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日蓮大聖人御書講義12上0612~0632
0612~0617 一代五時図(広本)
0612:01~0613:11 第一章 五時のうち爾前四時を図示す
0613:12~0614:09 第二章 法華・涅槃時について教を引き図示する
0614:10~0615:02 第三章 浄土教の系譜を図示す
0615:03~0615:17 第四章 選択集の要所とその謗法を示す
0615:17~0616:08 第五章 謗法と一闡提の罪報を明かす
0616:09~0617:05 第六章 謗法と五逆罪等の軽重を示す
0617:05~0618:16 第七章 法然の弟子檀那も謗法なるを明かす
0618~0622 一代五時図(略本)
0618:01~0620:14 第一章 五時のうち爾前四時を図示す
0620:15~0622:15 第二章 第五時のうち、法華涅槃時を図示する<
0623~0632 一代五時鶏図
0623:01~0623:09 第一章 竜樹の大論の説を示す
0623:10~0627:10 第二章 五時のうち爾前四時を図示す
0627:11~0628:14 第三章 第五・法華涅槃時を図示す
0628:15~0630:06 第四章 釈尊の主師親三徳を図示す
0630:07~0631:10 第五章 弥陀等の娑婆無縁なるを明かす
0631:11~0632:04 第六章 諸宗派の本尊を図示す
0632:05~0632:17 第七章 天台宗の本尊を図示し総括する
0612~0617 一代五時図(広本)top
0612:01~0613:11 第一章 五時のうち爾前四時を図示すtop
| 0612 一代五時図 文応元年 三十九歳御作 於総州 01 大論に云く十九出家三十成道と ┌智儼 02 権大乗 三七日 ┌戒 ├杜順 03 華厳経─────華厳宗─┼定 └法蔵 04 二七日 └慧 ─澄観 ・ -----― 大智度論によれば、釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道したとある。 ┌智儼 権大乗 三七日 ┌戒 ├杜順 華厳経─────華厳宗─┼定 └法蔵 二七日 └慧 ─澄観 -----― 05 小 乗 十二年 ┌成実宗──戒定慧 06 阿 含─────────┼倶舎宗──戒定慧 07 └成実宗──戒定慧 ・ 08 └──鑑真和尚 -----― 小 乗 十二年 ┌成実宗──戒定慧 阿 含─────────┼倶舎宗──戒定慧 └成実宗──戒定慧 └──鑑真和尚 -----― 08 権大乗 ┌―大 集 経 09 方 等────┼―深 密 経─法相宗───戒定慧┬玄奘 10 三十年 ├―楞 伽 経─禅 宗 └慈恩 11 │┌観 経┐ 12 ├┼雙 観 経┼浄土宗─────善導 ・ 13 │└阿弥陀経┘ 14 │┌金剛頂経┐ 01 └┼大 日 経┼真言宗─戒定慧 0613 02 └蘇悉地経┘ 03 提婆菩薩造 -----― 権大乗 ┌―大 集 経 方 等────┼―深 密 経─法相宗───戒定慧┬玄奘 三十年 ├―楞 伽 経─禅 宗 └慈恩 │┌観 経┐ ├┼雙 観 経┼浄土宗─────善導 │└阿弥陀経┘ │┌金剛頂経┐ └┼大 日 経┼真言宗─戒定慧 └蘇悉地経┘ 提婆菩薩造 -----― 04 権大乗 ┌百 論 ┐ 戒定慧 05 般 若────┼中論竜樹菩薩造 ├三論宗┐ 嘉祥寺 06 ├十二門論 同 │ └────────吉蔵大師 ・ 07 └大 論 同 ┘ -----― 権大乗 ┌百 論 ┐ 戒定慧 般 若────┼中論竜樹菩薩造 ├三論宗┐ 嘉祥寺 ├十二門論 同 │ └────────吉蔵大師 └大 論 同 ┘ -----― 08 無量義経に云く「方便力を以て四十余年には 未だ真実を顕さず、又云く無量無辺不可思議阿僧祇劫を過れども 09 終に無上菩提を成ずることを得ず 所以は何ん菩提の大直道を知らざるが故に 険逕を行くに留難多きが故に」と、 10 又云く「大直道を行くに留難無きが故に」と。 -----― 無量義経説法品第二に「方便の力をもって説いたのであって、四十数年の間には、いまだ真実の教えを説き顕してはいない」とある。 また、無量無経十功徳品第三に「法華経以前の爾前経では、量ることも数えることも思議することもできない。極めて長い無量無辺不可思議阿僧祇劫という時を過ぎても、ついに無上の悟りを成就することはできない。その理由は、直ちに成仏に至ることのできる大道を知らない故に、留難の多い険しい道を行かなければならないからである」とある。 また、無量無経十功徳品第三に「真実の教えをひとたび開けば留難のない大直道、すなわち、直ちに成仏に至る道を行くことができる」とある。 |
大論
摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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十九出家三十成道
釈尊が19歳のとき、世俗の王宮の生活を捨てて、妻子眷属の縁を断って出家し、仏道修行に励んで、30歳で仏道得道したこと。
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華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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権大乗
大乗のうち権教である教え、経典。
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三七日
3週間・21日間のこと。華厳時の説法の期間。
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二七日
2週間・14日間のこと。法相宗では、釈尊は成道後、寂滅道場菩提樹下で14日間の間、華厳経を説いたとしている。
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華厳宗
華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
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戒
サンスクリットのシーラの訳。仏道修行者が自ら誓い課した戒め。教団の規則であるヴィナヤ(律)とは異なるが、東アジアでは同一視され、まとめて戒律といわれる。律を構成する各条項は戒と呼ばれる。戒は伝統的に「防非止悪」の意義があるとされる。仏道修行者が習得すべき戒定慧の三学の一つ。『四分律行事抄』では、戒を四つ(四科)に分け、仏によって定められた戒についての教えを戒法、授戒の儀式によって心に納めて防非止悪の功徳を生ずる本体を戒体、戒を持って実践修行することを戒行、五戒・十戒・具足戒などの具体的な戒の規定を戒相とする。歴史上、仏教教団に属する僧尼らが権力と癒着して腐敗堕落すると、しばしば戒律復興運動が起こった。日本では、伝教大師最澄が、具足戒を小乗戒とみなして用いず、もっぱら法華円頓の大乗戒を授ける戒壇の建立を目指し、死の直後に勅許された。ただし法華経には円頓戒の教理は説かれているが具体的な戒相は説かれていないので、伝教大師は梵網経の三聚浄戒と十重禁戒・四十八軽戒を用いて円頓戒の戒相としている。日蓮大聖人は、末法無戒という立場に立たれる。伝教大師の法華円頓戒も、釈尊の教えが無益となる法滅尽の時である末法の衆生にとっては無益であり不要となる。「教行証御書」には「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持って後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持って法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(1282㌻)と述べられ、末法においては三大秘法の御本尊を受持することが持戒であるという受持即持戒を説かれる。この戒は金剛宝器戒であるとされる。【三帰五戒】仏教に帰依する人は、三帰とともに五戒を守る。三帰とは、仏法僧の三宝への帰依である。五戒とは、人間として守るべき最も基本的な戒めで、①不殺生(生き物を殺さない)②不偸盗(盗まない)③不妄語(うそをつかない)④不邪淫(不適切な性交渉を行わない)⑤不飲酒(酒を飲まない)の五つで、在家の仏教者が守るべき戒とされる。三帰五戒は、人界に生まれる業因と位置づけられている。【十善戒】身・口・意の三業にわたって十悪を行わないこと。身業として①不殺生②不偸盗③不邪婬の三つ、口業として④不妄語⑤不綺語⑥不悪口⑦不両舌の四つ、意業として⑧不貪欲⑨不瞋恚⑩不邪見の三つがある。天界の内、欲天に生まれる業因と位置づけられている。また人界において帝王となる因とされる。【八斎戒】布薩の日に在家の仏教者が寺院などに集い、一日一夜守る、出家の聖者に通じる戒。五戒に3項目を加えたもの。①不殺生②不盗③不婬④不妄語⑤不飲酒⑥不著香華鬘不香塗身不歌舞倡妓不往観聴⑦不坐高広大床⑧不非時食(午後に食事をしない)の8つをいう。不著香華鬘不香塗身と不歌舞倡妓不往観聴を分けて9つとすることもある。この八斎戒、特に不非時食を守ることを持斎という。また恒常的な持斎を長斎といい、長斎を行う人も持斎と呼ぶ。日蓮大聖人の御在世当時には戒律復興運動の影響があり、御書にも禅宗や良観(忍性)らの真言律宗の信奉者に持斎がいたことがうかがえる。持斎を実施する毎月8日、14日、15日、23日、29日、30日の6日を六斎日といい、さらに1日、18日、24日、28日を加えて十斎日とすることもある。【十戒】20歳未満の見習い僧である沙弥(少年僧)と沙弥尼(女性の沙弥)が守るべき10の戒め。サンスクリットではシュラーマネーラサンヴァラといい、沙弥が学ぶべき事項という意味。①不殺生②不盗③不婬④不妄語⑤不飲酒⑥不著香華鬘不香塗身⑦不歌舞倡妓不往観聴⑧不坐高広大床⑨不非時食⑩不捉持生像金銀宝物の10種。【具足戒】比丘(出家した男性)、比丘尼(出家した女性)すなわち大僧の受ける戒。それゆえ大戒と呼ぶ。比丘に二百五十戒、比丘尼に五百戒(『四分律』では三百四十八戒)あるという。この戒を受ける者は20歳以上70歳以下の身心清浄で比丘としての資格を失うような過失をしていない者で、なおかつ、前に沙弥戒を受けた者とされている。比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒は、さらにこれを細分して、三千の威儀、八万の細行としている。二百五十戒は、『四分律』では、四波羅夷・十三僧残・二不定・三十捨堕・九十単提・四提舎尼・百衆学・七滅諍からなる。五百戒は、『四分律』では三百四十八戒で、八波羅夷・十七僧残・三十捨堕・百七十八単提・八提舎尼・百衆学・七滅諍からなる。【十重(禁)戒】梵網経に説かれる10種の重大な戒。①不殺②不盗③不淫④不妄語⑤不酤酒(人に酒を売って顚倒の心を起こさせることを禁ずる)⑥不説四衆過罪(出家・在家の菩薩や比丘・比丘尼の罪過を説くことを禁ずる)⑦不自讃毀他(自分のことをほめ、他人を謗ることを禁ずる)⑧不慳惜加毀(貪欲で物惜しみをしたり、人を罵ったりすることを禁ずる)⑨不瞋心不受悔(瞋りの心をもち、人が謝っても受け入れようとしないことを禁ずる)⑩不謗三宝(仏法僧の三宝を謗ることを禁ずる)。梵網経には、大乗の菩薩がこれらの戒を犯すと、修行で得た一切の菩薩の位を失い三悪道に堕ちると説かれている。【四十八軽戒】梵網経に説かれる戒のうち、十重禁戒に対して比較的軽微な罪を戒めた48の戒。①不敬師友(憍慢の心を起こして師長・善友に恭敬供養しないことを戒める)②飲酒(酒を飲むことにより放逸に堕するゆえにこれを戒める)③食肉(肉類を食することにより大慈悲心を断ずるゆえにこれを制する)④食五辛(五辛〈韮・薤・葱・蒜・薑〉を食べることを戒める)⑤不教悔(人の犯した罪を挙げて教え懴悔させないことを戒める)⑥不供給請法(求道心を失わないように、法師に供給し法を請わないことを戒める)⑦懈怠不聴法(懈怠により経律を聴受しないことを戒める)⑧背大向小(大乗に背き小乗に帰向することを戒める)⑨不看病戒(病人を見て看護しないことを戒める)⑩蓄殺衆生具(刀杖弓箭などを蓄えることを戒める)⑪国使(通国入軍ともいう。敵に通じて戦を起こさせることを戒める)⑫販売(畜類の販売を戒める)⑬謗毀(悪心をもって善人法師を謗毀することを戒める)⑭放火焼(悪心をもって山林に放火することを戒める)⑮僻教(小乗や外道をもって人を化導することを戒める)⑯為利倒説(財利のために義理を倒説することを戒める)⑰恃勢乞求(名聞名利のために公の力を恃み利を求めることを戒める)⑱無解作師(知解のない者が猥りに人の師となることを戒める)⑲両舌(両舌を使い賢を欺くことを戒める)⑳不行放救(衆生の死苦を見て救わないことを戒める)㉑瞋打報仇(瞋りをもって仇をなすことを戒める)㉒憍慢不請法(憍慢心を起こし法を請わないことを戒める)㉓憍慢僻説(憍慢にして法を軽蔑し、好んで僻説をなすことを戒める)㉔不習学仏(正法を習学せずに異学異道を学ぶことを戒める)㉕不善和衆(衆の主となる者は善く衆を和し三宝を守る)㉖独受利養(独り利養を受け客僧を待遇しないことを戒める)㉗受別請(別請を受けて利養を自分のみに収めることを戒める)㉘別請僧(檀越らの僧の別請を戒める)㉙邪命自活(邪命・悪戯をもって自活することを戒める)㉚不敬好時(男女を通致し、六斎日〈精進の日〉などに犯戒することを戒める)㉛不行救贖(所尊の災を見て救わないことを戒める)㉜損害衆生(刀杖などを蓄え秤などを販売することを戒める)㉝邪業覚観(戦いを見て喜び耽り、占いをすることを戒める)㉞暫念小乗戒(二乗・外道の心を起こし菩提心を退することを戒める)㉟不発願(好師同学を求めないことを戒める)㊱不発誓(誓って十大願を発し、自らその心を要しないことを戒める)㊲冒難遊行(難所を冒して頭陀遊行することを戒める)㊳乖尊卑次序(尊卑の次第を乱すことを戒める)㊴不修福慧(経律を講じ福慧を修して人を摂化しないことを戒める)㊵揀択受戒(人を選択して受戒することを戒める)㊶為利作師戒(利養のために詐って師となることを戒める)㊷為悪人説(悪人のために戒を説くことを戒める)㊸無慙受施(破戒無慙の者が施を受けることを戒める)㊹不供養経典(経典を敬重し供養しないことを戒める)㊺不化衆生(衆生を教化しないことを戒める)㊻説法不如法(敬心をもって法を説かないことを戒める)㊼非法制限(国王らが非法の制限を立てることを戒める)㊽破法(国王らが制度を立て仏法を破壊することを戒める)。【三聚浄戒】摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒(饒益有情戒)の3種の戒。前の2戒は自利、後の1戒は利他である。この3種の清浄戒は一切の大乗戒を集めまとめているので三聚浄戒という。①摂律儀戒。仏の定めた一切の戒律を守って悪を防ぐこと。この戒には、五戒・八斎戒・十戒およびその他すべての戒が含まれる。②摂善法戒。身口意にわたり進んで一切の善法を修すること。③摂衆生戒。一切衆生を教化し、利益を施すよう努めること。菩薩の慈・悲・喜・捨などの一切を包含する。
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定
仏教一般で仏道修行にあたり、学習し実践し体得すべき三つの事柄のひとつ。心をゆるぎなく定めて瞑想すること。
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慧
智慧のこと。また仏教者が習得すべき戒定慧の三学のうちの慧学で、知的な学習によって仏道を学ぶこと。
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智儼
602年~668年。中国・唐の僧。華厳教学の基礎を築いたが、一般には杜順に継ぐ華厳宗第2祖とされる。弟子に法蔵がいる。
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杜順
557年~640年。中国・隋から唐にかけての僧。法順ともいう。中国華厳宗の第1祖とされてきたが、疑問視もされている。唐の太宗から崇敬された。智儼に法を伝えた。
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法蔵
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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澄観
738年~839年。中国・唐の僧で、華厳宗の第4祖に位置づけられる。五台山清涼寺に住んだことから、清涼国師と呼ばれた。実叉難陀が訳した80巻の華厳経を研究し、『華厳経疏』『華厳経随疏演義抄』などを著した。
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阿含
天台宗の教判である五時(華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃)の中の第2である阿含時に説かれた諸経の総称。釈尊が華厳経を説いた後の12年間、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで説いたとされる。化法(教えの内容)の面からいえば、四諦の法門などを説いており、経・律・論からなる三蔵教である。化儀(説き方)の面からいえば、誘引のための漸教である。阿含部のうち、漢訳されて現存する主要なものは、四阿含である。これは、パーリ語経典の五つのニカーヤ(部)のうちの、小部を除く4部におおむね対応する。長阿含経22巻(後秦の仏陀耶舎・竺仏念の共訳)、中阿含経60巻(東晋の瞿曇僧伽提婆訳)、雑阿含経50巻(魏晋南北朝時代の宋の求那跋陀羅訳)、増一阿含経51巻(晋の瞿曇僧伽提婆訳)、合わせて183巻に別訳雑阿含経16巻(訳者不明)を加えると199巻となる。
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小乗
乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
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十二年
阿含経が説かれた期間。
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倶舎宗
インドの論師・世親(ヴァスバンドゥ)の『俱舎論』に基づく学派。南都六宗の一つに数えられるが、法相宗に付随して学ばれる寓宗(他に寄寓する学派)である。
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成実宗
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
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律宗
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
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鑑真和尚
688年~763年。中国・唐の僧で、日本律宗の祖。天台学と律を学んだ後、日本の栄叡・普照らの要請により来日を試みるが、5度失敗し失明する。天平勝宝5年(753年)に来日を果たし、翌・同6年(754年)に東大寺大仏殿の前に戒壇を築いて聖武天皇や僧侶に授戒。律(出家教団の規則)にもとづく正式な授戒出家の方式を伝えた。また、天台大師智顗の著作を含むさまざまな文献をもたらした。朝廷から与えられた宅地に建てた唐招提寺は、南都七大寺の一つとして栄えた。
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和尚
和上ともいう。①弟子に戒を授けて指導・育成する指導者。②弟子が師匠を呼ぶ用語。
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方等
大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いているとされる。
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三十年
方等部と般若部の説法が行われた期間。この期間においては16年・14年説、8年・22年説等あり、確定しがたい。
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大集経
大方等大集経の略。中国・北涼の曇無讖らの訳。60巻。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を500年ごとに五つに区分する「五五百歳」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後2000年以降を末法とする根拠とされた。
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深密経
深密経と略す。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
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法相宗
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
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玄奘
602年~664年(生年には600年説など諸説がある)。中国・唐の初期の僧。唯識思想を究めようとインドへ経典を求めて旅し、多くの経典を伝えるとともに翻訳を一新した。彼以後の漢訳仏典を新訳といい、それ以前の旧訳と区別される。主著に旅行記『大唐西域記』がある。弟子の基(慈恩)が立てた法相宗で祖とされる。後世、経・律・論の三つ(三蔵)に通暁している訳経僧としてたたえられ、「玄奘三蔵」「三蔵法師」と通称されるようになった。
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慈恩
(0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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楞伽経
漢訳には4種ある。釈尊が楞伽島(スリランカ)で説いたという設定の大乗経典。唯識説や仏性説が説かれている。初期の禅宗で重視された。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
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浄土宗
浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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善導
613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
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金剛頂経
もとは単一の経典ではなく、大日如来が18の会座で説いたとされるものを集めた経典の総称。一般に「金剛頂経」という場合、このうち初会の一部を訳して一経としたものをさす。漢訳には、金剛智が訳した金剛頂瑜伽中略出念誦経4巻と、弟子の不空が訳した金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経3巻がある。金剛界を説いた経とされ、大日経とともに密教の根本聖典とされる。金剛界三十七尊が明かされ、金剛界曼荼羅とその供養法などが説かれている。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。中国・唐の善無畏訳。3巻。成立史の上からは、大日経に先行する経典と考えられており、さまざまな密教儀礼や行者の規範を説いている。
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真言宗
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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般若
天台大師が釈尊の一代聖教を五時に分けたうち、第四時の諸経典をいう。代表として摩訶般若波羅蜜経・大般若波羅蜜多経などがある。
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百論
提婆によって書かれたとされる仏教論書である。『中論』『十二門論』と並び、三論宗の所依の一つ。龍樹の『中論』を受ける形で、他派の論を百種の偈を以て斥ける構成。
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提婆菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後750年ごろの南インドの婆羅門の出である。迦那提婆ともいい、提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼であったからこのようにいわれた。一眼を天神に供養したといわれ、また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家して仏法を学び、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうと、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知、凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じ、提婆がひとりで帰るところを襲って害を加えた。しかし、提婆はこれをゆるし、弟子が仇討ちをしようとするのを制して命絶えたという。
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中論
竜樹の著作。中国・後秦の鳩摩羅什訳。4巻。一切のものには実体がないという「空」の思想を展開し、特に当時有力だった説一切有部の説を批判した。大乗思想の理論的基礎となり、インドでは本書に基づく中観派が起こり、中国では三論宗のよりどころとされた。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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十二門論
龍樹が著したとされる仏教論書の一つである。『中論』『百論』と共に、三論宗の所依の一つ。空観思想が十二章にわけて論じられる。
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三論宗
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
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嘉祥寺
中国・浙江省にあった寺。太和年間(4世紀ごろ)に建立された。その後、三論宗の嘉祥・吉蔵が住み、三論を研究している。
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吉蔵
549年~623年。中国の隋・唐の僧。三論教学を大成した。嘉祥寺に居住したので嘉祥大師と称された。主著に『三論玄義』『法華義疏』など。
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無量義経
中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
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四十余年には未だ真実を顕さず
無量義経説法品第2には。「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経29㌻)とある。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ。
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無量無辺不可思議阿僧祇劫
果てがなく、数えることのできない長い期間。「無量」とは量がはかれない程多いこと。「無辺」広大ではてしないこと。「不可思議」とは、思慮ではかることができないこと。「阿僧祇」は梵語アサンキァ(asaṃkhya)の音写、無数・無央数と訳す。数えることのできない数。「劫」は梵語カルパ(kalpa)の音写、長時と訳す。数えることのできないきわめて長い時間。
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無上菩提
最高の悟りを得ること。成仏の境地。「無上」最上・最高。「菩提」は梵語ボーディ(bodhi)の音写、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種あるが、仏の菩提は最高であり、これに過ぎることがないことを無上菩提という。
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大直道
無上の菩提・最高の悟り・成仏の境地のこと。
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留難
仏道修行を妨げるさまざまな困難。
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本抄は、日蓮大聖人の仏法の立場から、釈尊一代五時の説法の次第と中国日本で成立した諸宗派との関連が一目で見渡せるように書かれたメモ、覚書である。その内容からいって、門下の修学の資料とされたものと思われる。したがって、特定のだれに与えられたものということはできない。
御執筆の年代については文応元年(1260)、文永8年(1271)の2説があるが、ここでは御書全集にしたがって、文応元年(1260)、大聖人39歳、総州での御執筆としておく。
なお、一代五時図には、「広本」と「略本」の二書があり、いずれも中山法華経寺に現存している。御書全集では二本とも収録されており、本抄は「広本」と呼ばれるものである。
さて、題名の「一代五時図」とは、釈尊が成道してから入滅するまで説法した期間を五つに分けた図で、ここでは中国の天台大師・智顗の分け方を用いられている。
初めに、爾前の四時を図示されている。本抄には「爾前」という呼称はないが、大聖人は多くの御抄で五時を大きく爾前の四時と法華・涅槃の一時とに立て分けておられるので、ここでもそれに従った。
爾前は四時は釈尊の説法を、時間的順序によって華厳寺・阿含時・方等時・般若時に分けるものである。
まず、冒頭に「大論に云く十九出家三十成道と」と記されているのは、説法が始められる以前の釈尊の生涯の大きな節目を示されている。
大論は大智度論の略称で、その巻三に「我年一十九にして出家し仏道を学ぶ。我出家してより已来、已に五十を過ぎ、浄戒禅智慧あり。外道は一分も無く、少分すら尚有ること無し、何に況や一切智をや」とある。
なお、現存の大智度論には「三十成道」の語はないが、あるいは大智度論に異本があり、それに「三十成道」の記述があったのをそのままここに筆記されたのかもしれない。釈尊の出家・成道に関しては、他に29出家・35成道説があるが、一般的には19出家・30成道であり、他の経典には30成道の明文もある。
次いで「華厳経」と記され、脇書に「権大乗」とある。また「三七日」「二七日」ときされているが、これは華厳時の時間の長さ、言い換えれば、華厳経をどれだけの日数をかけて説いたかを示されたものであることは明たかである。
3週間(三七日)2週間(二七日)の2つあるのは、華厳経の説法を初頓と後分とに大きく立て分けるうち、初頓の説法の日数に2説あるということである。初頓とは釈尊が成道後、寂滅道場で最初に頓教を説法したということで、その日数を天台宗では3週間、法相宗では2週間としていることから併記されたのである。
ついでに、後分とは初頓の後に、さまざまな処で頓教の機根のために説法したことをいい、天台宗では法華涅槃時まで至るとする。
この「華厳経」から線を引いて「華厳宗」と書かれているのは、華厳経を依経にして「華厳宗」が生じたことを示されている。さらに、この「華厳宗」の下に「戒定慧」と書かれ、その下に「智儼・杜順・法蔵・澄観」の名が記されているが、御真筆では4人の名は「華厳宗」の両脇に記されており、華厳宗を開き、確立した人を挙げておられるのである。これらの人々を時代順にあげれば、杜順・智儼・法蔵・澄観であり、御書全集では4人の名前は時代順になっていないが、御真筆では宗名の左横に杜順・右横に智儼と書かれ、杜順の更に法蔵・澄観と書かれていて、必ずしも智儼・杜順・法蔵・澄観の順に書かれたものではない。
なお「戒定慧」の三学といい、それぞれ戒学・定学・慧学ともいう。およそ仏道を修行する者が必ず修めなくてはならない根本の修行項目であり、一つの宗として必ず備えていなければならない基本要素とされる。
それぞれの詳しい意義は省略するが、要するに、戒によって規則正しい生活を心掛け、定によって身心を静めて精神を一つに集中し、そのことで正しい智慧をもって生きていくことができるようになる、ということである。
本抄で、大聖人が「戒定慧」を図示されたのは、この三学を備えることが宗というものの成立の基本条件とされたからであるといえよう。
現に、この後の諸宗の名を挙げられているところでは必ず「戒定慧」を記されているが、ただ例外的に禅宗と浄土宗については記されていない。当時の浄土宗・禅宗は、いわば新興宗教で、宗として備えるべきこれらの要素が整備されていなかったからであろう。
次に「阿含」については脇書に「小乗」と記され、阿含経典が小乗に属することを示されている。この「阿含」の下に「十二年」と記されているのは、阿含部の説法が12年間にわたるということである。この「阿含」から線を引かれて「俱舎宗・成美宗・律宗」の3宗が成立したことを示され、それぞれに「戒定慧」と書かれている。これら3宗は南都六宗のうちの小乗3宗で、三学をそれなりに備えていたからである。
特に「律宗」の脇下に「鑑真和尚」と記されているのは、律宗が鑑真によって将来され、独立した一宗として勢力を維持していた故であると拝される。同じ小乗宗でも俱舎と成実は他の大乗宗の附宗として兼学されたに過ぎなかった。
「阿含」時に説かれたのは、より具体的にいえば、長阿含経・中阿含経・増一阿含経・雑阿含経の四阿含経で、鹿苑時とも称されるように、釈尊が波羅奈国の鹿野宛などで、声聞縁覚等の二乗を対象として説かれたものである。
この阿含経典をよりどころとして成立したのが「俱舎宗・成美宗・律宗」の三つの宗である。「俱舎宗」とはインドで世親がまだ大乗を知るより前に著した俱舎論を所依とする宗派であり「成実宗」は訶梨跋摩作の成実論を所依とする宗派である。また、「律宗」は四分律十巻に基づいて成立した宗派である。特に、唐代の初期に道宣律師の開いた南山宗が代表的なものである。いずれも、宗としての基本条件である「戒定慧」の三学を備えていて南都六宗に数えられたが、律宗以外は独立した宗をもつにいたらなかった。
次に、方等時については「三十年」と記されているが、これが「方等時」だけの長さではなく、次の「般若時」を含めての年数であることは、御真筆では「方等」と「般若」の中間に年数が記されていることからも明らかである。この内訳については「方等時16年・般若時14年」とする説と「方等時8年・般若時22年」とする説があるが、いずれにしても合わせて「30年」になるので、このように記されたと考えられる。その下に記されている「大集経」「深密経」「楞伽経」「観経」「雙観経」「阿弥陀経」「金剛頂経」「大日経」「蘇悉地経」は方等時の代表的な大乗経典の名を挙げられたものである。
大集経は、特定の宗派の依経にはならなかったが、仏滅後の時代的推移を五箇の五百歳によって示し、特にその「末法」についての教示が宗派を超えて仏教徒の歴史観の骨格となったことから挙げられたと拝される。
大集経以外は、いずれも中国で成立し日本でも勢力を持った宗派がよりどころとしている経典が挙げられ、それぞれの宗名と、中国における開祖の名前が示されている。深密教を依経としてきたのが法相宗で、この成立に貢献した人物として「玄奘」と「慈恩」の名が記されている。
同じように「楞伽経」の下には「禅宗」とのみある。また、「観経・雙観経・阿弥陀経」の下には「浄土宗」とあり、さらにその下に「善導」の名が記されている。ただし、「禅宗」と「浄土宗」の2宗については「戒定慧」を付記されていないことは前にも述べたとおりである。
次いで「金剛頂経・大日経・蘇悉地経」の下には「真言宗」の名があり、「戒定慧」を付記されている。後には徹底的に破折された真言宗であるが、それなりに、宗の成立条件としての戒定慧の三学が真言宗にはあることを認めておられたのであろう。
まず、「方等」の意義であるが、「方等」の「方」は理が方正であること、「等」は平等の意味で、一般に大乗の異名である。また方等は方広ともいい、方は同じく理の方正なることを、広楞伽経は言詞が広博なることを指すものとされる。
ちなみに、方等時に説かれた代表的経典の名として、天台智顗ならびに天台宗が挙げられているのは、これらとはかなり異なっている。
たとえば法華玄義巻十下では「方等の維摩・思益・殃掘摩羅説きて」とあり、天台四教儀では「維摩・思益・ 楞伽・楞厳三昧・金光明・勝鬘等」とあり、特に維摩経を方等部の代表的な経典としている。
天台大師は、あくまでも方等時の説法を内容的に代表する経典を選んだだけであるが、本抄で大聖人が挙げられているのは、中国・日本で勢力を樹立した宗派がよりどころとした経である。そこには、現に存在している各宗派が釈尊の権教を基盤にしたものであることを明確にし、仏教の全体観の上から破折を加えようとされている。また、その精神と破折の論点を門下に教示しようとされる大聖人の御心が拝される。
まず「大集経」が末法の到来とその様相を説いた経であることは前述のとおりであるが、そのことは末法適時の大法を広められる大聖人およびその門下の立場と結びついてくる。
法相・禅宗・浄土宗・真言宗の依経となった経典名を「方等時」の代表として天台が挙げていない理由を考えるうえで忘れてはならないのは、禅宗の依経である楞伽経以外はいずれも、真言経典のように中国に伝来したのが天台滅後であるが、浄土経典のように天台以前であっても、内容的に方等時の釈尊の説法の代表に位置付けられるものではなかったことである。そうした伝来の古い経典を依経にした法相・浄土の二宗も、宗としての成立は天台以後で、天台時代はこれらの経典は注目に値するだけの意味をもっていなかった。
大集経は北涼時代に漢訳されているから、天台大師は当然知っていたと考えられるが、教理的に方等時の説法を代表するものとは考えられなかったので挙げなかったと思われる。
深密経及び法相宗は唐代になって玄奘がインドから将来したものであるから、唐代の少し前に入滅した天台大師の知るところではなかった。
楞伽経は北涼代に伝来しており、禅宗の開祖である菩提達磨も梁代にインドから渡来している。したがって天台大師は楞伽経の名前を方等時経典の一つとして挙げられる。
浄土経典については双観経が魏代、観無量寿経が劉宋代、阿弥陀経は鳩摩羅什によって初訳されているので、天台よりかなり以前に伝えられている。しかし天台大師がこれらを方等時説法の例として挙げているのは、教理的内容に注目に値するとは考えられなかったためと考えられる。
金剛頂経・大日経・蘇悉地経のいわゆる真言経典については、いずれも唐代中期に善無畏以下の人々がインドからもたらしたもので、天台大師が名を挙げられないのは当然である。
禅宗と浄土宗に「戒定慧」を付記されていないのが、特に日本においては新興宗教として、これらの条件を備えていなかったためであることは前述したとおりであるが、現実的にはこの両宗は、戒定慧について欠けているところがあり、大聖人は、禅宗について「今時の禅宗は大段・仁義礼智信の五常に背けり、有智の高徳をおそれ老いたるを敬ひ幼きを愛するは内外典の法なり、然るを彼の僧家の者を見れば昨日・今日まで田夫野人にして黒白を知らざる者も・かちんの直綴をだにも著つればうち慢じて・天台・真言の有智・高徳の人をあなづり礼をもせず其の上に居らんと思うなり、是れ傍若無人にして畜生に劣れり、爰を以て伝教大師の御釈に云く川獺祭魚のこころざし・林烏父祖の食を通ず・鳩鴿三枝の礼あり行雁連を乱らず・羔羊踞りて乳を飲む・賎き畜生すら礼を知ること是くの如し、何ぞ人倫に於て其の礼なからんやとあそばされたり取意、彼等が法に迷ふ事道理なり」(1444-04)と破戒無慚ぶりを厳しく指摘されている。
また浄土宗については法然在世中にその高弟たちの行動が権力による弾圧を招いた破戒的行為もさることながら、三徳具備の釈迦仏を措いて、西方の阿弥陀如来に救いを求める愚癡ぶりを多くの御抄に指摘されている。
次に、涅槃時については「権大乗」と記され、その下に「百論」「中論」「十二門論」「大論」の四つの論名が記され「百論」は「提婆菩薩造」、「中論」「十二門論」「大論」は竜樹菩薩によって造られたものであることを示されている。
さらに、その下には「三論宗」とあり、中国の三論宗が以上の四つの論から大智度論を別にして成立したことを明かされ、この宗派の中興の祖である「嘉祥寺」の「吉蔵大師」の名が記されている。
般若時の経典としては、光讃般若・金剛般若・大品般若などの経があるが、本抄で、これらの般若諸経の名を挙げず四つの論を挙げられているのは、前述のように、中国・日本で成立し大聖人当時存在していた宗派を中心としての五時を図示されているからで、特に三論宗は、その名が示すように、経典よりも、竜樹菩薩と提婆菩薩が著した論をよりどころとしていたからである。
「百論」二巻は提婆菩薩、「中論」四巻・「十二門論」一巻・「大論」百巻の三論は、いずれも竜樹菩薩の作である。
このように四論をよりどころとしながら、なぜ「三論宗」と名乗ったかという疑問が生じる。大智度論も鳩摩羅什が訳しており、羅什門下によって三論宗は生み出されているからである。これは、おそらく「大智度論」は正式には「摩訶般若波羅蜜経釈論」と言い、大品般若経を注釈したもので、「論」よりもむしろ「釈」という色合いが強いと解されたからであろう。
この三論宗の中興の祖とされているのが「嘉祥寺」を拠点に活躍した「吉蔵大師」であり、その拠点の寺名をとって嘉祥大師ともいう。日本にも吉蔵の弟子の高麗僧・慧灌によって伝えられ、南都六宗の一つになっている。
ただし、三論宗は、大乗の哲学的研究を主眼にした一種の「学派」で、中国でも日本でも、民衆的信仰のよりどころではなかった。したがって、社会的にも大きな勢力になることもなく、法華経信仰に敵対することもなかったので、これを破折する論議は大聖人もなされていない。
以上が、爾前四時についての図示であるが、このあと、無量義経から三文を引用されている。これまでの四時の経が釈尊の一代50年の説法のうち、前の40余年の方便の説法であり、末だ真実を顕していないことを釈尊自身が述べた言葉という文証をもって示されているのである。
最初の文は同経説法品第二の文で「諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば 種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には末だ真実を顕さず」とある文である。
つまり釈尊は、衆生の好みと傾向性に、さまざまな違いがあることを知って、それぞれの欲と性に応じて真実へ導く手段の教えを40余年の間説いてきた。したがって、40余年の間の教えはまだ真実を顕していないという意味である。
次の文は同経十功徳品の文で「其れ衆生あって聞くことを得ざる者は、当に知るべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は 何ん、菩提の大直道を知らざるが故に」という文である。
成仏の真実の法を聞くことのできない衆生は大きな利益を失い、教えることも量ることも不可能な長期間を過ぎても、ついに無上の悟りを成就することはできないと述べ、その理由として、直ちに成仏に至る道を知らないために、留難の多い険しい道を行かなければならないからであると説いている。すなわち、爾前権教の諸経の教えでは成仏することができないということである。
次も同じく十功徳品第三の文で「一たび聞けば能く一切の法を持つが故に。若し衆生あって是の経を聞くことを得るは、則ち為れ大利なり。所以は何ん、若し能く修行すれば必ず疾く無上菩提を成ずることを得ればなり。其れ衆生あって聞くことを得ざる者は、当に知るべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に」という文を引用されている。
直前の経文とは対照的に、ここでは成仏の真実の教えを一度聞くと、留難のない大直道、すなわち、直ちに成仏に至る道を行くことができる、という文で、次の第五時の法華経へと橋を渡す役割を持った経文として挙げられたと拝される。
0613:12~0614:09 第二章 法華・涅槃時について教を引き図示するtop
| 11 八箇年 12 法華経─────法華宗─────天台宗──戒定慧 13 「世尊は法久しくして後かならず当に真実を説き給うべし、 種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり、 正 14 直に方便を捨てて但無上道を説く、 今此の三界は皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く是れ我が子なり而も今此 15 の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す 復教詔すと雖も而も信受せず、 若し人信ぜずして此の経を毀謗 16 せば則ち 一切世間の仏種を断ぜん ○其の人命終して阿鼻獄に入らん、 ○将に魔の仏と作りて我が心を悩乱する 17 に非ずや舎利弗の疑二の巻、妙法華経○皆是れ真実多宝証明の文」 -----― 八箇年 法華経─────法華宗─────天台宗──戒定慧 法華経方便品第二には「世尊は成道してから、四十余年の久しい間にわたって方便権教の法を説いた後に、必ず当に真実の教えである法華経を説かれるのである」とある。同品には「釈尊は、種々の道を説き示したが、それは、仏乗、すなわち一切衆生を成仏得道させる教えである法華経を説くためである」とある。同品には「正直に、すなわち仏の本意にかなって、方便の教え、すなわち衆生を教化するための仮の教えを捨てて、ただ、無上道、すなわち法華経という最高・究極の教えを説く」とある。 法華経譬喩品第三には「今、この欲界・色界・無色界の三界はすべて私の所有であり、そのなかに住む衆生はことごとく私の子である。しかもこの世界はわずらわしく困難なことが多いが、ただ私だけがよく救い護ることができる。また、この法華経および仏の三徳の慈悲を教えようとしても、衆生のほうが信ぜずに受け取らない」とある。同品には「もし衆生が法華経を信じないで、この法華経をやぶりそしるならば、それによって一切世間の仏種、すなわち六道の迷界を脱して成仏するための根本の因である仏種を、みずから断つことになる。○。その人の死後は阿鼻地獄に堕ちるであろう」とある。 同品には「○。まさにに魔が仏と作って私の心を悩ませ乱そうとしているのではないか」とある。これは舎利弗が起こした疑いであり、法華経巻二・譬喩品第三にある。 法華経見宝搭品第十一には「法華経の説法は。○。皆これ真実である」とある。これは多宝如来が証明した文である。 -----― 0614 01 涅槃経六に出ず ┌法に依つて人に依らざれ 02 ┌法四依┼義に依つて語に依らざれ 03 │ ├智に依つて識に依らざれ 04 一日一夜 │ └了義経に依つて不了義経に依らざれ ・ 05 涅槃経──────┤ ┌五品───天台等 06 八十入滅 │ ┌初 依─┴六根 07 │ ├第二依──初地已上─竜樹菩薩等 08 └人四依┼第三依 09 └第四依──等覚菩薩 -----― 涅槃経六に出ず ┌法に依つて人に依らざれ ┌法四依┼義に依つて語に依らざれ │ ├智に依つて識に依らざれ 一日一夜 │ └了義経に依つて不了義経に依らざれ 涅槃経──────┤ ┌五品───天台等 八十入滅 │ ┌初 依─┴六根 │ ├第二依──初地已上─竜樹菩薩等 └人四依┼第三依 └第四依──等覚菩薩 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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八箇年
釈尊50年の説法中、最後の8ヵ年。法華経が説かれた期間。
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法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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天台宗
❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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世尊
世に尊敬される仏を指す。仏の10号のひとつ。
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種種の道
様々な経。法華経が説かれるまでの、爾前・権教等に示されたさまなまな教法。
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仏乗
一仏乗・一乗と同義。一切衆生を成仏させるための教えのこと。釈尊一代の聖教のすべては、総じては皆成仏道の教法といえるが、別しては法華経に限るのであり、南無妙法蓮華経に限るのである。
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正直
正しくまっすぐなこと。ひとえに仏の教える法を信じ広めていくさま。
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方便
仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
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無上道
種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749-第十三但惜無上道の事-02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727-第五無上宝聚不求自得の事-05)等とある。
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三界
仏教の世界観で、地獄から天界までの六道の迷いの衆生が住む世界。欲界・色界・無色界からなる。このうち色界・無色界は、修得した禅定の境地の報いとして生じる。①欲界とは、欲望にとらわれた衆生が住む世界。地獄界から人界までの五界と、天界のうち6層からなる六欲天が含まれる。その最高の第六天を他化自在天という。②色界は、欲望からは離れたが、物質的な制約がある衆生が住む世界。大きく4層の四禅天、詳しくは18層の十八天に分かれる。③無色界は、欲望も物質的な制約も離れた高度に精神的な世界、境地のこと。4種からなる。最高は非想非非想処。それに次ぐのが無所有処。仏伝によると、釈尊が出家後に師事したというウドラカラーマプトラは無所有処という境地であり、アーラーダカーラーマは非想非非想処という境地であったという。
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衆生
サンスクリットのサットヴァの訳。衆とも有情とも訳す。薩埵と音写する。広義には一切の有情(感情・意識をもつもの)をいう。狭義には、無明や煩悩をもって迷いの世界に住む人をさす。
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患難
わずらわしく困難なこと。憂い・難儀・心配。
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救護
救い護ること。
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教詔
教えること。
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信受
信じて受けたもつこと。
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毀謗
誹謗と同意。破りそしること。
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一切世間
すべての世界、あらゆる世の中のこと。世間には三意がある。①世の中・世俗のこと、世は隔別・還流、間は内面にあるもの・間隔の義、世の中のすべての事物・事象をいう。②六道の迷界。③差別の意、五蘊世間・衆生世間・国土世間や有情世間・器世間など。
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仏種
❶仏の種姓、仏となる家系の者のこと。釈尊の教団では、仏の弟子となった者は仏の子と位置づけられる。大乗では仏に成ることを目指す菩薩をいい、法華経では法華経を信じ実践する者こそが真の仏子であると説かれる。また涅槃経では、にせの教えを説く邪悪な者と戦い、仏の正法を護持し広めるものが真の仏子とされる。❷成仏の根本因を植物の種に譬えて仏種と呼ぶ。衆生の生命にそなわる仏性は、成仏の主な因であるので仏種とされる。さらに衆生の仏性を開発する仏の教法も、成仏の補助的な因であるので、仏種とされる。法華経では、すべての衆生を成仏させる根本法は法華経であると説くことから、法華経が唯一にして真実の仏種である。
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命終
寿命を終えること。死ぬこと。
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阿鼻獄
阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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魔
サンスクリットのマーラの音写。摩羅とも。仏道修行を妨げる種々の働き。魔は「奪命者(命を奪う者)」「奪功徳者(功徳を奪う者)」とされ、仏道修行者の心、三世にわたる生命をも損ねる働きをいう。魔には種々の分類があるが、御書中では特に『摩訶止観』で説かれる三障四魔を重要視されている。
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悩乱
人の心を悩まし苦しめ乱すこと。
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舎利弗の疑
法華経譬喩品第3に、「爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、我是の法音を聞いて 未曾有なる所を得て、心に大歓喜を懐き 疑網皆已に除こりぬ。昔より来仏教を蒙って、大乗を失わず。~心中大に驚疑しき。将に魔の仏と作って、我が心を悩乱するに非ずや」とある。これは舎利弗が仏の教えを聞いて、疑いを起こしたもので、一大事因縁・四仏知見の説法を聞き、ようやく疑いを晴らすことができたといっているのである。
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妙法華経
①鳩摩羅什訳の法華経28品。②法華経に説かれた法理。③所詮の法体。
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涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
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一日一夜
天台大師の五時教判によると、涅槃経は一日一夜の説で、跋提河の辺とされている。
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八十入滅
釈尊が八十歳で入滅したこと。入滅は寂滅に入るとの意。仏の死を意味し、涅槃ともいう。
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法四依
涅槃経の四依品では、仏滅後の末世(すなわち末法)に正しく依るべき4つの法義をいい、涅槃了義の観点から法四依を再説している。依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経のこと。
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法に依つて人に依らざれ
法四依の第一。依法不依人(法に依りて人に依らざれ)真理(法性)に依拠して、人間の見解に依拠しないこと。
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義に依つて語に依らざれ
法四依の第二。依義不依語(義に依りて語に依らざれ)意味に依拠して、文辞に依拠しないこと。
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智に依つて識に依らざれ
法四依の第三。依智不依識(智に依りて識に依らざれ)智慧に依拠して、知識に依拠しないこと。
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了義経に依つて不了義経に依らざれ
法四依の第四。依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)仏の教えが完全に説かれた経典に依拠して、意味のはっきりしない教説に依拠しないこと。
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人四依
涅槃経に説く、仏滅後の末世に正しく依るべき4種の人をいう。四種人ともいう。法四依を受持する凡夫と声聞衆(須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢)のこと。
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初依
釈尊の滅後に正法を弘通して利益を施し、衆生の依怙依託となった四種の人の第1。凡夫ではあるが、出家してなお煩悩を持ちながらも仏より聞いた所説を自ら正しく解し、他にも分別宣説する人で、よく菩薩の方便所行秘密の法を知る人
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五品
五品弟子位のこと。円教十信位以前の外凡の位 に、五つの段階を設置するをいう。随喜・読誦・説法・兼行六度・正行六度。
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天台
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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六根
法華経の信仰と実践により、六根が清らかになることでもたらされる種々の功徳のこと。法華経法師功徳品第19に説かれる。六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官のこと。これらが煩悩の影響を受けず、正しく働き、清らかになることを六根清浄という。この六根清浄という正しい認識・判断・行動の結果として、種々の功徳がもたらされる。同品には「若し善男子・善女人、是の法華経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん」(法華経527㌻)とある。
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二依
釈尊の滅後に正法を弘通して利益を施し、衆生の依怙依託となった四種の人の第2。仏より聞いた法を書写受持し読誦して他のために説く人で、これは須陀洹及び斯陀含の位にあっても菩薩にして、すでに受記(近い将来に仏と成ることを約束する)を得た人。
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初地已上
初地は菩薩の修行の五十二位のうちの第41位。十地の第1で歓喜地ともいう。別教では初地以上を不退位とする。已上とは歓喜地以上のこと。
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竜樹菩薩
150年~」250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。▷
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三依
釈尊の滅後に正法を弘通して利益を施し、衆生の依怙依託となった四種の人の第3。正法を護持する人と正法を宣説する人を分別し得る人で、阿那含の位にあっても、すでに受記を得て間もなく成仏する菩薩と名付く。
―――
四依(第)
釈尊の滅後に正法を弘通して利益を施し、衆生の依怙依託となった四種の人の第4。自ら煩悩を断じて自在に智慧を得て、仏道を成ぜんと大願を発せば何時でも成仏することのできる人で、これを阿羅漢というが実は如来と何ら異なるところはない。
―――
等覚菩薩
菩薩の修行の段階。五十二位のうちの第51位。菩薩の極位をさし、有上士、隣極ともいう。長期にわたる菩薩の修行を完成して、間もなく妙覚の仏果を得ようとする段階。
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釈尊一代五時のうち、第五の法華涅槃時を図示されているととろである。これまでとは異なり、法華と涅槃の二つに分けて図示されているのは、法華経こそ成仏の根本である無上道が明かされた経であり、涅槃経とその実践の弘教の規範として人法の四依が示された経であるという違いを明確にされるためと拝される。
初めに「法華経」については「八箇年」と、それが説かれた期間を記され、さらにその下に「法華宗」「天台宗」「戒定慧」と記されている。法華経は釈尊が50年間の説法中、最後の8ヵ年に説かれた経典であり、大乗仏教の極説である。この法華経を依教とする宗、すなわち「法華宗」が具体的にすでに存在するものとしては「天台宗」がある。当然のことながら「戒定慧」の三学を具えていることを明示されている。御真筆では、「法華宗」と「天台宗」とは並べて記されていることから、少なくとも、これまでのところ、「法華経」といえるものは「天台宗」に限るとの意を込めておられることが明らかである。末法においては、大聖人の開かれた宗こそ「法華宗」であるとされたのであるが、これには、天台宗は像法時代の法華宗で末法の時に適っていないという意味と、天台宗は真言の邪義に染まって、もはや「法華宗」とはいえないとの両方の意味が含意される。
次いで、法華経の中から、法華経こそが爾前四時の方便権教とは異なり、真実の教えを説いている経典であることや、したがって法華経を信じないで誹謗すると仏種を自ら断ち、死後は阿鼻地獄に堕ちることを示しているいくつかの経文を抄録されている。
まず、法華経こそが方便ではなく真実を明かした教えであることを示している経文として方便品第二から三つの文を抜き書きされている。一つは「世尊は法久しくして後に要ず当に真実を説きたまふべし」の文である。釈尊は成道後、久しい間にわたって教えを説いた後に真実を説く、ということである。二つは「種々の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為 なり」の文である。これは40余年にわたって「種種の道」を示したが、それはあくまで最後に、一切衆生を成仏させる教えを説くためであったとの理由を示されているのである。次いで「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」の文を挙げられている。ここでははっきりと釈尊は“正直に”、すなわち仏である自らの本意に立ち、方便の教えを捨てて、ただただ“無上道”すなわち最高・究極の教えである法華経を説くことを宣言している。
以上の三つは方便品からの引用で、次に譬喩品第三から三つの文が引かれている。まず第一の文では、法華経が説かれたことによって、釈尊の衆生に対する三徳が確定したことが示されている。
「今此の三界は皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く是れ我が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す復教詔すと雖も而も信受せず」と。
冒頭の「今」とは法華経が説かれた時を表している。法華経の教主たる法華経こそ欲界・色界・無色界の三界すべてを自らの所有としそこに住む衆生を我が子として、苦難の多い三界にいる衆生をよく救済し守護することができると宣言している。
「復教詔すと雖も而も信受せず」とは、法華経は直ちに説いても衆生は容易に信受しないので、方便として権教を設けて段階的に化導したという文につながっている。ただし、ここでは、その次の引用へのつなぎとして引かれるものと拝せる。すなわち、仏は一切衆生に対する主師親として大慈悲と救済する力をもっているのであるが、それはあくまで法華経を根本としてのうえであり、無条件に万人を救えるわけではない。
それ故「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん○其の人命終して阿鼻獄に入らん」となるのである。
救済の力の本源は法華経にある故に、法華経の教えを衆生のほうが信じないので、さらにはそしったりすると、成仏のための根本原因を自分から断ち切ってしまうことになるし、死後は阿鼻地獄に堕ちるであろうと戒めているところである。
譬喩品の三つ目の文は「○将に魔の仏と作りて我が心を悩乱するに非ずや」であり、その下に「舎利弗の疑 二の巻」と記されている。法華経こそ真実を明かすと、仏が説くのを聴いた時、舎利弗は、魔が仏となって自分の心を悩ませ乱すのであろうか、と疑ったと述べられている。
このように、法華経は甚深の教えであるので、舎利弗すらも疑いを起こしたのであったが、それと対照的な文として、最後に見宝搭品第十一の「妙法華経○皆是れ」の文を引用されて、その直後に「多宝証明の文」と記されている。
宝塔品において、多宝如来が出現して、釈尊がそれまで説いてきた法華経の説法を「皆是れ真実なり」と証明したことをこのようにまとめられたのである。
次に、法華涅槃時のうち、涅槃経について示される。「涅槃経」とあるすぐ下の「一日一夜」「八十入滅」とは涅槃経が釈尊の80歳入滅における一日一夜の教えを記した経典であることを示されている。
脇文に「涅槃経の六に出ず」とあるのは、この部分を示されている「法四依」「人四依」という教えが最後の説法と釈尊の入滅の様子が記された経で「一切衆生悉有仏性」など、法華経の説法を繰り返した内容も含まれているが、主眼は、釈尊入滅後の仏弟子のために仏道修行のうえで心すべきことや令法久住のための規範を示すことにあった。ここでは、その修行のよりどころとすべき根本として人法の「四依」が挙げられている。
仏の在世にあっては仏法の理解、人間としての生き方、修行の在り方、さまざまなことについての考え方等、仏に質問することによって解決することができた。しかし、仏滅後はどうすればよいのか。それを示したのが「法の四依」である。
まず「法四依」とは、その下に記されているように、「法に依つて人に依らざれ」「義に依つて語に依らざれ」「智に依つて識に依らざれ」「了義経に依つて不了義経に依らざれ」である。「法に依つて人に依らざれ」の“法”とは、法華経が説き示した法である。“人に依らざれ”とは仏説に反する我見の教えをよりどころとしてはならないということである。ただし仏説といえども、その時の特殊な事情を反映している部分もある。大事なのは、そこに込められた根本的意義を正しく理解して、それをよりどころにしていくことである。「義に依つて語に依らざれ」「智に依つて識に依らざれ」の戒めは、そのために立てられたものと拝せる。さらに、仏説も方便として説かれた「不了義経」もあるから、真実を究竟している「了義経」すなわち、法華経に説かれたことと低触する場合は、不了義経に述べられた教えをよりどころとしてはならないのである。
ところで、涅槃経巻六の人四依は第一初依を声聞のうち煩悩性を具えている人、第二依を須陀洹・斯陀含、第三を阿那含、第四依を阿羅漢というように、いずれも声聞の位に約して述べているが、本抄での大聖人の注記はむしろ天台宗第二祖、章安大師の涅槃経疏巻十で声聞の四依を大乗の菩薩の52位に配して、別教および円教の菩薩の四依を立てているのによるものと考えられる。それによれば「初依」に「五品」と「六根」をあてている。「五品」と「六根」は天台大師が法華経法師功徳品第十九に基づいて立てた菩薩の位である。五品は五品弟子位のことで、法華経の受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を行ずる位を指し、52位でいえば10信位以前の段階の位で、六根でいえば観行即にあたる。五品弟子位の修行を因として六根が清浄になる功徳を得られるが、この位を六根清浄位とする。52位では10信位であり、六即では名字即にあたる。これを本文では「六根」と記されている「五品」の下に「天台等」とあるのは、天台大師自身が臨終の際、自らの位を五品弟子位としたことについて基づいているであろう。
次に「第二依」には「初地已上」「竜樹菩薩」と記されている。52位のうち、第41位から第50位までが10地であるが、「初地」とは第41位・歓喜地をいい、それ以上の位を「第二依」としている。次の「第三依」が省略され「第四依」が「等覚菩薩」となっているので、要するに、第二依は10地のすべての位が菩薩にあてはまるのである。
0614:10~0615:02 第三章 浄土教の系譜を図示すtop
| 09 天竺 十四五六巻 10 ┌十住毘婆沙論に云く────┐竜樹菩薩造 11 │ ┌─────────┘羅什三蔵訳 12 │ 不退地──┬難行道 譬えば陸路を歩行せば苦なれども 13 │ 斉世 └易行道 水道を船に乗れば則ち楽なるが如し 14 │ 十仏・百三十余菩薩並に阿弥陀仏等 15 ├曇鸞法師本三論宗の人なり浄土論註二巻を作る 16 │ 唐世 17 ├道綽禅師善導の師なり安楽集二巻を作る 18 │安楽集に云く 「大集月蔵経に云く我が末法の時の中の億億の衆生起行修道すとも 未だ一人も得る者有らじ 19 │ 当今末法は是れ五濁の悪世なり唯浄土の一門のみ有つて通入すべき路なり」と 01 │ 唐世 0615 02 ├善導玄義一巻.序分義一巻.定善義一巻.散善義一巻.観念法門一巻.往生礼讃一巻.般舟讃一巻.法事讃上下已上九巻 -----― インド、十住毘婆沙論の梵本は、十四巻・十五巻あるいは十六巻からなる。 ┌十住毘婆沙論に云く────┐竜樹菩薩造 │ ┌─────────┘羅什三蔵訳 │ 不退地──┬難行道 ・たとえば陸路を歩いて行けば苦難が多いが │ 斉世 └易行道 。水の上を船に乗っていけば楽に目的地に着けるようなものである。 │ 十仏・百三十余菩薩並に阿弥陀仏等の諸仏の名号を称えること。 ├曇鸞法師・もとは三論宗を学んだ人である。浄土論註・二巻を著す。 │ 道綽は唐の時代の人である。 ├道綽禅師・善導の師である。安楽集・二巻を著す。 │安楽集には「大集月蔵経には、『私の入滅の後の末法の時代における数えきれないほどの多くの衆生は仏道の修行を起 │こし、仏道を修するとしても、いまだ一人も成仏得道する者はいない。まさしく今の末法は、れ五濁の盛んな悪い世のな │かである。ただ、浄土の一門のみがあって、浄土に入つことの路である」とある。 │ 善導は唐の時代の人である。 ├善導は玄義一巻・序分義一巻・定善義一巻・散善義一巻・観念法門一巻・往生礼讃一巻・般舟讃一巻・法事讃上下・以上 九巻を著す。 |
十住毘婆沙論
竜樹作とされる。十地経(華厳経の十地品に相当)の初地・第二地について注釈している。鳩摩羅什が仏陀耶舎の口誦に基づいて訳したと伝承される。曇鸞が『往生論註』で引用し、浄土教に大きな影響を与えた。
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天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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羅什三蔵
344年~413年(一説に350年~409年)。サンスクリットのクマーラジーヴァの音写。中国・後秦の訳経僧。羅什三蔵とも呼ばれる。インド出身の貴族である父・鳩摩羅琰(クマーラヤーナ)と亀茲国(クチャ)の王族である母との間に生まれ、諸国を遍歴して仏法を学ぶ。後秦の王・姚興に迎えられて長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、多くの訳経に従事した。訳経数は『開元釈教録』によると74部384巻にのぼり、代表的なものに妙法蓮華経・維摩経・大品般若経・『大智度論』などがある。その訳文は内容が秀抜で文体が簡潔なことから、後世まで重用された。前代の訳を古訳、後代の玄奘らの訳を新訳というのに対して、羅什らの訳は旧訳と呼ばれる。
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不退地
不退転の地。仏道修行の過程ですでに得た功徳を決して失わないこと。
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難行道
実践が困難な修行と易しい修行のうちの難行道。易行という語は、もとは竜樹(ナーガールジュナ)の『十住毘婆沙論』にあり、そこでは、菩薩の修行に関して、阿毘跋致(不退)に入るのは困難であるが、諸仏の名をとなえるといった易行があると説かれている。曇鸞はこれを『往生論註』で独自に解釈し、菩薩が不退を求める修行に難行・易行の2種があるとし、浄土教を易行道とした。さらにこれを法然(源空)は『選択集』で恣意的に解釈し、難行道を聖道門、易行道を浄土門とし、聖道門を排除した。
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易行道
難行道に対する語。法然の立てた邪義で、出処は竜樹の「十住毘婆沙論」・曇鸞の「往生論註」による。やさしい修行のことで、末法の衆生はただ弥陀の名を唱えるだけでは往生できると説く。
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十仏(浄土)
①十住毘婆沙論の十仏。東方善徳仏・南栴檀徳仏・西无量明仏・北方相徳仏・東南无憂徳・西南宝施仏・西北華徳仏・東北三乗行仏・下方明徳仏・上方広衆徳。②称讃浄土仏摂受経の十仏。
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阿弥陀仏
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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曇鸞法師
(0476~0542)中国念仏の開祖で、菩提瑠支から観無量寿経を授けられ、もっぱら念仏の修行を積んだ。並州の大寺、石壁の玄中寺等に住し、のちに平州の途山寺で、76歳で死んだ。浄土宗では七祖のうちの第三祖としている。「讃阿弥陀仏偈」などを著した。難行道うんぬんの文は「往生論註」の最初の文で、念仏を易行道、すなわち「修行し易き道」として薦め、他の権大乗教を「修行し難き道」と悪口し、排斥している。
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斉世
中国の斉の時代。(0479~0502)。
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往生論註
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』に、曇鸞が註解を加えた書である。 一般には略して、『浄土論註』ともいう。またそれを略して、『論註』ともいう。「上巻」「下巻」の全2巻。
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道綽禅師
562年~645年。中国・隋から唐にかけての浄土教の祖師。はじめ涅槃経に傾倒していたが、曇鸞の碑文を見て改心して浄土教に帰依した。釈尊の教えを浄土門とそれ以外の聖道門とに分け、聖道門を誹謗した。弟子に善導がいる。主著に『安楽集』がある。▷
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唐世
中国の唐の時代。618年~907年。隋に続く中国の王朝。律令制度を軸とした中央集権的な国家体制を築いて全国を統一し、強大な勢力をもって東アジア・中央アジアに支配を広げた。これによりシルクロード交易が盛んになった。儒教が低調で道教と仏教が盛んだったが、第15代皇帝・武宗の廃仏(845年)によって仏教は衰えた。遣唐使の往来などにより、仏教各派の教えや大陸の多様な文化が日本に伝えられた。
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安楽集
中国・唐の道綽の著作。2巻。観無量寿経を解釈して釈尊一代の教えを聖道門と浄土門に分け、末法の衆生の機根にかなった教えは浄土教であると主張した。
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大集月蔵経
大方等大集月蔵経のこと。大集経は60巻からなり、巻46~56のことを月蔵分といい、首尾かんぜんであるため、一経として扱われる。仏が比丘・菩薩・魔王・阿修羅などを教化し帰仏させられたことが説かれる。
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末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
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億億
数えきれないほどの数のこと。
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起行修道
仏法の修行を起こして仏道を修するの意。
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当今
最近・ちかごろ・現在。
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五濁悪世
五濁が盛んな世の中のこと。正像末の三時のなかで、末法の時をいう。末法では釈尊の仏法が隠没して仏法が濁乱し、煩悩濁・見濁を引き起こし、命濁を生む。そして命濁から起こる衆生濁が広がって、劫濁となる。これが悪世の様相である。「五濁」とは、劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。
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浄土の一門
阿弥陀仏の本願に頼って、西方極楽浄土に往生することを目指す教え。聖道門に対する語。中国・唐の道綽が『安楽集』で説いた。
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玄義(分)
善導大師の教学上の主著。諸師の『観経』解釈をただし、同経の真意を明らかにしようとしたものである。「玄義分」「序分義」「定善義」「散善義」の4帖(巻)からなっているので『四帖疏』ともいわれる。大師の著作は本書の他に、『法事讃』2巻、『観念法門』1巻、『往生礼讃』1巻、『般舟讃』1巻があり、古来本書と合せて「五部九巻」と総称されている。またこの『観経疏』を「本疏」とも「解義分」とも呼ぶのに対し、他の4部を「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわしている。 「玄義分」は、経の要義をあらかじめ述べたもので、はじめに「帰三宝偈」(「勧衆偈」「十四行偈」)と呼ばれる偈頌がおかれ、以下7門にわたって善導大師独自の『観経』に対する見方が示されている。
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序分義
観無量寿経疏巻2の序分義のことで7科を立てる。化前序・禁父縁・禁母縁・厭苦縁・欣浄縁・散善顕行縁・定善示観縁。
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定善義
観無量寿経疏巻3正宗分定善義のこと。16観の中、前13観。日観・水観・地観・宝樹観・宝池観・宝楼観・華座観・像観 ・真身観・観音観・勢至観・普観・雑想観。
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散善義
観無量寿経疏巻4正宗分散善義のこと。16観の中、後3観。世福・ 戒善・ 行善。
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観念法門
「報恩抄」(318㌻)にあるが典拠未詳。同抄では、中国浄土教の善導が自分の著作を経と詐称したものと糾弾されている。その理由を日寛上人は『報恩抄文段』で、善導が自分の著作を、阿弥陀仏から授けられた教えを記したものとしたからだとしている(文段集408㌻)。なお、善導は『観無量寿経疏』の末尾でも「この注釈書を書写しようとする者は、経を書写するのとまったく同様に書写せよ」(通解、318㌻でも引用)と述べている。
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往生礼讃
『勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃偈』の略。善導の著作。1巻。浄土宗の教義に基づき、無量寿経や竜樹(ナーガールジュナ)、世親(ヴァスバンドゥ)などの礼讃偈を毎日6度唱えて、阿弥陀仏を礼拝し、極楽往生を願う行儀作法が説かれている。
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般舟讃
中国,唐の浄土教僧善導の著。1巻。正しくは『依観経等明般舟三昧行道往生讃』という。『観無量寿経』などによって,浄土をたたえる文章を作り,般舟三昧による浄土往生の道を明らかにしたもの。
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法事讃
中国,唐の浄土教僧,善導の著。2巻。「浄土法事讃」ともいう。『阿弥陀経』と讃文とを交互に掲げて,懺悔供養などの法式を明らかにしたもの。
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一代五時を示された後、ここからは特に浄土教に焦点を当てられて、その教義のインド・中国における系譜と日本の法然浄土宗の破折すべき要点を覚書として示されていくところである。
まず「天竺 十四五六巻」とあるのは、「十住毘婆沙論」についての注記である。「竜樹菩薩造・羅什三蔵訳」とあるのも「十住毘婆沙論」が竜樹の著であり、羅什三蔵が漢訳したということである。
その十住毘婆沙論について「天竺 十四五六巻」とあるのはインドの梵本に、14巻・15巻・16巻と三種類あったことを記されているのであり、現在では15巻の十住毘婆沙論が主流である。
「難行道」「易行道」とあるのは、十住毘婆沙論巻五の易行品第九において、菩薩が不退転の初地の位に入るに際して、難行道と易行道の二つの道があることを説いており、これが後世、浄土教・浄土宗の教義のよりどころになっているからである。
難行道の下に「譬えば陸路を歩行せば苦なれども」と記されているのは、同論で難行道をたとえた文である。難行道は修行・実践が困難なもので、端的にいえば娑婆世界で長期間にわたって修行を積んで不退転に入る道である。たとえば、ちょうど、険難多い陸路を歩いていくようなものであるといっている。
これに対し「易行道」は、「水道を船に乗れば則ち楽なるが如し」で、水路を船で行く場合は、自分の足で歩く必要がなく、座っていれば船頭が目的地へ着けてくれるからである。
御真筆では「十仏・百三十余菩薩並に阿弥陀仏等」は「易行道」と線で結ばれている。これは、今の船の喩えでいえば、不退位の彼岸へ運んでくれる船頭として、これらの仏・菩薩がいるということを表している。
同論では易行道で不退転の位に入る方法として、信ずるという修行を挙げている。何を信ずるのかということを説く段になって、東方・善徳仏、南方・栴檀徳仏、西方・無量明仏、北方・相徳仏、東南方・無憂徳仏、西南方・宝施仏、西北方・華徳仏、東北方・三乗行仏、下方・明徳仏、上方・広衆徳仏、の十方の十仏の名を挙げ、さらに、菩薩についても善意菩薩から珠髺菩薩まで130余の名を挙げ、これらの諸仏・諸菩薩を心から尊敬し、一心に念じ、そしてこれらの諸仏・諸菩薩の名を称えれば、これらの仏菩薩が衆生を運んで不退位の岸につけてくれるというのである。
本来、仏道修行は、仏力・法力と、衆生の信力・法力が相応し功力・結果を生じる。竜樹はこの四方うちの仏力を教えるために“易行道”を説いたのであって、衆生の信力・行力を抜きにして他力本願的に易行が成就したのではない。曇鸞ら浄土教の祖師たちは、そうした竜樹の真偽を歪めて、他力本願の自分たちの教えの源が竜樹にあるかのように粉飾したのである。
ともあれ、次いで「曇鸞法師」「道綽禅師」「善導」と続く、中国・浄土教の形成過程を図示されている。まず「曇鸞法師」については、横に「斉世」と記され、下には「本三論宗の人なり浄土論註二巻を作る」と記されている。「斉世」とは曇鸞法師が中国・斉の時代の人ということであるが、曇鸞が生きた時代は不確定ながら現在0476~0542年とされており、この期間の中国は南北朝時代である。これは華北では北魏にあたり、江南では斉から梁へと移っていく時期である。したがって、本文の「斉世」は江南の王朝名に従われたものといえるが、現在は曇鸞の出身地が華北の山西省であることから北魏の人とするのが一般的である。「本三論宗の人なり」と記されているのは、曇鸞が出家した後、当時最も盛んであった三論宗の流れを受けて、竜樹の中論、十二門論、大智度論、提婆の百論の四論を究めたとされるところからこのように記されたのである。
曇鸞は、天親の浄土論を注釈して二巻の書物を著している。そのなかで彼は、十住毘婆沙論・易行道における難易二行道のうち易行道と世親の浄土論を結合させ、易行道とは、阿弥陀仏の本願力によって浄土へ往生することであるとし、ここに大乗菩薩道の極地があるとしている。この、曇鸞の説を元にして中国浄土教主釈尊へと発展していったことから、彼こそ浄土教の開祖とされるのである。
また「道綽禅師」の脇書に「唐世」と記されているように、中国の唐朝の人である。実際には随と唐にまたがるが、主たる活躍の時期が唐朝となるので「唐世」と記されたのであろう。
道綽は曇鸞死後20年ほど経って生まれており、両者には出会いはなかったが、曇鸞の碑文を見て浄土信仰に目覚めたことから、曇鸞が中国浄土教の初祖、道綽が二祖とされたのである。しかし、後世の浄土教発展に与えた影響力においては弟子の善導のほうが大きいので、「善導の師」と記されている。善導は道綽に26歳のころ直接、師事している。
さらに「安楽集二巻を作る」とあるように道綽は観無量寿経を注釈して安楽集二巻を著している。その内容が脇書にある「安楽集に云く『大集月蔵経に云く我が末法の時の中の億億の衆生起行修道すとも未だ一人も得る者有らじ当今末法は是れ五濁の悪世なり唯浄土の一門のみ有つて通入すべき路なり』と」という文である。安楽集では曇鸞の難行道・易行論の二道説をさらに進めて、釈尊一代の仏教を聖道門・浄土門の二門に分け、自力で難行道を実践する教えを聖道門、他力で阿弥陀仏の名号を称え往生する教えを浄土門としている。これに、大集月蔵教にいう仏滅後第四の500年(大集月蔵教では正法500年・像法1000年としている)の末法五濁悪世を根拠に、末法の今は浄土門の一つのみが往生の路であると強調し、聖道門を修行しても「未有一人得者」として排斥した。ただし、道綽が根拠にした大集月蔵経の一文は現存の大集月蔵分には存在しない。法然の孫弟子である念阿良忠も、この文が大集経月蔵分にないことを認めている。
次の「善導」についても、脇書に「唐世」とその時代が唐代であることを記され、下には「玄義一巻・序分義一巻・定善義一巻・散善義一巻・観念法門一巻・往生礼讃一巻・般舟讃一巻・法事讃上下已上九巻」と記されている。
これらは善導が著した書の題名であるが「玄義一巻・序分義一巻・定善義一巻・散善義一巻」はいずれも、観無量寿経疏四巻の各巻の名である。このことからも、善導が浄土三部経のうち、観無量寿経を重視していたことが分かる。
「玄義巻一」は観無量寿経疏の第一巻の玄義分のことで、観経の中心思想を明らかにしたもので、いわば総論といってよい。「序分義一巻」は同疏の第二巻にあたり、観経の序分を解説したもの「定善義一巻」とは同疏の第三巻で、観経に説く十六観のうち、前の十三観を定観と定めてその義を解釈したもの「散善義一巻」は同疏の第四巻で、観経十六観のうち、後の三観を散善と定め、その義を解釈したものである。
以上は観無量寿経の解説であるが、そのほかに「観念法門一巻・往生礼讃一巻・般舟讃一巻・法事讃上・下」の五巻がある。いずれも、阿弥陀仏を念ずる修行の在り方や行儀作法等を説いたもので、これら善導の著述は特に法然による日本浄土宗の成立に決定的な影響を与えることになる。
0615:03~0615:17 第四章 選択集の要所とその謗法を示すtop
| 03 │ 隠岐院の御宇建仁年中今に五十余年なり ・ 04 └法然 源空 -----― │法然は隠岐院の時代に出現した人である。その建仁年中から今に至るまでは五十余年である。 └法然・諱は源空である。 -----― 05 選択集 一巻 06 ┌未だ一人も得る者有らず千の中に一も無し 07 │浄土三部経を除くの外法華経等の一切・阿弥陀仏を除く一切の仏菩薩一切の神祇等 ・ 08 難行──聖道──雑行 09 ├天台法華宗等八宗を捨閉し閣抛す 10 易行──浄土──正行 11 └阿弥陀仏は十即十生百即百生 12 六百三十七部二千八百八十三巻 13 捨閉閣抛 -----― 選択本願念仏集・一巻からなる。 ┌道綽は安楽集で末法の衆生は聖道門を修行してもいまだ一人も成仏得道する者はいないとした。 │善導は往生礼讃偈・観無量寿経疏巻四で浄土三部経以外の経教による修行、五種の正行以外の修行では極楽浄土に往 │生できるものは、千人のなかに一人もいない、とした。 │釈尊の一代経典のなかで、浄土三部経を除いてこれ以外の法華経をはじめとする一切の経教を、また阿弥陀仏を除く │一切の仏菩薩や天神・地神などの神々を信ずることは難行道・聖道門・浄土門にあたり、成仏得道できないとした。 難行──聖道──雑行 ├天台法華宗など八宗を捨て、閉じ、閣き、抛つ、と説く。 易行──浄土──正行 └阿弥陀仏を信じて、その名号を称えた場合は、十人が十とも、百人が百人とも極楽往生できると説く。 六百三十七部二千八百八十三巻のうち 権を捨て、定散の門を閉じ、聖道門を閣き、諸雑行を抛て、と説く。 -----― 14 雙観経に云く「設い我仏を得んに十方の衆生至心に信楽し 我が国に生れんと欲し乃至十念して若し生ぜずんば 15 正覚を取らじ唯五逆と誹謗正法とを除く」と、 道綽の未有一人得者、善導の千中無一・法然の捨閉閣抛・此等は豈 16 謗法に非ずや、 -----― 雙観経には「たとえ私が仏を得ても、全宇宙のあらゆる衆生が真心から聞くところの法を信じ成仏を願って、我が浄土に生まれようと欲し、または、わずかに十回、私を憶念し、十回、私の名をとなえただけの人でも、我が国に生まれなければ、私は仏とはならない。ただし、五逆罪の者と正法を誹謗する者とを除く」と説かれている。 道綽が安楽集で「未だ一人も得る者有らず」とし、善導が往生礼讃偈で「千の中に一も無し」とし、法然が選択本願念仏集で「雑を捨て、定散の門を閉じ、聖道門を閣き、諸雑行を抛て」としているのは雙観経にある「謗法正法」に当たるではないか。 |
隠岐院
後鳥羽上皇のこと。1180年~1239年。第82代の天皇(在位、1183年~1198年)。建久3年(1198年)に上皇となり院政を敷く。承久3年(1221年)に承久の乱を起こしたが、敗れて隠岐国(島根県隠岐諸島)へ流刑に処されたので、隠岐法皇と呼ばれる。法皇は出家した上皇のことで、後鳥羽上皇は隠岐国に流される直前に出家している。流刑後はそのまま同地で没した。
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御宇
ひとりの天子の時代。
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建仁年中
1201~12014まで。土御門天皇の治世。
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法然
1133年~1212年。法然房源空のこと。平安末期から鎌倉初期の僧。日本浄土宗の開祖。天台宗の僧であったが、中国浄土教の善導の思想に傾倒し、他の一切の修行を排除し念仏口称をもっぱら行う専修念仏を創唱した。代表著作の『選択集(選択本願念仏集)』では、法華経をも含む一切の経典の教えを捨て閉じ閣き抛てと排除し、もっぱら念仏をとなえることによって往生を願うべきであると説いた。法然の専修念仏に対しては、当初、後白河法皇や摂政・関白を歴任した九条兼実ら有力者の支持を得たが、やがて諸宗派からの反発が強まる。朝廷・幕府も禁止の命令を出し、建永2年(1207年)、法然らが流罪され、高弟が死罪に処せられた。その後も繰り返し禁圧が続くが、念仏は広がっていった。弟子に親鸞がいる。
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源空
法然のこと。
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選択集
『選択本願念仏集』の略。法然(源空)の著作。1巻。九条兼実の依頼によって建久9年(1198年)に著されたといわれる。主として浄土三部経や善導の『観無量寿経疏』の文を引いて念仏の法門を述べている。内容は16章に分けられ、釈尊一代の仏教を聖道門と浄土門、難行道と易行道、雑行と正行とに分け、浄土三部経以外の法華経を含む一切の教えを排除し、阿弥陀仏の誓願にもとづく称名念仏(南無阿弥陀仏ととなえること)こそ、極楽世界に生まれるための最高の修行であると説いている。日蓮大聖人は「立正安国論」(17㌻)、「守護国家論」(36㌻)などでその誤りを破折されている。
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浄土三部経
浄土教で重んじられた無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経の三つ。法然(源空)が『選択集』でこの三つの経典を「弥陀の三部なり。故に浄土の三部経と名づくるなり」と述べたことにもとづく。
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法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
阿弥陀仏
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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難行
実践が困難な修行と易しい修行のこと。易行という語は、もとは竜樹(ナーガールジュナ)の『十住毘婆沙論』にあり、そこでは、菩薩の修行に関して、阿毘跋致(不退)に入るのは困難であるが、諸仏の名をとなえるといった易行があると説かれている。曇鸞はこれを『往生論註』で独自に解釈し、菩薩が不退を求める修行に難行・易行の2種があるとし、浄土教を易行道とした。さらにこれを法然(源空)は『選択集』で恣意的に解釈し、難行道を聖道門、易行道を浄土門とし、聖道門を排除した。
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聖道
自力で修行してこの娑婆世界で成仏を目指す教え。浄土門に対する語。中国・唐の道綽が『安楽集』で説いた。
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雑行
善導の『観無量寿経疏』に説かれる。正行とは、成仏・往生へと導く正しい修行のことで、善導は浄土経に基づく諸行であるとし、特に称名念仏を重視した。雑行とは、この正行以外のさまざまな修行をいう。
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天台法華宗
❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。 ❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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八宗
倶舎・成実・三論・法相・律・華厳の南都六宗に、平安時代の天台・真言の2宗を加えたもの。
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捨閉し閣抛す
「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」を意味する。日本浄土宗の開祖・法然(源空)が著した『選択集(選択本願念仏集)』の趣意。同書の中に「弥いよ須く雑を捨て専を修すべし」「随自の後には還て定散の門を閉づ」「且く聖道門を閣いて選んで浄土門に入れ」「且く諸の雑行を抛て選んで応に正行に帰すべし」などとあり、これらから捨・閉・閣・抛の4字を選び、法然の主張が浄土宗以外のすべての仏教を否定するものであることを示した語。具体的な内容は「立正安国論」(22~23㌻)で引用されている。
―――
易行
易行という語は、もとは竜樹(ナーガールジュナ)の『十住毘婆沙論』にあり、そこでは、菩薩の修行に関して、阿毘跋致(不退)に入るのは困難であるが、諸仏の名をとなえるといった易行があると説かれている。曇鸞はこれを『往生論註』で独自に解釈し、菩薩が不退を求める修行に難行・易行の2種があるとし、浄土教を易行道とした。さらにこれを法然(源空)は『選択集』で恣意的に解釈し、難行道を聖道門、易行道を浄土門とし、聖道門を排除した。
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浄土
仏の住む清浄な国土のこと。また、国を浄めるという意に使うこともある。煩悩でけがれている穢土(衆生の住む娑婆世界)に対し、仏の住む国土は五濁の垢に染まらず清らかなので浄土という。浄土については大別して2種の考え方がある。①浄土と現実の娑婆世界とはまったく異なった世界であるとする説。無量寿経などに説かれる。菩薩が修行を経て仏になる時に完成する国土で、阿弥陀経に説かれる阿弥陀仏の西方極楽浄土、阿閦仏の東方妙喜世界、釈迦仏の西方無勝世界、薬師如来の東方浄瑠璃世界などがある。こうした諸仏の浄土が、娑婆世界からみてあらゆる方角(十方)にあるので、十方浄土という。②維摩経に「其の心浄きに随って則ち仏土浄し」と説かれるように、心が清浄になれば住む世界も清浄となり、現実の娑婆世界が即浄土となる(娑婆即寂光)との説。法華経如来寿量品第16に説かれる霊山浄土、華厳経の蓮華蔵世界、大乗密厳経の密厳浄土などがこれにあたる。なお爾前経に説かれた種々の浄土観は、衆生の機根を法華経へ導くための方便説であり、釈尊は法華経本門において初めて久遠実成を明かし、本因・本果・本国土を説いて、娑婆世界こそ仏の常住する浄土であると明かした。
―――
正行
正しい行動、正しい修行。❶人として正しい行動。八正道(仏道修行者として実践・習得すべき八つの徳目)の一つにも数えられる。❷仏道修行において中核となるもの。助行に対する語。創価学会では、毎日の朝夕の勤行で唱題と法華経の読誦を行う。南無妙法蓮華経と唱える唱題が正行で、南無妙法蓮華経の意義を賛嘆するために法華経の要諦(方便品の長行と如来寿量品の自我偈)を読誦するのは助行である。 ❸中国浄土教の祖師・善導による修行の立て分けで、正しく行うべき修行としての称名念仏。善導は『観無量寿経疏』で、称名念仏だけを正しく行うべき修行とし、他のすべての修行を雑行と位置づけた。
―――
十即十生百即百生
善導の往生礼讃の文。阿弥陀仏を念じ、その名号を称えれば、10人が10人、100人が100人とも往生できるとしている。これは邪義である。
―――
雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
―――
十方の衆生
全世界・全宇宙の衆生。
―――
十方
東西南北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維と、上下の二方を合わせたもの。空間的に全宇宙を表している。
―――
衆生
サンスクリットのサットヴァの訳。衆とも有情とも訳す。薩埵と音写する。広義には一切の有情(感情・意識をもつもの)をいう。狭義には、無明や煩悩をもって迷いの世界に住む人をさす。
―――
至心
まごころのこもった心。
―――
信楽
聞くところの法を信じ成仏を願うこと。
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乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
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十念
①増一阿含経に説かれる十種の念、念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天・念休息・念安般・念身・念死。②光讃般若経に説かれる十念。③無量寿経・観無量寿経等浄土宗所立の十念。(諸説あり)④その他の経にも種々の十念あり。
―――
正覚
正しい覚り。妄惑を断滅した如来の真正の覚智。成仏。
―――
唯五逆と誹謗正法とを除く
弥陀本願の48誓願の第18の願のなかに、浄土に迎えられない衆生を示している文。五逆は。①父を殺す(殺父)②母を殺す(殺母)③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢)④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血)⑤教団を分裂させる(破和合僧)の五つ。正法は法華経のこと。
―――
正法
❶真理を正しくあらわした法のこと。邪法に対する語。白法、浄法、妙法ともいう❷釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする
―――
謗法
誹謗正法の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。
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ここは日本の浄土宗の開祖・法然の立てた教義の要点を記し、法華経誹謗に当たることを示されている。まず「法然」の名の脇書に「隠岐院の御宇建仁年中今に五十余年なり」とあり、下には「源空」と記されている。「法然」は正式には「法然房源空」といい、「源空」は諱に当たる。
「隠岐院の御宇建仁年中今に五十余年なり」とあるのは法然は「隠岐院」すなわち後鳥羽天皇の治世の建仁年中の人であり、その教えが広まって、すでに50余年になるという意味である。
ただし、これについては何点か補足説明が必要である。第一点は「後鳥羽天皇の治世を厳密にいえば、その在位は寿永2年(1183)~建久9年(1198)年までで、建仁の年号は1201~1204であるから、ここにずれがあることである。これは後鳥羽天皇は建久9年(1198)に子の土御門に譲位した後も実権を握り「院政」をしいたので、実質的には譲位後も、承久の乱(1221)に至るまでは「後鳥羽の御宇」といえるし、大聖人はその考え方からこのように書かれたと推察することで説明がつく。
第二点は、法然がその教義をまとめた選択集を著したのは建久9年(1298)であるから、「建久年中」の誤りではないかという疑問である。しかしながら、大聖人は、本抄だけでなく幕府の諌暁書として執筆された立正安国論に「法然は後鳥羽院の御宇・建仁年中の者なり」(0025-16)安国論御勘由来に「後鳥羽院の御宇・建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り」(0034-15)とあり、両書は御真筆も残っており、また綿密に検討され認められた書であるから、書き誤りとは考えられない。明確な意識をもって「隠岐院の御宇建仁年」と書かれたと拝するべきであろう。このほか、当世念仏者無間地獄抄「後鳥羽院の治天下・建仁年中に日本国に一の彗星出でたり名けて源空法然と曰う」(0104-04)、開目抄「建仁年中に法然・大日の二人・出来して念仏宗・禅宗を興行す」(0236-05)、浄土九品の事「源空・後鳥羽院御宇・建仁年中」(0698)などの文もある。
そのうえで、なぜ「建仁年中」とされたかを考えて見ると、法然の生涯において建仁年中には特筆されるような事件はないが、後鳥羽院の立場に一つの変化が起きていたことが分かる。それは、祖父・後鳥羽院時以来・朝廷の政治上の実権を握っていた源通親が建仁年中に亡くなり、後鳥羽院が独裁的権限を振るえるようになった事実である。他方、源通親のライバルであった九条兼実は法然の信者となっていたが、同じ建仁2年に出家している。
法然は弟子の不祥事から承元元年(1270)に土佐流罪に処されているので、この建仁年間の政変で、法然の立場が有利になったとは考えられないが、後鳥羽院が立場を強化し、鎌倉幕府に対して権力奪還をはかるようになっていることは確かであるし、法然の念仏宗が広まる契機になったことも十分考えられる。少なくとも大聖人は、そうした節目として「建仁年中」をとらえられていたと拝される。
「次いで「選択集 一巻」と記されている。「選択集」とは、正式には選択本願念仏集であり、日本浄土宗の立宗の書とされる。内容は16章となるが、その要点は脇書に図示されているように、釈尊の一代仏教を「難行・聖道・雑行」と「易行・浄土・正行」とに立て分け、後者を選択すべきことを述べたところにある。
難行と易行、聖道と浄土、雑行と正行という対比はそれぞれ曇鸞・道綽・善導によって立てられたものを継承したものである。
「難行──聖道──雑行」の文字には「未だ一人も得る者有らず千の中に一も無し」と「浄土三部経を除くの外法華経等の一切・阿弥陀仏を除く一切の仏菩薩一切の神祇等」の脇書がある。
「未だ一人も得る者有らず」についてはすでに「道綽禅師」の項で記された安楽集の一文の中で解説したとおりであるが、次の「千の中に一も無し」は善導の往生礼讃にあるもので、浄土三部経以外の諸経による雑行では、千人中一人も極楽浄土に往生できない、と述べたものである。
次の行の「浄土三部経を除くの外法華経等の一切」とあるのは、前の道綽と善導の文をよりどころに法然が、一代の経典の中で浄土三部経を除いてこれ以外の法華経をはじめとする一切の経教、また「阿弥陀仏を除く一切の仏菩薩神祇等」とあるのは、諸仏菩薩の中では阿弥陀仏を除く一切の仏菩薩や天神、地神などの神々を信ずることをすべて難行道・聖道門・雑行として排除したことを示されている。
また「難行──聖道──雑行」の下脇にある「天台法華宗等八宗を捨閉し閣抛す」は、宗派でいえば天台法華宗・真言宗のほかに俱舎宗・成美宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗を加えた既成の八宗を、ことごとく捨て閉じ閣き抛てというのが選択集の主張であると記されているのである。
次いで、「易行──浄土──正行」とあり、脇書に「阿弥陀仏は十即十生百即百生」「六百三十七部二千八百八十三巻」「捨閉閣抛」などが記されている。
撰択集が選択しようとした「易行──浄土──正行」の内容は前述のように、阿弥陀仏ですがることであり、これによって、十人が十人とも、百人が百人とも極楽浄土に往生できるとするものである。
次に「六百三十七部二千八百八十三巻」「捨閉閣抛」は別々でなく、つながっており、大乗経典である六百三十七部二千八百八十三巻を法然は捨閉閣抛したということである。なお「捨閉閣抛」は曇鸞・道綽・善導の著作にはなく、法然が選択本願念仏集で初めて用いた言葉である。
このように法然が「天台法華宗」も「法華宗」そのものを捨てるべき雑多な教えに含めてしまったことは、文字どおり誹謗正法であり、仏説には最高の重罪と定められているものである。すなわち法然の浄土宗がいかに仏説に背く邪義であるかの経文によって明らかに示されていくのである。
まず、浄土教の依教である浄土三部経の一つ、無量寿経の一節を挙げられている。これは阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩の時に自らの成仏を目指すにあたって立てた48の誓願のうち第18願で、阿弥陀仏の名を称えれば極楽浄土に往生できるとする彼らの主張の根本的なよりどころとなっている文である。
すなわち「たとえ私が仏を得ても、十方の衆生が真心から一心に願って私の浄土に生まれようと浴し、わずかに十回私を念じ、十回私の名を称えた人でも、私の浄土に生ずることができなければ、私は仏とはならない」とあり、これが念仏宗の典拠となっているのである。しかし、そこに「ただし、五逆罪の者と正法を誹謗する者とを除く」とあるのである。法蔵比丘はこのような誓願を立てて修行した結果、仏果を成就して阿弥陀仏として西方に極楽浄土を建立したのであるから、48誓願がことごとく満足したことになり、したがってこの18願も満足したことになる、ということは十方の衆生が、わずか十回でも、浄土に生まれようと欲して仏の名をとなえるだけでも、阿弥陀仏の浄土に往生することができるということであり、浄土教はこれを根拠として立てられたのである。
ところが、法然らの教義は、その根拠としているところと決定的に矛盾している。浄土に往生できない者として、五逆罪の者と正法を誹謗する者を除く、という「ただし書き」に抵触しているのである。
五逆罪の者はともかく、浄土宗の祖師たちはことごとく正法たる法華経を誹謗するという自己矛盾に陥っているからである。
そのことを次に「道綽の未有一人得者、善導の千中無一・法然の捨閉閣抛・此等は豈謗法に非ずや」と指摘されている。いずれも、浄土三部経と阿弥陀仏以外の諸経や諸仏を成仏得道できない教えと決め付けているのであるが、「浄土三部経以外の一切法」に法華経が含まれることは明らかであるから、「誹謗正法」に当たるではないか、という御指摘である。
これについては浄土宗の人々は「正法」とは阿弥陀仏の教えであり、浄土三部経であると反論するであろうが、もしそうとすれば、この第18願自体が矛盾した内容をもつことになる。阿弥陀を信じてその名号を称える人が同時に阿弥陀の教えや浄土三部経を誹謗することはありえないからである。ただし書きの「誹謗正法」の正法は、浄土三部経や阿弥陀の教えとは別にあると考えなければ、この請願は筋の通らないものとなってしまうであろう。ただ本抄はあくまでも、門下のための覚書、メモという体裁をとっているので、詳しい内容は記されておらず、ポイントになる経文や注記などを必要最小限に書き記したものと考えられる。
0615:17~0616:08 第五章 謗法と一闡提の罪報を明かすtop
| 16 法華経第二譬喩品に云く「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん或は 17 復顰蹙して 而も疑惑を懐かん汝当に此の人の罪報を説くを聴くべし 若しは仏の在世若しは滅度の後に其れ斯の如 0616 01 き経典を誹謗すること有らん 経を読誦し書持すること有らん者を見て 軽賎憎嫉して而も結恨を懐かん此の人の罪 02 報汝今復聴け其の人命終して阿鼻獄に入らん 一劫を具足して劫尽きなば更生れん 是くの如く展転して無数劫に至 03 らん地獄従り出ては当に畜生に堕つべし」 涅槃経第十に云く「問う一闡提とは其の義云何、 仏云く純陀若し比丘 04 及び比丘尼優婆塞優婆夷有つて麤悪の言を発し 正法を誹謗し是の重業を造りて永く改悔せず 心に慚愧無からん是 05 くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、 若し四重を犯して五逆罪を作り 自ら定めて是くの如き重事 06 を犯すと知つて 而も心に初より怖畏慚愧無く肯て発露せず彼の正法に於て永く護惜建立の心無く 毀呰軽賎して言 07 過咎多からん、 是くの如き等の人も亦一闡提の道に趣向すと名く、 若し復説いて仏法衆無しと云わん是くの如き 08 等の人も亦一闡提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし」と -----― 法華経巻二の譬喩品第三に「もし人が法華経を信じないで、この経をやぶり謗るならば、すなわちその人は一切の世間である六道の迷界を脱出して成仏するための根本原因である仏種を自ら断ち切ってしまうことになる」と。 譬喩品第三には続けて、つぎのように説かれている。「あるいはまた、顔をしかめ眉をひそめて法華経をそしり非難して、しかも疑惑を懐くであろう。あなたは、まさにこの人の罪報を説くのを聴きなさい」と。 譬喩品第三にはさらに、次のように説かれている。「もしくは、仏の在世に、もしくは仏の入滅の後の世にあって、このような経典を誹謗することがあるであろう。また法華経を読んだり暗誦したり、書持したり、護持したるする者を見て、その人を軽んじたり、賎めたり、憎んだり嫉んだりして、しかも恨みを懐くであろう。この人の罪報をあなたは今また、聴きなさい。その人は寿命を終えた後、阿鼻地獄で一劫という非常に長い年数にわたって苦しみ続け、その年数が尽きたならば、また阿鼻地獄に生まれるであろう。このようにして、地獄の中を巡っていき、その年数は、数え切れないほどの年数に至るであろう。そして地獄から出ることができたといても、まさに畜生道に堕ちるであろう」と。 涅槃経第十には、次のように説かれている。「問う。一闡提とはどのような意味なのか。仏が説いて言う。純陀よ、もし比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆があって、そのなかに粗末な悪い言葉を発して正法を誹謗しようとする重い罪業をつくりながらも永い期間にわたって悔い改めることなく心に恥じることのない人がいるとしよう。このような人を名づけて一闡提に至る道へ向かう人となすのである」と。 また「もし、殺生・偸盗・邪淫・妄語の四重禁戒を犯して、父を殺し・母を殺し・阿羅漢を殺し・仏身より血を出し・和合僧を破るという五逆罪をつくりながらも、恥じることなく、承知していながら犯した罪の告発をするわけでもない。彼の正法において正法を惜しみ護り興隆させようという心がなく、逆に、欠点をそしり軽んじ賎しめて、言葉にあやまちが多いであろう。このようなひともまた、一闡提に至る道へ向かう人と名づけるのである」と。 さらに「もしまた説いて、仏法衆すなわち、仏と法と法を修学し伝持していく人々は存在しないと断言する人がいるとしよう。このような人もまた、一闡提に至る道へ向かう人と名づけるのである」と。 そして、「ただ、このような一闡提に向かう人たちを除いて、その他の人たちに施すならば、一切が讃歎するであろう」と。 |
1譬喩品
妙法蓮華経譬喩品第3のこと。迹門・正宗分の中、法説周の領解・述成・授記段・譬説周の正説段の二つの部分からなる。まず方便品の諸法実相の妙理を領解して歓喜した舎利弗に仏は未来世成仏の記莂を与え、劫・国・名号を明かす。次いで、中根の四大声聞に対する説法に入るが、譬喩を主体とするので譬え説周と呼ばれる。そのなかで仏は三車家宅の譬を説いている。この譬えにおける火宅は三界を、また羊・鹿・牛の三車は三乗を、大白牛車は一仏乗の妙理をあらわしており、一仏乗こそ仏が衆生に与える真実の教えであることを述べている。終わりに、舎利弗の智慧でも法華経の妙理を悟ることはできず、ただ「信を以って入ることができる」と、信の重要性を述べ、逆に正法への不信・誹謗の罪の大きさを説いている。
―――
毀謗
誹謗と同意。破りそしること。
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顰蹙
顔をしかめて憎むこと。
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疑惑
疑い惑うこと。十四誹謗のひとつ。
―――
罪報
犯した罪による報いのこと。罪業を因として現在および未来に受ける苦果。
―――
仏の在世
釈尊がこの世に存在していること。釈尊が生きている間。
―――
滅度
①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。
―――
経典
仏の説法を結集編纂した転籍。経はスートラの漢訳で音写は修多羅。本来はたて糸の意であったが、転じて不変の教え、教えの綱要の意となった。古代中国では聖人・賢人ののべたものを「経」としたが、仏教が伝来してから、仏である釈尊も当然聖人とされ、その説を記したスートラは経と訳されたのである。また、経は諸仏の理にかない、衆生の機根に契うことから契経ともいう。
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誹謗
悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。
―――
読誦
読と誦のこと。「読」は経文を読むことで「誦」は暗誦すること。それぞれ五種の妙行のひとつで、ともに自行化他の自行にあたる。
―――
書持
経文を書写し受持すること。
―――
軽賎
他人を軽蔑し卑しむこと。
―――
憎嫉
憎み嫉むこと。善法や正法を弘通する人を憎み、嫉むこと。
―――
結恨
恨みを結ぶこと。結んで解けないようなうらみを生ずること。
―――
命終
寿命を終えること。死ぬこと。
―――
阿鼻獄
阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
―――
一劫
一つの劫のこと。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳す。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられる。劫の長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としている。
―――
具足
具はそなえる・そなわる・うつわ。足はたる・たりる。①十分に具えること、円満具足の義。②器具の総称、甲冑をさすこともある。仏教では仏前に供する灯明・焼香・立華を三具足という。
―――
展転
次々に移って続いていくこと。
―――
無数劫
数えきれないほどの長い時間。阿僧祇劫ともいう。
―――
地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
―――
畜生
飼い養われている生き物の意で、動物を総称した語。人間の行動としては、理性を失って倫理・道徳をわきまえず、本能的欲望のままに動いていく状態をいう。強い者を恐れ弱い者を侮り、因果の道理をわきまえず、目先のことにとらわれて行動する境涯。三悪道の一つ。
―――
涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
―――
一闡提
サンスクリットのイッチャンティカの音写。本来は欲求しつつある人の意で、真理を信じようとしない快楽主義者や現世主義者をさした。仏法では、覚りを求める心がなく、成仏する機縁をもたない衆生をいう。仏の正法を信ぜずかえって反発・誹謗し、その重罪を悔い改めない不信・謗法の者のことで、無間地獄に堕ちるとされる。
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比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
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比丘尼
ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。
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優婆塞
在家の男子をいう。
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優婆夷
在家の女子をいう。
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麤悪の言
麤は荒い・事実の正しい認識にもとづいていない、との意。悪は憎悪・悪感情。合わせて偏見・邪見による悪口・雑言。
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正法
❶真理を正しくあらわした法のこと。邪法に対する語。白法、浄法、妙法ともいう❷釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする。
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誹謗
悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。
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改悔
悔い改めること。改心悔解の意。
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慚愧
慚も愧も恥じるの意で、反省して罪を恥じること。
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一闡提の道に趣向す
一闡堤に至る道に趣き向かうこと。
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趣向
趣き向かうこと。
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四重
四波羅夷戒とも。教団追放となる四重罪(殺生・偸盗・邪婬・妄語)を犯さないよう禁止し戒めること。
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五逆罪
5種の最も重い罪で、必ず無間地獄の苦の果報を受ける原因となる行為。①父を殺す(殺父)②母を殺す(殺母)③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢)④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血)⑤教団を分裂させる(破和合僧)の五つ。
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重事を犯す
重大な悪事を犯すこと。
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怖畏
おののき、恐れること。
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肯て発露せず
発露することを、承知しないこと。分かっていながら発露しないこと。
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発露
犯した悪事を告発すること。
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護惜建立の心
正法を惜しみ護り、興隆させようとする心のこと。
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毀呰
そしりとがめること。
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軽賎
軽んじ、賤しむこと。
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言過咎多からん
言葉に過ちや咎が多いであろうとの意。
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過咎
過ち・間違い・とが。
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仏法衆
仏と法と衆。仏と法と仏法を伝持する人々。
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讃歎
ほめたたえる意をあらわした言葉。
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先に浄土宗は、法華経の正法を誹謗しているため、その教義のよりどころである法蔵比丘の第18願のただし書きに抵触し、極楽浄土へ往生できないことを明らかにされたが、ここでは謗法の罪報が一闡提人と同じであり、浄土宗の信仰は阿鼻地獄に堕ちる業因であることを示されているのである。
初めに、法華経巻二の譬喩品第三の一節が引用されている。この一節の一部は第二章「第五・法華涅槃時を図示す」でも挙げられたが、ここではさらに詳しく引用されている。引用されている観点は法華経を誹謗する罪報の重さを示されているところにある。
まず、人が法華経を信じないで謗るならば、その人は「一切世間の仏種を断ずる」、すなわち、一切世間である六道の迷界に住する人々にとって成仏するための根本原因を自分から断ち切ってしまうことになる。との文がある。
続けて、より具体的に、誹謗の在り方とその罪報とが説かれている。初めに、法華経に対して顔をしかめ眉をひそめたりして法華経を謗り、疑惑を懐いたり、さらには続いて、仏の在世や滅度後の世にあって、法華経を誹謗したり、あるいはまた、法華経を読んだり暗誦したり書写したり、保持したりしている者を見て、軽んじたり、賎しんだり、憎しみ嫉妬、恨みを懐く者があると、それら正法誹謗の罪報として、命が終わった後、阿鼻地獄に入るであろうし、その阿鼻地獄で一劫という非常に長い年数にわたって住み続け、その年数が尽きても、またそこに生まれ、そのように数えきれないほどの年数、地獄の中を巡るのであり、たとえ、地獄から出てきても、また、畜生道に堕ちる、ということが説かれている。
要するに、仏の在世・滅後を問わず、法華経そのものと法華経を行ずる者に対して誹謗する者は阿鼻地獄に堕ちる、という罪報を受けるということである。
次いで涅槃経第十巻の一節を引用されている。ここでは、誹謗正法の者は一闡提であることが示されている。同経の中で、純陀が仏に聞くという形で、一闡提とは何かについて論じている。
ここでは、一闡提の人について三種挙げている。一つは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷のなかで、粗末で悪い言葉を発して正法を誹謗するという重い罪業を造りながらも、永い期間にわたって悔い改めることなく心に恥じることなき人、第二に四重禁戒に背き五逆罪を作りながらも、心に怖れとか恥じることがなく、したがって罪の告白をするわけでもなく、正法を護り立てるという心もなく、逆に、欠点をそしり軽んじ賤しめて、多くの非難の言葉を浴びせる人、第三に仏法衆、すなわち、仏と法と信徒集団は存在しないと断ずる人、の三つである。
同文では、これら三種の一闡提に向かう人たちを除いて、その他の人たちの施しについては一切を讃歎すると説き進めているところであるが、一闡提についての意義が明確に説かれており、かつ、謗法の人と、ほぼ同義であることからここに引用されたものと考えられる。
いずれにせよ、法華経の教えに従って浄土宗を信仰する人は、その教義自体からいって、西方極楽浄土に往生することはできず、むしろ、法華経に釈迦仏が説いているように、無間地獄に堕ちなければならないことが明らかであるという、浄土破折の要点を示されているのである。
0616:09~0617:05 第六章 謗法と五逆罪等の軽重を示すtop
| 09 ┌一殺生─┬一 殺生 下殺は螻蟻蚊蝱 10 │二偸盗 ├二 偸盗 中殺は凡夫人及び前三果の聖人 11 上品は地獄に堕つ│三邪婬 └三 邪婬 上殺は阿羅漢・辟支仏・菩薩・父母等十悪 12 中品は餓鬼に堕つ│四妄語 13 下品は畜生に堕つ│五綺語 ┌八貪 ・ 14 十 悪 ┤六悪言 ├九瞋 15 │七両舌 ├十癡 16 └────┘ -----― ┌一殺生─┬一 殺生 下殺は螻蟻蚊蝱 │二偸盗 ├二 偸盗 中殺は凡夫人及び前三果の聖人 上品は地獄に堕つ│三邪婬 └三 邪婬 上殺は阿羅漢・辟支仏・菩薩・父母等十悪 中品は餓鬼に堕つ│四妄語 下品は畜生に堕つ│五綺語 十 悪 ┤六悪言 │七両舌 │八 貧 │九 瞋 └十 癡 -----― 16 ┌一 殺 父┬ 養父母 17 ┌殺生 ├二 殺 母┘ 18 ├偸盗 五 逆┼三 殺阿羅漢 凡夫上人 ・ 01 四 重┼邪婬 ├四 出仏身血 木画像等 0617 02 └邪婬 └五 破和合僧 03 └───四人已上凡夫僧 -----― ┌殺生 ├偸盗 四 重┼邪婬 └邪婬 ┌一 殺 父┬ 養父母 ├二 殺 母┘ 五 逆┼三殺阿羅漢 凡夫上人 ├四 出仏身血 木画像等 └五 破和合僧 └───四人已上凡夫僧 -----― 04 此等は皆一業引一生なり故に一度悪道に堕すれば還つて二度悪道に堕せず、 謗法は一業引多生なれば一度三宝 05 を破すれば度度悪道に堕する是なり、 -----― これらの十悪業・四重禁戒・五逆罪は、皆、それぞれの一業が一生を引くのである。故に、一度、悪道に堕すれば、続けて二度も悪道に堕することはない。 これに対して、正法誹謗は、一生が多生を引くのである。それ故、一度、仏法僧の三宝を破壊すれば繰り返し悪道に堕するというのはこのことである。 |
十悪
身の3種、口の4種、意の3種、合計10種の悪業をいう。十不善業ともいう。①殺生②偸盗③邪婬④妄語(うそをつく)⑤綺語(お世辞をいう)⑥悪口⑦両舌(二枚舌を使う)⑧貪欲⑨瞋恚(怒り)⑩愚癡(癡か)または邪見。
―――
上品は地獄に堕つ
十悪業のなかで等級が最も悪く、悔いる心が全くないものを上品といい、このようなものは地獄に堕ちる、との意。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
―――
中品は餓鬼に堕つ
十悪業のうち等級が中程度で、ある程度悔いる心のあるものを中品といい、このようなものは餓鬼に堕ちるとの意。
―――
餓鬼
餓鬼の世界。餓鬼が味わう苦悩の境涯。古代インドにおいて餓鬼はもともと「死者」を意味し、常に飢えて食物を欲している死者の世界をさした。「観心本尊抄」には「貪るは餓鬼」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる餓鬼界は、貪るすがたにうかがえると示されている。これに基づいて生命論では、とどまるところを知らぬ激しい欲望にとらわれ、それが満たされず心身ともに苦悩する生命状態を餓鬼界とする。
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下品は畜生に堕つ
十悪業のなかで最も浅い、悔いる心のあるものを下品といい、このようなものは畜生に堕ちるとの意。
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畜生
飼い養われている生き物の意で、動物を総称した語。人間の行動としては、理性を失って倫理・道徳をわきまえず、本能的欲望のままに動いていく状態をいう。強い者を恐れ弱い者を侮り、因果の道理をわきまえず、目先のことにとらわれて行動する境涯。
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殺生
生きものを殺すこと。十悪の第一。四重禁の一つ。仏法では最も重い罪業の一つとし、五戒・八戒・十戒等の一つに不殺生戒を挙げている。
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下殺
生き物を殺すこと。有情の生命を奪うこと。十悪のひとつ。最も重い罪業の一つで、五戒・八戒・十戒等に不殺生戒があげられる。
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螻蟻蚊蝱
取るに足りない小さなもののことでケラ・アリ・カ・アブ。
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中殺
凡夫ならびに小乗の四果の中の前三果を得た賢人・聖人を殺すこと。三種の殺生の一つ。
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凡夫人及び前三果の聖人
凡夫人は凡夫のこと。凡夫は仏法の道理を末だ理解せずに迷っている六道の衆生。前三果の聖人とは、小乗の声聞の四果のうち、斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果の三果を得た賢人・聖人のこと。
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上殺
涅槃経巻16に説かれる下殺・中殺・上殺の三種の殺生の一つで、父母・阿羅漢・辟支仏・不退の菩薩等を殺すこと。阿鼻地獄に堕して上苦を受けるとされる。
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阿羅漢
サンスクリットのアルハトの主格アルハンの音写で、羅漢と略す。応供と訳し、「尊敬・供養に値する人」を意味する。仏の別名の一つ。後に声聞の修行の階位の第4とされ、その最高の覚りの境地をさすようになった。
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辟支仏
縁覚のこと。サンスクリットのプラティエーカブッダの訳。辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗という。
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菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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偸盗
人の物を盗むこと。十悪の一つ。四重禁の一つ。
―――
邪婬
不正な男女関係を結ぶこと。十悪の一つ。四重禁の一つ。
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妄語
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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綺語
真実に反して巧みに飾り立てた言葉。十悪のひとつ。
―――
悪言
悪口・悪語のこと。貧・瞋・癡等から発する言葉。他人をあしざまに悪く言うこと。十悪のなかの口業の四悪。
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両舌
二枚舌のこと。二人にそれぞれ違うことを言って、両者を争わせること。
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貧
貪欲・むさぼること。三毒の一つ。
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瞋
瞋恚のこと。三毒の一つ。
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癡
愚癡のこと。事理に通達解了する智がないことをいい、無明と同義。理非に迷うこと。おろかなさま。三毒の一つ。
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四重
四重禁戒のこと。四波羅夷戒とも。教団追放となる四重罪(殺生・偸盗・邪婬・妄語)を犯さないよう禁止し戒めること。
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五逆
5種の最も重い罪で、必ず無間地獄の苦の果報を受ける原因となる行為。①父を殺す(殺父)②母を殺す(殺母)③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢)④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血)⑤教団を分裂させる(破和合僧)の五つ。
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殺父
父親を殺害すること。五逆罪のひとつ。
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養父母(殺)
実父・母に対して養父母のこと。これらを殺害することも実父母を殺す同罪の五逆罪となる。
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殺母
母親を殺害すること。五逆罪のひとつ。
―――
殺阿羅漢
阿羅漢は四果の声聞のうちの阿羅漢果を得た者。これを殺害するものは五逆罪にあたる。
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凡夫上人
凡夫の中で優れた徳のある人。凡夫は仏法の道理を末だ理解していない人。上人は①上徳のある人。②法橋上人位の僧尼。
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木画像
木像と絵像の仏。仏身と同じとして扱われる。
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出仏身血
悪心を起こし、仏の身体を傷つけて血を出すこと。五逆罪の一つ。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされる。
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破和合僧
「和合僧を破す」と読み下す。和合僧(仏道修行に励み仏法を流布する人々の集まり)を分裂・破壊する大罪。五逆罪の一つ。
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四人已上凡夫僧
四人以上の凡夫僧のこと。凡夫僧は凡夫の姿をした徳の優れた僧。
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一業引一生
十悪・五逆・四重禁戒を犯したものでも、ひとつの生の間をかけてその罪をつぐなうことができるということ。
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悪道
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。
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一業引多生
最も重罪である正法誹謗の者は、一生の間ではその罪業を償うことができず、多くの生を経てようやくその罪障を消滅することができるということ。
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三宝
「さんぼう」ともいう。仏教を構成する仏法僧の三つの要素のこと。この三宝を大切に敬うことが、仏教を信仰する者の基本となる。①仏宝は、教えを説く仏。②法宝は、仏が説く教え。③僧宝は、教えを信じ実践する人々の集い(教団)。「僧」は僧伽の略で、集いを意味するサンスクリットのサンガの音写。「和合」と意訳され、二つ合わせて「和合僧」ともいう。
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ここでは、謗法の罪が五逆罪に比較して、はるかに重いことが明かされている。まず、「十悪」と「四重」と「五逆」という悪業のそれぞれを図示されている。
「十悪」の脇書に「上品は地獄に堕つ」「中品は餓鬼に堕つ」「下品は畜生に堕つ」とあり、「一・殺生」「二・偸盗」「三・邪淫」「四・妄語」「五・綺語」「六・両舌」「七・悪口」「八・貪」「九・瞋」「十・癡」と十悪の一つ一つを列記されている。
ついでに触れておくと、「四重」が「十悪」の中で特に重い「一・殺生」「二・偸盗」「三・邪淫」「四・妄語」の四悪を指しており、これを戒めたものを四重禁戒とも四波羅夷戒ともいう。波羅夷とは梵語パーラージカの音訳で、その意味は極悪・重罪・断頭などとなる。比丘がこれを犯すと、教団から追放され、再び比丘になることはできないとされてきた。
さて、「上品は地獄に堕つ」「中品は餓鬼に堕つ」「下品は畜生に堕つ」との御文であるが、これは同じ十悪を犯すなかで、悪業の等級の最も強いのが「上品」で、その報いにより地獄界に堕ちる。中ほどの強さが「中品」で餓鬼界に堕ちる、浅い悪業が「下品」で畜生界に堕ちるとされてきた。
このうち「殺生」については、特に注記が施されており、殺生に上・中・下の段階があることが示されている。これは涅槃経巻十六等に依られたもので、まず「下殺は螻蟻蚊蝱」とあり、螻=ケラ・蟻=アリ・蚊=カ・蝱=アブなどをはじめとする一切の畜生を殺すことを「下殺」とし、「中殺は凡夫人及び前三果の聖人」とあるように、凡夫から声聞の四果のうち阿羅漢果を除く、須陀洹果、斯陀含果・阿那含果の聖人を殺すことを「中殺」とし、この下、中の殺生はいずれも地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる業因であり、その報いとして下、中の苦を受けるのである。
続いて「邪婬 上殺は阿羅漢・辟支仏・菩薩・父母等十悪」とある。父母をはじめ阿羅漢果や辟支仏、菩薩などを殺すことが「上殺」であり、阿鼻地獄に堕ちる業因となる。次いで「四重」が挙げられており、先に述べた通りである。
「五逆」については「一・殺父」「二・殺母」「三・殺阿羅漢」「四・出仏身血」「五・破和合僧」と、それぞれの名前が挙げられている。また「一・殺父」「二・殺母」の下に「養父母」との注記があり、五逆罪の中には実は父母を殺害するのみならず、養父母を殺害するも同罪とされているということである。父母は凡夫であるが、当人にとっては大恩ある存在である故に、これを殺すことはただの凡夫を殺す「中殺」とは異なって、はるかに重い罪となるからで、それは「生みの親」も「養父母」も同じであるということである。
他方「三・殺阿羅漢」の下に「凡夫上人」とあるのは、阿羅漢を殺す罪が重いのは、修行を積み、徳を修めた尊い存在である故で、これは凡夫であっても徳の高い人は等しく尊ばれるべき存在だからである。また「四・出仏身血」の下に「木画像等」とあるのは、木画の仏像も「生身の仏」と等しい尊敬・礼拝の対象である故である。
また「四人已上凡夫僧」というのも、もともと和合僧を何人以上にするかについては諸説があったようであるが、大聖人は「四人以上」という説を採用されたということであろう。
以上が「十悪」「四重」「五逆」についての図示の説明であるが、ここでの目的は、これらの重罪に比べても謗法罪のほうがはるかに重い罪であることが示されている点にある。
それを述べられているのが「此等は皆一業引一生なり故に一度悪道に堕すれば還つて二度悪道に堕せず、 謗法は一業引多生なれば一度三宝を破すれば度度悪道に堕する是なり」という御文である。
すなわち、五逆罪の場合は一つの業を犯すとその罪報として、次の一生で三悪道に堕ちるという業果を得たとしても、その一生の間だけつぐなえば、それで終わってもう二度と悪道に堕ちることはないとされている。
といっても、悪道の「一生」はそれぞれに長さが異なり、五逆罪のいずれかによって無間地獄に堕ちた場合、この無間地獄における「一生」は一中劫とされる。一中劫は成住壊空の四大劫のなかで一つの期間で、人寿が八万歳から十歳まで、百年ごとに一歳ずつ増減することを二十回繰り返す間をいう、概算すると320,000,000年になり、これが無間地獄の一生とされている。
これに対し、正法の仏・法・僧の三法を破戒するといった謗法の場合は三悪道に堕ちると、「多生」、すなわち何度も何度も三悪道の生を経過してその罪を消さねばならないというのである。無間地獄に堕ちるにしても、謗法による場合は「一生」ではなく「展転して無数劫」となるのである。
このことから佐渡御書にも「彼軽毀の衆は始は謗ぜしかども後には信伏随従せりき罪多分は滅して少分有しが父母千人殺したる程の大苦をうく当世の諸人は翻す心なし譬喩品の如く無数劫をや経んずらん三五の塵点をやおくらんずらん」(0960-14)と仰せられている。
0617:05~0618:16 第七章 法然の弟子檀那も謗法なるを明かすtop
| 05 伝教大師の守護章に云く 「不正義の一切学人は信受すべからず所以は何ん 06 其の師の堕つる所弟子も亦堕ち檀那も亦堕つ金口の明説何ぞ慎まざるべけんや慎まざるべけんや」と。 -----― 伝教大師の守護国界章巻中上に「正義でないものを、仏道を修学すべきすべての人は信受してはならない。なぜなら、師匠が堕ちるところへ、弟子もまた堕ち、檀那もまた堕ちるからである。仏の所説である法華経の明確な教説については、どうして慎重に間違いないようにしないでいられようか」と説かれている。 -----― 07 ┌第一弟子 長楽寺多念 隆 観 南無房一切鎌倉の人人 ・ 08 ├第 一 こさか 善慧房 当院洛中一切諸人 09 法 然┼第一聖光 筑紫九国一切諸人 10 ├一条覚明 今の道阿弥等 11 ├成 覚 一念 12 └法 本 一念 -----― ┌第一弟子 長楽寺多念 隆 観 その弟子南無房ならびに一切の鎌倉の人々。 ├第 一 こさか 善慧房 住生院および京都中の一切の諸人。 法 然┼第一聖光 筑紫九州の一切の諸人。 ├一条覚明 その弟子・今の道阿弥陀仏等。 ├成 覚 一念義を説く。 └法 本 一念義を説く。 -----― 13 已上弟子八十余人 14 乃至日本国の一切念仏者並に檀那等、又一切の天台・真言等の諸宗の人人 又法然が智分を出でず各各其の宗を 15 習えども 心は皆一同に念仏者なり、法華経を読めども真言を行ずれども 皆助業となし念仏を以て正業と為す謗法 16 の失脱るべからず。 -----― 以上、法然の弟子、八十余人をはじめとして、日本国のすべての念仏者、ならびに檀那たちも、またすべての天台宗・真言等の諸宗の弟子・檀那たちも、法然の智慧を超出できないでいる。 おのおのはそれぞれの宗派を習学していても、心はみな、一同に念仏者である。したがって、法華経を読んでいても、真言の行を修していても、念仏を称える行の助業となして、念仏をもって正業となしている。故に、結局、謗法のあやまちを免れることはできない。 |
伝教大師
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
―――
守護章
伝教大師最澄の著作。3巻。法相宗の得一が三乗差別の立場から天台大師智顗の宗義を批判したことを破折し、法華一乗平等の立場から天台宗の正義を明らかにした。
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不正義
仏法の正義にあらざること。仏法の正しい教義・主義・道理、法華経に反すること。
―――
学人
学生・学匠・学徒。仏道修行を修学するもの。師匠に対する弟子。
―――
信受
信じて受けたもつこと。
―――
師
師匠。①学問・技芸を教える人。②涅槃にいたる道を示し、教え導く人。
―――
弟子
師匠に従って教えを受け、師匠の意思を受け継いで実践し、それを伝える者。
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檀那
サンスクリットのダーナの音写で、「布施」の意。あるいはダーナパティの音写の略で、「施主」を意味する。在家の有力信者で仏教教団を経済的に支える人。
―――
金口
仏の口、またその所説のこと。
―――
明説
明確に説くこと。明らかな教説・説法。
―――
長楽寺
法然の弟子・隆観が住んでいたという。北条の一門である名越家の建立で現存しない。
―――
多念
多念義のこと。法然の弟子長楽寺隆寛を祖とする一派の教義。極楽浄土に往生するため,臨終に至るまで念仏を唱え続けることを説く。
―――
隆観
(1148~1227)浄土宗長楽寺流の祖、竜寛とも書く。藤原資隆の子で、はじめ天台宗慧心流を学んだが、法然の弟子となって洛東の長楽寺に住した。安貞元年(1227)比叡山の定照が「弾選択」を著したのに対し「顯選択」を著して応戦した。しかし、そのため法然の墓をあばかれる因となり、彼自身も対馬に流罪が決定した。80歳没。
―――
南無房
生没年不明。鎌倉時代の浄土宗の僧。鎌倉・長楽寺の開山。諱は智慶。関東の人、初め天台宗を学んでいたが京都の長楽寺隆寛の弟子となり、浄土宗に帰依した。後に鎌倉に帰り鎌倉長楽寺を創建した。
―――
善慧房
(1177~1247)。西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の西山三派の祖。法然の高弟であり、はじめ解脱房、のちに善恵房と号した。諡号は弥天、鑑知国師。
―――
洛中
京都の市中。平安京の左京を中国の古都洛陽に擬し、洛または洛中と称した。
―――
聖光
(1162~1238)平安時代後期から鎌倉時代にかけての浄土宗の僧。父は古川則茂。諱は弁長。
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筑紫九国
古代の日本区分で西街道11ヵ国のうち、壱岐・対馬を除く九州。筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、大隈、薩摩。
―――
一条
京都の地名の一条。
―――
覚明
1184~1266。法然上人の晩年の直弟で、九品寺流祖。法然の廃捨した諸行をも、本願の行として提唱した。著作に 『念仏本願義』がある。
―――
道阿弥
念仏宗の僧と思われるが詳細は不明。四信五品抄では、盲目になったと記されている。
―――
成覚
(11363~1247)成覚房幸西のこと。正確には生没年不詳。姓は物部氏。はじめは比叡山西塔南谷鐘下房におて天台の経疏を学んだが、弟子の死にあって無常を感じ、法然をたずねて弟子入りした。36歳の時という。その後、承元元年(1207)法然が土佐に流されたときには阿波に流された。嘉禄3年(1227)にも伊豆に流されたという。また一念義を主張したために、法然からも附仏法の外道と責められて擯出させられたともいう。一念義とは、一度、念仏を唱えれば、それで往生は決定してしまうのだから、多く唱える必要はないという説。それに対して、できるだけ多く唱えて弥陀に恩を報ずべきだというのが念仏で、法然自身、日に六万遍唱えたといっている。すでに法然の在世中から批判する弟子は跡をたたなかったのである。
―――
一念(義)
法然門下の幸西らの異端的主張。極楽に往生するには信心だけでよく、念仏を必要としないと説く。
―――
法本
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての浄土宗の僧。美濃(一説では美作)の人と伝えられる。字は行空。法然の高弟となった後、『一念往生義』を説き、専修念仏の普及に大きな役割を果たした。しかし、1205年(元久2年)、興福寺の僧徒から『興福寺奏状』をもって専修念仏停止の訴えがあった際、遵西とともに非難の的となり、興福寺側への配慮から法然により破門された。
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念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
―――
智分
智慧・智慧の働き。
―――
助業
仏道修行成就のために助けとなる修行。
―――
正業
仏道修行の最も中心をなすべき正しい修行のこと。
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失
あやまち、罪業、欠点、短所。
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さきに、中国浄土宗の開祖たちと、特に日本の浄土宗を開いた法然の謗法を明確に示されたが、ここでは師の法然のみならず、その流れに連なる弟子檀那、および天台宗・真言宗の諸宗の人たちも同じ謗法の罪に連なっていることを明らかにされている。
初めに、伝教大師の守護国界章巻中の一節を挙げられている。
ここでは、一切の学人は正義にかなっていない教義を信受してはならない。なぜならば不正義の教義を説く師が堕ちるところへ弟子も堕ち、檀那も堕ちているからである。仏の直々の説法である法華経の明説についてはくれぐれも慎重に間違いないようにしなければならないとい、ということである。
つまり、不正義を説く師が悪道に堕ちれば、その弟子檀那等も悪道に堕ちるのであるから、仏の説法の言葉には慎重であれ、との伝教大師の戒めである。
次いで、法然とその主たる弟子六人の名を図示されている。また、それに付して彼らの義を挙げ、それらがどの地域に影響を与えたかも記されている。
まず「第一弟子」として「隆寛」の名が挙げられている。隆寛は、京都・長楽寺に住し、常に念仏を称え行じることによって、臨終に正念をたもつことができるとした「多念義」を説いた。住していた寺名にちなんで「長楽寺義」ともいう。この図で、道隆に付して「多念」「長楽寺」と書かれているのはそれ故である。浄土宗は、法然の門下で、一度念ずるだけで往生できるか、平生の多念がなければ往生できないとするのかという、「多念一念」の論争が起きる。法然の弟子を六人が挙げられなか「成覚」「法本」に「一念」と付されているのが一念義である。隆寛は「多念」と記されているように、多念義であるが、一念義を否定しているわけではなく、一念多念の相即を説き、臨終の一念を正しくあらわすためには、平生の修行が必要であると主張している。
隆寛の下に書かれている「南無房」は隆寛の弟子である。諱は智慶といい、京都で隆寛の弟子となったが、鎌倉に帰って京都の長楽寺を模倣して新・長楽寺を建立し開山となっている。鎌倉での念仏の中心者ともいうべき存在であり、当時の鎌倉の諸人に影響を与えていた。そこで「一切の鎌倉の人人」と書かれているのである。
第二は「善慧房」である。諱を証空という。証空は初め京都・東山の小坂にいたが、法然死後、西山善峰寺の往生院に移り、そこを拠点として念仏を教え広めた。証空の義は諸行不生である。多念一念の論争の身でなく、念仏以外の諸行でも往生できるか否かについても、法然門下で論争の種になっていたが、証空は諸行単独では往生できないと主張し、諸行は本願の行ではない故に念仏がともなわなければ浄土に生じないとした。この義は証空の住した西山にちなんで西山流とも、それ以前にいた小坂にちなんで小坂義ともいわれる。「こさか」と記されているのはそれ故である。証空はこの西山義を京都において10年以上にわたって講じた。宮中でもたびたび講じており、「洛中一切諸人」と大聖人が記されているとおり、京都における影響は大きいものがあった。なお、「当院」とは、証空が住した往生院のことであろうと思われる。
次に「第一聖光」とある。聖光房弁長である。弁長は安心・起行・作業に22の規範を設けて、それらがことごとく口称念仏に帰するとして、さまざまな修行を説いた。念仏諸流のなかでは、かなり自力の趣のある主張である。弁長は主に九州で念仏義を広め、鎮西流、筑紫義などと呼ばれた。「筑紫九国一切諸人」と記されているとおりである。弁長のこの鎮西流が、後の浄土宗では主流となる。
次は「一条覚明」である。諱は長西は京都の一乗にあった阿弥陀堂等にいたことがあり、そこから「一条覚明」と言われているのであろう。長西の義は、先の証空の諸行不生に対して、諸行往生である。すなわち、念仏以外の諸経でも浄土往生がかなうとする説である。洛北の九品寺に住したので、その流派を九品寺流というが、先の「一条」とこの「九品寺」の関係はつまびらかではない。阿弥陀の48願のうち第18願を念仏往生のよりどころとするのは、各派で共通しているが、長西は「諸の徳本を植え」とある第20願を諸行往生の裏付けとした。なお、覚明の下に記されている「道阿弥等」は覚明の弟子の道阿弥らを指し、鎌倉で勢力を張っていたことが諸御書で名前が出てくることで知られている。
以上の長楽寺隆寛・善慧房証空・聖光房弁長・覚明房長西が、浄土宗の四流と言われるもので、大聖人はこの四人をまず挙げられた後「成覚」「法本」の名を挙げられている。成覚は諱を幸西、法本は行空という。以上の四人に幸西を加えて五流ともいうが、幸西の場合、前四者と趣を異にするのは、一念義を主張して隆寛ら多念義と衝突し、浄土宗の他門からも擯斥されたことである。幸西は本覚の仏と衆生の一念には異なりがなく、ただ一遍の念仏でも往生できるとする一念義を説いた。幸西は天台宗の出で、天台本覚思想がその奥底にある。法然高弟の行空も同じく一念義を主張しており、大聖人は四流のあとに二人の名を挙げ、共に「一念」と記されている。
この六人の名を挙げられた後「已上弟子八十余人」と記され、法然の直弟子とされている人が80余人いたことを示されている。ここに記されていたのは、その中でも主立った人々であるが、今日ではその事跡がよく分からない人も少なくない。
この「已上弟子八十余人」は、次の「乃至」につながっていると考えられるすなわち「已上弟子八十余人乃至日本国の一切念仏者並に檀那等、又一切の天台・真言等の諸宗の人人又法然が智分を出でず各各其の宗を習えども心は皆一同に念仏者なり、法華経を読めども真言を行ずれども皆助業となし念仏を以て正業と為す謗法の失脱るべからず」と続けて読むべきであろう。
法然の弟子「八十余人」をはじめとして、日本国のすべての念仏を称えている僧ならびに檀那たちも法然を師としてその邪義を引き継いでいる以上、同罪の謗法であるとされ、次いで、そればかりでなく天台宗・真言宗等の諸宗の弟子檀那たちも「法然が智分を出でず」とあるように、法然の智慧を乗り越えることができず、破折できないだけでなく、法然をたたえているので、それぞれの宗派の学を修習いていても、心は皆念仏者であると断じられている。
現実に、当時、法然の浄土宗に対して、天台・真言など既存の宗派の中には、反発を抱いて批判・攻撃する人々もいたが、記風などの点から貶めることに終始し、教義的にきちんと破折する人はいなかった。
しかも、天台・真言自体、形式化・形骸化あるいは外道的な秘義に堕落していたことから、民衆の間に勢力を伸長していた浄土宗に純粋な信仰運動念仏を正行としている人も少なくなかった。大聖人は、こうした仏教界の実情に対して、謗法のあやまちを免れることができないと厳しく指摘され、本抄を終えられている。
0618~0622 一代五時図(略本)top
0618:01~0620:14 第一章 五時のうち爾前四時を図示すtop
| 0618 一代五時図 01 竜樹菩薩造 02 大論に云く十九出家浄飯王の太子 三十成道悉達太子 ・ -----― 竜樹菩薩の造である大智度論には、インド応誕の釈尊は十九歳で出家した浄飯王の太子であり、三十歳で成仏・得道し、出家前は悉達太子と呼ばれた、とある。 -----― 03 権大乗 ┌杜順法師 04 ┌六十巻┐ ├智儼法師 05 ┌華厳経┤ ├華厳宗┼法蔵大師 06 │ └八十巻┘ └澄観法師 07 │ 三七日 ┌世親菩薩 08 │ ┌増一阿含経┐┌倶舎宗┴玄奘三蔵 09 │ 小乗経├中 阿含経┼┼成実宗 迦梨跋摩 10 ├阿含経────┼長 阿含経┤└律 宗 道宣律師 11 │ 十二年└雑 阿含経┘ │ ┌二百五十戒 僧 12 │ └─小乗戒┼五 百 戒 尼 13 │ ├五 戒 男女 14 │ └八 斎 戒 男女 01 │ 五巻 ┌瑜伽論 弥勒菩薩造 0619 02 │ ┌深密経──┴唯識論 世親菩薩造 03 │ 権大乗│ ┌玄奘三蔵 04 ├方等部────┤ 六十巻 法相宗┴慈恩大師 05 │ 三十年│大集経 ┌曇鸞法師 06 │ │ ┌雙 巻 経 ├道綽禅師 07 │ │浄土三部経┴観 経 浄土宗┼善導和尚 08 │ │ └阿弥陀経 └法 然 房 09 │ │大 日 経──七巻 ┌善無畏三蔵 ・ 10 │ │金剛頂経──三巻 ├金剛智三蔵 11 │ │蘇悉地経──三巻 ├不空三蔵 12 │ │ 真言宗┼慧果和尚 13 │ │ ├弘法大師 14 │ │ ├慈覚大師 15 │ │ └智証大師 01 │ │ ┌四巻 ┌達摩大師 0620 02 │ └楞 伽 経─┴十巻 ├慧可 03 │ ├僧璨 04 │ ├道信 05 │ 権大乗 ┌百論 提婆菩薩造 禅 宗┼求忍 06 ├般 若────┼中論 竜樹菩薩造 └慧能 07 │ 四十巻 ├十二門論 同 ┌興皇 08 │ └大智度論 同 三論宗─嘉祥大師 09 │ └吉蔵 -----― 権大乗 ┌杜順法師 ┌六十巻┐ ├智儼法師 ┌華厳経┤ ├華厳宗┼法蔵大師 │ └八十巻┘ └澄観法師 │ 三七日 ┌世親菩薩 │ ┌増一阿含経┐┌倶舎宗┴玄奘三蔵 │ 小乗経├中 阿含経┼┼成実宗 迦梨跋摩 ├阿含経────┼長 阿含経┤└律 宗 道宣律師 │ 十二年└雑 阿含経┘ │ ┌二百五十戒 僧 │ └─小乗戒┼五 百 戒 尼 │ ├五 戒 男女 │ └八 斎 戒 男女 │ 五巻 ┌瑜伽論 弥勒菩薩造 │ ┌深密経──┴唯識論 世親菩薩造 │ 権大乗│ ┌玄奘三蔵 ├方等部────┤ 六十巻 法相宗┴慈恩大師 │ 三十年│大集経 ┌曇鸞法師 │ │ ┌雙 巻 経 ├道綽禅師 │ │浄土三部経┴観 経 浄土宗┼善導和尚 │ │ └阿弥陀経 └法 然 房 │ │大 日 経──七巻 ┌善無畏三蔵 │ │金剛頂経──三巻 ├金剛智三蔵 │ │蘇悉地経──三巻 ├不空三蔵 │ │ 真言宗┼慧果和尚 │ │ ├弘法大師 │ │ ├慈覚大師 │ │ └智証大師 │ │ ┌四巻 ┌達摩大師 │ └楞 伽 経─┴十巻 ├慧可 │ ├僧璨 │ ├道信 │ 権大乗 ┌百論 提婆菩薩造 禅 宗┼求忍 ├般 若────┼中論 竜樹菩薩造 └慧能 │ 四十巻 ├十二門論 同 ┌興皇 │ └大智度論 同 三論宗─嘉祥大師 │ └吉蔵 -----― 10 │ 無量義経 七十二歳 11 │ 四十余年には未だ真実を顕さず、 方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず、無量無辺不可思議阿 12 │ 僧祇劫を過れども 終に無上菩提を成ずることを得ず、 所以は何ん菩提の大直道を知らざるが故に険逕を行 13 │ くは留難多きが故に、大直道を行くは留難無きが故に。 -----― 釈尊は、無量義経を、七十二歳の時から説いた。 無量義経説法品第二には「四十数年の間には、いまだ真実の教えを説き顕してはいない」とある。 すなわち、無量義経説法品第二には「方便の力、すなわち、衆生の真実の教えに導く力をもって、説いたのであって、四十数年の間には、いまだ真実の教えを説き顕してはいない」とある。 また無量義経十功徳品第三には「量ることも数えることも思議することもできない。極めて長い期間を過ぎても、ついに無上の悟りを成就することはできない。その理由は、直ちに成仏に至ることのできる大道を知らない故に、留難の多い険しい道を行かなければならないからである」とある。 また、無量義経十功徳品第三には「真実の教えをひとたび開けば、留難のない大直道、すなわち直ちに成仏に至る道を行くことができる」とある。 |
大論
大智度論のこと。摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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十九出家
釈尊が19歳のとき、世俗の王宮の生活を捨てて、妻子眷属の縁を断って出家し、仏道修行に励んだこと。
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浄飯王
梵語、シュッドーダナ(Śuddhodana)。インド迦毘羅衛の王で、釈尊の父。はじめ釈尊の出家に反対したが、後に釈尊の化導によって仏法に帰依した。夫人を摩耶という。
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太子
王位を継承すべき皇子・王子のこと。
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三十成道
インド応誕の釈尊が30歳で成道したこと。
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悉達太子
釈尊の出家前の名。悉達はサンスクリットのシッダールタの音写で、悉多、悉達多とも。釈迦族の王子だったので、「太子」と称する。
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華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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権大乗
大乗のうち権教である教え、経典。
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三七日
3週間・21日間のこと。華厳時の説法の期間。
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六十巻
旧訳華厳経が60巻からなること。東晋代・仏駄跋陀羅の訳。
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八十巻
新訳華厳経が80巻からなること。唐代・実叉難陀の訳。
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華厳宗
華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
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杜順法師
557年~640年。中国・隋から唐にかけての僧。法順ともいう。中国華厳宗の第1祖とされてきたが、疑問視もされている。唐の太宗から崇敬された。智儼に法を伝えた。
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法師
よく仏法に通じ清浄な行を修して人の師となる者のこと。
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智儼法師
602年~668年。中国・唐の僧。華厳教学の基礎を築いたが、一般には杜順に継ぐ華厳宗第2祖とされる。弟子に法蔵がいる。
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法蔵大師
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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大師
①大導師のこと。②仏・菩薩の尊称。③朝廷より高徳の僧に与えられた号。仏教が中国に伝来してから人師のなかで威徳の勝れたものに対して、皇帝より諡号として贈られるようになった。智顗が秦王広から大師号が贈られ、天台大師と号したのはこの例で、日本人では最澄が伝教大師・円仁が慈覚大師号を勅賜されている。
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澄観法師
738年~839年。中国・唐の僧で、華厳宗の第4祖に位置づけられる。五台山清涼寺に住んだことから、清涼国師と呼ばれた。実叉難陀が訳した80巻の華厳経を研究し、『華厳経疏』『華厳経随疏演義抄』などを著した。
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阿含経
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
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小乗経
小乗の教えを説いた経典のこと。
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十二年
阿含経が説かれた期間。
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増一阿含経
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。大衆部所伝。パーリ語経典の「増支部」(アングッタラ・ニカーヤ)に相当するが、内容は異なっている。
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中阿含経
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「中部」(マッジマ・ニカーヤ)に相当する。
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長阿含経
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。法蔵部所伝。パーリ語経典の「長部」(ディーガ・ニカーヤ)に相当する。
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雑阿含経
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)に相当するが、パーリ語経典相応部と異なり、こちらは「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている。
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倶舎宗
仏滅後900年ごろに出現したインドの学僧・世親の倶舎論を所依とする宗派。南都六宗の一つ。毘曇宗・薩婆多宗・論宗ともいう。倶舎論を主として、六足論・発智論と、発智論を釈した大毘婆沙 論等を所依とする小乗教の宗派である。倶舎とは梵語コーシャ(Kosa)、詳しくはアビダルマコーシャ(Abhidharma-kosa)といい、訳して付法蔵という。その教義は小乗有門の思想を根拠とするものである。インドにおいては、安慧、徳慧らが倶舎論の注釈書を作った頃は、一宗派としては存在しなかった。のちに、中国において、陳の真諦が「倶舎釈論」を著してから倶舎宗と呼ばれるようになった。日本には、法相宗の付宗として伝来し、奈良時代に隆盛をみた。
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世親菩薩
4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワール)出身の論師。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。新訳で「世親」、旧訳で「天親」という。初めは小乗を学び『俱舎論』などを著したが、兄の無著(アサンガ)によって大乗に帰依し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させたほか、『法華論』などを著し、大乗を宣揚した。多くの論書をつくり「千部の論師」とたたえられる。主著に『唯識三十論頌』など。
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玄奘三蔵
602年~664年(生年には600年説など諸説がある)。中国・唐の初期の僧。唯識思想を究めようとインドへ経典を求めて旅し、多くの経典を伝えるとともに翻訳を一新した。彼以後の漢訳仏典を新訳といい、それ以前の旧訳と区別される。主著に旅行記『大唐西域記』がある。弟子の基(慈恩)が立てた法相宗で祖とされる。後世、経・律・論の三つ(三蔵)に通暁している訳経僧としてたたえられ、「玄奘三蔵」「三蔵法師」と通称されるようになった。
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成実宗
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
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迦梨跋摩
4世紀ごろのインド仏教僧である。中インドの婆羅門の出身。最初はヒンドゥー教の数論派(サーンキヤ学派)に属していたが、仏教に入り、説一切有部の学匠鳩摩羅駄(kumaaralabdha)から『発智論』を学び、次いで摩訶僧祇部に移って大乗も研究し、諸派比較の上、経量部の立場から『成実論』202品を著した。後、グプタ朝の王の命により外道の諸論師をことごとく論破して、国師に任ぜられた。なお、鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されたのは、西暦412年のことである。
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律宗
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
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道宣律師
596年~667年。中国・唐の僧。南山律師ともいう。南山律宗の祖師。律に詳しく、終南山(長安の南方)の豊徳寺に長く住んでいたので、彼の学派を南山律宗と呼ぶ。著書は広範にわたり、『四分律行事抄』などの律の研究書のほか、『大唐内典録』『続高僧伝』などがある。日本に授戒制度をもたらした鑑真は、その孫弟子にあたる。
―――
律師
①戒律の師の意で,徳望の高い持律の僧に対する尊称。②僧侶の位の名称。僧都に次ぐ位。
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小乗戒
小乗教で説かれる戒・戒律のこと。戒は防非止悪の義で、大乗戒と小乗戒に分けられる。小乗戒には五戒・八斉戒・具足戒などがある。五戒・八斉戒は在家男女が持ち、具足戒は出家者が持つもので、比丘は二百五十戒、比丘尼は五百戒とされる。天台法華宗年分得度者回小向大式には小乗戒について「小乗戒とは小乗律に依り、師に現前の十師を請して、白四羯磨す。清浄戒律の大徳十人を請して三師七証と為す。若し一人を闕かば戒を得ず」と述べられている。
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二百五十戒
「戒」とは非を防ぎ悪を止めさせるもの。小乗教で出家の持つ具足戒は、比丘に「二百五十戒」比丘尼に500戒とわかれる。「二百五十戒」は年齢20歳以上70歳以下の比丘の戒で、諸根具足し、身体清浄、過失のないもののみが持つことを許された。
―――
僧
出家した男性。比丘。
―――
五百戒
比丘尼の具足戒で、その戒数には諸説があり、四分律に説かれる三百四十八戒が一般的である。多数の意味で五百としたもの。
―――
尼
出家した女性。比丘尼のことで略してアマという。
―――
五戒
古代インドで仏教者として万人が守るべきものとされた行動規範。在家の持つべき5種の戒。①不殺生戒(生き物を殺すことを禁ず)②不偸盗戒(他人の物を盗むことを禁ず)③不邪婬戒(自分の妻・夫以外との淫を禁ず)④不妄語戒(うそをつくことを禁ず)⑤不飲酒戒(酒を飲むことを禁ず)の五つをいう。これは、ジャイナ教の出家者が守るべき五つの戒(マハーヴラタ)と通じあう。マハーヴラタは、アヒンサー(不殺生・非暴力)、サティヤ(不妄語)、アステヤ(不偸盗)、ブラフマーチャーリヤ(不婬)、アパリグラハ(無所有)である。
―――
八斎戒
小乗教の戒。在家の男女が一日だけ持つことを期する戒であって、出家生活を一日だけ守る形をとったものである。受十善戒経に「若し十善を受くるも、八戒を持たずんば、終に成就せず(中略)八斎戒とは、これ過去現在の諸仏如来、在家の人のために、出家の法を制す」とある。毎月、六斎日に行ずるという。八斎戒には二説あるが内容は同じである。倶舎論によると八所応離と説き、①離殺生(生物を殺さない)、②離不与取(盗みをしない)、③離非梵行(淫欲を断つ)、④離虚誑語(嘘をいわない)、⑤離飲諸酒(酒を飲まない)、⑥離塗飾香鬘歌舞観聴(装身・化粧をやめ歌・舞を聴視しない)、⑦離眠坐高広厳麗床座(高くゆったりした床に寝ない)、⑧離食非時食(昼以後食べない)をあげている。
―――
方等部
大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いているとされる。
―――
三十年
方等部と般若部の説法が行われた期間。この期間においては16年・14年説、8年・22年説等あり、確定しがたい。
―――
深密経
深密経と略す。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
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瑜伽論
『瑜伽師地論』の略。弥勒(マイトレーヤ)または無著(アサンガ)の作とされる。中国・唐の玄奘訳。100巻。唯識思想に基づく修行やその結果として到達する境地の位を明かし、法相宗でよりどころとされた。
―――
弥勒菩薩
弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
―――
唯識論
世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十論頌』に対する10人の論師の解釈を、護法(ダルマパーラ)の説を中心に、玄奘が一書として漢訳したもの。10巻。唯識の論書として法相宗でよりどころとされた。
―――
法相宗
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
―――
慈恩大師
(0632~0862)。中国唐代の僧。法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観6年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
―――
大集経
大方等大集経の略。中国・北涼の曇無讖らの訳。60巻。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を500年ごとに五つに区分する「五五百歳」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後2000年以降を末法とする根拠とされた。
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浄土三部経
浄土教で重んじられた無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経の三つ。法然(源空)が『選択集』でこの三つの経典を「弥陀の三部なり。故に浄土の三部経と名づくるなり」と述べたことにもとづく。
―――
雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
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阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
―――
浄土宗
浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
―――
曇鸞法師
中国・南北朝時代の浄土教の祖師。著書に『往生論註』がある。
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道綽禅師
562年~645年。中国・隋から唐にかけての浄土教の祖師。はじめ涅槃経に傾倒していたが、曇鸞の碑文を見て改心して浄土教に帰依した。釈尊の教えを浄土門とそれ以外の聖道門とに分け、聖道門を誹謗した。弟子に善導がいる。主著に『安楽集』がある。
―――
禅師
中国・日本において、高徳な僧侶に対する尊称。禅師というが日本でも禅僧に限った諡号ではない。
―――
善導和尚
(613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
―――
和尚
和上ともいう。①弟子に戒を授けて指導・育成する指導者。②弟子が師匠を呼ぶ用語。
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法然房
1133年~1212年。法然房源空のこと。平安末期から鎌倉初期の僧。日本浄土宗の開祖。天台宗の僧であったが、中国浄土教の善導の思想に傾倒し、他の一切の修行を排除し念仏口称をもっぱら行う専修念仏を創唱した。代表著作の『選択集(選択本願念仏集)』では、法華経をも含む一切の経典の教えを捨て閉じ閣き抛てと排除し、もっぱら念仏をとなえることによって往生を願うべきであると説いた。法然の専修念仏に対しては、当初、後白河法皇や摂政・関白を歴任した九条兼実ら有力者の支持を得たが、やがて諸宗派からの反発が強まる。朝廷・幕府も禁止の命令を出し、建永2年(1207年)、法然らが流罪され、高弟が死罪に処せられた。その後も繰り返し禁圧が続くが、念仏は広がっていった。弟子に親鸞がいる。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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金剛頂経
もとは単一の経典ではなく、大日如来が18の会座で説いたとされるものを集めた経典の総称。一般に「金剛頂経」という場合、このうち初会の一部を訳して一経としたものをさす。漢訳には、金剛智が訳した金剛頂瑜伽中略出念誦経4巻と、弟子の不空が訳した金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経3巻がある。金剛界を説いた経とされ、大日経とともに密教の根本聖典とされる。金剛界三十七尊が明かされ、金剛界曼荼羅とその供養法などが説かれている。
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蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。中国・唐の善無畏訳。3巻。成立史の上からは、大日経に先行する経典と考えられており、さまざまな密教儀礼や行者の規範を説いている。
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真言宗
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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善無畏三蔵
637年~735年。東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。
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金剛智三蔵
671年~741年。サンスクリットのヴァジラボーディの訳。中インドあるいは南インド(デカン高原以南)出身の密教僧。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂瑜伽中略出念誦経)などを訳し、中国に初めて金剛頂経系統の密教をもたらした。弟子に不空、一行がいる。
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不空三蔵
705年~774年。北インド(一説にスリランカ)出身の密教僧。金剛智の弟子。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)など100部143巻におよぶ多くの経典を訳した。玄宗・粛宗・代宗の3代の皇帝の帰依を受け、密教を中国に定着させた。彼の弟子には空海(弘法)に法を伝えた恵果がいる。
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慧果和尚
(0746~0806)。照応の人で、俗姓を馬という。不空の弟子で、真言宗東寺派では、大日如来から法を受けついだ第七祖とする。唐の代宗、徳宗、順宗の三朝に国師として尊敬された。日本から留学生として渡唐した弘法にその教えを伝えた。
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弘法大師
774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。空海ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
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慈覚大師
794年~864年。平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている(281㌻、305㌻以下など)。▷
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智証大師
814年~891年。平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。円珍ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」(306㌻以下)などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。
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楞伽経
漢訳には4種ある。釈尊が楞伽島(スリランカ)で説いたという設定の大乗経典。唯識説や仏性説が説かれている。初期の禅宗で重視された。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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達摩大師
5~6世紀、生没年不詳。菩提達磨はサンスクリットのボーディダルマの音写。達磨と略す。達摩とも書く。中国禅宗の祖とされる。その生涯は伝説に彩られていて不明な点が多い。釈尊、摩訶迦葉と代々の法統を受け継いだ28代目の祖師とされる。以下、伝承から主な事跡を挙げると、南インドの香至国王の第3王子として生まれ、後に師の命を受け中国に渡る。梁の武帝に迎えられて禅を説いたが、用いられなかった。その後、嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続けていたところ、慧可が弟子入りし、彼に奥義を伝えて没したという。
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慧可
487年~593年。中国・南北朝時代から隋の僧。禅宗で菩提達磨に次ぐ第2祖とされる。菩提達磨の弟子となり、名を慧可と改め、6年間修行した。達磨の死後、慧可に帰依する者が多かったが、妬む者も多く、隋の開皇13年(593年)、讒訴によって処刑されて、107歳で死んだ。なお、慧可が達磨に入門するにあたって、積雪中に夜を徹して入門の許可を待ったが許されず、自ら左の腕を切断して求道の心を示し、ついに許しを得て弟子となったという慧可断臂の故事は有名。
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僧璨
生年不詳(推定500年~505年頃) 。中国・隋代の僧。禅宗の第三祖。 「璨」とは、「美しい珠」、「光り輝く宝玉(宝石)」のことである。唐の玄宗皇帝により『(鑑)智禅師』の諡を賜った。
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道信
( 580年 ~ 651年)。禅宗の第四祖。蘄州を中心として布教に励み、弟子の五祖弘忍と共に「東山法門」と呼ばれる一大勢力を築き、後の禅宗の母胎を形成する。姓は司馬、『景徳傳燈録』など後世の資料では河内(河南省)の出身とされる。『続高僧伝』では出身地は不詳。
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求忍
弘忍のことと思われる。(602年~675年)。中国禅宗の五祖。没後に代宗の時代になって、大満禅師の諡号と、法雨塔の塔号を賜る。黄梅県(湖北省黄梅県)出身(『宋高僧伝』では、或いは淮左潯陽(江西省)の出身という)で、俗姓は周。
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慧能
638年~713年。中国の禅宗で第6祖とされる。曹渓の宝林寺にいたので曹渓大師とも呼ばれた。禅宗の弘忍を訪ねてその弟子となった。弘忍から慧能への継承については伝承があり、それによれば、弘忍は700人の弟子たちにそれぞれの覚りの境地を一偈で述べさせ、最も優れた者に衣を伝え法を授けようとしたが、慧能はこのとき高弟の神秀を抜き、弘忍より法を伝えられたという。慧能の説法は『六祖壇経(六祖大師法宝壇経)』としてまとめられているが、後世の加筆が多いとされる。なお、歴史的な事実としては、第5祖とされる弘忍の後、神秀が唐の則天武后などの帰依を受け、その弟子の普寂が神秀を第6祖として、この一門が全盛を誇った。しかし荷沢神会がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とが対立し、神会の社会的な地位確立により、南宗の勢力が広がった。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗も南宗の流れをくむ。
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般若
般若時のこと。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、摩訶般若などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。
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提婆菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後750年ごろの南インドの婆羅門の出である。迦那提婆ともいい、提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼であったからこのようにいわれた。一眼を天神に供養したといわれ、また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家して仏法を学び、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうと、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知、凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じ、提婆がひとりで帰るところを襲って害を加えた。しかし、提婆はこれをゆるし、弟子が仇討ちをしようとするのを制して命絶えたという。
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中論
竜樹の著作。中国・後秦の鳩摩羅什訳。4巻。一切のものには実体がないという「空」の思想を展開し、特に当時有力だった説一切有部の説を批判した。大乗思想の理論的基礎となり、インドでは本書に基づく中観派が起こり、中国では三論宗のよりどころとされた。
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十二門論
竜樹が著したとされる仏教論書の一つである。『中論』『百論』と共に、三論宗の所依の一つ。空観思想が十二章にわけて論じられる。
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大智度論
摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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三論宗
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
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興皇
法朗のこと。507年~581年。中国・南北朝時代の三論宗の僧。建康(南京)の興皇寺に住んだので興皇と呼ばれる。吉蔵(嘉祥)の師。
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嘉祥大師
吉藏ともいう。549年~623年。中国の隋・唐の僧。三論教学を大成した。嘉祥寺に居住したので嘉祥大師と称された。主著に『三論玄義』『法華義疏』など。
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吉蔵
549年~623年。中国の隋・唐の僧。三論教学を大成した。嘉祥寺に居住したので嘉祥大師と称された。主著に『三論玄義』『法華義疏』など。
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無量義経
中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
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無上菩提
最高の悟りを得ること。成仏の境地。「無上」最上・最高。「菩提」は梵語ボーディ(bodhi)の音写、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種あるが、仏の菩提は最高であり、これに過ぎることがないことを無上菩提という。
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大直道
無上の菩提・最高の悟り・成仏の境地のこと。
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留難
仏道修行を妨げるさまざまな困難。
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御書全集には同じ題名の「一代五時図」が収録されて「広本」「略本」と分類するが、本抄はその「略本」である。ともに御真筆は中山法華経寺に現存する。御執筆年代は、広本が立正安国論上呈当時の文応元年(1260)であるのに対して、本抄は身延後入山後の建治2年(1276)、大聖人55歳の御時とされている。
次に扱う「一代五時鶏図」と共に、いずれも釈尊一代五時の説法の次第と中国・日本で成立した諸宗派との関連が一目瞭然に理解できるように書かれている。おそらくは弟子たちに仏教の全体像を把握させるための、いわば講義の覚書かメモの類といってよさそうである。
同じ趣旨の覚書でも、広本と略本とではその強調点に相違があり、前者が特に法然の浄土宗破折に力点を置かれているのに対し、本抄では法華経が釈尊説法の究極を明かすところに力点を置かれたようである。なお、一代五時鶏図の場合はその力点は人本尊すなわち根本として崇めるべき仏を明らかにされるところにある。題名の「一代五時図」の意味については「広本・第一章」で解説したので省略する。
本文に入って、まず冒頭に「大論に云く十九出家浄飯王の太子 三十成道」と記されている。この御文のもつ意義については、同じく広本で解説したとおりである。すなわち、この図示で示されているのは釈尊が成道してから入滅に至るまでの間に説かれた教法の概略である。まず説法開始に至るまでの釈尊の経歴を概説されるためである。
ところで、御真筆を拝すると「大論云 十九出家 三十成道」と大きい字で三行に分けて書かれ、「竜樹菩薩造」は「大論云」の脇書、「浄飯王太子」は「十九出家」の下書、「三十成道」の脇書として「悉達太子」となっている。
「竜樹菩薩造」は「大論」すなわち「大智度論」が竜樹によって著されたものであることを示されるためであり「浄飯王太子」「悉達太子」は釈尊がインドのカピラ城の城主、浄飯王の太子で悉達太子といったことを示されるための付記であることはいうまでもない。特に「三十成道」の脇書の「悉達太子」とあるのは、悉達とは梵語シッダールタの音写で、その意味は目的を達成される、義を成ぜる、ということで、30成道によって釈尊が出家の目的を達したという意味が込められたと考えられる。
次に一代五時の説法を図示されるのであるが、まず、釈尊の最初の説法とされる華厳宗が示されている。「華厳経」と記された脇書は「権大乗」相対脇書として「三七日」とあり、線の下に「六十巻」「八十巻」とある。
「権大乗」の文字は、このあとの「方等部」「般若」にも一つ一つ付記されており「阿含経」の「小乗経」、「法華経」の「実大乗」に対比して、それぞれの位置づけを明確にされている。すなわち、声聞・縁覚の二乗のために説かれた阿含小乗経に比べると、菩薩道を明かした大乗教であるが、あくまで法華経の実大乗へ導くための方便として仮に説かれた教えが華厳・方等・般若の諸経であることを明示されているのである。「権大乗」の「権」とは「仮」の意である。
「三七日」は「3週間」のことで、華厳経が釈尊成道後間もなく、3週間で説かれたことを表している。広本では「三七日」と共に、法相宗で採用していた「二七日」も並記されていたが、略本では「三七日」説だけを記されている。
「六十巻」「八十巻」は華厳経の漢訳に東晋代の60巻本と唐代の80巻本とがあった故である。さらにもう一種、40巻本があるが、これは全部を訳したものではないので挙げられなかったと考えられる。
以上の「華厳経」についての注記の下に「華厳宗」と書かれ、さらにその下に「杜順法師」「智儼法師」「法蔵大師」「澄観法師」の名が記されている。いずれも中国の人で、杜順法師は中国華厳宗の祖、智儼は同第二祖、法蔵大師は同第三祖、澄観法師は同第四祖とされる。法蔵のみが大師となっているのは彼が華厳宗の大成者であるからである。なお、法相宗は、日本でも南都六宗の一つであった。
その次の「阿含経」は脇書に「小乗経」対書に「一二年」と記されている。「増一阿含経」「中阿含経」「長阿含経」「雑阿含経」の名を挙げられている。
釈尊の一代経典をまず大乗教と小乗教に分けたなかで、小乗教にあたるのが阿含部経典である。これは華厳経説法のあと12年にわたって説かれた経典群を指している。それが具体的には「増一阿含経」「中阿含経」「長阿含経」「雑阿含経」の四経で、これらを総称して上段に「阿含経」と書かれたのである。
釈尊は、最初に華厳経で、衆生の機根すなわち仏法を理解できる力がいかほどであるかを測った後に、衆生を導く第一段階として阿含部の教えから説き始めたとされる。ここでの目的は、概括的にいうと、ただ本能に任せて欲望の追求に生きる人生・社会の空しさに目覚めさせることにあったといえる。
そして、このような現実世界で幸福とされるものが空しいことに気でき、本能や欲望に束縛されない境界を目指すに至った弟子たちは、仏の教えを聞く人々という意味で「声聞」と呼ばれ、そのなかで一分の悟りを得た人々を「縁覚」と呼ぶようになる。これを合わせて「二乗」といい、彼らの目指した理想が、自己の身の欲望・煩悩からの解放であったことから、後に一切衆生の救済を目指す菩薩道が説かれる「方等・般若」の教えからひるがえって見た時、この段階の教えを「小乗」と称するのである。
以上の小乗阿含経の題名の下の方に、小乗教の修学から発展的に成立した「俱舎宗」「成実宗」「律宗」の名称と、それぞれの淵源になった人々の名が記されている。ただし、ここに記されている人々を各宗の開祖と考えるのは誤りである。
「俱舎宗」とは、インド・世親菩薩・玄奘三蔵訳の具舎論を所依とする宗派である。世親は大乗の論師として有名であるが、初めのころは小乗を研鑽し、そのなかで著したのが具舎論であった。後に無著によって大乗経に帰依したが、小乗時代のこの著作は後世、永く人々によって研学のよりどころとされたのである。
次に「成実宗」はインド・迦梨跋摩作の成実論を所依とする宗派であるから、「迦梨跋摩」の名が記され、「律宗」は四分律十巻に基づいて成立した宗派であり、特に、唐代の初期に道宣律師の開いた南山宗が代表的なものであるから、ここに「道宣律師」の名が記されている。
なお、「律宗」に関しては「小乗戒」として、僧のための「二百五十戒」、尼のため「五百戒」、それに「五戒」「八斉戒」が挙げられている。
「五戒」は在家の男女の守るべき戒なので、「男女」と記され、「八斉戒」とは在家の男女が一日一夜に限って受持する八の戒律のことで、在家のそれであるからこそここでも「男女」と記されている。また、小乗のこれら三宗はいずれも、日本では南都六宗に数えられている。
次いで「方等部」に移る。まず「方等」の意義であるが、方等の方は理が方正であること、等は平等の意味で、一般に大乗の異名である。また、方等は方広ともいい、方は同じく方正なることを、広は言詞が広博なることを指す。いずれにしても、大乗のことである。大乗経は菩薩の修行について説かれたものであるが、般若経典に比べると教理は浅く、小乗経典で現実世界を空しいとしたことを承けて、よその世界や他仏に救いを求めることを教えたものが多い。脇書の「権大乗」は、特にいう必要はないが、対書「三十年」については、説明を要する。さらに、その下に「深密経・五巻」「大集経・六十巻」「浄土三部経」「大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻」「楞伽経四巻・十巻」と、方等部に属する経典名を列挙されている。
さて「三十年」であるが、御真筆では、「方等」と次の「般若」とを結んだ線の中ほど、むしろ「楞伽経」に次いで書かれている。このことは方等部の説法期間が30年というのではなく、方等・般若部の説法期間を合わせて30年という意味である。
本抄では部間の年号は記されていないが「一代五時鶏図」では方等16年・般若14年、方等8年・般若22年説等があることが示されている。ただし、これら方等時に説かれた「権大乗」の経典名は、天大智顗ならびに天台宗が挙げる主要な経典の名とはかなりの相違を見せる。
すなわち、法華玄義巻十下では「方等の維摩・思益・殃掘摩羅を説いて」とあり、天台四教儀では「維摩・思益・楞伽・楞厳三昧・金光明・勝鬘等」とある。天台が挙げたこの方等部経典の特徴は、大乗菩薩の社会的役割、いかに世に貢献するかを説いているところにある。これは般若部経典が大乗菩薩の悟りの中身を掘り下げているのと異なっている点である。
しかし、本抄では天大智顗以降に成立した中国・日本の宗派のそれらが依処とした諸経典に焦点を合わせて挙げられている。これは、大聖人が弟子たちに教えようとされていたのが仏教の理論的解明より当時存在していた現実の宗派を認識させ、破折の理論を身につけさせることであったからであろう。
まず「深密経」の名が記されている。深密経は解深密経ともいい、菩提流支訳、玄奘訳共に全五巻からなる。その内容の主眼は己心の外にあると思われる諸現象といっても、ただ阿頼耶識によって認識の対象に似たすがたが心に映し出されたものにすぎないとする唯識の義を説くところにあり、法相宗の依経の一つである。
「深密経」の下には「瑜伽論百巻――弥勒菩薩造」「唯識論――世親菩薩造」とあって、深密経を基礎として、弥勒菩薩が著した瑜伽師地論百巻、世親菩薩が著した唯識二十巻・唯識三十頌などが「法相宗」の依処となっていることが示されている。
その「法相宗」は以上の経や論をインドから中国にもたらした玄奘三蔵を開祖として、慈恩大師が第二祖ながら事実上の開祖となっていることから「玄奘三蔵・慈恩大師」の二人の名が記されている。なお、玄奘・慈恩とも、天大智顗の後代の人である。
また、法相宗は道昭が中国から日本へ持ち帰ることで、日本の法相宗として成立し南都六宗の一つとなった。
次いで「大集経」については、ただ「六十巻」とのみ付記されている。中国・北涼代の曇無識訳で、仏が十方の仏・菩薩を集めて大乗を説いたものであるが、巻24には三災が示され、巻55には五箇の五百歳について明かし、末法の意義が説かれており、中国・日本の仏教に大きな影響を与えたが、特定の宗派とは結びついていない。
続いて「浄土三部経」と表示され、下に「雙巻経・観経・阿弥陀経」と三つの経典名が記されている。その下に「浄土宗」とその開祖である「曇鸞法師・道綽禅師・善導和尚・法然房」の四人の名が記されている。
御真筆では「雙巻経・観経・阿持陀経」のそれぞれの経巻が示されている。すなわち、「雙巻経・二巻」「巻経・一巻」「阿弥陀経・一巻」である。この三経を合わせて「浄土三部経」という。
「曇鸞法師・道綽禅師・善導和尚」の3人は中国で「浄土教」を成立・展開させた人たちである。「法然房」は選択集を著して日本に「浄土宗」を立てた人物である。
次に「大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻」のいわゆる真言三部経の名が記され、その下に、この三部経をもとに成立した「真言宗」と、この宗派の成立と展開にかかわった7人の名を列挙されている。
中国では善無畏・金剛智・不空の三三蔵と不空の弟子慧果そして日本ではこの慧果から受け継いだ弘法大師、さらに、中国の真言宗を天台仏法に取り入れた叡山天台宗の第三代座主の慈覚大師と第五代座主智証大師の名が記されている。弘法の真言宗を東密というのに対して慈覚・智証のそれを台密という。
続いて「楞伽経」は漢訳本に四種がある。主たるものとして中国・北涼代の曇無識訳の「四巻」本と同北魏代の菩提流支訳の入楞伽経に「十巻」本とがあるので「四巻」「十巻」と記されている。
そして、これらの「楞伽経」に基づいて成立した「禅宗」については、御真筆では左下に線を引いて記され「達磨大師・慧可・僧璨・道信・求忍・慧能」の六人の名が並べられている。
まず「達磨大師」はインドから中国に渡来し、禅宗を広めた開祖である。「慧可」は神光ともいい、達磨から付法されて中国禅宗の第二祖となった。「僧璨」は中国隋代の人で「慧可」から付法されて第三祖となり「道信」は唐代の第四祖、「求忍」は同じく唐代の人で、禅宗代五祖弘忍のことである。
最後の「慧能」は第五祖・弘忍から付法を受け第六祖となるとともに、新たに禅宗南派を築いたとされる。
以上が「方等部」で、日本の仏教諸宗が派生したので大きいスペースを費して書かれたが、次の般若部経典については特定の宗派は三論宗だけなので、こぢんまりとまとめられている。まず「般若」とのみ記され脇書に「権大乗」「四十巻」と並記されている。
「般若」とは梵語のプラジュニャーの音写で、意味は「智慧」を表す。その名のとおり、大乗菩薩の悟りの智慧を説いたものである。
般若部の経典としては「一代五時鶏図」には大品般若・光讃般若・金剛般若・天王問般若・摩訶般若が記されているが、「一代五時図」では広略両本ともに、経典名は示されていない。これらの経典は直接に宗派を生み出すもとにはならなかったからで、むしろ、これらの経典を釈し、大乗仏法の教理を論じた後代の論著が大乗仏教興隆に大きい影響を与えたので、そうした論著の名と著書名が記されている。
まず提婆菩薩の「百論」と竜樹菩薩の「中論」、同じく「十二門論」、同じく「大智度論」のいわゆる四論である。そして、この下の方に、これらの研鑽修学を目的として成立した「三論宗」の宗名と、その代表者として「興皇」「嘉祥大師」の名が示されている。「三論宗」とは前記四論のうち「百論」「中論」「十二門論」を研学することから、このように名乗っていたのである。「興皇」とは梁から陳にかけて活躍した法朗のことである。興皇寺に住んでいたことからこう呼ばれたのであるが、これは吉蔵が、その住した寺の名から嘉祥大師と呼ばれたのと同じである。
なお般若の脇に「四十巻」と記されているのは、数ある般若経典群の中から、中心的なものである鳩摩羅什訳・摩訶般若波羅蜜経二十七巻本・三十巻本・四十巻本のあるうちの「四十巻本」の本をさされたのか大品般若経三十巻に、同じ鳩摩羅什漢訳した「小品般若経」十巻を合わせて「四十巻」とされたのか、あるいはそれ以外の理由によるものか定かではない。
「嘉祥大師」は隋から唐代の人で、法朗の弟子で三論宗再興の祖とされる。なお日本にも吉蔵の弟子の高麗僧・慧灌によって伝えられ、南都六宗の一つとなっている。
以上のように、爾前四時の諸経と、そこから生じた諸宗について図示された後、無量義経の文を掲げられている。まず「無量義経」と記されすぐ下に「七十二歳」と記され、無量義経が釈尊の72歳の時の説法であることを示されている。そして最初に「四十余年には未だ真実を顕さず」の文が記されている。次に、御真筆では行を改めて「以方便力四十余年未顕真実」と書かれている。「以方便力」の有無のちがいだけで、あとは重複していることから、おそらく最初の一文は標題として示されたものであろう。
いずれにせよ、この一文は釈尊が道場菩提樹下で成道し、衆生のために説法を開始しようとした時、衆生の好みと傾向性にさまざまな違いのあることを知って、それぞれの欲と性とに応じて真実へ導く手段の教えを40余年の間説いてきた。したがって、40余年の間の教えはまだ真実を顕していない、という意味である。
次は同経十功徳品第三の文で「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過れども終に無上菩提を成ずることを得ず、所以は何ん菩提の大直道を知らざるが故に険逕を行くは留難多きが故に」という文である。
真実を聞くことのできない衆生は大きな利益を失い、どれほど長期間の修行を重ねてもついに無上の悟りを成就することはできないと述べ、その理由として、直ちに成仏に至る道を知らないために、留難の多い険しい道を行かなければならないからであると説いている。すなわち爾前権教の諸経の教えでは、険しい道を行くのに留難が多く、目的地に到達できないのと同じで、成仏することはできないということである。
次に同経十功徳品第三の「大直道を行くは留難無きが故に」という文を引用されている。
直前の経文とは対照的に、ここでは真実の教えを一度聞くと、留難のない大直道、すなわち、直ちに成仏に至る道を行くことができるという文で、次の第五時の法華経へと橋を渡す役割を持つ経文としてここに記されたと考えられる。
0620:15~0622:15 第二章 第五時のうち、法華涅槃時を図示するtop
| 14 │ ┌顕露宗 15 │ 実大乗 ├最秘密宗 ・ 16 ├法華経 ────┼仏立宗 01 │ 八箇年 ├法華宗0621 02 │ └天台宗 -----― │ ┌顕露宗 │ 実大乗 ├最秘密宗 ├法華経 ────┼仏立宗 │ 八箇年 ├法華宗 │ └天台宗 -----― 03 │ 世尊は法久しくして後に要当に真実を説き給うべし・正直に方便を捨てて但無上道を説く・種種の道を 04 │ 示すと雖も其れ実には仏乗の為なり、 今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり 05 │ 而も今此の処は諸の患難多し唯我れ一人のみ能く救護を為す復教詔すと雖も而も信受せず、 若し人信ぜず 06 │ して此の経を毀謗せば則一切世間の仏種を断ぜん、或は復ヒン蹙して疑惑を懐かん汝当に此の人の罪報を説 07 │ くことを聴くべし・若しは仏の在世若しは滅度の後其れ斯の如き経典を誹謗すること有らん 経を読誦し書 08 │ 持する有らん者を見て 軽賎憎嫉し而も結恨を懐かん・此の人の罪報を汝今復聴け其の人命終して阿鼻獄に 09 │ 入らん一劫を具足して劫尽きなば更生じ是の如く展転して 無数劫に至らん・此に於て死し已つて更に蟒身 10 │ を受けん其の形長大にして五百由旬ならん、 若し是の善男子善女人我が滅度の後に能く竊に一人の為にも 11 │ 法華経の乃至一句を説かん当に知るべし 是の人は則如来の使なり如来の所遣として 如来の事を行ずるな 12 │ り、 薬王若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若 13 │ 人一の悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せば 其の罪甚だ重し・薬王今汝に告ぐ我が所説の 14 │ 諸経而も此の経の中に於て 法華最も第一なり・我が所説の経典無量千万億にして已に説き今説き当に説か 15 │ ん而も其の中に於て 此の法華経最も為難信難解なり・若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に 16 │ 随順して学せば 恒沙の仏を見上ることを得ん、 爾の時に宝塔の中より大音声を出して言わく 善哉 17 │ 善哉釈迦牟尼世尊能く平等大慧教菩薩法仏所護念の妙法華経を以て 大衆の為に説き給う是の如し是の如し 18 │ 釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり・諸余の経典数恒沙の如し此等を説くと雖も 未だ難しと為す 0622 │ 01 │ に足らず若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しと為さず・若し仏の滅度に悪世の中 02 │ に於て能く此の経を説かん是れ則ち難しと為す、 諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん 03 │ 我等皆当に 忍ぶべし 悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満 04 │ せん或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賎する者有らん利養に貪著 05 │ するが故に白衣の与に法を説いて 世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん・常に大衆の中に在つて 06 │ 我等を毀らんと欲する故に 国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見 07 │ の人外道の論議を説くと謂わん・濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん 悪鬼其身に入つて我を罵詈し毀辱 08 │ せん・濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず悪口して嚬蹙し数数擯出せられん、 大神力を現し広 09 │ 長舌を出して上梵世に至らしむる諸仏も亦復是の如く広長舌を出し給う。 -----― 法華経方便品第二には「世尊は、これまでの種々の道を説き示したが、それは本当は、一切衆生を成仏得道させる一仏乗をとくためである」と説かれている。 法華経譬喩品第三には「欲界・色界・無色界の三界はすべて私の所有であり、その中に住む衆生はことごとく私の子であり、しかもこの三界はわずらわしく困難なことが多いが、ただ私のみがよく救済し守護することができる。また、この妙法を教えても、衆生のほうが信受しようとしない」と説かれている。 法華経譬喩品第三には「もし衆生が信じないでこの経の教えをそしるならば、そのときには、一切世間すなわち六道の迷界を脱して成仏するための根本の因である仏種を、みずから断ち切ることになる」ととかれている。 法華経譬喩品第三には「あるいはまた、顔をしかめ眉をひそめて法華経を非難し、疑惑を懐くであろう。あなたは、まさに、この人の罪報を聴くべきである」と説かれている。 法華経譬喩品第三には「あるいは、釈尊が生きてる間や釈尊が入滅の後の世にあって、この経典を誹謗することがあるであろう。また、法華経を読んだり、暗誦したり、書写したり、護持したりしている者を見て、彼を軽んじたり、賎めたり、憎み嫉み、しかも強い恨みを懐くであろう。この人の罪報をあなたは今、ふたたび聴きなさい。その人は、命を終えた後、阿鼻地獄に入るであろう。その阿鼻地獄において一劫もの非常に長い期間を全うしたならば、また再びその阿鼻地獄に生まれるというふうにして、阿鼻地獄に次々と移っていき、数えきることができないほどの長期間に至るであろう」と説かれている。 法華経譬喩品第三には「ここにおいて、その『死』が終わったあとに、生を受けたとしても蟒身を受けるであろう。その形はきわめて長大で五百由旬にもなるであろう」と説かれている。 法華経法師品第十には「もし、この法華経を信ずる在家・出家の男性および在家・出家の女性が、私の入滅の後に、ごく、わずかに一人のためにも、法華経の、あるいは一句を説くとしよう。まさに知りなさい。この人はすなわち、如来の使者であり、如来から遣わされた者として、如来の振る舞いをなすのである」と説かれている。 法華経法師品第十には「薬王菩薩よ、今、あなたに告げる。私が説いてきたところの諸経があるが、この経のなかにおいて、法華経が第一であり、最も勝れた教えなのである。私が説いてきたところの経典ははかり知れないほど数多くあるが、已に説いた経・今説く経、当に説こうとしている経の三説を超過し、その中において法華経が最も信じ難く理解し難い経典なのである」と説かれている。 法華経法師品第十には「もし法師に親しみ近づくならば、すみやかに菩薩道を成就し、成仏得道できるであろう。この師の教えに従って仏道修行するならば、ガンジス河の砂の数のような、無数の仏を見たてまつることができるであろう」と説かれている。 法華経 見宝搭品第十一には「その時に、宝塔の中から大音声をいだして讃嘆していわく『善い哉、善い哉。釈迦牟尼世尊、平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経をもって、法華経の会座に連なった大衆および一切衆生のために説かれた。そのとおりである、そのとおりである。釈迦牟尼世尊の所説は、皆これ真実である』と説かれている。 法華経見宝搭品第十一には「一切のなかの法華経以外の諸経典はあたかも、ガンジス河の砂の数のようであって無数である。これら、法華経以外の無数の経典を説くといっても、いまだ難しいとするに足らない。もし須弥山を手にとって他方無数の仏土になげおくことも、また難しいとはしない。もし、仏の滅度の、末法の五濁が盛んな悪い世の中、世界において、よくこの経を説くとしよう。これこそ難しいとするのである」と説かれている。 法華経勘持品第十三には「仏法に対する理解のない多くの人々がいて、法華経の行者に対して悪口を言ったりののしるであろう。さらに、刀や杖で法華経の行者を亡き者にしようとして迫害する者が出現するであろう。私たちは皆、まさに忍ばなければならない。五濁悪世の末法の僧は、よこしまな智慧をもち、心はへつらい曲がっていて、未だ悟りを証得したと錯覚し、我慢の心が満ちているであろう。この人は、自己の利益だけを追求し、むさぼり執着する故に、白衣のために法を説いて、世間の人々から慎まれ敬えるさまは、六神通を得た阿羅漢のごとくであろう」と説かれている。 法華経勧持品第十三には「常に一般民衆の中にあって、私たちをそしろうと欲するが故に、国王・大臣・社会で最も尊崇される婆羅門・在家の長者である居士、及びそれ以外の出家した男性の僧たちに向かって、私たちを誹謗するために、私の悪として、『この人たちは、邪悪な考えを持っている人たちであり、外道の理論や教義を説いている』というであろう」と説かれている。 法華経勘持品第十三には「濁って乱れきった末法の世の中の邪悪な僧は、釈尊が方便として衆生の機根に随って仮に説いた教えであることを知らないで、悪口を加え、顔をしかめ、眉をひそめて非難し、正法の弘通の故に、二度にわたって追放という迫害を受ける出あろう」と説かれている。 法華経如来神力品第二十一には「釈尊は大きく不可思議な大神力を顕現して、広く長い舌をいだして、上は梵世にまで至らしめた。釈尊の十方分身の諸仏もまた同様である。釈尊と同じように広く長い舌をいだされた」とある。 -----― 10 │ ┌依法不依人文殊.普賢.観音.地蔵等.竜樹菩薩.善無畏.弘法.慈覚.法蔵.嘉祥.善導等なり 11 │ 一日一夜 ├依義不依語 ┌観経等 12 └涅槃経───┼依智不依識 ├大日経等 ・ 13 八十入滅 ├依了義経 法華経 ├深密経等 14 └不依不了義経──┼華厳経等 15 └般若経等 -----― │ ┌依法不依人文殊・普賢・観音・地蔵等・竜樹菩薩・善無畏・弘法・慈覚・法蔵・嘉祥・善導等なり │ 一日一夜 ├依義不依語 ┌観経等 └涅槃経───┼依智不依識 ├大日経等 八十入滅 ├依了義経 法華経 ├深密経等 └不依不了義経──┼華厳経等 └般若経等 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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実大乗
大乗のうち実教である教え、経典。
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八箇年
釈尊50年の説法中、最後の8ヵ年。法華経が説かれた期間。
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顕露宗
釈尊が出世の本懐をすべて顕示し一仏乗という真実の教えを、はっきりと説き顕した法華経を依経としているところから、法華宗のことをいう。
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最秘密宗
法華経は釈尊の教法の中でも最も秘密の教えを説いた経であることから、法華経を依経とする宗派のことをいう。
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仏立宗
仏の立てた宗。法華宗のこと。
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法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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天台宗
❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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世尊
世に尊敬される仏を指す。仏の10号のひとつ。
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正直
正しくまっすぐなこと。ひとえに仏の教える法を信じ広めていくさま。
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方便
仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
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無上道
種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749-第十三但惜無上道の事-02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727-第五無上宝聚不求自得の事-05)等とある。
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種種の道
様々な経。法華経が説かれるまでの、爾前・権教等に示されたさまなまな教法。
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仏乗
一仏乗・一乗と同義。一切衆生を成仏させるための教えのこと。釈尊一代の聖教のすべては、総じては皆成仏道の教法といえるが、別しては法華経に限るのであり、南無妙法蓮華経に限るのである。
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三界
仏教の世界観で、地獄から天界までの六道の迷いの衆生が住む世界。欲界・色界・無色界からなる。このうち色界・無色界は、修得した禅定の境地の報いとして生じる。①欲界とは、欲望にとらわれた衆生が住む世界。地獄界から人界までの五界と、天界のうち6層からなる六欲天が含まれる。その最高の第六天を他化自在天という。②色界は、欲望からは離れたが、物質的な制約がある衆生が住む世界。大きく4層の四禅天、詳しくは18層の十八天に分かれる。③無色界は、欲望も物質的な制約も離れた高度に精神的な世界、境地のこと。4種からなる。最高は非想非非想処。それに次ぐのが無所有処。仏伝によると、釈尊が出家後に師事したというウドラカラーマプトラは無所有処という境地であり、アーラーダカーラーマは非想非非想処という境地であったという。
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衆生
サンスクリットのサットヴァの訳。衆とも有情とも訳す。薩埵と音写する。広義には一切の有情(感情・意識をもつもの)をいう。狭義には、無明や煩悩をもって迷いの世界に住む人をさす。
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患難
悩みや苦しみ。難儀。患苦。
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救護
救い護ること。
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教詔
教えること。
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信受
信じて受けたもつこと。
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毀謗
誹謗と同意。破りそしること。
―――
仏種
仏果を生じる因種。南無妙法蓮華経は、一生成仏の果を得るための因の種子であり、衆生の仏性とも、とることができる。7
―――
顰蹙
顔をしかめて憎むこと。
―――
疑惑
疑い惑うこと。十四誹謗のひとつ。
―――
罪報
犯した罪による報いのこと。罪業を因として現在および未来に受ける苦果。
―――
仏の在世
釈尊がこの世に存在していること。釈尊が生きている間。
―――
仏
一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。
―――
滅度
①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。
―――
経典
仏の説法を結集編纂した転籍。経はスートラの漢訳で音写は修多羅。本来はたて糸の意であったが、転じて不変の教え、教えの綱要の意となった。古代中国では聖人・賢人ののべたものを「経」としたが、仏教が伝来してから、仏である釈尊も当然聖人とされ、その説を記したスートラは経と訳されたのである。また、経は諸仏の理にかない、衆生の機根に契うことから契経ともいう。
―――
誹謗
悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。
―――
読誦
読と誦のこと。「読」は経文を読むことで「誦」は暗誦すること。それぞれ五種の妙行のひとつで、ともに自行化他の自行にあたる。
―――
書持
経文を書写し受持すること。
―――
軽賎
他人を軽蔑し卑しむこと。
―――
憎嫉
憎み嫉むこと。善法や正法を弘通する人を憎み、嫉むこと。
―――
結恨
恨みを結ぶこと。結んで解けないようなうらみを生ずること。
―――
命終
寿命を終えること。死ぬこと。
―――
阿鼻獄
阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
―――
一劫
一つの劫のこと。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳す。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられる。劫の長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としている。
―――
具足
具はそなえる・そなわる・うつわ。足はたる・たりる。①十分に具えること、円満具足の義。②器具の総称、甲冑をさすこともある。仏教では仏前に供する灯明・焼香・立華を三具足という。
―――
展転
次々に移って続いていくこと。
―――
無数劫
数えきれないほどの長い時間。阿僧祇劫ともいう。
―――
蟒身
蟒はニシキヘビのような大きな蛇。蛇のような身。
―――
五百由旬
一由旬の500倍。インドにおける距離の単位で、帝王が一日に行進する距離を一由旬とし、15㌖・20㌖等の所説がある。
―――
善男子
仏法を信奉する在家・出家の男子をいうが、大聖人の仏法においては男女・僧俗の区別はなく、三大秘法を信じ実践するっひとをいう。
―――
善女人
仏法を信奉する在家・出家の女子のこと。
―――
竊に
こっそりと。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
一句
句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。
―――
如来の使
如来より遣わされた者。仏の使者。仏の如く振舞い、折伏を行ずる者。
―――
如来の所遣
如来に遣わされた人。地涌の菩薩。学会員。
―――
如来の事
仏が行う事行。広宣流布。
―――
如来
①「如々として来る」と訳す。仏のこと。②過来・如来・未来のなかの如来。瞬間瞬間の生命。
―――
薬王
薬王菩薩のこと。法華経薬王菩薩本事品第二十三に説かれている。日月浄明徳仏の世に、一切衆生憙見菩薩といわれ、仏から法華経を聞き、現一切色身三昧を得た。そして身をもって供養しようと、身を焼いて法華経および日月浄明徳仏に供養した。そののち再び生まれて日月浄明徳仏から付嘱を受け、仏の涅槃に際しては、七万二千歳のあいだ臂を灯して供養した。
―――
悪人
悪事をなす人。正法を誹謗する人。五逆罪を犯す人。
―――
不善の心
不善は善でないこと。悪行をなすこと。正理に背き、道にはずれること。十悪・五逆者の心。
―――
毀罵
誹謗し謗ること。
―――
悪言
悪口・悪語のこと。貧・瞋・癡等から発する言葉。他人をあしざまに悪く言うこと。十悪のなかの口業の四悪。
―――
在家
①在俗のままで仏法に帰依すること。またその人。②民家、在郷の家、田舎の家。③中世、領事の所轄内で屋敷を与えられ、居住し、在家役を負担していた農民。
―――
出家
世俗の家を出て仏門に入ること。在家に対する語。妻子・眷属等の縁を断ち切り仏道修行に励む者のこと。比丘・比丘尼のこと。
―――
毀呰
そしりとがめること。
―――
我が所説の諸経
釈尊が説いてきたところのさまざまな経。
―――
法華最も第一なり
釈尊が説いてきたところのさまざまな経の中で法華経が第一であるということ。法華経を説くことこそ、仏の出世の本懐であるという宣言。
―――
我が所説の経典無量千万億
釈尊が説いてきた経は計り知れないほど多くあるが、との意。
―――
已に説き今説き当に説かん
已今当のこと。已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第10に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」(法華経362㌻)とある。これについて、天台大師は『法華文句』で、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと解釈している。
―――
難信難解
「信じ難く、解し難し」と読む。易信易解に対する語。法華経法師品第10には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている(法華経362㌻)。信じ難く理解し難いこと。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それ故、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。
―――
法師
よく仏法に通じ清浄な行を修して人の師となる者のこと。
―――
親近
親しみ近づくこと。
―――
菩薩の道を得ん
菩薩道を成就できる、成仏得道できる道。方途。
―――
随順
仏の教えに従うこと。仏法を信受すること。
―――
恒沙の仏
恒沙とはガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数の仏という意となる。
―――
宝塔
宝物で飾られた塔。法華経見宝塔品第11では、釈尊の法華経の説法が真実であると保証するために、多宝如来が中に座す宝塔が、大地から出現して嘱累品第22まで虚空に浮かんでいた。この宝塔は高さ500由旬で、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られていた。この塔の内に釈迦・多宝の二仏が並んで座り(二仏並坐)、聴衆も空中に浮かんで、虚空会の儀式が展開された。日蓮大聖人はこの虚空会の儀式を借りて曼荼羅を図顕され、末法の衆生が成仏のために受持すべき本尊とされた。そして曼荼羅御本尊の中央にしたためられた南無妙法蓮華経を宝塔と同一視されている。また妙法を信受する人は、南無妙法蓮華経そのものであるので、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝(七聖財)に飾られた宝塔であるとされている(1304㌻)。
―――
釈迦牟尼世尊
たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
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平等大慧
諸仏の実智のこと。諸法平等の理を悟り、一切衆生を平等に利益する仏の智慧をいう。宝塔品には「釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経を以って、大衆の為に説きたもう」とあり、一切衆生を平等に、救済していく、広大な御本仏の智慧、大御本尊の智慧をいう。
―――
教菩薩法
菩薩を教化するための法。妙法蓮華経の異名。宝塔品には「善い哉善い哉釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経を以って、大衆の為に説きたまう」とある。
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仏所護念
「仏の護念する所」と読む。妙法蓮華経は三世十方の諸仏が護り念じてきた所の教法であるとの意。
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妙法華経
①鳩摩羅什訳の法華経28品。②法華経に説かれた法理。③所詮の法体。
―――
大衆
①多数の僧のこと。主に小乗教でいう。②仏が説法する会座に連なり、その説法を聴聞する衆。③仏道を修める僧。学生と同意。④一般民衆のこと。
―――
諸余の経典
釈尊が成道してから入涅槃するまでの間に説いた一切経のこと。
―――
恒沙の如し
ガンジス河の沙の数ほど無数であるということ。
―――
須弥
須弥山のこと。古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
―――
他方無数の仏土
他方は娑婆世界以外の国土・世界。無数は数えきれないほどの多くの意。娑婆世界以外の数えきれないほどの仏土。
―――
滅度
①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。
―――
悪世
闘諍堅固・白法隠没の五濁悪世のこと。末法の相をいう。
―――
刀杖を加うる者
①勧持品第13に出てくる三類の強敵の第一類、俗衆増上慢が起こす難。②文永元年(1264年)11月11日、日蓮大聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津に住む門下、工藤氏の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」(1498㌻)に記されている。(小松原法難)。
―――
悪世の中の比丘
法華経勧持品第13に「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん」とある。三類の強敵の第二類、道門増上慢を示す文。
―――
邪智
よこしまな知恵にたけていること。
―――
諂曲
自分の意思をまげてこびへつらうこと。弱者に対しては驕り高ぶり、強者に対しては、こびへつらう修羅の本性をいう。世間的欲望や恐れから正義を尊ぶ心を捨てて強者や世間の意思に従うこと。
―――
我慢
①七慢のひとつ。②我を驕って誇り、他を軽んじ従わないこと。③耐え忍ぶこと。
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阿練若
梵語(Aranya)阿蘭若・阿蘭那・阿練茹とも書く。訳して無諍声・無声所・遠離処・意楽処・無諍行・閑静・寂静処・空寂・無諍・空家等という。人里離れた静かな山寺のこと。
―――
納衣
法衣の一種、人の捨てた布を拾い集めて選択し、これを繕って作った衣。納は繕うの意味。糞掃衣ともいう。
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空閑
人里離れたしずかなところ。梵語で僧侶の修行に適した静かなところ。阿練若のこと。
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軽賎
他人を軽蔑し卑しむこと。
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利養
名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること。
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貪著
貪り執着すること。人の欲を生き起こす五境に執着すること。三毒のひとつ。
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白衣
在家の信者のこと。釈迦在世のインドでは俗人は白衣を着ていた。
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恭敬
「きょうけい」とも読む。慎み敬うこと。五種の功徳の一つで、仏・菩薩が衆生を救うための振る舞い、説法などを慎み敬うこと。
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六通の羅漢
六神通を習得した阿羅漢のこと。六神通のうち、宿命通までの五通は外道の仙人でも成就できるが、第六通(漏尽通)は阿羅漢位でなければ成就できない。法華経勧持品第13の二十行の偈では、僭聖増上慢が世間から敬われるさまは六通の羅漢のようであると説かれている(法華経418㌻)。
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大衆
①多数の僧のこと。主に小乗教でいう。②仏が説法する会座に連なり、その説法を聴聞する衆。③仏道を修める僧。学生と同意。④一般民衆のこと。
―――
国王
国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。
―――
大臣
太政官の上官の長。
―――
婆羅門
インド古来の四姓のひとつで、訳して浄行という。悪法を捨てて大梵天に奉持し、浄行を修するという意味からこの名がある。みずから、梵天の口から生じた四姓中の最勝最貴であると称している。これは、古代インドでは、戦勝も収穫も祈りによって決定されるという思想があったから最も尊ばれたのである。しかし、一部には王と戦士の階級であるクシャトリアの方が上であるとする文献もある。
―――
居士
梵語で(grha-pati)といい、家長・長者と訳す。出家しないで仏門に帰依した男子。
―――
比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
―――
誹謗
悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。
―――
邪見
仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。
―――
外道の論議
論議は経論などの文義に関する問答。仏教以外の道門である外道の論と義。
―――
外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
―――
濁劫
五濁に支配される時代。五濁とは①劫濁。時代の汚れ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。 ②見濁。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。③煩悩濁。貪・瞋・痴等の煩悩が盛んになること。 ④衆生濁。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。⑤命濁。衆生の寿命が次第に短くなること。
―――
悪世
闘諍堅固・白法隠没の五濁悪世のこと。末法の相をいう。
―――
恐怖
恐るべきこと。
―――
悪鬼其身に入つて
悪鬼入其身のこと。「悪鬼は其の身に入って」と読み下す。法華経勧持品第13の二十行の偈の文(法華経419㌻)。三類の強敵の様相を説いた中の一句。三類の強敵には悪鬼が身に入り、正法を護持する者を迫害すると説かれる。人々が心の中の煩悩や邪見という悪に身を支配され、薬叉など鬼神の様相を示し、正法およびそれを護持する人に敵対・反発するさまを表現している。日蓮大聖人は、悪鬼の最も根本で手ごわい者を第六天の魔王(他化自在天)とみなされている。「治病大小権実違目」(997㌻)では、その第六天の魔王は、生命にそなわる根源的な煩悩である「元品の無明」の現れであると明かされている。
―――
悪鬼
悪鬼とは奪命者、奪功徳者で、六道の中の餓鬼道に住する。鬼に善鬼と悪鬼がある。悪鬼は人の生命力を衰えさせ、思考の乱れを引き起こして、正法を行ずる者を妨げる。また国家・社会に対して天変地変や思想の混乱を起こす働きをする。法華経勧持品には「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん」とあり、この文について御義口伝には「悪鬼とは法然弘法等是なり入其身とは国王.大臣.万民等の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を怨むべしと云う事なり」とある。このことから、悪鬼とは、仏教を看板にかけた邪教の指導者のことである。
―――
毀罵
誹謗し謗ること。
―――
毀辱
毀謗と侮辱のこと。そしり、はずかしめること。
―――
濁世
濁って乱れきった社会・世の中。五濁悪世・濁劫悪世のこと。
―――
悪比丘
比丘とは梵語で、仏法に帰依して具足戒を受けた男子。悪比丘とは、名利のために形ばかり比丘となり、邪法を説く輩。出典は仁王般若波羅蜜経嘱累品。
―――
方便随宜所説の法
方便として衆生の機根に随って説かれる教え。
―――
大神力
神力品において、釈尊は地涌の菩薩に法を付属するにあたって、十種の神力を現ずる。十神力とは①出広長舌、「広長舌を出して上梵世に至らしめ」②通身放光、「 一切の毛孔より、無量無数色の光を放って皆悉く徧くく十方世界を照したもう」③一時謦欬、「然して後に還って舌相を摂めて一時に謦欬し」④倶共弾指「倶共に弾指したもう」⑤地六種動、「是の二つの音声、徧く十方の諸仏の世界に至って、地皆六種に震動す」⑥普見大会、「其の中の衆生、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以ての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し囲繞したてまつるを見る」⑦空中唱声、「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声に唱えて言わく」⑧咸皆帰命、「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作さく、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と」。 ⑨遙散諸物、「種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず」⑩十方通同、「時に十方世界通達無碍にして一仏土の如し」である。この神力というも妙法蓮華経の五字に含まれるのである。
―――
広長舌
神力品に説かれる。法華経を付嘱するためにあらわした十種の神力の第一で広長舌相のこと。仏の三十二相の一つ。古代インドでは、言う所が真実であることを証明するのに舌を出す風習があり、舌が長ければ長いほど、その言説が真実であることの確かな証明とされた。ゆえに広長舌相は虚妄のないことを表す。
―――
梵世
色界の諸天の総称。
―――
諸仏
十方の諸仏のこと。十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
―――
涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
―――
一日一夜
天台大師の五時教判によると、涅槃経は一日一夜の説で、跋提河の辺とされている。
―――
八十入滅
釈尊が80歳で入滅したこと。入滅は寂滅の意で、涅槃ともいい、仏の死を意味する。
―――
依法不依人
涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され(481㌻など)、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。
―――
文殊
文殊師利はサンスクリットのマンジュシュリーの音写。直訳すると、「うるわしい輝きをもつ者」。仏の智慧を象徴する菩薩で、仏像などでは獅子に乗った姿で釈尊の向かって左に配される。法華経では、弥勒菩薩・薬王菩薩とともに、菩薩の代表として登場する。
―――
普賢
普賢はサンスクリットのサマンタバドラの訳。「あらゆる点で優れている」の意で、仏のもつ優れた特性(特に実践面)を人格化した菩薩。仏像などでは、白象に乗った姿で釈尊の向かって右に配される。法華経では普賢菩薩勧発品第28で登場し、法華経の修行者を守護する誓いを立てる(法華経665㌻以下)。
―――
観音
観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。
―――
地蔵
インド神話における地神がその起源とされ、仏教においては衆生の苦を除いて成仏へ導く菩薩とされた。釈尊から忉利天の衆生の前で、釈尊滅後に弥勒菩薩が出現するまでの無仏の世界の導師として付嘱を受けたとされる。地蔵菩薩への信仰は、日本の平安時代に末法思想と結びついて広まった。
―――
依義不依語
法の四依のひとつ。「義に依って語に依らざれ」と読む。仏説の実義・真義をよりどころとして、経文の表面上の語句にとらわれてはならないということ。
―――
依智不依識
法の四依のひとつ。「智に依って識に依らざれ」と読む。仏の真の智慧をよりどころとして、人の浅い知識や経験則によってはならないこと。
―――
依了義経不依不了義経
法の四依のひとつ。 「了義経に依って不了義経に依らざれ」と読む。仏の真実の経である法華経をよりどころとして、法華経以外の方便の諸経をよりどころとしてはならないこと。
―――
観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観無量寿経のこと。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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深密経
解深密経のこと。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
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華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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般若経
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
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釈尊一代五時のうち、法華涅槃時についての段であるが、法華経こそ釈尊の真意が説かれた「実大乗」であり、この法華経を根本として立てられたのが天台法華宗であることを図示され、それを裏づける文証を示され、涅槃経は釈尊が入滅する日の一日一夜に、滅後の戒めのために説かれた教えであることを教示されている。
まず「法華経」について図示されているところを拝すると「法華経」と書かれた文字の脇に「実大乗」、「八箇年」と書かれ、8ヵ年にわたって説かれた法華経が、これまでの「小乗教」の阿含経や「権大乗」の華厳経・方等部経典・般若部経典と異なり「実大乗」の教えであることを明らかにされている。この直前に示された無量義経の文にあったように、方便を捨てて真実を顕したものであり、しかも、「菩提の大直道」すなわち成仏の直道を明かした経である。権大乗の諸経は菩薩道を説いているが、それは成仏の直道ではないため、どれほど長期間にわたって修行しても、結局、成仏という最後のゴールには到達できなかった。今、法華経によって初めて成仏の直道が明らかにされたのである。
次に「顕露宗・最秘密宗・仏立宗・法華宗・天台宗」の注記についてであるが、御書全集には法華経の下に並記されているが、御真筆では「法華宗」の右側の「実大乗」のさらに右側に、ほぼ同じ高さで並べて記されている。明らかに大聖人はまず「天台宗」と書かれ、次に「法華宗」「仏立宗」「最秘密宗」「顕露宗」の順に書き加えられていったと推定される。このことは、法華経を根本とした宗はいうまでもなく日本では叡山の天台宗で、しかも「天台宗」が最も一般的に使われていた呼称であったこと、逆に「顕露宗」を呼称された例はなく、これは呼称というより特質を示すためにあえて記されたと拝されることからも明らかである。
「天台宗」はいうまでもなく、中国で天台大師によって立てられた法華経を根本とする宗の名称で、日本には、伝教大師最澄が渡唐し相承を受けて比叡山に開いた。天台宗といい、天台大師といい、「天台」とは中国の地名で、そこを本拠としたことから呼ばれるようになったのであるが、日本でも伝教大師が開創した宗名として「天台宗」が定着していた。
「法華宗」は法華経を根本とする宗の意で、天台宗を指する呼称として、これもかなり広く用いらえていた。しかし、日本の天台宗は、第三代座主慈覚以後は、真言密経を取り入れ、むしろ法華経よりも大日経のほうが勝れるという邪義を立てるようになったことから「法華宗」「天台法華宗」の呼称は実態と合わなくなり、用いられることも少なくなっていったようである。
「仏立宗」は法華経を根本とすることは、釈尊自身が定められたところであるということから、伝教大師が法華宗句で「釈迦世尊所立の宗なり」と述べたのを受けて、天台法華宗が自負して使ったものである。一般的に用いられた呼称ではないが、大聖人は本来の天台宗はかくあったのだという心を込めて、この呼び名をここに記されたと拝される。
「最秘密宗」と「顕露宗」は法華経のもつ意義のうえから、このように記されたもので、御真筆でも「仏立宗」までとは少し位置を下げて、この二つを並べて書かれている。
「秘密」と「顕露」では逆の言葉で、一見、矛盾した呼称である。それ故にこそ、この二つは“対”のかたちをとる必要がある。法華経が「最秘密」とされる理由は、仏の悟りの智慧と真理が九界の衆生には知ることのできない甚深の法だからである。「顕露」とされる理由は、その甚深の法を初めて説き明かしたのが法華経であるからである。しかし、では明らかにされたのだから、だれでも知ることができるかといえば、そうではない。眼前に真理はあっても理解するには智慧が必要であり、その智慧は、法華経を信じることによって得られる。したがって結論的にいえば、信じない人にとっては「秘密」であり隠されているが、信じて智慧を得た人にとっては「顕露」なのである。
以上は「天台宗」が法華経を根本にしていることを前提としての意義であるが、現実の天台宗は先に述べたように、「天台真言宗」と化していた。しかも、末法に至って、法華経の文上の法門にとどまっている天台仏法では、もはや人を救う力はない。そこに日蓮大聖人が出現され、法華経の寿量品文底の大法を弘通される真実の意義があることは諸御抄に明確である。本抄は、あくまで仏教の基本的知識を教えるとの立場から、法華経根本を明確にされた御抄であるので、本来の「天台宗」を宣揚することでとどめられているが、大聖人の門下に対し、大聖人一門こそ「法華宗」であるとされていることは、四条金吾の御手紙に「法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(1118-01)と仰せられている御文から明らかである。
次に「法華経」が釈尊50年の説法中、最高の経典であり、大乗仏法の極説であることを、法華経からいくつかの経文を引用され示されていく。
まず、法華経こそが方便の教えではなく真実の教えであることを示している経文として方便品第二から三つの文を抜き書きされている。
一つは「世尊は法久しくして後に要当に真実を説き給うべし」である。これは、釈尊は成道後、久しい間にわたって教えを説いた後に、必ず真実の教えを説く、という文である。
次いで、「正直に方便を捨てて但無上道を説く」である。ここでははっきりと“正直に”すなわち、仏である自らの本意のままに、方便の教えを捨てて、ただただ“無上道”すなわち、最高・究極の教えである法華経を説くことを釈尊が宣言している。
第三は、「種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」である。これは、仏が40余年にわたって方便権教を説いて「種々の道」を示したのは、一切衆生を成仏させるための教えを説くためであったと述べたものである。
以上、方便品から引用された後、次に譬喩品第三から三つの文が引かれている。一つは法華経を説いたことによって仏は一切衆生に対し主・師・親三徳を具えるに至ったと宣言しているところである。
今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我れ一人のみ能く救護を為す復教詔すと雖も而も信受せず」と。
ここは、法華経によって仏が欲界・色界・無色界の三界のすべてを自らの所有とし、そこに住む衆生は自らの子であり、苦難の多い三界にいる衆生を仏のみがよく救済し守護することができるのであり、この法華経を、衆生の方が信受しようとしない、とも述べている。
これを受けて次に「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則一切世間の仏種を断ぜん或は復顰蹙蹙して疑惑を懐かん。汝当に此の人の罪報を説くことを聴くべし・若しは仏の在世若しは滅度の後其れ斯の如き経典を誹謗すること有らん。経を読誦し書持する有らん者を見て軽賎憎嫉し而も結恨を懐かん・此の人の罪報を汝今復聴け其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して劫尽きなば更生じ是の如く展転して無数劫に至らん・此に於て死し已つて更に蟒身を受けん其の形長大にして五百由旬ならん」という、かなり長い文を引用されている。
仏がこの真実にして無上である道を法華経に説いても、衆生のほうが信じないで、さらには謗ったりすると、六道の迷界を脱出して成仏するための根本原因を自分から断ち切ってしまうことになるし、死後は阿鼻地獄に堕ちて無数の時間を経過するであろうと戒め、あるいはしきりに蛇のような大きな蛇身を受けることになるであろう。とも戒めている。ここには14誹謗のうち、後半の八つが説かれている。すなわち、不信・顰蹙・疑惑・誹謗・軽善・憎善・嫉善・恨善である。
つぎに法師品第十から、「若し是の善男子善女人我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経の乃至一句を説かん当に知るべし是の人は則如来の使なり如来の所遣として如来の事を行ずるなり」との文を引用されている。
すなわち、もし善男子・善女子が仏の涅槃の後に、ひそかに一人のために法華経の一句でも説く者があれば、その人は如来の使者として如来に派遣され、如来の仕事を行うものである、との意である。
これに続いて、「薬王若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若人一の悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せば 其の罪甚だ重し」とあり、今度は悪人が悪心を懐いて仏の前で一劫もの間、仏をののしっても、その罪はまだ軽いが、法華経を読誦する在家・出家のものに対して一言でも悪口をいう罪はそれよりもはるかに重い、と述べて、法華経が仏よりも大事であることを強調している。
さらに続けて「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり・我が所説の経典無量千万億にして已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為難信難解なり」とあり、釈尊の説いた諸経は無量千万億という数にのぼるが、已説・今説・当説の三説法の中で、法華経は最第一であり、難信難解として、法華経の偉大さを述べているところである。
法師品からの引用の最後に若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見上ることを得ん、とある。ここでは「法師」すなわち法華経を説くものに親しく近ずくと、速やかに菩薩の道を得ることができる。さらにこの人に随って学ぶと、無数の仏を見ることができる。すなわち成仏できることを強調しているところである。
次いで、 見宝搭品第十一から二つの文が引かれている。
一つは、「爾の時に宝塔の中より大音声を出して言わく善哉善哉釈迦牟尼世尊能く平等大慧教菩薩法仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説き給う是の如し是の如し釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」というものである。
有名な多宝如来の証明の部分である。すなわち、宝塔の中から多宝如来が大きな声を出し、感嘆していった。「すばらしい、すばらしい。釈迦牟尼世尊は平等で偉大な智慧、菩薩を教える法で仏に大切に護られる妙法蓮華経を多くの人々のために説いた。そおとおりである、そのとおりである。釈迦牟尼世尊の説くところはすべて真実である」というのがその内容である。
二つには、「諸余の経典数恒沙の如し此等を説くと雖も未だ難しと為すに足らず若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ難しと為さず・若し仏の滅度に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち難しと為す」と六難九易として名高い譬喩を説いているところから、その一部を引用されている。
ここでは二つの易しいことと難しいことが説かれている。すなわち、法華経以外のガンジス河の砂ほど数多い経典を説くこともまた困難ではない。また、須弥山を手にとって投げ、他方の無数の国土に置くこともまだ困難ではない、という二つの易しいことに比べ、仏が涅槃に入った後の悪世の中で法華経を説くことは難しいとして、仏滅後の法華経受持の困難さを強調している文といえる。
続いて、勧持品第十三の20行の偈のなかから、特に妙楽大師が法華文句記巻八で定義した三類の強敵に当たる部分と「悪鬼入其身」「数数見擯出」の語句を含む偈を引用されている。
まず、「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」多くの智慧の無い人々が、悪口を言い罵倒して、また刀で斬りつけ杖で打っても我々は皆忍耐する=俗衆増上慢の文である。
次に、「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」悪世の比丘は邪な智慧をもち、心にへつらいがあり、まだ悟りを得ていないのに得たと思い込んで、おごり高ぶる心が満ちている=道門増上慢にあたる。
次いで、「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん・常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲する故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん」森林のようなだれもいない静かなところで、ぼろきれを綴り合わせて作った衣を着て、自ら真実の道を修行していると思い込んで、人間の社会を軽蔑するものがいるであろう。彼らはいつも大勢の人々の中で我らを非難しようとして、国王・大臣・婆羅門・居士やその他の比丘たちに向かって我らを誹謗して、我らの悪を説き、「これらは邪見の人であり、外道の論議を説いている」というであろう=僭聖増上慢である。
次に、「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈し毀辱せん」濁った時代の悪世には多くの恐怖があり、悪鬼がその体に入ったような人々が我らを罵倒し非難し辱める=悪鬼入其身の語句である。
ついで、「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず悪口して嚬蹙し数数擯出せられん」濁った世の悪比丘たちは仏が巧みな手段によって相手の都合に合わせた法を知らず、悪口を言い、眉をしかめ、しばしば追放する=数数見擯出の語句である。
以上で勧持品からの引用を終え、最後に如来神力品第二十一から「大神力を現し広長舌を出して上梵世に至らしむる諸仏も亦復是の如く広長舌を出し給う」との文を引用されている。
これは釈尊や諸仏が広長舌を出して梵天にまで届かせたという偉大な神通力を示すところで、仏の説く内容に虚偽はないことを示したのである。
最後に涅槃経について示される。初めに「涅槃経」と左右の脇書は「一日一夜」「八十入滅」とある。
これは、涅槃経が釈尊の80歳入滅時における最後の一日一夜に説かれた経典であるということである。実際には、説法だけでなく、涅槃に入る時のようすも記されている。
ついで「依法不依人」「依義不依義」「依智不依識」「依了義経不依了義経」という、法の四依が示されている。涅槃経でも、特に大涅槃経と呼ばれる「大般涅槃経」には法華経に説かれた仏身の常住を繰り返して説いた内容も含まれているが、涅槃における説法の要は、滅後の仏弟子のために、最も重要な心構えとして「法の四依」がしめされたことにあるからである。
御真筆によると、四依の中で「依法不依人」の「人」のところに「文殊・普賢・観音・地蔵等、竜樹菩薩・善無畏・弘法・慈覚・法蔵・嘉祥・善導等なり」と記されている。すなわち「法によって人に依らざれ」の「人」とは具体的には注記に代表されるような菩薩や各宗派の祖師たち、人師や論師たちのことであり、仏法を修行し広めるにあたっては、これらの「人」の言に依るのではなく、「法」すなわち「仏説」を依りどころとすべきであるということである。
「依義不依語」とは、こうして、「法」すなわち「仏説」を依りどころとする場合、言葉の表面にとらわれるのでなく、そこに説こうとされた内容の法理をあくまで依りどころとせよということである。
次に「依智不依識」とは、涅槃経自体に「言う所の智とは、すなわち、これ如来なり。もし声聞の善く如来の功徳を知る能わざるあらば、かくのごときの識は応に依止すべからず」とあるように、如来の智、仏智を根本とすべきで、声聞など、まだ仏智に達していない人の考えや思いを依りどころにしてはならないということである。例えば法華経でも、二乗は自分たちはこのように考えていたと記されている文があるが、それを依りどころとしてはならないとの戒めである。
次に「依了義経不依了義経」の「依了義経」のところに「法華経」と記され。依りどころとすべき完璧に真実を説いた経は法華経であることが示されている。これに対して依りどころとしてはならない不了義経は「観経等・大日経等・深密経等・華厳経等・般若経等」であることが示されている。
このように「法の四依」は、仏法の修学・修行については人師の言葉でなく、法すなわち仏説を依処とすべきであり、仏説であっても語でなく義を依どころとすべきであり、同じく義といっても、声聞などの識ではなく仏の智を根本とすべきであり、その仏の智でも、不完全にしか明かしていない不了義経たる権教でなく、完全に説いた了義経の法華経を依りどころとすべきであるという重要な規範を示したものである。この意味で涅槃経は法華経が説かれたあとの流通分の経であり、滅後のための遺言なのである。
0623~0632 一代五時鶏図top
0623:01~0623:09 第一章 竜樹の大論の説を示すtop
| 0623 一代五時鶏図 01 寿命三百年 02 羅什訳 03 百論千巻 法雲自在王如来 観自在王如来 04 仏滅後六七八 05 大論に云く十九出家三十成道 06 三十万巻 竜樹菩薩 第十一馬鳴菩薩の御弟子付法蔵の第十三 ・ 07 大悲方便論 十万巻 └猛 08 大 心 論 十万巻 09 大無 畏論 十万巻 -----― 竜樹の寿命は三百年といわれている。 大智度論は、羅什が訳す。 竜樹の本地は法雲自在王如来である。また観自在王如来ともいう。 大智度論は百論からなり、インドの原本は千巻である。 竜樹の出現は仏滅後六百七十八年である。 大智度論には、釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道したとある。 竜樹菩薩は付法蔵の第十一、馬鳴菩薩の御弟子で、付法蔵の第十三である。 └竜猛菩薩ともいう。 竜樹の著作は三十万巻ともいわれている。内訳は 大悲方便論 十万巻 大 心 論 十万巻 大無 畏論 十万巻、となる。 |
羅什
344年~413年(一説に350年~409年)。サンスクリットのクマーラジーヴァの音写。中国・後秦の訳経僧。羅什三蔵とも呼ばれる。インド出身の貴族である父・鳩摩羅琰(クマーラヤーナ)と亀茲国(クチャ)の王族である母との間に生まれ、諸国を遍歴して仏法を学ぶ。後秦の王・姚興に迎えられて長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、多くの訳経に従事した。訳経数は『開元釈教録』によると74部384巻にのぼり、代表的なものに妙法蓮華経・維摩経・大品般若経・『大智度論』などがある。その訳文は内容が秀抜で文体が簡潔なことから、後世まで重用された。前代の訳を古訳、後代の玄奘らの訳を新訳というのに対して、羅什らの訳は旧訳と呼ばれる。
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法雲自在王如来
密教で、竜樹菩薩の本地とされる仏。妙雲相仏。
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観自在王如来
西方の仏とされ、阿弥陀如来と同一視する考え方もあるが、真言宗では別としている。
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大論
摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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十九出家三十成道
釈尊が19歳のとき、世俗の王宮の生活を捨てて、妻子眷属の縁を断って出家し、仏道修行に励んで、30歳で仏道得道したこと。
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大悲方便論
現存する経典にはこの名前がなく、不明。
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大心論
現存する経典にはこの名前がなく、不明。
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大無畏論
大智度論のこと。 摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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猛
ナーガールジュナ(竜樹)のこと。玄奘らの新訳では竜猛という訳を用いる。
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馬鳴菩薩
サンスクリットのアシュヴァゴーシャの訳。2~3世紀ごろに活躍したインドの仏教思想家・詩人。付法蔵の第11。釈尊の一生を美文で綴った『仏所行讃(ブッダチャリタ)』などの作品がある。
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付法蔵
釈尊から付嘱された教え(法蔵)を次々に付嘱し、布教していった正法時代の正統な継承者とされる人たち。『付法蔵因縁伝』では23人とするが、『摩訶止観』では阿難から傍出した末田地を加えて24人ともする。
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本抄は、釈尊一代五時の説法の次第と中国・日本に成立した諸宗派との関連、また釈尊の立場と諸宗の立てる諸宗が一目瞭然に見渡せるように書かれたメモ、あるいは覚書といってよい。その内容から、それ故に、特定のだれかに与えられたものではなく、門下の修学の資料とされたものと考えられる。
その点、これまでの一代五時図の広本・略本と同趣旨の者と思われるが、覚書の意図された力点において、それぞれに若干の相違がある。一代五時図の広本においては法然の浄土宗破折に、略本においては法華経が釈尊説法の究極であることに、本抄では真実の人本尊を明らかにされるところに、それぞれの力点がある。
ところで本抄御執筆の年代については文永9年(1272)、文永10年(1273)、建治元年(1275)説があり、したがって、大聖人51歳、52歳、あるいは54歳の御時の著作ということになる。おそらく、若い弟子たちを教育するための教材として構想されたものではないだろうか。御真筆は西山本門に現存する。
題名の「一代五時鶏図」であるが、釈尊が成道してから入滅するまで説法した期間を五つの時期に分けたうえで、その次第展開を表された図で、ここでは中国の天台大師智顗の分け方に依られる。
先の二抄の場合は「五時図」とあり、他の場合でも「釈迦一代五時継図」とある。五時図というものはともかく、五時継図の場合は五時系図という場合と同じで、五時の順序を次第に系統だてて図示するという意味となる。これらに対し、本抄の場合は「鶏図」という一風変った題名が付されている。鶏について中国文学の古典である説文解学という書物に「鶏は時を知る畜なり」とあるところから、五つの時の経過を鶏に象徴されて、それを図示するという意味で、このように述べられたものと考えられる。
本文に入って、まず「大論に云く十九出家三十成道」と記されている。その左右に記されているのは、「大論」の著者である竜樹にかかわる事項である。以下、釈尊の一代50年間の説法について記されるに当たり、説法開始までの釈尊の経歴として「十九出家三十成道」とされていることを大論によって示されたのである。これは、他の「五時図」「五時継図」と共通している。
大論は大智度論の略称で、その巻三に「我一十九に出家して仏道を学ぶ。我出家してより已来、已に、五十を過ぎ、浄戒・禅・智慧あり、外道は一分も無く、少分すら尚有ること無し。何に況や一切智をや」とある。
なお、ここには「三十成道」はないが、80歳の入滅は一般に認められているところで、しかも説教は50年にわたったとされるところから、逆算して30歳の成道は含まれていると解されたと考えられる。あるいは大智度論に異本があり、それに「三十成道」の記述があったのを記されたのかもしれない。
さて、これを中心にして左右に施されている記をみていこう。
まず「百論 千巻」という記は大論が「百論」「千巻」から成ることを示されている。日蓮大聖人御真蹟対照録によれば「百論」百と論との間に他筆として「巻」が記されており、百巻の論ということ、また仏教のあらゆる問題を論じているという意味を表している。「千巻」とあるのは開目抄にも「竜猛菩薩・初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く」(0204-09)とある。鳩摩羅什は抄訳して百巻としたが、梵本は千巻という大著であったと考えられている。
また「寿命三百年・羅什訳・法雲自在王如来・仏滅後六七八」などの文がある。「寿命三百年」は竜樹が100歳とか150歳、あるいは200歳・300歳の長寿を全うしたという諸説があり、そのうち、300歳説を挙げられたのであろう。「羅什訳」は竜樹作の「大論」が鳩摩羅什によって漢語に訳されていたことを示している。次いで「法雲自在王如来」との注は、開目抄にも「諸宗の元祖・本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩・初地の大聖の大智度論千巻の肝心」(0209-04)とあり、竜猛の本地は法雲自在如来と信じられていたことを示されている。「仏滅後六七八」とあるのは、竜樹の生涯を表すと思われるが、御真筆には「仏滅後三六八」とあり、意味は定かではない。「法雲自在王如来」の下に「観自在王如来」の注記があるが、日蓮大聖人御真蹟対抄録によると、他筆であるとされている。この両如来の関係は定かではないので、何故に、この筆が加えられたかは不明であるがここでは「法雲自在王如来」「観自在王如来」としておく。
次いで「大論に云く」云々をはさんで「三十万巻」「大悲方便論 ・十万巻、大心論・十万巻、大無畏論・十万巻」とあり、竜樹の著した書物が「三十万巻」で、その内訳が「大悲方便論 ・十万巻」「大心論・十万巻」「大無畏論・十万巻」であるということである。
なお、ここで「巻」というのは偈のことで、大聖人は撰時抄で「竜樹菩薩の所造の論三十万偈」(0267-11)と述べられている。また「第十一馬鳴菩薩の御弟子付法蔵の第十三」とある。竜樹は付法蔵11番目の馬鳴の弟子であり、付法蔵13番目ということである。
ところで鳩摩羅什訳の竜樹菩薩伝には「広く摩訶衍を明らかにして、優波提舎を十万偈を作り、また荘厳仏道論五千偈・大慈方便論五千偈を作り、摩訶衍教を天竺において行わしむ。また無畏論十万偈を造る。無畏の中に於いて中論出づ」とあり、仏祖統記でもこれは同じで、合計二十一万偈にしかならないが、それぞれを十万偈とした異本があったのかも知れない。
0623:10~0627:10 第二章 五時のうち爾前四時を図示すtop
| 10 ┌実大乗 ┌杜順和尚 11 ┌┴権大乗 立五教摂尽一代 ├智儼法師 12 │ 二七日 華厳宗──────┴法蔵大師 13 華厳経 二七日 ├香象大師 14 │ ├賢首法師 15 └─結経梵網経 大乗戒之を出す └華厳和尚 ・ -----― ┌実大乗 ┌杜順和尚 ┌┴権大乗 立五教摂尽一代 ├智儼法師 │ 二七日 華厳宗──────┴法蔵大師 華厳経 二七日 ├香象大師 │ ├賢首法師 └─結経梵網経 大乗戒之を出す └華厳和尚 -----― 0624 定経 01 ┌小 乗 ┌長 阿 含┐ ┌倶舎宗定経 02 ├十二年 ├中 阿 含┤ │ 03 阿含経─────┼増一阿含┼──┼成実宗 ・ 04 │ └雑 阿 含┘ │ 戒 05 └結教遺教経 小乗戒之を出ず └律 宗 -----― 定経 ┌小 乗 ┌長 阿 含┐ ┌倶舎宗定経 ├十二年 ├中 阿 含┤ │ 律 阿含経─────┼増一阿含┼──┼成実宗 │ └雑 阿 含┘ │ 戒 └結教遺教経 小乗戒之を出ず └律 宗 -----― 06 ┌大乗 ┌或云法華巳前 07 ┌─┼或説時不定 ┌─┴或云法華巳後 弥勒菩薩説 08 │ ├或一六年 ┌深密経 一百巻 無著菩薩筆 09 │ └或八箇年 │ │五巻 瑜伽論 10 ┌方等部 │ │ 世親菩薩造 10 │ 権大乗 │ │ 唯識論 11 │ │ │ 三十頌 12 │ │ │ 13 │ │ │┌有相宗 三時を立て一代を摂尽す┌玄奘三蔵 14 │ │ └法相宗──────────────┴ 慈恩大師 15 │ │ 六経十一論 16 │ ├瓔珞経 17 │ │ 結経 01 │ ├楞伽経──禅宗──達磨大師 0625 02 │ │ 或は諸法無行経 或は金剛般若経 或は大円覚経 或は首楞厳経 03 │ │ 或は云く一切経 或は云く教外別伝 04 │ │ ┌─────一巻七枚 05 │ │ 菩提心論──┬或云竜樹造 06 │ │ └或云不空造 07 │ │ 七巻 08 │ │┌大 日 経──┬──善無畏三蔵 09 │ ││ 三巻 │ 10 │ ├┼金剛頂経 │ 真言宗 11 │ ││ 三巻 │ 顕密二道を分ち五蔵を立て或は十住心を立つ ・ 12 │ │└蘇悉地経 └──金剛智三蔵・不空三蔵・一行阿闍梨 13 │ │ 或は云く 方等部 14 │ │ 或は云く 華厳部 15 │ │ 或は云く 般若部 ┌曇鸞法師 16 │ │ 或は云く 法華部 ├道綽禅師 17 │ │ 或は云く 涅槃部 ├善導和尚 18 │ │ 或は一代諸経の外 ├恵感禅師 19 │ │ 雙観経 ├小康法師 20 │ ├観 経──浄土宗──┴法 照 01 │ 三十年 └阿弥陀経 0626 02 │ ┌或は云く二十一年 │├難行 03 │┌┴或は云く十四年 └┼易行 04 ││ ├聖道 05 ││ ┌大品 般若 ├浄土 06 ││ ├光讃 般若 ├雑行 07 ││ ┌┼金剛 般若 ├正行 ┌百 論 竜樹菩薩造 08 ││ │├天王問般若 ├諸行 ├中 論 同 09 ││ │└摩訶 般若 └念仏 ├十二門論 同 10 ├般若経─────────────────┴大 論 同 11 │ └仁王般若 結経 01 │ ┌或は四論宗という ┌浄影 0627 02 └三論宗─────────┬─┼興皇 03 ├或は法性宗と云う │ ├嘉祥寺の吉蔵大師 04 └或は無相宗と云う │ └道朗 05 └三時を立て一代を摂尽す、或は二蔵を立て或は三転法輪を立つ -----― ┌大乗 ┌或云法華巳前 ┌─┼或説時不定 ┌─┴或云法華巳後 弥勒菩薩説 │ ├或一六年 ┌深密経 一百巻 無著菩薩筆 │ └或八箇年 │ │五巻 瑜伽論 ┌方等部 │ │ 世親菩薩造 │ 権大乗 │ │ 唯識論 │ │ │ 三十頌 │ │ │ │ │ │┌有相宗 三時を立て一代を摂尽す┌玄奘三蔵 │ │ └法相宗──────────────┴ 慈恩大師 │ │ 六経十一論 │ ├瓔珞経 │ │ 結経 │ ├楞伽経──禅宗──達磨大師 │ │ 或は諸法無行経 或は金剛般若経 或は大円覚経 或は首楞厳経 │ │ 或は云く一切経 或は云く教外別伝 │ │ ┌─────一巻七枚 │ │ 菩提心論──┬或云竜樹造 │ │ └或云不空造 │ │ 七巻 │ │┌大 日 経──┬──善無畏三蔵 │ ││ 三巻 │ │ ├┼金剛頂経 │ 真言宗 │ ││ 三巻 │ 顕密二道を分ち五蔵を立て或は十住心を立つ │ │└蘇悉地経 └──金剛智三蔵・不空三蔵・一行阿闍梨 │ │ 或は云く 方等部 │ │ 或は云く 華厳部 │ │ 或は云く 般若部 ┌曇鸞法師 │ │ 或は云く 法華部 ├道綽禅師 │ │ 或は云く 涅槃部 ├善導和尚 │ │ 或は一代諸経の外 ├恵感禅師 │ │ 雙観経 ├小康法師 │ ├観 経──浄土宗──┴法 照 │ 三十年 └阿弥陀経 │ ┌或は云く二十一年 │├難行 │┌┴或は云く十四年 └┼易行 ││ ├聖道 ││ ┌大品 般若 ├浄土 ││ ├光讃 般若 ├雑行 ││ ┌┼金剛 般若 ├正行 ┌百 論 竜樹菩薩造 ││ │├天王問般若 ├諸行 ├中 論 同 ││ │└摩訶 般若 └念仏 ├十二門論 同 ├般若経─────────────────┴大 論 同 │ └仁王般若 結経 │ ┌或は四論宗という ┌浄影 └三論宗─────────┬─┼興皇 ├或は法性宗と云う │ ├嘉祥寺の吉蔵大師 └或は無相宗と云う │ └道朗 └三時を立て一代を摂尽す、或は二蔵を立て或は三転法輪を立つ -----― 06 ┌華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年なり 07 ├法界性論に四十二年 08 無量義経に云く方便力を以ての故に 四十余年には未だ真実を顕さず、 又云く無量無辺不可思議阿僧祇劫を過る 09 も終に無上菩提を成ずるを得ず、 所以は何ん菩提の大直道を知らず 険逕を行くに留難多きが故に、 又云く大直 10 道を行けば留難無きが故に。 -----― ┌華厳は三週間・阿含十二年間・方等般若合わせて三十年間・合計四十二年である。 ├法界性論にも四十二年とある。 無量義経には「方便の力をもっての故に、四十余年には未だ真実を顕わしていない」とある。また「無量無辺不可思議阿僧祇劫を経過しても、ついに無上の悟りを成ずることができない。理由はなぜか、悟りへの大直道を知らず、険逕の道を進むので困難が多いからである」とある。また「悟りへの大直道を行けば困難は無いのである」とある。 |
二七日
2週間・14日間のこと。法相宗では、釈尊は成道後、寂滅道場菩提樹下で14日間の間、華厳経を説いたとしている。
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三七日
3週間・21日間のこと。華厳時の説法の期間。
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華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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実大乗
仏が自らの覚りをそのまま説いた真実の教え、経典のこと。権教(権経)に対する語。天台宗の教判では、法華経のみを実経と位置づける。
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権大乗
大乗のうち権教である教え、経典。
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梵網経
梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十の略。中国・後秦の鳩摩羅什訳と伝えられるが、現在の研究では中国撰述とされる。大乗菩薩戒の聖典。天台大師智顗が華厳経の結経としたことから、結経梵網経とも呼ばれる。上下2巻からなり、上巻には菩薩の階位の十住・十行・十回向・十地の四十法門が、下巻には菩薩戒の十重禁戒、四十八軽戒が説かれている。上下巻とも大乗の菩薩のために説かれたもので、日本・中国を通じて重要視され多くの注釈書がつくられた。伝教大師最澄は本経に基づいた大乗戒による戒壇の建立を企て、『四分律』に基づく具足戒を小乗戒として廃し、それに代わる授戒制度を創出した。
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大乗戒
大乗の菩薩が受持すべき戒。三聚浄戒・十重禁戒・四十八軽戒などがある。精進して衆生のために尽くす利他の実践修行を勧めるものが主となっている。
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華厳宗
華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
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立五教摂尽一代
法蔵が立てた五教の区分によって、釈尊の一代聖教を修め尽くすとする華厳宗の教相判釈。
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杜順和尚
557年~640年。中国・隋から唐にかけての僧。法順ともいう。中国華厳宗の第1祖とされてきたが、疑問視もされている。唐の太宗から崇敬された。智儼に法を伝えた。
智儼法師
602年~668年。中国・唐の僧。華厳教学の基礎を築いたが、一般には杜順に継ぐ華厳宗第2祖とされる。弟子に法蔵がいる。
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法蔵大師
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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香象大師
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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賢首法師
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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華厳和尚
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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阿含経
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
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小乗
乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
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十二年
阿含経が説かれた期間。
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遺教経
鳩摩羅什訳。1巻。釈尊が入滅に際して,弟子たちに最後の説法をなした情景を描く経典。中国,日本で広く普及した。特に禅宗では仏祖三経の一つとして重視する。
―――
小乗教
小乗の教えを説いた経典のこと。
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長阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。法蔵部所伝。パーリ語経典の「長部」(ディーガ・ニカーヤ)に相当する。
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中阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「中部」(マッジマ・ニカーヤ)に相当する。
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増一阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。大衆部所伝。パーリ語経典の「増支部」(アングッタラ・ニカーヤ)に相当するが、内容は異なっている。
―――
雑阿含
仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)に相当するが、パーリ語経典相応部と異なり、こちらは「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている。
―――
倶舎宗
仏滅後900年ごろに出現したインドの学僧・世親の倶舎論を所依とする宗派。南都六宗の一つ。毘曇宗・薩婆多宗・論宗ともいう。倶舎論を主として、六足論・発智論と、発智論を釈した大毘婆沙 論等を所依とする小乗教の宗派である。倶舎とは梵語コーシャ(Kosa)、詳しくはアビダルマコーシャ(Abhidharma-kosa)といい、訳して付法蔵という。その教義は小乗有門の思想を根拠とするものである。インドにおいては、安慧、徳慧らが倶舎論の注釈書を作った頃は、一宗派としては存在しなかった。のちに、中国において、陳の真諦が「倶舎釈論」を著してから倶舎宗と呼ばれるようになった。日本には、法相宗の付宗として伝来し、奈良時代に隆盛をみた。
―――
成実宗
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
―――
律
仏が定めた修行上の規律をまとめたもの。
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律宗
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
―――
戒
サンスクリットのシーラの訳。仏道修行者が自ら誓い課した戒め。教団の規則であるヴィナヤ(律)とは異なるが、東アジアでは同一視され、まとめて戒律といわれる。律を構成する各条項は戒と呼ばれる。戒は伝統的に「防非止悪」の意義があるとされる。仏道修行者が習得すべき戒定慧の三学の一つ。『四分律行事抄』では、戒を四つ(四科)に分け、仏によって定められた戒についての教えを戒法、授戒の儀式によって心に納めて防非止悪の功徳を生ずる本体を戒体、戒を持って実践修行することを戒行、五戒・十戒・具足戒などの具体的な戒の規定を戒相とする。歴史上、仏教教団に属する僧尼らが権力と癒着して腐敗堕落すると、しばしば戒律復興運動が起こった。日本では、伝教大師最澄が、具足戒を小乗戒とみなして用いず、もっぱら法華円頓の大乗戒を授ける戒壇の建立を目指し、死の直後に勅許された。ただし法華経には円頓戒の教理は説かれているが具体的な戒相は説かれていないので、伝教大師は梵網経の三聚浄戒と十重禁戒・四十八軽戒を用いて円頓戒の戒相としている。日蓮大聖人は、末法無戒という立場に立たれる。伝教大師の法華円頓戒も、釈尊の教えが無益となる法滅尽の時である末法の衆生にとっては無益であり不要となる。「教行証御書」には「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持って後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持って法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(1282㌻)と述べられ、末法においては三大秘法の御本尊を受持することが持戒であるという受持即持戒を説かれる。この戒は金剛宝器戒であるとされる。【三帰五戒】仏教に帰依する人は、三帰とともに五戒を守る。三帰とは、仏法僧の三宝への帰依である。五戒とは、人間として守るべき最も基本的な戒めで、①不殺生(生き物を殺さない)②不偸盗(盗まない)③不妄語(うそをつかない)④不邪淫(不適切な性交渉を行わない)⑤不飲酒(酒を飲まない)の五つで、在家の仏教者が守るべき戒とされる。三帰五戒は、人界に生まれる業因と位置づけられている。【十善戒】身・口・意の三業にわたって十悪を行わないこと。身業として①不殺生②不偸盗③不邪婬の三つ、口業として④不妄語⑤不綺語⑥不悪口⑦不両舌の四つ、意業として⑧不貪欲⑨不瞋恚⑩不邪見の三つがある。天界の内、欲天に生まれる業因と位置づけられている。また人界において帝王となる因とされる。【八斎戒】布薩の日に在家の仏教者が寺院などに集い、一日一夜守る、出家の聖者に通じる戒。五戒に3項目を加えたもの。①不殺生②不盗③不婬④不妄語⑤不飲酒⑥不著香華鬘不香塗身不歌舞倡妓不往観聴⑦不坐高広大床⑧不非時食(午後に食事をしない)の8つをいう。不著香華鬘不香塗身と不歌舞倡妓不往観聴を分けて9つとすることもある。この八斎戒、特に不非時食を守ることを持斎という。また恒常的な持斎を長斎といい、長斎を行う人も持斎と呼ぶ。日蓮大聖人の御在世当時には戒律復興運動の影響があり、御書にも禅宗や良観(忍性)らの真言律宗の信奉者に持斎がいたことがうかがえる。持斎を実施する毎月8日、14日、15日、23日、29日、30日の6日を六斎日といい、さらに1日、18日、24日、28日を加えて十斎日とすることもある。【十戒】20歳未満の見習い僧である沙弥(少年僧)と沙弥尼(女性の沙弥)が守るべき10の戒め。サンスクリットではシュラーマネーラサンヴァラといい、沙弥が学ぶべき事項という意味。①不殺生②不盗③不婬④不妄語⑤不飲酒⑥不著香華鬘不香塗身⑦不歌舞倡妓不往観聴⑧不坐高広大床⑨不非時食⑩不捉持生像金銀宝物の10種。【具足戒】比丘(出家した男性)、比丘尼(出家した女性)すなわち大僧の受ける戒。それゆえ大戒と呼ぶ。比丘に二百五十戒、比丘尼に五百戒(『四分律』では三百四十八戒)あるという。この戒を受ける者は20歳以上70歳以下の身心清浄で比丘としての資格を失うような過失をしていない者で、なおかつ、前に沙弥戒を受けた者とされている。比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒は、さらにこれを細分して、三千の威儀、八万の細行としている。二百五十戒は、『四分律』では、四波羅夷・十三僧残・二不定・三十捨堕・九十単提・四提舎尼・百衆学・七滅諍からなる。五百戒は、『四分律』では三百四十八戒で、八波羅夷・十七僧残・三十捨堕・百七十八単提・八提舎尼・百衆学・七滅諍からなる。【十重(禁)戒】梵網経に説かれる10種の重大な戒。①不殺②不盗③不淫④不妄語⑤不酤酒(人に酒を売って顚倒の心を起こさせることを禁ずる)⑥不説四衆過罪(出家・在家の菩薩や比丘・比丘尼の罪過を説くことを禁ずる)⑦不自讃毀他(自分のことをほめ、他人を謗ることを禁ずる)⑧不慳惜加毀(貪欲で物惜しみをしたり、人を罵ったりすることを禁ずる)⑨不瞋心不受悔(瞋りの心をもち、人が謝っても受け入れようとしないことを禁ずる)⑩不謗三宝(仏法僧の三宝を謗ることを禁ずる)。梵網経には、大乗の菩薩がこれらの戒を犯すと、修行で得た一切の菩薩の位を失い三悪道に堕ちると説かれている。【四十八軽戒】梵網経に説かれる戒のうち、十重禁戒に対して比較的軽微な罪を戒めた48の戒。①不敬師友(憍慢の心を起こして師長・善友に恭敬供養しないことを戒める)②飲酒(酒を飲むことにより放逸に堕するゆえにこれを戒める)③食肉(肉類を食することにより大慈悲心を断ずるゆえにこれを制する)④食五辛(五辛〈韮・薤・葱・蒜・薑〉を食べることを戒める)⑤不教悔(人の犯した罪を挙げて教え懴悔させないことを戒める)⑥不供給請法(求道心を失わないように、法師に供給し法を請わないことを戒める)⑦懈怠不聴法(懈怠により経律を聴受しないことを戒める)⑧背大向小(大乗に背き小乗に帰向することを戒める)⑨不看病戒(病人を見て看護しないことを戒める)⑩蓄殺衆生具(刀杖弓箭などを蓄えることを戒める)⑪国使(通国入軍ともいう。敵に通じて戦を起こさせることを戒める)⑫販売(畜類の販売を戒める)⑬謗毀(悪心をもって善人法師を謗毀することを戒める)⑭放火焼(悪心をもって山林に放火することを戒める)⑮僻教(小乗や外道をもって人を化導することを戒める)⑯為利倒説(財利のために義理を倒説することを戒める)⑰恃勢乞求(名聞名利のために公の力を恃み利を求めることを戒める)⑱無解作師(知解のない者が猥りに人の師となることを戒める)⑲両舌(両舌を使い賢を欺くことを戒める)⑳不行放救(衆生の死苦を見て救わないことを戒める)㉑瞋打報仇(瞋りをもって仇をなすことを戒める)㉒憍慢不請法(憍慢心を起こし法を請わないことを戒める)㉓憍慢僻説(憍慢にして法を軽蔑し、好んで僻説をなすことを戒める)㉔不習学仏(正法を習学せずに異学異道を学ぶことを戒める)㉕不善和衆(衆の主となる者は善く衆を和し三宝を守る)㉖独受利養(独り利養を受け客僧を待遇しないことを戒める)㉗受別請(別請を受けて利養を自分のみに収めることを戒める)㉘別請僧(檀越らの僧の別請を戒める)㉙邪命自活(邪命・悪戯をもって自活することを戒める)㉚不敬好時(男女を通致し、六斎日〈精進の日〉などに犯戒することを戒める)㉛不行救贖(所尊の災を見て救わないことを戒める)㉜損害衆生(刀杖などを蓄え秤などを販売することを戒める)㉝邪業覚観(戦いを見て喜び耽り、占いをすることを戒める)㉞暫念小乗戒(二乗・外道の心を起こし菩提心を退することを戒める)㉟不発願(好師同学を求めないことを戒める)㊱不発誓(誓って十大願を発し、自らその心を要しないことを戒める)㊲冒難遊行(難所を冒して頭陀遊行することを戒める)㊳乖尊卑次序(尊卑の次第を乱すことを戒める)㊴不修福慧(経律を講じ福慧を修して人を摂化しないことを戒める)㊵揀択受戒(人を選択して受戒することを戒める)㊶為利作師戒(利養のために詐って師となることを戒める)㊷為悪人説(悪人のために戒を説くことを戒める)㊸無慙受施(破戒無慙の者が施を受けることを戒める)㊹不供養経典(経典を敬重し供養しないことを戒める)㊺不化衆生(衆生を教化しないことを戒める)㊻説法不如法(敬心をもって法を説かないことを戒める)㊼非法制限(国王らが非法の制限を立てることを戒める)㊽破法(国王らが制度を立て仏法を破壊することを戒める)。【三聚浄戒】摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒(饒益有情戒)の3種の戒。前の2戒は自利、後の1戒は利他である。この3種の清浄戒は一切の大乗戒を集めまとめているので三聚浄戒という。①摂律儀戒。仏の定めた一切の戒律を守って悪を防ぐこと。この戒には、五戒・八斎戒・十戒およびその他すべての戒が含まれる。②摂善法戒。身口意にわたり進んで一切の善法を修すること。③摂衆生戒。一切衆生を教化し、利益を施すよう努めること。菩薩の慈・悲・喜・捨などの一切を包含する。
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方等部
大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いているとされる。
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大乗
一般に大乗仏教という。サンスクリットのマハーヤーナの訳で摩訶衍などと音写し、「大きな優れた乗り物」を意味する。大乗仏教は、紀元前後から釈尊の思想の真意を探究し既存の教説を再解釈するなどして制作された大乗経典に基づき、利他の菩薩道を実践し成仏を目指す。既存の教説を劣ったものとして「小乗」と下すのに対し、自らを「大乗」と誇った。近年の研究ではその定義や成立起源の見直しが図られ、既存の部派仏教の教団内から発生したとする説が有力である。
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説時不定
教法の説かれた時期が特定できないこと。
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深密経
深密経と略す。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
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瑜伽論
『瑜伽師地論』の略。弥勒(マイトレーヤ)または無著(アサンガ)の作とされる。中国・唐の玄奘訳。100巻。唯識思想に基づく修行やその結果として到達する境地の位を明かし、法相宗でよりどころとされた。
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弥勒菩薩
弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
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無著菩薩
サンスクリットのアサンガの訳。4~5世紀ごろのインドの大乗仏教の論師。『摂大乗論』などを著し、唯識思想の体系化を推進した。世親(ヴァスバンドゥ)の兄。
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唯識論
世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十論頌』に対する10人の論師の解釈を、護法(ダルマパーラ)の説を中心に、玄奘が一書として漢訳したもの。10巻。唯識の論書として法相宗でよりどころとされた。
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世親菩薩
4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワール)出身の論師。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。新訳で「世親」、旧訳で「天親」という。初めは小乗を学び『俱舎論』などを著したが、兄の無著(アサンガ)によって大乗に帰依し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させたほか、『法華論』などを著し、大乗を宣揚した。多くの論書をつくり「千部の論師」とたたえられる。主著に『唯識三十論頌』など。
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法相宗
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
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有相宗
法相宗のこと。三論宗を無相宗というのに対し、こう呼ぶ。
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玄奘三蔵
602年~664年(生年には600年説など諸説がある)。中国・唐の初期の僧。唯識思想を究めようとインドへ経典を求めて旅し、多くの経典を伝えるとともに翻訳を一新した。彼以後の漢訳仏典を新訳といい、それ以前の旧訳と区別される。主著に旅行記『大唐西域記』がある。弟子の基(慈恩)が立てた法相宗で祖とされる。後世、経・律・論の三つ(三蔵)に通暁している訳経僧としてたたえられ、「玄奘三蔵」「三蔵法師」と通称されるようになった。
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慈恩大師
(0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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瓔珞経
『菩薩瓔珞本業経』のこと。二巻。後秦の竺仏念訳とされる。八章からなり、菩薩の法である十波羅蜜、四諦したい、修行の階位(五十二位)などについて説いた経。
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楞伽経
漢訳には4種ある。釈尊が楞伽島(スリランカ)で説いたという設定の大乗経典。唯識説や仏性説が説かれている。初期の禅宗で重視された。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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達磨大師
5~6世紀、生没年不詳。菩提達磨はサンスクリットのボーディダルマの音写。達磨と略す。達摩とも書く。中国禅宗の祖とされる。その生涯は伝説に彩られていて不明な点が多い。釈尊、摩訶迦葉と代々の法統を受け継いだ28代目の祖師とされる。以下、伝承から主な事跡を挙げると、南インドの香至国王の第3王子として生まれ、後に師の命を受け中国に渡る。梁の武帝に迎えられて禅を説いたが、用いられなかった。その後、嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続けていたところ、慧可が弟子入りし、彼に奥義を伝えて没したという。
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諸法無行経
後秦の鳩摩羅什訳。 空思想に立脚して、大乗の実践には善悪の行のないことを説く。
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金剛般若経
金剛般若波羅蜜経のこと。漢訳には6種あるが、鳩摩羅什訳が広く用いられる。
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大円覚経
1巻。唐の仏陀多羅訳とされるが、偽経ともいわれる。大乗円頓の教理と観行の実践を説く。注釈書も多い。大方広円覚修多羅了義経。
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首楞厳経
首楞厳三昧経の略。中国・後秦の鳩摩羅什訳。2巻。もっぱら首楞厳三昧の力用を説き、この三昧で得られた神力を示したり功徳を明かしている。
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一切経
仏教にかかわる経典を総称する語。大蔵経ともいう。また一切の経・律・論のほか、中国、韓・朝鮮半島、日本などで成立した経文の解釈・伝記・史録などを編纂・結集したものをいう。
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教外別伝
禅宗の主張。大梵天王問仏決疑経に基づいて、釈尊の真意は言葉や文字による教えではなく心から心へ摩訶迦葉に伝承されたとする。
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菩提心論
竜樹(竜猛)作、中国・唐の不空訳と伝えられる。1巻。即身成仏を説いて真言の優位性を明かした書として空海(弘法)が重用したが、今日では竜樹作ではないとするのが一般的である。日蓮大聖人も不空自身の作であろうと諸御書で指摘されている(268㌻など)。
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不空
705年~774年。北インド(一説にスリランカ)出身の密教僧。金剛智の弟子。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)など100部143巻におよぶ多くの経典を訳した。玄宗・粛宗・代宗の3代の皇帝の帰依を受け、密教を中国に定着させた。彼の弟子には空海(弘法)に法を伝えた恵果がいる。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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善無畏三蔵
637年~735年。東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。
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金剛頂経
もとは単一の経典ではなく、大日如来が18の会座で説いたとされるものを集めた経典の総称。一般に「金剛頂経」という場合、このうち初会の一部を訳して一経としたものをさす。漢訳には、金剛智が訳した金剛頂瑜伽中略出念誦経4巻と、弟子の不空が訳した金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経3巻がある。金剛界を説いた経とされ、大日経とともに密教の根本聖典とされる。金剛界三十七尊が明かされ、金剛界曼荼羅とその供養法などが説かれている。
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金剛智三蔵
671年~741年。サンスクリットのヴァジラボーディの訳。中インドあるいは南インド(デカン高原以南)出身の密教僧。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂瑜伽中略出念誦経)などを訳し、中国に初めて金剛頂経系統の密教をもたらした。弟子に不空、一行がいる。
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一行阿闍梨
683年~727年。中国・唐の学僧。天台学・禅・律を修める。後に善無畏が唐に来ると、共に大日経を訳し、また善無畏による大日経の講義を筆記し『大日経疏』20巻を著した。真言宗の祖師の一人とされる。数学や天文学の大家としても知られ、「開元大衍暦」を作った。▷
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蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。中国・唐の善無畏訳。3巻。成立史の上からは、大日経に先行する経典と考えられており、さまざまな密教儀礼や行者の規範を説いている。
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方等部
大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いているとされる。
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華厳部
釈尊一代説教のうち、華厳時に説かれた経典。大方広仏華厳経に代表される。同経には漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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般若部
天台大師が釈尊の一代聖教を五時に分けたうち、第四時の諸経典をいう。代表として摩訶般若波羅蜜経・大般若波羅蜜多経などがある。
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法華部
釈尊一代五時の説法のうち、法華・涅槃時に説かれた経典のこと。
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涅槃部
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経の部分。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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真言宗
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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五蔵
五臓とは肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓をいう。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
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阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
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難行・易行
実践が困難な修行と易しい修行のこと。易行という語は、もとは竜樹(ナーガールジュナ)の『十住毘婆沙論』にあり、そこでは、菩薩の修行に関して、阿毘跋致(不退)に入るのは困難であるが、諸仏の名をとなえるといった易行があると説かれている。曇鸞はこれを『往生論註』で独自に解釈し、菩薩が不退を求める修行に難行・易行の2種があるとし、浄土教を易行道とした。さらにこれを法然(源空)は『選択集』で恣意的に解釈し、難行道を聖道門、易行道を浄土門とし、聖道門を排除した。
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聖道
自力で修行してこの娑婆世界で成仏を目指す教え。浄土門に対する語。中国・唐の道綽が『安楽集』で説いた。
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浄土
阿弥陀仏の本願に頼って、西方極楽浄土に往生することを目指す教え。聖道門に対する語。中国・唐の道綽が『安楽集』で説いた。
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雑行・正行
善導の『観無量寿経疏』に説かれる。正行とは、成仏・往生へと導く正しい修行のことで、善導は浄土経に基づく諸行であるとし、特に称名念仏を重視した。雑行とは、この正行以外のさまざまな修行をいう。
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諸行
諸々の修行のこと。一切の仏道修行。
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念仏
阿弥陀仏を念じ極楽浄土への往生をめざすこと。念仏とは仏を思念することで、その意味は多岐にわたるが、大きくは称名念仏・法身(実相)念仏・観想念仏に分けられる。①称名念仏とは、諸仏・諸菩薩の名をとなえ念ずること。②法身念仏とは、仏の法身すなわち中道実相の理体を思い念ずること。③観想念仏とは、仏の功徳身相を観念・想像することをいう。
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浄土宗
浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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曇鸞法師
(0476~0542?)中国・南北朝時代の浄土教の祖師。著書に『往生論註』がある。
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道綽禅師
562年~645年。中国・隋から唐にかけての浄土教の祖師。はじめ涅槃経に傾倒していたが、曇鸞の碑文を見て改心して浄土教に帰依した。釈尊の教えを浄土門とそれ以外の聖道門とに分け、聖道門を誹謗した。弟子に善導がいる。主著に『安楽集』がある。
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善導和尚
613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
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恵感禅師
懐感禅師のことと思われる。中国唐朝の浄土宗の僧。長安の千福寺にいて精進し道を求めたが、満足せず、善導に会うに及んで、ただひたすらに念仏を唱えれば、必ず証験があると信じ、3週間道場にこもった。しかし、なんの霊験もなかったので、さらに3年間修行し、ついに念仏三昧を証得したと称した。「群疑論」(「釈浄土群疑論」)の著者である。法然は「類聚浄土五祖伝」等で、浄土五祖(曇鸞・道綽・善導・懐感・少康)の1人とした。
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小康法師
中国・唐代の浄土教の僧。出家して法華経を学び、後に嘉祥寺で受戒し律を学ぶ。その後洛陽の白馬寺で善導の西方化導文をみてから浄土に帰依している。
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法照
唐の浄土教の僧。善導の影響を受け,音楽的な念仏を広め,五会法師と称された。著書に『五会法事讃』などがある。
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般若経
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
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大品般若
般若経の漢訳の一つで、中国・後秦の鳩摩羅什訳。27巻。天台教学における五時のうち般若時の代表的な経典。
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光讃般若
西晋・竺法護訳、光讃経ともいい、27品からなる。
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金剛般若
金剛般若波羅蜜経のこと。漢訳には6種あるが、鳩摩羅什訳が広く用いられる。
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天王問般若
五部般若のひとつ。般若の法とその修学の方法を説いている。
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摩訶般若
偉大な智慧のこと。「摩訶」はサンスクリットのマハーの音写で、大きな、偉大なという意。「般若」はサンスクリットのパーラミターの音写で、智慧のこと。
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仁王般若
中国・後秦の鳩摩羅什による仁王般若波羅蜜経と、唐の不空による仁王護国般若波羅蜜多経の2訳が現存するが、中国撰述の経典とする説もある。2巻。正法が滅して思想が乱れる時、悪業のために受ける七難を示し、この災難を逃れるためには般若を受持すべきであるとして菩薩の行法を説く。法華経・金光明経とともに護国三部経とされる。
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百論
提婆によって書かれたとされる仏教論書である。『中論』『十二門論』と並び、三論宗の所依の一つ。龍樹の『中論』を受ける形で、他派の論を百種の偈を以て斥ける構成。
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十二門論
竜樹が著したとされる仏教論書の一つである。『中論』『百論』と共に、三論宗の所依の一つ。空観思想が十二章にわけて論じられる。
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大論
摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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三論宗
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
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四論宗
中国仏教の三論宗の中の一派。竜樹著『中論』『十二門論』『大智度論』と、竜樹の弟子提婆著『百論』の四論を依り所とする派。鳩摩羅什門下の僧肇・道融らが弘めたが、のち三論宗に合同した。
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法性宗
諸法の相を分析し体系化する法相宗に対して、諸法の本質を説く三論・華厳宗などをいう。
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無相宗
三論宗のこと。
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三時
三転法輪のこと。
―――
二蔵
声聞蔵と菩薩蔵のこと。
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三転法輪
三種類の法輪のこと。①第一法輪 四聖諦・十二支縁起の思想。②第二法輪 般若思想と空の哲学。滅諦に相当する。③第三転法輪では有無を正しく区別した法輪。
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浄影
慧遠のこと。(523年 ~ 592年)。中国の北周、隋代の地論宗の僧。東晋、廬山の慧遠と区別して浄影寺の慧遠と呼ばれる。俗姓は李氏。敦煌(甘粛省)出身の人である。
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興皇
(0507~0581)法朗のこと。中国,梁~陳の僧。三論宗の第三祖といわれる。僧詮のもとで,『百論』『中論』『十二門論』『智度論』などを学び,僧詮門下の四哲の一人に数えられた。永定2 (558) 年陳の武帝の命で興皇寺に住し,吉蔵はじめ多くの門弟を育成し,彼らが各地に進出したので三論宗は一宗派として興隆した
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道朗
中国・北涼時代の三論宗の僧。
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無量義経
中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
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華厳三七日
釈尊一代50ねんのうち、最初の3週間、21日で、華厳経は説かれた。
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阿含十二年
華厳経の次に説かれた阿含経は、12年間である
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方等般若三十年
方等・般若経が説かれた期間は、阿含経の後で、両部合わせて30年間である。
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法界性論に四十二年
法界性論は現存しないが、天台の法華玄義に引用があり、釈尊50年の説法中、前42年で、爾前諸経が説かれたとある。
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無上菩提
最高の悟りを得ること。成仏の境地。「無上」最上・最高。「菩提」は梵語ボーディ(bodhi)の音写、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種あるが、仏の菩提は最高であり、これに過ぎることがないことを無上菩提という。
―――
大直道
無上の菩提・最高の悟り・成仏の境地のこと。
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険逕
険しく険悪な道。
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留難
留は拘留、難は迫害のこと。身命に害を加えて、正法流布を妨げること。
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ここでは、華厳・阿含・方等・般若の爾前四時を図示されそれぞれに説かれた経教と、それをよりどころにして立てられた諸宗についても細かく示されている。
まず「華厳経」については、脇に「権大乗」「実大乗」と記され、さらに下に「三七日」「二七日」と記され、「結経梵網経」とあり、その下には「大乗戒之を出す」とある。いずれも、一代五時のうち、第一の華厳時を示されたところである。下の方には「華厳宗」と書かれ、脇書には「立五教摂尽一代」その下に「杜順和尚・智儼法師・法蔵大師」の名が示され、その法蔵大師には「香象大師・賢首大師・華厳和尚」と付記されている。「華厳経」の脇書の「実大乗」「権大乗」については、御真筆では線がなく、「華厳経」に権実が含まれるという意でないことは、先の「一代五時図」では「華厳経」を「権大乗」とのみされていたことからも明らかである。では、なぜここで権実を並べて書かれているのか、ここから大乗を述べるにあたり、「実大乗」は法華経であり、華厳経以下はその前段階としての「権教」であることを教えるための講義の手順として記されたものと拝すべきであろう。
次に「三七日」「二七日」の注記は、共に、華厳時の時間の長さ、言い換えれば華厳経をどれだけの日数をかけて説かれたかということである。その日数に三七日・二七日のふたつがあるのは、当時の通例として天台宗は三七日を立て、法相宗では二七日としていたということである。
「華厳経」の脇書の「結経梵網経」とその下の「大乗戒之を出す」というのは、華厳時の結経が梵網経であり、この経の別名を菩薩戒経ともうように、大乗の菩薩戒として十重禁戒や四十八軽戒を説いていることを表している。
「華厳経」の下方に「華厳宗」とあり、その脇に「立五教摂尽一代」とある。これは「五教を立て一代を摂尽す」と読み、五教の区分けによっては釈尊一代の説法を収め尽くす、というのが華厳宗の教相判断であることを表されている。「五教判」は法蔵が立てたもので、第一の小乗教は灰身滅智の涅槃法を説く阿含経等の教えで、第二の大乗始教は大乗の初門の教えである。これを相始教と空始教の二種がある。第三の大乗終教は、真如縁起の理を説き、一切衆生の成仏が可能であると説く楞伽経や起信論の教えで、第四の頓教は、部分的な言説によらず種々の位階を経ることなく直ちに究竟の真理を徹見することを説く維摩経等の教えを指している。第五は円教で、円融具足の一乗を説く華厳経・法華経の教えとしている。なかでも華厳経は円融不思議の法門を開示し、その他の教えとは別異であるとして別教一乗と名付ける。法華経より勝れているとする教判である。もとより、たとえ円融具足の文言はあっても、華厳経には二乗作仏久遠実成が説かれていない故に、真実の円教ではなく、伝教大師が南都六宗を打ち破った際に、華厳の五教説も打ち破られている。安国論御勘由来には「延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学・勤操・長耀等の十四人を召し合せ勝負を決談す、六宗の明匠・一問答にも及ばず口を閉ずること鼻の如し華厳宗の五教・法相宗の三時・三論宗の二蔵・三時の所立を破し了んぬ但自宗を破らるるのみに非ず皆謗法の者為ることを知る」(0034-08)と述べられている。
「華厳宗」の文字の下方には「杜順和尚」「智儼法師」「法蔵大師」の三人の名が記されている。華厳宗では杜順を開祖・智儼を第二祖・法蔵を第三祖とするのである。さらに「法蔵大師」のところには「香象大師」「賢首法師」「華厳和尚」と書かれている、いずれも法蔵の尊称として使われていた呼び名である。
次に「阿含経」については、脇書に「小乗」「十二年」と記されている。「阿含経」は総称で、この下に「長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含」とあるように、四つの経典から成る。しかしいずれも、自身の煩悩を消滅して涅槃に至ることを願う声聞縁覚のための教えであるので「小乗」に位置付けられる。「十二年」とあるのは、これら四つの阿含経典が説かれた期間である。阿含時は鹿宛時とも称されるように、釈尊が波羅奈国の鹿野宛などで12年間にわたって説法したものである。この「阿含経」の脇書に「結経遺教経」と書かれ、それに「小乗戒之れを出す」と付記されている。「遺教経」は正式には仏垂般涅槃略教誡経というように、仏が涅槃に臨んで諸の弟子のために最後の誡めを説いたもので、小乗の涅槃経とされる。したがって実際に説かれた時でいえば、はるかにあとの釈尊の最晩年であるが、内容的に声聞の弟子たちの守るべき戒律が説かれていることから、阿含時経典の結経とされたのである。
以上、阿含時経典のについて示された図の下に「?舎宗・成美宗・律宗」の小乗三宗の名が挙げられ、「?舎宗」の脇には「経」「定」、「成実宗」の脇には「論」、「律宗」の脇には「戒」と記されている。
「?舎宗」は「?舎論」をもとに成立したもので、「?舎論」は世親が兄の無著に破折されて大乗経に帰する以前の小乗時代に著した書である。小乗ながら根本原理であることとから、経律論では「経」に配されていたのである。「成実宗」はインドの論師、訶梨跋摩の「成実論」をもとにしたもので、「成実論」自体は大乗の教えも踏まえて書かれているが、基本的には小乗の論なので、小乗の経律論のなかでの論とされる。苦集滅道の四諦を論じ、滅諦に入る道を明かしていることから、特に記されてはいないが、戒定慧では慧に配されたと考えられる。「律宗」が戒定慧の「戒」であることは注記されているところであるが、経律論の「律」に当たることも、宗名自体に明らかである。
次に「方等部」については、「大乗・或説時不定・或十六年・或八箇年」と記されている。「大乗」と記されているのは、前項の「阿含経」に付された「小乗」に対して、ここから大乗に入るとの意と拝される。また「方等」という呼び名自体が「大乗」の意であることを示すために書かれたと拝される。「方等部」については、釈尊がどれくらいの年月をかけて説いたのか確定していないので「説時不定」とあり、阿含経を説いた後「十六年」で説いたとする説や「八箇年」と説いたとする説など種々あることを示されている。御書の「一代五時図」では、広本・略本ともに、方等時と般若時を合わせて「三十年」としている。そのなかで、方等部を16年とした場合は般若時は14年、方等部を8年とした場合は般若部は22年になるので、次の「般若部」の脇書に「二十二年」「十六年」の両説が記されることになる。
続いて「方等部」に説かれた権大乗経典の代表的なものを挙げておられる。まず、「深密経」とあり「或云法華已前」「或云法華已後」と両説され「五巻」とある。
深密経は解深密経ともいい、全五巻からなる。その内容の主眼は己心の外にあると思われる諸現象といっても、ただ阿頼耶識によって認識の対象に似た姿が心に映しだされたものにすぎないとする唯識の義を説くところにあり、法相宗の依経の一つである「或云法華已前「或云法華已後」とは深密経がいつ説かれたかをめぐって、法華已前と已後の二説があったことを示されている。
「深密経」の下に書かれている「瑜伽論」と「唯識論」は御真筆では「深密経」のすぐ左右に書かれており、深密経をもとに正法時代に成立した論であることが示されている。
「瑜伽論」は「一百巻」「弥勒菩薩説・無著菩薩筆」と記されており、これが100巻から成り、弥勒菩薩が説いたのを無著菩薩が筆録したと伝承されていることを示されている。いうまでもなく、弥勒菩薩は釈尊在世の諸経の対告衆となった菩薩で、釈尊のあとを継いで娑婆世界に出現し、衆生を済度するために兜率天の内院で五十六億七千万歳、その時を待っているとされている。無著菩薩はこの兜率天に登って弥勒菩薩が説いたところを筆録した。それがこの「瑜伽論」であるという伝承である。
「唯識論」には「世親菩薩造」「三十頌」と記されている。「唯識論」は無著の弟である世親菩薩が著した書とされている。これを玄奘が中国に持ち帰って訳したものであるが、同じ玄奘訳にも「唯識二十論」「唯識三十論頌」がある。ここでは後者を指しておられる。
次に、この「深密経」と「瑜伽論」「唯識論」をよりどころとして立てられた宗派が「法相宗」であることを示されている。この「法相宗」に付して「有相宗」と書かれ、下の方に「玄奘三蔵」「慈恩大師」の名が記されている。
「有相宗」は三論宗を「無相宗」というのに対して法相宗につけられた別称である。すなわち、三論宗が一切諸法は空であるとするのに対して、法相宗は万物の相を論ずるので、このように呼ばれたのである。玄奘三蔵は唐の初め、西インドへ経典を求めて大旅行したことであまりにも有名であるが、この旅で持ち帰ったなかに唯識哲学があり、これを訳して中国に紹介したところから法相宗の開祖とされる。これを教義的に組み立て、実質的にこの宗派を開いたのが慈恩大師である。
「六経十一論」と三時を立てて一代を摂尽す」とは「法相宗」の脇書になっているが、御真筆の紙幅の都合上であろうか、「法相宗」から線を引いて離れたところに書かれている。「六経十一論」は深密経のほかに、華厳経・如来出現功徳荘厳経・大乗阿毘達磨経・楞伽経・厚厳経の五経を加えて「六経」さらに瑜伽師地論・顕揚聖教論・大乗荘厳論・集量品・摂大乗論・十地経論・分別瑜伽論・観所縁縁論・二十唯識論・弁中辺論・大乗阿毘達磨雑集論の「十一論」が法相宗のよりどころとなった経と論である。
次いで「三時を立てて一代を摂尽す」とあるのは、法相宗が、初時・有教、第二時・空教、第三時・中道教の三つの期間に分類して釈尊の一代説法を収める教相判釈を立てたことをいう。すでに中国には天台宗があったのに、あとから法相宗を広めようとしたため、天台大師に対抗した主張が多い。教義的には「三乗真実・一乗方便」と唱えたり、深密経と法華経とどちらが後で説かれたかについても、敵対意識を露骨に示した論議が行われたのであった。
次いで「瓔珞経」と記されている。脇書に「結経」と記されている。釈迦一代五時継図の方等部の項で「結経は瓔珞経なり」(0635-10)とあり、一代五時大意でも「結経瓔珞経」(0396-12)と記されていることからも、瓔珞経が方等部の結経とされていたことが明らかである。「瓔珞経」は姚秦代の竺念仏の訳で「菩薩瓔珞経」「菩薩瓔珞本業経」とあるが、菩薩の52位の階位が示され、菩薩修行の結果得られる功徳を説いているので、方等部の結経とされたのである。
次いで「楞伽経」とあり、その下に「禅宗」「達磨大師」と記されている。脇書には「或は諸法無行経 或は金剛般若経 或は大円覚経 或は首楞厳経或は云く一切経 或は云く教外別伝」と記されている。「楞伽経」は北涼の時代に漢訳されており、西暦500年ごろにインドからきた達磨大師は、基本的には「教外別伝」としながら、坐禅修行を裏付けるものとして楞伽経を利用しながら「禅宗」を広めた。当然、日本にも伝わって禅宗諸派の流れを形成している。
ただし禅宗は楞伽経だけでなく、諸法無行経・金剛般若経・大円覚経・首楞厳経なども依経と称し、それこそ、一方で、一切経のすべてが禅宗の依処とする者もいれば、逆に、仏の教えとは別に以心伝心で伝わった仏心を依処と主張する者もある。大聖人当時、特に鎌倉地方に広まっていたのは大日能忍の流れを引くもので、佐渡御書で「教外別伝と号して法華経を月をさす指只文字をかぞふるなんど笑ふ者は 六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし教外別伝と号して法華経を月をさす指只文字をかぞふるなんど笑ふ者は六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし」(0959-01)と仰せられているのをはじめ、禅宗は特定の経典に依らないとする考え方が優勢だったようである。
次に「大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻」の真言三部経が記されている。そして真言三部経の脇書に「或は云く方等部・或は云く華厳部・或は云く般若部・或は云く法華部・或は云く涅槃部・或は一代諸経の外」と記され、真言三部経を一代五時のうち、いずれに属するかということをめぐって諸説があることを示されている。
大聖人は真言経典を一代聖教のなかに位置付ける場合は、その法のレベルから方等部に配されるのが普通であるが、一般仏教のなかには、大日如来すなわち毘廬遮那は華厳経の教主の廬遮那と同義で、華厳経の焼き直しであるとする人々もいる。また、中国の真言宗の開祖・善無畏が大日経の理と法華経の理は同じだと唱えて、「理同事勝」を宣伝し、日本の天台宗の慈覚・智証もこれを引き継いだように、法華部に属するとする人々もいる。あるいは、日本真言宗の開祖・弘法大師のように、法華経は応身如来である釈迦仏の説いたものであるのに対し、真言経典は法身如来たる大日如来の説いたものであるという人々もいる。この場合は「一代諸経の外」ということになる。
真言経典が中国に将来されたのは唐代で、すでに天台大師亡きあとであったため、天台の五時教判のなかにないことをよいことに、勝って気ままな位置付けが行われたのである。しかし、歴史的に見れば、仏教外の外道であり、教理的に位置付けるとすれば、方等部に属するのが妥当であろう。
この真言三部経の下の方には「真言宗」と記されており、真言宗の開祖である「善無畏三蔵」の名が「大日経七巻」の下に置かれているのは、彼が「大日経」の漢訳者であるからである。御真筆では「善無畏三蔵」は「蘇悉地経三巻」から線を引かれ、これも彼の訳であることが示されている。
善無畏と共に真言宗の祖師の一人である「金剛智三蔵」は「金剛頂経三巻」の漢訳者でもあるので、御真筆では金剛頂経と金剛智三蔵が線で結ばれている。
「顕密二道を分ち五蔵を立て或は十住心を立つ」の文字は、真言宗の教義を簡潔にまとめて記されている。「不空三蔵」「一行阿闍梨」の名は、御真筆では「善無畏三蔵」「金剛智三蔵」に並べて書かれている。真言三部経の名をあげられた脇には「菩提心論」とあり、また「或云竜樹造」「或云不空造」と付記されている。また「一巻七枚」とも記されている。「菩提心論」一巻は竜樹造・不空三蔵訳とされているが、大聖人は諸御書で竜樹の作ではなく、不空自身の作であろうと指摘されている。
「一巻七枚」というのは一代五時継図では「菩提心論一巻七丁」(0665-14)とあり、丁が和装本の表裏2㌻を指すことから、和装本では14㌻7枚の本であることを示されたのである。この論は日本・真言宗の祖の弘法が重んじられた書でるので、ここに記されたのであろう。
続いて「雙巻経・観経・阿弥陀経」の浄土三部経の経典の名が記され、浄土三部経の下に「浄土宗」「曇鸞法師・道綽禅師・善導和尚・恵感禅師・小康法師・法照」との注がある。
雙巻経とは無量寿経二巻のこと、観経は観無量寿経一巻のこと、阿弥陀経一巻で合わせて浄土三部経という。これらの浄土三部経を依処として浄土宗が成立したのであるが、中国浄土教の開祖たち六人の名が記されている。「恵感禅師」は「懐感禅師」、「小康法師」は「少康法師」ともいう。
この浄土三部経の脇に、「難行・易行・聖道・浄土・雑行・正行・諸行・念仏」と記されている。これらはそれぞれ対になっており、「難行・易行」「聖道・浄土」「雑行・正行」「諸行・念仏」ということになる。
次に「涅槃経」と記され、一代五時のうち、第四時の般若時を示されている。「三十年」とあるのは、前述のごとく「方等部」「般若時」を合わせて、その長さを示されている。「或は云く二十一年・或は云く十四年」前述の通りである。
さらに「大品般若・光讃般若・金剛般若・天王問般若・摩訶般若」という五つの代表的な般若経典の名を記されている。
天台智顗の般若時では、釈尊が22年間般若諸経を説いた期間としており、天台四教儀ではこれを受けて、光讃般若・金剛般若・大品般若などの経名が挙げられている。ちなみに「般若」とは梵語プラジュニャーの音写で、智慧の意である。
般若経の注の下には「百論・十二門論・大論」と記され、いずれも「竜樹菩薩造」となっているが、「百論」は正しくは提婆菩薩造である。
また「般若経」の脇書に「仁王般若・結経」と記されている。釈迦一代五時継図にも「結経は仁王経なり」(0636-14)とあり、立正安国論でも、正法が滅びたときに七難が起きることを仁王経の文によって示されているように、まさに、仏滅後への戒めを説いた結論であることが明らかである。
さらに続けて「三論宗」とあり、「或は四論宗という」との注があり「或は法相宗という」「或は無相宗という」とある。
「三論宗」は四論から「大論」を除いた三論によって成立したもので、この名がある。「大論」を加えると「四論宗」となるが、その場合でも三論を通論、大智度論を別論とした。
「法性宗」とも名付けるのは「三論宗」が諸法の本性を説く宗であるからであり、「無相宗」と名付けるのは諸法の空を説くからである。
「三論宗」の下には「浄影・興皇・嘉祥の吉蔵大師・道朗」と記されている。「浄影」とは、中国・随の三大法師の一人である浄影寺慧遠のことで、「三論宗」の成立には関係はないが、別名の「法性宗」の中には華厳も入っており、慧遠が華厳系の「十地経論」や「華厳経」の注釈を書いていることから、ここに、その名を記されたものと考えられる。
次の「興皇」は中国の梁・陳代の三論宗の相・法朗のことで、嘉祥寺の吉蔵法師の師にあたる。「嘉祥寺の吉蔵大師」は三論宗の中興の祖とされ、嘉祥寺を拠点に活躍したので、嘉祥大師といわれる。主たる著書に三論玄義・中観論疏・大乗玄論などがある。
「道朗」は三論宗の直接の出発点となった人物で、彼の後に興皇寺の法朗、嘉祥寺の吉蔵と続いているので、本来ならば、彼の地位は「興皇」の前に書かれるべきであったろう。
「三時を立て一代を摂尽す、或は二蔵を立て或は三転法輪を立つ」とあるのは三論宗の教相判釈を簡潔に述べたものである。三時とは釈尊一代の説法を菩薩のための教えと、鈍根のために一仏乗を三乗に分別して説いた阿含・方等・般若の教え、最後に三乗を一仏乗に帰せしめた教えの三段に分けるもので、三転法輪もこれと同義である。
二蔵は二種の法蔵という意味で、釈尊一代の教えを声聞蔵と菩薩蔵とに二大別するものである。三転法輪とは釈尊の説法に根本法輪・枝末法輪・摂末帰本法輪の三つを立てるものである。
以上のように、華厳・阿含・方等・般若を図示されたうえで、無量義経がら三文が引用されている。これまで示されてきた四時の諸経が、まだ仏教の真実を明かさない方便の説法であることを示す文証が挙げられているのである。
ここで、「方便力を以ての故に 四十余年には未だ真実を顕さず」の「四十余年」の個所に「華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年なり」と、その内訳とし、合計42年になることが記されている。
また、「法界性論」とある。この書は現存していないが、天台大師・妙楽大師の釈には多くその名がみえ、法華文句記巻四には「菩提流支の法界性論に云く『仏成道後、四十二年にして法華経を説く』と」とある。
最初の文は法華経より以前の方便として説いたものであることを釈尊自身が述べた文としてあまりにも有名である。無量義経説法品第二にあり、正確には「方便力を以ってす。四十余年なは未だ真実を顕さず」との文である。
つまり「釈尊が道場菩提樹下で成道し、衆生のために説法を開始しようとした時、衆生の好みと傾向性にさまざまな違いがあることを知って、それぞれの欲と性とに応じて真実へ導く手段の教えを40余年の間説いてきた。したがって、40余年間の教えにはまだ真実を顕していない」という意味である。
次の文は同経十功徳品第三の文で「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩薩の大直道を知らざるが故に、険行を行くに留難多きが故に」という文である。
真実を聞くことのできない衆生は大きな利益を失い、どれほど長期間を過ぎても、ついに無上の悟りを成就することはできない。その理由は、直ちに成仏に至ることのできる道を知らないために、留難の多い険しい道を行かなければならないからである、と説いている。すなわち、爾前権教の諸経の教えでは険しい道と同じで、困難が多いので成仏することはできない。ということである。
次は同経十功徳品第三の文で「大直道を行じて留難なきが故に」という文が引用されている。
この前の経文とは対照的に、ここでは真実の教えは教法を包摂しているので、大直道によって困難なく成仏に至れるという文である。これは、次の第五時の法華経への橋渡しを込めて、ここに挙げられている。
0627:11~0628:14 第三章 第五・法華涅槃時を図示すtop
| 11 ┌諸宗依憑宗 世尊法久後要当説真実 12 ┌─┼仏 立 宗 ┌廃也┌或は前三教と云い或は前四教前四味と云うなり、或は先の三教の円教に摂尽する 13 │ ├天 台 宗 │ │を云う。 14 │ └法 華 宗 正直捨方便但説無上道 15 法 華 経 ┌四時・七教・五時・八教 16 │ │ ┌秘密宗 │ ┌唯一仏乗 17 │ └─┴顕露彰灼宗 雖示種種道・其実為仏乗 18 └普賢経 結経 将非魔作仏・悩乱我心耶 19 └叡山戒壇 久黙此要・不務速説 -----― ┌諸宗依憑宗 世尊法久後要当説真実 ┌─┼仏 立 宗 ┌廃也┌あるいは前三教といい、あるいは前四教・前四味ともいうのである。あるいは先の三教 │ ├天 台 宗 │ │を円教に摂尽するという。 │ └法 華 宗 正直に方便を捨ててただ無上の道を説く。 法 華 経 ┌四時・七教・五時・八教 │ │ ┌秘密宗 │ ┌唯一仏乗 │ └─┴顕露彰灼宗 種種の道を示すと雖も、それ実には仏乗の為なり。 └普賢経 結経 将に魔の仏となて、我が心を悩乱するに非ず。 └叡山戒壇 久しく斯の要を黙して、務いで速やかに説かず。 -----― 0628 01 ┌華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等 02 │ ┌ 無量義経 03 │ │ ┌涅槃経等 04 「我が所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説かん 而も其の中に於て此の法華経最も為難信難解 05 なり」、 記の六に云く「縦い経有つて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わず、兼但対帯其の義知んぬ 06 べし」、玄の三に云く「舌口中に爛る」、籤の三に云く「已今当の妙此に於て固く迷えば舌爛れて止まざるは猶 07 華報と為す謗法の罪苦長劫に流る」、又云く「諌暁止まず」 -----― ┌華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等 │ ┌ 無量義経 │ │ ┌涅槃経等 已 今 当 法華経法師品第十に「私が説いた経典は無量千万億という計り知れないほどになるが、已に説いた経、今説いている経、これから当に説こうとする経はある。しかしその中において、この法華経が最も信じ難く解し難い」とある。法華文句記の六には「たとえ経があって諸経の王とはいっても、已今当説最為第一とはいっていない。兼・但・対・帯の意義を知るべきである」とある。法華玄義の三には「軽慢を止めなければ舌が口の中で爛れる」とある。法華玄義釈籤の三には「已今当の妙について、頑なに迷い誹謗すれば、今世において受ける、舌が爛れて止むことなき報いはまだ華のようなもので、謗法の罪の苦しみは来世の長い劫にわたる」とある。また、同じく法華玄義釈籤には「法華経が究極の法であるのに、華厳・般若経が勝れているといい諌暁しても止めない場合は、舌が爛れる」とある。 -----― 08 結経 ┌法四依第六巻 ┌人四依 。 09 ┌像法決疑経 ┌依法不依人────┘ 10 │ 一日一夜 │依義不依語 11 涅槃経──────────────────┤ ┌仏智┌菩薩等識 12 │ ┌─七十九・八十・八十一 │依智不依識 13 └八十御入滅┴─八十二・百五・百二十 │ ┌法華経┌爾前の経経 14 └依了義経不依不了義経 -----― 結経 ┌法四依第六巻 ┌人四依 ┌像法決疑経 ┌依法不依人────┘ │ 一日一夜 │依義不依語 涅槃経──────────────────┤ ┌仏智┌菩薩等識 │ ┌─七十九・八十・八十一 │依智不依識 └八十御入滅┴─八十二・百五・百二十 │ ┌法華経┌爾前の経経 └依了義経不依不了義経 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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諸宗依憑宗
伝教大師が弘仁4年(0813)に著した書。本文は13章からなる。内容は天台の義を規範とし、依憑としながら、真言・華厳・三論・法相宗などが仏法の正義からはずれていることを破している。
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仏立宗
仏の立てた宗。法華宗のこと。
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天台宗
❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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秘密宗
①深奥秘義の教によって立てられた宗のこと。釈尊が本意として説いた法華経を依経とする天台宗のこと。②密教を宗義とする真言宗のこと。
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顕露彰灼宗
法華経を依経とする宗のこと。顕露は、はっきり顕れるの意。彰灼は明らかの意。
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普賢経
中国・南北朝時代の宋の曇無蜜多訳。普賢経、観普賢経と略す。1巻。普賢経は法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる。
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叡山戒壇
法華迹門の円頓戒壇であるが、慈覚・智証の代より真言の邪義に汚染されている。
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世尊法久後要当説真実
「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と読む。法華経方便品第二の文。仏は長い間、方便の教えを説き、後に真実の教えを説くとの意。仏が教えを説くのは、一切衆生を成仏させることにあり、法華経には四十余年の方便権教と異なり、釈尊の真実の悟り、一仏乗の法が説かれていることをいう。
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正直捨方便但説無上道
正直捨方便とは法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。 但説無上道とは方便品の文。「但無上道を説く」と読む。仏が40余年の権経方便を廃して、実教である無上道の法華経を説くこと。無上道とは有上道に対する語。極説の法である南無妙法蓮華経のこと。これを信じ、実践する日蓮大聖人の門下は、見濁・思想の濁り・偏見の思想を離れるのである。
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方便
仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
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無上道
種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749-第十三但惜無上道の事-02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727-第五無上宝聚不求自得の事-05)等とある。
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仏乗
一仏乗・一乗と同義。一切衆生を成仏させるための教えのこと。釈尊一代の聖教のすべては、総じては皆成仏道の教法といえるが、別しては法華経に限るのであり、南無妙法蓮華経に限るのである。
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四時
天台大師の五時の教判のうち法華を除いた前、華厳・阿含・方等・般若のこと。
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七教
化儀・化法の四教・八教のうち、円教を除いたもの。すなわち、蔵教・通教・別教・頓教・漸教・秘密教・不定教のこと。
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五時
天台大師智顗による教判。諸経典の教えを釈尊一代で説かれたものとみなし、成道から入滅までの教えを内容によって五つの時期に分類し、矛盾なく理解しようとした。華厳時・阿含時(鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時をいう。①華厳時。釈尊が伽耶城(ガヤー)近くの菩提樹の下で成道した後、21日間、華厳経を説いた擬宜(試みに説いた)の期間。②阿含時。華厳時で教えを理解できなかった者がいたので、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで12年間、衆生を仏法に誘引するため長阿含経などの四阿含を説いた期間。大乗に対して小乗と位置づけられる。③方等時。続いて16年間(一説には8年間)、阿弥陀経・維摩経などの諸大乗経典を説き、小乗に執着する声聞を糾弾して大乗を慕わせた期間。④般若時。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、摩訶般若などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。⑤法華涅槃時。マガダ国の霊鷲山と虚空会の二処三会で、8年間法華経を説き、大乗・小乗を超えて一切衆生が成仏できる真実の教えを開会した期間。また入滅直前に拘尸那城(クシナガラ)の西北の跋提河の沙羅双樹において涅槃経を説き、法華経の説法に漏れた人のために補足的に説法した期間。天台大師は、この五時を乳を精製する段階の五味(乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味)にあてはめ、醍醐味にあたる法華涅槃時の経が最高の教えであることを強調している。日蓮大聖人は「守護国家論」で、「大部の経大概是くの如し此より已外諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし」(40㌻)と述べられている。
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八教
化儀の四教と化法の四教を合わせて八教という。❶化法の四教。①三蔵教。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界内の生死・因果のみを明かし、諸法を構成要素に分析して空とする析空観を観法とし、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として声聞・縁覚を対象とし、傍に菩薩を対象とするが、その究極は声聞の覚りにすぎないので、声聞教という。小乗教と位置づけられる。②通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。③別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。④円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。❷化儀の四教。。①頓教(覚りの真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③秘密教(仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある)④不定教(衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある)。
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唯一仏乗
一仏乗は一乗といい、仏乗は仏の境地に運ぶ乗り物。一切衆生を成仏させる法華経のこと。
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将非魔作仏・悩乱我心耶
法華経譬喩品第3に「初め仏の所説を聞いて、心中大に驚疑しき、将に魔の仏と作って、我が心を悩乱するに非ずやと」とある。
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久黙此要・不務速説
法華経薬草喩品第5に「久しく斯の要を黙して、務いで速かに説かず」とある。
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難信難解
「信じ難く、解し難し」と読む。易信易解に対する語。法華経法師品第10には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている(法華経362㌻)。信じ難く理解し難いこと。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それ故、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。
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涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
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記
妙楽大師が天台の法華文句をさらに解釈した「法華文句記」のこと。妙楽は中国の唐代の人で天台宗第九祖。天台より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の教義を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。そのなかでも、天台大師の注釈は天台の幽旨を明解にしたもので、法華玄義を法華玄義釈籤、摩訶止観を摩訶止観輔行伝弘決としている。
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諸経の王
一切経の王のこと。法華経。末法にあっては日蓮仏法。
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兼但対帯
法華玄義巻一上に「華厳は兼、三蔵は但、方等は対、般若は帯、此の経は復兼但対帯なし」とある。「華厳は兼」とは華厳部の経は円頓の法を明かしているのであるが、またところどころに行布の次第を述べ、円教に別教を兼ねているので「兼」という。「三蔵は但」とは小乗阿含経はただ経・律・論の三蔵のみを説いて、通・別・円の三教の理を明かさないことをいう。「方等は対」とは方等部の経々は蔵・通・別・円の四教の義に対応して四教の法を説くところから「対」という。「般若は帯」とは般若部に共般若・不共般若があるが、不共般若は菩薩のみに説いて声聞・縁覚の二乗に共通しない別・円の二教をさし、共般若は声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通する通教をさす。般若はこの不共に共を帯びて説くのであり、別・円二教と通教を帯びて説くゆえに「帯」という。したがって、阿含は円のみならず通・別さえも明かしていないから「爾前の円」に含まれず、華厳・方等・般若は円教を説いても、その経のなかに蔵・通・別の三種の教法をも存しているから「権を帯びた円」すなわち「帯権の円」になるのである。それに対して「此の経は復兼但対帯なし」とは法華経が純円一実の教であるとの意である。
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玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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籤
妙楽大師湛然の法華玄義釈籤のこと。十巻。妙法蓮華経玄義釈籤の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に学徒の籤問に答えたものを基本とし、後に修訂を加えて整理したもの。法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
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華報
未来に受ける果に対して、その前兆として受ける報い、現証のこと。
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謗法
誹謗正法の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。
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長劫
極めて長い時間のこと。
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諌暁
いさめさとすこと。「諌」は礼をもって他のあやまちをただすこと。「暁」は説なりとあるように、さとし明かすこと。別していえば、国家の安危について、その責任者に進言すること。また、人生の重大事について、相手の蒙を開いて目をさまさせること。結果として、いちじ相手が驚いたり、恨んだり、あだをなしたりすることが多い。法師品には「如来現在猶多怨嫉」とあり、末法には釈尊在世以上の怨嫉の難があると説き、また明楽は「惑耳驚心」と説いている。
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像法決疑経
仏入滅後に起る僧俗の非法をあげてこれを誡め、大慈布施を勧めたもの。諸経録では疑経とされる。
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一日一夜
天台大師の五時教判によると、涅槃経は一日一夜の説で、跋提河の辺とされている。
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八十御入滅
釈尊が80歳で入滅したこと。入滅は寂滅の意で、涅槃ともいい、仏の死を意味する。
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七十九・八十・八十一・八十二・百五・百二十
釈迦の入滅は通常80歳とされているが、諸説がある。
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依法不依人
涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され(481㌻など)、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され(481㌻など)、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され(481㌻など)、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。
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法四依
涅槃経の四依品では、仏滅後の末世(すなわち末法)に正しく依るべき4つの法義をいい、涅槃了義の観点から法四依を再説している。依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経のこと。
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人四依
涅槃経に説く、仏滅後の末世に正しく依るべき4種の人をいう。四種人ともいう。法四依を受持する凡夫と声聞衆(須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢)のこと。
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依義不依語
法の四依のひとつ。「義に依って語に依らざれ」と読む。仏説の実義・真義をよりどころとして、経文の表面上の語句にとらわれてはならないということ。
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依智不依識
法の四依のひとつ。「智に依って識に依らざれ」と読む。仏の真の智慧をよりどころとして、人の浅い知識や経験則によってはならないこと。
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仏智
一切の事理に通じた仏の智慧のこと。最高・無上の智慧をいう。
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菩薩等識
菩薩等の識を意味し、この識は菩薩の階位である52位のうち、等覚以下の識を意味する。
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依了義経不依不了義経
法の四依のひとつ。 「了義経に依って不了義経に依らざれ」と読む。仏の真実の経である法華経をよりどころとして、法華経以外の方便の諸経をよりどころとしてはならないこと。
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爾前の経
爾前経のこと。爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
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釈尊一代五時のうち、第五の法華涅槃について、法華経と涅槃経とに分けて図示されている。
「法華経」については「諸宗依馮宗・仏立宗・天台宗・法華宗」「秘密宗・顕露彰灼宗」との脇書がある。
このうち「諸宗依馮宗・仏立宗・天台宗・法華宗」については、普通なら法華宗~諸宗依馮集という順になるが、御真筆の線の引き方を拝しても、内容的にも、まず「法華宗」と書かれ、次いで「天台宗」「仏立宗」「諸宗依馮宗」の順になっている。(これは、創価学会版御書全集の図示部構成が、首部に近い部分から、読むようになっているためか)
「法華宗」とは文字どおり、法華経を根本とする宗団・宗派の意である。それが、具体的には「天台宗」であること、そして伝教大師が法華宗句で言っているように、法華宗こそ仏自ら立てた宗であるという意味で「仏立宗」と記されている。さらに「諸宗依馮集」は、これ以外のあらゆる諸宗がよりどころとすべき宗であるとの意である。
対側の「秘密宗・顕露彰灼宗」の「秘密宗」は「かくされている」、「顕露彰灼宗」は「あらわに示されている」で、逆の表現だが、どちらも法華経を根本とする宗を指していわれている。これは仏は法華経に真実を明らかにしめしたのであるが、九界の迷いの境界にいる凡夫にとっては捉えられず理解できない甚深の法である故に「秘密宗」となるのである。
なお、法華経の結経が普賢経、すなわち普賢菩薩行法経であることを示され、これに「叡山戒壇」と記されている。普賢菩薩行法経には大荘厳懺悔による滅罪と仏身の成就を明かされて仏滅後の持戒を説いていることから、この滅後の懺悔と持戒の道場として、伝教大師によって実現されたのが比叡山の大乗戒壇であったことを示されているのである。
以上のように「法華経」の意義を示されたあと、下の方に、法華経こそが真実を明かした経であることを示している経文として方便品第二から3つの文を抜き書きされている。
その第一は「世尊法久後要当説真実」の文で、釈尊は成道後、久しい間にわたって教えを説いた後に必ず真実を説く、というものである。この真実を明かした経が法華経でることを示すために掲げられたものである。
次いで「正直捨方便但説無上道」の文が示されている。
ここでは方便を捨てて、ただ“無上道”すなわち、最高・究極の境界である成仏の道を説いたのが法華経であることを示されている。
「捨」には「廃也」ときされている。ここで、方便の教えを捨てるというのは廃止することであると強調されている。また「方便」につては「或は前三教と云い或は前四教前四味と云うなり、或は先の三教の円教に摂尽するを云う」と記されている。
すなわち、廃すべき爾前の方便の教えとは「或は前三教」といって、化法の四教の内の円教を除く蔵経・通教・別教の三教であり、「或は前四教前四味」といって、五時五味の立て分けのうち、最後の法華・涅槃時を除く華厳時・阿含時・方等時・般若時の前四時前四味でもある。
次の「或は先の三教の円教に摂尽するを云う」とあるのは、「但無上道を説く」の文に付記されており、これは蔵経・通教・別教の前三教を円教のなかに摂尽しているのが無上道であることを示されていると拝せる。
次いで「雖示種種道・其実為仏乗」の文が挙げられている。
これは、仏は40余年にわたって方便権教を説いて「種種の道」を示したが、それは仏乗、すなわち、成仏の法を説くためであったことを明かされているのである。
「種種道」の脇には「四時・七教・五時・八教」と記されており“種種の道”を「四時・七教」の爾前経とする説と「五時・八教」で、一代聖教全体とする説とがることを示されている。
前節では第五時の法華・涅槃時と八教のうちの円教を除いた爾前の諸経を“種種の道”とするが、後説ではさらに踏み込んで言葉によって説かれた円教・法華経を含む五時八教のすべてを“種種の道”とすることになる。
いずれにせよ「これまでの教えは方便であるから捨てよ」という相待妙の立場に対し、これまでの教えは法華経へ導くために説いたものであるという絶待妙の立場がここに明らかになる。法華経のみが真実で、他は方便とすることに変わりはないが、排除の理論と包摂の論理との違いがここに出てくることになる。
なお、「仏乗」の脇には「唯一仏乗」と記されており、仏乗という法華経方便品第二の言葉がそのまま方便品の他の個所で説かれている「但一仏乗」とまったく同じ意義であることを明らかにされている。ただし、「但」と「唯」との記述の相違はあるものの同義といってよかろう。
第四に「将非魔作仏・悩乱我心耶」という法華経譬喩品第三の文が示されている。これは舎利弗は、方便品の「一大事因縁・開示悟入」の説法を聞いて、譬喩品で領解した言葉のなかにあり、舎利弗は、方便品で諸法実相が説かれ、これは仏のみの知るところで声聞たちには分からないと断じられた時、驚いて、魔が仏となって説法し、自分の心を悩ましているのではないかと疑ったと言っているのである。「一大事因縁」を聞き、一切衆生が成仏できると説かれていた疑いが晴れて歓喜となったことはいうまでもない。
この文をここで引用されたのは、声聞第一の舎利弗すら大きな疑惑にとらわれるほど、法華経の説法は難信難解であり、甚深の法であることを示されるためと拝される。
第五の文は「久黙此要・不務速説」という法華経薬草喩品第五の文である。
この文の第一の「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」という文と同趣旨のもので、釈尊が爾前の長い間、一仏乗を黙秘して、急いでは説かなかった、ということである。つまり、それほど法華経の説法は軽々しくは説かれない深淵にして重大なものであることをこの文によって示されているのである。
以上爾前経との対比で法華経が究極であることを示す文証であるが、次に、このあと掲げられる釈尊最後の説法たる「涅槃経」に対しても「法華経」が最極であることを裏付ける文証が挙げられる。それが法華経法師品第十の「我が所説の経典・無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いてこの法華経、最も為れ難信難解なり」という文である。
天台大師は法華文句巻八上で、已説は爾前の四十余年の諸経、今説は法華経の開経・無量義経、当説は涅槃経を指すと釈している。これを踏まえて、この経文の「已に説き」の個所に「華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等」と記されている。同じく「今説き」のところでは「無量義経」と記され、「当に説かん」の個所では「涅槃経等」と記されている。
このことから、法華経を、爾前経に対して勝れるとするだけでなく、法華経より後で説かれる涅槃経と対比しても勝れるとするのが仏意であることが明らかである。
次いで、この法華経法師品の一節を釈した「記の六」「玄の三」「籤の三」等の文が引用されている。まず「記の六」の文は法華経法師品の「已・今・当の三説」を釈した妙楽大師の法華文句記の一節で、その内容は、ある経典が自らを「諸教の王」であると讃嘆したとしても、法華経のように具体的に已・今・当の三説の中で「最第一」という言い方はしておらず、ある範囲の中での最勝に過ぎない、と釈している。その理由として、法華経以外の諸経には「兼但対帯」という立て分けがあることを知らねばならない、と説いている。
すなわち、「兼」は華厳部のことで、四教のうち、円教を“兼”ねる教えであることを示して、「但」は“但”蔵教のみを説いた教えであり、「対」は方等部のことで、四教の機根に“対”して具に四教の教えを説くのでこのようにいう。「帯」とは般若部のことで、通・別の二教を“帯”びて円教を説くのでこのようにいう。いずれも、爾前の諸経を指すが、これに対して、法華経の場合は兼但対帯の方便がまったくないので純円一実の最高の教えとなるのである。
続いて「玄の三」すなわち同じく天台大師の「法華玄義」の巻三の「舌口中に爛る」との文は、法華経が諸経に超越していることを認めないで、法華経に対して軽視し侮るような言説を述べると、その人の舌は口の中で爛れる、との報いを受けることを説いたものである。
次の「籤の三」は妙楽の法華玄義籤巻三の文である。その内容は已・今・当の三説を超過しているというこの法華経の妙法に対して強く迷うならば、舌の爛れが止まないというのはまだ「華報」、すなわち、未来の「果実」の前兆として現世の報いにすぎない。法華経を誹謗した謗法の罪苦は今生だけにとどまるものではなく、極めて長時間にわたる、と説いている。
次いで「又云く『諌暁止まず』」との文は前分と同じく釈籤巻六の文で、その内容は法華経を軽視し華厳般若の方が融通無碍であると説く謗法の人師に対して、諌めさとすにもかかわらず、謗法が止まなければその人師の舌が爛れることは疑いない、と述べているところである。
以上で、第五時・法華涅槃時のうち、法華経についての図示が終わり、続いて、涅槃経の図示に入る。まず「涅槃経」と書かれた脇に「一日一夜」と記され、さらに「像法決疑経」「結経」とある。「一日一夜」というのは涅槃経が釈尊の涅槃の日の一昼夜に説かれた教えを記したものであることを指している。「像法決疑経」は涅槃時の「結経」とされている。
「涅槃経」の脇に「八十御入滅」とあるのは釈尊の入滅した年が80歳であったことを記されている。その下に「七十九・八十・八十一・八十二・百五・百二十」と書かれているのは、釈尊の入滅の年齢をめぐって種々の説があったことを示されている。大聖人は他の御書においても「八十入滅説」を採用されている。
次に「涅槃経」から下に線を引かれており、「依法不依人」「依義不依語」「依智不依識」「依了義経不依不了義経」と書かれ、脇に「法四依」「第六巻」とある。「法四依」が「依法不依人」等をいうことは明らかである。すでに「一代五時図」の「涅槃時」の項でも“人の四依”と共に記されていたが、ここでは“法の四依”だけを記され「依法不依人」の「人」の傍に「人四依」と付記されている。
理論的に考えれば「法に依って人に依らざれ」と戒めながら「人の四依」を立てるのは明らかに矛盾であるが、あくまで「依法不依人」を根本としたうえでの「人の四依」であること、言い換えると依処とすべき人は「法四依」を弁えている人ということになろう。
「法に依って人に依らざれ」は、仏滅後において、仏法を修行し学ぶ人は、仏が説いた法を依りところとすべきで、人の言葉を依りどころとしてはならないという戒めである。
「義に依って語に依らざれ」は、その仏の説いた教えでも、その内容をよりどころとすべきで、表面的な言葉にとらわれてはならないという戒めである。
次いで「依智不依識」の項については「智」の脇に「仏智」と付記され、「不依識」の脇には「菩薩等識」と記されている。
つまり、依りどころとすべきは仏の智慧であり、菩薩・二乗などの識、つまり、さまざまな考えや心の動きを依りどころとしてはならないということである。
最後に「依了義経不依不了義経」の項では「了義経」には「法華経」、「不了義経」には「爾前の経経」と記されている。
真実を完全に説いた教えである法華経を依りどころとすべきであり、方便の教えで真実を説き尽くしていない爾前の経経を依りどころをすべきではないとの戒めである。
0628:15~0630:06 第四章 釈尊の主師親三徳を図示すtop
| 15 ┌主上 ┌二天┬魔醘修羅天 16 ┌┼天尊───┘ └毘紐天 ┌大梵天 17 │└世尊 ┌─┼第六天 18 ┌主───────────────│ └帝釈天 19 ││┌法王 │ 20 ││├国王 │ 01 │└┼人王 │ 天竺 0629 02 │ └天王 ├─┬師子頬王 03 │ │ └浄 飯 王 04 │八虐に違す │ 震旦 05 │ │ ┌三 皇 06 釈尊─┼師───────────┐ ├─┼五 帝 07 │└師匠 │ │ └三 王 等 08 │ 七逆に違す │ │ 日本国 09 │ 涅槃疏云 章安釈 │ └──神武天皇 10 │ 一体の仏主師親と作る │ 外道師 ┌迦 毘 羅 ・ 11 │ ├三仙───┼漚楼僧伽 12 │五逆に違す │ 六 師 └勒 沙 婆 13 └親──┬八親 │ 外典師 ┌尹 喜 14 └六親 ├四聖───┼務 成 15 │┌周公旦 ├老 聃 16 └┼孔 子 └呂 望 17 └顔 回 -----― ┌主上 ┌二天┬魔醘修羅天 ┌┼天尊───┘ └毘紐天 ┌大梵天 │└世尊 ┌─┼第六天 ┌主───────────────│ └帝釈天 ││┌法王 │ ││├国王 │ │└┼人王 │ 天竺 │ └天王 ├─┬師子頬王 │ │ └浄 飯 王 │八虐に違す │ 震旦 │ │ ┌三 皇 釈尊─┼師───────────┐ ├─┼五 帝 │└師匠 │ │ └三 王 等 │ 七逆に違す │ │ 日本国 │ 涅槃疏云 章安釈 │ └──神武天皇 │ 一体の仏主師親と作る │ 外道師 ┌迦 毘 羅 │ ├三仙───┼漚楼僧伽 │五逆に違す │ 六 師 └勒 沙 婆 └親──┬八親 │ 外典師 ┌尹 喜 └六親 ├四聖───┼務 成 │┌周公旦 ├老 聃 └┼孔 子 └呂 望 └顔 回 -----― 0630 01 ┌ 世尊 三界特尊┌ 二十五有 ┌理性の子 結縁の子 02 今此三界・皆是我有 其中衆生・悉是吾子 03 文句の五に云く 一切衆生等しく仏性有り 仏性同じきが故に等しく是れ 04 子なり -----― ┌ 世尊 三界特尊┌ 二十五有 ┌理性の子 結縁の子 今此の三界は、皆これ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。 法華文句巻五に「一切衆生には等しく仏性が有り、仏性が同じである故に等しく 仏の子である」とある。 -----― 05 而今此処・多諸患難 唯我一人能為救護 06 └玄の六に云く 本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此 の仏に従つて不退の地に住す -----― 而今此処・多諸患難 唯我一人能為救護(而も今此の所は、諸の患難多し、唯我一人のみ、能く救護を為す) └法華玄義巻六に「もともと、この仏に従って初めて仏道を求め、また此の仏に従って不退転の 境地に住する」とある。 |
釈尊
シャーキャ族の聖人(釈迦牟尼)。人々から尊敬される人物の意で、仏教の創始者ゴータマ・ブッダをさす。釈尊は古代インドに王子として生まれ、シッダールタと呼ばれた(生誕の地ルンビニーは現在のネパールに位置している)。若き日、生・老・病・死という免れられない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探究しようとして出家した。シッダールタは、万人が羨む、満たされた王子としての境遇にあった。しかし、人々が求める贅沢さもしょせん、はかなく空しいと知り、楽しむことはなかったと回想している。そこで、釈尊は人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めた。しかし、伝統的な教えにも、また同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因とその解決について探究した。その結果、一人一人の生命、宇宙を貫く永遠普遍の「法」に目覚めた。それ故、サンスクリットで目覚めた人という意味の「ブッダ」と呼ばれる。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと表記した。釈尊は、人々が自己の本来的な尊厳性への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れてでも幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破した。そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて根源的な無知(無明)から解放された、自己本来の清浄な生命に立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えた。また釈尊は、自己の尊厳性を自覚することによって他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えた。これが「慈悲」の基本精神である。釈尊は、ある大王に対して、だれにとっても自分以上に愛しいものはない、自己を愛する者は他人を害してはならないと教えている。仏教の説く「慈悲」とは、他の人も自身と同じように大切な存在であると知って他の人を大切にすることであり、万人に双方向性をもつものである。【諸経典に説かれる釈尊】釈尊の言行は弟子たちによって後世に伝えられ、それぞれが重視する観点から種々の経典が編纂されていった。それらに示される釈尊像は、その経典制作者たちがとらえた理想を体現する仏であり、しばしば神格化され超越的な姿と力をもつものとして描かれている。その釈尊像は、それぞれの経典の教えを反映するものであり、「観心本尊抄」に基づいて経典の教説の分類に対応させて仏身を6種に立て分けられる。すなわち、蔵・通・別・円の四教においてそれぞれの仏身が説かれ、円教である法華経では迹門・本門の仏身が示されている。本門においては、文底の教えを立て分け、文底下種の法を説く仏身を立て分ける。それぞれの仏身はそれぞれの教えにおける成仏観を反映したものとなっている。
―――
主師親
一切衆生は、みな親によって生を受け育てられる。師匠によって智をみがき、主人によって養われ、人生の意義をあらしめることができる。民主主義の現代には、主とは社会を意味する。
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主上
天皇を敬っていう語。 至尊。
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天尊
天に代わって万民を治めるとして尊ばれた人。
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世尊
世に尊敬される仏を指す。仏の10号のひとつ。
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二天
❶古代インドで崇拝された摩醯首羅天と毘紐天のこと。御書では三仙などと併記される。❷多聞天王と持国天王のこと(1246㌻)。須弥山四面の中腹の四峰に住み、正法を護持する四天王のうちの二天王をいう。多聞天王とは毘沙門天王のことで須弥山の北方の三城に住み、法を多聞して法座を守る働きをする。持国天王は東方の守護神で、法華経序品第1の列衆でもあり、一般には民を安んずる働きをする。二天は陀羅尼品第26で、陀羅尼呪を説いて法華経の行者を守護することを誓っている(法華経644,645㌻)。❸日天と月天のこと。❹梵天と帝釈天のこと
―――
魔醘修羅天
大自在天のこと。インドで崇拝されていた神。大自在天はサンスクリットのマヘーシュヴァラの訳で、音写して摩醯首羅天ともいう。色界の頂上に住み、三千世界を支配するとされる天。古代インド神話のシヴァと同一視される。バラモン教から発展したヒンドゥー教では、梵天・那羅延天・摩醯首羅天(大自在天)を三大神とし、それぞれ創造・維持・破壊をつかさどるとしている。
―――
毘紐天
毘紐はサンスクリットのヴィシュヌの音写。韋紐天とも。バラモン教では大梵天(マハーブラフマー)、帝釈天(インドラ)に並ぶ主要神とされる。仏教では色界四禅天のうち第三禅天の中の第3天(色界十八天のうち第9天)に住むとされる。「開目抄」に「月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す」(187㌻)と述べられている。その形像は『大智度論』巻2に「韋紐天の如きは〈秦には遍悶と言う〉、四臂にして貝を捉り、輪を持し、金翅鳥に騎る」とある。その働きは同論巻10に「世間に大富貴・名聞の人有るは、皆是れ我が身の威徳力の分なり。我は能く世間を成就し、亦能く世間を破壊す。世間の成ると壊るとは、皆是れ我が作なり」とある。
―――
法王
仏を王の位において表現する言。
―――
国王
国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。
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人王
天上界の王に対して、人間界の王をいう。
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天王
①天皇。②諸天の王。③大梵天王など。
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八虐に違す
八逆は大宝,養老律の劈頭にみえる,特に悪質と認められた8つの犯罪群。母法である「唐律」では「十悪」であったが,日本律は,不睦,内乱を除いて,(1) 謀反,(2) 謀大逆,(3) 謀叛,(4) 悪逆,(5) 不道,(6) 大不敬,(7) 不孝,(8) 不義と立てた。
―――
大梵天
サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
―――
第六天
欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
―――
帝釈天
帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
―――
天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
―――
師子頬王
師子頰はサンスクリットのシンハハヌの訳。古代インドの迦毘羅衛国(カピラヴァストゥ)の王。浄飯王の父で、釈尊の祖父。
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浄飯王
浄飯はサンスクリットのシュッドーダナの訳。古代インドの迦毘羅衛国(カピラヴァストゥ)という都市国家の王で、釈尊の父。釈尊の出家に反対したが、釈尊が成道後に首都・迦毘羅衛城に帰還した時、仏法に帰依した。
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震旦
真旦とも。中国の古い呼び名。古代インド人が中国を指したチーナスターナの音写語。真旦とも。中国の古い呼び名。古代インド人が中国を指したチーナスターナの音写語。
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三皇
古代中国の伝説上の理想的な王たち。諸説あるが、伏羲・神農・黄帝の3人とされる。
―――
五帝
三皇に続く中国古代の五人の帝王。諸説があるが史記によれば伏羲・顓頊・帝嚳・尭・舜。
―――
三王
中国古代、夏の禹王、殷の湯王、周の文王の三王をいう。異説には周王を武王ととるものがある。三王とも善政を施したことで特に尊敬を集めた。
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神武天皇
日本神話に登場する人物。『古事記』『日本書紀』では、日本の神の系譜を継いで人間として初代天皇となり、神代と人代をつなぐ皇統の祖とされる。御書中でも神武以降の皇統は「人王」と呼ばれ、神代と区別される。日向(宮崎県)から東征し長髄彦を破って大和地方を平定し、橿原宮(奈良県橿原市)で即位した。この大和平定の物語は建国神話として有名で、これに基づけば即位年は紀元前660年とされる。
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七逆に違す
七逆罪を犯すこと。七逆罪は五逆罪に殺和尚・殺阿闍梨を加えて七逆罪という。すなわち、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧・殺和尚・殺阿闍梨のこと。
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涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
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章安
561年~632年。中国・隋の僧。灌頂のこと。天台大師智顗の弟子。天台大師の講義をもとに『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』などを筆記・編纂した。主著に『涅槃経玄義』『涅槃経疏』がある。
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三仙
釈尊誕生以前に出現したとされる3人の外道の伝説的な祖。①迦毘羅(カピラ)はサーンキヤ学派(数論師)の祖で決定論である「因中有果」説を唱えた。②漚楼僧佉(ウルーカ)はヴァイシェーシカ学派(勝論師)の祖で偶然論の「因中無果」説を唱えた。③勒娑婆(リシャバ)はジャイナ教の祖で両者の折衷論の「因中亦有果亦無果」説を唱えた。
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外道師
外道の師のこと。外道は仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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六師
釈尊在世時代に中インドで勢力を持っていた6人の外道の思想家。富蘭那迦葉・末伽梨拘舎梨・刪闍耶毘羅胝子・阿耆多翅舎欽婆羅・迦羅鳩駄迦旃延・教尼乾陀若提子
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迦楼羅
①想像上の大鳥。翼は金色で、口から火を吐き、竜を好んで食う。天竜八部衆の一。密教では仏法を守護し衆生を救うために梵天が化したとする。②伎楽面の一。鳥の形をして、口の先に小さな玉をくわえる。
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漚楼僧佉
(Ulūka)インド六派哲学の一つ。勝論学派の開祖といわれ、釈迦出世前800年ごろインドに出現し、因中無果説を説いた。別名を拘留外道ともいう。
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勒娑婆
苦行と訳す。因中亦有果亦無果と説いた。弘決巻十には「算数をもって聖法となす、造れる経はまたは十万偈あり」等とある。別名を裸形外道といい素裸で、灰や棘の中に寝るなど、さまざまの苦行を行った。のちのジャイナ教はこの勒娑婆を始祖とする。釈尊の出家前の子で、仏の弟子となりながら外道に近づいて退転し、現身に大苦を受けた善星比丘も、この勒娑婆の一派といわれる。
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四聖
声聞・縁覚・菩薩・仏のこと。小乗は声聞・縁覚の二乗の悟りを教え、権大乗では菩薩の修行を教えた。法華経のみが仏になる道を説いたのである。仏教の修行によって得られる。それぞれの悟りの境涯である。
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外典師
外典に載せられている教えや所論を説いた人々のこと。
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尹喜
尹寿ともいい、堯王の師であり、務成は舜王の師で あり、太公望は文王の師であり、老子は孔子の師であるといわれている。
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務成
中国・上古の人。伝説上の帝王。舜の師ともいわれている。
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老聃
生没年不明。中国周代の思想家・老子のこと。
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呂望
紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師、後に斉の始祖。姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。一般には太公望という呼び名で知られ、釣りをしていた逸話から、日本ではしばしば釣り師の代名詞として使われる。
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周公旦
中国の周を建国した武王の弟である旦。武王の死後、幼い成王を補佐した。周公という呼称については、一説には周の故地である岐山に封じられたことによるとされる。優れた政治家として儒教では聖人とされる。御書中では「一度髪を洗う間でも三度にわたって髪を握って洗髪を中止し、一度の食事の間にも三度にわたり食べているものを吐きだして食事を中止し、客を迎えたという」(278㌻、通解)との故事を紹介され、仏教以外の智人・賢人の例とされている。これは『史記』や『韓詩外伝』などにある。「三度にわたって髪を握る」とは、入浴中に来客があるたびに、解いた髪を手で握ってまとめて応対したこと。周公旦は周の王族の一員として、人を待たせても構わない身分であったが、天下の人材を失うことがないように、客人を待たすことなく応対し礼を尽くしたという故事である。
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孔子
紀元前551年~前479年(生没年には異説がある)。中国・春秋時代の思想家。姓は孔、名は丘、字は仲尼。儒教の祖。社会秩序を回復するために、「仁」という社会的な道徳を強調した。『論語』は、孔子の言行を弟子が編纂したものである。魯国で生まれたが、受け入れられず、諸国を遍歴した。
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五逆に違す
五逆罪を犯すこと。五逆罪は5種の最も重い罪で、必ず無間地獄の苦の果報を受ける原因となる行為。①父を殺す(殺父)②母を殺す(殺母)③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢)④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血)⑤教団を分裂させる(破和合僧)の五つ。
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八親
八親等までの親族。
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六親
妻(夫)・父母・子供・兄弟等。一般には六親等までの血縁者。
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今此三界・皆是我有
法華経譬喩品第3に「今此の三界は、皆是我が有なり」とある。
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三界特尊
仏が全世界で最も優れているということ。
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二十五有
三界六道を二十五種に分けたもの。三界とは、欲界・色界・無色界。欲界では四趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅)、四洲(東弗波提、西倶耶尼、南閻浮提、北鬱単越、六欲天(四王天、忉利天、夜摩天、兜率天、化楽天、他化自在天)の十四有。色界では初禅天中の大梵天と四禅(初禅天・二禅天・三禅天・四禅天)の五有。無色界では四処(空無辺処・識無辺処・無処有処・非想非非想処)、無想天・那含天の六有で以上合して二十五をいう。
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其中衆生・悉是吾子
法華経譬喩品第3に「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」とある。
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理性の子
一切衆生は悉く仏性を有しているということ。
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結縁の子
仏が成仏させるために縁を結び、衆生はその子であるという意味。
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文句
法華文句のこと。天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。
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仏性
一切衆生にそなわっている仏の性分、仏界。
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而今此処・多諸患難
法華経譬喩品第3に「而も今此の処は諸の患難多し」とある。
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患難
悩みや苦しみ。難儀。患苦。
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唯我一人能為救護
法華経譬喩品第3に「唯我一人のみ、能く救護を為す」とある。
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道心
仏法を信奉する心。仏果を求める心。菩提心と同意。
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不退の地
不退転の地。仏道修行の過程ですでに得た功徳を決して失わないこと。
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第一章でも述べたように、三編の一代五時図のなかで、本抄の」鶏図」では人本尊を明らかにすることに力点を置かれている。この段から本抄の後半においては、初めに釈尊が具えている主師親三徳に、諸宗教の立てる主師親を示されたあと、最後に仏法各宗派がいかなる仏を本尊としているかを図示しつつ法華経本門の釈尊こそ究極真実の主師親三徳具備の仏であることを示して結ばれている。
まず「釈尊」の下に「主」「師」「親」と記され、釈尊が主師親三徳を具えた仏であることを図示されている。「主」と書かれた脇に「世尊」「天尊」「主上」と書かれ、御真筆を拝すると、「世尊」に力点が置かれていることは明らかであり、釈尊を呼ぶ称号としても「世尊」が最も多いことから、これは当然である。「世尊」とは、この世のあらゆる人々から尊ばれる存在という意味の呼び名である。
「天尊」とは、天界の衆生からも尊ばれる存在ということであり、「主上」とは、主として最高位にある存在ということである。「主上」の称号は日本の歴史書や古典で、天皇を指して用いられた言葉であるが、ここでは広義で最も尊貴な存在という意味に使われている。このことは、人間世界における「主徳」をもつ具体例として天竺の場合、震旦の場合、日本の場合を下段に挙げられ、その日本国の例として「神武天皇」が示されている事実によっても明確である。
この「世尊」「天尊」「主上」の三つのうち「天尊」から線を引かれて「二天」と書かれ、魔醘修羅天と毘紐天の名が記されている。主師親三徳を明かされた開目抄でも「二には月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す」(0187-08)と述べられている。
「大梵天」「第六天」「帝釈天」は、本文では「主」のところから引かれた線の先に天竺・真旦・日本国の人間界の主君と並列されているかのようになっているが、御真筆では、「二天」と並べた位置に記されている。「二天」がインドのバラモン教において宇宙の想像・破戒に関わる主神とされたのに対し、大梵天は万物の根源であるブラフマンの神格化、帝釈は神話上の戦争で勝利に導いた英雄神、第六天は他化自在天に住する魔王で、少なくともバラモン教における位置付けは「二天」よりも低くみられていた。
さて、元へ戻って「主」の文字の傍には「法王」「国王」「人王」「天王」と書かれている。ここは釈尊が主徳を示していることを示されていることに主眼があるから「法王」に力点が置かれていると拝される。「法王」とは「法の王」の意で、仏法を説いた仏を指す言葉だからである。
「法王」を仏の尊称として使われている御書の例として如説修行抄の「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し」(0501-15)があまりにも有名である。
次に、具体的に人間世界において「主徳」をもつ「国王」「人王」「天王」の例として、天竺すなわちインドでは「師子頬王」「浄飯王」の名が挙げたれている。もとよりこの二人はインドの歴史全体からすると特筆される王ではないが、インドでは古代の歴史記録が残されておらず、阿育王やカニシカ王といった後代の王は別にして、仏典に記されている王が馴染みがあったので挙げられたと考えられる。ちなみに師子頬王は釈尊の祖父であり、浄飯王は釈尊の父として仏典にその名が見られる。
震旦すなわち中国では、多くの歴史記録が残されており、神話・伝説時代から数え切れるほどの王たちの名が知られている。そうした歴代の王たちのなかで淵源を位置する王として挙げられているのが「三皇」「五帝」「三王」等であるが、こちらはインドとは逆に歴史書が多すぎて、だれを「三皇」とし「五帝」とするかについて、さまざまな説があり、定めようがないほどである。
日本国の王としては古事記・日本書紀などで第一代の天皇とされている神武天皇の名が挙げられている。もとよりこれは神武ただ一人ということではなく、その後の歴代天皇を含めておられることはいうまでもない。
このように「主」について記された脇書に「八虐に違す」は御真筆では「違八虐」と書かれているので、正しくは「違すれば八虐」と読むべきであろう。「主」に背くと次の八種の罪に違反することになることを示されている。「八虐」は八逆罪ともいい、謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義の八つであるが、主師親三徳は人々にとって、尊敬し従うべき存在であることから、特に「主」に背いた場合は「八虐」という重い罪に問われるとされたのである。
以上で「主」の徳については終り、次に「師」の徳について図示されている。まず「師」の脇書が「師匠」とある。いわゆる師匠と呼ばれるひとたちがここに入ることを示されている。
「師」の徳は三徳の一つとして「釈尊」に具わることを示されているのであるが、「師」の下には仏教以外でインドのバラモン教、中国における儒教・道教の「師」にあたる人たちの名を列記されている。
インドでは「三仙」とあり、さらに「迦毘羅」「漚楼僧伽」「勒沙婆」の三人の名が記されている。「三仙」はバラモン教を開祖とする三人のことで、そのうち、「迦毘羅」は数論学派の祖とされる。因の中に果が有るとする“因中有果”論を説く派である。
「漚楼僧伽」は勝論学派の祖とされ、因の中に果無しとする“因中無果”論を説く派である。「勒沙婆」は因の中にまた果有りまた果無しとする“因中亦有果亦無果”論を称える派で、後のジャイナ教の遠き祖とされる。
次いで「六師」であるが、これは釈尊の在世当時、既成のバラモン教の権威を否定して、自由に思想を展開し、中インドで活動していた六人の外道の論師のことで“六師外道”ともいう。すなわち、富蘭那迦葉・末伽拘舎梨子・刪闍耶毘羅胝子・阿耆多翅舎欽婆羅・迦羅鳩駄迦旃延・尼乾陀若提子の6人である。
三仙と六師外道について開目抄には「迦毘羅・?楼僧?・勒娑婆.此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり」(0187-08)と仰せられている。
次に、中国では「四聖」と記され、その脇に「外典師」と書かれている。大聖人はインドのバラモン教を「外道」と呼び、それに対し、中国の儒教・道教を「外典」と呼んで区別されている。「四聖」とは儒家で師弟関係のモデルとされているなかの、師匠にあたる4人のことである。開目抄に「尹寿は尭王の師・務成は舜王の師・大公望は文王の師・老子は孔子の師なり」(0186-06)とある「尹寿」「務成」「大公望」「老子」の四人のことと考えられる。
ちなみに「尹喜」という名は中国・戦国時代の秦の人で、老子と共に西遊の旅に出たというエピソードを持つ人がいるが、「四聖」に位置付けられた例はないので、本文の「尹喜」は「尹寿」のことを指されているものと考えるべきであろう。また、本文の「老聃」は「老子」の字が「?」であることから。同じ人物であることは明白である。次いで本文の「呂望」は「大公望呂尚」という名称の「呂」と「望」とを採って略称としたものである。「務成」については、開目抄とこの本文と同じである。
儒教・道教の師としては、以上の「四聖」の他に「周公旦」「孔子」「顔回」の三人の名を記さえている。この三人は儒家において「四聖」と並んで尊重されたということで、ここで挙げられたと考えられる。
もとへ戻って「師」の脇に「七逆に違す」と記されている。これも御真筆では「違七逆」とあるので、意味は「師に違すれば七逆」の罪になるということである。「七逆」とは七逆罪のことで五逆罪に殺和尚・殺阿闍梨の二罪を加えたものである。
五逆罪は次の「親」の徳の個所に記されている「五逆に違す」の「五逆」と同じであるが、「師」の徳への背反として典型的なのが、殺和尚と殺阿闍梨である。殺和尚は戒を授けてくれる和尚を殺すことであり、殺阿闍梨とは教えを授ける教団の先生役である阿闍梨を殺すことである。これに加えて、五逆罪も大きくは師敵対に入るので「七逆」とされたのであろう。
次に「釈尊」に具わる三徳にのうち「親」の徳について記されている。まず「親」の脇に「五逆に違す」と記されている。
これも「親に違すれば五逆」の意と拝される。「親」の徳にそむくと、五逆罪になるとの意味である。特に五逆罪を挙げていたのは、このなかでまず、父を殺す、母を殺す、等の「親」への罪が挙げられているからである。
「親」の下に「八親」「六親」とあり、「親」の徳を具える存在として尊ぶべき人の範囲は図示されている。一般的には「八親」とは八代の親族のことで、自分を中心に上四世の父・祖父・曾祖父・高祖と下四世の子・孫・曾孫・玄孫までの親族関係を指し、「六親」は父・子・兄・弟・夫・婦の親族あるいは父・母・兄・弟・妻・子の親族をいう。しかし、ここは、親族という意味は考えられないから、八代前あるいは六代前まで遡って先祖を「親」として尊ぶという意味とも解釈できる。あるいは自分の両親と、そのまた両親とそのまた両親・妻の両親とそのまた両親というように数えたのかもしれない。
さて、以上が「主」「師」「親」のそれぞれについて記されたものに関する解説であるが、最後に「師」と親との間に書かれている「涅槃疏云・章安釈・一体の仏主師親と作る」との注について触れておきたい。
この涅槃経疏の一文は同疏巻三の一節であり、一体の仏が主師親の三徳となってあらわれるとの意で、釈尊の一身に主師親の三徳が具わっていると述べた文である。これまでの外道・外典の例で示されたように、主徳を具わっているということが重要だからである。
さらに「而今此処・多諸患難 唯我一人能為救護」の文が示されている。これは法華経譬喩品第三の「今此三界。皆是我有。其中衆生。 悉是吾子。而今此処。多諸患難。 唯我一人。能為 救護」の文を中略され示されたものであるが、一切衆生を成仏させる法華経を説くことにより、釈尊はこの世界の一切衆生に対して広大無辺の主師親三徳を具足した仏になったことを示されているのである。ということは、先述したように、主徳を具える人と師徳を具える人、親徳を具える人は別々であるうえ、たとえば眷属を守る主徳を有しているといっても、その守ってもらえる人々は限られている。日本の国主が守るのは日本の人々に限られているのである。
また、師徳といっても、何を教える師であるかによって、その伝授された智慧・師識の分野は制約されている。親徳もその範囲が限定されることはいうまでもない。
それに対して、この譬喩品の文は、釈尊が三界すなわち欲界・色界・無色界から成るこの現実世界全体を「我が所有なり」として臨み、そのなかの一切衆生を「吾が子」として慈愛する。しかも、この世界に充満する、あらゆる悩み・苦しみから人々を救う万能の智慧を持ち、それを教える主師親であることを宣言したものである。この「患難」すなわち悩み、苦しみには、今、現に起きているものだけではなく、過去世の宿業によるものであるし、死後、未来への不安も含まれるから、三世にわたる“救護”であることが明らかである。
以上の点を踏まえて、この譬喩品の文に付記されている言葉として拝してみよう。
まず「今此三界・皆是我有」の脇に「世尊」「三界得尊」と記されている。すなわちこの世界に対して主徳を有しておられる故に釈尊を「世尊」と呼ぶのであり、しかも「三界において特り尊し」とされるのである。この「三界特尊」が「天上天下唯我独尊」という、釈尊が生まれてすぐ発したとされる言葉とつながっていることは容易に察されよう。また「我有」の「有」の字の横に「二十五有」と記されているのは、三界六道を細かく分けたもので、欲界に四悪道・四州・六欲天の十四有、色界に梵天・無想天・五浄居天・師禅天(四有)の七有、無色界に四空処天の四有、合わせて二十五有である。
次いで「其中衆生・悉是吾子」の文の「吾子」の脇に「理性の子」「結縁の子」との二つの注記がある。ここで「子」とはいうまでもなく仏子のことで、一切衆生が悉く仏性を具えていることを「理性の子」ともいう。一切衆生が仏性を具えていることを「理性」ともいうからである。
また、「文句の五に云く『一切衆生等しく仏性有り仏性同じきが故に等しく是れ子なり』」の文も「理性の子」の意と拝される。
また「結縁の子」とは成仏・得道の縁を結ぶことを結縁といい、単に理論的・観念的に、一切衆生には仏性があるのだから、子であるというだけでなく、現実に仏は衆生に法を説き化導して仏性を覚知させようとする行動がそこに伴っていることを意味する。
最後に「唯我一人」の脇に「玄の六に云く」として法華玄義巻六下の文を引用して「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退の地に住す」と記されている。
この文は曾谷殿御返事のなかでも引用されており「釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う」(1056-13)と述べられている。
すなわち、釈尊こそ一切衆生の久遠下種以来の師であり、これを“本住の師”という。一切衆生はもともと、釈尊に従って「道心」すなわち、悟りを求める心を起こしたのであるから、この本住の師に従って「不退の地」すなわち成仏の境地に到達できるとの意である。
「諸の患難」すなわち、あらゆる苦しみ・悩みから「救われ護られた真実の安穏の境地は成仏以外にはないから、この「能為救護」とは成仏させることであり、それが法華経説法によって達成されたのである。
さらに、本文には欠落しているが、御真筆では「唯我一人」の「我」の右側に「娑婆有縁の仏」と記されている。つまり、釈尊こそ娑婆世界の衆生に縁ある根本の師で、しかも主親の徳をも具えた三徳具備の仏であることが示されているのである。
0630:07~0631:10 第五章 弥陀等の娑婆無縁なるを明かすtop
| 07 文句の六に云く「旧は西方の無量寿仏を以て長者に合す今は之を用いず、西方は仏別に縁異り仏別なる故に隠顕 08 の義成ぜず縁異る故に子父の義成ぜず 又此の経の首末全く此の旨無し 眼を閉し穿鑿せよ、舎那の著脱近く尚知ら 09 ず弥陀は遠きに在り何ぞ嘗て変換せん」云云、 記の六に云く「西方等とは弥陀・釈迦の二仏既に殊なり豈弥陀をし 10 て珍玩の服を隠さしめ 乃ち釈迦をして弊垢の衣を著せ使めん状、 釈迦珍服の隠す可き無く弥陀唯勝妙の形なるに 11 当る、況や宿昔の縁別に化導同じからざるをや、 結縁は生の如く成就は養の如し生養の縁異れば父子成ぜず、 珍 12 弊途を分ち著脱殊に隔る消経事闕けて調熟の義乖く当部の文永く斯の旨無し、 舎那著脱等とは 舎那の動ぜずして 13 而も往くに迷う、 弥陀の著弊は諸教に文無し、 若し平等意趣を論ぜば彼此奚ぞ嘗て自ら矜らん、縦い他を我が身 14 とするも還つて我が化を成す我他の像を立つれば乃ち他の縁を助く人 之を見ざれば化縁便ち乱る、 故に知んぬ夫 15 の結縁とは並に応身に約することを 我昔曾て二万億等と云うが如し、 況や十六王子始縦り今に至つて機感相成し 16 任運に分解す、是の故に彼の弥陀を以て此の変換と為す可からず -----― 法華文句巻六に「法華経信解品第四の長者窮子の譬を訳して、古い書には無量寿仏が長者であると訳しているが、今はこれを用いない。西方の仏は別で縁も異なる。仏が別であるから、長者が父であることを隠したのが釈迦仏で顕したのが阿弥陀仏という義は成り立たない。衆生との縁が異なるために、阿弥陀仏が娑婆世界の衆生と子の父の関係にあるという義も成り立たない。また、この法華経の初めから終りまで、全く、阿弥陀仏が娑婆世界の教主であるという旨は説かれていない。眼を閉ざして深く究明せよ。廬舎那仏は近くで著脱を行ったが、衆生は知らなかった。阿弥陀仏は遠い西方にいる。どうして阿弥陀仏が仏になりかわることがあろうか」とある。 法華文句記巻六に「『西方の無量寿仏』等とあるのは、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏の二仏は既に異なっているからである。阿弥陀仏にその立派な服を隠させて釈迦牟尼仏は隠すべき立派な服はなく、阿弥陀仏だけが見事な勝れて妙なる仏であるということになる。いわんや過去世における結縁も異なり、化導も同じでない。本来、結縁は四護のうちの生のごとくであり。成熟は養のごとくである。その生と養の結縁が異なるので、父と子の関係は成立しない。立派な服と粗略な服の違いは二仏を隔てるものがあり、服を著るか脱ぐかとの違いは殊に隔他理が大きい。法華義記の経文にはこのような解釈は欠点が多く、父が子を育てるという調熟の本義にそむいている。法華経一部の経には、阿弥陀仏がこの土の教主であるという旨は全く説かれていない。法華文句に『廬舎那仏著脱』等とあるのは、廬遮那仏が応身の姿を顕したり隠したりする義であるのが分からず、長者が阿弥陀仏であると迷ったのである。阿弥陀仏が粗末な衣を著て釈迦仏と現れるなどよいうことは諸経に説かれていない。もし仏はいずれも平等である。故に釈迦仏と阿弥陀仏が同じであるというならば、諸仏はどうしてそれぞれの国を誇りにするのであろうか。たとえ他の仏を我が身としても、他仏が我が教化を成就することになる。また自分が他の仏の姿に立って教化すれば、他仏の縁を助けたことになる。衆生はこれを見ないので教化・結縁ということが混乱するのである。すなわち仏が衆生と結縁するのは応身仏の形によってであることを知るべきであり、釈尊が『我は昔、かって二万億の仏のもとで汝を教化した』と言っているのがそれである。ましてや化城喩品に説かれる十六王子が、始めより今にいたるまで機と感が相成じて、自然に十六王子のうち阿弥陀は西方で、釈尊は娑婆世界でと分々に領解させたのである。それ故に彼の阿弥陀仏をもって釈迦牟尼仏と変換してはならない」とある。 -----― 17 種熟 東方有縁 ┌主 18 ┌第一 阿 閦 仏─┼師 01 │ 脱 └親0631 02 │ 種熟 西方有縁┌主 03 大通の太子├第九阿弥陀仏──┼師 04 十六王子──┤ 脱 └親 05 沙弥│ 種熟 娑婆世界┌主 06 └第十六釈迦牟尼仏┼師 ・ 07 脱 └親 -----― 種熟 東方有縁 ┌主 ┌第一 阿 閦 仏─┼師 │ 脱 └親 │ 種熟 西方有縁┌主 大通の太子├第九阿弥陀仏──┼師 十六王子──┤ 脱 └親 沙弥│ 種熟 娑婆世界┌主 └第十六釈迦牟尼仏┼師 脱 └親 -----― 08 記の九に云く「初此の仏菩薩に従つて結縁し還た此の仏菩薩に於て成熟す」、玄の六に云く「仏尚自ら分段に入 09 つて仏事を施作す有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是 10 くの如し」、又云く「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す」 -----― 法華文句記巻九に「初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩によって成熟する」とある。法華玄義巻六に「仏なお自ら分段に入って仏事を施す。有縁の者がどうして求め来ないことがあろうか。譬えば多くの川が海に流れ込むようなものである。有縁にひかれて仏の世に生まれるのは、またまたこのことである」とある。また法華玄義巻六に「もともとこの仏に従って初めて仏道を求め、またこの仏に従って不退転の境地に住する」とある。 |
文句
天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。
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旧
古いこと。
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西方
西方極楽世界のこと。観世音菩薩は西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の脇侍とされている。
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無量寿仏
阿弥陀仏のこと。浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
―――
長者に合す
法華経の長者窮子の譬のなかで、長者を西方の無量寿仏に訳していることを指す。
―――
西方は仏別に縁異り
西方の世界と娑婆世界は別の仏であり、衆生の縁も異なっているとの意。
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隠顕の義
隠と顕の二義。隠はかくす、顕はあらわすの意。仏が隠れたり顕われたりしながら、衆生を教化すること。仏が常住であれば、衆生が懈怠の心を生ずるため、非滅非顕を示し、生死の相を顕すことによって、衆生に生死の当体の真実をさとらせようとすること。
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子父の義
子と父の血縁関係があること。
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首末
初めと終わり。始末のこと。
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穿鑿
深く考えること。詳しく物事を調査すること。吟味すること。
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舎那の著脱
舎那は美盧遮那、著脱は衣服を着たり脱いだりすること。法身の毘盧遮那仏が応身の姿を現じることを著、法身に戻ることを脱という。
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弥陀
阿弥陀如来の略。阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
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嘗て
強い否定をあらわす言葉。
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変換
取り換えること。
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珍玩の服
珍しく得難い服。
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弊垢の衣
破れて古びた服。
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勝妙
非常にすぐれていること。
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宿昔
①むかし昔。②一夜・昨夜。
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化導
仏道に入らしめるため衆生を教化し導くこと。
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結縁
仏法に縁を結ぶこと。成仏・得道の縁を結ぶこと。
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生養の縁
生養は生じさせ養うこと。衆生を導く妙法の四義のうちの二つ。仏に約し、生養の縁は、仏が衆生に下種し、衆生を促して成仏へ進ませる縁のこと。仏を父・衆生を子、結縁を父の血を継いだ子が生まれること。化導を父が子を養育することにたとえ、生・養の縁が同じならば、真の父子であるように、衆生は初めに結縁して下種された仏を縁として化導を受け、成仏すること。
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珍弊
珍は、珍しく得難い服、弊はやぶれて汚れた服。
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消経
経文の解しがたきを消し、義理を明らかにすること。
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調熟
衆生を化導するため、衆生の機根を調え、成熟させていくこと。
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乖く
さからうこと。
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当部の文
当該する文。
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著弊
破れて汚れた粗末な服を着ること。
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平等意趣
四意趣のひとつ。「意趣」とは、心から向かうところ、心ばせ、考え。無着菩薩の摂大乗論に出ている。その意味は、むかし出世した毘婆尸仏という仏と、いまインドに出現した釈尊とは異なった仏であるが、じつは釈尊自身がむかし出世して毘婆仏と称したのである。すなわち、仏の所詮の法は平等である故に、彼即我、我即彼と説く。これを通平等といい、また仏によっておのおの因行果徳が異なっているがまたみな同じであると説くのを別平等というのである。
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化縁
化導・教化における仏と衆生の因縁。衆生を教化して仏縁を結ばせることをいう。
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応身
仏の三身の一つ。仏の肉体・または慈悲をあらわす。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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我昔曾て二万億
法華経譬喩品第3に「我昔曾て二万億の仏の所に於て、無上道の為の故に、常に汝を教化す」とある。
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十六王子
大通智勝仏が出家した時の16人の王子。父王とともにそれぞれの地で法華経を弘めると誓った。第九が西方の阿弥陀如来であり、第十六が娑婆世界の釈尊である。
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機感相成
機は衆生が仏を求める機情、感は仏が衆生の機を感ずること。相成は互いに合致すること。仏と衆生の機根が合うこと。
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任運
手を加えることなく、自然のままにの意。
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分解
分分に領解すること。
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大通の太子
大通智勝仏の16王子のこと。この第16王子が釈尊である。
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沙弥
悪を止めて慈を行ずること。
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阿閦仏
娑婆世界より東方に位置する阿比羅提世界(妙喜世界と訳す)の教主である仏。「阿閦」はサンスクリットのアクショービヤの音写で、「揺れ動かない」の意。もともと阿比羅提世界を主宰していた大目(広目)如来のもとで誓願を立て修行するさまが、揺るぎなく堅固だったことから、このように呼ばれた。菩薩行をへて成道し、大目如来の後を継いだ。阿閦仏国経などの大乗経典に説かれる。
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種熟脱
下種・調熟・得脱のこと。仏が衆生を覚りへと導く三つの段階。各段階で仏が与える利益に応じて、それぞれ下種益・熟益・脱益と呼ばれ、合わせて三益という。
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東方有縁
十方のなかの東方世界に、仏と衆生との縁が深厚であること。東方有縁の仏には阿閦仏・薬師如来がある。
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阿弥陀仏
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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西方有縁
十方のなかの西方世界に、仏と衆生との縁が深厚であること。西方有縁の仏は阿弥陀仏。
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第十六釈迦牟尼仏
大通智勝仏の十六王子の16番目が釈迦牟尼仏・釈尊である。
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娑婆世界
娑婆はサンスクリットのサハーの音写で「堪忍」などと訳される。迷いと苦難に満ちていて、それを堪え忍ばなければならない世界、すなわちわれわれが住むこの現実世界のこと。
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玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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文段
①章の切れ目・段落。②経論などの注釈書。
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往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
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不退地
不退転の地。仏道修行の過程ですでに得た功徳を決して失わないこと。
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釈尊のみが、娑婆世界の衆生にとって有縁の仏であることをさらに明確にするために、法華文句・法華文句記・法華玄義等の文を示されている。16王子の図示では、東方の阿閦仏、西方の阿弥陀仏等が娑婆世界の衆生にとっては無縁の仏であることが明らかにされているが、特に西方の阿弥陀如来の無縁であることを強調されていることは明らかである。大聖人当時の日本では、阿弥陀如来を崇拝する浄土宗が国中に広まって人々を惑わせていたからである。
さらにいえば、このように釈迦仏を正しい仏として宣揚されたのは阿弥陀信仰を破折するためであって、末法において真に崇めるべき仏は、呼び名は釈尊でも、法華経本門寿量品の久遠元初の釈尊であることは当然である。
初めに、法華文句巻六上の一節とその釈文である法華文句記巻六上の一節とが引用されている。
まず、法華文句の一節は法華経信解品第四の長者窮子の譬を釈しているところで、「旧」とあるのは天台大師智顗以前の法華経学者である光宅寺法雲の法華義記の解釈を指している。すなわち、法華義記では、窮子の父である長者を西方の無量寿仏であると釈しているが、天台大師はこれを用いない、と述べている。その理由として、「西方は仏別に縁異り仏別なるが故に隠顕の義成ぜず縁異なる故に子父の義成ぜず」とある。つまり、西方の世界と娑婆世界とでは仏も異なり、衆生の縁も異なっている。仏が異なっているのだから「穏顕の義は成立しないし、衆生の縁が異なっているのだから「子父の義」も成立しない、としている。「穏顕の義」とは長者が窮子に自分が父であることを明かしていないことを「穏」とし、それを明かしたことを「顕」とする。しかも法雲は、父が窮子に自分が父で明かす前段階として、子と同じように粗末な服を著て近づいたのを「釈迦」とし、父であり長者としての姿を顕したのを「阿弥陀」としたのである。
天台は長者窮子の譬はあくまで娑婆世界における仏と衆生の関係を表したものであるから、このような解釈は筋が通らないし「又此の経の首末全く此の旨無し眼を閉し穿鑿せよ」と「此の経」すなわち法華経のどこにもそんなことは説かれていないと述べて打ち破っている。
次いで「舎那の著脱近く尚知らず弥陀は遠きに在り何ぞ嘗て変換せん」とあるが、法華文句巻六上の本文では、この文の前につぎのように説おいている。
「今文に依りて義を附す。若し窮子を釈せんには二乗の人、半字の法を取りて文を銷し、若し長者を釈せんには廬遮那仏、満子の法門を取りて文を銷す。何となれば、宅内の長者は瓔珞を脱して垢衣を著す。衣瓔は異なりあれども、人は祇是れ一なり。廬遮那仏の無量の神徳を隠して丈六の金輝を示し、糞器を執持して三乗の教えを設くることを譬う。穏顕の殊あれども、何ぞ体別に関らん」と。
この文の後に、先の「舎那の著脱」の文が説かれるのである。内容は「今文に依りて義を附す」とあるように、すでに法雲の解釈を破折した後に、天台智顗自身の長者窮子の譬についての釈義を述べるところである。すなわち、窮子は半字の法門に執着する二乗に譬え、長者は満子の法門を所有している廬遮那仏に譬えている。そのうえで、長者が窮子を誘導するために、自分の着ている瓔珞の豪華な衣服を脱ぎ捨て、窮子と変わらない垢だらけの汚い衣服を著て窮子と対応した譬喩を釈して、この場合、衣服には違いはあるけれども、長者という人は同一である。としている。
それと同じように、一代五時でいえば華厳時の廬遮那仏が、阿含時においては二乗を誘導するために、自ら積み重ねた無量の功徳の仏身を隠して丈六の金輝、すなわち、仏としては最も位の低い一丈六尺の金色に輝く応身仏を示し、あえて托鉢の器を持って、蔵教の三乗の教えを設けたことを長者窮子の教えは譬えているとしている。長者の著ている衣服には違いがあっても、長者自身は同一である。それと同じように、廬遮那仏が無量の功徳の仏身をそのまま顕したり、隠して丈六の応身仏の姿を示したりするように“穏顕”に異なりはあっても、廬遮那仏自体には何の違いもない、と結論している。
この文を受けて「舎那の著脱近く尚知らず弥陀は遠きに在り何ぞ嘗て変換せん」という本文での文が引かれているのである。
まず「舎那の著脱」は廬遮那仏が無量の功徳の仏身を隠したり丈六の応身仏の姿を顕したりすることが、同じ娑婆世界で近くに存在している衆生の前で行われたが、衆生はそれを知ることはなかった。しかし、父の体に変わりない。それに対し、娑婆世界を遠く離れた西方の浄土の阿弥陀仏が釈尊とその姿を交換することなどということは、父が別の人と入れ替わるのであるから、父子の義が成り立たなくなる、と述べている。要するに、ここでは阿弥陀仏が娑婆世界とは無縁であることを強調しているのである。
次いで、この法華文句の文を釈した妙楽の法華文句記巻六上の一節が引用されている。まず、天台智顗が法雲の立てた長者=西方阿弥陀仏とする義を破折した個所を釈して「西方等とは弥陀・釈迦の二仏既に殊なり豈弥陀をして珍玩の服を隠さしめ乃ち釈迦をして弊垢の衣を著せ使めん状、釈迦珍服の隠す可き無く弥陀唯勝妙の形なるに当る、況や宿昔の縁別に化導同じからざるをや、結縁は生の如く成就は養の如し生養の縁異れば父子成ぜず、珍弊途を分ち著脱殊に隔る消経事闕けて調熟の義乖く当部の文永く斯の旨無し」と述べている。
ここの内容は、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏の二仏はもともと別の仏であるから、法雲のように豪華な衣服を著ていたのが阿弥陀仏で、それを脱いで垢に汚れた衣服を著たのが釈迦仏だとするのは、釈迦牟尼仏には脱いで隠すような豪華な衣服はなく、結局、阿弥陀仏だけが“勝妙も形”すなわち、すぐれた仏身を有していたことになってしまう。しかも、このあと16王子の図で明らかなように「宿昔の縁別に化導同じからざる」で、釈迦牟尼仏と阿弥陀仏とでは、過去世からの衆生教化の縁は別々で、化導の在り方も同じではないということと相反してしまう。
ここの「宿昔の縁別」とは法華経の化城喩品の教えによるもので、それについては本文の後に図示されているので、そこで詳しく触れるとして、要約的に述べると、三千塵点劫の過去世において、大通智勝仏から法華経の教えを受けた16王子のうち、第9王子の阿弥陀仏は西方に縁を求めて、そこの衆生を教化し、第16王子の釈迦牟尼仏は娑婆世界に縁を求めて、そこの衆生を教化したのであり、二仏は衆生との縁も国土も異なり、したがって化導の在り方も異なるということである。結縁は父が子に仏性の生命を授けるようなもので、成就は仏道修行を進ませるようなものであるから、最初の結縁の仏と修行を成就させる仏とが異なるのでは、「父子の義」が成り立たないことになるのである。
次の「珍弊途を分ち著脱殊に隔る」とは、豪華な衣服を著ているか汚れた衣服を著いるかでは異なるし、衣を著しているか脱いでいるかではさらに隔たりがあり、この法雲のような解釈は「消経事闕けて調熟の義乖く」すなわち長者が窮子の機根を整え、父子の関係を明らかにしたという法華経本来の意図にも背いていると破折している。
「舎那の著脱」すなわち廬遮那仏が応身の姿を顕したり隠したりしたのは、廬遮那が動かずして他の場所で説法する義であるのを、衆生は理解できず、遮那仏はどこかにいってしまったと錯覚したのであるが、「弥陀の著弊」釈迦如来がその立派な衣を脱いで粗末な服を著て現れたのが釈迦仏であるなどろいうことはどの経にもない法雲の我見にすぎない、と破っている。
次に「若し平等意趣を論ぜば彼此奚ぞ嘗て自ら矜らん、縦い他を我が身とするも還つて我が化を成す我他の像を立つれば乃ち他の縁を助く人之を見ざれば化縁便ち乱る」と説き、重ねて破折している。
まず「若し平等意趣を論ぜば」とあるのは「平等意趣」すなわち、すべての仏がその本質において法身として平等であるとの立場から、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏とは一体であると論ずるなら、「彼此奚ぞ嘗て自ら矜らん」、つまり化城喩品にも見られるように、阿弥陀仏は西方に、釈迦牟尼仏は娑婆世界にと、それぞれの縁を求めて、そこで衆生教化を自ら誇りにしていたようなことはありえないはずである。もし仮に「他を我が身とする」、すなわち他仏を自ら変化身とするならば、結局、それは阿弥陀仏の行うべき西方国土の衆生救済を釈迦牟尼仏が代わりに行っているにすぎないことになり、娑婆世界の衆生とは何の関係もないことになるし、もともと衆生教化の縁が異なる二仏としては成立しなくなる。また、与えていっても「我他の像を立つれば」つまり、たとえば我が他の像を仮に現して衆生教化を行うとするなら、「他の縁」、つまり、他仏の縁を助けることになるが、しかし「人之を見ざれば化縁便ち乱る」、多くの人たちは現にあらわれている姿しか見ないから、本当の仏との縁が分からずに混乱してしまうことになる。
したがって「夫の結縁とは並びに応身に約すること」とあるように、そもそも仏が衆生教化の縁を結ぶ際にはどの仏も等しく応身仏の立場で応ずることになっている。それは法華経譬喩品第三に「我昔曾て二万億の仏の所に於いて、無上道の為の故に、常に汝を教化す」つまり、釈迦牟尼仏は昔から二万億の仏のもとで常に舎利弗を教化してきたと述べられているように終始一貫している。ましてや「十六王子始縦り今に至つて機感相成し任運に分解す」とあるように、化城喩品第七に説かれている16王子は「始」すなわち、三千塵点劫の昔から法華経を説いている時点まで舎利弗の衆生に法を説いてきた。阿弥陀仏は西方でその土の衆生の機感に応じ、釈迦牟尼仏は娑婆世界の衆生の機根に応じるというように、衆生の機とそれを受けての仏の化導は相応じるのであり、そうであってこそ、自然のうちに、機根の分分に即して解悟することができるのである。故に「是の故に彼の弥陀を以て此の変換と為す可からず」と結ばれているように、長者窮子の譬えにおいて、長者が窮子に合わせるために粗末な衣を著ている時は釈迦で、長者としての姿を現した時は阿弥陀仏であるといった“変換”はすることができないのである。
次に改めて、法華経化城喩品第七に出てくる16王子の化導のうち第1の阿閦仏と、第9王子、第16王子の釈迦仏について図示されている。
「十六王子」の脇書に「大通の太子」「沙弥」と記されているように「十六王子」は三千塵点劫の昔に出現した大通智勝仏の出家前の太子であること、この16王子が父・大通智勝仏の出家し成道した姿を見て、自分たちも出家して、沙弥となった。
この16沙弥は父・大通智勝仏から法華経の説法を聞いて、それぞれ十方の国土に赴いて、それぞれの衆生のために父から聞いたとおりに法華経を重ねて説いた。これを“大通覆講”という。
十六沙弥の名とそれぞれが赴いた国土については省略され、ここでは「東方に赴いた第一阿閦仏」「西方・第十阿弥陀仏」「娑婆世界第十六釈迦如来」の三弥陀について記されている。
三沙弥のそれぞれが自ら赴いた国土の衆生に対して「主師親」の三徳を具えた仏として接すると共に、それぞれの衆生に対して下種を下し、これを成熟させ、ついには脱して成仏させたことを、それぞれに付された「種熟脱」「主師親」の注記によって示されているのである。
三沙弥は父の大通智勝仏から聞いた法華経を覆講したのであるから、説いた教えも同じなら「種熟脱」の化導法も同じであり、「主師親」としての立場・働きも同じである。ただし、決定的に相違しているのは、その赴いた国土であり、娑婆世界の衆生にとって主師親として有縁の仏は釈迦牟尼仏のみであることが明白である。
しかもそれは、最初の下種から最後の得道まで一貫していることを、妙楽の法華文句記巻九から「初此の仏菩薩に従って結縁し還た此の仏菩薩に於て成熟す」という一文を引いて示されているのである。
つまり、いかなる衆生といえども、最初に縁を結び下種を下してもらった仏菩薩に、再び出会って同じ仏菩薩によって、その種を成熟してもらって成仏するという意味でもある。娑婆世界の衆生の場合は釈迦牟尼仏であることはいうまでもない。すなわち、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の第16王子であった釈迦牟尼仏によって結縁し仏種を下された娑婆世界の衆生は・今法華経を説きつつある同じ釈迦牟尼仏によってその仏種を熟し脱して成仏するということである。
次に、智顗の法華玄義巻六から二文引用されているが、実は同じ個所を二つに分けて引用されているのである。つまり、前の文と後の文とを逆にして一つにすると、玄義本門となる。
まず「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す」とあるのは、先の文句記の文と同趣旨である。
そして「仏尚自ら分段に入つて仏事を施作す有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し」とは、仏の成道した後に、「分段」つまり、分段の生死という六道の凡夫の迷いの現実世界に自ら入って衆生のために「仏事」を施し行うが、そのとき、この仏のもとには、もともと有縁の衆生が、あたかも、あらゆる川が海に流れ込むように、有縁の仏のもとに集いくるというのである。
0631:11~0632:04 第六章 諸宗派の本尊を図示すtop
| 11 ┌本尊 ┌倶舎宗 12 劣応身釈迦如来─┼成実宗 13 └律 宗 14 盧舎那報身────華厳宗の本尊 15 ┌勝応身に当る 16 釈迦如来─────法相宗の本尊 17 ┌勝応身に当る 18 釈迦如来─────三論宗の本尊 19 ┌法身 胎蔵界 20 大日如来─────真言宗の本尊 21 └報身 金剛界 0632 01 劣応 02 ┌天台は応身 勝劣 03 阿弥陀仏─────浄土宗の本尊 ・ 04 └善導等は報身 -----― ┌本尊 ┌倶舎宗 劣応身釈迦如来─┼成実宗 └律 宗 盧舎那報身────華厳宗の本尊 ┌勝応身に当る 釈迦如来─────法相宗の本尊 ┌勝応身に当る 釈迦如来─────三論宗の本尊 ┌法身 胎蔵界 大日如来─────真言宗の本尊 └報身 金剛界 劣応 ┌天台は応身 勝劣 阿弥陀仏─────浄土宗の本尊 └善導等は報身 |
劣応身の釈迦如来
法報応の三身のひとつ。仏身を釈迦如来の三身からみるとき、応身は理智不二の本体から衆生を化導救済するために機縁にしたがって種種に変化して出現する仏のこと。天台大師は応身如来に劣応身と勝応身を立てる。劣応身は三蔵教、小乗教の教主で凡夫・二乗・初地以前の菩薩に対して応現し、その住処を凡夫同居士という。約3㍍の仏身で老比丘の相である。それに対し勝応身は通教の教主である。釈迦如来は釈迦仏・釈尊のこと。如来とは仏、釈迦はシャーキャムニ(Śākyamuni )の音訳で釈迦牟尼の略称。釈迦はもともと古代インドの一種族の名。ゴータマ・ブッダは釈迦族で生まれたので、釈迦牟尼という。牟尼は尊者・聖者のこと。
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本尊
①本として尊敬(尊崇)するものを意味し、信仰の根本対象をいう。仏教では一般的に、仏像や菩薩の絵図などを本尊として崇める。私たちが信仰の根本として拝する御本尊は、日蓮大聖人が図顕された南無妙法蓮華経の曼荼羅御本尊である。②【衆生が獲得すべき人格的価値を体現した目標】「開目抄」の冒頭(186㌻)に掲げられた「あらゆる衆生が尊敬すべきもの」としての本尊。ここでいう「本尊」とは、単に尊崇したり利益を施してもらったりするものであるだけではなく、自身も獲得・達成すべき人格的価値を体現している目標といった意味である。その人格的価値の最大要素は、本抄冒頭に示されたように「主師親の三徳」である。同抄では、法華経を根本とする天台宗以外の諸宗は「本尊」に迷っていると指摘される。また、ゆるぎない幸福を確立するための生命の根本の因果を説いて、あらゆる衆生に対して「主師親の三徳」をそなえているのは誰であるかを明かし、それは成仏の根本原因である仏種を所持し久遠に下種した「法華経寿量品の久遠実成の釈尊」であると結論づけられている。すなわち、娑婆世界の衆生に下種を施した教主は久遠の釈尊であり、その後も、長遠な期間にわたり教化を続けて下種の成熟を図り、ついに法華経本門の説法で久遠の下種を思い起こさせ、得脱させたことを挙げる。そして久遠の釈尊こそが、種熟脱の三益を施す、娑婆世界の衆生に有縁の唯一の仏であって、本尊たりうることを示されている。さらに、下種した仏種とは寿量品の文底に秘められた一念三千であり、天台大師智顗がそれをはじめて明示的に説いたことを確認されている。末法においては、一念三千の仏種を包摂する法華経の題目、すなわち南無妙法蓮華経を教え広める人が、主師親の三徳をそなえて人々を教え導く人であり、本尊となる。具体的には、日蓮大聖人こそが人としての本尊、すなわち「人本尊」であられる。③【仏界の身土を図顕】「観心本尊抄」(247㌻)には妙楽大師湛然の『止観輔行伝弘決』巻5の「(衆生の境涯を現実に構成する)身と国土は、一念の三千である。故に成仏の時には、この根本の真理に合致し、その一身・一念は宇宙全体に遍満するのである」(通解)との文を引用されている。ここに確認されたように、生命に持つ法がその国土にあまねく広がり、境涯・世界全体となって現れる。したがって、それぞれの経典に登場する仏は、それぞれに自身の成仏の因果を明かし、その教えに応じた国土を現している。よって、その仏とその世界、すなわちその仏の境涯全体が、それが説かれる経典を信じ実践する人にとって実現すべき目標であり、本尊である。大聖人は、釈尊の教えの中では法華経本門の寿量品の娑婆即寂光の世界が真実の一念三千が顕現された仏界の身と国土であることを示された上で、その寿量品の世界を借りて、妙法を成就されている御自身の御生命を御本尊として図顕された。
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倶舎宗
仏滅後900年ごろに出現したインドの学僧・世親の倶舎論を所依とする宗派。南都六宗の一つ。毘曇宗・薩婆多宗・論宗ともいう。倶舎論を主として、六足論・発智論と、発智論を釈した大毘婆沙 論等を所依とする小乗教の宗派である。倶舎とは梵語コーシャ(Kosa)、詳しくはアビダルマコーシャ(Abhidharma-kosa)といい、訳して付法蔵という。その教義は小乗有門の思想を根拠とするものである。インドにおいては、安慧、徳慧らが倶舎論の注釈書を作った頃は、一宗派としては存在しなかった。のちに、中国において、陳の真諦が「倶舎釈論」を著してから倶舎宗と呼ばれるようになった。日本には、法相宗の付宗として伝来し、奈良時代に隆盛をみた。
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成実宗
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
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律宗
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
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華厳宗の本尊
華厳宗は華厳経を所依とする宗で、毘盧遮那法身仏を本尊と立てる。
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釈迦如来
釈迦仏・釈尊のこと。如来とは仏、釈迦はシャーキャムニ(Śākyamuni )の音訳で釈迦牟尼の略称。釈迦はもともと古代インドの一種族の名。ゴータマ・ブッダは釈迦族で生まれたので、釈迦牟尼という。牟尼は尊者・聖者のこと。
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勝応身に当る
法報応の三身のひとつ。仏身を釈迦如来の三身からみるとき、応身は理智不二の本体から衆生を化導救済するために機縁にしたがって種種に変化して出現する仏のこと。初地以上の菩薩に対して応現する仏身を勝応身という。法相宗では勝応身の釈尊を立てることを、「当たる」という。
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法相宗の本尊
法相宗は解深密経・瑜伽師地論・成唯識論などを所依とする宗派で、勝応身の釈迦如来を本尊としている。
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三論宗の本尊
三論宗は、竜樹の中論・十二門論・提婆菩薩の百論の三つの論を所依とし、勝応身のの釈迦如来を本尊としている。
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大日如来
大日はサンスクリットのマハーヴァイローチャナの訳。音写では摩訶毘盧遮那といい、毘盧遮那と略す。大遍照如来などとも訳す。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本の仏とされる。
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法身・胎蔵界
真言宗は大日如来を本尊とする。法身とは真理を体とする仏身、所証の理のこと。真理もしくは法性そのものをいう。胎蔵界とは大日如来の理の平等を示す法門のこと。真言密教で説く二種法門のひとつ。胎蔵界というより胎蔵法というべきであるとの説もある。胎蔵は①母の胎内に児を蔵し②保護養育する、の意で①含蔵②摂時の二義を持つ。含蔵は衆生の心に本来菩提心を含蔵していることをいい、摂時は衆生には教化すれば乗仏できる種子を摂持していることをいう。この胎蔵界を図顕したものが胎蔵界漫荼羅であり、理平等をあらわすことから理漫荼羅ともいわれる。大日如来の法身を表したところを胎蔵界という。
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真言宗の本尊
真言宗は大日経・金剛頂経・蘇悉地経を所依とする宗派で、大日如来を教主・本尊とする。また胎蔵界に五百余尊・金剛界に七百余尊、合わせて千二百余尊の本尊を立てるが、この数には諸説がある。
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天台は応身
天台大師は阿弥陀仏を「応身」としていること。
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善導等は報身
中国・浄土教の大成者である善導は、阿弥陀仏を報身としていること。
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浄土宗の本尊
浄土宗では阿弥陀如来を本尊として再放極楽世界に往生することを本願としている。
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仏教各宗派がそれぞれいかなる仏を本尊として立てているかについて図示されている。
まず、俱舎宗・成実宗・律宗は、「劣応身釈迦如来」を本尊としていることを示されている。「劣応身釈迦如来」とは、釈迦如来が仏に対して現すさまざまな姿のうち、四教のなかで蔵経を説くために示された丈六の生身の仏身をいう。生身の仏身は無常を免れないので「劣応」というのである。次に華厳宗では「廬舎那報身」を本尊としている。天台家の解釈では、華厳経は4教の中では別・円2教である。次に法相宗の本尊と三論宗の本尊は共に、「勝応身の釈迦如来」である。劣応身が丈六の生身であるのに対し、神通力を具えて変幻自在であるのを勝応身といい、ついで真言宗の本尊は「大日如来」であること、ただし、胎蔵界の大日が法身であるのに対し、金剛界の大日は報身であることを記されている。この大日如来の法身・理を表したところを「胎蔵界」といい、報身・智をあらわしたところを「金剛界」というので、このように記されたのである。次に浄土宗の本尊は「阿弥陀仏」であるが、この阿弥陀仏の捉え方に天台大師と善導とで違いがある。浄土教の祖師である善導は阿弥陀如来を「報身」としているが、「天台は応身」と記され、そのすぐ下に「劣応・勝劣」と記されているように、天台にいわせると阿弥陀如来は応身にすぎず、よくて勝応、厳しくいえば劣応身に位置付けられる。
0632:05~0632:17 第七章 天台宗の本尊を図示し総括するtop
| 05 五百問論に云く「若し父の寿の遠きを知らず復父統の邦に迷わば徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず、三皇已 06 前は父を知らず人皆禽獣に同じ」 -----― 五百問論に「もし父の寿命の遠いことを知らず、また父の統治する国に迷っていれば、いたずらに才能があっても全く人の子ではない。三皇以前は父を知らず、人は禽獣に同じである」とある。 -----― 07 ┌華厳のるさな真言の大日等は皆此の仏の眷属たり 08 ┌久遠実成実修実証の仏 09 天台宗の御本尊 10 └釈迦如来 11 ┌応身──有始有終 12 始成の三身┼報身──有始無終┬─真言の大日等 13 └法身──無始無終┘ 14 ┌応身 ┐ 15 久成の三身┼報身┼無始無終 16 └法身 ┘ 17 華厳宗・真言宗の無始無終の三身を立つるは天台の名目を盗み取つて自の依経に入れしなり。 ・ -----― ┌華厳経の廬舎那仏、真言の大日如来等は皆この仏の眷属である。 ┌久遠実成実修実証の仏 天台宗の御本尊 └釈迦如来 ┌応身──有始有終 始成の三身┼報身──有始無終┬─真言の大日等 └法身──無始無終┘ ┌応身 ┐ 久成の三身┼報身┼無始無終 └法身 ┘ 華厳宗・真言宗の無始無終を立てているのは、天台宗の呼称を盗み取って自宗の依経に入れたのである。 |
五百間論
妙楽大師の著作3巻。法相宗の慈恩は法華玄賛で法華経を賛嘆しているが、法相宗の立場から説いているため、かえって法華の心を殺していると破折し、真の法華経の妙旨を顕示している。
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父統の邦
父が統治する国のこと。父は仏、久遠の本仏であり、父統の邦とは娑婆世界をさす。
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三皇
古代中国の伝説上の理想的な王たち。諸説あるが、伏羲・神農・黄帝の3人とされる。
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禽獣
鳥と獣のこと。
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天台宗の御本尊
久遠実成の釈尊のこと。
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久遠実成実修実証の仏
久遠の昔に成道した釈尊・本果一番成道の釈尊のこと。久遠実成実修実証は釈尊自身に約し菩薩道を行じた実修をいい、また仏果を証得し成仏の相を示したことをいう。
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華厳のるさな
旧訳華厳経・梵網経等に説かれる仏・盧遮那のこと。禅宗では盧遮那を本尊とする。
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真言の大日
真言宗で本尊と立てる大日如来のこと。
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仏の眷属
仏は久遠の昔に成道した久遠実成の釈尊。眷属は①一族・親族・輩。②従者・家来。③仏・菩薩の脇士や従者。仏の説法を聞き、それを信じて行ずる者をいう。
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始成の三身
始成正覚の三身如来のこと。
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有始有終
始めもあり終わりもあること。爾前経では応身を有始有終とする。
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有始無終
始めがあり終わりがないこと。爾前経では報身を有始無終とする。報身とは智慧身ともいい、仏道修行の功徳によって、真実の理にかなう真実の智慧を体得した仏をさす。爾前経の仏は始成正覚といって、修行の結果、今世ではじめて成仏したと説くから、その智慧もまた有始であるが、仏の肉身の滅度の後も、智慧身は永遠に続き無終であると考えた。
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無始無終
始めもなく終わりもないこと。三世にわたる常住不滅をいう。
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久成の三身
久遠実成の三身如来のこと。
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天台の名目
天台宗が立てている教義のこと。
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依経
よりろとする経のこと。一代聖教大意には「華厳宗と申す宗は智厳法師・法蔵法師・澄観法師等の人師.華厳経に依つて立てたり、倶舎宗・成実宗.律宗は宝法師・光法師・道宣等の人師・阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵・慈恩法師等・方等部の内に上生経・下生経・成仏経・解深密経・瑜伽論・唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経・諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時は いかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し」(0397-05)とある。
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本抄の最後にあたるところで、天台宗の本尊を根本とし、そのもとにこれまで挙げてこられた諸宗派の本尊を位置付けられ総括されている。天台宗の本尊を根本とされていることは「天台宗の御本尊」と呼称され、本尊の前に「御」という敬称をつけられているところから明らかである。
まず、妙楽大師の五百問論の一節を引用されている。五百問論は法相宗の慈恩が法華玄義賛十巻を著して法華経を讃嘆したのに対して、かえって法華経の心を殺していると破折し、法華経の深淵な主旨を示そうとした妙楽の著作である。
ここに引用された一節の前後を含めて、原文を挙げると次のようになる。すなわち「一代教の中に末だ曾て遠を顕さず、父母の寿、知らざるべからず。始めて此の中に於いて方に顕本を著す。若し権を以て実に望むれば、実、正にして、権、傍なり。若し迹を以て本に望むれば、迹、権にして、本実なり、如何にして一経の正軌を以て反りて流通と為すや、前八品の内に已に正宗あり。安楽行に至るを流通分と為す。豈、必ず遠寿を説くを方に迹門の正説の流通と為さしむるや。但恐る。才、一国に当るも父母の季を識らざれば、失うところ小といえども、辱むること至って大なり。もし父母の遠きを知らざれば、復父統の邦に迷う。徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず」と。
この文は、一代の聖教のなかで、かって説かれたことのなかった父母の寿、すなわち釈尊の久遠の寿命と本地が本門寿量品で初めて明かされ、それ以前の諸経や法華経迹門は傍となり権となって、本門こそが真実であり正説となったとしている。ただし、大聖人は「父母の寿」とある原文から、特に「父の寿」を強調されている。次いで本抄に引用されている文では、たとえ一つの国で随一の才能を誇っていたとしても、自分の父の年を知らなかったなれば、失うところは小さいにしろ、恥ずかしさのほうがかなり大きいはずである。
また、もし父の寿の遠いことを知らなければ「父統の邦」すなわち、父の統治する国に迷うように、仏の遠寿を知らなければ久遠常住の本仏が常に説法教化している娑婆世界に迷うことになり、そうであっては、才能あっても恩知らずになり、人の子とはいえないことになる。それはちょうど中国古代の伝説の帝王「三皇」以前の、人びと皆が父を知らずに禽獣と変わらない状態であったと同じになる、と破折している。つまり、法華経如来寿量品第十六を知らない諸宗派は、真実の父を知らない畜生と同じであると破折しているのである。
こうして「天台宗の御本尊」に付記されているように「釈迦如来」であるが、同じ釈迦仏でも三論宗・法相宗、さらには俱舎・成美・律の諸宗と違って「久遠実成実修実証の仏」であることを示されている。
すなわち、本門寿量品で明らかにされた五百塵点劫という久遠の昔に菩薩道を行じ、成道した仏である。この仏が以来、「或は己身を示して、或は他身を示し」て無数の衆生を化導してきたのであり「華厳のるさな真言の大日等は皆此の仏の眷属」にほかならない。それ以外の報身・勝応身・劣応身の釈迦如来は垂迹となる。
「実修実証の仏」とは天大智顗の法華玄義巻一に「因は久遠の実修を窮め、果は久遠の実証を窮む」とある一節からとられたものである。
「因は久遠の実修」は久遠五百塵点劫の昔において、釈迦如来が因として修行した菩薩道のことで、寿量品に「我れ本、菩薩の道を行じて」とあるとおりである。
「果は久遠の実証」は釈迦如来が久遠に菩薩道の因を修行した結果、仏果を証得したことを指し、同品に「我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し」とあるとおりである。
次いで「始成の三身」と「久遠の三身」とを対比して図示されている。どちらも「応身」「報身」「法身」の三身の仏であることに変わりないが、それなりの仏身の「始」と「終」に相違がある。
まず「始成の三身」であるが「始成」とは始成正覚のことで、19歳で出家し30歳の時、菩提樹の下で、始めて正覚を成就した立場の釈迦仏で、爾前経と法華経迹門の教主としての釈尊を指す。ただし、三身を具足しているのは法華経迹門の釈尊である。
この仏にあっては、衆生の機根に応じて変化して現れる仏身、つまり「応身」は、30成道という「始まり」と、80入滅という「終わり」があるので「有始有終」と記されている。「報身」とは仏の智慧をあらわす仏身であるが、因行果徳身ともいうように、仏になるための因としての行を積み、その報いとしての功徳を具えた仏身のことで、この「報身」は30成道という「始」まりがあるが、成就された仏としての智慧は永遠に続いていくので「有始無終」と記されている。「法身」は永遠不変の悟りの真理そのものを仏身としたのであり、これは永遠不変なので「無始無終」と記されている。
ところで図示では「報身」と「法身」から線を引いて「真言の大日等」と記されている。先に「真言宗の本尊」として「大日如来」が挙げられた個所で「法身・胎蔵界」「報身・金剛界」と記されていたように、真言宗では大日如来を「報身」「法身」の仏としている。
しかし、この「真言の大白法」は、法華経迹門の釈尊の「報身」「法身」の一分を説いたのも、言い換えると垂迹身にほかならないことを、ここで示されているのである。
次に「久成の三身」については法・報・応の三身ともに「無始無終」の完全な仏であることを示されている。これを三身即一身・一身即三身の円融相即の実仏という。
最後に「華厳宗・真言宗の無始無終の三身を立つるは天台の名目を盗み取つて自の依経に入れしなり」と記され、華厳・真言の二宗を破折されている。
すなわち、華厳宗の廬遮那仏、真言宗の大日如来は「始成の三身」で不完全な仏身であるにもかかわらず、この二宗が共に「無始無終の三身」すなわち「久成の三身」をたてわけるのは、それぞれが依経とする華厳宗や大日経の釈の中に天台独自の教義である「久成の三身」「無始無終の三身」という名称を盗んで取り入れたからにほかならない、と破折され本抄を結ばれている。
しかしながら、法華経寿量品の仏は「五百塵点劫」という久遠の昔ではあるが、ある時点で「成仏」したということが始まりではないかという疑問が生じる。この点については、寿量品の説示を読めば分かるように、実際には五百塵点劫の時をさらに「過ぎたること百千万億那由佗劫」で「無始」となるのである。ただし、大聖人が天台宗の仏法を「像法時代」として末法のために寿量品の文底から顕される久遠元初の仏は、寿量文上の本果の仏に対して、本因の仏という違いがある。
したがって、本抄では「天台宗の御本尊」すなわち「久成の三身」を完全な仏身として一往の結論を示されているが、これはあくまで、寿量品文底下種仏法の御本尊である久遠元初自受用報身如来へと弟子たちを導かれていくための随宣方便と拝されるのである。