top ホームページtopへ
日蓮大聖人御書講義251198~1230
1199~1203 月水御書(方便寿量読誦事)
1199:01~1199:11 第一章 唱題の功徳を教える
1199:11~1200:07 第二章 夫人の法華経受持を称賛する
1200:07~1201:01 第三章 題目の功徳を強調する
1201:01~1201:16 第四章 信謗の功罰を説く
1201:16~1202:04 第五章 方便・寿量の読誦を教示する
1202:05~1202:15 第六章 月水時の行法を明示する
1202:15~1203:12 第七章 修行の要諦を教える
1203~1205 大学三郎殿御書(権実違目)
1203:01~1204:05 第一章 諸宗の教義を慨説する
1204:06~1204:16 第二章 諸宗の誤りを明示する
1204:17~1205:08 第三章 真言宗の誤りを指摘する
1205:09~1205:17 第四章 持戒の本義を説く
1206~1210 星名五郎太郎殿御返事
1206:01~1206:07 第一章 仏法に邪正があることを教える
1206:08~1207:05 第二章 法の邪正判断の規範を説く
1207:05~1207:18 第三章 念仏・真言を破折する
1208:01~1209:03 第四章 真言の謬りを糺す
1209:04~1209:16 第五章 念仏・真言の邪見の失を明かす
1209:17~1210:03 第六章 結語
1210~1210 大豆御書
1210~1212 寿量品得意抄
1210:01~1211:01 第一章 爾前・迹門の二失を挙げる
1211:01~1211:09 第二章 寿量顕本の意義を述べる
1211:09~1212:03 第三章 本門寿量の肝心を示す
1212~1212 五人土籠御書
1213~1213 土籠御書
1213~1217 日妙聖人御書
1213:01~1214:04 第一章 楽法梵志の求道を説く
1214:04~1214:09 第二章 釈迦菩薩の求道を説く
1214:10~1215:04 第三章 雪山童子の求道を説く
1215:05~1215:09 第四章 薬王・不軽等の求道を説く
1215:10~1216:08 第五章 妙法の功徳力を説示する
1216:08~1216:11 第六章 時にかなう仏道修行を示唆する
1216:11~1217:09 第七章 日妙尼の求道心を称える
1217:11~1217:16 第八章 日妙尼の信心を励ます
1213~1217 日妙聖人御書2014:03大白蓮華より先生の講義
1218~1222 乙御前御消息(身軽法重抄)
1218:01~1218:06 第一章 内道・外道の勝劣を明かす
1218:06~1219:02 第二章 法華経最第一を説く
1219:03~1219:09 第三章 法華経の行者と真言師の勝劣を示す
1219:10~1219:16 第四章 謗法の現証を示す
1219:17~1220:13 第五章 諸天の加護を説く
1220:13~1221:01 第六章 国中の人の唱題を予告する
1221:01~1221:12 第七章 強盛な信心を教える
1221:12~1222:10 第八章 末法御本仏の胸中を明かす
1218~1222 乙御前御消息(身軽法重抄)2009:7.8.9月号大白蓮華より。先生の講義
1222~1223 乙御前母御書
1223~1224 弁殿御消息
1224~1224 弁殿尼御前御書(大兵興起御書)
1224~1224 弁殿尼御前御書(大兵興起御書) 2015:03月号大白蓮華より。先生の講義
1225~1226 弁殿御消息
1226~1227 弥源太殿御返事(善悪二刀御書)
1226:01~1226:09 第一章 値難の必然性を説く
1226:10~1227:09 第二章 供養を讃え信心を勧める
1227:10~1227:17 第三章 安房御誕生の果報を明かす
1228~1229 弥源太入道殿御返事(転子病御書)
1229~1230 弥源太入道殿御消息(建長寺道隆事)
1199~1203 月水御書(方便寿量読誦事)top
1199:01~1199:11 第一章 唱題の功徳を教えるtop
| 1199 月水御書 文永元年四月 四十三歳御作 与大学三郎妻 01 伝え承はる御消息の状に云く 法華経を日ごとに一品づつ二十八日が間に一部をよみまいらせ候しが当時は薬王 02 品の一品を毎日の所作にし候、 ただ・もとの様に一品づつを・よみまいらせ候べきやらんと云云、法華経は一日の 03 所作に一部八巻.二十八品・或は一巻・或は一品・一偈・一句・一字.或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍とな 04 へ・或は又一期の間に只一度となへ・ 或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し・或は又随喜する声を聞い 05 て随喜し・是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事・ 二三歳の幼穉の者のはかなきが如 06 く・牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく・舎利弗・目連・文殊 07 弥勒の如くなる人の 諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも 勝れたる事・百千万億倍なるべきよ 08 し・経文並に天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り、 されば経文には「仏の智慧を以て多少を籌量すとも其の辺を得 09 ず」と説かれて 仏の御智慧すら此の人の功徳をば・しろしめさず、 仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に 10 七日・若しは二七日なんど・ふる雨の数をだにも・ しろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳 11 をのみ知しめさずと見えたり、 何に況や我等逆罪の凡夫の此の功徳をしり候いなんや、 -----― 言付けられましたお手紙に「法華経を日毎に一品ずつ、二十八日の間に法華経一部を読誦していましたが、現在は薬王品の一品を毎日のつとめとしております。ただ、もとのように一品ずつを読誦すべきでしょうか」とありました。 法華経は一日のつとめに一部八巻二十八品、あるいは一巻、あるいは一品・一偈・一句・一字、あるいは題目ばかりを南無妙法蓮華経とただ一遍唱え、あるいはまた一生の間にただ一度唱え、あるいはまた一生の間にただ一遍唱えるのを聞いて随喜し、あるいはまた、その隨喜する声を聞いて隨喜し、このように五十展転して、おわりになれば志も薄くなり、隨喜の心の弱いことは、二・三歳の幼子がはかないように、牛馬などが前後をわきまえないのと同じようにはかなくなっても、他の経を修学する人で、利根の智慧も深く、舎利弗・目連・文殊・弥勒のような、諸経を胸中に浮かべておられる人々の御功徳よりも、勝れていることは百千万億倍であると、法華経や天台・妙楽の著した六十巻の書物の中に明かされている。 それゆえ、経文には「仏の智慧を以って多少を籌量すとも其の辺を得ず」と説かれており、仏の御智慧でさえ、この人の功徳を知ることはできないのである。仏の智慧のありがたさは、この三千大千世界に七日(1週間)、もしくは二七日(2週間)などの間に降る雨の数ですらもご存知になるほどであるが、ただ、法華経の一字を唱えた人の功徳だけは知ることはできないと経文にあらわれている。いかにいわんや、われら逆罪の凡夫がこの功徳を知ることができようか。 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。 後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284-08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266-11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546-11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910-17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
薬王品
妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。
―――
毎日の所作
朝夕の勤行・他。
―――
一部八巻・二十八品
法華経の構成をいう。
―――
一偈
「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
―――
一句
句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。
―――
一期
一生。
―――
随喜
「事理に随順し、己を慶び、人を慶ぶなり」と釈し、釈尊の本地深遠の常住を聞いて信順すること、「理に順う」といい、仏の三世益物の一切処に遍きを聞いて信順することを「事に順う」という。「己を慶ぶ」とは、迹門の諸法実相の理、および本門の久遠本地の事を聞いて信解し歓喜を生ずつこと。「人を慶ぶ」とは、仏も衆生も無作の三身を所具しているとの観をもって一切衆生に正道を悟らせようとする大慈悲心を発すことをいうのである。観心の立場から論ずるならば、永遠の生命観に立ち、御本尊の絶対なる功力を信じ、歓喜して行学の力強い実践に励むことである。
―――
五十展転
仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、順次に伝えて五十人目に至ること。法華経随喜功徳品第十八に「阿逸多よ。如来の滅後に、若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、及び余の智者の、若しは長若しは幼は、是の経を聞いて随喜し已って、法会従り出でて、余処に至り、若しは僧坊に在り、若しは空閑の地、若しは城邑・巷陌・聚落・田里にて、其の聞く所の如く、父母・宗親・善友・知識の為めに、力に随って演説せん。是の諸人等は、聞き已って随喜して、復た行きて転教せん。余の人は聞き已って、亦た随喜して転教せん。是の如く展転して、第五十に至らん」とある。展転は、ころがること。めぐりうつることの意。同品では、この五十番目の衆生の随喜の功徳は、無数の衆生に楽具を施し阿羅漢果を得させて得られる功徳より大きいと説いている。
―――
幼穉
幼いこと。
―――
はかなき
変化して定まらない、頼りないこと。
―――
利根
利は鋭利、根は信根不疑等の五根、あるいは眼等の五根である。鈍根に対する語。能力の鋭利なものをいう。
―――
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
―――
目連
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
―――
文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
―――
弥勒
慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
―――
天台・妙楽の六十巻
天台大師智顗の「摩訶止観」十巻、「法華玄義」十巻、「法華文句」十巻と、これらに妙楽大師湛然が注釈を加えた「止観輔行伝弘決」十巻、「法華玄義釈籖」十巻、「法華文句記」十巻のこと。法華文句記巻十中には「故に方便の極位の菩薩、猶尚第五十の人に及ばず」とあり、このほか摩訶止観巻一下には「当に知るべし、小乗の極果は大乗の初心に及ばざることを」、法華文句巻十上には「後果に住すと雖も、我が初心に及ばず」とあるなど、法華経を初めて信仰した者の功徳の広大であることを明かしている。
―――
逆罪の凡夫
理に逆らう重罪・五逆罪等を犯す凡夫。
――――――
本抄は、文永元年(1264)4月17日、鎌倉において執筆され、比企大学三郎能本の夫人に与えられた書といわれている。夫の大学三郎は比企家が没落したのち、京都へ行き儒学を修した。順徳天皇に仕えた恩籠を受けるが、のちに鎌倉に赴き幕府に用いられ儒官となる。文応のころに日蓮大聖人に帰依したといわれる。大学三郎の信心は、大聖人の指導どおりに実践する純真なものであったことは、四条金吾殿御返事に「だいがくどの・ゑもんのたいうどのの事どもは申すままにて候あいだ、いのり叶いたるやうにみえて候」(1151-11)とあるところからも知られる。
本抄は別名「方便寿量読誦事」というように、平時における在家女性信徒の修行について法華経一部読誦と薬王品の一品読誦のいずれにすべきかとの夫人の質問に対し、方便・寿量を読誦するよう述べられている。本抄末尾に月水時の行法について質疑応答があるところから、本抄の題号がこのように呼びならわされているが、内容の比重からすれば、別名のほうがふさわしいように思われる。
本抄では、夫人の質問に対し、まず法華経のいかに功徳甚大であるかを説き、次に方便・寿量の二品に一切含まれるゆえに、この二品を読誦すべきことを教えられ、また唱題も、夫人は南無一乗妙典と唱えていたが、南無妙法蓮華経と唱えるべきことを教えられている。最後に、月水時の行法について、本来忌むべきことではないが、世間の風習を考慮に入れるなら、唱題だけをするようにしてはどうかと一往いわれている。
法華経を日ごとに一品づつ……薬王品の一品を毎日の所作にし候
大学三郎の夫人が薬王品をとくに読誦したことについては、同品に、「若し女人有って、是の薬王菩薩本事品を聞いて、能く受持せば、是の女身を尽くして、後に復た受けじ。若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏・大菩薩衆の囲繞せる住処に往きて、蓮華の中の宝座の上に生じ」とあり、女人成仏を説いた品として重用されていたようである。このなかで「女身を尽くして、後に復た受けじ」とは、改転の成仏ではなく、一念三千の成仏であり、文中の阿弥陀も権経の仏ではなく法華経の阿弥陀であると読むべきである。
大聖人は薬王品得意抄の中で「此の法華経の薬王品に女人の往生をゆるされ候ぬる事又不思議に候」(1503-07)と述べられており、女性が二十八品の中でとくに薬王品を選んで読誦していた背景がうかがわれる。しかし薬王品を根本のように思うのは本末顚倒である。同抄の中でも薬王品は「正には寿量品を末代の凡夫の行ず可き様を・傍には方便品等の八品を修行す可き様を説く」(1499-04)品で、あくまで方便・寿量が根本であることを教えられている。
また夫人は薬王品読誦の前は一日一品ずつの一部読誦をしていたが、当時一般に一部読誦や書写等が盛んで、唱題は一部読誦の易行化であると考える向きもあったようである。しかし大聖人は、唱法華題目抄の「常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし」(0012-16)や妙法尼御前御返事の「法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、朝夕御唱え候はば正く法華経一部を真読にあそばすにて候」(1402-15)の御文をみても分かる通り、あくまでも唱題を第一にすべきことを教えられていたのである。
本抄の答えでも、最初は「法華経は一日の所作に一部八巻二十八品、或は一巻」等と大学三郎夫人の質問に合わせた書き出し方をされているが、のちに「或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ」といわれ、末尾のほうでは「暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ」「経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし」等と、唱題第一であることを教えられているのである。
なお一部読誦については、要法寺日辰等が五老僧の一部読誦の義を宣揚したが、日寬上人が末法相応抄上で、三つの理由を挙げて明確に破折している。一つは、正行の題目を妨げるがゆえに一部読誦を許さないのである。二十八品の読誦をすることは多くの時間を要し、根本たる唱題をおろそかにするゆえである。二には、末法は折伏の時である。五人所破抄に「今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専とせず但五字の題目を唱え三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責む可き者か」(1614-17)とあり、一部読誦は正像摂受の修行であり末法折伏の時においては行じないのである。三には、多くの人がこの法華経のいわれを知らないゆえである。法華経のなんたるかを知らないで読誦したとしても、無意味である。一代聖教大意にいわく「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(0404-03)と。
受持・読・誦・解説・書写の五種の修行は正像時代の修行であり、日女御前御返事に「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(1245-04)とあるごとく、唱題受持の行に一切が含まれるのである。
1199:11~1200:07 第二章 夫人の法華経受持を称賛するtop
| 11 然りと云えども如来滅後 12 二千二百余年に及んで 五濁さかりになりて年久し 事にふれて善なる事ありがたし、 設ひ善を作人も一の善に十 13 の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り 心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり、 然るに如 14 来の世に出でさせ給いて候し 国よりしては二十万里の山海をへだてて 東によれる日域辺土の小嶋にうまれ・五障 15 の雲厚うして三従の・きづなに・つながれ給へる女人なんどの御身として法華経を御信用候は・ありがたしなんど・ 1120 01 とも申すに限りなく候、 凡そ一代聖教を披き見て 顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を 02 捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。 -----― そうではあるが、釈尊滅後二千二百余年に及んで、五濁が盛んになって年も久しい。何事につけても善い事はきわめて少ない。たとえ善を行なう人も、一つの善を行なうために、十の悪を造り重ねてしまい、結局は小善のために大悪を造り、心では大善を修行したという慢心を起こす世となった。 ところがあなたは、釈尊の出生された国からは、二十万里の山海を隔てて、東によった日本という辺境の小島に生まれ、五障の雲が厚く三従の絆につながれた女人の御身として、法華経を信用されることは、まことに珍しく立派であるなどとも、どのように申しても限りないほどである。 およそ一代聖教を聞き見て、顕教、密教の二道を究めたような智者、学匠ですらも、近ごろは法華経を捨て念仏を称えているというのに、あなたはどのような宿善があって、この法華経を一偈一句も唱えられる御身と生まれられたのであろうか。 -----― 03 されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく・ 一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き 04 事かなと・心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、 一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・は 05 げみ候へども只恐らくは雲の月をかくし 塵の鏡をくもらすが如く 短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠 06 しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、 然りと云えども貴命もだすべきにあらず 一滴を江海に加へ 07 シャツ火を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、 -----― それ故、このお手紙を拝見することは、優曇華を見たよりも珍しく、一眼の亀の浮木の穴に値うよりもまれな事かと、心から尊いことであると思ったので、一言一点でも随喜の言葉を加えて、あなたの善根の余慶にもなるようにと励んだが、ただおそらくは雲が月を隠し、塵が鏡を曇らすように、短くつたない言葉で、ことに優れてすばらしいあなたの御功徳を隠し、曇らすことになるのではないかと、恐れ思うばかりである。そうはいっても、もしあなたからの御尋ねに、黙っているわけにもいかないので申し上げるのである。一滴の水を大海に加えて水を増し、ともし火を日月に添えて、光を加えたほどと思っていただきたい。 |
五濁
劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。
―――
日域
日本のこと。
―――
辺土
片田舎、①仏教発祥の地インドから遠く離れた日本のこと。②日蓮大聖人御生誕の地が日本の中心地である京都・鎌倉から遠く離れた地であること。
―――
五障
女性の五つの障害。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。
―――
三従
中国で,古来用いられた婦人の生涯に対する箴言 。『礼記』や『儀礼』などにもみえる。女性は「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては 子に従う」ものとされ,家庭のなかにおける婦人の従属性を示す言葉。
―――
一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
―――
顕密二道
顕宗と密宗のこと。真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身のるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。
―――
智者学匠
知恵あるもの、学者。
―――
宿善
過去世に積んだ善根のこと。善根とは善を生ずるもとになるもののこと。善根をつむことによって善い果報を受けることができる。宿縁のことともいえる。
―――
優曇華
梵語ウドンバラ(Udumbara)の音写「優曇波羅」の略。霊瑞と訳す。①インドの想像上の植物。法華文句巻四上等に、三千年に一度開花するという希有な花で、この花が咲くと金輪王が出現し、また、金輪王が現れるときにはこの花が咲く、と説かれている。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く」とあり、この花を譬喩として、仏の出世に値い難いことを説いている。②クワ科イチジク属の落葉喬木。ヒマラヤ地方やビルマやスリランカに分布する。③芭蕉の花の異名。④クサカゲロウの卵が草木等についたもの。
―――
一眼の亀
松野殿後家尼御前御返事には「たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し」(1391-10)とあり、これを凡夫の邪見の譬えとして「東を西と見・北を南と見る事をば我れ等衆生かしこがほに智慧有る由をして勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ、得益なき法をば得益あると見る・機にかなはざる法をば機に・かなう法と云う、真言は勝れ法華経は劣り真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。」(1392-02)と、申されている。
―――
善根
善い果報を招くべき善因。根とは結果を生ずべき因。題目を上げること、折伏・弘教への実践活動が最高のである。一生成仏抄には「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(0383-14)とある。
―――
余慶
功徳善根の報いによって起こった慶事のこと。祖先の行った善根の報いが子孫によって現れたり、前世に積んだ全魂の報いが残って今世にあらわれたりした吉事をいう。また、ものの余ることの意もある。
―――
もだす
①言うべきことを言わないで黙っていること。②そのままにしておくこと。③無視すること。
―――――――――
前章で題目を唱える功徳にふれられたが、ここでは、法華経を受持しない慢心の者が多い末代の世のこの日本において、女人の身でありながら法華経を信じ、また質問する信心を、優曇華、浮木の穴に比して称賛されているのである。
如来滅後二千二百余年に及んで 五濁さかりになりて年久し 事にふれて善なる事ありがたし、 設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り 心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり
末法は五濁が盛んであると仰せである。五濁は時代、社会、煩悩、思想、生命の濁りであるが、根本的には煩悩濁と見濁、すなわち思想の乱れが命濁、衆生濁を引き起こし、やがて時代全体の濁り、すなわち劫濁を醸成していくのである。天台の法華文句巻四下に「次第は煩悩と見とを根本と為す。此の二濁より衆生を成ず。衆生より連持の命あり。此の四、時を経るを謂て劫濁と為すなり」とあるのはそれである。
したがって末法の五濁熾盛の因は思想の乱れによるわけであるが、この煩悩濁や見濁はなんの濁りをさすのか。大集経巻五十五には「我が法中に於て、闘諍言訟し白法隠没して堅固なり」とある。すなわち末法においては仏法のなかにおいてさまざまな争いが起こるとの意であるが、見濁とは、まさに仏法、ひろくは宗教に対する衆生の考え方が濁ることをさしていると考えられるのではなかろうか。その最たるものは宗教そのものに対する不信である。末法と正像時代を比較して何もかも末法が濁っているというのは誇張しすぎている。思想等の乱れにしても、かつては道徳さえもわきまえなかった時代があり、社会にあっても法律が満足に整わず、殺戮が日常的であった時代から考えれば、現代のほうが濁っていないという考えも成り立つ。しかし、末法と正像時代の明らかな差異として、宗教に対する根本的な姿勢の問題が挙げられよう。
正像時代においては、時代を経るにしたがって実践が形式化していったにせよ、まだ宗教そのものに対する懐疑は起こっていなかった。ところが末法においてもっとも顕著なのは、この宗教そのものに対する不信である。宗教人自身が、信仰心を根本とするのでなく、名利栄達の手段として、みずからの宗教をみるようになっている。したがって、煩悩にしても、さまざまな煩悩に染まりながらも、宗教によってこれを脱しようと努力したのが正像時代であるとすれば、末法今時は煩悩によって宗教そのものを利用している時代であるともいえよう。
しかも、その根源的な濁りが、社会、人間生命、さらには時代全体の濁りを引き起こしているところに深刻な問題がある。いくら人間のためにさまざまな貢献をしようとしても、根源の生命哲学への肉薄がないゆえに、濁りを強めこそすれ、人類の真実の繁栄につながらない悲劇が多々みられるのである。しかも、このみずからの愚かさ、醜さに対する謙虚な反省のない傲慢さに、時代全体の濁りの深さが知られるのである。
「設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて、結句は小善につけて大悪を造り、心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり」と、大聖人は末法という時代の根本的な性質を指摘されている。ここでいう善と悪は、一往法華経と爾前権経を比較しておられるものと考えられるが、もう少し敷衍すれば、善と悪の考え方が混乱していることを指摘されていると拝せられるのである。
一般的に善悪とは、社会的道徳観を基準として考えられることが多い。すなわち、社会的道徳観からみる善悪とは、人間が他者、あるいは社会に対して意志的行為を働きかけ、それが他者・社会にも幸福をもたらせば善と評価され、逆に不幸の結果をまねけば悪とされるのである。
また、善にも大小がある。それは個人次元において、「善」であるとみなされる場合でも、より大きな社会・民族・人類的視座に立つときに、「悪」の役割を果たすこともある。例えば、一地域のみの利益を考えてしたことが、全体に弊害をもたらすこともあるようなものである。そうなれば、その「善」は、小善にすぎない。のみならず、かえって大悪になってしまうのである。宗教においても、絶対的な存在を考え、そのもとに服する人間の道を説くことがあるが、人生への謙虚さを教えるうえにおいて、それなりの意義はあったとしても、権力に利用される側面も同時につくりだしてきたことは否めない。こうして人間を無気力化し、不当な圧政に坑する力を失わせてしまえば大悪であるともいえよう。
したがって、社会的道徳といっても、その規範が明確にされなければならないのである。何が本当に人類全体の幸福のためになり、また個人にあっても、根源的な幸福になるかが考えられなければならないということである。
例えば、貧乏に悩んでいる人がいるとする。その人に金品を与えるのも、一つの善といえば善である。しかし、それがその人の人生打開のための役割を果たせば意味はあるが、もしみずから働き努力していこうという意欲を失わせ、惰性に陥らせたとすれば、善が善でなくなる。
それよりもその人に仕事を与え、技術を教えていくことが大きな役割を果たす場合もあろう。しかしそれもまた、根源的な救いとはなりえない。より根本的には、人生に対する積極的な姿勢をもたせ、またあらゆる困難を乗り越える力をみずからつけさせることである。外から与えたものは、失われていく。しかしみずからの中につかんだ力は失われることはなく、また、貧乏ということだけの問題ではなく、他のあらゆることにおいても解決する力を、その人はもつことができるのである。これこそ真実の善と考えることができよう。
人々の生命の力の仏界を湧現させることを説いた法華経は、その意味からも、まさに大善の法である。三乗を説く爾前経は、いまだ部分的な善であり、その三乗に執するゆえに仏界を求めないとするならば、かえって悪に堕落することになってしまうのである。
それと同じく、物質的繁栄を追求したり、安易な道徳を教えることが、結局、真実の生命哲学を見失わせることになれば、それは大悪となるのである。人間は、つねにみずからの慢心をみつめ、大善を求める謙虚な精神が必要とされるのである。
1200:07~1201:01 第三章 題目の功徳を強調するtop
| 09 先法華経と申すは八巻.一巻.一品.一偈・一句.乃至.題 08 目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、 譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、 如意宝 09 珠は一珠なれども万宝をふらす、 百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、 乃至万億の字も 10 又万億の滴珠の如し、 諸経・諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、 一滴に無量の水を備えず一 11 石に無数の石の徳をそなへもたず、 若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ 只御信用の御坐さん品こ 12 そ・めづらしくは候へ。 -----― まず法華経というのは、八巻・一巻・一品・一偈・一句ないし題目を唱えるのも、功徳は同じことであるとお考えになるべきである。譬えば大海の水は一滴であっても無量の江河の水を納めている。如意宝珠は一珠であっても万宝をふらす。百千万億の水滴と宝珠も、またこれと同じである。法華経は一字でも一滴の海水、一つの宝珠のごとくである。ないし、法華経の万億の文字もまた万億の水滴や宝珠のごとくである。法華経以外の諸経の一字、諸仏の一名号は、江河の一滴の水、山海の一つの石のごとくである。河の一滴には無量の水を含まないし、山海の一石には無数の石の徳を備えもっていない。もしそうであるならば、この法華経はどの品でもあれ、ただ信用される品こそが尊いのである。 -----― 13 総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・ 14 権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候、随つて論師・ 人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば 15 釈尊の五十余年の諸教の中に 先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、 仏自ら無量義経に「四十余年未だ真 16 実を顕さず」 と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、 法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨 17 てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、 其の上・多宝仏・大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と 18 証明を加へ十方の諸仏・ 皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも 妄語なるまじきよし 1201 01 助成をそへ給へり、 譬えば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し、 -----― 総じて釈尊の聖教は、いずれも妄語があるとは聞いていないが、ふたたび仏教を考えてみると、釈尊の金言のなかにも、大乗教と小乗教、権教と実教、顕教と密教などという差別があることは、もともと経文から起こっている。したがって論師、人師の釈義におおよそはみえているのである。 肝心を取っていえば、釈尊が五十余年にわたって説いた諸教のなかで、最初の四十余年の説教は、なお疑わしく思われる。それは釈迦仏がみずから無量義経に「四十余年には未だ真実を顕さず」という経文を明らかに説かれているからである。 法華経においては、釈迦仏みずから、一文一句をすべて真実として「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と定められた。そのうえ、多宝仏は大地から涌出されて「妙法華経は皆是れ真実である」と証明を加え、十方の諸仏は皆、法華経説法の会座に集まって、舌を出して法華経の文字は一字たりとも妄語ではないと助証を添えられた。譬えば大王と后と長者達が心を一つにして、約束をしたようなものである。 |
如意宝珠
意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087-12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747-01)と仰せになっている。
―――
妄語
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
―――
論師
阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
―――
人師
人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
―――
先四十余年の経説
釈尊は19歳で出家し、30歳にして菩提樹下で成道してから、80歳まで入滅するまで50年間にわたって、大小乗の経教を説いたうちの法華経を説く以前の42年間のこと。
―――
無量義経
一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
―――
多宝仏
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。 多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
―――
妙法華経皆是真実
法華経見宝塔品第十一に「善き哉、善き哉。釈迦牟尼世尊は、能く平等大慧、菩薩を教うる法にして、仏に護念せらるる妙法華経を以て、大衆の為めに説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊の説きたまう所の如きは、皆な是れ真実なり」とある。この文は、釈尊の説いた法華経が真実であることを宝塔の中から多宝如来が讃歎し、証明していった言葉。
―――
十方の諸仏
十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
―――
法華経の座
法華経が説かれた場所。二処三会のこと。前霊鷲山会・虚空会・後霊鷲山会をいう。
―――――――――
ここでは法華経読誦について、とくに題目を唱える功徳を強調されている。「八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも、功徳は同じ事と思し食すべし」と、一往、一部読誦と題目を唱えることを同列に扱われているようではあるが、真意は唱題にそれだけの力があることを説かれるにあり、そのあとは、大海の一滴の水の中に無量の江河の水が納まっているように、一切を納めている題目に、いわんとされる正意があることは明瞭である。したがって、以下の「何れの品にても御坐しませ、只御信用の御坐さん品こそめづらしくは候へ」との文も、夫人の信心をほめ、退することのないよう慮っての言葉であろうと思われる。
如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候
仏法の正邪・浅深を明らかにしなければならないという考え方に対する反論の一つとして、「宗教というのは山へ登るようなものであり、どの教えであっても山へ登るのに変わりはないはずだ」という意見がある。たしかに、仏法は八万法蔵といわれるほど膨大であり、そのすべてを究めるのは難しい。したがっていずれも仏の金言だとして、蔵の中から闇雲に経文を取り出し依経にするというような僧侶も過去にいた以上、一般の人々がそう考えるのも無理はないかもしれない。
しかし、その考え方自体、すでに仏の教えに背いていることを知らなければならないのである。さまざまな経典が、いずれも同じく頂上に通じているというのは、いったいだれが決めたのか。実は、すでにそれが我見となっているのである。めざす頂上へ登る道だと思っていたところが、じつは、たんにトレーニングのためのコースで、それを先へ進むと、谷底へ落ちる崖に通じていたり、迷路でないとは断言できない。
大聖人は、仏の金言であっても、大小権実等があると、はっきりと指摘されている。「四十余年未顕真実」とか、「正直捨方便」等の文をみても、根本として用いるべき教えと、そうでない教えのあることは、経文自体にすでに述べられているのである。「経文より事起りて候」といわれているのはそれである。
子供に道徳・倫理を教えるためにおとぎ話を話す。しかしこれは事実ではない。道徳を知るためには必要であるが、それをすべて真実と考えるべきではない。あくまでも「かり」の教えなのである。学問においても、たとえばニュートンの万有引力の法則は、日常生活における知識としては、それで十分である。しかし、アインシュタインの相対性原理からみれば、絶対の真理ではなく、あくまでも近似値にすぎない。宇宙科学、素粒子等の分野においては、近似値として扱わねばならず、相対性原理に基づいて計算しなければ大変なことになる。
仏法は、生命についてのきわめて複雑で微妙かつ深奥の哲理である。これを人々に理解させるために、仏は、種々の譬喩を用いながら部分的な真理から説き起こし、最後に究極を明かして全体を完成したのである。部分的に真実であっても、これをすべてにあてはまる真実と思い込んだならば、大変な誤りである。どのような経典でもいいということは、もっとも無責任な考え方であるともいえる。
法華経は究極の法を説いた経であるから、その一字一句も全体を含んでいる。しかし、部分を明かしたに過ぎない爾前経は、それだけで全体を含むことはない。「法華折伏破権門理」であり、法華経は生命の根源についての教えであるゆえに、厳密にその内容を点検し、権門の理は厳しく破折するのである。
1201:01~1201:16 第四章 信謗の功罰を説くtop
| 01 若し法華経の一字をも唱えん男 02 女等・十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも・ 03 大地は反覆する事はありとも・ 大海の潮はみちひぬ事はありとも、 破たる石は合うとも江河の水は大海に入らず 04 とも・法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず、 若し法華経を信じたる女人・ 05 物をねたむ故・腹のあしきゆへ・貪欲の深きゆへなんどに引れて悪道に堕つるならば・釈迦如来・多宝仏・十方の諸 06 仏・ 無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて 調達が虚誑罪にも勝れ瞿伽利が大妄語にも超えた 07 らん争か・しかるべきや。 -----― もし法華経の一字をも唱える男女達が、十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道に堕ちるならば、日月が東から出ないことがあろうとも、大地が覆ることがあろうとも、大海の潮が満干ないことがあろうとも、われた石が元通りに合おうとも、江河の水が大海に流れ込まなくとも、法華経を信仰している女人が、世間の罪に引かれて悪道に堕ちることはあるわけがない。 もし法華経を信仰している女人が、物を妬むゆえ、意地が悪いゆえ、欲深きゆえなどに引かれて悪道に堕ちるならば、釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏が、無量曠劫の過去から今日まで持ち続けてこられた不妄語戒は、たちまちに破れて、提婆達多の虚誑罪にも過ぎ、瞿伽利の大妄語にも超えるであろう。どうしてそのようなことがあろうか。 -----― 08 法華経を持つ人.憑しく有りがたし、但し一生が間.一悪をも犯さず.五戒・八戒.十戒・十善戒.二百五十戒.五百 09 戒・無量の戒を持ち・一切経をそらに浮べ・一切の諸仏・菩薩を供養し無量の善根をつませ給うとも、法華経計りを 10 御信用なく又御信用はありとも諸経・ 諸仏にも並べて思し食し・又並べて思し食さずとも他の善根をば隙なく行じ 11 て時時・法華経を行じ・法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、 法華経を末代の機に叶はずと申 12 す者を科とも思し食さずば・ 一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れ 13 させ給いて、 阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如しと思し食す 14 べし、 十悪・五逆を造れる者なれども法華経に背く事なければ往生成仏は疑なき事に侍り、一切経をたもち諸仏・ 15 菩薩を信じたる持戒の人なれども法華経を用る事無ければ悪道に堕つる事疑なしと見えたり。 -----― 法華経を持つ人は、このように頼もしくありがたいのである。 ただし一生の間一つの悪をも犯さず、五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一切経を暗記し、一切の諸仏や菩薩を供養し、無量の善根を積まれたとしても、法華経だけをご信用にならず、また信仰はしていても、諸教や諸仏と同等に考えたり、また同等とは思わなくとも、法華経以外の善根をひまなく修行して時々法華経を修行したり、法華経を用いない謗法の念仏者などとも親しく法門を語り合い、法華経を末法の機根の者には適合しない教えであるという者に対して罪悪とも思わないならば、一生の間に修行した無量の善根もたちまちに消え失せ、また法華経の御功徳もしばらく隠れてしまって、阿鼻大城に堕ちられることは、雨が空にとどまっていないように、峰の石が谷へ転げ落ちるようなものであるとお考えなさい。 十悪・五逆を造った者であっても、法華経に背くことがなければ、往生成仏は疑いないことである。一切経を持ち、諸仏や菩薩を信じている持戒の人であっても、法華経を用いることがなかったならば、悪道に堕ちることは疑いないと経文にみえている。 -----― 16 予が愚見をもつて近来の世間を見るに多くは在家・出家・誹謗の者のみあり、 ・ -----― 私が愚見をもって近ごろの世間を見ると、多くは在家・出家とも法華誹謗の者ばかりである。 |
十悪
十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。
―――
五逆
五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。
―――
四重
四衆のうち、比丘の極重罪のことで、十悪業のなかでとくに重い殺生・偸盗・邪淫・妄語の四つをいう。また四重禁戒といって、一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不邪淫戒、四に不妄語戒で、これを犯せば教団を放逐される。出家としての最重罪である。
―――
重業
重い罪業。正法誹謗の罪。
―――
悪道
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。
―――
腹のあしき
①腹黒いこと。②短気なこと。
―――
貪欲
貪ること。三毒のひとつ。一切の煩悩の根本の一つ。世間の事物を貪愛し五欲の心に執着する働き。
―――
無量曠劫
量り知れないほどの長い期間。「無量」は無限の意。「劫」は長遠の時間。長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を劫としている。(他説あり)。
―――
不妄語戒
偽りの言葉をいわないこと。うそをつかないこと。五戒・十重禁戒のひとつ。
―――
調達
提婆達多のこと。
―――
虚誑罪
嘘つきの罪。
―――
瞿伽利
梵名コーカーリカ(Kokālika)の音写。倶伽利・仇伽離などとも書き、悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。雑阿含経巻四十八等によると、提婆達多の弟子であり、釈尊の制止も聞かず、舎利弗や目連を悪欲があると難じた。その報いによって、身に悪瘡を生じて大蓮華地獄に堕ちた。
―――
五戒
小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。
―――
八戒
在家の男女が,一日だけ出家生活にならって守る八つの戒め。五戒の不邪淫戒を不淫戒とし,さらに装身・化粧をやめ歌舞を視聴しない,高く立派な寝台に寝ない,非時の食をとらない,の三つを加えたもの。八斎戒。八戒斎。
―――
十戒
小乗教の在家戒としての十戒は明確ではない。大乗教の在家戒である十善戒としては、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不両舌・不悪口・不綺語・不貪欲・不瞋恚・不邪見がある。
―――
十善戒
正法念処経巻二に説かれている十種の善業道。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。十善戒とは、身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で十善道ともいう。即ち受十善戒経には「若し此の十善戒を受持し、十悪業を破り、上、天上に生じ、梵天王となり、下、世間に生まれて転輪王となり十善を教化す」とある。
―――
二百五十戒
男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。
―――
五百戒
比丘尼の具足戒で、その戒数には諸説があり、四分律に説かれる三百四十八戒が一般的である。多数の意味で五百としたもの。
―――
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
―――
念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
阿鼻大城
阿鼻獄・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
―――
往生成仏
①衆生の住むこの娑婆世界を去って仏国土に往き、すぐれた果報の生を得ること。往生には阿弥陀の西方極楽往生や弥勒の兜率天往生などがある。②往生と成仏の二義に分け、往生は死後に他の世界に往き生まれること。成仏は仏の境界を得ること。
―――
持戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
―――
在家
①在俗のままで仏法に帰依すること。またその人。②民家、在郷の家、田舎の家。③中世、領事の所轄内で屋敷を与えられ、居住し、在家役を負担していた農民。
―――
出家
世俗の家を出て仏門に入ること。在家に対する語。妻子・眷属等の縁を断ち切り仏道修行に励む者のこと。比丘・比丘尼のこと。
―――
誹謗
悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。
―――――――――
法華経の甚深の功徳、また、法華不信の者、誤った信仰に立つ者の罪を明かされた段である。
本章は、大別すると、次のように分けることができる。まず「若し法華経の一字をも唱えん」から「法華経を持つ人憑しく有りがたし」までが、法華経受持の大利益を述べられたところである。ついで「但し一生が間」から「ころぶが如しと思し食すべし」までが、不信、あるいは誤れる信仰の者の罪が説かれる。
そして「十悪・五逆を造れる者」からは、信不信の者の功罪を簡潔に要約され、本章のまとめとされている。
法華経を信じたる女人の、世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず
法華経の功徳力を示された御文である。
ここで「世間の罪」とは、世間的な罪悪ということであるが、さらにいえば、女性が一般的にもっている生命の傾向性のうち、マイナス面についていわれたものと拝せられる。法華経を持った女性は、仏法の最高の法を信受したのであるから、その功徳によって、世間一般の女性のように、女性特有の「性」によって悪道に堕ちることはない、との意である。大聖人は、女性のもって生まれた性質として、以下に「物をねたむ故、腹のあしきゆへ、貪欲(とんよく)の深きゆへ」と、三点を挙げておられる。「物をねたむ」とは癡、「腹のあしき」とは瞋、「貪欲の深き」は貪で、生命の深奥に潜んでいる貪瞋癡の三毒に配することができよう。
三毒は、人間の根本煩悩であり、人を不幸へと誘う根源である。こうした三毒が女性の中に深く横たわっていることを指摘しておられるのである。しかし、法華経を信受する女性は、こういう性向に引きずられて悪道に向かうことはないと明かされている。
妙法の教えは三毒の性分を断てというのではない。それは本来、不可能である。そうではなくて、三毒を即三徳に、煩悩を即菩提へと転じていくのである。一切の悪を善へ、負を正へと転換しゆくのである。それを可能にするところに、法華経の偉大な仏力法力がある。この煩悩即菩提、三毒即三徳の原理こそ、法華経の骨髄をなす法門である。もし法華経を信受した女性が、三毒に引きまわされて悪道に堕ちるようなことがあれば、法華経の教え自体が妄語となってしまう。ゆえに「釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏、無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて、調達が虚誑罪にも勝れ、瞿伽利が大妄語にも超えたらん」と、大確信をもって断言されているのである。
一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如し
一生の間どんなに仏教を修行したとしても、法華経にそむいて他経を修行する者は、阿鼻大城へ堕ちると、厳に戒められた御文である。
どういう人が阿鼻大城へ堕ちるか、ということを、ここでは具体的に述べられている。ここで本文にそってみてみよう。まず「法華経計りを御信用なく」とあるように、法華経を信じない人である。多くの戒律を持ち、無量の善根を積んだ人であっても、成仏の直道である法華経を信じなければ、それらの善根はすべて、無意味であり、かえって、法華不信の罪によって、阿鼻大城へと堕ちてしまうのである。次に「御信用はありとも諸経諸仏にも並べて思し食し」ている人である。法華経は一仏乗を説いた教えであり、諸経は方便権教である。その根本的な違いを知らず、同列においている人はやはり成仏は叶わないばかりか、「法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん」と戒められている。
さらに「又並べて思し食さずとも、他の善根をば隙なく行じて時時法華経を行じ」ている人である。他の善根とは、法華経以外の経典を読んだり、行じたりすることである。また、広くいえば、日々の振る舞いの中の善行などを隙なく行なっている人のことである。こうした法華経以外の善根を隙なく行じて「時時法華経を行じ」というのは、法華経を他経よりも下においている姿である。こういう人も、当然、前者と同様、阿鼻地獄へ堕ちるのである。
また「法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし」ている人である。大聖人は念仏に対して「念仏は無間地獄の業」と喝破されている。人々を不幸に堕とす元凶たる念仏、念仏者を破折しないで親しく語らうのは、すでに謗法と同座した姿である。もとより、社会に住む以上、だれとでも親しく共栄することは当然のことでもある。ここでいわれているのは、人々を不幸におとしいれる念仏思想を破折することなく、親しく迎合する姿勢が問題であるということである。破邪顕正の精神を喪失した人は、真の法華経の行者ではないのである。ゆえに阿鼻地獄の類となってしまうのである。
最後に「法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さず」の人である。これも同じく、法華経の魂は折伏にある。末法の大法たる法華経を謗ずる者を前にして、それをなんとも気に懸けないというのは、すでに折伏精神を失った者である。いかに、法華経を信じているといっても、そういう折伏精神のない人の善根は、朝日に消える露のようなものでしかない。形のみの信の人は、やはり法華経の功徳を消すのみならず、阿鼻地獄へ趣くとの諫めである。いずれをとっても真実の仏法者が自戒すべき重大な御指南であるといえよう。
1201:16~1202:04 第五章 方便・寿量の読誦を教示するtop
| 16 但し御不審の事・法華経は何れの 17 品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・ めでたきは方便品と寿量品にて侍り、 余品は 18 皆枝葉にて候なり、 されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、 又別に書き出 1202 01 しても・あそばし候べく候、 余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、寿量品・方便品をよみ候へば自 02 然に余品はよみ候はねども備はり候なり、 薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども 提婆 03 品は方便品の枝葉・薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、 されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候 04 て余の品をば時時・御いとまの・ひまに・あそばすべく候。 -----― ただし法華経の中でもどの品を修行したらよいのか、というあなたのご不審について申し上げる。法華経はどの品も先に申し上げたように粗末ではないが、ことに二十八品の中でも勝れて立派な品は方便品と寿量品である。余品は、皆枝葉なのである。それゆえ、平常のご所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読むようになさい。また別に書き出して読まれてもよいことである。その他の二十六品は身に影が従い、玉に財としての価値が備わるようなもので、寿量品・方便品を読むならば、自然に余品は読まなくても備わるのである。 薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれている品であるが、提婆品は方便品の枝葉であり、薬王品は方便品と寿量品の枝葉である。それゆえ、つねにはこの方便品・寿量品の二品を読まれて、余の品は時々ひまのある時に読まれるがよい。 |
方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
―――
寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
―――
長行
経文のうち字数に関係なく書かれた散文。字句を制限せず、行数が長い。
―――
提婆品
妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。
―――
提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉
釈迦一代の経々は、その内容によって序分、正宗分、流通分と分かれる。法華経迹門の中では、序分は無量義経と序品、正宗分は方便品第二から人記品第九、流通分は法師品第十から安楽行品第十四までとなる。ゆえに提婆達多品第十二は流通分となり、迹門の肝心である方便品の枝葉となる。また、一経十巻の中では、序分は無量義経と序品、正宗分は方便品第二から分別功徳品第十七の第十九行の偈まで、流通分は分別功徳品第十七のその後から普賢菩薩勧発品第二十八、普賢経までである。ゆえに薬王品第二十三は流通分にあたり、方便品と寿量品の枝葉となるのである。
―――――――――
この章では、法華経一部読誦、また薬王品読誦に励んでいるという大学三郎夫人に対して、それを改め方便・寿量読誦の修行にかえていくよう教えられている。
法華経二十八品を毎日一品ずつ読んでいた大学三郎の妻が、このところ、女人成仏を説く薬王品をとくに熱心に読経しているという、その心情は、十分に推察できる。提婆品の竜女の成仏と同様に、薬王品には女人の成仏往生が明確に説かれている。ゆえに、女性として薬王品に魅かれるのは当然のことであるかもしれない。しかし、法華経の肝要は方便品と寿量品であり、夫人の読む薬王品は、方便・寿量の枝葉にあたる品であるから、枝葉末節にとらわれた修行である、と諭され、常には方便・寿量を読誦し、暇のある時に薬王品等の余品を読むべきことを教えられたのが本章の内容である。
法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り
法華経は釈尊の隨自意の説法であり、二十八品はいずれも真実を伝えた文である。この言葉は、これまで爾前経との比較の上から法華経の勝れた点を明かしてこられたことから明らかであり、権実相対に立っていわれているのである。しかし、法華経のなかでいえば、二十八品のうちでも、とくに重要な品として、方便品と寿量品を挙げられている。方便品は迹門の肝心であり、寿量品は本門の肝心である。その理由は、方便品では、「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り。二無く亦三無し」等と、開三顕一の法門が説かれ、二乗作仏の深義が顕れるゆえである。本門寿量品では、「我実に成仏してより已来、無量無辺……」と、釈尊の成道の本地が明かされる。
この点については本書所収の「寿量品得意抄」に詳しいが、爾前経、また法華経迹門においては、まだ釈尊の成道の本地が顕れず、始成正覚の仏であった。つまり、過去世に無量の菩薩道を行じた、その結果として、釈尊は、インドに応誕し、ここで始めて仏果を得たと説かれる。この始成正覚を打ち破ったのが寿量品である。
開目抄上にいわく「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて、本門の十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(0197-15)と。
始成正覚の仏の説法には、真実の九界即仏界の義は説かれない。仏と衆生との間には、深い断絶が存する。爾前の諸経には、この致命的な欠陥がある。また、迹門において、方便品第二から人記品第九までの間に、四大声聞等への記別が授けられるが、それは、いずれも、未来成仏の記別であり、はるかな未来をめざしての歴劫修行の果てに到達できる境涯として説かれたものであって即身成仏ではない。
こうした、種々の爾前、迹門の限界を破ったのが、寿量品の説法なのである。
このように、方便品と寿量品の両品に、法華経の深理が収まっているのであり、余品はこの両品の枝葉となるのである。
されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ
薬王品読誦に励む夫人に対し、方便品と寿量品こそ、法華経の肝心であることを諄々と説かれ、日々の読経は、この両品にせよ、と教えられている。
末法における法華経の修行の根幹は、いうまでもなく三大秘法の南無妙法蓮華経の唱題にある。「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)とあるとおりである。法華経の方便品と寿量品を読誦するのも、この妙法の題目の力を、さらに鮮明にするために読むのである。
日寬上人は、方便・寿量の読誦の意義を当流行事抄のなかで、次のように述べている。「修行に二有り所謂正行及び助行なり、(中略)当門所修の二行の中に初めに助行とは方便・寿量の両品を読誦し正行甚深の功徳を助顕す、譬えば灰汁の清水を助け塩酢の米麺の味を助くるが如し、故に助行と言うなり、此の助行の中に亦傍正有り、方便を傍とし寿量を正と為す」と。
ここに明らかなように、末法の正行は南無妙法蓮華経であり、この妙法の甚深の功徳を助顕するために、方便・寿量を助行として読むのである。例として挙げられている「灰汁と清水」「塩酢と米麺」の関係も、灰汁・塩酢が従であり助行にあたり、清水・米麺が主であり正行にあたる。弘決巻二に「垢衣を洗うにまず灰汁をもってし、後に清水をもってするがごとし」とあるように、昔は石けんのかわりにまず灰汁をつかって洗濯をし、あとで清水ですすいだのである。汚れを落とす力は清水によらなければならないが、灰汁を加えると、それがさらに効果的になる。また、米麺は食糧として欠かせない材料である。その米麺をいっそうおいしく食べるには、塩や酢の助けが必要である。この分かりやすいたとえを通し、日寬上人は、正行と助行の関係性を明瞭に表されているのである。妙楽は、「正助・合行して因って大益を得」と述べ、この両方を、あいまって行ずるところに、大功徳があることを示している。
次に、助行の中の方便品が傍、寿量品が正となる。日寬上人は、方便品を読むのは所破・借文のため、寿量品を読むのは所破・所用のため、といわれている。所破とは、破折の意であり、方便・寿量を文底観心の義によって破しつつ読むことである。これは相待妙の観点から、文底の妙法の広大甚深の義を明かすためである。こうして、方便・寿量を破折しながら、もう一面において、方便品を借文、寿量品を所用として読む。これは絶待妙の読み方である。詳しくは当流行事抄講義に譲ることとする。
1202:05~1202:15 第六章 月水時の行法を明示するtop
| 05 又御消息の状に云く日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、 南無一乗妙典と一万遍申し候事とを 06 ば日ごとにし候が、 例の事に成つて候程は御経をばよみまいらせ候はず、 拝しまいらせ候事も一乗妙典と申し候 07 事も・そらにし候は苦しかるまじくや候らん、 それも例の事の日数の程は叶うまじくや候らん、 いく日ばかりに 08 て・よみまいらせ候はんずる等と云云、 此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給い候御事にて侍り、 又古 09 へも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども 一代聖教にさして説かれたる処のなきかの故に 証文分明に 10 出したる人もおはせず、 日蓮粗聖教を見候にも酒肉・五辛・婬事なんどの様に不浄を分明に月日をさして禁めたる 11 様に月水をいみたる経論を未だ勘へず候なり、 在世の時多く盛んの女人・尼になり仏法を行ぜしかども 月水の時 12 と申して嫌はれたる事なし、 是をもつて推し量り侍るに月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず、 只女人の 13 くせかたわ 生死の種を継ぐべき理にや、 又長病の様なる物なり 例せば屎尿なんどは人の身より出れども 能く 14 浄くなしぬれば別にいみもなし是体に侍る事か。 15 されば印度・尸那なんどにも・いたくいむよしも聞えず、 -----― また、お手紙には「日毎に三度ずつ七文字の題目を申し上げることと、南無一乗妙典と一万遍唱えることを日毎に行なっておりますが、例のことに習っている間は、御経は読みません。七文字を拝み申し上げることも、一乗妙典と唱えることも、御宝前にまいらず暗唱するのは許されるのでしょうか。それも例の事のある日数の間は、いけないのでしょうか。いく日ほど過ぎたら、読誦申し上げてよいのでしょうか」等とある。 この件は、一切の女人皆のご不審でよく問われることである。また、昔の女人のご不審について答えた人も多くいるが、一代聖教に、とくにこれとして説かれたところがないからか、証文を明らかにした人もいない。日蓮がほぼ聖教を見るにも、酒肉、五辛、婬事などのように、不浄を明らかに月日をさして禁止しているように、月水を忌む経論をいまだ勘えあたらないのである。 釈尊在世の時、多くの若い女人が尼になり、仏法を行じたけれども、月水の時といって嫌われたことはない。このことから推量するのに、月水というものは外から来た不浄でもない。ただ女人としての肉体的特質で、それは生死の種を継ぐべき道理としてのもののようである。また長患いのようなものである。たとえば屎尿などは人の身から出るが、よく清くさえすれば別に忌むべきものではない。これと同じようなことであろう。 それゆえ、インド・中国などにも、それほど忌み嫌うとも聞いていない。 |
七つの文字
南無妙法蓮華経のこと。
―――
南無一乗妙典
法華経の題目・南無妙法蓮華経のこと。
―――
五辛
五辛とは、五種の辛味のある蔬菜のこと。諸説があるが、梵網経巻下には、大蒜、革葱、慈葱、蘭葱、興渠とある。いずれも出家に対して、あるいは仏事の際などに禁止、もしくは制限された。
―――
月水
月経のこと。
―――
尸那
外国人が中国を指して呼んだ名。尸那は中国の王朝名である秦がなまって伝えられ、それが漢訳されたといわれる。インドではチーナとよばれていた。
―――――――――
本章は月水時における行法についての質問に答えられたところである。この質問からすると、当時、かなり広く月経は不浄なことと考えられていたようである。それは女性蔑視の一つの要因ともなっていたのであろう。大聖人はそうした社会の風潮を十分に考慮されているが、それでも、かなり今日的な考えをもっておられることが分かる。これも根本的な男女平等の思想に立っての発言であるといえよう。
女性の月水については、古来さまざまな禁忌があり、一種の慣習となって、女性の日常生活を広範囲にわたって規制してきた。わが国でも、昔から「月水」を「月華」「経水」などと呼び、神事においては、とくに厳しく忌み嫌ったようである。古事類苑には「経水中の女性は、七日間は神事につくことを憚かる。七日以後、三ヵ日は潔斎の儀を行い沐浴して心身を浄め、十、十一日頃より参詣する事は憚からず」とある。その他、数多くの古典書にも記されているし、いまなお、農漁村には、こうした風習が多く残っているという。これらには、女性を庇護するという発想も含まれていると考えられるが、やはり、そこには女性に対する不浄の観念が、依然として根強くあるのではないかと思われる。
大聖人は本章において、こうした宗教的偏見からくる慣習を打破され、正しい信仰と仏道修行の確立を諄々と勧められておられるのである。具さには、
①一代聖教に忌み嫌う説き方はなく、したがって証文を明確に出す人がいなかったこと。
②酒肉、五辛、婬事などのように不浄を明らかに月日までさして禁止しているのに、月水を忌む経論があるとはいまだに思い当たらないこと。
③釈迦在世に多くの女性が尼になり、仏法を修行したが、月水の時であるといって嫌われたことがないこと。
以上の点を挙げて、仏法では月水時に修行を禁止したり、月水そのものを忌み嫌ったりすることのないことを示され、安心して信心修行に励むよう教えられている。
また、「月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず……」と、月水というものは、つまり倫理観、道徳観のうえからうんぬんされるような悪行から起こったものではなく、いわば、女性が本来もっている特質ともいうべきもので、それは大切な一個の生命を出生させるために起こるものなのである。換言すれば、種族保存のため、子孫の繁栄という、女性としてもっている大きな役割に伴うものとも考えられる。また、月水は長期の病気のようなものともいえるし、生理的現象としてみれば、それは、たとえば屎尿が人の体内より自然に排出するものであって、常には不浄とされているが、不可避的な生理現象であり、なんら忌み嫌われるものではない。むしろ、人間の生命を健康に維持するための新陳代謝として不可欠なものである。それと同じように月水もまた、忌み嫌うべきものではないと仰せられている。じつに今日的な考え方である。
第七章では日本の国情を勘案した修行法を教えられているが、大聖人の本意は本章に述べられているところにある。当時の社会にあって、こうした考えをもつことがいかに斬新なことであったか、推察するに余りある。しかも、こうした考えを、経典等の根拠を確かめつつ披瀝されているところに、大聖人の厳正な姿勢を拝することができる。仏界という最高の生命を有する存在であるがゆえに男女といっても絶対的に平等視する大聖人の仏法において、瑣末な差異など問題にならないのは当然であるが、合理的な考察と、原典主義の検討の結果、大胆に述べられているところに、意義の大きさがあるといえよう。
1202:15~1203:12 第七章 修行の要諦を教えるtop
| 15 但し日本国は神国なり此の国の習として仏・菩薩の垂 16 迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに・ 是をそむけば現に当罰あり、 委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随 17 方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、 此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも 其の国の風俗 18 に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり、 此の由を知ざる智者共神は鬼神なれば 敬ふべからずなんど申す 1203 01 強義を申して多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり、 若し然らば此の国の明神・ 多分は此の月水をいませ給 02 へり、生を此の国にうけん人人は大に忌み給うべきか、 但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か、 元 03 より法華経を信ぜざる様なる人人が経をいかにしても云いうとめんと思うが・ さすがに・ただちに経を捨てよとは 04 云いえずして、 身の不浄なんどにつけて法華経を遠ざからしめんと思う程に、 又不浄の時・此れを行ずれば経を 05 愚かにしまいらする・なんど・おどして罪を得させ候なり、 此の事をば一切御心得候て月水の御時は七日までも其 06 の気の有らん程は御経をば・ よませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、 礼拝をも経にむかはせ 07 給はずして拝せさせ給うべし、 又不慮に臨終なんどの近づき候はんには魚鳥なんどを服せさせ給うても候へ、 よ 08 みぬべくば経をもよみ 及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし、 又月水なんどは申すに及び候はず又南無一 09 乗妙典と唱えさせ給う事是れ同じ事には侍れども天親菩薩・ 天台大師等の唱えさせ給い候しが如く・只南無妙法蓮 10 華経と唱えさせ給うべきか、是れ子細ありてかくの如くは申し候なり、穴賢穴賢。 11 文永元年甲子四月十七日 日蓮花押 12 大学三郎殿御内御報 -----― ただし日本国は神国である。この国の習慣として、仏・菩薩の垂迹としての神は不思議なもので、経論に合致しないことも多いけれども、これに背けば現に罰を受けるのである。委細に経論を考えてみると、仏法の中の随随方毘尼という戒の法門がこれにあたる。この戒の心は、甚だしく欠陥のないことなら、少々仏教に違うことがあっても、その国の風俗に背かないのがよいと、仏は一つの戒を説かれたのである。このいわれを知らない智者達は、神は鬼神であるから敬うべきではないなどという強硬な意見を出して、多くの檀那の信仰心を損なうことがあるようである。もし隨方毘尼の戒に従えば、この国の神々は、多くはこの月水を忌まれるゆえに、生をこの国に受けた人々は、心して忌むべきであろうか。 ただし女人の毎日のつとめには、差し支えないと思われる。もとより法華経を信じないような人々が、法華経をなんとかして嫌わせようと思うが、さすがに、ただちに経を捨てよとはいえないので、身の不浄などにかこつけて、法華経から遠ざからせようと思うゆえに、また不浄の時に、これを行ずれば経を粗末にすることになるなどと脅して、法華経を捨てるという罪を得させようとするものである。 このことを一切心得られて、月水の時は七日ほどもその気配のある時は、経を読まれずに、暗でただ南無妙法蓮華経と唱えておいでなさい。礼拝も経に向かわずに拝むようになさるがよい。また思いがけずに臨終などが近づいたような時は、鳥や魚を食しておられる時でも読むことができるならば経もよみ、そして南無妙法蓮華経とも唱えられるがよい。また月水などは申すまでもない。 また南無一乗妙典と唱えられること、これは同じことではあるが、天親菩薩・天台大師などが唱えられたように、ただ南無妙法蓮華経と唱えられるべきであろう。これは子細があって、このように申すのである。穴賢穴賢。 文永元年甲子四月十七日 日 蓮 花 押 大学三郎殿御内御報 |
垂迹
「迹を垂れる」と読む。仏・菩薩が衆生を利益するために、種々の所にさまざまな身に姿を変えて現れること。またその身をいう。本地に対する語。もとの仏・菩薩が本地から真実身を隠して化現した姿が垂迹であり、それは本体と影・天月と地月の関係にたとえられる。
―――
随方毘尼
仏教の戒律の一種で、TPOにあわせた規制や緩和を行うこと。随処毘尼などともいう。毘尼とはサンスクリット語で戒律を意味するVinayaの音写。基本的に、仏教における戒律は仏によって制定されたものであった。しかし仏教がインドから東へ伝わっていくと、実際にはその地域などや風習など、また時代によって規定を変えなければならなかった。これを随方という。仏の法に随順していれば、毘尼(戒律)の原則的な規制に関わらず、時や場所、またそのケースによって新たに制定したり、また反対に緩和したり廃止してもよいとされるようになった。これが随方毘尼である。仏教が拡がるに従い、この制度やその解釈を悪用して、破戒行為を行うケースも多いとされる。また、女人禁制なども日本特有の随方毘尼の一種とされる。
―――
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
―――
礼拝
一定の動作・作法によって感情・尊敬・祈願・誓いなどの意をあらわすこと。信仰の対象を拝むこと。
―――
天親菩薩
生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
―――
天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
穴賢
「あな」は感動詞、「かしこ」は形容詞「かしこ(畏)し」の語幹。①尊いものに対し畏敬を表すときの「ああ、もったいないことよ」「ああ、恐れ多い」の意。②丁寧な呼びかけの語。「恐れ入りますが」の意。③否定の語を伴って相手の言動をたしなめるときに用いる。「決して」「くれぐれも」「ゆめゆめ」……してはならない、との意。④手紙の文末に用いて敬意を表す語。
―――――――――
日本国は神国なり。此の国の習として、仏菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり
日本には古来の神道があり、神々を尊崇する習慣がある。ここでは一応それを用いながら論をすすめておられる。また、神国であるというのは、日本は山紫水明、気候や収穫に恵まれた国であり、諸天善神に守護された福運ある国であるとの意味も含まれていよう。
仏法においては、土着のものの考え方を排斥してみずからの思想を一方的に押しつけるということはしない。根本的な哲理を基礎に据えれば、あとはその国、時代の風習を包み込みながら流布していくのである。神に対する考え方もそうである。日本において例えば八幡宮に祭られる八幡大明神は応神天皇であるが、仏法が日本に定着するにつれ、この神が仏法における諸天善神と結びつけられる。そして八幡大菩薩と呼称されるのである。このゆえに、大聖人は諫暁八幡抄には大隅の正八幡宮の石の文「昔し霊鷲山に在つて妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」(0588-03)を引いて本地は釈迦仏、垂迹は八幡大菩薩と述べられているのである。仏法を弘めるにあたって、この古来の神を中心にした習俗等が経論に説くところと少し食い違っても、ひとまずこれらの風習に従うべきことを教えられているのである。
「是をそむけば現に当罰あり」とは、枝葉末節にこだわって伝統的風習に背くことが、自身のためにも仏法流布のためにもマイナスとなったのであろう。もちろん「当罰」があることを強調されているのではなく、日本という風土を考えなければならないことを教えられていると拝すべきである。
なお「経論にあひにぬ」の文は「経論に合致している」と逆の意味に解釈することもできるが、いずれにしても伝統的風習を考慮すべきであるという大綱は変わらない。
隨方毘尼について
隨方毘尼とは、隨方が隨方隨時、すなわち時代や地域の風習に随うことであり、毘尼とは戒律のことであるから、仏法の本義にたがわなければ、その国・社会あるいは時代の状況を考え、それに応じた実践をすべきであるという考え方をさすのである。この戒のなかに、仏法がいかに時代・社会を重んじて仏法流布を考えたかが分かる。
仏法においては、一切法の根源を知るのが本意であり、これに基づいて文明を支えていくことに意味があるのであって、枝葉のことに至るまで一切、仏法が支配しなければならないというような偏狭な考えはもっていない。中世キリスト教において、その思想からすれば天動説でなければならないとして、コペルニクスやガリレオ等の地動説に教会からの圧力が加えられたのは有名であるが、仏法においては、そうした偏狭な考え方はない。むしろ、それぞれの国土の考え方に応じた弘め方をし、風習等を取り入れた面があるのは、われわれのよく知るところである。
一切の根源さえ把握していれば、あとの枝葉は、それぞれの時代・社会の状況に応じて自在に取捨選択できるのである。その意味では仏法はすこぶる寛容な思想であるということができよう。また、このように仏法が偏狭でなかったところに、三千年を経る今日においても、みずみずしさを失わないゆえんがあるのではなかろうか。
この原理からするならば、われわれ仏法を持つ者は、仏法の根本義においては、いささかも妥協することなく、峻厳な態度をもって、法華折伏・破権門理の姿勢を貫いていかなければならないが、それ以外のことにおいては、つねに柔軟な姿勢で取り組んでいくことを忘れてはなるまい。
仏法の本義からいえば、月水時であろうとなかろうと、一切違いはないのであり、仏道修行においてなんら差があるはずはない。このことを大聖人は最初にはっきりと述べておられる。しかし、それを押し通すと、日本の精神的風土に受け入れられがたい面があり、拒絶反応を起こすことも考えられる。したがってそうした状況を考慮されて、化儀の面においては妥協され、しかも根本的には、いついかなるところにおいても唱題を根本とすべきことを諄々と教えられているのであり、大聖人の配慮が察せられる箇所である
1203~1205 大学三郎殿御書(権実違目)top
1203:01~1204:05 第一章 諸宗の教義を慨説するtop
| 大学三郎殿御書 建治元年七月 五十四歳御作 01 外道には天・人・畜の三善道を明し鬼道の有無之を論じて地獄道は其の沙汰無し、小乗経には六道の因果を明し 02 て四聖の因果以て分明ならず、 倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明す是なり、三論宗は天台宗已 03 前に天竺より之を渡す 八界を立てて十界を明さず、 法相宗は又天竺の宗なり 天台已後に唐の太宗の世に之を渡 1204 01 す、 又八界を立つ大乗為りと雖も五性各別を立て無性有情は 永く成仏せずと之を立つ殆んど外道の法に似たり自 02 他宗の歎きなり、 華厳宗・真言宗の両宗は天台已後に之有り、華厳宗は唐の則天皇后の御宇に之を立つ、 真言宗 03 は玄宗の時善無畏三蔵之を渡す 但し天竺に真言宗の名之無し無畏三蔵・ 大日経を以て宗と為すの故に猥りに天竺 04 の宗と称するか、 此の二宗共に十界を立つ但し天台宗已後なり 智者大師の巧智を偸盗して 自身の才能と号する 05 か。 -----― 外道の教えには、天界・人界・畜生界の三善道を明かし、餓鬼道の有無を論ずるが、地獄道については言及していない。小乗教には六道の因果を明かして、四聖の因果については明らかではない。俱舎宗・成実宗・律宗の三宗が小乗経によって、ただ六道を明かしているのがこれである。 三論宗は天台宗より前にインドから伝えられた。八界を立てて十界を明かしていない。法相宗もまたインドで興った宗である。天台滅後、唐の太宗の時代に中国へ伝えられた。これもまた八界を立てている。大乗教ではあるが、五性各別の義を立て、無性有情は永久に成仏できないとする。ほとんど外道の法に似ている。これは自宗並びに他宗の嘆きである。 華厳宗・真言宗の両宗は、天台以後に立てられた宗である。華厳宗は唐の則天皇后の時に興り、真言宗は玄宗の時に善無畏三蔵が中国に伝えた。ただし、インドには真言宗の名はない。善無畏三蔵は、大日経をもって宗旨を立てるために、勝手にインドの宗と称したのであろうか。この二宗はともに十界を立てる。ただし、これらは天台宗以後である。天台智者大師の智慧を盗み取って、自分の才能によると称したもののようである。 |
外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
―――
天・人・畜の三善道
衆生の迷いの世界を六道といい、地獄・餓鬼・畜生を三悪道というのに対してこういう。
―――
鬼道
餓鬼・夜叉・羅刹等の鬼類の世界をいう。
―――
地獄道
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
―――
小乗経
仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
―――
六道の因果
十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道に生まれる原因と結果。
―――
四聖
声聞・縁覚・菩薩・仏のこと。小乗は声聞・縁覚の二乗の悟りを教え、権大乗では菩薩の修行を教えた。法華経のみが仏になる道を説いたのである。仏教の修行によって得られる。それぞれの悟りの境涯である。
―――
倶舎
倶舎宗のこと。仏滅後九百年ごろに出現したインドの僧・世親の「倶舎論」を主として、「六足論」「発智論」、また「発智論」を釈した「大毘婆沙論」等を所依とする小乗教の宗派。小乗有門の思想を根拠とし、一切諸法を五位七十五法に分け、その本性を追及して諸法の無我を悟り、四諦の理を観じて阿羅漢果を得ようとするもの。
―――
成実
成実宗のこと。インドの僧・訶梨跋摩の「成実論」を所依とする小乗教の宗派。自我も法も空であると人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分け、煩悩から脱することを教えている。
―――
律
律宗のことで、戒律を所依とする小乗教の宗派。中国では代表的なものとして、唐代初期に道宣が四分律を依拠として南山律宗を開いた。日本では来朝した鑑真が天平宝字年間に唐招提寺を開いて律宗を創始した。
―――
三論宗
竜樹の「中論」「十二門論」と提婆の「百論」の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破して、究極の教旨として、八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道をとなえた。
―――
天台宗
法華経を依経として、中国隋代に天台大師智顗が開創した宗派。法華宗・天台法華宗・天台法華円宗ともいう。教相には南三北七の諸義を破して五時八教を立て、観心には円融の三諦をとなえ、一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期することを説く。中国では北斉代の慧文が、竜樹の大智度論と中論によって一心三観の理を説き、これが慧思を経て天台に伝えられた。天台は「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」の法華三大部を著して天台宗の教義および観心の行法を大成した。
―――
天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
―――
八界
三論宗と法相宗は通教に属する教えであり、通教は菩薩といっても二乗と同じく空理を悟ことを至極とし、まだ無明惑を断じず、中道実相を証得していないので二乗に包摂され、したがって菩薩・仏の二界を明かしていないゆえに八界となる。また、三論・法相の両宗は二乗作仏の義がないから、十界から声聞・縁覚を除いて八界とする説もある。
―――
十界
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。観心本尊抄には「或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり」(0241-07)「四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(0241-11)とある。
―――
倶舎
倶舎宗のこと。仏滅後九百年ごろに出現したインドの僧・世親の「倶舎論」を主として、「六足論」「発智論」、また「発智論」を釈した「大毘婆沙論」等を所依とする小乗教の宗派。小乗有門の思想を根拠とし、一切諸法を五位七十五法に分け、その本性を追及して諸法の無我を悟り、四諦の理を観じて阿羅漢果を得ようとするもの。
―――
成実
成実宗のこと。インドの僧・訶梨跋摩の「成実論」を所依とする小乗教の宗派。自我も法も空であると人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分け、煩悩から脱することを教えている。
―――
律
律宗のことで、戒律を所依とする小乗教の宗派。中国では代表的なものとして、唐代初期に道宣が四分律を依拠として南山律宗を開いた。日本では来朝した鑑真が天平宝字年間に唐招提寺を開いて律宗を創始した。
―――
三論宗
竜樹の「中論」「十二門論」と提婆の「百論」の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破して、究極の教旨として、八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道をとなえた。
―――
天台宗
法華経を依経として、中国隋代に天台大師智顗が開創した宗派。法華宗・天台法華宗・天台法華円宗ともいう。教相には南三北七の諸義を破して五時八教を立て、観心には円融の三諦をとなえ、一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期することを説く。中国では北斉代の慧文が、竜樹の大智度論と中論によって一心三観の理を説き、これが慧思を経て天台に伝えられた。天台は「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」の法華三大部を著して天台宗の教義および観心の行法を大成した。
―――
太宗
(0598~0649)。唐朝の高祖の子。隋の末、父の李淵とともに太原に兵を挙げ、天かを平定して帝位についた。杜如晦・房玄齢等の賢臣を用い、その治世は〝貞観の治〟と呼ばれ、その善政を称えられている。賢臣・魏徴等と政治の要道を論じたものが「貞観政要」と呼ばれる有名な書である。
―――
五性各別
衆生が本来具えている性質を、阿頼耶識に蔵する種子によって五種に分類し、それらは永久に区別されているとする法相宗の教義。仏地経論巻二等に説かれる。
① 声門定性 阿羅漢果を得ることに定まった者
② 緑覚定性 辟支仏果を得ることに定まった者
③ 菩薩定性 仏果を得ることに定まった者
④ 不定性 そのいずれとも定まっていない者
⑤ 無性 三乗の種がなく永遠に生死の苦界を免れることのない者
―――
無性有情
法相宗で説く五性の一つ。無性のこと。有情は衆生と同じで、三乗になるべき種子がなく、成仏できない衆生のこと。
―――
華厳宗
華厳経を所依とする宗派。円明具徳宗・法界宗・賢首宗ともいう。一切経の中で華厳宗が最高であるとし、万有の相関関係を説く法界縁起によって悟りの極致に達するとする。唐代の賢首が五教十宗の教判を立て、華厳経が最高の教えであるとし、教義を大成した。
―――
真言宗
大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。善無畏三蔵が唐の開元4年(0716)に中国に来て、大日経を訳したことから始まる。日本においては、弘法が入唐して真言密教を招来して、開宗した。顕密二教判を立て、自宗を大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗を応身の釈尊が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。
―――
則天皇后
(0623~0705)。中国唐代の皇后・女帝。唐朝第二代太宗、第三代高宗の後宮に入り、永徽6年(0655)高宗の皇后となった。高宗が倒れてからはみずから政務を執り、高宗死後は実子の中宗、睿宗を相ついで帝位につけたが、天授元年(0690)廃帝してみずから帝位[後注]につき、国号を周と改めた。密告制度などの恐怖政治を行なったが、半面、門閥によらぬ政治の道を開き、また学芸に力を入れるなど文化を興隆させた。
―――
玄宗
(0685~0762)。中国唐朝第六代皇帝。在位は先天元年(0712)から天宝15年(0756)。姓名は李隆基。第五代睿宗の第三子。第四代中宗の皇后である韋后の禍を平定し、睿宗を立て、みずからは皇太子となった。即位後は外政を抑え、民政に努力したので「開元の治」と呼ばれる安定した世を現出させた。しかし後年、楊貴妃を寵愛し、政治を怠り、奸臣等を用いたため政情が混乱し、ついには安史の乱の勃発を招いた。晩年は譲位した粛宗との関係も思わしくなく不遇のうちに世を去った。
―――
善無畏三蔵
(0636~0735)。中国真言宗の開祖。中インドの人。烏萇奈国(烏荼国)の王子であったが、唐へ渡って真言宗を弘めた。13歳で王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の勅命を受けて興福寺および西明寺に住み、経典の翻訳に従事した。翌年「大日経」七巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏」20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子」三巻、「蘇悉地羯羅経三巻を訳した。開元二十年、翻訳が終わってインドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。とくに大日経において、法華経の一念三千の法門を盗みとって、理同事勝の邪義をうちたてた。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
―――
智者大師
天台大師のこと。(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
―――――――――
本抄は、末尾に「七月二日」とあるのみで、年代は記されていないが、建治元年(1275)、日蓮大聖人が54歳の時の御述作とされている。御真蹟は、全編九紙で、いまの千葉県松戸市・平賀の本土寺に現存する。
内容は、法華経と爾前経との勝劣を、十界のどこまで明かしているかによって対比され、劣っている爾前の大日経を法華経より勝れているとする真言宗の邪義、また、それに欺かれた叡山の愚かさを鋭く追及されている。
この書をいただいた大学三郎は、比企大学三郎能本といわれ、儒学に秀で、立正安国論の起草の際、まず草稿を見せられたと伝えられる。それだけに、本抄の内容も、静かで堅実な論の進め方のなかに、真言、天台真言等各宗の非を明確に示し、厳しく衝かれている。
まず第一段においては、外道、小乗、法相、華厳、真言の各宗が、十界のいずれまで明かしているかを示され、それぞれの生命把握の深さを明らかにされている。
すなわち、バラモン外道では、天・人・畜の三道のみで、声聞・縁覚・菩薩・仏がないのはもとより、下のほうも、鬼道については論ずるのもあれば、無いとするのもあり、地獄についてはまったく知らないありさまである。言い換えると、そのとらえている生命の範疇は、きわめて皮相的で、限られているのである。
しかも、そこには「因果」は説かれていない。天は天、人は人として固定されているとするのが普通で、かりに変わりうるとしても、当人の行為の善悪によるのでなく、超越的ななにかの力によってもたらされるとする。当人の行為が因になって、果がもたらされるという考え方はできないのである。
これは、古代インドのバラモンに限ったことでなく、西洋における諸宗教にも相通ずる特色であり、現代においても、そうした生命自体の現ずる因果律に対する無知は引きつがれている。生命の因果律を看取し、説き明かしたところに、仏教の、他にない特色があり、すぐれた点があるのである。
この「因果」の法則をとらえたことがすぐれた点であるとされる理由については、たとえば、自然現象についてのとらえ方にあてはめるなら、一目瞭然であろう。現象をただ偶然に、あるいはなにかの超越的な力によって起こるものとしている間は、それは、ただ畏るべきものでしかない。人間の理性は、そこに因果の法則が貫かれていることを見究め、それによって、自然の脅威を未然に避けたり、あるいは、そこに働く力を利用できるようになったのである。生命についても、因果の法則を知るならば、未来のためによい結果をもたらす因を積み、悪い果を生ずる因を避けることができるようになる。仏法は、まさに、この生命の因果律をふまえて、幸福と人間的成長への原動力を探求したものといえる。しかしながら「小乗経には六道の因果を明して、四聖以て分明ならず」とあるように、仏教の中でも、小乗経は、まだ天とか人といった六道の中での幸福境涯しか究めていない。四聖については、仏や菩薩は、他の世界の存在であって、そのようなものになれるとすら考えられていないし、縁覚や声聞も、小乗経に説かれている範囲では生死を断滅して空に帰する以外ない。
三論宗・法相宗は八界まで立てる。この八界については、仏・菩薩を欠くとする説と、二乗不作仏のゆえに声聞・縁覚の二を除くとする説とがある。いずれにせよ、絶対に成仏できない衆生が本来的にいるとすることは、外道の考え方と相通ずると、大聖人は厳しく指摘されている。
以上、外道から始めて、各宗を挙げて一刀両断されるのであるが、本抄で破折を加えられる主な対象は、華厳・真言の両宗である。これらは、いずれも次に述べられるように、天台大師の、法華経を根本とした高度な哲理を盗みとってみずからを飾っている宗派である。その教義は、したがって、一見、高度で哲学的にみえ、古来、知識階層の多くは、華厳・真言に惹かれてきた。
おそらく、大学三郎も、もともとそうした性向があったのであろう。本抄が、一応御消息文でありながら、消息文的なところはほとんどなく、一貫して、華厳・真言への鋭い破折書ともいうべき内容であるのも、このような大学三郎の信心の在り方に対する指導のためであったと推測される。
1204:06~1204:16 第二章 諸宗の誤りを明示するtop
| 06 仏説の如く之を勘うれば法華経の外華厳経.大集経・般若経・大日経.深密経等の諸経は但小衍相対なり但法華経 07 計りに限つて已今当を以て眷属の修多羅と為す、 然りと雖も天台已前の諸師・ 法華経等の一切の大乗経を小衍相 08 対を以て之を釈す、 王臣の差別無く上下之を混す仏法未だ顕れず愚癡の失之有り、 天台已後に諸宗小衍相対の経 09 経を以て権実相対之を定む、天台の智之を盗めり、日月に背いて灯チュウに向い・丘塚を華恒に比する是なり、 仏 10 は十八界・修羅は十九界.天台は四智・真言は五智・天台は九識十識・真言は十識十一識.而るを天台の学者之に誑惑 11 せられ悉く実義なりと思い、 「法華経は釈尊の所説にて民の万言の如く 大日経は天子の鳳文にて 王の一言の如 12 し」等云云、 善無畏三蔵・事を天竺に寄せ法華経と大日経と理同事勝と立つ是れ一の謬言なり、日蓮は論師・人師 13 の添言を捨てて専ら経文を勘うるに 大日経一部六巻並びに供養法の巻 一巻三十一品之を見聞するに 声聞乗と縁 14 覚乗と大乗の菩薩と仏乗の四乗之を説く、 其の中の大乗の菩薩乗とは 三蔵教の三祇の菩薩乗なり仏乗は実大乗な 15 り法華経に及ばざるの上・華厳・般若にも劣り但だ阿含と方等との二経なり、 大日経の極理は未だ天台の別教・通 16 教の極理にも及ばざるなり。 -----― 釈尊の教説のとおりに考えるならば、法華経を除いて華厳経・大集経・般若経・大日経・深密経等の諸経はただ小衍相対である。ただ法華経のみ已説・今説・当説の諸経をすべて眷属の経としているのである。 しかしながら、天台以前の諸師は、法華経等の一切の大乗教を小衍相対によって解釈した。これでは王と臣との差別がないようなもので、上下を混同することになる。仏法の真実の義は顕れず、愚痴の誤りを犯している。天台以降の諸宗の者は、小衍相対の経々について権実相対を定め、自宗を実大乗経と称している。天台大師の智慧を盗み取ったものである。日月に背いて燈火に向かい、丘や塚を華山・恒山になぞらえるのと同じである。 仏が十八界を説いたのに対し、修羅は十九界と唱えたように、天台が四智を立てると真言は五智を立て、天台が九識、十識を立てると真言は十識・十一識を立てたのである。しかるに天台の学者は、このことに惑わされて、ことごとく真実の義であると思い、「法華経は応身である釈尊の説いた教えであるから、民の万言のようなものであり、大日経は大日法身如来の説いた教えであるから、天子の鳳文であり、王の一言のようなものである」などという誤りを容認するようになった。 善無畏三蔵はインドに事寄せて、法華経と大日経とは理は同じであるが、事は大日経の方が勝れていると立てた。これは第一の誤りの言である。日蓮は論師、人師の付け添えた言葉を捨てて、専ら経文を検討してみたところ、大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品を見聞したところ、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩乗と仏乗との四乗を説いている。その中の大乗の菩薩乗とは、三蔵教で説く三阿僧祇劫の間修行した菩薩にすぎず、仏乗とは大乗の菩薩のことである。 したがって、大日経は法華経に及ばないばかりでなく、華厳経・般若経にも劣り、ただ阿含経と方等部に属する大乗教によって成立しているにすぎない。このように大日経の極理は、いまだ天台所説の別教や通教の極理にも及ばないのである。 |
華厳経
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
―――
大集経
方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳。②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳。③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳.大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
―――
般若経
解深密経のこと。五巻。唐代の玄奘訳。内容は、己心の外にあると思われる諸現象は、ただ阿頼耶識によって、認識の対象に似たすがたを心に映じ出されたものにすぎないという唯識の義、および諸法の如実の性相を明かし、実践修行の方法・行位・証果・化他の力用を説いている。なお漢訳には三種がある。法相宗の依経である。
―――
深密経
解深密経のこと。五巻。唐代の玄奘訳。内容は、己心の外にあると思われる諸現象は、ただ阿頼耶識によって、認識の対象に似たすがたを心に映じ出されたものにすぎないという唯識の義、および諸法の如実の性相を明かし、実践修行の方法・行位・証果・化他の力用を説いている。なお漢訳には三種がある。法相宗の依経である。
―――
小衍相対
大小相対と同義。法華玄義釈籖巻六等に説かれる。小とは小乗のこと。衍とは摩訶衍那(Mahāyāna)の略で、大乗と訳す。小乗教と大乗経とを相対して、小は劣り大は勝れるとする。
―――
已今当
法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」とある。法華経が一代聖教の中でもっとも勝れた経典であることを示した語。法華文句巻八上には、この文を釈して「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」とある。
―――
眷属の修多羅
眷属とは従者、脇士、随う者のこと。修多羅とは梵語スートラ(Sūtra)の音写で、経と訳す。従えている経典の意。
―――
大乗経
仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。
―――
権実相対
釈迦一代50年の諸教には「権教」と「実教」があり、これらを比較相対し、真実の教説を選び出すのが権実相対である。権教とは、仮の教説の意で、衆生の機根に応じて説いた方便の教説を言い、実教とは、仏の悟りをそのまま説いた真実の教説を言う。釈迦は、30歳から42年間にわたる説法の後、72歳の時に説いた「無量義経」において、「四十余年には未だ真実を顕さず」と明かし、その後に説いた法華経「方便品第二」に、「要当に真実を説きたもうべし」と説いていることからも解るように、爾前の40経教は方便権教であり、法華経のみが真実の教説であることは明らかである。この法華経においては、一切衆生を成仏せしめる『一念三千』の法門が顕されることによって、これまで成仏できないとされてきた二乗(声聞・縁覚)の作仏が許され、また「本仏」と釈迦の関係である本地である久遠実成が明かした。一念三千の考え方についても、法華経以前の諸経では、十界は相互に隔てられた全く別々の世界として固定化されてとらえられていた。しかし、法華経では、十界とは一つの生命に具わる十種の境涯であることを示し、十界のいかなる衆生も仏界を顕わし成仏する可能性をもっているという変革の可能性を説いている。
―――
灯炷
柱状にしたたいまつのこと。
―――
華恒
華山と恒山のこと。ともに五岳の一つ。華山は西岳、恒山は北岳にあたる。華山は陝西省渭南県の東にある名山。秦嶺山脈中の高峰。恒山は河北省曲陽県の北西にある山、あるいは山西省渾源県の東にある山ともいわれる。高山の代表として挙げられている。
―――
仏は十八界・修羅は十九界
涅槃経巻三十六に、仏の姿をよそおった魔が「今当に汝が為に更に五諦・六陰・十三入・十九界を説くべし」といい、仏の説いた四諦・五陰・十二入・十八界より勝れているといって人を惑わしたとある。仏の説いた十八界とは、六根、六境、六識を合わせていう。
―――
天台は四智・真言は五智
五輪九字明秘密釈に「顕は五智を説かず、密は説く」とある。天台の四智とは、天台宗で説く四つの仏智のことで、①大円鏡智、②平等性智、③妙観察智、④成所作智をいう。法華玄義釈籖巻十二には成唯識論巻十によって四智を明かす。真言の五智とは、大日如来の智を五種類に分けたもので、不空訳と伝えられる金剛頂瑜伽三十七尊出生義等に説かれる。前述の四智に法界体性智を加えたものをいう。
―――
天台は九識十識・真言は十識十一識:
天台の九識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に、第七末那識、第八阿頼耶識、第九阿摩羅識を加え、第九識を根本淨識とし、心王とする。十識とはこの上に一心一心識を立てるというが、詳細は明らかではない。真言の十識十一識とは、真言宗で十識の上にさらに重ねて識を立てることをいい、秘蔵記末には「問う、顕教には八識を立つ。密教には若干識を立つるや。答う、一識或いは八識、或いは九識、或いは十識、乃至無量識」とある。
―――
鳳文
賢聖の文章のこと。
―――
理同事勝
真言宗の開祖・善無畏三蔵のつくった邪義。法華経と大日経とを比較すると、理の上では釈尊も大日如来も一念三千にほかならないので同じであるが、事において、すなわち、この教理を形の上に表わす印や真言の作法は、法華経にないので大日経が法華経に勝れているとする謬説。
―――
論師
阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
―――
人師
人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
―――
供養法の巻一巻
大日経巻七の供養念誦三昧耶法門一巻五品のこと。供養の法式・儀式の次第が説かれている。
―――
三蔵教の三祇の菩薩乗
三蔵教とは、本来は経・律・論の三蔵を結集した経典の意。大乗教が興ってからは小乗教をさすようになった。ここでは後者の意。三祇とは三阿僧祇劫のことで、小乗の菩薩が修行し仏果を得るまでの期間。大日経で説く大乗の菩薩は、小乗教に説く三阿僧祇の間修行する菩薩を意味する。
―――
阿含
阿含とは、梵語アーマガの音写で、教・伝・法帰等と訳す。伝承された教えの意。釈尊の言行・説法を伝え集成した経蔵全体の総称をいう。ただし、大乗仏教が興ってからは小乗経典の意味に限ってつかわれる。北方系仏教では四阿含といって、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・雑阿含経の四つに分類される。阿含経は声聞の最高位である阿羅漢に到ることを目的とするので、三乗の中でも二乗である声聞を正位として説かれた経といえる。
―――
方等
方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
―――
別教
二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
―――
通教
声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通して説かれた大乗初門の教えのこと。天台大師が四教義で立てた化法の四教のひとつ。通教の菩薩には前の三蔵教と同じ果を得る者と、さらに深く進んで後の別教・円教の理を悟るものとがある。
―――――――――
釈尊自身の説いたところによって考えれば、法華経以外の大乗教は、小乗教に比べてすぐれているというにすぎない。ただ法華経のみが「已今当にすぐれる」と明記されているように、あらゆる一代経典に対してすぐれているのである。
しかるに、天台大師より以前の諸師は、法華経と他の大乗経典との違い、勝劣が分からず、天台以後の諸師は、天台によってこの勝劣が明らかになったので、天台の教説を盗んで自分のものにし、しかも、それに勝手に付け加えて、自宗の依経が法華経よりすぐれていると主張するにいたった。
この段は、そのように、劣っている各経を拠りどころとする宗派が、いかに己れの邪義を逞しくしていったかを叙述されている。
天台已前の諸師法華経等の一切の大乗経を小衍相対を以て之を釈す。王臣の差別無く上下之を混す。仏法未だ顕れず愚癡の失之有り
天台大師以前の諸師が、大乗と小乗の区別はしたけれども、大乗教の中で法華経も他の経典と同じに考えていたのは、愚痴の失によるのであるといわれている。愚痴とは愚かということであり、見分ける智慧がなかったということである。
当然、結果としては「王臣の差別無く上下之を混ず」というように、仏法のなかで混乱を招いた罪があるが、その動機には邪心はない。したがって、その罪はまだ軽い。それに対し、天台大師によって勝劣浅深を明らかにされ、みずからも、それをわきまえていながら、浅く劣る経典に執着して、深く勝れている法華経に敵対し、あるいは同一視して混乱を招いた場合には、はるかに重い謗法という罪を得るのである。
天台已後に諸宗小衍相対の経経を以て権実相対之を定む。天台の智之を盗めり。日月に背いて燈炷に向い、丘塚を華恒に比する是なり 法華経以外の大乗経典においても、たとえば金光明経の「是諸経之王」、密厳経の「一切経中勝」、華厳経の「能信是経・最為難」等、自経を讃めている言葉はある。
しかしながら、これらは「或は梵帝・四天等の諸経に対当すれば是れ諸経の王なり或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり……」ということであって、「所対を見て経経の勝劣を弁うべき」(0332-07)なのである。
ただ法華経のみが、法師品に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」と述べられているように、他の一切の経典を所対として、法華第一の義を宣しているのである。
已・今・当の三説については、天台が法華文句巻八上に「已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈している。事実、已今当と断わっているなかに、他の一切経をさしていることは明らかであろう。
天台大師は、このような明確な経文を論拠とし、しかも、経典の内容を吟味しぬいたうえで、法華第一を唱えたのであった。それは、人々に、根本とすべき経典を明示し、得道を容易ならしめるためにしたことであった。ところが、諸宗の人師達は、この天台の大智から発したやり方を盗みとって、経文が何を所対として「第一」といっているのかも無視したまま、みずからの依経をもっともすぐれた経で実経であり、他はすべて権経であると唱えたのである。
これは、あたかも太陽や月に背を向けてロウソク等の燈を選ぶようなものであり、華山や恒山といった名山と、小さな丘や塚を同列に論じ、比較しようとするようなものである、と仰せである。この比喩は愚かさを指摘されているのではなく、一見して明らかすぎるこの相違を、わざと無視し、真実をないがしろにしている邪悪さを責めて挙げられたのである。
仏は十八界・修羅は十九界云云
仏が六根・六境・六識をもって十八界と立てたのに対し、修羅は十九界と主張したことについては、佐渡御書にも引かれている。「修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ、外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く、日蓮御房は師匠にておはせども余りにこはし。我等はやはらかに法華経を弘むべしと云わんは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし」(0961-01)と。
このエピソードの出典と思われるのは、涅槃経巻三十六迦葉菩薩品の次の文である。
「……魔王の化して仏像と作り、首羅長者見已りて心驚き、魔長者の其の心動ずるを見已りて、即ち長者に語らく、『我先に説く所の四真諦とは、是の説真ならず。今当に汝が為に更に五諦・六陰・十三入・十九界を説くべし』。長者聞き已りて法相を尋観するに、都て此の理無し」と。
つまり、四諦、五陰、十二入、十八界が仏の説いたところであるが、魔は仏に姿を似せてあらわれて、それぞれに一つを加えて、あたかも、より深い真実を説くように見せ、長者の心を引こうとしたというのである。大聖人が、この魔王を修羅とされたのは、あるいは首羅長者と混同されたとも考えられるが、勝他の念を特色とする修羅の本性から故意に置き換えられたとも思われる。
ともあれ、みずからを誇耀させようとする魔や修羅が使う、こけおどしの手を、見事に喝破したエピソードである。ゆえに仏教は、いかなる大菩薩といえども、経典の裏づけをもって述べたのでなければ、大衆はそれを信じてはならないと厳しく戒めているのである。
天台は四智・真言は五智
天台の四智とは、法華文句において、法華経方便品第二の「開示悟入」を釈した道慧、道種慧、一切智、一切種智の四智がある。
法華文句巻四上に「一に道慧、道の実性を見て実性の中に仏知見を開するを得るなり。二に道種慧、十法界の諸道種別解惑の相を知り、一々に皆仏知見を示すなり。三に一切智、一切法の一相寂滅を知る。寂滅は即ち仏知見を悟るなり。四に一切種智、一切法の一相寂滅の相を知り種々の行類相貌を皆識る、即ち仏知見に入るなり」とある。
また、妙楽は成唯識論の所説に従って、仏は八識を転じて四智並びに三身を成ずるとして、①大円鏡智、②平等性智、③妙観察智、④成所作智の四智を立て、大円鏡智は法身、平等性智は報身、成所作智は応身を成じ、妙観察智は三身に偏満するとしている。①大円鏡智とは、大円鏡の中にあらゆる色像を映すように、万徳を収め、一切法を照らしあらわす智慧、②平等性智は、平等一如の理を観じ、一切衆生に無差別の大慈悲を起こす智慧、③妙観察智は、諸法の相を観じ、自在に説法して疑いを断ずる智慧、④成所作智は、種々に神通変化して衆生を救済する智慧のことをいう。
しかるに真言密経では、この四智に法界万有の本性を表す智慧として法界体性智を加えて五智とし、大日如来のそなえる五種の智慧として、この五智を説くゆえに真言宗は天台法華宗に勝れているという邪説を立てたのである。
ただし、末法の大白法として法華経文底独一本門を立てられた日蓮大聖人は、開会の立場から、十八円満抄に、伝教大師作と伝える修禅寺相伝日記を引いて、次のように述べられている。「仏意の五重玄とは諸仏の内証に、五眼の体を具する即ち妙法蓮華経の五字なり(中略)亦五眼即五智なり、法界体性智は仏眼・大円鏡智は法眼・平等性智は慧眼・妙観察智は天眼・成所作智は肉眼なり、問う一家には五智を立つるや、答う既に九識を立つ故に五智を立つべし」(1365-02)と。
これらの関係を整理すると、次のようになる。
五字 妙 法 蓮 華 経
五智 法界 大円 平等 妙観 成所
五体 性智 鏡智 性智 察智 作智
五眼 仏眼 法眼 慧眼 天眼 肉眼
五識 第九識 第八識 第七識 第六識 第五識
所詮、諸経諸論を開会するならばすべて妙法蓮華経の五字に含まれるのであり、妙法の五字こそ、五智の如来として、一切衆生、三世十方の諸仏の成仏の根源である。
真言宗は、天台法華宗が衆生を救う正法として力をもっているにもかかわらず、それに対抗して、はるかに低い経典に依りながら、己義を荘厳するために、天台の四智に対して五智と立てたのである。それは明らかに邪智謗法といわねばならない。
大聖人は天台法華宗ではもはや救うことのできない衆生の充満する末法のために、法華経をあくまで依処としつつ、もう一歩深い立場から大法を明かされ、必然的に五智を立てられたのである。同じように、天台の四智に対して五智を立てたといっても、真言と大聖人とでは、全く異なることを知るべきであろう。
大日経の極理は未だ天台の別教通教の極理にも及ばざるなり
天台の四智に対して五智といい、天台の九識・十識に対して十識・十一識といい、天台の一念三千に対しては、理は同じであるが印と真言の事において勝れるといって、天台法華より上であると主張した真言に対する、痛烈な破折である。
その論拠として大聖人は、大日経の説く四聖をみると、その菩薩は小乗教の菩薩にすぎず、仏もまたじつはようやく大乗の菩薩であって、その内容は華厳・般若に劣ることは当然、阿含・方等のレベルであると指摘されている。そして、したがって、大日経の極理といっても、天台大師が法華経の円経にはるかに劣るとして明確化した別教や通教の極理にさえも及ばないと結論されているのである。
いうまでもなく、大日経の立てる十界が、真実の仏界を明かしていないということは、きわめて不完全であるということである。十界が不完全であるならば、一念三千が完備される道理がない。したがって、善無畏三蔵が、天竺に権威を借りて、大日経にも一念三千の理があり、法華経と大日経は理において同じであり、印と真言の事においては大日経が勝れるという義を立てたことも、根底から覆るのである。
1204:17~1205:08 第三章 真言宗の誤りを指摘するtop
| 17 弘法大師・延暦二十三年に入唐し大同二年に帰朝す、三箇年の間・慧果和尚に値いて真言の秘教を学習し帰朝の 18 後十住心二教論之を注して世間に流布す、 釈迦牟尼仏並びに大日経二仏の所説の勝劣之を定む、 第一大日経・第 1205 01 二華厳経・第三法華経・浅きより深きに至る義なり華厳経・ 法華経に勝るとは南北の二義を取るなり又華厳宗の義 02 なり、南北並びに弘法大師は無量義経・法華経・涅槃経の三経を見ざる愚人なり、 仏既に分明に華厳経と無量義経 03 との勝劣之を説く、 何ぞ聖言を捨てて南北の凡謬に付かんや、 近きを以て遠きを察するに将た又大日経と法華経 04 との勝劣之を知らず、 大日経には四十余年の文之無く・又已今当の言之を削る二乗作仏・久遠実成之無し、 法華 05 経と大日経との勝劣之を論ぜば民と王と・ 石と珠との勝劣高下是なり、 而るに安然和尚粗之を顕す然りと雖も但 06 だ華厳経と法華経との勝劣は之を明むるに似たれども法華・ 大日経の勝劣之に闇うして闇と漆との如くなり、 慈 07 覚大師は本伝教大師に禀くと雖も本を捨て末に付き入唐の間・ 真言家の人人に誑惑せらるるの間・又大日経と法華 08 と理同事勝と云云、賢きに似たれども但だ善無畏の僻見を出でざるのみ。 -----― 弘法大師は延暦二十三年に入唐し、大同二年に帰朝した。この三箇年の間、恵果和尚にあって真言の秘教を学習し、帰朝の後「十住心論」「顕密二教論」を著して世間に流布させたのである。この中で、釈迦牟尼仏と大日如来の二仏の説く教法の勝劣を定めて、第一大日経、第二華厳経、第三法華経と立てて、浅きより深きに至るとした。華厳経が法華経より勝れているとは、南三北七の義を取り入れたものであり、また華厳宗の教義である。 これら南北の諸師並びに弘法大師は、無量義経・法華経・涅槃経の三経を見ていない愚人である。仏はすでにはっきりと華厳経と無量義経との勝劣を説いている。どうして釈尊の言葉を捨てて、南北の凡人の誤った言につくのであろうか。この近い誤りによって遠くを推察するならば、やはりまた大日経と法華経との勝劣も知るはずがない。 大日経には「四十余年という文はなく、また「已今当」との文もまったくない。「二乗作仏」「久遠実成」もない。ゆえに法華経と大日経との勝劣を論ずるならば、民と王と、石と珠との勝劣、高下があるのである。 しかして安然和尚はほぼこの相違を顕している。しかし華厳経と法華経との勝劣はほぼ明らかにしているようではあるが、法華経と大日経との勝劣については明白ではなく、闇と漆のように、見分けられていない。慈覚大師は本来伝教大師に教えを禀けたにもかかわらず、根本を捨てて枝葉につき、入唐の間に真言宗の人々に惑わされて、この人もまた大日経と法華経とは理同事勝というようになった。賢明な説のようではあるけれども、ただ善無畏三蔵の僻見を出ていないのである。 |
弘法大師
(0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。
―――
慧果和尚
(0746~0806)。中国唐代の僧。照応(陝西省臨潼の人で、俗姓を馬という。真言宗東寺派では、大日如来から法を受けついだ第七祖とする。不空の弟子。唐の代宗、徳宗、順宗の三朝に国師として尊敬された。永貞元年(0805)弘法に教えを伝えた。
―――
十住心
弘法が十住心論を著して立てた教判。大日経十住心品に十種の衆生の心相があるとして、それに世間の道徳・諸宗を当てはめ、菩提心論によって顕密の勝劣を判じ、真言宗が最高の教えであることを示そうとしたもの。異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心をいう。
―――
二教論
弁顕密二教論の略。弘法の著作で、顕教よりも密教が優れているとの邪義を説いたもの。弘法は横豎において教相を判釈しているが、横の判教が弁顕密二教論であり、豎の判教が十住心論、秘蔵宝鑰であるとしている。
―――
第一大日経・第二華厳経・第三法華経
弘法が十住心論で立てた教判。十住心論とは大日経の住心品や『菩提心論』をもとに衆生の心のありかたを10種に分けたもの。真言密教を最高位に位置づけ、華厳を第2、法華を第3としている。①異生羝羊(住)心。異生(衆生・凡夫)が雄羊のように善悪因果を知らず、本能のまま悪行を犯す心。②愚童持斎(住)心。愚童のように凡夫善人が人倫の道を守り、五戒・十善などを行う心。③嬰童無畏(住)心。嬰童は愚童と同意で、現世を厭い天上の楽しみを求めて修行する位をいう。外道の住心。④唯蘊無我(住)心。蘊はただ五蘊(五陰と同じ)の法のみ実在するという意で、無我はバラモンなどの思想を離脱した声聞の位のこと。すなわち出世間の住心を説く初門で、小乗の声聞の住心。⑤抜業因種(住)心。十二因縁を観じて悪業を抜き無明を断ずる小乗の縁覚の住心。⑥他縁大乗(住)心。他縁は利他を意味し、一切衆生を救済しようとする利他・大乗の住心のこと。法相宗の菩薩の境地。⑦覚心不生(住)心。心も境も不生、すなわち空であることを覚る三論宗の菩薩の境地。⑧如実一道(住)心。一仏乗を説く天台宗の菩薩の境地。⑨極無自性(住)心。究極の無自性(固定的実体のないこと)、縁起を説く華厳宗の菩薩の境地。⑩秘密荘厳(住)心。究極・秘密の真理を覚った真言宗の菩薩の境地。大日如来の所説で、これによって真の成仏を得ることができるとした。日蓮大聖人は「真言見聞」で、「十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何れの経論に出でたるや」(148㌻)と破折されている。
―――
南北の二義
中国南北朝時代、揚子江の南地と北地にあった、江南三師と江北七師の説く教義のこと。十師の教相判釈はそれぞれ異なるが、大綱は同じであり、一代聖教の中には、華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三である。天台大師はこれら南三北七の教判を破して五時八教を立て、一代聖教の中で法華経が第一であることを宣揚した。
―――
無量義経
一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
―――
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
―――
二乗作仏
二乗が成仏すること。法華経迹門ではじめて説かれる。爾前の大乗諸経では、二乗は自己の低い解脱に執着して利他の行に欠けるゆえに、永久に成仏できないと仏から弾呵されたが、法華経迹門では、あらゆる衆生が本来仏性をそなえていることを説き、この妙法の極理を信解した二乗にはじめて仏から、未来における成仏の記別を与えられたことをいう。
―――
久遠実成
釈尊が五百塵点劫という久遠の昔にすでに三身をそなえた仏であったと説きあらわしたこと。法華経如来寿量品第十六に説かれる。
―――
安然和尚
(0841~)。天台宗の学僧。伝教の俗縁といわれるが、詳細は不明。幼くして比叡山に登り、慈覚の弟子となった。顕密の学問をつみ、後年、比叡山に五大院を建て、著作に励んだ。「教時諍論」に、教理の浅深を説いて、真言宗第一、仏心宗第二、法華宗第三、華厳宗第四との説を立てている(0280)。著書に「教時問答」四巻、「菩提心義」五巻、「悉曇蔵」八巻等四十余巻がある。
―――
慈覚大師
(0794~0864)。延暦寺第三代座主。諱は円仁。下野国(栃木県)都賀郡の人。伝教の弟子となり、承和5年(0838)入唐し、天台学とともに真言密教を学び、承和14年(0847)帰国。天台宗に真言密教を取り入れ、「金剛頂経疏」「蘇悉地経疏」等を著し、大日経第一、法華経第二との教判を立てた。仁寿4年(0854) 円澄の跡を受けて、延暦寺の第三代座主となった。ただし没年には異説がある。
―――
伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。根本大師・山家大師ともいう。俗姓は三津首。近江国(滋賀県)高島市の人。12歳で近江国分寺の行表について出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)に入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」九巻等多数ある。
―――――――――
これまで述べられてきたように、天台に対抗して立てられた真言の教義が、まったく根拠のない邪義であることは明らかである。にもかかわらず、わが国においては、弘法がこの中国真言宗の邪義をそのまま受け継ぎ、しかも、それに輪をかけた邪説を立てて、流布したのである。さらに悲しむべきことは、天台の正統学を継承した伝教の後継者達までが、真言宗の毒に染まり、善無畏の邪義に同じたことである。
本段は、そうした日本における真言宗の教義と浸透にふれ、その誤謬を指摘されている。まず、弘法が三年間の唐留学で、不空の弟子・恵果和尚から真言密経を学び、帰朝して「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」の義を立てたことを取り上げられている。これを破折するのに大聖人は、華厳経が法華経より上であるとする誤りから、まず責められるのである。
華厳経を法華経より勝れているとするのは、当時の中国仏教に流布していた説であった。だが、それが誤りであることは、無量義経の「四十余年未顕真実」等の釈尊自身の言葉によって明白である。同様の教判は、法華経自体にも、涅槃経にもある。弘法は、これらの経文すら見ないで、ただ、中国での通説を頭から信じてしまったのである。
「何ぞ聖言を捨てて南北の凡謬に付かんや」の一言は、仏法について判断するのに、教主自身の言葉を無視し、無知の俗説に従った愚かさを厳しく指弾されているのである。この御金言は、日蓮大聖人の仏法を実践し、説くうえにおいても、心しなければならない不朽の鉄則であろう。
次に「近きを以て遠きを察するに、将た又大日経と法華経との勝劣之を知らず」と、華厳と法華の勝劣さえわきまえないのであるから、大日経と法華経との勝劣も、同様に無知のうえの臆断であることを述べられる。
この大日経の破折において、大聖人は、言葉として勝劣について述べている点と同時に、二乗作仏・久遠実成の法門の有無という点を取り上げられている。これは、大日経といっても、事実は釈尊の説いたものであるから、「四十余年未顕真実」「已今当」の文で破られているのであるが、真言宗では、大日経を釈尊の所説にあらず、大日如来の教説であるといって、これらの文の枠外(わくがい)にあると主張している。
そのために、これらの文だけにとどめず、説かれた法門の哲学的内容の勝劣という問題にまで言及されたのである。この場合は、教主がだれであっても、それに関係なく、この勝劣浅深は、いずれをとるべきかの判定にかかわってくるからである。所詮、仏法はだれが説いたかの〝人〟でなく、何が説かれているかの〝法〟を根本とすべきことを示されたのである。
大日経には四十余年の文之無く、又已今当の言之を削る。二乗作仏・久遠実成之無し
大日経の中には二乗作仏・久遠実成等の義はまったく説かれていない。にもかかわらず、真言宗では無理に都合のよいところを取ってきて、大日経の中に一念三千が説かれていると主張するのである。
善無畏の講説を一行が筆録した大日経義釈巻一には「彼に諸法実相と言うは即ち此の経の心の実相なり」とあり、大日経に諸法実相が説かれているとする。
また弘法の雑問答には大日経に説かれる大那羅延力の力用を示して「謂く一闡提人は必死の病、二乗の定性は已死の人なり、余教の救う所に非ず、唯此の秘密神通の力のみ即ち能く救療す」とし、大那羅延力をもって二乗作仏の依文とするのである。
しかしながら、もし二乗作仏の義が説かれているとするなら、いつ、いかなる国で、いかなる名の仏になるかという、いわゆる授記の際の劫・国・名号等が明示されなければならない。だが、それはまったくないのである。ゆえに大日経においては、二乗作仏といっても有名無実である。したがって、こじつけに目をつぶって、大日経に実相を説いていると認めても、それは小乗教に説く偏真の実相にすぎず、法華経の円融円満の諸法実相とは比べものにならないのである。
また久遠実成については、同じく大日経義釈巻九の中で、大日経転写輪曼荼羅行品第八の「我一切本初」の文を釈して、「本初とは即ち是れ寿量の義なり」としている。ここで我とは大日経の教主である大日如来で、本地は法身である。本初とは、その法身の本有常住を明かしているのであり、法身本有の理を述べているにすぎない。当然、この法身は三身即一身の法身ではなく、三身が各別に説かれた段階での法身にすぎず、法華経の三身常住の久遠実成とは比ぶべくもないものである。
したがって妙楽も弘決巻六下に「遍ねく法華已前の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文、及び如来久成を明かせるの説無し」と述べているように、大日経の中には二乗作仏・久遠実成・一念三千はまったく説かれていないといわざるをえない。ゆえに、法華経と大日経との勝劣は、民と王、石と珠とのように、大きい勝劣高下の差があると結論されている。
「而るに安然和尚…」以下は、日本天台宗において、この真言の邪義にどのように侵されていったかを述べられている。時代順は逆になるが、慈覚の弟子・安然は法華経と華厳経の勝劣については論じたが、法華経と大日経の勝劣については蒙昧であった。安然の師・慈覚自身が、真言の邪義に染まって、善無畏と同じ「理同事勝」の考えに陥っていたからである。師弟ともに、大なる誤りを犯し、天台・伝教の正統の法華経哲学を泥にまみれさせてしまったのである。
1205:09~1205:17 第四章 持戒の本義を説くtop
| 09 而るに日蓮末代に居し 粗此の義を疑う遠きを尊み近きを賎み死せるを上げ生けるを下す、故に当世の学者等之 10 を用いず、設い堅く三帰.五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘.比丘尼等も愚癡の失 11 に依つて小乗経を大乗経と謂い権大乗経を実大乗経なりと執する等の謬義出来す、 大妄語・大殺生・大偸盗等の大 12 逆罪の者なり、 愚人は之を知らずして智者と尊む、 設い世間の諸戒之を破る者なりとも堅く大小・権実等の経を 13 弁えば世間の破戒は仏法の持戒なり、 涅槃経に云く「戒に於て緩なる者を名けて緩と為さず 乗に於て緩なる者を 14 乃ち名けて緩と為す」等云云、 法華経に云く「是を持戒と名く」等云云、 重き故に之を留む、事事霊山を期す、 15 恐恐謹言。 16 七月二日 日蓮花押 17 大学三郎殿 -----― しかしながら、日蓮は末代に生まれ、ほぼ彼らの教義を疑い、遠い仏の教えを尊び、近代の邪師を賤しみ、亡くなった先師を称揚し、現在の諸師を下している。ゆえに今の世の学者等は日蓮の言を用いないのである。 たとい三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を堅く持っている僧尼等も、愚痴の誤りのために小乗経を大乗教であると思い、権大乗経を実大乗経であると執着する等の誤謬の立義が生じたのである。これらの持戒の人々こそ、かえって大妄語・大殺生・大偸盗の大逆罪を犯す者である。愚人はこのことを知らずに智者と仰ぎ尊んでいる。 たとい世間の諸戒を破る者であっても、大乗経と小乗経、権経と実経等の経典をしっかりわきまえるならば、世間の破戒は仏法では持戒なのである。ゆえに涅槃経には「戒を守ることに緩怠である者を緩怠とはせず、仏智に到る乗り物としての教法を受持することにおいて緩怠である者を、名づけて緩怠となすのである」とある。また法華経見宝塔品第十一には「法華経を持つ者を戒律を持つ者と名づける」とある。繁雑になるので筆を止めおく。委細は霊鷲山でお会いする時に申し上げたい。恐恐謹言。 七月二日 日 蓮 花 押 大学三郎殿 |
三帰・五戒
三帰は三帰戒ともいい、仏・法・僧の三宝に帰依すること。大方便仏報恩経巻六等に説かれる。はじめて仏法に帰依する時、また修行が進んで、五戒等を受けるためにまず受ける戒。五戒とは在家の持つべき戒。同経巻六等に説かれる。不殺生戒・不偸盗戒・不妄語戒・不邪淫戒・不飲酒戒の五つのこと。
―――
十善戒
大乗の在家戒であり、十悪を防止する戒のこと。正法念処経巻二等に説かれる。不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不綺語戒・不悪口戒・不両舌戒・不貪欲戒・不瞋恚戒・不邪見戒をいう。
―――
二百五十戒
男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。
―――
五百戒
比丘尼の具足戒で、その戒数には諸説があり、四分律に説かれる三百四十八戒が一般的である。多数の意味で五百としたもの。
―――
十無尽戒
十重禁戒ともいい、大乗の菩薩が持つべき十種の重大な戒律のこと。梵網経巻下等に説かれる。不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不酤酒戒・不説過罪戒・不自讃毀他戒・不慳戒・不瞋戒・不謗三宝戒をいう。
―――
十無尽戒
十重禁戒ともいい、大乗の菩薩が持つべき十種の重大な戒律のこと。梵網経巻下等に説かれる。不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不酤酒戒・不説過罪戒・不自讃毀他戒・不慳戒・不瞋戒・不謗三宝戒をいう。
―――
比丘
(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
―――
比丘尼
ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。
―――
涅槃経に云く「戒に於て……」
涅槃経巻六如来性品第四の三に「善男子、乗に於て緩なる者は、乃ち名けて緩と為すも、戒に於て緩なる者は、名けて緩と為さず」とある文。緩とは急に対し、ゆるやかなことをいう。怠ること。
―――
法華経に云く「是を持戒と……」
法華経見宝塔品第十一の「此の経は持ち難し、若し暫くも持たば、我れは即ち歓喜す……是れを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づく」との文。
―――
霊山
梵語グリッドゥフラクータ(Gṛdhrakūṭa)の訳である霊鷲山のこと。古代インドのマカダ国の首都・王舎城はこのすぐ西南にあった。釈尊はこの山で法華経を説いたとされ、そこから寂光土、仏の住する清浄な国土の通称としても用いられるようになった。
―――――――――
日本国中の仏教界を誤らせた邪義を、日蓮大聖人は真っ向から破折しているがゆえに、だれからも容易に用いられないことを述べられ、しかし大聖人を非難している「当世の学者等」こそ大逆罪の者であり、大聖人こそ仏法の持戒者であることを強調されている。
而るに日蓮末代に居し粗此の義を疑う。遠きを尊み近きを賤み、死せるを上げ生けるを下す。故に当世の学者等之を用いず
これまでの仏教界でだれも疑わず、むしろ高位盛名の僧ほど、すすんで宣揚してきた仏法の誤りを、末代に出現してこれを正そうとすることの難しさを述べられている。
「末代に居し」とは、当時の人々の、末代のわれわれに仏法の真義は分からない、ただ先達の教えに従えばよいのだという考え方に対していわれたのである。そして、この先達の教えを忠実に受け継いでいるのが、当時の仏教界の権威である。したがって、この伝統の教義に対する疑いは、当時の仏教界のアカデミズムに対する反逆でもあったのである。「遠きを尊み」とは、はるか遠い昔の釈尊の言葉を第一義とすることである。「近きを賤み」とは、近い過去の弘法、慈覚等を否定することである。「死せるを上げ」とは、天台や伝教を宣揚していることであり「生けるを下す」は、現在の仏教界の権威達を下すことである。
しかるに「当世の学者等」には、たとい真実が理解できても、現に権威をもっている者を恐れ、それに従う風潮がある。いわんや、多くの者は真実を理解することさえできないのが実情である。
この点については、佐渡御書に鋭く論及されている。いわく「畜生の心は弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり、王法の邪をおそる。諛臣と申すは是なり」(0957-07)と。ゆえに、たとい、大聖人の主張を正しいと認めたとしても、そうした邪な権威に屈服して、大聖人迫害の片棒をかつぐことしかしないのである。そのような僧、学者は、どんなに戒を持ち、立派そうな姿をしていても、次に示されるように、真実の仏法の持戒者に敵対するゆえに「大逆罪の者」となるのである。
設い世間の諸戒之を破る者なりとも、堅く大小権実等の経を弁えば、世間の破戒は仏法の持戒なり云云
正しい仏法を弁え、それを受持することがもっとも根本の「持戒」であり、たとい世間法の上では破戒であっても、仏法のうえでは持戒になるのである。
このように、同じく戒にも、世間の法のうえでの戒と仏法のうえでの戒と異なるということは、たとえば、次のように考えれば、容易に理解できよう。表面的には、非常に言葉遣いも丁寧で万事、礼儀正しいけれども、内心はつねに人の隙をうかがい、破滅させようとしている人がいる。その反対に、表面は無造作で無愛想であるが、苦しんでいる人をみると助けないでいられない人もいる。このいずれを善い人と思い、立派な人と評価するかといえば、おそらく後者を高く認め、尊敬するのが人情であろう。いま大聖人がいわれている「世間の戒」と「仏法の戒」との関係も、深さの次元こそ違え同じ原理である。ただ本性を見抜きえない人々のみが、表面的な姿の立派さ、人当たりのよさに欺かれて、逆に評価し、結局はだまされてわが身を滅ぼすのである。
「仏法の持戒」とは、このもっとも本源的な法を実践している人である。引用の法華経の文は見宝塔品の文で、妙法を持つことこそ真の持戒であることを述べたところである。涅槃経の文も如来性品で、戒という形式面でなく、いかなる法を持つかという内容面が大事であることを教えたものである。
日蓮大聖人は、その表面的な形においては、破戒、無戒ともみえる凡夫僧であられたが、一切衆生を救済し成仏させる妙法を持ち、教える実践をされているゆえに、もっとも尊い持戒者であられる。この仰せは、一往は大聖人ご自身の仏法上の尊貴を示すためであるが、再往は、仏法を信ずる者の真実の在り方を教えられた御文と拝すべきであろう。
ただし、大聖人のご真意は正法を受持して「乗において急」でさえあれば、戒や世間法においてはどうでもよいというのではない。まずなによりも正法を受持することを根本にすべきこと、その場合には諸戒、世間の法においても、おのずから正しい生き方になっていくことを教えられているのである。
1206~1210 星名五郎太郎殿御返事top
1206:01~1206:07 第一章 仏法に邪正があることを教えるtop
| 1206 星名五郎太郎殿御返事 文永四年十二月 四十六歳御作 01 漢の明夜夢みしより迦.竺・二人の聖人・初めて長安のとぼそに臨みしより以来.唐の神武皇帝に至るまで天竺の 02 仏法・震旦に流布し、梁の代に百済国の聖明王より我が朝の人王三十代・欽明の御宇に仏法初めて伝ふ、 其れより 03 已来・一切の経論・諸宗・皆日域にみてり、幸なるかな生を末法に受くるといへども 霊山のきき耳に入り身は辺土 04 に居せりといへども大河の流れ掌に汲めり、但し委く尋ね見れば仏法に於て大小・権実・前後のおもむきあり、 若 05 し此の義に迷いぬれば 邪見に住して仏法を習ふといへども還つて十悪を犯し五逆を作る罪よりも甚しきなり、 爰 06 を以て世を厭ひ道を願はん人先ず此の義を存ずべし、 例せば彼の苦岸比丘等の如し、 故に大経に云く「若し邪見 07 なる事有らんに命終の時・正に阿鼻獄に堕つべし」と云へり。 -----― 漢の孝明帝が夜夢に金人を見てから迦葉摩謄・竺法蘭の二人の聖人が初めて長安の都の入り口に立って以来、唐の皇帝の世に至るまでに、インドの仏法はすべて中国に流布し、梁の代に百済国の聖明王から、わが国の人王三十代欽明天皇の御世に、仏法が初めて伝えられた。それ以来、一切の経論・諸宗がみな日本国に弘まっている。 幸なことに、末法に生まれたにもかかわらず、霊山の説法が耳に入り、身は辺土に住んでいるにもかかわらず、仏法の大河の流れを掌に汲むことができる。 ただし、くわしく調べてみると、仏法には大小、権実、前後等の趣意がある。もしこの義に迷うならば邪見に陥って、仏法を習うといってもかえって十悪を犯し、五逆罪を作る罪よりもはなはだ重い罪となる。 こういうわけで、俗世をきらい、真実の道を願い求める人は、まずこの義を知るべきである。そうでないと、例えば彼の苦岸比丘等のようなことになるのである。ゆえに涅槃経に「もし邪見に陥ることがあれば、命終の時必ず阿鼻地獄に堕ちるであろう」と説かれている。 |
漢の明
後漢第二代の皇帝で、第一代光武帝の第四子、顕宗孝明皇帝をいう。内治外政に力を尽くし班超を西域につかわして鎮撫し国威を宣揚した。
―――
迦
摩騰、摩騰迦、迦葉摩騰、摂摩騰のこと。中天竺の人で、よく大・小乗経を解した。西インドにいったころ、一小国王のために金光明経を講じて敵国の侵害を防ぎ、大いに名をあらわしたといわれる。後漢の明帝の請をうけ、竺法蘭と共に中国に入ってからは四十二章経などの翻訳をし、また、洛陽に特に建立された白馬寺で中国仏教開宣の端をひらいた。
―――
竺
竺法蘭のこと。中天竺の僧で後漢の明帝の請をうけ、竺謄迦と共に中国に入って仏法を伝えた。
―――
長安
中国・漢代から唐代にかけて栄えた都・長安にあった宮城のこと。長安は当時、全中国の首都として栄えた。現在の陝西省西安がそれにあたる。
―――
とぼそ
開き戸の枢を受けるところ。
―――
神武皇帝
玄宗皇帝のこと。(0685~0762)。中国・唐朝第6代皇帝(在位0712~0756)。26歳で即位し、外征を抑えて政治の乱れを正し唐の繁栄に貢献した(開元の治)。しかし「漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う」(1509-16)とおおせの通り、真言を信じ、善無畏三蔵に師事したため、臣下の安禄山によって都を追われ、皇位を失った。これは真言亡国の現証である。
―――
天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
―――
震旦
一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
―――
梁
中国の王朝名。南北朝時代の南朝のひとつ。(0502~0557)斉の同族・蕭衍が斉の禅譲を受けて建国、健康(南京)に都を置いた。蕭衍の治世中、内政が整い仏教や学問が興隆して太平の世が出現したが、晩年、侯景の乱が起こり、武帝は混乱の内に没した。蕭衍の死後まもなく陳に滅ぼされた。この時代、梁の三大法師と呼ばれる法雲・智蔵・僧旻などが出、王の保護のもと仏教文化を出現した。天台大師はこの王朝末の侯景の乱で家族を失い、出家をけついしたという。
―――
百済国
古代、朝鮮半島の南西部にあった王国。正しくは「ひゃくさい」というが、日本では「くだら」と呼びならわされている。三国志東夷伝にある馬韓54国中の伯済国がその前身とされる。史料に初めて登場するのは0345年、近肖古王即位前年からで、以後、勢力を拡大して高句麗・新羅と朝鮮半島を三分した。古くから中国文化の影響を受けて仏教が栄えた。日本との交流も深く、大陸文化の日本への伝来に大きな役割を果たした。0660年、義慈王の時代、唐と新羅の連合軍の攻撃を受けて滅んだ。
―――
聖明王
(~0554)。百済国の王。0523年に即位し、中国・南朝の梁との通交を深めて諸文物・仏教を輸入し、国内整備に努めた。一方、日本との関係を強めるため、0552年に釈迦仏像や経典類を大和朝廷に献上して公式に仏教を伝え、その後の日本文化の発展に多大な影響を及ぼすことになった。0554年、新羅に領土を奪取されて激怒した王は、大軍を率いて新羅に攻め入ったが、逆に討たれて非業の最後を遂げた。
―――
欽明
(~0571)継体天皇の3年に第三皇子として誕生。名を天国排開広庭天皇という。31歳のとき兄・宣化天皇の後を受けて即位。都を大和磯城島に遷し、金刺の宮を皇后とされた。欽明天皇13年(0552)10月、百済国の聖明王が、釈迦仏像および幡蓋・経論を贈り、仏の功徳を述べた。天皇はそこで拝仏の可否を群臣に問うた。曽我稲目はこれを拝すべしといい、物部尾興・中臣鎌子はこれに反対した。天皇は仏像を稲目に賜い、稲目は向原の家を寺としてこれを奉安した。物情騒然たるなかに、まもなく疫病の流行があり、尾興・鎌子れは国家の祟りであると奏して仏像を難波の堀江に投じ寺を焼いた。わが国における仏教流布の原点はこの時にある。63歳死去、大和国檜隈坂合陵(奈良県高市郡明日香村大字平田)に葬る。29代・30代説があるが、これは神功皇后を独立して15代とするか否かによる。
―――
霊山
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――
辺土
片田舎、①仏教発祥の地インドから遠く離れた日本のこと。②日蓮大聖人御生誕の地が日本の中心地である京都・鎌倉から遠く離れた地であること。
―――
大小・権実
大小とは大乗教と小乗教。権実とは権教と実教のこと。衆生の機根にしたがって三乗を格別に説く教えを権教といい、一仏乗の理を示す法を実教という。天台大師の五時教判では実教は法華・涅槃時の教えで、他の四教の教えは権教となる。また、化法の四教に判ずれば円教が実教にあたり、蔵通別の三教は権教となる。
―――
邪見
仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。
―――
十悪
十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。
―――
五逆
五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。
―――
苦岸比丘
大荘厳仏の末法の時の謗法僧。薩和多、将去、跋難陀の三比丘と共に邪道に堕ち、仏法を破った。この苦岸等の四比丘の化導で六百四億の人が師弟ともに阿鼻獄に堕ち大苦悩を受けた。後にこれらの人は一切明王仏に会ったが、仏果をうることはできなかったといわれている。仏蔵経往古品に詳しい。
―――
阿鼻獄
阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
―――――――――
本書は文永4年(1276)12月5日、聖寿46歳の時、御母妙蓮が逝去された年の暮れ、上総に住する星名五郎太郎に与えられた書である。末尾に述べられているように、使いの者を待たせておいて、したためられている。星名氏は、上総国夷隅郡興津村の領主佐久間兵庫亮の家臣であるといわれているが確証はない。文永元年(1264)秋、日蓮大聖人が安房小湊に帰られた折、君主佐久間氏とともに信徒となったようである。本抄の内容から推察すると、初めは真言に帰依していたが、大聖人の門下となってあらは純真に信心に励んでいたと思われる。現存している星名五郎太郎殿への賜書は、本抄一偏のみで、その点、伝記、行状等は詳らかでない。
まず仏法がインドから中国・朝鮮を経てわが国に伝来したことについて述べられているが、仏祖統紀巻三十五を引用すると「東漢の明帝永平7年、帝の夢に金人丈六にして、項に日光を佩び、殿庭を飛行す、且く群臣に問うに能く対うることなし、太史傳毅は進んで曰く『臣聞く周昭の時に西方に聖人ありて出づ、その名を仏と曰う』と。帝は乃ち中朗将蔡愔・秦景・博士王遵の十八人を遣して、西域に使して仏道を訪ね求む。十年、蔡愔等は中天竺大月氏に於いて迦葉摩謄、竺法蘭に遇い、仏の倚像梵本経六十万言を得、載するに白馬を以て雒陽に達す」とある。迦・竺二人の高僧を長安の都に迎えてより唐の第六代玄宗皇帝の時代まで、仏教は隆盛を極め、梁の代には百済の聖明王よりわが国の欽明天皇の十三年に釈迦仏の金銅像ならびに経典論疏が伝えられたという。
仏法に於て大小・権実・前後のおもむきあり、若し此の義に迷いぬれば邪見に住して仏法を習ふといへども還つて十悪を犯し五逆を作る罪よりも甚しきなり
一往は仏教が弘まったゆえに、仏法を学び、縁することができるので、ありがたいことである。しかし、それは一歩間違えば恐るべき罪を作ることになりかねない。すなわち、多くの仏教経典の中にも大乗経と小乗経の別があり、権教と実教の別があり、また説法の前後がある。どの経典がその時代にかなった法であるか、すなわち人を幸せにさせていく仏法であるかを、よくわきまえて正法を選ばなければ、かえって、邪教を修することになってしまうのである。そしてその謗法の罪は十悪、五逆を犯す罪よりも甚しく重いと述べられている。末法今時における正法とは、御本仏日蓮大聖人の文底下種仏法の「南無経法蓮華経」であることはいうまでもない。
小乗経は、大乗の高尚深遠に比べて浅近の教理を説いたもので、この小乗教を依経とする宗派には俱舎宗・成実宗・律宗の三宗がある。大乗経は二つに大別して権大乗経と実大乗経に分かれる。権とは「かり」の意であり方便である。これらの経を依経とする宗派は法相・三論・華厳・浄土・真言・禅宗などである。実大乗は真実に衆生を救うことのできる教えであり、法華経のことをいう。実とは権に対する真実の意で、宇宙の根本原理、真実の生命観を明かしていることをさす。仏滅後、像法時代は天台、伝教が出現し、法華経の迹門を根本として、理の一念三千を説いた。末法に至って日蓮大聖人が出現され、釈尊が明らかにしなかった悟りの核心を南無妙法蓮華経として明かし、それを一幅の曼荼羅としてはじめて開顕された。
大聖人当時の宗教界をみるに、真言宗が天台宗を併呑して貴族階級に弘まり、一方、武士階級や庶民の間には新興の浄土宗・禅宗が浸透していた。すなわち正統仏教である天台宗はすたれ、諸宗が乱立している状態であった。その中にあって日蓮大聖人は、皆成仏道の教えである南無妙法蓮華経によって諸宗を破折されたが、衆生は仏法の正邪に迷い、劣が勝をそしり、勝を劣といい、正法に背くゆえ、みずからを苦悩におとしいれていったのである。その誹謗正法は十悪、五逆の重罪に超えた大重罪であり、無間地獄の業因をつくっているのでると、本章では涅槃経の文を引いて証拠とされているのである。
1206:08~1207:05 第二章 法の邪正判断の規範を説くtop
| 08 問う何を以てか邪見の失を知らん予不肖の身たりといへども随分・後世を畏れ仏法を求めんと思ふ、 願くは此 09 の義を知らん、 若し邪見に住せば・ひるがへして正見におもむかん、 答う凡眼を以て定むべきにあらず浅智を以 10 て明むべきにあらず、 経文を以て眼とし仏智を以て先とせん、 但恐くは若し此の義を明さば定めていかりをなし 11 憤りを含まん事を、 さもあらばあれ仏勅を重んぜんにはしかず、 其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ但愚者 12 の行ひなり、 其れ若し非ならば遠とも破すべし其れ若し理ならば 近とも捨つべからず、人貴むとも非ならば何ぞ 13 今用いん、 伝え聞く彼の南三・北七の十流の学者・威徳ことに勝れて天下に尊重せられし事・既に五百余年まで有 14 りしかども陳隋二代の比・天台大師・是を見て邪義なりと破す、 天下に此の事を聞いて大きに是をにくむ、然りと 15 いへども陳王・隋帝の賢王たるに依て 彼の諸宗に天台を召し決せられ、 邪正をあきらめて前五百年の邪義を改め 1207 01 皆悉く大師に帰す。 02 又我が朝の叡山の根本大師は南都・北京の碩学と論じて仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり、今当世の 03 道俗・貴賎皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず、 之に依て或は念仏・権教を以て大乗妙典をなげす 04 て・或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず、 是等の類・豈大乗誹謗のやからに非ずや、若し経文の如くならば争 05 か那落の苦みを受けざらんや、 之に依て其の流をくむ人も・かくの如くなるべし、 -----― 問う。何によって邪見の罪をしることができるのであろうか。自分は不肖の身ではあるけれども、自分なりに後世を畏れ、仏法を求めようと思う。どうかこの義を知りたいものである。もし邪見に堕ちているならば、ひるがえして正見につこうと思う。 答えていうには、凡夫の眼によって定められるものではない。浅い智慧によって明らかにできるものではない。経文を眼とし、仏の智慧を第一とすべきである。ただおそらくは、もしこの義を明らかにすれば、かならず人々は怒り、心に憤りをいだくであろう。それはそれでよい。仏勅を重んずることが何よりも大事である。 思うに世の人々は皆遠きを貴んで、近きを賤しむ、それはただ愚者の行ないである。もし誤ったものであるならば、たとえ遠き先師の説であっても破すべきである。もし真理であるならば、近来の説であっても捨てるべきではない。人々が貴んでも、誤りならばどうして今ここで用いられようか。 伝え聞くところによると、彼の南三北七の十流派の学者は、威徳はとくに勝れて、天下の人々に尊重されること、すでに五百余年にわたったけれども、陳・隨二代のころ、天台大師は彼らの教義をみて邪義であると破折された。天下の人々はこのことを聞いて大いに天台大師を憎んだ。けれども、陳王ならびに隨王は賢王であったので、彼の諸宗に天台大師を召し合わせて、邪正を明らかにして、それまで五百年の邪義を改めて、みなことごとく天台大師に帰依したのである。またわが国の比叡山の伝教大師は、南都、北京の碩学と討論して、仏法の邪正をただしたが、すべて経文を根本としたのである。 しかし今日の道俗・貴賎は皆人を崇めて法を用いず、自分の気ままな心を師として経文に拠らない。これによって、あるいは念仏の権教によって大乗経典を投げ捨て、あるいは真言の邪義によって一乗真実の正法を誹謗している。これらの人々は、どうして大乗誹謗のものでないといえようか。もし経文のとおりであるならば、どうして那落の苦しみを受けないであろうか。これによって、その流れをくむ者も同じく地獄の果報を招くことになるであろう。 |
後世
未来世のこと。後生ともいう。
―――
正見
妄見・邪見を離れて正しい真理を見極めること。またその正しい義。
―――
仏智
一切の事理に通じた仏の智慧のこと。最高・無上の智慧をいう。一切種智のこと。
―――
仏勅
仏の勅命。仏のおおせのこと。
―――
南三・北七
中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
―――
天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
陳王
中国王朝名。南北朝時代の南朝最後の王朝。(0557~0589)陳霸先が梁に代わって建国し、隋に滅ぼされた。2代文帝は内治を整え、4代宣帝は北伐を断行したが、5代後主の時に滅びた。
―――
(0581~0618)中国の王朝。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城。国姓は楊。当時の日本である倭国からは遣隋使が送られた。
―――
叡山の根本大師
伝教大師のこと。(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
―――
南都・北京の碩学
奈良・京都の博学の僧侶。
―――
大乗妙典
大乗の妙理を説き明かした経典。法華経のこと。
―――
一実の正法
唯一の真実である一仏乗を説く教法。
―――
那落
地獄のこと。また地獄に落ちた人のこと。
―――――――――
本抄は各宗のなかでも、とくに真言の邪義を明らかにされるのであるが、それに先立って、仏法の邪正の判断にあたって何を基準にすべきかを示されている。すなわち、法の邪正を定めるには経文を本として仏智によるべきであること、たとえ昔の師で名のある人といえども、この道理に背くならば用いてはならない。また言葉をかえていえば、最近の師で名の広く知られていない人であっても経文に照らして正しいならば捨てるべきではないと。そうした先例として中国の天台大師と南三北七の諸派を召し合わせて法の邪正を決した陳隨の皇帝の例を挙げられている。
其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ但愚者の行ひなり、其れ若し非ならば遠とも破すべし其れ若し理ならば近とも捨つべからず
世人に対する警句の一節である。人の心のうちにひそむ弱点を鋭く指摘され、物事を判断するにあたっては、道理をもって是は是、非は非として正しく判定すべきであるといわれるのである。ここで「遠き」とは、古くから伝えられているもので、権威をもっている主張をさす。「近き」とは、まだ日浅く、権威を認められていない主張のことである。
たしかに、古くから人々に正しいと信じられてきた教えや主張は、それなりに正当性をもっている場合が多い。しかし、まったく誤っているにもかかわらず、長い間、多くの人に正しいと信じられてきたものもあることは、ヨーロッパにおける天動説と地動説の相克等をみれば、明らかなことである。人間の心には、つねに新しいものを求める進取と変革の願望がある半面、古くから多くの人に信じられてきたことを権威あるものとし、権威に従おうとする保守の性分がある。とくに宗教の分野においては、権威主義的、保守的になりがちなものである。
大聖人は、そうした長い年月、人々に信じられてきた権威というものは二次的な問題であって、遠か近かが判断の基準なのではなく、どこまでも是か非か、正か邪かという厳正な判断によって判定すべきであると戒められているのである。
今当世の道俗・貴賎皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず、之に依て或は念仏・権教を以て大乗妙典をなげすて・或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず、 是等の類・豈大乗誹謗のやからに非ずや
正法に背き正法を誹謗することは、無間地獄の極苦に堕ちる。もっとも恐るべき罪である。この誹謗正法を犯す根源が「人をあがめて法を用いず心を師として経によらず」という点にあることを鋭く指摘されている。
涅槃経にも戒められているように、仏法者のよりどころとすべき根本は“法”であって“人”ではない。いわゆる「依法不依人」の戒めがそれである。“法”とは、仏が説いた経典に明示されているところであり、また、道理として納得できるものである。仏教の実践にあたっては、あくまでも経典に記され、道理としても納得できる“法”を根本にすべきであって、社会的に高い位と権威をもって人がいっていることだから正しいとか、立派な人が支持しているのだから信ずるに足りるとかということは、大いなる誤りである。逆に、説く人がなんの位も権威もなく、支持している人がいないか、あるいはいても無学の人々である場合も、その内容が正しければそれを選ぶべきである。大聖人ご自身、なんの位も権威もない一介の凡夫僧であられた。だが、その教えは、あくまで経典に依り、仏法哲理にもとづいた正義であった。人々は、人によらず、法を根本にしてこそ、正法につくことができるのである。
「心を師として経によらず」とは、凡夫の愚かな心、浅はかな判断を根本にして、仏の説いた経典をないがしろにすることである。これも、仏法の正義を誤る根源として、厳しく指摘されている。
この二つのご指摘は、永久に仏法を求める人の心すべき、重要な戒めというべきである。
1207:05~1207:18 第三章 念仏・真言を破折するtop
| 05 疑つて云く念仏・真言は是れ或 06 は権・或は邪義・又行者或は邪見或は謗法なりと此の事甚だ以て不審なり、 其の故は弘法大師は是れ金剛薩タの化 07 現・第三地の菩薩なり、 真言は是れ最極甚深の秘密なり、又善導和尚は西土の教主・弥陀如来の化身なり、法然上 08 人は大勢至菩薩の化身なりかくの如きの上人を 豈に邪見の人と云うべきや、 答えて云く此の事本より私の語を以 09 て是を難ずべからず経文を先として 是をただすべきなり、 真言の教は最極の秘密なりと云うは三部経の中に於て 10 蘇悉地経を以て王とすと見えたり、 全く諸の如来の法の中に於て第一なりと云う事を見ず、 凡そ仏法と云うは善 11 悪の人をゑらばず皆仏になすを以て最第一に定むべし、 是れ程の理をば何なる人なりとも知るべきことなり、 若 12 し此の義に依らば経と経とを合せて是をタダすべし、 今法華経には二乗成仏あり真言経には之無しあまつさへ・あ 13 ながちに是をきらへり、 法華経には女人成仏之有り真言経には・すべて是なし、 法華経には悪人の成仏之有り真 14 言経には全くなし、 何を以てか法華経に勝れたりと云うべき、又若し其の瑞相を論ぜば法華には六瑞あり、 所謂 15 雨華地動し白毫相の光り上は有頂を極め 下は阿鼻獄を照せる是なり、 又多宝の塔・大地より出て分身の諸仏十方 16 より来る、しかのみならず上行等の菩薩の六万恒沙・五万・四万・三万乃至・一恒沙・半恒沙等大地よりわきいでし 17 事・此の威儀不思議を論ぜば何を以て真言法華にまされりと云わん、 此等の事委くのぶるにいとまあらず・はづか 18 に大海の一滴を出す。 -----― 疑っていうには、あなたは念仏、真言あるいは権教、あるいは邪教であって、またはその行者はあるいは邪見の者、あるいは謗法の者であるというのが、このことは非情に不審である。そのゆえは、弘法大師は金剛薩埵の化現であり、第三地の菩薩である。真言は最極甚深の秘密の法である。また善導和尚は西方浄土の教主である阿弥陀如来の化身である。法然上人は、大勢至菩薩の化身である。このような上人をどうして邪見の人ということができようか。 答えていうには、この教えはいうまでもなく、私見によって論難すべきではいない。経文を根本としてただすべきである。真言の教えは最極の秘密の法であるというのは、真言の三部経の中で蘇悉地経を王とすると説かれているのである。まったく、もろもろの如来の教法の中で第一であるということは説かれていない。 およそ仏法といえば、善悪の人を分け隔てなく皆成仏させる経文を最第一と定めるべきである。これほどの道理は、どのような人であっても当然知ることがでることである。もしこの義に依るならば、経と経とを比較して判断することができるのである。 今法華経には二乗作仏の義がある。だが、真言経にはこれがない。そればかりか、むしろこれを嫌っているのである。法華経には女人成仏の義があるが、真言経にはまったくこの義はみられない。法華経には悪人成仏の義があるが、真言経にはまつたくない。何をもって法華経に勝れているといえようか。 また、もし説法の時の瑞相について論ずるならば、法華経には六瑞がある。いわゆる四華が雨のように降り、大地が六種に震動し、釈尊の白毫相の光は上は有頂天に達し、下は阿鼻地獄までをも照らしたのである。また多宝の塔は大地から出て、分身の諸仏は、十方から来集した。そればかりでなく、上行等の地涌の菩薩が六万恒沙、五万、四万、三万乃至一恒沙等大地から湧出した。 この威儀や不思議を論ずるならば、なにをもって真言が法華経に勝れているというのか、これらのことは、くわしく述べるといとまがない。大海の一滴のように、わずかにその一端を記すのである。 |
弘法大師
(0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。
―――
金剛薩埵
真言八祖の第二祖。大日経の対告衆。
―――
秘密
美妙秘密の意で、微妙・深遠で凡夫では知り得ない不可思議なこと。計り知れないほどの勝れて見事なものが包含されていること。
―――
善導和尚
(0613~0681)。中国唐時代の浄土宗の僧。幼くして出家し、太宗の貞観年中に道綽の門に入り観経を信仰しはじめ、以後、人々に称名念仏を勧めた。浄土の法門を演説すること30年、ついに寺前の柳に登り自ら身を投じて、極楽往生を示そうとしたが、地面に落ちて腰を打ち、十四日間苦しんで死んだという。著書に「観無量寿経疏」、「往生礼讃」、「般舟讃」、「観念法門」等がり、その後の浄土教に大きな影響を与えた。
―――
弥陀如来
阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
―――
化身
仏や菩薩が衆生を救うために様々に身を変化して、出現した身影のこと。
―――
法然上人
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
―――
大勢至菩薩
勢至は梵名マハースターマプラープタ ( mahaasthaamapraapta])といい、大勢至・得大勢・大精進とも訳し種々の経に説かれている。①爾前諸教では阿弥陀三尊のひとつとして、観世音菩薩とともに、阿弥陀仏の脇士となって智慧をあらわす。②法華経では八万の菩薩の一人として霊鷲山会にっその名を連ね、阿耨多羅三藐三菩提を得て退転なく、自在の法を説くことができたとある。③不軽品の対告衆
―――
三部経
①無量寿経・観無量寿経・双観経(浄土宗)。②大日経・金剛頂経・蘇悉地経(真言宗)。③法華経・仁王経・金光明経(鎮護国家)。④無量寿経・法華経・観普賢経(法華)等がある。
―――
蘇悉地経
蘇悉地羯羅経の略。唐の善無畏訳3巻。真言三部経の一つ。持誦・灌頂などが明かされ、妙果成就の法が説かれている。
―――
二乗成仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
―――
真言経
大日経・蘇悉地経・金剛頂経、真言三部経をいう。
―――
女人成仏
法華経以前の諸経では、女人は「地獄の使い」「永く成仏の期なし」等と不成仏が説かれ、また権大乗教には一応成仏も説かれているけれども、改転の成仏であり、即身成仏ではなかった。法華経提婆達多品第十二に至って、初めて女人成仏が説かれた。
―――
悪人の成仏
悪人が成仏すること。仏法でいう悪とは煩悩によって起こり苦悩の果報をもたらす悪業をいい、悪人とは煩悩に支配されて悪業を犯してしまう人をいう。具体的には五逆罪や十悪(業)などを犯したり、謗法(正法への誹謗)を重ねたりする者をいう。悪人成仏とは、そのような悪人でも、万人に仏界がそなわることを説く法華経に縁すれば、ついには法華経を信受し必ず成仏できることをいう。法華経以外の諸経では、悪人はいくつもの生の中で、種々の煩悩を段階的に断じ、悪業を止め善業を行い、長遠の期間、仏道修行を積み重ねて、はじめて成仏すると説く。これに対して法華経では、万人に仏界が本来そなわっており、それを開くことによって直ちにその身のままで成仏できることを明かす。提婆達多品第12では、五逆罪のうち三つを犯して、生きながら無間地獄に堕ちたとされる極悪人の提婆達多にも、天王如来の授記がなされ悪人成仏が示された。あらゆる人は本来的に生命のうちに悪を内包している。よって提婆達多の成仏で悪人成仏が示されたことで、あらゆる人の成仏がはじめて保証されたといえる。
―――
瑞相
きざし、前知らせ。必ず物事の前にあらわれる現証。天台は法華玄義巻第六の上に神通妙を釈したなかに「世人は蜘蛛掛るときは則ち喜事来り、鳱鵲鳴くときは則ち行人至ると以ふ。小尚徵あり。大焉んぞ瑞無からん。近を以て遠きを表するに、亦応に是の如くなるべし」と。
―――
法華には六瑞あり
釈尊が法華経を説くにあたって。その前に示された六種の瑞相。①説法瑞 釈尊が「無量義の教え」を説いたこと。②入定瑞 釈尊が無量義処三昧に入ったこと。③雨華瑞 天上から天上界の花々が降りそそいだこと 大地が六種に震動したこと。⑤衆喜瑞 大衆が喜んだこと。⑥放光瑞 釈尊の眉間から光が放たれ、他の世界を照らし出したこと。
―――
白毫相
仏の32相のひとつ。仏の眉間には白玉の繊毛があり、これを白毫という。清浄にして柔軟であり、右に旋回してたえず光を放つとされている。御義口伝には「白毫の光明は南無妙法蓮華経なり、上至阿迦尼咜天は空諦・下至阿鼻地獄は仮諦白毫の光は中道なり、之に依つて十界同時の成仏なり天王仏とは宝号を送るまでなり、去て依正二報の成仏の時は此の品の下至阿鼻地獄の文は依報の成仏を説き提婆達多の王如来は正報の成仏を説く依報正報共に妙法の成仏なり、今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」(0714-第五下至阿鼻地獄の事-03)とある。
―――
有頂
有頂天のこと。①色界の中で最も高い天である色究竟天のこと。形ある世界の頂。阿迦尼吒天。②色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天のこと。
―――
阿鼻獄
阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
―――
多宝の塔
多宝塔の中に釈迦・多宝の二仏が並座している時の虚空会の儀式をいう。塔中に対して、嘱累品以後の説法を塔外という。その多宝塔中の儀式に礼拝の住処がある。多宝の塔とは、総じて生命論からいえば、仏界を内在する一切衆生の尊厳なる生命をさしていい、別しては大御本尊であり、信受に約して御本尊を信ずる者の当体をいうのである。阿仏房御書に「貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり」(1304-07)とある。
―――
分身の諸仏
本仏から身を分けて、衆生を教化するために種々の世界で法を説く仏のこと。分身は分体・散体ともいう。
―――
六万恒沙
「恒沙」とは、ガンジス川の砂粒のこと。無量無数を表す。湧出品で出現した地涌の菩薩の数で、その一人一人にさらに六万恒河沙の眷属があるとされる。
―――――――――
本章においては、念仏・真言は正法を誹謗する邪義であり、地獄の苦悩をうけるという根拠を、経文自体の比較検討が明らかにされている。
はじめに、真言を弘めた弘法大師は金剛薩埵の化身といわれ、念仏の善道は阿弥陀の化身、法然は勢至菩薩の化身といわれるのに、そのような立派な人々の教えた真言や念仏を邪義だの謗法だというのは納得できない、との義難を掲げられている。これは、先の「人をあがめて法を用いず、心を師として経によらず」との文に合致している。当時の一般の人々の考え方である。
したがって、これに答えるのに、大聖人はどこまでも経文を根本とする立場を貫かれている。まず、一切の衆生を成仏させうる経こそ勝れているとの当然の前提から、二乗、女人、悪人という、もっとも成仏しがたい人々の成仏を明記している法華経と、その義のまったくない真言経とを対比させている。
次に、瑞相と、登場する仏・菩薩の違いを示して、その勝劣は明らかであり、しかも、これはほんの一端にすぎないと述べられている。
仏教の目的は、一切衆生を成仏させることにある。したがって、もし成仏できない衆生を残している教えであるとすれば、それは、完璧なおしえではない。
本章で、第一に示されている、二乗、女人、悪人の成仏の有無という問題は、文字どおり、仏教の根本義にかかわる議論といわなければならない。
しかるに、真言経では、二乗、女人、悪人の成仏は説かれておらず、法華経にのみ、これらの人々の成仏の記別が説かれているのである。この一事をもってして、根本的に、真言は不完全な劣った教えであり、法華経こそ一切衆生の成仏という仏教の目的を満足させる、完璧で勝れた教えであるということができるのである。
次の、瑞相の点について考えてみよう。なかんずく、法華経にあらわれた大瑞、多宝の塔、地涌の菩薩の出現がどのような意義をもつものであるか、また仏法の瑞相をどのように受けとめていくべきかを考えてみたい。
法華経の六瑞とは序品において、王舎城耆闍崛山で、仏は三十万有余の大衆を前に壮大な儀式を行なった。その後に大瑞相が起こる。
この瑞相は二つに分かれ、初めに此土の六瑞といって霊鷲山において六つの瑞相がつづいて起こる。まず仏が無量義経を説き、説き終わってから無量義処三昧に入る。その時に天より曼荼羅華、摩訶曼荼羅華、曼珠沙華、摩訶曼珠沙華の四華が、雨のように降って仏と大衆の上にふりかかり、同時に大地が六種類の仕方で振動する。これを見た一座の大衆は大いに歓喜し、合掌して一心に仏を観る。最後に仏が三昧に入ったままの姿勢で、眉間から白毫の光を放って、東方万毫相八千の世界をあまねく照らし出す。
この此土における最後の放光瑞によって、他土の六瑞が開かれる、白毫相の光が東方にある万八千という他土の世界を照らし出すが、その照らし出された世界のありさまを一座の大衆が驚きをもって見るのがこの瑞相である。まず下は下至阿鼻獄から上は阿迦尼埵天にいたる世界を照らし、そこに六趣の衆生が住する様子を一座の大衆が見る。続いて、そこにおいて現在の諸仏がいるのを見、その諸仏が説くところの経法を聞き、さらに、諸の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆がさまざまな修行をして得道する姿を見、また、さまざまな菩薩が道を行ずるを見、最後に、諸仏が般涅槃するのを見ると同時に、諸仏の般涅槃ののち、仏舎利をもって、七宝の塔を起てる様子を見る。これが他土の六瑞である。
無量義経から始まるこれらの瑞相は、他の経とは比較にならない大規模なもので、しかも他汎にわたっており、これから説かれる法華経の偉大さを示す前兆なのである。ただし、これらの現象の一つ一つが、生命の理法をあらわしていることをしらねばならない。
生命の法理をあらわした瑞相
無量義処三昧とは無量義を生み出す根源の一法は釈尊が己心の生命として説く妙法であることをあらわしている。同時におこった雨華瑞と地動瑞は、森羅万象の根源の実在たる南無妙法蓮華経を根底にしたときに生命の中に起こる変動の激しさを示すと考えられる。
此土において自身の生命変革の姿を示した釈尊は、列座の大衆に白毫の光によって、他土における六道の人々または菩薩の生命変革をしめすのである。結論的にいえば、白毫の光とは南無妙法蓮華経の智慧の光であり、その光に照らされて映る他土における生命変革の姿とは、妙法によってさまざまな人々が蘇生し功徳に輝いていることといようか。
このように他経になかった大瑞を現じて法華経迹門を説いた釈尊は本門において、さらに迹門とは比べられない大瑞を現じる。見宝塔品第十一に入って高さ五百由旬、縦広二百五十由旬という大宝塔が、地下から出て空中に立つ。今日の計量に概算すれば、諸説あるが五百由旬-二百五十由旬の大宝塔は、およそ高さが地球の半径、横がその半径にあたる。そして四面が七宝で荘厳されている。まさに想像を絶する宝塔である。それはいったい何を意味するのであろうか。
日蓮大聖人は釈尊の宝塔の儀式を借りて、寿量文底下種の妙法即ご自身の生命を一幅の御本尊として建立されたのである。そして、一切衆生は、この御本尊を受持すれば、自分自身の生命が宝塔となると仰せである。すなわち、衆生の生命に冥福した仏界という大不思議の生命が湧現することを説き示したのが、この宝塔品の儀式である。
次に従地涌出品第十五における地涌の菩薩であるが、これは仏滅後、末代悪世に、法華経の肝心の妙法を弘める人の位を表しているのである。すなわち、大地から涌出したということは、この菩薩の本地が、根源の妙法の大生命自体に住している久遠元初の自受用報身であるということである。
1208:01~1209:03 第四章 真言の謬りを糺すtop
| 1208 01 爰に菩提心論と云う一巻の文あり竜猛菩薩の造と号す、 此の書に云く「唯真言法の中に即身成仏す故に是れ三 02 摩地の法を説く 諸教の中に於て闕いて書るさず」と云えり、 此の語は大に不審なるに依て経文に就てこれを見る 03 に即身成仏の語は有れども即身成仏の人全くなし、 たとひありとも法華経の中に即身成仏あらば 諸教の中にをい 04 てかいて 而もかかずと云うべからず此の事甚だ以て不可なり、 但し此の書は全く竜猛の作にあらず委き旨は別に 05 有るべし、 設ひ竜猛菩薩の造なりともあやまりなり、 故に大論に一代をのぶる肝要として「般若は秘密にあらず 06 二乗作仏なし 法華は是秘密なり二乗作仏あり」と云えり、 又云く「二乗作仏あるは是秘密・二乗作仏なきは是顕 07 教」と云えり、 若し菩提心論の語の如くならば 別しては竜樹の大論にそむき総じては諸仏出世の本意・一大事の 08 因縁をやぶるにあらずや、 今竜樹・天親等は皆釈尊の説教を弘めんが為に世に出ず、付法蔵・二十四人の其の一な 09 り何ぞ此くの如き妄説をなさんや、 彼の真言は是れ般若経にも劣れり何に況や法華に並べんや、 爾るに弘法の秘 10 蔵宝鑰に真言に一代を摂するとして 法華を第三番に下し、 あまつさへ戯論なりと云えり、謹んで法華経を披きた 11 るに諸の如来の所説の中に第一なりと云えり、 又已今当の三説に勝れたりと見えたり、 又薬王の十喩の中に法華 12 を大海にたとへ・日輪にたとへ・須弥山にたとへたり 、若し此の義に依らば深き事何ぞ海にすぎん・明かなる事何 13 ぞ日輪に勝れん・高き事何ぞ須弥山に越ゆる事有らん、 喩を以て知んぬべし 何を以てか法華に勝れたりと云はん 14 や、大日経等に全く此の義なし 但己が見に任せて永く仏意に背く、 妙楽大師曰く「請う眼有らん者は委悉に之を 15 尋ねよ」と云へり、 法華経を指て華厳に劣れりと云うは 豈眼ぬけたるものにあらずや、又大経に云く「若し仏の 16 正法を誹謗する者あらん正に其の舌を断べし」と、 嗚呼・誹謗の舌は世世に於て物云うことなく 邪見の眼は生生 17 に・ぬけて見ること無らん加之らず「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば・乃至其の人命終えて阿鼻獄に入らん」 18 の文の如くならば 定めて無間大城に堕ちて無量億劫のくるしみを受けん、 善導・法然も是に例して知んぬべし、 1209 01 誰か智慧有らん人・此の謗法の流を汲んで 共に阿鼻の焔に・やかれん、 行者能く畏るべし此れは是れ大邪見の輩 02 なり、 所以に如来誠諦の金言を按ずるに云く「我が正法をやぶらん事は譬えば猟師の身に袈裟をかけたるが如し、 03 或は須陀オン・斯那含・阿那含・阿羅漢・辟支仏及び仏の色身を現じて我が正法を壊らん」といへり。 -----― ここに菩提心論という一巻の書がある。竜猛菩薩の造と称する。この書に「ただ真言法の中でのみ即身成仏する。故に真言は三摩地の法を説くのである。諸経の中には欠けていてかかれていない」といっている。この語はおおいに不審であるので、経文についてこのことを調べてみると、即身成仏の語はあっても、即身成仏した人はまったくない。たといあったとしても、法華経の中に即身成仏がしめされているならば「諸教の中には欠けていて、しかも書かれていない」というべきではない。このことはおおいに間違っている。 ただしこの書は、まったく竜猛菩薩の作ではない。くわしい趣旨は別の折に述べるとしよう。たとい竜猛菩薩の造であるとしても、誤りに変わりはない。ゆえに大智度論に釈尊一代の教えを述べる肝要として「般若経は秘密の法ではない。二乗作仏の義がないからである。法華経は秘密の法である。二乗作仏の義があるからである」といっている。また「二乗作仏が説かれているのは秘密の法であり、二乗作仏の義がないのは顕教である」といっている。 もし菩提心論の文のとおりであれば、別しては竜樹の大智度論に背き、総じては諸仏出世の本意、仏の一大事因縁を破るものではないか。いま竜樹・天親等は、皆釈尊の説経を弘めるために出現した人である。付法蔵二十四人の中で一人である。どうしてこのような妄説を立てるであろうか。 彼の真言は般若経にも劣っている。まして法華経と比べることができようか。それにもかかわれず、弘法の秘蔵宝鑰に、真言の教えの中に釈尊一代の諸経を収めるとして、法華経を第三番に下し、そのうえ戯論であるといっている。 今謹んで法華経を開いて見ると、諸の如来の所説の中で法華経が第一であると説かれている。また已今当の三説に法華経は勝れていると説かれている。また薬王品の十喩の中には、法華経を大海に譬え、日輪に譬え、須弥山に譬えている。もしこの義によるならば、深いことは海にも過ぎるのがあろうか、明るいことは日輪に勝るものがあろうか。高いことは須弥山を越えるものがあろうか。喩をもって知るべきである。何をもって真言が法華経に勝れているというのか、大日経には、まったくこの義がない。ただ自分の所見にまかせて、永く仏意に背いているのである。 妙楽大師は「請う、眼ある者はくわしくこれを尋ねなさい」といっている。法華経をさして華厳経に劣っているというのは、まさしく眼が抜けている者ではないか。また涅槃経に「もし仏の正法を誹謗する者があれば、まさにその舌を断つべきであろう」とある。嗚呼、誹謗正法の舌は世々にものをいうことができず、邪見の眼は生々に抜け落ちて、見ることができないであろう。そればかりでなく、「もし人が信じないでこの法華経を毀謗するならば乃至その人は命終えて阿鼻地獄に堕ちるであろう」との文のとおりであるならば、かならず無間地獄に堕ちて、無量億劫の間苦しみを受かるであろう。善導、法然もこの弘法を例として知るべきである。 だが智慧ある者が、この謗法の流れを汲んでともに阿鼻の焔に焼かれるようなことをするものであろうか。行者はよくよく畏れなければならない。彼等は大邪見の輩である。ゆえに如来の誠諦の金言を調べてみると「我が正法を破ることは、譬えば猟師の身に袈裟をかけたようなものであり、或は外面に須陀洹・斯那含・阿那含・阿羅漢・辟支仏及び仏の色身を現じて我が正法を破るのである」と説かれている。 |
菩提心論
「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。
―――
竜猛菩薩
竜樹菩薩の別名。別説あり。
―――
即身成仏
衆生がこの一生のうちにその身のままで仏の境涯を得ること。爾前経では、何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行)、九界の迷いの境涯を脱して仏の境涯に到達するとされた。これに対し法華経では、十界互具・一念三千の法理が説かれ、凡夫の身に本来そなわる仏の境地(仏界)を直ちに開き現して成仏できると明かされた。このように、即身成仏は「凡夫成仏」である。この即身成仏を別の観点から表現したのが、一生成仏、煩悩即菩提、生死即涅槃といえる。
―――
三摩地の法
密教の法の総称。三摩地は心を一所に定めて散乱せず、深く思惟すること。
―――
大論
大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。
―――
竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
―――
諸仏出世の本意・一大事の因縁
法華経方便品第2に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう」とある。
―――
天親
天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
―――
付法蔵・二十四人
釈尊滅後の正法時代に、教法の付嘱をうけ、次の人に伝えた正法護持者24人。「大夫志殿御返事」には「所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は未田地・第四は商那和修・第五は毱多・第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は毘羅・第十四は竜樹・第十五は提婆・第十六は羅睺羅・第十七は僧佉難提・第十八は僧佉耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者」(1079-07)とある。
―――
般若経
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
秘蔵宝鑰
弘法の書で三巻から成る。十住心論を要約したもの。天長年中に、淳和天皇が諸宗の要義を聞かれたときに、さし出したものをいう。
―――
已今当の三説
法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。
―――
薬王の十喩
薬王菩薩本事品で法華経が諸教の中ですぐれていることを十喩をもって述べた文。すなわち、諸水の中に海第一なるが如く(第一・水喩)、衆山の中に須弥山第一なるが如く(第二・山喩)、衆星の中に月天子第一なるが如く(第三・衆星喩)、日天子の諸闇を除くが如く(第四・日光喩)、諸王の中に転輪聖王第一なるが如く(第五・輪王喩)、三十三天の中に帝釈天第一なるが如く(第六・帝釈喩)、大梵天王の一切衆生の父なるが如く(第七・梵王喩)、一切凡夫の中に五仏子第一なるが如く(第八・四果辟支仏喩)、一切の無学の中に菩薩第一なるが如く(第九・菩薩喩)、仏の諸法の王なるが如く(第十・仏喩)である。
―――
須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
―――
妙楽大師
(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の協議を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(江蘇省)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興乗楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」10巻、「法華文句記」10巻、「止観輔行伝弘決」10巻、また「五百問論」3巻等多数ある。
―――
華厳
大方広仏華厳経のこと。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
―――
無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
―――
袈裟
梵語(Kasōya)の音訳。不正雑色の意。僧侶が左脇から右脇下にかけて、衣の上をおおうように着する長方形の布。大小によって五条・七条・九条の三種がある。法衣・功徳衣・無垢衣・忍辱鎧ともいう。釈尊が修行中に、布施された布を、塵垢に汚染して綴り合せたたのが衣としたのが由来とされる。以来仏教徒のならわしとなり、これを着すること自体が、仏教の僧であることを象徴するよになった。袈裟の色は青・赤・黄・白・黒を避けて、他の雑色を用いることが決まりとなっており、普通似黒・似赤・似青を用いる。インドでは乾陀色、中国では木蘭色、日本では香色という。
―――
須陀洹
サンスクリット語 srotaāpannaの音写。流れにあずかる者の意で,部派仏教の修行者の修行段階の第1。煩悩を初めて脱した境地。預流に同じ。声聞の四果のなかの初果をいう。
―――
斯那含
一度 (sakRd) 天界に生れ再び人間界に戻ってさとりに入る者のことで、四向四果の一。原始仏教では、有身見・戒禁取見・疑の三結を断ち、貪・瞋・癡の三毒が薄くなった者。『倶舎論』では、一来向は欲界の修惑(情的煩悩)の前三品または四品を断じた者とし、人界の家と天界の家とを往復するから「家家」と呼ぶ。一来果は欲界の前六品を断じた位である。
―――
阿那含
梵語で(Anāgāmin)で小乗教における声聞の悟り、第一須陀洹、第二斯陀含、第三阿那含、第四阿羅漢の第三、「阿」は「不」・「那含」は「来」の意味で、訳して不来、不還という。この聖者は欲界九品の惑を断じて、ふたたび欲界に還ってこないのでこのように名づける。大乗義章第11に「阿那含はここに不還と名でく、小乗法の中にさらに欲界に還りて身を受けず、阿那含と名づく」とある。
―――
阿羅漢
羅漢のこと。無学・無生・殺賊・応供と訳し、小乗教を修行した声聞の四種の聖果の極位。一切を学び尽くして、さらに学ぶべきがないので無学、再び三界に生ずることができないので無生、見思の惑を断じ尽くすので殺賊、衆生から礼拝を受け、供養に応ずるので応供という。
―――
辟支仏
梵語プラティエーカブッダ(Pratyeka-buddha)の音写。独覚・縁覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るという。
―――――――――
前章に続いて、さらに真言破折の歩を進め、真言が大事な拠りどころとしている菩提心論の邪義を破り、さらに、弘法の秘蔵宝鑰の辟説を論破して、法華経こそ最勝であることを述べられている。そして、その謗法の罪はもっとも恐ろしく、無間地獄に堕ちると厳しく弾呵されている。
爰に菩提心論と云う一巻の文あり竜猛菩薩の造と号す、此の書に云く「唯真言法の中に即身成仏す故に是れ摩地の法を説く諸教の中に於て闕いて書るさず」と云えり
真言の経の中には、即身成仏の語はあるが、即身成仏の人はまったくない。それに比べ法華経の中には、即身成仏の文証と現証がある。たとえば文証としては、見宝塔品第十一に「則ち為れ疾く無上の仏道を得たり」如来寿量品第十六に「速かに仏身を成就することを得せしめん」等云々とある。現証としては爾前経では永不成仏の二乗である舎利弗が譬喩品第三で華光如来の記別を授けられ、授記品第六では四大声聞の記別を説かれる。さらに提婆達多品第十二では、女人成仏と悪人成仏が明かされている。以上のように、文証・現証があるゆえ、菩提心論に真言法以外をさして「諸経の中に於いて闕いて書るさず」といっているのは、まったく道理に合わないのでる。
但し此の書は全く竜猛の作にあらず委き旨は別に有るべし
撰時抄に「問うて云く唐の末に不空三蔵一巻の論をわたす其の名を菩提心論となづく竜猛菩薩の造なり云云、 弘法大師云く「此の論は竜猛千部の中の第一肝心の論」と云云、答えて云く此の論一部七丁あり竜猛の言ならぬ事処処に多し」(0268-03)とあるように、菩提心論中は竜猛の言ではない個所が多く、前述の唯真言法中に即身成仏があるというのも甚だしい誤りであり、とうてい竜樹自身の言葉とは考えられない。ゆえに不空三蔵の自作の時の人々にさも重要らしく見せかけるために、竜猛の造といって、菩提心論をもって真言を弘めようと画策したのであろうと推論されているのである。
嗚呼・誹謗の舌は世世に於て物云うことなく邪見の眼は生生に・ぬけて見ること無らん加之らず『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば・乃至其の人命終えて阿鼻獄に入らん』の文の如くならば定めて無間大城に堕ちて無量億劫のくるしみを受けん
正法を誹謗することが、いかに恐ろしい罪業であるかを述べられている御文である。それは、現当二世にわたるものであり、現世には、舌が断たれ眼がぬけて、物もいえず、見ることもできないというのである。眼については妙楽の言葉を、舌については涅槃経の文を拠りどころにされていることはいうまでもない。しかも現世といっても、この一生のみでなく、生生世世にわたると仰せられている。
そして、こうした現世のうえでの苦しみのみでなく、死しては無量億劫の長い間、無間地獄に堕ちるというのである。無間地獄は八大地獄のなかでももっとも苦しみが大きい地獄で、ここに堕ちるのは五逆罪と誹謗正法の罪を犯した場合とされる。五逆罪の場合は無間地獄にある期間は一中劫であるが、誹謗正法の罪の場合は、譬喩品に「展転して無数劫に至らん」とある。これを、本章では「無量億劫」と表現されたのである。
このように、誹謗正法の場合、無間地獄にある期間がいかに長いかをもって、その罪がいかに大きいかを知らなければ誹謗正法ならない。
1209:04~1209:16 第五章 念仏・真言の邪見の失を明かすtop
| 04 今此の善導・法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す、 就中彼の真言等の流れ偏 05 に現在を以て旨とす、 所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り荘園等の望をいのる、 是くの如き少分のしるしを 06 以て奇特とす、 若し是を以て勝れたりといはば彼の月氏の外道等にはすぎじ、 彼の阿竭多仙人は十二年の間・恒 07 河の水を耳にただへたりき、 又耆菟仙人の四大海を一日の中にすひほし、 ク留外道は八百年の間・石となる豈是 08 に・すぎたらんや、 又瞿曇仙人が十二年の程・釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさなの身と成りし、其 09 の威徳を論ぜば如何、 若し彼の変化のしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし・当に知るべし彼れ威徳ありといへども 10 猶阿鼻の炎をまぬがれず、 況や・はづかの変化にをいてをや 況や大乗誹謗にをいてをや、 是一切衆生の悪知識 11 なり近付くべからず畏る可し畏る可し、 仏の曰く「悪象等に於ては畏るる心なかれ悪知識に於ては 畏るる心をな 12 せ、 何を以ての故に悪象は但身をやぶり意をやぶらず・悪知識は二共にやぶる故に、 此の悪象等は但一身をやぶ 13 る悪知識は無量の身・無量の意をやぶる、 悪象等は但不浄の臭き身をやぶる・悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪 14 象は但肉身をやぶる悪知識は法身をやぶる、 悪象の為に・ころされては三悪に至らず・悪知識の為に殺されたるは 15 必ず三悪に至る、 此の悪象は但身の為のあだなり、 悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇・ 16 悪鬼神よりも弘法・善導・法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の失を明すこと畢んぬ。 -----― 今この善導、法然等は種々の威光を現じて、愚痴の道俗をたぶらかし、如来の正法を滅するのである。とりわけて彼の真言宗の流派は、もっぱら現世利益を主旨としている。いわゆる畜類を本尊として男女の愛法を祈ったり、また荘園等についての願望を祈ったりして、このようなわずかの利益をもって奇特なこととしている。 もしこれをもって真言が勝れているというならば、彼のインドの外道等には及ばないであろう。彼の阿竭多仙人は十二年の間・恒河の水を耳に湛えたのである。また耆菟仙人は四大海の水を一日のうちに飲み干し、ク留外道は八百年の間石となった。どうして真言の利益はこれに勝るであろうか。また瞿曇仙人が十二年の間帝釈の身となって説法したのと弘法が刹那の間に毘盧遮那の身となったのと、その威徳を論ずるならばどうであろうか。もしこの変現の利生を信ずるならば、それこそ外道を信じた方がよい。 まさに知るべきである。月氏の外道はこのような威徳はあったけれども、なお阿鼻地獄の炎を免れなかったのである。ましてわずかの変現の者がどうして阿鼻の炎を免れることができようか。いわんや大乗誹謗の者においてはいうまでもない。 彼らは一切衆生の悪知識である。近づいてはいけない、よくよく畏れなければならない。仏は涅槃経に「悪象等に対しては畏れる心を持たず、悪知識に対しては畏れる心を起こせ。なんとなれば、悪象はただ身を破るのみで意を破ることはない。だが、悪知識は身・意ともに破るからである。この悪象等はただ一身を破るが、悪知識は無量の身、無量の意を破る。悪象等はただ不浄の臭き身を破るが、悪知識は浄き身、および浄き意を破る。悪象はただ肉身を破るが、悪知識は法身を破る、悪象のために殺されても三悪道に堕ちないが、悪知識のために殺されたならばかならず三悪道に堕ちる。この悪象はただ身体の仇であるが、悪知識は善法の仇である。と説かれている。ゆえに畏れるべきものは、大毒蛇、悪鬼神よりも、弘法・善導・法然等の流派の悪知識を畏れるべきである。 以上略して邪見の罪を明かしたのである。 |
善導
(0613~0681)。中国・初唐の人で、中国浄土教善導流の大成者。山東省・臨淄の人。一説に泗州(安徽省)の人ともいわれる。幼い時に出家し、経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土往生を志した。後、貞観年中に石壁の玄中寺(山西省)に赴いて道綽のもとで観無量寿経を学び、師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。往生礼讃の第四で「千中無一」と説き、念仏以外の雑行を修する者は、千人の中で一人も成仏しないとしている。著書には「観経疏」4巻、「往生礼讃」1巻等がある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。
―――
法然
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
―――
愚癡の道俗
仏法の理に暗い在家・出家者。
―――
月氏
中国、日本で用いられたインドの呼び名。紀元前3世紀後半まで、敦煌と祁連山脈の間にいた月氏という民族が、前2世紀に匈奴に追われて中央アジアに逃げ、やがてインドの一部をも領土とした。この地を経てインドから仏教が中国へ伝播されてきたので、中国では月氏をインドそのものとみていた。玄奘の大唐西域記巻二によれば、インドという名称は「無明の長夜を照らす月のような存在という義によって月氏という」とある。ただし玄奘自身は音写して「印度」と呼んでいる。
―――
阿竭多仙人
インド外道の仙人。十二年の間ガンジス川の水を耳に留めたといわれている。
―――
耆兎仙人
インド外道の仙人。一日の中に四海 の水を飲みほすといわれている。
―――
拘留外道
外道・勝論派の祖。長生の薬を服して石となり、仏の前800年にあって、その石は消滅して灰になったとある。
―――
瞿曇仙人
インドの過去世の仙人。十二年間、釈身と成って説法したとある。
―――
びるさな
梵名、ヴァイローチャナ(Vairocana)の音写、遍一切処・光明遍照などと訳す。華厳経・観普賢菩薩行法経・大日経等に説かれる。華厳宗では旧訳の華厳経に盧遮那と訳されていることから、毘盧舎那と盧遮那は同じであり、報身等の十身を具足するとしている。天台宗では毘盧舎那を法身・盧遮那を報身・釈尊を応身としている。真言宗では毘盧舎那は法身であり、大日如来としている。
―――
悪知識
善知識に対する語。悪友と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。唱法華題目抄には「悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん」(0001-08)とある。
―――
法身
仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
―――
三悪
三悪道・三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
―――――――――
念仏の善導、法然等はさまざまの意義を示し、愚かな僧や大衆を惑わして仏法を破懐していた。なかでも真言の流派で欲化したものは、婬祀邪教に堕してわずかな現象をもって法の威力のように見せ、衆生救済のありがたい法であるようにみせかけていたのである。本章では、これらの邪義を厳しく破折されている。すなわちそのような現世利益だけをいえば、インドの外道の方が数段勝れていることを例を挙げてのべられ、いかなる権威を示そうとも、正法誹謗の罪により堕地獄の苦しみから逃れることはできないと断じられている。さらに、涅槃経の「悪象と悪知識」の文により、大乗誹謗の僧こそ、一切衆生を三悪に至らしめる、根本の悪知識であると指摘、これに親近することを、もっとも恐れてきなさいと戒められている。
就中彼の真言等の流れ偏に現在を以て旨とす
「偏に」とあるように、現世利益をいうことを責められているのではなく、現世利益のみにとらえわれていることを断破されているのである。
ここでその例として挙げられているのは、真言の流派で俗化したものである。真言はみずから密経と称するように、本来は、絶対的な教義を立て山岳にこもって修行する宗派である。しかしその一方で天台法華の一念三千の法理を盗みとって、朝廷や貴族にとりいり、加持祈祷による現世利益を宣伝した。
真言陀羅尼や印契を重んずるこの宗の教義は、もともと仏教というよりも、インドの外道の流れをくむもので、仏教経典を用いたのは、みずからを粉飾する手段にすぎなかったといってよい。そして、朝廷・貴族が安泰であった平安時代から、武士階級が台頭して、朝廷・貴族に代わって実権をとった鎌倉時代になると、そうした武士や農民階層の間に根をはるために、いよいよ、その外道的な本性をあらわにしていったのであった。それが「畜類を本尊として男女の愛法を祈り、荘園等の望みをいのる」といわれているような、婬祀邪教としての姿である。
したがって、これを破折するのに、インドの外道が伝えている種々の利益を挙げて、これと比較相対して、真言の功徳といっても、外道の功徳に及ばないではないかといわれているのは、まさに、こうした本性を衝いておられるのである。
涅槃経の「悪象・悪知識」
これは、邪教をこそもっとも恐るべきであることを、釈尊が強い言葉で戒めたものである。悪象とは、釈尊時代のインドにおいては、もっとも凶悪な動物として恐れられていたので、これを挙げたものであろう。悪象のために殺されるとは、今日においては、交通事故で不慮の死を遂げたり、強盗に殺害される等の横死を意味する。だが、これらの原因による死は、けっして地獄・餓鬼・畜生の三趣に堕ちることにはつながらない。だが悪友のため、悪知識に殺されるならば、かならず三悪道に堕ちるというのである。
悪知識も、悪友も、ともに個人の仏道修行を妨げ、その生命をむしばみ、善心を破壊し、社会を不安と不幸におとしいれる、魔の働きをする。まさに「畏る可きは大毒蛇・大鬼神よりも、弘法・善導・法然等の流の悪知識を畏るべし」との御文の如き魔の眷属であり、謗法こそ、いかなる災難よりも、いかなる大地震よりも、恐るべきものである。なぜなら、それは人間の生命を内奥から破壊し社会・個人を不幸におとしいれる元凶であるからである。
1209:17~1210:03 第六章 結語top
| 17 此の使あまりに急ぎ候ほどに・とりあへぬさまに・かたはし・ばかりを申し候、此の後又便宜に委く経釈を見調 18 べてかくべく候、 穴賢・穴賢、外見あるべからず候若命つれなく候はば仰せの如く明年の秋・下り候て且つ申すべ 1210 01 く候、恐恐。 02 十二月五日 日 蓮 花 押 03 星名五郎太郎殿御返事 -----― この使いがあまりに急ぐので、とりあえず一端のみを申しました。いずれまた便宜の折に、くわしく経釈を調べて書きましょう。けっして他人に見せてはなりません。もし命に別条がなければ、仰せのとおり明年の秋に下り、お話し申し上げましょう。恐恐。 十二月五日 日 蓮 花 押 星名五郎太郎殿御返事 |
星名五郎太郎
上総に住み佐久間兵庫亮の家臣と思われるが詳細は不明。
―――――――――
この書は、使いが急いでいるので、ほんの一端しか書けなかったが、詳しくは経釈を調べてまた書きましょう。また、来秋そちらへ出かけて、そのときにお話ししましょうと、将来を約束されている。
こうした次の機会を約しておられるなかに、弟子の指導・育成に当たっての大聖人の誠心を拝察することができる。あとでくわしく経釈を見調べて、といわれるお言葉に、どこまでも経釈を根本とされる。謙虚な姿勢がうかがわれるし、またとりあえず書いたのであるから、他人に見せないようにという細かい配慮を拝することができるのである。
1210~1210 大豆御書top
| 大豆御書 文永七年十月 四十九歳御作 01 大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候、 一渧の水を大海になげぬれば三災にも失せず 02 一華を五浄によせぬれば劫火にもしぼまず、一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり、恐惶謹言。 03 十月二十三日 日 蓮 花 押 04 御所御返事 -----― 大豆180リットルありがたく頂戴いたしました。法華経の御宝前に申し上げました。ひとしずくの水を大海に投げ入れれば、三災にも消失しない。一つの華を五浄居天におくならば、劫火にもしぼまない。一つの大豆を法華経に供養すれば、法界はみな蓮華の世界となるのです。恐惶謹言。 十月二十三日 日 蓮 花 押 御所御返事 |
法華経の御宝前
御本尊の御前。お供えすること。
―――
三災
①壊劫の時に起こる火災・水災・風災の「大の三災」と、②住劫の中の減劫に起こる穀貴・兵革・疫病の「小の三災」がある。「小の三災」のこと。は正法を迫害することによっておこる災害でもあり、大集経巻二十四には「若し国王有って、無量世に於て施・戒・慧を修し、我が法の滅するを見て捨てて擁護せざれば、是の如き所種の無量の善根は、悉く皆滅失し、其の国には当に三の不祥事有るべし。一に穀貴、二に兵革、三に疫病なり」とある。穀貴とは五穀の価が上がること。兵革とは戦争のこと。
―――
五浄
五浄居天のこと。 色界十八天の最上に位置する色究竟天・善見天・善現天・無熱天・無煩天ををいう。
―――
劫火
四劫の中の壊劫の時に起きる大の三災のなかの火災。世界を滅ぼす大火災のこと。
―――
法界
意識の対象となる一切の事物・事象。有情・非情にわたるすべての存在および現象をいう。法は一切諸法・万法・森羅万象・界は差別・境界。
―――
蓮
ハスのこと。
―――
御所
①宮廷。②執権の住い。
―――――――――
本抄は、ただ、「10月23日」と月日が記されているのみで、年代は不詳である。文永7年(1270)と弘安2年(1280)の両説があるが、ここでは一応文永7年(1270)説とする。また、対告衆についても「御所」とあるばかりで、具体的にだれであったか分からない。だだ「御所」とは、本来宮廷の意で、鎌倉時代においては、幕府・執権の所在をさして使われた言葉である。本文の「かしこまって拝領…」という言葉遣いをされていることから考えても、幕府直々に仕えている高位の人からの御供養に対する御礼のお手紙と推測される。
内容は、法華経への供養が無限の福徳を生ずることを述べ、大豆一石を供養したことを心から讃えられているのである。
一滴の水は、わずかの熱にあたっても、たちまちに消えてしまうが、大海の中に包含されれば、三災にあっても消失することはない。花は、たちまちに枯れるものであるが、浄居天にある花は、この地上が劫火に包まれていても、しぼむことはないとされる。
これらの例は、仏界の幸せが、いかなる外界の条件にも左右されないことをあらわされた譬喩である。その仏界を顕現するカギは法華経すなわち御本尊にある。御本尊に真心こめて供養するならば、その功徳はわが身を包み、その人のいる所は仏国土となる。たとえ一粒の豆であっても、そこにこめられた供養の真心が清浄の仏国土を現出するのである。
「法界みな蓮なり」とは、法界がこの清浄無比の仏国土となることを、象徴的に述べられているのである。法華玄義巻七下には「妙報国土を以て蓮華と為すなり」とある。法華経供養の大きいことを知るとともに、それは物品の価値の大小ではなく、そこにこめる信心の真心こそ大事であることを知るべきであろう。
1210~1212 寿量品得意抄top
1210:01~1211:01 第一章 爾前・迹門の二失を挙げるtop
| 寿量品得意抄 文永八年四月 五十歳御作 01 教主釈尊寿量品を説き給うに・爾前迹門のききをあげて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は 02 釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず 道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり」云云、 此の文 03 の意は初め華厳経より終り法華経・安楽行品に至るまで 一切の仏の御弟子・大菩薩等の知る処の思いの心中をあげ 04 たり、 爾前の経に二つの失あり、 一には「行布を存する故に仍未だ権を開せず」と申して迹門方便品の十如是の 05 一念三千・開権顕実・二乗作仏の法門を説かざる過なり、 二には「始成を言う故に尚未だ迹を発わず」と申して久 1211 01 遠実成の寿量品を説かざる過なり、 此の二つの大法は一代聖教の綱骨・一切経の心髄なり、 -----― 教主釈尊が寿量品を説かれた時、爾前および迹門で衆生が聞いてきたことを挙げていうには「一切世間の天人および阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の王宮を出て伽耶城を去ること遠くない道場に坐って、阿耨多羅三藐三菩提を得たと思っている」と。この文の趣意は、初めの華厳経から終わりは法華経安楽行品に至るまで、一切の仏の御弟子や大菩薩等が知るところの思い・心中を挙げたのである。 爾前の経には二つの失がある。一つには「行列配布を設けるゆえに、なおいまだに権を開いていない」というもので、迹門方便品の十如是の一念三千・開権顕実・二乗作仏の法門を説かない失である。二には「初成正覚をいうゆえに、なおいまだに迹を発わない」というもので、久遠実成の寿量品を説かない失である。この二乗作仏と久遠実成という二つの大法は、一代聖教の網骨であり、一切経の心髄である。 |
寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
―――
爾前
爾前経のこと。爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
―――
迹門
本門の対語で、垂迹仏が説いた法門の意。法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
―――
阿修羅
阿素羅、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪などとも書く。非天、非端正、非善戯、非類、無酒、不飲酒、障蔽、質諒、劣天、非類と訳す。六道のひとつで修羅はこの略称。帝釈に敵対する鬼神で大別して三つの意味がある。①無端の義・醜い容貌をしていること。②非天の義・天にあらざること、悪がその戯楽だからである。③無酒の義・悪業の報いにより、酒が得られないのである。戦闘を好む鬼神であり、十界に約し、生命論のうえからいえば、怒りの生命をいう。常に内には慢心が強く、心が曲がっているため、すなおに物事を考えることができず、正しいことをいわれてもすぐにカッとなる。しかも外には礼儀をわきまえているような生命の姿である。「諂曲なるは修羅」とあるように諂いっ曲がれる心を修羅とし、闘争を好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口をいいあうことである。
―――
今の釈迦牟尼仏
たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、インド応誕の釈尊。
―――
釈氏の宮
釈の宮ともいう。迦毘羅衛国の王城、釈迦族の居城、釈尊の生地。ヒマラヤ山麓・ネパール国・タライ地方にあったとされる。
―――
伽耶城
中インド・摩竭提国のこと。インド北東部ビハール州ガヤにあたる。この近くで釈尊が悟りを開いたという仏陀伽耶がある。
―――
道場
①仏の常道の場所。②仏道を成するための修行や行教法。③仏道を修行する場所。④仏を供養するところ。⑤寺院のこと。
―――
阿耨多羅三藐三菩提
梵語anuttara samyak sambodhiの音訳。無上無編知・無上正覚等と訳す。無上きわまりない仏の覚知、仏智が一切の迷いを明らかにして、深く諸法の義を極め、円満自在であること。すなわち、仏の智慧は無上清浄で、正等に偏頗なく一切にゆきわたるという意。分けると阿耨多羅(anuttara)は無上または無答、三藐(samyak)は正等または正徧、三菩提(sambodhi)は正覚、正知と訳す。
―――
華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
―――
安楽行品
法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。
―――
行布
差別の意。本来、行布とは菩薩の五十二位を分けて、次第に行列布置して差別を設ける意味。転じて爾前経において、二乗が作仏できないとして、二乗の衆生を差別していることをいう。
―――
方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
―――
十如是
法華経方便品第2で説かれた、如是で始まる10の語。すなわち如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。仏が覚った諸法実相を把握する項目として示されたもの。天台大師智顗が一念三千の法門を立てる際、これに依拠した。方便品には諸法実相について、「唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」(法華経108㌻)と示されている。ここで諸法実相を把握する項目として「如是」で始まる10項目が挙げられており、それ故、十如是・十如実相という。①相とは、表面に現れて絶え間なく一貫している性質・性分。②性とは、内にあって一貫している性質・性分。③体とは、相と性をそなえた主体。これら相・性・体の三如是は、事物の本体部分である。これに対し、以下の七如是は、本体にそなわる機能面を表している。④力とは、本体に内在している力、潜在的能力。⑤作とは、内在している力が外界に現れ、他にもはたらきかける作用。次の因・縁・果・報は、生命が変化していく因果の法則を示している。⑥因とは、本体に内在する直接的原因。⑦縁とは、外から因にはたらきかけ、結果へと導く補助的原因。⑧果とは、因に縁が結合(和合)して内面に生じた目に見えない結果。⑨報とは、その果が時や縁に応じて外に現れ出た報いをいう。⑩本末究竟等とは、最初の相(本)から最後の報(末)までの九つの如是が一貫性を保っていることをいう。十如是のそれぞれの在り方は、十界それぞれの生命境涯に一貫しており、十界それぞれで異なる。しかし、衆生が十如是を平等にそなえているという側面、生命境涯の因果の法則は、十界に共通である。これは、十界のいずれもが、内にそれぞれの因をそなえており、それが縁に応じて果を生じ、報として現れることを示している。したがって、十界のどの衆生も、仏界の縁を得れば、仏界を現して成仏できる。
―――
一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
―――
開権顕実
「権を開いて実を顕す」と読む。権は方便、実は真実の意。法華経以前の諸経の教え(三乗)はすべて方便にすぎず、法華経こそ真実の教えであることを表したもの。教理に関していい、実践上は開三顕一 という。「権」は権教である40余年の爾前経、「実」は法華経をさす。
―――
二乗作仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
―――
一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
―――
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
――――――――
本抄は内容的に、開目抄に述べられているところと、きわめて似ており、あるいは、開目抄を中心に、寿量品に関する御文をつなぎ合わせて、後世つくられた書ではないかとする説もある。したがって、御述作の日付についても、仮に大聖人が自ら述作された書であるとしても、文永8年(1271)4月14でなく、もっと後であろうという説が有力である。
そうした成立上の疑点はあるにせよ、法華経本迹二門を爾前と相対し、迹門と本門を比較して寿量品の大切なるゆえんを明らかにされ、さらに「寿量品の肝心南無妙法蓮華経こそ、十方三世の諸仏の母」と、寿量文底独一本門の立場を鮮明にされており、非常に重要な御書であることは確かである。
むしろ、開目抄とまったく一致していることは本抄の内容が日蓮大聖人の教えであることに間違いないことを裏づけているわけであって、爾前、迹、本、文底の各法門が、このように簡明に学ぶことができるのは、それ自体、なによりも重要なことといわなければならないであろう。
まず、この第一章では、寿量品が、爾前経から法華経迹門までを一貫している始成正覚をはじめて打ち破り、久遠実成を明かしたことを述べられている。
そもそも、爾前経には二つの失がある。一つは「行布を存する」ことであり、これは爾前諸教が方便権教と呼ばれるゆえんである。もう一つは、釈尊がインドに応現してはじめて仏になったという始成正覚を説くことで、これは垂迹の法門といわれる理由になっている。
そのうち、“行布”を打ちやぶったのが、法華経迹門方便品の「諸法実相・十如是」であり、第二の“始成”を打ち破ったのが、法華経本門寿量品の久遠実成の説法である。この方便品の十如是と寿量品の久遠実成の二つこそ、「一代聖教の網骨、一切経の心髄」であると強調されている。
ここで明らかにしておかなければならない点は、爾前経で「行布を存する」と「始成を言う」との二つが、なぜ“失”なのか、逆にいえば、十如是・一念三千等、また久遠実成が法華経で説かれたことに、どのような意義があるのか、ということであろう。
まず、爾前経を行布を存することと、法華経でそれを打ち破って諸法実相・十如是等を説いたこととの関係および、その意義を考えていよう。
「行布」とは、本来、菩薩の修行を五十二位等に分けて、行列布置して差別を設ける意である。つまり、五十二の位を一つ一つ登って次第に成仏の境地に近づくのである。この修行はなみなみならぬ長時を要し、いわゆる歴劫修行となる。したがって、九界と仏界との間には容易に埋められない隔たりがあるわけである。
しかも、このように仏の境地に近づく唯一の道が長遠の菩薩道であるのみならず、菩薩道に至るための、他の八界の距離も、平等ではない。地獄・餓鬼・畜生の三悪道は、菩薩道に到達するには、はるかに遠く、いったん人・天に至ってのち、ようやく菩薩道に進むのである。
とりわけ声聞・縁覚の二乗の道に入った者は、あたかも迷路に入り、泥沼に沈み、二度と出られなくなった者のように、菩薩道の正道には絶対に入れないとされた。
したがって、行布を存する爾前経の教えがなぜ“失”であるかは明らかである。それは「永不成仏」といわれるように二乗を永久に成仏できないものとし、他の界についても、容易に成仏できないとする教えであるからである。これは、一切衆生を成仏させることを本願とする仏にしてみれば、まことに不本意の教法といわなければならない。
ゆえに釈尊は、四十余年未顕真実といって、行布を存する爾前諸経を、方便権教と破り、法華経こそ真実を説こうと宣言し、まず迹門方便品で、諸法実相・十如是を説いたのである。
この諸法実相・十如是の意味は、大聖人が「諸法実相抄」に明らかにされているように十界の依正の当体がことごとく一法も残さず妙法蓮華経のすがたであるということである。すなわち仏・菩薩も二乗も六道の各界も、みな平等に実相があらわれた姿であり、行布・差別はまったくないということである。
ただ異なるのは、わが身が実相即ち妙法の当体であることを、みずから覚りきわめているのが仏であり、わが身が妙法の当体であることを知らず、煩悩に迷っているのが凡夫であるということである。どの界が成仏に近く、どの界が遠いという差別は、まったくないのである。
したがって、二乗も、永久に成仏できないなどということはなく、むしろ、この説法によってもっともはやく目覚め、成仏の記別を授けられるのである。また、成仏しがたいとされていた悪人も提婆達多を代表とし、女人の竜女等を代表として、法華経の教えの信受によって、同じく成仏の授記を受ける。
しかし、この迹門の教えでは、仏としての釈尊の生命はこのインドで成道することによってはじめて実現したにすぎない。理としては一念三千を説いても、事の上では、もともとあるのではなく、たまさか、ここにあらわれているだけである。
このように、たまたま、この世にしばらくあらわれているにすぎないのを、たとえて水面に映る月の影になぞらえ、影すなわち迹の法門と呼ぶのである。いつの時代の、いずれの世界の衆生にとっても、変わらず、成仏のための根源の法であるためには、事実のうえで、久遠の昔から永劫の未来にわたって常住しているのでなければならない。この事実の上での常住が明らかにされ、影でなく本体が確立されたのが、本門寿量品の説法なのである。
1211:01~1211:09 第二章 寿量顕本の意義を述べるtop
| 01 迹門には二乗作仏を 02 説いて四十余年の二つの失・一つを脱したり、 然りと雖も未だ寿量品を説かざれば 実の一念三千もあらはれず二 03 乗作仏も定まらず、 水にやどる月の如く根無し草の浪の上に浮べるに異ならず、 又云く「然るに善男子我実に成 04 仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫」等云云、 此の文の心は華厳経の始成正覚と申して 始て仏になると説 05 き給ふ阿含経の初成道・浄名経の始坐仏樹・大集経の始十六年・大日経の我昔坐道場・仁王経の二十九年、無量義経 06 の我先道場・法華経方便品の我始坐道場等を一言に大虚妄なりと打破る文なり、 本門寿量品に至つて始成正覚やぶ 07 るれば四教の果やぶれ 四教の果やぶれぬれば四教の因やぶれぬ、 因とは修行弟子の位なり、 爾前迹門の因果を 08 打破つて本門の十界因果をときあらはす 是れ則ち本因本果の法門なり、 九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九 09 界にそなへて実の十界互具・百界千如・一念三千なるべし、 -----― 迹門には二乗作仏を説いて、四十余年の二つの失のうち一つを脱れた。ところがまだ、寿量品を説かないので真実の一念三千もあらわれず、したがって二乗作仏も決定しない。あたかも水にやどる月のように、また根無し草が浪の上に浮かんでいるのに異ならない。 またいうには「しかるに善男子よ、私が実に成仏してからすでに無量無辺百千万億那由佗劫である」と、この文の意味は、華厳経の「始成正覚」といって、始て仏になったと説いている文、阿含経の「初成道」の文、浄名経の「始坐仏樹」の文、大集経の「如来成得仏道、始十六年」の文、大日経の「我昔坐道場」の文、仁王経の「二十九年」の文、無量義経の「我先道場」の文。法華経方便品の「我始坐道場」の文等を、一言のもとに大虚妄なりと打破した文である。 本門寿量品に至って、始成正覚が破られたので、四教の果は破られ、四教の果が破られたので四教の因も破られたのである。因とは修行中の弟子の位のことである。爾前迹門の因果を打ち破って本門の十界の因果を説き顕す。これがすなわち本因本果の法門である。つまり、九界も無始の仏界に本来具わり、仏界もまた無始の九界に具わってこそ、真実の十界互具・百界千如・一念三千なのである。 |
始成正覚
釈尊が19歳で出家、30歳で成道したことをいう。
―――
初成道
インド生誕の釈尊が、菩提樹下で初めて悟りを成じたこと。
―――
我始坐道場等
法華経方便品第2に「我始め道場に坐し、樹を観じ亦経行して、三七日の中に於いて、是の如き事を思惟す」とある。
―――
四教の果
四教とは蔵・通・別・円教、果とは寿量品以前の四教の仏。
―――
四教の因
四教とは蔵・通・別・円教、因とは成仏の因たる修行で六度万行の歴劫修行である。本門にいたって始成正覚を打ち破ったので、爾前迹門の仏果が破れたので、迹門爾前の修行もまた、むなしいことになってしまったのである。そして、真実の十界互具・百界千如・一念三千の仏法が説き示されるのである。これが本因本果の法門である。
―――
爾前迹門の因果
法華経迹門および爾前経で説かれる因行と証果。
―――
本門の十界因果
法華経本門で説かれる九界の因と仏界の果。
―――
本因本果の法門
成道の根本原因と、それによって証得した仏果を明かしている法門のこと。
―――
九界
十界の仏界を除く、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩をいう。仏界が悟りの境地であるのに対して、迷いの境界をさしている。
―――
無始の仏界
久遠の昔から衆生の一念に本来具わって常住している仏界のこと。
―――
無始の九界
久遠の昔から衆生の一念に本来具わって常住している九界のこと。
―――
十界互具
地獄から仏界にいたる十界のおのおのに十界を具していること。方便品では、凡下の衆生に仏知見がそなわっていると説き、寿量品では三妙合論して仏界常住を説く。この十界互具・百界は、それぞれに十如是を具し、さらに三世間を具して、一念三千となる。ゆえに開目抄には「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(0189-04)と仰せである。ただし、末法における真実の十界互具については、われわれが唱える題目・御本尊を仏界として、唱え奉るわれら衆生は九界であり、この境智冥合をもって十界互具というのである。
―――
百界千如
法華経迹門を与えていえば、理の一念三千であるが、奪っていえば百界千如に過ぎない。
―――――――――
爾前経および法華経迹門まで一貫してとらえてきた「始成正覚」を寿量品で打ち破り、久遠実成を明かしたことが、どのような意義を持つかを述べられている。
爾前迹門の因果を打破つて本門の十界因果をときあらはす是れ則ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界にそなへて実の十界互具・百界千如・一念三千なるべし
爾前迹門の始成正覚の教えにおいては、釈尊自身、過去の長時にわたる菩薩道の修行を経て今世に生まれ、しかも、なみなみならない難行苦行を修して成道したのである。その過去の最たるものとしては、迹門化城喩品の三千塵点劫にまで及ぶ。この世にあらわれている仏としての生命は、そうした過去の長い因位の修行の結果としもたらされたものであるということである。
しかるに、本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、菩薩道を行じて仏になり、以来、この娑婆世界で説法教化しているのだという。その教化のために「或示己身・或示他身」とあるように、仏身を現ずることであれば、九界の身を示すこともある。しかし、仏としての生命は常住であるというのである。
この説法によって、爾前迹門の「四教」で示してきた仏界は、常住の本仏が衆生化導のために方便として仮に示したものとなる。これが「四教の果やぶれ」である。四教の示す仏界が破られると、ぞうした仏界に至るための因位の修行も、当然、方便となり、これもまた破られたことになる。「四教の果やぶぬれぬれば四教の因やぶれぬ」というのがそれである。
そのように、爾前迹門の因果を打ち破って本門寿量品に明かされた因果は、もともとの仏の生命に具わっている九界の因、本来常住の九界に具わっている仏界の果である。つまり、爾前迹門では、長い修行ののちに仏になるのであるから、九界と仏界とが異時であるのに対し、本門寿量品によってはじめて、九界の因と仏界の果とが俱時となる。ゆえに十界互具も事実の裏付けを得たものとなり、真実の一念三千法門が完成するのである。
すでに述べたように、迹門では、十界の衆生の生命が本来、妙法の当体であることを明かした。この、わが身が妙法の当体であることを覚知するのが成仏であるが、これを覚知するには、九界の智では、不可能である。ゆえに、信をもって慧に代え、信によって道に入ることができるとしたのである。
だが、こうした信は仏在世の人々にとっては、仏に接することによって起こすことが可能であるが、滅後、仏に接しえない人々にとっては、具体的に起こすことは至難である。したがって、事実のうえで悟りをあらわしている仏に代わる、悟りの生命の当体が必要となる。すなわち、法体の確立が問題となるのである。
この法体も、ただ今生にたまたま具現されたものであっては「水にやどる月」「根無し草の浪の上に浮べる」ようなもので、未来永劫に衆生が拠りどころとすることはできない。本門寿量品で、釈尊が久遠実成に明かされたことの意義は、この滅後の衆生のための法体を確立しようとした本門において、この法体の常住を明確にしたことにあったといってよい。
では、本門は、どのような形で、この法体をあらわしているか、それが虚空会の儀式である。すなわち、宝塔が虚空に浮かび、釈迦・多宝の二仏がその中に並坐し、地涌の菩薩はじめ十界の衆生が列なり行なわれた荘厳な儀式の姿が、法体の相貌をあらわしているのである。
もとより、この法華経の説法の文上にあらわれたもののみでは、まだ、その正体が明らかではない。本門寿量品で明かした釈尊の久遠成道において、その成道のために本因の修行を根本としたのが南無妙法蓮華経である。だがそれは、文の上には示されていない。この文の底に秘沈されている妙法が取り出されて明らかにされてはじめて、法体は完生される。この完成は、釈尊の滅後、久遠元初の自受用報身の再誕として出現された日蓮大聖人によってなされたのである。
1211:09~1212:03 第三章 本門寿量の肝心を示すtop
| 09 かうして・かへてみるときは華厳経の台上盧舎那・阿含 10 経の丈六の小釈迦・方等・般若・金光明経・阿弥陀経・大日経等の権仏等は此の寿量品の仏の天月のしばらくかげを 11 大小の・うつはものに浮べ給うを、 諸宗の智者学匠等は近くは自宗にまどひ遠くは法華経の寿量品を知らず 水中 12 の月に実月のおもひをなして或は入つて取らんとおもひ・或は繩をつけて・つなぎとどめんとす、 此れを天台大師 13 釈して云く「天月を識らずして但池月を観ず」と、 心は爾前・迹門に執着する者はそらの月をしらずして 但池の 14 月を.のぞみ見るが如くなりと釈せられたり、又僧祇律の文に五百のマシラ.山より出でて水にやどれる月をみて入つ 15 てとらんとしけるが.実には無き水月なれば月とられずして水に落ち入つてマシラは死にけり,マシラとは今の提婆達 16 多・六群比丘等なりとあかし給へり。 17 一切経の中に 此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたまし ゐ無からんがごと 18 し、されば寿量品なくしては 一切経いたづらごとなるべし、 根無き草はひさしからず・みなもとなき河は遠から 1212 01 ず親無き子は人に・いやしまる、 所詮寿量品の肝心南無妙法蓮華経こそ十方三世の諸仏の母にて御坐し候へ、 恐 02 恐謹言。 03 四月十七日 日 蓮 花 押 -----― こうしてかえりみるとき、華厳経の蓮華台上の盧舎那仏、阿含経の丈六の小釈迦、方等・般若・金光明経・阿弥陀経・大日経等の権仏等は、この寿量品の本仏の天月が、しばらくその影を大小の器物に浮かべたようなものである。だがそのことを諸宗の智者学匠等は、近くは自宗の依経の本来の意味にまどい、遠くは法華経の寿量品を知らない。それゆえに、水中の月を真実の月と思い込んで、ある者は水に入って取ろうと思い、ある者は縄をつけてつなぎとめようとするのである。 こうした諸宗の智者学匠の誤りを、天台大師は解釈して「天の月を識らずにただ池に映る月を観ている」と述べている。文の意は、爾前迹門に執着する者は、天の月を識らずにただ池に映る月を望み見るようなものである、と釈されたのである。また僧祇律の文に、五百の猿が山から出てきて水に映っている月を見て、入って取ろうとしたが、実際にはない水の月なので、月を取れずに水に落ち入って。猿は死んでしまった。この猿とは今の提婆達多と六群比丘等である、と明かしている。 一切経の中にはこの寿量品がなかったならば、天に日月がなく、国に大王がなく、山海に宝玉がなく、人に魂がないようなものである。それゆえ寿量品なくしては一切経は無益な経となるであろう。根のない草は久しく生えていない。源のない河は遠くまで流れない。親のない子は人に賤しめられる。所詮、寿量品の肝心・南無妙法蓮華経こそが十方三世の諸仏の母であらせられる。恐恐謹言。 四月十七日 日 蓮 花 押 |
華厳経の台上盧舎那
華厳経の教主である盧舎那仏のこと。台上は盧舎那仏が中央の蓮華台の上に坐していることをいう。
―――
阿含経の丈六の小釈迦
阿含経に説かれる釈尊のこと。34の智慧心をもって見思の二惑を断じて成仏の姿を示した仏。凡夫・二乗・初地以前の菩薩に対して応現する一丈六尺の仏身であり、老比丘の相をしている。八相成道の仏身で、三身のうちでは応身であり、四土のうちの凡聖同居土に住している。華厳・方等・般若時の勝応身、他受用報身等の釈尊にくらべて劣小であるゆえに小釈迦という。
―――
権仏
権は方便の意で、釈尊が衆生教化・誘引のために説いた方便経説中の諸仏のこと。大日如来、阿弥陀仏、薬師如来等。
―――
智者
物事の道理をわきまえた智慧ある者。諸宗の祖師をいう場合もある。
―――
学匠
大寺にあって学問を修めた僧。仏道を修めて師匠の資格ある僧。②学問に通じた人、学者。
―――
天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
―――
六群比丘
釈迦の弟子の中で、悪事や非法行為を働き、釈迦や弟子などを困らせたとされる六6人をいう。釈迦の僧団において多くの戒律が制定されたのは彼らのためといわれる。なお『摩訶僧祇律』7では、彼らを提婆達多派の徒とする。
―――
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
―――
十方三世の諸仏
ふつうは三世十方の諸仏という。「三世」とは過去・現在・未来、「十方」とは東・西・南・北・東南・西南・西北・東北・上・下をいう。千日尼御前御返事には「法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり」(1315-02)とある。
―――
恐恐謹言
恐れかしこみ申し上げるの意で、手紙の最後に書くていねいなあいさつ語。
―――――――――
爾前迹門の諸経に執着する諸宗の智者学匠痛烈に破折されている。
すなわち、池や器の水表に映った月影を本物の月と思ってる愚か者とおなじであると、われわれは、日蓮大聖人の御教示によって、こうした本と迹の違いを明確に知り、このように明らかな道理をわきまえられない諸宗の人々の愚かさを、むしろ不思議と思うのであるが、もし大聖人に教えられなかったら、おそらくこれを知ることはできなかったであろう。真実は、知ってしまえば、当然のように映るのであるが、はじめてこれを覚った人の苦心と偉大さは、並み大抵でなかったのである。むしろ、これほどまでに多くの人々が、長い間にわたって、そうした誤りにとらわれ、そこから抜け出せないでいることのなかに、人間の本性の一端を認めることが大事である。なぜなら、それが人間の本性につながっているならば、ひとたび正しい教えに目覚めても、将来、ふたたび誤りに陥らないとは限らないし、その時、みずからの戒めのために、この考察はかならず大きい意義をもつであろうからである。
爾前迹門の仏に対する考え方を大別すると、小乗経の小釈迦のように、一往、釈迦を根本としながらも、劣った仏とするのが一つの型である。もう一つは、現実にこの世に現れた仏つまり釈迦は仮の存在であって、真実の仏は、穢れたこの世界から遠く離れた浄土にいるとする、権大乗経の考え方である。法華経迹門は、教法の内容については権大乗教のそれを打ち破ったが、仏の立場に関しては、まだ権大乗の考え方の枠を出ていないとみてよい。このゆえに、迹門を根本とした天台仏法では、薬師、阿弥陀等、他土の仏を本尊として用いたのである。
さて、このような爾前迹門の仏に執着してきたことが、人間の本性と結びついているというゆえんは、次のことである。人間は、ひとたびそれを得れば、なにも努力しなくとも安楽な生涯が保証されるような、いわゆるユートピアを求める気質をもっている。宗教の多くは、この世界が限りない苦難を伴う、穢れた世界であることを認め、しかもユートピアを得たいという願望から出発している。必然的に、そのような理想郷は、この世界とは別のところに求めざるをえない。キリスト教やイスラム教の天国がまさにそれであり、仏教の権大乗の諸経のなかで説かれた十方の他土、そしてそこにいる仏というのも、これと同じ考え方の反映であった。
仏教において、他土の仏を立派であるとすることは、同時に、この世に現実に出現している釈迦を、仏といってももっとも卑小な仏とすることでもある。小乗教の丈六の釈迦はその端的なあらわれである。迹門まで一貫している始成正覚も、同じである。なぜなら、始成正覚ということは、あらゆる仏の中でも、もっとも新来の仏ということになるからである。
法華経にいたって、すでに迹門の哲理は、理想の境地を、現実のこの世界から離れたところに求めるべきではないことを明らかに示しているのである。だが、この世界こそもっとも尊ぶべき所であるとはしていない。
本門寿量品ではじめて、他のいかなる仏よりも早く、久遠五百塵点の昔に成道した釈尊が、それ以来、ずっと常住して説法教化してきた所が、この娑婆世界であると明かされたのである。すなわち、この世界こそもっとも尊ぶべき所であり、これ以上の浄土は他にありえないことになったのである。
だからといって、この世が汚穢の世界でなくなったわけではない。真実の仏法に目覚めた人々の、不断の努力によって、生命の次元から変革・蘇生されるところに、穢土が即、浄土となるのである。つまり、娑婆即寂光となるのであって、これ以外に理想郷を得る道はありえない、これが寿量品の説かれたとによって、明らかになった結論である。
この寿量品の教える原理は、爾前権教のような、他を頼る安易さや、ひとたび得れば、あとは努力しなくとも保証されるという空想性を、激しく排斥したものでもある。人間の本性としては、これは、なじみがたい教えである。しかし、真実は、これ以外にない。この真実を激しく見つめ、寿量品の秘めている妙法を受持して立ったときに、汚穢に満ちた現実の人生と社会を変革する勇気と智慧と希望に輝く、自立の人間像が現出するのである。
まさしく「一切経の中にこの寿量品ましまさずば、天に日月無く、国に大王なく、山海に玉なく、人にたましゐ無からんがごとし」である。「此の寿量品」がなければ、人間完成を理想とし、目標として説かれた仏教をはじめ、一切の哲学は「いたずらごと」となってしまうのである。
この一切の教法、哲学、学問の根本となって、人間を真に完生された人間としていく仏法の極理の正体こそ、「寿量品の肝心南無妙法蓮華経」である。この一文に、釈尊の法華経がその文上にあらわしえなかった仏法の究極の法体を明らかにした日蓮大聖人の仏法の位置が簡潔に述べられているのである。
1212~1212 五人土籠御書top
| 五人土篭御書 文永八年十月 五十歳御作 於相模依智作 与日朗・日心・坂部入道・伊沢入道・得業寺 01 五人御中参 日 蓮 02 せんあくてご房をばつけさせ給へ、又しらうめが一人あらんするがふびんに候へば申す。 03 今月七日さどの国へまかるなり、各各は法華経一部づつ・あそばして候へば我が身並びに父母・兄弟・存亡等に 04 回向しましまし候らん、 今夜のかんずるにつけて・いよいよ我が身より心くるしさ申すばかりなし、 ろうをいで 05 させ給いなば明年のはるかならずきたり給えみみへ・まいらすべし、 せうどのの但一人あるやつを・つけよかしと 06 をもう心・心なしとをもう人一人もなければしぬまで各各御はぢなり。 07 又大進阿闍梨はこれにさたすべき事かたがたあり、又をのをのの御身の上をも・みはてさせんが・れうにとどめ 08 をくなり、くはしくは申し候わんずらん、恐恐謹言。 09 十月三日 日蓮花押 10 五人御中 -----― 五人御中参 日蓮 ともかく稚児の房を側に置いてあげなさい。ふ四郎が一人でいるのが、哀れなのでいうのである。 今月七日佐渡の国へ参ります。あなた方は法華経一部を身で読まれているのであるから、その功徳はわが身並びに父母・兄弟の生者と死者のすべてに、廻向されることであろう。今夜の寒さにつけて、ますますわが身よりも牢中のあなた方のことが思いやられて、心の苦しみは申しつくせない。牢を出られたならば明年の春かならず佐渡へおいでなさい。お会いしましょう。しょうどのの子でただ一人になっている者を側に置いてほしいと思う心を、無分別であると思う人があなた方の中に一人もいなければ死ぬまであなた方の恥である。 また、大進阿闍梨については私の方で指図すべき事があれこれとある。また、あなた方の身の上を見届けさせるために鎌倉にとどめおくのである。詳しくは申し上げることもありましょう。恐恐謹言。 十月三日 日蓮花押 五人御中 |
しらうめ
四郎奴と書くと思われる。大聖人御在世当時の弟子のひとりと思われるが、詳細は不明。
―――
さどの国
新潟県の佐渡島のこと。神亀元年(0724)遠流の地と定められ、承久3年(1221)には順徳天皇も流されている。大聖人の流罪は文永8年(1271)10月~文永11年(1274)3月までである。
―――
回向
回転趣向の意。みずから仏道修行して得たところの功徳を、回し転じて、衆生に向けて施し与えることをいう。三大秘法の御本尊に唱題し、その功徳を、父母、兄弟、先祖等の菩提のために回し向けることである。
―――
ろう
牢屋のこと。
―――
大進阿闍梨
大進房のこと。曾谷教信の縁戚にあたる。下総(千葉県)の出身。早くから大聖人の弟子となりの門下の長老格であった。だが原因は定かではないが大聖人に敵対し、長崎次郎兵衛尉時綱等とともに暴徒を指導し大聖人門下に危害を加えたが誤って落馬し、それが原因で死んだ。
―――
五人
文永8年(1271)9月、大聖人竜口法難直後、法難にあった者たちと思われるが、詳細は定かではない。
―――――――――
文永8年(1271)9月12日夜半竜の口の法難で、不思議な光りものの出現によって死罪を免れた日蓮大聖人は、翌日神奈川県厚木市依知町の本間六郎左衛門邸へ預けられた。大聖人はこの依智に20余日間過ごされたが、その間鎌倉では放火、殺人、強盗が盛んに起こり、大聖人の弟子、檀那の犯行とされ、多くの無実の人々が捕えられた。
本抄は文永8年(1271)10月3日、依智から鎌倉の宿屋光則の邸内にある土牢に幽閉された門下の僧俗五人に対して与えられたお手紙である。佐渡流罪の日を知らせるとともおに、法華経を身読する五人の功徳を讃え、寒夜の土牢の苦しみを思いやり、信心を励まされている。
御真筆は、全編二紙で、京都の妙覚寺に現存する。正確に解釈するには、なお後日の研究に待つべき語句が少なくない。
各各は法華経一部づつ・あそばして候へば我が身並びに父母・兄弟・存亡等に回向しましまし候らん
法華経真読の功徳を讃えられた文である。鳩摩羅什の漢訳になる妙法蓮華経八巻は、深遠な思想を湛えた流麗な文体によって、多くの人々に尊崇されてきた。しかし、法華経は、その文々句々を読誦し、内容を理解するだけではなお十分とはいえない。釈尊は法華経の文体を味わい、教養を高めさせるために説いたのではない。なにより、も不幸に沈む五濁悪世の民衆を救済する目的をもって説かれたのである。ゆえに法華経の説法のとおりに実践修行すること、法華経の身読こそもっとも大切であり、これこそ、成仏の肝要の修行なのである。
竜の口の法難の折、法華経のために権力の弾圧にあって入牢した弟子達は、まさしく勧持品二十行の偈を、身口意の三業で修行したのである。その功徳は自分一人の功徳となるばかりでなく、父母・兄弟・そして広く一切衆生にまで及ぶと仰せられ、不退転の信心に立つよう励まされているのである。
1213~1213 土籠御書top
| 1213 土篭御書 文永八年十月 五十歳御作 与日朗 於相模依智 01 日蓮は明日・佐渡の国へまかるなり、今夜のさむきに付けても・ろうのうちのありさま思いやられて・いたはし 02 くこそ候へ、 あはれ殿は法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば・父母・六親・一切衆生をも・たすけ 03 給うべき御身なり、 法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身に 04 よまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ、 天諸童子・以為給使・刀杖不加毒不能害と説かれて候へば別 05 の事はあるべからず、 篭をばし出でさせ給い候はば・とくとく・きたり給へ、 見たてまつり見えたてまつらん、 06 恐恐謹言。 07 文永八年辛未十月九日 日蓮花押 08 筑後殿 -----― 日蓮は明日、佐渡の国にいくこととなった。今夜の寒さにつけても、年の内のありさまが、思いやられて、いたわしくてならない。あっぱれなあなたは、法華経一部を色心二法にわたって読まれたのであるから、その功徳で父母、六親、一切衆生をも救済すべき御身である。他の人々が、法華経を読んではいるが、口ばかり、意味のうえだけで読んでも、心では読まない。あなたのように色心の二法にわたって法華経をよまれてこそ、まことに尊いことである。安楽行品には「天の諸の童子、以って給仕を為さん。刀杖も加えず、毒も害すること能わじ」と説かれているのであるから、必ず諸天が守られ、特別のことはないであろう。年から出られたならば、速やかに(佐渡へ)こられるがよい。互いの無事な姿をみたいと思います。 |
佐渡の国
新潟県の佐渡島のこと。神亀元年(0724)遠流の地と定められ、承久3年(1221)には順徳天皇も流されている。大聖人の流罪は文永8年(1271)10月~文永11年(1274)3月までである。
―――
法華経一部
法華経一部八巻28品のこと。
―――
色心二法
色とは肉体・物質をいい、心とは精神をいう。色心二法とは生命のこと。
―――
六親
妻(夫)・父母・子供・兄弟等。一般には六親等までの血縁者。
―――
天諸童子・以為給使・刀杖不加毒不能害
法華経安楽行品第14に「天の諸の童、子以て給使を為さん。刀杖も加えず、毒も害すること能わず」とある。
―――
越後殿
日朗のこと。(1245~1320)大国阿闍梨・筑後房ともいう。寛元3年(1245)4月8日、下総国海上郡能出(千葉県匝瑳市能手)に生まれ、幼名を吉祥麿といった。父は平賀二郎有国といい、平賀千家の一族で、母は因東祐昭の女、有国の没後、平賀忠晴と再婚し、日像・日輪をもうけている。日朗は建長6年(1254)、10歳の時、父の有国と共に日蓮大聖人に会って帰依し、日昭のもとで得度した。文永8年(1271)9月の竜の口法難の際には日心と共に土牢に投ぜられ、日蓮大聖人から10月3日に五人土籠御書を、10月9日には土籠御書を頂いている。弘安2年(1279)10月20日、大聖人は日朗・池上宗仲両人に対して両人御中御書御書を与えられている。大聖人御入滅後は、日興上人に違背し、大聖人の墓所輪番制にも応ぜず、100ヵ日忌法要の時、身延に登山したものの、御廟所の立像仏を持ち去っている。弘仁6年(0813)7月ごろに池上に長栄山本門寺を建立、大聖人を開山として自らは第2代となった。同8年(1285)天台沙門と名乗って公所に申状を提出し、師敵対の行為をとった。また、延慶2年7(1309)1月に四長四本山を一寺としている。晩年に至って富士に来山したことが五人所破見聞に記されている。文保2年(1318)10月23日に、本迹口決を竜華院日像に送り、元応2年(1320)1月21日、池上にて死去。その後日朗門下は池上本門寺と鎌倉比企ヵ谷妙本寺を中心に弘教した。日朗門下には日像を中心に日輪・日善・日範・日伝・日印・日行・日澄・朗慶等がいる。「本迹見聞如天甘露抄」「五時系図」「本尊明鏡抄」等の著作がある。大国阿闍梨は日朗の号。
―――――――――
本抄は日蓮大聖人が佐渡の配所へ出立される前夜、すなわち文永8年(1271)10月9日に厚木市依知町の本間六道左衛門の邸でしたためられ、鎌倉の宿屋光則邸内の土牢に幽閉されている、弟子筑後房日朗に送られたものである。内容は、明日佐渡の島へ出発することを告げ、牢中の寒気の厳しさを思いやって満腔の同情をそそがれ、法華経を身口意の三業、色心の二法にわたって読誦する功徳を称揚されている。そして法華経の安楽行品の中の一文を挙げて、かならず諸天の加護があるから、この先は、いかなることがあろうとも身は安泰であることを示し、後日の対面を期待されている。
法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば・父母・六親・一切衆生をも・たすけ給うべき御身なり
法華経を色心二法共に読むということは、法華経を文字どうり全生命に体得すすることであり、成仏の直道である。すなわち、わが身の未来成仏を決定づけたことになる、との仰せである。
わが身が成仏するならば、父母・六親といった有縁の人々はうまでもなく、一切衆生を救済する偉大な福徳と智慧が具わるのである。
この御文は、法華経のために牢につながれ苦境のどん底にある日朗に対し、今の苦難が日朗自身の成仏のため、ひいては父母・六親の救済のために、無上の善徳を積む絶好の機会であることを教え、ともに喜び、励まされているのである。
大聖人御自身、これからははるかに厳しい佐渡の流罪をひかえながら、一人の弟子のために仏法への限りない確信に立って、大慈悲の激励を続けられているのである。そこには、ありのままの凡夫としての人間的慈愛が拝せられるとともに、それ以上に、仏法の原理への微動だにしない大確信という御本仏としての生命が力強く脈打っていることを読みとらねばならない。
法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ
これまで、法華経を読んだ人は多い、否、法華経ほど多くの人々に読まれてきた経は他に類をみないといってもよいくらいである。だが、そのほとんどは、その意味も分からないままに、ただ口先だけで、あるいは、元意を知らないで文の上だけで読んできたのであった。
この法華経を心まで読んだのは、天台、妙楽、伝教等の、わずかな人々である。御書の中にも、しばしば引用されている伝教の「雖讃法華経還死法華心」の言葉は、文を読んでも心を読みきれないために、かえって法華経の心をころした人々への鋭い批判でもあった。
だが、この伝教等も、法華経を心のをみずから心では読んでも、法華経に説かれているところを、身で読むことはできなかった。文字どおり身で読まれたのは、日蓮大聖人お一人だったのである。
聖人御難事にいわく「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり」(1190-01)と。
「一切衆生をもたすけ給う御身なり」との御文と併せ考えるならば、この「色心二法共にあそばされたる」とは、一往は師弟の契りの上から日朗にかけられた称賛と心からの激励のお言葉であるが、再往拝するならば、日蓮大聖人御自身の立場以外にない。
真実に法華経を身読されたのは、大聖人お一人であることは疑う余地がないし、いわんや「一切衆生をもたすけ給うべき御身」とは、末法御本仏・大聖人をおいて他にはない。したがって法華経を身読した大聖人こそ、人法一箇の御本仏であり、末法万年の衆生を救う久遠の本仏であられることを、この文は、日朗の身の上に寄せて暗にしめされたものと拝せられるのである。
1213~1217 日妙聖人御書top
1213:01~1214:04 第一章 楽法梵志の求道を説くtop
| 日妙聖人御書 文永九年五月 五十一歳御作 01 過去に楽法梵志と申す者ありき、十二年の間・多くの国をめぐりて如来の教法を求む、 時に総て仏法僧の三宝 02 一つもなし、 此の梵志の意は渇して水をもとめ飢えて食をもとむるがごとく 仏法を尋ね給いき、時に婆羅門あり 03 求めて云く我れ聖教を一偈持てり若し実に仏法を願はば当にあたふべし、 梵志答えて云くしかなり、 婆羅門の云 04 く実に志あらば皮をはいで紙とし・骨をくだいて筆とし・髄をくだいて墨とし・血をいだして水として 書かんと云 1214 01 はば仏の偈を説かん、 時に此の梵志悦びをなして彼が申すごとくして 皮をはいでほして紙とし乃至一言をもたが 02 へず、時に婆羅門・忽然として失ぬ、此の梵志・天にあふぎ・地にふす、仏陀此れを感じて下方より湧出て・説て云 03 く「如法は応に修行すべし 非法は行ずべからず今世若しは後世・法を行ずる者は安穏なり」等云云、此の梵志・須 04 臾に仏になる・此れは二十字なり、 -----― 過去に楽法梵志という者がいた。十二年の間多くの国をめぐり歩いて如来の教法を求めていた。当時は仏法僧の三宝が一つもなかった。この梵志の心は、あたかも渇して水を求め飢えて食を求めるように仏法を尋ね求められたのであった。 ある時、一人の婆羅門があって、楽法梵志にいうには「私は聖教を一偈持っている。若しまことに仏法を聞きたいと願うならばまさに授けよう」と。そこで梵志は「仰せのとおりに私は仏法を求めている」と答えた。婆羅門は「まことに志があるならば、身の皮をはいで紙とし、骨を砕いて筆とし、髄を砕いて墨とし、血を出して水として、私の授ける法を書こうというならば、仏の偈を説こう」と。そのときに梵志は大いに悦び、彼のいうとおりにして皮をはいで乾して紙とし、その他一言をもたがえなかった。そのとき、婆羅門はたちまちに消え失せた。この梵志は天を仰ぎ地に伏して嘆いた。 仏陀は、梵志の至心を感じられて、下方から涌き出て説かれるには「正法はかならず修行すべきであり、非法は行じてはならない。今世、もしくは後世に、法を修行する者は安穏である」と。これを聞いて梵志は須臾の間に仏になった。この偈は二十字である。 |
楽法梵志
釈尊が過去世に菩薩行を修行した時の名。大智度論巻四十九にあるが、本抄では、大智度論巻十六の愛法梵志の話と合わせて愛法梵志を楽法梵志と同一人物とし、一つの本生話として用いられている。
―――
如来
仏の十号の一つ。梵語タタ-ガタ(Tathāgata)の訳語。多陀阿伽陀と音写する。如実に来至した正覚者の意。長阿含経巻十二に「仏は初夜に於て最正覚を成じ、末後夜に及び、其の中間に於て言説する所有りて尽く皆、如実なり。故に如来と名づく」
―――
仏法僧の三宝
仏・法・僧を三宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。
―――
婆羅門
インドの四姓の中の最高位で、ヴェーダを学び祭祀を司る僧およびその階級のこと。梵語ではブラーフマナ (Brāhmana)といい、婆羅賀摩拏とも書き、淨行、淨志と訳す。悪法を捨てて梵天に奉事し淨行を修するとの意味からきた呼称。
―――
聖教
釈尊の説いた経教のこと。
―――
一偈
「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
―――
仏陀
仏のこと。
―――
「如法は応に修行すべし……」
大智度論巻十六に「如法は応に修行すべし。非法は受くべからず。今世亦後世に、法を行ずる者は安穏なり」とある。如法は正法、非法は邪法の意。この文は正法を勧め邪法を排するによって今世、後世に安穏であることを説いている。
―――
須臾
時を表す語。二意あり。
① 一昼夜の三十分の一(48分)を表す。転じて、しばらくの間の意。
② 刹那の意。
――――――――――
本抄は、鎌倉に住んでいた一人の女性が、配流の地・佐渡に日蓮大聖人を訪ねてきたことに対し、その厚い求道心を賞でてしたためられたものである。
対告衆の日妙聖人の名は、この求道の志を讃えて大聖人が授けられたもので、本名は不明である。日亨上人は、乙御前の母であると推定されている。
大聖人は、この年2月に開目抄を完成され、3月に佐渡御書を著して、鎌倉在住の弟子檀那一同に送られている。4月3日に一谷へ移られているから、本抄のご述作も一谷・本間重連邸ということになる。開目抄、佐渡御書等、この当時の御抄からうかがわれるように、一門のなかから退転し、大聖人に対してかえって批判を浴びせる人々が少なからずあった。事実、竜口の難に続く佐渡流罪は、日蓮大聖人にとって最大の法難であるのみならず、弟子檀那のなかにも、追放、過料、入牢といった弾圧にあう人々が出て、不信に陥った人々がいたとしても不思議ではない、苦難の時代であった。それだけに、頼るべきもののない寡婦の身で、幼子を抱えて、佐渡にまで大聖人をお訪ねした日妙聖人の信心は、なみなみならないものであったということができる。本抄が、過去の不惜身命の実践者の例を挙げられ、女性の身でありながら微動だにしない強盛な日妙聖人の信心の篤さを讃えられて認められていることも、こうした当時の背景を考えてみるならば、より深く大聖人のお心を拝察できるのではないか。
まず、最初のこの段では、過去の不惜身命の求道者の例として、楽法梵志の話が挙げられている。楽法梵志の話は、竜樹の著と伝えられる大智度論にあり、自分の身体の皮をはいで紙とし、骨を筆とし、髄をくだいて墨に、血を水として、法を求めたというエピソードである。
仏法を教えてくれるはずであった婆羅門は、しかし、教えないで姿を消してしまう。嘆く梵志の前に、仏が出現し、二十字の偈を教え、それによって梵志は成仏することができたという。このエピソードを紹介するなかに、大聖人は、仏法を求めるとは、いかにあるべきかを示されている。
楽法梵志は、仏法を求めて十二年間、多くの国々を巡り歩いた。その心は「渇して水をもとめ、飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね」たのであった。十二年間ものあいだ、求法の一念を貫きとおすということは容易なことではない。だが、たゆむことのない求める心こそ真実の求道精神である。
また、多くの国を巡り歩いたというのは、日妙聖人が、鎌倉から、はるばる佐渡にまで旅したことと対応している。たとい、どんなに遠い所へでも出かけていって法を求めるのが求道者であることを教えられているのである。そして、その心を、渇して水を求め、飢えて食を求めるようであったとは、求道の心は生命の真底から湧き起こってくるのでなくてはならないとのお意であろう。このような、生命の奥底から湧き出る求道心であったからこそ、皮をはぎ、骨を砕き等、みずからの身命を文字どおり犠牲にしたのであった。
仏法を教えると約束しながら姿を消してしまった婆羅門は、貴げにみえた謗法の僧が真実の求道心に立って見たとき、その本性が明らかになることをあらわしている。そして、この真実の求道心はかならず報われることを、仏陀が下方より涌出し法を説いたことをもってあらわしたのである。法華経寿量品に説かれるように、仏はこの娑婆世界に常住しているのであり、ただ衆生の求道心に応じて、その姿をあらわされるのである。つまり、真実の求道心のみが、仏の姿を見、その説く教えを聞くことができるのである。求道の心がなければ「雖近而不見」で、仏を見ることはできず、仏法を聞くこともできない。仏の出現が希有で、仏にあうことは難いというのは、実は、人々が真実の求道の心を起こすことが、いかに難いかを述べたのにほかならない。
なお、「如法は応に修行すべし、非法は行ずべからず、今世若しは、後世、法を行ずる者は安穏なり」の二十字が意味する内容を考えてみると、これは正しい法を行ずるなかに生死を超えた安穏の境地があるということである。したがって、正法の実践こそ、永遠不変の生命を覚知する鍵であることを教えており、生命をなげうって正法を求めた楽法梵志の心を見事に満足するものであったわけである。
1214:04~1214:09 第二章 釈迦菩薩の求道を説くtop
| 05 昔釈迦菩薩・転輪王たりし時き「夫生輙死此滅為楽」の八字を尊び給う故に身 05 をかへて千燈にともして此の八字を供養し給い人をすすめて 石壁・要路に・かきつけて見る人をして菩提心をおこ 06 さしむ、此の光明・忉利天に至る天の帝釈並びに諸天の燈となり給いき。 -----― 昔、釈迦菩薩が転輪聖王であった時、「夫れ生まれた者は輙ち死ぬ。この死滅を楽とする」の八字を尊び敬うゆえに、身を代えて千燈としてともし、この八字を供養し、また、人を勧めて石壁や要路に書きつけて、見る人の菩提心を起こさせた。この千燈の光明が遠く忉利天にいたり、天界の帝釈天ならびに諸天を照らす燈となった。 -----― 07 昔釈迦菩薩・仏法を求め給いき、 癩人あり此の人にむかつて我れ正法を持てり其の字二十なり我が癩病をさす 08 りいだきねぶり日に両三斤の肉をあたへば説くべしと云う、 彼が申すごとくして二十字を得て仏になり給う、 所 09 謂「如来は涅槃を証し永く生死を断じ給う、若し至心に聴くこと有らば当に無量の楽を得べし」等云云。 -----― また昔、釈迦菩薩は仏法を求めていた。そのときハンセン病患者がいて、この菩薩に向かって「私は正法を持っている。その正法の文字は二十字である。わが病の身をさすり、懐き、舐め、一日に二三斤の肉を与えてくれるならば、法を説こう」といった。そこで菩薩はハンセン病患者のいうとおりにして二十字を得て仏になられた。その二十字というのは、いわゆる「如来は涅槃を証得して永く煩悩生死の絆を断たれた。若し人がいて至心に聴くならば、かならず無量の楽を得るであろう(如来証涅槃・永断於生死・若有至心聴・当徳無量楽)」というのである。 |
釈迦菩薩
釈尊が過去世において久しく菩薩行を修行していた時の名前。
―――
転輪王
転輪聖王のこと。梵語チャクラバルティラージャ(Cakravarti-rāja)の訳語。斫迦羅伐刺底曷羅闍と音写する。インド古来の伝説で、武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。
―――
「夫生輙死此滅為楽」
大方便仏報恩経巻第二の文。「夫れ生じて輙ち死す、此れ滅を楽と為す」と読む。夫生輙死は、生ある者はかならず死ぬという生者必滅の理を表す。此滅為楽の滅は、煩悩生死を滅すること、楽は涅槃の意。此滅為楽は、無常の諸相によって苦悩を現起するのが煩悩であるから、この煩悩生死を滅したところに涅槃の境界があるとの意味である。
―――
菩提心
悟りを求めて仏道を行ずる心。菩提は梵語ボーディ(bodhi)の音写で、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種ある。
―――
忉利天
忉利は梵語のトラーヤストゥリンシャ(Trāyastriṃśa)の音写。三十三天と訳す。欲界の六欲天の第二。須弥山の頂上にある天で、中央に帝釈天がおり、四方の峰の頂上に各八天がおり、合わせて三十三天という。
―――
帝釈
帝釈天の略称。釋提桓因ともいう。ヴェーダ神話上の最高神であったが、仏法では諸天善神とされる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し他の三十二天を統領している。
―――
癩人
ハンセン病患者
―――
両三斤
1.2~1.8㎏
斤は重量の単位。令義解によると、律令制の重さの単位で、小斤と大斤があり、小斤では1斤は16両、1両は24銖、一銖は黍(キビ)100粒の重さに相当し、大斤はその3倍の重さに相当する。小斤は薬物をはかる場合に用い、大斤はその他の物をはかるときに使用した。今日の重さの単位に換算すると、小斤の1斤は600㌘に相当する。
今日でも600㌘のパンを1斤と表示している。
―――
「如来は涅槃を証し……」
涅槃経巻二十高貴徳王菩薩品の文。「如来は涅槃を証して、永く生死を断ず、若し至心に聴く有らば、常に無量の楽を得ん」とある。この四句は、涅槃経の要偈であり、古来から諸師が多義にわたって広説している。文意は、如来は涅槃を証得し、永く煩悩生死を断尽している。ゆえに、もし至心に如来の言葉を聴き信受するならば、つねに無量の法楽を得られるとの意である。
―――
涅槃
梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。
―――――――――
本章では、釈迦菩薩の修行を例として述べられている。転輪聖王であった時の話は大方便仏報恩経から、癩人に仕えた時の話は涅槃経から、それぞれ引かれている。前者はわずか八字であり、後者は、やはりわずか二十字の仏の教えであるが、そのためにいかに身命を惜しまず求め、供養し、宣揚したかということが、これらの話の眼目である。
そのなかでも、転輪聖王であった時、身をかえて供養し、また石壁や要路に書きつけて人々に菩提心を起こさせたというのは、求法よりも、それを弘めたことの例である。そして、供養した千燈の光明が忉利天 に至り、諸天の燈となったということは、平和で豊かな社会が現出したことを、このように表現されたと考えられる。
権力をもつと、自分が尊い存在になったように思い、おごり高ぶるのが人間の常である。釈迦菩薩が転輪聖王でありながら、八字を尊ぶゆえに、身をかえて千燈をともし供養したことは、どこまでも仏法を尊び、おごる心がなかったことをあらわしている。「身をかへて」とは、国家・国民の金によってでなく、みずからの持てるものをなげだして供養したことである。また「人をすすめて」とは、権力によって強制したのでなく、一個の人間として人々に語り、すすめたことを意味している。権力を用いて行なうのは容易である。だが権力によらず、みずからの真心によって行なったがゆえにこそ、偉大な功徳を生じたのであることを知らなければならない。
もう一つの癩人に仕えた話は、昔、ハンセン病はその症状ゆえ、患者の体に触れると病気が移るとして、もっとも嫌われた。釈迦菩薩は、二十字の仏法を教わるために、わが身を惜しまない決意であったから、求められるとおり、さすり、いだき、なめ、さらに、この人のために日に二、三斤の肉を与えて養ったのである。ともに、至難の実践であることはいうまでもない。
ここに挙げられている八字、二十字の教法も、生死を滅したところに、真実の楽があることを述べている。すなわち、生死を繰り返す無常の生命に対する執着を超えることの大切さを教えているのであり、釈迦菩薩は、いずれの場合も、不惜身命の実践によって、この教法を、身をもって読んだのである。
1214:10~1215:04 第三章 雪山童子の求道を説くtop
| 10 昔雪山童子と申す人ありき、 雪山と申す山にして外道の法を通達せしかども・いまだ仏法をきかず、時に大鬼 11 神ありき説いて云く「諸行無常是生滅法」等云云、 只八字計りを説いて後をとかず時に雪山童子・此の八字を得て 12 悦きはまりなけれども半なる如意珠を得たるがごとく華さき菓ならざるに・にたり、 残の八字を・きかんと申す、 13 時に大鬼神の云く 我れ数日が間・飢えて正念乱るゆへに後の八字を・ときがたし食をあたへよと云う、 童子問う 14 て云く何をか食とする、 鬼答えて云く我は人のあたたかなる血肉なり、 我れ飛行自在にして須臾の間に四天下を 15 回つて尋ぬれどもあたたかなる血肉得がたし、 人をば天守り給う故に失なければ殺害する事かたし等云云、 童子 16 の云く我が身を布施として彼の八字を習い伝えんと云云、 鬼神の云く智慧甚だ賢し我をや・すかさんずらん、 童 17 子答えて云く 瓦礫に金銀をかへんに是をかえざるべしや 我れ徒に此の山にして・死しなば鴟梟虎狼に食はれて一 18 分の功徳なかるべし、 後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし、 鬼の云く我いまだ信ぜず、童子の云く証人 1215 01 あり過去の仏も・たて給いし大梵天王・釈提桓因・日月・四天も証人にたち給うべし、此の鬼神後の偈をとかんと申 02 す、 童子身にきたる鹿の皮を・ぬいで座にしき踞跪合掌して此の座につき給へと請す、大鬼神・此の座について説 03 て云く「生滅滅已・寂滅為楽」等云云、 此の偈を習ひ学して若しは木・若しは石等に書き付けて身を大鬼神の口に 04 なげいれ給う、彼の童子は今の釈尊・彼の鬼神は今の帝釈なり。 -----― 昔、雪山童子という人がいた。雪山という山で外道の法を通達したけれども、いまだ仏法を聞かなかった。その時一人の大鬼神がいて説いていうには「諸行は無常であり、是れ生滅の法である」等と。大鬼神は、ただ八字だけを説いて後の偈(げ)を説かなかった。そのとき雪山童子は、この八字を得ておおいに悦んだが、その心境は、あたかも半分の如意珠を得たようで、また、花が咲いて果がならないのに似ていた。そこで、童子は残りの八字を聞きたいといった。そのとき大鬼神は「私はこの数日間、飢えていて、正念を乱しているから後の八字を説くことができない。食を与えよ」といった。そのとき童子は「あなたは何を食とするのか」といった。鬼は「私は人の温かい血や肉を食とする。私は飛行が自在にでき、わずかの間に四天下をめぐって尋ね求めるけれども、温かな血や肉は得がたい。それは、天が人を守られるゆえに、人に罪がなければ殺害することが難しいからである」と答えた。童子のいうには「私の身を布施としてかの八字を習い伝えよう」と。鬼神のいうには「お前は智慧があり、たいそう賢い。私をだますのであろう」と。童子の答えていうには「瓦や礫が金銀に換えられるとしたらこれを換えないものがあろうか。私がむだにこの山で死ぬならば、鴟梟虎狼に食われて少しの功徳もない。わが身を後の八字に換えるならば糞を飯に換えるようなものである」。鬼のいうには「私はいまだ信じない」。童子のいうには「証人を立てよう。過去の仏も証人にたてられた大梵天王、釈提桓因、日天、月天、四天も証人にお立ちになるであろう」。こうして、ようやく鬼神は「後の偈を説こう」といった。童子は、身につけている鹿の皮を脱いで座に敷き、踞跪合掌して、鬼神に「この座にお着きください」と請うた。大鬼神がこの座について説くのには「生滅滅し已って、寂滅を楽とする」と。童子は、この偈を習い学んで、あるいは木、あるいは石等に書き付けて、わが身を大鬼神の口に投げ入れられた。この童子が今の釈尊であり、かの鬼神は今の帝釈である。 昔、雪山童子という人がいた。雪山という山で外道の法を通達したけれども、いまだ仏法を聞かなかった。その時一人の大鬼神がいて説いていうには「諸行は無常であり、是れ生滅の法である」等と。大鬼神は、ただ八字だけを説いて後の偈(げ)を説かなかった。そのとき雪山童子は、この八字を得ておおいに悦んだが、その心境は、あたかも半分の如意珠を得たようで、また、花が咲いて果がならないのに似ていた。そこで、童子は残りの八字を聞きたいといった。そのとき大鬼神は「私はこの数日間、飢えていて、正念を乱しているから後の八字を説くことができない。食を与えよ」といった。そのとき童子は「あなたは何を食とするのか」といった。鬼は「私は人の温かい血や肉を食とする。私は飛行が自在にでき、わずかの間に四天下をめぐって尋ね求めるけれども、温かな血や肉は得がたい。それは、天が人を守られるゆえに、人に罪がなければ殺害することが難しいからである」と答えた。童子のいうには「私の身を布施としてかの八字を習い伝えよう」と。鬼神のいうには「お前は智慧があり、たいそう賢い。私をだますのであろう」と。童子の答えていうには「瓦や礫が金銀に換えられるとしたらこれを換えないものがあろうか。私がむだにこの山で死ぬならば、鴟梟虎狼に食われて少しの功徳もない。わが身を後の八字に換えるならば糞を飯に換えるようなものである」。鬼のいうには「私はいまだ信じない」。童子のいうには「証人を立てよう。過去の仏も証人にたてられた大梵天王、釈提桓因、日天、月天、四天も証人にお立ちになるであろう」。こうして、ようやく鬼神は「後の偈を説こう」といった。童子は、身につけている鹿の皮を脱いで座に敷き、踞跪合掌して、鬼神に「この座にお着きください」と請うた。大鬼神がこの座について説くのには「生滅滅し已って、寂滅を楽とする」と。童子は、この偈を習い学んで、あるいは木、あるいは石等に書き付けて、わが身を大鬼神の口に投げ入れられた。この童子が今の釈尊であり、かの鬼神は今の帝釈である。 |
雪山童子
釈尊が過去世で修行していたときの名。涅槃経巻十四等に出てくる。釈尊は過去の世に雪山で法を求めて修行していた。ここで木の実を食べ、思惟坐禅して無量歳を経た。ある時、帝釈天が羅刹に化身して現れ、童子に向かって過去仏の説いた偈を「諸行無常・是生滅法」と半分だけを述べた。これを聞いた童子は喜んで残りの半偈を聞きたいと願い、この身を捨て、羅刹に食せしめることを約束して半偈の「生滅滅已・寂滅為楽」を聞いたのである。童子はその偈を石、壁、樹、道に書写してから高い樹に登り、身を投げた。その時、羅刹は帝釈天の姿に戻り、童子の体を受け止め大地に置き、その不惜身命の姿勢をほめて、未来に必ず成仏するであろうと説いて姿を消したという。
―――
外道の法
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
―――
通達
覚知すること。成仏の境涯に達すること。仏法の奥底を極めること。末法今日においては信心が通達であり、大御本尊以外に幸福になる道はないと確信すること。
―――
大鬼神
鬼神の中でも大変暴悪なものや、神通力などの能力が大きいものをいう。鬼神とは、目に見えない超人的な力を有する働きをもつものに付けられた総称。仏法では夜叉・羅刹などをさす。人の功徳・生命を奪い、蝕む働きをする悪鬼神のこと。
―――
「諸行無常是生滅法」
涅槃経巻十四の文。「諸行は無常なり、是生滅の法なり」と読む。後の「生滅滅已寂滅為楽」の半偈と合わせて諸行無常偈または雪山偈という。前半の八字は無常の理を説き、後半の八字で、無常である生滅の法を滅するならば不生不滅の寂滅の境界があり、それが常楽即ち涅槃であると説くのである。したがって、小乗思想の無常観を超克した大乗思想の空観を基底にした常楽我浄の無為涅槃がこの偈の思想的背景にあるわけである。
―――
如意珠
如意宝珠のこと。意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087-12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747-01)と仰せになっている。
―――
正念
正しい念慮(思い・考え)をもつこと。仏道を歩み続け成仏を確信し、大満足の心で臨終を迎えること。日蓮大聖人は南条時光に「故親父は武士なりしかども・あながちに法華経を尊み給いしかば・臨終正念なりけるよしうけ給わりき」(1508㌻)と仰せである。
―――
四天下
須弥山を中心にした四大洲のことで、東の弗婆提、西の瞿耶尼、南の閻浮提、北の欝単越の四洲をいう。古代インドの世界観である。
―――
布施
物や利益を施し与えること。大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなくてはならない六波羅蜜の一つ。壇波羅蜜のこと。布施には財施・法施等、種々の立て分けがある。
―――
智慧
①物事・事象の是非。②智と慧、悟りを導く基となるものが慧で、外に向かって働くもの、発現するものが智。③聡い、賢いこと。
―――
鴟梟虎狼
鴟梟は①フクロウの漢名。②鴟と梟。③ミミズクとフクロウ。ただし本章の前後の文脈からみれば③の意と思われる。虎狼は虎と狼の意。涅槃経巻十四聖行品に「我設い命終せば、此の如きの身は復用うる所無く、当に虎狼・鵄梟・鵰鷲に噉食せられるべし」とある。
―――
大梵天王
梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。
―――
釈提桓因
釈迦提桓因陀羅が、梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(Śakra-devānām-indra)の音写で、その略称のこと。帝釈天ともいう。
―――
日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
―――
四天
四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。
―――
踞跪合掌
踞跪は胡跪と同意で、右膝を地につけること。合掌は掌を合わせること。古くからのインドの礼法である。
―――
生滅滅已・寂滅為楽
涅槃経聖行品の文。「生滅を滅し已って寂滅を楽と為す」と読む。雪山童子が聞いた後の半偈。煩悩を断ずるところに悟りがあるとの意。生滅は生死の煩悩、滅已は煩悩を断ずること、寂滅は涅槃、為楽は悟り、を意味する。
―――
釈尊
釈尊とは通常釈迦牟尼仏をさすが、六種の釈尊がある。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華経本門の釈尊⑥法華経本門文底の釈尊である。⑥を教主釈尊といい、久遠元初の自受用報身如来たる日蓮大聖人である。
―――――――――
この雪山童子の話は涅槃経に説かれたものであるが、内容は、仏法の半偈を聞くために、文字どおり、わが身を与えたという話である。
半偈を教える代償として、雪山童子の身体の肉と血を求めた鬼神は、帝釈の化身ということであるが、少なくともその姿は、たとえようもなく醜く、卑しいものであったにちがいない。鬼とは、十界に約せば餓鬼界である。しかし、雪山童子は、その外面の容姿や境涯の醜さにとらわれることなく、真剣に仏法を聞くことを求め、その賤しい要求に応じたのであった。これもまた、人間の常として、容易にできることではない。ともすれば、外面の姿や、位階等の立場といった浅薄なものにさえ、とらわれ、それをもって基準としてしまうのが人間の常だからである。
まして境涯が低劣であるとなると、よほどの人でさえ、とらわれてその説くところが真実であり、すぐれた法であっても、聞く耳を持ちえなくなることがしばしばである。雪山童子が、卑しい鬼神に法を求めたこの話は、仏法を得るには、説く〝人〟に依るべきでなく、どこまでも〝法〟に依らなければならないこと――すなわち「依法不依人」の原理を示しているのである。涅槃経が、仏滅後のために、仏法実践の根本精神を教えた経であるように、この精神は末法の大法を実践するわれわれにとっても、永久に忘れてはならないものである。
なお、この雪山童子が聞いた「諸行無常是生滅法・生滅滅已寂滅為楽」の偈が意味するところについて、若干、考察しておきたい。
前半は、いうまでもなく、この世の一切の諸行は無常であり、生滅流転するものであるとの、小乗教的無常観をあらわしている。しかし、それだけならば少し心ある人は分かることであって、雪山童子が、残りの半偈を熱烈に求めたゆえんもここにある。
後半の「生滅滅し已って寂滅を楽と為す」にいたって、小乗教的無常観を超克した大乗教の思想が明らかとなる。もとより、ここに示されているのは、寂滅という空観であるが、常楽我浄の絶対的境地がそこにあることを説き、たんなる無常的空観を超えている。ではどうすれば、こうした常楽我浄の寂滅の境地を得ることができるか。生滅を滅することであり、それは、生死流転する凡夫としての生命を惜しまず、不変常住の仏法を求めることである。雪山童子の実践が、じつはこの偈の教えるところを、そのまま具現しているのである。
1215:05~1215:09 第四章 薬王・不軽等の求道を説くtop
| 05 薬王菩薩は・法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給い、不軽菩薩は多年が間・二十四字の故に無量無辺の 06 四衆に罵詈・毀辱・杖木・瓦石・而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所 07 以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」等云云、 かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり、 昔の 08 須頭檀王は 妙法蓮華経の五字の為に千歳が間・ 阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせて給いて今の釈尊となり 09 給う。 -----― 薬王菩薩は法華経の御前で七万二千年の間臂を焼いて供養され、不軽菩薩は多年の間、二十四文字のゆえにありとあらゆる四衆に罵詈され毀辱され、杖・木・瓦・礫で打擲されたのである。いわゆる二十四字というのは「私は深くあなた方を敬う。あえて軽慢しない。そのわけは、あなた方は皆菩薩の道を修行して、まさしく仏に作ることができるからである(我深敬汝等、不敢軽慢、所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏)」等と。かの不軽菩薩は今の教主釈尊である。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字のために、千年の間、阿私仙人にせめ使われ、わが身を床として仕えられて今日の釈尊となられたのである。 |
薬王菩薩
法華経薬王菩薩本事品第二十三にある菩薩。同品には過去世で一切衆生憙見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修業し、身を焼き臂を焼いてともすなどして仏に供養したことが説かれる。
―――
不軽菩薩
常不軽菩薩の略。法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる菩薩。威音王仏の滅後の像法に出現して一切衆生に仏性があるとして「我深敬汝等…」の二十四字の法華経を説いて人々を礼拝讃歎した。これに対し当時の四衆は菩薩を軽蔑し杖木瓦石で迫害した。だが菩薩は礼拝行をやめずにかえって六根清浄を得て成仏した。菩薩は釈尊の前身を表している。
―――
四衆
比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を四衆といい、また四部の衆ともいう。比丘は男の出家者、比丘尼は女の出家者、優婆塞は男の在家、優婆夷は女の在家の意。
―――
罵詈毀辱
罵と詈はともに、ののしるの意。毀はそしること。辱ははずかしめること。
―――
杖木瓦礫
不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(1264)11月11日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。
―――
須頭檀王
法華経提婆達多品第十二に説かれている。釈尊の過去世の修行中の名。妙法を求めるために王位を捨て、千年の間阿私仙人に仕えた。同品に「即ち仙人に随って、須うる所を供給し、菓を採り水を汲み、薪を拾い食を設け、乃至身を以て牀座と作せしに、身心倦きこと無かりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為めの故に、精勤し給侍して、乏しき所無からしめき」とある。
―――
阿私仙人
阿私仙は梵語アシタ(Asita)の音写。阿私陀ともいう。無比、端正と訳す。仙人はバラモン教等のインドの修行者中の達人をいう。法華経提婆達多品第十二に説かれる仙人で提婆達多の過去世の姿。釈尊が過去世に須頭檀王として妙法を求め、千年の間身心を尽くして仕えた師。
―――――――――
薬王菩薩、不軽菩薩、須頭檀王の不惜身命の実践例を示されている。これらは、いずれも、法華経に説かれている話で、その供養し、弘め、根本とした法も法華経である。前章までの話では、対象の法は法華経にまで到達していない。
すなわち、生死を滅したところに真実の安穏、楽があるとするもので、常住の法自体は抽象的な示唆にとどまっている。それに対し本章では、この常住の法を顕しているのが法華経であるとの前提から、具体的に薬王は法華経を供養し、不軽は二十四文字の法華経を弘め、須頭檀王は妙法蓮華経の五字のために阿私仙人に仕えたと述べられているのである。
なお、不軽菩薩がとなえた、漢字で二十四文字からなる言葉が、いわゆる「二十四文字の法華経」と呼ばれるゆえんについて考えておきたい。
それは「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」という言葉が、いかなる衆生にも仏性が具わっていることをあらわしているからである。不軽菩薩は、この言葉をとなえて、罵詈し杖木瓦石で迫害してくる人々をも礼拝したのであった。このことは、そのような逆縁の衆生にも、等しく仏性が具わっていることを前提にしている。
前述したように、この話自体、法華経の中に出ているのであるが、釈迦仏の説いた法華経二十八品が、全体として、まさに一切衆生に仏性が常住することを説いているのである。方便品の「諸法実相」「開示悟入の四仏知見」がそれであり、さらに分かりやすく、衣裏珠の譬、長者窮子の譬は、このことを述べんがために説かれたのであり、そして、これの実証として二乗、悪人、女人等の成仏授記が行なわれたのである。このようにみると、不軽菩薩のとなえた二十四文字の言葉は、法華経が説かんとしたことの要約であったことが理解できる。そして、このゆえに「二十四文字の法華経」と呼ばれたのである。
同じく「妙法蓮華経」の五字が、さらにこれを凝縮した意味内容をもっていることもいうまでもない。日蓮大聖人は、御義口伝に「妙とは法性なり、法とは無明なり、無明法性一体なるを妙法と云うなり」(0708-08)と示されている。
すなわち、無明の凡夫も、法性の仏も、その法は一であり、したがって、一切衆生は本来、悟りの仏の生命をもっているということである。しかし、そればかりでなく、三世の諸仏が得、かつ、あらゆる衆生の中に本来あるこの仏性が、妙法蓮華経そのものにほかならないのである。
1215:10~1216:08 第五章 妙法の功徳力を説示するtop
| 10 然るに妙法蓮華経は八巻なり・八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦・多宝の二仏の経なる故へ、十六巻は 11 無量無辺の巻軸なり、 十方の諸仏の証明ある故に一字は二字なり釈迦・多宝の二仏の字なる故へ・一字は無量の字 12 なり十方の諸仏の証明の御経なる故に、 譬えば如意宝珠の玉は一珠なれども 二珠乃至無量珠の財をふらすこと・ 13 これをなじ、 法華経の文字は一字は一の宝・無量の字は無量の宝珠なり、妙の一字には二つの舌まします釈迦・多 14 宝の御舌なり、此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり、此の重なる蓮華の上に宝珠あり妙の一字なり。 -----― さて妙法蓮華経は八巻である。八巻を読めば十六巻を読んだことになるのである。それは釈迦・多宝の二仏の説き明かされた経であるゆえである。十六巻は無量無辺の巻軸である。なぜなら十方の諸仏が真実と証明した御経だからである。一字は二字である。それは釈迦と多宝の二仏の文字のゆえである。一字は無量の文字である。十方の諸仏の証明の御経のゆえである。 譬えば如意宝珠の玉は一珠であるが、二珠乃至無量珠の財をふらす。これもそれと同じである。法華経の文字は一字は一つの宝であり、無量の文字は無量の宝珠である。妙の一字には二つの舌がある。釈迦と多宝の二仏の御舌である。この二仏の御舌は八葉の蓮華である。この八葉の重なる蓮華の上に宝珠がある。それが妙の一字である。 -----― 15 此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳・鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して 16 須陀摩王として・そらことせざりし 功徳等、忍辱仙人として・歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人 17 等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて 末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども 六度万行を満足する功徳を 18 あたへ給う、今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子これなり、 我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の 1216 01 功徳を全体うけとる故なり、 経に云く「如我等無異」等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり、 02 譬えば父母和合して子をうむ 子の身は全体父母の身なり誰か是を諍うべき、 牛王の子は牛王なりいまだ師子王と 03 ならず、師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず、 今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して 04 教主釈尊の御子なり、 教主釈尊のごとく法王とならん事・難かるべからず、 但し不孝の者は父母の跡をつがず尭 05 王には丹朱と云う太子あり 舜王には商均と申す王子あり、 二人共に不孝の者なれば父の王にすてられて現身に民 06 となる、 重華と禹とは共に民の子なり・孝養の心ふかかりしかば尭舜の二王・召して位をゆづり給いき、民の身・ 07 忽ち玉体にならせ給いき、 民の現身に王となると凡夫の忽に仏となると同じ事なるべし、 一念三千の肝心と申す 08 はこれなり、 -----― この妙の珠は、昔釈迦如来が檀波羅蜜といって、わが身を飢えた虎に与えた功徳、鳩 を救うためにわが身を鷹に与えた功徳、尸羅波羅蜜といって、須陀摩王として虚言しなかった功徳等、また忍辱仙人として歌梨王に身をまかせた功徳、能施太子、尚闍梨仙人等としての六度万行の功徳を、この妙の一字に収めている。釈迦はこの妙の珠をもって末代悪世のわれら衆生に、一つの善根も修行していないけれども六度万行を満足する功徳を与えられたのである。「今此の三界は、皆是れわが所有である。その中の衆生は、悉く是れわが子である」とあるのはこのことをいうのである。われら煩悩に縛られた凡夫が、たちまちに教主釈尊と功徳が等しくなるのである。それは教主釈尊の功徳の全体を受けとるからである。法華経には「我が如く等しくして異なること無し」とある。法華経を信じ行ずる者は釈尊と等しいという文である。譬えば父母が和合して子を産む。その子の身はすべて父母の身である。だれがこのことで異論をはさむであろうか。牛王の子は牛王であり、いまだに師子王とはならない。師子王の子は師子王となる。いまだに人王や天王等とはならない。今、法華経の行者は「其の中の衆生は悉く是れわが子である」とあって教主釈尊の御子である。よって、教主釈尊のように法の王となることは困難ではないのである。 ただし、不孝の者は父母の跡を継がない。堯王には丹朱と云う太子があり、舜王には商均という王子があった。だが二人とも不孝の者であったために父の王に捨てられて現身に民となった。重華と禹とは共に民の子である。孝養の心が深かったので、堯と舜の二王は彼らを召し出して王位を譲られた。すなわち、民の身がたちまちに玉体になられたのである。民が現身に王の身となるのと、凡夫がたちまちに仏となるのと同じことである。一念三千の肝心というのは、このことである。 |
釈迦
釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
多宝
多宝如来のこと。東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。
―――
如意宝珠
意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087-12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747-01)と仰せになっている。
―――
八葉の蓮華
八弁の蓮華。諸宗により意義が分かれる。①浄土宗では、極楽浄土にある花弁が八枚の蓮の花のこと、また極楽浄土の別名。②密教の法華曼荼羅で、中央に多宝塔を置いて釈迦牟尼仏と多宝如来とが並び、周囲の八葉蓮華の花弁に法華経に登場する菩薩を配する。③密教の胎蔵界曼荼羅で、中央を中台八葉院と名づけ、八弁の蓮華にかたどり、大日如来を中心に八葉の各弁に四体の如来(宝幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音)と四体の菩薩(普賢・文殊師利・観自在・弥勒)を配する。本抄では③の意。釈迦仏は、釈迦院という別枠に描かれる。
―――
檀波羅蜜
梵語ダーナパーラミター(Dānapāramitā)の音写。六波羅蜜の一つ。檀那波羅蜜多ともいう。檀は与えることで、布施、捨施の意。波羅蜜は、度、到彼岸などと漢訳する。布施には人に財を与える、法を与える、安心を与えること等がある。
―――
身をうえたる虎にかひし
釈尊の因位の菩薩行で、薩埵太子として飢えた虎に身を与え、檀波羅蜜を修したことをいう。金光明経巻四等に詳しい。
―――
鳩にかひし
釈尊の因位の菩薩行で、尸毘王として、鳩の代わりにわが身肉を飢えた鷹に与え、檀波羅蜜を行じたことをいう。菩薩本生鬘論巻一等に詳しい。
―――
尸羅波羅蜜
梵語シーラパーラミター(Śīlapāramitā)の音写。尸羅は尸怛羅ともいう。清涼、戒と訳す。持戒波羅蜜ともいい、よく戒を持ち悪業を対治して、身心清涼であることをいう。
―――
須陀摩王
梵語シュルタソーマ(Śrutasoma)の音写。須陀須摩王ともいい、普明王と訳す。釈尊が過去世に国王として、尸羅波羅蜜を行じた時の名。大智度論巻四にあり、要約すると、鹿足王に虜われ命を奪われようとするが、一人の婆羅門との約束を守るために、王から七日間の猶予を得て、約束を果たし不妄語戒を満たした。仁王経巻下には普明王として取意が述べられている。
―――
忍辱仙人
釈尊が過去世に羼提波羅蜜を修めた時の名。羼提仙人、羼提波梨ともいう。賢愚経巻二、大智度論巻十四にある。大智度論によると、迦利王の怒りにふれて耳鼻手足を切断されるが、これを忍んだとある。
―――
能施太子
釈尊が過去世に檀波羅蜜を修めた時の名。布施、大施太子ともいう。賢愚経巻八、大智度論巻十二にある。大智度論によると、衆生の貧窮を見た太子は、衆生に財物を施したが足りないので、海中に住む竜王の持つ如意宝珠を求め、これを用いて種々の宝物・衣服・飲食等を雨のようにふらして衆生を満足させたとある。
―――
尚闍梨仙人
釈尊が過去世に禅波羅蜜を修めた時の名。螺髻仙人といい、大智度論巻十七には、つねに四禅を行じ、自分の螺髻の中に鳥の卵があることを知り、雛が巣立つまで立ち上がらなかったとある。
―――
六度
六波羅蜜のこと。六波羅蜜は、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜をいう。
―――
六度万行
六度は六波羅蜜のこと、万行は一切の修行のこと。菩薩の行法は大別すると六波羅蜜であるが実際は万差にわたるので万行という。
―――
今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子
法華経譬喩品第3に「今此の三界は、皆是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」とある。
―――
具縛の凡夫
煩悩をそなえて生老病死などの四苦・八苦などに縛られる凡夫のこと。
―――
如我等無異
方便品に「我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」とあり、一切衆生と仏と同じ境涯に入らしめるということである。観心本尊抄にはこの経文を引いて「『我が如く等くして異なる事無し 我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ』、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」(0264-17)とあり、仏の大慈悲を示されている。
―――
堯王
中国古代の伝説上の帝王、三皇五帝の一人で、徳をもって天下を治め、中国の皇帝の模範とされた。
―――
丹朱
驩兜堯の息子である驩兜のこと。三苗人の論戚誼と組んで堯に対して反乱を企てたとされ、それが四罪と目される由来となっている。驩兜・讙頭・鴅吺・讙朱・丹朱が同一の存在であるとの考察は古くから『読書偶識』や郭璞による『山海経』の「讙頭」につけられた注などに存在する
―――
舜王
中国古代の伝説上の帝王、三皇五帝の一人。姓は虞、名は重華。三十歳で堯王の信任を受けて後に摂政となった。王の死後人心が舜に傾いたので位に就き、八元八愷という十六人の人材を起用しよく善政を行なったという。
―――
商均
中国神話. 舜の息子. 中国神話の帝王・舜とその妻・女英の 息子。義均ともいう。この世で最初の優れた工人で、地上の民のために様々な器具を 作ったという。だが、歌舞を好む不肖の息子で、舜の位は継げなかった。
―――
重華
のちの舜王のこと。
―――
禹
中国古代の伝説上の聖君。夏の国の王。姓は姒、名は文命。洪水を治めた功によって舜王から位を譲られたといわれる。
―――
一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
―――――――――
前章ではじめて示された根本とすべき法―すなわち妙法蓮華経が、いかに絶大な功徳を有しているかを述べられている。
妙法蓮華経は、釈迦・多宝の二仏および無量の十方の諸仏が集って説かれた経である。したがって、この妙法蓮華経は、釈迦・多宝の二仏の功徳のみならず、十方の諸仏のあらゆる功徳を収めた宝聚である、と。ゆえに、この妙法蓮華経を受持するならば、六度万行を修し無量の功徳を収めた仏と等しい尊極の当体となることができる、と強調されている。
要するに、不惜身命の実銭で法を求めるべきであるといっても、では、その法とは何かが問題となる。あくまで妙法蓮華経でなくてはならないことを、本章では教示されているのである。
一字は二字なり、釈迦多宝の二仏の字なる故へ。一字は無量の字なり、十方の諸仏の証明の御経なる故に
法華経は釈迦仏が説いたのであるが、多宝如来が宝塔に乗って現れ「皆是真実」と証明した。したがって法華経八巻を読めば、その倍の十六巻を読んだと同じであり、一字は二字と同じである。さらに、十方の諸仏が来集し、やはり広長舌相をもって、この法華経が真実であることを証明している。したがって、それは無量無辺の巻軸、無量の字と同じことになるのである。
釈迦・多宝・十方諸仏の心を合わせて説かれたのが法華経であるということは、これら三仏の分担するすべての分野において、この法華経の功徳は通用するし保証されるということである。そこで、では、比喩的な言い方であるが、釈迦の担当する分野とは何か。釈迦は現実にこの世に一個の人間として出現し、悟りを開いて成道した仏である。すなわち、人間がみずから悟りを開き、生命を変革する立場を象徴しているといえる。したがって、釈迦仏の功徳を受けるとは、凡夫が妙法の受持によって、自身の仏智を開き、生命を変革する人間革命を成就できるということである。次に、多宝如来は、みずからは法を説かず、法華経が説かれるところに出現して、客観的に証明する仏である。このような客観的証明の領域とは、人間に約していえば、生活領域である。したがって、多宝如来の功徳を受けるとは、生活の面で功徳に満ちあふれ、妙法受持のすばらしさを証明していくことにほかならない。さらに、十方の諸仏とは、十方とは他土である。諸仏とは、人間生命に約していえば、他の人々の生命の謂である。したがって、十方の諸仏の功徳とは、まわりの人々、ひいては全社会の人々が互いに尊敬し合い、守り合っていくようになることであり、生命尊重の原理に貫かれた平和世界の現出ということである。
妙法蓮華経を受持し、読み、実践していくならば、このように、あらゆる面と次元にわたって、偉大な功徳を涌き出させていくことができるのである。
此妙の珠は……六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う
この御文は、観心本尊抄に、無量義経の「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前す」の文等を引いて「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然(に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246)と述べられているのと一致している。
本抄では、この釈尊の因行としての六波羅蜜の幾つかが、具体的に挙げられている。檀波羅蜜すなわち布施、尸羅波羅蜜すなわち持戒、また忍辱波羅蜜である。六波羅蜜は、菩薩の修行の根幹で、成仏のための必須とされた修行である。爾前経においては、菩薩は、無量劫にわたって、これらの六種を修行し、その結果、はじめて成道することができるとされたのである。しかるに法華経は、無量義をことごとく収めている根源の一法を明かし、この一法を信じ受持するならば、六波羅蜜を長い間にわたって修行しなくとも、自然に具わり、それらを修めた仏とまったく等しくなることが可能であると説いたのである。
このように、長い期間にわたる修行を必要としないということは、過去にそのような修行をせず、一善も修しないで生まれた末代悪世の凡夫にとって、もっとも適合した法である。否、それゆえにこそ、この妙法蓮華経は、究極的には、仏法の極理であり、あらゆる衆生の成仏の法であるが、なかんずく末代悪世に広宣流布すべき法として、本化地涌の菩薩に付属されたのである。
その法華経の付嘱どおり、末法に出現してこの妙法蓮華経を三大秘法として確立されたのが、日蓮大聖人である。したがって、以下に「今此三界皆是我有」等の譬喩品にある主・師・親三徳具備の文が挙げられており、釈迦仏が末代悪世の我等衆生にとって主であり親であるように述べられているが、元意は、日蓮大聖人が主・師・親三徳の仏であられる。そしてこれは、本抄の三か月前に述作された開目抄に明確に宣言されているところでもある。
経に云く「如我等無異」等云云。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり
方便品の諸法実相の理に示されるように、仏も衆生も、本来、等しく妙法蓮華経の当体である。違うのは、仏はわが身が妙法の当体であることを覚っているのに対し、衆生はこれを知らず、迷っていることである。法華経は、まさしく、この一切衆生が仏と同じく妙法蓮華経の当体であることを明かした経であるから、法華経を「心得る」ならば、いかなる衆生も、釈尊と等しい仏となるのである。
いうまでもなく、ここで「心得る」といわれる意味は、軽いものではない。たんに思考のレベルで理解するなどということではない。法華経に帰命し、法華経をわが生命に得ることである。この真髄を日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の七文字の題目をもって顕されたのである。したがって「法華経を心得る」とは、日蓮大聖人御建立の三大秘法の南無妙法蓮華経を信受し行学に励むことをいうのであると知るべきであろう。
そのとき、子がその親の生命を受け継ぎ、牛の子は牛に、師子の子は師子に、人間の子は人間になるように、仏の生命を受け継いで仏になることができるのである。
今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。但し不孝の者は父母の跡をつがず
三大秘法の妙法を受持し実践する人は仏の子であり、したがって、仏になることができる。ただし、もし不幸であれば親の跡を継ぐことができないように、本来、仏の子であるといっても、仏の正法に背くならば、仏になることはできない。逆に、一介の民の子であっても、人徳がすぐれているゆえに王の位を譲られた例があるように、過去になんの善根もない荒凡夫であっても、正法にかなえば仏になることができる。
仏法は、形式や資格ではなく、どこまでも正法を正しく実践しているかどうかという内実を根本とする。いわんや、社会的、世法的な位や資格は、問題外である。信心の深さと強さ、行学の実践のいかんが成仏か否かの、もっとも重要な基盤となることを知らなければならない。
一念三千の肝心と申すはこれなり
一念三千は、十界互具を前提にしており、仏と衆生と、本来、差別がないことを明らかにした哲理である。すなわち、いかなる衆生といえども、わが身が妙法の当体であると覚れば、即座に仏である。これが、十界互具、一念三千の法理の意味である。
衆生が長い期間を要する修行によって、次第にその姿と位を変えながら、成仏に近づいていく爾前経の場合と異なり、妙法の受持によって、凡夫のままで、即座に仏になることができる。ここに一念三千の肝心があるとの仰せである。一念三千法門といえば、複雑で難解な法門とされてきたことを思うと、このように明快な実践論としてとらえられている大聖人の教えは、刮目すべきであろう。
1216:08~1216:11 第六章 時にかなう仏道修行を示唆するtop
| 08 なをいかにとしてか此功徳をばうべきぞ、 楽法梵志・雪山童子等のごとく皮をはぐべきか・身をなぐ 09 べきか臂をやくべきか等云云、 章安大師云く「取捨宜しきを得て一向にすべからず」等これなり、 正法を修して 10 仏になる行は時によるべし、 日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身 11 をなぐべし、日本国に油なくば臂をも・ともすべし、あつき紙・国に充満せり皮を・はいで・なにかせん、 -----― さてどのようにしてこうした法華経の功徳を得られるのか。楽法梵志や雪山童子等のように身の皮をはぐべきであろうか。身を投げるべきであろうか。臂を焼くべきであろうか。章安大師のいう「取捨は宜しく時を得て、一向にすべきではない」等がこれである。正法を修行して仏になる行法は時によるべきである。日本国に紙がないのなら身の皮をはぐべきである。日本国に法華経がなくて、知っている鬼神が一人現れたのならば身を投げるべきである。日本国に油がないならば、臂をもともすべきである。だが、厚い紙は日本国に充満している。身の皮をはいでなんになるであろう。 |
章安大師
(0561~0632)。中国隋末の人で天台宗の事実上の第二祖。姓は呉氏、諱は灌頂。浙江省台州府臨海県章安の人。二十五歳で天台の弟子となり、十三年間教えを受けて天台教観の奥義を究め、師の所説を百余巻に編纂した。天台三大部の「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻などは章安の筆記である。
―――
「取捨宜しきを得て……」
章安大師の涅槃経疏巻三の文。持戒と持仗は、その時宜によって取捨すべきで、一向にすべきでないとの意。
――――――――――
前章で明らかにされたように、根本とすべき法は妙法蓮華経であるが、では具体的な実践の在り方はどうかを示唆されているのが本章である。
この実践の根本精神は「不惜身命」である。しかし、一言に不惜身命といっても、具体的実践は、さまざまである。先に、過去の実践例として、楽法梵志、釈迦菩薩、雪山童子、薬王・不軽の両菩薩、須頭檀王の話が紹介された。
これらだけをみても、それぞれに実践が違うように、いま末法の修行においても、こうした過去の例をそのまままねしたのでは、意味がない。ここで大聖人は「日本国に紙なくば皮をはぐべし」と、身の皮をはいで紙としたという楽法梵志のまねをする愚かさを明快に指摘されている。楽法梵志の場合は、紙がなかったから、皮をはいで、その代用としたのである。目的は、仏法を後世に残すことであり、そのために紙を必要としたのである。紙があればそれに記して、永く後世に残るようにすればよいのである。また、法華経がなくて、一人の鬼神だけが知っていて、身を布施しないなら教えないというなら、身をなげだすべきである。しかし、現実には、きちんと記された法華経があり、いつでも読み、学び、実践することができるのであるから、雪山童子のように身をなげる必要など毛頭ない、との意である。さらに、薬王菩薩が臂を焼いて供養したことも、もし、いま日本に油がないのならば、同じようにすることも意味がある。しかし、幾らでも油があり、燈を供養することができるのであるから、薬王のまねをすることはナンセンスである、といわれている。
このように仏法は、それ以外に方法がないという場合に、めざす目的にかなった実践法をとることを教えるのである。これは、きわめて合理的な考え方である。ただし、その目的のためには、微塵も身命を惜しまないのが信心であり、求道心であり、成仏の直道であると教える。言い換えるなら、具体的実践法は、その時に合致した合理的なものでなくてはならないから千差万別であるが、根本精神の「不惜身命」は、一貫して変わらないのである。
では、時にかなった正しい実銭とは何か。総じて末法という時にかなった実践として示されているのが、佐渡御書の次の御文である。少し長くなるが、正しい認識のために掲げておこう。「畜生の心は弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり、王法の邪をおそる。諛臣と申すは是なり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。おごれる者は必ず強敵に値いておそるる心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱池の蓮の中に小身と成って隠れしが如し。正法は一字一句なれども、時機に叶いぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶うべからず」(0957-07)と。
あえて説明するまでもなく、要は、正法を護持し、正法の師を守って、師子王の心をもって邪法と戦うこと、一言でいうなら折伏行こそ、末法の時にかなった実践であるとの仰せである。
ただ本抄では、その末法の中でも、とくに日蓮大聖人の佐渡流罪中という時のうえから、大聖人にお会いするため、身の危険もかえりみず、はるばる旅をした求道の姿を、時にかなった実銭として讃えられている。それは、次の第七章に述べられるところである。
1216:11~1217:09 第七章 日妙尼の求道心を称えるtop
| 11 然るに玄 12 奘は西天に法を求めて十七年・十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波涛三千里をへだてたり。 13 此等は男子なり.上古なり・賢人なり・聖人なり.いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を、竜 14 女が即身成仏も摩訶波闍波提比丘尼の記ベツにあづかりしも、しらず権化にや・ありけん、又在世の事なり、男子・ 15 女人其の性本より別れたり・火はあたたかに・水はつめたし海人は魚をとるに・たくみなり・山人は鹿をとるに・か 16 しこし、女人は物をそねむに・かしこしとこそ経文には・あかされて候へ、 いまだきかず仏法に・かしこしとは、 17 女人の心を清風に譬えたり 風はつなぐとも・とりがたきは女人の心なり、 女人の心をば水にゑがくに譬えたり、 18 水面には文字とどまらざるゆへなり、 女人をば誑人にたとへたり、 或時は実なり或時は虚なり、女人をば河に譬 1217 01 えたり.一切まがられる.ゆへなり、而るに法華経は.正直捨方便等・皆是真実等.質直意柔ナン等・柔和質直者等と申 02 して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者の信じまいらする御経なり、 糞を栴 03 檀と申すとも栴檀の香なし、 妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず、 一切経は皆仏の金口の説・不妄語 04 の御言なり、然れども法華経に対し・まいらすれば妄語のごとし・綺語のごとし・悪口のごとし・両舌のごとし、此 05 の御経こそ実語の中の実語にて候へ、 実語の御経をば・正直の者心得候なり、今実語の女人にて・おはすか、当に 06 知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも 此の女人をば見るべからず、 砂をむして飯となす人を 07 ば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・ 08 大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人な 09 り、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。 -----― しかしながら、玄奘は西インドに仏法を求めて十七年、歩くこと十万里にいたった。伝教の入唐はただ二年であるが、波濤三千里を越えたのである。これらは男子であり、昔のことであり、賢人であり、聖人である。いまだに女人が仏法をもとめて千里の路を踏み分けたことは聞かない。竜女の即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼が記別にあずかったことも、仏・菩薩が女人として権に現れた姿であったかもしれない。しかもまた在世のことである。 男子と女人の本性はもとより分かれている。火はあたたかで水は冷たい。海人は魚をとるのに巧みである。山人は鹿をとるのに賢い。女人は婬事に賢いと経文には明かされている。いまだ女人が仏法に賢いとは聞かない。 仏法では女人の心を清風に譬えている。風はつなぐことができても、つかみがたいのが女人の心である。女人の心を水に書くことに譬えている。水面には書いた文字がとどまらないからである。女人を誑人に譬えている。ある時は真実の人であり、ある時は虚偽の人である。女人を河に譬えている。河は一切が曲がっているからである。しかるに法華経は「正直に方便を捨てて……」等、「皆是れ真実……」等、「意が質直で柔輭である……」等、「柔和質直である者……」等と説いて、正直であること、あたかも弓の絃を張ったように、墨繩をうったような真っすぐな心の者が信ずる御経である。 糞を栴檀と云い張っても糞には栴檀の香はない。妄語の者を不妄語であるといっても妄語は不妄語とならない。一切経は皆仏の金口の説で不妄語のお言葉である。しかしながら法華経に対するならば妄語のようなもの、綺語のようなもの、悪口のようなもの、両舌のようなものである。この法華経こそ実語の中の実語である。実語の法華経は正直の者が信じ会得できるのである。今、あなたは実語の女人でいらっしゃるのであろう。まさに知りなさい。須弥山を頭にのせて大海をわたる人を見ることができても、この女人を見ることはできない。砂を蒸して飯とする人を見ることができてもこの女人を見ることはできない。まさしく、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女人を影が身に添うように守られるであろうことを知りなさい。あなたは、日本第一の法華経の行者の女人である。それゆえ名を一つ付けて不軽菩薩の義になぞらえよう。「日妙聖人」等と。 |
玄奘
(0602~0664)。中国唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ75部1,335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
―――
伝教
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
―――
竜女が即身成仏
法華経提婆達多品第十二に説かれる八歳の畜身の女人の成仏をいう。竜女は沙竭羅竜王の娘で竜宮に住む。文殊師利菩薩の説法を聞いて菩提心を発し、法華経の会座に詣でて成仏の相を現じた。爾前経では許されなかった女人の成仏が、これによって初めて明かされた。
―――
摩訶波闍波提比丘尼の記莂
法華経勧持品第十三で、一切衆生喜見如来の記別を受けたことをさす。摩訶波闍波提は梵語マハープラジャーパティー(Mahāprajāpatī)の音写。摩訶鉢刺闍鉢底とも書く。釈尊の姨母。釈尊の母摩耶の妹で、摩耶の死後、夫人に代わって淨飯王の妃となり釈尊を養育した。またのちに難陀を産んだ。淨飯王の死後出家し比丘尼となった。
―――
「質直意柔輭」等
法華経如来寿量品第十六に「衆生は既に信伏し、質直にして意は柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまざれば」とある。すでに仏に信伏した者の心の状態を表している。質直意柔輭とは、素直で心穏やかなことの意。
―――
権化
権現・応化・灰身ともいい、権はかり、化は変革を意味する。仏・菩薩が衆生救済のために、通力をもって種々の身を仮に化身すること。
―――
誑人
誑惑の者。人を欺き、たぼらかすこと。
―――
正直捨方便
法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。
―――
皆是真実
他謗仏は、東方宝浄世界に住む仏であるが、法華経の説かれるところに出現して「皆これ真実なり」と証明する文。
―――
「柔和質直者」等
法華経如来寿量品第十六に「諸有る功徳を修して、柔和質直なる者は、則ち皆な我が身此に在って法を説くを見る」とある。柔和質直とは、正法を護持して曲がることのないとの意。
―――
旃檀
インド原産の香木。経文にみえる栴檀とはビャクダン科の白檀のことで、センダン科の栴檀とは異なる。高さ約六㍍に達する常緑喬木で、心材は芳香があり、香料・細工物に用いられる。観仏三昧海経巻一には、香木である栴檀は、伊蘭の林の中から生じ、栴檀の葉が開くと、四十由旬にもおよぶ伊蘭の悪臭が消えるとある。
―――
妄語
偽りの言葉、妄言をいう。十悪の一つ。妄語に大妄語と小妄語があり、大妄語はいまだに法を証得していないのに証得したと称すること。小妄語はその他の虚偽・不真実の言葉をいう。
―――
綺語
真実に背いて飾り立てた言葉。十悪の一つ。
―――
須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
―――
砂をむして飯となす
楞厳経巻六に「若し婬を断ぜずして禅定を修する者は、砂石を蒸して、其をして飯と成さんと欲するが如し」とある。
―――
十方分身の諸仏
中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。ここでは、虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。
―――
上行・無辺行等の大菩薩
涌出品に出てくる上行菩薩を筆頭とする無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。二菩薩をあげて、他を等とされている。
―――
大梵天王
梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。
―――
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――
四王
四天王、四大天王のこと。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。
―――――――――
本章では、仏法を求めて、はるばる旅をしなければならない時があり、それも一つの時にかなった実銭であるとの立場から、日妙聖人が佐渡に大聖人を訪ねてきたことを、心から讃歎されている。
はじめに、仏典を求めてインドへ旅した唐の玄奘、中国天台山へ行った日本の伝教の先例を挙げられ、それに対して、かよわい女人の身で佐渡まで旅をした日妙聖人を讃えられている。次に、女性の特質を挙げられて、女性は心を仏法のことに向けがたく、向けても移りやすく、正しいものを真っすぐに受けとめることがむずかしいと仰せられ、そうした女性の身でありながら、仏法を求めて命も惜しまないこの女性をほめて「日妙聖人」の名を授けられているのである。
其の性本より別れたり
この段では「男子女人其の性本より別れたり」と言われて、女性の特質について、幾つかの点が挙げられている。もちろん、すべての女性がそうというわけでないことは、日妙聖人をこれらにあてはまらないとして述べられていることからも明らかであるが、一般的な女性としての特質を、御文によって考察しておきたいと思う。
第一は「女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは」と述べられている点である。婬事とは人間の本来そなえている生殖機能のことである。子を産み育てることは、女性の大事な役割であるから、これは、そうした生物学的な立場からも、女性の特質をいいあてているといえる。
ただ、これをもっと広い意味で理解すれば、要するに、本能的な感情や感覚に鋭いが、ともするとそうしたことがかえって束縛となって自己完成への目的観、すなわち成仏への求道という面には、なかなか心を開き、向けがたいのが女性の特質であるということであろう。
第二は、清風にたとえて「風はつなぐともとりがたきは女人の心」といい、水に描くのにたとえて「水面には文字とどまらざるゆへ」といわれている点である。これは、仮に仏法のことに心を向けたとしても、女性の心は移ろいやすいから、外界の縁に紛動されて、持ち続けることがむずかしいということである。
第三は「女人をば誑人(おうにん)にたとへたり。或時は実なり或時は虚なり」と仰せられている点である。すなわち、本気であるときと遊びであるときとあり、他人はもちろん、本人にも、それが分からない、といったことであろう。
第四は「女人をば河に譬えたり。一切まがられるゆへなり」とあって、真実を聞いても素直に受けとめられない、という点である。
これらの特質は、女性のすべてがそうであるというわけではないし、また、女性だけの特質であって男性はそうでないということでもないであろう。大聖人は、一往、総体的な意味で、女性の特質として挙げられたと考えられる。しかし、なによりも大事なことは、これらが仏道修行にとって妨げになることとして指摘されている点である。
したがって、それが女性の特質として挙げられたことが妥当かどうかということの議論は瑣末であって、男であれ女であれ、ここに挙げられている心の狭さや移ろいやすさ、ゆがみやすさを厳しく反省し戒めながら、仏の正しい教えをしっかり信じて、忍耐強く実践しぬいていくことが大切であろう。
故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云
「不軽菩薩の義になぞらえん」とは、不軽菩薩が四衆を心から敬い礼拝し、不軽という名を得たのにならおうということである。大聖人は、一人で鎌倉から佐渡へ、ひたすら求道の真心で旅してきたこの女性に対し、心からなる敬意を払われているのである。
そこには、その信心において出家と在家という差別意識も、師と弟子という上下意識もない。ただ、どこまでも仏法を求める真心の信心をみて、それに対して、真底から尊敬の意を示されているのである。
「日妙聖人」の名が、どれほど深い敬意をこめられたかは明瞭である。後年、弘安2年(1279)11月、熱原法難に際してなみなみならない外護の大任を果たした南条時光に対し、大聖人はそのあて名に「上野聖人殿」といったん書かれながら、消して「上野賢人殿」と改められている。南条時光ほどの人に対してさえ、聖人の称を用いられていないのである。
諸御抄でも「三世を知るを聖人という」等と述べられて、聖人の呼称は、仏と覚知された大聖人ご自身にのみ用いられているのである。それを思うとき、この一人の女性信者を聖人の称号で呼び、「日妙」と名づけられたことは、大聖人がどれほど深い尊敬の心をこめられているか、察するに余りあるといわなければならない。
1217:11~1217:16 第八章 日妙尼の信心を励ますtop
| 10 相州鎌倉より北国佐渡の国.其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに.へだて山は峨峨.海は涛涛・風雨.時に 11 したがふ事なし、山賊.海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし.犬のごとし、現身に三悪道の苦 12 をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、 其れより今五月のすゑ・いま 13 だ世間安穏ならず、而れども一の幼子あり・あづくべき父も・たのもしからず・離別すでに久し。 14 かた・がた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ。 15 文永九年太歳壬申五月二十五日 日蓮花押 16 日妙聖人 -----― 相州の鎌倉から北国の佐渡の国までのその中間は一千余里に及んでいる。山海をはるかに隔て、山は峨峨としてそびえ、海は濤濤として波立ち、風雨は時節にしたがうことがない。山賊や海賊は充満している。途中の宿宿の民の心は虎や犬のようである。さながら現身に三悪道の苦しみを経験するかと思うほどである。そのうえ当世の乱れで、去年から謀叛の者が国に充満し、今年の二月十一日に合戦があり、それから今五月の末までいまだに世間は安穏ではない。それなのに、あなたには一人の幼子がいる。預けておくべき父も頼みにできない。離別してすでに久しい。 あれこれと筆も及ばないし、心も分別しがたいのでこれで止(とど)める。 文永九年太歳壬申五月二十五日 日 蓮 花 押 日 妙 聖 人 |
相州鎌倉
相模国鎌倉のこと。現在の神奈川県鎌倉市をいう。相州は相模国の別称。
―――
北国佐渡
北陸道の佐渡のこと。北国はここでは北陸道の国の意。佐渡は新潟県の佐渡ヶ島のこと。日蓮大聖人は文永8年(1271)10月28日から文永11年(1274)3月13日までの2年5か月の間、佐渡国に流された。
―――
三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
―――
今年二月十一日合戦:
北条時宗の義兄・時輔の謀反をいう。北条時輔は、鎌倉幕第五代執権の北条時頼の長子であり、第八代執権北条時宗の異母兄にあたる。文永元年(1264)に六波羅南方探題となり、翌年には式部丞に任ぜられ。従五位下に叙された。しかし、第七代執権北条政村の後継として、弟の時宗が擁立されたのを不満とし、さらに蒙古・高麗の牒使の来朝にさいし時宗と対立した。文永9にいたって、両者の対立はその極点に達し、ついに時宗は時輔に叛心があるとして、まず大蔵頼季らをもって、時輔の与党である名越時章・教時・仙波盛直等を討った。ついで北条義宗を派遣して、六波羅南方に時輔を襲い殺させた。これを二月騒動という。ここで「今年二月十一日合戦」とあるのは、名越時章・教時等が誅殺された日であり、北条時輔はその4日後の2月15日に討伐された。
―――――――――
鎌倉から佐渡にいたる旅が、いかに苦難をともなうものであるかを、ご自身が歩かれた道であるだけに、簡潔ではあるが、如実に描かれている。
太平洋岸の鎌倉から、日本海に浮かぶ佐渡へ行くには、本州中央部を横断し、日本海岸の越後へ出て、そこからさらに、海を渡らなければならない。文字どおり山を越え、海を渡りの旅である。しかも、困難は、そうした地理的、自然的条件ばかりではない。「山賊海賊充満せり。すくすくとまりとまり民の心虎のごとし犬のごとし」と述べられているように、災害の打ち続いた当時、食べるものもなく、野盗などを働く者も多かったにちがいない。
加えて、大聖人も触れておられるように、同年二月、幕府の中枢に謀叛事件があり、動揺のあった直後である。さらに未曾有の国難である蒙古軍の襲来にそなえて騒然としている時であったから、国内各地の治安も手薄になっていたはずである。そうした事情を考えると「山賊海賊充満せり」とのお言葉も、けっして誇張ではないことが拝察されよう。山賊や海賊に身を落とさないまでも、打ち続く災害に、庶民の生活は困窮していたことを思えば、旅をする人に対し、隙あらばその財物を奪ってやろうという状態にあったことも、容易に想像できる。「虎のごとし犬のごとし」との表現も、おそらくそのとおりだったであろう。
そのようななかを、女性の身で旅をするということは、よほどの気丈さがなければ、できることではない。しかもなんのための旅かといえば、ただただ大聖人を慕い、仏法を求める信心のゆえである。この強靭な信心を、大聖人は心の底から讃え、感歎久しくして「かたがた筆も及ばず、心弁へがたければとどめ畢んぬ」と結ばれているのである。
本抄に教えられているように、形をまねることは無意味である。行動の在り方は、時代により、また、仏法興隆のためにその時要請されている問題によって変わる。だが、この仏法のためには身命を惜しまないという信心の根本精神だけは、永久に変わるものではない。日妙聖人が身をもって示し、日蓮大聖人が心から讃嘆されているこの信心の根本精神を私達も永久に鏡とし、実践しきって、大聖人のおほめにあずかりたいものである。
1213~1217 日妙聖人御書2014:03大白蓮華より先生の講義top
「求道」即「勝利」の広布の人生を
恩師・戸田城聖先生は、青年の求道の質問を大いに喜ばれました。
たとえ大変お疲れでらっしゃる時も、青年から教学の質問を受けると、目の輝きが増し、仏法の深理のうえから明快に答えてくださった。
「青年の求道には、かなわないよ」と、よく笑みを浮かべられていました。
青年は常に向上し、より偉大な自己を確立しなければならない。学会の青年部が読書と思索の習慣をつけることで、それが日本の先達となって、次代は力強い社会になる。そのために立派な指導者になってほしい。こう語られていたことも懐かしい思い出です。
御」書を拝すると、日蓮大聖人が門下の質問を大切にされていたことが伝わってきます。
ある女性門下の教学上の質問に答えて、「先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事りがたき大善根にて候」とも仰せになりました。
仏法の智慧の光明で周囲を照らす
法を真摯に求めることは、それ自体が大善根となります。
私たちの実践に照らせば、自身の境涯を開くだけでなく、周囲をも仏法の智慧の光明で明るく照らすことができます。
「智慧」は「希望」の光源です。
「求道」は「勝利」の原動力です。
日蓮大聖人の御在世に、鎌倉から佐渡の地まで大聖人のもとへ、求道の旅をした女性門下がいました。そのあまりにも真剣で健気な門下を、大聖人は「日妙聖人」と呼ばれ、「聖人」の称号を贈られております。
今回は「日妙聖人御書」を通して、大聖人がどれほど求道の女性門下を喜ばれたのか。そのお心を拝するとともに、仏の願いと、それに呼応する弟子の実践を学びます。
| 日妙聖人御書 文永九年五月 五十一歳御作 01 過去に楽法梵志と申す者ありき、十二年の間・多くの国をめぐりて如来の教法を求む、 時に総て仏法僧の三宝 02 一つもなし、 此の梵志の意は渇して水をもとめ飢えて食をもとむるがごとく 仏法を尋ね給いき、 -----― 過去に楽法梵志という者がいた。12年の間多くの国をめぐり歩いて如来の教法を求めていた。当時は仏法僧の三宝が一つもなかった。この梵志の心は、あたかも渇して水を求め、飢えて食を求めるように仏法を尋ね求められたのであった。 |
命を賭して法を求めた先達
「うつつならざる不思議なり」(1220-03)。流罪された佐渡にまで女性門下が不惜身命の決心で訪ねてきたその時に、大聖人御自身の驚きと感慨が込められたお言葉です。乙御前の母に送られた御書のなかにある一節です。今日では日妙聖人とこの乙御前の母は同一人物であると考えられています。
大聖人は、繰り返し、想像を絶するこの母の求道の旅を讃えられました。
本抄は、文永9年(1272)5月25日、大聖人が佐渡流罪中に、日妙聖人に送られた御書です。
本抄の大半は、釈尊自身の過去世の仏道修行の様子や、仏法者たちの求道の姿を取り上げ、それらの人物にも優るとも劣らない、前例のない女性門下の求道心を賞讃される内容です。それとともに、万人を仏にする法華経の極理と、その仏法を持つ実践の在り方を教えられています。
最初に、楽法梵志が命を賭して法を求めた例が紹介されます。
楽法梵志が、渇して水を求めるように仏法の教えを求めていた時に、婆羅門に出会う。婆羅門は、あなたの皮を紙とし、骨を筆として、血を出して書くのであれば、法を教えようと説く。楽法梵志は、言われるがままに、わが身を捧げて、法を聞く準備を整えた。ところが、忽然と婆羅門は消えてしまう。天を仰ぎ地に伏す楽法梵志。そこへ、仏陀が現れ、求道の心に応えて法門を教える。それを聞いて楽法梵志は仏に成ることができた。
本抄では、続いて釈迦菩薩の例を取り上げた後、雪山童子についても詳述されていきます。雪山童子の逸話は、鬼に身を投げることで、鬼から仏法の教えを聞こうとする有名な物語です。
さらに、命を懸けて仏法を行じた先達の例として、薬王菩薩、不軽菩薩、須頭檀王らが取り上げられていきます。
「時に適った修行」が大事
ここで一点、先に確認しておきます。楽法梵志や雪山童子は、皮を紙の代わりにしたり、鬼に身を投げたりしましたが、当然のことながら、大聖人は、今の末法に行う仏道修行ではないと示されています。
本抄では「日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし」(1216-10)と仰せられています。どうしても、それが不可欠であった時に行った修行であり、大聖人は“日本国に紙がたくさんある時に、皮を剥いで、何になるのか”と示されています。
戸田先生も、今だったら必要なものは店で買えばいいと講義されていました。「世の中の時に合うことをやらなければ、仏道修行にはならないのです」と語り、「時に適った修行」の必要性を教えられていました。
戸田先生はよく、牧口先生の言葉を引かれて、価値に反する行動があってはいけないと言われていました。
仏法は、価値創造の源泉となる宗教です。」常に「何のため」という原点が大事です。幸福の価値、平和の価値を万人が創造していくための仏法であり、信仰です。
例えば、どんな逆境であっても、希望の価値を」想像するために、「宿命転換の法理」があります。人間不信の感情が渦巻く社会の中で、信頼と調和の価値を創造するために、万人の尊厳性を説き明かした「十界互具の法理」があります。
その時代に必要な仏法の智慧を説き、時に適った仏道修行を教えていく、それが、真実の仏法指導者です。
| 10 然るに妙法蓮華経は八巻なり・八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦・多宝の二仏の経なる故へ、十六巻は 11 無量無辺の巻軸なり、 十方の諸仏の証明ある故に一字は二字なり釈迦・多宝の二仏の字なる故へ・一字は無量の字 12 なり十方の諸仏の証明の御経なる故に、 譬えば如意宝珠の玉は一珠なれども 二珠乃至無量珠の財をふらすこと・ 13 これをなじ、 法華経の文字は一字は一の宝・無量の字は無量の宝珠なり、妙の一字には二つの舌まします釈迦・多 14 宝の御舌なり、此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり、此の重なる蓮華の上に宝珠あり妙の一字なり。 -----― さて妙法蓮華経は八巻である。八巻を読めば十六巻を読んだことになるのである。それは釈迦・多宝の二仏の説き明かされた経であるゆえである。十六巻は無量無辺の巻軸である。なぜなら十方の諸仏が真実と証明した御経だからである。一字は二字である。それは釈迦と多宝の二仏の文字のゆえである。一字は無量の文字である。十方の諸仏の証明のゆえである。 譬えば如意宝珠の玉は一珠であるが、二珠乃至無量珠の財をふらす。これもそれと同じである。法華経の文字は一字は一つの宝であり、無量の文字は無量の宝珠である。妙の一字には二つの舌がある。釈迦と多宝の二仏の御舌である。この二仏の御舌は八葉の蓮華である。この八葉の重なる蓮華の上に宝珠がある。それが妙の一字である。 |
いつの時代にも普遍的な法華経
法華経は、八巻から成る経典ですが、大聖人は、法華経八巻を読むことは、十六巻を読むことになると仰せです。それは、法華経は釈迦仏の経典であると同時に、多宝仏の経典でもあるからです。また、法華経には十方の諸仏も現れます。したがって、法華経の一文字は、無量の文字となります。言い換えれば、法華経は、釈迦仏一人の教えではないということです。
さて、本抄ではここまで、先達たちの求道の実践が紹介されていました。それとともに大聖人は、先達たちがいかなる教えで仏に成れたか。その内容も紹介されています。
例えば、楽法梵志の聞いた説法は「如法は応に修行すべし非法は行ずべからず今世若しは後世・法を行ずる者は安穏なり」(1214-03)との言葉で、これは漢文で「二十字」になります。
また釈迦菩薩は同じく「如来は涅槃を証し永く生死を断じ給う、若し至心に聴くこと有らば当に無量の楽を得べし」(1214-09)との「二十字」を得て仏に成れたことが示されています。
その中でも有名なのは、不軽菩薩の「二十四文字の法華経」です。本抄でも、「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」(1215-06)と紹介されています。
時代とともに説き方は異なっても、諸仏はその時代にあった法華経を説いていきます。事実、法華経には、日月燈明仏の法華経、大通智勝仏の法華経、威音王仏の法華経があったことが示されています。戸田先生は、釈尊の法華経28品、天台大師の『摩訶止観』、大聖人の南無妙法蓮華経を、それぞれ「三種の法華経」と表現されていました。「同じ法華経にも、仏と、時と、衆生の機根とによって、その表現が違うのである」と教えられました。
「妙」の一字こそ諸仏の結論
特に末法濁悪の一切衆生を救うためには、結局は、その人自身の生命を変革する大法を説くしかありません。
それは、自身の中にこそ宇宙大の可能性があるという「衆生本有の妙理」に目覚め、それを自から引き出す以外に救済の方途はありません。
一切の生きとし生けるものの中に、尊極な生命が具わっている。誰人も仏と同じ生命を持ち、一切を育む慈悲と、人々の闇を照らす智慧と、無明と戦いゆく勇気を持っている。ゆえに万人が尊厳なる存在であり、その胸中にある仏と等しい生命を涌現すれば、皆が仏となる。万人成仏の道を明かし、人々に希望と勇気を与えたのが大聖人の仏法です。
誰でも必ず自分から逆境を切り開くことができる。この一点に目覚めることが信仰の肝要です。そうでなければ、自分の外に「法」や「仏」を求め、時にはすがりつき、ただ奇跡だけを頼むような信仰が蔓延してしまうからです。
そうした末法という時代に出現された日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の大法を説かれ、唱題行によって万人が自身の無間の可能性を引き出し、仏と等しい生命力で、自他共の幸福を築ける方途を確立されました。
「妙の一字」は、無量の宝珠です。
諸仏もまた、この「妙の一字」から出生したと仰せです。
「妙の一字」には「変毒為薬」の力があります。煩悩・業・苦の三道を、法身・般若・解脱の三徳へ転ずる力があります。提婆の悪人成仏も、竜女の即身成仏も、全部「妙の一字の功徳」です。
したがって、この「妙の一字」を持つ女人は、悪世のなかにあっても、何も恐れる必要はありません。
あらゆる先達が求め抜いた「法」とは南無妙法蓮華経であるとの大確信は、悪世の中で、混乱の社会に生きる日妙聖人にとって、最大の勇気を生む源泉となったことでしょう。
続いて、大聖人は、この仏法の法理のうえから、日妙聖人が仏になることは疑いようがないと示されていくのです。
| 18 我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の 1216 01 功徳を全体うけとる故なり、 経に云く「如我等無異」等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり、 02 譬えば父母和合して子をうむ 子の身は全体父母の身なり誰か是を諍うべき、 牛王の子は牛王なりいまだ師子王と 03 ならず、師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず、 今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して 04 教主釈尊の御子なり、 教主釈尊のごとく法王とならん事・難かるべからず、 -----― この妙の珠は、昔釈迦如来が檀波羅蜜といって、わが身を飢えた虎に与えた功徳、鳩を救うためにわが身を鷹に与えた功徳、尸羅波羅蜜といって、須陀摩王として虚言しなかった功徳、また忍辱仙人として歌梨王に身をまかせた功徳、能施太子・尚闍梨仙人等として六度万行の功徳を、この妙の一字に収めている。釈迦はこの妙の珠をもって末代悪世の我等衆生に、一つの善根も修行していないけれども六度万行を満足する功徳を与えられたのである。「今此の三界は、皆是れ我が所有である。其の中の衆生は、悉く是れ我が子である」とあるのはこのことをいうのである。われら煩悩に縛られた凡夫がたちまちに教主釈尊と功徳が等しくなるのである。それは教主釈尊の功徳の全体と受けとるからである。法華経には「我が如く等しくして異なること無し」とある。法華経を信じ行ず者は釈尊と等しいという文である。譬えば父母が和合して子を産む。その子の身はすべて父母の身である。だれがこのことで異論をはさむであろうか。牛王の子は牛王であり、いまだに師子王とはならない。師子王の子は師子王となる、いまだに人王とはならない。今、法華経の行者は「其の中の衆生は悉く是れわが子である」とある。教主釈尊の御子である。よって、教主釈尊のいうに法の王となることは困難ではないのである。 |
「受持即観心」で直ちに仏に
それまでの菩薩たちは、六波羅蜜と言われる修行をして、長遠の期間を経て成仏する道を求めました。
これに対して、大聖人は「受持即観心」の道を確立されました。
「観心本尊抄」に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)と仰せです。
すなわち、「妙法蓮華経の五字」には、釈尊の因行果徳がすべて具足しており、私たちは、六波羅蜜の一つ一つを修行しなくても、同じ功徳を得て、成仏の境涯に至ることができる。それゆえに本抄では、「教主釈尊と功徳とひとし」とも、「彼の功徳の全体うけとる故」とも仰せです。
いかなる悪世末法の五濁の凡夫も、必ず仏に成れる、言葉にすると簡単なようですが、これはどの宗教革命はありません。大聖人は、万人成仏の民衆仏法を確立されたのです。
それは、本来、釈尊の願いでもありました。そのことを大聖人は「如我等無異」の原理を通して、再度、確認されていきます。
「如我等無異」の仏の願い
すなわち本抄で、「『如我等無異』等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり」と仰せです。
「如我等無異」こそ、仏の願いが込められた法華経の真髄の一節であり、法華経が「何のために」説かれたのかを明確に示す珠玉の一句です。
方便品第2に、「一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」とあります。全ての衆生に、仏と同じ境涯を得させようという大慈大悲です。
仏は常に、民衆幸福の幸福を願っています。
釈尊だけでなく、諸仏も同じです。
法華経には「諸仏の本誓願は、我が行ずる所の仏道を、普く衆生をして、亦た同じく此の道を得せしめんと欲す」ともあります。
そしてまた、釈尊自身が発迹顕本をして久遠の本地を明かした後に、あらためて仏の願いを示した経文が、私たちが毎日読誦している自我偈の最後の一節です。
「毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして、無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめん」
この「毎自作是念の悲願」こそ、仏の根本の願いです。
ですから、衆生がいかに仏道修行を積み重ねても、「釈尊と斉等なり」とならなければ、仏法の目的を成就したことにはならない。
大聖人は本抄で、「師子王の子は師子王となる」、法華経の行者は「教主釈尊のごとく法王とならん」と仰せです。
仏が「吾子」として、一切衆生を「仏子」と呼ぶのも「仏」にするためです。仏子がいつまでも「子」のままでは、親である「仏」は、永遠に使命を全うすることはできません。
「師弟不二」こそ成仏への直道
大聖人は、本抄に続けて、中国時代の伝説の理想的な君主であった堯王と舜王が、それぞれ孝心にかけた自分の子どもでなく、孝養の心深き優秀な民の子に王の位を譲った話を紹介しています。そして「民の現身に王となると凡夫の忽に仏となると同じ事なるべし、一念三千の肝心と申すはこれなり」(1216-07)と仰せです。牧口先生の御書にも線が引かれた一節です。
ここは、ほんらいなら「王の子」は「王」となるべきところを、優れた王はそうしなかった。その基準は、真の孝養があるかどうかであったと指摘されています。
私たちの実践で拝するならば「凡夫の忽ちに仏となる」かどうかは、要するに、信心があるかどうかという一点で決まります。
一念三千の法理の柱は十界互具であり、なかんずく人界所具の仏界です。しかし、理論上は、皆が仏であるというのと、実際に、自分の中にある仏の生命を涌現するのとは天智雲泥の差です。ここに「師弟不二」の重要性があります。
師匠は何よりも、弟子をはじめ一切衆生の幸福を願い、万人成仏の大願に生き抜きます。しかし、いくらその慈悲の陽光を浴びても、弟子が同じ誓願の心を起こさなければ、真の意味で、仏に成る道にはいることはできません。一人一人が自分から胸中の可能性を開かない限り、幸福を自ら得ることはできないからです。
偉大な師匠が一人か輝く一方で、弟子は救われることをただ願っている。それでは仏の「如我等無異」は実現しません。
弟子の一人一人が、師匠と同じ誓願に立ち、同じ心で、同じ生き方を始めていく。ここに「日蓮と同意」の生き方があります。「師弟不二」の実践があります。
「如我等無異」とは、同じ心で弟子が立ち上がってこそ、はじめて真の価値を生みます。師匠の大願と、それに呼応して立ち上がる弟子の誓願が合致してこそ、初めて「如我等無異」の法理は脈動します。
いいかえれば、「如我等無異」の弟子が、どれだけ多く輩出されるのか。仏と同じ願いに立って、さらに多くの周囲の人を「釈尊と斉等なり」と励ましていく。この壮大な民衆革命こそ、法華経が人類の経典として存在する目的であるといえましょう。
| 01 而るに法華経は.正直捨方便等・皆是真実等.質直意柔ナン等・柔和質直者等と申 02 して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者の信じまいらする御経なり、 糞を栴 03 檀と申すとも栴檀の香なし、 妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず、 一切経は皆仏の金口の説・不妄語 04 の御言なり、然れども法華経に対し・まいらすれば妄語のごとし・綺語のごとし・悪口のごとし・両舌のごとし、此 05 の御経こそ実語の中の実語にて候へ、 実語の御経をば・正直の者心得候なり、今実語の女人にて・おはすか、当に 06 知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも 此の女人をば見るべからず、 砂をむして飯となす人を 07 ば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・ 08 大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人な 09 り、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。 -----― しかるに法華経は「正直に方便を捨てて…」「皆是れ真実…」「心が質直意柔ナンである…」「柔和質直も者…」等と説いて、正直である事、あたかも弓の絃の張ったように、墨縄をうったように真っ直ぐな心の者が信じる御経である。 糞を栴檀と云い張っても栴檀の香はない。妄語の者を不妄語であると言っても不妄語とはならない。一切経は皆仏の金口の説で不妄語のお言である。しかしながら法華経に対するならば妄語のようなもの、綺語のようなもの、悪口のようなもの、両舌のようなものである。此の法華経こそ実語の中の実語である。実語の法華経は正直の者が信じ会得できるのである。今、あなたは実語の女人でいらっしゃるであろう。まさに知りなさい。須弥山を頭にのせて大海をわたる人を見ることができても、この女人を見ることはできない。砂を蒸して飯とする人を見ることはできても、この女人を見ることはできない。まさしく釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行菩薩・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈天王・四王等が、この女人を影が身に添うように守られるであろうことを知りなさい。あなたは、日本第一の法華経の行者の女人である。それゆえ名を一つ付けてつけて不軽菩薩の義になぞらえよう。「日妙聖人」等と。 |
「正直の者」が心得る経典
続けて大聖人は求法の旅に出た玄奘と伝教大師を取り上げて、彼らは男子なり・上古なり・賢人なり・聖人なり」と示された後、「いまだこかず女人の仏法を求めて千里の路をわけし事を」と仰せです。
いかに日妙聖人の求道の行動が偉大な足跡を残したのか。法華経の竜女の即身成仏、摩訶波闍波提比丘尼の記別を並べながら、末法の女人のなかで類を見ない出来事であると賞讃されていきます。
ここで大聖人が強調されているのは、法華経に説かれる「正直」という原理です。
大聖人は、「正直に方便を捨てて」、「皆是れ真実」、「質直にして意は柔軟に」、「柔和質直なる者」の経文を引かれます。
ここで挙げられている経文は、権教への執着を断ち切ること、多宝如来の真実の証明を受け入れること、そして、永遠に戦い続ける仏と共に自分がいることを素直に信じることが説かれたものです。
法華経は、心根がまっすぐな人が信じる経典であることを教えられています。「如我等無異」の仏法だからこそ、真っすぐな信心を貫き通した人の胸中には、必ず仏の広大な世界が現れ出るのです。
大聖人は、日妙上人の行動の中に、この法華経の実践の肝要が脈打っていることを御覧になられたのでありましょう。命を賭した女性の求法の旅は、あまりにも健気で、あまりにも尊貴な法華経の行者の振る舞いであります。それゆえに、「日本第一の法華経の行者の女人なり」とまで賞讃されていると拝されます。
誓願の行動は、一人一人が異なります。もとより誓願とは自発の行為です。それぞれの境遇や環境で、具体的な行動は皆、違います。
しかし、そこに流れるのは、「皆が仏である」「皆を仏にする」という法華経の極理と実践を師匠と共有し、立ち上がるという「師弟共戦」の誓願ではないでしょうか。
師匠と「同じ心」で同じく妙法を弘通する。「一人の人を大切にする」「目の前の一人を徹して励ます」という行動が同じであれば、その人はま、ぎれもなく師弟不二の人です。
大聖人が賞讃されているのは、命懸けの行動をしたということだけではなく、どんな時も大聖人と共に戦うという「師弟共戦」の誓願を感じられたのではないでしょうか。それゆえに「実語の女人」として、真正の「法華経の行事の女人」として戦う「心」を讃嘆されていると拝されてなりません。
「心こそ大切なれ」「心こそ大切に候へ」です。また「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」です。
あの「冬は必ず春となる」(1253-13)のお手紙を頂いた妙一尼に対して、大聖人は、亡くなった夫が法華経のために命を懸けたことは、雪山童子が身をなげたことに変わらない。凡夫が仏になる実践だったのですよと激励されています。
この妙法の女人、妙法の門下を、「釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等」が必ず守ることを大聖人がお約束されています。
どこまでも懸命に戦う真心の民衆のための仏法です。仏子を断じて守りに護り抜く。これが「人間のための宗教」の正道です。
| 10 相州鎌倉より北国佐渡の国.其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに.へだて山は峨峨.海は涛涛・風雨.時に 11 したがふ事なし、山賊.海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし.犬のごとし、現身に三悪道の苦 12 をふるか、 -----― 相州の鎌倉から北国の佐渡の国までのその中間は一千余里に及んでいる。山海をはるかに隔て、山は峨峨としてそびえ海は涛涛として波立ち、風雨は時節にしたがうことがない。山賊や海賊は充満している。途中の宿宿の民の心は虎や犬のようである。さながら現身に三悪道の苦しみを経験するかと思うほどである。 |
「師は誰よりも弟子の心情を知る
日妙聖人の求道の旅が、いかに険しいものであったのか。最後に、その様子を大聖人が綴られています。日妙上人から見れば、師匠が本当に詳しく状況を分かってくださっているということをあらためて知って、大きく包まれる思いだったでしょう。道中がいかに難儀であったか。何よりも、鎌倉で内乱が勃発し、世情が不安な中での旅です。山賊・海賊がいて、道々も、「民の心・虎のごとし・犬のごとし」とあるような乱れた社会です。
大聖人と、健気な門下たちとの心の絆。この絆は、いかなる法難にも、決して、破られることはありませんでした。折にふれて直接、また、お手紙などの指導、激励を通して、紡がれた心の交流は、競い起こる魔も絶対に断ち切ることのできない師弟不二の世界を築きあげました。
この不二の弟子たちによって、大聖人の仏法は、年を重ねるごとに現実の社会に根を張り、輝きを発揮していったのです。
実直にして剛毅な四条金吾、純粋な阿仏房・千日尼夫妻、真面目な富木常忍、団結して戦う池上兄弟と夫人たち。亡き父、そして母の願いを受け継いだ青年南条時光、そして日妙聖人をはじめ、ひたむきな女性門下たち。
さまざまな門下が、それぞれの人間ドラマを演じながら、一人一人が広宣流布に生き抜き、法華経の理想を現実の社会の中で築き上げようと戦い切っていました。師匠と共に戦うという、弟子たちの体験の実証の中で、仏法が一人また一人と伝わっていったのです。
仏勅の使命はますます重大
日妙聖人の求道のドラマ、私には、まさに、日々、仏法の真髄をわが五体で求めながら、一人でも多くの人に仏縁を結び、社会を仏法の叡智で豊かにしていこうと懸命に戦い続けている学会員、なかんずく婦人部、女子部の姿と重なって仕方がありません。
大聖人が賞讃された「日本第一の法華経の行者の女人」の実践は、そのまま、世界中の学会員の行動にほかなりません。
今、世界中に地涌の青年が出現し、法華経の生命尊厳の思想を掲げ、人間主義の思潮を大きく広げています。また、世界的スケールで、それぞれの地域で「法華経の行者」が社会に躍り出ている時代になりました。御本仏の御照覧は絶対に間違いありません。
春3月、戸田先生が折々に青年に語った言葉が蘇ってみます。
東北の女子部に、こう励まされました。
「乱れた世の中で、生活が苦しいとき、なぜわたくしたちは生まれてきたかをかんがえなければなりません。みな、日蓮大聖人様の命を受け、広宣流布する役目をもってうまれていたということが宿習なのです。
それがわかるか、わからないかが問題なのです。
また、こうもいわれました。
「青年の特徴は『情熱』と『思索』だ。これがあれば、年をとらない」と。
青年が仏法を求め、学び、そして、現実社会の大舞台に勇んで踊り出て、平和と人間主義の連帯を確実に築いていく。これこそが、人類の待望する新時代を建設しゆく具体的な行動です。
創価学会の仏意仏勅の使命は、いやまして重大になっているのです。
わたしたちもまた、大聖人の「身軽法重・死身弘法」の御精神を、広宣流布の根本として、自分たちの実践の根幹にしてまいりたい。これが学会精神です。
もちろん、「死身弘法」といっても、封建主義的な“滅私奉公”や“自己犠牲”を意味するものではありません。仏法の目的は、全民衆の幸福であり、人類の宿命転換です。仏法を弘めることは、そのまま自身の宿命転換、境涯革命になります。自他ともの幸福を築くための確実かつ最上の直道なのです。
創価学会は、大聖人の身軽法重・死身弘法の御精神のままに広宣流布に励んでいます。この学会に連なった方々は、本抄の仰せにあるように、永遠に人々から尊敬されていく存在になることは、絶対に間違いありません。
仏法の法理に照らせば、学会員の一人一人が、あまりにも崇高な使命をもった不思議な存在なのです
| 16 抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、 況や 日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳を 17 や、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや、 ―――――― そもそも、一人の盲目を開ける功徳さえ言葉には表わせない。まして日本国の一切衆生の眼を開ける功徳にいたってはいうまでもない。さらに全世界の人々の見えない眼を開ける功徳はとうてい言いつくせない。 |
全世界の人々の眼を開く大功徳
身軽法重・死身弘法で広宣流布を進める人の大功徳が示された一節です。
法華経を持つことは、まさしく眼を開くことです。それまで眼を閉ざしていた迷いの覆いを払い、物事の道理や本質が見えるようになる、ということです。
一人の心の盲目を開く功徳さえ、偉大である。まして日本国の一切衆生の眼を開ける功徳がどれだけ広大なのか。さらに全世界の人々の眼を開ける功徳は、想像も及ばないことでしょう。その偉大なる誓願を日蓮大聖人は成就されました。
「一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はん」 このお言葉から、世界を視野に広布の指揮を執っておられた大聖人の大境涯をうかがい知ることができます。
700年前も、今も、人類は根底的に「開目の哲学」を求めているとも言えます。それは法華経に説かれた「万人成仏」「万人尊敬」の思想です。
民族、文化の相違を越え、一切の垣根を払い、すべての人は仏と同じ尊貴な生命を持ち、この尊極な生命を実現するために人々は生きている。いかなる人間も尊厳なる存在である。そして、一人の人間が存分に、内なる「仏の生命」を輝かせた時に、世界が変わる。一人の偉大な人間革命が世界の宿命を変える。
この法華経の生命尊厳、万人尊貴の思想に基づき、大聖人の人間主義の仏法を弘めているのが、創価学会です。
ゆえに創価の行動は、一閻浮提の一切衆生の眼を開く大闘争です。万人の心の眼を開き、この地上から悲惨と不幸をなくすまで、私たちの前進は止むことはありません。
「創価学会は、すでに世界的な出来事である」かつて大歴史家・トインビー博士は、小説『人間革命』第一巻に寄せてくださった序文のなかで、こう明言されました。 「日蓮は、母国・日本を愛したが、彼の視野と関心は、狭き日本にとどまることはなかった。彼にとって仏教とは、全世界の人々を救済するものであった」
「そして今、創価学会は『人間革命』を推進し、日蓮の遺命を実践しているのである」と。
またトインビー博士は、初代・二代会長の足跡に言及されながら、こう指摘されました。
「創価学会の戦後の驚異的な発展の因はなにか?」。根本の因は、この現代の教団とその指導者たちの『信心』である。滅後700年を経た今も、強く影響を与え続けている日蓮によって啓発された『信心』である。この『信心』が、彼らに、迫害に耐え抜く勇気と不屈の精神を与えた。そして耐えて戦う教団と指導者たちの誠実な姿が、人々の心を日蓮の教えへと開き、それによって、創価学会は、爆発的に会員数を伸ばしていったのである。
深い理解から発せられた証言です。本当に偉大な博士でした。
私たちは、これこれからも、民衆の歓喜の行進劇を続けていきたい。一閻浮提の広宣流布を目指された大聖人の御境涯を深く拝しながら、今後も「大聖人直結」「御書根本」で前進してまいりたい。それが、現代世界に責任を持つ学会の栄誉であり使命です。
| 03 今日蓮おろかなりとも野干と鬼 04 とに劣るべからず、 当世の人いみじくとも帝釈・雪山童子に勝るべからず、 日蓮が身の賎きについて巧言を捨て 05 て候故に国既に亡びんとする・かなしさよ ―――――― 今日蓮は愚かであっても野干や鬼は劣るはずがない。当世の人々が立派でも帝釈天や雪山童子に勝ることはない。日蓮の身分が下賎であるとして、その正しい主張を捨てて用いないゆえにすでに国が亡びようとしているのは、真に悲しいことである。 |
「仏法は只経文を先とすべし」
一国の主師親として戦われる日蓮大聖人を迫害し続けたのが、当時の日本です。その大聖人への誹謗として、大聖人の「身の賤しさ」を取り上げる輩がいました。
「賤身」「身の賤」とあるように、大聖人を賤しき身として批判する者たちがいたようです。
もとより大聖人御自身、御自身を「民の家より出でて」(1407-10)「旃陀羅が家より出たり」(0958-09)と堂々と宣言なされています。非難したもののほうが、自分の批判を鏡として自分にとらわれる醜態をさらしていたことはいうまでもありません。
本抄で大聖人は、野干を敬って仏法を習った帝釈天や、鬼神を師とした雪山童子の例をあげられて、明快に破折されています。貴賎にこだわって法を軽んずるのは、帝釈や釈尊の過去世の姿である雪山童子の振る舞いを否定することになるとの痛烈な弾呵と拝されます。
「仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先きとすべし」(0481-15)
仏法における基準はどこまでいっても人の貴賎ではなく、法の高低浅深です。
「人を身なりや外見で判断しては絶対にならない。その人が、将来どうなるか、どんな使命をもった人か、身なりなんかで絶対に判断つくはずがない」
これは恩師・戸田先生の厳命です。創価学会の世界において、社会的地位や肩書、学歴などは、一切関係ありません。信心の志のある人が偉大なのです。広宣流布のために行動する人を大切にするのです。これは、これからも永遠に変えてはならない大原則です。
| 05 又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも・たすけがたからん事こそ・な 06 げかしくは覚え候へ。 07 いかなる事も出来候はば 是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にうえ死にし候はん、又乙御前こそおと 08 なしくなりて候らめ、いかにさかしく候らん、又又申すべし。 ―――――― 日蓮を不便と思って仕えてくれた弟子達をも助けがたいことが嘆かわしい。どのような事でも起こったならば、この身延へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中でともに餓え死にしましょう。また乙御前はさぞかし成長されたことであろうどんなにか聡明になられたことであろう。いずれまた申し上げましょう。 |
師弟の絆がつくり上げる「民衆の城」
先に誹謗した輩に対して「かなしさよ」と仰せられた大聖人は、一転、門下に対して「なげかしくは覚え候へ」と仰せです。それは、一国謗法のために総罰を受ける国にあって、大聖人とともに戦ってきた弟子たちも、社会の混乱に巻き込まれてしまうとの大聖人の大慈大悲のお心です。
この御本仏の気遣いのお心。これが大聖人の仏法の御精神です。門下の心の襞に入るようなこまやかな御配慮こそ、「人の振る舞い」を尊重する仏法の真髄なのです。
その大聖人の万人を包む真心は、乙御前の母にも向けられます。
“娘の乙御前はさぞかし成長されたことでしょう”“蒙古が攻めてきたならば、身延の山中の私のもとにきなさい。一緒に餓え死にしよう”と、大聖人は、子供を抱える女性門下に対し“これほどまでに”と思う激励を送られます。
仏法には、感傷や悲哀や浅薄な同情などありません。「一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけ」ると述べられている通り、全世界を舞台に正義の論陣を張り、命に及ばんとする迫害にも少しも退くことなく、妙法流布に生き抜かれる。この「正義を貫く厳たる強さ」と、「庶民を包み込む温かさ」 いわば、「強靱な破折精神」と「民衆を包む慈愛」は表裏一体です。その両極を共に備えてこそ、真の人間主義です。
日蓮大聖人と乙御前の母との間に結ばれた固い師弟の絆、そこには、何の夾雑者もありません。大聖人には、こうした魂の絆で結ばれた弟子門下が大勢いました。幾多の大難をも乗り越えてきたこの固い絆は、もはやいかなる権威・権力の魔性も破ることはできませんでした。師弟不二の民衆の結合こそ、永遠に崩れざる広宣流布の一大拠点です。
今、世界中にこの民衆の大城が築かれました。いよいよ、これからです。世界中の“乙御前の母”の笑顔のために、正法流布は、いよいよ本番です。
ゲーテは歌いました。どこまでも、人生は「戦い」である、と。
「人間叡智の最後の言葉は、こうだ。
『自由と生命をかちえんとするものは、日々、新しく、/これを戦いとらねばならぬ』」
「おれはそのような人間の、みごとな共同社会をながめながら、/自由な民と自由な土地に住みたい」
牧口先生が座右の銘とされていた『大学』の一節には、こうあります。
「荀に日に信たに、日に日に新たに、又日に新たなり」
さあ「いよいよ」です。万事はすべて、いよいよこれからです。
私の胸中には、戸田先生の言葉が永遠に刻まれています。この師子吼を、皆様に贈りたい。
「今の乱れた世の中を、創価学会が変えていくのだ、勇気を奮い起し、一致団結して、広布の大道に進もうではないか。
1218~1222 乙御前御消息(身軽法重抄)top
1218:01~1218:06 第一章 内道・外道の勝劣を明かすtop
| 1218 乙御前御消息 建治元年八月 五十四歳御作 01 漢土にいまだ仏法のわたり候はざりし時は三皇.五帝.三王.乃至大公望.周公旦・老子.孔子.つくらせ給いて候い 02 し文を或は経となづけ或は典等となづく、 此の文を披いて人に礼儀をおしへ・父母をしらしめ・王臣を定めて世を 03 おさめしかば人もしたがひ天も納受をたれ給ふ、 此れに・たがいし子をば不孝の者と申し 臣をば逆臣の者とて失 04 にあてられし程に、 月氏より仏経わたりし時・或一類は用ふべからずと申し或一類は用うべしと申せし程に・あら 05 そひ出来て召し合せたりしかば外典の者・負けて仏弟子勝ちにき、 其の後は外典の者と仏弟子を合せしかば・冰の 06 日に・とくるが如く・火の水に滅するが如く・まくるのみならず・なにともなき者となりしなり、 -----― 中国にまだ仏法の伝わらなかった時は、三皇・五帝・三王の諸王や、太公望・周公旦・老子・孔子等の聖賢がつくられた書を、あるいは経と名づけ、典等と名づけた。これらの書を開いて人に礼儀を教え、父母を知らせ、王と臣とを定めて世を治めたから、世の人も従い、天も願いを聞き入れられた。この経典に背く子を不孝の者といい、臣下を逆臣の者と称して罪に処せられたが、そのうちにインドから仏経が伝来してきた時、ある一類は仏経を用いてはならないといい、ある一類は仏経を用いるべきであると主張してあらそいが起き、双方が、朝廷に召されて対決したところが、外典の者が負けて仏の弟子が勝ったのである。そののちは外典の者と仏弟子とを対決させると、あたかも氷が日光に照らされて解け、火が水によって消えるように、外典の者は負けただけではなく、なんの価値もない者となったのである。 |
漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
―――
三皇
中国古代の伝説上の理想君主。伏羲・神農・黄帝または伏羲・黄帝・神農とされるなど異説も多い。
―――
五帝
三皇に続く中国古代の五人の帝王。諸説があるが史記によれば伏羲・顓頊・帝嚳・尭・舜。
―――
三王
中国古代、夏の禹王、殷の湯王、周の文王の三王をいう。異説には周王を武王ととるものがある。三王とも善政を施したことで特に尊敬を集めた。
―――
大公望
中国周代の賢者。名は呂尚。周の文王の師。渭水で釣りをしていて周の西伯に会い、請われてその師となる。文王の祖父太公が周に必要な人材として待ち望んでいた人という意味で、のちに太公望と称された。文王の死後、武王を助け、殷の紂王を滅ぼして斉国の主となった。
―――
周公旦
中国周代の賢者。姓は姫氏、名は旦という。文王の子。文王の死後、兄の武王を助けて殷の紂王を滅ぼし、武王没後は幼い成王を助けて政治をとり周朝の基礎を固めた。周公旦の政治は殷代の神権政治を脱却し、礼楽を採用して、社会秩序の根本としたことが特色とされる。
―――
老子
古代中国の思想家。道徳経を著す。史記によると、楚の苦県の人。姓は李、名は耳、字は耼、または伯陽。周の守藏の吏。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令尹喜が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたと言う。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、万物を生み出す根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法って事を行なえば現実的成功を収めることができるとする。
―――
孔子
(前0551頃~前0479)。中国春秋時代の思想家。儒教の祖。名は丘、字は仲尼。生まれは魯国の昌平郷陬邑。貧しいなかで育ったが、礼を学び学問に熱心であった。理想政治の実現をめざして政治改革を行なったが失脚して、衛、陳等を遍歴。前四八四年、魯国に帰り著述に励み、顔回・子路・子貢、子游など多くの弟子の育成に努めた。
―――
経
①儒教でとく特に重要とされる書物。経書。経籍。②サンスクリット(sūtra)の漢訳。仏教の経典。③儒教・仏教以外でも、ある分野・宗教において特に重要とされる書物。④ 四部分類の一つ。⑤織物の縦糸。
―――
典
①大切な書物。ふみ。「 典籍 ・楽典 ・経典 ・外典・古典 ・字典 ・辞典 ・聖典 ・内典 ・仏典 ・文典 ・宝典 。② おきて。のり。「 典型 ・典範 ・典例 ・恩典 ・教典 ・法典 」。 ③ 根拠がある。一定の型。「 典雅 ・典拠 ・典故 ・典麗 ・出典 」 。④ 儀式。「 典礼 ・祭典 ・式典 ・大典 ・特典 」。⑤ つかさどる。「 典獄 ・典侍 ・典薬 」。 ⑥ 質入れ。「 典当 ・典物 ・典舗 」。
―――
仏弟子
仏教を修行する者。釈尊の弟子。
―――
外典の者負けて……
外典とは、仏教以外の書籍。内典に対する語。外典の者とは仏教以外の経典、思想の信奉者。仏祖統紀巻三十五によると、後漢の明帝の永平14年(0071)、漢の道士ら数百人が、迦葉摩騰、竺法蘭の二僧と討論をして敗れたとある。四条金吾殿御返事に詳しい。
―――
仏弟子
仏教を修行する者。釈尊の弟子。
―――――――――
本抄は、建治元年(1275)8月4日、日蓮大聖人が54歳の時、身延でしたためられたものであるが、御真筆は現存しない。別名を「身軽法重抄」という。本抄のあて名は「乙御前」とあるが、内容はその母親に与えられたお手紙である。
まず、中国への仏教伝来の例を引きながら、内道・外道の勝劣を明かされる第一章から始まって、内典の中にも、勝劣・浅深があり、そのなかでもとくに法華経が、他の一切経に比較して、もっとも勝れて立派な教えであることを強調される。ついで、諸経の人師にも経と同様、勝劣・浅深があることを論じ、とくに、当時、隆盛を極めていた真言師と法華経の行者とを対比され、真言師を犬とすれば、法華経は師子であり、また、前者を修羅とすれば、後者は日輪のように、比較もできないほど、法華経の行者は真言師に勝ることを教えられている。また、遠い佐渡といい、不便な身延の山中といい、女人の身で大聖人を慕って訪ね、仏法を求める乙御前の母の姿は、このうえなく不思議なことであると賞められている。そして、夫なき身ではあっても、ますます強盛に信心に励むならば、妙法の功徳は絶大であると述べて激励されている。
法華経がもっとも勝れた経であることを述べるにあたって、まず、中国の歴史において、仏教が伝来したことにより、それ以前の外典の教えが力を失った様子を叙述されている。すなわち、まず内道と外道との勝劣を歴史的事実から明らかにされたところである。
此の文を披いて人に礼儀をおしへ、父母をしらしめ、王臣を定めて世をおさめしかば、人もしたがひ、天も納受をたれ給ふ
仏教渡来以前からの中国思想の主柱である儒教が、中国社会で果たした役割を、簡潔に述べられている。
儒教の特色は、人間社会の中での相互の在り方について、規範を確立したことにある。「人に礼儀」とは、同じ人間としての接し方であり、「父母をしらしめ」は、その中でも自分を産み、育ててくれた父母に対する敬いの心、「王臣を定め」は、国家、社会の中でのそれぞれの立場の遵守である。これらの基本原理をもって「世をおさめしかば」とあるように、儒教は、なによりも支配的立場にある人々によって積極的に支持された。すなわち、支配者の哲学であったといえる。
中国が、周の統一以来、巨大な国家でありながら、幾多の変動はあったものの、他のいかなる文明社会にも見られないほどの安定性を保つことができたのは、儒教を一貫した精神的基盤としたことによる面が大きい。当然、そうした支配者の哲学ということから、支配者の御都合主義と民衆の自由への圧迫に陥りやすいという限界は認めなければならない。しかし、儒教がそれなりに果たした人間精神進歩の功績を、大聖人は客観的に評価されているのである。
開目抄にいわく「三皇已前は父をしらず、人皆禽獣に同ず。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす」(0186-02)と。儒教思想の源流といわれる三皇の教えは、父の恩を教えたとされる。このことは、三皇がたとえば伏義(ふっき)は狩猟、漁労を、神農は農耕を、というように、技術を教えたとされることと関係がある。つまり、こうした技術とともに、技術伝達の関係として、父と子のつながりが必然的に緊密化したと考えることができる。さらに五帝は、家族制度の確立によって、老いた父母を子が養うべきことを教えた。こうして、家というものを基盤とした儒教によって、国という集団生活に必要な礼儀・仁義等の道徳を行じ、安定した社会生活を営む基盤ができたのである。
しかし、仏教はこうした外典の教えはあくまでも仏教へ入るための序分であるとする。すなわち儒教は礼楽等を教えて、のちに仏教が伝来した時に、仏教の理解を容易にさせるためであったとするのである。なぜなら、儒教は、人間関係についての在り方や行動の規範は説いたが、宿業などに代表される人間生命の内面の問題については、解決の方途を示さない。すなわち、ただ現世における五常の道を行ずるのみで、一人として永遠の幸福へ導くことはできない。まして生命を覆う無明を破ることはできず、仏法と対比するならば、まことに浅薄なものである。
人間の生命は、現在における外の世界のさまざまな事象や他の人々との関係によってと同時に、その奥深いところで、過去・現在・未来の三世にわたる因果の法則によって動かされている。したがって、この生命を動かす因果の理法を正しくわきまえなければ根本的な幸福と社会の安定を得ることはできない。生命の因果の法則を立て得ない儒教では、真実の人生観の確立はありえないので、仏教に対して儒教を外道というのである。開目抄上には、これを「外典外道の四聖三仙、其の名は聖なりといえども、実には三惑未断の凡夫、其の名は賢なりといえども、実に因果を弁えざる事嬰児のごとし。彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷こゑがたし」(0188-06と明快に仰せられている。この文に仰せの「因果」とは、生命の因果の法則であることはいうまでもない。
ここに、本章に述べられるように、仏教が儒教より勝れるゆえんは明らかであり、仏教の興隆とともに儒教が「冰(こおり)の日にとくるが如く、火の水に滅するが如くまくるのみならず、なにともなき者となりし」原因がある。人人の人生の苦悩を解決する、より力ある宗教は、障害にあったとしてもかならず人々の心の中に受け入れられ、流布していくのである。
1218:06~1219:02 第二章 法華経最第一を説くtop
| 06 又仏経漸くわたり 07 来りし程に仏経の中に又勝劣.浅深候いけり、所謂小乗経・大乗経・顕経・密経・権経.実経なり、譬えば一切の石は 08 金に対すれば一切の金に劣れども・又金の中にも重重あり、 一切の人間の金は閻浮檀金には及び候はず、 閻浮檀 09 金は梵天の金には及ばざるがごとく・ 一切経は金の如くなれども又勝劣・浅深あるなり、小乗経と申す経は世間の 10 小船のごとく・わづかに人の二人・三人等は乗すれども百千人は乗せず、 設ひ二人・三人等は乗すれども此岸につ 11 けて彼岸へは行きがたし、 又すこしの物をば入るれども 大なる物をば入れがたし、 大乗と申すは大船なり人も 12 十・二十人も乗る上・大なる物をも・つみ・鎌倉より・つくしみちの国へもいたる。 -----― そののちまた仏経が次々と中国に伝来するうちに、仏経の中にまた勝劣浅深があった。いわゆる小乗経・大乗経、顕経・密経、権経・実経である。譬えば一切の石は黄金に相対すればどの黄金にも劣るが、また黄金の中にも種類差別がある。あらゆる人間のもつ黄金は閻浮檀金には及ばないが、その閻浮檀金も梵天の黄金には及ばない。これと同じように、一切経は外道に対すれば黄金のようであるが、その中にまた勝劣浅深がある。 小乗経という経は世間の小船のようなもので、わずかに人を二人三人は乗せるが、百人千人という多人数は乗せられない。たとい二人三人は乗せたとしても、こちらの岸に船をつけて浮かべるだけで、向こう岸へは行きがたい。また小さな物を入れるけれども大きな物を積み入れることは困難である。それに対し、大乗という教えは大船である。人も十人二十人乗せるうえ、大きな物をも積み、鎌倉から筑紫、みちのくへも行ける。 -----― 13 実経と申すは又彼の大船の大乗経には・にるべくもなし、大なる珍宝をも・つみ百千人のりて・かうらいなんど 14 へも・わたりぬべし、 一乗法華経と申す経も又是くの如し、 提婆達多と申すは閻浮第一の大悪人なれども法華経 15 にして天王如来となりぬ、 又阿闍世王と申せしは父をころせし悪王なれども 法華経の座に列りて一偈一句の結縁 1219 01 衆となりぬ、 竜女と申せし蛇体の女人は法華経を文珠師利菩薩説き給ひしかば仏になりぬ、 其の上仏説には悪世 02 末法と時をささせ給いて末代の男女に・をくらせ給いぬ、 此れこそ唐船の如くにて候・一乗経にてはおはしませ、 -----― そのうえ実経という教えは、かの大船の権大乗経などと比較にならない。大量の珍宝を積み、百人千人の多人数が乗って、高麗などへも渡ることができるのである。一仏乗を説いた法華経という経もまたこの大船と同様である。 提婆達多という者は世界第一の大悪人であったけれども、法華経の提婆達多品で天王如来という仏に成った。また阿闍世王という者は自分の父を殺した悪王であるが、法華経の会座に列なってその一偈一句を聴聞して結縁衆となった。竜女という蛇体の女人は、法華経を文殊師利菩薩が説かれるのを聞いて仏になった。 そのうえ仏が説かれるところでは、法華流布の時代は悪世末法であると時を指し示されて、末代の五濁悪世の男女に法華経を贈られたのである。この法華経こそ、唐船のように、一切衆生を彼岸へ渡し得る一仏乗の経典である。 |
小乗経
仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
―――
大乗経
仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。
―――
顕経
「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。
―――
密経
呪術や儀礼、行者の憑依、現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教。インドにおいてヒンズー教の発展と密接な関係を持ち、大乗仏教と融合し、ネパール・チベット・中国・日本などに伝播していった。秘密仏教ともいう。真言宗の説く邪義がこれにあたる。
―――
権経
権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
―――
実経
真実の法・教えのこと。仏が自らの悟りをそのまま説いた経。権教に対する語で、法華経をさす。
―――
閻浮檀金
梵語でジャンブーナダスヴァルナ(Jambū-nada-suvarṇa)。古代インドの想像上の金の名。閻浮樹の大森林の下を流れる河の中から採取されるという最上の金の名。「えんぶだごん」ともよむ。閻浮は樹木の名。壇は河の意。色は赤黄色で紫焔(しえん)気を帯び黄金のなかでもっとも勝れているとされる。
―――
梵天の金
大梵天王の住む色界初禅天の王宮にある黄金のこと。
―――
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
―――
つくし
九州の北部、現在の福岡県を中心とする一帯をいうが、全九州をさす場合もある。蒙古軍の襲来した当時は、ここが防衛線となり、全国から武士や防塁建設のための人足が派遣された。
―――
みちの国
奥州地方のこと。現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県の一部に相当する。
―――
かうらい
朝鮮半島の王朝(0918~1392)。開城の豪族・王建が弓裔を倒して朝鮮北部に建国、国を高麗と称した。さらに0953に新羅を併合し、翌年に後百済を滅ぼし、朝鮮を統一した。その後、蒙古の侵略を受けて属国となり、1392年に滅びた。
―――
一乗法華経
一仏乗の法華経と同意。一とは唯一無二、乗とは乗り物で、衆生を悟りの境界に運ぶ教えの譬。一乗の思想は権教である華厳経、勝鬘経等にも明かされるが、一切衆生がことごとく成仏すると説き、一仏乗の哲理を究竟して説き示した教えが法華経である。法華経方便品第二に「如来は但だ一仏乗を以ての故に、衆生の為めに法を説きたまう」とある。仏乗は梵語ブッダヤーナ(Buddha-yāna)の訳で、仏の境地に運ぶ乗り物の意。
―――
提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
―――
閻浮第一
一閻浮提第一のこと。全世界第一7を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
―――
天王如来
法華経において提婆達多が記莂を受けた時の如来号。法華経提婆品において「提婆達多、却ってのち、無量劫を過ぎてまさに成仏することを得べし、号をば天王如来、応供・正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊、といわん、世界を天道と名づけん」とある。
―――
阿闍世王
梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨(うら)みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
―――
一偈
「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
―――
一句
句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。
―――
結縁衆
仏の会座に列する四衆の一つ。時機未熟のため、その会座においては得道しないが、未来に得道すべき縁を結ぶ衆生のこと。
―――
竜女
竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
―――
文珠師利菩薩
文殊菩薩のこと。菩薩の中では智慧第一といわれる。法華経序品では過去の日月灯明仏のときに妙光菩薩として現われたと説かれている。迹化の菩薩の上首で、普賢菩薩と対で権大乗の釈尊の左に座した。文殊菩薩を生命論から約せば、普賢菩薩が学問を究め、真理を探究し、法理を生み出す智慧、不変真如の理、普遍性、抽象性の働きであるのに対し、文殊菩薩の生命は、より具体的な生活についての隨縁真如の智、特殊性、具象性の智慧の働きをいう。
―――
悪世末法
分別功徳品には「悪世末法の時、能く是の経を持たん者は」とあり、第五の五百歳、闘諍堅固・白法隠没の悪世において、地涌の菩薩が出現することを明かしている。
―――
唐船
古代から近世を通じて,中国船に対する日本での呼称で,同時に日本で造った中国式の船の呼称でもあった。中国式のいわゆるジャンクは,遅くも6世紀には中国独特の船体構造と帆装をもつすぐれた海船として完成したが,その後段階的発達をとげて,中世以後には東南アジア,インド,南洋まで航跡を延ばして貿易に活躍した。船体は竜骨に多数の隔壁を組合せた骨組みに外板を張ったじょうぶな構造で,独自の網代帆の帆装は横風や逆風時にも高性能を発揮し,15~16世紀では世界のトップレベルの航洋帆船であった。なお室町時代には,遣明船のように日本から中国へ渡航する船を,船の型式にとらわれず唐船と呼んでいた。
―――
一乗経
一仏乗を説いた経のことで、法華経をさす。一仏乗は仏の境智に運ぶ乗り物の意で、一切衆生ことごとく成仏することのできる教法をいう。
―――――――――
第一章の内外相対に引き続き、本章では、大小相対して、法華経こそ真の大乗経であることを明かされる。
すなわち、釈尊が説いた一切の仏経典は、外道が説いた経・典等の外道に比較すれば、黄金のように高価で勝れたものであるけれども、また、その仏が説いた一切の教えにも、勝劣・浅深が厳然とある。そこに立てられたのが、小乗経と大乗経、顕経と密経、権経と実経という対比である。
小乗経が少数の人しか救えない教えであるのに対し、大乗経は大勢の人を救うことのできる法を説いている。小乗経が少数しか救えないというのは、自己の煩悩の断滅に終始し、煩悩に満ちた現実社会を、煩悩を避けるのでなく、煩悩と真っ向から対決しながら生きていかなければならない一般民衆にとっては、とうてい実銭できない教えだからである。しかも「設ひ二人三人等は乗すれども、此岸につけて彼岸へは行きがたし」と述べられているように、煩悩の断尽は結局、自我の否定に陥り、菩提即ち悟りの境地という彼岸に行きつくことは不可能である。すなわち、少数の人々、別していえば自分自身すら、実は救えないのである。
権経と実経の相対は、方便の教えと、仏の悟りの真実を説いた教えとの対比である。すなわち釈尊は、みずからの究極の悟りを説こうとしたが、衆生がまだ信受できる状態ではないので、信受できるようにするため、四十余年間にわたって悟りの一分一分を説き、衆生の機根の条件を調えた。たとえていえば、高度な学問の真理を幼児に教え、理解させようとしても無理である。まず学問の初歩から教え、理解力を培わせることから始めなければならないのと同じである。それが権経であり、このあと、最後の八年間に、ようやく悟りの法を明かして法華経と名づけたのである。
この実経である法華経は、したがって、いかなる人をも救う力をもっている。爾前経では「永不成仏」といって絶対に成仏できないとされた二乗が次々と未来成仏の記別を受け、提婆達多という閻浮第一の大悪人は、法華経によって成仏を許され、天王如来の記別を受けることができたし、父を殺した阿闍世王も、蛇身で女人の竜女も、法華経によって初めて成仏することができた。このことは、とりもなおさず、法華経の明かしている法に絶妙な力があることを示している。と同時に、五逆罪というこの世でもっとも重い罪を犯した者といえども、救うことのできる法を説いた法華経は、一切経の中で、もっともすぐれた経であることをあらわしているのである。
しかも、法華経は、ただ釈尊在世あるいは正像時代の衆生のために説かれた経典ではない。そこに秘沈されている法は「其の上仏説には悪世末法と時をささせ給いて、末代の男女にをくらせ給いぬ」とあるように、釈迦仏法の力ではもはや救いきれない末法の本未有善の衆生を救済するための法である。
仏は、この偉大な法を悪世末法の一切衆生を救済しうる法として、如来寿量品第十六の文底に秘し沈めて残された。これこそ、本門寿量品の肝心の大法である南無妙法蓮華経の七文字である。
日蓮大聖人は、釈尊が説いた法華経の予言どおりに、末法の御本仏として、一切衆生救済のために末法の初めに出現され、如来寿量品第十六の文底に秘沈された三大秘法の妙法を説き明かし、南無妙法蓮華経の題目を流布し、一閻浮提総与の大御本尊を御図現された。
この南無妙法蓮華経こそ仏法の骨髄、宇宙森羅万象の根源力である。曾谷入道殿御返事に「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり」(1058-08)とあって、法華経の肝心であり、正体にほかならないことを明かされている。そしてそれは、そのまま「無作の三身の所作」であるとともに、また、「十界の依正」すべての当体でもあることを明かされている。
日寬上人の観心本尊抄文段上には、大聖人御図現の三大秘法の御本尊の力について「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」と断言している。
この三大秘法の妙法こそ、末法の御本仏が、末法の一切衆生救済のために建立された法体であり、法華経最第一の究極の意である。ゆえに、これを「一乗経」と仰せになられたのである。
1219:03~1219:09 第三章 法華経の行者と真言師の勝劣を示すtop
| 03 されば一切経は外典に対すれば石と金との如し、又一切の大乗経・所謂華厳経・大日経・観経・阿弥陀経・般若経等 04 の諸の経経を法華経に対すれば 螢火と日月と華山と蟻塚との如し、 経に勝劣あるのみならず大日経の一切の真言 05 師と法華経の行者とを合すれば 水に火をあはせ露と風とを合するが如し、 犬は師子をほうれば腸くさる・修羅は 06 日輪を射奉れば頭七分に破る、 一切の真言師は犬と修羅との如く・法華経の行者は日輪と師子との如し、 冰は日 07 輪の出でざる時は堅き事金の如し、 火は水のなき時はあつき事・ 鉄をやけるが如し、 然れども夏の日にあひぬ 08 れば堅冰のとけやすさ.あつき火の水にあひて・きへやすさ、一切の真言師は気色のたうとげさ.智慧のかしこげさ・ 09 日輪をみざる者の堅き冰をたのみ・水をみざる者の火をたのめるが如し。 -----― それゆえ仏教の一切経は外典に比べれば石と黄金とのような隔たりがある。また一切の大乗教、いわゆる華厳経・大日経・観無量寿経・阿弥陀経・般若経等の諸の経々を法華経に相対すれば、蛍火と日月の光と、崋山と蟻塚とのような相違がある。経に勝劣があるばかりでない。大日経を依経とする一切の真言師と法華経の行者とを合わせれば、火に水を注ぎ露を風が吹き払うようなものである。犬は師子を吠えれば腸がくさる。阿修羅は日輪を箭で射れば頭が七分に破れるという。一切の真言師は犬と阿修羅とのようであり、法華経の行者は日輪と師子とのようなものである。 氷は日輪の出ない前は金のように堅い。火は水のないときは鉄を焼いたように熱い。しかしながら夏の日にあえば堅い氷も容易に解け、熱い火も水を注げばただちに消えてしまう。一切の真言師は見るからに尊く、智慧ありげな様子をしているが、日輪を見ない者が堅い氷を頼みとし、水を見ない者が火を頼りとするようなものである。 |
華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
―――
観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
―――
阿弥陀経
鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。
―――
般若経
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
螢火と日月
維摩経巻上に「大道を行かんと欲するに、小径を示すこと莫れ……日光を以て彼の蛍火に等しくせしむることなかれ」と。小乗教と大乗経の差異を譬をもって示している。ここでは日光を法華経に譬え、蛍火を諸の経々に譬えて、法華経が勝れていることを述べている。
―――
真言師
真言宗を奉ずる僧侶。真言宗とは、三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗等ともいう。空海が中国の真言密教を日本に伝え、一宗として開いた宗派。詳しくは真言陀羅尼宗という。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法と相承したので、これを付法の八祖とし、大日・金剛薩?を除き善無畏・一行の二師を加えて伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経として、これを両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。顕密二教判を立て自らの教えを大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なそ、弘法所伝の密教を東密というのに対して、天台宗の慈覚・智証によって伝えられた密教を台密という。
―――
華山と蟻塚
華山とは中国の五岳の一つ。西岳ともいう。秦嶺山脈の支脈である終南山脈の一峰。蟻塚は蟻が作った円錐状の巣。弘明集巻一に「嵩岱に登りて丘垤を見るがごとし」とある。嵩岱とは嵩山と岱山のことで、各々五岳の一つであり、丘垤とは蟻塚のこと。ここでは崋山を法華経に譬え、蟻塚を諸経に譬えて法華経が勝れていることをいったもの。
―――
犬は師子をほうれば腸くさる
この文の出典は不詳であるが、これに類する文として、臨済録に「師子一吼すれば、野干脳裂す」とある。
―――
修羅は日輪を……
修羅とは阿修羅の略称。古代インドでは、戦闘を好み、帝釈とつねに争う鬼神として描かれている。日月を迫害すれば頭が七分に割れるという。この説話の出典は、大智度論巻十によれば、羅睺羅の言葉として「世尊は偈を以て我に勅したまへり『我月を放たずんば、頭を七分せん、設い生活するを得とも安穏ならじ』と。故を以て我は今この月を放てり」とある。
―――――――――
本章では、根本とする経の勝劣・浅深にしたがって、各宗の師にも勝劣・浅深があること、なかんずく真言宗の法師と法華経の行者とでは、天地雲泥の相違があることを述べられている。
この原理は「法妙なるが故に人貴し」(1578-12)という言葉によって、諸御書のなかで、一貫して示されているところである。いかなる経を根本としているかということは、いかなる哲学を基盤にしているかということでもある。そうした、根底とする哲学の高低は、あたかも、その人の立っているフロアの高低と同じで、背丈(せたけ)の差ではどうしようもない違いをそこに生ずる。持っている哲学が高度であるということは、人生、社会、宇宙の諸問題に対して、幅広く恒久的に対応できるということである。したがって、その哲理を自分のものにしていけば、人間として、より力強く生き、勝利していけることになる。持っている哲学が低ければ、対処できる幅は狭く、時間的にも、短い効力しか発揮できない。ゆえに、低い哲学の人は、それを自分のものにしたとしても、対応できない問題にぶつかり、敗れることになるのである。
いうまでもなく、仏教において、経典を持つといっても、ただ形式的に読み、学ぶのみに終わったならば、なんの役にも立たない。自己の生命に吸収し、また、それによって実銭化の努力をしようとしないで、ただ信仰しているというだけであるのは、真実のその経の〝行者〟とはいわない。
法華経――末法の法華経である南無妙法蓮華経の仏法も、それをいかに、わが生命に吸収し、現実のうえで、生きる力、智慧、福運として発現していくかが大切である。この努力をしている人は、妙法が他のいかなる経法にも勝れているように、尊極の生命変革をなし、人生においても、かならず偉大な人間としての勝利を実証していけるのである。
いわんや、双方が直接に対決するならば、すぐれた経を持つ者が勝利を収めることは、いかんともしがたい。「犬は師子をほうれば腸くさる。修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る」とは、法華経の行者である大聖人に敵対する真言師は、師子に吠えかかる犬、日輪を射る修羅のように、わが身を滅ぼすであろうと大確信を仰せられている。この原理は、妙法を実践するわれわれにおいても同じであると確信すべきであろう。
さて、日蓮大聖人に敵対し、大聖人に迫害を加える元凶となったのは、当時の念仏、禅等、あらゆる仏教宗派であるが、ここで、なぜ、真言宗をとくに取りあげられたかという問題について考えておきたい。
まず一つは、このお手紙の実質的な対告衆である乙御前の母が、大聖人に帰依する以前は真言宗を信仰していた人ではないかということが推測される。この点については、裏づけの史料がないので、憶測の域を出ないが、個人あての御消息であるだけに、いただいた人の立場が、その内容に反映されていると考えるのが自然である。
次に、当時の仏教界で、もっとも権威と力とを併せもっていたのが真言宗であった。たんに勢力だけをいえば、浄土宗が凌駕していたであろうが、仏教界に占める権威は、すでに早く天台宗をも傘下に組み入れた真言宗が、やはり圧倒的であった。
まして、本抄御執筆の前年に文永の役があり、ふたたび攻めてくることが明らかな事情のもとで、国を挙げて真言の加持祈祷に頼っていた。そして、それこそがまた、日本民衆の災厄をいっそう抜きがたいものとしている根源でもあったのである。
「一切の真言師は気色のたうとげさ、智慧のかしこげさ」とは、そうした、国中の尊信を受けているさまを表現されたのであろう。しかし、それも、末法の法華経の行者であり、御本仏日蓮大聖人に責められて、真言の法自体が日輪にあった氷、水をかけられた火のように消滅するがゆえに、それを頼みにしている真言師の権威も、はかなくやぶれ去ることを絶対の確信をもって言い切られているのである。
1219:10~1219:16 第四章 謗法の現証を示すtop
| 10 当世の人人の蒙古国をみざりし時のおごりは御覧ありしやうに・かぎりもなかりしぞかし、去年の十月よりは・ 11 一人も・おごる者なし、きこしめしし・やうに日蓮一人計りこそ申せしが・よせてだに・きたる程ならば面をあはす 12 る人も・あるべからず、 但さるの犬ををそれ・かゑるの蛇を・をそるるが如くなるべし、是れ偏に釈伽仏の御使い 13 たる法華経の行者を.一切の真言師・念仏者・律僧等に・にくませて我と損じ、ことさらに天のにくまれを.かほれる 14 国なる故に皆人・臆病になれるなり、譬えば火が水をおそれ・木が金をおぢ・雉が鷹をみて魂を失ひ・ねずみがネコ 15 に・せめらるるが如し、一人も・たすかる者あるべからず、其の時は・いかがせさせ給うべき、軍には大将軍を魂と 16 す大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり。 -----― 今の世の人々が蒙古国の襲来を見なかったときの思い上がりは、ご覧になられていたように限りないものがあった。しかし去年の十月蒙古が攻めてきてからは、一人も憍りたかぶる者はない。あなたもお聞きになったように、このことは日蓮がただ一人予言していたのであるが、寄せ手が来たときには、彼らに面と向かう人もないであろう。ただ猿が犬を恐れ、蛙が蛇を恐れるようになるであろう。 これはひとえに釈迦仏の御使いである法華経の行者を、一切の真言師・念仏者・律僧等に憎ませて、われとわが身を損ない、ことさらに諸天の憎しみを蒙った国であるから、すべての人が臆病になったのである。譬えば火が水を恐れ、木が金におびえ、雉が鷹を見て気を失い、鼠が猫に責められるようなものである。一人として助かる者のあるはずがない。その時はどのようにするのであろうか。戦には大将軍を魂とする。大将軍が臆したならば部下の兵はことごとく臆病となってしまう。 |
蒙古国
13世紀初め、チンギス汗によって統一されたモンゴル民族の国家。東は中国、朝鮮から西はロシア、オーストリアの境にいたる広大な地域を征服し、四子に領土を分与して、のちに四汗国が成立した。フビライが1271年に、国号を元と称し、1279年に南宋を滅ぼして中国を統一した。鎌倉時代、この元の軍隊がわが国に侵攻してきたのが元寇である。元寇は二度にわたったが、一度目は本抄御執筆の前年、文永11年(1274)10月で、これを「文永の役」と呼ぶ。
―――
念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
律僧
律宗を修行した僧侶のこと。
―――――――――
末法の法華経の行者日蓮大聖人を軽侮し、その忠告を聞き入れず、既成の権威である諸宗の教えの方を、正しいと信じていた日本国は、諸天善神から見放され、そのために、国家万民ことごとくが国難に遭遇して一喜一憂し、臆病この上ない惨めなありさまとなってしまった。そのさまは、五行説で水は火に、金は木に剋つという相剋関係の上から、火が水を恐れ、木が金を恐れるといわれており、また、雉が鷹に出あって動転し、そして猫ににらまれた鼠が縮み上がってしまう様子に似ている。このように、西方の超大国・蒙古の襲来にあって、臆病になってしまったのは、ただたんに大聖人の教えを信じなかっただけでなく、末法の御本仏に対して、生命にかかわる大難を与え苦しませ抜いた因果のあらわれであると喝破されている。
この章で述べられていることを敷衍して考えると、国家の安全、民衆の幸福のために、一国を外敵から守り抜くには、勇気ある指導者でなければならないということである。勇気とは、事にあたって沈着、賢明に処しうるということであり、そのためには、真実を正しく見極めていること、さらにいえば、未然に察知できることが要求される。日蓮大聖人ただ一人が、この時の最大の国難であった蒙古襲来の事態を予め見抜き、警告されていたのみならず、その根源を究めておられたのである。この事実こそ、大聖人が日本国の一切衆生を正しくリードし、この災厄に対処しうる〝大将軍〟であり、〝主の徳〟をもつ人であることを証明している。
当世の人人の蒙古国をみざりし時のおごりは、御覧ありしやうにかぎりもなかりしぞかし。去年の十月よりは一人もおごる者なし
文永11年(1274)10月の、元兵の壱岐・対馬来寇は、それまで外敵を見たこともなく、その攻撃を経験したこともなかった日本国の人々を、一瞬にして恐怖のどん底につき落としてしまった。同年11月に曾谷入道に与えられた御書に、「『多く他方の怨賊有って国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん』と申す経文合い候いぬと覚え候」(1024-01)と述べられているが、その原因は、「仏法の邪見」、すなわち「真言宗と法華宗との違目なり」と断定されている。
乙御前御消息の前半に、一貫して説かれる真言破折は、自界叛逆難や、他国侵逼難にあうことの必然性を教えられるためであったと拝察される。「蒙古国をみざりし時のおごり云々」とは、当時の人々の、大聖人に対する数数の迫害と法華誹謗の態度であり「去年の十月より云々」とは、実際に蒙古に責められて、蒙古という大国の強さを認識した後の、人々の周章狼狽のありさまである。
文応元年(1260)7月、日蓮大聖人は立正安国論をしたためられ、前執権北条時頼にあてて上書された。その中で、他国侵逼・自界叛逆の二難を鋭く予言されたが、当時の人々は、幕府はおろか、だれびとも真剣に大聖人の言を信じようとしなかったばかりか、その後、文永5年(1268)蒙古から使者が来てもなおかつ大聖人を竜口で斬ろうとし、弟子檀那等は所領没収、入牢等の責めを受けたのである。
しかるに、いよいよ大聖人の予言が的中し、蒙古の攻撃が事実となったとき、幸い嵐によって蒙古の軍船が沈み、侵略は免れたものの、その軍勢の強大さに対する世間の驚きと恐怖の念は、言い知れぬものがあった。そのさまは、あたかも、井の中の蛙が大海を知った時の驚愕と自信喪失に似ていたのであろう。正法誹謗による災いは、外からの侵略にとどまらず、智慧と勇気を失った、日本人の心の内に及んでいることを厳しく指摘されているのである。
軍には大将軍を魂とす。大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり
この文意は、深く洞察すれば限りなく広い。日常の生活のうえで、私達が直面する個人的問題から、地域社会全般、国家、全人類の上にふりかかってくる大きな難題に至るまで、それらの難題が大であれ小であれ、解決していくには、指導者の在り方が最大の要因となるという、いわば指導者の在り方を示されているのである。
いかなる事業においても、それを成し遂げる最大の要因は指導者のいかんにある。言い換えれば、指導者の指揮いかんによって、その組織が発展するか停滞するかのみならず、命運さえ決まるのである。したがって、指導者はどうあらねばならないかということを、この御文から学びとらなければならないと思う。
御教示の真意は、指導者たるものは、事態を正しく見究める鋭い英知と確信ある勇気をもって、責任ある英断の行動をしていかなければならない。そのような本源的な能力を発揮するためにこそ、根本的には三大秘法の南無妙法蓮華経を生命の奥底に持たねばならない、と拝することができよう。
当時、蒙古襲来に際して、歩兵の魂となるべき大将軍がどうしても必要であった。上下万民が、右往左往の慌て方であったのに対して、この事態に正しく対処できる「大将軍」とはだれであるかを明かされたものである。極楽寺良観への御状に「蒙古国調伏の秘法定めて御存知有る可く候か、日蓮は日本第一の法華経の行者蒙古国退治の大将為り『於一切衆生中亦為第一』とは是なり」(0174-08)とあり、日本第一の法華経の行者、大聖人をおいて他には、日本を救う大将軍はありえないことを、経文を示して宣言されている。これは、主・師・親三徳のうち、主の徳を示されているのである。
1219:17~1220:13 第五章 諸天の加護を説くtop
| 17 女人は夫を魂とす・夫なければ女人魂なし、此の世に夫ある女人すら世の中渡りがたふみえて候に、魂もなくし 18 て世を渡らせ給うが・魂ある女人にもすぐれて 心中かひがひしくおはする上・神にも心を入れ仏をもあがめさせ給 1220 01 へば人に勝れておはする女人なり、 鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、 法華経を信ずる人人は志ある 02 も・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人 03 の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり、 其の上いまのまうで又申す 04 ばかりなし、定めて神も・まほらせ給ひ十羅刹も御あはれみましますらん、 法華経は女人の御ためには暗きに・と 05 もしび・海に船・おそろしき所には・まほりと・なるべきよし・ちかはせ給へり、羅什三蔵は法華経を渡し給いしか 06 ば毘沙門天王は無量の兵士をして 葱嶺を送りしなり、 道昭法師・野中にして法華経をよみしかば無量の虎来りて 07 守護しき、此れも又彼には・かはるべからず、地には三十六祇・天には二十八宿まほらせ給う上・人には必ず二つの 08 天・影の如くにそひて候、 所謂一をば同生天と云い二をば同名天と申す左右の肩にそひて人を守護すれば、 失な 09 き者をば天もあやまつ事なし・況や善人におひてをや、 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守 10 り則ち強し」等云云、 人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、 是は御ために申すぞ古への御心ざし 11 申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、 其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼ 12 すべし、例には他を引くべからず、 日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで 一人もなくあやまたんと・せ 13 しかども・今までかうて候事は一人なれども 心のつよき故なるべしと・おぼすべし、 -----― 女人は夫を魂とする。夫がなければ女人の魂はないのと同じである。この世に夫のある女人でさえ世の中を渡りがたいと見られるのに、魂と頼む夫もなくて世を渡られているあなたが、夫のある女人にも勝れて心中かいがいしくておいでになるうえ、神をも信じ、仏をも尊ばれておられるので、人よりも勝れた女人である。 日蓮が鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人々は、だれが信心があるかないかは分からなかったが、北条氏のとがめをうけて佐渡の島まで流されると、問い訪れる人もなかったのに、女人の身でありながら、いろいろとお志を示されたうえ、あなたみずからがはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことである。そのうえこのたびの身延への訪れはなんとも申し述べようもない。かならず諸天善神も守られ、十羅刹も賞嘆されていることであろう。 法華経は女人のためには、暗い夜にはともしびとなり、海を渡る折には船となり、恐ろしい所では守護役になると、薬王品に誓われている。羅什三蔵が中国へ法華経を渡された時は、毘沙門天王は無数の兵士を遣わして葱嶺の難所を送ったという。また道昭法師が野中で法華経を読誦したとき、無数の虎が現れて守護したと伝えられる。あなたもまた羅什等のように諸天が守護しないはずがない。地には三十六神、天には二十八宿があって守っておられるうえ、人にはかならず二つの天が、影のように付き添っている。いわゆる一を同生天といい、二を同名天という。この二神がつねに人の左右の肩に付き添って守護するから、罪のない者を天が罰することはない。まして善人を罰するはずはない。 それゆえ妙楽大師は「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等といわれている。心の堅固な者には神の守りがかならず強いというのである。このように申すのは、あなたのために申すのである。前々からのお志については、言いつくせない。だが、それよりもなおいっそう強盛の信仰をなさい。その時はいよいよ十羅刹女の守りも強くなることと思いなさい。その例は他から引くには及ばない。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一切の人々が害しようとしたが、いままでこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても法華経を信ずる心の強いゆえに諸天が守護されたのであると思いなさい。 |
魂
①心の働きを司るもの。霊魂・精霊。②精神・気力。③心識・神識・霊妙な働き。④素質・天分。
―――
御勘気
主人または国家の権力者から咎めを受けること。
―――
十羅刹
十人の羅刹女のこと。鬼子母神の娘。羅刹女は梵語でラークシャシー(Rākṣasi)といい、悪鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六において法華経守護の諸天善神に列せられている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
―――
暗きにともしび……:
法華経の力用を譬える文。法華経薬王菩薩本事品第二十三には次のように説かれている。すなわち「此の経は能く一切衆生を救いたまう者なり。此の経は能く一切衆生をして諸の苦悩を離れしめたまう(中略)渡りに船を得たるが如く、病に医を得たるが如く、暗に灯を得たるが如く(中略)能く衆生をして一切の苦・一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたまう」とある。
―――
羅什三蔵
(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
毘沙門天王は……
羅什三蔵が西域から、中国へ法華経を渡した時、毘沙門天王は無数の兵士を遣わして羅什を守護し、葱嶺を送らせたということ。法華伝記巻一には多聞の守護したことが記してある。
―――
葱嶺
パミール高原の中国名。その名称は、西域記巻十二に「多く葱を出すの故に葱嶺と謂う」とある。世界の屋根といわれ、中国と西方諸国を結ぶ交通路の要所として、多くの隊商や僧侶がここを通った。
―――
道昭法師
(0629~0700)。日本法相宗の開祖。河内国丹比郡に生まれ、出家して元興寺に入った。白雉4年(0653)、遣唐使に従って入唐。慈恩寺の玄奘に師事。ついで恵満について禅を学んだ。斉明天皇6年(0660)に帰朝、元興寺に禅院を建立、諸国をまわって法相宗を弘めた。文武天皇4年(0700)3月寂。
―――
三十六祇
三十六神、三十六部神ともいう。灌頂経巻三に説かれている三十六の善神の総称。この善神は帝釈天の勅を受けて三帰を受けるものを守護する役割をもつといわれる。
―――
二十八宿
二十八種の星宿のこと。二十八舎・二十八星ともいう。黄道に沿って天球を二十八の星座に配し、一日一宿をあてたもの。インド・中国で古くから用いられた天文説に基づく。摩登伽経巻上にあるが経文によって異説もある。
―――
同生天・同名天
人が生まれた時から左右の肩の上にあって、つねに、その善悪の行為を記録し閻魔王に報告するという二つの神。華厳経巻六十には、「人の生じ已れば則ち二天有りて恒に相い随逐す。一を同生と曰い、二を同名と曰う。天は常に人を見れども人は天を見ざるが如し」とある。吉蔵の無量寿経義疏では、同生は女神で右肩にあって悪業を記録し、同名は男神で左肩にあって善業を記録するとあるが、異説もある。
―――
妙楽大師
(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の協議を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(江蘇省)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興乗楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」10巻、「法華文句記」10巻、「止観輔行伝弘決」10巻、また「五百問論」3巻等多数ある。
―――
「必ず心の固きに仮りて……」
止観輔行伝弘決巻八の文。摩訶止観巻八下の「心は是れ身の主、同名同生天は是の神、能く人を守護す。心固ければ則ち強し」の文を釈して「身と名を同じくし、身と生を同じくするを名けて天神と為す。自然にあるが故に之を名けて天と為す。常に人を護ると雖も、必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」とある。
―――――――――
この章においては、夫と別れた身でありながら、夫のある女性以上にけなげで、法華経に対する帰依も厚く、大聖人を慕ってはるばる佐渡に訪ね、身延入山後は人里離れた身延の沢へも大聖人をお訪ねするなど、乙御前の母の求道の姿勢を賞讃されている。そして、こうした強い信心に立ったとき、諸天がかならず守護することを、ご自身が迫害の中を生き抜かれたことを先例として述べられ、いっそうの強い信心に立つよう指導されている。
法華経は女人の御ためには、暗きにともしび、海に船、おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり
「暗きにともしび」「海に船」「おそろしき所にはまほり」この三つの譬えは、いずれも、法華経こそが女性にとって、唯一の成仏の法門であることを教えられたものである。
当時はとくに乱世であり、外からは、文永の役のあと、蒙古がいつふたたび襲来してくるかわからないという不安に、日本中が脅かされていた。頼りとするものもない寡婦であり、一人の幼児を連れた乙御前の母の生活は苦しく、惨めな思いをしていたのではないかと思われる。そのような乙御前の母にとって、この御文は、なによりの励ましであったであろう。
本来「暗き」とは、冥土というように、死後の世界を表現したものである。「海」もまた「生死の海」といい、生死のなかでも死を意味している。「おそろしき所」も、死後の生命は険難の所を往かなければならないとされているところから、このようにいわれているのであって、いずれも、これらは死後の世界についていわれている。
法華経が、このように「暗きにともしび」「海に船」「おそろしき所にはまほり」となるとは、死後の幸せを守ってくれるということであり、端的にいえば、成仏の法であるということである。
だが、ただ死後のためばかりの法ではない。成仏という究極の問題について、これほどまでに力がある経であるなら、この人生の諸問題に対して力がないわけはない。その現世の利益の例として、以下、羅什、道昭等のエピソードを述べられているのである。
人には必ず二つの天、影の如くにそひて候。所謂一をば同生天と云い、二をば同名天と申す云云
同生同名天については、語訳に示されているとおりである。つねに身にそい、あらゆる善悪の業を天に、交互に報告するとも、あるいは、死後、十王の法廷を回るときに、今生の一切の業を閻魔王等に告げるともいわれている。
本抄では、若干ニュアンスが異なり、左右の肩にそっていて、人を守護し、天が罪のないのにこの人を罰することがないようにしてくれると述べられている。一般にいわれているのが、どちらかといえば罪を告発する検事のような印象であるのに対して、本抄の仰せは、罪のない人を守ってくれる弁護士という印象で、ニュアンスは、まるで反対である。しかし、善悪の業を、正確に天に伝えるという点では同じことであって、同生同名天自体の働きが違うように説明されているわけではない。このように、善につけ悪につけ、一つ一つ正確に天に報告し、人の行為に対して厳格な果報が生ずるようにしているということは、要するに、生命の因果の法則を譬喩的にあらわしたものといえる。
ともあれ、善を行った場合はよい報いがあり、悪を行なったときは、かならず悪い報いがあらわれるというのが仏法の教えであり、そこには、厳しい因果の理法が貫かれていることを確信すべきであろう。
例には他を引くべからず。日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども、今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし
「例には他を引くべからず」とは、前述の妙楽の弘決の「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」の文の実例として、数々の難にあわれてきた御本仏日蓮大聖人の姿を見よとの仰せである。大聖人ご自身の受けてこられた数々の大難と、その結果をつぶさに見れば、おのずから判明するであろうとの意である。
大聖人の布教のご一生は、御年32歳の建長5年(1253)4月28日、安房国長狭郡東条郷の、清澄寺における立宗宣言に始まるが、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という、四箇の格言による大聖人の諸宗破折は、当時の諸宗を信じてきた民衆にとって、青天の霹靂であったのである。清澄寺を出て、鎌倉・名越の松葉谷に草庵を営まれるが、天災、飢饉、疫病に疲労困憊していく、無気力な民衆をまのあたりにされるにつけ、そうした災厄の根源である、諸宗に対する大聖人の攻撃は厳しさを加え、ついに文応元年(1260)7月16日、御年39歳の時、宿屋入道を介して、北条時頼に立正安国論を送り、すでにあらわれている災の元凶を明らかにするとともに、自界叛逆難・他国侵逼難の予言をもって諫暁されたのである。
この第一回の国主諫暁を因として、大聖人の御身の上に、次々と難が降りかかってきた。法華経勧持品第十三の二十行の偈に、身をもって直面されたのである。なかでも大きい難は次の四つである。
一、松葉谷の法難(文応元年8月27日)
一、伊豆流罪(弘長元年5月12日~同3年2月22日まで)
一、小松原の法難(文永元年11月11日)
一、竜口の法難(文永8年9月12日、次いで佐渡流罪、同11年3月まで)
弘安2年(1279)にしたためられた聖人御難事に「而るに日蓮二十七年が間、弘長元年辛酉五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり、左の手を打ちをらる。同文永八年辛未九月十二日佐渡の国へ配流、又頭の座に望む」(1189-13)と述べられているのは、これらの大難をいわれたのである。
このような難について、日蓮大聖人は、一面では、凡夫としての過去世の謗法の罪によるとされ、いま難を受けることによって、その罪を消滅しているのであると述べられている。しかし、また、もう一面では、法華経に記されている、末法の法華経の行者が数々の難にあうとの文を身をもって証明しているのであり、そうした難は、仏法の興隆を恐れる第六天の魔王の妨げによることを示されている。
すなわち、一方は自身の成仏のため、一方は正法興隆・広宣流布のためであって、一つの過程として苦しみはあるが、かならず大きく開けることは間違いない。しかも法華経に述べられているように、強い信念をもってこれを乗り越えていくならば、そこに正法を守る働きとしての諸天の加護があらわれ、守られていくことも間違いないのである。
ここに掲げた御文に述べられているように、日蓮大聖人ご自身、これほどの数多くの大難にあいながら、生き永らえて弘教の戦いを続けてこられたのである。
すなわち、松葉谷の襲撃にも屈せず、三年にわたる伊豆の流罪でも助けられ、小松原の刀剣の難も致命傷とはならず、まして竜口の〝頸の座〟をも、諸天善神に厚く守られた。結果は佐渡流罪となられたが、佐渡においても島の念仏者、あるいは諸宗の者達にねらわれながら、餓死や凍死から逃れることができたのは、阿仏房等の働きによることは当然であるが、諸天の働きによるとされているのである。こうして3年間にわたる厳しい流罪生活ののち、ついに文永11年(1274)3月8日、赦免の吉報を受けとられ、3月26日、無事鎌倉に帰還された。以上の経過は、種種御振舞御書に詳細に述べられている。
以上のような結果をもたらした原因はなにか、それは「一人なれども心のつよき故なるべし」なのであるとの仰せである。大聖人には、御本仏としての大確信と、広宣流布の使命感があられた。先に引用した、妙楽の弘決の「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」の文の「心の固き」とは、大聖人においては、末法万年の人類救済という大慈悲と責任感と使命にほかならない。「一人なれども」とは、日蓮大聖人が、当時の日本国の眼前に迫った、自界叛逆と他国侵逼の二難から一切衆生を救い、末法に三大秘法の本尊を流布するために、ただ一人、御本仏としての自覚に立って苦難を乗り越えてこられた、その心境をいわれたお言葉と拝せる。
われわれもまた、末法における世界の民衆救済という広宣流布の大事業は、いかなる障魔が立ちふさがろうとも、各人が〝一人立つ〟の自覚に立ち、強い信心の実銭を貫くとき、かならずや諸天の加護を受け、達成されるのである、と確信すべきであろう。
1220:13~1221:01 第六章 国中の人の唱題を予告するtop
| 13 一つ船に乗りぬれば船頭の 14 はかり事わるければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ 多くの能も無用なり、日本国には・か 15 しこき人人はあるらめども大将のはかり事つたなければ・かひなし、 壹岐・対馬・九ケ国のつはもの並に男女多く 16 或はころされ或はとらはれ或は海に入り 或はがけよりおちしもの・いくせんまんと云う事なし、 又今度よせなば 17 先には・にるべくも・あるべからず、京と鎌倉とは但壹岐・対馬の如くなるべし、前にしたくして・いづくへも・に 18 げさせ給へ、 其の時は昔し日蓮を見じ聞かじと申せし人人も 掌をあはせ法華経を信ずべし、念仏者・禅宗までも 1221 01 南無妙法蓮華経と申すべし、 -----― 一隻の船に乗り合わせてしまえば、船頭の舵取が悪ければ一同に船中の人々は命を損なうし、またいかに体が強くても心が弱ければ多くの能力も役立たない。日本国には賢明な人々はいるようであるが、大将の指揮が拙劣であるから望ましい結果もでない。壱岐・対馬と九か国の兵士並びに一般の男女まで、多くあるいは殺され、あるいは捕われ、あるいは海に沈み、あるいは崖から落ちた者は、幾千万人と数え知れない。また今度攻め寄せて来たならば、この前と同じ程度で済むはずがない。京都と鎌倉とは、かの壱岐・対馬のようになるであろう。蒙古が攻めてくる前に支度をしてどこへでも逃げられるがよい。その時は昔、日蓮を見たくない聞くまいといっていた人々も、掌を合わせて法華経を信ずるであろう。念仏者や禅宗の者までも南無妙法蓮華経と唱えるであろう。 |
壱岐・対馬・九ケ国
壱岐とは、壱岐国(現在の長崎県壱岐郡)のこと。対馬は対州ともいい、主島は上島・下島のこと。ともに九州と朝鮮半島との間に飛石状をなす島。早くから大陸との交通・軍事上の要地として開けた。九ケ国は九州の九か国をさし、西海道九か国で、筑前(福岡県北西部)、筑後(福岡県南部)、豊前(大半は福岡県、一部は大分県)、豊後(大分県の大部分)、肥前(一部は佐賀県、一部は長崎県)、肥後(熊本県)、日向(宮崎県)、大隅(鹿児島県の東部)、薩摩(鹿児島県の西部)のことをいう。当時これらの国々は、蒙古軍の侵略による被害を真っ向からこうむった。
―――――――――
ここでは、蒙古が再度、日本へ攻めてくるということを取り上げ、そのときには日本中の人々が、大聖人に帰依せざるを得ないであろうと述べられている。本抄が建治元年(1275)8月4日の御述作ゆえ、第一回の蒙古襲来すなわち「文永の役」から約10か月後ということになる。
文永の役は、約25,000の元と宋の両軍兵力に高麗兵8,000、水夫等6,000によって、日本侵攻をめざしたものであった。これは、蒙古としては台風の季節を避けたつもりであったのであろうが、嵐によって兵船のほとんどを失い、失敗に終わった。だが、翌文永12年(1275)4月には、蒙古の使者が来ており、再度来寇の通諜があった。この4月に改元になり、建治元年となっている。5月、幕府は西国諸国に防御準備を命じ、7月には、文永の役で戦わなかった御家人を問責するなど、断固応戦の姿勢を固めている。しかし、文永の役で、まのあたりに見た蒙古軍の強さは、圧倒的なものがあり、武士はもとより民衆の恐怖は、言語を絶したようである。
いま、この本文に述べられているように、蒙古軍に攻略された壱岐・対馬においては、武士達はもとより、多くの庶民も殺され、捕えられ、残虐な目にあわされたのである。さらに九州本土に上陸した蒙古軍は、圧倒的優勢をもって太宰府に迫ったのであった。その要因としては、旧態依然の個人戦法をとる日本軍に対し、蒙古軍はユーラシア大陸の大半を席捲した豊富な経験を持つ集団戦法である。弓の強力さも比較にならず、加えて、火薬を使った武器も用いていたという。しかし、そうした技術的な問題がすべてではなく、なによりも、真言等の祈りによって助けられるのではないかといった依頼心にあらわれる臆病さが日本側にはあったことも見逃せない。
幸いにして夜になり、蒙古軍は船に引き挙げ、その船が嵐によって転覆したので、日本は救われたのであった。だが、すでに述べたように、半年を経ないでふたたび使者が訪れ、再度侵攻の通諜があり、そのとおり行なわれた七年後の弘安4年(1281)の、いわゆる「弘安の役」は「文永の役」の4倍に近い、140,000の兵力をさしむけてくるのである。
もとより、建治元年の時点では、蒙古がどれほどの兵力で攻めてくるかは知るよしもなかったであろう。だが、ふたたび攻めてくることは確かであったし、一度、失敗しているだけに、それ以上の兵力を結集し、準備もととのえてくることは、予想されていた。それゆえにこそ、日本一国を挙げて、悲壮なまでの決意とともに、恐怖心に覆われていたのである。
日蓮大聖人が、今度の戦争によって、人々は法華経に帰依し、念仏者、禅宗等までも南無妙法蓮華経と唱えるであろうと予測されたのは、そうした国中にみなぎる空気を背景に拝察しなければならない。
身つよき人も、心かひなければ多くの能も無用なり
一人の人間にあって、肉体の力を動かしていくのは心である。頑健な身体をもち、技を身につけていたとしても、それを正しく働かせ、自分自身にとっても、人々のためにも、善の価値をもたらすように活用するには、悪や不幸をもたらすものに立ち向かう勇気と、どのようにそれを打ち砕くかを見極める英知といった、心・精神が必要である。
これは、さらにいえば、知識と知恵の関係にもあてはまる。いかに幅広い知識をもっていても、それを使いこなしていくのは知恵である。現在においても、未来においても、人間の教育において、この身と心の関係、すなわち、技術、技能、知識と精神、知恵との関係は、つねに忘れてならないもっとも根本的な課題であり、この両方のバランスが図られていかなければならない。それは、ひとり教育にとどまらず、文化の在り方全般にとってのもっとも重要なテーマでもあろう。
ともあれ、一個の人間にあって、もっとも大事な心は、一つの船にたとえれば、その指揮をとり、正しい航路へ導いていく船長であり、一国にたとえていえば、大将すなわち権力者である。権力をもつ人が正義を重んじ、賢明な知恵を発揮していけば、その国の民衆は苦難を免れ、幸せを得ていくことができる。大聖人は、そうした現実社会を率いていくために、真実の英知と強い勇気が必要であることを仰せられているのである。
1221:01~1221:12 第七章 強盛な信心を教えるtop
| 01 抑法華経をよくよく信じたらん男女をば 肩に・になひ背に・おうべきよし経文に見 02 えて候上・くまらゑん三蔵と申せし人をば 木像の釈迦をわせ給いて候いしぞかし、 日蓮が頭には大覚世尊かはら 03 せ給いぬ昔と今と一同なり、各各は日蓮が檀那なり争か仏にならせ給はざるべき。 -----― さて法華経をよくよく信ずる男女を、肩に担い、背に負うであろうと法華経に説かれているうえ、鳩摩羅琰三蔵という人を木像の釈迦が背負われたのである。日蓮の首の難には大覚世尊が身代わりになられた。昔と今とは同じである。あなた方は日蓮の檀那である。どうして仏にならないことがあろうか。 -----― 04 いかなる男をせさせ給うとも 法華経のかたきならば随ひ給うべからず、いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水 05 より出でたれども水よりもすさまじ、 青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、 同じ法華経 06 にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり、 木は火にやかるれども栴檀の木 07 は、やけず、火は水にけさるれども仏の涅槃の火はきえず、 華は風にちれども浄居の華は・しぼまず・水は大旱魃 08 に失れども黄河に入りぬれば失せず、 檀弥羅王と申せし悪王は月氏の僧の頚を切りしに・とがなかりしかども・師 09 子尊者の頚を切りし時・刀と手と共に一時に落ちにき、 弗沙密多羅王は鶏頭摩寺を焼し時・十二神の棒にかふべわ 10 られにき、今日本国の人人は法華経の・かたきと・なりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、 かう申せば日蓮が自讚 11 なりと心えぬ人は申すなり、 さには・あらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、 又云う事の後にあへばこそ 12 人も信ずれ、 かうただ・かきをきなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、 -----― どんな男を夫とされても、法華経に敵対するならば随ってはならない。いよいよ強盛の信心を持ちなさい。氷は水から出たのであるが水よりも冷たい。青い色は藍から出たけれども色を重ねると藍よりも色が濃い。同じ法華経ではあるが、信心を強く重ねれば他人よりも色もすぐれ利益もあるであろう。 木は火に焼かれるが栴檀の木は焼けない。火は水に消されるけれども仏の涅槃の火は消えない。華は風に散るけれども浄居天の華はしぼまない。水は大旱魃にはなくなるが黄河の流れに入ればなくならない。 檀弥羅王という悪王は、インドの僧の頸を切った時には科にあてられなかったが、師子尊者の頸を切った時は、刀と手が同時に落ちた。弗沙密多羅は鶏頭摩寺を焼いた時、十二神の棒で頭を割られたという。今日本国の人々は法華経の敵となって、身を亡ぼし国を亡ぼしてしまったのである。このようにいえば日蓮の自讃であると物の道理の分からない人はいったのである。けっしてそうではなく、これをいわなければ法華経の行者ではない。またいったことがのちに符合すればこそ人も信ずるのである。こうして書き置けばこそ、未来の人は日蓮は先見の明智があったと知るであろう。 |
肩にになひ……
法華経を読誦する者を、仏が肩に担い背に負うと経文に説かれている。法師品第十に「其れ法華経を読誦すること有らば、当に知るべし、是の人は仏の荘厳を以て自ら荘厳すれば、則ち如来の肩の荷担する所と為らん」とある。また法華文句巻八上には「為如来肩荷」とは、背に在るを荷と為す。肩に在るを檐と為す」と釈している。
―――
くまらゑん三蔵
鳩摩羅琰は、梵語クマーラーヤナ(Kumārāyana)の音写。鳩摩羅什の父。四世紀ごろのインドの人で、代代国相の家に生まれる。聡明で意志が強く、宰相の位を辞退して出家し、東上して亀茲国に入り、国師として迎えられた。
―――
木像の釈迦
宝物集上によると、「インドの弗沙密多羅王が国中の仏法を滅ぼした時、鳩摩羅琰は悲しんで仏像を持して亀茲国へ渡る途上、昼は仏を背に負い奉り、夜は仏に背負われた」とある。
―――
大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
―――
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
―――
利生
利益衆生の意で、衆生を利益すること。
―――
栴檀の木はやけず
仏教典に見える栴檀は、一般にビャクダン科の常緑樹をさす。翻訳名義集巻三には「華厳に云く、摩羅耶山、栴檀香を出す。名けて牛頭と曰う。若し以って身に塗れば、設い火坑に入るとも火も焼くこと能わざるなり」とある。
―――
仏の涅槃の火……
涅槃経後分巻下によると「仏の荼毘の火が消えようとする時、四天王が一刻も早く火を消し、仏舎利を天に収めて供養したいと思い、七宝の金瓶に満ちた香水と、須弥の大樹から採った甘乳を一時に流し注いだが、かえって火勢が強まり消えなかった。これを見て、海神・娑伽羅竜王、江神、河神等も無量の香水を荼毘所に注いだが、いよいよ火勢が盛んになるばかりであった」とある。
―――
浄居の華
浄居天に咲いている華のこと。浄居天とは色界の十八梵天の最後の五天のこと。五浄居天・五那含天ともいう。この五天は声聞の聖位の第三阿那含果の聖者の住処とされる。壊劫の最後に起こるという風災等の三災も侵すことのない色界最上の天であるから「華はしぼまず」と仰せられたものと思われる。
―――
大旱魃
長い間雨が降らなかったことによって起こる水不足。ひでり。
―――
黄河
中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。現在の中国文明の直接の母体である黄河文明を育んだ川であり、中国史上において長江と並び巨大な存在感を持つ河川である。
―――
檀弥羅王
付法蔵第24番目、最後の伝灯者である師子尊者を殺害した王。師子尊者は釈尊滅後1200年ごろ、中インドに生まれ、鶴勒夜那について学び法を受け、罽賓国で弘法につとめた。この国の外道がこれを嫉み、仏弟子に化して王宮に潜入し、禍をなして逃げ去った。檀弥羅王は怒って師子尊者の首を斬ったが、血が出ずに白乳が涌き出し、王の右臂が刀を持ったまま地に落ちて、7日の後に命が終わったという。
―――
師子尊者
師子、師子比丘ともいう。六世紀ごろ、中インドの人。付法蔵二十四人の最後の伝燈者。景徳伝燈録巻二によると、尊者は罽賓国に遊化して衆生を化導していたが、二人の外道の幻術に惑わされた檀弥羅王は誤解し、怒って師子尊者の首を斬ったが、血が出ずに白乳が涌くように出て、同時に檀弥羅王の右臂が刀を持ったまま地に落ちて、七日の後に命が終わったという。
―――
弗沙密多羅王
梵語プッシャミトラ(Puṣyamitra)の音写。紀元前二世紀ごろのインドの王。阿育王の末孫にあたる。雑阿含経巻二十五によると、「王はその名徳を世に令こうとして群臣にこれを謀ったところ、賢善の臣は阿育王のように仏塔を建て三宝を供養すべきことを勧めたが、王はこれを喜ばず、かえって悪臣の言をいれて、もろもろの仏塔を破壊し多くの僧侶を殺害した」とある。
―――
鶏頭摩寺
鶏園寺・鶏林精舎・鶏寺ともいう。古代インド・マカダ国にあった寺。阿育王の建立。大唐西域記巻八によると、「王は仏法を信じて以来この寺で種々の善根を修し、群臣と共にこの寺に詣でては、千僧を召集し、凡聖の両衆に対して四事を供養した」とある。阿育王が第三回の仏典結集を行なった伽藍は、この鶏頭摩寺をさすと考えられる。
―――
十二神の棒
阿育王伝巻三、雑阿含経巻二十五等によると、弗沙密多羅王が兵をもって鶏頭摩寺等を攻めて仏法を破壊しようとした時、娑伽羅国の仏塔の護法神が女婿の虫行神に命じて、大山を以って棒とし、王と兵士を圧殺したとあるが、十二神を示す言葉はない。十は余りの字でたんに二神をさすとの説もある。他に薬師経巻下に、薬師経を読誦し持つ者を守護するとされる十二大将、十二天供儀軌には、世界を守護する神々として十二天等が説かれている。
―――――――――
この章は、強盛な信心に立つならば、なにものによっても破られることはない、ということを幾多の例を引いて示されている。
まず、乙御前の母に対し、だれと再婚するにせよ「法華経のかたき」に従ってはいけないこと、大切なことは、乙御前の母自身がいっそう信心に励み、なにものによっても崩されることのない、福運をみずから築き上げることである、と懇ろに指導されている。
日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ。昔と今と一同なり。各各は日蓮が檀那なり。争か仏にならせ給はざるべき
「昔と今と一同なり」とは、この前にある鳩摩羅琰と日蓮大聖人とを並べていわれていることは、いうまでもない。鳩摩羅琰は、昼間、釈迦仏の像を背負ったところ、夜は、その像が鳩摩羅琰を背負ったというエピソードである。これは、仏法のために尽くせば、かならず仏法によって守られることをあらわしている。大聖人は、あらゆる苦難を身に受けて、釈尊の説いた法華経の真実であることを証明されたのであった。聖人御難事にいわく「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり」(1190-01)と。ゆえに、大聖人の最大の難である竜口の法難において、法華経の教主・釈尊、すなわち大覚世尊が大聖人になりかわったのである、との仰せである。
そして、この竜口の頸の座で大覚世尊が「かはらせ給いぬ」とは、日蓮大聖人が、凡身を払って久遠元初の自受用報身とあらわれたことを意味する。
開目抄には、このことを「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、返年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人いかにをぢぬらむ。此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の、未来日本国当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし」(0223-16)と。日寬上人は、この御文について、次のように釈している。「この文の元意は、蓮祖大聖は名字凡夫御身の当体、全くこれ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成仏を唱え、末法下種の本仏と顕れたもう明文なり」と。
これらの御文から、いま「日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ」と仰せの真義は明瞭である。ゆえに、仏法の原理から、大聖人の教えどおりに実銭していくならば、日蓮大聖人の檀那たる各人も、成仏できない道理は断じてないと言いきられているのである。
同じ法華経にてはをはすれども、志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり
氷は水からできているが、水より冷たい。青は藍からつくられるが、藍よりもあおい。これと同様、同じ法華経を持っていても、信心の志を重ねるなら、人より以上に法華経の力を輝かせ、功徳を得ることができる、ということである。この〝法華経〟とは、三大秘法の御本尊であることはいうまでもない。したがって、御本尊を受持するにあたって、持つ人の信心こそ大切であることを教えられた御文である。
御本尊は偉大な力を秘めた当体であられる。だが、そのお力は、受持する人の信心の深さ、その信心に立った粘り強い実践に応じて発現されてくる。信心が弱く、実践もしないならば、力自体は絶大であっても、発現しないのである。ゆえに、御本尊が偉大であるなら、なんとか救っていただけるであろうという、甘えた姿勢であってはならない。どこまでも、みずからの信力・行力を奮い起こし、題目を唱えぬき、その生命力で問題と取り組んでいくことが大事なのである。同様に、この仏法を弘めていく広宣流布の大事業も、仏法が偉大であるなら自然に弘まるのではない。大聖人の精神を受け継いで、死身弘法の実践をしていく人々の努力によって、はじめて広布は推進され、成就されていくことを知らなければならない。
木は火にやかるれども栴檀の木はやけず……水は大旱魃に失れども黄河に入りぬれば失せず
ここは、御本尊を受持し、実践している人は、いかなる苦難にあっても破られることはなく、金剛不壊の境地に住することを、譬喩をもって示されている。
火に焼かれてしまう普通の木は、煩悩に焼かれる凡夫の生命を譬えられている。妙法を信ずる人は、仏身を現じているゆえに、これを栴檀に譬え、いかなる煩悩の火にも焼かれることはないと仰せられているのである。水に消されてしまう火とは、生死の水に消される凡夫の生命を譬えられている。妙法を受持している人は、生死を即涅槃と開くゆえに、いかなる水にも消えることはない。同様に、風に散る華は、世間一般の幸福の譬えである。妙法を根底とした人の幸福は、浄居天の華のように、どのような苦難の嵐にあっても、しぼむことはないのである。また、大旱魃にあって失せてしまう小川の水や池の水は、己れの過去の善根に拠っている福運を譬えられている。無上宝聚に譬えられる、宇宙生命そのものともいえる妙法に帰命した人の福運は、黄河に入った水のように、いかなる大旱魃にも涸れることはないのである。
檀弥羅王と申せし悪王は、月氏の僧の頚を切りしに、とがなかりしかども、師子尊者の頚を切りし時、刀と手と共に一時に落ちにき……今日本国の人人は法華経のかたきとなりて、身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり
敵対する相手によって、罰の大きさが異なることをいわれている。相手が卑賎であれば、罰はさほど大きくない。檀弥羅王がインドの僧を切って科がなかったというのは、このためである。ところが、師子尊者は、仏法の法燈を伝える付法蔵の人であり、当時においてもっとも尊貴の人であった。したがって、この師子尊者を切ることは、法燈を断ち切るのと同じであり、ゆえに檀弥羅王は即座に、自分の腕が落ちるという仏罰をこうむったとされるのである。弗沙密多羅王が、阿育王建立と伝えられ、仏教史に赫々たる名を残す鶏頭摩寺を焼いて十二神の棒で頭をわられたというのも、同じ原理である。
同じく、いま、日本中の人々は、日蓮大聖人に敵対し「法華経のかたき」となることによって、他のだれびとを迫害し苦しめたよりも大きな罰をこうむって、おのおのの身ばかりでなく、国をさえ亡ぼそうとしているのである。そして、このことは、かならず後世になって事実としてあらわれ、大聖人こそ、真に仏法に通達した人、すなわち仏であられたことに、未来の人は気づくであろうと、大確信を述べられている。大聖人は、自分をいじめたために国が亡ぶというのは、人は自讃というかもしれないが、未来の人々に正しい仏法に目覚めさせるために書き残しておくのだといわれている。すなわち、このように断言され、書き残されるのも、遠い未来の人々への大慈悲の所作なのである。
1221:12~1222:10 第八章 末法御本仏の胸中を明かすtop
| 12 又身軽法重・死身弘法と 13 のべて候ば身は軽ければ人は打ちはり 悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、 法華経弘まるならば死かばね還つ 14 て重くなるべし、 かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、 利生あるならば今の八幡大菩薩と・いはは 15 るるやうに・いはうべし、 其の時は日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのやうにあがめらるべしと・おぼしめ 16 せ、 抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、 況や 日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳を 17 や、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや、 法華経の第四に云く「仏滅度の後に能 18 く其の義を解せんは 是諸の天人世間之眼なり」等云云、 法華経を持つ人は一切世間の 天人の眼なりと説かれて 1222 01 候、日本国の人の日蓮をあだみ候は 一切世間の天人の眼をくじる人なり、 されば天もいかり日日に天変あり地も 02 いかり月月に地夭かさなる、 天の帝釈は野干を敬いて法を習いしかば 今の教主釈尊となり給い・雪山童子は鬼を 03 師とせしかば今の三界の主となる、 大聖・上人は形を賎みて法を捨てざりけり、 今日蓮おろかなりとも野干と鬼 04 とに劣るべからず、 当世の人いみじくとも帝釈・雪山童子に勝るべからず、 日蓮が身の賎きについて巧言を捨て 05 て候故に国既に亡びんとする・かなしさよ、 又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも・たすけがたからん事こそ・な 06 げかしくは覚え候へ。 07 いかなる事も出来候はば 是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にうえ死にし候はん、又乙御前こそおと 08 なしくなりて候らめ、いかにさかしく候らん、又又申すべし。 09 八月四日 日蓮花押 10 乙御前へ -----― また涅槃経の疏に、「身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」と述べている。日蓮の身は軽く賤しいから、人は打ちたたき憎んだとしても、法は重いから必ず弘まるであろう。法華経が弘まるならば日蓮の屍はかえって重くなるであろう。屍が重くなるならばこの屍は衆生を利益するであろう。利益があるなら今の八幡大菩薩が祭られているように祭られるであろう。その時は日蓮を供養した男女は、八幡大菩薩に仕えた武内宿儞や若宮などのように崇められるであろうと思いなさい。 そもそも、一人の盲目を開ける功徳でさえ言葉に表わせない。まして日本国の一切衆生の眼を開ける功徳にいたってはいうまでもないのである。さらに全世界の人々の見えない眼を開ける功徳はとうてい言いつくせない。法華経の第四の巻には、「仏の滅度の後に、能く仏法の義を解する者は、諸の天人、世間の眼である」等とある。仏の滅後によく法華経を持つ人は一切世間の天人の眼であると説かれている。日本国の人々の日蓮を迫害するのは一切世間の天人の眼をえぐりとる人である。それゆえ天も怒り、日々に天変が起こり、地神も怒り、月々に地夭が重なるのである。 帝釈天は野干を敬い仏法を習ったところ今の教主釈尊となられ、雪山童子は鬼を師としたところ今の三界の教主となった。古の大聖や上人は形を賤しんで法を捨てることはしなかった。今日蓮は愚かであっても野干や鬼には劣るはずがない。当世の人々が立派でも帝釈天や雪山童子に勝ることはない。日蓮の身分が下賎であるとして、その正しい主張を捨てて用いないゆえにすでに国が亡びようとしているのは、真に悲しいことである。また、日蓮を不便と思って仕えてくれた弟子達をも助けがたいことが嘆かわしい。どのような事でも起こったならば、この身延へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中でともに餓え死にしましょう。また乙御前はさぞかし成長されたことであろう。どんなにか聡明になられたことであろう。いずれまた申し上げましょう。 八月四日 日 蓮 花 押 乙 御 前 へ |
身軽法重死身弘法
章安大師の涅槃経疏巻十二の文。「身は軽く法は重し。身を死して法を弘む」と読む。仏法弘通の精神を示した文。凡夫の身は軽く、弘むべき法は重いとの意。一身を賭して仏法を弘めるべきであるとの精神を教えた言葉。
―――
八幡大菩薩
天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
―――
武内
武内宿禰のこと。古事記・日本書紀に見られる伝説上の人物。孝元天皇の曾孫。大和朝廷の初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五人の天皇に仕えたといわれる。神功皇后の新羅征伐、応神天皇の即位を助けたという。
―――
若宮
①神社の本宮に祭った神の子を、その境内に祭る社。②本宮を勧請して祭った神社、新宮をいう。京都の石清水八幡宮を新たに祭った鎌倉の鶴岡八幡宮は若宮となる。
―――
一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
―――
四天下
鹹水海の中にある四州。東を弗婆提・西を瞿耶尼・南を閻浮提・北を欝単超をいう。
―――
天変
天空に起こる異変。暴風雨・日蝕・月蝕等。
―――
地夭
地上に起こる異変。
―――
天の帝釈は……
未曾有因縁経巻上によると、「尸陀山に住む野干が師子王に追われて涸井戸に落ち、三日を経て餓死する寸前に、仏法に帰命して罪障消滅を願う一偈を説いた。これを聞いた帝釈は諸天を率いて野干を敬って説法を請うた」といわれる。ただし、野干から仏法を学んだ帝釈が釈尊となった因縁説の本拠については明らかでない。
―――
野干
射干とも書く。狐の別称。中国では、狐に似た正体不明の獣。翻訳名義集巻二に「悉伽羅。此に野干という。狐に似て而も小型なり。色は青黄にして狗の如し。群行して夜狼の如く鳴く」とある。野干・射干・悉伽羅等の語は梵語シュリガーラ(śṛgāla)の音写で、ジャッカルのこと。
―――
教主釈尊
一代聖教の教主である釈尊のこと。釈尊には六種、蔵教・通教・別教・法華迹門・法華本門・文底独一本門の釈尊があるが、釈尊教主は教法の主導の意で、法華文底独一本門の教主、日蓮大聖人のこと。ただし御文によってまれに、インド応誕の釈迦仏をさす場合もある。
―――
雪山童子
釈尊が過去世で修行していた時の名。雪山大士ともいう。涅槃経巻十四にある。
―――
巧言
巧みに言い回した言葉。口先だけでうまく言うこと。
―――
乙御前
生没年不詳。日蓮大聖人御在世当時の信徒。乙御前の母は日妙尼のことと思われるが、確証はない。日妙聖人御書には、「而れども一の幼子あり。あづくべき父もたのもしからず。離別すでに久し」(1217)とある。
―――――――――
日蓮大聖人は、身は軽く法は重きゆえに、身を死して法を弘めてこられたのであるが、その「法」即法華経が流布したときには、大聖人の身も重みを増し、人を利益すると仰せである。
事実、真実の法を教え、人々の眼を開いた大聖人は、人々にとって大恩ある仏であり、日本国の人々は大聖人をあだむゆえに、天変地夭が重なり、国さえ亡びようとしているのである。
これは、法華経の行者として命を賭された大聖人こそ、末法の衆生を救う御本仏であることを述べられているのである。大聖人のかばねが未来の人々を利益し、逆に大聖人をあだむならば、罰があると仰せられているのは、ご自身が御本仏であるとの大確信にほかならないからである。
身軽法重死身弘法とのべて候ば、身は軽ければ人は打ちはり悪むとも、法は重ければ必ず弘まるべし
死身弘法の実践こそ、仏法流布の根本精神であることを述べられた御文である。
日蓮大聖人ご自身が、わが身命をなげうって仏法を弘め、この範を示されたのであった。ゆえに、大聖人の精神を継ぐというならば、同じく、死身弘法の実践に励まなければならないことは当然であろう。
なぜ、身を死しても法を弘めるべきか。それは、身は軽く法は重いゆえである。われわれは三毒強盛の凡夫の身である。法は三世十方のあらゆる仏の能生の根源たる久遠元初の南無妙法蓮華経である。およそ、比べものにならないほどに、法は重く身は軽い。したがって、この法を弘めるにあたっては身命を惜しんではならないのであり、たとい三障四魔、三類の強敵によって、凡夫の身は殺されるようなことがあっても、法はかならず弘まるのである。仏法の実践者の根本精神は、この法をどこまでも重んじ、法を弘めるところにあることを忘れてはならない。
法華経弘まるならば死かばね還って重くなるべし。かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし云云
「法華経弘まるならば死かばね還って重くなるべし」とは「法妙なるが故に人貴し」(1578-12)と同じ原理である。自身は、どこまでも法を重んじ、わが身をなげうつのであるが、法のゆえに、今度はかえって、わが身が重みを増すのである。
いうまでもなく、ここで重みといわれているのは尊貴さ、偉大さという意味である。
ここでは、一往「法華経弘まるならば」と実際に人々の間に広く流布することをいわれているが、大聖人の生命は、真に法華経の行者として貫かれたご一生であるゆえに、たとい、正法を信ずる人は数えるほどしかいなくとも、末法御本仏であることは間違いないし、その生命のもつ重みは無上である。また、たとい逆縁という形であっても多くの人が正法と結縁することができれば、それはすなわち「弘まる」ことと同義である、とも拝せよう。
なお、ここで「かばね」と仰せの元意は、肉体のかばねではなく、したがって御身骨等の意でないことは明らかである。これをさらに深く考えるならば、具体的には「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」(1124)と仰せられているように、末法の衆生のために遺された大御本尊と拝せるであろう。
したがって「此のかばねは利生あるべし。利生あるならば今の八幡大菩薩といははるるやうにいはうべし」とは、願いとして叶わざるなしの御本尊を、あたかも日本の一切衆生が八幡大菩薩を信仰しているように、おまつり申し上げ、あらゆる人々が信仰する時がかならずくる、との広宣流布への大確信を述べられているのである。
「其の時は日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのやうにあがめらるべし」とは、大聖人に供養し、大聖人の弘教を扶(たす)けた功によって、後世の人々から尊敬されるようになると仰せである。願わくは、広布の大業に邁進し、仏法のゆえの名を後世に留めるようでありたいものである。
抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし。況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや云云
この盲目とは、肉眼の欠陥をいうのではない。心の眼であり、智慧の眼を問題にして言われた言葉である。そして、その心眼、智慧の眼のなかでも、究極すれば汝自身の根源、開いていえば宇宙万法の真理を達観した仏法の智慧、すなわち「仏知見」「諸仏智慧」と法華経に説かれる智慧である。日蓮大聖人が全人類に教え、その盲目を開かんとされたのは、まさに、この仏法の真髄の智慧を示そうとされたのであった。
智慧の眼を開くのは、その人に、真の自立と自由を得させることでもある。盲目であっては、つねに杖等に頼らなければならないように、自立と自由が欠如することになる。なかんずく智慧の眼の盲目は、より本源的な不自由と依存を意味する。したがってより深く、根本的な智慧の眼を開くならば、より強く恒久的な自立と、広大な自由が得られるのである。そして、人間の尊厳とは、こうした自立と自由によって打ち立てられるのである。人に依存することしかできず、自由のない境涯においては、人間の尊厳も、生命の尊厳もありえないことを知らなければならない。
したがって、もっとも根源的な智慧の眼を開く仏法は、もっとも強く根本的な自由と自立を人間にもたらすものであり、ゆえに、もっとも究極的な人間の尊厳を実現しようとするのである。ゆえに、この仏法を持つ人は「一切世間の天人の眼」であり、この仏法を教える人は「一閻浮提四天下の人の眼をあける人」であり、この人をあだみ迫害することは、人間の尊厳に敵対し、人間の尊厳を踏みにじるのと同じになる。ゆえに、そうした行為に対しては、かならず「天もいかり…地もいかり」災いが報いとしてあるのである。
折伏弘教に励み、広布に邁進する人に対して、これを憎み迫害しようとするならば、この御文に照らし、また幾多の体験的事実に照らし合わせて、厳罰があることを知らなければならない。
天の帝釈は野干を敬いて法を習いしかば今の教主釈尊となり給い……日蓮が身の賤きについて巧言を捨てて候故に国既に亡びんとするかなしさよ
仏法を習うにあたっては、相手の身の賎しさ等、外形にとらわれてはならないことをいわれた御文である。
野干とは畜生である。鬼とは餓鬼である。その人の境涯がどんなに賎しくとも、仏法に通達しているならば、心から敬意をはらい、法を求め、教わっていくのが、仏法求道者のあるべき姿であることを教えられているのである。いわんや、貧富等の経済的条件や、位階等の社会的条件といった外面的な問題にこだわっていくとしたならば、もはや仏法者ではないといわなければならない。
大聖人に対し世間の人々は、大聖人が当時の仏教界において、なんの位もなく、権威ももっておられなかったことから、大聖人を卑しみ、その言葉がことごとく真実を言い当てたにもかかわらず、偏見と感情にとらわれて用いなかったために蒙古襲来という国難を招き、亡国の危機に陥ったのであった。
凡夫僧の身が、どんなに賤しいといっても野干や鬼に比べればはるかに尊い人間ではないか、それを卑しんでいる当世の人々は、貴い身分だといっても帝釈天や雪山童子に比べれば取るに足りないではないか、と当時の人人の愚かさを心から嘆いていらっしゃるのである。
いうまでもなく、これは当時の謗法にとらわれた権力者等のことをいわれたのであるが、原理は、仏法を学び実践する信仰者の世界においても、そのまま通ずる。われわれは、一人一人が、この精神を心肝に染め、純粋な求道の世界を守っていくことが大切であろう。
又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをもたすけがたからん事こそ、なげかしくは覚え候へ。いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし、見奉らん。山中にて共にうえ死にし候はん
弟子檀那に対する慈愛あふれるお言葉である。日本国が大蒙古国の大軍に攻められ、滅ぼされるかも知れない事態にあって、弟子達を助けられないことを嘆いておられるのである。そして、もし、蒙古が攻めてきたなら身延の山中の大聖人のもとへ来なさい、と。もちろん、不自由な山中にあっては、大聖人お一人でさえ、食べていくのも、ままならない状態である。人が来たなら、食糧もたちまち底をつくのは目にみえている。しかし、必ず迎えて面倒をみてあげよう。そして、食べ物がなくなったときは一緒に餓え死にしようではないか、といわれているのである。
娘の乙御前の成長を尋ね、期待を寄せながらの、このように慈愛あふれるお手紙に、母親は、どんなにか喜びと勇気に包まれたことであろうと察せられる。
1218~1222 乙御前御消息(身軽法重抄)2009:7.8.9月号大白蓮華より。先生の講義top
法華経は、民衆を救う大船
民衆の叫びは、真実の力です。
民衆の賑やかな行進は、社会を動かします。
民衆の力ほど、強きものはない。
そして、民衆の団結ほど、強大にして不敗もものはない。
民衆の団結には、誰人たりとも敵わない。
いかなる時代にあっても!
いかなる世界にあっても!
日蓮大聖人の仏法は、民衆の時代を開き、民衆自身を幸福にする、「民衆の宗教」です。 民衆の幸福の現実といっても、それは抽象論ではありません。どこまでも焦点は「一人」にあります。目の前の「一人」を現実に幸せにすることができるかどうか。その現証を示し切ってこそ、真の宗教の証明となります。
理想的な社会の実現といっても、すべては、「一人の人間における偉大な人間革命」から始まります。
大聖人は、その偉大な一人一人を育てようとされました。そして、そのために必要不可欠な要件として、大聖人が教えてくださったのが「信心」です。
誰人であっても、一生成仏を目指し、「人間革命の信心」を貫き通すならば、確固たる自分自身を確立することができます。各人が、「自他共の幸福」を実現する境涯を築きあげる。いかなる逆境にも屈せずに前進し、価値創造の人格を高める。どんな宿命にも負けない、自在な境地を打ち立てゆく信仰です。自分の信心を磨き上げるための信心です。
この「乙御前御返事」は、蒙古の再びの襲来が予想され、世情や思想が乱れるなかで、女性門下に対して、いよいよ強盛に信心に励み、「本物の一人」に成長することを呼びかけられている御書です。
乱世だからこそ、頼るべきものは、わが「信心」しかありません。
本抄をいただいた乙御前の母は、乙御前という娘とともに、師弟の道を歩み抜いた健気な門下の一人です。鎌倉から大聖人のおられる佐渡へ足を運び「日妙聖人」という名まで頂きました。この誉れの女性門下に対して、大聖人はどのように激励、指導なされたか。本抄を拝し、信心の精髄を深く学んでいきましょう。
| 1218 乙御前御消息 建治元年八月 五十四歳御作 01 漢土にいまだ仏法のわたり候はざりし時は三皇.五帝.三王.乃至大公望.周公旦・老子.孔子.つくらせ給いて候い 02 し文を或は経となづけ或は典等となづく、 此の文を披いて人に礼儀をおしへ・父母をしらしめ・王臣を定めて世を 03 おさめしかば人もしたがひ天も納受をたれ給ふ、 此れに・たがいし子をば不孝の者と申し 臣をば逆臣の者とて失 04 にあてられし程に、 月氏より仏経わたりし時・或一類は用ふべからずと申し或一類は用うべしと申せし程に・あら 05 そひ出来て召し合せたりしかば外典の者・負けて仏弟子勝ちにき、 -----― 中国にまだ仏法のつたわらなかった時は、三皇・五帝・三王の諸王や、太公望・周公旦・老子・孔子等の聖賢が作られた書をあるいは経と名づけ、典等と名づけた。これらの書を開いて人に礼儀を教え、父母を知らせ、王と臣を定めて世を治めたから、世の人も従い、天も願いを聞き入れられた。この経典に背く子を不幸の者いい、臣下を、逆臣の者と称して罪に処せられたが、そのうちインドから仏教が伝来してきた時、ある一類は仏教を用いてはならないといい、ある一類は仏教を用いるべきであると主張しあらそいが起き、双方が、朝廷に召されて対決したところが、外典の者が負けて仏の弟子が勝ったのである。 |
“創始者が会えば結論は早い”
まず大聖人は、乙御前の母に対して「貴女が持つ法華経がどれだけ尊い教えなのか」を語りかけられています。仏教の特徴、なかでも大乗の本質、その究極が法華経であるとして、乱れた世にあって、法華経を持つ人がいかに尊貴か。正しき師匠のもとで、究極の法を持つ乙御前の母が、いかにすぐれた女人であるかを自覚させているのです。
その端緒として、中国における仏教伝来の歴史から説き起こされます。
まず、仏教伝来の以前に中国に広まった諸経も、それぞれの時代において、民衆を救う力をもっていたことを指摘されています。
いかなる宗教も、本来は「民衆の幸福」のためにあります。
よく戸田先生は、語っておられました。
「大聖人をはじめ、釈尊、キリスト、マホメットといった、各宗教界の創始者が一堂に会して、『会議』を開けば早いのだ」
国家も、団体も、トップ同士だ、話は通じやすいし、解決も早い、自分が責任をもって考えているからです。
まして、宗教において、責任ある者同士が語らいをすれば、必ず共通点を見いだすことができる。おりわけ、世界宗教の創始者たちは、それぞれ、時代、社会などの状況が異なり、方法論に違いはあっても、人類から悲惨を絶滅するという願いにおいては一致するはずである。 これが、戸田先生の宗教観でありました。
問題は創始者たちが目指していた「民衆の幸福の実現」という原点を、その末流の者たちが忘れてしまう点にあります。創始者の激闘を忘失し、形式化し、果ては自身が欲望にまみれ、信徒を見下す。信徒の幸福を顧みない日顕宗など、その最悪の事例です。宗祖の精神に背いてしまえば、もはや邪教です。
日蓮大聖人が諸宗を激しく破折されたのも、当時の諸宗の僧たちが、仏教の原点をないがしろにして、人々の幸福実現のための成仏の法理を閉ざしてしまったためにほかならない。
日蓮大聖人の基準は、どこまでも「全民衆の幸福の実現」にあられた。
「但偏に国の為法の為人の為」(0035-12)であり「一切衆生の為」であればこそ、大聖人は、国主を諌暁し、諸宗を破折されたのです。
悪僧によって「民のなげき弥弥深し」という状態になることを放置することはできなかった。
他の御書では、仏教を知らなくても、民衆の苦しみを救い、民衆の嘆きを止めた智者は「仏の御使い」であるとまで仰せです。その智人たちは、自分で意識していなくても、仏法の智慧をそれぞれ心に宿していたからです。
本抄でも、中国に仏教が伝来するまでの時代、理想の君主や賢聖たちが残した思想が、人々の生きる良き規範となり、平和な世が築かれていたことを、まず紹介しています。
ここで礼儀や父母・主君への尊敬などの規範が挙げられています。当然ですが、これは、封建的な主従関係などを説く道徳を奨励しているのではありません。その時代においては「恩」に報いる生き方や、「主師親」を救うという規範が確立されてこそ、「自他共の幸福」を社会に実現していけるからです。
しかも、外からの規範だけでは、人間の欲望の力を抑えることはできません。そこで、より深い智慧である仏教が伝来し、やがて用いられているようになったのです。
仏教は、人間自身を豊かにして、優れた人間革命をもたらす深い智慧を用いてこそ、宗教の本来の使命である「自他共の幸福」の実現へ、大きな力を発揮することができる。反対に、「人間」という一点を忘れれば、宗教は“独善の穴”に陥ります。
宗教は常に民衆救済を競い合い、互いに「切磋琢磨」する存在でなければならない。今日にあって、「万人の幸福」という法華経の高貴な理想のもと、大聖人が残された民衆仏教の真価を、いかにして世界中の人々に伝えていくか、私達の世界的規模で、人道的競争のパイオニアとして、人間の錬磨と人材の育成に励んでいるのです。皆さま方こそ、21世紀の人類宗教の栄光の開拓者です。その誇りをもって、堂々と進んでいきましょう。
| 11 大乗と申すは大船なり人も 12 十・二十人も乗る上・大なる物をも・つみ・鎌倉より・つくしみちの国へもいたる。 13 実経と申すは又彼の大船の大乗経には・にるべくもなし、大なる珍宝をも・つみ百千人のりて・かうらいなんど 14 へも・わたりぬべし、 一乗法華経と申す経も又是くの如し、 -----― 大乗という教えは大船である。人も十人・二十人と乗せるうえ、大きな物を積み、鎌倉から筑紫、みちのくへも行ける。 そのうえ実経という教えは、かの大船の権大乗経などと比較にならない。大量の珍宝を積み、百千人の多人数が乗って、高麗などへも渡ることができるのである。一仏乗を説いた法華経という経もまたこの大船と同様である。 |
法華経こそ万人を乗せる大船
開かれた視点から、仏教の卓越性を述べられた大聖人は、続いて「仏経の中に又勝劣.浅深候いけり」と、経典にも勝劣があることに言及されます。
「勝劣・浅深」という表現は、例えば、一つの教えが全く無益だというのではなく、それぞれ、時代と機根に応じての意味はあった。しかし、時と機根に応じた、より深い教えが出現すれば、それまでの教えは、浅く劣ったものとなる、という相対的な次元です。
本抄で明快に示されている大聖人の基準は、その教えで、どれだけ多くの人が救済できるかという点にあります。
大聖人は小乗・権大乗・実大乗という、それぞれの教えを「船」に譬え、わかりやすく比較されています。
小乗経は「世間の小船」のようなものです。2人3人しか乗せられず、彼岸にも行けず、少しのものしか積めない、とあります。
権大乗は、「大船」です。10人20人を乗せ、当時で言えば鎌倉から筑紫や陸奥までも行け、大きなものも積み込むことができます。
これ以上優れているのが、法華経の船です。100人1000人を乗せ、貴重な宝石も積んで、韓・朝鮮半島まで渡ることができる。
このように、「乗客数」「航行可能距離」「塔載物」という客観的な視点から譬えられています。
このうち「乗客数」は、法によって、救済される人の規模です。「距離」は、修行を積み重ねることによって到達できる境涯の深さ、豊かさを表わしています。「塔載物」は、法の力用、智慧の深さです。
端的に言えば、法華経だけが十界互具を説き、万人の生命に仏の生命が内在することを明かした経典です。胸中の仏界を湧現すれば、いかなる人も成仏できます。いわば、法華経は、人数は無数、距離は無制限の「人類の大船」です。加えて、この一生の間のことだけではありません。永遠の「塔載物」幸福を実現する法華経の船こそ、生死の大海をわたる「如渡得船」の大船であるのです。
大聖人は、まず、乙御前の母に信心をしている人は、必ず絶対の幸福境涯を得られることは間違いないとの確信と安心をあたえようとされたのではないでしょうか。
| 14 提婆達多と申すは閻浮第一の大悪人なれども法華経 15 にして天王如来となりぬ、 又阿闍世王と申せしは父をころせし悪王なれども 法華経の座に列りて一偈一句の結縁 1219 01 衆となりぬ、 竜女と申せし蛇体の女人は法華経を文珠師利菩薩説き給ひしかば仏になりぬ、 其の上仏説には悪世 02 末法と時をささせ給いて末代の男女に・をくらせ給いぬ、 此れこそ唐船の如くにて候・一乗経にてはおはしませ、 -----― 提婆達多という者は世界第一の大悪人であったけれども、法華経の提婆達多品で天王如来という仏になった。また阿闍世王という者は自分の父を殺した悪王であるが、法華経の会座に列なってその一偈一句を聴聞して結縁衆となった。竜女という蛇体の女人は、法華経を文殊師利菩薩が説かれているのを聞いて仏になった。 そのうえ仏が説かれるところでは、法華流布の時代は末世末法である時を指し示されて、末代の五濁悪世の男女に法華経を贈られたのである。この法華経こそ、唐船のように、一切衆生を彼岸へ渡し得る一仏乗の経典である。 |
悪世末代の女人を幸福にする仏法
大聖人は続く部分で「悪人成仏」と「女人成仏」について言及されています。法華経に説かれている以前の経典では、悪人と女人は成仏できないとされていました。その諦めの心を打ち破り、万人の成仏を広々と説き明かしたのが法華経です。
釈尊に反逆し、破和合僧などの罪を犯して、生きながら無間地獄に堕ちたとされる提婆達多。マガダ国の王で提婆達多にそそのかされて父である頻婆娑羅王を幽閉して王位に就き、釈尊の殺害まで企てた阿闍世王。そうした悪人さえも成仏させることができる、力ある教えが法華経なのです。
そして何よりも、法華経は女人成仏の秘法です。竜王の娘であった竜女は、文殊師利菩薩から法華経を聞き、たちまちに仏の境涯を現しました。爾前経で忌み嫌われていた女性の幸福勝利が実現したのです。
「竜女の成仏」というと、何か男性は関係のないことのように思えるかもしれない。しかし、大聖人は「一切衆生は性徳の竜女なり」(0798-02)とも仰せです。竜女の成仏は即身成仏の実証として、万人の成仏にあっても絶対不可欠な要件です。いわば、全人類救済の象徴でもあるのです。
また、大聖人がここで提婆と竜女を取り上げられているのは、続いての御文で「悪世末法」の時に「末代の男女」のために贈られた経典が法華経にほかならないことを明かされているためです。
最悪の時代に、濁悪の国土で、あらゆる機根を救い切る「法」こそ法華経である。法華経の根源にある「下種の法」が、いかなる衆生でも、仏の生命を開く種になるからです。「末代の男女」のため、という大確信のお言葉が、乙御前の母の胸中に、どれほど勇気を灯したことでしょうか。
戸田先生は綴られています。
「世界の文化がいくら発達しても、国と国とのもつ間柄が道徳を無視して、実力と権力闘争の世界では、決して人類の真の幸福ははい。不幸にして原子爆弾による戦争が起こったならば、世界の民族は崩壊の道をたどる以外にない。そのときに、日本国に厳然として存在している人類の破滅を阻止しうる偉大な宗教が、日蓮大聖人によって与えられているのであると確信する。
私の胸中には、いつも恩師の大情熱が込み上げています。私たちが歩みを止めてしまえば、大聖人が悲しまれます。人類が野蛮に逆行してしまう。人類の不幸の流転と苦悩を打ち破る大偉業に、確固たる信念で前進していきましょう。
| 04 経に勝劣あるのみならず大日経の一切の真言 05 師と法華経の行者とを合すれば 水に火をあはせ露と風とを合するが如し、 犬は師子をほうれば腸くさる・修羅は 06 日輪を射奉れば頭七分に破る、 一切の真言師は犬と修羅との如く・法華経の行者は日輪と師子との如し -----― 経に勝劣があるばかりでない。大日経を依経とする一切の真言師と法華経の行者とを合わせれば、火に水を注ぎ露が風を吹き払うようなものである。犬は師子を吠えれば腸がくさる。阿修羅は日輪を矢で射れば頭が七分に破れるという。一切の真言師は犬と阿修羅とのようであり、法華経の行者は日輪と師子のようなものである。 |
民衆のために戦う真の指導者
この段では、経典に勝劣があるだけでなく、その経の実践者にも勝劣・浅深があることをのべられていきます。
大聖人は諸御抄で仰せです。
「法妙なるが故に人貴し」(1578-12)
「されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし」(0465-18)
「法」が素晴らしいゆえに、その法を受持する「人」も尊い。弘める「法」が第一であれば、その法を弘める「人」も第一の人である。と。
いかなる智慧を依経としているか。
いかなる思想・哲学が背景にあるのか。そして、思想を、どこまで実現しているのか。
これにより、人間の価値が問われ、人生の広さや深さも決まります。
大聖人はここで「法華経の行者」と「真言の僧」を対比され、天地雲泥の違いがあることに言及されます。両者が対決するならば、水を注げば火は消え去るように、また、風によって露が吹き飛ばされるように、法華経を持つ者が勝利を収めると述べられています。
大聖人はなぜここで、特に真言の僧を取り上げ、破折されたのか。
それは、当時、蒙古調伏のための加持祈祷を、国を挙げて真言師に頼っていたからであると拝察できます。
また、真言密経は当時の仏教界において、最も権威・権力を併せ持っていたためとも拝されます。法華経を依経とするはずの天台宗も真言密経に取り込まれていった。真言宗をはじめ諸宗の僧は、呪術・祈祷の権威をかざして人々を惑わし、権力者に取り入り、その庇護を受けていた。
されは、法華経の経文通りに、万人の救済を掲げ、邪悪な権力と徹底して戦われ「法華経の行者」の闘争とまったく対局である姿でした。
「人間のための宗教」なのか「権威のための宗教」か。
「民衆を幸福へと導く宗教」なのか、「民衆を不幸へと陥れる宗教」か。
「権威の魔性と戦う宗教」なのか「権力の魔性と結託する宗教」か。 しかしながら、当時の人々は、これら諸宗の本質を知る由もありませんでした。
「気色のたうとげさ.智慧のかしこげさ」と喝破されている通り、“何となく尊そう”“何となく賢そう”という「仮面」に、人は惑わされていたのです。また、偽物は巧みに人をだますものです。ですから、民衆が賢くなるしか、本質的な解決はありません。そのために、民衆が賢明に判断できるように、大聖人は、烈々たる破折を続けられたのです。
「犬は師子をほうれば腸くさる・修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る」
邪見の真言の僧は「師子を吠える犬」や「修羅」そのものであるとの、あまりにも激しい呵責の言葉です。民衆を苦しめ、一国を滅亡へと導きかねない誤った思想に対して、鋭く厳然と、正義の大音声をあげられたのです。
この大聖人の峻厳なる護法の精神を深く学ばずして、真実の日蓮門下とはいえません。法華経を守り、釈尊の精神を護りぬくために、たとえ一人になっても戦い抜いていく。この大聖人の崇高なる魂が迫ってくるような一節ではありませんか。
民衆のために戦う人を、どこまでも擁護する。人間のための思想には、どこまでも寬容を貫く。
しかし、民衆を蔑視する者には、強く弾呵する。人間を苦しめる思想には、断固、鉄槌を加える。
これが真の幸福主義です。その覚悟に立ち上がっているから、「法華経の行者は日輪と師子の如し」なのです。
私たちも、「師子」として生き抜きましょう。「太陽」の存在となっていきましょう。
「師子」は、何ものをも恐れぬ百獸の王です。「太陽」は、社会と世界を毅然と照らし、人々の心に希望を贈ります。
かつて作家の故・杉浦明平氏が次のような声を寄せてくださいました。
「戦後、民衆の目を覚まさせてきました。人間は人間の輪の中でしか磨かれないのです」
あらゆる非難・中傷の嵐をも悠然と乗り越えて、どこまでも民衆のため、徹して民衆の中に分け入り、民衆を賢くする。これこそ、創価の「人間革命」運動であります。大聖人が仰せのままの「立正安国」の闘争にほかなりません。
「師子」であれば、恐れてはならない。「太陽」であれば、負けてはならない。必ず正義と勝利と幸福の人生の軌道を切り開いていける。大聖人は、この大確信を乙御前の母に伝えられていると拝されます。
| 10 当世の人人の蒙古国をみざりし時のおごりは御覧ありしやうに・かぎりもなかりしぞかし、去年の十月よりは・ 11 一人も・おごる者なし、きこしめしし・やうに日蓮一人計りこそ申せしが・よせてだに・きたる程ならば面をあはす 12 る人も・あるべからず、 但さるの犬ををそれ・かゑるの蛇を・をそるるが如くなるべし、是れ偏に釈伽仏の御使い 13 たる法華経の行者を.一切の真言師・念仏者・律僧等に・にくませて我と損じ、ことさらに天のにくまれを.かほれる 14 国なる故に皆人・臆病になれるなり、譬えば火が水をおそれ・木が金をおぢ・雉が鷹をみて魂を失ひ・ねずみがネコ 15 に・せめらるるが如し、一人も・たすかる者あるべからず、其の時は・いかがせさせ給うべき、軍には大将軍を魂と 16 す大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり。 -----― 今の世の人々は蒙古国の襲来を見なかったときの思い上がりは、ご覧になられていたように限りないものがあった。しかし、去年の十月蒙古が攻めてきたからは、一人も驕りたかぶる者はない。あなたもお聞きになったように、このことは日蓮がただ一人予言していたのであるが、寄せ手が来たときには、彼らに面と向かう人もないであろう。ただ猿が犬を恐れ、蛙が蛇をおそれるようなものであろう。 これはひとえに釈迦仏の御使いである法華経の行者を、一切の真言師・念仏者・律僧等に憎ませて、われと我が身を損い、ことさらに諸天の憎しみを蒙った国であるから、すべての人が臆病になったのである。譬えば火が水を恐れ、木が金におびえ、雉が鷹を見て気を失い、鼠が猫に責められるようなものである。一人として助かる者のあるはずがない。その時はどのようにするであろうか。戦には大将軍を魂とする。大将軍が臆したならば部下の兵はことごとく臆病になってしまう。 |
「指導者革命」こそ時代の要請
文永元年(1206)7月、大聖人は「立正安国論」を認められ、正法を用いなければ、三災七難のうち、まだ起きていない「自界叛逆難」「他国侵逼難」の二難が競い起こることを予言されました。そして実質的な最高権力者である北条時頼に提出し、諫められたのです。
ところが幕府はおろか、当時の人々は皆、大聖人の鋭い洞察に、真剣に耳を傾けようとはしなかった。後の文永5年(1268)、蒙古からの使者が来てもなお、大聖人の教えを信ずることはできなかったのです。
それどころか、その後、嫉妬の悪僧と狂乱の権力者が結託し、竜の口で大聖人のお命を奪おうとまで画策した。
こうして、日本の国は、正法誹謗の報いにより、諸天善神から見放され、大聖人の「他国侵逼難」の御予言が現実のものとなります。本抄御執筆の前年10月、ついに蒙古軍が襲来してきました。
蒙古軍をまだ目の当たりにしない時には、人々の慢心は相当なものでした。しかし実際に攻め込まれた後は、恐怖に狼狽し、「一人も驕る者がなくなった」と述べられています。さらには、蒙古が再び攻めてくるようなことがあれば、真っ向かう迎え撃てる者はないであろう、とまで仰せです。
この年の4月にも、再び蒙古の使者が長門に到着しました。ところが、幕府は、この使者の首を刎ねるとともに、警護を強化し、さらに各地の神社に異国調伏の祈祷を依頼するなど、社会全体が騒然としていたのです。
「日蓮一人計りこそ申せしが」 大聖人はただお一人、仏法の慧眼からすべて知悉され、二難が起こることを、かねてから警告されてきました。「余にさんどのかうみようあり」と仰せの通りです。「立正安国論」御提出以来、いかなる迫害を受け大難が競い起ころうとも、3度にわたって幕府権力者を諌めてこられたのです。
それは“一切衆生を救わずにおくものか”との、大慈悲の戦いであられました。日本に巣くう、正邪を転倒させてしまう精神構造そのものを、根底から変革しゆく大闘争であられました。
この蒙古襲来の時には、それまで、驕り高ぶっていた人々が、反対に臆病になってしまっている。「皆・人臆病になれるなり」です。
それでも大聖人は、この人々を断じて救わずにはおかないものかとの大慈大悲として、次のように宣言なされます。
「軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」
未曾有の国難を乗り切らなければならない日本。このような時こそ、正しい智慧と勇気を持ち合わせた指導者が必要不可欠となります。
ところが、幕府の最高権力者が正しい判断力を失い、臆病になってしまっている。外交上、使者の首を刎ねるなどと尋常なことではありません。
戦において将軍が怖じ気づけば、前線の兵士たちも尻込みするように、誤った権力者の元にいる人々もすべて臆病になってしまうと述べられています。
第二次世界大戦の日本もそうでした。あまりにも愚かしい指導層が一国を破滅に導いてしまった。愚かな指導者に率いられた民衆は悲惨です。
無為無策の為政者のために、民衆が塗炭の苦しみにあえぐようなことがあっては断じてならない。今こそ、指導者革命の時ではないか。 どこまでも「民衆」を視座とした烈々たる闘争宣言を大聖人は残されたのです。
さらにいえば、この困難な状況を打開しゆく真の大将軍、指導者とは、一体どこにいくのか。誰なのか。
大聖人は極楽寺良観に対して公場対決を強く迫られ「日蓮は日本第一の法華経の行者蒙古国退治の大将為り」(0174-08)と宣言されました。国難を真に解決できるのは、大聖人をおいてほかにないのではないか、との絶対の御境涯であられたと拝察されます。
そのうえで、「軍には大将軍を魂とす」との御聖訓を、私たちはリーダー論として心して拝してまいりたい。
牧口先生も、ご自身の御書に傍線を引かれ、繰り返し身読されてきました。戸田先生も私もまた、大きな広布のたびに、皆で拝して前進の支えにしてきた一節であります。
乱世であればあるほど、いかなる戦いにあっても、中心者の一念が肝要となります。リーダーに「勢い」があるのか。戦う「情熱」が燃えたぎっているのか。どんな困難な局面にも臆することのない、勝利への「執念」が漲っているのか。
勇気は勇気を呼びます。やがて一波が万波となり、全軍が鼓舞され、怒涛のごとく勝利の大波が起こるのです。一切は、指導者で決まります。
今年、生誕200年を迎えたアメリカ合衆国の第16代大統領リンカーンを、民衆詩人ホイットマンは、万感を込めて謳い上げました。
「おお『船長』わたしの『船長』よ」
「穏やかで、率直で、義に篤く、意志強く、周到な指揮ぶりで
どんな国どんな時代にも例を見ぬ史上最悪の罪を敵にまわし、
諸州寄りつどう連邦を救ってくれたその人だった」
民主主義の先駆者として理想実現の船を操舵した大統領を讃えた歌です。
私たちは、末法の全人類を救っていく、いわば「創価丸」という大船で広宣流布の大遠征を続けている。
「歴史を創るはこの船たしか」です。どうか、人類最高の聖業に進む開拓者として、永遠不滅の歴史を築いていこうではありませんか。
-----―
最も苦しんでる人こそが、最も幸福なれる。これが妙法です。
苦しみを勝ち越えた人こそが、大勢の人々を救うリーダーになれる。これが信心です。
日蓮大聖人は、自分に縁するすべての門下を、「本物の信仰者」に育てようとなされました。民衆の真っただ中で、自他共の幸福を実現する「本物の弟子」をつくろうとなされたのです。
この御消息でも、大聖人は、乙御前とその母に、本当に幸福な人生を歩んでほしい、そのためにこそ、いかなる悪世でも、強く生き抜いていける信心を築いてほしい。そうした師匠の御慈愛が全編に込められています。
また、それに応えていこうとする健気な女性門下の足跡が伝わってきます。
「正しい人生とは何か」
その答えは「正義」と「信念」を貫き通される師と共に歩むことである。それが、乙御前の母だけでなく、全女性門下の結論であったと拝されます。
本抄をはじめ、日蓮大聖人が多くの女性門下の信心を賞讃されているのも、一人ももれることなく、幸福と勝利の人生を飾ってほしいとの御真情であられたと拝されます。
「母が皆、幸せになった時に、本当の平和な世界となる」とは、恩師・戸田先生の叫びでした。
私も同じ思いです。創価の女性の幸福と勝利の連帯が世界を動かし、「女性の世紀」を築くとの信念で今日まで行動してきました。全員が「勝利者」に!
全員が「幸福博士」に!
そのために不可欠な信心の要諦が綴られている。「乙御前御消息」を今回も皆で学んでいきましょう。
| 17 女人は夫を魂とす・夫なければ女人魂なし、此の世に夫ある女人すら世の中渡りがたふみえて候に、魂もなくし 18 て世を渡らせ給うが・魂ある女人にもすぐれて 心中かひがひしくおはする上・神にも心を入れ仏をもあがめさせ給 1220 01 へば人に勝れておはする女人なり、 鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、 法華経を信ずる人人は志ある 02 も・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人 03 の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり、 其の上いまのまうで又申す 04 ばかりなし、定めて神も・まほらせ給ひ十羅刹も御あはれみましますらん、 -----― 女人は夫を魂とする。夫がなければ女人は魂がないのと同じである。この世に夫のある女人でさえ世の中を渡りがたいと見られているのに、魂と頼む夫もなくて世を渡られているあなたが、夫のある女人にも勝れて心中かいがいしくおいでになるうえ、神をも信じ、仏を尊はれておられるので、人よりも勝れた女人である。 日蓮が鎌倉にいた時は、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人々は、だれが信心があるかないかは分からなかたが、北条氏のとがめをうけて佐渡の島まで流されると、問い訪ねる人もなかったのに、女人の身でありながら、いろいろとお志を示されたうえ、あなたみずからはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことである。そのうえこのたびの身延への訪れはなんとも申し述べようもない。かならず諸天善神も守られ、十羅刹も賞嘆されていることであろう。 |
師弟に生き抜く心が勝利の人生を
「女人は夫を魂とす・夫なければ女人魂なし」 ここで大聖人が仰せの「魂」とは、「支えとなるもの」というみであると拝されます。 飢饉や疫病が相次ぎ“いつ再び蒙古が襲来するか分からない”という世相にあって、夫のいない乙御前の母が乱世に生き抜くことは困難の連続であったに違いありません。しかし、乙御前の母は、そうした環境に負けたり、嘆いたりするおとなく、ただひたすら師の教え通りに信心の実践に励んだのです。
「人に勝れておはする女人なり」 この賞讃の言葉は、乙御前の母一人に限らず、すべての女性を激励されている御文であると拝されます。“真剣に祈っていくならば、どんな苦難や宿命も一切乗り越え、勝利の自分史を綴っていけることは間違いない”と。
健気な女性門下に対する大聖人の賞讃はこれだけにとどまりません。多くの門下が退転してしまった法難の渦中、はるばる佐渡にまで足を運んだ乙御前の母を「現実とは思えないほどの不思議なことである」と讃えられています。
佐渡への旅だけではありません、大聖人が佐渡から戻られると、今度は入山された身延にまで求道と報恩の思いで訪れます。大聖人は重ねて“必ず諸天善神の守護は間違いありません、十羅刹女が見守り続けますよ”と激励なされています。
信心が本物であるかどうか。「いざ」という時に、はっきり分かります。大事な時に、師と共に行動が貫けるのかどうか。この一点です。
大聖人の佐渡流罪とは、仏法の眼からみれば、魔の働きによる“師弟の離間策”にほかなりません。障魔は、常に仏の軍勢の分断を図ろうとするからです。
仏意仏勅の創価学会の歴史を振り返ってみても、師弟の絆を断ち切ろうと魔が蠢動したことが幾度もありました。同時に障魔が襲うたびに、誰が師弟に生き抜く本物の弟子であるかも、くっきりと明らかになりました。
戦時中、創価教育学会が軍部政府によって弾圧され、牧口常三郎先生が投獄された際もそうでした。最高幹部まで次々と裏切り、去っていく中、戸田先生ただお一人が、お供され、弟子の道を貫き通しました。
牧口先生の三回忌の際、戸田先生は、先師の写真を涙ながらに見つめ、語られました。
「あなたの慈悲の広大無辺は、わたしを牢獄までつれていってくださいました」「その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」
まさに「師弟の道」を歩みきった時に、魔を打ち破ることができる。そこに、無量の福徳に包まれた境涯が広がることを、戸田先生は自ら証明されました。
乙御前の母は、誰が本当の仏法の師匠であるのか。本当のために戦っている人は、どなたであるのか、師弟という一点に、いささかの迷いもありませんでした。そうであるからこそ、"師と共に戦う“という行動に徹することができたのです。この乙御前の母の信心をそのまま継承しているのが、創価学会の女性です。
「大聖人のもとに足を運ぶ」とは、今日の私たちに当てはめれば、師弟の心のギアをがっちりと合わせて、広宣流布の本舞台で勝利の金字塔を打ち立てるということです。師弟の間は、物理的な距離ではありません。「一念」と「行動」がどうか。師弟の精神といっても、この一点に収まるのです。
| 04 法華経は女人の御ためには暗きに・と 05 もしび・海に船・おそろしき所には・まほりと・なるべきよし・ちかはせ給へり、羅什三蔵は法華経を渡し給いしか 06 ば毘沙門天王は無量の兵士をして 葱嶺を送りしなり、 道昭法師・野中にして法華経をよみしかば無量の虎来りて 07 守護しき、此れも又彼には・かはるべからず、地には三十六祇・天には二十八宿まほらせ給う上・人には必ず二つの 08 天・影の如くにそひて候、 所謂一をば同生天と云い二をば同名天と申す左右の肩にそひて人を守護すれば、 失な 09 き者をば天もあやまつ事なし・況や善人におひてをや、 -----― 法華経は女人のためには、暗い夜はともしびとなり、海を渡る折には船となり、恐ろしい所では守護役になると、薬王品に誓われている。羅什三蔵が中国へ法華経を渡された時は毘沙門天王は無数の兵士を遣わして葱嶺の難所を送ったという、また道昭法師が野中で法華経を読誦したとき無数の虎が現れて守護したと伝えられている。あなたも羅什等のように諸天が守護しないはずがない。地には三十六神、天には二十八宿があって守っておられるうえに、人にはかならず二つの天が、影のようにつきそっている。いわゆる一を同生天といい、二を同名天という。この二神がつねに人の左右の肩に付き添って守護するから、罪のない者を天が罰することはない。まして善人を罰するはずはない。 |
「仏法は勝負だ。命ある限り戦おう」
「暗きに・ともしび」
「海に船」
「おそろしき所には・まほり」
これらは、法華経の薬王品第23の経文を踏まえて、法華経こそが女性にとって唯一の成仏の法門であることを教えられた一節です。
同じ薬王品には「一切の苦・一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたまう」という法華経の偉大な功力を説かれている。
法華経に巡りあうことが、いかにすばらしいことか。
法華経を実践する功徳が、いかに大きいか。
実は、薬王品でこれらの表現は、決して女性に限定されたものではありません。それをあえて大聖人は「女性の御ためには」と示されているのです。仏法は、苦しんでいる人の最大の見方です。乙御前の母に対して、“あなたが幸福になることは、経文に照らして絶対の約束です”と大感激される大聖人のお心が伝わってくる一節です。
続いて大聖人が述べられている「同生天・同名天」は、人が生まれたときから左右の肩にあって、常にその善悪の行為を記録し、交互に天に報告するといわれています。 常に左右のいずれかの肩にいるのですから、「記録」は正確です。また、たえず「報告」にいくわけですから、漏れることもありません。これは、大聖人が乙御前の母に、“あなたの善の行いは、細大もらさす、すべて諸天善神はご存知ですよ”と断言されている一節です。
因果の法理は厳正です。仏法の世界に、小才や要領は通用しません。地道に取り組んだことは全部、わが身の福徳の果報となって戻ります。真面目に戦った人は、絶対に護られます。真剣な人は必ず報われます。これは、私の60年の信仰の結論です。
大聖人は御書の隨所で、目に見えない努力や誰にも知られない戦いも、必ず報われることを強調されています。
「陰徳あれば陽報あり」(1180-09)
「かくれたる事のあらはれたる徳となり候」(1171-01)
「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(1527-04)
私自身、戸田先生のもとで一切の陰の戦いをやり抜きました。苦境の先生を人知れず支えました。なかなか会合に参加できなかった。そんな私を見て、「池田は退転だよ!」と冷淡に言い放つ幹部までいました。しかし、わたしは迷いませんでした。戸田先生をお護りすることが、広宣流布を進めることになると確信していたからです。
ある日、孤軍奮闘する私に戸田先生は眼光鋭く、こう語られました。
「大作、仏法は勝負だ、男らしく、命ある限り、戦いきってみようよ。生命は永遠だ。その証拠が、必ず、何かの形で、今世に現われるだろう」
今、本当にその通りだと確信しています。広宣流布の大師匠のいわれることは、寸分の狂いもありません。今日の世界広宣流布の一大実証の因は、すべて、あの若く日の苦闘の生命の中にあります。現在の私の一切は、戸田先生をお護りし抜いた福徳の果報であると、断言できます。これが仏法の世界です。
志深き無名の庶民が絶対に幸福になる直道。大聖人が示された、法華経の偉大にして確かな功力は、どれほど晴れ晴れと乙御前の母の胸中に希望の明かりを灯したことでしょうか。
| 09 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守 10 り則ち強し」等云云、 人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、 是は御ために申すぞ古への御心ざし 11 申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、 其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼ 12 すべし、例には他を引くべからず、 日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで 一人もなくあやまたんと・せ 13 しかども・今までかうて候事は一人なれども 心のつよき故なるべしと・おぼすべし、 -----― それゆえに妙楽大師は「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等といわれている。心の堅固な者には神の守りがかならず強いというのである。このように申すのは、あなたのために申すのである。前々からのお志については、言いつくせない。だが、それよりもなおいっそう強盛の信仰をいなさい。その時はいよいよ十羅刹女の守りも強くなることと思いなさい。その他は引くに及ばない。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一切の人々が害しようとしたが、いままでこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても法華経を信ずる心が強いゆえに諸天が守護されたのであると思いなさい。 |
信心の要諦は「今日より明日へ」
大聖人は妙楽大師の文を引かれたうえで「心」の堅固な者には、諸天善神の守護が必ず強く現われると仰せです。
この「心」とは、要するに「信心」のことです。「信心」強き人、広宣流布への「心」が固い人を、諸天は必ず守るとお約束です。
仏法では「心」は一日に八億四千の展開があると説かれています。それほど人間の心は変わる。悪縁に動かされます。末法濁世の無明の嵐にも動じない「心」を築きあげることは、実は難事中の難事です。「心の固き」こそ、焦点です。
受け身や弱気のこころでは、諸天を動かすことはできません。“いかなる苦難があろうとも、断じて負けない、絶対に勝利してみせる” この決定した「一念」から湧き上がる祈りと実践に、諸天善神は感応し、人々を厳として守る働きとして現れるのです。
乙御前の母は「心の固き」女性でした。
そのうえで、大聖人は、わざわざ、「あなたのために」申し上げるのだと仰せられ、乙御前の母が一層の信心に立つための極意が明かされていきます。
まず、「古への御心ざし申す計りなし」と、乙御前の母のこれまでの求道の歩みが本物であったことを、あらためて賞讃されます。しかし、続いて大聖人は、あえて、こう御指導されます。
「今一重強盛に御志あるべし」
これまで以上に、強盛な信心を貫いていきなさい、と仰せです。
すでに佐渡への身延へと、不惜の師弟不二の姿を示している乙御前の母です。それまでの求道と報恩の姿が不十分だったというわけでは、決してありません。
それでも、「今一重」と仰せられているのは、信心において一番大切な要諦は、「昨日より今日」「今日より明日へ」という姿勢であることを教えられたと拝されます。
仏法は本因妙であり、現当二世です。
どんなに過去に信仰の功績があっても、今、歩みを止めてしまったならば、いつしか、信心は成長の軌道から外れてしまう。「進まざるは退転」です。
もちろん、病気や加齢によって体が思うように動かない場合もあります。信心の行動に制約が生じる境遇もあるかもしれない。しかし、たとえ、いかなる状況になっても、心が退いてしまったならば、「心の固き」とはいえません。どんなに戦ってきても退転してしまったならば、一切の功労もゼロを掛けるようなものです。
本抄の後半でも、大聖人は乙御前の母に「いよいよ強盛の御志あるべし」と御指導されています。また、大聖人は御書のいたるところで、「いといよ」「弥弥」と、門下の信心を励まされるお言葉を繰り返されています。
“さあ、これからだ!”“いよいよだ!” これが草創以来の学会精神です。「前進、前進、また前進」が広宣流布の合言葉です。
どんな逆境にも立ち向かっていく。どんなことがあっても退かない。それが「心の固き」です。いざ、という時に、心が軟弱で、一念が定まらない。そうであっては、諸天の加護もありません。
天台大師は、「心の固き」について城主の譬えで説明しています。城主の心が堂々としていれば兵士たちも強い。城主が臆病であれば、兵士たちは右往左往してしまう。
大難があろうと、何が起ころうと、前進し続けていく。「月月・日日につより給へ」(1090-11)の信心です。
「不撓不屈の信仰者」たれ!
「本物の弟子」となれ!
乱世だからこそ、今こそ乙御前の母に、「絶対勝利」のために本物の信心を伝えておきたい、との大聖人の大慈悲が、ひしひしと感じられる一節です。
| 12 例には他を引くべからず、 日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで 一人もなくあやまたんと・せ 13 しかども・今までかうて候事は一人なれども 心のつよき故なるべしと・おぼすべし -----― その他は引くに及ばない。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一切の人々が害しようとしたが、いままでこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても法華経を信ずる心が強いゆえに諸天が守護されたのであると思いなさい。 |
「一人立つ」師の闘争に断じて続け
大聖人は力強く仰せです。
「例には他を引くべからず」
「心の固き」信心で妙法を実践する人は、必ず諸天に守られる。その例として他を見る必要などない。私自身の姿を見よ! これが大聖人の烈々たる大確信であります。
大聖人は、末法の一切衆生を救われるために「立正安国論」を認められ、時の最高権力者を諌暁されて以来、幾度となく命に及ぶ大難に遭われました。「日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せし」と仰せの通りです。正しく、一国を挙げて大聖人の命を奪おうとする迫害が続いたのです。
しかし、今まで御無事であられた。その理由は何か。大聖人は「一人なれども心の強き故なるべし」と明確に仰せです。
私には、この御文が深く身に迫ってなりません。
敵は万軍であったのに対し、大聖人はただお一人であられました。しかし、人数ではない。「心」できまるのだと仰せです。
大聖人が身をもって証明された「心のつよき故」との仰せには、信心の奥義が凝縮しています。
広布大願を貫く「不退の心」。
邪悪と戦い抜く「勇猛心」。
民衆を救いきる「慈悲の心」。
法華経を信ずる「心」なにものも恐れぬ「師子王の心」が強盛であられたがゆえに、大聖人は一切に勝利されたのです。
この大聖人の堂々たる師子王の大確信に、乙御前の母は大きく包まれるような安心感を得たことでしょう。それとともに、大聖人が示される「心の強き故」とは、一人の人間の「心」が、いかに強く、尊極な可能性を秘めているかを門下に教えられるためであったとも拝されます。
また大聖人が様々な御書で、御自身の闘争のお姿を綴られているのも、決定した「本物の弟子」が出現することを願われてのよびかけであると拝されます。
「日蓮が如く」「日蓮と同意」等々、私が戦ってきたように戦いなさい。師の弟子に対する指導はこの一点に尽きます。
それは同時に「同じ心」「同じ行動」があれば「同じ境涯」が開けることを示しています。「如我等無異」万人を自分と同じ境涯にしたいというのが、仏の大願です。それは、すべての人が、仏と同じ無限大の可能性を秘めているという、仏教の人間観に基づきます。
万人の成仏の教えを説く仏経は、釈尊の「一人立つ」決断から始まりました。
末法広宣流布もまた、日蓮大聖人が立宗時に、ただお一人、立ち上がれたところから始まりました。創価学会も、三代の師弟の「一人立つ」実践を起点として、それぞれの時代に応じ、広布の源流が迸り、拡大の基盤が築かれ、世界広布の大花が咲き誇っているのです。
すなわち、師匠の「一人立つ」行動のままに、弟子もまた「一人立つ」実践を開始してこそ、真の「師弟不二」です。
他の人がどうかではない。たとえ一人になったとしても戦う。「一人立つ」誉れの門下を育てたい。乙御前の母は、大聖人から渾身の大激励を受けて、どれほど勇気を奮い起したことでしょうか。広布のため、一人決然と立ち上がる誓いを、いやまして深めたに違いありません。
仏法は一念三千です。「一念」が勝利を導く力となることを、師匠自らが示し、お姿を通して教えてくださっているのです。「つよき心」は、必ず伝播します。勇者は勇者の魂を呼び覚ますからです。
反対に、臆病に汚染された例が、当時の日本であると大聖人は次に喝破されます。
| 13 一つ船に乗りぬれば船頭の 14 はかり事わるければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ 多くの能も無用なり、日本国には・か 15 しこき人人はあるらめども大将のはかり事つたなければ・かひなし、 壹岐・対馬・九ケ国のつはもの並に男女多く 16 或はころされ或はとらはれ或は海に入り 或はがけよりおちしもの・いくせんまんと云う事なし、 又今度よせなば 17 先には・にるべくも・あるべからず、京と鎌倉とは但壹岐・対馬の如くなるべし、前にしたくして・いづくへも・に 18 げさせ給へ、 其の時は昔し日蓮を見じ聞かじと申せし人人も 掌をあはせ法華経を信ずべし、念仏者・禅宗までも 1221 01 南無妙法蓮華経と申すべし、 -----― 一隻の船に乗り合わせてしまえば、船頭の舵取が悪ければ、一同に船中の人々は命を損なうし、またいかに体が強くても心が弱ければ多くの能力も役立たない。日本国には賢明な人々はいるようであるが、大将の指揮が拙劣であるから望ましい結果もでない。壱岐・対馬と九か国の兵士並びに一般の男女まで、多くあるいは殺され、あるいは捕われ、あるいは海に沈み、あるいは崖から落ちた者は、幾千万と数を知れない。また今度攻め寄せて来たならば、この前と同じ程度で済むはずがない。京都と鎌倉とは、かの壱岐・対馬のようになるであろう。蒙古が攻めてくる前に支度をしてどこへでも逃げられるがよい。その時は昔、日蓮を見まい、聞くまいといっていた人々も、掌を合わせて法華経を信ずるであろう。念仏者や禅宗の者までも南無妙法蓮華経と唱えるであろう。 |
女性こそ平和創造の真の主体者
一人立て!心強く進め! 門下に万感の励ましを送られる一方、大聖人は当時の社会情勢に視点を移されます。
指導者とは本来、どうあるべきなのか。法華経の眼から将軍学を展開されるとともに、ふがいなき日本の権力者たちを厳しく弾呵されていきます。
折しも、再度の蒙古襲来を眼前にして、一国が絶望と恐怖に覆われていました。日本という船の舵をどう切っていくか。
大聖人は、まず、船頭の舵取りが悪いと、乗客が皆、命を落としてしまうと示されます。続いて、体が頑丈であっても、心が弱ければ、多くの才能も生かしていけないと仰せられています。
すなわち大聖人は、日本のこの苦境を乗り越えていくためには、指導者に正しい「智慧」と、力強い「勇気」が不可欠であることを打ち込まれているのです。
大聖人は「立正安国論」で何よりも、為政者自身がかわらなければならないことを示されました。為政者が賢明になれば、一国が変わります。指導者革命こそ、安国の要です。
大聖人の時代に、もし一国の指導者が正しき「はかり事」を即座に決断していれば、「他国侵逼難」は起き得なかったはずです。時の権力者らは、大聖人の言を用いなかったばかりか、反対に、迫害を加えてきたのです。しかも、蒙古が現実に襲来した後でさえも、正しい判断ができない。
そうした状況の中で、否、そうした状況だからこそ、大聖人は、広宣流布は必ず実現できるとの断固たる大確信を門下に教えられます。身延にあっても、大聖人は、大獅子吼の現論戦を続けられたのです。
本抄でも、今再び、蒙古が攻め寄せてきたら、日本国中の人々もようやく目覚め、大聖人の正しさを知り、正法へ帰依するであろうと述べられています。
「大悪をこれば大善きたる」(1300-04)の原理です。大謗法の一国だから、大正法が必ず広まる。かつては「日蓮を見じ聞かじ」といっていた人々、さらに「念仏者・禅宗」の人々までも、妙法を唱える時代が必ず到来すると、大聖人は乙御前の母に宣言されているのです。
あらためて感銘することは、大聖人は、女性門下の一人一人に、最高の仏法哲学を様々な観点から教えられているという点です。
御書は、人生をよくいきるための、自分観、人生観、社会観、宇宙観を教えられていると拝察することもできます。仏教の法理や歴史を説き、宗教の正邪を明かし、男女を問わず「一人の人間」がいかに尊極であるかを示され、変革の哲学を教えられています「男女はきらふべからず」(1360-08)とのお心のままに、大聖人は、全門下に最高の人間教育をされているのではないでしょうか。
仏法の目的は、民衆の幸福です。戦乱で最も苦しむのは「母と子」です。私も、兄の戦死の報を聞いた時の母の落胆は忘れられません。仏法者の最大の責務は、世界中「母と子」が平和で安穏な社会を築くことです。
そのために、戦争と欲望の分明から、平和創造の分明へと文明の質を変えていかなければならない。そして、その主約は女性です。
強く、快活で、智慧ある女性がスクラムを組めば、社会は大きく変わります。何も恐れるものがない女性の連帯があれば、時代は大きく変わります。生命を慈しみ守り、豊かな感性をもった女性が立ち上がれば、文明が大きく変わります。仏法は、そのために、目覚めた「本物の民衆」をつくりあげる教えなのです。
| 02 日蓮が頭には大覚世尊かはら 03 せ給いぬ昔と今と一同なり、各各は日蓮が檀那なり争か仏にならせ給はざるべき。 -----― 日蓮が竜の口の首の難は大覚世尊が身代わりになられた。昔と今は同じである。あなた方は日蓮の檀那である。どうして仏になれないことがあろうか。 |
「一人の勝利」が万代の広布を開く
法華経を受持する人は、釈迦仏が肩にかつぎ、背負うようにして守ってくれるとの経文があります。大聖人はここで、この経文に基づき、竜の口の法難の時には釈尊が身代わりになって大聖人を守ってくださるといわれています。
また鳩摩羅什の父である鳩摩羅琰三蔵が釈迦仏に背負われて守られたとの説話を紹介して「昔と今と一同なり」と仰せです。鳩摩羅琰の「昔」と、大聖人の「今」と、仏法の原理は変わることなく、法華経の真実の実践者には必ず守護があることを強調されます。
ここで大聖人は、仏法の法則は不変だから、同じ方程式で乙御前の母も絶対に成仏・諸天に守られ、必ず成仏することは間違いないと御断言されています。
大聖人のお一人からはじまった「立正安国」の闘争は乙御前の母のような女性門下をはじめ、無名の庶民に継承され、そして今では創価学会に受け継がれました。「信念の一人」が立ち上がれば強い、いかなる迫害の嵐にも決して屈することはありません。
文豪ヴィクトル・ユゴーは叫びました。
「一時的な権威家が何をしようと、永遠の力が之に反抗する」
「正義のために身命を投ず、之より高き陣地はない」
「人間の良心が覚醒すべき時は今である」
「いざ、良心よ、蹶起せよ!眠りを醒ませ!今はその時である!」
世界広布の基盤は厳然と整いました、創価の人間主義を世界が待望しています。大事なのは、どこまでも「一人」の勝利です。「一人」の勝利こそが、広布の大河の流れを万代へ決定づけるのです。
-----―
仏法の根幹は「師弟」です。
師匠と弟子の心が一つであれば、何事をも成就できる。人間革命も立正安国も「師弟の道」を貫き通すことが、絶対勝利の直道なのです。
法華経に「隨順師学(この師に随順して学す)」とあります。広宣流布の偉大な師匠に随順して仏法を学ばせていただける。それに勝る人生の幸福はありあせん。私は、この思いで戸田先生に仕え抜いてきました。
仏法で説く師弟の道のありがたさは、師匠自らが、一人の人間として、自身の人生のうえに仏法の真髄を体現されている点にあります。「人間はともかく尊貴なり」との師匠自身の実証の姿が万人の心を揺さぶり師匠と同じ大道を歩む決意を促してくれる。そして目覚めた弟子が、また、師と同じく世界を変える行動を開始するのです。
この師匠の「正義」と「共戦」がある限り、仏法は人類を救う大法として、必ず世界に広まり、人々の心に照らしていくことは間違いありません。
「乙御前御消息」は、日蓮大聖人が、日本一国を相手にした御自分の闘争を記された御書であると拝することもできます。蒙古が襲来してその惨状が人々に伝わり、また再び襲来するとの恐怖が充満している。人々が苦難を前に臆し、不安に苦しむ当時の日本一国に対して、今こそ、真の哲学を柱とすべきだと厳然と宣言されている一書です。
本抄を執筆された時は、世間から見れば、大聖人は身延に「隠遁」したと映っています。しかし、大聖人の精神の闘争は、一歩も退していない。いな、むしろ「永遠に戦い続ける雄姿」を教えられている。
「わが姿をみよ」
「私の戦いは、いやまして盛んである」
大聖人の「戦う心」に接して、弟子たちは本当に嬉しかったに違いない。師の魂の躍動が、弟子たちの胸中に響いてやまなかった。
乙御前の母も、大聖人から「どこまでも、ともに進もう」との呼びかけをいただいて、深い決意で立ち上がったことでありましょう。
本抄で大聖人は、門下が「師弟不二の大道」を貫くうえで大切な信心の要諦を教えられました。それが「いよいよ強盛の信心」であります。
| 04 いかなる男をせさせ給うとも 法華経のかたきならば随ひ給うべからず、いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水 05 より出でたれども水よりもすさまじ、 青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、 同じ法華経 06 にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり -----― どんな男を夫とされても、法華経に敵対するならば随ってはならない。いよいよ強盛の信心を持ちなさい。氷は水から出たものであるが水よりも冷たい。青い色は藍から出たけれども色を重ねると藍よりも色が濃い、同じ法華経ではあるが、信心を強く重ねれば他人よりも色もすぐれ利益もあるであろう。 |
「志」を重ねることで功力は増大
信心は、社会と人生の荒波を越えるための羅針盤です。
濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と活動の中心軸に据えていくことが肝要となります。
「いかなる男をせさせ給うとも法華経のかたきならば随ひ給うべからず」 たとえ、どうゆう人を夫とすることがあっても、「法華経の敵」ならば、信心に関しては少しも随ってはならないとの仰せと拝されます。信心を忘れてしまえば、真の幸福はありえないからです。
続いて大聖人は「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。
水が凍れば氷とならます。しかし、その性質は大きく変わります。氷は硬くて冷たい。青い染料は、植物の藍の葉からとりますが、その染料に布や糸を漬けて染め上げる作業をかさねていくと、もとの藍の葉の色よりもはるかに鮮やかな青になります。こうした自然界の事例を挙げて、大聖人は「同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり」と仰せです。
「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさる利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れるのです。
いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。その大いなる変革を大聖人は、続く御文で「木は火に焼かるが栴檀の木は焼けることはない。火は水に消されるが、仏の涅槃の火は消えない。華は風に散っても、浄居の華はしぼまない」等と譬えられています。
信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです
「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、なにがあってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起して、わが生命を錬磨していくことです。
同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起すことによって、功徳はいやましておおきくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。
ゆえに御書には「いやましての信心」を強く奨励されている。例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(1143-06)「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(1192-11)と仰せです。また窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(1478-12)上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(1505-07)と励まされております。
このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるのです。
大聖人も、釈尊も、この「いよいよ」を貫かれて、御生涯の最後まで「戦う心」で生き抜かれた。牧口先生、戸田先生もそうです。私も今、この信心の精髄を門下に教えたい。
人生は、ある意味で、常に「生き詰り」との戦いです。生きる限り、また、戦う限り、必ず困難の壁は立ちはだかるのは当然です。順風ばかりで「生き詰まり」がないのは、むしろ停滞の証しです。
戸田先生の事行が逼迫し、打開の道を開く苦闘を続けられていた時のことです。疲労が重なっていた私の姿をご覧になった戸田先生は、力強く叱咤してくださいました。
「信心は生き詰りとの闘争だ。仏と魔との闘争が信心だ、それが、仏法は勝負ということだ」
誰人の人生にも、また、どんな戦いにも、必ず「生き詰まり」を感じる時があります。
しかし、生き詰った時こそ、自分の信心が試されるのであり、「勝負の時」にほかならない。大事なことは、常に前進の方向へ一念を定めることです。壁を乗り越える挑戦自体が、自身の境涯を確実に広げていく因となることは間違いありません。戦えば必ず生命は変わります。宿命は絶対に転換できる。
その意味でも、生き詰った時こそが本当の勝負です。生き詰りを打開する力こそ、「いよいよ強盛」の信心です。これは社会にあっても変わりません。
その意味でも、生き詰ったときこそが本当の勝負です。生き詰りを打開する力こそ、「いよいよ強盛」の信心です。これは社会にあっても変わりません。
広く言えば、社会も、経済も、一国も、生き詰りを見せるのは、その根底にある既存の思想、哲学の限界が露呈しているからです。むしろ、その時にこそ新しき哲学の萌芽がある。力ある思想が勃興すれば、一つの行き詰りは、新たな社会建設への契機となるのです。
釈尊の言葉にもこうあります。
「善をなすを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。
一切は、これからです。一切は心の戦いです。「心こそ大切」なのです。
| 10 今日本国の人人は法華経の・かたきと・なりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、 かう申せば日蓮が自讚 11 なりと心えぬ人は申すなり、 さには・あらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、 又云う事の後にあへばこそ 12 人も信ずれ、 かうただ・かきをきなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、 -----― 今日本国の人々は法華経の敵となって身を亡ぼしてしまったのである。このようにいえば日蓮は自讃であると物の道理の分からない人はいったのである。けっしてそうではなく、これをいわなければ法華経の行者ではない。またいったことがのちに符合すればこそ人も信ずるのである。こうして書きおけばこそ、未来の人は日蓮は先見の明智があったと知るであろう。 |
真実を叫びぬく「護法の実践」
「法に依って人に依らざれ」 大聖人はどこまでも「法」を根本に戦い抜かれました。したがって「法」の正邪については峻厳でいられた。万人成仏の仏教の理念を実現しようとする「正法」の教えのなか、その根幹の理念をゆがめ、人々を苦しめる「邪法」なのか。正邪を峻別し、正法を護り、邪法を責める、それが、日蓮大聖人の「護法」の実践にほかなりません。
当時の日本の人々は、悪縁に紛動されて法華経を捨て、万人成仏を否定する権教を信奉していた。それゆえに大聖人は「今日本国の人人は法華経の・かたきと・なりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり」と仰せです。
このままでは国が滅んでしまう。大聖人は、このことを回避するために、特に「立正安国論」提出以来、国主を諌暁され、真実を叫び続けてこられました。
真実を言い切れば、大難を受けることは覚悟のうえです。それは、ただ、「法」を護るためであり、民衆を救うためであられました。
当時、大聖人に向けられた非難の一つに、“日蓮は自讃の人である”“慢心である”という批判がありました。本抄でも「かう申せば日蓮が自讃なりと心えぬ人は申すなり」とあります。とりわけ、嫉妬の心が根深い島国の日本にあって、一歩も退かずに堂々と真実を叫び続けられるようであった。
本抄において、大聖人は、そうした非難に対する御自身の心情を記されます。法華経が最勝の教えであり、人々が法華経の敵となっている時に、一国が滅ぶと言い切らないのであれば、それは「法華経の行者」ではない、という点です。
法華経を宣揚し、法華経の敵と戦ってこそ、真実の法華経の行者です。戦わなければ「行者」ではない。
本抄においては、大聖人を自讃と批判する人々に対して、更に別の観点から御自身の心情をのべられています。それは、未来に真実を残すためである、という点です。
「自界謀叛逆難」「他国侵逼難」という予言の的中を明確に書き残されることによって、未来の人々は、大聖人こそが真実の智者であられることを深く理解できるからです。
むしろ大聖人は、予言の的中は、御自分の力ではなく仏法の正しさを証明したものにほかならないと仰せです。
「撰時抄」には「三度の高名」予言の的中を取り上げ、「此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず只偏に釈迦如来の御神・我身に入りかわせ給いけるにや我が身ながらも悦び身にあまる」(0288-01)と仰せです。
真実が残れば、必ず後世、慧眼の士が現れ賞讃し、同じ行動を開始します。そして真実に生きる後継者が立ち上がり、民衆の潮流が生まれます。事実、日蓮大聖人の御精神は、私ども三代の師弟が受け継ぎました。仏意仏勅である世界広宣流布へ、威風堂々たる民衆の大行進は、もはや誰人も止めることはできません。
いかなる非難中傷があっても、真実を徹底して叫び残していけば勝利は必ず約束されます。草創期、学会の大発展とともに、「悪口罵詈」経文通り、誹謗の記事が増大しました。戸田先生は「書けば、必ず、売れると思って書いている」「いろいろ書いて、驚かそうといったって無理です。書くほうが知らないで書いているのだから!」と悠然と見おろしておられました。
そして戸田先生は、師子吼されました。
「学会には信心がある!御本尊がある!学会の前進は、この御本尊の功徳から、みな出たものではないか」「ただ、信心が中心!信心を貫くのです」
この大確信で、断固として創価学会は勝利してきました。いつ、いかなる時も、「信心」が破られなければ、絶対に最後は勝利することができます。
| 12 又身軽法重・死身弘法と 13 のべて候ば身は軽ければ人は打ちはり 悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、 法華経弘まるならば死かばね還つ 14 て重くなるべし、 かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、 利生あるならば今の八幡大菩薩と・いはは 15 るるやうに・いはうべし、 其の時は日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのやうにあがめらるべしと・おぼしめ 16 せ、 -----― また涅槃経の疏に、「身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」と述べている。日蓮は身は軽く賤しいから、人は打ちたたき憎んだとしても、法は重いから必ず弘まるであろう。法華経が弘まるならば日蓮の屍はかえって重くなるであろう。屍が重くなるならばこの屍は衆生を利益するであろう。利益があるなら今の八幡大菩薩が祭られているように祭られるであろう。その時は日蓮を供養した男女は、八幡大菩薩に仕えた武内宿儞や若宮などのように崇められるであろうと思いなさい。 |
「身軽法重・死身弘法」の人こそ尊極
「法」を根本に生き抜く究極の信仰は「身軽法重・死身弘法」にあります。
「身軽法重」とは、どこまでも正法を護持し、弘通する精神を示したものです。「死身弘法」も、わが身を賭して仏法を弘めることを述べたものです。
大聖人は乙御前の母に対して、御自身はどこまでも「身軽法重・死身弘法」のままに戦われているとの御心境を示されています。
それとともに、この原理に照らして、人々が大聖人を非難しても、非難されるわが身は「軽く」、どんなに人々が憎んでも、法そのものは「重い」。ゆえに正法が広まることは絶対に間違いないと断言なされています。
「法」は永遠不滅の真理です。したがって、身を賭して「法」を弘める人が現れれば、広宣流布は必ず実現します。反対に、法を弘める死身弘法の人が存在しなければ、広宣流布は画餅に終わります。
誰が仏法のために命がけで戦っているのか。妙法が偉大な存在であるということは、妙法を弘通する人もまた偉大であるということです。
そして、大聖人は、死身弘法の実践によって法が広まったならば、その大功徳は永遠に自身を荘厳していくのであると仰せです。
また、その偉大な師匠を支えた弟子もまた、永遠の福徳に包まれると厳然と約束なされています。
妙法の広宣流布に生き抜いた師弟は、皆が想像もつかないほど、はるかに尊極なのだとの大宣言に乙御前の母は、感動と決意を新たにしたことでしょう。
わたしたちもまた、大聖人の「身軽法重・死身弘法」の御精神を、広宣流布の根本として、自分たちの実践の根幹にしてまいりたい。これが学会精神です。
もちろん、「死身弘法」といっても、封建主義的な“滅私奉公”や“自己犠牲”を意味するものではありません。仏法の目的は、全民衆の幸福であり、人類の宿命転換です。仏法を弘めることは、そのまま自身の宿命転換、境涯革命になります。自他ともの幸福を築くための確実かつ最上の直道なのです。
創価学会は、大聖人の身軽法重・死身弘法の御精神のままに広宣流布に励んでいます。この学会に連なった方々は、本抄の仰せにあるように、永遠に人々から尊敬されていく存在になることは、絶対に間違いありません。
仏法の法理に照らせば、学会員の一人一人が、あまりにも崇高な使命をもった不思議な存在なのです。
| 16 抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、 況や 日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳を 17 や、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや、 -----― そもそも、一人の盲目を開ける功徳さえ言葉には表わせない。まして日本国の一切衆生の眼を開ける功徳にいたってはいうまでもない。さらに全世界の人々の見えない眼を開ける功徳はとうてい言いつくせない。 |
全世界の人々の眼を開く大功徳
身軽法重・死身弘法で広宣流布を進める人の大功徳が示された一節です。
法華経を持つことは、まさしく眼を開くことです。それまで眼を閉ざしていた迷いの覆いを払い、物事の道理や本質が見えるようになる、ということです。
一人の心の盲目を開く功徳さえ、偉大である。まして日本国の一切衆生の眼を開ける功徳がどれだけ広大なのか。さらに全世界の人々の眼を開ける功徳は、想像も及ばないことでしょう。その偉大なる誓願を日蓮大聖人は成就されました。
「一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はん」 このお言葉から、世界を視野に広布の指揮を執っておられた大聖人の大境涯をうかがい知ることができます。
700年前も、今も、人類は根底的に「開目の哲学」を求めているとも言えます。それは法華経に説かれた「万人成仏」「万人尊敬」の思想です。
民族、文化の相違を越え、一切の垣根を払い、すべての人は仏と同じ尊貴な生命を持ち、この尊極な生命を実現するために人々は生きている。いかなる人間も尊厳なる存在である。そして、一人の人間が存分に、内なる「仏の生命」を輝かせた時に、世界が変わる。一人の偉大な人間革命が世界の宿命を変える。
この法華経の生命尊厳、万人尊貴の思想に基づき、大聖人の人間主義の仏法を弘めているのが、創価学会です。
ゆえに創価の行動は、一閻浮提の一切衆生の眼を開く大闘争です。万人の心の眼を開き、この地上から悲惨と不幸をなくすまで、私たちの前進は止むことはありません。
「創価学会は、すでに世界的な出来事である」かつて大歴史家・トインビー博士は、小説『人間革命』第一巻に寄せてくださった序文のなかで、こう明言されました。 「日蓮は、母国・日本を愛したが、彼の視野と関心は、狭き日本にとどまることはなかった。彼にとって仏教とは、全世界の人々を救済するものであった」
「そして今、創価学会は『人間革命』を推進し、日蓮の遺命を実践しているのである」と。
またトインビー博士は、初代・二代会長の足跡に言及されながら、こう指摘されました。
「創価学会の戦後の驚異的な発展の因はなにか?」。根本の因は、この現代の教団とその指導者たちの『信心』である。滅後700年を経た今も、強く影響を与え続けている日蓮によって啓発された『信心』である。この『信心』が、彼らに、迫害に耐え抜く勇気と不屈の精神を与えた。そして耐えて戦う教団と指導者たちの誠実な姿が、人々の心を日蓮の教えへと開き、それによって、創価学会は、爆発的に会員数を伸ばしていったのである。
深い理解から発せられた証言です。本当に偉大な博士でした。
私たちは、これこれからも、民衆の歓喜の行進劇を続けていきたい。一閻浮提の広宣流布を目指された大聖人の御境涯を深く拝しながら、今後も「大聖人直結」「御書根本」で前進してまいりたい。それが、現代世界に責任を持つ学会の栄誉であり使命です。
| 03 今日蓮おろかなりとも野干と鬼 04 とに劣るべからず、 当世の人いみじくとも帝釈・雪山童子に勝るべからず、 日蓮が身の賎きについて巧言を捨て 05 て候故に国既に亡びんとする・かなしさよ -----― 今日蓮は愚かであっても野干や鬼は劣るはずがない。当世の人々が立派でも帝釈天や雪山童子に勝ることはない。日蓮の身分が下賎であるとして、その正しい主張を捨てて用いないゆえにすでに国が亡びようとしているのは、真に悲しいことである。 |
「仏法は只経文を先とすべし」
一国の主師親として戦われる日蓮大聖人を迫害し続けたのが、当時の日本です。その大聖人への誹謗として、大聖人の「身の賤しさ」を取り上げる輩がいました。
「賤身」「身の賤」とあるように、大聖人を賤しき身として批判する者たちがいたようです。
もとより大聖人御自身、御自身を「民の家より出でて」(1407-10)「旃陀羅が家より出たり」(0958-09)と堂々と宣言なされています。非難したもののほうが、自分の批判を鏡として自分にとらわれる醜態をさらしていたことはいうまでもありません。
本抄で大聖人は、野干を敬って仏法を習った帝釈天や、鬼神を師とした雪山童子の例をあげられて、明快に破折されています。貴賎にこだわって法を軽んずるのは、帝釈や釈尊の過去世の姿である雪山童子の振る舞いを否定することになるとの痛烈な弾呵と拝されます。
「仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先きとすべし」(0481-15)
仏法における基準はどこまでいっても人の貴賎ではなく、法の高低浅深です。
「人を身なりや外見で判断しては絶対にならない。その人が、将来どうなるか、どんな使命をもった人か、身なりなんかで絶対に判断つくはずがない」
これは恩師・戸田先生の厳命です。創価学会の世界において、社会的地位や肩書、学歴などは、一切関係ありません。信心の志のある人が偉大なのです。広宣流布のために行動する人を大切にするのです。これは、これからも永遠に変えてはならない大原則です。
| 05 又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも・たすけがたからん事こそ・な 06 げかしくは覚え候へ。 07 いかなる事も出来候はば 是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にうえ死にし候はん、又乙御前こそおと 08 なしくなりて候らめ、いかにさかしく候らん、又又申すべし。 -----― 日蓮を不便と思って仕えてくれた弟子達をも助けがたいことが嘆かわしい。どのような事でも起こったならば、この身延へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中でともに餓え死にしましょう。また乙御前はさぞかし成長されたことであろうどんなにか聡明になられたことであろう。いずれまた申し上げましょう。 |
師弟の絆がつくり上げる「民衆の城」
先に誹謗した輩に対して「かなしさよ」と仰せられた大聖人は、一転、門下に対して「なげかしくは覚え候へ」と仰せです。それは、一国謗法のために総罰を受ける国にあって、大聖人とともに戦ってきた弟子たちも、社会の混乱に巻き込まれてしまうとの大聖人の大慈大悲のお心です。
この御本仏の気遣いのお心。これが大聖人の仏法の御精神です。門下の心の襞に入るようなこまやかな御配慮こそ、「人の振る舞い」を尊重する仏法の真髄なのです。
その大聖人の万人を包む真心は、乙御前の母にも向けられます。
“娘の乙御前はさぞかし成長されたことでしょう”“蒙古が攻めてきたならば、身延の山中の私のもとにきなさい。一緒に餓え死にしよう”と、大聖人は、子供を抱える女性門下に対し“これほどまでに”と思う激励を送られます。
仏法には、感傷や悲哀や浅薄な同情などありません。「一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけ」ると述べられている通り、全世界を舞台に正義の論陣を張り、命に及ばんとする迫害にも少しも退くことなく、妙法流布に生き抜かれる。この「正義を貫く厳たる強さ」と、「庶民を包み込む温かさ」 いわば、「強靱な破折精神」と「民衆を包む慈愛」は表裏一体です。その両極を共に備えてこそ、真の人間主義です。
日蓮大聖人と乙御前の母との間に結ばれた固い師弟の絆、そこには、何の夾雑者もありません。大聖人には、こうした魂の絆で結ばれた弟子門下が大勢いました。幾多の大難をも乗り越えてきたこの固い絆は、もはやいかなる権威・権力の魔性も破ることはできませんでした。師弟不二の民衆の結合こそ、永遠に崩れざる広宣流布の一大拠点です。
今、世界中にこの民衆の大城が築かれました。いよいよ、これからです。世界中の“乙御前の母”の笑顔のために、正法流布は、いよいよ本番です。
ゲーテは歌いました。どこまでも、人生は「戦い」である、と。
「人間叡智の最後の言葉は、こうだ。
『自由と生命をかちえんとするものは、日々、新しく、/これを戦いとらねばならぬ』」
「おれはそのような人間の、みごとな共同社会をながめながら、/自由な民と自由な土地に住みたい」
牧口先生が座右の銘とされていた『大学』の一節には、こうあります。
「荀に日に信たに、日に日に新たに、又日に新たなり」
さあ「いよいよ」です。万事はすべて、いよいよこれからです。
私の胸中には、戸田先生の言葉が永遠に刻まれています。この師子吼を、皆様に贈りたい。
「今の乱れた世の中を、創価学会が変えていくのだ、勇気を奮い起し、一致団結して、広布の大道に進もうではないか。
1222~1223 乙御前母御書top
| 乙御前母御書 01 をとごぜんのはは 02 いまは法華経をしらせ給いて 仏にならせ給うべき女人なり、 かへすがへすふみものぐさき者なれども・たび 03 たび申す、又御房たちをも・ふびんにあたらせ給うとうけ給わる・申すばかりなし。 04 なによりも女房のみとして・これまで来りて候いし事・これまで・ながされ候いける事は・さる事にて御心ざし 05 の.あらわるべきにや・ありけんと・ありがたくのみをぼへ候、釈迦如来の御弟子あまた・をわしし.なかに十大弟子 1223 01 とて十人ましまししが・なかに目揵連尊者と申せし人は神通第一にてをはしき、 四天下と申して日月のめぐり給う 02 ところをかみすぢ一すぢきらざるにめぐり給いき、 これは・いかなるゆへぞと・ たづぬれば・せんしやうに千里 03 ありしところを・ かよいて仏法を聴聞せしゆへなり、 又天台大師の御弟子に章安と申せし人は万里をわけて法華 04 経をきかせ給へり、 伝教大師は二千里をすぎて止観をならい・ 玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給へり、 05 道のとをきに心ざしのあらわるるにや・ かれは皆男子なり権化の人のしわざなり、 今御身は女人なりごんじちは 06 しりがたし・いかなる宿善にてやをはすらん、 昔女人すいをとをしのびてこそ或は千里をもたづね・石となり・木 07 となり・鳥となり・蛇となれる事もあり。 08 十一月三日 日蓮在御判 09 をとごぜんのはは 10 をとごぜんが・いかに尼となり候いつらん、法華経にみやづかわせ候ほうこうをば・をとごぜんの尼は・のちさ 11 いわいになり候に○○○。 -----― 乙御前の母 いまは法華経を慕われて、仏になるべき女人である。返す がえす、筆無精の者であるが、たびたび申し上げる。 また御房達をも、いろいろ面倒をみてくださっているとうかがっている。お礼の申しようもない。 なによりも女房の身としてここまでこられたことあなたの厚い御志があらわれるためであったのかと、ただありがたく覚えるのみである。 釈迦如来の御弟子が多くおられる中で、十大弟子といって十人の代表的な弟子がおられた。その中で目犍尊者という人は神通第一であった。四天といって日月の巡るところを、髪の毛一筋切らない間に巡られた。これはいかなるゆえかとたずねると、過去世に千里もあるところを通って仏法を聴聞したゆえなのである。また天台大師の御弟子の章安という人は、万里の道を踏み分けて法華経を聴かれた。伝教大師は三千里を経て止観を習い、玄奘三蔵は二十万里も旅をして般若経を得られた。 道の遠さに、志があらわれるのであろうか。彼等は皆男子である。仏菩薩の化現した人の行為である。今あなたは女人である。権実の教判は知りがたい身である。いかなる宿善を持った人なのであろうか。昔、女人は愛する夫を慕ってこそ、あるいは千里をも訪ね、石となり木となり、鳥となり蛇となった事もある。 十一月三日 日 蓮 花 押 乙御前の母 乙御前は、どのように成長されたであろうか。法華経に宮仕えをされる、その奉公は、乙御前の御いのちとなり、幸福になるであろう。○○○。 |
をとごぜんのはは
乙御前の母。日蓮大聖人から本抄と、娘の乙御前に「乙御前御消息」をいただいている。鎌倉に住んでいたと思われ、寡婦の身ではあるが、大聖人を佐渡、身延へと訪ね、純真な信心を貫いた。日妙尼と同一人物と思われるが、確証はない。
―――
釈迦如来
釈迦仏・釈尊のこと。如来とは仏、釈迦はシャーキャムニ(Śākyamuni )の音訳で釈迦牟尼の略称。釈迦はもともと古代インドの一種族の名。ゴータマ・ブッダは釈迦族で生まれたので、釈迦牟尼という。牟尼は尊者・聖者のこと。
―――
十大弟子
釈尊の主要な声聞の弟子である10人。経典によって誰が入るか違いがある。維摩経などの大乗経典では、声聞の弟子として小乗の教えにとらわれている弟子として描かれ、糾弾される。法華経では、順に未来成仏の記別を与えられ、二乗作仏が説かれる。①舎利弗(シャーリプトラ)。マガダ国王舎城(ラージャグリハ)の北に生まれ、初めは六師外道のうちのサンジャヤの弟子であったが、目連とともに釈尊の弟子となり、サンジャヤの弟子250人とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称された。法華経方便品第2の諸法実相の文によって三乗即一乗の理を理解し、譬喩品第3で華光如来の記別を受けた。②摩訶迦葉(マハーカーシャパ)。迦葉尊者、大迦葉ともいう。マガダ国王舎城にいた尼俱盧陀長者の子。苦行のすえに釈尊の弟子となり、乞食行に励んだので頭陀(欲望制御の修行)第一と称された。釈尊が入滅した後、阿闍世王の外護を受けて第1回仏典結集を行ったとされる。また付法蔵の第1として小乗経の弘通に努め、法を阿難に付嘱したと位置づけられる。法華経授記品第6で光明如来の授記を受けている。中根の四大声聞の一人。③阿難陀(アーナンダ)。阿難ともいう。歓喜などと訳す。斛飯王の子ともされるが異説もある。釈尊の従弟にあたる。釈尊の給仕をして常に説法を聞き、多聞第一といわれる。また付法蔵の第2として小乗経の弘通に努めたとされる。法華経授学無学人記品第9で、山海慧自在通王如来の記別を受けている。④須菩提(スブーティ)。舎衛城(シュラーヴァスティー)のバラモン、鳩留長者の子。釈尊の弟子となって、空の法門をよく理解したので解空第一といわれた。法華経授記品第6で名相如来の記別を受けた。中根の四大声聞の一人。⑤富楼那(プールナ)。富楼那弥多羅尼子ともいう。バラモンの子として生まれた。初めは解脱を求めて山に入り苦行を積んだが、釈尊の成道を聞いて弟子となった。説法第一と称せられ、証果から涅槃に至るまで9万9000人を救済したという。法華経五百弟子受記品第8で法明如来の記別を受けた。⑥目連。摩訶目犍連(マハーマウドゥガリヤーヤナ)の略。大目犍連、目犍連とも略す。マガダ国に生まれ、初めは舎利弗と同じに六師外道のサンジャヤの弟子であったが、舎利弗が釈尊のもとで解脱を得たことを聞いて、後に仏門に入った。神通第一といわれた。法華経授記品第6で多摩羅跋栴檀香如来の記別を受けた。中根の四大声聞の一人。⑦迦旃延(カーティヤーヤナ)。外道をよく論破したため、論議第一と称された。法華経授記品第6で閻浮那提金光如来の記別を受けた。中根の四大声聞の一人。⑧阿那律(アニルッダ)。阿二(少に兔)楼駄などとも音写する。迦毘羅衛城(カピラヴァストゥ)の斛飯王の子。釈尊の従弟にあたる。釈尊の前で居眠りしたことを責められて不眠の誓いを立てた。そのため後に盲目となったが、禅定の修行を深く実践して天眼を得た。法華経五百弟子受記品第8で普明如来の記別を受けた。⑨優波離(ウパーリ)。優婆利などとも書く。シュードラ(古代インドの身分制度、四姓の最下層。隷属民)の出身。持律第一といわれ、第1回仏典結集の時、律を誦したとされる。⑩羅睺羅(ラーフラ)。釈尊の子。15歳の時に出家して舎利弗について阿羅漢果を得た。よく戒を守り修行を積み、密行第一と称された。法華経授学無学人記品第9で蹈七宝華如来の記別を受けた。
―――
目犍連尊者
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahā-maudgalyāyana)という。釈尊の声聞十大弟子の一人。目犍連のこと。
―――
四天下
鹹水海の中にある四州。東を弗婆提・西を瞿耶尼・南を閻浮提・北を欝単超をいう。
―――
天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
章安
(0561~0632)。中国隋末・唐初の人。天台宗第二祖(四祖、または五祖とする場合もある)。姓は呉氏、諱は灌頂。浙江省臨海県章安の人。章安大師とも呼ばれる。7歳で出家、25歳の時天台大師の弟子となり、天台教観の奥義を究めた。のち、師の所説を百余巻に編纂して後世に伝えた。代表的なものに「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻などがある。また自身の著作には「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」三十三巻などがある。
―――
伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。根本大師・山家大師ともいう。俗姓は三津首。近江国(滋賀県)滋賀郡の人。12歳で近江国分寺の行表について出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)に入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」九巻等多数ある。
―――
止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
―――
玄奘三蔵
(0602~0664)。中国唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」600巻をはじめ75部1,335巻の経典を訳したといわれる。17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
―――
般若経
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
権化
権現・応化・灰身ともいい、権はかり、化は変革を意味する。仏・菩薩が衆生救済のために、通力をもって種々の身を仮に化身すること。
―――
ごんじち
権実と読む。7権は「かり」の意で方便をあらわし、実は「真実義」の意。機に応じて一時的に説く法を権とし、究極不変の真実の法を実という。
―――
宿善
過去世に積んだ善根のこと。善根とは善を生ずるもとになるもののこと。善根をつむことによって善い果報を受けることができる。宿縁のことともいえる。
―――
ほうこう
奉公と書く。おおやけ・主人等に仕え、尽くすこと。
―――――――――
本抄が書かれたのは、文永10年(1273)とも文永9年(1272)ともいわれる。いずれにせよ佐渡でしたためられたお手紙である。御真蹟は三紙で兵庫県尼崎市の長遠寺に現存する。ただし第二紙と第三紙の間に闕失があるとの説もある。本抄の対告衆である乙御前の母は、早くから夫に別れ、娘の乙御前とともに鎌倉に住んでいたと思われる。こうした寡婦の身でありながら、大聖人を佐渡へ、また身延へと訪れている。
建治元年(1275)作の「乙御前御消息」の中では「御勘気をかほりて佐渡の島まで流されしかば、問い訪う人もなかりしに、女人の御身としてかたがた御志ありし上、我と来り給いし事うつつならざる不思議なり」(1220-02)と述べられ、大聖人をはるばる佐渡まで訪れた求道の志を讃えられている。本抄も一貫して、この求道の真心を賞でられている。
道のとをきに心ざしのあらわるるにや
仏法を実践するにあたって、もっとも大事なことは弘教とともに求道精神である。いかに経典を読み、教義を学んだとしても、そこに、仏法の源流である〝法〟を求める心が欠如しているならば、その実践自体、形骸化してしまう。「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」(0508-06)である。仏法を求め、後世に伝えていく心がなければ、どんなに形のうえではすぐれた経典や教義があったとしても、あたかも木や石に衣を着せ鉢を持たせたようなもので、生命のないものとなってしまうのである。
ここに挙げられている例は、いずれも遠い難路を乗り越えて仏法を求めた手本である。その道が遠く険しいほど、それを越えさせた求道の心の厚さが知られるのである。そこには事実の振る舞いに現れた姿を重んずる仏法の考え方がある。どれほどの信仰心があるか、それを判定するのは、その人の心の投影としての行為を見る以外にない。凡夫であればあるほど、その人がどういう結果を現したかという振る舞いをみて、志の浅深を判断するわけである。
今、乙御前の母が海山を越えて佐渡に大聖人を訪ねた、この現実の姿を大聖人は心から賛嘆されているのである。そしてさらに、女性が男を慕って遠い道を旅し、その一念から、さまざまなものに化身した例を挙げられている。たとえば、清姫が安珍を慕って、ついに蛇となった話がそれであろう。これに対して、妙法を求める信心の一念によって、乙御前の母は、必ず仏になられるであろうと喜ばれているのである。
1223~1224 弁殿御消息top
| 弁殿御消息 文永九年七月 五十一歳御作 01 不審有らば諍論無く書き付けて一日進らしむべし。 02 此の書は随分の秘書なり、已前の学文の時も・いまだ存ぜられざる事・粗之を載す、他人の御聴聞なからん已前 1224 01 に御存知有るべし、総じては・これよりぐして・いたらん人にはよりて 法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか、 02 恐恐謹言。 03 七月二十六日 日蓮花押 04 辧殿・大進阿闍梨御房・三位殿 -----― よく分からないことがあれば論争はやめて、書きつけて私の方へ送るようにしなさい。 この書はまことに重要な深秘の書である。以前の学問の時も、まだ知っておられなかった法門をあらまし書いておいた。他人が法門を聴聞する以前によく知っていきなさい。総じては、こちらから法門を身につけていく人を頼りに法門を聴聞くるようにしなさい。互いに師弟となるであろう。恐恐謹言。 七月二十六日 日蓮花押 辧殿・大進阿闍梨御房・三位殿 |
辧殿
六老僧の一人、弁阿闍梨日昭のこと。池上兄弟の叔父に当たる。
―――
大進阿闍梨房
日蓮大聖人御在世当時の弟子。曽谷氏に縁のある人といわれる。大聖人の有力な門下の一人として、大聖人の佐渡流罪中には鎌倉で信徒を教導した。弘安元年(1278)9月15日の四条金吾殿御返事には死去のことが述べられている。なお、富士方面にいて大聖人門下を迫害した大進房とは別人と思われる。
―――
三位房
(~1279)三位房日行のこと。日蓮大聖人御在世当時の弟子。学才があり、諸宗との問答に活躍したが、ともすると才智におぼれて大聖人の指導に背くことがあり、たびたび訓戒を受けていた。熱原の法難の初めごろ退転し、不慮の死を遂げたと思われる。
―――――――――
本抄は文永9年(1272)7月26日、佐渡一谷から鎌倉で大聖人の留守を守っている日昭・大進阿闍梨・三位房の三人に与えられた短文の御消息である。
御真筆は全篇貼合一紙で、山梨県甲府市若松町の信立寺に現存する。重要な御書の添状と思われるが、それがいかなる御書かは詳かでない。
大聖人は竜の口の法難を契機として、佐渡已前と佐渡已後では重大な差異があらわれている。つまり佐渡に御滞在の時から真言宗の批判を強められ、とくに慈覚・智証以下の台密の誤りを、おもだった弟子檀那に対して明確に示されるようになり、また身延入山後には、つぶさに三大秘法の名義を開顕されたのである。したがって「此の書は随分の秘書なり」とある秘書とは、台密の破折が含まれていると考えられる。
ともあれ、大聖人から遠く海山を隔てた鎌倉に残った日昭などの弟子達には、大聖人の法門の新展開を正しく理解することが困難であった。したがって、大聖人は鎌倉の三人の高弟に対して、佐渡から親しく大聖人の教えを聞いて戻ってきた者に対しては、そのものがたとえ後輩であっても謙虚に法を求めなさいと指導されているのである。
折あらば大聖人を亡き者にしようとする念仏者達に囲まれ、佐渡の流人として最悪の状況下に置かれていながら、大聖人は、未曾有の深義を講じ、弟子の育成に心をくだかれ、令法久住の戦いを続けられていたのである。「他人の御聴聞なからん已前に御存知有るべし」の一文には、門下の長老である日昭・大進房・三位房等が、発迹顕本後の日蓮大聖人の仏法の展開に、他の人よりも後れを取るようなことがあってはならないとの、慈愛あふれる思いやりがうかがえる。
だがこうした大聖人のお心遣いを、これらの人々は真摯に受けえなかったようで、大進房・三位房は熱原法難のころから、日昭も大聖人入滅後、正義から離れていってしまったのは、まことに残念といわなければならない。
総じては・これよりぐして・いたらん人にはよりて法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか
別しては、本抄にふれられている「重要な書」をよく読むことが大切であるが、総じては、佐渡の大聖人のもとを訪れ、直接に法門についてうかがった人々から、よく聴くようにしなさい、との意である。
大聖人の佐渡流罪中、在家・出家を問わず、何人かの門弟が、はるばる佐渡に訪ねていったことは、諸御書を通じて明らかである。しかし、いずれにしても、再長老格の日昭や大進房からすれば後輩になる。
だが、竜の口法難で発迹顕本され、いよいよ御本仏としてのお振る舞いを展開されるありさまについては、遠く離れている日昭達は、まだ直接には知っていない。したがって、後輩だからといって下に見るのでなく、直接ふれてきた人々に求めてつき、法門についてうかがいなさい、といわれているのである。
ここには、先輩、後輩という形式の問題にとらわれない、仏法求道の精神が教えられている「互に師弟と為らんか」とは、大聖人のご心境については、直接会ってきた人々が師になるし、鎌倉等の状況については、日昭等が師になるということである。
こうして互いに教え合うことが、相互尊敬の姿であり、仏法者のあるべき行き方であることを示されているのである。
1224~1224 弁殿尼御前御書(大兵興起御書)top
| 辧殿尼御前御書 文永十年九月 五十二歳御作 与日昭母妙一 01 しげければとどむ、辧殿に申す大師講を・をこなうべし・大師とてまいらせて候、三郎左衛門尉殿に候、御文 02 のなかに涅槃経の後分二巻・文句五の本末・授決集の抄の上巻等・御随身あるべし。 03 貞当は十二年にやぶれぬ.将門は八年にかたふきぬ、第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして.法華経の行者と 04 生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二 05 十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、 しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は 06 退転の心あり、 尼ごぜんの一文不通の小心に・いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし、其の上自身のつか 07 うべきところに下人を一人つけられて候事定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか、恐恐謹言。 08 九月十九日 日蓮花押 09 辧殿尼御前に申させ給へ -----― 繁雑になるので筆をとどめておく。弁殿に申し上げる。大師講を行なうがよい。天台大師の像を取り出して送りました。三郎左衛門尉殿のところにある書物の中で、涅槃経の後分二巻、法華文句巻五の本文と末註、授決集の抄の上巻等をもって来てください。 安倍貞当は十二年にわたる戦で敗れた。平将門は八年で滅びた。第六天の魔王は、十の魔軍を起こして、法華経の行者と生死海の海中にあって、凡聖同居の穢土をとられまい、奪おう、として争っている。日蓮は第六天の魔王と敵対する者として、大兵を起こして戦うこと二十余年である。日蓮は一度も退く心はない。しかし弟子等・檀那等の中で臆病の者は大体、ある者は退転し、ある者は退転の心がある。 尼御前が一文不通の仏法の道理も分からぬ心弱い女性の身で、今まで退転しなかったことは、まことに立派である。そのうえ自分が使うはずの召使を一人私につけてくださったことは、かならず釈迦・多宝・十方分身の諸仏も知見されているであろう。恐恐謹言。 九月十九日 日 蓮 花 押 弁殿尼御前にお伝えください。 |
弁殿
(1221?~1322)。弁阿闍梨日昭のこと。日蓮大聖人御在世当時の弟子。六老僧の一人で門下の最長老であった。下総海上郡(千葉県海上郡)に生まれる。15歳のころ天台宗の寺で出家し、その後、比叡山に登り天台の法門を習学したが、大聖人の立宗を聞いて松葉谷の草庵を訪れ、建長5年(1253)11月に帰依した。鎌倉を中心に弘教に励んだ。弘安6年(1283)大聖人の百か日法要の後、鎌倉に帰って妙法華寺を創建した。弘安8年(1285)ころから天台沙門と名乗って大聖人の正意に反する言動をとった。
―――
大師講
天台大師の忌日である11月24日に行なわれる法会のこと。金吾殿御返事(0999)等によれば、日蓮大聖人は文永3年(1266)ごろから、外用の師である天台大師の報恩謝徳のために営まれたようである。佐渡流罪によって途絶えたが、文永10年(1273)9月のころ、日昭に命じて再開され、身延入山後も行なわれたようである。
―――
三郎左衛門
(1230頃~1300)。日蓮大聖人御在世当時の信徒。四条中務三郎左衛門尉頼基のこと。左衛門尉という官名の唐の呼び名を金吾といったことから、四条金吾と通称された。北条氏の支族・江間家に仕えた武士で、医術にも通じていた。建長8年(1256)ごろ、池上兄弟、工藤吉隆などと前後して大聖人に帰依したといわれる。文永8年(1271)の竜の口法難の時は、大聖人に殉死の覚悟で供をし、文永9年(1272)には、佐渡の大聖人より人本尊開顕の書である開目抄を与えられた。
―――
授決集
上下二巻。智証撰。唐留学中に、天台山禅林寺・良諝から授けられた口決や、その他の覚書五十四項を集成したもの。華厳宗、三論宗、法相宗との議論が収められている。天台宗寺門派ではこの書を根本聖典としている。
―――
随身
身につけているもの。身に所持している者。
―――
貞当
(1019~1062)。安倍貞当のこと。平安後期の陸奥の豪族。頼時の子で岩手郡を譲られ支配した。前9年の役では天喜5年(1057)朝廷軍の源頼義・義家と戦い、康平5年(1062)、厨川柵(岩手県盛岡市)で出羽の貴族・清原光頼・武則兄弟と同盟した朝廷軍に滅ぼされた。反逆から平定まで前後12年(1051~1062)かかったので十二年合戦ともいう。
―――
将門
(不詳~0940)。平将門のこと。桓武天皇の曾孫・平高望の孫で、鎮守府将軍良将の子。下総に勢力をもっていたが、延長9年(0931)父の遺領問題等から一族と争いを起こし、承平5年(0935)に伯父の国香を殺害して一族の指導権を握った。後に常陸(茨城県)国府を侵し、さらに下野・上野両国府を得た。みずから新皇と称して下総国猿島郡石井郷に王城を築いた。このために朝廷は天慶3年(0940)、藤原忠文を征東大将軍に任じ東国に向かわせたが、その前に国香の長子・平貞盛が下野押領使藤原秀郷の援けを得て将門を攻め滅ぼした。将門が乱を起こしてから、その平定まで前後8年かかったので「八年にかたぶきぬ」といわれたのである。
―――
第六天の魔王
他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
―――
十軍
十種の魔軍のこと。種々の煩悩を魔軍として十種に分類したもの。大智度論巻十五には①欲、②憂愁、③飢渇、④渇愛、⑤睡眠、⑥怖畏、⑦疑悔、⑧瞋恚、⑨利養虚称、⑩自高蔑人の十種を挙げている。
―――
生死海
生死の苦しみのこと。三界・六道に輪廻して解脱することのない生死の苦しみが、海のように深く果てしないところから、生死海、生死の苦海という。
―――
同居穢土
同居は同居土の略で、六道の凡夫と四聖の聖人が同居している国土のこと。凡聖同居土ともいう。穢土は浄土の対語で、煩悩・業・苦などの充満する汚れた国土のこと。同居・穢土ともに娑婆世界・現実世界をさす。
―――
退転
仏道修行を退き、もとの凡夫の生活に戻ること。
―――
一文不通
文字を知らず、読み書きのできないこと。無学文盲をいう。あるいは経文、論釈などの一文も知らない者のことをいう。
―――
釈迦・多宝・十方の分身の諸仏
宝塔品で現れる三仏のこと。
―――
弁殿尼御前
生没年不明。弁阿闍梨日昭の縁故の婦人。姓氏不詳。日昭の母、妙一尼のこととも思われる。この説に従えば工藤祐経の長女、印東次郎左衛門祐昭の妻で、強信な人であったようである。
―――――――――
本抄は文永10年(1273)9月19日、佐渡の一谷において弁殿並びに弁殿尼御前にあててしたためられたお手紙である。
御真蹟は全篇二紙で、千葉県市川市の中山法華経寺に現存する。
内容は、本文と端書との二段に分かれている。本文は尼に対して大聖人の二十数年にわたる第六天の魔王との戦を述べ、弟子となりながら退転する者の多い中で女人の身でありながら強盛な信心を貫いてきたことを賞賛されている。端書は日昭にあてたもので、大師講の再開を指示され、涅槃経の後分、法華文句等を届けてくれるよう要請されている。
第六天の魔王、十軍のいくさををこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土をとられじ、うばはんとあらそう
ここに十軍とあるのは、われわれの抱くもろもろの煩悩を、魔王に従う十種類の軍勢に譬えたものである。この内容は語訳に示したように、欲望、憂い、身心にわたる飢え、睡眠、恐怖心、疑い、感情、驕りなどであるが、一切世間の人々および一切の諸天でさえ、このわが内なる魔軍を破る者はない。よくこれを破るものは仏の智慧の矢のみであるという。
正法を受持する者にはかならずさまざまな障害が起こって、成仏という絶対的幸福に到る道を途中で阻止しようとする。けれども、そこで退くか、あるいはこれを乗り越えてさらに向上の道を進むかは、なによりもまず己心の魔との熾烈な戦いの結果によるのである。われわれの飢えや渇きにも似た煩悩の激しさは、だれびとにとっても摧滅することは実に至難である。
ゆえに成仏といっても、わが生命の内に潜む魔性との厳しい戦いを乗り越えてこそ得られるものであることを忘れてはならない。
仏法は、この人間の内面にあって苦悩の底に引きずりこむ魔の力を打ち破り、克服していく道を教えたものであり、仏道修行とは、この人間一人一人の生命変革の戦いなのである。
1224~1224 弁殿尼御前御書(大兵興起御書) 2015:03月号大白蓮華より。先生の講義 top
不退の人に無量の福徳
「長い間、この機会を待っておりました。やりましょう!21世紀のために語り継ぎましょう!私はベストを尽くします!」
20世紀を代表する歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士は、そう語ると、対談に喜々として臨んでくださいました。
当時、博士は83歳、私は44歳、ロンドンのお宅での真剣な語らいは、1972年と翌73年の2回、40時間に及びました。それは、未来の平和を展望しつつ、人類が直面する諸問題の解決の糸口を見つける作業でもありました。
この3月で、トインビー博士との語らいの集大成である対談集『二十一世紀への対話』が日本で発刊されて40年となります。
「人類の未来の宗教」を希求されて、大乗仏教に大きな関心をもたれていた博士は、「宗教の役割」を、力強く訴えられました。
「自己超克こそ宗教の真髄です」
「自己超克という教戒こそ、人間としてこの世に生を享けていることの挑戦に対する、唯一の効果的な応戦になるもの、と信ずる」
「自己超克」とは、欲望や憎悪などの自身の内面に起こる「挑戦」に、雄々しく立ち向かう「応戦」にょって、人間を懸命にし、強くすることです。現状の自分自身を乗り越えて、よりよき自分へ、より強い自分へと成長することです。
博士は、その役割を、宗教、なかんずく大乗仏教に期待を寄せていたのです。まさしく「人間革命」そのものであるといえましょう。
人類救う「宿命転換の宗教」を
博士はまた、「人類精神の進歩」に話が及んだ際、次のように語られました。
「人間にとって最も重要な課題は、自らのカルマをどう好転させるかということです。そのための唯一の方法は、自己超克への努力を増すことです」と。
これが、「戦争と社会的不公正」という、人類の歴史とともに存在してきた「諸悪」を克服する道を探究してきた博士の一つの結論でありました。
「業の好転」、すなわち「宿命転換」を成し遂げることのできる宗教を志向されていたといってよいでありましょう。
恩師・戸田先生も「宿命を、どうあつかうかによって、宗教の真価がわかるものだ」と語られていました。
宿命に甘んじて、不幸の根源である宿業に流されてしまうのか。
それとも、宿命を使命へと昇華し、宿業を力強く克服していくのか。
生命の尊厳を守り、より良き世界の建設へ、人類全体の宿命をも転換し、真実の民衆の平和と幸福の連帯を広げていく――私たちの目指す広宣流布は、悪と不幸をもたらす魔性からの「挑戦」に断じて屈しない仏の勢力の「応戦」です。仏と魔との間断無き連続闘争である以上、一瞬たりとも、戦いのやむことはない。
この熾烈な大闘争を勝ち越えるため、「不退の信心」「勇気ある信心」「師弟不二の信心」を教えられている御書が今回学ぶ「辧殿尼御前御書」です。ゆえに私は、若き日から本抄を生命に刻んできました。
| 03 貞当は十二年にやぶれぬ.将門は八年にかたふきぬ、第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして.法華経の行者と 04 生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二 05 十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、 -----― 阿倍貞任は十二年にわたる戦で敗れた。平将門は八年で滅びた。第六天の魔王は、十の魔軍を起こして、法華経の行者と生死海の海中にあって、凡聖同居の穢土をとられまい、奪おう、として争っている。日蓮は第六天の魔王と敵対する者として、大兵を起こして戦うこと二十余年である。日蓮は一度も退く心はない。 |
徹して「一人」を大切に
本抄は文永10年(1273)9月、佐渡の一谷で著されたお手紙です。
以前は、「辧殿尼御前」とは、弁殿の縁者の尼御前とされていましたが、弁殿から、鎌倉に住む「尼御前」伝えてほしいという解釈が適切であると考えられます。
この尼御前は在家で入道した女性、おそらくは夫に先立たれた女性と思われます。
また御文に「尼ごぜんの一文不通の小心」と仰せです。この「文」とは“文字”の意味で、「一文不通」は「一字不通」と同じく、“文字が一字も読めない”という意味です。
当時の多くの民衆は文字が読めませんでした。しかし、尼御前は、以前に大聖人から説法を直接うかがい、多くの教えを耳から学び、心に深く刻み留めていたのでしょう。
本抄は、この尼御前に弁殿が読み聞かせるためのお手紙です。その文章は耳で聞いてわかるよう平易で、心に響くよう力強く、命に刻めるように簡明です。
弁殿が声に出して拝するのを聞いて、尼御前は大聖人から直接うかがっている思いだったことでしょう。
ちなみに、御書全集で、本抄の冒頭、少し下に下げて記されている2行は、本文を認められた後に紙の余白に書かれた端書で、追伸に当たります。そこには、「しげければとどむ」と記された後、弁殿への種々の指示が記されています。紙も不足する中、遠く離れた門下へのさまざまな心配りを伝えられていたことがうかがえます。
佐渡の大聖人は、鎌倉で厳しい弾圧の嵐が吹き荒れる中、門下の様子について折々に報告を受けられていたのでしょう。
千人のうち999人は退転したとも言われる迫害です。その中で、純真に信心を貫いていた尼御前の奮闘を聞かれた大聖人が“励まさずにはいられない”と激励の筆を執られたものと拝察されます。
法華経の行者と魔軍の闘争
本抄の冒頭で大聖人は「貞任は十二年にやぶれぬ・将門は八年にかたふきぬ」と仰せです。武将としては優れていた阿部貞任、平将門も、長年の戦いの末、最後には朝敵として打ち取られたことを指摘されています。
阿部貞任の12年間にわたる戦いとは、奥州十二年合戦のことです。これは後に「前九年の役」と呼ばれるようになります。また、将門の8年にわたる戦いとは「襄平天慶の乱」として知られています。
これらの戦いは、鎌倉時代には、絵画に描かれたり、物語の中で語られたりしていました。当時の人々にもよく知られていたのでしょう。大聖人は、門下へのお手紙でしばしば言及されています。
もちろん、広宣流布の闘争は、それらの合戦とは根本的に意義か異なり、スケールも期間も次元が大きく違います。
現実世界から不幸を根絶し、人々を幸福に、平和にしていく、この戦いを、大聖人は「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう」と仰せです。
「第六天の魔王」とは、欲望に支配された世界の頂点である第六天に住む三界の主です。この魔王は、衆生を支配し自在に操るので、「他化自在天」とも言われます。
「生死海」とは、生死の苦しみに覆われた現実世界を、大海に譬えた表現です。
「同居穢土」とは、六道の凡夫と四聖の聖人が「同居」し、煩悩・業・苦が充満する「穢土」、つまり現実世界のことです。
この生死の苦悩が渦巻く現実世界こそが、「第六天の魔王」と「法華経の行者」の長く激しい闘争の舞台です。
三界は第六天の魔王の所領であり、魔王が衆生を自在に操っています。そこに法華経の行者が娑婆世界を仏国土に変革しようと立ち上がると、第六天の魔王は、これを阻止しようと、魔軍を率いて襲いかかってくるのです。
心を壊す魔の働き
魔王は「十軍のいくさ」、つまり10種の軍勢を従えて、善の勢力を攻撃すると仰せです。『大智度論』には、次の10種が挙げられています。
①欲 ②憂愁(憂えること) ③飢濁(飢えと渇き) ④渇愛(五官を通して起こる欲望に愛着すること) ⑤睡眠 ⑥怖畏(怖れること) ⑦疑悔(疑いや後悔) ⑧瞋恚(怒り)⑨利養虚称(利を貪り、虚妄の名聞に執着すること) ➉自高蔑人(自らおごり高ぶる人、人を卑しむこと)――すべて自身の心に起こる魔の働きです。
「魔」とは、「奪命者」であり「奪功徳者」です。つまり、善く生きようとする生命のエネルギーを奪い、それまで積み上げてきた福徳を奪うものです。
この十の魔軍にしても、魔王にしても、固有の存在があるわけではありません。人々の己心に具わった生命の働きです。その意味で、成仏というのは、本質的には外敵との戦いではなく、自分の内なる魔性との戦いです。わが生命に潜む魔性を克服していくことが、成仏への直道です。
したがって、たとえ財産を奪われても、病気や怪我をしても、信心の心さえ壊されなければ、再び立ち上がり、挑戦し、勝利し、幸福を築くことができます。「心こそ大切」であり、その最も大切な心を破壊しようとするのが魔の本性なのです。
御文で大聖人は「とられじ・うばはんと・あらそう」と仰せです。この表現から、まさに、善と悪のどちらの勢力も拮抗している様子が伝わってきます。
善が勢力を増せば、悪もまた、それを阻もうと力を増します。“これくらいでいいだろう”と思った瞬間、悪の力が押し返してくる。これが「一生成仏」の戦いであり、「広宣流布」の戦いです。
戸田先生は、「広宣流布の戦だけは、絶対に負けるわけにはいかない。たじろぐことは許されない。負ければ、人類は、永遠に闇に包まれてしまう。民衆救済の尊い使命ある学会は、何があろうと負けてはならないのだ!」と強く言われました。
「信」こそ魔を打ち破る利剣
では、十軍に打ち勝つ最高の武器は何か。
『大智度論』には、「『わが内なる魔軍』破る者はいない。よく破ることができるのは、『仏の智慧の矢』のみである」と記さあれています。
私たちにとって、唯一、魔をやぶることのできる、「仏の智慧の矢」とはなにでしょうか。
仏の智慧を言葉に結晶させた究極の教えが、法華経です。わたしたち凡夫の心に「仏知見」、すなわち仏の智慧の境涯がもともと具わっていて、それを開くことができると教えられています。
そして、妙法への強固な「信」が「以信代慧」で、魔軍を打ち破る武器となるのです。大聖人は、「元品の無明を対治 する利剣は信の一字なり」(751:15)と仰せです。
私たちの生命の本性として具わる根源的な悪の働きが「元品の無明」です。
「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-07)とあるように、その「元品の無明」が悪縁に触れて「第六天の魔王」の働きを現します。
仏道修行を妨げるために、わが心を破壊するのです。
一人一人の心に潜む「元品の無明」こそが、あらゆる不幸の根源です。それに打ち勝つのが、「信心の利剣」なのです。
大難の中、「不退の信心」貫く
本抄では続けて、「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」と仰せです。「をこして」とは、大聖人が、全人類の幸福のため「法華経の行者」として「第六天の魔王」との大闘争を開始された立宗宣言を指します。
立宗の御決意それ自体も、魔との荘厳なる闘争であられました。その後思索と精神闘争の一端は、「開目抄」で、次のように綴られています。
「二辺の中には・いうべし」(0200-13)「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(0200-16)「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべ からず」(0232-15)
大聖人は、経文に照らせば大難が起こることを覚悟のうえで、「不退」の決意をもって民衆救済に立ち上がられたのです。
さらに「二十余年」とは、建長5年(1253)4月28日の立宗から、本抄御執筆までのことです。その間、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして竜の口の法難・佐渡流罪と、命に及ぶ大難が連続して起こったのです。しかし大聖人は、一歩も退かれなかった。「日蓮一度も退く心なしです。
「本より存知の旨」(0910-03)「いまだこりず候」(1056-14)「二十余年が間・一時片時も心安き事なし」(1514-09)との御精神で戦われました。
これらの「不退の心」をあらためて門下に教えられているのです。
人間尊敬と人間蔑視の戦い
現実世界で、法華経を弘めれば大難が起こります。この大難もまた、人々の正目に潜む第六天の魔王の現れです。
生命の尊厳と人間の善性に目覚めた人は、自他共の幸福の創造へ勇んで行動します。一方で、人間の大いなる可能性も善性も信じられない人は、他者の尊厳性も否定します。他化自在の第六天の魔王の生命に束縛されている人間は、人々が正法を信じて幸福になるのを妨げようと迫害を加えてくるのです。
これに対して“すべての人が、かけがえのない尊極な存在である。等しく自己の個性を最大に発揮して幸福になる権利がある”との法華経の法理に目覚めた人は、生命軽視・人権蹂躙の悪とたたかわざるをえません。
生命尊厳・人間尊敬の思潮を広げゆく、一人一人の人間革命の実践しか、人間蔑視の勢力を打ち破ることはできないからです。
大聖人が当時の諸宗と戦われたのも、万人の尊厳性を明かした法華経を誹謗した勢力を打ち破るためです。魔性の勢力と戦うなかで、「人間のための宗教」を確立し、万人の幸福と社会平和を築こうとされるのです。
大聖人は、襲い来る権力の魔性との戦いの中で、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(0287:15)と宣言されました。そして、すべての大難を勝ち越えられ、人間生命の最極の尊厳を示されました。
そして創価の初代会長・牧口常三郎先生は、大聖人の歩まれた道をそのまま真っすぐ進み、不当な権力の弾圧に屈することなく殉教されました。この師と共に投獄された、不二の弟子である恩師・戸田城聖先生は生きて牢獄を出られ、妙法流布の戦いを一人開始されました。そして、一人また一人と、人々の心に正義と真実の種を蒔き、偉大な民衆の連帯を築かれたのです。
第3代の私もまた、その闘争を厳然と受け継ぎ、今日まで戦い続けてまいりました。仏法の生命尊厳の思想を根本に、平和と人権の道を開くために、世界の識者とも対話を展開し、わが人生の最後の事業として後継の青年たちへの教育に力を注いできました。
今年は戸田先生が先後の荒野に一人立たれて70年、また、ユネスコ憲章の制定70年でもあります。
ユネスコ憲章の前文は、次の有名な一節から始まります。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでをきずかなければならない」
そして、「人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し」「無智と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめ戦争への反省から、「文化の広い普及」と、「正義・自由・平和のための人類の教育」、「人類の知的及び精神的連帯の上に」築く平和とを、呼びかけています。
私たち創価の連帯も、平和と文化と教育を尊重し、対話を通して、人間の尊厳性を育む行動を重ねてきました。人の心に潜む元品の無明と戦い、人の心の中に平和のとりでを築き、人間尊厳の社会を建設する。この精神闘争を、さらに世界の良識と共に広げてまいりたい。
「自他共の幸福」を拡大
この善と悪の戦いということにつて、トインビー博士は、悪の力を弱める唯一の方途を、次のように語られました。
「各個人の行為において、利己主義、つまり貪欲を、利他主義、つまり愛に従えさせていくことであると信じています。いいかえれば、自己超克こそが、個人にとっても人類全体にとっても幸福への唯一の道なのです。
さらに博士は、「善が勝という保証はない。しかし、人間の魂の争奪戦において、善が悪より有利な点が二つある」と指摘しています。
一つは、人間の魂は、どんな悪を行っていても、善を認めるということです。どんな悪人でも、善を善と認める良心がすべて失われることはないのです。私たちの仏法の視点で言えば、どんな悪人にも仏性があるということになる。ゆえに、善縁を拡大すれば、悪を善へと目覚めさせていくことができるのです。
もう一つは、利他的な目的そのものが、その人間の利己心を満足させることである。つまり、自己の欲望を、自己の成長、利他的な行動へと昇華させることができる。他の人々のことをも我がこととして捉えられる大きな自己へと境涯を拡大できれば、その人の利己心は他の多くの人々にも利益をもたらします。利他の行動こそが利己心を真に満足させるということです。
こうした博士の洞察は、私たちの体験のうえからもよく納得できます。いずれにせよ、悪との戦い、障魔との戦いと言っても、それは、目の前の「一人の心」を改革させることから始まる以外にない。相手の生命に、もともと具わる「善性」を呼び覚ます対話によって、一人、また一人と、生命尊厳の連帯をひろげていくしかありません。
| 05 しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は 06 退転の心あり、 尼ごぜんの一文不通の小心に・いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし、其の上自身のつか 07 うべきところに下人を一人つけられて候事定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか、恐恐謹言。 08 九月十九日 -----― しかし弟子等・檀那等の中で臆病の者は大体、あるいは退転し、ある者は退転の心がある。 尼御前が一文不通の仏法の道理も分からぬ心弱い女性の身で、今まで退転しなかったことは、まことに立派である。そのうえ、自分が使うはずの召使を一人私につけてくださったことは、かならず釈迦・多宝・十方分身の諸物も知見されるであろう。恐恐謹言。 |
学会員こそが「人間の王者」
退転は、幸福の軌道を自ら踏み外すことです。退転は、一切の不幸の因となります。大聖人は、退転の主たる原因を鋭く見抜かれています。それは「臆病」です。
ゆえに大聖人は「すこしも・をづる心なかれ」(1084-11)、「すこしも・をそるる心なかれ」(1091-14)、「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(0504-18)と、臆病を戒め、“一人の弟子も退転させてなるものか”“全員を幸福に”と、お心を砕かれてきました。
佐渡流罪当時、退転した者の中には、学問のある出家の弟子も、経済的な基盤のある檀那もいました。本来なら、同志の模範となり、皆を守る側に立つべき人たちです。しかし、臆病の心を起こし、仏法の正義、師匠の正義をではなく、自分の地位や財産を守るため、退転してしまったのです。
これに対して、本抄を頂いた人は、頼るべき夫を亡くしたのであろう「尼御前」です。また十分な教育を受けられず一文字も読めない「一文不通」の女性です。世間のさまざまな出来事に翻弄される「小心」の立場にあったともいえましょう。
そのなかで大聖人は「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」と、「不退転の心を貫いた尼御前に最大の賞讃を送られます。
尼御前を思いやられる大聖人の御自愛、大聖人を慕う尼御前の真心――佐渡と鎌倉で、場所は遠く離れていても、師弟の信心の絆ほど、荘厳な生命はありません。
師弟こそ、日蓮仏法の魂です。師弟に生きる人生ほど、崇高で強い人生はない。師弟不二こそ、苦難を打ち破り、人生を勝ち抜く利剣です。広宣流布の勝利の原動力です。
師匠を求め抜く信心一筋の人が勝利者となるのです。学問や世間的な地位、名誉で、信心は決まりません。純粋な信心を貫いている無名な庶民が、学会員一人一人こそが「人間の王者」であり、「生命の女王」なのです。
法華経の行者を守り支える功徳
そのうえ、尼御前は、自分の家の使用人を、佐渡の大聖人のもとに遣わされました。
その人は、夫を亡くした尼御前にとっても、頼りになる存在だったに違いありません。それでも、“少しでも大聖人のお役にたてるならば”との真心から送り出したのです。
「法華経の行者」として広宣流布の「大兵」を起こした大聖人をお守りし、支える行動は、全人類の幸福を開くものであり、そこには無量の功徳があります。「釈迦仏・多宝仏・十方の世界から来た分身の諸仏もご存じでしょう」と仰せの通り、あらゆる仏が御照覧なのです。
御自身が佐渡流罪という身でありながら、わずかに聞き及んだ門下のことを思われて早速、激励のお手紙を送られた大聖人、その大慈大悲は、尼御前の生命を希望と安心の陽光で包み、奮い立たせたことは、想像に難くありません。
人類史を画する壮挙へ
トインビー博士はある時、仏法への敬慕の念を率直に語ってくださいました。
「私が若ければ、東洋の仏法の真髄を探究し、実践し、行動したかった」
あらゆる文明の栄枯盛衰を見つめてきた博士とは、文明の「挑戦と応戦」といっても、その本質は一人の人間の生命における「挑戦と応戦」に帰着する、との見解で強く共鳴しました。
では、一人の人間への「挑戦」に「応戦」する力を何に求めるかび。博士は、仏界を涌現させ利他の実践を展開する仏法に、その期待を寄せられたのです。
私たちが、この現実世界の中で、大聖人の仏法を実践し、弘めていることがどれはど偉大なことなのか。人類史を画する壮挙として輝いていくことは間違いないのです。
頼もしき世界の青年たち
若き日、「辯尼御前御書」の一節を日記に記した後に、私は綴りました。
「青年よ、快活であれ。青年よ、理想に、厳粛に進め」「先生、見ていてください。きっとやります」
私は生涯、戸田先生の弟子として、常に胸中の師と対話しながら、不退と師弟不二の精神で一つ一つの広布の山を、勝ち越えてきました。これからも、その誓いのままに進んでいく決意です。
今年も、広布の誓願燃え立つ「3・16」が巡り来ます。今、日本そして世界中の青年たちが続いてくれています。
広宣流布の闘争は永遠です。「退く心」なく、いよいよ生命力を増しながら、希望と歓喜と栄光の陣列を守り勝ち広げていこう!
「挑戦と応戦」の闘争に断固と勝ち、壮大なる歴史を綴り、偉大なる大福運の人生を共々に飾りゆこうではありませんか!。
1225~1226 弁殿御消息top
| 辧殿御消息 建治二年七月 五十五歳御作 与日昭 01 たきわうをば・いゑふくべきよし候けるとて・まかるべきよし申し候へば・つかわし候、ゑもんのたいうどのの 02 かへせにの事は大進の阿闍梨のふみに候らん。 03 一 十郎入道殿の御けさ悦び入つて候よし・かたらせ給え。 04 一 さぶらうざゑもんどのの・このほど人をつかわして候しが、 をほせ給いし事あまりに・かへすがへすをぼつ 05 かなく候よし、わざと御わたりありて・きこしめして・かきつかはし候べし、 又さゑもんどのにもかくと候へ、か 06 わのべどの等の四人の事はるかに・うけ給はり候はず・おぼつかなし、かの辺に・なに事か候らん一一に・かきつか 07 はせ、 度度この人人の事はことに一大事と天をせめまいらせ候なり、 さだめて後生はさてをきぬ・今生にしるし 08 あるべく候と存ずべきよし・したたかに・かたらせ給へ、 伊東の八郎ざゑもん今はしなののかみは・げんに、しに 09 たりしを・いのりいけて念仏者等になるまじきよし 明性房にをくりたりしが・かへりて念仏者・真言師になりて無 10 間地獄に堕ぬ、のと房はげんに身かたで候しが・世間のをそろしさと申し・よくと申し・日蓮をすつるのみならず・ 11 かたきとなり候ぬ、せう房もかくの如し。 12 おのおのは随分の日蓮が・かたうどなり、しかるを.なづきをくだきて.いのるに・いままで.しるしのなきは.こ 13 の中に心の・ひるがへる人の有ると・をぼへ候ぞ、をもいあわぬ人を・いのるは水の上に火をたき空にいゑを・つく 14 るなり、此の由を四人にかたらせ給うべし、 むこり国の事の・あうをもつて・おぼしめせ、日蓮が失にはあらず、 15 ちくご房.三位・そつ等をば・いとまあらば・いそぎ来るべし・大事の法門申すべし.とかたらせ給え、十住毘婆沙等 1226 01 の要文を大帖にて候と.真言の表の・せうそくの裏にさど房のかきて候と.そうじて・せせと・かきつけて候ものの. 02 かろき・とりてたび候へ、紙なくして一紙に多く要事を申すなり。 03 七月二十一日 日蓮花押 04 辧殿 -----― 滝王が、家の屋根を葺くために帰るというので、帰宅させました。 池上衛門大夫殿の改心のことは、大進阿闍梨の手紙に書かれていると思う(熱原法難で反逆した大進房とは別人か?) 一、十郎入道殿からの御供養の袈裟を、本当に喜んでいるとお伝えいただきたい。 一、四条金吾から、このほど人をよこされたが、その人を通して仰せられたことが非常に心もとなく思うので、とくに訪ねて、よく聞きとどけたうえで、文書でお知らせください。また、金吾殿にもこの旨を伝えていただきたい。 河辺殿等の四人のことは、しばらく消息がないので心がかりである。彼らに何事が起こったのであろうか。一つ一つ詳しく書いて知らせなさい。この人達のことはとくに大事と思って、たびたび天を責めているのである。後生はさておき、かならず今生に功徳の験があると心得るめきである旨、強く言い聞かせてください。 伊東八郎左衛門は、今は信濃守であるが、現に死んだのを日蓮が祈って活かし、以後念仏者等にはならないと、明性房にも言い送っていたが、かえって念仏者・真言師となって無間地獄に堕ちた。能登房は現実に見方であったが、世間の恐ろしさといい、欲といい、日蓮を捨てただけでなく、敵となったのである。少輔房もまた同じである。 河辺殿等の四人は、それぞれに日蓮の大切な見方である。そうであるのに、頭を砕くほど真剣に祈っているのに、今まで験がないのは、この中に信心退転の者がいると思われるのである。思いの応じ合わない人を祈るのは、水の上で火をたき、空中に家を建てるようなものである。このことを四人にお聞かせ願いたい。蒙古国についての予言が的中したことをもって考えられるがよい。けっして日蓮の罪ではない。 日朗、三位房、日高などに暇があればすぐ来るように、大事の法門を話したいと伝えてください。 十住毘婆沙論等の要文を記した大帖と、帖と真言の表を手紙の裏に、日向の書き写したものと、その外、すべて切々と書き付けたものを軽ものいから、持って来ていただきたい。 紙がないので一紙に多くの要事を述べるのである。 七月二十一日 日蓮花押 辧殿 |
たきわう
滝王のことと思われる。六郎帀の一人・日昭の従者。
―――
ゑもんのたいう
池上右衛門大夫宗仲のこと。建長8年(1256)ごろ、日蓮大聖人に帰依し、弟宗長とともに信仰に励んだ。文永12年(1275)、建治3年(1277)と2度にわたり父・康光に勘当され苦境に立つが信仰を貫き、本章にもある通り勘当も解かれ、弘安元年(1278)には逆に父を帰依させている。
―――
大進の阿闍梨
大進房のこと。曾谷教信の縁戚にあたる。下総(千葉県)の出身。早くから大聖人の弟子となりの門下の長老格であった。だが原因は定かではないが大聖人に敵対し、長崎次郎兵衛尉時綱等とともに暴徒を指導し大聖人門下に危害を加えたが誤って落馬し、それが原因で死んだ。
―――
十郎入道殿
詳細は不明。種種御振舞御書に出てくる「十郎入道」とすれば、幕府の内情に通じていた北条家の直参と思われる。佐渡御書に出てくる「大蔵たうのつじ十郎入道」とすれば、大聖人が佐渡流罪中に預けられた本間六郎左衛門の家人ということになるが、辧殿御消息からすれば、大聖人の信徒の一人となる。
―――
さぶらうざゑもん
(1230頃~1300)。日蓮大聖人御在世当時の信徒。四条中務三郎左衛門尉頼基のこと。左衛門尉という官名の唐の呼び名を金吾といったことから、四条金吾と通称された。北条氏の支族・江間家に仕えた武士で、医術にも通じていた。建長8年(1256)ごろ、池上兄弟、工藤吉隆などと前後して大聖人に帰依したといわれる。文永8年(1271)の竜の口法難の時は、大聖人に殉死の覚悟で供をし、文永9年(1272)には、佐渡の大聖人より人本尊開顕の書である開目抄を与えられた。
―――
さゑもんどの
四条金吾のこと。(~1300)日蓮大聖人御在世の信徒。四条中務三郎左衛門尉頼基のこと。四条は姓、祖先は藤原鎌足で、18代目隆季のころから四条を名乗った。中務は父の頼昌が中務少丞に任じられていたことから称する。三郎は通称。左衛門尉は護衛の役所である衛門府の左衛門という官職と、律令制四等官の第三位である尉という位をいう。左衛門尉の唐名を金吾校尉というので金吾と通称された。頼基は名。北条氏の一族、江間家に仕えた。武術に優れ、医術にも通達していた。妻は日限女。子に月満御前、経王午前がいる。池上宗仲・宗長兄弟や工藤吉隆らと前後して康元元年(1256)27歳のころに大聖人に帰依したといわれる。それ以来、大聖人の外護に努め、文永8年(1271)9月12日竜の口法難の際には、殉死の覚悟でお供をした。文永9年(1272)2月には佐渡流罪中の日蓮大聖人から人本尊開顕の書である開目抄を与えられた。頼基はたびたび大聖人のもとへ御供養の品々をお送りし、文永9年(1272)5月には佐渡まで大聖人をお訪ねしている。大聖人御入滅の際にも最後まで看病に当たり、御葬送の列にも連なって池上兄弟とともに幡を奉持した。大聖人滅後は、所領の甲斐国内船(山梨県南巨摩郡南部町)へ隠居し、正安2年(1300)3月15日、71歳で死去。
―――
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
―――
今生
今世の人生のこと。先生、後生に対する語。
―――
しるし
働きかけによって現れる結果・利益。
―――
伊東の八郎ざゑもん
伊東の地頭。大聖人の伊豆流罪当時、病気平癒の祈念をしていただいている。
―――
しなののかみ
長野県の国司のこと。
―――
念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
明性房
日蓮大聖人の弟子であるが詳細は不明。
―――
真言師
真言宗を奉ずる僧侶。真言宗とは、三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗等ともいう。空海が中国の真言密教を日本に伝え、一宗として開いた宗派。詳しくは真言陀羅尼宗という。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法と相承したので、これを付法の八祖とし、大日・金剛薩?を除き善無畏・一行の二師を加えて伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経として、これを両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。顕密二教判を立て自らの教えを大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なそ、弘法所伝の密教を東密というのに対して、天台宗の慈覚・智証によって伝えられた密教を台密という。
―――
無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
―――
のと房
三位房、少輔房等と共に、はじめ大聖人門下であったのが、のち退転し法罰をうけたと、御書にしばしば述べられているが詳しくは明らかではない。一説によれば、文応元年(1260)8月27日の松葉ケ谷の襲撃に際し、進士太郎と共に敵とたたかって、大聖人をお護りしたとある。その後、退転したものであろう。
―――
せう房
大聖人の御書には、しばしば出てくるが、少輔房という名は位による通称で、はっきりしたことはわからない。はじめ日蓮大聖人の門下であったが、欲深くて臆病で、伊豆の法難の頃から退転し、ついに大聖人に敵対したらしい。「種種御振舞御書」等には平左衛門に随って、大聖人迫害の先頭に立ち、松葉ケ谷の草庵を襲い、また竜口法難にあたっても、法華経の第五の巻で大聖人の面を打った少輔房のことが書かれているが、これは全く別人であろうと思われる。
―――
むこり国
13世紀の初め、チンギス汗によって統一されたモンゴル民族の国家。東は中国・朝鮮から西はロシアを包含する広大な地域を征服し、四子に領土を分与して、のちに四汗国(キプチャク・チャガタイ・オゴタイ・イル)が成立した。中国では5代フビライ(クビライ。世祖)が1271年に国号を元と称し、1279年に南宋を滅ぼして中国を統一した。鎌倉時代、この元の軍隊がわが国に侵攻してきたのが元寇である。日本には、文永5年(1268)1月以来、たびたび入貢を迫る国書を送ってきた。しかし、要求を退ける日本に対して、蒙古は文永11年(1274)、弘安4年(1281)の2回にわたって大軍を送った。
―――
ちくご房
(1245~1320)。六老僧の一人。大国阿闍梨日朗の交名。下総国能手(千葉県海上郡能手)に生まれる。父は平賀二郎有国、母は印東祐昭の女といわれている。また弁阿闍梨日昭の甥にあたる。建長6年(1254)10歳の時に大聖人の弟子となる。文永8年(1271)、大聖人が竜口法難に遭われた後、鎌倉の土牢に入れられる。その後鎌倉、池上を中心に活動し、池上で没している。行年78歳。
―――
三位
(~1279)三位房日行のこと。日蓮大聖人御在世当時の弟子。学才があり、諸宗との問答に活躍したが、ともすると才智におぼれて大聖人の指導に背くことがあり、たびたび訓戒を受けていた。熱原の法難の初めごろ退転し、不慮の死を遂げたと思われる。
―――
そつ
(1253~1314)日高のこと。太田五郎左衛門乗明の子。富木常忍の跡を継いで、中山法華経寺の基を築いている。
―――
十住毘婆沙
十住毘婆沙論のこと。全17巻。竜樹著と伝えられる。鳩摩羅什訳。菩薩の修行段階である十地を広説したものであり、十地毘婆沙論ともいう。
―――
大帖
形の大きな書物。枚数の多い書物。
―――
真言の表
真言密教の教義。
―――
せうそくの裏
手紙の裏面。
―――
さど房
六老僧の第四民部阿闍梨日向のこと。文永元年(1264)日蓮大聖人が房総地方に遊化せられたとき、13歳で得度した。建治2年(1276)清澄寺道善房死去のときに「報恩抄」を読み、大聖人の聖教を講演した。大聖人滅後弘安5年(1282)、輪番制に加わり、弘安8年(1285)ごろ身延に戻り学頭職に補せられた。だが、その後波木井実長(はぎりさねなが)に鎌倉方面の軟風をふきこみ、それによって実長は四箇の謗法をおかし、身延汚濁の因となった。身延山には正和2年(1313)まで居り、そののち、上総藻原(千葉県茂原)に移り、翌年9月3日に没した。
―――
辧殿
六老僧の一人、弁阿闍梨日昭のこと。池上兄弟の叔父に当たる。
―――――――――
本抄は、建治2年(1276)7月21日、身延でしたためたれ、弁阿闍梨日昭に与えられたお手紙である。御真筆は京都市中京区の本能寺に現存する。一紙に多くの要件を書き入れようとされたので、紙幅の尽きた分は紙の端、行間を利用して書き継がれており、手紙の裏に書き付けた真言の表などとともに、身延での御生活の一端がしのばれる。
鎌倉方面の門下の動向を尋ねられることが主意のお手紙で、とりわけ、河部等の四人の消息が絶えて久しいことを心配され、一人として退転者の出ないよう、指導の任を日昭に委ねられている。さらに法門伝授のため、筑後房等の弟子の来山を促され、十住毘婆沙論等の要文を書き抜き、その他の写本の持参を求められている。
鎌倉を去り身延に入山されて二年余が過ぎ、とくに竜の口の法難を中心として、苦楽をともにされてきた鎌倉の弟子・檀那の身の上について心配され、また、末法の令法久住のために大聖人の心労が絶える時がなかった様子がかがえる。
をもいあわぬ人を・いのるは水の上に火をたき空にいゑを・つくるなり
本抄は、こまごまとした現実問題についての御指示の書で、もとより、そのなかに身延にありながら束の間の休みもない激闘の御生活を拝するものであるが、仏法の法門の教示はない。その中で、この文は、仏法の祈りの在り方について教えられたものとして、重要な一節である。
大聖人は、弟子である河辺入道等のために祈っておられるのである。このように人のために祈る場合、その祈られる側の人も同じ心でなければ、たとい御本仏の祈りといえども通じないということである。仏法はあくまで本人の意志、心を根本とするものであって、ここに、全知全能の神を立てる既存の諸宗教と異なる“人間主義”の基盤がある。
同様に、一人の心の中においても、二つの心があったならば、その祈りは成就しない。異体同心事に「一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし」(1463-04)といわれているとおりである。
二つの心があるとは、一方では祈りながらも、疑いの心があったり、あるいは、現実になすべき努力をしなかったり、という場合がそれである。あらゆる心が、そのめざす目的に向かって一致していることが、祈りを成就するための肝要であることを知らなければならない。
1226~1227 弥源太殿御返事(善悪二刀御書)top
1226:01~1226:09 第一章 値難の必然性を説くtop
| 弥源太殿御返事 01 抑日蓮は日本第一の僻人なり、其の故は皆人の父母よりも・たかく主君よりも大事に・おもはれ候ところの阿弥 02 陀仏.大日如来・薬師等を御信用ある故に、三災・七難・先代にこえ天変・地夭等・昔にも.すぎたりと申す故に・結 03 句は今生には身をほろぼし国をそこない・後生には大阿鼻地獄に堕ち給うべしと、一日・片時も・たゆむ事なく・よ 04 ばわりし故に・かかる大難にあへり、 譬えば夏の虫の火にとびくばりねずみが・ねこのまへに出でたるが如し、是 05 あに我が身を知つて 用心せざる畜生の如くにあらずや、 身命を失ふ事・併ら心より出ずれば僻人なり、 但し石 06 は玉をふくむ故にくだかれ.鹿は皮肉の故に・殺され・魚はあぢはひある故に・とらる.すいは羽ある故にやぶらる・ 07 女人は・みめかたちよければ必ずねたまる・此の意なるべきか、 日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種 08 種の大難にあへり然 るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事 不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候 09 て霊山浄土へまいり給へ。 -----― 日蓮は日本第一の僻人である。そのゆえは、人が皆父母よりも高く、主君よりも大事に思っているところの阿弥陀仏、大日如来、薬師如来を固く信ずるゆえに、三災七難は先代に超え、天変地夭は昔にも過ぎるのだといい、そしてついには今生には身を滅ぼし、国を失い、後生は大阿鼻地獄に堕ちるのであると、一日片時もたゆむことなく叫び続けてきたゆえに、このような大難にあった。 譬えば、夏の虫が火の中に飛び込み、鼠が猫の前に出たようなものである。これはちょうど、わが身のほどを知らずに用心しない畜生のようなものではないか。身命を失うことが、そのままみずからの心から出ているので僻人である。 ただし、石はその中に玉を含むゆえに砕かれる。鹿は皮や肉のゆえに殺される。魚は美味のゆえに捕えられる。翡翠は美しい羽があるゆえに殺される。また、女人は容姿が美しければかならずねたまれる。これらと同じことであろうか。 日蓮は法華経の行者であるゆえに、三類の強敵があって、種々の大難にあったのである。しかるに、このようなものの弟子檀那となられたことは不思議である。きっと子細があるであろう。よくよく信心を強盛にして霊山浄土にまいりなさい。 |
僻人
ひねくれ者。変わり者。悪人。
―――
阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
―――
大日如来
大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
―――
薬師
薬師とは梵語( Bhaiṣajya)薬師琉璃光如来・大医王仏・医王善逝ともいう。東方浄瑠璃世界の教主。ともに菩薩道を行じていた時に、一切衆生の身心の病苦を救い、悟りに至らせようと誓った。衆生の病苦を治し、諸根を具足させて解脱へ導く働きがあるとされる。
―――
三災・七難
三災に「大の三災」と「小の三災」がある。「大の三災」は火災、水災、風災で、「小の三災」は穀貴(五穀の値段が高い、すなわち物価騰貴)、兵革(戦争)、疫病(伝染病等がはやること。また、精神分裂、思想の混乱なども疫病の一つといえよう)。七難は経文により多少の差異はあるが、いま薬師経の七難をあげれば、人衆疾疫の難(伝染病等がはやり、多くの人が死ぬ難)、他国侵逼の難(他国から侵略される難)、自界叛逆の難(仲間同士の争い、同士打ちをいう)、星宿変怪の難(天体の運行に異変があったり、彗星があらわれたりする)、日月薄蝕の難(日蝕月蝕をいう)、非時風雨の難(季節はずれの暴風や強雨)、過時不雨の難(雨期にはいっても雨が降らない天候の異変)をいう。この三災七難の起こる原因は、国に邪法が横行し、正法の行者を弾圧することにあるのである。
―――
天変・地夭
天空に起こる異変。暴風雨・日蝕・月蝕等と地上に起こる異変。風水害・地震等。
―――
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
―――
大阿鼻地獄
阿鼻大城ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avīci)の音写で、意訳して無間という。苦を受けるのが間断ないことをいう。大城とは、無間地獄が七重の鉄城、七層の鉄網で囲まれていて脱出できないことからいわれている。欲界の最低、大焦熱地獄の下にあるとされ、八大地獄のうち他の七つよりも一千倍も苦が大きいという。五逆罪、正法誹謗の者が堕ちるといわれる。
―――
畜生
飼い畜われていきるものの意で、動物を総称する。三悪道・十界のひとつ。観心本尊抄には「癡は畜生」(0241-08)とあり、理性を失い、本能の命ずるままに行動する姿をさす。
―――
三種の強敵
法華経勧持品第十三に説かれる。仏滅後の悪世に法華経の行者を種々の形で迫害する三種の敵人のこと。妙楽大師は法華文句記巻八の中で、勧持品の文から三類に約している。
―――
霊山浄土
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――――――――
本抄は、在家信徒の一人であった北条弥源太が大聖人に太刀を御供養したのに対し、返礼のためにしたためられたものである。月日のみで年号は記されていないが、文永11年(1274)大聖53の時の御述作とされている。
内容は、災難の根源である邪義を責めているために難にあっている御自身を、一往は日本第一の僻人と呼ばれながら、しかし再往は法華経の行者であるがゆえに大難にあうのであると明かされ、その弟子となり、太刀まで供養した弥源太に対しては、必ずや成仏という妙法の大功徳があることを教え信心を励まされている。
また、末尾においては、大聖人が安房のお生まれであることに触れられ、その仏法上の深い因縁をほのめかされている。
文永11年(1274)の2月21日といえば、大聖人は、まだ流罪地の佐渡・一の谷におられた時である。種種御振舞御書によると、赦免状が幕府から出たのが2月14日、それが佐渡に着いたのは3月8日であるから、正式にはまだ赦免のことをご存知なかったはずである。
しかし、弥源太は北条氏の一族であったから(幕府の要人であり、11通御書の対告衆のひとり)邪免状が出た2月14日以前の時点で、幕府内に大聖人赦免の動きが決定的になった事を知り、あるいは、それを暗にお知らせしたかもしれない。
しかし、文面で知られるところでは、御祈祷のために太刀、刀を大聖人に御供養したということである。この御祈祷の内容としては、いよいよ蒙古襲来が切迫したため、幕府要人の一人として、国を守りたい一心で、大聖人にお願い申し上げたということも考えられる。
それにしては、このお手紙の中で、このことに触れられていなのは、北条弥源太に大聖人の弟子としての強い自覚と、成仏という妙法の無上の功力への確信を持たせることを主眼にされたのであろう。ただ最後に、大聖人が、天照大神ゆかりの安房に生まれたことを述べ、さらに「能く能く諸天にいのり申すべし、信心にあかなくして所願を成就給へ」と結ばれているところに、そうした弥源太の祈りに対するお答えが秘められているゆにも思われる。
まず本章では、世間の常識からみれば僻人のようであるけれども、大聖人は法華経の行者ゆえに、三類の強敵のために種々の大難にあっていることを述べられ、その弟子檀那となったのは不思議な宿縁があることを示唆されている。
北条弥源太、大聖人が文応元年(1260)、立正安国論をもって、北条時頼を諌暁されたころから大聖人に深い関心と敬意を寄せていたといわれている。だが、明確に大聖人に帰依したのがいつであったかは、はっきりしない。本抄が文永11年の御述作であるとすれば、大聖人の流罪中も、北条一族の名を連ねながら信心を貫いたわけであるから、このように大聖人との宿縁を「不思議なり、定めて子細候らん」といわれたおことばがうなずける。
冒頭に「日蓮は日本第一の僻人なり」と仰せられているのは、世間一般の人々からいった場合であり、なかんずく幕府の人々の共通の思いであったであろう。
国中の宗教をさして災難の根源であるといい、後生には無間地獄に堕ちると弾劾しつづけてこられたのであるから、迫害を受けるのは当然である。世間の人々からみれば、みずから災いを招いている僻人としか映らなかったに違いない。
多少なりとも大聖人に心を寄せている人でも、あのように激しく他宗の悪口をいわなければ、佐渡流罪にもあわないですんだであろうに、とうわさしたことは十分想像される。大聖人は、そうした常識的な考え方の人々の中に身を置いている北条弥源太の気持ちを察して、このような書き方をされたのであろう。
だが、われとわが身に災いを招くのは、僻人、愚人の場合とは限らない。他にない優れたものを持っているものは、そのために身を破られるのである。そして、大聖人がいおうとされている真意が、この法華経の行者ゆえの難にあっているのだということを示すにあったことはもちろんである。
いわゆる末法において法華経を修行する行者に、三類の強敵が迫害を加えることは、法華経勧持品に記されているところでる。この時大聖人がうけられていた佐渡流罪は、極楽寺良観、建長寺道隆等が幕府権力を唆して起きたものであり、それはまさしく第三類、僭聖増上慢の働きによるものであった。
ひるがえっていえば、このように三類の強敵が大聖人を現実に苦しめている事実こそ、日蓮大聖人が未曾有の法華経の行者であることを立証するものだったのである。
したがって、世間の常識からいえば、大聖人は甚だしい僻人ということになるが、仏法の鏡に照らせば、偉大な法華経の行者であるがゆえに、そうした大聖人の弟子檀那であることに無上の誇りをもっていきなさいと、大確信の指導をされているのである。
1226:10~1227:09 第二章 供養を讃え信心を勧めるtop
| 10 又御祈祷のために御太刀同く刀あはせて二つ送り給はて候、 此の太刀はしかるべきかぢ・作り候かと覚へ候、 11 あまくに或は鬼きり或はやつるぎ・異朝には・かむしやうばくやが剣に争でか・ことなるべきや・此れを法華経にま 1227 01 いらせ給う、 殿の御もちの時は悪の刀・今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし、 譬えば鬼の道心をおこしたらん 02 が如し、あら不思議や不思議や、 後生には此の刀を・つえとたのみ給うべし、法華経は三世の諸仏・発心のつえに 03 て候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも.たのみ給うべし、けはしき山・あしき道.つえを・つきぬれば・たをれず、 04 殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし、南無妙法蓮華経は死出の山にては・つえはしらとなり給へ、釈迦仏・多宝 05 仏上行等の四菩薩は手を取り給うべし 日蓮さきに立ち候はば御迎にまいり候事もやあらんずらん、 又さきに行か 06 せ給はば日蓮必ず閻魔法王にも委く申すべく候、 此の事少しもそら事あるべからず、 日蓮・法華経の文の如くな 07 らば通塞の案内者なり、 只一心に信心おはして霊山を期し給へ、ぜにと云うものは用に・したがつて変ずるなり、 08 法華経も亦復是くの如し、やみには燈となり・渡りには舟となり・或は水ともなり或は火ともなり給うなり、 若し 09 然らば法華経は現世安穏・後生善処の御経なり。 -----― また御祈祷のために太刀と合わせて二振をお送りいただきました。この太刀は相当な刀鍛冶が作ったかと思われる。日本の天国あるいは鬼切あるいは八剣、外国の干将・莫耶の剣とどうして異なるであろう。これを法華経に供養されたのである。あなたのお持ちの時は悪の刀であったが、今は仏前にきたのであるから、善の刀である。譬えば鬼が道心を発したようなものである。まことに不思議なことである。後生この刀を杖と頼みなさい。 法華経は三世の諸仏の発心の杖である。ただし日蓮を杖、柱と頼まれるがよい。険しい山、悪い道では杖をつくならば倒れない。ことに手を引かれるならば転ぶことはない。南無妙法蓮華経は死出の山では杖・柱となられ、釈迦仏、多宝仏、上行等の四菩薩はあなたの手をとられるであろう。日蓮が先に霊山にたつならば、お迎えにいくこともあるであろう。また、あなたが先にお行きになるなら、日蓮はかならず閻魔法王にもくわしく申しあげよう。このことは少しも虚偽の事ではない。日蓮は法華経の文のとおりであるなら、通塞の案内者である。ただ一心に信心を持たれて霊山を期しなさい。銭というものは用いようになって変わる。法華経もまた同じである。闇には燈となり、渡りには舟となり、あるいは水ともなるのである。それゆえ、法華経は「現世安穏後生善処」の御経である。 |
太刀
長刀の総称。
―――
あまくに
日本の刀鍛冶の祖。飛鳥時代・文武天皇の時、大和の国に住したといわれる。平家伝作小烏丸は彼の作といわれ、後に彼の作を天国とよぶようになった。
―――
鬼きり
多田満仲が戸隠山の鬼を切ったと伝えられる源氏重代の名刀。
―――
やつるぎ
名刀、草薙の剣。
―――
かむしやうばくや
「干将」「莫耶」とも、中国における名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については干将が陽剣(雄剣)、莫耶が陰剣(雌剣)である。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣である。人の干将・莫耶については、干将は呉の人物であり欧冶子と同門であったとされる。この夫婦および子と、この剣の逸話については『呉越春秋』の闔閭内伝や『捜神記』などに登場しているが、後述するように差異が大きい。20世紀には魯迅がこの逸話を基に『眉間尺』を著わしている。なお、莫耶、莫邪の表記については、『呉越春秋』が莫耶、『捜神記』が莫邪となっているが、日本の作品では、いずれも莫耶と表記する。
―――
三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
―――
釈迦仏
釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
多宝仏
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。 多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
―――
上行等の四菩薩
涌出品に出てくる上行菩薩を筆頭とする無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。
―――
閻魔法王
閻魔は梵語ヤマ(Yama)の音写。炎魔・琰魔・閻魔羅とも書く。死者が迷い行く冥界の主である。一説によると、死者は五週間に閻魔法王のところに行く。王は猛悪忿怒の形相で、浄頬梨鏡に映った死者の生前の業を裁くという。
―――
霊山
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――
現世安穏・後生善処
法華経薬草喩品第五に「是の諸の衆生は、是の法を聞き已って、現世安穏にして、後に善処に生じ」とある。法華経を信ずることにより、現世には幸福な生活が築かれ、後世にもまた恵まれた処に生ずると説かれている。
―――――――――
北条弥源太が、なにかの祈祷のために、大聖人に太刀と刀を御供養したことにつて、妙法の功力と大聖人の立場を述べて、信心を教えられている。前述したように、弥源太が何を祈ったかは、文面に明らかでないが、そのために太刀を御供養したこと、もし文永11年(1274)2月とすると、その時代的背景から考えて、迫りくる蒙古襲来に備えての、敵国調伏あるいは武運長久の祈りであったかもしれない。
まず大聖人は、この太刀が一流の鍛冶によって作られた立派な太刀であることを讃えられ、そのような貴い刀を供養した信心を讃えられている。刀は武士にとって命であり、なかんずく名のある刀鍛冶の作った刀は、家宝として代々伝えられたものであった。大聖人は、そうした立派な太刀、刀を大聖人に御供養した弥源太の潔い信心を見られたのである。
次に、そのような弥源太の信心の御供養によって、刀自体、悪の刀から善の刀へと変わり、弥源太の後生を助ける杖となるであろうと述べられている。
そしてさらに「法華経は三世の諸仏発心のつえにて候ぞかし」と、法華経こそ死後の安穏を助け守ってくれる、もっとも力強い杖、柱であることを強調され、その法華経の行者である大聖人を頼りとすべきことを勧められている。
殿の御もちの時は悪の刀・今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし
いうまでもなく刀は殺生、なかんずく殺人の道具である。したがって、本来ならば、これを持ち、使う人を悪道に引き込む悪鬼である。
しかるに、法華経への信心によって、真実の法華経の行者である日蓮大聖人に御供養されたことによって、この刀は、その持ち主である弥源太を、死後、悪道に堕ちないように支える善の刀となりえたのであるとの仰せである。
それが、あたかも悪鬼が道心を起こして妙法を信ずる人を助ける善鬼となったようなものだと譬喩的に「鬼の道心をおこしたらんが如し」といわれたのである。
この背景には、悪を転じて善となす、いわゆる変毒為薬の、妙法の功力の原理がある。と同時に、それはひとえに、持ち主である弥源太の法華経への純真な信心によるものであることを忘れてはならない。
もとより、殺人は恐るべき罪である。しかし、当時の社会にあって、武士として生きてゆく人々にとって、それから逃れるすべはなかった。仏法は、殺生、殺人をあくまで罪としながらも、そうした罪のなかに生きざるをえない人々をも救う大慈悲の教えである。
この段を拝して、仏法は殺人を認めるかというならば、それは大なる誤りである。そうした時代の、武士という身に生まれた人々にとって、これは避けがたい運命だったのであり、もし、これを絶対悪として排撃するなら、それこそ無慈悲となろう。
さらにいえば、人間は生きていくうえで、さまざまな悪をなさざるをえない。他の生き物の生命の犠牲なくして、生命は維持できないからである。もし、厳しく罪を挙げ、これを弾劾するなら、だれびとも救われないことになってしまう。
仏法は、そうした避けがたいあらゆる悪に対して、法華経の信による変毒為薬を教え、救いの道を開いたのである。
法華経は三世の諸仏・発心のつえにて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも.たのみ給うべし
法華経すなわち南無妙法蓮華経が過去・現在・未来のあらゆる仏にとって「発心のつえ」であるとの仰せである。「発心のつえ」であるとは、南無妙法蓮華経を根本に信を起こし、不退の境地に入り、仏道を遂げるということである。この御文は、したがって南無妙法蓮華経こそ、三世にわたって仏法のもっとも究極であることを断言されているのである。
さらに「但し日蓮をつえはしらとも.たのみ給うべし」とは、日蓮大聖人こそ、この南無妙法蓮華経の法と一体である久遠元初の自受用報身如来であるとの意である。すなわち、人法一箇の御本仏であることを宣言された御文と拝することができる。
このことは、以下「南無妙法蓮華経は死出の山にては・つえはしらとなり給へ、釈迦仏・多宝仏上行等の四菩薩は手を取り給うべし」の御文で、南無妙法蓮華経が本仏であり、釈迦・多宝はその迹であり眷属であることを示されていることによって、さらに明らかである。また「日蓮・法華経の文の如くならば通塞の案内者なり」は、人の立場の御教示である。
このように、本章では日蓮大聖人が人法一箇の御本仏であり、もっとも究極最高の仏であるがゆえに、大聖人の教えに帰依するならば、死後未来の安穏は、絶対に得られることを具体的な表現をもって教えられている。
1227:10~1227:17 第三章 安房御誕生の果報を明かすtop
| 10 其上日蓮は日本国の中には 安州のものなり総じて彼国は 天照太神のすみそめ給いし国なりといへりかしこに 11 して日本国をさぐり出し給ふ あはの国御くりやなり・しかも此国の一切衆生の慈父悲母なり かかるいみじき国な 12 れば定んで故ぞ候らんいかなる宿習にてや候らん 日蓮又彼国に生れたり第一の果報なるなり 此消息の詮にあらざ 13 れば委しくはかかず但おしはかり給うべし。 14 能く能く諸天にいのり申べし、信心にあかなくして所願を成就し給へ女房にも・よく・よく・かたらせ給へ、恐 15 恐謹言。 16 二月二十一日 日蓮花押 17 弥源太殿御返事 -----― そのうえ、日蓮は日本国の中には安州の者である。一体かの国は天照大神がはじめて住まわれた国であるといわれている。かの所にあって日本の国を採り出されたのである。そこが安房国御厨である。しかも天照大神は、この国の一切衆生の慈父、悲母である。このような尊い国であるから、きっと深いいわれがあるのであろう。どのような宿習であろうか、日蓮もまたかの国に生まれたのである。これは第一の果報である。このことは手紙の主意ではないのでくわしくは書かない。ただ推量していただきたい。 よくよく諸天に祈りなさい。信心に怠りないようにして、所願を成就されるがよい。女房にもよくよくお伝えください。恐恐謹言。 二月二十一日 日蓮花押 |
安州
現在の千葉県南部。安房国の別呼。
―――
天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
―――
あはの国
千葉県南端部。房州ともいう。北は鋸山、清澄山を境として上総に接し、西は三浦半島に対して東京湾の外郭をなしている。養老2年(0718)上総国から平群、安房、長狭、朝夷の四郡が分かれ安房国となった。明治4年(1871)木更津県、同6年(1873)千葉県となり、現在に至っている。日蓮大聖人は、承久4年(1222)2月16日に安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市)の漁村に誕生された。
―――
御くりや
神の台の意で、神饌を調進する場所・領地のこと。本来は神饌を用意するための屋舎を意味する。御園ともいう。
―――
宿習
宿世の習い、くせのこと。過去世で身心に積み重ねてきた善悪の潜在能力のこと。なおここでは宿縁の意で用いられている。
―――
果報
①果は過去世の業因による結果。報はその業因に応じた報い。②摩訶止観の正説分の第八章。この章から不説のままで終わっているが、大意章の五略によると、止観の結果として証得される果報が略説されている。
―――
弥源太
北条弥源太のこと。北条氏一門であり、幕府の要人・大聖人一門の弟子でもある。御書には大聖人に太刀・刀を供養したとある。
―――――――――
日蓮大聖人が安房の国にお生まれなかったことに、天照大神との関係から、深いゆかりがあることを述べられている。
安房には、源頼朝が伊勢神宮のために寄進した日本最大の領地があり、天照大神のゆかりの地として、大聖人も各所で述べられている。
天照大神は日本民族の祖先神ともいうべき神で、したがって、天照大神にもっともゆかりの深い安房は、伝統的・精神的な意味で、日本の中心であるとの誇りを大聖人がもっておられたことが拝される。
新尼御前御返事には次のように述べられている。
「安房の国・東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし、其の故は天照太神・跡を垂れ給へり、昔は伊勢の国に跡を垂れさせ給いてこそありしかども、国王は八幡・加茂等を御帰依深くありて天照太神の御帰依浅かりしかば、太神・瞋りおぼせし時・源右将軍と申せし人・御起請文をもつて・あをかの小大夫に仰せつけて頂戴し・伊勢の外宮にしのび・をさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に・日本を手ににぎる将軍となり給いぬ、此の人東条の郡を天照太神の御栖と定めさせ給う、 されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず 安房の国東条の郡にすませ給うか、」(0906-09)
大聖人が末法流布の大法をはじめて世に宣言するために、留学地の京・近畿から、わざわざ安房へ帰られたのも、一つには故郷の人への報恩のお心と拝せるが、また、より根本的には、この宗教上の日本国の中心であるとのお考えからであったと推察される。この点については、御自身の出世の本懐を明らかにされた「聖人御難事」でも、はじめて法門を申し出した地を強調して述べられているところから、より深く拝察されるのである。
本抄のこの御文は、それらと共通しているが、また違った角度でいわれている。すなわち、ここでは大聖人が、この安房の国に生まれられたことを、深い意義があり「第一の果報」であると仰せられているのである。
もとより本抄では、これは「此消息詮にあらざれば」と、詳しい論述を避けておられる。「但おしはかり給うべし」との御言葉にしたがって推測するならば、日蓮大聖人が、宗教上、重大な使命と資格をもって出現された方であり、末法一切衆生を救う御本仏であるということである。さらにこの時の背景のなかでいえば、日本を未曾有の国難から救うべき使命をもって生まれた、とのお心も含められるといえよう。
最後に、どこまでも信心に励み、妻ともども心を合わせて祈ることによって、所願を成就するよう激励して結ばれている。
1228~1229 弥源太入道殿御返事(転子病御書)top
| 1228 弥源太入道殿御返事 01 別の事候まじ憑み奉り候上は最後は・かうと思し食し候へ、河野辺の入道殿のこひしく候に・漸く後れ進らせて 02 其のかたみと見まいらせ候はん、さるにても候へば如何が空しかるべきやさこそ覚え候へ。 -----― 特別の事はないであろう。法華経に祈った以上は、最後はかならずそのようになっていくと思いさだめなさい。河野辺入道殿を恋しく思っていたが、すでに先立たれた今は、あなたをその形見として拝している。そうであるからは、なんで、亡くなられたといって空しいことがあろうか。たしかにそう思われるのである。 -----― 03 但し当世は我も法華経をしりたりと人毎に申し候、時に法華経の行者はあまた候、 但し法華経と申す経は転子 04 病と申す病の様に候、 転子と申すは親の様なる子は少く候へども 此の病は必ず伝わり候なり、例せば犬の子は母 05 の吠を伝へネコの子は母の用を伝えて鼠を取る、 日本国は六十六箇国・嶋二つ、其の中に仏の御寺は一万一千三十 06 七所.其の内に僧尼或は三千.或は一万・或は一千一百.或は十人・或は一人候へども.其の源は弘法大師・慈覚大師・ 07 智証大師.此の三大師の御弟子にて候、山の座主・東寺・御室・七大寺の検校、園城寺の長吏・伊豆.箱根・日光・慈 08 光等の寺寺の別当等も皆此の三大師の嫡嫡なり、 此の人人は三大師の如く読むべし、 其れ此の三大師・法華経と 09 一切経との勝劣を読み候しには・弘法大師は法華経最第三と・慈覚・智証は法華経最第二・或は戯論なんどこそ読み 10 候いしか今又是くの如し。 -----― ただし、今の世は自分も法華経を知ったと人毎にいっている。それゆえ法華経の行者は沢山いるのである。ただし、法華経という経は転子病という病のようなものである。転子というのは親の行き写しのような子は少ないけれども、この病はかならず伝わるのである。たとえば、犬の子は母の吠えるのを伝いうけ、猫の子は母の働きを伝えうけて鼠を捕る。 日本国は六十六カ国と島二つである。そのなかに仏の御寺は11037カ所、その内の僧尼の数は、あるいは3000、あるいは10000あるいは1100、あるいは10人、あるいは1人であるが、その源は弘法大師・慈覚大師・智証大師、この三大師の御弟子である。比叡山の座主、東寺、御室、七大寺、の検校、三井寺の長吏、伊豆、箱根、日光、慈光等の寺寺の別等等も、みなこの三大師の嫡流である。この人々は三大師のように法華経を読んでいるのでる。 さてこの三大師が法華経と一切経の勝劣を読んだことには、弘法大師は法華経大三と、慈覚・智証は法華経第二、あるいは戯論などと読んだのである。 -----― 11 但し日蓮が眼には僻目にてや候らん、法華経最第一・皆是真実と釈迦仏・多宝仏十方の諸仏は説いて証明せさせ 12 給へり・此の三大師には水火の相違にて候、 其の末を受くる人人・彼の跡を継で彼の所領の田畠を我が物とせさせ 13 給いぬれば・何に諍はせ給うとも 三大師の僻事ならば此の科遁れがたくやおはすらんと見え候へども・日蓮は怯弱 14 の者にて候へば・かく申す事をも人・御用いなし、 されば今日本国の人人の我も我も経を読むといへども・申す事 15 用ゆべしとも覚えず候。 -----― ただし、日蓮の眼には、法華経第一、「皆是真実」と釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏が説いて証明されたとみえるのは、見誤りなのであろうか。これら三大師とは水火の相違である。その末流の人々は彼らの跡を継いで、寺領の田畑をわがものとして所有されているのであるから、何を言い争うとも三大師の立義が誤りであるならば、その謗法の罪を免れることは難しいと思われる。だが日蓮は微力の者であるから、このとうにゆうことをも、人は用いないのである。 それゆえ、今日本国の人々は、われわれも法華経を読むというけれども、日蓮の立てる法門を用いるとも思われない。 -----― 1229 01 是はさて置き候ぬ・ 御音信も候はねば 何にと思いて候つるに御使うれしく候、 御所労の御平愈の由うれしく候 02 うれしく候、尚仰せを蒙る可く候・恐恐謹言。 03 九月十七日 日蓮花押 04 弥源太入道殿御返事 -----― このことはさておき、お便りもなかったので、どうされたかと案じていたところに、このお便りは嬉しいことである。ご病気も回復されたとのこと、ことに喜ばしい。なお仰せを承ることに期しております。恐恐謹言。 九月十七日 日蓮花押 弥源太入道殿御返事 |
河野辺の入道殿
日蓮大聖人御在世当時の信徒。佐渡御書、弥源太入道殿御返事などに、その名が見えるが、詳細については不明である。
―――
転子病
遺伝によって起こる病気。
―――
弘法大師
(0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。
―――
慈覚大師
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
―――
智証大師
(0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。諱は円珍。智証は諡号。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し帰国した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。著書に「授決集」2巻、「大日経指帰」一1巻、「法華論記」10巻などがある。
―――
山の座主
比叡山延暦寺の管長のこと。
―――
東寺
第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。
―――
御室
仁和寺のこと。京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。
―――
七大寺の検校
「七大寺」とは奈良・長岡・平安京と遷都されたなかで、奈良は平安京の南にあたるので、奈良のことを長く南都といった。奈良七大寺のこと。東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺である。「検校」とは社寺にあって一山の事務を監督する職のことで、一山の上首として、僧尼を監督する者。
―――
園城寺の長吏
「園城寺」とは、琵琶湖西岸、大津市園城にある三井寺ともいう。天台宗寺門派の総本山で延暦寺の山門派と対立する。天智天皇が最初に造寺しようとして果たさず、弘文天皇の子・与多王によって天武14年(0686)完成した。天智・天武・持統の三帝の誕生水があるので三(御)井といった。叡山の智証が唐から帰朝して天安2年(0858)当時の付属を受け、慈覚を導師として落慶供養を行ない、貞観元年(0866)延暦寺別院と称した。正暦4年(0992)法性寺座主のことで、叡山から智証の末徒千余人が園城寺に移り、その後、約500年にわたって山門・寺門の対立抗争がつづいた。「検校」とは、寺院の首長となる僧侶のこと。
―――
伊豆
伊豆山神社のこと。源頼朝・政子夫妻が厚く尊崇したとされる。
―――
箱根
箱根権現・大箱根神社のこと。
―――
日光
栃木県日光市にある神社。二荒神を祭っていたが、慈覚がこの地に常行・法華の二堂を建立している。徳川家康権現が祭られたのは以降のことである。
―――
慈光
各地に同名の寺院はあるが、大聖人引用の寺院は埼玉県比企郡ときがわ町にある天台宗の寺院と思われる。
―――
別当
僧官名のひとつ。諸大寺の長官として一山の寺院を統べるもの。
―――
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
―――
弘法大師は法華経最第三
法師品に「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」とある法華経を、弘法が十住心論等で大日経・華厳経に劣る第三の低い教えであり、戯論であるとした邪説。十住心論では、第八の一道無為住心を天台宗、第九極無自性住心を華厳宗、第十秘密荘厳住心を真言とし、大日経を勝れた経としている。
―――
慈覚・智証は法華経最第二
慈覚・智証等は蘇悉地経等で、法華経は末だ如来秘密の意を究め尽していないとして、如来の事理俱密の意を尽くしていないとし大日経第一・法華経第二とする邪義を立てた。
―――
法華経最第一・皆是真実
法華経が一切経のなかで、最第一であるということ。法華経見宝塔品第11に「釈迦牟尼世尊、諸説の如きは、皆是れ真実なり」とあり、法師品第10には「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」とある。
―――
釈迦仏
釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
多宝仏
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。 多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
―――
十方の諸仏
十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
―――
三大師の僻事
三大師は弘法・慈覚・智証のこと。いずれも真言の悪法を弘めた張本人。僻事は正しくない・道理に合わないこと。
―――――――――
本抄が著されたのは、文永11年(1274)の9月17日と考えられる。北条弥源太入道が病気平癒の報告をしたのに対して返書としてしたためられたものである。
内容は、法華経を知っているといっても、一般の仏教界に流布しているのは、弘法・慈覚・智証の流れを引く誤った考え方であり、あくまでも法華経に説かれているとおりに正しく理解し、信仰に励むべきことを強調されている。
ここに述べられている転子病の譬は、当時の人々の法華経に対する理解と信仰の仕方が弘法等の誤りを、そのまま受け継いでいることを指摘されているのである。ただし、この原理をさらに進めていえば、正しい法華経を伝える者の立場にもあてはめることもできる。その場合は、親と子、先輩・後輩の関係において、親や、先輩にあたる人が正しい信仰に励むことが、子へ、後輩へ、正法を伝えていく根源であるとの御教示と拝することができよう。
当世は我も法華経をしりたりと人毎に申し候
仏法において大事なことは、経を仏の説かれたとおりに正しく認識し、実践することである。法華経には、法華経以外の一切経は方便権経であり、法華経のみが仏の悟達をそのままに説いた真実の経であり、一切経の中で最高峰に位置するものであることが明確に述べられている。
したがって、あくまでも法華経第一と心得て読み、信ずるのでなければ、法華経を正しく知り行じているとはいえない。日蓮大聖人の仏法を信ずるうえにおいても、このことは重要な一点であろう。
日蓮大聖人の仏法において肝要は、開目抄に明示されているように、大聖人こそ末法救済の主師親三徳を具備された御本仏であるということであり、大聖人が末法一切衆生の信行の根本として顕されたのが観心の大御本尊であるということ、そして、この御本尊の信仰を全人類に伝え弘めていくことが、実践の根幹であるということである。
もし、これらの肝要を外したならば、いかに日蓮大聖人を尊敬し、その仏法を信じているようにいっても、本抄に指摘し、責められている「我も法華経をしりたり」の類いと同じになってしまうことを知らなければならないであろう。
其の源は弘法大師・慈覚大師・智証大師.此の三大師の御弟子にて候
当時の日本に流布していた法華経観が、どこに源をもっているのかを指摘された御文である。
広く世に流布したものの考え方は、広く流布しているというだけで、動かしがたい真理のように受けとめられがちであるが、大聖人は、この指摘を通して、そうした人間心理の弱みを鋭く打ち破られているのである。
考えてみると、生活次元のものの考え方は、文化の伝統、現実の営みから出てくるから、たしかに動かしがたい真理性をもっている。しかし、宗教や思想次元のものの考え方は、かならず最初に言い出した人がおり、それを受け継ぐ人間が増えるにしたがって常識化し、言い出した人の権威が高まり、不動の真理であるかのような錯覚を与えるようになる。
これを今、日蓮大聖人が「転子病」と譬えられたのは、まさに言い得て妙である。問題はその最初が、病であったか、健全であったかである。蔓延してしまった時点では、どうしても「皆がそう考えているのだから」という理由で異常性が見破りにくいが、源に立ちかえってみると、明瞭に見えてくるものである。
今、病の源としての三大師の誤りを概観してみると、わが国においては、伝教大師によって、法華経が最高峰であるとの法門が、既存の南都六宗の偏見を打ち破って見事に確立された。
だが当時、中国では、かつての天台法華宗を蝕むようにして新来の真言密経が隆昌しており、弘法大師空海は、これを学んで帰朝し、巧みに権力に近づきながら、日本に弘めていった。その際すでに確立されていた天台法華をどのように蝕むかが弘法にとっての課題であったが、彼は十住心論を立て、第八法華、第九華厳、第十真言として、法華経は真言大日経より第三の劣なりとしたのであった。
これは、経説になんの裏づけもない邪教であったが、それが容易に受け入れられていった背景には、密経の特色である神秘主義に対して人々が感化されやすかったこと、弘法が儒教に通じ、詩文や、書にたけ、あるいは土木開発を行い、それらによって当時の人々の心に食い入ったことなどが挙げられる。
伝教大師の法華迹門の戒壇に対抗して、東大寺に灌頂道場を立てて、鎮護国家の修行を行なつたり、一方に高野山に金剛峯寺を建て、超俗の権威を高めるとともに、他方、京の都に東寺を営み、権威を誇示しつつ、南都の教権を配下に収め、宮廷と仏教界の両方に確固たる地位を築いたのであった。
伝教大師の後継である日本天台宗が、義真、円澄のあと、慈覚の時から、密経を取り入れるに至ったのは、慈覚自身が入唐して真言を学んだこともさることながら、弘法による日本での密経の隆昌に影響されるところが大きかったと見られる。
慈覚は、法華経は唯理秘密教、大日経こそ事理俱密教と立て、さらに後の智証は、法華経と大日経は、ともに一念三千の理を説いているが、大日経には印と真言があるゆえに大日経の方が勝れるとして、理同事勝の義を立てた。以後、天台宗はもはや法華宗ではなく、密教となり、天台密教と称せられるものとなってしまったのである。
こうして、法華第一の正義は、内外両面から崩れ去り、弘法の法華第三、慈覚、智証の法華第二の邪義が、日本の仏教界の常識となってしまったことを、大聖人は厳しく指摘しておられるのである。
法華経が最も勝れた第一の経であることは、「四十余年未顕真実」無量義経の文、「已今当説最為難信難解」等の法華経自体の文に明らかに示されている。そして、それを、多宝如来が「皆是真実」と証明し、十方の諸仏もまた広長舌相をもって証明したのであった。この法華経の説を無視して立てた、法華経とは「水火の相違」のある弘法、慈覚、智証らの説は、邪見といわざるをえないのである。
何に諍はせ給うとも三大師の僻事ならば此の科遁れがたくやおはすらん
このところは、根本が誤っている場合には、枝葉末節の相違は問提ではないことを述べられている。すなわち、いかに信行に励もうとも、根源の師匠に誤りがあれば、成仏はありえないし、人生において、獲得はありえないことをいましめられたものである。
仏法においては、師匠が正しくとも、弟子に誤りがあれば成仏はできないし、弟子が純粋でも、師匠の誤りを受け継ぐならば、これもまた成仏はできないのである。
「何に諍はせ給うとも」とは、真言宗に染まった誤れる法華経観のなかにおいて、弘法大師の教えはこうであるとか、慈覚大師の文献によればなどという議論である。
「此の科遁れがたく」とは、法華経最第一、皆是真実と釈迦や多宝が証明したことに背く失であり、仏法に反する科から遁れられないことであり、その罪科によって地獄の苦を現ずるという。
仏説にまったく違背する邪説をもって衆生を迷わした弘法、慈覚、智証の謗法の罪科は、まさしく法華経譬喩品に説かれた「其の人命終して、阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば更生まれん。是の如く展転して無数劫に至らん」の、重罪の者ではあるまいか。
御義口伝上に「悪人とは法然.弘法.慈覚・智証等なり仏とは日蓮等の類いなり一乗とは妙法蓮華経なり不信の故に三悪道に堕す可きなり」(0721-第八当来世悪人聞仏説一乗迷惑不信受破法堕悪道の事)とあるのも、この三大師が、仏法を破っていることに対する弾呵である。
この三大部の流れを継承し、その誤りを受け継いでいる日本中の寺々、僧尼達は、いかに自宗の教義を正当化しようと争っても、三大師と同じ重罪を逃れることはできない。
宗教はそれを信仰するものの見方、考え方の基本となり、もっとも深い生命次元において、人間の行動や方向性を規定するものである。
世に宗教の必要性、そしてその功罪を論ずる風潮は、種々さまざまにあり、宗教に対する評価は、まちまちである。しかし、宗教ほど人間生命、生活、人生、社会を根元的に左右するものはない。という視点だけは忘れてはなるまい。それは、精神次元にのみとどまることなく、生命そのものから宿命の流れまでにも根本的影響を与えゆくものなのである。
したがって、宗教を弁別する作業は、人生における第一義的課題であることを、深く認識すべきであろう。
最後に「日蓮は怯弱の者にて候へば・かく申す事をも人・御用いなし」との仰せは「三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり」(0358-04)との故事にならって身延に入山された直後のご心境を述べられたものと拝せられる。
しかし、そのなかにあっても「御所労の御平癒の由うれしく候、うれしく候」と、一人の弟子の身の上に深い心遣いをされている御様子に、温かく広大な慈愛を感ぜずにはいられない。
1229~1230 弥源太入道殿御消息(建長寺道隆事)top
| 弥源太入道殿御消息 01 一日の御帰路をぼつかなく候つる処に御使悦び入つて候、御用事の御事共は伯耆殿の御文に書かせて候、 然る 02 に道隆の死して身の舎利となる由の事、 是は何とも人知らず用いまじく候へば兎角申して詮は候はず、 但し仏の 03 以前に九十五種の外道ありき 各各是を信じて仏に成ると申す、 又皆人も一同に思いて候し程に仏世に出でさせ給 04 いて九十五種は皆地獄に堕ちたりと説かせ給いしかば・五天竺の国王・大臣等は仏は所詮なき人なりと申す、 又外 05 道の弟子どもも我が師の上を云れて悪心をかき候、 竹杖外道と申す外道の目連尊者を殺せし事是なり、 苦得外道 06 と申せし者を仏記して云く七日の内に死して食吐鬼と成るべしと説かせ給いしかば 外道瞋りをなす、 七日の内に 07 食吐鬼と成りたりしかば 其を押し隠して得道の人の御舎利買うべしと云いき、 其より外に不思議なる事数を知ら 08 ず。 -----― 一日の御岐路を心配していたところに御使いをいただき喜んでおります。御用事の件等については日興上人のお手紙に書かれています。ところで道隆が死んで舎利となったとのこと、これはなんといっても世間の人には真偽は分かららないことだし、取り合わないであろうから、とやかくいっても詮議はしない。 ただし、仏の出世以前に九十五種の外道があった。各各はそれぞれを信じて死ねば仏になるといい、また人々も一同にこれを信じていたところ、仏が世に出現されて、九十五種の外道は、みな地獄に堕ちたと説かれたのである。五天竺の国王、大臣等は、仏はつまらないことをいう人であるといい、また外道の弟子達も、わが師のこととをいわれて悪心を抱いた。竹杖外道という外道が目連尊者を殺害したのはこのためである。 また苦得外道という者を、仏は予言して「七日の内に死んで食吐鬼となるであろう」と説かれたところ、外道は瞋りをおこした。しかし、たしかに七日の内に食吐鬼となったのである。外道はそれを押し隠して、悟りを得た人の御舎利を買いなさいといって歩いたのである。それ以外にも、奇怪なことは数しれない。 -----― 09 但し道隆が事は見ぬ事にて候へば如何様に候やらん、 但し弘通するところの説法は共に本権教より起りて候し 10 を・今は教外別伝と申して 物にくるひて我と外道の法と云うか、 其の上建長寺は現に眼前に見へて候、日本国の 11 山寺の敵とも謂いつべき様なれども 事を御威によせぬれば皆人恐れて云わず、 是は今生を重くして後生は軽くす 1230 01 る故なりされば現身に 彼の寺の故に亡国すべき事当りぬ、 日蓮は度度知つて日本国の道俗の科を申せば是は今生 02 の禍・後生の福なり、 但し道隆の振舞は日本国の道俗知りて候へども 上を畏れてこそ尊み申せ 又内心は皆うと 03 みて候らん、 仏法の邪正こそ愚人なれば知らずとも世間の事は眼前なれば知りぬらん、 又一は用いずとも人の骨 04 の舎利と成る事は易く知れ候事にて候、 仏の舎利は火にやけず・水にぬれず・金剛のかなづちにて・うてども摧け 05 ず、一くだきして見よかし・あらやすし・あらやすし、 建長寺は所領を取られて・まどひたる男どもの入道に成り 06 て四十・五十・六十なんどの時・走り入りて候が用は之れ無く道隆がかげにしてすぎぬるなり、 云うに甲斐なく死 07 ぬれば不思議にて候を・かくして暫くもすぎき。 -----― ところで、道隆の骨は見ていない事であるからどんなふうであろうか、ただし道隆の弘通する法門は、もともと権教から起っている。それを今は教外別伝といっているのは、気が狂って、みずから外道の法といっているようなものである。そのうえ、建長寺のありさまは、現に眼前に明らかである。日本国の諸山・諸寺の敵ともいうべきような状態にあるが、なにとか権威を借りるので、人々は恐れて何もいわないのである。これは今生を重く見て後生を軽んずるゆえである。したがって、現身に建長寺のゆえに、国が亡びるであろうといったことがそのとおりになっている。 日蓮はこのことを知って、たびたび日本国の道俗の誤りを諌めたので、これは今生には迫害を受けて禍であっても、後生には福となるのである。ただし道隆の振る舞いは日本国の道俗は知ってはいるけれども、幕府を恐れるからこそ尊んでいるとはいえ、また内心は、皆疎んでいるであろう。仏法の邪正こそは愚人であるから知らなくとも、世間のことは眼前の事実であるから分かっているであろう。また仏法は用いなくとも、人の骨が舎利となったかどうかは、容易に知られることである。仏の舎利は火に焼けず、水にも濡れず、金剛の鎚で打っても摧けない。こころみに一度道隆の骨を摧いてみよ。まったく簡単なことである。 建長寺は、所領を取り上げられて行先のない男達が入道となって、四十、五十、六十歳になった時に逃げ込んできた者達の集まりで、なんの働きもなく、道隆の陰に隠れて暮らしてきたところである。ふがいない死に方をしたのが不思議であるのを、このような説を流して隠し、しばらくも過ごしたのである。 -----― 08 又は日蓮房が存知の法門を人に 疎ませんとこそたばかりて候らめ、 あまりの事どもなれば誑惑顕われなんと 09 す、但しばらく・ねうじて御覧ぜよ、根露れぬれば枝かれ・源渇けば流尽くると申す事あり、恐恐謹言。 10 弘安元年戊寅八月十一日 日蓮花押 11 弥源太入道殿 -----― または日蓮の存知の法門を人に疎ませようとして、噂を仕組んだものであろう。しかしあまりの仕打ちであるから、その誑惑が露見しかけているのである。ただしばらく我慢してご覧なさい。根が露われれば枝は枯れ、源が渇けば流れは途絶えるという道理である。恐恐謹言。 弘安元年戊寅八月十一日 日蓮花押 弥源太入道殿 |
伯耆殿
(1246~1333)日興上人のこと。号は白蓮阿闍梨。甲斐国巨摩郡大井荘鰍沢(山梨県南巨摩郡鰍沢町)に誕生。父は遠州(静岡県浜松市近辺)の記氏で大井の橘六、母は富士(静岡県富士市)由井氏の娘・妙福。幼くして父を失い、母は綱島家に再嫁したので、祖父・由井氏に養育された。7歳の時に、天台宗・四十九院に登って漢文学・歌道・国書・書道を学び、天台の法門を研鑽した。正嘉2年(1258)に日蓮大聖人が岩本実相寺を訪問し一切経を閲覧された時、13歳で大聖人の弟子となり伯耆房の名をいただいている。大聖人の伊豆流罪の時から常随給仕して親しく教示を受けるとともに、弘教に励み、大聖人が三度の諌暁を終えて身延に入山された後は、富士方面の縁故を通じて弘教を進め、熱原滝泉寺の日秀・日弁・日禅、甲斐の日華・日仙・日妙をはじめ付近の多くの農民を化導した。これに対して各寺の住職たちが神経を尖らせ始め、四十九院では日興上人をはじめ日持・承賢・賢秀等が律師・厳誉によって追放され(四十九院法難)、滝泉寺では院主代・行智の一派が熱原地方の農民を捕らえて鎌倉幕府に訴え、神四郎・弥五郎・弥六郎を斬罪にするという事件が起きた(熱原法難)。この法難を機に日蓮大聖人は、一閻浮提総与の大御本尊を顕され、御入滅に先立って日興上人に後世の一切を託された。こうして、日興上人は身延山久遠寺の別当となったが、五老僧が大聖人の墓所輪番制度も守らず違背し、特に地頭・波木井六郎実長が四箇の謗法を犯し、身延山を謗法によって汚したことから離山。上野郷の地頭・南条時光の懇請に応じ、その持仏堂に入り、正応3年(1290)、富士・大石ケ原に大坊を建立して移った。大石寺開創後は6人の弟子を定め、その上首として日目上人に寺務を委ね、自らは重須にあたって弟子の育成に当たった。後念、寂日房日澄を初代の学頭に任じ、二代日順の時、談所を開設した。さらに重須で6人の高弟を定めた。後世の弟子への遺誡として日興置文を著し、元弘2年(1332)、日興条条の事によって日目上人に一切を付嘱し、翌元弘3年(1333)2月7日、88歳で没した。
―――
道隆
鎌倉時代の禅僧(1213~1278)。蘭溪道隆のこと。中国西蜀培江の人。姓は冉氏。諱は蘭渓。13歳で出家し、陽山の無明慧性に禅を学んだ。33歳の時、日本渡航をこころざし、寛元4年(1246)、紹仁と共に九州大宰府に着いた。はじめ筑前円覚寺、ついで京都の泉涌寺に留まり、のちに北条時頼(1227~1263)の帰依を受け、時頼が建長5年(1253)建長寺を建立すると、迎えられて開山一世となった。門下に告げ口されて前後2回にわたり甲斐に配せられた。二度目に赦されて鎌倉へ帰ったがまもなく病を起こし弘安元年(1278)7月24日没した。道隆は良観と共に日蓮大聖人に師敵対した張本人であり、北条執権を動かし、平左衛門尉と謀って迫害・弾圧のかぎりを尽くした。日蓮大聖人は、文永5年(1268)10月、立正安国論に予言した他国侵逼難が、蒙古からの牒状到来で的中した旨を、十一通の書状に認めて北条時宗をはじめ、時の権力者に諫暁をなされたのであった。このとき、道隆にも書状を送り、法の正邪を決すべく公場対決を迫られたのである。しかし、道隆はこれに応ぜず、卑劣にも幕府に働きかけて、文永8年(1271)9月、竜の口の法難となったのである。道隆については、一般に高僧とみられているが、実際は堕落僧であったことは、筑前在住時代に官位を金で買おうとして失敗し世人の嘲笑をかったことや、二度の告げ口が自分の門下より出たことから考えても明らかである。
―――
舎利
梵語(śarīra)没利羅・室利羅・実利ともいう。漢訳すると身骨・骨分の意。仏教上、とくに戒定慧を修して成った堅固な身骨のことをいう。この舎利に二種がある。生身の舎利と法身の舎利とである。生身の舎利にはさらに全身の舎利と砕身の舎利があり、多宝の塔のごときは、全身の舎利を収めたことを意味している。釈尊の舎利でも、これを各地に分けてしまえば砕身の舎利になってしまう。次に法身の舎利とは仏の説いた経巻のこと。これまた全身と砕身にわかれる。すなわち法華経は全身の舎利であり、その他の経典は砕身の舎利である。法華経を全身の舎利とすることは、法華経法師品に「薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならむべし、復、舎利を安んずることを須いず、所以は何ん。此の中には已に如来の全身有す」とある。末法御本仏、日蓮大聖人に約せば、大御本尊こそ大聖人の全生命、全身法身の舎利である。
―――
九十五種の外道
釈尊在世における95派の外道のこと。数え方・詳細については不明。
―――
五天竺
インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
―――
竹杖外道
古代インドの仏教以外の修行者の一派。目連は舎利弗と共に王舎城を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。
―――
目連尊者
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
―――
食吐鬼
人の吐いたものを食う餓鬼のこと。
―――
権教
実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
―――
教外別伝
「以心伝心」「不立文字」等の義に同じ。中国宋代の公案集である「無門関」第十則に「世尊が霊鷲山で説法していると、梵天が金波羅花を献じた。世尊はこれを受け取り弟子たちに示したところ、並み居る弟子衆は誰もその意味を理解できず、黙然とするだけであったが、ひとり摩訶迦葉だけが破顔微笑した。そのとき世尊は『吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙(みみょう)の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す』と言った」とある。即ち禅宗の立義で、仏法の真随は一切経の外にあり、それは釈尊から迦葉に、文字によらずに密かに伝えられ、その法を伝承しているのが禅宗であると主張する。しかし依処である「大梵天王問仏決疑経」は訳者不明の偽経であり、拈華微笑の逸話は中国でつくられたことは自明の理である。「其の学者等大慢を成して教外別伝等と称し一切経を蔑如す天魔の所為なり」(0139-09)、また「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云」(0181-06)と仰せの如く、禅宗は釈尊の一切経を否定し、釈尊以前の〝外道〟に戻ろうとする「仏法の怨敵」(0179-04)である。
―――
建長寺
神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の本山。鎌倉五山の首位。巨福山と号す。建長元年(1249)第五代執権・北条時頼が建立を発願し、栄僧・蘭渓道隆を開山として建長5年(1253)に完成した。仏殿は尺六の地蔵を本尊とし、脇士に千体の小地蔵を置く。吾妻鏡の建長5年11月25日の条には落慶の模様が「建長寺の供養なり。尺六の地蔵をもって中尊となし、また同象千体を安置す。相州殊に精誠を凝さしめたまう(中略)願文の草は前大内記茂範朝臣。清書は相州。導師は栄朝の僧道隆禅師」と記されている。
―――
山寺
寺院のこと。
―――
現身
①現世に生きている身、現在の身。②仏・菩薩が衆生救済のために種々の身を化現することをいう。
―――
道俗
出家と在家のこと。
―――
仏の舎利
仏の遺骨のこと。
―――
入道
仏門・仏道に入ること。本来は出家と同義。日本では平安時代から在家のままで剃髪した人を入道といい、僧となって寺院に住む人と区別するようになった。
―――
誑惑
たぶらかすこと。
―――――――――
本抄は弘安元年(1278)8月11日、北条弥源太入道から、建長寺道隆が死亡したことを報じた手紙に対し、その御返事として身延で書かれたものである。
道隆の骨が舎利になったと、その弟子達がいいふらしたことに対し、痛烈に破折を加えられている。
まず釈迦在世の外道の例を引かれ、苦得外道の場合と同様であるとし、次に道隆の邪義と生前の振る舞いよりみて、道隆の骨が舎利となったかどうかの真偽が推し量れると指摘され、なお、信用できなければ、その骨を一砕きしてみればはっきりすることであって、「仏の舎利は火にやけず・水にぬれず・金剛のかなづちにて・うてども摧けず」と説かれているが、道隆の骨は簡単に砕けてしまうであろうと、揶揄的に破折されている。最後にこのような虚偽を構えたのも、日蓮大聖人に対抗して、道隆の法門が勝れていると吹聴したいためのたくらみであって、このような子供だましはすぐ露見するであろうといわれ「根露れぬれば枝かれ・源渇けば流尽くると申す事あり」と、道隆一門の末路を予見されている。
道隆について
道隆は、極楽寺良観とともに、日蓮大聖人迫害の急先鋒であった。その道隆を知るためには、まず鎌倉時代の禅宗について述べなければならない。
禅宗は始祖の菩提達磨以来、中国において五家七宗といわれる各派が生じたが、日本に伝来した主な禅は、中国臨済義玄を祖とする臨済宗と、青原行思系統の曹洞宗である。日本には鎌倉時代初期に、臨済宗が栄西によって弘められ、曹洞宗は道元によって伝えられた。
臨済宗を伝えた栄西は、はじめ叡山に顕密二教を学び、二度の入宋で臨済黄竜派の禅をつぎ、帰朝後おおいに禅風を宣揚しようとしたが、叡山側をはじめとしてさまざまな迫害が起こり、やむなく、顕密禅の三宗兼修の形で弘教していった。弘教の方法として、権力階級に接近し、積極的に権力を利用し勢力を強めている。鎌倉においては、北条政子の寺である寿福寺の住持となり、のち建仁2年(1202)に源頼家によって京都に建立された建仁寺の開山となった。
栄西の三宗兼修の禅は京都禅と呼ばれるが、それに対して、鎌倉禅といわれる禅一宗を興したのが、中国より渡来した蘭渓道隆と、円覚寺開山の無学祖元である。
道隆は南宋・西蜀蜀培江の人で、無明慧性に師事し禅を学んだ。33歳の時日本に渡来し、九州筑前の円覚寺、京都の泉涌寺にあり、のち鎌倉にのぼって寿福寺・常楽寺に住した。北条時頼の帰依を受け、建長5年(1253)11月に建長寺の開山となり、13年間同寺にあって、幕府中枢との強い結託を保ちながら、鎌倉仏教界に君臨したのである。しかし、禅の修行自体が経論の厳格な研鑽などを無視したものであることから、本抄に述べられているように、集まった門弟も、きわめていいかげんな人々であったようである。
今は教外別伝と申して物にくるひて我と外道の法と云うか
もとより、これは禅宗の邪義、道隆の狂乱を破折していわれているのであるが、仏法についてはなんらかの主張をする者の、絶対にふまなければならない原則を示されていると拝することができる。
仏の正統の教えは、すべて経典に記されている。したがって、もし経典を根拠としないで勝手な論議を立てるのは邪義であり、みずからの経転以外のものによるというならば、それはみずから外道であるというのと同じである。
したがって、日蓮大聖人は、あらゆる議論、御述作において、かならず経文を証拠としてしめされている。文底深秘の法門であるがゆえに文の面にあらわれていないことを明かすにあたって、かならずその裏づけを示されているのである。事実、経文という不変の根拠に立脚しないで論議を始めたならば、客観的な判断が拒否され、主観的な、勝手な己義がまかり通ることになってしまう。このゆえに仏法は、あくまで証文と道理と現証との明確な裏づけを重視するのであり、これは永久に忘れてはならない鉄則と知るべきである。
今、末法において仏道修行に励む者は、末法御本仏・日蓮大聖人が、激闘の中にみずからしたためられた御書こそ、もっとも拠りどころとすべき経文であり、この御書の外に仏法の真義が伝えられていると主張するのは、この文に仰せの「教外別伝」と同じであり、「物にくるひて外道の法と云う」に等しいであろう。
是は今生を重くして後生は軽くする故なりされば現身に彼の寺の故に亡国すべき事当りぬ、日蓮は度度知つて日本国の道俗の科を申せば是は今生の禍・後生の福なり
権力と結びつき権威の笠をきた邪義を責めるならば、今生に禍を招くことは当然である。だが、その正義を護る勇気ある言動は、必ずや後生、未来世の福運を招来するのである。破邪顕正の戦いを貫かれた日蓮大聖人のご一生は、文字どおり、今生の大なる禍の連続であった。しかし、それゆえに「後生の福」すなわち、未来に成仏の境地に住することは疑いないとの大確信の御言葉である。
これに対し、他の宗教界の人々、世間の人々は、今生の安穏を願うあまり、邪義を邪義としりつつ、それが強大な権力と結託しているのを恐れてせめなかったのである。だが、そのために後生の禍を招くことは明らかであり、のみならず、現身に蒙古襲来という大禍を招来している。いかなる立場、いかなる時代であれ、どんなに「今生の禍」を惹起しようとも「後生の禍」のために、正義を貫き、邪悪に対しては敢然と責めていく大聖人の精神に生きる人こそ、日蓮大聖人の真実の弟子である。