衆生を成仏の彼岸に渡すことのできる、すぐれて完成された船。法華経の功徳の偉大なことを船にたとえる。
―――
彼岸
①生死輪廻する現世を此岸とし,煩悩を解脱した涅槃の境地をいう。②また彼岸会のこと。
―――
如来の成道四十余年
釈尊が30歳で成道してから、法華経を説くまでの42年間。
―――
三乗の侶
声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗の教えにとらわれてきた弟子たち。
―――
一乗の車
一仏乗の車。一仏乗を説く法華経を、乗り物にたとえたもの。
―――
善議
(0729~0812)。延暦21年(0802)正月19日に高尾山で伝教大師と対論した奈良六宗・七大寺の僧の一人。(0729~0812) 天平元年生まれ。大安寺の道慈に三論をまなび,唐にわたる。帰国後は大安寺の僧として三論宗をひろめ,法将とよばれた。弘仁3年(0812)8月23日死去。84歳。河内出身。俗姓は慧賀。
―――
慶躍
慶はよろこび、躍は踊る。躍り上がって喜ぶこと。
―――
表
天皇や主君、国王などに臣下が上奏する文書。
―――
陳謝
謝意を述べること。
―――――――――
この前の段で末代すなわち末法に流布すべき法を念仏とする浄土宗の邪義を破折する文を挙げられたのを受けて、この段では法華経こそ釈尊の極説であることを示されている。日蓮大聖人は「一、漢土南北の十師天台大師に帰伏する事」「一、伝教大師の一期略記に云く」の二項に分けられているが、内容的には一つにつながっている。ただし前者は中国において南三北七の十師が天台大師に帰伏したことを示す文を、後者では日本において天台仏法を広めた伝教大師の正義を南都六宗の高僧たちが承伏したことを示す文を引用されている。
しかしながら、この段を全体としてみてみれば、そのように天台大師と伝教大師の前に諸宗が帰伏したのは、天台・伝教が根本とした法華経が釈尊の一代聖教の中でも最も優れ一代仏教の究極である故であって、この法華最勝を宣揚するための導人として天台・伝教の例を示されている。
したがって、本解説では、天台大師・伝教大師に諸宗が帰伏したことを取り上げた段と法華経を示されている。
まず天台大師については、天台大師の高弟である章安大師が編纂した伝記資料である国清百論が引用されている。
この中で天台大師については難岳大師慧思を1000年に一度出る“聖人”に、天台大師智顗を500年に一度出る“賢人”と称え、南三北七の十師が天台大師を、その100余人の門下と共に詔請したことがのべられている。
次に伝教大師については、一期略記の文として、延暦21年(0802)1月19日の高尾寺での伝教大師の説法を聞いて、三論宗の善議ら南都六宗七大寺の高僧たちが桓武天皇に上呈した感謝の状が引用されている。
この中で、伝教大師によって法華経の正義が明確にされたことを称え「聖朝久しく如来の付嘱を受け深く純円の機を結ぶ一妙の義理始めて乃ち興顕す」と述べている。
これはその前であるように、欽明天皇治世の初伝後、特に聖徳太子によって法華経との結縁が深かったのであるが、その後、南都六宗の成立により法華経最勝の義が見失われていった。
それが今、伝教大師最澄の出現によって「一妙の義理始めて乃ち興顕す」、すなわち法華経の正義と教理が明確にされたというのである。
そしてこのことは、釈尊在世において爾前40余年の後、法華経が説かれることにより、それまで三乗の法にとらわれてきたあらゆる人々が一乗の車に乗って成仏できるようになったのと相通じているとして喜びを表現している。
0688:17~0690:12 第16章 法華が仏の極説なるを明かすtop
| 17 秀句の下に云く当に知るべし已説の四時の経・今説の無量義経・当説の涅槃経は易信易解なることを随他意の故 18 に、此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に、 随自意の説は随他意に勝る、 但し無量義を随他意と云う 0689 01 は未合の一辺を指す余部の随他意に同じからざるなり文。 -----― 法華秀句巻下には「法華経の前にに已に説かれた華厳・阿含・方等・般若の四時の諸経、今説くところの無量義経、未来に当に説く涅槃経は、信じ易く理解し易い経であることを知るべきである。これは、仏が衆生の機根に随って説いた随他意の経である故である。この法華経は、最も信じ難く解し難い経である。仏が自らの悟りのままに説いた随自意の経である故である。随自意の教説は随他意の教説に勝る。ただし、無量義経を随他意の経であるというのは、いまだ無量の法義を融合して妙法蓮華経の一法に帰入することを説いていないことを指しているのであって、他教の随他意とは同じではない」とある。 -----― 02 文句の八に云く已とは大品以上の漸頓の諸説なり今とは同一の座席謂く無量義経なり当とは謂く涅槃なり、 大 03 品等の漸頓は皆方便を帯すれば 信を取ること易しと為す 今無量義は一より無量を生ずれども無量未だ一に還らず 04 是亦信じ易し、 今の法華は法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰す 人を論ずれば則ち師弟の本迹倶に皆久遠 05 なり、 二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し、 鋒に当る難事をば法華已に説く涅槃は後に在れば則ち信ず可き 06 こと易し、 秘要の蔵とは隠して説かざるを秘と為し一切を惣括するを要と為す 真如実相の包蘊せるを蔵と為す、 07 不可分布とは法妙にして信じ難し深智には授く可し 無智は罪を益す故に妄りに説く可らず、 昔より已来未だ曾て 08 顕説せずとは三蔵の中に於ては二乗の作仏を説かず、 亦師弟の本迹を明かさず、 方等般若には実相の蔵を説くと 09 雖も亦未だ五乗の作仏を説かず、 亦未だ発迹顕本せず頓漸の諸経皆未だ融会せず故に名けて秘と為す、 此の経に 10 は具に昔秘する所の法を説く 即ち是れ秘密蔵を開するに亦即ち是れ秘密蔵なり、 此くの如きの秘蔵は未だ曾て顕 11 説せず、 如来在世猶多怨嫉といわば四十余年には即ち説くことを得ず 今説かんと欲すと雖も而も五千尋いで即ち 12 座を退く仏世すら尚爾り、何に況や未来をや理化し難きに在り。 -----― 法華文句巻八には「法華経法師品第十に説かれる『已説』とは、大品般若経以上の漸教と頓教の諸説のことである。『今説』とは、法華経と同一の会座で説かれた経であって、無量義経のことである。『当説』とは涅槃経のことである。大品般若経などの漸教・頓教は、皆、方便を帯びているので、信を取ることはやさしい、となす。『今説』の無量義経には、無量義は一法から生ずる、と説いてはいるが、末だその無量の義を一法に融会し帰入することを説いていない。したがって、この法門もまた信じ易い。今の法華経は、教法の理を論ずれば、すべての異なりを融け合わせて、相互に滞りなく通じさせて、一法に帰入する。人を論ずれば、師匠と弟子の本迹が明かされ、その本地は共に久遠にある。このように、法華経は、本門・迹門の二門も、ことごとく過去の教えと反するので、信じ難く理解し難いのである。鋒に当たっていくような難事を法華経はすでに説いたのである。これに対して涅槃経は、法華経の後に説かれるのであるから、信ずることが易しいのである。法華経法師品第十にある『秘要の蔵』とはみだりに開き示さず、説かないことを『秘』となし、一切を一つにまとめてくくることを『要』となす。真如実相を包含しているので『蔵』となすのである。『不可分布』とは、仏法の深義は不可思議であって信じがたい。深い智解の人には、授けるべきではあるが、智解のない者は、かえって罪をましてしまうので、みだりに説てはならないとということである。法華経法師品第十に『この法華経は、久しく遠い昔に釈尊が成道して以来、いまだかって、顕し説いてはいない』とあるのは、三蔵教のなかにおいては、声聞・縁覚の二乗の成仏を説いてはいないし、師匠と弟子の本迹を明かしていない。方等経と般若経には諸法実相を包含する大乗経典が説かれているとはいっても、まだ五乗の衆生の成仏を説いていない。また未だ発迹顕本していない。頓教・漸教の諸経は、皆未だ融通会入しない故に名付けて秘という。この法華経には、これまで秘してきた法を説く。このように秘密の奥蔵を開いたのであるが、それがまた秘密の奥蔵なのである。このような秘密の奥蔵は、いまだかって明らかに説いていない。法華経法師品第十に『如来の現在すら猶怨嫉多し』とある。釈尊が成道してから四十余年間には説かず、今、説こうとしたけれども、それでも、五千人の増上慢の四衆が、次々とその座を立って退いた。釈尊の在世においてすら、なお、こうである。いかにいわんや釈尊滅後の後の未来においてをやで、このことは、滅後未来の衆生が教化しがたいことをあらわしているのである」とある。 -----― 13 楞伽経に云く我得道の夜より涅槃の夜に至るまで一字をも説かず文。 14 止観の五に云く是の故に二夜一字を説かずと文、 又云く仏二法に因つて此くの如きの説を作したもう 縁自法 15 と及び本住の法を謂う、 自法とは彼の如来の得る所我も亦之を得文、 又云く文字を離るるとは仮名を離るるなり 16 文。 -----― 入楞伽経には、「釈尊が成仏得道の夜から死ぬ夜に至るまで一字をも説いていない」とある。 摩訶止観巻五には「この故に成仏得道の夜から涅槃の夜にいたるまでの二夜の間において一字をも説かない」とある。また摩訶止観巻五には「仏がこのように『不説』といわれているのは、二つの法に因ってである。いわく、自法と本住の法を縁するからである。自法とは、彼の如来の得るところを、私もまたこれを得るというのがそれである。また文字を離れるとは仮名を離れることである」とある。 -----― 17 法華に云く但仮の名字を以て衆生を引導したもう文。 18 玄義の五に云く恵能く惑を破し理を顕す.理は惑を破すこと能わず、理若し惑を破せば一切衆生.悉く理性を具す 0690 01 す何が故ぞ破せざる、若し此の恵を得れば則ち能く惑を破す故に智を用つて乗体と為す文。 -----― 法華経方便品第二には「ただ、仮の名字をもって衆生を仏道に入らせる」とある。 法華玄義巻五には「恵慧はよく煩悩を破り、理を顕す。理は、煩悩を破すことはできない。理が、もし煩悩を破るならば、すべての衆生はことごとく理性を具えているのであるから、何故に、煩悩を破れないのか、もしこの恵慧を得れば、すなわち、よく煩悩を破る。故に、智をもって衆生を悟りの世界へ運ぶ乗り物の本体とする」とある。 -----― 02 弘の五に云く何の密語に依つて此くの如き説を作したもう、仏の言く二の密語に依る・謂く自証法・及び本住法 03 なり、 然るに一代の施化・豈権智被物の教無からんや、 但此の二に約して未だ曾て説有らざる故に不説と云うの 04 み文。 -----― 止観輔行伝弘決巻五には「いかなる密語によって、このような説を説かれるのか、仏のいわく、二つの密語による。いわく自証法および本住法である。しかしながら、釈尊一代五十年の教説、化導に、権智をもって衆生に被らせる教えがないわけであろうか。ただこの自証法と本住法の二法については未だかって説かれていない故に『説かず』といわれたのである」とある。 -----― 05 籤の一に云く三に廃迹とは後の如く前の如し文を引く中・初に諸仏の下同を引く・為度の下正しく廃迹を明す、 06 廃し已れば迹無し故に皆実と云う、実は只是れ本・権は只是れ迹・若し同異を弁ぜば広く第七の巻の如し文、 籤の 07 一に云く捨は只だ是れ廃・故に知んぬ開と廃は名異躰同なることを文。 -----― 法華玄義釈籤巻一には「三に廃迹と説かれる通りであり、前に廃権立実にういて述べた文に記した通りである。文を引く中、初めに『諸仏』との文の下『如来の法は皆、是くの如し』と諸仏の化導法は同じであるとの趣旨の文を引いている。『為度』の下の文はまさしく廃迹を明かしている。廃しおわれば、迹はなくなるので『皆、実なり』というのである。実はただ本に当たり、権はただ迹に当たる。もし、権実と本迹の異同を区別するならば、広く摩訶止観の第七の巻に説かれている通りである」とある。 法華玄義記釈籤巻一には「捨とは廃の意である。故に開会と廃捨は、名は異なるが、その体は同じであることが分かる」とある。 -----― 08 止の六に云く和光同塵は結縁の始め八相成道は以て其の終りを論ずと文。 09 弘の六に云く和光の下・身を現ずるを釈するなり 四住の塵に同じ処処に縁を結び浄土の因を作し利物の始めと 10 為す、衆生機熟して八相成道す身を見・法を聞き終に実益に至る文。 11 天照大神の託宣に云く 12 往昔勤修して仏道を成じ求願円満遍照尊・閻浮に在つては王位を護り衆生を度せんが為に天照神。 -----― 摩訶止観巻六には「和光同塵は結縁の始めであり、八相成道はその終わりを論じている」とある。 止観輔行弘決巻六には「摩訶止観巻六の『和光』から下の文は、仏が衆生を救済するために身を変化して人界に現れることを釈すのである。四住地の煩悩を衆生と同じくもち、さまざまな場所において縁を結び、浄土に生ずる因をつくって、衆生を利益する始めとする。衆生の機根が熟して、八相成道する。仏の身を見、法を聞き、ついに実益に至る」とある。 天照大神の託宣には以下のようにある。 「過去世の昔に仏法を勤め修めて成仏得道し、求願円満遍照尊として、閻浮提にあっては、王の位を護り、衆生を得度させるために天照神」とある。 |
秀句
法華秀句三巻のこと。伝教大師最澄の著。天台法華宗が唯識・三論・華厳・真言などの諸宗よりも勝れていることを、十の観点から論証している。
―――
已説の四時の経
法華経法師品第10にある「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」との文の「已に説き」とは、法華経の前に説かれた華厳・阿含・方等・般若の四時の経を指すということ。
―――
今説の無量義経
法華経法師品第10にある「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」との文の「今説き」とは、無量義経を指すということ。
―――
当説の涅槃経
法華経法師品第10にある「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」との文の「当に説かん」とは、涅槃経を指すということ。
―――
易信易解
教法や法理が信じやすく理解しやすいということ。
―――
随他意
仏が衆生の機根や能力などに随って説法し、次第に真実の法門に誘因する方法。
―――
難信難解
法師品には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。信じがたく解しがたいとで、法華経の信解は及びもつかないほど甚深の義があることを言いあらわしている。易信易解に対する語。
―――
未合の一辺
末だ無量の法義を融合して妙法蓮華経の一法に記入せしめることを説いていないこと。
―――
余部
①他の経のこと。②無量義経以外の已説・当説の経。
―――
文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
―――
已
已今当の三説のうちの已説。法華経が説かれる以前の四時の諸経。
―――
大品
大品般若経のこと。般若経は大品・光讃・金剛・天王問・摩訶の五般若があり、仁王般若経を結経とする。釈尊が方等部の後、法華経以前の14年(30年説もある)に説いた経文で、説法の地は鷲峯山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」40巻、玄奘三蔵の「大般若経」600巻などがあり、前者を旧訳・後者を新訳という。玄奘の「大般若経」には仁王を除く五般若の大部分を含んでいる。
―――
漸頓
法華文句巻一上に説かれる化儀の四教のうちの漸教と頓教のこと。漸教は衆生の機根に応じて衆生を次第に高い教えに誘因していく教法。頓教は誘因の方法を取らずに、仏の悟りを衆生に対して直ちに説き示す教法のこと。
―――
同一の座席
同一の会座。無量義経の説処は、法華経の会座と同じ霊鷲山であることから、このようにいう。
―――
無量義は一より無量を生ずれども無量未だ一に還らず
無量義経には「無量義は一法より生ず」と説かれているが、その無量の義を合して、妙法蓮華経の一法に融会し帰入することは、いまだ明らかではないという意味。
―――
一切の差別融通して
すべての異なりを融け合わせ、相互にとどこおりなく通じさせて。
―――
師弟の本迹倶に皆久遠なり
法華経においては師である釈尊と弟子たちの関係について、迹門では三千塵点劫の因縁、本門では五百塵点劫の因縁、観心においては久遠元初の因縁を明かしていること。
―――
真如実相
諸の現象の真実の姿、本体。
―――
包蘊
包は包む・おさめる。蘊は積む・あつめる。
―――
不可分布
妙法をむやみやたらに分け広めて、授与してはならないということ。
―――
深智
仏法に対する理解が深い者。仏法を通達解了し、出離生死に迷わない人。
―――
罪を益す
罪業を増してしまうこと。
―――
昔より已来未だ曾て顕説せず
法華経は、久しく遠い昔に釈尊が成道して以来、いまだかって顕し説いてはいない、という意味。
―――
顕説
顕し、説くこと。
―――
三蔵
①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
―――
二乗の作仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
―――
方等般若
方等経と般若経のこと。❶方等経、①大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。大乗②方等部の経典。③十二部経のこと。❷般若経、般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
実相の蔵
諸法実相を包含する大乗経典。蔵は包含の義。実相の経の中心となる法理・法体であるから小乗・大乗の諸経にわたって説かれているが、諸法の円融相即の実相を含蔵する教えは大乗に限る。ただし諸大乗教は二乗の作仏を明かさず、あるいは五乗の作仏を説かず、法の開会の一分はあるが、人の開会がないゆえに、法華経だけを諸法実相の秘要の蔵となす。
―――
五乗の作仏
五乗の衆生がことごとく成仏すること。爾前権教では五乗の衆生それぞれの機根にしたがって教法が説かれていた。ところが法華経方便品に至り、三乗・五乗の法は方便であってその方便を開き顕し、三乗・五乗の法そのまま唯一一仏乗であるとされる。すなわち三乗・五乗は別のものではなく、等しき一実相に帰入する。薬草喩品では三草二木の譬えをもって五乗の開会が明かされている。
―――
発迹顕本
釈尊がインドに出現し、19歳で出家、30歳で成道したというのは、衆生を化導するために迹を垂れたものである。その本地は、五百塵点劫いらい三世常住の仏である。この始成正覚の迹を開いて本地・久遠実成を顕わしたことを、釈尊の発迹顕本という。
―――
頓漸の諸経
頓教と漸教のこと。衆生を説法教化する二種の方式を示す。いずれも天台大師所立の化儀の四教の一つ。衆生の機根に合わせて徐々に真実へ誘引する説き方を漸教というのに対し、誘引の方法をとらずに直ちに内証の悟りを説き明かす方式を頓教という。釈尊一代説法に当てはめると、華厳時の教が頓教にあたり、阿含・方等・般若時の教えが漸教となる。これに対して法華経は漸・頓の教えをすべて包含するから、八教を超えた教えとして、超八の円というのである。
―――
融会
融通して和合すること。仏法では相互に異なっているように見える教法が密接なつながりをもって隔てなく、とどこおりなく通じていることをいう。
―――
秘密蔵
秘密の法蔵という意味で、諸経・諸仏の根本極理をあらわしている。「秘密」とは、疏の九に「「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」とある。大聖人仏法における「秘密の蔵」とは南無妙法蓮華経である。
―――
秘蔵
①秘密にして大事にしまっておくこと。②五臓の一つの陀羅尼蔵のこと。
―――
如来在世猶多怨嫉
法師品の文。「如来の現在すら猶怨嫉多し」と読む。如来の現在とは釈迦在世。滅度の後とは正像末に通ずるが、その正意は末法である。日蓮大聖人は末法の御本仏として四度の大難等に遭われたのである。
―――
四十余年
釈迦50年の説法のうち、初めの42年の教えは方便権教で、真実をあらわさない教えであり、最後の8年間において法華経で真実を説いているのである。
―――
五千尋いで即ち座を退く
方便品の広開三顕一に入るとき「此の語を説き給う時、会中に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷五千人等あり。即ち座より起って仏を礼して退きぬ。所以は何ん。此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失あり。是を以て住せず。世尊黙然として制止し給わず」とある文をさす。
―――
仏世
仏の生存している時。
―――
理化し難きに在り
理は道理、化は教化。道理としてなかなか衆生を教化しがたい、との意。
―――
楞伽経
漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
―――
涅槃の夜
釈尊入滅の夜。
―――
一字をも説かず
楞伽経によると、釈尊は涅槃の夜には一文字も説かなかったとある。禅宗は、これらの文を根拠に、仏の証得した法の内容は甚深であるから、文字・言語では表されず、ただ心をもって伝えられたとの邪義を立てている。
―――
止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
―――
二法
自法と本住の法。
―――
自法
自証法ともいう。仏の智慧によって自ら証得した不可思議・不可説の法。真理・智慧をいう。仏が自ら証得したその法とは、本住法に即した真理である。
―――
本住の法
本住法ともいう。本有常住の法のこと。仏の自ら行ずる道、及び所詮の実相の理が共に本有無作にして不変不改であることをいう。
―――
仮名
仮の名前、名称。
―――
玄義
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
―――
恵
智と合わせて知恵。悟りを導く基となるものが恵で、外に向かって働くもの・発現するものが智。
―――
惑
煩悩のこと。悟り・解に対する語。惑う・迷うなどの意。この煩悩・惑の数は八万四千あるとされている。
―――
理
①諸経の教理。②万法の根本的な道理、法則性。
―――
理性
理は法性真如の実理のこと、性は不変不改の義である。森羅万象において永遠に変わらない本来的な性分をいう。
―――
智
仏の教法を理解し、悟りを会得した精神作用のこと。
―――
乗体
衆生を悟りの世界へ運ぶ乗り物の本体のこと。
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弘
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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密語
隠れた意図によって説かれる仏の言葉。甚深の意をもつ。仏法に通達した智者。菩薩でなけらば理解することのできない仏の語。
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施化
仏が衆生に法を説き化導すること。
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権智被物
権智をもって衆生を教化して利益を受けさせる、被らせること。
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籤
妙楽大師湛然の法華玄義釈籤のこと。十巻。妙法蓮華経玄義釈籤の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に学徒の籤問に答えたものを基本とし、後に修訂を加えて整理したもの。法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
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三に廃迹とは後の如く前の如し
蓮華三喩のうち本門の三喩のなかの第二「廃迹立本」について、廃迹とは後に説かれる通りであり、前に記した通りであるとの意。蓮華三喩とは、天台大師が華草の蓮華を借りて、妙法蓮華をわかりやすく説明したもの。
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廃迹
廃迹顕本のこと。「迹を廃して本を顕す」と読む。廃迹立本に同じ。蓮華三喩の本門の三喩の第三。爾前迹門の教説を廃して本門を顕すこと。法華玄義巻九下に「五濁の障り重きが為に、遠く本地を説くことを得ず。但、迹中の近成を示す。今は障り除き、機動ず。須く道樹王城の迹中の説は、皆是れ方便なりと廃すべし……文に云く、『是れ自従り来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す』と……即ち是れ一期の迹教を廃して、久遠の本説を顕すなり」とある。爾前・迹門の諸経では仏は現世で成仏したと説き、久遠の本地を明かさなかった。法華経本門では迹門までの教説はすべて方便の教えであるとして、仏性の常住、久遠実成を明かしてえいる。
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名異躰同
般若経と法華経は名はことなっていても、その説かんとする経の当体においては同一であるということ。
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和光同塵
「光を和して塵に同ず」と読む。①才智を包んで顕さず、世俗に仲間入りして異を立てないこと。②仏や菩薩が衆生を教化するため、威徳の光をやわらげて本地を隠し、仮の姿をもって衆生の間に出現すること。
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結縁
仏法に縁を結ぶこと。成仏・得道の縁を結ぶこと。
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八相成道
時に応じて出現した仏が、成道を中心として、一生の間に示す八種の相のこと。八相とは①下天、②託胎、③出胎、④出家、⑤降魔、⑥成道、⑦転法輪、⑧入涅槃。 をいう。
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四住の塵
四住地の煩悩のこと。
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浄土
浄らかな国土のこと。仏国土・煩悩で穢れている穢土に対して、仏の住する清浄な国土をいう。ただし大聖人は「穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」(0384-02)と申されている。
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利物
衆生を利益すること。一切衆生をさして物という。
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実益
真実の利益・成仏得道。
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天照大神の託宣
天照大神のお告げ。
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天照大神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
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託宣
神仏が人にのりうつったり、夢にあらわれたりなどして、その意思を告げ知らせること。神に祈った事によって受けるお告げ。
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往昔
過去世のこと。
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勤修
勤め修めること。心を尽くして修行に励むこと。
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仏道を成じ
成仏得道すること。仏界の境界を開くこと。成道・作仏。
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求願円満遍照尊
自ら求めた願いが欠けることなく円満に充足し、それによって得た法身の光明が遍く世界を照らす尊き者との意。
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閻浮
一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
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度
生死の迷いを越えて涅槃の彼岸に至ること。
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天照神
天照大神のことか?
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前段で南三北七、南都六宗が、天台大師、伝教大師の前に帰伏せざるをえなかったのは、天台、伝教が依経とした法華経が最勝であることを明かされたのを受けて、それでは、法華経は具体的にどの点で他教に勝れているのかを明らかにされる。
釈尊一代の教えのうち、法華以前の爾前経と比べただけでなく、法華経よりあとで説かれた涅槃経と比べても、法華経こそ最勝であることを述べた文が法華経法師品第十の「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」である。
本御書では伝教大師の法華秀句と天台大師の法華文句の文が示されている。いずれも、上の法師品の「已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、この法華経、最も為れ難信難解なり」の文意と理由を説明したものである。法師品の文はただ最も難信難解と言っているだけである。秀句と文句の解説は、なぜ難信難解なのかを述べることによって、法華経が他の経の説いていない仏の悟りの甚深の真理を明かしていること、そこに法華経が最勝である所以があることを明確にしているので、ここに引かれたのである。
秀句では、まず「已説」とは一代五時のなかの四時の経を指し、「今説」とは無量義経、「当説」は涅槃経であると述べている。そして、それらに比べて法華経が最も難信難解であるというのは、法華経こそ、仏が自らの悟りを自らの意のままに説いた経だからであるとし、随自意の説は随他意の説に勝ると言っている。このことは、随自意ということを考えてみれば明白である。
仏自身の悟った真理とはいかなるものかを、衆生の好みや水準を顧慮しないで説くのが随自意であるのに対し、随他意の説とは衆生の好むところに合わせ、その理解できるレベルに下げて説くことだからである。
ただし、この文で伝教大師は無量義経を随他意に含めるのは、その「末合の一辺」についてであって、他の経とは同じではないと断っている。無量義経は法華経の開経として、いわば法華経の一部を構成する経であり、明かしている法理も「無量義は一法より生ず」という仏の悟りの一面である。ただし、逆に「無量義は一法に帰す」という面がまだ明かされていないので随他意になるというのである。
天台大師の文句から引かれた文では、表面的には秀句のそれと違っているが、同じく「已説」「今説」「当説」の一代仏教がどの経にあたるかを示すとともに、これらが易信易解である理由を簡潔に述べ、それに対比して「今の法華は法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰する人を論ずれば即ち師弟の本迹倶に皆久遠なり」と法華経の独自性を“法”と“人”の両方で明らかにし、「二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し」と述べている。
“法”に約していえば、爾前経は善悪の業により果報の差を生じることなど、すべてについて差別を明確化してきたのであったが、法華経では無量義が一法に帰し、そこに差別はないことを説き明かした。
“人”に約していえば、爾前経は、人それぞれに果報を受け生死流転していくのであるから、永続する関係はないとした。これに対し法華経では、無量義の帰する一法である妙法を信受し行ずる師弟のつながりは「本迹倶に皆久遠」であることが明かされている。「本迹倶に久遠」というのは、法華経の本門において初めて、仏の成道が久遠五百塵点劫の昔であり、それ以来、衆生を教化してきたのであって、この師弟の関係は久遠常住であることが明らかとなるのであるが、まだ、この久遠成道の本地を明かさない迹門でも、釈尊の衆生化導が三千塵点劫の大通智勝仏の第十六王子であった時から始まっていることが示されている故である。
いずれにせよ、法華経は「已説」の爾前経で説いたことを根底から覆した深義を説く故に難信難解であるというのである。「当説」の涅槃経に関しては、法華経と同等のことが説かれていても、すでに法華経で説かれたあとなので、さほど難信難解とはいえないと結論している。
そして法師品の「已に説き…難信難解なり」の次下にある「此の経は是れ、諸仏の秘要の蔵なり、分布して、妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の、守護したもう所なり、昔より已来、末だ曾て顕説せず、而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」の文を解説しつつ、法華経が最勝であることをされに明らかにしている。
この部分の文は、上の法師品の文を踏まえれば明快であり、さらに説明を加える必要はないと思われる。
ただ、この文句の文のなかで、「此の経は具に昔秘する所の法を説く即ち是れ秘密蔵を開するに亦即ち是れ秘密蔵なり」とある点について説明する必要があると思われる。
すなわち、法華経では、蔵経に明かさなかった二乗作仏と師弟の本迹、方等般若の諸経にとかなかった五乗の成仏と発迹顕本を初めて説いたという意味においては「秘要の蔵を開いた」といえる。しかし、それがまた秘要蔵になっており、「此くの如き秘蔵は末だ曾て顕説せず」というのである。つまり法華経自体に秘蔵されている法があり、これは「如来現在。猶多怨嫉。況滅度後」とあるように、釈尊の滅後に弘通されることを前提としている。これが、天台仏法の立場でいえば一念三千であるが「滅後」の行きつくところである末法に約していえば、如来神力品第二十一に「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」と示されている法華経の肝心であり、事の一念三千である三大秘法の南無妙法蓮華経にほかならない。
次に「妄りに説く可からず」ということに関連して楞伽経の文が取り上げられている。この楞伽経の文は、禅宗において「教外別伝・不立文字」と主張し、悟りは経典に依らず、座禅観法で直接、心に得るものだとする教義のよりどころとされたものである。
この「不説」ということについては、止観でも、仏の自法である本住の法は文字や名で表されるものではないとして、一往は肯定している。しかし、法華経であるように、仏は「仮の名字を以て衆生を引導したもう」であり、弘決の五にあるように、仏は衆生化導のために権智を働かせて教法を説ける。そして玄義にあるように、衆生の“恵”を涵養しなければ惑を破せしめることは不可能である。
そこに、さらに籤の一を引いて「廃迹立本」の義、摩訶止観巻六を引いて「和光同塵」の意義が示されているように、衆生にも分かるように、垂迹し、仮の名字をもって、化導が行われる所以がある。
最後に引かれている天照大神の託宣も、以前に八幡大菩薩について示されたと同じく、日本の国と民を守るとされることからこれらの神々自体、仏が衆生利益のために現じる働きの一つにほかならないことを表している。なお、本御書は「衆生を度せんが為に天照神」で終わっており、おそらく、この後の文があり、欠損したものと推定できる。