top ホームページtopへ
日蓮大聖人御書講義18下1012~10123
1012~1012 乗明聖人御返事(金珠女御書)
1012:01~1012:07 第一章 法華経への供養を称える
1012:07~1012:10 第二章 謗法の供養を戒める
1013~1014 大田殿女房御返事(八寒地獄事)
1013:01~1013:10 第一章 熱寒の地獄と堕地獄の業因を明かす
1013:11~1014:03 第二章 衣服を供養した功徳を明かす
1014~1017 太田左衛門尉御返事(方便寿量肝心事)
1014:01~1014:04 第一章 供養の謝礼と書状の一端を示す
0014:05~1014:10 第二章 十二因縁の法門を略述する
1014:11~1015:08 第三章 厄年の世間一般の知識を挙げる
1015:08~1015:12 第四章 法華経が諸病の良薬なるを示す
1015:12~1016:05 第五章 方便・寿量の肝要を略述す
1016:06~1016:11 第六章 華厳・真言の謬見を破す
1016:12~1016:18 第七章 再び事の一念三千の重要性を示す
1016:18~1017:10 第八章 厄を克服する法華の信心促す
1018~1018 大田殿女房御返事
1019~1020 慈覚大師事
1019:01~1019:03 第一章 法華経に出あえた悦びを述べる
1019:03~1019:13 第二章 慈覚の誤謬を挙げて破折す
1019:13~1020:06 第三章 叡山の歴代座主の正邪を検証す
1020:06~1020:09 第四章 台密の謗法を結び正法護持を勧める
00221021~1023 三大秘法禀承事(三大秘法抄)
1021:01~1021:03 第一章 神力品・結要付嘱の文と釈を挙げる
1021:03~1021:05 第二章 付嘱の法が三大秘法なるを明かす
1021:05~1021:09 第三章 儀式の荘厳さと付嘱の菩薩を示す
1021:09~1022:06 第四章 三大秘法が末法弘通の法なるを証す
1022:07~1022:11 第五章 本門の本尊を明かす
1022:12~1022:15 第六章 本門の題目を明かす
1022:15~1022:18 第七章 本門の戒壇を明かす
1022:18~1023:05 第八章 延暦寺・迹門戒壇の無益を論ず
1023:05~1023:07 第九章 三大秘法の禀承を示す
1023:08~1023:16 第十章 事の一念三千の依文を示して結ぶ
1012~1012 乗明聖人御返事(金珠女御書)top
1012:01~1012:07 第一章 法華経への供養を称えるtop
| 乗明聖人御返事 建治三年四月 五十六歳御作 与大田乗明 01 相州の鎌倉より青鳧二結甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ、 昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十 02 一劫金色の身と為りき 其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり、 今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千 03 枚を法華経に供養す 彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、 涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂 04 法なり乃至是の故に 諸仏恭敬供養す」と、 法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満て 05 て仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、 是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の 06 福の最も多きに如かず」夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ 勝れたる経を供養する施主・一生に 07 仏位に入らざらんや、 -----― 相模の国の鎌倉から銭二結を甲斐の国・身延の嶺まで送り遣わされた。 昔、金珠女は黄金の銭一文を木像の金箔にした功徳によって、九十一劫の長い間、金色の身となった。その夫の鍛金師は今の迦葉・未来の光明如来である。 今の乗明法師妙日と妻は銅銭二千枚を法華経に供養した。かの金珠女は仏への供養であり、この夫妻は法華経への供養である。経は師であり、仏は弟子である。涅槃経には「諸仏が師とするのは法である。それ故に諸仏は経を敬い尊んで供養する」と、法華経の第七の巻には「もしまた人が七つの宝を三千大千世界に満たさせ、仏と大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養しても、この人の得る功徳は、この法華経の一四句偈を受持することによって得る福徳の多いのに及ばない」とある。 そのように、法華経より劣った仏を供養しても、なお九十一劫の長い間、金色の身になったのだから、すぐれた法華経を供養した施主が一生の間に仏の境界に入らないことがあろうか。 |
相州
相模国(神奈川県)の別称。州は国と同意で、国名を略称するときに州を用いる。
―――
鎌倉
神奈川県鎌倉市のこと。
―――
青鳧
銭のこと。青鳧は青?に同じで、かげろうの意。捜神記等によれば、かげろうの母子の血を取って、それぞれ銭に塗ると、その片方の錢を使えば、残った方を慕って銭が飛び帰るという言い伝えがある。転じて銅銭、穴あき銭のことを青鳧といった。なお諸説がある。
―――
甲州
現在の山梨県。この南巨摩郡身延町に標高1148㍍がある。日蓮大聖人は文永11年(1274)佐渡から帰られ、3度目の諫言が聞き入れられなかったので、同年5月、身延の地頭・萩井六郎実長の招きで身延山中に草庵を結ばれている。
―――
身延の嶺
山梨県南巨摩郡身延町にある山。標高1148㍍。日蓮大聖人は文永11年(1274)佐渡から帰られ、3度目の諫言が聞き入れられなかったので、同年5月、身延の地頭・萩井六郎実長の招きで身延山中に草庵を結んだ。入山後は諸御書の執筆、弟子の育成に当たられ、弘安2年(1279)には出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊を建立された。弘安5年(1282)9月、身延山をたって常陸の湯治に向かう途中、武蔵国池上の地で入滅された。大聖人の滅後の付嘱を受けて久遠寺別当となられた日興上人が墓所を守っていたが、五老僧の一人・日向の影響で地頭の実長が謗法を犯し、日興上人の教戒を受け付けようとしなくなったことから、身延を離山して大石ケ原に移られた。
―――
金珠女
如来像の補修のために金珠を供養した女子。毘婆尸仏が衆生を教化し入滅した時、一切の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷は悲しみのあまり舎利を収めて七宝で飾られた荘厳な塔を建てた。塔の中には如来像がまつられていたが、面上の金色が少し欠け落ちていた。このとき、一人の貧しい女が、乞食を行じて、一個の金珠を手に入れ、その金珠で如来像の面上に箔を押そうと、鍛冶師に修理を依頼し補修した。この時の鍛冶師が摩訶迦葉であり、その功徳によって2人は夫婦になり、91劫の間、金色の身をもって人天に生まれ、無上の快楽を享受し、最後は梵天に託生した。
―――
薄
箔のこと。金や銀などを引き延ばして薄い紙状にしたもの。
―――
劫
一つの劫のこと。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳す。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられる。劫の長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としている。
―――
金色の身
身体の様相が金色であること。仏や転輪聖王の勝れている特長。仏の32相のひとつ。
―――
金師
鍛冶師・鍛金師。
―――
迦葉
釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
―――
光明如来
釈迦の十大弟子のひとり、迦葉が未来世において成仏したときの名。
―――
乗明法師妙日
太田入道のこと。(1222~1283)。日蓮大聖人御在世当時の信徒。大田乗明・太田金吾・大田左衛門尉ともいう。千葉氏の家臣であり、下総国葛飾郡八幡荘中山郷(千葉県市川市中山)に住み、富木常忍、曽谷教信らとともに、下総中山を中心に外護の任にあたった。建治元年(1275)次子を出家させ、自身もまた弘安元年(1278)頃に入道して妙日の号を賜り、その住居を本妙寺とした。
―――
銅銭
大聖人御在世当時の通貨。鳥目・鷲目ともいう。
―――
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。 後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284-08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266-11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546-11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910-17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
供養
梵語(Pújanā)の訳で、供施、供給、また略して供ともいう。供給奉養の意で、報恩謝徳のために、仏法僧の三宝に、真心と種々の物をささげて回向することである。これに、財と法の二供養、色と心の供養、亊と理の供養、さらに三種、三業、四事、四種、五種、六種、十種等の別がある。財供養とは飲食や香華等の財物、浄財を供養すること。法供養とは、仏の所説のごとく正法を弘め、民衆救済のために命をささげることで、末法の時に適った法供養は三類の強敵・三障四魔を恐れず、勇敢に折伏に励むことである。色心の供養は、この財法の供養と同じである。三業供養とは天台大師の文句に説かれており、身業供養とは礼拝、口業供養とは称賛、意業供養とは相好を想念することとされる。事理供養とは、一往は昔の聖人たちが生命を投げ出して仏道修行した亊供養と凡夫の観心の法門による供養を理供養とする。白米一俵御書には「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すは・なに事ぞと委細にかんがへて候へば・観心の法門なり、観心の法門と申すは・なに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき・雪山童子の身を鬼にたびて候にも・あいをとらぬ功徳にて候へば・聖人の御ためには事供やう・凡夫のためには理くやう・止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」(1596)とある。なおこの供養について最も肝心なことは、正法に対するくようでなければならず、邪法への供養は堕地獄の業因となる。
―――
仏
一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。
―――
経
仏が説いたもの。
―――
師
師匠。①学問・技芸を教える人。②涅槃にいたる道を示し、教え導く人。
―――
弟子
師匠に従って教えを受け、師匠の意思を受け継いで実践し、それを伝える者。
―――
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
―――
諸仏
十方の諸仏のこと。十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
―――
法
①ダルマ(dhamma)。法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨、達摩、曇摩、曇無などとなり、通常は「法」と訳されている。②四念処の一つ、身念処のこと。諸法は無我であると観察する。諸々の法には、本質的な主体(我)というものは存在しないことを観察する。意識の対象を観察する。 私は真理について考えている、私は真理に基づいて考えている、私は煩悩について考えている、私は煩悩に基づいて考えている、私は真理に基づいて想像している、私は煩悩に基づいて想像している、これら意識の対象について観察する。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
恭敬
「きょうけい」とも読む。慎み敬うこと。五種の功徳の一つで、仏・菩薩が衆生を救うための振る舞い、説法などを慎み敬うこと。
―――
七宝
必ずしも一定しないが、代表的なものとしては,金、銀、瑪瑙、瑠璃、硨磲、真珠、玫瑰。
―――
三千大千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
―――
大菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva])の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
―――
辟支仏
梵語プラティエーカブッダ(Pratyeka-buddha)の音写。独覚・縁覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るという。
―――
阿羅漢
羅漢のこと。無学・無生・殺賊・応供と訳し、小乗教を修行した声聞の四種の聖果の極位。一切を学び尽くして、さらに学ぶべきがないので無学、再び三界に生ずることができないので無生、見思の惑を断じ尽くすので殺賊、衆生から礼拝を受け、供養に応ずるので応供という。
―――
功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
一四句偈
経文等において四句をもって一つの偈をなすもの。句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。雪山童子の「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」などはその類である。
―――
受持
受は受領の義でうけおさめること、持は憶持の義で、心身ともに銘記して、よく持ち続けること。正法をよく信じ持って、いかなることがあっても、違背・退転しないことをいう。四条金吾殿御返事には「此の経をききうくる人は多し、 まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136-04)とある。
―――
福
めでたいこと。幸せ。
―――
施主
仏や寺院・僧侶に供養する人。
―――
仏位
衆生が仏道修行に励むことによって体得する成仏の境涯。
―――――――――
本抄は、建治3年(1277)4月12日、大田乗明およびその夫人にあてて書かれたお手紙である。御真筆は漢文で、中山法華経寺に存している。
本文中に「乗明法師妙日並びに妻女」とあり、この「乗明法師妙日」と大田殿を別人とする説もあるが、ここでは大田殿として拝しておく。文末には「卯月十二日」と日付が記されている。年号については明記されていない。建治3年(1277)が有力であるが、弘安4年(1281)、弘安5年(1282)の説もあるが、ここでは建治3年(1277)の説に従っておく。
本抄は、大田乗明および夫人からの銭の御供養に触れ、その功徳の大なることを御教示された御返事である。特に、仏への供養よりも法への供養がいかに勝れているかを教えられた御手紙である。
最初に、鎌倉から「青鳧二結」が身延に届けられてきた旨が記されている。大田乗妙は下総の中山に住んでいたとされるが、幕府の役人でもあったので、おそらく勤務のあるときは鎌倉に住んだとも考えられる。ここでは「相州の鎌倉より」とあるように、鎌倉にいて、そこから大聖人のもとへ御供養を送ったと思われる。あるいは別に、鎌倉からなんらかの便りがあって、それと共に御供養が届けられたとも考えられる。
「青鳧」は穴あき銭である。それを結ったものが二つ供養された。文中に「今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す」とあるから、ここでの二結は銭2000枚である。大田乗妙は他の御抄を見ても、銭五貫文・十貫文・三貫文、あるいは月に一石の米の御供養などをしており、かなり多額の御供養となっている。大田乗明の厚い信心はいうに及ばず、経済的にもかなり恵まれて立場であったと想像される。
大聖人はこの御供養に対して、金珠女の例を挙げられている。金珠女の説話は、付法蔵因縁伝に出ている。毘婆尸仏が入滅し、それを悲しんだ門下が七宝の搭を建てたが、その中の如来像の顔の金箔が少し欠けていた。その時、一人の貧女が乞食行をし、一つの金珠を得た。貧女はその金珠をもって箔とし、補修しようと思い立ち、鍛金師に依頼して修復した。
その功徳によって、以後、鍛金師と貧女の二人は常に夫婦となり、身は金色となり、人天においては最上の楽を受けた後、梵天に託生したというものである。大聖人は本抄で「金銭一文」といわれているが、付法蔵因縁伝には「金珠」となっている。金珠とは金の珠の意であるが、金貨か装飾品のたぐいであろうと考えられる。大聖人は金貨と解釈してこのようにいわれたのであろう。
この時の鍛金師が釈尊在世の迦葉尊者で、未来世に光明如来になるとの授記を受けている。本抄では、もちろん、鍛金師を大田乗妙に、金珠女を大田乗明の夫人になぞらえておられる。特に金珠女の例を挙げておられるのは、大田乗明のこの御供養を夫人の真心の反映であることを見抜かれて、このように記されたと考えられる。そして迦葉と金珠女の夫妻が大きな楽を受けたように、大田夫妻も大功徳に浴することは疑いないことを教えられている。
しかも、大聖人はこのあとで、夫妻の供養は、かの金珠女の供養とはくらべものにならない意義があることを明かされているのである。
彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり
金珠女が供養した対象は如来像であった。ところが、大田乗明及び妻は法華経に御供養したのである。日蓮大聖人は、仏という「人」への供養より「法」への供養のほうが、いっそう尊いことを教えられているのである。
まず、ここで留意すべきは、大聖人が、大田夫妻の御供養は大聖人という「人」に対してなされたものではなく、法華経という「法」に対してなされたものであると明言されていることである。他の御抄を拝しても、大聖人は御自身への供養として受け取ったとされていることはない。すべて法華経の供養として受領したと述べられているのである。大聖人はもちろん末法の法華経の行者であり、末法の御本仏であられる。門下自身、大聖人および御弟子たちの生活を心配して、金銭や米やその他の食料を御供養したと想像される。しかし、そうした御供養でも、大聖人は御自身の供養としてではなく、法華経への供養と仰がれたのは、あくまで尊ぶべき根本は法華経の妙法であり「経は師なり仏は弟子なり」であることを、明確にするためと拝される。
次に「法」への供養が「人」への供養よりはるかに功徳が大きいことについて大聖人は、本来、経が師であり仏が弟子であることを涅槃経を引いて示され、それ故に供養の福が大きいことを、法華経薬王品を引いて教えられているのである。
なぜ、経が師で仏が弟子であるのか、大方便仏報恩経巻6には「仏は法を以って師となし、仏は法に従って生じ、法は是れ仏母なり、仏は法に依って住す」とある。仏道を志す人は、法を受持して生じ、法を「師」として修行することによって仏に成る。すなわち、法によって仏が「生じ」たのである。そして仏が仏である所以も、法を持ち、法を説き、法を行ずるからである。まさしく「仏は法に依って住す」のである。
表面的に考えれば、仏が悟りを開き、その悟りを説いたのが「法」であるから、仏のほうが根本のようにみえるが、その法は、仏の悟る前から存在していたものである。仏が悟って初めて法が存在するようになったのではなく、もともと存在していたのであり、仏に成ることによって、その法の姿、内容が明らかにされたのである。
また法は、仏が入滅した後も存在し、修行の規範となる。すなわち、法は無始無終であり、応身としての仏は有始有終である。従って、法は人よりも勝れているのである。仏が無始無終の存在とされるのは、法を我が体とする故である。
本抄に大聖人が引用されている涅槃経の「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に如来恭敬す」の文の後にも「常常なるをもっての故に諸仏もまた常なり」とある。
大聖人の仏法において、久遠元初自受用身という「人」と、南無妙法蓮華経という「法」とが即一であることから「人法一箇」ということがいわれるが、これはあくまで内証深秘の辺であって、それ故にこそ日寛上人の著述においても、人法一箇に関しては「之を秘す」等と戒められているのである。
すなわち大聖人の仏法においても、人法一箇、人法体一といわれるのは、久遠元初自受用報身如来即人本尊としての大聖人の御内証の辺と、法本尊としての久遠元初の南無妙法蓮華経についていわれているのであり、その人法一箇の当体を大聖人は一幅の曼荼羅として御図顕されたのである。
現実に生きていく上にあっては「法」を規範とし理想として、すなわち「師」として自らを常に律し、高めようと努力していくことが肝要であって、本能や欲望のままに「放縦」に生きていくところには「人法一箇」といえる資格はない。これは「人間の尊厳」といっても、人間として尊ばれるべき理想に向かって自らを高めようと努力していく中に存するのと同じといえよう。
毘婆尸仏のような劣った仏に供養してさえ、金珠女は九十一劫という長い間真金色の身となった。
今、大田夫妻はそれよりはるかに勝れた法華経に供養した。それも2000枚という銅銭である。「一生に仏意に入らざらんや」と、一生成仏は疑いないと仰せられている。
いかに金色の身を得ようと、人生の快楽を得ようと、成仏とは比較にならない。迦葉でさえ、未来世に三百万億の諸仏世尊に値った後、最後身において光明如来になると授記を与えられたにすぎない。それに比して、大田夫妻は一生のうちに仏になると、述べられているのである。その福徳の大きさは比較にならないほどであることはいうまでもないのである。
1012:07~1012:10 第二章 謗法の供養を戒めるtop
| 07 但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし、 譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰 08 敬するが如きのみ、恐恐謹言。 09 卯月十二日 日蓮花押 10 乗明聖人御返事 -----― ただし真言宗・禅宗・念仏者などの謗法の供養を除き去らなければならない。たとえば修羅を崇め重んじながら帝釈を敬い、これに帰するようなものである。恐恐謹言。 卯月十二日 日蓮花押 乗明聖人御返事 |
真言
真言宗のこと。三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗・真言陀羅尼宗ともいう。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法(空海)と相承して付法の八祖とし、大日・金剛薩埵を除き善無畏・一行の二師を加え伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経とし、両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。中国においては、善無畏三蔵が唐の開元4年(0716)にインドから渡り、大日経を訳し弘めたことから始まる。金剛智三蔵・不空三蔵を含めた三三蔵が中国における真言宗の祖といわれる。日本においては、弘法大師空海が入唐して真言密教を将来して開宗した。顕密二教判を立て、自宗を大日法身が自受法楽のために内証秘法の境界を説き示した真実の秘法である密教とし、他宗を応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。空海は十住心論のなかで、真言宗が最も勝れ、法華経はそれに比べて三重の劣であるとしている。空海の真言宗を東密(東寺の密教)といい、慈覚・智証によって天台宗に取り入れられた密教を台密という。
―――
禅宗
禅定観法によって開悟に至ろうとする宗派。菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいう。仏法の真髄は教理の追及ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏などの義を説く。この法は釈尊が迦葉一人に付嘱し、阿難、商那和修を経て達磨に至ったとする。日本では大日能忍が始め、鎌倉時代初期に栄西が入宋し、中国禅宗五家のうちの臨済宗を伝え、次に道元が曹洞宗を伝えた。
―――
念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
謗法
誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
―――
修羅
梵語アスラ(Asura)の音訳。非天・非端正等と訳す。戦闘を好み、つねに帝釈・天人等と争う鬼神をいう。大智度論巻十によると阿修羅には毘摩質多羅・羅?羅・婆梨の三兄弟の阿修羅王がおり、ここでは羅?羅阿修羅王をさす。
―――
崇重
尊び重んずること。崇はあがめる、重はおもんずること。
―――
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――
帰敬
信じて帰依し、敬うこと。
―――――――――
このように法華経への供養の功徳はまことに大きいのであるが「真言・禅宗・念仏者等の謗法」の供養はそれに当たらないと、明言されている。そしてそれは、あたかも修羅を崇重しながら、帝釈にも帰依するようなもので、真に帝釈に帰依していることにはならないと、例をもって示されている。
この御文については、二通の解釈ができる。御真筆の漢文は「但除去真言禅宗念仏者等謗法供養」となっている。これは「真言・禅宗・念仏者等の謗法に供養するを除き去るべし」あるいは本文のように「真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし」と読める。普通の読み下しは後者のほうであるが、前者は、法華経への功徳は大きいが、同時に真言・禅宗・念仏者等の謗法へ供養を除することについて、これを制止されている御文とする解釈であり、後者は真言・禅宗・念仏者等の謗法の人が法華経に供養した場合について、これを排されているものとするのである。
前者の場合だと、大田夫妻に、謗法への供養を戒めておられることになり、後者は真言等の謗法の人々が一般的な意味で法華経に供養した場合で、彼らの供養に功徳はないといわれていることになる。例えば、平家の人々が真言を信じながら法華経を書写したりしている例である。
前者の解釈も、例えば大聖人御入滅後の波木井氏の「四箇の謗法」などの事例を考えれば、このような戒めをされた理由が考えられないわけでもない。次の「修羅と帝釈を同時に敬う」との例えも、このどちら当てはめられる。
従って、この二つの解釈のうち、一方を正しく、他方を誤りとする根拠は見つからないので、ここでは、両方が成り立ちうることを指摘するにとどめることにする。ただ「真言・禅宗・念仏者等」がいずれも謗法であることは明白であり、これは両方に共通する。
1013~1014 大田殿女房御返事(八寒地獄事)top
1013:01~1013:10 第一章 熱寒の地獄と堕地獄の業因を明かすtop
| 1013 大田殿女房御返事 建治三年十一月 五十六歳御作 与大田入道女房 於身延 01 柿のあをうらの小袖わた十両に及んで候か、 此の大地の下は二の地獄あり一には熱地獄すみををこし野に火を 02 つけせうまうの火鉄のゆのごとし、 罪人のやくる事は大火に紙をなげ 大火にかなくづをなぐるがごとし、 この 03 地獄へは・やきとりと火をかけて・かたきをせめ物をねたみて胸をこがす女人の堕つる地獄なり、 二には寒地獄・ 04 此の地獄に八あり、涅槃経に云く「八種の寒冰地獄あり.所謂阿波波地獄・阿タタ地獄.阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優 05 鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄」云云、 此の八大かん地獄は或はかんにせめられたるこえ或は身 06 のいろ等にて候、 此の国のすわの御いけ或は越中のたて山のかへし 加賀の白山のれいのとりのはねをとぢられ、 07 やもめをうなのすそのひゆる、 ほろろの雪にせめられたるを・もて・しろしめすべし、かんにせめられて・をとが 08 いのわなめく等を阿波波・阿タタ・阿羅羅等と申すかんに・せめられて身のくれないににたるを紅蓮・大紅蓮等と申 09 すなり、 いかなる人の此の地獄にをつるぞと申せば 此の世にて人の衣服をぬすみとり父母師匠等のさむげなるを 10 みまいらせて我はあつく・あたたかにして昼夜をすごす人人の堕つる地獄なり。 -----― 柿色の青い色の裏地の小袖を頂戴しました。小袖に詰められる真綿は、重さ十両に及ぶのではないでしょうか。 この大地の下には二つの地獄があります。一つは熱地獄です。炭火をおこしたり、野原に火をつけて焼き尽くしてしまう、火というのは、鉄の溶けた湯のようなものです。罪人が焼かれることは、大きな火炎の中に紙を投げ入れ、また大きな火炎に木の削り屑を入れるようなものです。この地獄には、建物などを焼いてその隙に物を盗む人や、放火して敵を攻める人や、人を嫉妬して胸を焦がす女性が堕ちる地獄です。 二には寒地獄です。この地獄に八つあります。涅槃経には次のように説かれています。「八種類の寒冰地獄がある。いわゆる阿波波地獄・阿タタ地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄」と。 この八大寒地獄は、あるいは寒さに責められてあげる声や、あるいは身体の色などから、名付けられたものです。 この日本国の諏訪湖や、越中の立山の北風や、加賀の白山の山頂で鳥の羽根が氷りついたり、夫を亡くした年老いた女性が着ている着物の裾が冷えたり、雉が雪に責められてほろほろと鳴いていることをもって知ることができます。 また、寒さに責められて下あごが、自然にわなわなと震える声を発する様子などをそのまま、阿波波・阿タタ・阿羅羅などと言ったのです。 また、寒さに責められて裂けた身体の色や形が、紅の蓮華に似ているのを紅い蓮・大紅蓮等などというのです。 どのような人がこの地獄に堕ちるかといえば、この世において、人の衣服を盗み取り、父母や師匠などが寒そうにしているのを見ていながら、自分は分厚いい着物を着て、温かくして昼夜を過ごす人人の堕ちる地獄なのです。 |
柿のあをうら
柿色は茶褐色のことで、あおうらは青色の裏地のことと思われる。
―――
小袖
袖口を狭くした方領の服。平安末から貴族が装束の下に用いた筒袖の肌着で、鎌倉時代からは袂をつけて男女の表着として使用するようになった。冬期の防寒用に厚綿を縫い込んだものもあった。
―――
此の大地の下は二の地獄あり
大地の下にあるといわれている八寒地獄と八熱地獄のこと。
―――
熱地獄
八種類の熱気や火炎に苦しめられる地獄のこと。等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・阿鼻地獄(無間地獄) をいう。
―――
せうまうの火鉄のゆのごとし
焼き尽くしてしまう火は溶鉱炉の中から出てくる湯(鉄が溶けたもの)のようであるということ。
―――
罪人
八大地獄に堕ちた罪過ある人。
―――
大火
大火災のこと。
―――
かなくづ
①金属を加工する際にできる屑。金屑。②木材を加工する際にできる屑。鉋屑。
―――
やきとり
放火をしそのすきに物をとる盗人。
―――
火をかけて・かたきをせめ
放火して敵を攻めること。
―――
物をねたみて
他人に対して嫉妬心を起こすこと。
―――
胸をこがす
心の中で苦しみ悶えること。
―――
寒地獄
八種類の極寒の地獄のこと。阿波波地獄・阿吒吒地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄の八つが挙げられる。この中の前の四地獄はあまりの寒さに思わず阿波波・阿吒吒・阿羅羅・阿婆婆と悲鳴を発する地獄で、後の四地獄は極寒のために身体が裂けて優鉢羅(青蓮華)・波頭摩(紅蓮華)・拘物頭(赤蓮華)・芬陀利(白蓮華)のような姿になる地獄をいう。
―――
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
―――
八種の寒冰地獄
八寒地獄のこと。阿波波地獄・阿吒吒地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄の八つが挙げられる。この中の前の四地獄はあまりの寒さに思わず阿波波・阿吒吒・阿羅羅・阿婆婆と悲鳴を発する地獄で、後の四地獄は極寒のために身体が裂けて優鉢羅(青蓮華)・波頭摩(紅蓮華)・拘物頭(赤蓮華)・芬陀利(白蓮華)のような姿になる地獄をいう。
―――
諏訪の御いけ
長野県の中央部にある諏訪湖のこと。
―――
越中のたて山のかへし
富山県東南部にある立山連峰。最高峰は大汝山3015㍍。雪が多いことで知られる。
―――
加賀の白山のれい
石川県南部にある白山2702㍍。すそ野の一部は岐阜県。
―――
とりのはねをとぢられ
白山の山頂の鳥はあまりの寒さで鳥の羽が凍りつくとの説がある。
―――
やもめをうなのすそのひゆる
「やもめをうな」は配偶者をなくした婦人。やもめおんな・未亡人・後家。「すそ」は下半身「ひゆる」は冷えること。
―――
ほろろの雪にせめられ
「ほろろ」はキジ目ホロホロチョウ科ホロホロチョウ属に分類される鳥類。本種のみでホロホロチョウ属を形成する。属名は北アフリカの古代王国ヌミディアに由来する。種小名はホロホロチョウを意味するギリシャ語で、ギリシャ神話の英雄メレアグロスに由来する。「ホロロ」と泣く声は、寒さに震えて涙を流す声にたとえられ、雪山の寒苦鳥のモデルと言われている。
―――
阿波波・阿タタ・阿羅羅等
いずれも八寒地獄に責められたものが自然に発するうめき声。
―――
身のくれないににたる
厳しい寒さに肉が裂けたさまが、大紅蓮のようであるということ。
―――
紅蓮・大紅蓮
いずれの八寒地獄のひとつ。「紅蓮」は極寒のために亡者のからだが裂け、赤い蓮の花のようになるという。
―――
師匠
師弟関係を持った間柄のうち身分の高い方を指す言葉である。
―――――――――
大田殿女房御返事は、日蓮大聖人が、建治3年(1277)11月18日、56歳の御時、身延で著され、下総国葛飾郡八幡庄中山郷に住んでいた大田五郎左衛門尉乗明の夫人に与えられた御消息である。別名を「八寒地獄事」という。
大田乗妙は、文応元年(1260)ごろ、富木常忍に導かれて大聖人の門下となったとされているが、夫人も夫と共に早くから大聖人の門下となったようである。
大聖人からいただいた御消息の内容から、仏教の素養があったことがうかがえる。本抄のほかに、大田殿女房にあてた二編の御書が残っている。
なお、建治3年(1277)6月9日には、鎌倉の桑ヶ谷で大聖人門下の三位房が竜象房を論破した桑ヶ谷問答が行われている。その後、竜象房の法座に武装して乱入したと讒言された四条金吾が、主君の江間氏から勘気を受け、大聖人が四条金吾に代わって提出する陳情をしたためられている。また、この年には、身延の庵室の柱が倒れて四方の壁が崩れるなど、甚だしく破損したため、修復がなされている。
文永11年(1274)6月に建てられた庵室は、主に門下の手による急造りの建物だったため、厳しい風雪によって4年で破損したものである。
本抄は、大田殿の夫人から、綿入れの小袖一枚が御供養されたことに対する御返事で、特に寒地獄の状態を述べられ、その地獄に堕ちる業因を明かされた上で、衣服を供養する功徳をたたえられている。
太田入道の夫人が大聖人に柿色で裏が青い絹の袷の小袖を御供養したのは、身延の寒さを思ってのことであろう。その小袖の真綿の量について、10両に及んでいようか、と仰せられて感謝されている。
次いで、この大地の下に二つの地獄があり、一つは熱地獄であるとして、熱地獄の状態を明かされている。炭に火をおこし、野に火をつけたような猛火は鉄の溶けた湯のようであり、その地獄で罪人が焼かれるさまは大火の中に紙や木屑を入れたようである、と述べられている。
この熱地獄へは、他人の家に火をつけて盗みを働く者や、敵を火攻めにして苦しめた者や、嫉妬で胸をこがす女人が堕ちる、とその業因を明かされている。他人を火によって苦しめた者が、自身も火熱によって苦しむという因果の法を示しているといえよう。また、女人が嫉妬に胸をこがすと、自分が苦しむだけではなく、嫉妬する相手を陰険に攻撃するなど、必ず他人をも苦しめることから熱地獄に堕ちるとされたものであろう。
二つは、寒地獄であり、寒地獄には八種あるとして、涅槃経の文を引かれている。八種の寒地獄は、八寒地獄・八大寒地獄・八寒氷地獄ともいい、涅槃経には阿波波地獄・阿咤咤地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄が挙げられている。前の四つの地獄の名はあまりの寒さに思わず阿波波・阿咤咤・阿羅羅・阿婆婆と悲鳴を上げる声からきており、後の四つの地獄は極寒のために身体が裂けて優鉢羅=青蓮華・波頭摩=紅蓮華・拘物頭=赤蓮華・芬陀利=白蓮華のような色や形になることから名付けられたとされている。
寒地獄の寒さの譬として、信州・諏訪湖の湖面が厚く凍る寒さや、越中・立山に吹く北風の冷たさや、加賀・白山の雪中の鳥の苦しみや、雉が雪に責められることなどを挙げられている。
当時は、小氷河期ともいわれ、現在よりはるかに寒気が厳しく、積雪も多かったようである。その中でも、諏訪湖の氷結や立山・白山の多雪や寒冷ぶりは、和歌にも詠まれるほど有名だったため、寒地獄の寒さとして引かれたものであろう。
この寒地獄へは、この世で人の衣服を盗んだ者や、父母や師匠などが寒がっているのをよそに、自分のみ温かく過ごす者たちが堕ちると、その業因を明かされている。他人の衣服を奪って寒さで苦しめた者や、父母や師匠の寒さを思いやらずに自分のみ温かさを貪った者が、その報いで厳しい寒さに責められる、とされているのである。
1013:11~1014:03 第二章 衣服を供養した功徳を明かすtop
| 11 六道の中に天道と申すは其の所に生ずるより衣服ととのをりて生るるところなり、 人道の中にも商那和修・鮮 12 白比丘尼等は悲母の胎内より 衣服ととのをりて生れ給へり、 是れはたうとき人人に衣服をあたへたるのみならず 13 父母・主君・三宝にきよくあつき衣をまいらせたる人なり、 商那和修と申せし人は裸形なりし辟支仏に衣をまいら 14 せて世世・生生に衣服身に随ふ・ 憍曇弥と申せし女人は仏にきんばら衣をまいらせて一切衆生喜見仏となり給う、 15 今法華経に衣をまいらせ給う女人あり 後生に・はちかん地獄の苦をまぬかれさせ給うのみならず、 今生には大難 1014 01 其の功徳のあまりを男女のきんだちきぬにきぬをかさね・いろにいろをかさね給うべし、穴賢穴賢。 02 建治三年丁丑十一月十八日 日蓮在御判 03 太田入道殿女房御返事 -----― 六道の中で天道というのは、その所に生まれる時から、衣服がそなわっている境界です。人道のなかでも商那和修や鮮白比丘尼らは悲母の胎内にいる時から衣服がそなわって生まれられたのです。 これは、尊い人々に衣服を与えただけでなく、父母や主君、仏・法・僧の三宝に、清らかで厚い衣服を差し上げた人たちです。 商那和修という人は、裸であった辟支仏に法衣を差し上げて、世々・生々に衣服がその身に付いて回るのです。憍曇弥という女性は仏に欽婆羅衣を御供養申し上げて、一切衆生喜見如来となられたのです。 今、法華経に衣服を御供養申し上げる女性がおられます。後生に八巻地獄の苦を免れられるだけでなく、今生には大難を除き、その功徳の余りを、男女の子供たちに及ぼし衣服に衣服を重ね、色に色を重ねる福徳を積まれるでありましょう。穴賢穴賢。 建治三年丁丑十一月十八日 日蓮在御判 太田入道殿女房御返事 |
六道
十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道という。
―――
天道
十界のうちの天界のこと。快楽に満ちた境涯。
―――
人道
十界のうちの人間界のこと。人間としてごく普通の平穏な心・生命状態・境涯のこと。
―――
商那和修
梵語シャーナヴァーサ、シャナカヴァーサ(Śāṇavāsa、Śaṇakavāsa)の音写。舎那婆修、奢搦迦、商諾迦縛娑とも書く。麻衣と訳す。付法蔵の第三祖。中インド王舎城の長者で、釈尊滅後、阿難の弟子となり阿羅漢果を得、摩突羅、梵衍那、罽賓の地に遊行教化した。優婆崛多に法を付嘱した。
―――
鮮白比丘尼
釈尊の弟子。迦毘羅衛国の長者・瞿沙の娘。この女児は生まれた時。白浄の衣を着ており、成長するにつけ、その衣も大きくなって、出家すると袈裟となったという。法華経において6000の学無学の比丘尼の一人として一切衆生憙見如来の記別を受けている。この鮮白比丘尼は過去世に仏に衣を布施した功徳によって鮮白の衣を着て生まれ、出家して得道することができたといわれる。
―――
主君
①自分の仕える主人。②主師親の三徳の主徳。
―――
三宝
仏・法・僧のこと。この三を宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。
―――
辟支仏
梵語プラティエーカブッダ(Pratyeka-buddha)の音写。独覚・縁覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るという。
―――
憍曇弥
インド刹帝利種族中の一つ、釈尊の一つ、摩訶波闍波提比丘尼のこと。
―――
仏
一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。
―――
一切衆生喜見仏
勧持品で釈尊の姨母である摩訶波闍波提比丘尼が授記を受けて得た仏の名。
―――
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。 後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284-08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266-11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546-11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910-17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
後生
三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。
―――
はちかん地獄
八種類の極寒の地獄のこと。阿波波地獄・阿吒吒地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄の八つが挙げられる。この中の前の四地獄はあまりの寒さに思わず阿波波・阿吒吒・阿羅羅・阿婆婆と悲鳴を発する地獄で、後の四地獄は極寒のために身体が裂けて優鉢羅(青蓮華)・波頭摩(紅蓮華)・拘物頭(赤蓮華)・芬陀利(白蓮華)のような姿になる地獄をいう。
―――
苦
梵語ドゥフカ(Duhkha)の訳で、苦しみ、心身を悩ます不快のこと。身と心を区別して、身に感ずる苦と、心に感ずる憂に分ける場合もある。楽に対する語で種々に分類されている。①二苦。老病死など自己の身心から起こる苦と外部から受ける苦の二つ。更に外苦には、悪人・獣などによる害苦と風雨寒熱など自然による災害の二種がある。②三苦。1.風水害・天災など好ましくない対象から感ずる苦、2.好ましい対象が崩れる時に感ずる苦、3.森羅万象が無常に感ずる苦。③四苦。生・老・病・死の四苦。④八苦。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えた八つの苦しみ。生老病死を一苦とし、五苦とする場合もある。⑤十苦。生苦・老苦・病苦・死苦・愁苦・怨苦・苦受・憂苦・病悩苦・流転大苦。⑥瑜伽論で説く110苦。⑦老・病・死を三種の身苦、貧・瞋・癡を三種の心苦ということもある。⑧苦の迷界は有漏から起こるので有漏の異名として用いられる。⑨三道(煩悩・業・苦)のひとつ。⑩四諦(苦・集・滅・道)のひとつ。⑪涅槃経には上苦・中苦・下苦の三種が説かれている。
―――
今生
今世の人生のこと。先生、後生に対する語。
―――
大難
正法を護持し流布するゆえに受ける難。
―――
功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
―――
丁丑
干支の組み合わせの14番目で、前は丙子、次は戊寅である。陰陽五行では、十干の丁は陰の火、十二支の丑は陰の土で、相生(火生土)である。
―――――――――
衣服を供養して功徳を受けた過去の事例を挙げて、大田殿の夫人が綿入れの小袖を御供養した功徳を称えられている。
六道の中でも、天道という所はそこに生まれる時から衣服を着て生まれる、とされている。天道とは、十界の中の一つである天上界・天界の境地である。
また人間の中でも商那和修や鮮白比丘尼等は、母の胎内から衣服を着て生まれた、という故事を紹介されている。
なぜ衣服を着て生まれたかというと、尊い人に衣服を供養し、父母や主君、仏・法・僧の三宝に清浄で厚い衣服を供養した果報であると明かされている。過去に衣服を供養した功徳が、生まれた時から衣服に困らないという福運になったことを示している。
商那和修は、付法蔵の第三に当たり、中インドの王舎城の長者で、阿難から教えを受けて法を付嘱された。
商那和修の名は、出生した時から死ぬまで商那衣という麻の一種で編んだ衣を着ていたためといわれている。
商那衣を着て生まれた因縁について、本抄では裸行の辟支仏に衣を供養した功徳であると簡潔に述べられているが、妙法比丘尼御返事には、付法蔵因縁伝の意をとって次のように詳しく述べられている。
「商那和修と申すは衣の名なり、此の人生れし時衣をきて生れて候いき不思議なりし事なり、 六道の中に地獄道より人道に至るまでは何なる人も始はあかはだかにて候に天道こそ衣をきて生れ候へ、 たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり、一生補処の菩薩すら尚はだかにて生れ給へり何かに況や其の外をや、然るに此の人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生れさせ給いしが、此の衣は血もつかずけがるる事もなし、譬えば池に蓮のをひをしの羽の水にぬれざるが如し、此の人次第に生長ありしかば又此の衣次第に広く長くなる、冬はあつく夏はうすく春は青く秋は白くなり候し程に・長者にて・をはせしかば何事もともしからず、後には仏の記しをき給いし事たがふ事なし、故に阿難尊者の御弟子とならせ給いて御出家ありしかば此の衣変じて五条・七条・九条等の御袈裟となり候き、かかる不思議の候し故を仏の説かせ給いしやうは・乃往過去・阿僧祇劫の当初・此の人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮べてあきなひをせし程に海辺に重病の者あり、しかれども辟支仏と申して貴人なり、先業にてや有りけん、病にかかりて身やつれ心をぼれ不浄にまとはれてをはせしを、此の商人あはれみ奉りて・ねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすすぎ・すててソ布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願して云く 汝我を助けて身の恥を隠せり此の衣を今生後生の衣とせんとて・やがて涅槃に入り給いき、此の功徳によりて過去・無量劫の間・人中天上に生れ生るる度ごとに、此の衣・身に随いて離るる事なし、乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて無量の衆生を教化して 仏法を弘通し給いし事二十年なり」(1406-05)
また鮮白比丘尼とは、釈尊の弟子で、白浄比丘尼とも呼ばれた。迦毘羅衛国の長者・瞿沙の娘で、生まれた時に白浄の衣を着けていたという。過去世に仏に衣を布施した功徳によって鮮白の衣を着けて生まれ、出家して得道することができたといわれている。
鮮白比丘尼について、本抄では母の胎内より衣服を着て生まれてきた例として挙げられているだくだが、御衣並単衣御書には「鮮白比丘尼と申せし人は生れさせ給いて御衣をたてまつりたりけり、生長するほどに次第にこの衣大になりけり、後に尼とならせ給いければ 法衣となりにけり、ついに法華経の座にして記ベツをさづかる一切衆生喜見如来これなり」(0971-01)と述べられている。
憍曇弥とは、釈迦族の女性の姓の一つだが、ここでは釈尊の叔母である摩訶波闍波提比丘尼を指している。摩訶波闍波提は、釈尊の母、摩耶夫人の妹で、夫人が釈尊を生んで7日後に死んだため、浄飯王の后となり、釈尊を養い育てている。浄飯王の死後に出家を志して、三度、釈尊に願って許され、最初の比丘尼となった。
摩訶波闍波提比丘尼は、仏にきんばら衣を供養して、その功徳で、法華経の勧持品第13で一切衆生喜見如来の記別を受けることができた、と述べられている。
きんばら衣とは諸説あるが、細かい毛で織った衣とされている。中阿含には、金縷黄色の衣を自ら釈尊のために供養した、とされている。いずれにしても、仏に衣を供養する功徳の大きいことを示す例として引かれているのである。
最後に、日蓮大聖人に衣を御供養した大田殿の女房が受ける功徳について、後生には寒地獄の苦悩を免れるだけでなく、今生には大難を払い除き、その功徳の余りを男女の子供たちに及ぼし、衣に衣を重ね、色に色を重ねるように福が重なるであろう、と仰せになっている。末法の法華経の行者に供養する功徳は、釈尊等に衣を供養した功徳に勝るのであり、我が身だけでなく、子供たちにまで及ぶことを示されているのである。
1014~1017 太田左衛門尉御返事(方便寿量肝心事)top
1014:01~1014:04 第一章 供養の謝礼と書状の一端を示すtop
| 太田左衛門尉御返事 弘安元年四月 五十七歳御作 01 当月十八日の御状同じき廿三日の午の剋計りに到来・軈拝見仕り候い畢んぬ、御状の如く御布施鳥目十貫文・太 02 刀・五明一本・焼香廿両給い候、抑専ら御状に云く某今年は五十七に罷り成り候へば大厄の年かと覚え候、 なにや 03 らんして正月の下旬の比より卯月の此の比に至り候まで 身心に苦労多く出来候、 本より人身を受くる者は必ず身 04 心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら更に云云。 -----― 今月十八日のお手紙が同二十三日の午の刻のころに届いた。すぐに拝見した。お手紙にあるように、お布施として鳥目十貫文と太刀、および扇一本、焼香二十両をいただいた。そもそも専らお手紙にこうしたためられている。「私は今年は五十七歳になったから、大厄の年かと思う。そのためかどうか、なんだか、正月の下旬のころから四月の今のころに至るまで、身と心ともに苦しく悩むことが多く出てきた。もとより人の身を受ける者は必ず身と心に諸の病が続いて五体に苦しみや悩みがあるとはいうけれども、とりわけ状態は悪い」と。 |
御状
手紙のこと。
―――
午の剋
現在の午前11時~午後1時まで。その中間点を正午という。
―――
軈
①そのまま。②直ちに。③すなわち。④まもなく。
―――
拝見
見ること。
―――
布施
物や利益を施し与えること。大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなくてはならない六波羅蜜の一つ。壇波羅蜜のこと。布施には財施・法施等、種々の立て分けがある。
―――
鳥目十貫文
鳥目は鎌倉時代に使われていた通貨のこと。普通は銭といったが、鵞目、鵝眼、青鳧ともいった。鳥目とは中央に穴があってその形が鳥の目に似ているところから、こう呼ばれた。「貫」は銭を数える単位。一貫は、もと銭を一つなぎにしたものの意で、一文銭千枚のこと。ここの十貫文は一文銭一万枚相当になる。
―――
太刀
反りのある刀。長さが60㌢以上のものをいう。
―――
五明一本
五明は扇の異称。五明扇ともいう。
―――
焼香廿両
焼香はくゆらせて使う香のこと。廿両の「両」は重さの単位。薬種の重さでは一両は四匁で、一匁は13.75㌘。すなわち一両は15㌘、20両は300㌘に当たる。
―――
某
自分のこと。
―――
大厄の年
大厄は最大の厄年のこと。陰陽道では人の一生のうち、災厄に多くあうとされる年齢を定めて厄年とし、そのうち最も危険な厄年を大厄という。一般には男は数えで42歳、女は33歳が大厄とされるが異説もある。本抄にあるように大厄を57歳とする典拠は不詳である。ちなみに厄は木のふし、つつむ、おおう、わざわい、不吉なまわりあわせの意があり、厄年は男は数えで25歳・42歳・60歳、女は19歳・33歳・37歳としている。
―――
卯月
旧暦の4月。
―――
身心
体と心。
―――
苦労
病み疲れること。
―――
人身
人間の身体。
―――
諸病
いろいろな病。
―――
相続
遺産・跡目を継ぐこと。
―――
五体
体の五つの部分。頭・首・胸・手・足をいう。また両手・両足・頭を五体という場合もある。
―――――――――
本抄は、その内容から、弘安元年(1278)、大田氏が57歳という大厄を迎えて身心ともに不調である旨を伝える書状を御供養の品々に添え、身延におられる日蓮大聖人に送ったことに対して、返書として記された御抄であることが分かる。
系年は弘安元年(1278)4月23日で、この年に57歳ということから、大田氏は大聖人と同年であったことになる。なお、御真筆は現存していない。
冒頭で、まず、大田氏が四月十八日付で記した書状が23日の昼ごろに到着し、直ちに拝見したと述べられ、書状にある通りの御供養の品々を受け取った旨を記されている。それと共に、大田氏の書状の中に、大田氏が大厄の57歳となる今年の正月から書状を書いている四月に至るまで、身心ともに不調であると訴えていることを取り上げられている。
57歳を大厄とする説は典拠も不明で、あまりいわれていないが、大田氏がこのように書いているのは、当時、一般に信じられていたからであろう。いずれにせよ、そのことから不安を抱いている大田氏に対し、大聖人は、そのような人生の節目を力強く乗り越えていく源泉が妙法であることを述べられ、励まされるのである。
0014:05~1014:10 第二章 十二因縁の法門を略述するtop
| 05 此の事最第一の歎きの事なり、 十二因縁と申す法門あり意は我等が身は諸苦を以て体と為す、されば先世に業 06 を造る故に諸苦を受け先世の集・煩悩が諸苦を招き集め候、過去の二因・現在の五果・現在の三因・未来の両果とて 07 三世次第して一切の苦果を感ずるなり、 在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて空理に沈み 灰身滅智して菩薩の勤 08 行・精進の志を忘れ空理を証得せん事を真極と思うなり、 仏・方等の時・此等の心地を弾呵し給いしなり、然るに 09 生を此の三界に受けたる者苦を離るる者あらんや、 羅漢の応供すら猶此くの如し況や底下の凡夫をや、 さてこそ 10 いそぎ生死を・離るべしと勧め申し候へ。 -----― この人生に苦しみがつきまとうことは最第一の嘆くべきことである。仏法に十二因縁という法門がある。その意味は我らの身は諸の苦をもって本体としている。それというのも過去世に業をつくる故に諸の苦を受け、過去世の集、つまり煩悩が諸の苦を招き集めるのである。 過去の二因、現在の五果、現在の三因、未来の二果といって過去・現在・未来の三世にわたって順次に一切の苦果を感じるのである。 釈尊在世当時の声聞・縁覚の二乗は、これらの諸の苦を滅しようとして、空の理に沈み身を灰にし智を滅して、菩薩の修行の勤めと精進する志を忘れ、空の理を悟ることを真理の究極と思い込んだ。そこで仏は方等を説いた時、これらの心根を叱責されたのである。 もっとも生をこの欲界・色界・無色界の三界に受けた者で苦を離れている者があろうか。供養を受ける資格を得た阿羅漢でさえ、苦を免れなかったのである。 ましてや賤しく劣っている凡夫においてはなおさらである。であるからこそ急いで生死の苦を離れなさいと勧めていうのである。 |
十二因縁と申す法門
三界六道の迷いの因果を十二種類に分けて表した教え。すなわち十二種は倶舎論などに説かれている。縁覚の観門である。
① 無明。過去・無始以来もっている無知・煩悩のこと。
② 行。 過去の煩悩によって造る行業のこと。
③ 識。 過去の行業によって現在の母胎に託する妄念の心のこと。
④ 名色。身心が胎内で発育し六根を形成するまでの五陰をいう。名は受・想・行・識の四陰、色は色陰のこと。
⑤ 六入。六根を具足して胎内から出生しようとすること。
⑥ 触。 幼児の時は苦楽の分別がなく物に触れて感ずること。
⑦ 受。 やや成長して苦楽を識別して感受すること。
⑧ 愛。 事物や異性に愛欲を感ずること。
⑨ 取。 成人して事物に貪欲すること。
⑩ 有。 愛・取などによって未来世の生を定める業を造ること。
⑪ 生。 未来世に生を受けること。
⑫ 老死。未来世において老いて死ぬこと。
以上の十二因縁を三世に配すると、無明・行は過去の二因でこれが因となって識・名色・六入・蝕・受の現在の五果がある。また愛・取・有は現在の三因で、それが因となって生・老死の二果がある。このように十二の因縁が連鎖のように関係しあって絶えず六道の苦界を流転していくことを六道輪廻という。また十二因縁には流転門と環滅門があり、無明によって行を生じ、行によって識を生じ、以下を繰り返して、最後に生によって老死を生ずる次第の相を流転の十二因縁といい、逆に根本の無明を滅することによって行を滅し、行を滅して識を滅し、以下を繰り返して老死を滅する次第の相を環滅の十二因縁という。
―――
諸苦
諸々の苦しみ。
―――
過去の二因
十二因縁を三世に配すると、無明・業は過去の二因となる。無明は無始以来持っている無知による煩悩。行は煩悩によって造る善悪の行業。
―――
現在の五果
十二因縁を三世に配すると、識・名色・六入・蝕・受は現在の五果となる。識は過去の行業によって現在の母胎に託する妄念の心。名色は身心が胎内で発育し六根を形成するまでの五陰をいう、名は受・想・行・識の四陰、色は色陰。六入は六根を具足して胎内から出生しようとすること。触は幼児の時は苦楽の分別がなく物に触れて感ずること。受はやや成長して苦楽を識別して感受すること
―――
現在の三因
十二因縁を三世に配すると、愛・取・有は現在の三因となる。愛は事物や異性に愛欲を感ずること。取は成人して事物に貪欲すること。有は愛・取などによって未来世の生を定める業を造ること。
―――
未来の両果
十二因縁を三世に配すると、生・老死は未来の両果となる。生は未来世に生を受けること。老死は未来世において老いて死ぬこと。
―――
三世
過去世・現在世・未来世のこと。三世の生命観に立つならば、生命の因果の法則は明らかである。開目抄には「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231-03)とあり、十法界明因果抄には「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり」(0432-12)とある。
―――
次第
①順序。前後。②少しずつ状態が変わるさま。③成り行き、事情。
―――
一切の苦果
あらゆる苦の結果をいう。苦果は苦しみの果報。悪業の因によって苦しみの果報を受ける。
―――
在世の二乗
釈尊がこの世に住していた時の声聞・縁覚の衆生。
―――
空理に沈み灰身滅智して
空理は空の理法のこと。空についての意味・理論、また空とみることによって明らかになる心理のこと。灰身滅智は焚身灰智・無余灰断ともいい、色身を焼いて灰にし心智を滅すること。
―――
菩薩の勤行・精進の志
菩薩が仏道修行しようとする意志。自らの仏果を得るためのみならず、一切衆生を救済する志を立てて修行することをいう。
―――
空理を証得せん事
声聞・縁覚の二乗が小乗で説く空の法理、つまり一切は皆空であると悟郎とすること。空理は空の法理、空についての理論。
―――
真極
真理の究極、最高の悟り。二乗は空理を証得することを真極と誤ってとらえたわけである。
―――
仏
一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。
―――
方等の時
天台大師が一代聖教を説時によって五時に分けた中の方等時のこと。
―――
心地
心を大地にたとえたもので、大地より五穀五果を生ずるように、衆生の心より善悪五趣を生ずるゆえに大地にたとえ心地という。
―――
弾呵
小乗の教えにとどまっているのを叱ること。弾は弾劾、呵は呵責を意味する。
―――
生
生まれること。生きること。
―――
三界
欲界・色界・無色界のこと。生死の迷いを流転する六道の衆生の境界を三種に分けたもの。欲界とは種々の欲望が渦巻く世界のことで、地獄界・餓鬼界・修羅界・畜生界・人界と天界の一部、六欲天をいう。色界とは欲望から離れた物質だけの世界のことで、天界の一部である四禅天をさす。無色界とは欲望と物質の制約を超越した純然たる精神の世界のことで、天界のうちの四空処天をいう。
―――
苦
梵語ドゥフカ(Duhkha)の訳で、苦しみ、心身を悩ます不快のこと。身と心を区別して、身に感ずる苦と、心に感ずる憂に分ける場合もある。楽に対する語で種々に分類されている。①二苦。老病死など自己の身心から起こる苦と外部から受ける苦の二つ。更に外苦には、悪人・獣などによる害苦と風雨寒熱など自然による災害の二種がある。②三苦。1.風水害・天災など好ましくない対象から感ずる苦、2.好ましい対象が崩れる時に感ずる苦、3.森羅万象が無常に感ずる苦。③四苦。生・老・病・死の四苦。④八苦。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えた八つの苦しみ。生老病死を一苦とし、五苦とする場合もある。⑤十苦。生苦・老苦・病苦・死苦・愁苦・怨苦・苦受・憂苦・病悩苦・流転大苦。⑥瑜伽論で説く110苦。⑦老・病・死を三種の身苦、貧・瞋・癡を三種の心苦ということもある。⑧苦の迷界は有漏から起こるので有漏の異名として用いられる。⑨三道(煩悩・業・苦)のひとつ。⑩四諦(苦・集・滅・道)のひとつ。⑪涅槃経には上苦・中苦・下苦の三種が説かれている。
―――
羅漢の応供
羅漢は阿羅漢のことで応供ともいう。小乗の声聞が修行によって到達できる最高の悟りの境地。またそれを得た聖者のこと。
―――
底下の凡夫
低下は卑しい・劣っていること。凡夫が煩悩を断ずることのできない愚鈍な衆生であるところから、このようにいう。
―――
生死
生死はたんに「生」と「死」という意味以外に「生命」と訳す場合と「苦しみ」と訳す場合とがある。ともに生死・生死の流転輪廻という意味からきている。「生死即涅槃」の場合は、「苦しみ」。「生死一大事」の場合は「生命」となる。
―――――――――
まず、大田氏の書状にある「本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して……」ということ、すなわち人間に生まれた以上、諸病、苦しみにつきまとわれることに関して、仏法の十二因縁の法門を挙げて述べられている。十二因縁の法門について、「意は我等が身は諸苦を以て体と為す」と要約されている。この世に生を受けた我らの身心は、さまざまな苦を本体としているということを明かした法門である。すなわち「先世に業を造る故に諸苦を受け先世の集・煩悩が諸苦を招き集め候」とあるように、過去世に造った悪業、煩悩を起こしたことが原因となって、今世の身心に、もろもろの苦を招き集めるというのが十二因縁法門である。すなわち、十二因縁のうち無明・行が因となり、その結果として現在世の識・名色・六入・触・受の五果の苦を受けるのである。さらに、今度は現在における愛・取・有が三因となって、生・老死の両果の苦を受けるというものである。
このように「三世次第して一切の苦果を感ずる」のであり、今、大田氏が「本より人身を受くる者は……五体に苦労あるべし」と書いているように、人生には苦しみがつきまとうのである。
そこで、この苦果から解放されるために在世の二乗の人々が選んだ道が「空理に沈み灰身滅智」することで、空理の証得を「真極」と思い込んだのであった。「空理」とは「一切は空であり、実体はない」という真理で、そこからすべての欲望等の煩悩を断とうとしたのである。
すなわち、未来の生・老死の苦果を受けないために、現在の三因である愛・取・有を断じ、現在の苦の体である識・名色・六入・触・受を滅して、いわゆる「灰身滅智」しようとしたのである。
これに対し、そうした行き方は自分一人の救いにとらわれた利己主義の小乗の道であり、真実の苦からの解放はないとして、一切衆生に対する利他の実践の中に真実の苦からの解放の道があることを明かしたのが大乗教である。故に、大乗教の初門である方等時の経では、灰身滅智を目指す二乗に対する厳しい弾呵が繰り返し行われたのである。
ここで大聖人は、このように人生の苦を滅するために釈尊が設けた小乗から大乗への化導の移り変わりを簡潔に述べられている。
羅漢の応供すら猶此くの如し況や底下の凡夫をや
応供すなわち衆生から供養を受ける資格ありとされた羅漢の位に達した二乗たちでさえも、真実の苦からの解放の道には、このように迷ったことを指摘され、まして「底下の凡夫」が苦しみにとらわれるのはなおさらであると述べられて「さてこそいそぎ生死を・離るべしと勧め申し候へ」と、大聖人の目指されているところが「底下の凡夫」である末法の衆生を生死の苦しみから解放することにある、と明かされている。
その真実の苦しみからの解放を実現する鍵が法華経の一念三千法門にあることは、後の段で示されていくのである。
1014:11~1015:08 第三章 厄年の世間一般の知識を挙げるtop
| 11 此等体の法門はさて置きぬ、御辺は今年は大厄と云云、 昔伏羲の御宇に黄河と申す河より亀と申す魚・八卦と 12 申す文を甲に負て浮出たり、 時の人・此の文を取り挙げて見れば人の生年より老年の終りまで厄の様を明したり、 1015 01 厄年の人の危き事は 少水に住む魚を鴟鵲なんどが伺ひ 燈の辺に住める夏の虫の 火中に入らんとするが如くあや 02 うし、 鬼神ややもすれば此の人の神を伺ひなやまさんとす、 神内と申す時は諸の神・ 身に在り万事心に叶う、 03 神外と申す時は諸の神・識の家を出でて万事を見聞するなり、 当年は御辺は神外と申して 諸神他国へ遊行すれば 04 慎んで除災得楽を祈り給うべし、 又木性の人にて渡らせ給へば今年は大厄なりとも 春夏の程は何事か渡らせ給う 05 べき、 至門性経に云く「木は金に遇つて抑揚し火は水を得て 光滅し土は木に値いて時に痩せ金は火に入つて消え 06 失せ水は土に遇つて行かず」等云云。 -----― このような十二因縁などの法門はさておくことにしよう。あなたは今年は大厄であるといっている。昔、伏羲の時代に、黄河という河から亀という魚が、八卦という文を甲羅に背負って浮き出てきた。その時代の人がこの文を取り上げて読んでみれば、人の生まれる年から老年の死の終わりまでの厄のありさまを明かしていた。 厄年の人の危ういことは、水かさの減った川や池に住む魚を鴟や鵲なんかが狙い、灯火の辺りに住む夏の虫が火の中に入ろうとするように危うい。 鬼神はどうかすると、この人の精神を狙い悩まそうとする。神内という時は諸の神々がその身の内にあるから、どんなことでも思うようになる。逆に神外という時は諸の神々が識の家を出でて外のあらゆることを見聞きしている。 今年はあなたは神外といって諸の神々が他国へ巡り歩いているので、慎んで災を除き楽を得るように祈りなさい。 またあなたは陰陽五行説でいう木性の人であるから、今年は大厄であっても春と夏のころは何事もないであろう。 至門性経に「木は金に出あって抑揚し、火は水を得て光が滅し、土は木によって時には痩せ、金は火に入って消え失せ、水は土に妨げられて流れない」等とある。 -----― 07 指して引き申すべき経文にはあらざれども 予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざ 08 れば且らく世間普通の義を用ゆべきか、 -----― これは特別に引いていうほどの経文ではないけれども、私の法門は四悉檀を心掛けて説くならば、とりたてて成仏の理に違わない限り、とりあえず世間の普通の道理を用いることができるのである。 |
御辺
第二人称の代名詞。あなた。
―――
大厄
陰陽道では人の一生のうち災厄に多く値うとされる年を定めている。一般には男子は25・42・60、女子は19・33・37をいい、男子42・女子33を大厄としている。この年代は就職・結婚・出産・退職等生活環境の変化や身体の老化が起こりやすいことに由来するものと推測しておく。
―――
伏羲
「ふっき」とも読む。中国古代の伝説上の帝王。神農・黄帝と共に三皇の一人に挙げられている。伏羲は網をつくって人民に漁猟を教えたとされ、蛇身人首であったとされる。羲農と神農は二人では羲農と称され、羲農の世は人心が治まり、天地も平穏な理想社会として挙げられる。
―――
御宇
ひとりの天子の時代。
―――
黄河
中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。現在の中国文明の直接の母体である黄河文明を育んだ川であり、中国史上において長江と並び巨大な存在感を持つ河川である。
―――
亀と申す魚
亀は爬虫類であるが海に生息するためこのように言われたのであろう。
―――
八卦と申す文
中国の易の基本となる八個のかたちを組み合わせて八種の図形をつくって、自然界や人間界の様々な現象を示すもの。儒教では伝説上の帝王・伏義が八卦の基礎を作ったと伝えられる。
―――
甲
物の外側を覆う固い部分。
―――
人の生年
人間が生まれた年。
―――
老年の終り
老いて死ぬとき。
―――
厄の様
厄年のありさま。
―――
少水
川や池などの水量が少ないこと。
―――
鴟鵲
トンビとカラスのこと。
―――
鬼神
鬼神とは、六道の一つである鬼道を鬼といい、天竜等の八部を神という。日女御前御返事に「此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり、鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す」とある。このように、善鬼は御本尊を持つものを守るが、悪鬼は個人に対しては功徳・慧命を奪って病気を起こし、思考の乱れを引き起こす。国家・社会に対しては、思想の混乱等を引き起こし、ひいては天災地変を招く働きをなす。悪鬼を善鬼に変えるのは信心の強盛なるによる。安国論で「鬼神乱る」とあるのは、思想の混乱を意味する。
―――
此の人の神
「神」はタマシイと読む。①霊魂。②精神・気力。③天分・素質。
―――
諸の神
多くの諸天善神のこと。
―――
万事
あらゆること。
―――
神外
神が身体から出て、他の場所を遊行すること。
―――
識の家
梵語ヴィジュニャーナ(Vijñāna)「了別」と訳す。分析・分割+知の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のことである。釈迦在世当時から、この認識作用に関する研究が行われ、さまざまな論証や考え方が広まっており、それぞれの考え方は互いに批判し合いながら、より煩瑣な体系を作り上げた。しかし、大乗仏教全般で言うならば、分析的に認識する「識」ではなく、観法によるより直接的な認識である般若が得られることで成仏するのだと考えられるようになって重要視された。識の住む家のことをい
―――
他国
自分が住んでいる国以外の国。外国。
―――
遊行
①諸国をめぐること。②遊び戯れること。③ゆうゆうたる境涯で自由自在に振舞うこと。
―――
除災得楽
災いを取り除き楽を得ること。
―――
木性の人
五行説の木にあたる年に生まれた人。
―――
木は金に遇つて抑揚
摩訶止観巻八上には「皇帝の秘法に云うが如く、天地の二気交合して各五行有り……火は水を得て而して光を滅し、水は土に遇うて而して行かず、土は木に値うて而して腫瘡あり、木は金に遇うて而して折傷す。此即ち相剋なり」とある。ここに「木は金に遇うて而して折傷す」とあるところから、抑揚と折傷は草書体が似ているので書写時あるいは出版時の誤りかもしれないと考えられる。古い写本を精査する必要がある。
―――
土は木に値いて時に痩せ
樹木が成長することによって、土の成分は奪われていくということ。
―――
金は火に入つて消え
金属は高温の火の中では溶解し、その姿をけすということ。
―――
予が法門
日蓮大聖人の教え。南無妙法蓮華経。
―――
四悉檀
略して四悉ともいう。悉檀は成就、宗、理の意。仏の教法を四種類に分けたもので、大智度論巻一等に説かれる。
① 世界悉檀。 楽欲悉檀ともいい、一般世間の願いに従って法を説き、凡夫を歓喜させ利益を与えること。
② 各各為人悉檀。生善悉檀ともいい、相手の性質や能力などに応じて法を説き、過去の善根を増長させること。
③ 対治悉檀。 断悪悉檀ともいい、三毒を対治するために貪欲の者には不浄を観じさせ、瞋恚の者には慈心を修せしめ、愚癡の者には因縁を観じさせること。
④第一義悉檀。 入理悉檀ともいい、前の三種が途中の化導であるのに対し、真理を説いて衆生を悟らせること。
―――
成仏の理
成仏するための道理・法理。一般には菩薩が長年にわたって修行して一切の煩悩を断じ尽くした結果成仏されるとされるが、大聖人の仏法においては、妙法の信受によって名字の凡夫を動ずることなく、直ちに仏果に至るとする直達正観・即身成仏である。
―――
世間普通の義
世の中で一般的・通常的に知られている意義・道理。
―――――――――
まず「此等体の法門はさて置きぬ」と仰せられ、前節に述べられた、人生の苦を解決する十二因縁など仏法の法門の問題は、いったん置くとして「厄年」ということについて示されるのである。
初めに、厄という考え方が起こってきた由来に関して、中国古代の伝説上の帝王・伏羲の治世において、亀の甲羅に負われ浮き出た、八卦の記号や説明文をもとに作られたものであることを明かされる。
そして厄年とはどのような状態をいうのかについて、浅瀬に住む魚が鳶などの鳥に狙われやすいことや灯火の近くを飛んでいる夏の虫が火中に入ろうとするような状態にあることであり、陰陽五行説でいう鬼神が厄年の人の精神に入り込んでこれを悩まそうと狙っている時期である、と仰せられている。
さらに、神内、神外という陰陽五行説の考え方を分かりやすく示されている。神内というのは、もろもろの神が人間の身体の内にあって守護するために「万事心に叶う」のに対し、神外というのは、逆にもろもろの神が人間の身体、あるいは識という家を出て、外の世界のすべてを見聞する時に当たる。この時に鬼神が入り込もうと狙うというのである。
これらの厄年についての一般的な知識を述べられた後、「当年は御辺は神外と申して諸神他国へ遊行すれば慎んで除災得楽を祈り給うべし」と、大田氏に、慎重に振る舞って災いを除き楽を得ることを祈っていくよう勧められる。
次いで、大田氏は陰陽五行説からいうと「木性の人」であるから、たとえ今年が大厄であっても、春夏のころは何事もないであろうと述べられている。
その文証として至門性経の一節を引用された後、「指して引き申すべき経文にはあらざれども」と前置きされ、「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか」と、大聖人があえて外道の経典とされる文を引用された理由に言及されている。
四悉檀とは仏が法を説いた四つの方法を示したもので、つまり、世界・各各為人・対治・第一義の四種類が踏まえられているように、世間一般の道理を用い、あるいは相手が悩んでいること、望んでいるところに対応して、仏法は何を明かしているかを教えて導いていくのである。
従って、強いて成仏の原理に違反しない限り、とりあえずの方便として一般世間の道理を用いるのである。
この一文は、大聖人の御化導は、あくまで折伏が根本であるということから、他経あるいは他宗教の言説に対し狭量で排斥的な行き方に走りがちな門下に対して、正しい対処法を教示された重要な御文と言えよう。
1015:08~1015:12 第四章 法華経が諸病の良薬なるを示すtop
| 08 然るに法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、されば経に云く「此の 09 経は則ち為閻浮提の人の病の良薬なり 若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば 病即消滅して不老不死ならん」 10 等云云、 又云く「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云、又云く「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等云云、 11 取分奉る御守り方便品寿量品同じくは一部書きて進らせ度候へども 当時は去り難き隙ども入る事候へば 略して二 12 品奉り候、相構え、 相構えて御身を離さず重ねつつみて御所持有るべき者なり、 -----― そうではあるが法華経という御経は身心の諸の病の良薬である。だから法華経薬王品第二十三に「この経はすなわち閻浮提の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞くことができれば病はすぐに治って不老不死になろう」等とある。また同経薬草喩品第五に「現世は安穏であって死んだ後には善い処に生まれるであろう」等とある。また同経薬王品第二十三に「諸のほかの怨敵は皆、悉く摧け滅びるであろう」等とある。 法華経の中から選り分け、御守りとして方便品・寿量品を書いて差し上げる。同じことなら法華経一部をすべて書いて差し上げたいと思ったけれども、今はどうしても時間の必要な用事があるので、略して方便品・寿量品の二品を差し上げることにした。よくよく用心して御身を離さず、重ね包んで御所持していなさい。 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。 後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284-08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266-11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546-11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910-17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
身心の諸病
身の病と心の病。
―――
良薬
良く効く薬。法華経が一切衆生の苦悩を取り除く良薬である。
―――
閻浮提
一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
―――
病即消滅
法華経薬王菩薩本事品第23の文。「病は即ち消滅して」と読む。
―――
不老不死
老いたり死んだりしない若々しい生命状態をいう。
―――
現世
過去・現在・未来の三世のなかの現在。この世、娑婆世界のこと。
―――
安穏
平安で穏やかなこと。
―――
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
―――
善処
①よい所。福徳に満ち恵まれた場所。②適切に処置すること。
―――
怨敵
仏及び仏の正法、またはその修行者に怨をなす敵をいう。謗法の者。
―――
摧滅
くじかれ滅びること。おとろえなくなること。
―――
方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
―――
寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
―――
一部
一経全部のこと。ここでは法華経全巻全品、つまり法華経一部八巻二十八品を指す。
―――――――――
身心不調の苦悩を克服する最高の良薬が法華経であることを説かれる。まず「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」と明言され、その文証として、法華経の薬王菩薩本事品第二十三、薬草喩品第五、同じく薬王菩薩本事品第二十三の経文を引用されている。
初めの薬王品の文において「是の経を聞くことを得ば」とは、ただ耳で聞くだけで病が消滅するということではない。聞法は信受・受持の初めであり前提である故に、こう述べられているのであり、さらにいえば「是の経」すなわち法華経の法力の偉大さを強調して、こう表現されたのである。また「不老不死」は、現実に「老いず死なず」ということはありえないし、次の薬草喩品の「現世安穏、後生善処」と矛盾する。なぜなら「後生」ということは、現在の人生が死によっていったん終わることを前提としているからである。従って、この「不老不死」とは、老苦、死苦を受けないとの意と解すべきである。
さらに、第三の引用の「諸余の怨敵」とは、怨をなして害そうとしてくる敵の意であるが、本抄では明らかに病を指して仰せられている。この背景には、病をもたらすものとして、法華経の受持者に対し、悪鬼神等が怨をなすという考え方があることで説明される。
次いで「取分奉る御守り方便品寿量品同じくは一部……略して二品奉り候」と仰せられて、本来なら大良薬としての法華経の一部八巻二十八品全部を書写してお守りとして差し上げたいところであるが、やむを得ない用事のため時間がないので、略して方便品・寿量品の二品のみを「取り分け」、つまり選別して、書写し差し上げたと述べられ、「相構え、相構えて御身を離さず重ねつつみて御所持有るべき者なり」と、心して方便品・寿量品の二品を体から離さず所持するよう諭されている。
1015:12~1016:05 第五章 方便・寿量の肝要を略述すtop
| 12 此の方便品と申すは迹門の肝心 13 なり此の品には仏・十如実相の法門を説きて 十界の衆生の成仏を明し給へば舎利弗等は此れを聞いて 無明の惑を 14 断じ真因の位に叶うのみならず、 未来華光如来と成りて成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり 十界の衆生の成 15 仏の始めは是なり、 当時の念仏者・真言師の人人・成仏は我が依経に限れりと深く執するは此等の法門を習学せず 16 して未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。 -----― この方便品というのは法華経迹門の肝心である。この品には、仏が十如実相の法門を説いて、十界の衆生の成仏を明かされたので、舎利弗らはこの法門を聞いて無明の惑を断じ、成仏すべき真実の因の位を得ただけでなく、未来に華光如来となって成仏の覚月を離垢世界の暁の空にながめることができる。 十界の衆生の成仏の最初がこれである。今の時代の念仏者や真言師の人々が成仏は自宗の依りどころとする経に限られると深く執着しているのは、法華経方便品のこれらの法門を習学しないで未だ真実を顕わしていない経に説かれている。名目だけの未来成仏の保証に執着しているからである。 -----― 17 貴辺は日来は此等の法門に迷い給いしかども 日蓮が法門を聞いて 賢者なれば本執を忽に飜し給いて 法華経 18 を持ち給うのみならず、 結句は身命よりも此の経を大事と思食す事・不思議が中の不思議なり、 是れは偏に今の 1016 01 事に非ず過去の宿縁開発せるにこそ・かくは思食すらめ有り難し有り難し、 次に寿量品と申すは本門の肝心なり、 02 又此の品は一部の肝心・一代聖教の肝心のみならず 三世の諸仏の説法の儀式の大要なり、教主釈尊・寿量品の一念 03 三千の法門を証得し給う事は 三世の諸仏と内証等しきが故なり、 但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏 04 も亦然なり、 我等衆生の無始已来・六道生死の浪に沈没せしが 今教主釈尊の所説の法華経に値い奉る事は乃往過 05 去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり、有り難き法門なり。 -----― あなたは今までいつも、これらの法門に迷われていたが、日蓮の法門を聞いて、賢い者であるので元来の執着をただちにひるがえされて、法華経を持たれただけでなく、結局は身命よりもこの法華経を大事と思われるようになったことは不思議の中の不思議である。 これはひとえに今生のことではなく、過去世の宿縁が開き顕されたために、このように思われたのであろう。まことに有り難いことである。 次に寿量品というのは法華経本門の肝心である。また、この品は法華経一部の肝心、さらに一代聖教の肝心だけでなく、過去・現在・未来の三世の諸仏の説法の儀式の重大な肝要である。教主釈尊が寿量品の一念三千の法門を悟られたことは、三世の諸仏と内面の悟りが等しいためである。 ただし、この法門は釈尊一仏の自らの悟りだけでなく、諸仏の悟りもまたそうである。無始の昔から、六道の生死の苦しみの波浪に沈没してきた我ら衆生が、今の時に教主釈尊が説かれた法華経にあえたのは、その昔・過去にこの寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞したからである。有り難い法門である。 |
迹門の肝心
法華経迹門のうちで最も大切なものとの意で、方便品を指す。迹門とは法華経の中でも、釈尊がまだ垂迹の仏の立場、すなわち始成正覚の立場で説いた法門のこと。序品第一から安楽行品第十四までをいう。本門に対する語。「迹」とは影、跡の意。法華文句巻一上には「序より安楽行に至る十四品は迹に約して開権顕実す、涌出より経を訖る十四品は本に約して開権顕実す」とある。
―――
十如実相の法門
諸法が十如是を具え、それがそのまま実相であるという教え。法華経方便品の諸法実相は十如是をもって説かれている故に十如実相という。十章抄に「一念三千の出処は略開三の十如実相」(1274)とある。法華経の実相は十如是を内容とし、十如是を十界、十界互具、三世間と開けば一念三千となる。
―――
十界の衆生
地獄界から仏界までの各界の衆生のこと。あらゆる境界の衆生。
―――
成仏
仏になること。成道、作仏、成正覚ともいう。
―――
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
―――
無明の惑
無明惑のこと。三惑の一つ。中道実相の理を障蔽する。すなわち成仏を妨げる一切の煩悩の根本となる惑のこと。障中道の惑。また菩薩だけが断尽することができるとされるところから、別枠ともいう。無明とは、明または悟り。法性の反対語で、不達・不解・不了の意。惑とは法性を知らないで迷うこと。天台大師所立の一切の煩悩の根本であり、三惑の見思と塵沙は無明惑より起こる。摩訶止観では惑を42に分け、最後の無明惑を元品の無明惑とたてている。
―――
真因の位
未来に必ず聖果を得る真実の因行の階位。この真因は不退位であり、別教の初地の位、円教の初住位にあたる。因位の位を得るには無明惑を破ることである。
―――
未来
三世の一つで、将来。現世のつぎ。
―――
華光如来
釈迦の十大弟子の中で最も智慧に優れた舎利弗が、将来仏となった時の名で、その時に住む国の名。舎利弗は未来世において千万億の仏に導かれ、法を正しく保ったため成仏するとされる。華光如来の寿命は十二小劫で、大宝荘厳の国民の寿命は八小劫であり、そして華光如来が世を去る際に弟子の堅満菩薩に次のような記を与えるとした。曰く、この者は私の次に仏となり、名は華足安行如来である。そしてまた、華光如来入滅後に正法と像法は三十二小劫の間続くだろう、とされた。
―――
成仏の覚月
成仏の覚りを月に譬えたもの。
―――
離垢世界の暁の空
成仏の覚りを月に譬えたものに応じて、離垢世界を暁の空と表現したもの。
―――
念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
真言師
真言宗を奉ずる僧侶。真言宗とは、三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗等ともいう。空海が中国の真言密教を日本に伝え、一宗として開いた宗派。詳しくは真言陀羅尼宗という。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法と相承したので、これを付法の八祖とし、大日・金剛薩?を除き善無畏・一行の二師を加えて伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経として、これを両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。顕密二教判を立て自らの教えを大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なそ、弘法所伝の密教を東密というのに対して、天台宗の慈覚・智証によって伝えられた密教を台密という。
―――
依経
各宗派がよりどころとする経のこと。一代聖教大意には「華厳宗と申す宗は智厳法師・法蔵法師・澄観法師等の人師.華厳経に依つて立てたり、倶舎宗・成実宗.律宗は宝法師・光法師・道宣等の人師・阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵・慈恩法師等・方等部の内に上生経・下生経・成仏経・解深密経・瑜伽論・唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経・諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時は いかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し」(0397-05)とある。
―――
執する
執着する・固執する・深く思い込む。
―――
習学
学び習うこと。学問を習うこと。
―――
未顕真実の経
未顕真実は無量義経で「末だ真実を顕さず」とある文をさす。釈尊五十年の説法のうち法華経以前の四十二年の経は末だ真実を顕していない方便権教であるということ。
―――
授記
仏が弟子に当来における成仏の劫・国・名号を記し授けること。
―――
日来
「ヒゴロ」と読む。
―――
日蓮が法門
日蓮大聖人の法門。南無妙法蓮華経。
―――
賢者
①立派な人。②賢い人。
―――
本執
もとからの執着・元来の執着。
―――
結句
結局。そのうえ。
―――
身命
肉体と精神からなる生命そのもの。
―――
過去の宿縁
過去世につくった因縁のこと。
―――
開発
開き起こすこと。
―――
本門の肝心
本門の言は迹門を簡び、肝心の言は文上脱迹を簡び、文底種本を顕わす。すなわち肝心肝要というのは文底を指す。
―――
一代聖教の肝心
釈尊一代50年間に説法した経典の最もだいじなところ。妙法蓮華経如来寿量品第16。
―――
三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
―――
説法の儀式の大要
三世の諸仏が説く法の作法の大事な要。
―――
教主釈尊
一代聖教の教主である釈尊のこと。釈尊には六種、蔵教・通教・別教・法華迹門・法華本門・文底独一本門の釈尊があるが、釈尊教主は教法の主導の意で、法華文底独一本門の教主、日蓮大聖人のこと。ただし御文によってまれに、インド応誕の釈迦仏をさす場合もある。
―――
一念三千
衆生の一念の心に三千の諸法を具足するという法門。一念とは一瞬一瞬の生命をいい、三千とは現象世界のすべてを指す。ここの「寿量品の一念三千の法門」とは、法華経本門寿量品において成仏が事実の上で明かされた法門をいう。これは事の一念三千といい、成仏の種子、すなわち妙法のことである。一念三千の法門は法華経に基づき天台大師が摩訶止観に体系化したもの。摩訶止観巻五上に「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已なん。介爾も心有らば、即ち三千を具す」とある。衆生の生命に現象世界のすべてが欠けるところなく具すことをいう。法華経迹門に説かれている十如是の文、本門に至って究竟して説き表された十界互具、三世間等の義を、明鏡として体系付けている。日蓮大聖人は、この天台大師の一念三千を理としてしりぞけ、事の一念三千の当体としての御本尊を具現化し、この御本尊の受持を即、観心とされている。
―――
内証
生命の奥底の悟り。外用に対する。
―――
釈尊一仏
釈迦如来ひとりだけ。
―――
己証
自ら真理・妙理を悟ること。またその悟り自体のこと。「己」はおのれ、「証」はあかしの意味。
―――
諸仏も亦然なり
事の一念三千の法門は、釈尊一仏だけの悟りではなく、諸仏もまた同じ悟りを得ているとのこと。
―――
我等衆生
我等、六道の迷苦に沈む凡夫。
―――
無始
始まりがないこと。無限の遠い昔。
―――
六道生死の浪
凡夫が六道の迷いの世界の中で生死を繰り返すことを浪にたとえている。六道輪廻・六道流転ともいう。六道は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の迷苦の世界のこと。生死は生死の苦しみを繰り返すこと。
―――
久遠実成の一念三千
天台教学における事の一念三千。法華経本門の如来寿量品第16では、開近顕遠が説かれて久遠実成が明かされ、久遠の仏の本果が示されるとともに、その本因としての菩薩道も示され、この本因と本果の常住が明かされた。さらに、久遠の本仏が、九界の衆生の住む娑婆世界の上に現れるという娑婆即寂光が説かれ、真実の国土世間とその常住が明かされた。これによって、一念三千を構成するすべての要素が完備した。これは仏の振る舞いの上に事実として現れている一念三千である。これが天台教学における事の一念三千である。
―――
聴聞
仏の説法を聞くこと。
―――――――――
ここでは、大田氏のために、御守りとして方便品と寿量品の二品を選ばれた理由として、この二品のもつ意義を述べられている。
まず方便品については、法華経二十八品のうち、前半十四品の迹門の要に当たることを述べられ、その理由として仏がここで十如実相という法門を説き明かし、地獄界から仏界までの十界の衆生が、等しく実相すなわち妙法の当体であることが明らかとなり、ここに仏界の仏と九界の衆生との間の断絶がなくなって、だれもが成仏できることが理論的に明かされたこと、そして、この説法を聞いて、舎利弗たちが無明惑を断じて成仏の因位を得たと述べられている。
舎利弗は、それまでの爾前権経では永不成仏とされていた二乗たちの代表である。この舎利弗が未来に華光如来となるとの授記を仏から得るのは譬喩品第三においてであり、さらに、舎利弗以外の声聞たちも次々と未来成仏の授記を得ていくのであるが、そうした法華経迹門の肝要が方便品なのである。
このことに関連して「当時の念仏者・真言師の人人・成仏は我が依経に限れりと……名字計りなるを執する故なり」と、大聖人当時の念仏者や真言師といった人たちが、それぞれのよりどころとする浄土三部経や真言三部経によってのみ成仏は可能であるなどといっている誤りを厳しく指摘されている。
同時に大田氏に対しては「貴辺は日来は此等の法門に迷い給いしかども日蓮が法門を聞いて……有り難し有り難し」と、それまでの、特に真言宗への執着を翻して、大聖人の教え通りに法華経を護持し、自分の身命よりも大事に思うに至ったことについて、不思議の中の不思議であると讃えられ、そのように法華経を大事に思うようになったのは、今世だけの因によるのではなく、過去世の宿縁が開かれたからであろうと述べられている。
次いで、寿量品については「寿量品と申すは本門の肝心なり、又此の品は一部の肝心・一代聖教の肝心のみならず三世の諸仏の説法の儀式の大要なり」と、方便品よりさらに重大な意義があることを述べられている。
その理由として、次に「教主釈尊・寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は三世の諸仏と内証等しきが故なり、但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏も亦然なり」と仰せられている。これは特に、寿量品が三世の諸仏が法を説く儀式の要であるということと関連しているのであるが、寿量品には成仏の根本である事の一念三千の法門が説かれており、この一念三千こそ、釈尊一仏だけではなく三世の諸仏が等しく悟ったものであると仰せられている。
さらに「我等衆生の無始已来・六道生死の浪に……久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり、有り難き法門なり」と仰せられ、無始以来、六道生死の苦海の波に沈没してきた凡夫が、末法の今日において法華経に出あうことができたのは過去に寿量品の事の一念三千の法門を聞いていたからであると結ばれている。
1016:06~1016:11 第六章 華厳・真言の謬見を破すtop
| 06 華厳.真言の元祖.法蔵・澄観.善無畏・金剛智・不空等が釈尊.一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗 07 み取りて本より自の依経に説かざる華厳経・ 大日経に一念三千有りと云つて取り入るる程の盗人にばかされて 末 08 学深く此の見を執す墓無し墓無し、 結句は真言の人師の云く「争つて醍醐を盗んで各自宗に名く」と云云、 又云 09 く「法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域・大日経に説く所の法門を明の分位」等云云、華厳の人師云く「法華 10 経に説く所の一念三千の法門は枝葉・華厳経の法門は根本の一念三千なり」云云、 是跡形も無き僻見なり、 真言 11 華厳経に一念三千を説きたらばこそ一念三千と云う名目をばつかはめおかし・おかし亀毛兎角の法門なり。 -----― 華厳宗や真言宗の元祖である法蔵・澄観や善無畏・金剛智・不空らは、釈尊の一代聖教の肝心である寿量品の一念三千の法門を盗み取って、もともと一念三千を説いていない自宗の依経の華厳経や大日経にも一念三千の法門があるといって取り入れたのであり、このような盗人に騙されて、後代の学者が深くこの見解に執着しているのは、まことに愚かなことである。 揚げ句の果てに、真言宗の人師は「われがちに真言の醍醐を盗んで、それぞれ自分の宗旨に取り込んだ」と、また「法華経に説かれる二乗作仏と釈尊の久遠実成は迷いの辺鄙な領域であり、大日経に説かれる法門こそ悟りの領域である」等といっている。 また、華厳宗の人師は「法華経に説かれる一念三千の法門は枝葉であり、華厳経の法門は根本の一念三千である」といっている。 これらは全く論拠のない間違った見解である。真言経・華厳経に一念三千を説いているのならば、一念三千と云う名目を使えようが、まことに笑うべきことである。それは亀に毛が生じ兎に角が生えているといっているような法門である。 |
華厳・真言の元祖
華厳宗と真言宗の祖師。①華厳宗、法蔵・澄観。②真言宗、善無畏・金剛智・不空。
―――
法蔵
(0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
―――
澄観
(0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
―――
善無畏
(0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
―――
金剛智
(0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
―――
不空
(0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
―――
自の依経
自分の宗派のよりどころとする経典。
―――
華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
―――
末学
①未熟な学問・枝葉の学問②後学の学者・末弟のこと。
―――
真言の人師
真言宗の教導者。
―――
醍醐
五味の一つ醍醐味のこと。①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
―――
二乗作仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
―――
久遠実成
釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
―――
無明の辺域
真言の祖・弘法がその著「秘蔵宝鑰」のなかでいっている言葉。「法身真如一道無為の真理を明かす乃至諸の顕教においてはこれ究竟の理智法身なり、真言門に望むれば是れ即ち初門なり……此の理を証する仏をまた、常寂光土毘盧遮那と名づく、大隋天台山国清寺智者禅師、此の門によって止観を修し法華三昧を得……かくの如き一心は無明の辺域にして、明の分位にあらず」と。すなわち「顕教諸説の法身真如の理は、真言門に対すれば、なお、仏道の初門であって、このような初門すなわち因門は明の分位たる果門に対すれば、無明の辺域にほかならない」という邪義を述べている。
―――
明の分位
悟りを得た仏の境地。
―――
華厳の人師
華厳宗の教導者。
―――
僻見
偏った見方、誤った考え方、見解。僻は偏る・あやまる・よこしま。見は考え方、見方。
―――
真言華厳経
真言経と華厳経。
―――
名目
名前・名称。
―――
亀毛兎角の法門
亀に毛が生じ、兎に角が生えるとの意で、ありえない法門をいう。亀毛は、亀に海藻がまとわりついているのを毛と見間違えたもので、兎角は兎の耳を角と見誤ったもの。一見、似ているが、真実と全く違うものを見誤ることを譬える。
―――――――――
ここでは真言宗と華厳宗が法華経寿量品の一念三千の法門を盗み取ったこと、そればかりでなく、逆に、自分たちの一念三千こそ本物で、法華経の一念三千は〝無明の辺域″〝枝葉〟などと悪口していることを明らかにされ、そのような言い分を鵜呑みにしている人々の愚かさを憐れまれている。
この点については、諸御書に述べられているので詳しくいうまでもないが、真言宗が中国に伝えられ、一念三千のことをいうより約二百年前に天台大師が一念三千法門を法華経の極理として明らかにしていたことを指摘するだけで十分であろう。華厳宗も、一念三千についていい始めたのは、天台大師よりずっとあとの時代になってからである。
最後に、華厳経や大日経に一念三千の名目がないにもかかわらず、末学の人師たちが一念三千の言葉を多用するおかしさを、「亀毛兎角の法門」であると破折されている。
これは語訳に示したように、一見似ているようであるが、全く違っていることを意味している。真言・華厳の僧たちは、真言の経典や華厳経のなかから、一念三千の法門と一見思わせるような言葉を引き出して主張しているが、実体は全く異なったものであるので、こういわれたのである。
1016:12~1016:18 第七章 再び事の一念三千の重要性を示すtop
| 12 正しく久遠実成の一念三千の法門は 前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘させ給いて有りしが本門正宗に至 13 りて寿量品に説き顕し給へり、 此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて 末代貧窮の我等衆生の 14 為に残し置かせ給いしなり、 正法像法に出でさせ給いし論師・人師の中に此の大事を知らず唯竜樹・天親こそ心の 15 底に知らせ給いしかども色にも出ださせ給はず、 天台大師は玄・文・止観に秘せんと思召ししかども末代の為にや 16 止観・十章・第七正観の章に至りて粗書かせ給いたりしかども 薄葉に釈を設けてさて止み給いぬ、但理観の一分を 17 示して事の三千をば斟酌し給う。 -----― まさしく久遠実成の一念三千の法門は爾前経ならびに法華経の迹門十四品まで秘しておられたが、法華経の本門の正宗分である一品二半に至って寿量品に初めて説き明かされたのである。 この一念三千の宝珠を金剛石のように壊れない妙法蓮華経の五字の袋に入れて、末法時代の貧しく苦しんでいる我ら衆生のために残し置かれたのである。 正法時代・像法時代に出現された論師や人師の中で、この大事を知る人はいなかった。だ竜樹と天親だけが心の底では知っていたが、表にはあらわさなかった。 天台大師は法華玄義・法華文句・摩訶止観でも秘そうと思われたが、末法時代のために摩訶止観の十章のうち第七正観の章に至って、ほぼ書き示されたが、少しうわべだけの解釈を施して、そのまま止めてしまわれた。ただ一念三千の理観の一分だけを示して事の一念三千については書き表すのを遠慮された。 -----― 18 彼の天台大師は迹化の衆なり、 此の日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし、 ・ -----― あの天台大師は迹仏に化導されたお弟子である。 この日蓮は、本仏に化導された地涌の菩薩その人であるので、盛んに本門の事の一念三千の法門を広めることができるのである。 |
前四味
五味のうち最後の醍醐味を除く四味のこと。乳味・酪味・生酥味・熟酥味をいう。
―――
法華経の迹門十四品
妙法蓮華経28品のなかの前半14品を迹門という。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。
―――
本門正宗
本門は本地が久遠五百塵点劫成道の本仏として釈尊が説いた法華経後半14品のこと。正宗は正宗分のことで、一経の本論となる部分のこと。
―――
法門三千の宝珠
一念三千を宝の珠にたとえたもの。
―――
妙法五字の金剛不壊の袋
妙法蓮華経の五字を金剛不壊の袋にたとえていったもの。
―――
末代貧窮の我等衆生
末法時代の貧しく卑しい凡夫のこと。貧窮は貧しく生活に苦しむこと。
―――
正法
仏滅後の時代区分である正法時・像法時・末法時の正法時のこと。仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。仏滅後1000年までの期間。
―――
像法
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
―――
論師
阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
―――
人師
人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
―――
竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
―――
天親
天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
―――
心の底に知らせ給い
法華経本門の一念三千の法門を心の中では知ってはいたが、ということ。
―――
色にも出ださせ給はず
外に向かっては説きださなかったということ。
―――
天台大師
(0538~0597)。中国・南北朝から隋代にかけての人で中国天台宗の開祖。智者大師ともいう。父は陳起祖、母は徐氏。姓は陳氏。諱は智顗。字は徳安。幼名は王道。荊州華容県(湖南省)に生まれる。十八歳の時、湘州果願寺で出家し、次いで律を修し、方等の諸経を学んだ。陳の天嘉元年(0560)、北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳大師は初めて天台大師と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。南岳大師は天台大師に普賢道場を示し、四安楽行を説いた。天台大師は南岳大師のもとで修行に励み、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉(善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。陳の宣帝の太建7年(0575)9月、天台山に入山したので、一般に天台大師と呼ばれ、その宗旨を天台宗というようになった。講述は多いが、特に「法華玄義」十巻、「法華文句」十巻、「摩訶止観」十巻の法華三大部は有名である。天台大師は法華玄義・法華文句で法華経の教相を明らかにし、摩訶止観で法華経の極理を一念三千法門としてほぼ明かし、その修行法として一心三観・一念三千の観法を説いた。
―――
玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
―――
文
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
―――
止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
―――
釈
人師が経論を注釈したもの。
―――
理観の一分
理観は諸法の中に本然的にそなわる平等不変の真理を瞑想等によって観ずること。一分は一部分、あるいは本来の姿のこと。
―――
事の三千
生命の本質を十界互具・百界千如・三千世間と開いて、余すところなく説き明かした仏法の極理である。釈尊はこの哲理を法華経とし、天台は摩訶止観で一念三千を体系づけた故に理である。日蓮大聖人は法華経本門寿量品文底に秘沈した三大秘法の南無妙法蓮華経を説かれ、一切衆生成仏の大御本尊を建立されたがゆえに事である。
―――
斟酌
①相手の事情や心情をくみとること。くみとって手加減すること。②あれこれ照らし合わせて取捨すること。③言動を控えめにすること。遠慮すること。
―――
迹化の衆
いまだ本地を明かしていない迹化の化導を受けた弟子たちのこと。天台大師は薬王菩薩の後身として迹化の衆に位置付けられる。
―――
本化の一分
本仏に教化された衆生のこと。法華経従地涌出品第15で出現した地涌の菩薩をさす。一分は一身の側面・その人自身。または多くあるものの一つ。
―――
本門の事の分
法華経本門事の一念三千のこと。
―――――――――
ここでは、寿量品に明かされた久遠実成の事の一念三千の法門が釈尊の一大聖教の究極であるとともに、正法・像法時代でなく末法に広められる大法であることが述べられている。
初めに「久遠実成の一念三千の法門」が釈尊一代の説法の中でも、爾前経や法華経迹門には明かされず、本門の正宗分、その中でも如来寿量品第十六においてのみ明かされたと仰せられている。これは釈尊の仏法の中でも最も究極の法であることを示されるためとともに、真言や華厳の経にもあるなどという邪義を一蹴されているのである。
しかも「此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり」と仰せられ、釈尊は一念三千の法門を寿量品で説き顕したが、それは在世の衆生のためでなく滅後末法の衆生のための法であったことを示されている。
もし、在世の衆生のためならば、いったん寿量品を説き顕したのを「妙法五字の袋」に入れる必要はないはずだからである。
これと同じ趣旨の御文としては、観心本尊抄の結びの「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254-18)があまりにも有名である。ここから、法華経の題号の「妙法蓮華経」が、この一念三千の珠を包んだ「金剛不壊の袋」であることが明らかである。
次にこの「妙法蓮華経」の中に一念三千の宝珠が収められていることを、正法時代に知っていたのは、竜樹・天親だけであったが、彼らは心の奥底で知っていたけれども、外に向かって述べることはしなかった、と指摘されている。
なぜ、知りながら広めなかったかの理由については、時の至らざる故、機にあらざる故、付嘱を受けていなかった故等、諸御書に示されている通りである。
もとより、言葉に出していないのに内心では知っていたなどと、どうしていえるのかといった素朴な疑問が出てくるところであろうが、この点については、竜樹・天親の遺した書を読んだときに、このことを知っていたとしか解釈しようのない文言があちこちにあることから、このようにいえるのであるとだけ述べておくことにしたい。
次いで、像法時代の人師については、中国の天台大師はその三部作である法華文句、法華玄義、摩訶止観の中で、極理である一念三千については秘すことを考えたが、それでも末代の衆生のためを思って摩訶止観の全十章のうち第七章の正観止観章にいたって、あらあら一念三千の法門を書き記した。しかし「但理観の一分を示して事の三千をば斟酌し給う」と述べられている。すなわち、天台大師が明かした一念三千の法門はあくまで凡夫の一念に理として本然的に三千の法数を具えることを観ずる理観の一分にすぎず、事の一念三千はあえて記すことを控えたと仰せられている。
さらにその理由として、次に「彼の天台大師は迹化の衆なり、此の日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし」と仰せられている。
天台大師はあくまでも「迹化の衆」の役割を果たしたに過ぎない、ということである。迹化の衆とは、未だ本地である五百塵点劫の成道を明らかにしていない、言い換えれば本地から垂迹した始成正覚の釈尊に化導された弟子たちのことを指す。天台大師が迹化の薬王菩薩の後身であるとされていることから、ここでは迹化の衆とされたのである。
迹化の衆であるということは、その師である迹仏の法門を超えるわけにはいかない。故に天台大師は、迹仏の立場で説かれた法華経迹門の一念三千、すなわち理観の一分しか説くわけにはいかなかったのである。
これに対して、日蓮大聖人は本地を明らかにした久遠実成の教主釈尊に化導された本化地涌の菩薩の上首・上行菩薩の再誕であられるから、「本化の一分」との立場から法華経本門の事の一念三千の法門をいま盛んに弘通しているのである、と仰せられている。
1016:18~1017:10 第八章 厄を克服する法華の信心促すtop
| 18 然に是くの如き大 1017 01 事の義理の篭らせ給う 御経を書きて進らせ候へば 弥信を取らせ給うべし、 勧発品に云く「当に起つて遠く迎え 02 て当に仏を敬うが如くすべし」等云云、 安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に 而も之を衛護す乃至天の 03 諸の童子以て給使を為さん」等云云、 譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云、 法華経の持 04 者は教主釈尊の御子なれば争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや、厄の年災難を払はん 05 秘法には法華経に過ぎずたのもしきかな・たのもしきかな。 -----― そうであるから、このように大事な法理を含んでいる御経を書いて差し上げたので、ますます信心を深めていきなさい。法華経勧発品に「まさに立ち上がって遠くから迎えて、ちょうど仏を敬うようにすべきである」等、同安楽行品に云く「諸天善神が昼夜に常に法のために法華経の行者を守護する(中略)天の諸の童子が仕えるであろう」等、同経譬喩品に「三界の中の衆生は悉く我が子である」等とある。 法華経を受持する者は教主釈尊の御子であるので、どうして梵天・帝釈・日月・衆星も、昼も夜も、朝も暮れも守らないことがあろうか。厄の年の災難を払う秘法として法華経に過ぎるものはない。まことに頼もしいことである。 -----― 06 さては鎌倉に候いし時は細細申し承わり候いしかども今は遠国に居住候に依りて面謁を期する事更になし、 さ 07 れば心中に含みたる事も使者玉章にあらざれば申すに及ばず歎かし歎かし、 当年の大厄をば日蓮に任せ給へ、 釈 08 迦・多宝・十方・分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり、又又申すべく候。 09 弘安元年戊寅四月廿三日 日蓮花押 10 太田左衛門尉殿御返事 -----― それはとにかく、鎌倉にいた時は細細と話を承わったが、今は遠国の身延に住んでいるのでお会いすることはかなわない。そうであるから心の中に思っていることも使者や手紙でなければ伝えることができない。嘆かわしいことである。 今年の大厄のことは日蓮に任せなさい。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経における御約束が真実か不実かは、厄の年の災難を払えるかどうかによって推し量られるのである。詳しくはまたまた述べることにしたい。 弘安元年戊寅四月廿三日 日 蓮 花 押 太田左衛門尉殿御返事 |
義理
俗語でいう「義理人情」の義理ではなく、教義・法理の意味。宇宙の森羅万象に厳存し、これを動かしているものを法理といい、それを抽象し経文に説いたものを教義という。
―――
信
うそを言わないこと。疑わないこと。帰依すること。信心。
―――
勧発品
法華経普賢菩薩勧発品第28のこと。神力品以下付嘱流通中の自行流通を勧めている。普賢菩薩が東方宝威徳上王仏の国にいて、この娑婆世界で、釈尊が法華経を説くのを聞いて来至し、仏の滅後にいかにしてこの法華経を持つかとの問いに対して、釈尊は四法成就を説いて、法華経を再演したことをあらわしている。
―――
安楽行品
法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。
―――
諸天
諸天善神のこと。法華経の行者を守護する神をいう。梵天・帝釈・八幡大菩薩・天照太神・四天王等の総称。諸天善神が法華経の行者を守護することは、法華経安楽行品に「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す」とある。
―――
衛護
そばにいて守ること。
―――
給使
飲食の世話や雑用をすること。
―――
譬喩品
妙法蓮華経譬喩品第3のこと。迹門・正宗分の中、法説周の領解・述成・授記段・譬説周の正説段の二つの部分からなる。まず方便品の諸法実相の妙理を領解して歓喜した舎利弗に仏は未来世成仏の記莂を与え、劫・国・名号を明かす。次いで、中根の四大声聞に対する説法に入るが、譬喩を主体とするので譬え説周と呼ばれる。そのなかで仏は三車家宅の譬を説いている。この譬えにおける火宅は三界を、また羊・鹿・牛の三車は三乗を、大白牛車は一仏乗の妙理をあらわしており、一仏乗こそ仏が衆生に与える真実の教えであることを述べている。終わりに、舎利弗の智慧でも法華経の妙理を悟ることはできず、ただ「信を以って入ることができる」と、信の重要性を述べ、逆に正法への不信・誹謗の罪の大きさを説いている。
―――
法華経の持者
法華経の経典を受持し修行に励む者。
―――
教主釈尊の御子
一代聖教の教主である釈迦仏の子。
―――
梵天
仏教の守護神。色界の初禅天にあり、梵衆天・梵輔天・大梵天の三つがあるが,普通は大梵天をいう。もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされた「ブラフマン」を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
―――
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――
日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
―――
衆星
多くの星。
―――
災難
思いがけず起こる不幸な出来事。仏教では三災七難に代表される。正法に背き、受持する者を迫害することによって起こるとされる。
―――
秘法
秘密の法門。
―――
鎌倉
①神奈川県鎌倉市のこと。②鎌倉幕府のこと。
―――
面謁
お目にかかること。
―――
玉章
玉梓とも書く。①(便りを運ぶ使者が持つ)梓の杖、またその杖を持つ人。使者。②手紙。文章。③烏瓜。烏瓜の種子。ここでは②の意。
―――
法華経の御約束
釈迦・多宝・十方の諸仏が法華経の会座で法華経の持者を守護すると約束したこと。
―――
実不実
真実であるか真実でないかということ。
―――
花押
模様化された自筆の印のこと。花書・押写・書判・判形などともいう。文書等に印されるもので、文書が自己の意志に基づくことを証明する意味をもつ。署名を草書体に崩すことから始まり、草書体が模様化されたものを草名といい、さらに文字としての形をとどめないほど模様化されたものを花押という。平安時代中期以降、公家、武家、僧侶の間で盛んに用いられるようになった。
―――――――――
前章で法華経こそ成仏の極理を秘めた経であると述べられたことを受けて、この法華経の中の要品である方便品・寿量品の二品を書いて差し上げるのであるから、いっそうの信心に励むよう促されているところである。
特に本抄の冒頭に触れられている大田氏の厄年の病苦について、法華経の中から、普賢菩薩勧発品第二十八、安楽行品第十四、譬喩品第三からそれぞれ一文ずつを引用されている。
普賢菩薩勧発品第二十八の文は、仏が普賢菩薩に、仏滅後、法華経を受持する者の尊さについて説くくだりで、もし法華経を受持する者を見たならば、まさに起って、遠く仏を迎えるように敬うべきことを説いている。大田氏はこの法華経受持の者であり、普賢のみならず、一切の諸天善神・菩薩が敬い守護するのである。
安楽行品第十四の文も、仏滅後において法華経を行ずる者を諸天善神が昼夜にわたって守護することを述べた文である。
譬喩品第三の文は仏が一切衆生にとって主・師・親の三徳を具備していることを説いた中で、仏が一切衆生の親であることを示している。
この三つの文を示して、法華経を受持する大田氏は教主釈尊の子であるから、梵天・帝釈・日月・衆星などの諸天善神がちょうど仏を敬うようにして、昼夜、朝暮に守護してくれるであろうと仰せられ、それ故に、法華経への信心によって厄の年の災難を克服するよう励ましておられるのである。
最後に、大聖人が鎌倉におられたころは大田氏から直接、こまごまと聞くことができたが、今は遠国の身延にいるために、心の中で思っていることも使者や手紙でした伝えることができないので「歎かし歎かし」と、もどかしい気持ちであると述べられつつも、「当年の大厄をば日蓮に任せ給へ、釈迦・多宝・十方・分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり」と仰せられている。
これまでの仰せから拝して、この「日蓮に任せ給へ」とは、大聖人が教えた通りに法華経の妙法への信心を根本に立ち向かっていきなさいとの意であることは明らかである。
最後に、大田氏の大厄が克服されるか否かによって、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が法華経を受持する者を守護するという法華経における約束が真実であるか否かを判断できると仰せられている。
要は、病苦や災難を乗り越える実体験を通して、法華経の正しさは実感できるということであり、「道理証文よりも現証にはすぎず」(1468-16)との大聖人の一貫したお考えがここに拝される。
1018~1018 大田殿女房御返事top
| 1018 大田殿女房御返事 弘安元年九月 五十七歳御作 与大田入道女房 於身延 01 八木一石付十合、 者大旱魃の代にかはける物に水をほどこしては 大竜王と生れて雨をふらして人天をやしな 02 う、 うえたる代に食をほどこせる人は国王と生れて其の国ゆたかなり、 過去の世に金色と申す大王ましましき其 03 の国をば波羅奈国と申す、 十二年が間・旱魃ゆきて人民うえ死ぬ事おびただし、 宅中には死人充満し道路には骸 04 骨充満せり、 其の時大王・一切衆生をあはれみておおくの蔵をひらきて施をほどこし給いき、 蔵の中の財つきて 05 唯一日の御供のみのこりて候いし衆僧をあつめて供養をなし 王と后と衆僧と万民と皆うえ死なんとせし程に 天よ 06 り飲食・雨のごとくふりて 大国一時に富貴せりと金色王経にとかれて候、 此れも又かくのごとし此の供養により 07 て現世には福人となり後生には霊山浄土へまいらせ給うべし、恐恐謹言。 08 九月二十四日 日蓮花押 09 大田入道殿女房御返事 -----― 米一石、穀類十合をつけていただきました。 さて、ひどい日照りの世に渇いたものに水を施したことによって大竜王と生まれて、雨を降らして人界と天界の衆生を養い、飢饉の世に食べ物を施した人は、国王と生まれて、その国は豊かであるということです。 過去の世に金色という名の大王がいました。その国を波羅奈国といいます。十二年の間、日照りが続いて、人民が飢えて死ぬことはおびただしい数にのぼりました。家の中には死人が充満し、道路には骸骨が充満していました。 その時、大王は一切衆生を哀れんで多くの蔵を開いて、たくさんの物を施されました。蔵の中の財物が尽きて、ただ一日分の食べ物だけが残りました。多くの僧を集めて供養をして、王と后と多くの僧と万民がすべて飢えて死ぬという時に、天から飲み物と食べ物が雨のように降って、大王の国は一時に豊かに富んだと金色王経に説かれています。 あなたの御供養もこれと同じです。この御供養によって、今の世には福徳のある人となり、未来の世には霊山浄土へきっと参られるでしょう。恐恐謹言。 九月二十四日 日蓮花押 大田入道殿女房御返事 |
旱魃
長い間雨が降らなかったことによって起こる水不足。ひでり。
―――
竜王
竜の王。八番のひとり、大海の水底にある竜宮に住むとされ、八竜王(難陀・跋難陀・娑羯羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅)をいう。
―――
人天
人界と天界のこと、また、その衆生。人界は人間としてのごく普通な平穏な心・生命状態・境涯。天界は快楽に満ちた境涯。
―――
うえたる代
食料が欠乏して餓死者が出る世の中。
―――
国王
国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。
―――
過去の世
三世の一つで過去世のこと。
―――
金色と申す大王
金色王のこと。釈尊の過去世の姿。金色王経によると、王は人格者で非常に裕福であり、長いあいだ国を安穏に治めていた。ところが、12年ものあいだ雨が降らないことがあった。王は一人の餓死者をも出さないために、全インドの穀物を一か所に集めて、それを全人民に均等に分配しつつ対処したが、11年目を過ぎると穀物は欠乏し、やがて5升の飯だけしかなくなってしまった。そのとき辟支仏・世尊が来て食を求めたので、王は残っていた王の一食分の食事である5升の飯を布施した。そして王や大臣達が餓死する覚悟をしていると、雲が起こり種々の食物が降ってきたという。
―――
波羅奈国
ヴァーラーナシー(vārānasī)の音訳。古代インドの国名。釈尊が成道後、はじめて四諦を説いた鹿野苑はこの国にある。
―――
人民
人々。
―――
一切衆生
すべての生あるものをいう。なかんずく人間をいうが、人種・男女・老幼を問わず、全人類を含む。
―――
蔵
穀物などを保管しておく建物。
―――
施
布施のこと。人に物を与えること。
―――
財
財産。
―――
衆僧
多くの僧侶。
―――
供養
梵語(Pújanā)の訳で、供施、供給、また略して供ともいう。供給奉養の意で、報恩謝徳のために、仏法僧の三宝に、真心と種々の物をささげて回向することである。これに、財と法の二供養、色と心の供養、亊と理の供養、さらに三種、三業、四事、四種、五種、六種、十種等の別がある。財供養とは飲食や香華等の財物、浄財を供養すること。法供養とは、仏の所説のごとく正法を弘め、民衆救済のために命をささげることで、末法の時に適った法供養は三類の強敵・三障四魔を恐れず、勇敢に折伏に励むことである。色心の供養は、この財法の供養と同じである。三業供養とは天台大師の文句に説かれており、身業供養とは礼拝、口業供養とは称賛、意業供養とは相好を想念することとされる。事理供養とは、一往は昔の聖人たちが生命を投げ出して仏道修行した亊供養と凡夫の観心の法門による供養を理供養とする。白米一俵御書には「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すは・なに事ぞと委細にかんがへて候へば・観心の法門なり、観心の法門と申すは・なに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき・雪山童子の身を鬼にたびて候にも・あいをとらぬ功徳にて候へば・聖人の御ためには事供やう・凡夫のためには理くやう・止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」(1596)とある。なおこの供養について最も肝心なことは、正法に対するくようでなければならず、邪法への供養は堕地獄の業因となる。
―――
后
天皇・王候貴族の妻。
―――
万民
すべての人々。
―――
飲食
飲み物よ食べ物。
―――
大国
国土が広い国。国力のある国。
―――
富貴
財物に富み身分が高いこと。
―――
金色王経
東魏の般若流支訳1巻。釈尊が金色王であった時に行じた菩薩行が説かれている。この金色王の話は菩薩本行経にも類似したものがある。
―――
現世
過去・現在・未来の三世のなかの現在。この世、娑婆世界のこと。
―――
福人
福徳のある人。
―――
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
―――
霊山浄土
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――
恐恐謹言
恐れかしこみ申し上げるの意で、手紙の最後に書くていねいなあいさつ語。
―――
花押
文書・手紙が自己の意思に基づくものであることを証明するしるし。
―――――――――
本抄は大田左衛門尉の夫人が米一石と穀類十合の御供養を身延におられる日蓮大聖人に差し上げたことに対する御返事である。
系年は弘安元年(1278)9月24日で、大聖人57歳の御時であられる。なお、本抄の御真筆は現存しない。
内容は、飢饉が起きたときに王宮の蔵の穀物をすべて施したことにより国王が受けた功徳の大なることを説いた金色王経の説話が紹介され、大聖人に供養した大田夫人の福徳がいかに大きいかを述べられて励まされている。
なお、金色王については上野殿御返事にも次のように紹介されている。
「金色王と申せし王は其の国に十二年の大旱魃あつて万民飢え死ぬる事かずをしらず、河には死人をはしとし・陸にはがいこつをつかとせり、其の時・金色大王・大菩提心ををこしておほきに施をほどこし給いき、せすべき物みなつきて蔵の内に・ただ米五升ばかりのこれり、大王の一日の御くごなりと臣下申せしかば・大王五升の米をとり出だして・一切の飢えたるものに或は一りう・二りう・或は三りう・四りうなんど・あまねくあたへさせ給いてのち・天に向わせ給いて朕は一切衆生のけかちの苦に・かはりて・うえじに候ぞと・こえをあげて・よばはらせ給いしかば・天きこしめして甘呂の雨を須臾に下し給いき、この雨を身にふれ・かをにかかりし人・皆食にあきみちて一国の万民・せちなのほどに・命よみかへりて候いけり」(1574-06)
この文は、金色王という王は、その国に12年間にわたる大旱魃があって、万民が飢え死にすること数知れず、川には死人を橋とし、陸には骸骨を塚とするような状態であった。その時、金色大王は大菩提心を起こして大いに布施をされた。布施すべき物が皆尽きて、蔵のなかにただ米が5升ばかり残った。「大王の一日分の御食事です」と臣下が申し上げたところ、大王は5升の米を取り出して、一切の飢えた者に、あるいは一粒・二粒などというようにあまねく与えられた後、天に向かわれて「我は一切衆生の飢えの苦しみに代わって飢え死にするであろうぞ」と声を上げて叫ばれたところ、天はこれを聞かれて甘露の雨を即座に降らされた。この雨が身に触れ顔にかかった人は、皆、食べ物に飽きるほど満ち足り、一国の万民は瞬時のうちに命が蘇ったのである。との意である。
1019~1020 慈覚大師事top
1019:01~1019:03 第一章 法華経に出あえた悦びを述べるtop
| 1019 慈覚大師事 弘安三年正月 五十九歳御作 与大田入道 於身延 01 鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ、 法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく 02 候、 なによりも受け難き人身値い難き仏法に値いて候に 五尺の身に一尺の面あり其の面の中三寸の眼二つあり、 03 一歳より六十に及んで多くの物を見る中に 悦ばしき事は法華最第一の経文なり、 -----― 銭三貫文および絹の袈裟一帖をいただいた。法門のことは秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少々記しておいた。御覧いただきたい。 なによりも受けるのが難しい人身を受け、あうのが難しい仏法にあった。五尺の身に一尺の顔がある。その顔のなかに三寸の眼が二つある。一歳から六十歳に及んで多くの物を見るなかで、悦ばしいことは法華最第一の経文である。 |
秋元太郎兵衛尉
日蓮大聖人御在世当時の門下。下総因幡郡白井庄(千葉市若葉区)の人。文応元年(1260)大聖人が松葉ケ谷法難を逃れて下総中山に行かれた時、化導されたと伝えられる。正応4年(1291)9月17日没。跡地は秋元寺となった。曾谷・太田・富木氏等と親交があった模様。
―――
人身
人間の身体。
―――
仏法
①仏の説いた教法。八万四千の法門・法蔵があるといわれる。②仏が証得した法③仏が知っている法。
―――
五尺の身
昔の日本人の平均的身長をいう。五尺は152㌢にあたる。
―――
一尺の面
日本人の平均的顔の長さ。30.3㌢にあたる。
―――
三寸の眼
日本人の眼の長さ。3.03㌢にあたる。長すぎる感もあるが、一寸(1.01㌢)とする文献(こちらは短すぎる)もある。
―――
法華最第一の経文
釈尊が説いてきたところのさまざまな経の中で法華経が第一であるということ。法華経を説くことこそ、仏の出世の本懐であるという宣言。
―――――――――
本抄は、冒頭に「鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ」と御供養の品々への謝辞がのべられているように、下総の大田入道が身延におられる日蓮大聖人に御供養として銭三貫文と袈裟をお届けしたことに対して、返礼としてしたためられた御手紙である。系年は弘安3年(1280)1月27日で、大聖人57歳の御時に当たる。
その大意は、比叡山延暦寺の第三代座主・慈覚大師以来、真言密教化した日本天台宗の謗法を厳しく破折されている。なお、本抄の御真筆は下総の中山法華経寺に現存する。
まず、御供養の謝辞のあと「法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候」と仰せられ、次に「なによりも受け難き人身値い難き仏法に値いて候に」と、人間としてこの世に生まれて何よりも喜ぶべきことは「法華第一の経文」を見ることができたことであり、その反対に、次章で述べるように「あさましき事」は、この仏の金言が慈覚の邪義によってないがしろにされていることであると、単刀直入に核心をえぐられていく。
法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候
ここで「秋元太郎兵衛尉殿の御返事」と仰せられているのは、本抄を著された弘安3年(1280)1月27日と本抄と同じ日に書かれた、秋元御書をおいて他にないと考えられる。
秋元御書の別名は筒御器抄というが、これは秋元氏が大聖人に筒御器30個などを御供養したことに対する返書の中で、筒御器に寄せて信心の在り方を教えられるとともに、謗法を訶責することの大事さを明かされているからである。
この中に「 種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)と仰せられ、しかるに念仏・禅・真言・律の諸宗は法華経を誹謗し正法をないがしろにしていること、法華経には「最第一」の文があるにもかかわらず、弘法は「第三」と主張し、慈覚・智証は「第二」と貶めていることを取り上げられ、厳しく破折されている。
本抄は、そうした諸宗の邪師の中でも、特に延暦寺第三代の座主慈覚について、その罪の大きさを指摘されているのである。
1019:03~1019:13 第二章 慈覚の誤謬を挙げて破折すtop
| 03 あさましき事は慈覚大師の金剛 04 頂経の頂の字を釈して云く 「言う所の頂とは諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に 頂を以て之れに 05 名づく乃至人の身の頂最も為勝るるが如し、 乃至法華に云く是法住法位と今正しく此の秘密の理を顕説す、 故に 06 金剛頂と云うなり」云云、 又云く「金剛は宝の中の宝なるが如く此の経も亦爾なり諸の経法の中に最為第一にして 07 三世の如来の髻の中の宝なる故に」 等云云、 此の釈の心は法華最第一の経文を奪い取りて 金剛頂経に付くるの 08 みならず、 如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり、 此れ即ち鶴の頚を切つて蝦の頚 09 に付けけるか真言の蟆も死にぬ 法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候、 此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候 10 へ、三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。 -----― あさましいことは慈覚大師が金剛頂経の頂の一字を解釈していった次の言葉である。「いうところの頂とは、諸の大乗の法の中において最勝にして、この上にも超えるものがない故に、頂をもってこれに名付ける。(乃至)人の身の頭頂が最も勝れているようなものである。(乃至)法華に『是の法は法位に住して世間の相常住なり』と、今、正しくこの秘密の理を顕わしている。故に金剛頂というのである」と。また「金剛は宝の中の宝であるように、この経もまたそうである。諸の経法の中に最も第一であって三世の如来の髻の束の中の宝である故に」等とある。 この釈の意味「法華経が最も第一である」という経文を奪い取って金剛頂経に付与するということだけでなく、さらに金剛頂経の頂の一字は、「人の身の頭頂が最も勝れているようなものである」との解釈の意味は、法華経の頭を切って、真言経の頂しているということになる。これは鶴の首を切って蝦の首にすげかえているようなもので、真言経の蟆も死んでしまい、また法華経の鶴の御首も切れてしまったと見える。 この慈覚大師の謗法の釈こそ人身うけた者の凡夫の眼には奇妙に見える。三千年に一度だけ花が開くという優曇花は、転輪聖王だけが見分ることができる。 -----― 11 究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらさんなり、 一乗のかたき夢のごとく勘へ出して候、 12 慈覚大師の御はかは・ いづれのところに有りと申す事きこへず候、 世間に云う御頭は出羽の国・立石寺に有り云 13 云、 いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか、 明雲座主は義仲に頚を切られたり、 -----― 究竟の円満の仏にならない限りは、法華経の御敵は見分けることはできない。しかるに日蓮は一乗の法華経の敵を、夢のように見分けたのである。 そのことについていうと、慈覚大師の御墓は、どこそこにあるということを聞いたためしがない。世間でいっているところによると御首は出羽の国の立石寺にある。そうだとすると、このことは頭と身とは別の場所に有るということか。延暦寺五十五代・五十七代座主・明雲は木曽義仲に首を切られた。 |
慈覚大師
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
―――
金剛頂経
金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
―――
大乗の法
大乗の教法。
―――
無過上
その上に過ぎる者がない。余分に加えることがないということ。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
是法住法位
法華経方便品第2の文。「是の法は方位に住して」と」読む。「是の法」は一乗の法、「方位」は本来住すべき位置。
―――
秘密の理
秘め隠して顕に示されない法理の意で、仏が末だ説くことがなく、仏のみしか知らない深遠の理。
ー――
顕説
顕し、説くこと。
―――
金剛頂
金剛頂経のこと。金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
―――
金剛
①金剛石・ダイヤモンドのこと。古代インドで最も固い金属と考えられたもの。雷電の破壊力を堅牢な金属によるものとみた。②賢劫千仏の法を守る二神で真言宗寺院の左右にある。左を密迹金剛、右を那羅延金剛という。③金剛杵のこと。
―――
最為第一
「最も是れ第一」と読む。
―――
三世の如来
過去・現在・未来の三世に出現する数多くの仏。
―――
髻
頭の上で髪の毛を束ねたもの。
―――
如人之身頂最為勝
金剛頂経疏第1の文。「人の身の頂は最も為れ勝るるが如し」「人の身には頂を最も勝るると為すが如し」等と読む。
―――
法華経の頭
一切経の中で法華経が最も優れていることを人身の頭に譬えたもの。
―――
真言経の頂
真言経は真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経などの真言系の経典の総称で、その頂ということ。
―――
鶴の頚
法華経を鶴の首に譬えたもの。
―――
蝦の頚
真言経をカエルに譬えたその首。
―――
真言の蟆
真言をカエルに譬えていったもの。
―――
眼の不思議
人身を受けた者の眼にとって奇怪なこと。
―――
優曇花
梵語ウドンバラ(Udumbara)の音写「優曇波羅」の略。霊瑞と訳す。①インドの想像上の植物。法華文句巻四上等に、三千年に一度開花するという希有な花で、この花が咲くと金輪王が出現し、また、金輪王が現れるときにはこの花が咲く、と説かれている。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く」とあり、この花を譬喩として、仏の出世に値い難いことを説いている。②クワ科イチジク属の落葉喬木。ヒマラヤ地方やビルマやスリランカに分布する。③芭蕉の花の異名。④クサカゲロウの卵が草木等についたもの。
―――
転輪聖王
インド古来の伝説で武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。七宝および三十二相をそなえるという。人界の王で、天から輪宝を感得し、これを転じて一切の障害を粉砕し、四方を調伏するのでこの名がある。その輪宝に金銀銅鉄の四種があって、金輪王は四州、銀輪王は東西南の三州、銅輪王は東南の二州、鉄輪王は南閻浮提の一州を領するといわれる。
―――
究竟円満の仏
究竟即の位に至り一切の願行を悉く満足した仏のこと。究竟即は天台の立てた六即位の第六で、52位の第52・妙覚位のこと。
―――
法華経の御敵
法華経を誹謗するもの。
―――
一乗のかたき
一仏乗である法華経の敵。
―――
慈覚大師の御はか
慈覚大師円仁の墓はどこにあるかわからないといわれていること。
―――
世間
①世の中・世俗のこと。②六道の迷界のこと。③三世間・有情世間・器世間などのように差別の意をあらわす。
―――
出羽の国
令制国の一つ。東山道に属する。現在の山形県・秋田県。
―――
立石寺
山形県山形市山寺にある天台宗寺院。貞観2年(0860)慈覚の創建による延暦寺の別院。慈覚の遺骸を入れたと推定される棺が収められている入定屈がある。
―――
明雲座主
(~1183)。比叡山延暦寺55.57台座主。弁覚法印から顕教・密教を学び、天台座主・最雲法親王の法を継いだ。仁安2年(1167年)、天台座主に就任した。また、高倉天皇の護持僧や後白河法皇の授戒師を勤めた。さらには、平清盛との関係が深く、清盛の出家に際しその戒師となる。延暦寺の末寺である白山と加賀国の国司が争った事件の責任を問われて天台座主の職を解かれ、伊豆国に配流になるが、途中で大衆が奪還し叡山に帰還する。治承3年(1179)、政変で院政が停止されると座主職に再任され、大僧正に任じられた。以後は平家の護持僧として平氏政権と延暦寺の調整を担うが、平家都落ちには同行せず、延暦寺にとどまった。翌寿永2年(1183)、源義仲が後白河法皇を襲撃した法住寺合戦で義仲四天王の一人である楯親忠の放った矢に当たって落馬、親忠の郎党に首を斬られた。
―――
義仲
(1154年~1184)。源義仲。源氏の武将で義賢の子。幼名は駒王丸。叔父の源行家より以仁王の平氏追討の令旨を伝えうけ、兵をおこした。北陸方面に向かい、寿永元年(1182)に信濃の千曲川で、越後の城長茂を破り北陸を平定した。寿永2年(1183)5月、砺波山、倶利伽羅峠に平維盛の大軍を破った。更に平氏を西へ追い京都に入った。ところが入京後の義仲の悪政および兵士の狼藉により、後白河法皇は頼朝に義仲追討の院宣を下した。これを察知した義仲は11月19日法皇の住んでいた法住寺殿を襲い火を放った。法皇を幽閉し、寿永3年(1184)正月には征夷大将軍となったが、範頼・義経の軍に攻められ、近江の粟津で討ち死にした。時に31歳。
―――――――――
前文においては、人間として生まれた「悦ばしき事」は「法華最第一」の経文であったとされていた。
それに対しここでは、逆に「あさましき事」として慈覚大師の誤謬の解釈に出あったことであると述べられ、次いで、その邪義を破折されている。
まず、慈覚の邪義であるが、それは真言三部経の金剛頂経の「頂」の一字を金剛頂経が諸大乗経の中で最勝であり、最第一であるという。いわば人身の頭頂に当たる“頂点”の意味であると釈していることにあり、それは「法華最第一の経文を奪い取りて金剛頂経に付くる」ことであり、さらにいえば「法華経の頭を切りて真言経の頂とせり」ということになると指摘されている。
そして、その愚かさを「此れ即ち鶴の頸を切って蝦の頚に付けるか真言の蝦も死にぬ法華経の鶴の御頸も切れぬと見え候」と、譬えを用いて破折されている。
すなわち、真実に一切経中最第一である法華経という“鶴の頸”を切って、真言経の“蝦の頚”にすげかえた結果、法華経と真言経の双方とも死んでしまった、と破折されているのである。
さらに「此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ、三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらさんなり、一乗のかたき夢のごとく勘へ出して候」と仰せられている。
ここでは、先に三寸の眼二つによって、法華最第一の経文を見ることの悦びをのべられたのとは対照的に、同じ眼で、慈覚の誤謬の釈を見ることの奇妙さを述べられている。
と同時に、慈覚の釈の誤謬は、仏智に照らしてこそ見抜くことができるのであるとされ、その境地を遠回しに謙遜をこめて自負されている。
すなわち、三千年に一度しか花が咲かないという優曇花を見ることができるのは転輪聖王のみであるように、法華経の敵を見抜くことができるのは究極の悟りを満たした仏のみであるとされた上で、大聖人御自身が慈覚の誤謬の釈を法華一乗の敵と見抜けたことを「一乗のかたき夢のごとく勘へ出して候」と婉曲に述べられている。
次いで「慈覚大師の御はかは・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭は出羽の国・立石寺に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」と説かれて、法華経の頸を切って真言経の頂とすげかえた慈覚の謗法は、慈覚自身の墓の所在が不明なことと、慈覚の頭が身とは別の所にあるという世評から推して、自らの身と頭とが分かれている現証となって厳然と罰の報いを受けていると、仏法の因果律の厳しさを御教示されている。
「明雲座主は義仲に頸を切られたり」との文は、天台宗延暦寺の第55代・第57代の座主である明雲が木曽義仲に殺された史実を挙げられ、慈覚と同じ因果であることを教えられている。
頼基陳状には「人王七十七代・後白河法皇の御宇に天台の座主明雲・一向に真言の座主になりしかば明雲は義仲にころされぬ頭破作七分是なり」(1161-15)と、天台宗でありながら真言の座主のようになった因によって無残な死を迎えたと述べられている。
1019:13~1020:06 第三章 叡山の歴代座主の正邪を検証すtop
| 13 天台座主を見候へば伝教 14 大師は・さてをきまいらせ候いぬ、第一義真・第二円澄・此の両人は法華経を正とし真言を傍とせり、第三の座主・ 15 慈覚大師は 真言を正とし法華経を傍とせり、其の已後代代の座主は相論にて思い定むる事無し、 第五十五並びに 1020 01 五十七の二代は明雲大僧正座主なり、 此の座主は安元三年五月日院勘を蒙りて伊豆の国へ配流、 山僧・大津にて 02 奪い取りて後 治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に 寿永二年十一月十九日義仲に打たれ 03 させ給う、 此の人生けると死ぬと二度大難に値えり、 生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱 04 は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり、所謂大慢ばら門・須利等なり。 -----― 代々の天台座主を見ると、伝教大師は明らかであるから、さて置くとしよう。第一代座主・義真と第二代座主・円澄のこの二人は法華経を正とし真言を傍とした。第三代の座主・慈覚大師は、真言経を正とし法華経を傍とした。それ以後、代々の座主は両方の論議があって、どちらとも定めなかった。 第五十五ならびに五十七の二代の座主は明雲大僧正である。この座主は安元三年五月某日、後白河法皇のお咎めを受けて伊豆の国へ配流されるところ、比叡山の僧たちが大津において奪い返して後、治承三年十一月十九日に再び座主になって、源の右将軍頼朝を調伏した故に、寿永二年十一月十九日、木曽義仲に打たれた。 この人は生きている時死んだ後と二度、大難にあっている。生きている時の難は仏法の定まった習わしであり、聖人・賢人の活気に満ちた盛んな証拠の花である。しかし死んだ後の恥を受ける難は悪人や愚人、また正法を誹謗した人が招く不幸な出来事である。いわゆる大慢婆羅門や須利などとよく似ている。 -----― 05 粗此れを勘えたるに明雲より一向に真言の座主となりて後・今三十余代一百余年が間・一向真言の座主にて法華 06 経の所領を奪えるなり、 -----― ほぼこのことを考えると、明雲から一向に真言の座主となりはてて後、今まで三十余代にわたる百余年の間、一向に真言の座主であって法華経から所領を奪い取ってしまった。 |
天台座主
比叡山延暦寺の貫主のこと。
―――
伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
―――
義真
(0781~0833)伝教大師の跡を継いで比叡山第一の座主となった。相模国(神奈川県)に生まれ、幼少の時から比叡山に登って伝教大師の教えを受けた。中国語が話せたので、伝教大師入唐にも通訳として随伴した。その際、唐の貞元20年12月7日、天台山国清寺で道邃和尚の円頓戒をうけ、竜興寺の順堯から灌頂を受けた。延暦24年(0805)伝教とともに帰朝し、弘仁13年(0822)5月15日、付嘱を受けて山務を総摂し、6月11日、大師滅後7日に迹門戒壇建立の勅許が下り、弘仁14年(0823)月14日、伝教大師が建立した根本中堂、すなわち一乗止観院に延暦寺の勅額をうけ、壇を築くとともに、自ら戒和尚となって円頓大戒を授けた、天長元年(0825)6月23日、比叡山第一の座主となり、天長4年(0828)勅を奉じて円頓戒壇を建立。天長5年(0829)に完成した。その他、叡山の諸堂宇を建立し、天台の宗風宣揚に努めた。天長10年(0833)7月4日、修禅院で53歳寂。著書には嵯峨天皇に奉った「天台宗義集」1巻・「雑疑問」1巻・「大師随身録」1巻等がある。日蓮大聖人は報恩抄に「義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり」(0810-14)と申されている。
―――
円澄
(0771~0836)。平安時代前期の天台宗比叡山第二代座主。俗姓は壬生氏。武蔵国埼玉郡の出身。
―――
正
主となるもの。中心となるもの。
―――
傍
従となるもの。かたわら。
―――
代代の座主
座主は大寺の管長で、それに列する人々。
―――
相論
互いに論争すること。
―――
院勘
上皇・法王などの怒りにふれること。
―――
伊豆の国
現在の静岡県東部・伊豆半島の全域。
―――
配流
罪人を遠隔地に送って移転を禁ずること。律によって定められた五刑のひとつ。鎌倉幕府の法律である御成敗式目の第12条には「右、闘殺の基、悪口より起こる。その重きは流罪に処せられ、その軽きは召籠めらるべきなり」とある。
―――
山僧
①山寺の僧。古来寺院は、山に建てられ、寺号とともに山号をつける習慣がある。②比叡山延暦寺の僧のこと。延暦寺を山門という。③僧が自分をへりくだっていう語。愚僧。
―――
大津
滋賀県琵琶湖畔南岸。古くからの交通の要所。比叡山の裾野にあたる。
―――
源の右将軍頼朝
(1123~1160)。源義朝のこと。平安時代後期の武将。為義の子で頼朝の父。保元の乱の時に、平清盛とともに後白河天皇方に味方して勝利し、崇徳上皇方についた父の為義を斬った。その後、平清盛の進出に不満をもち、藤原信頼と結んで挙兵した。いったんは政権を掌握したが、天皇・上皇ともに内裏を脱出し六波羅に移動したため、一転して賊軍となった義朝は戦に敗れ、東国に逃れる途中、尾張で長田忠致に謀殺された。
―――
調伏
仏に祈り仏力によって、怨敵や魔を降伏することであるが、謗法による調伏は悪い結果をもたらす。
―――
生の難は仏法の定例
生きている時に受ける難は、仏法を修行する者にとっての習わしであるということ。
―――
聖賢
聖人と賢人。
―――
繁盛
活気に満ち盛んなありさま。
―――
悪人
①悪事をなす人。②正法を誹謗する人。
―――
愚人
仏法に無知な人。正法を知らない人。
―――
誹謗正法
謗法のこと。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
―――
大慢ばら門
南インドのマロウバ国の婆羅門。大唐西域記巻十一によると、内外典・暦法等に通じ、国王・国の人々に尊敬されていたが、慢心を起こし、外道の三天と釈尊像を作って高座の四足とし、これに登って、我が徳は四聖に勝れていると説法していた。しかし、西インドからきた賢愛論師との法論に敗れて名声を失い、論師を深く恨み、なおも大乗を誹謗してやまなかったので、大地が裂け、生身のまま地獄に堕ちたという。
―――
須利
法華経誹謗の大罰を受けた人といわれている。須梨槃特の須梨とは別人。
―――
真言の座主
本来は真言宗大寺の貫主のことであるが、比叡山延暦寺座主が真言宗になりさがっていたので、大聖人はこういわれている。
―――
法華経の所領
天台宗は法華経を依経としているゆえに、比叡山延暦寺を法華経の領地という。
―――――――――
ここでは比叡山延暦寺の歴代座主について検証され、第三代の慈覚から乱れが生じたことを明らかにされている。
まず、比叡山天台宗の開祖、伝教大師については「さてをきまいらせ候いぬ」と仰せられ、いうまでもなく明らかなので、その検証の対象から外されている。
次いで「第一義真・第二円澄・此の両人は法華経を正とし真言を傍とせり」とあり、延暦寺の第一代座主の義真と第二代座主の円澄とは法華経を正・真言を傍として、まだ法華経第一の教えを守っていた、と仰せられている。
次の「第三の座主・慈覚大師は真言を正とし法華経を傍とせり」と、それまでの法華経第一としていたものを転倒させて、真言を第一とした慈覚の誤りが、その後の代々の座主の、この点についての乱れの源になったことを指摘されている。
「代代の座主は相論にて思い定むる事無し」と仰せられているように、慈覚の説が全面的に受け継がれたわけではなかったが、なかに法華経が第一ではないかと考えた人がいても、慈覚の権威の前に動揺し、あいまいにされてしまったのであった。
その挙げ句が「第五十五並びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり」とあるように、第55代と第57代の座主を務めた明雲に至って、決定的に比叡山天台仏法の法脈は絶え、延暦寺の座主は真言の座主のようになってしまったと断じられている。
明雲は、第55代座主の時には伊豆の国への配流の命が下され、第57代座主の時には木曽義仲によって首を切られている。
これに対して「生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり」と指摘され、特に、義仲に首を切られて死後に恥辱を被ったことは悪人、愚人、誹謗正法の人を招く災禍であると断じられ、法華誹謗の現証とされている。
1020:06~1020:09 第四章 台密の謗法を結び正法護持を勧めるtop
| 06 しかれば此等の人人は釈迦.多宝.十方の諸仏の大怨敵・梵釈・日月.四天・天照太神.正八幡 07 大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ、我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべし、恐恐。 08 正月二十七日 日蓮花押 09 太田入道殿御返事 -----― だからこそ、これらの人々は釈迦・多宝・十方の諸仏に対して大怨敵であり、梵天・帝釈・日天・月天・四天王・天照太神・正八幡大菩薩の諸天善神の御敵と見える。我が弟子たちよ、この趣旨を銘記して法門を考えなさい。恐恐。 正月二十七日 日蓮花押 太田入道殿御返事 |
釈迦
釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
多宝
多宝如来のこと。東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。
―――
十方の諸仏
十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
―――
怨敵
仏及び仏の正法、またはその修行者に怨をなす敵をいう。謗法の者。
―――
梵釈
大梵天王と帝釈天王のこと。①梵天。三界のうち色界の忉利天にいて、娑婆世界を統領している色界諸天王の通称である。この天は色界の因欲を離れて寂静清静であるという。このうちの主を大梵天王といい、インド神話では、もともと梵王は万物の生因、すなわち創造主とするが、仏教では諸天善神の一つとしている。②帝釈。釈迦提桓因陀羅、略して釈提桓因ともいう。欲界第二の忉利天の主で、須弥山の頂の喜見城に住して、三十三天を統領している。③法華経では、梵天・帝釈は眷属の二万の天子とともに、法華経の会座に連なり、法華経の行者を守護すると誓っている。
―――
日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
―――
四天
四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。
―――
天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
―――
八幡大菩薩
天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
―――
讎敵
「カタキ」と読む。
―――
花押
文書・手紙が自己の意思に基づくものであることを証明するしるし。
―――――――――
「法華最第一」の仏説に背いて、慈覚の唱えた「真言第一・法華第二」の邪義を立てている比叡山の座主は、釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵であり、梵釈・日月.四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵であると断じられている。「法華最第一」は釈迦・多宝・十方の諸仏によって説かれ確認されてきたところであり、この法華最勝の義を説き広める法華経の行者を梵天・帝釈以下の諸天善神は、必ず守護すると誓っているからである。最後に「我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべし」と述べられ、これまで説いてきた台密の座主たちの謗法をしっかりと認識して、法華経第一の法門を明白に銘記すべきことを教示されて、本抄を結ばれている。
1021~1023 三大秘法禀承事(三大秘法抄)top
1021:01~1021:03 第一章 神力品・結要付嘱の文と釈を挙げるtop
| 1021 三大秘法禀承事 弘安四年四月 六十一歳御作 与大田金吾 01 夫れ法華経の第七神力品に云く 「要を以て之を言ば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切 02 の秘要の蔵如来の一切の甚深の事 皆此経に於て宣示顕説す」等云云、 釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等 03 云云、 -----― 法華経の巻七・如来神力品第二十二に「要をもってこれを言えば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆この経において宣示顕説する」等とある。法華文句に「法華経中の要説の要は四事にある」等とある。 |
神力品
妙法蓮華経如来神力品第21のこと。妙法の大法を付嘱するために、10種の神力を現じ、四句の要法をもって地涌の菩薩に付嘱する。別付嘱と結要付嘱ともいうことが説かれている。
―――
如来の一切の所有の法
神力品に「要を以て之を言わば、如来の一切の持つ所の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事は、皆此の経に於て宣示顕説す」とあり、如来一切所有の法を含む四句の要法の付嘱が地涌の菩薩に対して行われ、滅後の弘通が正式に託されたのである。
―――
如来の一切の自在の神力
如来が一切の諸法に対してあらわす自在の神力。五重玄に約せば妙用。三大秘法に約せば本門の戒壇。
―――
如来の一切の秘要の蔵
如来の証得する一切の実相で、秘密に通達している蔵。五重玄に約せば妙体。三大秘法に約せば本門の本尊。
―――
如来の一切の甚深の事
如来が修得する一切の因果。五重玄に約せば妙宗。三大秘法に約せば本門の題目。
―――
宣示顕説
はっきりと説き示し、説き顕わしたこと。
―――
釈
人師が経論を注釈したもの。
―――
経中の要
経のなかの最も重要な部分。
―――
四事
四つの事柄の意。如来神力品第二十一には、釈尊滅後に法華経を如説修行する行者のいる所が、すなわち如来の道場であり、得菩提、転法輪、入涅槃の地であるから、そこにこそ塔を建てるべきであると説いている。これを受けて、法華文句巻十には「上に経巻の所在の処、皆応に塔を起つべしと云う。経中の要説の要は四事に在り。道場は上の甚深の事を釈し、得菩提は上の秘蔵を釈し、転法輪は上の一切法を釈し、入涅槃は上の神力を釈す。此の四要は経文を摂し尽くす。故に皆応に塔を起つべきなり」とある。すなわち、道場、得菩提、転法輪、入涅槃の四事それぞれが甚深、秘蔵、一切法、神力に対応しているとする。つまり、ここでの四事は四句の要法を表している。
―――――――――
初めに、本抄を御執筆された背景と由来、並びに本抄の題号、大意などについて触れておきたい。
本抄は最後に「弘安五年卯月八日」と記されているように、弘安5年(1282)の4月8日、日蓮大聖人御年61歳の時、身延で認められ下総中山の太田金吾すなわち太田五郎左衛門尉乗明に送られた御書である。この年次は御入滅の約半年前ということになる。なお、写本によっては「弘安四年卯月八日」の年月日が記されているのもある。
御執筆の由来については、本抄の最終個所で「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」(1022)と仰せられていることに明らかである。
すなわち、大聖人は前々から大事な法門を心中深く秘めてこれまで明らかにされなかったが、もしそのような大事な法門を書き留めて残しておかなかったなら、入滅後に遺された門下、弟子たちが師の無慈悲を責めるであろうし、そうなっては後悔しても始まらないので、大田金吾に対してこれを書き留めて送ることにした、と本抄御執筆の目的を明らかにされている。そして、大田金吾は、本抄を一見した後は秘して、他人に見せたり、口外してはならないと戒められ、本抄に書き記された法門が極秘の重大事であることを示されている。この御文の意味については、あとで述べることとする。
次に、題号の三大秘法禀承事についてであるが、残念ながら本抄は大聖人の御真筆が伝えられていないので断定はできないが、末尾に「大田金吾殿御返事」とあるように、あくまで書簡の形をとられており、従って、題号は内容に即して後世に付されたものと考えられる。その上で説明を加えると、「禀承」の「禀」とは「命令を受ける」ということであり、「承」とは「うやうやしく持つ」「受け継ぐ」ということである。
本文に「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」と仰せの通り、御本仏・日蓮大聖人が〝二千余年の当初〟に法華経の会座・霊鷲山に於いて地涌の菩薩の上首・上行菩薩として、教主釈尊から直接、三大秘法の法門を末法に弘通するようにとの命令を受け、これを継承した、ということである。
次に、本抄の構成と大意について見ると、次のようになる。
まず、初めに、法華経如来神力品第二十一に於いて、教主釈尊が上行等の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に法華経の大法を四句の要法に結んで付嘱したことを明かす経文を挙げられる。次いで、この神力品の経文に対する天台大師智顗の法華文句巻十下の釈文が引用される。
その後、この神力品の経文と釈の内容をめぐって、六つの問答によって説かれている。
第一の問答では、神力品で示された四句の要法がほかならぬ「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字」の三大秘法であるとして、まず、三大秘法の名目が明かされる。そして、教主釈尊がこの三大秘法を、神力品の儀式を通して、普賢・文殊など迹化の大菩薩ではなく、久遠以来の本眷属である上行等の四菩薩を代表とする本化・地涌の菩薩に付嘱されたことを強調される。
第二・第三・第四の問答を通しては、神力品の付嘱が仏滅後の正法・像法・末法の中では末法に限ることを主として示され、末法においては寿量品の一品に説かれた三大秘法のみが衆生の機根にかなった「出離生死の要法」であることを明らかにされている。
第五の問答では、三大秘法の、本尊、題目、戒壇のそれぞれについて、具体的に説き示される。ここは本抄の中で中心になる段である。次いで、この三大秘法は大聖人が地涌千界の上首として、〝二千余年の当初〟に霊鷲山で教主釈尊より口決相承した法体を、そのまま顕したものであるとの秘奥の内実を明かされるのである。
最後の第六の問答では、一念三千に理と事とがあり、大聖人が末法に広宣流布されるのは事の一念三千であることを示されている。
次いで、前述のように、本抄を大田金吾に書き送られる所以を述べられた後、法華経が諸仏出世の一大事である理由は法華経に三大秘法の法門が含まれているからであると述べられ「秘す可し秘す可し」と重ねて戒められて、本抄を結ばれている。
以上が本抄の概要であるが、本抄については、古来、前述したように御真筆が伝わっていないことから、真書か偽書かをめぐって論議が繰り返されてきた。もとより御真筆が見つからない以上は、これ自体を論議しても最終の決着はつきかねるが、本抄で明かされている内容、すなわち大聖人の法体が三大秘法に帰着することと、三大秘法それぞれの意義内容については、御真筆があり真書であることが確かな他の御書での仰せと合致している。その点については本抄の末尾の段で解説する中で明らかにしていきたい。
さて、本文に入り、まず、法華経の第七巻・如来神力品第二十一の結要付嘱についての経文と同品を釈した天台大師智顗の法華文句巻十下の一文とを引用されているところである。
如来神力品は、教主釈尊が自ら入滅した後の衆生を救うために、出世の本懐である妙法蓮華経の大法を上行菩薩等の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に付嘱したことが説かれたものである。
この品の冒頭、地涌の菩薩たちは釈尊の面前において、仏の滅後に法華経を弘通することを誓う。これに対して、釈尊は梵天にまで届く広くて長い舌を出すなどの十種類の神通力を示した後、これから付嘱しようとする法華経の功徳はこのような不可思議な仏の神通力によっても説き尽くすことができないほど無量であることを述べ、次いで、その広大な法華経の功徳を四つの要点に結んで地涌の菩薩たちに付嘱するのである。
法華経の第七神力品に云く「要を以て……宣示顕説す」等云云
本抄の初めに挙げられた「要を以て之を言ば……」の経文はまさに、法華経の功徳を四つの句に要約して付嘱することを表した文である。
この四句の要法に結んで付嘱することを、天台大師は法華文句巻十下の釈で「結要付嘱」と名付け、数多くの菩薩の中で、特別に本化・地涌の菩薩を選んで付嘱しているので「別付嘱」とも「本化付嘱」とも称するのである。
なお、次品の嘱累品第二十二ではこれに加えて、地涌の菩薩以外の迹化・他方の菩薩たちに総じて付嘱するので「総付嘱」とも「迹化付嘱」ともいって、これと区別している。
今いう、四句の要法とは「如来の一切の有つ所の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事」と経にあるのを指す。
まず、如来の一切の所有の法とは、如来が持っている一切の教法のことであり、如来の一切の自在の神力とは、如来が一切の事柄に通達している故の自由自在な衆生救済の力のことであり、如来の一切の秘要の蔵とは、如来が心に秘めた肝要の教えのことであり、如来の一切の甚深の事とは、如来のすべての甚だ深い振る舞い、実践のことである。
以上の四つがすべて「皆此経に於て宣示顕説す」とある通り、「此経」すなわち、法華経に宣べ示し、顕に説かれていると述べ、この法華経を付嘱するというのである。これが、結要付嘱の内容である。
次いで本文では、この神力品を釈した天台大師の法華文句巻十下の「経中の要説の要、四事に在り」の文が引用されている。
ここでは、この結要付嘱の経文に説かれている四つが「四事」すなわち、語訳に示し、また次にも述べるように、道場・得菩提・転法輪・入涅槃という仏の四つの振る舞いに対応していることを述べている。
ところで、一般的に、引用文の最後に「等云云」とあるのは、さらに経文や釈文が続くことを示されるとともに、時には、その略した文を読む人も知っていることを前提として展開されることを示されている。今、省略された経文の一部を引用してみると、次のようになる。
「是の故に汝等は、如来の滅後に於いて、応当に一心に受持・読誦・解説・書写し、説の如く修行すべし。在る所の国土に、若し受持・読誦・解説・書写し、説の如く修行すること有らば、若し経巻の住する所の処ならば、若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹の下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆な応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏は此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏は此に於いて法輪を転じ、諸仏は此に於いて般涅槃したまう」と。これを現代語に訳すると、次のようになる。 「それ故に、あなたたちは、如来が入滅した後において、まさに心を込めて受け入れ記憶して忘れず、文字を見て音読したり、文字を見ないで音読したり、人々に教えを解りやすく説いたり、書き写したりして、説いてきた通りに修行すべきである。また、どんな国土であっても、受持、読、誦、解説、書写して、説いてきた通りに修行する所であるならば、あるいは法華経の経巻のある所であるならば、そこが園の中であろうと、林の中であろうと、樹の下であろうと、僧院であろうと、在家信者の家であろうと、殿堂のような立派な建物であろうと、山、谷、広野であろうとも、その場所に塔を建てて供養すべきである。その理由は何か。知るがよい。この場所こそそのまま悟りの場所であるからである。仏たちはここで無上の正しい悟りを獲得し、仏たちはここで教えの輪を転じ、仏たちはここで入滅されるからである」となる。
ここでは以上の経文が、結要付嘱の文の後に省略されていることになる。
釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云
天台大師智顗の法華文句巻十下の文の一部である。この箇所は先に紹介した結要付嘱の文の後に続く部分の「若し経巻の住する所の処……皆な応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏は此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏は此に於いて法輪を転じ、諸仏は此に於いて般涅槃したまう」というくだりを釈したところである。
法華文句の原文を引用すると、次のようになる。「上に経巻の所在の処、皆応に塔を起つべしと云う。経中の要説の要は四事に在り。道場は上の甚深の事を釈し、得菩提は上の秘蔵を釈し、転法輪は上の一切法を釈し、入涅槃は上の神力を釈す。此の四要は経文を摂し尽くす。故に皆応に塔を起つべきなり」と。
ここでは、神力品で「経巻の所在の処」すなわち、法華経の経巻の在る所は、たとえ園の中、林の中……などのどこであろうとも、塔を起てて供養すべきであるとし、その理由として挙げられた四つの句こそ法華経の内容を要約して説いたものであり、それらは、仏の振る舞いの四事・得菩提・転法輪・入涅槃のすべてを収め尽くしている、としている。
そして、その四事を四句の要法それぞれに配している。すなわち、「是の処は即ち是れ道場なり」の「道場」が「如来の一切の甚深の事」を釈しているとし、同じく「諸仏は此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得」の「得菩提)」が「如来の一切の秘要の蔵」を、「諸仏は此に於いて法輪を転じ」の「転法輪」が「如来の一切の所有の法」を、「諸仏は此に於いて般涅槃したまう」の「入涅槃」が「如来の一切の自在の神力」をそれぞれ釈している、としている。
ところで、神力品に挙げられた四事は仏が必ずたどる振る舞いの軌跡である。まず、悟りの道場で修行し、そこで成道して無上の正しい悟りを得、次いで人々のために教えを説き、最後に、涅槃に入るのである。
法華経を修行したり、法華経の経巻の在る場所は、そこがどこであれ、如来・仏が修行し、悟り、教えを説き、涅槃に入るという四事を備えている場所であるということは、一切の仏の、一切の振る舞いの根源をなしているのが、この妙法であるという意味である。
1021:03~1021:05 第二章 付嘱の法が三大秘法なるを明かすtop
| 03 問う所説の要言の法とは何物ぞや、 答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を 04 立ちて略開近顕遠を説かせ給いし 涌出品まで秘せさせ給いし 実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒 05 壇と題目の五字なり、 -----― 問う。説くところの要言の法とは何物であるか。答えていう。釈尊が初めて成道して以来、四味三教から法華経の広開三顕一の説法の席を立って、略開近顕遠を説かれた従地涌出品第十五まで秘せられた、諸法の実相を証得したその昔に修行されたところの寿量品の本尊と戒壇と題目の五字である。 |
所説の要言の法
法華経如来神力品第21の「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」の文をさす。
―――
釈尊
釈尊とは通常釈迦牟尼仏をさすが、六種の釈尊がある。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華経本門の釈尊⑥法華経本門文底の釈尊である。⑥を教主釈尊といい、久遠元初の自受用報身如来たる日蓮大聖人である。
―――
初成道
インド生誕の釈尊が、菩提樹下で初めて悟りを成じたこと。
―――
四味三教
四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。
―――
広開三顕一
方便品長行から人記品第九までをいう。すなわち、方便品長行において開示悟入し、仏出世の一大事因縁を説き、次の譬喩品で三車家宅のたとえにより、信解品の長者窮子の譬え、薬草喩品の三草二木の譬えにより開三顕一を説き、授記品を経て化城喩品では化城宝処の譬えを引いて重ねて開三顕一を説き、五百品では、この会にいない一切の声聞に授記を説き、授記を得た五百弟子は繋珠の譬えをあげて仏恩の深重を述べた。次いで人記品では下根の者にも授記を明かした。つまり方便品の長行から人記品に至るまでは、広く三乗を開いて一乗を明かし、法説・喩説・因縁説の手段によって、あらゆる衆生が成仏できることを説いてきたから、広開三顕一というのである。
―――
略開近顕遠
法華経従地涌出品第15で、ほぼ始成正覚という迹の姿を開き、釈尊の久遠の成道を明かしたこと。具体的には、同品で「我は久遠従り来|是等の衆を教化せり」と説いて、釈尊の仏としての寿命が長遠であることをおおよそ明かしたこと。
―――
涌出品
妙法蓮華経従地涌出品第十五のこと。この品より本門に入る。この品の前半で迹化・他方の八恒河沙の大菩薩が娑婆世界の弘教を請うたけれども、釈尊は許されない。そして迹門の大地を破って上行など四菩薩を上首とした本眷属、六万恒河沙の菩薩が出現するのである。これをみて、弥勒等の迹化の菩薩は、仏がいつ、これほどの大菩薩を教化したのであろうかと疑いを起こし、また「父少く、子老ゆ」の喩えを説いて「願わくは今為に解脱したまえ」と請うて、寿量品の説法にはいるのである。
―――
実相証得の当初
一切の事物・事象の真実のすがたを覚知したその昔のこと。実相は一切の万物・万象の不変の妙理のことで、法性・法体・真如などと同義。諸教によって実相の実義に差異があり、法華経では迹門の理の一念三千・本門は事の一念三千を実相とする。証得は会得・体得・悟ること。当初とは一般的には、ある事柄が始まったその時、過ぎ去ったその昔をいう。
―――
修行
仏の教えを守り、行ずること。
―――
寿量品の本尊と戒壇と題目の五字
三大秘法を意味する。本門の本尊と本門の戒壇と本門の題目。成仏の根本法である南無妙法蓮華経を説き広めるに当たり、三大秘法として説き示された。ここでいう本門とは、法華経28品の後半の14品ではなく、大聖人の文底独一本門である。
―――――――――
先の如来神力品第二十一で「要を以って之れを言わば」と述べられている。その法とはいったいどういうものであるのか、という問いが立てられる。
それに答えて「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」と仰せられ、三大秘法こそ、神力品で地涌の菩薩に付嘱された法であることが示されている。この文の上の「夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし」と「実相証得の当初修行し給いし処の」の句はいわば形容句であって、三大秘法が爾前経と法華経迹門には明かされず、寿量品で初めてその存在が裏付けられる甚深の法であることが強調されている。
まず「釈尊初成道より四味三教乃至……涌出品まで秘せさせ給いし」の一句は、釈尊が一代五十年にわたる説法のうち、三大秘法は爾前諸経にも、法華経迹門にも明かされなかったものであるということを述べられている。
あとで明らかになるように、この三大秘法こそ一念三千を事の上に顕されたもので、両者は同じことになるのであるが、開目抄で「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と仰せられているのをはじめとして、大聖人がこれに言及されるときは必ずといってよいほど「爾前経にも法華経迹門にも明かされていない」ことを断られている。このことは観心本尊抄でも「五重三段」をもって明確にされているところである。
次に「実相証得の当初修行し給いし処の」との一句は、これまでの「爾前迹門にはない」ということの裏返しで、「本門寿量品にのみある」ということである。なぜなら「実相証得の当初」とは、釈尊の真実の成道すなわち「実相証得」が久遠五百塵点劫の過去に遡ることを明かしたのが本門寿量品の一品のみだからである。
久遠実成については後に詳しく触れるが、その「当初」とは、従って久遠実成という出来事の初めの時ということで、その時に釈尊は修行して実相を証得し成道したという意味である。
つまり、三大秘法は釈尊をして成仏・成道させた根本原因となった究極の法であることを示されているのである。
四味三教、開三顕一、開近顕遠について
釈尊は成道してから、入滅に至るまでの約半世紀間にわたって、衆生を調機調養し成仏せしめるために、数多くの経教を説いたが、天台大師智顗はこの釈尊の一代説法を、説法の順序によって五味に分け、さらに教えの内容によって化法の四教、教えの形式によって化儀の四教の八教を立てて、法華玄義巻十等に明らかにしている。これを教相判釈という。
本文で日蓮大聖人は天台大師智顗の教判を用いられつつ、法華経迹門、そして従地涌出品第十五までの釈尊の説法の流れをたどられている。
本文で「四味三教」と仰せられているのは「五味」の中の華厳・阿含・方等・般若の四つと、「化法の四教」の中の蔵・通・別の三つである爾前権教を表している。「三大秘法」は、これら爾前権教には全く明かされていないだけでなく、法華経においても、「広開三顕一」が説かれた法華経前半の迹門には明らかにされていない。さらに後半の本門でも「略開近顕遠」が説かれた涌出品の前半にはまだ顕れていないのである。
開三顕一は「三を開いて一を顕す」と読み、法華経の前半、迹門十四品に説き明かされた法門である。三は声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗のことであり、一は一仏乗を表す。その意味は釈尊が爾前において衆生の機根に応じて説いてきた三乗は真実のところ、一仏乗を顕す方便であったことを明らかにするとともに、その一仏乗を明確に顕すということである。そのことによって、すべての人を等しく成仏させることが仏の一大事因縁であるという法華経の根本の主旨が明らかとなったのである。
これに、広と略の二つがある。略開三顕一とは「略三を開いて一を顕す」ということで、法華経方便品第二の前半において、諸法実相・十如是の法門を説くことによって、略して三乗の方便を開いて一乗の真実なることを顕したということである。諸法の実相、すなわち一切の事象の真実の姿は皆、等しく如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等の十種の基本的な在り方を備えているという平等性を説くことで、間接的に、諸法である三乗も、等しく一仏乗に至るための方便であることをほぼ明らかにしたのである。
次いで、広開三顕一とは「広く三を開いて一を顕す」ということである。この場合、「広」とは、幅広い、詳しいという意味である。法華経方便品第二の後半から法華経授学無学人記品第九までの七品半の間に説かれたもので、広く、詳しく、三乗の方便を開いて一乗の真実であることを顕している。ここでは、声聞の弟子たちに未来に成仏するという授記を与えて、特に三乗の区別にとらわれていた声聞の二乗の作仏を説くことで、広く直接的、具体的に、三乗の方便を開いて一乗の真実なることを明らかにしたのである。
以上が法華経迹門十四品の説法の主要な流れであるが、次いで、本門に入って、最初の従地涌出品第十五では略して「開近顕遠」が説かれる。
開近顕遠とは「近を開いて遠を顕す」ということで「近」は近成すなわち始成正覚を指す。始成正覚とは釈尊がインドに出生し厳しい修行によって菩提樹の下で「始めて正覚を成ず」すなわち、正覚に目覚めて成道したことを表す。この立場では、釈尊は成道してまだ何十年しか経っていない、諸仏の中でも最も新来の仏ということになる。これに対し、「遠」というのは遠成のことで久遠実成を指す。久遠実成とは、法華経如来寿量品第十六で説かれるもので、釈尊は実には五百塵点劫という久遠の昔に成道していたということである。
従って、開近顕遠というのは、釈尊が自らの成仏について、始成正覚の立場すなわち、インドの菩提樹下で成道したのは衆生を導くために仮に示した姿であるとして、実は久遠において成仏していたことを顕すとともに、それ以来、ずっと人々を教化し続けてきたことを明らかにしたことである。
これにも広と略の二つがある。「略開近顕遠」というのは「略近を開いて遠を顕す」ということで、法華経涌出品に説かれているのがこれに当たる。この品では上行菩薩等の四菩薩を上首とする六万恒河沙の地涌の菩薩が大地から涌現するのであるが、その出現に疑問を抱いた大衆を代表して弥勒菩薩が釈尊に対して、これらの地涌の菩薩はどのような存在なのか、と質問する。
これに答えて釈尊が「我れは久遠従り来、是れ等の衆を教化せり」と述べたことが、略開近顕遠に当たる。釈尊がこれらの地涌の菩薩たちを久遠以来、教化し続けてきた、ということは、釈尊の成仏が久遠での昔であること、言い換えれば、釈尊の成仏してからの仏寿が長遠であることを間接的に示しているからである。ここから「略近成を開いて久遠成道を顕した」ということになるのである。
これに対し「広開近顕遠」とは、広く、詳しく、直接的に、釈尊自身が成仏について、始成正覚を開いて久遠実成を顕すことで、これは寿量品第十六に明らかにされる。すなわち、「我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」、「然るに我れは実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し」などの文がそれである。
なお、これに関連して「一品二半」の立て方について、天台仏法では仏の久遠の本地が明かされた段ということから「略開近顕遠」を一品二半に含めるが、日蓮大聖人は、いま本文で「略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし」と三秘密の法体を明かしていないという観点から、除外されている。大聖人においては、次の「動執生疑」から一品二半に含めるのである。
実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり
そこで、この久遠五百塵点劫の成道すなわち「実相証得」の時に修行されたのが三大秘法の妙法にほかならないことを示されているのが「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字」との仰せである。
この前の句では「釈尊初成道より……涌出品まで秘せさせ給いし」と仰せられたが、だからといって、ここで「寿量品で明かされた」とはいわれていない。寿量品で明かしているのは久遠の昔に成道したという事実であって、そこで何を、どのように修道したかは示されていない。しかしながら、「我れは本と菩薩の道を行じて」とあり、その成道の因となる修行をしたことは明らかである。そこに、当然なくてはならない修行の法がまさに「三大秘法」即「一念三千」であり、当然、存在するのに明かされていない故に、先に引いた開目抄でも「寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と仰せられているのである。
本抄でも「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」と仰せられているのは、寿量品文上に顕明かされているということではなく、掘り下げていうと「寿量品文底に存在する」の意と拝すべきであり、「本尊」「戒壇」「題目の五字」も、久遠の時に具体的にそうした形で存在したという意味より、久遠において釈尊が修行した戒定慧を、今、末法に日蓮大聖人が具象化したのが、これらの三大秘法であるとの御意と拝される。
1021:05~1021:09 第三章 儀式の荘厳さと付嘱の菩薩を示すtop
| 05 教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや、 され 06 ば此の秘法を説かせ給いし儀式は 四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、 所居の土は寂光本有の国土なり 07 能居の教主は本有無作の三身なり 所化以て同体なり、 かかる砌なれば久遠称揚の本眷属・ 上行等の四菩薩を寂 08 光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、 道暹律師云く「法是れ久成の法なるに由る故に 久成の人に 09 付す」等云云、 -----― 教主釈尊はこの三大秘法を過去・現在・未来の三世に隠れることのない普賢菩薩・文殊菩薩などの大菩薩にも譲られなかった。ましてそれ以下の菩薩においてはなおさらである。だからこの三大秘法を説かれた儀式は四味三教ならびに法華経の迹門十四品に異なっていた。舞台となった国土は常寂光土で本有の国土である。そこに居る教主は本有無作の三身如来である。弟子もまた同体である。このような場合であるから、久遠以来、仏とその久遠の妙法を誉め称えてきた本眷属である上行菩薩等の四菩薩を常寂光土の大地の底からはるばると呼び出して付属されたのである。道暹律師は「法はこれ久遠実成の法による故に久遠実成の本化の菩薩に付嘱する」等といっている。 |
教主釈尊
一代聖教の教主である釈尊のこと。釈尊には六種、蔵教・通教・別教・法華迹門・法華本門・文底独一本門の釈尊があるが、釈尊教主は教法の主導の意で、法華文底独一本門の教主、日蓮大聖人のこと。ただし御文によってまれに、インド応誕の釈迦仏をさす場合もある。
―――
秘法
秘密の法門。
―――
三世
過去世・現在世・未来世のこと。三世の生命観に立つならば、生命の因果の法則は明らかである。開目抄には「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231-03)とあり、十法界明因果抄には「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり」(0432-12)とある。
―――
普賢
普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
―――
文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
―――
儀式
決まりに従って行う作法。仏事・行事・祭事など。
―――
迹門十四品
垂迹仏が説いた法門の意で法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
―――
所居の土
住んでいる国土。
―――
寂光本有の国土
仏の住む常寂光土・仏国土。
―――
能居の教主
能居は居住する主体で仏・菩薩・二乗などのこと。教主は教法を説く主導者。それぞれの教法にはそれぞれの教主がいる。
―――
本有無作の三身
本有とは、久遠から常住していること。無作はもとからそなわっていて他によって作られたものでないということ。三身は一切衆生に本来そなわっている無作常住の法・報・応の三身をいう。無作三身と同意。本有とは修正または修成に対する語で、本来ありのままに存在するもののこと。法身は所証の真理、報身は能証の智慧、応身は衆生に慈悲を施す力用をいう。この三身如来を修行によって顕現することを譬えて膚を磨くという。
―――
所化
能化に対する語。弟子のこと。能化を受ける人、化とは教化の義であり、教化する人を教化といい、教化される人を所化という。所とは能動に対して受け身の意味を持つ。仏に対して一切衆生を所化という。
―――
砌
本来は水限といい、雨だれが落ちた所を限る意。転じて①軒下の敷石。②庭。③ところ。場所。④時。折。ころ。時節。場合。ここでは④の意。
―――
久遠称揚の本眷属
久遠以来、仏の弟子として仏と久遠の法を称揚してきた、もともとの眷族の意。
―――
上行等の四菩薩
地涌の菩薩の上首である上行、無辺行、浄行、安立行の四人の菩薩のこと。釈尊が滅後末法の弘教を勧める呼びかけに応えて、従地涌出品第十五で、迹化・他方の諸菩薩が発願したが、釈尊はこれを退け、本化の菩薩を召しだし、如来神力品第二十一で地涌の菩薩に妙法蓮華経を結要付嘱し末法弘通を託した。従地涌出品第十五には出現のありさまを次のように説いている「爾の時、仏は諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、『止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ。所以は何ん、我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り、一一の菩薩に、各おの六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等は、能く我が滅後に於いて、護持し読誦し、広く此の経を説かん』と。仏は是れを説きたまう時、娑婆世界の三千大千の国土は、地皆な震裂して、其の中於り無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり。是の諸の菩薩は、身は皆な金色にして、三十二相・無量の光明あり、先より尽く娑婆世界の下、此の界の虚空の中に在って住せり。是の諸の菩薩は、釈迦牟尼仏の説きたまう所の音声を聞いて、下従り発来せり。一一の菩薩は、皆な是れ大衆の唱導の首にして、各おの六万恒河沙の眷属を将いたり(中略)是の菩薩衆の中に、四導師有り。一に上行と名づけ、二に無辺行と名づけ、三に浄行と名づけ、四に安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」
―――
寂光の大地の底
地涌の菩薩の住処。寂光は真実の智慧の光明で、常寂光土の意。法華文句巻九下には「住処とは常寂光土なり(中略)下方とは法性の淵底、玄宗の極地、故に下方と言う」とある。
―――
付属
付嘱とも書く。仏が弟子に教法の弘通を託すこと。嘱累ともいい、相承、相伝と同義。付嘱は付与嘱託の意。付は物を与えること。嘱は事を託すこと。付嘱の種類は総付嘱・別付嘱・守護付嘱などがある。
―――
道暹律師
生没年不明。中国・唐代の天台宗の僧。天台県(浙江省)の人。大暦年間(0766~0779)長安に来て盛んに著述を行ったという。妙楽大師の法華文句記を注釈した「法華文句輔正記」十巻などを著した。
―――
法
①ダルマ(dhamma)。法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨、達摩、曇摩、曇無などとなり、通常は「法」と訳されている。②四念処の一つ、身念処のこと。諸法は無我であると観察する。諸々の法には、本質的な主体(我)というものは存在しないことを観察する。意識の対象を観察する。 私は真理について考えている、私は真理に基づいて考えている、私は煩悩について考えている、私は煩悩に基づいて考えている、私は真理に基づいて想像している、私は煩悩に基づいて想像している、これら意識の対象について観察する。
―――
久成の法
久遠実成の法のこと。釈尊は寿量品で五百塵点劫成道を明かすが、その時証得した法をいう。文底からみれば、久遠元初自受用法身如来の所有の法、南無妙法蓮華経。
―――
久成の人
久遠実成の人のこと。釈尊は寿量品で五百塵点劫成道を明かすが、この久遠以来化導してきた弟子が地涌の菩薩であるゆえに、本化地涌の菩薩を久成の人という。
―――――――――
ここでは、三大秘法が甚だ深い大事な法である故に、それが説かれた儀式も荘厳であり、その弘教の使命も久遠以来の本眷族である地涌の菩薩に委託されたことを述べられている。「此の秘法」すなわち、前文で明らかにされた寿量品文底の三大秘法を、「三世に隠れ無き普賢文殊等」すなわち、過去、現在、未来の三世にわたって広く知れ渡っている普賢菩薩や文殊菩薩などの大菩薩にも付嘱しなかったのであるから、ましてや、それより低い位の菩薩に委託するわけがないと述べられている。
普賢菩薩は東方の国土から釈尊の化導を助けるために来至したとされ、文殊菩薩は「釈尊九代の御師と申すがごとし」(0208-10)とあるように、いずれも釈尊のインド出現より以前の遠い昔から、大菩薩として活躍してきたとされる。しかしながら、久遠の釈尊からすれば、かつて自らが垂迹して出現した「迹仏」の眷族であり、法華経序品の時には不思議な瑞相に驚く弥勒に文殊が答えるなど、その菩薩の境地の違いをみせているが、本門での地涌の菩薩の出現については、とうてい計り知ることはできないでいる。
久遠本仏の本眷族でないこれらの菩薩は、久遠本仏の法を説くだけの力がない。これは、少し次元の異なる譬えになるが、物理学の教授が、物理学を学んでいない他の学科の学生に物理学を教える資格を授けるわけにはいかないのと同じである。仏法の場合は、分野の違いというより深さの違いであるが、原理は同じといえよう。
そこで「されば此の秘法を説かせ給いし儀式は」以下「所化以て同体なり」まで、この三大秘法の甚深の法が説かれた儀式の特異性が述べられている。いうまでもなく、具体的に法華経に即していうと、前述したように、法華経の虚空会の儀式のなかでも一品二半であり、特に寿量品の説法をいわれている。
法華経の会座は二処で三会が行われる。二処とは霊鷲山と虚空の二つの説法場所を指し、三会とは初めの霊鷲山での会座、虚空での会座、後の霊鷲山での会座第二十三から普賢菩薩勧発品の三つの会座を指す。
虚空会の儀式は見宝塔品第十一から始まるので、本門・迹門の立て分けからいえば、迹門の残り三分の一が虚空会に入るのであるが、この部分、つまり、見宝塔品第十一、提婆達多品第十二、勧持品第十三、安楽行品第十四の四品の特徴は、それまでの方便品第二から人記品第九までがもっぱら在世の弟子である声聞を対象として二乗作仏を説くことに焦点が置かれていたのに対し、菩薩を対象に釈尊滅後の法華経弘通を勧めることに主眼がある。しかし、安楽行品までは、釈尊の立場はあくまでインドに応誕し菩提樹下で成道した始成正覚の仏であり、久遠の仏としての立場は全く触れられてもいない。
従地涌出品第十五で、滅後の弘教を菩薩たちが誓ったのを釈尊が真っ向から排斥し、それに呼応するように地涌の菩薩が現われ、この地涌の菩薩を見て疑問を起こした弥勒菩薩らに対し「これは私が久遠の昔から教化してきた弟子である」と釈尊が答える。
ここから、釈尊の成道が、インド出現後のことでなく、久遠の昔であることが、間接的に明らかになったのであるが、本格的に久遠成道を明かすのは、如来寿量品第十六に入ってである。
いずれにせよ、寿量品で、久遠成道以来「我れは常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」と明かされたことから、本文に「所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり」と仰せのように、住している娑婆世界即国土も「寂光本有の国土」、ここに住している能居の教主も「同体」すなわち「本有無作の三身」である。仏になるための因行は「本因」、仏の果徳は「本果」、娑婆世界は「本国土」で、三妙が合論されているのであり、これは、説かれる法が久遠の妙法だからである。
寿量品において、この「本因」「本果」「本国土」の久遠常住が顕れていることが、「三秘密の法」の説示とつながっている。「本果」は仏道を成就した仏身である故に本門の教主釈尊である「本門の本尊」、「本因」は仏果を目指しての修行する立場であるから修行の根本である「本門の題目」、「本国土」はこの仏とその眷属の衆生とが住する場であるから「本門の戒壇」になるのである。すなわち「三秘密の法」は、教主釈尊が久遠成道の当初に受持し、成道の根源となった「戒定慧の三学」の体であるが、ひるがえって、この本門の儀式をみると、儀式自体に三秘密の法が仏と衆生と国土として顕れているのである。
「かかる砌なれば……」に始まる後の御文は、三大秘法の法門がそれにふさわしい久遠以来の本眷属である地涌の菩薩に付嘱されたことを強調されている。
まず「かかる砌なれば」と仰せの「砌」とは「その時」や「その場合」を意味する言葉で、前の文を受けて、久遠成道の根源の法が明かされたので、ということである。
もとより、法華経説法の中での順序からいえば、地涌の菩薩が出現して後に、仏の久遠の本地が明かされたのであって、久遠の本地を顕してから、この久遠の法を付嘱するために地涌の菩薩を召し出したのではない。ただし、付嘱の儀式は、後で行われたことから、「久遠称揚の本眷属・上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う」と仰せられたと考えられる。ここで「久遠称揚の本眷属」というのは、久遠以来、この妙法を称揚してきた釈尊本来の弟子のことで、本化・地涌の菩薩のことであることはいうまでもない。久遠五百塵点劫の昔に成道した釈尊によって教化されてきた上行等の四菩薩を代表とする地涌の菩薩でなければ、釈尊の久遠成道の根源である妙法を説き広めることは不可能だからである。
「寂光の大地の底よりはるばると召し出して」との仰せの文は、地涌の菩薩の「地涌」ということを、召し出した教主釈尊の立場から述べられたものである。
寂光の大地とは、前述のように、教主釈尊の真智の光が照らし出した大地のことで、即、娑婆世界のことである。その「底」とは娑婆世界の下方の虚空を指すことは、従地涌出品第十五の一節からも明らかである。
こうして、教主釈尊が地涌の菩薩を召し出して三大秘法の法門を付嘱したことを説かれた後、道暹律師の法華文句輔正記からの一文を引用されて裏付けとされている。「『法是れ久成の法なるに由る故に久成の人に付す』等云云」の文である。
「久成の法」とは久遠実成の法、言い換えれば、教主釈尊が久遠五百塵点劫において成道した時に証得した真理・理法のことで、妙法を指す。また、「久成の人」とは久遠実成の教主釈尊によって久遠以来教化されてきた地涌の菩薩を指す。教主釈尊が証得した妙法は久遠において悟ったものである以上、当然のことながら、地涌の菩薩に付嘱されなければならない、というのがこの引用文の内容である。
所居の土は寂光本有の国土なり……所化以て同体なり
この文の表す内容と同趣旨の御文が観心本尊抄にも説かれている。
「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う」(0247-12)とある。
本文の「所居の土は寂光本有の国土なり」という文は「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」の文に当たり、本文の「能居の教主は本有無作の三身なり」という文は「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」との文に当たり、「所化以て同体なり」の文は双方で同一である。
ただし、日寛上人は観心本尊抄文段下において、上の文の「今本時の娑婆世界……時機未熟の故なるか」までの文を「本門脱益の本尊を明かす」段落であるとし、「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては……」の文を「文底下種の本尊を明かす」段落としている。
久遠の成道の根源である妙法は、久遠常住の仏と衆生と国土という儀式を通じて説かれたのであり、儀式の姿は法華経文上に顕れているが、法体は文底に秘沈されている故である。ただし、この文底の妙法を知って、この儀式を見れば、この儀式の「因」「果」「国」が三大秘法を顕している、ということになるのである。
1021:09~1022:06 第四章 三大秘法が末法弘通の法なるを証すtop
| 09 問て云く其の所属の法門仏の滅後に於ては何れの時に弘通し給う可きか、 答て云く経の第七薬王 10 品に云く 「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、 謹んで経文を拝見し奉る 11 に仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳・闘諍堅固・白法隠没の時云云、 問て云く夫れ諸仏の慈悲は天月の如し 12 機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給べき処に 正像末の三時の中に末法に限ると説き給わば 教主釈尊 13 の慈悲に於て偏頗あるに似たり如何、 答う諸仏の和光・利物の月影は九法界の闇を照すと雖も 謗法一闡提の濁水 14 には影を移さず正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり、 像法一千年には法華経の迹門・機感相応せり、 15 末法の始の五百年には法華経の本門・前後十三品を置きて只寿量品の一品を弘通すべき時なり機法相応せり。 -----― 問うて言う。その所嘱された法門は仏の滅後においては、いずれの時に弘通されるべきか。 答えて言う。法華経の第七巻薬王品第二十三に「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶させてはならない」等とある。謹んで経文を拝見すると、仏の滅後において正法千年・像法千年の二千年が過ぎて、第五の五百歳に当たり、闘いや諍いが盛んになり、釈尊の教法の功力が失われた時、とある。 問うて言う。もろもろの仏の慈悲は天月のようである。衆生の機根の水が澄むと、それを縁として利益の影をあまねくすべての機根の水に映されるはずである。それなのに正法・像法・末法の三時の中に末法に限ると説かれるのは、教主釈尊の慈悲に偏りがあるようであるが、どうであろうか。 答える。もろもろの仏の慈悲の光、衆生を利益する月影は九界の闇を照らすけれども、正法を謗り信じない者の濁った水には月影を映さない。正法時代一千年の衆生の機根の前にはただ小乗教や権大乗教が合致していた。像法時代の一千年には法華経の迹門が衆生の機根と仏の感応が相応している教えであった。末法の始の五百年には法華経の本門のうち、前後の十三品を差し置いてただ寿量品の一品を弘通すべき時である。衆生の機根と教法が相応しているからである。 -----― 1022 01 今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳・機尚堪えず況や始めの五百年をや、何に況や正法の機は迹門・尚日 02 浅し増して本門をや、 末法に入て爾前迹門は全く出離生死の法にあらず、 但専ら本門寿量の一品に限りて出離生 03 死の要法なり、 是を以て思うに諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云、 問う仏の滅後正像末の三時に於て本化・ 04 迹化の各各の付属分明なり 但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず 慥に経の 05 現文を聞かんと欲す如何、 答う汝強ちに之を問う聞て後堅く信を取る可きなり、 所謂寿量品に云く「是の好き良 06 薬を今留めて此に在く汝取て服す可し差じと憂うる勿れ」等云云。 -----― 今、この法華経本門の寿量品の一品は、像法時代の後の五百歳の機根でさえ堪えることができない。まして像法時代の始めの五百年はなおさらである。いかにいわんや正法時代の機根は法華経迹門になお日が浅く堪えられない。まして本門においてはなおさらである。末法時代に入って爾前経・法華経迹門は全く生死の苦しみから離れる法ではない。ただ専ら法華経本門の寿量品の一品だけが生死の苦しみから離れる肝要の法である。このことから思うと、もろもろの仏の化導に全く偏りはない。 問う。仏の滅後、正法・像法・末法の三時において本化の菩薩と迹化の菩薩へのそれぞれの付属は明らかである。ただ寿量品の一品のみが末法の濁悪の衆生を利益するという経文は未だ明らかでない。確かに経に現われている文証を聞きたいと思うが、どうか。 答える。あなたは強いてこれを問うのなら聞いて後、堅く信じるべきである。いわゆる法華経如来寿量品第十六に「この好き良薬を今留めてここに置く。汝、取って服しなさい。病が治癒しないと憂えてはいけない」等とある。 |
所属の法門
付嘱された教法。
―――
仏の滅後
釈尊が入滅した後。
―――
弘通
弘宣ともいう。教えを弘めること。
―――
後の五百歳
法華経薬王品第二十三にある。天台はこれを大集経の五五百歳と対照し、第五の五百歳であるとした。末法の初めであり、闘諍堅固の時。大集経第五十五に「我が滅後に於て五百年中は、諸の比丘等、猶我が法に於いて解脱堅固なり。次の五百年は、我が正法の禅定三昧堅固に住するを得るなり。次の五百年は、読誦多聞堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於いて多くの塔寺を造りて堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於いて闘諍言訟し白法隠没し損減して堅固なり」と定めている。
―――
閻浮提
一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
―――
広宣流布
仏法を広く宣べ流布すること。
―――
断絶
絶えてなくなること。
―――
正像二千年
仏滅後、正法時代1000年間と像法時代1000年間のこと。正法とは仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。像法とは正法時代の次に到来する時代。像は似の義とされ、形式化して正しい教えが失われていく時代。
―――
第五の五百歳
釈尊の仏法の滅後の荒廃を500年ごとの五つに区切った第五。仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代。末法の初めの500年。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経が興る時代。上行菩薩を筆頭に地涌の菩薩が出現する時代。
―――
闘諍堅固・白法隠没
大集経巻55で、釈尊滅後の時代を500年ごと五期に区切って、仏法流布の時代的推移を明かしたものの第五。仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代。南無妙法蓮華経の大白法が興る時代。
―――
慈悲
一切衆生を慈しみ憐れむこと。大智度論巻27には、「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く。大慈は喜楽の因縁を以って衆生に与え、大悲は離苦の因縁を以って衆生に与う」とあり、慈を与楽、悲を抜苦の義としている。また涅槃経では一切衆生の無利益なるものを除くことを慈とし、無量の利益を与えることを悲としている。
―――
天月
天にある月。実体の月である。本門を意味する。
―――
機縁の水
衆生に善の機根があって、仏の教えを受ける縁にめぐりあうこと。この機縁を水に譬えている。
―――
利生の影
仏の慈悲が一切衆生を利益すること。天の月が万水に浮かべる影に譬えた語。利生とは衆生利益の略。衆生を利益すること。
―――
万機の水
あらゆる衆生の機根。この機根を水に譬えたもの。
―――
正像末の三時
釈迦入滅後における仏の教えの行われ方を3期に分かった正法時,像法時,末法時を正像末三時といい,あるいは略して正像末とも三時ともいう。正法時とは仏の教法と修行者と証果との三つが整った時期であり,像法時とは証果をうることはできないが,教法と修行の両者がなお存在して,相似の仏法が行われる時期であるのに対し,末法時とは教法だけがあって修行も証果もない仏教衰微の時期をいい,その後に教法さえもない法滅の時期に入るという。
―――
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
―――
偏頗
偏っていて公平でないこと。
―――
和光
穏やかな光。光の威光を和らげること。
―――
利物の月影
利物は衆生を利益することで、月の光にたとえている。
―――
九法界の闇
十界のうち仏界を除く地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩を九法界といい、迷いの境涯・生死の苦悩に沈む衆生ゆえに闇という。
―――
謗法一闡提の濁水
「謗法」とは、誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。「一闡提」とは、梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写。一闡底迦とも書き、断善根・信不具足と訳す。仏の正法を信ぜず、成仏する機縁をもたない衆生のこと。濁水は謗法に犯された濁った水。
―――
正法一千年の機
仏滅後の時代区分である正法時・像法時・末法時の正法時の1000年間。仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。すなわち、小乗教・権大乗教にかなっている機根ということになる。
―――
小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
―――
権大乗
大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
―――
像法一千年
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
―――
迹門
本門の対語で、垂迹仏が説いた法門の意。法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
―――
機感相応
衆生の機と仏の感が合致するということ。
―――
末法の始の五百年
法華経薬王品第二十三にある。天台はこれを大集経の五五百歳と対照し、第五の五百歳であるとした。末法の初めであり、闘諍堅固の時。大集経第五十五に「我が滅後に於て五百年中は、諸の比丘等猶お我が法に於て、解脱堅固なり、次の五百年は、我が正法の禅定三昧堅固に住するを得るなり。次の五百年は、読誦・多聞堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於て、多くの塔寺を造りて、堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於て闘諍・言訟し白法隠没し損減して堅固なり」と定めている。
―――
本門
仏の本地をあらわした法門のこと。迹門に対する語。法華経28品を前後に分け後14品を本門とする。迹門は諸法実相に約して理の一念三千を説き、本門では釈尊の久遠実成の本地を明かし、因果国に約して仏の振舞の上から事の一念三千が示されている。また本門の中心となる寿量品では、釈尊は爾前迹門で説いてきた始成正覚の考えを打ち破って、実は五百塵点劫という久遠の昔に常道していたことを説き、成道の根本原因、本因・本果・本国土の三妙を合わせて明かし、成仏の実践を説いている。
―――
前後十三品
法華経本門14品のうち、如来寿量品第16を除いた13品。
―――
寿量品の一品
妙法蓮華経如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
―――
機法相応
衆生の機根と仏の説く教法が合致していること。
―――
本門寿量の一品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
―――
像法の後の五百歳
仏滅後の仏教の興廃を五つの500年に区切った第四の500年。多造塔寺堅固の時代をいう。この時代は中国において天台大師の法華経迹門の流布があり、日本では伝教大師の発願によった法華経迹門の戒壇が建立されている。
―――
機
説法を受ける所化の衆生の機根。
―――
正法の機
仏滅後の時代区分である正法時・像法時・末法時の正法時の1000年間。仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。すなわち、小乗教・権大乗教にかなっている機根ということになる。
―――
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
―――
爾前
爾前経のこと。爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
―――
迹門
本門の対語で、垂迹仏が説いた法門の意。法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
―――
出離生死の法
生死を出離すること法のこと。生死は苦しみ・煩悩・迷いのこと。出離は迷い・苦しみを明らかにしていくこと。三界六道の迷いや苦しみから出で離れ、涅槃・菩提の境地に至ること。生死即涅槃と同義。南無妙法蓮華経をさす。
―――
化導
仏道に入らしめるため衆生を教化し導くこと。
―――
仏の滅後
釈尊が入滅した後。
―――
正像末の三時
釈迦入滅後における仏の教えの行われ方を3期に分かった正法時,像法時,末法時を正像末三時といい,あるいは略して正像末とも三時ともいう。正法時とは仏の教法と修行者と証果との三つが整った時期であり,像法時とは証果をうることはできないが,教法と修行の両者がなお存在して,相似の仏法が行われる時期であるのに対し,末法時とは教法だけがあって修行も証果もない仏教衰微の時期をいい,その後に教法さえもない法滅の時期に入るという。
―――
本化
本仏に化導されること。
―――
迹化
迹化の菩薩のこと。本化の菩薩に対する語。釈尊が三十成道して以来、華厳・阿含・方等・般若の爾前経および法華経迹門において化導された菩薩。
―――
分明
明らかに分かるさま。はっきり見極めがつくこと。
―――
末法濁悪の衆生
末法の濁った悪い衆生のこと。
―――
経文
仏が説いた諸経説のこと。釈尊の一切聖教。
―――
現文
明らかに現れている文・文証。
―――
是の好き良薬
法華経如来寿量品第16の「是好良薬」の文をさす。良薬は本門の本尊をさす。
―――――――――
ここでは、地涌の菩薩に付嘱された三大秘法の法門が、仏滅後の時代区分である正法・像法・末法のうち、末法にのみ弘通されるべきであることを三つの問答を通して明らかにされている。
まず、第一の問答では、「其の所属の法門」、すなわち、地涌の菩薩に付嘱された三大秘法の法門は仏の滅後でも、どの時期に弘通すべきであるのかとの問いが立てられる。
その答えとして、初めに法華経の第七巻・薬王菩薩本事品第二十三の「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむること無かれ」という一節を略して引用されている。その意味は「私の入滅の後、後の五百年を経過した後に、この全世界に広く流布させ、断ち切れることのないようにしなさい」というものである。
次いで、この経文を受けて、「仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳・闘諍堅固・白法隠没の時云云」と、三大秘法の法門が弘通されるべき「時」は仏滅後「第五の五百歳」すなわち、末法の初めであると断じられている。これは薬王品における指示を大集経の五五百歳の教説によって照合されたのである。
同経では、仏滅後の時代を、五百年ずつ、五つに区切って示している。第一の五百年の解脱堅固は正法が盛んなため解脱を体得する人々が多いことが確定している時代であり、第二の五百年の禅定堅固は禅定を修行する人々が多いことが確定している時代であり、いずれも正法がまだ信奉されている時期である。第三の五百年の読誦多聞堅固は経論の読誦と聞法に精進する人々の多いことが確定している時代を指し、第四の五百年の多造塔寺堅固は仏の利益を得るために多くの搭や寺を建造することが盛んな時代を指し、いずれも、像法時代の特徴である。像法の「像」は似ているとの意味であるから、正法に似た教えが世に行われる時代で、いわば、形式が重んじられる時代といえる。
これに対し「第五の五百歳」は「闘諍堅固・白法隠没の時」とあるように、仏道修行者たちが仏の教えをめぐって、互いに自分の正しさを主張しあって激しく争うことが盛んになり、その結果、白法、すなわち釈尊の仏法そのものの功力が隠れ没する末法の時代、ということである。
ここで、大聖人は薬王品の「後の五百歳」云々の文は、大集経の「第五の五百歳」の末法の初めに、法華経の妙法を広宣流布せよとの文であるとされている。
これに関連する形で、第二の問いが提起される。すなわち、仏の慈悲は平等にあらゆる衆生に注がれるはずなのに、三大秘法の弘通は正像末の三時のうち、末法の衆生のみに限られるというのは、教主釈尊の慈悲に偏りがあることにならないか、という問いである。
これに対して、確かに、仏の慈悲は九界のすべての衆生に対して平等であるが「謗法一闡提」という衆生の側の仏の正法に対する姿勢によって相違が生ずると答えられる。これは仏の慈悲に偏りがあるのでなく、受ける衆生の側の責任ということになる。
しかも、以下に示されるのは、その差異に合わせて仏は、結果的に平等にすべての衆生を救おうとして努力されるのだということである。
すなわち、仏滅後、最初の一千年である正法時代の衆生は「謗法一闡提」の害悪が薄いので、小乗・権大乗という浅い教えであっても、これを機縁として信行を進め、最後に成仏の根源である文底の妙法に到達して成道することができるというのである。これに対し、像法一千年の衆生は、法華経迹門の教えによって、最終的には文底の妙法に到達できる。
ところが末法の衆生は、最も「謗法一闡提」の害が強いので、久遠の妙法を直ちに説き、順縁ならばそのまま、逆縁の場合はこの妙法の逆縁の力によって結縁する以外に救うことはできないのである。
このように、最後に到達するところは妙法であり成仏であって、その機縁としての法に、機根に合わせた違いがあるだけなのであるから、結論としては「諸仏の化導に於て全く偏頗無し」ということになるのである。
これと関連する原理は顕仏未来記に示されているが、顕仏未来記では、小乗の教化を受けた衆生は「小乗の証を得る」(0506-17)とのみ仰せられている。もしそうなら、仏の慈悲は差別があることになるが、これはあくまで直接的得益を示されたのであって、最終的には、今述べたように、妙法へと到達し成仏するということである。
この中で「今此の本門寿量の一品は」以下は、この前の部分が「仏の慈悲の平等性」を中心に述べられたのに対し、寿量文底の妙法を中心に、それが合致しているのは末法の衆生のみであり、逆に末法の衆生に合っているのは寿量の一品のみであることを示されている。
次に第三の問答ではまず「仏の滅後正像末の三時に於て本化・迹化の各各の付属分明なり」と、時によって弘法の主体者が異なるのは法華経の付嘱によって明らかであるとされている。
すなわち、法華経の付嘱には、別して本化地涌の菩薩にのみ付嘱する如来神力品第二十一の別付属と、迹化も含めたすべての菩薩に付嘱する嘱累品第二十二の総付嘱があり、本化・迹化の滅後の弘教が明確に立て分けられている。
第二の問答で明らかにされた三時に広められる教法の立て分けを適用すれば、正法時代の衆生にふさわしい「小乗・権大乗」の教え、像法時代の衆生にふさわしい「法華経の迹門」の教えを弘通するのは、その付嘱を法華経の嘱累品第二十二において教主釈尊から受けた迹化の菩薩である。また、末法に法華経の「本門寿量品」の教えを弘通するのは、その付嘱を法華経の神力品第二十一において教主釈尊から受けた本化・地涌の菩薩であることは明らかである。
その上で、第三の問答の問いにおいては「但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず慥に経の現文を聞かんと欲す如何」と、寿量品の一品に限っては、末法濁悪の衆生のためであることを明白に証明する経文があるならば聞かせてほしいとして、文証を求めているのである。
これに対して、まず、「汝強ちに之を問う聞て後堅く信を取る可きなり」と仰せられて、問者がこれほどまでに強引に文証を尋ね求める以上は、文証を聞いた後はそれに対して堅固に「信ずる」という姿勢を取るようにと要請されて、寿量品の「是の好き良薬を今留めて此に在く汝取て服す可し差じと憂うる勿れ」という経文を文証として挙げられて、答えとされている。この経文は法華経七譬の一つ、良医病子の譬の中の一節である。
前述のように、寿量品においては久遠実成が開顕され、今法華経を説いている釈尊が実は寿命無量の永遠常住の仏であることが明らかにされたのであるが、寿命無量の釈尊が何故に入滅するのかという、だれもが抱く課題に答えるために説き明かされたのが、良医病子の譬喩である。
ある時、良医が所用で遠い他の国に旅した留守の間に、その子供たちは他人が勧める毒薬を飲んでしまい、病み苦しんで地を転げ回っていた。ちょうど、そこへ父の良医が帰ってきて、その様子を見て直ちに良薬を調合して子供たちに与えた。
しかし、子供たちの中で、毒薬によって本心まで失ったものと失っていないものとがおり、本心を失っていないものは父の良薬をすぐに飲んで治ったが、本心を失ったものは良薬を見ても疑ってなかなか飲もうとしなかった。そこで、良医は方便を思いついて「このよき良薬を今留めてここに置いておくから、あなたたちは取って服薬しなさい。治らないことを心配するな」と言い残して他国へ行ってしまった。その後、子供たちのところに使者を遣わして「父はすでに亡くなった」と告げさせた。この時、本心を失った子どもたちは、父の死を聞き、嘆き悲しみ、ついに毒気から醒めて本心を取り戻し、留め置かれた良薬を飲んで病気を治すことができた。このことを聞いた父の良医はすぐに子どもたちのところに帰ってきたという。
以上がこの譬喩の主要な内容であるが、これは釈尊が久遠以来の寿命をもちながら、仮に方便として涅槃に入る姿を見せることによって、本心を失って仏を信じられなくなった衆生たちに真剣な求道心を起こさせて救うという釈尊の慈悲心をたとえているのである。同じ寿量品に「方便現涅槃」とあるのも、この原理をいっている。
本文で、大聖人はこの譬喩の中の父・良医が出かけるに際していった言葉を、末法の衆生のためには寿量品の一品のみが弘通されるべきであるとすることを裏付ける文証として挙げられたのである。
譬喩の中、父の「良医」は教主釈尊を、また「病から癒えない子」は本心を失い釈尊在世の教法では救われなかった末法の衆生を、「是の好き良薬」は寿量品の一品を、それぞれ表していることはいうまでもない。また、父が使いを遣わして「父はすでに亡くなった」と告げさせたのは、仏滅後のことを指している。使いは本化・地涌の菩薩に当たる。
すなわち、釈尊が涅槃した後の、なかんずく末法、白法が隠没して闘諍堅固の時代の顚倒の衆生を救うために、釈尊は良薬を寿量品の一品として留め置いたということになる。
このようにして、以上の三つの問答を通して、大聖人は三大秘法の法門が末法にのみ弘通すべきであることを証明されたのである。
寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く……憂うる勿れ」等云云
この寿量品の一句が末法濁悪の衆生には寿量品の一品のみが弘通されるべきであることを証明する経文として挙げられた所以については、前述した通りであるが、ひるがえって拝すれば、この文自体が三大秘法を顕しているとされる。
観心本尊抄では「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251-09)と仰せられて、是好良薬を三大秘法総在の南無妙法蓮華経とされている。
また、御義口伝では「是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり」(0756-第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事)と、この寿量品の一節が末法の日本国の衆生のために説かれたものであることを示されている。
さらに、日寛上人は依義判文抄において「是好良薬」は即ち是れ本門の本尊なり。今留在此は是れ本門の戒壇なり。汝可取服は即ち是れ本門の題目なり」と、経文のそれぞれの言葉を具体的に三大秘法に拝している。
1022:07~1022:11 第五章 本門の本尊を明かすtop
| 07 問て云く寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加う可らず然りと雖も 三大秘法其の体如何、 08 答て云く予が己心の大事之に如かず 汝が志無二なれば少し之を云わん 寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当 09 初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり、 寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云云、 疏の九 10 に云く「一身即三身なるを名けて秘と為し 三身即一身なるを名けて密と為す 又昔より説かざる所を名けて秘と為 11 し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す 仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」 等云云、 -----― 問うていう。寿量品は専ら末法の悪世に限るとの経文がはっきりしている以上は自分勝手な疑難を加えてはならないと思う。しかしながら三大秘法のその法体はどんなものか。 答えていう。我が己心の大事はこれに及ぶものはない。あなたの志が無二であるので、少しこれを説こう。寿量品に建立するところの本尊は五百塵点の当初から、この土に有縁深厚である本有無作の三身の教主釈尊がこれである。寿量品に「如来の秘密・神通の力」等とある。法華文句の巻九に「一身即三身であることを秘と名付け、三身即一身であることを密と名付ける。また昔から説かないところを秘と名付け、ただ仏のみ自ら知っているところを密と名付ける。仏は過去世・現在世・未来世の三世に等しく法報応の三身がある。もろもろの教えの中にこれを秘して伝えない」等とある。 |
顕然
明らかで迷う余地がないこと。
―――
難勢
難詰する気勢・攻撃的な態度で相手に言いがかりをつけること。
―――
三大秘法
日蓮大聖人が建立された宗旨で、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇をいう。この本尊とは法華経の本門ではなく、文底独一本門の意味。したがって本門の本尊とは、文底独一本門・事の一念三千の妙法が顕された本門戒壇の御本尊をいう。本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目、本門の戒壇とは、本門の本尊の御安置の場所をいう。
―――
予が己心の大事
日蓮大聖人が御自身の心に秘められた大事な法門。
―――
志
①心に決めること。②親切。③真心を示す贈り物。
―――
無二
二つとないこと。
―――
寿量品に建立する所の本尊
法華経如来寿量品第16の文底に秘沈された本門の本尊のこと。
―――
五百塵点の当初
五百塵点劫を久遠とし、「当初」はそれ以前。久遠元初のこと。
―――
此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊
「此土有縁深厚」この娑婆世界と深く厚い縁があること。「本有無作三身」はくつろわず、もとのままにある法報応の三身如来。末法の法華経の行者のこと。「教主釈尊」は人法一箇の大御本尊のことをいう。
―――
如来秘密神通之力
寿量品に「爾の時に世尊、諸の菩薩の、三たび請じて止まざることを知しめして、之に告げて言わく、汝等諦かに聴け、如来の秘密神通の力を」とある。弥勒等が三請して已まないのを知り、釈尊がいよいよ大法を明かす段である。
―――
一身即三身
法華文句に「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す、神通之力とは三身の用なり。神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり、通は是れ無壅不思議の慧、即ち報身なり、力は幹用自在、即ち応身なり、仏、三世に於て等しく三身あり、諸教の中に於て之を秘して伝えず」とある。一身即三身・三身即一身とあるのも、究極は、一身とは久遠元初自受用法身如来即日蓮大聖人であり、三身とは無作の三身である。日蓮大聖人こそ無作三身当体蓮華の仏であられる。
―――
秘
深遠微妙で、うかがい知ることができないこと。不思議なこと。みだりに開き示さないこと。
―――
三身即一身
三身即一身のこと。法身・報身・応身の三身が即一仏身にそなわっていること。法身とは、仏の永遠不滅の本体。報身とは、仏の持つ智慧の働き。応身とは、衆生に慈悲を施す力用のこと。爾前の円教や迹門においても、三身円満具足を説くといえども、始成正覚の仏身であって、今世のみである。本門においてのみ久遠の本地を明かし、常住の三身即一身を説くのである。
―――
密
ひそかに隠し示さないこと。奥深く容易に感知できないこと。
―――
三世
過去世・現在世・未来世のこと。三世の生命観に立つならば、生命の因果の法則は明らかである。開目抄には「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231-03)とあり、十法界明因果抄には「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり」(0432-12)とある。
―――
三身
法身・報身・応身の三つをいう。応身とは肉体、報身は智慧、法身は生命である。爾前の経教においては、種々の法が説かれるが、いずれも娑婆世界でなく他土に住し、始成の仏である。しかもただ法身のみであったり、報身のみであったり、あるいは応身仏である。これに対し、寿量品においては、久遠本有常住・此土有縁深厚の三身具足の釈迦如来が説かれて、生命の実相が説き示されるのである。寿量品の目的は報中論三といって、報身を要として、総体の三身を説くのである。しかして文底至極の義は、久遠元初の自受用無作三身を示していることは御義口伝の処々に明らかである。
―――――――――
ここから、本抄の主題である三大秘法の法体について、その一つ一つが具体的に説き明かされていく。
まず「寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加う可らず」とあり、前の問答を受けて、寿量品の一品がもっぱら末法濁悪の衆生のために限って弘通されるべきであることを裏付ける仏の経文が明白である以上、もはや自分勝手な難詰を加えることができないと述べ、その後に「然りと雖も三大秘法其の体如何」と、三大秘法の具体的な内容について問う。
これに答えて「予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん」と前置きされている。もとより、現実にだれかが目前にいて問答されているのではなく、大聖人が独りでこのような形式を設定されたのである。なぜ、このように書かれたかといえば、三大秘法の法門こそ大聖人の己心の大事であることを示されるためであり、これから述べられる三大秘法の法体開示は、どこまでも無二の信心をもって受け止めるようにと戒められるためである。
その上で、初めに本門の本尊について述べられる。本尊とは根本として尊敬する対象のことで、成仏を目的として目指す仏道修行において、その根本の依処とすべきものをいう。「寿量品に建立する所の本尊」の「建立」とは「確立すること」「明確にすること」の意で、先に「実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊」と仰せられたのを受けての仰せである。
その「寿量品の本尊」の体、すなわち実体について「五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」と仰せられている。ここで「教主釈尊」の名を寿量品の本尊として挙げられているが、これは当然、法華経の文上寿量品において始成正覚を打ち破って久遠五百塵点劫の成道を開き顕した釈尊その人を言うのではない。この文上の釈尊は、先に言われた実相証得の当初に寿量品の本尊を修行した釈尊であり、本尊そのものではないからである。
本章の第四章ですでに述べたように、三大秘法は末法濁悪の世の凡夫の成仏のために顕される。末法の万人を成仏させる本尊は、あくまでも釈尊を成仏させた仏種である永遠の妙法でなければならないのであり、人を尋ねれば、永遠の妙法と一体の永遠の仏の生命そのものでなければならない。人法一箇の仏の生命でなければならないのである。文上の釈尊は、文底に望めば人間からかけ離れた色相荘厳の仏という方便を帯びて説かれているので、末法濁悪の世の凡夫を成仏させる本尊とはなりえないのである。
では、なぜ本門の本尊を「教主釈尊」と言われているのかというと、寿量品においては本尊たるべき仏種の妙法は釈尊の久遠の修行において拝することができるからである。「寿量品に建立する所の本尊」は、久遠において釈尊を成仏せしめた根源の法と一体の仏としての「教主釈尊」ということになるのである。
文上の釈尊は五百塵点劫の久遠において成仏という「本果」を成就したのであるが、これに対して、成仏の本因の法である仏種の妙法と一体の「本因」の教主釈尊を指し示すために、時に約して「五百塵点の当初」といわれ、「当初」の言葉を添えておられるのである。この時が「久遠元初」に当たる。この「教主釈尊」こそ仏種の妙法と一体の「久遠元初自受用身如来」即「南無妙法蓮華経」なのである。
この人と法が一体の本尊の御当体が末法の御本仏・日蓮大聖人にほかならないことは「無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」(0752-06)との御義口伝の御教示によって明らかである。
また経王殿御返事に「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(1124-11)と仰せのように、久遠元初自受用身即末法の御本仏としての大聖人の御生命をそのまま顕されたのが曼荼羅本尊である。
この曼荼羅の御本尊において、中央に認められている「南無妙法蓮華経」とは無作三身の宝号であり、法本尊になる。「日蓮」は人本尊を顕されている。
ここで改めて「五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊」という御文を拝すると、次のようになる。「五百塵点の当初」とは、久遠五百塵点劫において文上の釈尊が成道する、その「本因」における時を指し、まさに「久遠元初」のことになる。その成仏の本因の法は、無始永遠に存在しているのであるが、これを人本尊の側面からとらえれば、久遠元初以来、「此土有縁深厚」、この娑婆世界とそこに住む衆生との縁が深くて厚く、しかも、もともとから存在しているので、修行という人為的な原因によらずに法身・報身・応身の三身をすでに具えている久遠元初自受用身如来であると仰せられているのである。「五百塵点の当初」「此土有縁深厚」「本有無作三身」と明示されて、「教主釈尊」といっても文上の釈尊その人ではなく、久遠元初自受用身であることを示されているのである。
次いで本文では、この中で、特に「無作三身」ということについて、寿量品の「如来秘密・神通之力」の一句とそれを釈した法華文句巻九下の文を引用されている。この「如来秘密・神通之力」の一句は、寿量品で三請四誡をもって機根を整えた後、一座の大衆に向かって「汝等よ。諦かに聴け。如来の秘密・神通の力を」と説き始めた最初の言葉であり、特に甚深の意義が込められている。すなわち、そのあと説かれる、釈尊の真の成道が久遠であること、それ以来、娑婆世界に常住し、他土においても分身散体しつつ、衆生を説法教化してきたというすべてが、その一句に凝縮されているのである。
本文では次に、この言葉を天台大師が法華文句巻九下において釈した文が引用されている。法華文句の原文では「如来秘密」を体の三身、「神通之力」を用の三身として、それぞれを釈しているが、本文では体の三身の「秘密」ということの意義を釈した部分である。大聖人は「本有無作三身」を裏付けるために引用されているので、「体」である無作三身に関連するところに限られたのは当然のことであろう。
「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す」とある。
三身とはすでに明らかにしたように、法身・報身・応身の三つの側面のことで、根源の一仏身が三身に開かれることが「一身即三身」であり、三身如来に配される一切の諸法諸仏が久遠一仏に帰することが「三身即一身」である。
「一身即三身なるを名けて秘と為し」とは「一身即三身」は寿量品以前においては秘せられ、説かれなかったということであり「三身即一身なるを名けて密と為す」とは、一切の諸法諸仏が久遠の一仏に帰するという「三身即一身」は仏のみが知るところであるということである。
日寛上人は観心本尊抄文段においてこの文を引用して次のように記している。
「問う、三大秘法抄に云く『寿量品に建立する所の本尊は五百塵点劫の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり』と云云。この文は如何。答う、この文の意に謂く、我が内証の寿量品に建立する所の本尊は即ちこれ久遠元初の自受用身、本因妙の教主釈尊これなりという文なり。故に『五百塵点の当初』という」と。
ここにも明らかなように、「我が内証の寿量品」、すなわち、日蓮大聖人の己心の法門としての寿量品に建立された本尊とは久遠元初の自受用身、本因妙の教主釈尊であるとの意であると教示している。
「本因妙の教主釈尊」とは久遠五百塵点劫に成道した久遠実成の釈迦仏の法を本果妙とし、その因位における立場で持った法の教主釈尊、すなわち久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人ということである。ここでの因と果とは共に久遠の本地での因果であるから「本因」と「本果」といい、また、これは衆生の思議しがたいところであるから「妙」という。
なお、第三章「講義」の最後で一部引用した観心本尊抄の一節も本門の本尊を明らかにしている。すなわち「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(0247-15)とある。
この文を日寛上人は観心本尊抄文段において「文底下種の本尊を明かす」として、本門の本尊を明らかにされた個所として釈している。ここで、日寛上人は「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては……迹仏迹土を表する故なり」の御文を「人即法に約して正しく本尊の相貌を明かす」とし、「未だ寿量の仏有さず……始めて此の仏像出現せしむ可きか」の御文を「法即人に約して末法出現を結するなり」と釈した後、「究めてその体を論ずれば人法体一なり」として究極的には、本門の本尊は人法体一であると結論している。
1022:12~1022:15 第六章 本門の題目を明かすtop
| 12 題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、 正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばか 13 りにしてさて止ぬ、 像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて 自行の為にして広く他の為に説かず是れ 14 理行の題目なり、 末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り 自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用 15 教の五重玄の五字なり、 -----― 題目とは二つの意義がある。いわゆる正法・像法の題目と末法における題目である。正法時代には天親菩薩・竜樹菩薩が題目を唱えられたけれども自行ばかりであって、これで止まってしまった。像法時代には南岳大師・天台大師等がまた南無妙法蓮華経と唱えられたが自行のためであって広く他人のために説かなかった。これは理行の題目である。 末法時代に入って今、日蓮が唱えるところの題目は前の時代とは異なって自行・化他にわたる南無妙法蓮華経である。この題目は名・体・宗・用・教の五重玄を具えた妙法蓮華経の五字である。 |
題目
①書物や論文などのタイトル。②経論の題号。③妙法蓮華経のこと。
―――
天親菩薩
生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
―――
竜樹菩薩
付法蔵の第十四(一説には第十三)。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
―――
自行
自分自身が法の利益を受けるため修行することで仏の教えそのものを説いた随自意の教法。
―――
南岳
中国、南北朝時代末期の僧。名は慧思。慧文について法華三昧を体得した。大蘇山(河南省)に拠ったとき、智顗(天台大師)に法華経・般若心経を講じた。晩年に南岳衡山(湖南省)で坐禅講説に努め、南岳大師といわれた。
―――
天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
―――
他の為
他人の為、化他行、折伏。
―――
理行の題目
理行とは諸法に具わる真理・実相・法性など平等不変の法理を悟るため、法華経迹門の理の一念三千等に基づいて行う観念観法の修行をいう。天台大師等の場合は、一心三観・一念三千の理観を主として、真理を悟ることを目的としたが、自行のために南無妙法蓮華経の題目をも唱えたとされる。これを「理行の題目」という。天台大師は自行として南無妙法蓮華経と唱えることを内証の行法とした。法華三昧懺儀に「一心奉請南無妙法蓮華経中一切諸仏(中略)南無妙法蓮華経(中略)是如く諸仏菩薩摩訶薩の名字を称う」等とある。この書は天台大師の撰述であるが、また師の南岳大師の作との説もある。伝教大師の撰述と伝えられる修禅寺相伝私注には臨終の一心三観を明かして「臨終の時、南無妙法蓮華経と唱う。妙法の三力の功に由りて、速かに菩提を成じ、生死の身を受けざらしめん」と説き、さらに天台智者大師の毎日行法の日記を挙げ「読誦し奉る、一切経の総要毎日一万反」の文を引用し、玄朗の「一切経の総要とは妙法蓮華経の五字なりと謂く」という口伝を明かしている。
―――
自行化他
自行は自分自身が法の利益を受けるため修行することで仏の教えそのものを説いた随自意の教法。化他は他の人を教化すること。自ら実践する自行に対する語。仏道修行の両輪の一つ、折伏行である。
―――
名体宗用教の五重玄の五字
天台大師が法華経を解釈するにあたって法華玄義でといたもので五重玄といい釈名、弁体、明宗、論用、判教のことである。「名」とは万物の名前であり、「体」とは万物の当体であり、「宗」は万物各々が備えている特質をいい、「用」はその働き・作用であり、「教」はその活動が影響する事をいうのです。すなわち、万物ことごとく五重玄をそなえている。天台大師は法華経神力品の結要付嘱の文を五重玄の依文としているが、この文はまた日蓮大聖人が末法に建立された三大秘法の衣文でもある。すなわち「要を以て之を言わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」となるのであり、当体義抄には「聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して 闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給う」(0513-04)とあり、三大秘法禀承事には「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」(1022-14)とある。
―――――――――
ここでは三大秘法の法体のうち、本門の題目を示されている。題目とはいうまでもなく、南無妙法蓮華経のことである。本門の題目については「題目とは二の意有り所謂正像と末法となり」と仰せられ、正法・像法に唱えられた題目が自行にとどまったのに対し、いま末法に大聖人が唱える題目は「自行化他に亘る」ところに違いがあると示されている。
この背景には、あとで示すように「南無妙法蓮華経」と唱えたという伝承が天台大師等についてもいわれていた事実がある。「南無」とは「帰命」すなわち「私の命を奉ります」との意で、すでに阿弥陀仏を対象とする「南無阿弥陀仏」のいわゆる念仏が日本中に広まっていた。
それだけでなく、各宗で、根本として立てる仏・菩薩について「南無」を付けて唱える風習があり、法華経を尊崇することは「南無妙法蓮華経」と唱えることと同義とされていたのである。
むしろ、口先で「南無妙法蓮華経」というより、心で帰命し、そのように振る舞うことのほうが本当の「南無妙法蓮華経」の実践であるとさえ考えられていた。
ここから、実際に「南無妙法蓮華経」と唱えたと伝えられている像法時代の南岳・天台についてだけでなく、正法時代の正師である竜樹・天親についても、「題目を唱えさせ給い」と本文にいわれているのである。
竜樹・天親はインドの人であるから、法華経の題名の漢訳である「妙法蓮華経」を口にしたはずはない。それなのに大聖人がこのようにいわれているのは、竜樹・天親が釈尊一代聖教の中で法華経が最勝であることを弁え、大事にしたことから、その意義を酌んでのことと拝される。
例えば、竜樹はその著作とされる大智度論巻百釈嘱累品で「般若波羅密は秘密の法に非ず、而も法華等の諸経には阿羅漢の受決作仏を説き、大菩薩は能く受持し用う。譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」と述べ、法華経が「阿羅漢の受決作仏」を説いていることに言及して、般若経の説く般若波羅密に比べて、はるかに「秘密の法」であることを強調している。また、天親はその著・法華論巻下で法華経で説く一仏乗の教えをたたえて、仏がさまざまな方便の教えを説いてきたのは、どこまでも一仏乗を説くためであったことを明らかにしている。
次いで、像法時代の南岳・天台等が南無妙法蓮華経と唱えたことについては天台宗にそうした伝承があり、当体義抄には、それを受けて次のように仰せられている。
「南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり等云云、若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり」(0519-01)と。
ここでは、南岳・天台・伝教の諸大師のいずれもが南無妙法蓮華経と唱えたが、それはあくまで「自行真実の内証」、すなわち、真実の悟りを得た結論として唱えた自行の題目、つまり理行の題目であったことを明らかにされている。言い換えると、正法・像法のこれらの人々にあっては、仏法を修得し、最終的に到達した境地として題目を唱えたのであって、それは修行というより悟りの境地における仏事、振る舞いであった。従って、これは人から教えてもらうべきものではなく、自ら証得すべきものであるから、他に教えることはしなかったのである。
この当体義抄の文では、諸大師がなぜ、南無妙法蓮華経を弘通する化他行を行じなかったのかという理由として、さらに具体的に、一つはいまだ時がきていなかったこと、いま一つは教主釈尊からの付嘱を受けていなかったことの二つが挙げられている。
以上のように、正像においては自行のみにとどまった題目であったのに対し、いま末法に日蓮大聖人が広めておられる題目は自行化他にわたることが根本的な違いであるとして「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」と仰せられている。
それは、先の正像時代におけるように、最後に到達する境地だけではなく、仏種として末法の衆生の生命に下す法体である故である。すなわち、大聖人の唱える南無妙法蓮華経は単なる法華経の経題ではなく、天台大師が明かした「名」「体」「宗」「用」「教」の五重玄義のことごとくを具えている「五字」である。
ここで南無妙法蓮華経が「名体宗用教の五重玄の五字」であるとされたのには、深い意義が込められている。五重玄義そのものは天台大師が法華玄義において、法華経の題号・妙法蓮華経が法華経全体のすべての思想内容を表しているとの観点から、妙法蓮華経の玄義を解明するに当たり用いた五つの視点であった。従って、天台仏法の立場でも「妙法蓮華経」の五字は五重玄義を具えているのであるが、大聖人にあっては成仏の種子そのものとして、南無妙法蓮華経が、「名」はもとより「体」「宗」「用」「教」のことごとくを具えていることを強調されているのである。
さて、南無妙法蓮華経はまず「名」、名称であり言葉である。だが、単に名称や言葉であるだけでなく、「体」と「宗」と「用」とを実質として具えている。「体」と「用」とは、いわば本体と作用、力用の関係で、南無妙法蓮華経は事の一念三千を本体とし、しかも、その本体は衆生の仏因を開発し仏果を調熟させる作用、力用を伴っている。
次いで、「宗」は根本、中心となるものの意で、ここでは南無妙法蓮華経は仏の自らの修行とその結果、証得した仏果とを根本としているということである。南無妙法蓮華経が「因果具時・不思議の一法」(0513-04)と称される所以である。また、南無妙法蓮華経が「教」を具えているということは南無妙法蓮華経が一切経の要中の要を説いた最高の教えであることを指している。
このように、南無妙法蓮華経が五重玄を具えた法体であることは、多くの御書に仰せられているが、その中から幾つかを紹介しておこう。
観心本尊抄には「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251-08)とあり、曾谷入道殿許御書では「法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり」(1032-02)と仰せられている。
また、十八円満抄には「総説の五重玄とは妙法蓮華経の五字即五重玄なり、妙は名・法は体・蓮は宗・華は用・経は教なり」(1364-18)とあって、ここでは、妙法蓮華経の五字の一字一字をそれぞれ、五重玄の一一に対応させておられる。
1022:15~1022:18 第七章 本門の戒壇を明かすtop
| 15 戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・ 16 覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時 勅宣並に御教書を申し下して 霊山浄土に似たらん最勝の地を尋 17 ねて戒壇を建立す可き者か 時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、 三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法 18 のみならず大梵天王・帝釈等も来下してフミ給うべき戒壇なり、 -----― 戒壇とは王法が仏法に冥じ、仏法が王法に合して、王と臣が一同に本門の三大秘密の法を持って、有徳王と覚徳比丘のその昔の事績を末法時代の濁悪の未来に移し現わそうとする時、勅宣ならびに御教書を申し下して、霊山浄土に似ている最も勝れた地を探し求めて戒壇を建立すべきものか。時を待つべきのみである。事の戒法というのはこれである。インド・中国・日本の三国ならびに一閻浮提の人が懺悔し滅罪する戒法だけでなく、大梵天王や帝釈等も来って踏まれるべき戒壇である。 |
戒壇
受戒の儀式を行う場所。場内で高く築くので壇という。
―――
王法仏法に冥じ
王法は国主・主君が定める規範。主権者による法令や政治のあり方、主権者のとるべき正しい道、世間法・世法・世俗の法。個人にとっては日常の生活規範。集団にとっては規律。国家社会にとっては国法。仏法は仏の説いた経法。八万四千の法門・法蔵があるといわれる。冥は奥深い・目に見えない・顕でないこと。すなわち王法仏法に冥じは王法が仏法に奥深い所でのとっているということ。
―――
仏法王法に合して
仏法は仏の説いた経法。八万四千の法門・法蔵があるといわれる。王法は国主・主君が定める規範。主権者による法令や政治のあり方、主権者のとるべき正しい道、世間法・世法・世俗の法。個人にとっては日常の生活規範。集団にとっては規律。合しては集まる・離れない・結ぶこと。すなわち仏法王法に合しては仏法が王法にかなっているということ。
―――
王臣一同
王は国家の為政者・法律・規則。臣は臣下の意で、守るべき人・民衆。一国こぞってということになる。
―――
本門の三秘密の法
法華経本門寿量品文底に立てるところの三大秘法。
―――
有徳王
有徳国王ともいう。釈尊の過去の菩薩修行中の姿。涅槃経の金剛身品に説かれている。歓喜増益如来の末法に、正法を護持する覚徳比丘が破戒の悪僧に攻められたところを守った。王はこの戦闘で全身に傷を受けて死んだ。しかし、護法の功徳によって阿閦仏の第一の弟子となり、のちに釈尊として生まれたという。
―――
覚徳比丘
涅槃経の金剛身品に説かれている。過去世に歓喜増益如来の入滅後、正法を護持した僧。諸の比丘に「奴婢・牛羊・非法の物を畜養することを得ざれ」と戒めたところ、これを聞いた破戒の僧は悪心を起こし刀杖をもって迫った。このとき、有徳国王が護法のために覚徳比丘をわが身を賭して守った。刀剣箭槊で全身に瘡を被った有徳王に覚徳比丘は「善い哉善い哉、王は今真に是れ正法を守る者。当来の世、この身まさに無量の法器となるべし」と述べた。王は歓喜し命を終え、次に阿?仏国に生まれ、阿?仏の第一の弟子となる。覚徳比丘も命終して阿閦仏国に生まれ、彼の仏の第二の弟子となった。正法滅尽のときに正法を護った因縁によって覚徳比丘は迦葉仏となった。
―――
末法濁悪の未来
末法の濁った悪い将来の時代。末法は釈迦入滅2000年以降で、釈尊の仏法の功力が失われる時代。五濁悪世の時代をいう。
―――
勅宣
天皇の命令を宣べ伝える公文書。臨時に出すものは詔書・平常に出すものは勅書という。
―――
御教書
摂関政治のころから始まった公文書の一つで、三位以上の公卿において家司が上位を奉じて出すという形式をとる。のち、鎌倉幕府、室町幕府にも取り入れられて、執権・管領などが将軍の上意を奉じて出す形式をとった。執建状ともいう。行政が出す公文書がこれにあたる。
―――
霊山浄土
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――
最勝の地
最も勝れた所・すばらしい所。
―――
時を待つ可きのみ
時代の変化・推移を待つべきであるということ。ただし、時代の変化は、待つのではなく、作っていくものである。
―――
事の戒法
三大秘法の大御本尊を受持することを受戒といい、名付けるを事の戒法という。
―――
三国
仏教でいうところの三国は、インド・中国・日本をいう。
―――
一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
―――
懺悔滅罪の戒法
過去に犯した罪悪を仏・菩薩に対して開き述べ、許しを請うこと。
―――
大梵天王
梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。
―――
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――
来下
天界などのところから降りてくること。
―――
蹋給うべき
①足で押さえる。②その場を訪ねる。③参詣する。④実際に行う。⑤その過程。
―――――――――
ここでは三大秘法のうち、本門の戒壇について教示されている。大聖人は本抄以外の諸御書でも三大秘法の名目を挙げられ、本門の本尊、本門の題目については、その内容や実質を明かされているが、本門の戒壇については文字通り、名目を挙げるにとどめておかれたといえる。
本抄の際立った特質は、初めて本門の戒壇の建立の条件と意義について明かされたところにある。
大聖人がここで仰せられている、三大秘法の一つとしての戒壇は、出家修行者の入門のための授戒の場にとどまるものではない。それは、この段の終わりに「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」と仰せられていることから明らかである。
言い換えると、この戒壇がいかなる意義をもつものであるかについては、過去のインド・中国・日本における戒壇と同列に論ずべきものではなく、あくまで三大秘法の他の二つ、すなわち本門の本尊、本門の題目との関連の中で捉えられなければならない。
そこで、本尊と題目についての仰せを振り返ってみると、本尊の段で示されたのは、要するに、久遠元初自受用身である本有無作三身 の教主釈尊、すなわち法に即して人でいえば末法の御本仏・日蓮大聖人が本尊の体であるということであった。
次いで題目の段では、同じく「南無妙法蓮華経」と唱えるといっても、正法・像法時代のそれは自行のみにとどまったのに対し、末法に大聖人が唱える題目は自行化他にわたるという点を示された。
この本尊と題目の関係は、本尊が根本として尊敬する対象であり、仏道修行の依処であることからいって、この本尊を信じ拝して唱えるのが本門の題目の自行面であり、この本尊を讃嘆し、この本尊への信を勧めて、人々に自らと同じく題目を唱えさせていくのが本門の題目の化他面であるといえよう。そしてこの本尊を受持し、自行化他の題目を実践していった時、人々がこの仏法に帰依する広宣流布の姿があらわれてくる。それが、この戒壇の段で「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法」と仰せられていることと結びつく。本門の本尊が安置され、この妙法を信受する世界中の人々にとって、懺悔滅罪の戒法の場となる所が、本抄で明かす本門の戒壇であるといえよう。
以上の点を踏まえて、本文の仰せを拝してみよう。初めに「王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」は、戒壇建立の条件として示されたものであることが明らかである。
本門の本尊が住し、本門の題目が唱えられる時、そこがいずこであれ、日蓮大聖人の文底下種仏法があり、それを信じ行ずるわけであるから、戒法が存する。従ってそこには戒壇の義があるのである。それに対して、事相に建物として建てられるものが事の戒壇である。その戒壇はいつ建立されるのか。日蓮大聖人の御精神は世界中の人々に妙法を信受させ救うことを目指されたのであり、大聖人の門下はその実現のため努力すべきで、その広宣流布の姿が現われてきた時、「霊山浄土に似たらん最勝の地を選んで戒壇を建立すること」を、遺誡されたと拝すべきであろう。
次にこれらの条件の意味を考えてみよう。
王法仏法に冥じ仏法王法に合して
「王法」とは狭義には国家統治の法であるが、広く言えば社会を支える基本の原理であり、また、その原理を現実に展開する体制の総称である。政治をはじめとする経済、教育、学術等を含んだ、社会の種々の営みが含まれる。
「仏法」とは人間生命を支える根本原理となる法を説き明かして、個人の幸福と社会の繁栄の道を示す教えである。当然、日蓮大聖人のいわれる仏法とは法華経文底の妙法を根本とすることはいうまでもない。
「冥」「合」は、ここでは分けて用いられているが、「冥」は「くらい」「奥深い」などの形容辞であって、「冥ずる」という動詞的な使い方は異例である。本来、「冥々のうちに合する」「深い次元で合する」という意味の「冥合」を修辞法上、別々に分けて、このような表現法を用いられたと考えられる。
要するに、王法と仏法とが互いに冥合しあうというのが、ここで言わんとされているところで、双方向性が暗示されているのである。
「王法が仏法に冥合する」とは、仏法の智慧と精神が社会の基盤に置かれて、社会の在り方が方向付けられていくことである。
特に政治の面で言えば、仏法の教えの根本である「一切衆生に仏性を認める妙法を根底に人々をしむ」という慈悲の精神が、統治に当たる人々の心の中にあって、政治的決定や統治行為に反映していくことである。
日蓮大聖人は「国主は理を親とし非を敵とすべき人にて・をはすべきか」(1524-09)、あるいは「悪趣に堕つるの縁……国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り……」(0036-02)という国主観を示されている。
また、観心本尊抄に「尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり」(0242-11)との仰せがある。これは尭舜という「王」にも仏界の一分があらわれていることを示されたものであるが、その条件として「万民に於て偏頗無し」が示されている。すなわち、すべての人々を平等に扱い慈しんだことが仏界に通ずると述べられているのである。これが一切衆生に仏性を認めるという妙法に通ずることはいうまでもない。この御文が「王法仏法に冥じ」すなわち、王法が仏法にかなっているとはどういうことかについての大聖人の深いお考えを表している一つといえよう。
次に「仏法王法に合して」であるが、普通、仏法は永遠不変のもので、王法は状況に応じて可変的なものであるから、仏法のほうが王法に合わせることはありえないように考えられがちである。しかし、本抄の意は、「仏法が王法に合する」面もあることを示されていると拝察できる。
これは、仏法を担う教団ないし実践者の在り方を示すものと考えられる。法は絶対でも、それを実践する教団や実践者は、仏法の精神を正しく広めていくためには、社会と融合していかなければならないのである。
社会から遊離したり、あるいは、宗教的権威を盾に種々の特権を貪るような在り方は社会に法を広めることを妨げるからである。
この点に関連して一つの例を挙げると、本抄と同じ大田入道に宛てられた他の御抄でも「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強(あなが)ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか」(1015-07)と述べられているし、減劫御書の「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(1466-14)、檀越某御返事の「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」(1295-07)等、世間の法、国法から離れて仏法はありえないことを示された御文は数多くある。月水御書には「委細に経論を勘へ見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり。此の戒の心は、いたう事かけざる事をば、少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし、仏一つの戒を説き給へり」(1202-16)とまで仰せられている。
このように、大聖人の仏法は人里から遠く離れた地で修行するという在り方を排し、現実社会の中で仏法の慈悲の精神を顕現していくことにあるのだから、社会から離れるというよりは、逆に社会に積極的に関わっていくのが本来の在り方である。とするならば、王法、国法を無視しての修行はありえないことになる。大聖人の仏法を受持する人々も「国民」「市民」としてやはり国の統治機構のもとに生活するのであるから、その信仰実践の規範も国法の認めるところに合致している必要があり、よき国民、よき市民を目指すのは当然である。
結局、「王法が仏法に冥ずる」とは仏法の慈悲の精神、生命の尊厳を根本とした王法が行われることであり、「仏法が王法に合する」とは、仏法のほうも現実社会の王法を重んじ、社会の中で仏法の実証を示し貢献していくこと、といえよう。
王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて
「王」とは国家統治の権力をもつ人であり、「臣」とは王のもとで国家運営の任に当たる人々をいう。古来、日本では「王」は天皇であったが、日蓮大聖人当時は、天皇の主権は名目化しており、実質上は天皇によって任じられた鎌倉幕府の将軍に移り、さらにこの将軍も名目化し、実際に権力を行使していたのは北条執権であった。いずれにしても「王臣」とは、社会的な責任を持った指導者層を指す。
先の「王法仏法に冥じ仏法王法に合し」との御文では、「法」つまり思想理念の上で王法と仏法とが冥々のうちに合することをいわれたのであるが、ここでは「王臣」という「人」が、王法と仏法との冥合(みょうごう)を現実のものとしていく主たる担い手であることを示されていると考えられる。
この王臣が一同に本門の三秘密の法すなわち三大秘法を持つというのは、社会の指導者層が、万人に仏性があることを信じ、人々を慈しむ慈悲の精神を堅持していることである。
今日では、先進各国では国民が主権を有する民主政治が樹立されており、その意味では国民・民衆が「王」になる。行政を担う首相以下の公務員は国民に奉仕する「公僕」であるから「臣」の立場となる。
すなわち、国民においても行政の実務者においても「生命の尊厳」「人間主義」という仏法の精神が広く受け入れられる状況になるという意味である。
したがって「一同に」と言っても「一人残らず」の意ではない。まして、信教の自由が確立されている現代社会において「一人残らず」という現状は異常であろう。権力によって信仰を強制することは宗教の堕落であり、大聖人の意に違背する。仏法の精神が社会に広く認められ、その慈悲の精神が社会の各分野に反映されるようになった状況を、このように表現されたと解すべきである。
有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時
「有徳王・覚徳比丘の其の乃往」とは、大般涅槃経金剛身品第二の文に出てくるもので、大聖人は立正安国論にも引用されている(0028)。それを現代語訳しつつ、紹介しておこう。
過去の世に俱尸那城に歓喜増益如来という仏が出現したことがある。その仏が入滅した後、如来の正法は無量億年という長期間にわたって続いた。その最後、あと四十年間で仏法が滅しようとしていた時に、正法を堅く持った、ただ一人の比丘がいて、名を覚徳といった。その時、多くの破戒の悪比丘たちがいて、この覚徳比丘を殺そうとした。
これを知った有徳王は武器を執って駆けつけ、これら悪比丘たちと果敢に戦い、覚徳比丘を守り抜いたのである。だが、この時、有徳王は、全身に刀剣、矢、矛などの傷を受け、体に完きところ寸分もない状態であった。覚徳は王の生命をかけた信心の姿勢を「善きかな、善きかな、王、いま真にこれ正法を守る者なり、未来の世に、この身まさに無量の法器となるべし」と賛嘆した。王は覚徳のこの教えを聞き終わって心大いに歓喜して亡くなったのである。王はその後、護法の功徳力により、阿閦仏の国に生じその仏の第一の弟子となった。また、王と共に戦った将兵や人々も同じく阿閦仏の国に生まれたのである。さらに、覚徳比丘もその因縁により阿閦仏の国に生じ、その仏の声聞衆中、第二の弟子となった。
この話をした後、釈尊は有徳王とは実は今の自分であり、覚徳比丘とは迦葉仏であると説き、もし、正法が滅せんとするときは覚徳比丘のごとくに正法を受持し、有徳王のように正法を守護すべきであると説いたのである。
このエピソードは、権力者である王が一宗派を守るという党派的な闘争を示すものではない。覚徳比丘とは人間として仏法の精神を体現する人であり、それを命をかけて守るのが有徳王である。
有徳王は、自らは幕舎にあって、軍隊に命じて戦わせたのではない。王自身、全身に傷を受け、死んでいったということからすると、あくまで正法を惜しむ一個の人間として、自ら先陣に立って戦ったのである。また、共に戦った「将従・人民・眷属」がいると経典に説かれているが、彼らも、「歓喜有りし者」とあることから考えると、命令されて戦いに加わったのではなく、自発的に戦ったと考えられる。有徳王が覚徳比丘を守ったのは、内なる仏法の精神を守ったことに通ずる。
有徳王は王法の担い手であり、社会的な力の象徴である。すなわち、社会の運営が仏法の精神に基づき、悪と戦いながら進められるようになった事態を示しているのであり、「王仏冥合」の別の表現にととらえることができる。
以上が戒壇建立の〝条件〟であるが、これに対して、建立の〝手続き〟として次に「勅宣並に御教書を申し下して」と述べられていると拝される。
勅宣並に御教書を申し下して……戒壇を建立す可き者か
「勅宣」とは、天皇の命令による「宣旨」と上皇による「院宣」の総称である。また、「御教書」とは、本来、三位以上の公卿ならびにそれに準ずる者の意志を側近が承って出す奉書形式の文書を指すが、ここでは鎌倉幕府が発する「関東御教書」を指していると解せられる。ただし、朝廷の「詔書」および幕府の「下知状」が最重要事項に関する命令であるのに対して「勅宣」「御教書」は公文書ではあるが主に通常の問題に関する命令といえる。従って「勅宣並に御教書を申し下して」とは、重大な国家意思の表明などという意味ではなく、通常の命令・決定および手続きなどを示す公文書を発給するという意味であると考えられる。現代でいえば、通常の合法的な手続きに則り社会的に認められ、多くの人々の賛同が得られる、との意と解すべきであろう。
なお、善無畏三蔵抄には法然の念仏宗の勃興をそれまでの既成の八宗が「代代の国王・勅宣を下し将軍家より御教書をなして」(0883-07)抑えようとしたが、かえって繁盛してしまったと述べられている。この御文に見られるように、大聖人御在世当時、朝廷や院が「宣旨」「院宣」を下し、鎌倉幕府が「御教書」を出すという形は定着していたようである。
戒壇建立という問題に限れば、なんといっても伝教大師最澄による法華迹門円頓戒壇の建立が勅宣によって実現したという事実があり、本抄で戒壇建立の手続きとして「勅宣並に御教書を申し下して」とされているのは、伝教の先例に準じて述べられたものと考えるのが自然であろう。
伝教大師は当時の嵯峨天皇に対して、たびたび、比叡山に大乗の円頓戒壇を建立する旨の要請を捧げたが、従来からの戒壇で十分であるとする当時の僧綱や南都六宗・七大寺がこれに反対し、その旨の上申書を提出したりしたために、なかなか朝廷から戒壇建立の許可は下りなかった。このような両者の対立、抗争によって、遂に伝教大師の生存中には戒壇建立の勅許は下されなかったのである。
しかし、弘仁13年(0822)6月4日、伝教大師が比叡山中道院で亡くなり、7日後に当たる6月11日、嵯峨天皇によって法華円頓戒壇の勅許が下された。さらに、天長3年(0826)7月7日、戒壇院建立の宣旨が下され、五間の堂を造ってもよい、との許可を得ることができたのである。弘仁9年(08184)に、伝教大師が嵯峨天皇に最初の要請書を捧げて以来、戒壇院建立の許可まで8年かかったことが分かる。
日蓮大聖人は伝教大師の円頓戒壇建立の功績を高く評価されている。例えば、撰時抄では「其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給うのみならず法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば 延暦円頓の別受戒は日本第一たるのみならず仏の滅後一千八百余年が間身毒尸那一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる、されば伝教大師は其の功を論ずれば竜樹天親にもこえ天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(0264-02)と仰せられている。ここでいう別受戒とは、小乗戒、大乗戒、円頓戒のそれぞれを個別に受けることである。
天台大師は法華経の思想を一念三千の法理として体系化し、さらに観念観法の修行を説いたが、戒については、小乗の律蔵で説く二百五十戒など具足戒と大乗経典である梵網経等で説く戒とを一緒に受持することを認めていた。天台大師の場合、戒定慧のうち定と慧は法華一乗の独自の法門を示したものの、戒については法華経に純化するのではなく、開会の上から爾前の教説を用いたといえよう。それに対して伝教大師は天台大師のこの立場を越え、小乗戒を捨てて法華円頓戒を立て、それを受持することを主張したのである。
当時、日本において行われていたのは、鑑真がもたらした戒法であった。それは中国天台宗の教説に基づくものであり、小乗の具足戒を通じて受けるものであった。それ故、伝教大師はこの戒を小乗戒と呼び、この戒壇を小乗戒壇と見なしたのである。当時、この戒を受けて出家・得度した後、大小乗の経論に基づく諸宗の僧となった。そのため、伝教大師が建立した日本天台宗においても、出家して正式な僧となるためにはその戒壇で小乗の具足戒を受けなければならなかったのである。
東大寺を中心とする小乗戒壇を管理していたのは仏教界全体を統括する僧綱であった。僧綱は治部省に属する中央僧官で、その職務は得度・受戒の手続きをはじめ、僧尼名簿や寺院資材の管理、戒律による僧侶の教導が含まれていた。要するに正式に得度した僧侶は全員、戒律を媒介にして僧綱の管理下に属する体制が出来上がっていたのである。
伝教大師が小乗戒を廃して大乗戒のみを立てた理由は、一つには天台宗を僧綱の管理下から独立させるところにあった。実際、天台宗から得度者が出ても、受戒のために東大寺に赴くと南都仏教に移って比叡山に戻らない者が少なくなかった。それは、天台宗の奈良仏教からの独立が完全になされていなかったためである。伝教大師は、その状況を改めるため、僧綱から独立した形による僧侶の養成を目指したのである。
また、伝教大師は、当時の日本を法華経流布の直機ととらえ、天台法華宗を直ちに弘通する段階にあると考えた。それは遠回りの教えによらず、悟りに直ちに到達できる教えによるべきであるとの主張に表れている。
悟りに至る大直道とは、いうまでもなく法華経に基づく一念三千の法門である。一念三千の法門によって成道を目指すためには、戒においても煩瑣な小乗戒を排除して当初から法華円頓戒を用いなければならないとしたのである。
法華円頓戒壇を建立して法華円頓戒を確立することは、先に述べたように天台大師も成し得なかったことであった。日蓮大聖人の仏法からみれば、いまだ迹門の理にとどまるとはいえ、法華円頓戒壇の実現によって、法華経に基づく教説は戒定慧のすべてにわたって一応の完成をみたといえる。
伝教大師が終生の願業とした法華円頓戒壇の建立は、大師死去の七日後に勅許の「官符」が出されたことによって実現することになった。戒壇建立に朝廷の勅許が不可欠であったのは、飛鳥時代以来、この当時も依然として日本仏教は国家と結合した国家仏教であったからである。僧侶となるには国家の認可が必要であり、正式に得度した僧侶は国家の保護・管理を受ける「官僧」であった。私的に得度することは犯罪とされ、処罰の対象となったのである。仏教全体が国家の管理下にあった時代においては国家の許可なくして戒壇建立はありえなかったのである。
日蓮大聖人が本門戒壇建立の要件として「勅宣並に御教書を申し下して」と言われたことは、この伝教大師による戒壇建立の先例を踏まえられたものと考えられる。伝教大師の時代は、日本の権力は朝廷に一元化されていたが、日蓮大聖人の時代は朝廷と鎌倉幕府が併存して統治する二重権力体制であったため、勅宣と御教書を並べて挙げられたと解される。
しかし、現代においては、「政教分離」が国家の原則となり、公権力は一切、宗教に介入せず、信教は各人の自由の領域となっている。従って、戒壇の建立についても公権力は干渉してはならないのである。「勅宣並に御教書を申し下して」とは、先に述べたように、通常の合法的な手続きに従って社会的に広く認められる、との意と解するべきであり、改めて国会の議決などを考えるのは誤りである。
今日、公権力と宗教は完全に分離されているのであるから、戒壇建立の主体者は日蓮大聖人の仏法を信受する広範な民衆であり、国家が建立の主体者となることはありえない。明治時代から言われてきた「国立戒壇」は、今日では全く考える余地はないのである。
時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり
この御文は広宣流布が伸展して本門戒壇が実現する時が必ず到来するとの日蓮大聖人の御確信を述べられた御文と拝される。また、同時に、この御文は大聖人の門下に対して、広宣流布の実現と戒壇建立を遺命する御文といえよう。
「時を待つ可きのみ」といっても、何も努力しないで、ただ待っていれば時がくるのではない。大聖人が示された条件、すなわち王法と仏法の冥合を実現するには、門下のたゆまない自行化他の実践がなければならない。
あえて「時を待つ可きのみ」といわれたのは、それが現実化する時が必ずくるとの意味であり、それは諸法実相抄の「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360-10)と同じ御精神にほかならない。
次に「事の戒法」についていえば、事の戒法とは、次の段で延暦寺の円頓戒壇についていわれる「迹門の理戒」に対するものである。理戒というのは、日常の所作・言動などの事相ではなく、真理・本性・本体など究極にして所詮の理体を戒の本質・本体とすることを指すが、ここで仰せの「事の戒法」との相対でいえば、法華経迹門・理の一念三千の法門に基づいて立てられた戒のことである。これに対して、事戒、事の戒法は末法において法華経本門文底・事の一念三千の当体である三大秘法の本尊を直ちに受持することをもって受戒とし持戒とすることをいう。
すでに、大聖人は教行証御書に「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(1282-10)と仰せられている。
ここで、「法華経の本門の肝心・妙法蓮華経」すなわち、法華文底・事の一念三千の本門の本尊には三世の諸仏が積み重ねたあらゆる種類の修行とあらゆる種類の善行による功徳が集まっていると述べられ、さらには、三世の諸仏があらゆる種類の戒を守った功徳も納まっていると説かれている。
しかも、この南無妙法蓮華経に具わる妙戒は一度、法華経の行者が受持すると、破ろうとしても破ることができないところから「金剛宝器戒」と呼ばれ、しかも、三世の諸仏はいずれも、この戒を受持して無始無終の法・報・応の三身を具えた仏と成るものとされている。
前に述べたように、三大秘法があらゆる仏を仏たらしめた根源の法を末法流通のために建立された法体である以上、この妙法そのものを直ちに受持することが究極の「戒」となる。「受持即持戒」「受持即観心」といわれるのはこの故で、これを「事の戒法」と呼ばれたのである。
円頓戒を大聖人が「理戒」とされたのは伝教大師があくまで法華経の迹門の一仏乗の教えによって裏付けているとはいえ、所詮は、諸法実相・理の一念三千に基づいたもので、その体であり、成仏の根本因・下種の大法たる南無妙法蓮華経は秘されているからである。迹門の教説は、過去に下種を受けた衆生に対する熟益の教えであり、末法の下種益を必要とする衆生にとっては、成仏の法とはならない。それ故、「迹門の理戒」として、退けられたのである。
日蓮大聖人は伝教大師の立てた迹門の理戒と御自身の本門の事戒との違いを治病大小権実違目で次のように峻別されている。すなわち「而るを本迹を混合すれば水火を弁えざる者なり、而るを仏は分明に説き分け給いたれども仏の御入滅より今に二千余年が間三国並びに一閻浮提の内に分明に分けたる人なし、但漢土の天台・日本の伝教・此の二人計りこそ粗分け給いて候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず」(0996-10)と。
つまり〝仏は法華経において迹門と本門との立て分けを明らかに説かれているが、仏滅後、二千余年経過したにもかかわらず、この立て分けを明らかにしたのは三国および一閻浮提の中に、だれ一人としていなかった。ただ、中国の天台大師と日本の伝教大師だけはあらあら立て分けたようであるが、円戒については本・迹の立て分けはできていない〟と断じられている。
大聖人は天台、伝教が十分に示さなかった本・迹の立て分けを徹底され、法華文底の事の一念三千・独一本門の南無妙法蓮華経を受持することこそ究極の妙戒であり、三世の諸仏がこれによって成仏した根源の戒であることを明らかにされたのであった。
事の戒法を持つ功徳については、「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」(1578-13)と仰せのように、この妙戒の力によって、懺悔滅罪し即身成仏することができるのである。
なお、日寛上人は、六巻抄や報恩抄文段、法華取要抄文段などで、「事の戒壇」と「義の戒壇」を立て分けられたが、これは本門の戒壇すなわち事の戒法をさらに立て分けられたものであって、迹門の理戒と本門の事戒の立て分けとは異なるものである。
文底秘沈抄に「正しく事の戒壇とは、一閻浮提の人懺悔滅罪の処なり。但然るのみに非ず、梵天帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり」と示されているように、「事の戒壇」とは、大聖人が三大秘法抄に説かれた戒壇で、すなわち広宣流布の時に建立され、一閻浮提の人が懺悔滅罪し、梵天・帝釈も来下する戒壇である。
これに対して、同じく「義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義戒壇に当る故なり。例せば文句の第十に『仏其の中に住す、即ち是れ搭の義』と釈するが如し云云」とあるように、御本尊が住するところに戒壇の義があり、まだ広宣流布に至っていないが、意義としては事の戒壇に等しい戒壇を「義の戒壇」と呼ばれた。義の戒壇が事の戒壇に等しい意義を持つというのは、その戒法が事の戒法だからである。
要するに、本門の戒壇は、本門の本尊を安置して、かつ本門の題目を唱える所を指し、御本尊御安置のすべての場所が「義の戒壇」に当たり「事の戒壇」と意義が等しいのである。
三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり
ここまでは、日本という一国の広宣流布の時を論じ、戒壇を建立する条件を示されてきたのであるが、最後に、広宣流布の時きたって建立される戒壇は、この日本一国にとどまらず、三国・一閻浮提の人々が「懺悔滅罪」する戒壇であると示されている。そしてさらに「大梵天王・帝釈」という、世界を守護する諸天善神までが来下すると説かれている。
これは、事の戒壇が、単に日本一国のための戒壇ではなく、世界の人々のための戒壇であり、世界の人々が集い、世界の平和を祈願し、またその実現を期するための大殿堂であることを教えられているのである。そしてここにこそ、戒壇の本義があると言わなければならない。
1022:18~1023:05 第八章 延暦寺・迹門戒壇の無益を論ずtop
| 18 此の戒法立ちて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれ 1023 01 ば益あるまじき処に、叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂 02 言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、 存の外に延暦寺の戒・ 清浄無染の中道の妙戒なりし 03 が徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、 彼の摩黎山の瓦礫の土となり 栴檀林のイ棘とな 04 るにも過ぎたるなるべし、 夫れ一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人をして 今の延暦寺の戒壇をフましむべ 05 きや、 此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、 -----― この事の戒法が立って後は、比叡山延暦寺の戒壇は迹門の理の戒法であるので、利益がなくなってしまうところに、比叡山延暦寺に座主が置かれ始めてから第三代の座主・慈覚と第四代の座主・智証が思いの外に本師の伝教大師と第一代座主・義真に背いて「法華と真言は理は同じであるが事において真言が勝っている」という狂った言説を根本として、自分の比叡山延暦寺の戒法を侮って戯れの論と笑った故に、思いの外に延暦寺の戒は清浄で汚れのない中道の妙戒であったのに、いたずらに土泥となってしまったことは、言っても言い尽くせず、歎いてもどうにもできないことである。あの摩黎山が瓦や石ころのような土となり、栴檀の林が茨となることよりも残念である。 釈尊の一代聖教の邪と正、偏と円を弁えている学者の人を今の延暦寺の戒壇を踏ませることができようか。この法門は意味と道理を思案して意義を明白にしなさい。 |
延暦寺の戒壇
伝教大師が南都の小乗戒壇に対して建立しようとした大乗戒壇。伝教大師の生前には建立されなかったが、入寂7日後の弘仁13年(0822)6月11日に大乗戒壇建立の勅許が下り、天長3年(0826)起工・翌4年(0827)5月に建立された。
―――
迹門の理戒
法華経迹門に基づいいて建てられた戒壇。
―――
益
ためになる・ふやす・もうける。
―――
叡山
比叡山延暦寺のこと。比叡山延暦寺のこと。比叡山に伝教大師が初めて草庵を結んだのは延暦4年(0785)で、法華信仰の根本道場として堂宇を建立したのは延暦7年(0788)である。これがのちの延暦寺一乗止観院、東塔の根本中堂である。以後10数年、ここで研鑽を積んだ大師は、延暦21年(0802)第50代桓武天皇の前で南都六宗の碩徳と法論し、これを破り、法華経が万人のよるべき正法であることを明らかにした。このあと入唐して延暦24年(0805)帰朝、大同元年(0806)天台宗として開宗した。以後も奈良の東大寺を中心とする既成仏教勢力と戦い、滅後1年を経て弘仁14年(0823)ついに念願の法華迹門による大乗戒壇の建立が達成された。延暦寺と号したのはこの時で、以後、義真・円澄・安慧・慈覚・智証を座主として伝承されたが、慈覚以後は真言の邪法にそまり、天台宗といっても半ば伝教の弟子・半ばは弘法の弟子という情けない姿になってしまったのである。日寛上人の分段には「叡山これ天台宗、ゆえにまた天台山と名づくるなり、人皇五十代桓武帝の延暦七年に根本一乗止観院を建立、根本中堂の本尊は薬師なり、同十三年天子の御願寺となる。弘仁十四年二月十六日に延暦寺という額を賜る」とある。
―――
座主
大寺の管長のこと。
―――
慈覚
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。下野国(栃木県)都賀郡に生まれる。俗姓は壬生氏。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて、仁明天皇の治世の承和5年(0838)入唐して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡をうけ延暦寺第三代の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。著書には「金剛頂経疏」7巻、「蘇悉地経略疏」7巻等がある。
―――
智証
(0814~0891)。延暦寺第4代座主。諱は円珍。智証は諡号。讃岐国那珂郡(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し天安2年(0859)帰国。帰国後、貞観元年(0859)三井・園城寺を再興し、唐院を建て、唐から持ち帰った経書を移蔵した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。慈覚以上に真言の悪法を重んじ、仏教界混濁の源をなした。寛平4年(0891)10月78歳で没著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻などがある。
―――
本師
①本従の師。衆生が師と仰ぐべき本来有縁にして、生々世々に従って教えを受けてきた仏。閻浮提の衆生の本師は釈尊であり、末法においては久遠元初の自受用法身如来である。②本来、主として教えを受けてきた師匠。
―――
伝教
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
―――
義真
(0781~0833)伝教大師の跡を継いで比叡山第一の座主となった。相模国(神奈川県)に生まれ、幼少の時から比叡山に登って伝教大師の教えを受けた。中国語が話せたので、伝教大師入唐にも通訳として随伴した。その際、唐の貞元20年12月7日、天台山国清寺で道邃和尚の円頓戒をうけ、竜興寺の順堯から灌頂を受けた。延暦24年(0805)伝教とともに帰朝し、弘仁13年(0822)5月15日、付嘱を受けて山務を総摂し、6月11日、大師滅後7日に迹門戒壇建立の勅許が下り、弘仁14年(0823)月14日、伝教大師が建立した根本中堂、すなわち一乗止観院に延暦寺の勅額をうけ、壇を築くとともに、自ら戒和尚となって円頓大戒を授けた、天長元年(0825)6月23日、比叡山第一の座主となり、天長4年(0828)勅を奉じて円頓戒壇を建立。天長5年(0829)に完成した。その他、叡山の諸堂宇を建立し、天台の宗風宣揚に努めた。天長10年(0833)7月4日、修禅院で53歳寂。著書には嵯峨天皇に奉った「天台宗義集」1巻・「雑疑問」1巻・「大師随身録」1巻等がある。日蓮大聖人は報恩抄に「義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり」(0810-14)と申されている。
―――
理同事勝の狂言
真言宗の開祖・善無畏三蔵のつくった邪義。法華経と大日経とを比較すると、理の上では釈尊も大日如来も一念三千にほかならないので同じであるが、事において、すなわち、この教理を形の上に表わす印や真言の作法は、法華経にないので大日経が法華経に勝れているとする謬説。
―――
戯論
児戯に類した無益な論議・言論のこと。
―――
延暦寺の戒
伝教大師が建てた日本天台宗の戒法。
―――
清浄無染
浄らかで悪法や謗法の汚染がないこと。
―――
中道の妙戒
真実中道の法体を悟り顕すための妙なる戒。
―――
土泥
土や泥で汚れたもの。
―――
摩黎山
梵名マラヤ(Malaya)の音写。南インドの山の名。大唐西域記巻十によると、この山は白檀樹・栴檀樹を多く産する所として有名であったという。
―――
瓦礫の土
瓦と礫の土地。瓦礫は黄金などの価値の高いものに対して価値の低いものに譬える。
―――
栴檀林
栴檀はインド原産の香木。経文にみえる栴檀とはビャクダン科の白檀のこと。センダン科の栴檀とは異なる。高さ約6㍍に達する常緑喬木で、心材は芳香があり、香料・細工物に用いられる。観仏三昧海経巻一には、香木である栴檀は、伊蘭の林の中から生じ、栴檀の葉が開くと、四十由旬の広さにわたって伊蘭の悪臭が消えるとある。
―――
荊棘
イバラと読む。
―――
一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
―――
邪正
邪な教えと正しい教えのこと。仏の真実の教えを認めず、我見を立てた教えを邪といい、仏の真実の教えを正という。
―――
偏円
偏ったものと完全なもの。部分的なものと全体的なもの。①一部の真理を説いた偏頗な教と、円融円満で余すところなく説いた教えのこと。天台大師所立の化法の四教のなか、蔵・通・別の三教を偏、円教を円という。②摩訶止観に説かれる五略十広のなか、十大章の第五・偏円章にあたる。教理に偏円等の別があるように止観にも異なりがあるが、いま説く止観はそれらの別を超えすべてを包含した円満な止観であることを述べている。
―――
学者
①学問の研究を業とする人。②学芸などを修行する人。③仏法を学ぶ者。
―――
義理
俗語でいう「義理人情」の義理ではなく、教義・法理の意味。宇宙の森羅万象に厳存し、これを動かしているものを法理といい、それを抽象し経文に説いたものを教義という。
―――
義
①常住不変の仏の哲理。②文義意のこと。
―――――――――
先の段で述べられた本門の戒法が確立された後は、叡山の迹門の理戒は無益となると仰せられ、それだけでなく、今すでに叡山の戒壇は、座主の慈覚・智証以後、「理同事勝」の邪義を根本としたため、「土泥となりぬる」とあるように汚染されていることから、本門の戒壇建立以前においても、叡山の戒壇で受戒してはならないと戒められている。
「一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人」とは、一般的に仏教を正しく学んでいる人という意味であるが、別しては、日蓮大聖人の門下を指しておられることはいうまでもない。
理同事勝の狂言
大聖人は法華真言勝劣事で、弘法大師空海の立てる真言密教の義と慈覚・智証等によって立てられた叡山天台宗の密教の義との違いを明確にされ、次のように説かれている。
「東寺の弘法大師空海の所立に云く法華経は猶華厳経に劣れり何に況や大日経等に於いてをやと云云、慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然和尚等の云く法華経の理は大日経に同じ印と真言との事に於ては是れ猶劣れるなりと云云」(0120-01)と。
弘法の東密の場合は法華経を第一大日経、第二華厳経に次いで第三の位置に貶めている。いわゆる「三重の劣」としている。一方の慈覚等の台密はもともと叡山天台宗が伝教大師・義真・円澄までは法華経を根本の依経とする立場であったところへ大日経の真言密教を取り入れるために作り上げられた教義で、それはここに仰せのように、法華経と大日経とは「理」においては同じであるが、印と真言という実際の儀式、作法の「事」相においては大日経が勝り、法華経が劣るというものである。結論的には「真言経第一・法華経第二」という説である。従って、法華経に対する誹謗の度合いは弘法の東密のほうが甚だしいが、日本仏教界を歪めた罪の大きさでは、台密のほうがはるかに重大であるというのが日蓮大聖人の評価である。
存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事
理戒にすぎない延暦寺の戒は、末法における法華経本門文底の事の戒法が確立された以後は、利益を完全に失ってしまうものであるが、それ以前の小乗戒、大乗戒と比較すると、法華経迹門の一仏乗の教えに基づいた。だれもが頓に悟って成仏する円頓戒であり、それなりの高い価値をもつものであった。その観点から、それまでのように大乗・小乗の戒が混在するようなものではないところを「清浄無染」と形容され、しかも、法華経に基づく戒であるところを「中道の妙戒」と言われたのである。
しかし、伝教大師は、天台宗と真言の勝劣について内心では明確に認識していたが、外に対しては明確に説くことはなかった。この点について日蓮大聖人は、撰時抄で次のように述べられている。
「漢土日本の天台宗と真言の勝劣は大師心中には存知せさせ給いけれども六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺日本一州一同に真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万人にいたるまでをぼしめしをもえり、しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける」(0264-09)
伝教大師は南都六宗と自らの天台法華宗の勝劣は、公場対決によって明確にされたが、弘法が新しく伝えた真言宗とは公場で対決し明確にしないまま入滅したので、伝教大師が亡くなったあとは、真言宗が天台宗に勝っているとする邪説がはびこったことを嘆かれている。
本抄では、このことをさらに明解に指摘されて、せっかく伝教大師が立てた「清浄無染の中道の妙戒」である円頓戒が、慈覚・智証による真言密教導入のために、「土泥」となってしまった、これは摩黎山が瓦礫の土と化し、その栴檀林が荊棘となってしまった以上に残念なことであると仰せられている。
1023:05~1023:07 第九章 三大秘法の禀承を示すtop
| 05 此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として 06 日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、 今日蓮が所行は 霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ 07 寿量品の事の三大事なり。 -----― この三大秘法は二千余年前のその時、地涌の菩薩の上首・上行菩薩として日蓮が確かに教主釈尊の口から直接に相伝したのである。今、日蓮が修行し広めている法門は霊鷲山において相承した通り、少しばかりの相違もなく、色も形も変わらない法華経本門寿量品文底の事の三大秘法である。 |
三大秘法
日蓮大聖人が建立された宗旨で、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇をいう。この本尊とは法華経の本門ではなく、文底独一本門の意味。したがって本門の本尊とは、文底独一本門・事の一念三千の妙法が顕された本門戒壇の御本尊をいう。本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目、本門の戒壇とは、本門の本尊の御安置の場所をいう。
―――
二千余年の当初
地涌の菩薩の上首・上行菩薩が法華経神力品で釈尊から結要付嘱されたそのときのこと。
―――
地涌千界の上首
地涌の菩薩の上首・唱導の師である上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩、なかんずく上行菩薩のこと。
―――
教主大覚世尊
仏教の教主である仏のこと。大覚教主大覚世尊とは、仏の覚りのこと。世尊とは仏の十号のひとつで、あらゆる人々から尊敬される者の意。大覚世尊とはこれら二つの語をあわせたもの。釈迦牟尼仏の別称。
―――
口決相承
師匠と弟子が親しく面談・授受し、教義・法門を相承すること。仏法の奥義を伝える相伝で、師資相承ともいう。
―――
所行
振舞・行為・またその法。
―――
霊鷲山の禀承
法華経如来神力品第21に説かれる結要付嘱のこと。霊鷲山で説かれた法華経では、釈尊が浄行菩薩の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に妙法蓮華経を付嘱し末法流布を託している。
―――
芥爾計り
少しばかりの意。
―――
色も替らぬ
その形のまま、全く変わらないこと。
―――
寿量品の事の三大事
寿量品とは、南無妙法蓮華経如来寿量品のことで、内証・文底の寿量品である。事の三大事とは本門の本尊・本門の戒壇・本門の本尊のこと、三大違法である。内証の寿量品については百六箇抄に「自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(0863-04)とある。
―――――――――
三大秘法の法体を明かされた結びとして、日蓮大聖人が地涌の菩薩の上首・上行菩薩として、法華経の会座でこの三大秘法を相承したこと、いま大聖人が広めている妙法が、その付嘱された通りの三大秘法であると仰せられている。
本抄の冒頭で、三大秘法の法体が法華経如来神力品第二十一において、教主釈尊から上行等の四菩薩を筆頭とする地涌の菩薩に結要付嘱・別付嘱されたことが説かれていた。ここでは、それを受けられて「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」と断言されている。
二千余年の当初とは、法華経如来神力品が説かれた二千余年前の〝その時〟ということである。その時、地から涌き出た千世界の微塵の数ほどの菩薩たちの筆頭・上行菩薩として、日蓮大聖人は大いなる覚りを開いた久遠実成の教主釈尊から直接、三大秘法の法門を口伝えで相承された、という深遠なる奥義の一端をここに示されたのである。
次いで「今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」と仰せられている。すなわち、今末法の日本国にあって広宣流布を目指して自行・化他、破邪顕正の活動を展開されている大聖人の「所行」とその法が二千余年前のその時に霊鷲山で教主釈尊から禀承された法体、すなわち寿量品の文底に秘沈された三大秘法そのものである、との意である。
日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり
日寛上人は文底秘沈抄で次のように説いている。「若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり、若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり」と。
外用の浅近とは仏・菩薩が衆生教化の働き、用として衆生の機根に合わせて外面に現す姿であり、仏・菩薩にとっては浅いが衆生に近しい姿である。これに対して、内証の深秘というのは外用の姿の奥に隠されている仏・菩薩の深い内なる悟りのことである。
この立て分けによって拝すると、この御文が外用の浅近の立場から述べられていることは明らかである。そして、内証の深秘の立場からいえば日蓮大聖人は久遠元初の自受用報身如来として本来、三大秘法を御所持されており、教主釈尊より相承されるまでもない、ということが明らかである。
1023:08~1023:16 第十章 事の一念三千の依文を示して結ぶtop
| 08 問う一念三千の正しき証文如何、答う次に出し申す可し此に於て二種有り、方便品に云く「諸法実相.所謂諸法. 09 如是相・乃至欲令衆生開仏知見」等云云、 底下の凡夫・理性所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来・ 10 無量無辺」等云云、 大覚世尊・久遠実成の当初証得の一念三千なり、 今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布する 11 なり予年来己心に秘すと雖も 此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、 其 12 の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間 貴辺に対し書き送り候、 一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮 13 無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は 此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、 秘す可 14 し秘す可し。 15 弘安五年卯月八日 日 蓮 花 押 16 大田金吾殿御返事 -----― 問う。一念三千の正しい経文の証拠はどうか。 答える。次に出し、説こう。これに二種がある。法華経方便品第二に「諸法の実相……いわゆる諸法の如是相(中略)衆生をして仏知見を開かせようと欲する」等とある。この文は機根の劣った凡夫が理として生命の本性に備えている一念三千を表している。法華経寿量品第十六に「しかるに善男子よ、我が実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫である」等とある。この文は釈尊が久遠に成仏した当初に証得した一念三千である。今、日蓮が末法の時に感じて、この法門を広く宣べ流布するのである。私が久しい以前から自己の心に秘めてきたが、この三大秘法の法門を書き付けて留め置かなければ、我が門下の後の弟子らが必ず無慈悲であると悪口をいうであろう。その後はどのように悔いても及ばないことと思う故に、あなたに対しこの法門を書き送ったのである。一見した後、秘蔵して他人に見せてはならない。むやみに他人に話しても無益である。法華経を諸仏がこの世に出現した一大事と説かれるのは、この三大秘法を含めている経であるからである。秘密にすべきである。秘密にすべきである。 弘安五年卯月八日 日 蓮 花 押 大田金吾殿御返事 |
一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
―――
証文
①証拠となる文献・文書。②権利を証明する文書。
―――
方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
―――
諸法実相
諸法はそのまま実相であるということ。法界三千のいっさいの本然の姿は、妙法蓮華経の当体であるということ。諸法実相の仏とは、十界互具・一念三千の仏のことであり、三十二相をそなえた色相荘厳の仏ではなく、凡夫そのまま、ありのままの仏である。諸法実相抄には「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」(1358-01)「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(1359-03)とある。
―――
所謂諸法
妙法蓮華経方便品第2の住如是の冒頭の文。「いわゆる諸法は」と読む。
―――
如是相
法華経方便品第二に説かれる十如是のひとつ。あらゆる存在には必ず「相」がありそのことを「如是相」という。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
欲令衆生
衆生を……のようにさせたいということ。
―――
開仏知見
開示悟入・四仏知見のひとつ。開とは信心のことである。信心をもって妙法を唱え奉れば、やがて仏知見を開くことができるのである。信心の異名である。
―――
底下の凡夫
低下は卑しい・劣っていること。凡夫が煩悩を断ずることのできない愚鈍な衆生であるところから、このようにいう。
―――
理性所具
一切の事物・事象の中に本来そなわっている本性で、永遠に変わることのない法則・真理。
―――
寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
―――
我実成仏已来・無量無辺
法華経如来寿量品第16の文。「我は実に成仏してよりこのかた、無料無辺なり」と読む。釈尊の久遠実成を表し、事の一念三千を表している。
―――
大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
―――
久遠実成の当初
久遠実成は五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かしたこと。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。当初とは、さらにその前、久遠元初をさす。
―――
広宣流布
仏法を広く宣べ流布すること。
―――
門家の遺弟
門家は法門を信ずる一門。遺弟は師の遺志を継ぐ継承者。
―――
無慈悲
慈悲がないこと。
―――
讒言
告げ口・悪口をいうこと。
―――
他見
他人に見せること。
―――
口外
口に出して話すこと。
―――
諸仏出世の一大事
三世十方の諸仏がこの世に出現した最も大事な目的。
―――
卯月
旧暦の4月。
―――
大田金吾
日蓮大聖人御在世当時の信者。太田五郎左衛門尉乗明のこと。太田乗明、太田金吾、太田左衛門尉ともいう。鎌倉幕府の問注所の役人で富木常忍に折伏されたといわれる。下総国葛飾郡(千葉県市川市)の中山に住し、富木や曽谷氏らとともに大聖人の外護に努めた。三大秘法抄、転重軽受法門など多数の御書をいただいている。
―――――――――
本抄の結びに当たって「一念三千」について御教示されているのは、唐突の感を受けるが、法華経の法理の究極であるとともに、すべてを包含しているのが「一念三千」であり、久遠五百塵点劫の当初に仏が証得した法そのものであることを明かされるためである。言い換えると、これまで説き進めてこられた三大秘法が寿量品文底の事の一念三千の法そのものであることを明らかにされんがためである。義浄房御書にも「寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就事……」(0892-02)と仰せの通りである。
ここではまず、一念三千を根拠づける正しい証文は何であるか、という問いを設けられ、これに答えて二種類あるとして、法華経方便品と寿量品の経文を挙げられている。
一つは法華経迹門・方便品第二の「諸法実相。所謂諸法、如是相……欲令衆生開仏知見」等の経文を挙げられ、「底下の凡夫・理性所具の一念三千か」と仰せられている。
方便品第二では諸法実相・十如是が説かれ、諸法すなわち十界のすべてに十如実相を具えていること、それを悟っているのが「諸仏智慧」すなわち、仏の仏たる所以の智であることが明かされ、衆生をして仏知見を開かせ、示し、悟らせ、入らしめることが、仏の一大事因縁であることが説かれた。
衆生をして仏知見を開かしめるということは、一切衆生のなかに「仏知見」がもともと秘められているということである。
いかなる衆生の生命にも理の上で具わっている仏性・仏智見が「底下の凡夫・理性所具の一念三千」である。
これに対して、いま一つは法華経本門・寿量品第十六の「然我実成仏已来、無量無辺」等の経文を挙げられた後、「大覚世尊・久遠実成の当初証得の一念三千なり」と仰せられている。これは、釈尊が久遠五百塵点劫の成道のその当初に証得し、それによって成道し仏になったところの一念三千ということである。
方便品に示されているのが、すべての凡夫の生命にある可能性としての一念三千である故に「理の一念三千」であるのに対し、寿量品の示しているのは、久遠五百塵点劫において実際に成道した仏の証得した一念三千である故に「事の一念三千」になる。
さらに、文底からいえば、大聖人が久遠元初において、名字凡夫の身に所持された法体は、文上の理の一念三千、事の一念三千を共に理の一念三千と位置付ける真の「事の一念三千」であり、妙法であるということである。久遠元初において、自身に証得されたが故に真の「事の一念三千」であり、いま末法においても人法体一であられる故に真の「事の一念三千」である。また久遠元初においても末法においても、大聖人は「名字即の凡夫」の身に仏種である真の「事の一念三千」を体現されている故に「本因妙の教主」といわれる。
次に、「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候」と述べられ、「一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」と、大田金吾に対して、この御書を軽々と他人に見せてはならないし、むやみに口外するのは無益であり、もってのほかであると厳しく戒められている。
ここで考察しておきたいのは、本抄で御教示されたことのいずれが、この戒めの焦点になっているのかということである。
一見すると、三大秘法そのものを明かされたことがそれに当たると考えられがちであるが、三大秘法が大聖人の独自の法門であること、また、三大秘法それぞれの名目・相貌については、建治2年(1276)の報恩抄などでも明らかにされている。報恩抄は、亡くなった旧師・道善房への報恩のために著され、後に六老僧に列せられる日向を遣わし、修行時代の兄弟子、浄顕房、義浄房立ち会いのもと、道善房の墓前で読み上げさせられた御抄であり、決して「内密にするよう」などと断られていない。
にもかかわらず、三大秘法抄で「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し」等々と仰せられているのはなぜか、という疑問が生ずる。
この疑問に答えるためには「三大秘法」のそれぞれについての両御抄の仰せを対照し、報恩抄には言明されていないが三大秘法抄で初めて明らかにされているのはどの点であるかを抽出する必要がある。
まず総論として、この三大秘法が正像未弘の法であり、大聖人独自の法門であることについては、報恩抄にも次のように仰せられている。
「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり」(0328-13)
これは本抄において「其の所属の法門仏の滅後に於ては何れの時に弘通し給う可きか」との問いを設け、それに対し薬王品の文を引かれて「謹んで経文を拝見し奉るに仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳・闘諍堅固・白法隠没の時云云」と答えられて、あくまで末法であることを示されているのと合致している。
このことは、報恩抄に限らず、開目抄、観心本尊抄などでも、さらに、最も根本的には撰時抄に明かされている点である。従って、これが「この三大秘法抄で明かしておかなければ門家の遺弟が、無慈悲であるとの讒言を加えるであろう」といわれるような問題でないことは明白である。
では次に、三大秘法のそれぞれについてはどうか。
まず「本尊」について報恩抄にはこう記されている。「一(には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(0328-15)
これに本抄の「本門の本尊」についての仰せと対照してみよう。本抄の場合は、まず「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」と仰せられ、その寿量品の仏の境地を明かした文として「如来秘密・神通之力」を挙げるとともに、この文の義を釈した天台の法華文句の「一身即三身なるを名けて秘と為し……仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」を引用されている。
報恩抄の文にある「日本・乃至一閻浮提・一同に」については、本抄の場合、戒壇の部分で「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」と仰せられているのと符合している。一方は本尊に関しての仰せであり、後者は戒壇に関しての仰せという違いはあるが、本門の本尊が安置される所が本門の戒壇であることは明白であるから、二つは同じことになる。
「本尊」の体として示されている報恩抄の「本門の教主釈尊」と本抄の「五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊」も全く同義である。ただし、報恩抄では「宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(0328-16)と仰せられて、多宝如来と相並ぶ立場のインド応誕の釈迦如来を脇士と位置付けることによって、ここで主尊の「本門の教主釈尊」は久遠本仏であることを明確化されたのを、本抄では「本有無作の三身」と明示されることによってさらに明確にされている。
寿量品の「如来秘密・神通之力」の文と天台大師の釈とは、この「本有無作の三身」ということを裏打ちするために引用されたものである。
次に、報恩抄の御文では順序が逆になるが、本門の題目についてみよう。
報恩抄では「三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」(0328-16)と仰せられ、さらに、この南無妙法蓮華経の題目を唱えさせることによって、あらゆる人々を救おうとしているのであると述べられている。
これに対し三大秘法抄では、「題目とは二の意有り所謂正像と末法となり」と、正法の天親・竜樹、像法の南岳・天台のように南無妙法蓮華経の題目を唱えた人はいるが、それらは「自行」のみであったとされ、それに対し、末法の今、大聖人が広めているのは「自行化他にわたる題目」であるところに違いがあるといわれている。
報恩抄の御文でも、大聖人の題目が自行化他にわたることは明らかであるが、正法・像法時代を明確に「自行のみ」と断じて、その上で末法における大聖人の弘教の特徴を浮き出させておられるところに、三大秘法抄の際立っている点がある。そして、これが、次の「本門の戒壇」に関する仰せに深くつながっていくと拝されるのである。
報恩抄において「戒壇」は「本尊」についての仰せの後、ただ「二には本門の戒壇」(0328-16)とあるのみで、それ以上は何も説明されていない。ここでは「戒壇」は、ただ「本門の本尊が安置される所」であり、「戒壇」という呼称から出てくる「授戒が行われる場」の意であると拝される。むしろ、報恩抄では、そのあと「題目」に力を入れられている。すなわち題目を人々に唱えさせることによって、無限に続く衆生救済の実践が繰り広げられるという印象が強い。同抄のすぐあとの「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(0329-03)の一文は、特にこの印象を鮮明にしている。
そして、そこで達成される一切衆生の真実の「幸福」「救い」は、「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳」(0329-03)であり、「無間地獄の道をふさぎぬ」(0329-04)と仰せのように、現実社会の有為転変を超越した永遠性の次元も含意されている。
これに対して、三大秘法抄の場合は「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時……戒壇を建立す可き者か」と、戒壇建立は、大聖人の仏法の流布が伸展して、多くの人々が御本尊を受持・実践する姿の中に現れるべき目標であることを示されている。
現実の人間社会は、年々歳々、人が生まれ、死んで世代交代を続けていくし、人間が自身の欲望や感情をもち思考能力を有する存在である限りは、逸脱者や傍観者も出るから、正しい仏法への覚醒運動、題目の自行化他の実践に終幕はありえないし、また、自行化他の絶えざる実践があってこそ信仰の息吹は持続されていく。
また、こうした広宣流布の運動が現実社会の中で展開されていくものである以上、信仰のよりどころとなる法も、現実社会との関わり合いの中で、一つの具体的な姿を示さなければならない。「戒壇を建立す可き者か」と述べられる通りであり、「本門の戒壇」建立は広宣流布の伸展の中にこそ、その意義があると拝すべきであろう。そして本抄における「戒壇」建立の当時の条件などについての仰せも、まさにこの視点から拝したときに、その意義が明らかになるとともに、本抄の御執筆がなかったら門家の遺弟は無慈悲の讒言を加えるだろうといわれた所以(ゆえん)がはっきりしてくると思われる。
従って、三大秘法の中でも「戒壇」建立に当たっての、具体的な、仏法と王法との関わりなどに言及されたところに本抄だけの独自性があり、またそれ故にこそ、出家の門下でなく、在家門下で、しかも幕府中枢にもつながりをもっていた大田氏に送られ「一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」と戒められたのであると考えられる。
最後に「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」と仰せられ、「秘す可し秘す可し」と結ばれているのは、三大秘法が一切仏法の究極であることを重ねて強調されたものである。
法華経を説くことが三世十方の諸仏の出世の一大事であるということは、法華経の方便品第二に説かれていることで、そこでは衆生に内在する仏知見を開き、示し、悟らせ、仏道に入らせることが三世十方の諸仏が世に出る最大の目的であると述べられている。大聖人はここで、法華経を説くことがなぜそれほどに大事とされるかという理由を「此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」と、法華経の尊さの根源が三大秘法にあることを強調されている。従って、ここで仰せの「秘す可し」は他人に全く説いてはならないということではない。なぜならこれを説かなければ、末法において化他行は成り立たないからである。あくまで、この「秘す可し」は大事中の大事の法門であるとの御心と拝すべきであろう。