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日蓮大聖人御書講義30下1356~1368
1356~1357 祈祷経送状
1356:01~1356:14 第一章 大難をもって三世の利益を顕す
1356:15~1357:02 第二章 山林籠居の可否について述べる
1357:03~1357:07 第三章 息災延命の祈禱法を略示する
1357:08~1357:17 第四章 妙法受持の深旨と祈祷経の授与を戒める
1358~1362 諸法実相抄
1348:01~1358:07 第一章 諸法実相の意義を明かす
1357:07~1358:12 第二章 虚空会の儀式の意義を明かす
1358:12~1359:07 第三章 妙法蓮華経が本仏なるを示す
1359:08~1359:16 第四章 人法一箇の御本尊建立を示す
1359:16~1360:05 第五章 妙法弘通の人を諸仏・諸天が賛嘆
1360:06~1360:11 第六章 弟子門下の信心の在り方を説く
1360:11~1360:17 第七章 法華は末代衆生のためなるを説示
1360:17~1361:09 第八章 御本仏の絶対的な境界を述ぶ
1361:10~1361:14 第九章 信・行・学の要諦を示す
1361:15~1362:03 第十章 宿縁を述べ重書を送る所以を示す
1358~1362 諸法実相抄諸法実相抄(1977:03月号大白蓮華より先生の講義)
1360:06~1360:11 諸法実相抄2013:11大白蓮華より先生の講義
1362~1368 十八円満抄
1362:01~1362:05 第一章 十八円満法門の出処名目を挙ぐ
1362:06~1363:16 第二章 十八円満の意義について
1363:17~1364:02 第三章 蓮の体を明かす四義を挙げる
1364:03~1364:11 第四章 蓮の宗を釈し蓮の六つの勝能を明かす
1364:12~1364:17 第五章 蓮の用・教の義を釈す
1364:18~1365:01 第六章 総説の五重玄を略説し二種あるを明かす
1365:02~1365:08 第七章 仏意の五重玄を明かす
1365:09~1366:08 第八章 機情の五重玄を説く
1366:09~1366:18 第九章 天真独朗の止観と一念三千との関係示す
1367:01~1367:07 第十章 天真独朗の止観は末法に不適なるを明かす
1366:07~1367:13 第11章 末法における正行と助行を明かす
1367:14~1368:03 第12章 天台宗の義も妙法五字に帰すを明かす
最蓮房について
1356~1357 祈祷経送状top
1356:01~1356:14 第一章 大難をもって三世の利益を顕すtop
| 1356 祈祷経送状 文永十年正月 五十二歳御作 与最蓮房日浄 01 御礼の旨委細承はり候畢んぬ、 兼ては又末法に入つて法華経を持ち候者は三類の強敵を蒙り候はん事は面拝の 02 時大概申し候畢んぬ、 仏の金言にて候上は不審を致すべからず候か、 然らば則日蓮も此の法華経を信じ奉り候て 03 後は或は頭に疵を蒙り 或は打たれ或は追はれ或は頚の座に臨み或は流罪せられ候し程に 結句は此の嶋まで遠流せ 04 られ候ぬ。 -----― お手紙の趣旨は詳しく承った。まえまえからも申し上げたが、末法に入って法華経を持つ者は三類の強敵の迫害を受けるということは、お会いしたときにおおむね申し上げた。仏の金言である以上は不審をいたすべきではなかろう。それゆえ、すなわち日蓮もこの法華経を信奉して後は、頭に傷を受けたり、打たれたり、追放されたり、斬首の刑にあったり、流罪されたりして、結局はこの佐渡の島まで遠流されたのである。 ―――――― 05 何なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ、日蓮は三世の大難に値い候ぬと存し候、 其の故は現在の大難 06 は今の如し、 過去の難は当世の諸人等が申す如くば、 如来在世の善星・倶伽利等の大悪人が重罪の余習を失せず 07 して如来の滅後に生れて 是くの如く仏法に敵をなすと申し候是なり、 次に未来の難を申し候はば当世の諸人の部 08 類等・ 謗じ候はん様は此の日蓮房は存在の時は種種の大難にあひ・死門に趣むくの時は自身を自ら食して死る上は 09 定めて大阿鼻地獄に墜在して無辺の苦を受くるらんと申し候はんずるなり、 古より已来世間出世の罪科の人・ 貴 10 賎.上下・持戒・毀戒・凡聖に付けて多く候へども但其は現在計りにてこそ候に.日蓮は現在は申すに及ばす過去・未 11 来に至るまで三世の大難を蒙り候はん事は 只偏に法華経の故にて候なり、 日蓮が三世の大難を以て法華経の三世 12 の御利益を覚し食され候へ、 過去久遠劫より已来・未来永劫まで 妙法蓮華経の三世の御利益尽くすべからず候な 13 り、 日蓮が法華経の方人を少分仕り候だにも加様の大難に遭い候、 まして釈尊の世世・番番の法華経の御方人を 14 思い遣りまいらせ候に道理申す計りなくこそ候へ、されば勧持品の説相は暫時も廃せず殊更殊更貴く覚え候。 -----― どんな重罪の者でも現在だけ罪に処せられるものであるのに、日蓮は三世にわたる大難にあったように思われる。 そのゆえは、現在の大難は今のとおりである。過去世の難は当世の人々がいうところによれば、釈尊在世における善星や倶伽利等の大悪人が重罪の残りの惑を滅失しないで、釈尊滅後に生まれてこのように仏法に敵対しているのだというのが、これである。 次に未来世の難をいえば、当世の人々の輩が誹謗するには、この日蓮房は生存中は種々の大難にあい、死に臨むときは自身を自ら食し、死んだならば、必ず大阿鼻地獄に堕ちて際限のない苦を受けるであろうということである。 昔から今に至るまで、世間また出世間の罪を受けた人は貴賎・上下・持戒と毀戒・凡聖にわたって多くいるけれども、ただ、それは現在だけであったのに、日蓮は現在はいうまでもなく過去・未来に至るまでの三世の大難を受けている。これは、ただ偏に法華経のゆえである。日蓮の三世にわたる大難をもって法華経の三世にわたる御利益をお考えなされるがよい。 過去久遠の昔から未来永遠にわたって妙法蓮華経の三世の御利益は尽くすことができないのである。日蓮が法華経の味方を少ししただけでも、このような大難にあっている。まして釈尊が出世のたびに法華経の味方をされてきたことを考えると、道理をもって言い尽くせないくらいである。そうであれば法華経勧持品第十三で説かれている内容は少しも廃れておらず、とくにとくに貴く思われる。 |
御礼
①簡単な手紙・葉書。②神社などの守り札。
―――
末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
―――
三類の強敵
釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418~419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
―――
或は頭に疵を蒙り或は打たれ或は追はれ或は頚の座に臨み或は流罪せられ
①頭に疵を蒙り。文永元年(1264年)11月11日、日蓮大聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津に住む門下、工藤氏の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」(1498㌻)に記されている。(小松原法難)②或は打たれ。文永8年(1271年)9月12日に大聖人の松葉谷の草庵を襲った時、兵の左衛門尉入道の従者・少輔房に法華経第五の巻で大聖人の御顔を三度、打った事件。③或は追はれ。(1)建長5年(1253)4月28日、立宗宣言直後、東条郷の地頭・東条景信によって、清澄寺を追われたこと。(2)文応元年(1260年)の秋、鎌倉に移られた日蓮大聖人が、名越に構えられた草庵で念仏者らに襲われた法難のこと。草庵があった地は松葉ケ谷と伝承される(現在、松葉ケ谷の地名はない)。文応元年7月16日、大聖人は宿屋入道を仲介として、念仏などの謗法の諸宗を捨て正法に帰依するように勧めた「立正安国論」を北条時頼に提出し、第1回の国主諫暁を行われた。しかし、このことが幕府の権力者たちの怒りにふれ、念仏者をはじめ諸宗の僧らも大聖人に恨みを抱いた。その後間もなく、念仏を信仰していた北条重時ら権力者を後ろ楯とした念仏者らが、深夜に大聖人の草庵を襲撃した。大聖人はこの難を逃れ、一時、鎌倉を離れられたが、ほどなく鎌倉に戻られた。翌・弘長元年(1261年)5月12日、重時の息子で執権であった長時は、大聖人を無実の罪で伊豆へ流刑に処すなど、さまざまな迫害を加えていった。③或は頚の座に臨み。文永8年(1271年)9月12日の深夜、日蓮大聖人が斬首の危機に遭われた法難。大聖人は、9月10日に平左衛門尉頼綱の尋問を受け、同月12日の夕刻に頼綱が率いる武装した多数の軍勢によって鎌倉の草庵を急襲された。その際、大聖人は少しも動ずることなく、かえって頼綱に対し、謗法を禁じ正法を用いなければ「立正安国論」で予言したように自界叛逆難・他国侵逼難が起こると再度、警告された。これは、第2回の国主諫暁と位置づけられる。大聖人は捕縛され、鎌倉の街路を引き回されて、武蔵守兼佐渡国の守護であった北条宣時の邸宅に勾留された。ところが、その深夜(現代の時刻表示では13日の未明。当時は夜明け前、午前3時ごろまでは前の日付を用いた)に突然、護送されることになり、鎌倉のはずれの竜の口あたりに到達した時、斬首が試みられた。しかし突如、光り物が出現し、その試みは失敗した。この斬首の謀略は、大聖人を迫害する一派が、正式な処分が決定する前に護送中の事故に見せかけて、暗殺を図ったものと推定される。大聖人は、竜の口でのこの暗殺未遂によって、末法の凡夫(普通の人間)である日蓮の身は、業の報いをすべて受けてこれを消し去って、死んだととらえられた。そして、法華経の行者としての魂魄が佐渡に流されたと位置づけられている。すなわち、竜の口の法難を勝ち越えたことを機に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という姿(迹)を開いて、凡夫の身において、生命に本来そなわる仏の境地(久遠元初の自受用身という本地)を顕されたのである。この御振る舞いを「発迹顕本」と拝する。(竜の口法難)④或は流罪せられ。(1)日蓮大聖人が弘長元年(1261年)5月12日から同3年(1263年)2月22日まで、伊豆国伊東(静岡県伊東市)に不当に流罪された法難のこと。(伊豆流罪)(2)日蓮大聖人が文永8年(1271年)9月12日の竜の口の法難の直後、不当な審議の末、佐渡へ流刑に処せられた法難。この法難において大聖人は、同年10月10日に依智を出発し、11月1日に塚原の三昧堂に入られた。その後、同9年(1272年)4月ごろ、一谷にあった一谷入道の屋敷に移られる。同11年(1274年)2月14日には無罪が認められて赦免状が出され、3月8日にそれが佐渡に届いた。同13日に大聖人は佐渡・一谷を出発され、同26日に鎌倉に帰還された。約2年5カ月に及ぶ佐渡滞在中は、衣食住も満足ではなく、暗殺者にも狙われるという過酷な環境に置かれたが、「開目抄」「観心本尊抄」など数多くの重要な御書を著され、各地の門下に励ましの書簡を多数送られた。(佐渡流罪)。
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結句
此の嶋ま
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遠流
罪人を遠い地に流す刑罰。笞・杖・徒・流・死の5段階のうち最も重い死罪に次ぐ重い罪。
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三世
過去世・現在世・未来世の三つ。
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善星
釈尊存命中の出家者の一人。一説に釈尊の出家以前の子とされる。出家して仏道修行に励み、欲界の煩悩を断じて、四禅を得たので四禅比丘という。後に釈尊の教えを誹謗し、無間地獄に生まれたとされる。釈尊存命中の出家者の一人。一説に釈尊の出家以前の子とされる。出家して仏道修行に励み、欲界の煩悩を断じて、四禅を得たので四禅比丘という。後に釈尊の教えを誹謗し、無間地獄に生まれたとされる。
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瞿伽梨
梵名コーカーリカ(Kokālika)の音写。倶伽利・仇伽離などとも書き、悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。雑阿含経巻四十八等によると、提婆達多の弟子であり、釈尊の制止も聞かず、舎利弗や目連を悪欲があると難じた。その報いによって、身に悪瘡を生じて大蓮華地獄に堕ちた。
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余習
前世における罪業や惑等が生命に習慣・習性として残っているもの。
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阿鼻地獄
阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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持戒
戒を受け持つこと。
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毀戒
戒律を破る者。破戒と同意。
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久遠劫
久しく遠い昔のこと。
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方人
味方、仲間のこと。
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勧持品
妙法蓮華経の第13章。正法華経の勧説品に相当する。摩訶波闍波提・耶輸陀羅をはじめとする比丘尼への授記と声聞や菩薩たちによる滅後の弘経の誓いが説かれる。
声聞の比丘・比丘尼は他の国土での弘経を誓ったが、菩薩たちはこの裟婆世界での弘経を誓う。菩薩たちの誓いの偈(韻文)は、20行からなるので、二十行の偈と呼ばれる。そこには、三類の強敵が出現しても難を忍んで法華経を弘通することが誓われている。
勧持品と常不軽菩薩品第20に説かれる逆縁の人への法華経弘通は、滅後悪世における折伏による弘経の様相を示すものと位置づけられ、勧持不軽の行相という。
日蓮大聖人は、滅後末法において法華経を弘通され、この勧持品の経文通りの難にただ一人遭っていることによって法華経を身読していると自覚され、御自身が真の法華経の行者であることの証明とされた。それは、滅後弘経を託された地涌の菩薩、とりわけその上首・上行菩薩であるとの御自覚となった。さらに、勧持品のように滅後悪世で三類の強敵に遭いながらも弘経していることは、不軽品に説かれる不軽菩薩が忍難弘経しついに成仏して釈尊となったように、成仏の因であることを確信される。法華経身読によって、末法の一切衆生を救う教主としての御確信に立たれたのである。このことから、大聖人は末法の御本仏であると拝される。
―――――――――
本送状は、病弱であった最蓮房が「息災延命」の祈禱法について御指南を求めたのに対して、文永10年(1273)正月28日、御年52歳の時、佐渡一の谷で法華経の文を抄録して認めた「祈禱経」への副状である。ただし御真筆は現存していない。
本状の要旨は、最蓮房が質問した箇条に対して、簡潔に答えられたものである。第一に「法華経の行者の受難」について、日蓮大聖人は三世の大難を被ることによって、法華経の利益もまた三世にわたって尽きないであろうと述べられ、第二に「山籠りの可否について」、末法は折伏行が基本原則であるが、病身でもあり、また国主が正法を信受しない場合は、一往は可とする。だが、再往、病気平癒の後には折伏弘通に専心すべきであると示し、第三に「息災延命の祈禱法」について、一切を法華経に任せて修行することを教え、第四に最蓮房が「十七歳で出家以来、肉食妻帯せず、清浄持戒の修行」に励んできたと述べているのに対して、法華経受持の勝抄を示し、最後に折伏弘通の志ある者以外に、安易に祈禱経を授与してはならないと戒めている。
ここは、第一に日蓮大聖人が法華経弘通のために受けられた過去・現在・未来の三世にわたる大難をもって、三世にわたって尽きない利益を得ることは間違いないと、喜びを述べられている。
末法に法華経を受持する者が三類(俗衆・道門・僭聖)の強敵によって迫害されるということは、釈尊の金言であり、大聖人御自身もこの法華経を信じ弘通することによって、命に及ぶ迫害、弾圧を受け、結局、遠い佐渡ヶ島まで流されてきたと仰せである。
次に、どんな重罪の者でも、その罪科が「現在」に限られているのに対して、大聖人の場合は、三世にわたる難を受けていると仰せられている。
「現在の大難」は今の佐渡流罪等であり、「過去の難」は、人々が、大聖人は過去の釈尊在世時代の大悪人であったと悪口しているのがそれであり、「未来の難」というのは、また当世の人々が、大聖人は生きている間は種々の大難に遭い、飢えによって死し、死後は必ず大阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けると言っていることである。
昔から今日に至るまで、一般社会においても、出家僧侶の世界においても、さまざまな罪科の僧侶が多くいた。それらの罪人はいずれもただ「現在」だけの罪科を問われたに過ぎない。これらに対して、大聖人の場合は、三世の大難を被ったのであり、しかもそれが、世間の罪科によるのでなく、ただひとえに法華経弘通に起因しているということである。
このように「法華経」のために三世を貫く大難を受けているということは、逆にいうと三世にわたる大利益を受けるとの証左にほかならない。
大聖人が法華経の味方となって、少々、日本国に折伏弘通しただけでも、種々の大難に遇っているのであるから、まして釈尊が世世番番に出世の一大事として、法華経を弘通されたことを思えば、まことに申しようのないほどありがたいことである。だから「勧持品」に法華経の行者が大難を忍んで弘通することが説かれているのは、しばらくも休むことのない仏の大慈悲を示したものであって、まことに尊いことであると仰せられている。
1356:15~1357:02 第二章 山林籠居の可否について述べるtop
| 15 一御山篭の御志しの事、凡そ末法折伏の行に背くと雖も病者にて御座候上・天下の災・国土の難・強盛に候はん 16 時・我が身につみ知り候はざらんより外は・いかに申し候とも・国主信ぜられまじく候へば・日蓮尚篭居の志候、ま 1357 01 して御分の御事はさこそ候はんずらめ、 仮使山谷に篭居候とも御病も平癒して 便宜も吉候はば身命を捨て弘通せ 02 しめ給ふべし。 -----― 一、御山籠りの御志のことについて。総じて末法の折伏の修行に背くとはいっても、病人であられるうえ、天下の災害や国土の災難が大変盛んである時は、我が身にあてて知らなければ、いかに申し上げても国主は信じられないので、日蓮でさえ籠っていようと思うこともある。まして、あなたの状況であればそうであろう。たとえ山谷に籠ったとしても、御病気も治って、よい機会があれば身命を捨てて弘通されるがよい。 |
末法折伏の行に背く
末法の時機に適った仏道修行は「折伏行」であり、山林に籠る「摂受行」は末法相応の修行に背くということ。開目抄にいわく「邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす」(0235-10)と。
―――
折伏
相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化導法のこと。仏法弘通に用いられる化導法の一つ。摂受に対する語。
―――
便宜
都合の良いとき。ついで。便り。音信。
―――――――――
ここは、最蓮房が山林に籠りたいが、その可否について、大聖人の御指南を求めたのに対して、答えられている。〝山籠りの志〟について、まず、修行の原則に準じて「凡そ末法折伏の行に背く」と仰せられ、末法の時機に適(かな)った仏道修行は「折伏行」であり、その基本方軌からいえば、山林等に籠るのは末法相応の修行に背くと仰せられている。折伏行とは、人々の邪智謗法を打ち破り正法に帰伏せしめていく化他の実践である。したがって、現実社会の中に生きて、人々に、その邪法への信を打ち破り正法を弘めていくことが肝要である。しかるに、山林に籠るとは、現実社会から離れて、一人静かに、自身の悟りを得るために修行するのであって、これは「摂受行」であり、邪智謗法の多い末法の時機には適わない実践法である。
このように、大聖人は修行法の原則を明示されたうえで、最蓮房自身が病弱であり、静養の必要があること、そのうえ、環境的にみても日本全土に災難が頻発していながら、国主は邪法邪師を信じ、法華経を誹謗しており、折伏しても自覚しようとしない。そのために、大聖人御自身でさえも「山林に隠れようと思うくらいである」といわれ、最蓮房が「山籠りの志」をいだくのはもっとものことと一往は認められている。しかし、再往においては、山野に籠居したとしても、病気も治り、都合もよくなったならば、末法折伏の方軌に則り、身命を捨てて法華経弘通に精進していくべきであると仰せられている。
1357:03~1357:07 第三章 息災延命の祈禱法を略示するtop
| 03 一仰せを蒙りて候末法の行者・息災延命の祈祷の事、 別紙に一巻註し進らせ候、毎日一返闕如無く読誦せらる 04 べく候、 日蓮も信じ始め候し日より毎日此れ等の勘文を誦し候て 仏天に祈誓し候によりて、種種の大難に遇うと 05 雖も法華経の功力釈尊の金言深重なる故に 今まで相違無くて候なり、 其れに付いても法華経の行者は信心に退転 06 無く身に詐親無く・ 一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、 慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命 07 にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり。 -----― 一、御依頼を受けた、末法の行者の息災延命の祈禱のことについて。別紙に一巻、記して送る。毎日、一遍、欠けることなく読誦されるように。日蓮も信じ始めた日より毎日これらの勘文を誦して仏や天に祈誓してきたことによって、種々の大難にあったけれども法華経の功力と釈尊の金言が深重であるがゆえに、今まで無事であったのである。 それにつけても法華経の行者は信心において退転なく、身に偽り親しむことなく、一切を法華経にその身を任せて金言のとおり修行するならば、確かに後生はいうまでもなく今生においても息災延命で勝れた大果報を得、広宣流布大願をも成就することができよう。 |
息災延命
災いを息め、命を延ぶること。すなわち無事で長生きすること。
―――
勘文
❶占いや先例や古典を調べた結果を考察して作成した意見書。平安時代以後、朝廷や幕府の諮問に対して、諸道の専門家が答申した。❷中世では勘状のこともいう。勘状とは自身の考えを述べた意見書。日蓮大聖人は御自身が国主諫暁のために出された「立正安国論」を勘文と呼ばれている(33~35,1069㌻など)。
―――
詐親
偽り親しむこと。
―――
後生
後の生。死んで次に生まれてきたときは順次生といい、それ以後の生は順後生という。
―――
今生
今世の生のこと。先生、後生に対する語。
―――――――――
ここは「息災延命」の祈禱法についての御指南である。まず、別紙一巻の「祈禱経」を毎日一遍、欠かさず読誦するよう勧められている。
今、この「祈禱経」の正筆が現存していないために内容が明らかではないが、法華経の経文が抄録されていたものと思われる。
法華経薬王品第二十三には「諸余の怨敵は、皆悉な摧滅せり」「是の経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」等とあり、また陀羅尼品第二十六には「是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患無からしむべし」、「若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば 頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん」、「法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福は量る可からず」等々とある。
大聖人は法華経を信じ始めた日から、毎日、これらの勘文を読誦して、諸仏・諸天に祈り続けてきたと仰せである。
もとより、大聖人は、上野殿御返事に「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(1558-02)と仰せのように、末法の一切衆生を成仏せしめ救わんがために、法華弘通の大願を立て、その成就を深く祈りながら、折伏化他の実践を貫いてこられたのである。
この信力・行力の持続実践によって、身命に及ぶ種々の大難に遭遇しても、「法華経の功力釈尊の金言深重なる故に」すなわち法力・仏力に守られ、一つ一つの大難を乗り越え、今まで無事に過ごしてこられたと仰せである。
祈りにあたって大事なこととして、次のような信行の姿勢に立つべきことを御教示されている。
すなわち、第一に「信心に退転無く」とは、信ずる一念に迷い、躊躇、逡巡、臆病があってはならない、ということである。
第二に「身に詐親無く」とは、行動、振る舞いにおいて、偽り親しむことなく、常に誠実な行動を貫くことである。
第三に「一切法華経に其の身を任せて」とは、南無妙法蓮華経を絶対と確信していくことである。
第四に「金言の如く修行せば」とは、仏の教えを素直に信じて、真っすぐ実践していくことである。
以上のように、勇気ある信心、誠実な行動、絶対の確信、真っ直ぐな実践に励んでいくならば、後生はいうに及ばず、今生も「息災延命」にして、勝妙の大果報を得ることは確実である。
また、こうして一人一人が、異体を同心に修行していくならば、広宣流布の大願も必ず成就するとの仰せである。
1357:08~1357:17 第四章 妙法受持の深旨と祈祷経の授与を戒めるtop
| 08 一御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云、 権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と 09 申し候とも、 法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり、彼の謗法の比丘は持戒な 10 りと雖も無間に墜す、 正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑い無き故なり、 但今の御身は念仏等の権教を捨てて正 11 法に帰し給う故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり、 尤も比丘と成つては権宗の人すら尚然る可し 況や正法の行人 12 をや、 仮使権宗の時の妻子なりともかかる大難は遇はん時は振捨て 正法を弘通すべきの処に地体よりの聖人尤も 13 吉し尤も吉し、 相構え相構え向後も夫妻等の寄来とも遠離して 一身に障礙無く国中の謗法をせめて釈尊の化儀を 14 資け奉る可き者なり、 猶猶向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有る可く候 但此の書は弘通の志有ら 15 ん人に取つての事なり、 此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候か、 穴賢 16 穴賢、恐恐謹言。 17 文永十年癸酉正月二十八日 日蓮花押 18 最蓮房御返事 -----― 一、お手紙に十七歳で出家した後は、妻子をもたず、肉を食べず等とあったことについて。権教を信じていた大謗法のときは、どんな持戒の修行者であっても、法華経に背く謗法の罪のために、正法を持つ破戒の俗人よりも百千万倍劣っているのである。謗法の比丘は持戒であっても無間地獄に墜ち、正法を持った大俗は破戒であっても成仏は疑いないからである。ただいまのあなたの身は念仏等の権教を捨てて正法に帰依されたゆえに、まことに持戒のなかの清浄な聖人である。もっとも比丘となったからには権宗の人でさえそうであるべきである。ましてや正法の修行者はなおさらである。たとえ権宗のときにもった妻子であっても、このような大難にあうときは振り捨てて正法を弘通するべきであるところ、もとよりの聖人であるということは大変に素晴らしいことである、大変に素晴らしいことである。よくよく用心して今後も夫妻等が寄ってきても遠ざけて身に障りなく、国中の謗法を責めて釈尊の化儀を助けられるべきである。なお今後は、この一巻の書を誦して仏や天に祈誓し、御弘通に励まれるがよい。ただし、この書は弘通の志がある人にとって意味があるのである。この経の行者であるからといって、その器でない者には簡単にこれを授与してはならない。あなかしこ、あなかしこ。恐恐謹言。 文永十年癸酉正月二十八日 日 蓮 花 押 最蓮房御返事 |
権教
実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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謗法
誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
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行人
修行する人。
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破戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
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大俗
全くの俗人であること。僧籍のある人に対して世俗の人をこう呼ぶ。
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無間
無間地獄のこと。八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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権宗
権経を依経とする宗派。
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地体
①本質・本来持っている性質。②もともと・元来。
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向後
今から後、今後。
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障礙
物事をなすうえでの妨げ、三障四魔。
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化儀
仏が衆生を教化する方式・方法。
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仏天
①仏のこと。仏は五天の第一であることから、仏を尊んでこう呼ぶ。②諸仏と諸天のこと。
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器用
才知が優れていること。潔白であること。
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ここは、末法において妙法を弘持する僧の在り方と、祈禱経の扱いに関する注意を述べられている。最蓮房が17歳で出家してから後は「妻子を帯せず肉を食せず」等の戒律を堅く持ってきたと述べたのに関して、どんなに清浄に持戒している人であっても、権教を修行し法華経に背いているならば、末法の正法である法華経を信ずる破戒の大俗と比較して百千万倍も劣るとの仰せである。なぜなら、法華誹謗の僧侶は無間地獄に堕ち、正法を信ずる大俗は成仏疑いないからである。
妙法は成仏の種子であり、これを受持すれば必ず仏道を成就していくのである。これに対して、法華経誹謗の者は、法華経の譬喩品に「若し人は信ぜずして 此の経を毀謗せば 即ち一切世間の 仏種を断ぜん 乃至 其の人は命終して 阿鼻獄に入らん」と説かれているように、成仏の種子を断じてしまうことになる。
したがって、たとえ破戒の凡夫であっても、妙法を受持していけば成仏できるのである。本来、種々の細かい戒律は、仏種を熟し得脱せしめていくための助縁の行為にほかならない。もともと仏種があってこそ、持戒が生きてくるのである。
最蓮房の場合は、念仏等の権教を捨てて法華経に帰依したのであるから「誠に持戒の中の清浄の聖人なり」と称えられ、もっとも僧たる人は、権宗であっても、世間の人に比べれば清浄であるべきであり、正法を修行する人はなおさら清浄でなければならない、と述べられている。そして、たとえ権宗のときの妻子であっても、このような大難に遇うときは、それを振り捨てて正法を弘通すべきであると仰せられ、最蓮房が地体、すなわちもともとからの聖人であることは素晴らしいことであり、生涯の使命として、必ずこの後とも、一切の係累を離れて、一身に障礙なく、国中の謗法を責めて、釈尊の化儀を助け、すなわち出家の僧としての、あるべき清浄持戒の生き方を貫いていきなさい、と仰せである。
最後に、再度、「祈禱経」を読誦し、諸仏・諸天に祈り誓い、法華経を弘通していくべきことを励まされるとともに、「祈禱経」の授与については、法華弘通の堅固な志を持った人のためであり、たとえこの経の行者であっても、その器でない者には、安易に、これを授与すべきではないと戒められている。
1358~1362 諸法実相抄top
1348:01~1358:07 第一章 諸法実相の意義を明かすtop
| 1358 諸法実相抄 文永十年五月 五十二歳御作 与最蓮房日浄 日蓮 之を記す 01 問うて云く法華経の第一方便品に云く「諸法実相乃至本末究竟等」云云、此の経文の意如何、 答えて云く下地 02 獄より上仏界までの十界の依正の当体・ 悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり 依報あるな 03 らば必ず正報住すべし、 釈に云く「依報正報・常に妙経を宣ぶ」等云云、又云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十 04 如十如は必ず十界十界は必ず身土」、 又云く「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、 毘盧の身土は凡下の一念を 05 逾えず」云云、 此等の釈義分明なり誰か疑網を生ぜんや、 されば法界のすがた 妙法蓮華経の五字にかはる事な 06 し、 -----― 日 蓮 之を記す 問うていうには、法華経第一の巻方便品第二に「諸法実相とは、所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等」と説かれている。この経文の意味はどのようなものであろうか。 答えていうには、下は地獄界から上は仏界までの十界の依報と正報の当体が一法も残さず妙法蓮華経の姿であるという経文である。依報があるならば必ず正報が住している。妙楽大師の法華文句記巻十下には「依報も正報も常に妙法蓮華経を顕している」等と述べている。また金剛錍には「実相は必ず諸法とあらわれる。諸法はまた必ず十如をそなえている。その十如は必ず十界という差別相がある。その十界には必ず身と土が存在する」と述べている。また、同じく金剛錍のなかで「阿鼻地獄の依報と正報は尊極の仏の自身のなかに具わり、毘盧舎那仏の法身の生命も凡夫の一念の外にあるものではない」としている。 これらの妙楽大師の釈義は分明である。誰が疑いを生ずるであろうか。 したがって、法界の姿は妙法蓮華経の五字にほかならないのである。 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
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諸法実相
すべての存在・現象の真実、ありのままの姿のこと。「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな様相をとって現れている、すべての現象・物事のこと。「実相」とは、真実の姿、究極の真理のこと。仏がその広く深い智慧で覚知した万物の真実の姿が、諸法実相である。この真実を覚知すれば、諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相もまた決して諸法から離れてあるものではないことがわかる。諸法実相は諸経典で、仏の覚りの真実、法性などの意で用いられ、それぞれの経典で明かされる究極の真理をさす。諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印が小乗の法印(正しい教えであるとの標識)であるのに対して、大乗では諸法実相を一法印とする。何を諸法実相とみなすかは宗派によって違いがあり、三論宗では八不中道、華厳宗では四種法界、浄土教では弥陀の名号が諸法実相にあたるとする。【法華経で明かされる諸法実相】法華経では方便品第2で明かされる(法華経108㌻)。そこでは、諸法実相を把握する項目として十如是が説かれている。それ故、十如実相と呼ばれる。これによって、仏はもちろん九界の衆生をすべて含めた十界それぞれが、本質的に平等であることが示された。爾前経では、仏と九界の衆生(凡夫)の間には越えがたい断絶があると考えられていたが、法華経では、この壁が取り払われたことになる。つまり、仏と九界の衆生は、現実にはそれぞれ違った様相をとって現れているが、生命としてその本質はまったく同じで、決定的な差別はないのであり、九界の衆生も、どのような境涯にあっても成仏が原理的に可能になるのである。方便品以下、法華経迹門では、諸法実相という万人の成仏を可能にする原理をふまえ、具体的に、爾前経では成仏が否定されてきた二乗の成仏が明かされていく。さらに悪人成仏、女人成仏も説き明かされた。▷十如是【日蓮仏法で明かされる諸法実相】日蓮大聖人は、天台大師智顗らの注釈をふまえ、「諸法」とは具体的には十界の衆生とその環境世界であり、「実相」とは妙法蓮華経であると明確に示されている。すなわち、「諸法実相抄」で「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」(1358㌻)、「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり……万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(1359㌻)と説かれ、十界の衆生とそれが住む国土のすべてが妙法蓮華経そのものであることとする。大聖人はこの諸法実相を御自身の生命の内に覚知され、曼荼羅御本尊として図顕されている。
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乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
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地獄
地獄の世界。苦しみに縛られた最低の境涯。古代インドでは、大きな悪の行いをした者は死後、地の下にあって苦悩が深く大きな世界に生まれるとされた。その世界をサンスクリットでナラカといい、音写して奈落と呼び、意訳して地獄という。経典には八熱地獄や八寒地獄など数多くの地獄が説かれている。「観心本尊抄」には「瞋るは地獄」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる地獄界は、瞋るすがたにうかがえることが示されている。この「瞋り」は、思い通りにいかない自分自身や、苦しみを感じさせる周囲に対して抱く、やりばのない恨みの心をいう。これに基づいて生命論では、生きていること自体が苦しい、あらゆることが不幸に感じる生命状態を地獄界とする。
―――
仏界
仏の世界。仏が体現した、慈悲と智慧にあふれる尊極の境涯。仏(仏陀)とは覚者の意で、宇宙と生命を貫く根源の法である妙法に目覚めた人のこと。具体的にはインドで生まれた釈尊(釈迦仏)が挙げられる。諸経には阿弥陀仏などの種々の仏が説かれるが、これは仏の境涯の素晴らしさを一面から譬喩的に示した架空の仏である。諸経に説かれる仏の世界も仏に相応して違いがある。すなわち、諸経の仏とその世界は、それぞれの経にとって目指すべき理想であるといえる。法華経本門では釈尊の本地が久遠の仏であるという久遠実成が明かされ、その永遠の国土が娑婆世界と一体であるという娑婆即寂光が明かされた。日蓮大聖人は「観心本尊抄」で、この仏と仏の世界が凡夫の己心に本来そなわっていることを明かし、南無妙法蓮華経を受持することによってそれを開き現すことができると説かれている。仏界と信心との深い関係について同抄では、「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(241㌻)と述べられている。法華経は万人が成仏できることを説く教えであるが、その法華経を信ずることができるのは、人間としての自分の生命の中に本来、仏界がそなわっているからである。また同抄では、人界に仏界がそなわっている現実の証拠として、釈尊が凡夫から仏となったこと、不軽菩薩がすべての人に仏界を見て礼拝したこと、堯や舜という古代の伝説的な帝王が万人に対して偏頗なく慈愛を注いだことを挙げられている(242㌻)。
―――
十界
衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。生命論では人間の生命の状態の分類に用いる。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」という。「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。六道の中では、地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」とし、この三悪道に比べれば相対的にはよいことから、修羅・人・天は「三善道」とされる。また三悪道に修羅を加えて、「四悪趣」ともいう。また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯である。小乗の教えに基づき覚りを目指す声聞・縁覚は「二乗」と呼ばれる。これに菩薩を加えて「三乗」と呼ばれる。法華経以外の経典では、十界はそれぞれ固定化された世界・境涯としてとらえられていた。しかし法華経では、その考え方を根本的に破り、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわっていることを明かし、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることを説いて、十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命にそなわる10種の境涯であることを示した。したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべてそなわっており、縁によって次にどの界の境涯をも現せることが明らかになった。このように十界の各界が互いに十界をそなえていることを十界互具という。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
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依正
依報と正報のこと。「報」は過去の行為の因果が色心の上にあらわれた必然の報い。この報いを受ける主体である有情の身心を正報といい、この身心が拠りどころとする環境・国土を依報という。依正の二法はともに過去の業によって報いたものであるから二果果報ともいい、相依相関性を有し、不二の関係にある。三世間でいえば五陰世間・衆生世間が正報、非情の国土世間が依報となる。
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妙法蓮華経
法華経の漢訳の一つ。中国・後秦の鳩摩羅什訳。406年成立。8巻。法華経の漢訳の中でも最も優れたものとして、最も広く用いられている。経題である妙法蓮華経には法華経全巻の要諦が示されており、そのすべてが収まっていると理解されることから尊重される(324㌻以下、342㌻など)。
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十如
法華経方便品第2で説かれた、如是で始まる10の語。すなわち如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。仏が覚った諸法実相を把握する項目として示されたもの。天台大師智顗が一念三千の法門を立てる際、これに依拠した。方便品には諸法実相について、「唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」(法華経108㌻)と示されている。ここで諸法実相を把握する項目として「如是」で始まる10項目が挙げられており、それ故、十如是・十如実相という。①相とは、表面に現れて絶え間なく一貫している性質・性分。②性とは、内にあって一貫している性質・性分。③体とは、相と性をそなえた主体。これら相・性・体の三如是は、事物の本体部分である。これに対し、以下の七如是は、本体にそなわる機能面を表している。④力とは、本体に内在している力、潜在的能力。⑤作とは、内在している力が外界に現れ、他にもはたらきかける作用。次の因・縁・果・報は、生命が変化していく因果の法則を示している。⑥因とは、本体に内在する直接的原因。⑦縁とは、外から因にはたらきかけ、結果へと導く補助的原因。⑧果とは、因に縁が結合(和合)して内面に生じた目に見えない結果。⑨報とは、その果が時や縁に応じて外に現れ出た報いをいう。⑩本末究竟等とは、最初の相(本)から最後の報(末)までの九つの如是が一貫性を保っていることをいう。十如是のそれぞれの在り方は、十界それぞれの生命境涯に一貫しており、十界それぞれで異なる。しかし、衆生が十如是を平等にそなえているという側面、生命境涯の因果の法則は、十界に共通である。これは、十界のいずれもが、内にそれぞれの因をそなえており、それが縁に応じて果を生じ、報として現れることを示している。したがって、十界のどの衆生も、仏界の縁を得れば、仏界を現して成仏できる。
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身土
「身」は正法であり、三世間にあてはめれば五陰世間・衆生世間を意味し「土」は国土世間を意味する。
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阿鼻
阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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極聖
ほとけのこと。聖位の究極のことで、妙覚即仏界をさす。
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自心
自分の生命、自分の心。
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毘盧の身土は凡下の一念を逾ず
毘盧遮那仏の身とその仏国土のこと。凡夫であるわれら衆生の一念を越えて存在するものではない。すべて一念の心、生命の中にあるということ。
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疑網
疑いを心の網にたとえた語。疑いが心を束縛し動きの取れない様子。また疑いが入り乱れて決定・判断できない様子を、網が物を捕らえ、その網目が入り乱れているさまにたとえる。
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法界
衆生の境涯、すなわち衆生が住んで感じている世界全体のこと。法界は自身が則っている法に応じて決まるが、その法に地獄界から仏界までの10種の違いがあるので、十法界となる。例えば、地獄の因果の法に則れば、身も国土も地獄を現す地獄界となる。仏の因果の法に則れば、身も国土も仏を現す仏界となる。
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本抄は、日蓮大聖人が52歳の御時、文永10年(1273)5月17日に、御配流の地、佐渡の一の谷で著され、最蓮房日浄に与えられた御抄である。
本抄は法華経方便品に説かれる「諸法実相」の経文の意義について、最蓮房が大聖人に御教示を請うたことに対して賜った御返事である。
追申に「ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ」、また「此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」と述べられているように、大聖人の仏法の肝要の法門が集約して述べられている。
内容は、前半では、冒頭で法華経方便品の「諸法実相乃至本末究竟等」の意義について、十界の依正の当体が妙法蓮華経のすがたである、との意であることを明かされ、それを事相に顕したのが、法華経本門の虚空会の儀式であることを御教示されて、更に、それが末法に初めて、日蓮大聖人によって弘通される事の一念三千の法本尊であることを示唆されている。
次に、この法華経の極理の付嘱を受けて末法に弘通するのは本化地涌の菩薩の上首・上行菩薩であるが、その地涌の菩薩としての実践を大聖人御自身がなさっていることを述べられている。
そして、大聖人を誹謗する者の無量劫にわたる罪報の大きさと、逆に大聖人を供養し、折伏・弘教に励んでいく者の無量の功徳を説かれ、日蓮大聖人が一往、外用の辺では上行菩薩の再誕であられるが、再往、内証の辺は末法の御本仏であり、久遠元初の自受用身如来の再誕であられることを示されている。すなわち、本抄は、前半においては人・法にわたる本尊を明かされていると拝される。
後半では、日蓮大聖人の妙法を受持していく門下の信心の在り方について教えられている。
まず大聖人と同じ心に立って、広宣流布の実践に励んでいく人が地涌の菩薩の眷属であり、地涌の菩薩に定まるなら、釈尊久遠の弟子であることは疑いないと仰せられている。
そして、大聖人御一人から始まった妙法弘通の戦いにより、今、数百人になっていることを述べられ、未来もこの原理に立って戦いを進めるなら、広宣流布を実現できることは大地を的として矢を射るように確かであると断言されている。
次に、釈尊の法華経の儀式並びに説法が末法の令法久住と、一切衆生の成仏のためであったことをのべられ、どこまでも法華経に名を立て、身を任せていくべきことを促されている。
そして、御自身が現在、法華経の行者である事実から、この法華経の会座に列座していたにちがいなく、経典を結集した阿羅漢達が「如是我聞」と書いたように、御自身も妙法蓮華経が末法の一切衆生のためにとどめられたと如是我聞したゆえに法華経の行者となったことを仰せられている。
最後に、信・行・学が仏道修行の根本であることを御教示され、本抄に示された法門を心肝に染めて、信心強盛に行学の二道に励んでいくよう促され、本抄を結ばれている。
更に追申にも、重ねて仏法の深い師弟の関係を述べられ、本抄は大聖人己心に悟られた法門を明かした重要な書であることを強調されている。
十界の依正の当体が妙法蓮華経
最初に問いが設けられているのは。最蓮房が法華経方便品第二に説かれている「諸法実相」の意義について質問申し上げたことによると考えられる。
最蓮房は天台の学僧であったから、おそらく天台家における肝要の法門として「諸法実相」について知っていたのであろう。しかし、天台家の法門では十分に理解することができず、その深い元意をうかがおうとして大聖人に質問したものと思われる。
釈尊は方便品で「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり」と、あらゆる仏のもっている智慧は計り知れない深いものであり、二乗のとうてい知ることのできないものであると述べている。
そして、その諸仏の智慧、すなわち諸仏の悟っている法理の内容として「諸法実相」を説いたのである。
「唯だ仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂る諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」という文がそれである。
「諸法」とは諸の法、すなわち、この現実世界にさまざまな姿をとってあらわれている一切の現象である。
「実相」とは実の相、すなわち、ありのままの姿、真理のことである。方便品では実相の内容を十如是をもって示している。ゆえに十如実相とも呼ばれる。
十如是の「如是」は「是くの如き」と読み、ありのままに見た事物・事象のすがたを意味する。
「如是相」から「如是本末究竟等」のうち、相・性・体の三如是は諸法の本体をあらわし、力・作・因・縁・果・報の六如是はその機能面をあらわしている。そして最初の如是相から最後の如是報に至るまで、究極的には一貫して等しいことを「如是本末究竟等」という。
諸法は、その内容においては各別であるが、その存在、生起の仕方においては、等しくこの十種の側面がそなわっているのである。
仏法はこの諸法を、地獄界から仏界までの「十界」の範疇に立て分ける。
この十界の各界は法華経以前に説かれた諸経においては、衆生がそれぞれの果報によって住する、別々の世界として説かれてきた。つまり十界の相互には上下の差別とともに深い断絶があったのであり、とりわけ、九界と仏界の間には容易に超えられない断絶があるとされていた。したがって、成仏へ至るための菩薩の修行も、歴劫修行といわれるように、気の遠くなるほど長期間を要するとされたのである。九界のなかでも、とくに二乗は永遠に成仏できないとされ、また女人も多くの場合、成仏できないとされていた。
ところが法華経方便品において、諸法すなわち十界が等しく十如是を具えていることが明らかにされ、地獄界も二乗も仏界も、ともに十如是の方軌をもってあらわれるという点では異ならないことが示された。
このように「諸法実相」とは、地獄界から仏界までの十界が、十如是という平等の真理に即してあらわれることをいうのである。このことを本文で「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」と仰せられているのである。「十界の依正」が諸法、「妙法蓮華経」が実相にあたることはいうまでもない。
この「諸法」と「実相」の関係は、たとえを用いていえば、水が、固体である氷や、気体である水蒸気といったさまざまな姿をとっても、その化学的組成はいずれもH₂Oであるように、生命は縁にしたがって十界の変化相を示すが、妙法蓮華経という体は変わらないのである。
したがって、諸法の奥に実相があるのでもなく、両者は、別の実体として相対立するのでもない。諸法に即して実相、実際に即して諸法、という相即の関係にある。
この「諸法実相」が説かれたことにより、当然の帰結として、十界相互、とりわけ九界と仏界はその体が別々なのではなく、生命境界の変化相であることが明らかになり、ここに九界と仏界の間の深い断絶が取り払われたことになる。このことを大聖人は四条金吾殿御返事でも「今経は出世の本懐・一切衆生皆成仏道の根元と申すも只(ただ)此の諸法実相の四字より外は全くなきなり」(1139-02)と仰せられている。
依報あるならば必ず正報住すべし、釈に云く「依報正報・常に妙経を宣ぶ」等云々
国土(依報)に地獄界から仏界に至るまでの十界の差異の相があれば、それに応じて、住する衆生(正報)にも必ず十界の差異の相があるとして、依正不二が生命の真実のすがたであることを示されている。
正報とは、過去の業(行為)の報いとして得た有情の身、すなわち生命活動を営む主体、衆生のことである。依報とは、正報が依りどころとする環境、国土のことである。
この二つは、ともに過去の自らの業によって招いたものであるゆえに「報」というのである。この依報と正報は、一往は二でありながら、その奥底においては不二(依正不二)であるという関係にある。
一般に依報と正報では正報が主と考えられるから「正報住するならば必ず依報あるべし」といわれるべきところのように思えるが、「依報あるならば必ず正報住すべし」と仰せられているのは、爾前の諸経では一貫して十界は十種の異なる世界すなわち依報として説かれてきたことによると拝される。
つまり爾前経では、十界とは世界観であった。それに対し法華経で諸法実相と説かれる「諸法」とは、衆生のさまざまな異なりをさしており、この諸法が十界に住する種々の衆生にほかならないことを示されているのである。
「依報正報・常に妙経を宣ぶ」とは、妙楽大師の法華文句記巻十下の文であるが、十界の依正相互の間には、大きい差異があるが、いずれも妙法蓮華経をあらわしているとの意である。
すなわち、十界ことごとく妙法蓮華経の当体であり、逆にいえば妙法の根源の一法が、十界の正報・依報となってあらわれているということである。
又云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」
十如実相の文を釈した妙楽大師の金剛錍の文である。この釈は〝実相四必銘〟といわれ、一念三千の法門を簡潔にあらわした文でもある。
実相とは、既述したように常住の本体たる妙法蓮華経であり、「実相は必ず諸法」とは、妙法蓮華経は必ず万法としてあらわれるということである。
その諸法は必ず十如を具えている。万法に共通している真理である。そして、その十如には必ず十界の差別相がある。
更にその十界の差別相をもってあらわれている生命には、必ず身(正報)と土(依報)が具わっている。身は五陰・衆生の二世間であり、土が国土世間で、いわゆる三世間になることはいうまでもない。
したがって、この〝四必〟の文は、諸法実相を一念三千の法理として展開したもので、結論していえば、諸法が三千、実相が一念にあたる。
又云く「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」云云
この釈も同じく妙楽大師の金剛錍の文である。
阿鼻の依正とは無間地獄の依報と正報、すなわち地獄の国土と衆生である。これらはともに極聖の自心、すなわち尊極の仏の生命のなかに具わっているということである。
また毘廬遮那仏(法身仏)の仏身と、その住する国土も、我ら凡夫の一念の外に存在するものではない、という意味である。
これは十界互具の原理を、仏界と地獄界を代表として示したもので、仏も地獄もともに妙法蓮華経であるがゆえに、仏の生命には無間地獄も具わっているし、凡夫の一念にも仏の生命を具足しているのである。
大聖人は、これらの釈義から、「諸法実相」があらわしている意義は、十法界のすがたが妙法蓮華経以外のなにものでもないということである、と結論されている。
1357:07~1358:12 第二章 虚空会の儀式の意義を明かすtop
| 06 釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・ 事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うな 07 づき合い給ふ、 かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず、天台・妙楽・伝教等は心に 08 は知り給へども言に出し給ふまではなし・胸の中にしてくらし給へり、 其れも道理なり、付嘱なきが故に・時のい 09 まだ・いたらざる故に・仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外 10 は、 末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、 宝塔の中の二仏並座の儀式を 11 作り顕すべき人なし、 是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり、 ―――――― 釈迦仏・多宝仏の二仏といっても妙法蓮華経の五字のなかから用の利益を施すとき、事相に釈迦・多宝の二仏と顕れて多宝塔のなかでうなずきあわれたのである。このような法門は日蓮を除いては申し出す人は一人もいないのである。天台大師、妙楽大師、伝教大師等は心の中では知っておられたのであるが、言葉に出されることはなかった。ただ、胸の中にしまっておかれたのである。それも道理なのである。それは付嘱がなかったゆえであり、時がいまだ来ていないゆえであり、釈尊の久遠の弟子ではないがゆえなのである。地涌の菩薩のなかの上首・唱導の師である上行菩薩・無辺行菩薩等の菩薩よりほかには、末法の始めの五百年に出現して、法体の妙法蓮華経の五字を弘めるだけでなく、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すことができる人はいないのである。これはすなわち、法華経本門如来寿量品に説かれた事の一念三千の法門であるからである。 |
釈迦多宝の二仏
釈迦牟尼仏と多宝如来のこと。法華経見宝塔品~嘱累品において二仏並座の儀式が行われる。
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用の利益
法体がその働きとしてあらわす利益。
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利益
仏の教え、正法に従い行動することによって得られる恩恵や救済。功徳のこと。
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事相
❶現実の具体的な姿、形、様子。❷密教では、理論的な側面を教相、実践的な側面を事相と称している。
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宝塔
宝物で飾られた塔。法華経見宝塔品第11では、釈尊の法華経の説法が真実であると保証するために、多宝如来が中に座す宝塔が、大地から出現して嘱累品第22まで虚空に浮かんでいた。この宝塔は高さ500由旬で、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られていた。この塔の内に釈迦・多宝の二仏が並んで座り(二仏並坐)、聴衆も空中に浮かんで、虚空会の儀式が展開された。日蓮大聖人はこの虚空会の儀式を借りて曼荼羅を図顕され、末法の衆生が成仏のために受持すべき本尊とされた。そして曼荼羅御本尊の中央にしたためられた南無妙法蓮華経を宝塔と同一視されている。また妙法を信受する人は、南無妙法蓮華経そのものであるので、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝(七聖財)に飾られた宝塔であるとされている(1304㌻)。
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法門
仏・菩薩の教え、その仏に従って学べば聖者の智に入ることのできる門。末法では御本仏日蓮大聖人の三大秘法をさす。
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天台
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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妙楽
711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
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伝教
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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付嘱
教えを広めるように託すこと。法華経如来神力品第21で釈尊は、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に釈尊滅後の悪世に法華経の肝要の法を広めることを託した(法華経571㌻以下)。これを別付嘱という。その後、嘱累品第22で、その他の無数の菩薩たちにも滅後に法華経を広めることを託した(法華経577㌻以下)。これを総付嘱という。
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久遠
長遠な期間。長遠な過去。法華経では、迹門で三千塵点劫、本門で五百塵点劫という長遠な過去での出来事が明かされている。このうち、五百塵点劫という長遠な過去に釈尊が実は成仏したという本地が明かされた久遠実成が特に重要な法門であるので、久遠は五百塵点劫をもっぱら指すことが多い。また日蓮仏法では、釈尊の因位の時を久遠元初とし、そこからさらに凡夫が成仏する本源の時も久遠元初とすることから、久遠元初の意味でしばしば久遠を用いる。久遠元初とは、寿量品に即して表現すれば久遠五百塵点劫の当初の意で、時間的な表現で釈尊の久遠の成仏の根底を指し示しているが、本質的には、無始無終の妙法を凡夫の信の一念に開覚し、凡夫のままで無作の三身を成就する根源的な成仏の時はすべて久遠元初である。
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地涌の菩薩
法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。これに対して、文殊・弥勒などは、迹仏(始成正覚の釈尊など)あるいは他方の世界の仏から教化された菩薩なので、迹化・他方の菩薩という。
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菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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上首唱導
上首とは首席、最上位の者のこと。唱導とは率先して教え導くこと。法華経従地涌出品第十五には「是の菩薩衆の中に、四導師有り。一に上行と名づけ、二に無辺行と名づけ、三に浄行と名づけ、四に安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」とある。
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末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
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末法の始の五百年
日蓮大聖人の時代には、大集経に説かれる五五百歳の2500年のうち、はじめの第1、第2の500年を正法時代、第3、第4の500年を像法時代とし、第5の500年が末法の初めの500年と考えられた。大聖人は「撰時抄」で、法華経が流布する時は2度あり、1度目は釈尊在世の最後の8年、2度目は滅後の「末法の始の五百年」(260㌻)であるとされている。
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法体の妙法蓮華経の五字
法体とは諸法の本体のこと。有為・無為、諸々の存在を法とし、その不変不改の実質を体とする。天台大師は「実相を体と為す」と実相を本体としているが、「実相」とは、文底の意では南無妙法蓮華経のことをさす。
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二仏並座の儀式
釈迦仏と多宝仏が並座した儀式。宝塔品の儀式のこと。それをそのまま一幅の漫荼羅として顕されたのがご本尊である。日女御前御返事には「是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり」(1243-08)とある。
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本門寿量品
法華経如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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事の一念三千
理の一念三千に対する語。ひとくちに事の一念三千といっても、天台教学における事の一念三千と日蓮仏法における事の一念三千があり、両者は異なる。①天台教学における事の一念三千。法華経本門の如来寿量品第16では、開近顕遠が説かれて久遠実成が明かされ、久遠の仏の本果が示されるとともに、その本因としての菩薩道も示され、この本因と本果の常住が明かされた。さらに、久遠の本仏が、九界の衆生の住む娑婆世界の上に現れるという娑婆即寂光が説かれ、真実の国土世間とその常住が明かされた。これによって、一念三千を構成するすべての要素が完備した。これは仏の振る舞いの上に事実として現れている一念三千である。これが天台教学における事の一念三千である。②日蓮仏法における事の一念三千。日蓮大聖人が御自身の振る舞いの上に体現して説き示された、三大秘法の南無妙法蓮華経。天台教学における一念三千の理と事は色相荘厳の仏に即したものであり、機根の劣った凡夫である末法の衆生にとっては、いずれも結局は理論上の枠組みとしての「理」にとどまる。したがって、凡夫が事実の上で成仏できる法は、大聖人が名字即の凡夫である御自身の振る舞いの上に体現して説き示された三大秘法の南無妙法蓮華経である。
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法華経迹門方便品で「諸法実相・十如是」として説かれたものを、もう一歩深く事相をもって顕したのが虚空会の儀式であることを明かされている。
日蓮大聖人はこの虚空会の儀式を用いられて、末法の一切衆生を成仏せしめる寿量文底下種の事の一念三千の御本尊を御図顕されたのである。
「釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・事相に二仏と顕れて」とは、釈迦・多宝の二仏といっても、妙法蓮華経の一法が衆生を利益する働きを、事相すなわち具体的な釈迦・多宝という二仏の姿によってあらわしたものであるということである。
これは後に出てくる「仏は用の三身にして迹仏なり」の御文に対応するもので、経文に種々説かれる荘厳な仏も、結局は妙法蓮華経のあらわす仏界の働きを表現したものであり、したがって、仏と同じく十界すべてが、妙法蓮華経のあらわす働きであるというのが、ここで仰せの元意である。
また「宝塔の中にして・うなずき合い給う」とは、虚空会の儀式において釈迦・多宝の二仏が説きあらわした法とは、妙法蓮華経であるということで、釈迦が説法し、多宝が合意して証明したことをいわれている。
虚空会とは、見宝塔品第十一から嘱累品第二十二までの説法の座をいい、仏と大衆が虚空中に住在して展開されたところから虚空会という。
見宝塔品に入ると、大地から高さ五百由旬に及ぶ七宝の塔が涌出し、その中に坐した多宝如来が、釈尊の説く法華経の教えは「皆な是れ真実なり」と証明する。
その後、多宝の塔を開くため、釈尊は娑婆世界を中心に、八方の無数の国土を三度にわたって清浄にする(三変土田)。そして、十方の世界から分身の諸仏が来集し、条件が整ったところで、釈尊は宝塔の扉を開き、宝塔の中の多宝如来に招かれ、釈尊と多宝如来が並んで坐る。このことを「二仏並座の儀式」という。
続いて一座の大衆も虚空に上げられ、虚空会における説法が始まるのである。地涌の菩薩が涌出した従地涌出品も、久遠の本地を顕した如来寿量品も、この虚空会で説かれた甚深の教えなのである。
このように、迹門の諸法実相の説法も、本門の虚空会の儀式も、妙法蓮華経をあらわしているのであるということは、未だかつてだれも宣説していない。日蓮大聖人が初めてであることから「かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出す人は一人もあるべからず」と仰せられている。
ただ天台大師・妙楽大師・伝教大師の正師は、このことを知りながら、それを言葉に出しては説かなかった。「其れも道理なり」と、大聖人はその理由を三つ挙げられている。
第一に「付属なきが故に」とは、この妙法は法華経如来神力品第二十一において、本化の上行菩薩に対して付嘱されたのであり、天台大師・妙楽大師等は、迹化の菩薩であるため、釈尊から寿量文底下種の妙法を託されなかったということである。
第二に「時のいまだ・いたらざる故に」とは、この妙法が弘められるべき時は、法華経薬王菩薩本事品第二十三に「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布」とあるように末法であるから、像法時代に出現した天台大師・妙楽大師等は、この妙法を説くことができなかったのである。
第三に「仏の久遠の弟子にあらざる故に」とは、天台大師・妙楽大師等は迹化の菩薩であり、仏の久遠の弟子でないので、これを弘める力がないということである。
以上、三つの条件をすべて満たして御出現になったのが日蓮大聖人である。
地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし、是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり
この御文に示されている「法体の妙法蓮華経の五字」とは、本門の題目である。そして「宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕す」とは、大聖人が出世の本懐として御図顕された本門の本尊にほかならない。
この本門の題目を建立し、本尊を顕し弘めることは、地涌の菩薩の上首・上行等にしかできないことである。その理由を「是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故」と仰せである。迹化の菩薩は迹門の法門を弘めることはできるが、本門寿量品の事の一念三千の法門は本化の菩薩でなければ説き弘めることはできないからである。
「地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩」とは、その本地は久遠元初の自受用報身であり、人本尊を意味し、「本門寿量品の事の一念三千」とは、久遠元初の妙法であり、法本尊をあらわしている。
「宝塔の中の二仏並座」については、阿仏房御書に「開塔は本門・是れ即ち境智の二法なり」(1304-05)、また四条金吾殿御返事には「多宝は境なり釈迦は智なり、境智而二にして・しかも境智不二の内証なり」(1117-01)と説かれている。
すなわち、釈迦・多宝の二仏はそれぞれ智と境をあらわしており、「而二」として現じながら、しかも同時に宝塔の中に並座している姿は境智不二をあらわしているのであるとの仰せである。
つまり二仏並座は仏界の境智冥合の相であり、仏の悟りにおける広大無辺の境地の二法を象徴したものなのである。
この境智冥合の法体こそ、寿量文底独一本門の南無妙法蓮華経であり、「二仏並座の儀式」とは、本門の本尊の相貌を示しているのである。
日蓮大聖人は「二仏並座の儀式」があらわしている法体を末法一切衆生のために、御本尊として御図顕されたのである。
この御本尊を顕されたのは大聖人のほかにはだれびともいないのであり、それは大聖人が外用の辺においては本化上行の再誕であり、内証においては久遠元初の自受用報身即末法の御本仏であられるがゆえなのである。
1358:12~1359:07 第三章 妙法蓮華経が本仏なるを示すtop
| 11 されば釈迦・多宝の二仏と云うも 12 用の仏なり、 妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、 経に云く「如来秘密神通之力」是なり、如来秘密は体の三身 13 にして本仏なり、 神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、 凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にし 14 て迹仏なり、 然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、 さにては候はず返つて 15 仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、 其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・ 1359 01 本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり、 此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、 然れども迷悟の不 02 同にして生仏・異なるに依つて倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり、 さてこそ諸法と十界を挙げて実 03 相とは説かれて候へ、 実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、 地獄は地獄のすが 04 たを見せたるが実の相なり、 餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、 仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万 05 法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、 天台云く 「実相の深理本有の妙法 06 蓮華経」と云云、 此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり、 此の 07 釈能く能く心中に案じさせ給へ候へ。 ―――――― したがって、釈迦仏・多宝仏の二仏といっても用(ゆう)の仏であり、妙法蓮華経こそ本仏であられるのである。法華経如来寿量品第十六に「如来秘密神通之力」と説かれているのはこのことである。「如来秘密」は体の三身であって本仏である。「神通之力」とは用の三身であって迹仏なのである。凡夫は体の三身であって本仏である。仏は用の三身であって迹仏である。 したがって、釈迦仏が我ら衆生のために主師親の三徳をそなえられていると思っていたのであるが、そうではなくかえって仏に三徳をこうむらせているのは凡夫なのである。 そのゆえは、如来というのは天台大師の法華文句巻九下には「如来とは十方三世の諸仏、真仏・応仏の二仏、法身・報身・応仏の三身、本仏・迹仏の一切の仏を通じて如来と号するのである」と判じられている。この釈に「本仏」というのは凡夫であり、「迹仏」というのは仏である。 しかしながら、迷いと悟りの相違によって、衆生と仏との異なりがあり、このため衆生は、倶体・倶用ということを知らないのである。 そうであるからこそ、諸法という言葉で十界を挙げ、これを実相であると説かれたのである。「実相」というのは、妙法蓮華経の異名である。ゆえに「諸法」(十界)は妙法蓮華経であるということなのである。地獄は地獄の姿をみせているのが実の相である。餓鬼と変わってしまえば地獄の実の姿ではない。仏は仏の姿、凡夫は凡夫の姿であり、万法の当体の姿が妙法蓮華経の当体であるということを「諸法実相」とはいうのである。 このことについて天台大師は「実相の深理は本有常住の妙法蓮華経である」と述べている。この釈の意味は「実相」の名言は迹門の立場から言ったものであり、「本有の妙法蓮華経」というのは本門の上の法門なのである。この釈の意をよくよく心中で案じられるがよい。 |
如来秘密神通之力
法華経如来寿量品第16の文。同品の冒頭では、弥勧菩薩の要請に応じて釈尊が「汝等よ。諦らかに聴け。如来の秘密・神通の力を」(法華経477㌻)と述べ、その後、釈尊が久遠の昔から仏であり、方便として入滅するけれども、実はこの婆婆世界に常住しており、妙法を強盛に信じる者には現れてくることが説かれる。「御義口伝」に「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(753㌻)と仰せのように、如来の秘密の法とは、万人を成仏させる妙法である。
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三身
仏としての本質的な3種の特性。①法身(仏が覚った真実・真理)②報身(最高の覚りの智慧をはじめ、仏と成った報いとして得た種々の優れた特性)③応身(人々を苦悩から救うためにそれぞれに応じて現実に表した姿、慈悲の側面)の三つをいう。
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凡夫は体の三身にして本仏ぞかし
「凡夫」とは久遠元初自受用法身如来即日蓮大聖人のことであり、末法の本仏である。
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仏
一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。
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仏は用の三身にして迹仏なり
32相80種好を具えた色相荘厳の仏は、本仏の有の姿であるということ。
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主師親の三徳
一切衆生が尊敬すべき主徳・師徳・親徳の三徳のこと。①主徳は人々を守る力・働き。②師徳は人々を導き教化する力・働き。③親徳は人々を育て慈しむ力・働きをいう。日蓮大聖人は「開目抄」の冒頭で「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(186㌻)と提示された上で、「日蓮は日本国の諸人にしう(主)し(師)父母なり」(237㌻)と結論され、下種仏法を弘通する御自身が末法の衆生にとって主師親の三徳をそなえられた末法の御本仏であることを明かされている。
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十方三世の諸仏
「十方」は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。「三世」は過去・現在・未来。ありとあらゆる仏の意。
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二仏
真仏と応仏のこと。真仏は法身仏ともいう、真実の仏。応仏は衆生の機根に従って、種種さまざまに応現した仏。爾前の仏が応仏であるのに対し、法華経は真仏である。迹門の仏が応仏であるのに対し、法華本門寿量品の仏は真仏である。本門寿量の仏は応仏であり、久遠元初自受用法身如来のみが真仏である。当体義抄には「爾前迹門の当分に妙覚の位有りと雖も本門寿量の真仏に望むる時は惑者仍お賢位に居ると云わるる者なり」(0517-18)とある。
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三仏
法・報・応の三身のこと。仏としての本質的な3種の特性。①法身(仏が覚った真実・真理)②報身(最高の覚りの智慧をはじめ、仏と成った報いとして得た種々の優れた特性)③応身(人々を苦悩から救うためにそれぞれに応じて現実に表した姿、慈悲の側面)の三つをいう。
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通号
広く通ずる名前。
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迷悟
わが身が本来、妙法そのものであることを覚っているか、迷っているかということ。
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生仏
九界の衆生と仏のこと。生は衆生を意味する。
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倶体・倶用
体とは本体、用とは働き、この体用を具えていることを俱体俱用という。
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地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり
三十四箇事書には「地獄は地獄ながら、餓鬼は餓鬼ながら、乃至仏界は仏界ながら、改変せず、法爾自体実相なり」とある。
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万法
一切の諸法・森羅万象・万物・万象のこと。一切世間のあらゆる事物をいう。
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本有
本来ありのままに存在すること。もともとそなわっていること。①生命に本来そなわる特質、本然的に繰り返す現象。②久遠から常住している意。
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天台云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」
方便品で諸法実相と説かれるものの深理(本体)は、そのまま本門で説かれる久遠以来本有である妙法蓮華経であるということ。天台の言葉といわれているが、出典は未詳。
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実相の名言は迹門に主づけ
「主付く」は領有する、自分のものとする等の意。法華経方便品第二に説かれる「実相」は迹門の中心であることから、その中心の法理であるということ。
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妙法蓮華経こそ体の仏・本仏であり、釈迦・多宝の二仏は用の仏、迹仏であることを説かれている。
本仏とは、三世十方の権迹の仏を出生した根本の仏のことである。
用の仏、迹仏とは、仏がその本地から、衆生を利益、救済するためにあらわした変化身をいう。
文上の立場では、法華経の寿量品に明かされた五百塵点劫成道の仏が本仏であり、それ以後に現れた、さまざまな仏・菩薩は垂迹となる。
しかし、文底の立場では、久遠元初の自受用身が本仏であり、これに対すると五百塵点劫成道の仏も迹仏となる。日蓮大聖人は久遠元初自受用身の姿をそのままあらわされているのである。
「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」との仰せは、釈迦・多宝の二仏といっても、本仏である妙法蓮華経からあらわれた用の仏であり、妙法蓮華経それ自体が本仏であるとの御指南である。
御義口伝巻下に「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-06)と述べられているように、南無妙法蓮華経とは末法の法華経の行者即無作三身如来の宝号である。
人に即して法、法に即して人、すなわち人法体一であり、「妙法蓮華経こそ本仏」とは、日蓮大聖人御自身をさしていわれているのである。
したがって、この御文はまさしく御本尊の相貌を示されているといえる。
釈迦・多宝の二仏は「南無妙法蓮華経 日蓮」と中央にお認めの久遠元初の自受用身の脇士であり、南無妙法蓮華経の〝用の仏〟として位置づけられている。また、三世十方の諸仏も、同じく〝用の仏〟にほかならない。
如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし
如来寿量品第十六の「如来秘密・神通之力」の文を挙げられ、「如来秘密」は体の三身をあらわし、「神通之力」は用の三身を表わしていると御教示されている。
天台大師は法華文句巻九下にこの経文を釈して、一身即三身を「秘」、三身即一身を「密」、爾前権教で説かないゆえに「秘」、ただ仏のみ知るゆえに「密」とし、「如来秘密」とは体の三身とし、「神通之力」を用の三身としている。
すなわち「神」は天然不変の真理のゆえに法身、「通」は滞りなく一切に通達する不思議の智慧のゆえに報身、「力」は働きが自由自在のゆえに応身とし、如来秘密は体の三身であり、神通之力は用の三身をあらわしている。このように、仏が三世にわたって等しく三身の体と用を具えていることを、諸経には秘して説かず、法華経の寿量品で初めて明かしたのである。
日蓮大聖人は文底の立場からこの「如来秘密神通之力」を釈し、御義口伝で「無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり獄卒の罪人を苛責する音も皆神通之力なり、生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(0752-第二如来秘密神通之力の事)、また「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事)と説かれている。
「如来」とは仏のことであり、別しては南無妙法蓮華経の仏、すなわち久遠元初の自受用身のことである。
「秘密」とはこの久遠元初の自受用身が他経には一切明かされなかったことをいうのである。
「神通之力」とは、この久遠元初の自受用身があらゆる仏・菩薩としての力用をあらわし、一切衆生を成仏せしめることをいうのである。
凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり
凡夫と仏を対比してみれば、凡夫が体の三身であり、本仏にあたり、いわゆる色相荘厳の仏は用の三身であって迹仏であると述べられている。
もとより妙法の当体として体の三身を具現されているのは久遠元初自受用身であられる日蓮大聖人であり、ここで仰せの「凡夫」とは別して日蓮大聖人のことである。
このことについて、大聖人は天台大師の法華文句巻九下の「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」の文を示され、「此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり」と仰せられている。
すなわち、寿量品の〝如来〟には十方三世のあらゆる仏が含まれるが、そこに挙げられている〝本仏〟とは凡夫であり、〝迹仏〟とは経文に説かれている仏をさすのであるとの意である。
この同じ法華文句の釈を大聖人は、御義口伝でも挙げられ「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり(中略)されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)と述べられている。
したがって、凡夫が体の三身であり、本仏であるといっても、あくまで「末法の法華経の行者」として妙法を行ずる凡夫であって、別しては末法の御本仏・日蓮大聖人であることを知らなければならない。
しかし、総じては大聖人の教えどおりに南無妙法蓮華経を無二に信じ自行化他に励む末法の衆生も「体の三身」と顕れるのである。
それに対して釈迦や多宝といった経文に説かれる仏は、本体である妙法蓮華経のはたらきとしてあらわれた三身であり、迹仏であるといわれている。
ゆえに、釈迦仏は、主・師・親の三徳を具えた仏と考えられているけれども、事実はその釈迦仏に三徳の力用を与えていたのは、凡夫にほかならないのだといわれている。
然れども迷悟の不同にして生仏・異なるに依つて倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり
総じての立場では凡夫が体の三身にして本仏であるが、しかしながら、自身の生命が「諸法実相」の当体であり、妙法の当体であることを知らずに迷いのなかにいるのが九界の衆生である。そこに、このことを悟っている仏との違いがある。
これは一念三千法門でも「此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す」(0412-14)と述べられているところである。
「生仏」すなわち衆生と仏との違いは、この我が身が妙法の当体であることを悟っているか、知らないで迷っているかの相違にあるのであって、したがって、我が身が妙法の当体であることを知らない衆生は、自分が体の三身であり、経文に説かれる仏・菩薩はすべて我が生命の用をあらわしたものであるということを覚知できないでいるのであるということである。
地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり
ここでは諸法実相について、具体的に地獄・餓鬼等の衆生、すなわち九界の凡夫も、仏と同じく妙法蓮華経の当体であり、平等に尊極の存在であることを明かされている。
「餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず」とは、爾前経の考え方を打ち破られての仰せと拝される。
爾前経では、地獄界の衆生は長い間をかけて罪障を消滅し、人界に生れて後、仏道を修行し、長期にわたる菩薩道を行じて、初めて仏になるという成仏観であった。
これに対し、法華経では、そのままで妙法蓮華経の当体であることを悟るならば、直ちに成仏できるのであり、九界のすべての人々がそのままの姿で仏になれることが明かされたのである。
また、この御文は、当時、佐渡に流罪され、言語に絶する苦難と戦われる大聖人の姿を見て、門下のなかにも、疑いを抱いた者が少なくなかったことから、真実の成仏の姿はいかなるものかを示そうとされたものと拝することができる。
「天台云く『実相の深理本有の妙法蓮華経』と云云、此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり」とは、方便品に「実相」の名で示された法体は本有の妙法蓮華経であるという天台大師の釈であり、「実相」の名言は迹門の立場から表現したものであり、「本有の妙法蓮華経」といっているのは、本門の立場から示した法門であるとの仰せである。
このことは法華経の根本義にかかわる甚深の法門であるところから「此の釈能く能く心中に案じさせ給へ候へ」と仰せられているのである。
1359:08~1359:16 第四章 人法一箇の御本尊建立を示すtop
| 08 日蓮・ 末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品 09 の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先作り顕はし奉る 10 事、予が分斉にはいみじき事なり、 日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん、さればかかる日蓮を此の嶋 11 まで遠流しける罪・無量劫にもきへぬべしとも覚へず、 譬喩品に云く「若し其の罪を説かば劫を窮むるも尽きず」 12 とは是なり、 又日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、 其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべ 13 からず、 経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり、 地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人な 14 り、 地涌の菩薩の数にもや入りなまし、 若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非 15 ずや、 経に云く「能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使・ 如来 16 の所遣として如来の事を行ずるなり」と、 豈に別人の事を説き給うならんや、 ―――――― 日蓮が末法に生まれて上行菩薩が弘められるところの妙法蓮華経を先立ってほぼ弘め、作りあらわされるところの本門寿量品の古仏である釈迦仏、迹門の宝塔品で涌出された多宝仏、従地涌出品の時に出現された地涌の菩薩等をまず作りあらわしたてまつることは自分の分際を過ぎたことである。 この日蓮を憎むとも、内証をどうすることもできないのである。それゆえに、このような日蓮を佐渡の島まで遠流した罪は無量劫を経ても消えるとは思われない。法華経譬喩品第三には「もし、法華経誹謗の罪を説くならば、劫のあらんかぎりを説いても説きつくすことはできない」と説かれているのはこのことである。また、日蓮を供養し、また日蓮の弟子檀那となられたその功徳は仏の智慧によっても量り尽くすことはできない。法華経薬王菩薩本事品第二十三には「仏の智慧をもって量っても、その功徳の多少を量り尽くすことはできない」と説かれている。 地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人である。あるいは、地涌の菩薩の数に入っているのかもしれない。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、日蓮の弟子檀那は地涌の流類ということになろう。法華経法師品第十の「よくひそかに一人のためにでも、法華経そしてまたその一句だけでも説くならば、まさにこの人は如来の使いであり、如来から遣わされて如来の振る舞いを行ずるものと知るべきである」との文は、だれか他の人のことを説かれたものではない。 |
迹門
垂迹の仏の説いた法門の意。法華経1部8巻28品のうち、序品第1より安楽行品第14までの前半14品をいう。この14品は、釈尊が久遠実成という本地を明かさず、始成正覚という垂迹の姿で説いたので迹門という。迹門の肝心は方便品第2にあり、諸法実相・十如是を明かし、二乗作仏を説いて開三顕一し、また悪人成仏・女人成仏を説いて万人成仏の道を明かした。
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宝塔品
妙法蓮華経の第11章。正法華経の七宝塔品第11に相当する。サンスクリット文の法華経の多くは、この品に提婆達多品第12の内容が含まれている。この本品から虚空で説法がなされるので、嘱累品第22に至るまでの12品の説法の場を虚空会という。初めに大地から多宝如来の高さ500由旬の七宝の塔が涌出して、虚空に住し、その宝塔の中から法華経が真実であると保証する大音声がある。続いて裟婆世界が三変土田によって浄土となり、十方世界の分身の諸仏が集められ、次いで釈尊が宝塔に入って多宝と並んで座り(二仏並坐)、神通力で聴衆を虚空に置く。そして釈尊の滅後に法華経を護持する者は誓いの言葉を述べるよう3度、流通を勧める(三箇の鳳詔)。この中で、第3の鳳詔では他の経典は持ちやすく、法華経を受持することは難しいとの六難九易が説かれ、この後に「此経難持」の偈頌が説かれている。本品は、方便品第2から次第に説かれた三周の説法が真実であることを証明する(証前)とともに、如来寿量品第16の久遠実成の義を説き起こす(起後)遠序であると位置づけられている。
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涌出品
法華経従地涌出品第15のこと。釈尊滅後の末法に法華経の弘通を担う地涌の菩薩が出現することを説いて釈尊が久遠実成という本地を明かす序となっており(略開近顕遠)、如来寿量品第16の直前にあって重要な役割を果たす品である。法師品第10から釈尊が滅後の法華経弘通を勧めたことを受けて、迹化・他方の菩薩は、その誓願を立てた。しかし釈尊は菩薩たちに対し、「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」(法華経451~452㌻)とこれを制止した。その時、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩をリーダーとする地涌の菩薩が大地から涌出する。その様を目の当たりにした弥勒菩薩は、いまだかつてこのような菩薩を見たことがないとして、地涌の菩薩の正体について釈尊に尋ねた。これに対し釈尊は「爾して乃ち之を教化して|初めて道心を発さしむ……我は久遠従り来|是等の衆を教化せり」(法華経467㌻)と答えたのである。これを聞いて、会座の聴衆は大きな疑問を起こし、弥勒菩薩が代表して釈尊に尋ねる。すなわち、始成正覚の立場を確認した上で、成道から40余年しかならない釈尊が、どうしてこれだけ多くの菩薩を教化することができたのか。しかもこの菩薩の一人一人が実に立派であり、釈尊がこれをわが弟子だと言うのは、譬えていえば、25歳の青年が100歳の老人を指してわが弟子であると言うほどの矛盾がある。どうか未来のために疑いを除いていただきたい、と。これを「動執生疑」という。この疑いにまさしく答えたのが、続く如来寿量品である。以上の内容は「開目抄」(211㌻以下)で詳細に述べられている。
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分斉
ある与えられた内容・程度・範囲。
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内証
自分の心の中で真理を覚ること。また、享受している内面の覚り。外用に対する語。▷
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遠流
罪人を遠い地に流す刑罰。笞・杖・徒・流・死の5段階のうち最も重い死罪に次ぐ重い罪。
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無量劫
数限りない「劫」のこと。計り知れないほど長い時間のこと。「劫」は長大な時間の単位。
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劫
計りがたい長遠な時間の単位。サンスクリットのカルパを音写した劫波などの略。大時などと訳す。その長さを示すのに種々の説がある。天人が4000里四方の石山を100年ごとに細かくやわらかい衣で拭いて、石山を磨耗し尽くしても劫は尽きない(払石劫の譬え)、また4000里四方の大城を芥子(カラシナの種)で満たし、100年に1度、1粒を取って、取り尽くしてもなお劫は尽きない(芥子劫の譬え)などと説かれている。そのほか、大千世界の草木をことごとく1寸に切って籌とし、100年に1籌をとって、これを全部取り尽くしたときを1劫とする草木劫、ガンジス川の広さ40里の中に細かい砂を埋め尽くし、100年に1度、1粒を取り出し、これを取り尽くしたときを1劫とする沙細劫、大千世界を砕いて微塵とし、100年に1度、1塵を取ってこれを取り尽くしたときを1劫とする砕塵劫などがある。また世界が成立し(成)、継続(住)、破壊(壊)を経て、次の成立に至るまで空虚の状態(空)の過程を四劫(成・住・壊・空)といい、四劫の期間を1大劫という。成住壊空の四劫はそれぞれ20中(小)劫からなるとする。『俱舎論』によると、人寿(人間の寿命)が10歳から8万歳までの間を漸次に(後の解釈では100年に1歳)増加または減少する期間を1増および1減といい、1増1減の増減劫を1中劫とし、1増または1減を1小劫としている。これに対して1増1減を1小劫とする説もある。『瑜伽師地論』では住劫の20中(小)劫をすべて増減劫とするが、『俱舎論』ではそのうち最初の中劫は無量歳から10歳に下がるのみの減劫、最後の中劫は10歳から8万歳に至るのみの増劫(長さは増減劫と同じ)としている。これは住劫における人寿の増減を基準として分別したものであるが、人寿の増減のない成劫、壊劫、空劫のおのおのにもあてはめられる。また住劫の20中(小)劫のおのおのには小の三災(穀貴・兵革・疫病)、壊劫には大の三災(火災・水災・風災)が起こるとされる。
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譬喩品
妙法蓮華経譬喩品第3のこと。迹門・正宗分の中、法説周の領解・述成・授記段・譬説周の正説段の二つの部分からなる。まず方便品の諸法実相の妙理を領解して歓喜した舎利弗に仏は未来世成仏の記莂を与え、劫・国・名号を明かす。次いで、中根の四大声聞に対する説法に入るが、譬喩を主体とするので譬え説周と呼ばれる。そのなかで仏は三車家宅の譬を説いている。この譬えにおける火宅は三界を、また羊・鹿・牛の三車は三乗を、大白牛車は一仏乗の妙理をあらわしており、一仏乗こそ仏が衆生に与える真実の教えであることを述べている。終わりに、舎利弗の智慧でも法華経の妙理を悟ることはできず、ただ「信を以って入ることができる」と、信の重要性を述べ、逆に正法への不信・誹謗の罪の大きさを説いている。
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供養
サンスクリットのプージャーの訳語。もともとの意味は、尊敬の気持ちで種々の行いをすること。神々や先祖の霊、また尊敬すべき人や対象に対して、食物や灯明や香や花などを供え捧げて、崇め敬う心を表すこと。初期の仏教教団では、在家が飲食・衣服・臥具(房舎)・湯薬の四つを供養すること(四事供養)で教団を支えることが促された。仏の遺骨を納め祀る仏塔でも種々の供物が捧げられ、舞踊や音楽演奏などが行われた。また仏像が作られるようになってからは、仏像への供養も行われるようになった。法華経法師品第10では、法華経を受持・読・誦・解説・書写する修行とともに、法華経に対して華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢旛・衣服・伎楽の10種を供養すること(十種供養)が説かれている。また故人の冥福を祈るために、種々の仏事を行う追善供養や、そのために卒塔婆を立てて供養する塔婆供養、仏像の開眼のための仏事を行う開眼供養など、さまざまな仏事が供養と呼ばれる。日本では古来からのアニミズムの影響で長年使用した針や箸などへ感謝し鎮魂を願う供養も行われている。また、供養には種々の分類が立てられる。①二種供養。財供養と法供養をいう。財供養とは飲食や香華などの財物を供養すること。法供養とは仏を恭敬・讃歎し礼拝すること。②二種供養を色供養と心供養に分けることもある。色供養とは飲食・衣服・湯薬・住居などを奉ること。心供養とは心のうえの供養をいい、心の誠を傾けて仏道を行ずること。蘇悉地経などには、真心込めて修行する心供養は、財物の供養よりもはるかに優れると説かれている。③三種供養。『十地経論』には、衣服臥具などを捧げる利養の供養、香花幡蓋などを捧げる恭敬の供養、修行信戒行を実践する行の供養の3種を立てる。④三業供養。『法華文句』には、身業供養(礼拝)、口業供養(称賛)、意業供養(相好を想念すること)をあげる。⑤事供養と理供養。『摩訶止観』では、物を惜しみむさぼる事実を破すために財物や時には身体・命までをも捨てる行為が事供養、慳貪の心そのものを破すために理法の方面を仏道に捨てること、すなわち覚りを求める心を起こし、観心の行法に励むなどを理供養とする。日蓮大聖人は、“事供養として身体・命を捨てるのは過去の聖人が行うものである。末法の凡夫は理供養を行うのであり、この理供養では、一つしかない食物を惜しまず捧げるなどの行為が命を捧げることに匹敵し、大きな功徳・善根となる”と教えられている。
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弟子檀那
「弟子」は師に従って教えを受け、かつ師の意思を承けて実践しそれを伝える者。「檀那」は布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。総じて門下のこと。
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末法流布の大法である妙法蓮華経をほぼ弘めて、人法一箇の御本尊をあらわされている日蓮大聖人を謗り迫害する罪の大きさと、信じ供養する功徳の大きさを述べられ、末法の御本仏であり、人の本尊であることを示されている。
地涌の菩薩の上首・上行菩薩が弘めるべき「妙法を先立て粗ひろめ」と仰せであるが、上行菩薩の再誕としての御立場は外用の辺であり、御内証は久遠元初の自受用身如来であられることは、この段の後半の仰せからも明らかである。
ここで「妙法を先立て粗ひろめ」とは、題目の流布を示し、「本門寿量品の古仏(中略)地涌の菩薩等を先作り顕はし奉る」とは、御本尊の御図顕をいわれている。
「先立て」「先作り」と仰せられているのは、御謙遜の立場であるとともに、更にいえば、未だだれびとも弘めあらわさなかった大法を、大聖人御一人が弘めあらわしたのであるという意味が含まれている。
「日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん」とは、正法誹謗の人々が、いかに大聖人に迫害を加えようとも、末法御本仏としての御境界(内証)は、微動だにさせられるものではないということである。
そして、大聖人を誹謗する人々は永劫にわたって消えない大罪を犯すことになると、法華経譬喩品第三の「斯の経を謗ぜん者 若し其の罪を説かば 劫を窮むとも尽きじ」の文を用いて示されている。
逆に、大聖人を供養し、弟子檀那となって信心に励む功徳は、仏の智慧をもってしても計り尽くすことはできないと、薬王菩薩本事品第二十三の「若し人は此の法華経を聞くことを得て、若しは自らも書き、若しは人をしても書かしめんば、得る所の功徳は、仏の智慧を以て多少を籌量すとも、其の辺を得じ」の文を挙げられている。
このことは、とりもなおさず、大聖人が久遠元初の自受用身如来であり、末法の御本仏であるという御内証(内なる悟り)を開示された御文と拝することができる。
続いて、地涌の菩薩が弘めるべき妙法蓮華経を、ただ御一人で弘められる大聖人の御立場を二つの観点から述べられている。
まず「地涌の菩薩のさきがけ」と、やはり御謙遜されて仰せである。そして「地涌の菩薩の数にもや入りなまし」と、御自身が地涌の菩薩であるかもしれないと述べられ、そうであれば、大聖人の弟子檀那は「地涌の流類」、すなわち地涌の菩薩の眷属であろうと仰せである。
更に法師品第十の「若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」の文を挙げられ、妙法の偉大さを一言でも語り、折伏を行ずる人は「如来の使」であり、「如来に遣わされて、如来の事を行ず」人であることを強調されている。
「如来に遣わされて」とは、如来(仏)によって遣わされた人の意であり、「如来の事を行ず」とは、折伏・弘教を実践している人は仏の振る舞いを行じていることになるということである。
一般に〝使い〟とは、使いを出した人の意志を代弁し、同じ資格において振る舞うという意義をもっている。例えば国と国とが条約を結ぶ場合、互いに特使を送る。双方の合意によって条約文ができあがると、署名が行われる、そこに記されたものは特使の個人名であっても、一国の意志を代表しているのである。
仏法においても同様である。妙法を説き、弘通する人は仏の使いであり、仏と同じ資格において行動していることになるのである。
法師品の文は決して大聖人とその弟子門下以外の人を説き示しているのではないということを「豈に別人の事を説き給うならんや」といわれて、一層の自覚を促されているのである。
四条金吾殿御返事にも「題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(1181-18)と述べられている。生涯、いかなる大難にも屈せず、地涌の菩薩の眷属として尊い広布の使命を貫いていきたいものである。
1359:16~1360:05 第五章 妙法弘通の人を諸仏・諸天が賛嘆top
| 16 されば余りに人の我をほむる時は 17 如何様にもなりたき意の出来し候なり、 是ほむる処の言よりをこり候ぞかし、 末法に生れて法華経を弘めん行者 18 は、三類の敵人有つて流罪死罪に及ばん、 然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、 諸天 1360 01 は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ・ 大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にて 02 あるべしと・釈迦仏多宝仏・ 十方の諸仏・菩薩・天神七代・地神五代の神神・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵 03 天.帝釈.閻魔法王.水神.風神.山神.海神.大日如来.普賢.文殊.日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも 04 堪忍して候なり、 ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・ 05 しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり。 ―――――― 人からたいへんによく自分がほめられるならば、どのような困難でも耐えていこうとする心が出てくるものである。これはほめる言葉から起きてくるものである。すなわち、「末法に生まれて法華経を弘める行者には三類の強敵が起きて、流罪、死罪にまで及ぶであろう。しかれども、この難に耐えて法華経を弘める者を、釈迦仏は衣をもって覆ってくださり、諸天は供養をし、あるいは肩に担い、背に負うて守るであろう。その行者は大善根の者であり、一切衆生のためには大導師である」と、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏、菩薩、天神七代・地神五代の神々、鬼子母神、十羅刹女、四大天王、梵天、帝釈、閻魔法王、水神、風神、山神、海神、大日如来、普賢菩薩、文殊師利菩薩、日月天などの諸尊たちにほめられているので、日蓮は、無量の大難をも耐え忍んでいるのである。 ほめられれば我が身の損ずることもかえりみず、そしられるときにはまた我が身の破滅することも気づかずに振る舞うのが凡夫の常である。 |
三類の敵人
釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418~419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
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流罪
罪人を遠隔地に送って移転を禁ずること。律によって定められた五刑のひとつ。鎌倉幕府の法律である御成敗式目の第12条には「右、闘殺の基、悪口より起こる。その重きは流罪に処せられ、その軽きは召籠めらるべきなり」とある。
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死罪
死刑のこと。鎌倉時代の五刑のひとつ。
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衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ
法華経法師品第十の「此の経は、如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや。薬王よ。当に知るべし、如来の滅後に、其れ能く書・持・読・誦・供養し、他人の為(た)めに説かば、如来は則ち衣を以て之れを覆いたまう」等の文の取意。
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かたにかけせなかにをふべきぞ
法華経法師品第十の「薬王よ。其れ法華経を読誦すること有らば、当に知るべし、是の人は仏の荘厳を以て自ら荘厳すれば、則ち如来の肩の荷担する所と為らん」等の文の取意。
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導師
衆生を正しく仏道に導く者のこと。
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天神七代
地神五代より前に高天原に出た七代の天神。陽神(男神)と陰神(女神)がある初めは抽象的だった神々が、次第に男女に別れ異性を感じるようになり、最終的には愛を見つけ出し夫婦となる過程をもって、男女の体や性が整っていくことを表す部分だと言われている。①国常立神②国狭槌尊③豊斟渟尊(以上、独化神三世代)④泥土煮尊・沙土煮尊⑤大戸之道尊・大苫辺尊⑥面足尊 ・惶根尊 ⑦伊弉諾尊 ・伊弉冉尊。
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地神五代
日本神話の神々。天神七代のあと地上に降りて人王第一代の神武天皇に先立って日本を治め、皇統の祖神となったとされる五代の神。日本書紀には天照大神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、天津彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合尊をさす。
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鬼子母神
ヤクシャ(夜叉・薬叉)に属する女性の神。鬼子母神は、自らにも多くの子がいたが、人間の子を食べていた。後に仏の教えを受けて、人の子を食べることをやめ、かえって子どもの守護者となった。法華経陀羅尼品第26では、十羅刹女とともに法華経を読誦し受持する者を守護することを誓っている(法華経646㌻)。
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十羅刹女
法華経陀羅尼品第26では、10人の羅刹女が、法華経を受持する者を守ることを誓っている。羅刹はサンスクリットのラークシャサの音写で、人の血肉を食うとされる悪鬼だが、毘沙門天王の配下として北方を守護するともいわれる。羅刹女はラークシャサの女性形ラークシャシーの訳で、女性の羅刹のこと。
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四大天王
古代インドの世界観で、一つの世界の中心にある須弥山の中腹の四方(四王天)の主とされる4人の神々。帝釈天に仕える。仏教では仏法の守護神とされた。東方に持国天王、南方に増長天王、西方に広目天王、北方に毘沙門天王(多聞天王)がいる。法華経序品第1ではその眷属の1万の神々とともに連なり、陀羅尼品第26では毘沙門天王と持国天王が法華経の行者の守護を誓っている(法華経73,644,645㌻)。日蓮大聖人が図顕された曼荼羅御本尊の四隅にしたためられている。
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梵天
サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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帝釈
帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
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閻魔法王
閻魔はサンスクリットのヤマの音写で、炎魔・燗魔などとも書く。もとは古代インドの伝説において死者の世界を統べる王である神。閻魔はインド神話の思想を反映しながら仏法に取り入れられ、やがて中国の思想と結びついて十王思想が形成された。もともと天界の神で、欲天の第3である夜摩天に住むとされる。しかし、餓鬼界・地獄界の主とされ、死んで地獄に堕ちた人間の生前の善悪を審判・懲罰して、不善を防止するとされるようになった。
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大日如来
大日はサンスクリットのマハーヴァイローチャナの訳。音写では摩訶毘盧遮那といい、毘盧遮那と略す。大遍照如来などとも訳す。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本の仏とされる。
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普賢
普賢はサンスクリットのサマンタバドラの訳。「あらゆる点で優れている」の意で、仏のもつ優れた特性(特に実践面)を人格化した菩薩。仏像などでは、白象に乗った姿で釈尊の向かって右に配される。法華経では普賢菩薩勧発品第28で登場し、法華経の修行者を守護する誓いを立てる(法華経665㌻以下)。
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文殊
文殊師利はサンスクリットのマンジュシュリーの音写。直訳すると、「うるわしい輝きをもつ者」。仏の智慧を象徴する菩薩で、仏像などでは獅子に乗った姿で釈尊の向かって左に配される。法華経では、弥勒菩薩・薬王菩薩とともに、菩薩の代表として登場する。
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日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
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堪忍
怒りを抑えて、人の過ちを許すこと。勘弁。「悪かった、堪忍してくれ」。肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。我慢すること。忍耐。
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日蓮大聖人が流罪・死罪等の大難に耐えて弘通に励んでこられた理由について、法華経で、釈迦・多宝仏以下、仏・菩薩・諸天等が、最大限の言葉で末法に妙法を弘める者を賛嘆してくれているからであると述べられている。
まず、人というのは、あまりに他者からほめられると、どのような困難にでも耐えていこうとする心を発すものであり、これはほめられる言葉による、と前置きされ、妙法を末法に弘める人がどのようにほめられているかを「末法に生れて法華経を弘めん行者は(中略)一切衆生のためには大導師にてあるべし」の御文で示されている。
すなわち、末法に生まれて法華経を弘める行者は、三類の敵人が必ず競い起こってくるが、それに耐えて弘教する者に対しては、釈迦仏は衣で覆ってくださり、諸天善神が供養をしてくれるというのである。また大善根の者であり、一切衆生の大導師であると、賛嘆されていると仰せである。
「衣を以て釈迦仏をほひ給う」とは、釈迦仏が法華経の行者を仏子として大慈悲をもって包容するということであり、諸天が供養し「かたにかけせなかにをふ」とは、いかなる苦難をも乗り越えていけることである。
「大善根」とは、福徳に恵まれることであり、「一切衆生のためには大導師」とは、智慧が豊かになって、真実の民衆の指導者になっていくということである。しかも、このように賛嘆しているのは、ただの凡夫ではなく、あらゆる諸仏、菩薩、諸天善神である。このことは、宇宙、自然、人のすべてが、妙法を持つ人を守っていくはたらきをするということである。
例えば、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏がほめるとは、全宇宙の仏界が法華経の行者を守るということであり、四大天王・梵天・帝釈・水神・風神等がほめるとは、宇宙、自然、社会の秩序を守るはたらきが、法華経の行者を必ず守護することであると拝されよう。
こうして、仏・菩薩・諸天等にほめられているからこそ「無量の大難をも堪忍して候なり」といわれている。
そこには、現実の世間で人々から受ける苦難はとるにたりない小さなものであり、仏意にかなっていくことこそ、最も大事な基盤であり、真実の幸福への道であるとの御教示が含まれていると拝すべきであろう。
1360:06~1360:11 第六章 弟子門下の信心の在り方を説くtop
| 06 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、 日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意なら 07 ば地涌の菩薩たらんか、 地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より 08 来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、 皆地 09 涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人 10 と次第に唱へつたふるなり、 未来も又しかるべし、 是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南 11 無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、 -----― このたび、信心をしたからにはどのようなことがあっても、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となりとおしていきなさい。 日蓮と同意であるならば地涌の菩薩であろうか。地涌の菩薩であると定まっているならば、釈尊の久遠の弟子であることをどうして疑うことができよう。法華経従地涌出品第十五に「これらの地涌の菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのはこのことである。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女の分け隔てをしてはならない。皆、地涌の菩薩が出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。そればかりか広宣流布のときは日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。 |
教化
法を説いて衆生を善道に教え導き、利益を与えること。
―――
広宣流布
仏法を広く宣べ流布すること。法華経薬王菩薩本事品第23には「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」(法華経601㌻)とある。日蓮大聖人は、末法において地涌の菩薩が出現して妙法を全世界(閻浮提)に広宣流布していくことを示した文と位置づけられている。
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日蓮大聖人の弟子門下としての信心の在り方を示され、大聖人と同じ心に立って妙法弘通に励んでいく人が地涌の菩薩の眷属であり、その実践に励んでいくならば、広宣流布は大地を的とするように確かであると断言されている。
「いかにも今度・信心をいたして」とは、たとえ何があっても、一生涯、信心を貫きとおす、ということであり、「いかにも」という表現に、どのような苦難にあったとしても信心を貫くようにとの大聖人の万感の思いが込められている。
すなわち、無始以来の数えきれない生死流転のなかで、我々凡夫は幾度か妙法に巡りあいながら、退転して成仏できないで今日に至ったのであり、したがって、今回の妙法との巡りあいを決してむだにしてはならないとの意味が込められている。
「法華経の行者にてとをり」とは〝法〟を中心とした立場であり、「日蓮が一門となりとをし給うべし」とは、〝人〟を中心とした立場からの仰せである。
「法華経の行者にてとをり」とは、総じての立場で、妙法を信受し、弘めていくことである。しかし、別して法華経に説かれるとおりの実践をされた真実の「法華経の行者」は日蓮大聖人御一人であり、かつ、大聖人こそ末法の大白法を樹立された御本仏であられる。ゆえに、その根底は、あくまでも「日蓮が一門」という自覚でなくてはならない。大聖人の教えどおりに実践していくことが肝要なのである。
「日蓮と同意」とは、大聖人と同じ心、同じ精神ということである。「法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし」たとき、その身口意の三業によって、初めて大聖人と同意となることができるのである。
大聖人の御指南のままに広宣流布の使命感に立ち、自身の責任を担って行動していく人こそが「地涌の菩薩たらんか」と述べられ、地涌の菩薩と定まったならば「釈尊久遠の弟子」であることは疑う余地がないと仰せられて、その実証として、法華経従地涌出品第十五の「我れは久遠従(よ)り来(このかた) 是(こ)れ等の衆を教化せり」(『妙法蓮華経並開結』四六七㌻ 創価学会刊)の文を挙げられている。
これは地涌の菩薩が出現したとき、驚いた弥勒菩薩の質問に答えて、釈尊が述べた言葉である。
「釈尊久遠の弟子」と仰せの「釈尊」とは、一往は法華経本門の教主・釈尊であるが、再往は久遠元初の自受用報身如来、末法の御本仏日蓮大聖人にほかならない。
すなわち、大聖人が久遠元初以来、教化してこられたのが地涌の菩薩であるとの御教示である。
更に「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せである。妙法の流布という実践にあっては男女の差別はなく、ともに地涌の菩薩であるとの仰せであり、元来、菩薩はすべて男性とされてきた固定観念を真っ向から打ち破られた御教示と拝される。
そして「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり」との仰せは、日蓮大聖人が末法において初めて唱えられた南無妙法蓮華経が、二人、三人、百人と次第に唱え伝えられてきたのであり、未来もこの原理にのっとっていくならば、ついには広宣流布が実現される時が必ずや到来すると断言されている。
正法・像法の仏法流布が国王などの帰依によって上から行われたのに対し、末法における大聖人の仏法は、民衆の間で一人から一人へ伝えられていくのである。一人一人の内奥からの信心の覚醒が大事なのであり、回り道のようであっても、最も着実な行き方なのである。
また「唱へつたふる」と仰せの「唱へ」とは自行であり、「つたふる」とは化他行である。
三大秘法抄に「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(1022-14)と仰せられているように、自行と化他の両方にわたる実践が、大聖人門下の正しい信心の在り方であることを銘記したい。
「是あに地涌の義に非ずや」とは、このように一人から一人へと妙法が伝えられ、民衆の間から自行化他にわたる実践に励む人々が陸続と現れていくことが「地涌の義」にほかならないということである。
「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」とは、絶対に外れるわけがないとの意であり、必ず広宣流布して、あらゆる人達が南無妙法蓮華経を唱える時がくるとの大確信であられる。
1360:11~1360:17 第七章 法華は末代衆生のためなるを説示top
| 11 ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、 釈迦仏 12 多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、 定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の 13 令法久住の故なり、 既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、 妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦・多 14 宝の二仏大将としてさだめ給いし事あに・いつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり。 -----― ともかくも法華経に名をたて身を任せていきなさい。釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏・菩薩が集まり、虚空会において釈迦仏・多宝仏の二仏がうなずきあい、定められたことは別のことではない。ただひとえに末法の令法久住のためである。すでに多宝仏は半座を分けて釈迦如来に譲られたとき、妙法蓮華経の旛をさしあらわして、釈迦仏・多宝仏の二仏が大将として定められたことがどうして偽りであろうか。それは我々衆生を仏にしようとの御談合なのである。 -----― 15 日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候に・すこしもくもりなし、又其の座にもや・ありけん凡夫なれば過 16 去をしらず、 現在は見へて法華経の行者なり 又未来は決定として当詣道場なるべし、 過去をも是を以て推する 17 に虚空会にもやありつらん、 三世各別あるべからず、 -----― 日蓮はその座には居合わせなかったが、経文を見ると少しの曇りもなく明らかである。またその座にいたのかもしれないが、凡夫であるから過去のことは分からない。しかし現在は明らかに法華経の行者であるからには、また未来は決定して当詣道場となるであろう。過去のこともこのことをもって推するならば、虚空会にも居合わせたであろう。三世の生命が別のものであるわけがない。 |
令法久住
法華経見宝塔品第11の文。「法をして久しく住せしめん」(法華経387㌻)と読む。未来永遠にわたって妙法が伝えられていくようにすること。
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当詣道場
「当に道場に詣りて」(法華経676㌻)と読む。道場とは、仏が成道した場所の意から、成仏の境涯をさす。
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虚空会
法華経の説法の場面の一つ。二処三会のうち第2の説法にあたる。この説法は、空中(虚空)に浮かんだ宝塔の中に、釈尊が多宝如来と並んで座って行われたことから、虚空会と呼ばれる。
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三世
過去世・現在世・未来世の三つ。
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法華経が末法の令法久住のために、また一切衆生成仏のために説かれたことを述べられ、それを受けて、日蓮大聖人御自身がその法華経の会座につらなっていたかどうか、凡夫であるゆえ分からないけれども、現在、法華経を身読していることは明らかであり、そこから未来の成仏は疑いなく、また法華経の会座にもつらなっていたであろうと述べられている。
まず「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」と、信心の究極の姿勢について端的に御教示されている。
「法華経に名をたて」とは、法華経を信じ行ずることを最高の誇りとしていくことであり、「身をまかせ」とは、法華経の教えどおりに実践しぬいていくことである。
次に、なぜ「法華経に名をたて身をまかせ」るべきか、それを「釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり(中略)併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり」の文に示されている。
釈迦・多宝の二仏が多宝塔中に並坐して展開された虚空会の儀式において、二仏がうなずきあい、定められたことは、ひとえに法華経を久しく世に住せしめることであり、地涌の菩薩にその使命を託されたのである。ゆえに「唯ひとへに末法の令法久住の故なり」といわれている。
しかし、これは一往、文上の辺であり、再往、文底の辺からみれば、虚空会の儀式のなかに、末法に令法久住すべき法体すなわち御本尊の相貌が明かされている。
この御本尊こそ、末法の一切衆生を即身成仏させる法体であるから、「我等衆生を仏になさんとの御談合」と仰せなのである。
なお、御本尊の相貌のうえから拝すれば、「妙法蓮華経の旛」が中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」をさし、「釈迦・多宝の二仏大将として」が、その左右にしたためられている「釈迦牟尼仏」「多宝如来」で、仏界の代表を意味している。
日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候に・すこしもくもりなし、又其の座にもや・ありけん凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり又未来は決定として当詣道場なるべし、過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん、三世各別あるべからず
現在の日蓮大聖人の御振る舞いが法華経に説かれているとおりであることから、過去には虚空会につらなり、未来は間違いなく仏であると、深い確信を述べられている。
「其の座」とは虚空会の座であり、大聖人は示同凡夫の御立場から「凡夫なれば過去をしらず」と、法華経の虚空会の儀式に、地涌の菩薩としてつらなっていたかどうか、過去のことは分からないといわれている。
このことは「自分は過去世はこうであった」などという通力を排する大聖人の仏法の在り方を示されているとも拝せる。
しかし、今の御姿が「法華経の行者」としての振る舞いをされていることは、だれ一人として否定できない事実である。
その現在から推し量れば、未来は「当詣道場」、すなわち成仏は間違いないし、更に、過去を推察すると、おそらく虚空会に地涌の菩薩としてつらなっていたであろうと仰せになっている。
なぜなら「三世各別あるべからず」と仰せのように、過去・現在・未来が全く無関係で、それぞれ別のものであるわけがないからである。
仏法では、過去と現在、現在と未来が、因果の理法で貫かれていると説く。心地観経に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を身よ」と教えているように、現在の事実をもとにして過去を知り、未来を知っていくことができるのである。
その根底には、いかなる原因が、いかなる結果を生ずるかという、厳然たる法則性に対する透徹した眼がある。
「委細に三世を知るを聖人」(0974-01)といわれるのもこのゆえであって、決して神秘的な超能力によるものではない。
結論として、法華経は、我ら末法の衆生のために説かれたのであり、だからこそ「法華経に名をたて身をまかせ給うべし」と仰せられているのである。
そして、このことを別して御自身のうえに悟られたのが大聖人であり、大聖人はここに自覚の原点を置いて妙法弘通のために戦ってこられたことを教えられているのである。
1360:17~1361:09 第八章 御本仏の絶対的な境界を述ぶtop
| 17 此くの如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりな 18 しうれしきにも・なみだ・ つらきにもなみだなり涙は善悪に通ずるものなり彼の千人の阿羅漢・ 仏の事を思ひい 1361 01 でて涙をながし、 ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、 千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・ 02 なきながら如是我聞と答え給う、 余の九百九十人はなくなみだを硯の水として、 又如是我聞の上に妙法蓮華経と 03 かきつけしなり、 今日蓮もかくの如し、 かかる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり、釈迦仏・多宝 04 仏・未来・日本国の一切衆生のために・とどめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、 かくの如く我も聞きし故ぞかし、 05 現在の大難を思いつづくるにもなみだ、 未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、 鳥と虫とはなけどもな 06 みだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、 此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり、若しか 07 らば甘露のなみだとも云つべし、 涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にはかれて流すところの涙は四大海の水より 08 もををしといへども、仏法のためには一滴をも・こぼさずと見えたり、 法華経の行者となる事は過去の宿習なり、 09 同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし、仏なりとも権仏となるは又宿業なるべし。 -----― このように思い続けていると、流人ではあるが喜悦は測り難いものである。うれしいことにも涙を落とし、辛いことにも涙を落とすものである。涙は善悪に通じているものである。 釈尊滅後、釈尊の弟子の彼の千人の阿羅漢は、仏のことを思い出して涙を流し、涙を流しながら文殊師利菩薩が「妙法蓮華経」と唱えられると、千人のなかの阿難尊者は泣きながら「如是我聞」と答えられたのである。余の九百九十人は、泣く涙を硯の水として、また如是我聞の上に「妙法蓮華経」と書きつけたのである。 今、日蓮も同じである。このような流人の身となったことも妙法蓮華経の五字七字を弘めたゆえであり、それは釈迦仏・多宝仏が、未来の日本国の一切衆生のために留め置かれたところの妙法蓮華経であると、このように日蓮も聞いたゆえである。現在の大難を思い続けるにも涙があふれ、未来の成仏を喜ぶにつけても涙が止まらないのである。 鳥と虫とは泣いても涙を落とすことはない。日蓮は泣かないが涙がひまないのである。しかしこの涙は世間の涙ではない。ただひとえに法華経のゆえの涙である。もしそうであるならば甘露の涙ともいえよう。 涅槃経には「父母・兄弟・妻子・眷属に別れて流すところの涙は四大海の水よりも多いが、仏法のためには一滴をもこぼさない」と説かれている。法華経の行者となることは過去の宿縁である。同じ草木であっても仏とつくられることは宿縁である。仏であっても権仏となるのはまた宿業なのである。 |
流人
流罪に処せられた人
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喜悦
喜ぶこと。
―――
彼の千人の阿羅漢・仏の事を思ひいでて涙をながし
マガダ国の王舎城付近の畢波羅窟で行われた第一回仏典結集の時に集まった千人の阿羅漢が釈尊を恋慕して涙を流したありさまを述べられている。このことは諸経論に説かれている。たとえば仏祖統記巻四には「四月十五日、大迦葉は是くの如く思惟すらく『まさに三蔵を結集して、法をして久住せしむべし』と……諸の弟子の神通を得る物、皆来たり集会す。迦葉選んで千人を得たり、皆阿羅漢なり……迦葉告げて言わく『仏の説きたもう所の法は、一言一字、闕くること有らしむ勿れ』と……時に阿難声を発し、唱えて言わく、『我れ聞きき。是くの如きを。一時仏所居処に住す』と。迦葉大衆は皆悉く涙を堕とし、老死を咄嗟し、幻の如く化の如し。『昨日は仏を見奉る、今日已(すで)に我聞くと称す』と」等とあり、このような文の意を取られたのであろうと思われる。「千人」の人数は、大智度論巻二などによる。四部律巻五十四、付法蔵因縁伝巻一等では、五百人であったとされている。
―――
千人の阿羅漢
マカダ国の王舎城付近の畢波羅窟で行われた第一回の仏典結集の時に集まった阿羅漢のこと。
―――
阿羅漢
サンスクリットのアルハトの主格アルハンの音写で、羅漢と略す。応供と訳し、「尊敬・供養に値する人」を意味する。仏の別名の一つ。後に声聞の修行の階位の第4とされ、その最高の覚りの境地をさすようになった。
―――
阿難尊者
サンスクリットのアーナンダの音写。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、釈尊の従弟にあたる。釈尊の侍者として、多くの説法を聞き、多聞第一とされる。付法蔵の第2。法華経授学無学人記品第9で、未来世に山海慧自在通王如来に成ると釈尊から保証された。
―――
如是我聞
「是くの如きを我聞きき」(このように私は聞いた)と読む。法華経序品第1(法華経70㌻)をはじめ、各経典の冒頭にある言葉。「私(我)」は、一般には第1回の仏典結集で経を暗誦したという阿難のことをさす。
―――
余の九百九十人
大智度論巻二、仏祖統記巻四等では九百九十九人であるが、大唐西域記巻九の原文では「九百九十人」となっている。
―――
涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
―――
眷属
❶一族、親族のこと。❷従者、家来など。❸サンスクリットのパリヴァーラの訳。仏や菩薩などに弟子などとして付き従い支える者。
―――
四大海
古代インドの世界観で、須弥山をめぐる四方の大海。須弥山を中心としてそれぞれに一つの大洲を浮かべ全体を鉄囲山に囲まれた大海をいう。
―――
宿習
宿世(過去世)に行った思考、言動の影響が生命に積み重ねられ、潜在的な力となっているもの。
―――
宿縁
過去世からの因縁・関係のこと。御書中では、日蓮大聖人あるいは法華経との過去世からの深い関係を指している場合が多い。
―――
権仏
爾前経に説かれる、九界から超越した仏。真実の仏(十界互具の仏)ではなく、権(仮)の仏といわれる。
―――
宿業
過去世の行い。宿は宿世すなわち過去世のこと。業は善悪の行い。仏教では、善因楽果・悪因苦果、すなわち過去世の善悪の行いが因となって今世に苦楽の果報をもたらすという、生命境涯の因果の法則を明かす。これは仏教の歴史の中で人々を脅し収奪する論理として、しばしば運命決定論的に用いられたが、本来はそのようなものではない。むしろ、自身の運命は絶対的存在や超越的力で決まるものではなく、自身の行いによって決定できるという自己決定権を教えるものであり、自身の今、そしてこれからの行いによって運命が転換できるという宿命転換の思想である。
―――――――――
法華経を身読された喜びを述べられている段である。
「此くの如く思ひつづけて候へば」とは、法華経は、つまるところ日蓮大聖人御一人のために説かれたものであったということである。
前章で述べたように、荘厳な虚空会の儀式は、すべて「末法の令法久住の故」であり、「我等衆生を仏になさんとの御談合」であった。
ゆえに、現に流人の境遇にありながらも、生命の奥底から「喜悦はかりなし」と、これほどうれしく、ありがたいことはないといわれている。
大聖人の御立場は、現実には佐渡流罪という、衣食住ともにまことに厳しく、念仏者からは御命をねらわれるという最悪の逆境に置かれていた。
しかし、この大難も法華経のゆえであり、大聖人が法華経の行者であることを証明していると思えば、無上の「喜悦」であると仰せになっているのである。
成仏の境界とは、まさにこのような生命自体の充実感、満足感をいうのである。
この境界は、変化する周りの条件に支配されないゆえ、絶対的幸福境涯ということができよう。
彼の千人の阿羅漢・仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・なきながら如是我聞と答え給う
ここは経典結集のありさまを述べられている。
釈尊は生前、自ら著作することはしなかった。後世に伝えられている膨大な経典は、釈尊滅後、弟子達が生前の釈尊たちの言説をまとめたもので、一般に四度にわたって結集が行われたといわれている。
第一回の結集は、釈尊入滅のその年、阿闍世王の外護で、マガダ国の畢波羅窟に仏弟子が集まって行われたとされている。
ここでは経と律(弟子の修行規則や教団の規則)が集められ、経の結集は阿難を中心とし、律の結集は優婆離を中心としてなされた。
例えば、経の結集では、迦葉が阿難に問いを発し、それに答えて阿難が「如是我聞(是の如きを我れ聞きき)」、すなわち「私は釈尊の説法をこのように聞きました」と言って、釈尊の教えを暗唱すると、それを皆で吟味し、間違いないものと確認されると、全員で暗唱し、それぞれの脳裏に刻印していくように進められたといわれている。
多くの仏弟子中、阿難が誦出者を務めたのは、阿難は多聞第一と称せられるように、釈尊の晩年の二十五年間、侍者として仕え、これを記憶していたためである。
「如是我聞」について
このようにして釈尊の言説が経としてまとめられていったので、各経文の初めには「如是我聞」という四文字が置かれているのである。
例えば法華経には「妙法蓮華経序品第一。如是我聞……」とある。初めに「妙法蓮華経」の題目が示され、続けて「是の如きを我れ聞きき」と経文が記されていくのである。
当抄では、法華経結集の様子について「文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・なきながら如是我聞と答え給う、余の九百九十人はなくなみだを硯の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり」と述べられている。
涙をもって経文に記したということは、釈尊の大慈悲に対する無量の感慨をあらわし、この弟子達の大感情が仏法を未来へ流れかよわしめる大原動力となったということができる。
また、文殊師利が「妙法蓮華経」と唱え、阿難がそれに対して「如是我聞」と答え、他のすべての弟子が「妙法蓮華経 如是我聞」と書き記したことは、釈尊の説法の真髄は妙法蓮華経という法体であることを、仏弟子が一致して確認した、との意にも拝せる。
なお、天台大師は法華文句巻一上で「如是とは所聞の法体を挙ぐ、我聞とは能持の人なり」と述べ、更に、この文を釈した妙楽大師の法華文句記巻一中には「故に始と末と一経を所聞の体と為す」とある。
妙楽大師の立場では、法華経の序品第一から普賢菩薩勧発品第二十八まで(始末)の一経が「所聞の体」となるが、末法においてはただ題目の五字が法体となる。このことを大聖人は「法華経の題目は一切経の神・一切経の眼目なり」(1060-07)と仰せである。
また所聞の法体について「法体とは南無妙法蓮華経なり」(0709-03)とも説かれている。すなわち、南無妙法蓮華経こそ一切経の骨髄・眼目であると信受することが、真の意味での「如是我聞」となるのである。
当抄においても「釈迦仏・多宝仏・未来・日本国の一切衆生のために・とどめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、かくの如く我も聞きし故ぞかし」と仰せられているように、それゆえにこそ大聖人は妙法弘通のために種々の大難を受けられたのである。
現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり
先に述べられたように、涙は「善悪に通ずるもの」であり、千人の阿羅漢の場合でいえば、釈尊の入滅に対する悲しみの涙であるとともに、法華経のありがたさへの喜びの涙であった。
「現在の大難」は大聖人にとっても門下にとっても未曾有の大難である。しかし、それも法華経身読の故であり、その大感情による「なみだ」であられる。
一方「未来の成仏」は、現在、こうして法華経の行者であることからも間違いない。それを思うに付け、歓喜の涙がとめどもなくあふれてくると仰せである。
涙は奥深い心の思いをあらわすものである。鳥や虫はさまざまな音色で、声を立てて鳴くけれども、そこには鳥や虫自体の深い思いといったものはない。
それに対して大聖人は、声を出しては泣かないけれども、心のなかの大感情は抑えることができないと仰せである。
しかも「此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり」と断られているように、世間のことで流す涙ではない。ただ妙法を流布して末法の一切衆生を救おうとされて流されている涙である。ゆえに「甘露のなみだとも云つべし」と仰せられ、その尊さを強調されている。
ちなみに「甘露」とは、インド神話でアミリタと呼ばれた飲み物である。アミリタとは不死の意で、忉利天の甘味の霊液で、よく苦悩を癒し、長寿にし、死者を復活させるという。
「甘露」の呼称は、中国伝来の伝説で、王者が仁政を行い、天下が太平になると、天がその祥瑞として降らすという甘味の液をいう。
引用されている涅槃経の文は、三世の生命観のうえから、無数の生命流転のなかにあって、父母・兄弟・妻子・眷属との別れなど、世間のことで流す涙は四大海の水よりも多いけれども、仏法ゆえには一滴の涙もこぼしたことがないとの意である。
これは仏法に巡りあうことが、いかにむずかしいか。また、たまたま巡りあっても、信仰心を起こす人が、いかに稀であるかを述べたものである。
それゆえに、今、妙法のために「涙ひまなし」の現在の御振る舞いは、決して偶然によるものではないと仰せられているのである。
法華経の行者となる事は過去の宿習なり、同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし、仏なりとも権仏となるは又宿業なるべし
この御文は、先に「日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候に・すこしもくもりなし、又其の座にもや・ありけん」といわれたことの結びとなっており、今世に法華経の行者となったことは、必ず過去にそのようになるべき因(宿縁)があったからであり、そこには必ず因果が働いていることを示すために、草木についてさえも例外ではないと述べられている。
ここで大聖人は、「宿習」「習縁」「宿業」を立て分けて使用されている。
この場合の〝宿〟とは宿世、つまり過去世のことをさしている。
「宿習」とは、過去世に行った身・口・意の三業によって、自らの身心に刻印し、積み重ねてきた善悪にわたる潜在力のことをいう。
〝習〟とは習気を意味する。俗に〝習い、性となる〟ともいうが、強く決意して行ったことや、何度も繰り返した行為は、必ず強い影響力を身心に及ぼし、次の世に何になるかを決定する要因となる。
本文で「法華経の行者となる事は過去の宿習なり」との仰せは、現在、法華経の行者となったということは、過去世に強い決意で自らの習気を刻印し、特質を作り上げたからである、との意味である。
「宿縁」とは、過去世につくった因縁である。因縁とは、自分と自分以外の人や事物との関係性をいう。したがって、宿縁とは、だれと、あるいは何かと、どのようになるかを定めているものをさす。
「同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし」との仰せは、例えば一本の木が仏師に遇って仏像に刻まれることは、その木のもっている仏師との宿縁による、という意味である。
「宿業」とは、過去世につくった身・口・意の業因をさす。その業因により、今世にどのような果報を受けるかが決まる。
先の木の例でいえば、仏師に会うことは宿縁で同じであっても、どのような仏像に造られるかは、その木のもつ宿業によって決まってくるということである。
善悪の宿業の差によって、法華経の仏になる草木もあれば、権経の仏に造られてしまう草木もある、ということである。
1361:10~1361:14 第九章 信・行・学の要諦を示すtop
| 10 此文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし、一閻浮提第一の御 11 本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、 行学の二 12 道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく 13 候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 14 五月十七日 日蓮花押 -----― この手紙には日蓮の大事な法門を書いておいた。よくよく読んで理解し、肝に銘じていきなさい。一閻浮提第一の御本尊を信じていきなさい。あいかまえてあいかまえて信心を強くして釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法ではないのである。我も行い、人にも教化していきなさい。行学は信心から起きてくるのである。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐恐謹言。 五月十七日 日 蓮 花 押 |
一閻浮提
閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
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あひかまへて
①用心して。②心を配って。③必ず・きっと。
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三仏
❶法華経見宝塔品第11から始まる虚空会に集った釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏のことで、すべての仏を意味する。❷法報応の三身。
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行学の二道
行と学の二つの実践。仏道修行における実践と法門の学習。
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本抄には日蓮大聖人の甚深の法門を認(したた)めたことを述べられ、拝読するうえでの基本精神を教えられるとともに、信心実践の骨髄は、信・行・学であることを示されている。
「此文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ」とは、人法にわたる本尊について示され、しかも地涌の菩薩としての自覚を教えられるなど、仏法の大事が凝縮されているからであると拝される。ゆえに「よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし」と本抄拝読の在り方を諭されているのである。
「よくよく見ほどかせ給へ」とは、深く正しく理解していきなさい、ということであり、「意得させ給うべし」とは、生命に刻んで御指南どおり振る舞い、実践していきなさい、との御教示である。
「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし」の御文は、「信」について示されたと拝される。
すなわち、信ずべき対象はあくまで、「一閻浮提第一の御本尊」である。日蓮大聖人は本抄御執筆の前月に観心本尊抄を著され、そこで「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」(0254-08)を立てることを宣言されている。
そして、佐渡期においても、とくに信心強盛な門下に対しては御本尊を顕されて授与されている。最蓮房も、おそらくすでに御本尊をいただいていたと考えられる。
その御本尊への信心は「あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て」と仰せのように、どこまでも強い信心でなくてはならない。
そこに三仏、すなわち釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の守護が厳然とはたらくことを断言されている。この三仏は、それぞれ報身・法身・応身に配され、併せて無作三身をあらわし、久遠元初の自受用身如来を意味している。
行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし
次に、その「信」を深めゆくために、「行」「学」に励むべきであると強調されている。
「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と仰せのように、行・学とも自行化他両面を含んでいると拝される。
この自行と化他が車の両輪のごとく正しく回転していく人の生命にこそ、妙法の偉大な力が脈動していくことを忘れてはならない。
「行学たへなば仏法はあるべからず」とは、一つは、個人個人において行学の二道がなければ、一生成仏の信心はありえないということであり、もう一つは、社会的な次元で行学が実践されなければ、仏法は形骸化してしまうことをいわれている。
どんなに正しい教法があっても、それを修行し、弘めていく人がいなければ、仏法は絶えてしまうのであり、行学を実践する人の振る舞いのなかに仏法はあるということである。
「行学は信心よりをこるべく候」とは、行学の基となるのは信心である、ということである。
信心は必ず行学の実践となってあらわれてくるのであり、そして、行学に励んでこそ信は深まり、強くなっていくのである。
この信・行・学の三つが大聖人の仏法における実践の永遠の軌範なのである。
そして「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と、自分が置かれている立場、境遇で、一文一句でも仏法を語っていきなさいと教えられている。
「一文一句なりとも」とは「随力弘通」「随力演説」ということであり、それは自己のベストを尽くしていきなさいということでもある。
1361:15~1362:03 第十章 宿縁を述べ重書を送る所以を示すtop
| 15 追申候、日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ 16 不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身 17 に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華 18 経と唱へて日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬ 1362 01 か、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う、此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等か 02 きつけて候ぞ、とどめ畢んぬ。 03 最蓮房御返事 -----― 追申を申し上げる。あなたには日蓮の相承の法門を、まえまえから書き送っている。 ことに、この手紙には大事の法門を記しておいてある。日蓮と貴辺とは不思議な契約があるのであろうか。 六万恒河沙の上首の上行菩薩等の四菩薩の変化であろうか。さだめて故あることであろう。 総じて日蓮が身にあたる法門を差し上げている。日蓮はあるいは六万恒河沙の地涌の菩薩の眷属であるかもしれない。 南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を導かんと思っているがゆえである。法華経従地涌出品第十五には「一名上行乃至唱導之師」と説かれているではないか。 あなたにはまことに深い宿縁によって日蓮の弟子となられたのである。この手紙を心して秘されよ。日蓮が己証の法門等を書き記したのである。以上をもってとどめる。 最 蓮 房 御 返 事 |
日蓮が相承の法門
日蓮大聖人が霊鷲山で釈尊から相承した法門のこと。相承とは相対授承すること。師匠と弟子が相対して法門を授け、承け継ぐこと。相伝・付嘱と同義。三大秘法抄には「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」(1023-05)と述べられている。
―――
契約
約束し言い交すこと。
―――
六万恒沙
「恒沙」とは、ガンジス川の砂粒のこと。無量無数を表す。湧出品で出現した地涌の菩薩の数で、その一人一人にさらに六万恒河沙の眷属があるとされる。
―――
変化
仏・菩薩が本来の姿を変えて現れること。
―――
経に云く一名上行乃至唱導之師
法華経従地涌出品第十五の文。「是の菩薩衆の中に、四導師有り。一に上行と名づけ、二に無辺行と名づけ、三に浄行と名づけ、四に安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」とある。
―――
宿縁のをふところ
宿縁とは宿世の縁、前世からの因縁。「をふ」とは終わる、果てる、の意。すなわち、前世からの因縁が結実したのである、との意。
―――
己証
自ら真理・妙理を悟ること。またその悟り自体のこと。「己」はおのれ、「証」はあかしの意味。
―――――――――
本抄には日蓮大聖人の己証の法門が書かれていることを、追申で重ねて強調され、最蓮房の宿縁の不思議を述べられている。
「日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き」とは、本抄御述作以前にしたためられ、最蓮房に与えられた、文永9年(1272)2月の生死一大事血脈抄、草木成仏口決、同9月の祈禱抄などをさしていわれている。
このことは同年四月の最蓮房御返事にも「貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ」(1342-15)と述べられている。
本文に「ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ」、また末尾に「日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」と繰り返し強調されているように、なかでも諸法実相抄には最も肝要な法門をしたためたと仰せである。
「不思議なる契約なるか」とは、過去世から最蓮房とは仏法の奥義について語り合う約束があったのであろうか、不思議な人であるとの意である。
そして、法華経従地涌出品第十五に現れた六万恒河沙の地涌の菩薩の上首である上行等の四菩薩の一人として、末法広宣流布に重要な使命を担っている人であろうか、定めて深いわけがあるにちがいないと仰せられている。
それゆえに最蓮房には「総じて日蓮が身に当ての法門」、すなわち末法御本仏としての御境界、御振る舞いをしたためたのである、といわれている。
「南無妙法蓮華と経と唱へて日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり」と述べられるように、南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を導こうとされているがゆえに「日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん」と謙遜されつつも、「経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか」という涌出品の文を挙げられて、御自身が地涌の菩薩の上首・上行菩薩の再誕であることを示されている。
そのことは、再往、その内証の御立場は久遠元初の自受用報身如来、末法の御本仏であるということでもある。
そして「まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」と、最蓮房が大聖人の弟子となった宿縁の不思議さを重ねて述べられている。
最後に「此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」と、己証の法門を記した重書であるから、大事に秘蔵していくよう述べられている。
これは、当時の人々には、大聖人の仏法の骨髄の法門は理解しがたかったゆえに、いたずらに不審をおこさせてはならないとの御配慮からであるとともに、生命に深く刻んでいきなさいとの意にも拝せよう。
1358~1362 諸法実相抄諸法実相抄(1977:03月号大白蓮華より先生の講義)top
対話の場で仏典を訳した羅什
再び元初の太陽を浴びながら、親愛なる会員の皆さまのご健康を祈りつつ「諸法実相抄」の講義を展開させていただきます。
最初に人間宗教の先駆を切り拓いている創価学会の教学運動にちなんで一つのエピソードを申し上げたい。それは、今から千数百年前、全中国に仏法研学の大きな潮流を巻き起こした、亀茲国の羅什のお話であります。
鳩摩羅什は、御承知のとおり、不屈の名訳といわれる「妙法蓮華経」を訳出した訳経僧でありますが、私が羅什にうたれるゆえんは一生をかけて中国にわたり、仏教の真髄を伝えようとした情熱でありあす。波乱の灌難の末、中国の長安へ入ったのは、50歳を過ぎていたといわれています。そして彼の目指しつづけてきた戦いはその時から始まったのであります。それまで力をためていたかのように、怒涛のような勢いで翻訳事業が始まりました。中国の僧侶も、羅什の長安入りを伝え聞いて、続々と彼の元に結集し、一代教団となっていったのであります。
羅什入滅まで8年間とも12年間ともいわれていますが、その間、300数十巻もの経典が翻訳されており、1ヵ月2巻ないし3巻のペースであったことが推察されます。それは翻訳というイメージとは異なった、生き生きとした仏教研究運動であったことを象徴しております。
羅什が訳したさまざまな経典の序によると、その翻訳の場には、あるおきは800人、あるときは2000人というように、数多くの俊英が集まっております。その聴衆を前に、羅什は経典を手に取り、講義形式で進めていったのであります。そして、なぜそう訳すのか、その経文の元意はどこにあるのかを話し、あるときは質疑応答のような形式をとりつつ、納得のいくまで解説していったのであります。
書斎に閉じこもったり、辞書と首っ引きで、自分一人で何10年もかかって難解な訳行をするのではなく、大衆の呼吸をじかに感じながら、対話の場である仏法を展開していった羅什であったあらこそ、あれほどの名訳が生まれたのではないかと思うのであります。
羅什の訳は非常になめらかで、かつ経典の元意をふまえた意訳に優れたものがあったというのも、このことを考えれば、なるほどと思われます。仏法は、それがいかに優れたものであっても、難解であれば、人々から離れたものになってしまう。人人と語り、生活のなかで実感するなかに、思想の光は輝いていくものでありあす。
もし、この羅什教団ともいうべき人々の仏典流布の活躍がなければ、後の天台、伝教の昇華へと、仏法の歴史が展開することはなかったにちがいない。それを考えると、いかにその使命が偉大であったかが分かります。
民衆のなかで展開された仏教運動
私は今、この羅什の業績をうんぬんしようとするものではありません。大衆の中に入り、大衆とともに語り合ったその姿に、仏教研学の真実の姿があると訴えたいのであります。また、ある意味で私たちも、現代における羅什の立場にあるといえましょう。昔の羅什は、横にインドから中国へと経典を翻訳しました。現代の羅什は、縦に、また横への700年前の不滅の末法の経典を、現代という時代に、生き生きと蘇らせる使命を担っております。
すなわち、私どもの教学運動もまた、羅什と同じ方程式にのっとり、御書という経典を手にし、講義形式をとり、あるときは質疑応答の形式をとり、あるときは個人指導のさいに、人々の呼吸を直接実感しながら、対話の場で仏法を展開していくのであります。
仏教の創始者たる釈迦も、その生涯は庶民の哀歎の襞に触れつつ、人生の苦との対決のなかから、珠玉のごとき教えが遺されていったことを知るべきであります。
ある仏教学者によると「釈尊は仏教を説かなかった」という極端な説もあるくらいであります。もちろん釈迦が仏教を説いたのは当然でありますが、この一見矛盾する言葉も、ある意味で含蓄に富んだ言葉であるといってよい。八万法蔵といい、五時八教を開くと、精密に体系だてた教義を思い浮かべ、釈迦もそのカリキュラムに沿って、説法したかのように受け取られがちであります。しかし釈迦の説法は、貧苦にあえぐ庶民への激励であり、病に苦しむ老婆を背に負わんばかりの同苦の言葉であり精神の悩みの深淵に沈む青年への温かな激励の教えであった。差別に悩み、カースト制度に苦しむ大衆の側に立った火のような言々句々が、その一生の教化を終えてみれば八万法蔵として残っていたということでありましょう。それは、経文が徹底して問答形式で説かれているところに抽象的に表れている。庶民との対話、行動のなかに釈迦の悟りの法門が迸り出ていったのであり、それが経典としてまとめられていったのであります。
日蓮大聖人も、また同じ立場を貫かれております。いつも申し上げていることであります。また昨年10月の本部幹部会でも述べましたので、詳しくはお話しいたしませんが、あの膨大な御書も、生涯、激励の日々のなか、民衆一人一人との対話をつづけられ、朝に夕に救済の手を差し伸べられた結晶であります。大聖人は、決して書斎に閉じこもって御書をおしたためになったのではありません。戦いながら書き、語り、書き、語られながらたたかわれたのであります。
仏教と聞けば、山野にこもり、静的なものと考えがちでありますが、その発生からすでに実践のなかに生き、民衆のなかで生き生きと語り継がれてきたのが、その正統な流れであると、私は確信をもって述べておきたいのであります。
信行学の要諦を教示
さて「諸法実相抄」は、日蓮大聖人自ら、この御抄の追伸のところに「ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ」、また「此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」と明記されておりますように、比較的短いご述作ではおりますが、仏法の肝要がことごとく集約してあらわされております。
執筆された文永10年(1273)10月5日といえば、法本尊開顕の書であり、受持即観心の末法仏道修行の要諦を示された「観心本尊抄」を著された翌月であります。本尊抄が、文永10年(1273)の4月25日、本抄が翌5月17日と記されております。
したがって、内容も、法華経迹門、在世衆生得脱のカギとされた、方便品の「諸法実相・十如是」の文から説き起こして、法華経哲学の真髄を示し、その当体が妙法蓮華経、即、御本尊であることを教えられております。これは、御本尊の意義を明かされたと考えられます。
ついで、この法華経の極理を明らかにし、かつ、弘めるべき人こそ、地涌の菩薩の上首上行であることを示され、それを、まさに日蓮大聖人ご自身が実践してきたと述べられるのであります。うなわち、一往、外用の辺からいえば、法華経弘通の上行菩薩の再誕であり、再往、内証の辺からいえば、末法救済の大法を建立する御本仏であり、久遠元初の仏であることを、暗示されているわけであります。これは、人本尊を明かされたと考えてよい。
このように、人法両面から、末法一切衆生の尊敬すべき根本を明かされたことは、人本尊開顕書たる開目抄、法本尊開顕の書たる観心本尊抄の結論が、ともに、すでにこの一書のなかに包含されていると、私には拝せられるのでありあす。
しかも、後半においては、末法広宣流布の間違いないことを予言され、末法万年にわたる仏道修行の要諦として、信行学の在り方を教示して結ばれている。すなわち、末法の仏法の正体が、その甚深の法体、修行のすべてを網羅して、しかも簡潔にあらわされているのが本抄なのであります。
故に、日蓮大聖人の原点にかえることを基本精神とするわが創価学会は、数ある御書のなかでも、とくにこの「諸法実相抄」を根幹として、自己の信心の研鑽と、あらゆる指導、活動に取り組んできたのであります。初代会長・牧口常三郎先生も、常に本抄を通して指導されたとうかがっております。第二代、恩師・戸田城聖先生が、法華経は別にして、まず、私たち数人に講義された御書は「諸法実相抄」でありました。わたしもまた、この講義を受けた一人であります。
更に、高等部に対して、また本部職員の選抜メンバーに対し、私は幾度か、この「諸法実相抄」を講義してきましたが、拝するたびに、法門の深さに驚嘆し、大聖人の烈劣たる気迫に、胸を打たれる思いがいたします。
創価学会創立46周年を記念して、再び、私は、今までに何回となく講義したものに、新時代に相応して添削して掲載させていただくことにします。
以上、前置きとして申し上げておきます。
一切の現象は妙法の姿
| 1358 諸法実相抄 文永十年五月 五十二歳御作 与最蓮房日浄 日蓮 之を記す 01 問うて云く法華経の第一方便品に云く「諸法実相乃至本末究竟等」云云、此の経文の意如何、 ・ -----― 問うて言う。法華経の第一の卷、方便品第二に「諸法実相とは、諸法の実相、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」と説かれている。この経文の意味はどのようなものであろうか。 |
「諸法実相」の文は、法華経迹門の肝要であり、天台仏法においては、一代仏教の要とし一念三千の法門の依処としたものであります。
本抄をいただいた最蓮房日浄は、もと天台宗の学僧といわれております。おそらく天台家における肝要の法門として「諸法実相」については知っていたのでありましょう。しかし、天台の理の法門では十分に理解することができず、大聖人に、その深い元意をうかがおうとして、質問したものと思われます。
| 01 答えて云く下地 02 獄より上仏界までの十界の依正の当体・ 悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり -----― 答えて言う。下は地獄界から上は仏界までの十界の依報と正報の当体が一法も残さず妙法蓮華経の姿であるという経文である。 |
難解な「諸法実相」の意義を明快にズバリと答えられております。
“諸法”とは、この現実世界のなかに、さまざまな姿をとってあらわれている一切の現象といってよい。“実相”とは文字どおり、実の相であります。
「諸法実相」とは、“諸法”がそのままで“実相”であるということで、したがって、大宇宙の千変万化の姿が、すべて、妙法蓮華経のあらわす姿であるということになります。
換言すれば、地獄界という世界すなわち依報も、地獄界に住する衆生つまり正報も、その生命の究極のすがたは妙法蓮華経である。餓鬼界の依報ならびに正報も、妙法蓮華経である。畜生界も、修羅界も、更に菩薩、仏もみな同じである。これが「諸法実相」の意味するところなのであります。
また、諸法の実相とは、諸法のなかに実相が含まれるのでもなく、逆に実相のなかに諸法が包まれるものでもないのです。更には、諸法の奥底にあって、万象を統一する実体をたてるのでもないのです。
たとえば、西洋の哲学や仏教以外の思想では、諸法の奥底に、諸法を離れて、真理や、実体、本質を求めてきた。キリスト教の場合、宇宙森羅万象を統一する根源の実体を「唯一絶対神」と立て、諸法から遠く離れたかなたに究極の真理をおいたのであります。
その結果、神と人間、神と万象との間に断絶が生じ、その間にあって介入する人間の権力や教会の力が大きくなり、ついに、民衆を隷属させることになったことは、私たちの周知の事実なのであります。
これに対して、仏法の偉大性は、現実そのものに即して、真理を見いだすところにある。あくまで現実の一個の人間や事物を徹底的に凝視して、そこに真実を発見するのであります。
それ故、諸法実相は、森羅万象の個々の事物や人間に即して、その実相を洞察していく哲理なのであります。
諸法に即して実相、実相に即して諸法、という相即の関係にあるのが、諸法実相という哲理の不可欠な観点であります。この関係を見誤ると、諸法実相は分かりません。
さて、大宇宙の一切の現象、つまり太陽や月が昇り、また地平のかなたに沈みゆくのも、その真実のありのままのすがたは、仏法の眼で見ていくならば、ことごとく妙法蓮華経の所作なのであります。
この「諸法実相」の説法を爾前経と相対して申し上げれば「諸法」という現象面だけにとらわれ、差別観に陥ったのが爾前経でありました。この諸法つまり差別相がその奥底において共通の妙法という実相であることを明かしたのが、法華経の「諸法実相」であります。
ここに「行布を存する爾前権経」と「円融の法華経」の相違がある。そのことは、また、一切衆生が差別なく成仏しうるという仏法の平等大慧の法理に通ずるものがあります。
しかし、この法華経迹門の、ただ平等普遍の実相を知っただけでは、いまだ“理”であります。法理を知り、これを実践化したのが本門の“事”の法門なのです。
観念の哲学排した「事の法門」
これを理解するために、一つの考え方として、ニュートンの万有引力の法則を例にとってみたい。万有引力の法則は、物理学の法則であり、そのまま結びつけて考えることはできませんが、宇宙を貫く一つの原理であることに違いはない。ニュートンが発見すると否とにかかわらず、万有引力の法則はあり、それに従って万物は運動している。太陽や月、星の運行も、潮の干満も、リンゴが木から落ちるのも、物理学の眼でみるならば、一切が万有引力の法則に従っているのであります。法則を知らない人から見れば、たんにリンゴが熟れて地面に落ちたとしか見えないとしても、物理学の眼から見るならば、その実相は、地球という物体とリンゴという物体の間に働く力関係であると映ったのでありましょう。
この法則は、それを知っている人にも、知らない人にも、平等に働いているのであります。すべてが働いているというだけであっては、まだ“理”にすぎない。万有引力の法則を知らないで、大空を飛ぼうとしても、落ちるだけであります。また、それを知ったとしても、知っただけでとどまれば、それもまだ理の段階であります。その法則を知って活用するところに、飛行機や宇宙ロケットのような価値創造が生まれてくる。これを“事”といってよいでありましょう。
仏法の眼から見るならば、宇宙の一切の運行の、その真実の相は妙法蓮華経であります。凡夫の眼には、木々が揺れて動いているのみであっても、仏の眼には、妙法の妙なる旋律であり、太陽の輝きも、生命をはぐくむ妙法のハーモニーであります。
したがって、私ども一人一人の生命も、一切、妙法によって構成され、妙法のリズムに従って活動しているといってよい。ただし、そのことのみにとどまれば、まだ理であり、それを知らず、妙法に冥合することを知らない人は、あたかも、万有引力の法則を知らずに、空を飛ぼうとして落ちる人のごとく、不幸から不幸へと、暗きから暗きへとおもむくのみでありましょう。
また、たとえ諸法実相の哲理を知ったとしても、たんなる観照の哲学で終われば、それも理の範疇にとどまる。
それを希望の方向へと向け、価値創造し、幸福へと蘇生させていく方法として、日蓮大聖人は御本尊を顕されたのであります。すなわち、諸法は実相であるとの方程式を、日蓮大聖人の魂魄をとどめて御本尊という価値創造の当体のうえに具現化したのであります。それは、もはや諸法実相という哲学ではない。日蓮大聖人の御本仏の生命それ自体の諸法実相であります。御本尊を「事の一念三千」と申し上げるゆえんは、ここにあるのであります。
故に、諸法実相とは、一往は、諸法は、そのまま、妙法蓮華経という真実のすがたであるという観照の哲学のようでありますが、再往、文底観心のうえからいえば、御本尊こそ諸法実相という大宇宙の縮図であり、大聖人の仏法にいては、諸法実相とは即御本尊なのであります
妙法の一法において依報も正報も連続
| 02 依報あるな 03 らば必ず正報住すべし、 釈に云く「依報正報・常に妙経を宣ぶ」等云云、 -----― 依報があるならば必ず正報が住している。妙楽大師の法華文句記には「依報も正報も常に妙法蓮華経を顕している」等と述べている。 |
「依報あるならば必ず正報住すべし」とは、少し疑問に思うところでありあす。それは、私どもは法華経の教えによって、正報が根本で、それに応じて依報があると理解しているからであります。したがって「正報住するならば依報あるべし」といわれるべきところのように思える。この点について簡単に申し上げると、仏法においては、特に爾前経では一貫して、十界は、十種の異なる世界として説かれてまいりました。十界という言葉自体、十種の世界という意味であります。
これについては、御承知のように、たとえば地獄界は、地の下五百由旬、畜生界は水・陸・空といわれる。修羅は海のほとり、海の底とされ、人は大地によって住し、天は宮殿をいいますが、須弥山の山腹から頂上、更にその上方の空というふうに考えられております。
以上の六道のほか、いわゆる四聖についても、二乗は方便土、菩薩は実報土、仏は寂光土と、それぞれ、別々の世界に住すると説かれてきたのであります。
このように、種々の依報が説かれるということは、当然そこに住する衆生すなわち正報と、それぞれの国土すなわち依報とが一体になっているのが、生命の真実の在り方であります。すなわち、爾前経においては、十界とは世界観であった。法華経においてはじめて依正不二の生命観としてとらえられたのであります。
「釈に云く」とあるのは、妙楽大師の法華文句記のことですが「依報正報・常に妙経を宣ぶ」とは、この十種の依報正報の生命は、いずれも、妙法蓮華経をあらわしている、ということであります。
すなわち仏法においては、依報正報ともにその奥深いところでは断絶がないと教えている。依報が妙法蓮華経の当体でるとともに、正報もまた妙法蓮華経の当体なのであります。妙法蓮華経の一法において、依報も正報も連続しているのであります。
あえていえば、妙法の根源の一法が、一方において正報とあらわれ、それと同時に依報となってあれわれているということでありあす。すなわち生命という次元において、依報も正報も結合しているのであります。故に、ここから正報の生命の変革が、依報の変革に通ずるという仏法の卓越した原理が生まれてくるのであります。
この依報・正報ということに関連して、理解の参考のために、澤瀉久敬博士の論文を紹介しておきたい。それは環境と生物の関連につれて触れたいのであります。博士はこう述べておられます。
「ひとはともすれば一定不変の環境を考えそこへすべての生物は置かれていると考える。しかし人間には人間の環境があり、魚には魚の、また鳥には鳥の環境がある。そうして、人間各自にとっては環境はそれぞれ異なるようにすべての生物には各自の環境がある。一言にして言えば環境は無数である。生物を離れて環境自体というようなものはどこにもない。生物が生物として次第に自己を生み出してゆくように、そうしてそれによってさまざまな生物がそれぞれの自己の形を明らかにしてくるように、環境もまた次第に生物から分離して環境となるとともに、それぞれの生物に対応するさまざまな環境として自己を示してくるのである」
博士はこのように、生物と環境とが対応していることを述べ、更に、この対応した両者の根源をたずねれば、同じ「原始存在」という一つのものに帰着すると主張しておられます。これは生物の世界への鋭い観察から結論づけられた真理でありますが、仏法で説く依正不二の原理の一つの証明であるとも考えられるのであります。
仏は架空の抽象的存在ではない
| 03 又云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十 04 如十如は必ず十界十界は必ず身土」、 -----― また金剛錍には「実相は必ず諸法とあらわれる。諸法はまた必ず十如をそなえている。その十如は必ず十界という差別相がある。その十界には必ず身と土が存在する」と述べている。 |
同じく妙楽大師の金錍論の文であります。一念三千の構成について述べたものといえます。
実相はすでに述べたように常住の本体 妙法蓮華経であります。これは一念三千の“一念”ということができあす。「実相は必ず諸法」とは、この妙法蓮華経、常住の一念は、必ず万法としてあらわれてくる、ということであります。
次に「諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」の文は、諸法、森羅万象は真実の相、すなわち実相を、十如・十界・身土に分析して述べたものです。
まず、十如は諸法、万象の共通面をあらわします。いかなる法といえども、必ず十如是という十の側面をもっているということであります。
十如是とは、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等です。
この十如是を伴って顕現する森羅万象、諸法は、また必ず、地獄界から仏界にいたる十界の範疇におさめることができる。
これは、諸法を差別面からとらえたものでありあす。
たとえば、地獄界にも十如是がそなわっていれば、仏界にも十如是がそなわっている。このように、十界のいかなる界であろうと、すべて十如是がそなわっているというのが、諸法に即する真実のすがた、すなわち実相なのであります。
更に「十界は必ず身土」これは十界それぞれの世界は、必ず、身と土のうえにあらわれるということです。つまり依正不二の原理をあらわしております。
以上のことを具体的に申し上げれば、たとえば、私たちの生命を考えた場合、その真実の相は妙法蓮華経の当体でありますが、それは私たちの日々生きているこの命を離れてあるものであない。朝起き、昼働き、夜眠る。その「諸法」のなかに「実相」はあるのであります。妙法は幽霊のようなものではなく、実在するものであります、「実相は必ず諸法」なのであります。
また「諸法は必ず十如」についていえば、瞬間瞬間、動いている生命には、十如是がそなわっているということであります。生命といっても、如是相のない生命はない。このなかにも「私には如是相はありません」という人はいないはずであります。必ず顔があり、形がある。また「如是性」もある。石のように、存在しているだけというのではない。否、石でさえも如是相はある。如是体についても同じことであります。
また、如是力・作・因・縁・果・報すべてをそなえております。だれびとにも、その人でなければもたない「力」がある。そして、それを周囲に及ぼしていく「作用」ももっているのであります。自己のなかにある「因」、外界との関係である「縁」、そしてそれらがもたらす、生命内在の「果」、外界にあらわれる「報」と、一切を私たちはもっております。更に、最初の相から終わりの報に至るまで、一貫して等しい生命活動を展開している。これが本末究竟して等しいということであります。
したがって実相といっても、諸法、また十如を備えていなければ、実相ではなく虚相といわざるをえない、たとえば、爾前経に説かれている仏にしても、大日如来などは、十如是がありません。だいいち如是相がない。いまだかって、大日如来がお目にかかった方は、だれ一人いないはずです。相性体をそなえていない仏に、衆生を救う、力や作用もあるわけがない。それはキリスト教のゴットやイスラム教のアラーにしても同じであります。
本来、それらは形あるものとしてあらわれるべきではない、という考え方に立っているのでありましょうが、諸法は十如のない実相というのが、法華経の主張であります。釈迦にしても実在の人物であるし、日蓮大聖人は、現実社会の真っただなかで、人々の苦しみを分かちながら戦われ、ご自身の悟りの境涯を、全人類に本末究竟して等しく与えていこうとされた御本仏であります。仏とは、また実相とは、決して架空の抽象存在ではなく、諸法、十如をそなえるものせある、と私はいっておきたい。
「十如は必ず十界」 十如といっても、私たちの苦しみや喜びといった境涯と、決して無縁のものではないということであります。必ず十界のいずれかにあらわれてくる。逆にいえば、地獄界にも仏界にも、十如はあるということであります。今までは御本尊を知らず、苦しみの因縁果報であった。そしてその人の生命も地獄の力、作用であった。当然、その相性体は地獄でありましょう。喜びで満ちているのに、顔だけは恐ろしい業相で、ということもないし、悲しくてしようがないのに、顔だけは大口をあけて笑っている、などという手品みたいなことはできません。そのように本末究竟して地獄にいた人が、御本尊をたもって、幸福へ、喜びの人生へと変わっていく。因縁果報も、如是力、如是作も、相性体も全部、仏界に近づいていくのであります。ですから、如是相も福々しくなって、如是性も、優しくゆうゆうとした境涯になっていき、家庭をしっかりと支えていく如是力、如是作となり、因縁果報が、幸福へ幸福へと転回していく、どうか、そういう十如是の人生になってください。お願いします。
そして最後に「十界は必ず身土」、その十界は、我が身と我が土が必ずあらわれるということであります。地獄界の生命であれば、その身もその土も地獄界である。逆に、仏界の人の身も土も仏界となっていく、そこに人間革命の意義がある。御本尊をたもっているのに、家庭はめちゃくちゃ、隣近所のことも関係なし、というのでは「十界は必ず身土」にならない。皆さん方一人一人が、我が家を笑いさざめく金の城のごとく築き、地域社会に清水のごとき潤いをもたらしていくとき、大きくは世界という土を仏国とすることが可能でありましょう。またそうなっていただきたい。それが「十界は必ず身土」を読んだということであります。
御本尊は諸法の縮図
更に、日蓮大聖人の文底仏法から、この文を読むとき、三大秘法の御本尊それ自体をあらわしているのであります。諸法とは、これまで述べてきたように、十界三千の諸法です。それが大御本尊にそのまま実相として縮図されているのであります。すなわち、十界三千の諸法が、南無妙法蓮華経の一法に具足した姿、これが御本尊の相貌であり、諸法実相なのです。
具体的にいえば、中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」が十界三千の諸法の実相です。左右の十界は、大聖人己心の十界であり、南無妙法蓮華経の光明に照らされた十界の生命活動をあらわしています。
まず、左右両側の上のほうに釈迦牟尼仏と多宝如来とありますが、これは仏界をあらわし、同時に、御本仏の脇士となっております。その両わきには、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩がしたためられていますが、これは菩薩界をあらわしている。それから、舎利弗・迦葉等は縁覚界と声聞界、大梵天王、帝釈天王、大日天王、大月天王、第六天の魔王等は天界、転輪聖王等は人界、阿修羅王等は修羅界、竜女は畜生界、そして鬼子母神・十羅刹女は餓鬼界、最後に提婆達多は地獄界です。
これらの十界の諸法に「必ず十如」を具していることはいうまでもありません。
さて、その十界が「必ず身土」とは、もったいなくも御本尊という一つの草木が掛け軸になり、御本尊様ましますところ、たとえば仏壇などは“土”にあたると考えられます。
| 04 又云く「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、 毘盧の身土は凡下の一念を 05 逾えず」云云、 -----― また、同じく金剛錍のなかで「阿鼻地獄の依報と正報は尊極の仏の自身のなかに具わり、毘盧舎那仏の法身の生命も凡夫の一念の外にあるものではない」としている。 |
同じく金錍論の文でります。
無間地獄といっても、その世界も衆生の世界も全く、極聖 仏の自心、本然の生命のなかにある。逆に毘廬すなわち仏の尊極の生命もまた、身・土ともに、凡夫の一念の外にあるものではない。
十界互具の原理を、地獄界と仏界とを代表として示したものであります。
しかし、さらに深く論ずれば、極理の自心も妙法蓮華経であり、凡下の一念も妙法蓮華経であるが故に、仏の生命に無間地獄もそなわり、凡下の一念にも仏の生命が具足する、と拝すべきでありましょう。
釈迦・多宝も妙法の力用の表現
| 05 此等の釈義分明なり誰か疑網を生ぜんや、 されば法界のすがた 妙法蓮華経の五字にかはる事な 06 し、 -----― これらの妙楽大師の釈義は分明である。誰が疑いを生ずるであろうか。 したがって、法界の姿は妙法蓮華経の五字にほかならないのである。 -----― 06 釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・ 事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うな 07 づき合い給ふ、 -----― 釈迦仏・多宝仏の二仏といっても妙法蓮華経の五字のなかから用の利益を施すとき、事相に釈迦・多宝の二仏と顕れて多宝塔のなかでうなずきあわれたのである。 |
以上妙楽大師の言葉の意味するところは明瞭であり、疑問をさしはさむ余地はない。したがって「諸法実相」の意義は、十法界の姿が妙法蓮華経であるということを明かしたところに存するのである、との仰せであります。
法華経はこの真理を、あるいは説法し、あるいは譬喩説し、あるいは因縁によって説いて、在世の声聞の弟子たちを得脱せしめたのち、滅後の末法のため、多宝の塔が湧現し、虚空会の壮大な儀式が展開されていきます。「釈迦多宝の二仏と云うも」うんぬんの文は、この本門の虚空会において、多宝搭中に釈迦・多宝二仏が並座しますが、そこにあらわされたものも、しょせんは妙法蓮華経にほかならないということであります。
この御文は、非常に深い含蓄のある表現になっています。一つは、釈迦・多宝の二仏といっても、妙法蓮華経の一法が衆生を利益する働きを、具体的な仏という形によってあらわしたのであるということです。これはこのあとに出てくる「仏は用の三身にして迹仏なり」対応するもので、経文に説かれる荘厳な仏も、結局は、大宇宙に遍満する仏界という妙法蓮華経の働きを表現したものであるということです。
したがって、仏と同じく十界のすべて、妙法蓮華経のあらわす、生命の働きであるというのが、ここに仰せの元意なのであります。
もう一つは「宝搭の中にして・うなづき合い給ふ」とあるように、虚空会の儀式によって、釈迦・多宝の二仏が説きあらわした法とは、妙法蓮華経であるということです。多宝が合意して証明したことを「うなづき合い給ふ」と仰せられています。
こうした宝搭の儀式が何をあらわしたものであるかについて、戸田先生は次のように講義されています。
「釈迦は宝搭の儀式を以て、己心の十界互具一念三千を表しているのである。日蓮大聖人は、同じく宝搭の儀式を借りて、寿量文底下種の法門を一幅の御本尊として建立されたのである。されば御本尊は釈迦仏の宝搭の儀式を借りてこそ居れ、大聖人己心の十界互具一念三千 本仏の御生命である。この御本尊は御本仏の永遠の生命を御図顕遊ばされたのである。末法唯一無二の即身成仏の大御本尊でああせられる」
この戸田先生の講義の意味するところも、日蓮大聖人が本抄で仰せられているところと全く合致するのであります。末法永遠の御本仏・大聖人に対して、折伏の師匠・戸田先生の立場はもとより異なりますが、仏法の真実の意味を同じくとらえられていたと拝することができるのであります。
末法の御本仏を宣言
| 07 かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず、天台・妙楽・伝教等は心に 08 は知り給へども言に出し給ふまではなし・胸の中にしてくらし給へり、 其れも道理なり、付嘱なきが故に・時のい 09 まだ・いたらざる故に・仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外 10 は、 末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、 宝塔の中の二仏並座の儀式を 11 作り顕すべき人なし、 是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。 -----― このような法門は日蓮を除いては、申し出す人は一人もいないのである。天台大師も妙楽大師も伝教大師等は心の中では知っておられたのであるが、言葉には出されることはなかった。それも道理なのである。それは付嘱がなかったゆえであり、時がいまだきていないゆえであり、釈尊の久遠の弟子ではないがゆえである。地涌の菩薩のなかの上首・唱導の師である上行菩薩・無辺行菩薩等の菩薩よりほかは、末法の始めの五百年に出現して、法体の妙法蓮華経の五字を弘めるだけでなく、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すことができる人はいないのである。これはすなわち、法華経本門寿量品に説かれた事の一念三千の法門であるからである。 |
迹門方便品の諸法実相も、本門虚空会の儀式も妙法蓮華経をあらわしているのであるということは、いまだかって、だれもいったことがない。日蓮大聖人が、初めて述べられるのである、ということです。
しかし、そこに法華経の元意があったゆえに、天台・妙楽・伝教等の、法華経を本当に読みきった人々は、内心では知っていたことは当然です。したがって「天台・妙楽・伝教等は心には知り給へども言に出し給ふまではなし・胸の中にしたくらし給へり」と言われているのです。
では、なぜ、天台・妙楽・伝教等は、心の中では知りながら、言葉に出していわなかったか。言葉に出していわなかったということは、人々に教えることをしなかった。わけです。それをしなかった理由として、大聖人はここで三つあげられている。
一つは「付嘱なきが故」です。付嘱とは、仏から使命を託されることであります。法華経の会座において、釈尊は、法華経の肝心の法門を弘通する使命を、本化地涌の菩薩に託した。ところが、天台・妙楽・伝教等は、その本地は迹化の菩薩である。故に、その使命を受けていない、ということであります。
第二は「時のいまだ・いたらざる故」であります。この法華経の肝心の法門が弘通されるべき時は、薬王品にも「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して」とあるように、第五の五百歳、末法の時代であります。
“時”とは、端的にいうならば、客観的条件の、最も深い底流をなすものであります。委細に三世を知る仏にしてはじめて、この正しい時を知ることができるゆえに、仏は明確に、この妙法を弘めるべき時を定めた、といえましょう。
だが天台・妙楽・伝教等の出現した時代は、五の五百歳の区分のなかでは、第四の五百歳であった。したがって、これらの人々は、法華経の肝心たる妙法を、言葉に出し、人に教えることはしなかったのであります。
第三は「仏の久遠の弟子であらざる故」であります。仏の久遠の弟子ということは、師弟不二の原理からいって、仏と同じ心、等しい悟りの境地にあるということであります。教文にあらわれた地涌の菩薩は、この久遠元初の仏の弟子が、妙法流布のため、その付嘱のため、垂迹して現じた姿であります。
仏の悟りの極理である妙法を説き、弘めるためには、自らその悟りを得、仏と等しい境地にあるということであります。経文にあらわれた地涌の菩薩は、この久遠元初の弟子が、妙法流布のため、その付嘱のため、垂迹して現じた姿であります。
仏の悟りの極理である妙法を説き、弘めるためには、自らその悟りを得、仏と等しい境地にもともと住いている人でなくてはならない。妙法を説き弘めることは「如来の使いとして、如来の事を行ずる」ことになるのであります。
広宣流布の付嘱は地涌の菩薩に
これに関連して一言、本化の菩薩と迹化の菩薩の関係について述べておきたい。
本化とは、いうまでもなく地涌の菩薩であります。この地涌の菩薩の住所について、法華経には「大地の下の空中」と説き、天台はそれを「法性の淵底玄宗の極地」と表現しておりますが、日蓮大聖人は、更に明確に「南無妙法蓮華経」であると示されております。すなわち、南無妙法蓮華経を我が生命と覚知し、南無妙法蓮華経の流布を自己の使命とし、本分としているのが地涌の菩薩であります。
これに対して、迹化の菩薩とは、文殊・弥勒・薬王・普賢・観音・妙音等の諸菩薩であります。これらの菩薩たちは、社会の動向を察知する力で人々に利益をもたらし、妙なる音楽で心を喜ばし、慈愛の心をもって人々に尽くし、医学の力をもって病苦を除く等、その特性を存分に発揮して、人々のために働く菩薩たちであります。
故に世間においても、真に慈悲の精神に立って、おのおの社会的立場にあって、またその能力を発揮して、人々のため社会のために尽くす人は、迹化の菩薩の一分にあたるといってよいでありましょう。しかしながら、南無妙法蓮華経という法体を流布することによって、人々のために尽くしている人は、世間にはどこにもおりません。
なぜかならば、この法体の流布こそ、地涌の菩薩の本分であるからであります。釈迦が法華経において、迹化の菩薩たちが滅後の弘教を誓うその誓いを「止みね善男子」と一言のもとに止めて、わざわざ地涌の菩薩を召し出し、付嘱をなしたわけも、この一点にあります。南無妙法蓮華経という根源の一法をもって、人々のため、社会のために尽くしていくことができるのは、本化地涌の菩薩のみであり、またそれこそ、末法の根源の実践なのであります。
したがって、私たちは、あくまでも南無妙法蓮華経に生き抜くことを本分とし、その流布を自らの「この世の使命」と定めたうえに社会のあらゆる分野において活躍していくならば、その活動は迹化と同じようであっても、その本地は地涌の菩薩であります。だが、反対に南無妙法蓮華経の本地を忘れてしまったならば、迹化の菩薩にとどまることすらできず、自己の才能や名声に酔い、日々の生活におぼれて、三悪道、四悪趣の境涯におちいっていくことでありましょう。
故に、深く探求していけば、広宣流布に励む同志は、あるいは、一学生であれ、一主婦であれ、一学者であれ、一サラリーマンであれ、皆地涌の菩薩が、それぞれの世界へと勇躍出現した姿であります。
単に一主婦が、一学生がたまたま、その悩みを解決するために信仰しているという自覚しかなければ、それはまだ一歩浅いところを彷徨している段階であるといわざるをえない。
我々の奥底の一念 それは地涌の菩薩の本地に立って、御本尊様と、創価学会と、広宣流布とにおくべきであると、申し上げておきたいのであります。
さて、天台・妙楽・伝教等が、以上の三つの条件を欠くゆえに、法華経の肝心の法を説き弘めることはできなかったのに対し、一往、地涌の菩薩として、再往、無作三身の仏としての日蓮大聖人およびその門下のみが、それをなすことができるというのが、次の文であります。
「地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩」という文は、先の「付嘱なきが故に」に対応して仰せです。と同時に、この地涌の菩薩について湧出品で「我久遠より来かた是等の衆を教化す」と示されている元意に照らすならば「仏の久遠の弟子にあらざる故」にも対応していることは明らかでありましょう。
また「末法の始の五百年に出現して」とは「時のいまだ・いたらざる故」の文に対応していることも、いうまでもありません。日蓮大聖人の降る舞いは、先に示した三つの条件がすべて満たされたうえのことであると仰せなのであります。
「本門の本尊」ご図顕に出世の本懐
「法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし」 この御文のなかに、本門の題目と本門の本尊を示されております。
「法体の妙法蓮華経の五字を弘め給う」が、本門の題目を弘通されていることであります。「宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕す」は、本門の御本尊を建立されることであります。
もし、大聖人が、単に「南無妙法蓮華経」の題目流布のみをもって、本懐とされたとするならば「法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕す」とは言われなかったのでありましょう。むしろ「宝搭の中の二仏並座の儀式」すなわちご本尊があったことは、この文に明確にうかがわれるのであります。
ともあれ、この題目・御本尊をあらわし弘めることは、地涌の菩薩の上首・上行等にしかできないことである。その故は、これが本門寿量品の事の一念三千の法門だからであると、迹化の菩薩は迹門の法門は弘めることができる。しかし、本門寿量品の事の一念三千は、本化の菩薩でなければならない。
迹門の法は迹化の人・本門の法は本化の人でなくてはならない。
「地涌の菩薩の上首・上行・無辺行等の菩薩」とは、日蓮大聖人ご自身のことであり、人本尊をあらわします。また「本門寿量品の事の一念三千」とは、法本尊のことであり、人法一箇をあらわしております。大聖人に連なる私どももまた、もともと末法の独一本門の南無妙法蓮華経を持って生まれてきたのであります。
ともかく釈迦も天台も伝教も、すべて帰着するところは妙法の大地であり、それら先人の出現はすべて日蓮大聖人のご出現の序曲であった。いにしえの先人たちが、生涯を賭けて求め抜いた一法が御本尊なのであります。私どもは、いま大聖人の世界最高の太陽の哲理をもっている。ともあれ、光輝あるこの世の使命を新たにしたいのであります。
「神通之力」とは本尊の働き
| 11 されば釈迦・多宝の二仏と云うも 12 用の仏なり、 妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、 経に云く「如来秘密神通之力」是なり、如来秘密は体の三身 13 にして本仏なり、 神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、 -----― したがって釈迦仏・多宝仏の二仏といっても、用の仏であり、妙法蓮華経こそ本仏であられるのである。法華経如来寿量品第十六に「如来秘密神通之力」と説かれているのはこのことである。「如来秘密」は体の三身であって迹仏なのである。「神通之力」とは用の三身であって迹仏なのである。 |
妙法蓮華経すなわち南無妙法蓮華経が仏の生命の常住不滅の体であり、釈迦・多宝の二仏といっても、この南無妙法蓮華経という体があらわす働きにほかならないとの仰せであります。
体は“本体”、用は“働き”であります。まさしく御本尊のお姿であります。御本尊における釈迦・多宝は「南無妙法蓮華経 日蓮」と中央におしたための脇士になっており、妙法の用の仏として位置づけられております。釈迦・多宝といえども、またあらゆる十方三世の諸仏といえども、妙法の働きであります。南無妙法蓮華経とは、日蓮大聖人のご生命そのものであり、故に大聖人は、十方三世の諸仏を動かしていく当体であられる。私どもも御本尊を受持することによって、あらゆる仏・菩薩を動かしていくことができるのです。なんと私どもには、偉大な境涯の海が開けていることでありましょうか。本当の信力・行力を貫いていけば、当体義抄文段に「我れ等妙法信受の力用に依って即連祖大聖人と顕るるなり」とあるごとく、大聖人の生命が渾々とわいてくるのであります。
また本とは「本地」で、本来の境地をいい、迹は「垂迹」で、影として映った姿をいいます。
これを、もう少し分かり易くいうと、本迹について天台大師は、天月と地月をもって示しております。空に輝いている本物の月が“本”で、池の水面に映った月影が“迹”であるというのであります。
考えてみると、影は、池だけに映るわけではない。海の水面にも映りますし、湯飲み茶の面にも映ります。ガラスの面にも映ります。すなわち、十分に光を反射する。滑らかな面であれば、そこに、はっきりした影を映すことができるのであります。こうした光を十分に反射する面は、現代的にいえば、スクリーンと呼ぶことができます。
したがって、法華経本門において、仏の本地を久遠実成と明かしたということは、久遠五百塵点劫成道の仏身が本地で、それ以前の始成正覚の釈尊は、当時のインド社会というスクリーンに映った影となるのであります。更に地涌の菩薩が、本地・久遠元初の自受用報身如来であるということは、久遠元初の仏が、法華経の儀式というスクリーンのうえに映した一つの影ということになるなであります。
地涌の菩薩ばかりでなく釈迦・多宝の二仏も、久遠元初の自受用報身即・南無妙法蓮華経という本地の仏が、虚空会の儀式のうえに映し、あらわれた影である、との仰せであります。
永続していく本体が妙法
これを私どもの生命に約していえば、私どもはさまざまな社会をスクリーンとして、さまざまな姿=影を映しております。家庭というスクリーンでは、一家の長という姿、社会というスクリーンでは、たとえば課長、学会の組織というスクリーンでは支部長、国際社会というスクリーンでは日本人という影、そして生物の世界をスクリーンとして一個の人間という影を映しているといえる。
これらは“影”であるゆえに、スクリーンが揺れれば、影も揺れる。スクリーンはそのままでも、やがて消える影もあります。学生という影は、卒業によって消えるのであります。なかには、早く消して、新しいスクリーンに新しい影を映したいと思いながら、なかなか消せなくて困っている人もいるようですが…。
では、消えないで、永続していく本体はいかなるものか。人間の過ちの根本は、仮にあらわれているにすぎない影を、自らの不変の本地であるかのごとく錯覚してしまうところにあるといっても過言ではないでしょう。先にあげたうち、人間であるということは、比較的、本地に近いし、生き、行動いていくうえで、忘れてはならない原点ではあります。
だが、それすら、より深く考えれば、生死流転する無常の存在にすぎない。故に、この生老病死という流転、変貌の人間存在を見詰め、生死を超えて常住の自己の真実の本地を見いだそうとしたのが、仏教なのであります。そして結論的にいえば、南無妙法蓮華経こそ、真の常住不滅の体であり、それが自己はもとより宇宙万物の実相であると究め尽くしたのであります。
故に、妙法蓮華経こそ“本仏”、それに対して、釈迦・多宝の二仏は“用の仏”“迹仏”であると仰せなのであります。
「如来秘密」の「神通之力」で「如来秘密」が体の三身をあらわし、これは本仏に当たる。「神通之力」は用の三身をあらわし、迹仏である、と。
いずれについても“三身”ということをいわれるのは、もとより、天台の「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す」との釈を受けておられるからであります。
この経文を文底から読めば、如来とは南無妙法蓮華経如来のことであり、秘密とは内緒にしておくということではなく、三大秘法に説かれているごとく、寿量文底文底の大御本尊そのものであります。神通之力とは、この南無妙法蓮華経如来、即御本尊の働きであります。
「神通之力」を用の三身とすることについても、天台の文句に次のようにあります。
「神通之力とは三身の用なり、神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。通は無壅不思議の慧、即ち報身なり。力は是れ幹用自在、即ち応身なり」 すなわち“神”は法身、“通”は報身、“力”は応身で、用の三身となるのであります。
「凡夫こそ本仏」と断言
| 13 凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にし 14 て迹仏なり、 然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、 さにては候はず返つて 15 仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、 -----― 凡夫は体の三身にして本仏である。仏は用の三身であって迹仏である。 したがって、釈迦仏が我ら衆生のために主師親の三徳をそなえられていると思ったいたのであろうが、そうではなくかえって仏に三徳をこうむらせている凡夫なのである。 |
十界の依正の当体が妙法蓮華経であり、妙法蓮華経が「本仏」ですから、十界の衆生即ち凡夫が「本仏」である。これに対して、釈迦仏をはじめ、経文に説かれているあらゆる仏は「迹仏」である。ということであります。「諸法実相」の原理、法華経の道理からいえば当然のことでありますが、それを、このように明確に言い切り、凡夫こそ本仏なりと断ぜられたところに、日蓮大聖人の教えが、末法万年の未来に投じた、不滅の力用の光明があるのであります。
ここに、凡夫と仰せられたのは、別して日蓮大聖人の御事であり、日蓮大聖人が御本仏であられることを示されております。「御義口伝」に「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり」(0766-第十三常不値仏不聞法不見僧の事 ―03)とある通りであります。その凡夫が、最も尊く、偉大であることを、日蓮大聖人が、自ら凡夫の姿を示して、お説きくださっているのであります。
あくまでも、日蓮大聖人の仏法は、人間が中心であります。御義口伝に、法華文句を引用して「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁と為す」(0716―第三唯以一大事因縁の事第三唯以一大事因縁の事―03)と仰せのごとく大聖人の御出現自体、苦悩の衆生があったればこそであります。御本尊の威光勢力、福徳も、迷える凡夫がいたればこそであります。また、その偉大な仏法を流布していくのも、社会の荒波にもまれながら戦う勇気ある人々がいるからであります。
過去のあらゆる宗教において、究極的に尊厳であるとされたのは、神であり、超人格者としての仏でありました。人間の尊さは、この神の恩寵と、仏の慈愛に包まれているという条件のもとにはじめて認められたのであります。
故に過去の宗教のほとんどは、神あるいは仏に直接仕える人々を特権的存在とし、世俗の人間、一般庶民を卑しい存在としたのであります。更に、世俗の人々についても権力者は特別的恩寵を受けるとして、王権神授説のもとに、階級構造に宗教的権威を付し、これを固定化する結果となりました。
したがって、いずれの社会においても、民主化の過程は即、宗教否定・宗教の無力化の過程であったのであります。
しかしながら、宗教の喪失、信仰の消滅がもたらしたものは、人間精神の不安定であり、人間的信頼の絆の弱体化でもあった。このため、ふたたび、宗教的信仰の復活が心ある識者によって叫ばれはじめているが、20世紀後半の現代の状況でもあります。
だが、過去の宗教を復興することが、問題の解決につながるものでないことは、この歴史の推移を見れば明らかであります。人間自身を妙法の当体として、それ自体で尊厳なる存在とする、日蓮大聖人の仏法こそ、人類の求めはじめている問題に、真っ向から答えた大宗教なのであります。
西欧において、ある近代思想家は「神が人間をつくった」という聖書の教えに反対し「人間が神をつくったのだ」と叫んだと聞きます。いま日蓮大聖人が「釈迦仏が我ら凡夫のために主師親三徳をそなえていると思っていたらそうではない。仏に三徳をかふらせたのは、我々人間なのである」と断言されているのは、更に近代的であり、革新的思想というべきではないでしょうか。
この一言をもってしても、日蓮大聖人の仏法が、人間不平等の基盤となった過去のあらゆる宗教と一線を画する、未来永久に、人類が根本としていくべき偉大な宗教であることを、強く信じ切っていただきたいのであります。
迷いを悟りに転ずるのは「信」
| 15 其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・ 1359 01 本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり、 此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、 然れども迷悟の不 02 同にして生仏・異なるに依つて倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり、 -----― そのゆえは、如来というのは天台大師の法華文句には「如来とは十方三世の諸仏・真仏・応仏の二仏、法身・報身・応仏の三身・本仏・迹仏の一切の仏を通じて如来と号するのである」と判じられている。この釈に「本仏」というのは凡夫であり「迹仏」というのは仏である。 しかしながら、迷りと悟りの相違によって、衆生と仏との異なりがあり、このため衆生は倶体・倶用ということを知らないのである。 |
天台大師の法華文句の文をあげておられます。寿量品の「如来寿量」の“如来”を釈したもので、この如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。と、二仏とは真仏と応仏で、真仏とはありのままの仏、応仏とは、法身・報身・応身の仏ということです。
如来とは、仏という意味であり、哲学的にいえば「如如として来る」ということで、瞬間瞬間の生命を、如来ともいい、仏ともいうのであります。
この生きている、瞬間瞬間の生命 それは仏像でも絵像でもない。大宇宙の生命の律動を一点に凝縮しつつ、現に発動している生命そのもの、これが如来なのであります。
如来とは、一般的にいって、仏の通号であり、それは、何も釈迦一人ではない。経文には、迦葉仏、阿閦仏等、たくさんの仏が出てきます。だが、別しては、久遠元初の自受用身如来のことをいうのであります。
さて、ここでこの釈を引かれた元意は、本仏・迹仏という点にあります。「此の釈に本仏と云うは凡夫なり釈仏と云ふは仏なり」と仰せのように、凡夫が本仏であり、経文に説かれた仏は迹仏にすぎない、ということであります。
いま、この本仏・迹仏ということを、寿量品に即して考えれば、このように大聖人がいわれた意味は、おのずから明らかであります。
すなわち、寿量品では、釈尊がインドに応誕してはじめて成道した、いわゆる始成正覚の仏ではなく、実は久遠五百塵点劫の昔に成道したのであると明かします。そして、この久遠成道の仏を「本仏」とすることは、ご存知の通りであります。
してみると、釈尊は、インドに応誕して、30にして成道する以前、すなわち凡夫であった時も、仏であったことは間違いない。むしろ、30で成道したという仏としての姿こそ、仮に示した“迹”の仏といわなければならない。更に、寿量文底の意でいえば、五百塵点劫で成道した仏というのも“迹”の仏であります。
御義口伝に「惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり」(0752-第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事-10)とありますごとく、本有のまで、南無妙法蓮華経如来であるとあらわれるのが、御本仏であられます。故に「本仏と云うは凡夫なり釈仏と云ふは仏なり」と仰せなのでります。
しかしながら、同じく凡夫といっても、衆生と仏との間には、厳然として相違がある。それは、悟っているのと迷っているのとの違いである。「悟るを仏・迷うを凡夫」ということであります。もう少し厳密にいえば、悟っている凡夫が仏であり、迷っている凡夫が衆生ということになります。
日蓮大聖人は、ご自身、南無妙法蓮華経の当体であられることを悟られている。私どもは迷いの凡夫であります。この「迷い」を「悟り」へと転ずるものは何か、それは「信」の一字であります。
「具体・具用の三身と云ふ事をば衆生知らざるなり」とは、先の御文に「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして釈仏なり」とあったのと関連しております。迷っている凡夫は自身が仏であると知らないために、経文等に説かれている仏が本当の仏だと思いこんでいる。
したがって、凡夫が体の三身の本仏であり、仏は用の三身で釈仏であるという「具体・具用の三身」ということを知らないのであります。すなわち、具体とは、南無妙法蓮華経であり、具用は、釈迦・多宝であるという原理を知らないと仰せであります。
この「具体・具用」ということでありますが、これは、体とともに必ず働きがあり、働きとともに体があるということであります。
仏法でいう「体」とは、体だけであるものではなく、必ず「用」をともなっているのであります。「用」を取り払って「体」だけを取り出すことはできないのであります。
たとえば、北条浩という「体」は、北条浩という所作にしかあらわれないし、またその所作は、全部、北条浩という「体」の表現なのであります。
南無妙法蓮華経という「体」は、森羅三千の「用」をともなっております。
故に、わたしどもが南無妙法蓮華経という大生命をば、我が胸中に顕現していくならば、一切を動かし、一切を働かせていくことができるのであります。
この具体・具用の「体」とは、諸法実相の「実相」ということであり、「用」とは「諸法」に当あります。
一切衆生が南無妙法蓮華経の当体
| 02 さてこそ諸法と十界を挙げて実 03 相とは説かれて候へ、 実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、 -----― そうであるからこそ諸法という言葉で十界を挙げ、これを実相と説かれたのである。「実相」というのは、妙法蓮華経の異名である。ゆえに「諸法」は妙法蓮華経ということなのである。 |
したがって、凡夫の当体がそのまま妙法蓮華経であることを明らかにするために、諸法という言葉によって十界を示し、その諸法、すなわち十界の依正の当体がそのまま、実相であると説かれたのであるということであります。そして、実相とは妙法蓮華経の異名でありますから、諸法すなわち十界の依正の当体、ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりということになるのであります。
| 03 地獄は地獄のすが 04 たを見せたるが実の相なり、 餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、 仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万 05 法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、 -----― 地獄は地獄の姿をみているのが実の相である。餓鬼と変じてしまえば地獄の実の姿ではない。仏は仏の姿、凡夫は凡夫の姿であり、万法の当体の姿が妙法蓮華経の当体であるということを「諸法実相」とはいうのである。 |
地獄は地獄の姿そのままが実の相、実相であります。餓鬼と変じたならば、もはや地獄の実の相ではない。仏は仏の姿、凡夫は凡夫の姿等々、万法の当体がそのままの姿が実相であり、妙法蓮華経であるということを「諸法実相」というのであります。
これは、過去の仏法観を根本から打ち破るものといわなければならない。従来、仏教の思想は、仏や菩薩、あるいは二乗のみを尊いとして、他の衆生、特に地獄・餓鬼・畜生にいたっては、卑しむべきもの、忌むべきものとしているように理解されてきました。そのあらわれが、餓鬼や畜生の名称が人を蔑んで呼ぶ名や、罵る場合に使われてきた事実であります。
もっと現実的・社会的場面でいえば、貧窮し、惨めな生活を余儀なくされている人々を卑しみ、忌み嫌う、冷酷な風潮を生み出してきたっことも否定できません。
法華経の「諸法実相」の原理は、これを真っ向から打ち砕いて、地獄・餓鬼・畜生の衆生も、仏・菩薩も、等しく妙法の当体であり、平等に尊極の存在であると説いたものであります。
更に、仏法の真髄は、地獄・餓鬼・畜生の九界の生命をいかにすれば、尊極の存在とすることができるかという方途も説いているのであります。御本尊におしたための九界の衆生は、ことごとく、妙法の光に照らされて、本有の尊形となっております。
この御本尊を私どもの生命が境智冥合すれば、仏界所具の地獄界、仏界所具の九界の生命を自在に操縦していくことができるのであります。
当然、悲しみも、苦しみも、欲望もある。それでありながら、それは、仏界という大海の上にわき立つ波としての、最高の人間らしい生活を彩る働きとなってくるのであります。
故に「諸法実相」を事実の上で明言できるのは、御本尊を建立された、日蓮大聖人の仏法にして、はじめてできうることなのであります。
実相の究極は南無妙法蓮華経
| 05 天台云く 「実相の深理本有の妙法 06 蓮華経」と云云、 此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり、 此の 07 釈能く能く心中に案じさせ給へ候へ。 -----― このことについて天台大師は「実相の深理は本有常住の妙法蓮華経である」と述べている。この釈の意味は「実相」の名言は迹門の立場から言ったものであり「本有常住の妙法蓮華経」というのは本門の上の法門なのである。この釈の意をよくよく心中に案じられるがよい。 |
迹門方便品に「実相」の名で示されたものの本体は、本門寿量品にあらわされた妙法蓮華経に他ならないということを、天台の釈をあげて裏付けされたところであります。
「此の釈能く能く心中に案じさせ給へ」と仰せのように、この法華経の根本義にかかわる深い法門であります。というのは、天台は明確にはいっておりませんが、この釈を大聖人の観心のうえで読めば、実相の究極は何かといえば、寿量文底の南無妙法蓮華経を示しているからであります。
一往、法華経の経文の流れをみますと、法華経は、一切衆生の成仏のカギとなる、三世諸仏の悟りを明かそうとしたのであります。方便品のはじめに「諸仏智慧甚深無量」とあるのがそれであり、方便品に示されたその内容が「諸法実相・十如是」だったのであります。故に、声聞の弟子のなかでも智慧第一と称せられた舎利弗は、ただこの「諸法実相」の説法で得脱し、他の中根・下根の声聞たちも、その後の譬喩説・因縁説によって、次々と得脱したわけであります。
この在世の弟子、声聞たちに対する説法のあと、法師品・宝搭品以下は・仏滅後の未来に妙法蓮華経をだれが弘めるかと釈尊が呼び掛け、それにこたえて、迹化の菩薩たちが名乗り出る、これを釈尊は断り、大地から本化の菩薩を召し出して、この地涌の菩薩に法を付嘱する、という流れが展開されます。
したがって、法師品・宝搭品以下は、文のうえからみますと、滅後弘通の人を定めることを目的として展開されたことは明らかであります。しかしながら、ただそれだけではない。再往これをみれば、そこには、滅後弘通の法体そのものが明かされている。これが「本有の妙法蓮華経」であります。
在世の声聞の弟子たちは、過去に下種・結縁がありあすから、すなわち本已有善のゆえに、法華経の会座では「諸法実相」の説法、ないし「三車火宅の譬え」、あるいは三千塵点劫の結縁の説法を聞いただけで、種子を覚知することができたのであります。
これは、一つのたとえでいえば、かつて歩いたことのある道で、記憶が定かでなく、迷っている場合に似ています。大部分は思い出せるが、一つだけ曲がり角がどこだったか分からない場合、その一か所だけ教えてもらえば、あとは迷わずに目的地に行けるのです。舎利弗が「諸法実相」だけで得脱できたのは、これと同じようなものと考えてよいでしょう。
ところが、未来とくに末法の衆生は、過去に下種・結縁のない衆生、つまり本末有善の機であります。かつて歩いたことのない道は途中のことをどのように教えても、目的地を思い出せることはできません。目的地そのものを示さなければならない。この目的地が「本有の妙法蓮華経」です。
法華経の儀式のなかで、法師品以後、特に宝搭品で多宝の塔があらわれ、そこに釈迦と多宝の二仏が並座し、更に十方の諸仏が来至し、本化の菩薩が湧現して展開された、虚空会の儀式は、寿量品で魂を得て、そのまま「本有の妙法蓮華経」を表現しているのであります。
とはいえ、釈尊の法華経二十八品は、本門とえども、この「本有の妙法蓮華経」に至る道を図に書いて示したようなものであります。「本有の妙法」自体を具現化され、末代幼稚の凡夫に受持させてくださったのが、末法御本仏・日蓮大聖人なのであります。
このように、同じく「諸法実相」といっても、迹門・本門・文底独一本門の立場で、読み方が異なります。
文底独一本門に約せば、御本尊そのものが諸法実相であります。更に信心に約せば、大御本尊を受持し切ったときに、妙法の生命が湧現し、幸福の諸法実相、人間革命の諸法実相として、我が人生に建設されてくるのであります
人法一箇の大法を建立
| 08 日蓮・ 末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品 09 の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先作り顕はし奉る 10 事、予が分斉にはいみじき事なり、 日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん、 -----― 日蓮が末法に生まれて上行菩薩が弘められるところの妙法蓮華経を先立ってほぼ弘め、作りあらわされているところの本門寿量品の古仏である釈迦仏・迹門の宝塔品で涌出された多宝仏・従地涌出品の時に出現された地涌の菩薩等をまず作りあらわしたてまつることは自分の分際を過ぎたことである。 この日蓮を憎むとも、内証をどうすることもできないのである。 |
末法流布の三大秘法の題目を、ほぼ弘め、同じく三大秘法の御本尊を建立されたことを述べられております。
それは、法華経の文からいえば、本化地涌の菩薩の上首・上行菩薩がなされるべきことでるが、凡夫僧である日蓮大聖人は、ご自身がその上行再誕であるという表現は避けて、その先駆けとして「先立て粗ひろめ」また「先作り顕はし奉る」といわれたのであります。この御文は前にあった、天台・伝教・妙楽等は、本化地涌でなかったために、題目を流布し御本尊をあらわすことはできなかった、といわれた文と比べ合わせてみれば、その元意は明瞭であります。
大聖人が、いま現実に題目を流布し、御本尊をあらわされているということは「先」「先立て」等と断られているにしても、資格なくしてできることではない。したがって、大聖人は法華経との関連でいえば、本化地涌の菩薩の上首・上行の再誕であり、今末法という時に出現して、この大法を建立されているのであります。
しかしながら、上行再誕というのみで、日蓮大聖人の本意を明らかにしたことにはならない。いまこの文に「本門寿量品の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏」云々とある御本尊の御図顕のもつ意味を知らなくてはなりません。
釈迦・多宝、更に久遠元初の無作三身如来である南無妙法蓮華経という“仏”の生命をあらわすためには、ご自身の内に、その“仏”の生命がなくてはならない。事実、日蓮大聖人ご自身「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(1124-11)と仰せられているのであります。人法一箇の御本尊であるがゆえに、人法一体の御本尊をご図顕されたのでります。
そこに、大聖人の「内証 内なる悟り」がある「日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん」とは、日本国の上下万人が、どのように大聖人を憎み、迫害を加えようとも、末法御本仏としての、このご境涯は、微動だにされるものではないということなのであります。
| 10 さればかかる日蓮を此の嶋 11 まで遠流しける罪・無量劫にもきへぬべしとも覚へず、 譬喩品に云く「若し其の罪を説かば劫を窮むるも尽きず」 12 とは是なり、 又日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、 其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべ 13 からず、 経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり、 -----― それゆえに、このような日蓮佐渡の島まで遠流した罪は無量劫を経ても消えるとはおもわれない。法華経譬喩品第三には「もし法華経誹謗の罪を説くならば、劫のあらんかぎりを説いても説きつくすことはできない」と説かれているのはこのことである。また日蓮を供養し、また日蓮の弟子檀那となられたその功徳は仏の智慧によっても量り尽くすことはできない」と説かれている。 |
日蓮大聖人を憎み、迫害する罪の大きさと、大聖人を供養し、その弟子檀那となる者の功徳の大きさを示されているわけでありますが、このことは、とりもなおさず、久遠元初の仏であり、末法御本仏であるとの内証を示されているのであります。
譬喩品の文は「斯の経を謗ぜん者、若し其の罪を説かんに劫を窮むとも尽きじ」とある文であります。また、功徳の依文とされているほうは、薬王品の「若し人、此の法華経を聞くことを得て、若しは自らも書き、若しは人をして書かしめん。所得の功徳、仏の智慧を以って多少を籌量すとも、その辺を得じ」との文であります。
弘教の人は仏の久遠の弟子
| 13 地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人な 14 り、 地涌の菩薩の数にもや入りなまし、 若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非 15 ずや、 経に云く「能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使・ 如来 16 の所遣として如来の事を行ずるなり」と、 豈に別人の事を説き給うならんや、 -----― 地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人である。あるいは、地涌の菩薩の数に入っているかもしれない。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、日蓮が弟子檀那は地涌の流類ということになろう。法華経法師品第十の「よくひそかに一人のためにでも、法華経そしてその一句だけでも説くならば、まさにこの人は如来の使いであり、如来から遣わされて如来の振る舞いを行ずるものと知るべきである」との文は、だれか他の人のことを説かれたものではない。 |
地涌の菩薩の先駆けとして出現したのは、日蓮大聖人ただ一人である。あるいは地涌の菩薩の中に入っているかもしれない、もし大聖人が地涌の菩薩の数に入っているならば、師弟不二の原理からいって、大聖人の弟子檀那も、地涌の流類すなわち眷属でないわけがない、と仰せくださっているのであります。地涌の菩薩とは人からいわれて動くものではない。宇宙本然の妙法で生きるがゆえに、大地から草木が本然的に成長していくように、自ら題目をあげ、社会のために、平和のために、貢献していく生命なのであります。
そして、大聖人の弟子が地涌の菩薩であるとの証拠としてあげられているのは、法師品の文であります。多少、前後を補って申し上げれば「若し善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん、当に知るべし、是の人は即ち如来の使いなり、如来の所遣として如来の事を行ずるなり、何に況んや、大衆の中に於いて、広く人の為に説かんをや」との文であります。
すでに申し上げたように、法師品は、仏滅後の弘通を勧めて説かれたものであります。この文は、まさに、これを勧めて述べた言葉なのであります。そして、この釈尊の言葉にこたえて迹化の菩薩たちが名乗り出たけれども結局、断られ、地涌の菩薩がこれにこたえる資格、力ありとして付嘱を受けられたのであります。
したがって、末法今時、この法師品の文のごとく、妙法を説き、広宣流布に戦っている人は、地涌の菩薩である、また、そうでなければならないことになります。「日蓮が弟子檀那は、その通りに実践しているではないか」こう仰せられているのであります。
さらに一歩掘り下げて「如来の使い・如来の所遣として、如来の事を行ず」ということがすでに仏と同格であり無作三身の仏であるとの証文であります。
そのことを明らかにするために“使い”ということについて一言いっておきたい。
一般的にいっても“使い”とは、使いを出した人の言葉を代弁し、同じ資格において降る舞うという意義をもっております。例えば国と国とが平和条約を結ぶ場合、お互いに使いを出します。双方の合意によって条約文が出来上がると、署名が行われる。そこに記されるのは使いの個人名であっても、それは一国の国民の総意を含んでいるのであります。
仏法においても、同じであります。妙法を説き弘通していく人は、仏の使いであり、仏と同じ資格において行動していることになる。故に、法華経では、仏の久遠の弟子にのみ妙法弘通の使命を託したのである。
このことを、逆にいうならば、末法今時に妙法を弘めている人、すなわち折伏している人は、仏の久遠の弟子である、ということになります。恩師、戸田先生は、自ら「末法折伏の師匠である」と宣言されて、創価学会は折伏の団体であると定義されました。この創価学会の誇りある大精神と、仏の久遠の弟子としての生涯を貫いていっていただきたいことを、心よりお願い申し上げるものであります。
なお「能く竊かに一人の為めに」が、こっそりと説くことをすすめたという意味ではなく、たとい、そのような弘め方であっても、ということであり、望ましい、より偉大な実践の姿が、堂々と説いていくことにあることは、法師品の文から明らかであります。
時代により、また環境におって、公に実践し、弘教することができない場合があります。しかし、常に折伏弘教の精神を忘れず、随力弘通していく人こそ、真の地涌の菩薩であり、御本仏・日蓮大聖人の本眷族であることを、強く確信していっていただきたいのであります。
“覚悟の人”を諸天も讃嘆
| 16 されば余りに人の我をほむる時は 17 如何様にもなりたき意の出来し候なり、 是ほむる処の言よりをこり候ぞかし、 末法に生れて法華経を弘めん行者 18 は、三類の敵人有つて流罪死罪に及ばん、 然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、 諸天 01 は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ・ 大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にて 02 あるべしと・釈迦仏多宝仏・ 十方の諸仏・菩薩・天神七代・地神五代の神神・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵 03 天.帝釈.閻魔法王.水神.風神.山神.海神.大日如来.普賢.文殊.日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも 04 堪忍して候なり、 ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・ 05 しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり。 -----― 人からたいへんよく自分がほめられるならば、どのような困難でも耐えていこうとする心が出てくるものである。こえはほめる言葉から起きてくるものである。すなわち「末法に生まれて法華経を弘める行者には、三類の強敵が起きて、流罪・死罪にまで及ぶであろう。しかれども、この難に耐えて法華経を弘める者を、釈迦仏は衣をもって覆ってくださり、諸天は供養をし、あるいは肩に担い、背に負うて守るであろう。その行者は大善根の者であり、一切衆生のためには大導師である」と、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩・天神七代・地神五代の神々・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢菩薩・文殊師利菩薩・日月天などの諸尊にほめたたえられるので、日蓮は、無量の大難をも耐え忍んでいるのである。 ほめられれば我が身の損ずることもかえりみず、そしられるときはまた我が身の破滅することにも気づかずに振る舞うのが凡夫の常である。 |
日蓮大聖人が凡夫のお立場で流罪・死罪等の大難に遭いながら、それをものともせず今日まで弘教に励んでこられたのは、なぜであったかを述べられたところであります。
これは、ひとことであえば、法華経で、釈迦・多宝以下、仏・菩薩・諸天らが、最大限の言葉で、末法に法華経を弘める者を讃嘆してくれているからであるというのであります。別な言い方をすれば、一切法華経に身を任せたということであります。
釈迦・多宝以下がほめた言葉とは「末法に生れて法華経を弘めん行者は」から「一切衆生のためには大導師にてあるべし」までです。区切って拝読していただければ、分かりやすいと思います。
この言葉のなかで「衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ」とは、真の仏弟子としての資格を与え、更にいえば、仏の子として大慈悲をもって、包容してくださるということであります。諸天が供養し、かたにかけ、背中に負ってくれるとは、周囲の条件についてあらわれてくる変化や功徳であります。「大善根」とは福運に恵まれることであり、「一切衆生のためには大導師にてあるべし」とは、智慧が豊かになる。社会のなかにあって、真実の民衆の指導者・智慧者になっていくであろうということであります。
これは、折伏の功徳を仰せられた御文と拝すべきであります。このあと「釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・天神七代・地神五代の神神・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢・文殊・日月等の諸尊たち」がほめる、とあります。
これについて、仏法論の上から少々申し上げたい。
まず、一言にしていえば、妙法を持つ人は宇宙であれ、自然であれ、人であれ、すべてその人を守り動く運行、リズムになるということであります「釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏」のおほめがあるとは、全宇宙の仏界、諸仏が法華経の行者を守るということであります。まことに頼もしいかぎりであります。その人の行くところ、すべて妙法のリズムにかなった人間革命の世界が開かれていくのであります。またすべての人々が、その人の仏界の生命に感応して心の底から味方となり、呼吸を合わせて、見事なハーモニーを奏でていくことができるということでもあります。
なかでも「釈迦仏」とは、自身の生命に仏智が湧現することを意味しております。また「多宝仏」とは客観的世界で、その人の生活、環境に、福運に満ちた実証が示されていく姿をあらわしております。「十方の諸仏」とは、周りの一切の人々の仏界をあらわしております。
また「菩薩とは、自然・社会を含めた慈悲の働きがあらわれ、その人を守るということです。その人自身の生命にそなわった、人々を救い楽しませてゆく菩薩界の一切の力があらわれることはもちろんのこと、慈悲を根底と社会的指導者たちも賛同をし、その人のもとに喜んで仕えていくということであります。
「天神七代」とは国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊の独化神三代と、夫婦一組で一代である泥土煑尊・沙土煑尊、大戸之道尊・大苫辺尊、面足尊・惶根尊、伊弉諾尊・伊弉冉尊の愚生神四代です。
「地神五代」とは、天照大神・天忍穂耳尊・天津彦彦瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鷀草葺不合尊・盧鳥茲鳥草葺不合尊の五柱の神です。
これらは人王以前の神々とされていますが、それらの天地の神々も、すべてが諸天善神として働くとの仰せです。
「天も知る、地も知る、人も知る」といにしえの言葉にも通ずる内容であります。
一切の生命活動が如説の行者を守護
「鬼子母神・十羅刹女」は有名であり、説明の必要もないでしょうが、法華経以前は悪鬼であったものが、法華経では善鬼して連なっています。善の生命を食う働きが、悪の生命を食って善を助ける働きへと転じているのであります。したがって、妙法を持った人々にとっては、不幸を滅する働きとしてあらわれてくる。「四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王」等は、すべて、宇宙・自然・社会の秩序を守る働きに名づけられたものです。社会でいえば、いわゆる世間の指導者、ないしは、その人たちの持っている力を指しています。
「水神・風神・山神・海神」等は、自然の恵み、働きです。水にも、風にもそれぞれの独自の使命と力があります。山には山の生命があり、海には海の生命があります。そして、それらもすべて、妙法の生命活動としてのあらわれであります。したがって、それらもすべて、妙法を行ずる人を守る方向へ、守る方向へとはたらいていく、風強く、波高き日々であっても、妙法を持った人が厳然と守られていくことは、数々の体験が証明するところであります。
また「大日如来」とは、法華経に座した大日如来であり、いわば生命力の一分の表現でありましょう。「普賢」は学理、「文殊」は智慧をあらわしております。学理と智慧の光にもつつまれていくのです。「日月」は日天月天であり、太陽の生命力、月の働きであります。日天は、万物を成長させ、人々に燃える生命力を与えています。月天は、万物の安らぎの象徴であり、人々に、安定と静かな光を投げかけます。
このようにして、一切の生命活動、森羅万象が、妙法を持つ人を支え、守り、包容し、また手足となって働いていくとのおおせであります。なお「無量の大難をも勘忍して候なり」とありますが「堪忍」とは堪え忍ぶことです。娑婆世界を堪忍世界と訳します。この娑婆世界にあって何かをなそうとすれば、堪え忍ばなければならない。それほど大変な世界であります。
したがって、同じく堪え忍ぶのであれば、妙法流布のための堪忍であっていただきたい。一時はそれこそ大変な、生命がけの時もあるかもしれない。しかし、妙法の堪忍であれば、必ず諸仏・諸天の加護があらわれるのは、絶対に間違いないというのが、御本仏日蓮大聖人の悟りの御説法なのであります。
また「ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり」との御文は、凡夫というものの人情の機敏を実に鋭くとらえられております。
ほめられても、そしられても、我が身を傷つけ、痛めていくのは、凡夫の習いであるようであります。ほめられて一生懸命になるのは「我が身の損ずるをも・かへりみず」の方であります。これは、骨身を惜しまない気持ちになるということであります。「我が身のやぶるるをも・しらず」という方が、おろかの故に、そしられて自らを破壊いたらしめるということであります。
これを敷衍していけば、私どもの広宣流布という戦いにあっても、人を賛嘆し、その努力、功績を心からたたえていくことが、より以上の勇気と自信をもって前進していくために、忘れてはならない大事な、一つのポイントであるということといえるでありましょう。
貫こう「日蓮が一門」の生涯
| 06 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、 日蓮が一門となりとをし給うべし、 ・ -----― このたび、信心をしたからにはどんなことがあっても、法華経の行者として生き抜き、日蓮が一門となりとおしなさい。 |
この段から以下は弟子の信仰のあり方、化儀の広宣流布への方軌と実践方法を説かれています。まずここは「法華経の行者」「日蓮が一門」となり通しなさい根本的な決意を促されている。
あまりにも有名な御文であいます。成仏の要諦も、創価学会の根本精神も、この一文の中にあるといっても過言ではありません。
「いかにも今度・信心をいたして」とは、なんとしても、この一生涯、信心を貫きなさいということです。この「いかにも」という表現に、大聖人は万感の思いを託されているように思います。というのは、私どもは、無始以来、生死流転の回数もまた数えきれないほどであります。元品の無明におおわれた生死の流転は、闇中の遠征のごときものであります。
いま「妙法」に巡り合い、久遠の御本尊にお会いできたということは、これまでの間に包まれた生死流転を転換し、燦たる妙法の太陽の光明に照らされた、晴れわたった寂光土の空の下、美しい花の咲き乱れる楽園を常楽我常と遊戯しゆく“本有の生死”へと開く希有の機会なのであります。ゆえに「いかにも今度」といわれ、たとえなにがあっても、どんな事態に遭遇しても、この一生を信心しむいていくことを強調されているのです。どうか「いかにも今度」という一句を、深く胸におさめていただきたい。
「法華経の行者にてとをり」とは、一往“法”を中心にした立場であり「日蓮が一門となりとおし給うべし」は、再往“人”を中心にした立場であるとおおせられております。
別して「法華経の行者」とは、日蓮大聖人お一人であり、大聖人も御一身のために法華経は説かれたといっても過言ではないのです。
そして、大聖人お一人が法華経の一切を身に読み切られて正像2000年の釈迦仏法に区切りをつけ、末法万年の闇を晴らす御本仏と顕れられたのであります。
この御本仏日蓮大聖人の魂魄をとどめた御本尊を受持しきることが、私どもにとって「法華経の行者」としての実践を貫くことになるのです。しかし、再往その根底は、あくまで「日蓮が一門」という自覚でなくてはならない。そうでなければ、真実の「法華経の行者」でもない。
「日蓮が一門」の自覚に立つということは、具体的な私どもの実践に約して申し上げれば、わが同志の、広宣流布への異体同心の世界に生きることであります。なぜかならば、創価学会は、絶対に御本仏日蓮大聖人の生命に直結した広宣流布の団体であるからであります。三類・三障の厳しき日増しの現象をみても御書の通りなのであります。ゆえに「日蓮が一門となりとをす」とは、わが創価学会と運命をともにしていくことに通じていくのです。しかも、この「日蓮が一門」という根本が欠けては、たとえ御本尊を護持してもなんにもならないのです。生死一大事血脈抄」という重大な御書にも「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(1338-09)とのおおせの通りであります。信心は即実践であります。ゆえに行躰即信心ともいわれている。
また、この「日蓮が一門となりとをす」の「なりとをす」ということが大事です。実はこれ自体が、即、成仏に通ずるからであります。
成仏というと、何か、特別な理想人格になるように思われがちですが、それは色相荘厳の釈迦仏法の範疇です。日蓮大聖人は、凡夫即御本仏であられるから、この仏法は偉大なのです。
そこに仏法の真実がある、ありのままの人間性の中に、偉大な光をはなつ仏法であるがゆえに、私どもはそれに連なっていくことができるのです。私たちにとって成仏とは、この世で最も尊い生命に人生を全うしきることが、即、仏の生命とあらわれるのです。さらにいえば、なにがあっても「日蓮が一門となりとをす」と決めきった人生そのものが、すでに仏界に住した生き方であります。
御書に「冬は必ず春となる」(1253-16)という有名な御文がありますが、この見地に立てば、冬即春であります。「必ず」という言葉に意味があります。「必ず」とはもうそのことは決まりきっているとの意であり、もう一歩深く読めば「即」と同じであります。
開目抄の「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ」(0232-01)の御文といい、また「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(0234-07)の御文といい、すべて同じ意味であります。
また「日蓮が一門となりとをす」との御文に関連して、なぜ創価学会の信心に、偉大な功徳がるかということを申し上げたい。それは、仏法に「四力」という原理があります。いうまでもなく、信力・行力・仏力・法力の四つであります。
仏力・法力というのは、大聖人の仏法においては、ともに人法一箇で、御本尊の功力であります。この仏力・法力は、信力・行力によってあらわれるのであります。
ところで、初代牧口先生は、その生涯を死身弘法のために捧げられた。二代会長戸田先生も、死身弘法の偉大な信力・行力に立たれたのであります。
それゆえ、その福徳によって、御本尊の功力は、創価学会の信心の上に燦然と輝きわたっているのであります。その証拠が、世界的な生きた仏法中道の大教団に事実として建設されたことであります。
その意味でも、私どもは、この両先生に深く感謝申し上げなくてはならない。
大聖人と同じ精神で折伏・弘教
| 06 日蓮と同意なら 07 ば地涌の菩薩たらんか、 地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より 08 来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、 皆地 09 涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、 -----― 日蓮と同意であるならば地涌の菩薩であろうか。地涌の菩薩であると定まっていつならば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのはこのことである。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女の分け隔てをしてはならない。皆、地涌の菩薩が出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。 |
「日蓮と同意」とは、大聖人と同じ心、同じ精神ということであります。「法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし」たとき、その身口意の三業によって、はじめて、御本仏日蓮大聖人と同意となることができるのであります。
これは師弟不二の原理でもあります。不二とは、而二不二の義で、一往は二である。すなわち師と弟子という立場の相違は厳然としてある。だが、再往、その奥底においては、不二、すなわち全く同じであり、等しいということであります。
この師弟不二が、仏法の師弟観の真髄なのであります。ゆえに、日蓮大聖人のお心をわが心とし、大聖人のご精神を自己の生命をかけた使命としていく「日蓮と同意」の人こそ真の日蓮大聖人の弟子であります。口先や形式などは、やがては、大聖人のお叱りを受けることでしょう。
上野殿御返事には「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(1558-02)とは、この大聖人と同じく、広宣流布の使命に立ち、責任を持っていく人こそ、地涌の菩薩であるという御文であります。そして、もし地涌の菩薩であることが決定的であるなら「釈尊久遠の弟子」であることも、また疑う余地はない。なぜかならば、法華経湧出品に、地涌の菩薩が出現したとき、驚いた弥勒菩薩の質問に答えて「我久遠より来かた是等の衆を教化す」すなわち、久遠の昔から教化してきた弟子でると述べているからであります。
この「釈尊久遠の弟子」の「釈尊」とは、一往は法華経本門の教主・釈尊でありますが、再往の辺を拝すれば、久遠元初の自受用報身如来であり、末法御本仏日蓮大聖人であります。日蓮大聖人は、久遠よりこのかた、私たちの地涌の菩薩を教化してこられたという意味です。以上のことを結論づければ、日蓮大聖人の生命と直結するならば、地涌の菩薩であることは決定的であり、それはそのまま日蓮大聖人の本眷属なのであります。
広布の責任に立てば仏の大生命が湧現
この御文を、現実社会において、真実に色読された方が、先師牧口先生であられ、恩師戸田先生であられた。
戸田先生は獄中において、自ら地涌の菩薩であり、御本仏日蓮大聖人の本眷属であるとの悟達に立たれた。この一瞬に、創価学会は、地涌の菩薩の集団となり、御本仏日蓮大聖人の本眷属の団体となりゆくことは決定づけられたと、私は確信しております。この戸田先生という偉大な人格を師として、不二の道を進む創価学会が、いかに尊い団体であるかはあまりにも明瞭であります。またこの大生命体に連なる人々に対して、いかばかり御本仏の称賛があることでしょうか。
何も憂えることもなければ、恐れることもありません。
さて、この「釈尊久遠の弟子」ということを生命論の上からいえば「釈尊」とは我が生命の内なる釈尊であり、南無妙法蓮華経如来であります。地涌の菩薩が、釈尊の久遠の弟子であるということは、上行・無辺行・浄行・安立行等の地涌の生命が奥底の南無妙法蓮華経如来という本源に根ざした働きであることをあらわしているのであります。
私は、いつも確信しています。それは、本当に、広布の大責任に立って悩み、苦しみ、戦うならば、南無妙法蓮華経のお命がわいてこないわけがない。さらには、当体義抄の「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(0512-09)とあるごとく、また受持即観心の原理のごとく、大聖人生命がこんこんとわかないはずはない。と。たとえどんなに、だれにも頼れない、ただ一人決断しなければならない時でも、私は、この確信を貫いてきました。
日蓮大聖人のおおせは、寸分狂いなきことを私は、絶対に信じております。「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」
この末法の世に妙歩蓮華経、三大秘法の南無妙法蓮華経を弘める人が地涌の菩薩である、との仰せです。したがって、いかなる立場の人であれ、どのような境遇の人であれ、自らの使命のままに仏法弘通に挺身する人は、皆平等に最高の人生を歩んでいるのでありあす。仏法を「弘める」人こそ尊いのであります。経文に「当に起って遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」とある通りであります。ゆえに、仏法弘通の経団である創価学会を睥睨したり、非難・中傷することは最も罪が重いといわなければならない。
「男女はきらふべからず」とは、いうまでもなく、男であろうと女性であろうと、等しく地涌の菩薩であるということにおいて、全く差別がないということであります。
男女の差別という問題は、社会的次元で、その役割と待遇の差別としてあらわれます。たしかに、男にしかできないとまではいかなくても、男に向いていて、女性向きでない仕事もありましょう。待遇は、その仕事に対して決定されるべきもので、男だから、女だからという理由で、差をつけられるべきものではありませんが、それを前提としたうえでの個人差は、当然あってもやむを得ないでありましょう。
しかし、もっとも根本的な問題は、人格の尊厳にかかわる次元で差別がつけられている場合に起こってくるものであります。そこに関係してくるのが、宗教のもっている男女観であります。過去の多くの宗教は、原始的宗教は別にして、共通して男性中心であったといわざるを得ない。キリスト教もイスラム教も、その神は男性であったと考えられている。仏教もまた爾前経を根本とした諸宗派は、男が中心であった、これらに対し、日蓮大聖人は「男女はきらふべからず」とおおせられ、妙法を弘める人はすべて、等しく地涌の菩薩であると断定されているのであります。
「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」とは、いかに、題目を唱えることが難しいか、ということであります。地涌の菩薩でなければ、題目を唱えられないのです。
まず、人身を受けるということさえまれであります。人間についての、仏法上の一つの定義は「聖道正器」ということであります。人間であればこそ、聖道を歩んでいくことができるのであります。まさしく、宗教は、人間生命の核心であります。この。この確信を失えば人間溌剌たる生命の光を失い、硬直化し、石灰化するに違いない。
しかし、そのなかにあって、本当に偉大な宗教に遭遇することも、なかなか困難であります。私どもは、その意味で、まことに「唱えがたき題目」を唱えていることに感謝の気持ちが込み上げてきます。
ともに「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」とは、たとえ、いかなることがあっても、「但南無妙法蓮華経たるべし」の御金言のままに、題目を唱えきっていくことであります。さらに、菩薩の本領は「誓願」ということにある。そして地涌の菩薩の誓願とは「法華弘通」にあります。ゆえに、心から周囲の人々を幸せにし切っていく「誓願」の唱題が大切です。厳しくいえば「誓願」なき唱題は、地涌の菩薩の唱題ではないのであります。
広宣流布実現への大確信
| 09 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人 10 と次第に唱へつたふるなり、 未来も又しかるべし、 是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南 11 無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、 -----― はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。そればかりか広宣流布のときは日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。 |
妙法流布の方程式を示され、広宣流布の大確信を述べられた有名な御文です。
南無妙法蓮華経は、日蓮大聖人、まずお一人が唱えはじめられ、そこから、二人・三人・百人と「唱へつたふる」ようになった。未来においても同じ方程式である、とおおせであります。
この御文は、非常に深い意味が含められております。
一つは、この前の「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」を受けて、総じては、題目を唱える人は、すべて地涌の菩薩であるけれども、その弘まっていく原理はまず一人が立ち上がって唱えはじめ、そこから二人・三人・百人と広がっていく。必ずそこには総・別があるということであります。
この別してのお一人が、いうまでもなく御在世においては、日蓮大聖人ご自身であります。しかし、それはご在世のみならず「未来も又しかるべし」と仰せであります。創価学会は、初代会長・牧口先生が、まずお一人、立ち上がられ、唱えはじめられたところから二人・三人と「唱えつたえ」約三千人になった。
戦後は、第二代会長・戸田先生が、東京の焼け野原に立って、一人、唱えはじめられ、そこから、二人・三人・百人と「唱えつたえ」て、現在の一千万以上にまでなったのであります。
私どもは、この別して一人、唱えはじめられた牧口先生・戸田先生の存在はもとより、その精神を正しく受け継いでいくことを忘れては絶対にならない。まず一人が唱えはじめ、そこから唱えつたえていくということは、その最初の一人の精神が脈脈と伝わっていかねばならないとのご指南でなくて、なんでありましょうか
ともかく、最初の一人が肝心なのです。それが一切の淵源となって広がっていく、というのは、広布の絶対の方程式と確信していただきたい。「新池殿御消息」にも「抑因果のことはりは華と果との如し、 千里の野の枯れたる草に 螢火の如くなる火を 一つ付けぬれば須臾に一草・二草・十・百・千万草につきわたりてもゆれば十町・二十町の草木.一時にやけつきぬ」(1435-03)とある通りです。
次に「唱へつたふる」とは化他であります。「唱え」とは自行であり「つたふ」とは化他であります。三大秘法抄に「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(1022-14)といわれるように、自行と化他の両方を兼ねそなえた実践でなければ、大聖人門下の正しい在り方とはいえないことを知っていただきたい。
一人立って唱え伝うる人に
また「唱へつたふる」を自行・化他に分ける意義については、御義口伝に、次のように照応しているのであります。
「御義口伝に云く涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり、本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり此れを唱と云うなり導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり」(0751―第一唱導之師の事―01)云云と。
「唱へ」は唱導の“唱”であり、「つたふ」は“導”に対応します。自ら唱えるとともに、これを一切の人々に伝え、導いていこうとする人こそ、地涌の菩薩といえるのであります。「未来も又しかるべし」いつの時代にあっても、絶対に変わらない根本原理が、これなのであります。
どうか、日蓮大聖人の御生命に直結し、牧口先生・戸田先生のご精神を継承した皆さん方も、おのおのの立場で、一人立って「唱えはじめ」「唱えつたうる」真実の地涌の菩薩であっていただきたい。
「一人立つ」とは、自分の家庭・職場・地域等、自分自身がかかわっている一切の世界で妙法の広宣流布に全責任をもっていくことです。最も身近な、そして、地味な活躍に真の仏法があり、広布があることを忘れないでください。御本仏・日蓮大聖人の御使いとして、今ここに、自分はいるのだと自覚することです。
どのような立場であれ、一人一人が自分自身だけの、他のだれとも交代することのできない人間関係をもっております。家族・職場、さまざまな友人関係等、すべてについて、必ずその人独自の世界を形づくっている。それが、妙法のうえからみれば、自身の本国土であり、自身の眷属であります。そこに、妙法流布の責任と資格をもっているのは、その人一人だけであるということです。ゆえに、一人立つという原理が大事なのであります。そして、おのおのの世界・本国土にあって、そこから立ち上がっていくのが「地涌の義」であります。
なお、この御文は、広宣流布は、必ず、民衆の大地から盛り上がって成就していくことを述べられたものです。広宣流布は、決して権力によるものではない。「未来も又しかるべし」の強いご確信の金言を深く拝すべきであります。
「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」大地を的とするとは、絶対に外れるわけがない。ということです。したがって、この御文は、必ず広宣流布し、日本のあらゆる人々が、日蓮大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経を唱える時がくるとの御確信であり、予言であります。「日本一同に」とは、あらゆる仕事にたずさわる人々ということです。
政治家も、教育者も、あらゆる職業の人々、家庭の主婦、学生も、すべての人々が妙法を信受し、仏法哲学を研鑽して、人生に価値を創造し、社会に貢献していくようになる。この総体革命の姿を「日本一同に」といわれているのであります。
ただし「日本一同に」といわれたからといって、日本だけに限って他の国へは弘めないということではありません。それは「一閻浮提に広宣流布して」と、法華経の文にも、大聖人の諸御書にも述べられていることから、明らかであります。
しかし、強い意識をもって広宣流布のために取り組んでいく対象は「日本」であるという御教示が、とくに「日本一同に」といわれるお言葉のなかに含まれているとも考えられます。その意味で、私どもとしては、日本の広宣流布こそ、世界の平和と人類の幸福のために、妙法の力が利益していく源泉であると確信していくべきであります。
広布革命に永遠の誇り
| 11 ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、 釈迦仏 12 多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、 定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の 13 令法久住の故なり、 既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、 妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦・多 14 宝の二仏大将としてさだめ給いし事あに・いつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり。 -----― ともかくも法華経に名をたて身をおていきなさい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空会において釈迦仏・多宝仏の二仏がうなずきあい、定められたことは別のことではない。ただひとえに末法の令法久住のためである。すでに多宝仏は半座を分けて釈迦如来に譲られたとき、妙法蓮華経の旛をさしあらわして、釈迦仏・多宝仏の二仏が大将として定められたことがどうして偽りであろうか。それは我々衆生を仏にしようとの御談合である。 |
信心の究極の姿勢は、法華経に名を立て、身をまかせることです。
「ともかくも」というお言葉に、一切を究められた日蓮大聖人の、無限の慈悲を感じます。このご心境は、痛いほど胸に迫ってくるのです。凡夫である私どもに対し、浅智や愚かさのために、退転していくことを強くいましめられているのです。
これに通ずる内容であろうが、戸田先生の「私の悩み」と題して、次のように書かれたことがあった。
「この私の悩みは、信心に強く立つものが少ないことである。また、初信の者が、大御本尊の威徳を信ぜずに、退転することである。これらの者は、なんと浅はかな者であろうか。清水のごとく、こんこんとわき出る功徳の味を、味わいきれずに、死んでしまうのである。なんと、かわいそうなことではないか。私の胸のなかには、キリで、もみこまれる思いで一杯である」と。
少々の人生の荒波に、敗北しゆくほど悲しむべきことはない。現代的にいえば、月へ行くにも軌道がある。その軌道をふみはずしたならば、永久に帰ってこられないのです。同じく、生命と宇宙の根本軌道というものがある。それをふみはずせば、永劫に闇の流転となってしまう。「ともかく」私の言っていることを信じて、法華経に身をまかせなさいとのご心境が、この「ともかく」の文字ではないでしょうか。
「法華経に名を立てる」とは、この妙法の広宣流布に生きることを、何よりの誇りとしていくことであります。それぞれの仕事において名を立て、信頼される人になっていくことは、もとより大事であります。だが、永遠の生命観に立った場合、最も根本的かつ永続的な栄誉とは、仏法の広布のために、どれだけの仕事をし、貢献したか、ということです。その栄誉のみが、時とともに永遠に輝いていくのです。
「法華経に身をまかせる」とは、わが人生の究極の依処を御本尊におくということです。それは具体的には、日々の勤行、広宣流布のための活動を実践しぬいていくことです。「法華経に身をまかせ」た人生ほど強く、偉大なものではない、宇宙大な法理の力の上に、わが人生においていくことになるからです。
仏法は“一人”のための哲理
なぜ「法華経に名をたて身をまかせ」るべきか、それを次の「釈迦仏多宝仏」以下に述べられております。
一言にしていえば、法華経の儀式と説法の目的は、末法の私どものためである、ということです。でなければ、仏法は空論になり、観念の世界の遊戯に終わってしまう。仏法究極の哲理といえども、所詮、私ども一人一人のために説かれたものです。
法華経は一度、読んでいただけば分かりますが、在世衆生の代表である声聞への授記のあと、法師品・宝搭品以下は、釈迦滅後の弘教をだれがするのかを主テーマに展開されております。
すなわち、宝搭品・提婆品での釈尊の諌暁 よびかけに応じて、勧持品・安楽行品で迹化の菩薩たちが名乗りをあげますが、湧出品で釈尊は「止みね善男子」と斥け、本化地涌の菩薩を召し出す。そして、この本化の菩薩についての弥勒菩薩たちの疑問に答えて、久遠成道の寿量の説法があり、神力品で本化への付嘱、嘱累品で総付嘱がおこなわれるのであります。
したがって、この一往の文上の流れでみれば、法師品のあとの宝搭品で多宝の塔があらわれ、釈迦・多宝の二仏並座のもとに行われた法華経の儀式は、地涌の菩薩に末法の妙法弘通の使命を託すためであったといえます。これが「唯ひとへに末法の令法久住の故なり」といわれている一往の義です。
これは、しかし、一往文上の辺であり、化儀の側面であります。再往文底から見れば、実はこのなかに、末法の衆生を成仏せしめるべき、末法流布の法体が明かされている。すなわち、家の設計図と家そのものとの関係のごとく、この法華経の二仏が多宝搭中に並座し、虚空会において「妙法蓮華経の旗を二仏が多宝搭中に並座し、虚空会において「妙法蓮華経の旗をさし顕し」「さだめ給」うた儀式が、“そのまま”三大秘法の御本尊のお姿をあらわしているのであります。この本文では「妙法蓮華経の旗」と言われているのがそれであります。
この御本尊こそ、末法に流布される法体であり、一切衆生を末法万年尽未来際にいたるまで即身成仏させる秘法であります。「末法の令法久住」の文の元意はここにあります。ゆえに「併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり」と仰せられているのであります。
すなわち、この御本尊こそ、八万法蔵の仏法の結論であり、法華経という宇宙根本の法理を事実のうえに作動させた当体であり、この大仏法のコースを歩んでいくならば、成仏は間違いないとわれているのです。
なお、御本尊の相貌に約していえば「妙法蓮華経の旗」とは、中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」を指し「釈迦・多宝の二仏大将として」が、その「左右にしたためられている仏界の代表を意味しております。
生命の姿表す「虚空会」
| 15 日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候に・すこしもくもりなし、又其の座にもや・ありけん凡夫なれば過 16 去をしらず、 現在は見へて法華経の行者なり 又未来は決定として当詣道場なるべし、 過去をも是を以て推する 17 に虚空会にもやありつらん、 三世各別あるべからず、 -----― 日蓮はその座には居合わせなかったが、経文を見ると少しの曇りもなく明らかである。またその座にいたのかもしれないが、凡夫であるから過去のことは分からない。しかし現在は明らかに法華経の行者であるからには、また未来は決定して当詣道場となるであろう。過去のことをもって推するならば、虚空会に居合わせたのであろう。三世の生命が別のものであるわけがない。 |
ここは、日蓮大聖人のお振る舞いが法華経に説かれている通りであり、したがって、未来は間違いなく仏であると、深いご確信を述べられたところであります。
示同凡夫のお立場ですから、この法華経の「虚空会」の儀式に、地涌の菩薩として、つらなっていたかどうか、という過去のことは分からない、ただ、経文を見れば、その時の様子はハッキリしているし、いまのご自分の振る舞いが「法華経の行者」として、地涌の菩薩の振る舞いであることも、だれ一人として否定できない事実の問題である。
したがって、このことから過去を推察するに「虚空会」にもやありつらん」 おそらくつらなっていたであろう、と仰せであります。
大聖人は、血脈抄あるいは、それに準ずるような御抄 たとえば三大秘法抄などにおいては、間違いなく霊山において付嘱受けた、等と言われておりますが、一般の御書では、あくまで、客観的に論じられております。
過去にどうであったか、いということは、凡夫の知ることのできない問題であって、いたずらにそういう論議をすると、かえって神秘主義におちいり、誤解させてしまう。本抄のように、経文にあるかどうか、その照合から、過去を推察する、このいき方は、今日の科学や実証的な歴史学のとる方法と相通ずるものといえましょう。
「三世各別あるべからず」 過去と現在が、まったく無関係で、バラバラであるわけはない、ということです。「過去の因を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」と、仏法は教えております。現在の、だれもが見ることのできる事実を根本として、そこから過去を知り、未来を知っていく これが仏法のいき方です。
日々の勤行・唱題のなかでの体得
その根底には、いかなる原因が、いかなる結果を生ずるかという、厳然たる法則性に対する透徹した眼がある。ゆえに、仏は三世を知っているとされているのである。決して神秘的な、超能力的なものではない。「仏法は道理なり」というご教示を深く胸に刻んでいただきたいものであります。
ここで、もう一つ申し上げておきたいのは虚空会の儀式ということです。経文の上では前にも述べたように、法華経の見宝搭品第十一から嘱累品第二十二まで、虚空に浮かんだ多宝搭中に釈迦・多宝の二仏並座し、大衆も皆、虚空に在住して説法が行われたことをいいます。
だが、これは三千年前のインドで、現実に起こった事実であるということは、とうてい納得できない。大勢の人々がそのままで空中に浮かぶということ自体、あまりにも非現実的であるし、多宝の塔についても、高さ五百由旬、タテ、ヨコ二百五十由旬と記されている。五百由旬とは計算の仕方によっても違いますが、小さい方でとっても、地球の半径の長さになる。
では、法華経に説かれていることは、空想の産物であって、ただの作り事にすぎないかといえば、それは大きい誤りであります。これをどのように考えるべきか、という問題であります。
端的にいえば、釈尊が自ら悟ったところのものを説くのに、虚空会の儀式という形でしか表現することができなかったがゆえに、このような超現実的ともいえる形式をとったのであります。戸田先生が、法華経の荘厳な儀式をさして「釈迦己心の儀式である」と言われたのは、この意味であります。
虚空会の儀式が、釈尊の悟ったものをあらわしえいるということは、虚空会の儀式自体が仏の悟りの当体、すなわち、法体をあらわしているということであります。この仏の悟りの法体を、釈迦は虚空会の儀式としてあらわし、天台は一念三千の法理として示し、日蓮大聖人は、御本尊として、末代幼稚の凡夫が、即座に、受持できるようにしてくださったのであります。
したがって、一往、大聖人はここで釈迦の法華経いついて論じられているので、「過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん」と仰せられておりますが、再往、その本義を拝すれば、御本尊を受持し、日々・勤行し、唱題していること自体、日々、虚空会につらなっているのであります。
さらに、生命論からいえば、わが生命そのものが虚空会であります。わが色心の作用を起こしている根源は、まさしく虚空であります。しかし、その虚空とは、たんなる“無”ではない。無限の創造性と力感に満ちみちた生命の場であります。
また、永遠の生命そのものが虚空会であります。霊鷲山会が、虚空会の儀式とあらわれたということは、まさしく、生命の永遠であることを、説こうとしたものです。
御本仏の境涯を吐露
| 17 此くの如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりな 18 しうれしきにも・なみだ・ つらきにもなみだなり涙は善悪に通ずるものなり -----― このように思い続けていると、流人ではあるが喜悦は測り難いものである。うれしいことにも涙を落とし、辛いことにも涙をおとすものである。涙は善悪に通じているものである。 |
法華経を身をもって読みきられた御本仏の絶対的な境涯を吐露された御文であります。
まことに日蓮大聖人の御文は、名文であります。読むたびに、私たちの胸中に、慈父の響きと、広布の大情熱が込み上げてまいります。しかも大聖人の文章は、いわゆる机上に作られた美文ではない。文は生命なり、文は境涯なり としみじみ痛感させられるのであります。
あの極寒の地・佐渡において、地獄のどん底と思われるようなご生活にあって、なお全宇宙をも包むであろう境涯で、お手紙をおしたためになる心境は語るすべもないはずです。
いにしえの天平時代より、江戸時代にいたるまで、一千余年間にわたり、佐渡へ流罪された人は、無数でありましょう。そのすべては、悲哀と激憤と苦痛と忍従と 更には呻吟の声が大地に刻まれてきたといってよいでしょう。しかし、ただ一人、澄み切った秋の青空のごとく、また陽光を浴びた春の大海のごとく淡々たるご心境で「喜悦はかりなし」と叫ばれた人がいるでありましょうか。世にいう哲人・賢人・文人の人々も、ひとたび悲惨な生活におかれるや、天を仰いでうらみを隠し、地に伏して嘆きを深くしたのであります。だが、最も悲哀のなかにあっても、最も強く生き切ったその人格は、まさしく生命の革命劇を歴史の上に燦たる光をもってとどめたものといえると思います。
この大聖人のご心境を深くかみしめながら何回も何回も繰り返しながら拝読し、私たちは大聖人の叫びを胸中に響かせていこうではありませんか。
「此くの如く思ひつづけて候へば」とは、法華経が、詮ずるところ、日蓮大聖人お一人のために説かれたものであった。ということであります。あの荘厳な虚空会の儀式、釈迦・多宝の二仏並座・十方分身の諸仏の来集等々すべて「末法の令法久住の故」であり「我等衆生を仏になさんとの御談合」であった。すなわち一往は上行再誕・再往は本地久遠元初の自受用身としての日蓮大聖人のために行われた儀式であり、諸仏の来集であった。ゆえに、これほどうれしく、ありがたいことはない、とのお言葉なのです。「なみだ」とは、崇高なる大感情の表現です。抑えても抑えられない、また外的条件がどんなであれ、それを突き破って湧きあがってくる偉大な感情の噴出を「なみだ」によってあらわされているのであります。
「流人なれども」 いま、大聖人のお立場は、流人という、まことに厳しく、辛いものである。これは相対的次元の幸・不幸の現象です。その次元では、この世で最も不安定な、不幸な姿であられる。しかし、内心の胸中に確立された境涯 絶対的幸福の次元では、この世のだれよりも豊かで、広大かつ不動の幸福を満喫されているのであります。
大願に生き実践する中に絶対的幸福
この相対的幸福と絶体的幸福という点について一言申し上げたい。
それは、絶対的幸福とは相対的幸福の延長戦上にあるものではない。ということです。これをもう少し分かりやすくいいますと、経済的に豊かになり、健康で、周りの人々からも大事にされ、等々の、一切の幸福の条件が満足しているのが絶対的満足ではないということです。
相対的には、いくら不幸であっても、絶対的幸福を確立することは、ありうる。逆に、相対的な幸福の条件とは、どんなに調っていても、絶対的幸福に程遠い人も少なくありません。具体的に幸福の条件をもっている人は、私どもの周囲をみれば、たくさんあるでしょう。仏法を信仰していない人で、私たちより幸せそうに見える人々がたくさんいるのは、この例です。相対的には不幸でも、絶対的幸福を確立した例が、いま、ここで述べられている大聖人の境涯なのです。相対的なものは、どこまでいっても相対的です。どんなに資産家であれ、有名人であれ、社会の変動によって、一夜にして貧乏のどん底に陥る場合も少なくありません。健康も、事故にあえば、一瞬にして重体となるでしょう、何もなくとも、次第に年をとってくれば、だれしも、さまざまな病気が出てくるものです。ゆえに、相対的幸福を形成しているものは自己と環境的条件との相関関係にすぎないのです。簡単な例でいえば、何かをたべたいという自己の欲望と、それに応対するご馳走が出てきたという環境的条件、このお互いの関係によって生ずるのが相対的幸福なのです。
これに対し、絶対的幸福とは、自分が心に決めた使命感、目的観と、それを実践しているという事実との間の関係で出てくるものであり、生活自体の充実感、満足感です。これは、有為天変する周りの条件で支配されるのでなく、自らの意思で決定できるのです。したがって絶対的となりうるのです。更に、これを掘り下げていえば、その自分の定めた目的観、使命感が、宇宙とともに不変常住の法に合致していることが、絶対的幸福の完璧なる要件であります。
したがって、無始以来、常住不変の妙法に直結し、広宣流布という自ら決めた目的観、すなわち、大願に生き、実践し抜く心にこそ、真実の絶対的幸福が築かれることを、どうか、皆さんは、強く確信してください。とともに、それこそ、人間として最も尊い生き方であることを、最大の誇りとしていっていただきたいのであります。
「如是我聞」は身読を誓った言葉
| 18 彼の千人の阿羅漢・ 仏の事を思ひい 1361 01 でて涙をながし、 ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、 千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・ 02 なきながら如是我聞と答え給う、 余の九百九十人はなくなみだを硯の水として、 又如是我聞の上に妙法蓮華経と 03 かきつけしなり、 今日蓮もかくの如し、 かかる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり、釈迦仏・多宝 04 仏・未来・日本国の一切衆生のために・とどめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、かくの如く我も聞きし故ぞかし、 -----― 釈尊滅後、釈尊の十大弟子の彼の千人の阿羅漢は、仏のことを思い出して涙を流し、涙を流しながら文殊師利菩薩が「妙法蓮華経」と唱えられると、千人の阿羅漢の中の阿難尊者はなきながら「如是我聞」と答えられたのである。余の九百九十人は、泣く涙を硯の水として、また如是我聞の上に「妙法蓮華経」と書きつけたのである。 今、日蓮も同じである。このような流人の身となったことも妙法蓮華経の五字七字を弘めたゆえであり、それは釈迦仏・多宝仏が未来の日本国の一切衆生のために留め置かれたところの妙法蓮華経であると、このように日蓮は聞いたのである。 |
ここは、経典結集のありさまを述べられているところですが「如是我聞」ということについて申し上げたい。この言葉は、あらゆる経文の冒頭にあり、その経文の骨髄を表した題目を受けて述べられた言葉です。
「是くの如く我聞きき」と読みます。私は釈迦の説法をこのように聞いたという意味です。
文殊師子が妙法蓮華経と唱え、阿難が如是我聞と答え、他のすべての人が妙法蓮華経如是我聞と書きつけたということは、そこにいたすべての人々が、釈迦の説法の真髄は妙法蓮華経であり、妙法蓮華経を如是我聞したと一致して述べたということです。
この如是我聞ということは、ただ単に聞いたというような簡単な言葉ではない。もっとずっと強い主張がこめられています。天台は法華文句で「我聞とは能持の人」であると述べている。つまり「仏法の教えの真髄はこうだと私は確信する。したがって、この経文の通りに仏法を実践し、身をもってこの経文を証明していきます」といった決意が込められた言葉です。
日蓮大聖人も「釈迦仏・多宝仏・未来・日本国の一切衆生のために・とどめをき給ふ処の妙法蓮華経なり」と如是我聞されたと仰せられております。ゆえに妙法流布のために、種々の大難を受けて法華経を証明され、末法万年の一切衆生のために御本尊をお遺しくださったのです。
この大聖人の仏法を、私たちのためにとどめおかれた人間革命と世界平和の根本法であると如是我聞されたのが近代においては、正しく牧口初代会長であり、戸田第二代会長です。如是我聞されたが故に、広宣流布ために死なれ、生き抜かれたのであります。これこそ創価学会の真髄中の真髄であることを生命に刻み、染めていただきたいのであります。
更に、釈迦なきあと、文殊師利・阿難はじめ、弟子たちが涙をながして、仏の教えを繰り返し、涙をもって経文に記したということは、仏の大慈悲に対する無量の感慨を表しております。そして、この弟子の大感情が、仏法を未来へ流れ通わしめる原動力となったということでもあります。
大聖人もまた、釈迦・法華経に対する報恩感謝と、一切衆生の大慈悲の涙をもって、末法万年弘通の大白法を建立されたのです「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(0329-03)と仰せらえているのは、この意味であります。
私どももまた、御本仏日蓮大聖人が忍ばれた苦難に、心から報恩感謝を申し上げ、偉大な仏法に巡りあえた大歓喜をもって、仏法を語り、未来へ、全人類に流れ通わしめていこうではありませんか。
誇らかに大難即成仏の実践を
| 05 現在の大難を思いつづくるにもなみだ、 未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、 鳥と虫とはなけどもな 06 みだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、 此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり、若しか 07 らば甘露のなみだとも云つべし、 涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にはかれて流すところの涙は四大海の水より 08 もををしといへども、仏法のためには一滴をも・こぼさずと見えたり、 -----― 現在の大難を思い続けるにも涙があふれ、未来の成仏を喜ぶにつけても涙が止まらないのである。 鳥と虫とは泣いても涙を落とすことはない。日蓮は泣かないが涙がひまないのである。しかしこの涙は世間の涙ではない。ただひとえに法華経のゆえの涙である。もしそうであるなら甘露の涙ともいえよう。 涅槃経には「父母・兄弟・妻子・眷属に別れて流すところの涙は四大海の水よりも多いが、仏法のためには一滴をもこぼさない」と説かれている。 |
「現在の大難」とは、佐渡流罪です。一つにはつらい。しかし再往、この大難は法華経の行者として受けている大難である。「未来の成仏」は、現在こうして法華経の行者であることからも、絶対に間違いない。いずれにせよ、それを思うにつけ、涙がとめどなく溢れてくるとの仰せです。「現在の大難」が、即「未来の成仏」を決定づけるとの御金言です。深く味わうべきでありましょう。大難即成仏となるのです。われわれ人間革命の前途は、幾多の苦難の連続であるかもしれません。しかし、その苦難の戦いのなかに、即、成仏があることを知るべきであります。
ひるがえって、創価学会の歴史は大難の歴史でありました。ゆえに、如来の使いとしての、使命の座が決まったのです。今日、だれびとが法華経のゆえの大難を受けてきたでありましょうか。今や宗教界は、欺瞞と堕落と保身ばかりであるといってよい。ただ、この御金言を拝しただけでも、いかに創価学会が大聖人の生命をいまに呼吸している。仏意仏勅の団体であるかが明白であります。
御書にいわく「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(1182-01)と。つまり大難を忍び、大難を乗り越えて戦う人は、如来と同じ資格をもっているとの御指南であります。この一節を拝するたびに、私の心は躍り、いやまして偉大なる使命感に燃え立つのであります。私どもは、革命をやっているのであります。宗教利用の遊戯ではない。真実に大聖人の仏法を証明できるかできないか 三世十方の諸仏・菩薩の照覧のもとに、この宇宙に彌漫する魔との決戦を行っている。そこには、いささかの怠惰も後退も許されない。これからどうか、この仏勅の御言葉のままに、何ものにもだまされず、紛動されずに、私とともに朗らかに、凛々しく、この決戦譜を我が楽譜にしながら、永遠の歴史をつくりあげてください。
涙は、奥深い心の思いを表すものです、この一つを取ってみましても、日蓮大聖人がどれほど甚深無量の思いで一瞬一瞬を過ごしておられたかが推察されるのであります。
「鳥と虫とはなけどもなみだをちず」鳥や虫は、さまざまな音色で鳴き、その幾種類は泣き声で有名です。しかし、そこには鳥自身・虫自身の深い思いといったものはない。「日蓮は・なかねども・なみだひまなし」大変、有名な御文ですが、この一節こそ、御本仏日蓮大聖人の大慈悲を表しているところです。
「此のなみだは世間の事には非ず但偏に法華経のゆえなり」と述べられていますが、日蓮大聖人のなみだは、つらいとか、苦しい、悲しいといった世間のことで流す涙ではない。ただ法華経を流布して末法万年の一切衆生を救おうとして流すなみだである。「若ししからば甘露の涙とも云つべし」甘露とは、中国古代の伝説で、理想的な世の中で天から降らせる甘い露といわれ、そこから、あらゆる人間の苦悩をいやし、不老不死をもたらすとされています。日蓮大聖人の流される涙が三大秘法の大御本尊と結晶し、人々の生命をうるおし、悩みを除き不老不死の生命を与えてくださっていることは、私どもが身をもって知っている事実であります。
涅槃経の文は、三世の生命観のうえから、我々が永遠の生命の流転のなかにあて、世間のことでは、いやというほど涙を流すけれども、仏法ゆえに涙を流したことは一度もないというのです。これは仏法に巡りあうことがいかにむずかしいか、たまたま巡りあっても、真実の大信仰を起こす人が、いかにまれであるかを述べたものです。
日蓮大聖人の御一生は、仏法ゆえの涙の連続であられた。私どもも、仏法のために涙する尊い一生を送ろうではありませんか。
法華経の行者となるは過去の宿習
| 08 法華経の行者となる事は過去の宿習なり、 09 同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし、仏なりとも権仏となるは又宿業なるべし。 -----― 法華経の行者となることは過去の宿縁である。同じ草木であっても権仏となるのはまた宿業なのである。 |
いまこうして法華経の行者、実践者になったということは、今世において、たまたま法華経に巡りあったといった浅い縁ではない。過去世において法華経を行じていたが故に、その宿習によって、今また法華経の行者になっているのだと仰せです。
例えば、非情の草木であっても「仏とつくらるる」 御本尊とつくられる草木もある。牢獄の格子となる草木もある。宿縁なりと表現されたのは、草木の場合、自ら意識し、働きかけることはありません。
どういう人に巡り会うかという、それ自体に宿した縁によって、何になるか、つくられるかという、それぞれの立場を表してくるのです。
すべて、過去・現在・未来にわたる因果の理法で、一つの結果には、必ずそれをもたらす原因がある。同じ仏といっても、小乗教の仏もあり、権大乗経の仏もあるというように、皆、使命が違う。仏としての力が違う。これも全部、宿業、すなわち過去世における行為によってもたらされたものであるということです。
私どもは、今、このように日蓮大聖人の本眷属として、南無妙法蓮華経の広宣流布に励んでいます。たとえば、淡雪は太陽の光にたちまち解けてしまう。蜃気楼もまた、すぐに消え去るでありましょう。根無し草の波の間に間にただよう姿も、あまりにも不安定であります。有為転変の無常の人生のなかに、埋没しゆく生き方は、なんと弱く、幻のごとく、はかないものでありましょうか。
有名の二字に酔いしれた人の、ひとたび名聞の皮がはがれたあとのみじめな姿、権力の座から一転して脱落していった人のなんと小さな、一瞬の“修羅のおごり”のごとき姿などを見るたびに、その根の浅さ、底の浅さがあまりにも悲しい。これらの有為転変の、無常の諸法の底流を流れる、妙法の淵源に、我が身をすえた人生こそ、最も光輝に包まれたものである、と確信すべきでありましょう。
我が本地は地涌の菩薩なり、との自覚に立たれた戸田先生の叫びのなかに、無量の恩師の思いが、私の胸にこだましてくるのである。
私どももまた、こうした自身の使命、本地に目覚めれば、無限の力がわいてくるはずです。私が頂戴した戸田先生のお歌に「古の奇しき縁や萌え出でて咲けや雄々しく大和桜と」という一首があります。今日の創価学会を築いてきた先輩たちは、皆「古の奇しき縁」を強く自覚して戦ってこられました。
皆さんも、今こうして、地涌の創価の一員として戦っていくことは、過去の宿習であると決めて、自己の使命を果たすため、出世の本懐をとげるために、しっかりと戦ってください。そこにのみ、所願満足の人生があることを確信していただきたい。
「行」「学」の中に仏法
| 10 此文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし、一閻浮提第一の御 11 本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、 行学の二 12 道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく 13 候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 14 五月十七日 日蓮花押 -----― この手紙には日蓮が大事な法門を書いておいた。よくよく読んで理解し、肝に銘じていきなさい。一閻浮提第一の御本尊を信じていきなさい。あひかまへえて・あひかまえて信心を強くして釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の三仏の守護をうけていきなさい。 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法ではないのである。我も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心より起きてくるのである。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 五月十七日 日蓮花押 |
「日蓮が大事の法門」ということについては、講義の最初で述べた通りです。仏法の肝要であり、末法流布の大法は何かということ、大聖人が末法の御本仏であること、更に大聖人の弟子の信心の在り方はいかにあるべきか等、まさしく大聖人の仏法の大事が凝縮されております。ゆえに「よくよく見ほどかせ給へ・心得させ給うべし」と念を押されているのです。
「よくよく見ほどかせ給へ」とは、深く理解していきなさいということです。「心得させ給うべし」とは、生命に刻んで、この御書通りの振る舞い、実践をしていきなさいとの御教示です。「一閻浮提第一の御本尊」です。大聖人の仏法が一閻浮提第一であり、大御本尊が、その肝要中の肝要であることは、絶対に間違いありません。あとは我々の信心です。ゆえに「あひかまへ・あひかまへて・信心つよく候て」です。
信心は成り行きで、いつか深まってくるものではない。「あひかまへて」とは、発心をしなさいということです。何があろうとも、よし、これを転期に御本尊根本に一歩前進していこうという、勇敢な信心が大切です。その信心のあるところ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護が、厳然と働きを表してくるのです。
自身にあっては、仏界の湧現という最も根底的な生命の変革がなされるというのが、釈迦仏の守護にあたります。功徳に満ちあふれた生活の実証が多宝如来の守護です。十方の諸仏の守護とは、周囲の人々が正法に目覚め、相互に尊敬しあっていく理想的な人間共和の社会が出現するということです。
生きよう折伏弘教の尊い生涯
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」以下は、しっかり暗記していただきたい。この御文の「行学」ということについては、さまざまな機会に申し上げてきました。それでここでは、ただ一点だけ申し上げておきます。
それは「行学たへなば仏法はあるべからず」ということです。仏法は行学のなかにある。行学の実践をする人間の振る舞いのなかにあるということです。経文や、書物や、文字のなかにあるのではない。お寺や建物の中にあるのでもない。仏法は、御書を学び、大聖人の教え通りに実践する一人一人の生命のなかに表れるのです。その仏法の大運動を展開している創価学会の、人間と人間、信心と信心の練摩向上の組織のなかにこそ、現実における仏法直結の脈搏があることを知らねばなりません。
「我もいたし人をも教化候へ」自行化他の信心です。自分だけ信心していればよいというのは、大聖人の仏法の本格派の実践者ではない。自分も幸福になり、人をも幸福にしていくのです。
「行学は信心よりをこるべく候」行学の基となるのは信心です。逆にいえば、信心は必ず行学と表れる。この信・行・学の三つが、創価学会の基本路線であることは、総会でも述べた通りです。
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」随力演説で、自分の境遇で、自分の全力を出して折伏し、一文一句でも、仏法を語っていきなさいということです。
“一切衆生を救う”との大確信
| 15 追申候、日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ 16 不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身 17 に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華 18 経と唱へて日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬ 1362 01 か、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う、此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等か 02 きつけて候ぞ、とどめ畢んぬ。 03 最蓮房御返事 -----― 追申を申し上げる。あなたには日蓮の相承の法門を、前々から書き送っている。 ことに、この手紙には大事の法門を記しておいてある。日蓮と貴辺とは不思議な契約があるのであろうか。六万恒沙の上首の上行等の四菩薩の変化であろうか。さだめて故あることであろう。 総じて日蓮が身にあたる法門を差し上げている。日蓮はあるいは六万恒沙の地涌の菩薩の眷属であるかもしれない。 南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を導かんと思っているがゆえである。法華経従地涌出品第十五みは「一名上行乃至唱導之師」と説かれているではないか。 あなたにはまことに深い宿縁によって日蓮の弟子となられたのである。この手紙を心して秘されよ。日蓮が己証の法門等を書き記したのである。以上をもってとどめる。 最蓮房御返事 |
冒頭の部分については、講義の最初にふれておきました。最蓮房に対しては、生死一大事血脈抄、草木成仏口決、祈禱抄ずいぶん重要な法門をしたため、与えられております。なかでもこの諸法実相抄は、最も肝要な法門をしたためた、と仰せです。
そして、こうしてみると、あなたもずいぶん不思議な人であると仰せです。末法御本仏である日蓮大聖人の身に当たっての法門、御本仏のご境涯、実践をそのまましたためた御書をいただいている。きっと、地涌の菩薩の一員として、末法広宣流布に重要な使命を担っている人であろうということです。
「日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん」とは、ご謙遜のお言葉です。この背後には、外用は「一名上行乃至唱導之師」であり、本地は久遠元初の自受用身如来であり、末法の御本仏であるとのご確信が込められております。
「南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を・みちぶびかんとおもへばなり」日本国と仰せでありますが、意は一閻浮提であり、未来永遠の衆生です。末法において南無妙法蓮華経によって、一切衆生を救わんとされた方は、日蓮大聖人しかおられない。ゆえに、大聖人が地涌の棟梁であり、末法の御本仏であられる。
「まことに宿縁のふところ世が弟子となり給う」重ねて宿縁のふしぎについて、使命の自覚を促されております。
最蓮房に与えられた他の御書に、次のような一節があります。「只今の御文に自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不審に覚へ候」(1342-04)すなわち、最蓮房が日蓮大聖人にお手紙を差し上げて「これから以後は、これまでの邪師をすてて、ただひたすら日蓮大聖人を正師とたのんで、仏道修行に励んでいきます」と誓いの言葉を述べたのです。これに対して大聖人は「不審に覚え候」あなたは、おかしなことをいいますね、といわれている。
なぜ、このように言うのかということについては、続いて述べられているのですが、要約すれば「あなたとは、もともと師弟だったではないか。今初めてのちぎりではない。偶然の巡りあいではない」と述べられているのです。
実は、この「不審に覚え候」ということに重大な仏法の意味があります。最蓮房の表現は、表面的・常識的に考えれば、当然すぎるほど当然なのです。しかし、大聖人は三世にわたる、仏法の達観の上から深く掘り下げられて、仏法の師弟を論じられたのです。
私どもの立場においていえば、今世においてたまたま大聖人の仏法に巡りあえたと思うべきではないのです。もともと日蓮大聖人との師弟のきずなによって結ばれた私たちなのです。私たち仏法兄弟も、また久遠よりの同志であり、兄弟でありました。それが、さまざまな姿、形をとりながら、この世に再び集い来って、広宣流布へと使命の道を歩んでいるのです。
更にいえば、久遠は今にあり今は久遠であります。故に、現在に久遠の契りを結ぶ我らは、永遠に仏法兄弟の道を歩んでいくことを自覚したい。
先の御文にも「三世各別あるべからず」とありましたごとく、現在の姿は久遠を映しだし、未来の私どもの姿を、生命の鏡に浮かばせていることを確信します。
故に、ともどもに尊敬しあい、学び合い、励ましあい、異体同心の輪を広げていこうではりませんか。
したがって、皆さん方も「まことの宿縁のをふところ創価学会員となり給う」です。それだけの力があり、それだけの責任があります。「この世で果たさん使命あり」です。「此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ、とどめ畢んぬ」「秘し給へ」とは、一つには、当時の人々には大聖人の仏法の真髄が分からない。いたずらに不審を起こさせてはならないとの御配慮からです。またしっかりと生命に刻み、とどめなさいということであります。
「己証の法門」大聖人の己心に悟った法門を書きつけた重書であることを、最後に述べられて、本抄を終わらせております。
1360:06~1360:11 諸法実相抄2013:11大白蓮華より先生の講義top
| 06 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、 日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意なら 07 ば地涌の菩薩たらんか、 地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より 08 来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、 皆地 09 涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人 10 と次第に唱へつたふるなり、 未来も又しかるべし、 是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南 11 無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、 -----― このたび、信心をしたからにはどんなことがあっても、法華経の行者として生き抜き、日蓮が一門となりとおしなさい。 日蓮と同意であるならば地涌の菩薩であろうか。地涌の菩薩であると定まっていつならば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのはこのことである。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女の分け隔てをしてはならない。皆、地涌の菩薩が出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。そればかりか広宣流布のときは日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。 |
平和と人間の世紀へ!地涌の使命と創価の大行進
「地涌」なんと力強い、なんと生き生きとした、なんと自由でダイナミックな生命の息吹に満ちた言葉でしょうか。
「地涌」なんの虚飾もなく、それでいて、なんと誇り高いひびきでしょうか。ありのままの人間の底力が迫ってくるではありませんか。
「地涌」ここにこそ、私たち「創価学会の使命」の出発点があります。
今や世界192ヶ国・地域で、地涌の宝友が妙法の旗を高く掲げ、喜々として活躍しています。
民衆が、尊き広布の使命と自身の底力に目覚めて、あらゆる壁を破り、前へ前へと進む、あの誇らしげな足取り!
正義に燃えた青年たちの勢い!
清新な乙女たちの花の乱舞!
朗らかな母たちの輝く笑顔!
不屈な父たちの力強い足音!
未来を担う少年少女たちの弾んだ声!
南北アメリカでも、ヨーロッパでも、ロシアでも、アフリカでも、“仏教誕生”のインドをはじめとするアジアでも、オセアニアでも、創価の大行進は、まさに、我らの住む全地球が舞台となりました。
御聖訓に云く、「日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し」(0508-03)と。
仏法の人間主義の太陽は天空に昇り、世界を燦々と照らし始めました。創価の未曾有の前進によって、「仏法西還」は現実のものとなったのです。
「世界広布の新時代」へ
1998年年頭、私は古稀を迎えた心境を吐露するなかで、自分の80歳までの人生の決意と展望として、「世界広布の基礎完成なる哉」と綴りました。
そして広布誓願の大聖堂が完成し、全同志が新たな前進へと歓喜勇躍しゆく時を迎えました。今、威風堂々たる広布の基盤は完璧に出来上がり、いよいよ、世界広布の第二幕の出発が力強く始まったと、私は宣言したいのであります。
世界広布への新時代へ。この時にあたり、私は皆さまと「諸法実相抄」の一節を共に拝し、新たな広布開拓を決意しあいたいと思います。そこで、今月は講義というよりも、少人数で御書を学び、懇談するような思いで随想的に綴らせていただきます。
今回拝したい御文は「広宣流布」を遂行しゆく地涌の菩薩の大使命を高らかに宣言された、あまりにも有名な御文であります。
学会が「地涌の義」を実現
創価学会は、この御文を寸分も違わず実践してきました。
日蓮大聖人は仰せです。
この度、信心をしたからには、いかなあることがあろうとも、「法華経の行者」として生き抜き、「日蓮が一門」との最高の誉れの人生を歩み通していきなさい、と。
私たちは、ひとたび決めたこの道を、誇り高く厳然と進んできました。そして「日蓮と同意」すなわち大聖人と同じ心で広宣流布に戦う人は「地涌の菩薩」であり、「釈尊久遠の弟子」にほかなりません。私どもも、何ものも断ち切ることのできない、永遠の生命の絆で結ばれた宿縁の師弟として、共に広宣流布の誓いに生き抜く同志であります。
まさに創価学会は、「日蓮と同意」のままに、大聖人の御遺命である広宣流布実現へ、不惜の行動を貫いてきました。
しかも、妙法五字を弘める地涌の大使命にあっては「男女をきらふべからず」と仰せの如く、男女の分け隔てなど、いかなる差別もなく、万人が平等に尊い地涌の活躍の舞台を現出いたのです。
そして、「はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきた。未来もまたそうであろう」と、未来永遠への広宣流布の方軌の通りに、戦ってきました。
「一人立つ精神」こそ、万代にわたる創価の根本の魂であり、骨髄です。恩師・戸田城聖先生は青年に呼びかけられました。「青年よ、一人立て!二人は立たん、三人はまた続くであろう」と。
先駆の一人がいれば、「二人・三人・百人と次第に」広がっていくことは、もはや、世界の各地で我が同志が実証してきた通りです。いずこの地にあっても、一粒種から広布が始まり、一人また一人と、地道に粘り強い拡大によって、今日の大潮流が築かれたのです。そして何よりもこのパイオニアの魂は、青年たちに間違いなく受け継がれています。今、世界の地涌の青年たちは、「お任せください。私たちの国の広宣流布は私たち青年部が実現していきます」と、意気軒昂に弘教の先駆を切っています。
なんと素晴らしき時代でしょうか、なんと偉大な宿縁深き青年たちでしょうか。
まさしく、大聖人の「地涌の義」を、創価学会が証明したのです。「未来も又しかるべし」とは、創価学会の出現を予言された御文であると私は確信してやみません。
弟子が師匠の正義を宣揚
この「諸法実相抄」の一節には、法華経涌出品の「私は、久遠より、これらの菩薩たちを教化してきた」との経文が引用されています。
師と弟子とは久遠からの絆で結ばれていることを明かし、本門の極説たる寿量品を説く契機となる重要な一節です。
ここで、この意義を明確にするためにも、あらためて地涌の菩薩が登場した涌出品の流れを確認しておきたい。
法華経の本門は、仏の滅後、この娑婆世界において法華経を説き弘める者は誰かを明かすところから始まります。
最初に、“お許しいただければ、自分たちがやりましょう”と迹化の菩薩たちが決意します。ところが釈尊は、この申し出を厳しく退け、“実は、ここ娑婆世界に直弟子が六万恒河沙等の菩薩がいる”と明かします。
その言葉を合図としたように、大地を破って無数の菩薩たちが出現します。
この六万恒河沙の菩薩は、皆「大衆の唱導の首」であり、おのおのが「六万恒河沙等の眷属を将いたり」等と説かれています。その数は、地球上の全人口どころか、まさに天文学的な計算不可能の数だといえましょう。
この「涌出」については、漢訳の写本や刊本によっては「踊出」すなわち「踊り出た」と書かれています。
ところで、突然の地涌の菩薩の出現に、他の菩薩たちは動揺し、疑問を生じます。
末だかって見たことも聞いたこともない、この菩薩たちは何者なのか、そしてこの無数の弟子たちを教化してきた師匠は、どれほどすごい存在なのか。
弥勒菩薩が皆を代表して発した問いへの釈尊の答えが、先ほど拝した「我久遠より来かた是等の衆を教化す」との言葉です。
法華経では、さらに寿量品に至って、釈尊は始成正覚という迹を開いて、久遠成道という本地を顕すのです。これが釈尊の「発迹顕本」です。
ともあれ、地涌の菩薩という偉大な弟子の出現が、師匠の本当の偉大さを明らかにする契機となっていくのです。
ここで、あらためて創価学会の原点は「地涌の自覚」にあったことを強調しておきたい。
先師・牧口常三郎先生の行動そのものが、地涌の菩薩の実践でした。そして、戸田先生が「我、地涌の菩薩なり」と、戦後の荒野に一人立ち上がって、学会中に大聖人の仰せが脈動し、日本の広宣流布の道が開かれ、今や、世界中に地涌の陣列が築かれたのです。
広宣流布は創価の使命
1942年5月、牧口先生は創価教育学会総会の席上、「我々国家は大善に導かねばならない。敵前上陸も同じである」と師子吼されました。国を挙げて狂気の戦争に暴走していた中のことです。
「敵前上陸」とは、牧口先生のお話の趣旨によれば、仏法に全く無理解な社会の渦中に飛び込み、堂々と折伏することを意味していました。
すなわち、一人一人と勇敢に対話し、仏法の正義と自己の信仰体験を語りに語っていくことであったのです。
その粘り強い折伏で正法をひろめていってこそ、「家庭を救い社会を救い、そして広宣流布に到るまでの御奉公の一端も出来ると信ずるのであります」と宣言されているのです。
牧口先生は、軍部政府の弾圧で逮捕・投獄された後の獄中でも、取調官の尋問に対して、“広宣流布とは、末法の濁悪の時代思想を妙法の真理によって浄化することである”と、厳然と答えられています。
先生は、「広宣流布」を創価の使命として深く覚悟されていたのでありましょう。
その牧口先生が、逮捕直前の春ごろから、弟子たちに口癖のように語られたのが、「学会は発迹顕本しなくてはならぬ」という言葉でした。
牧口先生の言われた学会の「発迹顕本」とは、どんな意味だったのでしょうか。
同じ獄中にあって、それを身をもって自覚されたのが、戸田先生です。
「創価学会の歴史と確信」
戸田先生は1951年第2代会長に就任されて間もなく、大論文「創価学会の歴史と確信」を発表されました。そこには、不滅の学会精神が綴られています。
「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります。
これが1945年7月3日、殉教された先師の心を受け継いで出獄された戸田先生の確信でありました。
しかし、その自覚は、戸田先生一人の胸中に留まり、その心を知る弟子も少なく、いまだ「学会自体発迹顕本」には至らなかったといわれています。
その後、戸田先生は、自らの事行の危機や理事長職の辞任など苦難を乗り越え、第2代会長に就任されました。そして、学会は生まれ変わりました。先生は記されています。
「こんどは学会総体が偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始」したことを、そして「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心にいては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である」との確信をもって、広宣流布のために不惜身命で戦い抜く覚悟であることを。
この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫しつつある。これこそ発迹顕本であるまいか」
我らは地涌の菩薩なり!広宣流布は我らの手で!この師弟共戦の使命と誓願に、全学会員が総立ちとなったのです。
私も、この師の心をわが心とし、師の誓願をわが誓願とし、獅子奮迅の力で、猛然と戦い抜きました。一番困難な戦いに挑み、広布の道なき道を切り開いてきました。
そして、共に広布に戦う宝の人材を、一人また一人と見つけ、育み、励まし、壮大なる民衆の連帯へと糾合してきたのです。
わたうども二陣三陣つづきて
法華経の涌出品に明瞭に説かれているように、末法の広宣流布のために上行菩薩が出現なされるのであれば、その尊き大使命を分かち持つ無数の地涌の菩薩たちが、陸続と躍り出てこないはずはありません。
御聖訓には「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」と御断言であり、さらに「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(0910-18)と仰せです。
大聖人自身が先駆けられ、「弟子たちよ、二陣三陣と続いて立ち上がりなさい」と励ましてくださっているのです。
地涌の菩薩が活躍する本舞台は、娑婆世界と決まっています。苦悩を堪え忍ばねばならないばねばならない堪忍世界とも呼ばれます。この苦悩に満ちた現実に生きる一切衆生を救済するためにこそ法華経が説かれたのです。
ところが、舎利弗など釈尊在世中の直弟子たちは、法華経迹門で成仏の記別を与えられた大恩があるにもかかわらず、いざ仏滅後の弘教を誓う段になると、娑婆世界を嫌って、他の国土で法華経を弘めると言います。
言い換えれば、それほど末法の娑婆世界で法華経を説くことは難事なのです。経文に明白な通り、三類の強敵など、ありとあらゆる大難が必定であるからです。
この大難の嵐に負けず、広宣流布の戦いを続けられるのは、久遠の仏と一体不二で修行してきた地涌の菩薩しかないのです。
大聖人は、地涌の菩薩の偉大な使命に触れられ「能く能く心をきたはせ給うにや」(1186-07)と言われています。
創価学会出現の奇跡
「時」をいえば悪世末法、その「国土」をいえば娑婆世界が、地涌の菩薩の使命の舞台です。一番大変な条件を選んで、一番苦しんでいる民衆のために“今ここで戦う”と立ち上がったのです。
仏法は「願兼於業」を説きます。
人々を救うために自ら願って困難なところに生まれたのであると、受動的な人生から自発能動の人生に転換するのです。自らの誓願で「宿業を変える」のです。
久遠の使命の自覚によって、新たな自分に生まれ変わる。自身の発迹顕本をして、本当の自分の力を解き放つのです。
地涌の生命に目覚めた人に、何も恐れはありません。多くの人を救う使命に立てば、勇気も湧くし、力もでる。
なんと不思議な宿縁でしょうか。
なんと偉大な誓願でしょうか。
私が何度も対話したキルギスの作家アイトマートフ氏が、かって熱く語っていた言葉を忘れることはできません。
「この人間の世界には、憎悪がたえないのでしょうか。人々はいつも敵を探しています。互いが敵であると感じるように強いられています。
また、『対話』を拒否して、自分だけが正統であると主張し、他の善き人々をも一切認めないという独善的な行動も多い。
同胞同士で戦い、自然を破壊し続けているような闇の世界です。
こうした、苦悩に満ちた『現実』を背景とした、現代のユートピアともいうべき、この理想的な団体、創価学会は出現しているのです。それは、にわかには信じがたいことかもしれません」
さらにアイトマートフ氏は、「学会は確固たる信念のうえに、柔軟性をもって、地球のすみずみにまでもヒューマニスティックな光を広げておられます。学会は他を『破壊する』のではなく、他を『生かし』ながら、『共鳴の輪』を広げているのです」と讃えられながら、こう断言されたのです。
「戦争や衝突、流血の続く、そうした人類の流転史のなかに、学会は出現したのです。これは大変なことです。人類の希望です」
地涌の使命は、あまりにも大きい。あまりにも崇高です。民族や人類、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命、人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを「地涌」というのです。
いかなる人も尊極の生命の当体です。互いに励まし合い、尊敬し合いながら、今この地上に生きる仲間として、自他共の無間の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある。偉大な使命があるのです。
その使命に生きることを誓って現実社会に躍り出たのが、私たちなのです。
20世紀の「民衆の大行進」
民衆の大行進。それは人類の歴史にあって、しばしば変革の大きなうねりとなってきました。
20世紀、植民地支配下のインドにあって、人民の独立運動を大きく前進させる突破口となったのは、マハトマ・ガンジーとその直弟子たちが先頭に立った「塩の行進」です。そこから全インドの民衆に勇気の波動が広がっていきました。それは1930年、奇しくもわが創価学会の誕生と同い年のことであります。
また1963年、アメリカの歴史を動かした公民権運動の「ワシントン大行進」から、今年は50周年にあたっています。
25万人が集ったといわれるその「威風堂々と林立した」民衆の大行進の姿を、運動の指導者であったマーチン・ルーサー・キング博士は生き生きと描いています。
「途方もない数の大群衆それ自体が、このうえなく崇高な運動の躍動する心臓部であった。それは銃をもたない軍勢であったが、そうかと、いっても、決して力なき集団ではなかった」
その集団は、あらゆる階級や職種をも超えさらにあらゆる信条さえも超えて、「ただ一つの理想に結ばれて集ったのであった」
次元は異なりますが、私どもの創価の広宣流布運動は、世界中から地涌の菩薩を呼び出し、大いなる平和と希望のうねりを広げゆく「民衆の大運動」ともいえましょう。
「大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき」(1300-大悪大善御書-01)と悠然と宣言なされた御抄にはさらに「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(1300-03)と仰せです。
地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩は、舞を舞うが如く大地から勇んで踊り出てきたとも言われています。しかも、この上行菩薩一人だけではありません。「同時に涌出せり」です。無量無数の地涌の菩薩が一緒に躍り出たのです。
法華経には、虚空会の一座の人々が、地涌の菩薩が無量の国土の虚空に遍満する姿を見たと説かれています。自由で、快活で、しかも整然と、そして壮大な舞台で。それは、まさに、歓喜また歓喜の波動が広げる「地涌の大行進」です。
目の前の「一人」を励ます
法華経神力品には、釈尊から別付嘱を受けた上行菩薩の姿が説かれています。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて、能く衆生の闇を滅し」
牧口先生も、御書に引用された、この一節に力強く線を引かれていた。
地涌の菩薩は、赫々たる勇気の大光です。
孤独で不安な夜を歩む友の前を、温かく照らすのです。
絶望の涙を拭い、その眼前に希望の光を送るのです。無明の闇を破り、慈悲と智慧の光明で生命を照らすのです。
ここで「衆生の闇」といっても、それは、抽象的な話ではありません。今、現実の目の前の「一人」の闇を照らすかどうかです。
この一人と向き合い、その一人に生きる希望と勇気を与え、自らの人生の幸福を開く原動力となる宗教かどうか。眼前の一人を蘇生させることが、世界宗教の根本条件です。
「一人を手本として一切衆生平等」(0564-13)ここです。これを創価学会は、この地球のここかしこで証明してきたのです。
19世紀イタリアの思想家・革命家のマッツィーニは、どこそこに「正しい人間がいる」という噂を耳にすると、鋭く問い返したといいます。「彼によっていくたりの人間が救われたのか」と。
確かに、行動が伴なわないで、どうして「正しい人間」などといえるでしょうか。マッツィーニは「諸君がそれを行為に体現するのでなければ、思想は何の役に立とうか」とも言いました。
全世界に地涌のスクラムを!
また、私が対談したアメリカの思想家ノーマン・カズンズ氏は、慈悲とか博愛といっても、具体的には、「まず手をさし伸べて、一番近くにいる人の手を握ってやればいいのだ」と言われていました。
創価学会の運動は、あらゆる壁を越えてきました。国境や社会体制の違いも、民族や言語の違いも、イデオロギーや思想的背景の違いも、さらに性別や年齢、社会的な階層や地位、職業の違いも、そして病気やさまざまなハンディキャップの有無を超えて、「現在、いかなる苦悩や試練があったとしても、誰でも必ず幸福になる権利がある!」と語り合い、励まし合い、全世界に麗しきスクラムを広げに広げ抜いてきたのです。
ここで私は、あらためて学会の使命を確認しておきたいと思います。
一、創価学会は永遠に、日蓮大聖人直結の地涌の菩薩の教団として、広宣流布の大願に生き、世界の平和と人類の幸福に尽くす。
一、創価学会は永遠に、「師弟不二」と「異体同心」の信心で、人間勝利の道を開く。
一、創価学科は永遠に、「一人立つ精神」と「一人を大切にする心」をもって、人生と社会に勇気と希望の光を送る。
一、創価学会は、永遠に、民衆の側に立ち、民衆のために戦い、民衆と共に進む。
一、創価学会は永遠に、一切の差別や偏見の壁を超え、人間平等の連帯を広げる。
新たな時は、まさに来れり
我らが進む「人間主義の大道」は目の前に広々とあります。どこで歩き始めても、そこに道はあるのです。何も迷うことも、恐れることもあいません。
私の胸には、かのホイットマンの温かく、力強い歌声が響いてきます。
「仲間よ、わたしはわたしの手を君たちに与える!/金銭よりも一層貴重な私の愛を君たちに与える、/説教や法律よりもまずわたしはわたし自身を君たちに与える、/君たち自身をわたしにくれないのか?わたしと一緒に旅に出ないか?/わたしが生きている限りお互いにしっかり離れずにいようではないか?」
法華経の地涌の菩薩も、久遠の師弟の絆に深く感謝しながら、その眼はどこまでも師と共に未来に向かいました。これから広宣流布の大闘争に躍り出ていく躍動感に満ちあふれていました。
戸田先生は、「創価学会の歴史と確信」の中でこうも言われています。
創価学会のごとき団体が、過去七百年の間に、どこにあったであろうか」
「時は、まさに来れり、大折伏の時は、まさに来れり」と。
今、私たち一人一人が、新しい心で、地涌の使命に挑み立つことが、世界広布の新時代にふさわしい、わが発迹顕本にほかならない。人類は皆、本来、地涌の使命を持っています。その地涌の使命は、目覚めた地涌の生命に触れて必ず触発されるのです。
さあ、わが門下の君たちよ、貴女たちよ、新鮮な人間革命の舞台へ、新しい自分自身の生命で生き生きと立ち上がれ!
明日の世界が待っている。未来の人類が、創価の地涌の大行進を待っている。
君のいるその場所で、地球上のあらゆる場所で、広布に生きるわが生命の「歓喜の中の大歓喜」の勝鬨を、誇り高く響かせていこうではないか!平和の世紀へ!
1362~1368 十八円満抄top
1362:01~1362:05 第一章 十八円満法門の出処名目を挙ぐtop
| 十八円満抄 日蓮之を記す 01 問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を 02 見たりや、答えて云く伝教大師の修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし。 -----― 問うて言う。十八円満の法門はどこから出ているのか。 答えて言う。その源は「蓮」の一字から起こったのである。 問うて言う。この法門を釈で見たことがあるのか。 答えて言う。伝教大師の「修禅寺相伝日記」のなかにある。この法門は現在の天台宗の奥義である。秘すべきことである。秘すべきことである。 -----― 03 問うて云く十八円満の名目如何、答えて云く一に理性円満.二に修行円満・三に化用円満.四に果海円満・五に相 04 即円満.六に諸教円満・七に一念円満・八に事理円満.九に功徳円満・十に諸位円満・十一に種子円満・十二に権実円 05 満・十三に諸相円満.十四に俗諦円満・十五に内外円満・十六に観心円満.十七に寂照円満・十八に不思議円満已上。 -----― 問うて言う。十八円満の名称とはどのようなものか。 答えて言う。一に理性円満・二に修行円満・三に化用円満・四に果海円満・五に相即円満・六に諸教円満・七に一念円満・八に事理円満・九に功徳円満・十に諸位円満・十一に種子円満・十二に権実円満・十三に諸相円満・十四に俗諦円満・十五に内外円満・十六に観心円満・十七に寂照円満・十八に不思議円満、以上である。 |
十八円満
十八種の円満をいう。この言葉は伝教大師の修禅寺相伝日記に出てくる。このなかの「法華深義」の中で、妙法蓮華経の一字一字に名・体・宗・用・教の五重玄があるとし、その「蓮」の一次に「名玄義」に十八円満の徳があるとしている。名称は、一に理性円満・二に修行円満・三に化用円満・四に果海円満・五に相即円満・六に諸教円満・七に一念円満・八に事理円満・九に功徳円満・十に諸位円満・十一に種子円満・十二に権実円満・十三に諸相円満・十四に俗諦円満・十五に内外円満・十六に観心円満・十七に寂照円満・十八に不思議円満である。
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所釈
経や論を論師や人師が解釈したもの。
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伝教大師
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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修禅寺相伝の日記
修禅寺相伝口決4巻のなかの修禅寺相伝日記2巻をいう。伝教大師が延暦23年(0804)に入唐して修禅寺に住していた道邃から相伝した法門を記したもので四箇の大事(私注の一心三観・私注の心境義・日記の止観の大旨・日記の法華深義)を明かしている。十八円満は修禅寺相伝日記の法華深義の中に明かされている。
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修禅寺
中国浙江省台州天台山の銀地嶺山頂にあり、陳の太建7年(0575)に天台大師が開創した寺院。太建10年(0578)宣帝から修禅寺の号を受ける。天台宗の根本道場。
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天台宗の奥義
奥義は深遠な意義・極意。伝教大師の修禅寺相伝弘決の冒頭の四箇の法門をさす。伝教大師の天台法華宗伝法偈には延暦23年(0804)に天台山国清寺の道邃和尚・仏隴寺の行満座主のもとで四箇の法門を稟けたことが記されている。四箇の法門とは、一心三観・一念三千・止観大旨・法華深義をいう。
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天台宗
法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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初めに本抄の由来と大意について明らかにしておきたい。
末尾にも示されているとおり、本抄は弘安3年(1280)11月3日、日蓮大聖人59歳の御時、身延で著され、最蓮房日浄に与えられている。内容は、伝教大師の修禅寺相伝日記に説かれている十八円満の法門をはじめとする種種の法門を、11の問答を重ねて縷々釈されながら、末法においては天台の法門に執着せず、南無妙法蓮華経と唱えて成仏得道するように諭されたのである。
本抄は文の展開の上から大きく3つの段楽に立て分けることができよう。
最初の第一段は本講義第一章から第五章までで、十八円満の法門が妙法蓮華経の五字のうち「蓮」の一字から出たもので、伝教大師の修禅寺相伝日記に説かれていることを明かされ、十八円満の名称を一つ一つ挙げられる。
次に、修禅寺相伝日記から「蓮」の名・体・宗・用・経の各玄義を説く文を引用された後、これが、妙法蓮華経の五字の一字一字について五重玄を明かす「別説の五重玄」であることを説かれ、万法の根源・一心三観・一念三千・三諦・六即・境智の円融・本迹の所詮の源は「蓮」の一字から起こると結論されている。
第二段は、第六章から第八章までで、総説の五重玄についての修禅寺日記の文を引用されている。それによると、総説の五重玄とは妙法蓮華経の五字がそのまま名・体・宗・用・経の五重玄であることをさし、妙は名・法は体・蓮は宗・華は用・経は教となると説いている。
次に、総説の五重玄に仏意の五重玄と機情の五重玄の二種あるとして、仏意の五重玄は諸仏の内証に具足する五眼のことで、五眼は五智、九識に配当される。機情の五重玄は、機のために説かれる妙法蓮華経をさす。更に、首題の五字に五重の一心三観を存することを明かし、それぞれ説明を加えている。
第三段は、弟九章から最後の十二章までで、天真独朗と止観の一念三千の関係を述べられ、末法今時においては、像法時代の天真独朗の止観を捨てて、正行の南無妙法蓮華経の題目を唱え、弘通することが成仏得道の法であることを述べられている。
なお、本抄の御真筆は現存しない。
伝教大師の修禅寺相伝日記について
日本天台宗の開祖・伝教大師が著した書の一つに修禅寺相伝口決がある。
これは、伝教大師が入唐中に、天台山にあった根本道場である修禅寺の座主・道邃和尚から相伝された法門を記した書とされている。
修禅寺相伝口決は修禅寺相伝私注二巻と、修禅寺相伝日記二巻の全四巻からなる。私注の冒頭に「大唐貞元二十四年三月一日、四箇の法門を伝う。所謂、一には一心三観・二には一念三千・三には止観の大旨・四には法華の深義なり」とある。
「四箇の法門」のうち、私注二巻には一心三観と一念三千、日記二卷には止観の大旨と法華の深義、がそれぞれ記されている。
なお、伝教大師が相伝を受けたとされている「大唐貞元二十四年三月一日」は実際には存在しない。
伝教大師は貞元21年(0805)5月には日本への帰朝の途についており、また貞元という年号は21年8月に改元され永貞元年となっているからである。おそらくは、貞元21年(0805)が日本の延暦24年(0805)にあたるので、これが混同されたのではないかと思われる。
さて、修禅寺相伝口決の内容について、あらまし述べてみよう。
まず、修禅寺相伝私注二卷の第一巻では、一心三観の法門について、教談の一心三観・行門の一心三観・証分の一心三観と次第して教・行・証の三重に立て分けて論じている。次に、一心三観に十四種あることを明かしている。第二巻では、一念三千観について論じている。
次いで、第二巻では、法華の深義を明かしているが、あくまで天台大師の法華玄義の内容に関する解説という体栽をとっており、天台大師の説いた名・体・宗・用・教の五重玄をめぐり、別説の五重玄と総説の五重玄の二種類を展開している。
別説の五重玄は妙法蓮華経の一字一字各別に五重玄を解説したもので、本抄における十八円満の法門は、そのうちの「蓮」の一字について五重玄を釈するなかで説きあらわされている。また、総別の五重玄は妙法蓮華経の五字がそのまま五重玄であるとし、妙は名・法は体・蓮は宗・華は用・経は教、と釈するものである。
1362:06~1363:16 第二章 十八円満の意義についてtop
| 06 問うて云く意如何、答えて云く此の事伝教大師の釈に云く次に蓮の五重玄とは蓮をば華因成果の義に名く、 蓮 07 の名は十八円満の故に蓮と名く、 一に理性円満謂く万法悉く真如法性の実理に帰す実性の理に万法円満す 故に理 08 性を指して蓮と為す、 二に修行円満謂く有相・無相の二行を修して万行円満す故に修行を蓮と為す、 三に化用円 09 満謂く心性の本理に諸法の因分有り 此の因分に由つて化他の用を具す故に蓮と名く、 四に果海円満とは諸法の自 10 性を尋ねて悉く本性を捨て無作の三身を成す 法として無作の三身に非ること無し故に蓮と名く、 五に相即円満謂 11 く煩悩の自性全く菩提にして一体不二の故に蓮と為す、 六に諸教円満とは諸仏の内証の本蓮に諸教を具足して 更 12 に闕減なきが故に、 七に一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に、 八に事理円満とは 1363 01 一法の当体而二不二にして闕減無く具足するが故に、 九に功徳円満謂く妙法蓮華経に万行の功徳を具して 三力の 02 勝能有るが故に、 十に諸位円満とは但だ一心を点ずるに六即円満なるが故に、 十一に種子円満とは一切衆生の心 03 性に本より成仏の種子を具す・権教は種子円満無きが故に・皆成仏道の旨を説かず故に蓮の義無し、 十二に権実円 04 満謂く法華実証の時は実に即して而かも権・ 権に即して而かも実・権実相即して闕減無き故に円満の法にして既に 05 三身を具するが故に諸仏常に法を演説す、 十三に諸相円満謂く一一の相の中に皆八相を具して 一切の諸法常に八 06 相を唱う、 十四に俗諦円満謂く十界・百界乃至三千の本性常住不滅なり本位を動せず当体即理の故に、 十五に内 07 外円満謂く非情の外器に内の六情を具す 有情数の中に亦非情を具す、 余教は内外円満を説かざるが故に草木成仏 08 すること能わず草木非成仏の故に 亦蓮と名けず十六に観心円満とは六塵六作常に心相を観ず 更に余義に非るが故 09 に、 十七に寂照円満とは文に云く法性寂然なるを止と名く寂にして 而かも常に照すを観と名くと、 十八に不思 10 議円満謂く細しく 諸法の自性を尋ねるに非有非無にして諸の情量を絶して 亦三千三観並びに寂照等の相無く大分 11 の深義本来不思議なるが故に名けて蓮と為るなり、 此の十八円満の義を以て委く経意を案ずるに 今経の勝能並に 12 観心の本義良とに蓮の義に由る、 二乗・悪人草木等の成仏並びに久遠塵点等は 蓮の徳を離れては余義有ること無 13 し、座主の伝に云く 玄師の正決を尋ねるに十九円満を以て蓮と名く 所謂当体円満を加う、当体円満とは当体の蓮 14 華なり謂く諸法自性清浄にして 染濁を離るるを本より蓮と名く、 一経の説に依るに一切衆生の心の間に八葉の蓮 15 華有り男子は上に向い女人は下に向う、 成仏の期に至れば設い女人なりと雖も 心の間の蓮華速かに還りて上に向 16 う、然るに今の蓮仏意に在るの時は本性清浄当体の蓮と成る若し機情に就いては此の蓮華譬喩の蓮と成る。 -----― 問うて言う。その意味はどのようなものであるのか。 答えて言う。このことは伝教大師の修禅寺相伝日記のなかに次のように述べられている。 「次に五重玄義とは、蓮を華因成果の義に名づける。蓮の名は十八円満のゆえに蓮と名づける。 一に理性円満とは、万法はことごとく真如法性の実理に帰するのである。実性の理に万法は円満しているゆえに理性をさして蓮というのである。 二に修行円満とは、有相・無相の二行を修行することによって万行が円満するゆえに修行をさして蓮とうのである。 三に化用円満とは、心性の本理に諸法の因分があり、この因分によって化他のはたらきを具するゆえに化用をさして蓮というのである。 四に果海円満とは、諸法の自性をたずねてことごとく本性を捨てて、無作の三身を成ずるのである。法として無作の三身ではないゆえに、果海をさして蓮というのである。 五に相即円満とは、煩悩の自性が全く菩提にして一体不二のゆえに、相即をさして蓮というのである。 六に諸教円満とは、諸仏の内証の本蓮に諸教を具足して更に欠けることがないゆえに、諸経をさして蓮というのである。 七に一念円満とは、根塵相対して、一念の心が起きてくるときに、三千世間を具するゆえに、一念をさして蓮というのである。 八に事理円満とは、一法の当体が而二不二にして欠けることがなく具足するゆえに、理ことをさして蓮というのである。 九に功徳円満とは、妙法蓮華経に万行の功徳を具足して法力・仏力・信力の三力の勝能があるゆえに功徳をさして蓮というのである。 十に諸位円満とは、ただ一心を読む時に六即が円満なるゆえに、諸位をさして蓮というのである。 十一に種子円満とは、一切衆生の心性に本より成仏の種子を具しているのである。権教は種子が円満でないゆえに「皆成仏道」の旨を説かないゆえに蓮の義がないのである。 十二に権実円満とは、法華経の義が実証されたときには、実に即して権・権に即してしかも実であり、権実相即して欠けることがないゆえに円満の法にして既に法報応の三身を具するゆえに諸仏は常に法を演説するのである。 十三に諸相円満とは、一々の相のなかに皆八相を具して一切の諸法は常に八相を示すのである。 十四に俗諦円満とは、十界・百界ないし三千の本性が常住不滅なのである。本位を動かすことなく、当体即理の故に、俗諦をさして蓮というのである。 十五に内外円満とは、非情の外器のうちに内の六情を具している。有情のなかにまた非情を具しているのである。余教は内外円満を説いていないゆえに草木が成仏することはできないのである。草木非成仏のゆえに、また蓮と名づけないのである。 十六に観心円満とは、六塵六作常において心相を観ずるのであり、全く余義によらないゆえに、観心を蓮というのである。 十七に寂照円満とは、摩訶止観みは『法性が寂然であることを止と名づけ、寂にしてしかも常に照らすことを観と名づけるのである』とある。 十八に不思議円満とは、詳しく諸法の自性をたずねてみれば非有非無にして諸の情量を絶して、また三千三観ならびに寂照等の相がなく、大分の深義が本来不思議なるゆえに蓮とするのである。 この十八円満の義をもってくわしく経の意を案ずるに、法華経の勝能ならびに観心の本義はまことに蓮の義によるのである。二乗・悪人・草木等の成仏ならびに久遠五百塵点などは蓮の徳を離れては余義はないのである。 座主の伝には『玄明師の正決を尋ねてみると、十九円満を蓮と名づけている。いわゆる当体円満を加えているのである、と。当体円満とは当体蓮華のことである。諸法の自性が清浄にして染濁を離れているのを、本より蓮というのである。 ある経の説によると、一切衆生の心の間には八葉の蓮華がある。男子は上に向かい、女人は下に向かうという。成仏の時に至れば、たとえ女人であっても、心の間の蓮は速やかに返って、上に向かうのである。 しかるに、今の蓮は仏意にあるときは、本性が清浄の当体蓮華となり、もし機情についていえばこの蓮華は譬喩の蓮華となる』と」と。 |
蓮の五重玄
天台大師の法華玄義には妙法蓮華経の一字一字にそれぞれ五重玄があるとされ、このうち蓮の名に十八円満さあると立てている。
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五重玄
天台大師が法華経を解釈するにあたって、法華玄義に説いた名・体・宗・用・教で、詳しくは、釈名・弁体・明宗・論用・判教のことである。これを平易に説明すれば、名は万物の名前であり、体は万物の当体であり、宗は万物おのおのがそなえている特質であり、用はその働き作用であり、教はその活動が影響することをいう。すなわち万物ことごとくこの五重玄をそなえている。この文はまた、日蓮大聖人が末法で建立の三大秘法の依文でもある。また三大秘法の大御本尊は、次のようであると御書にお示しになっている。これを、わかりやすく、説明するならば、名玄義は、妙法蓮華経の御本尊の名前であり、体とは、十界・十如・三千の諸法、すなわち一念三千の当体の御本尊のことである。宗とはこの御本尊を信じて題目を唱えるとき、仏因・仏果を同時に感得する、受持即観心の特質をいう。また一切衆生を仏因・仏果・俱時感得(即身成仏)して救いきる力を用とするのである。
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華因成果の義
蓮華の蓮は華を因として成じた果の義であること。蓮華というのは華に因って果が成る。そしてこの華と果が同時に成るという特質がある。蓮の華と実との関係を因果にあてはめ、蓮は因果の義をあらわし、十八の円満を具すとしている。
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理性
理は法性真如の実理のこと、性は不変不改の義である。森羅万象において永遠に変わらない本来的な性分をいう。
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万法悉く真如法性の実理に帰す
妙楽大師の金剛錍には「万法はこれ真如、不変によるがゆえに、真如はこれ万法、隨縁によるがゆえに」とある。
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真如
真とは真実の義。如とは如常の義である。虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であって不変であるから如という。真実にして平等無差別な絶待真理をいう。変化してやまない現象の化相に対していう語。すなわち南無妙法蓮華経のこと。したがって真如のとは仏界のことで、生死が即真如となるので九界即仏界となる。
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法性
諸法の天性・悟り・生命・一念・心性・境涯等をいう。
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実理
真理・真実の理。
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実性の理
諸法の真実の本性の理のこと。
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実性
①真実の性のこと。真如ともいう。あらゆる差別相を超えた万物の絶対平和の本性をいう。②諸法の実相について法華経の如是を説くその一つ。実相の如是相の意で、実相の、その内的な本性をいう。
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有相・無相の二行
法華円教の二種の修行のこと。有相・無相とは形や相のあるものや無いもののこと。有相行は法華経を受持して読誦するなどの修行をいい、無相行とは止観・禅定による一心三観・一念三千の修行をいう。この二行によって仏道を成ずるという。
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化用
教化・化導のはたらきのこと。化は化他で他を化導・教化すること。用ははたらきのこと。
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心性の本理
心性は心の本性。如来蔵心・自性清浄心をさす。衆生の生命に本然的にそなわる心の本体をいう。本理とは本来本有の真理。
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因分
因位の分際の意で、仏果を得るための修行の位。
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化他
自行に対する語。修行に約す場合と法体に約す場合がある。修行に約す場合は他人を教化・化導すること。法体に約す場合は九界の衆生の機根に応じて説いた随他意の教えのこと。
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果海
仏果の大海のこと。仏果・仏界が広大無辺で深遠なありさまを海にたちえたもの。
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本性
本来本有の性分のこと。
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無作の三身
仏の生命は、法報応の三身即一身で、32相80種好等の尊形を超出したものである。すなわち寿量品に説かれた自受用身如来のこと。ただし、本義は文底に秘沈されており、文上で説かれているのは、あくまでも応仏昇進の自受用身である。
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相即
①事物の働きが自在に助け合い融け合っていること。②二つの物事が密接に関わり合っていること。
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煩悩
貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能。
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菩提
菩提とは梵語(Bodhi)で、道・覚・知等と訳す。①悟り・悟りの智慧。②煩悩を断じて得たさとりの境地。③冥福の意。
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一体不二
外見は差別相を見せながら、しかもその本体においては不二であること。
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内証
生命の奥底の悟り。外用に対する。
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本蓮
本覚の蓮。本来常住の仏である無作三身を妙法蓮華経の蓮に譬えた語。
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闕減
足りないこと、欠けていること。
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一念
心に深く思い込むこと、ふと思い出すこと。瞬間の生命をいう。
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根塵相対
六根が六境に縁して、六識の認識作用を起こす関係をいう。六境は心を乱す対境とされるところから六塵ともいう。目根が色境に縁して眼識を生ずるというように、根・塵が相対して一念の心が起こる。
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三千世間
天台大師が摩訶止観で一念三千を具す相貌を明かす際、世間に約して三千の数量を示したもの。
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事理
①事と理のこと。②事は縁によって生滅する差別的な現象をさし、理は不生不滅の普遍的な心理をさす。②真理を説明した理論を理というのに対し、その具体的な実践を事という。
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而二不二
「而二」とは、一つのものを二つの面から見ることで、「不二」とは、二つの面があっても、その本質は「一」である、ということ。
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功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
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妙法蓮華経
①典の名前。②法華経に説かれる法理。③所詮の法体。南無妙法蓮華経のこと。三大秘法のこと。
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三力
①法力・仏力・信力。②慧眼力・法眼力・法眼力.③我功徳力・如来加持力・法界力④一切衆生力・法力・自身功徳力。等。
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勝能
①優れた能力。卓越した働き。
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一心
生命論に約して瞬間の生命であり、信心に約せば信心の一心であり、大御本尊に約せば自受用身の一念の心法、すなわち大御本尊の中央の南無妙法蓮華経である。一心の一には唯一・無二・平等・絶対・普遍妥当の意味がある。
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点ずる
漢文などを読む場合に、その読み順を示すために、しるしをつけること。
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六即円満
一心に六即の階位が円満に具足していること。
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六即
天台大師智顗が『摩訶止観』巻1下で、法華経(円教)を修行する者の境地を6段階に立て分けたもの。修行者の正しい発心のあり方を示しており、信心の弱い者が卑屈になったり智慧のない者が増上慢を起こしたりすることを防ぐ。「即」とは「即仏」のことで、その点に即してみれば仏といえるとの意。①理即。生命の本性(理)としては仏の境地をそなえているが、それが迷いと苦悩に覆われている段階。②名字即。言葉(名字)の上で仏と同じという意味で、仏の教えを聞いて仏弟子となり、あらゆる物事はすべて仏法であると信じる段階。③観行即。「観行」とは、観心(自分の心を観察する)の修行のことであり、「観行即」は修行内容の上で仏と等しいという意。仏の教えのとおりに実践できる段階。④相似即は、修行の結果、仏の覚りに相似した智慧が得られる段階。⑤分真即は、真理の一部分を体現している段階。⑥究竟即は、完全なる覚りに到達している段階。
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種子
真言密教で、おのおのの仏・菩薩を梵語の一文字で表現したもの。一字一字に意味を持たせ、阿等の一字が無量の義を生ずるものを、草木の種子にたとえた語。諸尊に各種子があり、所具の徳をあらわしている。
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権教は種子円満無きが故に
爾前権教には十界互具・一念三千を明かしていないため、二乗作仏・悪人成仏・女人成仏等、一切衆生の成仏が説かれていないこと。
―――
権教は種子円満無きが故に
爾前権教には十界互具・一念三千を明かしていないため、二乗作仏・悪人成仏・女人成仏等、一切衆生の成仏が説かれていないこと。
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皆成仏道
法華経を信受した衆生がすべて成仏できることをいう。
―――
法華実証の時法華経
法華経が説かれたこと。また、法華経の法理を実際に証悟した時をさす。
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三身
仏としての本質的な3種の特性。①法身(仏が覚った真実・真理)②報身(最高の覚りの智慧をはじめ、仏と成った報いとして得た種々の優れた特性)③応身(人々を苦悩から救うためにそれぞれに応じて現実に表した姿、慈悲の側面)の三つをいう。
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八相
仏が衆生を救うため出現し、成道 を中心として、一生の間に示す八種の相。①下天、②託胎、③出胎、④出家、⑤降魔、⑥成道、⑦転法輪、⑧入涅槃。
―――
俗諦
世間一般で認められる真実。世間の道理。
―――
百界
衆生の境涯を10段階に分類した十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)のいずれにも、それ自身と他の九界が、次に現れる可能性として潜在的にそなわっていること(十界互具)。
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常住不滅
過去・現在・未来の三世にわたって常に存在し、生滅や変化がないこと。
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本位を動せず
本来のままで、そのままで真如にかなっていること。「本位」は本来の位、ありのままで、人の造作を加えない位のこと。
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当体即理
森羅三千の諸法の当体が、そのまま一念三千の妙理であることをいう。「当体」はありのままの本性、諸法の本体そのものをいう。
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内外
①内と外のこと。②内道と外道のこと。③心と身体のこと。④内徳と外相のこと。
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非情
無心の草木・山河・大地などをいう。
―――
外器
外界の草木・国土などの非常の界のこと。
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六情
喜・怒・哀・楽・愛・憎という六種の感情。
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有情数
有情として数えられるもののこと。人間や動物のように、有情の分類に属するものの数。
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草木成仏
草木や土砂等の非情の物質が成仏することをいう。また、依正についていえば、依報の成仏である。日寛上人は、諸御書を案ずるに、草木成仏に二意あるとして、一に不改本位の成仏、二に木画二像の成仏があるとしている。まず不改本位の成仏とは、草木の全体がそのまま本有無作の一念三千即自受用身の覚体である。草木成仏弘決には「口決に云く『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり」(1339-06)、三世諸仏総勘文抄教相廃立のは「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す之を疑い之を信ぜざる人有る可しや無心の草木すら猶以て是くの如し何に況や人倫に於てをや」(0574-14)御義口伝には「森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」(0784-第二量の字の事-02)とある。このように、無心の草木でありながら、その体は本覚の法身であり、その時節を違えず花咲き実の成る智慧は本覚の報身であり、有情を養育するは本覚の応身であり、これを不改本覚の成仏という。木画二像の成仏とは、四条金吾釈迦仏供養事には「国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(1145-01)木画二像開眼之事には「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(0469-08)観心本尊抄には「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」(0246-08)とある。御義口伝で「草木成仏の証文に而自廻転の文を出すなり」(0723-第五而自廻転の事-03)と仰せられているのは「法性自然にして転じ因果依正自他悉く転ずるを」(0723-第五而自廻転の事-01)ということについてである。すなわち、依報・正報ともに変わっていくということは、正報の成仏により、非情の草木等の依報も成仏するのである。一枚の紙が御本尊に変わることを木画二像の成仏である。
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観心
「己心を観じて十法界を見る」こと。教相の主要点の意を三大秘法の根源から感じることをいう。
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六塵
色境・声境・香境・味境・蝕境・法境の六つの対境を、心を乱す塵とみなすこと。六根が六識を生ずるとき、縁となる六つの対境。
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六作
六識に対した時に起きる苦・楽・捨の三迷情をいう。
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心相
心の様相のこと。
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寂照
悟りの境地のこと。真理の本体を寂といい、真理を照らす知恵を照という。
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文に云く法性寂然なるを止と名く寂にして而かも常に照すを観と名く
章安大師の摩訶止観の序の文。三種止観のうち円頓止観についての文の一節である。
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寂然
真理の本体は常に本来ありのままの姿であるということ。
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非有非無
諸法が有でもなく無でもなく、しかも有無に遍して存在するという中道の見方をさす。
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情量
考え・思い・思慮・思索。
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三千三観
三千は一念三千、三観は一心三観。
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大分の深義
大分真如の深義のこと。妙法蓮華経に隨縁・不変の二真如をともに具していること。妙法蓮華経の一字一字に名・体・宗・用・教の五重玄があるとしているが、「蓮」の「体」に①徳体の蓮。②本性の蓮体。③果海真善の体。④大分真如の体の四つが明かされていると説き、「大真如とは不変・隨縁一体にして二相の体を分かたず、大真如門において且く二義を以って分別するが為に、不変・隨縁の二種と名づく」とある。
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今経の勝能
法華経が他経にない勝れた特質をもっていること。
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観心の本義
天台家で説く観心の修行の本来の義のこと。人間の迷情もすべて観心の対境としていくのが観心の本義である。
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二乗・悪人草木等の成仏
声聞・縁覚界の二乗界の衆生、提婆達多のような悪人、非情の草木等は、永不成仏とされていた。しかし法華経に至って一念三千の法理が明かされることによって成仏できるようになった。
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二乗
六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
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悪人
悪事をなす人。正法を誹謗する人。五逆罪を犯す人。
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久遠塵点
「五百千万億那由他阿僧祇」の「五百」を取って五百塵点劫という。法華経如来寿量品第16では、釈尊の成道は五百塵点劫という長遠な過去(久遠)であり、それ以来、衆生を説法教化してきたことが明かされた。五百塵点劫は、法華経で次のように説明される(法華経478㌻)。すなわち、五百千万億那由他阿僧祇(人間の思議できない無限の数)の三千大千世界の国土を粉々にすりつぶして微塵とし、東方に進み五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて一塵を落とし、以下同様にしてすべて微塵を下ろし尽くして、今度は下ろした国土も下ろさない国土もことごとく合わせて微塵にし、その一塵を一劫とする、またそれに過ぎた長遠な時である。
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座主の伝
座主は❶学徳ともに優れて一座中の指導者となる者のこと。❷大寺の管長(行政を管轄する長)を呼ぶ公称。伝は何であるか不明。
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玄師
(0673~0754)左渓玄朗のこと。中国天台宗の第5代座主。9歳で出家し、21歳のとき清泰寺に住した。その後光州の岸律師について律を学び、経・論を学んだ。また東洋天宮寺の慧威の下で、法華・止観・大論・浄名などを修め、一宗の義に通達したという。弟子に妙楽がいる。
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正決
正しい判決のこと。
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当体の蓮華
妙法蓮華経それ自体。譬喩蓮華に対する。譬喩蓮華とは、華草の蓮華が、華と実が同時になることから、因果倶時の妙法華経に似ているので、この蓮華を借りて当体蓮華を説明したのである。したがって、当体蓮華の説明は譬喩蓮華であり、説明された実体たる妙法華経そのものは当体蓮華である。たとえば、宝塔品の儀式は譬喩蓮華、御本尊は当体蓮華である。総じて宇宙の森羅万象、いっさいの現象が当体蓮華であり、妙法華経である。別していえば、日蓮大聖人の仏法を修行するわれわれのみが当体蓮華であるが、さらに別して日蓮大聖人が妙法華経のみが当体蓮華である。当体義抄には「問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、 答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」(0510-01)「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」(0512-09)とある。
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染濁
汚れ、濁っていること。
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八葉の蓮華
八弁の蓮華。諸宗により意義が分かれる。①浄土宗では、極楽浄土にある花弁が八枚の蓮の花のこと、また極楽浄土の別名。②密教の法華曼荼羅で、中央に多宝塔を置いて釈迦牟尼仏と多宝如来とが並び、周囲の八葉蓮華の花弁に法華経に登場する菩薩を配する。③密教の胎蔵界曼荼羅で、中央を中台八葉院と名づけ、八弁の蓮華にかたどり、大日如来を中心に八葉の各弁に四体の如来(宝幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音)と四体の菩薩(普賢・文殊師利・観自在・弥勒)を配する。本抄では③の意。釈迦仏は、釈迦院という別枠に描かれる。
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仏意
仏の心・本意のこと。
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機情
仏から教化される衆生、その衆生の心。機は衆生の機根。情は対境に対して起こる心の作用。
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譬喩の蓮
譬喩蓮華のこと。天台大師の法華玄義巻七下に「法の蓮華は解し難し、故に草華を喩えとなす。利根は名に即して理を解す、譬喩を仮りず。但だ法華の解を作す。中下は末だ悟らず、譬を須いて乃ち知る。易解の蓮華を以って、難解の蓮華に喩う。故に三周の説法あり、上中下根に逗う。上根に約せば是れ法名なり、中下に約せば是れ譬名なり」とあるように、蓮華草を用いて因果倶時を示すことをいう。
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ここでは、先に列挙された十八円満について、その一つ一つの意義を修禅寺相伝日記第二卷を引いて示されている。
この引用門は、妙法蓮華経の各字の五重玄が展開される中の、「蓮」の字を五重玄を順次に説明していくところにあたっている。
当の十八円満の意義は、引用文中の「蓮」の「名」玄義を明かすなかで、釈されているのである。名玄義とは、名自体が深い意義を有しているということで、天台大師は「蓮」という名自体に十八円満なる深義と徳とを有していることを明かしたのである。
十八円満の法門の一つ一つの意義については、順を追って解説をほどこしたい。
五重玄義について
中国の天台大師が仏教の諸経典を解釈する時に用いた5種類の主題である。五重玄とも五玄とも五章ともいう。「玄義」は、微妙で深遠な意義、という意味である。すなわち、諸経典を解釈するとき、諸経の深意を明らかにすることができる五種類の微妙で深遠な主題、というのが「五重玄義」の意味するところである。
天台大師はこの五重玄義に説き明かした名・体・宗・用・教の5つである。
釈名とは、経典や題目や意義を解釈することであり、弁体とは、経の所詮の理である法体を弁じ、明宗とは、経の力用、すなわち修行の因果を明かすことであり、論用とは、経説の功徳、効用を論ずることであり、教判とは、一つの経典の位置を判釈することである。
天台大師は法華玄義で、五重玄義をもって法華経を解釈したが、今、そのうち、通釈・七番共解の「一、標章」に説かれた内容から、その解釈の実際の様相をみてみよう。
まず、法華経の題名である妙法蓮華経は、権実不二・諸法実相の妙法を蓮華同時の蓮華をもって譬え顕した絶妙の法、譬である。
次に、法華経の表す究極の法体は全てを一実であると開顕する実理の妙理にあると弁ずる。
また「明宗」は実相の因を修して、実相の果を得る一乗の因果であると明かす。
「論用」は本迹二門の断疑生信にあると論じ、「教判」は法華経は諸経を超越する無上の醍醐であると判ずる。
これによって、天台大師は法華経の絶対なる法門を疎漏なく顕したのである。
さて、本抄で引用される伝教大師の修禅寺相伝日記第2巻に説かれる五重玄は天台大師のそれにより更に発展していて、妙法蓮華経の五字について五字各説の深義の二種をのべている。
五字各説の深義とは妙・法・蓮・華・経の五字それぞれに五重玄があることを示し、五字合成の深義とは妙法蓮華経の五字がそのまま五重玄であり、妙は名・法は体・蓮は宗・華は用・経は教である、と示している。
総説の五重玄については、天台大師も法華玄義において明かすところであるが、別説の五重玄については、修禅寺相伝日記に独自のものである。
蓮の五重玄とは蓮をば華因成果の義に名く
この文は、「蓮」の字の五重玄について明かされている段の冒頭に説かれている。これから、名・体・宗・用・教の順番に展開していくのであるが、まず、ここでは、「蓮」の五重玄の釈を説き始めるにあたり、「蓮」そのものの意義について触れているところである。
この文の原文は「蓮をば華成果の義に名づく」となっている。
この原文と照合すると、その意味は、蓮とは因である華が果として実を成就したもの、ということである。
ちなみに、修禅寺相伝日記において「蓮」の字の五重玄を明かした文を見ると、「諸法の因分を指して華と為す」とある。
これによると、華が因であるというのは、「諸法」をさしていることは明らかである。その「諸法」が果として実を結んだのが妙法蓮華経であるということを「蓮」の字はあらわしているということである。
蓮華は古来、仏典において尊重された。その理由として、蓮華の華と果実が、同時に成長するとみられたこと、その種子は泥中でも朽ちずに発育し清浄な花を水面に咲かせるが、その姿が、法華経の法門をたとえるのに最適であったからである。
天台大師の法華玄義卷七には「今蓮華の称は是れ喩えを仮るに非ず、乃ち是れ法華の法門なり。法華の法門は清浄にして因果微妙なれば、此の法門を名づけて蓮華と為す」と明確に説かれている。
ここでは、蓮華が「清浄」で「因果微妙」であることを象徴していると述べられているが、以下、「因果微妙」という点を中心にして蓮華の特質に簡潔に触れておきたい。
伝教大師は守護国界章のなかで「一心の妙法蓮華と因華果台、俱時に増長す。此の義解し難し、喩えを仮るに解し易し」と述べている。
ここに「因華」とは蓮華の華が因であることをさしている。「果台」とは、蓮華という植物が発達した花托の上に雌蕊を有しているという特徴をとらえて、この発達した花托を果としているのである「俱時に増長す」とは、華と花托とが同時に成長することをいう。
また、蓮の華が咲き切っているとき、表面に多くの雌蕊を拝した花托が同時に存在しているということから、因果微妙、すなわち因果俱時の不思議な法門である妙法を説明するのに用いられているのである。
本文の「蓮をば華因成果の義に名く」の文が、因果俱時を前提にしながらも「果」に重点を置いていることが明らかである。
前述のように、因としての華は「諸法」を表すが、その「諸法」がそのまま「果」を成ずる義をあらわしているのである。
天台大師の五重玄義の説明のなかで、法華経に対する五重玄義の解釈として「明宗」の項で「実相の因を修して、実相の果を得る一乗の因果」としているなかの「果」はまさしく、この一仏乗の因果の「果」を表わしていることになるであろう。
因と果という関係は、爾前経では、因は九界、果は仏界をあらわし、九界を出離して成仏するとされるのであるが、法華経は九界の衆生のなかに仏界の本来があり、九界のままで成仏することを説く。この法華経の明かした生命の真実の姿と即身成仏の功力をあらわして蓮華が譬えに用いられているのである。
因が時間的に先で、果を時間的に後としてとらえるのはあくまで、末だ悟りに到達していない凡夫の眼のゆえであって、これが「因果異時」の考え方である。
それに対して仏は、因果俱時の不思議の一法である妙法蓮華経を悟っている覚者である。しかし、この悟りをそのまま凡夫に説いても、凡夫には分からないばかりか、かえって自分達の思議の及ばない妙法を誹謗したり、説く覚者に迫害を加えたりして、結果的には罪をつくらせることになる。
そこで、仏は凡夫の認識しやすい因果異時の考え方を方便として用いつつ、諸経を説くのである。これが、法華経以前の爾前の方便・権経である。
こうして凡夫・衆生を導いて、その機根が因果俱時・不思議の一法を理解しうるまでに達した段階で、初めて自らの本来の悟りであり、出世の本懐である法華経、すなわち妙法蓮華経を説いたのである。
以上の点から、本文で大聖人が引用されている修禅寺日記の内容は、あくまで仏の悟りの法門である妙法の五字を五重玄で釈していくので、すべての法門が因果俱時という一点に基づいて説かれているのである。
蓮の名は十八円満の故に蓮と名く
「蓮」の字が五重玄のうち、妙玄義を表す文がここから始まるのである。
そして「蓮」という名に込められた意義を解釈して、この名字に十八の円満なる法門とその功徳とが具わっていることが明かされていく。
「円満」とは完全・充足という意味であり、通常は仏果の位に具わる完全に充足した徳をさす。
つまり、「円満」という言葉が妥当するのは「完全なもの」「完成されたもの」についてのみであり、「十八円満の故に蓮と名く」とあるのは「蓮」の字が因果俱時のうえでの「果」の側面を表わしているからである。
ちなみに、天台大師の法華玄義巻七には「唯此の蓮華のみ華果俱に多し、因に万行を含み、果に満徳を円にするを譬うべし」とある。
ここで、「因」に万行を配し、「果」に円かなる万徳を配していくことからも、日記において「蓮」の名が十八の「円満の徳」を表わしていることの意義は明らかであろう。
一に理性円満謂く万法悉く真如法性の実理に帰す実性の理に万法円満す故に理性を指して蓮と為す
十八円満の第一である。まず、蓮の名は「理性」が円満になることをさしているのである。
理由は、理性が、万法を余すことなく「円満に」備えているからである。ゆえに「万法悉く真如法性の実理に帰す実性の理に万法円満す」というのである。
ここで「真如法性の実理」「実性の理」との表現は、「理性」と同じ意味である。「理性」というのは、一切の事物・事象を貫いている本性のことわりのことである。普遍的な真理、永久不変の法理の意である。
「理性」に対して、一切の事物・事象のことを「事相」といい、本文にいう「万法」は一切の諸法、事物、事象をさすから、「事相」のことでもある。
また「理性」にはさまざまな表現の仕方がある。表現の相違は「理性」に対する角度の当て方が異なることに由来するのであって、さしているものが同じであることはいうまでもない。
例えば「法性」というときは、「無明」との相対のうえで述べているのであり、「真如」と表現する場合は、「万法」がことごとく差別の相を有しているのに対し、「理性」が絶対平等で、不変なることを強調するときが多い。同じく、「実理」「実性の理」は、真実性、真理性を強調するときの表現であろう。
ちなみに「仏性」というときは、「理性」が人間存在にも貫かれていることをとくに述べる場合に使用される。
以上から、「万法」と「理性」との関係は明確なる。「万法」にはことごとく「理性」が貫かれているがゆえに、「理性」のなかに「万法」が余すことなく円満に具足しており、逆に「万法」はその多様な差異の様相を有しているにもかかわらず、ことごとく「理性」に帰するのである。
蓮という名は、このような、「理性」の円満性をあらわしているとして、まず第一に取り上げられたのである。
二に修行円満謂く有相・無相の二行を修して万行円満す故に修行を蓮と為す
十八円満の第二である。蓮の名が修行の円満なることを明かしている。
修行は、衆生が成仏という果をめざして行うものであり、因の側面である。にもかかわらず、ここで、果である蓮の名のもとに説かれているのは、因果俱時であり、仏果のなかに、因としての修行も包摂されているからである。法華円教の修行には、あらゆる仏道修行を「円満に」具足していることを蓮の名はあらわしているというのである。
ところで、ここでいう法華円教の修行とは、天台大師が完成した止観の修道体系にほかならない。なぜなら、修禅寺相伝日記自体が、天台の秘奥の法門を説いたものであるからである。
さて、その止観に「有相」「無相」の二種があるが、これについて、簡単に説明しておきたい。
まず「止観」について述べる。法華円教の修行には、さまざまな修行方法があるはずであり、現に天台大師は法華玄義卷三下において、一行三昧、止観、三学、五門禅、八正道、十境十乗等の諸行を挙げている。
しかし、天台大師はこのなかから、とくに「止観」を重視して、修行のすべてを「止観」に帰一せしめたのである。
「止」とは梵語でシャマタといい、散乱する心の理想を止息することであり、「観」とは、梵語でピパシャナーといい、実相としての理法を観照することである。
この止観に大きく有相・無相の二種の行がある。この二種の行の立て分けは南岳大師慧思に始まる。
南岳大師は仏法の修行を有相行と無相行との二つの部門に分けた。無相行というのは、禅法を統合したものであり、南岳大師は法華三昧を無相行としている。これに対して有相行というのは、法華経を受持して散心のままで、読誦、解説、書写等の行を修するのである。ほれは、法華経の普賢菩薩勧発品第二十八に三昧に入らない修行を説いていることに依拠として立てられたものである。
天台大師智顗は、この南岳大師の修行体系を更に発展させ、止観行のなかに組織的に統一したのである。その止観行の具体的な内容については、ここでは説明を省き、ただ有相行と無相行とに関する摩訶止観とその釈である妙楽大師の止観輔行伝弘決の文を引用して説明に代えることにしたい。
まず、摩訶止観二上において、天台大師は次のように説いている。
「意の止観とは、普賢観に云く『専ら大乗を誦して三昧に入らず、日夜六時に六根の罪を懺す』と。安楽行品に云く、『諸法において行ずるところなく、また不分別せず』と。安楽行品の護持・読誦・解説・深心・礼拝等、あに事にあらずや、観経に無相の懺悔法を明かす『わが心はおのずから空なり、罪福に主なし、慧日よく消除す』と。あに理にあらずや、特にこれ行人が事に渉って六根懺を修して悟人の弄胤となす、故に有相と名づく、もしは直ちに一切法空を観じて方便となす者あり、故に無相という。妙証のとき、ことごとくみな両ながら捨つ」と。
これによると、有相行とは、安楽行品に説かれているような、護持・読誦・解説・深心・礼拝等の具体的な「相」すなわち、形に現れた修行をいうのである。「行人が事に渉って六根懺を修して悟入の弄胤となす」とは、具体的な形をともなう修行によって迷いの根本である六根の汚れを懺悔して、悟りに至る弄胤、すなわち手段となすべきことをいうのである。
次に、無相行については、直ちに「理」を観ずる修行であると述べている。「理」というのは、我が心が自ら空であるとか、一切法が空である、という法理のことである。これを観ずる修行は、止観行であることはいうまでもない。この修行は形にあらわれない心の本性を直接的に把握するものである。無相行というのである。
摩訶止観のこの文を釈した止観輔行伝弘決卷二には次のように述べられている。
「菩薩、法華を学ぶに二種行を具足す。一には有相行、二には無相行、無相安楽行は甚深妙禅定、六情根を観察す。有相安楽行は此れ勧発品に依る。散心に法華を誦し、禅三昧に入らず、座立行一心に法華の文字を念ず」と。
ここでは、無相行が禅定の修行であり「六情根」すなわち六根を観察する行であると解説し、有相行は禅定ではなく「散心」すなわち、衆生の日常的な散乱の心のままで、法華経を読誦したり、一心に法華経の文字を念じたりする行であるとしている。
以上からも、有相行と無相行とを合したのが、天台大師の立てた修行であることが分かる。
これを受けて修禅寺日記に「有相無相の二行」と記しているのであり、この二行のなかに万行が円満に具足していることになるのである
三に化用円満謂く心性の本理に諸法の因分有り此の因分に由つて化他の用を具す故に蓮と名く
十八円満の第三である。衆生の心の本性すなわち「心性」の本理には、諸法の因果を具足しており、その因分を拠りどころとして仏の化他の働きが行わるので、この化他の働きは完璧で欠けるところがない。蓮の名はこの化用の円満なるをあらわすというのである。
元来、化他というのは、仏・菩薩の慈悲に発する能力であり、衆生・凡夫に働きかけ教化・救済する力用である。しかし、この仏の化導に応えて仏道をめざす素質は、衆生の生命のなかにも潜在的に備わっている。
この諸法の因分を解明し、説き明かしたのが妙法であるから、妙法はあらゆる衆生に仏道をめざす心を起させる化他の有が具わっている。このゆえに「蓮」と名づけられたのであるということである。
法華経の諸法実相の法理に其づいて、一念三千を展開した天台大師によると、衆生の本来の心性には、九界と仏界、迷いと悟り、無明と法性、権と実、依報と正報、当がおのずから備わっているのである。
この天台大師の法理によって、本文をとらえると、「心性の本理に諸法の因分有り」という文の「諸法の因分」とはまさに、迷い、無明の衆生としての九界にあたることになる。
また本文のうえには表現されていないが、「諸法の果分」も当然、含意されていることはいうまでもない。そして、その「諸法の果分」が、悟り、法性の仏・仏界にあたるのである。
以上のことから、衆生の本来の心性には、諸法の因分として九界の衆生も果分としての仏界の仏も、ともに具足していることになる。そして、この法理を覚知した境地こそが仏なのである。
さて、化他の力用とは、仏が慈悲によって迷える衆生に働きかけ教化・救済していく力の事であった。何ゆえに仏の化他の力用が可能であるかといえば、心性の本理を覚知した仏にとって、衆生・凡夫というのは、自らの生命に具足する因分としての九界を備えていなければ、衆生に働きかける化他の力用が起きてこないことになろう。
以上は仏の果徳に即して述べたが、仏の果徳や化他の力用はまた、潜在的には、本来の心性として衆生にも具足するという天台大師の観点から述べると、前述のごとく、衆生の本来の心性には因分・九界の果分・仏界とが備わっているので、化他の力用とは、衆生本来の心性のなかでの、果分から因分への働きかけという側面を有することになろう。
この側面について、妙楽大師は十不二門のなかで、自他不二門・受潤不二門・権実不二門として展開しているのである。
ただ、この法理はあくまで、衆生本来の究極の心性の関してのものであって、現実の衆生・凡夫は、この法理・心性を「理」として有しているにすぎない。したがって、これは、究極の悟りの世界から説かれたものであることに留意しておきたい。
四に果海円満とは諸法の自性を尋ねて悉く本性を捨て無作の三身を成す法として無作の三身に非ること無し故に蓮と名く
十八円満の第四である。ここで果海とは、仏界の境地である。諸法の自性とは九界のあらゆる衆生の生命をさす。この九界の一切衆生が妙法の当体であることを明かし、即身成仏せしめるのが妙法蓮華経である。
ゆえに、法としての無作三身でないものはないのであり、この仏界の果海に諸法森羅万象のことごとくが帰入するところを「蓮」と名づけるということである。
まず「諸法の自性」の「自性」とは、ものをしてそのものたらしめているゆえんのもの、あるいは、そのものの真実不変の本体、という意味である。したがって、前述した「理性」「法性」「実相」などと類似の内容を表わしているといってよかろう。
諸法の森羅万象が、さまざまで多様な差別相や差異相をもって存在しているのに対し、自性は、それら多様なる差別や差異を超えて実在し、それらを貫いている平等の本体をさしている。
この差別相の諸法と平等相の自性という立て分けももって本文をみると、その意味は明瞭となる。すなわち、多様で差別相をもって存在している「諸法」を、根底において統一し貫いている平等の真実=「自性」が何でるかを求めて尋ねていくと、「悉く本性を捨て」る事態に至る。
ここで「本性」とは、多様なる諸法の個々の事物・事象が相互に他とは異なる固有の性分を有しているところをさして述べたもので、いわば。事々物々の特質や個性のことをいっている。
つまり、事々物々のそれぞれの特質がなくなっていく、というのが、ここでの「本性を捨てる」ということである。その結果「無作の三身を成す」とあるように、諸法・森羅万象ことごとく「自性」に到達し、平等に「無作の三身」を成就すると結論されている。
さて「無作の三身」の「無作」とは「有作」に対する言葉である。有作は「作られたもの」という意味であり、因縁によって造られた現象世界の諸法のことをさし、この点においては「有為」と同義語といえる。
これに対して「無作」が立てられるのであるが、この「無作」と「有為」との対比が対照されて明確に説かれている。おそらく最初の書が、伝教大師の守護国界章であろう。ここに次のような、有名な文が出てくる。
すなわち「有為の報仏は夢の裏の権果、無作の三身は覚前の実仏なり」とある。
この文の意味を釈するにあたり、天台大師の仏身論からみてみることにしたい。
天台大師は法華文句巻九下に「釈寿量品」を叙述する段で、寿量品の久遠五百塵点劫成道の釈迦仏について次のように釈している。
「此の品の詮量は通じて三身を明かす。若し別の意に従わば、正しく報身に在り、何を以っての故に、義便に文会す。義便とは、報身の智慧は上に冥じ下に契うて三身苑足す。故に義便と言う。文会とは、我れ成仏してより已来、甚だ大いに久遠なるが故に、能く三世に衆生を利益したもうと、所成は即ち法身、能成は即ち報身、法と報と合するが故に、能く物を益す。故に文会と言う。此れを以って之を推すに、正意は是れ報身仏の功徳を論ずるなり」と。
天台大師は、久遠実成の仏について、通と別との二つの立場で解釈し、通じては、法・報・応の三身を明かし、別しては、報身が中心であると説く。いわゆる報中論三といわれるものである。
すなわち、報身の智慧は上の法身の理に冥じて境智冥合し、下は応身の慈悲に契って、ものを利益するので、報身を中心とするのである。
また、久遠の成道のとき、能く悟りを成じた智慧は報身であり、成じられたものは理である法身といえる。
そして、この法身と報身とが合してものを利益するのが応身であるから、三身のなかでも報身が中心になるのである。
しかし、中国仏教で、常に論議の対象となったのは、仏について法身とするか、報身とするか、ということであった。
法身というのは、無始無終の理法身のことで、永遠性が強調されはするが、衆生との具体的な関係が欠如するという欠点を有している。
これに対し、報身のほうは、因行果徳身といって、衆生・凡夫と同じく因行としての修行を積み重ねていった結果、獲得された仏身をさしている。
因行には凡夫として仏道修行を開始する始めがあるので「有始」であるが、獲得された仏身は永遠なる存在であるから「無終」なのである。
この報身の場合は、因行において、凡夫・衆生と同じ次元に立つゆえに、具体的に衆生とのつながりが深いという点で、そのつながりの全くない法身の抽象性より勝れていることになる。しかし「有始」である部分を含有しているので、永遠性の点で法身より劣ることになる。
更に、応身においては、具体的な仏の肉身であるゆえに「有始有終」であることはいうまでもない。こうして、法身中に報身中心をめぐって中国仏教は論争を繰り返してきたが、この論争が日本にも持ちこされて、伝教大師が引き継ぐことになった。
この論争に対して、伝教大師が一つの決着をつけようとしたのが、前述の守護国界章の文なのである。伝教大師も、天台大師の仏身観である。通じては三身、別しては報身中の「報中論三」を継承したが、その報身が有為、有始、無作であるとの、既成の仏教界からの批判を越えるための論を構想して述べたのが上の文である。
すなわち、天台大師のいう報中論三の「報身」は、いわゆる、権経爾前経におけるような、夢の裏の権果としての有為の報仏ではない。あくまで、天台大師が釈したのは、法華経の寿量品の久遠実成の仏であるということである。
言い換えれば、中国仏教の「法身か報身か」という論争における「報身」は、久遠実成の仏についてのそれではなく、凡夫・衆生が因行としての修行を次第に積み重ねた結果、始めて悟りを覚するという意味での、因行果徳身であり、どこまでも、始成正覚した仏における三身の一つにすぎない。したがって、この場合の報身は、権教において説かれたところの、歴劫修行を積み重ねた結果、得られた後であるがゆえに「造られた仏」「報われた仏」にすぎないのである。
しかも、歴劫修行の果てに到達されるものであるから、本当に到達し得るか否かについては、保証のかぎりではない、といえるであろう。ゆえに、「夢の裏の権果」となるのである。
これに対し、天台大師が久遠実成の仏に関して釈した「報中論三」の報身は、「無作の三身」における報身であり、「覚前の実仏」であると、伝教大師は強調したのである。
ここでの「無作」「覚前」の意味であるが、「無作」はまさに「有作」「有為」「有始」を越えているということであり、「覚前」とは「覚」すなわち、修行の結果、始めて悟りを覚するということの「前」の意であり、始覚的な在り方を越えているということを意味いている。「無作」「覚前」いずれの言葉も、始成正覚を超えて久遠実成の仏を表わすためのものである。
このように、伝教大師は、始成の権果・権仏における三身に対して、久遠の実仏の三身が存在することを明らかにしたのである。
ゆえに、同じ守護国界章において「権経の三身は無常を免れず。実教の三身は倶に体、倶に用なり」とも述べているのである。
ここで「実教の三身」が「倶に体、倶に用」とあるのは、「権教の三身」においては、法身・報身を「体」として、応身を「用」とするのに対して「実教の三身」においては、体と用とを分ける浅い考え方ではなく、三身とも「体」といえばすべて「体」、「用」といえばすべて「用」となるような、永遠に一体なるものとしてとらえるところを「俱体俱用」といっているのである。
日蓮大聖人が開目抄で、法華経本門の寿量品の二品を除く諸大乗教は「法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず」(0198-07)とされ、湧出・寿量の二品のみに法・報・応三身の無始無終を明かす顕本が説かれている、と仰せられている。まさに「実教の三身」の「俱体俱用」の論を踏まえてのことであると拝される。
「無作の三身」とは修行の結果始めて覚された「有作」「有為」「有始」ではなく、久遠以来常住し続けている本来的な三身であるから、もはや通常の意味での仏身の次元を超えて、永遠普遍の真理・真如における三つの側面になる。
この真如の三つの側面とは、真如そのものが「法身」にあたり、真如を悟る智慧が「報身」にあたり、これら真如と智慧が具体的な形あるものへと顕現していく力動性が「応身」とされているのである。
このようにとらえると、「無作の三身」は、いわゆる仏身論を超越して、宇宙・自然・人間を貫く永遠普遍の「生命」を表す原理となるのである。
修禅寺日記の「果海円満」の項における「無作の三身」はまさに、宇宙・自然・人間を貫く永遠普遍の「生命、の意味で用いられていることが明瞭となろう。
つまり、前述したように、諸法・森羅万象の自性を尋ねていくと、森羅万象の個々の特性や固有の成分がなくなって、ことごとくそれらを共通して貫いている「無作の三身」を成ずるに至る、というのがこの文の意味なのである。
この無作の三身の真理・真如の世界をここでは「果海」、すなわち仏界の海にたとえているのである。なぜなら、無作の三身即真如の世界はことごとく包含しているからである。
ゆえに、本文に「法として無作の三身に非ること無し故に蓮と名く」とあり、諸法・森羅万象が、真如・無作三身の仏果の大海にことごとく帰入し包含されているところを「蓮」と名づくと、結論しているのである。
五に相即円満謂く煩悩の自性全く菩提にして一体不二の故に蓮と為す
十八円満の第五である。法華経においては、煩悩と菩提とが相即して一体不二であるところを「蓮」と名づける。ということである。
「煩悩の自性」とは、煩悩を煩悩たらしめている本性のことであり、この煩悩の自性はそれ自体、菩提にほかならないというのである。
法華経を説くところでは、九界の生命は即妙法の当体である。したがって、煩悩を起こす九界の衆生の生命が「煩悩の自性」であり、それは即、無上の菩提を体現した仏の生命「無作の三身」でもある。
ゆえに、煩悩の自性は菩提になる。結局、煩悩と菩提は相即して一体不二であるゆえに、蓮となすのである。
さて、「相即」という概念であるが、これについて中国における宗代の天台僧・四明知礼は、十不二門指要鈔卷上で次のように明快に説いている。
「まさに知るべし、今家に即を明かすは、永く諸師に異なることを。二物相合にあらず。及び背面相翻にあらず、直ちに当体全是を須いて方に名づけて即となすを以ってなり、なんとなれば、煩悩生死、既にこれ修悪なるも、全体、即ちこれ性悪法門の故に、断除し、及び翻転すべからざるなり。諸家は性悪を明かさず、遂に悪を翻じて善となし、悪を断じて善を証すべきが故に、極頓の者も、よって本悪なく、元これ善と云う。既に悪を全うして、これ悪なることあたわず。故に皆、即の義、成せず」と。
これによると、相即の「即」には
①二物相合
②背面相翻
③当体全是
の三つがあり、天台家は『当体全是』をもって『即』の意とすると述べている。
①二物相合というのは、煩悩と菩提、生死と涅槃、善と悪という二物がそれぞれ体を別々にしながら合していることを「即」とするものである。この場合は、煩悩・生死・悪を断じ、除外して、それぞれ菩提・涅槃・善を顕現することが修行の目的にならざるをえない。天台においては、この「即」は通教の考え方とされる。
②背面相翻というのは、先の二物は面と背のような関係にあって、現象した姿は別ではあるが、本体は一つであるという「即」である。換言すれば、一つの「理」が縁に随って煩悩にも菩提にもなる、ととらえるものである。この場合は、煩悩・生死・悪を翻して、転換して、菩提・涅槃・善を顕現するということになる。天台においては、この「即」は別教の考え方として位置づけられている。
③当体全是というのは、煩悩・生死・悪と菩提・涅槃・善とが対立し、相互に否定して媒介しあう関係でありつつ、その関係は当体のままが即一であるとするものせある。
天台大師は、①二物相合、②背面相翻の「即」について十不二門指要鈔卷上で「諸家は性悪を明かさず、遂に翻じて善となし、悪を断じて善を証すべきが故に…故に皆、即の義、成せず」と破折している。
つまりAとBとは、相互に対立し矛盾しながら、Aが存在するのはBによってであり、Bもまたその存在をAによっている、という関係の在り方そのものを、③当体全是とたてるのである。
修禅寺日記の相即円満が、この当体全是の「即」の原理に基づいているということはいうまでもない。ここで、煩悩の自性は全く菩提であるから、煩悩と菩提は一体不二、と述べている。
まさに、煩悩の自性、すなわち煩悩を成立させている本源のものは菩提であり、その逆も成り立つのであり、このような、煩悩と菩提との関係性そのものを「一体不二」と釈し、これを「蓮」と名づく、としているのである。
日蓮大聖人は当体蓮華抄で大方円覚修多羅了義経の文、「一切諸の衆生の無始の幻無明は皆諸の如来の円覚の心従り建立す」や摩訶止観の「無明癡惑・本是れ法性なり癡迷を以っての故に法性変じて無明と作る」という文を引用されているが、これも本抄の「煩悩の自性全く菩提」と同じことをあらわしており、当体全是の「即」に基づいておられるのである。
六に諸教円満とは諸仏の内証の本蓮に諸教を具足して更に闕減なきが故に
十八円満の第六である。「諸仏の内証の本蓮」とは、同じ修善寺日記の「蓮の教」を明かす段で「和尚、証道の八相は無作三身の故に四句の成道は蓮教の処に在り唯無作の三身を指して本覚の蓮と為す。本蓮に住して」とあるように、あらゆる仏の内に証得した境地が無作の三身であるということである。
一切の仏の内証が我が身は妙法の当体なりということであるから、あらゆる仏が、化他のために説いた一切諸経も、この「内証の本蓮」に期一し具足される。蓮の名称はこの「諸経が円満に妙法に具足される」ことをあらわすということである。
無作の三身が諸仏の内証、すなわち、あらゆる仏がその内奥において悟った本有常住の真如の三つの側面であることは明白である。
この「内証の本蓮」に、諸教を具足して闕減がない、と述べている「諸経」とは、仏が衆生に対して説法したあらゆる言葉や教え、言い換えれば、大小・権実・本迹に立て分けられる仏の一代聖教のことである。
一切の諸教というのは、その本源を尋ねていくと、ことごとく本有常住の無作三身に帰していくのである。
逆にいえば、仏が本有常住の無作三身を悟っているからこそ、ここから衆生救済のためのあらゆる教えが説かれるのであり、無作三身の悟りから離れて説かれるような教えは一つとしてない。というのが「諸教を具足して闕減無し」の文の意味である
七に一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に
十八円満の第七である。只今刹那の凡夫の一念がそのまま三千世間を微塵も余さず円満に具足するところを「蓮」と名づけるのである。
一念の心とは「根塵相対して」起こるのである。ここで根とは眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・善根の六根をいう。
これに対し、六塵とは六境のことで、六根のそれぞれに対応する色塵・声塵・香塵・味塵・触塵・法塵である。
これらの根と塵とが相対した時に、「一念の心」が起こる、というのである。「一念」とはまさに、刹那、一瞬の心のことである。
さて、この「一念の心」を理解するために、天台大師の摩訶止観第五卷上第七章、正修止観において説かれた十境・十乗観法の中の「陰界入境」と「観不思議境」について触れておきたい。
十境というのは、止観の修行者が今現に直面しているか、以後の修行の進展のなかで直面するであろう、十種の対境をさしている。
その十境とは
①陰界入境
②煩悩境
③病患境
④業相境
⑤魔事境
⑥禅定境
⑦諸見境
⑧増上慢境
⑨二乗境
⑩菩薩境
のことである。
次に、十乗というのは、先の十境の一つ一つについてなさるべき十種の観法をいう。すなわち、
①観不思議境
②起慈悲心
③巧安止観
④破法遍
⑤識通塞
⑥修道塞
⑦対治助開
⑧知次位
⑨能安忍
⑩無上愛
の十種である。
これらのなかで、とくに重要視されたのは、十境・十乗のそれぞれの筆頭である、陰界入境と観不思議境である。
つまり、止観の修行者が直面している「陰界入境」が不思議であることを諦観する観法を行うことがそれであう。
陰界入境とは、陰すなわち五陰、入すなわち十二入、界すなわち十八界、のことで、これを「三科」という。
五陰は色・受・想・行・識で、人間を構成する身・心の要素を内面的にとらえたものである。
十二入は、六根と六境とが相互に相即相入しあう関係をとらえている。
この六根と六境のそれぞれが接触し相入しあうとき、六根が成立するのである。
この六根六境と六識を合して十八界となる。このうちの六識は五陰のなかの「識陰」にあたることはいうまでもない。
ゆえに、摩訶止観では「然るに界内外の一切の陰入はみな心に由って起こる。仏、比丘に告げたまわく、『一法に一切の法を摂す、いわゆる心これなり』と。論に云く『一切世間の中にただ名と色とのみあり、もし実のごとく観ぜんと欲せば、ただまさに名色を観ずべし』と。心はこれ惑の本、その義かくのごとし、もし観察せんと欲せば、すべからくその根を伐り、病に灸するに穴を得るがごとくすべし。いままさに丈を去って尺に就き、尺を去って寸に就き、色等の四陰を置いてただ識陰を観ずべし。識陰とは心これなり」
すなわち、「三界の内外の一切の陰人」はみな心に由って起こる、とあるように、三界の内は六道、三界の外は四聖、言い換えれば、迷いと悟、九界と仏界、無明と法性のすべての陰人はみな心によって起こるのである。
したがって、惑に迷うのも、覚に目覚めるのも、結局、心に由るといっているのである。ゆえに、このすべての根本というべき「心」を観察しようとするならば、病むところに鍼灸をするように、穴を得なければならない。そして、その穴にあたるのが、陰入界の三科のなかの五陰、なかでも、識陰であると述べている。
ゆえに、丈を去って、尺に就き、尺を去って寸に就き、その五陰のなかでも、色等の四陰を置いて識陰を観ずべきであると述べているのである。
摩訶止観で、天台大師は、陰界入境について述べるくだりで、陰界入境を十境の初めに置く理由として「陰が初めにあるのは二義あり、一つは現前、二には経による…また行人、身を受くるに、誰か陰入ならずして重担現前せん。この故に初めに観ずるなり」と述べている。そのなかでも、識陰こそ最も具体的に現前している対境といえよう。
通常、心と識と意の三つの言葉が「こころ」を現す言葉として使用されるが、天台大師においては、厳密にそれぞれを区別することはせず、ほぼ同じ意味で使っている。
また、色心不二、身心一如の立場を天台大師も当然となるわけであるから、ここで観法の対境としての識心を選んでいても、色・身を無視しているわけではない。
本来なら、色境というべき色・声・香・味・触などの諸「色」についても、識心と同じく、観法の対境にしてよいのであるが、観法の修行の便宣上、識心を選び取るまでにすぎない。
こうして、識心に対して「観不思議境」を行ずるのであるが、その際の到達すべき目標として、天台大師が明らかにした「不思議境」の姿が、一念三千の法門と称されているのである。
今、その文を挙げてみると、「夫れ一心に十法界を具す。一法界にまた十法界を具して百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界はすなわち三千種の世間を具し、この三千は一念の心に在りといわず。もし心なくば而已なん、介爾も心あればすなわち三千を具す。また、一心は前に在り一切の法は後に在りといわず、また、一切の法は前に在り一心は後に在りといわず、たとえば八相は者を遷すがごとし、物が相の前に在らば物は遷されず。相が者の前に在らばまた遷されず、前もまた不可なり、後もまた不可なり、ただ物の相の遷るを論じ、ただ相の遷るを物に論ずるなり、いまの心もまたかくのごとし、もし一心より一切の法を生ぜば、これすなわちこれ縦なり、もし心が一時に一切の法を含まば、これすなわちこれ横なり、縦もまた不可なり、横もまた不可なり、ただ、心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。故に縦にあらず横にあらず、一にあらず、異にあらず、玄妙深絶にして識の識するところにあらず。言の言うところにあらず、所以に称して不可思議の境となす。意ここに在るなり云云」とのべている。
ここで「一心」は後の「一念の心」と同じである。根・塵とが相対して起こる六識心王に十法界の差別相を具し、十法界に十法界を具して百法界、その一法界が十如是と三世間を具すので、百法界は三千世間を具すことになる。
この「一念」の識心に三千世間を具すという事態こそ、天台大師が「不思議境」と称した法門なのである。何ゆえに不思議であるかといえば、一念三千を具するという事態が思考・思議をこえているからである。
先の止観の文にもあったように、一心が前にあり、一切法が後に在る、とか、逆に「一切法が前に在り、一心が後に在る、というのであるならば、まだ思議することができる。また、一心から「縦に」一切法が生じてくる、とか、一心が「横に」一時に一切法を含む、といえば、また思議することができる。
しかし、天台大師はこれら思議できる在り方をすべて「不可」と否定したあと、真実の一念三千、すなわち一心と一切法との関係を「ただ、心はこれ一切の法はこれ心なるなり、ゆえに縦にあらず横にあらず、一にあらず異にあらず」と述べて「玄妙深絶にして識の識るところにあらず、言の言うことにあらず、所以に称して不可思議の境となす。意ここに在るなり」と結論している。
ここにも明確に説かえているように、一念三千とは一念から三千世間が生ずる、というものでもなく、また一念が一時に三千世間を含む、というものでもなく、ただ、心はこれ一切の法、一切の法はこれ心、という在リ方になっているのである。この在り方は「玄妙深絶にして」通常の認識では知ることができず、言葉でもって表現できる事態ではないので「不思議境」というのであると、述べている。
このように、根・塵相対して起こる只今刹那の凡夫の一念に三千世間の一切法が円満に具しているところを「一念円満」というのである。
ただし、このことは天台大師の観心の行において見いだされた究極の法門であって、いかに凡夫の一念に三千世間を円満に具していることが真理であっても、当の凡夫はそのことに無知なるがゆえに煩悩・業・苦の生を歩んでいるのである。
したがって、現実の凡夫にとっては、一念円満の法理はどこまでも潜在的、可能的な真実であり、それをどうするかが肝要である。
われわれ末法の凡夫は、御本仏日蓮大聖人の三大秘法の大御本尊を受持し唱題することにより、「受持即肝心」の法理に基づき、一念円満の当体となることができるのである。
八に事理円満とは一法の当体而二不二にして闕減無く具足するが故に
十八円満の第八である。
諸法のどの一法といえどもその当体に円満に三千諸法を具足して欠けるところがないことを「事理円満」と称し、このゆえに「蓮」と名づけるのである。
一念円満の項に明らかなように、一心これ一切法、一切法これ一心、という不思議境からすれば、一念であれ、一法であれ、いずれにおいても、一切法たる三千諸法を具することになる。
一心これ一切法、一切法これ一心、という不思議境を「理」とし、具体的で、縁によって生滅変化する差異的な事象を「事」とすれば、ここにどの一法、一念という「事」においても、「理」として三千諸法を具して闕滅なきことになるのである。
一切の凡夫の生命に三千世間を具足するのであるから、その当体において事と理が二にして不二の関係にある。
本文の「一法の当体而二不二にして闕減無く具足す」とある一法とは、具体的な、縁によって生滅する差異的な事象の一つ一つをさしている。その「一法」の当体には三千の一切法が具足していることはいうまでもない。
ゆえに、差異の事象としての「事」と不変平等の「理」とが二にして而も不二という形で円満に具足している。これを「事理円満」と称して、「蓮」と名づけるのである。
九に功徳円満謂く妙法蓮華経に万行の功徳を具して三力の勝能有るが故に
十八円満の第九は功徳が円満であるということである。
すなわち、妙法蓮華経の五字にはもともと万行の功徳を具足しており、「三力」すなわち、仏力・法力・信力の勝れた功能を円満に具足していうので「蓮」と名づけたということである。
修禅寺相伝私注には、この三力について次のように説いている。
「妙法の三力とは、一には法力、二には仏力、三には信力なり。初に法力とは、釈迦如来は本菩薩の道を行じたまいし時、諸の行願を修して五百塵点劫の昔に仏道を成じ、五百遠劫より、久しく思惟してこの経を説きたまい、三世十方の諸仏の自利・利他の功徳、八万法蔵の最要を号して妙法となしたもう。故に妙法の号を唱うる人は、過去に曾て成ぜし諸仏の行願を行者の身内に入れ、未来の諸仏の行願もまた来入すべし…次に仏力とは、不思議反勝経に云く、『我、阿私仙に従いて妙法を聞き、今、無上道を成ず。もし衆生ありて、この微妙の法において一念の信を起こさん。その時、我、十方の諸仏と与にその人の前に現ぜん。微妙の身を隠して或いは小身を現じ、行者の願をして必ずまさに成就せしむべし』と。釈迦如来の五百の大願の中の第五十二に云く、『我に微妙の法あり。もし衆生ありて至心に受持せは、速やかに無上道を成じ、第二生においては生死の身を受けじ。もししからずんば正覚を取らじ』と。釈迦如来、すでに誠諦の金言を以って、第二生において生死を受けじと誓いたもう。本願の深重なるによりて法華称念の輩の前に来て現に護持を加えたもうなれば、速やかに天命を開かん。これを仏力となす。次に信力とは、玄師の伝に曰く、『疑いを生じて信ぜざらん者は、たとい妙法に値うといえども、出離生死・証得菩提において猶預の心を生ぜん。この人は妙法不信の輩なり。或いは知識に従い、或いは経巻に従いて、妙法蓮華経を聞き、生死において更に怖れざる者、これを法華経を信ずる人と名づく』と。これ信心の力なり」と。
ここに述べられているように、法力とは、釈迦如来が五百塵点劫の昔に成道して以来、説き続けてきたのが法華経であり、そこには、三世十方の諸仏の自利・利他の功徳が収まっているのである。
つまり、三世十方の諸仏の自利・他利の功徳が収まっているとは、三世十方の諸仏のかつて成じた菩薩の行願と、仏果を得てからの衆生救済の功力が収まっているということである。ゆえに、法力とは、妙法蓮華経に備わる三世十方の諸仏の自利・利他の功徳、ということになる。
次に、仏力とは、釈迦如来は自身の所有する「微妙の法」を、衆生が至心に受持するならば、速やかに無上道を成じ、次の世において生死の身を受けないことを願として立てた。そしてその願は、もしそのような結果にならなければ、釈尊自身、正覚をとらない、というものである。
このような大願を立てて釈迦は正覚を得て成道したのであるから、「微妙の法」には衆生救済の力、すなわち仏力が具足しているのである。
更に、信力とは、智慧によるにせよ、経巻によるにせよ、妙法蓮華経を聞いた衆生は、生死を恐れない心が生ずる。つまり、信力とは、妙法を信じ抜くことによって得られる、生死を恐れない力のことであり、これも妙法それ自体に具わる力なのである。
この三力について、要約して述べると、法力とは、妙法蓮華経に具わっている三世十方の諸仏の自利・利他の功徳力、仏力とは、仏が衆生を必ず成仏に導くという自らの大願を護り念じ続ける力、信力とは、修行者が妙法を生死を恐れず信じ抜く力、ということになろう。
妙法には、万行の功徳が具わり、とくにこの三力において勝れていることを「功徳円満」と称し、ゆえに「蓮」の名がつけられたというのである。
十に諸位円満とは但だ一心を点ずるに六即円満なるが故に
十八円満の第十である。
文中の「諸位」とは、さまざまな仏道修行の位をさしている。例えば、ここで挙げられている六即の位がその一つである。これらの六即の諸位が「一心を点ずる」ときに、その一心に円満に具足しているところをさして「蓮」と名づける、というのである。
「一心」ちは、いうまでもなく、「一念円満」の項で解説したように、一心即一切法の一心であり、また一念三千の一念である。
また、本文の「一心を点ずる」の「点ずる」とは「読む」ということである。「一心を転ずる」とは、寿量品の「一心欲見仏」の「一心」の読み方である。
義浄房御書に「一心に仏を見る」(0892-12)「心を一にして仏を見る」(0892-12)「一心を見れば仏なり」(0892-12)と示されているように、それぞれの読み方によって「一心」はさまざまな意味をもってくる。「一心に仏を見る」の一心とは、理即・名字即の凡夫の一心であり「心を一にして仏を見る」の心は、観行即・相似即の心である「一心を見れば仏なり」の「一心」は分真即・究竟即にあたると考えられる。
このように、一心には六即の諸位を円満に具足しているゆえに「蓮」と名づけるのである。
十一に種子円満とは一切衆生の心性に本より成仏の種子を具す・権教は種子円満無きが故に・皆成仏道の旨を説かず故に蓮の義無し
十八円満の第十一は、法華経を信受するならば、いかなる衆生の心性にも成仏の種子が具足する。この種子が円満に具足することをもって「蓮」と名づけるということである。
「一切衆生の心性」とは、一切衆生の心の本性のことであり、この「心性」に「本より成仏の種子を具」していると説いたのが法華経である。「成仏の種子」とは、十界互具・百界千如・一念三千・一心是一切法のことである。
なぜ、この一念三千、一心是一切法の法理が成仏の種子となるかといえば、この法理を悟り、この法理に目覚めることがとりもなおさず、成仏そのものであるからである。
日蓮大聖人の仏法においては、ここに説かれた「成仏の種子」が南無妙法蓮華経・御本尊であることはいうまでもない。
それに対し、権教の方便諸経は成仏の種子を明かさず「皆成仏道の旨」を説かない。したがって、権教には蓮の義なく、実義・法華経のみに蓮の義があるのである。
十二に権実円満謂く法華実証の時は実に即して而かも権・権に即して而かも実・権実相即して闕減無き故に円満の法にして既に三身を具するが故に諸仏常に法を演説す
十八円満の第十二は権実が欠けることなく具足しているということである。
本文にある「法華実証の時」とは、法華経の法理を実際に証悟したとき、ということであり、それは、一念が十界を具し、十界が十界を互具して百界となり、ひいては三千世間を具足するという生命の真実の姿を悟ったときということである。権実の権とは九界をさし、実とは仏界である。十界三千諸法が一念に円融相即しているのであるから「実に即して而かも権・権に即して而かも実・権実相即して闕減無き」となることは明らかである。
今この文を理解するために、一念が十界を具す、という最も簡潔な妙法蓮華経の法理に即して把握することにしたい。
十界とは、実と権からなっていることはいうまでもない。
つまり、法華の実証に入った時には、権と実の双方を一念が具足していることを悟ったことになるのである。
ゆえに、一念に本来、権実が相即して円満に闕減することなく具足していることを悟ることになる。この法理を悟ると、権と実のいずれを取るとか捨てるとかということではなくなり、仏界の実に即して九界の権があり、九界の権に即して仏界の実がある、という生命の究極の事態に目覚めることができるのである。ここをさして本文では「円満の法」と述べているのである。
「既に三身を具するが故に諸仏常に法を演説す」とは、仏自身の生命も九界の権と仏界の実を具えているゆえに、仏は三身具足の仏としてこの世に常住し、常に法を説いて衆生を教化されるということである。
ゆえに、三身を具している諸仏と諸仏の自性としての妙法蓮華経とは、仏・法一体となるから、「諸仏常に法を演説す」ということになるのである。
更に権実円満について一言付け加えれば、先に、妙法に具する十界の法理から権と実の相即を論じたが、これを仏が一切衆生を化導する立場からとらえると、次のようになろう。
仏は自らが悟りを開いた後、その悟りそのものを衆生に教えるにあたり、最初から教えると、かえって衆生が誤解したり逆に誹謗したりしかねないので、衆生の機根を考えて、まず、仮の教えとして権教を幾段階かにわたって説き進め、次に、衆生の機根が仏の悟りそのものを受け入れることが可能となった段階で、悟りの内容を内に含んだ実教・法華経を説くのである。これが権教を捨てて実教へ入る過程である。
しかし、本文であるように「法華実証の時」すなわち、実教・法華経が実際に説かれるということは、仏の自内証の悟りを明かすと同時に、何ゆえに仏は権教を初めに説き、最後に実教・法華経を説のかという、衆生教化の意図をも明確にしたことにもなるのである。
仏の衆生教化の意図が法華経を説くことによって明確化されたということに焦点を置いて、「実に即して而かも権・権に即して而かも実・権実相即して闕減無き」という本文によると、仏が権教を説いているときでも、その心奥には実教・法華経があり、実教・法華経が説かれるのもあくまでそれまで説いてきた権経を開くことによって初めてなされうる、という関係になっているということであり、したがって、仏の説く一切経には権と実とが相即して欠けるところがないという意味ななるのである。
いずれにしろ、仏の教化の立場からみても、妙法の法理の立場からみても、権実相即して円満なるところを「蓮」の名をもって表すのである。
十三に諸相円満謂く一一の相の中に皆八相を具して一切の諸法常に八相を唱う
十八円満の第十三は八相がことごとく具足しているということである。
八相とは、いうまでもなく仏の八相であり、仏の三身論でいえば、応身仏の八つの相ということができる。
天台大師も、法華文句において八相成道を応身如来の釈のなかで説き明かしているが、それによれば、八相とは下天・託胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入涅槃となっている。
要するに、八相とは、仏が有縁の衆生を救うために世に出現して、成道を中心として一生の間に八種の相の推移を辿ることを示したものである。
ところで、修善寺決では、法・報・応の三身を各別に論ずるのではなく、一切の諸法ことごとく無作三身と立てるのであり、したがって、八相成道も、「円教三身」においては、単に応身のそれだけではなく、あらゆる一切諸法の無作の三身の特質を表わすことになる。したがって、十界各界の衆生もそれぞれ八相を示すことになるのである。
このように、万物・万象の生住異滅の変化相にまで適用される八相を「証道八相」という。
いま「一一の相の中に皆八相を具して一切の諸法常に八相を唱う」とある「一一の相」というのは、万物・万象の生住異滅の変化相のことであり、この変化相のなかに「皆八相」を具足しているがゆえに、「一切の諸法常に八相を唱」えているということになるのである。
このように森羅万象の諸相に八相を円満に具すゆえに「蓮」と名づけるのである。
十四に俗諦円満謂く十界・百界乃至三千の本性常住不滅なり本位を動せず当体即理の故に
十八円満の第十四は、十界三千の一切法が即、妙法蓮華経であるということである。
俗諦とは真諦に対する要後で、「諦」とは「真実不虚」「あきらか」「つまびらか」の意で、真理・道理を指し示す。
この真理に、俗と真の二つの側面がある。すなわち世俗・世間のうえでの真理が「俗諦」であり、「世諦」とも「世俗諦」ともいう。これに対し、出世間の真理が「真諦」であり、「勝義諦」とも「第一義諦」とも称する。
この真・俗二諦について、天台大師は法華玄義卷二下に「夫れ二諦とは、名は衆教に出でたり、而も其の理は暁らめ難し。世間紛紜として由来碩に諍う」すなわち、真・俗二諦の名は多くの諸教に出てくるが、その意義、つまり、何を真諦とし何を俗諦とするかをめぐって、諸説紛々としてその意味は一定していないと述べ、さまざまな二諦説を紹介した後、次のように結論している。
「取意存略せば但法性を点じて真諦と為し、無明十二因縁を俗諦と為すに、義に於て即ち足る」と。
つまり、「法性」をもって「真諦」とし、「無明十二因縁」をもって「俗諦」とするのが正しいというのである。
更に、この天台大師の文を釈した妙楽大師は法華玄義釈籤卷二下においては「秖一法を点ずるに二諦宛然たり。俗は即ち百界千如。真は即ち同じく一念に居す」と説いている。
すなわち、真諦は真如法性の一念をさし、俗諦は因縁によって生ずるところの百界千如三千の万有差別の相をさすとしている。
更に、天台大師は、真・俗二諦の関係について法華玄義卷二下で「円教の二諦とは、直ちに不思議の二諦を説くなり。真は是れ俗、俗は即ち是れ真なり…不二にして而も二なれば真俗を分かつのみ」とも説いている。
以上の天台大師、妙楽大師の釈を参考に「十界・百界乃至三千の本性常住不滅なり本位を動せず当体即理の故に」の文を考えると「十界・百界乃至三千」とあるのは「俗諦」を述べたもので、その常住不滅の本性、「当体理即」の「理」が真諦にあたることが明白である。
すなわち、十界・百界ないし三千の諸法が差別相を持したまま、そのままが「常住不滅」の真理である、という意味である。諸法が差別相を持したまま真如であることを「本意を動せず当体即理」と述べているのである。
「本意を動せず」とは、諸法の本来の位を人為的に造作を加えずに、ということであり、ありのまま、そのまま、の意味である。
また「当体即理」とは、森羅三千の諸法の当体が法性真如の理である、ということであり、ここに、真諦俗諦不二の立場がよくあらわれている。
このように、俗諦がそのまま常住不滅の真如であるところが「俗諦円満」であり、このゆえに「蓮」と名づけるのである。
十五に内外円満謂く非情の外器に内の六情を具す有情数の中に亦非情を具す、余教は内外円満を説かざるが故に草木成仏すること能わず草木非成仏の故に亦蓮と名けず
十八円満の第十五である。
まず内外円満の「外」とが「外器」のことである。器とは器世間の略で、非情によって作られている依報のことである。「内」とは、有縁の心であり「非情の外器に内の六情を具す有情数の中に亦非情を具す」とある。
非情の外器とは「正報」である有情が住むところの「依報」として草木国土のことをさしている。
「非情の外器に内の六根を具す」とある「内の六根」とは、有情が有する喜・怒・哀・楽・憎の六つの感情をいう。すなわち、非情の草木国土にも有情の六根が具足されているということで、依報は正報の生命の変化を反映することをいう。
次の「有情数の中に亦非情を具す」とは、有情数のなかに非情が具されているとの意で、有情の体も髪・爪などを切っても痛くない非情を具していることをいうと考えられる。
この文は一往、有情とその環境としての非情の世界が相互に浸透しあっていることを述べたものであるが、再往はより本源的に依正不二を説いたのであり、この依正不二を明確に明かした法理が一念三千法門である。
あるいは、内である有情の心を「心」とし、外なる非情草木国土を「色」とすれば「色心不二」という法門をも表している。
すなわち、ここで強調されているのは、あくまで「不二」の法門であり、有情・非情・内・外・正報・依報・色・心が、いずれも相互に相即しあっているとういう天台大師の諸法実相を根本にしていることはいうまでもない。
本文の「有情数の中に亦非情を具す」というのも、有情・非情不二の法門を、有情数からとらえたものにすぎない。この諸法の不二・実相の法門によって初めて草木の成仏が決定されるのである。
この一念三千においてのみ内外円満となるのであり、一念三千の法門は法華経にのみ説かれるのである。ゆえに「余教は内外円満を説かざるが故に草木成仏すること能わず草木非成仏の故に亦蓮と名けず」と仰せられている。そして、依正不二、有情・非情にわたって妙法の体なることをまだ説き明かしていない余教では、草木成仏は成り立たない。
したがって、余教には「蓮」の名を与えることができない、と結論している。
十六に観心円満とは六塵六作常に心相を観ず更に余義に非るが故に
十八円満の第十六である。
本文にある「六塵」とは、先の「七、一念円満」の項に述べられていた「根塵相対して一念の心起る」の「塵」のことである。
「塵」とは「境」の異名で、六根に対する対境としての色・声・香・味・触・法の六境をさす。なぜ六境を六塵というかといえば、この六境は、ちょうど塵が物を汚すように、衆生の心を汚す原因となるからである。
次に「六作」というのは、六根が六塵に対した時に六識が生ずるが、この六識のそれぞれが六塵のそれぞれに対して起こす感覚作用をいい「六受」ともいう。
六塵・六作は、我々凡夫が日常的に起している通常の心や振る舞いであるが、この日常的な心や振る舞いをそのまま「観心」の修行の妙境として、そこに「常に」心相を観ずるのが法華経の観心であるがゆえに観心円満であり、法華経の題号の「蓮」の一字は、この観心が円満なることをあらわしているというのである。
「更に余義に非るが故に」とは観心の修行としては、凡夫の日常の心や振る舞い以外の対象を用いない、ということである。それは、凡夫の日常心即仏の心であり、無明即法性、一念即三千、一心是れ一切法、等の法理を根本にしているからである。
十七に寂照円満とは文に云く法性寂然なるを止と名く寂にして而かも常に照すを観と名くと
十八円満の第十七である。
引用されている文は摩訶止観・序のなかの一文である。
「円頓とは、初めより実相を縁ず、境に造るにすなわち中にして、真実ならざることなし、縁を法界に繫け、念を法界に一うす、一色一香も中道にあらざることなし。己界および仏界、衆生界もまたしかり、陰入みな如なれば苦の捨つべきなり、無明塵労即ちこれ菩提なれば集として断ずべきなく、辺邪みな中正なれば道の修すべきなく、生死即ち涅槃なれば、滅の証すべきなし、苦なく集なきが故に世間なく、道なく滅なきが故に出世間なし。純ら一実相にして実相のほかさらに別の法なし、法性寂然なるを止と名づけ、寂にして而も常に照らすを観と名づく、初後をいうといえども二なく別なし、これを円頓止観と名づく」とあるように、三種の止観のうち、円頓止観について述べているところである。
先の「十六、観心円満」の項において、凡夫の日常的な心である六塵・六作を観心の円満性としたが、それは何ゆえであるかという理由を明らかにした文といえる。実相のほかに別の法というのがないわけであるから、観心の対象としての凡夫の日常心を選んで、これを直ちに実相・法界・真実のあらわれとして「観ずる」ことができるのである。
「法性寂然なるを止と名く寂にして而かも常に照すを観と名く」と寂照を止観に配し、止観の「止」を「寂」とし「観」を「照」としている。
「法性寂然なるを止と名く」の「法性」とは森羅三千の諸法を真実の姿・実相を悟り究めた境地をいう。「寂然」とは、ひっそりとして静かな姿をしていることであるが、森羅三千の諸法の真実の姿が本来、不生不滅であることである。漢光類聚の一には「法性寂然は一心不生の故に」と説いている。これが「止」の面である。一心これ一切法、一切法これ一心の天台究極の法理に基づけば、法性寂然は、一切法が即一心である側面を述べていることになる。森羅三千の諸法といえども、その本性はそのまま一心であり、不生不滅なのである。このように悟ることを「止」というのである。
「寂にして而かも常に照すを観と名く」とは、この不生不滅の一心を悟った後、今度はその悟りの知見に基づいて、三千の諸法を捉え照らすとき、三千諸法の一つ一つの法を明確にありのままに観ることができる。これは、一心が即一切法の側面を述べていることになり、これは「照」「観」の側面である。
同じ漢光類聚の一には「法性常照とは三千具足の故に」と述べている。
このように止観行によって、三千諸法の真実の姿が「寂照円満」としてとらえているところを「蓮」と名づけるのである。
十八に不思議円満謂く細しく諸法の自性を尋ねるに非有非無にして諸の情量を絶して亦三千三観並びに寂照等の相無く大分の深義本来不思議なるが故に名けて蓮と為るなり
十八円満の最後である。
「諸法の自性」すなわち、もろもろの事物・現象の本来の姿は有でもなく無でもなく、もろもろの情量を絶しているという。
ここに「情量」とは、凡夫の思考・思慮のことであり、思考・思慮とは言葉によってなされるから、言葉によってあれこれ諸法の本性を探究するということである。
その「情量」が絶するということは、諸法の本性は、凡夫・衆生の言葉よる探索はとうてい及ぶことのできないところの真実であるということである。古来「言語道断・心行所滅」と表現されてきたことと同じ内容を表わしているといえる。諸法の真実の姿に対して、凡夫・衆生は「有」とか「無」とかの言葉を使って思考しつつ、これを把握しようとしてきたが、真実のとことはこれからの思考を「絶して」、結局「非有非無」としか表現しようのないところにある、ということである。
また「三千」「三観」「照」等、天台大師並びにその後継者達が、諸法の真実を指し示す言葉として使用してきた用語や概念も、所詮は方便にすぎない。
したがって、諸法の真実は、これらの用語や概念の分別を超えて、本来、全く「不思議」としか表現しようのない「妙法」であると説いているのである。
また「大分の深義」の「大分」とは、本抄の後に説かれている「蓮の体」に関する叙述のなかの「四には大分真如の体謂く不変・随縁の二種の真如を並びに証分の真如と名く」と述べられているのがそれである。
すなわち、真如は迹門・不変真如と本門・随縁真如の二つに分けられるが、このように分別した真理を不変・随縁の二相を包摂している真理を「大分真如」というのせある。
したがって「大分真如」の深義は不可思議の妙法そのものをさしており、このゆえに「蓮」と名づけるというのである。
座主の伝に云く玄師の正決を尋ねるに十九円満を以て蓮と名く所謂当体円満を加う
座主の伝として一つの文が引用されているところである。この座主は日本天台宗の座主をさしていると思われるが、具体的にだれをいうのか不明である。「玄師の正決」とある「玄師」とは中国天台宗の第五代座主・左渓玄朗のことと考えられる。「正決」とは正しい判決のことで、中国天台宗の玄朗座主の正しい判断によれば、という意味である。
すなわち、伝教大師が中国天台の道邃和尚から伝えられた法門は十八円満であるが、同じ中国天台の行満和尚から左渓玄朗へと伝えられた「正決」によると、十八円満に当体円満を加えて十九円満となっているという。
当体円満とは当体の蓮華なり謂く諸法自性清浄にして染濁を離るるを本より蓮と名く
十九円満の場合の当体円満というのは、当体の蓮華のことであり、当体の蓮華とは、一切衆生の当体が妙法蓮華経であることをいい、譬喩の蓮華に対する言葉である。
「自性清浄にして染濁を離るるを本より蓮と名く」の「諸法自性」とは、衆生を含む森羅万象の本来の姿をさし、それが「清浄」であって「染濁」を離れているところを「蓮」と名づける、と述べている。一切衆生の当体が妙法蓮華経であるから「諸法の自性」は清浄にして染濁を離れていることになる。
蓮華は蓮と果が同時に成ることから因果俱時をあらわすとともに、汚泥から生じながら汚泥に染まらない、という清浄さをその特質とする。ゆえに、諸法の自性が清浄で染濁を離れていることをもって「蓮」と名づけるのである。
天台大師はその法華玄義巻七下において「蓮華」の二字を解釈するに際し、蓮華に譬喩と当体の二義があるとして、次のごとく説いている。すなわち、譬喩の蓮華については「喩を蓮華に借りて妙法を譬う」と述べ、当体の蓮華については「蓮華は譬えに非ずして、当体に名を得、類せば、劫初には万物に名無く、聖人理を観じて、準即して名を作すが如し…今蓮華の称は是れ仮喩に非ず、乃ち是れ法華の法門なり。法華の法門は清浄にして因果微妙なれば、此の法門を名づけて蓮華と為ず。即ち是れ法華三昧の当体の名なり、譬喩に非ず」と述べている。つまり、天台大師は蓮華といえば草華の蓮華で法を教える譬喩でしかない、とされていたなかにあって、法華の法門そのものや法華三昧という修行自体が蓮華であるという解釈を施したのである。これが当体蓮華である。
そして、この当体の蓮華に基づいて「当体円満」が説き出されたのである。これが十九番目の「蓮」の名として挙げられたのである。
一経の説に依るに一切衆生の心の間に八葉の蓮華有り男子は上に向い女人は下に向う、成仏の期に至れば設い女人なりと雖も心の間の蓮華速かに還りて上に向う
ここに「一経の説」とあるのは、一行阿闍梨の著である「大日経疏」の卷四の説とされる。このなかに「八葉の蓮華」について次のようにある。
「即ち自心を観じて、八葉の蓮華と作せ。阿闍梨の言く、凡人汗栗駄心の状は、猶、蓮華の合みて、末だ敷かざる像の如し、筋脈ありて、之を約めて以って八分と成す。男子は上に向かい、女人は下に向かうと。先ず此の蓮を観じて、其れを開敷せしめ、八葉の白蓮華座となす」とある。
また、同じく卷十二には「将に学観せん者は、亦是の処に於いて蓮華の形を思え、所以何んとなれば、一切衆生の此の心は是れ蓮華三昧の因なり、末だ開敷せ令むること能わざるを以っての故に、諸の煩悩等の為に纏繞せらる。所以に自ら其の心の如実の相を了すること能わず。是の故に、先ず当に此の心処を観て、八葉蓮華を作して」とある。
一行阿闍梨は中国天台宗の僧であったが、インドから真言密教をもって渡ってきた善無畏三蔵に誑かされて、大日経にも一念三千法門があるとの邪義を立てた張本人である。ただし、ここでは「八葉の蓮華」の意義を明かすうえにおいて有効であるがゆえに用いられている。伝教大師もこの観点から、経文の内容を引用していることはいうまでもない。
文中の「汗栗駄」とは、凡語フリダヤの音写で、心臓のことである。この訳文の意味は、凡人の心臓の形は、ちょうど、植物の蓮華がつぼんで開いていない姿に似ている。この心蔵には筋脈が付いていて、ちょうど八つに分かれているように見える、という。ここから、人間の心蔵のことを「八葉の蓮華」といったのである。
なお、伝教大師の守護国界章の卷中之中には「妙法蓮華胎蔵曼荼羅はただ喩えの名のみにあらず」とあって、伝教大師以来、当体の蓮華の例として八葉の蓮華からなる胎蔵界曼荼羅を挙げる場合がある。胎蔵界曼荼羅とは、密教曼荼羅の二つの曼荼羅のうちの一つである。
密教曼荼羅には、大日経から構成される胎蔵界曼荼羅と金剛頂経から構成される金剛界曼荼羅の二種類あるが胎蔵界曼荼羅は十二院からなり、その中央に位置する中央院には八葉の蓮華が描かれている。中心の華台には大日如来が坐し、この華台を囲んで周りに八つの葉があり、それぞれの葉には、四仏・四菩薩が配置くされている。これは御義口伝の「八葉九尊の仏体なり」(0708-10)と仰せられているものである。
更に、八葉の蓮華が「男子は上を向い女人は下に向う、成仏の期に至れば設い女人なりと雖も心の間の蓮華速かに還りて上に向う」という文は、古代・中世においてはこのように信じられていた。
然るに今の蓮仏意に在るの時は本性清浄当体の蓮と成る若し機情に就いては此の蓮華譬喩の蓮と成る
同じ蓮が、仏意におけるときと機構におけるときとでは、その意味あいが異なることを述べている。「仏意」とは、仏の本意ということであり「機情」とは、衆生・凡夫の心ということである。
すなわち、同じ蓮が、仏の本意からみると、当体の蓮華として、本来清浄な姿そのままの蓮となるのに対し、衆生・凡夫の心の立場では、「妙法」を分かりやすく教え示すための譬喩となるというのである。
1363:17~1364:02 第三章 蓮の体を明かす四義を挙げるtop
| 17 次に蓮の体とは体に於て多種有り、 一には徳体の蓮謂く本性の三諦を蓮の体と為す、二には本性の蓮体三千の 18 諸法本より已来当体不動なるを蓮の体と為す、 三には果海真善の体一切諸法は本是れ三身にして 寂光土に住す設 1364 01 い一法なりと雖も三身を離れざる故に三身の果を以て蓮の体と為す、 四には大分真如の体謂く不変・ 随縁の二種 02 の真如を並びに証分の真如と名く本迹寂照等の相を分たず諸法の自性不可思議なるを蓮の体と為す。 -----― 次に蓮の体とは、体については多くの種類がある。一には徳体の蓮であり、本性の三諦を蓮の体とするのである。二には本性の蓮体であり、三千の諸法は本よりこのかた当体が不動であることを蓮の体とするのである。三には果海真善の体で、これは、一切諸法は、もとは法報応の三身であって寂光土に住むのである。たとえば一法であっても三身を離れることはないゆえに三身の果をもって蓮の体とするのである。四には大分真如の体である。これは不変真如・随縁真如の二種の真如をいずれも証分の真如と名づけるのに対し、本迹・寂照などの相を分けず、諸法の自性がそのまま不可思議であるのを蓮の体とするのである」と。 |
蓮の体
妙法蓮華経の一字一字に名・体・宗・用・教の五重玄があり、ここでは蓮の体について、四種を示している。①徳体の蓮②本性の蓮体③果海真善の体④大分真如の体、である。
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徳体の蓮
一切諸法にはもともと空仮中の三諦が欠けることなくそなわっていること。十八円満抄の蓮の体の項には「一には徳体の蓮謂く本性の三諦を蓮の体と為す」とある。
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本性の三諦
一切衆生に本来そなわっている空仮中の三諦。
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三諦
仏が覚った究極の真理を三つの側面から捉えたもの。諦とは、明らかな真実・真理のこと。天台大師智顗は『法華玄義』『摩訶止観』で、空諦・仮諦・中諦の三つを挙げている。①空諦は、あらゆる事物・事象(諸法)には不変的・固定的な実体はなく空であるという真理。②仮諦は、あらゆる事物・事象は空なるものであって、因縁によって仮に生起する(縁起)ものであるという真理。③中諦は、中道第一義諦ともいい、空と仮をふまえながら、それらにとらわれない根源的・超越的な面をいう。天台大師は法華経の教説に基づいて三諦の法門を確立した。蔵・通・別・円の四教に即していえば、蔵・通の二教は中道を明かさないので三諦が成立せず、別教と円教には三諦が説かれる。別教の三諦は、「但空・但仮・但中」として互いに隔たりがあり、融和することがない。また修行において、初めに空を観じて見思惑を破し、次に仮を観じて塵沙惑を破し、さらに中道を観じて無明惑を破すという段階的な方法を取り、順に歴ていくことが求められる。それ故、隔歴の三諦という。これに対し、円教の三諦は、三諦のそれぞれが他の二諦を踏まえたものであり、三諦は常に「即空・即仮・即中」の関係にある。究極的真実を中諦にのみ見るのではなく、空諦も仮諦も究極的真実を示すものである。したがって、一は三に即し、三は一に即して相即相入する。これを円融三諦という。この円融三諦の法門は、個別と全体、具体と抽象、差別と平等などの対立する諸原理が相互に対立による緊張をはらみながら同時に融即するという、一側面に固執することのない融通無礙の世界観を開くものである。この三諦を一心に観ずることを一心三観といい、天台大師は一心三観の中核として一念三千の観法を立てた。
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本性の蓮体
法界三千の諸法の当体はもともと真如実相であり、不変不動であること。
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三千の諸法
一念三千の法門における三千の法門のこと。一念三千を諸法実相に約せば一念が実相・三千が諸法となる。
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果海真善の体
仏果の真実で正しい本体。一切諸法は本来、無作三身の当体であり、広大な仏界に住することをいう。真善とは真実の善、最高の善のこと。
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大分真如の体
妙法蓮華経には随縁真如・不変真如の二真如をともに具していること。この二真如をそれぞれ小分の真如として、不変・隨縁のに真如の分がたずところを大分の真如の体としている。
―――
不変・随縁の二種の真如
不変真如の理と随縁真如の智をいう。①不変真如の理。真如の「真」とは、「真実」ということであり、「如」とは「ごとく」「そのまま」「ありのまま」。「不変真如の理」とは、永久に変わらざる真実。真正の法理。ほけきょう迹門では、諸法実相に約して十界互具・百界千如・一念三千の理を説き明かした。これ不変真如の理である。天台大師は大御本尊出現に先立ち、摩訶止観で理の一念三千法門を説いた。これまた不変真如の理となり、大聖人の一念三千当体の法門からみれば迹門となる。②随縁真如の智。縁に従って、刻一刻と変化しゆく事象に対応した幸福への生命活動をいい、仏界を涌現すること。一念三千の当体の生命の確立。仏の振る舞いを根本に、因果国に約して、一念三千を説き明かした本門は随縁真如の智となる。また、宇宙の森羅万象を説き明かした御本尊は、随縁真如の智とも不変真如の理ともなる。
―――
証分の真如
大分真如をしばらく隨縁・不変の二真如に分け、おのおのの真如を小分の真如という。
―――
本迹
法華経の本門と迹門のこと。本門は仏の本地をあらわした法門で、迹門は垂迹仏の説いた法門をいう。
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第二章に続いて伝教大師の修禅寺相伝日記の引用である。
蓮について、名・体・宗・用・教の五重玄を説き明かすうち、蓮の「体」を釈すところである。
初めに蓮の体については多くの種類があると断ったうえで、以下の文にみられるとおり、四義を挙げている。
一には徳体の蓮謂く本性の三諦を蓮の体と為す
四つの「蓮の体」を明かすなかの第一である。
初めに「徳体」とは、同じ修禅寺決の「法の五重玄」を明かすなかの「法の体」の項で次のようにあるところが参考となると思われる。すなわち、「法の体とは、或いは不変真如の理を以って体となし、或いは三千常住の本法を以って法体となす。総じて体を論ずるに三種あり、一には徳体、二には性体、三には不可思議体なり。徳体とは三諦なり、一切諸法は本より已来三諦の徳を具するなり。地獄の生に猛火等の色相を具するは仮諦なり。内心虚通するは空諦なり、色心一処に住するは中道なり、乃至仏界もまたかくのごとし…次に性体とは、三千の諸法これなり。三に不思議体とは、三千・三諦の名相を絶して言辞に説くべからざるなり。経に云く『諸法は寂滅の相なり』と」とある。
ここで、法の体というのは、不変真如の理や三千常住の法をさすと説かれている。ここに、徳体・性体・不可思議の三種が体であるとしている。
「徳体」とは、一切の諸法はどの法を取り上げても本来、三諦の徳を具足している、ということである。そして、一切諸法の一つの例として「地獄の生」を挙げ、これを三諦に配している。すなわち、地獄の衆生が猛火等に巻き込まれている姿が仮諦であり、地獄の衆生の内心が虚ろであるところが空諦であり、地獄の衆生の色心が同じところにあることが中道である、と述べている。
こうして、仏界に至るまでの十界のすべての諸法の体に三諦の働きがある、というのが「徳体」の意味であり、ゆえに、徳体の蓮を説いて、「法性の三諦を蓮の体と為す」と述べているのである。
二には本性の蓮体三千の諸法本より已来当体不動なるを蓮の体と為す
四つの「蓮の体」を明かすなかの第二である。
「本性の連体」とは、先の引用文中の「性体」にあたることは明白であろう。「性体」が三千の諸法をさしていたとおり、本性の蓮体も、三千の諸法を表し、その当体が本来真如実相で不変不動であるところを「蓮の体」とするということである。
三には果海真善の体一切諸法は本是れ三身にして寂光土に住す設い一法なりと雖も三身を離れざる故に三身の果を以て蓮の体と為す
四つの「蓮の体」を明かすなかの第三である。
「果海真善」の「果海」は、既に仏果を得て成仏し終わった心地を、ちょうど、波一つ起きない海が一切諸法・森羅万象の象をことごとく浮かべていることにたとえたものである。この仏果の境地は絶対の善であり、悪と相対したうえで説かれる善ではなく、善・悪の二元を超越した真実の善という意味で「真善」としている。
この、仏界の境地においては、一切諸法はことごとく本来、法・報・応の無作三身の当体なのであって、寂光土に住していることになる。
したがって「設い一法なりと雖も三身を離れざる故に三身の果を以て蓮の体と為す」とあるように、果海真善の体においては、たとえ一法であっても、法・報・応の三身を離れることはない。このように、一切諸法が三身の果を具しているところを「蓮」の体とする。というのである。なお、この、果海真善の体、の項は、十八円満の第四の果海円満の項と対比させて読むと、より明瞭になるであろう。
四には大分真如の体謂く不変・随縁の二種の真如を並びに証分の真如と名く本迹寂照等の相を分たず諸法の自性不可思議なるを蓮の体と為す
四つの「蓮の体」を明かすなかの第四である。
「大分真如」については、既に十八円満の第十八の「不思議円満」の項で少し触れておいたが、ここで、もう少し詳細に解説すると、次のようになる。
修禅寺決では、妙法の「妙」と「法」のそれぞれの「体」を明らかにするに際して、「法の体」については、先の「徳体の蓮」の項で触れたとおり、徳体・性体・不思議体の三つの体をもって論じている。これに対して「妙の体」を論ずるときは、大分真如を体として、本迹不変真如と本門随縁真如とを具するものとしている。この大分真如は、伝統的な天台教学の教理には全く存在しない、修禅寺決の新語である。
これに関して、修禅寺決の「妙体」を明かす文は「妙体とは、直ちに万法の自体を摂して、即ちこれ諸法の自体を談ず。機に依りてまた不同あり、迹門の心は、不変真如の一理を以って妙体となす。迹は情理に向かいて修行すれば、修行は理に帰して漠然たり、観心門の時は直ちに大真如を摂す。大真如とは不変・随縁一体にして二相を分かたざる体なり、大真如門において且く二義を以って分別するが為に不変・随縁の二種と名づく」とある。
ここに、妙体とは、直ちに「万法の自体を摂す」と述べているように、森羅万法・万象の「自体」すなわち、ありのままのところが妙体であるが、しかし、この諸法の自体を捉える側の機根の程度の相違に応じて、同じ諸法の自体も異なってあらわれている、というのである。まず、法華経迹門の対告衆である凡夫・二乗の機情にとっては、諸法の自体は「不変真如の一理」となる。凡夫・二乗の機情は、不変真如の一理を目標として設定して、これに向かって修行していった果てに、この一理に帰していく、という在リ方がふさわしいのである。
のこれに対して、法華経本門の衆生に対しては、久遠の仏の生命の事実に即して妙体を明かすのであるが、これを「随縁真如の事」という。
更に、観心門という究極の機根においては、不変真如・随縁真如の同一不二、理と事の同一不二、を表す「大真如」を妙体として説く、ということである。
逆にいえば、本来、諸法の自体としての「妙体」を説くときに、迹情に対しては「不変真如の理」、本門の衆生に対しては「随縁真如の事」というように、しばらく二義があるかのごとく分別して明かすということである。
さて、この修禅寺決の文を踏まえて本文をみると、大分真如の体、すなわち、観心門の究極の妙体について「不変・随縁の二種の真如を並びに証分の真如と名く本迹照等の相を分たず諸法の自性不可思議なるを蓮の体と為す」と説いている。この「証分の真如」とは、同じ個所の修禅寺決に「小分の真如」とあって、同じ意味と捉えるころができよう。すなわち、真如に不変と随縁の二種がある、とするのはどこまでも、大分真如それぞれの部分を説いているので「小分」の真如であり、部分的な証悟にすぎないのである。
これに対して、本門と迹門、寂と照などの相を分別せずに、諸法の自性が、言語道断・心行所滅の「不可思議」であることを悟る「大分真如」を「蓮の体」とするのである。
不変真如・随縁真如について
伝教大師の「三大章疏七面相承口決」には、この二種の真如について次のように説いている。すなわち「玄と文とは随縁不変二種の真如を以って本理と為し、摩訶止観の不二の大真如を以って本理と為す。不二の大真如とは又云く『真如の妙理に両種の義有り。随縁真如は縁起常住なり、不変真如は懝然常住なり、随縁不変、二種の真如は機に従いて別義あり、本性の真如は随縁不変の両相有すること無し。寂照不二の大相是なり』と。文に云く『寂照の二法は初後を言うと雖も二無く別無し。是を円頓止観と名づく』寂は是不変真如、照は是れ随縁真如なり」と。
すなわち、天台三大部のうち法華玄義と法華文句の二著は、随縁不変の二種の真如を本理とするのに対し、摩訶止観は、随縁・不変不二の大真如を本理とするのであり、この不二の大真如を、円頓止観の寂照不二の法理に即してみるとき、「寂」が不変真如、「照」が随縁真如、となるのである。
真如は、実相・法性・中道の異名であり、究極の悟りの内証であるが、これを、止観に約すと、「止」が「寂」で不変真如にあたり、「観」が「照」で随縁真如にあたるのである。
「寂照」の意義については、既に、十八円満の寂照円満の項でも触れたとおりであるが、止は森羅三千の諸法の真実の姿が「寂然」として不生不滅であることを表す。これが真如でいえば不変真如の側面にあたり、また、森羅三千の諸法の「理」となる。
観は森羅三千の諸法が寂然として不生不滅の理であることを悟った後、その悟りの智慧に基づいて、三千諸法をありのままに捉え返すとき、三千の諸法の一つ一つの法が差別相を持したまま、それぞれが流動しているダイナミックな姿をみることができる。これが、真如の随縁真如の側面であり、三千諸法を「事」として蘇生させた悟後の「智」となるのである。ゆえに「随縁真如の事」というのである。
1364:03~1364:11 第四章 蓮の宗を釈し蓮の六つの勝能を明かすtop
| 03 次に蓮の宗とは果海の上の因果なり、 和尚の云く六即の次位は妙法蓮華経の五字の中には正しく蓮の字に在り 04 蓮門の五重玄の中には正しく蓮の字より起る、 所以何ん理即は本性と名く本性の真如・ 理性円満の故に理即を蓮 05 と名け果海本性の解行証の位に住するを果海の次位と名く、 智者大師自解仏乗の内証を以て 明に経旨を見給うに 06 蓮の義に於て 六即の次位を建立し給えり故に文に云く 此の六即の義は一家より起れりと、然るに始覚の理に依て 07 在纒真如を指して理即と為し 妙覚の証理を出纒真如と名く、 正く出纒の為めに諸の万行を修するが故に法性の理 08 の上の因果なり故に亦蓮の宗と名く蓮に六の勝能有り一には自性清浄にして泥濁に染まず理即、二には華・台・実の 09 三種具足して減すること無し名字即.諸法即是れ三諦と解了するが故に三には初め種子より実を成ずるに至るまで華. 台・実の三種 10 相続して断ぜず観行即・念念相続して修し廃するなき故に四には華葉の中に在つて未熟の実真の実に似たり相似即五 には花開き蓮現 11 ず分真即、六には花落ちて蓮成ず究竟即、此の義を以ての故に六即の深義は源・蓮の字より出でたり。 -----― 「次に蓮の宗とは、果海のうえの因果のことである。和尚のいうのに『六即位は妙法蓮華経の五字のなかには、正しく蓮の字にある。蓮についての五重玄義の中では、まさしく蓮の宗から起こっているからである』と。それはなぜかといえば、理即は本性と名づけるのである。本性の真如は理性円満のゆえに理即を蓮と名づけ、果海本性の解行証の位に住するのを果海の位と名づけているのである。天台智者大師は自解仏乗の内証をもって明らかに経の主旨を見られるとき、蓮の義において六即の位を建立されたのである。それゆえに、文に『この六即の義は一家より起こっているのである』と。しかるに、始覚の理を拠りどころとしている在纒真如をさして理即とし、妙覚の証理にたつのを出纒真如と名づけるのである。まさしく出纒のために諸の万行を修行するがゆえに法性の理の上の因果なのである。ゆえに、また蓮の宗と名づけるのである。この蓮には六つの勝能がある。一には自性清浄にして泥濁に染またない。(理即にあたる)、二には華・台・実の三種が具足して欠けることがない(名字即にあたる。それは諸法が三諦であると解了するがゆえに)、三には初め種子から実を成ずるまで華・台・実の三種が続いて断ずることがない(観行即にあたる。念々が相続いて修し、念々が廃することがないゆえに)四には華葉の中にある未熟の実が真の実に似ている。(相似即にあたる)、五には花が開き蓮が現ずる(分真即にあたる)、六には花が落ちて蓮が成ずる(究竟即に当たる)この義をもってのゆえに六即の深義はその源は蓮の字から出ているのである」と。 |
蓮の宗
妙法蓮華経の一字一字に名・体・宗・用・教の五重玄があり、蓮の字の宗玄義を示している。「蓮」は果実、仏果であって無作三身のこと。「宗」は因果、「蓮の宗」とは無作三身の仏因・仏果をさす。
―――
和尚
仏教の僧の敬称である。また、「御僧」を表現するのに、特定の宗派で「わじょう」と言われているのを僧のことだと思い、それが一般化して「おしょう」と言われるようになったという説がある。本来の意味は、出家して受戒した僧が、日常親しく教えを受ける教師を指す。日本では、天平宝字2年(758年)に戒師として渡来した鑑真に対して「大和尚」の号が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に住職以上の僧への敬称となった。
―――
六即の次位
六即は天台大師の立てた法華円教を修行する菩薩の六種の修行位。「次位」は仏道修行における次第階位のことで、修行において次第に進んでいく位をいう。
―――
理即
天台の立てた六即位のひとつ。理の上で仏性を具しているというのみの凡夫の位。
―――
解行証
解とは解了であり信解である。行とは実践行であり、自行化他にわたる題目である。証とは悟りであり、最高の悟りは成仏である。
―――
智者大師
天台大師のこと。(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
―――
自解仏乗
「自ら仏乗を解す」と読む。教えを受けることなく、自ら仏の境地を解ること。『法華玄義』の章安大師灌頂による序文で、章安大師が天台大師智顗の偉大さをたたえた言葉。「寂日房御書」には「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」(903㌻)と述べられている。
―――
一家
天台宗のこと。(但し天台宗を特定する語ではない。)
―――
始覚
始成正覚といい、永遠の生命に立脚しないこと。仏がこの世で始めて仏になったとする見方、また、そのような仏の境涯、これに対して永遠の生命に立つことを本覚という。
―――
在纒真如
煩悩に纏われ覆われた真如のこと。在纒は煩悩の纏縛の中に在ることで、真如は真実不変清浄の存在。煩悩の束縛のゆえに仏性が顕れないことをいう。
―――
妙覚の証理
妙覚の仏が証得した究極の真理のこと。
―――
妙覚
菩薩の修行の段階。五十二位のうちの最高位の第52位。等覚位の菩薩が、42品の無明惑のうち最後の元品の無明を断じて到達した位で、仏と同じ位。六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即にあたる。文底下種仏法では名字妙覚の仏となる。「法華取要抄」には「今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向って之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり」(334㌻)と述べられている。法華経の文上の教説では、釈尊在世の衆生は、釈尊によって過去に下種されて以来、熟益の化導に従って本門寿量品に至った菩薩の最高位である等覚の位にまで登って得脱したとされる。日寛上人の『当流行事抄』によれば、これを文底の意から見た場合、等覚位の菩薩でも、久遠元初の妙法である南無妙法蓮華経を覚知して一転して南無妙法蓮華経を信ずる名字の凡夫の位に帰り、そこから直ちに妙覚位(仏位)に入ったとする。これを「等覚一転名字妙覚」という。
―――
出纒真如
煩悩の束縛から出ている真実にして永遠に不変不改である悟りの境地のこと。出纒は煩悩の纏縛をでることで、真如は真実不変清浄の存在。煩悩の束縛のゆえに仏性が顕れないことをいう。
―――
蓮に六の勝能有り
蓮華の成長過程を円教修行の六段階に配立している。
―――
一には自性清浄にして泥濁に染まず
天台大師の法華玄義巻七下には「蓮華は汚泥より生じて汚泥に染まらず」とある。
―――
華・台・実の三種
蓮華の華と台と実のこと。
―――
名字即
天台大師が法華経を修行する人の位を理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即の六即位にわけたもので、名字即はその第二、初めて仏法の信仰に入った位をいう。日蓮大聖人の仏法には、修行の段階はない。即身成仏のゆえに名字妙覚という。名字即の凡夫が御本尊を拝んで、仏の生命を感得したときが、妙覚の仏である。総勘文抄には「一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す故に円頓の教には次位の次第無し」(0566-15)とある。
―――
観行即
「観行」とは、観心(自分の心を観察する)の修行のことであり、「観行即」は修行内容の上で仏と等しいという意。仏の教えのとおりに実践できる段階。
―――
相似即
菩薩の修行の六即位の中の第四。惑障を伏する位をいう。
―――
五には花開き蓮現ず
天台大師の法華玄義巻七下には「華開きて蓮現ず」とある。
―――
分真即
天台の立てた六即位のひとつ。菩薩が慈悲に立って人々を化導し、救おうとする位。
―――
六には花落ちて蓮成ず
天台大師の法華玄義巻七下には「華落ちて蓮成ず」とある。
―――
究竟即
天台の立てた六即位のひとつ。元品の無明を断じた極聖の位を天台六即配立の究竟即といい、究竟円満のこと。御義口伝には「無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり」(0752-10)とある。
―――――――――
前章に続いて伝教大師の修禅寺相伝日記の引用である。蓮の五重玄義を明かすうち、続いて「宗」玄義を明かすところである。
「宗」とは本来、その経の力用のことで、「明宗」とは、主として修行の因果を説くのであるが、諸法実相を説く法華経においては、仏の自行の因果を明かすことが「宗」玄義となる。
したがって、まず「蓮」の宗とは「果海の上の因果」であると述べ、次に、和尚の言を引いて、法華円教の修行である六即位の次第が、この「蓮」のなかに含まれていることを明かし、逆に「六即の深義は源・蓮の字より出でたり」と締めくくっている。
次に蓮の宗とは果海の上の因果なり
すでに述べたように、華が因をさしているのに対し、蓮は仏果をさしているところから、「蓮の宗」というのは「果海」のうえの因果を表わしていることになる。
「果海」は仏果果海とも真如果海ともいい、諸法・森羅三千をことごとく包含する仏の悟りの境地を、万物の姿を映す広大な海にたとえたものである。したがって「果海の上の因果」とは、既に成道し終わった仏の境地に具わる修行の因果、すなわち仏因仏果ということである。
所以何ん理即は本性と名く本性の真如・理性円満の故に理即を蓮と名け果海本性の解行証の位に住するを果海の次位と名く
和尚の言を受けて、その理由を説いている。
和尚の言とは、法華円教の修行の位階である六即位が、妙法蓮華経の五字のうち「蓮」の字に含まれることを述べ、その理由を明かしたものである。
六即位とは、円教における六種の修行の位のことであり、天台大師は摩訶止観巻一下において詳細に展開している。六即位の名称を挙げると、理即・名字即・観行即・相似即・分身即・究竟即、となる。
理即とは、本来、理として仏性がそなわっている位であり、名字即とは、理として仏性の名字を教師や経典をとおして聞き知って、これを信ずる位である。
次に観行即とは、聞き知って後、実際に仏性を観持し行じていく位であり、「理と慧と相応し、行うところは言うところのごとく、言うところは行うところのごとくなるべし」と説かれている位である。
相似即とは、観じ行じていくことにより見思・塵沙の惑が断ぜられて、悟りに相似した境地に達する位であり、分身即とは根本の惑である無明の一分が断ぜられ、悟りが部分的に成就され、真如・仏性の一部が実現される位である。
最後に究竟即とは、無明が完全に断ぜられ、真如・仏性が全き顕現に至る位である。
以上の六つの位のそれぞれに「即」の字が付されているのは、すべての位が常に仏を根底としていることを表わしている。ゆえに、六即の「六」は理即から究竟即に至る初後の浅深を示し「即」は、どの段階も常に仏に即しており初後の不二なることを示す、とされている。
このように、初後浅深と初後不二との相互に矛盾する修行の次第が同時に説かれているのは、摩訶止観によると、つぎのような理由による。
「即」によって「信」なき者が卑屈におちいることを免れ、「六」によって「智」なき者が増上慢を起こすことを治す、ということである。
さて、以上の六即の位がことごとく「蓮」の一字に由来するというのは、いかなる理由によるのであろうか。
まず「理即は本性と名く本性の真理・理性円満の故に理即を蓮と名け」とある。
六即の第一である理即とは、末だ仏法を聞いたこともない凡夫であっても、その凡夫の「本性」においては、真如・理性が円満に具しているわけであるから、本性においては仏と相即するのであり、したがって「理即を蓮と名」づける、と述べている。
次に「果海本性の解行証の位に住するを果海の次位と名く」とある。この文の「解行証の位」のなかに、名字即、観行即、相似即、分身即、究竟即の五即が含まれている。すなわち、「解」が名字即にあたり、「行」が観行即、相似即にあたり、「証」が分身即、究竟即にあたる。
蓮の宗とは、果海すなわち成仏の境地における因果である。これらの五即は「果海の次位」をさし、仏果のうえでの五即の修行の次第であり、もともと凡夫の因行であった五即がここでは仏果上の因となるのである。
然るに始覚の理に依て在纒真如を指して理即と為し妙覚の証理を出纒真如と名く、正く出纒の為めに諸の万行を修するが故に法性の理の上の因果なり故に亦蓮の宗と名く
ここで「始覚の理」の「始覚」とは、「本覚」に対する言葉である。この本覚と始覚とが初めて説かれているのは大乗起信論である。起信論の「解釈分」のなかでは、真如門と生滅論の二門を立てるが、本覚と始覚とは生滅論において説かれている。すなわち、衆生が生滅の現実界にあっても、その本来においては真如と覚する性分を有していることを「本覚」といい、末だ本覚に至らない段階を「始覚」と呼んで「不覚」よもいうのである。
言い換えれば、起信論においては、本覚と始覚とはともに現実界や衆生の内なる原理として説かれ、真如を「覚」することにおける浅深因果の層として位置づけられている。
ところが、以上のような本覚・始覚の意味が、後に更に展開して、修禅寺決の使用法では、本覚が衆生本来の仏性を意味するに至っている。すなわち、起信論では「真如」とは別の原理として説かれていた本覚が、ここでは「真如」と同一の意味となっている。
始覚とはしたがって、この仏性・真如としての本覚を「始めて覚する」、すなわち、覚知していく、という意味になっているのである。
これを踏まえると、本文の「始覚の理」とは、仏性・真如の本覚を覚知していくという修行の因果の差別を立てる理からいえば、ということで、これは、文中には言葉がないが「本覚の理」と対比のうえで述べられている。つまり、本覚の立場においては、六即の位の次第も、後に見る真如の在纏・出纏の区別もないが、始覚の理においては六即の次第も在纏・出纏真如の区別もあらわれてくる、といっているのである。
「在纒真如を指して理即と為し妙覚の証理を出纒真如と名く」とある。「在纏真如」の「纏」とは、「まとわれ、覆われる」意味で、煩悩等にまとわれ、覆われた真如のことを「在纏真如」といい、凡夫のことである。これに対し、「出纏真如」というのは「纏」としての煩悩等を出離した真如ということである。
ゆえに、本文にあるように、在纏真如は真如がいまだ煩悩等に覆われた段階をさしているので、六即でいえば理即にあたることになる。
これに対して「妙覚の証理」すなわち、五十二位の最高段階である妙覚が証得した悟りの境地は、煩悩等を全く出離してしまって、真如が完全にあらわれきっているので「出纏真如」というのである。
更に「正く出纒の為めに諸の万行を修するが故に法性の理の上の因果なり故に亦蓮の宗と名く」とある。
この文の意はこうである。仏道修行は「在纏真如」から「出纏真如」へ至るために、もろもろの万行を修行するのである。その因から果への修行自体が法性すなわち真如のうえで因果にすぎないこととなる。なぜなら、因としての在纏真如も仏果としての出纏真如も、ともに真如における僭在・顕在の差こそあれ、真如そのものには変わりがないからである。ここをさして「蓮の宗」とするのである、と説いている。
蓮に六の勝能有り一には自性清浄にして泥濁に染まず理即、二には華・台・実の三種具足して減すること無し名字即・諸法即是れ三諦と解了するが故に三には初め種子より実を成ずるに至るまで華・台・実の三種相続して断ぜず観行即・念念相続して修し廃するなき故に四には華葉の中に在つて未熟の実真の実に似たり相似即五には花開き蓮現ず分真即、六には花落ちて蓮成ず究竟即、此の義を以ての故に六即の深義は源・蓮の字より出でたり
この文は、蓮のもつ勝れた特徴を六即位に配することによって、六即位が蓮の字から由来することを明かしているのである。
まず第一には「一には自性清浄にして泥濁に染まず」として、蓮華が泥濁の中に育ちながら、泥濁に染まらない、という本来の清浄性を、衆生が本来有する真如・仏性の境地にたとえている。
すなわち、真如・仏性は自性が清浄であるから煩悩の泥濁にも染まらないところを「理即」の位にあたっている。
第二に「華・台・実の三種具足して減すること無し」とは、蓮華が華と台と実の三つが備わって少しも減ずるところがないということである。これを、諸法がそのまま空・仮・中の三諦であることを解了する位である「名字即」とするのである。
第三に「初め種子より実を成ずるに至るまで華・台・実の三種相続して断ぜず」とは、蓮華が種子から始まって実を結ぶに至るまで、華と台と実の三つが「相続して断絶なきことをいう。これを、念々に相続して修行し続け少しも修行を廃しない位としての「観行即」とするのである。
第四に「華葉の中に在って未熟の実真の実に似たり」とは、いまだ熟しきっていない実が華葉の中にあって真実の実に相似した姿をしている段階である。これを、観行によって、次第に境地が進み、三惑のうち、見思惑・塵沙惑の二惑を断じて六根清浄の徳を得て、仏の悟りに相似する位である「相似即」とするのである。
第五に「花開き蓮現ず」とは、蓮華の花が開くにつれて蓮の実が姿を現することで、これを根本の惑である無明の一分が断ぜられて、悟りが部分的に成就され、真如・仏性の一部が実現される位である「分身即」にあたるのである。
第六に「花落ちて蓮成ず」とは、蓮華の花が落ちて蓮の実が完全に熟することで、これは無明が完全に断ぜられて真如・仏性が全き顕現に至る「究竟即」に相当する。
以上から「六即の深義は源・蓮の字より出でたり」ことが明確になる、と結論している。
1364:12~1364:17 第五章 蓮の用・教の義を釈すtop
| 12 次に蓮の用とは六即円満の徳に由つて常に化用を施すが故に。 13 次に蓮の教とは本有の三身果海の蓮性に住して常に浄法を説き八相成道し四句成利す、 和尚云く証道の八相は 14 無作三身の故に四句の成道は蓮教の処に在り只無作三身を指して本覚の蓮と為す、 此の本蓮に住して 常に八相を 15 唱へ常に四句の成道を作す故なり已上、修禅寺相伝の日記之をみるに妙法蓮華経の五字に於て各各五重玄なり蓮の字 16 の五重玄義.此くの如し余は之を略す,日蓮案じて云く此の相伝の義の如くんば万法の根源、一心三観.一念三千.三諦 .六即.境 17 智の円融・本迹の所詮源蓮の一字より起る者なり云云。 -----― 次に蓮の用とは、六即円満の徳によって常に化用を施すゆえにである。 次に蓮の教とは、本有の三身・果海の蓮性に住して常に浄法を説き、八相成道し、四句を成ず。和尚がいうには『証道の八相は無作三身のゆえに四句の成道は蓮の教の処にあり、ただ無作三身をさして本覚の蓮というのである。この本蓮に住して常に八相を唱え、常に四句の成道をなすゆえである』とある。修禅寺相伝の日記之をみるに妙法蓮華経の五字に於て各各五重玄なり蓮の字の修禅寺相伝の日記之をみるに、妙法蓮華経の五字においておのおの五重玄がある。(蓮の字の五重玄義は以上のとおりである。余はこれを略す)。 日蓮が案じていうには、この修禅寺相伝の義によるならば、万法の根源、一心三観、一念三千、三諦、六即、境智の円融、本迹の所詮は、源は蓮の一字から起こっているのである。 |
蓮の用
蓮の用玄義のこと。用は化他の働きをいう。妙法蓮華経即無作三身如来は、六即円満の徳をもって常に化用の働きをすることをいう。
―――
蓮の教
蓮の教玄義のこと。妙法蓮華経無作三身如来が仏果に住して、常に衆生を教化することをいう。
―――
本有の三身
一切衆生に本来的に備わっている三身をいう。無作の三身と同意。
―――
果海の蓮性
広大・深遠な仏果が因位の修行の中にそなわっていることをいう。蓮は果実であるから「蓮性」とは果性であり、因に果性を含むことをいう。本有無作三身が衆生の生命にあること。
―――
浄法
清浄な法のこと。
―――
八相成道
時に応じて出現した仏が、成道を中心として、一生の間に示す八種の相のこと。八相とは①下天、②託胎、③出胎、④出家、⑤降魔、⑥成道、⑦転法輪、⑧入涅槃。 をいう。
―――
四句成利
阿羅漢が成道する時に誦する四句のこと。長阿含経などに説かれる。四句とは①諸の漏已に尽く②梵行已に立つ③所作已に弁ず④後有を受けざる、をいう。
―――
証道の八相
証道は教えに基づいて真理を証得すること。証道の八相は仏身のみでなく、万物の変化相に八相をみること。
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本覚
始成に対する語。①本来備わっている悟り、一切衆生は煩悩に満ちた迷いの身心を有し、生死を繰り返しているが、その本体は本来清浄で一切の妄想離れた覚体であること。②現象界の諸相や凡夫がそのままの姿で仏であると覚ること。③本仏の正覚、本地の覚り。㋑法華経文上では五百塵点劫の釈尊の悟りをさす。㋺久遠元初の自受用身の悟りのこと。総勘文抄には「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)「己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり是を経に説いて云く『如是相(応身如来)如是性(報身如来)如是体(法身如来)』此れを三如是と云う、此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0561-16)等とある。④天台家においては、本覚法門と始覚法門があり、両派は古くから対立している。
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本覚の蓮
本有常住である無作三身を妙法蓮華経の蓮にたとえた語。
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四句の成道
四句成利と同義。阿羅漢が成道する時に誦する四句のこと。長阿含経などに説かれる。四句とは①諸の漏已に尽く②梵行已に立つ③所作已に弁ず④後有を受けざる、をいう。
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一心三観
一心に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行。天台大師智顗が立てた観心の法門。天台大師はこれを止観の正行とした。別教で立てる次第三観に対して円融三観ともいう。別教においては、まず空観を修し、三惑のうちまず見思惑を断じて空諦の理を証し、次に仮観を修し、塵沙惑を破して仮諦の無量の法門を知り、そののちに中道観を修し、無明惑を断じて中道の理を証する。このように、空・仮・中の三諦を次第に観じていくので次第三観という。これに対して天台大師の一心三観では三観を修行の初めから直ちに修するので不次第三観という。修行の時間も隔たりがなく、中道の理を証するにも空間の隔たりがなく、一境の上に三諦が相即し、三観も一心に円融するので円融三観という。この一心三観を基盤として一念三千の法門が展開される。
―――
一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
―――
三諦
仏が覚った究極の真理を三つの側面から捉えたもの。諦とは、明らかな真実・真理のこと。天台大師智顗は『法華玄義』『摩訶止観』で、空諦・仮諦・中諦の三つを挙げている。①空諦は、あらゆる事物・事象(諸法)には不変的・固定的な実体はなく空であるという真理。②仮諦は、あらゆる事物・事象は空なるものであって、因縁によって仮に生起する(縁起)ものであるという真理。③中諦は、中道第一義諦ともいい、空と仮をふまえながら、それらにとらわれない根源的・超越的な面をいう。天台大師は法華経の教説に基づいて三諦の法門を確立した。蔵・通・別・円の四教に即していえば、蔵・通の二教は中道を明かさないので三諦が成立せず、別教と円教には三諦が説かれる。別教の三諦は、「但空・但仮・但中」として互いに隔たりがあり、融和することがない。また修行において、初めに空を観じて見思惑を破し、次に仮を観じて塵沙惑を破し、さらに中道を観じて無明惑を破すという段階的な方法を取り、順に歴ていくことが求められる。それ故、隔歴の三諦という。これに対し、円教の三諦は、三諦のそれぞれが他の二諦を踏まえたものであり、三諦は常に「即空・即仮・即中」の関係にある。究極的真実を中諦にのみ見るのではなく、空諦も仮諦も究極的真実を示すものである。したがって、一は三に即し、三は一に即して相即相入する。これを円融三諦という。この円融三諦の法門は、個別と全体、具体と抽象、差別と平等などの対立する諸原理が相互に対立による緊張をはらみながら同時に融即するという、一側面に固執することのない融通無礙の世界観を開くものである。この三諦を一心に観ずることを一心三観といい、天台大師は一心三観の中核として一念三千の観法を立てた。
―――
境智の円融
「境智」は境智の二法のこと。境は認識・価値判断の対象として客観視した世界・自己をさし、智は認識し評価する心作用、主観的智慧をいう。円融は互いに妨げることなく融合して一体となっていくことをいう。境智不二・境智冥合と同意。
―――
本迹の所詮
本迹は本門と迹門。本門は仏の本地をあらわした法門。迹門は迹仏のあらわした法門。迹は影を意味する。所詮は詮ずるところ、結局・つまり。本門と迹門の究極の意である。
―――――――――
「蓮」の五重玄義のうち「用」玄義と「教」玄義を釈し、修禅寺相伝日記の引用を終え、日蓮大聖人が結びの言葉を加えられるところである。
次に蓮の用とは六即円満の徳に由つて常に化用を施すが故に
「用」は本来、その経の功徳をいい、「論用」とは、効用を論ずるものである。ここでは、論の字に具わる功徳、効用を述べられる。
蓮の字に円教の修行の位である六即がそなわることは既に「宗」玄義で説き明かしたところである。したがって、蓮の功徳、効用とは、とりもなおさず、六即が円満に備わった功徳とその効用をさす。言い換えれば、六即のどの位であっても常に衆生教化の働きを施していくことをいっている。
次に蓮の教とは本有の三身果海の蓮性に住して常に浄法を説き八相成道し四句成利す
「教」玄義、すなわち「教判」とは、その経典の位置を判定することでもある。もともと「教」は仏が衆生に自らの悟りを教え導くために説くものである。したがって「蓮の教とは本有の三身果海の蓮性に住して常に浄法を説き八相成道し四句成利す」とある。
「本有の三身」とは、無作の三身のことである。この三身が「果海の蓮性に住して」とは、蓮がすでに述べたように仏果であるから、無作三身如来が仏果の位に住することである。
ここで「果海」とは「果性」のことで、果性とは、天台の説く五仏性の一つをさしている。五仏性とは、仏性を因と果とに分けて、因に正因・了因・縁因の三因仏性を、果に果性・果果性の二性を説き、合して五仏性とする。ちなみに果性とは、了因仏性の智慧が発現して菩提の果に至るものであり、果果性とは、縁因である行法を行じて惑を断ずることによって涅槃の果に至るものである。この果性・果果性といえども、あくまで因の中に含まれた果であることは「五仏性」という言葉からも明らかである。先の蓮の「宗」を明かすなかで「果性円満」なる言葉が出てきたが、これも同じ意義である。
したがって、無作三身如来が大宇宙のなかの仏界に住しながら「常に浄法を説き八相成道し四句成利す」と述べているように、人間世界に姿を現し、衆生を化導するものである。
和尚云く証道の八相は無作三身の故に四句の成道は蓮教の処に在り只無作三身を指して本覚の蓮と為す、此の本蓮に住して常に八相を唱へ常に四句の成道を作す故なり
「常に浄法を説き八相成道し四句成利す」との文の意より詳しく明かしたものとして、道邃和尚の言を挙げたのである。
まず「証道の八相」とは、いわゆる「八相作仏」のことで「証道の八相は無作三身の故に」とは、仏が人間世界に現われて八相成道の姿を示すが、その本地はあくまでも無作三身であるということである。
次に「四句の成道は蓮教の処に在り」の「四句の成道」とは、先の文の「四句成道」と同じ意味を表す言葉で、阿羅漢が成道する時に唱える四句偈のことである。その四句とは「諸漏已尽・梵行已立・所作已弁・不受後有」である。
「梵行已立」とは、「梵行已に立つ」と読み、涅槃のためのあらゆる清らかな修行、すなわち梵行がすでに立った、すなわち、行じ尽くした、ということである。
「所作已弁」とは「所作已に弁ず」と読み、所作すなわちなすべきことをすでに果たした、ということである。
「不受後有」とは「後有を受けず」と読み、未来世の生存を受けない、ということである。
以上のような、小乗の教えも、本来、妙法蓮華経の悟りに住したうえでの説法にほかならないということである。
したがって、衆生本有の無作三身如来は衆生に対して、口業によって浄法を説法し、身業によって八相成道・四句成道の説法をして教化していることになる。ゆえに「此の本蓮に住して常に八相を唱へ常に四句の成道を作す故なり」との「此の本蓮に住して」とは、衆生の因位すなわち一念に住する果性としての無作三身如来ということであり、この無作三身が常に八相成道を唱える四句の成道を果たして衆生を教化している、というのである。
修禅寺相伝の日記之をみるに妙法蓮華経の五字に於て各各五重玄なり蓮の字の五重玄義.此くの如し余は之を略す,日蓮案じて云く此の相伝の義の如くんば万法の根源、一心三観・一念三千・三諦・六即・境智の円融・本迹の所詮源蓮の一字より起る者なり
蓮の一字についての五重玄義を修禅寺相伝日記にみると、万法の根源、一心三観・一念三千・三諦・六即・境地の円融・本と迹の所詮の法門ことごとくが蓮の一字から起こっていることが、明らかであるとのべられている。
このことは、題目を唱える一行のなかに、天台大師の立てた一切の法門の功徳が具足されているということであり、妙法口唱の功力の大きさをあらわされようとの御心と拝される。
1364:18~1365:01 第六章 総説の五重玄を略説し二種あるを明かすtop
| 18 問うて云く総説の五重玄とは如何、答えて云く総説の五重玄とは妙法蓮華経の五字即五重玄なり、 妙は名・法 1365 01 は体・蓮は宗・華は用・経は教なり、又総説の五重玄に二種有り一には仏意の五重玄・二には機情の五重玄なり。 -----― 問うて言う。総説の五重玄とはどのようなものであろうか。 答えて言う。修禅寺相伝日記によれば「総説の五重玄とは妙法蓮華経の五字がそのまま五重玄であるということである。すなわち、妙は名・法は体・蓮は宗・華は用・経は教である。また総説の五重玄に二種がある。一には仏意の五重玄・二には機情の五重玄である」と。 |
総説の五重玄
妙法蓮華経の五字それぞれを名体宗用教の五重玄に配当したことで、天台大師が法華経の経題を解釈し、経に含まれた甚深の妙旨をあらわすために法華玄義巻一上で用いたものであるが、伝教大師の修善寺相伝日記では、妙法蓮華経の五字それぞれを名体宗用教の五重玄に配することを総説の五重玄としている。
―――
妙は名
妙法蓮華経を名体宗用教の五重玄に配する時「妙」は名玄義に配されるということ。
―――
法は体
妙法蓮華経を名体宗用教の五重玄に配する時「法」は体玄義に配されるということ。
―――
蓮は宗
妙法蓮華経を名体宗用教の五重玄に配する時「蓮」は宗玄義に配されるということ。
―――
華は用
妙法蓮華経を名体宗用教の五重玄に配する時「華」は用玄義に配されるということ。
―――
経は教
妙法蓮華経を名体宗用教の五重玄に配する時「経」は教玄義に配されるということ。
―――
仏意の五重玄
仏の本意によって立てる名体宗用教の五重玄のこと。機情の五重玄が衆生の機根に応じて説くのに対し、仏の内証に五眼の体を具すこと。すなわち妙法蓮華経を五眼に配した時は妙は仏眼、法は法眼、蓮は慧眼、華は天眼、経は肉眼となり、五智に配した時は、法界体性智は仏眼、大円鏡智は法眼、平等性智は慧眼、妙観察智天眼、成所作智は肉眼に配される。
―――
機情の五重玄
衆生の機根によって立てる五重玄のこと。
―――――――――
本抄全体を三つの大段落に分けるうち、ここから第二段になる。第一段では、別説の五重玄、すなわち、妙法蓮華経の五字の一字一字について、名・体・宗・用・教の五重玄を明かすなかで、蓮の字の五重玄を取り上げて示されたが、この第二段では、修禅寺相伝日記の文を用いて総説の五重玄を示されている。
総説の五重玄とは、妙法蓮華経の五字全体が五重玄とするもので、本文に「妙法蓮華経の五字即五重玄なり、妙は名・法蓮は宗・華は用・経は教なり」とあるとおりである。また、これを「五字含成」の五重玄とも称し、天台大師が法華玄義巻一において展開しているのである。
日蓮大聖人は曾谷入道殿殿許御書で「法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字.名・体・宗・用・教の五重玄なり」(1032-02)と仰せられ、また三大秘法禀承事で「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」(1022-14)と述べられている。
さて、この総説の五重玄に「仏意の五重玄」と「機上の五重玄」の二種があるとされているが、この立て分けは、修禅寺決独自の展開である、ということができる。
妙は名・法蓮は宗・華は用・経は教なり
総説の五重玄、すなわち妙法蓮華経の五字を名体宗用教の五重玄に配したのである。
まず「妙は名」というのは、妙は名玄義にあたる、ということである。「妙」は、天台大師が玄義に「故に此の経を建立して之を名づけて妙と為す」とのべていることから、「妙」をもって名玄義とするのである。
「法は体」というのは、法華玄義巻一上に「法は即ち是れ体なり」とあることから明らかである。
次に「蓮は宗」というのは、前述したように「宗」が仏の自行の因果を表わすことから、同じ因果を表す「蓮」を宗玄義とするのである。
「蓮は用」は、「用」が教説の力用、効用、とくに化他の力用を表すところから、「華」を用玄義に配置するのである。「華」は「蓮」が「果」にあたるのに対して「因」にあたることから、衆生が仏果を成就するために行う化他の力用をさしているからである。
最後に「経は教」というのは、「教」すなわち「教判」とは一つの経典の位置を判釈することであり、妙法蓮華経の「経」自体が自らの経典の位置を他の経典から分別・教判しているということで、「経」が教玄義に配されるのである。
1365:02~1365:08 第七章 仏意の五重玄を明かすtop
| 02 仏意の五重玄とは諸仏の内証に五眼の体を具する即ち妙法蓮華経の五字なり、仏眼は妙・法眼は法・慧眼は蓮・ 03 天眼は華・ 肉眼は経なり、 妙は不思議に名く故に真空冥寂は仏眼なり、 法は分別に名く法眼は仮なり分別の形 04 なり、 慧眼は空なり果の体は蓮なり、 華は用なる故に天眼と名く神通化用なり、経は破迷の義に在り迷を以て所 05 対と為す故に肉眼と名く、 仏智の内証に五眼を具する即ち五字なり五字又五重玄なり 故に仏智の五重玄と名く、 06 亦五眼即五智なり、法界体性智は仏眼・大円鏡智は法眼・平等性智は慧眼・妙観察智は天眼・成所作智は肉眼なり、 07 問う一家には五智を立つるや、 答う既に九識を立つ故に五智を立つべし、 前の五識は成所作智・第六識は妙観察 08 智・第七識は平等性智・第八識は大円鏡智・第九識は法界体性智なり。 -----― 「仏意の五重玄とは諸仏の内証に五眼の体を具する。これがすなわち妙法蓮華経の五字である。すなわち、仏眼は妙・法眼は法・慧眼は蓮・天眼は華・肉眼は経にあたる。 また妙は不可思議を妙名づけるゆえに仏眼にあたる。真実にして空、冥寂であるがゆえに仏眼である。法は分別を法と名づけるゆえに法眼は仮であり、分別の形である。慧眼は空にあたる。果の体は蓮なのである。華は用であるゆえに天眼と名づける。神通化用のゆえである。経は迷いを破す義がある。迷いを所対とするゆえに肉眼と名づけるのである。仏智の内証に五眼を具する。これがすなわち五字であり、五字はまた五重玄と名づけるのである。 また五眼即五智である。法界体性智は仏眼・大円鏡智は法眼・平等性智は慧眼・妙観察智は天眼・成所作智は肉眼にあたるのである。 問うて言う。天台一家には五智を立てるのか。 答えて言う。すでに九識を立てるゆえに五智も立てるのである。九識のうち最初の五識は成所作智・第六識は妙観察智・第七識は平等性智・第八識は大円鏡智・第九識は法界体性智にあたるのである」と。 |
五眼
物事を見る眼を肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の5種類に立て分けたもの。仏は五眼すべてをそなえてあらゆる人々を救済する。①肉眼は普通の人間の目。②天眼は神々の目。昼夜遠近を問わず見えるという。③慧眼は二乗の目。空の法理に基づいて物事を判断できるという。④法眼は菩薩の目。衆生を救済するための智慧を発揮するという。⑤仏眼は仏の目。仏の最高の智慧を発揮する。「開目抄」には「諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼・仏眼備われり」(204㌻)と述べられている。
―――
妙は不思議に名く
法華玄義の私記縁起に「妙は不可思議を名づくるなり」とある。
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真空冥寂
「真空」は一切の迷妄の相を離れること。「妙寂」は一切の相対差別を絶した真空の理を形容する語。
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法は分別に名く
発智論巻1に「法は分別に帰す」とある。
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分別
いろいろな事象を思惟し識別する心の作用のこと。俱舎論では、自性分別・計度分別・随念分別に分けている。
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法眼は仮なり
大乗義章巻20に「法眼の一種は境に従って称を立つ。能く法を見るを以って名づけて法眼と為す」とある。法をよくみることから仮諦にあたる。
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仮
実体のないこと。虚・権・方便。②三諦のひとつの仮諦のこと。一切の諸法・存在が常に有為転変し、因縁によって仮に和合しているとの真理観のこと。俗諦・有諦ともいう。
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慧眼は空なり
慧眼は二乗が真理を洞察する智慧の眼をいい、一切諸法の差別の相を離れ、空理を知ることをいうことから「慧眼は空」となる。
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果の体は蓮なり
因果一体をあらわす植物は蓮華であること。
―――
華は用なる故に天眼と名く
総説の五重玄では「華は用」とし、妙法の用は自由自在に衆生を化導することであるので、自在になることが天眼に通ずるとして、「天眼は華」とされる。
―――
神通化用
自在無礙の化導のはたらきのこと。「神通」は神通力のこと。仏・菩薩・諸天などの神変不可思議で自在無礙な力をいう。「化用」は教化・化導の働きをいう。
―――
経は破迷の義
法華玄義巻8上には「経は是れ行本とは、人に無諍の法を示して通塞を導達し、眼目を開明して人の病を救治す。教の如く修行するときは、則ち通別の諸行を起こす。此れより彼に至り、清涼池に入り甘露地に至る」とある。
―――
五智
五種の智のこと。諸教に説かれている。①密教、法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智。②仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智。③成美論、法住智・泥洹智・無諍智・願智・辺際智。等。
―――
法界体性智は仏眼
五智のうち、法界体性智は密教の根本仏である大日如来の智であり、他の四智の根本智体であることから、五眼のなかで、一切の事物・事象を三世十方にわたって見通す仏眼に配されたものと思われる。
―――
大円鏡智は法眼
五智のうち大円鏡智は、万象を映す鏡にたとえられるから、五眼のなかで一切の事物・事象を映し出して判断する智慧である法眼に配されたと思われる。
―――
平等性智は慧眼
五智のうち平等性智は、一切の差別を滅して諸法の平等を感ずる智であるから、五眼のなかで、深い知識を得ることによって物事を判断する智慧である慧眼に配されていると思われる
―――
妙観察智は天眼
五智のうち妙観察智はたくみに諸法を分別して衆生の機根を観察して疑いを断ずることから、五眼のなかで昼夜遠近を問わず見通すことのできる天眼に配されたものと思われる。
―――
成所作智は肉眼
五智のうち成所作智は五識の転じた智慧であるから、五眼のなかで、人間の肉体の眼である肉眼に配されたと思われる。
―――
九識
生命がものごとを認識する働きである識を9種に分けたもの。また、その第9識をいう。識には対象を認めて、その異同を知り、理解する心の作用という意味のほかに、認識によってあらわれる表象をも意味し、また認識の主体を意味することもある。9種類とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識という五感に基づく五識と、五識の知覚を内面的に捉え返す思考・感情などのはたらきと、夢を見たり過去や未来などを想像するなど五識とは直接関係のない自立的なはたらきである第6識・意識(マノーヴィジュニャーナ)、意識的であれ無意識的であれ常に第8識・阿頼耶識を自身(我)であると執着しつづける根底の自我意識である第7識・末那識(マナス)、善悪の業を蓄積しその果報としての苦楽の生死を生み出す源泉となる第8識・阿頼耶識(アーラヤヴィジュニャーナ)、生命の根源である清浄な第9識・阿摩羅識(アマラヴィジュニャーナ)の9種である。法相宗では、煩悩に染まった迷いの心の部分(染分)とそれを離れた清浄な部分(染浄の二法)からなる第8識を立てるが、天台宗などでは、それより根源的な生命の領域として、清浄で真理(真如)と一体である阿摩羅識を第9織として立てる。心のはたらきの中心となる本体である心王と、心王に基づく派生的なはたらきである心所・心数を立て分ける場合には、俱舎宗などでは、六識を対等のものと見なし、一つの本体の現れであるとし、この六識を心王と位置付ける。法相宗では、八つの識が心王とされ八識心王といわれる。これに対して天台宗などでは第9識が生命の働きの中心であるので心王といい、仏の覚りの真実である真如と一体であるので九識心王真如という。第9識は真如を覚った仏の境涯の識であるところから、天台大師智顗は『金光明経玄義』巻上で仏識と位置付けている。この第9識は、万物を貫く本性である覚りの法性が現れた覚りの境地そのものであり、法性と第9識は一体であるので、九識法性という。また第9識は、衆生の生命に本来的にそなわる覚りである本覚と一体であるので、九識本覚ともいう。
―――
前の五識は成所作智
五識が転じて生じたのが五智のうちの成所作智である。
―――
第六識は妙観察智
第六識の意識が転じて生じたのが五智のうちの妙観察智である。
―――
第七識は平等性智
第七識の末那識が転じて生じたものが、五智のうちの平等性智である。
―――
第八識は大円鏡智
第八識の阿頼耶識が転じて生じたのが五智のうちの大円鏡智である。
―――
第九識は法界体性智
第九識の阿摩羅識が転じて生じたのが五智のうちの法界体性智である。
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前章に続いて伝教大師の修禅寺相伝日記の引用である。
二種の総説の五重玄のうち、まず、「仏意の五重玄」を示すこころである。
仏意の五重玄とは、仏の本意により立てる名体宗用教の五重玄のことである。次に釈されている「機情の五重玄」が衆生の機根に応じて説く五重玄であるのに対し、仏の内証における五重玄を明かされているのである。
仏の内証の五重玄を明かすにあたり、これを五眼・五智・九識に配して説明している。
諸仏の内証に五眼の体を具する即ち妙法蓮華経の五字なり
仏の内証・本意の五重玄を明かにするにあたり、まず、諸仏の悟りの境地においては五眼の体を具足しているが、この五眼の体とは妙法蓮華経の五字である、ということである。
五眼とは、肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の五種の眼のことである。今、法華玄義によって、五眼の説明をみると、次のようになる。
すなわち「また経に『但父母所生の眼を以ってす』とは即ち肉眼なり。内外の弥楼山を徹見するは即ち天眼なり、諸色を洞見して而も染者無きは即ち慧眼なり、色を見ること錯謬無きは即ち法眼なり。末だ無漏を得ずと雖も、而も其眼根清浄なること此くの若し、一眼に諸眼の用を具するは即ち仏眼なり」とある。
ここでは、肉眼は父母所生の眼であり、天眼は内外の弥楼山を徹見する眼である。
もろもろの事物を洞察して執着やとらわれのない目が慧眼であり、もろもろの事物を見て誤りや錯覚のない清浄な眼が法眼、最後に仏眼は、以上四種の眼の働きをすべて具有している眼である、と説いている。
更に別の説き方では、肉眼は人界の眼、天眼は天人の眼、慧眼は空の理をとらえる二乗の眼、法眼は衆生教化のために一切の教法を照見する菩薩の眼、仏眼は以上の四種の眼を具足する仏の眼、とする場合もある。
この仏眼の体、すなわち成仏の根源が妙法蓮華経であるから、五眼の体はすなわち妙法蓮華経なのである。
このゆえに「仏眼は妙・法眼は法・慧眼は蓮・眼は華・肉眼は経」とされるのである。この五眼即五字の一つ一つの説明については次に詳しく述べている。
妙は不思議に名く故に真空冥寂は仏眼なり
「仏眼は妙」についての説明である。
「妙」とは、不思議ということである。仏のみが悟っている究極の法は真に空にして妙寂である。すなわち、凡夫にとっては不可思議である。ゆえに妙を、ただ一人これを悟っている仏眼に配するのである。
法は分別に名く法眼は仮なり分別の形なり
「法」とは、もろもろの事物・現象をさし、これは「分別」によって把握されるがゆえに「法は分別に名く」と述べている。
また「法眼」は、「仮なり分別の形なり」とあるように、もろもろの事物・現象を見て誤りなき、清浄な眼であり、衆生教化のために一切の教法を徹見する菩薩の眼である。ゆえに法を法眼に配するのである。
「仮」とは、もろもろの事物・現象は実体的に存在しているのではなくて、相互に因となり縁となるという関係性において「仮」に和合して姿を現じているにすぎない、ということである。この仮としてあらわれた現実の衆生を分別して救済していくのが菩薩の法眼である。
慧眼は空なり果の体は蓮なり
「慧眼」は、諸法の差別の相を離れて空なる理をとらえる二乗の智慧である。このゆえに「慧眼は空なり」といわれているのである。
一切を空ととらえるのは証果を得た境地であるゆえに、果の面をあらわす「蓮」に、一切を空と見る慧眼を配するのである。
華は用なる故に天眼と名く神通化用なり
天眼について、大智度論巻三十三では「是の天眼を得れば遠近皆見て、前後、内外、昼夜、上下悉く皆礙なし」と述べている。
すなわち天眼は肉眼が近、前、外、昼、上のみを見るのに対し、肉眼が見ることのできない、遠、後、内、夜、下を自在にみることができる眼である。
しかるに華の字は五重玄では用に配されるから、仏の衆生教化の自在の力用は、自由自在を特色とする天眼に配されるのである。
経は破迷の義に在り迷を以て所対と為す故に肉眼と名く
「経」とは法華玄義巻八上に「経は是れ行本とは、人に無諍の法を示して通塞を導達し、眼目を開明して人の病を救治す。教の如く修行するときは、則ち通別の諸行を起こす。此れより彼に至り、清涼池に入り甘露地に至る」とあるように、衆生に「無諍の法」を教えて、「眼目開明」して病を治すために説かれているのである。
このことから「経は破迷の義に在り」と述べているのである。つまり、「経」は衆生の迷いを破るために説かれ、かつ存在するのである。したがって、「経」があくまで、その「所対」つまり対象とするものは「迷い」なのである。本文に「迷を以て所対と為す」とあるのはこのことである。
また、凡夫の父母所生の肉眼というのは、常に迷いをもって事物・諸現象をみているので、この「迷い」という一点において、肉眼は経、となるのである。
仏智の内証に五眼を具する即ち五字なり五字又五重玄なり故に仏智の五重玄と名く、亦五眼即五智なり、法界体性智は仏眼・大円鏡智は法眼・平等性智は慧眼・妙観察智は天眼・成所作智は肉眼なり
「仏智の内証」とは、これまで「仏意の内証」として説いていたところを、このように言い換えている。仏意から仏智へと展開することによって、仏の五眼がそのまま五智と転ずるのである。したがって、今度は、五眼から五智となって「仏智の五重玄」が説かれていくのである。
五智にも種々の立て方があるが、ここでは密教で説かれる五智を、法華経の絶対妙の立場から開会して、述べている。
五智について
五智については、無量寿経・成実論・仏地経等に見られる。本文に明かしている法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の五智は、仏他経に説くもので、密教では大日如来の五智として用いられるものである。
まず、法界体性智は、法界の本性を明確にする智のことである。次に、大円鏡智は、鏡のように万象を顕現する智のことであり、平等性智は、一切の諸法や事象の差別相を減じて平等であることを観ずる智、妙観察智は、先の平等性智が諸法の平等であることを観察する智であったのに対し、逆に諸法の差別相を正当に観察する智である。最後に成所作智は、自己及び他人のためになすべき事を成就させる智である。
密教では、大日如来の智をこの五種類に分けているが、また、この五智に五仏を配し「五智の如来」と称することもある。
すなわち、法界体性智を大日如来、大円境智閦を阿閦如来、平等性智を宝性如来、妙観察智を阿弥陀如来、成所作仏を不空成就、あるいは釈迦如来に配するのである。これは金剛界の五仏であるが、ここにも密教が釈迦如来を低く位置づけていることが明白である。
ただし修禅寺決では、法華経の絶対妙の立場に立って開会したうえで用いられると考えられる。
法界体性智は仏眼・大円鏡智は法眼・平等性智は慧眼・妙観察智は天眼・成所作智は肉眼なり
五智を五眼に配しているところである。
法界体性智は他の四智の根本であるから、当然のことながら、五眼の根本で、他の四根を統括する仏眼にあたるとされる。
大円鏡智は一切諸法の万法を鏡のごとく顕現する智であるから、衆生教化のために一切諸法を徹見する菩薩の眼である法眼に相当するとされるのである。
平等性智は一切諸法の平等相をとらえる智であるから、一切諸法の差別相を離れて空なる理とみる二乗の慧眼に相当するとされる。
妙観察智は平等性智と逆に一切諸法の差別相を正当に観察する智であるから、これを衆生教化のために、機根の差別相を的確に観察する智とするならば、天眼に相当するといえる。なぜなら、仏眼の力用としての天眼は、衆生教化の「神通化用」としての眼となるからである。
成所作智は自己及び他人になすべきことを成就させる智のことであるから、「なすべきこと」をとらえる智は仏眼の力用としての肉眼に相当すると思われる。なぜなら、「なすべきこと」は凡夫がなすべき義務や従うべき倫理・道徳、あるいは達成すべき目標などであるから、凡夫の肉眼でもとらえるころができるからである。
前の五識は成所作智・第六識は妙観察智・第七識は平等性智・第八識は大円鏡智・第九識は法界体性智なり
五智を九識に配しているところである。この文に至るまえに、一つの問答がある。
それは、天台家でも五智を立てるのか、という問いが起こされ、これに答えて「既に九識を立つ故に五智を立つべし」と述べている。
すなわち、天台家においては、既に九識論を立てているがゆえに、その九識論との関係で五智を立てることができる、としている。そして、その理由として説かれているのが、この文である。
まず九識についてであるが、人間が物事を識別する心の作用に九種あることを明らかにした法門である。九種の識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識・阿摩羅識である。
まず、感覚器官である五官にともなう識で、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五つとなる。
例えば、眼識は眼根が色境を見たときに起こる識別作用であり、以下、耳根が声境に、鼻根が香境に、舌根が味境に、身根が触境に、それぞれ縁したときに、それぞれの対境を了別する耳識・鼻識・舌識・身識が生ずるのである。こうして、根と境と識の三事が和合して認識が生ずるとされる。
次に、第六の意識は、意根が法境に縁して物事を判断、推量する心の作用である。
第七の末那識は、第六識までが対境に縁して起こる心であるのに対して、境に縁することなくして思考・感情を思い量る心で「思量識」ともいう。この識はとくに、我癡、我見、我慢、我愛の四つの煩悩に常にまといつかれて、自己中心的に働く心、である。
第八識の阿頼耶識は、以上の七識が起こってくる根底・基盤であり、一切法を含蔵するが故に含蔵識とも称する無意識の領域の心である。
最後の第九識・阿摩羅識は、一切の染法を離れた清浄無染の根本識であって、無垢識とも清浄識ともいう。
以上が九識の内容であるが、これと五智との関係は次のようになる。
まず、前の五識が転じて仏果の智とあると「成所作智」となる。これが「前の五識は成所作智」である。
次に第六識が転じて仏果の智となると「妙観察智」となる。これが「第六識は妙観察智」である。
更に第七末那識が転じて仏果の智として生ずると「平等性智」となる。これが「第七識は平等性智」である。第八阿頼耶識が転じて仏果を成ずると「大円境智」となる。これが「第八識は大円鏡智」である。最後に、第九阿摩羅識が転ずると「法界体性智」となる。これが「第九識は法界体性智」である。
1365:09~1366:08 第八章 機情の五重玄を説くtop
| 09 次に機情の五重玄とは機の為に説く所の妙法蓮華経は 即ち是れ機情の五重玄なり首題の五字に付いて五重の一 10 心三観有り、伝に云く、 11 妙 不思議の一心三観 天真独朗の故に不思議なり。 12 法 円融の 一心三観 理性円融なり総じて九箇を成す。 13 蓮 得意の 一心三観 果位なり。 14 華 複疎の 一心三観 本覚の修行なり。 15 経 易解の 一心三観 教談なり。 -----― 次に機情の五重玄とは、衆生のために説くところの妙法蓮華経はこれ機情の五重玄である。首題の五字について五重の一心三観がある。 伝にいうには、 妙 不思議の一心三観 天真独朗のゆえに不思議である。 法 円融の 一心三観 理性円融である。総じて九箇の一心三観となる。 蓮 得意の 一心三観 果位である。 華 複疎の 一心三観 本覚の修行である。 経 易解の 一心三観 教えを談ずることである。 -----― 16 玄文の第二に此の五重を挙ぐ文に随つて解すべし、 不思議の一心三観とは智者己証の法体・理非造作の本有の 17 分なり三諦の名相無き中に 於て強いて名相を以つて説くを不思議と名く、 円融とは理性法界の処に本より已来三 18 諦の理有り互に円融して九箇と成る、 得意とは不思議と円融との三観は 凡心の及ぶ所に非ず 但だ聖智の自受用 1366 01 の徳を以て量知すべき故に得意と名く、 複疎とは無作の三諦は 一切法に遍して本性常住なり 理性の円融に同じ 02 からず故に複疎と名く、 易解とは三諦円融等の義知り難き故に 且らく次第に附して其の義を分別す故に易解と名 03 く、此れを附文の五重と名く,次に本意に依て亦五重の三観有り,一に三観一心入寂門の機,二に一心三観入照門の機, 04 三に住果還の一心三観・ 上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す 入真已後観を 05 極めんが為に一心三観を修す、 四に為果行因の一心三観謂く果位究竟の妙果を聞いて 此の果を得んが為に種種の 06 三観を修す、 五に付法の一心三観・ 五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付 07 法と名く、山家の云く塔中の言なり亦立行相を授く三千三観の妙行を修し解行の精微に由つて深く自証門に入る我汝 08 が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名くと。 -----― 法華玄義の第二にこの五重の一心三観が挙げられており、その文にしたがって明らかにしよう。 不思議の一心三観とは天台智者大師己証の法体、理非造作の本有の分である。三諦の名相はないが、しいて三諦の名相をもって説くのを不思議と名づけるのである。 円融の一心三観とは、理性法界のところに本来、三諦の理があり、それが互いに円融して九箇となる。 得意の一心三観とは不思議の一心三観と円融の一心三観とが凡夫の心の及ぶところではなく、ただ聖人の自受用の徳をもって初めて量知できるのであるゆえに得意と名づけるのである。 複疎の一心三観とは無作が一切法に遍して本性常住であり、理性の円融と同じではないということから複疎と名づけるのである。 次に本意の一心三観にはまた五重の一心三観がある。一には三観一心(入寂門の機根に配する)二に一心三観(入照門の機根に配する)三には住果還の一心三観、上の機根があって善知識の人が『一切の法は皆是れ仏法なり』と説くのを聞いて真理を開くのである。この入真以後の観を極めんがために一心三観を修するのである。 四には為果行因の一心三観とは果位究竟の妙果を聞いて、この果を得んがために種々の三観を修行するのである。 五に付法の一心三観。五時八教などの種々の教門を聞いてこの教義を心に入れて観を修行するゆえに付法と名づけるのである。 天台大師のいうには(塔中の言葉である)『また立行相を授けるのである。三千三観の妙行を修行して解行の精微によって深く自証門に入る、我、汝が証相を領するに法性が寂然であることを止と名づけ、寂にして常に照らすことを観と名づけるのである』とある。 |
機
説法を受ける所化の衆生の機根。
―――
首題
経典のはじめに書かれている題号。
―――
五重の一心三観
付文と本位の一心三観がある。①付文の五重の一心三観。不思議の一心三観・円融の一心三観・得意の一心三観・複疎の一心三観・易解の一心三観。法華経方便品第2の十如是の文に空仮中の三諦の理があるとする文に基づいて立てた観法。②本位の一心三観。法華経の文々句々にとらわれることなく、ただちに一心三観することを五重にたてたもの。
―――
不思議の一心三観
空仮中の三諦が一即三・三即一にして、同時に非一非三であり、円融相即して不思議の姿である己心中に感ずること。
―――
天真独朗
作為のない自然の天性をもって独り明らかに開悟すること。
―――
円融の一心三観
万法の本体を観ずるならば、一心に三諦の理が円融相即して九箇の理をそなえること。一切万法が妙法の一法にことごとく具足して円融していると観ずること。
―――
理性円融
諸法の本体である理性に空仮中の三諦が円融融通して欠けることなくそなわっていること。理性は真如法性ともいい、実相のこと。
―――
総じて九箇を成す
空仮中の三諦におのおの三諦を具していることから①空諦・空諦~⑨中諦・中諦となる。
―――
得意の一心三観
付文の辺では不次第の一心三観の意を得ること。法華玄義巻2上に十如是の三転読誦を説いて、まず易解のために空・仮・中を次第分別して明かし、次に得意として円融・不次第の三観を明かしている。これは因位の修行に約して一心三観を説いたもの。本意の辺では果位の自受用身の証得した智慧のはたらきとしての一心三観である。「得意」とは因位の行者の智慧をさすのではなく、果位の自受用法身が証得した智慧をさすといえる。
―――
果位
結果の位のこと。修行の因によって得られる果報・仏果の位をいう。
―――
複疎の一心三観
円融無差別の心地から、改めて千早差万別の現実に反って、三諦にあらずしてしかも三諦である差別の妙法を観ずること。「複疎」は「疎にかえる」「かさねてあきらむ」の意。一切の本性が常住であると覚知した立場から、現実の事象を無作・本覚の仏と観ずること。
―――
本覚の修行
本覚の仏の修行のこと。
―――
易解の一心三観
三諦を理解しやすいように三諦を分別して説いたがゆえに易解といい、この三諦を分別して観ずることを易解の一心三観という。
―――
教談
教え談ずること。教法を談じ、講ずること。
―――
玄文の第二に此の五重を挙ぐ
法華玄義巻2上には不思議の一心三観・円融の一心三観・得意の一心三観・複疎の一心三観・易解の一心三観の五重の一心三観について述べている。すなわち五重の一心三観は法華経方便品第2の十如是の文に、空仮中の理があるとする法華玄義巻2上の文に基づいて立てた観法であり、法華玄義には「分別して解し易からしむる故に空仮中を明かす。意を得て言をなさば、空即仮中なり。如に約して空を明かさば、一空一切空、観を転じて相を明かさば、一仮一切仮なり。是れ就きて中を論ずれば、一中一切中なり。一二三に非ずして而も一二三、不縦不横なるを名づけて実相と為す」とあり、融通はすなわち円融、実相はただ仏と仏とのみ究竟する不思議の法であるから、これを不思議と名づければ、五重の名目は具備することになる。
―――
玄文
天台大師智顗が講述し、章安大師が筆記した法華玄義のこと。10巻。
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智者
智慧ある者。
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己証
自ら真理・妙理を悟ること。またその悟り自体のこと。「己」はおのれ、「証」はあかしの意味。
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法体
御義口伝には「法体とは心と云う事なり法とは諸法なり諸法の心と云う事なり諸法の心とは妙法蓮華経なり」(0709-04)とある。ここで「心」とは本体の意である。
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理非造作の本有
修禅寺相伝日記には「一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず、一心に三千を具すにも非ず。三千並立にも非ず、次第にも非ず。故に理非造作と名づくる」とある。
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三諦の名相
空仮中の三諦の三つの名称のこと。「名相」は名と相のこと。いずれも五相のひとつ。森羅万象の相をいい、それらにつけられた名前のこと。
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理性法界
諸法にそなわる真如法性の境界をいう。「理性」は一のこと。切の事物・事象の中に本来そなわっている本性で、永遠不変の根本的な真理・法則をいう。「法界」は有情・非常にわたるすべての存在および現象
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互に円融して九箇と成る
空仮中の三諦おのおのが三諦を含むことから九箇となることをいう。
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凡心
凡夫のこと、凡夫の一念・生命。
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聖智
真実の深い道理をもって、物事の真相をあやまらずに分別する智慧。また、一切に通達している勝れた智慧。
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自受用の徳
自受用法身如来の徳のこと。自受用身とは法報応の三身が相即し、主観の智とその対境の真理とが境智冥合した仏身をいう。
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作の三諦
諸法に本来そなわっている天然自然のままの三諦の理。諸法は本性が無作であるかあら、無作の三諦は本性徳本性の三諦と同義になると思われる。
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本性常住
不変の真理である本性が過去・現在・未来の三世にわたって常に存在し、生滅変化のないことをいう。
―――
三諦円融
円融の三諦のこと。円教で説く三諦のこと。
―――
次第
①順序。前後。②少しずつ状態が変わるさま。③成り行き、事情。
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三観一心
一切万法の三諦を正しく観ずることによって己心を悟ること。空仮中の三観に照らされた万物を一心に収めるから寂に入るといい、この入寂門の機根に対して立てたものであるとする。
―――
入寂門の機
衆生の一心が静寂の境地に入った状態をさす。
―――
一心三観
一心に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行。天台大師智顗が立てた観心の法門。天台大師はこれを止観の正行とした。別教で立てる次第三観に対して円融三観ともいう。別教においては、まず空観を修し、三惑のうちまず見思惑を断じて空諦の理を証し、次に仮観を修し、塵沙惑を破して仮諦の無量の法門を知り、そののちに中道観を修し、無明惑を断じて中道の理を証する。このように、空・仮・中の三諦を次第に観じていくので次第三観という。これに対して天台大師の一心三観では三観を修行の初めから直ちに修するので不次第三観という。修行の時間も隔たりがなく、中道の理を証するにも空間の隔たりがなく、一境の上に三諦が相即し、三観も一心に円融するので円融三観という。この一心三観を基盤として一念三千の法門が展開される。
―――
入照門の機
一心を空仮中の三諦に開き、万物を照らす状態をいう。
―――
住果還の一心三観
「住果還」とは「果に住して還りて」住果還と読み、仏果に住して一心三観を修するとの意。仏果を得るための修行としてではなく、仏果を証得して後に自在な境涯を楽しむための一心三観を修することをいう。妙法蓮華経の五字のうちでは蓮の一字に配される。
―――
上の機
勝れた機根のこと。円にあって発動する機根のこと。上機は仏の教法を受け、発心して修行に励み成仏する衆生の機根をいう。
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知識
仏法を正しく教えてくれる先達。
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一切の法は皆是れ仏法なり
摩訶止観巻1下の文。7
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真理
中道実相の真理のこと。
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入真已後
教の初住位を入真、第二住位以後を已後という。初住位にのぼって、中道実相の真理を証得するゆえに、このようにいう。
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観
一心三観の修行のこと。
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為果行因の一心三観
仏果を得るための因となる修行をすること。
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果位究竟の妙果
「果位」は因位の修行によって得られる果報・仏果の位。「究竟」は無上・至極の意。「妙果」は仏果と同意。
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付法の一心三観
五時八教の教相の義を心に入れて、これを観心の対象とすること。
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五時八教
天台大師智顗が明かした教判を後代の天台宗が体系化したもの。法華経を中心に、諸経に説かれる教えを釈尊一代で説かれたものとして総合的に矛盾なく理解しようとした。五時とは、華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時の五つ。八教には、「化儀の四教」と「化法の四教」がある。
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教門
仏の教説、教法のこと。仏の教えは生死解脱の道に入る能入の門である。
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山家
①中国における天台宗一門。②日本における比叡山一門。
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塔中の言なり
多宝塔の中で説かれた説法。
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立行相
①教法によって立てられた修行の姿・形。②起立歩行の相貌。
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三千三観の妙行
「三千」は一念三千の三千。三観は一心三観の三観のこと。一念三千・一心三観の妙行をいう。
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解行
知解と修行のこと。
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自証門
証得の相のこと。仏法を証得した姿・相貌。
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証相
証得の相のこと。仏法を証得した姿、相貌。
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前章に続いて伝教大師の修禅寺相伝日記の引用である。
総説の五重玄に、仏意の五重玄と機情の五重玄の二種あるうちの、機情の五重玄を明かすところである。
「機情」というのは、衆生の機根のことで、仏の説法を聞き受け入れることのできる衆生の心の可能性をさす。
したがって、「機情の五重玄」とは、本文に「機の為に説く所の妙法蓮華経」とあるように、衆生の機根を考慮しつつ説かれる妙法蓮華経の五字について、五重玄、ということになる。
先の「仏意の五重玄」があくまで仏の悟りの内証に具足する五眼・五智に即して説かれたのとは対照的に、ここでは衆生の機根に応じて説くものであるがゆえに、因位としての衆生が行う修行に即して妙法蓮華経の五字総説の五重玄が展開されている。
その修行とは天台大師のたてた「一心三観」であるから、「首題の五字に付いて五重の一心三観有り」と述べられ、妙・法・蓮・華・経のそれぞれに一心三観を配当して、妙法五字が一心三観のすべての修行の相貌を含むことが明かされているのである。
この五重玄の一心三観に、付文と本意の二種の一心三観が立てられるのである。
伝に云く
妙 不思議の一心三観 天真独朗の故に不思議なり。
法 円融の 一心三観 理性円融なり総じて九箇を成す。
蓮 得意の 一心三観 果位なり。
華 複疎の 一心三観 本覚の修行なり。
経 易解の 一心三観 教談なり。
二種の「五重の一心三観」のうち、まず、付文の一心三観の内容が示されている。
付文の一心三観とは、妙法蓮華経の五字の各字に一心三観を立てたもので、妙が不思議の一心三観、法が円融の一心三観、蓮が得意の一心三観、華が複疎の一心三観、経が易解の一心三観、にそれぞれあたると示されている。
そして、これら五重の一心三観の一つ一つの内容については、次に、法華玄義巻二上の釈文に基づいて、詳述されているので、これにしたがって解説を加えていくことにしたい。
まず、天台大師の法華玄義巻二上の釈文には、法華経方便品第二の十如実相の文に空・仮・中の三諦の義があることを、次のように明らかにしている。
「今経には十法を用て一切の法を摂す、所謂る諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり。南岳師は此の文を読みて皆如と云う、故に呼んで十如と為す。天台師の云く、『義に依って文を読むに凡そ三転有り、一に云く、是相如、是性如、乃至是報如なり。二に云く、如是相、如是性、乃至如是報なり。三に云く、相如是、性如是、乃至報如是なり』と。若し皆如と称するは、如は不異を名づく、即座の義なり。若し如是相、如是相と作すは、空の相性を点じて名字施設し、リイ不同なるは即仮の義なり。若し相如是、性如是と作すは、中道実相の是に如す。即中の義なり。分別して解し易からしむ、故に空仮中を明かす。意を得て言を為さば、空即ち仮中なり。如に約して空を明かさば一空一切空なり、如を点じて相を明かさば一仮一切仮なり、是に就いて中を論ずれば一中一切中なり。一二三に非ずして而も一二三、不縦不横なるを名ずけて実相と為す。唯仏と仏とのみ此の法を究竟したもう。是の十法に一切の法を摂するなり」と。
少し長文の引用になったが、この釈文のなかに付文の五重の一心三観が順次説かれているのである。
初めに「一心三観」は、天台大師が摩訶止観巻三上、巻五上等に明らかにした観心修行の法門である。これに対するのが、「一境三諦」で、一つの対象には空・仮・中の三諦が円満に具足していることをいい、これを自己の一心に「観ずる」ことが「一心三観」ということになる。
天台大師の教えでは、別教は、「隔歴の三諦」を観ずるのに対し、法華円教は「円融の三諦」を観ずるのである。別教では、まず、入空観を修して、見思の惑を断じて空諦を証し、次に入仮観を修して、塵沙の惑を破って仮諦を証し、最後に中道観を修して、無明の惑を断じて中諦を修する。というように、所観の対境を空諦から仮諦・中諦と証していく過程に応じて、能観の主体も、空諦から仮諦・中道観、と三諦を順次に次第に修行していくのである。これを、次第の三観ともいうのである。
これに対して、円教では、所観の境について、一境に三諦が円融すると説くので、能観の三観についても、いずれか一観を修すれば三観を同時に修したことになる、と説く。これを、不次第三観とも、不思議三観ともいうのである。なお、この場合、一心三観に「一心」とはあくまで、一念無明の心である。所観の対象がすべて一境三諦であれば、何を対象として観察を修してもよいことになるが、天台大師は修行上の便宣のうえから「一色」や「一香」等を対象として観察することをやめて、自分に最も身近な日常の妄念をもって、所観の対境としたのである。
この場合は「一心」は所観の境としての衆生自身の心をさし、この一念の心に空仮中の三諦が円融相即して具わっていることを観ずることが「一心三観」ということになる。すなわちひとおもいの心のうちに空観・仮観・中観の三観を同時に実現することをいうのである。
さて、付文の五重の一心三観について解説すると、次のようになる。
先に引用した法華玄義巻二上の文に即して述べていくと、まず「分別して解し易からしむるが故に空仮中を明かす」の文が「易解の一心三観」を表し、次に「意を得て言をなさば空即仮中なり」の文が「得意の一心三観」を表し「如に約して空を明かさば一空一切空、如を点じて相を明かさば一仮一切仮、是に就いて中を論ずれば一中一切中なり」の文が「円融の一心三観」を表わしている。なぜなら、この文について妙楽大師は法華玄義釈籤で「融通」を表す、と釈しているからである。
更に、「一二三に非ずして而も一二三」の文が「複疎の一心三観」を表わしている。これは法華玄釈籤に、この文について「複疎」を表す、としている点からも明らかである。
最後に「不縦不横なるを名ずけて実相と為す」の文は「不思議の一心三観」を表わしている。これは、不縦不横なるところの「実相」はまさに、凡夫の思議を超えた不思議としかいいようのない法であるから、このように名づけるのである。
以上が、付文の五重玄であるが、これを妙法蓮華経の五字にそれぞれ配当すると、本文にあるように、妙=不思議の一心三観、法=円融の一心三観、蓮=得意の一心三観、華=複疎の一心三観、経=易解の一心三観、となる。そして、何ゆえに、この配当が成立するかについて、一つ一つ、その理由が示されているのである。
不思議の一心三観とは智者己証の法体・理非造作の本有の分なり三諦の名相無き中に於て強いて名相を以つて説くを不思議と名く
「不思議の一心三観」の説明である。
前述の法華玄義の文で、空仮中の三諦が「一二三に非ずして而も一二三、不縦不横なるを名けて実相と為す」とあったのと関係する。文中の「一二三」は空仮中の三諦がバラバラであることを表す。「一二三に非ず」とは、三諦がバラバラでないことをいい、「而も一二三」とは別々の真理としてとらえられていることをいう。「一二三に非ずして而も一二三」というのは、空仮中の三諦が否定されると同時に肯定されることを表わしている。
続いて「不縦不横なるを実相と為す」というのは、空仮中の三諦は「実相」においては、否定にも肯定にもとどまることができない、という凡夫の通常の認識や思議では把握しえないことをいう。これを「不思議の一心三観」というのである。
ゆえに、これを説明して「智者己証の法体・理非造作の本有の分なり三諦の名相無き中に於て強いて名相を以つて説くを不思議と名く」と説明されているのである。
「智者己証の法体」とは天台智者大師が自ら証得した諸法の本体、ということであり、「理非造作」の「理」とは天然自然の理のことであり、「非造作」とは、この天燃自然の理が後天的に作られたものではないことを表わしている。天台大師の証得は天真独朗ではあるが、これについて同じ修禅寺決に「理非造作の故に天真と曰い、証智円明の故に独朗と云う」と説き、あるいは「一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず、一心より三千を生ずるにも非ず、一心に三千を具するにも非ず、三千並立にも非ず、次第にも非ず。故に理非造作と名づく」と述べられている。
したがって、この「理非造作の本有の分」である作法は、本来、言語道断・心行所滅であるがゆえに「三諦の名相」、すなわち、空・仮・中のそれぞれの名をもって表現しえないのである。あえて名相をもって説くとすれば「不思議」としか命名のしようがない。
このような「不思議の三観」は妙法蓮華経の五字に配当すると、まさに「妙」がそれにあたるのである。
円融とは理性法界の処に本より已来三諦の理有り互に円融して九箇と成る
「円融の一心三観」の説明である。
法華玄義巻二上の文に「如に約して空を明かさば一空一切空なり、如を点じて相を明かさば一仮一切仮、是に就いて中を論ずれば一中一切中なり」とあったとの関係している。
これは、一切諸法に空仮中の三諦を具することを明らかにした文であるが、先の不思議の一心三観に比べて、空仮中の三諦が具すと肯定的に把握しているところである。本来、実相の究極は三諦としてとらえきれない言語道断・心行所滅の「不思議」の当体であり、それを「妙」というのであるが、「法」とは、三諦として把握されている面をあらわしているのである。
「理性法界の処」とは、理性の法界としてあらわれているところの意で、そこに三諦の理があり、この三諦おのおのが三諦を具え、九箇となっている。
この三諦が円融している姿を心に観ずるのが「円融の一心三観」であり、これが法界の姿であるので、「法」の字に配されているのである。
得意とは不思議と円融との三観は 凡心の及ぶ所に非ず但だ聖智の自受用の徳を以て量知すべき故に得意と名く
「得意一心三観」の説明である。法華玄義巻二上の「意を得て言を為せば、空即ち仮中なり」とあった文と関係している。
「不思議の円融との三観は凡心の及ぶ所に非ず」とは、不思議の一心三観も円融の一心三観も、いずれも凡夫の心では到達することのできない境地であるとの意。ただ「聖者の自受用の徳」、すなわち、修行円満した仏が自ら悟った境地において自らの智慧をもってのみ量り知ることのできるところであるので「得意」と名づける、というのである。
これを五字に配当すると、仏果の境地においてのみ覚知できるゆえに、果位である「蓮」にあたるとされている。
複疎とは無作の三諦は一切法に遍して本性常住なり理性の円融に同じからず故に複疎と名く
「複疎の一心三観」の説明である。法華玄義巻二上に「一二三に非すして而も一二三」という文と関連している。
この文の「一二三に非ずして而も一二三」というのは、空仮中の三諦に非ずして同時に空仮中の三諦、ということである。否定と肯定とが同時に表現しているのである。
この文を何ゆえ「複疎の一心三観」と称するのか、といえば「複疎」というのが「疎にかえる」「かさねてあきらむ」の意味であるところから、これまで述べられてきた不思議、円融、得意の一心三観がすべて円融無差別の境地に入っていく一心三観であったのに対して、この境地から再び千差万別の一切諸法に還って、三諦にあらずしてかつ三諦であることを観ずるからである。
本文にある「無作の三諦」の「無作」とは、前述した「理非造作」と同じ意味で、諸法に本来具わっている天燃自然そのままの三諦ということである。したがって、この無作の三諦は一切法、すなわち、一切の個々の事物・現象を貫いており、その「本性」は常住である。
すなわち無作の三諦は、横に一切法を遍して、縦に過去・現在・未来の三世にわたって、常に存在しているのである。
「理性の円融」はあくまで「聖智の自受用の徳」によって把握されているのに対し、「無作の三諦」は「聖者」の働きを前提としつつも、千差万別の諸法をそのまま無作・本覚と観ずることをいう。したがって、「複疎の一心三観」は五字に配当していえば、因位にあたる「華」にそうとうする。とはいえ、因果俱時を表す「蓮華」の「華」であるから、果位のうえでの因位であり、ゆえに「本覚の修行なり」としめされるのである。つまり本来の悟りに入った上での修行が「複疎の一心三観」となるのである。
易解とは三諦円融等の義知り難き故に且らく次第に附して其の義を分別す故に易解と名く
「易解の一心三観」についての説明である。法華玄義巻二上の「分別して解し易からしむ、故に空仮中を明かす」とうい文と関係している。
「三諦円融等の義知り難き故に且らく次第に附して其の義を分別す」とは、三諦円融等の意義は深遠であるための凡夫にはなかなか知りがたいので、教理を解り易く分別して順序や次第をつけて説くということである。このように、三諦を分別して観ずることを「易解の一心三観」というのである。
五字のなかには「経」に配されているのである。これは「教談なり」とあるように、まさに教え談じ講ずるための一心三観、ということになる。
以上の附文が五重の一心三観である。
本意に依て亦五重の三観有り、一に三観一心入寂門の機,二に一心三観入照門の機、三に住果還の一心三観・上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す入真已後観を極めんが為に一心三観を修す、四に為果行因の一心三観謂く果位究竟の妙果を聞いて此の果を得んが為に種種の三観を修す、五に付法の一心三観・五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付法と名く
ここは、二種の五重の一心三観のうちの「本意の五重の一心三観」について述べている。「本意」というのは、仏の内証の意のことであり、法華経の文によるのではなく、直ちに達意的に一心三観していくことである。
さて、その具体的な名目を挙げれば、三観一心、一心三観、住果還の一心三観、為果行因の一心三観、付法の一心三観、となっている。
一一に三観一心 入寂門の義
万法の本性を空仮中の三諦を観ずる三観は、あくまで観ずる主体の「一心」からあらわれるわけであるから、逆に三観は一心に収束される。これが三観一心である。これを「寂照」の法門からいえば、空仮中の三観に照らされた万物を一心に収めるので「寂に入る門」とし、入寂門の機根に対して立てられたものとする。なお、修禅寺相伝日記には略されているが、妙法蓮華経の五字のなかでは「妙」の字に配当される。
二に一心三観 入照門の義
先の「三観一心」とは逆に、一心から三観へと開いていくことであり、「寂照」の法門からいえば、万物を三観より照らしていく境地であるがゆえに、「照に入る門」すなわち、入照門の機根に対して立てられたものであるとする。なお、妙法蓮華経の五字のうち「法」の字に配される。
三に住果還 一心三観・上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す入真已後観を極めんが為に一心三観を修す
「住果還」とは「果に住して還りて」と読む。すなわち、仏果を証得し、仏果に住した後、自受用の境地を楽しむために、還って一心三観を修することをいう。それゆえ、仏果を獲得するために行う一心三観ではないことに留意しなければならない。
本文の「上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す入真已後観を極めんが為に一心三観を修す」とは「上の機」とは上根のことであり、「知識」とは善知識のことで、仏法を教え導く人のことである。
すなわち、上根の機の衆生は、善知識が「一切の法は皆是れ仏法なり」と説くのを聞いて、自ら真理を聞くことができる。そして、その真理に入った後に、「入真已後」、自在の境地を楽しむために「観を極めんが為に」一心三観を修する、というのである。このゆえに、古来、「悟後の修行」と称されてきたのである。
仏果の後の修行を述べているところであるから、妙法蓮華経の五字のなかでは、「蓮」の字にあたる。
四に為果行因 一心三観謂く果位究竟の妙果を聞いて此の果を得んが為に種種の三観を修す
「為果行因」とは「果の為に因を行ず」と読む。仏果を成就するための因行としての一心三観である。
本文の「果位究竟の妙果を聞いて此の果を得んが為に種種の三観を修す」とは、仏が究め尽くした妙果の深遠な境地を聞いて発心し、自身もこの妙果を獲得せんとして、種々の三観を修行するということである。
仏果を得るための因位の修行であるから、妙法蓮華経の五字のなかでは、「華」の字に配される。
五に付法の一心三観 五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付法と名く
「付法」とは、教法に付く、ということで、教法自体を対象として行ずる一心三観を「付法の一心三観」というのである。
仏教の修行の階梯は、基本的には「聞・思・修」の三段階を経ているのであるが、本文に「五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付法と名く」とあるように、仏の教説を聞いて、聞いたことを思索し、観心修行していく、というものである。
この場合、教法はあくまで修行者をさして仏教の深遠な悟り・生死解脱の道へと導く門、となるので「法門」あるいは「教門」とも称されるのである。
本文の場合も、この規範にしたがって、五時八教の種々の教説を聞き、これらの教説・教義を思索し、更にこれらを対象として観心修行するのを「付法の一心三観」というのである。
これは、妙法蓮華経のなかでは、「経」の字に相当する。以上が、本意の五重の一心三観である。
山家の云く塔中の言なり亦立行相を授く三千三観の妙行を修し解行の精微に由つて深く自証門に入る我汝が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名くと
第二の大段落を閉じるにあたり、修禅寺相伝日記のなかの他の文を引用して結びとしている。
「山家の云く」とは、ここでは天台大師の言葉である。「山家」とは山に住む一門の意で、さまざまな宗派にわたるが、中国においてはとくに天台宗一門をいう。とくに、異義の生じた趙栄時代において、天台宗の正統派を主張した人々を山家派といい、これ以外の派を山外派と呼ぶ。このときの「山家派」の中心者は四明知礼である。
本文の「亦立行相を授く三千三観の妙行を修し解行の精微に由つて深く自証門に入る我汝が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名く」とあるのは、天台大師が大蘇道場において開悟したとき、釈尊から直授された仏語とされている。このゆえに「塔中の言」と付記されているのである。
「亦立行相を授く」とは、修禅寺相伝日記の原文には「亦授行の立相に依りて」とあり、塔中の釈尊から授けられた立行の相によって、ということである。
この立行の相によって天台大師は「三千三観の妙行を修し解行の精微に由って深く自証門に入る」ことができた。というのである。すなわち、一念三千、一心三観の妙なる修行を行じ、かつ、解と行とが一体不二で「精微」な体系を構築することによって、天台大師は深く「自証門」、すなわち、成仏の悟りの境地を自ら証得する門に入ることができた、といっている。
「我汝が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名く」の「我」とは釈尊で、天台大師の仏法証得の相を釈尊が領解して「法性寂然なるを止」「寂にして常に照すを観」と命名したというのである。
1366:09~1366:18 第九章 天真独朗の止観と一念三千との関係示すtop
| 09 問うて云く天真独朗の止観の時・一念三千・一心三観の義を立つるや、答えて云く両師の伝不同なり、座主の云 10 く天真独朗とは一念三千の観是なり、 山家師の云く一念三千而も指南と為す 一念三千とは一心より三千を生ずる 11 にも非ず一心に三千を具するにも非ず 並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く、 和尚の云く天真独朗に於 12 ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、 但し大師本意の天真独朗とは 三千三観の相を亡し一 13 心一念の義を絶す 此の時は解無く行無し 教行証の三箇の次第を経るの時・ 行門に於て一念三千の観を建立す、 14 故に十章の第七の処に於て 始めて観法を明す是れ因果階級の意なり、 大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の 15 義無しと云云、 故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、 今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行 16 の所摂にして実証の分に非ず、 開元符州の玄師相伝に云く言を以て 之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之 17 を観ずる時は教証は行の体と成る 証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、 後学此の語に意を留めて更に 18 忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり。 -----― 問うて言う。天真独朗の止観の時、一念三千・一心三観の義を立てるのであろうか。 答えて言う。行満・道邃の両師の伝は同じではない、座主の言うには『天真独朗とは一念三千の観のことである。このことを妙楽大師は“一念三千を指南とする”といっている。一念三千とは一心から三千を生ずるものでなく、一心に三千を生ずるものでもなく、並立でもなく、次第でもなく、ゆえに理非造作と名けるのである』と。 和尚の言うには『天真独朗においもまた多種類がある(乃至)迹門のなかに明かすところの不変真如もまた天真独朗なのである。ただし天台大師の本意の天真独朗とは三千三観の相を滅し、一心一念の義を絶したところにある。このときは解もなく行もない。教行証の三箇の次第を経るとき、行門において一念三千の観を建立するのである。ゆえに摩訶止観の全十章のうち第七章のところにおいて初めて一念三千の観法を明かしたのである。これは因果のうえに階級を定めるという意からである』と」と。 天台大師の内証の伝のなかには『第三の止観には伝転の義はない』と言っている。ゆえに証分の止観には別法を伝えているわけではないことを知らなくてはならない。 今、摩訶止観に記されているのは、始めから終わりまで、皆、教行のうえのことであって、実証の分ではないのである。 開元符州の玄朗師の相伝のいうところでは『言葉をもって伝えるときは行証ともに教となり、心をもってこれを観ずるときは教証は行の体となる。証をもってこれを伝えるときは教行もまた不可思議である』とある。後学は、この語に意を留めて決して忘れてはならない。これこそ、この宗の本意であり、立教の元旨なのである。道邃和尚の貞元の本義の源はここから出たのである」と。 |
天真独朗の止観
南岳大師は天台大師に三種止観を伝えたが、修善寺相伝日記では教門止観・行門止観・証分止観の三種を説く。そのうち教門止観には①廃教立観②開権顕観③天真独朗の止観の三種を説いている。すなわち「三には天真独朗の止観。謂く、理非造作のゆえに天真と曰い、証智円明のゆえに独朗と云う。全く観行の相を離れ、更に修すべき観もなく証すべき位もなし」とあり、天真独朗を示している。
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止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
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指南
教え示すこと。導くこと。師範の意味。中国唐代の「指南書」の故事によるものとされている。
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並立
同時並存のこと。
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理非造作
止観輔行伝弘決観1には「理非造作のゆえに天真と曰い、証智円明のゆえに独朗と云う」とある。
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迹中に明す所の不変真如
円教では真如に隨縁と不変があるとし、随縁真如は本門で不変真如は迹門であるとしている。
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大師
①大導師のこと。②仏・菩薩の尊称。③朝廷より高徳の僧に与えられた号。仏教が中国に伝来してから人師のなかで威徳の勝れたものに対して、皇帝より諡号として贈られるようになった。智顗が秦王広から大師号が贈られ、天台大師と号したのはこの例で、日本人では最澄が伝教大師・円仁が慈覚大師号を勅賜されている。
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教行証
教行証とは教法と行法と証法のことで、三法ともいう。教とは仏の説いた教法をいい、行とは教法によって立てられた修行法をいい、証とは教・行によって証得される果徳をいう。
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観法
法を観ずることで、観念・観察・観行・観門等というのに同じ。法を観ずるとは、心を一処に定めて、智慧によって対境を思察、分別、照見うること、すなわち修行の方法の意味である。日蓮大聖人の仏法でいえば、信心によって御本尊を証徳すること。各宗とも、それぞれの観法があり、小乗教においては、声聞の修行として四諦観を説き、縁覚の修行として十二因縁の観法を説いた。権大乗教において法相宗は五重唯識観を立て、三論宗は八不中道観を、華厳宗は四界観を、浄土宗は観無量寿経によって阿弥陀の依正二報を観ずる十六観を説く。これらは四十余年の爾前権教の観法であり、真実の観法ではなく、これによって成仏はできない。天台大師は止観において、釈尊の実教たる法華経にもとずいて、一心三観・一念三千の観法を説いた。しかし、止観でいう一念三千の観法といっても、所詮、像法時代の修行であって末法には用をなさない。日蓮大聖人は、病治抄に「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998-15)とあり、末法においては、観法とは事の一念三千の大御本尊を修行するにつきるのである。一念三千法門には「一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納れり、妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納りて候けり」(0414-06)ともある。
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因果階級
因果の故に階級・順序を定めること。
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大師
①大導師のこと。②仏・菩薩の尊称。③朝廷より高徳の僧に与えられた号。仏教が中国に伝来してから人師のなかで威徳の勝れたものに対して、皇帝より諡号として贈られるようになった。智顗が秦王広から大師号が贈られ、天台大師と号したのはこの例で、日本人では最澄が伝教大師・円仁が慈覚大師号を勅賜されている。
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第三の止観
証分の止観のこと。
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伝転の義
後世に伝えていく奥義のこと。
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証分の止観
三重の止観のひとつ。止観を経説として他に伝えることは教門の止観、観念観法の行法として伝えるときは行門の止観、天台大師の内証の妙観とその対境としての妙法は不思議・不可説であってこれを証分の止観という。
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開元符州の玄師
(0673~0754)左渓玄朗のこと。中国天台宗の第5代座主。9歳で出家し、21歳のとき清泰寺に住した。その後光州の岸律師について律を学び、経・論を学んだ。また東洋天宮寺の慧威の下で、法華・止観・大論・浄名などを修め、一宗の義に通達したという。弟子に妙楽がいる。開元は玄師の生存時の年号。符州は生誕地。
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後学
①人の開いた学問や知識を後から学んでいく後進・後生・後輩。②後のためになる知識・学問。
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ここから、大段の第三に入る。修禅寺相伝日記の文は引用されている。
まず、天真独朗の止観のときに一念三千・一心三観の義を立てるのか、という問いがあり、その答えとして行満と道邃の両師の間において相伝の違いがあることを述べ、以下、行満の相伝と道邃の相伝をそれぞれ紹介している。そして、天真独朗の止観と一念三千との関係を釈している。
座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く
ここでの「座主」とは行満座主と思われる。行満は、天真独朗の止観と一念三千との関係について、両者は同じである、と述べている。その理由として、山家師の「一念三千を指南と為す」という文を引いている。
行満座主は、この妙楽大師の「一念三千を指南とする」という文に基づき「一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く」と述べている。
すなわち、一念三千というのは、一心を実体と立てて、この一心から三千という万法が生ずるとする。哲学上にいう一種の「発出論」でもなければ、同じく一心をやはり実体と立てて、この一心が三千万法を含み包み込む、というものでもない。
またその両者が併存しているものでもなく、また最初は、一心から三千万法を生じ、次に、その一心が三千万法を含む、というように次第するものでもない。
要するに、一心即三千、三千諸法即一心であり、これを「理非造作」と名づく、と述べているのである。
「理非造作」という言葉は、妙楽大師の止観輔行伝弘決卷一において「理非造作のゆえに天真と曰い、証智円明のゆえに独朗と云う」と説かれているのである。
「理非造作」とは「理は造作に非ず」と読み、前述したごとく、一念三千の理は後天的にだれかによって作られたものではなく、天然自然の理であることを述べたものであり、したがってこれを「天真」ともいうのである。
次に「証智円明」とある。「証智」とは、菩薩が中道真実の理を証悟する智慧を指し、「円明」とは、完全無欠で隠れなく明らか、であることをいう。これを「独朗」、すなわち、独り朗らかに悟っている、ということである。
このように、行満座主は、天真独朗の止観と一念三千の観法とは全く同じである、としているのである。
和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり
「和尚」とは、次に述べられている言葉の内容から推量して、道邃のことであろうと思われる。道邃は、天真独朗についても多種多様な在リ方があり、法華経迹門に説かれる「不変真如の理」もまた「天真」といえるとしている。ただし、天台大師の本意の天真独朗とは、三千諸法や三観は消滅し、一心や一念という義を絶したところであり、したがってここでおいては、解や行ということもない、といっている。
換言すれば、天台大師の本意は、一切の法門の名称や修行の段階を超えた、不思議実相の観、に存在するというのである。
にもかかわらず、天台大師はなぜ一念三千の法門を説き、かつ修行の階梯を説いたかといえば、あくまで、天台大師己証の境地である不思議実相の観を、多くの弟子や衆生に獲得せしめるためであった、という。
「教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す」とは、一念三千や一心三観の「観法」は、「教」という仏の経法、「行」という、仏の教法により立てた修行法、「証」という、教法と行法によって証得される果徳、この「三箇の次第」のうちの「行門」として建立されたものである、ということである。
そのことは、天台大師の摩訶止観十章の構成をみれば明らかである。摩訶止観は、大意・釈名・大相・摂法・偏円・方便・正修・果報・起教・旨帰の十章からなっているが、前の六章では、止観を実修するための、其準としての正しい知識や実践の方軌などを明かし、第七章で初めて止観の正しい修し方を示したのである。
このことは、摩訶止観巻五上にも「前六重は修多羅に依りて以って妙解を開く」と述べているとおりであり、第七章の正修の意義について、妙楽大師は止観輔行伝弘決卷五で「止観に至って正しく観法を明かすに、並びに三千を以って指南と為す。乃ち是れ終究竟の極理なり」と述べている。
このような行門の一念三千・一心三観の立て方は、弟子や衆生のために、あえて因から次第に果に至るという「階級」を設けたものである、というのが「是れ因果階級の意なり」という意味である。
天真独朗と止観と一念三千との関係をめぐっての、行満と道邃の二人の相伝の相違においていえることは、行満が天真独朗の止観と一念三千の観法とを一体としてとらえるのに対し、道邃のほうは、天真独朗の止観こそ天台大師の本意そのものであるとしたうえで、一念三千の観法はどこまでも衆生のために設定した「行門」であるとしていることである。
大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、 今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でた大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり
「大師内証の伝」とは、天台大師の内心の悟りを伝えた相伝、ということである。
そのなかに「第三の止観には伝転の義無し」とある、という。「第三の止観」というのは教・行・証のなかの「証分の止観」である。
これについて、修禅寺相伝日記に「問う、一家の本承に教・行・証の三重の止観あり、其の相はいかん。答う、貞元二十四年六月三日の伝法に云く、『止観に別相なし、ただ衆生の心性を点ずる、即ち是れなり。亦三種を分かつ。一には教、二には行、三には証なり』と」とある。
意味は、もともと止観とは、衆生の心の本性を「点ずる」、すなわち点検することであって、別の相はないのであるが、これを分けて、教・行・証の三種の止観を設定したのである、ということである。
貞元二十四年六月三日の伝法とは、伝教大師が道邃和尚から授けられた相承をさしている。第三の止観とは、教・行・証の三種止観のうち「証」の止観のことである。
この第三の止観に「伝転の義無し」というのは、証分の止観には「伝転の義」、すなわち、後世に伝え転じていく意義はないということである。
これに関して、同じく修禅寺相伝日記には「証分の止観とは、本所に於いて通達するに更に大師の説を待つべからず。文に意く『天真独朗』と。若し大師の他説を待たば更に独朗に非ず」とある。
証分の止観とは、天真独朗の止観と同じもので、天台大師の内証・本意の不思議実相の止観であり、不可説にして言語道断・心行所滅の境地である。ゆえに、「他説」すなわち言語にして説いたものは、証分の止観ではないとしているのである。
これに対し、「教」の止観は、教説として他に伝えることが可能なのであり、「行」の止観は同じく、観念観法の修行法として伝えることができるものである。
ゆえに「証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂而して実証の分に非ず」と述べているのである。第三の止観=証分の止観には、特別の法を伝えないのであり、したがって、摩訶止観十章の初めから終わりに至るまで説かれているところの種々の事柄はすべて、三種止観のうち教・行の二門に属するところであって、実証の分たる「証分」の止観については一言も説かれていない、としている。
次の、開元符州の玄師の相伝の内容は、言葉をもって止観を伝えるときは、行も証もともに「教」となり、心で止観を行ずるときは教も証も「行体」となり、証をもって止観を伝えるときは、教も行も皆「不思議」となると、述べている。つまり、前述のように教・行・証の三種止観は、本来、別々のものではないということである。
「後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ」との文は、以上、天台大師の内証の伝、天台第五代座主左渓玄朗の相伝によって、天真独朗の止観、すなわち、第三・証分の止観=不思議実相の止観を根本にしつつも、教門の止観、行門の止観についてもその役割と必然性をよく知悉して、道を踏み外してはならないと教えているのである。
これが、道邃和尚の貞元の相伝の本義であることを説き「宗の本意・立教の元旨」である、と結論している。
1367:01~1367:07 第十章 天真独朗の止観は末法に不適なるを明かすtop
| 1367 01 問うて云く天真独朗の法・滅後に於て何れの時か流布せしむべきや、 答えて云く像法に於て弘通すべきなり、 02 問うて云く末法に於て流布の法の名目如何、 答えて云く日蓮の己心相承の秘法此の答に顕すべきなり 所謂南無妙 03 法蓮華経是なり、 問うて云く証文如何、答えて云く神力品に云く「爾の時・仏・上行等の菩薩に告げたまわく要を 04 以て之を言わば乃至宣示顕説す」云云、 天台大師云く「爾時仏告上行の下は第三結要付属なり」 又云く「経中の 05 要説・ 要は四事に在り総じて一 経を結するに唯四ならくのみ其の枢柄を撮つて之を授与す」問うて云く今の文は 06 上行菩薩等に授与するの文なり 汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、 答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘 07 法を日蓮先き立つて之を弘む 身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり、 -----― 問うて言う。天真独朗の法は、仏滅後においてはいずれの時に流布したらよいのであろうか。 答えて言う。像法の代に流布すべきである。 問うて言う。末法において流布すべき名目はどうか。 答えて言う。日蓮が己心に相承した秘法をこの答えで明らかにしよう。いわゆる南無妙法蓮華経のことである。 問うて言う。その証文はどのようなものであろうか。 答えて言う。法華経如来神力品第二十一には「爾の時に仏は上行等の菩薩に告げられて、要をもってこれをいうならば(乃至)宣示顕説していくのである」と述べている。天台大師は法華文句巻十下で「『爾時仏告上行』から下の文は第三の結要付属をあらわしている」と釈している。また「法華経中の要説の要は四事に在るのである。総じて法華経はただ四事に在るのである。総じて法華経はただ四事に結ばれているのである。その根本をとって上行等に授与した」と言っている。 問うて言う。今の文は上行菩薩等に授与する文である。どうして汝が己心相承の秘法と云うのか。 答えて言う。上行菩薩の弘通される秘法を日蓮が先立ってこれを弘めているのである。身に当たるというのはこの意である。日蓮は上行菩薩の代官の一分なのである。 |
滅後
仏が入滅したあと。
―――
像法
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
―――
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
―――
相承
相は相対の意、承は伝承の義。師弟相対して師匠から弟子に法を伝承すること。
―――
神力品
妙法蓮華経如来神力品第21のこと。妙法の大法を付嘱するために、10種の神力を現じ、四句の要法をもって地涌の菩薩に付嘱する。別付嘱と結要付嘱ともいうことが説かれている。
―――
上行等の菩薩
涌出品に出てくる上行菩薩を筆頭とする無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。
―――
宣示顕説
はっきりと説き示し、説き顕わしたこと。
―――
結要付属
肝要をまとめて付属すること。法華経如来神力品第21には「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
―――
四事
法華経如来神力品第21に説かれる四句の要法のこと。「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」の文を指す。
―――
枢炳
枢は扉の回転軸、炳は器具のとって、いずれもものごとの肝心要をいう。
―――
代官
主君の代理として職務に当たる者。
―――――――――
これまでの修禅寺相伝日記に記された法は像法に流布された仏法であり、末法流布の法は、大聖人が相承された南無妙法蓮華経であることが説かれているのである。
神力品に云く「爾の時・仏・上行等の菩薩に告げたまわく要を以て之を言わば乃至宣示顕説す」
法華経如来神力品第二十一の文である。
この品では、釈尊が妙法蓮華経の大法を地涌の菩薩に付嘱するにあたって、十神力を現じた後、このような十の神力をもってしても妙法蓮華経の大法の功徳はとても表わし尽くせるものではないが、要約すれば次のようになると述べ、四つの句に要約してこの大法を上行菩薩を上首とする地涌の菩薩に付嘱するのである。ここから、この付嘱は「結要付嘱」と名づけられる。
すなわち「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」という文である。
「如来の一切の所有の法」とは、仏が有している一切の法であり、「如来の一切の自在の神力」とは仏が行う衆生救済のすべての力用、「如来の一切の秘要の蔵」とは仏が悟った秘密の真理、「如来の一切の甚深の事」とは仏のすべての修行の因果をさす。
この文を天台大師は釈して「爾時仏告上行の下は第三結要付嘱なり」と述べて、この文が結要付嘱に当たることを明かすとともに、更に、五重玄義に配している。
「如来の一切の所有の法」が名玄義、「如来の一切の自在の神力」が用玄義、「如来の一切の秘要の蔵」が体玄義、「如来の一切の甚深の事」が宗玄義、そして「此の経に於いて宣示顕説す」が教玄義にあたる、と。
日蓮大聖人は、この四句の要法を三大秘法禀承事において、三大秘法の依文とされている。
問うて云く今の文は上行菩薩等に授与するの文なり汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘法を日蓮先き立つて之を弘む身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり
上行菩薩を上首とする地涌の菩薩に付嘱されたこの神力品の文を授与されたことは経文に明確であるが、日蓮大聖人が「己心相承の秘法」といわれたことに対し疑問を設け、それに答えるかたちで大聖人の御立場をしめされるのである。
すなわち、上行菩薩の弘通されるはずの法を、今、大聖人が弘通されていつこと自体、己心に相承したからにほかならないというお答えである。ただし「日蓮先き立つて」弘められているのであり、「上行菩薩の代官の一分」であると、謙遜して述べられている。
本来、日蓮大聖人は「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す」(0854-03)と仰せられているのである。
なお三大秘法禀承事では「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(1023-05)と明かされている。
1366:07~1367:13 第11章 末法における正行と助行を明かすtop
| 07 所詮末法に入つて天真独朗の法 08 門無益なり助行には用ゆべきなり 正行には唯南無妙法蓮華経なり、 伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法 09 華宗を助けて震旦に敷揚し 叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」 今日蓮は塔中相承の南無 10 妙法蓮華経の七字を末法の時・ 日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、 末法に入つて天真独朗の法を弘 11 めて正行と為さん者は必ず無間大城に墜ちんこと疑無し、 貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う 真実・ 12 時国相応の智人なり 総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・ 学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の 13 詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし。 -----― 所詮、末法に入ったならば、天真独朗の法門は無益であり、ただ助行に用いるだけであって、正行にはただ南無妙法蓮華経を用いるべきである。伝教大師は法華秀句巻下で「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて中国に弘め、比叡山のわが天台宗は天台大師に相承して法華宗を助けて日本に弘通している」と述べている。 いま日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時代に日本に弘通いている。これこそ時と国とに相応した仏法ではないか。末法に入って天真独朗の法を弘めて正行とする者は必ず無間大城に墜ちることは疑いない。 貴辺はこれまでの権宗を捨てて日蓮が弟子となられたことは真実の時国相応の智人である。総じて日蓮の弟子等は日蓮と同じく正理を修行すべきである。たとえ智者・学匠の身となっても、地獄に墜ちては何の役にもたたない。所詮、時々・念々に南無妙法蓮華経と唱えるべきである。 |
助行
仏道修行において中核となる行(正行)を補助する修行。創価学会では、毎日の朝夕の勤行で、唱題と法華経の読誦を行う。南無妙法蓮華経と唱える唱題が正行で、南無妙法蓮華経の意義を賛嘆するために法華経の要諦(方便品の長行と如来寿量品の自我偈)を読誦するのは助行である。
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正行
❶人として正しい行動。八正道(仏道修行者として実践・習得すべき八つの徳目)の一つにも数えられる。❷仏道修行において中核となるもの。助行に対する語。創価学会では、毎日の朝夕の勤行で唱題と法華経の読誦を行う。南無妙法蓮華経と唱える唱題が正行で、南無妙法蓮華経の意義を賛嘆するために法華経の要諦(方便品の長行と如来寿量品の自我偈)を読誦するのは助行である。❸中国浄土教の祖師・善導による修行の立て分けで、正しく行うべき修行としての称名念仏。善導は『観無量寿経疏』で、称名念仏だけを正しく行うべき修行とし、他のすべての修行を雑行と位置づけた。
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信順
信じ従うこと。
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震旦
一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
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敷揚
仏法を普く敷き及ぼすこと。
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叡山の一家
日本天台宗のこと。
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塔中相承
法華経見宝塔品第11であらわれた多宝塔の中において、釈尊が滅後末法における法華経流通を上行等の四菩薩に妙法蓮華経を付嘱したこと。
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時国相応の仏法
宗教の五綱にかなった仏法。この文では「時」「国」を強調されている。
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無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
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権宗
権経を依経とする宗派。
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正理
正しい道理のこと。
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学匠
大寺にあって学問を修めた僧。仏道を修めて師匠の資格ある僧。②学問に通じた人、学者。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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転身独朗の観法は像法の仏法であり、末法においては、ただ南無妙法蓮華経を唱えていくべきであると述べられ、転身独朗の法は末法にいては、せいぜい助行でしかないことを仰せられている。
そして、日蓮大聖人が弘通する南無妙法蓮華経こそ、末法という「時」と、日本国という「国」とに相応した「時国相応の仏法」であることを述べられ、末法においては無益な法門である転身独朗の観法を正行とするような者は、無間地獄に堕ちることは間違いない、と厳しく破折されている。
また、最蓮房日浄に対して、権教を捨てて大聖人の弟子となったことを「真実・時国相応の智者」であると讃嘆された後「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし」と唱題行を勧められている。
末法における正行と助行について
本抄では、末法の修行として、正行に南無妙法蓮華経を置かれ、転身独朗の観法は助行として用いていきことが可であると述べられている。
「正行」とは成仏に至る根本となる修行をさし「助行」はその正行の助縁となる修行をいう。
日寛上人は当流行事抄において「修行に二有り、所謂、正行及び助行なり、宗々殊なりと雖も、同じく正助を立つ。同じく正助を立つれども行体各異なり」と説かれているように、宗派により正行・助行の内容は異なっている。創価学会においては三大秘法の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱題することが正行であり、助行としては法華経の方便品・寿量品を読誦する。
本抄において天真独朗の観法を助行としてもよいと仰せられているのは、あくまで、元天台宗の学匠であったとされる最蓮房日浄に対する対機説法であった、と考えられる。
今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時・日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや
日蓮大聖人が末法の今時、日本国に弘通する南無妙法蓮華経の大法は時と国とに合致した仏法であると述べられている。
この文のまえに、伝教大師の法華秀句巻下の文を引用されている。
この文を意味するところは、中国の天台大師は、インドの釈尊に信順して法華経の宗を中国に流布したが、今、「叡山の一家」である伝教大師は、その天台大師の教えを相承して法華経の宗を日本に流通しているのである、というものである。
この文を受けられて、日蓮大聖人は「塔中相承」の南無妙法蓮華経の七字を末法の時に日本国に弘通していることは時国相応の仏法だからであると説かれている。
顕仏未来記には、同じ伝教大師の法華秀句の文を引用された後、「安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く」(0509-10)と仰せられている。
ここに「三国四師」とは、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師、そして日蓮大聖人で、国としてはインド・中国・日本の三国、法華経の師としては釈尊・天台大師・伝教大師・日蓮大聖人の四師、ということになる。釈尊・天台大師・伝教大師の三師は、末法以前の法華経の師であるのに対し、日蓮大聖人のみが末法の法華経の師、ということである。
末法の弘通のために法華経神力品にあるように、宝塔の中で相承されたのが三大秘法の南無妙法蓮華経であるゆえに、今、大聖人は日本に出現され、この妙法を弘められているのである。
総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし
日蓮大聖人の弟子門下であるならば、師である日蓮大聖人がなされたように、「正理」すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経を忠実に修行していきなさい、と勧められ、次に、「智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」と戒められている。
すなわち、たとえばそれほどの智者や学匠の身となっても「正理」に背き、邪法を行じて地獄に堕ちてしまっては、何の意味もないのであり、ひたすら南無妙法蓮華経と唱えて成仏していくことが肝要であると結論されている。
1367:14~1368:03 第12章 天台宗の義も妙法五字に帰すを明かすtop
| 14 上に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、 十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当 15 体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等 前前に書き進らせしが如く 委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過 16 ぐべからざるか、 一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず 敢て忘失すること勿れ敢て忘失するこ 17 と勿れ、 伝教大師云く「和尚慈悲有つて一心三観を一言に伝う」玄旨伝に云く「一言の妙旨なり一教の玄義なり」 18 と云云、 寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか 衆生をして無上道に入り 速に仏身を成就することを 1368 01 得せしめん」と云云、毎自作是念の念とは一念三千生仏本有の一念なり、秘す可し秘す可し、恐恐謹言。 02 弘安三年十一月三日 日蓮花押 03 最蓮房に之を送る -----― 上に挙げたところの法門はすでに御存知のことであるが、書いて差し上げたのである。十八円満等の法門をよくよく案じられるがよい。それとともに、当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等は前々に書きまいらせたとおりである。詳しいことは修禅寺相伝日記にあるとおりであり、天台宗の奥義はこれ以上のものはない。一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出ない。このことを決して忘れてはならない。決して忘れてはならない。伝教大師は「和尚は慈悲によって一心三観を一言で伝えた」といい、玄旨伝には「一言の妙旨である。一教の玄義である」と言っている。 法華経如来寿量品第十六には「何をもって、衆生を無上道に入らせ、速やかに仏身を成就することを得させようかと、仏は常に自ら念じているのである」と説いている「毎自作是念」の念とは一念三千であり衆生と仏に本有の一念である。秘すべきである、秘すべきである。恐恐謹言。 弘安三年十一月三日 日蓮花押 最蓮房に之を送る |
当体蓮華の相承
一切衆生の当体が妙法蓮華経であるとの法門は天台家の深秘の法門である。その法門についての相承をいう。
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玄旨伝
天台家の秘本とされている玄旨檀秘抄のこと。
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無上道
種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749-第十三但惜無上道の事-02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727-第五無上宝聚不求自得の事-05)等とある。
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一念三千生仏本有
「生仏」とは、衆生と仏のこと。一念三千の法門においては、衆生と仏とは本来「生仏不二」「生仏一如」として本から有ることをいう。すなわち、迷いの衆生も悟りを得た仏もただ一念・一心のあらわれにほかならず、この二つはそれぞれ別のものではなく、その本体は本来、一であること。
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本抄全体を締めくくられている部分である。
これまで述べられてきた種々の法門、十八円満の法門をよくよく思索しなさいと仰せられているとともに、日蓮大聖人が先に最蓮房に書かれた当体蓮華の法門と併せて、双方ともに天台宗の奥義の究極である、と説かれている。
しかし、その天台宗の奥義、例えば一心三観や一念三千の極理も、結局、南無妙法蓮華経の一言に尽き、かつ一言を出るものではないことを絶対に忘れてはならない、と厳しく戒められ、最後の「毎に自ら是の念を作さく、何を以ってか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」という経文を釈されて、本抄を結ばれている。
当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等
当体蓮華の相承等とは、一切衆生の当体が妙法蓮華経であるという天台宗の深秘の法門についての相承ということである。
また、日蓮が己証の法門等とは「前前に書き進らせしが如く」と仰せのように、最蓮房に与えられた当体義抄のなかで説かれた法門をさしている。
このことは、当体義抄送状の次の文に明らかである。
「此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢んぬ」(0519-03)
一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず敢て忘失すること勿れ
天台宗の奥義の法門である一心三観や一念三千の極理も、妙法蓮華経の五字の一言に収まり、妙法の一言を全く出ない、ということである。
すなわち、一心三観の観法にしても、一念三千の法門にしても、もとを正せば、法華経に説かれていた諸法実相の理を開したものである。ゆえに妙法蓮華経の五字の一言のなかに、一心三観も一念三千も収まってしまうのである。
なお、立正観抄には「止観一部は法華経に依つて建立す一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり、故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なることを、其の故は天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを己心証得の止観とは云う故なり」(0527-06)と仰せられて、法華経を捨てて一心三観を正行とする在り方を大謗法・天魔の所為と断ぜられている。
伝教大師云く「和尚慈悲有つて一心三観を一言に伝う」玄旨伝に云く「一言の妙旨なり一教の玄義なり」
一心三観や一念三千が妙法の一言を出ない、ということを伝教大師の言や玄旨伝の文を引用され裏付けておられるところである。
まず、伝教大師の文については、いかなる書に述べられたものか不明である。ここにある「和尚」はおそらく、伝教大師が相承を受けた行満か道邃のいずれかであろうと思われるが、一心三観の観法を解行する二困難な衆生のために、慈悲をもって一心三観を一言でもって伝え、これを修行するように教える、というものである。ここでいう「一言」が妙法蓮華経の五字であることはいうまでもないところであろう。
次の「玄旨伝」とは「玄師伝」とも書き、天台大師の玄旨を伝えた相伝の書である玄旨檀秘法のこと。とくに天台の一心三観や一念三千等の極理を相伝したものとされる。この書のなかに「一言の妙旨・一教の玄義」というものがある。
「一言の妙旨」も「一教の玄義」もともに、妙法蓮華経の五字を表わしている。とくに「一言の妙旨」の「一言」は妙法蓮華経の一言をいい、「一教の玄義」の「一教」は法華経をさし、その「玄義」とは、その所詮の理である妙法蓮華経をさしている。
なお、この「一言の妙旨」に関して、立正観抄において、伝教大師の血脈の文を引用されているので、参考のために挙げておきたい。
「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし、故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の修多羅一言に含す」(0531-16)と。
毎自作是念の念とは一念三千生仏本有の一念なり、秘す可し秘す可し
法華経寿量品第十六の最後にある「毎自作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身」のなかにある「念」の一字について、その奥義を説かれたところである。
この寿量品の文は、仏が衆生を常に思う慈悲の念を述べたもので、仏は久遠以来、常に、どうすれば衆生をして無上の道に入らしめ、速やかに仏身を成就させることができるかについて、念じ続けている、という内容である。
この「念」について、大聖人は「一念三千生仏本有の一念なり」と仰せられている。すなわち、この「念」は、当然のことながら、久遠以来の仏の念に即して述べられたものであるが、大聖人は、一念三千の法門に照らしたとき、この仏の「念」はそのまま衆生の一念であるとの立場から、このように述べられたのである。
すなわち、一念三千の法門においては、一念に十界を具すことがその根本の基盤であるから、本来、一念といえば、仏界も衆生としての九界も、ともに具しているのであり、逆にこの一念は仏の一念であるとともに、衆生の一念でもある。
この仏も衆生も本来、等しく見えている一念とは、妙法蓮華経にほかならない。
この法理はしかし、究極の法門であるがゆえに、大聖人は「秘す可し秘す可し」と仰せられて本抄を結ばれているのである。
最蓮房についてtop
第一章 出自・修学
一、出自
(一)名字
最蓮房については出身が不明であるため、その幼少年期の名も明らかでない。出家して最蓮房と名乗ったのであろう。
最蓮房に与えられた御書の本文のなかでは、最蓮房をさして「貴辺」と呼ばれているのみで、名前は記されていない。ただ、宛先として「最蓮房御返事」「最蓮房に之を送る」「日蓮最蓮房に伝え畢んぬ」等と記されているだけである。
この最蓮房が日蓮大聖人の弟子となって、いただいた名前が日浄である。「得受職人功徳法門抄」という最蓮房宛の御書のなかに「釈迦、既に妙法の智水を以て日蓮の頂きに灌いで面授口決せしめ給う。日蓮又、日浄に受職せしむ」と記されていることによる。
ところが、ほかに最蓮房の名を日栄とする説がある。これは江戸時代中期の書である本化別頭仏祖統紀に「甲州下山本国寺開山日栄上人伝」として「師、諱は日栄或いは日浄と曰う、字は最蓮、洛陽の人、天台宗の英なり、時の不遇に遭いて佐州に謫せらる。文永九年壬申の春、我が高祖に相見す……」とあることによる。下山本国寺については後に詳しく述べるが、これは本国寺の開山を最蓮房としたことによって生じた混乱であろう。
下山本国寺では、その起源を下山兵庫光基の氏寺の平泉寺としている。この平泉寺の住僧が後に大聖人の弟子となった因幡房日永であり、本国寺の開山は日永であったはずである。ところが、いつのころからか開山は最蓮房であるとされ、最蓮房と日永が結びつき、その同音のゆえに「最蓮房日栄」といわれるようになったものと思われる。
大聖人が一人の弟子に「日浄」と「日栄」といった二つの名を付けられることは考えがたい。したがって、ここでは最蓮房の名は「日浄」であるとしておきたい。
(二)生年
最蓮房の生れた年についても、はっきりしない。下山本国寺には最蓮房の墓と称するものがあって、その碑銘には「延慶元戊申年四月十八日」とあり、87歳示寂としている。これからすると、その生年は承久3年(1221)ということになる。
しかし、下山本国寺と最蓮房との関係は後世に創作したものである可能性が極めて強く、その墓が最蓮房の墳墓であるという根拠はない。したがって、その碑銘も信憑性は低く、それに基づいた生年も確かなものとはいいがたい。
最蓮房関係の御書に、はっきりとその生年を示す記述はないが、大聖人とお会いしているころの年齢をうかがわせるものがいくつかある。
文永10年(1273)の祈禱経送状に「御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云」(1357-08)とあるのであるから、当時、少なくとも17歳以上であったことは確かである。しかし、それだけではあまりにも漠然としている。
そこで推測であるが、一般に自身の若かりしころを振り返るというのは、ある程度、年をとってからではなかろうか。まして、出家後、妻子をもたず、肉を食べずにきた等と報告するということは、それが短期間ではないことを意味していると考えられる。それは、そのことを受けて大聖人が「地体よりの聖人尤も吉し尤も吉し」(1357-12)と述べられていることからもうかがえる。
また、同状に「御山籠の御志しの事」(1356-15)とあり、最蓮房に山籠りの気持ちがあったことが分かる。これは最蓮房が病弱であったためでもあるが、やはり山籠りするというのは晩年の行為のような感じを抱かせる。
最蓮房御返事には「結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり」(1342-15)とある。これは受職潅頂という言葉を使われているが、いうまでもなく大聖人が南妙法蓮華経という独一本門の円戒をもって最蓮房に授戒されたことである。ただ、この受職潅頂という言葉は密教では阿闍梨位を授けるときになされる儀式をいい、伝法潅頂ともいう。これを受ける資格は当時は四十歳以上とされており、六十歳代で受ける者が多かったようである。
こうしたことを考え合わせてみると、大聖人にお会いしたころの最蓮房の年齢は、相当の年配ではなかったかと思われる。大聖人が50代の前半であられたから、それと同じぐらいか、もしくは60前後とみて、最蓮房の生年は大ざっぱに建保から承久年間(1213~1220)ごろと推測しておく。
(三)出身地
最蓮房の出身地は、最蓮房御返事の次の文から京都であることは明らかであろう。
「貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候」(1343-11)。
また「都よりの種種の物慥かに給び候い畢んぬ」(1340-02)とあるのは、最蓮房が京都から届いた品物を大聖人に御供養されたことに対する御返事であろう。とすると、京都から最蓮房に品物を送った人がいることになる。それはおそらくは京都にいる最蓮房の身内ではなかったかと思われる。
なお、以前においては、高橋殿御返事が諸法実相抄の一部とみられていたときがあり、それをもとにして最蓮房の駿河出身説があったが、今日ではその根拠が失われているので、あらためて論及することはしない。
二、修学
(一)出家
祈禱抄送状に「御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云」とあることから明らかなように、最蓮房は17歳で出家している。出家の動機は分からないが、当時の京都の社会状況の影響も少なからずあったのではなかろうか。
承久の乱の後、幕府は京都に六波羅探題を設置して朝廷の監視と洛中の警固にあたったが、京中の治安状況は極めて悪かったようである。
嘉禄から天福年間(1225~1233)ごろは夜盗・強盗が横行し、放火による家屋の焼失が頻繁に起こっている。群盗は銭や砂金ばかりでなく公家の宝物から寺々の金銀の仏像や梵鐘などまで、金目の物はなんでも奪い取っていった。しかも、その手口は馬や牛車を使い、群れをなし、夜の巷を駆け回るといったものであり、文字どおり「百鬼夜行」というありさまであったという。
この群盗の横行とあいまって、50年来といわれる寛喜の大飢饉が起こっている。寛喜2年(1230)の春ごろから始まった全国的な飢饉は翌三年に頂点に達し、諸国から流入してきた飢民を含めて京都での餓死者はおびただしい数にのぼった。死骸は鴨川の「川原の辺り、凡そ其の隙なき」ありさまであり、道路等にも充満していたという。
先に推測したように最蓮房の生年を建保・承久ごろとすれば、実に最蓮房はこうした深刻な社会不安のなかで少年時代を過ごしたことになる。出家の契機になったかどうかは別にしても、少年の心に大きな影を落としたであろうことは想像に難くない。
ところで、最蓮房はどこの寺のだれについて出家したのであろうか。詳しいことは何一つ分かっていない。最蓮房が京都に在住していたことからすると、それは京都周辺の寺院で出家したと考えるのが自然であろう。しかし、特定することは困難であると思われるので、当時の京周辺のおもだった寺を挙げるにとどめておく。
当時は京内の寺院としては俗に六角堂と呼ばれる頂法寺と、因幡堂と俗称された平等寺があっただけである。平安京建設後、洛中に寺院を建立することは禁止されていたため、この二寺以外の寺院は創建されなかったようである。
それにひきかえ京の周辺には、天皇の御願寺である四円寺・六勝寺・醍醐寺等や御所を兼ねた仁和寺等をはじめ、公家の邸宅を寺院となした世尊寺・東北院・法成寺等、多くの寺院が建立されていた。その他、太秦の広隆寺・高雄の神護寺・大原の鞍馬寺・京極大路の東に京極寺等があり、そして、京都の東北十数㌔のところには比叡山延暦寺があったことが知られる。
(二)修学
一般に最蓮房は比叡山で修学したといわれる。比叡山が京都から適当の距離にあり、当時の僧の多くが比叡山で仏法を学んでいたこと、また大聖人からいただいた御書にしたためられた法門の内容等からして、そう考えてよいのではないかと思う。
それでは、当時の比叡山の状況はどのようであったかをみてみたい。前に挙げた祈禱経送状に「十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず」とあるが、これは何を意味しているのであろうか。これは、最蓮房が出家後、妻子をもたない等の戒を堅く守ってきたことを大聖人に報告したものであるが、もう一面からすると当時の出家のイメージからして、そんな当たり前のようなことを、どうしてわざわざ言っているのかという思いはする。
同時代のころ妻帯した僧としては、浄土真宗の祖・親鸞が有名であり、特殊なケースと受け止められている。ところが、当時の史料によれば、そうともいえないようである。
藤原定家は明月記の中で「妻子を帯び出挙して富裕なるもの、悪事を張行し山門に充満す」と比叡山の僧の堕落ぶりを述べ、「これ仏法滅亡の時至るか」と嘆いている。ここで「出挙」というのは、今でいう高利貸しである。比叡山の僧が妻子をもち、高利貸しを営んで私腹を肥やしているというのである。高利貸しの取り立てには、山門の威を借り、神輿をかつぎ出しての嗷訴を背にした横暴なものであったらしい。こうした背景からすると、最蓮房があえて「妻子を帯せず……」と断って報告していることも、当時いかに破戒の僧が多かったかを示しているととることもできよう。
ただ比叡山の僧といっても、それは学生と堂衆とに分かれていた。学生はもっぱら学問をする僧であり、貴族の出身者が多かった。
それに対し、堂衆は元来が学生の所従が法師となった者で、仏事供養などの寺務に従事したが、後に学生に対抗するようになり、いわゆる僧兵の中核となった。その他、その中間に堂僧といって、常行三昧堂に住して念仏を行ずるのを仕事とするような僧もいた。最蓮房は次にみるように、その学識の深さからいって学生ではなかったかと思われる。
(三)学識
最蓮房の学識にいついては、大聖人からいただいた御書の内容もさることながら、そのなかで経論の文等について「兼て御存知の上は申すに及ばず候」(1342-03)とか「上に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり」(1367-14)等と述べられており、仏法に関して相当な知識があったことがうかがわれる。
また、十八円満抄に「貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実・時国相応の智人なり総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき」(1367-11)と仰せられていることからすると、最蓮房は智慧も優れていたと思われる。
第二章 佐渡流罪
三、佐渡流罪
京都の出身である最蓮房が大聖人とお会いしたのは、佐渡においてである。大聖人が佐渡に流罪になられたとき、最蓮房もまた佐渡に流されていたようである。最蓮房御返事に「是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり」(1343-04)とあり、「劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ」(1343-07)とあることからみて、流罪になっていたことは確かであろう。
佐渡が遠流の地と定められたのは神亀元年(0724)のことである。都よりの距離の遠近によって配流の地が遠・中・近の三種に分けられ、流罪のなかで最も重い刑罰が遠流であった。律における刑罰としては、笞・杖・徒・流・死の五刑があり、それぞれ罪の軽重によって数種に分けられていた。流刑は罪人を特定の僻地に送り、居住を制限して、原則として労役に服せしめるものである。なかでも、遠流は死罪に次ぐ重罪であった。
(一)流罪の理由
最蓮房は、いかなる罪状で、いつ、この遠流に遭ったのであろうか。大聖人の佐渡流罪は貞永元年(1232)に幕府によって制定され御成敗式目、いわゆる貞永式目の「謀叛」の科によるものではないかといわれるが、最蓮房の流罪の原因は貞永式目に求めることはできない。というのは貞永式目の効力の範囲が幕府の支配下の土地と士民に限られており、国衙・荘園・寺社領等は範囲外とされていたからである。最蓮房が修学していたと思われる比叡山においては、奈良・平安時代以来の律令の法制が適用されていたことであろう。そこで、律の条文によって遠流の刑に処せられるべき罪の内容をみてみると、およそ次のようである。
○『反、及び大逆の者の祖・孫・兄弟、皆遠流に配す』とあるように反逆・謀叛に連座して遠流される場合。
○『大社を毀す者、遠流』等とあって不敬・不孝の罪の場合。
○囚人を強奪したり、人を毒をもって害する等の場合。
○『妖書、及び妖言を造るは遠流』。
○強盗に関して『其れ仗を持する者は財を得ずといえども遠流』。
○その他、関所の通行証を盗んだり、棺を開いたり、人を略奪して奴卑としたり等が遠流と定められている。
以上、簡単に挙げてみたが、それ以外に注意してよいと思われる条文に次のようなものがある。
○『僧尼、仏像を盗毀する者は徒流』
鎌倉時代当時、寺院間における坑争等にかかわった者に対して、こうした条文に基づいて遠流の裁断がなされることがあったかもしれない。というのは、鎌倉時代になると刑罰の裁断は検非違使庁の自由な裁量に任せられ、律令の法制は空文化していたともいわれる。
その他、放火罪の刑罰は、律では徒3年に過ぎなかったが、宝亀4年(0773)に後悪を懲らしめるため挌殺とした。だがその後、刑を軽減する傾向が生まれ、死罪は一等を減じて遠流にすることが行われてもいる。
そうしたことから律令の条文のみから流罪の原因を探ることには無理があるようにも思える。
そこで、現実に佐渡に流罪になった人々がどのような罪で流されているかを挙げて、佐渡流罪の刑にあたる罪状をみてみよう。その際、一定の時代状況下という意味で鎌倉時代に特定し、文献に残っているもののなかからみることとする。ちなみに、最蓮房が流されていた文永9年(1272)は鎌倉時代中期にあたる。
以下は、流罪の理由が明らかなもののみを挙げたものであって、これら以外にも記録に残ることなく多くの人が流されていたであろうことはいうまでもない。
建久 9年(1198)玄俊 嗷訴の罪による
正治元年(1190)文覚 後鳥羽天皇を廃し、守貞親王を立てるによる
建永元年(1206)藤原公定 子、其実のことに坐す
承元 2年(1208)行空 諸宗に訴えられる
建歴 2年(1212)伊達為家 萩生右馬允と争闘するによる
建保 2年(1214)快玄 清水、清閑両寺境界諍論による
建保 4年(1216)仙秀 安楽寺悪徒十七人の内なるによる
承久 3年(1221)順徳上皇 承久の変による
弘安 7年(1248)北条時光 陰謀の発覚せしによる
永仁元年(1293)平宗綱 父、頼綱のことに坐す
永仁 6年(1298)京極為兼 陰謀による
正中 2年(1325)日野資朝 正中の変に坐す
これらのうち、約半数は政権転覆等にかかわるものであり、律令や貞永式目の条文からみて遠流であってしかるべきであろう。しかし、その他の場合、特に僧侶が多いが、その流罪の理由はさまざまである。興福寺の玄俊の場合は僧兵として徒党を組んで訴えた罪であり、法然の弟子の法本房行空は念仏を弘通して諸仏を謗ったとして南都の諸宗に訴えられたためであり、清水寺の執行であった快玄は境界の争いがきっかけとなっている。仙秀は筑紫の安楽寺別当の定円に悪僧として訴えられて流されたなかの一人である。
こうした数少ない事例ではあるが、このことから僧侶が流罪になった場合を考えてみると、悪事をはたらいたという場合は当然として、なんらかの紛争が原因となって流罪になっているケースが多いように思える。
最蓮房の場合を考えるに、祈禱経送状に「御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云……但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給う故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり……地体よりの聖人尤も吉し尤も吉し」(1357-08)とあることから、悪事をはたらいての流罪ということは考えにくい。とすると、比叡山を取り巻くなんらかの紛争に関連しての流罪と考えるのが妥当かもしれない。
その際、大聖人が佐渡流罪中に著された次の御書の御文は一つの参考となろう。すなわち、開目抄に当時の天台宗の僧侶の姿を述べられているところで「寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず」(0229-17)とある。僧侶同士の抗争における寺搭の焼き打ち等の罪で流罪になることが多くあったのであろう。
(二)流罪の時期
次に、最蓮房が流されたのは、いつかを考えてみたい。一説には、文永元年(1264)の比叡山の諸堂炎上の件に連座して佐渡に流されたというものがある。もし、そうだとすると、最蓮房は日蓮大聖人が赦免になった文永11年(1274)のときまでは佐渡にいたであろうから、あしかけ11年、流罪になっていたということになる。
律令の規定によれば、流罪の刑期は満1年から満3年で、その間に恩赦にあって刑を終える場合もあり、その後は配流の籍に編入されて百姓と同じ課役にあたった。そして、満六年経過後は仕官も許され、本来流罪にあたらない特別配流者には満3年後に再任官が許されていたが、反逆者に縁坐して流罪になった者と反逆の死罪を免れて流罪になった者は永久に選任されなかったとされる。先にも述べたように、鎌倉時代に律令の規定がそのまま遵守されたかどうかは疑わしいが、少なくともこの規定を基本にして執行されていたことであろう。
先にみた鎌倉時代における佐渡流罪の者のなかで、赦免が記録に残っている者をみてみると、文覚は3年9か月後に許されており、京極為兼は約5年で京都に帰っている。日蓮大聖人の場合は2年6か月で赦免になられている。
それに対して流罪が許されずに佐渡で没した例をみると、順徳上皇は流されて22年後に亡くなっており、日野資朝は満6年を過ぎた年に斬首されている。
律では服役または赦免の後、配所の籍に編入されて百姓と同じ課役にあたったとあるが、鎌倉時代のケースでは赦免の後に京都や鎌倉に帰っている。このことからすると、当時は配所での生活を余儀なくされた時が流罪の刑期で、反逆者等で永久に許されない者は別として、それは6年未満であったのではなかろうか。
もしそうだとすると、最蓮房が後に赦免されたとした場合、少なくとも十年にわたる流罪の後に許されたことになる最蓮房の文永元年流罪説は一考を要しよう。
最蓮房は後に流罪が許されたとしても、大聖人が赦免になった文永11年(1274)以後であると考えられるから、満六年以内の赦免であったとして逆算した場合、文永5年(1268)以降に流罪になったことになる。そして、最蓮房の入信の時期等の関係から、その流罪は大聖人の流罪以前、すなわち文永8年(1271)以前とされる。こう考えてくると、最蓮房の流罪された時は、文永5年(1268)から文永8年(1271)までの間ではないかと推測される。
ちなみに、この期間における比叡山の関連した紛争の幾つかを次に挙げておく。
文永5年(1268) 9月 7日 梶井・青蓮院両門徒、争論の事あり。
文永5年(1268) 9月22日 山門僧徒、訴えることあり。諸堂の門戸を閉じる。
文永5年(1268)11月10日 梶井門徒、青蓮院門徒を襲う。
文永5年(1268)11月10日 〃 山徒、正傳寺を毀つ。
文永6年(1269)正月 2日 東西両塔の僧徒、蜂起し、諸堂社の門戸を閉じる。
文永6年(1269)正月10日 梶井・青蓮院両門徒、神輿を奉じて入洛する。六波羅、兵を遣わしてこれを防ぐ。
(三)流人の生活
さて、それでは佐渡に流された最蓮房の生活がどのようなものであったかを、律令の流刑の規定をとおしながらみてみたい。
「僧が流刑になった場合は、還俗させて後に配所に送った」。
僧尼には一般人とは別に刑の規定がなされていたが、僧尼が徒刑以上の罪を犯して処せられる場合は還俗させられ、還俗のうえは一般の律によって処断された。還俗させられれば俗名になったと思われるが、大聖人の場合をみるかぎりにおいては、そうしたことがなされたようには思われない。最蓮房にあっても僧名だけで、俗名はどこにも伝わっていない。
「流人の妻妾は必ず随伴させ、父祖・子孫も欲すれば従うことが許されたが、家人は従うことを許されなかった」。
最蓮房は祈禱経送状のなかに「十七出家の後は妻子を帯せず」(1357-08)とあることから、妻子の随伴はなかったことは明らかである。おそらくは、一人で流されていたのではなかろうか。
「配所においては良賤・男女・身体の大小を問わず一人に一日、米一升と塩一勺が供給され、最初の春が来た時に田と種子が与えられ、その年の秋になれば食料の供給は停止になった」。
最初の一年間は米と塩が与えられることになっていたが、当時はしばしば飢饉などがあったことを考えると、きちんと行われていたかどうかも疑わしい。大聖人の御流罪中の様子を述べられた御書のなかに「預りより・あづかる食は少し」(1329-02)とあり、「現身に餓鬼道を経」(1052-09)とあることからすると、食糧に事欠く状況は最蓮房も例外ではなかったであろう。また一年後には自分で田畑を耕して食物を得なければならなかったということは、慣れない農作業であるうえ病弱であったと思われる最蓮房にとって大変つらいことだったにちがいない。
「初めの一年は労役に服さなければならなかったが、満一年か三年の服役が終わるか、もしくはその間に赦にあったときは、配所の籍に編入されて百姓と同じ課役にあたった」。
初めの1年間の労役がどのようになっていたかはっきりしないが、慣れない地での流人の労役は大変であったことだろう。最蓮房が大聖人にお会いした時は、その様子などから既に労役の期間は終えていたのではないかと思われる。
以上、律令の規定の上から一般的な流人の生活をとおしてみてきたが、次に具体的な最蓮房の配所等について考えてみようと思う。
(四)最蓮房の配所
流人が配所で生活するにあたっては、預かりの主が流人およびその家族に食糧を供給したり、身柄の確保や逃亡等を防ぐための見張をつけるなどをしなければならなかったと思われる。こうしたことは、預かりの主にとって相当の負担となったであろう。そこで当然、考えられるのは一つの所に集中するのではなく、各地に分散して預けられたのではないかということである。そこで、大ざっぱではあるが、先に挙げた鎌倉時代の流人のなかで配所が推定されているものをみてみると、次のようになる。
文覚 畑野町大久保
順徳上皇 金井町泉
日蓮大聖人 佐和田町市野沢
京極為兼 佐和田町八幡
日野資朝 真野町竹田
これらを地図のうえで見ると、見事に国仲平野の周囲に点在していることが分かる。身柄を守護所に拘束されていたと思われる日野資朝は別として、どちらかというと順徳上皇以後の流人の配所は国仲平野と大佐渡山脈の接合点にあるように思える。
これは後のことだが、鎌倉時代の終わりから約百年後に流された世阿弥(観世三郎元清)の配所は金井町新保で、やはりそうした地点にある。これは多分に流人の警備上からの配慮ではないかと思われる。国仲平野の小佐渡山脈側では、その中ほどに松が崎を経て本州とを結ぶ主要な街道である小倉街道があり、本州に抜けられやすい。そうした所に流人の配所を置くことは避けたであろう。それに対し、大佐渡山脈側は国仲平野の中央に北東から南西に流れる国府川があって本州への通行の障壁となっており、地理的な隔離条件に適しているといえよう。
こうしたことから、大佐渡山脈と国仲平野との接合点にあたる集落で、大聖人の配所の一の谷と順徳上皇の配所とされる泉を除いた場合、残るのは中興と新保である。
それでは中興と新保とを比べた場合、どちらの地が最蓮房の配所としての可能性が大きいであろうか。この二か所には、それぞれ大聖人に帰依した信徒がいたことが知られる。中興には中興次郎入道が、そして新保には阿仏房が住んでいた。
阿仏房は文永9年(1272)の初めごろ入信し、塚原に住まわれていた大聖人のもとを訪れ外護したとされる。後に出てくるが、最蓮房の入信は文永9年(1272)2月初めであり、そのころ大聖人にたびたび質問したりしている。もし最蓮房が新保にいたとすると、阿仏房と同じ地に住み、同じころ入信していたことになる。
今日残っている阿仏房関係の七編の御書には、佐渡の信徒である国府入道や一谷入道のことについては出てくるが、最蓮房についてのそれらしい記述は全く見当たらない。
それでは、中興次郎入道はどうかというと、中興入道消息に「島にてあだむ者は多かりしかども、中興の次郎入道と申せし老人ありき。彼の人は年ふりたる上、心かしこく身もたのしくて、国の人にも人とをもはれたりし人の、此の御房はゆへある人にやと申しけるかのゆへに、子息等もいたうもにくまず。其の已下の者どもたいし彼等の人人の下人にてありしかば、内内あやまつ事もなく、唯上の御計いのままにてありし程に、……ついにゆり候いてのぼりぬ」(1333-10)と述べられている。この御文からすると中興次郎入道は聡明で身なりも立派で人望のあった老人であり、その影響は子供達をとおして相当多くの人々にまで及んでいたことがうかがえる。また、それとなく大聖人をかばっていたことが分かる。
ところで、最蓮房であるが、その行動をみてみると、ずいぶん自由な振る舞いが目につく。文永9年(1272)4月の最蓮房御返事には「夕方はよく注意しておいでなさい」と述べられているが、流人が流人の所へまだ明るさの残る夕方から行くことができるものなのだろうか。塚原に大聖人がおられたときは、阿仏房や国府入道でさえ夜中に人目を忍んで行っているのである。また、この4月9日には午前4時ごろに大聖人のもとで受職灌頂を受けている。そんなに明け方ちかくまでいて大丈夫であったのであろうか。まだ一の谷に移って間もないころで、預かった宿の入道である一谷入道も大聖人を恐れ警戒していたときである。
こうしたことを、どう考えたらよいであろうか、一つには、最蓮房の預かりの主が相当広い範囲に影響力があり、大聖人を許容する心をもった人物であると考えれば納得できよう。二つには、やはり大聖人がおられた一の谷から、それほど遠くない所に最蓮房がいたと考えた方がよいのではないかと思う。ちなみに、一の谷から新保までは直線にして約4㌔であり、中興までは約2.5㌔である。
こうしたことを考え合わせて、ここでは一往、最蓮房の配所は中興ではなかったかと推論しておく。
(五)最蓮房の遺跡
次に、過去において最蓮房と関係のある遺跡ではないかとされたものを挙げてみよう。大正2年(1213)発刊の富田海音の「塚原誌」では、根本寺から5.6丁の北方にある最蓮清水という所が最蓮房の配所跡ではないかと推定している。これは、最蓮清水の「最蓮」という音からの推論であろうが、世間から見れば名も知れない流人の名をとって清水に名付けたと考えるのはどうであろう。ところで、この最蓮清水というのは現在はない。その土地の人の話では、昔この新穂村北方のあたりでは、よく清水が涌いていて、その一つに「せいれんしみず」というのがあり、この「せいれんしみず」は西蓮清水という字をあてたということである。
安永8年(1779)に著された高祖年譜攷異の文永9年(1272)の項には「佐に航し、最蓮の遺跡を問うに、之を知る者無し。或るは曰く、中興村に本間山西蓮寺有り親鸞宗なり、而して大士の本尊を蔵す、此れ其の旧跡となり。然るに此れ天文中、始めて之を建つと。豈、其れ然らんや」とある。
この西蓮寺の場合も「西蓮」という音からの類推であろうが、それが寺号である点で関係のある可能性は高いかもしれない。
由緒書によれば、西蓮寺は、本間左衛門四郎有綱が大番として上洛したおり本願寺第三世覚如の弟子となって法名を西祐と称し、元亨3年(1323)に建立したとされる。これは最蓮房の流罪中から数えて約50年後のことである。そして、15世紀の後半に西蓮房という者のときに寺号が免許されたと伝えられる。その我、天正17年(1589)の上杉景勝の佐渡攻めのとき、寺院を破却されたという。したがって、天正以前の事柄についてはあいまいな部分も多いことであろうが、最蓮房と音の同じ西蓮房という人物がいたということは注目に値しよう。しかし、年代的には約200年の開きがあり、関係性の有無ははっきりしない。
この西蓮寺が浄土真宗の寺でありながら、江戸時代の文献には寺の什宝として「日蓮上人自筆之本尊」があった旨が記されている。
今はこの本尊は見当たらず、それが大聖人の御真筆の御本尊かどうか確かめることはできないが、いずれにしても大聖人が「念仏無間」と徹底的に破折された念仏宗の寺に大聖人筆とされる本尊が、それも寺の什宝として伝えられてきていたということは不可解なことである。自宗の教義を否定している者の本尊を途中から寺の什宝とするということは考えがたい。
とすると、それは寺の草創から、開基にかかわるような者が教義に関する深い理解のないまま大切にしてきたものであったがゆえに、こうしたことになったのではなかろうか。そのように考えると、開基もしくはその関係の者が大聖人か大聖人の弟子とつながりがあったとみることもできよう。ここに最蓮房がかかわっていたかどうかの速断はできないが、興味深い課題ではあろう。
第三章 入信・赦免
四、入信
(一)帰伏
最蓮房が日蓮大聖人に帰依し、弟子となったのは文永9年(1272)2月初めである。それは文永9年(1272)の最蓮房御返事に「御状に云く去る二月の始より御弟子となり帰伏仕り候上は・自今以後は人数ならず候とも御弟子の一分と思し食され候はば恐悦に相存ず可く候云云」(1340-05)と述べられていることから明らかであろう。文永9年(1272)2月11日付けの生死一大事血脈抄の「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか」(1338-01)との仰せも、このことを裏付けている。そして4月9日の御前4時ころ、大聖人より御授戒を受けている。
何が機縁となって弟子となったかは明確ではないが、前の月の1月16.17日に塚原問答が行われていることは注目しておいてよいのではなかろうか。
塚原問答は、佐渡だけではなく北陸等からも各宗の僧達が大聖人を論詰しようと塚原に集まり、行われた法論である。そのときの様子は種種御振舞御書に詳しいが、諸宗の僧等の論難は大聖人のまえにひとたまりもなかったようである。そればかりか、その場で念仏を捨てることを誓う者まで出てきたという。そうした状況を考えると、そこに集まっていた人達のなかに大聖人に対する心服の念が生じて、教えを請いたいという思いに駆られた者がいたとしても不思議ではなかろう。
それでは、入信以前の宗教は何かというと、先にみてきたように最蓮房が比叡山で修学したと思われることと、大聖人から天台関係の法門の御書をいただいているということから、天台宗の僧とされている。しかし、御書の記述をみるかぎりにおいては、天台宗と明言されているわけではない。十八円満抄には「貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う」(1367-11)と、ただ「権宗」とあるだけだが、最蓮房御返事には「念仏・真言等の邪法・邪師を捨てて日蓮が弟子となり給うらん」(1342-09)とあり、祈禱経送状には「但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給う」(1357-10)とあって、具体的に「念仏」「真言」の名を挙げておられる。
このことが即座に、最蓮房が念仏宗であったとか、真言宗であったとかを意味するものではない。当時の天台宗が真言宗の悪法を取り入れて邪義に染まってしまっていたこと、また、法華経を持ちながら念仏を称えていた者も多かったことから、このように言われたとみるほうが自然であろう。
(二)信解
最蓮房の入信に際しては生死一大事血脈抄に「而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ」(1337-15)と述べられているように、大聖人に付き従っていったために難にあったようである。
しかし、最蓮房はそうした難に屈することなく、大聖人に教えを求めていったのであろう。続いて「金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず……貴辺豈真金に非ずや」(1337-16)と賛嘆され、最蓮房御返事には「此の経文に比丘と申すは貴辺の事なり、其の故は聞法信受・随順不逆・眼前なり争か之を疑い奉るべきや」(1342-07)と、その信心を賞せられている。そして、「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし……ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(1360-06)等の指導激励を受けつつ、大聖人の一門として純真な信心を貫いていったものと思われる。
最蓮房の求道心は厚く、「生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴」(1338-03)と述べられていることからも分かるとおり、大聖人にたびたび法門についての質問をしている。それに対して大聖人は「貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ」(1342-15)とか「日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き」(1361-15)と仰せのように、いくつもの重要な法門を御教示されている。
これは、弘安3年(1280)11月の十八円満抄に「当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く」(1367-14)と述べられているように、後々まで続いている。
こうして佐渡流罪中に弟子となった最蓮房に対して、大聖人は深い因縁のうえから、その師弟の関係について述べられている。
生死一大事血脈抄には「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(1338-01)と述べられ、最蓮房御返事には「此の経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか……是れ偏に過去の宿習なるか」(1340-09)と述べられ、そして、諸法実相抄には「不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん……まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(1361-16)と仰せられているのである。
流人という社会的に疎外された最悪の状況下にあって、そうした世間の思惑を越えて純粋に法を求めてやまない弟子の出現に、大聖人はひとかたならぬ思いを抱かれていたのではなかろうか。
五、赦免
日蓮大聖人が佐渡流罪を赦免になった後、最蓮房もまた赦免になったとされる。その主たる根拠は最蓮房御返事の「余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候」(1343-11)という御文によるものと思われる。すなわち大聖人が流罪中に、自分が先に許されて鎌倉に帰ったならば諸天に申しつけて最蓮房も故郷に帰れるようにしよう、といわれているところから、当然その約速はかなえられたことであろう、というのである。
これは最蓮房の赦免の確かな根拠ではない。しかし、先にみたような当時の流刑の規定等を勘案してみるならば、赦免はあったと考えてもよいのではないかと思う。
それでは、赦免後の最蓮房の消息はというと、いくつかの説があって確定できない。一つには「古京へ帰し奉る可く候」という御文から故郷である京都へ帰り、そこで没したという説であり、また師弟の契りのうえから身延の大聖人のもとへ来て仕え、近くの下山兵庫光基の館に寺を構えて住んだという説もある。なかには折衷的に一度、京都に帰った後、下山(山梨県南巨摩郡身延町)に住んで身延の大聖人に給仕したという説もある。
いずれにしても、赦免後の最蓮房の足どりは、京都に帰ったという説と、下山に来て住んだという説に大別される。そこで、京都帰郷説については後に述べるとして、まず下山居住説について検討を加えてみることとする。
第四章 赦免(下山居住説)
五、赦免
(一)下山居住説
最蓮房が佐渡流罪赦免後、下山に居住したとする説としては、次のようなものがある。
まず、最蓮房が開山であるとする下山の長栄山本国寺の縁由には「(下山兵庫助)光基公の一子因幡房は館の一隅に寺を建て阿弥陀経を読誦していましたが……宗祖に信服した因幡房はただちに弟子となり日永の名を賜わりました。この上は父をも法華経の信仰に引き入れようと努めましたが父の反感は募るばかりでありました。これを聞いた宗祖は建治3年(1277)6月1日因幡房に代り父の光基公に下山御消息を与えました。一読した光基公は疑雲たちまち晴れ宗祖の門に入り、法重房日芳の名を賜わりました。時あたかも佐渡において門弟となった学僧最蓮房上人は宗祖を慕い身延に来て、比叡山において旧知学友であった因幡房に再会し、その奇遇を喜び、光基父子は改宗を記念し上人を開山とし寺を本国寺と改めました。弘安5年(1282)9月8日池上へと向われた宗祖は、同夜当山に御泊りになられました。……寺は後、穴山梅雪の居館となり寺尾に移されましたが、武田家の滅亡後現地にもどりました」とある。
また、以前の本国寺の由緒沿革によれば、最蓮房は文永12年(1275)春の末に下山にきて光基の館に泊まり、因幡房とともに身延の庵室に宗祖を拝した。そして因幡房も光基も改宗し、最蓮房日浄は本国寺を開き、宗祖から因幡房は日永、光基は法重房日芳という法名をいただいた。宗祖の滅後は最蓮房は身延の宗祖の御墓参を日課とし、身延の寺平に塔を建て実行山本因寺と称した。
その後、本国寺を下山の寺尾に移して西林寺と呼んだが、天正7年(1579)3月18日に寺平の本因寺を西林房に合併して現在の地に復帰した、という。
以上の本国寺の縁由ならびに由緒沿革の内容から、最蓮房の下山居住説は下山にある本国寺の由来によったものであることが明らかとなる。
すなわち、最蓮房のゆかりの事跡と称するものが他になく、下山の本国寺が開山は最蓮房であるとしていることから、下山居住説は出ている。したがって、下山居住説を検討するには、本国寺の由来を知らなくてはならない。
① 下山居住説の起こり
そのまえに、いつごろから最蓮房の下山居住説や本国寺開山説がいわれてきたのかを各種の大聖人の伝記等を手がかりにみておきたい。
江戸時代中期の享保16年(1731)の本化別頭仏祖統紀の「甲州下山本国寺開山日栄上人伝」には「師、諱は日栄或は日浄と曰う、字は最蓮、洛陽の人、天台宗の英なり……翌年乙亥、栄、果たして赦を得、骨肉旧友を見ず、直ちに身延に至り、定省奉侍す。晩に茅を山麓に結いて其の地を下山と曰う、終に延慶元年戊申四月十八日或いは二日化す。或いは云く、志茂山本国寺開山は西林房日芳なりと。其の日芳、未だ何人なることを詳らかにせざるなり。恐らくは謬ならんや」とある。
これ以後の安永8年(1277)の本化高祖年譜ならびに攷異には「日浄」の項に「建治元年赦に逢う。甲に如き、大士に事うこと本文の如し」とあり、更に、本文の建治元年(1275)」の項には「最蓮、先に佐州に謫せらる。今歳、赦に値いて還り、居を下山に卜す。地、延山に隣る。大士に朝夕せんと欲してなり」として「下山」の項には「巨摩郡に在り。最蓮の遺蹟、長栄山本国寺と号す」とある。
それに対し、本化別頭仏祖統紀以前に著された文明十年(一四七八年)の元祖化導記や、貞亨2年(1685)の法華霊場記冠部や、亨保5年(1720)の本化別頭高祖伝などには、最蓮房の下山居住や本国寺当の記述は見当たらない。
これらの諸伝記における記述の有無だけで判断するとすれば、最蓮房の下山居住や本国寺開山説は亨保5年(1720)から享保16年(1731)の間にいわれだしたものといえる。もちろん、下山での最蓮房や本国寺の記述が載っていないからといって、当時そうしたことが全くいわれていなかったとはいえないかもしれないが、たとえいわれていたとしても亨保五年以前においては伝記のなかに取り入れられるほど明確なものではなかったということであろう。
② 下山居住説の根拠
それでは、最蓮房が下山へ居住していたとする根拠は、どこに求められるのであろうか。一般的には下山の本国寺に最蓮房の墓があるからということであろう。また、その墓碑の「延慶元戊申歳四月十八日」という銘によって、最蓮房の没年が示されていることによる。
だが、こうした墓は遺骨を埋葬した墳墓というのではなく、開山がだれであるかの標識の意味とともに、後世に追善供養のために建てられたものがほとんどといってよい。歴史的にみても、戦国時代末から江戸時代にかけ、多くの寺院で寺の格を上げるべくその宗派の著名な僧を開山に仕立て脚色をほどこした縁起が盛んにつくられた時期がある。したがって開山の墓があるからといって、それを事実在住したことの根拠とするのは短絡的すぎるといえよう。
そのほかに身延15世の日叙が奥書に「吾祖己心相承之秘法最蓮精舎之霊宝書写之畢 御本書過去無量刧難得之祖書精舎宝蔵 殊更予依為多病預之者也」と記した祈禱経が本国寺に所蔵されているところから、これが「最蓮房が下山に在住したとか、本国寺が最蓮房の遺跡であると云う何よりの証據だとも思はれる」とする説もある。しかし、この日叙の祈禱経が本国寺にあるということが、どうして最蓮房の下山在住や本国寺が最蓮房の遺跡ということの証拠となろうか。それは、この論者自身がそのあとに「然し単に所蔵せられてあること丈を證據にして直ちにそこが遺跡だと断定することは如何かと思う」と自らの見解に対する批判を投げかけていることからも、これを根拠とすることには疑問の余地が残ろう。
まして、その所蔵の経緯を「叙師の祈禱経写本が下山本国寺に所蔵せられるに至ったのは、おそらく叙師が遷化せられた天正五年正月以後であったろうと思うが、この頃すでに最蓮房が下山に居たとか本国寺はその遺跡だとか云うような伝説が信ぜられていた為に、最蓮房所持の転写本だから下山本国寺に置くべきであろうと云う所から、本国寺に所蔵せられるようになったのではあるまいか」と述べているように、先に「最蓮房が下山に居たとか本国寺はその遺跡だとか云うような伝説が信ぜられていた為に」後から「最蓮房所持の転写本だから下山本国寺に置くべきであろうという所から、本国寺に所蔵せられるようになった」とするなら、その所蔵は全く最蓮房の下山在住や本国寺が最蓮房の遺跡ということの証拠としての意味をもたないということになる。
このように最蓮房の下山在住を裏づける根拠は、はなはだ薄弱であるといわざるをえない。
③ 下山居住説の疑問点
当時の状況から考えてみた場合、最蓮房が建治元年(1275)に下山にきて身延の大聖人に仕えていたとするには、いくつかの点において無理があるように思う。
第一に、大聖人の御書はもとより身延の関係の文献にも最蓮房の下山在住を示すようなものは何一つとしてないということである。
もし延慶元年(1308)まで下山にいたとすると30余年間、身延と至近の地にいながら、その痕跡が皆無ということは、いかにも不自然といえよう。
弘安5年(1282)、大聖人が湯冶のため常陸に出発されたとき下山に立ち寄られたとされるが、最蓮房とのかかわりの記述は後の伝記等にもなんら語られてはいない。そして、御入滅の際の葬送の様子を記録した御遷化記録にも、その後の御廟所を守るべき弟子の番帳のなかにも、その名は見当たらない。大聖人を慕って仕えたとするなら、最蓮房の名が必ずみられるはずであろう。
また、文永12年(1275)2月づけの立正観抄が最蓮房に宛てられたものとした場合、それは当然、最蓮房の手もとにあったはずだが、これを身延3世の日進が正中2年(1325)に京都で書写してきたという記録があることは、どう考えたらよいであろうか。もし最蓮房が下山に居たとしたなら、没後それほど経っていないことからすると立正観抄も下山にあったであろうし、そこで書写するというのが自然ではなかろうか。
ちなみに、日進は最蓮房が亡くなったとされる延慶元年(1308)から6年目の正和3年(1314)に身延に入山している。
更に、本国寺縁由等では下山の平泉寺を本国寺と寺号を改めて最蓮房を開山としたとしているが、当時、本国寺という寺号の存在を示す資料はない。
逆に、延慶元年(1308)の前年の徳治2年(1307)には、まだ下山に平泉寺はあったと考えられる。徳治2年(1307)の日興上人授与の御本尊の脇書きに「下山平泉寺尼」としたためられていることからすると、これは動かし難いであろう。
このように見てくると、最蓮房の下山居住説というものは根拠がないばかりか、否定せざるをえないように思われる。
④ 本国寺と最蓮房の関係
それでは、なぜこのような説が出てきたのであろうか。先にもみたように江戸前記以前の大聖人の伝記等には、そうした記述はない。しかしながら、本国寺という寺号は江戸前期の史料に散見される。このことから単純に考えられることは、先に本国寺という寺があり、後になんらかの理由から最蓮房の下山居住説というものが唱えられるようになったのではないかということである。本国寺の歴史にこの問題を解くカギがあると思えるので、本国寺の由来を史料に照らしてみてみよう。
下山本国寺の寺号は慶長8年(1603)の四奉行黒印の宛所に「本国寺」とあるのが初見である。そのまえはというと、慶長6年(1601)の検地帳である慶長古高帳には同所をさして「西林房」と記し、天正19年(1591)の加藤光泰の文書にも「西林房」となっている。また、天正9年(1581)ころと思われる穴山梅雪の文書には「西林坊」と記されている。そして、その地はそれ以前において穴山梅雪の館であったことが知られているばかりで、そこに寺が存在していたことを示す史料は何一つない。13世紀末に下山兵庫五郎光基が建てた平泉寺、また下山左衛門四郎光長が新堂を建立したときから数えて実に二百数十年間は空白状態であり、確かな史料がない。
もっとも、本国寺の縁由等では穴山梅雪の時、本国寺を梅雪の館としたため、それまであった本国寺は下山の寺尾に移され、武田家滅亡の後に元の地に戻ったとしているが、これは信ずるに足りない。確かに寺尾には寺院の跡と思われる楚石等が見つかっており、そこに寺院が存在したことは事実だと思われるが、発見された器物等の考証から平安期から鎌倉時代のものと推定されている。縁由は本国寺の発祥を遡らせるための単なるつじつま合わせに過ぎないと見て差し支えなかろう。
これらのことから言えることは、本国寺は天正年間(1573~1591)の中ごろ興り、当初、西林房(坊)と称していたという事実である。西林房と最蓮房の音が似ていることはだれしも気が付くことであろう。現に文化11年(1814)の甲斐国誌には「長栄山本国寺」の項に編者の考察として「按ニ最蓮西林音相近シ古今通用シテ最蓮房ト称セシト見エタリ」と記している。下山本国寺が、もと西林房と呼ばれていたところから、西林房の寺がやがて最蓮房の寺といわれ、最蓮房が開山の寺といわれるようになったということは容易に想像される。
また、先に引いた本化別頭仏祖統紀の「甲州下山本国寺開山日栄上人伝」の項には「或は云く、志茂山本国寺開山は西林房日芳なりと。日芳、未だ何人なることを詳らかにせざるなり、恐らくは謬ならんか」とあった。ここにある日芳が西林房にいた住僧の名か、それとも下山兵庫五郎光基の法号とされる日芳からきたものかは明らかではないが、開山を「西林房」とするという説もあったということは、こうした見解を裏付けるものといえよう。
⑤ 本国寺の縁由
本国寺が最蓮房と関係のない寺となると、いったい本国寺はどのような縁由の寺院なのであろうか。直接的には最蓮房に関する事柄ではないが、本国寺の起こりを確認しておくことは誤った言い伝えを正す上で意味のないことではないと思われるので、それについて述べることとする。
先にも述べたように、本国寺は穴山梅雪の館跡に建てられたものであり、当初は西林房と言った。本国寺の起こりを考えていくうえで、どうしても穴山梅雪について述べておかなければならない。武田の家臣である穴山一族が甲斐の巨摩郡に勢力を張り出し、下山を含む河内一帯を領したのは15世紀中ごろといわれる。一方武田系図では穴山氏の祖を武田義武とし、2代を満春としている。3代の信介以後、穴山氏代々の菩提寺が河内の主要な地に建てられている。
宝徳2年(1450)に没した信介の菩提寺は下山に天輪寺が、四代信懸には永正10年(1513)に本郷に建忠寺、五代信綱には亨禄3年(1530)に下山に竜雲寺、そして6代信友には永禄3年(1560)に南部に円蔵院が建てられた。その他、梅雪の母の菩提寺として永禄9年(1566)に下山に南松院が建てられ、そして梅雪の子の勝千代の墓は天正15年(1587)に福士の最恩寺に建てられている。
このように、それぞれの菩提寺が河内の領地内にあるのに対して、梅雪の墓は駿河国庵原郡(静岡県静岡市清水区)の霊泉寺にある。その地が晩年の江尻城主として梅雪の支配下にあった所であることを考慮したとしても、いかにも奇異な感は否めない。
穴山家代々のなかでも栄えたのは信綱・信友・梅雪の三代の時代だとされるが、そのなかでも梅雪は武田信玄の姉を母とし、信玄の娘を妻とするなど主家の武田と親族の関係を結び、最も権勢を誇ったといわれる。その梅雪が、どうして一族の墓のある古くからの領地に菩提寺をもたず、一人だけ離れた所に墓があるのであろうか。
それは梅雪の晩年の境遇と無縁ではなかろう。梅雪は天正10年(1582)3月の武田家滅亡の際、敵の徳川方に降(くだ)って徳川勢の甲斐進攻を助け、本領を安堵された。それが保身のための裏切りであったか、それとも武田の家系を守らんがために恥を忍んでの行動だったのかは意見の分かれるところであるが、いずれにしても当時の社会にあっては親族でもある主家の滅亡に手を貸したことには厳しい目が向けられていたことであろう。
そのうえに、その年の6月、徳川家康と泉州の堺を遊覧していた梅雪は、織田信長が家臣の明智光秀に討たれた本能寺の変を聞いて急ぎ国許へ帰る途中、山城の宇治田原で土民によって殺されている。その遺体は木津川の西南の浄土宗の寺に葬られたとも、草内の渡しの西岸に葬られたともいわれる。甲斐から遠く離れた地での横死であり、遺骨が家族のもとへ届いたかどうかは定かではない。
こうした事情から梅雪の開基とされる霊泉寺が本国ともいうべき甲斐の河内から隔たった駿河の庵原郡薩埵にあるのではなかろうか。なお、駿河の領地は梅雪の死後、徳川の領地となっている。墓の供養もままならなかったことであろう。
梅雪の跡を継いだ勝千代は天正15年(1587)に早逝して穴山家は断絶する。それ以後は誰が穴山家の追善供養を営んだのであろうか。その一人は梅雪の妻であろう。法名を見性院といった梅雪の妻は子の勝千代の死後、江戸で過ごし、元和8年(1622)に没している。
ここで、少しややこしくなるが、梅雪が家康に降るとき二人の美女を献じており、その1人の秋山夫人の生んだ子・万千代が後に徳川信吉と名乗り、武田の姓を襲って穴山の家跡を継いでいるのである。天正18年(1590)、八歳の信吉は下総の小金三万石に封じられて梅雪の旧臣が付嘱され、翌年からは見性院によって養育された。そして、信吉は天正20年(1592)年には佐倉10万石に封じられ、慶長7年(1602)には水戸25万国に加封されている。
この信吉の財政的バックアップによって、穴山家の各菩提寺に供養等がなされたと思われる。慶長8年(1603)に信吉が亡くなった後も水戸家によって引き継がれて、それらの供養はなされたようである。
やや梅雪を取り巻く状況の説明が長くなったが、以上のことを踏まえて西林房がどうして本国寺となったのかについて考えていきたい。
前にも述べたように西林坊(房)という名は天正9年(1581)ごろ、江尻から出したと思われる梅雪の文書に見える。それは
「 梅雪花押
西林坊寺中之竹木之事 縦役□□帯印判無置判者不可為切候為其手形可遺候 仍如件
二月二十六日 東漸院 」
という内容で、西林坊の寺領の竹木の伐採規定を定めてその管理を東漸院に命じたものである。
この文書の年号は明らかでないが、梅雪はもとは信君といい、天正8年(1508)に除髪して梅雪斉不白と名乗ったといわれる。また天正10年(1582)の2月は武田家滅亡の直前の緊迫したときであり、このような文書を出すことは考えられない。したがって、梅雪の花押のあるこの文書は天正9年(1581)のものと推測されるのであるが、いずれにしても、そのころ梅雪の館が、もしくはその館の一部が西林坊と呼ばれていたことは間違いないであろう。おそらくは天正8年(1580)に除髪して以後、そのようになったのではあるまいか。
なお、先の文書の宛名にあった東漸院というのは、身延山久遠寺にあって貫主に次ぐ要職にあった僧のようである。穴山家の代々の菩提寺は龍安寺が曹洞宗である以外は皆、臨済宗である。それは宗旨を検討したうえの選択というよりも、多分に当時の京で臨済宗が盛んであったことの影響等があったためと考えられる。そうしたなかで西林坊が身延の末寺であるということは、不可解な感もするが、梅雪は領地のなかにあった身延山久遠寺に対し、単なる領主というにとどまらず寺の運営や人事等にも深くかかわっていたことからすると、それほど不思議でないともいえよう。
この西林坊が慶長6年(1601)まではあったことが知られているが、天正10年(1582)に梅雪が死に、天正15年(1587)に子の勝千代が死んで穴山家の断絶に直面し、悲嘆のなか妻の見性院の思いとして梅雪の思い出の残るこの西林坊を夫の菩提を弔う寺としたとしても不思議ではない。それが、思いがけずも穴山家の跡を継ぐ信吉の出現によって、穴山家の長き栄えと、こここそが夫の本国であるとの思いを込めて、本格的な寺院を建立して西林坊を長栄山本国寺と改めたと考えられるのである。
それがいつかといえば、前に述べた文献から慶長6年(1601)から慶長8年(1603)の間ということができる。
本国寺を梅雪の菩提供養の寺とする一つの根拠として、本国寺に伝わる棟札がある。これは本国寺境内にあった神社の宮拝殿等の棟札とされるが、神仏習合の当時にあっては寺と一体のものと考えて差し支えなかろう。
それは寛永13年(1636)のものと、天和3年(1683)のもので、いずれも梅雪の五十回忌、百回忌直後の建立であり、それぞれ「穴山梅雪賢集台霊 為離苦得楽證大菩提修営之者也」「穴山伊豆守信君梅雪斉 為離苦得楽報恩謝徳以衆檀助力修営之者也」と記されている。
以上、みてきたように、本国寺は穴山梅雪との深いかかわりのなかで創建されたものと考えられ、最蓮房とは関係のないことを改めて確認しておきたい。
第五章 赦免(京都帰郷説)・寂年
五、赦免
(二)京都帰郷説
次に、最蓮房が佐渡流罪赦免後、故郷の京都へ帰ったとする説についてみてみよう。
先にも触れたように最蓮房御返事の末尾のところで「貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば……貴辺をも天に申して古京(こきょう)へ帰し奉る可く候」(1343-11)と約速されていることからすると、最蓮房自身がいっていたものか、それとも大聖人がその気持ちを酌まれたものかは分からないが、最蓮房が京都へ帰ることを望んでいたものとみることができよう。そうしてみると、最蓮房が赦免になったとき京都に帰ったとするのは自然のような気がする。
① 帰郷の時期
ところで、最蓮房の帰郷と関連する事柄として、その赦免がいつであったかについて考えてみたい。一説によれば、最蓮房は文文永12年(1275)(建治元年)に赦免になったとしている。この説の初見は江戸時代中期の文献である本化別頭仏祖統紀である。
この書は先にみたように、最蓮房の名を日栄として、赦免後、直ちに身延の大聖人のもとに行って仕えたと記し、下山本国寺の開山とするなど、誤謬と思われるものが少なくなく、これをもって赦免の年を文永12年(1275)(建治元年)と断定するのはやや不安が残る。
赦免の年を考察するうえで、一つの手掛かりとなるものとして立正観抄送状ならびに立正観抄がある。文永12年(1275)2月28日の日付のある立正観抄送状の冒頭には「今度の御使い誠に御志の程顕れ候い畢んぬ又種種の御志慥(たしか)に給候い畢んぬ」(0534-01)とある。これは、最蓮房が使いをもって種々の御供養をしたことに対して御返事されたところであるが、この使いはどこから遣わされたものであろうか。文の流れからすると、佐渡からのものということは考えがたい。
佐渡の信徒が、身延に入られてからの大聖人に初めて人を遣わしたときの御返事と思われるものに、文永12年(1275)4月12日付けの国府入道御返事がある。それには、最初に御供養の品々を挙げられたあと「人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さどの国に候いし時御信用ありしだにもふしぎにをぼへ候いしに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、又国もへだたり年月もかさなり候へば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろをあらわし、こうをつませ給う事、但一生二生の事にはあらざるか」(1323-02)と、佐渡から身延の大聖人のもとへ御供養してきた、その信心の姿勢を心から讃嘆されている。国府入道よりも数か月も早い時にあたる最蓮房の使いが、もし佐渡からのものであれば、その御返事も一行で終わるような簡単なものではなかったはずである。
また、使いに託した質問の内容は、止観勝法華(止観は法華経に勝れる)等についてであり、これは当然、天台宗でいわれていたものと考えられる。そうした教説は比叡山を中心に論じられていたものであろうことからすると、この質問をしてきたときには最蓮房は京都にいたのではないかと推測される。
ここで注意をしなければならないことは、たしかに立正観抄送状の日付は文永12年(1275)2月28であるが、立正観抄は文永11年(1274)の御述作とされているということである。ということは、最蓮房の使いは文永11年(1274)に大聖人のもとにきていることになる。
立正観抄は文永11年(1274)にしたためられたが、なんらかの事情により、文永12年(1275)2月28日に立正観抄送状とともに最蓮房に送られたものであろう。そうすると、最蓮房は文永11年(1274)の時には既に京都にいたものと考えられよう。
このようにみてくると、最蓮房の赦免は、大聖人が赦免になった文永11年(1274)3月以降文永11年(1274)12で月までの間となろう。立正観抄送状に述べられている最蓮房の使いが京都から初めて遣わされたものという感じでもないので、ここでは大まかに文永11年(1274)年の後半ころ最蓮房は赦免になって京都に帰ってきていたものとしておきたい。
② 京都帰郷説の根拠
更に、京都帰郷説の一つの裏付けとみられるものに、身延三世・日進によるといわれる立正観抄の写本の奥書がある。そこには「正中二年乙丑三月於洛中三条京極最蓮房之本御自筆有人書之今于時正中二年乙丑十二月廿日書写之也身延山元徳二庚午卯月中旬重写也」と記されているという。日進がどうしてこのような意味不明瞭な文を書き記したものか理解に苦しむところであるが、それでも意を酌んで読み下せば、次のように読むことができようか。「正中二年三月、洛中の三条京極に於いて最蓮房の本の御自筆を有る人、之を書す。今、時に正中二年十二月二十日、之を書写するなり。身延山にて元徳二年四月中旬、重ねて写すなり」と。
これからすると、正中2年(1325)3月に最蓮房所持の立正観抄の御真筆を、ある人が洛中の三条京極で書写したといわれるものがあったものと思われる。それを日進が正中2年(1325)12月20日に書写し、元徳2年(1330)4月中旬に身延山で重ねて書写したということであろう。もし、正中2年(1325)3月、洛中の三条京極に最蓮房に送られた立正観抄の御真筆があったものとすれば、これは最蓮房が京都に帰っていたということのかなり有力な根拠といえよう。
ここで、洛中の三条京極で書写したといわれる、その場所を確認しておこう。京都にあっては、その位置を示すのに東西・南北に走る碁盤の目のような道路を用いる。三条京極の三条とは東西に走る道路のなかの三条大路を意味し、京極とは南北に走る東京極大路をさす。京極大路は西にもあったが、平安京の西側は造営当初から発展せずに荒廃したままであったので、一般に京極という場合は東京極大路をさしたようである。いずれにしても、三条京極とは、この三条大橋と東京極大路の交差したところをさしていったものである。
当時、ここに天台宗の京極寺という寺院があったことが知られている。この寺は桓武天皇の皇子・賀陽親王の創建と伝えられ、今昔物語集にも記されている。平安時代後期には延暦寺の末寺となり、山門の衆徒の拠点と化した。そして、鎌倉時代にかけて京極寺の神輿が振られて、たびたび強訴に利用されている。
もし、この寺に立正観抄の御真筆があったとすれば、最蓮房も京極寺になんらかの関係があったものとみることもできよう。もしかすると、最蓮房はこの寺で出家したのかもしれない。そして、赦免の後、京都に帰った最蓮房は昔なつかしい京極寺において仏法の研鑽に励むと同時に大聖人に教えをうけつつ、晩年をすごしたというような想像もできよう。
六、寂年
寂年については、本化別頭仏祖統紀に「延慶元年戊申四月十八日、或いは曰く二日化す」とあるが、これは信ずるに足りない。最蓮房に与えられた御書のうち残っているもののなかで、一番後の御書は弘安三年十一月三日の十八円満抄であるが、その後どれほどの年月を過ごしたものかは、はっきりしない。