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日蓮大聖人御書講義30上1336~1355

1336~1338    生死一大事血脈抄
  1336:01~1337:02 第一章 生死一大事血脈の体を明かす
  1337:02~1337:09 第二章 深信に生死一大事の血脈
  1337:09~1337:11 第三章 信心の持続に生死一大事の血脈
  1337:12~1337:14 第四章 異体同心に生死一大事の血脈
  1337:14~1338:02 第五章 一切衆生救済の大慈大悲を示す
  1338:03~1338:08 第六章 本化地涌の利益を示す
  1338:08~1338:12 第七章 信心の血脈なくば法華経も無益
1336~1338    生死一大事血脈抄2006:08~07:08月号大白蓮華より。先生の講義
           第一回
           第二回
           第三回
           第四回
           第五回
           第六回
           第七回
           第八回
           第九回
           第10回
           第11回
           第12回
           第13回
1337:12~1337:14 生死一大事血脈抄2014:05大白蓮華より先生の講義
  1338~1339    草木成仏口決
  1338:01~1339:01 第一章 非情成仏の経証を示す
  1339:11~1339:04 第二章 止観等の論釈の文を挙げる
  1339:06~1339:08 第三章 草木成仏の口決を説く
  1339:08~1339:10 第四章 事理の顕本に約して説く
  1339:10~1339:12 第五章 一身所具の有情非情を示す
  1339:13~1339:15 第六章 本尊に約して草木成仏を説く
  1339:15~1339:18 第七章 草木成仏の忘失を戒めて決す
1340~1343    最蓮房御返事(師弟契約御書)
  1340:01~1340:04 第一章 供養への謝辞を述べる
  1340:05~1340:11 第二章 妙法の信受、師弟の血縁を喜ぶ
  1340:12~1341:05 第三章 邪師を捨て正師につくべきを示す
  1331:05~1341:11 第四章 経証ならびに邪師の名を挙げる
  1341:12~1331:17 第五章 大聖人こそ末法正善の師と明かす
  1341:18~1342:03 第六章 法華経身読の事実を挙ぐ
  1342:04~1342:14 第七章 師弟の因縁を述べ、行化を励ます
  1342:15~1343:04 第八章 本円戒受持の大功徳を明かす
  1343:05~1343:10 第九章 自在無碍なる成仏の境地を述べる
  1343:11~1343:15 第十章 赦免後の再開を約して励ます
1340~1343    最蓮房御返事(師弟契約御書)2007:11月号大白蓮華より。先生の講義
1344~1355    祈祷抄
  1344:01~1344:02 第一章 真の祈りは法華経によるを明かす
  1344:02~1345:12 第二章 二乗の法華行者守護の理由を明かす
  1345:13~1346:11 第三章 仏が法華行者を守る理由を明かす
  1346:12~1347:17 第四章 菩薩・諸天の守護必定なるを明かす
  1347:17~1348:13 第五章 竜女の法華経深恩と守護を明かす
  1338:14~1349:08 第六章 提婆達多の守護すべき理由を明かす
  1349:09~1350:07 第七章 重ねて菩薩の守護すべき理由を示す
  1350:08~1352:08 第八章 行者の祈りの叶うを示し信心を勧む
  1352:09~1354:07 第九章 天台・真言による祈?の悪現証示す
  1354:08~1355:10 第十章 真言の邪教たる理由を明かす
  1355:10~1355:18 第11章 正法による祈禱を勧め慈覚を破す

1336~1338    生死一大事血脈抄top
1336:01~1337:02 第一章 生死一大事血脈の体を明かすtop
生死一大事血脈抄    文永九年二月十一日    五十一歳御作   与最蓮房日浄
01                                 日 蓮 記 之
01   御状委細披見せしめ候い畢んぬ、夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、 其の故は釈迦多宝の二仏宝
02 塔の中にして上行菩薩に譲り給いて 此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり、 妙は死
03 法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり、 天台云く「当に知るべし依正の因
04 果は悉く是れ蓮華の法なり」と云云 此の釈に依正と云うは生死なり 生死之有れば因果又蓮華の法なる事明けし、
05 伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」と文、天地.陰陽.日月・五星.地獄・乃至仏果.
1337
01 生死の二法に非ずと云うことなし、 是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり 、天台の止観に云く 「起は是れ
02 法性の起・滅は是れ法性の滅」云云、 釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、
-----―
                     日  蓮  記 之
 御手紙を詳しく拝見した。お尋ねの、生死一大事の血脈とは、いわゆる妙法蓮華経のことである。そのわけは、この妙法蓮華経の五字は釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩にお譲りになったのであり、過去遠々劫以来、寸時も離れることのなかった血脈の法であるからである。
 妙とは死、法とは生のことで、この生死の二法が即、十界の当体である。また、これを当体蓮華ともいうのである。
 天台大師は「まさに知るべきである。十界の依正の因果がことごとく蓮華の法門である」といわれている。この釈に依正というのは十界の生死の意である。生死があれば、その因果もまた蓮華の法門であることは明らかである。伝教大師は「生死の二法は一心の妙用であり、有と無との二道は本覚の真徳である」と述べている。天地、陰陽、日月、五星、地獄、ないし仏果に至るまで、生死の二法でないものはない。
 このように、生死もただ妙法蓮華経の生死なのである。天台大師の摩訶止観に「起はこれ法性の起であり、滅もまたこれ法性の滅である」とある。釈迦・多宝の二仏も生死の二法をあらわしているのである。

生死一大事血脈
 生死とは生と死を繰り返す生命自体をさし、一大事とはその極理。すなわち、生死一大事とは生命の極理をいい、仏はこれを妙法蓮華経であると明かしたのである。血脈とはその仏の悟り、生命の極理が、仏から衆生へ正しく継がれることをいう。
―――
釈迦
 釈尊のこと。シャーキャ族の聖人(釈迦牟尼)。人々から尊敬される人物の意で、仏教の創始者ゴータマ・ブッダをさす。釈尊は古代インドに王子として生まれ、シッダールタと呼ばれた(生誕の地ルンビニーは現在のネパールに位置している)。若き日、生・老・病・死という免れられない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探究しようとして出家した。シッダールタは、万人が羨む、満たされた王子としての境遇にあった。しかし、人々が求める贅沢さもしょせん、はかなく空しいと知り、楽しむことはなかったと回想している。そこで、釈尊は人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めた。しかし、伝統的な教えにも、また同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因とその解決について探究した。その結果、一人一人の生命、宇宙を貫く永遠普遍の「法」に目覚めた。それ故、サンスクリットで目覚めた人という意味の「ブッダ」と呼ばれる。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと表記した。釈尊は、人々が自己の本来的な尊厳性への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れてでも幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破した。そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて根源的な無知(無明)から解放された、自己本来の清浄な生命に立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えた。また釈尊は、自己の尊厳性を自覚することによって他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えた。これが「慈悲」の基本精神である。釈尊は、ある大王に対して、だれにとっても自分以上に愛しいものはない、自己を愛する者は他人を害してはならないと教えている。仏教の説く「慈悲」とは、他の人も自身と同じように大切な存在であると知って他の人を大切にすることであり、万人に双方向性をもつものである。【諸経典に説かれる釈尊】釈尊の言行は弟子たちによって後世に伝えられ、それぞれが重視する観点から種々の経典が編纂されていった。それらに示される釈尊像は、その経典制作者たちがとらえた理想を体現する仏であり、しばしば神格化され超越的な姿と力をもつものとして描かれている。その釈尊像は、それぞれの経典の教えを反映するものであり、「観心本尊抄」に基づいて経典の教説の分類に対応させて仏身を6種に立て分けられる。すなわち、蔵・通・別・円の四教においてそれぞれの仏身が説かれ、円教である法華経では迹門・本門の仏身が示されている。本門においては、文底の教えを立て分け、文底下種の法を説く仏身を立て分ける。それぞれの仏身はそれぞれの教えにおける成仏観を反映したものとなっている。
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多宝
 法華経見宝塔品第11で出現し、釈尊の説いた法華経が真実であることを保証した仏。過去世において、成仏して滅度した後、法華経が説かれる場所には、自らの全身を安置した宝塔が出現することを誓願した。釈尊が法華経を説いている時、見宝塔品で宝塔が地から出現して空中に浮かんだ。宝塔が開くと、多宝如来が座していた。多宝如来は釈尊に席を半分譲り、以後、嘱累品第22まで、釈尊は宝塔の中で多宝如来と並んで座って(二仏並坐)、法華経の説法を行った。
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宝塔
 宝物で飾られた塔。法華経見宝塔品第11では、釈尊の法華経の説法が真実であると保証するために、多宝如来が中に座す宝塔が、大地から出現して嘱累品第22まで虚空に浮かんでいた。この宝塔は高さ500由旬で、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られていた。この塔の内に釈迦・多宝の二仏が並んで座り(二仏並坐)、聴衆も空中に浮かんで、虚空会の儀式が展開された。日蓮大聖人はこの虚空会の儀式を借りて曼荼羅を図顕され、末法の衆生が成仏のために受持すべき本尊とされた。そして曼荼羅御本尊の中央にしたためられた南無妙法蓮華経を宝塔と同一視されている。また妙法を信受する人は、南無妙法蓮華経そのものであるので、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝(七聖財)に飾られた宝塔であるとされている(1304㌻)。
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上行菩薩
 地涌の菩薩を代表する四菩薩の筆頭。法華経如来神力品第21では、末法における正法弘通が上行をはじめとする地涌の菩薩に付嘱された。この法華経の付嘱の通り、末法の初めに出現して南無妙法蓮華経を万人に説き不惜身命で弘通されたのが、日蓮大聖人であられる。この意義から、大聖人は御自身が地涌の菩薩、とりわけ上行菩薩の役割を果たしているという御自覚に立たれ、御自身を「上行菩薩の垂迹」(1157㌻)と位置づけられている。日興上人も、大聖人を「上行菩薩の再誕」(「五人所破抄」、1611㌻)と拝された。創価学会では、大聖人は、外用(外に現れたはたらき)の観点からは上行菩薩であられ、内証(内面の覚り)の観点からは久遠元初の自受用報身如来であられると拝する。
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生死の二法
 生命に起こる現象としての生と死のこと。
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十界
 衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。生命論では人間の生命の状態の分類に用いる。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」という。「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。六道の中では、地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」とし、この三悪道に比べれば相対的にはよいことから、修羅・人・天は「三善道」とされる。また三悪道に修羅を加えて、「四悪趣」ともいう。また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯である。小乗の教えに基づき覚りを目指す声聞・縁覚は「二乗」と呼ばれる。これに菩薩を加えて「三乗」と呼ばれる。法華経以外の経典では、十界はそれぞれ固定化された世界・境涯としてとらえられていた。しかし法華経では、その考え方を根本的に破り、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわっていることを明かし、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることを説いて、十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命にそなわる10種の境涯であることを示した。したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべてそなわっており、縁によって次にどの界の境涯をも現せることが明らかになった。このように十界の各界が互いに十界をそなえていることを十界互具という。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
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当体蓮華
 妙法蓮華経それ自体。譬喩蓮華に対する。譬喩蓮華とは、華草の蓮華が、華と実が同時になることから、因果倶時の妙法華経に似ているので、この蓮華を借りて当体蓮華を説明したのである。したがって、当体蓮華の説明は譬喩蓮華であり、説明された実体たる妙法華経そのものは当体蓮華である。たとえば、宝塔品の儀式は譬喩蓮華、御本尊は当体蓮華である。総じて宇宙の森羅万象、いっさいの現象が当体蓮華であり、妙法華経である。別していえば、日蓮大聖人の仏法を修行するわれわれのみが当体蓮華であるが、さらに別して日蓮大聖人が妙法華経のみが当体蓮華である。当体義抄には「問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、 答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」(0510-01)「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」(0512-09)とある。
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天台
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。▷
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伝教大師
 767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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陰陽
 中国易学のとる二元論の見方で、動的なもの積極性を陽とし、静的なもの、消極性を陰とする。日向は陽で日蔭は陰、太陽は陽で月は陰、夏と春は陽で冬と秋は陰、天は陽で地は陰、などと立てる。
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五星
 五星とは歳星=木星、熒惑星=火星、鎮星=土星、太白星=金星、辰星=水星でいずれも太陽の惑星である。
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地獄・乃至仏界
 地獄界から仏界までの十界の境界。
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止観
 ①止観という瞑想修行のこと。「止」とは心を外界や迷いに動かされずに静止させることで、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。②天台大師智顗の『摩訶止観』10巻の略称。
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 物事・事象の起こり、はじまり。
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法性
 万物を貫く根本の法そのもの、仏の覚りの本質。真理であり、万物のあるべき姿を示すものなので、法性真如ともいう。
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 滅びる・消える・没する・死ぬ。
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 本抄は文永9年(1272)2月11日、日蓮大聖人が51歳の御時、佐渡・塚原でしたためられ、最蓮房日浄日栄に与えられた御抄である。時期的には、人本尊開顕の書である開目抄を著されたときと、ほぼ一致している。
 この年の1月16日、塚原問答があった。これは、大聖人の御命をねらう念仏者達に対し、佐渡の守護代・本間六郎左衛門尉が法論で結着をつけるように命じたため実現したものであった。
 佐渡のみならず、越後・越中・出羽・奥羽・信濃等から多くの法師が集まったが、大聖人にことごとく完膚なきまでに破折された。
 この塚原問答以降、念仏者達の憎悪は更に増し、「今日切るあす切る」といわれるように、大聖人は絶えず御命をねらわれる日々であった。
 しかし、一方では阿仏房、国府入道、一谷入道、中興入道等が大聖人の偉大な御境界に触れ、帰依している。
 最蓮房は京都の出身で、もとは天台の学僧であった。大聖人が佐渡へ御配流になる以前に、なんらかの理由で流罪になっており、おそらく塚原問答での大聖人の御姿に感銘したと思われる。最蓮房御返事に「御状に云く去る二月の始より御弟子となり帰伏仕り候」(1340-05)とあることから入信は2月初めであろう。
 本抄は、弟子になってまだ日も浅かった最蓮房が、生死一大事血脈という仏法の極理にかかわる重要問題を質問したことに対しての御返事である。
 最蓮房がもと天台の学僧だったこともあり、天台教学を基盤に踏まえられながら、日蓮大聖人の仏法の奥義である生命究極の体とは何か、しかもそれを得るためには、いかなる信心に立つべきか等、根本的な信心の姿勢と、その実践の在り方について御教示されている。
 題号は「夫れ生死一大事血脈とは……」という書き出しに即して後代に付されたものである。御真筆は現存していない。本抄のほかに、草木成仏口伝、諸法実相抄、祈禱抄、当体義抄など法門上、重要な御抄を七編賜っている。
 内容は、初めに生死一大事血脈とは何か、ということについて、いわゆる妙法蓮華経であると、法華経、天台大師、伝教大師の経釈を引用して明らかにされている。
 次に、衆生がどのような信心の姿勢に立ったとき、生死一大事血脈という仏の悟りの極理が、仏から衆生へ血脈として伝えられるかということに関し、三点に分けて御教示されている。
 第一は「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処」と、我が身の内に尊極の仏の生命が具わっていることを信じ、妙法を唱えゆく実践を教えられている。
 第二は「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」と、過去・現在・未来の三世にわたって、御本尊から離れないという信心の持続をさとされている。
 第三は「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処」と、弟子門下の団結、更には全民衆へ開かれた連帯の絆を教えられ、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えるところにのみ、伝わることを示されている。
 しかもその題目は、今、末法において日蓮大聖人が弘通される究極のものであることを述べられている。
 最後に、最蓮房が仏法の骨髄にかかわる問題について質問したことに対し、前代未聞のことであると喜ばれるとともに、師弟の宿縁を明かされ、一層強盛な信心に立つよう励まされている。
生死一大事血脈の意義
 まず主題である「生死一大事血脈」の意義について述べておきたい。
 「生死」とは、生まれては死に、死んでは再び生まれてくる、この生死流転の生命をいう。生命は死ねば終わりというのではなく「生」として顕在化し、永劫に続くのである。
 「一大事」とは、仏の悟った宇宙・生命を貫く普遍的な大真理、仏の悟りの究極をいう。
 法華文句には「一は則ち一実相なり、五に非ず、三に非ず、七に非ず、九に非ず、故に一と言うなり。その性広博にして五・三・七・九より博し、故に名づけて大と為す。諸仏出世の儀式なる故に名づけて事と為す」と説かれている。
 すなわち「一」とは、唯一無二、これ一つしかない、根本という意味の「一」である。
 「大」とは、その性が広博で、すなわち一実相の体性は三世十方に遍満し、一切を包含することを示す。「事」とは、諸仏出世の儀式をいうのである。
 また日寛上人は末法における法体に約して、文底秘沈抄で一とは本門の本尊、大とは本門の戒檀、事とは本門の題目で、一大事は三大秘法を意味するとされている。
 ここで仰せの生死の一大事は、生死とは一切衆生の生命をさし、その生命の本源にある究極の法をいう。「血脈」とは、師である仏から弟子へ、仏法究極の悟りがそのまま伝えられるさまを、人体において血脈が絶えることなく連なっているのにたとえていった言葉である。
 したがって、生死一大事血脈とは、生命究極の体を説き明かした仏の悟りが、仏から衆生へ、どのようにして伝えられるかということであり、まさしく衆生の成仏にかかわる最重要の法門ということができる。
 ゆえに、本抄で述べられているテーマは、仏の悟りの極理は何であるか、それはどのようにして衆生に伝えられるか、という二つの問題に帰着するわけである。
夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり
 生死一大事血脈とは何か、ということについて、その体は妙法蓮華経、つまり南無妙法蓮華経そのものであると、冒頭に結論を出されている。
 なぜ妙法蓮華経が生死一大事血脈なのか。
 「其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて」と述べられているように、法華経の虚空会の儀式において、宝塔の中で釈迦・多宝の二仏並坐のもとに、地涌の菩薩の上首・上行菩薩へ、末法弘通のために譲られた法体が妙法蓮華経であるということである。
 上行菩薩は、その本地は久遠元初の自受用身であり、もともと妙法蓮華経を所持された仏である。
 しかるに、法華経の会座で付嘱の儀式が行われたのは、この上行菩薩が末法に出現することを予証し、明示するためにほかならない。したがってこの御文は、一往、教相、文上の辺からの仰せである。
 次の「此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり」が、再往、観心・文底の辺からの御指南である。
 「過去遠遠劫」とは久遠元初である。「寸時も離れざる血脈なり」とは、妙法蓮華経は、本来、人法体一であり、久遠元初自受用身の生命がそのまま妙法蓮華経、南無妙法蓮華経であるから、寸時も離れることがないのであり、このことは御義口伝の「無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事-06)との仰せに明らかである。
 日蓮大聖人は、外用は上行菩薩の再誕として末法に御出現されたが、内証は久遠元初の自受用身であり、末法の御本仏であられる。
妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり
 総じて十界の一切衆生の生命が妙法蓮華経の当体であることを示されている。
 「妙は死法は生なり」とは、生死の二法が即妙法である、ということである。
 万物は生じては滅していく。「生」として顕在化し、「死」として僭在化しつつ、生死生死と無始無終に繰り返していくのが生命の真実の姿である。
 この生死は妙法蓮華経の働きであり、妙法蓮華経こそ生命の変わらざる当体なのである。
 「妙」がなぜ「死」であるかといえば、妙とは不可思議の意であり、「死」の状態の生命は、色もなく、目で見ることも、とらえることもできない。思議することができないかたちで存在しているゆえに「妙は死」となる。
 それに対し「法」とは現象であり、表に現れたすがたである。喜怒哀楽、その瞬間瞬間にあらわす変化の相、さまざまな働き、これが「法」である。それは目で見ることも、触れることもできる。したがって「法は生」となるのである。
 この生死の二法を現じていくのが十界の当体である。仏も含めて十界の衆生はすべて生死をあらわすのであり、ゆえに十界の生命を「当体蓮華とも云う」といわれているのである。
 「当体蓮華」とは、一切衆生の当体が妙法蓮華であることをいう。譬喩蓮華に対する語で、当体蓮華を説明するために用いられた華草の蓮華を譬喩蓮華という。
 蓮華は、華と果実が同時であるということや、泥沼の中にあっても、清浄な花を咲かせるなどの特質をもつ。この華草の蓮華のもつ特質により説明された妙法蓮華経の法門それ自体を当体蓮華と名づけるのである。
 当体義抄には「因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す」(0513-04)と仰せである。
 なお、日寛上人は当体義抄文段で、当体蓮華に二義があるとして「一には、十界三千の妙法の当体を直ちに蓮華と名づく、故に当体蓮華というなり」「二には、一切衆生の胸間の八葉を蓮華と名づけ、これを当体蓮華という」と説かれている。胸間の八葉とは心臓と肺臓のことである。
 すなわち、前者は森羅万象をいい、後者は衆生の生命自体が妙法蓮華即当体蓮華であることを明かされている。
 したがって、生死が「妙法」で、それを現ずる体が当体の「蓮華」であるゆえに、十界の生命はそのまま「妙法蓮華」である。
 このことを本抄では、更に天台大師の法華玄義巻七下の「当に知るべし、依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり」との釈を引かれて展開されている。
 依正とは、生命活動を営んでいく主体を「正報」といい、その生命活動を営む依りどころ、環境を「依報」という。
 「此の釈に依正と云うは生死なり」と仰せのように、生きているという主体の生命は「生」であり、その依りどころとなるものは「死」である。
 これは更に、現実に存在する生命を、空間的な広がりのなかでとらえたのが依正であり、時間的な流れのなかでとらえたのが生死であるということができる。
 この依正とも、生死ともとらえられる生命は因果の法をあらわし、その因果の法は必ず因果俱時であるから、蓮華の法となることを「生死之有れば因果又蓮華の法なること明けし」といわれているのである。
 因果俱時とは、一念の生命に因と果が具足し、先後の別がないことをいう。一般に、原因と結果は同時にあらわれず、時間的経過のうえにあらわれる。しかし、これを本質次元でとらえ、一瞬の一念に因果が具足することを明かしたのが法華経である。
 観心本尊抄に「瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」(0241-07)という十界について述べられた御文がある。
 「瞋るは地獄」を例にとると、「瞋る」という働きが因で、瞋りを生じた瞬間に「地獄」という果を得ているわけで、因果俱時である。
 十界の生命では、九界が因で、仏界が果である。御本尊を信受することは因で、唱題は果であり、信じて唱題したとき、その一瞬の生命に仏界が涌現する。九界の因と仏界の果が、刹那の一瞬に具足しているのである。ゆえに即身成仏となるのである。
伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」と文
 伝教大師の天台法華宗牛頭法門要纂の文で、この世で生まれ、死んでいくのも、常住の体である妙法蓮華経の不可思議な働きであり、生まれてこの世に「有」るのも、死んで「無」くなるのも、本有の覚りにそなわっている徳用であるという意味である。
 「一心」とは生命、「妙用」とは妙なる用、すなわち働き・作用の意で、生まれる、死ぬというのも、常住不滅の生命のあらわす働きであるということである。
 「有無の二道」とは、この世に有る、無いという存在の仕方をいう。「本覚」とは、もともとの覚りということで、その体は妙法蓮華経である。「真徳」とは真の徳の意である。
 すなわち、生死にしても、有無にしても、ともにその生死、有無を超えた体がある。それが「一心」であり「本覚」である。それが、あるときは生、あるときは死、あるときは有、あるときは無という、さまざまな相をあらわしているのであるとの意である。
 生死の二法は、妙法蓮華経のあらわす働きであり、有無の二道は、妙法蓮華経のとる二つの存在の仕方といえる。
 逆にいえば、万物は生死の二法、有無の二道を示していくけれども、その体は常住不変の妙法蓮華経そのものであるということである。
 そして「天地・陰陽・日月・五星」等の万物・万象も、また「地獄・乃至仏果」、すなわち我々の生命の働きも、すべて生死の二法でないものはない。一切が生死をあらわしているのである。
 五星とは、太陽系の惑星で、辰星・太白星・螢惑星、歳星・鎮星をいう。五緯ともう。
 一切の現象の体が妙法蓮華経であるから、これら万物の示す生死は、所詮、妙法蓮華経があらわすところの生死であるということを「是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり」といわれているのである。
天台の止観に云く「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」云云、釈迦多宝の二仏も生死の二法なり
 天台大師の著した摩訶止観巻五上の釈で、やはり同趣旨の文である。
 「法性」とは妙法蓮華経ということである。一切の事物・事象が生滅流転する現象も、すべて妙法蓮華経の起滅にほかならないという意である。
 「起」は生であり「滅」は死である。ゆえに「法性の起・法性の滅」とは、妙法蓮華経の生死の二法をさすのである。
 また、法華経の虚空会の儀式で、宝塔の中で並坐する釈迦・多宝の二仏も、やはり生死の二法をあらわしているのである。
 すなわち、釈迦は「生」、多宝は「死」をあらわす。なぜなら、法華経を説法する主体は釈迦仏であるから「生」であり、多宝仏は証明役で、いわば客観性をあらわしているので「死」である。
 境智の二法に約せば、釈迦は智、多宝は境をあらわす。ゆえに、能動的主体の智の表象にあたる釈迦は「生」、所証の境の表象である多宝は「死」となるのである。

1337:02~1337:09 第二章 深信に生死一大事の血脈top
02                                   然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華
03 経と我等衆生との三つ 全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、 此の事
04 但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、 所詮臨終只今にありと解りて信心を致して 南無妙法蓮
05 華経と唱うる人を 「是人命終為千仏授手・ 令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候 、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏
06 二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・ 歓喜の感涙押え難し、 法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と
07 説かれたれば.定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん浅マシ浅マシ,十王は裁断し倶生神は呵責せんか。
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 このように、十界の当体が妙法蓮華経であるから、仏界の象徴である久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経すなわち妙法蓮華経と我ら九界の衆生の三は全く差別がないと信解して、妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。このことが日蓮が弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとは、このことをいうのである。
 所詮、臨終只今にありと覚悟して信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人を普賢菩薩勧発品には「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれている。喜ばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏でなく千仏までも来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押えがたいことである。これに対し法華経不信の者は、譬喩品に「其の人は命終わって、阿鼻獄に入るであろう」と説かれているから、定めて獄卒が迎えにきて、その手を取ることであろう。あさましいことである、あさましいことである。このような人は十王にその罪を裁断され、倶生神に呵責されるにちがいない。
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08   今日蓮が弟子檀那等.南無妙法蓮華経と唱えん程の者は・千仏の手を授け給はん事.譬えばウリ夕顔の手を出すが
09 如くと思し食せ、
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 今、日蓮が弟子檀那等、南無妙法蓮華経と唱える者に、千仏が御手を授けて迎えてくださるさまは、例えば瓜や夕顔の蔓が幾重にもからんで伸びるようなものであると思われるがよい。

久遠実成の釈尊
 ①一往の義。インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。②再往の義。最も根源の法を覚知し、その功徳を自ら受け自在に用いている永遠の仏。久遠元初とは、ある特定の遠い過去ではなく、永遠の根源を示す。自受用報身とは自受用身ともいい、「ほしいままに受け用いる身」のこと。覚知した法の功徳を自ら受け自在に用いる仏の身をいう。生命にそなわる本源的な、慈悲と智慧にあふれる仏である。日蓮大聖人のこと。
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皆成仏道の法華経
 大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
我等衆生
 ①サンスクリットのサットヴァの訳。衆とも有情とも訳す。薩埵と音写する。広義には一切の有情(感情・意識をもつもの)をいう。狭義には、無明や煩悩をもって迷いの世界に住む人をさす。②「心と仏と衆生の三つには区別がない」との意。華厳経(六十華厳)巻10の文。心も仏も衆生も、五蘊(色・受・想・行・識。心身を構成する五つの要素)によって世界を作り出している点で相違はないという趣旨。
―――
是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣
 法華経普賢菩薩勧発品第28の文。「 是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と読む。
―――
其人命終入阿鼻獄
 法華経譬喩品第3の文。「其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と読む。
―――
十王
 冥途で亡者の罪を裁くとされる 10人の王。インド本来の仏教説ではなく,中国六朝時代の民間信仰に基づくものらしい。十王の名は,秦広王,初江王,宋帝王,伍官王,閻魔王,変成王,泰山府君,平等王,都市王,五道転輪王。
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倶生神
 人が生まれた時に倶に生じ、常にその人の両肩にあって、その人の善悪の行為を記して閻魔王に報告するとう同名、同生の二神のこと。同生神ともいう。経によって倶生神を一人といい、男女の二人にするなど一様ではない。薬師瑠璃光如来本願功徳経に「諸の有情には倶生神有って、其の所作に随って若しは罪、若しは福、皆具さに之れを書して、ことごとく持して琰魔法王に授与す。その時、彼の王は其の人に推問して所作を算計し、其の罪福に随って之れを処断す」とある。
―――

 ウリ科のつる性一年草。キュウリ・スイカ・トウガン・ヘチマなど。
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夕顔
 ウリ科の植物で、蔓性一年草。実の形によって細長くなった「ナガユウガオ」と、丸みを帯びた球状の「マルユウガオ」とに大別する。大きな果実を実らせることが特徴。同じく大きな実を実らせるウリ科の植物にヒョウタンがあるが、ヒョウタンとユウガオは同一種であり、ヒョウタンがインドに伝わって栽培されるうち、苦味の少ない品種が食用のものとして分化、選別されたと考えられている。ユウガオの実を細長い帯状に剥いて加工したものはかんぴょう(干瓢)と呼ばれ、巻き寿司や汁物などに使われ食用にされる。主にマルユウガオからかんぴょう(干瓢)は作る。
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 前章で述べられたことを受けて、衆生がどのような信心の姿勢に立ったとき、この仏の悟りの極理が、仏から衆生へ、血脈として伝えられるかということに関して三点から示されるのであるが、その第一について御教示された段で、御本尊が我が胸中の肉団におられることを信じ、題目を唱える実践を教えられている。
 前章との関連でいえば「釈迦多宝の二仏も生死の二法なり」という御文が「久遠実成の釈尊」にあたる。釈迦・多宝の二仏並坐は、釈迦が智、多宝が境で、境智冥合を意味し、その体は久遠実成の釈尊をあらわしているからである。
 同様に「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲」られたのが「皆成仏道の法華経」であり、「此の生死の二法が十界の当体なり」が「我等衆生」にあたる。
 すなわち、仏の悟りの当体も妙法蓮華経、法華経で説かれた衆生成仏の法体も妙法蓮華経、我等衆生の体も妙法蓮華経であるから「三つ全く差別無し」である。
 一往、ここでは釈尊の法華経文上の立場からの表現となっているが、再往、元意の辺は「久遠実成の釈尊」とは久遠元初の自受用身如来たる御本仏日蓮大聖人であり、「皆成仏道の法華経」とは三大秘法の南無妙法蓮華経である。そして、御本尊を無二に信受する我ら衆生の生命も、同じく南無妙法蓮華経の当体である。したがって、この三つは「全く差別無しと解りて」と拝すべきである。
 しかし「差別無し」といっても、あくまで理の上のことであり、事実のうえで同じということではない。同じではないが、全く隔絶したものでもない。
 ゆえに「解りて」とは「以信得入」「以信代慧」と示されるように、「深く信心を発して」ということである。
 実践的にいえば、御本尊に境智冥合するという決定した信心に立つことが「三つ全く差別無し」ということになる。
 このように御本尊を唯一無二と信じ、南無妙法蓮華経と唱えるところを、生死一大事の血脈というのであり、仏の悟りの当体である南無妙法蓮華経の生命が、そのまま我々の生命のなかに血脈として伝えられ、生き生きと脈打ってくるのである。
 「此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり」と仰せのように、「三つ全く差別無し」との法理は、最も深く生命の尊厳観を説いたものであるから、大聖人門下として仏道修行に励む者にとって、最も肝心かなめなことであり、「法華経を持つ」とはこれ以外にないのだと教えられているのである。
所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候
 「臨終只今にありと解りて」とは、単に死に臨んだときに、ということではない。また、今はまだ臨終ではないけれども、臨終だと思って、ということでもない。
 今は健康で、長生ができそうであっても、いつ死ぬか分からないのが人間の寿命である。死は厳粛な事実であり、だれびとも避けることはできない。この先、何十年生きられるにしても、永遠の生命からみれば、一瞬のようなものである。
 「解りて」とは、この生命の真実のすがたを見極めるという意味である。
 この事実を自覚したとき、今生きて真実の仏法を受持していることの重大さを、ひしひしと感じないわけにはいかない。そこに真剣な信心が生まれるといえよう。一日一日、一瞬一瞬に全生命をかけていくということが「臨終只今」なのである。
 臨終は人生の総決算である。各人の人生のすべてがこの一瞬に凝縮される。いかに権力をほしいままにし、巨万の富を貯えて名声を博しても、死のまえにはすべて無力である。
 それゆえに永劫の未来にわたって、死してなお消えることのない福徳を積むため、ただ一筋に御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えていく人を、法華経勧発品第二十八に「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれているのである。
 死後の世界は知りがたいものであるだけに、恐怖・不安に満ちたものとされ、今世の業によって、閻魔法王を代表とする十人の王に次々と裁かれ、地獄・餓鬼・畜生・修羅の三悪道・四悪趣に堕とされると考えられていた。
 しかし、正信を貫き、福徳を積んだ人には千仏が手を差し延べて救ってくださる。つまり、全宇宙のあらゆる働きが、その人の死後、来世の生命を守り、決して悪道に堕ちることはないとの御断言なのである。
 「是人命終為千仏授手」の文は、一往、死の瞬間に際しての仰せであるが、再往は、現在の人生における瞬間瞬間の境涯についていわれたものであることを知るべきである。
 御義口伝には「千仏とは千如の法門なり謗法の人は獄卒来迎し法華経の行者は千仏来迎し給うべし、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は千仏の来迎疑無き者なり」(0780-第四是人命終為千仏授手の事-02)と述べられている。
 「千如の法門」とは、十界互具・百界千如のことであり、千仏とは千如是であるとの御教示である。すなわち、我々の生命に具わっている千如是が、仏界の千如是になるということである。
 したがって、本意は自行化他の信心に励むことにより、自分自身の胸中にある千仏の守護の働きを自らあらわしていくということにある。
 「悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」の御文は、当時、流行していた念仏に対する破折の意義が込められている。
 浄土宗では「阿弥陀の名号を称えれば、死んだとき、西方極楽浄土から阿弥陀仏の使いとして観音・勢至の二菩薩が迎えにきてくれる」と説いていた。
 それに対して、妙法を信じた人には、一仏・二仏、百仏・二百仏どころか、千仏が手を授けて守ってくださるのである。
 反対に、法華経を信じない人は、法華経譬喩品第三に「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば(中略)其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と説かれるように、阿鼻地獄に堕ちること必定である。
 「十王は裁断し」とは、十王経という経典には、人は死ぬと中有という暗黒の世界をたった一人で旅し、閻魔王など十人の王によって次々と生前の罪業の裁きを受け、未来の生処を定められると説かれている。
 十王経については後世の偽作という説もあるが、人間の死後の世界、亡者の苦悩をつぶさに描いて、因果の理法を譬喩的に示し、娑婆世界での仏道修行の尊さを教えた経であり、その説く内容の意義は大きい。
 「俱生神は呵責せんか」とは、俱生神は人が生まれると倶に生ずる神であり、同生同名天とされる。人が生まれると同時に生ずるから同生、人の名と同じ名なので同名、自然にあるので天となすといわれている。
 死ぬまで左右の肩に付いて、その人の善悪の業を漏らさず天に報告するという。いわば告発する検事である。生まれたときから監視しているのであるから、逃れようがない。この十王・俱生神は、生命内奥の因果の厳しさをあらわしたものといえる。

1337:09~1337:11 第三章 信心の持続に生死一大事の血脈top
09          過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、 未来に仏果を成就せん事疑有るべか
10 らず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、
11 謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり。
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 過去世において、強盛に法華経に結縁していたので今生においてこの経に値うことができたのである。未来世において仏果を成就することは疑いない。過去、現在、未来と三世の生死において、法華経から離れないことを法華経の血脈相承というのである。謗法不信の者は、譬喩品に「即ち一切、世間の仏種を断ぜん」と説かれて、成仏すべき仏種を断絶するがゆえに、生死一大事の血脈はないのである。

仏果
 成仏の果法・果位のこと。衆生が仏道修行をすることによって得る証果をいう。
―――
三世の生死
 過去・現在・未来にわたって生死を繰り返すこと。
―――
即断一切世間仏種
 法華経譬喩品第3の文。「即ち一切、世間の仏種を断ぜん」と読む。
―――――――――
 第二に、南無妙法蓮華経を受持したならば、どこまでも信仰を持続し、深めゆくなかにこそ、生死一大事の血脈が連綿と受け継がれていくことを教えられている。
 「過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず」の御文は、過去の結縁が現在の受持とあらわれ、現在の受持が未来の仏果成就疑いないという、三世にわたる因果の法理を明かされている。
 心地観経に「過去の因を知らんと欲せば当に現在の果を看るべし、未来の果を知らんと欲せば但現在の因を観よ」とある。
 過去において御本尊への結縁が強盛であったということは「過去の因」であり、現在に御本尊を受持したことは「現在の果」となる。しかも、御本尊を受持していることは、そのまま「現在の因」であり、そのこと自体、未来に仏果を成就する「未来の果」を決定づけていくのである。
 したがって、現在、御本尊に巡りあうことができたのは、決して偶然によるのではなく、過去に強く縁を結んでいたからである。また、今生において信心を強盛に貫いていけば、未来世においても、また御本尊のもとに生まれることができる、といえよう。過去・現在・未来は、必ず一貫しているものであることを教えられているのである。
 それが次下の「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」の御文につながっていく。
 この御文は、過去・現在・未来という三世の、いわゆる時間的なタテの流れのなかで信心の持続を意味する。
 文字どおりでいえば、臨終の際に南無妙法蓮華経と唱えて死んでいったとき、来世もまた信心を持って生まれることができる、との仰せである。
 これを今世にあてはめて、一日一日を生死と考えれば、日々の信心の持続が「三世の生死に法華経を離れ切れざる」ということにあたる。
 すなわち、過去の生死は昨日の生死、現在の生死は今日の生死、未来の生死は明日の生死である。
 そして、更にいえば、一瞬一瞬の十界の移り変わり自体、生死流転である。凡夫の場合、概して三悪道・四悪趣・六道が多いわけであるが、いかなる生命境界のときも、その奥底に御本尊への信の一念が貫かれていくところに「法華経の血脈相承」があるのである。
 相承とは、師匠と弟子が相対して法門を授け、承け継ぐことをいう。この信心の血脈、すなわち、御本仏日蓮大聖人の御一身に流れる生死一大事の血脈は、三世にわたり不退の信心を持続するなかにこそ、我々の生命に受け継がれていくのである。
 しかし、正法を信ぜず、謗った場合には、同じく法華経譬喩品第三に「則ち一切、世間の仏種を断ぜん」と説かれているように、この自身の内なる仏性の種子を断絶することになるから、生死一大事の血脈もまた断ち切ることになる、と仰せである。

1337:12~1337:14 第四章 異体同心に生死一大事の血脈top
12   総じて日蓮が弟子檀那等・ 自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を
13 生死一大事の血脈とは云うなり、 然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、 若し然らば広宣流布の大願も叶うべき
14 者か、 剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば 例せば城者として城を破るが如し、
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 総じて日蓮が弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔てなく水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこれである。
 もし、弟子檀那等がこの意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう。これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それは例えば、城者にして城を破るようなものである。

自他彼此の心
 「自分と他人」「あちらとこちら」などと差別する心のこと。
―――
水魚の思
 水と魚のように一体不可分で密接な関係にある人々の心、一念のこと。中国・三国時代の蜀漢の王である劉備玄徳と諸葛亮(孔明)の関係が水と魚のように切り離しがたい関係であるとした故事に由来する。この親密な交友関係を「水魚の交わり」という。「生死一大事血脈抄」(1337㌻)では、異体同心のあり方を「水魚の思」とされている。
―――
異体同心
 外見の風体は異なっていても内面は同じ心であること。異体とは広げていえば、年齢・性別・職業・社会的地位などが違うことも含まれる。中国古代の故事に基づく語。『史記』などによれば、殷の紂王の悪政に苦しんだ周の武王らは、寄せ集めの軍で風体はばらばらであるものの、心は一つで異体同心であったため、圧倒的な少人数であったにもかかわらず、大国の軍で武具が揃い調っているが、心がばらばらな同体異心の殷の軍隊を破って勝ったという。日蓮大聖人は「異体同心事」(1463㌻)などで、日蓮門下は既成勢力と比べると少数ではあるが、「一つ心」すなわち大聖人と同じ心であり、法華経の信心で団結しているので、大事を成し遂げることができ、妙法を広宣流布していくことができると門下を激励されている。
―――
城者
 城の中に住んでいる者。城を守る者。
―――――――――
 第三に、ヨコに広がる生命と生命の連帯、異体同心の人間関係のなかに、総じての生死一大事血脈が流れ通うことを示され、広く一切衆生に仏に成る血脈を継がしめることに大聖人の本意があることを明かされている。
 まず「総じて」と述べられているが、これは「別して」に対する言葉である。
 別しての生死一大事血脈の当体は、釈尊在世には地涌の菩薩の上首・上行菩薩として垂迹され、末法今時には久遠元初自受用身如来の再誕として御出現された御本仏日蓮大聖人の御生命であられることは、すでに述べた。
 この御本仏の血脈が「総じて」大聖人門下の異体同心の題目を唱え、広宣流布の大願に生きる一人一人の生命に脈打つことを教えられているのである。
 「自他彼此の心なく」とは、同じ大聖人門下の間で、自分と他人、また、あれとこれというように区別し、敵対感情や差別意識をもってはならないということである。
 人間は、ともすればエゴや独善に陥り、自分の気にいらない人に対しては排斥的になりがちなものである。
 そうした利己心や我慢偏執の心を排し、人の苦しみを我が苦しみとし、友の幸せを我が喜びとしていく心と心、生命と生命の連帯がなくてはならないということである。
 「水魚の思を成して」とは、古来「水魚の交わり」といい、離れがたい密接な関係をあらわしたものであるが、ここでは異体同心の姿を具体的にたとえられている。
 すなわち、魚と水とは切っても切れない関係にあって、互いに支え合っているように、各人が互いに尊重し、守り合い、感謝しあっていくことである。
  「異体同心にして」とは、人それぞれに身体は異なっているが、心を同じにたもつことである。「異体同心なれば万事を成し」(1463-02)と仰せのように、人が集まって一つのことを成就しようとした場合、最も大切なことは異体同心の団結である。「異体」とは、顔形から性格、才能、趣味など、人それぞれの個性や特質が異なることをいい、また社会的立場や経歴などが異なっていることである。「同心」とは、目的観や価値観、志、心を同じくすることである。
 ゆえに「異体同心」とは、多くの人が、それぞれの個性、特性をもちながら、心を同じくして行動する姿であり、そこには個人では果たしえない偉大な力が発揮される。いわば個と全体とを見事に調和させる原理といえる。
 仏法で強調される「異体同心」の特徴は、すべての人達が御本尊への信心と、民衆救済の心をもって広宣流布への実践を進めるなかで、一人一人の個性、才能等が最大限に発揮されていくことに本義がある。つまり「同心」であると同時に、かつ「異体」をも大事にするのである。この「異体」の自覚のうえに、自らの成長を図り、ヨコの連帯をたもちつつ、広宣流布という大目的達成の「同心」を堅持していくのである。
 所詮「同心」とは、御本尊を信ずる心を同じくすることであり、更に「大願とは法華弘通なり」(0736-第二成就大願愍衆生故生於悪世広演此経の事)また「日蓮と同意ならば」(1360-06)と仰せのように、広宣流布の大目的を自己の使命とすることにほかならない。
 このように、自他彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心で御本尊根本、信心第一に精進していくその生命のなかに、生死一大事の血脈、すなわち仏の偉大な生命が脈々と涌現していくとの仰せである。
 「然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり」とは、大聖人の妙法弘通の究極目的は、このうるわしい生命連帯の実現にあるということである。
 全人類を包含した異体同心の輪を広げていく実践の積み重ねのうえに「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」と仰せのように、必ずや広宣流布の大願は成就されるとの御断言である。
 そこに「異心」を持ち込む人は、破和合僧の逆罪を犯す人であり、更にいえば妙法蓮華経に背くため、より重い誹謗正法の重罪を犯すことになる。ゆえに「剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」と戒められているのである。
  「異体異心」とは身体が異なっていて、心もおのおの異なっていて、自分勝手で団結のない姿をいう。
 したがって、城者が一つの城を守る場合に、内側からその城を破る、つまり敵方に通じて城門を開き、敵を招き入れるようなもので、いわゆる獅子身中の虫をいうのである。
 この「異心」とは、根本は日蓮大聖人の御心に反し、背くことである。なぜ「異心」に陥ってしまうのか。突き詰めるところ我慢・我見・我執である。自己の利益や感情、驕慢を中心とした行き方をすれば、それは必然的に「異体異心」に陥り、不平不満、怨嫉などが渦巻くことになる。あげくは「城者として城を破る」大怨敵と化すのである。後世の戒めとして心していきたいものである。

1337:14~1338:02 第五章 一切衆生救済の大慈大悲を示すtop
14                                           日本国の一切衆生に法
15 華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・ 還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、 而
16 るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、 金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽
17 ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云
18 く「衆山の中に須弥山為第一・ 此の法華経も亦復是くの如し」又云く 「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わ
1338
01 ず」云云、 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、 「在在諸仏土常与
02 師倶生」よも虚事候はじ。
―-----
 日蓮は日本国の一切衆生に法華経を信じさせ、仏に成るべき血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に値わせ、揚げ句のはてはこの佐渡にまで流した。
 そうしたなかで、あなたは日蓮に随順され、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられて心を痛めている。
 金は大火にも焼けず、大水にも流されず、また朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。
 賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは法華経の金を持つゆえに、まさに真金である。
 薬王菩薩本事品に「諸山の中で須弥山が第一であるように、この法華経もまた諸経中最第一である」とあり、また「火も焼くことできず、水も漂わすことができない」と説かれている。
 過去の宿縁から今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦多宝の二仏こそ御存知と思われる。化城喩品の「在在諸仏の土に、常に師と倶に生ぜん」の経文は、よもや虚事とは思われない。

種種の難
 四度の大難をはじめとする数々の難。四度の大」難とは日蓮大聖人の妙法弘通のなかで起こった身命に及ぶ4度の大難のこと。①文応元年(1260年)「立正安国論」提出直後の松葉ケ谷の法難、②翌・弘長元年(1261年)の伊豆流罪、③文永元年(1264年)の小松原の法難、④文永8年(1271年)の竜の口の法難・佐渡流罪。このうち②④が「二度の王難」である。
―――
衆山の中に須弥山為第一・ 此の法華経も亦復是くの如し
 法華経薬王菩薩本事品第23の文。「衆山の中に、須弥山為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し」とある。
―――
火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず
 法華経薬王菩薩本事品第23の文。
―――
在在諸仏土常与師倶生
 法華経化城喩品第7の文。「在在諸の仏土に常に師と倶に生ぜん」と読む。
―――――――――
 一切衆生に生死一大事の血脈を継がせようとされたがゆえに難にあわれたことを述べられ、厳しい状況のなかで門下となった最蓮房の因縁を述べられて激励されている。
 日蓮大聖人は、一切衆生に「仏に成る血脈を継がしめん」として、弘教に立ち上がられたのであった。
 しかるに、当時の日本国の人々は「還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す」と述べられるように、理不尽にも大聖人を迫害、そのため大聖人は「種種の難」すなわち「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(0200-17)という死罪・流罪を含む、身命に及ぶ大難にあわれたのである。「此の島」とは佐渡のことである。
 そのようななかで、最蓮房はすすんで大聖人に随順し、それゆえに難も受けたが、信心は微塵たりとも揺るがなかった。
 「又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ」の一節に、大聖人の弟子に対する深い思いやりがしのばれる。
 大難大苦を受けられている御自分のことよりも、ともに難を受けている最蓮房の胸中を思いやられ、痛ましいかぎりであると、深い慈愛の御心に包んで温かく励まされているのである。
 そして「金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か」と、大難にも屈せず信心を貫く最蓮房の姿勢をほめたたえられている。
 鋼鉄は火で焼かれても酸化せず、水中に沈められても朽ちない。それに対して銑鉄は、火に弱く、水に浸ければ錆びてしまう。ついにはボロボロに崩れてしまう。
 難にあっても信念を曲げず失わないのが賢人であり、ゆえに賢人は金のようなものであると仰せられている。それに対し、難にあうと信念を失ってしまう愚人を鉄にたとえられているのである。
 そして、何ものにも破られることのない最高の法である「法華経」をたもった最蓮房は人生のいかなる苦にも破られないので「貴辺豈真金に非ずや」と称賛されているのである。
 「経に云く」「又云く」とは、いずれも法華経薬王品第二十三の文である。
 同品に「土山、黒山、小鉄囲山、大鉄囲山、及び十宝山の衆山の中に、須弥山為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し、諸経の中に於いて、最も為れ其の上なり」とある。
 法華経が諸経のなかで最高であることをたとえて、薬王品には十喩が説かれているが、この文はその第二番目に示されている山喩で、法華経を須弥山に、諸経を諸山にたとえて、須弥山があらゆる山に勝れるように、法華経の即身成仏の法門が最も勝れていることをたたえたものである。
 また同品には「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり。所得の福徳無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂すこと能わじ」とある。
 法華経を受持し、弘通する人の得る功徳は無量無辺であり、煩悩の火に焼かれることもなく、生死の水に流されてしまうこともない不壊の境界を得るとの意である。
 南無妙法蓮華経を受持した人の境涯、その生命は、いかなる煩悩も、苦難も破壊することができないのであり、ゆえに妙法を信受して信行を貫く人は、最高の賢人であり、真金の人であるといえるのである。
過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ
 大聖人が佐渡流罪という大法難にあっておられるさなかに最蓮房が弟子になったということは、過去の宿縁による不思議な巡りあわせ以外にないと仰せられ、それは「釈迦多宝こそ御存知」すなわち仏しか分からないことであるといわれている。
 「在在諸仏土常与師倶生」は法華経化城喩品第七の文である。「在在諸仏の土に、常に師と倶に生ぜん」と読む。
 大通智勝仏の十六人の王子のそれぞれによって化導された衆生は、あらゆる十方の仏土に、常にそれぞれの師である十六王子とともに出生するという意である。
 末法今時では、師とはいうまでもなく御本仏日蓮大聖人であられる。したがって、弟子は必ず師のもとに生まれ、仏法を行ずるということから、最蓮房との不思議な巡りあわせは、まさしく経意そのままであり、ゆえに「よも虚事候はじ」と述べられているのである。
 大聖人滅後においては、本門戒壇の大御本尊が大聖人の御生命であるゆえに、三世にわたって大御本尊を信受しきっていくことが、「在在諸仏土常与師倶生」の姿なのである。

1338:03~1338:08 第六章 本化地涌の利益を示すtop
03   殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、 此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、 只南
04 無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、 火は焼照を以て行と為し・ 水は垢穢を浄るを以て行と為
05 し・風は塵埃を払ふを以て行と為し・ 又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し・大地は草木を生ずるを以て行と
06 為し・天は潤すを以て行と為す・妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり、上行菩薩・末法今の時
07 此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由・ 経文には見え候へども如何が候やらん、 上行菩薩出現すとやせ
08 ん・出現せずとやせん、 日蓮先ず粗弘め候なり、
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 ことに、生死一大事血脈についてのお尋ねは、先代未聞のことであり、まことに尊いことである。この文に詳しく記したとおりであり、よく心得て南無妙法蓮華経、釈迦多宝上行菩薩血脈相承と唱え、修行されるがよい。
 火は物を焼き、かつ照らすことをもってその働きとなし、水は垢や穢を清めることをもってその働きとなし、風は塵や埃を払うことをもってその働きとなし、また人畜や草木のために魂となることをもってその働きとなし、大地は草木を生ずることをもってその働きとなし、天は万物を潤すことをもってその働きとする。妙法蓮華経の五字もまた、この地、水、火、風、空の五大の働きをことごとく具えているのである。本化地涌の利益がこれである。
 さて、上行菩薩が末法の今時、この法華経を弘めるため御出現されることが経文に見えているが、どうであろうか。
 上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮はその先駆けとして、上行菩薩所弘の法門をほぼ弘めているのである。

本化地涌
 地涌の菩薩のこと。法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。これに対して、文殊・弥勒などは、迹仏(始成正覚の釈尊など)あるいは他方の世界の仏から教化された菩薩なので、迹化・他方の菩薩という。
―――――――――
 最蓮房が生死一大事血脈について質問したことは前代未聞のことであると賛嘆され、本抄に詳しく記したので、これをよく心得て信行に励むよう勧められている。そして、地水火風空の五大は妙法蓮華経のあらわす力用であり、本化地涌の利益にほかならないことを述べられている。
 「此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ」といわれている「心得」るとは、ただ単に納得する、ということではなく、自身の命に刻み付けるという意である。
 そして結論は「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行」することであると教えられている。
 南無妙法蓮華経こそ、法華経の会座で釈迦・多宝から上行菩薩に血脈相承されたものであると信じていきなさいということである。
 次に、妙法蓮華経こそ一切万法の究極であり、地水火風空の五大も妙法の働きにほかならないことを示されている。
 「火は焼照を以て行と為し」とは、火は物を焼く、あるいは周囲を照らす、それが火の本然的にもつ働きであり、その働きによって一切のものを利益しているのである。
 「水は垢穢を浄るを以て行と為し」とは、水は垢や穢れを浄めるのがその本然の働きであるということである。
 「風は塵埃を払ふを以て行と為し」とは、風は塵やほこりを払うのがその働きであるということである。また「人畜草木の為に魂となる」ことも風の働きとされる。これは、古来、風は宇宙自然の生気、魂を吹き込むと考えられたことに依られたと思われる。
 「大地は草木を生ずるを以て行と為し」とは、大地は草木を生ずるのが本来もつ働きである。
 「天は潤すを以て行と為す」で、天は雨を降らし、地上に潤いを与えていくのが行である。ここでいう「天」とは「空」と同義であると考えられる。
 そして「妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり」と述べられるように、妙法蓮華経は宇宙の万物を構成する要素である地水火風空の五大それ自体であり、五大それぞれの働きは、宇宙万象に本然に具わる、他を利益する慈悲の働きであるということができる。
 したがって、その慈悲の働きは〝法〟の面では妙法蓮華経の五字であり、〝人〟の面では本化地涌の菩薩の利益となるわけである。
 「本化」とは「迹化」に対する言葉で、本仏に教化されたという意味であり、いうまでもなく地涌の菩薩である。
 御義口伝に「されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり」(0751-12)と説かれている。
 更に、地水火風の四大は、地涌の菩薩の唱導の師である四菩薩の利益であると説かれている。
 すなわち、上行菩薩は火大であり、生死の闇を照らし、煩悩の薪を焼く。無辺行菩薩は風大であり、苦難・障魔の塵埃を払う。浄行菩薩は水大であり、宿業の垢、五濁の穢れを浄める。安立行菩薩は地大であり、生命を安定させる。
 しかも、これらの四菩薩の働きは、妙法蓮華経の当体である地涌の菩薩の一身にことごとく具わっているのである。
 なお、四大とは別に、空大は妙法蓮華経それ自体の象徴と考えられる。天空が雨を降らして万物を潤すように、妙法蓮華経は一切万法を利益するのである。
上行菩薩・末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由・経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん・出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり
 この御文は、日蓮大聖人御自身が外用の辺において、上行菩薩の再誕であることを婉曲に表現されたものである。
 法華経神力品第二十一には、地涌の菩薩の上首である上行菩薩が、仏滅後の末法における妙法流布の付嘱を受けたことが説かれている。
 更に、上行菩薩について「日月の光明の、能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し」と称嘆している。
 その上行菩薩が弘められる妙法を、大聖人が先駆けて、ほぼ弘められているといわれているのも、あくまでも御謙遜の言であられる。
 三大秘法抄には「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」(1023)と、大聖人御自身が上行菩薩であられることを明示されている。
 しかし、上行再誕は大聖人の外用の辺であり、その御内証の辺は久遠元初の自受用身如来の再誕であり、末法の主師親三徳具備の御本仏であられることはいうまでもない。
 日寛上人は、文底秘沈抄で「若し外用の浅近に據れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に據れば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知りぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」と述べられている。

1338:08~1338:12 第七章 信心の血脈なくば法華経も無益top
08                        相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念
09 と祈念し給へ、 生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、 煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信
10 心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり、委細の旨又又申す可く候、恐恐謹言。
11       文永九年壬申二月十一日               桑門 日蓮花押
12     最蓮房上人御返事
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 心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念なさるがよい。生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。煩悩即菩提、生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ法華経を持っても無益である。詳しくはまた申し上げよう。恐恐謹言。
  文永九年壬申二月十一日       桑門  日蓮 花押
   最蓮房上人御返事

臨終正念
 臨終に当たり、正しい念慮(思い・考え)をもつこと。仏道を歩み続け成仏を確信し、大満足の心で臨終を迎えること。日蓮大聖人は南条時光に「故親父は武士なりしかども・あながちに法華経を尊み給いしかば・臨終正念なりけるよしうけ給わりき」(1508㌻)と仰せである。
―――
煩悩即菩提
 煩悩に覆われている凡夫であっても、妙法を信じ実践することで、その生命に仏の覚りの智慧(菩提)が発揮できること。生死即涅槃とともに、即身成仏を別の角度から示したもの。
―――
生死即涅槃
 生死の苦しみを味わっているその身に涅槃(覚りの平安な境地)が開かれること。「生死」は煩悩・迷いによって苦悩する境涯であり、九界の衆生の境涯である。「涅槃」は仏の覚りの平安な境地である。法華経では九界の衆生に仏知見がそなわっていることを説いて十界互具を明かし、法華経を信じ実践することで、その仏知見をこの身に開き現し、この一生でただちに成仏できることを説く。即身成仏と同義で、得られる果報の境涯の観点から述べた言葉。因の観点から述べたのが、煩悩即菩提である。
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 生死一大事血脈といっても、強盛な大信力を奮い起こして、南無妙法蓮華経と唱えること以外にないことを重ねて強調して、本抄を結ばれている。
南無妙法蓮華経・臨終正念
 臨終とは、死に臨むこと、死に際。正念とは、正しい念慮のことである。臨終正念とは、臨終に臨んでも、心を乱さず、正法を信じて疑わないことをいう。
 すなわち、臨終に際して、信心の一念揺るぎなく、妙法を信受できたことを無上の喜びとし、我が人生に悔いなしという満足しきった心境で、一生を終わる姿である。
 臨終は、この一生の総決算であり、未来世の第一歩ともなる。だれびとも避けることができない最も重要で厳粛な瞬間であるといえよう。この生死という人生の最大課題を直視し、生死を貫く生命の因果の法則を解明したのが、真実の仏法である。
 ゆえに、仏道修行は、とりわけ〝死〟という問題を解決するためのものであるともいえる。したがって「臨終正念」こそ、個人における仏道修行の究極の願いでもあるといえる。
 人々は過去・現在・未来という時間の流れのなかで、瞬間瞬間を生き続けている。過去といい、未来といっても、確かな現実は、現在の〝生〟の姿にしかない。
 その意味では「臨終正念」といっても、それは、やがて訪れる臨終の瞬間のみをさすのではなく、現在の瞬間瞬間の生命の連続のなかにこそ「臨終」はあるともいえよう。
 したがって「臨終正念」とは、現在の瞬間における〝生〟を、最も充実した完全燃焼の〝生〟として、未来に向けていく精神の姿を意味する。
 末法今時において「臨終正念」を得る道は、三大秘法総在の御本尊を信じて唱題の行に励む以外にない。
 ゆえに「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ」と、透徹した信心を確立して真剣に祈念していくよう、最蓮房を励まされているのである。
 そして「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」と戒められている。この人生のなかで透徹した信心に立ったとき、凡夫の我が身がそのままで妙法蓮華経の当体とあらわれるところから「煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり」と御教示されているのである。
 「煩悩即菩提」とは、人生におけるさまざまな煩悩が、妙法の力で菩提へと開いていくことをいう。
 煩悩とは貪・瞋・癡などから起こる迷いをいい、菩提とは悟りの智慧をいう。
 「生死即涅槃」とは、生死がそのまま涅槃となることをいう。生死は迷いの境界であり、涅槃は悟りの境地である。
 この苦しみに満ちた生死の流転が、永遠の生命観に立った不動の境地に転ずることをいうのである。
信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり
 日女御前御返事には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり(中略)此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(1244-09)と仰せである。御本尊も信心の二字におさまり、無二に信ずるなかにこそ、御本尊の仏力・法力は顕現されるという御指南である。
 「信心の血脈」とは、日蓮大聖人の正法への正しい信仰でなくては、いかに法華経を持っているといっても無益であり、成仏の道に入ることはできないということである。
信心の血脈
 「信心の血脈」に関して、日有上人は化儀抄で
 「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり(中略)高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮花経の色心なり、此の信心が違ふ時は我れ等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」と教えられている。
 日亨上人は、この化儀抄について註解を加えられた「有師化儀抄註解」のなかで
 「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云ふが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし(中略)仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒らに壅塞せられて我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり、悲しむべき事どもなり」と述べられている。
 したがって信心の血脈は、御本尊を唯一無二に信ずる衆生の信心の一念にこそ流れるのであり、広宣流布をめざし不惜身命の実践を貫く信心を外れては成仏の道はありえないことを心し、自戒していきたい。
桑門 日蓮について
 末尾に「桑門 日蓮」としたためられているが、桑門とは、沙門・沙弥のことで、静志・貧道・勤息などと訳す。善法を修して悪法を破す意で、出家して仏道を修行する人のことをいう。
 大聖人は文永10年(1273)4月御述作の観心本尊抄には「本朝沙門日蓮撰」(0238)とされ、同年五月の顕仏未来記では本抄と同じく「桑門日蓮之を記す」(0509)としたためられている。
 したがって「桑門」とは「扶桑沙門」の意味で、「本朝沙門」と同意で用いられたと拝される。
 「本朝沙門」「扶桑沙門」とは「天台沙門」に対する言葉であり、大聖人の強い確信が込められている。
 「本朝」も「扶桑」も、日本国のことであり、この日本国は末法万年の一切衆生を救済される御本仏出現の地であることを示されたと拝される。

1336~1338    生死一大事血脈抄2006:08~07:08月号大白蓮華より。先生の講義top
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生死一大事の法 
師弟不二の大闘争で全民衆に真の幸福を
 「生死」は、人間にとって最大の不思議であり、宗教にとっての根本の課題です。
 我々は、どこから来て、どこへ行くのか。人は何のために生まれてきたのか。偶然の生にすぎないのか。それとも、何らかの目的が与えられているのか。
 また、死ぬことは、いかなる意味があるのか。多くの現代人が漠然と思っているように、無意味な無虚に帰すことなのか。それとも古代以来の東西の伝統的な考え方にあるように、“輝かしい不滅の霊魂”に帰ることなのか。
 あるいは、釈尊が説いたように、そのどちらでもないのか。
断見・常見を超える仏法の智慧
 「生死一大事血脈抄」は、この「生死」についての「根本の重要性」を教えられている御書です。それはまた「仏法の真髄」であり、「宗教の根幹」でもあります。「一大事」という言葉が、そのことを示唆されています。
 法華経では、仏がこの世に出現する根本目的を「一大事因縁」と説きます。それは、一切衆生に仏知見を開かせ、成仏させていくことです。本抄で大聖人が教えられている生死についての根本の重要事とは、まさに、この万人の成仏という法華経の理念に深く通じているのです。
 釈尊の悟りの一つと言われる「縁起」の思想では、「労苦」や「死苦」、つまり「老い」や「死」の苦しみをもたらす根本原因として「無明」が挙げられています。そして、「無明」を消滅させれば「老い」や「死」しみを克服できるとされます。
 釈尊の悟りの智慧とは、まさに死をめぐる迷いと苦しみを乗り越えるための智慧であったのです。
 釈尊は、この智慧のもと、生死に関する二つの誤った考えを否定しました。それらの考えでは、死への恐れや不安を絶対に超えることができないからです。
 一つは、死ねば無に帰するという「断見」です。
 これらは「死んだあとの自分」を前提とした生死観、すなわち、今生きている自分の生死だけしか見ない考え方であり、また、死と生を対立するものとして捉えるにとどまり、生死をありのままに見た智慧とは言えません。
 自分の死を意識せざるをえない人間は、誰であれ、この二つの考えを何らかの形で持っているとも言えるでしょう。「断見」は死への恐れや不安をもたらし、「常見」はわが身を惜しむ生き方の一つの帰結です。
 日蓮大聖人も「佐渡御書」で、断見・常見に当たる考え方が人間を真に幸福にする智慧ではないことを示されています。
 すなわち、同抄の冒頭に「世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし牛馬猶身を惜む況や人身をや癩人猶命を惜む何に況や壮人をや」(0956-04)と言われ、いたずらに死を恐れ、生に執着する「世間の生き方」を取り上げられています。
 そして、これに対して、仏の言葉を引かれ、「仏法の智慧」を次のように示されていきます。「仏説て云く『七宝を以て三千大千世界に布き満るとも手の小指を以て仏経に供養せんには如かず』取意、雪山童子の身をなげし楽法梵志が身の皮をはぎし身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる」(0956-05)
 ここで引かれてる仏の言葉は法華経薬王品の文の趣意ですが、人間が惜しむ身命を仏法のために使ってこそ最高の供養になることを示しています。そして、それを受けて大聖人は、雪山童子や楽法梵志にように仏法のために身命を惜しまない生き方によってこそ、仏になることができると言われています。仏になることができるということは、幸福になるための最高の生き方がそこにあるということです。
 また同抄では、身を惜しむあまりにかえって餌に化かされて、罠にかかって、命を落としてしまう魚や鳥の姿を通して、断見・常見に通ずる生き方の愚かさを示されてもいます。
 このように「佐渡御書」では、断見・常見を超える仏の智慧を、仏法のために、身を惜しまない「生き方」「行動」として示されています。まさに、この点が重要です。
 「生まれてきたあとの自分」を前提とする生死の考え方は、どうしても死後に今の自分が無くなるのか、続くのか、という「議論」になりがちです。これは、自分の死を鋭く意識しながら、自分自身では死や死後を経験できない人間にとって仕方のないことかもしれません。しかし、どう論議しても、最高の智慧とは言えないのです。
 なぜならば、死ねば無に帰すという断見では、死への恐怖や死に縛られた不安から永久に解放されません。
 他方、自分の霊魂は不滅であるという常見は、往々にして「今の自分がそのままで不滅でありたい」という安易な欲望の表現に過ぎないことが多い。結果的に、自分を高める智慧にはならず、かえって今の自分への執着を増し、迷いを深めるだけに終わりやすい。
 もちろん、東西の多くの宗教や思想では、今の自分を超える何らかの精神的なものの不滅を唱えています。そのような思想は、死について何らかの安心感を与える効果はあるでしょう。しかし、生き方を高める最高の智慧に行き着かなければ、先ほど述べた、自己執着の迷いと労苦・死苦に縛られた行き方に堕しやすいのです。
 釈尊は、如来の生命が死後に続くのか、続かないのかと問われて、どちらとも答えなかったと伝えられています。どちらに答えても、相手を高めるための教えにはならず、むしろ死をめぐる迷いと苦しみを深める結果になりかねないからです。
 大聖人は「佐渡御書」で、仏法のために身命を惜しまないという「生き方」を、弾圧下の門下たちに示されました。すなわち「我が身命を惜しまない」という覚悟ある生き方を教えられ、「正法を惜しむ」という確たる生き方を教えられ、「正法を惜しむ」という確たる生き方の基本基準を示されました。これにとって、死をめぐる迷いと苦しみの根本にある偏狭な「自己執着」を打ち破り、死をめぐる迷いと苦しみから門下たちを実質的に解放することを目指されたと拝することができます。
 死苦からの解放がなければ、真の幸福はありません。そして、死苦からの解放は、観念ではなしえない。生と死が宇宙そのものの永遠にして大いなるリズムであり、そのリズムを生きる大いなる自分自身を発見し、それをわが生命を支える根源的躍動として実感しえたときに、死苦を乗り越えることができるのです。その生命解放の道こそが、自行化他にわたる南無妙法蓮華経です。そして、その根本の生死観を説くのが本抄です。
妙法蓮華経の生死
 本抄では、「妙は死」「法は生」と説かれ、妙法そのものが生死の二法であると言われています。また、あらゆる生命、あらゆる現象が「生死の二法」であるとも言われ、しかも、それらすべてが「妙法蓮華経の生死」であると明かされている。
 これは、生死が本有の法であることを示されています。それによって、生死を厭う誤り、あるいは生と死のどちらか一方に執着する誤りに陥らないようにされているのです。
 妙法は永遠の法であり、無限の法です。この永遠の法そのものに「生死の二法」が含まれているのです。言い換えれば「生死の二法」は永遠の法のリズムそのものであり、無数の生命の生死、あらゆる現象の起滅・種々の次元の因果、そして宇宙全体の調和と躍動として現れてきるのです。この「妙法蓮華経の生死」こそ、私たちの生命の根本の一大事なのです。真の幸福は、この大いなる生死を生きる以外にないからです。

         御  文
① 夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の
   妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり、(1336-01)
② 妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり、(1336-02)
③ 是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり、(1337-01)
④ 釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、(1337-02)
⑤ 然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死
   一大事の血脈とは云うなり、(1337-02) 
⑥ 所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」
   と説かれて候、(1337-04)
⑦ 過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、(1337
  -10)
⑧ 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一
  大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、(13
  37-12)
⑨ 日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の
  島まで流罪す、而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、(1337-14) 
⑩ 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚
  事候はじ。(1338-01)
⑪ 只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、(1338-03)
⑫ 相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く
  求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり、(1338
  -08)

「成仏の血脈」を伝える仏法の師弟
 以上、本抄の主題の一つであり、題名にもなっている「生死一大事」の意義を慨観しました。
 次に、やはり主題であり題名にもなっている「血脈」の意義について、本抄の概要をたどりながら確認していきたい。
 本抄では、冒頭に「生死一大事」の法は「南無妙法蓮華経」であり、それは釈迦・多宝から上行菩薩に受け継がれた「血脈」によって伝えられると仰せられています。(御文①)
 先に述べたように、仏法のために身命を惜しまないという「生き方」「行動」によってのみ、妙法蓮華経は生死一大事の法として伝えられるのです。それゆえ、その生き方、行動を担い、示す「師」として「上行菩薩」の名を挙げられ、この師との師弟不二の信心によってのみ「生死一大事の血脈」が成り立つことを示されているのです。
 それに引き続いて、妙法そのものが「生死の二法」でり、あらゆる生命の生死、あらゆる現象の起滅が「妙法蓮華経の生死」であることが示されていきます。十界の衆生も、釈迦・多宝の二仏も「妙法蓮華経の生死」にほかなりません。(御文②③④)
 そして、以上のことを踏まえて、大聖人は「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と「我等衆生」との三つは妙法蓮華経として全く差別が無いと宣言されました。そして、そのことを明確に信じて妙法蓮華経と唱える信心においてのみ、生死一大事の血脈が受け継がれると明かされています。
 真実の「仏」も、成仏の「法」も、ともに妙法蓮華経であり、しかも、私たち自身の「己心」の外にあるものではないと信じて題目を唱える信心こそが、大聖人の仏法における根本的な実践である妙法蓮華経の受持の肝要なのです(御文⑤)
 さらに大聖人は、この信心の肝要を「生死」の問題に則し、「臨終只今にあり」という信心の姿勢として教えられています。(御文⑥)今、死に臨んでも悔いなく、死苦を悠々と乗り越えていけるような本当の信心を、瞬間瞬間、貫いていくことです。
 そして、そのような本当の信心を今世の最後まで貫き通していくとき、過去世・現在世・未来世の三世にわたる法華経受持が成り立つ。そこに、その人における法華経の血脈相承があると言われています。(御文⑦)
 今世において正しき信心を最後まで「持続」するとき、三世にわたる生死の繰り返しが生死一大事の血脈として一貫し、まさしく「妙法蓮華経の生死」となって現れてくるのです。ゆえに「今世の持続」「生涯の持続」が大切です。広宣流布に生き抜き、最後まで信心の正念が貫かれたとき、その姿自体が「一生成仏」です。そのとき、死は「生の断絶」ではなく「生の完成」になるのです。それは、「より深く、より新しい生への旅立ち」でもあります。そのような死に、恐れや不安が微塵もあるはずがありません。まさに「生も歓喜・死も歓喜」なのです。
広宣流布の大願と師弟
 以上の本抄前半では、私たち一人ひとりが妙法蓮華経を受持して、上行菩薩の弟子、すなわち地涌の菩薩としての信心を確立していくための要件を示されていると拝することができる。
 本抄の後半は、この妙法受持の信心を万人に弘めていく「広宣流布」の実践に焦点が移っていきます。すなわち、「広宣流布の大願」を立て、「異体同心」で南無妙法蓮華経と唱えるところに生死一大事の血脈が流れ通うのであり、大聖人の弘通の目的も、この「広宣流布」の戦いにあると仰せです。(御文⑧)
 「広宣流布の大願」とその「成就」 この一点を見据えた時「師弟の絆」と「異体同心の団結」が何よりも重要になるのです。
 さらに、大聖人が開かれた末法広宣流布の道にこそ、一切衆生が仏に成る血脈があることを宣言されています。(御文⑨)
 そして、大聖人の弟子として難を乗り越えた最蓮房と深い師弟の宿縁を強調されています。(御文⑩)師と同じ大願に立ち、大難があっても師と同じく身命を惜しまずに戦っていく、そこに、末法弘宣流布における師弟不二の道があります。
 この日蓮仏法の大道を現代に蘇らせて、世界を結ぶ道として創りあげたのが、創価の師弟です。
 法体の広宣流布の師匠は、末法万年の一切衆生を救う南無妙法蓮華経を顕され、弘通する方軌を残された、末法の御本仏・日蓮大聖人です。この大聖人に直結して、大難を乗り越えつつ、日蓮仏法を全世界に弘めてきた仏意仏勅の和合僧団が創価学会です。
 広宣流布 それは、全民衆が死苦を乗り越え、真実の幸福を人生と真実の世界の平和を実現していく戦いです。これこそ、大聖人の弘通の所詮なのです。
 その精神を完璧に受け継ぎ、まさに殉教の姿で不惜身命の信心を示し切ったのが初代会長の牧口先生です。
 そして、牧口先生と不二の戦いを貫き、創価の理念と実践を確立し、異体同心の和合僧の骨格を作り上げたのが、第二代会長の戸田先生です。
 私も、この師弟の大道を一筋に走り、日蓮仏法の真髄である人間主義と平和主義を掲げ、内外にわたる対話行動を通して、仏法の心を全世界に広げてきました。
 この初代、二代、三代の歩んだ道が、全世界に仏法の理念と実践を伝える血脈となって生き生きと流れ通っていうならば、現代の広宣流布の基礎を完成したことになります。
血脈の本義=「信心の血脈」
 本抄の結びでは「信心の血脈」を強調されています。(御文⑪⑫)
 「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」
 今からちょうど50年前。恩師・戸田先生は、常勝の天地・関西の地で、本抄を講義されました。
 そこで先生は、愛すべき関西の一人一人に、“信心の血脈を根幹に本当の幸福の境涯に入ってください”、そしてまた“人々を本当の幸福の境涯に入れてください”と、大情熱の講義をされました。
 まさしく、師とともに妙法弘通の歓喜の実践を誓ってこそ、生死一大事の血脈が現実社会の中で流れ広がっていくのです。
 世界中に地涌のスクラムが誕生した今、人類の「生死革命」が成し遂げられ、平和と人道の幸福の血脈が滔々と流れ、全人類の境涯革命が成し遂げられといくことを、私は深く確信しています。そして、この尊き使命を世界の同志に託します。わが門下を信じます。なかんずく青年に頼みます。

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真実の血脈
妙法の智水を流れ通わし全人類を生死の苦から救う

01   御状委細披見せしめ候い畢んぬ、夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、 其の故は釈迦多宝の二仏宝
02 塔の中にして上行菩薩に譲り給いて 此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり、
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 御手紙を詳しく拝見しました。お尋ねの、生死一大事血脈とは、いわゆる妙法蓮華経のことである。そのわけは、この妙法蓮華経の五字は釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩にお譲りになられたのであり、過去遠遠劫以来、寸時も離れることのなかった血脈の法であるからである。

 本抄は、もと天台宗の学僧で、佐渡において大聖人に帰依したとされる、最蓮房からの質問に対する御返事です。この最蓮房からの手紙の中に、当時の天台宗の中で奥義とされていた「生死一大事血脈」についての質問があったと推察できます。
 「御状委細に披見せしめ候い畢んぬ」
 ここで大聖人は「委細」と仰せられています。あるいは、最蓮房自身が、これまで学んできたことを、自分が考え、悩み、行き詰まったことなどが事細かく書かれていたのかもしれません。いずれにしても“お手紙を詳細に読みました。あなたのご質問もよく分かりました”との、弟子に応えてくださる師匠の慈愛が伝わってくる冒頭の一節です。
妙法蓮華経こそ生死一大事血脈の大法
 最蓮房の質問に対して、大聖人は、まず最も肝要な点を明快に明かされます。
 「生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」
 「生と死」の苦悩を根本的に解決する「生死一大事」の法とは「妙法蓮華経」以外にない、と御断言です。その根拠として、本抄では二つのことが示されていきます。
 第一に、釈迦仏・多宝仏から上行菩薩に妙法蓮華経が付嘱された。法華経の血脈の「正統性」が示されていきます。今回は、この仰せの意義を拝していきたいと思います。
 第二には、いかなる意味で妙法蓮華経が生死の苦を解決する大法であるか、について考察されていきます。
 その中で、あらゆる生命の生死、あらゆる現象の起滅が、ことごとく「妙法蓮華経の生死」であることが示されております。すなわち、人間の生死を含めて、あらゆる生死、あらゆる現象が「妙法蓮華経」という大いなる法自体に含まれる変化・生滅であることになります。
 人間の生死の意味も、この大きな観点から深く問い直していく必要がありますが、この点については次回以降に拝察していきたいと思います。
法華経の血脈の正統性
 さて、妙法蓮華経こそが、生死の苦を解決する一大事の法であり、その血脈こそが伝えられるべきであるということを「血脈の正統性」の面から示されているのが次の一節です。
 「其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて」
 すなわち、妙法蓮華経こそ法華経の虚空会の儀式において、宝塔の中に並び座る釈迦仏・多宝仏より上行菩薩にへと付嘱された、仏教の「正統中の正統の法」であることが明示されています。
 法華経では、釈迦・多宝の二仏を中心として、全宇宙の仏・菩薩が参加して虚空会の儀式が行われます。まさに、三世十方の仏・菩薩が来集し、七宝に輝く巨大な宝塔が虚空に浮かび、この宝塔を中心に広がる荘厳な会座です。しかし、この儀式が何のために、誰のために行われたのかを論ずる人は、あまり多くなかった。この問題を、御自身と関係づけて主体的に読まれたのは、日蓮大聖人ただお一人です。
 虚空会の儀式が何のために行われたのか、それは、「万人の成仏」という仏の大願を実現するためである。そして、そのためには、どうしても仏の滅後の悪世の衆生を成仏させていかねばなりません。その戦いを担う使命を地涌の菩薩に託す儀式が、虚空会の儀式です。
 成仏とは、生死の苦を克服していくことにほかなりません。したがって、全民衆の成仏の戦いを託す虚空会の儀式にこそ「生死一大事の大法」を伝える「正統の血脈」があるのです。
 本抄の冒頭部分で、生死一大事血脈の方が妙法蓮華経であることが示された後、この根拠として上行への付嘱が取り上げられているのも、まさに妙法蓮華経の血脈の「正統性」を示すためであると拝されます。この点を、「釈迦仏」「多宝仏」そして「上行菩薩」がそれぞれ担う役割を拝察することで、明示してみたいと思います。
釈迦・多宝・上行が担う役割
①釈迦仏=法の「正しさ」「適切さ」

 第一に、付嘱の儀式にあって法が「誰から」付嘱されたのか、という点が重要になります。
 すなわち、娑婆世界の仏であり、かつ永遠の仏である久遠実成の「釈迦仏」から伝えられる法でなえれば、娑婆世界の人を生死の苦から救う正当な法とは言えません。
 寿量品に示されるように、釈尊自身が「永遠の妙法」と一体化した「永遠の仏」である。しかも、釈尊が現実の娑婆世界に法を弘通するために戦い続ける仏であるからこそ、釈尊が付嘱される「法」が、娑婆世界の万人の生死の苦から救い、成仏せしめていく根源の法であると信受することができます。
 いわば、久遠の釈尊から妙法蓮華経が付嘱されることで、救済の法としての「正しさ。「適切さ」が明らかになった、といえます。
②多宝仏=法の「普遍性」
 第二に、過去仏である「多宝仏」は、法華経の真理の不変性を証明する存在です。
 多宝仏は、法華経が説かれるところに必ず出現して、法華経が真実であることを証明する役割を担っていると説かれています。この多宝如来が釈尊と共に並んでいる中で、付嘱の儀式が行われる。
 いわば、多宝仏が存在していることで、釈迦仏から上行菩薩に付嘱される妙法蓮華経に、真理としての「普遍性」が備わっていることが明らかになった、といえます。
③上行菩薩=根本法を我が生命に所持し、顕し、弘める「主体性実践者」
 そして、第三は、滅後に妙法蓮華経を弘通する主体者の存在です。なぜ、付嘱する相手が上行菩薩でなければならなかったのか、迹化・他方の菩薩が斥けられたのはなぜか、という主題でもあります。
 迹化。他方の菩薩は確かに壮麗な姿をした菩薩であり、民衆から仰ぎ見られるべき尊貴な存在です。しかし、久遠の仏から化導されておりません。ということは「久遠の法」を所持していないことを意味するのです。あくまでも、始覚の成仏観、すなわち厭離断九の成仏観に生きる菩薩であり、十界互具の体現者ではなかったから斥けられたのです。
 わかりやすく言えば、色相荘厳の菩薩である限り、仰ぎ見られる存在ではあっても、民衆の仏性を触発し、成仏させていくという、真の意味で民衆をリーダーなはなりえないということです。その意味で、地涌の菩薩は、根本の成仏観が迹化・他方の菩薩とは大きく違っていたと言える。
 成仏の根本法は、生命本有の法です。したがって、人間対人間の関係の中で、生命を触発していくよってしか伝えることができないのです。
 また法華経の教相から言っても、上行菩薩が、久遠以来の釈尊の弟子として鍛え抜かれて、身に「久遠の法」を所持している菩薩であることが示されます。
 この「上行菩薩」の戦いを先駆として「地涌の菩薩」によって弘められてこそ、妙法蓮華経が全民衆を生死の苦から救う「生死一大事の法」でありうるのです。
 以上、「法の正しさと適切さ」「法の普遍性」そして「主体的実践者」の三つの要素が揃った法華経の虚空会の儀式における血脈相承こそ、全民衆、全人類の生死の苦を解決する「生死一大事血脈」となるのです。
「衆生本有の妙理」を目覚めさせる
 続けて大聖人は、「この妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より寸時も離れざる血脈なり」と仰せです。
 ここでは、上行菩薩による血脈の継承の意味が明かされている、と拝することもできます。
 まず、「過去遠遠劫より寸時も離れざる」とは、永遠の妙法である妙法蓮華経が上行菩薩の身に本来具わっているということです。
 「一生成仏抄」の冒頭に「衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり」(0383-01)と仰せられているように、もともとは、一切衆生は、「本有の妙理」である妙法蓮華経の当体です。ところが末法の凡夫は、無明ゆえに自身の真理に暗く、迷っている。本源の自身の生命に暗い以上は、生死の問題も解決できません。
 自身の生命の根源の力を信じ、自身の本有の妙理を現していくなかにこそ、生死の問題も打開することができます。
 このように我が生命に迷っている衆生に、本源の力である本有の妙法蓮華経を教え、示し、開かせていくのが、上行を筆頭とする地涌の菩薩の尊き使命です。
 法華経湧出品を見れば、地涌の菩薩は、大地を割って出現する以前は、「娑婆世界の下、此の界の虚空の中」に住していたとされます。
 この地の下の虚空とは何か。天台大師は、それを「法性の淵底・玄宗の極地」と表現しています。一言で言えば、生命本有の妙理である妙法蓮華経と一体の境地に住し、そこから現実の世界に躍り出てきたのが、地涌の菩薩であるということです。
 要するに、“過去遠遠劫から寸時も離れることがない”との仰せは、上行菩薩が常に永遠の妙理と一体の境地にあるということです。その上行菩薩だからこそ、万人の内にある本有の妙理を現して、万人を生死の苦から救っていく道を開くことができるのです。
 さて、「寸時も離れざる血脈なり」との仰せは、さらに深く、また実践的に拝していくことができます。そこに、上行=地涌の最も重要な特性を見ることができます。
 すなわち、「寸時も離れざる」の実践的な意義とは、一つは、上行菩薩が妙法蓮華経を自らの生命に顕す「智慧の力」に優れているゆえに、「いつでも実際に顕していける」ということであると拝せます。
 また、第二には、地に弘める「実力の力」に優れているがゆえに、「いかなる悪世にも弘めていける」ということであるとも拝することができるのではないでしょうか、
 この二点こそ、実際に娑婆世界の衆生に「生死一大事血脈」が流れ通う要諦であると考えられます。
妙法を顕す「心の力」
 まず、上行菩薩が妙法蓮華経を顕す力に優れていることにつて、確認しておきたい。
 本有の妙理を顕す力とは、無明を打ち破る「智慧の力」であり、究極的には仏の悟りと同じです。先駆を切って法を顕す使命を持った上行菩薩にのみ、この究極の「智慧の力」が具わります。「上行」とは、「最も優れた行」の意です。
 上行菩薩に続く無数の地涌の菩薩の場合は、どうかといえば「以信代慧」によって同じ「智慧」を得ることができるという意味で、地涌の菩薩は「信の力」に優れているともいえます。
 この「智慧の力」「信の力」つまりは「心の力」の側面から地涌の菩薩を改めて考察すれば、地涌の菩薩の本質がより明瞭になります。
 法華経の教相から見ても、地涌の菩薩とは久遠実成の釈尊が久遠に成仏して以来の弟子であり、「仏の悟りの法を学び、悟り、弘めていく」ことについて久遠以来、鍛え抜かれえきた弟子である、ということが示されております。
 こうした地涌の特質について、大聖人は「観心本尊抄」で、天台・妙楽等の言葉を引用されました。
 「天台大師云く『是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし』妙楽云く『子父の法を弘む世界の益有り』、輔正記に云く『法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す』」(0250-11)
 これらを受けて大聖人は、「本法所持の人に非れば末法の弘法に足らざる者か」(0251-16)と仰せです。
 「本法所持」とは、生命に本来、妙理が具わっているというだけでは当然ありません。無明を打ち破って妙理を顕す「心の力」において優れているということであると拝せます。それであってこそ、どんな悪世であっても、妙理を生命に顕し、弘めていけるのです。そこにのみ「生死一大事の血脈」が流れ通うのです。
 ゆえに、大聖人は、地涌の菩薩が、妙音・文殊・薬王などの荘厳な菩薩と比べて、大きく異なる点として「されば能く能く心をきたはせ給うにや」(1186-07)と仰せられているのです。
妙法を弘める「実践の力」
 この妙法を顕す「心の力」とともに、妙法を弘める「実践の力」に優れていることが、地涌の菩薩のもう一つの特質であると言えます。その「実践の力」の核心にあるのが「誓願」です。
 「誓願」こそが、仏が入滅後の娑婆世界の弘教の要です。
 神力品では、上行を代表とする地涌の菩薩が、仏なき世にあって勇んで弘教するとの誓いを発しています。この「誓い」こそ悪世弘教の「実践の力」の原動力となるからです。
 悪世には人々の無明が強く、妙法を弘める人には必ず大難が起こります、その悪世の濁流を撥ね返す力の根本が誓願です。
 地涌の菩薩が、悪世の弘教を大きく担いゆく「実践の力」を持っていることは、湧出品にはっきりと説かれています。すなわち、「志念堅固」「大忍辱力」「巧於難問答」など、悪世を開拓する力に満ち満ちているのが地涌の本領です。
 このような「心の力」「実践の力」があってこそ、生命の法である妙法蓮華経を全ての衆生に伝えていく「血脈」が成り立つのです。この地涌の菩薩による血脈の継承こそ、本抄で強調される「信心の血脈」なのです。
学会員こそ誉れの地涌の勇者
 戸田先生は、草創の会員によく呼びかけておられました。
 「地涌の菩薩の皆さん!やろうではないか!」
 「地涌の菩薩の皆さん!立ち上がろうではないか!」
 後に、草創の同志は述懐していました。
 「戸田先生から『地涌の同志の皆さん』と呼びかけられても、最初は自分たちのことだとは思えなかった(笑い)。貧乏と病気で悩み、夫婦喧嘩が絶えない自分たちが地涌の菩薩と言われても正直ぴんとこなかった。“ああ、いつか立派な人たちが入信するんだな”とばかり思っていた(笑い)」
 正直な実感だったかもしれません。
 しかし、宿命と戦い、健気に広布の戦いに邁進するこの方たちこそ、誉れある地涌の勇者であった。それは、歴史が証明する厳然たる事実です。
 何よりも戸田先生ご自身が地涌の棟梁であられた。「われ、地涌の菩薩なり!」との獄中の悟達があればこそ、戸田先生は戦後の荒野に一人立たれたのです。そして、75万の地涌の陣列を厳然と打ち立てられた。
 戸田先生がなされたことは、一人一人の胸中に地涌の自覚を呼び覚ます精神闘争であった。学会員こそ、諸宗の元祖すらも及びもつかない大菩薩の位にあることを、御書を拝しながら繰り返し教えられました。
 「なにをもつて、かかる高貴の位をたまわるか。過去には地涌の菩薩として上行菩薩と同座し、末法には本仏の子として折伏行にいそしむがためである。かかる高位のわれわれは、無信、邪信、劣信の者と同格の境地にならぬよう心がけねばならぬ。かの無信の者、邪信の者に対して、さげすんだりすることなく、慈悲の境涯に絶対に立たなくてはならない」
 まさに、戸田先生は全会員に「地涌の自覚」「民衆救済の慈悲の念」という「心の力」を発現するよう促されたといえます。
 この先生の獅子吼に応えて、立ち上がった一人一人は、現実に濁劫悪世の中傷や悪口の中で、如来の使いとして戦った。そして、大いなる生命の変革を成し遂げていきました。
 すなわち、一人の人間を根底から蘇生させる地涌の使命に目覚めるならば、無上の歓喜に包まれます。自身の境涯が広がりゆく充実感を覚えます。戸田先生の弟子として戦いを起した時に、思ってもみなかった「実践の力」「地涌の底力」「悪と戦う力」が胸中からわき上がり、自他ともの宿命の鉄鎖を断ち切ることができたのです。
 「救われる人から救う人へ」。 列島の津々裏々で無数の変革のドラマが一波から万波と広がり、地涌の民衆が誕生していった。そして、この地涌の一人一人が、生死の苦悩を乗り越えながら、永遠の幸福を築きゆく力強い人生を勝ち進んでいった。
 そして今、この湧出の儀式は世界に広がっています。
 この栄光燦たる創価学会の歴史を、仏教史に照らして断言できることは何か。それは、末法の一閻浮提に「地涌の義」を実現し、無数の地涌の闘争で民衆を救済することが広宣流布である。そして、そこには虚空会の儀式における血脈相承の根本目的があるということです。
 一切衆生の成仏こそ、血脈の本義です。そのために、虚空会の儀式があり、釈尊から上行菩薩へ妙法蓮華経五字の付嘱が行われたのです。末法において、この血脈の源流を万人に開く上行菩薩の役割を外用の姿で行じられたのが、御本仏・日蓮大聖人であられた。
 すなわち、「血脈」とは本来、妙法の力によって民衆を救いゆく実践を行う人の正統性を証明するものです。それとともに、釈尊から上行菩薩へ付嘱された大法が、末法に出現する上行、並びに上行に連なる地涌の闘争によって、日本国の一切衆生、果ては全世界の民衆へ広がっていくなかに、正統の血脈の継承があるといえます。
 大聖人は仰せです。
 「上行菩薩・釈迦如来より妙法の智水を受けて末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給う是れ智慧の義なり」(1055-10)
 その血脈の継承は根本の鍵が信心です。地涌の菩薩が持つ「心の力」「実践の力」を引き出せるのは「信心」しかありません。「信心」があってこそ「血脈」が成り立つ。また、「信心」がなければ「血脈」は存在しません。
 そして、この「信心の血脈」を根幹に妙法を世界に広げてきたのが、牧口先生・戸田先生の師弟を起点とする、地涌出現というべき仏勅の創価学会の歴史です。今、創価三代の大闘争を通して、地涌の菩薩は、世界各地に湧現しました。世界中で「信心の血脈」が継承されたことで、いわば、「生死一大事の血脈」が世界中に広がったともいえます。ここに、虚空会における「釈迦 上行」の血脈の本義があることを深く確信します。

         第三回top

本有の生死
「生も歓喜、死も歓喜」で真の自由と希望を我が生命に

02                                                  妙は死
03 法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり、 天台云く「当に知るべし依正の因
04 果は悉く是れ蓮華の法なり」と云云 此の釈に依正と云うは生死なり 生死之有れば因果又蓮華の法なる事明けし、
05 伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」と文、天地.陰陽.日月・五星.地獄・乃至仏果.
1337
01 生死の二法に非ずと云うことなし、 是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり 、天台の止観に云く 「起は是れ
02 法性の起・滅は是れ法性の滅」云云、 釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、
―-----
 妙とは死、法とは生のことで、この生死の二法が即、十界の当体である。また、これを当体蓮華ともいうのである。
 天台大師は「まさに知るべきである。十界の依正の因果がことごとく蓮華の法門である」といわれている。この釈に依正というのは生死の意である。生死があれば、その因果もまた蓮華の法門であることは明らかである。伝教大師は「生死の二法は一心の妙用であり、有と無との二道は本覚の真徳である」と述べている。天地・陰陽・日月・五星・地獄・ないし仏果に至るまで、生死の二法でないものはない。
 このように生死もただ妙法蓮華経の生死なのである。天台大師の摩訶止観に「起はこれ法性の起であり、滅もまたこれ法性の滅である」とある。釈迦・多宝の二仏も生死の二法をあらわしているのである。

 前回は、法華経の虚空会で釈迦・多宝の二仏から上行菩薩に付嘱された妙法蓮華経こそが、「生死一大事の法」であるとの仰せについて拝察しました。
 本抄では次に「生死」と「妙法蓮華経」との深い関係が明かされていきます。そこでは、過去遠遠劫より妙法蓮華経と離れることができないとされた上行菩薩の内証、すなわち日蓮大聖人の御自身の御内証を示されていると拝することができます。
 また、これによって妙法蓮華経こそが「生死一大事の法」であるとされる哲学的な理由が明示されています。
生と死は根源の妙法に具わるリズム
 まず「妙は死」「法は生」と仰せです。
 「妙法」とは「生死の二法」そのものであるということです。言い換えれば、「生」と「死」は、本来、宇宙根源の法である「妙法」に含まれているということです。つまり「生」と「死」の二つの在り方は、実は、宇宙根源の法である「妙法」に本来具わるリズムそのものであると言われているのです。
 仏法では「縁起」といっても、あらゆるものは相互依存の共存関係にあり、一つとして独立自存しているものではないと捉えます。その無限の相互関係の中で、生命や事物や因果が成り立ち、変化し、そして消滅していきます。
 考えてみれば、宇宙全体が無限の相互関係であることもその中で個々の生命の生や死があることも、実に不可思議です。不可思議であるがゆえに「妙法」ということです。
 本抄では「妙は死」であり、「法は生」であると立て分けられています。「法」は現れた現象を意味しますから、個々の生命として現れる「生」に当ります。
 また、生命が死んで融合していく無限の宇宙は、思議し難いものです。ゆえに、不可思議を意味する「妙」を「死」に配されていると拝せます。
 ただ、この仰せの主眼は、宇宙という無限の織り物の中で現れる、生命の「生」と「死」の全体が「妙法」であると示された点にあると拝察できます。
大海原と波の譬え
 この「妙法」と「生死」の関係を譬喩をもって示せば、あたかも大海原に波が起こり、その波が大海原に還っていくようなものであると言えます。
 言うまでもなく、大海原が「妙法」であり、波が「個々の生命」「個々の現象」に当たります。そして、波が大海原から起こり、大海原に還っていくことが「生」と「死」に当ります。
 ここで注意すべきことは、個々の波が大海原に呑み込まれて消えていくように、個々の生命も死ぬと妙法の海に呑み込まれて消えていくのではない、という点です。
 外からは見えなくても、海中には種々の海流が厳然と流れていると考えてみれば、生と死の違いは、海面に現れた波と、海中でうねる海流との違いといえるかもしれない。決して生命が死んで消えていくのではない。生も死も、ともに妙法のうねり以外のなにものでもないのです。
 海中のうねりは海面に現れて波となり、また、海中に没して見えないうねりとなる。同じように、生として現れた生命の波は、死によって妙法の海に溶け込み、見えなくなりながらも、うねりを持続している。そして、何かの機縁に応じて、また新しい生命の波として出現するのです。
晴れ晴れと仲のよい久遠元初の世界
 次に「此の生死の二法が十界の当体なり」と言われている点が非常に重要です。この意味は、十界のいかなる衆生も「生死の二法」である妙法の当体であるとの仰せです。言い換えれば、妙法そのものである「生死の二法」が十界の衆生の生命の本体であるということです。
 例えば、十界のうち地獄界として生を得ている衆生についていえば、生として顕在化している地獄界の面だけではない。死として僭在化している他の九界の可能性を含めて、妙法である生死の二法の全体が、その衆生の本体であるということです。
 これが「本有の生死」です。人間は、往々にして、生死に迷い、老苦・死苦を免れない。それは、自らの生死が「本有の生死」であることを知らないからです。これを深く知れば、生死の迷いと苦悩から解放される。
 戸田先生は、久遠における本来の自分を思い起こし、生死の迷いから解放される境地を、次のように表現されています。
 「この五百塵点劫以前のわれわれを観ずるに、そのときは、晴ればれした世界で、自由自在に何不自由なく、清く、楽しんで遊んでおり、そのときの人々も、みなうるわしき同心の人々であったのだ。あの晴れやかな世界に住んだわれわれが、いままた、この娑婆世界にそろって湧出したのである。
 思いかえせば、そのころの清く楽しい世界は、きのうのようである。なんで、あのときの晴ればれした世界を忘れよう。ともに自由自在に遊びたわむれた友をば、どうして忘れよう。またともに法華会座に誓った誓いを忘れえましょうか。この娑婆世界も、楽しく清く、晴ればれとしたみな仲のよい友ばかりの世界なのだが貧・瞋・嫉妬の毒を、権・小乗教・外道のやからにのませられて狂子となったその末に、互いに久遠を忘れてしまっていることこそ、悲しい、哀れなるのみではあるまいか」
 自由で、清らかで、晴れ晴れとし、自他共の幸福を誓い合った仲のよい友 それが、迷いに汚されない久遠の本来の自分であり、久遠の世界なのです。
 この、本来の自分、久遠の世界を回復するには、私たちの生命が妙法の当体であることを知る必要があります。そして、苦悩をもたらす迷いの因果を超える力が自分に具わっていることを自覚しなければなりません。
因果俱時の蓮華の法
 本抄では、妙法の無限の力を取り戻し、本来の自分を回復する可能性を「当体蓮華」と表現されています。
 すなわち「此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり」と。
 当体蓮華の「蓮華」とは「因果俱時」の法を譬えたものです。
 普通の植物は花が咲いた後に実がなります。しかし、蓮は花が咲いた時には既に実がなっています。そこで花を原因、実を結果とすれば、開花とともに実がなっている蓮は、妙法の中に因果が同時に具わっていることの象徴とされます。
 どのような生命にも、十界のあらゆる境涯を体現する可能性がある。それにもかかわらず、九界を現すことはありえても、仏界を現すことは至難です。それはなぜか。
 仏はそのことを深く探求し、その因果を解明しました。すなわち、今、ここで、この人の境涯を決定する峻厳なる生命の因果の法則を明かしたのです。
 この因果の法則には二つの次元があります。一つは、いわゆる因果応報の次元です。これは、善因楽果・悪因苦果の法則です。すなわち、善い行いをすれば安楽の報いを得て、悪行をなせば苦悩の報いを受けるというものです。
 しかし、仏法は、それにとどまらず、より根源的な生命の因果の法則を明かします。生命に具わる根源の仏界を開きあらわせば、最高の善を実現したことになり、直ちに揺るぎない幸福境涯を確立していける。煩悩・業・苦の因果に束縛された九界の身に、本来具わる内なる仏界、仏性を開くことによって、成仏の果を直ちにもたらすのです。
 この因果は、時間の流れのうえに成り立つ通常の生命の因果とは異なります。それは一念の転換によって、今の自分の身に本有の仏界を直ちに開く因果俱時の法則なのです。
大宇宙の大生命力を我が身に開く
 生死輪廻の因果は、誰人たりとも逃れられない峻厳な因果の法則です。これは、自分の人生は自分の責任であるとする点で、超越的な絶対者から与えられた恣意的な運命に人間が翻弄されると説く運命論的な思想よりも、はるかに人間の主体性や自由があると感じられます。
 しかしながら、結果的には、長遠な生死の繰り返しの中で自身が積み重ねてきた宿業の強大な重みに押しつぶされかねない圧迫感から逃れることはできません。
 この宿業の重しを突き破って、生命根源の次元からの変革を説き示したのが、十界具足の法を説く妙法の因果なのです。今、ここで、どのような境涯であったとしても、各人の生命の奥底には厳然と、最高の智慧にあふれた力強い仏界が具わっている。それを開きあらわせば、あらゆる困難をも乗り越えることができる。このことを可能にしたのが因果俱時の蓮華の法なのです。
 この真実に目覚めれば、どのような困難をも打ち破り、運命を切り開き転換していくことができる。それは、最も「主体性」にあふれ、根本的にして揺るぎない「自由」を確立することです。
 また、自身の内なる無限の力を確信できれば、そこに最も確かな「希望」が生まれます。そして、いかなる困難が襲い来ても、それは内なる妙法の力を発揮するための試練であり、自身が願って立ち向かうべきチャンスであると捉えて、粘り強く一つ一つの課題を乗り越えていくならば、自身の境涯を大きく開き、真に揺るぎない自在の境涯を築き上げることができるのです。
 まさしく妙法蓮華経こそ、真の「自由」と「希望」を我が生命にもたらす大法なのです。
 初代会長・牧口常三郎先生は、この内なる妙法について、次のように仰せです。
 「我等各個の生活力は悉く大宇宙に具備している大生活力の示顕であり、従ってその生活力発動の機関として出発している宇宙の森羅万象 これによって生活する吾吾人類もに具わる生活力の大本たる大法が即ち妙法として一切の生活法を摂する根源であり本体であらせられる」
 私たちが自身に具わる宇宙の根本の大生活力を開きあわせれば、大宇宙の力が発揮できる大境涯となるのです。
宇宙は本来、慈悲の行業
 その大境涯は、自分だけ幸せになるというような決して利己的なものではありません。そうではなく、相互に支えあい、相互の力を発揮し促しあい、それぞれの個性の開花と調和をもたらすものであります。互いに慈しみ励ましあうこと、即ち「慈悲」が宇宙全体を貫く働きです。
 それゆえ、戸田先生は、宇宙は本来、慈悲の行業であると言われました。
 「そもそも、この宇宙は、みな仏の実体であって、宇宙の万象ことごとく慈悲の行業である。されば、慈悲は宇宙の本然のすがたというべきである」
 「宇宙自体が慈悲である以上、われわれも日常の行業はもちろん、自然に慈悲の行業そのものではあるが、人たる特殊な生命を発動させている以上、人間は、一般動物植物と同じ立場であってはならぬ。より高級な行業こそ、真に仏に仕える者の態度である。
 「大聖人様のおおせどおり、われわれも三大秘法の真の仏法たる題目を唱え、人々にも唱えせしめて、自然の行業に慈悲があふれる人々をより多くつくらなくてはならない」
 自身が宇宙根源の妙法の当体であえると深く信じて、南無教法蓮華経の題目を唱えぬくとき、妙法の智慧と慈悲の大生活力を開花させて、いかなる苦難や障魔も撃破し、何ものにも崩されない絶対的な幸福境涯を築くことができる。その人は、臨終を迎えた時も「自身、妙法なり」との正念を揺るがさず、断見や常見にも惑わされない、大安心の境地を実現できるのです。それこそが、人生の最大最高の目的です。
 まさに「生も歓喜、死も歓喜」です。
 この臨終正念によって今生の生を完成した人は、大宇宙の慈悲の行業を一念に凝縮し、再び偉大なる広宣流布の戦いを展開しようとの大誓願に立つことは間違いない。それは、新しい生への大いなる希望の旅立ちなのです。

         第四回top

妙法蓮華経の生死 
全人類を仏界で包む慈悲と希望の生死観

 仏法は、人間の「生死の苦悩」を解決する方途を明確に説ききった教えです。
 その生死の真髄が説き明かされた経典が法華経であり、なかんずく寿量品です。
 そして、その法華経の真髄を末法に展開した日蓮大聖人は、苦悩の根本原因となる無明を払い、万人が三世永遠の幸福境涯を体得する道を開いてくださった。
 戸田先生は、よく「仏法の解決すべき問題の最後は死の問題です」と語られていました。
 この仏法の偉大なる叡智こそ、生死の問題を解決する根本の方途を明かし、人類の境涯を高めていく道を示しています。
 今回も「生死一大事血脈抄」を拝し、人類を救う大法である仏法の深義を学んでいきましょう。
生死の無限の可能性を示す「生死の二法」
 本抄では、なぜ、妙法蓮華経が「生死一大事の大法」であるか、その深義を簡潔に説明されています。この深義を拝するにあたり、前回の講義では「生死」と「妙法」の関係について述べられた御文に即し、「本有の生死」について考察しました。
 すなわち、「生死の二法は」宇宙根源の「妙法」そのものに本来具わっているのであり、生と死の相を現す十界の衆生は悉く妙法の当体であることが示されました。
 このことは、現実世界に生きる衆生が迷い苦しむ生死は本来の生死ではないということであり、永遠の妙法のリズムそのもののとしての生死こそが本来の生死であるということを意味しています。法華経寿量品では、このことを如来が如実知見した悟りの内容として説いています。
 仏の眼からみれば、十界のあらゆる衆生には、本来、無限の可能性があります。妙法の当体である衆生にとって、解決できない根源的な迷いや苦悩など存在しないと、仏は知見します。
 しかし、凡夫は、十界のうち、ほとんどは六道の境涯を流転するばかりで、四聖の境地ははるかに仰ぎ見ることしかできません。なかんずく、真に生死の苦を乗り越えることのできる仏界は、はるかかなたの理想郷に過ぎず、夢のまた夢というしかありません。
生命変革の可能性を示す当体蓮華
 本抄では、十界の衆生の生死の意義を更に深く示すために、次に「当体蓮華」について述べられています。
 「当体蓮華」とは、すべての十界の衆生が妙法の当体であるということです。すなわち、今、ここにいる衆生の身が十界互具の当体であり、その身において仏界を現うることを示す法理です。
 「蓮華」は因果俱時、すなわち「原因と結果が今の一瞬の生命に同時に具わっていることを表します。つまり、十界互具のことであり、今が十界のいずれかの一界の姿を現じているとしても、次の瞬間に、生命は十界のいずれかの界も現ずることが可能だということです。
 特に、今の一瞬の生命に、成仏の因である九界も、果である仏界も、同時に具わっていることを譬えます。
 この当体蓮華の観点に立てば、生死を繰り返す生命そのものは、本来的には善でも悪でもありません。縁によって、迷いの状態にもなれば、悟りの状態にもなります。十界で言えば、地獄界から仏界まで、あらゆる境涯を体現するのが、生命の本然的な姿です。
一念の転換を説く因果俱時
 大聖人は、「依報・正報に現れる因果は、すべて蓮華の法である」という天台大師の釈を引いて、当体蓮華の意義を更に詳しく説かれています。
 ここで「依報・正報」というのは、生と死の相を示現する生命活動そのものです。生命活動が依報・正報にわたる関連性は、現代においては科学的にも洞察されているところです。
 依報においても、正報においても、また依報と正報の間にも、種々の因果の現象が起こっている。それらは、すべて、妙法に具わる生死の二法に他ならない、と言われているのです。そうであれば、依正の種々の因果現象も、その本質は因果俱時の「蓮華の法」に則って起こっているのです。
 さて依報も正報もともに、因果俱時の「蓮華の法」であるということは、実践的には、いかなることを意味するのでしょうか。
 それは、我が一念の転換によって、自身の依報も正報も瞬時にしてかわることを説かれているのです。
 この点、従来の仏教は、過去世の業因の報いとして、がんじがらめに束縛されている自分自身が、歴劫修行の果てに未来に新たな正報を得ることで変化しうると説いてきました。それに対し、我が一念によって正報が瞬時に変わるということは、この身そのままで、生命が変革されるということです。そのとき、正報だけでなく、自身をとりまく依報もまた、必ず変わります。
 「蓮華の法」、すなわち「因果俱時の妙法」は、生命が本来持つ無限の潜在的可能性を開き、三世にわたって自由自在の境涯を得ることができるのです。
万物の生死・変化は「妙法蓮華経の生死」
 以上、「妙法」と「蓮華」の考察を通して、「妙法蓮華経」が衆生の深い意義を示す大法であることを拝してきました。ここで、大聖人は結論として、あらゆる生死や変化は「妙法蓮華経の生死」であることを示されています。
 まず、「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」という伝教大師の釈を引用されています。それは、あらゆる変化は因果俱時の妙法という根源の一法に基づく変化である、ということを明らかにするためです。
 「一心の妙有」とは、「一念三千の法理」として説明したほうが理解しやすいかもしれません。「一心」「一念」の変革が、大きく境涯を変え、世界を開いていくのです。それは、生命そのものが十界互具であるゆえに、三千諸法に開く変革の可能性があるからにほかなりません。
 続いて、大聖人は「天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし」と仰せです。一心法界・一念三千であるから「天地・陰陽・日月・五星」は中国の陰陽道に基づく宇宙観・世界観を表現されていると拝することができます。
 日蓮大聖人御在世当時の宇宙観は、陰陽道や天台宗の経典注釈などを通じて、中国の伝統哲学である陰陽五行の思想に基づく捉え方が広く流布していました。これは、それを踏まえての表現です。
 天地も、その基となる陰陽も、日月も、五行も、所詮は妙法蓮華経の生死の表れであると大聖人は仰せです。したがって、万物の生死は「生死の二法に非ずと云うことなし」と仰せのように、そのまま、妙法蓮華経の生死です。
 私たちの生命も、依正ともに妙法蓮華経の当体であり、万物もまた妙法蓮華経の当体です。それゆえ、天台大師は「万物の生起といっても、その本性である法性における生起である。また万物の消滅といっても法性における消滅である」と釈しています。ここで「法性」とは、万物の本性であり、その実体は妙法蓮華経にほかなりません。
釈迦多宝の二仏も生死の二法
 続いて「釈迦多宝の二仏も生死の二法なり」と仰せです。
 虚空会の宝塔で並座する釈迦多宝の二仏は、妙法蓮華経に具わる仏界が顕現した存在です。私たち凡夫と同じく妙法の当体であり、生死を現ずる存在であるということです。
 釈迦仏とは、法華経本門に説かれる教主・釈尊です。五百塵点劫という久遠以来、この現実の娑婆世界に常住して妙法を説き続ける仏です。
 法華経寿量品には、釈尊は久遠に成仏して以来、常住不滅の仏でありながら、衆生を成仏へと導くために、巧みな方便として涅槃の相を示すことが明かされます。方便現涅槃です。これは、仏の生命の当体が、本質的には永遠の妙法でありながら、現象面としては「生から死へ」と様相を転じるさまを見ることもできるでしょう。
 一方、他宝仏ですが、この仏は、遠い昔に成仏し入滅した古仏です。法華経説法の会座に出現し、法華経が真実であることを証明します。このことは、妙法の当体が「死から生へ」と転じる様相を象徴しているともいえるでしょう。
 いずれも、妙法を教え示すための生死です。そのために妙法の当体である生命に、本来的に具わる生死を用いるのですから、釈迦・多宝の二仏の生死は、まさに「妙法の生死」といえるのです。
仏界の生死
 あらゆる生死は「妙法蓮華経の生死」です。
 戸田先生は、よく、死後の生命は大宇宙のなかに溶け込むと語られていました。
 この大宇宙の生命それ自体が十界具足の生命です。大宇宙そのものに地獄もあり、餓鬼もあり、仏界もあります。私たちもまた、この大宇宙の時刻界なり、餓鬼界なり、菩薩界なり、そして仏界なりへと、それぞれの境界へ溶け込んでいきます。
 私たちの生命は、溶け込んでいるといっても、厳密に言えば、もともと、宇宙の生命それ自体です。本来は、別々のものではありません。ある意味では、大宇宙は、大生命の海です。大宇宙の海そのものが、刻々と変化を起している。常に、動き、変化しながら、「生」と「死」のリズムを奏でている。
 前回、確認したように、一次元の譬喩で言えば、私たち個々の生命は、大宇宙という大海から生まれた「波頭」のようなものです。波が起こることが、私たち個々の生命の「生」。また大海と一つになれば、私たちの生命の「死」です。
 大宇宙に溶け込んだ死後の生命は、大海の中のうねりのようなものであり、決して一箇所に固まっているわけではない。大宇宙の生死のリズムに合わせて、宇宙に遍満しながら、動いている。
 戸田先生は、それが縁に応じて、宇宙中から最もふさわしい色心と環境を選んで、一個の生命として生まれてくると語っていました。
 仏界の生死であれば、自分が生まれたいところに、生まれたい時に、生まれたい姿で、自在に生まれてくることができるのです。それが「妙法蓮華経の生死」なのです。
 ですから「妙法蓮華経の生死」にあたっては、死を恐れる必要はありません。広大にして慈悲の行業に満ち満ちた大宇宙の慈悲と生命力を体現して、再び生き生きと活動し、仏と同じ振る舞い、すなわち人を敬い、万人を救済する振る舞いを無上の喜びとして生き抜いていくのです。
 生きている時は、生命の内に広大な仏界をあらわし、その大生命力で、この世の使命を全うしていく、南無妙法蓮華経の唱題が、胸中に広大な仏界を開くための根源の実践であることは言うまでもありません。そして、死んでからは、大宇宙の仏界に溶け込み、その永遠の生命を深く味わい、楽しんでいく、この仏界の生死こそ「生も歓喜、死も歓喜」という無上の生死なのです。
 大聖人は御書に明確に仰せです。
 「上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」(0574-07)(最高の成仏を遂げ、たちまちのうちに九界の生死の夢のなかに帰ってきて、身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切の有情の身に入れて、内からは仏道の心を起こし、外からは仏道に入らせようと導き、内外が相呼応して、因と縁を和合させて、自在にして卓越した慈悲の力を施し、広く衆生を利益することは自由自在であろう)。
 まさしくこの仰せの通りに、人を救うために生まれてこようとする生命は、「自在に」「滞りなく」すぐに生まれてくることができるのです。
 これに対して、どこか、現実を離れたところに理想の世界があり、死んでその世界に永住することを求める生死観があれば、この現実世界を本源的に変革することはできません。理想世界が「本」であれば、この現実世界は「迹」であり「仮」の世界になってしまうからです。
 「妙法蓮華経の生死」こそが、この現実世界を自由自在に遊戯しながら、力強く変革しゆく希望の生死観となります。
 戸田先生は、常々語っていました。「真の永遠の生命が分かれば、人類の境涯を高めることができる」と。また、それが根本の民衆救済であるとも述べておられました。
 「一切衆生を救う」とは具体的にいかなることか。
 戸田先生は次のように綴られています。
 「全人類を仏の境涯、すなわち、最高の人格価値の顕現においたなら、世界に戦争もなければ餓鬼もありませぬ。疾病もなければ、貧困もありませぬ。全人類を仏にする、全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります。
 世界中に地涌の菩薩が出現し「永遠の生命」「妙法の生死」に人々が目覚めていくならば、いまだかってない生死観の革命が進み、無明の四苦に迷ってきた人類の宿命転換が必ずや成し遂げられていくでありましょう。
 真の生死観を世界の思潮とし、21世紀を人類の境涯革命の本格的な幕開けとする。この創価の新たな挑戦が始まっているのです。

         第五回top

妙法蓮華経の受持
民衆救済の誓願に生きる永遠に「仏界の生死」を 
02                                   然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華
03 経と我等衆生との三つ 全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、 此の事
04 但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、
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 このように、十界の当体が妙法蓮華経であるから、仏界の象徴である久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経すなわち妙法蓮華経と我等九界の衆生の三は全く差別がないと信解して、妙法蓮華経ととなえたてまつるところを生死一大事の血脈というのでる。このことが日蓮が弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとはこのことをいうのである。

「迷いの生死」から「仏界の生死」へ
 南無妙法蓮華経こそ「生死一大事」の大法です。凡夫の「迷いの生死」を、仏の「仏界の生死」へと転換できる唯一の大法だからです。そして、この大転換を可能にする生死観が、本抄で明かされた「妙法蓮華経の生死」です。
 「妙法」は、無始無終の根源の法です。「生」と「死」は、この宇宙根源の法である妙法に本来具わる本有の実相なのです。
 この妙法を信受し「迷いの生死」を打ち破れば、「本有の生死」に立ち戻ることができます。この時、「妙法」即「生死の二法」に具わる大転換の力が発動します。それは、因果俱時・十界互具の法理に基づく力用であり「蓮華の法」と言われています。
 万物は「妙法蓮華経の生死」のリズムを刻んでいます。万物の起滅、あらゆる生命の生と死は、「妙法蓮華経の生死」である。ゆえに、千変万化の変化も可能なのです。
 人間は通常、この生死観がわからないために、迷いの生死の中に沈み、苦しんでいます。しかし、仏は自他の生命に、この「妙法蓮華経の生死」を覚知し、迷いの生死で苦悩を克服した、安穏の大境涯が開かれました。
 この仏が三世にわたって生き抜く生死が「仏界の生死」です。
迷いの生死を超えて安穏の大境涯を
 迷いの生死観の典型例である「断見」や「常見」については、すでに述べました。
 本来は、衆生の生死も「妙法蓮華経の生死」です。自身に迷い、欲望に執着してく無明の暗雲に覆われて、その実相を正しく見ることができない。かえって「迷いの生死」に執着してしまうのです。
 これに対して、法華経寿量品に説かれているように、三界の衆生を如実知見する仏の智慧から見れば、衆生自身が思っているような「迷いの生死」は幻想に過ぎません。三界の現実にあって迷い、苦しむ衆生に「本有の生死」という生命の本質に目覚めさせるために、仏は智慧を尽くして法を説くのであると述べておられます。
 寿量品では、そのために釈尊自身が三世永遠にわたって貫いている「仏界の生死」という仏法の究極の生死観が示されているのです。
 仏が如実知見する「本有の生死」とは、そのまま久遠実成の釈尊に即して明かされる「仏界の生死」にほかなりません。言い換えれば、寿量品の釈尊が生き抜く「仏界の生死」とは、そのまま衆生が生きる本来の生死なのです。
 私たちが「仏界の生死」に生きた時、私たちの「生」も「死」も、「妙法蓮華経の生死」として無上の光輝を放ちます。
 現実世界に生きている「生」においては、内から仏界という清浄なる生命が涌現し、一切の困難と戦う偉大なる力となる。それは、あらゆる苦難を乗り越え、勝利の人生を築きあげる原動力となります。
 そして、仏界を涌現しながら現実と戦うことによって磨き抜かれた生命は、今生の使命を終えた死後には、宇宙の仏界に溶け込みます。そして、広大無縁辺の大境涯を楽しむ自受法楽の境地を味わうとともに、大宇宙の本然の慈悲と一体の生命になるのです。さらに、その慈悲に促されて、苦悩する衆生を救うために、次の現実世界の「生」へと躍動の出発を開始します。こうして「仏界の生死が繰り返されるのです。
 「仏界の生死」に基づけば、あたかも良き睡眠が新たな生の活力を生むように、「死」は次の新たな「生」への充足時間となります。
 大聖人は仰せです「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」(1504-06)
 「生死ともに仏」 まさに「仏界の生死」です。一切衆生を根源の生死に目覚めさせ、万人の成仏を実現する。そのことが「生死一大事血脈」の根本目的です。
生死一大事血脈のための信心の要件
 以上述べた「仏界の生死」という生命の真実の道を歩むために、日蓮門下は「生死一大事の大法」である南無妙法蓮華経を、どう信受していくべきか、本抄では、その答えが幾重にも説かれ、重要な信心の要件が明かされていきます。
 その第一が「仏界の生死」を、どこまでも、自身の「生と死」の本来のすがたであると捉えていく信心です。
 すなわち「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ 全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」と仰せです。
 ここで、「久遠実成の釈尊」「皆成仏道の法華経」「我等衆生」の三つを並べて「全く差別無し」と言われていることが重要です。
 衆生が「仏界の生死」を自覚するためには、「仏界の生死」の体現者である「仏」の存在と、「仏界の生死」を明示した「法」の存在が不可欠なのです。
①「仏界の生死」を体現した久遠実成の釈尊
 まず「久遠実成の釈尊とは、仏界の生死を体現した仏です。
 寿量品では、釈尊が久遠五百塵点劫という過去遠遠劫に成仏して以来、永劫の未来まで、すなわち実質的には無始無終にわたり、仏の生命が続くことが説き示されていきます。
 この久遠実成の釈尊は、始成正覚の仏に比べて、単に「仏寿」がはるかに長いというだけではありません。両者は、仏としての生死の意味が異なるのです。
 始成正覚の仏は、「涅槃」など永遠の世界に入り、生死から離脱していく存在です。これに対して、久遠実成の仏とは、この娑婆世界にあって、永遠に衆生教化に戦い続けるために「仏界の生死」を現していくのです。
 このように、経典には種々の仏が説かれますが、法華経の久遠実成の釈尊に至って、初めて「仏界の生死」が成り立ちます。久遠実成の釈尊とは「仏界の生死」の体現者であると言うことができます。
②「仏界の生死」に生き抜くことを教えた「皆成仏道の法華経」
 次は「皆成仏道の法華経」です。これまでは、法華経の「皆成仏道」の意義を、どちらかというと、二乗や悪人・女人の成仏を許さない爾前権教との対比において論じられてきたことが多かった。もちろん、法華経の卓越性を権教との相対のうえで、論ずることには甚深意義があります。しかし、ここでは、「皆成仏道の法華経」の意義を「仏界の生死」という観点から確認しておきたい。
 確かに「皆成仏道の法華経」の意義の第一は、言うまでもなく、法華経にのみ万人成仏が説かれている。そして、仏とともに民衆救済の慈悲の実践を貫く菩薩の誓願が説かれているところに、大乗経典の真髄である法華経の真価があるといえます。
 方便品第二で、仏自身が「如我等無異」という誓願を成就したことが説かれ、併せて、それは一切の仏の願いにほかならないことも示されています。
 そして法華経迹門の開三顕一の説法で、一貫して強調しているのは、この誓願に生き抜いてこそ声聞・縁覚の二乗や菩薩たちの成仏があるということです。
 釈尊が、何ゆえに二乗の舎利弗たちを弾呵してきたのか。その一つは彼らが肉体の老いが見えた時、心まで老いてしまたからです。“自分たちは老いた。歩める境地はここまでだ。この境地で満足しよう”などと心に限界をもうけてしまった。これは、苦悩にあえぐ民衆を救うという戦う心を忘れた姿です。
 この二乗の問題において法華経で強調されていることは“過去世の誓願を思い出せ”という一点です。
 例えば、迹門では、法華経を説くのは過去世における菩薩としての本願を思い起させるためであることが、譬喩品・化城喩品・五百弟子授記品などで強調されている。
 また、法華経の七譬の一つ「衣裏珠の譬」は、大願に立ち返ることが、本来の自分に立ち返ることになると教えています。この大願を思い起こし、声聞たちは、身は声聞の姿として現れているが、自分たちの内面は菩薩であったとの本地を自覚して、歓喜勇躍していきます。
 そして、法華経本門においては、妙法を所持し、民衆救済の誓願に立った地涌の菩薩が出現し、さらには、釈尊が久遠から仏として民衆救済の誓願に生き続け、これからも貫いていくことが明かされます。
 この「民衆救済の誓願」とは、「仏界の生死」が現実に現れた生き方にほかなりません。自身の生命の根底には、崇高な誓願があると目覚めることです。
 この誓願を忘れ、真実を求めようとしないことが、迷いの根本原因です。
 法華経は万人の成仏を説き明した経典です。それは、言い換えれば、万人の一人一人に「宇宙の慈悲の行業」のままに振る舞う生命の本源の生き方へ力強く歩ませていく経典であるということです。
 以上のように「皆成仏道の法華経」とは、“万人の成仏を明かした経典・法華経”という意味だけでなく、“万人の成仏を実現する誓願の実践を促す経典・法華経”という意味が込められています。いわば、法華経には「皆が仏」という真理と、「皆を仏に」という実践の両面が説き示されていきます。
 万人の成仏を実現する実践こそ「仏界の生死」を開く原動力であるがゆえに、「皆成仏道の法華経」とは“万人に「仏界の生死」を実現させゆく経典”であると、言えるのです。
③「一体」「無差別」であると信解し「仏界の生死」に生きる衆生
 「皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
 自分自身が「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。
 「全く差別無し」です。いささかでも違うと思うのは、無明から生じた迷いの生命です。自身が「仏界の生死」を貫く当体であると捉えてこそ、日蓮大聖人の仏法を真に実践することになります。
 そして、「全く差別無しと解りて」とあります。「解りて」とは単に頭で分かるということではなく「信解」すなわち「信に基づく理解」「心からの納得」でなければなりません。
 生命の奥底で深く納得するためには、不惜身命の実践が不可欠です。決定した信心で広宣流布のために戦ってこられた学会員の方々には、その戦いの中に「信解」が脈打っています。地涌の菩薩として、南無妙法蓮華経を弘める使命に生き、悔いなく戦い切っている姿に、すでに「久遠実成の釈尊」「皆成仏道の法華経」と全く等しい南無妙法蓮華経の仏界の大生命が湧現しているのです。
 一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と湧現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。
 今世で妙法と一体化した生命は、死後もまた、妙法と一体化し、次の「生」もまた、妙法の使命を果たす「生」となります。それが「仏界の生死」の本然の姿であり、慈悲の行業に生ききっていく生命です。
 凡夫がこの境地に到達するために、大聖人は南無妙法蓮華経を唱え弘められました。大聖人と同じく妙法を唱え弘める大聖人門下には「生死一大事の血脈が流れ通い、「仏界の生死」に直ちに連なることができる。また、そのための日蓮大聖人の仏法の信仰です。ゆえに「此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり」とも「法華経を持つとは是なり」とも仰せられているのです。
 「弟子檀那等の肝要」 弟子の道の根本とは、何か。
 仏の願いであり、日蓮大聖人の大願である広宣流布に生きることです。
 法華経の精神、すなわち、万人成仏の実践に行ききることです。
 その中に「仏界の生死」の法が脈動するのです。それでこそ、真の意味で「法華経を持つ」といえるのです。
「法華経を持つ真実の生き方」
 法華経は「更賜寿命」の経典です。生命力の本源である仏界の生命を現す力が、法華経の肝心である南無妙法蓮華経にあるからです。
 大聖人と同じ精神、同じ広宣流布の大願をもって題目を唱える人は、「仏界の生死」に連なることができ、根源の生命力を発揮することができます。
 法華経には生命を生き生きと若々しく蘇生させゆく力があります。「生」におては、「年は若くなり、福は重なる」です。「死」においては、仏界の大生命と一体となり、根源の生命力を充電させることができます。
 末法に、法華経の精神を貫いて、大聖人直結で広宣流布へ進んでいる学会員こそ、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がない尊い方々です。
 戸田先生は言われました。
 「成仏の境涯をいえば、いつもいつも生まれてきて力強い生命力にあふれ、生まれてきた使命のうえに思うがままに活動して、その所期の目的を達し、だれにもこわすことのできない福運をもってくる、このような生活が何十度、何百回、何千回、何億万べんと、楽しく繰り返されるとしたら、さらに幸福なことではないか。この幸福生活を願わないで、小さな幸福にガツガツしているのは、かわいそうというよりほかにない」
 仏の本源の生き方に直結しているから、学会員は根源の生命力に満ちあふれているのです。
 久遠の慈悲の行業を実践しているから、学会員は、何があっても根本は明るいし、また楽しいのです。
 「仏界の生死」に連なっているから、創価の師弟の生命は強靭であり負けない。
 真の生死観に生きゆく私たちは、真の哲学を持つ賢者であり、真の信念に生きる勇者です。学会員の慈悲の実践に、人類の生死観の模範があり、境涯革命の先駆があるのです。

         第六回top

臨終只今と臨終正念 
「今」が三世永遠の勝利を築く
04                             所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮
05 華経と唱うる人を 「是人命終為千仏授手・ 令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候 、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏
06 二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・ 歓喜の感涙押え難し、 法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と
07 説かれたれば.定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん浅マシ浅マシ,十王は裁断し倶生神は呵責せんか。
―-----
 所詮、臨終只今にあると覚悟して信心に励み南無妙法蓮華経と唱える人を普賢菩薩勧発品には「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれている。よろこばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏ではなく千仏まで来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押えがたいことである。これに対し法華不信の者は、譬喩品に「其の人は命終わって、阿鼻獄に入るであろう」と説かれているから、定めて獄卒が迎えにきて、その手を取ることであろう。あさましいことである、あさましいことである。このような人は十王にその罪を裁断され、倶生神は呵責されるにちがいない。
―-----
08   今日蓮が弟子檀那等.南無妙法蓮華経と唱えん程の者は・千仏の手を授け給はん事.譬えばウリ夕顔の手を出すが
09 如くと思し食せ、
―-----
 今、日蓮が弟子檀那等、南無妙法蓮華経と唱える者に千仏が御手を授けて迎えてくださるさまは、例えば瓜や夕顔の蔓が幾重にもからんで伸びるようなものであると思われるがよい。

 本抄では、生死一大事の法である妙法蓮華経の受持の極意として、「臨終只今にあり」と究極の姿勢が明かされています。
 この「臨終只今」の信心で妙法蓮華経を受持するとき、本抄で「妙法蓮華経の生死」と明かされた生死の実相を、我が身にありのままに現してける。それは、とりもなおさず「迷いの生死」を「仏界の生死」へと転換することです。なぜならば、「臨終只今」とは、「仏界の生死」への深い信解から生ずる信心の姿勢だからです。
「仏界の生死」への信解
 大聖人は「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人」は、千仏に守られる大安心の臨終を迎えることができる、と仰せです。千仏に守られる臨終とは「臨終正念」のことに他ならない。すなわち、「臨終只今」の信心の人こそが一生成仏の道を歩んでいけるのです。
 「所詮」とあるのは、前段の御文に関係があります。すなわち、前段では「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と「我等衆生」との三つが全く差別がないと信解するという、妙法蓮華経受持の本質が説かれました。この信解の姿勢の肝要が「臨終只今」の信心であるがゆえに、「所詮」と言われているのです。
 「三つ全く差別無し」と信解するとは、自身の生命は妙法蓮華経の当体として仏と不二の生命であり、仏と同じ生死すなわち「仏界の生死」に生きることができると信じることです。言い換えれば、一生成仏を人生の目的と志し、人生に根本的な希望を持つことです。その信心に生きる決意をもった人は、必ず、「臨終只今」の姿勢で生きるようになる、ということです。
 臨終というのは、「人生の総決算」の場です。この時「どう生きてきたのか」が厳しく問われます。その時に、何の悔いもなく、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。
 まさに、臨終の時にこそ、その人の生き方そのものが、何一つごまかしようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ今迎えたとしても、雲一つない澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、ということが最重要になります。
 瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いがない」と言い切れる覚悟で、「現在」を真剣に生きる。それが「臨終只今にあり」という信心です。
次の生への輝かしい出発
 さらに、臨終は「人生の総決算」であると同時に、仏法の生死観から見れば、次の「生」への新たな出発となります。
 私は、かつて「世界一美しい」と言われるマニラの夕日を見たことがあります。水平線に沈む太陽が大空を赤く染め上げ、海が黄金に輝いていた。一幅の名画のように荘厳な光景でした。素晴らしき夕焼けは、翌朝の輝かしき旭日を約束します。三世の仏界の生死に生きる私たちにとって、臨終は、まさに次の生への輝かしき出発である。
 臨終は人生のすべてが凝縮した「人生の山頂」であり「次の生」を決定づける人生の最も重要かつ厳粛な場となります。この臨終の時に、いかなる一念を持つか。悔いなき勝利の「生」は、安穏な「死」を約束します。そして、大満足の「死」が、次の「生」への晴れやかな旅立ちを決定させます。臨終の時の今世を総括する一念が、どうであるか、その因が未来の果報をもたらす。ここに「臨終正念」の意義があります。
 「臨終正念」とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮、すなわち妙法を信ずる信の一念を、揺るがずに貫くことです。
 臨終の時に、妙法を信受できた無上の喜びをもって、我が人生に悔いがないと満足できる心こそ「臨終正念」の具体的な姿に他なりません。
 ここで「臨終只今」と「臨終正念」の違いを整理しておけば、今生で生ある時に、臨終という人生の総決算の意味を強く感じ、“今、臨終を迎えても悔いがない”との覚悟で、現実の一日一日、一瞬一瞬に生命を燃焼させていくことが「臨終只今にあり」との信心です。その意味で、「臨終只今」の信心には、生命に対する「智慧」があり、智慧に基づく「決断」があり、智慧と決断によって開かれる晴れやかな「希望と行動があるといえる。
 日々月々年々に、この「臨終只今」の信心を積み重ねていくことで、生命を鍛え、磨き抜き、境涯を高めていける。そして、今生の生き方に確信と納得を持ち、臨終に際しても、悔いなく、妙法を唱えきって、安詳と霊山へ旅立っていける。この荘厳なる境地が「臨終正念」です。簡潔に言えば「臨終只今」の信心の積み重ねが、人生の総決算として「臨終正念」を完成させていく。そして、「臨終正念」が次の「生」への豊かな旅立ちを可能にするのです。」
 「臨終只今」に生ききった良き「生」が「臨終正念」という良き「死」を約束する。また、「臨終正念」という良き人生の総決算が、次の良き「生」への出発となるのです。
「臨終只今」の人は「生も歓喜・死も歓喜」
 さらに大聖人は「臨終只今」の信心を貫き通し「臨終正念」を決定した人が、亡くなった後、どうなるかについて言及されていきます。
 「『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」
 妙法を信じ抜いて亡くなった人は、千もの仏が来迎し、手を授けて守ってくださると仰せです。当時は、弥陀の名号を称えれば、死んだ時、西方極楽浄土から阿弥陀仏と観音・勢至の二菩薩が迎えに来るという念仏の信仰が盛んでした。大聖人は、これに対して、一仏・二仏どころか、百仏・二百仏でもなく、千仏まで迎えに来ると仰せです。その千仏が手を差し延べる様は、瓜や夕顔の蔓がいくつも伸びている様を彷彿とさせると言われています。まさしく「歓喜の感涙押え難し」です。
 「生も歓喜、死も歓喜」です。「生から死へ」「死から生へ」 いかなる時も、歓喜はとぎれることがない。
 この仏界の歓喜と対極にあるのが、謗法不信の生命境涯です。「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば・定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん」
 経文には、不信謗法の者は阿鼻獄に入ると説かれている。また、十王に裁断され、俱生神に呵責されるとも大聖人は仰せである。当然、十王や俱生神とは、因果の理法が厳然と存在していることを表すものです。要するに、誰人も、善悪の峻別を避けることはできない。それが人生の総決算であり、一生に築いた業の果報である。
 「十界の生死」で言えば、「仏界の生死」もあれば「地獄の生死」もある。もちろん、生命は十界互具です。「生」の間には変革する可能性を持っているが、最終的な総決算としての十界の境涯は、そのまま次に連続していかざるをえない。だからこそ、今世での境涯革命が重要になるのです。まさに、生死観を深めることは、人生を深めることに通じます。戸田先生は、よく「本当は、死ぬときのために信心するのだ」と語っておられた。宗教の核心は生死観にあるのです。
「心の財」を築く重要性
 さて、ここで、今までの内容から誤解を招かないように、補足の意味で確認しておきたいことがあります。
 一つは、「臨終只今」とは、当然のことですが、「死」を賛美しているのではない。ということです。むしろ「臨終只今」の真意は、生きて、生きて、生き抜くべきことを教えられているのです。仏法には、命を粗末にするような殉教主義は断じてありません。まして、生死が連続しているからといって、安直に「現実の苦闘を避けて、逃避から「死」を選んでは絶対にいけない。今世における宿命転換を軽視することは、人間の可能性に対する不信です。
 二つ目は、「臨終正念」についてです。例えば、事故や病気などで亡くなった場合、故人の成仏には不安を感じる方もるかもしれない。
 しかし「臨終正念」を決定づけるのは、あくまでも「信心」です。最後まで信心を貫き、悔いなく戦ってきた人は、「仏界の生死」の軌道に必ず入ります。さまざまな形で死を迎えても「臨終正念」は間違いない。戦ってきた福徳の力で、生命においては大勝利の臨終となっていることは、御聖訓に照らして絶対に間違いないのです。
 涅槃経には「菩薩が恐れなければならないのは、身の破壊ではなく心の破壊である。心が破壊されれば三悪道に堕してしまうがゆえに、信心を破壊する悪知識を恐れよ」とあります。
 広宣流布に戦い、鍛え抜かれた生命が破壊されることは断じてありません。
 「心の財」を築いてきた人は、生死不二の成仏の生命がすでに培われています。その人は、偉大な使命の戦いを貫いた福徳によって、生を飾り死を飾り、永遠に「仏界の生死」が連続しゆく軌道に入ることができる。
 仏法の生死観は、誰もが常楽我浄に包まれゆく希望の生死観であり、三世永遠に前進・勝利していくための生死観であることを強く確信していただきたいのです。
「解りて」とは「生命奥底の自覚」
 さて、御文の冒頭に戻れば「臨終只今にありと解りて」とあります。
 「解りて」とは「信解」であり、決定した信心のことです。自分の生死は本来「仏界の生死」であると生命の奥底に自覚することです。
 創価の庭で広宣流布に戦い続ける人は、すでに生命次元で、この自覚を持っているといえる。
 「生命は永遠」だからこそ「今を真剣に戦うしかない」と心から自覚して行動していく。 それが、「臨終只今にありと解りて」の姿です。
障魔を打ち破る
 さて、「臨終只今」「臨終正念」を考える際に、一点、見落としてはならない重要な信心の姿勢があります。
 それは、「障魔と戦う」ことです。「臨終正念」は、「死魔」を乗り越えることでもあるからです。
 日頃から、三障四魔との対決を避けている人は、死魔という越えがたい障魔に、打ち勝つことはできない。
 「臨終只今」の信心の本質は、魔に蕩かされたり、恐れおののいたりしないことです。そのために信心を奮い起こし、智慧と勇気と生命力を奮い起こして、魔と戦うことです。
 魔性と戦い、完全に勝利した人が「仏」です。言い換えれば、仏とは、究極の障魔である天子魔や死魔を乗り越えた存在であり、不死を得た存在に他なりません。
 あの竜の口の法難で、四条金吾は死を賭して大聖人をお守りしました。しかし、最後の瞬間、「只今なり」と叫んで泣いてしまった。師を思う心の故であろうが、師を襲う死魔、天子魔に、弟子の金吾のほうが恐れおののいてしまったのかもしれない。
 その時、大聖人は力強く獅子吼された。
 「不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし」(0913-18)
 迫る死に臨んで、仏の極致を一言に表した「臨終正念」のお言葉です。大聖人は、権力の魔性と戦われ、死魔に打ち勝たれ、天子魔に勝利されました。その戦う心に仏界が確立するのです。
 大聖人は、大難の渦中にいる門下に対して、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」(1190-11)とおおせです。
 この「月々・日日につよる信心」は「臨終只今の信心」に通じる。すなわち、「臨終只今」の信心こそが、魔を寄せ付けず、打ち破っていく信心なのです。この「臨終只今」の対極にあるのが「たゆむ心」「魔を恐れる奥病」です。
 「千仏授手」とあるように、臨終の正念を貫く人には、あらゆる仏・菩薩・諸天善神が瞬時に駆け付けます。しかし、その根本は、自身の信心によって悪と戦い、善を開く戦いであることを忘れてはならない。その戦う心にこそ、仏界の生命力が湧現していくのです。
 私も「臨終只今」決意で、60年間戦い続けてきました。とくに若い時は体が弱かった。いつ死んでもおかしくない体でした。だからこそ、「臨終只今」の決意で、戸田先生をお守りした。師を襲う障魔とも一人立って戦った。
 そしてまた、世界平和を確立するためには仏法の永遠の生命観を弘める以外にないと確信し、智慧と勇気を振り絞って平和行動に打って出ました。
 まさに「臨終只今」の信心を貫いてきたからこそ、元初の生命力が湧現した。そして、共々に異体同心の前進をしてきたからこそ、今日の全世界に広がった創価学会・SGIを築き上げることができたと思っています。
 創価の庭には「臨終只今」の信心を貫き、力強く人生を登攀し、輝かしき「臨終正念」の山頂を極めた方々が数限りなくおられる。
 その偉大なる人間革命の無数の勝利の姿こそ、全学会に生死一大事の血脈が流れ通っている実証なのです。

         第七回top

生涯不退の信心
今世の信心確立で三世永遠の幸福の血脈を
09          過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、 未来に仏果を成就せん事疑有るべか
10 らず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、
11 謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり。
―-----
 過去において、強盛に法華経に結縁していたので今生にこの経に値うことができたのである。未来において仏果を成就することは疑いない。過去・未来・現在と三世の生死において、法華経から離れないことを法華経の血脈相承というのである。謗法不信の者は「即ち一切、世間の仏種を断ぜん」と説かれて、成仏すべき仏種を断ぜん」と説かれて、成仏すべき仏種を断絶するがゆえに、生死一大事の血脈はないのである。

 人身は受けがたく、しかも保ちがたい。永遠から見れば、私たちの今生の一生は、一炊の夢のようなものです。よく戸田先生は「ここにいる人は、百年たったら誰もいなくなるんだよ」と語られていた。
 限られた一生だからこそ、この一生をどう生ききっていくかが大事になる。仏法は、この「一生」で永遠の勝利を築くことができると教えています。そのための信仰です。勝利を決する要諦は「生涯不退転の信心」であり、「持続の信心」にほかなりません。
 これまで、本抄を拝して、生死一大事の大法である妙法蓮華経を受持する要件を学んできました。
 その一つは、久遠実成の釈尊が身をもって示し、皆成仏道の法華経の真髄として説かれた「妙法蓮華経の生死」「仏界の生死」と、すべての衆生の生死とが、本来、全く差別がないと信じて、題目を唱えるべきであるということです。
 二つ目は「臨終只今」と覚る決定した信心が大切であり、生涯、「臨終只今」の信心を貫き、その総決算として「臨終正念」を成就すべきことを学びました。
 この二つから当然、「生涯不退転の信心」が不可欠でることになります。臨終正念を遂げるためには、最後まで臨終只今の信心を持続していくべきだからです。
 ただ、本抄においては、今世だけでなく「三世の生死」という、より広き生命観から、「不退転の信心」の大切さを示されていることを銘記しなければなりません。
 すなわち、今生において、生涯、正しい妙法受持を貫いて臨終正念を遂げれば、今世の生死だけでなく、「過去の生死」「現在の生死」「未来の生死」という「三世の生死」の総体が「法華の血脈相承」として結びついて一体となる。すなわち、全体が「妙法蓮華経の生死」として一貫し、「仏界の生死」として躍動していくのです。
三世の生死
 大聖人は次のように仰せです。
 「過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず」
 過去世において法華経との結縁が強盛であった。その「因」によって、現在の法華経受持という「果」がある。また、現在の法華経受持の「因」によって、未来の成仏という「果」は疑いない、いわれるのです。
 この御指南には、大難の中で法華経を受持した最蓮房を励ます意味があります。しかし、それだけではなく、法華経受持によって、今世の生死が変革されると、三世永遠の生死流転の総体が変革されることを示されていると拝することができます。
 今世が変われば未来世が変わっていくことは、時間の順序として理解できます。しかし、過去世における生死流転の意味まで変わってくるとは、少し分かりにくいかもしれません。
 生死流転の変革といっても、生死の繰り返し自体がなくなるわけではありません。しかし、今世で法華経を受持すると、これまでの迷いの生死、苦しみの生死は、実は夢のようなものであり、仏が如実知見したありのままの「妙法蓮華経の生死」すなわち「仏界の生死」こそが、夢から覚めた現実の生死であることが深く納得できるのです。
 私たちは通常、苦しみの世界を現実世界と思っている。しかし、本来の生死のあり方から言うと、現実と思っている苦しみの世界のほうが夢のようなものです。
 「総勘文抄」では九界の生死が夢であり、常住の仏界が目覚めた現実であると言われている。
 「九界の生死の夢見る我が心も仏界常住の寤の心も異ならず九界生死の夢見る所が仏界常住の寤の所にて変らず心法も替らず在所も差わざれども夢は皆虚事なり寤は皆実事なり」(0565-14)
 このような意味で、今世における妙法受持によって真実に目覚めた境涯過去の生死流転を捉えなおすと、法華経の結縁が強盛であったと見ることができるのです。法華経の結縁とは、全ての人が成仏できると説く教えを聞くことによって仏性が触発されることです。
 ただし、この結縁には、その教えを信ずる順縁と、その教えに反発する逆縁の二つがあります。結縁強盛といっても、順縁とは限らないのです。しかし、信じても反発しても、仏性は触発されているのです。
 過去世の生死流転の中における法華経結縁によって、今世の法華経受持があり、今世の法華経受持を生涯貫くことによって、臨終正念を遂げ、未来世には仏果を成ずるのです。
 未来世の仏果とは、すでに考察したように、別世界の浄土に安住することでもなければ、超越的な姿をとることでもありません。どこまでも生と死の流転の中にありつつも、大宇宙の慈悲の行業を我が身に感じながら、現実世界で苦しむ人を救うために戦い続ける仏の姿をとることです。
 それゆえに、過去世も、現在世も、そして未来世も、生死の姿をとるのであり、これを「三世の生死」と言われているのです。
仏法の三世の因果は「現在」が中心
 さて、ここで、仏法の「三世の因果」について付言しておきたい。
 大聖人の三世の因果の捉え方で重要な点は、どこまでも「現在」に焦点が当てられていることにあると言えます。
 大聖人は、「開目抄」で、「三世の因果」を説く心地観経の一節を引かれています。
 「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231-03)。
 若き日に、この一節を初めて拝したとき、私は深い感動を覚えざるをえなかった。この三世の因果において、どこまでも大事なのは「現在」であり、その自分の信心であると知ったからです。経文自体の表現といい、また「開目抄」で引用されている文脈といい、仏法の因果論の要諦は「今の自分の変革」にあることを明確に示している。
 「開目抄」で大聖人が、この経文を引かれて語られていることは、過去については「宿命転換」への大確信であり、未来については「後生の大楽」は間違いないとの深い希望です。
 過去の悲哀を転換し、未来の尽きることなない希望へと進んでいく。そういう「現在の確固たる自分」を確立できるのが、この仏法なのです。
 どんなに困難な現実があろうとも、未来は変革可能であると捉え、根本の楽観主義に立脚して、「今」を真剣に戦うのが、日蓮大聖人の仏法の本義なのです。
 ともあれ、今世の信心によって、三世永遠の流転の方向が定まる。幸福と慈悲の流転となるか、それとも悲哀と悪の流転となるかが決まる。
 信心とは、無限の希望です。未来永遠に幸福になる因を、「今世」で、そして、「今この瞬間」で築くことが必ずできる。凡夫には不可思議ですが、厳然とその功力があるからこそ、「妙」なる「法」なのです。
「不退転の信心」が三世を決める
 信心の要諦の一つは「不退転」です。
 大聖人は「新池御書」で、最後まで信心を貫くことの大切さを強調されています。
 「始より終りまで弥信心をいたすべし・ さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては 何として都の月をば詠め候べき」(1440-05)
 有名な御文です。せっかく信心をしたのに、人生の最終章で歩みを止めてしまっては、今世の総仕上げをすることはできません。大聖人は仏道修行の灯は消えやすいがゆえに、いよいよ信心を貫いていきなさいと仰せです。
 なぜ灯が消えやすいのか、名聞名利や三障四魔によって、自分の心が破れてしまうからです。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190-11)です。たゆむ心があると、無明が発動してしまうからです。
 したがって「不退転の信心」とは、「戦い続ける心」の中にしかありません。
 大聖人御自身が、常に「不退転」を自ら誓っておられます。
 立宗宣言の直前には「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(0200-16)と決意されました。
 また、佐渡にあっても、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」(0232-05)と、御自身の誓願を断じて破るまいと覚悟されている。
 不退転の信心がいかに大切かを、御本仏自ら示し切っておられるのです。
日々、信心と祈りの深化を
 この「生涯不退転」の観点から、わが学会員の信仰の勝利の人生を確認しておきたい。
 大聖人の生死論、仏法の生命観から言えば、今世の人生の頂点は「臨終」にあることは明らかです。臨終は人生の最終章であるとともに、次の生への出発だからです。
 日蓮大聖人は「何よりもまず、臨終のことを学ぶべきでる」と明快に仰せであります。戸田先生も「信心の目的は臨終のためにある」と、よく言われた。
 したがって、大前提として、「持続」「不退」の信心とは、人生の最終章に向かって、「月月・日日に」深まっていくものである。いな、深めていくものだという点を、強く銘記することが大切です。
 草や木も、当然、一刻一刻、確実に変化しています。何気なく見えているのでは、花が咲いたなどの目立った変化しか気づかないかもしれない。しかし「詩人の目」「観察者の目」であれば、日々の細やかな変化をも、くっきり見てとることができるでしょう。
 私たちの信仰も、日々の勤行、日々の学会活動の繰り返しの中にあって、一日一日、着実に、厳然と深まっていくものでありたい。大聖人の仰せの通りに、現実に広宣流布を進めている学会の中に行学に励んでいくことは、まさに一生成仏に向かって、信心をたゆみなく、しかも確実に深めていく力用があるのです。
 「あいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」(1505-09)との仰せのとおりです。
 毎日毎日の実践で、私たちの生命は、いよいよ妙法蓮華経にそめあがっていくのです。
 具体的には「信仰」の深化とは「祈り」の深化です。祈りは、その人の境涯の表れです。祈りの内容や祈る一念が深まっていってこそ「持続」「不退転」の信心なのです。
信仰者のライフスタイル
 信仰とは、生涯かけて深めていくものです。この信仰と人生の深まりという観点から、一つの参考として、人生を四つの段階に分ける古代インドの考え方を挙げておきます。
 その第一期は、学生期。一人前になるために、師につきながら学んでいく時代。
 第二期は、家長期。家の主人として、社会的義務を果たし、子孫を育てる時代。
 第三期は、林住期、富や地位を捨てて隠居し、林に入って修行する時代。
 第四期は、遊行期。解脱に向け、執着を捨てて遍歴し、永遠の生命を得ようとする時代。
 自身を鍛え、社会的責任・家庭的責任を果たした上で、宗教的な修行を経て、最終的な人生の目的そのものを成就していこうという、ライフスタイルであるといえます。
 私たち創価の同志もまた、自己実現と社会貢献と人生勝利というテーマを掲げて前進しています。
 十代から青年期にかけての信仰は、自身の使命に目覚め、自身を鍛えていくことが中心となる。いわば「自覚と鍛錬」の時代でるといえます。
 この時期は、自身の「使命」を自覚することによって、才能の芽が急速に伸びる。「決意」を新たにした青年の成長は、まことに目覚ましい。
 私も19歳の時に戸田先生に出会い、約10年にわたって師の薫陶を受けきってきた。私の人生の一切の骨格は、すべて戸田先生と不二で歩んだ青年期に築きあげたものです。
 次は、壮年部・婦人部の世代です。社会的に言えば、いわゆる定年前後までの年代となります。
 未来部・青年部が「自覚と鍛錬」の世代であるとすれば、この年代は、「実行と実証」の年代といえます。会社や家庭・地域で、自身の信仰の実証を示していく年代です。自身の使命や社会的責任を果たし抜いて、社会や地域に思う存分、信仰の底力を発揮しゆく時であります。
 そして、次の世代、すなわち「多宝会」「宝寿会」「錦宝会」の世代です。いよいよ一生成仏という人生の真の目的に向かって、信仰の輝きが内面から煌めいていく年代であるといえます。いわば「成熟と歓喜」の世代であると言えるでしょう。
 信心には“定年”はありません。むしろ、この世代こそが本番であり、いよいよ信心を深化させ、輝きを増していくべき時です。
 労苦・病苦・死苦をどう受け止めていくか、また、どう乗り越えていくか、ここに仏法の本来の課題があり、根本の目的があります。この、生死一大事の課題を身をもって勝ち越え、その根本目的を成就していくのが、人生の総仕上げです。
 戸田先生は言われました。
 人生は最後が大事だ。最後の数年間が幸福であれば、人生は勝利である」と。
 「御義口伝」に「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(0740-第三四面皆出の事-02)と仰せです。
 法華経の宝塔の四面から溢れ出る馥郁たる香りは、生老病死は個々人の生命を荘厳していることを意味していると仰せです。生老病死は生命を飾る香りであるとの、実に深い捉え方が示されています。
 それは、「妙法蓮華経の生死」という本来ありのままの生死に立ち還り、宇宙本源の生命力を我が身に漲らせて、「仏界の生死」の大歓喜に生ききる人生です。ここにこそ、生老病死をも自身の宝塔を荘厳する香りとしながら、永遠に常楽我浄の大生命力と大福徳を得ていく道が開かれるのです。

         第八回top

異体同心
広布大願の絆で結ばれた和合僧に真の血脈が通う
12   総じて日蓮が弟子檀那等・ 自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を
13 生死一大事の血脈とは云うなり、 然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、 若し然らば広宣流布の大願も叶うべき
14 者か、 剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば 例せば城者として城を破るが如し、
―-----
 総じて日蓮が弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔てなく水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこれである。
 もし、弟子檀那等がこの意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう。これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それは例えば、城者にして城を破るようなものである。

 本抄では、これまで、一人一人において生死一大事血脈が通う在り方が明かされてきました。それを要約すると、
    ①生成仏を確信
    ②臨終只今にありとの覚悟
    ③持続の信心、の三つです。この確固たる信心に「成仏の血脈」が流れるのです。
 の三つです。この確固たる信心に「成仏の血脈」が流れるのです。
 しかるに、この信心を弘めて「万人の成仏」と「世界の平和」を実現していくことが広宣流布の戦いです。その広宣流布を推進するために「師弟」と「和合僧」が最重要の意義を持つのです。
本抄後半の主題は「和合僧」と「師弟」
 広宣流布に戦う「師弟の実践」がなければ「生死一大事の血脈」は正しく流れ通いません。そして、その師弟の精神が脈打つ確固たる「異体同心の和合僧」がなければ、仏と魔との戦いである「末法の広宣流布」に勝ち抜くことはできません。
 大聖人は本抄で「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」と断言なされています。
 ここでは、まず冒頭に「総じて」の一句を示され、続けて「日蓮が弟子檀那等」と仰せです。これは末法の御本仏のもとに集って広宣流布を目指す、真実の「師弟」および「和合僧」を指し示されているのです。
 さらに、この和合僧の要件として「自他彼此の心なく」「水魚の思いを成して」「異体同心にして」との三点を挙げられています。そして、この要件のもと、自行化他にわたって「南無妙法蓮華経と唱え奉る」実践があるところにこそ「生死一大事の血脈」が流れ通うと明言なされています。
「自他彼此の心なく」
 まず、「自他彼此の心」とは、何か。「自分」と「他人」、「彼」と「此」を切り離して心を通わせない、「対立」「差別」「自己中心」の心のことです。このような殺伐たるエゴの一念には、当然、仏の血脈が通わない。
 人間は、ともすると、権力や名誉や利害に心を奪われ、地位や立場などに強い執着をもち、さらに名聞名利に流されて、「自己中心」になっていきがちです。信心とは、結局、この「自己中心」の心との戦いです。
 この心に囚われて信心を失えば、いかなる幹部であっても、また、いかにうまいことを言っても、広宣流布の大願を同心とする清浄無比の和合僧の中に、いられなくなる。
 そればかりか、大聖人は本抄で「異体同心の者」について「城者として城を破るが如し」と言われている。すなわち、広宣流布のための城のなかにいながら、広宣流布を破壊していく師子身中の虫へと堕してしまう。ゆえに大聖人は「自他彼此の心なく」と、厳しく戒められているのです。
「水魚の思を成して」
 続いて「水魚の思いを成して」と仰せです。「水魚の思」とは、切り離すことができない水と魚の関係のように「親密な思い」をいいます。互いに大切に思っていく心のことです。
 端的に言えば「仲よく!」ということです。
 師弟を根幹として、同じ大目的をめざし、ともに触発しあい、励ましあい、支えあって前進すれば、自然に仲がよくなります。前進の勢いがみなぎっている組織は、決まってリーダー同士の仲がよいものです。
 中国の『三国志』に登場する劉備玄徳と葛亮孔明が互いに尊重しあう関係を「水魚のまじわり」と称えられていることは、有名です。
 広宣流布の大願という「仏の心」を「我が心」として、皆の幸福のため、広宣流布のために祈り、動き、如来の行に励む人にとって、同志はともに最高の使命に生き抜く尊貴な存在です。対立や差別とは無縁であり、和合と触発の生き生きとした関係が、そこに成り立つのです。
異体同心と血脈
 そして、三つ目に「異体同心」との要件を挙げられています。これが根本です。前の二つもこえに含まれていることは言うまでもありません。
 「異体」とは、人それぞれに個性・特質・立場が異なることです。「同心」とは、目的観や価値観が同じこと、また、特に大聖人の仏法では、「妙法への信心」と「広宣流布の大願」を同じくすることです。
 いわば、法を中心として「個」と「全体」の調和する姿が、仏法の「異体同心」です。この言葉には、多彩な人材群が、互いに触発しあって広宣流布へ前進していく躍動の姿が凝結していると言っていいでしょう。
 大聖人は、異体同心で前進しながら南無妙法蓮華経と唱えるところにこそ「生死一大事血脈」が流れ通うと結論されています。
 「異体同心」についての大聖人の教えの要点を述べれば、第一に、異体同心こそ万事において「事を成就するための鍵」「勝利の要諦」であると強調されています。
 第二に、特に仏と魔との戦いである末法広宣流布においては、「異体同心の団結」が絶対に不可欠である。
 そして、いかに広宣流布を妨げる悪の勢力が強くても、「異体同心の団結」があれば、必ず勝ち越えていけるとの大確信を打ち込まれています。
心を一つにして祈る
 異体同心は、いわば「法華経の兵法」の究極であると言えます。「法華経の兵法」とは、要するに「祈り」です。なかんずく、異体同心とは、「心を一つにして祈る」ことにほかなりません。
 異体同心の祈りがなければ、どんな策や方法論を立てても、広宣流布は進まない。根本の異体同心の強き祈りがあれば、そこには大きな勢いが生まれ、かりに異体異心の者が出たとしても、悠々と吹き飛ばして前進していくことができます。
 そしてまた、「同心」とは、「広宣流布の大願」です。
 「広宣流布」は、万人の成仏を目指す仏の大願です。その「仏の大願」「師の大願」を「我が誓願」として、勇んで広宣流布の実践を起していくのが「同心」です。
 「広宣流布を願う心から生まれる祈り」こそ「同心」の真髄といえるのではないでしょうか。この祈りが脈打っているのが創価学会の組織です。
完璧な勝利のリズム
 広宣流布への祈りを根幹とする異体同心の前進には、勢いがあり、勝利の力があります。さらにまた、その中で前進している人々は仲がよく、労苦があっても楽しい、その勝利のリズム、躍動のリズムを築くための要諦は、ひとえに「同心」にあります。
 すなわち「広宣流布の大願」という「仏の心」に皆の心を合わせていくから、妙法のリズムが生まれる。
 仏の尊極の心に共鳴していくから、成長があり、歓喜があり、勝利がある。
 また、世間的な仲間意識やつながりを、はるかに超えた、崩れることのない「人材の城」「幸福の城」「平和の城」ができあがるのです。
 「仏の大願」「師の心」に自分の心を合わせるのが異体同心です。その意味で、異体同心の核心も「師弟不二」にあるといってよい。
 本抄では、大聖人の弘通の「所詮」つまり目指すところは「異体同心」の」現実にあるとの重要な御指南をされています。
 これは、異体同心の組織こそが、仏の血脈を通わせることができるからです。師弟不二の実践を、どこまでも大きく広げ、いつまでも長く通わせる力を持っているのが、異体同心の和合僧です。
 たとえば、大聖人の滅後において、大聖人と直接お会いしたことがない人であっても、大聖人の精神が脈打って流異体同心の組織があれば、大聖人と師弟不二の実践が可能となります。だから、成仏の血脈が長く流れ通うのです。
 ゆえに、異体同心の和合僧があれば「広宣流布の大願も叶うべき者か」です。異体同心の組織があれば、仏の大願が断絶なく継承され、必ず広宣流布が成就することは間違いないとの御断言です。
 「異体同心」は、広宣流布の大願成就の根本的な要件です。
 創価学会においても、初代会長、二代会長の戦いは、完璧な勝利のリズムを刻む異体同心の組織の構築に捧げられたとも言えます。私も、その使命を継承し、完成するために一身をなげうって戦ってきました。そして、今、世界広宣流布の基盤となる異体同心の盤石な和合僧ができあがりました。
 私が今、願うことは、この尊き異体同心の勝利のリズムを、後継の青年たちに完璧に受け継いでもらいたいということです。そのためにも、勝利の鍵となる「同心」について、何点か、その意義を確認しておきたい。
「同心」とは
①広布大願

 一つは、「同心」とは「広宣流布の大願」であるということです。
 熱原の法難の渦中、大聖人は若き南条時光に。「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(1561-01)と呼びかけられました。「同じ一生であるならば、広宣流布のために命を捧げよ!」との大聖人の烈々たる叫びであられます。
 「広宣流布の大願」は、大聖人直結で広布大願を受け継いだ初代、二代、三代の師弟の心そのものであります。三代の師弟は、この大願を一瞬も忘れずに不惜の行動を貫いてきました。これが異体同心の核心なのです。
 さらにまた、これは、広布を破壊する悪とは徹底的に戦う精神でもある。これまでも「異心」の輩は、名聞名利におぼれ、広宣流布を忘れ、我執に走り、和合僧を乱してきた。このような悪とは、恐れることなく断固として戦う。これが法華経の真髄であり、学会精神です。
②同志を尊敬する心
 次に、「同心」とは、「同志を尊敬する心」であらねばなりません。
 法華経の広宣流布の精神は「万人の成仏」を確信することに基づきます。その広宣流布のための異体同心の和合僧は、万人に仏性があるという法華経の哲学を反映した世界です。不軽菩薩は、一切衆生に仏性があり、法華経を持てば必ず成仏できると確信して万人を礼拝する礼拝行を立てました。法華経を持たない人に対しても尊敬したのです。いわんや、御本尊を持ち、広宣流布に戦う同志は必ず仏になれる人です。法華経を持つ人を“仏の如く敬うべし”と、法華経普賢品にも説かれています。
 異体同心とは、万人を尊敬する仏法哲学に基づく人と人との絆です。「同心」とは、同志が互いに尊敬し合っていく心にほかならないのです。
③師弟不二の信心
 第三に「同心」とは、「師弟不二の信心」にほかならない。異体同心の核心は、自身の心を、仏の心、広宣流布の指導者の心である広布大願に合わせていく「師弟不二の信心」にあります。
 日興上人は師弟不二を貫き「大聖人直結」の和合僧団を築かれました。反対に、五老僧は、権力を恐れ、師弟を忘れてしまったがゆえに、広宣流布の大道から外れてしまった。まさしく師敵対とは、異体異心そのものです。
「創価学会仏」
 三代の師弟によって示された広宣流布に戦う根本精神が異体同心の組織の中に脈動いていくとき、創価学会は、民衆を救済する仏の大生命力を恒久的に持ち続けることになります。
 その力は、民衆の苦悩の暗闇を破り、勇気と希望を与えゆく「慈悲の大光」として輝きます。悪を打倒し、正義を叫び抜く「獅子吼」となって響きます。宿命転換して、自他共の幸福を築く「大確信」が一人一人の胸中に開かれます。
 そして、そのような仏の力を具えつつ、いかなる三障四魔の大難にも打ち勝つ「異体同心の和合僧」「金剛不壊の師弟の大城」として聳え立つのが、創価学会の組織なのです。
 ゆえに戸田先生は「未来の経典には『創価学会仏』の名が記される」と予見なされました。大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである。これが戸田先生の大確信であられた。
 戸田先生は幾度も「戸田の命よりも大切な学会の組織」と語られました。
 私も、何よりも大切な仏意仏勅の和合僧団を、戸田先生の命そのものとして、お預かりしてきました。そして「異体同心」を根幹の指針として、この創価学会を大発展させ広宣流布を進めてきました。
 どうか、これからも、「異体」を「同心」にしていく信心の努力と誠実な行動によって、三代の師弟が築いた仏意仏勅の和合僧団を拡大していただきたい。それ自体が、広宣流布の道であり、世界平和への確かな前進だからです。

         第九回top

師弟不二
広布大願に生き抜く師弟の絆は三世永遠
14                                           日本国の一切衆生に法
15 華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・ 還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、 而
16 るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、 金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽
17 ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云
18 く「衆山の中に須弥山為第一・ 此の法華経も亦復是くの如し」又云く 「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わ
1338
01 ず」云云、 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、 「在在諸仏土常与
02 師倶生」よも虚事候はじ。
―-----
 日蓮は日本国の一切衆生に法華経を信じさせ、仏に成るべき血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に値わせ、揚げ句のはてはこの佐渡にまで流した。
 そうしたなかで、あなたは日蓮に随順され、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられて心を痛めている。
 鋼鉄は大火にも焼けず、大水にも流されず、また朽ちることもない。銑鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。
 賢人は鋼鉄のようであり、愚人は銑鉄のようなものである。あなたは法華経の鋼鉄を持つゆえに、まさに真金である。
 薬王菩薩本事品に「諸山の中で須弥山が第一であるように、この法華経もまた諸経中最第一である」とあり、また「火も焼くことできず、水も漂わすことができない」と説かれている。
 過去の宿縁で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦多宝の二仏こそ御存知と思われる。化城喩品の「在在諸仏の土に常に師と倶に生ぜん」の経文は、よもや虚事とは思われない。

 仏法は「師弟の宗教」です。「師弟不二」が実践の真髄です。「師弟」を忘れれば、成仏もありません。永遠の幸福もなければ、広宣流布もありません。
 それは、師弟の絆によってこそ「法」を伝えることができたからです。仏法は「生命の法」です。「生命の法」は、言葉や観念だけではつたわりません。
 「生死一大事の血脈」も、その本質は、師弟の実践があるところに流れ通います。師弟がなければ、血脈も断絶してしまうことを知らねばなりません。
「師の心」とは「広宣流布の大願」
 大聖人は、今回拝する御文の最初で、仏法の師弟における「師の心」を明かされています。すなわち「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」と仰せです。これは、大聖人御自身の大闘争の御生涯を貫く「御本仏のお心」の核心が示されていると拝されます。
 “全民衆に平等に仏になる血脈を継がせたい” このお心は、そのまま「法華経の心」であり、法華経に説かれた「仏の大願」にほかなりません。
 法華経は“すべての人を成仏させよう”との「仏の大願」が貫かれている経典です。そして、その誓願を受け継いだ人こそが、「真の菩薩」であり「仏の真の弟子」であることが明かされています。
 したがって、万人の成仏、自他共の幸福を願う「仏の大願」「師の心」とは、「広宣流布の大願」そのものにほかなりません。
 竜の口の法難・佐渡流罪の大難の中で、この「師の心」が分からない弟子は、愚かにも大聖人を誹謗して退転していきました。大難の中でこそ、本物と偽物が厳然と峻別されます。大聖人はこの大難にあって師弟の本質を明かされ、師の大願と心を合わせた「本門の弟子」を立ち上がらせていかれました。弾圧によって「千が九百九十九人は堕ちて候」(0907-08)という状態になった一門を再び確立していかれたのです。
 佐渡の地でも、大聖人が流人であることを承知のうえで、いな、法華経の行者として戦う大聖人の確たるお姿を間近に拝したからこそ、大聖人に連なる真金の弟子が続々と誕生します。その一人こそが最蓮房でした。
万人に開かれてこそ真の血脈
 ここで、「万人の成仏の血脈を継がせてあげたい」という大聖人のお心を拝察するうえで、第一に重要な点は、仏法の血脈は「万人に開かれている」ということです。
 この血脈の本義は、どれほど強調しても、強調しすぎることはないと言えるほど重要なことです。なぜならば、この血脈の本義を弁えるか否かが、「人間主義の世界宗教」と「権威主義の邪宗門」とを分ける分水嶺とも言えるからです。
 最蓮房は、当時の日本天台宗の血脈の実体に疑問をもっていたのではないかと推察されます。「立正観抄」を拝すると、高僧が血脈相承を神秘化して自身や流派を権威付ける道具にしたり、あるいは高額で売買するなど、血脈相承そのものが腐破・堕落の温床床になっていたのです。
広布の大願に不惜身命が不可欠
 次に、大聖人は、「還つて日蓮を種種の難に合わせ結句此の島まで流罪す」と仰せです。御自身の20年来の闘争を示されながら、広宣流布の戦いは即ち大難を乗り越えていく戦いであることを示されているのです。
 仏法の師弟における「師の心」が、「広宣流布の大願」であることは先に述べた通りです。ここでは「師の振る舞いの真髄」は「不惜身命の行動」にあることを示されていると拝することができます。
 一切衆生の生命が濁る悪世末法で正法を弘通すれば、生命に及ぶ大難を受けることはさけられません。しかし「悦んで云く本より存知の旨なり」(0910-03)と仰せられているように、大聖人は、大難を莞爾として受け止められ、真正面から勝ち越えていく悠然たる御境涯を生涯、貫かれました。「還つて日蓮を種種の難に合わせ結句此の島まで流罪す」との表現には、いかなる大難にも揺るがず、大聖人の「師子王の心」に満ち満ちた、「法根本」「不惜身命」の澄み切った御境涯を拝することができます。
難を超えて法華経を信受する「真金の人」
 このように、本抄では、万人を成仏させたいとの「広宣流布の大願」と、相次ぐ大難を勝ち越えていく「不惜身命の行動」という、末法広宣流布の戦いにおける「師」の心と行動の真髄が明かされているのです。
 そのうえで、「而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事」と仰せられ、最蓮房が日蓮大聖人に随順し、しかも、それゆえに自分自身も難を受けたことをもって、最蓮房を「真金」の人と讃えられています。
 師に随順して「弟子の道」に生き抜いている最蓮房を称賛されつつ、大聖人は師弟不二の実践の中にこそ、仏法の一大事である血脈が流れ通うことを教えておられるのです。
 最蓮房自身が受けた難とは、具体的にいかなるものかは知られていません。しかし、佐渡では、大聖人を師と仰ぐ弟子たちが何らかの難を受けていたことは確かです。あるいは、大聖人のお命を狙う悪人たちが、門下を迫害したことも想像に難くありません。
 例えば、阿仏房・千日尼が受けた苦難について御書には「地頭・地頭・念仏者.念仏者等・日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人もあるを」(1313-13)「或は所ををい或はくわれうをひき或は宅をとられなんどせしに」(1314-18)等と仰せです。
 最蓮房が大聖人の門下になったがゆえに難にあったことに対して、大聖人は「心中思い遣られて痛ましく候ぞ」と仰せになられています。
 そしてまた、最蓮房が難に負けることなく、大聖人に随順し抜いたゆえに、最蓮房を「真金」の人であると讃嘆されているのです。
 さらに、「真金」である理由は「法華経の金を持つ故」であると明確に示されています。「法華経を持つ」とは、具体的には、法華経の行者として生ききった師匠の大願を自らの誓願として持つことであり、苦難の時にも師と同じく確たる信心を貫いていくことにほかなりません。
 すなわち、「真金の人」とは、不惜身命で「法」に生き抜く人の異名です。この人こそ、「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(0465-18)と仰せの通り「第一の人」なのです。
 最高の信念に生き抜く人は、常に本質を見抜くゆえに、物事の表面にとらわれず、何事にも紛動されることはありません。
 それに対して、信念なき愚人は、愚かな自分の心が基準となるゆえに、常に迷い、困難や生涯に負けてしまうのです。
 最蓮房自身、法華経が最勝の経典であることを深く理解していたことは間違いありません。そのうえで、最蓮房が大聖人の真金の弟子たるゆえんは、師に随順する金剛不壊の覚悟にあったといってよい。
 最蓮房は佐渡の地で、諸経の王である法華経を如説修行し、法華経の心のままに、不惜身命で民衆救済に生き抜かれる、真の「法華経の行者」を眼前に拝して、厳粛なる感動につつまれた。それは「御弟子の一分と思し食され候はば恐悦に相存ず可く候」(1340-05)との最蓮房の言葉にも表れています。
 この法華経の行者とともに邁進し抜いていくことこそが、法華経の真髄であり、極意であることを、最蓮房は即座に、そして正確に理解したに違いない。だからこそ、迷いなく師とともに忍難の道を選べたのではないだろうか。
 大聖人は続いて、法華経薬王品第二十三から二つの経文を引用なされています。これは、法華経を持つ真の境涯を示すためと拝されます。
 まず、受持される「法」である法華経について「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」とあります。世界の中央に聳え立つ須弥山のように、妙法は最高無上の法です。
 さらにまた、法華経を持つ「人」の確固たる境涯について「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」とあります。妙法を受持した人は、我が胸中に仏界という偉大な力を湧現していくゆえに、いかなる苦悩や困難にも侵されることなく、厳然と勝ち抜くことができるのです。
 「法華経を持つ」とは、賢人・真金の人として生きる深い悦びを持つ、ということです。その晴れ晴れとした誇りから、「難に耐える力」「難を乗り越える勇気」「難に打ち勝つ智慧」が生まれるのです。
師弟は三世の宿縁
 また、大聖人は、佐渡の地で真金の弟子となった最蓮房に対して「宿縁の深さ」を述べられています。
 それが「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか」の一節です。
 この不思議な宿縁は、ただ、釈迦仏・多宝如来という仏にしか分からないであろうと大聖人は仰せられています。
 さらに、化城喩品の経文に照らせば、法華経を持つ師弟の深き宿縁は間違いない真実であることを教えられています。その経文とは「在在の諸仏の土に、常に師と俱に生ず」と、師弟の絆の深さを示した一節です。
 この経文の意味を簡単にまとめると、釈尊の声聞の弟子たちは、三千塵点劫というはるかな昔以来、釈尊を師匠として、あらゆる仏の国土に生まれては、ともに菩薩の修行をしたという意味です。
 ここで大事なことは、声聞の弟子たちがすでに過去世に菩薩行を重ねてきた菩薩であったということです。この説法によって、声聞たちは、自分が本来「菩薩」の境涯なあったことを思い出していきます。法華経では、声聞たちが無量の過去から、「無上の悟りを得たい」「一切衆生を救いたい」という「深心の本願」を持っていたことが明かされます。いわば声聞たちは、はるかな過去世以来の大願を思い起すことで、師と同じ菩薩の修行をしていた自分を“発見”し“自覚”するのです。
 まさに、この経文は「自他ともの成仏」「自他ともの幸福」という人間の、また生命の“最も深い願い”を実現するために戦う師弟関係が永遠であることを示したものといえます。この人間生命の“最も深い願い”を思い起させてくださるのが真の師です。“その通りである”と心から納得して、師の仰せ通りに行動を起していくのが真の弟子といえます。
 広宣流布を共に戦う師弟は、このように生命の最極の奥底で連なる、最も深い師弟となります。広宣流布を戦う師弟の奥底は永遠の仏界です。すなわち、戦う師弟は「九識心王真如の都」という大境涯に共に住するのです。
「在在諸仏土・常与師倶生」
 戸田先生は、牧口先生の三回忌に、こう追悼されました。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができなした。なんたるしあわせでございましょうか」
 これが仏法の師弟の極意です。
 他の幹部たちは、それまで「牧口先生の弟子」であることを自称していながら、ひとたび自分が難を受けて牢獄に入った時、豹変してしまった。大恩ある先生を「牧口の野郎」とののしって師敵対していった恩知らずもいた。人の心は怖い。
 そのなかにあって、真の弟子であった戸田先生のみが、「あなたの慈悲の広大無辺」と、深い尊い師弟の絆を揺るぎなく自覚されていたのです。
 この尊貴なる師弟こそ、創価の魂です。
 この魂が不朽であれば、創価学会は永遠に発展し続けます。この創価の三代の師弟の魂を根幹としてこそ、広宣流布の基盤を総仕上げしていけるのです。
 戸田先生は、牧口先生と同じく牢獄に入ったことによって「地涌の菩薩の本事」「法華経の意味」を知ったと述べられています。その本質が、この「在在諸仏土・常与師倶生」です。
 師も弟子も永遠の菩薩行に生きる この一点を抜きにして法華経の本質はありません。戸田先生はある時、一般講義で、わかりやすい表現で、こう語られました。
 「「ぼくが日本のつぶれたところに行くから、君もこないか」と言ったら「はい、行きましょう」「そうだ、では行こうかね」とか言って、みんな出てきたのです。どこであろうと、もろもろの仏土に、お師匠様とかならずいっしょに生まれるという。この大聖人のお言葉から拝すれば、じつにみなさんに対して、私はありがたいと思う。約束があって、お互いに生まれてきたのです。」
 大聖人は、「過去無量劫より已来師弟の契約有りしか」(1340-09)と仰せです。
 師弟は「三世の宿縁」です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じることができるのです。
 日蓮仏法の精髄である「戦う師弟の精神」を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。創価学会の出現しなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰えていたと言っても決して過言ではありません。
法華経の精髄は「師弟」
 それでは、なぜ仏法において師弟が大事なのか、あらためて師弟の仏法的意義を確認しておきたい。
 一般に「師」とは、より熟練した技術、より深い知識、より高い行き方、より豊かな境涯等を教えてくれる人です。人は、何らかの意味で自分を高めてくれる存在を「師」と仰ぎます。
 仏法においては、師である仏は、自らが開悟した「法」に基づいて成就した尊極の人間性へと、弟子も共に高めようとします。その「法」とは、弟子たちにとって、無明によって覚知を妨げられ、経験したことのない「妙法」です。それゆえに「法とはこのようなものである」という論理的な教法や、「煩悩を乗り越えなさい」というような実践的な教法を教えられても、その教えの言葉だけでは仏の境涯が伝わるわけではありません。
 むしろ、教えの言葉とともに、仏との人格的触れ合いによって触発されることによって、我が内なる「法」を覚知することができるのです。これが「法が伝わる」ということです。
 仏法において「師弟」が重要な意味をもつ理由は、ここにあります。師弟の「人間」対「人間」の絆を通してのみ「法」は伝わり、「法」に基づく人間革命が可能になるのです。
 「生死一大事の法」を伝えうる血脈について論じられている本抄において、大聖人と最蓮房との深い師弟関係に言及されるべき必然的な理由も、ここにあると拝されます。
 したがって、仏法は人間を離れた超越的存在、神秘的な存在として、「師」を立てることはありません。
 「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(0753-第二如来秘密神通之力の事-02)と仰せのように、あえて言えば、一個の人間が即身成仏できることこそが、仏法における最高にして唯一の神秘です。しかも、この成仏という「神通」や「秘密」は、万人に実現が可能なのです。
 それでは、師である仏が入滅した後は、どうすればよいのか。身をもって教える人がいない時代は、本当の意味で、仏法を伝えることはできないということなのか。 この問題に正面から答えた経典が法華経です。
 法華経は、釈尊という仏の人格の核心が「仏の誓願」にほかならないことを教えた経典です。仏の誓願は、「我れは本と誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」と説かれます。いわゆる「如我等無異」です。
 迹門において、声聞たちは、本来、自分たちも仏と同じ大願に生きていたことに目覚めていきます。これは釈尊と声聞たちが、不二の本願に立っていることを教えています。
 そして、本門において、この誓願のもと、久遠の成道以来、娑婆世界にあって一切衆生を説法教化し続けている真の仏の姿が説き明かされます。すなわち、寿量品に説かれる「久遠実成の仏」です。
 さらに、この誓願を受け継ぎ、仏の滅後に仏と同じ民衆救済の実践に献身する「師弟不二の菩薩」こそ、「地涌の菩薩」です。
 法華経はまさに一貫して「師弟不二」を教えている経典なのです。
 仏教の歴史をひもといても、この「師弟不二」を見失ったところから、釈尊の神格化が始まりました。久遠実成の釈尊が人間から離れて超越的な仏になってしまえば、師弟は成り立ちません。師弟がなければ、一切衆生にとって、仏とは崇めるだけの存在となってしまい、自分自身の人間革命の規範とはなりません。
 法華経は、仏の人格の核心を「誓願」と明かし、その「誓願」を継承する不二の弟子に境涯を衆生に伝えることが可能となったのです。
 なかんずく「広宣流布」という大誓願には、不惜身命の実践が不可欠です。法華経寿量品には「一心欲見仏・不自惜身命」と説かれ、仏の滅後であっても、不惜身命の実践のあるところ、釈尊が出現すると説きます。
 このように、広布大願と不惜身命という仏の人格の核心を実践する人には、仏の滅後であっても、仏の境涯が伝わっていくのです。
 日蓮大聖人は、唱題という仏界湧現の方途を示され「広布大願」「不惜身命」という悪世末法における信心の鍵を明かされました。これによって「成仏の血脈」が成り立ちます。その一切の根本の力が「師弟」なのです。
 大聖人の不二の弟子・日興上人は、こう言われております。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、仏になるのである。師弟の道を誤ってしまえば、同じく法華経を持ちまいらせていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」
 そして、現代において、この仏の誓願である「広宣流布の大願」に目覚め、「不惜身命の行動」を貫き通してきたのが、創価学会三代の師弟です。
 私は、牧口先生、そして戸田先生の弟子として、三類の強敵との大闘争に勝ちました。「断じて弟子が勝つ」という歴史を築きました。戸田先生に、「万事、勝利しました」と、堂々と報告ができます。何の悔いもありません。
 牧口先生と戸田先生。戸田先生と私。創価学会は、仏法の真髄である師弟不二を三代にわたって築き上げてきました。創価の師弟の勝利があったからこそ、法華経に説かれ、大聖人が御遺命された「一閻浮提広宣流布」すなわち世界広宣流布を現実に開いていくことができたのです。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」(0900-09)師弟が合致すれば一切の大願を成就することができる。「師弟」とは最強無敵の勝利の力なのです。

         第十回top

本化地涌の利益 
生命本有の妙法の力で万人を救う真の菩薩行
03   殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、 此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、 只南
04 無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、 火は焼照を以て行と為し・ 水は垢穢を浄るを以て行と為
05 し・風は塵埃を払ふを以て行と為し・ 又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し・大地は草木を生ずるを以て行と
06 為し・天は潤すを以て行と為す・妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり、上行菩薩・末法今の時
07 此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由・ 経文には見え候へども如何が候やらん、 上行菩薩出現すとやせ
08 ん・出現せずとやせん、 日蓮先ず粗弘め候なり、
―-----
 ことに、生死一大事血脈についてのお尋ねは、先代未聞のことであり、まことに尊いことである。この文に詳しく記したとおりであり、よく心得て南無妙法蓮華経、釈迦多宝上行菩薩血脈相承と唱え、修行されるがよい。
 火は物を焼き、かつ照らすことをもってその働きとなし、水は垢や穢を清めることをもってその働きとなし、風は塵や埃を払うことをもってその働きとなし、また人畜や草木のために魂となることをもってその働きとなし、大地は草木を生ずることをもってその働きとなし、天は万物を潤すことをもってその働きとする。妙法蓮華経の五字もまた、この地・水・火・風・空の五大の働きをことごとく具えているのである。本化地涌の利益がこれである。
 さて、上行菩薩が末法の今時、この法華経を弘めるために、御出現されることが経文に見えているが、どうであろうか。
 上行菩薩が出現されるにせよ、されないにせよ、日蓮はその先駆として、上行菩薩所弘の法門をほぼ弘めているのである。

 全人類を生命の根底から蘇生させる。
 全世界を真実の平和楽土へと変革する。
 これが法華経の根本目的です。
 そして、この根本目的を我が誓願として、最後まで戦い続ける人が「地涌の菩薩」です。
 末法濁世の娑婆世界にあって苦悩する民衆に希望の陽光を注ぎ、「生きる力」そのものが本人の内側から湧きあがるまで慈愛と勇気のかかわりを続けていく。
 その人の生命に具わる「善の力」をどこまでも信じ抜き、誠実の対話を貫いて、仏性を呼び覚ます実践を決して諦めない。
 自らの生命に妙法の力用を体現しているがゆえに、民衆の大海の中で粘り強い行動を続け、人格の光を放って人々の仏性を揺り動かしていけるのです。そういう真正の実践者が必ず末法に無数に出現することを、法華経は断言しています。
 人間を内側から根本的に救う「生命の達人」こそ、地涌の菩薩なのです。
 その智慧と行動は、自他の仏性を信じる深い信念と哲学によって支えられています。その信念と哲学によって我執も宿命も打ち破り、宇宙本有の慈悲の力を我が生命に満々と湛えることができます。それが、地涌の菩薩における、人の心を打ってやまない輝かしい人格力と、倦むことなき民衆救済の行動力の源泉なのです。
 全人類の成仏の実現、これこそが生死一大事の血脈の本義です。この一点を外して、いかに法華経を読んでも、それは成仏の血脈を自ら閉ざすことに等しい。万人を仏にする主人公こそが地涌の菩薩です。ゆえに「我、地涌の菩薩なり」と自覚して、その使命の遂行に師と共にたちあがらなければ、本当に法華経を身読したことになりません。
 「生死一大事血脈」の画竜点睛は、上行菩薩を上首とする地涌の菩薩おける師弟の実践にあります。今回および次回は、その意義について述べられた御文を拝察してきます。
「実践」こそ仏法の生命線
 仏法はどこまでも師弟の実践の中にあります。
 法華経には多くの菩薩が登場します。しかし、永遠の仏として説かれる本門の釈尊の真実の弟子は、地涌の菩薩しかいません。その上首が上行菩薩です。法華経は、釈尊から上行菩薩へ、すなわち、久遠の境地を明かした師匠から本門の弟子への付嘱の経典です。
 大聖人は、最蓮房の求道心を「殊に生死一大事の血相承の御尋ね先代未聞のことなり貴貴」と称えられた後、「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」と述べられて、南無妙法蓮華経の修行を勧められている。
 この一節は「生死一大事血脈とは何か」という最蓮房の問いに対する大聖人のお答の「結論」を、実践の観点から明快に示されているのです。
 すなわち釈迦・多宝の二仏から付嘱を受けられた上行菩薩が弘めるままに南無妙法蓮華経を修行することが生死一大事血脈を受け継ぐ要諦であることを明かされています。
 南無妙法蓮華経の修行といっても、上行菩薩が末法に出現して実践する通りの「師弟不二の修行」、そして、上行菩薩が説くままの「如説修行」でなければならない、と勧められているのです。
 そして、上行菩薩と師弟不二の修行をすることによって現れる南無妙法蓮華経の力有を、地・水・火・風・空の五大の力用によって明かされていきます。
 ここで示されている五大の力用は「妙法蓮華経」の力用であり「本化地涌の利益」であると仰せです。つまり、本化地涌の菩薩は、生命本有の妙法をもって妙法蓮華経を弘め、衆生を利益するのです。
 そして、以上のような南無妙法蓮華経の修行と力用を最初にあらわし、実践する上行菩薩とは、日蓮大聖人御自身にほかならないことを示されていきます。
 それはすなわち、南無妙法蓮華経を大聖人と同じ心で、また、大聖人が説かれるが如く実践していきなさいとの仰せです。
 実践は仏法の生命線です。実践なき宗教は、観念の遊戯となります。血脈相承といても、詮ずるところ上行付嘱の法である南無妙法蓮華経を「如説修行」することが不可欠であることを教えられているのです。
 如説修行なき血脈相承などは絶対にありえません。この一点でも、神秘的な血脈相承を説き、民衆をそのもとに従属させてくような邪宗門が、いかに日蓮大聖人の仏法に背いているかは明白です。
五大の力用によって地涌の利益を示す
 南無妙法蓮華経の如説修行とはいかなるものか、それを明らかにするために、ここで大聖人は、地水火風空の五大の働きを示されています。
 「は焼照を以て行と為し」 「火」は、物を焼き、光明となって万物を照らします。
 水は垢穢を浄るを以て行と為し」 「水」は、物を浄化する働きを持つ。
 「風は塵埃を払ふを以て行と為し・又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し」 「風」は塵を払う。そして「人畜草木の為に魂となる」とありますが、これは、古来、風が万物に生気を吹き込むと考えられていたことから付け加えられたと考えられます。
 「大地は草木を生ずるを以て行と為し」 「大地」には草木が生い茂ります。これは生命を育む働きがあるということです。
 そして「天は潤すを以て行と為す」 「天空」は雨を降らして万物を潤します。
 最後の「天」は地水火風空の五大のうち「空」に配することができます。したがって、ここで大聖人は、宇宙を構成する要素である五大の力用という、大自然の本質的働きを取り上げられていると拝察されます。
 そして、ここに示されている五大の働きは、すべて「何かのために役立つ」という価値創造の働きです。大聖人は、五大のそれぞれの本有の価値創造の働きを示されたうえで「妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり」と仰せです。
 「地水火風空の五大」の力有は、そのまま「妙法蓮華経の五字」の力用であり、さらには「地涌の菩薩の利益」であると明言されています。いわば、宇宙それ自体が持っている慈悲の働きこそが、妙法蓮華経の働きの本質であり、地涌の菩薩は妙法の本有の力用をもって衆生を利益する菩薩なのです。生命に本来具わる慈悲の働きを人格・行動のうえに具体的に現すのが、地涌の菩薩の利益の本質であるとの仰せと拝することができます。
 また、「御義口伝」では、地水火風の四大の力用を示されたうえで、それが地涌の菩薩の導師である四菩薩の利益であると仰せです。この「御義口伝」の仰せと日寛上人の指南などに基づき、四菩薩の力用を地水火風空に当てはめると、「上行=火大」「浄行=水大」「無辺行=風大」「安立行=地大」となるでしょう。
 妙法の力には、衆生を苦しめてきた煩悩を焼く力があります。また、衆生の無明の闇を照らし、宿命の雲を晴らす力があります。この面を象徴するのが上行菩薩です。
 また、妙法には、現実の汚濁に染まらず、仏の清浄な生命を湧現させる力用があります。これが浄行菩薩です。
 さらに、いかなる迷いや悩みをも吹き払い、何があっても行き詰まらない晴れ晴れとした自在の境地を確立させる力用が無辺行菩薩です。
 そして、煩悩の苦しみや生死の迷いを払拭し、何ごとにも紛動されることがなく、豊かな生命力で一切を育んでいく力が安立行菩薩です。
 ゆえに大聖人は「御義口伝」において、道暹の「輔正記」の文を引かれて、四菩薩に「常楽我浄」の四徳を配されています。すなわち四菩薩の行は「生老病死」の四苦を超えて「浄楽我浄」の四徳をあらわす地涌の菩薩の実践を表していると拝することができます。
 また「御義口伝」では、同じく「輔正記」を引かれて、四菩薩の名が生死即涅槃・煩悩即菩提の境地を表すことが示唆されています。生死一大事血脈を考察されているのが本抄ですから、その参考として四菩薩の生死の関係を示す「輔正記」の文を考察しておきたいと思います。
 「有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」(0751-第一唱導之師の事-05)
 「二死」とは、六道の衆生の文段の生死と、菩薩・二乗の変易の生死です。「二死の表に出づる」とは、この二種の生死を超えることで、すでに論じた仏界の生死を繰り返すことであるとも言えます。言い換えれば、永遠の生命を実感しながら生死を繰り返す「生も歓喜、死も歓喜」の境涯です。地涌の菩薩は、永遠に妙法に生きるがゆえに、この真に主体的な境涯にあることができるのです。
 また「断常の際を踰ゆる」とは、断見と常見という誤った生死観を乗り越えて、生死の恐れや執着から自由になった自在の境涯です。そして「五住の垢累を超ゆる」とは、三界の衆生を生死に執着させる五つの煩悩が自由になることであり「道樹にして徳円かなり」とは仏の悟りの円満な境地に立脚することです。
 要するに、これらは、煩悩即菩提・生死即涅槃という衆生自身における生命の変革の働きを表しています。まさに上行などの四菩薩の名にある「行」の文字は、生命変革の修行を表しているのです。
「菩薩仏」の境涯
 本抄では、五大の力用をもって地涌の菩薩が説き弘める妙法蓮華経の功徳が明かされました。これを「本化地涌の利益」と仰せです。
 「本化」とは、法華経如来寿量品に明かされた久遠の本仏に化導された弟子という意味です。地涌の菩薩は久遠の本仏と一体の永遠の妙法を内証として所持しているがゆえに、仏が入滅した後の悪世においても一人立って妙法を弘めることができるのです。
 地涌の菩薩は、大地の下方の真理の世界から湧現した菩薩であると法華経に説かれます。この真理の世界を天台大師は「法性の淵底・玄宗の極地」と説きました。地涌の菩薩が究極の真理を悟っていることを示す言葉です。その実践は、あくまでも菩薩行、すなわち悪世において広宣流布を目指して、自他の変革のために戦っていくことです。その内証が、すでに妙法を悟った仏界の生命なのです。
 これが「菩薩仏」です。この境涯に万人に可能ならしめるために、大聖人は南無妙法蓮華経をあらわし、弘められたのです。南無妙法蓮華経を深く信じ、如説修行することによって、いかなる人も「仏菩薩」の境地に立つことができるのです。
 大聖人は仰せです。
 「されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり」(0751-第一唱導之師の事-12)
 ここに「本法所持」とあります。南無妙法蓮華経を修行する地涌の菩薩は、すでに妙法を所持しているのです。であるがゆえに、一人から一人へ、生命から生命へという妙法の弘通が可能なのです。
 どんな宿命にあえいでいる人に対しても、“自分自身の中に、宿命を打開する力が本来ある”と目覚めていってこそ、本当の意味で、その人を救う力となります。本法所持の地涌の菩薩でなければ、この力はありません。
 末法の救済は、「上」から、すなわち天空から降り立ってきた超越仏による恩寵では不可能です。「下」から、すなわち大地の底の真理の世界から湧現してきた地涌の菩薩を目の当たりにしてこそ、人々は自身に内在する無量の力を知ることができるのです。
世界に地涌の陣列が
 この菩薩行を現代に蘇らせたのが、創価学会の実践です。
 牧口先生は、次のように語っています。
 信者と行者と区別しなければならない。信ずるだけでも御願をすれば御利益はあるに相違ないが、ただそれだけでは菩薩行にはならない。自分ばかり御利益を得て、他人に施さぬような個人主義の仏はいないはずである。菩薩行をせねば仏にはなれぬのである。
 牧口先生は、日蓮大聖人の仏法の本義が菩薩行であることを見いだし、御自身が身をもって体現なされました。当時の宗門には菩薩行はなかった。仏法の力は、現実に生きる人間の姿を通した「現証」によってしか証明することができない、というのが牧口先生の卓見です。
 仏が色相荘厳の力で民衆を救うのではなく、民衆自身が菩薩行を実践することによって、自身の「内なる力」を存分に発揮していく、その姿を見て、人々が自身の「内なる力」に目覚めていく。これが宗教の本質であると鋭く見抜かれていた。
 そして、牧口先生の不二の弟子・戸田先生は、師匠と共に入られた獄中で「我、地涌の菩薩なり」と悟達されました。そして、戸田先生が呼び覚ました75万の地涌の勇者が、創価学会の礎を築いたのです。
 まさに「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360-08)の実践を貫いてきた教団は唯一、創価学会だけです。
 そして、今、広宣流布の実現のために、世界190ヵ国・地域で、地涌千界の勇者が法性の大地より湧出しました。法華経に説かれている地涌出現の儀式を世界で再演したのは、創価学会・SGIしかありません。
 地涌の菩薩には、国境、文化、民族の壁はありません。現に、地涌の連帯は、今や世界中に思想・信条・宗教の壁を超えて深い理解と共鳴を広げています。
 万人は皆、平等であり、誰人も尊貴な存在である。人間は「内なる力」に目覚めれば、世界を変革することができる。
 目覚めた民衆の連帯が、人々を救い、世界を救う。この地涌のアイデンテイティーを世界が賞讃する時代が到来しました。日蓮大聖人の民衆仏法が待望される時が来ました。
 私たち創価の師弟が、地涌の菩薩の本領である民衆の底力を、いよいよ満天下に発揮する時は今です。

         第11回top

上行菩薩
万人の「内なる力」開く民衆勝利の究極の先駆者


 「歓喜の生命」「躍動の生命」なくして、自他ともの幸福を実現し、善の連帯を築く戦いを成し遂げることはできません。
 人間生命を内奥から触発できるのは、人間生命しかありません。「内なる変革」を成就した人間の行動のみが、他の人間の生命変革を促していけるのです。
 宿命と我執によって、凍っていた大地のように閉ざされた末法の衆生の固い生命の殻を、いかにして打ち破っていくか。そして、いかにして人々の仏性を触発し、生命の変革へ大きく目覚めていくか。この仏法の果てしない実践のためには、まず汝自身が自らの変革を貫き通していく「戦う仏法者」でなければなりません。
 その使命を担い立ち、舞いを舞うように大地を破って躍り出てきたのが、無量千万億の地涌の菩薩です。そして、そのリーダーが上行菩薩なのです。
釈迦・多宝から上行への付嘱の意義
 本抄では、生死一大事血脈を受け継ぐ修行について「只今南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」と明かされています。法華経に虚空会における付嘱の儀式の上から言えば、この御文は「南無妙法蓮華経が釈迦・多宝より上行菩薩に血脈相承された大法であると信じて修行していきなさい」という仰せであると拝されます。
 この観点から、前回の講義では、上行菩薩を師とする「師弟不二の実践」、上行菩薩が説くがままの「如説修行」の大切さを強調しました。
 大聖人が本抄で「上行菩薩が末法の今の時に、この法門を弘めるために御出現されると経文にはうかがえるが、いかがであろうか。日蓮はまず、その上行菩薩が弘めるべき妙法をほぼ弘めているのである」と記されております。この仰せは、事実の上で、日蓮大聖人こそが末法に出現する上行菩薩にほかならないことを明らかにされています。
 したがって、大聖人がなされる通りに、そして、大聖人が説かれる通りに実践していく師弟不二の如説修行にこそ「生死一大事血脈」が通うのです。
 さて、本抄で釈迦・多宝から上行に付嘱された法として南無妙法蓮華経を修行すべきことを結論として強調されていることは、さらに甚深い意義を拝することができます。
 それは、この付嘱が、「本果妙の仏から本因妙の仏へ」、そして「本果妙の仏法から本因妙の仏法へ」大転換を意味しているということです。
 すなわち、これは、単なる仏から菩薩への付嘱ではなく、仏法の大転換、そして教主の交代を意味しています。そして、このように拝したときに、ここで仰せの南無妙法蓮華経の深義が明らかになるのです。
本果妙の仏から本因妙の仏へ
 まず「本因」と「本果」の意味を簡潔に述べておきたい。法華経寿量品では、釈尊が久遠の昔に成仏したとされますが、「本因」とは久遠の成仏の原因となった修行、「本果」とは、その結果として得られた仏の境涯を指します。これが、一往の意味です。
 ただし、寿量品では、この久遠実成の仏があらゆる仏の本地であり、久遠以来、娑婆世界を含むさまざまな国土に、仏や菩薩となって現れ、衆生を教化し続けてきたと説かれます。したがって、本因・本果とは、あらゆる仏の成仏の根本的な因果を指すことになります。
 この意味から、「本果妙」とは、究極的な成仏の果を指し示す仏や教えをいい、釈尊が説いたとされる教法はすべて、遠く至高の本果を指し示す本果妙の仏法として位置づけられます。
 「本果妙」の仏の教えは、ある意味で現実の人間を超えた仏の至高の境涯を指し示すものであり、その境涯がわからない人間にとっては、結局、譬喩としての意味しかないことになります。
 このような本果を指し示す仏の教えの本質について「白米一俵御書」には「爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし」(仏の心が澄んでいるのは、澄んだ月のようなものであり、仏の心が清らかなのは美しい花のようなものである)(1597―10)という、いわば譬喩のごとき教えであると、分かりやすく示されています。
 これに対して「本因妙」は、究極的な成仏の原因を説きあらわす仏や教法を指します。原因は現実の人間の側にあるがゆえに、「本因妙」は、現実の人間に即して究極の成仏の因果を説く教えとなります。
 まさしく、釈迦・多宝から付嘱された上行菩薩は、現実の世界に現実の人間として出現する菩薩なのです。
 万人の成仏という法華経の理想を実現するためには、現実の人間として、究極の成仏の因果を自らの生命において実践し、しかも、その因果を成就して末法の人々に説き示し、伝えなければなりません。
 この「本因妙」の仏法では、現実の人間が、そのままで究極の成仏の因果を体現していくことが根本条件です。ゆえに、因と果が一個の人間にともに具わるのです。したがって、本因妙の仏法では「因果俱時の妙法」を説くことになります。
 大聖人は「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」(0246-18)と言われています。我が生命の骨髄として成仏の因果の功徳を確立すれば、我が血肉が妙覚の仏となって現れるのです。
 現実の人間が妙法を体現することを要件とする「本因妙の仏法」においては、仏や教法のあり方は人間の実践を通して示されます。
 そのあり方を「白米一俵御書」では、「月こそ心よ・花こそ心よ」(1597-11)と表現されています。月や花などの現実の事物が、そのまま仏の心を体現しているという意味です。
 このように、上行菩薩が、現実世界で妙法を体現して本因妙の仏法を弘める存在であることから考えると、釈迦・多宝は「本果妙の仏」上行菩薩は「本因妙の仏」を意味することになります。
 さらにまた、釈迦・多宝によって象徴される「本果妙の仏法」は、因の立場にいる現実の人間にとっては、はるか天空の本果を仰ぎ見るしかない教法です。それに対して「本因妙の仏法」では、上行菩薩が身をもって体現した「因果俱時の妙法」を弘めるのです。
 つまり、本因・本果の名は同じでも、本因と本果がかけ離れたものを説くのか、それとも本因・本果が一体の「因果俱時の妙法」を弘めるのか、両者には法の上でも大きな違いがあるのです。
 この「因果俱時の妙法」こそ、真実の「仏種」です。釈尊も本来は、この「仏種」を悟り、成仏の因果を体現して仏になったと言えます。しかし釈尊の名をもって説かれた多くの教法は「仏種」そのものを説かず、本果を指し示す本因妙の仏法にとどまっています。
 法華経の核心は、釈迦・多宝から上行への付嘱を説くことにあります。これは、法華経の理想であり、仏の誓願である万人の成仏を実現するためには、どうしても未来に「本果妙」から「本因妙」への大転換がなされるべきであることを予言しているのです。
本因妙の仏法の核心――魔性との闘争
 このように法華経の付嘱の本質は「本果妙から本因妙へ」という教主の交代と教法の転換を告げることにあります。
 本抄の「上行菩薩出現すとやせん・出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり」との仰せは、まさに大聖人こそが、仏法の大転換を実現する本因妙の教主であることを宣言なされているのです。
 日蓮大聖人は、法華経の理想である「万人の成仏」と「立正安国」を御自身の終生の誓願として貫かれ、法華経を信ずる心を南無妙法蓮華経の題目に込め、声も惜しまず唱え、弘めていかれたのです。そして、法華経の真髄を理解できない悪僧や悪王から迫害を受けられた。現実の経文に説かれている通りの大難にあい、不惜身命で戦い抜かれ、勝ち越えていかれました。
 その戦いによって、娑婆世界に生きる一個の人間生命に成仏の因果の功徳を骨髄として確立され、因果俱時の妙法を具現化した妙覚の仏の生命を体現されたのでした。それが竜の口の法難の時の発迹顕本であることはいうまでもありません、
 大聖人は、この時期に認められた「富木入道殿御返事」に、「一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや」(0955-07)と述べられ、上行菩薩の名を挙げられて「法已に顕れぬ」(0955-11)と断言されています。
 この御自身の生命に体現された本因・本果を曼荼羅として顕されたのが御本尊です。さらに、法華経の根幹である万人の幸福実現のために、具体的な方途を示され、三大秘法の南無妙法蓮華経として厳然と確立なされたのです。
 この大聖人の上行菩薩としての御確信は、諸抄の仰せに刻まれています。例えば「教行証御書」には次のように示されています。
 「抑当世の人人何の宗宗にか本門の本尊戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず」(1282-18)
 「已に地涌の大菩薩・上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし」(1283-13)“私一人が妙法の旗を持ち、法華経の精神を結実させた”“誰人も、その事実を破壊することはできない”“仏法史上に未曾有の出来事である”との「崇高なる大境涯」が響き伝わってくる一節です。
 本抄にも、日蓮大聖人御自身が、釈迦・多宝から血脈を確かに受け継ぎ、滅後末法の広宣流布の道を開いたという、末法の教主としての御自覚が脈動しています。そして「日蓮が如く」「日蓮が一門」として同じ道を進むよう弟子に呼びかけられています。大聖人の仏法が継承され、万人が幸福になることで、日蓮仏法の民衆救済の大道は成就されるからです。
 日蓮大聖人は末法の民衆仏法を確立された御本仏です。一生涯、菩薩仏として、凡夫すなわち一人の人間としての生き方を貫かれるなかで、仏法の力を証明されました。
 とりわけ、佐渡以前にあっては、法華経の弘通者として大難にあわれるなかで、現実に三類の強敵と戦い、三障四魔を乗り越える行き方を教えられました。一人の人間が、死魔・天子魔と戦い、断固として勝ち越えることができる。それが竜の口の発迹顕本のお姿です。
 「竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(0843-一天台大師を魔王障礙せし事-08)とは、まさしく、一人の人間があらゆる魔性に勝利した、偉大なる尊貴な魂の勝利宣言であられます。
 そして、日蓮仏法は、弟子が同じように力強い生き方を貫くことを教えられている「師弟の宗教」です。「日蓮が如く」生きることで、全人類の一人一人が凱歌の人生を送れるように、手本として生き方を残されたのです。
 人間は一面では弱い存在です。無明を破ることは至難の業です。しかし一方で、人間は、自他ともに具わる根源の力を「信」ずることで、限りなく崇高な存在ともなれる。人々は、そうした人類の先達の勝利の生命に触れることで、自身の無限の可能性を新たに発見します。
 人間には、さまざまな勝利があります。しかし根源的な無明を破り、仏の生命を湧現させながら、無数に続く継承者を生み出す以上の究極の勝利は絶対にない。日蓮大聖人こそが、末法における人類の根幹の教師であられることはいうまでもありません。
 何よりも、誰もが実践できる唱題行による仏界湧現の道を開かれ、民衆宗教を確立してくださった日蓮大聖人こそが、人間の教主であられる。 これが私たちの大確信です。
「人間のための宗教」の大道
 仏教は本来「人間の復権」の宗教です。さらには、人間だけでなく一切の生きとし生けるものの生命の尊極生を謳いあげています。
 釈尊は、障魔を打ち下して成道した直後、あたかも天空に輝きわたる太陽のように、自身が安立していることを知りました。そして、その歓喜の大生命を万人が解き放つことができるように法を説き弘めていきました。その精髄が込められている法華経は、いうならば仏法本来の教えである「人間讃歌」の復活の経典です。
 この法華経の精髄を南無妙法蓮華経の一法に結実させ、民衆仏法を確立されたのが、日蓮大聖人であられます。
 そして、この歓喜満つ「人間のための宗教」の大道を、世界に広げてきたのが、わが創価学会です。
 創価の師弟には、釈尊、大聖人以来の仏法正統の実践が脈打っています。それは「一人立つ」実践にほかなりません。
 「誓願」ゆえに自身の本有の生命を開き「不惜身命」の実践ゆえに人々の生命を解き放ち、一人一人を蘇生させていくのです。そして、目覚めた民衆がまた、対話の力によって人々に勇気と確信を芽生えさせていくのです。この壮大な人間革命運動の世界的起点となったのが、三代の師弟の「一人立つ」実践でありました。
 牧口先生は、まさに御自身が「敵前上陸」といわれたように、日蓮大聖人の仏法が見失われて、しかも日本国中が戦争へと傾いていった時代に、ただ「一人」、真正の仏法の実践者として立ち上がり、不惜の姿をのこされました。
 そして、牧口先生の一切を継承された戸田先生は、人の仏法が見失われて、しかも日本国中が戦争へと傾いていった時代に、ただ「一人」、真正の仏法の実践者として立ち上がり、不惜の姿をのこされました。
 そして、牧口先生の一切を継承された戸田先生は、獄中で使命を自覚され、戦後の荒野に「一人」立たれました。この戸田先生の「一人立つ」実践から民衆勝利の行進が本格的に始まりました。
 私も創価の魂を継承した弟子として、未聞の世界広布の大海原へ、航海を開始しました。牧口先生、戸田先生は、「一人の人間が、どれだけのことができるか」という崇高なる精神の戦いを厳然と示されて、人類の教師としての足跡を人類史に刻まれております。世界中が今、両先生を宣揚している姿そのものが、創価の師弟の証であると言えます。
 この師弟の道を受け継いだ世界中の弟子が、人類宗教の大道をさらに広々と開くことによって、21世紀は必ずや「創価の世紀」として高らかに謳い上げられていくことでありましょう。
 人類は今、生きた「手本」「模範」を強く求めています。なかんずく、未来を開く「人間主義の思想」の体現者を深く求めています。地涌の菩薩の実践を貫く世界中の勇者が、その体現者として仰がれゆく時代が、ついに到来しているのです。
 何よりも、地球規模で「仏になる血脈」を伝える創価の実践を、日蓮大聖人が御賞讃されていることは絶対に間違いありません。創価の大前進は、釈迦・多宝・三世の諸仏の喝采に包まれているのです。

         第12回top

煩悩即菩提・生死即涅槃
迷いと苦悩の我が身に確信と歓喜と希望を開け!

08                        相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念
09 と祈念し給へ、 生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、 煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信
10 心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり、委細の旨又又申す可く候、恐恐謹言。
11       文永九年壬申二月十一日               桑門 日蓮花押
12     最蓮房上人御返事
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 心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念されるがよい。生死一大事の血脈をこのことのはかに求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ法華経を持っても無益である。詳しくはまた申し上げよう。恐恐謹言。
       文永九年壬申二月十一日               桑門 日蓮花押
     最蓮房上人御返事

 妙法の功力は無量です。ゆえに、大聖人が仰せの通りの正しい信仰を貫けば、かけがえのない我が人生にあって、一生成仏という最高の境涯を成就することができる。
 本抄の最後の一節は、生死一大事の血脈を受け継ぐ「正しき信心の要諦」を明かし、私たち一人一人に最高の人生を歩むべきことを呼びかけられているのです。
 日蓮大聖人の仏法を正しく持ち、正しく行じ、現実に大聖人の仰せ通りに世界に広宣流布して、大聖人から生死一大事血脈を受け継いでいるのは創価学会以外にありません。それゆえに、広宣流布に戦う私たち学会員一人一人の生命それ自体に、妙法の無限の力があふれんばかりに開かれてくるのです。
 妙法の当体であるがゆえの生命の奥底から大歓喜の事実として我が身に現せば、いかなる牢固たる悩みをも智慧に変え、自在に価値創造の力としていくことができるのです。
 自身の生命の大地には、「もう限界だ」という局面を、いくらでも打開していける本源的な力が、本来、厳然と秘められていました。いかなる苦難をもバネにして、絶対的な幸福を成就しゆく「変毒為薬」の力を確信すれば、恐れる必要はもう何もありません。
 妙法は、自身が本来持っている無限の力を引き出すための根本法則です。その無間の力用で、火が薪を燃やして光に変えるように、煩悩を智慧に変えていくのです。さらにまた、春の陽光が氷雪を溶かして流れに変えるように、生死の苦悩に固まっていた自身を、躍動する大歓喜の境涯に変えていくのです。
 「自身が変わる」これが仏法の根本主題です。日蓮大聖人の仏法は「自分自身」の生命を現実に変革するための宗教です。どこまでも「私自身」であり「あなた自身」の人間革命から出発する。この一点を忘れては、日蓮仏法は存在しません。創価学会の実践も成立しません。
 この「生死一大事血脈抄」の末尾も、「あなた自身の偉大な力を自覚しなさい」「偉大で大満足の人生を確信して題目を唱えなさい」「それこそが真の血脈である」との御指南で結ばれています。
 一人一人に、そして万人に、仏になる血脈が流れ通う要諦としての「信心の血脈」を示して、本抄は完結します。
血脈を受け継ぐ信心の要諦
 「生死一大事血脈抄」の全体には、一切衆生を成仏させるとの宗教の根本精神が横溢しております。まさに、万人を救わずにおかないとの大聖人の大慈悲の御一念に貫かれた一書であると拝されます。
 前回、生死一大事の血脈を受け継いで末法に出現する上行菩薩がなすべき実践を、大聖人が遂げられたとの仰せを拝察しました。民衆を救済する大法は、本因妙の教主、日蓮大聖人によって厳然と確立されました。
 これを受けた本抄の結びにあたっては、あらためて、末法の衆生の一人一人が、大聖人から成仏の血脈を受け継いでいくための信心の要諦が示されています。そのことが「強盛の大信力」「臨終正念」「煩悩即菩提・生死即涅槃」、そして「信心の血脈」という表現に凝結されています。今回と次回の講義は、この法理と実践を拝します。
 まず、この最後の一節における大聖人の仰せを順に拝していきましょう。
 最初に、「相構え相構えて強盛の大信力を致して」と、一人一人が血脈を受け継ぐ根幹は、「強盛の大信力」にあることを強調されています。
 「相構え相構えて」と仰せであります。文字通り自分の姿勢を構え直し、常に新たなる「信」を自ら奮い起していく力こそ「強盛の大信力」といってよい。
 その信心の在り方として、具体的に何をすべきかを示された内容が、次の「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ」の一節です。
 「臨終正念」については、既に拝察しました。死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮を持つことです。すなわち、臨終の時に、死魔などに心を乱されず、妙法を信受できた大満足と大安心の人生の総決算を迎えることが、永遠にわたる幸福の大境涯の確立になるということです。
 この臨終正念の境地を獲得するために、月々日々に、常に悔いのない生き方を貫く「臨終只今」の信心の姿勢が大事であることも既に学んできたところです。
 すなわち、大聖人は、各人が、臨終正念の境地を開くためには、一日また一日、祈りを深めて、悔いなき信心を断固として貫いていくべきことを教えられています。
 そして、この「強盛な大信力」を起こし、「臨終正念」を確信して、南無妙法蓮華経と自行化他にわたって唱えていく真実の信心以外に、生死一大事の血脈を受け継ぐ方途はないことを示されております。
自身の生命変革が血脈の根幹
 本抄の結論は、私たち一人一人の成仏がどうしたら実現するのか、そこに焦点が絞られていると拝察できます。
 日蓮大聖人が弘められた本因妙の仏法は、現実の人間において成仏の因果を成就うるための教法です。どこまでも「目の前の一人」が根幹であり、現実の一人」が大切なのです。その実践がなければ、どんなに立派な「血脈の法理」を論じても、それは無益な観念論に過ぎないからです。
 それは同時に、日蓮仏法を実践する人自身にとっても、「自分の生命が必ず変わる」という自覚と確信が不可欠であることを意味しております。「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」と仰せられているのは、どこまでも一人一人が唱題を根本に現実に境涯を変革して、一生成仏を実現する本因妙の信心以外に、生死一大事血脈は存在しないからです。
 では、具体的に私たち自身の生命が、いかに変革されていくのか。信心によって、いかなる境涯が得られるのか。 そのことを大聖人は「煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり」と仰せられています。
 すなわち、私たち自身が、「強盛の大信力」を出して「臨終正念」と祈念して唱題することが、そのまま「煩悩即菩提・生死即涅槃」であり、その境涯を獲得することに仏法の真実の利益があるのです。
 それは、何ものにも揺るがぬ確固たる「信力」と唱題によって、迷いや苦悩をバネにして価値創造の智慧を磨き、安心と歓喜の大境涯を確立していけるということです。
 「煩悩即菩提・生死即涅槃」の境地とは、「即身成仏」の異名であり「変毒為薬」の大功徳でもあります。本因妙の仏法においては、誰人も、信心によって、自身の胸中に成仏という不滅の大境涯を築き上げることができるのです。
 この「煩悩即菩提・生死即涅槃」の境涯について、さらに拝察していきたい。
即身成仏の境涯・功力を表現
 まず、「煩悩即菩提」と「生死即涅槃」の法義について、あらためて確認してみましょう。この二つの法理は、共通して、衆生自身の生命の変革の働きを示しております。
 「煩悩即菩提」とは、煩悩に支配される衆生の生命に、成仏のための覚りの智慧が現れることです。
 「生死即涅槃」とは、生死の苦しみに苛まれている衆生の身に、仏が成就した真の安楽の境地が出現することです。
 御書を繙くと、この二つの法理のどちらかが単独で論じられていることはほとんどありません。「煩悩即菩提」と「生死即涅槃」の二つを合わせて、即身成仏の境涯や功力を表現されている例が大半です。
相対種の因果と変毒為薬の妙法
 本来、「煩悩」と「菩提」は正反対のものであり、字義通りにとれば、両者を「即」で結びつけることはできません。「生死」と「涅槃」についても同じことがいえます。
 むしろ、「煩悩」と「生死」が同質的であり、貧瞋癡などの煩悩が生死の苦しみをもたらす因果を釈尊が洞察したことはよく知られています。その因果観から、煩悩を滅することによって生死の苦しみから脱却できるとする小乗教の修行が行われました。
 しかし、この小乗教の修行で、生死を厭い、逃避する姿勢をもたらします。なぜならば、煩悩を断ずるという修行は、「悪は悪を生む」という一面的な因果観に基づいているからです。そのような因果観において、悪を断ずる修行といっても絶望的にならざるをえません。
 他方、大乗教では「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という言葉は説きますが、実際の修行は、歴劫修行などに見られるように果てしない善行を積み重ねるか、絶対的な仏の救済を待つのかどちらかの道で成仏を期するものでした。
 しかし、このような大乗の修行や信仰も、結局は「善は善を生む」という一面的な因果観に立脚しているからです。自力の菩薩行を実践する人は果てしない未来の成仏を期すしかない。他力の信仰を実践する人は、阿弥陀仏などの絶対的な仏の力を借りて娑婆世界から離れた浄土に往生し、そこであらためて「善は善を生む」という修行をするしかありません。今の人生における修行の成就は保証されないのです。結局、これらは「悪は悪を生む」という因果観の裏返しにすぎません。
 いずれにしても、煩悩の迷いと生死の苦しみに束縛されている現実の人々にとっては、煩悩と生死から解放された真の歓喜が得られないのは当然のこととして、成仏の確信や希望を持ちようがありません。
 御書には、「煩悩即菩提」などについて爾前経の誤った考え方について、次のように仰せです。
 「爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提・生死即涅槃と云えり」(0821-一乗此宝乗直至道場の事-02)
 では、煩悩・生死と菩提・涅槃を別物としない考え方とは、どのようなものでしょうか。
 大聖人は、富木常忍に与えられた「始聞仏乗義」において、凡夫が法華経を修行する真髄は「相対種」という考え方にあると言われています。「相対種」とは、結果とは反対のものが成仏の原因になる、という意味です。
 これは、凡夫の成仏のためには「悪が悪を生む」という因果観も、「善が善を生む」という因果観も、いまだ不十分であるということです。悪がと善を区別する考え方では、悪の中で生きざるをえない凡夫は、結局、希望を失わざるをえません。
 通途の仏教が、現実から遊離する体質や、修行者や僧侶という一部の者を中心とする一種のエリート主義に陥ってしまったのは、善と悪を別者として、濁世の中に生きる多くの人々の希望の源泉となりえなかったのではないでしょうか。
 大聖人が「相対種」を強調されたのは、凡夫に真の希望を持たせるためには「悪が善を生む」「悪が善に転換する」という因果観を見極めていくことが大切であると洞察されたからであると拝察されます。
 大聖人は「始聞仏乗義」で、この相対種の因果を「変毒為薬」と表現されています。優れた医師が毒をも薬として用いるように、凡夫の煩悩・業・苦の三道は、妙法の力で法身・般若・解脱の三徳へと転換できるという法理です。まさに「煩悩即菩提」であり「生死即涅槃」です。
 さらに、同抄では、この三道即三徳と信じたときに、初めて生死の苦しみを超えることができ、真の意味で法華経を聞いたことになると言われている。
 言い換えれば「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を心から信じたときに、私たちは苦悩のもととしての生死を心から信じたときに、私たちは苦悩のもととして生死を超えることができる。そして、そのとき法華経の聞法が真に成り立つということです。
 相対種は「相対種開会」ともいい、相対立するものを、より大きな視点から統一して、より広い意味を明らかにすることを言います。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」というときには、まさに対立している「煩悩」や「生死」とは意味が変わっているのです。
 むしろ私たちは、悩みがあることで真剣に御本尊に祈ってくことができます。悩みに真剣に立ち向かっていこうとする一念が、自身の生命に内在する本源的な力をより強く湧現させていく。
 このとき、悩み、すなわち煩悩は、すでに菩提へと転ずる因としての煩悩であり、その煩悩の中に実は菩提が含まれているともいえる。言うならば「自身を苦しめる煩悩」から、「菩提へと転ずる煩悩」へと、煩悩自身が質的に転換するのです。
 これを可能にするのが「因果俱時の妙法」たる南無妙法蓮華経の力用です。
「ありのままの仏」
 凡夫の煩悩、凡夫の生死を離れて成仏はありません。成仏とは人間から離れた超越的な存在になることではない。これは、戸田先生が一貫して強調されていたことです。戸田先生は、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」について、次のように語られていました。
 「自分の煩悩に生きながら、煩悩のままに、安心しきった幸福境涯をつかむ生活を『煩悩即菩提』『生死即涅槃』というのです。
 「なにも菩提だ、悟りだといったりして変わったものではないのです。煩悩があればこそ満足があり、満足があるからこそ幸せを感ずる。毎日、朝起きて、からだの具合がよくて、食べる御飯がおいしくて、毎日自分のすることがうれしくて、これで困らない生活ができる。この生活が菩提です。変わったものではないのです。煩悩即菩提というと、とても変わった人間になるような考え違いをしないほうがよい。
 戸田先生は「ありのまま」の本有無作の境涯の達人であられた。外見は凡夫の姿そのものであっても、学会の前進のためにいつも頭脳は鋭く回転しておられた。何よりも広宣流布への責任感は、まさしく悟りの大境涯であられた。広宣流布を必ず成し遂げようとの大煩悩を持ち、責任即悟達の大境涯から、広宣流布に生き切る生死不二の姿を現じられた先生でした。
 「ありのまま」とは、その身のままでありながら、常に生命を磨いていくことです。現代的に言えば、人間革命の真髄の姿が即身成仏の実証にほかならない。
 要するに「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、「戦い続ける信心」の中でこそ実現するのです。
歓喜の中の大歓喜
 この「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の実践は、歓喜をもたらします。「凡夫即極」であり、「生死ともに仏なり」との境地が開ける以上の歓喜はありません。
 私たちの実践に則しても、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と開く即身成仏の実践は、常に歓喜に満ちあふれています。
 例えば、悩みと真正面から格闘し、本源的な智慧を湧現しているとき、それまでの苦難を包み込む、生命の大いなる底力があふれ、いつしか大歓喜の境涯が生じてきます。
 もよもと、仏の生命それ自体が大歓喜に満ちているものです。究極の真理に到達した法楽が充満している。生死の境地を得て、永遠に生きる喜びが横溢している。この仏の歓喜の生命を私たちの胸奥から現していくことが、仏界湧現の実践です。
 私たちの実践に則しても「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と開く即身成仏の実践は、常に歓喜に満ちあふれています。
 例えば、悩みと真正面から格闘し、本源的な智慧を湧現しているとき、それまでの苦難を包み込む、生命の大いなる底力があふれ、いつしか大歓喜の境涯が生じてきます。
 もともと、仏の生命それ自体が大歓喜に満ちているものです。究極の真理に到達した法楽が充満している。不死の境地を得て、永遠に生きる喜びが横溢している。この仏の歓喜の生命を私たちの胸奥から現していくことが、仏界湧現の実践です。
 妙法を持ち、いかなる困難にも立ち向かう勇気があれば、この仏の生命が湧現します。どんな絶望にも負けない希望があれば、この仏の生命は絶えることがありません。
 それまで悩みや苦難に負けていた自分が、妙法によって、悩みや苦難に立ち向かっていく強い生命が自分に備わっていることを知る。広宣流布の大目的に立ったときに、自身の悩みは、仏法を証明する変革のエネルギーとなることを知る。悩みに負けない自身の姿が、多くの人を励ましていることを知る。広宣流布のために「戦い続ける心」を持つことで、私たちは、我が身が本来、仏であることを知ることができるのです。
 法華経に「心大歓喜」とあります。「御義口伝」では、この「大歓喜」との経文の一節の脇に、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と注釈されています。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の即身成仏の境地こそが大歓喜にほかなりません。「御義口伝」では続けて「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(0788-五百品)と仰せです。
 「煩悩即菩提」「生死即涅槃」は、苦悩や悲哀も、すべて歓喜の生命の中に包みながら、強靭なる大人生を送れることを示しています。
 私は、トルストイの言葉が忘れられません。
 「喜べ!喜べ!人生の事業、人生の使命は喜びだ、空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい。この喜びが何物にもよって破られないように、監視せよ。この喜びが破れたならば訂正するがよい」
 まさに、大文豪が志向した「人生の事業、人生の使命の喜び」とは、仏法の深遠な哲理に通じております。
 この歓喜を現実に涌現する方途を、私たちは実践しているのです。さらに“この喜びを破る誤りをたずね、誤りを正す行為”とは、私たちの仏法の眼で見れば、煩悩を転換し、生死を転換する「即」の実践、つまり「煩悩即菩提」「生死即涅槃」、そして宿命転換の戦いといってよい。
 いかなる苦悩や迷いの日々があっても、妙法を持ち行ずる私たち学会員の境涯は、実は最高の大賢者の道にほかならないのです。
 一切の毒を、妙法の大良薬によって「変毒為薬」していくのが創価学会の信心です。「此の毒を生死即涅槃・煩悩即菩提となし候を妙の極とは申しけるなり」(1006-10)
 妙法は絶対の人生勝利への宝の法です。一人一人が妙法を根幹に「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の凱歌の人生を歩む、その栄光が広がる中に、生死一大事の血脈が万人に流れ通う日蓮仏法の勝利の姿があるのです。

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信心の血脈
民衆のために不惜身命で戦う師弟不二の実践に成仏の血脈


 本抄では、「生死一大事血脈」についての最蓮房の質問に対して、「妙法蓮華経」こそが万人の生死の苦しみを解決する大法であることが明かされてきました。そして、その妙法蓮華経を受持する信心のあり方を重層的に示されるとともに、上行菩薩である日蓮大聖人を師として求める「師弟不二の信心」が生死を乗り越えるための肝要であることが強調されます。
 その上で、本抄最後の御文においては「妙法蓮華経」の大法を万人に伝える真実の血脈は「信心の血脈」以外にないと結論されていくのです。
 この最終の結論こそ、宗教の魂です。なぜならば、生死は人間の苦しみの根源であり、生死一大事血脈こそ、人間の苦しみの解決のための血脈だからです。その生死の苦を解決するためには、その人にとって何が鍵になるかを教えなければ、どんなに素晴らしい法を説いたとしても、全ては画餅に帰してしまいます。
「信心の血脈」の全体像
 「信心」こそは、偉大なる法を伝える最も確かな道です。聖職者や儀式の権威などという、不確かな幻想によって伝わるものではない。
 真実の偉大なる法を伝えるのに最も大切なのは、まさに「信心」なのです。なぜならば、信心のみが、私たちの生命を覆う無明を打ち破って、本来具わる妙法の無限の力を現すことができるからです。一人一人に妙法の偉大な力が現れたとき、それこそが「法が伝わる」ということなのです。
 ゆえに、大聖人は本抄で、まさに、意を尽くされて「信心の血脈」のあり方を重層的に説ききっておられます。この点については、この講義で既に詳しく拝してきましたので、ここでは要点を確認しておきましょう。
 第一に、久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と、我等衆生との三つは全く差別がないと信解する正しい信心です。これは「何を信ずるのか」という「信心の内実」にかかわる最重要の一点であり、この信をこめて題目を唱えていくことが日蓮門下の「肝要」であると本抄では仰せです。
 この仰せのポイントは、今の自分が妙法蓮華経の当体であり、この一生で即身成仏できると信じていくことにあります。
 第二に、「臨終只今」の覚悟で、悔いなき信心を貫き、「臨終正念」を遂げていくことです。「月々・日々」の悔いなき信心と、その生涯の持続が、一生成仏を決定します。これは「信心の深さと持続」の面から「信心の血脈」を明かされていると拝することもできます。
 さらに、今生に一生成仏を遂げていくことによって、過去世・現在世・未来世の三世の生死の全体が「妙法蓮華経の生死」のリズムのままにつながり、「仏界の生死」となって現れるのです。人間として生まれた今世は、三世の生死のあり方を決める。かけがえのない人生なのです。
 第三に、「異体同心」で広宣流布に前進する信心の大切さを示されています。妙法蓮華経の血脈を受けるのは、自分一人ではありません。万人が妙法蓮華経の当体であり、成仏の血脈を受け継ぐことができる。それを実現していくのが、仏の大願である広宣流布です。そして、その広布大願を実現してく主体が「異体同心の信心」で結びつた和合僧団なのです。
 これは「広宣流布と和合僧」の面から、「信心の血脈」を明かされていると拝されます。
 以上のように、大聖人は本抄で「何を信ずるのか」という観点から、また「信心の深さと持続」と「広宣流布の和合僧」の面から、重層的に「信心の血脈」の意義を示されていきます。これによって、生死一大事血脈が流れ通う、あるべき「信心」の全体像を示されているのです。
「師弟不二の信心」が究極
 さらに、この「信心の血脈」のすべての面を凝縮し、体現した「師」の存在を示されています。それが「上行菩薩」です。
 確かに「信心の血脈」の重層的な意義は言葉で説明されました。しかし、多くの人が、それぞれの人生において「信心の血脈」を確かに受け継いでいくためには、その全体像を体現した「師」の存在が決定的に重要なのです。
 なぜならば、言葉は、一面一面ばらばらに数えるのに対して、妙法蓮華経の当体としての人格と行動を実現した「師」の存在は、信心の血脈を一挙に触発する力を持っているからです。
 ゆえに本抄では「上行菩薩から受け継ぐ南無妙法蓮華経を唱え、修行してきなさい」と言われ、大聖人こそが上行の出現に当たることを示唆されているのです。
 このように「師」の存在を示された上で、本抄は「信心の血脈」の重要性を強調した一節で結ばれております。
 すなわち、「師弟不二の信心」こそ、信心の血脈を受け継ぐ要諦であり、究極なのです。
 本抄は、周到に言葉を尽くされた「信心の血脈」論であると拝することができます。
仏法の生死観は人類の希望の根源
 私は若き日から、仏法による生死観の変革が人類に計り知れない希望を与えると確信してきました。また、それが、人類の平和を実現する不可欠の基盤になるとも考えてきた。そして、そのことを、機会あるごとに、さまざまな形で論究してきました。
 世界の多くの識者との対話の嚆矢となったトインビー博士の対談においても、この生死のテーマを真正面から取り上げて、語り合いました。
 「生命は死後も存続するのか、それとも現世だけのものか」
 「もし存続するとすれば、それは永遠のものか、有限のものか、またいかなる状態で存続するのか」
 トインビー博士は、私の率直な問題提起を真摯に受け止めてくださった。そして、“これは重大な問題であるが、実証不可能な問題であり、空間や時間の枠組みの中では答えることはできないであろう”と、学者らしい抑制を利かせた言及をされていた。他方、博士は、仏法の「空」の思想、あるいは「永遠」の概念によって初めて答えることができるであろうとも言われておりました。
 これは、言い換えれば、生死の問題は学問よりも宗教の根本課題であるとの指摘であり、いわば仏法の実践者である私に問いを投げ返されたのであります。
 西洋の最高峰の知性がたどり着いた珠玉の洞察です。生死の問題こそ、人類にとって永遠の問いであると同時に、宗教にとっての根本課題であります。ここにこそ宗教が存在する意義があるといっても過言ではない。
 牧口先生は生死の問題について『創価教育学体系』の中で次のように述べられています。
 「対宇宙の生活について言えば、何人も生死の問題に直面するときには、いかなる智者、学者でも、また英雄でも豪傑でも、微弱な力しか持たないことを知る。そのときには、偉大なる威力というべき宇宙の本体の能力に対応する生活をしなければならなくなる。宗教生活は、これによって生ずる、対社会の生活も、実は宗教生活の一部とみなすことができる」
 生死の問題を解決するには、宇宙の本体の偉大な力に対応する「宗教生活」に入らなければならないとの指摘です。
 そして「対社会の生活」も、実は、この「宗教生活」に含まれているといわれている点には、深く注目していくべきでしょう。宗教生活によって開発された偉大なる生命力こそ、社会生活を正しく営むための原動力に他ならないからです。
 そして、生と死を含む宇宙の本体の偉大なる力を生きる「宗教生活」の鍵なるものこそ「信心の血脈」なのです。
阿仏房の「師を求める信心」
 ここで、生死の問題を解決するためには「信心の血脈」なかんずく「師弟不二の信心」が決定的に重要であることを示された御指南に基づき、具体的に示してみたい。
 大聖人の御在世で、信心の血脈を受け継いで生死の苦を超え、一生成仏を遂げた門下の代表の一人として、阿仏房が挙げられるでしょう。大聖人は亡くなった阿仏房について妻の千日尼に対する御手紙の中で、こういわれている。
 「されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候」(故阿仏房の聖霊は、今、どこにいらっしゃるのであろうかと人は疑うかもしれないが、法華経の明鏡に阿仏房の姿を映し出してみれば、霊鷲山の山の中、多宝仏の宝塔の内において、東を向いていらっしゃると、日蓮は見るのである)(1319-13)。
 大聖人はここで、霊山浄土の宝塔の中で真っ直ぐに仏に向かい奉っている阿仏房の姿を記されているのです。阿仏房が宝塔の中で東に向かっているということは、宝塔の中で並座している釈迦・多宝の二仏に向かい奉っているということです。これは、生前に、命をかけて大聖人をお護りし抜いてきた阿仏房の姿そのものであったのではないでしょうか。
 厳冬の佐渡で、我が身の危険をかえりみず、いくども櫃を背負って、塚原の三昧堂にまで忍んできた阿仏房。大聖人が身延に入られてからも、数年の間に少なくとも三度、老体を押して、佐渡からの千里の道を超え、身延を訪れた阿仏房。
 大聖人を真っ直ぐに求め抜いてきたその姿のままに、亡き阿仏房は、今、霊山浄土に至り、宝塔の中で仏に向かい奉っている「師を求める信心」が弟子の成仏を間違いないものにしていると拝することができる。
南条兵衛七郎への指南
 次に、南条兵衛七郎が亡くなる前年に認められた「南条兵衛七郎殿御書」を拝してみたい。南条兵衛七郎は、南条時光の父であるが、この年、兵衛七郎は病に倒れた。いわば、死に直面した門下への成仏の道を示された渾身の御指南が本抄であります。
 「もし・さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事は候はじ、但一度は念仏・一度は法華経となへつ・二心ましまし人の聞にはばかりなんど・だにも候はば・よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ・後にうらみさせ給うな」(もし、あなたが私よりも先に亡くなられたならば、梵天・帝釈・四天大王・閻魔大王等に言いなさい「日本第一の法華経の行者、日蓮房の弟子なり」と名乗りなさい。そうすれば、まさか、梵天等が不親切であることはないであろう。ただし、一度は念仏、一度は法華経を唱えたことがある。その二心が残っていて、人の風聞に心が揺らぐようなことがあるならば、よもや日蓮の弟子であると言ったとしても、受け入れられなであろう。そうなったあとで日蓮を恨んではならない)(1498-12)。
 この御消息で大聖人は、南条兵衛七郎に宗教の五網に則して法華経の行者の精神と実践を教えられています。宗教の五網は、大聖人御自身が「行者弘教の用心」と言われているように、法華経の行者が法華経を弘めていくに当って配慮していくべき五つの要件です。いわば五網を通して、師であられる大聖人の法華経の行者としてのお心と行動を教えておられるのです。
 この御書を通して大聖人は、病に倒れ、死に直面している弟子に「師弟不二の信心」を教えられていると拝することができる。それほど、法華経の行者との師弟不二の信心が生死の苦を乗り越え、一生成仏を遂げていく力となるのです。
 「亡くなったら法華経の行者のとして堂々と諸天善神等に名乗っていきなさい。そうすれば諸天善神等が守ってくれるであろう。しかし、病苦・死苦の心揺らぎ、過去の念仏信仰の名残が現れて、信心に二心があるようなことがあっては、どうなっても知らない」この仰せは、真に弟子の成仏を思われる渾身の御指導です。
 この御消息をいただいた南条殿は、心の揺れを打ち破って、強盛な法華経の信心に立つことができた。大聖人は後に、南条殿が翌年、臨終正念を遂げて亡くなったとの報告を聞かれたのです。
「最高の正しい人生」に生きる誇り
 創価の師弟もまた、日蓮仏法を現代社会に広宣流布していく師弟の実践を貫き通してきました。そして、草創以来わが学会員の闘争こそ、この法華経の人間主義の系譜を継承した行動であると確信いたします。
 昭和22年(1947)8月14日、その日の夜、蒲田の糀谷糀で行われた座談会で、私は戸田先生にお会いしました。
 恩師は当時47歳、私は19歳でした。この運命の日、私が会場に入った時、戸田先生は「立正安国論」を講義されていました。
 「私は、この世から、一切の不幸と悲惨をなくしたい。どうだ、一緒にやるか!」
 初めて接する戸田先生の謦咳でした。新しき大民衆運動の黎明を告げる一声であったと思います。
 私はこの日、戸田先生に「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」とお尋ねしました。戸田先生の答えには、理論と遊戯や欺瞞はいささかもありませんでした。一つ一つの回答に、人間としての実像があった。まさしく「生老病死」を超克した法華経に基づく人格であられました。
 この日この時以来、師弟不二の旅路が始まりました。そして、生死の何たるかを戸田先生より教わりました。いつしか、生死の問題を解明し、解決して実証することが自身の弟子としての責務ともなりました。
 師弟が不二となれば、無量無辺の力がわきます。師匠は、生死の根本課題を極めたうえで、皆がどうすれば力が発揮できるか、勝利と幸福の人生を送れるのか、心を尽くし、打つべき手を打ちます。
 私は、この絶対勝利の信心を戸田先生から教わりました。戸田先生は、牧口先生から教わりました。牧口先生は、御本尊から、大聖人から、教わりました。ここに創価の師弟の血脈があります。
 師と弟子が心を合わせれば、生死の問題を解決し、この一生で、三世永遠の自受法楽の境涯を勝ち取ることができるのです。そのための仏法です。
 したがって、「生死一大事の血脈」を成就する肝要とは、どこまでも、師弟不二の民衆救済のために、広宣流布に戦い抜く不惜身命の信心しかありません。
 かつて私は不惜の闘争を誓いあった共戦の友に贈りました。
 仏法の 創価の原理の 師弟不二 生命の血脈 君等にあるなり。

1337:12~1337:14 生死一大事血脈抄2014:05大白蓮華より先生の講義top
12   総じて日蓮が弟子檀那等・ 自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を
13 生死一大事の血脈とは云うなり、 然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、 若し然らば広宣流布の大願も叶うべき
14 者か、 剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば 例せば城者として城を破るが如し、
―-----
 総じて日蓮が弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔てなく水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこれである。
 もし、弟子檀那等がこの意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう。これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それは例えば、城者にして城を破るようなものである。

凱歌の民衆世紀へ!「久遠の盟友」と異体同心の前進を
 栄光燦たる5月3日!
 それは、「久遠の盟友」である創価の師弟が、一閻浮提広宣流布という地涌の誓願を燃やし、威風堂々と出発する日です。
 三世の同志が、わが使命の舞台で「勝利の旗」を掲げながら、心晴れ晴れと師のもとに共に集ってくる。
 永遠に誉れ高き「凱旋」であり、永遠に新たな「出陣」です。我らは万年の未来へ瑞々しい大生命力を朗らかにスクラムで「前進」するのです。
 「5・3」が巡り来るたび、私の胸には、あの日の厳粛な誓いが蘇ります。
 1951年5月3日、わが師・戸田城聖先生は創価学会2代会長に就任されました。「広宣流布の大願」を果たすために、師匠が一人立たれた。そして後継の弟子もまた共に立ったのです。
 戸田先生は、この5月3日に撮られたポートレートの裏に、一首の和歌を認めて私に授与してくださいました。
   現在も
    未来も共に
     苦楽をば
    分けあう縁
     不思議なるかな
 法華経には、師弟の永遠の宿縁を「在在諸仏土 常世師俱生」と説かれております。 
広布の師弟は三世永遠に
 広布の師弟は、久遠の妙法の光に包まれながら、三世の生死を永遠に共に生ききるのです。共に苦楽を分かち合い、共に戦い、共に苦難の山を越え、そして共に勝利するのです。
 「未来も共に」と恩師から厳然と託された通り、私は1960年(S35)5月3日、師の「広宣流布の大願」を継いで、第3代会長に就任しました。今この瞬間も、恩師の誓願は、わが誓願として胸中に烈々と脈打っております。
 広宣流布とは、妙法の大光を永遠ならしめ、あらゆる人を救いきっていく戦いです。当然、それは、一代の生涯だけでできる仕事ではありえません。「一切衆生皆成仏道」という法華経の根本目的が、途絶するようなことがあってはならないのです。
 広宣流布という仏の根本の願いを実現するために、一人から一人へとバトンを渡すリレーのように、間違いなく、この誓願をつなぐのが師弟です。正しき「法」を継承する子弟があってこそ初めて、「広宣流布の大願」も現実のものとなるのです。
 今回は、わが同志と共に「生死一大事血脈抄」の御文を拝しながら、創価学会は永遠に「師弟不二の信心」と「異体同心の信心」で勝利する、と確認したいと思います。
絢爛たる民衆勝利の大叙事詩を
 私たちが常に拝してきた御文です。そしてまた、我ら創価学会の師弟こそが正しく拝してきた最重要の御金言といってよい。
 今日、私たちが世界192ヶ国・地域にまで妙法を弘め、「広宣流布の大願」を実現してきた事実が、その何よりの証明であります。
 御文には「日蓮が弟子檀那等」と仰せです。日蓮大聖人に直結する師弟の中心軸がすべての根幹です。
 「生死一大事の血脈」とは、一切衆生に受け継がせ、万人を成仏させるための血脈です。日蓮大聖人は、釈尊から上行菩薩に託された妙法の血脈を万人に開かれました。この「仏に成る血脈」を継ぐためには、広宣流布への「師弟不二の信心」が必要なのです。この師弟の行動以外に、別に神秘的な血脈があるのでは断じてない。
 それとともに、一人の人間における信心の確立のために、その宿命転換の劇、人間革命の劇を、全世界へ未来に無限に広げていくには、「異体同心の信心」で結ばれた組織が絶待に必要です。広布の師匠と「同じ心」すなわち師と同心の弟子たちが団結して「異体同心」の行動を続けることです。ゆえに、「師弟不二の実践」と「異体同心の組織」があって「広宣流布の大願」が実現するのです。
 金剛不壊なる魂の柱を中心軸として、同心円を描くように同志の麗しい団結が幾重にも広がっていくのです。私たちは、この師弟不二の「縦糸」と、異体同心の「横糸」をもって、絢爛たる民衆勝利の大叙事詩を織り上げていくのです。
「日蓮が一門」の和合僧
 我ら「創価」の集いが、仏法上、どれほど大切な存在か。
 初代会長・牧口常三郎先生は、法難で投獄された獄中でみ検事の訊問に答えて、創価教育学会は、いわゆる僧侶が運営する寺院などではなく、独立した「立派な一個の在家的信仰団体」であります。と断言されていました。
 学会は、末法悪世の真っ直中で妙法を広宣流布し、現実社会の変革を担い、豊かな価値創造をなしていく団体であると構想されていたのです。
 しかし、時の国家権力の苛烈な弾圧に耐えられず、大半の幹部は退転、悲惨な戦乱の中で、会員はちりぢりとなり、組織は壊滅状態になってしまった。敗戦直後の1945年(S20)7月、戸田先生は、一人、獄中闘争を乗り越えて出獄されるや、直地に学会組織の再建に着手されます。
 「もう二度と失敗はしないぞ!」
 先生は、戦時中の苦い教訓から、いかなる迫害があっても広宣流布のために不撓不屈で戦う民衆組織を築こうとされたのです。
 師弟不二の信心で一人立つ師子がいれば、時代の隔たりや物理的な距離も飛び越えて、広宣流布の突破口が必ず開かれる。その人の周りに、必ず大聖人直結の「日蓮が一門」の和合僧がつくられていく、という洞察だったのです。
 「師弟ノ道ヲ、留メオク」
 戸田先生から、私は直々に「生死一大事血脈抄」の講義を受けました。特に忘れられないのは、先生の事業が最悪の苦境にあった時期、1950年(S25)の師走のことです。先生は学会を護るために、理事長職を退かれ、いつか大使命に立つ日を期されていました。その心も知らず、内外から先生への悪口罵詈が渦巻く最中の講義でした。
 さらに年が明けた1月、私はこの「生死一大事血脈抄」の御文を、生命に刻みつけるがごとく日記に書き留めました。先後、再建に踏み出した創価の師弟が、再びの大難の嵐を乗り越えられるか否か、その正念場の時です。その日々の中で、私は誓いました。
「師弟ノ道ヲ、留メオクコト」
 久遠の師匠から、久遠の弟子に妙法流布の誓願と使命を付嘱することは、法華経の最重要のテーマです。
 この師弟の原理を末法今時に移して、釈尊、そして日蓮大聖人の御遺命である妙法流布の大願を遂行するために出現したのが、私ども創価学会なのであります。
 大難を勝ち越え、恩師は2代会長に就任されると同時に、最も重要な布石をされました。それが学会組織の刷新でした。この時、創刊まもない聖教新聞には「人類救済の組織成る」との鮮烈な見出しが躍りました。
 当時、わずか3000人にすぎない学会です。しかし、人数の多寡など関係ありません。広宣流布を目指す「異体同心の結合」は、必ずや人類史的な大使命を果たしていくことを、戸田先生は深く大確信なされていたのです。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーの信念が思い起こされます。「その使命に対する抑え難い信念によって火がつけられた、決然とした人々からなる小さな団体は、歴史の流れを変えることができる」
 「広宣流布の大願」という尊き使命に燃えて戦う、「抑え難い信念」で織り成された「民衆勝利のための組織」は、まさに「歴史の流れ」を変えてきたのであります。
仏道修行に励む善き友の集い
 恩師が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会の組織。あらためて、その仏法上の意義を確認すれば「和合僧」ということができるでしょう。正法を行ずる人々の「集い」を意味します。
 正しき「法」を永遠に伝え残していくには、必ず伝持の人がいなければならない。さらにいえば、組織がなくてはなりません。
 釈尊の在世にあっても、その周りに弟子たちの集いが生まれていった。
 ある時、多門第一の弟子・阿難が「善き友・善き仲間と共にあることは、仏道修行の半ばを成就したに等しいのではないでしょうか」と、師匠に質問しました。すると、釈尊はこう答えたと伝えられます。
 「いや『半ば』ではありません。仏道修行の『すべて』です」と。
 釈尊は、さらに言葉を継いで語っています。
 「阿難よ、考えてごらんなさい。人々は、私を善き友とすることで、生老病死の苦悩から自由になっているのではありませんか。このことから考えてもわかるでしょう、善き友、善き仲間と共にあることが、仏道修行の『すべて』なのです」
 ここには“師と共に歩む”という師弟の道を根幹としながら、善き友。同志と共に生き抜くことが、生老病死の苦悩を乗り越えていく大道であると示されています。
 今の私たちの表現でいえば「師弟不二」と「異体同心」でありましょう。
 また仏典によれば、別の機会に、智慧第一の舎利弗が感慨深く述懐します。「わが師よ、善き友、善き仲間と共にあることは、まさに仏道修行の『すべて』ですね」と。釈尊と阿難の問答を確認するような一言でした。
 すると釈尊は、「善きかな、善きかな」と讃え、重ねて“善き友と歩むことが仏道修行の全体である”と強調しています。
 釈尊は、共に仏道修行に励む仲間のつながりを、最大に大切にしておました。この師弟と同志の集いが和合僧です。「不敗なる集い」とも呼ばれています。
 それは、万人に、また世界に広々と開かれた集いでした。釈尊は、集いに加わる友を、世間的な身分や階級の差別を超えて、最大に尊敬を込めて歓迎したといいます。
 お互いに敬い、励まし合う、人間と人間の所通い合うつながりが、本来の仏法の世界なのです。
 この和合僧を破壊することは、自ら「仏になる道」を閉ざし破壊する、まさに「城者として城を破る」獅子身中の虫の姿であることはいうまでもありません。
団結こそが「勝利の力」
  異体同心こそ「不敗なる集い」の根幹です。そして団結こそは「勝利の力」です。いうまでもなく、これは万般に通ずる原理です。
 アメリカの独立運動に絶大な影響を与えたトーマス・ペインは訴えています。
 「われわれの偉大な力は数にあるのではなく、団結にある」
 いわんや、広宣流布の信心を根本にした「異体同心の団結」は絶待勝利の兵法です。我らは、この不敗の民衆の城を守り、永遠に勝って、勝って、勝ち抜いていくのです。「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なしと」「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候」とは、不滅の御金言です。この勝利の方程式は今も変わりません。
互いに「皆仏なり」との尊敬を
 しかし、生身の人間、末法の凡夫の集まりであり、団結・団結と言いさえすれば、簡単に結束できるというものではありません。
 好きになれない人、気の合わない人がいるというのは、人間社会の現実であり実相です。だからこそ、一時の感情に流されず、互いに心を合わせよう、団結していこうという意志が大事なのです。そこに我慢編集の泥沼などに足を取られぬ「賢者の正道」があるのです。
 正義感が強い反面、短気で感情が顔に出やすい四条金吾に対して、大聖人は「いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」(1172-07)「常にむつばせ給へ」(1172-13)等々、幾度となく周囲の人間関係の配慮をこまやかに指導されています。
 さらに「松野殿御返事」には「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(1382-10)「法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」(1383-02)と仰せです。
 まさしく私たちが肝に銘じるべき大事な御指南でありましょう。「法華経を持つ者は必ず皆仏」です。喧嘩して悪口を言い合う仏もいなければ、いがみ合う仏もいません。
 ともあれ、人間は人間の輪の中でしか磨かれません。どこまでも人間の中へ!これが大乗菩薩の誓いです。わがままな自分を乗り越えて成長しゆくための人間修行です。
「一人立つ」真の勇者に
 私が若き日から、広布の大闘争に臨んで、胸に刻んできた御聖訓があります。
 それは「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして.法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(1224-03)の師子吼です。
 一切衆生を苦悩の大海から救う広宣流布の戦いとは、法華経の行者の軍勢と第六天の魔王の軍勢との激烈な攻防戦であることが明かされています。
 事実、大聖人の御生涯は命に及ぶ大難の連続でありました。一瞬の油断も許されない日々を、威風も堂々と戦い抜かれたのです。
 大聖人は、後年、「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(0843-07)と悠然と言われています。いわば、第六天の魔王が「参りました」と降参しているだろうと喝破なさっているのです。
 魔王の軍勢を震え上がらせる。師子王の大闘争は、諸天善神を味方にして加勢させ、竜の口の法難をも勝ち越えられました。
 「日蓮が一門は、一人ももれなく、この師子王の魂を受け継いだ勇者の集いです。
 「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」(0910-12)と厳命された通り、我ら異体同心の民衆のスクラムは、何ものにも臆さぬ師子と師子の強靭なる連帯なのであります。
 異体同心の鉄壁の団結を可能にするのは、「一人立つ」信心です。「誰かがやるだろう」「自分には関係ない」という他人任せ、人を恃む弱さや無責任さのあるところには、本当の団結はできません。
 「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(1467-高橋殿御返事-05)と仰せのごとく、自分のいるその場所、その地域で一人立つのです。
「関西は、ますます強くなる」
 戸田先生の願いは、いかなる権力の魔性の迫害にも負けない、不撓不屈の民衆城を築くことでした。
 忘れもしない1957年(S32)の7月17日、無実の罪で投獄された私が2週間ぶりに出獄したその日、諸天の怒りのような凄まじい豪雨の中、中之島の中央公会堂で抗議の集会「大阪大会」が開催されました。
 大阪事件は、関西の団結の中心にいた私を狙い撃ちにし、そこから戸田先生の逮捕まで視野に入れた学会弾圧でした。普通であれば、組織は壊滅させられていたでしょう。しかし、権力が凶暴な牙をむいたその時、創価の師弟も、正義の民衆であるわが関西の同志も、毛筋ほどもおそれはなかった。
 戸田先生は、関西の同志がこのたびの難を誰一人として他人事とせず、わが事のように激怒し、共に祈り、共に戦った団結を心から讃えました。そして私に「これで関西は、ますます強くなるぞ」と、断固たる口調でおっしゃられたのです。
 今や、我が師匠の悲願の通りに、異体同心にして難攻不落の「錦州城」が、大関西に、そして日本中、世界中にそびえ立っております。そのことが、私は嬉しくてなりません。
地涌の連帯で世界広布が実現
 私が第3代会長に就任し、いよいよ世界広宣流布の時代が始まりました。あの国に、またあの地にと、妙法の一粒種が次々と誕生し、使命を自覚した勇者が、一人また一人と立ち上がっていきました。
 厳しい冬のような時代を経た国や地域もありました。しかし、そうした地ほど、今、立派に社会に実証を示しています。
 南米ブラジルでは、軍事政権下の不当な圧力が続き、18年間、私は訪れることができませんでした。また、戦前・戦中に軍国日本の支配に苦しんだ歴史を持つ韓国・台湾では、根強い誤解や偏見ゆえに、わが同志は幾多の苦難を耐え抜かねばなりませんでした。しかし、いずれの地にあっても、あらゆる試練を「異体同心の団結」で乗り越え、見事なる模範の世界市民の集いと発展していったのです。
 釈尊生誕の天地ネパールの同志とお会いした時、私は、「第一に仲良く、第二に仲良く、第三にも仲良く」と指針を送りました。
 何があろうが、同志が心を合わせ、仲良く前進する集いの中に、「希望」があります。「幸福」があります。「勝利」があります。
 コートジボワールをはじめ、希望の大陸アフリカの国々の同志は、「イタイドウシン!」「ビクトワール!」を合言葉に、麗しい前進を続けています。
 「異体同心」の「異体」とは、「多様性」ということができます。
 私は、アメリカ文化本部の方々と懇談した折、「画一主義」は独裁・専制に通ずる。仏法は、そして、わがSGIは、伸び伸びと「多様性」を楽しみ、生かしていくのですと申し上げたことがありました。
 多様性が共存する社会は、よく「オーケストラ」や「サラダボウル」に譬えられます。多彩な楽器の音色が見事なハーモニーを奏でるように、また彩り豊かな野菜が、器の中でそのままにぎやかに調和して光っているように、人々が共生できる社会です。
 実際、わがSGIが、多民族・多文化の国や地域にあって、「多様性」を大きな特色としていることに対して、世界の識者たちからも評価と信頼が寄せられています。
 その意味でも、創価の「異体同心」の集いは、実はグローバル社会の理想をすでに体現しているといって過言ではありません。
 この地球上のいずこの地であっても、そこに決然と一人立つ、わが創価の同志の連帯が広がれば、幸福への「価値創造の道」が開かれ、「平和と希望の調べ」が奏でられていく。そうゆう時代がいよいよ到来しているのです。
尊き同志を仏菩薩が御賞讃
 末法今時において、万人成仏の妙法を世界に広宣流布していくのは、一体、誰か。
 現実のうえで、苦悩に喘ぐ人々の真っ直中に飛び込み、友の絶望の闇を破らんと、明日への希望の光を送ってきたのは誰か。
 自らも困難と戦いながら、悩める友の心に寄り添い、粘り強く、生きる勇気と生命力を呼び覚ます対話を重ねてきたのは誰か。
 「今こそ宿命転換の時です。さあ、一緒に題目をあげて戦いましょう!」「冬は必ず春となります。この苦難を乗り越え、絶対に幸せになるんですよ!」日本中、世界中で、あの満々たる確信と励ましを送り続けてきたのは誰なのか。
 それは、わが尊き同志の方々です。地涌の菩薩の教団である創価学会であり、我ら創価の師弟にほかなりません。
 広宣流布の誓願に生ききる創価学会が厳然とあればこそ、法華経寿量品の「常住此説法」久遠の仏が娑婆世界に在って永遠に妙法を説き続ける、という法理も、事実のうえのこととして現出するのです。創価学会が仏意仏勅の教団である意味もここにあります。まさに、創価学会こそ、現代における仏法正統の「和合僧」です。
 このゆえに、恩師・戸田先生は、学会は未来の経典に「創価学会仏」として記されるであろうと予見されたのであります。
 御本仏日蓮大聖人が、そして三世十方の仏菩薩が、我ら創価の世界広布の前進を最大に喜ばれ、「善きかな、善きかな」と御賞讃であることは絶対に間違いありません。
「共に励まし共々に征かなむ」
 本年1月、「世界広布新時代 開幕の年」のスタートとなる本部幹部会に寄せて、私は恩師の和歌を認めた「書」を紹介し、あらためて全世界の同志に贈りました。
 この歌を刻んだ歌碑は「広宣流布大誓堂」の北側の広場にも厳然と、設置されております。
   妙法の
    広布の旅は
     遠けれど
    共に励まし
     共々に征かなむ
 我ら創価の師弟は、三世永遠の不二の心で「共に」生き、「共に」戦い、そして「共に」広宣流布の大願を果たし抜くのです。
 私たちは皆、生老病死という根源的な苦悩と向き合い、「自他共の幸福」を勝ち取るために戦う、同じ目的を共有した同志です。
 ゆえに創価学会は「共に励まし合う集い」です。「共に学び合い、触発し合う集い」です。「共に苦難を乗り越え、成長していく集い」です。
  私の脳裏には、あの東日本大震災の被災地にあって、人々の心を結び、勇気と希望を贈りながら、復興への光を大きくひろげてきた。あまりにも尊き同志の姿が離れません。
 「負げてたまっか!」と不屈の魂を燃やして、一歩また一歩と、地を這うように進んできた友から周りへと、今、明日への「福光」がいよいよ輝きだしているのです。
 日本だけではありません。世界の各地でも、さまざまな困難に対して「共に」励まし合いながら、不撓の闘争が繰り広げられています。また、これからも、否、未来永遠に、我ら創価の同志は前途にいかなる嵐があろうとも、麗しい異体同心の信心で、どこまでも「共に」励まし合って進のです。何ものをも恐れず、「共々に」勇気と希望の遠征を続けるのです。
 そこにこそ妙法の一閻浮提広宣流布の実現があります。「それはまた、「生命の讃歌」「人間の讃歌」の地球社会の道でもあるのです。
 麗しい「異体同心」の民衆の団結が、奇跡の中の奇跡として、人類史に凱歌の歴史として刻まれる日が必ず訪れると確信します。
 民衆世紀」の夜明けは世界の地涌のスクラムから、すでに始まっているのです。
   わが愛する
   世界の青年たち
   未来の使者たち
   そして、心から信頼する
   壮年・婦人の創価家族と共に
   勝利と栄光と希望の「5・3」を
   迎えられることに
   深く深く感謝して

1338~1339    草木成仏口決top
1338:01~1339:01 第一章 非情成仏の経証を示すtop
草木成仏口決    文永九年二月二十日    五十一歳御作   与最蓮房日浄
01   問うて云く草木成仏とは有情非情の中何れぞや、答えて云く草木成仏とは非情の成仏なり、 問うて云く情非情
02 共に今経に於て成仏するや、 答えて云く爾なり、問うて云く証文如何、 答えて云く妙法蓮華経是なり・妙法とは
03 有情の成仏なり蓮華とは非情の成仏なり、 有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏
1339
01 の事なり、 其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり、
――――――
 問う、草木成仏とは有情・非情のうちのいずれの成仏であるか。
 答えていう、草木成仏とは非情の成仏である。
 問う、有情も非情も今経(法華経)において成仏できるのか。
 答えていう、成仏できる。
 問う、その文証はどうか。
 答えていう、妙法蓮華経の五字がそれである。妙法とは有情の成仏であり、蓮華とは非情の成仏である。また、有情は生の成仏、非情は死の成仏である。生死の成仏というのが有情非情の成仏のことなのである。
 そのゆえは、我等衆生が死んだ時に塔婆を立てて開眼供養をするが、これが死の成仏であり非常草木の成仏である。

草木成仏
 草木や土砂等の非情の物質が成仏することをいう。また、依正についていえば、依報の成仏である。日寛上人は、諸御書を案ずるに、草木成仏に二意あるとして、一に不改本位の成仏、二に木画二像の成仏があるとしている。まず不改本位の成仏とは、草木の全体がそのまま本有無作の一念三千即自受用身の覚体である。草木成仏弘決には「口決に云く『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり」(1339-06)、三世諸仏総勘文抄教相廃立のは「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す之を疑い之を信ぜざる人有る可しや無心の草木すら猶以て是くの如し何に況や人倫に於てをや」(0574-14)御義口伝には「森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」(0784-第二量の字の事-02)とある。このように、無心の草木でありながら、その体は本覚の法身であり、その時節を違えず花咲き実の成る智慧は本覚の報身であり、有情を養育するは本覚の応身であり、これを不改本覚の成仏という。木画二像の成仏とは、四条金吾釈迦仏供養事には「国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(1145-01)木画二像開眼之事には「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(0469-08)観心本尊抄には「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」(0246-08)とある。御義口伝で「草木成仏の証文に而自廻転の文を出すなり」(0723-第五而自廻転の事-03)と仰せられているのは「法性自然にして転じ因果依正自他悉く転ずるを」(0723-第五而自廻転の事-01)ということについてである。すなわち、依報・正報ともに変わっていくということは、正報の成仏により、非情の草木等の依報も成仏するのである。一枚の紙が御本尊に変わることを木画二像の成仏である。
―――
有情
 サンスクリットのサットヴァの訳。人間や動物のように感情や意識を持ち、生命活動を能動的に行えるものをいう。鳩摩羅什らの旧訳では「衆生」と訳された。玄奘らの新訳では「有情」と訳される。
―――
非情
 草木・山河・大地のように感情を能動的に表すことができず、活動も受動的なものをいう。
―――
有情の成仏
 人間や動物等、感情や意識を持っている生類の成仏。
―――
非情の成仏
 草木や国土等の成仏。
―――
塔婆
 梵語(stūpa)の音写。髪の束・頭部の意。① 仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするための建造物。インド・中国では土石や塼を積み、日本では木材を組み合わせてつくる。塔。塔婆。そとうば。② 死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板。上方左右に五輪塔の形を表す五つの刻みを入れ、表裏に梵字・経文・戒名・没年月日などを記す。板塔婆。
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開眼供養
 仏像の眼目を開く意義をもった法会。新たに造られた仏像・絵像などは、法をもって供養することで魂が入るとされた。
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 本抄は、文永9年(1272)2月20日、大聖人聖寿51歳の時、最蓮房に与えられた御手紙である。
 最蓮房は同年二月初めごろに入信したと思われるが、天台宗の学僧であった関係から、天台教学における重要法門を、入信直後から大聖人に次々質問申し上げたようである。
 本抄をいただいた九9日前の2月11日にも生死一大事血脈についての甚深の法門を御教示いただいたばかりである。本抄も題号から明らかなように、草木成仏について最蓮房に御教示されている。
 文永9年(1272)2月といえば、前年の11月、佐渡に御配流になり、その直後から書き始められた人本尊開顕の書・開目抄完成の月である。
 そのさなか、入信したばかりの最蓮房の質問に対し、寸暇をさいて御教示されているところに、大聖人の深い御心が拝されるのである。
 最蓮房の大聖人への質問は、重要なものばかりであるとはいえ、いずれも天台教学の観点からの問いとなっている。
 それに対して大聖人は、一往、天台の思想を踏まえたうえで、大聖人の文底下種の立場から、それらの本義を明かされている。
 本抄でも、天台の草木成仏義を踏まえながら、大聖人の独一本門における草木成仏の義を説かれているのである。
 草木成仏は、日蓮大聖人の仏法において、御本尊を建立されるうえでの基盤をなす、とくに重要な法義である。
 最初に、草木成仏は有情・非情のうちのどちらの成仏かという問いを設けられ、草木成仏が非情の成仏であるということを答えられている。
 次に、法華経では有情・非情ともに成仏することを示されている。その文証はとの問いには、妙法蓮華経の五字が文証であると答えられている。
 すなわち、妙法蓮華経のうち「妙法」が有情の成仏の文証であり、「蓮華」が非情の成仏の文証となると仰せられている。
 妙法については法華玄義序に「言う所の妙とは、不可思議を名づくるなり。言う所の法とは、十界十如権実の法なり」とある。
 すなわち、妙法とは、凡夫が思議しえない甚深の十界十如の法を示すのである。権実の法とは、権教・実教のことではなく、権とは迷い、実とは悟りをいい、その権実不二をいうのである。
 迷いの生命も悟りの生命も二ではなく、衆生が本来、十界を具足し、成仏する法を妙法というのである。この意味から、妙法は有情の成仏の文証となるといえよう。
 蓮華についても、同じく法華玄義序に「蓮華とは権実の法を譬うるなり」とある。蓮華が、権実の法を説く妙法にたとえたものであるということである。
 すなわち、迷悟不二・十界互具の深理を〝草木〟の蓮華でもってたとえるゆえに、蓮華は非情の成仏の文証となるといえるのである。
 ただこれは、あえて分ければということであり、妙法蓮華経の五字に全体として有情・非情ともの成仏を含んでいることは当然である。
 次に「有情は生の成仏・非情は死の成仏」と仰せられている。「生の成仏」「死の成仏」とは、生前における成仏と死後における成仏ということである。
 衆生(有情)であっても、死後は非情の存在になる。この死後における成仏を、死の成仏というのである。
 有情・非情を生死の範疇で分けると、有情は生、非情は死にあたる。したがって、有情の成仏は生前における成仏を示し、非情の成仏は死後における成仏を示している。
 ただしこれも、妙法蓮華経は生死不二の法であるから、本来、生の成仏・死の成仏と分けるべきものではない。
 生の成仏が示されれば、死の成仏も定まり、逆に死の成仏があれば、生の成仏も定まるのである。したがって、一往の立て分けと考えられよう。
 次に、塔婆の開眼供養のことが述べられている。塔婆は梵語ストゥーパ(stūpa)の音写・卒塔婆の略である。インドにおいて、卒塔婆は本来、墳墓を意味した。
 その後、仏の遺骨などを納める建物をさすようになり、更に、死者の追善供養のために梵字、経文、戒名などを記した、塔の形の切り込みをつけた細長い板をさすようになった。
 塔婆は、板でできている。すなわち〝草木〟である。ゆえに塔婆の開眼供養は非情の成仏である。この塔婆を立てて開眼供養するのは、死の成仏となるのである。
草木成仏について
 草木成仏は、天台教学においては、華厳宗等との論争のテーマとなって以来、多くの学者が論じており、とくに日本天台宗においては、重要な課題となっていた。
 仏法においては、成仏が修行の目的である。ところが、ではだれでも成仏できるかというと、これは仏典のなかでは大きく説が分かれている。
 まず、仏と成ることができたのは、たぐいまれな資質をもって困難な修行を貫いた釈尊にして初めて可能であったのであり、すべての衆生は本来、その仏の慈悲を受ける立場であるという考え方がある。
 また、釈尊と同じく成仏できる資質をもっている人と、もっていない人がいるという説がある。それにも、生まれつき成仏できる資質がある人とない人がいるとしたり、ある段階までくれば成仏できるが、その段階まで至らなければ成仏できないとする説もある。生まれつきの仏性を性徳の仏性、後天的なものを修徳の仏性としている。
 これらはいずれも法華経以前の経典で説かれたもので、小乗教等において、二乗が阿羅漢果をめざして、仏果を得ることを放棄したり、法相宗が五性、すなわち①定性声聞(阿羅漢果を得ることに定まっている声聞)、②定性縁覚(辟支仏果を得ることに定まっている縁覚)、③定性菩薩(仏果を得ることに定まっている菩薩)、④三乗不定性(声聞・縁覚・菩薩の種子をあわせてもっているので果が定まっていない者)、⑤無性(三乗の種子を全く持たず、人天にしか生じない者)がそれぞれ別であると説いて、③の者(定性菩薩)と④の一部の者(三乗不定性)しか成仏できないとしている説などがそれである。
 それに対して、一切衆生皆成仏道と説いたのが法華経である。ところで、権大乗においても、華厳宗のように、一切衆生の成仏を説くものもあるが、それは一仏の成道によって衆生も国土も救われると説くものであり、成仏の有無は一仏に帰せられる。
 法華経の一念三千において、一切衆生および山川草木自体に仏性を具すとするのとは、全く内容を異にするのである。
 とくに、華厳宗では山川草木に法性を具することは認めても、仏性を具すことは認めていない。華厳宗等のこうした点の誤りを妙楽大師は金剛錍で徹底的に破折している。
 すなわち、本来、草木に法性があるとするならば、仏性がないわけがない。たしかに、草木は自ら修行できず、仏性を顕すことができないようにみえるかもしれない。しかし、それで草木に仏性がないという根拠にはならないのである。
 妙楽大師は、水があって波がないということはなく、水気のない波があろうはずもない、と述べ、抽象的な水の本質と現実の波という水とに違いはないとして、随縁真如と不変真如の相即を説いている。
 したがって、草木に抽象的な真理(法性)のみがあって、仏になるという真理(仏性)がないというのは誤りであると述べたのである。
 自然界をみると、有情と非情の差別は極めて曖昧であり、これを区別する考えには、したがって無理が生ずるのは当然なのである。
 有情と非情とは本来、同じものであり、有情が成仏するなら非情も成仏すると考えるほうがよほど自然である。
 大聖人の仏法においては、この草木成仏を更に深く論じられている。日寛上人は観心本尊抄文段において、草木成仏には不改本位の成仏と木画二像の成仏があるとして「初めの不改本位の成仏とは、謂く、草木の全体、本有無作の一念三千即自受用身の覚体なり」と述べられ、三世諸仏総勘文抄の御文を挙げられている。
 すなわち「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(0574-14)と。
 ここで草木は本覚の法身であり、時節をたがえないのは本覚の報身であり、有情を養育するのは本覚の応身であって、三身がそなわっているのである。
 次の木画二像の草木成仏とは具体的には、御本尊のことであられる。観心本尊抄文段で日寛上人は「木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり」と述べられて、次の御書の御文を引かれている。
 「国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(1145-01)
 「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(0469-08)
 ここでは一往、木絵二像の仏を挙げられているが、これは末法相応抄等によれば、あくまでも相手の機根に応じ、また一宗弘通の初めに応じた御表現であり、本意は御本尊であられることは明白である。
 同じく観心本尊抄文段で「若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ」と明言されている。 
 御本尊はもったいなくも元は草木であられる。しかし、御本仏日蓮大聖人の御生命がそのまま顕現されているゆえに、仏界の当体であり、一切衆生に仏性を顕現させる対境となるのである。
 この木画二像の成仏、その顕現としての御本尊の建立があって初めて、草木成仏の深義が明らかになるといえよう。

1339:11~1339:04 第二章 止観等の論釈の文を挙げるtop
01                                              止観の一に云く
02 「一色一香中道に非ざること無し」妙楽云く 「然かも亦共に色香中道を許す無情仏性惑耳驚心す」 此の一色とは
03 五色の中には何れの色ぞや、青・黄・赤・白・黒の五色を一色と釈せり・一とは法性なり、爰を以て妙楽は色香中道
04 と釈せり、天台大師も無非中道といへり、 一色一香の一は二三相対の一には非ざるなり、 中道法性をさして一と
05 云うなり、 所詮・十界・三千・依正等をそなへずと云う事なし、 此の色香は草木成仏なり是れ即ち蓮華の成仏な
06 り、色香と蓮華とは言は・かはれども草木成仏の事なり、 
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 止観の第一に「一色一香といえども中道実相の理でないものはない」とあり、妙楽大師がこの文を受けて「しかるに、(世人は)色香ともに中道であることを認めるが、仏性を具えていると説くことは、耳を惑わし心を驚かす」と言っている。
 この一色とは青、黄、赤、白、黒の五色のなかのどの色であるかといえば、五色を一色としているのである。
 一とは法性真如の一理のことである。これを妙楽大師は「色香中道」と釈し、天台大師も「無非中道」と言ったのである。
 一色一香の一は、二や三に相対した一ではなく、中道実相の法性をさして一というのである。要するに、この中道法性のうちには、十界の依正、森羅三千の諸法のすべて、具えていないものはないのである。
 この色香の成仏は草木の成仏であり、これはすなわち蓮華の成仏である。色香と蓮華とは、言葉は違っても草木成仏のことである。

止観
 摩訶止観のこと。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。
―――
五色
 五正色(青・黄・赤・白・黒)のこと。これに対し五間色(紫・緑・紅・緋・硫黄)がある。なお古来インドでは、僧侶の着る法衣を俗人から区別するため、世間で尊ばれた白色を避けて濁色に染めたことから、濁・不正色・壊色を意味する袈裟(梵語カシャーヤ〈Kaṣāya〉の音写)という言葉が、そのまま法衣の意に用いられるようになった。その色については、金属のさび色・泥色に樹皮や果汁の色(木蘭色)の三種壊色とする説、あるいはたんに濁った赤色とする説などがあるが、いずれも五正色、五間色を避けた、純粋ではない色を用いた。
―――
妙楽
 711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
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法性
 万物を貫く根本の法そのもの、仏の覚りの本質。真理であり、万物のあるべき姿を示すものなので、法性真如ともいう。
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色香中道
 御本尊にひたすら題目を唱え、念じきっていくこと。色香中道の色香とは五境の中の色と香をいう。中道とは法性。仏性の意。この中道とは色香・十界三千・依正等のすべてを備えており、一切が妙法の当体であることを説いたものである。ここに、特に色香中道とあるのは、薬王菩薩があらゆる香を服し、香油を飲み、身に塗って身を焼いたので、その光明と香りが諸仏を喜ばせたとあることに対してである。
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天台大師
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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無非中道
 中道とは中道法性をいい、円融自在の妙理のこと。森羅万象がことごとく中道実相、十界三千の生命の当体のあらわれであることを述べた文。
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中道法性
 法性とは一切諸法が本然に具えている不変の性分。これを仏法は妙法蓮華経として明かした。中道法性とは諸法の根源である南無妙法蓮華経のこと。
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十界
 衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。生命論では人間の生命の状態の分類に用いる。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」という。「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。六道の中では、地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」とし、この三悪道に比べれば相対的にはよいことから、修羅・人・天は「三善道」とされる。また三悪道に修羅を加えて、「四悪趣」ともいう。また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯である。小乗の教えに基づき覚りを目指す声聞・縁覚は「二乗」と呼ばれる。これに菩薩を加えて「三乗」と呼ばれる。
法華経以外の経典では、十界はそれぞれ固定化された世界・境涯としてとらえられていた。しかし法華経では、その考え方を根本的に破り、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわっていることを明かし、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることを説いて、十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命にそなわる10種の境涯であることを示した。したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべてそなわっており、縁によって次にどの界の境涯をも現せることが明らかになった。このように十界の各界が互いに十界をそなえていることを十界互具という。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
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三千
 ①三千大千世界のこと。②森羅三千の諸法のこと。
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依正
 依報と正報のこと。「報」は過去の行為の因果が色心の上にあらわれた必然の報い。この報いを受ける主体である有情の身心を正報といい、この身心が拠りどころとする環境・国土を依報という。依正の二法はともに過去の業によって報いたものであるから二果果報ともいい、相依相関性を有し、不二の関係にある。三世間でいえば五陰世間・衆生世間が正報、非情の国土世間が依報となる。
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 ここでは、草木成仏の文証を挙げられている。すなわち、天台大師の摩呵止観の文と、妙楽大師の止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)の文である。
 天台大師の摩訶止観の文は草木成仏の義を示しているが、妙楽大師の止観輔行伝弘決の文は、その止観の文を補足したものである。
 すなわち「一色一香中道に非ざること無し」と「一色一香」が中道の理を具していると教えているのは、仏性を有していることを示したものであると述べているのである。
 この無情仏性の理は「世人」を驚かすものであった。すなわち、非情の草木が中道法性の理を具えることは認めても、草木自体が成仏することは信じられなかったのである。
 この天台大師、妙楽大師の言葉を大聖人は詳釈されている。「一色」というと、普通、さまざまな色のうちの一つを想像する。
 基本的な色は五色、または五正色といわれ、青・黄・赤・白・黒であるが、そのうちの一つをいうのでなく、五色すべてを「一色」としているとの仰せである。すなわち〝色あるもの〟の意で、形あるものすべてをさしているのである。
 ではなぜ「一」というのか。それは単に数字の一ではなく、法性真如の一理を「一」といっているのである。
 天台大師は法華文句巻四で、方便品の「唯以一大事因縁」の「一」について「一は則ち一実相なり。五に非ず、三に非ず、七に非ず、九に非ず。故に一と言うなり」と述べている。五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩)、三乗(声聞・縁覚・菩薩)、七方便(蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の声聞・縁覚・菩薩、別教の菩薩)、九法界ではなく、唯一無二の実相を「一」といっている。 
 止観の「一色一香」の「一」について本抄で「二三相対の一には非ざるなり、中道法性をさして一と云うなり」と仰せになっているのは、これと同じ意である。すなわち、唯一無二の「一」であり、その「一」のなかにすべてを含んでいるのである。
 このことから、妙楽大師は「色香中道」といい、天台大師は「無非中道」といっているのである。
 したがって「一色一香」といっても、そこに十界、森羅三千、依正すべてをそなえているのであり、色香すなわち非情の草木も成仏するということをあらわしている。
 また、妙法蓮華経にあてはめれば、色香中道は蓮華の成仏でもある。先に経の文証として「妙法蓮華経」を挙げられたが、天台大師の摩訶止観の文、妙楽大師の止観輔行伝弘決の文で「色香」といっているのは、言葉自体は異なるが、蓮華の成仏と同じことであると仰せられている。

1339:06~1339:08 第三章 草木成仏の口決を説くtop
06                            口決に云く「草にも木にも成る仏なり」云云、 此の意
07 は草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり、 経に云く「如来秘密神通之力」云云、 法界は釈迦如来の御身に非ずと
08 云う事なし、
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 口決にも「草にも木にも成る仏」云々とあるが、この仏とは非情の草木にまでも成られる法華経如来寿量品の釈尊をいうのである。
 寿量品に「如来秘密神通之力」云々と説かれているが、十方法界はことごとく、釈迦如来の御身でないものはない。

口決
 「ぐけつ」あるいは「くけつ」と読み、口訣とも書く。口伝秘決の略。口で言い伝える秘決(秘訣)のこと。
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寿量品の釈尊
 ①久遠五百塵点劫成道の釈尊のこと。②久遠元初の教主釈尊のこと。
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如来秘密神通之力
 法華経如来寿量品第16の文。同品の冒頭では、弥勧菩薩の要請に応じて釈尊が「汝等よ。諦らかに聴け。如来の秘密・神通の力を」(法華経477㌻)と述べ、その後、釈尊が久遠の昔から仏であり、方便として入滅するけれども、実はこの婆婆世界に常住しており、妙法を強盛に信じる者には現れてくることが説かれる。「御義口伝」に「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(753㌻)と仰せのように、如来の秘密の法とは、万人を成仏させる妙法である。
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法界
 「ほっかい」とも読む。衆生の境涯、すなわち衆生が住んで感じている世界全体のこと。法界は自身が則っている法に応じて決まるが、その法に地獄界から仏界までの10種の違いがあるので、十法界となる。例えば、地獄の因果の法に則れば、身も国土も地獄を現す地獄界となる。仏の因果の法に則れば、身も国土も仏を現す仏界となる。
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 「草木成仏」は「草木が仏に成る」ということであるが、これを「草にも木にも成る仏」と読む秘伝があることを示されている。
 この口決は、草木成仏のもつ、一重深い意義をあらわしたものである。すなわち「草木が仏に成る」というのは、草木などの非情の存在に仏性があることを示したものであるが、「草にも木にも成る仏」というのは、逆に、仏が非情の存在とあらわれることを示したものである。
 これを十界互具の原理でいうならば、九界が仏界を具するのが「草木が仏に成る」ことにあたり、仏界が九界を具するのが「草にも木にも成る仏」にあたる。
 小乗では十方に一仏しかいないとするから、衆生と仏とは全く懸け離れた存在であるが、権大乗においても、歴劫修行を経て仏になると説いて、衆生と仏の間に横たわる懸隔は大きなものがあった。法華経迹門に至り、衆生の生命に仏の生命を具していることが明かされて、一切衆生皆成仏道が明らかになったのである。
 しかしこれだけではまだ、衆生が仏になることが明かされたのみで、仏になってしまえば、やはり今までの衆生の生命と同じものではなくなることになる。
 ところが本門では、仏の生命にも九界の生命がそのまま具えられていることが明かされ、それによって初めて、仏となっても凡夫と別のものになるのではないことが明確にされたのである。このことを草木成仏において示しているのが、この口決なのである。
 「草にも木にも成る仏」の仏とは「寿量品の釈尊」であるが、この「寿量品の釈尊」が非情の草木にもなるというのは、何を意味しているのか。
 「寿量品の釈尊」とは一往は法華経如来寿量品の久遠の釈尊であるが、再往は寿量品文底の釈尊、すなわち久遠元初自受用報身如来である。この久遠元初自受用報身如来が草木にあらわれるということは、御本尊の意にほかならない。
 そして文証として、法華経如来寿量品の「如来秘密神通之力」の文が挙げられているが、この文は寿量品で、釈尊が久遠五百塵点劫に成道して以来、種々の姿を現じながら、衆生を教化してきたことを明かすにあたって述べられた言葉である。法華文句では、この文を一身即三身、三身即一身の仏を示す文であるとしている。
 御義口伝には、この文を無作三身の依文であるとされ、「生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり」(0753-第二如来秘密神通之力の事-01)と仰せられている。森羅三千はすべて、無作三身の神通之力の体となるのである。
 それゆえに、法界はすべて本来、仏の体なのであり、したがって、久遠の仏は非情の草木にもなるのである。
 ここでは、草木が成仏するか否かという次元をはるかに超えて、一切の存在に仏があらわれているという仏法の甚深の義を明かされているのである。

1339:08~1339:10 第四章 事理の顕本に約して説くtop
08        理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、 理の顕本は死にて有情をつかさ
09 どる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、 我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり・我
10 等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり、
―――――
 理の顕本は死を表し妙法の二字と顕れ、事の顕本は生を表し蓮華と顕れるのである。したがって、理の顕本は死であり、有情をつかさどり、事の顕本は生であって、非情をつかさどるのである。
 我ら衆生にとってたのみとなるものは非情の蓮華がなっているのである。また、我ら衆生の言語音声、生の位には妙法が有情となっているのである。

理の顕本
 仏が理のうえで本地を顕すこと。理顕本ともいう。顕本とは仏の久遠の本地を顕すことで、無始無終の法身(真理それ自体)を本地として顕すことをいう。
―――
事の顕本
 仏が事実の上に本地を顕すこと。法華経本門で仏の久遠五百塵点劫の本地を説き顕したこと。如来寿量品第十六では三妙合論が説かれ、事実の生命活動のうえに仏の本地が明らかになる。
―――――――――
 ここでは事の顕本と理の顕本に約して、有情・非情の成仏を教えられている。最初に事の顕本と理の顕本について説明しておこう。
 顕本とは仏の久遠の本地を顕すことである。久遠の本地とは、一往、文上でいえば、五百塵点劫の成道を意味するが、再往は久遠元初であることはうまでもない。
 事・理の顕本というのは、天台宗でいわれた義であるが、理の顕本とは、迹門で九界の衆生に仏界が本来、そなわっていると説いて、仏性の常住を示したことをいう。
 これに対し、事の顕本とは、仏が五百塵点劫の久遠において成道し、それ以来、娑婆世界において説法教化してきたと、本因・本果・本国土の三妙を合論して説き明かしたことをいう。
 この事の顕本、理の顕本については、御義口伝に「信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり解とは事顕本を解するなり此の事理の顕本を一念に信解するなり」(0760-第一其有衆生聞仏寿命長遠如是乃至能生一念信解所得功徳無有限量の事-02)、「事とは五百塵点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり」(0761-第一妙法蓮華経随喜功徳の事-01)、「希有地とは寿量品の事理の顕本を指すなり」(0763-第四是人持此経安住希有地の事-01)等と説かれている。
 このうえで本抄の御文を拝すると、理の顕本が理において仏性の常住を示すことは「死」を表し、事の顕本は仏の事実の身のうえに常住を示したわけであるから、「生」を表することが分かる。
 次に理の顕本が「妙法と顕」れ、事の顕本が「蓮華と顕」ることについてであるが、理の顕本は理において仏性の常住を説くことであるから妙法であり、それに対して、蓮華とは具体的な事物であるから事の顕本にあたるのである。
 次に、理の顕本である死が「有情をつかさどる」ことと、事の顕本である生が「非情をつかさどる」との御文は、生ある有情は、死である非情の存在によって支えられ、逆に、死せる非情の存在は、生ある有情によって左右されるということである。
 衆生が怙みとするものが「非情の蓮華がなりたるなり」とは、依報である国土をさしておられるとともに、更には有情の我らが信行の依りどころとする本尊が非情の草木をもって作られることを仰せられていると考えられる。
 逆に「我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり」とは、我々生ある衆生が、言語・音声として発し振る舞っているのは、本来は死である理としての妙法が有情のうえにあらわれたものなのである。

1339:10~1339:12 第五章 一身所具の有情非情を示すtop
10                              我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非
11 情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり、一身所具の有情非情なり・此の
12 有情・非情・十如是の因果の二法を具足せり、衆生世間・五陰世間・国土世間・此の三世間・有情非情なり。
――――――
 我らの一身にも有情と非情とを具足している。爪と髪とは非情で、切っても痛みを感じない。その他は有情であるから、切れば痛さも苦しさも感じる。これを一身所具の有情非情というのである。
 この有情非情ともに、十如是の因果の二法を具足している。衆生世間、五陰世間、国土世間の三世間が有情非情なのである。

衆生世間
 仮名世間(けみょうせけん)ともいう(『大智度論』)。三世間の一。世間とは差別の義で、衆生世間とは衆生に地獄界から仏界までの十界の差別があることをいう。
―――
五陰世間
 五陰とは、色陰・受陰・想陰・行陰・識陰のこと。衆生の生命を構成する五つの要素。五陰の「陰」とは〝集まり〟の義で、衆生はこの五陰が集まって成立している(五陰仮和合)。五陰世間とは、五陰が十界によって差別、異なりがあること。三世間の一。
―――
国土世間
 十界の衆生の住む場所にそれぞれ差別があること。三世間の一。摩訶止観巻五上に「地獄は赤鉄に依って住す、畜生は地水空に依って住す、修羅は海畔海底に依って住す、人は地に依って住す、天は宮殿に依って住す、六度の菩薩は人に同じく地に依って住す、通教の菩薩の惑いまだ尽きざる者は人天に同じく依住す、惑を断じ尽くせる者は方便土に依って住す、別円の菩薩の惑未だ尽きざる者は人天方便等の住に同じく、惑を断じ尽くせる者は実報土に依って住し、如来は常寂光土に依って住す」とある。
―――――――――
 次に、我々の一身にも有情・非情を具していることを示されている。すなわち、「爪と髪」は「きるにもいたまず」であるから非情であるとされている。
 有情・非情の「情」というのは、感情や意識の働きをいう。これを広くいえば神経系統の働きといってよい。
 したがって、この観点から有情・非情を分ければ、我々の身体のなかでも、「爪」や「髪」は神経が通っていないから、「情」がない、すなわち非情ということになる。
 したがって、有情・非情という立て分けは一往あっても、その境界は極めて曖昧なものであることも確かである。
 爪や髪には神経が通っていないが、例えばその根元である毛根には神経が通っており、そこを刺激すると痛さを感じる。爪や髪においても、有情の部分と非情の部分とが微妙につながっているのである。
 大聖人がここで一身所具の有情・非情を示されているのも、有情にみえる我々の一身にも非情とみられる部分があるということである。
 すなわち、有情と非情を全く別々のものとして区別することはできないものであると仰せられているのである。
 依報と正報という立て分け自体、相互につながりあって生命の全体を形成していることを教えたものなのである。
 一身が有情・非情からなっており、我々の一身は十如是を具し、また因(九界)と果(仏界)を具えているから、有情・非情ともに「十如是の因果の二法」を具足していることになる。
 観心本尊抄には、とくに「草木国土の上の十如是の因果の二法」の文証として、天台大師の摩訶止観巻五上の「国土世間亦十種の法を具す、所謂悪国土・相・性・体・力」、妙楽大師の法華玄義釈籤巻十四の「相は唯色に在り、性は唯心に在り、体・力・作・縁は義色心を兼ね、因果は唯心、報は唯色に約す」、金剛錍の「乃ち謂えらく、一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果ありて、縁了を具足せりと」の文を挙げられている。
 摩訶止観の文は国土世間に十界を具しており、例えば悪国土には悪国土の相・性・体・力等の十如是があるとする文である。
 法華玄義釈籤の文は十如是が色心二法になることを示したものである。金剛錍の文は非情のすべてに因果(十界)を具し、三因仏性が具わっているとしている文である。
 次に三世間を有情・非情に分ければ、衆生世間・五陰世間は有情、国土世間は非情となる。この三世間は、一念三千の法理によれば、我々の生命に内在しているものである。したがって、一身に有情・非情を具足していることになるのである。

1339:13~1339:15 第六章 本尊に約して草木成仏を説くtop
13   一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、 当世の習いそこないの学者 ゆめにもしらざる法門な
14 り、天台・妙楽・伝教・内にはかがみさせ給へどもひろめ給はず、一色一香とののしり惑耳驚心とささやき給いて・
15 妙法蓮華と云うべきを円頓止観と・ かへさせ給いき、
――――――
 一念三千の法門を振りすすいで立てたのが大曼荼羅である。当世の習いそこないの学者等が、夢にも知らない法門である。
 天台、妙楽、伝教も内心にはこのことを知っていたが、外には弘められず、ただ「一色一香も中道にあらざるものはない」とか、「無情に仏性があると説くのを聞いて、耳に惑い心に驚くのである」などといって、南無妙法蓮華経というべきを円頓止観と言葉を変えて弘められたのである。

一念三千の法門
 衆生の一念の心に三千の諸法を具足するという法門。一念とは一瞬一瞬のわずかな心をさし、三千とは現象世界のすべてをいう。法華経迹門方便品に説かれる十如是を中心とする教理を所依として、天台大師が摩訶止観に体系化した法門。摩訶止観巻五上に「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已(やみ)なん。介爾(けに)も心有らば即ち三千を具す」とある。
―――
伝教
 767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。
【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
―――
円頓止観
 天台大師の説いた三種止観のひとつ。法華経を根本にした観法で、修行の段階や能力の差にかかわらず、直地に順一実相を対象として、実相の他に別の法なしと体得する止観のこと。妄念を止め、心を特定の対象に注ぐことを「止」といい、止によって智慧を起こし対象を観ることを「観」という。摩訶止観に体系化して説かれている。
―――――――――
 一念三千の法門が、有情・非情ともの成仏を明かしたものであることを述べられたうえで、この一念三千の法門を「ふ(振)りすす(濯)ぎたてた」のが大曼荼羅であると教えられている。
〝振り濯ぐ〟というのは、振り動かして清め、そのエッセンスを取り出すことである。
 したがって、一念三千の法門を振り濯ぐというのは、一念三千の法門を完璧なかたちであらわすということであろう。
 大聖人は本抄の翌年の文永10年(1273)4月の観心本尊抄に明らかにされるように、一念三千の法を具体的に御本尊としてあらわされたのである。
 日女御前御返事には「日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」(1243-07)と仰せられ、諸法実相抄では「日蓮・末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先(まず)作り顕はし奉る事、予が分斉(ぶんざい)にはいみじき事なり」(1359-09)と仰せられている。
 いずれも、正像はいいうまでもなく末法に入ってもだれ一人としてあらわさなかった御本尊を、大聖人が末法に初めてあらわされたことを示されている御文である。
 正法時代の竜樹や天親、像法時代の天台大師・妙楽大師・伝教大師等さえもあらわさなかった御本尊であるから「当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門」であるのは当然であった。
 天台大師や妙楽大師、伝教大師は、この法門を内には鑑みていたけれども、外に向かっては弘めなかったのである。
 これを内鑑冷然・外適時宜という。この言葉は天台大師が摩訶止観のなかで、竜樹・天親について述べたものである。
 すなわち、竜樹や天親は法華経が諸経のなかで第一であることを知っていたが、外に向けては、その時代の衆生の機根に合った権大乗教を弘めたのであるという意である。
 例えば竜樹は大智度論で般若経の般若波羅蜜は最高の教えでなく、二乗作仏を説く法華経が最勝であると述べ、天親は法華論で種々の方便の教えを説くのはことごとく法華経を説こうとするためである、等と言っている。
 今、大聖人の立場から像法の天台大師、妙楽大師、伝教大師を見るならば、まさに内鑑冷然外適時宜である。
 天台大師や妙楽大師等は、南無妙法蓮華経を心のなかでは悟っていたが、これを直ちに説き弘めることはしなかったのである
 この理由について、曾谷入道殿許御書に「一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり」(1028-16)と四つを挙げられている。
 そこで、一色一香といえども中道の理をあらわさないものはない、とか、無情に仏性があると述べて、これは世人の考えを超えるものである、などとはいったが、その中道の理とは南無妙法蓮華経であることは言わず、わずかに円頓止観と変えて述べたにとどまったのである。
 円頓止観とは天台の説いた漸次止観、不定止観、円頓止観の三種止観の一つである。森羅三千の究極の実相を対象にして、心を止め、智慧を起こしてその実相を見極め、実相のほかに法はないと悟ることを目的とした修行法である。
 しかし、こうした修行は説いても、この修行によって悟る実相の体が何であるかは明言しなかったのである。
 そのことを大聖人は、天台大師等は「妙法蓮華と云うべきを円頓止観と・かへさせ給いき」と仰せられているのである。

1339:15~1339:18 第七章 草木成仏の忘失を戒めて決すtop
15                           されば草木成仏は死人の成仏なり、此等の法門は知る人す
16 くなきなり、所詮・妙法蓮華をしらざる故に迷うところの法門なり、敢て忘失する事なかれ、恐恐謹言。
17       二月二十日                       日蓮花押
18     最蓮房御返事
――――――
 ゆえに、草木成仏とは死人の成仏をいう。これらの甚深の法門は知る人が少ない。所詮、妙法華経の元意を知らないところからくる迷いである。
 以上の法門を必ず、忘れてはいけない。恐恐謹言。
  二月二十日              日 蓮  花 押
   最蓮房御返事

死人の成仏
 死の成仏のことで、生(有情界)の成仏に対する語。
―――――――――
 最後に、結論していえば、草木成仏とは死者の成仏ということであると述べられている。有情の人身も、死後は非情の存在になる。その非情の成仏を説くのが草木成仏の義であるから、草木成仏は所詮、死んだ人が成仏することを説いていることになるのである。
 そして、本抄で明かされた草木成仏の深義について、世間の人、また他宗の人々は知らない、それは、妙法蓮華経という仏法の根本義を知らないからであると仰せられている。
 「敢て忘失する事なかれ」とは、この妙法蓮華経の御本尊にこそ草木成仏、また死人の成仏の根源があることを忘れてはならないとのお戒めであろう。

1340~1343    最蓮房御返事(師弟契約御書)top
1340:01~1340:04 第一章 供養への謝辞を述べるtop
1340
最蓮房御返事
01   夕ざりは相構え相構えて御入り候へ、得受職人功徳法門委細申し候はん。
02   御礼の旨委細承り候い畢んぬ、 都よりの種種の物慥かに給び候い畢んぬ、鎌倉に候いし時こそ常にかかる物は
03 見候いつれ・此の島に流罪せられし後は未だ見ず候、 是れ体の物は辺土の小島にては・よによに目出度き事に思い
04 候。
―-----
 夕方はよくよく用心して、おいでなさい。得受職人功徳法門を詳しく申し上げよう。
 お手紙の趣旨は詳しく承った。都からの種々の品物は、たしかにいただいた。鎌倉にいたときには、常にこのような物は見ていたが、この島に流罪された後は、いまだ見ていない。このような品物は、都から遠く離れた小島ではたいそう珍しいことと思われる。

夕ざり
 夕方
―――
得受職人功徳法門
 妙覚の職位を受ける人の功徳を説いた法門のこと。
―――――――――
 本抄は、文永9年(1272)4月13日、日蓮大聖人が御年51歳の時、佐渡一の谷から、同じく佐渡に流されていた最蓮房日浄に与えられた御手紙である。御真筆は現存していない。
 本抄の内容は、初めに供養に対する感謝を述べ、次に最蓮房の書状に応えて第一に妙法の信受、師弟の結縁を喜び、第二に邪師を捨てて正師につくべきことを示し、第三に経証ならびに邪師の名を挙げ、第四に末法正善の師とは大聖人であることを明かし、第五に師弟の因縁を述べ、その行化を励まし、第六に本円戒受持の大功徳を明かし、第七に成仏の境地を述べ、最後に赦免を予見し最蓮房を励まして、結ばれている。
 最蓮房は、この年2月の初めごろ、日蓮大聖人に帰伏し弟子となった。そして同月の11日には「生死一大事血脈抄」、20日には「草木成仏口決」等の甚深の御法門書を相次いで賜った。それから二か月後の四月八日には、本抄に述べられているごとく、事実上の師弟結縁が決せられた厳粛な儀式・文底独一本門の円戒をもって御授戒が行われたのである。最蓮房の喜びはいかばかりであったろうか。流罪の身であられながら、泰然自若として甚深の御法門を説き明かされる大聖人の御姿に接し、胸奥より求道の喜び、弟子としての決意が躍動してくる思いであったであろう。その胸中の思いを筆に託して、手紙を書き送られたものと推察される。その手紙に応えられたのが本抄である。
 「御札」の内容については、本抄に「去る二月の始より御弟子となり帰伏仕り候上は・自今以後は人数ならず候とも御弟子の一分と思し食され候はば恐悦に相存ず可く候」「自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑む」と最蓮房が述べていることはうかがえるが、単に決意・喜びの表明の手紙だけではなく、大聖人が「御札の旨委細承り候い畢んぬ」との仰せから拝すると、法門に関して御指南を仰いだことが当然考えられる。本抄の御真筆が残っていないので明らかではないが、冒頭の一行が紙の余白に書かれた追申であるとすると、「御札」とは、得受職人功徳法門に関する質問の手紙であったことが考えられる。
 冒頭の「夕ざりは相構え相構えて御入り候へ」との御文は、解釈が分かれるところであるが、いつの夕方か不明であるから、単に「必ずくるように」との御指示だけではないと思われる。本抄に仰せのように、真夜中に大聖人が最蓮房に会われていることや、阿仏房が同じく真夜中に御供養していること、一谷入道の屋敷でも、幾度か大聖人が危険な目にあわれていることなどから拝すると、最蓮房が大聖人のもとへうかがうのも容易ではなく、警護の者達に足止めされるかもしれない状況が推察され、その意味から「夕方はよく用心してくるように」と仰せられたと考えるほうが自然であろう。
 次に、京都から届いた種々の物を、御供養として奉られたことに対して、心から感謝を述べられている。その品がどのようなものであるかは不明であるが、鎌倉では日常的にみていた物でも、京・鎌倉から遠く離れ、辺国の佐渡では、流罪になってからは一度も見たことがなかったと仰せである。
 そのような京都からの届け物は、最蓮房にとっても、貴重このうえない物であったろう。しかも、とるものもとりあえず、最蓮房は大聖人のもとへお届けしたのである。最蓮房の純真な心が察せられる。
 なお、ここで仰せの得受職人功徳法門に関しては、本抄では述べられていないが、本抄の二日後に著されたとされる「得受職人功徳法門」が、富士学林発行の昭和新定御書に収められている。その内容を概説すると、次のとおりである。
 受職とは受職灌頂といい、菩薩の修行を尽くして、妙覚の位を得ることである。諸経においては、等覚の菩薩が妙覚の仏になろうとするとき、他方の仏がその菩薩の頂に仏の智慧の法水を灌ぐとされ、したがって、諸経では、受職灌頂は等覚の菩薩に限るとしている。
 それに対して、法華経における授職は、聖者よりも凡夫に、善人よりも悪人に、上位よりも下位に、持戒よりも毀戒、正見よりも邪見、利根よりも鈍根、高貴よりも下賤、男よりも女、人天よりも畜生に行うのである。したがって、等覚にかぎらず、五十一位すべてに受職があることになる。
 法華経から五十二位の受職について、与えて言った場合には、一位に他の五十一位を具するのであり、そのゆえに五十二位すべてに受職があることになる。奪って言えば、五十二位などという階位は別教の義であり、法華経では、それらを経ずに、直ちに妙覚の悟りを得るのである。
 ただし、法華経による受職灌頂の人にも道の受職と俗の受職、修学解了の受職と信行のみの受職の異なりがある。とくに、修学解了の道の者は、自身が成仏するのみでなく、他をも救うゆえに尊いのである。他を利益する僧にあっても、広く人のために説くのは上師であり、ひそかに一人のために説くのは下師である。
 日蓮は釈尊から受職し、今、最蓮房に授職した。受職の後は、他のために説くべきである。この法華経を弘める人は常に仏とともにいる人であり、釈尊は変化の人をつかわして、この人を守るのである。なぜなら、この人は如来の使いだからである。
 日蓮こそ上師のなかの上師であり、その弟子となった最蓮房もまた、人々に妙法を説く師としての信行・修学を積んでいかなくてはならない。受職灌頂は、儀式のみに終わるのでなく、以後の実践あって初めて、真実の義があらわれるのである。
 以上が概要であるが、日付は「文永九年四月十五日の夜半に之を記し畢んぬ」とあり、「日域沙門 日蓮」と署名されている。

1340:05~1340:11 第二章 妙法の信受、師弟の血縁を喜ぶtop
05   御状に云く去る二月の始より御弟子となり帰伏仕り候上は・ 自今以後は人数ならず候とも御弟子の一分と思し
06 食され候はば恐悦に相存ず可く候云云、 経の文には「在在諸仏の土に常に師と倶に生れん」とも或は 「若し法師
07 に親近せば速かに菩薩の道を得ん 是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」とも云へり、 釈
08 には「本此の仏に従つて初めて道心を発し 亦此の仏に従つて不退地に住せん」とも、 或は云く「初此の仏菩薩に
09 従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」とも云えり、 此の経釈を案ずるに 過去無量劫より已来師弟の契約
10 有りしか、 我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ・ 忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に
11 唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事・是れ偏に過去の宿習なるか。
―-----
 お手紙には、去る二月の始めから御弟子となり帰伏したうえは、今から後は人並でないけれども御弟子の一分とお思いくだされば恐悦に存じます、とあった。
 法華経には「あらゆる諸仏の国土に常に師とともに生まれるであろう」とも、あるいは「もし法師に親しく交わるならば、速やかに菩薩の道を得るであろう。この師にしたがって学ぶならば無数の仏を拝見することができるであろう」とも説いている。
 法華玄義には「もとこの仏に従って初めて仏道を求める心を起こし、またこの仏に従って不退の境地に住するであろう」とも、あるいは法華文句記には「初めこの仏菩薩に従って結縁し、還ってこの仏菩薩のもとで成就する」ともいっている。
 この経や釈を考えてみるに、過去の計り知れない昔から師弟の約束があったのであろうか。我らが末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持(たも)ち、手にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習であろうか。

恒沙
 ガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数のという意となる。
―――
不退地
 不退転の地。仏道修行の過程ですでに得た功徳を決して失わないこと。
―――
無量劫
 量り知れないほどの長い期間。「無量」は無限の意。「劫」は長遠の時間。長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を劫としている。(他説あり)。 数限りない「劫」のこと。計り知れないほど長い時間のこと。「劫」は長大な時間の単位。
―――
末法
 仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
―――
南閻浮提
 閻浮、閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
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宿習
 宿世(過去世)に行った思考、言動の影響が生命に積み重ねられ、潜在的な力となっているもの。
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 最蓮房が手紙のなかで、妙法を信受し、弟子となった喜びと、決意を述べたのを受けて、法華経とその釈の文を挙げ、師弟の深い関係について明かされている。
 化城喩品第七には「いつの世にも、諸仏の国土に常に師とともに生まれる」とあり、この経文は三千塵点劫の昔に出現した大通智勝仏の16人の王子が父王から聞いた法華経を重ねて説法(大通覆講)し、それぞれ六百万億恒河沙等の衆生と師弟の契りを結び、その衆生は、その後、いつの世にも、諸仏の国土に常に師とともに生まれて、ともに仏法を実践していったと説き明かしたものである。
 これは、釈尊が声聞に対して法華経の迹門で説いた三周の説法(法説周・譬説周・因縁周)のうちの因縁周にあたる。仏が開三顕一を示すのに法説・譬喩説をもって説いても領解しない機根の声聞に対して、大通智勝仏の16王子とその教化を受けた衆生の縁を説き、釈尊はその16王子の1人であり、法華経説法の座に集まった声聞達は、その教化を受けた衆生であることを明かしたものである。
 この因縁周の文を引いて大聖人は、あたかも16王子とその教化を受けた衆生のように、大聖人と最蓮房の縁が深いことを教えられているのである。
 また大聖人は、同経法師品第10の最後に「もし法師に親近すれば速やかに菩薩の道を得ることができ、この師に随順して学べば恒沙の仏を見奉ることができる」とも説かれていると示されている。ここに「親近」といい「随順」というのは「信受」の異名である。
 この文は、仏滅後に法華経を説く者には、仏が変化の人をつかわして衛護することを説いたところで述べられたものである。その法師に親近し、随順すれば菩薩の道を得、恒沙の仏を見ることができると説いている。
 大聖人がこの文の法師を大聖人に、その師に親近・随順する者を最蓮房になぞらえられているのはいうまでもない。
 次に、これらの経文を解釈した天台大師の法華玄義には「本、この仏に従って初めて道心(菩提心)を発したのであるから、またこの仏に従って不退地に住するであろう」とも、また妙楽大師の法華文句記には「初めこの仏・菩薩に従って結縁したのであるから、還ってこの仏・菩薩に従って仏道を成就する」とも述べていることを示し、本従っていた、すなわち「本従」の師によって弟子は成仏へ導かれる。と師弟不二の法理を示されている。
 ここで「本従の師」が大聖人であり、最蓮房が大聖人の門下になったのには、必ず遠い過去世からの因縁があったからであろうとの意から、この文を引かれているのである。
 なお、法華玄義の「不退地」とは、五十二位では十住の最初、すなわち初住位をいう。円教においては菩薩はここで、一分中道の理を悟り、不退転の位に入るとされる。
 日寛上人は三重秘伝抄に「師の曰く『本因初住の文底に久遠名字の妙法、事の一念三千を秘沈し給えり』云云、応に知るべし、後々の位に登るは前々の行に由るなり」と述べられている。
 この経釈の法理に照らすならば、大聖人と最蓮房との関係には、「過去無量劫」より以来、師となり弟子となる深い契約があったのであろうと述べられ、末法濁悪の時代に「南閻浮提」のなかでも日本の国に生を受け、師弟の契りを結んで、ともに「諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」を身・口・意の三業をもって、受持実践しているということは、ひとえに「過去の宿習」という以外ないと仰せられているのである。
 「諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」とは、三世十方のあらゆる仏が一切衆生の成仏のために、必ず出世の本懐として説き明かす法が南無妙法蓮華経であるということである。
 本抄にかぎらず、大聖人は最蓮房に、師弟の契りを結んだことはまことに不思議であると仰せになっている。生死一大事血脈抄では「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(1338-01)、また諸法実相抄では「不思議なる契約なるか……まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(1361-16)と仰せである。
 佐渡御流罪という、大聖人の最大の逆境に際会して大聖人を支える一分の役目を果たし、しかも天台僧であった縁から、生死一大事血脈、草木成仏、諸法実相等の甚深の法門を残されるに至ったということは、不思議という以外ない。そうした万感の意を込めて、大聖人は「師弟の契約」と仰せになっているものと拝するのである。

1340:12~1341:05 第三章 邪師を捨て正師につくべきを示すtop
12   予日本の体を見るに 第六天の魔王智者の身に入りて 正師を邪師となし善師を悪師となす、 経に「悪鬼入其
13 身」とは是なり、 日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・ 我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつ
14 けず、 故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり、 然るに今
15 時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり、 設い徳
1341
01 は四海に斉く 智慧は日月に同くとも法華経を誹謗するの師をば 悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり、
02 或る経に云く 「若し誹謗の者には共住すべからず 若し親近し共住せば即ち阿鼻獄に趣かん」と禁め給う是なり、
03 いかに我が身は正直にして世間・出世の賢人の名をとらんと存ずれども・ 悪人に親近すれば自然に十度に二度・三
04 度・ 其の教に随ひ以て行くほどに終に悪人になるなり、 釈に云く「若し人本悪無きも悪人に親近すれば後必ず悪
05 人と成り悪名天下に遍からん」云云、 
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 私が日本の姿を見るに、第六天の魔王が智者の身に入って正師を邪師となし、善師を悪師となしている。法華経に「悪鬼其の身に入る」と説かれているのはこれである。
 日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が我が身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せつけない。ゆえに天魔は力及ばずに王や臣下をはじめとして良観等の愚かな法師達に取りついて、日蓮を怨むのである。
 しかしながら今の時代は師に正師と邪師、善師と悪師の違いがあることを知って、邪悪の師を遠ざけ、正善の師に近づき親しむべきである。たとえ徳は全世界に行きわたり、智慧は日月のように輝いていたとしても、法華経を誹謗する師は悪師であり邪師であると知って、これに近づき親しむべきではないのである。
 ある経に「もし誹謗の者がいたならば、ともに住んではならない。もし近づき親しんでともに住むならば、無間地獄に堕ちるであろう」と戒められているのはこれである。
 どんなに自身は正直で世間・出世間の賢人の名を得ようと思っても、悪人に近づき親しめば、自然に十度に二度、三度とその教えに従っていって、ついには悪人になってしまうのである。
 止観輔行伝弘決には「もし人がもとは悪くなくても、悪人に近づき親しめば後には必ず悪人となり、悪名は天下に広くゆきわたるであろう」とある。

第六天の魔王
 欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
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悪鬼入其身
 「悪鬼は其の身に入って」と読み下す。法華経勧持品第13の二十行の偈の文(法華経419㌻)。三類の強敵の様相を説いた中の一句。三類の強敵には悪鬼が身に入り、正法を護持する者を迫害すると説かれる。人々が心の中の煩悩や邪見という悪に身を支配され、薬叉など鬼神の様相を示し、正法およびそれを護持する人に敵対・反発するさまを表現している。日蓮大聖人は、悪鬼の最も根本で手ごわい者を第六天の魔王(他化自在天)とみなされている。「治病大小権実違目」(997㌻)では、その第六天の魔王は、生命にそなわる根源的な煩悩である「元品の無明」の現れであると明かされている。
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天魔
 天子魔・第六天の魔王のこと。欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
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良観
 1217年~1303年。鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性のこと。良観房ともいう。奈良の西大寺の叡尊に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。文永4年(1267年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府権力に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。文永8年(1271年)の夏、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。
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愚癡
 ①愚かであること。因果の道理をはじめ、仏法の教えを理解できないこと。貪欲・瞋恚とともに三毒の一つとされ、最も根本的な煩悩と位置づけられる。無明と同一視される。②一般語として、言ってもかいのないことを言って嘆くこと。泣きごと、不平不満などを言って、ふがいなさを話すこと。愚痴とも書く。
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四海
 古代インドの世界観では、世界の中心に須弥山がそびえ、その周囲の東西南北の四方に諸天(天界の各層)があり、またその麓に海が広がり、その四方にそれぞれ大陸があるとする。このことから、「一四天・四海」とはこの世界のすべてを意味する。
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阿鼻獄
 阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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 ここでは、師にも正邪・善悪の別があることを明かし、邪悪の師に親近してはならないと戒められている。
 現実社会のありさまをつぶさに見てみると、第六天の魔王が智者の身中に入り込んで正師を邪師に、善師を悪師にと変えてしまっている。第六天の魔王とは他化自在天のことであり、この天は多くの眷属を率いて人間界において仏道の妨げをなすのである。
 法華経の勘持品第十三に末法の様相を示して「濁劫悪世の中は多くもろもろの恐怖があるであろう。悪鬼がその身中に入った者が、法華経の行者を罵り、謗り、辱めるであろう」と説いている。
 他化自在天は、まさしくこの悪鬼の首領とされる。他化自在天は、他の楽しみを奪って自らの楽とするのであり、一切衆生に、成仏という根源の楽を与えんとする法華経の行者とは、全く対極にある存在である。したがって、あらゆる生命の中に入って、脅し、すかして、法華経の行者を迫害するのである。
 本抄ではとくに、「智者」の身に入ると仰せられている。この「智者」について大聖人は兄弟抄で「此の世界は第六天の魔王の所領なり……法華経を信ずる人をば・いかにもして悪へ堕さんとをもうに叶わざればやうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ・杜順・智儼・法蔵・澄観等是なり、又般若経へすかしをとす悪友は嘉祥・僧詮等是なり、又深密経へ・すかしをとす悪友は玄奘・慈恩是なり、又大日経へ・すかしをとす悪友は善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証是なり、又禅宗へすかしをとす悪友は達磨・慧可等是なり、又観経へすかしをとす悪友は善導・法然是なり、此は第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説かれて候は是なり」(1081-15)と仰せられている。すなわち「智者」とは各宗の開祖等であり、彼らが第六天の魔王がその身に入った者であることを御教示されている。
 彼らは、本来ならば「正師」「善師」になるべきところを、第六天の魔王によって「邪師」「悪師」になってしまい、その「邪師」「悪師」が衆生をたぶらかしているのである。
 その意味からすれば、大聖人はまさしく「智者」であられる。したがって、当然、大聖人に対しても、第六天の魔王がその身に入り込んで「邪師」「悪師」にするところであったが、大聖人は、このことあるを自覚して、かねてから油断なく、深く用心を怠らなかったので、天魔は力及ばずして、権力者達(俗衆増上慢)をはじめとして、良観等の愚痴の僧(僭聖増上慢)に取り付き、法華経の行者である大聖人を迫害しているのである。
 ここでは大聖人は、良観等を「愚痴の法師原」と仰せられている。「智者」の身に入るのが第六天の魔王であるが、それがかなわないので「愚痴の法師原」の身に取り付いたのである。また同時に「王臣」に対しても取り付くと仰せられている。すなわち、三類の強敵のうち俗衆増上慢である。道門増上慢、僣聖増上慢は良観等やその弟子等であるから、第六天の魔王は三類の強敵として現れたと仰せである。
 こうした経緯によって、同じ「師」といっても、第六天の魔王を斥(しりぞ)けた「正師」「善師」と、第六天の魔王が取り付いた「邪師」「悪師」があるのである。どんなに徳や智慧が勝れ、社会から尊敬されていても、法華誹謗の者は邪悪の師であるから、これには親近すべきではない。「或る経」すなわち大方広十輪経の第五巻に「もし正法誹謗の者には共住すべきではない。もし親近し共住するならば、すなわち阿鼻地獄へ向かうであろう」と戒められているのが、これである。つまり正法誹謗の者に親しみ近づけば、その人は悪道の方向へと引きずられていくと、厳しく戒めているのである。
 どんなに自分が、正直な生活・人生を生き、世間・出世において「賢人の名声」を得ようとしても、悪人に交わっていれば、知らずしらずのうちに、十度に二度、三度とその交わる回数に応じて悪に染まり、ついには悪人になってしまうのである。
 この道理を妙楽大師の弘決には「かりに人に本来、悪がなくても、悪人に親しみ近づけば、後には必ず悪人となり、悪名が天下に轟きわたるであろう」と指摘しているのである。
 私達の一切の行為は、知ると知らずとにかかわらず、所縁の境によって左右される。邪悪の師に縁すれば、知らずしらずに影響を受けて、我が生命も邪悪なものとなってしまうのである。妙楽大師は止観輔行伝弘決巻一の四に次のように述べている。すなわち「たとい発心が真実でなくとも、正境に縁すれば功徳が多い。だが正境でなかったならば、たとい発心に偽妄がなくとも、成仏の種とはならない」と。だから、自身が信順して行動の規範とする師が、正善の師であるか、邪悪の師であるか、これを峻別して選ぶことが大事なのである。

1331:05~1341:11 第四章 経証ならびに邪師の名を挙げるtop
05                   所詮其の邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり、 涅槃経に云く「菩薩
06 悪象等に於ては 心に恐怖すること無かれ 悪智識に於ては怖畏の心を生ぜよ、 悪象の為に殺されては三趣に至ら
07 ず、 悪友の為に殺さるれば必ず三趣に至らん」 法華経に云く「悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲」等云云、
08 先先申し候如く善無畏.金剛智・達磨.慧可・善導・法然.東寺の弘法・園城寺の智証・山門の慈覚.関東の良観等の諸
09 師は今の正直捨方便の金言を読み候には正直捨実教・ 但説方便教と読み・或は於諸経中・最在其上の経文をば於諸
10 経中・最在其下と・或は法華最第一の経文をば法華最第二・第三等と読む、 故に此等の法師原を邪悪の師と申し候
11 なり。
――――――
 結局、その邪悪の師とは、今の世の法華経誹謗の法師である。涅槃経には「菩薩よ、悪象等に対しては心に恐れることはない。悪智識に対しては恐れの心を生じなさい。悪象のために殺されたときは三趣に至らない。悪友のために殺されたときは必ず三趣に至るであろう」とあり、法華経には「悪世のなかの比丘は邪智で、心がひねくれ」等とある。
 前々から申し上げているように、善無畏・金剛智・達磨・慧可・善導・法然・東寺の弘法・園城寺の智証・比叡山の慈覚・関東の良観等の諸師は、今の「正直に方便を捨て」の金言を読むのに「正直に実教を捨て、但、方便の教えを説く」と読み、あるいは「諸経の中に於いて、最も其の上に在り」の経文を「諸経の中に於いて、最も其の下に在り」と読み、あるいは「法華最も第一なり」の経文を「法華最も第二なり、第三なり」等と読んでいる。ゆえにこれらの法師達を邪悪の師というのである。

所詮
 究極のところ、結局。
―――
涅槃経
 大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
―――
「菩薩悪象等に於ては……三趣に至らん」
  涅槃経巻二十二に「菩薩摩訶薩は悪象等に於て心に恐怖無く、悪知識に於いて畏懼心を生ず。何を以っての故に。是の悪象等は唯能く身を壊して、心を壊する能わず。悪知識は二つ倶に壊するが故に。是の悪象等は唯一身を壊し、悪知識は無量の善身、無量の善心を壊す。是の悪象等は唯能く不浄の臭身を破壊し、悪知識は能く浄身及以(および)浄心を壊す。是の悪象等は能く肉身を壊し、悪知識は法身を壊す。悪象に殺さるるも三趣に至らず、悪友に殺さるれば必ず三趣に至る」とある。
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三趣
 地獄・餓鬼・畜生の三種の悪道のこと。悪業の報いによって導かれる苦悩の世界で、三悪道・三途ともいう。
―――
悪知識
 善知識に対する語。悪友と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。唱法華題目抄には「悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん」(0001-08)とある。
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善無畏
 637年~735年。東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。
―――
金剛智
 671年~741年。サンスクリットのヴァジラボーディの訳。中インドあるいは南インド(デカン高原以南)出身の密教僧。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂瑜伽中略出念誦経)などを訳し、中国に初めて金剛頂経系統の密教をもたらした。弟子に不空、一行がいる。
―――
達磨
 菩提達磨のこと。5~6世紀、生没年不詳。菩提達磨はサンスクリットのボーディダルマの音写。達磨と略す。達摩とも書く。中国禅宗の祖とされる。その生涯は伝説に彩られていて不明な点が多い。釈尊、摩訶迦葉と代々の法統を受け継いだ28代目の祖師とされる。以下、伝承から主な事跡を挙げると、南インドの香至国王の第3王子として生まれ、後に師の命を受け中国に渡る。梁の武帝に迎えられて禅を説いたが、用いられなかった。その後、嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続けていたところ、慧可が弟子入りし、彼に奥義を伝えて没したという
―――
慧可
 487年~593年。中国・南北朝時代から隋の僧。禅宗で菩提達磨に次ぐ第2祖とされる。菩提達磨の弟子となり、名を慧可と改め、6年間修行した。達磨の死後、慧可に帰依する者が多かったが、妬む者も多く、隋の開皇13年(593年)、讒訴によって処刑されて、107歳で死んだ。なお、慧可が達磨に入門するにあたって、積雪中に夜を徹して入門の許可を待ったが許されず、自ら左の腕を切断して求道の心を示し、ついに許しを得て弟子となったという慧可断臂の故事は有名。
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善導
 613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
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法然
 1133年~1212年。法然房源空のこと。平安末期から鎌倉初期の僧。日本浄土宗の開祖。天台宗の僧であったが、中国浄土教の善導の思想に傾倒し、他の一切の修行を排除し念仏口称をもっぱら行う専修念仏を創唱した。代表著作の『選択集(選択本願念仏集)』では、法華経をも含む一切の経典の教えを捨て閉じ閣き抛てと排除し、もっぱら念仏をとなえることによって往生を願うべきであると説いた。法然の専修念仏に対しては、当初、後白河法皇や摂政・関白を歴任した九条兼実ら有力者の支持を得たが、やがて諸宗派からの反発が強まる。朝廷・幕府も禁止の命令を出し、建永2年(1207年)、法然らが流罪され、高弟が死罪に処せられた。その後も繰り返し禁圧が続くが、念仏は広がっていった。弟子に親鸞がいる。
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東寺
 教王護国寺のこと。京都にある真言宗東寺派の総本山。延暦15年(796年)に桓武天皇が平安京の鎮護として、羅城門の左右に東西両寺を建立したのが始まり。平安京の東半分にある寺なので東寺と呼ばれる。弘仁14年(823年)、嵯峨天皇より空海(弘法)に与えられ、灌頂道場とされた。「一の長者」といわれる東寺の住職が、真言宗全体の管長の役目を果たした。
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弘法
 774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。弘法大師ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
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園城寺
 滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山。山号は長等山。三井寺ともいう。山門(比叡山延暦寺)に対する寺門をいう。大友皇子の子、大友与多王によって7世紀後半に建立されたと伝えられる。天智・天武・持統の3帝の誕生水があるので御井(三井)と呼ばれた。比叡山の円珍(智証)が貞観元年(859年)に再興し、同6年(864年)12月に延暦寺の別院とし、円珍が別当となった。しかし、円仁(慈覚)門徒と円珍門徒との間に確執が生まれ、法性寺座主が円珍系の余慶となったことをめぐって争うなど、双方の対立は深刻化する。そして正暦4年(993年)には比叡山から円珍門徒1000人余りが園城寺に移り、以降、山門(円仁派)と寺門(円珍派)の抗争が続いた。
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智証
 814年~891年。平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。智証大師ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」(306㌻以下)などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。
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山門
 三井・園城寺を寺門というのに対して比叡山延暦寺を山門という。
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慈覚
 円仁のこと。794年~864年。平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。慈覚大師ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている(281㌻、305㌻以下など)。
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関東
 鎌倉の北条執権のこと。
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正直捨方便
 法華経方便品第2の文(法華経144㌻)。「正直に方便を捨てて」と読む。釈尊が法華経以前に説いた教えはすべて方便であるとして、執着をもたずきっぱりと捨てること。この文は「但だ無上道を説く」と続き、最高の教えである法華経を説くと述べられている。
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於諸経中・最在其上
 安楽行品の文。「この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中にもっともその上」にあり」とある。同様の文は薬王品にもみられる。
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法華最第一
 「法華最も第一なり」と読む。法華経法師品第10の文。法華経はあらゆる経典の中で最も優れた教えであること。同品には「我が説く所の諸経|而も此の経の中に於いて|法華は最も第一なり」(法華経362㌻)とある。日蓮大聖人は「慈覚大師事」で「一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なり」(1019㌻)と仰せである。
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法華最第二・第三
 自覚は蘇悉地経等で、法華経は末だ如来秘密の意を究め尽していないとして、如来の事理俱密の意を尽くしていないとし大日経第一・法華経第二とし、弘法は十住心論で衆生の心相を十種に分け真言宗第一・華厳宗第二・法華天台宗第三と立てた。
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 ここは、邪悪の師とは、具体的にだれであるかを示されている。涅槃経に「菩薩は、悪象等に恐怖心を抱く必要はない。だが、悪知識に対しては恐れの心を生じなければいけない。なぜならば、悪象のために殺されても、地獄・餓鬼・畜生等の三悪道に堕ちることはないが、悪友のために菩薩心を殺されれば必ず三悪道に至るであろう」と説いており、また、法華経の勘持品第十三には、末法に現れる悪僧について「悪世の中の僧は邪智にして、その心は諂曲である」等と説いている。
 それでは、その邪悪の師とは、具体的に誰をさすのか。
 中国では、真言宗の祖・善無畏と弟子の金剛智、禅宗の祖・達磨と弟子の慧可、念仏宗の祖・善導等である。
 日本では、念仏宗の祖・法然、真言宗の祖・東寺の弘法、天台宗の比叡山延暦寺第五代の座主で三井園城寺派中興の祖・智証、同宗第三代の座主で山門派の祖・慈覚、京に対して関東の鎌倉極楽寺・律宗の良観等である。
 これらの邪師の名を列挙されるにあたり「先先に申し候如く」と仰せられている。文永9年(1272)2月の最蓮房入信から本抄御述作の四月までに大聖人の著されている御書ではそれに触れられたものは見当たらないが、御書として残されたものにかぎらず、大聖人は最蓮房と対面された折、御教示されたものであろう。
 大聖人は、これらの諸師の何をもって、邪悪の師と指弾されているのか。その邪悪の根本とは「法華経は最高・究極の法であり、成仏の法である」と説示した仏の金言を曲げたところにある。すなわち、法華経方便品第二に「正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」とある経文を曲げ、「正直に実教を捨てて、但方便教を説く」としているようなものである。あるいは同経安楽行品第十四に「諸経の中に於いて最も其の上に在り」との経文を、「諸経の中に於いて、最も其の下に在り」と読んでいるのと同じである。また同じく法師品第十にも「我が説く所の諸経、而も此の経の中に於いて、法華は最も第一なり」とあるのを「法華は第二・第三」等と読んでいるのである。
 これらの邪師の読み方については、大聖人が単に言葉のうえでだけ仰せられているのではない。現実に彼らが顚倒した読み方をしているゆえにこのように仰せられているのである。
 法華経の「正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」を顚倒して「正直に実教を捨てて、但だ方便教を説く」と読んでいるのは各宗派ともそうであるが、なんといっても典型的なものは浄土宗であろう。法然の選択集では浄土以外の、法華経を含む諸経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と主張している。これが実教を捨てていることになるのは当然である。
 また「諸経の中に於いて最も其の上に在り」の文を「諸経の中に於いて、最も其の下に在り」と顚倒させている代表は、真言宗であろう。法華教と大日経とを相対して大日教を勝れるというのみか、法華経を華厳経にさえも劣るとして「三重の劣」と主張するに至っては「最在其下」と下しているのと同じである。
 「我が説く所の諸経、而も此の経の中に於いて、法華は最も第一なり」の文を「法華は第二・第三」と読んでいるのは、真言宗(東密)とこれに染まった天台真言(台密)である。真言宗が第三と下しているのは、すでに述べたが、「第二」と読んでいるのは、延暦寺第三代の慈覚・第五代の智証以後の天台宗である。彼らは天台宗の座主として、天台大師・伝教大師の教えを継承する立場でありながら、真言密教の邪義に紛動されて、法華経と大日経は理において同じであるが、事において大日経のほうが法華経より勝れるという理同事勝の義を立てたのである。
 仏の金言を無視し曲げて自宗の義を宣揚し、法華経を誹謗することは、まさに人々を仏法から遠ざける「邪師」「悪師」であることは明白といえよう。

1341:12~1331:17 第五章 大聖人こそ末法正善の師と明かすtop
12   さて正善の師と申すは釈尊の金言の如く・諸経は方便法華は真実と正直に読むを申す可く候なり、 華厳の七十
13 七の入法界品之を見る可し云云、 法華経に云く「善知識は是れ大因縁なり 所謂化導して仏を見たてまつり阿耨菩
14 提を発することを得せしむ」等云云、仏説の如きは正直に四味三教.小乗・権大乗の方便の諸経・念仏.真言・禅・律
15 等の諸宗・並びに所依の経を捨て・ 但唯以一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師善師とは申す可きなり、然るに
16 日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け 如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて 身命を惜まず
17 して南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候。
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 さて、正善の師というのは釈尊の金言のとおり、諸経は方便であり法華経は真実である、と正直に読む者をいうべきである。
 華厳経の巻七十七の入法界品を見るべきである。法華経には「善知識は、これは大因縁である。所謂、化導して、仏を拝見し無上の悟りを求める心を起こさせる」等とある。
 仏説によれば、正直に四味三教・小乗・権大乗の方便の諸経と念仏・真言・禅・律等の諸宗ならびに所依の経を捨て、ただ唯以一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師・善師というべきである。
 ところで日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言のとおり三類の強敵による迫害を受け、種々の災難にあって身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは正師か邪師か、よくよくお考えいただきたい。

方便
 仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
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華厳の七十七の入法界品之を見る可し
 華厳経は、東晋の仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら)訳の六十巻本(『六十華厳』)と、唐の実叉難陀(じっしゃなんだ)訳の八十巻本(『八十華厳』)とがあり、ここでは八十巻本の巻七十七入法界品をさす。初め入法界品や十地品など各章が独立した経典として成立し、のちに現行の華厳経に集成された。入法界品には、善財童子が文珠菩薩の説法を聞いて発心し、その指導によって五十三人の善知識を歴訪して教えを受け、再び文珠のもとに戻り、最後に普賢菩薩の教えによって修行を完成するとあり、大聖人は、善知識の大切なることを示されている。
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華厳
 大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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善知識
 よい友人・知人の意。「知識」とはサンスクリットのミトラの訳で、漢語として友人・知人を意味する。善知識とは、仏法を教え仏道に導いてくれる人のことであり、師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志などをいう。善友ともいう。悪知識に対する語。
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因縁
 ❶原因・理由のこと。果を生じる内的な直接の原因を因といい、因を助けて果に至らせる外的な間接の原因を縁という。因と縁が合わさって(因縁和合)、果が生まれ報となって現れる。生命論では、一切衆生の生命にそなわる十界のそれぞれが因で、それが種々の人やその教法にふれることを縁として、十界のそれぞれの果報を受けるとする。衆生の仏界は、仏の真実の覚りの教えである法華経を縁として、開き顕され、成仏の果報を得る。❷四縁(因縁・次第縁・縁縁・増上縁)の一つ。果を生む直接的原因のこと。狭義の因の意。❸説法教化の縁由。なお、法華経迹門の化城喩品第7における過去世からの釈尊と声聞の弟子たちのつながりを明かし因縁を示した教説において、正法を信解し未来における成仏の保証を与えられた人々を因縁周という。❹経典をその形式・内容に基づき12種類に分類した十二部経の一つ。ニダーナの訳。縁起ともいう。説法教化の縁由を示すもの。❺因縁釈のこと。天台大師智顗が『法華文句』で法華経の文々句々を解釈するために用いた4種の解釈法(四種の釈)の一つ。世界・為人・対治・第一義の四悉檀で仏と衆生との関係、説法の因縁を釈したもの。
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阿耨菩提
 阿耨多羅三藐三菩提のこと。サンスクリットのアヌッタラサンミャクサンボーディの音写。無上正遍知、無上正等正覚、無上正等覚などと訳す。最高の正しい覚りの意。仏の完全な覚りのこと。
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四味三教
 四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。
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小乗
 乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
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権大乗
 大乗のうち権教である教え、経典。
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念仏
 阿弥陀仏を念じ極楽浄土への往生をめざすこと。念仏とは仏を思念することで、その意味は多岐にわたるが、大きくは称名念仏・法身(実相)念仏・観想念仏に分けられる。①称名念仏とは、諸仏・諸菩薩の名をとなえ念ずること。②法身念仏とは、仏の法身すなわち中道実相の理体を思い念ずること。③観想念仏とは、仏の功徳身相を観念・想像することをいう。
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真言
 密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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 座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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 ❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
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唯以一大事因縁故・出現於世
 方便品の文。「ただ一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう」と読む。その一大事の因縁とは、方便品に「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」とある。御義口伝には「一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三味なり」(0716-05)「一とは中諦.・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり」(717-09)「一とは一念大とは三千なり此の三千ときたるは事の因縁なり事とは衆生世間.因とは五陰世間.縁とは国土世間なり、国土世間の縁とは南閻浮提は妙法蓮華経を弘むべき本縁の国なり」(0717-12)とある。
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日域
 日本のこと。
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三類の強敵
 釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418~419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
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 これまでの「邪師」「悪師」に対し、では末法の「正師」「善師」はだれなのかを明かされている。
 邪悪の師が、仏の金言を曲げて読む者をいうのであるから、正善の師というのは、釈尊の金言のごとく正しく経を読み、実践する人をいうことは明白である。仏の金言をそのとおりに拝するとはどういうことかといえば、「諸経は方便の教えであり、法華は真実の教えである」と、正直に信受する者をいうと仰せである。そしてその金言のとおりに身に行い、口に読み、意に思っているのは大聖人のみなのである。
 それについて「華厳の七十七の入法界品之を見る可し」と仰せられているのは、徳生童子と有徳童女とが、善財童子に対して「善知識」、すなわち正善の師に随順する功徳を説いている部分をいうと思われる。
 また法華経の妙荘厳王品第二十七に「善知識こそ我らを化導して、仏を見たてまつり菩提心を発させる大因縁である」と説いている文を挙げられ「善知識」がいかに大切であるかを教えられている。「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」との仏説によるならば、正直に四味三教・小乗・権大乗の方便の諸経、すなわち念仏・真言・禅・律等の諸宗、ならびに諸宗が拠りどころとしている経教をすべて捨てて、仏がただ一大事の因縁をもって世に出現し説いたところの妙法蓮華経を説く師を正師といい、善師というべきである。
 「唯以一大事因縁の妙法蓮華教」とは、法華経方便品第二に「諸仏世尊は、唯だ一大事の因縁を以っての故に、世に出現したまう」とあるように、仏がこの世に出現した本意の法である。
 ではその一大事因縁とは何かといえば、方便品の次下に「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。舎利弗よ。是れを諸仏は唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうと為す」とあるように、衆生に仏知見を開示悟入させることにある。すなわち、一切衆生を仏道に入らせることが仏の出世の目的なのである。その妙法蓮華経を説くことが一切衆生を仏道に入らせる「正師」「善師」の条件であり、逆にその法華経から衆生を遠ざけるのは衆生に仏の道を閉ざすことになるから「邪師」「悪師」となるのである。そこで、末法において、現実に、その法華経を弘めているのはだれか。日蓮大聖人は末法の初めの五百年に、この日本国に御出現になって、仏が滅後の末法を予見して、勧持品に説き明かした未来記のとおりに、三類の強敵を受け、種々の大難にあわれながら、身命を惜しまず南無妙法蓮華経と唱え弘められた。その日蓮大聖人は「正師」か「邪師」かを、よくよくこれを見極めよと仰せられている。すなわち、事実をもって判断しなさいと言われているのである。

1341:18~1342:03 第六章 法華経身読の事実を挙ぐtop
18   上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども・ 予が如く弘長
1342
01 には伊豆の国に流され・文永には佐渡嶋に流され・或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず、 経文の如くな
02 らば予は正師なり善師なり・ 諸宗の学者は悉く邪師なり悪師なりと覚し食し候へ、 此の外善悪二師を分別する経
03 論の文等是れ広く候へども・兼て御存知の上は申すに及ばず候。
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 先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て法華経を修行する者であると名乗っているけれども、日蓮が受けたような難にはあっていない。日蓮は弘長元年には伊豆の国に流され、文永八年には佐渡の島に流され、あるいは竜の口で斬首刑の座にすわる等、このほか種々の難は数えきれないほどである。
 経文のとおりであるならば、自分こそ正師であり、善師である。諸宗の学者はことごとく邪師であり、悪師であるとお考えなさい。
 このほか、善悪の二師を区別する経論の文等は多くあるけれども、あらかじめ御存知であるので申し上げるまでもない。

伊豆の国
 旧国名。現在の静岡県の東部、伊豆半島。日蓮大聖人は弘長元年(1261)5月12日から弘長3年(1263)2月22日まで伊豆の伊東に流罪された。
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佐渡嶋
 新潟県の佐渡ヶ島のこと。北陸道七か国の一国。神亀元年(0724)遠流(おんる)の地と定められて以来、承久3年(1221)に順徳上皇が流されるなど多くの人々が流されている。日蓮大聖人は文永8年(1271)10月から同11年(1274)3月まで、佐渡に流罪にあわれた。
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竜口の頚の座
 文永文永8年(1271)9月12日の深夜、日蓮大聖人が斬首の危機に遭われた法難。大聖人は、9月10日に平左衛門尉頼綱の尋問を受け、同月12日の夕刻に頼綱が率いる武装した多数の軍勢によって鎌倉の草庵を急襲された。その際、大聖人は少しも動ずることなく、かえって頼綱に対し、謗法を禁じ正法を用いなければ「立正安国論」で予言したように自界叛逆難・他国侵逼難が起こると再度、警告された。これは、第2回の国主諫暁と位置づけられる。大聖人は捕縛され、鎌倉の街路を引き回されて、武蔵守兼佐渡国の守護であった北条宣時の邸宅に勾留された。ところが、その深夜(現代の時刻表示では13日の未明。当時は夜明け前、午前3時ごろまでは前の日付を用いた)に突然、護送されることになり、鎌倉のはずれの竜の口あたりに到達した時、斬首が試みられた。しかし突如、光り物が出現し、その試みは失敗した。この斬首の謀略は、大聖人を迫害する一派が、正式な処分が決定する前に護送中の事故に見せかけて、暗殺を図ったものと推定される。大聖人は、竜の口でのこの暗殺未遂によって、末法の凡夫(普通の人間)である日蓮の身は、業の報いをすべて受けてこれを消し去って、死んだととらえられた。そして、法華経の行者としての魂魄が佐渡に流されたと位置づけられている。すなわち、竜の口の法難を勝ち越えたことを機に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という姿(迹)を開いて、凡夫の身において、生命に本来そなわる仏の境地(久遠元初の自受用身という本地)を顕されたのである。この御振る舞いを「発迹顕本」と拝する。この法難の後、大聖人は、北条宣時の部下で佐渡の統治を任されていた本間重連の依智(神奈川県厚木市北部)の邸宅に移動した。一旦は無罪であるとして危害を加えないようにとの命令が出たものの、正式な処分が決まるまでそこにとどめ置かれた。その間、反対勢力の画策により、大聖人門下に殺人・傷害などのぬれぎぬが着せられ、厳しい弾圧が行われた。その中で多くの門下が信仰を捨て退転した。しばらくして佐渡流罪が決定し、大聖人は10月10日に依智をたって佐渡へと向かわれた。
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 前に挙げた諸宗の人々は「我こそ法華経の意を得て、法華経を行じている者である」などといっているが、大聖人のように、法華経を行じて流罪・死罪等の種々の法難を、はたして誰が受けているであろうか。法華経のために三類の強敵による大難を受けた者はだれ一人としていない。したがって、仏説に照らして、大聖人こそ「正師」であり「善師」であることは明確であり、諸宗の僧はすべて「邪師」であると確信しなさい、と仰せである。
 ここで諸宗の祖を「我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者と名乗」っているとし、大聖人はそれに対して現実に難にあっている身であると仰せられているのは、法華経の修行が身口意の三業にわたらなければならないなかで、諸宗の祖は、自分では意業に法華経を読んだと、口でいっているが、それに対して、大聖人は身業をもって法華経を読んでいると仰せられているのである。真実に法華経を読むということは、身業において読むことにあり、それがなければ真実の法華経の修行ではないとの大聖人の強い御確信であることが拝される。
 なお、大聖人が「上に挙ぐるところの諸宗の人々」と仰せられているように、法華経を修行していると「名乗り」出ているのは、彼らのなかでは天台の座主である「園城寺の智証」「山門の慈覚」であろう。智証は法華論記十巻等を著しており、慈覚は法華迹門観心十妙釈、法華本門観心十妙釈等を著している。法華経を講じたりしているのはもちろんである。しかし、彼らが口には法華経を講じていても、その法華経観は先に述べたように法華経を大日経に劣る位置にみているのであるから、正しいはずもなく、まして、大聖人のごとく法華経のゆえに難にあうことなどまったくなかったのはいうまでもない。
 その他の諸宗の祖達は、法華経を依経としていないから、法華経の意を得ているとか法華経を修行する者であるということはないのであるが、彼らは、念仏等も開会の後は法華経であるとの邪義を立てて、法華経を意に得ていると言っていたのである。
 しかし、その実は、法華経は大日経より劣ると誹謗したり、法華経で成仏はできないから捨てよなどと言っていたのであるから、意に得たなどということ自体、おこがましいといわなければならない。
 口業・意業において法華経を読んでいることにかろうじて相当するのは、天台大師や伝教大師といった、像法の正師のみである。しかし、いうまでもなく末法の正師ではないから、これらの人は末法においては論ずるまでもないのである。
 そのほかに善悪二師を分別する経論は多いけれども「兼て御存知の上」であるから述べないと仰せられているのは、最蓮房は天台の学僧として、諸宗と法華経の違いをはじめ、僧としての基本的なことは心得ているので、そうしたことには触れないといわれたものと拝される。

1342:04~1342:14 第七章 師弟の因縁を述べ、行化を励ますtop
04   只今の御文に自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不審に覚へ候、 我等が本師釈迦如来法華
05 経を説かんが為に出世ましませしには・他方の仏・菩薩等・来臨影響して釈尊の行化を助け給う、されば釈迦・多宝
06 十方の諸仏等の御使として 来つて化を日域に示し給うにもやあるらん、 経に云く「我於余国遣化人・ 為其集聴
07 法衆・亦遣化随順不逆」此の経文に比丘と申すは貴辺の事なり、 其の故は聞法信受・随順不逆・眼前なり争か之を
08 疑い奉るべきや、設い又在在諸仏土・常与師倶生の人なりとも・三周の声聞の如く下種の後に・退大取小して五道・
09 六道に沈輪し給いしが・成仏の期・来至して順次に得脱せしむべきゆへにや、念仏・真言等の邪法・邪師を捨てて日
10 蓮が弟子となり給うらん有り難き事なり。
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 ただいまのお手紙に、今後は日ごろの邪師を捨てて、ひとえに日蓮大聖人を正師として帰依していくといわれているのは、いぶかしく思われる。
 我らの本師である釈迦如来が法華経を説くために出世されたときには、他方の仏や菩薩等がやってこられて、釈尊の振る舞いや化導を助けられた。それゆえ、釈迦・多宝・十方の諸仏等のお使いとしてきて、化導を日本に示されることもあろう。
 法華経に「我、余国に於いて化の人を遣わして、其の為に聴法の衆を集め、亦(また)化を遣わして随順して逆らわじ」とある。この経文に比丘というのは、あなたのことである。そのゆえは「法を聞いて信受し、随順して逆わじ」というのは眼前に明らかである。どうしてこれを疑うことができようか。
 たとえまた「在在諸の仏土に、常に師とともに生まれる」という人でも、三周の声聞のように、下種された後に大乗を退転し小乗に堕ちて五道・六道に深く沈んできたのが、成仏の時がきて順次に得脱されるゆえであろうか、念仏・真言等の邪法・邪師を捨てて日蓮の弟子となられたのであろう、ありがたいことである。
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11   何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて・ 順次に三仏座を並べたもう
12 常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか・無かりけるか・ 又釈尊の御使
13 として来つて化し給へるか・さぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、 何様にも・はげませ給へ・は
14 げませ給へ。
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 いずれにしても、日蓮と同じように諸宗の謗法を責め、彼らを、邪法を捨てて正法に帰依させて、順次に三仏が座を並べられている常寂光土に詣でて、釈迦・多宝の御前で「私達は無始以来、師弟の約束があったのでしょうか、なかったのでしょうか。また、釈尊のお使いとして来て、化導してくださったのでしょうか」と尋ねたときに、「そのとおりである」との仰せを受けてこそ、自身の心も納得されることであろう。なんとしても励まれるがよい、励まれるがよい。

他方
 釈尊が主宰する娑婆世界以外の、他の仏の国土釈尊が主宰する娑婆世界以外の、他の仏の国土釈尊が主宰する娑婆世界以外の、他の仏の国土。
―――
来臨
 他人がある場所に来てくれることを敬って言う語。
―――
影響
 常に仏の説法・教化を助け、その会座を荘厳するために、影や響きのように仏菩薩が現れること。
―――
行化
 説法・教化を行うこと。
―――
多宝
 法華経見宝塔品第11で出現し、釈尊の説いた法華経が真実であることを保証した仏。過去世において、成仏して滅度した後、法華経が説かれる場所には、自らの全身を安置した宝塔が出現することを誓願した。釈尊が法華経を説いている時、見宝塔品で宝塔が地から出現して空中に浮かんだ。宝塔が開くと、多宝如来が座していた。多宝如来は釈尊に席を半分譲り、以後、嘱累品第22まで、釈尊は宝塔の中で多宝如来と並んで座って(二仏並坐)、法華経の説法を行った。
―――
十方の諸仏
 四方(東・西・南・北)、四維(南東・南西・北西・北東)、上下の十方にいる仏。すなわち、すべての仏たち。
―――
我於余国遣化人・為其集聴法衆・亦遣化随順不逆
 法華経法師品第10の文。「我余国に於いて、化人を遣わして、其れが為に聴法の衆を集め、亦化の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして、其の説法を聴かしめん。是の諸の化人、法を聞いて信受し、随順して逆らわじ」とある。
―――
三周の声聞
 法華経迹門における仏の三周(めぐ)りの説法(法説・譬説・因縁説)によって、開三顕一の法門を理解し成仏の記別を受けた声聞のこと。法華経の会座において開三顕一の法門を聞いた声聞の中には、法理を聞いてすぐに覚りを得ることができる上根の声聞もいれば、法理を聞いてもよく分からず譬え話や因縁話を聞いて初めて分かる中根・下根の声聞もいた。故に同じ法華経迹門の法理を聞いても、覚りには前後があり、法説・譬喩説・因縁説の三つの説法にしたがって、それぞれの法を聞いて得道したのである。最初に、方便品第2の開三顕一の法理を聞いて、智慧第一といわれる舎利弗が法門を理解し、譬喩品第3において華光如来という記別を受けた。中根の声聞は、その法理を聞いても理解することができなかったため、釈尊は譬喩品の三車火宅の譬えをもって説き明かした。この譬喩説を聞いて理解したのが神通第一といわれた目犍連、頭陀第一の迦葉、論議第一といわれた迦旃延、解空第一の須菩提の四大声聞であり、授記品第6で記別を受けた。それでもまだ理解できなかった下根の声聞は、化城喩品第7の三千塵点劫以来の因縁を聞いて初めて理解することができた。これが富楼那や阿難、羅睺羅などの弟子である。下根の声聞は五百弟子受記品第8・授学無学人記品第9において記別が与えられた。
―――
下種
 「種を下ろす」と読み下す。仏が衆生を成仏に導くさまを植物の種まき・育成・収穫に譬えた、種熟脱の三益のうち最初の種。成仏の根本法である仏種を説いて、人々に信じさせること。仏が衆生に仏種を下ろすという利益を「下種益」という。釈尊が生涯にわたって説き残した膨大な諸経典には、仏種が明かされていない。唯一、法華経本門の如来寿量品第16で「我本行菩薩道」(私は久遠の昔から菩薩道を実践してきた、法華経482㌻)と述べて、釈尊自身が凡夫であった時に菩薩道を実践したことが、自身の成仏の根本原因であったと示しているだけである。日蓮大聖人は、寿量品の文の底意として示された仏種を覚知し拾い出して、それが南無妙法蓮華経であると説き示され、南無妙法蓮華経を説き広めて末法の人々に下種する道を開かれた。それ故、大聖人は下種の教主であり、末法の御本仏として尊崇される。
―――
退大取小
 大乗から退転し、小乗に陥ること。
―――
五道
 迷いと苦悩の五種の境界のこと。地獄界・餓鬼界・畜生界・人界・天界をいう。修羅界を加えると六道となるが、経論によって修羅界は餓鬼界・畜生界あるいは天界に含まれるとされる。
―――
六道
 十界のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界。古代インドの世界観で、衆生が生存する6種の領域をいう。凡夫は迷いに満ちたこの六道で生死を繰り返すとされる。これを六道輪廻という。輪廻からの脱却を解脱といい、これは古代インドの人々にとって最終的に達成すべき理想とされた。仏教では、古代インドの伝統思想であるバラモン教の教えや同時代の新興思想である六師外道などの教えでは、生死の因果について知悉しておらず、それどころか無知であるため、誤った行いとなり、したがって解脱は得られないとされる。そして、むしろ仏道を学び修行することによってこそ解脱できると説かれる。六道のうち地獄・餓鬼・畜生の三つを三悪道といい、これに対し修羅・人・天を三善道という。また、三悪道に修羅を加えて四悪趣という。修羅を除いて五趣という。
―――
謗法
 誹謗正法の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。
―――
三仏
 法華経見宝塔品第11から始まる虚空会に集った釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏のことで、すべての仏を意味する。
―――
常寂光土
 四土の一つ。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第16では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。そして、その久遠の仏が、娑婆世界に常住しており、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。それに対して、釈尊が方便として現した種々の仏とその住む国土は、この久遠の釈尊のはたらきの一部を担う分身の仏であり、不完全な国土であるので、究極の浄土ではなく、穢土ということになる。
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 ここは、最蓮房の手紙に「これからは、邪師を捨てて、ひとえに大聖人を正師とたのむ」と述べていることを「不思議に覚える」と仰せられ、深い使命をもって生まれてきたことを示唆されている。
「不審」と仰せられているのは、最蓮房の発心を危ぶまれているのではなく、佐渡のような地で、妙法に帰依し、大聖人を守る人が出現したことには非常に深い意義があるといわれているのである。
 すなわち、釈尊が法華経を説くために出世したとき、他方の仏・菩薩等が、あたかも影の身に従い、声の響きに応ずるように集まってきて、釈尊の行化を助けたことを述べられ、その他方の仏・菩薩等が、釈迦・多宝・十方の諸仏等の御使いとして、衆生教化のために、この日本国に出現されたのであろう、と仰せである。すなわち、最蓮房がその他方の仏・菩薩であろうかと仰せられているのである。
 その経証として、法華経の法師品第十に「我れは余国に於いて、化人を遣わして、其れが為めに聴法の衆を集め、亦た化の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして、其の説法を聴かしめん。是の諸の化人は、法を聞いて信受し、随順して逆らわじ」の文を挙げられている。この文はそのまえに「若し善男子・善女人有って、如来の滅後に四衆の為めに是の法華経を説かんと欲せば、云何んが応に説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し応に四衆の為めに、広く斯の経を説くべし」と衣座室の三軌を示したうえで、仏はさまざまな国に化人を派遣してその説法を助けると述べているのである。したがって、これを末法にあてはめれば、仏の滅後に法華経を弘める人が大聖人であり、仏が化人をつかわしてといっているのが、最蓮房等をさすことになる。大聖人はその文に「亦た化の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして、其の説法を聴かしめん。是の諸の化人は、法を聞いて信受し、随順して逆らわじ」とあることから、最蓮房はこの経文の「比丘」にあたると仰せになっているのである。
 次に、最蓮房を三周の説法で得脱した声聞にたとえられている。三千塵点劫の昔、大通智勝仏の十六王子によって化導を受けた衆生は「いつの世にあっても、諸仏の国土に常に師とともに生まれる」という人であったが、その後、「退大取小」、すなわち大乗の法から退転して、小乗の法を取って堕落し、五道・六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の生死の苦悩の世界に迷ってしまった。その声聞達も、機が熟し成仏の時が到来して、法華経において授記を受けたのである。それと同じく、最蓮房は大聖人の弟子として常に師とともに生ずる人であったが、退大取小して苦に沈み、ようやく機根が熟して、念仏・真言等の邪法・邪師を捨てて、大聖人の弟子になったのであろうとされ、まことに不思議なことであると仰せである。
 三千塵点劫の化導のときの衆生には発心・未発心の二類があり、発心のなかにも不退・退大の二類がある。日寛上人は三重秘伝抄に「大通覆講の時に発心・未発心の二類あり。若し久遠下種を忘失せざるは、法華を説くを聞きて即ち発心するなり。若し其れ久遠下種を忘失せば、妙法を聞くと雖も、而も未だ発心せざるなり……彼の発心の中に亦二類あり。謂く、第一は不退、第二は退大なり。彼の未発心の人は即ち是れ第三類なり。而るに今日得道の二乗は、多分は第二退大にして、少分は第三類なり」とある。法華経説法の座に集まった声聞は、かつては大通智勝仏の十六王子の一人に化導され、その説法を聞いて発心し、そのまま不退を貫いた者は得道したが、発心しなかった者、発心したが途中で退転した者は、苦に沈み、五道・六道を輪廻したあと、ようやく機根が熟して法華経の説法の座で授記を受けたのである。最蓮房がまさにそれであり、妙法を信受しながら途中で退転し、苦に沈んでいたのが、今、大聖人にお会いしたのは、まさに機根が熟したのである。「何れの辺に付いても」とは「在在諸仏土常与師俱生」の人であれ、未発心あるいは退大取小して悪道流転を経てきた人であれということである。そのいずれにせよ、今世で大聖人の門下となった以上は、諸宗の謗法を責め、彼らをして邪法を捨てさせ、正法の法華経に帰伏せしめていくべきであると仰せられている。そして、次の世には釈迦・多宝・十方の諸仏が座を並べている常寂光土に詣で、釈迦・多宝の御宝前において大聖人と最蓮房が久遠の昔から子弟の約束があったかなかったか、また釈尊の御使いとして、この末法に大聖人の妙法弘通を助けるために、生を日本に受けたかどうか尋ねてみたとき「そのとおり師弟の約束があり、師の弘教を助けるために世に出たのである」という仰せを受けるなら、はっきりと自らの使命を自覚できるであろうと仰せられ、そのためには、なんとしても自行化他の実践を励んでいくことが肝要であると激励されている。

1342:15~1343:04 第八章 本円戒受持の大功徳を明かすtop

15   何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒
16 を以て受職潅頂せしめ奉る者なり、 此の受職を得るの人争か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん、 若し今生妙覚
17 ならば後生豈・等覚等の因分ならんや、実に無始曠劫の契約・常与師倶生の理ならば・日蓮・今度成仏せんに貴辺豈
18 相離れて悪趣に堕在したもう可きや、 如来の記文仏意の辺に於ては 世出世に就いて更に妄語無し、 然るに法華
1343
01 経には 「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、 是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」或は「速
02 為疾得・無上仏道」等云云、此の記文虚くして我等が成仏今度虚言ならば・諸仏の御舌もきれ・ 多宝の塔も破れ落
03 ち・二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀となり.方・実・寂の三土は地・餓.畜の三道と変じ候べし、争か・さる事候べき
04 や・あらたのもしや・たのもしや・是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。
――――――
 何ということではないけれども、あなたに去る二月のころから大事の法門を教え申し上げた。そのうえ、四月八日の夜半、午前四時ごろに妙法の本円戒をもって受職灌頂してさしあげた。
 この受職を得る人は、どうして現世であっても妙覚の仏とならないことがあろうか。もし今生が妙覚ならば、後生がどうして等覚等の因位の分際であることがあろうか。実に、無始の昔からの約束であり、「常に師とともに生ぜん」という理ならば、日蓮がこのたび成仏するのに、あなたがどうして離れて悪道に堕ちることがあろうか。
 如来の記した経文は、仏の本意からみるとき、世間・出世間にあって全くうそはない。しかし、法華経には「我が滅度の後に必ずこの経を受持すべきである。この人は仏道において成仏するのは疑いないであろう」とあり、あるいは「速やかに為れ疾く、無上の仏道を得たり」等とあるのに、この経文が事実でなくて私達の成仏が今度うそであるならば、諸仏の御舌も切れ、多宝の塔も破れ落ち、二仏が並座しているところは無間地獄の焼けた鉄の床となり、方便土・実報土・寂光土の三土は地獄・餓鬼・畜生の三悪道と変じるであろう。どうして、そのようなことがあろうか。
 ああ、頼もしいでないか、頼もしいでないか。このように思い続けていると、我らは流人であっても身心ともにうれしいものである。

結句
 結局。そのうえ。
―――
寅の時
 現在の午前4時ごろをいう。古来、丑寅の時刻は一日のうちで夜から昼に向かう中間の意味をもつとされる。日寛上人の開目抄愚記には「丑寅の時とは陰の終り、陽の始め、即ちこれ陰陽の中間なり。またこれ死の終り生の始め、即ちこれ生死の中間なり」と述べられている。
―――
本円戒
 本門の円頓戒のこと。一切衆生が速やかに成仏するうえで守るべき規範のことで、妙法蓮華経の五字(御本尊)を持つことをいう。
―――
受職潅頂
 妙覚の職位の授受の時に行われる。智水を受者の頭に注ぐ儀式のこと。密教では阿闍梨位の授受の時に行われる伝法灌頂のことをいう。
―――
妙覚
 菩薩の修行の段階。五十二位のうちの最高位の第52位。等覚位の菩薩が、42品の無明惑のうち最後の元品の無明を断じて到達した位で、仏と同じ位。六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即にあたる。文底下種仏法では名字妙覚の仏となる。「法華取要抄」には「今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向って之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり」(334㌻)と述べられている。法華経の文上の教説では、釈尊在世の衆生は、釈尊によって過去に下種されて以来、熟益の化導に従って本門寿量品に至った菩薩の最高位である等覚の位にまで登って得脱したとされる。日寛上人の『当流行事抄』によれば、これを文底の意から見た場合、等覚位の菩薩でも、久遠元初の妙法である南無妙法蓮華経を覚知して一転して南無妙法蓮華経を信ずる名字の凡夫の位に帰り、そこから直ちに妙覚位(仏位)に入ったとする。これを「等覚一転名字妙覚」という
―――
今生
 今世の生のこと。先生、後生に対する語。
―――
後生
 後の生。死んで次に生まれてきたときは順次生といい、それ以後の生は順後生という。
―――
等覚
 ❶仏の異名。等正覚。等は平等の意、覚は覚悟の意。諸仏の覚りは真実一如にして平等であるので等覚という。❷菩薩の修行の段階。五十二位のうちの第51位。菩薩の極位をさし、有上士、隣極ともいう。長期にわたる菩薩の修行を完成して、間もなく妙覚の仏果を得ようとする段階。
―――
因分
 因位の分際の意で、仏果を得るための修行の位。
―――
無始曠劫
 無始は始まりがないとの意で、無限・永遠の過去を意味する。曠劫もはてしないかなたの時をさす。
―――
悪趣
 趣とは境界の意で、十悪・五逆・謗法の悪業を犯した衆生が落ちる苦悩の境界をいう。地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪道を四悪趣という。地獄とは苦しみ、餓鬼は食物はじめいっさいの物について、求めて得られない状態、畜生は弱い者には威張るが、強い者には媚びて恐々としている状態、修羅は争いに明け、争いに暮れる状態である。日寛上人の分段には「これはこれ四悪趣なり、『生死の河に堕ち』とは上の六凡をもって通じて生死となし四聖をもって用いて涅槃となすなり、性抄に『分明ならざるに似たり』と云云」とある。
―――
妄語
 虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
―――
即為疾得・無上仏道
 法師品の文、「則ち為れ疾く無上の仏道を得たり」と読む。受持の功徳を示す文。即身成仏・直達正観の依文である。
―――
諸仏の御舌
 神力品に説かれている。十方分身の諸仏が舌を梵天につけ法華経は不妄語であると証明したこと。
―――
多宝の塔
 多宝塔の中に釈迦・多宝の二仏が並座している時の虚空会の儀式をいう。塔中に対して、嘱累品以後の説法を塔外という。その多宝塔中の儀式に礼拝の住処がある。多宝の塔とは、総じて生命論からいえば、仏界を内在する一切衆生の尊厳なる生命をさしていい、別しては大御本尊であり、信受に約して御本尊を信ずる者の当体をいうのである。阿仏房御書に「貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり」(1304-07)とある。
―――
二仏並座
 宝塔品の中で、多宝の塔が開き、釈迦多宝の二仏が並座して、十方分身の諸仏が集まる儀式である。閉塔を証前、開塔を起後のほうとうという。本門の説法をおこすための序であり、ゆえに「本門の密序という。
―――
無間地獄
 阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
―――
方・実・寂の三土
 方便有余土・実報無障礙土・常寂光土のこと。これに凡聖同居土を加えたものを四土(天台大師が一切衆生の住する土を四種に類別したもの)という。方便有余土は略して方便土ともいい、二乗と別教の十住から十回向までの菩薩・円教の十信の菩薩の住する土をいう。実報無障礙土は略して実報土ともいい、別教の初地から等覚までの菩薩・円教の初住から等覚までの菩薩の住する土をいう。常寂光土は仏の住する国土をいう。常寂光は三徳に対応し、常は法身、寂は解脱、光は般若であり、三徳を具えた世界とされる。
―――
地・餓・畜の三道
 三悪道のこと。悪業によってもたらされる3種の苦悩の世界のこと。地獄・餓鬼・畜生の三つをいう。
―――――――――
 最蓮房には、去る2月のころから「大事の法門」を教えたと仰せられている。この月は最蓮房の入信の月であるから、入信直後から、種々、大聖人に法門上の質問をし、大聖人がそれに答えられるということが行われたのであろう。文永9年(1272)2月11日には「生死一大事血脈抄」、同月20日にも「草木成仏口決」等をもって御教示されている。
 そのうえ、4月8日の夜半・寅の時刻(午前4時ごろ)に、妙法の本円戒をもって「受職灌頂」されたのである。ここに仰せの「受職灌頂」とは、「久遠一念元初の妙法を受け頂くことは最極無上の灌頂なり」(0867-01)と百六箇抄に拝せられるように、久遠元初の大法である文底秘沈・事の一念三千の南無妙法蓮華経を授受する厳粛な儀式である。
 なお、授職灌頂については、文永11年(1274)に著された放光授職灌頂下に述べられている。 
 その冒頭には「問う、本門授職の相貌如何。答う、本門本有の実成の授職は此の宗の眼目・骨髄・心符等に之有り。輙く之を記す可からず。問う、授職の法躰は如何。答う、本門の授職の法躰をば唯仏と仏とのみ無量劫の中に於いて之を説きたもうとも説き尽くしたもう可からず。但し詮要を取って説きたもうに但是れ妙法蓮華経の五字也」と、妙法蓮華経の五字が授職の法体であることを明かされている。
 更に、授職灌頂することは「授職とは付嘱の義なり。又云く、授記の義なり。又云く、決定成仏の義なり。又云く、入正定聚の義也」と、付嘱・授記などと同じ義であるとされ、しいて違いをいうとすれば、授職は自利、付嘱は利他であるが、互いに具しているともされている。
 受職灌頂する際に「妙法の本円戒」をもって行ったと仰せられているが、大聖人の仏法における戒とは何か。
 末法の戒は妙法を受持することに尽きる。教行証御書には「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや」(1282-10)と仰せである。これを「具足の妙戒」「金剛宝器戒」ともいう。つまり、妙法を受持する一行に万戒の功徳を具えて、受持即持戒となり、わざわざ別に戒を持(たも)たなくとも、最も勝れた持戒となるのである。
 したがって「此の受職を得るの人」は、受持即観心・直達正観であるから、現世において凡身のまま即妙覚の仏と顕れるのである。すなわち即身成仏・一生成仏である。
 今生において妙覚の仏果、極位に到達してしまえば、後生が「等覚等の因分」、すなわち菩薩の境界に戻るはずがない。大聖人と最蓮房が久遠以来の師弟の契約・常与師俱生の道理であるならば、師匠である大聖人が成仏するのに、その教えを正しく受けた弟子が悪道に堕ちるはずはないと仰せられ、最蓮房に対して、強く励まされているのである
「如来の記文」は、「仏意の辺」においては、世間・出世間について少しの妄語もない。「仏意の辺」と仰せられているのは、「機情の辺」に相対していわれている。機情の辺とは、衆生の機根・心情に即応することで、仏意の辺とは、仏の本意をいう。衆生の機根に合わせて説く場合は、方便として、必ずしも真実でないこともあるが、仏意の辺においては、世間の法においても、出世間の法においても、仏は妄語をいわないのである。伝教大師は三大章疏七面相承口決において名・体・宗・用・教の五重玄を仏意・機情の二面から釈しているが、そこでは、例えば「名」は仏意においては体や用と一体不二であるが、機情の面では「名」は体を説明する仮のものとして立てられているとする。このように、仏意と機情とは説き方が異なるのであり、今、大聖人は仏意の辺においては全く妄語はないと仰せられているのである。
 その仏の証文として法華経の文を引かれている。如来神力品第21には「仏の滅度の後、末法においては、必ず南無妙法蓮華経を受持すべきである。この人が必ず仏道を成就(成仏)することは決して疑いない」とあり、あるいは宝搭品第十一には「この経を受持する者は疾く無上の仏道を得る」とある。もし、これらの記文がうそであり、大聖人と最蓮房の師弟の成仏が虚言となるならば、法華経に説かれているすべての法理はうそとなるのであるから、その法華経を如来神力品第21で真実と証明した「諸仏の御舌」は切れることになり、見宝搭品第11で「釈迦牟尼世尊の説きたまう所の如きは、皆な是れ真実なり」と証明した多宝如来の「多宝の搭」は破れ落ち、境智冥合・即身成仏を顕示する二仏並座の師子座は、かえって無間地獄の熱鉄の床となり、二乗・菩薩・仏の依報の土である「方便・実報・寂光の三土」は法華経説法の座ですべて仏の寂光土に摂せられているのであるが、それらも、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の世界と変わってしまうことになる。このようなことがあろうはずがない、と大聖人は揺るぎない御確信を述べられ、このように、妙法受持の者が凡身のままで永遠に崩れざる最高の仏の境界にあることを思い続けていると、大聖人も最蓮房も、ともに流人の身ではあるが、身も心もともにうれしさが満ちあふれてくると仰せである。

1343:05~1343:10 第九章 自在無碍なる成仏の境地を述べるtop

05   大事の法門をば昼夜に沙汰し成仏の理をば時時・ 刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども
06 久からず過ぐる時刻も程あらず、 例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座して法華の妙理をうなづき合い給いし時・
07 五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむと云いしが如くなり、 劫初より以来父母・主君等
08 の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・ あらじ、 されば我等が居住し
09 て一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ 常寂光の都為るべし、 我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずし
10 て天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し。
――――――
 大事な法門を昼夜に思索し、成仏の理を時々時刻々に味わっている。このように過ごしているので、年月を送っても長く感じず、過ぎた時間も、それほどたっているように思えない。例えば釈迦・多宝の二仏が多宝塔の中に並座して法華経の妙理をうなずきあわれたとき、五十小劫という長遠の時間が経っていたにもかかわらず仏の神力によって諸々の大衆に半日のように思わせた、と法華経従地涌出品第十五に説かれているようなものである。
 この世界の初め以来、父母・主君等のお咎(とが)めを受け、遠国の島に流罪された人で、私達のように喜びが身にあふれている者はまさかいないであろう。
 それゆえ私達が住んで法華経を修行する所は、いずれの所であっても常寂光の都となるであろう。私達の弟子檀那となる人は、一歩と歩まないうちに天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜のうちに往復されるということは、言いようがないほどうれしいことである。

沙汰
 ①物事を処理すること。特に、物事の善悪・是非などを論じ定めること。裁定。また、裁決・裁判。②決定たことなどを知らせること。通知。また、命令・指示。下知。③便り。知らせ。音信。④話題として取り上げること。うわさにすること。⑤問題となるような事件。その是非が問われるような行為。
―――
劫初
 劫のはじめ。
―――
御勘気
 主人または国家の権力者から咎めを受けること。
―――
遠国
 律令制では、諸国を都からの距離によって近国・中国・遠国の三種類に分けていた。このうち遠国には、関東以北、越後(新潟県)以北、安芸(広島県の西部)・石見(島根県の西部)以南の各国、および土佐国(高知県)が含まれた。日蓮大聖人御誕生の地である安房国(千葉県の南部)も遠国の一つにあたる。
―――
一乗
 一仏乗のこと。成仏のための唯一の教えの意で、「すべての者が成仏できる」という法華経の教えのこと。
―――
常寂光
 四土の一つ。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第16では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。そして、その久遠の仏が、娑婆世界に常住しており、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。それに対して、釈尊が方便として現した種々の仏とその住む国土は、この久遠の釈尊のはたらきの一部を担う分身の仏であり、不完全な国土であるので、究極の浄土ではなく、穢土ということになる。
―――
天竺
 中国および日本で用いられたインドの古称。
―――
霊山
 法華経の説法が行われた霊鷲山のこと。久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける永遠の浄土とされる。日蓮大聖人は、法華経の行者が今ここにいながら往還できる浄土であるとともに、亡くなった後に往く浄土でもあるとされている。
―――
本有
 本来ありのままに存在すること。もともとそなわっていること。①生命に本来そなわる特質、本然的に繰り返す現象。②久遠から常住している意。
―――
寂光土
 四土の一つ。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第16では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。そして、その久遠の仏が、娑婆世界に常住しており、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。それに対して、釈尊が方便として現した種々の仏とその住む国土は、この久遠の釈尊のはたらきの一部を担う分身の仏であり、不完全な国土であるので、究極の浄土ではなく、穢土ということになる。
―――――――――
 ここでは、時間にも縛られない、また環境にも左右されない、自受法楽の境界を語られている。「大事の法門」である即身成仏の大仏法をば昼夜にわたって究め、成仏の理をば瞬間瞬間に念々の生命に味わい実感していると語られている。この時期は、開目抄、観心本尊抄をはじめ重要な御書を次々と御述作になり、末法の衆生に大事な法門を残されたのである。
 このように暮らしていると、年月が、あっという間に過ぎていくように感ずると仰せである。苦の境涯、恨みの生命の感ずる時間は、長い。流罪になる者の常として、時間は極まりなく長く感じられることであろう。しかし、大聖人にとっては、令法久住のために、大事の法を説く日々であり、時間が短く感じられるとの仰せである。
 成仏とは生命の奥底からの満足感、充実感であり、久遠元初の南無妙法蓮華経を体として顕現する仏界の生命は、現在の瞬間の一念に無始の過去と無終の未来を包含する。
 その例として、法華経涌出品第十五の文を挙げられている。法華経説法の虚空会の儀式において釈迦・多宝の二仏が宝塔の中に並んで坐り、法華経の妙理をうなずき合った時、すなわち釈尊が妙法蓮華経を説き、多宝が合意し証明したとき、従地涌出品第十五で、久遠の弟子である地涌の菩薩が涌出して、五十小劫という長い期間、種々の讃法をもって仏を賛嘆恭敬し、妙法蓮華経と唱えた、その間、仏は黙然として坐し、もろもろの四衆も黙然としていたが、仏は神力をもって「五十小劫、仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ」とあるように、仏の不可思議な力用によって会座の大衆に「半日の如し」と短く思わせたのである。
 これは、地涌の菩薩が仏を賛嘆した期間の長さを、仏の神力に寄せて述べたもので、天台大師は法華文句巻九上で「解する者は短に即して而して長なれば、五十小劫と謂う。惑う者は長に即して而して短なれば、半日の如しと謂う」と釈し、五十小劫という長時を半日のように思ったのは惑者のゆえであるとしている。しかし、ここで大聖人がこれを引かれた目的は、惑者ということにあるのでなく、妙法にそのように長時を短時と思わせる力があるということにある。
 そして、この世が始まって以来、父母・主君等の御勘気を被り、遠国の島に流罪された人のなかで、我らのように身に余る喜びをもって生きた者は他にないであろうと述べられている。
 ここでは「我等」と仰せられていることに留意したい。すなわち、この流罪は大聖人のみでなく、最蓮房にとっても、大きな喜びであると仰せられているのである。大聖人にあっては、佐渡流罪は、法華経が真実であることを証した、喜悦きわまりない出来事であった。最蓮房にあっても、佐渡での生活は不幸の極みであったが、それが縁で大聖人の仏法に巡りあえ、成仏が決定するのであるから、これほどの喜びはないのである。大聖人は御自身の喜びを述べながら、最蓮房に、自身の喜びに気づくべきことを教えられているのである。
 成仏の境界にある者には、「流罪の地・遠国の佐渡ヶ島」という厳しい環境も「常寂光の都」となる。南無妙法蓮華経を受持して修行する所は、どのような環境であれ、「常寂光の都」と変わるということである。四条金吾殿御消息にいわく「相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや……若し然らば日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか……竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか、神力品に云く「若於林中若於園中若山谷曠野是中乃至而般涅槃」とは是か」(1113-06)と。ここに仰せのように法華経のゆえに「命を・とどめをく」所が、仏土になるのである。その意味からすれば、佐渡の地こそ、御本仏の御命をとどめられる所であり、また、最蓮房にとっても、末法の妙法を信受して法華経の信者として命をとどめおく所であるから、まさしく「常寂光の都」となるのである。
 したがって、大聖人門下の弟子檀那となる人は「一歩を行かずして」法華経の説法が行われた「天竺の霊山」を見ることができ、永遠の仏国土である「本有(ほんぬ)の寂光土」へ昼夜に往復できると仰せである
 ここで「一歩を行かずして天竺の霊鷲山を見ることができる」とは、法華経の儀式が妙法信受の人の生命に現出するゆえであり、「本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ」と仰せられているのは、朝に夕に妙法を唱えることが「寂光土」へ帰っていることになるからである。

1343:11~1343:15 第十章 赦免後の再開を約して励ますtop

11   余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、 貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿
12 は・ ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、 又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉
13 へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候、恐恐謹言。
14       四月十三日                                日蓮花押
15     最蓮房御返事
――――――
 あまりにうれしく思うので、約策を一つ申し上げよう。あなたの御流罪が早く許されて都へ上られたならば、日蓮も鎌倉殿(北条時宗)は許さないと仰せられても、諸天等に申して鎌倉に帰り、京都にお手紙を差し上げよう。
 また日蓮が先に許されて鎌倉に帰ったならば、あなたを、諸天に申して故郷に帰られるようにしよう。恐々謹言。
  四月十三日              日 蓮  花 押
   最蓮房御返事

鎌倉殿
 鎌倉幕府・将軍のこと。
―――
古京
 ①古い都②故郷。
―――――――――
 最後に赦免について約束をされて、最蓮房を励まされている。最蓮房の発心があまりにうれしいので、ここに一つの約束をしようと仰せられ、大聖人よりも早く、最蓮房の流罪が許されて、都へ帰ることができたならば、大聖人の流罪を鎌倉殿が許さないといっても、諸天等に祈って鎌倉に帰ってみせよう、そして、京都の最蓮房へ手紙を出すことにする。
 また大聖人が先立って許され、鎌倉へ帰れば、最蓮房のことをも諸天に祈念して古京(京都)へ帰ることができるようにしようとのお約束である。
 流罪地・佐渡での危機の日々にありながら、法華守護を誓った諸天等に命じて、必ず赦免を実現すると断言されている。
 とくに最蓮房が赦免される可能性を先に挙げられているところに、細かい御配慮が感ぜられる。
 その後、大聖人はこの御返事から2年後の文永11年(1274)3月に赦免となって、鎌倉へ帰られ、第三回の国主諌暁の後、同年5月に身延へ入山された。
 最蓮房は、大聖人の身延御入山後に赦免され、京都に帰ることができたという。大聖人の仰せが現実となったのである。

1340~1343    最蓮房御返事(師弟契約御書)2007:11月号大白蓮華より。先生の講義top

「師弟不二」広宣流布に戦い続ける師弟の絆は永遠
 仏法の師弟の絆は永遠です。
 師も弟子も、「広宣流布」という本源の願いに生きぬていくからです。この本源の願いこそが、仏の大願であり、菩薩の化他行の原動力となる。
 仏法の師弟は、民衆を幸福にしゆく誓願に生き抜く、共戦の同志でもあるのです。
 今回拝する「最蓮房御返事」では、流罪地・佐渡で巡り合った師と弟子が、過去無量劫以来の永遠の絆で結ばれていることを明かされています。
 本抄は、文永9年(1272)4月13日の御執筆とされています。最蓮房は、天台の学僧で、なんらかの理由から、日蓮大聖人より先に佐渡に流されていました。そして大聖人にお会いし、この年の2月に大聖人に帰依します。
 幕府に憎まれ、念仏者等に狙われている大聖人に随順することで、最蓮房自身も難を受けたようです。
 本抄でも大聖人は、最蓮房に注意を呼び掛けられています。冒頭の一節に「夕ざりは相構え相構えて御入り候へ」とあります。最蓮房が夕方に大聖人のもとへ尋ねる時には“よくよく用心しなさい”と心配されているお心を拝することができます。
 当時、大聖人は佐渡の塚原から一谷に移られた直後でしたが、大聖人の身を預かる名主は、「父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありし」とあるように、当初は大聖人に対して強い憎しみをもっていたようです。また、大聖人のお命を狙う者も絶えなかった。
 最蓮房は、そうした難を受けかねない状況下にあったにもかかわらず、どこまでも大聖人を求め抜いていきます。真実の師に出会い、その教えを求めることができる 最蓮房は、その喜びを知っていた。だからこそ、いかなる苦難にも耐え抜くことができたのです。
 風雪にさらされて、明日の命をも知れぬ流罪の地、そこで厳然と破邪顕正の闘争を貫かれる大聖人のお姿に触れて、弟子として生き抜く歓喜がいやまして高まっていったのではなでしょうか。
 阿仏房・千日尼夫妻、国府入道夫妻ら、佐渡で入信した門下たちも同じ心でした。世欲的に考えれば、幕府に睨まれ、念仏者たちに狙われている大聖人に近づかないほうが身のためです。しかし偉大な師に巡り合い、共に戦える喜びが、難への恐れなど吹き飛ばしてった。
 佐渡の門下たちは、師とともに難を超えていくなかで、仏法の師弟に生き抜くこと以上の深い人生は他にないことを、生命の奥底で覚知していくのです。
 日蓮大聖人の魂の偉大さ、境涯の広大さ、そして、人格の奥深さに直接に触れて、この真実の正義の大師匠をお護りすることに喜びを感じていったのでありましょう。
 大難に勝ち越えて法を体現された師の説く通りに実践してこそ、真の仏力・法力を我が身に実感できる この人生の無上の宝を知った弟子たちが、流罪の地・佐渡に出現したのでした。
 今回は、創立の月・11月にちなみ「最蓮房御返事」を拝し、師弟不二の精神を学んでいきましょう。

05   御状に云く去る二月の始より御弟子となり帰伏仕り候上は・ 自今以後は人数ならず候とも御弟子の一分と思し
06 食され候はば恐悦に相存ず可く候云云、 経の文には「在在諸仏の土に常に師と倶に生れん」とも或は 「若し法師
07 に親近せば速かに菩薩の道を得ん 是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」とも云へり、 釈
08 には「本此の仏に従つて初めて道心を発し 亦此の仏に従つて不退地に住せん」とも、 或は云く「初此の仏菩薩に
09 従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」とも云えり、 此の経釈を案ずるに 過去無量劫より已来師弟の契約
10 有りしか、 我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ・ 忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に
11 唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事・是れ偏に過去の宿習なるか。
-----―
 御手紙には、去る二月の始めから御弟子となり帰伏したうえは、今から後は人並ではないけれども、御弟子の一分とお思いくだされば恐悦に存じます、とあった。
 法華経には「あらゆる諸仏の国土に常に師とともに生まれるであろう」とも、あるいは「もし法師に親しく交わるならば、速やかに菩薩の道を得るであろう。この師にしたがって学ぶならば無数の仏を拝見することができるであろう」とも説いている。
 法華玄義には「もとこの仏に従って初めて仏道を求める心を起こし、またこの仏に従って不退の境地に住するであろう」とも、あるいは法華文句記には「初めこの仏菩薩に従って結縁し、還ってこの仏菩薩のもとで成就する」ともいっている。
 この経や釈を考えてみるに、過去の計り知れない昔から師弟の約束があったのであろうか。我らが末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習であろうか。

「弟子の道」にこそ人生の真髄が
 最蓮房は、どこまでも誠実な求道者でした。「人数ならず候とも御弟子の一分と思し食され候はば恐悦に可く候」 “弟子の一分に加えていただければ、それ以上の喜びはありません”と、どこまでも「弟子の道」を貫く姿勢にあふれています。
 弟子の道とは「求道と報恩を貫く大道」です。弟子の道に生き切ることこそが、仏法が教える「人生の真髄」です。そして、弟子の道に外れたところに、「慢心と忘恩の邪道」への転落があります。
 戸田先生は、戦前の創価教育学会総会で、牧口先生の前で次のように講演されました。
 「日興上人は、日蓮大聖人様をしのごうなどとのお考えは、毫もあらせられぬ。
 われわれも、ただ牧口先生の教えをすなおに守り、すなおに実行し、われわれの生活のなかに顕現しなければならない。(中略)弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行も、先生の教えを、身に顕現しなければならない」
 仏法の師匠とは、いわば究極の人生の「規範」です。正しき師匠を信ずるということは、師匠の言う通りに実践することです。その時に、人間は自身の境涯の壁を突き抜け、偉大な人生を歩むことが可能になるのです。
 いかなる分野であれば、一流の人には、何らかの形で、その人の規範となった師匠がいるものです。必ず弟子としての軌道を歩みぬいているものです。
 また、師匠とは、どこまでも弟子の大成を願う存在です。弟子が可愛くない師匠はいません。師は自分の持てる一切を弟子に授けるものです。
 師弟とは、最高に麗しい心の世界であり、崇高な精神の絆なのです。
師弟の宿縁深厚「在在諸仏土常世師俱生」
 最蓮房が、弟子となった喜びをお伝えしたことに応えて大聖人は、法華経化城喩品第7の一節を引かれ、「師弟の深き契り」について語られていきます。
 「在在の諸仏の土に、常に師と倶生ず」
 法華経において、釈尊の声聞の弟子たちにつて、師弟の絆は今世だけでなく三千塵点劫というはるかな昔からの因縁であることを明かした一節です。弟子たちは、釈尊を師匠として、あらゆる仏国土にあって、いつも共に菩薩の実践をしたことが示されています。
 釈尊の声聞の弟子たちは、外見上の姿は声聞の身であっても、実は過去世以来、師と共に菩薩の修行を積み重ねてきたことを“思い出し”歓喜していくのです。
 「自他ともの幸福」人間として最も深い誓願に立ち、師弟一体で、はるかな過去世から未来永劫に生き抜いていく。これ以上の崇高な人生はありません。
 続く法師品の一節でも、師に随順して修行していくことが、恒沙の仏を見たてまつる道があるのです。すなわち永遠の幸福の軌道にほかならないことを教えています。また、天台大師や妙楽大師の言葉も、仏道を成就するには決して見失ってはいけないことを示しています。
 これらの経・釈を受けて、大聖人は最蓮房に「過去無量劫より已来師弟の契約有りしか」と語りかけられ、大聖人と最蓮房が宿縁深厚なる師弟の絆に結ばれることを示されています。仏法の師弟は三世の約束です。
 続けて大聖人は、「我等末法濁世に於て」と仰せです。「我等」とは「大聖人と最蓮房」です。そして「大聖人と私たち」です。
 末法濁世という最も濁り、混乱した時代であるからこそ、いかなる人も生命の奥底では、希望の大法を求めています。末法は、その意味で、人々の生命を根源から救う根本法が流布すべき時代です。
 この広宣流布の時に、師と共に生まれ合わせ、同じ世界で、仏法の究極であり、諸仏の出世の本懐である南無妙法蓮華経を唱え、弘めるのが、日蓮仏法における師弟です。なんと輝かしい、生命と生命の約束でしょうか。
 また、久遠以来の「過去の宿習」による今世の妙法弘通の人生です。なんと深く、なんと強固な生命と生命の絆でしょうか。
 師弟の約束に断固、生き抜け! 広宣流布に共に進もう!
 師弟の「久遠の約束」を果たし抜くならば、永遠に妙法とともに、永遠に「地涌の菩薩」として、大いなる境涯と使命の軌道を「勝利!勝利!」と闊歩していけることは間違いありません。

12   予日本の体を見るに 第六天の魔王智者の身に入りて 正師を邪師となし善師を悪師となす、 経に「悪鬼入其
13 身」とは是なり、 日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・ 我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつ
14 けず、 故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり、 然るに今
15 時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり、 設い徳
1341
01 は四海に斉く 智慧は日月に同くとも法華経を誹謗するの師をば 悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり、
-----―
 私が日本の姿を見るに、第六天の魔王が智者の身に入って正師を邪師となし、善師を悪師となしている。法華経に「悪鬼其の身に入る」と説かれているのはこれである。
 日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が我が身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せつけない。ゆえに天魔は力及ばずに王や臣下をはじめとして良観等の愚かな法師達に取りついて、日蓮を怨むのである。
 しかしながら、今の時代は正師と邪師・善師と悪師の違いがあることを知って、邪悪の師を遠ざけ、正善の師に近ずき親しむべきである。たとえば徳は全世界に行きわたり、智慧は日月のように輝いていたとしても、法華経を誹謗する師は悪師であり邪師であると知って、これに近ずき親しむべきではないのである。

第六天の魔王に勝利してこそ真の善師
 誤った指導者につくほどの不幸はありません。師匠には「正師」と「邪師」、あるいは「善師」と「悪師」があり、それを見極めていかなければならないと、大聖人は仰せです。
 ここで大聖人が強調されているのは、悪縁・悪知識の恐ろしさです。悪縁によって、生命の根本的迷いである無明が発動すると、私たちの貧瞋癡の生命が強くなり、正しき価値判断が曇り、生命は迷いと悪と不幸に流転を始めます。
 本抄では、悪人に近づき親しめば、自然に10度のうち2度3度とその教えに従ってしまい、ついには悪人となってしまう。とも戒められています。それほど、邪師・悪師は巧妙で、恐ろしいのです。だからこそ、正師・善師と共に、断固として「悪と戦う」実践が不可欠となるのです。
 悪縁・悪知識の最たるものが邪師・悪師です。仏法の中にありながら、仏法を破壊し、民衆を不幸にしていく師子身中の虫だからです。
 大聖人は、邪師・悪師が存在するのは「悪鬼入其身」のゆえであると仰せです。すなわち、第六天の魔王が悪師の身に入り、狂わせるのです。第六天の魔王が身に入るとは、自身の元品の無明が発動することにほかなりません。
 元品の無明とは、正法への根源的な無知であり、不信です。この無明が発動するのは、邪法に執着し、名聞名利に囚われるゆえに、信が曇り、行が弱まり、仏力・法力が感じられなくなるからです。
 本抄では、悪鬼入其身の原理から、第六天の魔王は、智者であろうとも、その身に入ると教えられています。そして、第六天の魔王は、大聖人の御身にまで入ろうとした、とも述べられています。
 これは、大宇宙に瀰慢する魔性を決して侮ってはならないことを教えられていると拝されます。
 しかし、大聖人は「兼ての用心深ければ、身によせつけず、故に「天魔力及ばず」と仰せのように、第六天の魔王をよせつけられませんでした。「兼ての用心」とは障魔を覚悟し、必ず勝ち越えていこうとの誓願を立てられ、貫いてこられたということです。決定した一念があれば、必ず魔を破ることができることを教えられているのです。
「正善の師」の要件とは
 では「正善の師」とは誰か。「正善の師」たる要件とは何か。大聖人の基準は明快であられる。それは三類の強敵と戦い、身命を惜しまず妙法を唱え、弘めていける人です。民衆を守るために悪と戦っていける人こそ、正しき師匠です。
 大聖人は本抄で、結局、第六天の摩王を打ち破っていけるかどうかが、善師と悪師を分ける決定的な基準であることを明かされています。
 自ら魔を下し、魔と戦う生き方を示すのが仏法の師匠です。魔性を自ら打ち破るとともに、魔性を勝ち越えていく道を万人に教え、伝えてく人こそが、真の仏法上の「師匠」の存在です。
 反対に、表面的には、いかに徳や智慧があるように見えても、容易に魔の軍門に下る者たちは、結局、正法を誹謗し、法華経の行者に敵対して、仏法を破壊してしまう。
 大聖人は「難を受けていない格好だけの者は、ことごとく邪な師である。難を受け切ってきた日蓮こそが正義の師である」と厳然と宣言されています。
 障魔を勝ち越えて、我が身に「法」を体現するからこそ、我が身の振る舞いを通して「民衆」と「法」を直結させる「善の師」たりうるのです。
 所持する法の正しさにおいて「正師」であり、民衆に法を伝え、抜苦与楽の善を与える慈悲において「善師」であるとも言えるでしょう。
 ここで本抄に拝することのできる「生善の師」の要件として、次の3点を確認しておきたい。
 第1に、人間の根本悪である魔性を見破り、根本善である妙法を説きあらわす「智慧の人」であること。
 第2に、決して魔性に誑かされることなく仏法の正義に続き、悪とは敢然と戦い続ける「勇気の人」でること。
 第3に、民衆への抜苦与楽を常に配慮し、自他共の幸福を実現するために行動し続ける「慈悲の人」であること。
 この正師・善師を知り、巡り合ったならば、あとは弟子としてなすべきことはただ一点です。正善の師とともに立ち上がって、真剣に、広宣流布のために貢献していくことです。また、広布を妨げる悪とは厳然と戦い続けていくことです。
 大聖人が最蓮房にあてられた御書を拝すれば、ともに広宣流布に戦おうと呼びかけておられる一節が多いことに気付きます。
 弟子が師の呼びかけのとおりに広宣流布に立ち上がり、生命の勝利を勝ち取っていけば、師弟は不二となります。師弟の生命は共鳴し合い、弟子の生命にも仏力・法力が脈動するのです。
 師と共に戦う広布共戦の師弟の道以外に成仏の道はありません。

05   大事の法門をば昼夜に沙汰し成仏の理をば時時・ 刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども
06 久からず過ぐる時刻も程あらず、 例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座して法華の妙理をうなづき合い給いし時・
07 五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむと云いしが如くなり、 劫初より以来父母・主君等
08 の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・ あらじ、 されば我等が居住し
09 て一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ 常寂光の都為るべし、 我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずし
10 て天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し。
-----―
 大事な法門を昼夜に思索し成仏の理をば時々時刻々に味わっている。このように過ごしているので、年月を送って長く感じず、過ぎた時間もそれほどたっているようには思えない。例えば釈迦・多宝の二仏が多宝塔の中に並座して法華経の妙理をうなずきあわれたとき、五十小劫という長遠の時間が経っていたにもかかわらず仏の神力によって諸々の大衆に半日のように思わせた、と法華経従地湧出品第十五に説かれているようなものである。
 この世界の初め以来、父母・主君のお咎めを受け遠国に流罪された人で、私達のように喜びが身にあふれている者はまさかいないであろう。
 それゆえ私達が住んで法華経を修行する所は、いずれの所であっても常寂光の都となるであろう。私達の弟子檀那となる人は一歩と歩まないうちに天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜のうちに往復されるということは、言いようがないほどうれしいことである。

師弟不二の大歓喜
 ここで「成仏の理を時々刻々と味わう」と仰せです。正善の師に随順し、正善の師が説く通りに実践するとき、子弟の生命は合致します。法と一体の師の生命における大歓喜は、弟子の生命の躍動となって涌現します。弟子にとって、正善の師に随順して妙法弘通に戦う以上の歓喜はありません。
 その歓喜は、元品の無明をも打ち破る仏界の歓喜です。いかなる苦境をも打ち返す歓喜の中の大歓喜です。ゆえに大聖人は本抄で「あらたのもしや・たのもしや」と言いれ、「我等は流人なれども心身共にうれしく候なり」とも仰せられています。大難の中であってこそ、歓喜の自受法楽の境涯があることを教えられているのです。
 弟子が勇気を奮い起こし、師弟不二の獅子吼をもって妙法弘通に戦うときにこそ、師から弟子へ妙法が伝わるのです。
 三類の強敵が説かれる法華経勘持品の二十行の偈は、大難を忍んで法華弘通を誓う菩薩たちの「獅子吼」です。この「獅子吼」について大聖人は仰せです。「師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(0748―第五作師子吼の事―02)
 自受法楽の境涯は永遠です。そして、その永遠は、難を超え、障魔を打ち破っていく師弟不二の強く深い一念に凝結するのです。その一瞬一瞬の生命に成仏の大歓喜を味わうことができるのです。
今いる所が常寂光の都
 最後大聖人と最蓮房の子弟は、流罪によって佐渡の地に流されていました。ゆえに大聖人は、師弟の歓喜の境地を「この世界が始まって以来、まさか私のように、喜びが身にあふれている遠国への流罪人はいないでしょう」と表現されています。
 そして、過酷な流罪の地にあっても、「私たちが住んでいる法華経を修行する場所は、どこであれ、常寂光の都となるのです」とも仰せです。
 妙法という最高の法を持つゆえに、その人の生命も、その場所も、最高に輝いていくのです。
 今、自分がいるこの場所こそが、自身の仏道修行の場、人間革命の舞台なのだと決意し、妙法弘通に挑戦すれば、そこが寂光の都 仏の住処となります。
 「本有の寂光土へ昼夜に往復すると仰せのように、私たちが日々、行っている勤行・唱題は、我が生命の故郷に瞬時に還って、エネルギーを満々とたくわえ、再び現実の闘争へ勇んで出発していく生命革新の儀式なのです。

11   余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、 貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿
12 は・ ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、 又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉
13 へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候、
-----―
 あまりにうれしく思うので、約策を一つ申し上げよう。あなたの御流罪が早く許されて都へ上られたならば、日蓮も北条時頼は許さないと仰せられても、諸天等に申して鎌倉に帰り、京都にお手紙を差し上げよう。
 また日蓮が先に許されて鎌倉に帰ったならば、あなたを、諸天に申して故郷に帰られるようにしよう。

「師弟の勝利」が仏法の勝利
 最後に、ともに必ず流罪地から戻りましょうと約束され、最蓮房を励まされています。
 師が弟子に「二人で必ず勝とう!」と呼びかけてくださった。その深きお心に、最蓮房は、どんなに感激し奮起したことでしょう。
 この御手紙の2年後、大聖人は赦免となって、鎌倉に帰られました。そして、最蓮房も赦免され、京都に戻ることができたと伝えられています。
 師を求め抜く弟子と、弟子の勝利を信じ、祈り続ける師。その深く熱い「生命の絆」がついに勝ったのです。
 この結びの一節からも“弟子よ、聖賢と育つのだ!師に続くのだ!”との慈愛と叱咤の響きが伝わってきます。
 「師の期待」が「弟子の自覚」を促します。「弟子の勝利」が「師匠の勝利」であり、「仏法の勝利」となります。
 仏法の真髄は師弟です。法華経は師弟の経典であり、日蓮大聖人のお振る舞いは、師弟の絆に貫かれています。
 仏勅の創価もまた、師弟の大道こそ根本精神です。創価の師弟は、日蓮大聖人の仏法を根幹に、人類の宿命を転換する師弟です。この師弟の根本精神が不滅であれば、創価学会は永遠に発展します。
 一切は弟子できまることを、戸田先生は教えてくださいました。
 牧口先生が殉教して残された正義の大道を、戸田先生が一人立たれ、受け継いで、民衆の中へ開いていかれました。
 その弟子として私も、戸田先生をお守りしました。弟子の大道を、私は同志とともに、あらゆる難関を突き抜け、世界190ヵ国・地域へひろげてきました。戸田先生の構想をすべて実現し、先生の勝利を満天下に示しました。
 戸田先生が勝ったから、牧口先生が勝利されたのです。私の勝利は戸田先生の勝利となったと確信しています。
 「創価の師弟の精神」を貫けば、世界広宣流布が必ずできるとの方程式を、私は打ち立てたつもりです。
 戸田先生に「世界広布の基盤は完成しました」と、皆さま方と共に勝利の報告をすることができます。これほどの喜びはありません。

1344~1355    祈祷抄top
1344:01~1344:02 第一章 真の祈りは法華経によるを明かすtop

1344
祈祷抄    文永九年    五十一歳御作   本朝沙門    日蓮撰
01   問うて云く華厳宗・法相宗.三論宗・小乗の三宗・真言宗.天台宗の祈をなさんにいづれかしるしあるべきや、答
02 て云く仏説なればいづれも一往は祈となるべし、 但法華経をもつていのらむ祈は必ず祈となるべし、
――――――
                  本朝沙門  日 蓮 撰
 問う。華厳宗・法相宗・三論宗、小乗の三宗、真言宗・天台宗によって祈るのに、いずれか霊験があるであろうか。      
 答う。仏説であるので、いずれも一往は祈りとなるが、ただ法華経をもってする祈りは必ず祈りとなるのである。

華厳宗
 華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
―――
法相宗
 玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
―――
三論宗
 竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
―――
小乗の三宗
 世親の俱舎論を依経とする俱舎宗。訶梨跋摩の成美論による成美宗、小乗の諸経典で説かれる戒律の修行を目的とする律宗をいう。
―――
真言宗
 密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
―――
天台宗
 ❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
―――――――――
 本抄は、文永9年(1272)日蓮大聖人が佐渡において著され、同じく佐渡にいた最蓮房に与えられた御消息で、最蓮房の質問に対する御返事とされている。御真筆は現存しない。
 本抄の内容は、初めに諸経の祈りも一往は祈りとはなるが、法華経をもってする祈りは必ずかなうとされている。そして、一切の仏・菩薩・二乗・人天等は法華経によって成道できたので、その恩を報ずるために法華経を受持し祈る者を守るのであり、法華経の行者の祈りがかなわないわけはないと述べられている。
 更に、真言等の邪法による祈りは験がないばかりか、祈る人も祈らせた者もその身を滅ぼす結果になることを、承久の乱で朝廷側が真言宗によって祈ったため、大敗北を招いた実例を挙げて教示されている。
「本朝沙門 日蓮撰」について
 冒頭に「本朝沙門 日蓮撰」と記されているが、本朝とは日本国をさし、沙門とは、桑門ともいって、出家して仏道を修する者をさし、勤息――善法を修して悪法を止める者の意――と訳す。
 その元意は、日蓮大聖人が日本に出現された法華経の行者、すなわち末法の御本仏であるとの御内証、御確信に立たれて本抄におしたためになったとの意を示されている。とくに「本朝沙門」と記されたのは、日本国こそ末法に流布すべき正法が現れる所であることを意味している。
 日本という国の仏法上の意義については、諌暁八幡抄に「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(0588-18)と仰せであり、インドに出現した釈尊とその教えに対比して、日本こそ聖人が出現すべき国であり、その教えは全世界に流布して末法万年の闇を照らすべきことが示されている。
 また、日寛上人は「日本」という国名の深義を、依義判文抄で「日本の名に且く三意有り。一には所弘の法を表して日本と名づくるなり……日は文底独一本門に譬うるなり……二に能弘(のうぐ)の人を表して日本と名づくるなり。謂く、日蓮の本国なるが故なり……三には本門の広布の根本を表して日本と名づくるなり。謂く、日は即ち文底独一の本門三大秘法なり。本は即ち此の秘法広宣流布の根本なり、故に日本と云うなり……然れば則ち日本国は、本因妙の教主日蓮大聖の本国にして、本門三大秘法広宣流布の根本の妙国なり」と述べられている。
 なお、翌文永10年(1273)4月に御述作の観心本尊抄にも「本朝沙門日蓮撰」とおしたためになっている。
 日寛上人は、観心本尊抄文段上で「本朝沙門日蓮撰文……日文字は唯我独尊の義を顕すなり……日文字の顕す所、吾が日蓮大聖人とは慧日大聖尊なり、主師親の三徳なり、久遠元初の唯我独尊なり。豈文底下種の教主、末法今時の本尊に非ずや」と釈され「本朝沙門日蓮」とは大聖人が自ら末法の御本仏であると明かされた御文と拝すべきことを示されている。
 本抄においても、法華経による真の祈りを明かされ、真言等の邪法による祈?を破折されるにあたって、天台宗の学僧だった最蓮房に対して、大聖人が御自身の御内証を示されて「本朝沙門日蓮」とおしたためになったと拝せるのである。
問うて云く華厳宗……必ず祈となるべし
 まず最初に、諸宗の祈りに功徳があるかどうかとの問いを設けられ、諸宗の依る経々は仏説なので一往は祈りとなるが、再往はただ法華経による祈りこそ必ずかなうことを示されている。
 ここに挙げられた華厳・法相・三論・?舎・成実・律・真言・天台の八宗は、奈良時代に興隆した南都六宗と、平安時代に始まった天台・真言の二宗を加えたもので、当時の既成宗派といえる。
 南都六宗は当時すでに衰えていたが、天台・真言の二宗は勅願寺や祈願寺として朝廷や公家、また幕府の有力者等の依頼によってさまざまな祈?を行うなど、大きな影響を及ぼしていた。
 そうした諸宗の祈りを「仏説なればいづれも一往は祈となるべし」と仰せになっているのは、あくまでも一往の立場で与えていわれている。そして「但法華経をもつていのらむ祈は必ず祈りとなるべし」と、法華経によって祈ってこそ必ずかなうと仰せられているのである。
 これは一往、与えての表現であり、再往、厳格にいえば、権教による諸宗の教義は、末法の時にかなわないので功徳がないうえ、釈尊が真実であり無上であるとした法華経に背き、誹謗しているため、権教によって祈れば、毒薬を飲んだのと同様に必ず不幸を招くのである。
 末法においては「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1545-11)と仰せのように、釈尊の文上脱益の法華経ではなく、寿量品の文底に秘沈された下種の法華経である三大秘法の南無妙法蓮華経のみが衆生を幸せにする力をもっている。本抄で「但法華経をもつていのらむ祈」と仰せになっているのも、その元意は下種の法華経によって祈るべきことを示されていると拝すべきである。
 高橋入道殿御返事には「末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勒菩薩等・薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(1458-13)と仰せのように、末法には、ただ上行菩薩の再誕である末法の御本仏日蓮大聖人が建立された三大秘法の南無妙法蓮華経のみが全世界の衆生を救う大良薬となるのである。そして、日寛上人が「この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」と仰せのように、御本尊に祈ってこそ、無量の大功徳を受けることができるのである。

1344:02~1345:12 第二章 二乗の法華行者守護の理由を明かすtop

02                                                問うて云く
03 其の所以は如何、 答えて云く二乗は大地微塵劫を経て先四味の経を行ずとも成仏すべからず、 法華経は須臾の間
04 此れを聞いて仏になれり、 若爾らば舎利弗・迦葉等の千二百・万二千総じて一切の二乗界の仏は必ず法華経の行者
05 の祈をかなふべし、  又行者の苦にもかわるべし、故に信解品に云く「世尊は大恩まします希有の事を以て憐愍教
06 化して我等を利益し給う 無量億劫にも誰れか能く報ずる者あらん、 手足をもて供給し頭頂をもつて礼敬し一切を
07 もつて供養すとも皆報ずること能わず、 若しは以て頂戴し両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽して恭敬し、 又美
08 膳無量の宝衣及び諸の臥具種種の湯薬を以てし 牛頭栴檀及び諸の珍宝以つて 塔廟を起て宝衣を地に布き斯くの如
09 き等の事もつて供養すること 恒沙劫に於てすとも亦報ずること能わじ」等云云、 此の経文は四大声聞が譬喩品を
10 聴聞して仏になるべき由を心得て、 仏と法華経の恩の報じがたき事を説けり、 されば二乗の御為には此の経を行
11 ずる者をば父母よりも愛子よりも 両眼よりも身命よりも大事にこそおぼしめすらめ、 舎利弗・目連等の諸大声聞
12 は一代聖教いづれも讃歎せん行者を・すておぼす事は有るべからずとは思へども・爾前の諸経は・すこし・うらみお
13 ぼす事も有らん「於仏法中已如敗種」なんど・したたかにいましめられ給いし故なり、 今の華光如来・名相如来・
14 普明如来なんどならせ給いたる事は・ おもはざる外の幸なり、 例せば崑崙山のくづれて宝の山に入りたる心地し
15 てこそ・おはしぬらめ、されば領解の文に云く「無上宝珠不求自得等」云云。
―-----
 問う。その理由はなにか。
 答う。二乗は大地微塵劫の間、法華経以前の四味の経を修行したけれども、成仏できなかった。法華経では須臾の間、これを聞いて仏になった。
 もしそうであれば、舎利弗や迦葉等の千二百人、一万二千人、総じて一切の二乗界で仏になった人は、必ず法華経の行者の祈りをかなえさせてくれるであろう。また行者の苦しみにも代わってくれるであろう。
 ゆえに信解品には「世尊には大恩がある。希有のことをもって、我らを憐愍し教化して、利益された。無量億劫を経ても、だれかよく報ずる者がいるであろうか。手足をもって給仕し、頭を低くして礼し敬い、一切をもって供養しても報ずることはできない。もしは、仏の御足を頂戴し、両肩にになって、恒沙劫の間、心を尽くして恭敬し、また美膳や無量の宝衣、及び諸々の臥具や種々の湯薬を供養し、また牛頭栴檀及び諸々の珍宝をもって塔廟を建て、宝衣を地に布く等、このようなことをして供養すること恒沙劫にわたっても、また報ずることはできない」と説かれている。
 この経文は、四大声聞が譬喩品を聴聞して、仏に成れる道理を心得て、仏と法華経の恩がいかに報じがたいかを説かれたものである。
 したがって二乗にとっては、この経を行ずる者は、父母よりも、愛子よりも、両眼よりも、身命よりも、大事であると思うであろう。
 舎利弗や目連等の諸大声聞は、一代聖教のいずれを讃歎する行者をも、見捨てることはあるはずがないとは思うけれども、爾前の諸経は、少しは怨みに思うこともあるであろう。「仏法の中に於いて、已に敗種の如し」などと強く戒められたからである。
 今の華光如来・名相如来・普明如来などになることができたのは、思いのほかの幸いである。例えば、崑崙山が崩れて宝の山に入ったような心地がしたであろう。
 そのゆえに、領解の文に「無上の宝珠、求めざるに自ら得たり」と説かれているのである。
―-----
1345
01 されば 一切の二乗界法華経の行者をまほり給はん事は 疑あるべからず、 あやしの畜生なんども恩をば報ずる事
02 に候ぞかし、 かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、 狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類
03 をや、 されば王寿と云ひし者・道を行きしにうえつかれたりしに、 路の辺に梅の樹あり其の実多し寿とりて食し
04 て・うへやみぬ、 我れ此の梅の実を食して気力をます其の恩を報ぜずんば・あるべからずと申して衣をぬぎて梅に
05 懸けてさりぬ、 王尹と云いし者は道を行くに水に渇しぬ、 河をすぐるに水を飲んで銭を河に入れて是を水の直と
06 す、竜は必ず袈裟を懸けたる僧を守る、 仏より袈裟を給て竜宮城の愛子に懸けさせて 金翅鳥の難をまぬがるる故
07 なり、金翅鳥は必ず父母孝養の者を守る、 竜は須弥山を動かして金翅鳥の愛子を食す、 金翅鳥は仏の教によつて
08 父母の孝養をなす者・ 僧のとるさんばを須弥の頂にをきて竜の難をまぬかるる故なり、 天は必ず戒を持ち善を修
09 する者を守る、 人間界に戒を持たず善を修する者なければ人間界の人死して多く修羅道に生ず、 修羅多勢なれば
10 をごりをなして必ず天ををかす、 人間界に戒を持ちて善を修するの者・多ければ人死して必ず天に生ず、 天多け
11 れば修羅をそれをなして天ををかさず、 故に戒を持ち善を修する者をば天必ず之を守る、 何に況や二乗は六凡よ
12 り戒徳も勝れ智慧賢き人人なり、いかでか我が成仏を遂げたらん法華経を行ぜん人をば捨つべきや。
-----―
そうであれば、一切の二乗界の衆生が法華経の行者を守られることは疑いないことである。
 卑しい畜生であっても、恩を報ずるものである。かりという鳥は、母が死のうとするときは必ず孝行をする。狐は死ぬときには塚に足を向けない。
 畜生でさえこのようである。まして人間はいうまでもないことである。したがって、王寿という者は、道を行くときに飢え疲れて、路辺に梅の樹があり、実が多かったので、これを採って食べて飢えを癒した。自分は、この梅の実を食べて気力を増したので、その恩を報じなければならないといって、衣を脱いで梅の木に懸けて去ったという。
 王尹という者は、道を行くときに渇いたので、河を渡るときに水を飲んで、銭を河に入れて、これを水の値としたという。
 竜は必ず袈裟を懸けた僧を守る。仏から袈裟を戴いて、竜宮城の愛子に懸けさせて、金翅鳥に食われる難を免れたからである。
 金翅鳥は必ず父母に孝養する者を守る。竜は須弥山を動かして金翅鳥の愛子を食べるので、金翅鳥は仏の教えによって、父母の孝養のために僧に供養した時、僧が取り分ける生飯を須弥山の頂に置いて、竜の難を免れたからである。
 天は必ず戒を持(たも)ち善事を行う者を守る。人間界に戒を持たず善事を行う者がいなければ、人間界の人は死んで多く修羅道に生まれる。修羅が多勢であれば、慢心を起こして必ず天を犯す。
 人間界に戒を持ち善事を行う者が多ければ、人は死んで必ず天に生まれる。天人が多ければ、修羅は恐れをなして天を犯さない。ゆえに、戒を持ち善事を行う者を天は必ず守るのである。
 まして二乗は、六道の凡夫より戒徳も勝れ、智慧も賢い人々である。どうして、自らが成仏を遂げた法華経を行ずる人を捨てることがあろうか。

二乗
 六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
―――
大地微塵劫
 極めて長遠な時間。大地を微塵にしたほどの数の劫数。
―――
四味の経
 法華経以前の爾前の権教のこと。
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須臾
 時間の単位。①一昼夜の30分の1をさす場合と、②最も短い時間の単位(瞬時)をさす場合がある。
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舎利弗
 サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。【釈尊への帰依】釈尊の弟子となる前、舎利弗は目連(マウドゥガリヤーヤナ)とともに外道のサンジャヤに師事していたが、釈尊の弟子アッサジに出会い、そこで聞いた釈尊の教えに感銘を受け、釈尊に帰依した。その際、サンジャヤの弟子250人も、ともに釈尊に帰依したと伝えられる。【釈尊からの𠮟責】『止観輔行伝弘決』巻2には『十誦律』をふまえて、次のような話が記されている。ある在家の有力信徒から釈尊の弟子たちが食事の供養を受けた時、舎利弗ら長老などがおいしいものをたっぷり食べ、初心者たちは不十分な食事しかできなかった。これを羅睺羅(ラーフラ)から聞いた釈尊は、舎利弗に対して不浄な食事をしたと叱責した。舎利弗は食べた物を吐き出し、今後二度と食事の供養を受けないと誓った。日蓮大聖人は「開目抄」(205㌻)で、この話を、法華経が説かれる以前には二乗が不成仏として糾弾されてきたことの傍証とされている。
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迦葉
 ❶サンスクリットのカーシャパの音写。摩訶迦葉のこと。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、頭陀(欲望を制する修行)第一といわれた。釈尊の教団を支え、釈尊滅後の教団の中心となった。釈尊の言行を経典として集成したとされる。法華経授記品第6で、未来に光明如来に成ると保証された。【鶏足山の入定】摩訶迦葉は釈尊が亡くなった後、正統な後継者となって教えを広めて、阿難にその任を譲った。それ以来、鶏足山で禅定に入って、弥勒菩薩が56億7000万年後にこの娑婆世界に仏として出現するのを待っているとされた。【禅宗における伝承】大梵天王問仏決疑経(疑経)では、釈尊が霊鷲山で一房の花を手にとって人々に示した際、その意味を誰も理解できないなかで迦葉一人が理解してほほ笑んだとされる(これを拈華微笑という)。この話が、釈尊が迦葉に法を伝えたという伝説として、宋以後の禅宗で重用され、教外別伝・不立文字の基盤とされた。❷サンスクリットのカーシャパの音写。迦葉童子菩薩のこと。涅槃経巻33の迦葉菩薩品第12の対告衆。同経では、仏はどのようにして長寿を得て金剛不壊の身になったのか、36の問いを立てて釈尊に尋ねている。爾前経の会座にも連ならず法華経の会座にも漏れ、最後に説かれる涅槃経によって利益を受けるので、捃拾(落ち穂拾い)の機根の者とされる。❸優楼頻螺迦葉(ウルヴィルヴァーカーシャパ)、那提迦葉(ナディーカーシャパ)、伽耶迦葉(ガヤーカーシャパ)の三兄弟のこと。火を崇拝する儀式を行う外道のバラモンだったが、成道間もない釈尊の説法を聞いて弟子となった。3人合わせて1000人の弟子を率いており、その弟子たちもともに釈尊に帰依したという。
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千二百
 法華経五百弟子授記品第8で釈尊から成仏の記別を受けた1200の声聞のこと。
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万二千
 法華経序品第1に出てくる12000人の阿羅漢のこと。
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信解品
 法華経信解品第4のこと。三周の声聞のうち譬説周の領解を説く。法華七譬の第二・長者窮子の譬が説かれる。先の譬喩品第3の三車火宅の譬を聞いた四大声聞が開三顕一の仏意を領解した旨を長者窮子の譬をもって説明している。
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恒沙劫
 恒沙はガンジス河の砂のことで、数え切れないほどの数を示す。数えきれないほどの長遠な時間。
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牛頭栴檀
 牛頭山(南インドのマラヤ山脈)に生ずる栴檀
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四大声聞
 法華経信解品第4で妙法を信受できた喜びを表明した4人の優れた声聞。摩訶迦葉・摩訶迦栴延・摩訶目犍連・須菩提のこと。
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譬喩品
 妙法蓮華経譬喩品第3のこと。迹門・正宗分の中、法説周の領解・述成・授記段・譬説周の正説段の二つの部分からなる。まず方便品の諸法実相の妙理を領解して歓喜した舎利弗に仏は未来世成仏の記莂を与え、劫・国・名号を明かす。次いで、中根の四大声聞に対する説法に入るが、譬喩を主体とするので譬え説周と呼ばれる。そのなかで仏は三車家宅の譬を説いている。この譬えにおける火宅は三界を、また羊・鹿・牛の三車は三乗を、大白牛車は一仏乗の妙理をあらわしており、一仏乗こそ仏が衆生に与える真実の教えであることを述べている。終わりに、舎利弗の智慧でも法華経の妙理を悟ることはできず、ただ「信を以って入ることができる」と、信の重要性を述べ、逆に正法への不信・誹謗の罪の大きさを説いている。
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目連
 サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された(法華経269㌻)。【竹杖外道に殺される】『毘奈耶雑事』巻18によると、目連は舎利弗とともに王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。【盂蘭盆経の目連】盂蘭盆経によると、目連は亡き母・青提女が物惜しみの罪で餓鬼道に苦しんでいるのを神通力によって知り、母を助けようとするが力及ばず、仏の教えに従って供養したことで、ようやく救うことができたという。これが盂蘭盆会の起源の一つとされる。
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一代聖教
 釈尊が生涯にわたって説いたとされる教え、または経典。聖教とは聖人の教え、すなわち仏の教えのこと。
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於仏法中以如敗種
 浄名経の中の「仏法の中に於いて以て敗種の如し」と読むことができるが、同経にはこの文はない。おそらく取意を述べられたものであろう。
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華光如来
 釈尊の声聞の十大弟子の一人である舎利弗が、法華経譬喩品第3で未来に仏になるとの記別を受けた時の仏としての名。舎利弗は無量無辺不可思議劫の後、菩薩道を修行して、華光如来となって離垢という国土に住するとの記別を受け、如来となって後、三乗法を説き、12小劫の後、堅満菩薩に対して次に成仏して華足如来となるとの記別を授け、寿命を終え、その後、正法32小劫・像法32小劫の間、説いた教えが衆生を教え導き救うと説かれている。
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名相如来
 釈迦の十大弟子の中で最も "空" の真理を理解し解空第一とされた須菩提が、将来仏となった時の名で、その時に住む国の名は宝生、時代は有宝であるとされる。
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普明如来
 五百弟子授記品で阿闍憍陳女をはじめとした500人、余の700人とを合わせた1200人の阿羅漢に授記された、未来に成仏した時の名号。1200人が同一の名号を授記されている。
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崑崙山
 崑山ともいい、チベット高原・タリム盆地・モンゴル高原にまたがる大山脈。中国では古くから美玉を産する山として有名。
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無上宝珠不求自得等
 「無上の宝聚求めざるに自ら得たり」法華経信解品第4の文。ご本尊は無量宝珠である。
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かり
 雁。ふつうは「がん」と呼ぶ。「かり」は雅名。その鳴き声からきているといわれる。まがん(真雁)、かりがね(雁金)、ひしくい(菱喰)などがある。
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狐は塚を跡にせず
 狐は、みずからが生まれた古塚を忘れず、老いて死ぬときは丘を枕にするという。礼記の檀弓篇上に「狐は死するときに、正しく丘に首するは仁なり」とある。また日寛上人の文段には、次のような諸説が引用されている。淮南子にいわく「兎は死して窟に帰り、狐は死して丘を首にす」。楚辞いわく「鳥飛びて古郷に帰り、狐死するに必ず丘を首にす」。朱子注していわく「鳥の飛びて古郷に帰るは、古巣を思うなり。狐の死して必ず丘を首にす、その生るる所を忘れず」。鄭玄注していわく「狐は穴丘(けつきゅう)をもって生まる、また、丘を背にして死するを忍びざるは、恩を忘れざるなり」と。
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王寿
 古代中国の人か。詳細不明。「祈禱抄」(1345㌻)では、これを王尹の故事として挙げられている。
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王尹
 出典不明。なお本抄に「王尹と云いし者は……水を飲んで銭を河に入れて是を水の直とす」とある箇所は、開目抄上では「王寿と云いし人は河の水を飲んで金の鵞目を水に入れ」(020㌻)とあり、王寿と王尹とが入れ替わって伝えられる。王尹については開目抄上に説かれない。
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 インドの想像上の生き物ナーガのこと。コブラなどの蛇を神格化したもので、水の中に住み、雨を降らす力があるとされる。しかし、中国や日本ではしばしば、中国本来の「竜」と混同される。
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竜宮城
 竜王の住む宮殿。水底、または水上にありという。長阿含経巻十九に「大海水底に娑竭龍王宮あり。縦広八万由旬なり。宮牆七重にして、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹あり。周匝厳飾皆七宝より成る」とある。
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金翅鳥の難
 もろもろの竜が金翅鳥に食われることをいう。竜には熱風・熱沙に身を焼かれる苦、突風で塔や衣類を奪われる憂(うれ)い、金翅鳥に狙われる苦の、三種の苦悩があるとされる。しかし海竜王経巻四によると、竜が金翅鳥に食われるのを嘆き、仏に救いを求めたところ、仏は竜に袈裟を授けて難を逃れる方法を教えた。海竜王は袈裟を受けてもろもろの竜王に分け与え、これをかけさせて金翅鳥の難を逃れることができた。それゆえ、竜は必ず袈裟をかけた僧を守るという。
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金翅鳥
 金翅鳥は海竜王経などに説かれる想像上の巨大な鳥、ガルダのこと。迦楼羅などと音写される。美しい金色の羽をもち、竜を食うとされるが、大雪山にある阿耨池に住む竜だけは、それを食おうとすると金翅鳥が身を滅ぼしてしまうとされる。竜王は竜(ナーガ)の王。竜は金翅鳥がかわいがっている子を食べるとされる。
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須弥山
 須弥はサンスクリットのスメールの音写。妙高山と訳される。古代インドの宇宙観で、一つの世界の中心にあると考えられている巨大な山。須弥山の麓の海の東西南北に四つの大陸があって、一つの世界を構成する。須弥山の頂上は六欲天のうち第二天の忉利天に位置しており、ここに帝釈天が忉利天の主として地上世界を支配して住んでいる。
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さんば
 食事の時、少しの飯粒を取り分けて悪道の衆生に布施すること。
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竜の難
 出典不明。類文として私聚百因縁集巻三には、金翅鳥の子が阿修羅王に食われる故事がある。すなわち、金翅鳥は須弥山の一方の峰に巣を作って子を生む。しかし須弥山の海畔には阿修羅王が住んでおり、ゆえに阿修羅王は常に須弥山を動かして金翅鳥の子を振り落として食すという。金翅鳥はこのことを嘆き、仏所に詣で、どうしたらこのことを免れるか救いを求めた。仏は、七々日(四十九日忌)にあたって僧に施食した飯を供取し、須弥山の角に置けばこの難を免れることができると教えた。金翅鳥がそのとおり飯を須弥山の角に置くと、阿修羅王が力を発して須弥山を動かそうとしても動かず、金翅鳥の子は落ちることなく平安に生長したという。
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人間界
 人道のこと。十界のうちの人界をいう。人間としてごく普通の平穏な心。生命状態・境界。
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修羅道
 修羅(阿修羅)の世界。修羅の生命境涯。阿修羅はサンスクリットのアスラの音写。古代インドの神話に登場する神で、海辺あるいは海中に住むとされる。須弥山の周辺の天に住む神々の王である雷神インドラ(帝釈天)と覇を競ったとされる。修羅の特徴として、自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっていることが挙げられる。他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじる。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができない。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂う。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい謙虚なそぶりすら見せることもあるが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちている。「観心本尊抄」では「諂曲なるは修羅」(241㌻)とされ、人界所具の修羅界は諂曲なさまからうかがえるとされる。「諂曲」とは自身の本音を隠して相手に迎合していくことである。これに基づいて生命論では、勝他の念が強く諂曲である生命状態を修羅界とする。十界のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に修羅を加えて、四悪趣とされる。また六道の中では、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に比べれば相対的にはよいので、人・天とともに三善道とされる。
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六凡
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のこと。仏教以外の外道は、この六道を輪廻するのみである。無智の凡夫の境涯であるので、六凡という。
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戒徳
 戒律を守ることによって得られる功徳・福徳のこと。戒律を守ることによって得られる功徳・福徳のこと。
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 法華経による祈りこそ真の祈りになることを明かすにあたって、初めに二乗については、法華経によって成仏を許されたという大恩があるので、法華経を行ずる者を必ず守ることが明かされている。
問うて云く其の所以は如何……不求自得等」云々
 声聞・縁覚の二乗は、爾前経においては炒った種が芽を出さないように、成仏できないとされてきた。
 しかし、法華経では法師品第十に「是の人は歓喜して法を説かんに、須臾も之れを聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり」と説かれているように、二乗もしばらくの間聞いただけで仏に成れたのである。
 したがって、舎利弗や迦葉をはじめとして、すべての二乗の身で成仏を許された者は、法華経への報恩のために、必ず法華経の行者の祈りをかなえさせ、また、その行者の苦しみに代わってくれるはずであると仰せられている。
 二乗が釈尊と法華経に深い恩があるということは、法華経の信解品第四に、迦葉が「世尊は大恩まします。希有の事を以て、憐愍教化して、我れ等を利益したまう。無量億劫にも、誰か能く報ずる者あらん。手足もて供給し、頭頂もて礼敬し、一切もて供養すとも、皆な報ずること能わじ。若し以て頂戴し、両肩に荷負して、恒沙劫に於いて、心を尽くして恭敬し、又た美饍無量の宝衣、及び諸の臥具、種種の湯薬を以てし、牛頭栴檀、及び諸の珍宝、以て塔廟を起て、宝衣を地に布き、斯の如き等の事、以用て供養すること、恒沙劫に於いてすとも、亦た報ずること能わじ」と述べていることでも明らかである。
 智慧第一の舎利弗が諸法実相の妙理を領解して歓喜したのに対し、法華経の譬喩品第三で、釈尊は劫・国・名号を説いて未来成仏の記別を与えた。更に、舎利弗が他の声聞のために詳しく説くことを請うたのに対して、三車火宅の譬喩が説かれる。
 この三車火宅の譬を聞いた須菩提・迦旃延・迦葉・目連の四大声聞が、開三顕一の仏意を領解した旨を、信解品第四で長者窮子の譬をもって述べており、本抄に引用された文はその偈のなかの一節である。
 すなわち、信解品の冒頭に「爾の時、慧命須菩提・摩訶迦栴延・摩訶迦葉・摩訶目揵連は、仏従り聞きたてまつれる所の未曽有の法と、世尊の舎利弗に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたまうとに、希有の心を発し、歓喜踊躍して……深く自ら大善利を獲たり、無量の珍宝は、求めずして自ら得たりと慶幸す」とあり、その後に長者の子が幼時に家出して放浪、貧窮していたが、後に自分が長者の子と知って大歓喜したとの譬えをもって、唯一乗の法を聞いた喜びを述べたのである。
 そのように、二乗にとって釈尊と法華経は、初めて成仏を許された大恩があるため、法華経を行ずる者を大事な我が親や愛する子や両眼や身命よりも大事に思うであろうと述べられている。
 爾前経では、腐敗した種子は芽が出ないように、二乗は永久に成仏しない、と嫌われていたので、二乗は爾前経については「すこし・うらみおぼす事も有らん」と仰せられている。
 ところが、法華経では一転して、舎利弗に華光如来、須菩提に名相如来、阿若憍陳如をはじめ千二百人の阿羅漢に普明如来等の名号が授けられて未来の成仏が許されたことは、二乗にとって、中国の伝説で天地の中心にあって玉を産するとされた崑崙山(こんろんざん)が崩れて、宝の山にやすやすと入ったように「おもはざる外の幸」だったであろうといわれ、法華経信解品で「無上の宝聚は、求めざるに自ら得たり」と迦葉が述べたことを挙げられている。
されば一切の二乗……行ぜん人をば捨つべきや
 卑しい畜生でさえ恩を報ずることの例として、古来、かりという鳥が、母親が死のうとするときに孝養をするといわれ、また、狐が生まれた塚(丘の穴)の恩を忘れずに丘を枕にして死ぬといわれている。まして人間が恩を報じないわけはないと述べられ、梅の実で飢えをいやした王寿が衣を梅の木に懸けて恩を報じ、河の水を飲んで渇きをいやした王尹が銭を河に入れてその代価としたという中国の故事を挙げられている。
 またインドの伝説では、金翅鳥に食われていた竜が嘆いて仏に救いを求めたところ、仏は竜に袈裟を授け、竜の子に懸けて金翅鳥の難を逃れるように教えたという。そのとおりにして救われたため、竜は袈裟を懸けた僧を守護するといわれている。
 反対に、金翅鳥は竜が須弥山を動かしてその子を食べるため、仏の教えによって父母に最高の孝養をしている僧の生飯を須弥山の頂に置いて金翅鳥に与え、竜の難を免れることができたという。そのため、金翅鳥は父母に孝養をする者を守る、といわれている。
 また、諸天は必ず戒を持ち善を修する者を守るといわれている。
 それは、人間として生まれても戒を持たず、善を修することがなければ、その死後に修羅界に生まれ、こうして修羅界の衆生が増加すれば心がおごって天を犯すようになる。反対に、人間界に戒を持ち善を修する者が多ければ必ず死後に天に生まれ、天界の衆生が多くなる。そうなれば修羅が恐れて天を犯すことはない。そのため、天は戒を持ち善を修する者を必ず守るとされるのである。
 なお、それと同じ趣旨のことを、正法念処経巻十八には「若し閻浮提の人の正法を行わず、父母に孝養せず、沙門・婆羅門及び諸の尊長を敬わず、法行に依らず、三宝を奉ぜず、善法及び不善の法を観ぜずんば、諸天の勢力悉く滅少すと為し、四天王天は展転して相い告げらく、『悉く避けて逃逝れよ、恐らくは師子児羅睺阿修羅王来りて我等を殺さん』と。若しは閻浮提人の正法を修行し、父母に孝養し、師長に敬事し、沙門・耆旧・長宿に供養せば、一切の諸天の勢力増長す」と説いている。
 大聖人がそうしたさまざまな報恩の例を引かれたのは、「六凡より戒徳も勝れ智慧賢き人人」である二乗が、自身が成仏を遂げることを許された大恩ある法華経を行ずる人を捨てるはずがない、ということを強く示されるためである。

1345:13~1346:11 第三章 仏が法華行者を守る理由を明かすtop

13   又一切の菩薩並に凡夫は仏にならんがために、 四十余年の経経を無量劫が間・行ぜしかども仏に成る事なかり
14 き、而るを法華経を行じて仏と成つて今十方世界におはします仏・ 仏の三十二相・八十種好をそなへさせ給いて九
15 界の衆生にあをがれて、 月を星の回れるがごとく須弥山を八山の回るが如く、 日輪を四州の衆生の仰ぐが如く輪
16 王を万民の仰ぐが如く、 仰がれさせ給うは法華経の恩徳にあらずや、 されば仏は法華経に誡めて云く「須らく復
17 た舎利を安ずることをもちいざれ」 涅槃経に云く 「諸仏の師とする所所謂法なり是の故に如来恭敬供養す」等云
18 云、法華経には我舎利を法華経に並ぶべからず、 涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説せ給へり、 仏此
1346
01 の法華経をさとりて仏に成りしかも 人に説き聞かせ給はずば仏種をたたせ給ふ失あり、 此の故に釈迦如来は此の
02 娑婆世界に出でて説かんとせさせ給いしを、 元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入つて、 仏をあだ
03 みて説かせまいらせじとせしなり、 所謂波瑠璃王の五百人の釈子を殺し、 鴦崛摩羅が仏を追、提婆が大石を放・
04 旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて仏の御子と云いし、 婆羅門城には仏を入れ奉る者は五百両の金をひきき、 されば
05 道にはうばらをたて・井には糞を入れ門にはさかむきをひけり・食には毒を入れし、 皆是れ仏をにくむ故に、華色
06 比丘尼を殺し、 目連は竹杖外道に殺され、 迦留陀夷は馬糞に埋れし・皆仏をあだみし故なり、而れども仏さまざ
07 まの難をまぬかれて御年七十二歳、 仏法を説き始められて四十二年と申せしに・中天竺・王舎城の丑寅・耆闍崛山
08 と申す山にして、 法華経を説き始められて八年まで説かせ給いて、 東天竺倶尸那城・跋提河の辺にして御年八十
09 と申せし、 二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給いき、 而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば・
10 此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり、 一一の文字は仏の御魂なれば此の経を行ぜん人をば 釈迦如来我が御眼の
11 如くまほり給うべし、人の身に影のそへるが・ごとく・そはせ給うらん、いかでか祈とならせ給はざるべき。
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 また、一切の菩薩ならびに凡夫は、仏に成るために、四十余年の経々を無量劫の間、修行したけれども、仏に成ることはできなかった。
 ところが、法華経を修行して仏に成って、今十方世界におられる仏は、仏の三十二相・八十種好を具えられ、九界の衆生から、月を星が回るように、須弥山を八山が回るように、日輪を四洲の衆生が仰ぐように、輪王を万民が仰ぐように、仰がれることは、法華経の恩徳ではないか。
 したがって、仏は法華経に戒めて「また舎利を安置することは必要ない」と説かれ、涅槃経には「諸仏の師とするところは法である。このゆえに如来は恭敬し供養する」と説かれている。法華経には我が舎利を法華経と並べてはならないとし、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬し供養すべきであると説かれたのである。
 仏は、この法華経を覚って仏になったのであるから、人に説き聞かせなかったならば、仏種を断つ失となる。このゆえに、釈迦如来はこの娑婆世界に出生して、この法華経を説こうとされたのであるが、そこへ元品の無明という第六天の摩王が一切衆生の身に入って、仏を怨嫉して説かせまいとしたのである。
 いわゆる波瑠璃王が五百人の釈迦族を殺し、鴦崛摩羅が仏を追いかけて指を切ろうとし、提婆が大石を落として仏を傷つけ、旃遮婆羅門女が鉢を腹に入れて仏の御子を身ごもったと言ったり、婆羅門城の王が城内に仏を入れた者は五百両の罰金を取ると言ったので、道には荊棘を立て、井戸には糞を入れ、門には逆茂木を引き、食物には毒を入れたのも、皆これ仏を憎んだからである。華色比丘尼が殺され、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷(かるだい)は馬糞に埋められたのも、皆仏を怨んだからである。しかしながら、仏はさまざまの難を免れて、御年七十二歳の時、すなわち仏法を説き始められてから四十二年という時に、中天竺の王舎城の丑寅にあたる耆闍崛山という山において、法華経を説き始められ、八年の間説かれて、東天竺の倶尸那城の跋提河(ばつだいが)の辺において、御年八十歳の二月十五日の夜半に御涅槃に入られたのである。
 しかしながら、御悟りは法華経と説き置かれたので、この法華経の文字は即釈迦如来の御魂(みたま)である。一々の文字は、仏の御魂であるから、この経を修行する人を釈迦如来は、我が御眼のように守られるであろうし、人の身に影が添うように付き添っているであろう。どうして祈りのかなわないことがあろう。

十方世界
 「十方」とは、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた方位で、全世界を意味する。仏教では十方に無数の三千大千世界があるとされる。
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三十二相
 仏や転輪聖王などがそなえている32の優れた身体的特質のこと。「相」は八十種好に対し大きな特徴をさす。名称および順序は経論によって異説もあるが、『大智度論』巻4の説を以下に挙げる。①足下安平立相。足の下が安定して立っていること。足裏の全体が地に着いてすき間なく密着している。②足下二輪相。足裏に自然にできた2輪の肉紋があり、それは千輻(1000本の矢)が放射状に組み合わさって車の輪の相を示していること。③長指相。指が繊細で長いこと。④足踉広平相。足の踉が広く平らかであること。⑤手足指縵網相。手足の指の間に縵網があり、指を張ればあらわれ張らなければあらわれないこと。⑥手足柔軟相。手足が柔らかいこと。皮膚は綿で編んだように微細である。⑦足跌高満相。足の甲が高いこと。地を踏んだ足跡は広くもなく狭くもなく、足裏の色は赤蓮華、指の間の縵網と足の周辺の色は真の珊瑚のようで、指の爪は浄い赤銅、甲は真金、甲の上の毛は毘瑠璃のように青い。その足のおごそかですばらしい様は種々の宝で荘厳しているようである。⑧伊泥延膊相(伊泥延はサンスクリットのアイネーヤの音写で鹿の一種)。膝、股が鹿の足のように繊細で引き締まっていること。⑨正立手摩膝相。立てば手で膝をさわることができること。⑩陰蔵相。陰部がよく調えられた象や馬のそれのように隠れて見えないこと。⑪身広長等相。インド産の無花果の木のように身体のタテとヨコの長さが等しいこと。⑫毛上向相。身体の諸の毛がすべて上に向いてなびくこと。⑬一一孔一毛生相。一つ一つの孔に一毛が生ずること。毛は青琉璃色で乱れず、右になびいて上に向かう。⑭金色相。皮膚が金色をしていること。⑮丈光相。四辺にそれぞれ一丈の光を放つこと。⑯細薄皮相。皮膚が薄く繊細であること。塵や土がその身につかないことは蓮華の葉に塵水がつかないのと同じである。⑰七処隆満相。両手・両足・両肩・頭の頂上の七処がすべて端正に隆起して色が浄いこと。⑱両腋下隆満相。両腋の下(わきの下)が平たく隆満しており、それは高すぎることもなく、またわきの下が深すぎることもない。⑲上身如師子相。上半身が獅子のように堂々と威厳があること。⑳大直身相。一切の人の中で身体が最も大きく、また整っていること。㉑肩円好相。肩がふくよかに隆満していること。㉒四十歯相。歯が40本あること。㉓歯斉相。諸の歯は等しく粗末なものはなく小さいものもなく出すぎることもなく入りすぎることもなく歯の間にすき間がないこと。㉔牙白相。牙があって白く光ること。㉕師子頬相。百獣の王の獅子のように、頬が平らかで広いこと。㉖味中得上味相。食物を口に入れれば、味の中で最高の味を得ることができること。㉗大舌相。広長舌相とも。舌が大きく口より出せば顔の一切を覆い、髪の生え際にいたること。しかも口の中では口中を満たすことはない。㉘梵声相。梵天王の5種の声のように声が深く遠くまで届き、人の心の中に入り、分かりやすく誰からもきらわれないこと。㉙真青眼相。好い青蓮華のように眼が真の青色であること。㉚牛眼睫相。牛王のように睫が長好で乱れないこと。㉛頂髻相。頭の頂上が隆起し、挙が頂上にのっているようであること。㉜白毛相。眉間白毫相ともいう。眉間のちょうどよい位置に白毛が生じ、白く浄く、右に旋って長さが5尺あること。ここから放つ光を毫光という。
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八十種好
 仏や菩薩がそなえている80の優れた身体的特質のこと。「好」は三十二相に対し細かな特徴をさす。80種の内容については種々の説があり、なかには三十二相と重複するものもあるが、例えば、頂を見ることがない、耳たぶが垂れ下がっているなど。
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九界
 十界の仏界を除く、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩をいう。仏界が悟りの境地であるのに対して、迷いの境界をさしている。
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八山
 須弥山をめぐる八山。須弥山を中心にして同心円状に囲むとする古代インドの世界観。持双山・持軸山・擔木山・善見山・馬耳山・象鼻山・持辺山・鉄囲山のこと。
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四州
 須弥山を中心とした古代インドの世界観で、須弥山を八重の山と香水の海が囲み、その外側、第九重の鉄囲山の内側に醎海があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとするとある。
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輪王
 転輪聖王または転輪王ともいう。仏教で説く理想の君主で、即位するとき天より輪宝を感得し、その輪宝を転じて四方を制するのでこの名がある。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、感得する輪宝によって、それぞれ金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王とよばれる。
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涅槃経
 大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
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娑婆世界
 娑婆はサンスクリットのサハーの音写で「堪忍」などと訳される。迷いと苦難に満ちていて、それを堪え忍ばなければならない世界、すなわちわれわれが住むこの現実世界のこと。
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元品の無明
 無明とは、根本の煩悩の一つで、生命にそなわる根源的な無知。特に自らをはじめ万物が妙法の当体であることがわからない、最も根源的な無知を「元品の無明」という。「治病大小権実違目(治病抄)」には「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(997㌻)と述べられ、元品の無明が現れて正法を妨げる障魔のはたらきとなることを示されている。
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第六天の魔王
 欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
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波瑠璃王
 サンスクリットのヴィルーダカの音写。釈尊存命中のコーサラ国の王。波斯匿王の子。波斯匿王は妃を迦毘羅衛国(カピラヴァストゥ)に求めたが、釈迦族は王の勢力を恐れ、釈摩男の召使いである女が産んだ美女を王女と偽って王に差し出した。この女と波斯匿との間に生まれたのが波瑠璃王である。波瑠璃王は後にこのことを知って激怒し、復讐として釈迦族に対し大量殺戮を行った。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。
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鴦堀摩羅
 梵名アングリマーラー(Angulimālā)の音写。央掘摩羅・鴦掘摩とも書く。指鬘と訳す。釈尊在世当時の弟子。央掘摩羅経巻一等によると、人を殺して指を切り、鬘(首飾、髪飾)としたのでこの名がある。外道の摩尼跋陀を師としてバラモンを学んでいたが、ある時、師の妻の讒言にあい、怒った師は央掘摩羅に1000人を殺してその指を取るよう命じた。そのため999人を殺害し、最後に自分の母と釈尊を殺害しようとしたが、あわれんだ釈尊は彼を教化し大乗につかせたという。仏説鴦掘摩経では100人を殺そうとして99人を殺したとある。
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提婆
 サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
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旃遮婆羅門女
 略して旃遮女という。腹の中に鉢を入れて釈尊の子をみごもったといい、釈尊を誹謗した業因によって、無間地獄に堕ちた。
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婆羅門城
 釈尊の九横の大難があったところ。釈尊が阿難を連れ婆羅門城を乞食したが空鉢であった時、年老いた下婢が、供養する物がなくて、捨てようとした臭い鏘(米のとぎ汁)を供養した。バラモンがこのことは臭食の報いであると謗った。
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華色比丘尼
 『大智度論』などによると、釈尊の弟子である華色比丘尼(蓮華比丘尼)は、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
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目連は竹杖外道に殺され
 目連は目犍尊者、摩訶目犍連ともいう。釈尊十大弟子の一人で、神通第一。竹杖外道は古代インドのバラモンの一派で、執杖梵士とも呼ばれる。毘奈耶雑事巻十八によると、目犍連は舎利弗と共に王舎城を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。その際、いったんはのがれたが、過去世の宿業であることを知り、外道に殺されて業を滅したとある。
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竹杖外道
 古代インドの仏教以外の修行者の一派。目連は舎利弗と共に王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。
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迦留陀夷
 梵語カーローダーインKālodāyīnの音写。迦留陀夷とも書く。黒光・黒曜と訳す。釈尊が太子であったときの師で、出家して仏弟子となったが、破戒の行為が多かった。しかし、阿羅漢果を得てから改め、舎衛国の九百九十九家を教化した。そして、千家目にバラモンの家を教化しているとき、その家の夫人の策略によって、糞の中に埋められ殺されたという。
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中天竺
 インドを東・西・南・北・中と五つにわけたなかの「中」。中央インドのこと。
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王舎城
 サンスクリットのラージャグリハの音写。古代インドのマガダ国の首都。現在のビハール州のラージギルにあたる。阿闍世王(アジャータシャトル)が都とし、釈尊がしばしば説法した。王舎城の郊外に霊鷲山がある。日蓮大聖人の御在世当時の日本では、霊鷲山は王舎城の艮(東北)にあると認識されていた。
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丑寅
 ①前2時~午前4時をいう。②方位・北東を意味する。
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耆闍崛山
 霊鷲山のこと。古代インドのマガダ国(現在のベンガル州)の首都である王舎城(ラージャグリハ、現在のラージギル)の東北にある山。サンスクリットのグリドゥラクータの訳。音写語は耆闍崛山。法華経の説法が行われたとされる。法華経本門寿量品の自我偈の教説に基づいて、久遠の仏が常住する仏国土を意味し、霊山浄土と呼ばれる。霊山ともいう。『大智度論』巻3によると、山頂が鷲に似ていることと鷲が多くいるため霊鷲山と名づけられたいう。
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東天竺
 インドを五分割したなかの東。
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拘尸那城
 梵語(Kúsi-nagara)拘尸那伽羅で、香茅城・茅城と訳す。吉祥草の都城という意味である。現在の北インド、ウッタル・ブランデーン州にあった都城で、北にヒマラヤ山脈のダウラギリ、マナスル等の高峰を背負い、南にガンジスの流れを望む地帯にある。釈尊在世当時は、十六大国の一つ末羅族の都であった。この城外、北の跋提河の西北に沙羅樹林があり、涅槃経の説処であるとともに、釈尊入滅の地となった。そのほか、釈迦本生譚である稚王の火を救った地、鹿王として身を死して生を救った地、仏最後の弟子である須跋陀羅の入滅の地、執金剛神の地に倒れて悲慟した仏滅後七日供養の地、父母慟哭の地、天冠の荼毘処など、多くの由緒ある遺跡がある。なお、当時のままという大涅槃搭も残っており、諸国からの巡礼者が跡を絶たない。
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跋提河
 華厳経が説かれた場所のこと。
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 一切の菩薩や凡夫が仏に成ることができたのも法華経の恩徳によるのであり、また釈尊はさまざまな難を乗り越えてその悟りを説き残したのが法華経なので、法華経を行ずる者を必ず守るのであり、そのために法華経の行者の祈りがかなわないはずがない、と示されている。
又一切の菩薩並に凡夫……供養すべしと説せ給へり
 初めに、一切の菩薩や凡夫が、法華経を行じて仏に成ったことが明かされて、法華経が諸仏に勝れる理由が示されている。菩薩等が四十余年の爾前の諸経でいかに歴劫修行をしても成仏することができなかったのは、それらの諸経には成仏の実義がないからであった。しかるに、法華経を行じて仏に成り、衆生から仰がれるようになったのは、法華経の恩徳なのである
 開目抄には「されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども実には法華経にして正覚なり給へり、釈迦諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す今者已満足の文これなり、予事の由を・をし計るに華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば・その経経の仏・菩薩・天等・守護し給らん疑あるべからず、但し大日経・観経等をよむ行者等・法華経の行者に敵対をなさば彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし」(0216-18)と仰せになっている。したがって、諸仏も自らが仏に成ることができた大恩徳のある法華経を行ずる者を必ず守護するのである。
 そのように勝れた法華経だからこそ、仏は法華経の法師品第十に「若しは経巻の住する所の処には、皆な応に七宝の塔を起て、極めて高広厳飾ならしむべし。復た舎利を安んずることを須いず」と説いているのである。
 これは、この文を釈した法華文句巻八上に「此の経は是れ法身の生処、得道の場、法輪の正体、大涅槃の窟なり、此の経の在る所は須らく塔もて供養すべし。不復安舎利とは、釈論に云く、砕骨は是れ生身の舎利、経巻は是れ法身の舎利なりと、此の経は是れ法身の舎利なり、更に生身の舎利を安んずるを須たず」とあるように、法華経を法身の舎利として、仏の生身の舎利よりも尊いゆえに、法華経を安置し尊崇すべきであって、仏の舎利等を安置すべきではない、との意である。
 また、涅槃経には「諸仏の師とする所は、所謂法なり。是の故に如来は恭敬供養す」と説かれている。すなわち、諸仏が師として修行したのは法であり、それによって仏になることができたために、如来はその法(法華経)を敬い、供養するのである、との意である。
 この二つの経文の意を「法華経には我舎利を法華経に並ぶべからず、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説せ給へり」と述べられている。
仏此の法華経をさとり……祈とならせ給はざるべき
 釈尊は妙法蓮華経を悟って仏に成ったのであり、その法華経を説いて衆生に聞かせなければ仏種を断つことになって、仏として大きな過失となるのである。仏種とは衆生が成仏得道する因を草木の種子にたとえたもので、衆生の仏性を指す場合と衆生の仏性を開発させる仏の教法をいう場合があり、この場合は法華経をさしている。
 曽谷殿御返事に「法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(1056-14)と仰せであり、仏は法華経を仏種として、衆生心田に植え、衆生の仏性を開発して成仏の果を得させるのである。
 したがって、もしも釈尊が法華経を説かないとすると、衆生に対して仏種を下さないことになり、成仏得道する者はいなくなる。
 そのため、釈尊が娑婆世界に出現して法華経を説こうとすると、元品の無明が第六天の魔王の働きとなって顕れ、一切衆生の身に入って仏をあだみ、迫害して説かせまいとしたのである。
 元品の無明とは、元品の法性に対する言葉で、衆生の生命に本然的に具わっている根本の迷いのことで、妙法を信ずることができないという迷いをいう。その根本の迷いが第六天の魔王となり、正法に敵対し、仏道修行の障害となり、成仏を妨げるさまざまな働きとなって顕れるのである。
 治病大小権実違目には「一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-07)と述べられている。すなわち、すべての生命に具わる性善、つまり元品の法性が依報のうえに顕れれば、正法を守護する梵天・帝釈等の諸天善神の働きとなり、逆に本有の性悪、すなわち元品の無明が顕れれば、正法を行ずる者を悩ます第六天の魔王の働きになる、との意である。そして、その具体的な事例として、波瑠璃王が五百人の釈迦族を殺したことなど、釈尊が直接受けた難と、華色比丘尼・目蓮・迦留陀夷などの弟子が受けた難が挙げられている。
 如説修行抄で「釈尊は法華経の御為に今度・九横の大難に値ひ給ふ」(0501-10)と仰せのように、釈尊がその在世中に受けた、孫陀利の謗、バラモン城の鏘、阿耆多王の馬麦、瑠璃の殺釈、乞食空鉢、旃遮女の謗、調達(提婆達多)が山を推す、寒風に衣を索む、阿闍世王が酔象を放つ、の九つの大難はすべて法華経のためだったのであり、本抄の意によれば、釈尊に法華経を説かせまいとした第六天の魔王の働きとされるのである。
 なお、本抄で挙げられている、波瑠璃王が多くの釈迦族を殺したこと、提婆達多が山上から大石を落として釈尊の足の指を傷つけこと、旃遮婆羅門の女が鉢を腹に伏せて釈尊の子を身ごもったと誹謗したこと、婆羅門城の王が釈尊を迫害したこと(乞食空鉢)などは、九横の大難に含まれている。兄弟抄には「第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説かれて候は是なり」(1082-04)と述べられており、それらの難は、第六天の魔王が釈尊を憎み、それらの人々の身に入って迫害させたのである。また、華色比丘尼が提婆達多を呵責して打ち殺され、目連が竹杖外道の師を破折したためにその杖で打ち殺され、迦留陀夷が舎衛国のバラモンの婦人に殺されてその頭を糞中に埋められた等の弟子の受けた難も、皆、釈尊を敵視してのこととされている。
 しかし、釈尊はこうした数々の難を乗り越えて、72歳の時に、中インド・マガダ国の都城・王舎城の東北方にあった耆闍崛山(霊鷲山)で法華経を説き始めて、八年で説き終わり、80歳の2月15日に、東インドのマラ国の都城・倶尺那城の北方、跋提河(熙連河)のほとりの沙羅双樹の下で涅槃している。
 釈尊の悟りは法華経にことごとく説き残されているので、法華経の文字はそのまま釈尊の魂なのであり、したがってこの経を行ずる人を、釈尊は我が眼のように大切にし、人の身に影が添うように守るので、その人の祈りがかなわないわけはないのである。

1346:12~1347:17 第四章 菩薩・諸天の守護必定なるを明かすtop

12   一切の菩薩は又始め華厳経より四十余年の間・仏にならんと願い給いしかども・かなはずして、法華経の方便品
13 の略開三顕一の時 「仏を求むる諸の菩薩大数八万有り、 又諸の万億国の転輪聖王の至れる合掌して敬心を以て具
14 足の道を聞かんと欲す」と願いしが、 広開三顕一を聞いて 「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に断ちぬ」と説かせ給
15 いぬ、其の後自界他方の菩薩雲の如く集り星の如く列り給いき、 宝塔品の時・十方の諸仏・各各無辺の菩薩を具足
16 して集り給いき、文殊は海より無量の菩薩を具足し、 又八十万億那由佗の諸菩薩・又過八恒河沙の菩薩・地涌千界
17 の菩薩・分別功徳品の六百八十万億那由佗恒河沙の菩薩・又千倍の菩薩・復一世界の微塵数の菩薩・復三千大千世界
18 の微塵数の菩薩・復二千中国土の微塵数の菩薩・復小千国土の微塵数の菩薩・復四四天下の微塵数の菩薩・三四天下
1347
01 二四天下・一四天下の微塵数の菩薩・復八世界微塵数の衆生・薬王品の八万四千の菩薩・妙音品の八万四千の菩薩・
02 又四万二千の天子・普門品の八万四千・陀羅尼品の六万八千人・妙荘厳王品の八万四千人・勧発品の恒河沙等の菩薩
03 三千大千世界微塵数等の菩薩・此れ等の菩薩を委く数へば十方世界の微塵の如し、 十方世界の草木の如し、 十方
04 世界の星の如し、十方世界の雨の如し、 此等は皆法華経にして仏にならせ給いて、 此の三千大千世界の地上・地
05 下・虚空の中にまします、迦葉尊者はケイ足山にあり、文殊師利は清凉山にあり、地蔵菩薩は伽羅陀山にあり、 観
06 音は補陀落山にあり、 弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王阿修羅王は海底海畔にあり、帝釈はトウ利天に梵
07 王は有頂天に・魔醯修羅は第六の佗化天に・四天王は須弥の腰に・日月・衆星は我等が眼に見へて頂上を照し給ふ、
08 江神・河神・山神等も皆法華経の会上の諸尊なり。
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 一切の菩薩は、また初め華厳経から四十余年の間、仏になろうと願っていたけれども、かなわず、法華経の方便品の略開三顕一が説かれた時、仏を求める諸の菩薩が大数八万人いた。また諸の万億国の転輪聖王が集まり、合掌して敬う心をもって「具足の道をお聞きしたい」と願ったところ、広開三顕一の説法を聞いて菩薩達は「疑網は皆すでに断たれた」と説かれたのである。
 その後、この国や他方の菩薩が雲のように集まり、星のように列なったのである。宝塔品の時には、十方の諸仏が各々無辺の菩薩を引き連れて集まった。
 文殊は海から無量の菩薩を引き連れ、また八十万億那由佗の諸菩薩、また八恒河沙に過ぎた菩薩、地涌千界の菩薩、分別功徳品の六百八十万億那由佗恒河沙の菩薩、また千倍の菩薩、また一世界を微塵にしたほどの数の菩薩、また三千大千世界を微塵にしたほどの数の菩薩、また二千の中国土を微塵にしたほどの数の菩薩、また小千国土を微塵にしたほどの数の菩薩、また四四天下を微塵にしたほどの数の菩薩、三四天下、二四天下、一四天下を微塵にしたほどの数の菩薩、また八世界を微塵にしたほどの数の衆生、薬王品の八万四千の菩薩、妙音品の八万四千の菩薩やまた四万二千の天子、普門品の八万四千人、陀羅尼品の六万八千人、妙荘厳王品の八万四千人、勧発品の恒河沙等の菩薩や三千大千世界を微塵にしたほどの数の菩薩、これらの菩薩をくわしく数えるならば、十方世界を微塵にしたほどになり、十方世界の草木のようであり、十方世界の星のようであり、十方世界の雨のようである。
 これらは、皆法華経によって仏になられて、この三千大千世界の地上、地下、虚空のなかにおられる。迦葉尊者は雞足山におり、文殊師利は清凉山におり、地蔵菩薩は伽羅陀山におり、観音は補陀落山におり、弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王や阿修羅王は海底海畔におり、帝釈は忉利天に、梵王は有頂天に、魔醯修羅は第六の佗化天に、四天王は須弥の腰におり、日月や衆星は我等の眼に見えて頂上を照らしている。江神・河神・山神等も皆法華経の会座の諸尊である。
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09   仏・法華経をとかせ給いて年数二千二百余年なり、人間こそ寿も短き故に仏をも見奉り候人も待らぬ、 天上は
10 日数は永く寿も長ければ併ながら仏をおがみ 法華経を聴聞せる天人かぎり多くおはするなり 人間の五十年は四王
11 天の一日一夜なり、 此れ一日一夜をはじめとして三十日は一月十二月は一年にして五百歳なり、 されば人間の二
12 千二百余年は四王天の四十四日なり、 されば日月並びに毘沙門天王は仏におくれたてまつりて・ 四十四日いまだ
13 二月にたらず、 帝釈・梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすきず、 わづかの間に・いかでか仏前の御誓
14 並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、 法華経の行者をば捨てさせ給うべきなんど思いつらぬれば・ たのもし
15 き事なり、されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし・ 影の体にそえるがごとし、 すめる水に月の
16 うつるがごとし・方諸の水をまねくがごとし・磁石の鉄をすうがごとし・琥珀の塵をとるがごとし、 あきらかなる
17 鏡の物の色をうかぶるがごとし・
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 仏が法華経を説かれてから二千二百余年である。人間こそ寿命が短いから、仏を見た人もいないが、天上は日数も永く、寿命も長いので、仏を拝み法華経を聴聞した天人は、かぎりなく多くいるのである。
 人間の五十年は四王天の一日一夜である。この一日一夜をもととして、一か月を三十日、一年を十二か月として、寿命は五百歳である。したがって、人間の二千二百余年は四王天の四十四日である。 
 日月天並びに毘沙門天王は、仏が亡くなられてから四十四日、いまだ二月にも足らない。帝釈や梵天などの場合は、仏が亡くなられてから一月、一時にもすぎない。
 これだけわずかの間にどうして仏前の御誓ならびに自身が成仏した御経の恩を忘れて、法華経の行者を捨てられるであろうかなどと思い続ければ、たのもしいことである。
 したがって、法華経の行者が祈る祈りは、響きが音に応ずるように、影が身体に添うように、澄んだ水に月が映るように、方諸が水を招くように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、明らかな鏡が物の色を浮かべるようにかなうのである。

華厳経
 大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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方便品
 妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
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略開三顕一
 開三顕一を法華経方便品第2の前半で略説したこと。広開三顕一に対する語。
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転輪聖王
 全世界を統治するとされる理想の王のこと。転輪王、輪王ともいう。天から輪宝という武器を授かり、国土を支配するとされる。その徳に応じて授かる輪宝に金・銀・銅・鉄の4種があり、支配する領域の範囲も異なるという。金輪王は四大洲、銀輪王は東西南の3洲、銅輪王は東南の2洲、鉄輪王は南閻浮提のみを治める。
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広開三顕一
 「広く三を開いて一を顕す」と読む。広く三乗を開いて一仏乗を明かしたこと。法華経方便品第2の長行から法華経授学無学人記品第9までの間で、仏が今まで説いてきた三乗の法は一仏乗を説くための方便であったことを、法理・譬喩・因縁を通して広く説き明かしたことをいう。「三」とは声聞・縁覚・菩薩のために説かれた教法で爾前の諸経をさし、「一」とは一切衆生を成仏させる教法で法華経をさす。これに対し、方便品の前半で十如是を説いて、ほぼ開三顕一を明かしたことを略開三顕一という。
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宝塔品
 妙法蓮華経の第11章。正法華経の七宝塔品第11に相当する。サンスクリット文の法華経の多くは、この品に提婆達多品第12の内容が含まれている。この本品から虚空で説法がなされるので、嘱累品第22に至るまでの12品の説法の場を虚空会という。初めに大地から多宝如来の高さ500由旬の七宝の塔が涌出して、虚空に住し、その宝塔の中から法華経が真実であると保証する大音声がある。続いて裟婆世界が三変土田によって浄土となり、十方世界の分身の諸仏が集められ、次いで釈尊が宝塔に入って多宝と並んで座り(二仏並坐)、神通力で聴衆を虚空に置く。そして釈尊の滅後に法華経を護持する者は誓いの言葉を述べるよう3度、流通を勧める(三箇の鳳詔)。この中で、第3の鳳詔では他の経典は持ちやすく、法華経を受持することは難しいとの六難九易が説かれ、この後に「此経難持」の偈頌が説かれている。本品は、方便品第2から次第に説かれた三周の説法が真実であることを証明する(証前)とともに、如来寿量品第16の久遠実成の義を説き起こす(起後)遠序であると位置づけられている。
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八十万億那由佗の諸菩薩
 勧持品で、八十万億那由佗の不退の菩薩が八十万億那由佗の菩薩が仏に末法弘通の告勅を願い、いかなる難をも忍ぶと誓って、20行の偈を述べたものである。
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過八恒河沙の菩薩
 恒沙は恒河沙の略で、ガンジス川の砂の数ということからきた非常に多い数の単位。過八恒沙とは、八恒河沙を超えるとの意。涌出品の冒頭で、過八恒河沙という他国から来た無数の菩薩が、競って末法における娑婆世界の法華経弘通を望んだことをいう。
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地涌千界の菩薩
 地涌の菩薩のこと。法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。これに対して、文殊・弥勒などは、迹仏(始成正覚の釈尊など)あるいは他方の世界の仏から教化された菩薩なので、迹化・他方の菩薩という。
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分別功徳品
 妙法蓮華経分別功徳品第17のこと。略広に開近顕遠して、菩薩大衆は種々の功徳を得たのであるが、その功徳の浅深不同を分別することを説いたので、分別功徳品というのである。全体が二段に分かれていて、初めから弥勒が領解を述べた偈頌の終わりまでは、本門の正宗分で、その中に授記と領解があり、まず総じて菩薩に法身の記を授け、大衆の供養があり、ついで、領解、分別功養がある。つぎに、後半、「爾の時、仏、弥勒摩訶薩に告げたまわく」から終わりまでは流通分に属し、次の品の終わりまでは初品の因の功徳を明かすのであって、まず一念信解、略解言趣、広為他説、深信観成の現在の四信と、随喜品、読誦品、解脱品、兼行六度品、正行六度品の滅後の五品を説き、次品の終わりまでにも及んでいる。日蓮大聖人は南無妙法蓮華経の正行を、初信の位にとっておられる。
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三千大千世界
 古代インドの世界観・宇宙観を用いて説かれた仏教の世界観。須弥山を中心に、太陽・月・四洲を包含するものを小世界として、それが1000集まったものを小千世界、小千世界を1000倍したものを中千世界、中千世界を1000倍したものを大千世界と呼ぶ。小千・中千・大千の3種を総称して三千大千世界という。
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薬王品
 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。
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妙音品
 法華経妙音菩薩本事品第24のこと。東方の浄光荘厳国から妙音菩薩が、霊鷲山に来て、釈尊・多寶仏を供養した。この妙音菩薩は法華経によって34身を現じて衆生を救護していることを説く。そして法華経を聞くことの価値を説き、妙音菩薩のこの説法を聞いた者は現一切色身三昧を得ることができたことを説いて。これを説き終わった妙音菩薩は本国に帰るのである。
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普門品
 観世音菩薩普門品のこと。妙法蓮華経の第25章。観音品・普門品と略す。観世音(観音)菩薩が、苦難にあってもその力を念じその名をとなえる人を守護することや33の姿(三十三身)を現して衆生を教化することを説き、法華経の護持・弘通を勧める。単独で観音経とされ、観音信仰で依拠する経典となっている。また『法華文句記』では、方便品・安楽行品・如来寿量品・観世音菩薩普門品が法華経の肝要とされ、四要品として重んじられた。
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陀羅尼品
 法華経陀羅尼品第26のこと。五番の神呪がとかれている。
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妙荘厳王品
 法華経妙荘厳王本事品第27のこと。化他流通中の人をもって法を守ることを説き明かしている。薬王・薬上菩薩の本事品とも見られる。
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勧発品
 法華経普賢菩薩勧発品第28のこと。神力品以下付嘱流通中の自行流通を勧めている。普賢菩薩が東方宝威徳上王仏の国にいて、この娑婆世界で、釈尊が法華経を説くのを聞いて来至し、仏の滅後にいかにしてこの法華経を持つかとの問いに対して、釈尊は四法成就を説いて、法華経を再演したことをあらわしている。
迦葉尊者
 サンスクリットのカーシャパの音写。摩訶迦葉のこと。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、頭陀(欲望を制する修行)第一といわれた。釈尊の教団を支え、釈尊滅後の教団の中心となった。釈尊の言行を経典として集成したとされる。法華経授記品第6で、未来に光明如来に成ると保証された。【鶏足山の入定】摩訶迦葉は釈尊が亡くなった後、正統な後継者となって教えを広めて、阿難にその任を譲った。それ以来、鶏足山で禅定に入って、弥勒菩薩が56億7000万年後にこの娑婆世界に仏として出現するのを待っているとされた。【禅宗における伝承】大梵天王問仏決疑経(疑経)では、釈尊が霊鷲山で一房の花を手にとって人々に示した際、その意味を誰も理解できないなかで迦葉一人が理解してほほ笑んだとされる(これを拈華微笑という)。この話が、釈尊が迦葉に法を伝えたという伝説として、宋以後の禅宗で重用され、教外別伝・不立文字の基盤とされた。
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鶏足山
 古代インドのマガダ国の山。サンスクリットのクックタパダギリの訳。現在のガヤーとビハールとの中間にあり、クルキハールの地にあたる。
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文殊師利
 文殊師利はサンスクリットのマンジュシュリーの音写。直訳すると、「うるわしい輝きをもつ者」。仏の智慧を象徴する菩薩で、仏像などでは獅子に乗った姿で釈尊の向かって左に配される。法華経では、弥勒菩薩・薬王菩薩とともに、菩薩の代表として登場する。
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清凉山
 文殊師利菩薩の住処とされる。華厳経巻29には「東北方に菩薩の住処有り、清涼山と名づけ、過去の諸の菩薩常に中に於いて住せり。彼(かしこ)に現に菩薩あり、文殊師利と名づけ、一万の菩薩の眷属有りて常に為に法を説く」とある。古来より、中国山西省北東部の五台県にある五台山が経文にある清涼山と信ぜられ、仏教の一大霊地とされた。
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地蔵菩薩
 インド神話における地神がその起源とされ、仏教においては衆生の苦を除いて成仏へ導く菩薩とされた。釈尊から忉利天の衆生の前で、釈尊滅後に弥勒菩薩が出現するまでの無仏の世界の導師として付嘱を受けたとされる。地蔵菩薩への信仰は、日本の平安時代に末法思想と結びついて広まった。
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伽羅陀山
 伽羅陀は梵語カラーディーヤ(Kharādīya)の音写。迦羅陀山、佉羅陀山とも書き、騾林山と訳す。須弥山を囲む七金山の一。地蔵菩薩の住処とされる。
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観音
 観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。
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補陀落山
 観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。
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弥勒菩薩
 弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
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兜率天
 都率はサンスクリットのトゥシタの音写。兜率とも書く。欲界に属する天上世界は6層に分かれるが、そのうち下から数えて第4層にあたる。須弥山の頂上のすぐ上に位置する。仏になる直前の菩薩が待機している。娑婆世界における都率天には弥勒菩薩が待機しており、56億7000万年後に地上に下りてきて仏と成って人々を救うとされる。
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難陀
 ❶唯識学派の論師。世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十論頌』『瑜伽師地論』などを解釈した。❷父は浄飯王、母は摩訶波闍波提比丘尼で、釈尊の異母弟にあたる。仏本行集経巻56によれば、難陀は出家した後も愛する妻・孫陀利を忘れられず、釈尊からたびたび教戒を受け、ついに阿羅漢果を得た。後に諸根を調伏すること(本能を統制すること)第一と言われた。❸八大竜王の一つ、難陀竜王のこと。跋難陀竜王と兄弟であり、ともに法華経序品第1に法華経の会座に出席したことが記されている(法華経73㌻)。
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阿修羅王
 法華経の説法の場に集っていた阿修羅王の一人。「観心本尊抄」(240㌻)では、法華経に十界互具が説かれていることを明かすにあたり、婆稚阿修羅王たちがこの経の一偈一句を聞いて随喜の心を起こすなら阿耨多羅三藐三菩提(仏の覚り)を得ると説かれた法師品第10の文を引かれ、これを修羅界に十界がそなわることの証文とされている。
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帝釈
 帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
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忉利天
 サンスクリットのトラーヤストリンシャの音写。意訳が三十三天。古代インドの世界観で欲界のうちの六欲天の下から2番目。須弥山の頂上に位置し、帝釈天を主とする33の神々(三十三天)が住むとされる。
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梵王
 サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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有頂天
 三界のなかの色界の18天の最上に位せる天、色究竟天という。有色界の最長という義。
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魔醯修羅
 梵名マヘーシュヴァラ(Maheśvara)の音写。大自在天と訳す。色界の頂上の色究竟天に住み、大威力をもって三千世界を支配するとされる天のこと。その形相は三目八臂で白牛に乗って白払を持つという。ヒンドゥー教におけるシヴァ神である。教時義巻四には「入大乗論に云く摩醯首羅に二種あり。一には伊舍那摩醯首羅。二には毘遮舍摩醯首羅。前は是れ第六天魔なり。後は是れ第四禅天王なり」とあり、一種の摩醯首羅は他化自在天の主といわれる。
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第六の佗化天
 他化自在天のこと。欲界の天は六重あり、その最頂・第六にあるので第六天という。そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在天と言う」とある。
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四天王
 古代インドの世界観で、一つの世界の中心にある須弥山の中腹の四方(四王天)の主とされる4人の神々。帝釈天に仕える。仏教では仏法の守護神とされた。東方に持国天王、南方に増長天王、西方に広目天王、北方に毘沙門天王(多聞天王)がいる。法華経序品第1ではその眷属の1万の神々とともに連なり、陀羅尼品第26では毘沙門天王と持国天王が法華経の行者の守護を誓っている(法華経73,644,645㌻)。日蓮大聖人が図顕された曼荼羅御本尊の四隅にしたためられている。
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日月
 日天と月天のこと①日天。日天子とも。サンスクリットのスールヤの訳。インド神話では太陽を神格化したもの。仏教に取り入れられて仏法の守護神とされた。月天と併記されることが多い。日宮殿に住むとされる。②月天。月天子とも。サンスクリットのチャンドラの訳。インド神話では月を神格化したもの。仏教に取り入れられて仏法の守護神とされた。日天と併記されることが多い。長阿含経巻22では、月天子は月宮殿に住むとされる。基(慈恩)の『法華玄賛』巻2には「大勢至を宝吉祥と名づけ、月天子と作す。即ち此の名月なり」とあり、その本地は勢至菩薩とされる。法華経序品第1(法華経73㌻)には、釈提桓因(帝釈天)の眷属として名月天子の名が出ており、諸天善神の一つとされる。
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江神・河神
 ともに川をつかさどる神のこと。
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山神
 山を支配する神のこと。
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四王天
 四天王が住む天。須弥山の中腹にある。
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毘沙門天王
 四大天王、十二天のひとつ。多聞天ともいう。須弥山の中腹の北面に住し、つねに仏の説法を聞き、仏の道場を守護する働きをする。陀羅尼品では法華経の行者の守護を誓った諸天善神のひとつ。財宝富貴をつかさどり、施福の働きを持つ。
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方諸
 月から水をとるという鏡のこと。月夜のような晴れた夜には、鏡を戸外に置くと、冷えた鏡の表面に露がつくことから、鏡が水を月から得たと考えたもの。一説には大蛤のことともいわれる。
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琥珀
 古代植物の樹脂などが地中に長く埋もれて化石化したもの。透明ないし半透明で光沢があり、黄色味を帯びている。摩擦すると静電気を起こし、塵などを吸いつける性質がある。
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 法華経の会座において、諸の菩薩は初めて成仏を許され、また諸の天人も法華経の行者を守護するとの誓いを立てており、その法華経の恩と誓いを忘れることはできないので、法華経の行者の祈りがかなわないわけがないことが明かされている。
一切の菩薩は又始め……会上の諸尊なり
 一切の菩薩は、釈尊が華厳経を説いた最初から、成仏を願ってきたがかなわず、法華経の方便品第二で「具足の道を聞きたてまつらんと欲す」と願い、初めて成仏の法を聞くことができた。
 それに対して釈尊は広開三顕一の法門を説き、声聞の弟子に未来作仏の授記を明かして三乗に執われた心を破し、一仏乗の法理を広く説いた。
 それを聞いた菩薩達は「疑網は皆な已に除く」とあるように、一切の疑いを除いて一仏乗の法を信ずることができたのである。
 その後の法華経の会座には、この娑婆世界はもとより、他方の国土の菩薩達が雲集している。見宝塔品第十一では、十方分身の諸仏が無量千万億の菩薩とともに集い、提婆達多品第十二では文殊師利菩薩の教化した無量無数の菩薩が海から涌出しており、勧持品第十三では八十万億那由佗の諸の菩薩が会座に列なっている。従地涌出品第十五では過八恒河沙の菩薩が他方の国土から来ており、また六万恒河沙の地涌千界の菩薩が涌現した。
 分別功徳品第十七では六百八十万億那由陀恒河沙の衆生が無生法忍を得、千倍の菩薩が聞持陀羅尼門を得、一世界微塵数の菩薩が楽説無礙弁才を得、一世界微塵数の菩薩が百千万億無量の旃陀羅尼を得、三千大千世界微塵数の菩薩が不退の法輪を転じ、二千中国土微塵数の菩薩が清浄の法輪を転じ、小千国土微塵数の菩薩が八生に阿耨多羅三藐三菩提を得、四四天下微塵数の菩薩が四生に阿耨多羅三藐三菩提を得、三四天下微塵数の菩薩が三生に阿耨多羅三藐三菩提を得、二四天下微塵数の菩薩が二生に阿耨多羅三藐三菩提を得、一四天下微塵数の菩薩が一生に阿耨多羅三藐三菩提を得、八世界微塵数の衆生が阿耨多羅三藐三菩提の心を発す、とされている。
 薬王菩薩本事品第二十三では八万四千の菩薩が解一切衆生語言陀羅尼を得たとされ、妙音菩薩品第二十四では妙音菩薩とともに八万四千の菩薩が発来し、四万二千の天子が無生法忍を得ている。観世音菩薩普門品第二十五では八万四千の衆生が阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、陀羅尼品第二十六では六万八千人が無生法忍を得、妙荘厳王本事品第二十七では八万四千人が法眼浄を得ている。
 最後の普賢菩薩勧発品第二十八では、恒河沙等の無量無辺の菩薩が百千万億旃陀羅尼を得、三千大千世界微塵等の菩薩が普賢の道を具したとされている。
 このように、法華経の会座に列なった菩薩の数は、それこそ無数といえるほどで、しかもそれらの菩薩は皆、法華経によって仏に成ることができたのであり、そのうえで三千大千世界の諸の国土の地上や地下や虚空に在って尊崇され、衆生を救っているのである。
 釈尊十大弟子の一人・摩訶迦葉は、釈尊滅後二十年の間、小乗教を弘め、化導を終わると法を阿難に付嘱し、中インド・マガダ国の鶏足に登って入寂したとされる。
 迹化の菩薩の上首である文殊師利菩薩に対する信仰は、中国では東晋時代から、日本では平安時代以後に盛んになり、中国の五台山(清涼山)が華厳経で文殊の住処とされている東北方の清涼山であると信じられ、文殊の聖地とされた。
 釈尊の付嘱を受け、釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成道するまでの無仏の時代に衆生を救済することを託されたという地蔵菩薩は、須弥山を囲む七金山の一つである伽羅陀山が住所とされた。
 法華経の観世音菩薩普門品第二十五に説かれる観世音菩薩は、三十三身を現して「怖畏急難の中」にいる一切の衆生を救うとされ、その住処はインド南海岸にあるという補陀落山とされた。
 釈尊の滅後、五十六億七千万年の時に釈尊の仏位を継ぐとされた弥勒菩薩は、釈尊のまえに入滅して六欲天の第四、兜率天の内院の兜率天宮に住み、天人のために法を説いているといわれ、そこを弥勒菩薩の浄土ともいった。
 法華経の序品に列座した難陀竜王らの八竜王は、大海の水底にある竜宮に住むとされ、同じく婆稚阿修羅王等の四阿修羅王は須弥山の外輪の海底・地下八万四千由旬の間の四層地に住むとされている。
 また、二万の眷属とともに法華経の会座に列なった帝釈天は須弥山の頂上にある忉利天の喜見城に住み、一万二千の眷属とともに列なった娑婆世界の主とされる梵天王は色界の第四天の色究竟天(有頂天)に住むとされている。
 三界のなかで欲界の魔醯修羅は、六天の頂上にある他化自在天に住むとされる。
 法華経の陀羅尼品第二十六で法華経の行者を守護すると誓った持国天・増上天・広目天・多聞天の四天王は、須弥山の中腹の四面(東・西・南・北)に住するという。
 太陽や月、諸の星は虚空にあって我々を照らしており、また河川を司る神や山を支配する神なども法華経説法の会座に列なっている。
 それらの諸の菩薩や諸天等が、大恩ある法華経を行ずる者を守護し、祈りをかなえないわけはないのである。
仏・法華経をとかせ……たのもしき事なり
 釈尊が法華経を説いてから大聖人御在世当時まで2200余年たっているが、長い諸天の寿命に換算すると数10日にすぎず、そのわずかの間に諸天が法華経の行者を守るという仏前の誓いを忘れるはずはない、と仰せられている。
 持国天・広目天・増長天・多聞天の四天王が住む四王天では、「人間の昼夜五十年をもつて第一・四王天の一日一夜として四王天の天人の寿命五百歳なり」(0443-07)と仰せのように、人間の50年が1日にあたる。したがって、日・月天や毘沙門天(多聞天)にとって、末法の初めは釈尊滅後44日にしか過ぎないことになる。
 また、帝釈天の住む忉利天では「人間の一百歳は第二の忉利天の一日一夜なり其の寿一千歳なり」(0444-05)と仰せのように、人間の百歳が一日となるので、2200余年は20数日間にすぎないことになる。そのために「帝釈・梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすぎず」と述べられているのである。
 したがって、数10日のわずかな間に、それらの諸天が法華経の会座に列なって陀羅尼品第26で毘沙門天王が「我れも亦た自ら当に是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患無からしむべし」と誓ったこと等を忘れるはずはないのである。まして、自身が成仏を許された法華経の大恩を忘れるはずはなく、諸天が法華経の行者を捨てて守らないことはありえない、との仰せである。
されば法華経の行者……色をうかぶるがごとし
 これまで述べられたように、諸仏・菩薩・二乗・諸天が必ず守護するので、法華経を行ずる者の祈りは、必ずかなうのである。
 大聖人は、その例として、響と音、影と体、澄んだ水と月影、冷えた鏡とその表面につく露、磁石と鉄、琥珀とそれに吸いつく塵、鏡とそこに映る物の色等の必ずあいともなう自然現象を挙げられて、法華経の行者の祈りは必ずかなうと強調されている。
 なお、法華経の行者とは、法華経の教説にしたがって修行する者をいう。末法の現在では、末法の法華経である南無妙法蓮華経の御本尊を信受し修行する者をさす。なお、撰時抄に「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(0284-08)と仰せのように、別しては日蓮大聖人の御事である。
 また、御義口伝に「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり……無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-05)と仰せのように、法華経の行者とは末法の御本仏の異名でもある。
 日寛上人は、観心本尊抄文段に「この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」と御本尊の功徳が広大深遠なゆえに、御本尊を信受し唱題した者の祈りがかなわないことがないと明かされているのである。

1347:17~1348:13 第五章 竜女の法華経深恩と守護を明かすtop

17                世間の法には我がおもはざる事も父母・主君・師匠・妻子をろかならぬ友なんどの
18 申す事は恥ある者は意には・あはざれども名利をもうしなひ、 寿ともなる事も侍るぞかし、 何に況や我が心から
1348
01 をこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。
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 世間の法には、自分が思わないことでも父母・主君・師匠・妻子や親しい友などの言うことには、恥を知る者は、意に合わなくても、名利を惜しまず、命をもなげうつこともある。
 まして我が心から出たことは、父母・主君・師匠などの制止を加えられても成し遂げるものである。
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02   さればはんよきと云いし賢人は我頚を切つてだにこそけいかと申せし人には与へき、 季札と申せし人は約束の
03 剣を徐の君が塚の上に懸けたりき、 而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は・ 小乗経には五障の雲厚く三従の
04 きづな強しと嫌はれ、 四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、 或は初発心時・便成正覚の言
05 も有名無実なりしかば女人成仏もゆるさざりしに・ 設い人間天上の女人なりとも成仏の道には望なかりしに・竜畜
06 下賎の身たるに女人とだに生れ年さへ・いまだ・たけず・わづかに八歳なりき、 かたがた思ひもよらざりしに文殊
07 の教化によりて海中にして・法師・ 提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事は・ありがたき
08 事なり、一代超過の法華経の御力にあらずば・いかでか・かくは候べき、 されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこ
09 そ書かせ給へ、 竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諌なくとも・ いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき、
10 されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ・ すすませさせ給いしか、 竜女の
11 誓は其の所従の「非口所宣非心所測」 の一切の竜畜の誓なり娑竭羅竜王は竜畜の身なれども 子を念う志深かりし
12 かば 大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて 即身成仏の御布施にせさせつれ此の珠は直三千大千世界にかふ
13 る珠なり。
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 したがって、范於期という賢人は、自分の頚を切って荊軻という人に与えた。季札という人は、約束の剣を徐の国の君の塚の上に懸けたのである。
 世間の法には、自分が思わないことでも父母・主君・師匠・妻子や親しい友などの言うことには、恥を知る者は、意に合わなくても、名利を惜しまず、命をもなげうつこともある。
 まして我が心から出たことは、父母・主君・師匠などの制止を加えられても成し遂げるものである。
 したがって、范於期という賢人は、自分の頚を切って荊軻という人に与えた。季札という人は、約束の剣を徐の国の君の塚の上に懸けたのである。
 しかるに、霊山会上で即身成仏した竜女は、小乗経では五障の雲が厚く、三従のきずなが強いと嫌われ、四十余年の諸大乗経では、あるいは歴劫修行に堪えられないと捨てられ、あるいは初めて発心した時に便ち正覚を成ずるという言も有名無実であるので、女人成仏も許されなかった。たとえ人間や天上の女人であっても成仏の道には望みがないのに、まして竜王の娘で畜生界の下賎の身であるうえに女人とさえ生まれ、年もいまだ幼くわずかに八歳であった。そのようなわけで、成仏など思いもよらなかったのに、文殊の教化によって、海中において、仏が法師品と提婆品の中間にわずかに宝塔品を説かれた時刻に仏になったことは、ありがたいことである。釈尊の一代において、際立って勝れた法華経の御力でなければ、どうしてこのようになるであろう。
 したがって、妙楽大師は「行は浅く、功は深し、以って経力を顕す」と書かれたのである。竜女は自分が仏になれた経であるから、仏の諌めがなくても、どうして法華経の行者を捨てられることがあろう。
 したがって、竜女自ら仏を讃歎した偈には「自分は大乗の教を闡いて、苦しむ衆生を救済しよう」と述べられたのである。
 竜女の誓いはその所従の「口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず」の一切の竜という畜生の誓いである。娑竭羅竜王は竜という畜生の身ではあるが子を思う志は深かったから、大海第一の宝である如意宝珠を娘に取らせて即身成仏の御布施にされたのである。この珠は、価値が三千大千世界にも相当する珠である。

はんよき
 (~前0227年)。中国・戦国時代の武将。樊於期とも書く。史記列伝第26によると、初め秦の将軍であったが、罪を着せられたために燕に亡命した。燕の太子丹は彼を礼遇した。丹は秦王の政を怨んでいたので、国の危急を救い、旧恩を晴らすため、刺客として荊軻を送って殺そうと図った。荊軻は、范の首と燕の督亢の地図を献ずれば、秦王に取り入ることができると思い、ひそかに范に話したところ、范は丹への報恩のため、また秦王への恨みを晴らせるならと、即座に自らの首をはねたという。
―――
けいか
 (~前0227)。中国・戦国時代の刺客。燕の太子丹に招かれ、かつて丹が人質として捕らえられていた秦王政(始皇帝)を刺殺するよう頼まれた。秦都咸陽で秦王政と会見し、地図の中に隠した短刀で王を殺そうとしたが果たせず、逆に殺された。
―――
季札
 前6世紀の、中国・春秋時代の呉の賢人。呉王・寿夢の第四子。寿夢は位を季札に譲ろうとしたが季札は受けず、延陵に封じられた。あるとき、晋へ使者として行く途中、徐の国を通った。徐君は季札の身につけている宝剣が気に入って、ほしいと思ったが、口には出さなかった。季札も徐君の心を察したが、使者の途中なので献上せず、帰りに贈ろうと心に誓った。ところが、帰りに訪れたときには既に徐君は亡くなっていた。そこで、心の誓いを果たすため、剣を徐君の墓の樹に掲げ置いて去ったという。
―――
霊山会上
 法華経を霊鷲山で説かれたところから、法華経の会座をいう。法華経の会座には二処三会といって、霊鷲山(序品~法師品)・虚空会(宝塔品~嘱累品)・霊鷲山(薬王菩薩本事品~普賢菩薩勧発品)がある。霊鷲山とは梵語で耆闍崛山(Gṛdhrakūṭa)のことで、インドのベンガル州の山であり、その南が尸陀林で死人の捨て場所となっていて、鷲が飛来するので「鷲山」といい、三世諸仏の法華経がとどまるので「霊山」という。日蓮大聖人の仏法から見れば、本門の題目を唱える者の住所は、いかなるところも霊鷲山である。
―――
即身成仏
 衆生がこの一生のうちにその身のままで仏の境涯を得ること。爾前経では、何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行)、九界の迷いの境涯を脱して仏の境涯に到達するとされた。これに対し法華経では、十界互具・一念三千の法理が説かれ、凡夫の身に本来そなわる仏の境地(仏界)を直ちに開き現して成仏できると明かされた。このように、即身成仏は「凡夫成仏」である。この即身成仏を別の観点から表現したのが、一生成仏、煩悩即菩提、生死即涅槃といえる。
―――
竜女
 海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で8歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第12には、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我は大乗の教を闡いて|苦の衆生を度脱せん」(法華経407㌻)と述べ、釈尊に宝珠を奉ってその身がたちまちに成仏する姿を示したと説かれている。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。
―――
小乗経
 小乗の教えを説いた経典のこと。
―――
五障の雲
 五障とは、女人の五つの障害のこと。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。雲は、五つの障りを太陽の光を遮(さえぎ)る雲にたとえたもの。
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三従のきづな
 三従とは、女性の一生において、服従すべきとされた三つのこと。①幼いときは父母に従い、②嫁いでは夫に従い、③夫の死後は子に従うということ。華厳経巻二十八等に説かれる。きづなは、三つの束縛をつなぎとめておく綱にたとえたもの。
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歴劫修行
 爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
―――
初発心時便成正覚
 円教の菩薩が初めて悟りを求める心を起こした時、即座に正しい悟りを成就すること。
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有名無実
 名ばかりあって、実のないこと。法華経已前の諸教において説かれた成仏のこと。
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女人成仏
 法華経以前の諸経では、女人は「地獄の使い」「永く成仏の期なし」等と不成仏が説かれ、また権大乗教には一応成仏も説かれているけれども、改転の成仏であり、即身成仏ではなかった。法華経提婆達多品第十二に至って、初めて女人成仏が説かれた。     
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法師
 よく仏法に通じ清浄な行を修して人の師となる者のこと。
―――
提婆
 提婆達多のこと。梵名デーヴァダッタ(Devadatta)の音写。漢訳して天授・天熱という。大智度論巻三によると、斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従兄弟とされるが異説もある。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を犯した。そのため、大地が破れて生きながら地獄に堕ちたとある。しかし法華経提婆達多品十二では釈尊が過去世に国王であった時、位を捨てて出家し、阿私仙人に仕えることによって法華経を教わったが、その阿私仙人が提婆達多の過去の姿であるとの因縁が説かれ、未来世に天王如来となるとの記別が与えられた。
―――
妙楽
 (0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
―――
行浅功深以顕経力
 法華文句記巻10中の文。「行は浅く功は深し、以って経力を顕す」とある。
―――
非口所宣非心所測
 法華経提婆達多品第12の文。「口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず」とある。
―――
娑竭羅竜王
 娑竭羅は梵名サーガラ(Sāgara)の音写。沙竭羅とも書き、海と訳す。海竜王の意。八大竜王の一人で、竜女の父。法華経序品第一で、他の竜王とともに会座に参列した。
―――
如意宝珠
 意のままに宝物や衣服、食物などを取り出すことができるという宝の珠。
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 法華経の会座で即身成仏した竜女が、深恩ある法華経の行者を守護しないわけはないと述べられている。
 初めに、世間の法でも、自分が欲することでなくても、父母や主君、師匠、妻子、親しい友などに依頼されたことでは、自分の名誉や利益を失い、命を捨てるようなことであっても行動する場合があり、まして我が心から出たものであるなら父母や主君や師匠が強く制止しても断じて行うことがあるとして、中国の故事を引かれている。
 范於期は中国・秦代の武将で、秦の将軍だったが罪に問われたため燕に亡命した。燕の太子・丹(たん)は、秦の始皇帝が燕を攻撃する口実になるので追放すべしとの臣下の意見をしりぞけて、范を保護した。後に丹太子が国の危急を救い旧怨を晴らすために、荊軻(けいか)を刺客として秦に送ろうとした。
 荊軻は范将軍の首と燕の地図を持っていけば、秦王も信用し油断すると思って范に話したところ、范は丹太子の恩に報い秦王への恨みを晴らすよい機会だと、自らの首を切って荊軻に与えたという。しかし、この企ては失敗している。
 季札は中国・春秋時代の呉王の子で、賢人とうたわれた。あるとき、北方へ使者として行く途中に徐の国を通った。徐君(徐の王)は、季札の帯びていた剣をほしいと思ったが、口には出さなかった。季札も徐君の心を察したが、使者として行く途中なので剣を贈らず、帰りに徐へ行くと徐君は既に死去していたので、剣をその墓に懸けて、自分の心の誓いを果たしたという。信を重んずる故事として、古来よく用いられている。
 そのように、世間の例でも自ら心に定めたことはやりとおすのであり、まして仏法においておやで、「竜女は我が仏になれる経なれば、仏の御諌(おんいさ)めなくとも、いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき」と仰せのように、法華経に深恩のある竜女等が法華経の行者を守らないわけはないと断じられているのである。
而るに霊山会上にして……三千大千世界にかふる珠なり
 霊山会上で即身成仏した竜女とは、娑竭羅竜王の娘で、蛇身の畜生とされ、竜宮に住んでいた。
 法華経の提婆達多品第十二に「文殊師利の言わく、『有り。沙竭羅竜王の女は、年始めて八歳、智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知り、陀羅尼を得、諸仏の説きたまう所の甚深の秘蔵を、悉く能く受持し、深く禅定に入って、諸法を了達し、刹那の頃に於いて、菩提心を発して、不退転を得……慈悲仁譲あり。志意は和雅(わげ)にして、能く菩提に至れり』」と説かれている。
 すなわち、文殊師子菩薩が、海中で法華経を宣説したとき、八歳の竜女が菩提心を発し、菩提に至った、と説いたのである。 
 それに対して智積菩薩が疑いを起こし、舎利弗も女人の身には五障があって、速やかに成仏することはありえないと言うと、竜女が現れ、価三千大千世界の宝珠を仏に奉り、仏がすぐにそれを受けると、我が成仏もそれより速やかであろうと言って、忽然の間に成仏の姿を現じている。
 女人は、小乗経では五障三従ときらわれ、権大乗の諸経では歴劫修行に耐えられないと捨てられ、華厳経で成仏すると説かれていても有名無実にすぎず、女人成仏は許されていなかったのに、畜生の身でしかも年わずか八歳の竜女が文殊菩薩の教化によって成仏したことは法華経が、一代に超過した偉大な力があることによる
 妙楽大師は法華文句記で、持経の功徳を「行は浅く功は深し。以って経力を顕す」と述べており、竜女が法華経を信受することで成仏の大功徳を受けたということは、法華経の偉大な功力を顕している、としているのである。
 竜女は、自身が仏になった大恩があるので、たとえ仏の諌めがなくても法華経の行者を守らないはずはないのである。そのことは、提婆達多品で竜女自身が「我れは大乗の教を闡いて、苦の衆生を度脱せん」と誓っている。この竜女の誓いは、文殊師利菩薩が海中で化導した「其の数は無量にして、称計す可からず、口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず」という無量の竜畜の誓いでもあったのである。
 竜女が仏に奉った価直三千大千世界の宝珠は、父の竜王が持たせたものであり、このことは竜王はじめ一族全員の願いを担って、八歳の竜女が仏前に詣でたことをあらわしている。
 したがって、竜女の成仏を許した法華経の大恩は、竜女だけでなく竜王はじめ全員がこうむっているのであり、法華経の行者は彼ら全員から守られるのである。

1338:14~1349:08 第六章 提婆達多の守護すべき理由を明かすtop

14   提婆達多は師子頬王には孫・釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子・阿難尊者の舎兄なり、善聞長者のむすめの
15 腹なり、転輪聖王の御一門・ 南閻浮提には賎しからざる人なり、 在家にましましし時は夫妻となるべきやすたら
16 女を悉達太子に押し取られ宿世の敵と思いしに、 出家の後に人天大会の集まりたりし時・仏に汝は癡人・唾を食へ
17 る者とのられし上・名聞利養深かりし人なれば仏の人に・ もてなされしをそねみて・我が身には五法を行じて仏よ
18 りも尊げになし・鉄をのして千輻輪につけ・螢火を集めて白毫となし・六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒
1349
01 場を立て多くの仏弟子をさそひとり、 爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て・蓮華比丘尼を打殺し・大石を放て仏
02 の御指をあやまちぬ、 具に三逆を犯し結句は五天竺の悪人を集め仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、 頻婆
03 娑羅王は仏の第一の御檀那なり、 一日に五百輛の車を送り日日に仏並びに御弟子を供養し奉りき、 提婆そねむ心
04 深くして阿闍世太子を語いて 父を終に一尺の釘七つをもつてはりつけになし奉りき、 終に王舎城の北門の大地破
05 れて阿鼻大城に墜ちにき、 三千大千世界の人一人も是を見ざる事なかりき、 されば大地微塵劫は過ぐとも無間大
06 城をば出づべからずとこそ思ひ候に・ 法華経にして天王如来とならせ給いけるにこそ不思議に尊けれ、提婆達多・
07 仏になり給はば語らはれし所の無量の悪人、 一業所感なれば皆無間地獄の苦は・はなれぬらん、 是れ偏に法華経
08 の恩徳なり、されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住せ給う。
-----―
 提婆達多は、師子頬王にとっては孫であり、釈迦如来の伯父である斛飯王の御子、阿難尊者の舎兄であり、善聞長者の娘の子である。転輪聖王の御一門で、南閻浮提には尊い身分の人である。
 在家であったときには、夫妻となるべき耶輪多羅女を悉達太子に押し取られて宿世の敵と思っていたが、出家の後には、人間や天人の大衆が集まったときに、仏に、汝は癡人であり、人の唾を食らう者と罵られたうえ、名聞利養の心が深い人であったから、仏が人にもてなされるのを嫉んで、身には五法を行って仏よりも尊くみせかけ、鉄を延ばして千輻輪を付け、螢火を集めて白毫とし、六万宝蔵・八万宝蔵を諳んじ、象頭山に授戒場を建てて多くの仏弟子を誘い込み、爪に毒を塗って仏の御足に塗りつけようと企て、蓮華比丘尼を打ち殺し、大石を落として仏の御指を傷つけたりした。
 こうしてつぶさに三逆罪を犯し、結局は五天竺の悪人を集めて、仏ならびに御弟子や檀那等に怨をしたのである。
 また一方で、頻婆娑羅王は仏の第一の御檀那である。一日に五百両の車を送り、日々に仏ならびに御弟子に供養したのである。提婆は嫉む心を深くし、阿闍世太子を仲間に引き入れて、ついに父・頻婆娑羅王を一尺の釘を七つ使って磔(はりつけ)にさせた。
 こうして、ついに王舎城の北門の大地が破れて阿鼻大城に堕ちたのである。三千大千世界の人でこれを見ない人は一人もなかった。
 こういうことであったから、大地微塵劫を過ぎても無間大城を出られないと思っていたのに、法華経において天王如来となることができたことは不思議に尊いことであった。
 提婆達多が仏になったならば、仲間となった無量の悪人は、一業所感であるから、皆無間地獄の苦を離れたであろう。
 これはひとえに、法華経の恩徳である。したがって、提婆達多ならびに所従の無量の眷属は、法華経の行者の室宅に住まわれるであろう。たのもしいことである。

提婆達多
 サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
―――
師子頬王
 中インド迦毘羅国の王。浄飯王・斛飯王の父。釈尊・阿那律の祖父。
―――
斛飯王
 斛飯はサンスクリットのドローノーダナの訳。釈尊の叔父。提婆達多と阿難の父とされる。
―――
阿難
 サンスクリットのアーナンダの音写。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、釈尊の従弟にあたる。釈尊の侍者として、多くの説法を聞き、多聞第一とされる。付法蔵の第2。法華経授学無学人記品第9で、未来世に山海慧自在通王如来に成ると釈尊から保証された。
―――
善聞長者
 釈尊の生母・摩耶夫人の父。善覚王・善覚長者ともいう。仏本行集経巻五によれば、天臂城の富豪で、八人の娘がいた。八番目の娘・大慧が生まれたとき、バラモンがこの娘は貴子を産むと占ったので、浄飯王はこの娘を嫁に求めた。長者が上の娘から順次嫁がせるといったので、浄飯王は八人とも同時にもらいうけ、二人を自分の妃として釈尊が生まれた。そして後の六人の娘を二人ずつ三人の弟に与えた。弟のうちの一人である斛飯王とこのなかの娘の一人とのあいだに生まれたのが提婆達多であるという。
―――
南閻浮提
 閻浮ともいう。。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
―――
在家
 ①在俗のままで仏法に帰依すること。またその人。②民家、在郷の家、田舎の家。③中世、領事の所轄内で屋敷を与えられ、居住し、在家役を負担していた農民。
―――
やすたら女
 太子の時の正妃で羅睺羅の母。釈迦族の娘で才色ともに極めてすぐれていたという。摩訶波闍波提比丘尼とともに出家して比丘尼となり、勧持品第13で具足千万光相如来の記別を受けた。
―――
悉達太子
 釈尊の出家前の名。悉達はサンスクリットのシッダールタの音写で、悉多、悉達多とも。釈迦族の王子だったので、「太子」と称する。
―――
宿世
 前世・過去世。
―――
五法
 提婆達多が、釈尊より勝れていることを示すために行じた五つの修行。四分律巻五、大毘婆沙論百十六等によると、一に糞掃衣。常に糞掃衣を着る。二に常乞食。常に他に向かって食を乞うて歩く。三に一座食。一日に一度、午前中に食事をとるほかは食事をとらない。四に常露座。常に屋外の露天に坐って、家の中や樹下に坐らない。五に塩及び五味を受けない、の五つをいう。
―――
鉄をのして千輻輪につけ
 大智度論巻第三十四には「提婆達の如きは、足下に千輻相輪を有らしめんと欲するが故に、鉄を以って模を作り、焼いてこれを爍(と)く、爍き已るに足壊し身悩み、大いに呼す」とある。
―――
千輻輪
 仏の三十二相の一つ。足下千輻輪相、足下具足千輻輪相ともいう。輻輪とは軸の周りに矢の形をした輻を放射状にとりつけた輪状のもの。仏がその足の裏、掌に千輻輪の肉紋をそなえていること。四分律巻五十一に「時に世尊の足下に相輪あり、輪に千輻あり。輪郭成就し、輪相具足せり。光明晃曜として輪より光を出し、光、三千大千国土を照らす」とある。大智度論巻四には「二には足下の二輪の相と千輻と?轂となり」とある。
―――
螢火を集めて白毫となし
 提婆達多は、仏の三十二相にかけている白亳相を得ようとして、蛍を集めて代わりにしたといわれている。
―――
六万の宝蔵
 法蔵とは、教えの蔵の意で、仏の経説、経説を含蔵する経典・聖教。②インドのバラモン教の聖典・四韋陀のこと。神への讃歌などが説かれるインド最古の経典。迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の三仙が説いたとされる。
―――
八万法蔵
 煩悩の数を84,000の塵労といい、これを対治する数として84,000の法蔵という。略して「八万法蔵」
―――
蓮華比丘尼
 『大智度論』などによると、釈尊の弟子である華色比丘尼(蓮華比丘尼)は、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
―――
三逆
 提婆達多は五逆罪のうち三つまで犯したとされる。大智度論巻十四に説かれる。①和合僧を破って五百人の釈尊の弟子を誘惑した。②大石を落として釈尊の足から出血させた。③蓮華色比丘尼が提婆達多を呵責したので尼を殺した。
―――
頻婆娑羅王
 頻婆娑羅はサンスクリットのビンビサーラの音写。マガダ国の王で阿闍世王(アジャータシャトル)の父。釈尊に深く帰依し、竹林精舎を建てて供養した。提婆達多にそそのかされた阿闍世王によって幽閉され殺された。
―――
檀那
 ❶サンスクリットのダーナの音写で、「布施」の意。あるいはダーナパティの音写の略で、「施主」を意味する。在家の有力信者で仏教教団を経済的に支える人。❷檀那僧正の略。天台密教の僧・覚運のこと。
―――
王舎城
 サンスクリットのラージャグリハの音写。古代インドのマガダ国の首都。現在のビハール州のラージギルにあたる。阿闍世王(アジャータシャトル)が都とし、釈尊がしばしば説法した。王舎城の郊外に霊鷲山がある。日蓮大聖人の御在世当時の日本では、霊鷲山は王舎城の艮(東北)にあると認識されていた。
―――
阿鼻大城
 阿鼻獄・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
―――
無間大城
 無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
―――
天王如来
 法華経において提婆達多が記莂を受けた時の如来号。法華経提婆品において「提婆達多、却ってのち、無量劫を過ぎてまさに成仏することを得べし、号をば天王如来、応供・正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊、といわん、世界を天道と名づけん」とある。
―――
一業所感
 一つの業因によって感ずる所の果。また、多くの人が同一の業因によって同一の果を感ずること。共業共果ともいう。
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 釈尊在世に、その弟子となりながら退転し、三逆罪を犯して無間地獄に堕ちた提婆達多も、法華経で成仏を許されたのであるから、法華経の行者を守護するはずであると述べられている。
 提婆達多は、中インドの迦毘羅衛国の王・師子頬王の孫で、大智度論巻三に師子頬王は「浄飯・白飯・斛飯・甘露飯の四男子と一女子甘露味をもつ」とあり、提婆達多は斛飯王の子なので、浄飯王の子である釈尊とは、いとこにあたる。また、釈尊十大弟子の一人、阿難の兄とされている。母は善聞長者の娘で、釈尊の生母・摩耶夫人とは姉妹だったので、提婆達多と釈尊は母方のいとこにもあたっている。
 釈尊が出家する以前、悉達太子であったころから釈尊に敵対し、悉達太子から与えられた白象を打ち殺しており、また釈迦族の摩訶那摩大臣の娘でインド第一の美女といわれた耶輪多羅女を后にしようと望んで悉多太子と武術の競技で争い、敗れたため、耶輪多羅女は悉多太子の后となったので、提婆達多は深く恨んだのである。
 法蓮抄には「今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがへること女人よりして起りたる第一のあだにてはんべるなり、釈迦如来は悉達太子としてをはしし時提婆達多も同じ太子なり、耶輸大臣に女あり耶輸多羅女となづく五天竺第一の美女・四海名誉の天女なり、悉達と提婆と共に后にせん事をあらそひ給いし故に中あしくならせ給いぬ」(1040-09)と述べられている。
 提婆達多は、釈尊が成道した後に故郷を訪問した際、阿難・阿那律・優婆離らとともに弟子となったとされる。最初は熱心に修行に励んだが、次第に名聞名利を求める心が強くなり、マガダ国の阿闍世太子に近づき、厚いもてなしを受けるようになった。また、釈尊の教団の後継者となって人々に尊敬されることを望むようになり、並み居る弟子の前で釈尊に教団を任せるように申し出たといわれる。釈尊は提婆達多の野心を厳しく叱責している。
 そのため、釈尊の教団を分裂させようとして〝五法の行〟もしくは〝五事〟の遵守を主張したのである。五法とは①糞掃衣のみを着て、布施された衣を着ないこと、②托鉢のみで生活し、供養や招待を受けないこと、③一日に一度、午前中に食事をとるほかは正食をとらないこと、④樹下のみに坐して、屋内に入らないこと、⑤塩や五味をとらないこと、の五つをいった。提婆達多は、釈尊の教団の僧はこの五つを遵守すべきであると主張したが、釈尊はこうした極端な戒律主義を即座に却下した。
 しかし、その主張は極めて真面目な出家者の態度を装っていたために、惑わされた新参の弟子五百人が、提婆達多とともに象頭山に去ってしまった。こうして、提婆達多は破和合僧の罪を犯したのである。だが、舎利弗等の説得によって五百人の比丘達が再び教団に戻ってしまったため、提婆達多は悲墳慷慨のあまり血を吐いたとされている。
 また、そのまえに釈尊を殺害しようと爪に毒を塗って仏の足を礼した際に傷つけようとしたが失敗し、釈尊が霊鷲山にいると聞いて、山頂から自身で大石を落とし、その破片が釈尊の足の指を傷つけた。これは出仏身血の罪にあたる。
 これを見た蓮華比丘尼が強く呵責すると、怒って尼を打ち殺した。これは殺阿羅漢の罪にあたる。このように三逆罪を侵したため、大地が割れ、提婆達多は生きながら無間地獄に堕ちたとされる。
 それより以前に、提婆達多は、阿闍世太子をそそのかして、その父の頻婆娑羅王を幽閉して餓死させ、王位に就かせている。そして、王の臣下を使って数度にわたり釈尊の殺害を狙ったが、釈尊の姿に暗殺者がいずれもたじろいで失敗したとされる。
 法蓮抄には「未生怨太子をかたらいて父・頻婆舎羅王を殺させ我は仏を殺さんとして或は石をもつて仏を打ちたてまつるは身業なり、仏は誑惑の者と罵詈せしは口業なり、内心より宿世の怨とをもひしは意業なり三業相応の大悪此れにはすぐべからず……提婆達多が身は既に五尺の人身なりわづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ、此の穴・天竺にいまだ候」(1041-10)と述べられている。
 悪逆の限りを尽くした提婆達多は、永劫に無間地獄に堕ちたままだと思われたのに、法華経の提婆達多品第十二で釈尊は、釈尊が過去世、国主の位を捨てて法を求めたとき、提婆達多は阿私仙人として法華経を教えてくれた師であったことを明かし、未来に天王如来という仏になると授記したのである。
 このことを提婆達多品には「爾の時の王とは、則ち我が身是れなり。時の仙人とは、今の提婆達多是れなり……等正覚を成じて、広く衆生を度するは、皆な提婆達多の善知識に因るが故なり」と。諸の四衆に告げたまわく、「提婆達多は却って後、無量劫を過ぎて、当に成仏することを得べし。号づけて天王如来……世界を天道と名づけん」と説かれている。
 提婆達多が成仏を許されたということは、提婆達多とともに悪逆の悪業を犯した衆生も成仏できることを示しているのである。
 爾前の諸経では、十界互具・一念三千を明かしていないので、悪人は悪を滅し善を修して善人となって後、成仏する(改転の成仏)とされている。
 しかし、この法華経における提婆達多の成仏は、悪人もその身そのままで成仏することをあらわしている。
 本来、大小の差はあれ、善悪を兼ね備えているのが凡夫であり、提婆達多の成仏を明かした法華経によって、初めて一切の悪人の成仏が可能となったのである。
 開目抄には「提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる……善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり」(0223-05)と仰せになっており、提婆達多への授記が悪人成仏の手本とされている。
 そのように法華経に恩徳のある提婆達多とその眷属が、法華経の行者の家に住んで、守護しないわけはない、と仰せられている。

1349:09~1350:07 第七章 重ねて菩薩の守護すべき理由を示すtop

09   諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位まで・せめて元品の無明計りもちて侍るが・釈迦如来に値い奉る元品
10 の大石をわらんと思ふに、 教主釈尊・四十余年が間は「因分可説果分不可説」 と申して妙覚の功徳を説き顕し給
11 はず、されば妙覚の位に登る人・一人もなかりき・本意なかりし事なり、 而るに霊山八年が間に「唯一仏乗名為果
12 分」と説き顕し給いしかば・諸の菩薩・ 皆妙覚の位に上りて釈迦如来と悟り等しく・須弥山の頂に登つて四方を見
13 るが如く・長夜に日輪の出でたらんが如く・あかなくならせ給いたりしかば・仏の仰せ無くとも法華経を弘めじ・又
14 行者に替らじとは・ おぼしめすべからず、 されば「我不愛身命但惜無上道・ 不惜身命当広説此経」等とこそ誓
15 ひ給いしか。
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 諸の大地を微塵にしたほどの多くの諸菩薩は、等覚の位まで登って、元品の無明だけが残っていたが、釈迦如来に値って元品の無明の大石を破ろうと思ったのに、教主釈尊は四十余年の間は「因分は説く可し、果分は説く可からず」といって、妙覚の功徳を説き顕さなかった。このため、妙覚の位に登る人が一人もいなかったことは、本意ないことであった。
 しかるに、霊山における八年の間に「ただ一仏乗を名づけて果分と為す」と説き顕されたので、諸の菩薩は皆妙覚の位に登って、釈迦如来と悟りも等しく、須弥山の頂に登って四方を見るように、長夜に日輪が出たように明らかになったので、仏の仰せがなくても、法華経を弘めないとか、また行者に替わらないとは思われるはずがない。
 それゆえ「我身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ」また「身命を惜しまず」「当に広く此の経を説くべし」等と誓われたのである。
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16   其の上慈父の釈迦仏・悲母の多宝仏・慈悲の父母等同じく助証の十方の諸仏・一座に列らせ給いて、月と月とを
17 集めたるが如く・日と日とを並べたるが如く・ましましし時、 「諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護
18 持し読誦せんものなる、 今仏前に於て自ら誓言を説け」と三度まで諌させ給いしに、 八方・四百万億那由佗の国
1350
01 土に充満せさせ給いし諸大菩薩・身を曲・ 低頭合掌し倶に同時に声をあげて「世尊の勅の如く当に具さに奉行した
02 てまつるべし」と三度まで・声を惜まず・よばわりしかば、 いかでか法華経の行者には・かわらせ給はざるべき、
03 はんよきと云いしものけいかに頭を取せ・ きさつと云いしもの徐の君が塚に刀をかけし、 約束を違へじがためな
04 り、此れ等は震旦・辺土のえびすの如くなるものども・ だにも友の約束に命をも亡ぼし身に代へて思ふ刀をも塚に
05 懸くるぞかし、 まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓ひ深し・仏の御諌なしとも・いかでか法華経の行者を捨て
06 給うべき、其の上我が成仏の経たる上・仏・慇懃に諌め給いしかば・仏前の御誓・丁寧なり行者を助け給う事疑うべ
07 からず。
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 そのうえ、慈父である釈迦仏、悲母である多宝仏、そして慈悲の父母等と同じく助証のための十方の諸仏が一座に列(つら)なって、月と月とを集めたように、日と日とを並べたようにいらっしゃるとき、「諸の大衆に告げる。我が滅度の後に、だれかよくこの経を護持し、読誦する者がいるか。今我が前において自ら誓いの言を説きなさい」と三度まで諌められたので、八方の四百万億那由佗の国土に充満していた諸大菩薩は、身を曲げ頭を低く垂れて合掌し、ともに同時に声をあげて「世尊の勅命のように、まさに具に奉行いたします」と三度まで声を惜しまずに呼ばわったのであるから、どうして法華経の行者に代わってくれないことがあろう。
 范於期と云うものが荊軻に首を取らせ、季札という者が徐の君の塚に刀を懸けたことは、約束をたがえないためであった。
 これらは、中国・辺土の夷のような者でさえも、友との約束には命をも亡ぼし、我が身にも代えがたいと思う刀をも塚に懸けたのである。
 まして諸大菩薩は、もとから大慈悲をもって、衆生に代わって苦を受けようという誓いが深く、仏の御諌めがなくても、どうして法華経の行者を捨てられるであろう。
 そのうえ、自分が成仏できた経であるうえ、仏がねんごろに諌められたので、仏前で、ねんごろに御誓いを立てられたのであり、行者を助けられることは疑いないことである。

等覚
 ❶仏の異名。等正覚。等は平等の意、覚は覚悟の意。諸仏の覚りは真実一如にして平等であるので等覚という。❷菩薩の修行の段階。五十二位のうちの第51位。菩薩の極位をさし、有上士、隣極ともいう。長期にわたる菩薩の修行を完成して、間もなく妙覚の仏果を得ようとする段階。
―――
因分可説、果分不可説
 「因分は説く可し、果分は説く可からず」と読む。因分は仏果を得るために因位の修行をする分際のこと。果分は仏果のこと。因位の修行の徳は説くことができるが、仏果の徳は説くことができないということ。十地の菩薩の位について述べたもの。そこから更に菩薩の了解しうる部分的教法を因分とし、仏の悟りの境界を果分という。それゆえ、本抄では、四十余年の諸経をさして果分(仏内証の妙法)を説かない方便の教えという意から、「因分可説、果分不可説」の教えとしている。
―――
妙覚
 ❶仏の優れた覚りの境地。❷菩薩の修行の段階。五十二位のうちの最高位の第52位。等覚位の菩薩が、42品の無明惑のうち最後の元品の無明を断じて到達した位で、仏と同じ位。六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即にあたる。文底下種仏法では名字妙覚の仏となる。「法華取要抄」には「今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向って之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり」(334㌻)と述べられている。法華経の文上の教説では、釈尊在世の衆生は、釈尊によって過去に下種されて以来、熟益の化導に従って本門寿量品に至った菩薩の最高位である等覚の位にまで登って得脱したとされる。日寛上人の『当流行事抄』によれば、これを文底の意から見た場合、等覚位の菩薩でも、久遠元初の妙法である南無妙法蓮華経を覚知して一転して南無妙法蓮華経を信ずる名字の凡夫の位に帰り、そこから直ちに妙覚位(仏位)に入ったとする。これを「等覚一転名字妙覚」という。
―――
唯一仏乗名為果分
 「唯だ一仏乗を名づけて果分と為す」と読む。成仏する究極のただ一つの法を果分とするの意。果分とは妙覚位の仏の境界のこと。四十余年の諸経においては、仏になるための因分を説き、仏の果分は説かなかったが、法華経において初めて三妙合論して一仏乗の果分を説き明かしている。
―――
我不愛身命但惜無上道
 勧持品の文。「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」と読む。勧持品では八十万億那由佗の菩薩が、釈尊滅後において三類の強敵を忍んで法華経を弘通すると誓う、請願の文。
―――
不惜身命
 法華経勧持品第13の文(法華経412㌻)。「身命を惜しまず」と読み下す。仏法求道のため、また法華経弘通のために身命を惜しまないこと。同じ勧持品の「我不愛身命」(法華経420㌻)、また如来寿量品第16の「不自惜身命」(法華経490㌻)と同意。
―――
当広説此経
 法華経如来人力品弟21の文。「世尊我等仏の滅後、世尊分身所在の国土・滅度の処に於て、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん、我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持、読誦し解説し、書写して之を供養せんと欲す」とある。
―――
多宝仏
 法華経見宝塔品第11で出現し、釈尊の説いた法華経が真実であることを保証した仏。過去世において、成仏して滅度した後、法華経が説かれる場所には、自らの全身を安置した宝塔が出現することを誓願した。釈尊が法華経を説いている時、見宝塔品で宝塔が地から出現して空中に浮かんだ。宝塔が開くと、多宝如来が座していた。多宝如来は釈尊に席を半分譲り、以後、嘱累品第22まで、釈尊は宝塔の中で多宝如来と並んで座って(二仏並坐)、法華経の説法を行った。
―――
十方の諸仏
 四方(東・西・南・北)、四維(南東・南西・北西・北東)、上下の十方にいる仏。すなわち、すべての仏たち。法華経では、霊山浄土に集っていて法華経の行者を導き守ると説かれている。
―――
三度まで諌させ給いしに
 法華経見宝塔品第11において釈尊が大衆に滅後の弘教を3度勧め、命じたこと。三度の鳳詔のこと。①付属有在「爾の時に多宝仏・宝塔の中に於て、半座を分ち釈迦牟尼仏に与う、爾の時に大衆二如来の七宝の塔の中の師子の座の上に在して結跏趺坐し給うを見たてまつる、大音声を以て普く四衆に告げ給わく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん、今正しく是れ時なり、如来久しからずして当に涅槃に入るべし、仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」。②令法久住「爾の時に世尊重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言く、聖主世尊・久しく滅度し給うと雖も宝塔の中に在して尚法の為に来り給えり、諸人云何ぞ勤めて法に為わざらん、又我が分身の無量の諸仏・恒沙等の如く来れる法を聴かんと欲す 各妙なる土及び弟子衆・天人・竜神・諸の供養の事を捨てて法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し、是の方便を以て法をして久しく住せしむ、諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説け」。③六難九易「多宝如来および我が身集むる所の化仏当に此の意を知るべし、諸の善男子・各諦かに思惟せよ此れは為れ難き事なり、宜しく大願を発こすべし、諸余の経典数・恒沙の如し此等を説くと雖も未だ為れ難しとするに足らず、若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為れ難しとせず、若し仏滅後・悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ち為れ難し、仮使劫焼に乾れたる草を担い負うて中に入つて焼けざらんも亦未だ為れ難しとせず、我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん是則ち為れ難し、諸の善男子・我が滅後に於て誰か能く此の経を護持し読誦せん、今仏前に於て自ら誓言を説け」とある。
―――
震旦
 真旦とも。中国の古い呼び名。古代インド人が中国を指したチーナスターナの音写語。
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えびす
 ①古代のアイヌ人。②都から遠く離れた辺地の未開民族。③荒々しい武士。④外国・未開の地、そこに住む人々。
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 ここでは、諸の菩薩が法華経の行者を守護するはずであることを明かされてる。
諸の大地微塵の如くなる諸菩薩……誓ひ給いしか
 菩薩とは菩提薩埵の略で、無上菩提(仏果)を求める人をいう。一切の菩薩は初発心の際、四弘誓願(衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成)を起こし、それにしたがって菩薩戒を持(たも)ち、六波羅蜜などの修行を積んで仏果を証得するとされている。
 なお、別教では、初発心から得脱までを五十二位に分類して菩薩の階位を定めており、その第五十一位を等覚とし、仏の覚りと等しい位としている。等覚位には元品の無明(根本の迷い)のみが残っていて、等覚の最後心(無余涅槃に入る直前の心)に顕れる妙覚智によって断ずることができるとしている。つまり、菩薩は三惑(煩悩)のうちの見思惑・塵沙惑を断じて等覚位に至り、最後に元品の無明惑を断じて妙覚位(仏果)に登ることができるとされていたのである。
 そのため、等覚に至った諸の菩薩達は、釈尊によって元品の無明を断破して仏果に至ることを願ったが、釈尊は四十余年の間は「因分は説くべし果分は説くべからず」といって、菩薩の了解できうる因位の修行の分際は説いても、仏の悟りの境界を説くことはなかったため、妙覚の位に登る菩薩は一人もいなかったのである。
 ところが、霊山における八か年の法華経説法の会座で、釈尊は唯一仏乗を果分とする法門を説き顕した。伝教大師の法華秀句には、法華経に仏の証得した法は難信難解であって、唯だ仏のみきわめ尽くすことができるとある等の文が果分の法を示している、とある。つまり、釈尊は法華経で、仏の悟りの境界のままに、十方仏土の中には唯一仏乗の教法のみがあるとして、爾前の諸経で説いた三乗(声聞・縁覚・菩薩)の法を開き、法華一仏乗に帰一させる無上の法を説いたのである。
 法華経によって、諸の菩薩はことごとく妙覚の位に登ることができて、釈尊とその悟りが等しくなり、仏の境地を得られた。したがって、菩薩は、たとえ仏の仰せがなくても、大恩ある法華経を弘めよう、法華経の行者の苦難を代わって受けようと思わないわけはないのである。
 それは、法華経の勧持品第十三に諸の菩薩が「是の経を説かんが為めの故に、此の諸の難事を忍ばん。我れは身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ」と誓い、如来寿量品第十六に「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまざれば」と説かれ、如来神力品第二十一で千世界微塵等の地涌の菩薩が「我れ等は仏の滅後……当に広く此の経を説くべし」と誓っていること等にあらわれている。
 いずれも、法華経を説き弘めるためには身命をも惜しまないとの菩薩の誓いである。この誓いによれば、末法に法華経を弘める者を菩薩が守護するのは当然なのである。
其の上慈父の釈迦仏……疑うべからず
 更に、釈尊が諸の菩薩に滅後の弘教を勧め命じ、それに応じて諸の菩薩が弘教を誓ったことが挙げられている。
 法華経の見宝塔品第十一で、七宝の塔が大地から涌出し、塔中の多宝如来が法華経の真実であることを証明した後、十方分身の諸仏とその眷属が集い、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で並坐する。
 そして、釈尊は大音声をもって四衆に対し「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来は久しからずして、当に涅槃に入るべし。仏は此の妙法華経を以て、付嘱して在ること有らしめんと欲す」と告げている。更に「諸の大衆に告ぐ。我が滅度の後に、誰か能く、斯の経を護持し読誦せん。今仏前に於いて、自ら誓言を説け」と重ねて滅後の弘通を勧めている。その後、更に「諸の善男子よ、我が滅後に於いて、誰か能く、此の経を受持し読誦せん。今仏前に於いて、自ら誓言を説け」と三度、滅後の弘通を勧めている。
 釈尊が宝塔品で三回にわたり重ねて滅後の弘教を勧め命じたことを、三箇の勅宣、または三箇の諌勅という。それに対して、嘱累品第二十二で、諸の菩薩は「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と、三度にわたり、仏の命のごとく弘教することを誓っているのである。
 世間の法にも命がけで約束を果たす例があり、まして衆生の苦を除き、その苦に代わることを誓った諸の菩薩が、たとえ仏の諌めがなかったとしても法華経の行者を捨てるはずはないのである。
 まして自身が成仏した大恩の経であるうえ、仏からねんごろに滅後の弘教を勧め諌暁され、仏前でそれをきちんと誓っているのだから、諸の菩薩が法華経の行者を助けることは疑いがないのである。

1350:08~1352:08 第八章 行者の祈りの叶うを示し信心を勧むtop

08   仏は人天の主・一切衆生の父母なり・而も開導の師なり、父母なれども賎き父母は主君の義をかねず、主君なれ
09 ども父母ならざればおそろしき辺もあり、 父母・主君なれども師匠なる事はなし・諸仏は又世尊にてましませば主
10 君にては・ましませども・娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず・ 又「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給
11 はず・釈迦仏独・主師親の三義をかね給へり、 しかれども四十余年の間は提婆達多を罵給ひ諸の声聞をそしり菩薩
12 の果分の法門を惜み給しかば、仏なれども・よりよりは天魔・破旬ばしの我等をなやますかの疑ひ・人には・いはざ
13 れども心の中には思いしなり、 此の心は四十余年より法華経の始まで失せず、 而るを霊山八年の間に宝塔・ 虚
14 空に現じ二仏・日月の如く並び・諸仏大地に列り大山をあつめたるがごとく、 地涌千界の菩薩・虚空に星の如く列
15 り給いて、諸仏の果分の功徳を吐き給いしかば・宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく・ 崑崙山のくづれたる
16 ににたりき、諸人此の玉をのみ拾うが如く此の八箇年が間・珍しく貴き事心髄にも・とをりしかば・諸菩薩・身命も
17 惜まず言をはぐくまず誓をなせし程に・ 属累品にして釈迦如来・宝塔を出でさせ給いてとびらを押したて給いしか
18 ば諸仏は国国へ返り給ひき、諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。
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 仏は人間や天人の主君であり、一切衆生の父母であり、しかも開導の師匠である。父母であっても、賎しい父母は主君の義を兼ねていない。主君であっても、父母でなければ、恐ろしい思いもする。父母や主君であっても、師匠であることはない。
 諸仏はまた世尊であるから、主君ではあるけれども、娑婆世界に出ることがないので、師匠ではない。また「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」とも名乗られていない。釈迦仏独りが主師親の三義を兼ねておられる。
 しかしながら、四十余年の間は、提婆達多を罵り、諸の声聞を謗り、菩薩の果分の法門を惜しまれたので、仏ではあっても、ときどきは天魔や破旬なんかのように我等を悩ますのではないかと疑い、人には言わなかったけれども、心のなかでは思っていた。
 この疑心は、四十余年前から法華経の説法が始まるまで失われなかった。しかしながら、霊山の八年の間に宝塔が虚空に現れ、釈迦・多宝の二仏が日月のように並び、諸仏が大地に列なって大山を集めたようになり、地涌千界の菩薩が虚空に星のように列なって、諸仏の果分の功徳を説かれたので、宝蔵を開いて貧人に与えたように、崑崙山が崩れたのと似ていた。
 諸人はこの玉だけを拾うように、この八か年の間は、珍しく貴いことが心髄に通ったので、諸菩薩は身命を惜しまず、言葉も明らかにして誓いを立てたから、嘱累品において釈迦如来は、宝塔を出られて扉を閉められたので、諸仏はそれぞれの国々へ帰られ、諸の菩薩等も諸仏に随って帰られたのである。
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1351
01   やうやう心ぼそくなりし程に 「郤後三月当般涅槃」と唱えさせ給いし事こそ心ぼそく耳をどろかしかりしかば
02 諸菩薩二乗人天等ことごとく 法華経を聴聞して 仏の恩徳心肝にそみて、 身命をも法華経の御ために投て仏に見
03 せまいらせんと思いしに・仏の仰の如く若し涅槃せさせ給はば・いかに・あさましからんと胸さはぎして・ありし程
04 に・仏の御年.満八十と申せし二月十五日の寅卯の時・東天竺・舎衛国.倶尸那城・跌提河の辺にして仏御入滅なるべ
05 き由の御音・上は有頂・横には三千大千界まで・ひびきたりしこそ目もくれ・心もきえはてぬれ、五天竺・十六の大
06 国.五百の中国.十千の小国.無量の粟散国等の衆生.一人も衣食を調へず.上下をきらはず、牛馬.狼狗.鵰鷲.ミンモウ
07 等の五十二類の一類の数・大地微塵をも・つくしぬべし・況や五十二類をや、 此の類皆華香衣食をそなへて最後の
08 供養とあてがひき、 一切衆生の宝の橋おれなんとす・一切衆生の眼ぬけなんとす一切衆生の父母・主君・師匠死な
09 んとすなんど申すこえ・ひびきしかば・身の毛のいよ立のみならず・涙を流す、なんだを・ながすのみならず・頭を
10 たたき胸ををさへ音も惜まず叫びしかば・血の涙・血のあせ・倶尸那城に大雨よりも・しげくふり・大河よりも多く
11 流れたりき、是れ偏えに法華経にして仏になりしかば仏の恩の報ずる事かたかりしなり。
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 だんだん心細くなったところに、仏が「郤って後三月あって、当に般涅槃すべし」と仰せられたことは、心細く、また驚かした。諸菩薩・二乗・人天等はことごとく法華経を聴聞して、仏の恩徳を心肝に染めて、身命をも法華経の御ために投げ捨て、仏に見せたいと思っていたのに、仏の仰せのように、もし涅槃されたならば、どれほど嘆かわしいかと胸騒ぎしていた。そうしているうちに、仏の御年満八十歳という二月十五日の寅卯の時、東インド舎衛国の倶尸那城の跌提河の辺において、仏が御入滅になるという御音が、上は有頂天まで、横には三千大千世界まで響きわたったので、目の前も暗くなり、心も消え果ててしまった。
 全インド・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国等の衆生は一人も衣食を調える暇もなく、身分の上下の隔てもなく、牛・馬・狼・犬・鵰・鷲・蚊・虻等の五十二類もことごとく集まり、その一類の数も大地を微塵にしたほどであり、まして五十二類においては数えられないほどであった。
 これらの類が皆、華や香や衣食を供えて最後の供養に当てたのであった。一切衆生の宝の橋が折れようとし、一切衆生の眼が抜け落ちようとし、一切衆生の父母・主君・師匠が死なれようとするなどという声が響いたので、身の毛がよだつだけでなく、涙を流すだけでなく、頭をたたき、胸を抑え、声も惜しまず叫んだので、血の涙、血の汗が倶尸那城に大雨よりも繁く降り、大河よりも多く流れたのであった。これひとえに、法華経において仏になったので、仏の恩は報じきれないからであった。
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12   かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌を・きるべきよし・座につらなるまじきよしののしり侍りき、迦葉童
13 子菩薩は法華経の敵の国には霜雹となるべしと誓い給いき、 爾の時仏は臥よりをきて・ よろこばせ給いて善哉善
14 哉と讃め給いき、 諸菩薩は仏の御心を推して法華経の敵をうたんと申さば、 しばらくも・いき給いなんと思いて
15 一一の誓は・なせしなり、 されば諸菩薩・諸天人等は法華経の敵の出来せよかし仏前の御誓はたして・釈迦尊並び
16 に多宝仏・諸仏・如来にも・げに仏前にして誓いしが如く、 法華経の御ためには名をも身命をも惜まざりけりと思
17 はれまいらせんと・こそ・おぼすらめ。
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 このような嘆きのなかであっても、法華経の敵は舌を切るべきである、一座に列なるべきではないなどと大声で言い立てたのであった。
 迦葉童子菩薩は法華経の敵の国には霜や雹となるであろうと誓ったのである。そのときに仏は臥床より起きて喜ばれて、「善哉善哉」とほめられたのである。
 諸菩薩は仏の御心を推し量って、法華経の敵を討とうと言えば少しでも生き長らえられるであろうと思って、一人一人誓いを立てたのである。
 それゆえ、諸菩薩・諸天人等は、法華経の敵よ出で来たれ、仏前の御誓いを果たして、釈尊ならびに多宝仏、諸仏、如来に、実に仏前において誓ったように、法華経の御ためには名をも身命をも惜しまない者と思われようと思っていることであろう。
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18   いかに申す事は・をそきやらん、大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はあり
1352
01 とも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず、 法華経の行者を諸の菩薩・人天・
02 八部等・二聖・二天・十羅刹等・千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をた
03 ぼらかす失あり、行者は必ず不実なりとも・智慧はをろかなりとも・身は不浄なりとも・戒徳は備へずとも・南無妙
04 法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし、 袋きたなしとて金を捨る事なかれ・ 伊蘭をにくまば栴檀あるべからず、
05 谷の池を不浄なりと嫌はば蓮を取らざるべし、 行者を嫌い給はば誓を破り給いなん、 正像既に過ぎぬれば持戒は
06 市の中の虎の如し・智者は麟角よりも希ならん、 月を待つまでは灯を憑べし宝珠のなき処には金銀も宝なり、 白
07 烏の恩をば黒烏に報ずべし・聖僧の恩をば凡僧に報ずべし、 とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば・いか
08 でか祈りのかなはざるべき。
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どうして祈ることに験の顕れることが遅いのであろうか。たとえ、大地をさして外れることがあっても、大地をつないで結ぶ者があっても、また、潮の満ち干ぬことがあっても、日が西から出るようなことがあっても、法華経の行者の祈りがかなわないことは絶対にない。
 千に一つも法華経の行者を、諸の菩薩や人、天、八部衆等、二聖、二天、十羅刹女等がきたって守護しないことがあるならば、上は釈尊等の諸仏を侮りたてまつり、下は九界をたぼらかす罪科を犯すことになるので、そんなことは絶対にない。
 よし行者は真実でないにしても、智慧は愚かであっても、身は不浄であっても、戒徳を備えていなくても、ただ南無妙法蓮華経と唱え奉るならば、必ず守護されるべきである。
 袋が汚いからと、中の黄金を捨ててはならない。伊蘭の臭いを厭うて栴檀の香りは得られない。谷の池を汚いと嫌っては蓮を取ることはできない。行者を嫌い守護されなければ、仏前での誓いを破られることになるだろう。
 正法像法時代を既に過ぎているから、持戒の僧は市中に虎を求めるようなもので、また智者を求めることは麒麟の角をもとめるよりも困難である。
 月を待つまでは灯がたよりである。宝珠のないところには金や銀も宝である。白烏の恩を黒烏に報じた例もあるから、聖僧の恩を凡僧に報ずべきである。速やかにきたって利益を授け給えと強盛に申し上げるならば、どうして祈りがかなわないことがあろうか。

娑婆世界
 娑婆はサンスクリットのサハーの音写で「堪忍」などと訳される。迷いと苦難に満ちていて、それを堪え忍ばなければならない世界、すなわちわれわれが住むこの現実世界のこと。
―――
其中衆生悉是吾子
 法華経譬喩品第3の文。「今此の三界は……其の中の衆生は|悉く是れ吾が子なり」(法華経191㌻)とある。三界の衆生はみな仏(釈尊)の子であるとの意。釈尊が娑婆世界の衆生に対して主師親の三徳のうち親の徳をそなえていることを示す文。
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主師親の三義
 一切衆生が尊敬すべき主徳・師徳・親徳の三徳のこと。①主徳は人々を守る力・働き。②師徳は人々を導き教化する力・働き。③親徳は人々を育て慈しむ力・働きをいう。日蓮大聖人は「開目抄」の冒頭で「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(186㌻)と提示された上で、「日蓮は日本国の諸人にしう(主)し(師)父母なり」(237㌻)と結論され、下種仏法を弘通する御自身が末法の衆生にとって主師親の三徳をそなえられた末法の御本仏であることを明かされている。
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天魔
 天子魔の略で、四魔の一つ。欲界の第六天に住する魔王とその眷属によって起こり、父母・妻子・権力者等のあらゆる姿をとって正法破壊の働きをなし、仏道修行を妨げようとする。四魔の中でも、天子魔は大天魔・第六天の魔王ともいわれ、最も恐ろしい魔とされる。
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波旬
 殺者・悪者と訳し、魔王の呼称。
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二仏
 宝塔品の中で、多宝の塔が開き、釈迦多宝の二仏が並座して、十方分身の諸仏が集まる儀式である。閉塔を証前、開塔を起後のほうとうという。本門の説法をおこすための序であり、ゆえに「本門の密序という。
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嘱累品
 法華経嘱累品第二十二のこと。はじめに「我れは無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習し、今以て汝等に付嘱す。……汝等は当に受持・読誦し、広く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得しむべし」と一切の菩薩への付嘱を明かした。これを神力品の上行菩薩への別付嘱に対して総付嘱という。諸菩薩は付嘱を受け、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と誓った。嘱累品で宝塔品より始まった虚空会は終わり、分身の諸仏、地涌の菩薩も本土へ還り多宝の塔も閉じてもとの霊鷲山会に移行した。
―――
郤後三月当般涅槃
 観音普賢菩薩行法経には「一時、仏、毘舎離国、大林精舎、重閣講堂に在して、諸の比丘に告げたまわく、却って後三月あって、我当に般涅槃すべし」とある。
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舎衛国
 コーラサ国のこと。」仏教が布教された町として多くの仏典に登場する。バーセナディ国王や息子のビルリ王が居住した。『大智度論』では、釈迦が舎衛城に25年滞在し、バーセナディ王やスダッタ長者など、多くの民衆を教化したといわれる。コーサラ国は、南北の2つの国から成り立っていたとされ、南方のコーサラ国と区別するために城の名前をもって国号としたともいわれる。また北を単にコーサラ国と呼び、南を南コーサラ国と称したとも。なお玄奘の『大唐西域記』では南を単なるコーサラ国と記し、『慈恩伝』には北をシュラーヴァスティー国、南をコーサラ国とする。現在のマヘート(マヘトあるいはマーヘートとも)の遺跡群がこの舎衛城の附近であると考えられている。南方のサヘート(サヘトあるいはサーヘート)には隣接して祇園精舎の遺跡がある。【舎衛の三億】仏の説いた法が、遇い難く聞き難きことを表して、舎衛の三億という。なお古代のインドでは10万単位を1億と数えた。したがって3億とは30万のことである。これは『大智度論』や『摩訶止観』を出典とする用語である。『大智度論』第9巻には「仏世には遇い難し。優曇波羅樹の華の時々一度有るが如し。説くが如く、舎衛の中に9億の家あり。3億の家は眼に仏を見え、3億の家は仏ありと耳で聞くも眼では見えず、3億の家は聞かず見ず、云々」とある。つまり舎衛城には9億の家があったが、これを3億ずつ、釈迦仏を見た家、見たことはないが仏がいると聴いたことがある家、見聞きしたことのない家に3等分される。
―――
十六の大国
 大国とは土地が広く人口の多い国。南インドにはたくさんの国があり、大きさによって大中小とわけた。仁王経受持品には十六の大国の名前を列記している。すなわち、「吾今三宝を汝等一切諸王に付嘱す。憍薩羅国、舎衛国、摩竭提国、波羅奈国、迦夷羅衛国、鳩尸那国、鳩腅弥国、鳩留国、罽賓国、弥提国、伽羅乾国、乾陀羅国、沙陀国、僧伽陀国、揵崛闍国、波提国、是のごとき一切の諸国王等、皆般若波羅蜜を受持すべし」と。一説には人口10,000人以上の国を大国としている。 
―――
五百の中国
 南インドにはたくさんの国があり、大きさによって大中小とわけた。仁王経受持品には十六の大国の名前を列記している。一説には人口10,000人以上の国を大国、4,000~10,000人の国を中国、700~3,000人の国を小国、以下国とは呼ばず、200人以下は粟散国としている。 
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狼狗・鵰鷲・蟁蝱
 狼と狗、鵰と鷲、蟁(蚊)と蝱(虻)。
―――
五十二類
 釈尊の涅槃の会座に集まった、比丘・比丘尼・菩薩・優婆塞・優婆夷など52の異類の衆生。五十二衆ともいう。章安大師灌頂の『涅槃経疏』巻1にある。
―――
迦葉童子菩薩
 サンスクリットのカーシャパの音写。涅槃経巻33の迦葉菩薩品第12の対告衆。同経では、仏はどのようにして長寿を得て金剛不壊の身になったのか、36の問いを立てて釈尊に尋ねている。爾前経の会座にも連ならず法華経の会座にも漏れ、最後に説かれる涅槃経によって利益を受けるので、捃拾(落ち穂拾い)の機根の者とされる。
―――
大地はささばはづるるとも
 絶対に誤りないことを示す文。「ささば」には二意ある。①鋭いもので突き刺す。②指をもって示す。
―――
法華経の行者
 法華経をその教説の通りに実践する人。日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」(284㌻など)「如説修行の行者」(501㌻)などと言われている。法華経には、釈尊滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対して、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)とあり、また勧持品第13には悪世末法に俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害が連続する御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。
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菩薩
 菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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人天
 人界と天界のこと、またその衆生。
―――
八部
 仏法を守護する8種類の諸天や鬼神。法華経譬喩品第3(法華経160㌻)などにある。天竜八部ともいう。天(神々)・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽の8種。
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二聖
 薬王菩薩と勇施菩薩のこと(1246㌻)。法華経陀羅尼品第26で持国天王と毘沙門天王(二天)、鬼子母神、十羅刹女とともに、陀羅尼呪を説いて法華経の行者を守護することを誓った(法華経642~644㌻)。この二聖、二天、鬼子母神を合わせて五番善神という。
―――
二天
 薬王菩薩と勇施菩薩のこと(1246㌻)。法華経陀羅尼品第26で持国天王と毘沙門天王(二天)、鬼子母神、十羅刹女とともに、陀羅尼呪を説いて法華経の行者を守護することを誓った(法華経642~644㌻)。この二聖、二天、鬼子母神を合わせて五番善神という。
―――
十羅刹
 法華経陀羅尼品第26では、10人の羅刹女が、法華経を受持する者を守ることを誓っている。羅刹はサンスクリットのラークシャサの音写で、人の血肉を食うとされる悪鬼だが、毘沙門天王の配下として北方を守護するともいわれる。羅刹女はラークシャサの女性形ラークシャシーの訳で、女性の羅刹のこと。
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九界
 十界のうち、仏界を除く地獄界から菩薩界までの九つのこと。
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戒徳
 戒律を守ることによって得られる功徳・福徳のこと。
袋きたなしとて金を捨る事なかれ
 大智度論巻49には「蔽嚢に宝を盛ならんに、嚢の悪しきを以っての故に、其宝を取らざるを得ざるが如く」とある。
―――
伊蘭
 サンスクリットのエーランダの音写。トウゴマの種。種子からヒマシ(箆麻子)油が取れる。強い悪臭をもつとされた。香木の旃檀と対比される。
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栴檀
 仏典にみえる栴檀とはビャクダン科の白檀のことで、インド原産の香木。高さ7~10メートルに達する常緑高木で半寄生生活をする。香気を発し腐らないので、仏像・仏具などの材料や、医薬・香油の原料として使われる。なお、栴檀の木は火に焼けないとの伝承があったとされるが、出典は不明。ある仏典には栴檀の香を身に塗れば火に焼けないとある。悪臭を放つ旃檀と対比される。
―――
持戒
 戒を受け持つことと。
―――
市の中の虎
 市場にいる虎。ありえないことの譬え。伝教大師最澄作とされる『末法灯明抄』には、末法に持戒の者がいるはずがないことの譬えとして用いられている。
―――
麟角
 麒麟(キリン)の角のこと。極めて希な物事の譬え。
―――
白烏の恩をば黒烏に報ずべし
 中国の故事。昔、ある王が蛇に咬まれようとしていたとき、白烏が王を突いて危険を知らせた。その後、王は恩を報ずるために白烏を捜させたが見つからなかった。そこで白烏のかわりに黒烏に恩を報じたという。天台の観心論には「烏鴉に食を施さざれば豈に白鴉の恩を報ぜんや」とある。
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 諸仏・菩薩や二乗・人・天などの衆生にとって釈尊は、主・師・親の三徳を具えた方であり、その釈尊に法華経によって成仏を許され、法華経のためには身命を惜しまないと誓ったのであるから、法華経の行者の祈りがかなわないわけがないことを示され、強盛な信心を勧められている。
仏は人天の主・一切衆生の……返らせ給ひぬ
 釈迦仏が、衆生を守護する力(主徳)、衆生を導き教化する智慧(師徳)、衆生を慈愛する働き(親徳)という三つの徳を具えていることを述べられ、しかしそれは法華経を説かれたからこそであることを示されている。
 釈尊は、法華経譬喩品第三で「今此の三界は、皆な是れ我が有なり(主徳)。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり(師徳)。而るに今此の処は、諸の患難多し。唯だ我れ一人のみ、能く救護を為す(親徳)」と、娑婆世界の衆生に対して三徳を具備していることを明かしている。
 阿弥陀如来等の釈尊以外の諸仏は、娑婆世界の衆生にとって無縁の存在で、娑婆世界に出世していないので師徳が欠けており、三徳具備の仏とはいえないため、それらの仏に帰依しても全く利益はないのである。
 南条兵衛七郎殿御書には、譬喩品の今此三界の文を示された後に「此の文の心は釈迦如来は我等衆生には親なり師なり主なり、我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましませども親と師とには・ましまさず、ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏に・かぎりたてまつる」(1494-04)と述べられている。
 しかし、法華経を説く以前の釈尊は、提婆達多を呵責し、声聞の弟子達を永不成仏とそしり、菩薩に対しても果分証得の法門は説かなかったのである。そのため、それを聞いた声聞や菩薩達は、仏に天魔が魅入って自分達を悩ますのではなかろうかとの疑いをもった者もいたのである。
 法華経譬喩品第三には「初め仏の説きたまいし所を聞いて、心中大いに驚疑しき。将に魔の仏と作って、我が心を脳乱するに非ずやと」とある。
 ところが、後八年の霊山における法華経の会座では、宝塔が涌出して釈迦・多宝の二仏が並坐し、十方分身の諸仏も列なり、地涌千界の無数の菩薩も涌現したところで、諸仏の果分果証の功徳の法門が説かれた。それによって、ちょうど宝の蔵を傾けて貧人に与えたように、珠を抱いた崑崙山が崩れたように、諸人が成仏のできる宝珠を得ることができたのである。そのため諸菩薩は身命を惜しまずに法華経を弘通することを誓っている。
 法華経嘱累品第二十二では、釈尊が無量の菩薩の頂を摩でて「汝等は応当に一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし」と、滅後の弘通を付嘱している。それに応えた諸の菩薩が仏の命のごとく法華経を弘通すると誓った後に「爾の時、釈迦牟尼仏は、十方より来りたまえる諸の分身の仏をして、各おの本土に還らしめんとして、是の言を作したまわく、『諸仏よ。各おの安んずる所に随いたまえ。多宝仏の塔は、還って故の如くしたまう可し』」とあって、多宝如来と十方分身の諸仏、及びその眷属の諸菩薩は、それぞれの本土へ帰ったのである。
やうやう心ぼそくなりし程に……おぼすらめ
 法華経を説き終わった釈尊は、仏説観普賢菩薩行法経に「是の如きを我れ聞きき。一時、仏は毘舎離国の大林精舎、重閣講堂に在して、諸の比丘に告げたまわく、『却って後三月あって、我れは当に般涅槃すべし』」とあるように、三か月後には入滅すると予言したのである。
 そのとおりに、釈尊は満八十歳の二月十五日に、中インド拘尸那掲羅国を流れる跋提河の西岸の沙羅林で入滅した。
 仏の入滅にあたって一切衆生の嘆き悲しんださまは、涅槃経に詳しく述べられている。衆生が嘆き悲しんだのは「偏に法華経にして仏になりしかば、仏の恩の報ずる事かたかりしなり」と仰せのように、成仏の道を示された仏の大恩に報いることはとうていできないからだったのである。
 涅槃経には、迦葉童子菩薩が釈尊に向かって「既に自ら学し已りて、亦当に人の為に広く是の義を説くべし。若し諸人の能く信受せざる有らば、当に知るべし、是の輩は久しく無常を修するを、是くの如きの人には、我当に其れが為に霜や雹と作るべし」と誓ったとある。
 それを聞いた釈尊は「善い哉善い哉、汝今善く正法を護持す。是くの如きの護法は、人を欺かず。人を欺かざるの善業縁を以っての故に、長寿を得、善く宿命を知らん」とほめている。
 そのことから、仏の心を推した諸の菩薩や諸天等は、法華経の敵を討とうと誓えば仏がしばらくでも長生きをされるだろうと、そのことを一々に誓ったとされている。したがって、諸の菩薩や諸天等は、法華経の敵が実際に出現すれば、それを責めることによって仏前の誓いを果たし、釈尊をはじめ諸仏に不惜身命と思われたいものだ、と思っているはずである、と仰せになっている。ゆえに、末法に法華経を行ずる者を諸天等が守らないはずはなく、したがって祈りがかなわないはずはない、との意を示されているのである。
いかに申す事は・をそき……祈りのかなはざるべき
 法華経の行者の祈りは必ずかなうことを、たとえをもって示されている。大地をさして外れることはありえないし、大空をつないで結びつけられる者などいるはずがなく、潮の干満がなくなることもありえず、太陽が西から出ることもありえないのである。たとえそうした、絶対にありえないことが起こったとしても、法華経の行者の祈りがかなわないことはありえないと仰せになって、法華経の行者の祈りは絶対にかなうことを強調されている。
 なぜ法華経の行者が守られるのかといえば、先に述べられているように、諸の菩薩や諸天等が必ず守護するからである。しかも、法華経の行者の姿の如何や、智慧や戒徳の有無には関係なく、南無妙法蓮華経と唱えれば祈りがかなうのである。それは、法華経の行者を嫌って守らなければ、菩薩や諸天等が仏前の誓いを破ることになるからである。
 そのうえ、現在は正法・像法時代は過ぎて末法に入っており、伝教大師が末法燈明記に「設い末法の中に持戒の者有らんも、既に是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ず可けん」と述べているように、持戒の者などほとんど存在しないし、また、今の世に智者を求めることも、麒麟の角を求めるように、極めて困難なのである、と仰せである。
 これは、末法の法華経の行者とは、戒を持ったり智者の姿で現れるのではなく「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり」(0766-第十三常不値仏不聞法不見僧の事-03)と仰せのように、別しての法華経の行者である日蓮大聖人は、凡夫僧の御姿のままの仏であられ、その御姿を見て法華経の行者ではないと卑しんではならないことを示されていると拝される。
 白鳥から受けた恩を黒鳥に報ずるように、聖僧の恩を凡僧に報ずべしと仰せられているのは、諸菩薩等が釈尊から受けた大恩を末法の法華経の行者に報ずべきであることを示され、法華経の行者の祈りが絶対にかなう理由を明かされているのである。そして「とくとく利生をさづけ給へ」と強盛に祈るならば、どんな祈りもかなわないはずはないと仰せになり、強盛な信心を勧められている。
 本抄では、法華経の行者を諸菩薩や諸天が守護することを、祈りがかなう理由として挙げられているが、その根本は御本尊の仏力・法力によるのである。
 日寛上人は、観心本尊抄文段で「十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」と述べられている。
 末法の法華経である文底下種の本尊、すなわち南無妙法蓮華経の御本尊を深く信じて、題目を唱える我ら衆生の信力・行力によって、御本尊の仏力・法力があらわれ、いかなる祈りもかない、即身成仏できるのである。
 そのために、大聖人は「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(1262-02)、「いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし」(1192-14)等と仰せになって、信力を奮い起こすよう励まされているのである。御本尊に対する深い信心と、自行化他の勇気ある実践があってこそ、いかなる祈りもかなうことを確信していきたい。

1352:09~1354:07 第九章 天台・真言による祈?の悪現証示すtop

09   問うて云く上にかかせ給ふ道理・文証を拝見するに・まことに日月の天に・おはしますならば大地に草木のおふ
10 るならば、 昼夜の国土にあるならば大地だにも反覆せずば大海のしほだにもみちひるならば、 法華経を信ぜん人
11 現世のいのり後生の善処は疑いなかるべし、 然りと雖も此の二十余年が間の天台・ 真言等の名匠・多く大事のい
12 のりをなすに・ はかばかしくいみじきいのりありともみえず、 尚外典の者どもよりもつたなきやうにうちをぼへ
13 て見ゆるなり、 恐らくは経文のそらごとなるか・行者のをこなひのをろかなるか・時機のかなはざるかと、うたが
14 はれて後生もいかんとをぼう。
――――――
 問う。上に書かれた道理、文証を拝見するに、本当に日月天が天におられるならば、また大地に草木が生えるならば、国土に昼夜があるならば、大地が転覆しないならば、また大海の潮が満ち干るならば、法華経を信ずる人の現世の祈りは必ず成就し、後生善処は疑いないことである。ところが、この二十余年の間、天台、真言宗等の名僧学匠達が、多く大事の祈禱をなすに、顕著な験があるとも思えず、かえって外典を持(たも)つ者より拙(つたな)いように思われるが、これは一体、法華経の経文が虚妄であるためか、行者の修行が不実であるためか、また時機が相応しないためであるかと疑われ、これらのことから推して後生の大事もどうかと疑われてくる。
――――――
15   それは・さてをきぬ・御房は山僧の御弟子とうけ給はる父の罪は子にかかり・師の罪は弟子にかかるとうけ給は
16 る、叡山の僧徒の薗城・山門の堂塔・仏像・経巻・数千万をやきはらはせ給うが、ことにおそろしく世間の人人もさ
17 わぎうとみあへるは・いかに・前にも少少うけ給はり候ぬれども今度くわしく・ききひらき候はん、 但し不審なる
18 ことは・かかる悪僧どもなれば三宝の御意にも・ かなはず天地にも・うけられ給はずして、祈りも叶はざるやらん
1353
01 と・をぼへ候はいかに、 答て云くせんぜんも少少申しぬれども今度又あらあら申すべし、 日本国にをいては此の
02 事大切なり、 これをしらざる故に多くの人口に罪業をつくる、 先づ山門はじまりし事は此の国に仏法渡つて二百
03 余年、桓武天皇の御宇に伝教大師立て始め給いしなり、 当時の京都は昔聖徳太子・王気ありと相し給いしかども・
04 天台宗の渡らん時を待ち給いし間・都をたて給はず、 又上宮太子の記に云く「我が滅後二百余年に仏法日本に弘ま
05 る可し」云云、 伝教大師・延暦年中に叡山を立て給ふ桓武天皇は平の京都をたて給いき、 太子の記文たがはざる
06 故なり、 されば山門と王家とは松と栢とのごとし、 蘭と芝とににたり、松かるれば必ず栢かれらんしぼめば又し
07 ばしぼむ、 王法の栄へは山の悦び・王位の衰へは山の歎きと見えしに・既に世・関東に移りし事なにとか思食しけ
08 ん。
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 それはさておいて、御房は比叡山で学問を修められたとうかがうが、父の罪は子にかかり、師匠の罪は弟子にかかるというから、比叡山の僧徒が薗城寺や山門の堂塔や仏像、経巻等数千万を焼き払ったということは、まことに恐ろしいことで、世間の人々もそのことで騒ぎ、比叡山の僧らを疎むようになったことをどう思うか。まえにも少々うかがったが、今度は詳しく聞きたいと思う。
 ただし、自分も不審に思うことは、このような悪僧どもゆえに、仏法僧の三宝の御意にもかなわず天地の神にも受け入れられないから、祈りもかなわないのではないかと思うがどうか。
 答えていう。先にも少々申し上げたことであるが、今度またあらあら申し上げよう。日本国においてこのことは実に大切なことであり、これを知らないために多くの人が口にいろいろの罪業をつくるのである。
 さて比叡山延暦寺の創立は我が国に仏法が渡来して二百余年、桓武天皇の御代に伝教大師によって初めてなされたのである。当時の京都は、昔、聖徳太子が王者の都するところであると考えられたが、天台宗の渡るのを待って都を立てられなかったのである。
 また聖徳太子の記にも「我が滅後二百余年に、仏法が日本に弘まるであろう」とあるが、伝教大師が延暦年中に比叡山に延暦寺を建立し、桓武天皇は平安の都を立てられ、太子の記文が見事に的中したのである。
 それゆえに比叡山と朝廷とは、あたかも松と柏(かしわ)、蘭と芝との関係に似て、松が枯れれば柏が枯れ、蘭が凋めば芝も凋む。王法の栄えは比叡山の喜びであり、朝廷の衰えは比叡山の嘆きであるというように、深い関係であったが、世がすでに関東に移り王法が衰えてしまったことについて、朝廷ではなんと思われたことであろう。
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09   秘法四十一人の行者・ 承久三年辛巳四月十九日京夷乱れし時関東調伏の為め隠岐の法皇の宣旨に依つて始めて
10 行はれ御修法十五壇の秘法,一字金輪法天台座主慈円僧正.伴僧十二口.関白殿基通の御沙汰四天王法成興寺の宮僧正.僧伴八口広瀬殿に於
   て修明門院の御沙汰.不
11 動明王法成宝僧正.伴僧八口.花山院禅門の御沙汰.大威徳法観厳僧正.伴僧八口.七条院の御沙汰.転輪聖王法成賢僧正.伴僧八口.同院の御沙汰.
  十壇大威徳法伴僧六口.
12 覚朝僧正.俊性法印.永信法印.豪円法印.猷円僧都.慈賢僧正.賢乗僧都.仙尊僧都.行遍僧都.実覚法眼.已上十人大旨本坊に於て之を修す如意輪法妙高
   院僧正.伴僧八口宜秋門院の御沙汰毘沙門
13 法常住院僧正.三井.伴僧六口.資賃の御沙汰御本尊一日之を造らせらる・調伏の行儀は如法愛染王法仁和寺御室の行法・五月三日之れ
   を始めて紫宸殿に於て二
14 七日之を修せらる仏眼法大政僧正・三七日之を修す六字法快雅僧都愛染王法観厳僧正.七日之を修す不動法勧修寺の僧正・伴僧八口・皆僧綱大
  威徳法安芸僧正
15 金剛童子法同人・已上十五壇の法了れり、五月十五日伊賀太郎判官光季京にして討たれ、 同十九日鎌倉に聞え、同
16 二十一日大勢軍兵上ると聞えしかば残る所の法.六月八日之れを行ひ始めらる、尊星王法覚朝僧正.太元法蔵有僧都五壇
17 法大政僧正.永信法印.全尊僧都.猷円僧都.行遍僧都.守護経法御室之を行はせらる我朝二度之を行う五月二十一日武蔵の守殿が海道より
  上洛し甲斐源氏
1354
01 は山道を上る式部殿は北陸道を上り給う、六月五日・大津をかたむる手・甲斐源氏に破られ畢んぬ、 同六月十三日
02 十四日宇治橋の合戦・同十四日に京方破られ畢んぬ、 同十五日に武蔵守殿六条へ入り給ふ諸人入り畢んぬ、 七月
03 十一日に本院は隠岐の国へ流され給ひ・中院は阿波の国へ流され給ひ・第三院は佐渡の国へ流され給ふ、 殿上人七
04 人誅殺せられ畢んぬ、 かかる大悪法・年を経て漸漸に関東に落ち下りて諸堂の別当・供僧となり連連と之を行う、
05 本より教法の邪正勝劣をば知食さず、 只三宝をば・あがむべき事と・ばかり・おぼしめす故に自然として是を用ひ
06 きたれり、 関東の国国のみならず叡山・東寺・薗城寺の座主・別当・皆関東の御計と成りぬる故に彼の法の檀那と
07 成り給いぬるなり。
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 承久三年辛巳四月十九日、京都と関東とに争いが起きた時に、隠岐の法皇の宣旨によって秘法を修する四十一人の行者が、関東を調伏する目的で初めて十五壇の秘法を行った。
 一字金輪法(天台座主の慈円僧正が、伴僧十二人とともに、関白殿基通の御沙汰によって修法した)、四天王法(成興寺の宮僧正が、伴僧八人を従え、広瀬殿で修明門院の御沙汰によって修法した)、不動明王法(成宝僧正が伴僧八人とともに、花山院禅門の御沙汰で修法した)、大威徳法(観厳僧正が伴僧八人とともに、七条院の御沙汰で修法した)、転輪聖王法(成賢僧正が伴僧八人とともに、七条院の御沙汰で修法した)、十壇大威徳法(覚朝僧正、俊性法印、永信法印、豪円法印、猷円僧都、慈賢僧正、賢乗僧都、仙尊僧都、行遍僧都、実覚法眼の十人が、伴僧六人ずつを連れて大慨は本坊でこれを修法した)、如意輪法(妙高院僧正が伴僧八人と、宜秋門院の御沙汰によって修法した)、毘沙門法(三井の常住院僧正が伴僧六人と、資賃の御沙汰によって修法した)、また一日御本尊を造って調伏の作法が行われた。それは如法愛染王法(御室仁和寺の行法で、五月三日に始めて二七日の間、紫宸殿で修法した)、仏眼法(大政僧正が三七日の間、修法した)、六字法(快雅僧都が修法した)、愛染王法(観厳僧正が七日間修法した)、不動法(勧修寺の僧正が僧綱の位にある伴僧八人とともに修法した)、大威徳法(安芸の僧正の修法)、金剛童子法(同人の修法)で、以上で十五壇の秘法は終わった。
 五月十五日には、伊賀太郎判官光季を京都で討ち取ったが、同十九日にはそのことが鎌倉に知れ、同二十一日、大勢の軍兵が攻め上ると聞こえてきたので、残りの法の修法を六月八日から始められた。尊星王法(覚朝僧正)、太元法(蔵有僧都)、五壇法(大政僧正、永信法印、全尊僧都、猷円僧都、行遍僧都)、守護経法(御室で修す、我が国で二度目の修法である)等である。
 五月二十一日に武蔵守殿が東海道から上洛し、甲斐源氏の軍勢は東山道から、式部殿は北陸道から攻め上った。六月五日には大津を固めていた京都の兵が甲斐源氏に破られ、同じく六月十三、十四日の宇治橋の合戦でも京都方が破られ、同十五日には武蔵守殿が六条に討ち入り、諸人も入って、七月十一日に本院は隠岐の国へ流され、中院は阿波の国へ、第三院は佐渡の国へ流された。更に殿上人七人が誅殺された。
 このような大悪法が年が重なるにつれ、次第に関東に流れてきて諸堂の別当、供養僧となり、相次いでこの法が行われるようになった。もとより教法の邪正勝劣などは知らず、ただ三宝を崇めさえすればよいと思って、これらの悪法を用いてきたのである。関東の国々だけではなく比叡山、東寺、薗城寺の座主や別当も皆、関東の支配となったので、皆この法の檀那となってしまったのである。

山僧の御弟子
 大聖人が修学時代に過ごされた、比叡山延暦寺を指すものと思われる。
―――
叡山
 比叡山(滋賀県大津市)にある日本天台宗の総本山。山号は比叡山。山門または北嶺とも呼ばれる。延暦4年(785年)7月、伝教大師最澄が比叡山に入り、後の比叡山寺となる草庵を結んだことを起源とする。同7年(788年)、一乗止観院(後の根本中堂)を建立し薬師如来を本尊とした。唐から帰国した伝教大師は同25年(806年)、年分度者2名を下賜され、天台宗が公認された。ここに比叡山で止観業と遮那業を修行する僧侶を育成する制度が始まった。伝教没後7日目の弘仁13年(822年)、大乗戒壇の建立の勅許がおり、翌・同14年(823年)、延暦寺の寺号が下賜され、大乗戒による授戒が行われた。天長元年(824年)6月、勅令によって義真が初代天台座主となり、戒壇院や講堂が建立された。承和元年(834年)、第2代座主の円澄らが西塔に釈迦堂を、嘉祥元年(848年)、第3代座主の円仁(慈覚)が横川に首楞厳院を建立。寺内は東塔・西塔・横川の三院に区分され、山内の規模も整った。教学面では伝教没後、空海(弘法)の真言宗が勢力を増す中、円仁は唐に渡って密教を学び、帰国して『蘇悉地経疏』『金剛頂経疏』を作るなどして天台宗の教義に密教を積極的に取り入れた。第5代座主の円珍(智証)はさらに密教化を進めた。円仁の弟子であった安然は顕密二教を学び天台密教を大成した。康保3年(966年)に第18代座主となった良源は中興の祖といわれる。しかし良源没後は後任の座主をめぐって対立が起こり、円仁門徒と円珍門徒の争いが激化。正暦4年(993年)に円珍門徒は山を下って別院の園城寺(三井寺)に集まり、これから後、延暦寺は山門、園城寺は寺門として対立が続いた。このころ比叡山の守護神を祭る日吉神社が発展し、後三条天皇の行幸以来、皇族らの参詣が盛んに行われた。その権勢を利用して山門は、朝廷に強訴する時に日吉神社の神輿を担ぎ京都へ繰り出すなど横暴を極めた。平安末期になると山門の腐敗堕落も甚だしくなり、多くの僧兵を抱えた叡山は源平の争いには木曾義仲と結んで平家と対立し、承久の乱には後鳥羽上皇に味方した。日蓮大聖人は立宗前に比叡山で修学されている。また法然(源空)・親鸞・一遍・栄西・大日能忍・道元など、鎌倉時代に活躍した多くの僧が比叡山で学んでいる。
―――
薗城
 滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山。山号は長等山。三井寺ともいう。山門(比叡山延暦寺)に対する寺門をいう。大友皇子の子、大友与多王によって7世紀後半に建立されたと伝えられる。天智・天武・持統の3帝の誕生水があるので御井(三井)と呼ばれた。比叡山の円珍(智証)が貞観元年(859年)に再興し、同6年(864年)12月に延暦寺の別院とし、円珍が別当となった。しかし、円仁(慈覚)門徒と円珍門徒との間に確執が生まれ、法性寺座主が円珍系の余慶となったことをめぐって争うなど、双方の対立は深刻化する。そして正暦4年(993年)には比叡山から円珍門徒1000人余りが園城寺に移り、以降、山門(円仁派)と寺門(円珍派)の抗争が続いた。
―――
三宝
 「さんぼう」ともいう。仏教を構成する仏法僧の三つの要素のこと。この三宝を大切に敬うことが、仏教を信仰する者の基本となる。①仏宝は、教えを説く仏。②法宝は、仏が説く教え。③僧宝は、教えを信じ実践する人々の集い(教団)。「僧」は僧伽の略で、集いを意味するサンスクリットのサンガの音写。「和合」と意訳され、二つ合わせて「和合僧」ともいう。
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桓武天皇
 737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第1皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄を重んじ、日本天台宗の成立に大きく貢献した。
―――
伝教大師
 767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
―――
聖徳太子
 574年~622年。飛鳥時代の政治家。厩戸皇子・豊聡耳皇子・上宮王ともいう。聖徳太子とは後代における呼称。用明天皇の第2皇子。四天王寺や法隆寺を造営し、法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書である三経義疏を作ったと伝えられる。これらの業績が、実際に聖徳太子自身の手によるものであるか否かは、今後の研究に委ねられている。ただし、妃の橘大郎女に告げた「世間は虚仮なり、唯、仏のみ是れ真なり」という太子の言葉が残されていて、ここから仏教への深い理解とたどり着いた境地がうかがわれる。日本に仏法が公式に伝来した時、受容派と排斥派が対立したが、聖徳太子ら受容派が物部守屋ら排斥派を打ち破り、日本の仏法興隆の基礎を築いた。日蓮大聖人は二人を相対立するものの譬えとして用いられている(「開目抄」、230㌻)。
―――
上宮太子
 聖徳太子のこと。
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平の京都
 延暦13年(0794)桓武天皇によって長岡京から遷都された平安京のこと。現在の京都市。
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四十一人の行者
 承久の乱に際し、後鳥羽院上皇の宣旨を受けて、鎌倉幕府調伏の祈禱を行った代表者をいう。
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京夷乱れし時
 承久3年(1221)の承久の乱をいう。
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隠岐の法皇
 (1180~1239)。第82代後鳥羽天皇のこと。高倉天皇の第四皇子。寿永2年(1183)に安徳天皇が平氏とともに都落ちしたのち、同年8月、祖父・後白河法皇の院旨で即位し、三種の神器を持たぬ天皇となった。その治世は平安時代末の動乱期で源平の対立、鎌倉幕府成立の時期であった。天皇は19歳で土御門天皇に位を譲って院政をしき、幕府に対しては外戚坊門信清の娘を源実朝の室とし、その子を次の将軍とすることを密約したが、実朝の横死で果たさなかった。実朝の死後、北条義時が執権として権力を掌握し幕府体制を固めていったので、政権を朝廷に奪回しようと、順徳上皇や近臣と謀って、承久3年(1221)義時追討令を諸国に下した。そして、比叡山・東寺・仁和寺・園城寺等の諸寺に鎌倉幕府調伏の祈?をさせたが効なく、敗れて出家し隠岐に流された。このため隠岐の法皇と呼ばれた。
―――
宣旨
 天皇の詔。朝廷から出される詔文書。
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十五壇の秘法
 承久3年(1221)4月19日、後鳥羽上皇の命で、当時の天台・真言二宗の高僧が関東調伏のために行った修法が15あったことをいう。①一字金剛法②四天王法③不動明王法④大威徳法⑤転輪聖王法⑥十増大威徳法⑦如意法輪⑧毘沙門法⑨如法愛染王法⑩仏眼法⑪六学法⑫愛染王法⑬不動法⑭大威徳法⑮金剛童子法。
―――
一字金輪法
 一字金輪を本尊として修する真言の祈禱法。
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慈円僧正
 (1155~1225)。延暦寺62・65・69・71代座主。平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。諡号は慈鎮和尚、通称に吉水僧正、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円と紹介されている。
―――
関白殿基通
 (1160~1232)。摂政藤原基実の子。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。従一位・摂政 関白・内大臣。通称は普賢寺関白。
―――
四天王法
 帝釈天の外将で仏法と国家の守護を誓った四天王を本尊とし、供養する密教の修法。
―――
成興寺の宮僧正
 (1167~1230)。延暦寺67代座主。成興寺は九条の北烏丸西にあった天台宗の寺。
―――
修明門院
 (1182~1264)。後鳥羽上皇の後宮で、順徳天皇の母・藤原重子のこと。左大臣藤原範季の娘、母は平教盛の娘・教子。
―――
不動明王法
 動明王を本尊として息災・増益・敬愛・調伏を目的で祈禱する真言密教の修法。
―――
成宝僧正
 (1159~1227)鎌倉時代の真言宗の僧。勧修寺において出家し、雅宝・勝賢から伝法灌頂を受け東寺の長者、東大寺の別当に進む。
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花山院禅門
 (1173~1229)。左大臣藤原兼雅の子、藤原忠経のこと。鎌倉初期に右大臣になり、出家して花山院と号した。
―――
大威徳法
 大威徳明王を本尊とし、修する密教の祈禱法。
―――
観厳僧正
 (1151~1236)鎌倉初期の密教僧。東大寺別当、当時長者等。
―――
七条院
 (1157~1228)。藤原 殖子のこと。平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。高倉天皇の後宮。後高倉院(守貞親王)と後鳥羽天皇の母。女院。坊門 殖子とも。父は従三位藤原(坊門)信隆。母は藤原休子(大蔵卿藤原(持明院)通基の女)。内大臣坊門信清は同母弟。
―――
転輪聖王法
 転輪聖王を本尊として国家安穏・怨敵摧破ために修する真言の法。
―――
成賢僧正
 (1262~1231)。鎌倉初期の真言僧。中納言藤原成範の子。醍醐寺の勝賢について出家し、遍智院に住した。醍醐寺座主、当時長者、遍智院僧正、宰相僧正を歴任。
―――
十壇大威徳法
 大威徳法のこと。密教の事相書に出てくる修法。
―――
覚朝僧正
 (1160~1231)。鎌倉初期の天台宗の僧。園城寺の別当から権僧正となり、長吏となる。
―――
俊性法印
 鎌倉時代の真言宗の僧。京都仁和寺尊性院に住す。
―――
永信法印
 生没年不明。鎌倉初期の真言宗の僧。
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豪円法印
 (1172~1225)。鎌倉初期の天台宗の僧。無動寺検校。
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猷円僧都
 (1161~1232)。鎌倉時代天台宗寺門派の僧。園城寺の別当。右京太夫藤原隆信の子。
―――
慈賢僧正
 (1275~1241)延暦寺第78代座主。摂津守源頼兼の子。
―――
賢乗僧都
 生没年不明。鎌倉時代の僧。
―――
仙尊僧都
 生没年不明。鎌倉時代の僧。
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行遍僧都
 (1181~1264)。鎌倉時代真言宗の僧。三河刺史任尊法橋の子。仁和寺に入り御室の菩提院に住んだ。東寺の長者。三河僧正。
―――
実覚法眼
 生没年不明。鎌倉時代の僧。
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如意輪法
 如意輪観自在菩薩念誦法のこと。如意輪観世音菩薩または如意宝珠を本尊として罪障消滅などを願って行う修法。
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妙高院僧正
 生没年不明。鎌倉時代の真言宗の僧。
―――
宜秋門院
 (1173~1238)。後鳥羽天皇の皇后・任子のこと。父は関白太政大臣・九条兼実。法然に従って出家して尼となったが、渧颰はしていなかった。
―――
毘沙門法
 毘沙門天を本尊として福徳・戦勝祈願などを目的として修する修行法。
―――
常住院僧正
 (1188~1246)。常住院良尊のこと。太政大臣藤原良隆の子。後堀川・四条・後嵯峨天皇の護持寺に任じ、三井の長吏、熊野三山の検校を務めた。
―――
資賃
 常住院良尊によって修された毘沙門法の沙汰者。一説に土御門・順徳二代の侍読で中納言・文章博士である藤原資実の誤字との説もある。
―――
如法愛染王法
 如法愛染明王法のこと。愛染明王を本尊として如意宝珠法によって修する真言の祈禱法。大愛染法ともいい、真言宗東寺の大事とされる。
―――
仁和寺御室
 仁和寺の最高主管者のこと。京都市右京区にある古義真言宗の大本山。
―――
仏眼法
 仏眼を本尊として祈念する密教の修法。仏眼尊は詳しくは一切仏眼大金剛吉祥一切仏母。眼は仏の中道の眼の意で、胎蔵界漫荼羅の遍知院および釈迦院にある。息災延命、福寿増長、降伏などを祈る修法。
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大政僧正
 生没年不明。鎌倉時代の僧。
―――
六字法
 天台・真言密教で、六観音を本尊として調伏・息災などのために行う修法。
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快雅僧都
 生没年不明。鎌倉時代の天台僧。天台13流の一つである功徳流の祖比叡山延暦寺の東搭西谷に住む功徳院にすんでいたので、功徳院とも呼ばれている。
―――
愛染王法
 愛染明王法の略。愛染明王を本尊として修する祈禱法で、愛敬・利福・調伏・息災等を祈る。
―――
不動法
 不動明王法のこと。真言密教の修法で、不動明王を本尊として息災・増益・調伏の目的で祈禱する。
―――
勧修寺
 京都市山科区にある門跡寺院。真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称する。開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊、本尊は千手観音である。寺紋(宗紋)は裏八重菊。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院である。「山階門跡」とも称する。
―――
僧綱
 仏教の僧尼を統轄し,大寺院などを管理する役職。中国の僧官にならって,推古 32 (624) 年に僧正,僧都,法頭が設けられたが,さらに弘仁 10 年(819) に僧正,僧都,律師の3綱がおかれ,各階級が定められ,のちにはただの称号と化した。
―――
安芸僧正
 詳細不明。一説には園城寺長吏の覚朝をさすともいわれる。
―――
金剛童子法
 金剛童子を本尊として息災・調伏のための修法を行う。
―――
伊賀太郎判官光季
 鎌倉時代前期の鎌倉幕府の御家人。伊賀朝光の長男。母は二階堂行政の娘。姉妹に北条義時の継室・伊賀の方がいる。姉妹が鎌倉幕府の執権北条義時の正室である事から、北条氏外戚として重用された。建暦2年(1212年)、常陸国内に地頭職を与えられる。建保3年(1215年)、左衛門尉、検非違使。建保7年(1219年)2月、大江親広と共に京都守護として上洛。
―――
尊星王法
 北極星を神格化したもので、妙見菩薩ともいわれます。 この尊星王を本尊とする尊星王法は、国家安泰を祈る大法で、 三井寺では、智証大師が唐において師の法全より直接付与された法として 重要視されてきたもの。
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太元法
 仏教(特に密教)における尊格である明王の一つ。なお、真言密教においては「帥」の字は発音せず「たいげんみょうおう」と読み、また太元明王と記すこともある。
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蔵有僧都
 鎌倉初期の真言宗の僧。山城国醍醐山の人。理性院の宗厳から伝法灌頂を受け、後に法琳寺の別当となる。
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五壇法
 密教で行われる修法の一つ。密教修法の中で五大明王(不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王)を個別に安置して国家安穏を祈願する修法のことである。
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全尊僧都
 生没年不明。鎌倉初期の僧。
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守護経法
 金剛界37尊を本尊とし、守護国界主陀羅尼経によって国の安穏を目的として修する。密教三箇大法のひとつ。
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武蔵の守殿
 武蔵守北条宣時のこと。佐渡の知行者。良観の熱心な信者であったらしい。
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海道
 東海道のこと。
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甲斐源氏
 清和源氏の一族で、源義光の三男、武田冠者吉義清の一門から出た地方の豪族。甲斐・信濃方面に勢力を持っていた。
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山道
 東山道のこと。
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式部殿
 北条朝時(1193~1254)のこと。承久2年(1220)式部少丞に任命されたので式部殿と呼ばれた。
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北陸道
 七箇国。若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡。
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宇治橋の合戦
 承久3年(1221)6月13・14日、京都府宇治市の宇治川をはさんで、後鳥羽上皇方と鎌倉幕府方とが争った戦。この合戦で幕府方が勝ち、7月11日、三上皇が流罪に処せられ、承久の乱の幕が閉じた。
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本院
 ①上皇が二人以上いる場合に第一の上皇をさしていう。②寺院の境内の主たる建物。
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隠岐の国
 山陰道8ヶ国のひとつ。島根県東北部および隠岐諸島の全域をいう。遠流の地であり、承久の乱で敗れた後鳥羽天皇が流罪された地。
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中院
 土御門天皇(1196~1231)のこと。後鳥羽天皇の第一皇子。母は承明門院源在子。承元4年(1210)皇弟・順徳天皇に譲位し、土御門院と称した。承久の乱後、土佐に流されが、後に都に近い阿波に移された。
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阿波の国
 南海道六道のひとつ。現在の徳島県にあたる。
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第三院
 順徳天皇(1197~1242)のこと。後鳥羽天皇の第三皇子。母は藤原範季の娘・修明門院重子。後鳥羽院とともに、承久の乱を企てたが敗北し、佐渡に流された。以後21年間配所に在し、仁治3年(1242)没した。
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佐渡の国
 新潟県の佐渡島のこと。神亀元年(0724)遠流の地と定められ、承久3年(1221)には順徳天皇も流されている。大聖人の流罪は文永8年(1271)10月~文永11年(1274)3月までである。
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殿上人七人誅殺せられ畢んぬ
 承久の乱の計画に参加したとされる七人。坊門大納言忠信・中御門中納言宗行・佐々木前中納言光親・高倉宰相中将範茂・一乗宰相中将信能・大監物光行。
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別当
 僧官名。寺社の事務を統制する最高責任者として置かれた。法隆寺・東大寺・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮などの別当が有名。
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東寺
 教王護国寺のこと。京都にある真言宗東寺派の総本山。延暦15年(796年)に桓武天皇が平安京の鎮護として、羅城門の左右に東西両寺を建立したのが始まり。平安京の東半分にある寺なので東寺と呼ばれる。弘仁14年(823年)、嵯峨天皇より空海(弘法)に与えられ、灌頂道場とされた。「一の長者」といわれる東寺の住職が、真言宗全体の管長の役目を果たした。
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 法華経を信ずる人の祈りはかなうはずであるのに、天台・真言の僧等の祈りがかなわないばかりか、承久の乱の際の幕府調伏の祈禱が朝廷方の大敗を招いた事実を明かされている。
問うて云く上にかかせ給ふ道理・文証……いかんとをぼう
 本抄の前章までに述べられたような、法華経の行者には仏・菩薩や諸天等の守護があるためにその祈りは必ず成就するとの道理と文証によれば、法華経を信ずる人は現世の祈りがかない、後生に善処に生まれることは疑う余地がないのである。
 ところが、「然りと雖も此の二十余年が間の天台・真言等の名匠、多く大事のいのりをなすに、はかばかしくいみじきいのりありともみえず」と指摘されているように、天台・真言の名僧・高僧達の祈りがかなっていないのはなぜかとの疑問を提起されている。
 「此の二十余年が間」とは、本抄が文永9年(1272)の御述作とすると、大聖人が立宗された建長5年(1253)から二十年目にあたるので、ほぼその間といえる。その間での「大事のいのり」には、その間に何回も行われた疫病退治の祈禱なども挙げられるだろうが、最大のものは蒙古調伏の祈禱であろう。
 文永9年(1272)の時点ではまだ蒙古軍は来襲していないが、文永5年(1268)に最初の蒙古の国書が到来してから朝廷や幕府はおもな寺院や神社に蒙古調伏の祈願をさせたものの、文永6年(1269)、7年、8年と重ねて蒙古から牃状が届いており、当時は蒙古軍の襲来が必至の情勢だったのである。そうした事実から「はかばかしくいみじきいのりありともみえず」と断じられたのであろう。
 そして、祈りがかなわないのは、経文が虚妄であるためか、行者の行いが愚かで誤っているためか、時機がかなわないためであろうと疑われ、そのことから推すると後生の大事もどうなることかと疑われてくる、と仰せである。
 法華経が虚妄であるわけはないので、行者の行いが法華経に背いて真言で祈禱するという愚かな誤りをしていたためであり、また末法の時機にかなわない爾前権経による祈りのために、祈りはかなわなかったのである。なお、現世の祈りがかなわないということは、後生の大事、すなわち成仏ができないということなのである。
 持妙法華問答抄に「当世の御祈祷はさかさまなり先代流布の権教なり末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり、譬えば去年の暦を用ゐ烏を鵜につかはんが如し」(0467-10)と述べられているように、真言等の爾前権教による祈禱は去年の暦を用いるようなもので、時にかなわないばかりか、それを信じて用いると生活のうえに混乱が起こり、大きな害を招くのである。
それは・さてをきぬ・御房は……思食しけん
 そして、大聖人が比叡山延暦寺で修学されたことから、当時、延暦寺の僧徒が園城寺を焼き、更には延暦寺の堂塔や仏像、経巻を焼き払った事実を挙げられて「かかる悪僧どもなれば三宝の御意にも・かなはず天地にも・うけられ給はずして、祈りも叶はざるやらんと・をぼへ候はいかに」との疑いを呈されている。すなわち、園城寺や延暦寺の堂塔等を焼くという比叡山の悪僧の存在が祈りをかなわなくしているのではないか、という疑問である。
 文永元年(1264)3月23日に、延暦寺の僧徒が自ら延暦寺を焼いており、更に同年5月2日には園城寺を襲って同寺の戒壇を焼き払い、梵鐘を奪っている。その後も、延暦寺の僧徒はたびたび園城寺を襲い、7回にわたって焼き打ちを行ったのである。
 比叡山延暦寺第5代座主の智証大師円珍が再興して延暦寺の別院としたのが園城寺(三井寺)であり、後に慈覚(延暦寺第三代座主・円仁)の門徒と対立した智証の門徒が比叡山を離れ園城寺に移って分立し、天台宗寺門派を立てた。その後、園城寺側が独自の戒檀の建立の勅許を朝廷に請願したことから、それを阻止しようとした比叡山側(山門)と激しく対立し、武力衝突を繰り返したのでる。
 延暦寺も園城寺も、多くの僧兵を養い、ことあるごとに朝廷に強訴(ごうそ)し、他の寺院に武力闘争を挑むなど、一種の武装集団と化していた。日本の仏教の中心たるべき比叡山が、仏教本来の姿に背き、信仰のかけらもなくなっていた事実は、当時の人々の目にも釈尊の仏法の力が失われた末法到来の相と映っていたようである。
 その答えとして、比叡山延暦寺と朝廷との関係を示され、仏法と王法の盛衰には深い関係があり、政治の実権が京都の朝廷から関東(鎌倉)の幕府に移ったのは、比叡山の仏法が衰えた結果であることを明かされている。
 比叡山延暦寺は、伝教大師最澄の創建になり、延暦4年(0785)に19歳で入山、同7年に一乗止観院(後の根本中堂)を建てている。同13年(0794)に桓武天皇が平安京に遷都すると、叡山は都の東北(丑寅)の方角にあたったので、皇城の鬼門を守る鎮護国家の道場とされ、代々の天皇の帰依を受けた。伝教大師は同25年に唐から帰国して後、天台法華宗を開いている。更に弘仁13年(0822)には大乗戒壇を建立する勅許を得ており、それ以後は比叡山が日本の仏教の中心となった。
 しかし、伝教大師の滅後、東寺の空海(弘法大師)が朝廷に取り入って急激に真言宗の宗勢を拡大し、十住心論を作って法華経を第三の劣と下し、真言の三部経を鎮護国家の秘法とした。それに紛動された延暦寺の第三代座主慈覚は、東寺に対抗して叡山を優勢にしたいと思い、入唐して顕密二教を学んで帰国し、蘇悉地経・金剛頂経の疏十四巻を作って、法華経と真言三部経は一念三千の理は同じだが、印・真言の説かれた真言が事において勝れるとした理同事勝の邪義を立てた。そのため、それ以後の天台宗は、天台真言(台密)と化したのである。
 三大秘法抄に「叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染(むぜん)の中道の妙戒なりしが徒(いたずら)に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん」(1023-01)と述べられているように、伝教大師の法華最勝の清流に真言の土泥が流れ込んで、濁流となったのである。
 比叡山の仏法が濁るとともに、帰依していた王法(朝廷)の福運もしだいに尽き、源平合戦の後に源頼朝により鎌倉幕府が開かれて関東地方に武士政権が立てられ、更に承久の乱に破れたことによって完全に幕府に実権が移行したのであった。
秘法四十一人の行者・承久三年……成り給いぬるなり
 承久の乱の際に、朝廷側が鎌倉幕府を調伏するため行った真言による十五壇の秘法が、かえって朝廷側を敗北させた経緯を明かされている。
 承久元年(1219)正月29日、鎌倉幕府の三代将軍源実朝が、前将軍頼家の子・公暁によって暗殺され、源氏の正統が絶えたことを好機として、承久3年(1221)5月14日、後鳥羽院上皇は幕府討伐のために武力で決起し、幕府の京都守護・伊賀光季を討ち、執権北条義時を追討すべしとの院宣(いんぜん)を諸国の守護・地頭へ発したのである。
 上皇は、一方では幕府(北条氏)を降伏させるための祈禱を、延暦寺、成興寺、仁和寺、園城寺、東寺、勧修寺などの天台・真言の高僧41人に命じ、真言十五壇の秘法を修させた。延暦寺の座主・慈円をはじめ、園城寺の別当・覚朝、東寺の長者・観厳などが自ら修法にあたっている。
 5月19日にそれを知った幕府側は、反撃することに決し、5月21日に執権・北条義時の長子・泰時が鎌倉を出発して京へ向かい、そのもとへ東国の武士が続々と加わって、吾妻鏡によれば十九万騎に達したという。北条泰時は東海道を、武田信光らは東山道を、北条朝時らは北陸道を進み、13、14日には京都の防衛線である宇治・勢多で合戦が行われたが、朝廷側は敗退し総崩れになった。なお、そのときの模様は、富城入道殿御返事に詳しく述べられている。
 泰時らは16日に京の六波羅館に入り、上皇の側近の公家や加担した武士達の追及と逮捕が始められた。そして、坊門大納言忠信ら6人の公家が首謀者として処刑され、朝廷側についたおもな武士達も斬られた。
 更に幕府は、後鳥羽上皇を隠岐島へ、順徳上皇を佐渡島へ、土御門上皇を土佐国、後に阿波国へ配流したうえ、仲恭天皇を退位させ、後鳥羽上皇の兄・行助法親王の子を皇位につけて後堀川天皇とした。
 このように、一国の国主である天皇側が、臣下である鎌倉幕府と争って破れ、三上皇が流罪にされ、政治の実権が幕府に奪われたという事態について、大聖人は諸御書で、その原因の一つを後鳥羽上皇らが禅・念仏等の邪宗邪義を流行させたうえ、真言の大悪法によって祈ったことによって、国主としての福運が尽きたためであるとされている。
 頼基陳状には「第八十二代隠岐の法皇の御時(おんとき)、禅宗、念仏宗出来して、真言の大悪法に加えて国土に流布せしかば、天照太神・正八幡の百王百代の御誓(おんちかい)やぶれて王法すでに尽きぬ。関東の権の大夫義時に、天照太神・正八幡の御計いとして、国務をつけ給い畢んぬ」(1161-16)と述べられている。
 また、真言による祈禱については、神国王御書に「承久の合戦の御時は天台の座主・慈円・仁和寺の御室・三井等の高僧等を相催(あいもよお)して・日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行われ給う、所謂承久三年辛巳四月十九日に十五壇の法を行わる……四十一人の高僧・十五壇の大法・此の法を行う事は日本に第二度なり……仏法の御力と申し王法の威力と申し・彼は国主なり・三界の諸王守護し給う、此れは日本国の民なり……代代の所従・重重の家人なり……いかにとして一年・一月も延びずして・わづか二日一日にはほろび給いけるやらむ」(1520-05)と述べられ、三沢抄には「隠岐の法王・代を東(あずま)にとられ給いしは・ひとへに三大師の大僧等がいのりしゆへに還著於本人して候」(1490-17)と仰せである。
 そのように、朝廷側が真言の大悪法によって祈禱したため、かえって敗北が早まり、政治の実権を幕府に奪われたのであった。

1354:08~1355:10 第十章 真言の邪教たる理由を明かすtop

08   問て云く真言の教を強に邪教と云う心如何、 答えて云く弘法大師云く第一大日経・第二華厳経・第三法華経と
09 能能此の次第を案ずべし、 仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給へるや、 若し第一大日経・第二華
10 厳経・第三法華経と説き給へる経あるならば尤も然るべし、 其の義なくんば甚だ以て依用し難し、 法華経に云く
11 「薬王今汝に告ぐ我所説の諸経而かも 此の経の中に於て法華最も第一なり」云云、 仏正く諸教を挙げて其の中に
12 於いて法華第一と説き給ふ、 仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり尋ね究むべき事なり、 此筆を数百年が
13 間・凡僧・高僧・是を学し貴賎・上下・是を信じて大日経は一切経の中に第一とあがめける事仏意に叶はず、心あら
14 ん人は能く能く思い定むべきなり、 若し仏意に相叶はぬ筆ならば信ずとも豈成仏すべきや、又是を以て国土を祈ら
15 んに当に不祥を起さざるべきや、 又云く「震旦の人師等諍て醍醐を盗む」云云、 文の意は天台大師等・ 真言教
16 の醍醐を盗んで法華経の醍醐と名け給へる事は、 此の筆最第一の勝事なり、 法華経を醍醐と名け給へる事は、天
17 台大師・ 涅槃経の文を勘へて一切経の中には法華経を醍醐と名くと判じ給へり、 真言教の天竺より唐土へ渡る事
18 は天台出世の以後二百余年なり、 されば二百余年の後に渡るべき真言の醍醐を盗みて 法華経の醍醐と名け給ひけ
1355
01 るか此の事不審なり不審なり 、真言未だ渡らざる以前の二百余年の人人を盗人とかき給へる事・ 証拠何れぞや、
02 弘法大師の筆をや信ずべき、 涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき、 若し天台大師盗人ならば涅槃経の文
03 をば云何がこころうべき、 さては涅槃経の文・真実にして弘法の筆・邪義ならば邪義の教を信ぜん人人は云何、只
04 弘法大師の筆と仏の説法と勘へ合せて正義を信じ侍るべしと申す計りなり。
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 問う。真言の教えをしいて邪教というのは何ゆえか。
 答えていう。弘法大師は「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」といわれたが、この次第をよくよく考えてみるがよい。仏はいかなる経にこの三部の経の勝劣を説き、判じられているか。もし「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」と説かれている経があれば、その言い分ももっともである。その義がないとしたら、それを信用するわけにはいかない。法華経には「薬王よ、今汝に告ぐ。我が所説の諸経中において法華経が最第一である」と、仏はまさしく諸教を挙げてそのなかにおいて法華経が最第一であると説かれているのである。このように仏の説法と弘法大師の筆とには、水火の相違がある。いずれが真実かを尋ね究めなければならない。
 弘法大師のこの筆を数百年もの間、凡僧も高僧も皆これを学び、貴賎、上下も一様にこれを信じて、大日経は一切経のなかで第一であると崇めてきたことは仏の御本意にかなわないことである。
 心ある人は、このことをよくよく思案すべきである。もし仏の御本意でない筆ならば、信じてもどうして成仏できようか。またこの法をもって国家を祈ったら、きっと不祥事が起きるであろう。
 また弘法は「中国の人師らが争って醍醐を盗んだ」などといっている。文の意は、天台大師等が真言教の醍醐を盗んで法華経を醍醐と名づけたというものであるが、このことが最第一の大事である。
 法華経を醍醐と名づけられたのは、天台大師が涅槃経の文を考えて、一切経のなかでは法華経を醍醐と名づけると判定されたのである。
 真言教がインドから中国へ渡ったのは、天台大師が出世されてから二百余年後のことである。してみれば二百余年の後に渡ってくる真言の醍醐を盗んで法華経の醍醐と名づけられたのであろうか、不審なことである。
 真言教がまだ渡来しない二百余年も前の人々を盗人だとする証拠はどこにあるのか。弘法大師の筆を信ずるべきか、それとも涅槃経に仏が法華経を醍醐と説かれていることを信ずるべきか。
 もし天台大師が盗人ならば、涅槃経の文をなんと心得るべきか。もし涅槃経の文が真実で、弘法の筆が邪義ならば、邪義の法を信ずる人々はどうであろう。ただ弘法の筆と仏の説法とを考え合わせて正義を信じられるよう申し上げるしかない。
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05   疑て云く大日経は大日如来の説法なり・若し爾らば釈尊の説法を以て大日如来の教法を打ちたる事・都て道理に
06 相叶はず如何、 答えて云く大日如来は何なる人を父母として何なる国に出で大日経を説き給けるやらん、 もし父
07 母なくして出世し給うならば釈尊入滅以後、 慈尊出世以前、 五十六億七千万歳が中間に仏出でて説法すべしと云
08 う事何なる経文ぞや、 若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、 かかる僻事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり、
09 其の迷謬尽しがたし纔か一二を出すなり、 加之並びに禅宗・念仏等を是を用る、 此れ等の法は皆未顕真実の権教
10 不成仏の法・無間地獄の業なり、 彼の行人又謗法の者なり争でか御祈祷叶ふべきや、 
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 疑っていう。大日経は大日如来の説法である。もしそうであれば、釈尊の説法をもって大日如来の教法を打ち破ることは道理に合わないではないか。
 答えていう。その大日如来はいかなる人を父母として、いかなる国に出現して大日経を説かれたのか。もし父母なくして出世されたというなら、釈尊の入滅以後、慈尊(弥勒)出世以前の五十六億七千万歳の中間に仏が出世して説法するということは、どの経文に出ているのか。もしその証拠がなければ、誰が信ずることができようか。このような僻事(ひがごと)ばかりを構えるから邪教というのである。
 その誤りは甚だ多くまだ尽きないが、今はその一、二を出したにすぎない。真言の邪教のみならず、更に禅宗、念仏宗等を用いているが、これらの法はいずれも未顕真実の権教であり、無間地獄に堕ちる所業である。また彼の行者はいずれも正法を謗る人達であり、どうして彼らの祈禱がかなうことがあろうか。

弘法大師
 774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。空海ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
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第一大日経・第二華厳経・第三法華経
 弘法が十住心論で立てた教判。十住心論とは大日経の住心品や『菩提心論』をもとに衆生の心のありかたを10種に分けたもの。真言密教を最高位に位置づけ、華厳を第2、法華を第3としている。①異生羝羊(住)心。異生(衆生・凡夫)が雄羊のように善悪因果を知らず、本能のまま悪行を犯す心。②愚童持斎(住)心。愚童のように凡夫善人が人倫の道を守り、五戒・十善などを行う心。③嬰童無畏(住)心。嬰童は愚童と同意で、現世を厭い天上の楽しみを求めて修行する位をいう。外道の住心。④唯蘊無我(住)心。蘊はただ五蘊(五陰と同じ)の法のみ実在するという意で、無我はバラモンなどの思想を離脱した声聞の位のこと。すなわち出世間の住心を説く初門で、小乗の声聞の住心。⑤抜業因種(住)心。十二因縁を観じて悪業を抜き無明を断ずる小乗の縁覚の住心。⑥他縁大乗(住)心。他縁は利他を意味し、一切衆生を救済しようとする利他・大乗の住心のこと。法相宗の菩薩の境地。⑦覚心不生(住)心。心も境も不生、すなわち空であることを覚る三論宗の菩薩の境地。⑧如実一道(住)心。一仏乗を説く天台宗の菩薩の境地。⑨極無自性(住)心。究極の無自性(固定的実体のないこと)、縁起を説く華厳宗の菩薩の境地。⑩秘密荘厳(住)心。究極・秘密の真理を覚った真言宗の菩薩の境地。大日如来の所説で、これによって真の成仏を得ることができるとした。日蓮大聖人は「真言見聞」で、「十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何れの経論に出でたるや」(148㌻)と破折されている。
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天竺
 中国および日本で用いられたインドの古称。
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大日経
 大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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大日如来
 大日はサンスクリットのマハーヴァイローチャナの訳。音写では摩訶毘盧遮那といい、毘盧遮那と略す。大遍照如来などとも訳す。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本の仏とされる。
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慈尊
 弥勒菩薩のこと。弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
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五十六億七千万歳
 釈尊入滅から弥勒菩薩が出世成仏するまでの年数のこと。弥勒菩薩の住処は兜率天の内院で、この天の寿命は四千歳といわれる。この寿命を人界の年数に換算したもの。観弥勒菩薩上生兜率天経に「是くの如く兜率陀天に処りて昼夜恒に此の法を説き、諸天子を度す。閻浮提の歳数五十六億万歳にして、乃ち閻浮提に下生すること弥勒下生経に説くが如し」とある。
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禅宗
 座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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念仏
 浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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 弘法の立義がいかに仏説に背き道理に外れているかを示されている。
問うて云く、真言の教を強ちに邪教と……不祥を起さざるべきや
 真言を邪教というのは、日本真言宗の祖・弘法大師空海が一代聖教の勝劣を「第一大日経・第二華厳経・第三法華経」と立てたことによる、と仰せである。
 弘法がその著・十住心論のなかで十住心を立て、第八の一道無為住心を天台宗(法華経)、第九の極無自性住心を華厳宗(華厳経)、第十の秘密荘厳住心を真言宗(大日経)に配立し、大日経第一、華厳経第二、法華経第三とした。つまり、法華経は大日経・華厳経に劣り、大日経からみれば三番目の低い教え(第三の劣)であると下しているのである。
 しかし、弘法の立てた勝劣は、いかなる経にも根拠がなく、全くの弘法の我見にすぎない。
 しかも、法華経の法師品第十には「薬王よ今汝に告ぐ、我が説く所の諸経、而も此の経の中に於いて、法華は最も第一なり」とあって、法華経が釈尊所説の諸経のなかで第一であると明らかに説かれている。
 仏の説によるべきか、人師の立てた説によるべきかといえば、それが異なる場合には仏説に従うべきであることは当然であろう。したがって、この明らかな仏説に背いて、弘法が「大日経第一・法華経第三」と我見を立てたのは、邪であり謗法となるのである。
 にもかかわらず、日本の上下万民が弘法の邪義を信じて、大日経を諸経のなかで第一と考え、大日如来を本尊として崇めてきたことは、仏意に背く謗法であり、成仏できないばかりか、地獄に堕ちる業因となるのである。また、こうした真言の邪義で国土の安穏を祈れば、かえって国に不祥事を招くことは必然であると警告されている。
又云く「震旦の人師等諍って……申す計りなり
 また、弘法は弁顕密二教論のなかで「仏五味を以って五蔵に配当して、総持をば醍醐と称し、四味をば四蔵に譬えたまえり。振旦の人師等醍醐を争い盗んで各自宗に名づく」と述べて、天台大師が五時八教の教判を立て、五時を五味にたとえて、法華・涅槃時を醍醐味であるとしたことを、真言から盗み取ったとけなしている。
 弘法は、六波羅蜜経に「所謂八万四千の諸の妙法蘊なり(中略)摂して五分と為す。一には素咀纜、二には毘奈耶、三には阿毘達磨(あびだつま)、四には般若波羅蜜、五には陀羅尼門となり、此の五種の蔵をもって有情を教化す(中略)此の五の法蔵譬えれば乳・酪・生酥・熟酥および妙なる醍醐のごとし(中略)総持門とは譬えば醍醐のごとし。醍醐の味は乳・酪・酥の中に微妙第一にして、能く諸の病を除き、諸の有情をして身心安楽ならしむ」とあるように、総持門(陀羅尼門)すなわち真言密教こそ醍醐味であり、天台大師が法華経を醍醐味としたのはこの六波羅蜜の教判を盗んだものと誹謗しているのである。
 天台大師は、涅槃経に「善男子、譬えば牛従り乳を出し、乳従り酪を出し、酪従り生酥を出し、生酥従り熟酥を出し、熟酥従り醍醐を出す。醍醐は最上なり……善男子、仏もまたかくのごとし。仏従り十二部経を出し、十二部経より修多羅を出し、修多羅従り方等経を出し、方等経従り般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜従り大涅槃を出す。なお醍醐のごとし、醍醐というは仏性に喩(たと)う」とある文によって、法華経信解品第四等に説かれている五時の次第を証明し、五時を五味にたとえ、五時八教の教判を打ち立てたのである。
 しかも、六波羅蜜経がインドから中国に渡ったのは唐代の貞元4年(788)であり、般若三蔵が漢訳したことによる。一方、天台大師が摩訶止観を説いたのが隋の開皇14年(0594)であり、入滅したのが同17年(597)なのである。
 真言見聞に「震旦の人師争つて醍醐を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年なり何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経の醍醐を盗み給う可きや顕然の違目なり、若し爾れば謗人謗法定堕阿鼻獄というは自責なるや」(0148-15)と仰せのように、天台大師が在世の頃にはまだ中国に存在しなかった六波羅蜜経の文を盗むことは絶対に不可能であり、したがって天台大師を盗人と決めつけている弘法の批判はおよそ道理を無視した非難という以外にない。
 また、開目抄には「六波羅蜜経は有情の成仏あつて無性の成仏なし何に況や久遠実成をあかさず、猶涅槃経の五味にをよばず何に況や法華経の迹門・本門にたいすべしや、而るに日本の弘法大師・此の経文にまどひ給いて法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり、第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばずいかにし給いけるやらん」(0222-10)と破されている。
 すなわち、六波羅蜜経で醍醐味としている総持門(真言密教)の内容は、有情・非情にわたる真の成仏も説かれず、久遠実成も明かされていないので、涅槃経にも及ばず、まして法華経とは比べものにならない低い教えなのである。にもかかわらず、弘法が法華経を密教の醍醐味に劣る第四の熟蘇味であると下していることは、全くの誤りであるということである。
 また、撰時抄には「法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず、仏・涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給い天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかかれて候、竜樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給う、されば法華経等を醍醐と申す人・盗人ならば釈迦・多宝・十方の諸仏・竜樹・天親等は盗人にてをはすべきか」(0278-03)と仰せである。
 このように、法華経を醍醐味とすることが仏の正意なのであり、それに背いて密教を醍醐味と立てた弘法の邪義を信ずるならば、堕地獄の因となるのである。
疑て云く大日経は大日如来……御祈祷叶ふべきや
 大日経第一と立てた弘法の邪義を破折されると、大日経は大日如来の説法であって釈尊の教説ではないのであり、釈尊の説法によって大日如来の教法を打ち破ることは道理に合わない、とする真言側からの反論がなされたのであろう。大聖人はそれに対し、それなら大日如来はだれを父母とし、いかなる国に出生して大日経を説いたというのかを明らかにせよ、と破折されている。
 大日如来は、大日経・金剛頂経などの密教経典に説かれており、宇宙の森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、密経はすべての仏・菩薩を生み出す根本の仏としている。しかし、あくまでも法身仏であり、父母があって現実の国土に出生して法を説いた仏ではなく、釈尊が説いた教説のなかの仏にすぎないのである。
 もし、大日如来が大日経を説いたというのなら、釈尊滅後、五十六億七千万歳に釈尊の仏の位を継ぐとされる弥勒菩薩が出現するまでの間に、仏(大日如来)が出現して説法すると説いた経文があるなら出すべきであり、その証拠がないなら、だれが信じられようか、と破されているのである。そして、そのような仏法の道理や事実に合わない邪義を主張するので、真言を邪教というのである、と断じられている。
 なお、真言見聞にも「真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云、若し爾れば大日の出世成道・説法利生は釈尊より前か後か如何、対機説法の仏は八相作仏す父母は誰れぞ名字は如何に娑婆世界の仏と云はば世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判なり……若し他土の仏なりと云はば何ぞ我が主師親の釈尊を蔑にして他方・疎縁の仏を崇むるや不忠なり不孝なり逆路伽耶陀なり」(0149-02)とその邪義を破されている。
 しかも当時の朝廷や幕府などの為政者は、この真言の邪義を信じて何かあると祈禱させたうえ、更に念仏宗や禅宗などの謗法の悪法を用いていた。これらの法はすべて未顕真実の方便権教であり、不成仏の法であり、しかもそれらの宗は法華経誹謗の邪義を立てているので、大謗法となり無間地獄に堕ちる業因となるのである。それらの法を行ずる人も謗法の者なので、その祈禱がかなうはずがないのである。

1355:10~1355:18 第11章 正法による祈禱を勧め慈覚を破すtop

10                                         然るに国主と成り給ふ事は
11 過去に正法を持ち仏に仕ふるに依つて大小の王・皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計ひとして郡郷を領し給へり、所
12 謂経に云く「我今五眼をもて明に三世を見るに 一切の国王皆過去世に五百の仏に侍するに由つて 帝王主と為るこ
13 とを得たり」等云云、 然るに法華経を背きて真言・禅・念仏等の邪師に付いて諸の善根を修せらるるとも、敢て仏
14 意に叶はず・神慮にも違する者なり・能く能く案あるべきなり、 人間に生を得る事・都て希なり適生を受けて法の
15 邪正を極めて未来の成仏を期せざらん事・返返本意に非ざる者なり、 又慈覚大師・御入唐以後・本師伝教大師に背
16 かせ給いて叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに・ 日を射るに日輪動転すと云う夢想を御覧じて、 四百余年
17 の間・諸人是を吉夢と思へり、 日本国は殊に忌むべき夢なり、 殷の紂王・日輪を的にして射るに依つて身亡びた
18 り、此の御夢想は権化の事なりとも能く能く思惟あるべきか、仍つて九牛の一毛註する所件の如し。
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 ところで国主となられることは、過去に正法を持ち、仏に仕えた功徳によるのであり、大梵天王、帝釈天王、日天、月天、四天王等の御計らいで大小の王は皆、郡や郷を領有されているのである。
 このことは経に「我、今、五眼をもって明らかに三世を見るのに、一切の国王は皆、過去世に五百人の仏に奉侍した功徳によって帝王や国主となることができたのである」と説かれているとおりである。
 それを法華経に背いて真言、禅、念仏宗等の邪師について多くの善根を積まれたとしても、決して仏意にかなわないし、神慮にも違背する。これをよくよく考えなければならない。
 人間に生まれることは極めてまれであるのに、たまたま生を受けながら、法の正邪を極めて未来の成仏を願い求めようとしないのは、かえすがえす不本意の者である。
 また慈覚大師が入唐し帰朝して後、本師伝教大師に背いて比叡山に真言を弘めようとして祈請されたときに、日輪を射たところ日輪が動転する夢を見たといい、これを四百年の間は皆が吉夢だと思ってきた。しかしこれは日本国ではとくに忌むべき夢である。
 殷の紂王は日輪を的に弓を射て、その身が滅びたのである。そのゆえこの夢は、権化のことであるといっても、よくよく思案すべきである。以上は、尋ねによって九牛の一毛だけ記したのである。

梵王
 サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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帝釈
 帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
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日月
 日天と月天のこと。
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五眼
 物事を見る眼を肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の5種類に立て分けたもの。仏は五眼すべてをそなえてあらゆる人々を救済する。①肉眼は普通の人間の目。②天眼は神々の目。昼夜遠近を問わず見えるという。③慧眼は二乗の目。空の法理に基づいて物事を判断できるという。④法眼は菩薩の目。衆生を救済するための智慧を発揮するという。⑤仏眼は仏の目。仏の最高の智慧を発揮する。「開目抄」には「諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼・仏眼備われり」(204㌻)と述べられている。
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四天
 ❶東西南北の四方。❷四天王の略。❸四天下の略。
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真言
 密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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慈覚大師
 794年~864年。平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている(281㌻、305㌻以下など)。
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紂王
 紀元前11世紀ごろ。中国古代・殷の最後の王。遊興にふける一方、臣下の言葉に耳を貸さず、農民を重税で苦しめるなどの悪政をしいたとされる。周の武王によって滅ぼされた。
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九牛の一毛
 多数のなかの極めて少ない一部分の意。成仏の直道であることを明かされて、本抄を結ばれているのである。
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 当時の権力者達が真言・禅・念仏等によって祈っていることを取り上げて破折されている。
 国主となったということは、過去に正法を持って仏に仕えたという善根によるのであり、このために、梵天・帝釈など諸天の計らいで領地を領しているのであるとされ、仁王経巻下受持品の「一切の国主過去に五百の仏に侍するに由って帝王主と為ることを得たり」の文を引かれている。
 仁王経では、その後に「是の故に一切の聖人羅漢は、為に彼の国に来たり生じて大利益を作さん。若し王の福尽きん時には、一切の聖人は皆捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん」と続いている。
 ところが、当時の日本の権力者は、正法たる法華経に背いて真言・禅・念仏などの邪師に付いて邪義を信じたゆえに、いかなる仏事を修し善根をなしたとしても仏意にかなわず、諸天善神の意にも背くこととなり、かえって災難を招き寄せる結果となったのである。
 大聖人は「人間に生を得る事都て希なり。適生を受けて、法の邪正を極めて未来の成仏を期せざらん事、返す返す本意に非ざる者なり」(0335-14)と仰せられ、人間に生を受けることはまれであり、たまたま人間として生まれたからには、法の正邪を極めたうえで、正法を信受することによって成仏をめざさなければ、生を受けたかいがないではないか、と戒められているのである。
 なお、大聖人は「国主」を国の実権を握る者としてとらえられており、必ずしも天皇の意と限定して用いられていないことは「相州は謗法の人ならぬ上・文武きはめ尽せし人なれば天許し国主となす」(0354-15)「関東の権の大夫義時に天照太神・正八幡の御計いとして国務をつけ給い畢んぬ」(1161-17)等の御文に明らかである。下山御消息の御文で「相州」とは北条義時である。
又慈覚大師・御入唐以後……思惟あるべきか
 比叡山延暦寺の第三代座主・慈覚大師円仁は、比叡山を真言の邪義で汚濁した張本人といえる。
 慈覚は十五歳で比叡山に登って伝教大師に師事し、承和5年(0838)に入唐して同14年(0847)に帰朝、仁寿4年(0854)に天台座主となっている。しかし、伝教大師の弟子でありながら真言の宗義に傾倒し、善無畏の大日経疏を本として金剛頂経疏七巻を著し、そのなかで法華経と真言の三部経は所詮の理は同じく一念三千であるが、印と真言等の事法は法華経に説かれていないので、法華経は理秘密・真言の三部経は事理俱密となり、真言の三部経が法華経に勝る、と主張したのである。
 しかも、慈覚大師伝に「大師二経の疏を造り功を成し已畢って心中独り謂らく、此の疏仏意に通ずるや否や、若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ。仍って仏像の前に安置し、七日七夜深誠を翹企し、祈願を勤修す。五日の五更に至って夢らく、正午に当たって日輪を仰ぎ見、弓を以って之を射る。その箭日輪に当って日輪即転動す。夢覚めての後、深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」とあるように、日輪を射た夢によって我が義が仏意にかなったことを確信したとしている。
 そのことを、仁明天皇に奏して宣旨を受け、天台の座主を真言の官主とし、伝教大師が鎮護国家の三部経と定めた法華経・金光明経・仁王経を改めて、真言の三部経を鎮護国家の法として、比叡山を真言密教化してしまったのである。これ以後、弘法の弘めた真言密教を東密というのに対し、比叡山の真言密教を台密(天台密教)と呼ぶようになった。
 しかし、慈覚が見た、日輪を射て動転させたという夢は、決して吉夢ではなくて凶夢であり、真言の悪法が国を亡ぼし身を亡ぼす前兆だったのである。
 報恩抄には「慈覚大師は夢に日輪をいるという内典五千七千・外典三千余巻に日輪をいると・ゆめにみるは吉夢という事有りやいなや、修羅は帝釈をあだみて日天を・いたてまつる其の矢かへりて我が眼にたつ、殷の紂王は日天を的にいて身を亡す、日本の神武天皇の御時度美長と五瀬命と合戦ありしに命の手に矢たつ、命の云く我はこれ日天の子孫なり日に向い奉りて弓をひくゆへに日天のせめを・かをほれりと云云、阿闍世王は邪見をひるがえして仏に帰しまいらせて内裏に返りて・ぎよしんなりしが、おどろいて諸臣に向て云く日輪・天より地に落つと・ゆめにみる諸臣の云く仏の御入滅か云云、須跋陀羅がゆめ又かくのごとし、我国は殊にいむべきゆめなり神をば天照という国をば日本という、又教主釈尊をば日種と申す摩耶夫人・日をはらむと・ゆめにみて・まうけ給える太子なり、慈覚大師は大日如来を叡山に立て釈迦仏をすて真言の三部経をあがめて法華経の三部の敵となせしゆへに此の夢出現せり」(0317-08)と慈覚の見た夢が凶夢であると破折され、また撰時抄では、その夢が「国をほろぼし家を失ひ後生にはあび地獄に入るべし」(0282-16)というしるしであるとされているのである。
 しかし、この慈覚の立てた邪義により、真言の三部経が法華経に勝れると信じられ、比叡山の伝教大師の清流が真言の濁流に覆われ、法華経が軽んじられて真言による祈禱が中心となったため、その後の鎮護国家の祈りはかなうどころか災難を招くことになったのである。
 三大秘法抄には「叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしがに土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし」(1023-01)と仰せになっている。
 最蓮房は比叡山の学僧として、この慈覚の流れをくんでいたため、最後に慈覚の邪義を教えられて比叡山の祈りがかなわない理由を示され、正法による祈禱こそ国土の安穏を招くとともに、成仏の直道であることを明かされて、本抄を結ばれているのである。