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日蓮大聖人御書講義2下0097~0120
0097~0103 念仏無間地獄抄
0097:01~0097:08 第一章 念仏は無間地獄の業因と明かす
0197:08~0098:01 第二章 釈尊を捨てた浄土宗の逆罪を挙げる
0098:01~0098:11 第三章 浄土三部を捨て法華を信ずべきを明かす
0098:11~0099:11 第四章 中国浄土教の善導の邪義を破す
0099:11~0100:05 第五章 善導が無間地獄に堕ちた現証を示す
0100:06~0101:08 第六章 法然の教義の誤りを破す
0101:09~0103:05 第七章 念仏の停止を命じた宣旨等を挙げる
0103:06~0103:10 第八章浄土宗を捨て法華経を信ずべきを述べる
0104~0110 当世念仏者無間地獄事
0104:01~0105:02 第一章 念仏無間の一凶を挙げる
0105:03~0105:06 第二章 念仏者の臨終の悪相を指弾する
0105:07~0105:16 第三章 狂乱往生の曲解を詰問する
0105:16~0106:04 第四章 念仏の往生こそ千中無一と破す
0106:04~0106:08 第五章 念仏の義と現証の相違を責める
0106:08~0108:05 第六章 念仏者の言い分を挙げる
0108:06~0108:11 第七章 法華等は諸行に非ずと示す
0108:11~0109:07 第八章 諸行の経名挙げぬ誤りを衝く
0109:07~0109:15 第九章 十住む毘婆沙論を検討する
0109:15~0110:12 第十章 宗教の五網に基づき念仏を破す
0111~0116 題目弥陀名号勝劣事
0111:01~0111:02 第一章 南無妙法蓮華経の功徳甚大を示す
0111:02~0111:05 第二章 外道・権教の名号と題目を対比
0111:05~0111:11 第三章 人師の僻見を挙げる
0111:11~0112:09 第四章 譬喩挙げ題目の功徳を示す
0112:10~0113:05 第五章 法華経こそ浄土の正因
0113:06~0113:08 第六章 念仏の祖師の文をもって念仏者を破す
0113:08~0113:14 第七章 仏の遺言に違背するを破す
0113:15~0114:04 第八章 通力を讃える誤りを破す
0114:04~0114:14 第九章 先人の正した天台等の例挙げる
0114:14~0115:04 第十章 念仏者の経文違背を責める
0115:04~0115:08 第11章 聖道門の人の法華経誹謗を挙げる
0115:08~0116:01 第12章 念仏と法華経の同一視を破す
0116:01~0116:08 第13章 文証なきは謗法と示す
0117~0120 法華浄土問答抄
0117:01~0117:15 第一章 法華と浄土の六即の図を挙げる
0118:01~0118:06 第二章 依文なき弁成の立義を破す
0118:07~0119:01 第三章 弁成の挙げる文証を破折する
0119:02~0120:04 第四章 法華誹謗の法然らは堕地獄と破す
0097~0103 念仏無間地獄抄top
0097:01~0097:08 第一章 念仏は無間地獄の業因と明かすtop
| 0097 念仏無間地獄抄 建長七年 三十四歳御作 01 念仏は無間地獄の業因なり法華経は成仏得道の直路なり 早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得可 02 き事法華経第二譬喩品に云く「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、 即ち一切世間の仏種を断ぜん、其の人命終して 03 阿鼻獄に入らん、 一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」云云、此の文の如く 04 んば方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は 無間地獄に堕つ可きなり 念仏者云く我等が機は法華経に及 05 ばざる間信ぜざる計りなり毀謗する事はなし何の科に地獄に堕つ可きか、法華宗云く信ぜざる条は承伏なるか、 次 06 に毀謗と云うは即不信なり信は道の源功徳の母と云へり 菩薩の五十二位には十信を本と為し 十信の位には信心を 07 始と為し諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云、 然ば譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり 今の念仏門は不信 08 と云い誹謗と云い争か入阿鼻獄の句を遁れんや、 -----― 念仏は無間地獄の業因であり、法華経は成仏得道の直路である。だから、早く浄土宗を捨てて法華経を持ち、生死を離れ、菩提を得るべきである。法華経巻二譬喩品に「もし人が、信じないでこの経を毀謗すれば、すなわち一切世間の仏の種を断ずるであろう。その人は命終して阿鼻獄に入るであろう。一劫を具足して、劫が尽きればまた阿鼻獄に生まれるであろう。このように展転して無数劫にいたるであろう」と説かれている。 この文のとおりならば、方便にすぎぬ念仏を信じて真実たる法華経を信じない者は、無間地獄に堕ちてしまうのである。 念仏者がいう。我らの機は法華経に及ばないので信じないだけであって、毀謗することはしない。何の科によって地獄に堕ちなければならないのか。 法華宗がいうに、信じないという件は承伏するのか。 次に毀謗というのは即不信である。華厳経には「信は道の源、功徳の母」と説いている。菩薩の五十二位では初めの十信を本とし、十信の位には信心を始めとしている。もろもろの悪業煩悩は不信をもって根本とす、ともある。 したがって、譬喩品の十四誹謗も不信をもって体とするのである。今の念仏門は不信といい誹謗といい、どうして「阿鼻獄に入らん」の句を遁れることができようか。 |
念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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法華経
釈尊一代50年の説法のうちはじめの42年にわたって、華厳・阿含・方等・般若と方便の諸経を説き、最後の無量義経で「四十余年未顕真実」と爾前諸経を打ち破り「世尊法久後、要当説真実」と立てて後、8年間で説かれた真実の経。六訳三存。現存しない経。①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)。②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)。③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)。現存する経。④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)。⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)。⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。即ち①釈尊の法華経二十八品②天台の摩訶止観③大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経と区分する。
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直路
直ちに成仏に至る路のこと。即身成仏の道をいう。
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浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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毀謗
誹謗と同意。破りそしること。
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阿鼻獄
阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
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展転
次々に移って続いていくこと。
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無数劫
数えきれないほどの長い時間。阿僧祇劫ともいう。
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方便
悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。一に法用方便、二に能通方便、三に秘妙方便の三種に分かれる。①法用方便。衆生の機根に応じ、衆生の好むところに随って説法をし、真実の文に誘引しようとする教えの説き方。②能通方便。衆生が低い経によって、悟ったと思っていることを、だめだと弾呵し、真実の文に入らしめる方便。この二つは方便品に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説かれる方便で、42年間の阿弥陀経、大日経、蘇悉地経等の権教で説かれている方便であるがゆえに「方便を捨てて」となる。秘妙方便。秘妙門ともいう。秘とは仏と仏のみが知っていること。妙とは衆生の思議しがたい境涯であり、長者窮子の譬えや衣裏珠の譬えによってわかるように、末法の衆生は種々の悩みや、凡夫そのままの愚かな境涯に住んでいるけれども、その身がそのまま、久遠元初以来、御本仏日蓮大聖人の眷属であり、仏なのだと悟る。これが秘妙方便である。悩んでいるときのわれわれも、仏であると自覚して、折伏に励む時も、その体は一つで、その人に変わりはない。これは仏のみの知れる不思議である。
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科
あやまち、罪業、欠点、短所。
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五十二位
菩薩の修行段階を 52に分けたもの。『瓔珞経』に説かれる。十信,十住,十行,十回向,十地,等覚,妙覚をいう。十回向までは凡夫で,それ以上から菩薩の位に入る。
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煩悩
貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能。
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十四誹謗
松野殿御返事に詳しい。憍慢、懈怠、計我、浅識、著欲、不解、不信、顰蹙、疑惑、誹謗、軽善、憎善、嫉善、恨善をいう。意味は増上慢、仏道修行を怠る、我見で判断する、軽薄な知識で正法を批判する、欲望に執着する、自己満足している、仏法を理解しようとしない、顔をしかめながら正法を非難する、仏法を疑う、悪口を言う、馬鹿にする、軽蔑する、憎む、嫉妬する、恨むこと。この中で、最後の4つの同志誹謗の罪が要注意です。学会員として信行学を実践し、仏道修行を頑張っていても、同志誹謗をするなら、その功徳が帳消しになるばかりか、悪業を積んでしまうことになる。
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本抄は、日蓮大聖人が、立宗から2年後の建長7年(1255)に著され、門下に与えられた書とされている。
大聖人は、立宗当時から念仏宗の者は無間地獄に堕ちると浄土宗の教義を厳しく呵責されているが、その道理、文証をまとめられたのが本抄といえよう。
まず冒頭で、念仏宗の信仰が無間地獄の業因であるのに対し、法華経こそ成仏得道の直道であるゆえに、一刻も早く念仏を捨てて法華経を持ち、無上菩提を得るべきである、と説かれ、このあと浄土宗について、法華経不信のゆえと主師親の釈尊に背く逆罪のゆえに悪道に堕ちることは疑いないとされ、釈尊の高弟である舎利弗や阿難が浄土三部経に縁がありながらそれを捨てて法華経を持って成仏した故事を挙げ、彼らを手本とするようおしえられている。
次に、中国・浄土教の祖師の一人である善導の千中無一の邪義を破られ、善導の無残な最期を無間地獄に堕ちた現証であるとして示されている。更に、日本における浄土宗の祖・法然の著である選択集の誤りを厳しく指摘され、当時の仏教界からも、仏法を破壊するとして念仏停止の訴えが出され、それに応えて宣旨等が出された経過を述べられて、無間地獄の業因となる念仏を捨てて、法華経を持って成仏するように勧められている。
本抄の冒頭の、「念仏は無間地獄の業因であり、法華経は成仏得道の直路である。早く浄土宗を捨てて法華経を持ち、生死を離れて菩提を得べきである」との御文に、本抄の趣旨、テーマが明確に示され、次いで、念仏が無間地獄の因であることを裏づける文証として、法華経の譬喩品第三の、「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん…其の人命終して、阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば更生まれん。是の如く展転して、無数劫に至らん」の文が挙げられている。
そして、この譬喩品の文によれば、方便として権に説かれた念仏を信じて、釈尊が真実を説いた法華経を信じようとしない者は無間地獄に堕ちるべきである、と仰せである。
これに対して、「末法の我らの機根は劣っていて、法華経には及ばないために法華経を信じないだけで、毀謗しているわけではない。それなのに何の罪によって地獄に堕ちるのか」との念仏者側の反論が挙げられている。
それを受けて大聖人は、では、法華経を信じないということは認めるのかと釘をさしたうえで、「不信」と「毀謗」とは同じであること、むしろ「不信」こそ根本であることを示されている。すなわち、華厳経の「信は道の源、功徳の母」とある文を引かれ、また、大乗の菩薩の52位では、初めの十信の位を根本とし、十信の位では信心を始めとし、もろもろの悪業や煩悩は不信をもって根本とする等とある、と宣べられるのである。
華厳経の文は、信こそ仏道修行の源であり、功徳を生む母であると、仏法における信の重要性を述べたものである。
また、菩薩瓔珞本業経に、別教の菩薩の修行の位が、52位に立て分けて説かれているが、そのなかでも、第一位から第十位までを十信とし、第一位を「信心」といい、清浄な信を起こす位とされていることを挙げられている。菩薩の修行において、信が根本となることを示しているのである。
仏道修行の根本が信であるなら、逆に悪道への根源は「不信」となる。ゆえに、法華経譬喩品の文も「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば」とあるように、不信をもってその体としているのであるとおおせられている。14誹謗について、妙楽大師は、中国法相宗の窺基が譬喩品の「又舎利弗、憍慢懈怠、我見を計る者には、此の経を説くこと莫れ、凡夫の浅識、深く五欲に著せるは、聞くとも解すること能わじ。亦為に説くこと勿れ。若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して、疑惑を懐かん。汝当に、此の人の罪報を説くを聴くべし。若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん。経を読誦し書持すること、有らん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん。此の人の罪報を、汝今復聴け。其の人命終して、阿鼻獄に入らん」の文に依って、悪の因を14挙げたものを用い、法華経誹謗に14種あると法華文句記の中で述べている。
この譬喩品の文を読むと「不信」は14誹謗の中の一つに過ぎず、同じ14誹謗では「毀謗」のほうが重いように見える。
したがって、念仏の門徒は、我々は法華経をしんじないだけで、別に誹謗しているわけではないから、譬喩品の「阿鼻獄に入らん」の句には当たらないと言いわけしたのである。だが、先の華厳経の文や52位の立て方と照らし合してみると、まさに「信ぜずして」が肝要なのであり、法華経をしんじないことのみでも、念仏者は無間地獄を免れないことになるのである。ただし、この「不信」は、法華経を知りながら信じようとしないことで、法華経の存在を知らないために信じないのは、別の問題であることはいうまでもない。
0197:08~0098:01 第二章 釈尊を捨てた浄土宗の逆罪を挙げるtop
| 08 其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て 他人たる阿弥陀 09 仏を信ずる 故に五逆罪の咎に依つて必ず無間大城に堕つ可きなり、 経に今此の三界は皆是我有なりと説き給うは 10 主君の義なり其の中の衆生悉く是れ吾子と云うは父子の義なり 而るに今此の処は諸の患難多し、 唯我一人能く救 11 護を為すと説き給うは師匠の義なり 而して釈尊付属の文に此法華経をば付属有在と云云 何れの機か漏る可き誰人 12 か信ぜざらんや、 而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む 故 13 に主に背けり八逆罪の凶徒なり 違勅の咎遁れ難し即ち朝敵なり争か咎無けんや、 次に父の釈尊を捨つる故に五逆 14 罪の者なり 豈無間地獄に堕ちざる可けんや、 次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり争か悪道に堕ちざらんや 15 此の如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には 主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す 此の仏を捨て他方の仏を信じ弥 0098 01 陀薬師大日等を憑み奉る人は 二十逆罪の咎に依つて悪道に堕つ可きなり、 -----― そのうえ浄土宗では現在の父である教主釈尊を捨てて、他人である阿弥陀仏を信ずるのであるから五逆罪の咎によって、必ず無間地獄に堕ちるのである。 法華経に「今この三界は皆これ我がものである」と説かれているのは主君の義である。「その中の衆生はことごとく我が子である」というのは父子の義である。そして、「しかも今この所は、もろもろの困難が多い。ただ我一人だけが、よく理解することができる」と説かれているのは師匠はの義である。そして、釈尊の付嘱の文に、「この法華経を付嘱して在ること有らしめん」とある。どのような機が漏れるであろうか。だれか信じない人がいるだろうか。 そうであるのに浄土宗は主師親である教主釈尊の付嘱に背き、他人である西方極楽世界の阿弥陀如来を憑むゆえに主に背き、八逆罪の凶徒となるのである。仏勅に背く咎は遁れ難い。すなわち朝敵である。どうして咎がないことがあろうか。 次に父である釈尊を捨てるのであるから五逆罪の者である。どうして無間地獄に堕ちないことがあろうか。更に師匠の釈尊に背くのであるから七逆罪の人である。悪道に堕ちないわけがない。 このように教主釈尊は娑婆世界の衆生にとっては主師親の三徳を備えた大恩の仏であられる。この仏を捨てて他方の仏を信じ、弥陀・薬師・大日等を憑む人は二十逆罪の咎によって悪道に堕ちるのである。 |
教主釈尊
一代聖教の教主である釈尊のこと。釈尊には六種、蔵教・通教・別教・法華迹門・法華本門・文底独一本門の釈尊があるが、釈尊教主は教法の主導の意で、法華文底独一本門の教主、日蓮大聖人のこと。ただし御文によってまれに、インド応誕の釈迦仏をさす場合もある。
―――
阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
―――
五逆罪
理に逆らうことの甚だしい5つの重罪。無間地獄の苦果を感じる悪業のゆえに無間業という。五逆罪には、三乗通相の五逆、大乗別途の五逆、同類の五逆、提婆の五逆などあるが、代表的なものは三乗通相の五逆であり、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧をいう。
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咎
あやまち、罪業、欠点、短所。
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無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
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患難
悩みや苦しみ。難儀。患苦。
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主師親
一切衆生は、みな親によって生を受け育てられる。師匠によって智をみがき、主人によって養われ、人生の意義をあらしめることができる。民主主義の現代には、主とは社会を意味する。
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八逆罪
律に定められた,きわめて重い八種の罪。謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義をいう。
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違勅
主君の勅命に違背すること。
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七逆罪
五逆罪に殺和尚・殺阿闍梨を加えていう。
―――
悪道
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。
―――
弥陀
阿弥陀如来の略。阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
―――
薬師
薬師とは梵語( Bhaiṣajya)薬師琉璃光如来・大医王仏・医王善逝ともいう。東方浄瑠璃世界の教主。ともに菩薩道を行じていた時に、一切衆生の身心の病苦を救い、悟りに至らせようと誓った。衆生の病苦を治し、諸根を具足させて解脱へ導く働きがあるとされる。
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大日
大日房能忍といい、梶原景清の叔父。摂津三宝寺を開創し、また弟子の連中、勝弁を宗につかわして育王山の拙庵に学ばせたりして、禅風をひろめた。しかし、景清の誤解を受けて刺し殺された。
―――
二十逆罪
五逆・七逆・八逆を合わせて二十逆罪という。
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ここでは主師親の三徳の上から仰せられている。浄土宗は西方極楽世界の阿弥陀を頼り、この娑婆世界の一切衆生に対し主師親三徳を具備した釈尊を捨てるという逆罪を犯しており、ゆえに無間地獄に堕ちることは必然であることを明かされている。
「他人たる阿弥陀仏」との仰せは、阿弥陀仏が西方十万億土の彼方にあるとされる極楽世界の仏であり、娑婆世界の衆生とは無縁の仏であることを示されているのである。 そのことは一谷入道御書に「阿弥陀仏は十万億のあなたに有つて此の娑婆世界には一分も縁なし」(1328-12)と述べられている。
また、主師親御書では「阿弥陀仏は我等が為には主ならず親ならず師ならず、然れば天台大師是を釈して曰く『西方は仏別にして縁異なり仏別なるが故に隠顕の義成ぜず縁異なるが故に子父の義成ぜず、又此の経の首末に全く此の旨無し眼を閉じて穿鑿せよ』」(0385-01)と、阿弥陀仏に主師親の三徳がないことを示されている。
それに対し、釈尊が娑婆世界の衆生のために主師親の三徳を具えていることを、法華経譬喩品第三の文を挙げて明かされている。
譬喩品の「今此の三界は、皆是れ我が有なり」の文は主君の義、すなわち主の徳を表しており、「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」の文は父子の義、すなわち親の徳を表しており、「而も今此の処は、諸の患難多し。唯我れ一人のみ、能く救護を為す」の文は師匠の義、すなわち師の徳を表している、と仰せである。
衆生を守る主の徳、衆生を教え導く師の徳、衆生を慈愛する親の徳の三徳を具えていることを、衆生を救済する仏の条件とするのである。
このように譬喩品の文は主師親三徳を含んでおり、釈尊が娑婆世界の一切衆生にとって三徳を具備した仏であることを明白に示しているのである。
更に、法華経見宝塔品第十一で、釈尊が滅後の弘教を勧め命じた三箇の勅宣の第一で「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり、如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す」とある文を、略して引かれている。
この文は、法華経を滅後に説き弘めよと勧め、その者には付嘱することを述べたものであるが、これは、法華経こそ娑婆世界の一切衆生にとって信受すべき経であるというのが釈尊の本意であることを示している。したがって、娑婆世界の衆生で、法華経による救済から漏れる機根の者はありえないことになり、「我等が機は法華経に及ばざる間信ぜざる計りなり」という念仏者の言い分は、的外れということになるのである。
ところが、浄土宗では、主師親の三徳を具えた釈尊の付嘱に背いて、娑婆世界の衆生とは無縁の、他人である西方極楽世界の阿弥陀如来を頼みにしているので、主に背いて八逆罪を犯している凶徒となる。仏勅に背く罪は、朝廷に背く朝敵と同じであり、処刑を受けないはずがない、と仰せなのである。
八逆罪とは、謀反・謗大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義の八つをいい、日本古来の律令で国家や社会の秩序を乱すものとして、特に重く罰せられた罪で、仏法上の罪ではない。念仏者が、無縁の阿弥陀仏を信ずることによって、釈尊の主徳に背いている罪を、主君への反逆と同じになるとされているのである。
次に、父である釈尊、すなわち親の徳を具えた釈尊を捨てた念仏者は、五逆罪の中の殺父・殺母の罪を犯していることになるので、無間地獄に堕ちないわけがないと仰せである。
また、師の徳を具えた釈尊に背いている念仏者は、七逆罪を犯す者であり、悪道に堕ちないわけはない、と仰せである。
七逆罪は、五逆罪に殺和尚と殺阿闍梨の罪を加えたものである。和尚も阿闍梨も弟子を教え導く高僧の意となるので、師徳を具える釈尊に背いた念仏者を和尚や阿闍梨を殺した罪にあてられたものと拝される。
このように、教主釈尊は、娑婆世界の一切衆生に対して主師親の三徳を具えた大恩ある仏であるから、この仏を捨てて他方の国土の仏である西方極楽世界の阿弥陀仏や、東方浄瑠璃世界の薬師如来や、大日如来を信じ憑む者は、二十逆罪を犯した罪によって悪道に堕ちることになるのである。
「二十逆罪の咎に依つて」と仰せられておるのは、これまでに挙げられた八逆罪・五逆罪・七逆罪を合わせて、20の逆罪とされたものである。
釈尊に背いた念仏者の罪が、それほど重いことを示されて、無間地獄の苦悩を受けるのは必然であると教えられている。
なお、新池殿御消息には「現在の主師親たる釈迦仏を閣きて他人たる阿弥陀仏の十万億の他国へにげ行くべきよしを・ねがはせ給い候、阿弥陀仏は親ならず主ならず師ならず、されば一経の内・虚言の四十八願を立て給いたりしを・愚なる人人実と思いて物狂はしく金拍子をたたきおどりはねて念仏を申し親の国をばいとひ出でぬ、来迎せんと約束せし阿弥陀仏の約束の人は来らず・中有のたびの空に迷いて謗法の業にひかれて三悪道と申す獄屋へおもむけば・獄卒・阿防・羅刹悦びをなし・とらへからめてさひなむ事限りなし」(1436-14)と述べられている。
0098:01~0098:11 第三章 浄土三部を捨て法華を信ずべきを明かすtop
| 01 浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教 02 の内第三方等部の内より出でたり、 此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず 三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫 03 く衆生誘引の方便なり 譬えば塔をくむに足代をゆふが如し念仏は足代なり 法華は宝塔なり法華を説給までの方便 04 なり法華の塔を説給て後は念仏の足代をば切り捨べきなり、 然るに法華経を説き給うて後念仏に執著するは 塔を 05 くみ立て後足代に著して塔を用ざる人の如し 豈違背の咎無からんや、 然れば法華の序分・無量義経には四十余年 06 未顕真実と説給て念仏の法門を打破り給う、 正宗法華経には正直捨方便・但説無上道と宣べ給て 念仏三昧を捨て 07 給う之に依て阿弥陀経の対告衆長老・舎利弗尊者・阿弥陀経を打捨て法華経に帰伏して華光如来と成り畢んぬ、 四 08 十八願付属の阿難尊者も 浄土の三部経を抛て法華経を受持して 山海慧自在通王仏と成り畢んぬ、 阿弥陀経の長 09 老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞・閻浮提第一の大智者なり肩を並ぶる人なし、 阿難尊者は 10 多聞第一の極聖・釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり、 かかる極位の大阿羅漢すら 尚往生成仏の望を遂 11 げず仏在世の祖師此くの如し祖師の跡を踏む可くば三部経を抛ちて 法華経を信じ無上菩提を成ず可き者なり -----― 浄土の三部経は釈尊一代五時の説教のなか第三方等部のうちから出たものである。この四巻三部は全く釈尊の本意ではなく、三世諸仏出世の本懐でもない。ただ少しの間、衆生を誘引するために方便として説かれたものである。 譬えば塔を組むに足代を結うようなものである。念仏は足代であり、法華経は宝塔である。念仏は法華経を説かれるまでの方便であり、法華経の塔を説かれた後は念仏は足代を切り捨てるべきである。それなのに法華経を説かれた後、念仏に執着するのは塔を組み立てて後も足代に執着して、塔を用いない人のようなものである。どうして違背の咎がないことがあろうか。 したがって、法華経の序分である無量義経には「四十余年には末だ真実を顕さず」と説かれて念仏の法門を打ち破った。 また正宗分の法華経には「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と宣べて念仏三昧を捨てられている。これによって阿弥陀経の対告衆の長老を・舎利弗尊者は阿弥陀経を打ち捨て、法華経に帰伏して華光如来と成ったのである。 四十八願を付嘱された阿難尊者も、浄土の三部経を抛って法華経を受持し山海慧自在通王仏となったのである。 阿弥陀経の長老、舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首、閻浮題第一の大智者である。肩を並べる人はいない。阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代の説法を空に誦した広学の智人である。 このような極意の大阿羅漢ですら、なお往生成仏の望みをとげられなかった。仏在世の祖師たちがこうであるから、祖師の跡を踏もうとするならば三部経を抛って法華経を信じ、無上菩提を成ずべきである。 |
浄土の三部経
念仏宗が依経としている三部の経典。無量寿経2巻・観無量寿経1巻・阿弥陀経1巻をいう。
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一代五時
釈尊一代五十年の説法を天台大師が説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
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方等部
方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもの。
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四巻三部の経(浄土宗の)
観無量寿経1巻・無量寿経2巻・阿弥陀経1巻のこと。
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三世諸仏
三世とは過去・現在・未来のこと。過去仏は荘厳劫の千仏、現在仏は賢劫の千仏、未来仏は星宿劫の千仏。過現末の一切の仏のこと。
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出世の本懐
仏が世に出現した究極の本意・目的。法華経方便品第二には、「諸仏世尊は唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうとある。釈尊にとっては法華経二十八品、天台にとっては「摩訶止観」が本懐であった。日蓮大聖人は「宝塔をかきあらはし」た御本尊建立をもって、出世の本懐とされている。
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足代
足場のこと。建築工事のさいに、高い所に登れるように、材木やパイプを組み立てて造る足がかりのこと。建物の完成まではなくてはならぬ役目を持っているが、建物が完成すれば、解体される。ここでは、念仏等の爾前経を指して足代と破折されている。
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法華の序分・無量義経
経文を講ずるときに、総じて序分・正宗分・流通分に分けるのを三段分文という。序分とは、まさに説かんとする教義を開明する準備的部分、正宗分とはその主たる教義開説の部分、流通分とはその主たる教義の宣伝についての用意を明かしたものである。観心本尊抄には「法華経等の十巻に於ても二経有り 各序正流通を具するなり、 無量義経と序品は序分なり方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり」(0248-12)とある。
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四十余年未顕真実
「四十余年には末だ真実を顕さず」と読む。無量行説法品の文である。釈迦50年の説法のうち、初めの42年の教えは方便権教で、真実をあらわさない教えであり、最後の8年間の法華経で真実を説くとの意。40余年の爾前経を打ち破り、法華経を説くための重要な文である。
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正宗法華経
正宗とは一つの経典を三大別する三分科別のこと。正宗分とは一経の本論となる部分で、法華経28品のこと。
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正直捨方便・但説無上道
正直捨方便とは法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。 但説無上道とは方便品の文。「但無上道を説く」と読む。仏が40余年の権経方便を廃して、実教である無上道の法華経を説くこと。無上道とは有上道に対する語。極説の法である南無妙法蓮華経のこと。これを信じ、実践する日蓮大聖人の門下は、見濁・思想の濁り・偏見の思想を離れるのである。
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念仏三昧
一心に仏身を観念すること。往生要集には専心に阿弥陀仏の姿を観念することとある。浄土宗では一心に仏名を称えること・専心に阿弥陀仏の名号を称えることと立てる。
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阿弥陀経
鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。
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舎利弗尊者
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
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華光如来
釈迦の十大弟子の中で最も智慧に優れた舎利弗が、将来仏となった時の名で、その時に住む国の名。舎利弗は未来世において千万億の仏に導かれ、法を正しく保ったため成仏するとされる。華光如来の寿命は十二小劫で、大宝荘厳の国民の寿命は八小劫であり、そして華光如来が世を去る際に弟子の堅満菩薩に次のような記を与えるとした。曰く、この者は私の次に仏となり、名は華足安行如来である。そしてまた、華光如来入滅後に正法と像法は三十二小劫の間続くだろう、とされた。
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四十八願
阿弥陀仏が法蔵比丘として修行していたとき、自らの仏国土を荘厳しようと願い、世自在王仏によって示された二百十億の仏国土から選び取って立てた48の誓願。無量寿経巻上に説かれている。
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阿難尊者
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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山海慧自在通王仏
人記品では、釈尊の十大弟子の一人で、多門第一といわれた阿難が授記され、山海慧自在通王仏の名号が与えられた。国を常立勝旗といい、劫を妙音徧満といった。
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羅漢
阿羅漢のこと。声聞の四種の聖果の最高位。無学・無生・殺賊・応具と訳す。この位は三界における見惑・思惑を断じ尽して涅槃真空の理を実証する。また三界に生まれる素因を離れたとはいっても、なお前世の因に報われた現在の一期の果報身を余すゆえに、紆余涅槃という。声聞乗における極果で、すでに学ぶべきことがないゆえに無学と名づけ、見思を断尽するゆえに殺賊といい、極果に住して人天の供養に応ずる身なるがゆえに応供という。また、この生が尽きると無余涅槃に入り、ふたたび三界に生ずることがないゆえに無生と名づけられた。仏弟子の最高位であるとともに、世間の指導者でもある。仏法流布の国土における一般論としては、聖人とは仏法の指導者であり、羅漢はその実践者である。聖人を智者、羅漢を学者・賢人と考えることもできる。
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閻浮提
一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
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往生成仏
①衆生の住むこの娑婆世界を去って仏国土に往き、すぐれた果報の生を得ること。往生には阿弥陀の西方極楽往生や弥勒の兜率天往生などがある。②往生と成仏の二義に分け、往生は死後に他の世界に往き生まれること。成仏は仏の境界を得ること。
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無上菩提
最高の悟りを得ること。成仏の境地。「無上」最上・最高。「菩提」は梵語ボーディ(bodhi)の音写、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種あるが、仏の菩提は最高であり、これに過ぎることがないことを無上菩提という。
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浄土の三部経の位置づけを明らかにし、その対告衆である舎利弗や阿難も法華経によって成仏したことを述べて、浄土宗を捨てて法華経を信ずるよう勧められている。
まず、浄土宗の依経である無量寿経二巻、観無量寿経一巻、阿弥陀経一巻の三部四巻の経典が、釈尊一代の諸経の中では、五時のうち第三の方等時の経であって、全く釈尊の本意の経ではないことを明かされている。
方等部の方等とは方正・平等の教えという意味で大乗教と同義であるが、天台大師が釈尊一代の経を立て分けた五時の中では、小乗教を弾呵することを主眼とした。大乗の中でも最も初期のものをさしている。浄土三部経のほか、真言三部経・勝鬘経・解深密教・金光明経・維摩経等が、これに含まれている。
したがって、阿弥陀如来について説いている三部四巻の経典は、釈尊の本意でも三世の諸仏の出世の本懐でもなく、ただ、一時的に衆生を誘引するために説かれた方便の教えである、と仰せである。釈尊の本意、諸仏の出世の本懐に非ず、とは、法華経方便品第二に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう。…諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと為す」と説かれているように、法華経こそが釈尊の本意であり三世諸仏の出世の本懐であることに対比して言われているのである。
次に、法華経と浄土三部経の関係を、塔と足代の譬えを用いて述べられている。高い塔を建てるのには、必ず足代を組むが、浄土三部経を含む方便権教はその足代に当たり、法華経が宝塔に当たるとされている。
塔本体が完成した暁には足代を取り払うよに、法華経が説かれた後には。浄土三部経は捨てるべきなのである。
ところが、法華経が説かれた後にも念仏に執着しているのは、塔が建った後になお足場に執着して塔を用いない人のようなものであり、仏意に違背する罪を免れないであろう、と仰せである。
このことは、大聖人が勝手に言っていることではなく、釈尊自体が述べていることであるとして、次に文証を挙げられる。
法華経の序分である無量義経には、「四十余年には末だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」と説かれている。
法華経以前に説いた諸経には、末だ真実を明かしていない、すなわち方便の教えであると釈尊自身が言明しているのである。
更に、正宗分においても、法華経方便品第二に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説いている。
この文によって、真実の教えである法華経が説かれた後は、念仏三昧を説いた浄土の三部経は捨てなければならないことが明らかである。
したがって、阿弥陀経の対告衆であった、釈尊門下の長老で智慧第一とされた舎利弗尊者も法華経の譬喩品第三にいたって、未来に華光如来になるとの記別を受けていることが挙げられている。
阿弥陀経は、釈尊が祇園精舎で舎利弗等のために説いたといわれ、西方十万億土の極楽浄土に住む阿弥陀仏の功徳を説き、弥陀の名号を一心不乱に称えるなら、極楽に往生できると説いている。しかし、舎利弗は阿弥陀経では極楽へ往生したわけでもなく、成仏もしていない。逆に、このあとの諸大乗教はでは、炒った種のよいである等と、永不成仏とされている。
法華経に至り、正直に阿弥陀経等の方便権教を捨てて法華経を信じることによって、初めて成仏を許されたのである。このことは、彼が阿弥陀経を捨てて、法華経に帰依したことを示しているのである。
また、釈尊門下で多門第一と言われた阿難尊者も、法華経において、授学無学人記品第九で山海慧自在通王如来の記別を受けていることを挙げられている。
無量寿経に、阿弥陀仏が法蔵比丘という因位にあった際、48の誓願を立てて自らの国土を荘厳しょうとしたと説かれているが。阿難はこの無量寿経の対告衆になっていた。この阿難も、浄土三部経ではなく、法華経で記別を受けたのである。
大聖人は更に、阿弥陀経の対告衆である長老の舎利弗は、1200の阿羅漢、すなわち釈尊の声聞の弟子たちの中で、智慧第一といわれ、弟子の上首とされた大声聞であり、肩を並べる者のいない一閻浮提第一の大智者であり、阿難も、多門第一といわれた極聖であり、釈尊一代の説法を諳んじた広学の智人であることを強調されている。
このような極意の大阿羅漢でさえ、浄土三部経では往生・成仏の望みを果たすことができず、法華経に帰依して成仏できたのであるから、こうした釈尊在世の祖師たちの跡を踏もうとするならば、浄土三部経を抛ち、法華経を信じて、無上菩提を成ずべきである、と勧められている。
0098:11~0099:11 第四章 中国浄土教の善導の邪義を破すtop
| 11 仏の 12 滅後に於ては 祖師先徳多しと雖も大唐楊州の善導和尚にまさる人なし唐土第一の高祖なり云云、 始は楊州の明勝 13 と云える聖人を師と為して法華経を習たりしが 道綽禅師に値つて浄土宗に移り法華経を捨て 念仏者と成れり一代 14 聖教に於て聖道浄土の二門を立てたり 法華経等の諸大乗経をば聖道門と名く自力の行と嫌えり 聖道門を修行して 15 成仏を願わん人は 百人にまれに一人二人千人にまれに三人五人得道する者や有んずらん 乃至千人に一人も得道な 16 き事も有るべし 観経等の三部経を浄土門と名け此の浄土門を修行して他力本願を憑んで 往生を願わん者は十即十 17 生百即百生とて 十人は十人百人は百人決定往生す可しとすすめたり、 観無量寿経を所依と為して四巻の疏を作る 18 玄義分・序分義.定善義・散善義是なり、其の外法事讃上下・般舟讃・往生礼讃.観念法門経此等を九帖の疏と名けた 0099 01 り、善導念仏し給へば口より仏の出給うと云つて 称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出給けりと伝へたり、 毎 02 日の所作には 阿弥陀経六十巻・念仏十万遍是を欠く事なし、 諸の戒品を持つて一戒も破らず三依は身の皮の如く 03 脱ぐ事なく鉢ビョウは両眼の如く身を離さず精進潔斎す女人を見ずして一期生不眠三十年なりと自歎す、凡そ善導の 04 行儀法則を云へば酒肉五辛を制止して 口に齧まず手に取らず未来の諸の比丘も 是くの如く行ずべしと定めたり、 05 一度酒を飲み肉を食い 五辛等を食い念仏申さん者は 三百万劫が間地獄に堕す可しと禁しめたり、善導が行儀法則 06 は本律の制に過ぎたり、 法然房が起請文にも書載たり、 一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ 貴賎上下皆悉く 07 念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には 若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏 08 と説き給へり、 善導は法華経を行ぜん者は千人に一人も得道の者有る可からずと定む 何れの説に付く可きか、無 09 量義経には念仏をば未顕真実とて 実に非ずと言ふ法華経には正直捨方便但説無上道とて 正直に念仏の観経を捨て 10 無上道の法華経を持つ可しと言ふ 此の両説水火なり何れの辺に付く可きや 善導が言を信じて法華経を捨つ可きか 11 法華経を信じて善導の義を捨つ可きか如何、 -----― 仏の滅後においては、祖師先徳が多いといっても大唐楊州の善導和尚に勝る人はいない。中国第一の高祖である。 はじめは楊州の明勝という聖人を師として法華経を習っていたが、道綽禅師に値って浄土宗に移り、法華経を捨てて念仏者となった。 道綽が一代聖教において、聖道・浄土の二門を立て、法華経等の諸大乗経を聖道門となづけ、自力の行として嫌った。それを承けて善導は「聖道門を修行して成仏を願おうとする人は百人にまれに一人・二人・千人にまれに三人・五人得道する者があるだろう。しかし千人に一人も得道がないこともあるだろう。観経等の三部経を浄土門と名づけ、この浄土門を修行して他力本願を憑んで往生を願おうとする者は十即十生、百即百生といって十人が十人、百人が百人決定往生するだろう」と述べて念仏信仰を勧めたのである。 また、観無量寿経を所依として四巻の疏を作った。玄義分・序分義・定善義・散善義がこれである。そのほか法事讃上下・般舟讃・観念法門経、これら九帖の疏と名づけた。 善導が念仏を称えると口から仏が出るといって、称名念仏一遍を称えると三体ずつの仏が口から出現したと伝えられている。 毎日の所作には阿弥陀経六十巻・念仏十万遍を欠くことがなかった。もろもろの戒を持って一戒も破らなかった。 三衣は身の皮のように脱ぐことなく、鉢ビョウは両眼のように身を離さず、精進して身心を清浄にしていた。女人を見ないで一生を送り、不眠三十年であると自賛した。 善導の行儀法則をいえば、酒肉や五辛を禁制して、口に齧まず手に取らず、未来のもろもろの比丘もこのように行ずべきであると定め、一度酒を飲み、肉を食べ、五辛等を食べ、念仏を称える者は三百万劫の間、地獄に堕ちるだろうと禁止した。善導の行儀法則は本律の制より過ぎるもので、このことは、法然も起請文に書き載せている。一天四海の人が然導和尚を善知識と仰ぎ、貴賎上下、皆ことごとく念仏者となってしまったのである。 しかし、一代聖教の大王であり、三世諸仏の本懐である法華経の文には「もし法を聞くことが有る者は一人として成仏しないということはない」と説かれている。これに対し善導は法華経を行ずる者は千人に一人も得道する者はないと定めている。どちらの説につくべきであろうか。無量寿経には念仏を未顕真実といって真実ではないと言い、法華経にも「正直に方便を捨てて但無上道を説く」といって、正直に念仏の観経を捨て、無上道の法華経を持つべきであるという。この両説は水火の違いがある。どちらの方につくべきであるのか。法華経を信じて善導の義をすてるべきか、どうか。 |
善導和尚
(0613~0681)。中国唐時代の浄土宗の僧。幼くして出家し、太宗の貞観年中に道綽の門に入り観経を信仰しはじめ、以後、人々に称名念仏を勧めた。浄土の法門を演説すること30年、ついに寺前の柳に登り自ら身を投じて、極楽往生を示そうとしたが、地面に落ちて腰を打ち、十四日間苦しんで死んだという。著書に「観無量寿経疏」、「往生礼讃」、「般舟讃」、「観念法門」等がり、その後の浄土教に大きな影響を与えた。
―――
道綽禅師
(0562~0645)浄土宗七祖の第四祖。中国唐代の僧で、14歳で出家し、讃禅師に師事して空理を修したが、のち涅槃宗を捨てて浄土門にきえした。貞観2年(0645)84歳で死去した。著書に「安楽集」があり、今日、浄土真宗で読まれている。聖道門を「千中無一」「未有一人得者」として、釈迦一代仏教を誹謗した。
―――
一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
―――
聖道浄土の二門
聖道門・浄土門の二門のこと。聖道門とはあくまでも、この娑婆世界で悟りを開き、成仏するために説いた教えであり、浄土門とは、この娑婆世界を穢土と嫌い、他方に極楽浄土があるとして、そこへ往生することを目的として修行することを教えた権の教え。道綽が爾前40年についてこの二門を立てたのを、法然は法華経まで我見で含めてけなしている。
―――
諸大乗経
もろもろの大乗を説く経典のこと。仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。
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観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年~19年(0424~0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
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他力本願
①阿弥陀仏の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。②自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
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十即十生百即百生
善導の往生礼讃の文。阿弥陀仏を念じ、その名号を称えれば、10人が10人、100人が100人とも往生できるとしている。これは邪義である。
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観無量寿経
観経ともいう。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。浄土三部経の一つ。わが子阿闍世王の悪逆を憂え嘆く韋提希夫人の求めに応じて、釈尊が神力によって十方の浄土を示現し、夫人が極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽浄土とを十六観に分けて説いたもの。
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所依
よりどころ。教義・信条等のよりどころとなる経典などをいう。
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四巻の疏(浄土宗の)
善導は観無量寿経を釈し、玄義分・序分義・定善義・散善義の四巻からなる観無量寿経疏を作った。
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玄義分(善導の)
経の要義をあらかじめ述べたもので、はじめに「帰三宝偈」(「勧衆偈」「十四行偈」)と呼ばれる偈頌がおかれ、以下7門にわたって善導大師独自の『観経』に対する見方が示されている。
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序分義(善導の)
経の序説にあたる部分を註釈したもの。
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定善義(善導の)
経の本論にあたる正宗分の中、定善十三観の文について註釈したもの。
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散善義(善導の)
正宗分の中、散善を説く九品段と、得益分、流通分、耆闍分について註釈し、後跋を付したもの。
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法事讃
阿弥陀経を読誦讃嘆して仏座の周囲を繞道し、浄土を願生する法会の規式を明かした書で、上下2巻よりなる。上巻はその首題を『転経行道願往生浄土法事讃』とおき、尾題を『西方浄土法事讃』と示している。下巻は首尾ともに『安楽行道転経願生浄土法事讃』と題している。
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般舟讃
その首題に『依観経等明般舟三昧行道往生讃』とあり、尾題には『般舟三昧行道往生讃』とあるが、一般には略して『般舟讃』と称されている。『観経』をはじめとする諸経によって、浄土を願生し阿弥陀仏の徳を讃嘆する別時の行法を説き示したもので、全体は序分、正讃、後述の3段よりなっている。
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往生礼讃
善導の五部九巻の著作のうち、『観経疏』(「本疏」「解義分」)以外の4部(『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』)はいずれも浄土教の儀礼・実践を明らかにしたものであるので、「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわされている。
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観念法門経
善導の著。『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』のこと。尾題にはこれに「経」の一字が付加されて『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』とあるが、一般には略して『観念法門』と称されている。阿弥陀仏の相好を観想する方法やその功徳について詳述した書で、全体は三昧行相分、五縁功徳分、結勧修行分の3段よりなっている。
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九帖の疏
善導の著作。観無量寿経疏四巻(玄義分・序分義.定善義・散善義)法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経の総称のこと。
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称名念仏
仏の名を称えて、仏を心に念ずること。浄土宗では、ひたすら阿弥陀仏の名号を称えることをさす。
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三衣
僧が着る3種の袈裟 。僧伽梨 (大衣・九条)・鬱多羅僧(上衣・七条)・安陀会 (中衣・五条)。僧の質素な生活をあらわすさまである。
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鉢缾
鉢は托鉢に用いる器、缾は瓶のことで、食事や不浄の後に手を洗うために水を入れる焼き物の器。
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精進潔斎
肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること。「
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酒肉五辛
仏道修行の妨げとなるため、比丘などが飲食を禁じられた酒・肉・五つの辛いもの(にら・ねぎ・にんにく・らっきょう・はじかみ)をいう。
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法然房が起請文
元久元年(1204)比叡山延暦寺の天台宗徒が起こした専修念仏の禁止運動に対して、法然が門弟に七箇条にわたって非行を戒めた起請文のこと。
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法然房
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
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祈請文
神仏に誓いを立てて、自分の行為、言説に偽りがないことを表明した文書・誓紙・厳守すべき事項を記した前書き部分と、もしこれに違背すれば神仏の罰を受ける旨を記した神文からなるもの。
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一天四海
古代インドの世界観で、須弥山のまわりの四州を四天下といい、一天とは一閻浮提・全世界のこと。
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善知識
善友と同意。正法を教え、ともに修行し、また正法を持ちきるよう守ってくれる人。
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中国唐代の僧で、浄土宗を完成したとされる善導の立てた教義や行状を挙げて批判され、念仏が仏説に背く悪法であることを示されている。
善導は、浄土五祖の第二・道綽の弟子で浄土教を大成したとされ、日本の浄土教にも大きな影響を与えているので、とりあげて破折されたものであろう。
善導は、若くして三論宗の明勝について出家し、法華経や浄名経を学んだといわれる。しかし、観無量寿経を見て西方浄土への往生を志し、道綽の門下となって浄土教を学び、念仏の弘通に努めた。
釈尊一代の聖教を、聖道門と浄土門の二門に立て分けて、法華経等の諸大乗教を聖道門と名づけ、聖道門を修行して末だ一人も得道したものはいない、というのは善導の師・道綽の著・安楽集の中で述べられている。そして、観無量寿経等の浄土三部経を浄土門とし、浄土門のみを往生の教えとしたのである。
また、中国・浄土教の祖師の一人である曇鸞は往生論註の中で、一切衆生が極楽往生するためには、阿弥陀如来の本願によらなければならない、と「他力本願」を主張している。
善導は、こうした曇鸞や道綽の説を受け往生礼讃偈の中で、念仏以外の雑行・雑修は「千中無一」すなわち千人のうち一人も成仏できないとし、それに対して、これらの雑修・雑行を捨てて念仏を称えれば、10人が10人、100人が100人ともごくらくおうじょうできる、すなわち「十即十生・百即百生」と主張して念仏を勧めたのである。
また、観無量寿経を解釈した「観無量寿経疏」4巻のほか「法事讃上下」2巻、「般舟讃」1巻、「往生礼讃偈」1巻、「観念法門経」1巻の5部9巻を著している。これを「九帖の疏」と呼び、日本の浄土宗では依拠として用いている。
善導は浄土宗では尊崇のあまり伝説化され、善導が念仏を称えると、念仏一遍ごとに三体ずつの仏が口から出た、などと言われた。
その修行ぶりについては、自ら、毎日、阿弥陀経を読誦すること60回、念仏10万遍欠かすことなく、もろもろの戒を守って、一戒も破ることなく、また三衣を脱がず、鉢と瓶を離さず、精進して身心を清浄にし、女人を一生、見ず、30年の間、眠ることがなかった、と自讃していたようである。不眠30年など現実にはありえないことではあるが、そのようにうたわれたのは、よほど自己宣伝がうまかったのであろう。
そして、門下に対し、酒や肉や五種の辛味ある野菜を禁じ、口にも手にもしなかったといわれ、未来の僧侶はこのように行ずべきであると定め、一度でもその禁制を破った者は、300万劫の間、地獄に堕ちるだろうと戒めたという。善導の定めた行儀法則は、本来の戒律よりも厳しいものであり、これは日本の浄土宗の祖・法然が書いた起請文にも載っている。こうした人々から善知識と仰がれ、当時の万人が皆、念仏者となった。
しかしながら、釈尊の出世の本懐である法華経の方便品には、「若し法を聞くこと有らん者は、一りとして成仏せずということ無けん」と説かれており、善導が、往生礼讃偈のなかで述べている、「千中無一」、すなわち、極楽に往生するために五種の修行以外の、法華経等による修行によって極楽往生できるものは千人のなかに一人もいない、という主張は、この仏説に全く反している。
大聖人は、法華経の教えと善導の説のどちらをとるべきか、と仰せになり、前の章で挙げられた、無量義経の「四十余年・未顕真実」の文と、法華経方便品の「正直者方便・但説無上道」の文を引かれ、これらの仏説に明らかに背いているのが善導の説であるから、このような邪説は捨てるべきであると教えられている。
無量義経の文は浄土の三部経には真実を顕していないとしているのであり、方便品の文は正直に観無量寿経等の念仏の教えを捨てて、無上道の法華経を持つべしと説いているのである。
この仏説と、善導の説とは水と火のように相反しており、善導の説を信じて法華経を捨てるべきか、法華経を信じて善導の説を捨てるべきかと問いかけられ、当然、仏説に従って法華経を信じ、念仏を捨てるべきことを示されているのである。
0099:11~0100:05 第五章 善導が無間地獄に堕ちた現証を示すtop
| 11 夫れ一切衆生皆成仏道の法華経、 一たび法華経を聞かば決定して菩 12 提を成ぜんの妙典善導が一言に破れて 千中無一虚妄の法と成り、 無得道教と云はれ平等大慧の巨益は虚妄と成り 13 多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るか 十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ぬ、 三世諸仏の大怨敵と 14 為り十方如来成仏の種子を失う大謗法の科甚重し大罪報の至り無間大城の業因なり、 之に依つて忽ちに物狂いにや 15 成けん所居の寺の前の柳の木に登りて 自ら頚をくくりて身を投げ死し畢んぬ 邪法のたたり踵を回さず 冥罰爰に 16 見たり、 最後臨終の言に云く此の身厭う可し 諸苦に責められ暫くも休息無しと 即ち所居の寺の前の柳の木に登 17 り西に向い願つて曰く 仏の威神以て我を取り観音勢至来つて又我を扶けたまえと唱え畢つて 青柳の上より身を投 18 げて自絶す云云、 三月十七日くびをくくりて飛たりける程にくくり縄や切れけん 柳の枝や折れけん大旱魃の堅土 0100 01 の上に落て腰骨を打折て、 二十四日に至るまで七日七夜の間悶絶躄地しておめきさけびて死し畢ぬ、 さればにや 02 是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ 此事全く余宗の誹謗に非ず 法華宗の妄語にも非ず善導和尚 03 自筆の類聚伝の文なり云云、 而も流を酌む者は其の源を忘れず法を行ずる者は 其の師の跡を踏む可し云云 浄土 04 門に入つて師の跡を踏む可くば 臨終の時善導が如く自害有る可きか、 念仏者として頚をくくらずんば師に背く咎 05 有る可きか如何。 -----― 一切衆生が皆、仏道を成ずるのが法華経であり、一たび法華経を聞けば必ず菩提を成ずる妙典であるのに、善導の一言に破られて千中無一、虚妄の法となり、無得道教といわれ、平等大慧の大きな利益は虚妄となり、多宝如来の「皆是れ真実なり」の証明の御言葉も妄語となってしまうのか。十方諸仏の、上は梵天にまで至った広長舌も破られてしまった。 三世諸仏の大怨敵となり、十方如来の成仏の種子を失うこの大謗法の科は甚だ重い。大果報の極地であり、無間大城の業因である。 これによって、善導はたちまち物狂いにでもなったのであろうか、住んでいる寺の前の柳の木に登って自ら頸をくくって身を投げ、死んでしまった。邪法の祟りはあと戻りできず冥罰がここに現れた。最後臨終の言葉に「この身は厭うべきである、諸苦に責められて暫くも休む暇がない」と。そして、住んでいる寺の柳の木に登り、西に向かっていうには「仏の威神をもって我を受け取り、観音・勢至菩薩は来たって我を扶けたまえ」と唱え終わって青柳の上から身を投げて自ら命を絶った。 三月十七日、首をくくって飛んだところが、くくった縄が切れたのであろうか、柳の枝が折れたのか、大旱魃の堅い土の上に落ちて腰骨を打ち二十四日にいたるまで七日七夜の間、悶絶しはい回り、わめき叫んで死んでしまった。そもそも、これほどの高祖が往生の人の内には入れなかったものと思われる。 このことは全く余宗が誹謗して言っているのではない。法華宗が作った妄語でもない。然導和尚自筆の類聚伝の文である。しかも流れを酌む者はその源を忘れず、法を行ずる者はその師の跡を踏むべきである。浄土門に入って師の跡を踏もうとするなら、臨終の時、善導のように自殺すべきか。念仏者として頸をくくらなければ、師に背く咎があるのではないだろうか。 |
妙典
妙なる経典のこと。法華経を意味する。
―――
虚妄
真実でないこと。うそ。
―――
平等大慧
諸仏の実智のこと。諸法平等の理を悟り、一切衆生を平等に利益する仏の智慧をいう。宝塔品には「釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経を以って、大衆の為に説きたもう」とあり、一切衆生を平等に、救済していく、広大な御本仏の智慧、大御本尊の智慧をいう。
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巨益
大きな利益。多くの衆生を利益すること。
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多宝如来
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。
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皆是真実
他謗仏は、東方宝浄世界に住む仏であるが、法華経の説かれるところに出現して「皆これ真実なり」と証明する文。
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十方如来成仏の種子
三世十方の諸仏が覚知し、それによって成仏した種子のこと。南無妙法蓮華経をいう。
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冥罰
冥々のうちに受ける不幸・不利益のこと。
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勢至
勢至菩薩のこと。勢至は梵名マハースターマプラープタ ( mahaasthaamapraapta])といい、大勢至・得大勢・大精進とも訳し種々の経に説かれている。①爾前諸教では阿弥陀三尊のひとつとして、観世音菩薩とともに、阿弥陀仏の脇士となって智慧をあらわす。②法華経では八万の菩薩の一人として霊鷲山会にっその名を連ね、阿耨多羅三藐三菩提を得て退転なく、自在の法を説くことができたとある。③不軽品の対告衆
―――
自絶
自殺のこと。
―――
躄地
地を這いまわること。躄は足の立たないこと。倒れるなどの意。
―――
類聚伝
法然の著、類聚浄土五祖伝のこと。中国浄土宗の祖師といわれる曇鸞・道綽・善導・懐感・小康の五人の伝歴を記したもの。このなかで善導の自害の様子が記されている。
―――――――――
仏説に背き、法華経を誹謗して、無間地獄の業因をつくった然導が、自殺を図って失敗し、苦悶の末に死んだ事実が念仏側の書物に記されていることを明かされている。
前章に述べられているように「一人として成仏しない人はいない」と説かれている法華経を、善導は「千中無一」虚妄の法として、皆成仏道の経であるのに未得道教だとし、「平等大慧」、すなわち一切衆生を平等に利益する仏の智慧である法華経の大利益を虚妄とし、多宝如来が「皆是れ真実である」と証明した言葉も妄語とし、十方の諸仏が梵天にまで届かせた広く長い舌相も破ってしまったのである。
この善導の説は、三世の諸仏の大怨敵となり、十方の如来の成仏の種子を失わせるものであって、その罪は甚だ重く、無間地獄に堕ちる業因なのである、と指摘されている。
そして、そのためか、善導は気が狂い、住んでいた寺の前の柳の木に登って、自ら首を括り、身を投げて死んだのである。
大聖人はその事実を、邪法の祟りは後戻りができず、冥罰がここに現れたのである、と仰せになっている。正法を誹謗して邪法を行じた悪業の報いが、自身の生命に刻まれて、その結果として気が狂い、自ら命を絶つという不幸を招いたことを、冥罰とされているのである。
しかも、善導の自害のありさまは、実に悲惨なものだった。善導が、「この身は厭うべきである。もろもろの苦しみに責められて少しの間も休息がない」といい、住む寺の前の柳の木に登り、西方に向かって「願わくば仏の威神をもって我を受け取り、阿弥陀仏の脇士の観音・勢至菩薩よ、来たって我をたすけたまえ」と唱えて、柳の木の上から身を投じて自殺した、と述べられているのは、法然の著・類聚浄土五相伝の中の善導伝をひかれたのである。
さて、3月17日に首を括って飛んだのであるが、縄が切れたのか、柳の枝が折れたものか、旱魃のために堅くなっていた地面の上に落ちて、腰骨を打ち折ってしまい、3月24日までの1週間、悶え苦しみ、地をはい回り、わめき叫んで死んだ、と述べた記録があったようである。
大聖人は、こうした善導の最期の様子は、他宗が誹謗して作り上げたもので、法華宗がうそをついたものでもなく、善導自筆の類聚伝の文であるとされている。善導が自分で、自らの臨終の有様を書くわけがないから、これは法然が書いた類聚浄土五祖伝のことと考えられる。
ともあれ、流れを酌む者はその源を忘れてはならず、法を行ずる者はその師の跡をふむべきである、とされているのだから、浄土門に入って師の跡を踏もうとするなら、臨終の時には師の善導のように自害すべきではないか、念仏者として首を括らなければ、師に背く罪になるのではないだろうか、と念仏者を厳しく責められている。
もとより、これは「師弟」という倫理の上から皮肉って言われているのであるが、死後の往生を願う念仏思想は、無意識的に、この世の生を厭う心を起こさせるという生命への影響力もある。上野殿御返事には、「念仏宗と申すは亡国の悪法なり、このいくさには大体・人人の自害をし候はんずるなり、善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに・念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ」(1509-09)と述べられているのは、そうした知らずしらず影響されることを言われたものである。
なお、善導だけではなく、大聖人当時の念仏者の臨終の相が悪かったことについても、「而るに善導和尚の十即十生と定め又定得往生等の釈の如きは疑無きの処に十人に九人往生すと雖も 一人往生せざれば猶不審発る可し、何に況や念仏宗の長者為る善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等・皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る、其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず、善導和尚の定むる所の十即十生は闕けて嫌える所の千中無一と成んぬ」(0105-17)等と指摘されている。
0100:06~0101:08 第六章 法然の教義の誤りを破すtop
| 06 日本国には法然上人浄土宗の高祖なり十七歳にして一切経を習極め天台六十巻に渡り、 八宗を兼学して一代聖 07 教の大意を得たりとののしり、 天下無雙の智者山門第一の学匠なり云云、 然るに天魔や其の身に入にけん広学多 08 聞の智慧も空く諸宗の頂上たる天台宗を打捨て 八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり 大臣公卿の身を捨て民百 09 姓と成るが如し、 選択集と申す文を作つて一代五時の聖教を難破し 念仏往生の一門を立てたり、 仏説法滅尽経 10 に云く 五濁悪世には魔道興盛し魔沙門と作つて我が道を壊乱し悪人転た海中の沙の如く 善人甚だ少くして若は一 11 人若は二人ならん云云 即ち法然房是なりと山門の状に書かれたり、 我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定 12 め権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡て 浄土門の正行をば 善導の如く決定往生と勧めたり、 観経等の浄土の 13 三部経の外・一代顕密の諸大乗経・大般若経を始と為して 終り法常住経に至るまで 貞元録に載する所の六百三十 14 七部・二千八百八十三巻は 皆是千中無一の徒物なり永く得道有る可からず、 難行・聖道門をば門を閉じ之を抛ち 15 之を閣き之を捨て・浄土門に入る可しと勧めたり、 一天の貴賎首を傾け四海の道俗掌を合せ 或は勢至の化身と号 16 し或は善導の再誕と仰ぎ一天四海になびかぬ木草なし、 智慧は日月の如く世間を照して 肩を並ぶる人なし名徳は 17 一天に充ちて善導に超え 曇鸞・道綽にも勝れたり貴賎・上下・皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思い 道俗・男女 18 悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ、 然りと雖も恭敬供養する者は 愚癡迷惑の在俗の人・帰依渇仰する人は無智 0101 01 放逸の邪見の輩なり、権者に於ては之を用いず賢哲又之に随うこと無し。 -----― 日本国では法然上人が浄土宗の高祖である。十七歳で一切経を習い極め、天台六十巻を学び尽くし、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たと騒がれた。天下無双の智者で山門第一の学匠であった。 ところが天魔がその身に入ったのであろうか。広学多聞の智慧も空しく諸宗の頂上である天台宗を打ち捨て、八宗の外である念仏者の法師となってしまった。大臣公卿の身を捨てて民百姓となったようなものである。 選択集という文を作って一代五時の聖教を難破し、念仏往生の一門を立てたのである。「仏説法滅尽経に『五濁悪世には魔道が興盛し、魔が僧侶の姿となって出現し、我が仏法を破壊してしまうであろう。また、悪人はまるで海中の砂のように多く、善人は甚だ少なくて、あるいいは一人ありは二人くらいであろう』とある。すなわち法然房がこれである」と山門の状に書かれてある。 自らの浄土宗の専修の一行を五種と定め、権実顕密の諸大乗を五種の雑行ときらって、浄土門の正行だけを善導のように決定往生と勧めたのである。 観経等の浄土の三部経のほかは、一代顕密の諸大乗経、大般若経を始めとして、終わりは法常住経に至るまで貞元録に載せるところの六百三十七部・二千八百八十三巻は皆、千中無一の無益な経で永久に得道することはできないとし、こうした難行・聖道門を閉じ、これを抛ち、これを閣き、これを捨て、浄土門に入るべきであると勧めた。 天下の人は貴賎を選ばず頭を傾け、四海の道俗はみな掌を合わせ、あるいは勢至の化身と呼び、あるいは善導の再誕と仰ぎ、一天四海になびかない木草はないごとくである。智慧は日月のように世間を照らして、肩を並べる人はいない。名徳は一天に満ちて善導にも越え、曇鸞・道綽にも勝れている。貴賎・上下、皆選択集をもって仏法の明鏡であると思い、道俗・男女はことごとく法然房をもって生身の弥陀と仰いだ。 しかしなだら、つつしみうやまって供養する者は愚癡で迷いの在俗の人であり、帰依渇仰する人は無智放逸の邪見の者ばかりで、権力のある者でこれを用いる人はなく、賢人・哲人もまたこれに随うものはなかった。 -----― 02 然る間斗賀尾の明慧房は天下無雙の智人・広学多聞の明匠なり、 摧邪輪三巻を造つて選択の邪義を破し、三井 03 寺の長吏・実胤大僧正は希代の学者・名誉の才人なり 浄土決疑集三巻を作つて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・ 04 仏頂房・隆真法橋は天下無雙の学匠・山門探題の棟梁なり弾選択上下を造つて法然房が邪義を責む、 しかのみなら 05 ず南都・山門・三井より度度奏聞を経て法然が選択の邪義 亡国の基為るの旨訴え申すに依つて人王八十三代・土御 06 門院の御宇・承元元年二月上旬に専修念仏の張本たる安楽・住蓮等を捕縛え 忽ちに頭を刎ねられ畢んぬ、法然房源 07 空は遠流の重科に沈み畢んぬ、 其の時・摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事なり 此の事は皇代記に見えたり誰 08 か之を疑わん。 -----― そこで斗賀尾の明慧房は天下無雙の智人で広学多聞の明匠である。摧邪輪三巻を造って選択集の邪義を破し、三井寺の長吏・実胤大僧正は世にまれな学者で名誉の才人であるが、浄土決疑集三巻を作って専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・仏頂房・隆真法橋は天下無双の学匠で山門探題の棟梁だが、弾選択上下を造って法然房が邪義を責めた。 それだけでなく南都・山門・三井よりたびたび奏聞を経て法然の選択集の邪義が亡国の基であることを訴えた結果、人王八十三代・土御門院の御世、承元元年二月上旬に専修念仏の張本である安楽・住蓮らを召し捕らえ、安楽・住蓮らはたちまちに頭を刎ねてしまった。 法然房源空は遠流の重科に沈んだ。その時の摂政で左大臣家実というものは近衛殿の御事である。このことは皇代記に見られうとおりで、だれがこれを疑うであろうか。 |
天台六十巻
天台大師が講述し、章安大師が筆録した天台の三大部と、妙楽大師が注釈した三大部注釈を合わせたもの。
―――
八宗
日本において奈良時代にあった俱舎・成実・律・法相・三論・華厳の六宗に、平安時代初めに興った天台・真言の二宗を加えた八宗をいう。
―――
山門
三井・園城寺を寺門というのに対して比叡山延暦寺を山門という。
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選択集
法然の代表的著作で、選択本願念仏集という。当時、公卿の有力者であった九条兼実の依頼によって建久9年(1198)選述し、浄土宗の教義を十六章に分けて明かしている。その内容は、念仏以外の一代仏教を捨閉閣抛せよという破仏法の邪義で、当時においてすら並榎の定照から「弾選択」、栂尾の明慧から「墔邪輪」「荘厳記」をもって破折されている。
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法滅尽経
仏説法滅尽経。1巻。訳者不明。仏の涅槃が近づき、説法せず、また光明を現じなかった。そこで阿難が3回たずね、仏はそれに対し、末法法滅の時、魔が比丘となって生ずることを説いている。
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五濁
劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。
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沙門
梵語(śramana)勤足と訳す。勤とはつとめる、励む、息とはとどめる、禁止すること。善を勤め悪を息めること。出家して仏門に入り、道を修める人。僧侶・桑門・出家と同意。
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山門の状
貞応3年(1224)5月17日、延暦寺の3000の大衆法師等が、一向専修念仏の停止を求めて、その濫行を子細に述べた奏状のこと。内容は、弥陀念仏を以って別に宗を建つべからざる事・一向専修の党類神明に向背する不当の事・一向専修倭漢の例快からざる事・諸州の修行を捨て専ら弥陀仏を念ずる広行流布の時節末だ至らざる事・一向専修の輩経に背き師に逆らう事・一向専修の濫悪を停止し護国の諸宗を興隆せらるべき事、の6項目よりなっている。
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浄土宗の専修の一行
浄土宗の教義。極楽浄土に往生するための五種の正行を専ら修すること。法然の選択集では、浄土往生を願うならば、五種の正行を専ら修し、阿弥陀一仏のみを念ぜよと説いている。
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五種の正行
浄土宗の教義。極楽浄土に往生するための五種類の正行。善導が観無量寿経疏で説いている。礼拝・読誦・観察・称名・讃嘆供養正行をいう。
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権実顕密の諸大乗
権実とは釈尊一代の仏教を大別して、権大乗と実大乗教にわけること。顕密とは顕教と密教のこと。これらはすべて大乗教の中に含まれる。
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五種の雑行
浄土宗で立てる、極楽浄土に往生できない五種類の修行のこと。読誦雑行・観察雑行・礼拝雑行・称名雑行、讃歎供養雑行をいう。
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決定往生
一心に阿弥陀仏を念じて名号を称えれば極楽浄土に必ず往生できるとする浄土宗の邪義。
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大般若経
般若経のこと。大品・光讃・金剛・天王門・摩訶の五般若からなり、仁王般若を結経とする。釈尊が方等部の説法を終わり、法華経を説くまでの間に説いた経文で、説処は鷲峰山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」四十巻と玄奘三蔵の「大般若経」六百巻がある。前者を旧訳・後者を新訳という。般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称で般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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法常住経
訳者不詳。法の常住について説いた経。法は仏の出現の有無にかかわらず、常に存在するが、如来の出現によってその深義が明らかにされると説いている。
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貞元録
中国・唐代の円照が勅を奉じて編纂した経録(仏典目録)である。30巻。800年(貞元16年)に徳宗に上進された。「貞元録」と略称される。
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四海
四海とは四方の海、天下、国内、四方の外国、世界等さまざまな意で用いられることがある。
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勢至の化身
法然の魔縁にとろかされた念仏宗徒たちは、法然を阿弥陀仏の脇士である阿弥陀仏の化身である等と称し、幼名を勢至丸といったこと。
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曇鸞
(0476~0542)中国念仏の開祖で、菩提瑠支から観無量寿経を授けられ、もっぱら念仏の修行を積んだ。並州の大寺、石壁の玄中寺等に住し、のちに平州の途山寺で、76歳で死んだ。浄土宗では七祖のうちの第三祖としている。「讃阿弥陀仏偈」などを著した。難行道うんぬんの文は「往生論註」の最初の文で、念仏を易行道、すなわち「修行し易き道」として薦め、他の権大乗教を「修行し難き道」と悪口し、排斥している。
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道綽
(0562~0645)。中国の隋・唐時代の浄土教の祖師の一人。并州汶水(山西省太原)の人。姓は衛氏。14歳で出家し涅槃経を学ぶが、玄中寺で曇鸞の碑文を見て感じ浄土教に帰依した。曇鸞の教説を受け、釈尊の一大聖教を聖道門・浄土門に分け、法華経を含む聖道門を「未有一人得者」の教えであるとして排斥し、浄土門に帰すべきことを説いている。弟子に善導などがいる。著書に「安楽集」2巻等がある。
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権者
権力を有する人のこと。
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斗賀尾の明慧房
斗賀尾とは京都市右京区梅丘栂尾のこと。鎌倉初期、明慧房がこの地を賜って高山寺を興し華厳興隆の地とした。
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摧邪輪
華厳宗の僧・栂尾の高弁の著・3巻。建暦2年(1221)に成立。法然の選択集を破折した書。法然の説を邪論としこれを摧破するとの意。「菩提心を撥去する過失」「聖道門を群賊に譬うるの過失」などの過ちを挙げ、破折している。
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三井寺の長吏・実胤大僧正
(1145~1216)三井寺は滋賀県大津市園城寺にある天台宗寺門派の総本山。長吏とは三井寺に設けられた職名で、実胤は公胤のこと。源憲俊の子、法然の専修念仏を嫌って「浄土決疑鈔」を著したが、晩年、法然に会い、意を翻して念仏を学んでいる。
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浄土決義集
園城寺の長吏・公胤の作・3巻。法然の選択集を破折した書。現存しない。
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仏頂房・隆真法橋
鎌倉時代の天台宗の僧。比叡山延暦寺の東塔に住み、山門の探題であった。法橋は僧位のひとつ。
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弾選択
①並榎堅者・定照の著・1巻。②仏頂房隆真の著・2巻。いずれも法然の選択集を弾呵した書。
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南都
奈良のこと。京都(平安京)に対して南に位置するので、都であった奈良をこのように呼ぶ。
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土御門院
(1196~1231)。第83代天皇、諱は為仁。建久9年(1198)父・後鳥羽天皇の譲位により3歳で践祚。即位。事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。しかし、穏和な性格が幕府との関係上心許ないと見た後鳥羽上皇は、退位を迫り、承元4年、異母弟の順徳天皇に譲位した。承久3年(1221)の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流であるのに、自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。後に、より都に近い阿波国に移されその地で没した。
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安楽
(~1207)。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての浄土宗の僧。父は中原師秀。諱は遵西。俗名は中原師広。
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住蓮
(~1207)。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての法然門下の浄土宗の僧。大和源氏の流れを汲む東大寺の僧実遍を父として生まれる。後鳥羽院上皇が熊野に行幸中安、女房たちと密通をはたらいたとの嫌疑をかけられ、翌建永2年・承元元年(1207)近江国馬淵荘で弟子の僧と共に斬首の刑に処せられた。
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摂政左大臣家実
(1179~1242)。鎌倉時代前期の公卿。関白近衛基通の一男で、母は坊城顕信の女・顕子。子には兼経・鷹司兼平などがいる。晩年六条猪隈小路に猪隈殿を構えたことに因み、猪隈関白と呼ばれた。
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近衛殿
摂政左大臣近衛家実のこと。
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皇代記
歴代天皇についての年代記のこと。
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日本浄土宗の祖・法然について述べられていく。
日本浄土宗の開祖・法然は、平安時代の末期に美作国で生まれ、9歳で観覚の弟子となり、15歳で比叡山に登って延暦寺に入り、皇円に師事した。更に黒谷の叡空に学び、後に京都や奈良へ出て諸宗を学んだ。叡山に戻って、大蔵経の閲覧もしている。法然も、初めは天台僧だったのである。
17歳で一切経を習い究め、天台大師・妙楽大師の三大部60巻を学び尽くし、八宗を兼学して釈尊の一代聖教の大意を得たと騒がれ、天下無双の智者、叡山第一の学匠といわれた、との記述は浄土宗側が法然を讃嘆した言葉を引いたものであろう。
法然は、承安5年(1175)43歳の時、善導の観経散善義と源信の往生要集を見て、専修念仏に帰依し、選択本願念仏集を著して、浄土三部経以外の釈尊一代の聖教を捨閉閣抛せよと主張して、浄土宗を開いている。
大聖人は、法然が天台の法門を捨てて、念仏に移ったことを、天魔が身に入ったのかと述べられ、大臣・公卿が、その高い身分を捨てて、民百姓になったようなものだ、と批判されている。
法然が浄土三部経以外の諸経を捨て、念仏以外の諸宗諸経をすべて否定することについては、比叡山の山僧からも厳しく批判された。
彼らが法然を非難した「申状」には法滅尽経に、「五濁悪世には魔道が興隆し、魔が沙門となって仏道を破壊し乱し、破法の悪人は海中の砂のように多く、仏道の善人は少なく、一人か二人だろう」とあるのを引いて、これに当てはまるのが法然房である、としているのである。
法然は、修行に関しては、専修念仏の一行のみを、極楽浄土に往生するための五種の正行と定め、浄土三部経以外の一切の大小権実顕密等の諸経による修行を五種の雑行と嫌って捨てさせ、浄土宗の専修念仏の行のみが間違いなく浄土往生できると説いて人々に勧めたのである。
また教法については、阿弥陀経・無量寿経・観無量寿経の浄土三部経以外の一切の諸大乗経は、ことごとく「千中無一」、すなわち千人の中で一人も往生する者の無い、虚妄の教えであり、永く得道する者はいない、とした。
そして結論として、浄土三部経以外の諸経の聖道門は閉じ、抛ち、閣き、捨てるべきで、専ら浄土門に入るべきであると教えたのである。すなわち、浄土三部経に依る浄土宗を浄土門・易行道・正行として、それ以外の諸経に依る諸宗を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」とすべて否定して、人々に浄土門に入ることを勧めたのである。
この法然の主張は、経典には何の根拠もなく、中国・浄土教の祖である曇鸞・道綽・善導が立てた己義を、拡大し、こじつけた邪義にすぎなかった。
しかし、人々は法然の邪義に誑かされ、法然を阿弥陀仏の脇士である勢至菩薩の化身と呼んだり、善導の再誕と仰いで争って帰依し、念仏がたちまち一国に流布したのである。守護国家論には「中昔・邪智の上人有つて 末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る、名を鸞・綽・導の三師に仮つて一代を二門に分ち実経を録して権経に入れ法華真言の直道を閉じて浄土三部の隘路を開く、亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈む可き僻見なり、而るに世人之に順うこと譬えば大風の小樹の枝を吹くが如く門弟此の人を重んずること天衆の帝釈を敬うに似たり」(0036-12)と述べられている。
当時の人々は、また、法然を、中国・浄土教の祖である善導を超え、曇鸞や道綽よりも勝れているとし、選択集を仏法の明鏡と思い、法然を生身の阿弥陀仏と仰ぐありさまだったのである。
とはいえ、当時は、法然を恭敬して供養する者は仏法に愚かで迷う在俗の人であり、法然に帰依し渇仰する人は仏法に無智な邪見の輩であり、高徳の僧はそうした邪義は用いることなく、賢人・哲人で法然などに従う人はいなかったと仰せられている。
少しでも仏法を知る者なら、法然の邪義が仏の教えに背き、仏法を破壊する邪義、魔説と見破って当然であることを指摘されているのである。
ゆえに、法然の著した選択集に対して、諸宗側から批判し反論する論文も数多く書かれている。代表的なものとして、華厳宗の僧で山城国栂尾の高山寺の住職だった明恵の著、選択集中摧邪輪三巻、天台宗寺門派の園城寺の長吏である公胤の著・浄土決疑鈔三巻、並榎堅者・定照の著で、比叡山延暦寺の探題である隆真が奥書を加えたものとされている弾選択上下等が挙げられる。
墔邪輪とは、法然の邪論を墔破するという意味で、内容は「聖道門を群賊に譬うるの過失」など、選択集の誤りを挙げて破折している。浄土決疑鈔は守護国家論にもその名を挙げられているが、現存しないために、その内容は明らかではない。
弾選択とは、選択集を弾呵するという意味である。定照が選択集の邪義を責めた弾選択を著し、法然の高弟・長楽寺隆寛に送った。それに対して隆寛は顕選択集を作って、定照の説を誹謗した。定照が朝廷に訴えたため、隆寛は流罪された。
しかし、それらの著作による選択集の邪義に対する破折は、いずれも不徹底、不十分なもので、念仏の流布を止めるだけの力はなかった。
大聖人は、そのことを守護国家論で「此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り所謂・浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等なり、此の書を造る人・皆碩徳の名一天に弥ると雖も 恐くは未だ選択集謗法の根源を顕わさず故に還つて悪法の流布を増す、譬えば盛なる旱魃の時に小雨を降せば草木弥枯れ兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し」(0037-01)と指摘され、自ら、守護国家論や立正安国論をもって根底から破折されたのである。
ただし、ここでは一応、南都の興福寺、比叡山延暦寺、園城寺等の奏状を受けて朝廷から念仏禁止の宣旨等が出され、法然一門の邪悪が確認されたことを指摘されている。
そのあらわれとして、承元元年(1207)2月には、法然の弟子、安楽と住蓮の二人が、院の女房と密通したとして後鳥羽院の怒りを招き、処刑され、また、専修念仏は風俗を乱す邪義であるとの理由で禁止され、法然も僧籍を剥奪され、俗名藤井元彦として土佐へ流罪されたのであるとされている。
0101:09~0103:05 第七章 念仏の停止を命じた宣旨等を挙げるtop
| 09 しかのみならず法然房死去の後も 又重ねて山門より訴え申すに依つて人皇八十五代・後堀河院の御宇嘉禄三年 10 京都六箇所の本所より 法然房が選択集・並に印版を責め出して 大講堂の庭に取り上げて 三千の大衆会合し三世 11 の仏恩を報じ奉るなりとて之れを焼失せしめ 法然房が墓所をば犬神人に仰せ付けて 之れを掘り出して鴨河に流さ 12 れ畢んぬ。 -----― それだけではなく法然房死去の後もまた重ねて山門より訴え出たので、人皇八十五代・後堀河院の御世、嘉禄三年、京都六箇所の本所より法然房が選択集、並びに印版を押収し、比叡山の大講堂の庭に取り上げ、三千の大衆が会合して三世の仏恩を報じ奉るためとしてこれを焼却させ、法然房の墓所を犬神人に命じてこれを掘り出して、鴨河に流してしまった。 -----― 13 宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿.七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者.一日片時も之れを置く可 14 からず対馬の島に追い遣る可きの旨諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ、 此等の次第・両六波羅の注進状・関東相模 15 守の請文等明鏡なる者なり。 -----― 宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿・七道に下されて「六十六箇国に念仏の行者を一日片時も置いてはならぬ。対馬の島に追い遣るように」との旨が諸国の国司に命じられた。このことは両六波羅の注進状・関東相模守の請文等にあたかも明鏡のようである。 -----― 16 嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云く。 17 専修念仏の行は諸宗衰微の基なり、茲に因つて代代の御門・頻に厳旨を降され殊に禁遏を加うる所なり、 而る 18 を頃年又興行を構へ 山門訴え申さしむるの間・先符に任せて仰せ下さるること先に畢んぬ、 其の上且は仏法の陵 0102 01 夷を禁ぜんが為 且は衆徒の欝訴を優に依つて其の根本と謂うを以て 隆寛・成覚・空阿弥陀仏等其の身を遠流に処 02 せしむ可きの由・不日に宣下せらるる所なり、 余党に於ては其の在所を尋ね捜して帝土を追却す可きなり、 此の 03 上は早く愁訴を慰じて 蜂起を停止す可きの旨・時刻を回さず御下知有る可く候、 者綸言此の如し頼隆・誠恐・頓 04 首謹言。 05 七月五日酉刻 右中弁頼隆奉わる 06 進上天台座主大僧正御房政所 -----― 嘉禄三年七月五日に山門に下された宣旨には次のようにある。 専修念仏の行は諸宗を衰微させる基である。これによって代々の天皇はしばしば厳命を下され、とくに禁止を加えられてきた。ところが近年また盛んになり、山門から訴えがあったので、先に出された宣旨にしたがって仰せ下さったことは先のとおりである。そのうえ、かつは仏法の衰えるのを止めるため、かつは衆徒の訴えをやわらげるために、その根本人である隆寛・成覚・空阿弥陀仏等はその身を遠流に処すべき旨が、まもなく宣下されるであろう。残りの徒党はその所在を尋ね捜して帝都から追放すべきである。このうえは早く衆徒の訴えをなだめて蜂起を停止すべきの旨、時をおかず命令されるべきであり、天皇の仰せは以上のとおりである。頼隆・誠恐・頓首謹言。 七月五日酉刻 右中弁頼隆奉わる 進上天台座主大僧正御房政所 -----― 07 同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く。 08 専修念仏興行の輩を 停止す可きの由・五畿七道に宣下せられ畢んぬ、 且御存知有る可く候綸言此の如く之を 09 悉にす・頼隆・誠恐・頓首謹言。 10 七月十三日 右中弁頼隆奉わる 11 進上天台座主大僧正御房政所 -----― 同七月十三日山門に下された宣旨には次のようにある。 専修念仏を行う輩を停止すべき旨、五畿七道に宣下されたので、御存知あるべきである。天皇の仰せは以上のようであり、これをよく理解するように。頼隆・誠恐・頓首謹言。 七月十三日 右中弁頼隆奉わる 進上天台座主大僧正御房政所 -----― 12 殿下御教書 13 専修念仏の事、 五畿七道に仰せて永く停止せらる可きの由・先日宣下せられ候い畢んぬ、而るを諸国に尚其の 14 聞え有り云云、宣旨の状を守つて沙汰致す可きの由・地頭守護所等に仰せ付けらる可きの旨・山門訴え申し候、 御 15 存知有る可く候、此の旨を以て沙汰申さしめ給う可き由・殿下の御気色候所なり、仍て執達件の如し。 16 嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判 17 武蔵守 殿 -----― 殿下御教書 専修念仏の事、五畿七道に命じて永く停止すべき旨が、先日、宣下さえた。しかるに諸国にまだ念仏を行うものがいるということである。これに対して宣旨の状を守って処置するよう地頭・守護所等に命じていただきたいとの、山門の訴えがあった。この点を御存知いただきたい。その旨を徹底せよとの殿下のおぼしめしである。以上のように通達するものである。 嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判 武蔵守 殿 -----― 18 永尊竪者の状に云く、 此の十一日に大衆僉議して云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下之を止め置く可か 0103 01 らず、 仍て在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り 上げて三世の仏恩を報ぜんが為に 之を焼失せしめ畢ん 02 ぬ、又云く法然上人の墓所をば感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしめ畢んぬ。 03 嘉禄三年十月十五日・隆真法橋申して云く専修念仏は亡国の本為る可き旨文理之有りと。 -----― 永尊竪者の状には次のようにある。 この十一日に大衆が評議して、法然房の造った選択集は謗法の書である。天下にこれを止め置いてはならないということになった。よって、あちこちに所持されている選択集並びにその印板を大講堂に取り上げて、三世の仏恩を報じるためにこれを焼却した。 また、次のようにもある。法然上人の墓所を感神院の犬神人に命じて破壊させた。 嘉禄三年十月。 隆真法橋がいうのには、専修念仏は亡国の本であることは文証・理証に命らかである。 -----― 04 山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空・存生の間には永く罪条に沈み 滅後の今は且死骨を刎ねられ、其の 05 邪類・住蓮・安楽・死を原野に賜い成覚・薩生は刑を遠流に蒙る殆ど此の現罰を以て其の後報を察す可し云云。 -----― 山門から雲居寺に送った状にいう。邪師源空は存生の間には永く罪条に沈み、滅後の今は且つ死骨を刎ねられ、その邪類である住蓮・安楽は原野で死刑に処せられ、成覚・薩生は遠流の刑に処せられた。大方この現世の罰をもってその死後の報いを察すべきである。 |
後堀河院
(1212~1234年8月31日)。鎌倉時代の第86代天皇諱は茂仁
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印板
昔、文書や図画などを印刷するのに木板に彫刻して紙とすり合わせた印刷方式の原板。材料は主に桜や黄柳。
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犬神人
平安時代から鎌倉・室町時代にかけて、祭儀その他の雑務を努めた人。祇園社の犬神人の場合は、境内の掃除をして不純物を捨てたり、靴や弓矢を作って行商していた賎民である。祭りの前には、神輿の前を行って道路の清掃などもした。一説には蝦夷討伐で捕らえた人を神社が買い取り、奴隷として扱ったともいわれている。
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宣旨
天皇の詔。朝廷から出される詔文書。
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院宣
上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発する宣旨に相当する。院庁下文よりも私的な形式。
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関白殿下
天皇の代わりに政治を行う官職。律令に本来規定された官ではない令外官であり、実質上の公家の最高位であった。敬称は殿下。
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御教書
摂関政治のころから始まった公文書の一つで、三位以上の公卿において家司が上位を奉じて出すという形式をとる。のち、鎌倉幕府、室町幕府にも取り入れられて、執権・管領などが将軍の上意を奉じて出す形式をとった。執建状ともいう。行政が出す公文書がこれにあたる。
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五畿
畿とは帝都に近い帝王直轄の地域で、帝都より四万500里以内の地をいった。京都を中心として山城・大和・河内・和泉・摂津のこと。
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七道
東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道。地理的な行政区分であるとともに、畿内から放射状に伸びる道路名と同時に、諸国を包括する地理的区分でもある。
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六十六箇国
北海道、琉球及び壱岐・対馬の2島を除く日本全土を66か国に分割して数えたもの。畿内五か国、東山道八か国、東海道15か国、北陸道7か国、山陽道8か国、山陰道8か国、南海道6か国、西海道9か国である。
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対馬の島
日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島である。面積は日本第10位である。対馬の大半を占める主島の対馬島のほか、その周囲には100以上の属島がある。この対馬島と属島をまとめて「対馬列島」、「対馬諸島」とすることがある。古くは対馬国や対州、また『日本書紀』において対馬島と記述されていた。旧字体では對馬。
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国司
古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守、介、掾、目等を指す。守の唐名は刺史、太守など。
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両六波羅
京都六波羅南北探題のこと。六波羅は六波羅蜜寺があったことからついた地名で、平氏一門の本拠となっていた。ここに北条氏が南北六波羅探題府を設置し、内裏の守護や西国の政務を行った。
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注進状
事物を調査、計量してその詳細を上部機関に報告する文書。平安時代末期から室町時代末期にかけて用いられた。人名,数量などを列挙したものを注文と呼ぶ。土地状況を記録したものが多く、合戦太刀討注文、合戦手負注文、分捕頸注文など、軍功を上申する際も注進状の形式をとった。
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関東相模守
関東とは鎌倉幕府をさし、相模守とは、相模国の国主のこと。源氏滅亡後は北条幕府の最有力者が任じられた。
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請文
先方の命令・要求に対して承知したことを書いて差し出す文書。
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禁遏
禁止すること。遏には、とめる・さえぎるの意がある。
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頃年
近年、最近、このごろ。
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先符
以前に発令された官符・制符。
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陵夷
丘が次第に平らになること。転じて初めは盛んなものが次第に衰えていくことにたとえる。
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欝訴
鬱憤を訴えること。憤懣を訴えること。
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隆観
(1148~1227)浄土宗長楽寺流の祖、竜寛とも書く。藤原資隆の子で、はじめ天台宗慧心流を学んだが、法然の弟子となって洛東の長楽寺に住した。安貞元年(1227)比叡山の定照が「弾選択」を著したのに対し「顯選択」を著して応戦した。しかし、そのため法然の墓をあばかれる因となり、彼自身も対馬に流罪が決定した。80歳没。
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成覚
(1133~1247)成覚房幸西のこと。正確には生没年不詳。姓は物部氏。はじめは比叡山西塔南谷鐘下房におて天台の経疏を学んだが、弟子の死にあって無常を感じ、法然をたずねて弟子入りした。36歳の時という。その後、承元元年(1207)法然が土佐に流されたときには阿波に流された。嘉禄3年(1227)にも伊豆に流されたという。また一念義を主張したために、法然からも附仏法の外道と責められて擯出させられたともいう。一念義とは、一度、念仏を唱えれば、それで往生は決定してしまうのだから、多く唱える必要はないという説。それに対して、できるだけ多く唱えて弥陀に恩を報ずべきだというのが念仏で、法然自身、日に六万遍唱えたといっている。すでに法然の在世中から批判する弟子は跡をたたなかったのである。
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空阿弥陀仏
(1155~1228)。平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧。同時代の僧侶明遍と同じく「空阿弥陀仏」の号を持つが、別人である。両者を区別するにあたっては、本稿の空阿弥陀仏を指して「法性寺の空阿弥陀仏」と呼ぶ例が見られる
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不日
近いうちに、との意味。
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帝土
帝王の治める土地。天皇の住むところ。日本全土のこと。
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御下知
命令を下に伝え知らせること。指図・命令・指揮書など。
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者
「といえば」の変化形。
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綸言
天子の言葉のこと。綸は組み糸のこと。天子の言葉はそのもとは糸のように細いが、ひとたび出て天下に達する時には綸のように太くなるとの意。
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頼隆
平安時代末期、鎌倉時代初期の河内源氏の武将。 源義家の七男・陸奥七郎義隆の三男。父義隆が相模国毛利庄を領していた事から、 毛利頼隆とも呼ばれる。信濃国水内郡若槻庄を領してからは若槻を号する
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頓首
①中国の礼式。両手を組んでひざまずき、頭を下げて地面を叩くようにする敬礼。②書簡などの末尾に書いて、相手に敬意をあらわす言葉。
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右中弁
律令制で、太政官右弁官局の次官。
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天台座主大僧正御房政所
比叡山延暦寺を統括する天台座主が所轄の事務を行ったところ。 大僧正は僧侶の最高位。
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殿下
①太皇太妃・皇太后・皇妃の敬称。②摂政・関白・将軍の敬称。
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御気色
①顔色。表情。機嫌。 出典平家物語 三・足摺。②意向。意図。
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執達
上位の者の意向・命令などを下位の者に伝えること。通達。
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参議
律令制のもとで設けられた朝廷の官職名。令外の官。その地位は大臣,納言の次に位する重要なもので参議以上が公卿と呼ばれた。大宝2 年(0702) 5月に初見し、のち一時廃止されたが、弘仁元年 (0810) に再び設けられたとき,定員は8人と決められた。
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範輔
(1192~1235) 鎌倉時代の公卿。建久3年生まれ。平親輔の子。蔵人頭、右大弁などを歴任して嘉禄2年参議。寛喜4年正三位となり、文暦元年権(ごんの)中納言。文暦2年7月25日死去。44歳。
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相模守
相模国(神奈川県)の国司の敬称。鎌倉時代には相模国は幕府の所在地であったので、執権や連署などの重職にある者が国司を兼ねるのが常であった。ここでは鎌倉幕府第八代執権・北条時宗をさすが、時宗は文永元年(1264)に連署となり、翌年相模守に任じられている。
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永尊
鎌倉時代初期の天台宗の僧。宝池房に住し、後に僧都となり題者となった。
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竪者
比叡山延暦寺や奈良の興福寺などの大寺院で行われる経典の論義の席上,問者の反論に解答する役目の僧
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僉議
多人数で評議すること。また、その評議。衆議。
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感神院
祇園神社の別号で八坂神社のこと。貞観18年(0876)神託と称し播磨国広峰から牛頭天王のを移したのがはじめで、観慶寺感神院と号し、興福寺の所管に属した。天延2年(0974)3月、延暦寺別院、日吉社の末社となった。祇園祭の宮司社として有名。
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隆真法橋
鎌倉時代の天台宗の僧。比叡山東搭に住み、山門の探題であった。宝池房証真の弟子で、専修念仏を排斥し、定照の著に、隆真が奥書を加えたと伝えられる弾選択で選択集を批判したという。法橋は僧位のひとつ。
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雲居寺
京都市東山区河原町付近にあった寺。桓武天皇の没後、その菩提をとむらうために菅野真道が道場を建立したのに始まり、天治元年(1124)叡山の僧・瞻西が八丈の阿弥陀如来を安置した。慶長10年(1606)高台寺の建立の時、他所に移され、その後廃寺となった。
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源空
(1133~1212)。わが国浄土宗の元祖法然のこと。伝記によると、童名を勢至丸といい、母が剃刀をのむ夢をみて源空をはらんだという。15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。承元元年(1207)2月、後鳥羽上皇により念仏停止の断が下され、法然は還俗させられて土佐国に流罪され、弟子の住蓮と安楽は処刑された。翌年、許されて京都に戻り、建暦2年(1212)80歳で没した。
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住蓮
(~1207)。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての法然門下の浄土宗の僧。大和源氏の流れを汲む東大寺の僧実遍を父として生まれる。後鳥羽院上皇が熊野に行幸中安、女房たちと密通をはたらいたとの嫌疑をかけられ、翌建永2年・承元元年(1207)近江国馬淵荘で弟子の僧と共に斬首の刑に処せられた。
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安楽
(~1207)。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての浄土宗の僧。父は中原師秀。諱は遵西。俗名は中原師広。
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薩生
はじめは天台を学んだが、成覚房幸西に従って専修念仏帰依した。証空から西山派の修行を教わり、鎌倉に出て独自の宗派を作った。生没年不詳
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法然の死後、選択集の印版が焼却され、その墓も破壊され、念仏禁止の宣旨や御教書等が、度々出された。
嘉禄3年(1227)10月に、延暦寺の大衆が評議して、法然の著作である選択集は正法を誹謗した悪書であり、天下に留めておくべきではないとし、人々の所持している選択集や、その印版を延暦寺の大講堂の前に集めて、三世の仏恩に報いるためにと、焼き払ったのである。
その前の、同年6月には、延暦寺の別院である感神院の犬神人に命じて法然の墓所を、破壊させ、法然の遺骨を鴨川に流させている。法然の死後15年目のことである。
しかしながら、念仏信仰は一向にやまず、同7月には、念仏停止の宣旨・院宣・御教書等が相次いで出されている。この宣旨を受けて、京とその周辺で、専修念仏の行者の住む草庵が破壊され、念仏僧たちの逮捕が行われたのである。
念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状には、延暦寺の学僧・永尊の次の書状を引いて、当時の事情が明かされている。なお、本抄に引用されているのは、これに続く文である。
「永尊竪者の状に云く弾選択等上送せられて後・山上に披露す弾選択に於ては人毎に之を翫び顕選択は諸人之を謗ず法然上人の墓所は 感神院の犬神人に仰付て之を破郤せしめ畢んぬ其の後奏聞に及んで裁許を蒙り畢んぬ、七月の上旬に法勝寺の御八講の次山門より南都に触れて云く清水寺・祇園の辺・南都山門の末寺たるの処に専修の輩身を容れし草菴に於ては悉く破郤せしめ畢んぬ其の身に於ては使庁に仰せて之を搦め取らるるの間・礼讃の声黒衣の色・京洛の中に都て以て止め畢んぬ、張本三人流罪に定めらると雖も逐電の間未だ配所に向わず山門今に訴え申し候なり」(0089-03)と。
前章でも述べたように、延暦寺の定照が弾選択を著して選択集を非難したのに対し、法然の弟子・隆寛が顕選択を著して反論したことが延暦寺の宗徒の怒りを招き、浄土宗が禁圧される直接の原因となったのである。
そして、法然の高弟の隆寛を陸奥に、成覚を薩摩に、空阿弥陀仏を隠岐に流罪するとの宣旨が出された。しかし、3人は逃亡してしまい、流罪は実現しなかった。
そのことは、それだけ念仏の信者が各地に増えていたことを示しており、その後も、度々、念仏の行者を一日、片時も置いてはならない、対馬の国に追放すべきである、との宣旨・院宣・関白の御教書が諸国の国司に対して出された。このことは、南北両六波羅探題の注進状、相模守の請文等にはっきり記されており、あたかも明鏡のようであると仰せられている。
これは、山門等からの訴えを受けて朝廷から宣旨がだされたのであるが、幕府側もこれに同意していたことを示している。すなわち、念仏が謗法であり仏教破壊の邪教であることは、当時の仏教界も朝廷も幕府も認めていたということなのである。
なお、宣旨には天皇の命である勅命と、太政官の上卿の命を通達するものとがあり、勅命の場合は「奉勅」の語が入っている。上皇の命によるものは「院宣」、関白の命によるものは「殿下御教書」、鎌倉幕府の将軍の命によるものは「関東御教書」と称されている。
嘉禄三年七月五日の山門への宣旨
比叡山延暦寺の天台座主・円基にあてて下された綸旨である。当時、延暦寺の宗徒が、専修念仏の禁止と中心者の流罪を迫り、蜂起して朝廷に強訴しようとしていたため、朝廷が念仏者を処分する宣旨を出すとして、宗徒を慰留したものである。
その要旨は、専修念仏が広まることは諸宗衰微の原因であり、そのために代々の天皇が厳しく禁止してきたが、近年、また勢いを盛り返しており、山門から訴えがあったので、先の宣旨にしたがって先に念仏禁止の命を出したのである。そのうえ、仏法の衰えるのを止め、宗徒の訴えをやわらげるために、念仏の中心者である隆寛・成覚・空阿弥陀仏等を流罪に処すとの宣旨がまもなく下されるであろう。残りの輩は捜し出して追放すべきである。このうえは、叡山宗徒が蜂起するのを停止するよう命ずべきである。というものである。
「綸言此の如し」とは、当時の後堀河天皇の仰せを右中弁・藤原頼隆が奉じてここに記したものであるということである。
山門からの訴えによって、先に出された仰せとは、同年6月29日に、天台座主・円基に下された綸旨をさしたものであろう。その内容は、念仏者追放宣旨事に次のようにある。
「専修念仏の事、停廃の宣下重畳の上偸かに尚興行するの条更に公家の知しめす所にあらず偏に有司の怠慢たり早く先符に任せて禁遏せらる可し、其の上衆徒の蜂起に於ては宜く制止を加えしめ給うべし天気に依つて言上件の如し、信盛・頓首恐惶謹言
嘉禄三年六月二十九日 左衛門権佐信盛奉
進上 天台座主大僧正御房政所」(0090-13)
すなわち、専修念仏を停止するとの宣旨が度々出されているにもかかわらず、なお、ひそかに念仏を行ずる者がいるのは、朝廷の責任ではない。ひとえに、関係の役人の怠慢である。早く先に発令された宣旨のとおり、念仏を禁止すべきである。そのうえに、宗徒の蜂起に対しては,よろしく制止すべきである。天皇の意志によって伝えるものである。という趣旨である。
念仏の流行が止まらないのは、朝廷の責任ではなく、関係の官権の怠慢であるとして、延暦寺の衆徒の矛先が朝廷に向かうのを避けようとの意図から出されたようである。右中弁・藤原信盛が勅命を伝えたという形式になっている。
この朝廷の責任を回避した内容に、延暦寺の衆徒が納得せず、なおも朝廷の責任を追及しようとする動きがあったので、衆徒の蜂起を止めるために、この7月5日に続いて、7月13日にも天台座主の綸旨を発しているのである。
同年七月十三日の山門への宣旨
専修念仏を行う者たちを停止すべきであるとの宣旨が、近畿5ヶ国と全国7道に下された。天皇の仰せはこのようなものであり、このことをよく理解すべきである。という趣旨である。その旨を延暦寺の衆徒に徹底せよ、という後堀河天皇の意向から出された綸旨のようである。右中弁・藤原頼隆が勅命を奉じて伝える、という形式である。
なお、7月5日の綸旨で、法然の高弟の隆寛・成覚・空阿弥陀仏を間もなく流罪に処する旨の宣旨が下されるであろうと述べられているとおり、翌7月6日に隆寛・幸西・空阿弥陀仏の3人を流罪するとともに、度牒をとりあげるように命じた宣旨が出されている。
念仏停止の宣旨が近畿5ヶ国と全国7道に下されたとあるのは、7月17日の太政官符の内容をさしてるようである。太政官符は、左大臣・藤原良平が後堀河天皇の勅を奉じて全国の国司に命ずる、という形式になっている。
「大政官の符・五畿内の諸国司まさに宜く専修念仏の興行を停廃し早く隆寛・幸西・空阿弥陀仏等の遺弟の留まる処に禁法を犯す所の輩を捉え搦むべきの事。
弘仁聖代の格条眼に在り左大臣勅を宣奉し宜く五畿七道に課せて興行の道を停廃し違犯の身を捉え搦むべし、者れば諸国司宜く承知して宣に依つて之を行え符到らば奉行を致せ。 嘉禄三年七月十七日 修理右宮城使正四位下行右中弁藤原朝臣
修理東大寺大仏長官正五位下左大史兼備前権介小槻宿禰」(0091-06)
専修念仏を停止・廃止して、隆寛・幸西・空阿弥陀仏等の法然の遺弟を匿った者や、禁を犯して念仏を行ずる者を早く捕えるべきであると命じ、その根拠は弘仁年間に編纂された格の条文に明らかである、としている。そして、左大臣・藤原良平が勅命を承ったので、近畿の5ヶ国と全国7道に、専修念仏の停止・廃止することを徹底し、違犯する者は捕えるべきである。諸国の国司はこの旨を承知して、宣旨のとおり実行せよ、という趣旨である。
この内容が、7月13日の天台座主の綸旨の中で紹介されているのは、こうした宣旨を出すことが決まった段階で、衆徒をなだめるために先に延暦寺に通達され、17日に全国の国司へ太政官符が発せられたものと考えられる。
同年十月十日の殿下御教書
関白・藤原家実の意向を受けて参議・平範輔から鎌倉幕府の執権・北条武蔵守泰時にあてた御教書である。
殿下とは、当時は摂政・関白・将軍の尊称とされ、ここでは関白をさしている。専修念仏の停止を、幕府が全国の守護・地頭に徹底し、守らせるようにと、通達したものである。
全国の国司に対して、専修念仏を永く停止せよと、先日、宣旨を下した。ところが、諸国でなお念仏が行われていると聞こえている。宣旨の状を守って処置すべきである。地頭や守護所に命じてもらいたい、という訴えが延暦寺から出ているので、そのように命じてもらいたい、という趣旨である。
念仏停止を命じた宣旨とは、前に引いた同年7月17日の太政官符のことである。それが全国の国司に通達されたにもかかわらず、諸国ではなお念仏を行ずる者が絶えなかったので、延暦寺の宗徒が朝廷に迫って、この幕府への通達となったものであろう。幕府の支配下にある守護・地頭を動かして、念仏禁止の効果を上げようとしたものと考えられる
永尊堅者の状に云く
これは末尾にあるように「嘉禄三年十月十五日」の書状である。
延暦寺の学僧・永尊の書状が紹介されているのは、当時、延暦寺の衆徒の朝廷への強い訴えによって、念仏停止・中心者の処分の宣旨が発せられ、念仏が禁止された事情が明らかになるからであろう。
嘉禄3年10月11日、延暦寺の衆徒の大衆詮議によって、法然の著・選択集は法華経を誹謗した謗法の書であり、天下に止め置いてはならないとされたため、選択集とその印版を集め、延暦寺の大講堂の前で、三世の仏恩を報ずるために焼却した。また、法然の墓所を、感神院の犬神人に命じて破壊させた、という趣旨である。
次に、書状の中で引かれている隆真法橋の「専修念仏が亡国の根本であるということは文証・理証から明らかである」という言葉が挙げられている。
隆真は天台の学僧で、定照が著した弾選択の奥書を書いたといわれている。
山門より雲居寺に送る状
延応2年(1240)に延暦寺の別院だった京都・東山の雲居院に出された。専修念仏禁止の下知状の一部である。
引用されている文の前で、専修念仏の徒は、悪業を積んで無間地獄の苦悩を招いている輩であり、法華経を滅ぼそうとする仏法の怨敵、出家の妖怪ともいうべきである、と断定している。
引用されている文は、それを受けて、それゆえに、邪悪の師である法然は、生前に悪人とされ、滅後の今は遺骨を暴かれており、その弟子である住蓮と安楽は原野で処刑され、成覚と薩生は遠国に流罪されるなどの処刑を受けたのである。この現世の罰の姿によって、死後の報いを察すべきである、との趣旨である。
「此の現罰を以て其の後報を察す可し」とは、現世における罰の姿から、死後は無間地獄の苦悩に沈むことは明らかである、との意である。
0103:06~0103:10 第八章 浄土宗を捨て法華経を信ずべきを述べるtop
| 06 鳴呼世法の方を云えば 違勅の者と成り帝王の勅勘を蒙り今に御赦免の天気之れ無し心有る臣下万民・誰人か彼 07 の宗に於て布施供養を展ぶ可きや、 仏法の方を云えば正法誹謗の罪人為り 無間地獄の業類なり何れの輩か念仏門 08 に於て恭敬礼拝を致す可きや、 庶幾くば末代今の浄土宗・仏在世の祖師・舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛つて法 09 華経を持ち菩提の素懐を遂ぐ可き者か。 10 日 蓮 花 押 -----― 鳴呼、世法のうえからいえば、勅命に違う者となり、帝王のお咎めを蒙り、今も御赦免の気配はない。心ある臣下万民は、だれが彼の宗に布施・供養をするだろうか。仏法のうえからいえば正法誹謗の罪人であり、無間地獄の業類である。いずれの輩が念仏門を恭敬礼拝するであろうか。ねがわくば末代今の浄土宗の者たちは、仏在世の祖師である舎利弗・阿難等のように浄土宗を抛って法華経を持ち、菩提の願いを遂げるべきではないか。 日 蓮 花 押 |
天気
①気象の状態。②天皇や主君の気持ち。
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布施
物や利益を施し与えること。大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなくてはならない六波羅蜜の一つ。壇波羅蜜のこと。布施には財施・法施等、種々の立て分けがある。
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供養
梵語(Pújanā)の訳で、供施、供給、また略して供ともいう。供給奉養の意で、報恩謝徳のために、仏法僧の三宝に、真心と種々の物をささげて回向することである。これに、財と法の二供養、色と心の供養、亊と理の供養、さらに三種、三業、四事、四種、五種、六種、十種等の別がある。財供養とは飲食や香華等の財物、浄財を供養すること。法供養とは、仏の所説のごとく正法を弘め、民衆救済のために命をささげることで、末法の時に適った法供養は三類の強敵・三障四魔を恐れず、勇敢に折伏に励むことである。色心の供養は、この財法の供養と同じである。三業供養とは天台大師の文句に説かれており、身業供養とは礼拝、口業供養とは称賛、意業供養とは相好を想念することとされる。事理供養とは、一往は昔の聖人たちが生命を投げ出して仏道修行した亊供養と凡夫の観心の法門による供養を理供養とする。白米一俵御書には「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すは・なに事ぞと委細にかんがへて候へば・観心の法門なり、観心の法門と申すは・なに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき・雪山童子の身を鬼にたびて候にも・あいをとらぬ功徳にて候へば・聖人の御ためには事供やう・凡夫のためには理くやう・止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」(1596)とある。なおこの供養について最も肝心なことは、正法に対するくようでなければならず、邪法への供養は堕地獄の業因となる。
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正法誹謗
正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。また、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
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恭敬
「きょうけい」とも読む。慎み敬うこと。五種の功徳の一つで、仏・菩薩が衆生を救うための振る舞い、説法などを慎み敬うこと。
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素懐
平素の所懐。もとよりの思い。
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本抄の結論として、浄土宗を捨てて法華経を信ずべきであると述べられている。
前章までに述べられたように、世間法からいえば専修念仏を行ずる者は、勅命に違背する者となっている。念仏停止は朝廷から出された命令であり、しかも、これを許された事実はない。心ある臣下・万民であるならば、だれが浄土宗に布施や供養をするだろうか、と仰せである。
しかも、本抄では前半で示されたように、仏法の上からいえば、念仏者は正法誹謗の罪人であり、無間地獄の業因を造る輩である。だれが念仏門を恭敬礼拝してよいだろうか、と仰せである。
このように、仏法上からも国法上からも邪法であることがはっきりしているにもかかわらず、大聖人御在世のころには、ほとんどの人がそれをしらされないまま、念仏宗は全国的に流布していたのである。
大聖人は、再度、釈尊在世の舎利弗や阿難が、浄土三部経に縁していながらそれを捨て、法華経を持って成仏したことを指摘されて、いま念仏にたぶらかされている日本の人々も、早く念仏を捨て、法華経を信じて成仏の本懐を遂げるべきである、と仰せられ、結ばれている。
仏法の上からいって専修念仏が謗法の邪教であることは仏教についての知識と理解力がなければならないが、国法上、念仏が禁止されたことは、もっと知られていて当然と思われる。
しかし、当時は、全国民に知らせる手段がなく、むしろ念仏を弘める者が増え、彼ら念仏者は、ひたすら、そうした宣旨が出された事実を隠し、逆に、念仏を宣伝したため、ほとんどの人がこの事実さえしらなかったのである。
そして、もっと悪いことには、やがては、念仏隆昌の機運に迎合して、法然の教えはすばらしいなどと讃める天台僧たちさえ出てくる。
佐渡御書には、叡山の山僧や三井寺の寺法師で佐渡に流されてきている人々が、法然上人の教えを「善哉善哉」と讃めているのに、それを大聖人が法然の主張は謗法だといっているのは納得できないと食ってかかった印性房のことが記されている。
仏法に無智な大衆を巻き込むことによって邪法を正当化していった念仏宗の巨大な流れの中にあって、ただ一人、正法を守り抜こうとされた大聖人の戦いが、いかに厳しいものであったかを私たちは知らなければならない。
0104~0110 当世念仏者無間地獄事top
0104:01~0105:02 第一章 念仏無間の一凶を挙げるtop
| 0104 当世念仏者無間地獄事 01 安房の国・長狭郡・東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす、文永元 02 年甲子九月二十二日。 -----― 安房の国長狭郡東条花房の郷・蓮華寺において、浄円房に対して日蓮阿闍梨がこれを記した。文永元年甲子九月二十二日。 -----― 03 問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり、 問うて云 04 く其の選択の意如何、 答えて曰く後鳥羽院の治天下・建仁年中に日本国に一の彗星出でたり 名けて源空法然と曰 05 う 選択一巻を記して六十余紙に及べり、 科段を十六に分つ第一段の意は 道綽禅師の安楽集に依つて聖道浄土の 06 名目を立つ、 其の聖道門とは浄土の三部経等を除いて自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日経・法華経・仁 07 王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目 阿弥陀仏より已外の諸仏・菩薩・朝家御帰依の真言等の八宗の名目之を 08 挙げて聖道門と名く、 此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も 末法に入つて之を行ぜん者は一人も生死を離る 09 可からずと云云、 又曇鸞法師の往生論註に依つて難易の二行を立つ 第二段の意は善導和尚の五部九巻の書に依つ 10 て正雑二行を立つ、 其の雑行とは道綽の聖道門の料簡の如し、 又此の雑行は末法に入つては往生を得る者の千中 11 に一も無きなり、下の十四段には或は聖道・難行・雑行をば小善根・随他意・有上功徳等と名け念仏等を以ては大善 12 根・随自意・無上功徳等と名けて、 念仏に対して末代の凡夫此れを捨てよ此の門を閉じよ之を閣けよ之を抛てよ等 13 の四字を以て之を制止す、 而て日本国中の無智の道俗を始めて大風に草木の従うが如く 皆此の義に随つて忽に法 14 華真言等に随喜の意を止め建立の思を廃す、 而る間人毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱え 或は毎日三万遍・ 15 六万遍・十万遍・四十八万遍・百万遍等唱る間 又他の善根も無く念仏堂を造ること稲麻竹葦の如く、結句は法華真 0105 01 言等の智者とおぼしき人人も皆 或は帰依を受けんが為に或は往生極楽の為に 皆本宗を捨てて念仏者と成り或は本 02 宗にして念仏の法門を仰げるなり。 -----― 問うて言う。当世の念仏者を無間地獄というが、その理由はどうか。 答えて言う。それは法然の選択集ついていっているのである。 問うて言う。その選択集の意はどういうものか。 答えて言う。後鳥羽院の治世の建仁年中に日本国に一つの彗星が出現した。名づけて源空法然という。選択集一巻を六十余紙に及んで記し、科段を十六に分け、その第一段の意は道綽禅師の安楽集によって聖道・浄土の名目を立てている。 その聖道門とは浄土の三部経等を除いた外の大小乗の一切経、特に朝廷が帰依されている大日経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目と、阿弥陀仏より以外の諸仏・菩薩に帰依する諸宗、特に朝廷が帰依する真言等の八宗の名目を挙げて、これらを聖道門と名づけている。そして、これらの諸経・諸仏・諸宗は正法・像法の機根にはあっていたが、末法に入ってこれらを行ずる者は一人も生死を離れて成仏することはできないといっている。また曇鸞法師の往生論註によって難行・易行の二行を立てわけている。 第二段の意は善導和尚の五部九巻の書によって正行・雑行の二行を立てている。その雑行というのは、道綽のいう聖道門の所見のとおりであり、またこの雑行は末法に入っては極楽往生を求めても、千人のうち一人も得られないとしている。 そのあとの十四段には、あるいは聖道門・難行道・雑行のことを小善根・随他意・有上功徳等と名づけ、念仏等をもって大善根・随自意・無上功徳等と名づけている。この念仏に対比して、末代の凡夫は、これを捨てよ、この門を閉じよ、これを閣け、これを抛てよ等の四字をもってこれを制止したのである。 こうして日本国中の無智の道俗をはじめとするあらゆる人が、大風に草木の従うように、この義にしたがって、たちまちに法華・真言等に対する随喜の意を止め、建立の思いを廃したのである。 そして、だれもかれもが平形の念珠をもって阿弥陀仏の名号を唱え、あるいは毎日三万遍・六万遍・十万遍・四十八万遍・百万遍等と唱えるようになり、他の善根はやめて、稲麻竹葦のように多くの念仏堂を造った。 このため、法華・真言等の智者とおぼしき人人も皆、あるいは帰依を受けるために、あるいは往生極楽のために、皆、もともとの自宗を捨てて念仏者となった。あるいは本宗はそのままにして念仏の法門を仰ぐようになったのである。 |
安房の国
千葉県南端部。房州ともいう。北は鋸山、清澄山を境として上総に接し、西は三浦半島に対して東京湾の外郭をなしている。養老2年(0718)上総国から平群、安房、長狭、朝夷の四郡が分かれ安房国となった。明治4年(1871)木更津県、同6年(1873)千葉県となり、現在に至っている。日蓮大聖人は、承久4年(1222)2月16日に安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市)の漁村に誕生された。
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東条花房の郷
安房の国長狭郡(千葉県鴨川市花房)にあった地名。
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蓮華寺
安房の国花房(千葉県鴨川市花房)にあった寺院。大聖人は建長5年(1253)立宗宣言後、東条景信から逃れ、一時、ここにとどまられた。文永元年(1264)11月、師の道善房とここで会見されている。
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浄円房
安房の国の蓮華寺に住んでいたと思われる僧。詳細不明。当世念仏者無間地獄抄に出てくる。
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阿闍梨
梵語アーチャールヤ(ācārya)の音写。聖者・尊者・教授・正行などと訳す。弟子を教え導く高徳の僧。後世になって職名・僧位として用いられた。
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念仏者
念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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法然
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
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選択
選択本願念仏集の略。上下二巻よりなる。選択本願念仏集解題によると、本書の選作については古来より二説があり、法然の弟子の作というものと、法然の作というものとがある。本書は当時、公卿の有力者であった九条兼実の依頼によって建久9年(1198)に選述し、浄土宗の教義を十六章段に分けて明かしている。その内容は、釈迦一代の仏教を聖道門と浄土門、難行道と易行道、雑行と正行とに分け、念仏以外の教えを捨てよ、閉じよ、閣け、抛てという破仏法の義を立てたゆえに、当時においてすら、並榎の定照の「弾選択」、栂尾の明恵の「摧邪輪」三巻、および「荘厳記」一巻をもって破折されている。
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後鳥羽院
(1180~1239)第82代後鳥羽天皇のこと。隠岐の法王とも呼ばれる。在位は1183~1198。高倉天皇の第四子。名は尊成。後白河法皇の死後親政を行い、1198年譲位後も、さらに土御門・順徳・仲恭の3代24年間、院政を行った。特に鎌倉幕府の圧力の排除に勤め、北面の武士のほかに西面の武士を置くなど、綱紀粛正、宮中の武力充実をはかった。承久3年(1219)年、将軍源頼朝の暗殺を見て、幕府の内紛を察し、倒幕の院宣をしだした。しかし幕府の結束は意外に固く、また、朝廷方は真言亡国の悪法に祈ったため、敗れて隠岐に流され、延応元年(1239)流罪地で没した。
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彗星
ホオキ星を典型的なものとする天体。微塵の集合である核と,それから発散するガス体が,太陽光線の放射圧と太陽風の影響で長く尾を引いているものが多い。質量と密度は通常きわめて小さい。この出現は大火や兵乱などの起こる悪い前兆とされている。
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道綽
(0562~0645)。中国の隋・唐時代の浄土教の祖師の一人。并州汶水(山西省太原)の人。姓は衛氏。14歳で出家し涅槃経を学ぶが、玄中寺で曇鸞の碑文を見て感じ浄土教に帰依した。曇鸞の教説を受け、釈尊の一大聖教を聖道門・浄土門に分け、法華経を含む聖道門を「未有一人得者」の教えであるとして排斥し、浄土門に帰すべきことを説いている。弟子に善導などがいる。著書に「安楽集」2巻等がある。
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安楽集
中国、唐代の道綽撰2巻。観無量寿経を解説し、仏教を聖)門と浄土門に分けて説いた最初のもの。末法の世には阿弥陀仏の本願を信じて極楽往生を願うべきと説く。
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浄土の三部経
念仏宗が依経としている三部の経典。無量寿経2巻・観無量寿経1巻・阿弥陀経1巻をいう。
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大小乗の一切経
釈尊が説いた大乗・小乗等の一切経のこと。
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朝家
帝王の家・皇室のこと。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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法華経
釈尊一代50年の説法のうちはじめの42年にわたって、華厳・阿含・方等・般若と方便の諸経を説き、最後の無量義経で「四十余年未顕真実」と爾前諸経を打ち破り「世尊法久後、要当説真実」と立てて後、8年間で説かれた真実の経。六訳三存。現存しない経。①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)。②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)。③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)。現存する経。④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)。⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)。⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。即ち①釈尊の法華経二十八品②天台の摩訶止観③大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経と区分する。
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仁王経
釈尊一代五時のうち盤若部の結経である。恌秦の鳩摩羅什(0334~0413)訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、唐の不空三蔵(0705~0774)訳の「仁王護国般若波羅蜜経」がある。羅什訳のほうが広く用いられている。この仁王経は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政道を行ずれば、三災七難が起こらず「万民豊楽、国土安穏」となると説かれている。このゆえに、法華経、金光明経とともに、護国の三部経として広く尊崇された。般若波羅蜜とは、菩薩行の六波羅蜜の一つであるが、般若とは智慧で、その実体は法華経文底秘沈の大法を信じ、以信代慧によって知恵を得ることである。末法においては、この三大秘法を受持して広宣流布することが般若波羅蜜を行ずることになる。法蓮抄には「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・ 小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・ 大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く『聖人去らん時は七難必ず起る』等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」とある。
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金光明経
釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。
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顕密の諸大乗経
顕教・密教を説いている種々の経典のこと。真言宗の教判で、大日の三部経を法身仏を説く密教の経典とし、それ以外の一切の経典を報身・応身仏である釈尊が衆生の機根に応じて説いた顕教の経典とするもの。
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阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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真言
真言宗のこと。三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗・真言陀羅尼宗ともいう。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法(空海)と相承して付法の八祖とし、大日・金剛薩埵を除き善無畏・一行の二師を加え伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経とし、両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。中国においては、善無畏三蔵が唐の開元4年(0716)にインドから渡り、大日経を訳し弘めたことから始まる。金剛智三蔵・不空三蔵を含めた三三蔵が中国における真言宗の祖といわれる。日本においては、弘法大師空海が入唐して真言密教を将来して開宗した。顕密二教判を立て、自宗を大日法身が自受法楽のために内証秘法の境界を説き示した真実の秘法である密教とし、他宗を応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。空海は十住心論のなかで、真言宗が最も勝れ、法華経はそれに比べて三重の劣であるとしている。空海の真言宗を東密(東寺の密教)といい、慈覚・智証によって天台宗に取り入れられた密教を台密という。
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八宗
日本において奈良時代にあった俱舎・成実・律・法相・三論・華厳の六宗に、平安時代初めに興った天台・真言の二宗を加えた八宗をいう。
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正像の機
正法時代と像法時代の機根のこと。
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末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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曇鸞
(0476~0542)中国念仏の開祖で、菩提瑠支から観無量寿経を授けられ、もっぱら念仏の修行を積んだ。並州の大寺、石壁の玄中寺等に住し、のちに平州の途山寺で、76歳で死んだ。浄土宗では七祖のうちの第三祖としている。「讃阿弥陀仏偈」などを著した。難行道うんぬんの文は「往生論註」の最初の文で、念仏を易行道、すなわち「修行し易き道」として薦め、他の権大乗教を「修行し難き道」と悪口し、排斥している。
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往生論註
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』に、曇鸞が註解を加えた書である。 一般には略して、『浄土論註』ともいう。またそれを略して、『論註』ともいう。「上巻」「下巻」の全2巻。
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難易の二行
「難易」は難行道と易行道のこと。「勝劣の二道」とは、勝れた道と劣った道。法然の邪義を破して本来の易行の勝道とは法華経である。守護国家論には「若し修し易きを以て易行と定めば法華経の五十展転の行は称名念仏より行じ易きこと百千万億倍なり」(0036-16)とある。
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善導
(0613~0681)。中国・初唐の人で、中国浄土教善導流の大成者。山東省・臨淄の人。一説に泗州(安徽省)の人ともいわれる。幼い時に出家し、経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土往生を志した。後、貞観年中に石壁の玄中寺(山西省)に赴いて道綽のもとで観無量寿経を学び、師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。往生礼讃の第四で「千中無一」と説き、念仏以外の雑行を修する者は、千人の中で一人も成仏しないとしている。著書には「観経疏」4巻、「往生礼讃」1巻等がある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。
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五部九巻の書(浄土宗の)
善導の著書。「観経疏」4巻・「往生礼讃」1巻・「般若讃」1巻・「法事讃」2巻・「観念法門」1巻。合計五部九巻となる。
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正雑二行
正とは一止不邪、雑とは穢悪交雑の義。善導の立てた邪義。善導は観無量寿経疏のなかで、「行に就きて信を立てるとは、然るに行に二種あり、一には正行、二には雑行なり」と修行を正行と雑行に分けている。
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料簡
思いめぐらし考えること。思索すること。
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往生を得る者の千中に一も無きなり
善導の立てた邪義。善導は往生礼讃偈に五種の正行以外の法華経・その他の経教の修行によって極楽往生できるものは、千人の中に一人もいないとしている。
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小善根
小さな善の果報を招き生ずる善因のこと。
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随他意
仏が衆生の機根や能力などに随って説法し、次第に真実の法門に誘因する方法。
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有上功徳
この上の有る功徳。法然の選択集で立てた邪義。念仏以外の諸教は聖道門・難行道・雑行で、これらを修する功徳は有上功徳であるが、念仏を修する功徳は無上功徳であるとしている。
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大善根
大善を生ずる修行のこと。
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随自意
随他意に対する語。仏の内証の悟りをそのまま説き示すをいう。権実相対する時は、権経は随他意、法華経は随自意、本迹相対する時は、迹門は随他意、本門は随自意、種脱相対する時は文上脱益の法華経は随他意、文底下種の南無妙法蓮華経は随自意となる。
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無上功徳
最高・最上の功徳のこと。
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道俗
出家と在家のこと。
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平形の念珠
珠を扁平な四角形にした念珠のこと。
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弥陀
阿弥陀如来の略。阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
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念仏堂
念仏を称える堂のこと。
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稲麻竹葦
稲・麻・竹・葦のことでたくさん集まっているさまをいう。
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往生極楽
阿弥陀仏の西方極楽世界に往き生まれること。阿弥陀経には「阿弥陀仏を説くを聞きて名号を執持すること(中略)是の人終わる時、心顚倒せず、即ち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得ん」とある。
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本抄は冒頭の端書きにあるように、文応元年(1260)月12日、大聖人が安房の蓮華寺で、浄円房に対して与えられたものである。本抄は御真筆が残っていないが、この端書にある年月日については、特に疑義はない。
文応元年(1260)といえば、前年の弘長3年(1263)伊豆流罪を赦免になられ、この年の秋に御母の病気のため安房に戻られた。そして11月11日、小松原で東条景信によって要撃され、眉間に傷を受け、左手を骨折される。いわゆる小松原の法難にあわれるのであるが、本抄御執筆はその2ヵ月前に当たっている。
東条景信は念仏の強信者で、清澄寺をはじめ天台真言の伝統が強かったこの地を強引に念仏化しようとしていた。恐らく、そうした動きの強まる中で、念仏を称える者は地獄に堕することを、法理の上から明確にするために本抄は執筆されたと拝される。
ただし、この端書きは後人によって付されたものではないかとの疑問を呈する学者もいる。その根拠は「日蓮阿闍梨」の記述である。
阿闍梨は高徳の僧をさすが、大聖人は白蓮阿闍梨日興・弁阿闍梨日昭・伊予阿闍梨日頂・佐渡阿闍梨日向といった六老僧や、大進阿闍梨など主だった弟子等に対しては用いられたが、御自身に対して用いられた例はない。
弟子の武蔵公円日や他宗の僧・行敏から大聖人に対して「日蓮阿闍梨」と呼ばれたことはあり、それらから類推して、後人によって付されたものではないかと考えられるのである。
本抄をいただいた浄円房は、「安房の国・長狭郡・東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して」とあるように、蓮華寺に縁故のある僧であったらしい。
清澄寺大衆中に「建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す」(0894-04)とあり、立宗宣言の場に居合わせたことが分かる。
これからすると、浄円房は道善房と関係が深かったことが考えられ、蓮華寺も、清澄寺の末寺にあった可能性がある。清澄寺の浄顕房や義浄房は大聖人の弟子となったが、浄円房も、弟子ではなかったものの、蓮華寺にいて大聖人に帰依の心を寄せていた僧であったかもしれない。
本抄御執筆の蓮華寺のある「花房」であるが、本抄には「東条」記されている。大聖人は本抄御執筆2ヵ月後の文永元年(1264)11月14日、すなわち小松原の法難のわずか3日後に、師の道善房と会われている。
善無畏三蔵抄には「本師道善御房の御恩なるべし。亀魚すら恩を報ずる事あり何に況や人倫をや、此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す、而るに此の人愚癡におはする上念仏者なり三悪道を免るべしとも見えず、而も又日蓮が教訓を用ふべき人にあらず、然れども文永元年十一月十四日・西条華房の僧坊にして見参に入りし」(0888-16)とある。ここでは「西条花房」となっている。
現在の花房は西条であるが、当時の花房が西条にあったのか、東条にあったのかは判然としない。
清澄寺は天台宗の寺院である。しかし、天台宗は慈覚・智証らにょって早くから密教化して台密となっていたうえ、念仏宗が急激にひろまっていたため、念仏にも毒されていた。
大聖人の師であり清澄寺の僧である道善房は念仏者であった。本抄御執筆の2ヶ月後に大聖人は道善房に会われ、「恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す」(0888-17)と、心中に帰依の心はあっても改宗できないでいる道善房を折伏され、旧師ではあるが「阿弥陀仏を五体まで作り奉る是れ又過去の宿習なるべし、此の科に依つて地獄に堕つべきや等云云、爾時に日蓮意に念はく別して中違ひまいらする事無けれども東条左衛門入道蓮智が事に依つて此の十余年の間は見奉らず但し中不和なるが如し、穏便の義を存じおだやかに申す事こそ礼儀なれとは思いしかども生死界の習ひ老少不定なり又二度見参の事・難かるべし、此の人の兄道義房義尚此の人に向つて無間地獄に堕つべき人と申して有りしが臨終思う様にも・ましまさざりけるやらん、此の人も又しかるべしと哀れに思いし故に思い切つて強強に」(0889-03)と言われたのである。
すでに道善房も高齢であり、大聖人とは再び会う機会はないであろうとのお気持ちから、あえて、このように厳しい内容であっても仏法の真実を伝えようとされたのであろう。
問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり
まず初めに、大聖人が念仏者は無間地獄に堕すと言われているその根拠は、法然の選択集の邪義にあると仰せられている。これは立正安国論でも「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(0024-03)と叫ばれているとおりである。
そして、具体的に選択集の要旨を取り上げて無間地獄の因たる法華誹謗の邪義である所以を明かされるのである。ここで、法然のいう「彗星」が出現し、選択集を著したと言われている。「彗星のごとく出現する」といえば、現代ではよい語感で捉えられているが、本抄での意味は、凶事をもたらす存在としての彗星である。
古来、中国・日本では彗星は妖星とされてきた。仁王経には、七難を示すなかに「二十八宿度を失い金星・彗星・輪星・鬼星・火星・ 水星・風星・刀星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星・是くの如き諸星各各変現するを二の難と為すなり」(0019-14)とある。当時は、太陽系を一定の周期をもって回っている惑星の一種であるという知識がなく、突如姿を現し、長い光の尾を出す彗星は不吉な現象として人々から恐れられたのである。
なお、法然の時代を「建仁年中」とされているが、建仁は元年~3年までしかなく、しかも法然はこの時、70歳という晩年であり、選択集を著した後のことである。にもかかわらず、立正安国論や開目抄等にも、法然を後鳥羽院の御宇・建仁年中の者として紹介しているのは、後鳥羽院が承久の変で敗れ、隠岐島へ流されて不幸な生涯を終えたこと、後鳥羽院の治世に念仏が流行したことから、その代表的な年号として建仁年中を挙げられたと拝される。
さて、法然は、自ら立てた専修念仏の教義をまとめた書として、選択集を著した。大聖人はここで選択集の要点として
①「道綽禅師の安楽集に依って聖道浄土の名目を立つ」
②「曇鸞法師の往生論註に依って難易の二行を立つ」
③「善導和尚の五部九巻の書に依って正雑二行をたつ」
を挙げられている。「聖道浄土の名目を立つ」「難易の二行を立つ」「正雑の二行を立つ」と言われているが、いずれも、法然が独自に立てた教理ではなく、それぞれ道綽・曇鸞・善導が立てたものであり、それを法然は増幅して、法華経を含む一切経を聖道門・難行・雑行として排斥する根拠としたのである。
なお、選択集の内容について若干触れるならば、本抄にお示しのように、選択集は16の章に分かれている。
その16章のうち第1章の「道綽禅師、聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文」では、道綽の安楽集をもとに聖道門と浄土門について述べている。またこれに関連して曇鸞の難行道・易行道についても触れており、難行道とは道綽の聖道門、易行道とは浄土門にあたるとしている。本抄で「浄土の三部経等を除いて自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日、経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目阿弥陀仏より已外の諸仏・菩薩・朝家御帰依の真言等の八宗の名目之を挙げて聖道門と名く、此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も末法に入つて之を行ぜん者は一人も生死を離る可らず」と法然の主張する要旨を挙げられておられるが、選択集でこの部分に相当するのは「聖道門とは…真言、仏心、天台、華厳、三論、法相、地論、摂論、これ等の八宗の意、正しくこれにあたれり」がそれである。
安楽集は道綽が浄土の三部経の一つ、観無量寿経を解釈して展開したものであるが、聖道門と浄土門については、一切衆生が生死を払うには2つの勝れた法があり「一には謂く聖道、二には謂く往生浄土」とした後、「その聖道の一種は、今時、証し難し。一には大聖を去ること遥なるによる。二には理は深く解は微なるによる」と聖道門は無益であるとしている。その依文として、大集月蔵経に「我が末法の時の中に、億々の衆生、行を起こし道を修せんに、末だ一人も得る者有らじ。当行は末法、現に是れ五濁悪世なり、ただ浄土の一門のみあって通入すべき道なり」とあるとしている。ただし、現存の大集月蔵経にはこの文はないのである。しかも、法然は選択集で、聖道門には大乗・小乗があり、このうち大乗とは顕大乗・権大乗があるが、密大乗および実大乗もこれに準じ含まれる、と拡大解釈したのである。
すなわち安楽集では、聖道門として特に法華経や真言を挙げているわけではないのに、法然はそれらも含めるべきであると主張したのである。
しかし、法然も認めているように、聖道門とは「歴劫迂回の行」であり、直達正観、即身成仏を説いている法華経をこれに入れるべきでないのは当然である。少なくとも法華経がそうであるか否かを検討してから聖道門に入れるかどうかを決定すべきであった。
天台僧として天台60巻を修得したと豪語した法然が法華経の即身成仏を知らないわけはない。しかるに、法華宗等の八宗の名を挙げて聖道門と決めつけているのは、故意に法華経を誹謗したといわなければならない。
第二の「然導和尚、正雑二行を立てて、しかも雑行を捨てて正行に帰するの文」では、法然が四帖疏や往生礼讃等の文を引用して、雑行を捨てるべきことを主張している部分である。本抄で要約されている「此の雑行は末法に入っては往生を得る者の千中に一も無きなり」との念仏の主張は、善導の往生礼讃に「意を専らにして作さしむる者は、十は即ち十生ず。雑を修して至心ならざる者は、千が中に一もなし」とあり、これを法然が選択集を引いて「いよいよ須らく雑を捨てて専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや」と述べているところに当たる。
以上が選択集16章の初めの2章の要点で、そのあと14段で「或は聖道・難行・雑行をば小善根・随他意・有上功徳等と名け念仏等を以ては大善根・随自意・無上功徳等と名け」などとして浄土三部経以外をけなし、専修念仏以外の一切経は無益であるとしているのである。
「小善根」とは阿弥陀経に「少善根福徳の因縁をもって彼の国に生ずることを得べからず。舎利弗、若し善男子、若しは四日、若しは五日、若しは六日、若しは七日、一心不乱ならば、その人命終の時に臨んで阿弥陀仏、諸の聖衆とともにその前に現在す」とあり、これを法然は選択集で「小善根とは、多善根に対する言なり、然れば則ち雑然はこれ少善根なり、念仏は多善根なり」としているのがそれである。また、随他意については選択集で「当に知るべし、隋他の前には暫く定散の文を開くと雖も、随自の後には還って定散の門を閉づ、一たび開いて後、永く閉じざるは唯これ念仏の一門なり」と述べ、念仏のみが随自の後も永く開かれた唯一のもんであるとしている。
更に「有上功徳」は無量寿経に「仏、弥勒に告げたまわく。それ彼の仏の名号を聞くことあって、歓喜勇躍して乃至一念せんに、当に知るべし、此の人は大利を得たりとなす。即ちこれ無上の功徳をぐそくす」とあり、これを選択集で無上の功徳とは、これ有上に対する言なり、余行をもって有上とし、念仏をもって無上とす」と釈し、念仏以外は有上の功徳で、低いとけなしているのである。
これらはいずれも、もとの経文を見れば分かるように、念仏とそれ以外の教えの優劣を立て分けて言われたものではない。しかるに法然は、ただ言葉だけを持ってきて、あたかも念仏とそれ以外の優劣が仏説であるかのように歪曲したのである。
ところが人間は、言葉の操作によって、単純にその結論を鵜呑みにする傾向があり、当時の日本国中の人々も、こうした選択集の邪義によって躍らされ「皆此の義に随って忽ちに法華真言等の随喜の意を止め建立の思を廃す」ようになってしまったのである。
中国浄土三部経の三人は、浄土の教えを勧めはしたが、法然のように、それ以外のものは捨てよ、閉じよ、閣け、抛てといった説き方はしなかった。
法然の義が悪義であるのは、法華等に対する随喜の意を止めさせ、その信仰を捨てさせたことにあり、この「正法誹謗」に念仏謗法たる所以、一国謗法化の元凶たる所以がある。大聖人が念仏無間の教えであると弾呵されたのは、理由もなくレッテルを貼られたのではなく、法然の選択集の言い分を厳密に破折されたまでのことなのである。
この法然の邪教がはじめ、まず仏法に無智な“道俗”に広まり、それに伴って、ある程度、仏法の知識をもっている“智者とおぼしき人々”つまり天台宗などの僧たちも、これまでの法華真言では参詣に来る人がいなくなったので、法然を讃めるようなことを言うようになっていったのである。
0105:03~0105:06 第二章 念仏者の臨終の悪相を指弾するtop
| 03 今云く日本国中の四衆の人人は形は異り替ると雖も 意根は皆一法を行じて悉く西方の往生を期す、仏法繁昌の 04 国と見えたる処に 一の大なる疑を発する事は念仏宗の亀鏡と仰ぐ可き智者達・念仏宗の大檀那と為る 大名・小名 05 並びに有徳の者多分は 臨終思う如くならざるの由之を聞き之を見る、 而るに善導和尚・十即十生と定め十遍乃至 06 一生の間・念仏者は一人も漏れず往生を遂ぐ可しと見えたり人の臨終と善導の釈とは水火なり。 -----― 今日蓮がいう。日本国中の四衆の人々は形は異なり違うといっても、その意根は皆一法を行じてことごとく西方の極楽往生を期している。仏法興隆の国と見えるところに一つの大なる疑いを起こすことは、念仏宗の亀鏡と仰ぐべき智者たち、念仏宗の大檀那となっている 大名・小名たち、並びに有徳の者くが臨終が思ったとおりでないということを聞き、それを見たことである。しかるに善導和尚は十即十生と定めて、十遍または一生の間、念仏を称えた者は一人も漏れず往生を遂げるとしているが、これらの人の臨終と善導の解釈とは水火の違いである。 |
四衆
比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。
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念仏宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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亀鏡
①亀鑑と同じ。亀の甲は吉凶を占うために用いられ、鏡はものの姿を映すもので、合わせて模範・手本の意味となる。昔、中国では、亀の甲を焼いて、その割れ方によって吉凶を占ったことから、「鏡」は物事を照らして是非をわきまえることから、手本を意味する。仏の経文を指して、このようにいう。②一切の規範の根本は仏説であるから、仏の教え、仏意に反しない人師・論師の教説。
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大名・小名
名主の区分。名主とは平安時代中期ごろから荘園の名田を保有し、大役や年貢を負担した農民の称で、広い支配地域を持っていた領主を大名といい、比較的小さな名田を保有する者を小名といった。
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有徳の者
徳行が優れた人。富み栄えた人。
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十即十生
善導の往生礼讃の文。阿弥陀仏を念じ、その名号を称えれば、10人が10人、100人が100人とも往生できるとしている。これは邪義である。
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このように、日本国中の人々が皆、念仏を行じているにもかかわらず、まことに奇怪なことがあると仰せられている。それは、念仏信仰の模範となるべき人師たちや、それを支える檀那たちのほとんどが思わしくない臨終を迎えていることであり、善導が10人が10人、すべて極楽往生できるとしているのに、これらの人々の臨終の実態と善導の説くところが、あまりにもかけ離れていることである、と指摘されている。
これは後に、「悪瘡等の諸の重病並に臨終の狂乱」と言われているような、醜い臨終の姿を念仏者が示しており、それも「善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等」といった高名な「念仏の長者」がそうであって、その実態は善導の教えとは正反対であると言われている。
なお「十遍乃至一生の間・念仏者は一人も漏れず往生を遂ぐ可し」の文について補足するならば、無量寿経には法蔵比丘の48願が説かれ、その18願に「設い我仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せん。若し生ぜずば正覚を取らじ。唯、五逆と正法を誹謗するとを除く」と、十念によって往生すと説いている。
ところで、観無量寿経では九品の往生を説くなか、最低の下品下生の者について「此くの如き愚人、命終の時に臨んで、善知識の種種に安慰して、為に妙法を説き教えて念仏せしむるに遇えり、彼の人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友告げて言く『汝、若し彼の仏を念ずること能わずば、まさに帰命無量寿仏と称うべし』と。是くの如く至心の声をして絶えざらしめ、十念を具足して南無阿弥陀仏と称う…一年の頃のごとき即ち極楽世界に往生することを得」と述べ、仏を念ずるのを仏の名を称えるをもって代えている。
善導はこれを承けて、その著・観念法門のなかで「無量義経の四十八願の中に説くが如き、仏の言く『若し我、成仏せんに、十方の衆生、我が国に生ぜんと願じて我が名字を称せんこと十声に下至せんに、我が願力に乗じて若し生ぜずんば正覚を取らじ』と」と、無量義経には十念すれば浄土往生あるところを、十声すれば浄土往生すると説いている、と読み替えて、十遍でも念仏を称えた人は極楽浄土へ往生できると説いたのである。
0105:07~0105:16 第三章 狂乱往生の曲解を詰問するtop
| 07 爰に念仏者会して云く往生に四つ有り、一には意念往生・般舟三昧経に出でたり、二には正念往生・阿弥陀経に 08 出でたり、三には無記往生・群疑論に出でたり、 四には狂乱往生・観経の下品下生に出でたり、詰つて曰く此の中 09 の意・正の二は且く之を置く 無記往生は何れの経論に依つて懐感禅師・之を書けるや、経論に之無くば信用取り難 10 し、 第四の狂乱往生とは引証は観経の下品下生の文なり、 第一に悪人臨終の時妙法を覚れる善知識に値つて覚る 11 所の諸法実相を説かしめて之を聞く者 正念存し難く十悪・五逆・具諸不善の苦に逼め被れて覚ることを得ざれば善 12 知識実相の初門と為る故に 称名して阿弥陀仏を念ぜよと云うに音を揚げて唱え了んぬ、 此れは苦痛に堪え難くし 13 て正念を失う狂乱の者に非るか 狂乱の者争か十念を唱う可き、 例せば正念往生の所摂なり全く狂乱の往生には例 14 す可からず、 而るに汝等が本師と仰ぐ所の善導和尚は此の文を受けて 転教口称とは云えども 狂乱往生とは云わ 15 ず、其の上汝等が昼夜十二時に祈る所の願文に云く 願くは弟子等命終の時に臨んで心顛倒せず心錯乱せず 心失念 16 せず身心諸の苦痛無く身心快楽禅定に入るが如し等云云、 此の中に錯乱とは狂乱か -----― そこで念仏者が会釈していう。往生には四種ある。一には意念往生で般舟三昧経に出でいる。二には正念往生で阿弥陀経に出ている。三には無記往生で群疑論に出ている。四には狂乱往生で観経の下品下生に出ている。 詰っていう。このなかの意念・正念の二つはしばらく置いて、無記往生はいずれの経論によって懐感禅師がこれを書いたのか。経論によらないのであれば、信用しがたい。 第四の狂乱往生とは、その引証は観無量寿経の下品下生の文である。 第一に悪人が臨終の時に妙法を覚った善知識に値って、その覚るところの諸法実相を説いてもらっても、これを聞く者は正念しがたく、十悪・五逆もろもろの不善を具して苦に責められて覚ることができない。それで善知識は実相の初門となるゆえに、称名して阿弥陀仏を念ぜよといったので、音をあげて唱えたのである。 これは苦痛に堪え難くして正念を失ったのであり、狂乱の者ではない。狂乱の者がどうして十念して唱えられよいか。これは例えば正念往生に含まれ、全く狂乱の往生には例すべきではない。しかるに、汝等が本師と仰ぐところの善導和尚は、この文を受けて転教口称とはいっても、狂乱往生とはいっていない。そのうえ汝等が昼夜十二時に祈るところの願文には、願わくば弟子たちが命終の時に臨んで心が顛倒せず、心が錯乱せず、心が失念せず、身心がもろもろの苦痛なく、身心が快楽にして禅定に入るようである等とある。このなかにある錯乱とは狂乱と同じであろう。 |
往生に四つ有り
臨終の相によって往生するものを四種に分けた。安心決定鈔末等に説かれる。正念仏往生・狂乱往生・無記往生・意念往生をいう。
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意念往生
信決定の上からは臨終に名号を称えることが出来なくとも浄土を思い浄土へ往生する意を持つだけで往生を得るとされる。
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般舟三昧経
3巻。中国・後漢代の支婁迦讖訳「十方現在仏悉在前立定経」ともいう。16品からなり、仏が賢護菩薩に対して、般若三昧を行ずることによって阿弥陀仏をはじめ諸仏を見ることができると説いている。漢訳大乗経典の中、最も初期に成立したもので、阿弥陀仏を説く最古の文献とされる。
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正念往生
『阿弥陀経』に説かれる、この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得とあり、来迎によって臨終正念に住して往生することをいう。
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阿弥陀経
鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。
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無記往生
信の上からは臨終時に何にも訳が分からなくなってしまっても往生するということ。
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群疑論
7巻。唐の懐感著。懐感は本書を完成させるまえに没したため、同門の懐惲がこれを完成した。12編116章からなる。 阿弥陀仏の身土をはじめ、往生の行因などが説かれている。
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狂乱往生
この人、苦に逼められて念仏するに遑あらずのような往生をいう。
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観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
―――
懐感禅師
中国唐朝の浄土宗の僧。長安の千福寺にいて精進し道を求めたが、満足せず、善導に会うに及んで、ただひたすらに念仏を唱えれば、必ず証験があると信じ、3週間道場にこもった。しかし、なんの霊験もなかったので、さらに3年間修行し、ついに念仏三昧を証得したと称した。「群疑論」(「釈浄土群疑論」)の著者である。法然は「類聚浄土五祖伝」等で、浄土五祖(曇鸞・道綽・善導・懐感・少康)の1人とした。
―――
善知識
善友と同意。正法を教え、ともに修行し、また正法を持ちきるよう守ってくれる人。
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諸法実相
諸法はそのまま実相であるということ。法界三千のいっさいの本然の姿は、妙法蓮華経の当体であるということ。諸法実相の仏とは、十界互具・一念三千の仏のことであり、三十二相をそなえた色相荘厳の仏ではなく、凡夫そのまま、ありのままの仏である。諸法実相抄には「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」(1358-01)「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(1359-03)とある。
―――
十悪
十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。
―――
五逆
五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。
―――
十念
①増一阿含経に説かれる十種の念、念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天・念休息・念安般・念身・念死。②光讃般若経に説かれる十念。③無量寿経・観無量寿経等浄土宗所立の十念。(諸説あり)④その他の経にも種々の十念あり。
―――
転教口称
観無量寿経の釈。善導の観経散善義の文。観無量寿経には「ある善人が罪人に念仏を教えたが、その罪人が死苦に責められて正しく念ずることができないことを知って教えを転じ、口で念仏を称えることだけをすすめた」とある。善導はこの文を転教口称と訳した。
―――
禅定
心を一処に定めて散乱させず、煩悩を断って深く思惟する境地に入ること。戒・定・慧の三学のひとつ。また六波羅蜜の一つ。禅定を得るために結跏趺坐することが最も安定した坐法として用いられている。
―――――――――
さて、善導等の説くところと、現実の死相が異なるのではないかとの批判に対し、念仏者は四種の往生を説いて意義づけようとする。それが「意念往生」「正念往生」「無記往生」「狂乱往生」である。浄土宗の説くところによると、意念往生とは、声を出さず、ただ意に念ずることによって往生すること、正念往生とは、臨終の時に、正念を持って往生すること、無記往生とは、臨終の時に宿業により無記になっても、平常時の念仏の功徳によって往生すること、狂乱往生とは極悪の者が臨終に狂乱しても、善知識にあって一声・十声の念仏を称えて往生することである。往生にこの四種があるとして挙げているのは、第四の狂乱往生に元意があり、たとえ正念を失って狂乱の臨終の姿であっても、念仏を称えることによって往生しているのだと弁明しているのである。
一の意念往生は称名ではなく念ずることによって往生することを説いているのであるが、般舟三昧経には「阿弥陀仏・是の菩薩に語って言く『来たって我が国に生ぜんと欲せば、常に我を念ずること数数にして、常に当に念を守って休息有ることなかるべし。是の如くせば、来たって我が国に生ずることを得ん』。仏の言く。是の菩薩、是の念仏を用うるが故に、当に阿弥陀仏の国に生ずることを得べし」とある。
二の正念往生は阿弥陀経に依っている。同経には「善男子善女人有って、阿弥陀仏を説くを聞いて名号を執持すること…一心みだれずば、其の人、命終の時に臨んで、阿弥陀仏、諸の聖衆とともに現に其の前に在す。是の人、終わる時、心顛倒せず。即ち阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを得ん」とあり、正しく名号を持ち、一心が乱れなければ、臨終の時に阿弥陀が来迎し、浄土に往生できると説いているのである。
三の無記往生は懷感の群疑論にある。「一には修福の後、多日末だ死せず、其の人、更に重罪を造らず、時として諸の無記心を起こすは、此の心は善悪の報を招くこと能わず。故に前の念仏に乗じて即ち往生を得べし」とある。
これは“観無量寿経に九品往生を示すなかの下品下生の者は、命終の時に善知識に遭い、一声・十声して往生すると説くが、もしその時に死なず、日時を経て命終を迎えた時、再び念仏して往生するのか、念仏しないで往生するのか”という疑問に対して答えたものである。
つまり、それには二種類の人がおり、以後、重罪を造らなければ、臨終の時に無記になっても生前の念仏によって往生するが、臨終までの間にまた重罪を犯した者は浄土に生じないと答えている。その前者が無記往生である。ただ、この無記往生は、大聖人が本抄に仰せのごとく、経典に依って立てたものではない。群疑論をみても、経典を引いて説くことはしていない。ただ、観無量寿経の下品下生の文を敷衍しているだけである。
四の訖狂乱往生は、観無量寿経の九品往生のうち下品下生の者についての文にある。大聖人は本抄で観無量寿経の下品下生の趣旨を挙げられているが、詳しくは次のようにある。
「下品下生の者とは、或いは衆生あって不善の業たる五逆十悪を作って諸の不善を具す。かくの如き愚人、悪業を以てのゆえに、まさに悪道に堕して多劫を経歴して苦を受けること窮まりなかるべし。此くの如き愚人、命終の時に臨んで、善知識の種種に安慰して、為に妙法を説いて念仏せしめるに遇えり、此の人、苦に逼むられて念仏するに遑あらず。善友つげて言わく『汝もし念ずることあたわずば、まさに無量寿仏と称す。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終のとき金蓮華の、猶、日輪のごとくなるが其の人の前に住せるを見る。一念の頃のごとき即ち極楽世界に往生することを得』
このなかの「苦に逼められて念仏するに遑あらず」が「狂乱」であり、そうした者でも仏名を称すれば往生するというのが狂乱往生である。
大聖人は、この四種往生、特に狂乱往生という言い分に対し破折しているのであるが、まず、四種往生のうち無記往生が、群疑論という人師の説によってることに対し、それは経典の裏付けがあるのかと訊され、経文のない説は信ずるに値しないと断じられている。
次に狂乱往生を取り上げられる。ただし、観無量寿経の下品下生の者というのは、善知識に諸法実相を説いてもらっても十悪・五逆などの苦しみのために覚られないので初門として勧められた念仏を声をあげて称えるをいうのである。
観無量寿経でいっているのは、この苦痛に耐えられなくて正念が行じられない者のことであって「狂乱の者」ではない。「狂乱の者」が十念を唱える道理がなく、もし唱えたら「正念」の中に入るはずでないか、と言われている。善導自身、この観無量寿経の文を承けて言っているのは「転教口称」ということで「狂乱往生」などとは言っていないと指摘されている。
善導は観無量寿経の下品下生の文を釈して「転教口称」としているのであり、これは、善友が下品下生の者に仏を念ずることを勧めたが、苦に責められて念ずることができないので、「教えを転じて」、その者に「口で称える」ことを勧めたというわけである。善導が「狂乱」などと言っていないのに、この文によって狂乱往生というのは、」善導の教えに背いていることになるとの御指摘である。
更に、念仏者が常に願っている願文には、錯乱しないことを願っている。この錯乱しないとは狂乱しないことではないか、と詰問されている。もしそうであるならば、狂乱があって往生できないことを示しており、自語相違となるのである。
0105:16~0106:04 第四章 念仏の往生こそ千中無一と破すtop
| 16 而るに十悪五逆を作らざる当 17 世の念仏の上人達並に大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病並に臨終の狂乱は 意を得ざる事なり、 而るに善導和 18 尚の十即十生と定め又定得往生等の釈の如きは 疑無きの処に十人に九人往生すと雖も 一人往生せざれば猶不審発 0106 01 る可し,何に況や念仏宗の長者為る善慧・隆観・聖光・薩生.南無・真光等・皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して 02 死するの由之を聞き又之を知る、 其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず、 善導和尚の定むる所の十即十 03 生は闕けて 嫌える所の千中無一と成んぬ、 千中無一と定められし法華・真言の行者は粗ぼ臨終の正念なる由之を 04 聞けり、 -----― ところが、十悪・五逆を犯さない当世の念仏宗の上人たち並びに大檀那等が臨終の時に悪瘡等のもろもろの悪重病を発し、また臨終に狂乱に陥っている。これは理解しがたいことである。 ところで善導和尚が十即十生と定め、また「定めて往生を得ん」等と釈しているのは確かであるから、十人の中に九人往生して一人往生できなければ、なお不審が起こって当然である。ましてや念仏宗の長者たる善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等は、皆悪瘡等の重病をうけて、臨終には狂乱して死んだとのことを聞き、また知った。 それ以下の念仏者で臨終に狂乱した人は数えきれない。善導和尚が定めた十即十生は崩れてしまい、むしろ善導が嫌った千中無一となったのである。千中無一と定めた法華・真言の行者は、ほぼ臨終の正念である由を聞いている。 |
定得往生
「定めて往生を得ん」と読む。善導の観念法門に説かれている文。阿弥陀仏を深く信し、称名念仏を行ずる者は、必ずや往生することができるとの意。
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善慧
(1177~1247)は、西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の西山三派の祖。法然の高弟であり、はじめ解脱房、諱は証空。諡号は弥天、鑑知国師。
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隆観
(1148~1227)浄土宗長楽寺流の祖、竜寛とも書く。藤原資隆の子で、はじめ天台宗慧心流を学んだが、法然の弟子となって洛東の長楽寺に住した。安貞元年(1227)比叡山の定照が「弾選択」を著したのに対し「顯選択」を著して応戦した。しかし、そのため法然の墓をあばかれる因となり、彼自身も対馬に流罪が決定した。80歳没。
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聖光
(1162~1238)平安時代後期から鎌倉時代にかけての浄土宗の僧。父は古川則茂。諱は弁長。
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薩生
はじめは天台を学んだが、成覚房幸西に従って専修念仏帰依した。証空から西山派の修行を教わり、鎌倉に出て独自の宗派を作った。生没年不詳
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南無
鎌倉時代の浄土宗の僧。鎌倉長楽寺の開山。諱は智慶。初め天台学を学んでいたが浄土宗に帰依し隆寛の弟子となった。のちに鎌倉に帰り長楽寺を創建した。
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真光
念仏宗の僧。そのほかの詳細は不明。
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千中無一
浄土三部経以外の経教による修行では極楽浄土に往生できるものは、千人のなかに一人もいないとする浄土宗の邪義。
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このように、念仏では本来、極楽往生を約束しているにもかかわらず、念仏宗の重鎮である人々が、多く「悪瘡等の諸の悪重病」にかかり、狂乱しつつ死んでいることは、広く知られるところであり、それ以外の念仏者に至っては、「臨終の狂乱其の数を知らず」という有り様で、善導の「十即十生」は、この現証からも全く嘘であることが明らかである、と言われている。
本抄に引かれている「善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光」について、その臨終がどうであったか、今日ではつまびらかでないが、当時は、彼らの臨終の狂乱の話が世上に流布していたのであろう。なお念仏者臨終現悪相御書に次のような一節がある。
「法然が一類の一向の念仏者法然・隆観・上光・善恵・南無・薩生等或は七日・二七日、無記にて死ぬ者もあり、或は悪瘡、或は血をはき、或は遍身にあつきあせをながし、総じて法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし」(創価学会版御書全集には編纂されていない)
念仏の上人たち並びに大檀那について「十悪五逆を作らざる」と形容されているのは、もちろん、前章にあるように観無量寿経に説く九品往生の最下・下品下生とは十悪五逆を犯した者の場合であるのに対して言われている。それらの重罪を犯した下品下生の者でさえ“狂乱せずに”臨終を迎えると説かれているのに、そうした十悪五逆を犯していないはずの彼らが、極楽往生の行である念仏を修しながら、臨終に狂乱しているのは、まことに「意を得ざる事」であると辛辣に言われている。
善導は往生礼讃偈で十即十生と述べ、また観念法門では「定めて往生を得ん」と、明確に説いている。したがって、10人中9人が往生して1人だけ往生しなかったとしても、不審が残ることであるのに、多くの「念仏者の長者」がいずれも狂乱して死んでいるのは、まことにおかしなことである、と仰せられている。
ここで「十人に九人往生すと雖も一人往生せざれば猶不審発る可し」と仰せられているのは重要なことである。そもそも「このように実践すれば、いかなる罪業の人も往生、あるいは成仏できる」と約束しているのであるから、それは100%でなくてはならない。10%でも、そのとおりにならない人が出たとすれば、その救済の約束は崩れて、信じる価値はなくなる。なぜなら、もしかしたらじぶんはその10%に入っているかもしれないという不安につきまとわれるからである。まして、多くの念仏者が狂乱して臨終を迎えているという事実だけをみても、もはや念仏の極楽往生の説が邪教であることが分かるのである。大聖人は十即十生どころか、念仏者の排斥している聖道門の「千中無一」に、念仏こそが陥っていると、痛烈に破折されている。逆に「千中無一」であるはずの法華経等の行者が「粗ぼ臨終の正念なる」であると、皮肉たっぷりに言われているのである。なお、ここで「法華・真言の行者」と真言も含めて臨終が正念であると言われているのは、後に真言を大悪法と言われていることからすると矛盾するようであるが、法然が「法華・真言等の名を挙げて捨閉閣抛せよと説いたことに対して言われたのであり、同時に、ここでは念仏の破折を表としておられるために、真言の悪法である点については言及されなかったのである。
0106:04~0106:08 第五章 念仏の義と現証の相違を責めるtop
| 04 念仏の法門に於ては正像末の中には末法に殊に流布す可し、利根・鈍根・善人・悪人・持戒破戒等の中には 05 鈍根・悪人・破戒等殊に往生す可しと見えたり、 故に道綽禅師は唯有浄土一門と書かれ、善導和尚は十即十生と定 06 め往生要集には濁世末代の目足と云えり、 念仏は時機已に叶えり行ぜん者空しかる可からざるの処に 是くの如き 07 の相違は大なる疑なり、 若し之に依つて本願を疑わば仏説を疑うに成んぬ 進退惟谷れり此の疑を以て念仏宗の先 08 達並びに聖道の先達に之を尋るに一人として答うる人之れ無し、 -----― 念仏の法門は、正・像・末の中では特に末法に流布すべきであり、利根・鈍根・善人・悪人・持戒破戒等の中では鈍根・悪人・破戒等の人々が特に往生することができると説かれている。それゆえに道綽禅師は「唯浄土の一門のみ有り」と書かれ、善導和尚は「十は即ち十生ず」と定め、往生要集には「濁世末代の目であり足である」といっているのである。 とすれば、念仏は時機にすでにかなっており、行じる者はその願いどおりになるはずだのに、このような相違は大いなる疑いである。もしこれによって本願を疑えば仏説を疑うことになり、進退きわまるのである。この疑いを念仏宗の先達並びに聖道の先達にたずねたが、一人としてこれに答えるものはいなかった。 |
正像末
仏滅後の時代を三時に区切って正法・像法・末法という。正法とは仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。像法とは次第に仏教が形式化し、正しい教えが失われていく時代。末法とは、衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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利根
利は鋭利、根は信根不疑等の五根、あるいは眼等の五根である。鈍根に対する語。能力の鋭利なものをいう。
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鈍根
鈍い機根の意で、仏法を受容する理解力の鈍いこと。機根が劣っていて、仏道修行する力が乏しいものをいう。
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持戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
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破戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
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唯有浄土一門
中国・浄土宗の祖師の一人である道綽が安楽集に述べた語。「大集月蔵経に云く『我が末法時中の億億の衆生は行起こし道を修せんに、末だ一人も得る者有らず』」とある。
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往生要集
比叡山中、横川の恵心院に隠遁していた慧心が、寛和元年(0985)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる邪義。
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濁世末代の目足
往生要集に「夫れ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者有らん」とある。目足とは「教」を目に、「行」を足にたとえた。教行が具足したところに極楽浄土することができるとしている。
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「念仏の法門に於ては」から「濁世末代の目足」までは念仏宗の主張をそのまま示されている部分で、それを承けて、もしそうであるならば、末法の人は念仏によって見事往生するはずなのに、そうはなっていない。この矛盾に答えられる念仏僧もいない、と指摘されている。
念仏では、正像末のなかでは末法こそ念仏が流布する時である。衆生に、機根の勝れた者・劣った者、善人・悪人、戒律を受持する者・破る者、と種々あるなかで、特に機根の劣った者、悪人、戒律を破る者が称名念仏によって浄土に往生できるからである。それゆえに道綽禅師は「唯浄土の一門のみ有り」とかかれており、善導和尚は「十は即ち十生ず」と定められ、源信僧都は「往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり」と言われたのである、と説いている。
道綽の言は安楽集で述べているもので、自らの時代を既に“末法”ととらえ、ただ浄土の一門のみが通入すべき道である、と浄土を勧めている。善導の十即十生の文は既に解説したとおり、雑行・雑修を捨てて念仏の修行が末法における目すなわち教であり、足すなわち行であると述べている。
この往生要集を著した慧心僧都は平安中期の天台宗の学僧で第18代の座主・良源の弟子である。極楽往生に関する経論を集めた往生要集は、浄土教における初の組織的著述とされる。ただし源信は念仏宗を目指したのはなく、この書では念仏による往生を勧めたものの、後に一乗要決を著し、「自宗他宗の偏党を捨て、専ら権智実智の深奥を探るに、遂に一乗は真実の理にして五乗は方便の説なることを得たり」と述べ法華経の一乗思想を強調している。
大聖人はこの往生要集と一乗要決の関係について、守護国家論で「源信僧都は永観二年甲申の冬十一月往生要集を造り寛弘二年丙午の冬十月の比・一乗要決を作る其の中間二十余年なり権を先にし実を後にする」(0055-02)と位置づけられており「慧心の意は往生要集を造つて末代の愚機を調えて法華経に入れんが為なり」(0054-13)と述べられている。
他力本願の教えは特に下根下機の者に適しとおり観無量寿経の九品往生でも、特に下品、なかんずく下品下生の者のために説かれた称名念仏は、最も下根であるとされる末法の衆生のためにかなっていると考えられたのである。法然は、これを極端にまで推し進めて、称名念仏以外の修行を排撃した。末法の衆生の機根が劣るゆえに諸行は機根にかなわないと述べて、これは一見、理にかなったようであったが、末法に流布すべきは法華経の妙法であると定めた仏意に背く義であり、まして、その法華経を機にかなわないと排斥したのは法華誹謗の大罪を作ることになったのである。
是くの如きの相違は大なる疑なり、若し之に依つて本願を疑わば仏説を疑うに成んぬ
さて、このように、念仏によって、末法の衆生は、10人が10人、往生できるはずなのに、念仏者の臨終がこのようであるというのは、「大なる疑」である。もしこのことから、阿弥陀仏の本願を疑うに至れば、ひいては仏説自体を疑うことになる。そこで「念仏宗の先達並びに聖道の先達」に尋ねたが、「一人として」答える者はいなかったと仰せられている。ここに「念仏宗の先達」と「聖道の先達」に聞いたと言われ、念仏のみではなく、念仏から攻撃されている側の諸宗の僧らも、この疑問に答えることはできなかったとのべられている。念仏者が答えられなかったのは当然として、聖道門と言われる側にも反論できなかったということは、念仏宗の誤りを彼らも把握していなかったことを示しており、そのことが、念仏の流行をもたらしたともいえる。当時の宗教界にあっては、教義の勝劣を真剣に検討する者がいなかったことをあらわしている。まさにこれこそ、末法を象徴するものであった。
0106:08~0108:05 第六章 念仏者の言い分を挙げるtop
| 08 念仏者救うて云く、 汝は法然上人の捨閉閣抛の 09 四字を謗法と過むるか汝が小智の及ばざる所なり、 故に上人此の四字を私に之を書くと思えるか、源曇鸞・道綽・ 10 善導の三師の釈より之を出したり、 三師の釈又私に非ず、 源浄土の三部経・竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出ず、 11 雙観経の上巻に云く設い我仏を得乃至十念等と云云、 第十九の願に云く設い我仏を得て諸の功徳を修め 菩提心を 12 発す等と云云、 下巻に云く乃至一念等と云云、第十八の願成就の文なり、又下巻に云く「其の上輩者○一向専念・ 13 其中輩者○一向専念・其下輩者○一向専念」と云云、 此れは十九願成就の文なり、 観無量寿経に云く「仏阿難に 14 告ぐ汝好く是の語を持て 是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」等と云云、 阿弥陀経に云く小善根を以 15 てす可からず乃至一日七日等と云云、 先ず雙観経の意は念仏往生・諸行往生と説けども 一向専念と云つて諸行往 16 生を捨て了んぬ、 故に弥勒の付属には一向に念仏を付属し了んぬ、 観無量寿経の十六観も上の十五の観は諸行往 17 生、下輩一観の三品は念仏往生なり、 仏・阿難尊者に念仏を付属するは諸行を捨つる意なり、 阿弥陀経には雙観 18 経の諸行・観無量寿経の前十五観を束ねて 小善根と名け往生を得ざるの法と定め畢んぬ、 雙観経の念仏をば無上 0107 01 功徳と名けて弥勒に付属し、 観経念仏をば芬陀利華と名けて阿難に付属し、 阿弥陀経の念仏をば大善根と名けて 02 舎利弗に付属す、 終の付属は一経の肝心を付属するなり又一経の名を付属するなり、 三部経には諸の善根多しと 03 雖も其の中に念仏最なり、 故に題目には無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等と云えり、釈摩訶衍論・法華論等の論 04 を以て之れを勘うるに 一切経の初には必ず南無の二字有り、 梵本を以て之を言わば三部経の題目には南無之れ有 05 り、 雙観経の修諸の二字に念仏より外の八万聖教残る可からず、 観無量寿経の三福九品等の読誦大乗の一句に一 06 切経残る可からず、 阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根の語に法華経等漏る可きや、 総じて浄土の三部経の 07 意は行者の意楽に随わんが為に 暫く諸行を挙ぐと雖も、 再び念仏に対する時は諸行の門を閉じて捨閉閣抛する事 08 顕然なり、 例せば法華経を説かんが為に無量義経を説くの時に四十余年の経を捨てて法華の門を開くが如し、 竜 09 樹菩薩十住毘婆沙論を造つて 一代聖教を難易の二道に分てり、 難行道とは三部経の外の諸行なり易行道とは念仏 10 なり、 経論此くの如く分明なりと雖も震旦の人師此の義を知らず唯善導一師のみ此の義を発得せり、 所以に雙観 11 経の三輩を観念法門に書いて云く 「一切衆生・根性不同にして上中下有り 其の根性に随つて仏皆無量寿仏の名を 12 専念することを勧む」等云云、 此の文の意は発菩提心・修諸功徳等の諸行は他力本願の念仏に値わざりし以前に修 13 する事よと有りけるを忽に之を捨てよと云うとも行者用ゆ可からず 故に暫く諸行を許すなり、 実には念仏を離れ 14 て諸行を以て往生を遂ぐる者之無しと書きしなり、 観無量寿経の仏告阿難等の文を 善導の疏の四に之れを受けて 15 曰く「上来に定散両門を説くと雖も 仏の本願に望めば意衆生の一向に専ら阿弥陀の名を称するに在り」云云、 定 16 散とは八万の権実・顕密の諸経を尽して 之を摂して念仏に対して之れを捨つるなり、 善導の法事讃に阿弥陀経の 17 大小善根の故を釈して云く 「極楽は無為涅槃界なり随縁の雑善恐らくは生じ難し 故に如来要法を選んで教えて弥 18 陀専修を念ぜしむ」等と云云、 諸師の中に三部経の意を得たる人は但導一人のみ、 如来の三部経に於ては是くの 0108 01 如く有れども正法像法の時は根機猶利根の故に諸行往生の機も之有りけるか。 -----― 念仏者は自宗を擁護していう。汝は法然上人の捨閉閣抛の四字を謗法と過めるのか。それは汝の浅い智慧では及ばないだけのことである。ゆえに上人はこの四字を自分だけの考えで、これを書いたと思うのか。曇鸞・道綽・善導の三師の釈を源としてこれを出したのである。三師の釈もまた私の義によるものではない。浄土の三部経・竜樹菩薩の十住毘婆沙論を源として出したのである。 雙観経の上巻に「設し我、仏を得たらんに乃至十念せん」等とあり、第十九の願には「設し我、仏を得たらんに、諸の功徳を修し、菩提心を発す」等とある。無量寿経の下巻に「乃至一念」等とある。第十八の願成就の文である。また、同じく下巻に「其の上輩の者は、○、一向に専念し、○、其の中輩の者は、○、一向に専念し、○、其の下輩の者は、○、一向に専念し」とある。これは十九願成就の文である。 観無量寿経に「仏、阿難に告ぐ、汝好く是の語を持て。是の語を持つとは即ち是れ無量寿仏の名を持つ」とあり、阿弥陀経には「小善根を以てすべからず、乃至一日、七日等」とある。 まず雙観経の意は念仏往生と諸行往生を説いているが、一向専念といって諸行往生を捨てている。ゆえに弥勒に対しては一向に念仏のみを付属したのである。観無量寿経で説く十六観も、十五観までは諸行往生であるが、第十六の下輩一観の三品は念仏往生である。仏が阿難尊者に念仏を付属したのは諸行を捨てよとの意である。阿弥陀経には雙観経で述べた諸行往生・観無量寿経で述べた前十五の修行を束ねて 小善根と名づけ、往生のできない法と定めている。雙観経では念仏を無上功徳と名づけて弥勒に付属し、観経では念仏を芬陀利華と名づけて阿難に付属し、阿弥陀経の念仏を大善根と名づけて舎利弗に付属したのである。最終の付属では一経の肝心を付属し、また一経の名を付属している。 浄土の三部経には、善根にも多くあるが、その中で念仏が最上としており、ゆえに題目も無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経と名づけているのである。 竜樹の釈摩訶衍論や法華論等の論からこれをかんがえるに、一切経の初めには必ず南無の二字がある。梵本からこれをいえば、三部経の題目には皆南無とある。雙観経にある修諸の二字には、念仏より外の八万の聖教が残らず収められており、観無量寿経の三福九品等の説にある読誦大乗の一句には、一切経が残らず収まっている。阿弥陀経にある念仏の大善根に対する小善根の語には、法華経等が漏れることなく入っている。 総じて浄土の三部経の意は、行者のねがいに随うために、しばらく諸行を挙げているといえるが、再応、念仏と相対した時は諸行の門を閉じて捨閉閣抛していることが明らかである。例えば法華経を説くために無量義経を説いた時には、四十余年の経々を捨てて法華の門を開いたようなものである。竜樹菩薩は、十住毘婆沙論を造って、一代聖教を難行・易行の二道に分け、難行道とは三部経の外の諸行であり、易行道とは念仏であるとしている。 経論では、このように分明であるのに、中国の人師は、この義を知らず、ただ善導一人がこの義を悟ったのである。ゆえに雙観経の上中下の三輩について観念法門には「一切衆生の根性は不同にして上中下有り。その根性に随って仏皆無量寿仏の名を専念することを勧めたもう」等とある。この文の意は「菩提心を発して諸の功徳を修めよ」等と諸行を説いているのは、他力本願の念仏にあわない前の修行のことで、今たちまちに、これを捨てよと言っても行者は用いないから、しばらく諸行を許したのである。しかし、実には念仏を離れて諸行で往生を遂げる者はいないと書いたものである。 観無量寿経の「仏告阿難」等の文について、善導は観無量寿経疏の四に、これを受けて「上来に定散両門を説くと雖も、仏の本願に望めば、意衆生をして一向に専ら阿弥陀の名を称するに在り」と言っている。 定善・散善とは八万の権実・顕密の諸経のすべてを一括したもので、念仏に対してこれらの諸経を捨てよといっているのである。善導の法事讃には阿弥陀経の大小善根のことを釈して「極楽は無為涅槃界なり。随縁の雑善、恐らくは生じ難し。故に如来要法を選んで、教えて弥陀専修を念ぜしむ」等とある。 諸師のなかで三部経の意を得た人は、ただ善導一人である。如来の三部経においてはこのようであるが、正法・像法の時は根機も利根であったゆえに諸行往生の機根もあっただろう。 -----― 02 然るに機根衰えて末法と成る間・諸行の機漸く失い念仏の機と成れり、更に阿弥陀如来・善導和尚と生れて震旦 03 に此の義を顕し、 和尚日本に生れて初は叡山に入つて修行し 後には叡山を出でて一向に専修念仏して三部経の意 04 を顕し給いしなり、 汝捨閉閣抛の四字を謗法と咎むる事未だ導和尚の釈並びに三部経の文を窺わざるか、 狗の雷 05 を齧むが如く地獄の業を増す汝知らずんば浄土家の智者に問え。 -----― しかし、機根が衰えて末法、なったので諸行往生の機根もだんだんなくなり、念仏往生の機根のみとなったのである。さらに阿弥陀如来は善導和尚と生まれて、中国にこの義を顕した。法然和尚は日本に生まれて、初めは叡山に入って修行し、後には叡山を出て一向に専修念仏して三部経の意を顕されたのである。 汝は「捨閉閣抛」の四字を謗法だと咎めるが、それは未だ善導和尚の釈並びに三部経の文を知らないからだろう。これは狗の雷を齧むようなものであり、地獄の業を増すのである。汝は分からないなら、浄土家の智者に問えばよい。 |
捨閉閣抛
法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
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小智
わずかな知識・浅い知恵。
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竜樹菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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十住毘婆沙論
全17巻。竜樹著と伝えられる。鳩摩羅什訳。菩薩の修行段階である十地を広説したものであり、十地毘婆沙論ともいう。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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観無量寿経
観経ともいう。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。浄土三部経の一つ。わが子阿闍世王の悪逆を憂え嘆く韋提希夫人の求めに応じて、釈尊が神力によって十方の浄土を示現し、夫人が極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽浄土とを十六観に分けて説いたもの。
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阿難
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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念仏往生
念仏の名号を称えて極楽浄土に往生すること。観無量寿経に説かれる弥陀の四十八願の第十八。
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諸行往生
念仏以外の諸行でも往生できると恵心は往生要集で主張したが、法然は「捨閉閣抛」を説き、諸行による往生は不可能であるとしている。
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弥勒
慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆(ほっきしゅ)となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
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観無量寿経の十六観
観無量寿経』に説かれており阿弥陀仏の身や浄土のありさまを思い浮べる 16種の観法によってその浄土に生れることができるという。 ①太陽が沈むのを見て極楽が西にあることを想うこと (日想観) 、② 水と氷の清らかさによって極楽の大地のありさまを想うこと (水想観) 、③ 引続き極楽の大地をまざまざと想うこと (地想観) ④ 極楽の不思議な樹木の働きを想うこと (宝樹観) 、⑤ 極楽の池の水を想うこと (宝池観) ⑥ 極楽にある多数の建物を想うこと (宝楼観) 、⑦ 阿弥陀仏の台座である蓮華の花を想うこと (華座想観) 、⑧ 仏像を見て阿弥陀仏の姿を想うこと (像想観) 、⑨ 阿弥陀仏の真実の姿を想うこと (真身観) 、⑩ 阿弥陀仏に従う菩薩のうち観世音を想うこと (観音観) 、⑪」大勢至菩薩を想うこと (勢至観) ⑫あまねく浄土の仏,菩薩,国土を想うこと (普観想観) ⑬以上のような観法のできないものが,実際の阿弥陀仏を見て,それによって他のさまざまな姿を交えて想うこと (雑想観) 、⑭(上輩観)、⑮(中輩観)、⑯(下輩観)。⑭⑮⑯を合わせて三輩観といい、 衆生がそれぞれの能力や資質の優劣 (上、中、下) に応じた修行をして極楽に生れるさまを想うことで、九品往生が説かれる。
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下輩一観の三品
観無量寿経で説く16観の第16、下輩観のこと。三品とは下上品・下中品・下上品のものが、下輩の行業によって浄土に往生する相を観想する。
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芬陀利華
白蓮華と訳す。花弁の多いことから百葉華ともいい、多く阿耨池に咲いて人中にないとされることから人中好華・稀有華と称される。
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舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
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釈摩訶衍論
竜樹の著・筏提摩多訳、略して釈論ともいう。馬鳴の大乗起信論の注釈書。摩訶衍は大乗と訳し、菩薩の教法のこと。内容は起信論の立義分を三十三門に分かち、第三十三・不二摩訶衍は能所の相対を越えた甚深の法であるとしている。
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法華論
①2巻。天親訳。中国・後魏代の菩提流支・曇林共著。正しくは妙法蓮華経憂波提舎といい、妙法蓮華経・法華経論ともいう。妙法蓮華経を略解釈したもの。最初に十四句偈を記し、次に序品を釈して七種の功徳成就を明かし、方便品は因果の相について述べ、譬喩品以下は七譬・三平等・十無上をもって釈している。②1巻、天親釈。中国・元魏代の勒那摩提・僧朗共訳。妙法蓮華経憂婆提舎の異称。
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南無
梵語ナマス(namas)の音訳。南謨・那摸・那摩ともいう。帰命・帰礼・恭敬・信従・帰趣・稽首・救我・度我などと漢訳する。絶待の信をもって仏および教説に帰依することをいう。
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梵本
梵語の書物。梵語で書かれた仏教典籍。
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八万聖教
八万四千の聖教、八万聖教、八万威儀、八万四千の法蔵、八万四千の細行とこいう。煩悩の数を84,000の塵労といい、これを対治する数として84,000の法蔵という。略して「八万法蔵」。二百五十戒を行住坐臥の四威儀におのおのわたし、一千の威儀になり、過去・現在・未来の三世に約して三千の威儀、この三千を殺・盗・淫・妄・綺・悪・両の七支に分配すれば、二万千となり、貧・瞋・癡・等の四にわたせば七十八万四千となる。
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三福九品
三福と九品往生のこと。この二つはともに浄土往生の要行を述べていて、三つと九つに分けた違いに過ぎないとされている。三福とは、観無量寿経で説く三種の福行で、これを行ずれば浄土におうじょうできるといい、世福・戒福・行福をいう。九品往生とは、衆生の機根の違いによって九種の極楽浄土への往生があるという観無量寿経の設。
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意楽
意の満足を得て、悦楽すること。
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無量義経
一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
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一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
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難易の二道
難行道と易行道のこと。難行道は行うことが困難な修行を説き、易行道は易しい修行の法門をいう。
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震旦
一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
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観念法門
善導の著。『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』のこと。尾題にはこれに「経」の一字が付加されて『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』とあるが、一般には略して『観念法門』と称されている。阿弥陀仏の相好を観想する方法やその功徳について詳述した書で、全体は三昧行相分、五縁功徳分、結勧修行分の3段よりなっている。
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根性
機根・根本の意。根本・善悪等。
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無量寿仏
阿弥陀仏の別名。西方極楽世界の教主。
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発菩提心
菩提心を起こすこと。菩提心は阿耨多羅三藐三菩提の略で、無上正覚の意。成仏を願う心。
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他力本願
①阿弥陀仏の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。②自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
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善導の疏の四
中国・善導の述作である観無量寿経疏四巻の観経正宗分散善義巻四のこと。
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八万の権実
八万は八万四千法門の略で、釈尊一代の教えをいう。一代仏教は大別して小乗教と大乗教、さらに権大乗教と実大乗教に分けられる。
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顕密の諸経
顕教・密教を説いている種々の経典のこと。真言宗の教判で、大日の三部経を法身仏を説く密教の経典とし、それ以外の一切の経典を報身・応身仏である釈尊が衆生の機根に応じて説いた顕教の経典とするもの。
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法事讃
阿弥陀経』を読誦讃嘆して仏座の周囲を繞道し、浄土を願生する法会の規式を明かした書で、上下2巻よりなる。上巻はその首題を『転経行道願往生浄土法事讃』とおき、尾題を『西方浄土法事讃』と示している。下巻は首尾ともに『安楽行道転経願生浄土法事讃』と題している。
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極楽
西方十万億土を過ぎたところにあるとされる阿弥陀如来が住する浄土の名前。
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無為涅槃界
因縁によって作られることなく、生滅変化に左右されない常住不壊の悟りの境涯。
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随縁の雑善
衆生が機縁にしたがって行う雑多な善根。
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弥陀専修
専ら阿弥陀仏の名を称えるという一行を修すること。専修念仏ともいい、浄土宗では称名の一行を修すれば極楽往生すると説く。
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根機
衆生の性根・性質・根性。機は仏の説法を聞き、受け入れて発動する衆生の可能性、根は仏果を開発する性分・性質をいう。利根・鈍根・純機・雑機の区別がある。
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叡山
比叡山延暦寺のこと。比叡山延暦寺のこと。比叡山に伝教大師が初めて草庵を結んだのは延暦4年(0785)で、法華信仰の根本道場として堂宇を建立したのは延暦7年(0788)である。これがのちの延暦寺一乗止観院、東塔の根本中堂である。以後10数年、ここで研鑽を積んだ大師は、延暦21年(0802)第50代桓武天皇の前で南都六宗の碩徳と法論し、これを破り、法華経が万人のよるべき正法であることを明らかにした。このあと入唐して延暦24年(0805)帰朝、大同元年(0806)天台宗として開宗した。以後も奈良の東大寺を中心とする既成仏教勢力と戦い、滅後1年を経て弘仁14年(0823)ついに念願の法華迹門による大乗戒壇の建立が達成された。延暦寺と号したのはこの時で、以後、義真・円澄・安慧・慈覚・智証を座主として伝承されたが、慈覚以後は真言の邪法にそまり、天台宗といっても半ば伝教の弟子・半ばは弘法の弟子という情けない姿になってしまったのである。日寛上人の分段には「叡山これ天台宗、ゆえにまた天台山と名づくるなり、人皇五十代桓武帝の延暦七年に根本一乗止観院を建立、根本中堂の本尊は薬師なり、同十三年天子の御願寺となる。弘仁十四年二月十六日に延暦寺という額を賜る」とある。
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ここでは法然が、浄土三部経以外は捨閉閣抛せよと言ったのは謗法であるとの大聖人の言葉に対する念仏側の弁明が紹介されている。「汝が小智の及ばざる所なり」とか「汝知らずば浄土家の智者に問え」などというのは、多分、当時の念仏者の大聖人に対する悪罵だったのであろう。
大聖人は諸宗を破折されるに際して、相手の言い分のうち、そこらに都合のいいものだけを挙げ、それを破折するのではなく、相手の言い分をすべて挙げ、それを一つ一つ破折していかれる。そうでなければ、門下が現実に念仏宗の人を破折するのに参考にはなりえないからである。
ここに挙げられている念仏者の言い分について、若干、解説しておく。
源曇鸞・道綽・善導の三師の釈より之を出したり
まず念仏者は法然の捨閉閣抛という言い分は「源曇鸞・道綽・善導の三師の釈」を踏まえたもので、この曇鸞たちの所論もまた釈尊一代の浄土三部経を拠りどころとしており、したがって仏の心にかなったものであると信じているのである。
これは、大聖人が先に、法然の捨閉閣抛を「私に之を書」いたものであると言われたことに対する、彼らなりの反論であり、法然がどういう裏づけでいったかについては「小智」によっては分からないであろうと悪口したあと、法然が拠りどころとしたものとして曇鸞の往生論註は、道綽の安楽集、善導の五部九巻をあげている。もちろん、大聖人はこれをご存じでないわけがない。既にこれらの書名を挙げてこれまでに破折されている。ここではむしろ、その曇鸞たちも仏説をもとにしているという点に関し、仏説の根源に遡って吟味されることに本意がある。このことは、立正安国論でも同様の念仏側の言い分を示されたあと「法然は其の流を酌むと雖も其の源を知らず」(0025-01)と打ち破られている。
なお、大聖人は諸御抄でさまざまな角度から破折されており、曇鸞などの中国浄土宗の開祖たちが、その排除する聖道門に法華経までは含めていなかったのに、法然は法華経をも含めるという歪曲を加えている点を破折されている場合もある。
しかし、それでは曇鸞たちは誤りがなかったかといえばそうではなく、彼らも釈尊一代の仏教の中で、法華経ではなく浄土三部経をえらぶという間違いを犯しており、このことを厳しく破折される場合もあり、本抄もその一つになるのである。
彼らが依経としているのが、以下に引かれている。まず無量義経では法蔵比丘の48願によって往生できると説いているが、その第18願に「設し我、仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、若し生ぜずんば正覚を取らじ」とあり、また第19願に「設し我、仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し諸の功徳を修し、至心に発願して我が国に生ぜんと欲せんに、寿終の時に臨んで、もし大衆のために囲饒せられて其の人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」とある。更に無量寿経の下巻に至ると「あらゆる衆生にその名号を聞いて、信心歓喜して、乃至一念至心に廻向して彼の国に生ぜんと願わば、即ち往生を得て不退転に住せん」、「其の上輩は…一向に専ら無量寿仏を念じ、…其の中輩の者は…一向に専ら無量寿仏を念ずべし…其の下輩の者は…一向に意を専らにして乃至十念、無量寿仏を念じて其の国に生ぜんと願うべし」とある。
次に観無量寿経からは「汝好く是の語を持て、是の語を持つとは即ち是れ無量寿仏の名を持つ」の文を挙げている。
更に阿弥陀経からは「舎利弗、少善根福徳の因縁を以ては彼の国に生ずることを得べからず。舎利弗、若し善男子善女人有って、阿弥陀仏を説くを聞き、名号を執事すること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、若しは五日、若しは六日、若しは七日、一心乱れずば、其の人命終の時に臨んで、阿弥陀仏、諸の聖衆とともに現に其の前に在す」の文を引いている。念仏宗では、この阿弥陀経に説く「少善根」は念仏以外の諸行をさすとして、諸行往生を否定するのは仏説であるといっているのであるが、これは、少なくとも同経のなかでは述べられていない。
さて、これら浄土三部経の内容について、念仏者は、無量義経では「一向専念」といっているのであるから、他の諸教を説いているとしてもそれを捨てていることになる。そのゆえにこそ「仏、弥勒に語げたまわく『其れ彼の仏の名号を聞くことを得、歓喜勇躍して乃至一念せんに、まさに知るべし、此の人は大利を得たりとす。則ち是れ無上の功徳を具足す。是のゆえに弥勒、たとい大火の三千世界に充満することありとも、要ず当にこれを過ぎて是の経法を聞いて歓喜信楽し、受持し、読誦し、説の如く修行すべし』」と念仏を弥勒に付嘱したものだ、というのである。
次に観無量寿経の16観でも15観までは諸行往生であるが、第16の下品の者の三品は、念仏往生であり、下品つまり末法の衆生のためには諸行は排斥される、としている。観無量寿経では、どのようにして極楽世界を見ることができるかについて、16の観を説いている。
そのなかで初めの15観は「読誦大乗」等の諸行を説いているが、最後の下輩一観は仏名を称することを説いている。
これは、念仏往生であり、仏は阿難に念仏を付嘱しているのは、諸行を捨てる意であると主張している。阿難への付嘱は本抄に挙げられている「仏阿難に告ぐ」の文である。
更に阿弥陀経は無量寿経の諸行、観無量寿経の前15観を「少善根」として、これらではおうじょうできないということを説いているのだ、という。しかし、既に述べたように諸行を「少善根」とすることが、阿弥陀経で明示されているわけではない。
無量寿経の付嘱では、先の阿難への付嘱の文の直前に「若し念仏せん者はまさに知るべし、此の人は是れ人中の分陀利華なり」と説いている。
なお「阿弥陀経の念仏をば大善根と名けて舎利弗に付嘱す」との念仏の言い分であるが、先にのべたように、「少善根」の者は往生できないと説いてはいるものの、念仏を「大善根」としている文言は阿弥陀経にもない。
にもかかわらず、念仏者は、ここで弥勒、舎利弗、阿難に付嘱されたものこそ、三部経がそれぞれの肝心であり、それぞれの経の名である、とし、三部経の経題が無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と、いずれも阿弥陀仏の名がつけられているように、弥陀の名号すなわち念仏がこれで付嘱された正体であるとするのである。そして、竜樹の造とされる釈摩訶衍論には「円満覚覚所証法蔵と造論大士と及び諸の賢聖の衆とを頂礼したてまつる」とあり、「頂礼」とは、南無の意であるから、その意によれば、いかなる経典の初めにも南無とある。
しかし浄土三部経の梵本の経題には南無とあるから、南無阿弥陀仏の念仏が唯一、末法のために付嘱された法だというのである。
さらに「雙観経の修諸の二字に念仏より外の八万聖教残る可からず」とは、無量寿経に「諸の功徳を修め」とある「修諸」の二字に念仏以外のすべての教えが包含される、ということで、すなわち阿弥陀の念仏にはあらゆる功徳が含まれているのだから、他の行は不要であるという言い分なのである。
また観無量寿経に「彼の国に生ぜんと欲せん者は、当に三福を修すべし。一には父母に孝養し、師長に奉持し、慈心にして殺さず、十善業を修す。二には三帰を受持し、衆戒を具足して威儀を犯さず。三には菩提心を発し、深く因果を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進す。此くの如き三事を名づけて浄業となす」とあり、そのなかに「大乗を読誦す」とある。
また九品往生を説くなか上品上生の者は「大乗方等経典を読誦す」とあるし、これらの大乗読誦の文のなかに一切経が含められ、念仏すれば具足するのだから、行じる必要がない、と主張するのである。
また阿弥陀経の念仏の「大善根」に対比し、「少善根」では往生できないと説くなかの少善根には法華経等は漏れなく収まっているという。これは、法華経を捨てよという法然の主張は、これに合致しているとの主張である。
もちろん「諸の功徳を修め」「大乗を読誦し」「少善根」に法華経等を収めるというのが、文証を踏まえての説でないことは明白である。
そして、これらが曇鸞・道綽・善導の三人の言葉にもなく、あくまで法然以後の解釈であることについては、大聖人はあとで破折される。
念仏者は、浄土の三部経でも、16観中の15観のように諸行を説いているのは、行者の心に合わせたためであって、いったん念仏が顕れればそれを閉じるのである、という。これは法然の選択集の「隋他の前には暫く定散の門を開くと雖も、随自の後には、還って定散の門を閉づ」の主張を繰り返しているのである。
こうした例の一つとして、釈尊も、法華経を説く時、無量義経を説いて「四十余年、末だ真実を顕さずと述べて、それまでの諸経の門を閉じ法華経の門を開いたのと同じであると強弁している。しかし、無量義経で「四十余年」と挙げてこれには真実は明かしていないとしているのと、単に「諸の功徳」「読誦大乗」「少善根」のことばのみがあるのを同一に考えるのは大きな誤りである。
まして「已今当」の文によって一切経を摂しているとする法華経とは全く意味が違うのである。この無量義経での開会と、念仏宗の「門を閉ず」との違いについては、後に破折されるところである。
次に、竜樹も十住毘婆沙論において一代の聖教を難行道・易行道に分けており、易行道が念仏で、難行道はそれ以外の諸経であるとしており、その後の人師はこれを理解できなかったのを、初めて明らかにしたのが善導であった、と述べている。
十住毘婆沙論には「仏法に無量の法門があり、世間の道に難あり易あり、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきが如し。菩薩の道も亦是くの如し。或は勤行精進するあり、或は信の方便を以って易行にして疾く阿惟越到に至る者あり」とある。しかし、これをもって念仏の修行を正当化している念仏者の主張は、この十住毘婆沙論の内容を明確に示しているとはいえない。まず十住毘婆沙論では仏道修行を難行道と易行道に分けているのではなく、仏道修行は本来、難行であるということである。そこで、難行であれば、途中で退転する者も出てくるかもしれないから易行の道ではないか、という問いに対して、“まことに卑怯な言葉であり、仏道を求めようとする心に乏しい”と指摘したうえで“方便としてなら不退転に至る道を教えよう”と述べたうえで上記のように易行を説き、十方の仏名を称えることを教えているのである。
この竜樹の言葉からするならば、念仏こそが方便の教えであり、難行の勤行精進こそ本来の仏道修行であると説いているのである。
しかも、この竜樹の十住毘婆沙論においては、易行は当然のこととして、雑行にも法華経は含まれない。それは、二乗地が仏種を断ずるものであるとしており、この考えは法華経とは相容れないからであり、また、難行道について「阿惟越致地は是の法甚だ難し。久しうして乃ち得べし」と述べており、これが歴劫修行であること、すなわち、難行・易行といっても、法華以前の権大乗の菩薩行における立て分けであり、しかも、難行こそ正道であるとしているのである。
経論此くの如く分明なりと雖も震旦の人師此の義を知らず唯善導一師のみ此の義を発得せり
法然は、とりわけ善導を絶対視し、善導こそ、仏説並びに竜樹の説を正しく受け継いだとした。この「唯善導一師のみ此の義を発得せり」と言う分も、そうした法然の姿勢を反映したものといえる。
「所以に雙観経の三輩を観念法門に書いて云く」以下の文は、無量寿経に説く上輩・中輩・下輩の修行について、善導はその著・観念法門のなかで“無量義経で、仏は衆生の「根性」にしたがって諸行を説き、専ら無量寿仏の名を念ぜしめた”と述べているが、その文意は、仏が諸行を説いたのは念仏に値う前の修行としてであり、直ちにこれを捨てよと言っても行者はにわかに用いないから、暫時許しただけのことで、念仏を離れて諸行によって往生を遂げる者はいないということである、と念仏者は解釈する。
また観無量寿経の“仏が阿難に「是の語」を受持せよ、その者は阿弥陀仏の名を受持する者である”と説いている文について善導は観無量寿経疏に“観無量寿経には定まった心で行う定善と散乱した日常の心で行う散善を説くが、仏の本願は一向に一向に阿弥陀の名をとなえさせることにある”と述べており、このうち定善のなかに八万の諸経はすべて含められるのである、と念仏者は主張する。
更に善導が法事讃に、阿弥陀経の「少善根」のもんについて、極楽は“無為涅槃界”であるから、縁にしたがって行う“雑善”では極楽でおうじょうできないゆえに、仏は阿弥陀仏の称名を教えたのである、と述べていることを挙げている。これも阿弥陀経の説くところでは「少善根」を雑善と規定しているわけではなく、いわんや法然のいうように、そこに法華経が含まれるという明記は、法華讃すらないのであるが、ここは、善導こそが仏説を正しく受け継いだ人であるとして、その所説を挙げているのである。
諸師の中に三部経の意を得たる人は但導一人のみ
このように、善導の浄土三部経を用いた解釈を挙げたことによって、善導こそ三部経の意を得た人であると再度主張した念仏者は、今度は、諸行を正法・像法の修行として、末法においては念仏に限るのであり、その末法のために、極楽往生の“正法”である念仏をまず中国で明らかにしたのが善導であり、それを日本に興隆したのが法然であると主張する。
すなわち、正法・像法は衆生の機根もすぐれていたから、まだ諸行によって往生もできたが、末法は機根が衰えているから諸行では往生できず、念仏によらなければならない。その末法のために阿弥陀如来が、善導として出現して、震旦すなわち浄土教をかくりつしたのだ、というのである。
そして、更に日本にいては法然和尚が、天台仏法を学んだあと、専修念仏以外にないと結論し到達して専修念仏を弘めたのである。と。ここに、法華真言が末法には適わない法であることは法然によって確認済みであるとの彼らの言い分、特に法華宗を立てておられる日蓮大聖人への批判の意が込められているのである。
最後に「汝捨閉閣抛の四字を謗法と咎むる事末だ導和尚の釈並びに三部経の文を窺わざるか」と、法然の捨閉閣抛の主張を謗法と決めつけているのは、そうした裏づけがあることを知らない、無智のゆえであると反論している。そして逆に「犬が雷にかみつこうとしているようなもので、あなたこそ無間地獄の業を作っている」と“罰論”を投げつけ、浄土宗の智者の人に教えを請いに行きなさいと諭して結んでいる。
もとより内容的には見当違いであるが、念仏者側の言い分を見事に要約され、しかも、御自身に対する痛烈な罵詈を語られているところに、大聖人の客観性の厳しさ、その懐の大きさ、深さが窺われる。
0108:06~0108:11 第七章 法華等は諸行に非ずと示すtop
| 06 不審して云く 上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救うか実に浄土の三師並に竜樹菩薩・仏説により此 07 の三部経の文を開くに 念仏に対して諸行を傍と為す事粗経文に之見えたり、 経文に嫌われし程の諸行念仏に対し 08 て之を嫌わんこと過む可きに非ず、 但不審なる処は雙観経の念仏已外の諸行・観無量寿経の念仏以外の定散・阿弥 09 陀経の念仏の外の小善根の中に法華・涅槃・大日経等の極大乗経を入れ 念仏に対して不往生の善根ぞと仏の嫌わせ 10 給いけるを竜樹菩薩・三師並に法然之を嫌わば何の失有らん 但三部経の小善根等の句に法華・涅槃・大日経等は入 11 る可しとも覚えざれば 三師並に法然の釈を用いざるなり、 -----― 不審して言う。以上に挙げた義をもって、法然の捨閉閣抛の謗言は救われたと思うのか。実に浄土の三師並びに竜樹菩薩が仏説によって、この三部経の文を解くのに、念仏に対して諸行を傍としたことは、ほぼ経文にも見える。経文に嫌われる程の諸行であれば、念仏に対しても嫌われたとしても過むべきではない。 ただ不審なことは雙観経という念仏以外の諸行、観無量寿経でいう念仏以外の定散、阿弥陀経でいう念仏以外の小善根等、これらの中に法華経・涅槃経・大日経等の極大乗経を入れ、念仏に対して不往生の善根であると、仏が嫌われたのを竜樹菩薩、三師並びに法然がこれらを嫌ったというならば、何の失もない。ただ三部経の小善根等の句の中に法華経・涅槃経・大日経等は入るとは思われない。だから三師並びに法然の釈を用いないのである。 |
浄土の三師
中国・浄土宗の祖といわれる曇鸞・道綽・善導のこと。
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涅槃
涅槃経の事。釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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極大乗経
仏教を大別して大乗経典を権大乗教と実大乗教にわけ、実大乗教を極大乗教という。法華経を意味する。
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これまでの念仏者の言い分に対して、ここから大聖人は、一つ一つ破折していかれるのであるが、まず、念仏に対し「諸行」を捨てよというのは、仏説を見ても認められると容認されたうえで、しかし、その「諸行」に法華・涅槃・大日を含むとするのは納得できないと言われている。
まず冒頭の「上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救うのか」とは、「あなたが今言ったことで、法然の捨閉閣抛は正法誹謗にならないと正当化できるか、できるわけがない」ということである。
大聖人は、念仏が強調している念仏に対比して諸行を捨てるということについては、認めておられる。浄土三部経の先の引文を見ても「念仏」に対して「諸行」を傍にしているのは「粗経文に之見え」るからである。ただし、問題はその「諸行」にいかなる経典が含まれるとするかである。これについては、経典に明記がなく、法華等の名はもちろん挙げられていない。当然、大聖人はその点を衝いていかれる。浄土三部経が説かれた時点での念仏以外の「諸行」といえば小乗の修行がほとんどで、それを捨てるのは大乗仏教の立場では当然であり、大乗仏典によっても正しいことだからである。また大乗の修行でも、歴劫修行の「諸行」はすてるのが当然でもある。
こうして「諸行」を捨てるということ自体は認めたうえで大聖人は「但不審なる処は」として、その捨てるべき「諸行」である、無量寿経に説く念仏以外の「諸行」、観無量寿経に説く念仏以外の「定散」、阿弥陀経に説く念仏の祖との「少善根」のなかに、もし仮に仏が、法華経・涅槃経・大日経等の「極大乗経」を入れていて、それを踏まえて竜樹や曇鸞・道綽・善導・法然がそれを嫌っているなら別にとがはないが、そうではないから“三師”や法然の釈を用いないのである、と仰せられている。
0108:11~0109:07 第八章 諸行の経名挙げぬ誤りを衝くtop
| 11 無量義経の如きは四十余年・未顕真実と説いて法華八 12 箇年を除きて以前四十二年に説く所の大小・権実の諸経は 一字一点も未顕真実の語に漏る可しとも覚えず、 しか 13 のみならず四十二年の間に説く所の阿含・方等・般若・華厳の名目之を出だせり、 既に大小の諸経を出して生滅無 14 常を説ける諸の小乗経を阿含の句に摂し、 三にして無差別の法門を説ける諸大乗経を華厳海空の句に摂し、 十八 15 空等を説ける諸大乗経を般若の句に摂し、 弾呵の意を説ける諸大乗経を方等の句に摂す、 是くの如く年限を指し 16 経の題目を挙げ 無量義経に依つて法華経に対して諸経を嫌い・嫌える所の諸経に依れる諸宗を下すこと 天台大師 17 の私に非ず、 汝等が浄土の三部経の中には念仏に対して 諸行を嫌う文は之有りとも嫌わるる諸行は浄土の三部経 18 よりの外の五十年の諸経なりと云う現文は之無し、 又無量義経の如く阿含・方等・般若・華厳等をも挙げず誰か知 0109 01 る三部経には諸の小乗経並に歴劫修行の諸経等の諸行を 仏・小善根と名け給うと云ふ事を、 左右無く念仏よりの 02 外の諸行を小善等と云えるを 法華涅槃等の一代の教なりと打ち定めて 捨閉閣抛の四字を置きては仏意にや乖くら 03 んと不審する計りなり、例せば王の所従には諸人の中・諸国の中の凡下等一人も残る可からず民が所従には諸人諸 04 国の主は入る可からざるが如し、 誠に浄土の三部経等が一代超過の経ならば 五十年の諸経を嫌うも其の謂れ之有 05 りなん 三部経の文より事起つて一代を摂す可しとは見えず、 但一機一縁の小事なり 何ぞ一代を摂して之を嫌わ 06 ん、三師並に法然此の義を弁えずして 諸行の中に法華・涅槃並に一代を摂して 末代に於て之を行ぜん者は千中無 07 一と定むるは近くは依経に背き遠くは仏意に違う者なり、 -----― 無量義経には「四十余年には未だ真実を顕さず」と説いており、法華経八箇年を除いて、それ以前の四十二年に説いた大小乗・権実の諸経は一字一点も未顕真実の語に漏れるとは思えない。それのみならず四十二年の間に説いた阿含・方等・般若・華厳の名目をはっきり挙げているのである。既に大小の諸経を出して、生滅無常を説いた諸の小乗経を阿含の句におさめ、三無差別の法門を説いた諸大乗経を華厳海空の句におさめ、十八空等を説いた諸大乗経を般若の句におさめ、弾呵の意を説いた諸大乗経を方等の句におさめ、このように年限を指し、経の題目を挙げて、無量義経では法華経に対比して諸経を嫌ったのである。天台大師は、仏によって嫌われた諸経を依りどころとしている諸宗を下したのであって、これは、天台大師の私の義ではない。 汝らの浄土の三部経の中には、念仏に対して諸行を嫌う文があったとしても、嫌われる諸行が浄土の三部経の外の五十年の諸経であるという現文はない。また無量義経のように阿含・方等・般若・華厳等も挙げていない。三部経では諸の小乗経並びに歴劫修行を説く諸経等の諸行を仏が小善根と名づけたということを、だれが知ろうか。限定されないで念仏以外の諸行を小善等といわれたのを、法華経・涅槃経等の一代の教だと決めつけて捨閉閣抛の四字を置いたのは、仏意に背くのではないかと不審するばかりである。 例えば、王の所従といった場合は、諸人の中で諸国の中の凡下等一人も残らず含まれる。しかし、民が所従には、諸人、諸国の主がその中に含まれないようなものである。 まことに浄土の三部経等が一代五十年の諸経に超過する経であるならば、五十年の諸経を劣る所行としても道理であろう。しかし三部経の文によって、一代五十年の諸経を摂することはできない。三部経はただ一機一縁の小事であるから、一代の諸経をそれより劣るものの中にひっくるめることはできない。三師並びに法然は、この義を弁えないで、諸行の中に法華経・涅槃経並びに一代の諸経を摂して、「末代においてこの諸経を行ずる者は千中無一」と定めたのであり、これは近くは自宗の依経に背き、遠くは仏意に反する者である。 |
四十余年・未顕真実
「四十余年には末だ真実を顕さず」と読む。無量行説法品の文である。釈迦50年の説法のうち、初めの42年の教えは方便権教で、真実をあらわさない教えであり、最後の8年間の法華経で真実を説くとの意。40余年の爾前経を打ち破り、法華経を説くための重要な文である。
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法華八箇年
法華経は、釈尊一代50年説法中、最も勝れた経典であり、成道して42年後、無量義経のあと、8年にわたって説かれた。
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大小・権実の諸経
大小とは大乗教と小乗教。権実とは権教と実教のこと。衆生の機根にしたがって三乗を格別に説く教えを権教といい、一仏乗の理を示す法を実教という。天台大師の五時教判では実教は法華・涅槃時の教えで、他の四教の教えは権教となる。また、化法の四教に判ずれば円教が実教にあたり、蔵通別の三教は権教となる。
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阿含
阿含とは、梵語アーマガの音写で、教・伝・法帰等と訳す。伝承された教えの意。釈尊の言行・説法を伝え集成した経蔵全体の総称をいう。ただし、大乗仏教が興ってからは小乗経典の意味に限ってつかわれる。北方系仏教では四阿含といって、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・雑阿含経の四つに分類される。阿含経は声聞の最高位である阿羅漢に到ることを目的とするので、三乗の中でも二乗である声聞を正位として説かれた経といえる。
―――
方等
方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
―――
般若
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
―――
名目
名前・名称。
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生滅無常
一切諸法・森羅万象のすべてが因縁によって生滅し無常であること。諸行無常と同意。
―――
十八空
①天台大師が法華文句巻9のなかで、安楽行品の一切法空の文より18の空と区分したもの。すなわち「一切の法を観ずるに、空なり、⑴如実相なり。⑵顛倒せず、⑶動せず、⑷退せず、⑸転せず、⑹虚空の如くにして⑺所有の性無し。⑻一切の語言の道断え、⑼生ぜず、⑽出せず、⑾起せず。⑿名無く、⒀相無く、⒁実に所有なし、⒂無量、⒃無辺、⒄無碍、⒅無障なり」である。②大智度論にある18空。⑴內空⑵外空⑶內外空⑷空空⑸大空⑹第一義空⑺有為空⑻無為空⑼畢竟空⑽無始空⑾散空⑿性空⒀自相空⒁一切法空⒂不可得空⒃無法空⒄有法空⒅無法有法空
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弾呵
小乗の教えにとどまっているのを叱ること。弾は弾劾、呵は呵責を意味する。
―――
天台大師
(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
―――
五十年の諸経
釈尊一代50年で説いた中で、諸々の教典のこと。
―――
歴劫修行
爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
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一代超過
釈尊一代の教説中、法華経が他の一切経に勝れていることをいう。
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一機一縁
ある特定の機根の衆生のこと。一機は特定の仏の説法及び教を感受している信を取る一部分の衆生の機根をいい、一縁は仏と縁のある一部分の衆生をいう。爾前権教は一部の機縁の衆生のために説いた経であるところから一機一縁の経という。
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大聖人は、先に、念仏宗が浄土三部経をすてるべしとしている「諸行」には法華経等も含まれるとしていることは「不審」であると言われたが、ここでは、無量義経で爾前を打ち破った言葉を挙げて、その理由を述べられている。これは先に念仏者が、念仏に対して諸行を捨てるのは「例せば法華経を説かんが為に無量義経を説く時に四十余年の経を捨てて法華経の門を開くが如し」と、念仏が諸行を捨てるのと、無量義経デ四十余年の経を捨てるのとを同列に置いたことに対して、全く内容が異なるものであることを明らかにされるのである。
まず法華経の開経である無量義経の「四十余年には末だ真実を顕さず」には、法華経以前の経を「一字一点」も漏らしていないと仰せられている。「四十余年」の年限を示す言葉がそれを裏付けている。浄土三部経には年限を示す言葉はない。
第二に、無量義経においては、「四十余年間に説いた経の名を挙げたうえで、それらには真実を顕していないと明言しているのである。浄土三部経には経典の名を挙げていない。
無量義経の未顕真実の文は、その前を含めて引用すると、次のようになる。
「善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき、種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には末だ真実を顕さず」
つまり、釈尊は自ら成道して、その悟った法を説こうとしたが、衆生の欲するところは皆異なるので、さまざまな法を方便として説き、無量義経に至るまで真実は顕さなかったと述べているのである。
「四十二年の間に説く所の阿含・方等・般若・華厳の名目之を出だせり」とは、無量義経で、今まで真実を説かなかったと述べた後、その方便としての種々の法を、次のように述べていることをさしている。
「善男子、初め四諦を説いて声聞を求むる人の為にせしかども、而も八億の諸天来下して法を聞いて菩提心を発し、中ごろ処処にい於いて、甚深の十二因縁を演説して辟支仏を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生菩提心を発し、或は声聞に住しき。次に方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、而も百千の比丘、万億の人天、無量の衆生、須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢果、辟支仏、因縁の法の中に住することを得」と。
文中、「四諦」「十二因縁」が阿含を示し、「方等十二部経」が方等、「摩訶般若」が般若、「華厳海空」が華厳である。すなわち法華経以前の爾前経の「名目」がすべてでているのである。
なお、本文で「生滅無常を説ける諸の小乗教を阿含の句に摂し」については法華経に「阿含」の文はないが、既に述べられたように「四諦」「十二因縁」が「生滅無常を説ける諸の小乗教」にあたる。四諦は中阿含経で、また十二因縁は小乗の論である俱舎論に説かれる。
また「三にして無差別の法門」とは、華厳経の「心仏及び衆生、是の三差別無し」をいうが、この無差別の法門を説いた経がすべては「華厳海空」の言葉で挙げられていると仰せられている。「華厳海空」の「海空」とは、静かな海面に一切の像を映しだすように、仏の智慧に一切が映し出されているということからきている。
また「十八空を説ける諸大乗経を般若の句に摂し」とは、十八空などの“空”を観ずる智慧を説いているのが大品般若経で、それが無量義経ではただ「般若」という名前で挙げられているということである。「弾呵の意を説ける諸大乗経を方等の句に摂す」とは、小乗の教えに留まる二乗を叱責した大乗の諸経で、これは無量義経の文では「方等」という言葉で挙げられているということである。天台大師は一切経を検討し、この無量義経の文を踏まえて五時説を立てたのであり、諦観の天台四教儀では「次に方等に至って声聞を弾斥するを聞き、大を慕い小を恥じ、通じて教益を得せしむ」とある。天台宗では一代諸経を五時に配する場合、華厳を擬宣、阿含を誘引、方等を弾呵、般若を淘汰、法華を開会としている。
以上のように、無量義経では「四十余年」の句によって年限を明示し、更に「初め四諦を説いて…次に方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて」の句によって未顕真実である経の名を明示して、これらは真実を顕していないと断じているのである。天台大師が、法華経以外の諸経を依経とする諸宗を下したのは、この仏説を根拠にしてのことであり、決して「天台大師の私」の義ではないのである。
それに対して浄土の三部経には、念仏に対して諸行を嫌う文はあっても、その諸行に浄土三部経よりほかの一切経を含むという「現文」は全くない。また無量義経のように経の名をも挙げていない。仏が明示していないのに、念仏以外の諸行を仏は小善と名づけたなどと、どうして言えるのか、と痛烈に破折されている。仏が特定しないで念仏以外の諸行を小善と言った言葉を、法華涅槃等の一代諸経であると勝手に定め、しかもそれを捨閉閣抛せよというに至っては、仏意に乖くことになるのではないかと疑問に思うばかりであると仰せられる。
更に、無量義経での「未顕真実」と浄土三部経の「少善」説の根本的な違いを大聖人は「王の所従」と「民の所従」を喩として述べられている。王からみて所従といえば諸人・諸国のすべてが含まれるが、民からみた所従は諸国諸人の主は入らないようなものである。これは法華経が「王」という最勝の立場であることは五時の次第からも明らかである。浄土三部経が「民」にすぎないことはいうまでもない。浄土三部経が釈尊の一代に超過して勝れたきょうてんであれば五十年の諸経を嫌うことも道理であろうが、三部経の文には一代の教えをひっくるめている道理はないのである。
大聖人は浄土三部経について「一機一縁の小事」と仰せられててる。もともと浄土の教えは、観無量寿経にみられるように、韋提希夫人が、父を殺すような悪逆の子、阿闍世をもった悲しみに沈み、釈尊に教えを請うたところ、釈尊が十方の仏土を示し、そのなかから韋提希が西方を選んで、その願いに対して、西方を観ずる法を教えたのである。このような「一機一縁」の浄土三部経が一代をまとめて、自経より劣るといえるわけがない。曇鸞・道綽・善導の法然は、この義をわきまえず、諸行に法華経を含めて末法にこれを行ずる者は「千中無一」と主張したのである。」これは、浄土三部経自体にも背いていることであり、大きく言えば一代を説いた仏の意にも背くことになるのである、と破折されている。
0109:07~0109:15 第九章 十住む毘婆沙論を検討するtop
| 07 但し竜樹の十住毘婆沙論の難行の中に 法華真言等を入 08 ると云うは論文に分明に之有りや、 設い論文に之有りとも慥なる経文之無くば不審の内なり、 竜樹菩薩は権大乗 09 の論師為りし時の論なるか、 又訳者の入れたるかと意得可し、 其の故は仏は無量義経に四十余年は難行道・無量 10 義経は易行道と定め給う事金口の明鏡なり、 竜樹菩薩仏の記文に当つて出世して諸経の意を演ぶ 豈仏説なる難易 11 の二道を破つて私に難易の二道を立てんや、 随つて十住毘婆沙論の一部始中終を開くに 全く法華経を難行の中に 12 入れたる文之無く 只華厳経の十地を釈するに第二地に至り畢つて宣べず、 又此の論に諸経の歴劫修行の旨を挙ぐ 13 るに菩薩難行道に堕し二乗地に堕して永不成仏の思を成す由見えたり 法華已前の論なる事疑無し、 竜樹菩薩の意 14 を知らずして 此の論の難行の中に法華真言を入れたりと料簡するか、 浄土の三師に於ては書釈を見るに難行・雑 15 行・聖道の中に法華経を入れたる意粗之有り、 然りと雖も法然が如き放言の事之無し、 -----― ただし竜樹の十住毘婆沙論の難行の中に法華・真言等を入れているというのは、論の文で明らかであるのか。たとえ論の文があったとしてもたしかな経文にないのであれば不審とすべきである。 竜樹菩薩が権大乗の論師であった時の論であるのか、また翻訳者が論の中に入れたものと考えるべきである。そのゆえは、仏は無量義経に四十余年は難行道であり、無量義経は易行道であると定めたことは金口の明鏡だからである。竜樹菩薩は仏の記文どおりに出世し、諸経の意を説いたのであるから、どうして仏説である難易の二道を破って別の難易の二道を立てることがあろうか。したがって十住毘婆沙論を始めから終りまですべて開いて見るに、法華経を難行の中に入れた文は全くない。これは華厳経の十地を釈するのに第二地で終わっていて、そのあとは述べていない。また、この論では、諸経の歴劫修行の旨を挙げ、菩薩は難行道に堕ち、二乗の境地に堕ちて永不成仏の思いをなすということをいっている。このことから、あくまで法華経以前の論であることは疑いない。 ところが、竜樹菩薩の意を知らずに、念仏の開祖たちはこの論が難行の中に法華・真言を入れたと考えたのであろう。浄土の三師においては、その書釈を見ると難行・雑行・聖道の中に法華経を入れたことがほぼ考えられるが、しかし、法然のような放言はしていない。 |
金口
仏の口、またその所説のこと。
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明鏡
曇りのない鏡のこと。仏法では、心の正邪・一切の事象をありのままに映し出す鏡・罪業を映す鏡・教義・論議の基準となる経文、一念の働きを説き明かした法華経の譬えとして「鏡」をもって説明されている。
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記文
①記述した文章。②授記あるいは未来を予言した文。
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華厳経の十地
華厳経で説く五十二位の十地のこと。大方広仏華厳経巻34・十地品第26の1に説かれている。菩薩が仏道修行の過程を経ねばならない五十二位のなかの41~50位までをいう。歓喜地・離垢地・発光地・焔 慧地・難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地のこと。
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二乗
十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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永不成仏
永久に成仏できないこと。爾前の諸教では、二乗は身心を滅尽して完全な空無に帰することを目的として修行するため、自己に本来具わる仏性をも滅尽することになり、焦種・敗種に譬えられて永久に成仏できないと仏から弾呵された。
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書釈
書を釈すること。文意の解釈・注釈。経論の義を釈した書。
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念仏宗では、竜樹菩薩が十住毘婆沙論で難行・易行を立て分け、法華経も含めた大乗教を雑行に配したと主張しているのであるが、ここでは、竜樹がそのような立て方をしたのかどうかについて検討されている。まず大聖人は、十住毘婆沙論に、難行のなかに法華真言を入れている明文があるのか、と問われ、もしも仮に十住毘婆沙論にあったとしても、そう説くに足りる確かな経文がなければ、信ずべきでないと仰せられている。
竜樹といえば、正法時代の論師であり、八宗の祖ともいわれる正師である。しかし、その竜樹の言であっても、経文を裏づけとしていなければ認めることはできない、という厳格な立場を表明しておられるのである。
そして、もしあったとしても、竜樹が権大乗しか知らなかった時の論か、または、翻訳者が勝手に入れたとも考えるべきであるとも仰せられている。
また、竜樹といえども権大乗の論師であり、特に十住毘婆沙論は華厳経十地品に説く菩薩の十地のうち、第一の歓喜地を前半の26品で説き、後半8品では第二の離垢地について注釈している。したがって華厳の権を帯びている、このことを考慮にいれなければならない。更に大聖人は訳者が私見を入れる場合もあり、注意しなければならないと仰せられている。
その理由として、無量義経に、四十余年は難行道で、無量義経は易行道と仏自身が定めており、竜樹が仏説に背く我見を立てるはずがないからであると仰せである。無量義経に四十余年には難行道と説かれているというのは、この無量義経に「衆生あってこの無量寿経を聞くこと得ざる者は、当にしるべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん。菩提の大直道を知らざるが故に、険径を行くに留難多きが故に」とあり、更に「一たび聞けば能く一切の法を持つが故に、諸の衆生に於て大に利益するが故に、大直道を行じて留難なきが故に」とあることから言われている。
大聖人は、竜樹といえば「仏の記文に当つて出世」すなわち付法蔵の第13として仏から未来に出現すると予言されて出現した人であるから、仏の意に背いて我見で難易の二道を立てるわけがないといわれている。そして十住毘婆沙論の「始中終」つまり始めから終りまで、どこにも、法華経を難行とした文はない、と仰せられているのである。
先にも述べたように、十住毘婆沙論は華厳経の文を注釈したもので、華厳経の十地のうち、初めの二地までで終わっているのであるが、この中で発菩提心品第六から阿惟越地品第八までは難行道が説かれ、易行品第九に至って、そのように仏道修行が難行であることは分かったが、途中で仏道修行をやめて二乗に堕ちてしまうかもしれない。それはかえって無慈悲になるから、易行の道があるなら教えてもらいたいと請い、それに対して“まことに惰弱な言葉であり、仏道を目指す者のいう言葉ではない”と叱咤した後、方便としてなら教えようとして十方の仏の名を称えることを勧めるのである。この中に諸経の歴劫修行を述べ、二乗に堕すれば永不成仏になってしまうと説いた「若し声聞地及び僻支仏地に堕するは是れを菩薩の死と名づく。即ち一切の利を失す。若し地獄に堕するも、是くの如き畏れを生ざるに、若し二乗地に堕すれば、則ち大怖畏と為す。地獄の中に堕すも畢竟して仏に至ることを得るも、若し二乗地に堕せば畢竟して仏道を遮す」の文がある。したがって、ここで述べる難行道は法華経以前の経の範囲内のことであり、法華経がこれに含まれないのは当然である。曇鸞が竜樹の十住毘婆沙論の難行のなかに法華・真言が入っていると言っているのは、こうした竜樹の本意を知らないためである、と大聖人は破折されている。
これが先に、念仏者が竜樹の十住毘婆沙論を知らずに捨閉閣抛をとがめるのではないか、と大聖人を非難したことに対する“お返し”になっていることは言うまでもない。
中国浄土教の曇鸞・道綽・善導が、捨てるべき「諸行」のなかに、法華経も含めて考えていたであろうことは、推察できないでもない。
しかし、法然のように、あからさまに法華経等の名を挙げて、しかも捨閉閣抛せよというような「放言」はない。と謗法の根は中国の浄土教三師にもあるが、日本の法然によって甚だしく増大されたことを指摘されている。
0109:15~0110:12 第十章 宗教の五網に基づき念仏を破すtop
| 15 しかのみならず仏法を弘 16 めん輩は教機時国教法流布の前後をカンガむ可きか。 17 如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、 機有りと雖も時無けれ 18 ば大法を説き給わず、 霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに 権機移つて実機と成る、 01 法華経の流通並に涅槃経には実教を前とし 権教を後とす可きの由見えたり、 在世には実を隠して権を前にす滅後 02 には実を前として権を後と為す可き道理顕然なり、 然りと雖も天竺国には正法一千年の間は外道有り、 一向小乗 03 の国有り、又一向大乗の国有り、 又大小兼学の国有り、 漢土に仏法渡つても又天竺の如し、日本国に於ては外道 04 も無く小乗の機も無く唯大乗の機のみ有り、 大乗に於ても法華よりの外の機無し、 但し仏法日本に渡り始めし時 05 暫く小乗の三宗・権大乗の三宗を弘むと雖も 桓武の御宇に伝教大師の御時六宗情を破つて天台宗と成りぬ、倶舎・ 06 成実・律の三宗の学者も 彼の教の如く七賢三道を経て見思を断じ二乗と成らんとは思わず、 只彼の宗を習つて大 07 乗の初門と為し彼の極を得んとは思わず、 権大乗の三宗を習える者も五性各別等の宗義を捨てて 一念三千・五輪 08 等の妙観を窺う、大小・権実を知らざる在家の檀那等も 一向に法華真言の学者の教に随つて之を供養する間・日本 09 一洲は印度震旦には似ず 一向純円の機なり、 恐くは霊山八年の機の如し、 之を以て之を思うに浄土の三師は震 10 旦・権大乗の機に超えじ、法然に於ては純円の機・純円の教・純円の国を知らず、権大乗の一分為る観経等の念仏、 11 権実をも弁えざる震旦の三師の釈之を以て 此の国に流布せしめ実機に権法を授け、純円の国を権教の国と成し 醍 12 醐を嘗むる者に蘇味を与うるの失誠に甚だ多し。 -----― それのみならず仏法を弘める者は教・機・時・国・教法流布の前後をかんがえるべきである。 仏は在世に法華経以前の四十余年の間に、大乗・小乗を説いたけれども、説時が至らなかったので本懐をのべなかった。機根はあったが時が来ていなかったので、大法を説かなかったのである。霊鷲山の八年の間には、その機ではなかったが、時が来たために出世のる本懐を説いたのであり、爾前権教の機根は移って法華経・実経の機根となったのである。 法華経の流通分並びに涅槃経には、実教を前に弘め、権教を後にすべきであると述べられている。在世では実教を隠して権教を前にしたが、滅後では実教を前にして権教を後にすべきとの道理が明らかである。 しかし、インドでは正法一千年の間、外道があったり、一向小乗の国があったり、また一向大乗の国があったり、また大乗・小乗兼学の国もがあった。また中国に仏法が渡ってからもインドと同様であった。日本国においては外道もなく、小乗の機根もなく、ただ大乗の機根のみで、大乗においても法華経よりの外の機がない。ただし仏法が日本に渡り始めた時は、しばらく小乗の三宗と権大乗の三宗を弘められたが、桓武天皇の治世、伝教大師の時に、六宗の執情を破って天台宗となった。倶舎・成実・律の小乗三宗の学者も小乗教に従って七賢位や三道を修行経して見惑・思惑を断じて二乗になろうとは思わず、ただ彼の宗を習って大乗の初門としたのであり、彼の極を得ようと思わなかったのである。法相・三論・華厳の権大乗の三宗を習う学者も、五性を各々別とする等の宗義を捨てて、一念三千・五輪観などの妙観を求めたのである。大小・権実を知らない在家の檀那等も一向に法華・真言の学者の教えにしたがって、これを供養したのである。インド・中国とは異なって日本は一国あげて一向に純円の機であり、恐らくは霊鷲山八ヵ年の機と同じである。 これをもって考えるに、浄土の三師は中国の人であり、権大乗の機根であった。しかし、法然は日本が純円の機・純円の教・純円の国であることを知らず、権大乗の一分である観経等の念仏や権実をも弁えない中国の三師の釈之をもって、我が国に法を流布し、実教の機の人々に権法を授け、純円の国を権教の国としようとした。醍醐を味わった者に熟蘇味を与えるようなもので、その失は誠に甚だしいのである。 |
教機時国教法流布の前後
宗教の五網のこと。仏法を弘めるにあたって心得なければならない規範。教とは、弘める法の内容や他の教えとの差異。機とは、衆生の理解能力。時とは、流布する教法に相応した時。国とは、国土の特質。教法流布の前後とは、これまでにいかなる教法が流布してきたかということ。
―――
四十余年
釈迦50年の説法のうち、初めの42年の教えは方便権教で、真実をあらわさない教えであり、最後の8年間において法華経で真実を説いているのである。
―――
霊山八年
「霊山」は霊鷲山のこと。法華経の説処。八年は説法の期間。
―――
権機
実機に対する語。①権教に相応した機根の人。釈尊は、正しく実教を聴受できない機根の者に対して、その機根に応じた権教を説いた。この対告衆の機根を権機という。②仏の説法にあたり、その法を聴受すべき者がいないために、仮に聴受者として説法を受ける者のこと。
―――
実機
仏の説いた真実の教によって救われること。末法の一切衆生は悉く「法華一乗の機」であり、寿量文底下種の義では南無妙法蓮華経を信受することによって成仏することができる。
―――
法華経の流通
流通とは流れ通わしめることで、流通の部分義をもって説かれた部分をいう。経を釈する場合、一部を三分する三分科経のひとつ。既に説かれた教えの中心部分を将来弘通させる意図をもって経の終わりに説かれたもの。法華経では分別功徳品の後半~観普賢菩薩行法経までを流通分とする。
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涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
―――
実教
真実の法・教えのこと。仏が自らの悟りをそのまま説いた経。権教に対する語で、法華経をさす。
―――
権教
実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
―――
天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
―――
外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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小乗の国
小乗教が広まっている国。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
―――
大乗の国
大乗教が広まっている国。仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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大小兼学の国
大乗教と小乗教を兼ねて修学する国。一向小乗・一向大乗のみを学ぶ国ではなく、小乗を学び、かつ大乗を学ぶ国。
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漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
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小乗の三宗
俱舎宗・成美宗・律宗のこと。
―――
桓武
(737~806)光仁天皇の第一皇子として天平9年(0737)誕生。第50代天皇に即位して、蝦夷の平定、兵制改革、平安遷都など数々の業績を残し、律令政治中興の英王といわれる。蝦夷平定については坂上田村麻呂を征夷大将軍として抜てきし東北開発の実績をあげた。また、政治の堕落の源流が乱れきった諸宗の僧が政治に介入していることにあると看破し、都を平安京に遷したことも、気運の清心化をもたらした。しかし桓武天皇のもっとも大きい業績は、伝教大師最澄と南都六宗との間で公場対決させ、仏法の正邪を明らかにし、正法たる法華経を興隆して善政をしたことである。この結果、政治的にも文化的にも大いに興隆した平安文化の華が咲いたのである。
―――
伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
―――
六宗
南都六宗のこと。三論・成美・法相・俱舎・律・華厳崇のこと。
―――
天台宗
天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
―――
倶舎
倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。
―――
成実
四世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。教義は自我も法も空であるとの人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では、最も進んだ教義とされる。五世紀初頭、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什門下によって盛んに研究された。しかし、天台大師や吉蔵によって小乗と断定されてから衰退した。
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律
戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
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七賢
小乗教における見道以前の声聞の位を七つに分けたもの。七方便位、七加行位ともいう。
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三道
行位の三道のこと。小乗の声聞乗、大乗の菩薩乗の修行の階位を次第に立てたもので、ともに涅槃に通ずるゆえに道都名づける。①見道、初めて聖者の仲間に入り、根本真理である四諦を明らかに理解する位。見諦道。見諦。②修道、見道で悟った真理を、具体的な事象の上で反復して観察する段階。③無学道、煩悩を断尽し、さらに学ぶべき法のない位。
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見思
見思惑のこと。三惑の一つで見惑と思惑に分かれる。惑は煩悩の異名、迷妄の心・対境に迷って事理を顚倒することをいう。見惑は意識が法境に縁して起こる煩悩で、物事の理に迷って起こす身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見等の妄見をいう。思惑は五識(眼・耳・鼻・舌・身)が五境(色・声・香・味・触)に縁して起こる煩悩で、事物に執着して起こす貧・瞋・癡等の妄情をいう。爾前経では、この見思を断ずることによって、涅槃が得られ、三界の生死を免れることができるとした。そして、これを断ずる順序があって、まず見惑を断じ、次に思惑を断ずるとし、見惑を断ずる位を見道といい、思惑を断ずる位を修道といった。声聞・縁覚は見思惑を断じて阿羅漢となり、三界の生死を免れて涅槃を得ることができるとする。更に菩薩は後の二惑を断じていく。また見思惑は声聞・縁覚・菩薩の三乗に通ずる故に通惑ともいい、塵沙惑・無明惑を別惑という。
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五性各別
解深密経によって、人の性質は本来五種、①声聞種性、②独覚種性、③如来種性、④不定種性、⑤無有出世功徳種性の決定的差別があるという考え方。したがって、その五性に適して説いた三乗・五乗等の教えこそ真実であって、一仏乗を説いた法華経は方便であるというのが法相宗の主張である。
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一念三千
仏教の極理である。釈尊はこれを出世の本懐として、法華経方便品に「諸法実相」に約して、ほぼこれを説いた。ついで寿量品にいたり、因果国の三妙に約し、仏身の振舞の上からこれを説いた。これを受けて天台は、像法時代に出現して、摩訶止観で、次のように説いた。観の冒頭に「摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り』等云云或本に云く一界に 三種の世間を具す」と。十界とは「地獄界・餓鬼界・畜生界 ・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」。十如とは「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」。三世間とは五蘊世間・衆生世間・国土世間」。一念三千には理と事があり、迹門は理・本門は事となる。文底下種本門に対する時は、法華経の本迹二門ともに理の一念三千となり、真の一念三千の法門とは、寿量品文底秘沈の三大秘法である。
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五輪
五行ともいう。地輪・水輪・火輪・風輪・空輪をいう。輪とは円満をあらわす。また体の各部分が丸いところから、身体を五輪ともいう。
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妙観
一心三観・または一念三千の観法をいう。別教では空仮中の三観をそれぞれ別個に観ずるが、円教では三観を同時に観じ、これを妙観という。
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純円の機
純粋の円教である法華経をきく機根をいう。
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純円の教
純円である法華経のこと。
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純円の国
純円の教えである法華経が流布する国土。
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醍醐
五味の一つ醍醐味のこと。①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
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蘇味
生蘇と熟蘇味のこと。
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ここで大聖人は、仏法を弘める規範である宗教の五綱を挙げ、この規範に照らして、日本に弘めるべきは法華経であって、念仏を弘めるのは全くこの規範に背いていることを指摘されている。
五綱とは教・機・時・国・教法流布の前後であり、仏法を弘める者は、この五つを必ず心得なければならない、とされている。「教を知る」とは仏教の教えの正邪、浅深、優劣を判別し、いかなる教えが最高の教であるかを知ることである。「機を知る」とは人々がどのような教えを求め、いかなる法によって教化されるべき機根であるかを知ることをいう。「時を知る」とは、今はいかなる時であるかを知り、その時にいかなる法を弘めるべきかを知ることである。「国を知る」とは国や社会、地域や環境の条件に応じて弘教の方法を考えていくことである。「教法流布の前後」は先に広まった教えを知って後に弘めるべき教えを知ることである。先に広まった教えより後に弘める教えは高いものでなければならない。
念仏者は専修念仏を弘める理由として、末法の衆生は機根が劣っており、いくら教えが深くても、一人も悟れる者はいないから、念仏によって極楽へ往生することを説き、そこで仏道修行していけまよい、としたのである。つまり、念仏者は“機”を最大の根拠としているのである。これに対し、大聖人は五綱すべてから判断すべきで、なかんずく“時”が大事であるとされているのである。
まず、釈尊の弘教に関し、釈尊は四十余年間は、まだ“説時”がきていなかったので本懐を演べなかったと仰せられている。つまり“機”はあったが“時”はきていなかったので説かなかったということである。それに対し霊山八年間は、機ではなかったものの、時が来たので法華経を説き、それによって衆生の機根も“権機”から“実機”に変わったと仰せられている。つまり、法華経は衆生の機に合わせた“随他意”ではなく、仏自身の悟りを時がきたゆえに“随自意”で説き、それによって“権機”を“実機”に変えたと言われているのである。なお、本文で「霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移って実機と成る」の個所は「霊山八年の間誰か機ならざるも時の来る故に本懐を演べたもうに権機移って実機と成る」のことであると思われる。
「法華経の流通並に涅槃経には実教を前とし権教を後とす可きの由見えたり、在世には実を隠して権を前にす滅後には実を前として権を後と為す可き道理顕然なり」の御文については解釈の分かれるところであるが、以下のように拝しておきたい。
法華経如来寿量品第16で久遠実条を説き、本懐を遂げた釈尊は、分別功徳品第17以降の流通分、および涅槃経で、その流通を明かしてるが、そこでは、あくまで実教を根本にし、権教は補助とするよう教えている。釈尊は50年の説法において、長い間、実教を隠して権教を説いてきたが、それは実教を最後に明かすためだったからで、実教が明かされた以上、滅後においてはあくまでも法華経を弘めることを表とし、権を後ろにすべきなのである。
ところが、インドにおいては外道があり、また経典の伝わり方によって「一向小乗の国」「一向大乗の国」「大小兼学の国」があった。伝教大師はその著、顕戒論において、玄奘の大唐西域記を用い、大乗修学の15ヶ国、小乗修学の41ヶ国、大乗・小乗を兼学する15ヶ国を挙げている。こうした面を考え、後ろに置くべき権教を弘またのである。また、これは中国においても同様であった。これらは純円の機・純円の国ではなかったということである。
ところが、日本においては「外道」もなく「小乗の機」もない。あるのはただ「大乗の機」のみであり、そのなかでも「法華」の機のみである、と仰せられている。これは日本には、インドのバラモン教や、中国の儒教のような体系立った“外道”はなく、また経典も大乗・小乗が同時に入ってきて、最初から法華経を含む大乗が存在していたので、教法流布の前後からいっても、小乗から権大乗・実大乗と順に弘める必要もなく、本来、大乗、なかでも法華経のみの機根の国といっていいのである。事実、仏法が伝来した最初において、既に聖徳太子は法華経を受持し、疏も著しているのである。
伝教大師は守護国界章に「正像稍過ぎ已って、末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」と説き、同じく天台宗の安然は菩提心義に、瑜伽論の文として「東方に一小国有って但大乗の姓のみあり」と記している。中国・東晋の僧肇は法華翻経後記に「仏日西に入り、遺光将に東北に及ぶ。玆の典、東北に於いて有縁なり」と書いている。また慧心僧都源信は一乗要決に「日本一州円機純一なり、朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賤悉く成仏 を期す」と説くなど、日本が法華有縁の国であることを強調した文証は数多い。
したがって、日本には当初、南都六宗といって、俱舎・成実・律・三論・法相・華厳が広まったが、桓武天皇の時代に伝教大師がこの南都六宗を打ち破ったので、すべて天台宗となったのである。
その結果、俱舎・成実・律の小乗三宗は見道・修道・無学道の三道、五停心・別相念処・総相念処・煗法・頂法・忍法・世大一法の七賢を修行して見思惑を断じ二乗の悟りである阿羅漢果をめざすのが常であるが、伝教大師に破られて後は小乗を学んでも、大乗へ至るための初門として学んだのである、と仰せられている。
同じく法相・三論・華厳の権大乗三宗の者も、例えば法相宗では声聞定性・縁覚定性・不定性・無性の五性を各別であるとし、成仏できるのは菩薩定性と不定性の一部分であるとしていたが、それらの宗義を捨てて一切衆生皆成仏道の天台の一念三千の法門や、我が身を地水火風空の五輪で造られ、それがそのまま法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の仏となるという真言の教えを取り入れている、と仰せられている。
更に、大乗と小乗の違いや権実の違いなど知らない在家の檀那等も、法華・真言の僧を尊び供養したので、日本一国は「一向純円の機」になったのである。これは霊山での法華経説法が純円の機根であったのと同じである、と仰せられている。
ここから考えるならば、曇鸞・道綽・善導の中国浄土教の三師の場合は、権大乗の機根を超えることはなく、実大乗を含めて教判することはなかったのである。ところが法然は、日本が純円の「機」、純円の「教」、純円の「国」であることを知らないで、権大乗の一分にすぎない観無量寿経の念仏“権実を弁えない中国の三師の釈”を日本に弘め、日本の「実機」の衆生にこうした「権法」を授け「純円の国」を「権教の国」にしようとした。これは「醍醐味」を知っている者に「生酥味・熟酥味」を与えようとするもので、まことに顛倒このうえないと仰せられて、本抄をむすばれている。
0111~0116 題目弥陀名号勝劣事top
0111:01~0111:02 第一章 南無妙法蓮華経の功徳甚大を示すtop
| 0111 題目弥陀名号勝劣事 01 南無妙法蓮華経と申す事は唱えがたく 南無阿弥陀仏・南無薬師如来なんど申す事は唱えやすく又文字の数の程 02 も大旨は同けれども 功徳の勝劣は遥に替りて候なり、 -----― 南無妙法蓮華経ということは唱えがたく、南無阿弥陀仏・南無薬師如来等ということは唱えやすい。また、文字の数ほども大体は同じであるが、功徳の勝劣は大変な違いがある。 |
南無妙法蓮華経
衆生に約せば、妙法蓮華経に帰命すること。法界に約せば、一切万法の帰趣する究極・所詮の法体をさす。南無は梵語ナマス(namas)と音写して帰命と翻ずる。帰命の対象に人と法とがあり、人は釈尊・法は妙法蓮華経に帰命すること。但し法華経には仏・菩薩に帰命する文はあるが、南無妙法蓮華経の明文はない。しかし釈尊の仏法では法は勝れ人は劣るから、釈尊の本意は必ず南無妙法蓮華経にある。法師品には「若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の搭を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復、舎利を安ずることを須いず」とある。釈尊の付嘱を受けて日蓮大聖人は上行菩薩の再誕として末法・日本国に出世し、名・体・宗・用・教の南無妙法蓮華経を弘通されたのである。ゆえにこの妙法は単に法華の経題を表すのみでなく、体・宗・用の本体と力用を有する教である。南無とは帰命の義であり、帰は迹門不変真如の理に帰すること、命とは本門随縁真如の智に命くことである。つまり帰命とは不変の理境とこれを照らし顕す隨縁の智慧と一体となった、境智冥合の法体である南無妙法蓮華経である。究極不変の真理であると同時に、隨縁の智慧として具体的な歴史社会に顕現した法体、日蓮大聖人の図顕による三大秘法の本尊を意味する。すなわち日蓮大聖人即南無妙法蓮華経であり、人法一体の深旨を意味する。
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南無阿弥陀仏
阿弥陀仏に南無すること。観無量寿経にある。善導は観経疏巻一で「南無と言うは即ち是れ帰命なり、亦是れ発願廻向の義なり。阿弥陀仏と言うは即ち是れ行なり。斯の義を以っての故に必ず往生を得」と釈し、南無阿弥陀仏の六字を称え心に念ずれば極楽世界に往生できるとしている。
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南無薬師如来
薬師如来に南無すること。薬師如来は梵名でバイシャジャグル(Bhaiṣajyaguru)といい、薬師琉璃光如来・大医王仏・医王善逝ともいう。東方浄琉璃世界の教主。もと菩薩道を行じていた時に、十二誓願を起こし、一切衆生の身心の病苦を救い、悟りに至らせようと誓った。衆生の病気を治し、諸根を具足させて解脱へ導く働きがあるとされる。
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大旨
おおむね・だいたい・おおよそ。
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功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
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本抄は御真筆が残っておらず、御述作の年代や宛名等は明らかでない。古くは月水御書と合わせて一つの御書で、大学三郎の女房に宛てられたものと考えられてきたが、後に、別の御書として扱われるようになった。
月水御書は大学三郎の女房からの法華経読誦に関する質問に答えられたものであり、本抄は法華経の題号と弥陀の名号の勝劣を論じたもので、御消息の形式となっておらず、また文体にも若干の相違がある。別の御書と考えるほうが妥当であろう。
御述作の年時は、文応元年(1260)4月のほか、文永9年(1272)、建治元年(1275)弘安4年(1281)等の諸説がある。
文永元年(1264)4月とする考えは、月水御書の御執筆が文永4年(1267)4月17日であることに関係しており、別の御書と判明した以上は、これにとらわれるべきでないとするか、日時が接近していたから一書と考えられたとするか、断定するのは難しい。ただ、大聖人が念仏を破折されたのは、おもに弘教の前期であったことも考え合わせ、ここでは文永元年(1264)御述作としておく。
内容は、「法華経の題目」と「弥陀の名号」とを相対すれば如意宝珠と瓦礫のような相違があり、その功徳もはるかに異なる勝劣があることを明らかにされている。
特に、中国浄土教の祖師の一人である善導と日本浄土宗の開祖である法然の邪義を中心に念仏を破折され、法華経の題目こそ一切諸仏の根本であり、法華経の題目を捨てることが謗法の根源であると、仰せられている。
総じて二つの点について、念仏者の考えを取り上げられている。
浄土宗の主張の第一は「称名念仏こそ末法の機に適う易行道である。往生浄土のために法華経の題目・南無妙法蓮華経を唱える修行は解り難く入り難い“難行道”であり、末法の衆生は機根が劣悪なので難行道では極楽往生できない。それに対して、観無量寿経・無量義経・阿弥陀経の浄土三部経に説く西方の極楽世界・阿弥陀仏の住む浄土に往生するために仏の名号、南無阿弥陀仏・南無薬師如来を唱える修行は解り易く入り易い“易行道”であり、最も末法の衆生の機根に適っている」とするものである。
日蓮大聖人は、この浄土宗の立義に対し、冒頭に、法華経の題目・南無妙法蓮華経と、仏の名号・南無阿弥陀仏とは同じようであるが、その「功徳」の勝劣は天地の違いがあって、南無妙法蓮華経のほうがはるかに勝れている、と破折されている。
諸仏の名号を唱えるよりも、法華経を信受し南無妙法蓮華経と唱える功徳のほうがはるかに勝ることを法華経の陀羅尼品第26には「八百万億那由佗恒河沙等の諸仏を供養せんより能くこの経に於いて、乃至一四句偈を受持せん功徳甚だ重し」と説かれている。
また、同品には「法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず」とも説かれている。これは、法華経の名のみを受持する者を守護する者ですら福徳は計り知れないのであるから、経を具足して受持する福はいうまでもないと説いているものであるが、ここにも法華経の題号を受持する功徳の大きさがしめされている。
どうして、法華経の題目の功徳が勝れ、諸仏の名号の功徳が劣るのか。その理由は、南無妙法蓮華経は諸仏出生の種、諸仏の主・師・親であり、一切の根源である、諸仏は法華経の題目を唱えて成仏したのであるからである。
経文には、次のように説かれている。普賢経に「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸仏の如来の出生する種なり」、方等経典は為れ慈悲の主なり」と。また、涅槃経に「諸仏の師とする所は所謂法なり、是の故に如来恭敬供養す」等とある。
普賢経に「此の大乗経典」「方等経典」とあるのは、普賢経は法華経の結経であり、そこで述べられている「大乗経典」等が法華経をさすのは明らかである。
また涅槃経の文は総じて法勝人劣を示したものであるが、法華経の意を引き継いだものであることは明白であろう。
0111:02~0111:05 第二章 外道・権教の名号と題目を対比top
| 02 天竺の習ひ仏出世の前には二天・三仙の名号を唱えて天を 03 願ひけるに 仏世に出させ給いては仏の御名を唱ふ、 然るに仏の名号を二天・三仙の名号に対すれば天の名は瓦礫 04 のごとし仏の名号は金銀・如意宝珠等のごとし、 又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば 瓦礫と如意宝珠の 05 如くに侍るなり、 -----― インドの習慣では、釈尊が出世する以前には、婆羅門の二天・三仙の名号を唱えて天上界に生まれることを願ったのであるが、釈尊が出現されてからは仏の御名を唱えるようになった。しかるに、仏の名号を二天・三仙の名号に比べれば、二天等の名は瓦礫のようなものであり、仏の名号は金銀・如意宝珠等のようなものである。また、諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に比べると瓦礫と如意宝珠のごとくに異なるのである。 |
天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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二天
もとはインドのバラモン教の神で、シヴァ(Śiva)とヴィシュヌ(Viṣṇu)のこと。シヴァは破壊の恐怖と万病を救う両面を兼ねた神とされ、ヴィシュヌは世界の維持を司る神とされていた。仏教では、シヴァ神は摩醯首羅天、梵語マヘシバラ(Maheśvara)と音写され、大自在天と訳され、ヴィシュヌ神は毘紐天と音写され、遍聞と訳されてあらわれた。摩訶止観輔行伝弘決巻第十によると、摩醯首羅天は色界の頂におり、三目八臂で天冠をいただき、白牛に乗り、白払を執る。大威力があり、よく世界を傾覆するというので、世を挙げてこれを尊敬したという。毘紐天については、大梵天王の父で、同時に一切衆生の親であるとされていた。
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三仙
インドのバラモンの開祖といわれる迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の三人をいう。迦毘羅は、インド六派哲学の一つ、数論学派、サーンキヤ学派(Sāṃkhya)の開祖。漚楼僧佉は、同じく六派哲学の一つ、勝論学派、バイシェーシカ学派(Vaiśeṣika)の開祖。勒娑婆は、尼乾子外道(ジャイナ教)の開祖であるといわれている。
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瓦礫
瓦と礫のこと。黄金などのような高価なものに対して、価値のないものと対比するのに用いる。三大秘法を黄金とするなら、諸教は瓦礫となる。
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如意宝珠
意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087-12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747-01)と仰せになっている。
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インドでは釈尊が出世し仏教が興隆する以前は、古代から崇拝されていたバラモン外道の二天・三仙の名号を唱えていたのであるが、釈尊が出世して以後は、尊い仏の名号を唱えつるようになったという。なにゆえに、二天・三仙の名号を唱えていたのに、仏の名号を唱えるように変わったのか。
開目抄によれば、釈尊の出世以前、二天・三仙に対しては「一切衆生の慈父.悲母・又天尊.主君と号す」(0187-08)と尊び、その名号を唱えていた。それは二天・三仙と対比する尊崇の対象がなかったからである。ところが釈尊が出世して仏法が広まると、仏教を信ずる人々にとっては、外道の二天・三仙よりも釈尊のほうがはるかに尊い存在になった。仏教徒からすれば、釈尊こそ「一切衆生の大導師.大眼目・大橋梁.大船師,大福田等」(0188-06)なのである。バラモン外道と仏教の勝劣については、開目抄の続きの御文に「の四聖.三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし」(0188-06)等と述べられているように、仏教は生命の因果の理法を解明し、自己の内なる惑い・煩悩を打ち破ることを教えた。それに対し、外道は自らの生命の変革を教えていないところに根本的な違いがあるとされている。
大聖人は、本抄で譬えをもって功徳の勝劣を示されている。外道の二天・三仙の名号は価値のない瓦礫、対する仏の名号は高価な金銀か如意宝珠のようなものである、と仰せである。
そして次に、仏教内においても、功徳の勝劣があることを示されている。譬えていえば、諸仏の名号は、法華経の題目・妙法蓮華経に対すれば瓦礫であり、妙法蓮華経は如意宝珠のようなものである、と仰せである。
バラモン教の天孫とは仏陀に相対すれば、外道の天尊は瓦礫、仏は如意宝珠に譬えられるが、仏教内においても、諸仏の名号と法華経の名号とをそうたいすれば、諸仏は瓦礫、法華経は如意宝珠に譬えられるのである。諸仏は、二天・三仙に対して勝っていても、諸仏が師とする法・法華経の題目に対しては劣るということである。
0111:05~0111:11 第三章 人師の僻見を挙げるtop
| 05 然るを仏教の中の大小権実をも弁へざる人師なんどが 仏教を知りがほにして仏の名号を外道等 06 に対して 如意宝珠に譬へたる経文を見・又法華経の題目を如意宝珠に譬へたる経文と喩の同きをもつて 念仏と法 07 華経とは同じ事と思へるなり、 同じ事と思う故に 又世間に貴と思う人の只弥陀の名号計を唱うるに随つて・皆人 08 一期の間一日に六万遍・十万遍なんど申せども 法華経の題目をば一期に一遍も唱へず、 或は世間に智者と思はれ 09 たる人人・ 外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に 念仏と法華経とは只一なり南無阿弥陀仏と唱うれば法 10 華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり 是は一代の諸経の中に一句一字もなき事なり、 設ひ大師先徳の釈の中 11 より出たりとも 且は観心の釈か且はあて事かなんど心得べし、 -----― そうであるのに、仏教の中の大小・権実をもわきまえない人師等は、仏教を知ったかぶりをして、仏の名号を外道の二天・三仙等に対して如意宝珠に譬えた経文を見、また、法華経の題目を諸仏の名号に対して如意宝珠に譬えた経文と、喩えが同じであるところから、念仏と法華経とは同じことと思っているのである。 また同じことと思うから、世間に貴いと思われている人がただ弥陀の名号ばかりを唱えるのにしたがって、あらゆる人が一生の間、一日に六万遍・十万遍も念仏を唱えているのであるが、法華経の題目は一生に一遍も唱えないのである。 あるいは世間で智者と思われている人々が、外面では智者ぶっていても、内心では仏教をわきまえないがゆえに、念仏と法華経はただ一つである。南無阿弥陀仏と唱えれば法華経を一部読むことになる等と言い合っている。 だが、これは一代の諸経の中に一句一字もないことである。たとい大師先徳の釈の中から出てきたとしても、観心の釈か、あるいは一字のあて事であろうと心得るべきである。 |
大小
大乗教と小乗教のこと。「乗」とはのせる、の義で小乗教は俱舎宗・成美宗・律宗など。阿含の四経をよりどころとして、小乗の戒律を立てる教えで、少ない範囲の人を、わずかな期間救おうというものである。大乗教とは華厳・方等・般若・法華をいい、小乗教より教えが高慢であり、多くの民衆を長い期間にわたって救おうというものである。大乗と小乗は相対的なものであり、文底下種の南無妙法蓮華経に対すれば諸教はみな小乗となる。
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権実
権は「かり」の意で方便をあらわし、実は「真実義」の意。機に応じて一時的に説く法を権とし、究極不変の真実の法を実という。
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人師
人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
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外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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法華経
釈尊一代50年の説法のうちはじめの42年にわたって、華厳・阿含・方等・般若と方便の諸経を説き、最後の無量義経で「四十余年未顕真実」と爾前諸経を打ち破り「世尊法久後、要当説真実」と立てて後、8年間で説かれた真実の経。六訳三存。現存しない経。①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)。②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)。③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)。現存する経。④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)。⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)。⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。即ち①釈尊の法華経二十八品②天台の摩訶止観③大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経と区分する。
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念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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一期
一生。
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智者
智慧ある者。
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観心の釈
一切法は皆是れ妙法という悟りの境地から解釈すること。観心とは心を観ずること。教相に対して実修・実践をいう。
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ところが、仏教の大聖権実をわきまえない人師は、仏の名号が外道に対比して「如意宝珠」に譬えらえているのを見ると、同じく諸仏の名号に対して「如意宝珠」に譬えられている法華経の題目と、譬えが同じであるというだけで、念仏の題目を同じであると思い込んでしまい、念仏と題目とを同等だと言い触らしたのである。
そして、このように念仏と法華経とは同じことと思うから、世間の人々は社会的に尊敬されている「貴人」が、ただ「弥陀の名号」を称えるのに見習って、念仏は称えているけれども、法華経の題目は一遍も唱えない。
社会において「智者」と思われている人々も、外見は智者ぶっているが、内には仏教をわきまえない。
だから、「念仏と法華経とは一体であり、南無阿弥陀仏と称えれば法華経一部を読んだことになる」などと言っていることを指摘され、このような説は、一代諸経のどきにも「一字一句」もない、と破折されている。
更に、このように念仏と法華経とを一体とする説が、たとえ「大師先徳」の解釈にあったとしても、それは「観心の釈」か、「あて事」すなわち憶説の思い込みにすぎないと心得るべきである、と戒められている。」
ここで「観心の釈」と仰せになっているのは、経文を表面の字義に則して解釈するのではなく、本意を悟った立場から解釈することをいう。
観心の釈とは、一切法は皆是れ妙法という悟りの境地からの解釈で、当時は天台僧らが何事につけ、観心から釈した。悟りの立場からいえばそのとおりであるが、修行の立場に乱用することは大なる誤りのもととなるのである。
大聖人のこの仰せは、根本的には、「世間に貴と思う人」「世間に智者と思はれたる人々」が唱えたり、言ったりしたからというだけで用いるのではなく「一代の諸経の中にあるか否か」で判断すべきであり、もしそれが諸経に「一句一字もなき事」であれば用いてはならないとの戒めと拝される。そして、たとえ大師先徳の解釈の中から出てきたとしても、観心の釈が、あるいは一時のあて事であるか心得るべきであると仰せである。
仏法の正邪は貴人とか智者というような「人」によって判断してはならない。あくまでも「法」によるべきなのである。
諸御書には、次のように仰せである。
「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」(0009-06)
「普賢・文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず、『了義経に依つて不了義経に依らざれ』と定めて経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ、竜樹菩薩の十住毘婆沙論に云く『修多羅黒論に依らずして修多羅白論に依れ』等云云、天台大師云く『修多羅と合う者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず』等云云、伝教大師云く『仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ』」(0219-07)唱法華題目抄に「末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候」(0006-01)と仰せである。
仏教のすべてを知り尽くしているように見せながら邪義を説く者により、しかも、そのような人物を人々が偶像化し、盲目的に邪説にしたがうことによって正法は失われていくのである。
0111:11~0112:09 第四章 譬喩挙げ題目の功徳を示すtop
| 11 法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉 12 つて功徳を成就する人・初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き始めて信を致すなり、諸仏の名号は外道・諸天・二乗・ 13 菩薩の名号にあはすれば瓦礫と如意宝珠の如くなれども 法華経の題目に対すれば又瓦礫と如意宝珠との如し、 当 14 世の学者は 法華経の題目と諸仏の名号とを功徳ひとしと思ひ 又同じ事と思へるは瓦礫と如意宝珠とを同じと思ひ 15 一と思うが如し、 止観の五に云く「設い世を厭う者も下劣の乗を翫び 枝葉に攀付し狗作務に狎れ ミ猴を敬いて 0112 01 帝釈と為し瓦礫を崇めて是明珠なりとす 此の黒闇の人豈道を論ず可けんや」等云云、 文の心は設ひ世をいとひて 02 出家遁世して山林に身をかくし 名利名聞をたちて一向後世を祈る人人も 法華経の大乗をば修行せずして権教下劣 03 の乗につきたる名号等を唱うるを 瓦礫を明珠なんどと思いたる僻人に 譬へ闇き悪道に行くべき者と書れて侍るな 04 り、 弘決の一には妙楽大師・善住天子経をかたらせ給いて 法華経の心を顕はして云く「法を聞いて謗を生じ地獄 05 に堕するは恒沙の仏を供養する者に勝る等」云云、 法華経の名を聞いてそしる罪は阿弥陀仏・釈迦仏・薬師仏等の 06 恒河沙の仏を供養し名号を唱うるにも 過ぎたりされば当世の念仏者の 念仏を六万遍・乃至十万遍申すなんど云へ 07 ども彼にては終に生死をはなるべからず、 法華経を聞くをば千中無一・雑行・未有一人得者なんど名けて 或は抛 08 よ或は門を閉じよなんど申す謗法こそ設ひ無間大城に堕るとも 後に必生死は離れ侍らんずれ、 同くは今生に信を 09 なしたらばいかによく候なん。 -----― 法華経の題目は過去世に十万億の生身の仏に値い奉って功徳を成就した人が初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き、始めて信心を起こすのである。諸仏の名号は外道や諸天・二乗・菩薩の名号に比べると、瓦礫と如意宝珠のように勝っているけれども、法華経の題目に比べれば、また瓦礫と如意宝珠とのような違いがあるのである。 当世の学者が、法華経の題目と諸仏の名号とは功徳が等しいと思い、また同じことだと思っているのは、瓦礫と如意宝珠とを同じと思い、一と思うようなものである。止観の五に「たとえ世を厭っても、劣った法を翫ぶのは、枝葉を頼りにし、狗が主人を忘れて下僕に狎れているようなものであり、猿を敬って帝釈天とし、瓦礫を間違えて崇めて明珠であるとするようなものである。このような道理に暗い人がどうして道を論ずることができようか」等と言われている。この文の意は、たとえ世を厭って出家遁世して、山林に身を隠し名利名聞を断って一向に後世を祈る人々も、法華経の大乗をば修行しないで権教の劣った法を説く仏の名号等を唱える人を、瓦礫を明珠などと思い違えた僻人に譬え、暗い悪道に行くべき者と書かれているのである。 弘決の一で妙楽大師は、善住天子経を引かれて法華経の心を明らかにし、「法華経を聞いて謗法の罪を犯し地獄に堕ちる者も、恒沙の仏を供養する者には勝れている」等と説かれている。 法華経の名を聞いて謗る罪は、阿弥陀仏・釈迦仏・薬師仏等の恒河沙の仏を供養し名号を唱えるにも過ぎている。 したがって、当世の念仏者が、念仏を六万遍とか十万遍称えるなどといっても、念仏ではいつまでも生死を離れることはできない。 法華経を聞く者を千中無一・雑行・未有一人得者等と名づけて、 あるいは抛よ、あるいは門を閉じよ等と言っている謗法こそ、たとえ無間大城に堕ちるとも後に必生死は離れるこができる。同じことなら今生に信を起こしたならば、どれほどすばらしいことであろうか。 |
諸天
諸天善神のこと。法華経の行者を守護する神をいう。梵天・帝釈・八幡大菩薩・天照太神・四天王等の総称。諸天善神が法華経の行者を守護することは、法華経安楽行品に「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す」とある。
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二乗
十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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当世の学者
今の世・いまどき・目下、仏法を学び修行する人。
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止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
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下劣の乗
低劣な低い教法のこと。法華経以外の教法。「乗」は乗法の意で仏の教法。
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黒闇
暗闇のこと。物事の正邪の判断がつかないこと。
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出家遁世
出家して俗世間から逃れること。
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名利名聞
世間の名声や利益、それらを追い求める生き方。
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一向
①ひたむきなこと、純粋でまじれけのないこと。②まったく・一切・まるで。③一向宗のこと。
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後世
三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。
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法華経の大乗
「大乗」は仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解説のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対し、広く衆生を救済するための利他行として菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。「乗」は運載の義で、衆生を迷いの此岸から彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の「大」とは広大・無限・最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物の意で大といった。天台大師の教判では華厳・方等・般若・法華・涅槃時の経教がこれにあたる。法華経こそが、広く一切の衆生を真実に救う教えであるゆえに「法華経の大乗」という。
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権教下劣の乗
法華経に対して権経が下劣な低い教法であるということ。「権」とはかり、の意で、仏が衆生を実教に導入するために説いた方便の教え、爾前諸教のこと。
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僻人
ひねくれ者。変わり者。悪人。
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悪道
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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妙楽大師
(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の協議を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(江蘇省)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興乗楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴(ぶつろう)道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」10巻、「法華文句記」10巻、「止観輔行伝弘決」10巻、また「五百問論」3巻等多数ある。
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善住天子経
4巻。隋の達磨岌多の釈。大方等善住意天子所問経のこと。唐代の菩提流支によって、大宝積経の第36会に編入された。文殊と善住意天子との問答からなる。菩薩・二乗・凡夫等の執着を破し、一切法は空であるという大乗の義を明かしている。そして如幻三昧に入ることを勧めている。同本異訳には、毘目智仙・般若流支共著・聖善住意天子所問経3巻、竺法蘭訳・如幻三昧経2巻がある。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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恒沙の仏
恒沙とはガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数の仏という意となる。
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供養
梵語(Pújanā)の訳で、供施、供給、また略して供ともいう。供給奉養の意で、報恩謝徳のために、仏法僧の三宝に、真心と種々の物をささげて回向することである。これに、財と法の二供養、色と心の供養、亊と理の供養、さらに三種、三業、四事、四種、五種、六種、十種等の別がある。財供養とは飲食や香華等の財物、浄財を供養すること。法供養とは、仏の所説のごとく正法を弘め、民衆救済のために命をささげることで、末法の時に適った法供養は三類の強敵・三障四魔を恐れず、勇敢に折伏に励むことである。色心の供養は、この財法の供養と同じである。三業供養とは天台大師の文句に説かれており、身業供養とは礼拝、口業供養とは称賛、意業供養とは相好を想念することとされる。事理供養とは、一往は昔の聖人たちが生命を投げ出して仏道修行した亊供養と凡夫の観心の法門による供養を理供養とする。白米一俵御書には「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すは・なに事ぞと委細にかんがへて候へば・観心の法門なり、観心の法門と申すは・なに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき・雪山童子の身を鬼にたびて候にも・あいをとらぬ功徳にて候へば・聖人の御ためには事供やう・凡夫のためには理くやう・止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」(1596)とある。なおこの供養について最も肝心なことは、正法に対するくようでなければならず、邪法への供養は堕地獄の業因となる。
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生死
生死はたんに「生」と「死」という意味以外に「生命」と訳す場合と「苦しみ」と訳す場合とがある。ともに生死・生死の流転輪廻という意味からきている。「生死即涅槃」の場合は、「苦しみ」。「生死一大事」の場合は「生命」となる。
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千中無一
善導が立てた。浄土三部経以外の諸経を、雑行として仏説を誹謗し、どんなに読誦しても千人に一人も成仏できない。また阿弥陀仏以外の諸仏菩薩をいかに礼拝しても、千人に一人も得道しがたいといった。これを法然は拡大して法華経を含めて誹謗した。法華経は唯一の真実教であり、善導の説は仏に敵対した邪義である。
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雑行
法然は浄土三部経の修行を正行・それ以外の諸教の修行を雑行とし、極楽浄土に往生できない五種類の修行とした。すなわち読誦雑行・観察雑行・礼拝雑行・称名雑行、讃歎供養雑行をいう。
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未有一人得者
道綽が「安楽集」で法華経以前の経を聖道門と浄土門に分け、歴劫修行の聖道門を捨てよと説いたのを、法然が法華経をも歴劫修行の聖道門に含めて、これらではいまだ一人も得道した者がいないといった邪義である。
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謗法
誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
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無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
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今生
今世の人生のこと。先生、後生に対する語。
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法華経の題目は、過去に十万億の生身の仏に値遇し、歴劫修行という長期間の修行を重ねて、功徳を成就した人が、初めて妙法蓮華経の五時の名を聞き、初めて信受するものである、と仰せである。
これは法華経の法師品第10に説かれている、「是の諸人等は、已に曾て、10万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ずるなり」との経文に依っての仰せである。
大聖人が法華証明抄に「末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば法華経の御鏡にはいかんがうかべさせ給うと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりと・たしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候」(1586-01)と仰せられ、また寂日房御書の冒頭にも「同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり」(0902-02)と仰せられているのは、この法師品を承けて仰せられている。
法華経の題目を唱えるということは、過去に十万億の諸仏を供養してきたという因があってこそで、最高究極の功徳なのである。
諸仏の名号は外道の神や諸天、声聞・縁覚の二乗、および菩薩等の名号に対比すれば、瓦礫に対する如意宝珠のように違いがあって、勝れている。
だが、法華経の題目に対比すればはるかに及ばず、如意宝珠に対する瓦礫のようにずっと劣るものになってしまうのである。
このように、所対によって表現したものであるにもかかわらず、当世の学僧が、法華経の題目と諸仏の名号と、どちらも“如意宝珠”だから、その功徳は等しいとし、したがって、念仏を称えるのは、法華経を読むのと同じであると考えているのは、実は瓦礫も如意宝珠も同一であるとおもいこんでいるのと同じなのである。
このことについて、法華初心成仏抄には「念仏も法華経も一なりと云はん人は石も玉も上﨟も下﨟も毒も薬も一なりと云わん者の如し」(0545-05)と仰せられている。ここでは、念仏と法華経とを同一視することは、石と玉とを同一視するにとどまらず、毒と薬を同一視するようなものであると指弾されている。
瓦礫も如意宝珠も分別できない僻人について、天台大師が摩訶止観の第五の巻に述べた文の心について、大聖人は「たとい世を厭い、俗世を去って出家して、山林に身を隠し、社会的な栄誉栄達などを捨てて、ひたすら後世を祈っても、すぐれた法華経の実大乗の教えを修行しないで、劣った権教方便の教えに説かれた諸仏の名号を唱えている人を瓦礫と明珠を混同している僻人にたとえられているのであり、堕地獄の者であると言われた文である」と仰せられている。
弘決の一には妙楽大師
妙楽大師の弘決の一の文を挙げて、法華経の題目の功徳は逆縁にも及ぶことを示されているところである。妙楽大師は弘決の一に、善住天子経を引用し、法華経の心をあらわして、こう述べている。「法を聞いて謗れば地獄に堕ちることは、無数の仏を供養する者に勝れている」と。
つまり、法華経の名を聞いて、たとえこれを誹謗しても、逆縁を結ぶことは、いったんは地獄に堕ちるけれども、阿弥陀仏や釈迦仏、薬師仏等の無数の仏を供養して、諸仏の名号を唱える功徳よりも勝れている、という意味である。
その理由を妙楽大師は弘決の次下に「地獄に堕すと雖も、地獄従り出でて、還って法を聞くことを得、此れ、仏を供して法を聞かざる者を以て則ち校量を為す。聞いて而も謗を生ずるも、尚、遠種と為る。況んや聞いて思惟し勤めて修習せんをや」と述べている。
「恒沙の仏を供養する者」とは仏を供養して法華経の妙法を聞かない者をいう。その者よりも、たとえ妙法を誹謗しても聞くことのほうが功徳は勝るとしているのである。
善住天子は経は一切法はくうであるという大乗の義を説いた経典であるが、そのなかで舎利弗が、文殊師利に向かって、そのような甚深の法を説いても大乗が信受できず、誹謗の心を起こしたならば、かえって人々を地獄に堕とされることになるのではないかという質問をし、それに対して文殊師利が答える段にこの趣旨の文がある。
「然も舎利弗、即ち此の善男子、善女人、是くの如き甚深なる法を聞くことを得已わらば、地獄に堕つと雖も、地獄より出でて速やかに涅槃を得れども、若し善男子・善女人にして、復恒沙の数の如来・応供・正遍覚を供養すと雖も、我に取著するを以て是くの如き甚深なる教法を聞かずば、終に解脱して速やかに涅槃を証ぜざるなり」
たとえ誹謗するようなことがあっても、甚深の法を聞くことができたならば、地獄に堕した後、地獄を出て涅槃を得ることができる。ところが、恒沙の仏等を供養しても我見に執着して法を聞かない者は涅槃を得ることはできないとしている。
善住天子経でいう「甚深の法」とは直接的には「一切法空の大乗の法」であるが、その究極が法華経の題目にほかならないのである。
したがって、念仏を六万遍、あるいは十万遍唱えているなどと言っても、阿弥陀仏の供養では成仏の縁ならず、結局は生死の苦しみから離れられないのである。
それに対して、法華経を聞く人のことを誹謗して、法華経を聞いても千中無一だなどと言い、謗法の罪を作る人は、いったんは無間地獄に堕ちても、逆縁の功徳によって後には必ず生死の苦しみから離れ、成仏することができると仰せられている。
大聖人は法然およびその門流は、ただ念仏を称えるからではなく、法華経を誹謗しているから罪が大きいと繰り返し強調される。
しかし、ここでは、そうした法華経誹謗は法華経と逆縁を結んでいることになり、いったんは無間地獄に堕ちるものの、未来には成仏する因を作っているのだから、ただ念仏を称えるだけで終わった人よりも何倍もすぐれるとされているのである。
同くは今生に信をなしやらばいかによく候なん
ただし、法華経誹謗の罪は大きく、後に逆縁で妙法に巡りあい成仏できるにしても、堕無間の苦報は並大抵ではない。謗法によって無間地獄にで過ごさなければならない期間は「無数劫」である。したがって、同じことなら、逆縁よりも順縁の道を選んで信受すれば、この現在の一生で成仏の大果報を得るのであり、どれほど、このほうが素晴らしいことか、と仰せられている。
0112:10~0113:05 第五章 法華経こそ浄土の正因top
| 10 問う世間の念仏者なんどの申す様は 此身にて法華経なんどを破する事は争か候べき念仏を申すもとくとく極楽 11 世界に参りて法華経をさとらんが為なり、 又或は云く法華経は不浄の身にては叶ひがたし 恐れもあり念仏は不浄 12 をも嫌はねばこそ申し候へなんど申すはいかん、 答えて云く 此の四五年の程は世間の有智無智を嫌はず此の義を 13 ばさなんめりと思いて過る程に 日蓮一代聖教をあらあら引き見るにいまだ此の二義の文を勘へ出さず 詮ずるとこ 14 ろ近来の念仏者並に有智の明匠とおぼしき人人の 臨終の思うやうにならざるは是大謗法の故なり、 人ごとに念仏 15 申して浄土に生れて法華経をさとらんと思う故に 穢土にして法華経を行ずる者をあざむき又 行ずる者もすてて念 16 仏を申す心は出来るなりと覚ゆ 謗法の根本此の義より出たり、 法華経こそ此の穢土より浄土に生ずる正因にては 17 侍れ念仏等は未顕真実の故に浄土の直因にはあらず、 然るに浄土の正因をば極楽にして 後に修行すべき物と思ひ 18 極楽の直因にあらざる念仏をば 浄土の正因と思う事僻案なり、 浄土門は春沙を田に蒔いて秋米を求め天月をすて 0113 01 て水に月を求るに似たり人の心に叶いて 法華経を失ふ大術此の義にはすぎず、 次に不浄念仏の事・一切念仏者の 02 師とする善導和尚・法然上人は他事にはいわれなき事多けれども 此の事にをいてはよくよく禁められたり、 善導 03 の観念法門経に云く酒肉五辛を手に取らざれ 口にかまざれ手にとり口にもかみて念仏を申さば 手と口に悪瘡付く 04 べしと禁め 法然上人は起請を書いて云く酒肉五辛を服して念仏申さば予が門弟にあらずと云云、 不浄にして念仏 05 を申すべしとは当世の念仏者の大妄語なり。 -----― 問う。世間の念仏者等が言うのには「念仏者の身で法華経なを破することなどどうしてあるだろうか。念仏を称えるのも早く極楽世界へ参って法華経を悟ろうとするためである」とか、また、あるいは「法華経は我々不浄の身では叶いがたいし、恐れ多くもある。念仏は不浄をも嫌わないからこそ称えるのである」などといっているが、これはどうか。 答えて言う。この四・五年の間は、世間の有智の人、無智の人を問わず、この義をそのとおりだと思って過ごしてきているが、日蓮が一代聖教をあらあら開いて調べてみるに、末だこの二義の文は見当たらない。つまるところ、近来の念仏者並びに有智の明匠と思われる人々の臨終が思うようにならないのは大謗法のゆえである。人ごとに念仏を称えて浄土に生まれて、法華経を悟ろうと思うゆえに、この穢土で法華経を行ずる者をあざむき、また法華経を行ずる者にだまされて、法華経を捨てて念仏を称える心が出てきているものと思われる。謗法の根本は、この義から出たのである。 法華経こそがこの穢土より浄土に生ずる正因なのである。念仏等は未顕真実の教えであるから浄土の直因ではない。それなのに浄土に生まれる正因である法華経を極楽で後に修行すべきものと思い、極楽の直因でない念仏を浄土の正因と思うことは、とんでもない間違った考えである。浄土門の教えは春、沙を田に蒔いて、秋に米の収穫を求め、天の月を捨てて、水に映る月を求めるのに似ている。人の気に入られるようにして、実は法華経を捨てさせる大策略として、この義にすぎるものはない。 つぎに不浄念仏の事についてでるが、すべての念仏者が師としている善導和尚や法然上人は、他の事には道理に合わないことが多いけれども、不浄という点についてはよくよく禁じている。善導の観念法門経には「酒や肉、五辛を手に取ってはならないし、口にかんで食べてもいけない。これらを手にとったり口に食べて、念仏を称えれば手と口に悪瘡ができるだろう」と禁じ、法然上人は起請文を書いて「酒や肉、五辛を食べて、念仏を称えれば私の門弟ではない」といっている。不浄の身のままで念仏を称えてもよいとは当世の念仏者の大妄語である。 |
極楽世界
極楽浄土のこと。阿弥陀経で説かれる阿弥陀如来の住する国土。西方浄土・安養浄土・浄土・極楽ともいう。西方十万億を過ぎたところにあるとされる。この国土の衆生は一切の苦がなく、ただ諸の楽しみを受ける。ゆえに極楽という。
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不浄の身
浄らかでない凡夫の身。
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有智無智
智慧ある者と智慧のない者。ただし仏教でいう智慧の有無は、世間でいう賢愚と次元を異にする。すなわち仏道を修め、仏法に通達解了した人が真の有智の人であり、世間で知識が豊富であっても、人生を真に解決する仏法の智慧がなければなお無智に属する。
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一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
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明匠
理に極めて明るい師匠。仏教に通達した名僧。
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臨終
人がまさに死のうとするとき。
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浄土
浄らかな国土のこと。仏国土・煩悩で穢れている穢土に対して、仏の住する清浄な国土をいう。ただし大聖人は「穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」(0384-02)と申されている。
―――
穢土
けがれた国土のこと。浄土に対する語。煩悩と苦しみの充満する世界をいう。爾前迹門の諸経では、凡夫の住む娑婆世界を穢土とし、十方の国土に諸仏の浄土があり、そこに往生することを説いた。しかし法華経本門では、娑婆即寂光を明かし、この人間世界こそ仏の本国土であると説いた。
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未顕真実
法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
―――
僻案
誤った教えや見解のこと。
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浄土門
現実世界を穢土として嫌い、他力によって極楽浄土に往生することを説く法門。
―――
不浄念仏
念仏を称えておれば、酒肉五辛を口にし、妄りに男女の交わりを犯しても往生に障りはないという考え。
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善導
(0613~0681)。中国・初唐の人で、中国浄土教善導流の大成者。山東省・臨淄の人。一説に泗州(安徽省)の人ともいわれる。幼い時に出家し、経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土往生を志した。後、貞観年中に石壁の玄中寺(山西省)に赴いて道綽のもとで観無量寿経を学び、師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。往生礼讃の第四で「千中無一」と説き、念仏以外の雑行を修する者は、千人の中で一人も成仏しないとしている。著書には「観経疏」4巻、「往生礼讃」1巻等がある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。
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法然
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
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観念法門経
善導の著。『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』のこと。尾題にはこれに「経」の一字が付加されて『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』とあるが、一般には略して『観念法門』と称されている。阿弥陀仏の相好を観想する方法やその功徳について詳述した書で、全体は三昧行相分、五縁功徳分、結勧修行分の3段よりなっている。
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酒肉五辛
仏道修行の妨げとなるため、比丘などが飲食を禁じられた酒・肉・五つの辛いもの(にら・ねぎ・にんにく・らっきょう・はじかみ)をいう。
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妄語
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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ここでは、念仏者の言い分を二つ挙げられている。その第一は、「念仏者の身で、どうして法華経などを破ることがしようか。念仏を称えるのも、ただ速やかに極楽浄土に往生して、そこで法華経を悟ろうとするためなのである。と。
この言い分は、一代聖教大意にも「後の人の消息に法華経を難行道・経はいみじけれども末代の機に叶わず謗らばこそ罪にてもあらめ、浄土に至つて法華経をば覚るべしと云云」(0405-04)と挙げられている。
「後の人の消息」とは、法華以後の浄土系の末流の言い分ということである。彼らは法華経は難行道でありすばらしい経であるけれども、末法の衆生の機根に合わないのである。たしかに法華経を謗るならば罪業になるが、われわれは、極楽浄土に往生したあと、法華経を悟ろうと考えているのであって、けっして法華経を謗っているわけではない、というのである。
第二は「法華経の修行は不浄の身では、かない難く、恐れ多いことでもある。念仏の場合は不浄の身であっても嫌わず修行できるから、念仏を称えるのである」というものである。
大聖人は、まず、第一の言い分に対し、一代聖教のどくにもそのような文証はない。と答えられている。仏法に関する主張には文証の裏づけがなければならず、それがないのは我見・私見にすぎないとの仰せである。
「念仏者並びに有智の明匠とおぼしき人々」すなわち、念仏の僧だけでなく、仏境界の高僧の人々の臨終の相の悪さを指摘され「是大謗法の故なり」と断じられている。これは、現証によって、念仏を極楽往生の因とする誤りを指摘されているのである。
臨終について大聖人は、妙法尼御前輅御返事に「されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引き向えてみ候へばすこしもくもりなし」(1404-07)と仰せのように、その信じた教えの正邪が表れる大事な現証とされたのである。
この点は、すでに本巻でも「念仏無間地獄抄」等に詳しく見られるとおりである。いずれにせよ、念仏宗の「念仏を称えれば極楽浄土におうじょうできる」との教義は、未顕真実の権教である浄土三部経によって立てたもので、真実ではない。したがって、念仏をいかに称えても、種子の代わりに砂を田に蒔いているようなもので、いつまでたっても往生という果報はないと破折されている。
第二の言い分の「念仏は不浄を嫌わないから行じやすい」という点については、念仏の開祖であり、教義の立てた本人である善導や法然が「不浄であってはならない」と厳しく戒めていることを指摘されている。
念仏の僧たちは、一人でも多くの信者を得ようと、開祖たちの厳しい戒めを隠し、どんな不浄の身でも救われるのが念仏であると宣伝したのであろう。
0113:06~0113:08 第六章 念仏の祖師の文をもって念仏者を破すtop
| 06 問うて云く善導和尚・法然上人の釈を引くは彼の釈を用るや否や、 答えて云くしからず念仏者の師たる故に彼 07 がことば己が祖師に相違するが故に 彼の祖師の禁めをもて彼を禁るなり、 例せば世間の沙汰の彼が語の彼の文書 08 に相違するを責るが如し、 -----― 問うていう。あなたが善導和尚・法然上人の釈を引くのは二人の釈を用いるということか。答えていう。そうではない。この二人は念仏者の祖師であるゆえに、当世の念仏者の言葉がその祖師とは違っているゆえに彼の祖師の禁めをもって彼らを禁めるのである。例えば世間の訴訟事においても相手の言葉が相手の文書に相違するのを責めるようなものである。 |
祖師
一宗一派の祖師。
―――
世間の沙汰
世の中の評議・訴訟。
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大聖人が“不浄”を禁じた善導・法然の著作を引かれたことに対して、それでは大聖は善導や法然の言ったことが正しいと認めるのかという問いを設けられている。
それに対して「しからず」つまり、善導・法然を正しいと認めるかどうかは別問題であるとされたうえで、念仏者たちが自らの祖師の所説と違うことを言っている事実を指摘したのであると、仰せられている。
これは聖愚問答抄でも「今世の念仏の行者・俗男俗女・経文に違するのみならず又師の教にも背けり」(0482-07)と仰せの通りである。
そして、これを例えていえば、世間の裁きにおいても、言っていることと文証との相違を指摘し、誤りを責めるようなものであると言われている。
法華経の義から念仏を相対していえば、不浄の者であれ、念仏の教えによって極楽に往生することはできない。法華誹謗の罪により無間地獄に堕するのみである。それに対し、法華経こそ、竜女や提婆達多の成仏があらわしているように、不浄の身であると否とを問わず、一切衆生が成仏できる教えである。その法華経を「不浄の身にては叶ひがたし」(0112-11)ときめつけることは大なるあやまりであるが、こういった点はふれるまでもなく、彼らの祖師に違背するという点だけで十分とされたのである。
0113:08~0113:14 第七章 仏の遺言に違背するを破すtop
| 08 問うて云く善導和尚・法然上人には何事の失あれば用いざるや、 答えて云く仏の御遺 09 言には我が滅度の後には 四依の論師たりといへども 法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置か 10 せ給いて侍るに 法華経には我が滅度の後末法に諸経失せて 後殊に法華経流布すべき由・一所二所ならずあまたの 11 所に説かれて侍り、随つて天台・妙楽・伝教・安然等の義に此事分明なり、然るに善導・法然・法華経の方便の一分 12 たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依つて 仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に 法華経をまげ入れて 13 還つて我が経の名号に対して読誦大乗の一句をすつる時 法華経を抛てよ門を閉じよ 千中無一なんど書いて侍る僻 14 人をば眼あらん人是をば用うべしやいなや。 -----― 問うて言う。善導和尚や法然上人にはどんな誤りがあるから用いないのか。 答えて言う。釈尊の御遺言には「我が滅度の後には四依の論師といえども法華経に違えば用いてはならない」と涅槃経に繰り返し戒められており、法華経には「我が滅度の後、末法に諸経が利益を失った後は、特に法華経が流布する」と、一か所・二か所だけでなく多くの所に説かれている。したがって天台大師・妙楽大師・伝教大師・安然等の義にも、このことが明らかである。 それなのに善導・法然は法華経の方便の一分である四十余年のうちの未顕真実の観経等を依りどころとし、観経の中にある「大乗を読誦する」の一句に、そのときは仏もまだ説かれていなかった法華経を無理に入れて、かえって我が経の弥陀の名号を称えることに対して「大乗を読誦する」ことを雑行として捨て、法華経を抛て、門を閉じよ、千中無一である、などと書いている僻人の説を、眼ある人なら、これを用いるべきだろうか。 |
四依
四つの依りどころとするものの意で四不依に対する語。法の四依、人の四依、行の四依、説の四依の四種がある。ここでは人の四依の意。人の四依は衆生が信頼してよい四種の人の意。涅槃経巻六等では、①具煩悩性の人、②須陀洹・斯陀含の人、③阿那含の人、④阿羅漢の人の四依が説かれる。
正法の前五百年
小乗の四依――┬ 初依:三賢 煩悩性を具す
├ 二依:初果 須陀洹
├ 〃:二果 斯陀含
├ 三依:三果 阿那含
└ 四依:四果 阿羅漢
正法の後五百年
権大乗の四依―┬ 初依:十住・十行・十回向
├ 二依:初地~六地
├ 三依:七地~九地
四依:十地・等覚
―――
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
―――
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
―――
天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
―――
伝教
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
―――
安然
(0841~0915)。天台宗の僧。伝教大師の同族といわれる。はじめ円仁の弟子となり、後に遍照について顕密二教の法を受けた。著述に専念し、天台宗を密教化した。著書は「教時問答」四巻、「悉曇蔵」八巻など多数ある。
―――
観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
―――
千中無一
善導が立てた。浄土三部経以外の諸経を、雑行として仏説を誹謗し、どんなに読誦しても千人に一人も成仏できない。また阿弥陀仏以外の諸仏菩薩をいかに礼拝しても、千人に一人も得道しがたいといった。これを法然は拡大して法華経を含めて誹謗した。法華経は唯一の真実教であり、善導の説は仏に敵対した邪義である。
―――――――――
そこで、では、善導・法然にどのような誤りがあって、彼らの義釈を用いないのか、と質しているところである。
これに対して、まず「我が滅度の後に、法を世に伝える四依の論師の言うことであっても、法華経に相違しているならば、用いてはならない」との趣旨の涅槃経の文をひかれている。涅槃経は仏が涅槃の直前に説いた遺言ともいうべき経である。その涅槃経では法華経に反する主張は四依の論師であったとしても用いてはならないと言われているのである。
では法華経が説いていることでも何が大事かといえば、末法において、流布すべき法は法華経の妙法であるということである。
すなわち法華経薬王品第23には「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃茶等に、其の便りを得せしむること無かれ」、普賢菩薩勧発品第28には「如来の滅後に於いて、閻浮提に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」とある。
大集経に「我が滅度に於いて五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固、次の五百年は我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没せん」等とあり、釈尊の仏法が隠没することが説かれ、法華経安楽行品にも「後の末世の法滅せんと欲せん時」と、末法には「諸経」は「失せ」るとされている。この「諸経」に代わって「法華経」が流布するのである。大聖人はこれらの経文を踏まえて、撰時抄に「第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり」(0258-14)と仰せられているのである。
此のことは明白な仏説であり、したがて天台大師、妙楽大師、伝教大師、安然和尚の釈義においても「分明」なのである。
その天台大師の法華文句の「後の五百歳遠く妙道に沾わん」の文、妙楽大師の法華文句記の「末法の初め冥利無きに非ず」の文、伝教大師の法華秀句の「代を語れば則ち像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原すれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と、此の言良に以あるが故に」の文、守護国界章の「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機・今正しく是れ其の時なり何を以て知る事を得ん安楽行品に云く『末世法滅の時なり』」の文等は、大聖人が顕仏未来記その他、多くの御書で引かれているところである。
にもかかあらず、善導・法然は、未顕真実の経である観無量寿経をもとに“雑行”とし「読誦大乗」の中に法華経を含め排斥するという、仏説にも天台・伝教大師の釈にも背く邪義を立てたのである。
然るに・法然・法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依つて仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に法華経をまげ入れて
観無量寿経には浄土へ往生するための浄行を説くなかで「未来世の一切の凡夫、浄業を修せんと欲する者をして西方極楽国土に生ずることを得せしめん。彼の国に生ぜんと欲せん者は、当に三福を修すべし。一には父母に孝養し、師長に奉持し、慈心にして殺さず、十善行を修す。二には三帰を受持し、衆戒を具足して、威儀を犯ぜず。三には菩提心を発し、深く因果を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進す。此くの如き三事を名づけて浄業と為す」とあり「大乗を読誦」するなどの三福を修すべきことを説いている。しかるに、中国浄土教の善導は四帖疏で「日観より下十三観に至る已来を名づけて定善と為し、三福九品を名づけて散善と為す」と、この三福の散善に位置づけ、同じく観無量寿経に「仏、阿難に告げたまわく『汝好く是の言を持て。是の語を持つとは即ち是れ無量寿仏の名を持つなり』とある文から『仏告阿難汝好持是語』より已下は、正しく弥陀の名号を遐代に流通せしめたもうことを明かす」とし、「上来、定散両門の益を説くと雖も仏の本願に望むれば、意衆生をして一向に専ら阿弥陀の名を称せしむるに在り」としたのである。しかも、この文を法然は選択集で「『正しく弥陀の名号を付嘱して遐代に流通せしめたもうことを明かす』と言うのは、凡そこの経の中に既に広く定散の諸行を説くと雖も、即ち定散をもって阿難に付嘱して、後世に流通せしめず、唯念仏三昧の一行をもって、即ち阿難に付属して、遐代に流通せしむるなり…定散の諸行は本願にあらず…当に知るべし、随他の前には暫く定散の門を開くと雖も、随自の後には、還って定散の門を閉ず。一たび開いて以後、永く閉じざるは、唯これ念仏の一門なりと定散の門を排斥したのである。
これを要約していうと、観無量寿経の文は三福を奨励しているのみである。善導は奨励していないが、本意が念仏にあるとしたのみで、排斥はしていない。ところが、法然は三福を排斥しているのである。それだけではない、この三福のなかの「読誦大乗」について、法然は「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より、法常住経に終わるまで、顕密の大乗経、総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり、皆須らく読誦大乗の一句に摂すべし…大乗を読誦すとの言は、普く前後の大乗の諸経に通ず。前とは観経已前の諸大乗経是れなり。後とは王宮已後の諸大乗経是れなり。唯大乗と云って権実を選ぶことなし。然れば則ち正しく華厳、方等、般若、法華、涅槃等の諸大乗教に当たれり」と観無量寿経より後に説かれる法華経をも「読誦大乗」の中に含まれるとして、人々に法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと説いたのである。
「観無量寿経で、ただ『大乗』と言っているだけだから、観無量寿経を説く前も後もすべて含むのであり、法華経等はこの『読誦大乗』の一句に入るのである」とは随分、乱暴な議論である。「読誦大乗」等の定散の門を排斥すること自体、観無量寿経の意から外れているのに、観無量寿経より後の大乗もすべて含めて排斥させるべきだとするのは全く我見以外のなにものでもない。法華経法師品の「已今当説」の文のように、はっきり表現されていない限り、観経の時点でまだ説いていない経はふくまれないのが当然であり、まして観経そのものが後に無量義経で釈尊によって「未顕真実」と打ち破られるのであるから、法然の義は邪義としか言いようがない。
「眼あらん人」すなわち、これらの経釈を読み、理解できる人であるなら、善導や法然のような邪悪な説を述べた人物を用いられる道理がないとこたえられている。
0113:15~0114:04 第八章 通力を讃える誤りを破すtop
| 15 疑つて云く善導和尚は三昧発得の人師・本地阿弥陀仏の化身・口より化仏を出せり、法然上人は本地大勢至菩薩 16 の化身既に日本国に生れては 念仏を弘めて頭より光を現ぜり争か此等を僻人と申さんや、 又善導和尚・法然上人 17 は汝が見る程の法華経並に一切経をば見給はざらんや 定めて其の故是あらんか、 答えて云く汝が難ずる処をば世 18 間の人人・定めて道理と思はんか、是偏に法華経並に天台・妙楽等の実経・実義を述べ給へる文義を捨て善導・法然 0114 01 等の謗法の者にたぼらかされて年久くなりぬるが故に 思はする処なり、 先ず通力ある者を信ぜば外道天魔を信ず 02 べきか 或る外道は大海を吸干し或る外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり 第六天の魔王は三十二相を具足して仏 03 身を現ず、 阿難尊者・猶魔と仏とを弁へず善導・法然が通力いみじしというとも天魔外道には勝れず、 其の上仏 04 の最後の禁しめに通を本とすべからずと見えたり、 -----― 疑って言う。善導和尚は三昧に入って悟りを得た人師で、本地阿弥陀仏の化身であり、口より化仏を出したという、法然上人は本地大勢至菩薩の化身として日本国に生まれ、念仏を弘めて、頭から光を現じたという。どうしてこの人たちを僻人ということができようか。また善導和尚・法然上人は、貴殿が見る程度の法華経ならびに一切経をご覧にならないはずがない。きっとその理由があるのであろう。 答えて言う。貴殿が批判するところを世間の人々はきっと道理と思うであろう。これはひとえに、法華経並びに天台大師・妙楽大師等の実経・実義を述べられた文義を捨て、善導・法然等の謗法の者にたぶらかされて年久しくなったためにそう思うのである。まず通力がある者を信ずるのならば外道や天魔を信ずるのか。ある外道は大海を吸い干し、ある外道は恒河を十二年間も耳に湛えたという。第六天の魔王は神通で三十二相を具足して仏身を現じたので、阿難尊者でさえなお魔と仏とを見分けられなかった。善導・法然の通力が勝れているといっても天魔や外道には勝てない。そのうえ仏の最後の禁しめに、通力を根本としてはならないとある。 |
三昧発得の人師
「三昧」は静慮のとこ。三昧に入って智慧を発し悟りを得ている人師。三昧はサマーディ(samādhi)の音写。三摩提・三摩帝とも書く。定・正定・正受・等持などと訳す。心を一所に定めて動じないことをいう。経文では種々の三昧が説かれているが、人師とは仏や菩薩でなくして、しかも人々を教導する者をいう。像法時代の天台大師・妙楽大師をはじめ、善導・法蔵・嘉祥・玄奘・慈恩などを人師といった。
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本地阿弥陀仏の化身
「本地」は本来の境地。「阿弥陀仏」は、梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。「化身」は現れた姿で、阿弥陀仏が化身して善導となって現れたということ。
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化仏
仏・菩薩が神通力によって化身した仮の姿・形。
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勢至菩薩
勢至は梵名マハースターマプラープタ ( mahaasthaamapraapta])といい、大勢至・得大勢・大精進とも訳し種々の経に説かれている。①爾前諸教では阿弥陀三尊のひとつとして、観世音菩薩とともに、阿弥陀仏の脇士となって智慧をあらわす。②法華経では八万の菩薩の一人として霊鷲山会にっその名を連ね、阿耨多羅三藐三菩提を得て退転なく、自在の法を説くことができたとある。③不軽品の対告衆
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一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
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実経
真実の法・教えのこと。仏が自らの悟りをそのまま説いた経。権教に対する語で、法華経をさす。
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実義
真実義のこと。仏の本意をいう。
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通力
すべての事物・事象に通達した自由自在の力のこと。神通力。
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天魔
天子魔の略で、四魔の一つ。欲界の第六天に住する魔王とその眷属によって起こり、父母・妻子・権力者等のあらゆる姿をとって正法破壊の働きをなし、仏道修行を妨げようとする。四魔の中でも、天子魔は大天魔・第六天の魔王ともいわれ、最も恐ろしい魔とされる。
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第六天の魔王
他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
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三十二相
三十二とは、応化の仏が備えている特別な相のことで、仏はこの三十二相を現じて、衆生に渇仰の心を起こさせ、それによって人中の天尊、衆星の主であることを知らしめること。
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善導・法然は仏の心に背き、法華経にたがっているから用いないのであると言われたのに対し、問者は善導・法然の超人的な力を挙げ、法華経なども知ったうえで「千中無一」「捨閉閣抛」と言ったに違いないと反論する。
この念仏者の善導・法然擁護の論点は二つである。第一は“善導和尚は深き禅定に入り悟りを得た三昧発得の人師であり、本地は阿弥陀如来が衆生を救うために再来した化身である。口からは仏を化現したという聖者である。また法然上人は本地大勢至菩薩の化身であり、その再来として日本国に生まれて念仏を弘め、頭から光明を現じたという聖者である。どうしてこれほどの素晴らしい人を僻見の人ということができようか”というものである。要するに、特別な通力・威徳を持っている“人”である、といいたいわけである。
また第二は“善導和尚、法然上人は、汝が読んだぐらいの法華経や一切経を見なかったはずがない。法華経等を捨てて念仏の行に帰したのは、きっと正当な理由があってのことであろう”というものである。ここでは、そのようにすぐれた人だから全てを知ったうえで言われたのであり、一見、凡夫には矛盾するようでも、もっと深い理由にのっとっておられたのではないかという考え方が反映される。
以上の二点に答えるまえに、大聖人は「念仏者の疑難を世間の人々もきっと道理であると思うであろう」と言われ、なぜそうなったかについて、「人々が法華経と天台大師・妙楽大師等の法華宗の実義を捨てて、善導・法然等の法華誹謗の者にたぶらかされて年久しくなったためである」と仰せられている。道理に合わない教えも長い間、繰り返し聞かされていると、それが正しいように思われてくるのである。そうした人間の心理の弱さを指摘されているのである。
それとともに、かつては法華経・天台仏法により、まともな考え方できた人々が、不合理な神秘主義に囚われ、堕落していく場合も少なくないのであり、このことも常に戒めていかなければならない点であろう。
彼らの言う、善導・法然の仏菩薩の化身であるというのは、尊敬するあまりの身格化であり、口から仏を化現したとか頭から光明を現じたということは、いわゆる“通力”に属するものである。通力をもっている者が尊いとするならば、外道か天魔を信ずべきであろうと破折されている。なぜなら、たとえ善導・法然が通力をもっていたとしても、それらは天魔・外道について言われている通力には遠く及ばないのであり、通力をもって尊ぶとするならば、天魔・外道こそ尊ばなければならないからである。
その例として、外道の通力を二つと天魔の通力を挙げられている。まず「或る外道は大海を吸干し」は耆兎仙人は伝記不明であるが、涅槃経によると「一日の中に四海の水を飲みほし、大地をして乾かした」とある。また「或る外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり」は阿伽陀仙人外道である。
次に大聖人は第六天の魔王の通力を挙げられている。第六天の魔王は通力で32相を具足して仏身を現じたといわれる。32相といえば、仏・転輪聖王のもつ相であり、その通力の大きさは外道とは比較にならない。まして、善導や法然の通力とは比べ物にならない。通力をもって信ずるというなら、第一に第六天の魔王を信ずるべきだということになる。そして第六天の魔王を信じれば、堕地獄なのである。その説いている教えの正邪の判断は、文証・理証・現証によるべきで、教えの内容とは関係のない通力を基準にすること自体が誤りなのである。
この問題については、大聖人は唱法華題目抄や星名五郎太郎殿御返事等にも述べられており、大聖人が不合理な神秘主義を厳しく排斥されたことがうかがわれる。
唱法華題目抄には「疑つて云く唐土の人師の中に慈恩大師は十一面観音の化身牙より光を放つ、善導和尚は弥陀の化身口より仏をいだすこの外の人師通を現じ徳をほどこし三昧を発得する人世に多しなんぞ権実二経を弁へて法華経を詮とせざるや、答えて云く阿竭多仙人外道は十二年の間耳の中に恒河の水をとどむ婆籔仙人は自在天となりて三目を現ず、唐土の道士の中にも張階は霧をいだし鸞巴は雲をはく第六天の魔王は仏滅後に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・阿羅漢・辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり通力をもて智者愚者をばしるべからざるか、唯仏の遺言の如く一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権経に宿習ありて実経に入らざらん者は或は魔にたぼらかされて通を現ずるか」(0016-07)と述べられ、通力によって自らを立派に見せようとするのは彼ら自身が魔にたぶらかされているのである。と仰せられている。
また星名五郎太郎殿御返事にでは「善導・法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す」(1209-04)と言われた後「阿竭多仙人」「耆兎仙人」「拘留外道」の例を挙げられ、また「瞿曇仙人」「弘法」が仏身を現じて衆生を惑わした例を挙げられて、通力などには何の価値もなく、正法に適っているか否かが大事であって、正法誹謗の者は一切衆生の悪知識であるから近づいてはならない、と厳しく戒められている。
「阿難尊者・猶魔と仏とを弁えず」とは涅槃経に、釈尊の10大弟子の一人・阿難尊者といえども如来の姿を現じた魔をみぬけなかったと説かれたことをいう。
0114:04~0114:14 第九章 先人の正した天台等の例挙げるtop
| 04 次に善導・法然は一切経・並に法華経をばおのれよりも見たりな 05 んどの疑ひ 是れ又謗法の人のためにはさもと思ひぬべし、 然りといへども如来の滅後には先の人は多分賢きに似 06 て後の人は大旨ははかなきに似たれども 又先の世の人の世に賢き名を取りてはかなきも是あり、 外典にも三皇・ 07 五帝・老子・孔子の五経等を学びて賢き名を取れる人も後の人にくつがへされたる例是れ多きか、 内典にも又かく 08 の如し、 仏法漢土に渡りて五百年の間は明匠国に充満せしかども 光宅の法雲・道場の慧観等には過ぎざりき、此 09 等の人人は 名を天下に流し智水を国中にそそぎしかども・天台智者大師と申せし末の人・彼の義どもの僻事なる由 10 を立て申せしかば 初には用ひず後には信用を加えし時 始めて五百余年の間の人師の義どもは僻事と見えしなり、 11 日本国にも仏法渡りて二百余年の間は異義まちまちにして 何れを正義とも知らざりし程に 伝教大師と申す人に破 12 られて前二百年の間の私義は破られしなり、 其の時の人人も当時の人の申す様に 争か前前の人は一切経並に法華 13 経をば見ざるべき定めて様こそあるらめなんと申しあひたりしかども 叶はず経文に違ひたりし義どもなれば 終に 14 破れて止みにき、 -----― 次に善導・法然は一切経並びに法華経を貴殿よりも見ているであろうとの疑問も、これまた謗法の人にすれば“なるほど”と思ってしまうだろう。 しかしながら仏の滅後には先の人がだいたい賢く、後の人は劣っているようであるけれども、先の世の人で世間から賢いとされて実は愚かな人もある。 外典にも三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学んで賢いと名を取った人も、後の人に覆された例は多いようである。 内典でも同様である。仏法が漢土に渡って五百年の間は、立派な学者が国に充満していたけれども、光宅寺の法雲・道場寺の慧観等は越えられなかった、これらの人々は名を天下に流布し、その智慧は国中にその恩恵をもたらしたけれども、天台智者大師という末の世の人が彼らの義の間違っているわけを言ったら、初めは用いなかったが、後になって信用するようになり、初めて五百余年の間の人師の法義は誤りであることが分かったのである。 日本国でも仏法が渡来して二百余年の間は異義がいろいろで、どれが正義なのかを知らないでいたところに伝教大師という人が出現して、それまでの二百年の間のさまざまな私義は打ち破られてしまった。その当時の人々も現在の人が言うように「以前の人々は一切経並びに法華経を見ないことがあろうか。だからきっと訳があるのだろう」などと言い合っていたが、道理にはかなわず、経文に相違している義があったので、ついには破れてしまったのである。 |
外典
仏経典以外の典籍。内典に対する語。
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三皇
中国古代の伝説上の理想君主。伏羲・神農・黄帝または伏羲・黄帝・神農とされるなど異説も多い。
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五帝
三皇に続く中国古代の五人の帝王。諸説があるが史記によれば伏羲・顓頊・帝嚳・尭・舜。
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老子
生没年不明。中国周代の思想家。道徳経を著す。史記によると、楚の苦県の人。姓は李、名は耳、字は伯陽。周の守藏の吏。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令、尹喜が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたと言う。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。
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孔子
(前0551頃~前0479)。中国・春秋時代の思想家。儒教の祖。名は丘。字は仲尼。生まれは魯国の昌平郷陬邑。魯国に仕えたが用いられず、諸国を遍歴した。堯・舜、文王・周公旦等を尊敬し、仁を理想とする道徳を説き、主君や父母に真心をもって仕える忠孝の道を教えた。晩年は魯国に帰り、著述と弟子の育成に務め、六経を編纂したといわれる。死後、弟子が孔子の言行等を記録したのが論語である。
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五経
需家の基本的な文献である易経・書経・詩経・礼記・春秋のこと。古来、知識人の間では教養上の必読書とされていたが、漢の武帝が儒教研究のために五経博士を置いてから更に重要性が増した。ただし、この時の五経には礼記・春秋は含まれず、儀礼・春秋公羊が用いられていた。
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内典
仏教以外の経典を外典というのに対して、仏経典を内典という。
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光宅寺の法雲
(0467~0529)。中国・南北朝時代の僧。開善寺の智蔵・荘厳寺の僧旻とともに梁の三大法師と称され、成実、涅槃の学匠として名高い。江蘇省宜興市の人で姓は周氏。7歳で出家し、30歳で法華経・浄名経を講じた。天監7年(058五)勅により光宅寺の主となる。天監10年(0511)の華林園における法華経の講説に際し、天花降下の奇瑞を感じたという。普通6年(0523)大僧正に登る。南三北七の南三の第三にあたる定林寺の僧柔・慧次および道場寺の慧観の立てた五時教即ち、有相教(阿含経)、無相教(般若経)、抑揚教(浄名経等)、同帰教(法華経)、常住教(涅槃経)の釈を用い、涅槃経は法華経に勝るとしている。
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道場の慧観
中国の南北朝時代に活躍した僧である。姓は崔氏。清河の人。道場寺に住した僧である。
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僻事
道理にあわないこと。事実と違っていること。
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次に第二の、善導・法然が「千中無一」「捨閉閣抛」と言ったのは一切経並びに法華経を見たうえでのことで、あなたよりも深く仏法を知っての結論だったはずだという疑難について、答えられている。これについてまず、謗法の人にとってみれば、この意見はいかにももっともだと思ってしまうであろう、と仰せられている。
如来滅後は、正法から像法、そして末法へと推移することから前代の人が賢明で、後代の人はおおむね愚かであるように思われるが、その逆もあり、その時代には世間から賢人の名声を得ても、時が経つと名声は失われてしまう人もいると反論され、中国の儒教や同教においても、三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学んで、賢人と謳われながら、後世の人にその名声を覆された例は多くあると仰せられている。
仏法の歴史でも同様であるとして、中国と日本における例を挙げられている。中国の例は、光宅寺の法雲・道場寺の慧観らの義が天台大師に打ち破られたことであり、日本の例は、仏法が日本に渡って200余りの間に立てられた所説が伝教大師によって打ち破られたことである。
光宅寺の法雲は中国・南北朝時代の南家の一人で涅槃宗の祖師となった。南三北七の10師の筆頭と目された存在であった。一代仏教を五時に分けて三経を選び出し、華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三の説を立てた。
道場寺の慧観もまた南北朝時代の人で、鳩摩羅什に師事した。南三北七の中の南地の第三師として、五時教判を立て、法雲にも影響を与えた。
これらの人々はその名声を天下に喧伝され、その智慧は国中に感化を及ぼしたが、天台智者大師が立てた五時八教説によってこれら南三北七は悉く打ち破られたのである。慧観は法華経を漢訳した羅什に師事したのであるから、法華経を知っていたことはもとよいであるが、その智解は天台には敵わなかったのである。
日本の場合には仏法が渡来して200年ぐらいの間、南都奈良を中心とした小乗・権大乗教の俱舎・成実・律・法相・三論・華厳の六宗が種々、異なった法義を立てていたところに、伝教大師が出て、法華経を根本に南都六宗の義を打ち破った。
四信五品抄に「夫れ人王三十代欽明の御宇に始めて仏法渡りし以来桓武の御宇に至るまで二十代二百余年の間六宗有りと雖も仏法未だ定らず、爰に延暦年中に一りの聖人有つて此の国に出現せり所謂伝教大師是なり、此の人先きより弘通する六宗を糾明し七寺を弟子と為して終に叡山を建てて本寺と為し 諸寺を取つて末寺と為す」(0342-16)と述べられているとおりである。
伝教大師当時の人々も、大聖人御在世の人がいうように、「どうして、以前の人師は一切経ならびに法華経を見ていないであろうといえよう。きっと理由があったに違いない」と言ったが、伝教大師の義にはかなわず、諸宗の立義は経文に相違する私義であったので、伝教大師に打ち破られた、と仰せられている。
0114:14~0115:04 第十章 念仏者の経文違背を責めるtop
| 14 当時も又かくの如し此の五十余年が間は善導の千中無一・法然が捨閉閣抛の四字等は 権者の釈 15 なれば・ゆへこそあらんと思いてひら信じに信じたりし程に 日蓮が法華経の或は悪世末法時 或は於後末世或は令 16 法久住等の文を引きむかへて相違をせむる時 我が師の私義破れて疑いあへるなり、 詮ずるところ後五百歳の経文 17 の誠なるべきかの故に念仏者の念仏をもて法華経を失ひつるが還つて 法華経の弘まらせ給うべきかと覚ゆ、 但し 18 御用心の御為に申す世間の悪人は 魚鳥鹿等を殺して世路を渡る、 此等は罪なれども仏法を失ふ縁とはならず懺悔 0115 01 をなさざれば三悪道にいたる、 又魚鳥鹿等を殺して売買をなして善根を修する事もあり、 此等は世間には悪と思 02 はれて遠く善となる事もあり、 仏教をもつて仏教を失ふこそ失ふ人も失ふとも思はず 只善を修すると打ち思うて 03 又そばの人も善と打ち思うてある程に 思はざる外に悪道に堕つる事の出来候なり、 当世には念仏者なんどの日蓮 04 に責め落されて 我が身は謗法の者なりけりと思う者も是あり、 -----― 今もまた同じことである。この五十余年が間は善導の「千中無一」、法然が唱えた「捨閉閣抛」の四字等は、阿弥陀や勢至菩薩が仮に出現された、立派な権者の釈であるから、わけがあるだろうと思ってひたすら信じていたところに、日蓮が法華経のあるいは「悪世末法の時」、あるいは「後の末世に於いて」、あるいは「法をして久しく住せしめ」等の文を引いて、相違を責める時、自分の師の私義が破れて疑うようになってきたのである。 所詮は「後の五百歳」の経文が真実となるのが当然で、念仏者が念仏をもて法華経を滅ぼそうとしてきたのが、かえってそれによって法華経が弘まるであろうと思われる。 ただし御用心のために申し上げる。いわゆる世間の悪人は魚・鳥・鹿等を殺して生活している。これらは罪ではあるが、仏法を滅ぼす縁とはならない。ただし懺悔をしなければ三悪道に堕ちる。また、魚・鳥・鹿等を殺して売買し、善根を修することもある。これらは世間では悪と思われても遠くは善となることもある。 仏教をもって仏教を滅ぼすことこそ、滅ぼしている人も自分が仏教を滅ぼしているとも思はず、善を行っているのだと思いこんでおり、また周囲の人もそう思っているのであるが、それとは裏腹に悪道に堕ちる結果になるのである。今の世には念仏者等が日蓮に責め落とされて我が身は謗法の者だったのだと気づいている者もある。 |
捨閉閣抛
法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
―――
権者
かりの姿のこと。仏・菩薩が衆生救済のために、仮の姿でもってあらわれた存在。権化・権現ともいう。
―――
悪世末法
分別功徳品には「悪世末法の時、能く是の経を持たん者は」とあり、第五の五百歳、闘諍堅固・白法隠没の悪世において、地涌の菩薩が出現することを明かしている。
―――
於後末世
安楽行品にに出てくる。「後の末世の、法滅せんと欲せん時に於て」と読む。この経文は、一応は方便権教の利益がなくなる時代をさしていうが、再往は釈迦仏法の一切が利益を失い滅する末法の初めをさしている。宝塔品の「於恐畏世」、勧持品の「恐怖悪世」と同意である。法華初心成仏抄には「釈尊入滅の後・第五の五百歳と説くも来世と云うも濁悪世と説くも正像二千年過ぎて末法の始二百余歳の今時は唯法華経計り弘まるべしと云う文なり」(0550-01)とある。
―――
令法久住
宝塔品に出てくる語。「釈迦多宝分身の諸仏はひとえに法華経をして久しく世に住ぜしめんとおぼす故に、十方分身の諸仏はもろもろの、浄土および所化の衆または供養のことを捨てて、みなこの娑婆世界に集会したもう」とあり、このことを「方をして久しくくじゅうせしめんが故に」とといたもの。三箇の勅宣の一つである。この文を文底より拝するならば、日蓮大聖人御建立の本門の大御本尊を末法万年にまでひろめ伝えていくことになる。
―――
後五百歳
薬王品の文。「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布す」とある。末法のはじめ。
―――
世路
世間を渡る路。世の中一般の生き方。世間の考え方の合わせて、波風を立てないでいくことが得策だという考え方。
―――
懺悔
過去の罪悪を悟って悔い改めること。法華経の結経である仏説観普賢菩薩行法経には「若し懺悔せんと浴せば端座して実相を思え、衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す」とあり、これを大荘厳懺悔という。実相妙法であり、即、大御本尊である。また、そのほかに、五種の懺悔が説かれている。いわく「いかなるを刹利・居士の懺悔の法と名づくる。摂利、居士の懺悔の法とは、但まさに正心にして三宝を謗ぜず、出家を障えず、梵行人のために悪留難を作さざるべし。まさに繋念にして六念の法を修すべし。またまさに大乗を持つ者を供養し、必ず礼拝すべし。まさに甚深の教法第一義空を憶念すべし。この法を思う者、これを刹利・居士の第一の懺悔と名づく。第二の懺悔とは父母に孝養し、師長を恭敬する。これを第二の懺悔の法を修すと名づく。第三の懺悔とは、正法をもって国を治め人民を邪枉、これを第三の懺悔を修すと名づく。第四の懺悔とは、六斉日において、もろもろの境内に勅して、力の及ぶ処に不殺を行ぜしめ、かくのごとき法を修する。これを第四の懺悔を修すと名づく。第五の懺悔とは、ただまさに因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし。これを第五の懺悔を修すと名づく」と。
―――
三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
―――
善根
善い果報を招くべき善因。根とは結果を生ずべき因。題目を上げること、折伏・弘教への実践活動が最高のである。一生成仏抄には「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(0383-14)とある。
―――――――――
大聖人御在世当時も、天台大師や伝教大師の時と同じであることを述べられている。
「此の五十余年が間」とは、法然の専修念仏が日本中に広まるようになってからの歳月をいわれている。
撰時抄に次のように仰せである。
「顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる、其の上設い法然が弟子とならぬ人々も 弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし心よせにをもひければ日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり、此の五十年が間・一天四海・一人もなく法然が弟子となる法然が弟子となりぬれば日本国一人もなく謗法の者となりぬ」(0274-11)と。
顕真は叡山天台宗の61代座主である。“その座主ですら法然の弟子となった。そのうえ、弟子でもない人々までも念仏を口ずさむほどであった。こうしてすべての人々が法然のでしとなり、一国謗法となった”ということである。
この念仏宗を信じた多くの人々は善導の「千中無一」、法然の「捨閉閣抛」の四字等については、阿弥陀如来・大勢至菩薩が衆生を救うために権の姿を現じられた聖者の所説なので、法華経を捨てよと言われることも深い理由があってのことであろうと思って、盲目的に信じてきたと言われている。
こうした時に、大聖人が現れて、法華経を根本として、誤った法義を呵責していかれたのである。大聖人が念仏を打ち破るうえで用いられた法華経の文として、ここでは「悪世末法時」「於後末世」「令法久住」を挙げられている。それぞれの前後を補うと次のような文である。
分別功徳品第17の「悪世末法の時、能く此の経を持たん者は、則ち為れ已に上の如く、諸の供養を具足するなり」の文。
安楽行品第14の「後の末世の、法滅せんと欲せん時に於いて、法華経を受持すること有らん者は、在家・出家の人の中において、大慈の心を生じ」の文。
見宝塔品第11の「法をして久しく住せしめんが、故に来至したまえり」の文。
これらの経文は、いずれも法華経こそ悪世末法の時に弘められるべき法であることを明らかにしたものである。大聖人は、これらの文によって、法華経等を捨てよと説く念仏宗の誤りを指摘されたのである。
その結果、念仏宗の人々の中に、法然の教えに対し疑問を抱く人が出てきた、と仰せられ、所詮、法華経薬王品第23に「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布」と説かれていることが真実になっているのは必然であるから、念仏者が念仏をもって、法華経を捨てさせようとしたことも、かえって法華経が弘まる機縁となるのである、と仰せられている。
かれは、大聖人にとって、念仏宗の邪義があるゆえに、正法を明らかにしやすいということ、また念仏の流布したことが題目の流布の素地を調えたということで、大聖人には大悪大善御書にも「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(1300-01)と仰せである。
このように大聖人の眼からすれば念仏宗も法華経の正法が流布する瑞相であるが、念仏が謗法の大罪であることに変わりない。
ゆえに大聖人は次に「但し御用心の御為に申す」として、“魚・鳥・鹿等を殺すことは罪であるが仏法を滅ぼす縁とはならず、時によっては魚・鳥・鹿等を殺して売買することを生行としていても、それによって保った命によって善根を積むこともある。したがって、社会的には悪と思われても、仏法上からは善の縁因となることがある”と仰せられ、それに対して“仏法をもって仏法を滅ぼすことは、失う人も善根を修しているのだと思い、また周囲の人も善であると思うゆえに懺悔もしないから、かえって悪道に堕ちることがある”と警告されている。
世間の悪をもって仏法をやぶることはできないとし、またその悪は見破りやすい。しかし、仏法を行ずる者が仏法を破壊するのは自覚がないゆえに謗法の者も、また一切衆生も皆、悪道に堕ちるのであり、最も恐れなければならないのである。それを気づかせるために、大聖人は折伏を行じられたのであり、今の念仏者たちは、大聖人の折伏にあい、邪法邪義を攻め落とされて“我が身は謗法の者であったのだ”と気づく人も出てきている、と仰せられている。
0115:04~0115:08 第11章 聖道門の人の法華経誹謗を挙げるtop
| 04 聖道の人人の御中にこそ実の謗法の人人は侍れ彼 05 の人人の仰せらるる事は 法華経を毀る念仏者も不思議なり念仏者を毀る日蓮も奇怪なり、 念仏と法華とは一体の 06 物なり、 されば法華経を読むこそ念仏を申すよ念仏申すこそ 法華経を読むにては侍れと思う事に候なりとかくの 07 如く仰せらるる人人・聖道の中にあまたをはしますと聞ゆ、 随つて檀那も此の義を存じて 日蓮並に念仏者をおこ 08 がましげに思へるなり -----― 聖道門の人々の中にこそ、まことの謗法の人々がいる。彼の人々の言っていることは「法華経を毀る念仏者も不思議であり、念仏者を毀る日蓮も奇怪である。念仏と法華経とは一体のものである。したがって法華経を読むことこそ念仏を称えることであり、念仏を称えることこそ法華経を読むことになると思う」と、このように言う人々が聖道門の中に数多くいると聞いている。したがって檀那もまたこの義を知って、日蓮並びに念仏者をばかげていると思っているのである。 |
聖道
聖道・浄土の二門のうちの聖道門。自力によってこの現実世界で成仏することができるとする法門。
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檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
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以上のように、念仏者が「仏教をもって仏教を失ふ」謗法の者であることを示されたうえで、更に大聖人は、聖道門の中にかえって真の謗法の者がいるとおおせられている。聖道門とは、念仏を浄土門とし、念仏以外の諸経・諸宗をさしていう、念仏の用語である。ここでは、法華宗・真言宗などの人々をさしている。彼らは、本来なら、念仏を破折すべき立場にありながら、念仏宗に妥協して念仏を取り入れている人々もおり、その理屈として念仏も法華経もともに仏の教えであって差別はないとしたのである。
それを裏づける理由として、法華経によって一切経が開会された後は、一切法はみな法華経としたのである。こうした旧仏教の考え方が流布していたことは、如説修行抄にも「答えて云く当世・日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云、」(0502-10)と挙げられている。
この立場から、彼らは“法華経を毀る念仏者もおかしいが、念仏者を毀る日蓮も不可解である。念仏と法華とは一体なのだから、法華経を読むことは念仏を称えているのと同じであり、念仏を称えることは法華経を読んだのと同じである”と言っている。天台宗・真言宗は当時の日本では最も権威があり、その高僧たちは日本仏教界の頂上に立つ人々であった。当然その「檀那」は、日本の指導的な立場の人々で、この考えに同調した。この、いわば“無関心”が念仏の謗法を野放しにする結果を招いたのである。
0115:08~0116:01 第12章 念仏と法華経の同一視を破すtop
| 08 先日蓮が是れ程の事をしらぬと思へるははかなし。 09 仏法漢土に渡り初めし事は 後漢の永平なり渡りとどまる事は唐の玄宗皇帝・開元十八年なり、渡れるところの 10 経律論・五千四十八巻・訳者一百七十六人其の経経の中に 南無阿弥陀仏は即南無妙法蓮華経なりと申す経は一巻一 11 品もおはしまさざる事なり、 其の上阿弥陀仏の名を仏説き出し給う事は 始め華厳より終り般若経に至るまで四十 12 二年が間に所所に説かれたり、 但し阿含経をば除く一代聴聞の者・是を知れり、 妙法蓮華経と申す事は仏の御年 13 七十二・成道より已来四十二年と申せしに 霊山にましまして無量義処三昧に入り給いし時・文殊・弥勒の問答に過 14 去の日月燈明仏の例を引いて 我燈明仏を見る乃至法華経を説かんと欲すと 先例を引きたりし時こそ 南閻浮提の 15 衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか、 三の巻の心ならば阿弥陀仏等の十六の仏は 昔大通智勝仏の御時・十 16 六の王子として 法華経を習つて後に正覚をならせ給へりと見えたり、 弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法 17 蓮華経の五字を習つてこそ 仏にはならせ給ひて侍れ、 全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給いたりとは見え 18 ず、 妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり、 能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よ 0116 01 と物知りがほに申し侍るなり、 -----― まず、日蓮がこの程度のことを知らないと思うのは愚かしいことである。 仏法が中国に渡り始めたのは、後漢の永平年間である。渡り終わったのは、唐の玄宗皇帝の時代、開元十八年である。渡されたところの経・律・論は五千四十八巻に及び、訳者は一百七十六人にもなるが、その経々の中に南無阿弥陀仏は即南無妙法蓮華経であると言っている経は一巻一品も存在しない。そのうえ阿弥陀仏の名を仏が説き出されたのは始め華厳経から終り般若経に至るまでの四十二年が間に、所々に説かれたのである。ただし阿含経は除く。釈尊一代の説法を聴聞した者はそれを知っている。妙法蓮華経というのは、仏が御年七十二、初成道より以来、四十二年という時に、霊鷲山にいらっしゃって無量義処三昧にお入りになった時、・文殊師利菩薩・弥勒菩薩の問いに答えて「私が過去の日月燈明仏にお会いしたとき、今と同じ瑞相が起き、仏は法華経を説こうと言われた」と先例を引いて述べたが、この時初めて、この世界の衆生は法華経の御名前を聞いたのである。 法華経巻三化城喩品の意によると、阿弥陀仏等の十六の仏は昔、大通智勝仏の御時に十六の王子として法華経を修行して正覚を得られたのである。阿弥陀仏も凡夫であった時は、妙法蓮華経の五時を修行しこそ仏になられたのである。全く南無阿弥陀仏と言って正覚を得られたわけではない。妙法蓮華経が根本の法であり、南無阿弥陀仏はその南無妙法蓮華経から開かれて出てきた所開の法である。この能開・所開の違いもわきまえないで南無阿弥陀仏は南無妙法蓮華経であると 物知り顔に言っているのである。 |
玄宗皇帝
(0685~0762)。中国・唐朝第6代皇帝(在位0712~0756)。26歳で即位し、外征を抑えて政治の乱れを正し唐の繁栄に貢献した(開元の治)。しかし「漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う」(1509-16)とおおせの通り、真言を信じ、善無畏三蔵に師事したため、臣下の安禄山によって都を追われ、皇位を失った。これは真言亡国の現証である。
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経律論
仏法の経典を経蔵・律蔵・論蔵の三種類に分類したもので、三蔵という。経論は一切の教義を蔵める義、経とは仏の教説を集成した経典、律とは仏の定めた修行上の戒律、論とは経典を注釈したもの。戒定慧の三学から見れば、経は定学・律は戒学・論は慧学を説いている。この三蔵には、小乗・大乗・大小の三種の三蔵がある。また仏教経典に精通した人を三蔵法師という。
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品
①品物・性質・等級・位。②同等・同類のものを集めてひとくくりとしたも、上品・中品・下品など。③仏典で書物の章や篇にあたるもの。
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阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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般若経
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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阿含経
釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経51巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
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一代聴聞の者
一代聖教を聴聞した者。
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霊山
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
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無量義処三昧
無量義を生み出す根源の一法に心を定めて思索する境地のこと。
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文殊・弥勒の問答
釈尊が無量義処三昧に入ったとき地動瑞や光瑞等の六瑞が起こり、瑞相が生じた訳を弥勒が大衆を代表し文殊が聞き、文殊が答えたことをいう。
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日月燈明仏
略して燈明仏ともいう。法華経序品第一の最初に、八万の大菩薩、万二千の声聞衆、その他のあらゆる衆生が、釈迦仏のもとへ集まったところ、天より曼陀羅華が降り、地は六種に震動し、仏は眉間の白亳より光を発ち、万八千の世界を照らした。大衆は不思議に思い、弥勒菩薩が代表して文殊師利菩薩にこの瑞相の訳を問いた。文殊が答えるには、「過去世に日月燈明仏がおられた。声聞に四諦の法を、縁覚に十二因縁を、菩薩に六波羅蜜の教えをそれぞれ説いて、菩提を成ぜしめた。さらにその次の仏、そして次の仏と、二万の仏が生じ、それがみな同一の仏号をもって出世した。その最後の日月燈明仏がまだ出家していないとき、八人の王子があり、みな父に従って出家した。そのとき、日月燈明仏は無量義経を説き、無量義処三昧に入った。その後、皆が今見ているところの瑞相を現じてのち、八百の弟子の上首である妙光菩薩によせて、法華経を説いた。その時の妙光菩薩とは、我、文殊である。日月灯明仏は法華経を説き終わって、涅槃にはいった。それがあたかも、いまの釈迦仏のようであった」と、無量義処三昧から法華経開説までの因縁を明かしたのである。
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南閻浮提
須弥山の南にある州。起世経巻一に「須弥山王の南面に州あり、閻浮提と名づく、其の地縦広七千由旬にして、北は闊く南は狭く、婆羅門車闊のごとし、その中の人面もまた地の形に似たり、須弥山王の南面は天晴瑠璃より成りて閻浮提州を照らせり。閻浮提州に一大樹あり、名づけてという、其の本は亦縦広七由旬にして」とあり、竜樹菩薩の大智度論三十五にも「閻浮は樹の名、その林茂盛、此の樹は林中において最も大なり、提は名づけて州となす、此の州上に樹林あり」等と述べられている。仏法有縁の人間の住する国土で、現代でいえば、地球全体、全世界を意味する。法華経普賢品に「閻浮提内広令流布」とあるのは、法華経本門寿量品の文底に秘沈された三大秘法が全世界に広宣流布との予言である。ゆえに、御義口伝に「当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり」とある。
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大通智勝仏
三千塵点劫の昔にいたという仏。化城喩品には「乃往、無量無辺不可思議阿僧祇劫、爾の時に仏有ましき、大通智勝如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名づく。其の国を好成と名づく、劫を大相と名づく」とある。大通智勝仏は二万劫の間法華経を説かなかった。大通智勝仏に十六の子供があった。その十六人の子供の請によって、二万劫過ぎてから妙法蓮華経を説いた。その時十六王子および小分の声聞は信受して法華経を得たが、多分の衆生は疑いを起こして信じなかった。そこで後に16王子は父の説を繰り返して法華経を説いた。これを「大通覆講」という。またこれによって、その時の衆生は、ようやく信解することができた。この十六番目の王子が釈尊で、その時の下種を大通下種という。
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正覚
正しい覚り。妄惑を断滅した如来の真正の覚智。成仏。
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能開
開会すること。あるいは開会するもののこと。
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所開
開会されること。あるいは開会されるもののこと。
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まず、大聖人が念仏と法華が一体であるか否かぐらいのことを知らないわけがなく、知らないと思っている念仏者の愚かさを指摘されたあと、二点にわたって破折されている。その第一は、南無阿弥陀仏が南無妙法蓮華経と同じであると説いている経は一つとしてないということである。第二は、南無妙法蓮華経が能開南無阿弥陀仏は所開であり、阿弥陀仏も南無妙法蓮華経を習って仏になったという点である。
仏法が中国に伝来しはじめたのは、後漢の永平年間であり、渡り終わったのは唐の玄宗皇帝の開元18年(0730)で、その間、伝えられた旧訳の経・律・論は合わせて5048巻訳者は176人であると仰せられている。その経々のなかに、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経が一体であると説いている経は、一巻一品も存在していないと断言されている。
そのうえ、阿弥陀仏の名は小乗の阿含経を除いて、爾前経のさまざまな個所に出ていると仰せられている。それだけ阿弥陀仏といっても、さまざまであるということで、そのことはまた、結局、阿弥陀仏は枝葉にすぎないということである。これに対して、妙法蓮華経の名は爾前経にはなく、法華経に至って初めて出るのである。大聖人は法華経序品第一の文を引かれている。
大衆が法華経の説法に集まり、いよいよ説法が始まろうとする序品第一の冒頭に次の一節がある。
「爾の時に世尊、四衆に圍繞せられ、供養恭敬・尊重讃歎せられて、諸の菩薩の為に、大乗経の、無量義、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたもう。仏、此の経を説き已って、結跏趺坐し、無量義処三昧に入って、身心動したまわず」。
「此の経」とは無量義経であり、無量義経の説法のあと、仏は、無量義経を生み出す根源の法について心を定め、思索に入ったのである。その時、放光瑞・地動瑞・雨華瑞等、いまだかってない不思議な種々の瑞相が現れる。弥勒菩薩が文殊師利菩薩にその理由を聞いたところ、文殊は、過去に日月燈明仏の法華経の説法の会座に列席した時のことを語る。「我燈明仏を見たてまつりしに、本の光瑞此の如し。是を以て知んぬ今仏も、法華経を説かんと欲するならん」。昔、燈明仏が法華経を説こうとされた時の光瑞等も、ちょうど今の瑞相と同じであった。これをもって考えるに、今の釈尊も法華経を説こうとされているのであろう。と答えた。この文殊の言葉によって、南閻浮提の衆生は法華経の御名を初めて聞いたのである、と仰せられている。
阿弥陀仏の名がさまざまな経に見られ、妙法蓮華経が法華経説法の時にしか顕れないということは、阿弥陀は枝葉であるのに対し、妙法蓮華経は根本であることをあらわしているのである。
三の巻の心ならば阿弥陀仏等の十六の仏は昔大通智勝仏の御時・十六の王子として法華経を習つて後に正覚をならせ給へりと見えたり、弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法蓮華経の五字を習つてこそ仏にはならせ給ひて侍れ
法華経巻第三化城喩品第7には三千塵点劫の昔、大通智勝仏が法を説き、それを16人の王子が聞いて、父の大通智勝仏に従って修行したことが説かれている。
爾の時に彼の仏、沙弥の請を受けて、二万劫を過ぎ已って乃ち四衆の中に於いて、是の大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたもう。是の経を説き已って、十六の沙弥、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、皆共に受持し諷誦、通利しき。是の経を説きたまいし時、十六の菩薩沙弥、皆悉く信受す」
この大通智勝仏の教化を16の王子が後に作仏する。その中に阿弥陀がいるのである。「西方に二仏、一を阿弥陀と名づけ、二を度一切世間苦悩と名づく」とある。ちなみに「東北方の仏を壊一切世間怖畏と名づく。第十六は、我釈迦牟尼仏なり」とあって、釈尊は大通智勝仏の16番目の王子であった。
このように、阿弥陀は本来、妙法蓮華経を受持し修行して仏になったのであり、そのゆえに「弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法蓮華経の五字を習ってこそ仏にはならせ給ひて侍れ」と仰せられているのである。阿弥陀仏に限らず一切の諸仏は妙法蓮華経を受持し修行して仏になったのであり、何よりも、阿弥陀仏が南無阿弥陀仏と称えて仏になった道理がないのである。能開とは、物事が生ずる根本であり、所開は生じた枝葉である。したがって、南無阿弥陀仏と称えれば、南無妙法蓮華経と唱えたこととが同じであるなどというのは、とんでもない誤りである。これが大聖人の破折の論点第二である。
能開と所開について
ここで能開・所開について、もう少し見ておきたい。十章抄で次のように仰せである。
「法華経は能開・念仏は所開なり、法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり、譬えば如意宝珠の如し金銀等の財を備えたり、念仏は一期申すとも法華経の功徳をぐすべからず、譬へば金銀等の如意宝珠をかねざるがごとし、譬へば三千大千世界に積みたる金銀等の財も一つの如意宝珠をばかうべからず」(1275-10)と。
如意宝珠と金銀を対比していえば、如意宝珠は、金銀も含め、あらゆる財宝を生じる根本であり、金銀は、如意宝珠から生み出される無数の財宝の一つにすぎない。生じる元になるのが能開であり、生み出される方が所開である。
これを一本の木に譬えれば、根元、幹は一本で、そこから無数の枝葉が生じる。根元が能開で、枝葉はそこから開かれるから所開である。妙法蓮華経はあらゆる仏を生じる根本であり、諸仏は、妙法蓮華経によって仏になったのである。したがって、妙法蓮華経が能開、阿弥陀仏は所開である。
ゆえに、唱法華題目抄には「故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり諸仏・諸経の題目は法華経の所開なり妙法は能開なりとしりて法華経の題目を唱うべし」(0013-13)と仰せられているのであり、南無阿弥陀仏と称えたことは、南無妙法蓮華経と唱えるのと同じであるとは、とんでもない僻見であることが分かる。
0116:01~0116:08 第13章 文証なきは謗法と示すtop
| 01 日蓮幼少の時・習いそこなひの天台宗・真言宗に教へられて此の義を存じて数十年 02 の間ありしなり、 是れ存外の僻案なり但し人師の釈の中に一体と見えたる釈どもあまた侍る、 彼は観心の釈か或 03 は仏の所証の法門につけて述たるを今の人弁へずして全体一なりと思いて 人を僻人に思うなり、 ケイ迹あるべき 04 なり、 念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、 彼をば本懐と 05 もをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは 念仏と一体ならざる事明白なり、 其の上多くの真言宗・ 06 天台宗の人人に値い奉りて候し時・此の事を申しければされば僻案にて侍りけりと申す人 是れ多し、 敢て証文に 07 経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず是こそ謗法となる根本にて侍れ、 あなかしこ・あなかしこ。 08 日 蓮 花 押 -----― 日蓮は幼少の時、習いそこないの天台宗・真言宗に教えられてこの間違った義を心得て数十年の間そのままでいたのである。しかし、これは全くの僻案である。ただし人師の釈の中には一体と見た釈尊が数多くある。それらは観心のうえでの解釈であろうか、あるいは仏の悟りの法門について述べたものを今の人はよく理解しないで全体が一つであると思って、人を僻人に思うのである。よくご推察すべきである。 念仏と法華経が一つならば、仏が念仏を説かれた観経等こそ仏の出世の本懐であるはずである。観経等を本懐ともお思いにならないで、法華経を出世の本懐とお説きになられたのは、念仏と一体でないことは明白である。 そのうえ多くの真言宗・天台宗の人々にあった時、このことを述べたら、念仏と法華経を一体だというのは僻案であったという人が多かった。必ず証文に経文が書いていなければ用いてはならない。これこそ謗法となる根本だからである。あなかしこ・あなかしこ。 日 蓮 花 押 |
天台宗
天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
―――
真言宗
大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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仏の所証の法門
諸法則実相、一切法は即、妙法というのが仏の悟り、すなわち仏の所証の法門である。このようにすでに悟りに到達した立場では一切法は妙法であるが、この悟りをめざして修業する立場では、根本の法と枝葉の法とを弁えていかねばんあらないのである。
―――
ケイ迹
①人の行為のあと、行状。②疑わしく思うこと、不審なこと。③おしはかること、推察。
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出世の本懐
仏が世に出現した究極の本意・目的。法華経方便品第二には、「諸仏世尊は唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうとある。釈尊にとっては法華経二十八品、天台にとっては「摩訶止観」が本懐であった。日蓮大聖人は「宝塔をかきあらはし」た御本尊建立をもって、出世の本懐とされている。
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妙法蓮華経と南無阿弥陀仏は一体であるという誤った考えを、大聖人自身も幼児において「習いそこなれている。
しかも、この一体とする説は多くの人師たちの釈にも見られるといわれている。この“人師”とは天台大師も含むと考えられる。ただし、天台大師らは、衆生の側からすれば最後の修行である観心の立場、あるいは一切法即妙法と証得した仏の覚りの法門について言ったのである。それを「習いそこなひの天台宗」等の人々は、修行の立場に当てはめて「いかなる法を修行するのも皆同じ」と言い出したのであった。
これがいかに間違った拡大解釈であるかを教えるために、大聖人は「もし念仏と法華経と一つであるなら、釈尊は念仏を明かした観無量寿経を『わが出世の本懐』と宣言されてもよかったはずである。それなのに、法華経に至ってはじめて『出世の本懐』と言われているのは、念仏と法華経が決して一体ではないからである」と、まことに分かりやすい道理を示されている。
それに加えて言えば、一代50年の説法のうち、いよいよ最後の8年に法華経を説こうという段になって、無量義経で「四十余年未顕真実」と、それまでに説かれた観経も含む経々を差別し、排除する説法は、もし念仏と法華経とが一体であるなら、されなかったはずれである。
いずれにせよ、この大聖人の指摘の正しさを、真言宗・天台宗の僧で冷静に判断できる人は認めていることを述べられ、最後に、仏法を論議するに当たっては、どこまでも経文を証拠とすべきで、それをないがしろにすることが謗法の根本になると戒められている。
0117~0120 法華浄土問答抄top
0117:01~0117:15 第一章 法華と浄土の六即の図を挙げるtop
| 0117 法華浄土問答抄 01 ┌─ 理 即 02 ├─ 名字即――――三諦の名を聞く 03 ┌穢土├─ 観行即――――五品を明す 04 │ │ ┌── 八十八使の見惑を断ず 05 法華宗立六即┼ └─ 相似即 ┼── 八十一品の思惑を断ず 06 │ └── 九品の塵沙を断ず 07 └報土─┬ 分真即 ─── 四十一品の無明を断ず 08 └ 究竜即 ─── 一品の無明を断ず 09 ┌── 中品戒行世善等 10 ┌穢土── 理 即 ┴── 浄土下品 11 浄土宗の所立┤ ┌─ 名字即 12 │ ├─ 観行即 13 └報土┼─ 相似即 14 ├─ 分真即 15 └─ 究竜即 ・ -----― ┌─ 理 即 ├─ 名字即――――三諦の名を聞く ┌穢土├─ 観行即――――五品を明かす │ │ ┌── 八十八使の見惑を断ずる 法華宗で立てる六即┼ └─ 相似即 ┼── 八十一品の思惑を断ずる │ └── 九品の塵沙を断ずる └報土─┬ 分真即 ─── 四十一品の無明を断ずる └ 究竜即 ─── 一品の無明を断ずる ┌── 中品の戒行と世善など ┌穢土── 理 即 ┴── 浄土下品 浄土宗の立てる六即┤ ┌─ 名字即 │ ├─ 観行即 └報土┼─ 相似即 ├─ 分真即 └─ 究竜即 |
法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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六則
天台の立てた六即のこと。理即・名字即・観行即・相似即・分身即・究竟即である。 理即とは迷いの凡夫であっても、理の上では仏界を具している。だがいまだ仏界を顕現されざる位。いまだ御本尊を受持していない人。名字即とは御本尊を受持し、信心した人。観行即とは信行具足して功徳を得ていく人。相似即とは三障四魔と戦い、これを粉砕していく人。分真即とは折伏に励み、民衆救済に邁進する人。究竟即とは、永遠の生命を感得し成仏の境涯に達した人。究竟即の仏とは、末法今時においては、日蓮大聖人の御事である。
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穢土
けがれた国土のこと。浄土に対する語。煩悩と苦しみの充満する世界をいう。爾前迹門の諸経では、凡夫の住む娑婆世界を穢土とし、十方の国土に諸仏の浄土があり、そこに往生することを説いた。しかし法華経本門では、娑婆即寂光を明かし、この人間世界こそ仏の本国土であると説いた。
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三諦
空・仮・中の三諦のこと。諦とは審諦・つまびらか・あきらかの意。じゅうぶんに実相を見ることである。仏の悟りの真実の理をいう。空諦は事物の性分、仮諦は事物のあらわれた姿・形、中道は事物の本質。人間生命でいえば、その人の性分・心は 空諦、姿・形は 仮諦、生命は中道である。
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五品
五品とは分別功徳品に説かれた四信五品のうち、滅後の五品(随喜品・読誦品・説法品・兼行六度品・正行六度品)のこと。
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八十八使の見惑
惑とは心の迷い、惑いで、煩悩のこと。見惑とは見道で滅ぼされる惑、修惑(思惑)とは修道で滅ぼされる惑を意味する。倶舎では、四諦の理(仏教の真理)に迷う迷理の惑の見惑、現象的な事物に執われて迷う迷事の惑を修惑とする。唯識では、邪師や邪教などの誘導により、または心におもい計って起こす後天的(分別起)な煩悩を見惑、生まれるとともに自然に生じる先天的な(倶生起)煩悩を修惑とする。天台宗ではこの見思の二惑は空観によって断たれる煩悩であるとして、塵沙の惑・無明の惑に対立させ、あわせて三惑という。そのうちで見思の惑はいずれも三界内のものに対して起こり、三界の生死をまねくものであるから界内の惑、三乗が共通して断たねばならないものであるから通惑という。 倶舎宗では見惑に88があるとし、見惑八十八使という。即ち見道で滅ぼされる根本煩悩は、五利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)と五鈍使(貪・瞋・癡・慢・疑)とであるが、これをそれぞれ四諦にあて、三界にあてるとき、欲界に32、色界・無色界に各28、合わせて88となる。
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八十一品の思惑
惑とは心の迷い、惑いで、煩悩のこと。見惑とは見道で滅ぼされる惑、修惑(思惑)とは修道で滅ぼされる惑を意味する。倶舎では、四諦の理(仏教の真理)に迷う迷理の惑の見惑、現象的な事物に執われて迷う迷事の惑を修惑とする。唯識では、邪師や邪教などの誘導により、または心におもい計って起こす後天的(分別起)な煩悩を見惑、生まれるとともに自然に生じる先天的な(倶生起)煩悩を修惑とする修惑に81があるとし、修惑八十一品という。即ち修道で滅ぼされる根本煩悩は、欲界では貪・瞋・癡・慢、色界・無色界では貪・癡・慢の計10種であるが、これらをそれぞれ一括して、九地に配当し、さらにそれぞれ煩悩の強弱によって上上品から下下品までの9種にわけて81品とする。
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九品の塵沙
9種類に分けた塵沙惑のこと。九品には一品から九品までに分ける方法や、上中下に三分したものをさらに上中下(上上~下下)に分ける方法がある。塵沙とは菩薩が衆生を化導するに際して障りとなる惑のこと。
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報土
①四土のひとつ。実報障礙土のことで、別教の初地以上・円教の初住以上が住む国土とされ、実報土ともいう。②修行の結果果報として受ける国土。
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四十一品の無明
円教の菩薩が断ずる42品の無明のうち最後の元品の無明を除いた41品のこと。
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一品の無明
円教の菩薩が断ずる42品の無明のうち最後の元品の無明のこと。
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浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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中品戒行世善
浄土九品往生のなかで、中品の戒行と世善(世間の善根をなすこと)。
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浄土下品
観無量寿経で説かれる九品往生のうちの下品(下品上生・下品中生・下品下生)。
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本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中の文永9年(1272)1月17日、すなわち塚原問答の翌日に、佐渡の念仏僧・弁成が、塚原三昧堂に大聖人を訪ねて、ひとり論争を挑み、捨閉閣抛等の邪義を破折された時の問答の内容を記されたものである。断片ではあるが、御真筆が残っている。
最初に図表が示され、その後「弁成の立」として弁成の主張が3回、それに対して大聖人が「難じて云く」と、それぞれ破折されたあと、大聖人の花押と弁成の花押がある。弁成に主張の部分の内容を確認されたあと、大聖人が反駁を加えられたのであろう。
問答の内容を見ると、大聖人に完膚なきまでに打ち破られ、弁成が敗北を認めてのものであることが分かる。
弁成とは、佐渡の念仏僧の中心的存在であった印性房弁成のことである。種種御振舞御書には、大聖人の佐渡流罪を知って、弁成が念仏者の唯阿弥陀仏、律宗の僧・生喩房・慈道房等とともに、日蓮大聖人を亡き者にしようと謀議をこらしたが、地頭の本間重連から問答を勧められ、塚原問答が実現したことが記されている。
塚原三昧堂および塚原問答について
文永8年(1271)9月12日竜の口の法難を乗り越えられた大聖人は、佐渡流罪と決まり、同年11月1日、塚原三昧堂に入られた。
ここには翌文永9年(1272)4月2日まで5ヶ月間住まわれた。塚原三昧堂は現在の新潟県佐渡郡波多野町目黒にあったとされている。
大聖人は塚原三昧堂のありさまと問答の推移について、種種御振舞御書に詳しく記述されている。
この塚原三昧堂のあたり一帯は、京都の洛陽・蓮代野のような火葬場のようなところで、とても人間が生活できるところではない。しかも、三昧堂は手入れもされていない。狭くて古い、仏も安置されていない四本柱の堂であった。その荒れ果てようは「上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし」(0916-05)というありさまであった。
大聖人は、このようなところに敷き皮を敷き、蓑を着て日夜を過ごされた。夜は雪雹雷電が夜通し続き、昼も日の光も差さない過酷な状況であったという。
当時、刑は笞・杖・徒・流・死の五刑で、遠流はまた近・中・遠の三段階あったが、佐渡流罪は遠流で、罪人のなかでも、政治犯や殺人犯など、特に重犯罪者に対して科せられたものであった。また、佐渡は当時、念仏者たちが多く、大聖人が鎌倉で念仏無間と叫ばれていたことも聞こえており、阿弥陀仏の大怨敵であるとして憎んでいる人が多かったのである。
種種御振舞御書には、そうした動きを「阿弥陀仏の大怨敵・一切衆生の悪知識の日蓮房・此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人ありいかにがうなりとも力つよくとも人なき処なれば集りていころせかしと云うものもありけり」(0917-13)と記されている。
大聖人の佐渡での御生活は、冬の気候の厳しさだけでなく、そうした人々の激しい憎しみの包囲網の中で始まったのである。
しかし、このようにいきり立つ僧たちを、地頭の本間六郎左衛門尉重連が「上より殺しまうすまじき副状下りてあなづるべき流人にはあらず、あやまちあるならば重連が大なる失なるべし、それよりは只法門にてせめよかしと」(0917-18)と諭したことから、法論で日蓮を挫こうとおうことになり、明けて文永9年(1272)1月16日、佐渡の島のみならず越後・越中・出羽・奥州・信濃からも諸宗の僧が集まって、いわゆる塚原問答が行われたのである。
大聖人は、敵意と憎悪に満ちた数百人を相手に、各宗ごとに教義を取り上げて承伏させたうえでこれらを見事に打ち破り、屈服させたのである。
なかには「当座に袈裟・平念珠をすてて念仏申すまじきよし誓状を立つる者」(0918-13)も出たのであった。
印性房弁成は、塚原問答で自分の信ずる念仏の義を打ち破られたのが悔しかったのか、翌日再び、大聖人を訪れ、集団ではなく、一対一の法論に挑んだ。
だが再度、邪義を論破され、文書に署名し、敗北は決定的となったのである。それを記録として記されたのが本抄である。
図表について
本抄は最初に図表が示されている。この図は法華宗と浄土宗を対照させて、それぞれの宗が立てている穢土と報土にについて、六即位の配立の相違を表示されたものである。
この図表は、本抄の次下に大聖人の難詰として「天台宗の報土は分真即・究竟即・浄土宗の報土は名字即・乃至・究竟即等とは何れの経論釈に出でたるや」(0118-04)とあるところから、弁成が自分の理解しているところとして示したものであることがわかる。ここの部分の御真筆は残っていない。
穢土とは、凡夫の住む煩悩と苦しみが充満する国土をいう。
これに対して、報土とは、仏道を成就して、果報として生を受ける国土をいう。当然、それは煩悩や苦しみの穢れない世界すなわち浄土ということになる。
六即位とは、天台大師が摩訶止観で立てた、法華円教を修行する菩薩の六種の階位のことである。“即”と名づけられるのは、円教においては、凡夫も仏性を具え、仏も九界を具え、その生命の体は同じで、修行によって、別のものにかわるのではないからである。
摩訶止観巻一によると、
①理 即。まだ正法を聞かず仏法に無智な迷いの凡夫の位、理の上では仏性を具足する。
②名字即。言語・文章をとおして、我が身に仏性が具わり、一切法是仏法であると知る位、摩訶止観では「末だ三諦を聞かざるを以て」理即とし、それに対し「或いは知識に従い、或いは経巻に従って、上に説く所の一実菩提を聞き、名字の中に於いて通達解了して、一切法は皆是れ仏法なりと知る、是れを名字即の菩提と為す」としている。それで「三諦の名を聞く」のが名字即となる。
③観行即。実践行をとおして我が心性の仏を観じ、「所行は所言の如く、所言は所行の如く」と言行一致の修行に励む位、天台大師は法華文句で、この観行即を随喜品・読誦品・説法品・兼行六度品の五品に立て分けている。項に「五品を明かす」とあるのはこれである。
④相似即。三惑のうち見思惑・塵沙惑を断じ尽くし六根清浄の徳を得る位、仏の悟りに相似する位である、見思惑に88使の見惑、81品の思惑があり、塵沙惑は上中下の3品を更に細分して9品を立て、これを断じるのである。
⑤分身即。元品の無明を残したすべての迷いを断じて仏性を分々に顕す位、これが52位の初住位ないし等覚位に相当されるのは、初住位で初めて我が身の仏性の一部が身に顕現し、等覚位に至ってほぼ仏と等しい境界となるからである。十住・十行・十回向・十地・等覚の41位の一々にあらわれる無明を破するので「四十一品の無明を断ず」とあるのである。
⑥究竟即。無明の最後の一品である元品の無明を断じ、仏性を顕現しきった極聖の妙覚位である。
浄土宗の所立のところでは六即のうち理即に「中品戒行世善」「浄土下品」を配している。念仏宗では浄土に往生する機根を上中下の三品に分け、それを更に上中下の三種の往生に分けて九品の往生を説いている。
大まかに言えば、上品は大乗の法に遇って往生する者で、それに三段階あり、中品は小乗の法に遇って往生する者、例えば戒律を持ったり、世間の善を行ったりする者で、それに三段階あるとする。下品は世間の悪を犯し、小乗等の戒律を破り、あるいは五逆等の罪を犯す者で、これにも三段階あるとする。
いずれも念仏を称えれば浄土に往生できるとするのが九品往生であるが、この九品のうち中品の三つと下品の三つを六即では理即に配し穢土に住するとしている。これに対し、上品は名字即以上で、その国土を報土としている。
つまり、天台宗の所立では、報土すなわち“浄土”に住せるのは分身即・相似即に限られるのに対して、浄土宗の所立では、名字即以上は全て報土に住せることを、この図は示している。すなわち、浄土宗では、理即を除き、すべて報土に住することができると弁成はこの図で主張している。
0118:01~0118:06 第二章 依文なき弁成の立義を破すtop
| 0118 01 弁成の立、 我が身叶い難きが故に且く聖道の行を捨閉し閣抛し浄土に帰し浄土に往生して法華を聞いて無生を 02 悟ることを得べきなり。 -----― 弁成の立てる義。我が身にはかないがたいから、とりあえず聖道門の行を捨閉し閣抛して浄土に帰し、まず浄土に往生してから法華経を聞いて無生を悟るべきである。 -----― 03 日蓮難じて云く、 我が身叶い難ければ穢土に於て法華経等・教主釈尊等を捨閉し閣抛し浄土に至つて之を悟る 04 可し等云云、何れの経文に依つて此くの如き義を立つるや、 又天台宗の報土は分真即・究竟即・浄土宗の報土は名 05 字即・乃至・究竟即等とは何れの経論釈に出でたるや、 又穢土に於ては法華経等・教主釈尊等を捨閉し閣抛し浄土 06 に至つて法華経を悟る可しとは何れの経文に出でたるや。 -----― 日蓮が難詰していう。「我が身がかないがたいから穢土において法華経等・教主釈尊等を捨閉し閣抛し、浄土に至ってこれを悟ろう」などというのは、どの経文に依ってこのような義を立てるのか。また、天台宗の報土は分真即と究竟即であり、浄土宗の報土は名字即から究竟即等であるとはどの経文や論釈に出ているなか。また、穢土においては法華経等・教主釈尊等を捨閉し閣抛し、浄土に至って法華経を悟るべきであるとはどの経文に出ているのか。 |
弁成
日蓮大聖人御在世当時の佐渡の念仏僧・印性房弁成のこと。文永9年(1272)1月17日に塚原三昧堂を訪ねて論争を挑んだが、捨閉閣抛の邪義を日蓮大聖人に論破された。
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聖道
聖道・浄土の二門のうちの聖道門。自力によってこの現実世界で成仏することができるとする法門。
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捨閉し閣抛し
法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
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往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
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法華
大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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無生
①一切諸法の本性・本体は空であるから生滅変化することがないことをさす。仏教の空観に基づく一切諸法の真実の姿をいい、無生無滅と続けていうこともある。無量義経説法品第2等に説かれている。②煩悩を断じ尽くした阿羅漢のこと。
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教主釈尊
一代聖教の教主である釈尊のこと。釈尊には六種、蔵教・通教・別教・法華迹門・法華本門・文底独一本門の釈尊があるが、釈尊教主は教法の主導の意で、法華文底独一本門の教主、日蓮大聖人のこと。ただし御文によってまれに、インド応誕の釈迦仏をさす場合もある。
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天台宗
天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
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経論釈
仏の経典を経という。インドの菩薩の訳を論という。竜樹菩薩の大智度論等である。中国・日本の人師の説を釈という。
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まず初めに弁成の言い分を挙げられている。聖道門は難行道で我が身にはとても修行できないゆえに、しばらく聖道門の修行を捨閉し閣抛して浄土門に帰依し、もっぱら弥陀の名号を称える易行道によって、浄土に往生してから、法華を聞いて「無生」すなわち、永遠常住の法を悟るべきである。
この弁成の言い分に対して、大聖人は三点にわたって詰問されている。まず第一は「我が身がかないがたいので浄土に往生してから悟るという義は、いかなる経文を根拠に立てたものなのか」と。これは、仏法の修行を立てる以上、それが可能かどうかを仏説すなわち経文によって確認しなければならないということである。
成仏の先達、いわば経験者は仏である。その仏が、このように修行すれば成仏を達成することができると教えているところに従うことが肝要で、それを確かめもしない修行は、地区を確認しないで歩き出そうというのと同じだからである。それが間違った道で、しかも方向が逆であれば、どんなに懸命に歩いても目的地には到達できない。それと同じく、仏説によって裏づけられない修行はいかに真摯に行じても決して成仏という目的に到達することはできないのである。
そのうえで、天台宗の報土は六即のうち分真・究竟に限られるのに対し、浄土宗では名字即以上が報土であるというのは、どの経釈論に出ているのか。また、穢土においては法華経と一代聖教の教主である釈尊を捨てて、浄土へ往生してから法華経を悟ればよいというのも、いったい、いずれの経に説かれているのかと詰問されている。
0118:07~0119:01 第三章 弁成の挙げる文証を破折するtop
| 07 弁成の立に、 余の法華等の諸行等を捨閉し閣抛して念仏を用ゆる文は観経に云く「仏・阿難に告ぐ汝好く是の 08 語を持て 是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」文、 浄土に往生して法華を聞くと云う事は 文に云く 09 「観世音・大勢至・大悲の音声を以つて其れが為に広く諸法実相除滅罪法を説く、 聞き已つて歓喜し時に応じて即 10 菩提の心を発す」文、余は繁き故に且く之を置く。 -----― 弁成の立義に、浄土門以外の法華経等の諸行等を捨閉し閣抛して念仏を用いよという文は、観無量寿経に「仏・阿難に告ぐ。汝は好く是の語を。是の語を持つとは即ち是れ無量寿仏の名を持つことである」とある。 浄土に往生して法華経を聞くということは観無量寿経の文に「観世音菩薩と大勢至菩薩が大悲の音声を以って大衆のために広く諸法実相除滅罪法を説く。聞き終わって歓喜し時に応じて即菩提の心を発す」とある。あとは繁きゆえに省略する。 -----― 11 又日蓮難じて云く、 観無量寿経は如来成道・四十余年の内なり法華経は後八箇年の説なり如何んが已説の観経 12 に兼ねて未説の法華経の名を載せて 捨閉閣抛の可説と為す可きや、 随つて「仏告阿難」等の文に至つては只弥陀 13 念仏を勧進する文なり 未だ法華経を捨閉し閣抛することを聞かず、 何に況や無量義経に法華経を説かんが為に先 14 ず四十余年の已説の経経を挙げて 未顕真実と定め畢んぬ、 豈未顕真実の観経の内に已顕真実の法華経を挙げて捨 15 て乃至之を抛てと為す可きや、 又云く「久しく此の要を黙して務めて速かに説かず」等云云、 既に教主釈尊四十 16 余年の間・法華の名字を説かず 何ぞ已説観経の念仏に対して此の法華経を抛たんや、 次ぎに「下品下生・諸法実 17 相・除滅罪法等」云云、 夫れ法華経已前の実相其の数一に非ず先ず外道の内の長爪の実相・内道の内の小乗乃至爾 18 前の四教・皆所詮の理は実相なり、 何ぞ必ずしも已説の観経に載する所の実相のみ 法華経に同じと意得べきや、 0119 01 今度慥なる証文を出して法然上人の無間の苦を救わるべきか。 -----― そこでまた日蓮が難詰していう。観無量寿経は如来が成道してから四十余年の内の説法である。法華経はその後八箇年の説法である。どうして先に説かれた観経に未だ説かれていない法華経の名を載せて、捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと説いていることがありえようか。 したがって「仏、阿難に告ぐ」等の文については、ただ弥陀念仏を勧める文である。未だ法華経を捨閉し閣抛するということであるとは聞かない。 ましてや無量義経には法華経を説くために先ず四十余年間に説いてきた経々を挙げて「未だ真実を顕さず」と定めている。 どうして未顕真実の観無量寿経の内に已顕真実の法華経を挙げて捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと説くことができようか。 また、法華経薬草喩品に「久しく此の肝要を黙っていて務めて速やかに説かなかった」等とある。このように教主釈尊は四十余年の間、法華経の名字さえ説いていない。どうして已説の観無量寿経の念仏に対してこの法華経を抛つことができようか。 次に「十悪・五逆等の罪を犯して悪道へ堕ちるべき下品下生の者も、阿弥陀仏により浄土へ往生して諸法実相の滅罪の法を聞く」というが、そもそも法華経已前の経にも「実相」という言葉はたくさん出てくる。 まず先ず外道の内の長爪の実相があり、仏教の内でも小乗経から爾前の四教にはそらぞれ所詮の理は「実相」と呼ばれている。 かならずしも已説の観経に出ている「実相」のみが法華経に同じとは考えられないのではないか。今度慥かなる証文を出して法然上人の無間地獄の苦を救われるがよい。 |
念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
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阿難
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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無量寿仏
阿弥陀仏の別名。西方極楽世界の教主。
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浄土
浄らかな国土のこと。仏国土・煩悩で穢れている穢土に対して、仏の住する清浄な国土をいう。ただし大聖人は「穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」(0384-02)と申されている。
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観世音
観世音菩薩のこと。梵語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokite?vara)の音写が阿縛盧枳低湿伐羅で、観世音と意訳、略して観音という。光世音、観自在、観世自在とも訳す。異名を蓮華手菩薩、施無畏者、救世菩薩ともいう。法華経観世音菩薩普門品第二十五には、三十三種の身に化身して衆生を救うことが説かれている。
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勢至
大勢至菩薩のこと。勢至は梵名マハースターマプラープタ ( mahaasthaamapraapta])といい、大勢至・得大勢・大精進とも訳し種々の経に説かれている。①爾前諸教では阿弥陀三尊のひとつとして、観世音菩薩とともに、阿弥陀仏の脇士となって智慧をあらわす。②法華経では八万の菩薩の一人として霊鷲山会にっその名を連ね、阿耨多羅三藐三菩提を得て退転なく、自在の法を説くことができたとある。③不軽品の対告衆
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諸法実相除滅罪法
「諸法の実相・罪を除滅する法を説き」と読む。九品往生・下品下生を釈した文。
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観無量寿経
観経ともいう。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。浄土三部経の一つ。わが子阿闍世王の悪逆を憂え嘆く韋提希夫人の求めに応じて、釈尊が神力によって十方の浄土を示現し、夫人が極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽浄土とを十六観に分けて説いたもの。
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捨閉閣抛
法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
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弥陀念仏
阿弥陀仏の名を称え、深く心に念ずること。
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勧進
勧め、さそうこと。①人々に勧めて仏道に入らせ、善に向かわせること。②仏寺・仏像の建立・修善などのために、人々に功徳善根を勧めて寄付を募ること。また、それにたずさわる人。
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無量義経
一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
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未顕真実
法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
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已顕真実
「すでに真実を顕す」と読む。仏がすでに新実義を説いたこと。
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外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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長爪の実相
長爪梵志が立てた実相。長爪梵志は一説には舎利弗の叔父にあたる。修行中は爪を切らなかったので、30㌢以上あったといわれている。
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内道
仏教のことをいう。
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爾前の四教
化法の四教のうち、法華経以前に説かれた像・通・別・爾前の円教のこと。
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法然
(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
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大聖人から「あなたの捨閉閣抛・念仏往生の信条はどのような経文を拠りどころとしているのか」と質された弁成は、浄土三部経の一つ、観無量寿経の二文を挙げる。
第一に、浄土門以外の聖道門の法華経等による修行は捨閉し閣抛して、ただ称名念仏を用いよという依文として、観無量寿経で仏が阿難に「汝好く是の語を持て。是の語を持つとは即ち是れ無量寿仏の名を持つなり」と告げた文を挙げている。
無量寿仏とは阿弥陀仏のことである。浄土三部経の一つである無量寿経にはこの仏の因行と果徳が説かれているが、仏自身も、その仏の浄土に生まれる者も、寿命が無量に長いことから、無量寿仏の名がある。
第二に、称名念仏によって、浄土に往生してから法華経を聞くということの依文は「観世音・大勢至・大悲の音声を以ってそれが為に広く諸法実相除滅罪法を説く」の文を挙げている。
この文は、観無量寿経の中で、下品下生の者について説いたものである。下品下生とは五逆十悪等の不善業のため、地獄に堕ちるべき極悪の凡夫をいい、このような者も、称名念仏によって極楽往生できる、と説かれている。
観世音菩薩と大勢至菩薩とは、阿弥陀仏の脇士で、阿弥陀仏を中央にして左方の観世音菩薩は慈悲を表し、右方の大勢至菩薩は智慧を表すという。この文を弁成が文証として挙げるのは「諸法実相」のもんがあるから、法華経をさすとしているのである。
末尾の「余は繁き故に且く之を置く」との言は、弁成が「他にもたくさんあるが繁雑になるので省く」と言ったものなのか、弁成はもっと並べ立てたが、大聖人が筆録に当たって略すとされたのか、いずれとも取れる。
ただし、「弁成の立」のなかの文であることと、また大聖人が第二・第三の問答で「今度慥かなる証文を出して法然上人の無間の苦を救わるべきか」(0119-01)、「上に出す所の証文は未だ分明ならず慥なる証文を出して法然上人の極苦を救わる可きか」(0119-12)、「今度分明なる証文を出して法然上人の阿鼻の炎を消さる可し」(0120-01)と、もっと確かな文証を示すよう迫られているところからみると、もちろん「慥かなる証文」「分明なる声聞」は“質”の問題であって“数”の問題ではないが、恐らく“数”の上でも弁成はあまり多く挙げられなかったことが考えられる。その言い訳として、「もっとたくさんの文証があるのだが、繁雑になるので」と言ったであろうと思われる。
観無量寿経は如来成道・四十余年の内なり法華経は後八箇年の説なり
第一の文証に対して、大聖人は観無量寿経は釈尊が成道以来、42年の間に方便の教えとして説いた経の一つであり、それに対して法華経は最後の8年間に自ら悟った真実を説いた経典である。先に説いた観無量寿経に、まだ説いてもいない法華経を名指しして、捨閉閣抛すべき経があるわけがない、と仰せである。
これは言いかえれば、もし観無量寿経の意が「念仏以外は捨てよ」ということなら、そのあと、たくさんの教法や修行を説く必要はなかったということになるからである。
また、観無量寿経の「仏・阿難に告ぐ」等の文は、ただ阿弥陀仏を勧めただけの文であり、これが、それ以外は捨閉閣抛せよとの文であるとは、いまだかって聞いたことがない、と仰せられている。
まして無量寿経では40余年の経々について「未顕真実」と定めているのだから、まだ真実を顕していない経文に真実を顕した法華経を捨てよと説くわけがないと仰せられている。
そして、法華経の文字、すなわち名前さえ、爾前では示されていない文証として、法華経薬草喩品第五の「久しく斯の要を黙して、努いで速かに説かず」等の文が挙げられている。この経文は、教主釈尊の仏法の枢要は、急いで速やかに説くことはしなかったとの意であり、大聖人はこれを説明して、法華経より前の40余年間は法華の名字を説かなかったという意であり、法華経をまだ説いていない観無量寿経の段階で、それを抛つことがあろうか、と仰せられている。
次ぎに「下品下生・諸法実相・除滅罪法等」
次に、弁成が、称名念仏によって浄土に往生してから法華経を聞くという経証として観無量寿経の「下品下生の者は…諸法実相・罪を除滅する法を聞く」の文を挙げたことを破折される。この文は、五逆・十悪をはじめ種々の不善を行って悪道へ堕ちるべき下品下生の者も諸法実相・罪を除滅する法を聞いて、弥陀の名号を唱え浄土に往生すると説いているが、この「諸法実相」が法華経をさし、その法華経を聞く意であるとしている。
大聖人は、「実相」という言葉は、さまざまな経にあり、法華経と観無量寿経だけにあるのではない。したがって、この言葉をもって、観無量寿経が「浄土へ行ってから法華経を修行せよ」と説いたと解釈するのは誤りである、と破折されているのである。
まず大聖人は「実相」という言葉は外道にもある、といわれ、その例として「長爪の実相」を挙げられている。
これはバラモンの長爪梵志が立てた「実相」のことである。諸経の説によると、長爪梵志は舎利弗の叔父にあたる。長爪には妹がおり、よく兄弟で論争したが、常に長爪が勝っていた。ところが、妹は身ごもると、とたんに論争に強くなった。敵わなくなった長爪は南インドに去り「学成るまで爪を切らざるべし」と誓い、それが遂には一尺以上の長さになったため、この名があるという。妹から生れた子が舎利弗であり、長じて釈尊に帰依した。長爪はそのことを知って、南インドから戻り、釈尊に論争を挑むが、釈尊に破られ「汝、今の所見は是れ究竟涅槃の道に非ず」と指摘される。長爪の得た実相は、外道のきわめて低い実相に過ぎなかったのである。
内道に入っても「諸法実相」は諸経に見られる。諸法の実相とは、さまざまな現象を貫いている真理といった意で、ひとくちに“実相”といっても浅く狭いものから深く広大なものまで、千差万別である。大聖人は、蒙古使御書に「所詮・万法は己心に収まりて一塵もかけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり、然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず・嬰児の水火を怖れざるが如し、外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に勝劣あり人人にも聖賢分れて候ぞ」(1473-06)と仰せである。仏法であれば「己心の法」を説いているのではあるが、小乗や権大乗経はその部分部分でしかなく、したがって浅く狭いものでしかないのである。それゆえ、観無量寿経に「諸法実相」という言葉があるからといって、法華経の「諸法実相」と同じものをさしているのではないのである。
この「諸法実相」ということについて、もう少し詳しく見ておきたい。大智度論巻79には「諸法実相とは種々の名字有り、或は空と説き、或は畢竟と説く、或は般若波羅蜜と説く。或は阿耨多羅三藐三菩提と名づく」とある。大智度論の場合は同巻18に「要を取って之を言えば、諸法の実相は是れ般若波羅蜜なり」とあるように、般若波羅蜜を「実相」として論じているのである。また、思益経巻2には「諸法実相、即ち是れ涅槃なり」とあり、涅槃をもって諸法実相としている。
更に、維摩経には「諸法実相によって、明らかに無常・苦・空・無我・寂滅の法と定む」とあり、苦・空・無常・無我をもって諸法実相としている。
このように経典によって「実相」の中身は異なり、したがって、爾前の諸経に依る各宗派所立の「実相」もそれに応じて当然、さまざまである。浄土宗では弥陀の名号、真言宗では阿字不生、華厳宗では四種法界、法相宗では円成実性、三論宗では八不中道を「実相」に当たるとしている。
法華経の「諸法実相」の中身を、そのあとに説かれた内容から天台大師は一念三千と示したのであり、日蓮大聖人はこの一念三千の当体は妙法蓮華経であると示されたのである。つまり、一切の諸法がすべて妙法なりということである。
方便品第二に「唯、仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」とあるように、この法華経の諸法実相こそ、仏と仏だけが究めた心理である。言いかえると、仏が“覚者”として悟った究極の心理であり、これを悟れば仏であるという成仏の根本となるのである。
しかも、この法華経の「諸法実相」は十界互具・一念三千で、一切衆生の仏性を具えており、ただそれを覚知すれば仏なのであるから、凡夫の身を嫌うこともないし、この世界を穢土と呼んでここから逃れ浄土へ往生してはじめて行じるというものでもない。ゆえに、法華経は、この娑婆世界で妙法を受持することにより、凡夫の身のままで即身成仏し、それによって「娑婆即寂光」となると説く。
この根本の法理がまさに法華経の「諸法実相」であるから「娑婆世界では行じ難いから阿弥陀の浄土へ往生し、そこで諸法実相を行じなさい」という観無量寿経の「諸法実相」とは全く異なることが明らかである
「実相といっても、どの経でも所詮の理は実相であって、観経にいう実相だけが法華経に同じと考えてはならない」と仰せられているのは、一見、どの経も実相と皆同じで、観経の実相だけが法華経の実相と同じというわけではないという意味に受け取れるが、そうではなく、実相という言葉は同じでも皆、内容が違うのであり、観経の実相と法華経の実相も全く異なっているとの意である。
最後に「今度慥なる証文を出して法然上人の無間の苦を救わるべきか」と結ばれているが、これも文だけ読むと、専修念仏の教義を裏打ちできる「慥かなる証文」があるのに、それを不勉強のために弁成が出せなかったことを責めておられるように受け取れる。しかし、もとより、専修念仏の教義そのものが「慥かなる声聞」などありえない邪義であって、弁成がいかに優秀だったとしても出せる道理はない。
にもかかわらず、このような言い方をされたのは、弁成が「慥なる証文」を求めて学べば、専修念仏の教義が誤りであることに気づくであろうと見通されてのことと拝察される。
そして、この一文の主眼は「法然上人の無間の苦」にあり「弁成の根本の師である法然上人は無間地獄に堕ちている。弁成、あなたは早く迷いから醒めて無間地獄に堕ちないようにしなさい」と慈愛をこめた呼びかけにほかならないのである。
0119:02~0120:04 第四章 法華誹謗の法然らは堕地獄と破すtop
| 02 又弁成の立に、 観経は已説の経なりと雖も未来を面とする故に未来の衆生は未来に有る所の経巻之を読誦して 03 浄土に往生すべし、 既に法華等の諸経・未来流布の故に之れを読誦して往生すべきか、 其の法華を捨閉閣抛し観 04 経の持無量寿仏の文に依つて 法然是くの如く行じ給うか、 観経の持無量寿仏の文の上に諸善を説き一向に無量寿 05 仏を勧持せる故に申せしめ候、 実相に於いても多く有りと云う難、 彼は浄土の故に此の難来るべからず、法然上 06 人・聖道の行機堪え難き故に 未来流布の法華を捨閉閣抛す、 故に是れ慈悲の至進なれば此の慈悲を以て浄土に往 07 生し全く地獄に堕すべからざるか。 -----― また弁成の立義に、観経は先に説かれた経であるけれども、未来のために説かれた経であるから、未来の衆生は未来に弘まるところの経巻を読誦して浄土に往生できるのである。すでに法華経等の諸経も未来流布の経であるから、これを読誦して往生できるのであるが、法然はその法華経を捨閉閣抛し観経の「無量寿仏の名を持て」の文の上に諸の善根を説いて、一向に無量寿仏の名号を持つことを勧めているゆえにそのように言ったのである。実相も種々あるという難は、阿弥陀仏の世界は浄土であるから、この難はあたらない。法然上人は、末法の機根は聖道門の修行に堪え難いのだから未来流布の法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てといわれたのである。ゆえにこのす慈悲の極みであるから、この慈悲をもって浄土に往生し、全く地獄に堕ちることはない。 -----― 08 日蓮難じて云く、 観経を已説の経なりと云云、已説に於ては承伏か、観経の時未だ法華経を説かずと雖も未来 09 を鑒みて捨閉閣抛すべしと法然上人は意得給うか云云、 仏・未来を鑒みて已説の経に未来の経を載せて 之を制止 10 すと云わば 已説の小乗経に未説の大乗経を載せて之を制止すべきか、 又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せ 11 て未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て法華の名を載せざる由、之を説きたまうや。 -----― 日蓮が難詰していう。「観経を已説の経である」うんぬんといわれたが、では已説ということにおいては承伏であるのか。 「観経の時はまだ法華経を説いていなかったけれども未来を鑒みて捨てよ、閉じよ、閣け、抛て、との仏意であったと法然上人は意得られたのである」というが、仏が未来を鑒みて已説の経の中に未来の経をさしてこれを制止されたというのであれば、先に説いた小乗経にこれから説く大乗経を制止されたなどということがありえようか。 また先に説いた権大乗経の中でこれから説く実大乗経を名指しして未来に流布する法華経を制止したとすれば、仏は爾前経においては法華経の名をさえ明かしていないと説かれるわけがない。 -----― 12 法然上人慈悲の事、 慈悲の故に法華経と教主釈尊とを抛つなりと云わば所詮上に出す所の証文は未だ分明なら 13 ず慥なる証文を出して 法然上人の極苦を救わる可きか、 上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨 14 つ豈法華を捨つるに非ずや等云云、 観無量寿経の上六品の諸行は法華已前の諸行なり、 設い下の三品の念仏に対 15 して上六品の諸行之を抛つとも 但法華経は諸行に入らず何ぞ之を閣かんや、 又法華の意は爾前の諸行と観経の念 16 仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、 日蓮管見を以て 一代聖教並びに法華経の文を勘うるに 17 未だ之を見ず、 法華経の名を挙げて或は之を抛ち或は其の門を閉ずる等と云う事を、 若し爾らば法然上人の憑む 18 所の弥陀本願の誓文並びに法華経の入阿鼻獄の釈尊の誡文・如何ぞ之を免る可けんや、 法然上人・無間獄に堕せば 01 所化の弟子並びに諸檀那等共に阿鼻大城に堕ちんか、 今度分明なる証文を出して 法然上人の阿鼻の炎を消さる可 02 し云云。 03 文永九年太歳壬申正月十七日 日 蓮 花 押 04 弁 成 花 押 -----― 法然上人が慈悲をもって言ったと主張していることについても、慈悲のゆえに法華経と教主釈尊とを抛てと教えたというならば、しょせん前に出した証文ではまだ明らかではない。確かな証文を出して法然上人の極苦を救われるべきである。 「九品の者のうち上品・中品の上六品の者は諸行往生であるが、下の三品の者に対しては念仏を行じ諸行を捨てよとしたのである。当然、それは法華経も捨てよということになる」というのが、観無量寿経の上の六品のための諸行を抛つとしても、法華経はその諸行のうちには入らない。どうして法華経を閣くことがあろうか。 また法華経の意は爾前の諸行と観経の念仏とともにこれを捨ててしまって、法華経で仏が出世の本懐を遂げられたのである。 日蓮が一代聖教ならびに法華経の文を勘えるに、法華経の名を挙げてあるいはこれを抛て、あるいはその門を閉じよ等と説かれたものを末だ見たことはない。 もしそうならば、法然上人の憑みとするところの弥陀本願の誓文、並びに法華経譬喩品の入阿鼻獄の釈尊の誡文を免れることはできない。法然上人が無間獄に堕ちるならば、所化の弟子並びに諸檀那等もともに阿鼻大城に堕ちるのである。今度明らかな証文を出して法然上人の阿鼻の炎を消されるがよい。 文永九年太歳壬申正月十七日 日 蓮 花 押 弁 成 花 押 |
行儀
仏教儀式のきまり、規則、修行・行動の規則。②行為・行動に関する作法。③行為・立ち振る舞い。
―――
慈悲
一切衆生を慈しみ憐れむこと。大智度論巻27には、「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く。大慈は喜楽の因縁を以って衆生に与え、大悲は離苦の因縁を以って衆生に与う」とあり、慈を与楽、悲を抜苦の義としている。また涅槃経では一切衆生の無利益なるものを除くことを慈とし、無量の利益を与えることを悲としている。
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至進
進み極まっていること。
―――
小乗経
仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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大乗経
仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。
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権大乗経
大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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実大乗経
権大乗経に対する語。仏の真実の悟りをそのまま説き顕した経典。法華経のこと。
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爾前
爾前経のこと。爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
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極苦
この上もない苦しみ。
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出世の本懐
仏が世に出現した究極の本意・目的。法華経方便品第二には、「諸仏世尊は唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうとある。釈尊にとっては法華経二十八品、天台にとっては「摩訶止観」が本懐であった。日蓮大聖人は「宝塔をかきあらはし」た御本尊建立をもって、出世の本懐とされている。
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管見
①管の穴から見ること、転じて狭い見識。②自分の見識や見解の謙称。
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一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
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弥陀本願の誓文
無量義経に説かれる阿弥陀仏の48種の誓願。
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阿鼻獄
阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
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無間獄
無間地獄のこと。八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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所化
能化に対する語。弟子のこと。能化を受ける人、化とは教化の義であり、教化する人を教化といい、教化される人を所化という。所とは能動に対して受け身の意味を持つ。仏に対して一切衆生を所化という。
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阿鼻大城
阿鼻獄・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
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次に第三の問答である。ここで弁成は第二の問答で大聖人の反詰に対し、弁解している。その主張を、意をとって言えば、次のようになる。
①観無量寿経には主に未来の衆生に対して説かれており、未来の衆生は、その時に有る経を読誦して、浄土に往生するのである。法華等の諸経も未来流布の経であるから、これを読誦して往生できるのであるが、観無量寿経に説く「無量寿仏の名を持つ」の文に依って、法然は法華経を捨閉閣抛して、専ら弥陀の名号を称える修行を行じたのである。観無量寿経で諸善を説き、その後に専ら無量寿仏の名を持つよう勧めていることから法然はそう言ったのである。
②実相といっても多くあると言われたが、浄土でのことであるから、その難はあたらない。
③法然上人が未来に流布する法華経をすてさせたのは、とても末法の衆生にはできないから、慈悲の心のゆえであり、この慈悲の極みのゆえに、地獄に堕ちるなどということはまったくないはずである。
弁成のいわんとするところを補足すると、
①観無量寿経は未来を表として説かれているとおいのは、観無量寿経に「仏、阿難及び韋提希に告げたまわく『諦かに聴き、諦かに聴け。善く之れを思念せよ。如来、今、未来世の一切衆生の、煩悩の賊の害するところの者の為に清浄行を説かん。善きかな韋提希、快く此の事を問えり。阿難、汝、当に受持して広く多衆の為に仏語を宣説すべし。如来、今、韋提希及び未来世の一切衆生をして西方極楽世界を観んことを教えん』」等とあることをさしていると思われる。
つまり、未来世において、衆生が仏の語を信じたならば、西方極楽世界を見ることができると説いているというわけである。
しかし、これは観無量寿経に限ったことではない。経典は大なり小なり未来に向けて説かれているものであり、未来の衆生を救済しているのである。観無量寿経にその文があるからといって、特別なものではない。
法華経も、もとより「法をして久しく住せしめる」ために行われた未来のための経である。このことは、大聖人が諸法実相抄に「釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」(1360-11)と仰せられているとおりである。
更に弁成が「法華経の諸経・未来流布の故に之れを読誦して往生すべきか」と言っているのは、観無量寿経に、どのような衆生が往生できるかを説くなかに「復、三種の衆生有って、当に往生を得べし。何等かを三と為す。一には慈心不殺にして諸の戒行を具す。二には大乗方等経典を読誦す。三には六念を修行して、廻向発願して彼の国に生ぜんと願う。此の功徳を具すること一日乃至七日、即ち往生を得ん」とあり、大乗を読誦する者は浄土に往生できるのであるから、未来の衆生はその時に流布している大乗、すなわち法華経等を読誦して浄土に往生できるとしているのである。
しかし、その法華経を法然等が捨てよとしたのは、観無量寿経では、こうした「諸善」による浄土往生を説いた後に「持無量寿仏」と説いていることから、諸善を捨てるべきとされたのである、というのが弁成の言い分である。善導が「散善義」の終わりに「上よりこのかた定散両門の益を説くといえども、仏の本願に望むれば、意、衆生をして一向に専ら弥陀の名を称するにあり」と述べているように、観無量寿経では「無量寿仏の名を持つ」の文の上に「定散両門の益」、本抄では「諸善」すなわち多くの善根を説き、その後に一向に専ら無量寿仏の名を称することを説いているのであるから、仏の本意は一切の諸善を捨てて一向に無量寿仏の名号を持つことにある、というわけである。
②実相について“観無量寿経に限らず、他経にも多く有るという難は浄土のことであるからあたらない”という主張には、浄土においては教えは一つであり、したがって、さまざまな実相があるのであたらない、という考えがある。
弁成のこの主張に対しては、大聖人は直接、答えられていない。取るに足りない主張であり、法然の捨閉閣抛が誤りであることを打ち破れば、それに加えて破折する必要はないと判断されたと拝される。
③法然が法華経を捨閉閣抛するのは、聖道門の修行に末法の衆生の機根が耐えがたいために、慈悲をもって言ったのだとする弁明は、一見もっともらしく聞こえる。
しかし、念仏の修行を勧めることが慈悲であるというならまだしも、実教である法華経を捨てよ、閉じよ、等ということは、自らは当然、人々をも無間地獄に堕とすのであるから、むしろ大無慈悲の言葉というべきなである。
●日蓮難じて云く、観経を已説の経なりと
さて、これらの弁成の釈明に対して、大聖人は明確に破折を加えられる。まず第一に、弁成が観無量寿経は「未来を面とする」ことを述べるために「已説の経なりと雖も」と言ったことに対して、観無量寿経が已説の経すなわち、法華経より前に説かれたものであることは「承伏か」と確認されている。
このことは、非常に重要なことである。先の問答で“観無量寿経の教えに基づき法華経等の諸行を捨閉閣抛するのである”と弁成が言ったことについて、大聖人は“已説の経である観無量寿経で末説の法華経のことを捨閉閣抛せよというわけがない”ことを指摘されたのに対して、今度は“たとえ已説に属する経であっても、観無量寿経は未来のための経典である”と言い抜けようとしたのである。
そこを大聖人は、それに答えられるまえに、まず観無量寿経が已説の経であることを承伏するのかと念を押されているのである。問答においては、このように、一つ一つ明瞭に相手の主張の誤りを確定していくことが不可欠である。
しかも、ここで観無量寿経が已説の経であることを確定しておうことは、観無量寿経が念仏を勧めた時、その他の諸行に法華経を含めた否か、また法華経において40余年の経々を方便として捨てた時、そこに観無量寿経が含まれるか否かという問題に関連して、重要な点なのである。
次に弁成が「観無量寿経の説法の時はまだ法華経は説かれていなかったが、未来を考えて、法華経を『捨閉閣抛すべし』と述べられたのを、法然上人は心得られたのである」と言ったことを取り上げて、次のように明快に破折しておられる。
もし仏が未来を考えて、已説の経にこれから説く未来の経を載せて、これを制止したというならば、小乗経において、まだ説いていない大乗経を含めて制止すべきではないか、と仰せられている。
そして、もし先に説いた権大乗経にまだ説かない実大乗経を載せて、未来流布の法華経を制止したというならば、その権大乗経に「法華経」の名が出ているはずである。それなのに仏は「爾前経において法華の名を載せない」と述べられているのはおかしいではないか、ということである。
これは先の問答で既に引かれているが、法華経薬草喩品第五に「久しく斯の要を黙して、努いで速かに説かず」と、40余年間、法華経の名字を説かなかったと明かしていることをさしている。爾前において法華経を説かなかったのであるから、観無量寿経で諸行を制止していたとしても、それに法華経が含まれているわけがないのである。
●法然上人慈悲の事
次は弁成が、法然は慈悲のゆえに、聖道の行に耐えられない未来の衆生のために法華経を捨閉閣抛せよと教えたのであるから、その慈悲のゆえに、無間地獄に堕ちるなどということはありえないと言ったことに対する破折である。大聖人はまず、「慈悲の故に法華経と教主釈尊とを抛つなりと云わば所詮上に出す所の証文は末だ分明ならず」と、まず、法華経と釈尊を抛てとうい主張自体、明確な文証に裏づけられたものではないと指摘されている。
観無量寿経では、浄土への九品往生を説いているが、その中には、一言として他の行では往生できないとは説いておらず、まして、法華経等を捨てよとは説かれていないのである。もちろん、観無量寿経等は爾前の教えであるから、奪っていえば、その説くところはすべて、権であるが、与えて、その教えを認めても、念仏以外を捨閉閣抛せよという内容は全くないのである。
慈悲といっても単なる主観的な心情ですむのではなく、仏法の法理を正しく理解し、それに照らして、こうすれば救われるという正しい見通しに立ったものでなければならない。
卑近な譬えでいえば、苦しむ人を見て、なんとか救ってあげたいと思ってのことであっても、毒と薬の見分けができず毒を飲ませたとすれば、慈悲とはいえないのである。ゆえに「慥かなる証文」が必要であると、大聖人は仰せられている。
弁成すなわち念仏宗の人々の言い分は「上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ豈法華を捨つるに非ずや」というものであった。観無量寿経では九品の往生を説いているが、上品上生・中品中生・下品下生の下三品は念仏によって往生すると説いている。この念仏による下品の往生を説いた時、上の六品の諸行による往生もすてたのであり、法華経も捨てたのではないか、というものである。
これに対し大聖人は二点にわたって破折されている。この大聖人の破折を理解するために、観無量寿経の上六品と下三品について、若干、補足すると次のようになる。
これまでにも述べたように、観無量寿経には九品往生を説いているが、上品は「諸の戒行を具足す」「大乗方等経典を読誦す」「六念を修行す」「方等経典を受持し読誦せずとも、善く義趣を解して第一義に於いて心驚動せず」「因果を信じて大乗を謗ぜず、ただ無上道心を発す」等の修行を、中品は「五戒を受持し、八戒斉を持ち」「一日一夜、沙弥戒を持ち」「父母に孝養し世の仁慈を行ぜん」等の行によって極楽へ往生すると説いている。下品は「衆の悪業を作る」「五戒八戒及び具足戒を毀犯す」「五逆十悪を作って諸の不善を具す」の者で、阿弥陀の名号を称えて浄土に至ることを説いている。
この文では、上品の者はもともと持っていた大乗により、中品の者は小乗の戒律や世間の善の修行の功徳で往生できるのに対して、下品の者は悪しか行っていないので、専ら称名念仏で往生すると説いているのみである。
それを道綽ら後の人師が「念仏往生」と「万行往生」、「念仏往生」と「諸行往生」等に、勝手に色分けしたにすぎない。
それを更に法然が末法は“時代が遥かに遠ざかっているから”とか“機根が劣っているから”、「万行往生」「諸行往生」は無益であるとして捨閉閣抛させたのである。後の人師であっても、例えば日本天台宗恵心流の始祖・恵心僧都源信は往生要集に「極楽を求むる者は必ずしも念仏を専らとせず」と述べ、念仏に限らず諸行でも往生すると明かしている。
それを法然は選択集において、諸行無益・専修念仏を立て、法華経をも諸行に含めて捨てよ、閉じと、閣け、抛てと諸行往生を否定したのである。
ただ、大聖人は上六品の諸行を捨てるという弁成の言を破折するに際して、こうしたことには触れられていない。
「設い下の三品の念仏に対して上六品の諸行之を抛つとも」と、たとえ彼らが言うとおりであっても、と与えて言われたうえで破折を加えられている。
大聖人はまず第一に、本来、法華経が彼らの言う諸行に入らないことを示される。観無量寿経は法華経以前の経である、その経で諸行を捨てるべしと説いても、法華経がその諸行に含まれるわけがない。先に、大聖人は観無量寿経について「已説に於ては承伏か」と念をおされたのはこのためであったのである。
第二の破折は、更に根本的なものである。浄土宗では、諸行を捨てて、念仏のみが往生の因であるとしているが、「正直捨方便」とある法華経の意を取って言えば、釈尊は法華経を説くに際して、諸行も念仏も、すべてを捨てたのりあり、ともに成仏の因とはならないのである。
観無量寿経の説く範囲のなかで諸行を取るか念仏を取るかを議論するのは、いわば大海を知らないで井の中で行っているようなものである。
法華経の開経である無量義経で仏は、42年間、方便の種々の法を説いたが、「四十余年には末だ真実を顕さず」と述べ、法華経の方便品第二に「世尊は法ひさしくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と、そして仏はただ一大事の因縁をもって、一切衆生を即身成仏させるために、世に出現したことを語り、「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と、また譬喩品第三には「但楽って、大乗経典を受持して、乃至、余経の一偈をも受けざる有らん」とのべているのである。
更に大聖人は、一代聖教並びに法華経のどこをみても、法華経の名を挙げて捨閉閣抛せよなどと説いているのを、末だかってみたことがない、と断言されている。逆に、法華経には「正直に方便を捨て」「余経の一偈をも受けざれ」等とはっきりと方便権教を捨てるべきことが述べられており、既に弁成が認めたように、観無量寿経が已説の経であることは明瞭であるから、浄土の三部経こそ捨閉閣抛すべきなのである。ましてや、観無量寿経をいかに尊んでも、正法である法華経を誹謗するならば、仏法を破壊する大罪にまることは疑いない。
そうなれば、逆に、法然が頼みとする弥陀本願の聖文、並びに法華経の入阿鼻獄の釈尊の誠文から、絶対に免れることはできない、と大聖人は仰せられている。
「弥陀本願の誓文を免れない」とは、阿弥陀仏が法蔵比丘として菩薩の修行をしていた時、自分国を仏国に荘厳しようとして、世自在王仏の下で48種の願を立てたことが無量寿経に説かれている。そのなかでも浄土宗が肝要としているのが第18・念仏往生願で、その内容は「もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生至心に信楽して我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、もし生ぜずんば正覚を取らじ。唯、五逆と正法を誹謗するを除く」というものである。大聖人は法然はこの誓文を免れられないと言われているのは、この後半の「唯、五逆と正法を誹謗するを除く」という“但し書”にあてはまってしまうということである。
また「法華経の入阿鼻獄の釈尊の誠文を免れない」とは、譬喩品第三に「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん…其の人命終して、阿鼻獄に入らん」とある誡めに当てはまるということである。
これと同趣旨の破折は、立正安国論にも拝される。すなわち、法然が曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて念仏を立て、一切経、一切の仏・菩薩を捨閉閣抛せよと主張、しかも三国の聖僧を群賊と罵らせたことは「近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』の誡文に迷う者なり」(0023-07)と仰せの御文がそれである。
善導・法然らは法華経を千中無一、捨てよ、閉じと、閣け。抛て等と誹謗しているのであるから、この二つの戒めに背いており、極楽寺用土に入れないばかりか無間地獄に堕ちていることは疑いない、と断じられているのである。
こうして、しである法然が無間地獄なら、その弟子・檀那も無間地獄に堕すこともまた、疑いない、と仰せられ「今度分明なる証文を出して法然上人の阿鼻の炎を消さる可し」と重ねて弁成を誡め、本抄を結ばれている。