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日蓮大聖人御書講義6上0438~0468
0468~0470 教国時国抄
はじめに
0438:01~0438:07 第一章 教を明かす
0438:08~0438:15 第二章 機を明かす
0439:01~0439:12 第三章 時を明かす
0439:13~0439:15 第四章 国を明かす
0439:16~0440:01 第五章 教法流布の先後を明かす
0440:01~0440:10 第六章 教を知る
0440:10~0440:13 第七章 機を知る
0440:14~0440:17 第八章 時を知る
0440:17~0441:03 第九章 国を知る
0441:13~0441:11 第十章 教法流布の先後を知る
0441:11~0442:04 第11章 死身弘法を説く
0443~0460 顕謗法抄
はじめに
0443:01~0443:02 第一章 本抄の大網を示す
0443:03~0444:01 第二章 等活地獄の因果を明かす
0444:02~0444:08 第三章 黒縄地獄の因果を明かす
0444:09~0444:17 第四章 衆合地獄の因果を明かす
0444:18~0445:07 第五章 叫喚地獄の因果を明かす
0445:08~0445:13 第六章 大叫喚地獄の因果を明かす
0445:14~0446:02 第七章 焦熱地獄の因果を明かす
0446:03~0446:07 第八章 大焦熱地獄の因果を明かす
0446:08~0447:01 第九章 総じて七大地獄の因果を明かす
0447:02~0447:17 第十章 無間地獄の因果を明かす
0447:18~0448:15 第11章 無間地獄の因果の軽重を明かす
0448:15~0449:08 第12章 謗法の重罪を示す
0449:09~0449:12 第13章 双観経の即得往生を破す
0449:12~0450:01 第14章 得一の誤謬を破す
0450:01~0440:07 第15章 未顕真実の本義を明かす
0450:08~0451:02 第16章 爾前は不成仏の経なるを明かす
0451:03~0451:05 第17章 爾前経所説の根拠を明かす
0451:05~0451:08 第18章 爾前の随他意を明かす
0451:08~0452:01 第19章 末法の化導法を説く
0452:02~0452:12 第20章 似破・能破を通じて諸師を判ず
0452:13~0453:11 第21章 悪知識を明示する
0453:12~0453:16 第22章 大乗国日本を明かす
0453:17~0454:11 第23章 行者弘法の用心を明かす
0454:12~0455:04 第24章 諸宗有得道の謬説を挙げる
0455:05~0455:16 第25章 謗法の本義を説く
0455:16~0456:09 第26章 諸宗の謗法の立義を示す
0456:10~0456:16 第27章 諸宗の立義を破す
0456:16~0457:17 第28章 法華最第一を明かす
0457:17~0458:07 第29章 教を知る人を示す
0458:08~0459:05 第30章 謗法の種類を明かす
0459:05~0460:11 第31章 成仏の鍵を明かす
0461~0468 持妙法華問答抄
0461:01~0461:04 第一章 成仏の直道を説く
0461:04~0462:06 第二章 法華の独勝を示す
0462:07~0462:16 第三章 権実相対して法華最第一を明かす
0462:17~0463:17 第四章 二乗作仏を示し法華の帰依を勧める
0463:18~0464:13 第五章 法華経の信受を勧める
0464:13~0465:06 第六章 法華信受の功徳を示す
0465:06~0466:04 第七章 法華誹謗の業因を明かす
0466:04~0467:07 第八章 我慢偏執を排し妙法帰命を諭す
0467:07~0467:14 第九章 末代流布の最上真実の秘法を示す
0467:14~0468:01 第十章 持妙法華の真実を明かす
0468~0470 教国時国抄top
はじめにtop
本抄は、弘長2年(1262)2月、伊豆流罪中に著された書である。伊豆の流罪は、文応元年(1260)の「立正安国論」による国主諌暁を機に起こった、初めての権力による迫害であり、その背景にあった念仏者等の動きこそ、三類の強敵の中の第三・僭聖増上慢の蠢道にほかならなかった。
この法難の中で著された本抄において、日蓮大聖人は、御自身の弘められている妙法が、教・機・時・国・教法流布の先後という“宗教の五義”に照らして誤りなき大法であることを、いわば再確認され、法華経の金言によっても、正法であるが故に三類の敵人による迫害にあうのは、むしろ必然であることを述べられている。
宗教の五義の意義
“宗教の五義”は、個々には過去の論師によって、正法弘通の条件として示されてきたが、それを総合して“五義”あるいは“五網”として論じられたのは、日蓮大聖人が初めてであり、したがって、日蓮大聖人の独自の教判であるということができる。
五義それぞれの内容については本文を拝読するなかで明らかになることであるが、なぜ大聖人以前には整足されなかったかを考えると、その背景には、過去の仏法においては、究極の法を打ち立ててはいなかったことが、第一に挙げられる。即ち竜樹や天親にしても、天台大師や伝教大師にしても、経典の位置づけは行っても、その奥底にある最後究竟の法は観法・禅定によって己心中に悟る以外になく、言葉によってあらわしうるのは、そこに至る途中までであるという立場であった。したがって「教を知る」ということ自体、真実の意味では「言語道断・心行所滅であって、求めること自体がむりであったわけである。
いわんや、第二の“機”さらに“時”との関係がからんでくると、相手によっては、次善、三善の法しか説くことができないことになる。事実、天台宗等においては、初心の修行としては、称名念仏を教えたのであり、“機”に応じて教えている権教の念仏と“教”を知ったときの法華第一ということが矛盾してしまうのである。
これに対して、日蓮大聖人が初めて“教”の究竟である南無妙法蓮華経を弘められ、それは、末法の衆生の“機”に対しても、末法の“時”にも叶い、日本の“国”の条件にも、そこでの“教法流布の順序”からいっても合致している唯一の正法なのである。即ち教・機・時・国・序のいずれの観点から判じても正しい仏法が、いま日蓮大聖人の弘めている南無妙法蓮華経の大法であることを明らかにされたのである。
したがって、正法を選ぶための教判としての“五義”の中の第一「教を知る」ための基準として立てられるのが、文・理・現の三証であり、五重の相対の法門なのである。“五義”そのものは、もっと広汎な立場から、根本的に大聖人の仏法と実践の正しさを裏づける規範であり、大聖人の御確信の支えとなった基盤なのである。したがって、日蓮大聖人の仏法において三大秘法に次ぐ重要な法門として位置づけられるのである。
即ち大聖人は“教”という教理内容の面からだけでなく、救わんとされる衆生の“機”という人間観、また、出現されたこの末法という“時”、日本という“国”の社会・文化観、そして、この日本で、いかなる仏教流布の過程をたどったかという歴史観のうえから、この南無妙法蓮華経以外にないことを確信されたのである。
我々にとって五義とは、本抄で、五義それぞれについて明かされる中で「仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし」 「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし」「仏教は必ず国に依つて之を弘むべし」「必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし」と御指南あそばされているように、法を弘めるうえで心懸けねばなない規範であると拝することができる。
ゆえに、日寛上人は依義判文抄に「此の五義を以て宣しく三箇を弘むべし」と仰せられている。
本抄の大意および系年
本抄は、大別して三段に分かれる。
まず冒頭から「已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか」までで、教・機・時・国・序の五義をそれぞれの概要を示され、これを正しく知って仏法を弘める人が、真実の仏法指導者であると述べらている。
第二は「所以に法華経は一切経の中の第一の経王なりと知るは是れ教を知る者なり」から「仏誡めて云く『悪象に値うとも悪知識に値わざれ』等と云云」までで、宗教の五義にそれぞれ照らせば、いかなる法が正法であるかを述べられ、それをわきまえない各宗を破折せられている。
最後に「法華経の勧持品」以下で、前述のような五義をわきまえない邪宗邪師の充満する中で正法を弘める者には、三類の強敵が競うことは仏説に照らして必定であり、死身弘法の実践あるのみとの決意を披瀝して結ばれている。
以上のような内容から、本抄の御述作には年代の記述がなく、古来、異説があるが、法難の最中に著されたものと考えられる。しかも、本抄には「又当世は末法に入って二百一十余年」、「如来の滅後二千二百一十余年」とあるところから、当時信じられていた説によると、弘長元年(1261)が仏滅後2210年になり、したがって、弘長2年(1262)あるいは3年と推察されるのである。
弘長3年(1263)2月22日に赦免になられて鎌倉へ帰られているので、その直前の2月10日との推定も否定できないが、ここでは弘長2年(1262)御述作としておく。
0438:01~0438:07 第一章 教を明かすtop
| 教機時国抄 弘長二年二月十日 四十一歳御作 本朝沙門日蓮之を註す 01 一に教とは釈迦如来所説の一切の経.律・論・五千四十八巻・四百八十帙・天竺に流布すること一千年.仏の滅後一 02 千一十五年に当つて震旦国に仏経渡る、 後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午に至る 03 六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ、此の一切の経・律.論の中に小乗・大乗・権経・実経.顕経・密経あり此等を 04 弁うべし、 此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る 十方世界の一切衆生一人も無く之を用うべし之を用い 05 ざる者は外道と知るべきなり、 阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経より出でたり、 法 06 華経には一向に小乗を説きて 法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべしと説きたもう、 涅槃経には一向に小乗経を用 07 いて仏を無常なりと云わん人は舌口中に爛るべしと云云。 -----― 第一に教とは、釈迦如来が説かれた一切の経・律・論は五千四十八巻・四百八十帙である。これがインドに流布すること一千年を経て釈尊の滅後一千一十五年にあたる年に中国に仏経が渡った。後漢の孝明皇帝の永平十年丁卯から唐の玄宗皇帝の開元十八年庚午に至るまでの六百六十四年の間に、一切経は渡り終わった。 この一切の経・律・論の中に、小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経がある。これらをわきまえ知らなければならない。この名称は論師・人師から出たものではなく、仏説から起こったものである。したがって十方世界の一切衆生は一人ものこらずこれを用いるべきである。これを用いない者は外道の者と知るべきである。阿含経を小乗と説くことは方等・般若・法華・涅槃などの諸大乗経から出たのである。法華経には「ただ小乗経だけを説いで法華経を説かなければ仏は慳貪の罪に堕ちるであろう」と説かれている。また、涅槃経には「ただ小乗経だけを用いて、仏を無常であるという人は、舌が口の中で爛れるであろう」と説かれている。 |
教
悟りを得た人が人々を化導するために説いた言葉。
―――
経
古代の聖人の説いた教えをまとめたもの。仏教では、仏の説いた教法をまとめたものをいう。サンスクリットのスートラの訳。修多羅、蘇多覧などと音写する。また、仏教の経典の形式の一つとして、経典の中で法義を説いた長行(散文)のこと。九分経、十二部経の一つ。三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)の中の一つ。一切経、大蔵経などの経は、経・律・論を含めた呼称。
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律
仏が定めた修行上の規律をまとめたもの。
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論
仏の弟子が教説を論述したもの。
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天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
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震旦国
真旦とも。中国の古い呼び名。古代インド人が中国を指したチーナスターナの音写語。
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孝明皇帝
後漢の2皇帝、明帝のこと。先武帝の第4子で、早くから頭角をあらわし、父に愛された。建武19年(0043)に皇太子、中元2年(0057)に即位。父の意志をつぎ、さらに人徳をみがき、国内を治め、外交にも力を尽くした。西域に仏と名のる聖人がいることを聞き、使者を天竺に派遣して、仏教を求めた。中国における仏教の伝来は、孝明皇帝によって行われたのである。また洛陽郡に白馬寺を建立して、仏法を流布した。教機時国抄(0438)に「仏の滅後一千一十五年に当つて震旦国に仏経渡る、後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ」とある。
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玄宗皇帝
(0685~0762)。中国・唐朝第6代皇帝(在位0712~0756)。26歳で即位し、外征を抑えて政治の乱れを正し唐の繁栄に貢献した(開元の治)。しかし「漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う」(1509-16)とおおせの通り、真言を信じ、善無畏三蔵に師事したため、臣下の安禄山によって都を追われ、皇位を失った。これは真言亡国の現証である。
―――
小乗
乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
―――
大乗
一般に大乗仏教という。サンスクリットのマハーヤーナの訳で摩訶衍などと音写し、「大きな優れた乗り物」を意味する。大乗仏教は、紀元前後から釈尊の思想の真意を探究し既存の教説を再解釈するなどして制作された大乗経典に基づき、利他の菩薩道を実践し成仏を目指す。既存の教説を劣ったものとして「小乗」と下すのに対し、自らを「大乗」と誇った。近年の研究ではその定義や成立起源の見直しが図られ、既存の部派仏教の教団内から発生したとする説が有力である。
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権経
仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容能力に応じて説いた権(かり)の教え、経典のこと。実教(実経)に対する語。権は一時的・便宜的なものの意。
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実経
仏が自らの覚りをそのまま説いた真実の教え、経典のこと。権教(権経)に対する語。天台宗の教判では、法華経のみを実経と位置づける。
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顕経
真言宗が密教以外の仏教の教えを指すのに用いた語。広く開かれて説かれた教えを意味する。もとは空海(弘法)が自身の教判として用い、衆生を導くために応身・化身(ここではそれぞれ報身・応身のこと)としての姿を現した如来が衆生の機根に従って広く説いた仮の教えを顕教と呼び、法身の如来が真理をひそかにそのまま示した教えを密教としたことに由来する。後に日本仏教で一般的に用いられ、顕密と併称して日本仏教全般を意味する。円仁(慈覚)以降の天台密教は、顕教と密教が教理の上で究極的には一致すると説くが、別しては印と真言といった事相を説く密教の方が顕教より優れているとする。
―――
密経
インドにおける大乗仏教の歴史的展開の最後期、7世紀から本格的に展開した仏教。古代インドの民間信仰を取り入れ、神秘的な儀礼や象徴、呪術を活用し、修行の促進や現世利益の成就を図る。日本では空海(弘法)以来、密教以外の通常の仏教を顕教と呼んで区別する。【成立と展開】密教の成立は呪術や儀礼の発達から説明できるが、5世紀ごろにはその原初形態があったと考えられている。呪術は初期仏教では否定されていたが、比丘の護身用の呪文は例外的に認められた。大乗仏教では、現世利益のための呪文が菩薩行として正当化されるようになる。例えば大乗経典では陀羅尼(ダーラニー)や真言(マントラ、神聖な呪文)が説かれ、初期大乗経典である法華経の陀羅尼品には陀羅尼・真言で修行者を守護することが説かれている(法華経640㌻以下)。陀羅尼とは総持とも訳され、もとは教えを記憶し保持することを意味したが、そのために唱える句も陀羅尼と呼ばれ、やがてそれが神秘的な力をもつものとして、災難を取り除くための呪文を意味するようになった。真言はヴェーダ文献から見られる語であり、呪文としての陀羅尼と真言は意味的に明確に区別しがたい。陀羅尼や真言は、やがて仏や菩薩といった種々の尊格が与えられ、その尊格に帰依し一体化して、無病息災や異国調伏といった世俗的な利益を得るための儀礼として用いられるようになる。また手・指の形態によって尊格の徳を象徴する印(ムドラー)が取り入られ、さらに覚りの世界を図顕して象徴した曼荼羅が作られる。曼荼羅は当初は一時的に土や砂で壇として作られるものだったが、後に布や紙に描いた絵図の形式が生まれた。さらに、こうした儀礼の効果や象徴の意義を説明し正当化する経典がつくられるようになった。大まかには以上の諸要素が組み合わさり、経典に基づいて、曼荼羅を作り、そのもとで印や真言・陀羅尼を用いて祈禱を行い、それら象徴を媒介として、仏や菩薩といった尊格と修行者とが一体化して何らかの利益を得るという密教の基本形態が形成されていった。こうした密教発達の背景の一つとして、グプタ朝(4~6世紀)以降、ヒンドゥー教のシヴァ信仰が盛んになる中、仏教側が王権や在家信徒の現世利益を成就させるための祈禱儀礼を積極的に取り入れて教勢を維持しようとしたことがあったと考えられている。7世紀に成立した大日経、金剛頂経では、これまでのような世俗的な利益を超えて、覚りを得て成仏することを説くようになる。口に真言・陀羅尼を唱え、手に印を結び、心に仏を思い浮かべることで、大日如来の身口意の三密が修行者の三業と一体化すること(三密加持)を説くなど、教理的な意義づけや体系化が進んだ。さらに灌頂という師から信徒へ法門を伝授する儀式も発達した。9世紀以降の後期の密教では、従来の密教に加え、性的要素を取り入れた修法を行うようになった。【中国・日本への伝来】陀羅尼を説く経典は3世紀ごろには中国で漢訳されていたと考えられている。7世紀の唐には、大日経、金剛頂経といった体系化された密教経典が善無畏・金剛智・不空の三三蔵などによって伝えられ、玄宗はじめ皇帝から護国の祈禱として重用され、厚い保護を受けた。日本には奈良時代に密教経典が伝来していたが、平安初期に空海(弘法)によって初めて大日経、金剛頂経がもたらされた。特に空海は唐に渡って恵果から伝授されたという胎蔵・金剛界の両部の法を伝え、真言宗の根本教義に据えた。その後、日本の密教は天台宗・真言宗において、それぞれ台密・東密として独自に教理や実践が発達した。なお、チベット、ネパールには最終期の密教が伝来し、今日においても民衆に根ざした宗教として存続している。
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阿含経
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
―――
方等
大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いているとされる。
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般若
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
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法華
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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涅槃
サンスクリットのニルヴァーナの俗語形の音写。泥洹ともいう。覚りを得て輪廻の苦悩から解放された、完全な平安で自在な境地のこと。この境地に至ることを解脱という。小乗の教えに基づく二乗たちは、覚りを得て、死後二度とこの世界に生まれて来ないことを涅槃(無余涅槃)と考え、その境地を目指した。
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慳貪
物を惜しんで人に与えず、貪り求めて満足を知らないさま。慳貪には、財物を惜しむ財慳と、正しい教えを説くことを惜しむ法慳がある。慳貪は、死後に餓鬼界に生まれる因となる悪業とされる。
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涅槃
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
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宗教の五義の中の“教”について述べられた段である。以下、機・時・国・序と順を追って述べられ、さらにこれら教・機・時・国・序のそれぞれについて「知ること」を示されている。
“教”とは「上より下をおしえる」ことであり、「上の行う処を下をして倣わしむる」義がある。もとより、ここでいう“上”“下”は社会的な上下の差別とは無関係である。法=真理を悟り、智を得ている人を“上”とし、まだ法=真理を知らず、愚迷の境界にいるものを“下”とするのである。
元来、宗教はいずれも、修行によってにせよ、神の恩寵によってにせよ、余人の及ばない覚り、智慧を得た人が、人々にそれを伝えるという原理のうえに成り立っている。そこで覚り、智慧を得た人の言葉を称して“教”というのである。これは、あくまで自らが真理を得ようとして思索し、あるいは対話する立場をとる哲学と根本的に異なる宗教の特質である。
仏教において、覚り・智慧を得た人は仏であり、したがって、仏教でいう“教”とは、仏の説いた教えである。仏教の開祖・釈迦牟尼世尊の教えは、八万法蔵と呼ばれ、厖大な量にのぼる。その言々句々は“経”として結集されたが、本抄でも「釈迦如来所説の一切の経・律・論」といわれているように、本来は釈尊が言葉で説いたのではない“律”、また、釈尊滅後の論師たちの著した“論”も“教”に含められる。
“律”が含められるのは、釈尊が直接、言葉で説いたわけではないが、自ら行動のうえで示したこと、また、滅後の教団で定められた規範も、釈尊の真意に迫るために不可欠の要素と考えられたからである。“論”も、釈尊自身の所説ではないが、釈尊の真意を受けついだ人々によって、分かりやすくするために説き、著されたものとして、やはり、釈尊の覚りに近づくための要件とされたから“教”に含めて挙げられるのである。
このように、仏教の“教”は「五千四十八巻・四百八十帙」の一切の経・律・論という厖大なものになるわけであるが、ただ、そのすべてに通じなければならないというのではない。これらすべてに通ずるということは、並大抵でない大学者ということになるが、ただ、すべてを知っているだけでは不足なのである。この厖大な“教”の中に「大小」「権実」「顕密」の勝劣があることを知らねばならない、との仰せである。
即ち、一切経論を、ただ客観的に、平等に、すみからすみまで知っているという認識だけにとどまっていては、まだ“教”を知っているとはいえない。そこに、大小・権実等をわきまえなければならないとは、正しい評価が加わらなければならないということである。この“認識”と“評価”が正しくなってこそ、真実に“教”を知っているといえるのである。
本段では「此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る」といわれ「之を用いざる者は外道と知るべきなり」と断言されている。即ちこの内容的評価事態も釈尊の“教”の重要な要素をなしているということである。本来、釈尊が覚った法は「一大事」の法といわれるように、ただ一つのものである。この「一大事」の法を説くために、前提とし、足がかりとして、種々の法を設け、説いたものである。したがって、そこには勝劣浅深の差別が本来あるのであり、それをわきまえなければ、釈尊の“教”を正しく知ることができないのは当然である。
逆にいうならば、一代八万の厖大な“教”は知らなくても、そこに説かんとされた究極の「一大事」の法を知れば“教を知った”ことになるのである。日蓮大聖人は、この「一大事」の、究極の法こそ三大秘法の南無妙法蓮華経にほかならないことを示されているのである。
いま本文で「大小」「権実」「顕密」とあげられた「顕経」とは、日蓮大聖人の仏法の立場からみれば、釈尊の法華経であり「密教」即ち、あらわに言葉に示さなかった経とは、法華経の寿量品の文底に秘沈された法であり、三大秘法の南無妙法蓮華経であることを知らなければならない。
0438:08~0438:15 第二章 機を明かすtop
| 08 二に機とは仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし 舎利弗尊者は金師に不浄観を教え浣衣の者には数息観を教う 09 る間九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして 還つて邪見を起し一闡提と成り畢んぬ、 仏は金師に数息観 10 を教え浣衣の者に不浄観を教えたもう 故に須臾の間に覚ることを得たり、 智慧第一の舎利弗すら尚機を知らず何 11 に況や 末代の凡師機を知り難し但し機を知らざる凡師は所化の弟子に 一向に法華経を教うべし、 問うて云く無 12 智の人の中にして 此の経を説くこと莫れとの文は如何、 答えて云く機を知るは智人の説法する事なり又謗法の者 13 に向つては 一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、 例せば不軽菩薩の如し亦智者と成る可き機と知 14 らば必ず先ず小乗を教え 次に権大乗を教え後に実大乗を教う可し、 愚者と知らば必ず先ず実大乗を教う可し信謗 15 共に下種と為ればなり。 -----― 第二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべきである。舎利弗尊者は金師に不浄観を教え、浣衣の者には数息観を教えたところ、九十日を経て所化の弟子は仏法を少しも覚らないで、かえって邪見を起こし一闡提となってしまった。仏は金師に数息観を教え、浣衣の者に不浄観を教えられたので、たちまちのうちに彼等は覚ることができた。智慧第一の舎利弗でさえなお衆生の機根を知らない。ましてや末代の凡師においては機根を知りがたい。ただし機根を知らない凡師は、所化の弟子にひたすら法華経だけを教えるべきである。 問うて云う。それでは法華経譬喩品の「無智の人の中において、この法華経を説いてはならない」との文はどうなのか。 答えて言う。機を知るとは智人が説法する場合である。しかし、謗法の者に向かってはひたすら法華経を説くべきである。それは毒鼓の縁を結ぶためである。たとえば不軽菩薩のようなものである。また智者となるべき機根と知るならば、かならず先に小乗を教え、つぎに権大乗を教え、最後に実大乗を教えるべきである。しかし機根が愚かな者であると知るならば、かならず先に実大乗を教えるべきである。信ずるにしても謗ずるにしても、ともに下種となるからである。 |
機根
仏教を理解し信じ実践する能力・資質。根機ともいう。
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舎利弗
サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。【釈尊への帰依】釈尊の弟子となる前、舎利弗は目連(マウドゥガリヤーヤナ)とともに外道のサンジャヤに師事していたが、釈尊の弟子アッサジに出会い、そこで聞いた釈尊の教えに感銘を受け、釈尊に帰依した。その際、サンジャヤの弟子250人も、ともに釈尊に帰依したと伝えられる。【乞眼のバラモンと舎利弗】 乞眼の婆羅門こつげんのばらもん【釈尊からの𠮟責】『止観輔行伝弘決』巻2には『十誦律』をふまえて、次のような話が記されている。ある在家の有力信徒から釈尊の弟子たちが食事の供養を受けた時、舎利弗ら長老などがおいしいものをたっぷり食べ、初心者たちは不十分な食事しかできなかった。これを羅睺羅(ラーフラ)から聞いた釈尊は、舎利弗に対して不浄な食事をしたと叱責した。舎利弗は食べた物を吐き出し、今後二度と食事の供養を受けないと誓った。日蓮大聖人は「開目抄」(205㌻)で、この話を、法華経が説かれる以前には二乗が不成仏として糾弾されてきたことの傍証とされている。
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金師
鍛冶屋のこと。
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不浄観
肉体の不浄を観じて貪欲を離れる観法。五停心観の一つ。具体的には、異性に対する欲望を制するため、死後の肉体が次第に腐蝕して白骨となる姿を心に観想すること。
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数息観
呼吸を数えて精神の統一・安定を図る方法。座禅の初心者の修行法に用いる。五停心観のひとつ。
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所化の弟子
化導される門弟。教化される門下。所化の衆ともいう。弟子は師に従って教えを受け、かつ師の意思を承けて実践し、それを伝えるものをいう。
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一闡提
梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写。一闡底迦とも書き、断善根・信不具足と訳す。仏の正法を信ぜず、成仏する機縁をもたない衆生のこと。
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須臾
時間の単位。①一昼夜の30分の1をさす場合と、②最も短い時間の単位(瞬時)をさす場合がある。
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毒鼓の縁
毒鼓とは毒を塗った太鼓のことで、この音を耳にした者は、皆死ぬとされた。死ぬとは「煩悩が死ぬ」ことの譬えで、逆縁の功徳を教えている。涅槃経巻9に説かれる。日蓮大聖人は「教機時国抄」で、「謗法の者に向っては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し」(438㌻)と仰せである。
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不軽菩薩
法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557㌻、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。【日蓮大聖人の弘通との対比】不軽菩薩の弘通と大聖人の弘通との対比は、次の御文に示されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(「顕仏未来記」、507㌻)「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」(「教行証御書」、1276~1277㌻)以上から、不軽菩薩と大聖人の正法弘通における共通点は、次の点に整理できる。①教。法華経の要法を広める(ただし不軽菩薩の「二十四字の法華経」は法華経一部の要旨であり、広・略・要でいえば略にあたるのに対して、大聖人の「妙法蓮華経の五字」は法華経の所詮の法体であり、真の意味での要にあたる)。②機。逆縁の衆生への化導。衆生の機根が劣悪であり、ただちに法華経を説いて衆生に反発されても縁を結ばせる逆縁の化導を中心に行った。③時。仏の亡くなった後の乱れた世の中に出現し難を耐え忍んで弘通した。④行者の位。不軽菩薩は初随喜の位、大聖人は名字即の位という、いずれも菩薩として初信の位であった。不軽菩薩の実践は、仏の滅後の悪世における法華経弘通の方軌を示しており、大聖人もこの方軌に則って法華経を弘通されている。それ故、不軽品を御自身の弘通の例とされている。
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下種
「種を下ろす」と読み下す。仏が衆生を成仏に導くさまを植物の種まき・育成・収穫に譬えた、種熟脱の三益のうち最初の種。成仏の根本法である仏種を説いて、人々に信じさせること。仏が衆生に仏種を下ろすという利益を「下種益」という。釈尊が生涯にわたって説き残した膨大な諸経典には、仏種が明かされていない。唯一、法華経本門の如来寿量品第16で「我本行菩薩道」(私は久遠の昔から菩薩道を実践してきた、法華経482㌻)と述べて、釈尊自身が凡夫であった時に菩薩道を実践したことが、自身の成仏の根本原因であったと示しているだけである。日蓮大聖人は、寿量品の文の底意として示された仏種を覚知し拾い出して、それが南無妙法蓮華経であると説き示され、南無妙法蓮華経を説き広めて末法の人々に下種する道を開かれた。それ故、大聖人は下種の教主であり、末法の御本仏として尊崇される。
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宗教の五義のうち、第二の“機”について述べられた部分である。機とは、教を受け入れて修行し証得する衆生の能力である。そうした衆生の能力をあらわすのに、なぜ“機”という文字・語を選んだかという問題があるが、この漢字のもともとの意味は、たとえば弓などのように、一つの働きを起こす仕掛けをいった。そこから、ある法がどのように衆生の生命に受け容れられ、働きを起こさせるかという、その衆生の生命の能力を“機”という言葉で表ようになったと考えられる。
本文で示されているように、同じ法を教えても、それを受け止める衆生の機によって、その効果は、まちまちである。仏法への理解と信を起こさせるには、この衆生の機を、よくわきまえなければならないのである。一般的にいう教育と同じく、否それ以上に、仏法の化導は教えるものと教わるものとの共同作業なのである。
しかるに、衆生の機がいかなるものかを知ることは、きわめてむずかしい。智慧第一といわれた舎利弗すら機を正しく捉えることはできなかったのである。いわんや、私達凡夫が機を正しく知るなどということは不可能に近いといわなければならない。だが、もし、ただ不可能であるということで終わってしまうならば、私達は仏法を人々に教え弘めることはできず、仏の使いとして名誉ある行為に参画できないことになってしまう。
ただし、ここで、機が重要なのは、先の“教”の内容と関連するが、その教えるものが方便の教である場合である。即ち教えるものが究極の法自体でなく、究極の法へ相手を向かわせるための教えである場合、機によっては、まったく逆の、究極の法から遠ざかる方向へ心を発動させてしまうのである。舎利弗が金師に教えた不浄観や、浣衣者に教えた数息観は、こうした方便の教えで、しかも相手の機にかなわなかったために、逆方向へ作用し「仏法を一分も覚らずして還って邪見を起」させる結果となったのである。
それに対し、日蓮大聖人が教えられた三大秘法は究極の法それ自体である。したがって、その順序いずれの方向に機が発動しても、この究極の法に帰着することは間違いない。当然、準の方向をとれば即身成仏できるが、逆の方向をとれば阿鼻地獄の苦に堕ちる。しかし、後者の場合も、すでに教わった法の偉大さへの理解を深めさせることとなり、一念を逆から順へ転換することによって、同じくただちに即身成仏ができるのである。
今、私達も、この日蓮大聖人の仏法を弘めていくにあたっては、順逆ともに救うことができるのであるから、機をわきまえることができないからといって恐れる必要もなくなるのである。むしろ、結果的には、機を知らなくとも、知ったと同じ効果を得ることができるのである。 ただし、逆の方向に発動することもあり、その場合は、誹謗・中傷・迫害となって還ってくるから、いわゆる三障四魔・三類の強敵を覚悟して、それに耐える勇気ある実践を貫くことが要請されるのである。
「智者と成る可き機と知らば必ず先ず小乗を教え次に権大乗を教え後に実大乗を教う可し」とは、正像時代の弘教の方軌である。それに対し、末法においては、五濁の衆生であるから「愚者と知らば必ず先ず実大乗を教う可し」といわれている御文を根本とすべきことは、いうまでもない。
0439:01~0439:12 第三章 時を明かすtop
| 0439 01 三に時とは仏教を弘めん人は必ず時を知るべし、 譬えば農人の秋冬田を作るに種と地と人の功労とは違わざれ 02 ども一分も益無く還つて損す一段を作る者は少損なり、 一町二町等の者は大損なり、 春夏耕作すれば上中下に随 03 つて皆分分に益有るが如し、 仏法も亦復是くの如し、 時を知らずして法を弘めば益無き上還つて悪道に堕するな 04 り、 仏出世したもうて必ず法華経を説かんと欲するに 縦い機有れども時無きが故に四十余年には此の経を説きた 05 まわず故に経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等と云云、 仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く 06 破戒の者は少し 正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、 像法一千年の次の日より 07 末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し、 正法には破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし 像法には無戒 08 を捨てて破戒の者を供養すべし、 末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし 但し法華経を謗ぜん者をば正 09 像末の三時に亘りて 持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず、 供養せば必ず国に三災七難起 10 り供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、法華経の行者の権経を謗ずるは主君・親・師の所従・子息・弟子等を 11 罰するが如し、権経の行者の法華経を謗ずるは所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し、又当世は末法に 12 入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり。 -----― 第三に時とは、仏教を弘めようとする人は、かならず時を知るべきである。 譬えば、農人が秋や冬に田を作れば、種と地と人の労作業に変わりがなくても、少しも利益がなく、かえって損することになる。一反を作る者は少損であり、一町・二町を作る者は大損である。しかし、春や夏に耕作すれば、上中下にしたがって、皆、それぞれに応じた収益があるようなものである。 仏法も、また、これと同様である。時を知らないで法を弘めるならば、利無がないばかりか、かえって悪道に堕ちることになる。仏はこの世に出現されて、かならず法華経を説こうとされたが、たとい機はあっても時がきていなかったので、四十余年の間には、法華経を説かれなかった。ゆえに法華経方便品第二には「説く時が未だ至らなかった故である」等といわれている。 仏の滅後のつぎの日から始まる正法一千年間は、持戒の者が多く破戒の者が少ない。正法一千年のつぎの日から始まる像法一千年間は、破戒の者が多く無戒の者が少ない。像法一千年のつぎの日から始まる末法一万年間は、破戒の者は少なく無戒の者が多い。正法には、破戒・無戒の者を捨てて持戒の者を供養すべきである。像法には、無戒の者を捨てて破戒の者を供養すべきである。末法には無戒の者を供養すること、仏を供養するようにすべきである。 ただし、法華経を謗る者に対しては、正法・像法・末法の三時にわたって、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも、ともに供養すべきではない。もし供養するならば、かならず国に三災七難が起こり、供養した者もかならず無間大城に堕ちることになる。法華経の行者が権経を謗ずるのは、主君が所従を、親が子息を、師が弟子を処罰するようなものである。だが、権経の行者が法華経を謗ずるのは所従が師匠を、子息が親を、弟子が師を処罰するようなものである。 また今の世は、末法に入って二百一十余年になる。権経・念仏等の時か、法華経の時かをよくよく考えるべきである。 |
一段
土地の面積の単位。一反のこと。1166㎡。
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一町
土地の面積の単位。10反。11664㎡。
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悪道
三悪道のこと。悪業によってもたらされる3種の苦悩の世界。
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正法一千年
釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする。
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像法一千年
中国では、釈尊滅後、正法・像法・末法の三時を立てる。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、教えそのものとそれを学び修行する者はあるが、覚りを開く者はおらず、仏法が形式的に行われる時代とされる。仏の説いた教えが形骸化した時代。また、釈尊以外の仏にも適用される。例えば威音王仏の像法が法華経で説かれる。インドでは、像法と末法の厳密な区別はなかった。大集経では第3の500年を「読誦多聞堅固」(仏の経典を翻訳し聞持する者が多い時代)とし、第4の500年を「多造塔寺堅固」(寺院・堂塔の造立が盛んな時代)とする。
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破戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
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無戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。もともと戒を受けないものをいう。
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持戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
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供養
サンスクリットのプージャーの訳語。もともとの意味は、尊敬の気持ちで種々の行いをすること。神々や先祖の霊、また尊敬すべき人や対象に対して、食物や灯明や香や花などを供え捧げて、崇め敬う心を表すこと。初期の仏教教団では、在家が飲食・衣服・臥具(房舎)・湯薬の四つを供養すること(四事供養)で教団を支えることが促された。仏の遺骨を納め祀る仏塔でも種々の供物が捧げられ、舞踊や音楽演奏などが行われた。また仏像が作られるようになってからは、仏像への供養も行われるようになった。法華経法師品第10では、法華経を受持・読・誦・解説・書写する修行とともに、法華経に対して華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢旛・衣服・伎楽の10種を供養すること(十種供養)が説かれている。また故人の冥福を祈るために、種々の仏事を行う追善供養や、そのために卒塔婆を立てて供養する塔婆供養、仏像の開眼のための仏事を行う開眼供養など、さまざまな仏事が供養と呼ばれる。日本では古来からのアニミズムの影響で長年使用した針や箸などへ感謝し鎮魂を願う供養も行われている。また、供養には種々の分類が立てられる。①二種供養。財供養と法供養をいう。財供養とは飲食や香華などの財物を供養すること。法供養とは仏を恭敬・讃歎し礼拝すること。②二種供養を色供養と心供養に分けることもある。色供養とは飲食・衣服・湯薬・住居などを奉ること。心供養とは心のうえの供養をいい、心の誠を傾けて仏道を行ずること。蘇悉地経などには、真心込めて修行する心供養は、財物の供養よりもはるかに優れると説かれている。③三種供養。『十地経論』には、衣服臥具などを捧げる利養の供養、香花幡蓋などを捧げる恭敬の供養、修行信戒行を実践する行の供養の3種を立てる。④三業供養。『法華文句』には、身業供養(礼拝)、口業供養(称賛)、意業供養(相好を想念すること)をあげる。⑤事供養と理供養。『摩訶止観』では、物を惜しみむさぼる事実を破すために財物や時には身体・命までをも捨てる行為が事供養、慳貪の心そのものを破すために理法の方面を仏道に捨てること、すなわち覚りを求める心を起こし、観心の行法に励むなどを理供養とする。日蓮大聖人は、“事供養として身体・命を捨てるのは過去の聖人が行うものである。末法の凡夫は理供養を行うのであり、この理供養では、一つしかない食物を惜しまず捧げるなどの行為が命を捧げることに匹敵し、大きな功徳・善根となる”と教えられている。
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三災七難
正法に背き、また正法を受持する者を迫害することによって起こる災害。三災について大集経には①穀貴(飢饉などによる穀物の高騰)②兵革(戦乱)③疫病(伝染病の流行)が説かれる(20㌻で引用)。七難は経典により異なるが、薬師経には①人衆疾疫難(人々が疫病に襲われる)②他国侵逼難(他国から侵略される)③自界叛逆難(国内で反乱が起こる)④星宿変怪難(星々の異変)⑤日月薄蝕難(太陽や月が翳ったり蝕したりする)⑥非時風雨難(季節外れの風雨)⑦過時不雨難(季節になっても雨が降らず干ばつになる)が説かれる(19㌻で引用)。仁王経には①日月失度難(太陽や月の異常現象)②星宿失度難(星の異常現象)③災火難(種々の火災)④雨水難(異常な降雨・降雪や洪水)⑤悪風難(異常な風)⑥亢陽難(干ばつ)⑦悪賊難(内外の賊による戦乱)が説かれる(19㌻で引用)。日蓮大聖人は「立正安国論」で、三災七難が説かれる経文を引かれ、正法に帰依せず謗法を放置すれば、薬師経の七難のうちの他国侵逼難と自界叛逆難、大集経の三災のうちの兵革、仁王経の七難のうちの悪賊難が起こると予言されている(31㌻)。そして鎌倉幕府が大聖人の警告を無視したため、自界叛逆難が文永9年(1272年)2月の二月騒動として、他国侵逼難が蒙古襲来(文永11年=1274年10月の文永の役、弘安4年=1281年5月の弘安の役)として現実のものとなった。
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無間大城
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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宗教の五義の中の“時”について述べられている段である。
“時”とは、客観世界が全体的に奏でる変化のリズムといえよう。いま本文で第一に例として挙げられている農人の場合は、一年を周期とする自然界の変化のリズムである。秋に種を植えても、成長すべき時に次第に寒くなり雪におおわれて稲の必要とする条件に合わないが故に、米は実らない。初夏に植えれば、稲の成長、成熟に必要な気温、日射、水が得られて米が実るのである。
第二の例として釈尊が法華経を説くのに、何よりも“時”を選んだといわれている。この中で「縦い機有れども」とあるのは、弟子・衆生の中に、一人・二人は法華経を聞き信受する機をすでに持っている人はいたけれども、ということである。
大聖人は、この点を「撰時抄」でさらに明確に、法華経を説いた時の衆生は、機根からいうと、爾前経の時の、それにふさわしい機の人々より劣るとさえ指摘されて、法華経が“機”によらず“時”によって説かれたことを強調されている。
この場合の“時”とは、たんに衆生の全体的な機根的条件だけでなく、釈尊の入滅が近いこと、そこから滅後の時代が始まることをも含んだ意味での“時”と考えられる。
事実、法華経に説かれる仏の常住観等は、釈尊の入滅間近という条件のもとでこそ、衆生にもより切実に明確に受け容れられたものと思われる。
第三に挙げられている、正法は持戒、像法は破戒、末法は無戒という変化と、それに応じて重んずべき仏法指導者のあり方が変わるという例は、“時”に応じて、広まる法も衆生の機も異なってくるということである。
まず正法時代には、戒律を重んじた小乗経が広まった。戒を行ずることによって、仏教僧たちはおのずから禅定を得て解脱することができたのである。したがって、この時代の一般信徒は、戒律をきちんと守っている僧を仏法にかなった人として尊敬し供養すれば、功徳を積むことができたのである。
それに対して、像法時代は「破戒の者は多く無戒の者は少し」といわれている。そして、この時代には「無戒を捨てて破戒の者を供養すべし」と教えられている。像法時代に広まった大乗教においては、戒律の修行は初歩の一段階に過ぎず、智慧の研鑽や衆生化他の実践が中心となってくる。したがって、正しい仏教僧であれば、戒律だけにとどまっているのではなく、そこからつぎの段階へ進まなければならない。これが、本抄でいわれている“破戒”であって、元へ逆戻りして退く意味での“破戒”ではないことに留意しなければならない。
末法においては、法華経の実大乗、即ち大聖人の元意からいえば三大秘法の南無妙法蓮華経をただちに行ずる仏法が広まる時である。したがって、像法次代の場合のように一段階として戒を行ずることもないのであって、故に「末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し」であり、人々は“無戒”の人、妙法をただちに行じ、妙法をただちに教え弘める人を尊び供養することが大事となる。
ここでいわれる“無戒の者”とは、ただ“無戒”であるのではなく、三大秘法の南無妙法蓮華経をただちに行じているということに重点があると拝さなければならない。それを、以下の「但し法華経」云々の御文に間接的に示されているのである。
しかも「末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし」の御文に“無戒の者”即、妙法をただちに行じ弘めている人こそ、末法の一切衆生を救済する方であり、供養する人には功徳善根を生ぜせしめる仏であることが明白である。
「但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず」以下の御文において、前述したように、妙法こそ功徳の根源であることを断わられているのである。いうなれば、自戒か破戒か無戒かということは、修行者の“人”のうえにあらわれた姿であるのに対し、その根本となっている“法”が究極的に法華経即ち三大秘法の仏法に合致していなければならないことを示されている。つまり、“人”の外面にあらわれる姿は、時に応じて持戒・破戒・無戒と差別はあっても、根本の法華経が法の功徳の源泉であり、成仏の鍵であることは一貫しているのである。
ただ、それを顕すあり方が、正法・像法の場合は間接的であるのに対し、末法においては、そうした介在物を排して直接的に説き示されるのである。その姿を「末法には無戒の者」と表現されたのである。日蓮大聖人こそこうした一切の介在物を排除し、なんら方便を設けることなく、究極の正法である三大秘法の南無妙法蓮華経を行じ弘めている“無戒の者”であられる。この段は「末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし」と、“人の本尊”を示され、「又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり」と、末法の一切衆生の尊敬すべき法、即“法の本尊”を教えられている。そして、釈尊在世においても、正法が説かれた要件は“時”であったように、滅後、正像末の流れの中でも、正法流布の要件が“時”にあり、今まさに、その大白法流布の時である、との仰せである。
0439:13~0439:15 第四章 国を明かすtop
| 13 四に国とは仏教は必ず国に依つて之を弘むべし国には寒国.熱国・貧国・富国・中国.辺国・大国・小国・一向偸 14 盗国・一向殺生国.一向不孝国等之有り、又一向小乗の国・一向大乗の国.大小兼学の国も之有り、而るに日本国は一 15 向に小乗の国か一向に大乗の国か大小兼学の国なるか能く之を勘うべし。 -----― 第四に国とは、仏教はかならずその国に応じた法を弘むべきである。国には寒い国と熱い国、貧しい国と富める国、世界の中央にある国と辺境の国、大国と小国、盗賊ばかりの国、殺生者ばかりの国、不孝者ばかりの国等がある。また小乗だけの国、大乗だけの国、大乗と小乗を兼ね学ぶ国もある。それでは日本国は小乗だけの国なのか、大乗だけの国なのか、それとも大乗と小乗とを兼ね学ぶ国なのか、この点をよくよく勘えるべきである。 |
宗教の五義のうち“国”について示された段である。
“国”の条件の捉え方には、種々の視天があり、本文にも、その多様な角度が挙げられている。「寒国・熱国」は、まず、気候的条件である。気候条件の違いは、ただ自然環境にとどまらず、人々の気性や生活態度等にも大きい影響を及ぼす。熱い国では比較的に開放的になりやすいが、寒い国では閉鎖的になりやすいであろう。また、寒い国では、長い冬のために計画的に蓄えをしなければならないのに対し、熱い国では、もちろん、さらに細かい違いは種々あるにしても、いつでも食料が得られ、刹那的・快楽的に流れやすい等々。
「貧国・富国」はいうまでもなく、経済的条件である。豊かな富んだ国と、貧しい国とでは、いわば人生哲学・生活哲学も異なる。そこから、同じ仏法を聞いても、その受け容れ方も違えば、実践の仕方も違ってくるであろうことは、容易に推察されよう。
「中国・辺国」は、主として文化的な面での位置の問題である。文化を創造し、それが他国へ発散して、多くの国々に影響を与えていく国が「中国」であり、そうした文化の核から影響をうけていく国が「辺国」である。「中国」の人々が自信と誇りをもっているのに対し「辺国」の人々は、どうしても卑屈になりやすい。しかし、逆に「中国」の人が独善的に陥りやすいのに対し「辺国」の人は、あらゆるものを受け容れようとする謙虚さを発揮するともいえる。
付随しておくが、仏教的観点から大聖人は、「中国」とは、仏教発祥の地インド、「辺国」とは発祥地から遠く離れた日本とされている。
「大国・小国」は、権力的条件である。「大国」は、その強大な国力を背景に傲慢になりやすいのに対し「小国」はつねに、大国や周囲の動向をうかがいながら、自国の安全を維持しなければならない。やはり「大国」の人々は自身に満ち、おおらかになりやすいのに対し「小国」の人々は、せせこましくなる傾向が強いといえる。しかし、これも、逆に「大国」の人間が、物事をおおざっぱにとらえ、無神経になりやすいのに対し「小国」の人間は、繊細で機敏という特質をもちやすいということもいえる。
「一向偸盗国・一向殺生国.一向不孝国」の例は、いわゆる道徳観念やそこから来る風習の違いである。物を所有するという観念があまり強くないため、人の物を勝手に使ったりしても、それほど罪とされない国がある。これらが「一向偸盗国」である。また「一向殺生国」とは、生命の尊厳という観念が弱く、殺人や傷害が日常茶飯事化しているような社会といえる。「一向不孝国」とは、親子の倫理がうすく、親は子をそれほど大事にせず、子も親を尊敬したり、面倒をみようとしない国ということである。
こうした、気候・経済・文化・国際・道徳などの種々な角度からの違いに応じて、人々の考え方、生き方が異なるから、そこに弘められるべき教法も一律ではない。小乗教の戒律を主にして、倫理・道徳面から支えていかなければならない国もあるし、大乗教によって、もっと深い内面的な充実の法を必要とする国もある。また、この両方を必要とする国もある。結論として、では、日本は、これらのいずれに該当するかを勘えなければならない、と結ばれている。ここでは、問題提起の形で一応収められているのであるが、古来、日本は法華経有縁の国であることは、大聖人が諸御抄で、繰り返し強調されているところである。
0439:16~0440:01 第五章 教法流布の先後を明かすtop
| 16 五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には 未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ず 17 る者あり必ず先に弘まれる法を知つて 後の法を弘むべし 先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に 18 実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、 瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ。 0440 01 已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか -----― 第五に教法流布の先後とは、まだ仏法が渡っていない国には、まだ仏法を聴かない者がいる。すでに仏法の渡った国には仏法を信ずる者がいる。かならずその先にその国に弘まった法を知って、後の法を弘めるきである。 先に小乗・権大乗が弘まっていたならば、後はかならず実大乗を弘めるべきである。先に実大乗が弘まっていたならば、後に小乗・権大乗を弘めてはならない。瓦礫を捨てて黄金と珠を取るべきである。黄金や珠を捨てて瓦礫を取ってはならない。 以上この五義を知って仏法を弘めるならば、日本国の国師となるのである。 |
小乗
乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
―――
権大乗
大乗のうち権教である教え、経典。
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実大乗
大乗のうち実教である教え、経典。
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瓦礫
瓦と礫のこと。黄金などのような高価なものに対して、価値のないものと対比するのに用いる。三大秘法を黄金とするなら、諸教は瓦礫となる。
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金珠
金や宝石。貴金属のこと。
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国師
①奈良時代に諸国に置かれた僧官。僧侶の監督・寺領の管理・経論の講義などを任務とした。②国家の師表として朝廷から贈られた称号。③仏教の億義を悟り、一国の民衆を導く大導師。
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本章は、「五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ」と、宗教の五義の教法流布の先後について明かされ、「已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか」の文は、以上の総じて論じてきた宗教の五義についての結論にあたるところである。
したがって、本章までで、宗教の五義の総論が終わって、以下、五義を別して論じ、最後に、法華経の行事の死身弘法が説かれるのである。
教法流布の先後とは、教法流布の前後とも、たんに「序」とも呼ばれるもので、教法の流布する順序や次第をいうのである。
仏法を弘める人は、その国にこれまでいかなる教法が流布されてきたかを正しく認識し把握し、これまでに流布した法よりすぐれた教法を弘めなければ、人々を救うことはできないことを示されているのである。
それは、先に弘まった法より劣る低い教法を弘めると、人々は劣った法を根本にして、勝れた法に背くことになる。このことは、人々に正法に背く謗法の罪を犯させる結果になるのである。勝れた法によって劣った法に背いても、それは仏法上の罪にはならないばかりか「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」(0509-08)といわれるように、むしろ仏法上すばらしいことである。
したがって、法を弘めるにあたっては、以前に広まった法がいかなるものかをわきまえ、間違ってそれより劣る法を弘めてはならない。
いま、日蓮大聖人が弘められる三大秘法の南無妙法蓮華経は、最高究極の法であるから、以前に広まってきた宗教がいかなるものであれ、この順序を誤るという恐れはまったくないのである。
已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか
宗教の五義を知って仏法を弘める師が、事実の日本国の国師であるとの仰せである。国師については、御文の次下に、一切衆生を一人も漏れなく成仏へと導く人師のことであると示されているが、それでは誰が国師であるのか。 過去をふり返ってみると、一切経の中で法華経が最勝の経なりと他経と分別した天台大師が中国の国師であり、桓武天皇の時に、小乗・権大乗の義を破して、法華経の実義を顕揚した伝教大師が日本国の国師であった。今末法にあっては、宗教の五義をわきまえ、三大秘法を弘める日蓮大聖人が日本の国師であられることを知らなければならない。
0440:01~0440:10 第六章 教を知るtop
| 01 所以に法華経は切経の中の第一の経王なり 02 と知るは是れ教を知る者なり、 但し光宅の法雲・道場の慧観等は 涅槃経は 法華経に勝れたりと、 清涼山の澄 03 観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと、嘉祥寺の吉蔵・慈恩寺の基法師等は般若・深密等の二 04 経は法華経に勝れたりと云う、 天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に 法華経を勝れたりと立つるのみに非ず 05 法華経に勝れたる経之れ有りと云わん者を 諌暁せよ止まずんば 現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等 06 と云云、 此等の相違を能く能く之を弁えたる者は教を知れる者なり、 当世の千万の学者等一一に之に迷えるか、 07 若し爾らば 教を知れる者之れ少きか 教を知れる者之れ無ければ法華経を読む者之れ無し 法華経を読む者之れ無 08 ければ国師となる者無きなり、国師となる者無ければ国中の諸人.一切経の大・小・権・実.顕・密の差別に迷うて一 09 人に於ても生死を離るる者之れ無く、 結句は謗法の者と成り法に依つて 阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも 10 多く法に依つて生死を離るる者は爪上の土よりも少し、 恐る可し恐る可し、 -----― ゆえに法華経は一切経の中の第一の経王であると知るのが、教を知る者である。ところが光宅寺の法雲・道場寺の慧観等は、涅槃経は法華経より勝れているといっている。清涼山の澄観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経よりも勝れているといっている。嘉祥寺の吉蔵・慈恩寺の窺基法師等は、般若・深密等の二経は法華経より勝れているといっている。天台山の智者大師ただ一人だけが、一切経の中で法華経が勝れていると立てただけではなく「法華経よりも勝れた経があるという者を諌暁しなさい。それでもいいやまないならば、現世には舌が口中で爛れ、後生は阿鼻地獄に堕ちるであろう」等といわれたのである。これらの相違をよくよくわきまえた者が教を知っている者である。 今の世の千万の学者等は、誰もがこれに迷っている。もしそうなれば、教を知っている者は少ないことになる。教を知っている者がいなければ、法華経を読む者もいない。法華経を読む者がいなければ、国師となる者もいない。国師となる者がいなければ、国中の人々は一切経の大乗・小乗・権経・実経・顕経・密経の差別に迷って、一人も生死を離れる者がなく、結局は謗法の者となり、法によって阿鼻地獄に堕ちる者は大地の微塵よりも多く、法によって生死を離れる者は、爪の上の土よりも少ない。まことに恐るべきことである。 |
教を知る
法華経が一切経のなかの第一の経王であると知ることをいう。
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法雲
467年~529年。中国・南北朝時代の僧。南三北七の一人。梁の武帝から帰依を受け、光宅寺の寺主に任じられた。そのため光宅寺法雲と通称される。主著に『法華経義記』があり、これに依って聖徳太子作と伝えられる『法華義疏』は撰述された。
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慧観
4~5世紀、生没年不詳。中国・南北朝時代の宋の僧。鳩摩羅什の弟子。南三北七のうち南地の一人。教判論の嚆矢となる五時教判を立て、法雲もこれを用いた。この五時では、まず諸経典を頓教(真実を直ちに説く教え)、それ以外の諸経を漸教(順を追って高度な教えに導いていく教え)に分け、頓教を華厳経とする。さらに漸教を①三乗別教(阿含経など)②三乗通教(般若経など)③抑揚教(維摩経など)④同帰教(法華経など)⑤常住教(涅槃経など)に分ける。また、慧厳や謝霊運らと曇無讖訳の涅槃経40巻(北本)を一部修正・再編集し、36巻本とした。これは南本と呼ばれ南朝に普及した。
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澄観
738年~839年。中国・唐の僧で、華厳宗の第4祖に位置づけられる。五台山清涼寺に住んだことから、清涼国師と呼ばれた。実叉難陀が訳した80巻の華厳経を研究し、『華厳経疏』『華厳経随疏演義抄』などを著した。
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弘法
774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。空海ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
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吉蔵
774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。弘法大師ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
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基法師
窺基のこと。(0632~0682)中国・唐代の法相宗の事実上の開祖。慈恩のこと。姓は尉遅、慈恩寺に住んでいたので慈恩大師といわれ、大乗基とも呼ばれる。玄奘の弟子となり訳経に従事した。「成唯識論」を訳出し、また瑜伽論を学んだ。著書に「法華経玄賛」10巻、「大乗法苑義林章」7巻などがある。
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智者大師
天台大師のこと。538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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生死
①繰り返し迷いの境涯に生まれては死ぬこと。また、その苦しみ。②生命の二つの側面としての、生きることと死ぬこと。
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爪上の土
ガンジス河の砂に対して、爪の上に乗るほどの土をいう。人間として生を受けることは稀であり、仏法に巡り合うこととむずかしさ、等にたとえる。
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この段から、五義を正しく弁えるならば、法華経こそ第一であり、法華経を弘める人が“国師”の資格を有する人であることを述べられているのである。それは、やがて佐渡流罪の際、日蓮大聖人が主・師・親三徳具備の仏であることを開示されるのであるが、その中の“師”の徳の片鱗を明かされたものと拝することができる。
さきに五義の中の教について明かされた段では「小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経を弁えなければならない」と、基準を示されただけであったが、その基準によって結論されるところは、法華経こそ第一であるということである。ただし、ここでは、権実の相対にとどめて、それ以上の本迹・種脱という、真実の意味での顕密にまでは触れられていない。それは、当時、まずこの権実の立て分けさえも人々は知らず、権教を実教の法華経より勝れるとしている邪義を打ち破らなければならなかったからである。
仏典の規範に照らせば、少なくとも権実の次元では法華経こそ第一と立ててしかるべきであるのに、中国でも日本でも、それを無視した邪義を立てている高僧たちの説が風靡していた。いわゆる中国仏教では、涅槃経を第一と立てた法雲・慧観、華厳経を第一と立てた、吉蔵、般若経を第一と立てた吉蔵、深密を第一と立てた窺基、そして日本では大日経を第一と立てた弘法等である。これらの人々は、華厳・法相・真言等の宗派の祖で、絶対的な権威を認められていたのである。いいかえれば、当時の人々が“国師”と仰いでいた高僧達なのである。大聖人は、それを名指しで挙げて、これらの人は“国師”ではありえないと弾劾されたのである。これ自体、既存の権威に対する並々ならぬ改革の叫びであったことを知らなければならない。
のみならず、法華経最第一の正義を唱えた唯一の先駆者として天台智者大師を挙げられ、しかも、この智者大師の、正法誹謗を阿鼻地獄と責めた言葉を引用されて、邪義に迷っている一国の衆生を諌められている。「国中の諸人・一切経の大・小・権・実・顕・密の差別に迷うて一人に於ても生死を離るる者之れ無く、結句は謗法の者と成り法に依つて阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く法に依つて生死を離るる者は爪上の土よりも少し、恐る可し恐る可し」の一節には、邪義を流布せしめた謗法の高僧たちに対する厳しい叱責と、それに迷って苦悩に落ちていく衆生の痛烈な慈愛の雄叫びが拝せられるのではないか。
0440:10~0440:13 第七章 機を知るtop
| 10 日本国の一切衆生は桓武皇帝より已来四百余年一向に法 11 華経の機なり、例せば霊山八箇年の純円の機為るが如し天台大師.聖徳太子.鑒真和尚.根本大師.安然和尚.慧心等の記に之有り是 12 れ機を知れるなり、而るに当世の学者の云く日本国は一向に称名念仏の機なり等と云云、例せば舎利弗の機に迷うて 13 所化の衆を一闡提と成せしが如し。 -----― 日本国の一切衆生は桓武天皇以来四百余年、一向に法華経の機根である。たとえば霊鷲山で八箇年の説法を聞いた衆生が、純円の機根であったのと同じである。このことは天台大師・聖徳太子・鑒真和尚・根本大師・安然和尚・慧心僧都等の文書に記されているこれが機を知るというのである。ところが今の世の学者がいうには「日本国は一向に称名念仏の機根である」と。たとえば舎利弗が機根に迷い、所化の衆生を一闡提としてしまったようなものである。 |
桓武皇帝
737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第1皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄を重んじ、日本天台宗の成立に大きく貢献した。
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法華経の機
法華経によって成仏得道する機根のこと。
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円教の機
円機によって成仏得道する機根のこと。
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天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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聖徳太子
574年~622年。飛鳥時代の政治家。厩戸皇子・豊聡耳皇子・上宮王ともいう。聖徳太子とは後代における呼称。用明天皇の第2皇子。四天王寺や法隆寺を造営し、法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書である三経義疏を作ったと伝えられる。これらの業績が、実際に聖徳太子自身の手によるものであるか否かは、今後の研究に委ねられている。ただし、妃の橘大郎女に告げた「世間は虚仮なり、唯、仏のみ是れ真なり」という太子の言葉が残されていて、ここから仏教への深い理解とたどり着いた境地がうかがわれる。日本に仏法が公式に伝来した時、受容派と排斥派が対立したが、聖徳太子ら受容派が物部守屋ら排斥派を打ち破り、日本の仏法興隆の基礎を築いた。日蓮大聖人は二人を相対立するものの譬えとして用いられている(「開目抄」、230㌻)。
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鑒真和尚
688年~763年。中国・唐の僧で、日本律宗の祖。天台学と律を学んだ後、日本の栄叡・普照らの要請により来日を試みるが、5度失敗し失明する。天平勝宝5年(753年)に来日を果たし、翌・同6年(754年)に東大寺大仏殿の前に戒壇を築いて聖武天皇や僧侶に授戒。律(出家教団の規則)にもとづく正式な授戒出家の方式を伝えた。また、天台大師智顗の著作を含むさまざまな文献をもたらした。朝廷から与えられた宅地に建てた唐招提寺は、南都七大寺の一つとして栄えた。
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根本大師
伝教大師のこと。767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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安然和尚
841年~?。平安初期の天台宗の学僧。円仁(慈覚)の弟子。比叡山に五大院を建てて著述に専念し、天台密教を大成した。「撰時抄」で「天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(286㌻)と破折されている。主著に『教時諍論』『教時問答』など。
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慧心
(0942~1017)。比叡山第十八代座主。慈慧大師の弟子で権少僧都・慧心源信のこと。大和国葛城郡当麻郷(奈良県北葛城郡當麻町)に生まれ、9歳のとき比叡山に登り、慈慧良源の弟子となった。13歳で得度し源信と名のった。32歳のとき宮中の論議に出席し、才能弁舌がすぐれているので満座を驚かせたという。42歳の時、権少僧都に任ぜられ、横川楞厳院の検校となった。43歳で「往生要集」を作り念仏の行に帰依した。浄土宗門徒が慧心をわが国浄土宗の先駆に崇めるようになったのは、この故である。しかし、慧心は、その後悔いて法華経信仰に戻り、権少僧都の位も辞して「一乗要決」を著した。弟子の指導にも努め、教相を重んずる檀那流に対し、観門を重んずる慧心流台学の源となった。「一乗要決」では「日本一州円機純一=日本国中は、法華有縁の機根の者ばかりで、蔵通別三教に縁のある者はいない」と述べた文は有名で、大聖人も諸御書で用いられている。76歳没。著書は他に「法華科文」「法華略観」「法華弁体」などがある。
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先に第二章で、仏教を弘める人は機根を知らなければならないが、智慧第一の舎利弗ですら機を知ることはできなかったことを挙げられ「機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教うべし」と示された。本章では、とくに日本国の一切衆生は桓武天皇以来、法華経を信受すべき機根であることを指摘され、それに背いて念仏等を弘めることの非を責められている。
ひるがえってみるに、日本は聖徳太子の昔に正式に仏教を受容して以来、のちに述べられるようにその実義はともかくとして、一往、一切経の中では法華経を根本としてきたといえる。「法華義疏」が聖徳太子の著か否かについては歴史的に疑問視されているにせよ、法華経・金光明経・仁王経を鎮護国家の経典と定めて重んじたことは事実である。また、その後、仏教が日本国に定着した象徴ともいえる聖武天皇の勅願による国分寺においても、僧のための国分寺が金光明経を根本としたのに対し、尼のための国分尼寺は、法華経を根本とし、法華滅罪之寺と称されたのであった。
その後、大陸からの伝来によって、三論・法相・倶舎・成実・律・華厳の六宗が勢力を競い、法華経を根本とする精神は一時失われた。それを破折して法華経第一の正義を確立したのが、平安時代初め、桓武天皇の時代の伝教大師最澄である。本抄で大聖人がとくにこの伝教大師以後を「一向に法華経の機なり」といわれていたのは、先に述べたように、他宗を破折したうえで法華経第一の義が樹立されたからであろうと考えられる。
そして、日本国の一切衆生が一向に法華経の機根であることは、仏法に通達していた中国の天台大師、日本の聖徳太子・鑑真和尚・伝教大師・安然・恵心等の人々にも明確に断言していたところであると述べられている。
これは、宗教の五義の中の「教法流布の先後」の原理とも関連するが、ここに仰せられているように、伝教大師によって南都六宗が破折され、比叡山を根本道場として法華経信仰が確立されたこと、即ち、法華経迹門の仏法が一国に流布したことは歴史的事実である。したがって、その後は。いかなることがあっても、方便権教を弘めることは、この「流布の先後」の原理に背くことになるのである。
このことからも、方便権教である浄土宗を弘めることは、先に仰せのように「金珠を捨てて瓦礫を取る」愚であり、薬を奪って毒を服せしめる極悪であることが明らかである。このことをわきまえて、方便権教の各宗を破折し、実大乗の法華経即ち三大秘法の南無妙法蓮華経を教え弘めていく人が、機を知る人といえるのである。
0440:14~0440:17 第八章 時を知るtop
| 14 日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当つて 妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れる 15 なり、而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて 一向に称名念仏を行じ 或は小乗の戒律を教えて叡山の大僧 16 を蔑り或は教外を立てて 法華の正法を軽しむ此等は時に迷える者か、 例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ徳光論師 17 が弥勒菩薩を蔑りて阿鼻の大苦を招きしが如し、 日本国は一向に法華経の国なり 例せば舎衛国の一向に大乗なり 18 しが如し、 -----― 日本国の今の世は、如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当っており、妙法蓮華経の広宣流布する時刻である。これを時を知るという。ところが日本国の今の世の学者は、あるいは法華経を抛って一向に称名念仏を行じ、あるいは小乗の戒律を教えて、比叡山の大僧をあなどり、あるいは教外別伝の法門を立てて法華の正法を軽んじている。これらは時に迷っている者である。たとえば勝意比丘が喜根菩薩を謗り、徳光論師が弥勒菩薩をあなどって阿鼻地獄の大苦を招いたようなものである。 |
小乗の戒律
小乗教で説かれる戒・戒律のこと。戒は防非止悪の義で、大乗戒と小乗戒に分けられる。小乗戒には五戒・八斉戒・具足戒などがある。五戒・八斉戒は在家男女が持ち、具足戒は出家者が持つもので、比丘は二百五十戒、比丘尼は五百戒とされる。天台法華宗年分得度者回小向大式には小乗戒について「小乗戒とは小乗律に依り、師に現前の十師を請して、白四羯磨す。清浄戒律の大徳十人を請して三師七証と為す。若し一人を闕かば戒を得ず」と述べられている。
―――
教外
禅宗の主張。大梵天王問仏決疑経に基づいて、釈尊の真意は言葉や文字による教えではなく心から心へ摩訶迦葉に伝承されたとする。
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勝意比丘
諸法無行経では、師子音王仏の末法の世に菩薩道を行じた比丘とされる。同じく菩薩道を行じ、諸法の実相を衆生に教えていた喜根比丘を誹謗した。
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徳光論師
生没年不詳。インドの論師。サンスクリットのグナプラバの訳。『大唐西域記』巻4によると、幼少の時から英才で、博識碩学を誇っていた。大乗経を学んでいたが、奥義を究めないうちに『毘婆沙論』を見て小乗に転じ、数十部の論をつくって大乗を批判した。しかし、大乗・小乗の疑いが解けなかったので、天軍羅漢に解決を請い、羅漢の神力で天宮に登り、弥勒菩薩に対面した。徳光が弥勒を礼拝しないので、羅漢がその慢心の非を責めると、自分は出家の弟子であるが、弥勒は出家の僧でないため礼拝しないと答えた。弥勒菩薩は徳光の慢心の姿を見て、法を受け持っていく器量ではないと知り、法を教えなかったので、徳光はついに自分の難問を解決することができなかったという。
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弥勒菩薩
弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
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「時を知る」という意味で日蓮大聖人のいわれる“時”とは、いうまでもなく、大聖人は、いかなる法を弘めるかという立場であられるから、正法・像法・末法の大段の“時”であることはいうまでもない。その“時”を指示した法華経の文でいえば、薬王品の「我が滅度の後・五百歳に閻浮提に広宣流布」等である。
したがって、本抄でも、この法華経の文を前提としてそれを受けた形で「日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当つて妙法蓮華経広宣流布の時刻なり」と仰せられているのである。
大聖人が“時”を論じ、いまこそ妙法を広宣流布すべき時であると宣言される場合、かならずといってよいぐらい、この法華経の文を前提にしておられる。それは、この文が、釈尊の、明確に“時”を指示している文証だからである。
日蓮大聖人の御抄の中で、この“時”の問題をもっとも本格的に論じられているのが「撰時抄」であることはいうまでもないが、末法の法本尊を開顕された重書中の重書「観心本尊抄」も、この“時”について「如来滅後五五百歳」と明示されている。これも、前掲の薬王品の文を受けての表現であり、法華経に秘された三大秘法の南無妙法蓮華経が出現し弘められるべき時を、確信されていたのである。
我々が一般的に“時”というのは、一日の中での“時”や、一週間、一ヵ月の中での何日、何曜日、一年の中でのいつの季節、一生の中での何歳の時等々、多種多様である。大聖人が「仏法においては“時”が大事である」といわれているからといって、こうした我々の感覚でとらえている“時”にあてはめていては、大聖人の御真意は捉えられないであろう。
日蓮大聖人の立場は、末法万年の衆生を救う大法を確立される仏様であられる。したがって、大聖人が御自身の行動について“時”をいわれているのは、この大法建立という目的のうえであり、したがって、釈尊が法華経に予言した言葉の裏づけとして、その“時”を確認されたのである。大聖人にとっての“時”とは、この意味の“時”であることを知らなければならない。
本抄で「而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名念仏を行じ」云云と仰せのように、念仏・律・禅等の各宗は、後五百歳・末法においては「妙法蓮華経」即ち三大秘法の仏法が広宣流布すべきであるとの釈尊の心に背いているのである。
戒律を修行の中心とする律宗は正法時代にこそ有効であったが、像法時代にはもはや無意味であり、まして末法今時においては百害あって一利もない。念仏の修行は、像法の天台仏法において初心の一段階の修行としては意味をもっていたが、それだけを専ら修することは、像法次代においてさえ認められなかったことである。さらに、教外別伝と称して経典を用いないなどということは、釈尊が入滅されるにあたって、仏なきあとは、自分が説き達した教えを師とせよと弟子に与えた戒めに基本的に背くものである。
このように、諸宗は正法に真っ向こうから反しているのであるが、ここでは一往与えた場合で「此等は時に迷える者か」といわれている。しかしながら“時”を誤った法を弘めること自体、正法に背く大罪である。故に、過去師子音王仏の昔、喜根菩薩を誹謗した勝意比丘や、弥勒菩薩をバカにしたインドの論師・徳光になぞられて、これを破折されているのである。
0440:17~0441:03 第九章 国を知るtop
| 17 日本国は一向に法華経の国なり 例せば舎衛国の一向に大乗なり 18 しが如し、 又天竺には一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学の国も之有り、日本国は一向大乗の国なり大乗 0441 01 の中にも法華経の国為る可きなり瑜伽論.肇公の記.聖徳太子.伝教大師.安然等の記之有り是れ国を知れる者なり、而 るに当世の 02 学者日本国の衆生に向つて一向に小乗の戒律を授け一向に念仏者等と成すは「譬えば宝器に穢食を入れたるが如し」 03 等云云法器の譬・伝教大師の守護経に在り -----― 日本国は一向に法華経に縁のある国である。たとえば舎衛国が一向に大乗の国であったようなものである。またインドには小乗だけの国、大乗だけの国、大乗と小乗を兼ね学ぶ国もある。日本国は大乗だけの国であり、大乗の中でも法華経の国であるというべきである。瑜伽論.肇公の記.聖徳太子.伝教大師.安然等に記してある。以上のことを知る者が国を知る者である。 ところが今の世の学者が日本国の衆生に向かって小乗だけの戒律を授けたり、念仏者等だけにしているのは「たとえば宝の器に穢い食物を入れたようなものである」とある。この法器の譬えは伝教大師の守護国界抄にある。 |
舎衛国
コーラサ国のこと。」仏教が布教された町として多くの仏典に登場する。バーセナディ国王や息子のビルリ王が居住した。『大智度論』では、釈迦が舎衛城に25年滞在し、バーセナディ王やスダッタ長者など、多くの民衆を教化したといわれる。コーサラ国は、南北の2つの国から成り立っていたとされ、南方のコーサラ国と区別するために城の名前をもって国号としたともいわれる。また北を単にコーサラ国と呼び、南を南コーサラ国と称したとも。なお玄奘の『大唐西域記』では南を単なるコーサラ国と記し、『慈恩伝』には北をシュラーヴァスティー国、南をコーサラ国とする。現在のマヘート(マヘトあるいはマーヘートとも)の遺跡群がこの舎衛城の附近であると考えられている。南方のサヘート(サヘトあるいはサーヘート)には隣接して祇園精舎の遺跡がある。【舎衛の三億】仏の説いた法が、遇い難く聞き難きことを表して、舎衛の三億という。なお古代のインドでは10万単位を1億と数えた。したがって3億とは30万のことである。これは『大智度論』や『摩訶止観』を出典とする用語である。『大智度論』第9巻には「仏世には遇い難し。優曇波羅樹の華の時々一度有るが如し。説くが如く、舎衛の中に9億の家あり。3億の家は眼に仏を見え、3億の家は仏ありと耳で聞くも眼では見えず、3億の家は聞かず見ず、云々」とある。つまり舎衛城には9億の家があったが、これを3億ずつ、釈迦仏を見た家、見たことはないが仏がいると聴いたことがある家、見聞きしたことのない家に3等分される。
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瑜伽論
『瑜伽師地論』の略。弥勒(マイトレーヤ)または無著(アサンガ)の作とされる。中国・唐の玄奘訳。100巻。唯識思想に基づく修行やその結果として到達する境地の位を明かし、法相宗でよりどころとされた。
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肇公
(0384~0414)。僧肇のこと。中国東晋の僧。長安の人。鳩摩羅什の門下で、仏典漢訳を助け、理解第一と称された。著に「宝蔵論」「肇論」などがある。
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聖徳太子
574年~622年。飛鳥時代の政治家。厩戸皇子・豊聡耳皇子・上宮王ともいう。聖徳太子とは後代における呼称。用明天皇の第2皇子。四天王寺や法隆寺を造営し、法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書である三経義疏を作ったと伝えられる。これらの業績が、実際に聖徳太子自身の手によるものであるか否かは、今後の研究に委ねられている。ただし、妃の橘大郎女に告げた「世間は虚仮なり、唯、仏のみ是れ真なり」という太子の言葉が残されていて、ここから仏教への深い理解とたどり着いた境地がうかがわれる。日本に仏法が公式に伝来した時、受容派と排斥派が対立したが、聖徳太子ら受容派が物部守屋ら排斥派を打ち破り、日本の仏法興隆の基礎を築いた。日蓮大聖人は二人を相対立するものの譬えとして用いられている(「開目抄」、230㌻)。
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伝教大師
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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安然
841年~?。平安初期の天台宗の学僧。円仁(慈覚)の弟子。比叡山に五大院を建てて著述に専念し、天台密教を大成した。「撰時抄」で「天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(286㌻)と破折されている。主著に『教時諍論』『教時問答』など。
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守護経
中国・唐代の般若と牟尼室利の共著。守護国界主陀羅尼経の略。密教部の経とされる。国主を守護することが、人民を守護することになるとの理を明かし、正法守護の功徳が説かれている。
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日本が、仏教伝来の当初から、法華経を重んじてきたことは、第七章で述べたとおりである。この意味で、第七章の“機”と本章の“国”とは重なり合っているわけであるが、“機”が教法によって発動する衆生の生命の能力であり、依報・正報でいえば、“正報”であるのに対し、“国”は“依報”の立場である。ただし、正報である衆生・人間が構成しているのが“国”という依報であるから、両者が重なり合うことも、また当然であろう。
日本が仏教受容の初めから、法華経を中心とした背景には、日本に影響を与えた源泉地中国において、天台大師により法華第一の正義が明らかにされていたことが考えられる。日本への仏教伝来は、最初、朝鮮半島から百済を経由したが、聖徳太子は直接、使者を中国本土の隋につかわし、ここから移入した。隋の煬帝は、晋王広といった青年時代から天台大師智顗に傾倒した人で、広は大師から菩薩界の授与を受け、智顗に智者大師の号を贈った。聖徳太子は、このような隋に仏教を求めたのであるから、一念三千法門の天台仏法の深義が伝わるのは、後の伝教大師最澄の出現を待たなければならなかったにしても、少なくとも法華経を第一とする考え方がすでに伝えられたのは不思議ではない。
ただ、日本が弥勒菩薩説とされる「瑜伽師地論」や、中国・東晋の僧・肇公の記によって、古来、法華経有縁の国と目されてきたということは、不思議という以外にない。しかしながら、法華経有縁の国ということは、法華経のような強力な教法によって、でなければ救済しえない衆生の国ということでもある。顕仏未来記や佐渡御書、如説修行抄等で、邪智邪法が強い故に、法華経の折伏による以外にないといわれているのは、このためである。法華経有縁の国といっても、仏法の場合は、絶対的な神がいて特別の恩寵を付すといった“賎民思想”ではなく、経法と衆生と機との関係によるのである。
この段でも、このように法華経を受持すべき日本の国において小乗の戒壇を人々に授けたり、方便権教の念仏を弘めたりするのは、宝器に穢食を入れているようなものであると、きびしく破折を加えられている。
0441:13~0441:11 第十章 教法流布の先後を知るtop
| 03 日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始めしより桓武天皇に至るまで二百四十余年 04 の間 此の国に小乗・権大乗のみ弘まり 法華経有りと雖も其の義未だ顕れず、 例せば震旦国に法華経渡つて三百 05 余年の間・法華経有りと雖も其の義未だ顕れざりしが如し、 桓武天皇の御宇に伝教大師有して小乗・権大乗の義を 06 破して法華経の実義を顕せしより已来又異義無く純一に法華経を信ず、設い華厳・般若・深密・阿含・大小の六宗を 07 学する者も法華経を以て所詮と為す、 況や天台・真言の学者をや何に況や 在家の無智の者をや、例せば崑崙山に 08 石無く蓬莱山に毒無きが如し、建仁より已来今に五十余年の間・大日・仏陀・禅宗を弘め、法然・隆寛・浄土宗を興 09 し実大乗を破して 権宗に付き一切経を捨てて教外を立つ、 譬えば珠を捨てて石を取り地を離れて空に登るが如し 10 此は教法流布の先後を知らざる者なり。 11 仏誡めて云く「悪象に値うとも悪知識に値わざれ」等と云云、 -----― 日本国では欽明天皇の御代に仏法が百済国から初めて渡ってきてから、桓武天皇の御代に至るまでの二百四十余年の間は、この国に小乗や権大乗だけが弘まった。法華経はあったけれども、その実義は、まだ顕れなかった。たとえば中国に法華経が渡って三百余年の間は、法華経はあったけれども、その実義はまだ義われなかったのと同じである。 桓武天皇の御代に伝教大師が出られて、小乗や権大乗の義を破して法華経の真実義を顕して以来、日本国の衆生は、異義なく純一に法華経を信ずるようになった。たとい華厳・般若・深密・阿含等の大乗や小乗といった南都六宗を学ぶ者であっても、法華経をもって仏教の究極の教えとしていた。まして天台宗や真言宗の学者においては当然のことであり、それ以上に在家の仏法を知らない者においてはなおのことであった。たとえば、崑崙山には宝石のみあって粗石がなく、蓬莱山には仙薬のみあった毒がないのと同じである。 建仁のころから今に至る五十余年の間に、大日能忍や仏陀が禅宗を弘め、法然や隆寛が浄土宗を興し、実大乗たる法華経を破して権宗につき、一切経を捨てて教外別伝の法門を立てた。たとえば宝珠を捨てて石を取り、地を離れて空に登るのと同じである。これらは教法流布の先後を知らない者である。 仏は涅槃経でこのことを誡められて「悪象に値っても、悪知識に値ってはならない」等と説かれている。 |
欽明天皇
510年~571年。継体天皇の嫡子。在位中に百済から仏法が公式に伝えられた。現在では一般に第29代とされるが、明治時代に歴代を正式に定めるまでは神功皇后を歴代に数えるなどし、第30代とするのが一般的だった。
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百済国
4世紀前半~660年。韓・朝鮮半島南西部を支配した王朝。6世紀半ば前後に日本に仏教を公式に伝えたとされる。
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桓武天皇
737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第1皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄を重んじ、日本天台宗の成立に大きく貢献した。
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伝教大師
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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般若
大般若波羅蜜多経の略。中国・唐の玄奘訳。600巻。般若部の諸経典を集大成したもので、あらゆる仏典の中で最大である。巻398には、常啼菩薩が身命を惜しまず、財宝や名誉を顧みず、般若波羅蜜多(智慧の完成)を求めた話が説かれている。
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深密
深密経と略す。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
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阿含
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
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崑崙山
崑山ともいい、チベット高原・タリム盆地・モンゴル高原にまたがる大山脈。中国では古くから美玉を産する山として有名。
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蓬莱山
中国の古代に説かれた三神山の一つ。中国の東方の渤海上にあって、鳥獣草木は皆白く、宮殿は皆黄金と宝石でつくられているという。遠くから見ると雲のようで近づくことはできないが、そこに住む仙人は不老長寿の秘薬を持ち、山は不老不死の霊山とされている。
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大日
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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仏陀
仏のこと。サンスクリットのブッダの音写。目覚めた者の意。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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法然
1133年~1212年。法然房源空のこと。平安末期から鎌倉初期の僧。日本浄土宗の開祖。天台宗の僧であったが、中国浄土教の善導の思想に傾倒し、他の一切の修行を排除し念仏口称をもっぱら行う専修念仏を創唱した。代表著作の『選択集(選択本願念仏集)』では、法華経をも含む一切の経典の教えを捨て閉じ閣き抛てと排除し、もっぱら念仏をとなえることによって往生を願うべきであると説いた。法然の専修念仏に対しては、当初、後白河法皇や摂政・関白を歴任した九条兼実ら有力者の支持を得たが、やがて諸宗派からの反発が強まる。朝廷・幕府も禁止の命令を出し、建永2年(1207年)、法然らが流罪され、高弟が死罪に処せられた。その後も繰り返し禁圧が続くが、念仏は広がっていった。弟子に親鸞がいる。
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隆寛
1148年~1227年。平安末期・鎌倉初期の僧。浄土宗長楽寺流の開祖。藤原資隆の三男。はじめ比叡山で天台学を学んだが、後に京都の長楽寺に住み、法然(源空)の弟子となって浄土教を学んだ。法然の死後、専修念仏を広め、嘉禄3年(1227年)、比叡山の定照が『弾選択集』を著して浄土教を排撃したのに対し、『顕選択集』を著して応答した。そのため隆寛自身は定照らの訴えにより、同年7月に専修念仏禁止の宣旨が発せられて奥州への流罪が決まった。「念仏者追放宣旨事」には、同年9月26日の勅宣を引いて「隆寛律師専修の張本たるに依って山門より訴え申すの間・陸奥に配流せられ畢んぬ而るに衆徒尚申す旨有り仍って配所を改めて対馬の嶋に追い遣らる可きなり」(92㌻)と記されている。しかし、次下に「当時東国の辺に経回すと云云」と示されているように、隆寛に同情した御家人の毛利季光(西阿)によって、隆寛の弟子の実成を身代わりに奥州に行かせ、本人は相模の飯山にとどまり、同年12月、同地において中風で倒れ没した。日蓮大聖人は隆寛の悲惨な末路について、「当世念仏者無間地獄事」に「何に況や念仏宗の長者為る善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等・皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る、其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず」(106㌻)と仰せである。
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浄土宗
念仏宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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日本の仏教が、その受容以来、法華経を重んじてきたことは、ここまでにも述べてきたところであるが、本章では、桓武天皇に至るまでは「小乗・権大乗のみ弘まり法華経有りと雖も其の義未だ顕れず」と仰せられている。それは、法華経が重んじられたといっても、金光明経や仁王経と並べてであり、これら権大乗教の経典と同ずる立場であったあったからである。
これは、たとえば、一生成仏抄に「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず?法なり、?法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり」(0383-06)といわれているのと同じ原理である。
日本においては、伝教大師によってはじめて、他の一切経を破して、法華経が一切経の王であることが明らかにされ、ここに法華経の実義が顕されたのである。この仰せの中に、法華経を信ずるといっても、ただ信じていればよいのではなく、法華経こそ最高峰であり、唯一の成仏の経であるとの確信、いいかえれば、他の一切経は低い劣れる経であり、それらによっては成仏できないとする破折の精神に貫かれていなければならないとの、厳しい御教示が含まれている。こうした確信に裏づけられてこそ、生涯不退の信心が可能であり、また、折伏精神に貫かれていてこそ、純粋な信仰を堅持して成仏を遂げることができるのである。
ともあれ、伝教大師の破折によって、南都六宗は皆、天台法華宗のもとに帰伏し、法華経を“所詮”即ち究極の真実の義にしたがうようになったのである。「設い華厳・般若・深密・阿含・大小の六宗を学する者も」といわれているように、南都六宗は一宗一派を立てていても、自宗は、あくまでも仏法の真義に至るための一つの入口であり道に過ぎないとの謙虚さをもっていた。そして究極の実義は法華経にあることを認めたのである。
しかしながら、時代がくだるにつれて、この精神は忘れられ見失われていったうえ、貪欲・瞋恚・愚癡の生命におおわれるに及び、自宗・自派に固執するところから、法華経に背き、法華経を誹謗するにいたる。本抄は、まだ初期に属するため、真言宗や台密については真っ向から破折することを避けておられるが、佐渡期以降、この点も明確にされているところである。
即ち、法華経の正義を立てた比叡山天台宗自体が、第三代座主慈覚以降、真言密教の邪義に穢され、清浄な流れを失ってしまったのである。しかも、そうした中から、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、法然の専修念仏、大日能忍の臨済宗が出て、その簡単な実践法と複雑な思惟を放棄した安易な教義が民心にアピールし、爆発的な勢いで日本に広まっていった。
これらは、伝教大師によって、ひとたびは法華経の高みに達した日本の衆生を、方便権教の低地に逆戻りさせるものであるばかりでなく、実大乗たる法華経を捨てよ閉じよ等と破り、教外別伝・不立文字と称して放棄した正法誹謗の邪義の教派であるから、無間地獄の奈落へつきおとすものである。このゆえに、涅槃経の「悪象には値うとも悪知識に値わざれ」の文を引いて、これらの邪師の邪義にたぶらかされてはならないと誡められたのである。
0441:11~0442:04 第11章 死身弘法を説くtop
| 11 法華経の勧持品に後の五百歳・二千余年に当つて 12 法華経の敵人・三類有る可しと記し置きたまえり当世は後五百歳に当れり、 日蓮・仏語の実否を勘うるに三類の敵 13 人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず 之を顕さば身命定めて喪わんか、 法華経第四に云く「而も此の経は如来 14 の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等と云云、 同じく第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と、又 15 云く「我身命を愛せず但無上道を惜む」と、 同第六に云く「自ら身命を惜まず」と云云、 涅槃経第九に云く「譬 16 えば 王使の善能談論し方便に巧みなる命を他国に奉け 寧ろ身命を喪うとも 終に王の所説の言教を匿さざるが如 17 し、 智者も亦爾なり凡夫の中に於て身命を惜まずして要必大乗方等を宣説すべし」と云云、 章安大師釈して云く 18 「寧喪身命不匿教とは 身は軽く法は重し 身を死して法を弘めよ」等と云云、 此等の本文を見れば三類の敵人を 0442 01 顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり、 而れども必ず身命を喪わんか、 例せば師子尊者・ 02 提婆菩薩等の如くならん云云。 03 二月十日 日蓮 花押 -----― 法華経の勧持品には、後の五百歳、釈尊滅後二千余年にあたって、法華経の敵人が三種類あるであろう、と書き残されている。当世は後五百歳の時にあたっている。日蓮が仏語の実否を勘案してみるに、三類の敵人はたしかにある。この三類の敵人の存在を顕すならばかならず身命を喪うであろう。 法華経の第四の巻法師品第十に「しかもこの法華経は如来のおられる現在でさえ、なお怨嫉が多い。まして如来滅度の後においてはなおさらである」等と説かれている。同じく法華経第五の安楽行品第十四に「一切世間に怨む者が多く、法華経を信じがたい」と。また勧持品第十三には「我身命を愛せず、但無上の道を惜しむ」と。同じく第六の巻寿量品第十六には「自ら身命を惜しまず」と。涅槃経第九には「譬えば王の使で論議がよくできて方便に巧みな者が、王命をうけて他国に赴き、むしろ身命を喪うことになっても、決して王のいった言葉や教えをかくさないのと同じである。智者もまた同じである。智者は凡夫の中において身命を惜しまず、必ず大乗方等を宣説すべきである」と。章安大師はこの文を釈して「『むしる身命を喪うともこの教を隠さず』とは、身は軽く法は重い。ゆえに身を死して法を弘めよ」といわれている。これらの等と本文を見れば、三類の敵人を顕さなければ法華経の行者ではない。これを顕すのが法華経の行者である。しかしながらそうすればかならず身命を喪うことになろう。たとえば師子尊者や提婆菩薩のようになるであろう。 二月十日 日蓮 花押 |
勧持品
妙法蓮華経の第13章。正法華経の勧説品に相当する。摩訶波闍波提・耶輸陀羅をはじめとする比丘尼への授記と声聞や菩薩たちによる滅後の弘経の誓いが説かれる。声聞の比丘・比丘尼は他の国土での弘経を誓ったが、菩薩たちはこの裟婆世界での弘経を誓う。菩薩たちの誓いの偈(韻文)は、20行からなるので、二十行の偈と呼ばれる。そこには、三類の強敵が出現しても難を忍んで法華経を弘通することが誓われている。勧持品と常不軽菩薩品第20に説かれる逆縁の人への法華経弘通は、滅後悪世における折伏による弘経の様相を示すものと位置づけられ、勧持不軽の行相という。日蓮大聖人は、滅後末法において法華経を弘通され、この勧持品の経文通りの難にただ一人遭っていることによって法華経を身読していると自覚され、御自身が真の法華経の行者であることの証明とされた。それは、滅後弘経を託された地涌の菩薩、とりわけその上首・上行菩薩であるとの御自覚となった。さらに、勧持品のように滅後悪世で三類の強敵に遭いながらも弘経していることは、不軽品に説かれる不軽菩薩が忍難弘経しついに成仏して釈尊となったように、成仏の因であることを確信される。法華経身読によって、末法の一切衆生を救う教主としての御確信に立たれたのである。このことから、大聖人は末法の御本仏であると拝される。
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後五百歳
法華経薬王菩薩本事品第23に説かれる「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」(法華経601㌻)という経文のこと。日蓮大聖人は、これを末法に妙法が流布することを予言した文とされている(254,329㌻など)。
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三類の敵人
釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418・419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
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方便
仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
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大乗方等
大乗経典のこと。方等は方広平等の意。大乗の経典の内容は広大甚深・平等であることをあらわしている。
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章安大師
561年~632年。中国・隋の僧。灌頂のこと。天台大師智顗の弟子。天台大師の講義をもとに『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』などを筆記・編纂した。主著に『涅槃経玄義』『涅槃経疏』がある。
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師子尊者
アーリヤシンハのこと。付法蔵の最後の人(第23)。6世紀ごろの中インドの人。罽賓国(カシュミール)で仏法を流布していた時、国王・檀弥羅の仏教弾圧により首を斬られたが、師子尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが流れ出たという。
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提婆菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後750年ごろの南インドの婆羅門の出である。迦那提婆ともいい、提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼であったからこのようにいわれた。一眼を天神に供養したといわれ、また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家して仏法を学び、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうと、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知、凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じ、提婆がひとりで帰るところを襲って害を加えた。しかし、提婆はこれをゆるし、弟子が仇討ちをしようとするのを制して命絶えたという。
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前章までに、法華経が一切経中の最勝の「教」であること、その法華経を信受する「機」が日本国の衆生であること、今、末法は法華経流布の「時」にあたること、日本国は一向に法華経の「国」であること、また流布の先後からも、法華経を流布すべきことを述べられ、宗教の五義のうえからの当然の帰結として、法華経をこそ広宣流布すべき必然性が説き明かされた。 本章は、後五百歳に法華経を弘めるならば、必ず三類の強敵を顕わすことになり、そのために身命にかかわる大難を受けることは必定であると示され、しかし、たとい身命を失おうとも末法真実の法華経の行者として、法華経を身読し弘宣していくとの御決意を法華経・涅槃経・同経疏を用いて披瀝されたところである。
日蓮・仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず之を顕さば身命定めて喪わんか
大聖人の並々ならぬ決意が拝される御文である。「仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り」とは、先に挙げた勧持品の文のとおりに、末法に法華経を弘通するならば必ず三類の敵人が現れることである。
そこで、この文を色読するか否かが問題である。もしも、正像二時の法華経修行のように、山林や閑静な処で自身だけの修行に励むのであれば、三類の敵人は顕れない。しかし、それでは、末法に法華経を色読したことにはならず、結果として三類の敵人を隠すことになる。そうであれば、末法の法華経の行者ではないのである。もし、三類の敵人を顕せば、身命を失うことになろう。
事実、大聖人は、当時すでに伊豆流罪という迫害にあわれていたのである。それでは、なぜ身読するかいなかという、すでに選択済みの問題を取り上げられたのであろうか。それは、御自身が法華経の行者として死身弘法の精神に立たれて現実に振舞われていることを確認するとともに、今後、三類の敵人が現れ、命に及ぶはどの機難を加えられようとも、法華経弘通をまっとうするとの御決意をあらわされたたためであったと拝察するのである。
加えて、御文の次下の法華経法師品、同安楽行品、勧持品、寿量品の文、それに涅槃経、同経疏の文を挙げておられるが、それらの文は、末法にさまざまな形の迫害や怨嫉があること、そうした迫害を恐れずに、身命を愛惜することなく、身命を捨てる覚悟で弘法すべきことを説いている。日蓮大聖人がそれらの経文を挙げられたのは、それらの教文を色読することが、法華経の真の行者であることを、ことさら確認されるためであったろうと拝される。
なお、「身命を愛せず但無上道を惜しむ」の文については、日寛上人が「即ちこれ宗門の菩提心なり。末弟如何ぞこの願を立てざる。励むべし励むべし」と仰せである。日蓮大聖人の御精神を受け継ぐ創価学会員として、たとい自己の生命にかえても、一切衆生救済のために無上道即三大秘法の大仏法を惜しみ、弘めることこそ、生涯変わらぬ、また未来永久につたえるべき大精神であることを胸に刻んでいきたいものである。
0443~0460 顕謗法抄top
はじめにtop
本抄は、弘長2年(1272)日蓮大聖人が41歳の時、伊豆流罪の最中に著された御書である。
建長5年(1253)4月の三大秘法の南無妙法蓮華経の宗旨を建立されてから10年、伊豆御流罪の翌年に、信仰の根本問題にかかわる謗法について、これまで述べてこられたものをまとめる形で、著されたのが本書である。なぜ謗法が信仰上の根本問題であるのか。それは、生死を離れて成仏を遂げようと願う者にとって、最も気をつけなければならない落とし穴だからである。どんなに修行を積んだとしても、謗法を犯せば無間地獄はまぬかれることはできないのである。しかも、仏教界の各宗各派は、いずれもこの謗法の宗であり、人々は仏道をめざしていると思いながら、そうした諸宗のために無間地獄の業をつくっているのである。
日蓮大聖人は、諸国各地を遊学され、宗旨建立にいたるまでのことを回想された妙法尼御前御返事のなかで、この点について、次のように仰せられている。多少長くなるが謗法について正しく認識するうえできわめて重要であるから引用しておくことにする。
「此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり、我れ等が・はかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも・心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日・夜夜に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも・五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち心には八万法蔵をうかべて候やうなる、 智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪・五逆の罪人よりも・つよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ、 譬えば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども我心のたらぬ上身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず又傍輩も不思議ともをもはざるに后等の御事によりてあやまつ事はなけれども自然にふるまひあしく王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其の失重し、此の身とがにかかりぬれば父母・兄弟・所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。謗法と申す罪をば我れもしらず人も失とも思はず・但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に・此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり、所謂勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は二百五十戒をかたく持ち三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず、又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人人・存の外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕ちて師と・ともに苦を受けしぞかし、此の人後世のために衆善を修せしより外は又心なかりしかども・かかる不祥にあひて候しぞかし」(1407-10)と。
日蓮大聖人は、久遠の本仏として末法に最誕され、幼少のころには、虚空蔵菩薩に祈られ、御自身の智慧や悟りについて確認されておられたわけである。そのような妙法という根源の一法を覚知なされた御立場からすれば、南無妙法蓮華経を信ぜず背く諸宗はすべて謗法になる。そこで大聖人は、遊学の過程で日本国に渡れる各宗派を点検されていったのである。いかなる邪宗邪義が日本国に渡来し、人々を無間地獄に堕とそうとしていつかを御自身の手足で一つ一つ確認されていったのである。
それは、末法の御本仏としての大慈悲心からおこる行動であられた。一般の人々は、仏法ならばどのような宗派でも生死を離れると考えているが、それは断じて間違っている。仏法を悪しく学べば謗法の穴におち、無間地獄の苦悩を味わわねばならない。謗法があれば、いかなる修行も徒労に帰してしまうのであり、それどころか無間地獄に堕ちるのである。この謗法という一点を鮮明にされることで、謗法の恐ろしさを知らしめ、人々を無間地獄の苦から救おうとされたのである。また、正法を信ずれば、それだけ絶大な功徳を受けることができることも明示されたのである。
世間では、聖僧と謳われる人が、謗法を犯して無間地獄に堕ち、殺生や偸盗や邪淫等を犯す者が、無間地獄よりも軽い地獄に堕ちるということは、一見矛盾しているようにみえる。だが仏法の鏡に照らすならば、謗法が他の罪と比較していかに深重な罪悪であるかが明らかである。
ところで、そのような恐ろしい謗法をどうすれば犯さないですむことができるか。それは、まずいかなることが謗法であるかを正しく認識することである。そして、そうした謗法に導く諸宗・諸師の正体を明らかにすることである。
こうして、謗法を誡め、妙法を深く信受するならば、妙法の偉大な功徳に浴することができるのである。ゆえに、本抄を、正法への信を深め一生成仏を決定づける厳格な信心の指南書として拝していくことが、信仰者にとって最も肝要であるといえよう。
本抄の大意
本抄は大別して四段に分けて論じられている。
第一段 第一章~第十章
八大地獄の因果を明かされたところである。等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・阿鼻と、八種類の大地獄を、順を追って論じられている。そして、これらの地獄の位置・面積・相貌・堕獄の業因等を、それぞれについて明かされている。その結論として、いかに阿鼻地獄が恐ろしい地獄であるかを鮮明にされ、そうした業因を造らぬよう戒められているのである。
第二段 第11章
無間地獄の因果の軽重を明かされたところである。従来、一般に無間地獄の業因は五逆罪であるとされて、謗法という問題があまり強調されなかったが、大聖人は、五逆罪と謗法の比較をとおして、謗法がくらべることができないほどの極重罪であることを明かされている。
第三段 第12章~第22章
本論ともいうべき重要な大段である。ここでは「問答料簡を明さば」として16の問答を通じて、謗法の義について詳細に論じられている「謗法論」ともいうべきところである。
第12章
第一問答=謗法とは、正法に背くこと、正法を捨てさせること。
第二・第三問答=所依の経より勝れた経にしたがわないこと。謗法の意味、基本的定義を明かされている。
第四問答~第十問答
無量義経の「四十余年・未顕真実」の文をとおして、浄土宗・華厳宗の諸師の相違からくる種々の論難に対して明確に答え、法華経が説かれた後に、爾前権経に執着するのは謗法である。この中第四~第九問答は、無量寿経に説かれる念仏往生義の問答である。
第13章
第四問答=観経で説く「乃至十念・即得往生」と破すのは謗法となるか否か。
第14章
第五問答=「四十余年・未顕真実」の文は、四十余年の一切の経々についていわれたのではない。故にこの文をもってただちに観経等の九品往生を破するならば謗法となるのではないか。
第15章
第六問答=第五問答の答えと関連して、出てくる矛盾を指摘。二乗不作仏を説く経文を妄語と認めるならば、仏は妄語をいったことになり、妄語という仏の説法はすべて真実義になってしまうがどうか。
第16章
第七問=「四十余年」の文は「成仏についていわれたのであり、「往生」等についてではない。
第七答=観経に説く法蔵比丘の成仏は妄語となり、いずれの仏が行者を迎えるのか。
第八問=阿弥陀仏は今の成仏ではない。
第八答=三世の諸仏の説法の儀式は同一であり、今の権経で成仏が許されないものが過去の権経で許されるはずがない。
第九問=「四十余年」の経々では速やかに成仏できなくても、長期間修行をすれば成仏できるのではないか。
第九答=無量義経には、四十余年の経々では不成仏と説かれている。
第十問答=華厳経も四十余年の経々の中に入っていることを無量義経をとおしてのべている。
以上の7問答によって、念仏往生義や華厳経の所説に対して「未顕真実」の教えであることを明らかにされたのである。ここで未顕真実論議や念仏往生義に破折を加えられたのは、一つには当時、権教と実教とが雑乱していて、権をもって実を打つという本末?倒した考え方が強かったからである。そこで、まず、権実を明確に分ける「四十余年・未顕真実」を鮮明にされたのである。また、当時、称名念仏による極楽往生思想が広く流布していたためであり、「此の一凶を禁ぜん」ために厳しく破されたのである。
第17・18章
第11・12問答=四十余年の経々が未顕真実であり、これに執着して成仏得道の法華経に随わないのを謗法というならば、釈尊はどうして爾前権教を説いたのか。
第19章
第13問答=日蓮大聖人はどうして釈尊と同じように、説法の次第をふまえず、ただちに法華経を説くのか。
第20章
第14問答=これらの13問答による当然の帰結として、諸宗の祖師は皆謗法となり、悪道に堕ちることになるが、今一度謗法の有無を検討されたのが本章である。
第21章
第15問答=前章までで諸宗が謗法である義を明らかにされた。本章で、信仰者にとってもっとも畏るべきものは、悪師・悪知識であり、決して親近してはならない。
第22章
第16問答=日本国の仏教事情をとおして、諸宗混乱の所以を明かし、第三段を結ばれている。
第四段 第23章~第31章
行者が仏法を弘める際の用心を明かされている。
第23章
宗教の五義を標示し、とりわけて教を示して、教とは如来一代の説教のことであり、大小・権実・顕密の差別があることを述べられている。つぎに、華厳・法相・三論・真言・浄土・禅の各宗の教義を挙げられている。
第24章
これより、大聖人自身が問いを発せられて、教を知るということの中身について問答形式で解明されている。
「諸宗の異義はまちまちであるが、皆得道できる教えであるのか。それとも諸宗は皆謗法で一宗だけが正義を立てているのか」これに対し、諸宗では、皆得道できるとしている。その論旨を要約すると、脇尊者の金杖の譬えと求那跋摩の話は、諸宗諸論は異なるが修行の理が同じであること。五百羅漢の真で一宗だけが正義を立てているのか」これに対し、諸宗では、皆得道できるとしている。その論旨を要約すると、脇尊者の金杖の譬えと求那跋摩の話は、諸宗諸論は異なるが修行の理が同じであること。五百羅漢の真因は、おのおの異なるが同じ小乗の理を得ていること、大論の四悉檀の中の対治悉檀、摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣や、仏の戒壇進等の修行をそしったりほめたりするのは、仏の対機説法であり皆真実であるから、衆生はそれぞれ得道している。この後、こうした事例を思うなら、といってインド・中国・日本の諸宗の争いを挙げて、入門は差別はあるが実理に入るのはただ一つであるとしている。
第25章
そこで、大聖人は詰問され「門は異なるが入理は同じであって、皆仏意に叶い謗法とならないというのが、謗法とは法に背くことをいうのであり、それは、小乗の徒が小乗経に背き、大乗の徒が大乗経に背くということである」と述べ、大般若経・法華経・涅槃経の謗法の厳しさが説かれており、無垢論師・大慢婆羅門等が現に無間地獄に堕ちており、天親菩薩が小乗の論を作った非を懺悔していると、道理・文証・理証を明記され、諸宗皆得道の義を破折されている。つぎに、闡堤の義を述べ、闡堤=不信=謗法とされ、涅槃経の恒河の七種の衆生の第一・第二であることを示されている。
第26章
これに対して諸師は「謗法とは理由もなく仏法を謗ることではないか。自宗を建てるために余法を謗ることは謗法ではない」と、摂論の衆生意楽意趣、大論の対治悉檀、浄名経の弾呵を挙げて、これらをもってしても衆生の機と縁とに合わせて説法するのは謗法とならず、衆生の機を知らずにみだりに説くのが謗法であり、華厳・三論等の諸師が諸経を破するのは自宗を建立するためで謗法とはならないと対機説法と宗旨建立の場合は謗法の義は成立しないとしている。
第27章
そこで、そのような宗旨建立のために謗っても謗法にならないとの義が阿含経や華厳経にあるのかとの問難に対し、阿含経にはないが、華厳経や涅槃経にはあるから、それらが根拠であり、謗法は成立しないと答えている。
第28章
そこで大聖人は、華厳・阿含経等には無量義経のように40余年と年限をきって、その間の勝劣を説いていないこと。涅槃経では「是諸大乗」と諸経を嫌い、十二分・方等・般若と嫌う経の名を挙げているが、無量義経と法華経を挙げていないこと、無量義経にも四十余年の経として阿含・華厳等を挙げているが、法華経と涅槃経は挙げていないこと、密厳経には「一切経中王」と同経を王としているが、法華経を一切経に入れていないこと、また、阿弥陀経でいう小善根とは、時節も善根も相貌もないこと、以上を示して諸宗の宗旨建立の根拠を破折されている。
また、大日経・六波羅蜜経等には、一切経を嫌ってその経をほめた文がないが、無量義経だけは、前四十余年の経を嫌い、法華経をほめていることと、已今当の三説を示している。そして、一般的な事例として、上郎・下郎・王は所対によって呼び方が変わることをとおして、小乗・大乗それぞれの立場での王ではあるが、一切経の大王は法華経のみであり、これを知るを“教をしれる者”というと、明言されている。
第29章
そして、各宗の師が自経を第一とするのは教を知らない者であり、天台大師のみ教を知るものであると述べられ、これに対して、浄土の曇鸞・道綽、法相の慈恩、華厳の法蔵・澄観、真言の善無畏等それぞれ超過の法華経を下しているから法華経の本意を知らないばかりか自依の経の心も知らないと喝破されている。
第30章
ここでは、大聖人が答える立場になられて、まず、「これらの諸経が皆謗法なら、悪道に堕ちたか」という問いに対して、謗法の種類にも上中下雑とあること、慈恩等は、上中の謗法にあたるが、彼等自身、謗法を悔いた回心の筆があるではないか、また、他師を破する場合に、能破と似破があることと、それらの定義付けをされている。次に脇尊者の金杖の譬えの意は、理の争いではないから謗法とはならないこと、外道が小乗を破するのは理の争いだから謗法となること、大乗から小乗を破するのは破法とならず、諸大乗が法華経を破するのは謗法となること、その逆は謗法とならないこと、大日経・真言宗は、未開会で記小久成がなければ法華已前の経であり、開会と記小久成を許せば涅槃経と同程度の経であること、ただし善無畏等が一念三千の法門を盗んで自宗のものとしていること、そうであれば、善無畏等の謗法は似破かまた雑謗法であると答えられている。
さらに五百羅漢の悟りは、小乗の悟りであって門を争うが謗法とならないこと、摂論や四意趣や大論の四悉檀等は、無著と竜樹が法華経をもって一切経の心を得たうえで四意趣や四悉檀等を用いて爾前経の意を判釈しているので謗法ではないが、未開会の四意趣と四悉檀と開会の四意趣と四悉檀等を混同すれば、謗法となること、このように正しく判釈する人を教を知る者というと仰せられている。
第31章
このように、宗教の五義の中の教について、いかに知るべきかを明かされたのち、つぎに、信解に約して信について明かされている。
なぜ、信を取り上げられたのかは、前述の教を知ることが、たんに知って理解するというだけのことではなく、信を前提として“教を知る”ことが大事だからである。
信については、同じく問答形式で、信而不解・解而不信・亦信亦解・非信非解の四種を標示されている。
第一問答=信而不解の者は謗法となるのかとの問いに対して、これは謗法にならないとして、法華経の「以信得入」と涅槃経巻九を挙げられている。
第二問答=涅槃経巻三十六をとおして、三宝を謗ずる二種の人を挙げ、一人は不信で瞋恚の心のある人、一人は信じているけれども義を理解しない人であり、信心があって智慧のない者はよく無明を増し、智慧があって信心のない者はよく邪見を増す。不信の者は瞋恚の心のために三宝を否定し、信心のある者は、智慧がなく間違って理解しているから法を聞く者に三宝を謗らせると説いており、この二種の人の中に信而不解があり、これらの者を謗法と説くのか、との問いに答えて信而不解の者は涅槃経巻三十六に恒河の七種の衆生の第二の者と説いており、涅槃経の一切衆生悉有仏性の説を聞いて信じ而も信じない者のことをいうと答えられている。
第三問答=信じて而も信じないとはどうゆうことか。それは、一切衆生悉有仏性の説を聞いて信ずるが、一方では爾前経に心を寄せて、一類の衆生を無仏性の者といっているではないか。これを信而不信の者というと答えられている。
第四問答=その証文はあるのか、涅槃経に、悉有仏性の説を聞いて信心を起こす人は恒河を出るといわれ、逆に、仏性は衆生に具わっていると信ずるけれども、すべての衆生にはないという人を信不具足の人といい、その人は、涅槃経を信ずるようだが、心に爾前の義を持つ者であり、また、この人を信ずるものであって智慧がなく逆さまに義を解釈すると説いているといわれている。
第五問答=信而不解の得道の文はあるのか。涅槃経巻三十二・巻九・法華経の「以信得入」とあるのがそれであると答えられている。
第六問答=解而不信の者はどうか。これは、涅槃経の恒河の七種の衆生の第一の者である。
第七問答=それでは証文はあるのか。涅槃経巻三十六に、如来の常住や常楽我浄を聞いても悉有仏性の説を聞いても信じない者が一闡堤であり、方等経を謗じ、五逆を作り、四重禁を犯す者も必ず成仏できるとし、二乗も成仏できるとの言葉を聞いて信じない者のことであるといわれている。
第八問答=経文には不信とあり、解而不信とはいっていないがどうか、との問いに対して、「若し智慧有って信心有ること無き是の人は則ち能く邪見を増長す」といっているのが解而不信の証文であると答えられて結ばれている。
本抄の御正筆の所在の系年について
本抄の御正筆は、かつて身延に存在していたことが身延の行学日朝著の「霊宝目録」によって明らかである。
それによれば、「顕謗法書」と記されている。その後、身延に数度の大火があり、その際に焼失してしまったらしく現存しない。
つぎに本抄には、御述作の年次が記述されていない。文中にも、系年を決定がみられない。ただ、一説には弘安2年(1279)御述作とするものがあり、御書全集もこれに従がって弘安2年(1279)御述作説をとっている。
0443:01~0443:02 第一章 本抄の大網を示すtop
| 0443 顕謗法抄 弘長二年 四十一歳御作 本朝沙門 日 蓮 撰 01 第一に八大地獄の因果を明し、第二に無間地獄の因果の軽重を明し、第三に問答料簡を明し、 第四に行者弘経 02 の用心を明す -----― 第一に八大地獄の因果を明し、第二に無間地獄の因果の軽重を明し、第三に問答料簡を明し、第四に行者の弘経の心構えを明らかにする。 |
八大地獄
八熱地獄ともいう。仏典では古代インドの世界観に基づき、この世界には、殺生・盗み・邪淫などの人倫にもとる悪い行いをした罪の報いとして、死後に堕ちる8種の地獄があるとされる。①等活地獄(獄卒に鉄杖で打たれ刀で切られても身体がよみがえり同じ苦しみを繰り返す)②黒縄地獄(熱鉄の黒縄を身体にあてられそれに沿って切り刻まれる)③衆合地獄(鉄の山の間に追い込まれ両側の山が迫ってきて押しつぶされる)④叫喚地獄(熱鉄の地面を走らされ溶けた銅の湯を口に注がれるなどの苦しみで喚き叫ぶ)⑤大叫喚地獄(様相は前に同じ)⑥焦熱地獄(焼いた鉄棒で串刺しにされ鉄鍋の上で猛火にあぶられる)⑦大焦熱地獄(様相は前に同じ)⑧阿鼻地獄(無間地獄)の八つで、その様相は諸経論でさまざまに説かれる。この順に地を下り苦しみも増していき、最底、最悪の阿鼻地獄に至る。日蓮大聖人は「顕謗法抄」(443㌻)で、それぞれを詳述されている。
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因果
因と果。因とはものごとを成り立たせる原因、果とは因に基づいて起こる結果のこと。存在し生起する複数の事物・事象の間が原因と結果の関係で結ばれていることを因果関係といい、因果関係を支える原因・結果の法則を因果律という。ある現象が起こっている時に、それに伴って未来にどのような現象がもたらされるかを予測しそれに対応しようという欲求、また自らが望む事態を現実化するためにはどうすればよいかを知りたいという欲求は、人間の主体的意識に必然的につきまとうもので、因果関係・因果律の認識とそれに基づく判断は、よりよく生きるために必要なものとして発達した。ある時点である一定の見識に基づいて確立されているようにみえる因果関係も、新しい事態などに直面することにより見識が広がったり深まったりして、より普遍的な法則へと転換されてきた。仏教の因果論では、存在のあり方、とりわけ生命の存在のありかたである生命境涯についての因果論が発達した。仏教は、生命に必然的に伴う生老病死の四苦をはじめ種々の苦の解決を目指す実践哲学であり、四諦においても苦とは何か(苦諦)、苦の起こる原因(集諦)、苦の消滅(滅諦)、苦の消滅に至る方途(道諦)について考察している。以後、仏教においては、苦を乗り越え克服した境地にいたる因についての考察が広く行われ、因果を貫く理法の探究とその真理の実践に力が注がれてきた。釈尊在世の当時、苦楽の原因となる行い(業)とその結果(果報)としての苦楽の生命境涯に関する因果について種々の論説があったが、仏教でも、その点について後々まで多彩な論議が発展した。この生命の因果論は、古代インドにおける三世にわたる永遠の生命観に基づくものであり、検証可能であることを求める近代の自然科学的な因果法則とは異なり、人生への主体的な取り組みを促す実践倫理的な面が強い。善悪いずれの行為も苦楽の生命境涯と関係ないとする(因果撥無)見解をいだく者を邪見の一つの代表として挙げて非難する。また、仏教の因果論は、元来、自己の運命を不可避のものとして甘受するのではなく、主体的にとらえて切り開いていくという意義を含んでいる。ところが、その思想的変遷の過程で、宗教的な境地の達成へと導くために善の行動を行い悪の行動を避ける法則の提示にとどまらず、現在の状態、とりわけ苦悩の境涯を甘受し忍従するための装置として政治的権力・宗教的権威に悪用された面がある。僧侶による追善回向の儀礼の発達とともに、硬直化し固定的な運命の束縛を述べたものとして誤解された。さらに日本などでは仏教の因果論は僧侶が法要の代価としての供養を得ることを正当化する道具となり、とりわけ江戸時代の寺檀制度の中では信徒を政治的・経済的に支配する手段となった。【古代インド哲学における因果論】仏教以前から古代インドでは、善因楽果・悪因苦果という因果応報の思想があり、業の報いとして輪廻すること(業報輪廻)からの脱却(解脱)が探求されていた。伝統的な民俗信仰であるバラモン教では、秘伝の知識をもつ聖職者・バラモンによる祭式が輪廻から解脱できる行い(業)とされていたが、哲学の展開とともに、バラモン教の内外から種々の思想が生まれた。そのうちの一つであるウパニシャッド哲学では、生命の不変の本質とされた我(アートマン)についての知識が重視され種々の思想が展開された。また種々の因果に関する説が生まれ、その一つとして、原因の中に結果の性がそなわり、それが直接的に開き現れるとする「因中有果」説がある。これは、古代インドの伝説的な哲学者である三仙のうち、数論外道(サーンキヤ学派)の祖とされる迦毘羅(カピラ)の説とされる。これに対して、原因に果は内在しておらず、いくつかの原因が集まってまったく新しい果が発生するとする「因中無果」説を唱えるものもあった。三仙のうち勝論師(ヴァイシェーシカ学派)の祖とされる漚楼僧佉(優楼迦とも、ウルーカ)の説とされる。さらには、ある時には原因の中に結果の性があって展開し、ある時には原因の中に結果の性がない場合もあるという「因中亦有果亦無果」説を主張するものもあった。三仙のうちジャイナ教の祖とされる勒裟婆(リシャバ)の説とされる。【仏教の因果論=縁起説】仏教以前からの善因楽果・悪因苦果の因果応報の考え方に基づいている古代インド哲学の諸説に対して、仏教では、直接因である因が内在するとするが、それが直接的に果をもたらすのではなく、外在的間接因である縁と合わさること(因縁和合)を条件としてはじめて、果が生じるとし、果がもたらされるのは縁によることを強調する。それ故、因縁説、縁起説とも呼ばれる。この事物・事象のあり方を説明する縁起の思想は時代とともに発展し、十二因縁、頼耶縁起など種々の縁起が説かれた。また仏教では、あらゆるものごとが因・縁の和合によって生ずるとし、ものごとに固定的な実体としての我が存在せず(無我)、実体は種々の可能性に満ちた空であると説くので、仏教が説く因果は決定論ではない。これは、自らの心身の行為(業)によって、自己の存在のあり方を主体的に形成する可能性を示している。業についての因果・縁起の思想は、今世における行いとその果報としての苦楽にとどまらず、永遠の生命観に則って三世にわたって展開され、輪廻とそれからの解脱に関する因果論となった。【十界各具の因果】日蓮大聖人の仏法では、善因楽果・悪因苦果の因果応報の考え方を「常の因果」と位置付けられている。また、次の生において十界のどの生命境涯に生まれるかを決定する業因(引業)や、その生命境涯における細かな差異を決定する業因(満業)など、詳細な議論が諸学派でなされた。十界の各界の業因とその果報という意味での因果は、「十界各具の因果」という。【九因一果・因果異性】仏教では、低い生命境涯である六道の輪廻から解脱し平安な境地である涅槃に至る、あるいは仏の境涯に至るための修行が説かれる。これらの修行は、得られる生命境涯に対しては因となるので因行と呼ばれ、それによって得られる果報の境涯にそなわる優れた特性(功徳)は果徳と呼ばれる。十界に即していえば、地獄界から菩薩界までの九界は仏界を目指して因行を修すべき立場となり因であり、それによって得られる果報の仏界は果となる。これを九因一果という。法華経以外の諸経では、十界互具が説かれておらず、九界を厭い離れるためにその原因となる無数の煩悩を長遠な期間の修行によってすべて断滅してはじめて仏界の境涯が実現できると説く。因である九界と果である仏界の間に断絶があり、九界の衆生と仏界の衆生の間に本性の違いがあるという立場なので、法華経以外の諸経は因果異性の宗となる(ここでの宗とは根本となる教えのこと)。また、因である九界が現れている時点と、果である仏界が実現している時点は異なる。これを因果異時という。【因果同性】法華経迹門では、すべての衆生が仏知見(仏界、仏性)を開き顕すことができるとし、因である九界と果である仏界が、生命にそなわる本性として同質のものであることを示すので、法華経迹門は因果同性の宗とされる。九界の衆生にも理の上では仏界がそなわるので十界具足となる。しかしながら法華経でも迹門の教説では、長遠な菩薩道の修行の上で遠い未来世に成仏するという保証(記別)しか与えられていないので、法華経以外の諸経と同様、九界と仏界には大きな断絶がある。【因果並常】法華経本門では、釈尊が実は五百塵点劫という久遠に成仏していたという本果を説くとともに、本因すなわち本果の因である菩薩としての寿命の継続を説く。これによって、菩薩界と仏界が釈尊という一人の生命の上で長遠な期間にわたり並存し、菩薩界をはじめとする九界と仏界が並んで常住であることが示されている。このことから、法華経本門は因果並常の宗とされる。【因果一念・因果俱時】法華経は釈尊と同じ仏知見が一切衆生にそなわることを説くのであるから、この法華経本門に示された元意は、九界も仏界も俱に一切衆生の生命にそなわっていることを示すことにあるといえる。この経文の底意をとらえ、また衆生の実践に即してとらえる文底・観心の教えは、仏と凡夫をとわず一切衆生の瞬間の生命(一念)に因である九界と果である仏界が俱にそなわることを明かすものなので、因果一念の宗とされる。また、九因一果の因果は同時に衆生の生命そのもの(当体)にそなわる。これを因果俱時という。この因果一念・因果俱時の十界のあり方が、究極の真実・根本のあり方である。文底・観心の立場における本因本果は、衆生の己心に本来的にそなわる無始の菩薩界が本因であり、衆生の己心に本来的にそなわる無始の仏界が本果である。そして、法華経の文底に示された南無妙法蓮華経を信じ実践することによって、仏界の境涯が顕現する。日蓮大聖人は、自身の生命にそなわる妙法を曼荼羅御本尊として図顕され、末法の一切衆生が信受すべき本尊とされた。仏界の境涯が顕現しても、九界が無くなることはないが、その悪のはたらきは消え去り(冥伏)、九界それぞれの特性が仏界によって生かされる。それ故、九界をそなえる凡夫の身そのままで仏界の生命境涯を開き顕す即身成仏が可能になるのである。
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無間地獄
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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問答料簡
問答形式を取って論議のある問題点を明確に解こうとすること。
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行者
①仏道を修行する者。②修験動を修行する者。
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日蓮大聖人は、一切衆生の真の成仏を願うが故に、まずもって人々に成仏の直道としての妙法を教えるとともに、極悪の無間の業としての謗法の恐ろしさを教えられた。なぜなら、せっかく仏法を実践していると思いながら、正法誹謗の邪見のうえに立てられた宗派を信仰すれば、自ら謗法の罪を犯し、無間地獄の業因を作ってしまうからである。
真実の幸福を願い求める者は、謗法の恐ろしさを知ることから始めなければならない。そのことを本抄では明確にされ、成仏への正しい道を明らかにしようとされているのである。
0443:03~0444:01 第二章 等活地獄の因果を明かすtop
| 03 第一に八大地獄の因果を明さば、 04 第一に等活地獄とは此の閻浮提の地の下・一千由旬にあり此の地獄は縦広斉等にして一万由旬なり、 此の中の 05 罪人は・たがいに害心をいだく若たまたま相見れば犬とサルとの あえるがごとし、 各鉄の爪をもて互につかみさ 06 く血肉既に尽きぬれば唯骨のみあり、 或は獄卒手に鉄杖を取つて頭より足にいたるまで 皆打くだく身体くだけて 07 沙のごとし、 或は利刀をもつて分分に肉をさく然れども又よみがへり・よみがへりするなり・此の地獄の寿命は人 08 間の昼夜五十年をもつて第一・四王天の一日一夜として 四王天の天人の寿命五百歳なり、 四王天の五百歳を此れ 09 等活地獄の一日一夜として 其の寿命五百歳なり、 此の地獄の業因をいはば・ものの命をたつもの此の地獄に堕つ 10 螻蟻蚊モウ等の小虫を殺せる者も 懺悔なければ必ず此の地獄に堕つべし、譬へばはりなれども水の上にをけば沈ま 11 ざることなきが如し、 又懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし、 譬へば 12 ぬすみをして獄に入りぬるものの・しばらく経て 後に御免を蒙りて獄を出ずれども 又重ねて盗をして獄に入りぬ 13 れば出ゆるされがたきが如し、 されば当世の日本国の人は 上一人より下万民に至まで此の地獄をまぬがるる人は 14 一人もありがたかるべし、 何に持戒のをぼへを・ とれる持律の僧たりとも蟻虱なんどを殺さず蚊?をあやまたざ 0444 01 るべきか、況や其外山野の鳥鹿・江海の魚鱗を日日に殺すものをや、何に況や牛馬人等を殺す者をや。 -----― 第一に八大地獄の因果を明かせば、 第一に等活地獄とは、この閻浮提の地の下、一千由旬の所にある。この地獄の広さは、縦と横が等しく一万由旬である。この中の罪人は、たがいに殺害心を抱いている。もしもたまたま見ることがあれば、犬と猿とが出会ったようなものである。おのおの鉄の爪で互いに身をつかみ裂き、血肉がなくなってただ骨だけが残る。あるいは獄卒が手に鉄杖を取って、罪人の頭から足にいたるまで皆打ち砕く。身体は砕けて砂のようになる。あるいは利い刀で細かく肉をさく、しかし、そのたびにまた身体はよみがえり、よみがえりして同じ苦しみを繰り返すのである。 この等活地獄の寿命は、人間の昼夜五十年を六欲天の第一の一日一夜として、四王天の天人の寿命は、五百歳であり、四王天の五百歳をこの等活地獄の一日一夜として、その寿命五百歳である。 この地獄に堕ちる業因をいえば、生き物の命を断つものがこの地獄に堕ちる。螻・蟻・蚊・?等の小虫を殺した者も、懺悔しなければかならずこの地獄に堕ちるのである。譬えば針のような軽いものであっても、水の上に置けば必ず沈むのと同じである。また懺悔しても懺悔した後で重ねてこの殺生罪を作れば、その後の懺悔ではこの罪は消えがたい。譬えば盗みをして牢獄に入れられた者が、しばらくしてから後に許されて牢獄を出たとしても、また重ねて盗をして牢獄に入れられたならば、今度は容易に許されがたいのと同じである。 それゆえ今の日本国の人は、上一人から下万民に至るまで、この地獄をまぬかれる人は一人もないであろう。どれほど持戒の評判をとった持律の僧であっても、蟻や虱等を殺さず、蚊や?をあやめないことがあろうか。ましてその他の山野の鳥や鹿、江や海の魚を毎日殺す者や、それにもまして牛や馬や人等を殺す者がこの地獄に堕ちないことがあろうか。 |
等活地獄
一閻浮提の下一千由旬にあるとされる。罪人が互いに殺害心を抱き、もしも、たまたま相見ることがあれば、猟師が鹿に、犬が猿に出会ったようなもので、おのおの鉄の爪でつかみ裂き合い、血肉がなくなって、ただ骨だけが残る。あるいは、獄卒が鉄棒を取って、罪人の頭から足の裏に至るまで、皆、打ち砕く。身体は砕けて砂のようになる。あるいは、鋭い刀で細かく肉を裂く。しかし、いずれの場合も、そのたびにまた身体は蘇り、蘇りして、同じ苦しみを繰り返すのである。このように前と等しく活り、更に同じ責めにあうので、等活地獄の名がある。
―――
閻浮提
閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
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由旬
サンスクリットのヨージャナの音写。由善那とも。インドの距離の単位。1由旬とは帝王が1日に行軍する道のりとされ、およそ10キロメートルほどと考えられている。
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四王天
四天王が住む天。須弥山の中腹にある。
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螻蟻蚊蝱
取るに足りない小さなもののことでケラ・アリ・カ・アブ。
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懺悔
犯した罪悪を告白し悔い改めること。一般には「ざんげ」と読む。【仏教の懺悔】懺とはサンスクリットのクシャマの音写である懺摩の略。犯した罪を告白し許しを請うこと。悔とは懺摩の意訳。懺悔はサンスクリットと漢語を合成した語である。原始仏教では、比丘が仏や長老格の比丘に告白し、裁きを受けた。また懺悔は経典の各所でその儀則や功徳が説かれ、儀礼として中国・日本で定着した。日蓮大聖人は「可延定業書」で当時病床にあった富木尼御前に「業に二あり一には定業二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや」(985㌻)と仰せになり、定業(報いの内容や現れる時期が定まっている業)であっても妙法の力で転換し悪業を消滅させることができ、寿命を延ばすことができると励まされている。
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持戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
―――
持律
戒を持つこと。戒を持つ者。
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本章以降、第十章までを大段第一として、八大地獄の因果を明かされている。本章はその最初であり、八大地獄の初めの等活地獄の因果を明かされるところである。つまりこの地獄の住処・相貌・寿命・業因を挙げて、誰一人としてこの地獄に堕ちることをまぬかれないと述べられている。
この地獄は、経論によってさまざまに説かれており、相大地獄・更生地獄・活地獄・活大地獄などと呼ばれている。だが、もっとも多く使われているのが等活地獄の称である。等活地獄の等とは等しいこと、活とは生きること、蘇ることであり、この地獄の罪人が、互いに、あるいは獄卒によって身体を砕かれるが、ふたたび元に等しく蘇るところから等活地獄と呼ばれるのである。
いったい、なぜこの地獄の住人はこのように繰り返して、苦しまなければならないのであろうか。その理由は生前に何回となく殺生を繰り返し行ったから、今度は死後においてわが身がさいなまれ、よみがえっては、またさいなまれるという憂き目にあうのである。
ところで、本抄ではこの地獄の寿命をこう述べている。「此の地獄の寿命は人間の昼夜五十年をもつて第一・四王天の一日一夜として四王天の天人の寿命五百歳なり、四王天の五百歳を此れ等活地獄の一日一夜として 其の寿命五百歳なり」と。
人間の寿命と四天王の衆生の寿命とこの地獄の寿命という関連において、寿命を設定されているのである。このような算出法は、倶舎論等で示されているが、それを大聖人は採用されたのである。ところでこの地獄の寿命を人寿に約すならば16200億歳となるのである。
それほど等活地獄の寿命が長いことは、殺生の罪がきわめて重いということを意味しているのである。仏法では生命の尊厳を説いており、蟻や蚊といえども、その生命は、かけがえのないものである。そうしたかけがえのない生命を奪う行為は重い罪となるのである。
大智度論巻十三には「一切の宝の中にて人命は第一なり…而も寿命なくんば誰か此の楽を受けん。是を以ての故に知る。諸余の罪の中にて殺罪は最も重く、諸の功徳の中にて、不殺は第一なることを、世間の中にて、命を惜しむを第一となす」と説かれている。
殺生罪が大重罪であるが故に、これを犯す者はそれだけ重い報いをうけることを、こうした長時という形で表現しているのである。
又懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし
ここでの懺悔は、生きものを殺したことについていっているのである。だが、懺悔したとしても、ふたたび殺生を犯せば、その後でどんなに懺悔しても殺生という大罪は消えないといわれている。
しかし、生きていくうえで殺生をしないということはありえない。無意識のうちに微生物を殺している場合もあれば、害をなすものを除くためにや、食料となるものを殺す場合もある。ところが御文では、殺生を繰り返せばその罪は消えがたく、現に意識すると、しないとにかかわらず殺生を行なう故に、「されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至まで此の地獄をまぬがるる人は一人もありがたかるべし」と仰せられている。
ならば、たとい懺悔したところで、誰一人としてこの地獄の苦をまぬかれることができないであろうか。これに対して光日房御書では「小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ」(0930-06)と仰せである。しかも、その具体的な例として、光日房の子弥四郎の殺生罪は必ず消えるといわれているのである。いったいどこにその相違があるのであろう。それは、何に懺悔するかが問題なのである。つまり懺悔の対象によって、罪の消滅・不消滅が決定することを知らなければならない。
0444:02~0444:08 第三章 黒縄地獄の因果を明かすtop
| 02 第二に黒繩地獄とは等活地獄の下にあり 縦広は等活地獄の如し、 獄卒・罪人をとらえて熱鉄の地にふせて熱 03 鉄の繩をもつて身にすみうつて熱鉄の斧をもつて 繩に随つてきり・さきけづる又鋸を以てひく・又左右に大なる鉄 04 の山あり山の上に鉄の幢を立て鉄の繩をはり 罪人に鉄の山をををせて繩の上よりわたす 繩より落ちてくだけ 或 05 は鉄のかなえに堕し入れてにらる此の苦は上の等活地獄の苦よりも十倍なり、 人間の一百歳は第二のトウ利天の一 06 日一夜なり 其の寿一千歳なり此の天の寿一千歳を一日一夜として此の第二の地獄の寿命一千歳なり、 殺生の上に 07 偸盗とて・ぬすみを・かさねたるもの此の地獄にをつ、当世の偸盗のもの・ものをぬすむ上・物の主を殺すもの此の 08 地獄に堕つべし。 -----― 第二に黒繩地獄とは、等活地獄の下にあって、縦横の広さは等活地獄と同じである。獄卒は罪人をとらえて、熱く焼けた鉄の地面に伏し倒し熱く焼けた鉄の繩で身体に墨縄をうち熱く焼けた鉄の斧でその跡にさそってきり、裂き、削る。また鋸でひく。また左右に大きく鉄の山がある。山の上に鉄の幢を立て、鉄の繩をはり、罪人に鉄の山を背負わせ繩の上を渡らせる、罪人は繩から落ちてくだけ、あるいは鉄の幢に突き落とされて煮られる。この苦しみは、先の等活地獄の苦しみよりも十倍である。 人間の百歳は、六欲天の第二のトウ利天の一日一夜である。そのトウ利天の寿命は一千歳である。この天の寿命を一千歳を一日一夜として、この第二の黒縄地獄の寿命は一千歳である。殺生のうえに偸盗といって盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちる。 今の世の偸盗の者の中で、物を盗むうえに物の主を殺す者は、この地獄に堕ちるのである。 |
黒繩地獄
等活地獄の下に位置し、縦横の広さは等活地獄と同じである。獄卒は罪人を捕らえて、熱く焼けた鉄の地面に伏し倒し、同じく熱く焼けた縄で身体に墨縄をうち、これまた熱く焼けた鉄の斧もしくは鋸でその跡にそって切り、裂き、削る。また左右に大きく鉄の山がある。山の上に鉄の幢を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山を背負わせて縄の上を渡らせる。すると罪人は縄から落ちて砕け、あるいは鉄の鼎に突き落とされて煮られる。この苦しみは、先の等活地獄の苦しみよりも10倍である。人間界の100年は、六欲天の第二の忉利天の一日一夜である。その忉利天の寿命は1000歳である。この天の寿命1000歳を一日一夜として、この第二の黒縄地獄における衆人の寿命は1000歳である。人間界の時間で13兆3225億年に当たる。
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幢
①儀式または軍隊の指揮などに用いた旗の一種。彩色した布で作り、竿の先につけたり、柱に懸けたりした。はたほこ。②魔軍を制する仏・菩薩 のしるし。また、仏堂の装飾とするたれぎぬ。
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かなえ
肉や魚を煮る大きな釜。閻魔王宮にあるとされる罪人等を責める刑罰の器具。
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忉利天
サンスクリットのトラーヤストリンシャの音写。意訳が三十三天。古代インドの世界観で欲界のうちの六欲天の下から2番目。須弥山の頂上に位置し、帝釈天を主とする33の神々(三十三天)が住むとされる。
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第二の地獄の寿命
第二の地獄とは黒縄地獄のこと。この地獄の寿命は人間界の時間で13兆3225億年に当たる。
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殺生
生きものを殺すこと。十悪の第一。四重禁の一つ。仏法では最も重い罪業の一つとし、五戒・八戒・十戒等の一つに不殺生戒を挙げている。
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偸盗
人の物を盗むこと。十悪の一つ。四重禁の一つ。
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ここでは、八大地獄中第二黒縄地獄の因果について明かされる。
黒縄地獄は、獄卒が罪人を捕えてその身体に黒縄を打って熱鉄の刀物で斬り、さらに縄の上をわたしたりして罪人を責めるところからこう呼ばれるのである。この地獄の苦しみは、前の等活地獄の十倍にあたるという。寿命もまた等活地獄の八倍にあたる。
等活地獄の場合、罪人は互いに殺し合い、その後に獄卒によって責めころされるといった描写であるのに対し、この地獄は、最初から獄卒によって捕えられる。罪人には能動的になり得る場がなく、獄卒に責められることのみになっているのが、この地獄の様相である。しかも捕縛され、さまざまの殺生に用いる道具で殺されるのである。このような死後の果報は、生前の殺生と偸盗という非道を行ったが故のものである。
殺生だけの場合は、無意識の殺生もあることは前述したとおりである。この地獄の場合は、無意識のうちに殺生をし、それとは別に物を盗むという悪行が加わることもあろうが、殺生と偸盗が相前後して行われる場合は、故意による殺生、悪意の殺生となる。しかもその際の殺生の対象は人間である。殺人を犯して物を盗む、こういう悪行が行われたのであれば、この地獄の罪人が等活地獄の十倍の苦しみを受けるのは、けだし当然の報いといえよう。
0444:09~0444:17 第四章 衆合地獄の因果を明かすtop
| 09 第三に衆合地獄とは黒繩地獄の下にあり縦広は上の如し 多くの鉄の山二つづつに相向へり、牛頭・馬頭等の獄 10 卒・手に棒を取つて罪人を駈りて山の間に入らしむ、 此の時・両の山迫り来て合せ押す身体くだけて血流れて地に 11 みつ、又種種の苦あり、 人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として 此の天の寿二千歳なり此の天の寿を一日 12 一夜として此の地獄の寿命二千歳なり、 殺生・偸盗の罪の上に邪婬とて 他人のつまを犯す者此の地獄の中に堕つ 13 べし、而るに当世の僧・尼・士・女・多分は此の罪を犯す殊に僧にこの罪多し、士女は各各互にまほり又人目をつつ 14 まざる故に此の罪ををかさず 僧は一人ある故に婬欲とぼしきところに 若し有身ば父ただされ・あらはれぬべきゆ 15 へに独ある女人を・をかさず、もしや・かくるると他人の妻をうかがひ・ふかく・かくれんと・をもうなり、当世の 16 ほかたうとげなる僧の中にことに 此の罪又多くあるらんと・をぼゆ、されば多分は当世たうとげなる僧・此の地獄 17 に堕つべし。 -----― 第三に衆合地獄とは、黒繩地獄の下にあり、広さは上の二つの地獄と同じである。多くの鉄の山が二つづつに向かい合っている。牛頭や馬頭等の獄卒が手に棒を持って罪人を駈りたて山の間に追い入れる。この時、両側の山が迫って来て合わさり罪人を押しつぶす。罪人の身体はくだけて血が流れて大地に満ちる。そのほか、この地獄には種々の苦しみがある。 人間の二百歳を六欲天の第三の夜摩天の一日一夜として、この夜摩天の寿命は二千歳である。この天の寿命を一日一夜として、この地獄の寿命二千歳である。殺生・偸盗の罪のうえに邪婬といって他人の妻を犯す者は、この地獄の中に堕ちるのである。 ところが、今の世の僧や尼や在家の男女の多くは、この罪を犯している。とくに僧にこの罪を犯す者が多い。在家の男女は、夫婦としておのおのが互いに守り合い、また人目を忍べないのでこの罪を犯さない。僧は独身であるから、婬欲を満たす機会が乏しいところに、もし相手が身籠ると父は誰かと糾され露見してしまうので、独身の女人を犯さず、もしや隠し通せるのではなかろうかと、他人の妻をうかがい、犯したのちも深く隠しておこうと考えているのである。今の世のことのほか尊く見える僧の中に、とくにこの罪を犯す者が多くいるであろうと思われる。それゆえ、大部分は今の世に尊く見える僧が、この地獄に堕ちるのである。 |
衆合地獄
八熱地獄の第三。第二の地獄の罪に加えて、淫らな行いを繰り返した者が落ちる。黒縄地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。多くの罪人が、相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、圧殺されるなどの苦を受ける。剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す。鉄の巨象に踏まれて押し潰される。人間の200歳を第三の夜摩天の一日一夜として、さらにその2000年をこの地獄の一日一夜として、この地獄での寿命は2000歳という。これは人間界の時間に換算すると106兆5800億年に当たる。
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牛頭・馬頭等の獄卒
日本の妖怪。地獄で獄卒をしているという獣人、牛頭鬼と馬頭鬼のこと。
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夜摩天
六欲天の下から三番目の天。この世界では,感覚の快楽が与えられる。寿命が二千年で,その一昼夜は人間界の二百年に相当するという。夜摩。焰魔天。第三焰天。
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邪婬
不正な男女関係を結ぶこと。十悪の一つ。四重禁の一つ。
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八大地獄の第三・衆合地獄の因果を明かされた章である。前半で衆合地獄の住処・相・寿命・業因を明かし、後半の「而るに当世の相」以降は、上の原理に照らして、当時のさまざまな僧俗の姿を破折されている。
衆合地獄の衆とは、元来、多数の人を意味し、合とは、合わさるという意味である。したがって、大勢の人の苦しみが一度に合わさり、この地獄の罪人を責め立てて苦しめるところから、衆合地獄と呼ばれたのである。
ところで、本抄においては、きわめて簡潔にこの地獄が描かれている。そのため、衆合地獄の特徴やその厳しさを身落とすおそれがある。前の二つの地獄よりさらに厳しい地獄であることは間違いない。
多少の説明を加えてみると、御文の「多くの鉄の山二つづつに相向へり」とは、一対の鉄の山が罪人に迫り、罪人を圧殺するくだりであるが、鉄の山には「多くの」とあるとおり、一対の鉄の山がたくさんあるということである。したがって、罪人は一対の鉄の山に圧殺された後、また、つぎの一対の鉄の山に圧殺されるのである。このようにして、罪人は自分の罪業が消えるまで何度も何度も圧殺の苦しみを受け続けなければならないのである。
「牛頭・馬頭等の獄卒」の文においても“等”の中に数多くの獄卒が省略されている。大智度論巻十六によれば、牛馬・猪・羊・狐・野犬・虎・狼・師子・鷲などの頭をした獄卒と具体的に挙げており、瑜伽師地論巻四では、鉄の牡羊・馬・師子・虎などとしている。これら人身獣首の極卒達が徹底的に罪人を責めた立て追い込み、食い殺すのである。「また種種の苦あり」の一文においてもまた、鉄の槽に入れられて、芋のように洗いつぶされる苦しみ、切られ刺され、突かれ、引き裂かれる苦しみ、鉄の臼に入れられて鉄の杵でつかれ、こなごなにされる苦しみ、さらには、数多くの極卒や獄鬼によって食べられる苦しみが、諸経論に詳しく描かれている。なぜ、このような苦しみにあわなければならないのだろうか。なぜ、このような地獄を仏法では克明に描き、人々に教えているのであろうか。その点を掘り下げてみるなら、実は世の中そのものが、原因と結果から成り立っているのであって、仏法は、このような因果関係をただ局所的にしか見ることのできない人人に対して、すべての事柄に厳しい因果の法則が貫かれていることを教えていることがわかる。たとえば目連の母の青提女のように、物を惜しんで人に与えず、貪り求めて飽きたりない心の持ち主や嫉妬の強い者は死して餓鬼道に堕ちる。愚癡が深く、自らの罪を恥じることがなく、しかも他人から施しを受けながら他の物で償うことをしない者は畜生道に堕ちると説くのである。いわんや殺生と偸盗を犯したうえ、人倫の道をふみはずすといった、背徳の行為をする者においては、それなりの報いがあることを仏法では明確にしているのである。
殺生と偸盗と邪淫とを合わせて犯すことによって、どれほど多くの人々を不幸に巻き込むかは想像するまでもないことである。そのような大勢の人々に苦悩を与えたがゆえに、今度はそのことで自身が苦しむのである。こうした衆合地獄の受苦がけっして経典上の出来事にとどまらないことを肝に命ずるべくではなかろうか。
0444:18~0445:07 第五章 叫喚地獄の因果を明かすtop
| 18 第四に叫喚地獄とは衆合の下にあり縦広前に同じ獄卒悪声出して弓箭をもつて罪人をいる、 又鉄の棒を以て頭 0445 01 を打つて熱鉄の地をはしらしむ、 或は熱鉄のいりだなにうちかへし・うちかへし此の罪人をあぶる、 或は口を開 02 て・わける銅のゆを入るれば 五臓やけて下より直に出ず、 寿命をいはば 人間の四百歳を第四の都率天の一日一 03 夜とす、 又都率天の四千歳なり都率天の四千歳の寿を一日一夜として此の地獄の寿命四千歳なり、 此の地獄の業 04 因をいはば殺生・偸盗・邪婬の上に飲酒とて酒のむもの此の地獄に堕つべし、当世の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷 05 の四衆の大酒なる者・此の地獄の苦免れがたきか、 大論には酒に三十六の失をいだし 梵網経には酒盃をすすめる 06 者・五百生に手なき身と生るととかせ給う人師の釈にはみみずていの者と・なるとみへたり、 況や酒をうりて人に 07 あたえたる者をや・何に況や酒に水を入れてうるものをや・当世の在家の人人この地獄の苦まぬがれがたし。 -----― 第四に叫喚地獄とは、衆合地獄の下にあり、縦横の広さは前の衆合地獄と同じである。獄卒は、荒々しい声を出して弓矢で罪人を射る。また鉄の棒で罪人の頭を打って、熱く焼けた鉄の地面を走らせる。あるいは、熱く焼けた煎架に何度も打ち返して罪人をあぶる。あるいは口を開けさせ、沸いている銅の湯を入れると、五臓が焼けて下からただちに出てくる。 この地獄の寿命をいうと、人間の四百歳を六欲天の第四の都率天の一日一夜として、また都率天の寿命は四千歳である。その都率天の四千歳の寿命を一日一夜として、この地獄の寿命は四千歳である。この地獄に堕ちる業因をいうと、殺生・偸盗・邪婬のうえに飲酒といって、酒を飲む者がこの地獄に堕ちるのである。 今の世の比丘と比丘尼と優婆塞と優婆夷の四衆で、四衆で大酒を飲む者は、この地獄の苦をまぬがれがたいであろう。大智度論には酒に三十六の失を挙げ、梵網経には盃をすすめる者は五百生の間、手のない身に生れると説かれている。人師の注釈には、ミミズのような者となると書かれている。まして酒を売って人に与える者、それにもまして酒に水を入れて売る者においてはとうてい及ばない。今の世の在家の人々は、この地獄の苦しみをまぬがれがたい。 |
叫喚地獄
「飲酒」という項目があるが、ただ酒を飲んだり売買した者は、この地獄には堕ちない。酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたりすることなども叫喚地獄に堕ちる条件になる。衆合地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責めさいなむ。頭が金色、目から火を噴き、赤い服を着た巨大な獄卒が罪人を追い回して弓矢で射る。焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打ち砕かれる。人間の400歳を第四の兜率天の一日一夜とする。その兜率天の4000年を一日一夜として、この地獄における寿命は4000歳という。これは人間界の時間で852兆6400億年に当たる。
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いりだな
物を煎り焙る棚のこと。
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五蔵
五臓とは肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓をいう。
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都率天
都率はサンスクリットのトゥシタの音写。兜率とも書く。欲界に属する天上世界は6層に分かれるが、そのうち下から数えて第4層にあたる。須弥山の頂上のすぐ上に位置する。仏になる直前の菩薩が待機している。娑婆世界における都率天には弥勒菩薩が待機しており、56億7000万年後に地上に下りてきて仏と成って人々を救うとされる。
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飲酒
酒を飲み、心を乱すこと。
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比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
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比丘尼
ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。
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優婆塞
在家の男子をいう。
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優婆夷
在家の女子をいう。
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大論
大智度論のこと。摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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酒に三十六の失
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梵網経
梵網経に説かれる大乗戒のうち10種の重大な戒律。十重の罪を禁じ戒めるもの。十重禁、十波羅夷、十波羅提木叉ともいう。①不殺戒(生きものを殺すことを禁じた戒)②不盗戒(人の財物を盗むことを禁じた戒)③不淫戒(淫事を行うことを禁じた戒)④不妄語戒(人にうそをついて邪見を起こさせることを禁じた戒)⑤不酤酒戒(人に酒を売って顛倒の心を起こさせることを禁じた戒)⑥不説四衆過罪戒(出家・在家の菩薩や比丘・比丘尼の罪過を説くことを禁じた戒)⑦不自讃毀他戒(自分のことを褒め他人を謗ることを禁じた戒)⑧不慳惜加毀戒(物惜しみをして布施をせず人を罵ることを禁じた戒)⑨不瞋心不受悔戒(怒りの心をもち人が謝っても受け入れようとしないことを禁じた戒)⑩不謗三宝戒(仏法僧の三宝を謗ることを禁じた戒)。梵網経には、大乗の菩薩がこれらの戒を犯すと、修行で得た一切の菩薩の位を失い三悪道に堕ちると説かれている。
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本章は八大地獄の第四の叫喚地獄の因果について明かされたところである。初めに叫喚地獄の住処と面積について示し、つぎに、この地獄の様相が描かれ、さらにその寿命の業因を述べて、最後に当世の四衆の姿をとおして彼らの叫喚地獄に堕ちる必然性を明示されている。
叫喚地獄とは、過酷な熱の苦に耐えられない罪人が喚き叫ぶところからその名の由来がある。その模様については本抄に描かれているとおりである。
その寿命の長さは衆合地獄の八倍であり、人間の寿命に約すると8294400億歳にあたるといわれる。八大地獄は下に行けば行くほど、その苦相が凄惨なものとなり、受苦の期間もまた、さらに気の遠くなるほど長大なものとなっていくのである。
この地獄の業因には、殺生と偸盗と邪淫のうえに、飲酒が加わっている。
飲酒がなぜいけないのか、不飲酒戒がどうして定められたのか。これについて、以下の事例が伝えられている。
仏の在世に一人の優婆塞がいて、五戒を持っていたが、あるとき、旧友が彼を訪ねてきた。そして、ともに酒を飲もうと誘った。その優婆夷は、仏の戒めであるからといって飲むことを辞したが、友人の強い勧めにより飲酒したのである。ところが、優婆夷は酒のため正念を失い、隣家の鶏を捕えて食べ、隣家の妻が訪ねて来たので、戯れてこれを姦し、すべての五戒を破ってしまったのである。こうした事件が契機となり、仏道修行者にとっては、飲酒は修行の妨げになるとろから、とくに重いとされ、不飲酒戒と定められるようになったといわれる。
飲酒はマイナス面が多いところに問題がある。たとえていえば、痛飲によって、素行が悪くなる。ものを正しく見られなくなる。怒りの相を現す。仕事を破壊する。病気にかかる。争いを起こす。評判が悪くなる。智慧が乏しくなる。などである。飲酒はこのようにマイナス面が多くあるので、仏法は出家・在家の区別なく禁じているのである。
だが、一方においてはプラスの面もあるので、飲酒を全面的に禁止しているわけではなく、例外として認めてもいるのである。病人に対して飲ませる薬酒がそれである。また、実際においては、酒に溺れない範囲内では許されているのである。つまり飲酒そのものが修行の妨げとなるといけないのであって、飲酒がプラスの方向に活かされればそれなりに意味があるのである。
大聖人の時代においても、酒が好きだった四条金吾が、主君から不興をこうむり、同僚から命を脅かされるなど難を受けている時に、人と外で酒盛りをすることを自重するよう注意されつつも、「只女房と酒うち飲んで・なにの御不足あるべき」(1133-14)と飲酒を認めておられる。むろん大聖人の仏法は円教であるゆえ、小乗の五戒の一つである不飲酒戒に縛られずに包容されているのである。
0445:08~0445:13 第六章 大叫喚地獄の因果を明かすtop
| 08 第五に大叫喚地獄とは叫喚の下にあり縦広前に同し、 其の苦の相は上の四の地獄の諸の苦に十倍して重くこれ 09 をうく、 寿命の長短を云わば人間の八百歳は第五の化楽天の一日一夜なり 此の天の寿八千歳なり此の天の八千歳 10 を一日一夜として此の地獄の寿命八千歳なり、殺生・偸盗・邪婬・飲酒の重罪の上に妄語とてそらごとせる者・此の 11 地獄に堕つべし、 当世の諸人は設い賢人・上人なんどいはるる人人も妄語せざる時はありとも妄語を・せざる日は 12 あるべからず、設い日は・ありとも月は・あるべからず設い月は・ありとも年は・あるべからず設い年は・ありとも 13 一期生・妄語せざる者はあるべからず、若ししからば当世の諸人・一人もこの地獄を・まぬがれがたきか。 -----― 第五に大叫喚地獄とは叫喚地獄の下にあり、縦横の広さは前の地獄と同じである。その苦の相は上の四つの地獄のすべての苦しみの十倍も重い苦しみを受ける。寿命の長短をおうならば、人間の八百歳は、六欲天の第五の化楽天の一日一夜であり、この天の寿命は八千歳である。この天の寿命、八千歳を一日一夜として、この地獄の寿命は八千歳である。殺生・偸盗・邪婬・飲酒の重罪のうえに、妄語といってうそをついた者がこの地獄に堕ちるのである。 今の世の多くの人は、たとい賢人や上人といわれる人々でも、妄語をしない時はあっても、妄語をしない日はない。たとえ妄語をしない日はあっても、妄語をしない月はない。たとえ月はあっても年はない。たとえ年はあっても一期生の間、妄語をしない者はいないであろう。もしそうであるなら、今の世のすべての人は、一人ももれなくこの地獄をまぬかれないのである。 |
大叫喚地獄
妄語が加わる。叫喚地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚く。人間の800歳は、第五の化楽天の一日一夜として、寿8000歳という。その8000歳を一日一夜として、この地獄での寿命は8000歳である。これは人間界の時間で6821兆1200億年に当たる。
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化楽天
六欲天の第五。兜率天と他化自在天との間にある。五境を自在に変化させて自ら楽しむもので、そう呼ばれる。化楽天の寿命は八千歳で、人寿では二十二億四百万歳に相当する。長阿含経にある。
―――
妄語
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
―――
賢人
智慧ある聡明な人。日蓮大聖人は、先人の正しい教えに基づき行動し人々を教え導く人、他の人が気づいていないことに気づいて、無理解や非難や迫害を恐れず、正しいことを述べ、警告を発し、救おうとする人を賢人とみなされている。中国の季札・弘演・比干・竜逢、孔子・周公旦、日本の菅原道真らが賢人とされている。仏教の中では、仏法の覚りを分々に得ている聖人に対して、聖人に近づいているもののまだ凡夫である人をいうことがある。三賢、七賢などの位が立てられる。
―――
上人
上徳のある人。
―――
一期生
人間の一生のこと。
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八大地獄の第五の大叫喚地獄の因果を明かされた段である。
大叫喚地獄の苦しみは、これまで説かれた四つの地獄の苦しみをすべて合わせたその十倍であるということである。しかもその寿命は、前の叫喚地獄の八倍の長さである。気の遠くなるほどの時間であり、さらに前の八倍であるから、すでに想像を越えた苦しみということになる。
これほどの大苦悩は、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語を犯した者が受ける、とのことである。これら五つの罪は、人間が社会を構成して、集団生活を営むうえで、犯してはならない基本的な犯罪といってよいのである。そのうち殺生・偸盗・邪淫・妄語は、さらに基本的な罪であって、仏の定める制戒の有無にかかわらず、それ自体が悪であるところから、仏教では性悪といい、これらを守る戒を性戒という。これに対して、飲酒は、酒を飲むこと自体ではないが、その結果罪を犯すにいたる恐れがあるので、禁止されたわけである。したがって、不飲酒戒は時と所の必要に応じて、仏が定めた制戒であるところから遮戒というのである。だがしかし性戒・遮戒の区別がなされるものの、これらの五つは基本的な犯罪であって、人間として犯してはならないものであるから、“五戒”として在家の者がかならず持つべき戒であると定めているし、大乗教においても、五戒をふまえたうえで、さまざまな戒律が説かれているのである。
ところで、妄語は、ウソをつくことである。日常生活の中で、人を欺くことを目的としてウソをつくことである。これを仏法では小妄語という。これに対して、仏道を修行する者が、まだ悟っていないのに、悟りを得たということも妄語である。この方を大妄語といい、古来、釈尊の教団においては、これを犯す者がおれば、教団を追放されたといわれる。小妄語・大妄語はともに虚偽をもって人を欺くのであるあら、許しがたい行為といえよう。
ここで、妄語の罪を大智度論巻十三で的確に表現しているから、示しておくことにする。「妄語の人は先ず自らの身を誑かして、然して後、人を誑かす。実を以て虚と為し、虚を以て実と為し、虚実顛倒して善法を受けず。譬えば瓶を覆せば水を入るることを得ざるが如し、妄語の人は心に慚愧なく、天道・涅槃の門を閉塞す」と。
そうした妄語というものは、誰の心の中にも巣食うものである。たとえば、修行の過程において、修行の一つ一つに成果が表れてくると、自身が生まれてくるし、そのうちに大分偉くなったものだと思うようになるのは人の常である。それが高じてくると、自身は悟りを得たと、人に言うことも十分考えられる。そうした考えは、人間である以上、誰もが陥りやすい傾向性であるまいか。そうした場合に、妄語として口をついて出るのである。本抄で「当世の諸人は設い賢人・上人なんどいはるる人人も妄語せざる時はありとも妄語を・せざる日はあるべからず」と、人間の弱点に鋭いメスを入れ、たとい賢人・上人の世の人々から讃嘆される者でさえも、妄語を犯していると断定されているのである。
ところで殺生をはじめとする五つの根本的な重罪をすべて破る者が、死後、この地獄に堕ちるのである。その本意は、人間としてそうした犯罪を犯してはならないがゆえに、仏法では、このように大叫喚地獄の苦相を教えているのである。
0445:14~0446:02 第七章 焦熱地獄の因果を明かすtop
| 14 第六に焦熱地獄とは大叫喚地獄の下にあり 縦広前にをなじ、此の地獄に種種の苦あり若し此の地獄の豆計りの 15 火を閻浮提にをけらんに一時にやけ尽きなん況や罪人の身のヤワラカなること・わたのごとくなるをや、此の地獄の 16 人は前の五つの地獄の火を見る事雪の如し、 譬へば人間の火の薪の火よりも鉄銅の火の熱きが如し、 寿命の長短 17 は人間の千六百歳を第六の他化天の一日一夜として 此の天の寿千六百歳なり 此の天の千六百歳を一日一夜として 18 此の地獄の寿命一千六百歳なり、業因を云わば殺生.偸盗・邪婬・飲酒・妄語の上・邪見とて因果なしという者.此の 0446 01 中に堕つべし、 邪見とは有人の云く人飢えて死ぬれば天に生るべし等と云云、 総じて因果をしらぬ者を邪見と申 02 すなり世間の法には慈悲なき者を邪見の者という、当世の人人此の地獄を免れがたきか。 -----― 第六に焦熱地獄とは大叫喚地獄の下にあり、縦横の広さは前の地獄と同じである。この地獄には種々の苦しみがある。もしこの地獄の豆粒ほどの火を閻浮提に置いたとすると、一時に閻浮提が焼け尽きてしまうであろう。まして罪人の身のやわらかいことは閻浮提の堅さに較べれば綿のようであるから、激しく焼かれる苦しさはいうまでもない。 この地獄の罪人は、前の五つの地獄の火を見れば冷たい雪のように感じるのである。譬へば人間界の火でも薪の火よりも鉄や銅の火のほうが熱いのと同じである。 寿命の長短をいえば、人間の千六百歳を六欲天の第六、他化天の一日一夜として、この化他天の寿命は千六百歳である。この天の寿命千六百歳を一日一夜として、この地獄の寿命は一千六百歳である。 この地獄に堕ちる業因をいえば、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語のうえに邪見といって仏法が説く生命の因果を否定する者はこの地獄に堕ちるのである。邪見とは、ある人のいうには「人が飢えて死んだならば天に生まれる」などの考え方である。 総じて因果を知らない者を邪見というのである。世間の法では、慈悲のない者を邪見の者という。今の世の人々は、この地獄に堕ちることをまぬかれがたい。 |
焦熱地獄
邪見が加わる。大叫喚地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。常に極熱で焼かれ焦げる。赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられるほどであり、豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも地上の全てが一瞬で焼き尽くされるという。人間界の1600歳は、他化自在天の一日一夜として、その寿1万6000歳である。その1万6000歳を一日一夜として、この地獄での寿命は1万6000歳という。これは人間界の時間で5京4568兆9600億年に当たる。
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他化天
欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
―――
邪見
仏法を信じず、因果の道理を否定する考えのこと。
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八大地獄のうちの第六焦熱地獄の因果について明かされたところである。
焦熱地獄は、極熱の炎が身を焼くときに、その苦痛があまりに劇しいために耐えがたいところから、その名の由来がある。本抄では、この地獄の豆粒ほどの火が一時に閻浮提を焼き尽くすほどの猛火であること、他の五つの地獄の火がまるで雪のように白く冷たく見えるくらいに、この地獄の火が強烈である、といった例を挙げて、どれほどこの地獄の極熱が罪人を苦しめているかを明らかにされたのである。しかもこの地獄の寿命は、前の大叫喚地獄の八倍にあたる。等活・黒縄・衆合と順に下るにしたがって、八倍ずつ加乗され、ここに至って最初の等活地獄の32768倍となり、人寿に約すると530841600億歳という天文学的な年数となる。
これほどの長い時間にわたって途方もない苦悩を受ける原因は、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見のすべてを犯すことによると説かれているのである。邪見がこれまでの重罪に加わったことで、焦熱地獄の業因がととのったわけである。その邪見について、本抄では「因果なしという者」「因果を知らぬ者」「慈悲なき者」と規定され、前二者の仏法からみた邪見であり、後者が世間の邪見であると仰せである。
瑜伽師地論巻八では、仏法の邪見についてこうまとめている。「邪見とは謂く不善の丈夫に親近し、非正法を聞き不如理に作意するに由るが故に、因を撥し、果を撥し、或は作用を撥し、真実の事を壊す」と。これでわかるとおり邪見は、邪師から邪法を聞いてそれを信ずるところに形成されること、そのような邪見は、因・果・作用といった事物の因果関係を否定して、真理そのものを歪曲してしまう、といったものであることを、同論ではいっているのである。本抄の「人飢えて死ぬれば天に生るべし」といった考えは、いかにも因果を無視した考え方である。人が飢えれば、当然、餓鬼感がともなうものであって、苦しみが生まれるものである。その極限状況の中で死を迎えるのであるから、そこから天という喜びの世界に生ずるといった考え方は、明らかに仏法の因果論を無視し否定したものといえるのである。
仏法は、とりわけ仏因・仏果という覚りの世界の因果を説くのである。つまり正しい仏道修行を教えどおりに行ずれば、万人が万人との悟りを得られるのである。もしも、今世において仏法を行じなければ、その結果、不幸の人生を流転することになるのである。ともかく、このように仏法にあっては、過去・現在・未来にわたる三世の因果が明確にされているのであり、これに対して、因果そのものを否定していく考え方は、仏法否定につながる邪見であるといわなければならない。
つぎに、世間の邪見についてみると、邪見の文字が、邪慳や邪険に置き換えられて、どちらかというと、邪慳あるいは邪険のほうが一般的に広く使われている。邪慳や邪険の意味合いは、仏法の邪見と多少の違いがあるが、この方は、思いやりがないとか、無慈悲であるとか、意地が悪い、むごい、といった言葉であらわすことのできる心の働きとその作用のことである。邪慳のイメージをまとめてみると、人間性に欠けた振る舞いや、さらには非人道的な行為を連想することができまいか。
ところで、このような因果関係を無視した考えや、非人道的な考え方や行動が、もしも人間社会に横行するならば、確実にこの社会は破局の道を歩むことになる。「此の地獄の豆計りの火を閻浮提にをけらんに一時にやけ尽きなん」との御文そのものは、焦熱地獄の猛火を見事に表されているものであるが、と同時に邪見の恐ろしさを示唆してはいないだろうか。ともあれ、邪見をはじめとする六種の罪の結果としての焦熱地獄が、どれほど厳烈なものであるかを痛切に理解すべきである。
0446:03~0446:07 第八章 大焦熱地獄の因果を明かすtop
| 03 第七に大焦熱地獄とは焦熱の下にあり縦広前の如し、 前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受るなり、 04 其の寿命は半中劫なり、業因を云わば殺生・偸盗.邪婬・飲酒・妄語.邪見の上に浄戒の比丘尼を・をかせるもの此の 05 中に堕つべし、 又比丘酒をもつて不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし 或は財物をあたへて犯せるもの此の中に堕 06 つべし、 当世の僧の中に多く此の重罪あるなり、 大悲経の文に末代には士女は多くは天に生じ僧尼は多くは地獄 07 に堕つべしと・とかれたるは・これていの事か、心あらん人人ははづべし・はづべし。 -----― 第七に大焦熱地獄とは焦熱地獄の下にあり、縦横の広さは前の地獄と同じである。前の六つの地獄の一切の苦しみに十倍して重く受けるのである。その寿命は半中劫である。 この地獄に堕ちる業因をいうならば、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の罪のうえに、戒を清浄に持っている比丘尼を犯した者がこの地獄に堕ちるのである。また、比丘が酒をもって不邪婬戒を持っている婦女をたぶらかしたり、あるいは財物を与えて犯したりする者がこの地獄に堕ちるのである。 今の世の僧の中で、多くの者がこの重罪を犯している。大悲経の文に「末代には在家の男女の多くは天界に生じ、僧尼の多くは地獄に堕ちる」と説かれているのは、このような姿をさしているであろう。心ある人々は大いに恥じなければならない。 |
大焦熱地獄
犯持戒人が加わる。焦熱地獄の下に位置し、前の6つの地獄の一切の諸苦に10倍して重く受ける。また更なる極熱で焼かれて焦げる。その炎は最大で高さ500由旬、横幅200由旬あるという。罪人の苦しみの声は地獄から3000由旬離れた場所でも聞こえる。この地獄に落ちる罪人は、死の三日前から中有(転生待ち)の段階にも地獄と同じ苦しみを受ける。この地獄における寿命は、人間界の3200歳を一日一夜とした場合の3万2000歳を一日一夜として3万2000歳であり、人間界の時間では43京6551兆6800億年に当たる。また、この期間を半中劫とも呼ぶ。
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浄戒の比丘尼
仏の戒律を清浄に守っている比丘尼のこと。
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比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
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不邪婬戒
道に外れた性行為を禁ずる戒。
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大悲経
中国・北斉の那連提耶舎の訳。大悲華経ともいう。5巻。仏が涅槃の際に梵天・帝釈・迦葉・阿難などに法を付嘱し、滅後の正法護持者を予言している。
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本章は、八大地獄の第七大焦熱地獄の因果について明かされたところである。
この地獄の苦の相は前の焦熱地獄と同じであるが、その苦しみの大きさがこの地獄の方がはなはだ大きいところから、大焦熱地獄と呼ばれるのである。寿命においても、いままでの地獄のそれと較べて、桁はずれに違うのである。この地獄にいたっては“半中劫”といわれている。この半中劫という時間の観念については、阿鼻地獄の因果を明かすところで述べることにする。
この地獄の業因には、従来の六つの地獄の業因に加えて、戒法を持つ者を犯す邪淫があらたに加わっているのである。
邪淫といっても、その対象が問題とされているのである。第三の衆合地獄の業因は、殺生と偸盗と邪淫とであったが、その場合の邪淫の対象は仏法を持つ者と明示されていなかった。だが、この地獄の場合は「浄戒の比丘尼」「不邪淫戒を持てる婦女」と示されているのである。仏道修行に励んでいる婦女子に対して、甘言などを使って邪淫を行うことをここではいっているのである。こうしたことで、仏法から退かせ、信を不信にかえ、その結果、地獄に堕としていくが故に特に重い罪とされているのである。つまり仏法に対する直接的ではないが、間接的な反逆行為であるといえよう。正法念処経巻十一に「具足して缺さざる浄行の童女・善き比丘尼にして、末だ曾て欲を行わず、末だ曾て戒を犯さず、如来の法中にて法の如くに行える者なるに、其れをして退壊かしめ、是の如き人は仏法を信ぜずして云云」と、その様子が描かれている。
このように、五逆罪や謗法に近い大罪であるがゆえに、阿鼻地獄の手前の大焦熱地獄の業因とされているのである。
0446:08~0447:01 第九章 総じて七大地獄の因果を明かすtop
| 08 総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもつて勘え当世日本国の四衆にあて見るに 此の七大地獄をはなるべき人 09 を見ず又きかず、 涅槃経に云く末代に入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し 三悪道に堕つるものは十方世界の 10 微塵の如しと説かれたり、 若爾らば我等が父母・兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめ・ 11 あさましともいうばかりなし、竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ずただ・をとにのみ・これをきく当世に上 12 の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず又をとにも・きかず、 而るに我が身よりはじめて一切衆生・七大地獄 13 に堕つべしとをもえる者・一人もなし、設い言には堕つべきよしを・さえづれども心には堕つべしとも・をもわず、 14 又僧・尼・士・女・地獄の業をば犯すとは・をもえども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は 15 種種の善根を修したる者もあり、 皆をもはく我はかかる善根をもてれば・なんど・うちをもひて地獄をもをぢず、 16 或は宗宗を習へる人人は各各の智分を・たのみて又地獄の因ををぢず、 而るに仏菩薩を信じたるも愛子・夫婦なん 17 どをあいし父母主君なんどを・うやまうには雲泥なり、 仏・菩薩等をばかろくをもえるなり、されば当世の人人の 18 仏・菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば 地獄の苦はまぬがれなん・なんど・をもえるは僻案にや心あらん人人はよく 0447 01 よく・はかりをもうべきか。 -----― 総じて以上の七大地獄に堕ちる業因を諸経論によって考え、今の世の日本国の四衆にあてはめて見ると、この七大地獄を離れる人を見ないし、また聞きもしない。涅槃経には「末法の代に入って、人間に生まれる者は爪の上の土のように少ない。だが三悪道に堕ちる者は十方世界の細かな塵のように無数である」と説かれている。もしそうならば、我等が父母や兄弟等の中で死んだ人は、皆、上の七大地獄に堕ちているであろう。残念であるとしかいいようがない。 竜と蛇と鬼神と、仏と菩薩と聖人をいまだに見たことがない。ただその名を聞くのみである。今の世に上の七大地獄の業を造らない者をいまだに見たこともないし、またその名を聞いたこともない。ところが我が身をはじめとして、一切衆生で自分自身が七大地獄に堕ちると思っている者は一人もいない。たとい言葉では地獄に堕ちるとはいっても、心では堕ちるとは思っていない。 また、僧や尼や在家の男女が、自分が地獄の業を犯していると思っても、あるいは地蔵菩薩等の菩薩を信じ、あるいは阿弥陀仏等の仏をたのみ、あるいは種々の善根を修めた者もいて、皆、自分はこのような善根を持っているから地獄に堕ちるはずがないなどと思っていて、地獄をも恐れない。 あるいはおのおのの宗旨を学習している人々は、おのおのの智慧の分際をたのみとして、また地獄の業因を恐れない。しかし、仏や菩薩を信じている人も、愛しい我が子や夫や妻を愛し、父母や主君等を敬うのに比べればその思いに雲泥の差がある。仏や菩薩等を軽く思っているのである。それゆえ、今の世の人々が仏や菩薩をたのんでいるから、また、おのおのの宗旨を習学しているから地獄の苦しみはまぬかれるであろうなどと思っているのは、誤った考えではないか。心ある人々は、よくよく思慮すべきである。 |
七大地獄
八大地獄の第八・無間地獄を除いた七つの地獄。等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱地獄のこと。
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四衆
比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。
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三悪道
悪業によってもたらされる3種の苦悩の世界のこと。地獄・餓鬼・畜生の三つをいう。
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十方世界
十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。世は過去・現在・未来。界は十方の空間を意味する。
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竜
インドの想像上の生き物ナーガのこと。コブラなどの蛇を神格化したもので、水の中に住み、雨を降らす力があるとされる。しかし、中国や日本ではしばしば、中国本来の「竜」と混同される。
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蛇
①ヘビのこと。②中国古代の想像上の動物。
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鬼神
超人的な働きをするもの。仏道修行者を守護する働き(善鬼神)や、生命をむしばむ働き(悪鬼神)に大別される。法華経では悪鬼とするとともに法華経を受持する者を守護するとも説かれる。法華経勧持品第13には「悪鬼は其の身に入って|我を罵詈毀辱せん」(法華経419㌻)とあり、「立正安国論」では「魔来り鬼来り災起り難起る」(17㌻)とある。また『摩訶止観』巻8に「病の起こる因縁を明かすに六有り……四に鬼神、便りを得」(1009㌻で引用)とある。さらに鬼神は、人の思考の乱れを引き起こし国家社会を混乱させる働きがあり、そこから鬼神を思想の乱れを起こすものの意に用いることがある。仁王経巻下に「国土乱るる時は、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に、万民乱る」(19㌻で引用)とある。
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仏
一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。
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菩薩
菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。
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聖人
①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
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一切衆生
すべての生あるものをいう。なかんずく人間をいうが、人種・男女・老幼を問わず、全人類を含む。
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地蔵菩薩
インド神話における地神がその起源とされ、仏教においては衆生の苦を除いて成仏へ導く菩薩とされた。釈尊から忉利天の衆生の前で、釈尊滅後に弥勒菩薩が出現するまでの無仏の世界の導師として付嘱を受けたとされる。地蔵菩薩への信仰は、日本の平安時代に末法思想と結びついて広まった。
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阿弥陀仏
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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善根
「ぜんごん」とも読む。善の果報を招き生ずる善因のこと。草木の根が、幹や枝を成長発展させる力をもっているように、善因は善なる果報を生ずる力と強い作用を有するので善根という。
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これまで明かされてきた七大地獄の因果について総括がなされたところである。
最後の阿鼻地獄を加えれば八大地獄が完結するのに、どうして大聖人は七大地獄の因果を明かされたところで、それらの業因についての総括がなされたのであろうか。それは、これまで明かされた殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・持戒者への邪淫といった七大地獄の業因が、一般的道義上の罪であるのに対し、五逆罪と謗法といった阿鼻地獄の業因が、どちらかというと仏法上の重罪だからである。とともに、五逆と謗法はわかりにくい重罪であるから、比較的に理解しやすい世間の重罪を順に追って教え、しかるのちに仏法上の重罪を教示されたのと拝せられる。
日蓮大聖人は、経文を傍証として七大地獄の業因を挙げられ、論を進めておられる。しかして、そのように経文をとおして、現実の問題に光をあててみるならば、実は自分達の最も身近な近親者の中で、亡くなった人達が皆七大地獄に堕ちている、とその厳しい現実を嘆かれているのである。
だが、当時の人々は、誰一人としてそのような悲惨を知らないでいる。しかも、彼等自身も死後には地獄に堕ちるなどと夢にも思っていないのである。そこで、大聖人は彼らの迷妄を晴らすために、彼らの心理状況を解明して、その考えの誤りを指摘されたのである。
現実世界の中で、認識することの困難なものがある。それが「竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人」である。竜は古代社会の想像上の動物である。蛇もまた、今日の爬虫類中のヘビとは異なり、竜に似た想像上の動物であった。鬼神においては、超人的力をもつ存在で、空を飛び地を疾駆するものとして経文上では説かれるものの、実際には、直接認識しがたい存在であった。仏と菩薩と聖人においても、世に生き仏とか、菩薩の再来とか、あるいは聖人と謳われた人もあったが、現実にはそのような人格に会うことはきわめてまれであった。現に、仏法の正統な流れをふまえてみるなら、当時、日蓮大聖人こそが、仏・菩薩・聖人を越えたところの末法の御本仏であられたのに、当時の人々は大聖人を諸宗を攻撃する悪侶としてしか扱わなかったではないか。そのように見てくると、“仏・菩薩・聖人”を見る目がない以上、そうした存在を認識することは不可能に近かったわけである。
現実の中でも認識できない存在が多々あるのだから、まして、死後の世界のことなどわかろうはずがない。したがって、経文にはその業因を造れば地獄に堕ちると説かれていても、現実には認識できないから誰一人として地獄に堕ちるとは思っていなかったのである。なかには、言葉のうえでは、悪いことをすれば地獄に堕ちるという者がいたとしても、心の底から地獄に堕ちるとは誰も信じてはいなかったのである。こうした当時の考えをここで挙げておられるのである。
今日においても、懐疑論や実存主義の影響で、地獄が実在し死後にそこに堕ちるなどと思う人は少ないように思われる。地獄の思想は、古代人や中世人といった文明の未発達な社会の観念の産物であると考えるむきもある。また、科学が発達するにしたがって、すべての事象を化学的な視野から客観的に見直す傾向が強くなってきているため、超越的な存在や、直接に認識することが不可能な存在については、その存在自体を否定する見方が生まれてきている。こうした考え方においては、自らの経験的に認識できる範囲にのみ限定しようとするわけである。このような科学的不可知論的傾向は、今後もますます強くなっていくものと思われるが、それは従来の独断的な形而学上や宗教に対する批判の意味をもつわけであるから、そこから新しい宗教批判なり信仰の世界が開かれた一契機にはなりうるといえよう。だが基本的には、それは、確認できる事柄については問わないから、死後の問題に関しても新たに問い直されなくなり、古代や中世社会では盛んに論じられたこれらの事柄が、現代では遠ざけられ片隅へ追いやられる傾向にあるわけである。
しかし、死後の問題は、人間にとって、決してなおざりにしてよい問題ではない。いな、まともにとりあげるべき問題である。仏法は、古来、この問題を真正面から受け止めて論及してきたのである。しかも、無批判に“地獄の実在”を肯定しているのではない。また、たんなるおとぎ話や譬喩として用いるわけでもないのである。現実の人生を前向きに主体的・活動的に生きるためのバネとして捉え直しているのである。言い換えれば、終窮究竟の大法を序分もしくは流通分として、地獄の思想を活かしていることを知るべきである。
されば当世の人人の仏・菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば地獄の苦はまぬがれなん・なんど・をもえるは僻案にや
前の「又僧・尼・士・女・地獄の業を犯すとは・をもえども」等からこの御文まで、当時の人々の宗教観を挙げて喝破なされたところである。
たしかに、地蔵菩薩は、地獄に住して罪人を救済する菩薩であるといわれたし、阿弥陀仏は、その名号を称える者を死後、西方の極楽世界に導く仏であるといわれてきた。そこで、自分達はこれらの仏・菩薩を信じて死後のことを託しているのだから、安心であると思うことは、仏法そのものを知らないところから起こる盲信である。信仰とはただなんでも信ずれば良いというものではないのである。信仰の対象、時の問題等、さまざまな尺度から考えなければならないのである。信仰の対象という点からみれば、地蔵菩薩も阿弥陀仏もいずれも、権経の仏菩薩である。時という点でいえば、今は末法である。これらの仏菩薩は正法・像法次代の時の仏菩薩である。したがって正法・像法時代においては、これらの仏菩薩を信ずれば、それなりの得益があったが、今末法においてはその効力を持たないのである。よって、もしも、これらの仏菩薩を信ずるならば、かえって悪業を積み、その結果として悪道に堕ちることは必定である。しかも、彼等は、これらの仏菩薩を信じて修行しているようではあるが、その実、妻子や父母・主君よりも仏菩薩を軽視しているのでる。最も基本に置くべき信仰を第二義として、現実の人間の情愛を優先させているのである。したがって、かりのもこれらの仏菩薩が衆生を救う力をもっていたとしても、それがあらわれるだけの条件でないことを知らねばならない。
とにかく、末法においては、御本仏日蓮大聖人が顕示された三大秘法の仏法を信受することによってはじめて堕地獄の因を除くことができるのである。しかしながら当時の信仰者の宗教に対する姿勢を、破折されていることの御文は、妙法を持つ者にとっても、決してゆるがせにできない内容であることを銘記すべきである。
0447:02~0447:17 第十章 無間地獄の因果を明かすtop
| 02 第八に大阿鼻地獄とは又は無間地獄と申すなり 欲界の最底大焦熱地獄の下にあり 此の地獄は縦広八万由旬な 03 り、 外に七重の鉄の城あり 地獄の極苦は且く之を略す前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として大 04 阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり、 此の地獄の罪人は大焦熱地獄の罪人を見る事他化自在天の楽みの如し、 此の地獄 05 の香のくささを人かくならば四天下・欲界・六天の天人・皆ししなん、されども出山・没山と申す山・此の地獄の臭 06 き気を・をさへて人間へ来らせざるなり、 故に此の世界の者死せずと見へぬ、若し仏・此の地獄の苦を具に説かせ 07 給はば人聴いて血をはいて死すべき 故にくわしく仏説き給はずとみへたり、 此の無間地獄の寿命の長短は一中劫 08 なり一中劫と申すは此の人寿・無量歳なりしが 百年に一寿を減じ又百年に一寿を減ずるほどに 人寿十歳の時に減 09 ずるを一減と申す、 又十歳より百年に一寿を増し又百年に一寿を増する程に八万歳に増するを一増と申す、 此の 10 一増・一減の程を小劫として二十の増減を一中劫とは申すなり、 此の地獄に堕ちたる者・これ程久しく無間地獄に 11 住して大苦をうくるなり、 業因を云わば五逆罪を造る人・此の地獄に堕つべし、五逆罪と申すは一に殺父・二に殺 12 母・三に殺阿羅漢・四に出仏身血・五に破和合僧なり、今の世には仏ましまさず・しかれば出仏身血あるべからず、 13 和合僧なければ破和合僧なし、 阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし、但殺父・殺母の罪のみありぬべし、 しかれど 14 も王法のいましめきびしく・あるゆへに 此の罪をかしがたし、若爾らば 当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし 15 但し相似の五逆罪これあり 木画の仏像・堂塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり 率兜婆等をきりやき智 16 人殺しなんどするもの多し、 此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし、 されば 当世の衆生十六の別処に堕つ 17 るもの多きか又謗法の者この地獄に堕つべし。 -----― 第八に大阿鼻地獄とは、または無間地獄ともいう。欲界の最も底で、大焦熱地獄の下にある。この地獄は縦横の広さは八万由旬である。外に七重の鉄の城がある。この地獄の極苦についてはしばらく省略するが、前の七大地獄ならびにその別処の一切の苦しみを一分とすると大阿鼻地獄の苦しみはその一千倍もまさっている。この地獄の罪人は、大焦熱地獄の罪人を見ると、他化自在天で楽しんでいるように見える。この地獄の臭気をかぐならば、四天下・欲界・六欲天の天人は皆死んでしまうであろう。けれども出山と没山という山がこの地獄の臭気をさえぎって人間世界へ来させないのである。ゆえにこの世界の者は死なないと見える。また、もし仏がこの地獄の苦しみをつぶさに説かれたならば、人はこれを聞いて血をはいて死ぬだろうから、仏はくわしく説かれなかったと思われる。 この無間地獄の寿命の長さは一中劫である。一中劫というのは、この人間の寿命が無量歳であったのが、百年に一歳を減じ、また百年に一歳を減じていくうちに、人間の寿命・十歳になるまでを一減という。ついで十歳から百年に一歳を増し、また百年に一歳を増していくうちに、八万歳になるまでを一増という。この一増・一減の時間を一小劫として、二十の増減を一中劫というのである。この地獄に堕ちた者は、これほどの久しい間、無間地獄に住して大苦を受けるのである。 大阿鼻地獄の業因をいえば、五逆罪を造る人がこの地獄に堕ちるのである。五逆罪というのは一に殺父、二に殺母、三に殺阿羅漢、四に出仏身血、五に破和合僧である。今の世には仏はいらっしゃらない。したがって仏の身から血を出すという罪はない。和合僧がないなら破和合僧の罪はない。阿羅漢がいないから阿羅漢を殺すこともない。但し殺父と殺母の罪だけがある。しかし、王法の禁めが厳しいからこの罪は犯しがたい。もしそうであれば、今の世には阿鼻地獄に堕ちる人は少ない。ただし相似の五逆罪がある。木画の仏像や堂塔等を焼き、かの仏像等へ寄進したものを奪い取り、率兜婆等を切り焼き、智人を殺すなどする者が多い。これらの者は、大阿鼻地獄の十六の別処に堕ちるのである。それゆえ、今の世の衆生は十六の別処に堕ちる者が多いといえよう。また謗法の者は、この地獄に堕ちるのである。 |
大阿鼻地獄
父母・阿羅漢(聖者)殺害が加わる。地獄の最下層に位置する。大きさは前の7つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬(8万由旬とする説もある)。最下層ゆえ、この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて2000年かかるという。前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦、1000倍もあるという。剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受ける。背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの7つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという。この地獄における寿命は、人間界の6400歳を一日一夜とした場合の6万4000歳を一日一夜として6万4000歳であり、人間界の時間では349京2413兆4400億年に当たる。また、この期間を一中劫とも呼ぶ。この一中劫の長さに関する説明としては、「この人寿無量歳なりしが100年に一寿を減じ、また100年に一寿を減ずるほどに、人寿10歳の時に減ずるを一減という。また10歳より100年に一寿を増し、また100年に一寿を増する程に、8万歳に増するを一増という。この一増一減の程を小劫として、20の増減を一中劫という」とする表現もあり、これも人間界の年月に換算すると349京2413兆4400億年になる(1年を365日とした場合)。また、一説によると、この地獄における寿命は、人間界の8000歳を一日一夜とした場合の8万歳を一日一夜として8万歳とも言われ[1]、この場合は人間界の時間で682京1120兆年に相当する計算になる。いずれにせよ、この地獄に落ちた者は気が遠くなるほどの長い年月にわたって、およそ人間の想像を絶する最大の苦しみを休みなく受け続けなければならない。この他、一中劫の長さを表す喩えとしては、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な正方形の石を、100年に一度ずつ柔らかな木綿の布で軽く払い、その繰り返しで石がすり減って完全になくなるまでの時間である」とか、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な城にケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に一粒ずつケシ粒を取り出していって、城の中のケシ粒が完全になくなるまでの時間である」などとも言われる。この地獄に堕ちたる者は、これほど久しく無間地獄に住して大苦を受くという。
―――
欲界の最底
欲界は淫欲や欲望に支配された有情の世界のことで、その最も底は阿鼻地獄であるということ。
―――
縦広八万由旬
阿鼻地獄の面積をいう。
―――
四天下
須弥山を中心とした東西南北の四大洲すべてのこと。
―――
欲界
仏教の世界観で、地獄から天界までの六道の迷いの衆生が住む世界。欲界・色界・無色界のうちの欲界のこと。欲望にとらわれた衆生が住む世界。地獄界から人界までの五界と、天界のうち6層からなる六欲天が含まれる。その最高の第六天を他化自在天という。
―――
六天の天人
欲界にある六天のこと。四王天・忉利天・夜摩天・都率天・化楽天・他化天のこと。
―――
出山・没山
阿鼻地獄の臭気が人間世界に及ぶのを防ぐ二つの山。
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一中劫
劫は長遠な時間を表す単位。2小劫を1中劫とする説と、20小劫を1中劫とする説がある。
―――
五逆罪
5種の最も重い罪で、必ず無間地獄の苦の果報を受ける原因となる行為。①父を殺す(殺父)②母を殺す(殺母)③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢)④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血)⑤教団を分裂させる(破和合僧)の五つ。
―――
王法
王の施す法令や政治・社会制度、または国家そのものをさす。主に仏法との対概念として用いられる。
―――
相似の五逆罪
五逆罪に似た重罪で、五逆罪に順ずる罪。①殺母同類業。②殺父同類業。③殺阿羅漢同類業。④破僧同類業。⑤出血同類業。
―――
木画の仏像
木に彫られた仏像や紙幅に描かれた仏像。
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大阿鼻地獄の十六の別処
阿鼻地獄の中にある十六の地獄のこと。①烏口処・阿羅漢を殺した者が落ちる。獄卒が罪人の口を裂いて閉じないようにした上、沸騰する泥の河に落とす。溺れた罪人は泥の熱で内臓まで焼かれる。②一切向地処・とりわけ尊い尼僧や阿羅漢を強姦した者が落ちる。頭を上にしたり下にしたり、くるくる回転させられながら、炎で焼かれ、また灰汁の中で煮られる。③無彼岸常受苦悩処・自分の母親を犯した者が落ちる。鉄のかぎでへそから魂を取り出され、その魂に鋭い棘を刺される。そのあとへそに鉄の釘を打たれ、口に高熱の鉄を注がれる。④野干吼処・優れた智者、悟りに達した者、阿羅漢などをそしった者が落ちる。野干とはジャッカルないし狐のことで、鉄の口を持つ火を吐く狐が罪人に群がり、手、足、舌など罪のある部分を次々に食いちぎる。⑤鉄野干食処・仏像、僧房など僧侶の身の回りの品を焼き払った罪人が落ちる。身体から火が吹き出し、空から鉄の瓦が雨霰と降り注ぐ。炎の牙を持つ狐が罪人を喰う。⑥黒肚処・仏に属する物品を喰ったり自分のものとした者たちが落ちる。罪人たちは餓鬼道さながらに飢え渇きに苦しみ、ついには自分の肉まで喰ってしまう。さらに、黒い腹の蛇が罪人を足の甲から喰う。喰われた部分は何度でも再生する。⑦身洋処・仏に捧げられた財物を盗んだ者が落ちる。燃え上がる二本の巨大な鉄の木の間に地獄があり、風で鉄の木が揺れて擦れ合うたびに、間にいる罪人たちを粉々にする。その肉片は金剛のくちばしの鳥に喰われる。⑧夢見畏処・僧侶達の食料を奪い、飢えさせた者が落ちる。鉄の箱の中に座らされ、杵でつかれて肉の塊にされる。⑨身洋受苦処・篤志家が出家者や病人に布施した財物を僧侶を装って奪い取った者が落ちる。高さ100由旬の燃える鉄の木の下にある地獄で、この世の全ての病が罪人を苦しめる。⑩雨山聚処・辟支仏の食物を奪って喰った者が落ちる。巨大な鉄の山に何度も押しつぶされる。潰されたらすぐまた生き返るので、同じ苦しみが続く。また、獄卒に身体を引き裂かれ、傷口に高熱の液体を注がれる。人間界にある全ての病が罪人を苦しめる。⑪閻婆叵度処・田畑の水や飲み水の水源である河などを破壊し、人々を渇死させた者が落ちる。象の様に巨大で火を吐く閻婆という鳥が、罪人をくわえて高空から落とす。地面には無数の鋭い刃が出ており、炎の歯を持つ犬に噛まれる。⑫星鬘処・修行によって飢えている僧侶から食料を奪った者が落ちる。正方形の地獄の、二つの角に大きな苦しみがある。一方では釜の中で回転させられながら煮られ、もう一方では剣が混ざった激しい風にずたずたにされた後、釜の中で溶けた銅で煮られる。⑬苦悩急処・仏教の説を伝えるための書や絵画などを歪めたり破損したりいたずらしたりした者が落ちる。獄卒が罪人の両目に溶けた銅を流し込み、その両目を熱砂ですり減らし、さらに身体の他の部分も同様にすり減らす。⑭臭気覆処・僧達の田畑や果樹園、その他彼らに帰属すべき物を焼いた者が落ちる。無数の針が生えた燃え上がる網に捕らえられ、体中刺し貫かれながら燃やされる。矢で射られた後、サトウキビで叩かれる。⑮鉄鍱処・食料などが不足する貧しい時代に僧侶達の面倒を見ると言っておきながら、何もせずに飢えさせた者が落ちる。数多くの炎に取り囲まれ、餓鬼のごとく飢渇の苦しみを与えられる。⑯十一焔処・仏像、仏塔、寺舎などを破壊したり燃やしたりした者が落ちる。獄卒たちが鉄棒を持って追いかけ、罪人たちは蛇に噛まれたり炎に焦がされながら逃げ続ける。
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前章までに、七大地獄の因果とその業因について論じられたが、本章では、八大地獄の最後の阿鼻地獄の因果について明かされている。
阿鼻地獄は梵語の音写で、無間地獄と訳される地獄である。大苦を遮ることのできない地獄、救いようのない地獄、苦悩が間断なく続き、しかもその大苦が動かない地獄、極熱極悩の地獄、猛火が心中に入る地獄、といった具合に、さまざまに形容される地獄であるが、つまるところ極重の地獄である。
本章では、この地獄の特徴を六つの観点から述べられている。その第一は、極苦の規模である。「前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり」と。前の大焦熱地獄の苦は、その前の六つの大地獄の一切の苦を合計して、その十倍であったが、阿鼻地獄の苦は、前の七大地獄とその別処の一切の苦を合計し、その千倍であるから、いかに極苦の規模が大きいかがわかるであろう。
その第二は、苦相である。「此の地獄の罪人は大焦熱地獄の罪人を見る事他化自在天の楽しみの如し」と。いままでの七つの大地獄の中で、最大かつ最重の苦相を示す大焦熱地獄と比較した場合、かの地獄で苦しむ罪人がまるで他化自在天で遊びたわむれる天人のように見えるほどであるといわれている。阿鼻地獄の苦相が凄惨かつ激烈をきわめていることが物語られているようである。
その第三は、他に及ぼす影響である。この地獄の臭気は毒ガスのようなもので、これを嗅げば誰でも死んでしまうといわれる。ただ出山・没山という二つの山があって、この臭気が他の世界に行かないように遮っているとのことである。ここにおいても、「四天下・欲界・六天の天人」と、全世界のあらゆる生命体を死に追いやるほどの影響力をもつのである。
その第四は、最も象徴的な例である。それは、仏が具体的にはこの地獄の苦を説かないということである。「若し仏・此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり」と。よく解剖所見の時に、初めて立ち会った者は食事ができないという話を聞くが、それ以上に、地獄は見るに耐えない世界といわれる。まして最極のこの地獄については、聞くだけで恐怖のあまり吐血して死に至るから、仏は具体的には説かれないということで、それほど恐ろしい地獄ということである。
その第五が、長遠な寿命である。前の地獄が半中劫であるのに対して、この地獄の寿命は、その二倍の一中劫である。六大地獄までの地獄の寿命については、人寿に約し、天寿に約して解明されてきたが、第七・第八の地獄については劫で表されているのである。一中劫の算出法を本文で示しておられるが、一中劫は無量歳からはじめるわけで、その一増一減の20倍であるといわれるが、それは限りなく永遠に近い時間と考えることができる。仏法では悠久の時の流れを、ただ漠然と見るのではなく、無限に近い時について、三千塵点劫・五百塵点劫・無量無数劫と、比較のうえから捉え直すのである。ともあれ、途方もないほどの長遠の間、この地獄の罪人は極苦を受け続けるのである。
その第六は、業因である。その業因は、五逆罪と相似の五逆罪と謗法罪である。五逆罪は、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の五種類の逆罪である。釈尊の在世においては、そのすべてを犯すことも可能であったが、釈尊滅後においては、まず出仏身血はありえないし、殺阿羅漢も、それほどの声聞の聖者もいないのであるからありえない。破和合僧も、もとより釈尊の教団を破戒しようとした犯罪であるから、今日はこれもありえないのである。ただ、殺父・殺母のみありうるが、社会秩序があり倫理が浸透している所では、あまりない犯罪である。その代わりに、相似の五逆罪はある。これは、五逆罪によく似た五種の逆罪で、殺母同類業・殺父同類業・殺阿羅漢同類業・破僧同類業・出血同類業がそれである。相似の五逆罪は下へいくほどその罪が重くなる。御文の「木画の仏像」をやき、「卒塔婆等をやき」が出血同類業である。これは、仏身に相似した信仰の対象物に対する破戒罪である。したがって、相似の五逆の中で最も重いといえよう。「堂塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり」が破僧同類業である。信仰の場を奪うことは、その場を中心に信仰を深めている教団の破壊につながるので、出血同類業のつぎに重いわけである。「智人を殺し」は殺阿羅漢同類業である。本文にはないが、僧・尼を殺せば、それぞれ殺父同類業・殺母同類業に準ずる罪を犯すことになる。五逆罪を犯せば阿鼻地獄の本処に堕ち、相似の五逆を犯せば、その別処に堕ちるのは、五逆と相似の五逆という関係性から見て理解できよう。最後の業因は謗法罪である。ただし、ここでは結前生後であるから、謗法罪については、後の章に譲ることとする。
ところで、この地獄の業因が五逆罪の殺父と殺母から始まっていることに着目すべきである。なぜなら、いままでの地獄の業因の基にあった殺生には殺父・殺母は説かれていなかったからである。第一の等活地獄の殺生は、螻・蟻・蚊・?・虱・鳥・魚等の殺生であったし、それ以降の地獄においては、因果応報としての牛頭・馬頭などがあらわれた。これらの極卒は、おそらく生前に殺したところの畜類の化身であろう。ともかく「殺父・殺母」と明らかに表れるのは、この地獄が初めであり終わりである。殺父と殺母は、今日の刑法でいえば尊属殺人ということになり、殺人罪の中でも、最も重い犯罪とされているのである。
阿鼻地獄にあっては、その業因の第一・第二にあたるものが五逆罪の殺父と殺母である。この殺父と殺母から、さらに重い業因が説かれているのであるから、この一事をもって、この地獄がいかに重い地獄でるか感じとることができるのである。
0447:18~0448:15 第11章 無間地獄の因果の軽重を明かすtop
| 18 第二に無間地獄の因果の軽重を明さば、 問うて云く五逆罪より外の罪によりて 無間地獄に堕んことあるべし 0448 01 や、答えて云く誹謗正法の重罪なり、 問うて云く証文如何、答えて云く 法華経第二に云く「若し人信ぜずして此 02 の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等と云云、 此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり、 問う 03 て云く五逆と謗法と罪の軽重如何、 答て云く大品経に云く「舎利弗仏に白して言く 世尊五逆罪と破法罪と相似す 04 るや、 仏舎利弗に告わく相似と言うべからず所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば 則ち十方諸仏の一切智一切種智 05 を破るに為んぬ、 仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に 則ち世間の正見を破す 06 世間の正見を破れば ○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり 無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の 07 憂苦を受るなり」文又云く「破法の業因縁集るが故に無量百千万億歳大地獄の中に堕つ、 此の破法人の輩一大地獄 08 より一大地獄に至る若し劫火起る時は他方の大地獄の中に至る、是くの如く十方にアマネくして彼の間に劫火起る故 09 に彼より死し破法の業因縁未だ尽きざるが故に 是の間の大地獄の中に還来す」等と云云、 法華経第七に云く「四 10 衆の中に瞋恚を生じ 心不浄なる者あり悪口罵詈して言く 是れ無智の比丘と、 或は杖木瓦石を以て之れを打擲す 11 乃至千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」等と云云、 此の経文の心は 法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せる 12 もの其の後に懺悔せりといえども 罪いまだ滅せずして千劫・阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ、 懺悔せる謗法の罪す 13 ら五逆罪に千倍せり 況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出ずる期かたかるべし、 故に法華経第二に云く 14 「経を読誦し書持すること有らん者を見て 軽賎憎嫉して結恨を懐かん 乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具 15 足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」等と云云。 -----― 第二に無間地獄の因果の軽重のあることを明らかにする。 問うて言う。五逆罪以外の罪によって無間地獄に堕ちることがあるであろうか。 答えて言う。誹謗正法の重罪である。 問うて言う。文証はあるのか。 答えて言う。法華経第二の巻の譬喩品第三には「もし人が信じないでこの経典を毀謗するならば、乃至、その人は命が終わると阿鼻獄に堕ちるであろう」等と説かれている。文に謗法は阿鼻地獄へ堕ちる業因と見えている。 問うて言う。五逆と謗法の罪との軽重はどうか。 答えて言う。大品般若経には「舎利弗が仏に五逆罪と破法罪とは同様かどうかとたずねられた。仏が舎利弗に告げられるには、同様とはいえない。なぜならば、もし般若波羅蜜を破れば、十方諸仏の一切智・一切種智を破ることになる。そうなれば仏宝を破り、法宝を破る故に僧宝を破り、かくて三宝を破るが故に世間の正見を破ることになる。世間の正見を破ったならば、○、無量無辺阿僧祇の罪を得るのである。無量無辺阿僧祇の罪を得おわったならば無量無辺阿僧祇の苦しみを受けるのである」また「破法の業因縁が集まる故に、無量百千万億の間、大地獄の中に堕ちるのである。この破法の人達は一大地獄から一大地獄へと転々とする。もしその間に劫火がおこって、この世界がなくなる時は、他方の世界の大地獄の中に至る。このように十方世界の大地獄をあまねくめぐっている間に、劫火が起こる故に、かの地で死んでも、破法の業因がいまだ尽きない故に、またこの世界の大地獄に還って来る」と説かれている。 法華経第七の巻常不軽菩薩品第二十には「四衆の中に、瞋恚を生じ、心の不浄な者がいて、不軽菩薩を『無智の比丘』と悪口罵詈し、あるいは杖・木・瓦・石で打ったりした。乃至、これらの者は千劫阿鼻地獄において大苦悩をうけた」等と。この経文の意味は、法華経の行者を悪口し、杖でもって打ったりした者は、その後に懺悔したとはいっても、罪はいまだ消滅しないで千劫の間、阿鼻地獄に堕ちたということである。懺悔した謗法の罪ですら五逆罪に千倍する重さである。まして懺悔しない謗法においては阿鼻地獄から出る時期が永遠に来ないであろう。ゆえに法華経第二の巻の譬喩品第三には「この法華経を読誦し、書持する者を見て、軽んじ、賎しみ、憎み、嫉んで、恨みを懐くならば、乃至、その人は命が終わって阿鼻地獄に堕ち、一劫が尽きてまた阿鼻地獄に生まれ、このように繰り返して無数劫に至るであろう」と説かれているのである。 |
般若波羅蜜
サンスクリット語で「完全であること」、「最高であること」、を意味する語で、仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸、度等とも訳す。
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無量無辺阿僧祇
果てがなく、数えることのできない長い期間。「無量」とは量がはかれない程多いこと。「無辺」広大ではてしないこと。「不可思議」とは、思慮ではかることができないこと。「阿僧祇」は梵語アサンキァ(asaṃkhya)の音写、無数・無央数と訳す。数えることのできない数。「劫」は梵語カルパ(kalpa)の音写、長時と訳す。数えることのできないきわめて長い時間。
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劫火
壊劫(世界が崩壊する時期)に起こる、世界を焼き尽くす大火。
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瞋恚
怒り、憤怒すること。三毒・十悪のひとつ。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。
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悪口罵詈
人を悪く言い、ののしること。法華経勧持品第13に説かれる、法華経の行者を俗衆増上慢が迫害する様相の一つ。「諸の無智の人の|悪口罵詈等し|及び刀杖を加うる者有らん」(法華経418㌻)と説かれている。
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杖木瓦石
不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(1264)11月11日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。
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軽賎憎嫉
軽蔑し、賤しみ、憎み、
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結恨
恨みを結ぶこと。結んで解けないようなうらみを生ずること。
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無数劫
数えきれないほどの長い時間。阿僧祇劫ともいう。
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前章までに、八大地獄の因果が明かされ、本章においては、無間地獄の因果の軽重が明かされている。
これまでの七大地獄について述べられてきたことも、じつは無間地獄の業因である謗法の恐ろしさを示すためであったことが明らかである。その意味で、これまでは前置き、あるいは導入部であって、本章から本論に入られるといっても過言ではない。そして、爾前経に執して法華経を誹謗している各宗の罪業の大きさを指摘され破折されるのである。
本章は、三問三答からなる。第一に、五逆罪以外に無間地獄に堕ちることがあるのかとの問いに対し、誹謗正法の重罪がそれであると答えられ、無間地獄の業因に謗法罪のあることを示されている。そして第二に、謗法を無間地獄の業因とする根拠を問うたのに対し、法華経譬喩品の文を挙げて、謗法がそうであることを証明されている。第三に、五逆と謗法の罪の軽重という問いに、謗法のほうがはるかに重罪であることを大品般若経・法華経常不軽品・譬喩品の文を引用されて教えられている。
五逆と謗法
五逆罪とは、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の五つの逆罪である。これに相似の五逆のあることは前章で詳述したとおりである。これに対して謗法は、正法に背く罪である。正法そのものに反逆する罪である。
五逆罪を犯した者が無間地獄に堕ちた場合、苦しむ期間は一中劫であり、謗法の場合は、経によって違いがあるが、無量百千万億歳・千劫・無量劫と説かれている。期間のうえでも五逆よりも謗法のほうがはるかに長い。このことから、謗法罪の深重さがわかるのである。それでは、何故に謗法が重く、五逆が軽いのだろうか。謗法は、正法そのものに対する反逆であり、破壊行為である。大品経に云く「若し般若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ。仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す」と。この文の“般若波羅蜜”とは、般若がすべての事象や道理を明らかに見抜くところの智慧であり、波羅蜜が迷いや苦しみの世界から悟りの世界に到ることで、つまり悟る智慧・仏智ということである。破法罪=謗法罪とは、悟る智慧・仏智を破壊する行為といえる。この経文でもわかるとおり、仏智とは、あらゆる仏の能生の根源であり、その破壊は、仏・法・僧の三宝を破り、さらには世間の正見を破壊することになる。この故に、謗法行為は最悪の行為になるのである。
これに対し、五逆は、正法そのものに対する反逆行為ではない。殺父・殺母は当然、殺阿羅漢は、小乗の聖者を殺すことであり、出仏身血は、仏身より地を出すことであり、破和合僧は、釈尊の教団を破る罪である。つまり、謗法が“法”そのものに対する破壊行為であるのに対し、五逆は“人”に対する破壊行為である。あるいは、謗法が正法破壊の直接行為であるのに対して、五逆は人をとおして正法を破壊する間接行為であるといえよう。故に、謗法を犯す罪が、五逆罪よりはるかに重いわけである。
「破法の業因縁集るが故に無量百千万億歳大地獄の中に堕つ」「乃至千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と、謗法の恐ろしい果報が経文に述べられている。したがって、正法である法華経とその行者を謗ずるならば、無間地獄の因を造ることは疑う余地がない。
このように、謗法の罪が大きいということは、それだけ仏法に力があることの証左である。したがって逆に、仏法を正しく信じ実践するならば、謗法とは逆に、大功徳が顕れるのである。
0448:15~0449:08 第12章 謗法の重罪を示すtop
| 16 第三に問答料簡を明さば問うて云く 五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ謗法の相貌如何、答えて云く天台智者大 17 師の梵網経の疏に云く 謗とは背なり等と云云、 法に背くが謗法にてはあるか 天親の仏性論に云く若し憎は背く 18 なり等と云云、 この文の心は 正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり、 問うて云く委細に相貌をしらんとを 0449 01 もうあらあら・しめすべし、 答えて云く涅槃経第五に云く「若し人有りて如来は無常なりと言わん 云何ぞ是の人 02 舌堕落せざらん」等云云、 此の文の心は仏を無常といはん人は舌堕落すべしと云云、 問うて云く諸の小乗経に仏 03 を無常と説かるる上 又所化の衆皆無常と談じき 若爾らば仏・並に所化の衆の舌堕落すべしや、 答えて云く小乗 04 経の仏を小乗経の人が無常ととき談ずるは舌ただれざるか、 大乗経に向つて仏を無常と談じ小乗経に対して大乗経 05 を破するが舌は堕落するか、此れをもつて・をもうにをのれが依経には随えども 依経より・すぐれたる経を破する 06 は破法となるか、 若爾らば設い観経・華厳経等の権大乗経の人人・所依の経の文の如く修行すともかの経にすぐれ 07 たる経経に随はず又すぐれざる由を談ぜば 謗法となるべきか、 されば観経等の経の如く法をえたりとも観経等を 08 破せる経の出来したらん時・其の経に随わずば破法となるべきか、小乗経を以て・なぞらえて心うべし。 -----― 第三に問答料簡をとおして謗法の義を明らかにする。 問うて言う。五逆罪と謗法罪との罪の軽重はわかった。謗法の具体的な内容はどうか。 答えて言う。天台智者大師の梵網経の疏に「謗とは背くことである」とある。法に背くことが謗法といえよう。天親の仏性論には「憎むとは背くことである」とある。この文の意は、正法を憎んで人に捨てさせることが謗法ということである。 問うて言う。詳しく謗法の内容を知りたいと思うので、大略を示してほしい。 答えて言う。涅槃経の第五の巻に「若し人がいて如来は無常であるといったとする。どうしてこの人の舌が堕落しないわけがあろうか」とある。この文の意は、仏を無常であるという人は舌がただれ落ちてしまうということである。 問うて言う。諸の小乗経に仏を無常と説いているうえに、また所化の人々も皆「仏は無常である」と談じている。もしそうであるならば、仏ならびに所化の人々の舌は堕落するであろうか。 答えて言う。小乗経の仏を小乗経の人が無常であると説き談ずる場合は舌はただれないであろう。だが、大乗経の仏に向かって無常であると談じ、小乗経と比較して大乗経を破するならば舌は堕落する。このことから思うに、自分の依経には随っても、その所依の勝れた経を破するのは破法となるのである。もしそうならば、たとい観経や華厳経等の権大乗経の人々が、その所依の経の文のとおりに修行したとしても、その経より勝れた経に随わなかったり、また勝れていない旨を談ずるならば謗法となるであろう。それゆえ観経等の経文のとおりに法を会得したとしても、観経等を破折する経が出現したときには、その経に随わなければ破法となるであろう。このことは小乗経の例に準じて心得るべきである。 |
梵網経
「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」上下2巻の略。下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。梵網経すべてを翻訳すると120巻61品となるが、鳩摩羅什が長安で同経中の菩薩心地戒品第十のみを訳出した。梵網とは仏が衆生の機根に合わせて教を設け、病に応じて薬を与えて、一人も漏らさず彼岸に達せしめることが、あたかも大梵天王の因陀羅網のようであるということから名づけられた。この経の教主は蓮華台蔵世界において成道した報身仏の盧舎那仏であり、釈迦応化身の覆述によるのである。大乗律の経典で、衆生の戒は仏性の自覚によって形成されるとしている。上巻には菩薩の階位の十住・十行・十回向・十地の四十法門が、下巻には菩薩戒の十重禁戒、四十八軽戒が説かれている。
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前章までで、八大地獄のなかでも最悪の無間地獄に堕する業因として、五逆罪と謗法の罪があり、なかでも謗法が五逆罪よりもはるかに重罪であることが明示された。
本章から、この「謗法」という重要な問題に関して種々の観点から、懇切に解明されている。まず本章の第一の問答では、謗法の基本的定義を明かされている。
はじめに、日蓮大聖人は、天台大師の「謗は是れ乖背の名なり」の文を引かれて謗法とは正法に背くことであるとの定義を示されている。
さらに一歩論を進めて、天親の仏性論の意味をくんで、正法を憎み背き、衆生に正法を捨てさせる行為もまた謗法になると述べられている。
つまり謗法とは、
① 自己においては、仏法を正しく理解せず、正法に背いて信受しない。
② 他に対しては、誤った法を説き、正法を憎ませ、正法を捨てさせる。
ことをいうのである。誹謗正法というように、以上が謗法の基本的意味となる。
つぎに、日蓮大聖人は、さらに問答によって具体的に謗法の内容行為について言及されている。即ち、委細に謗法の成立条件やその結果などの内容が知りたいという問いに対して、涅槃経の文を引かれ、もし人が仏は無常であって常住でないというならば、それは仏の真意に背く行為であるから謗法となり、舌はただれ、堕獄の罪を受けるであろうと答えられている。
この点から、では、諸の小乗教では、仏は無常であるといい、弟子も皆無常であるといっているから、涅槃経の意からすれば、小乗経の仏も衆生とともに地獄に堕ちるのかという疑問を立てて、それに答えて、謗法が成立する根本条件が明かされている。
小乗教は無常観の域をでないから仏を無常だといっても、法を破ることにはならない。しかし、仏の生命は常住であると明かしている大乗経に背いて無常観に固執すれば謗法になる。即ち自分の依経に従っていても、それより勝れた経を破折したり、また、より勝れた経が出現した時に、その経に従わなければ、謗法の罪となるのである。
爾前経は、人々の智を開発し法華経へ向かわす準備的指導としては、それなりの意義をもっている。爾前経のうちで、小乗教は、衆生への機根を調えて、仏のより深い境地を説く権大乗教に導くための方便の教えである。故に、ひとたび権大乗教が説かれるならば、小乗教を破して、権大乗教につくことが仏の真意にかなっている。小乗の低い教法から、大乗の高い教法への方向は、釈尊の真意である法華経に向かっていることになる。向かうとは、随うことである。逆に、小乗経に執着し、権大乗教に随わないことは、法華経から遠ざかることであり、正法に背くことになってしまう。故に謗法となるのである。
この関係をさらに明らかにするためには、まず釈尊の説いた経典の内容とその化導の仕方を知らなければならない。
周知のように、釈尊は、50年にわたってさまざまな法門を説き衆生を化導した。
しかし釈尊が自身の内証を説こうとしたのは、最後の8年間に説いたとされる法華経である。しかし、それを最初から説いても、衆生はその法門を理解し信ずるには至らない。そこで法華経を信解できるよう、衆生の機根をととのえるために、42年にわたって種々の説法を説いたのである。
たとえていえば、教育でも、小学校・中学校・高校・大学と段階を経なければ、高度な学問を理解することができないのと同じである。法華経の真理を信解する素地を養うために、42年という期間を要したのであり、さまざまな教法を明らかにすることが必要であったのである。
この故に、法華経を実教というのに対して、爾前経は方便権教と呼ばれる。爾前とは、それ以前ということであり、方便権教とはまだ真実をあらわさない、方便としての仮の教えの意である。と同時に、爾前経は法華経に明かす真理がよりよく人々に受け入れられるようにするための手段であったが故に方便権教というのである。
この方便権経の爾前経の中にも、最も初歩の小乗教と、やや高度な大乗教がある。いま本文で仰せのように、小乗経に執着して大乗教に背けば謗法になる。法華経の真理に背くことが謗法であることはいうまでもない。
以上のように、最高の経典である法華経に向かおうとしない行為は、すべて謗法となるのである。逆に法華経に向かい、近づく行為は、正法を護り、正法に随順することになる。
なお、「顕謗法抄」は、佐前の御書であるので、一往大聖人は「正法」「法華経」という表現をとられているが、その元意は、文底独一本門の妙法にある。日蓮大聖人は、法華経の行者を名乗り、釈尊をこそ重んずべきことを叫ばれた。しかし大聖人の仏法は、法華経にとどまるものではない。法華経それ自体は宝を包む袋であり、建物を建てるための設計図である。宝をとりだすには袋にふれねばならず、建築にとりかかるには、設計図を吟味しなければならないように、大聖人はまず法華経を立てられたが、それ自体が目的ではない。
大聖人は法華経に包まれた宝をとり出され、それを南無妙法蓮華経であると示されたのである。
故に、法華経に近ずき、法華経に随うことも、それだけでよいのではなく、さらにその奥の究極の一法である妙法に向かわなければならない。釈尊の正意もここにあったのである。故に法華経を重んじても、南無妙法蓮華経に違背するならば、誹謗正法となることを知らなければならない。
0449:09~0449:12 第13章 双観経の即得往生を破すtop
| 09 問うて云く雙観経等に乃至十念・即得往生なんと・とかれて候が彼のけうの教の如く十念申して往生すべきを後 10 の経を以て申しやぶらば 謗法にては候まじきか、 答えて云く仏・観経等の四十余年の経経を束て未顕真実と説か 11 せ給いぬれば此の経文に随つて 乃至十念・即得往生等は実には往生しがたしと申す 此の経文なくば謗法となるべ 12 し、 -----― 問うて言う。雙観経等に「乃至十念・即得往生」などと説かれているが、この経の教えのとおりに念仏を称えて往生できるものを、後に説かれた経によっていい破るならば謗法になるのではないか。 答えて言う。仏は観無量寿経等の四十余年の経々をまとめて「未顕真実」と説いておられるゆえに、この経文に従って「乃至十念・即得往生」等の教えは実際には往生することができないというのである。この経文がなければ、謗法となるであろう。 |
雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
―――
乃至十念
念仏宗で説く根本義。念仏往生を願って一心に阿弥陀の名号を唱えること。乃至は下至・十念は十声のことと。
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即得往生
阿弥陀仏を至心に念じ、かの西方浄土に往生することを願うならば、ただちに往生することができるとの意。
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この問答によって、大聖人が念仏を破折されているのは、仏説を依処としてであると述べられている。
問いの意は、浄土宗の依経の一つである双観経に“即得往生”と説かれており、この経文のとおりに阿弥陀仏の名をとなえて極楽へ往生しようとしている人を、後に説いた経によって破ってしまうのは、謗法になりはしないかという疑問である。
それに対して、釈尊自身が法華経の開経である無量義経で「四十余年未顕真実」と明言され、爾前経の華厳・阿含・方等・般若の一切の教えは真実ではないといわれたのである。したがって、その仏の説かれたとおりに双観経の「十念即得往生」は真実ではなく、念仏によっては本当の極楽往生にはならない、といっても謗法にはならないと答えられている
双観経は方等部の経典である。故に自ら低い依経に固執して、実教の法華経を破したりすれば、それは謗法となる。しかし、法華経の立場から、彼の十念往生を破ることは謗法とならない。むしろ法華経へと入らしめるために、念仏を破折することが必要なのである。
日蓮大聖人はこのように、当時念仏に焦点をあてて、さまざまな御書で破折されている。
とくに立正安国論においては「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(0024-03)と浄土宗を国土の災難の根本原因となる大謗法の「一凶」と断じ、徹底的に破折されている。
この章では、前章の流れのうえから、低い依経に固執しているのを、仏説にしたがって破しても謗法にならないという点を強調されているが、法然等は、浄土三部経以外の一代聖教をことごとく「捨閉閣抛」と述べ、また法華経などの教えは「難行道」であり、それを修行しても、極楽往生できるものは「千中無一」と非難を浴びせているのである。これは、まさしく正法に背き、人々に正法を捨てさせる大謗法にほかならない。
ところが当時、末法思想に乗じて、この浄土宗が上下に大流行し、念仏の哀音の響きは、末法の民衆の生命力をますます枯渇させていたのである。日蓮大聖人は、これを鋭く洞察されて、立正安国論等で、念仏を厳しく破折された。
しかしながら、おそらくは当時、教の高低浅深をわきまえないために、こうした大聖人の論破に対し、自らの依経のなかに「即得往生」等の言葉があるのにそれを誹謗されたと思った人達もあったにちがいな。こうした疑問に対し、釈尊自身が念仏の依経を含めて「未顕真実」と明言されている以上、そのとおりに念仏を破折しても、これは謗法ではなく、正義の言論にほかならないと答えられているのである。
0449:12~0450:01 第14章 得一の誤謬を破すtop
| 12 問うて云く或人云く 無量義経の四十余年未顕真実の文はあえて四十余年の一切の経経・並に文文・句句を皆未 13 顕真実と説き給にはあらず、 但四十余年の経経に処処に決定性の二乗を永不成仏ときらはせ給い 釈迦如来を始成 14 正覚と説き給しを其の言ばかりをさして未顕真実とは申すなり あえて余事にはあらず、 而るをみだりに四十余年 15 の文を見て観経等の凡夫のために 九品往生なんぞを説きたるを妄りに往生はなき事なり なんど押し申すあに・を 16 そろしき謗法の者にあらずや・なんど申すはいかに、 答えて云く此の料簡は東土の得一が料簡に似たり、 得一が 17 云く未顕真実とは 決定性の二乗を仏・爾前の経にして永不成仏ととかれしを未顕真実とは嫌はるるなり 前四味の 18 一切には亘るべからずと申しき、 伝教大師は前四味に亘りて文文句句に未顕真実と立て給いき、 さればこの料簡 0450 01 は古の謗法者の料簡に似たり、 但し且く汝等が料簡に随て尋ね明らめん、 -----― 問うて言う。ある人がいうには「無量義経の『四十余年未顕真実』の文はけっして四十余年の一切の諸経並びに文々句々をすべて未顕真実と説いたのではない。ただ四十余年の経々の処々に決定性の二乗を永不成仏と嫌われ、釈迦如来を始成正覚と説かれたその言葉をだけさして未顕真実といったのである。けっして他の事をいったのではない。それなのに、みだりに『四十余年』も文を見て、観経等に、凡夫のために九品往生などを説いているのを、みだりに往生は真実ではないと主張しうるのは、なんと恐ろしい謗法の者ではないか」などといっているが、この点についてはどうか。 答えて言う。この考え方は東国の得一の解釈に似ている。得一がいうには「未顕真実とは決定性の二乗を仏が爾前の経で永不成仏と説かれたことを、未顕真実と嫌ったのである。前四味の一切にわたるものではない」と。伝教大師は前四味の一切にわたって文々句々に未顕真実であるとの義を立てられた。それ故、この考え方は昔の謗法者の考えに似ている。ただし、しばらくは、あなた方の考えに従って尋ね明かしていこうと思う。 |
四十余年未顕真実
無量義経説法品第2の文。「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経29㌻)と読む。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ。
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決定性の二乗
法相宗では、衆生がそなえている仏法を理解し信ずる資質を5種類に分ける「五性」を説いた。そのうちの三つは、声聞・縁覚・菩薩の境地を得ることが定まっているので「決定性」と呼ばれた。すなわち決定性の二乗とは、二乗になることが決まっている者。
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始成正覚
「始めて正覚を成ず」と読み下す。今世で初めて成仏したということ。法華経本門に至るまでの諸経では、釈尊は無数の過去世における仏道修行を経て、インドに生まれて30歳(現代の研究では35歳とされるが、鎌倉時代の日本では30歳とされた)で、伽耶城(ガヤー)の郊外(のちのブッダガヤ)の菩提樹の下で初めて最高の覚り(正覚)を得たと説かれた。これに対して法華経本門の如来寿量品第16では、釈尊が実は五百塵点劫という久遠の昔に成仏していたという真実の境地を明かした。これを久遠実成という。
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九品往生
阿弥陀如来の住む極楽浄土に生れたいと願う者の9段階 (九品) の往生の仕方をいう。浄土三部経のうちの『観無量寿経』に説かれ,上品上生 ,上品中生,上品下生,中品上生,中品中生,中品下生,下品上生,下品中生,下品下生の九品がある。
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得一
「とくいち」とも読む。生没年不詳。平安初期の法相宗の僧。徳一、徳溢とも書く。奈良で法相教学を学んだ後、東国を拠点に弘法する。会津(福島県)の慧日寺に居住した。法華経に基づき一乗思想を宣揚した伝教大師最澄と激しく論争したことで有名。主著に『仏性抄』『中辺義鏡』など。空海(弘法)に宛てて真言宗の教学に対し疑問を呈した『真言宗未決文』が現存する。
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前四味
五味のうち、最高の味である醍醐味を除いたもの。天台教学では、四味は爾前経に当てられる。
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本章では、無量義経の「未顕真実」の文は、40余年の一切の経々の文々句々について、これをすべて否定されたのではなく、ただ、40余年の経々のなかで、決定性の二乗を永不成仏といわれたことを釈尊の始成正覚の仏であると説いた教説のみを指していっているのであるとの説を挙げて、凡夫のための九品往生が説かれている観経の教えまでも、方便の説法であるとし、真実に往生できないなどというのはかえって謗法になるのではないかとの問いに答えられている。
この答えとしては、問者が「ある人いわく」として挙げている説は法相宗の得一の主張と共通しており、この論議はすでに伝教大師によって決着がつけられているところにあると述べられている。
得一は、平安時代初期の法相宗の僧で、三乗真実・一乗方便の考えを論拠として、三乗法便・一乗真実を説く伝教大師と、数度にわたる論争をした僧である。得一の著書はすべて逸失して現存していないが、伝教大師の守護国界章巻下の中に、得一が「未顕真実とは爾前の経において決定性の二乗は永不成仏であると説かれたことを未顕真実と嫌ったのであり、前四味の一切経にわたっていたものではない」と述べられたことが記されている。守護国界章は得一の著した中辺義鏡の反論のために書かれており、この説も中辺義鏡で論じられていたのではないかと推定される。伝教大師は、この説に対して40余年間に説かれた前四味の経は文々句々にわたって未顕真実であると論破している。
この二人の論争は5年間続けられたが、伝教大師が法華秀句を著すに及んで、伝教大師の勝利に終わり、この問題には決着がつけられているのである。
では伝教大師が、得一の考えを破折した理論的根拠はどのようなものであったのか。日蓮大聖人は、以下、得一等の主張に理論上にも根本的矛盾があることを指摘されつつ、爾前経の文々句々が未顕真実である根拠を鮮明にされていくのである。
0450:01~0440:07 第15章 未顕真実の本義を明かすtop
| 01 問う法華已前に二乗作仏を嫌いけるを 02 今未顕真実というとならば 先ず決定性の二乗を仏の永不成仏と説かせ給し 処処の経文ばかりは未顕真実の仏の妄 03 語なりと承伏せさせ給うか、 さては仏の妄語は勿論なり若し爾らば妄語の人の申すことは 有無共に用いぬ事にて 04 あるぞかし、 決定性の二乗・永不成仏の語ばかり妄語となり若し余の菩薩・凡夫の往生成仏等は実語となるべきな 05 らば信用しがたき事なり、 譬へば東方を西方と妄語し申さん人は 西方を東方と申すべし二乗を永不成仏と説く仏 06 は余の菩薩の成仏をゆるすも 又妄語にあらずや、 五乗は但一仏性なり二乗の仏性をかくし菩薩・凡夫の仏性をあ 07 らはすは返つて菩薩・凡夫の仏性をかくすなり。 -----― 問う。法華経以前の経文で、二乗作仏を嫌ったことを、今「未顕真実」というとするならば、まず決定性の二乗を仏が「永不成仏」と説かれた経文だけは、未顕真実の仏の妄語であると承伏されるのか。このように考えるからには仏が妄語されたことは勿論認めるであろう。もしそうならば、妄語の人のいうことは、有るといったとしても無いといったとしても、ともに用いてはならないことである。決定性の二乗・永不成仏の語葉だけが妄語となり、もし他の菩薩・凡夫の往生成仏等は実語とするならば、信用しがたいことである。たとえば、東方を西方と妄語していう人は、西方を東方というであろう。二乗を永不成仏と説く仏が他の菩薩の成仏を許しても、それもまた妄語ではないであろうか。五乗はただ一仏性である。二乗の仏性をかくし、菩薩・凡夫の仏性をあらわすことはかえって菩薩・凡夫の仏性をかくすことになるのである。 |
二乗作仏
法華経迹門において二乗(声聞・縁覚)の成仏が釈尊から保証されたこと。法華経以外の大乗経では、二乗は自身が覚りを得ることに専念することから利他行に欠けるとして、成仏の因である仏種が断じられて成仏することはないとされていた。このことを日蓮大聖人は「開目抄」(191㌻以下)で、華厳経・維摩経などの爾前経を引かれ、詳しく論じられている。それに対し法華経迹門では、二乗にも本来、仏知見(仏の智慧の境涯)がそなわっていて、本来、成仏を目指す菩薩であり、未来に菩薩道を成就して成仏することを具体的な時代や国土や如来としての名などを挙げて保証された。さらに法華経迹門では、この二乗作仏、また提婆達多品第12で説かれる女人成仏・悪人成仏によって、あらゆる衆生の成仏が保証され、十界互具・一念三千の法門が理の上で完成した。
―――
往生成仏
①衆生の住むこの娑婆世界を去って仏国土に往き、すぐれた果報の生を得ること。往生には阿弥陀の西方極楽往生や弥勒の兜率天往生などがある。②往生と成仏の二義に分け、往生は死後に他の世界に往き生まれること。成仏は仏の境界を得ること。
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実語
うそ・いつわりのない真実の言葉。妄語に対する。①言語と所行・所作が矛盾せず、事実をあらわす語。②仏が説く真理・法理・実相をあらわす語。
―――
五乗
仏教を理解し受容する衆生の能力の違いに応じて説かれる人・天・声聞・縁覚・菩薩の教え。
―――――――――
この段は、大聖人の反論という形で、未顕真実とは二乗不作仏の説に限ってあてはまるとの主張の矛盾を指摘されている。
まず、決定性の二乗が永不成仏と説かれた経文だけは未顕真実で、仏の妄語であると認めるのであるのかと認識され、もしそのように妄語があるとすれば、世の習いとして妄語の人のいうことは、すべてにわたって信用しがたい。
したがって、決定性の二乗不作仏が妄語であるならば、それを説く同じ仏が、菩薩・凡夫の成仏を許すということも、また、妄語となり、菩薩・凡夫の往生成仏もないということになる。
このあと、大聖人は“五乗は但一仏性なり”と御自身の根拠を挙げて結論されるのである。
五乗は但一仏性なり二乗の仏性をかくし菩薩・凡夫の仏性をあらはすは返つて菩薩・凡夫の仏性をかくすなり
ここに十界互具・一念三千に基づいたところの大聖人の正義が明かされている。五乗とは、人・天・声聞・縁覚・菩薩の各界のところである。この五乗には、同一の仏性を具えているということである。
ところが、二乗の仏性を隠して不成仏とし、菩薩・凡夫の仏性をあらわして成仏するということは、かえって菩薩と凡夫の仏性をも隠す結果になってしまうと仰せである。
この点について、日寛上人は、三重秘伝抄でつぎのように教示されている。「若し二乗作仏を明さざる則は菩薩・凡夫も仏に作らず、是れ即ち菩薩に二乗を具うれば所具の二乗・仏に作らざる則は能具の菩薩・豈・作仏せんや」と。したがって、もし二乗作仏が明かされないと、二乗の生命の働きを具えている菩薩も凡夫も仏になることはできない。菩薩界の衆生といえども二乗の生命の働きを具えているからである。
菩薩・凡夫の成仏を説いただけでは、まだ方便の教えであり、虚妄の説である。そのうえに二乗作仏が明かされてはじめて、二乗も菩薩も凡夫も成仏できる。それによって、全体的、統合的真理である十界互具の原理が完成されるのである。ここでは五乗を代表として挙げられており、そこでの凡夫とは人・天になるが、その元意は、六道すべてを含んでいると思われる。つまり、六道と二乗、菩薩のすべての成仏が明らかになることによって九界の衆生はすべて、同一の仏性を具え、九界即仏界となり、十界互具の原理が成立する。この十界互具が一念三千の法門の要となっていることはいうまでもない。
0450:08~0451:02 第16章 爾前は不成仏の経なるを明かすtop
| 08 有人云く四十余年未顕真実とは成仏の道ばかり未顕真実なり往生等は未顕真実にはあらず、 又難じて云く四十 09 余年が間の説の成仏を 未顕真実と承伏せさせ給はば 雙観経に云う不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は 未顕真実 10 と承伏せさせ給うか、 若し爾らば四十余年の経経にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はずば 法蔵比丘の成仏すで 11 に妄語なり、 若し成仏妄語ならば何の仏か行者を迎え給うべきや、 又かれ此の難を通して云ん 四十余年が間は 12 成仏はなし阿弥陀仏は今の成仏にはあらず 過去の成仏なり等と云云、 今難じて云く今日の四十余年の経経にして 13 実の凡夫の成仏を許されずば 過去遠遠劫の四十余年の権経にても成仏叶いがたきか、 三世の諸仏の説法の儀式皆 14 同きが故なり、 或は云く不得疾成・無上菩提ととかるれば 四十余年の経経にては疾くこそ仏にはならねども遅く 15 劫を経てはなるか、 難じて云く次下の大荘厳菩薩等の領解に云く「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過るとも 終に無 16 上菩提を成ずることを得ず」等と云云、此の文の如くならば劫を経ても 爾前の経計りにては成仏はかたきか。 -----― ある人がいうには「『四十余年末顕真実』とは成仏の道だけが未顕真実であり、往生等は未顕真実ではない」と。この点についても、また難じて言おう。四十余年の間に説かれた成仏を未顕真実と承伏されるならば、雙観経にいう「十方の衆生が乃至十念してわが西方浄土に往生できないならば、自らも正覚を取らない。…阿弥陀仏は成仏已来凡そ十劫を歴ている」等の文は未顕真実と承伏されるのか。もしそうならば、四十余年の経々において、法蔵比丘の阿弥陀仏にならなかったとするならば、法蔵比丘の成仏はすでに妄語である。もし成仏が妄語であるならば、いかなる仏が念仏の修行者を迎えてくれるであろうか。 また彼は、この論難を解釈していうであろう。「四十余年の間には成仏はなかった。阿弥陀仏は今日の成仏ではなく、過去世の成仏である」と。今、この考えを非難していおう。今日の四十余年の経々において、実際の凡夫の成仏を許されないとするならば、過去遠遠劫の仏の四十余年の権経によっても成仏は叶わないであろう。三世の諸仏の説法の儀式は皆同じ順序をとるからである。 あるいはまた彼がいうには「無量義経には『すみやかに無上菩提を得ることができない』と説かれているから、四十余年の経々では速やかに成仏はできないが、久しい時を経るならば成仏できるのではないか」と。この考えを難じていおう。今引用した文の次下に大荘厳菩薩等の領解には「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過ぎたとしても、結局は無上菩提を得ることはできない」等とある。この文のとおりであるならば、いかに長い時を経たとしても、爾前の経ばかりでは成仏できないのである。 -----― 17 有は云う華厳宗の料簡に云く 四十余年の内には華厳経計りは入るべからず、華厳経にすでに往生成仏此ありな 18 んぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん、 答えて云く四十余年の内に 華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の 0451 01 義なり、 無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、 人 02 師を本とせば仏に背くになりぬ。 -----― ある人はいう。華厳宗の解釈では「四十余年の中には華厳経だけ入らない。その華厳経にはすでに往生成仏が説かれている。故にどうして華厳経を修行して往生成仏を遂げないわけがあろうか」と。これに対して答えていおう。四十余年の中に華厳経が入らないというのは華厳宗の人師の考えである。無量義経にはまさしく、「華厳海空」と名目を挙げて四十余年の中に数え入れられている。人師を根本にすれば仏に背くことになるのである。 |
不取正覚
無量寿経の四十八願の中の句。「正覚を取らじ」と読む。阿弥陀仏が衆生救済の願を立て、それが実現しない限り自分は悟りを得るわけにはいかないと誓った言葉。
―――
成仏已来凡歴十劫
無量寿経の四十八願の中の句。「成仏よりこのかた、およそ十劫を経る」と読む。
―――
法蔵比丘
阿弥陀仏が菩薩として修行している時の名。
―――
過去遠遠劫
はるかな遠い過去のこと。」
―――
三世の諸仏の説法の儀式
過去・現在・未来にわたて出現する諸仏が、衆生を教化するための説法の儀式の次第は同一であるということ。
―――
不得疾成・無上菩提
無量義経説法品第2の文。「疾く無上菩提を成ずることを得 ず」と読む。
―――
大荘厳菩薩
釈尊が王舎城耆闍崛山で無量義経を説いたとき、その座に連っていた八万の菩薩の一人、釈尊に対して速やかに無上菩提を成ずるには、何等の法門を修行すべきかと尋ねている。
―――
不可思議無量無辺阿僧祇劫
無量義経十功徳品第3の文。「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ず ることを得ず」と読む。
―――
華厳海空
無量義経説法品第2にある。華厳経の法門のこと。「海空」は無量義経の異本では「海雲」とあり、華厳経の広大さを表す譬えと考えられる。
―――――――――
すでに前章で「未顕真実」の文の本義が明らかにされたが、このあとその本義に立って、四つの邪見を挙げてことごとく破折されていく。これらの問いは、すべて、爾前経を方便権教とする釈尊の真意がまだ理解しえていない人々のものである。
本章の最初の邪見は、40余年未顕真実の文が意図しているのは成仏のことであって往生の義ではないとする説である。この問いの背景には、われらは二乗でも菩薩でもなく、凡夫である。この凡夫は、阿弥陀仏の本願力に頼って、極楽往生するのである。双観経等は「凡夫の往生を明かしているのであり、これは未顕真実に入っていない」という考え方である。だが、この往生の義の根本は、阿弥陀仏の成道が真実であるか妄語であるかにかかっている。もし、阿弥陀仏の成道が虚妄であるなら、この仏の本願力に期待することはできないのである。そこで大聖人は、この点を取り上げて破折しておられる。もし、成仏の義が爾前経において未顕真実であると認めるのであるならば、双観経の「十方の衆生が念仏して西方浄土に往生しなければ、自分も仏にならぬ」の文や、阿弥陀仏は、正覚してよりすでに、十劫を得たとする文等が、すべて方便の教えということになる。なぜならば、ここに“成仏”といい、“正覚”といっているからである。そうすると、法蔵比丘は、実際に成仏していないのである。阿弥陀仏の成道が虚妄であれば、極楽往生も妄言となる。いかなる仏も、臨終において念仏の人を迎えに来ないのである。ここに往生義が根本から崩れ去るのである。
さらにつぎの「又かれこの難を通して云ん」は、阿弥陀仏は今日成仏されたのではなく、釈尊の今日の出現よりずっと以前にすでに成仏していた、つまりすでに十劫前の正覚であり、今の成仏ではない。故に今日の説法のことについて論じた「未顕真実」の文を過去の成仏についてあてはめることは適切ではないという主張である。
しかし、これは、過去・現在・未来の三世にわたって仏の説法の儀式は皆同じであるという、五仏道同の儀式を知らないものであり、成仏はいかなる法によっても可能であるかも知らないものである。今の説法即ち40余年の権経に成仏が説かれていなければ、過去に仏が説いた権教でも成仏はできないのである。よって、過去の法蔵比丘もまた成仏しなかったことになる。してみると、念仏の往生義はここでも成立しないのである。
つぎに、爾前経においては、成仏と往生がともに未顕真実であり、虚妄であると判明した。それでもなお、爾前経歴劫修行による成仏は可能ではないかと考える者がいる。つまり爾前経でも、長い修行のあとには成仏できるのではないかというのである。無量義経の「不得疾成・無上菩提」とあるから、40余年のうちに「速やかに」成仏はできなくとも、後に長時を経て成仏できるであろうというものである。しかし、これについては、同じく無量義経の次下に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず」と述べているから、いかに長遠な時を経ても、爾前の諸経のみでは成仏しないことが明瞭である。故に、いかに爾前経で成仏や往生ができると認めようとも、結局不可能なのである。
つぎに「四十余年未顕真実」に関連して、華厳宗では、華厳経では「四十余年」のうちに入らないと主張していることをとりあげられている。華厳宗では、華厳経は釈尊の初成道の直後の3週間の説法であるが、華厳の法はかなり高度であり、衆生が理解しえなかったため、つぎの鹿野苑の説法となったのである。故に華厳宗では、華厳経は“40余年”の年数に入っていない、といっているのである。そして、この華厳経に成仏・往生が説かれているから、華厳経によって修行すれば成仏も可能であるとしているのである。しかし、それは、華厳宗の人師が勝手にいっている義である。釈尊自身が無量義経に、明らかに、華厳海空の名をあげて40余年の中に数え入れているのである。このように、釈尊自ら華厳海空を40余年の権経の中に入れているにもかかわらず、「権経の教えは40余年の教えではない」とする華厳宗の人師の言葉にしたがい、それらの人師の説を根本とすることこそ、仏の心に背く謗法とならざるをえないのである。涅槃経巻六に「依法不依人」とある。教法の勝劣浅深については、仏の説いた経文を用い、論師・人師の言を用いてはならないことを知るべきである。
0451:03~0451:05 第17章 爾前経所説の根拠を明かすtop
| 03 問うて云く法華経をはなれて往生成仏をとげずば仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説き給はめ、 なんぞ・ 04 わづらはしく四十余年の経経を説かせ給うや、 答えて云く此の難は仏自ら答え給えり「若し但仏乗を讃せば衆生苦 05 に没在して法を破して信ぜざるが故に 三悪道に墜ちなん」等の経文これなり、 -----― 問うて言う。法華経を離れて往生・成仏ができないならば、仏はこの世に出現されて、ただ法華経ばかりを説かれればよかったのに、どうして煩わしく四十余年の経々を説かれたのであろうか。 答えて言う。この論難には仏自ら答えられている。法華経方便品第二の「若し但仏乗を讃めれば、衆生は苦しみの中に理もれて、法を破して信じないでいる故に三悪道に堕ちてしまうであろう」等の経文がこれである。 |
法華経以外には真の成仏・往生がないのならば、釈尊は、どうして、成仏の法たる法華経だけをただちに説かずに、40余年もの長きにわたって成仏のために用をなさない爾前の諸経を説かれたのであろうか。
このきわめて素朴な疑問に対して、本章では、法華経方便品の文を引き、仏の言葉をもって端的に答えられているのである。
若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちなん」等の経文これなり
この経文は、釈尊が初めて成道し、梵天・帝釈等から転法輪を請われたとき、思索された内容である。釈尊の悟りである一仏乗をただちに衆生に説けば、理解力がない衆生は混迷に陥り、余りの理解し難さに苦しむようになり、ついには自己の分別にとらわれて、仏の真意に反し、破法と不信によって三悪道に堕ちるにちがいない、と予想されたのである。
このように、衆生の機根をかんがみた結果、ただちに一仏乗を説くのはやめて、仏の方便力をもって三乗に分けて説いたのが爾前の諸経である。 三乗とは、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三つであるが、これらはあくまで方便として立てたものであり、仏の真意ではない。
爾前の諸経が説かれた理由は、衆生の機根に合わせて、これらの三乗の教えを説き分けることによって、衆生の機根を調え養って、一仏乗の法華経へ誘引していくためなのである。仏道を成ずるのは、あくまでも法華経によらなければならないのである。
天台大師は、「三種の教相」をもって法華経と爾前経との勝劣を論じているが、その第一の「根性の融・不融の相」は、爾前の経々にあっては三乗に分けられて説かれているが故に、衆生の機根も各別であり“不融”であるのに対し、法華経では一乗の妙法が説かれるが故に、いかなる衆生も純一に仏果を成ずることができる機根として統一されており“融”である。
このように、一仏乗の教えに耐えうるよう、機根を養うために説かれたのが40余年の爾前の経々だったのである。
0451:05~0451:08 第18章 爾前の随他意を明かすtop
| 05 問うて云くいかなれば爾前の経を 06 ば衆生謗せざるや、 答えて云く爾前の経経は万差なれども束ねて此れを論ずれば随他意と申して 衆生の心をとか 07 れてはんべり故に違する事なし、譬へば水に石を・なぐるに・あらそうこと・なきがごとし・又しなじなの説教はん 08 べれども九界の衆生の心を出でず 衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか、 -----― 問うて言う。なに故に爾前の経を衆生は誹謗しないのであろうか 答えて言う。爾前の経々には多くの差異があるけれども、まとめてこれを論ずれば、随他意といって衆生の心を説かれているのである。故に爾前の経は衆生の心が違することがないのである。譬えば水に石を投じても、争うことがないようなものである。またいろいろな説教があるけれども、九界の衆生の心を出ていない。衆生の心は、皆、善につけ悪につけ、迷いを根本とする故に仏にはなれないのである。 |
随他意
真実の覚りに導くために、衆生の機根や好みに従って法を説くこと。またその方便の教えをいう。随自意に対する語。
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爾前の経々の説法に対しては、どうして衆生は破法、不信に陥ることがないだろうかという疑問に答えられているのが本章である。
大聖人は、この疑問に対して、二つの答えを出されている。
その第一は、爾前の諸経は、衆生の心にあわせて説かれた随他意の法門であるから、衆生がそれに背くということ自体が、ありえないという答えである。
第二には、爾前の諸経は結局は九界の衆生の迷いの心を出ないのである。すなわち爾前経は、仏意を説いていないが故に、それに背いたとしても正法を謗ずることにはならないことになる。
爾前の経経は万差なれども束ねて此れを論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり
爾前の経々にあっては、人・天にはそれぞれ五戒・十善を説き、比丘・比丘尼は二百五十戒・五百戒を説き、また、声聞には四諦を、縁覚には十二因縁を、菩薩には六波羅蜜行を説くなど、種々万差であるが、これらすべてに共通していることは、九界の衆生の求めるものにあわせて説かれた随他意の法門であるということである。
随他意は随自意に対する語で、その意味は「仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随つて説く所の経を随自意という、譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり」(0991-14)とあるように、能化の仏が所化の九界の衆生の心を知り、その心に随って説く教えを随他意といい、反対に、仏が仏界の境界のままに説く教えを随自意というのである。
天台大師・伝教大師等によれば、已今当の三説は随他意の経々であり、法華経のみが随自意であり最も難信難解の経である。
しかし、さらに立ち入って論ずれば、法華経の中でも迹門にあっては、能化の釈尊の立場は爾前経と同じく始成正覚の仏であり、本門に至って初めて仏の本地たる久遠実成が明かされるのであるから、本門こそが本仏の説く随自意の法であるといえよう。この点については観心本尊抄に「迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり」(0249-03)と仰せられているとおりである。
迹門にあっては、二乗作仏を説いて九界の衆生すべてが成仏できることを明かされるが、これはまだ“理の上の法相”といって、理論上の段階に過ぎない。だが、本門に至って寿量品で久遠実成が明かされ、娑婆世界が仏の本国土であることも示され、初めて事実のうえで成仏の法が明示されたのである。
これに対し、爾前教では、随他意の法である。御文の次下に「九界の衆生の心を出でず」とあるが、たとい仏が衆生の機根にあわせて、さまざまな経々を説いたとしても、それは、その対象となる衆生の心を中心に考えているのであるから、九界の域を出ないとの意である。爾前経は本門のように「久遠実成」という仏の本地が定まっていないので、真の成仏はありえないとし、但男子・但菩薩とどんなにそれぞれの成仏の記が説かれても、それは名のみあって実のない教えであるといわざるをえないのである。
0451:08~0452:01 第19章 末法の化導法を説くtop
| 08 問う 09 て云く衆生謗ずべきゆへに仏・最初に法華経をとき給はずして 四十余年の後に法華経をとき給はば 汝なんぞ当世 10 に権経をばとかずして左右なく 法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや、 答えて云く仏在世には仏・菩提 11 樹の下に坐し給いて機をかがみ給うに当時・法華経を説くならば衆生・謗じて悪道に堕ちぬべし、 四十余年すぎて 12 後にとかば謗せずして 初住不退・乃至妙覚にのぼりぬべしと知見しましましき、 末代濁世には当機にして初住の 13 位に入るべき人は万に一人もありがたかるべし、 又能化の人も仏にあらざれば機をかがみん事もこれかたし、 さ 14 れば逆縁・順縁のために先ず法華経を説くべしと 仏ゆるし給へり、 但し又滅後なりとも当機衆になりぬべきもの 15 には先ず権教をとく事もあるべし、 又悲を先とする人は先ず権経をとく釈迦仏のごとし 慈を先とする人は先ず実 16 経をとくべし不軽菩薩のごとし、 又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし 同じく悪道に 17 堕るならば法華経を謗ぜさせて堕すならば世間の罪をもて堕ちたるには・にるべからず、 聞法生謗・堕於地獄・勝 18 於供養・恒沙仏者等の文のごとし、 此の文の心は法華経をはうじて地獄に堕ちたるは釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙 0452 01 の仏を供養し帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり。 -----― 問うて言う。衆生が謗るであろう故に、仏は最初に法華経を説かれずに、四十余年の後に法華経を説かれたのであれば、あなたはどうして今の世に権経を説かないで、あれこれためらうことなく法華経を説いて、人々に誹謗させて悪道に堕とすのか。 答えて言う。仏の在世には、仏が菩提樹の下に端座されて衆生の機根を考えられたが、その時、法華経を説くならば、衆生は誹謗して、悪道に堕ちるであろう。四十余年過ぎて後に説くならば、誹謗せずに初住不退の位、乃至妙覚の位にのぼるであろうと知見なされたのである。しかし末代濁世には機根にあてはまって初住位に入ることのできる人は、万に一人もいないであろう。また能化の人も仏ではないから、衆生の機根を考えることも難しい。それ故、逆縁・順縁いずれの人のためにも、まず法華経を説くべきであると、仏はお許しになったのである。 ただし、また仏の滅後であっても、まさにその機根に相当する者には、まず権教を説くこともある。また慈悲のうちで悲を先とする人は、まず権経を説くのである。釈迦仏がその実例である。慈を先とする人は、まず実経を説くべきである。不軽菩薩がそれである。また末法の凡夫は、何につけても悪道をまぬかれることがむずかしいのである。同じく悪道に堕ちるのであれば、法華経を誹謗させて堕とすならば、世間の罪によって堕ちることとは大いに異なるのである。「法を聞いて誹謗を生じ、地獄に堕ちたとしても、恒沙の仏を供養するより勝れている」等の文のとおりである。この文の意は、法華経を誹謗して地獄に堕ちることは、釈迦仏や阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養し、帰依渇仰する功徳よりも百千万倍すぐれていると説かれているのである。 |
菩提樹
クワ科イチジク属(フィクス属)の植物の一種。別名:テンジクボダイジュ。無憂樹、沙羅双樹 と並び仏教聖木の一つ。 仏教三大聖樹(仏教三霊樹)。釈尊はこの樹の下の金剛宝座に坐し、開悟したといわれている。
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初住不退・乃至妙覚
初住は大乗菩薩の修行の階位である52位のなかの10住の初めの位で発発心のこと。妙覚は不可思議な仏の無上正覚のことで、一切の煩悩を断じ尽くした仏果をさす。初住位を得た者はもはや退転しないゆえに自然に妙覚の位に登ることができるとの意。
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能化の人
よく他を化導・教化できる人。教化されるべき衆生に対し仏・菩薩等が能化にあたる。
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逆縁
仏法に対する悪い行いがかえって仏道に入るきっかけとなること。
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順縁
仏法に随順する善事を縁として仏道に入ること。
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当機衆
当に得道する機根を持つ衆生のこと。説会の四衆の一人。
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不軽菩薩
法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557㌻、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。【日蓮大聖人の弘通との対比】不軽菩薩の弘通と大聖人の弘通との対比は、次の御文に示されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(「顕仏未来記」、507㌻)「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」(「教行証御書」、1276~1277㌻)以上から、不軽菩薩と大聖人の正法弘通における共通点は、次の点に整理できる。①教。法華経の要法を広める(ただし不軽菩薩の「二十四字の法華経」は法華経一部の要旨であり、広・略・要でいえば略にあたるのに対して、大聖人の「妙法蓮華経の五字」は法華経の所詮の法体であり、真の意味での要にあたる)。②機。逆縁の衆生への化導。衆生の機根が劣悪であり、ただちに法華経を説いて衆生に反発されても縁を結ばせる逆縁の化導を中心に行った。③時。仏の亡くなった後の乱れた世の中に出現し難を耐え忍んで弘通した。④行者の位。不軽菩薩は初随喜の位、大聖人は名字即の位という、いずれも菩薩として初信の位であった。不軽菩薩の実践は、仏の滅後の悪世における法華経弘通の方軌を示しており、大聖人もこの方軌に則って法華経を弘通されている。それ故、不軽品を御自身の弘通の例とされている。
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聞法生謗・堕於地獄・勝於供養・恒沙仏者
「法を聞いて謗を生じ地獄に堕つるは、恒沙の仏を供養するに勝る」と読む。毒鼓の縁の功徳を明かしている。
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恒河沙
恒河(ガンジス川)の砂のこと。無数であることに譬えられる。法華経従地涌出品第15では地涌の菩薩のことを「我が娑婆世界に自ずから六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り」(法華経452㌻)としている。
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帰依渇仰
仏法に帰依し渇仰すること。
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前二章で、釈尊の随他意の化導について述べられたのに対し、本章では、それと対比して、末法における大聖人御自身の化導について述べられているのである。
即ち、釈尊は、40余年の間、随他意の教えである方便権教を説いて衆生の機根を調えたうえで最後の8年間で随自意の法華経を説いたが、これに対して日蓮大聖人は最初からもっぱら法華経のみを弘められた。大聖人は、衆生が法華経に背き悪道に堕ちるような説き方をなぜされるのかという疑問が起こるのは当然といえよう。本章では、この疑問に対して、大要つぎの三点から答えられている。
第一に、釈尊在世と滅後末法とでは衆生の機根に相違があるので化導法が異なること、すなわち在世においては、衆生の機根もよく、方便権教を説いてから法華経を説けば初住位から次第に昇り妙覚という仏果をうることのできる機根であったし、また教化する釈尊も、そういう機根をつぶさに知る智慧をもった仏であった。これに対して末法の濁世にあっては、在世のような善根をもった衆生は一人もいないといってよく、また教化する側も仏ではないため、衆生の機根をつぶさに知見してそれにあわせて法を説くことはできない。したがって、逆縁と順縁を問わず衆生のために、まず随他意の法華経を説くべきことを仏は許可されたのである。
第二に、滅後のなかでも機根の相違があり、したがって化導の仕方に違いがあること、衆生についてみれば、正法・像法時代のように、当機衆の人がいる場合は先に方便権教を説くことが許されることもある。また、教化する師からみれば、同じく慈悲に立って、教化するにしても、悲を先とする人は釈尊のように権教を説くこともあるが、慈を先とする人は不軽菩薩のように、ただちに実教の法華経のみを説くのである。
第三に、以上をうけて、末法における日蓮大聖人の化導のあり方を明らかにされている。末法の衆生はいずれにしても三毒強盛の悪機であり悪道に堕ちることはまぬかれない。同じく悪道に堕ちるにしても、法華経を謗じて堕ちるのは、世間の罪で堕ちるのとはまったく違って、つぎに法華経で救われる機縁となるのであり、無数の仏を供養し、渇仰するよりもはるかに勝れた功徳があるのである。
以上の理由によって、大聖人は法華経をただちに説くことをもって御自身の化導とされたのである。
されば逆縁・順縁のために先ず法華経を説くべしと仏ゆるし給へり
順縁とは、教えに随順して仏縁を結ぶことであり、逆縁とは、法を破しあるいは謗ることによって、かえって仏縁を結ぶことである。このことを法華初心成仏抄には「信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(0552-15)と仰せられている。
毒鼓とは涅槃経に説かれている毒を塗った太鼓のことであるが、この太鼓の音を聞こうとしなくても、音が耳に入っただけで人々は死んでしまうというものである。毒鼓の縁とは、正法を信ずる気持ちがなく、また逆に背いたとしても、正法に縁するという事実によって結局は成仏することであり、逆縁と同じ意味である。この毒鼓の縁によって成仏させることができるのは法華経だけなのである。
ただしこの場合の法華経とは、在世のように、もともと善根を有している衆生を得脱させる脱益の法華経ではなく、本来なんらの善根も有していない衆生にも仏種をうえることができる下種益の法華経のことである。つまり順逆いずれの縁であるにせよ衆生に成仏の種を植えつけることができる力をもった仏法にしてはじめて、順逆二縁の衆生をともに成仏させることができるのである。とりわけ、日蓮大聖人が「逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る」(0336-05)と、末法の衆生は逆縁が正意であることを明言されているのである。三世の諸仏の成仏は本因の妙法蓮華経の五字である。本未有善の三毒強盛の末法の衆生を成仏させる唯一の法も妙法の五字である。
釈尊が法華経の中で滅後の弘教を許し、また勧めたのも、妙法の五字である末法の下種益の仏法の出現を前提にしていたからだといえよう。
悲を先とする人は先ず権経をとく釈迦仏のごとし慈を先とする人は先ず実経をとくべし不軽菩薩のごとし
慈悲は仏教の根本精神であり、仏・菩薩の振舞いを象徴づけるものである。
大智度論巻二十七には「一切衆生に楽を与えることを慈、苦を抜くことを悲という」とある。また涅槃経巻十五には、大智度論とは逆に、悲を“与楽”慈を“抜苦”としている。ここでは涅槃経の“慈”を与楽、“慈”を抜苦とする説によられたと思われる。
いずれにしろ、人間の苦しみを深くあわれみ、その原因を明らかに洞察し、広大無辺の智慧をもって苦しみの根本的解決をはかっていく、抜苦与楽の振舞いが慈悲なのである。
本章で提起されている疑問には、衆生が悪道に堕ちて苦しむのもかえりみず、法華経を強いて説くのは、仏菩薩にあるまじき慈悲なき振舞いではないかという非難の意味もあるので、ここで慈悲の二つのあり方を示して、その非難に答えられているのである。
慈悲の二つのあり方とは、「慈」を先とするか、「悲」を先とするかの違いである。唱法華題目抄では、この違いを、子供に対する父と母の態度の違いとして譬えられている。すなわち「悲」については「譬えば母の子に病あると知れども 当時の苦を悲んで左右なく灸を加へざるが如し」(0015-01)とあり、「慈」については「譬えば父は慈の故に子に病あるを見て当時の苦をかへりみず後を思ふ故に灸を加うるが如し」(0015-02)とある。灸の熱さに苦しむのを悲しんで灸をすえるのをやめる悲母の態度と、また、当座の苦しみを無視し灸をすえて子供の病気を治してやる慈父の態度もどちらも、子供を思う気持ちにおいては同じなのである。
同様に、仏が衆生を思う慈悲においては変わりはなくても、化導の仕方においては、慈を先とするか悲を先とするかによって違いが出てくる。たとえば、本已有善の衆生を化導する釈尊の場合は、衆生がまだ法華経を聞くに耐えないときには、方便の教えを説いて機根をととのえ、いたずらに衆生が悪道に堕ちて苦しまないようにするのである。ところが、不軽菩薩などの場合は、衆生が悪道に堕ちて苦しむのをかえりみずに、ただちに法華経を説くのである。そのことが苦を除くことになるからである。釈尊の化導は悲母に比されて、不軽のそれは慈父に比されるであろう。
法華経不軽品に説かれている不軽菩薩の化導は、悪口罵詈し杖木瓦石を加える逆縁の衆生に対して、あえて二十四文字の法華経を説き、ひたすらに衆生の仏性に向かって礼拝することにあった。この化導の仕方は、而強毒之といわれるように、衆生が法華経を謗じて悪道に堕ちることをかえりみない化導法であった。しかし日蓮大聖人が、御義口伝に「不軽礼拝の行は皆当作仏と教うる故に慈悲なり、既に杖木瓦石を以て打擲すれども而強毒之するは慈悲より起れり」(0769-第廿六慈悲の二字礼拝住処の事)と仰せのように、而強毒之の化導法もまさしく慈悲によるものなのである。
末法における日蓮大聖人の折伏行も、不軽の而強毒之とまったく同じ性格をもつものであり、まさしく慈を先とする慈悲の化導にほかならないのである。
0452:02~0452:12 第20章 似破・能破を通じて諸師を判ずtop
| 02 問うて云く上の義のごとくならば華厳.法相・三論・真言.浄土等の祖師はみな謗法に堕すべきか、華厳宗には華 03 厳経は法華経には雲泥超過せり 法相三論もてかくのごとし、 真言宗には日本国に二の流あり東寺の真言は法華経 04 は華厳経にをとれり 何に況や大日経にをいてをや、 天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり印真言等は 05 超過せりと云云、 此等は皆悪道に堕つべしや、 答えて云く宗をたて経経の勝劣を判ずるに二の義あり、一は似破 06 二は能破なり一に似破とは 他の義は吉とをもえども此をはすかの正義を分明にあらはさんがためか、 二に能破と 07 は実に他人の義の勝れたるをば弁えずして 迷うて我が義すぐれたりと・をもひて 心中よりこれを破するをば能破 08 という・されば彼の宗宗の祖師に似破・能破の二の義あるべし、 心中には法華経は諸経に勝れたりと思えども且く 09 違して法華経の義を顕さんと・をもひて・これをはする事あり、提婆達多・阿闍世王・諸の外道が仏のかたきとなり 10 て仏徳を顕し後には仏に帰せしがごとし、 又実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し、 されば諸 11 宗の祖師の中に回心の筆をかかずば謗法の者・悪道に堕ちたりとしるべし、三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・ 12 東寺の弘法等は回心の筆これあるか、よくよく尋ねならうべし。 -----― 問うて言う。前述の義のとおりであるならば華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗・浄土宗等の祖師は皆謗法に堕ちてしまうのか。華厳宗では華厳経は法華経に比べて雲泥の相違があるようにはるかに超過しているといい、法相宗・三論宗もこのようにいっている。真言宗には、日本国に二の流派がある。東寺の真言では、法華経は華厳経に劣っており、まして大日経に劣るのは当然であるとしている。また天台の真言では、大日経と法華経とは理は同一であるが、印と真言については大日経がはるかに超過しているといっている。これらは皆悪道に堕ちるのであろうか。 答えて言う。一宗を立て経々の勝劣を判ずるのに二つの義がある。一には似破であり、二には能破である。一に似破とは他の義が勝れていると思っていても、これを破することである。その正義を分明にあらわそうとするためであろうか。二に能破とは実際に他人の義が勝れているるを弁えずに、迷って、自分の義が勝れていると思って本心からこれを破することを能という。それゆえ彼の諸宗の祖師に似破・能破の二義がある。心中では法華経が諸経に勝れていると思っていても、しばらく違背することによって法華経の義をあらわそうと思って、これを破することがある。提婆達多・阿闍世王・諸の外道が仏のかたきとなって、かえって仏徳をあらわし、後には仏に帰依したようなものである。また実際に迷っている凡夫が仏のかたきとなって悪道に堕ちることも多い。それゆえ諸宗の祖師のなかで回心の筆を書かなければ謗法の者であり、悪道に堕ちたと知るべきである。三論宗の嘉祥、華厳宗の澄観、法相宗の慈恩、東寺の弘法等は回心の筆があるかどうか。よくよく調べてみるべきである。 |
華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
―――
法相
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
―――
三論
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
―――
真言
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
―――
浄土
念仏宗ともいう。浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
―――
東寺の真言
空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。
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天台の真言
密教化した天台宗の教え。天台密教(台密のこと)。天台宗は法華経の一乗思想に基づいて諸思想を開会して用いるが、天皇・貴族らの要求に迎合して真言の祈禱を重用し、教理の面でも真言を法華経よりも優れていると位置づけるようになっていった。
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印真言
印相と真言のこと。印とは決定不改または印可決定の義で、手指を種々に組み合わせて諸仏諸尊の内証の徳を表示する形式。真言宗でいう三密の中の身密にあたる。合掌ももちろん印である。真言とは真実の言葉という意味で、これを唱えれば不思議の功徳があるという。一種の呪文で、諸仏の梵名などを原語で唱えることなどを指す。真言宗にはこの印・真言が説かれているから法華経に優れているとの邪義を立てる。
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似破
内心は法華経の正しさを知りながらも表向きは法華経を下すが、法華経の正義をより分明にする為にあえて背いていると考えられる場合もある。
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能破
よく破すこと、所破に対する語。煩悩・執着を破折する側、立場、主体。
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提婆達多
サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
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阿闍世王
釈尊在世から滅後にかけてのインドの大国・マガダ国の王。阿闍世はサンスクリットのアジャータシャトルの音写。未生怨と訳す。本来の意味は「敵対する者が生じない(無敵)」との意だが、中国・日本では「生まれる前からの敵」という解釈が広がった。釈尊に敵対していた提婆達多にそそのかされ、釈尊に帰依し外護していた父を幽閉して死亡させ、自ら王位についた。その後も、提婆達多にそそのかされて、象に酒を飲ませてけしかけさせ、釈尊や弟子たちを殺そうとしたが失敗した。後に父を殺した罪に悩み、全身に大悪瘡(悪いできもの)ができた。その際、大臣・耆婆の勧めによって釈尊のもとに赴き、その説法を聴聞し、釈尊が月愛三昧に入って放った光が阿闍世に届くと、彼をむしばんでいた大悪瘡はたちどころに癒えたという。釈尊入滅後、第1回の仏典結集を外護したと伝えられる。
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外道
①仏教以外のインドの諸思想。これには、古代からの伝統宗教であるいわゆるバラモン教の思想や、釈尊と同時代に興隆していたジャイナ教などの新興の諸思想を含む。②仏教以外の教えや信徒のこと、後に仏教内の異端に対する貶称として用いられた。
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回心の筆
前の悪説を悔い改めて正義を書くこと。
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三論の嘉祥
吉蔵ともいう。549年~623年。中国の隋・唐の僧。三論教学を大成した。嘉祥寺に居住したので嘉祥大師と称された。主著に『三論玄義』『法華義疏』など。
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華厳の澄観
(0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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法相の慈恩
(0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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東寺の弘法
空海のこと。774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。弘法大師ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
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謗法とは、成仏の要法としての法華経に背き謗じゆくことにほかならないが。そうだとすれば、諸宗の祖師たちは一般に尊敬されていようとも、自義に執して自宗の依経を高め、法華経を卑しめているのであるから、まさしく謗法の罪にあたり、悪道に堕していることは間違いないのである。
本章では、これを論ずるにあたり、まず、諸宗の祖師たちが自宗を立て、その依経を定めて法華経との勝劣を判ずるのに、同じく法華経を論難するにしても、似破と能破の二つのやり方があることを述べられている。
似破とは、内心では法華経の義の正しさを知りながらも、表向きには法華経を破していくことであり、能破とは、法華経の義の正しさを知らず自義が正しいと思い込み、本心から法華経を破していくことである。
このように、諸宗の祖師が法華経を破していく場合、なかには、本心では法華経の方が勝れていることを知っている者があり、その者たちは与えていえば、法華経の正義をより分明にせんとして、あえて背いているとも考えられるのである。
たとえていえば、提婆達多は阿闍世王が釈尊に敵対して、かえって釈尊の仏徳をあらわしたようなものであるが、彼らが成仏するためには、最終的には釈尊に帰依し、自己の所行をはっきりと改めなければならなかった。この例から考えてみても、もし諸師が法華経の正義をより分明にするために、あえて背いているのだとしても、悪道をまぬかれるためには、法華経に背いたことを最終的には悔い改めなければならない。したがって、その証となるような「回心の筆」を書くべきなのである。
そうゆう証がない限り、凡夫が釈尊に敵対したまま、悪道に堕ちた実例が多くあるように、諸宗の祖師も謗法の罪で悪道に堕ちざるをえないであろう、と結論されている。
なお、本章の問いの部分は、華厳・法相・三論・東密・浄土の各宗を挙げて、その祖師が謗法であるかと問うているが、本章の最後に、回心の筆があるかどうか「よくよく尋ねならうべし」と言われて、三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法の名を挙げられ、浄土を検討の対象からはずされている。これは、これまでのなかで、しばしば観経を依経とする浄土宗が謗法であることを触れられており、浄土宗の祖師が悪道に堕していることは検討するまでもなく明らかなことだからである。
また東密の弘法を挙げて、台密の慈覚・智証を挙げられていないのは、東密をもって真言を代表させているからである。慈覚・智証は表向きは法華経を第一とすべき天台の座主でありながら、そのじつは大日経を第一とし、法華経を下しているが故に、弘法と同じく謗法の罪にあたるのである。
大聖人は真言七重勝劣事に、弘法については「身心倶に移らず」とし、慈覚・智証については「身移りて心移らず」と述べられているが、ここから考えると、いずれもその本心は法華経に背いたと結論してよいであろう。
さらに、嘉祥・澄観については「身心倶に移る」とし、慈恩については「心移りて身移らず」としておられるが、大聖人はこの三人を、内心では法華経の義の正しさを認めた似破の立場として位置づけておられるのであろう。彼らが悪道をまぬかれるためには回心の筆を必要とするのであるが、それはあくまで彼ら個人にすぎず、華厳・法相・三論の義を信ずる者は、やはり悪道をまぬかれないのはいうまでもないことである。
0452:13~0453:11 第21章 悪知識を明示するtop
| 13 問うて云くまことに今度生死をはなれんと・をもはんに・なにものをか・いとひなにものをか願うべきや、答う 14 諸の経文には 女人等をいとうべしと・みへたれども雙林・最後の涅槃経に云く「菩薩是の身に無量の過患具足充満 15 すと見ると雖も涅槃経を受持せんと欲するを為ての故に 猶好く将護して乏少ならしめず、 菩薩悪象等に於ては心 16 に恐怖すること無れ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ、 何を以ての故に是れ悪象等は 唯能く身を壊りて心を壊る 17 事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に、 悪象の若きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、 悪象の 18 為に殺されては三趣に至らず 悪友の為に殺されては三趣に至る」等と云云 此の経文の心は後世を願はん人は一切 0453 01 の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識を・をそるべしとみえたり。 -----― 問うて言う。本当に今度、生死の苦しみを離れようと思うならば、何ものを厭い、何ものを願うべきであろうか。 答えて言う。諸の経文には、女人等を厭うべきであると説かれているけれども、釈尊が沙羅双樹で最後に説いた涅槃経には「菩薩よ、この身に無量の過ちや、患いが具足し充満していると見ても、涅槃経を受持しようと願っているのであるなら、この身をよく助け護って、乏しく欠けるようにしてはならない。「菩薩よ、悪象等に対しては心に恐怖を抱くことはない。しかし悪知識に対しては怖畏の心を生じなさい。なぜならば、悪象等はただ身を破るだけで心を破ることはできない。しかし悪知識は身心ともに破るからである。悪象のようなものはただ一身を破るだけであるが、悪知識は無量の身、無量の善心を破る。悪象のために殺されても三悪道に堕ちないが、悪友のために殺されたならば、三悪道に堕ちる」等とある。この経文の意は、後世を願う人は一切の悪縁を恐れるべきであると説かれているのである。 -----― 02 されば大荘厳仏の末の四の比丘は自ら悪法を行じて十方の大阿鼻地獄を経るのみならず、 六百億人の檀那等を 03 も十方の地獄に堕しぬ、 鴦堀摩羅は摩尼跋陀が教に随つて九百九十九人の指をきり結句・母・並に仏をがいせんと 04 ぎす、 善星比丘は仏の御子・十二部経を受持し四禅定をえ欲界の結を断じたりしかども 苦得外道の法を習うて生 05 身に阿鼻地獄に堕ちぬ、 提婆が六万蔵・八万蔵を暗じたりしかども外道の五法を行じて現に無間に堕ちにき、 阿 06 闍世王の父を殺し母を害せんと擬せし 大象を放つて仏をうしない・たてまつらんとせしも悪師提婆が教なり、 倶 07 伽利比丘が舎利弗・目連をそしりて生身に阿鼻に堕せし、 大族王の五竺の仏法僧をほろぼせし、 大族王の舎弟は 08 加涇弥羅国の王となりて健駄羅国の率都婆・寺塔・一千六百所をうしなひし、 金耳国王の仏法をほろぼせし、波瑠 09 璃王の九千九十万人の人をころして血ながれて池をなせし、 設賞迦王の仏法を滅し菩提樹をきり根をほりし、 後 10 周の宇文王の四千六百余所の寺院を失ひ 二十六万六百余の僧尼を還俗せしめし、 此等は皆悪師を信じ悪鬼其の身 11 に入りし故なり。 -----― それゆえ大荘厳仏の滅後の四人の比丘は、自ら悪法を行じて十方の大阿鼻地獄を経るだけでなく、六百億人の檀那等をも十方の地獄に堕としてしまった。鴦堀摩羅は摩尼跋陀が教に随って九百九十九人の指を切り、最後には母並びに仏を殺害しようとはかった。善星比丘は仏の御子であり、十二部経を受持して四禅定を得、欲界の煩悩を断じたけれども、苦得外道の法を習って、生身のまま阿鼻地獄に堕ちた。提婆達多は外道の六万蔵、仏法の八万蔵を暗誦じたけれども、外道の五法を行じて現身のまま無間地獄に堕ちた。阿闍世王が父を殺し、母を害そうとはかり、大象を放って仏を亡き者にしたのも、悪師提婆提婆の教えによるのである。 俱伽利比丘は、舎利弗と目連をそしって生身のまま阿鼻地獄に堕ちた。大族王は全インドの仏法僧を滅ぼした。大族王の弟は加涇弥羅国の王となって、健駄羅国の率都婆や寺塔など一千六百ヵ所を破壊した。金耳国王の仏法を滅ぼし、波瑠璃王は九千九十万人の人を殺し、血が流れて池となった。設賞迦王は法を滅ぼし、菩提樹を切り、根を掘り起こした。後周の宇文王は四千六百余ヵ所の寺院を破壊し、二十六万六百余人の僧尼を還俗させた。これらは皆、悪師を信じ、悪鬼がその身に入ったゆえである。 |
三趣
三悪道のこと。地獄・餓鬼・畜生をいう。
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大荘厳仏の末の四比丘
仏蔵経巻中に説かれる。過去久遠無量無辺不可思議阿僧祇劫に出現した大荘厳仏の滅後百年に弟子は五派に分裂した。このなかで普事比丘だけは大荘厳仏の教えを正しく守ったが、他の苦岸、薩和多、将去、跋難陀の四比丘は邪道に迷い、邪見を起こして普事比丘を迫害した。四比丘とこれに従った大衆は地獄に堕ちたという。
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鴦堀摩羅
梵名アングリマーラー(Angulimālā)の音写。央掘摩羅・鴦掘摩とも書く。指鬘と訳す。釈尊在世当時の弟子。央掘摩羅経巻一等によると、人を殺して指を切り、鬘(首飾、髪飾)としたのでこの名がある。外道の摩尼跋陀を師としてバラモンを学んでいたが、ある時、師の妻の讒言にあい、怒った師は央掘摩羅に1000人を殺してその指を取るよう命じた。そのため999人を殺害し、最後に自分の母と釈尊を殺害しようとしたが、あわれんだ釈尊は彼を教化し大乗につかせたという。仏説鴦掘摩経では100人を殺そうとして99人を殺したとある。
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摩尼跋陀
釈尊在世中、摩尼跋陀が留守の間に、その妻が無悩に愛欲の念を懐いて言い寄ってきた。無悩はむしろその不義を諭し、正直で冷静に対応したのである。ところがこの妻は逆恨みして、自らの衣装を切り裂くなどして無悩のことを悪者に仕立て上げようと、帰って来た夫の摩尼跋陀に讒言したのである。摩尼跋陀は無悩を恨んで仕返しを考えた。そこで摩尼跋陀の知る秘法を教えてやろうと偽り、梵天に生まれるためには七日の間に、千人の人を殺さねばならないと無悩に説いた。さらに殺すごとにその一指を切り取り、それをもって鬘を作るように教えた。聡明な無悩は信じなかったが、しかし摩尼跋陀が刀を突き立てて呪文を唱えると、無悩は催眠術にかかったようにその刀を持って町に出た。そして会う人ごとに斬りつけ、指を集めていったのである。人々は無悩を鴦掘摩羅を指鬘外道と呼んで恐れた。悪師の例とされる。
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善星比丘
釈尊存命中の出家者の一人。一説に釈尊の出家以前の子とされる。出家して仏道修行に励み、欲界の煩悩を断じて、四禅を得たので四禅比丘という。後に釈尊の教えを誹謗し、無間地獄に生まれたとされる。
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十二部経
経典を形式・内容によって12種に分類したもの。十二分教ともいう。①修多羅(スートラ)。契経と訳す。法義を説いた散文。②祇夜(ゲーヤ)。応頌・重頌と訳す。修多羅に応じて重ねてその義を述べた韻文。③伽陀(ガーター)。諷頌・孤起頌と訳す。散文によらずに韻文だけで説いたもの。④尼陀那(ニダーナ)。因縁と訳す。説法教化のいわれを説く。⑤伊帝目多伽(イティユクタカ、イティヴリッタカ)。本事・如是語と訳す。過去世の因縁を説く。⑥闍多伽(ジャータカ)。本生と訳す。仏が昔、菩薩であった時の行いなどを説く。⑦阿浮陀達磨(アドブタダルマ)。未曽有法と訳す。仏の神通力を説く。⑧阿波陀那(アヴァダーナ)。譬喩と訳す。譬喩を借りて説いたもの。⑨優婆提舎(ウパデーシャ)。論議と訳す。法理の解説・注解。⑩優陀那(ウダーナ)。自説・無問自説と訳す。問いを待たずに仏が自ら説いた。⑪毘仏略(ヴァイプルヤ)。方広・方等と訳す。広大な理義を説いたもの。⑫和伽羅那(ヴィヤーカラナ)。授記と訳す。弟子に対して未来世の成仏の保証を与えること。
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四禅定
欲界を離れて色界の四禅天に生ずる初禅・二禅・三禅・四禅の四種類の禅定のこと。
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欲界の結
衆生を欲界に結びつけている煩悩のこと。欲界は三界の一つで、欲望に支配される世界。結は結縛の意で煩悩のこと。
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苦得外道
苦行によって得道すると説く外道。釈尊在世の六師外道のひとつ。尼乾外道に同じ。この派をジャイナ教と呼ぶ。教祖はマハーヴィーラといわれ、ジナとも呼ばれる。教理はヴェーダを否定するが、カースト制度を認め、苦行を勧める。禁欲によって物質界から解脱し、常満精神を得ようとして裸で修行したため裸形外道とも呼ばれた。後に寛容主義の白衣派と、厳格主義の空衣派に分裂する。
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六万藏
六万の方蔵のこと。法蔵とは、教えの蔵の意で、仏の経説、経説を含蔵する経典・聖教。②インドのバラモン教の聖典・四韋陀のこと。神への讃歌などが説かれるインド最古の経典。迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の三仙が説いたとされる。
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八万蔵
八万聖教、八万威儀、八万四千の法蔵、八万四千の細行という。煩悩の数を84,000の塵労といい、これを対治する数として84,000の法蔵という。略して「八万法蔵」。八万は実数ではなく、多数の意。
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外道の五法
提婆達多が釈尊に敵対し、みだりに説いて和合僧を破った五法のこと。①糞掃衣・常乞食・坐食・常露坐・塩および五味を受けず。②五味を受けず・肉を断つ・塩を断つ・割裁衣を受けず・聚楽辺寺に居せず。のに説がある。
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瞿伽利比丘
瞿伽利とは梵語であり、悪時者、守牛などと訳す。釈迦族の一人で浄飯王の命で出家し、仏弟子となった。のちに提婆達多を師として仏法に反逆した。竜樹の大智度論十三に「常に舎利弗・目連の過失を求めていた。二人はある日、雨に値って陶師の家に雨宿りした。暗中だったので、先に女人が雨宿りしているのを知らないでいた。女人が朝、洗濯しているのを証拠として、瞿伽利は男女三人で不浄行をしたと二人を謗った。梵天はそうでないことをさとし、釈迦もまた三度、瞿伽利を呵責したが、受けつけなかった。瞿伽利はのちに、全身に悪瘡を生じ、叫喚しながら死して堕獄した」といわれている。
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舎利弗
サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。【釈尊への帰依】釈尊の弟子となる前、舎利弗は目連(マウドゥガリヤーヤナ)とともに外道のサンジャヤに師事していたが、釈尊の弟子アッサジに出会い、そこで聞いた釈尊の教えに感銘を受け、釈尊に帰依した。その際、サンジャヤの弟子250人も、ともに釈尊に帰依したと伝えられる。【乞眼のバラモンと舎利弗】乞眼の婆羅門こつげんのばらもん【釈尊からの𠮟責】『止観輔行伝弘決』巻2には『十誦律』をふまえて、次のような話が記されている。ある在家の有力信徒から釈尊の弟子たちが食事の供養を受けた時、舎利弗ら長老などがおいしいものをたっぷり食べ、初心者たちは不十分な食事しかできなかった。これを羅睺羅(ラーフラ)から聞いた釈尊は、舎利弗に対して不浄な食事をしたと叱責した。舎利弗は食べた物を吐き出し、今後二度と食事の供養を受けないと誓った。日蓮大聖人は「開目抄」(205㌻)で、この話を、法華経が説かれる以前には二乗が不成仏として糾弾されてきたことの傍証とされている。
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目連
サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された(法華経269㌻)。【竹杖外道に殺される】『毘奈耶雑事』巻18によると、目連は舎利弗とともに王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。【盂蘭盆経の目連】盂蘭盆経によると、目連は亡き母・青提女が物惜しみの罪で餓鬼道に苦しんでいるのを神通力によって知り、母を助けようとするが力及ばず、仏の教えに従って供養したことで、ようやく救うことができたという。これが盂蘭盆会の起源の一つとされる。
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大族王
玄奘の『大唐西域記』巻4によると、大族王はインド磔迦国の王で、仏法を破壊し残虐な政治を行った。一方、幼日王は仏法を篤く信仰していた。大族王は幼日王を征伐しようとしたが、逆に生け捕りにされた。なお、「報恩抄」では「幻日王」(313㌻)となっているが、現存する「撰時抄」の御真筆では「幼日王」とあり、しかも「幼」に「えう」と振り仮名を記されている。
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仏法僧
仏教を構成する仏法僧の三つの要素のこと。この三宝を大切に敬うことが、仏教を信仰する者の基本となる。①仏宝は、教えを説く仏。②法宝は、仏が説く教え。③僧宝は、教えを信じ実践する人々の集い(教団)。「僧」は僧伽の略で、集いを意味するサンスクリットのサンガの音写。「和合」と意訳され、二つ合わせて「和合僧」ともいう。
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加涇弥羅国
罽賓国のこと。紀元前2世紀以前からイシク湖周辺に住んでいた塞族(サカ人)は、匈奴の征討を受けて逃れてきた月氏の残党(大月氏)によって駆逐され、南のパミール高原、ヒンドゥークシュ山脈を越え、カシミール地方もしくはガンダーラ地方に落ち着いて罽賓国を建てた。大乗仏教が興隆ている。
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健駄羅国
北インドのカシミール地方にあった国。二、三世紀ころギリシャ文化の影響を受けた仏教芸術が栄えた。
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卒都婆
梵語(stūpa)の音写。髪の束・頭部の意。① 仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするための建造物。インド・中国では土石や塼を積み、日本では木材を組み合わせてつくる。塔。塔婆。そとうば。② 死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板。上方左右に五輪塔の形を表す五つの刻みを入れ、表裏に梵字・経文・戒名・没年月日などを記す。板塔婆。そとうば
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金耳国王
設賞迦王ともいう。仏法を破壊した王。外道を信受して仏法を謗り嫉み、多くの僧伽藍を砕き、菩提樹を伐り根を掘り返し仏像を破壊しようとしたが仏像の慈顔を見て果たさず、現罰を受けて死んだといわれている。
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波瑠璃王
サンスクリットのヴィルーダカの音写。釈尊存命中のコーサラ国の王。波斯匿王の子。波斯匿王は妃を迦毘羅衛国(カピラヴァストゥ)に求めたが、釈迦族は王の勢力を恐れ、釈摩男の召使いである女が産んだ美女を王女と偽って王に差し出した。この女と波斯匿との間に生まれたのが波瑠璃王である。波瑠璃王は後にこのことを知って激怒し、復讐として釈迦族に対し大量殺戮を行った。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。
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設賞迦王
金耳国王ともいう。仏法を破壊した王。外道を信受して仏法を謗り嫉み、多くの僧伽藍を砕き、菩提樹を伐り根を掘り返し仏像を破壊しようとしたが仏像の慈顔を見て果たさず、現罰を受けて死んだといわれている。
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後周の宇文王
中国・南北朝時代の北周の皇帝。道教と仏教をともに廃止したが、仏教・道教の研究機関として通道観を設置し、120名の通道観学士を選任した。寺院の破壊と財産の没収、僧侶の還俗を行って財産を没収し、税賦を逃れる目的で僧籍に入る者を還俗させて税を取ることで財政改善を狙った(三武一宗の廃仏)。
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本章では、仏道修行をこころざすうえにおいて、注意すべき心構え、即ち、何を嫌い、何を求めるべきなのかを論じられている。
そこでまず、涅槃経の経文を挙げて、悪知識こそ最も嫌って避けるべきものであると述べ、つぎに、悪知識によって悪道に堕した諸例を列挙されている。
ところが、本文には悪知識を嫌うべきことのみを論じ、何を願い求めるべきかについては言及されていない。これは、仏道を修する者にとって悪知識がいかに恐ろしいものであるかということによって、言外に、善知識がいかに大切であり願い求めるべきであるかを示唆しておられるのである。
此の経文の心は後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識を・をそるべしとみえたり
仏道を行ずる者は、それを妨げる一切の悪縁を恐れるべきであるが、何よりも恐るべきものは法華経への信心を妨げる悪知識であると仰せられるところである。日蓮大聖人は兄弟抄で「天台大師釈して云く『若し悪友に値えば則ち本心を失う』云云、本心と申すは法華経を信ずる心なり、失うと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり」(1081-10)と仰せであるが、このように悪知識とは、法華経を謗ずるなどして、法華経を信ずる心を失なわせるものをいう。これこそ、最も恐れ嫌うべきものであると大聖人は誡められているのである。
悪知識に対し、善知識とは人に菩提心を起こさせ、法華経の信心を増すような人である。大聖人は「されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」(1468-06)と、成仏は才能や智慧でなく善知識によると仰せである。また「外護の知識・同行の知識・実相の知識」(0823-一捨悪知識親近善友の事-03)と、三種類の善知識を挙げられている。即ち、外から仏道修行を守る善知識、ともに成仏を目指して修行していく善知識、そして成仏に不可欠の縁となる南無妙法蓮華経の働き、すなわち御本尊である。成仏を願う者にとってこの三つは必要なものであるが、なかでも最後の善知識が最も大切であり、最も値いがたいとの仰せが先の御文だと拝せよう。
また、いかに恐るべき悪知識といえども、仏道を行ずる主体者の捉え方いかんによっては、善知識と転ずることができる。これは、大聖人が種種御振舞御書に「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(0917-05)と仰せられているところを拝せば明らかであろう。結局、いかなる悪縁・善知識も、善縁・善知識に変えていく信心が成仏のために肝心であるといえよう。
0453:12~0453:16 第22章 大乗国日本を明かすtop
| 12 問うて云く天竺・震旦は外道が仏法をほろぼし小乗が大乗をやぶるとみえたり、 此の日本国もしかるべきか、 13 答えて云く 月支・尸那には外道あり小乗あり此の日本国には外道なし小乗の者なし、 紀典博士等これあれども仏 14 法の敵となるものこれなし、 小乗の三宗これあれども彼宗を用て生死をはなれんとをもはず 但大乗を心うる才覚 15 とをもえり、 但し此の国には大乗の五宗のみこれあり人人皆をもえらく 彼の宗宗にして 生死をはなるべしとを 16 もう故にあらそいも多くいできたり、又檀那の帰依も多くあるゆへに利養の心もふかし。 -----― 問うて言う。インド・中国では、外道が仏法を滅ぼし、小乗が大乗を破っていると見える。この日本国でもそうなのか。 答えて言う。インド・中国には外道もあり、小乗もあったが、この日本国には外道もなく小乗の者もない。紀典博士等はあるけれども、仏法の敵となるものはない。また小乗の三宗はあるけれども、これらの宗によって生死を離れようとは思わず、ただ大乗を修行する手段としての学問と思っている。ただしこの日本には、大乗の五宗だけがあり、人々がそれらの宗々によって生死を離れようと思う故に、争いも多く起こってきたのである。また檀那の帰依も多くあるために自利自養の心も深いのである。 |
天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
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震旦
真旦とも。中国の古い呼び名。古代インド人が中国を指したチーナスターナの音写語。
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月支
中国・日本などで用いられたインドの古称。月氏とも書く。仏教では伝統的に「がっし」と読み習わすが、現代では「げっし」と読む。月氏は、もともとは紀元前後数百年、東アジア・中央アジアで活躍していた遊牧民族の名とされる。この月氏が、後に匈奴に追われ、中央アジアに進出し、ガンダーラ地方を中心にして大月氏国を築いた。特に2世紀のクシャーナ朝のカニシカ王以後、大乗仏教が盛んとなり、この地を経てインドの仏教が中国へ伝えられたことから、中国ではインド全体に対しても月氏と呼んでいた。
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尸那
外国人が中国を指して呼んだ名。尸那は中国の王朝名である秦がなまって伝えられ、それが漢訳されたといわれる。インドではチーナとよばれていた。
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紀典博士
平安時代、紀伝道を教授した博士。紀伝道は中国の史記・漢書・後漢書・文選・詩文等。
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小乗の三宗
世親の俱舎論を依経とする俱舎宗。訶梨跋摩の成美論による成美宗、小乗の諸経典で説かれる戒律の修行を目的とする律宗をいう。
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大乗の五宗
日本に仏教が伝来してから平安時代までに栄えた五つの宗。華厳経による華厳宗、竜樹の中論・十二門論・提婆の百論による三論宗、解深密経・瑜伽師地論・成唯識論などによる法相宗、法華経による天台宗、大日経・金剛経・蘇悉地経による真言宗をいう。
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本章は問答料簡を明かす第三段を決する章である。前章で悪知識こそ最も嫌うべきことが明かされたが、それを受けて、日本国で悪知識にあたるのは、じつに外道でも小乗でもなく、大乗の教えを奉ずる各宗であることを示されているのである。また、このあとに法華経の行者の弘経の用心が明かされ、大乗各宗を信ずることが謗法であることが論じられていくのであるが、本章はそれへの橋渡しにもなっている。
最初に、インドや中国では外道や小乗教が盛んに信じられているが、日本では学問・教養の対象とはなっても、信仰としては受け容れられないことを述べ、つぎに、宗教として人々に信じられているのは大乗の各宗であり、それが自宗の正当なることを主張するが故に宗教的な争いも多くなってきており、また帰依する人々が多くなったので自利自養の心が深くなり、宗教として顛倒した姿を示していると述べられている。
大聖人が「今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり」(1466-05)と述べられているように、当時の仏教界は、民衆を救済することなく、かえって社会の混乱の原因となっていったのである。大聖人の立正安国論の実践は、末法の三毒強盛の衆生の成仏を可能にする正法を立てることをもって、仏教界の混乱を正し、個人の成仏と、国土の成仏、社会の安定を実現するものであったといえよう。
0453:17~0454:11 第23章 行者弘法の用心を明かすtop
| 17 第四に行者仏法を弘むる用心を明さば、 夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろ 18 むべし、五義とは一には教・二には機・三には時・四には国・五には仏法流布の前後なり、第一に教とは如来一代五 0454 01 十年の説教は大小・権実・顕密の差別あり、 華厳宗には五教を立て一代ををさめ其の中には華厳・法華を最勝とし 02 華厳・法華の中に華厳経を以て第一とす、南三・北七・並に華厳宗の祖師・日本国の東寺の弘法大師・此の義なり、 03 法相宗は三時に一代ををさめ其の中に深密・法華経を一代の聖教にすぐれたりとす、 深密・法華の中・法華経は了 04 義経の中の不了義経・深密経は了義経の中の了義経なり、 三論宗に又二蔵・三時を立つ三時の中の第三・中道教と 05 は般若・法華なり、般若・法華の中には般若最第一なり、 真言宗には日本国に二の流あり東寺流は弘法大師・十住 06 心を立て第八法華・第九華厳・第十真言・法華経は大日経に劣るのみならず 猶華厳経に下るなり、天台の真言は慈 07 覚大師等・大日経と法華経とは広略の異.法華経は理秘密・大日経は事理倶密なり、浄土宗には聖道.浄土・難行・易 08 行・雑行・正行を立てたり浄土の三部経より外の法華経等の一切経は難行・聖道・雑行なり、禅宗には二の流あり一 09 流は一切経・一切の宗の深義は禅宗なり 一流は如来一代の聖教は皆言説・如来の口輪の方便なり禅師は如来の意密 10 言説にをよばず教外の別伝なり、倶舎宗・成実宗・律宗は小乗宗なり天竺・震旦には小乗宗の者・大乗を破する事こ 11 れ多し日本国には其の義なし。 -----― 第四に、修行者が仏法を弘めるための心構を明かす。いったい、仏法を弘めようと思う者は必ず五義を心得て正法を弘めるべきである。五義とは、一には教・二には機・三には時・四には国・五には仏法流布の前後である。第一に教とは、如来一代五十年の説教には大乗教と小乗教、権教と実教、顕教と密教の差別がある。華厳宗では五教を立てて、釈尊一代の説教をおさめ、その中では華厳教と法華経を最勝とし、華厳経と法華経の中では華厳経をもって第一とする。南三・北七ならびに華厳宗の祖師、日本国の東寺の弘法大師はこの義を立てている。法相宗は三時教に釈尊一代の説教をおさめ、その中で深密経・法華経を一代の聖教の中で勝れているとする。深密経・法華経の中では法華経は了義経の中の不了義経、深密経は了義経の中の了義経であるとする。三論宗ではまた二蔵と三時教を立てる。三時教の中の第三・中道教とは般若経と法華経であり、その般若経と法華経の中では般若経が最第一であるとする。真言宗には日本国に二つの流れがある。東寺流では、弘法大師が十住心を立てて、第八に法華・第九に華厳・第十に真言として、法華経は大日経に劣るばかりか、なお華厳経にも劣るとする。天台の真言では慈覚大師等が、大日経と法華経とは広略の異があり、法華経は理秘密・大日経は事理倶密で法華経よりも勝れているとする。浄土宗では聖道門・浄土門・難行道・易行道・雑行・正行を立てている。浄土の三部経よりほかの法華経等の一切経は難行道・聖道門・雑行であると下している。禅宗には二つの流れがある。その一つは一切経・一切の宗の深義は禅宗にあるとする。もう一つは、釈尊一代の聖教はすべて言説から出たものであり、それは釈尊の口をとおして示された方便である。禅宗は釈尊の秘密の本意であり、それは言説に説きあらわさず教外別伝されたものであるとする。倶舎宗・成実宗・律宗は小乗宗である。インド・中国においては小乗宗の者が大乗宗を破すことは多いが、日本国ではそのようなことはない。 |
大小
大乗教と小乗教のこと。
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権実
権教と実教のこと。実教は法華経をいう。
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顕密
顕教と密教のこと。顕教は、真言宗が密教以外の仏教の教えを指すのに用いた語。広く開かれて説かれた教えを意味する。もとは空海(弘法)が自身の教判として用い、衆生を導くために応身・化身(ここではそれぞれ報身・応身のこと)としての姿を現した如来が衆生の機根に従って広く説いた仮の教えを顕教と呼び、法身の如来が真理をひそかにそのまま示した教えを密教としたことに由来する。後に日本仏教で一般的に用いられ、顕密と併称して日本仏教全般を意味する。円仁(慈覚)以降の天台密教は、顕教と密教が教理の上で究極的には一致すると説くが、別しては印と真言といった事相を説く密教の方が顕教より優れているとする。
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南三・北七
中国・南北朝時代(440年~589年)にあった仏教における10の学派のことで、長江(揚子江)流域の南地の3師と黄河流域の北地の7師。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上で分類した。10師はそれぞれ依って立つ経論を掲げ、それを宣揚する教判を立て、優劣を競っていた。その全体的な傾向を、日蓮大聖人は「撰時抄」で「しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり」(261㌻)とされている。天台大師はこれら南三北七の主張を批判し、五時の教判を立て、釈尊一代の教えについて法華経第1、涅槃経第2、華厳経第3であるとし、法華経の正義を宣揚した。南北の諸学派は、釈尊一代の教えを、その説き方によって①頓教(真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③不定教(漸教・頓教に当てはまらず、しかも仏性・常住を明かす)の三つに分類した。頓教は華厳経、漸教は三蔵教(小乗)の有相教とその後に説かれた大乗の無相教、不定教は勝鬘経・金光明経とされた。南三とは、漸教のうち南地における三つの異なった見解のことで、①虎丘山の笈師の三時教②宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)の四時教③定林寺の僧柔・慧次と道場寺の慧観の五時教。北七とは、①五時教②菩提流支の半満二教③光統(慧光)の四宗(教)④五宗(教)⑤六宗(教)⑥北地の禅師の(有相・無相の)二種大乗(二宗の大乗)⑦北地の禅師の一音教。①および④~⑦は個人名が明かされていない。
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法相宗は三時
三時教判のこと。解深密経に基づき、釈尊一代の教えを三つに分類する。①初時有教。法のみ有である(不変で固有の実体をもつ)と説く教えで、阿含経など小乗の教えがこれにあたる。②第二時空教。一切諸法はみな空であると説く教えで、般若経などがこれにあたる。③第三時中道教。非有非空(有に非ず空に非ず)を明かす教えで、華厳経・法華経・解深密経などがこれにあたる。
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深密
解深密経のこと。深密経と略す。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
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了義経
意味が明瞭な経典の意。釈尊が真意を説いた経をいう。そうでない経典を「不了義経」という。涅槃経巻6には「了義経に依りて不了義経に依らざれ」とある。
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不了義経
「意味が不明瞭な経典」の意。真意を完全に明かしていない方便の教えを説いた経をいう。
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二蔵
三論宗が釈尊一代の教えを分類した教判。①声聞蔵(小乗教)と②菩薩蔵(大乗教)のこと。▷
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三時
三論宗では一代仏教を声聞蔵と菩薩蔵の二蔵に分け、また心境俱有・境空心有・心境俱空の三時に立て分けている。
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十住心
空海(弘法)が『十住心論』で、大日経の住心品や『菩提心論』をもとに衆生の心のありかたを10種に分けたもの。真言密教を最高位に位置づけ、華厳を第2、法華を第3としている。①異生羝羊(住)心。異生(衆生・凡夫)が雄羊のように善悪因果を知らず、本能のまま悪行を犯す心。②愚童持斎(住)心。愚童のように凡夫善人が人倫の道を守り、五戒・十善などを行う心。③嬰童無畏(住)心。嬰童は愚童と同意で、現世を厭い天上の楽しみを求めて修行する位をいう。外道の住心。④唯蘊無我(住)心。蘊はただ五蘊(五陰と同じ)の法のみ実在するという意で、無我はバラモンなどの思想を離脱した声聞の位のこと。すなわち出世間の住心を説く初門で、小乗の声聞の住心。⑤抜業因種(住)心。十二因縁を観じて悪業を抜き無明を断ずる小乗の縁覚の住心。⑥他縁大乗(住)心。他縁は利他を意味し、一切衆生を救済しようとする利他・大乗の住心のこと。法相宗の菩薩の境地。⑦覚心不生(住)心。心も境も不生、すなわち空であることを覚る三論宗の菩薩の境地。⑧如実一道(住)心。一仏乗を説く天台宗の菩薩の境地。⑨極無自性(住)心。究極の無自性(固定的実体のないこと)、縁起を説く華厳宗の菩薩の境地。⑩秘密荘厳(住)心。究極・秘密の真理を覚った真言宗の菩薩の境地。大日如来の所説で、これによって真の成仏を得ることができるとした。日蓮大聖人は「真言見聞」で、「十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何れの経論に出でたるや」(148㌻)と破折されている。
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慈覚大師
794年~864年。平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている(281㌻、305㌻以下など)。
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広略
広とは相対的に広く論ずる立場であり、略とはその大体の大意をまとめたものをさす。法華経においては28品を受持読誦するを広といい、方便・寿量の2品を受持・護持するを略という。大聖人は広略を捨てて要をとられた。ここに要とは肝要であり、文底の異名である。法華取要抄には「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(0336-08)とある。
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理秘密
天台密教では一切経を顕示教と秘密教の二種に分け、さらに秘密教を理秘密のみ説く理秘密と事秘密・理秘密の両方を説く事理俱密教に分ける。そして華厳・般若・維摩・法華・涅槃経等が理秘密であるのに対し、大日・金剛頂などが事理俱密教であって勝れているとする。
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事理倶密
事密・理密が俱に備わっていること。天台密教の教判用語。慈覚は蘇悉地経疏巻一等で、顕示教・秘密教に分け、秘密教をさらに理秘密・事理秘密に分類した。顕示教は世俗と勝義の円融を説かない。理秘密教は、真俗二諦の円融を説くが、事相を明かしていない。事理俱密教は、真俗円融不二を説き、さらに身語意三密の行相を説く故に勝れているとする。
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聖道
自力で修行してこの娑婆世界で成仏を目指す教え。浄土門に対する語。中国・唐の道綽が『安楽集』で説いた。
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浄土
阿弥陀仏の本願に頼って、西方極楽浄土に往生することを目指す教え。聖道門に対する語。中国・唐の道綽が『安楽集』で説いた。
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難行・易行
実践が困難な修行と易しい修行のこと。易行という語は、もとは竜樹(ナーガールジュナ)の『十住毘婆沙論』にあり、そこでは、菩薩の修行に関して、阿毘跋致(不退)に入るのは困難であるが、諸仏の名をとなえるといった易行があると説かれている。曇鸞はこれを『往生論註』で独自に解釈し、菩薩が不退を求める修行に難行・易行の2種があるとし、浄土教を易行道とした。さらにこれを法然(源空)は『選択集』で恣意的に解釈し、難行道を聖道門、易行道を浄土門とし、聖道門を排除した。
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雑行・正行
善導の『観無量寿経疏』に説かれる。正行とは、成仏・往生へと導く正しい修行のことで、善導は浄土経に基づく諸行であるとし、特に称名念仏を重視した。雑行とは、この正行以外のさまざまな修行をいう。
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浄土の三部経
浄土教で重んじられた無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経の三つ。法然(源空)が『選択集』でこの三つの経典を「弥陀の三部なり。故に浄土の三部経と名づくるなり」と述べたことにもとづく。
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倶舎宗
仏滅後900年ごろに出現したインドの学僧・世親の倶舎論を所依とする宗派。南都六宗の一つ。毘曇宗・薩婆多宗・論宗ともいう。倶舎論を主として、六足論・発智論と、発智論を釈した大毘婆沙 論等を所依とする小乗教の宗派である。倶舎とは梵語コーシャ(Kosa)、詳しくはアビダルマコーシャ(Abhidharma-kosa)といい、訳して付法蔵という。その教義は小乗有門の思想を根拠とするものである。インドにおいては、安慧、徳慧らが倶舎論の注釈書を作った頃は、一宗派としては存在しなかった。のちに、中国において、陳の真諦が「倶舎釈論」を著してから倶舎宗と呼ばれるようになった。日本には、法相宗の付宗として伝来し、奈良時代に隆盛をみた。
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成実宗
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
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律宗
戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。
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本章から第四段の結論の部分に入る。その冒頭で「行者仏法を弘むる用心を明さば」と、仏法を実践する人が弘教にあたって、いかなる点を心得て弘めるべきかという、最重要なテーマを掲げておられる。そして、弘める教法を選定する条件としてさまざまに論及され、その結論として、「法華経は真諦・俗諦・空仮中・印真言・無為の理・十二大願・四十八願・一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり、これ教をしれる者なり」と、弘むべき教とは法華経であり、法華経が一切経の中で最第一の教えであることを知ることが大事であると教示されている。その後に、行者の心懸ける点を教え、謗法の種類や信の問題等を挙げて、さらに行者の心構えを明確にされて結ばれているのである。
本章は、宗教の五義中の“教”を論及するための問題提起とされたわけで、それらの教義の誤りを指摘され、謗法を破折されて、しかるのちに正しい“教”を教えるための材料とされたわけである。
夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし
仏法を弘める者に対して、最も肝要な義を教えられたところである。仏法なら何でもよいというわけにはいかないのである。弘める側が自己の直感やひらめきなどの独善的、恣意的な判断で誤った法を決定してしまったならば、その教えを受けて大勢の人が誤り、悪道に堕すことになるのである。いかなる仏法を弘めるかということほど重要な問題はない。ゆえに、弘めるべき教法を厳正に選び出して弘めるべきである。その弘教にあたって踏まえるべき根本を大聖人は五義と定められているのである。五義とは「一には教・二には機・三には時・四には国・五には仏法流布の前後なり」と仰せである。教とは、教そのものである。機とは教えを受け容れる民衆の素質や可能性である。時とは、その時代である。国とは、国や社会である。仏法流布の前後とは、教法の流布する順序である。したがって、「五義を存して正法をひろむべし」とは、仏法を弘める者は、この五つの条件を正確に認識し把握し弘めるべきであると仰せられているのである。ところで大聖人はなぜこの時点でこの問題を提起されたのであろうか。もとより日蓮大聖人は、建長5年(1253)4月宗旨建立の時点で三大秘法の南無妙法蓮華経が五義に合致した大法であるとしてこの問題に結論を下されて、以後、弘められてきたのである。してみると、弘長2年(1262)の教機時国抄と本抄において、この問題を取り上げられたのは、三類の強敵が競い起こったことを機に、弘教者としての最大の問題をふたたび確認されたことにほかならないのである。
教機時国抄では、その五義の一つ一つを明確に確認され、本抄では、謗法との関連において、弘めるべき正法が南無妙法蓮華経であることを確認されたわけである。
つぎに、それでは、どうしてとくに“教”をここで取り上げられたのであろうか。それは、日蓮大聖人自らの実践の正しさを再確認されるうえで、最も根本的なことは、その弘められている教法が絶対に正しいということである。
教とは
教とは、法華玄義巻一上に「聖人、下に被らしむの言なり」とある。つまり上より下を教えることである。この点については、教機時国抄第一章に詳しい。
本章では、宗教の五義の名目のみを挙げられて、つぎに「第一に教とは如来一代五年の説教は大小・権実・顕密の差別あり」と述べられ、教とは釈尊の説教であるが、その説教においてもさまざまな差別があることを述べられて諸宗の教判を挙げられている。
ところで、五義の名目だけを挙げられ、五義のうち“教”についてだけ論及された理由は、教理内容の選択こそ最も大事だからである。
機は救われる側の衆生の素質等である。時・国・序においても、教を受け容れる側の時代であり、国であり、教法の順序次第だからである。したがって、ここでは、教のみに立脚して諸宗の教義を批判され、他の四義については省略されたのである。
0454:12~0455:04 第24章 諸宗有得道の謬説を挙げるtop
| 12 問うて云く諸宗の異義区なり一一に其の謂れありて 得道をなるべきか・又諸宗・皆謗法となりて一宗計り正義 13 となるべきか、 答えて云く異論相違ありといえども皆得道なるか、 仏の滅後四百年にあたりて健駄羅国の迦弐色 14 迦王仏法を貴み一夏・僧を供し仏法をといしに一一の僧・異義多し 此の王不審して云く仏説は定て一ならんと終に 15 脇尊者に問う、 尊者答て云く金杖を折つて種種の物につくるに 形は別なれども金杖は一なり形の異なるをば諍う 16 といへども金たる事をあらそはず、 門門不同なればいりかどをば諍えども入理は一なり等と云云、 又求那跋摩云 17 く諸論各異端なれども修行の理は二無し偏執に是非有りとも 達者は違諍無し等と云云、 又五百羅漢の真因各異な 18 れども同く聖理をえたり、 大論の四悉檀の中の対治悉檀・摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣・此等は此の善を嫌い 0455 01 此の善をほむ、 檀戒進等一一にそしり一一にほむる皆得道をなる、此等を以てこれを思うに護法・清弁のあらそい 02 ・智光.戒賢の空中.南三・北七の頓・漸不定・一時.二時・三時.四時・五時.四宗・五宗.六宗.天台の五時.華厳の 03 五教・真言教の東寺・天台の諍.浄土宗の聖道・浄土.禅宗の教外・教内、入門は差別せりというとも実理に入る事は 04 但一なるべきか。 -----― (大聖人が)問うて言う。諸宗の異義はまちまちである。それぞれにその根拠があって、得道できるのか。それとも諸宗は皆、謗法となってただ一宗だけが正義となるべきなのか。 答えて言う。異論相違はあるけれども皆得道できるといえよう。仏の滅後四百年にあたって健駄羅国の迦弐色迦王は仏法を貴んで、一夏の間、僧を供養し仏法について問いただしたが、一人一人の僧の答えに異義が多かった。この王は不審に思って「仏説は必ず一つであろう」と、最後に脇尊者にたずねた。脇尊者が答えていうには「金の杖を折って種々の物を作るのに、形は別であるけれども、金の杖は一つである。形の異なることは諍ったとしても、金であることは諍うことはない。教えの門はそれぞれ不同なので入口は諍うけれども、入って得る真理は一である」等と。また求那跋摩がいうには「諸論はおのおの異なりがあるけれども、修行して得る理には二なく、ただ一である。偏執によって是非が生ずるけれども、仏法の通達者は争うことはない」等と。また五百羅漢の阿羅漢になりえた真因はおのずと異なるけれども、同じく聖理を得ることができた。大智度論の四悉檀の中の対治悉檀や、摂大乗論の四意趣の中の衆生意楽意趣などは、あるときにはこの善を嫌い、他のときにはこの善をほめる。すなわち檀波羅蜜・持戒波羅蜜・精進波羅蜜等六波羅蜜の一つ一つをある時にはそしり、ある時にはほめる。しかし皆得道できるのである。これらのことを思うのに、護法の清弁の争い、智光と戒賢の空理と中道の争い、南三北七の頓・漸・不定・一時・二時・三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗の教判・天台の五時・華厳の五教・真言密教の東寺・台密の諍い・浄土宗の聖道門と・浄土門.禅宗の教外・教内、これらは、入る門は異なっているといっても、真理に達することはただ一つであるといえるであろう。 |
迦弐志加王
古代インドの健陀羅国の王。ガンダーラ地方のプルシャプラに都を定め、西は大夏の境より東はガンジス川中流付近にいたる広大な領土を支配した。玄奘の「大唐西域記」によれば初めは仏法を軽毀していたが、後に釈尊の予言に王自身の名があることをしり、仏法を信じ仏法の保護者となったといわれる。そして大規模な仏典の結集をはかり、また、プルシャプラの大塔を建立した。また、政治、経済、文化のあらゆる面でクシャン朝の最盛期を現出した。いわゆるガンダーラ美術の発達もこの頃が頂点であり、広く中央アジアの文化に影響を与えた。
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一夏
4月中旬~7月中旬(現在では6.7.8月)までの約90日間)期間とされている。
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脇尊者
インドの仏教僧。2世紀の人。部派仏教の一派,説一切有部の指導者の一人。第4回目の仏典の編集を行なったともいわれる。
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求那跋摩
(0367~0431)中国における訳経僧の一人。功徳鎧と訳す。北インドのクシャトリヤ階級の出身。仏典に通じていた。のち,王位継承をすすめられたが辞退したという。セイロン (現スリランカ) を経てジャワに渡り,中国に迎えられ (424) ,祇 洹寺に住して訳経に従事した。
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大論の四悉檀
仏の教法を4種に分けたもので、『大智度論』巻1に説かれる。①世界悉檀。人々が願い欲する所に応じて法を説くこと。②為人悉檀。詳しくは各各為人悉檀といい、機根などが異なる人それぞれに応じて法を説いて教え導くこと。③対治悉檀。貧り・瞋り・愚かさなどの煩悩を対治するために、それに応じた法を説くこと。④第一義悉檀。仏が覚った真理を直ちに説いて衆生を覚らせること。
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摂論の四意趣
無著の摂大乗論の中にある。平等意趣・別時意趣・別義意趣・衆生意楽意趣をいう。①平等意趣・差別にとらわれた者を導く説き方。②別時意趣・懈怠の障りを除くために用いる説き方。③別義意趣・法を軽んずる心を破るために用いる説き方。④衆生楽欲意趣・向上心を起こさせるための説き方。
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檀戒進等
六波羅蜜のこと。大乗の菩薩が実践し獲得すべき6つの徳目。六度ともいう。波羅蜜はサンスクリットのパーラミターの音写で、完成・究極の意。「度」と漢訳される。①布施(財施や法を説くこと)②持戒(戒律を守る)③忍辱(苦難を耐え忍ぶ)④精進(たゆまず修行に励む)⑤禅定(瞑想の実践)⑥智慧(般若)。前の五つそれぞれを完成させ、智慧の完成を目指す。
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智光・戒賢の空中
智光は中インド摩竭提国の僧。般若経・中観論から三時の教判を立て無相大乗を真の了義経とした。戒賢は唯識学派の論師。東インド出身で、護法を師として出家した。後に玄奘を迎え、彼に唯識説を伝えた。法相大乗を真の了義経とした。この二人は教判の解釈で争っている。
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南三北七
中国・南北朝時代(440年~589年)にあった仏教における10の学派のことで、長江(揚子江)流域の南地の3師と黄河流域の北地の7師。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上で分類した。10師はそれぞれ依って立つ経論を掲げ、それを宣揚する教判を立て、優劣を競っていた。その全体的な傾向を、日蓮大聖人は「撰時抄」で「しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり」(261㌻)とされている。天台大師はこれら南三北七の主張を批判し、五時の教判を立て、釈尊一代の教えについて法華経第1、涅槃経第2、華厳経第3であるとし、法華経の正義を宣揚した。南北の諸学派は、釈尊一代の教えを、その説き方によって①頓教(真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③不定教(漸教・頓教に当てはまらず、しかも仏性・常住を明かす)の三つに分類した。頓教は華厳経、漸教は三蔵教(小乗)の有相教とその後に説かれた大乗の無相教、不定教は勝鬘経・金光明経とされた。南三とは、漸教のうち南地における三つの異なった見解のことで、①虎丘山の笈師の三時教②宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)の四時教③定林寺の僧柔・慧次と道場寺の慧観の五時教。北七とは、①五時教②菩提流支の半満二教③光統(慧光)の四宗(教)④五宗(教)⑤六宗(教)⑥北地の禅師の(有相・無相の)二種大乗(二宗の大乗)⑦北地の禅師の一音教。①および④~⑦は個人名が明かされていない。
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天台の五時
天台大師智顗による教判。諸経典の教えを釈尊一代で説かれたものとみなし、成道から入滅までの教えを内容によって五つの時期に分類し、矛盾なく理解しようとした。華厳時・阿含時(鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時をいう。①華厳時。釈尊が伽耶城(ガヤー)近くの菩提樹の下で成道した後、21日間、華厳経を説いた擬宜(試みに説いた)の期間。②阿含時。華厳時で教えを理解できなかった者がいたので、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで12年間、衆生を仏法に誘引するため長阿含経などの四阿含を説いた期間。大乗に対して小乗と位置づけられる。③方等時。続いて16年間(一説には8年間)、阿弥陀経・維摩経などの諸大乗経典を説き、小乗に執着する声聞を糾弾して大乗を慕わせた期間。④般若時。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、摩訶般若などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。⑤法華涅槃時。マガダ国の霊鷲山と虚空会の二処三会で、8年間法華経を説き、大乗・小乗を超えて一切衆生が成仏できる真実の教えを開会した期間。また入滅直前に拘尸那城(クシナガラ)の西北の跋提河の沙羅双樹において涅槃経を説き、法華経の説法に漏れた人のために補足的に説法した期間。天台大師は、この五時を乳を精製する段階の五味(乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味)にあてはめ、醍醐味にあたる法華涅槃時の経が最高の教えであることを強調している。日蓮大聖人は「守護国家論」で、「大部の経大概是くの如し此より已外諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし」(40㌻)と述べられている。
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真言教の東寺・天台の諍
弘法が東寺を中心に弘めた密教と天台所伝の密教との間には教義上いくつかの相違点があり論争が行われたことをいう。①教主、台密は大日如来と釈尊は一仏同体・東密は大日如来を主として釈尊は別体とする。②教判、台密は理同事勝・東密は顕劣密勝とする。③所依の経典、台密は大日経・金剛頂経・蘇悉地経とする・東密は大日経・金剛頂経の二経を根本経典にする。
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禅宗の教外・教内
禅宗では戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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前章で、教をめぐる諸宗の所説を挙げて、いかに諸宗が己義を構えて最勝の法華経を下しているかを示されているが、本章では、諸宗の謗法について以後詳しく論及されるのに先立ち、第一に諸宗では得道が可能であるのか、第二に諸宗は謗法であるのか、また、諸宗においては得道できるのか、といった観点から、大聖人が質問するとうい形式をとられている。
これに対して、諸宗の一つの見解として、異論や相違はあるが、諸宗にも得道はあると答えている。だが、この論点には大きな誤りがある。どこが誤りかといえば「仏の滅後四百年にあたりて健駄羅国の迦弐色迦王仏法を貴み一夏・僧を供し仏法をといしに一一の僧・異義多しの王不審して云く仏説は定て一ならんと終に脇尊者に問う、尊者答て云く金杖を折つて種種の物につくるには別なれども金杖は一なり形の異なるをば諍うといへども金たる事をあらそはず、門不同なればいりかどをば諍えども入理は一なり等と云云、又求那跋摩云諸論各異端なれども修行の理は二無し偏執に是非有りとも達者は違諍無し等と云云、又五百羅漢の真因各異なれども同く聖理をえたり、大論の四悉檀の中の対治悉檀・摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣・此等は此の善を嫌い此の善をほむ、戒進等一一にそしり一一にほむる皆得道をなる」の文と「此等を以てこれを思うに護法・清弁のあらそい・智光・戒賢の空中・南三・北七の頓・漸不定・一時・二時・三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗・天台の五時・華厳の五教・真言教の東寺・天台の諍・浄土宗の聖道・浄土・禅宗の教外・教内、入門は差別せりというとも実理に入る事は但一なるべきか」の文を繋ぎ合わせれ結論を下しているからである。
前の「仏の滅後四百年」の文には、それぞれの真理が含まれており、小乗・大乗それぞれの得道のあることが明らかである。脇尊者の金杖の譬えの金とは、小乗の苦空無常無我の理のことであり、「金杖の種種の物」等とは、小乗の教えのことである。「門門不同なればいりかどをば諍えども入理は一なり」とあるのは、小乗の教えがいろいろあるので小乗教同士で入口を争っても小乗の悟りは同一であることを示し、後述の「諸人同く此の義を存じて十八部・二十部相ひ諍論あれども但門の諍にて理の諍にはあらず故に共に謗法とならず」の文と同意である。ゆえに、金杖の譬えは、小乗教の中で争いがあって、悟りの部分としての実理の争いではないから謗法とはならないのである。つぎの求那跋摩の所説も同趣旨と思われる。
また、五百羅漢の真因については、後述の文に「五百羅漢の真因は小乗十二因縁の事なり無明行等を縁として空理に入ると見へたり、門は諍えども謗法とならず」とあり、五百の羅漢の一人一人が十二因縁に悟ることによって証果を得たことが示されており、御文の「五百羅漢の真因各異なれども同じく聖理をえたり」とは、小乗の空理であることが明確である。
大智度論に説かれる四悉檀の中の対治悉檀とは、貧瞋癡の三毒を対治するための説法であり、貪欲の多い者には仏は不浄観を教え、瞋恚の多い者には慈悲心を教え、愚癡の多い者には、因縁を観じさせたことをいうのである。このように対治悉檀は、対機説法の一つなのである。
無著菩薩の摂大乗論に説かれる四意趣の一つである衆生意楽意趣とは、衆生の願い=意楽にしたがって、仏はさまざまに説法されて正しく仏道に導く説法のことである。「此の善を嫌い此の善をほむ」とあるのがそれで、衆生の善行によって、たとえば慳貪の物を惜しむ心を捨てさせるために布施行をほめる。だが、布施行より勝れた修行を教えるために布施行を嫌う場合があり、衆生の心をつかみながら仏は衆生を悟りへと導くのである。こうした方法も対機説法の一つである。
「戒壇進等一一にそしり一一にほむる」とは、仏が菩薩行である六波羅蜜の檀・戒・進等の修行の一つ一つについて、菩薩を化導するために、ある場合は謗り、ある場合は讃めるのである。これも対機説法の一種である。
このように、脇尊者、求那跋摩あるいは大論等でいってるのは、小乗・大乗のそれぞれの中での争いについてであって、まったく謗法とならない例である。これに対して、後の「此等を以てこれを思うに」といっている例は、門即ち教えの部分の争いが、同一の小乗教、同一の大乗教といった枠を越え、小をもって大を打ち、権をもって実を打ったといった争いが転化しているということであり、しかも、自宗を立てるあまり、最高唯一の法華経を下しているという謗法を犯しているのである。
ここに「入門は差別せりというとも実理に入ることは但一なるべきか」の論拠は、前の段では成立しても後の文では成立しないことが理解されよう。なお、後の文についての破折は、次の25章で講義することとする。
ひるがえって、問いの「諸宗の異義区なり一一に其れ謂れありて得道なるべきか」は、正像の時代適時の小乗・大乗にはそれぞれの得道はあったが、今日の諸宗においては謗法を犯しているがゆえに得道のないことを知るべきである。また、つぎの「又諸宗・皆謗法となりて一宗計り正義となるべきか」は、諸宗の側の回答は明示されていないが、ここに日蓮大聖人の宗旨建立の正意を拝すべきである。諸宗の謗法を破し、大聖人は「一宗計り正義となる」べき三大秘法を建立され、諸難を顧みることなく、末法の衆生に弘教されたのである。
0455:05~0455:16 第25章 謗法の本義を説くtop
| 05 難じて云く華厳の五教.法相・三論の三時.禅宗の教外・浄土宗の難行.易行.南三北七の五時等門はことなりと・ 06 いへども入理・一にして皆仏意に叶い謗法とならずといはば 謗法という事あるべからざるか・謗法とは法に背くと 07 いう事なり法に背くと申すは 小乗は小乗経に背き大乗は大乗経に背く法に背かば あに謗法とならざらん謗法とな 08 らば・なんぞ苦果をまねかざらん、 此の道理にそむく・これひとつ、大般若経に云く「般若を謗ずる者は十方の大 09 阿鼻地獄に堕つべし」法華経に云く「若し人信ぜずして乃至 其の人命終して阿鼻獄に入らん」と涅槃経に云く「世 10 に難治の病三あり・一には四重・二には五逆・三には謗大乗なり」此等の経文あに・むなしかるべき、此等は証文な 11 り、 されば無垢論師・大慢婆羅門・熈連禅師・嵩霊法師等は正法を謗じて現身に大阿鼻地獄に堕ち舌口中に爛れた 12 りこれは現証なり、 天親菩薩は小乗の論を作つて諸大乗経をはしき、 後に無著菩薩に対して此の罪を懺悔せんが 13 ために舌を切らんとくい給いき、 謗法もし罪とならずんば・いかんが千部の論師懺悔をいたすべき、 闡提とは天 14 竺の語此には不信と翻す不信とは一切衆生・悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見へたり。 -----― (前章の答えにたいして、大聖人は)難じて言う。華厳宗の五教判、法相・三論宗の三時教判、禅宗の教外別伝、浄土宗の難行道・易行道、南三北七の五時教判は、教門は異なっているといっても、悟入する真理は一つであって、皆、仏意に叶い謗法にならないというのならば、謗法ということはありえないではないか。というのは、謗法とは法に背くということである。法に背くというのは、小乗の立場でいえば小乗経に背き、大乗の立場でいえば大乗経に背くことである。法に背けばどうして謗法にならないであろうか。謗法となれば、どうして苦果をまねかずにいようか。今の答えは道理に反している。これが論難の第一である。 大般若経に「般若を誹謗する者は十方の大阿鼻地獄に堕ちるであろう」と説かれ、法華経譬喩品第三には「もし人が信じないで誹謗するならば、乃至、 その人は命を終えて阿鼻地獄に堕ちるであろう」と説かれ、涅槃経には「世に治しがたい病が三つある。一には四重禁を犯すことであり、二には五逆罪を犯すことであり、三には大乗を謗ることである」と説かれている。これらの経文が、どうしてむなしいことがあろうか。これらは証文である。それ故、無垢論師・大慢婆羅門・熈連禅師・嵩霊法師等は正法を誹謗して現身のまま大阿鼻地獄に堕ち、舌が口中にただれたのである。これは現証である。天親菩薩は小乗の論を作って諸大乗経を破した。後に兄の無著菩薩に対して、この罪を懺悔するために舌を切ろうとしたほど悔いたのである。謗法がもし罪とならなければ、どうして千部の論師が懺悔をするであろうか。闡提とはインドの言葉であり、漢語では不信と釈する。不信とは「一切衆生にことごとく仏性がそなわっている」ということを信じないことであり、これを闡提の人というのである。 -----― 15 不信とは謗法の者なり恒河の七種の衆生の第一は一闡提・謗法常没の者なり、第二は五逆謗法・常没等の者なり 16 あに謗法ををそれざらん、 -----― 不信とは謗法の者である。恒河の七種の衆生の第一は一闡提・謗法・常没の者である。第二は五逆罪・謗法・常没等の者である。どうして謗法をおそれないでいられようか。 |
無垢論師
無垢は、サンスクリットのヴィマラミトラを漢訳した無垢友の略。5,6世紀ごろのインドの論師。部派の説一切有部に属した。世親(ヴァスバンドゥ)の『俱舎論』に論破された衆賢の教義を再興し、大乗の名を絶やして世親の名声を滅ぼそうと誓いを立てた。しかし道半ばで狂乱し、舌が五つに裂け、熱血を流して後悔しながら無間地獄に堕ちたという。
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大慢婆羅門
南インドの摩臘婆国のバラモン。玄奘の『大唐西域記』巻11によると、自分の智慧が優れていることを示すため、大自在天・婆籔天・那羅延天・釈尊の像を高座の足に彫刻して常にその上に座っていたが、賢愛論師に論破された際に大乗を誹謗したために、生きながら地獄に堕ちたという。
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熈連禅師
中国・随代の僧。天台大師の一心三観等の法門を誹謗し、俗諦をあがめていたので、師子身中の虫と非難している。
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嵩霊法師
嵩霊法師は、仏智は流動するといい、さらには無常であるというにおよんで、舌が口中で爛れたといわれている。
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天親菩薩
世親のこと。4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワール)出身の論師。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。新訳で「世親」、旧訳で「天親」という。初めは小乗を学び『俱舎論』などを著したが、兄の無著(アサンガ)によって大乗に帰依し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させたほか、『法華論』などを著し、大乗を宣揚した。多くの論書をつくり「千部の論師」とたたえられる。主著に『唯識三十論頌』など。
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無著菩薩
サンスクリットのアサンガの訳。4~5世紀ごろのインドの大乗仏教の論師。『摂大乗論』などを著し、唯識思想の体系化を推進した。世親(ヴァスバンドゥ)の兄。
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千部の論師
千部の論をつくって、仏の教義を解釈し弘めたひとのこと。竜樹と天親をいう場合が多い。天親菩薩については百論序論に「天親は本小乗を学び五百部の小論を造り、後に兄の無著によって大乗に入り大乗五百部の論を造る。時人呼んで千部の論師となす」とある。
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闡提
サンスクリットのイッチャンティカの音写。本来は欲求しつつある人の意で、真理を信じようとしない快楽主義者や現世主義者をさした。仏法では、覚りを求める心がなく、成仏する機縁をもたない衆生をいう。仏の正法を信ぜずかえって反発・誹謗し、その重罪を悔い改めない不信・謗法の者のことで、無間地獄に堕ちるとされる。
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一切衆生・悉有仏性
生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており、すべて悟りうるという仏教の思想。諸説もあって、なかには仏性をもたないものもありうるとする説 (法相宗) 、草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとする説 (天台宗) 、精神性をもたないものは仏性をもたないとする説 (華厳宗) などがある。
―――
恒河の七種の衆生
ガンジス川に入った衆生を七種に分けたもの。ガンジス川を生死の川にたとえる。涅槃経より要約すると以下のようになる。一には常没・水に入って即ち没す。二には暫出還没・出で已って復た没す。信あるが故に出て、修せざるが故に没す。三には出已即住・出で已って没せず。即ち内凡の人なり。四には出已遍観四方・入り已って没し、没し已って出で、出で已って住し、遍く四方を観る。身重きが故に没し、力あるが故に出づ。浮を習えるが故に住す。出処を知らざるが故に遍く四方を観る。四果において四諦を観るに譬う。五には遍観已行・入り已って没し、没し已って出で、出で已って住し、住し已って方を観、方を観已って行く。怖るるが故に即ち去る。支仏に譬えるなり。六には行已復住・入り已って即ち去る。浅き処にして即ち住す。何を以ての故に。賊の近遠を観る故に。菩薩に譬えるなり。生死に住せざる故に去る。心を安ずる故に浅処に住す。七には水陸倶行・即ち彼岸に至れり。
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登山口は異なっても、頂上を極めるという目的においては同じであるという論は、一見説得力があるように聞こえる。まさしく前章の「入門は差別せりというとも実理に入る事は但一なるべき」という諸学の師の言い分が、それである。
このように諸宗もことごとく成仏得道するということになれば、謗法の義は成立せず、釈尊が仏典の各所で謗法を誡めた経文も無意味になってしまい、さらには謗法行為のために地獄に堕したという事実はすべて虚事になってしまう。
本章では、謗法の成立という観点から道理、文証、現証によって論難されている。
「謗法とは法に背くという事なり法に背くと申すは小乗は小乗経に背き大乗は大乗経に背く法に背かばあに謗法とならざらん謗法とならば・なんぞ苦果をまねかざらん、此の道理にそむく・これひとつ」の部分が、道理のうえから述べられたところである。
「謗法」の定義については、第12章で述べたので、詳述は避ける。ただこれまでの展開が「小を以て大を破すことが謗法」という原理に基づいてなされてきたのであるが、ここでは「小乗の徒が小乗経に背き大乗の徒が大乗経に背くことも謗法となる」という原則のうえから論じられている。
小乗経は権大乗教が説かれるための方便の教えであり、権大乗経はまた実大乗の法華経のための権の教えである。このことを正しく知って法華経に随順する人が小乗経、権大乗経の真意を把握した護法の人なのである。
ところが小乗の徒が小乗経に執着し、大乗の徒が権大乗経に執着し、それよりも勝れた教法に入れないこと自体、法に背いた謗法ではないかとの道理を示されているのである。
つぎに、大般若経、法華経、涅槃経の謗法の成立を認め、これを誡めた文証を挙げられている。
とくに法華経譬喩品第三の「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して、疑惑を懐かん。汝当に、此の人の罪法を説くを聴くべし、若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん、経を読誦し所持すること、有らん者を見て、軽賎増嫉し、結恨を懐かん、此の人の罪報を、汝今復聴け、其の人命終して、阿鼻獄に入らん」の文は日蓮大聖人が謗法罪の依文としてしばしば引用されている。
「此の経を毀謗せば」とは、法に対する謗法であり、「経を読誦し書持すること、有らん者」とは、人に対する謗法である。いずれも無間地獄という最大の苦悩の世界へ入るという罪報をその身に受けなければならないのである。その具体的な内容については前に述べられたとおりである。
これらの明解な文証があるにもかかわらず諸宗の師が「門はことなりと・いへども入理・一」などといっていることは、いかに仏法をないがしろにしているかが理解されよう。彼等は仏説に依っているように見せながら、じつは己義を構えて謗法に堕していることを知るべきである。
したがって諸宗の師は頂上を極めるどころか、途中で道を外れ遭難するという悲惨な事態を招くことになってしまうのである。
その事実の現証の例として、インドの無垢論師、大慢婆羅門、中国の熈連禅師・嵩霊法師等等の例を挙げられている。これらの師が立てた教説は、あたかも遭難地へ導く登山道を記した地図のようなものである。その地図を頼りに頂上をきわめようと山に登る者こそあわれである。先師達と同じく堕地獄の苦果を招くのは必定である。
天親菩薩はそうした謗法の罪報の重さを知ったが故に、その罪を懺悔しようとして自らの舌を切ろうとしたのである。「舌を切らんとくい給いき」とは、小乗の義によって大乗を誹謗したことにたいする天親の懺悔の決意を表した姿である。後に千部の論師とまで高く評価された天親がこれほどの決意をもって悔いたのは、小乗経に固執する謗法の罪法の恐ろしさを裏づけている。
なお、天親が舌を切ろうとした際、兄の無著菩薩は大乗を誹謗した舌をもって、大乗を讃することが懺悔であると説得し、舌を切ることを踏み止まらせている。ここに仏法の懺悔のあり方が示されている。
過去の謗法の罪をただ悔いるだけでは、その罪を滅することはできないのである。もう一歩、積極的に現当に世にわたる善業を誓い、実践することが真の懺悔であり、宿業の転換も可能となるのである。
「法華証明抄」に、「天台の御釈に云く『人の地に倒れて還つて地より起つが如し』等云云、地にたうれたる人は・かへりて地よりをく、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると・ことわられて候」(1586-12)と御教示になっているのも、このことを教えられたものである。
恒河の七種の衆生の第一は一闡提・謗法常没の者なり、第二は五逆謗法・常没等の者なりあに謗法ををそれざらん
涅槃経に説かれた「恒河七種の衆生」の譬喩を挙げて、謗法の成立を示し、謗法を誡めておられるのである。この譬喩は涅槃経の迦葉菩薩品と師子吼菩薩品の二個所に出てくるが、その表現に若干の相違がある。第一と第二の衆生について示すと、迦葉尊者品では「一には常没、二には暫く出で還って没す」とあり、師子吼菩薩品には「第一の人は水に入って則ち沈む。何を以ての故に、やつれて勢力なく、浮かぶこと習わざるが故に。第二の人は没すといえども還って出で、出で已って復没す。何を以っての故に身力大なるが故に則ち能く還って出ず、浮かぶこと習わざるが故に出で已って還って没す」とある。本抄は前者の文によられているようである。
即ち第一の常没の衆生は、一闡堤・謗法の者で、第二の暫出還没の衆生は、五逆・謗法の者と明示されているのである。
ここで一闡堤・謗法と五逆・謗法の相違について触れておきたい。
一闡堤というのは、元来、仏教徒以外の快楽主義者や現世主義者をさしたといわれている。そこから世欲的快楽のみを求めて、仏教の正しい法を信じようとせず、救われる見込みのない者を一闡堤というようになったのである。
仏教の正しい法にはいろいろあるが、ここでは「一切衆生悉有仏性」という大乗仏教の根本の法理を挙げられている。釈尊がこの真理を明示し、一切衆生を成仏させる一仏乗の法を説いたのが法華経にほかならない。これを「開示悟入の四仏知見」といって、釈尊自ら出世の本懐を述べている。
仏教の説こうとしたものは、まさにこの「一切衆生悉有仏性」の法理であって、この真理が信ずることができないという者は、もはや仏教を信ずる者とはいえないのである。
また涅槃経巻十七梵行品には一闡堤をつぎのように定義している。「因果を信ぜず慚愧あることなく、業報を信ぜず現在及び未来世も見ず、善友に親しまず、諸仏所説の教戒に随わず。是の如き人を一闡堤と名く」と。
また同じく巻二十四徳王品には「一闡をば信と名け、提をば不具と名く、信不具の故に一闡堤と摩く」とある。
因果の理法にしても、業報の教えにしても、仏教の基本となる教法である。したがって、一闡堤・謗法とは、仏教そのものを信ずることができない者をいうのである。仏教を信ずることができないのであるから、善根を断じてしまっていて、成仏など思いもよらないわけである。
さらに日蓮大聖人の仏法においては、正法誹謗の者をさして一闡堤・謗法とされている。立正安国論に引用されている涅槃経に「一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有って麤悪の言を発し正法を誹謗し是の重業を造って永く改悔せず心に懺悔無らん、是くの如き等の人を名けて一闡堤の道に趣向すと為す」の文にも、「正法誹謗」を明示されているが、この文について日寛上人は立正安国論愚記に次のように釈されている。「夫れ一闡堤とは外来の者に非ず、皆これ附仏法の四衆なり、この文は正しく正法を誹謗して改悔なき者を以て闡堤と名づくるなり」と。
それに対して五逆・謗法とは、仏教徒でりながら、五逆罪という無間地獄へ堕ちる重罪を犯した者をさしている。
「浄蓮房御書」にはやはり恒河の七種の衆生について述べられているが、第一、第二について具体的に記されている。「日蓮・涅槃経の三十二と三十六を開き見るに第一は誹謗正法の一闡提常没の大魚と名けたり、第二は又常没其の第二の人を出ださば提婆達多・瞿伽梨・善星等なり、此れは誹謗五逆の人人なり、詮する所第一第二は謗法と五逆なり」(1433-04)と。
提婆達多・瞿伽梨・善星等はいずれも五逆罪を犯し、しかも正法を誹謗して、無間地獄に堕ちた人々である。
日蓮大聖人は、第一一闡堤・謗法、第二五逆・謗法とともに、末法の凡夫の機根であると決定され、南無妙法蓮華経はこれらの衆生を救う下種仏法であると教えられているのである。
0455:16~0456:09 第26章 諸宗の謗法の立義を示すtop
| 16 答えて云く謗法とは只由なく仏法を謗ずるを謗法というか 我が宗をたてんがために余 17 法を謗ずるは謗法にあらざるか、 摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣とは仮令 人ありて一生の間一善をも修せず但 18 悪を作る者あり而るに小縁にあいて何れの善にてもあれ 一善を修せんと申すこれは随喜讃歎すべし、 又善人あり 0456 01 一生の間ただ一善を修す而るを他の善え・うつさんがために・そのぜんをそしる、 一事の中に於て或は呵し或は讃 02 すというこれなり、 大論の四悉檀の中の対治悉檀又これをなじ、 浄名経の弾呵と申すは阿含経の時ほめし法をそ 03 しるなり、 此等を以てをもふに或は衆生多く 小乗の機あれば大乗を謗りて 小乗経に信心をまし或は衆生多く大 04 乗の機なれば小乗をそしりて 大乗経に信心をあつくす、 或は衆生・弥陀仏に縁あれば諸仏をそしりて弥陀に信心 05 をまさしめ、 或は衆生多く地蔵に縁あれば諸菩薩をそしりて地蔵をほむ、 或は衆生多く華厳経に縁あれば諸経を 06 そしりて華厳経をほむ、 或は衆生・大般若経に縁あれば諸経をそしりて大般若経をほむ、或は衆生法華経・或は衆 07 生・大日経等同く心うべし、 機を見て或は讃め或は毀る共に謗法とならず 而るを機をしらざる者みだりに或は讃 08 め或は呰るは謗法となるべきか、例せば華厳宗・三論.法相・天台・真言・禅.浄土等の諸師の諸経をはして我が宗を 09 立つるは謗法とならざるか。 -----― 答えて言う。謗法とは理由もなく仏法を謗ることといえよう。自分の宗を立てるために他の法を謗ることは謗法とならないのではないか。摂大乗論で説かれている四意趣の中の衆生意楽意趣とは、もし、ある人が一生の間に一善をも修めず、ただ悪事のみを行う者がいて、小縁にあって、いかなる善であろうとも一善を修めようというならば、これは随喜讃歎すべきである。また、ある善人が一生の間に、ただ一善を修めたが、他の善行へ導くために、その善を謗る。一つのことについて、あるいは訶り、あるいは讃めるというのはこれである。大智度論に説かれる四悉檀の中の対治悉檀もまた、これと同じである。浄名経の弾呵というのは、阿含経を説く時に讃めた法を浄名経で謗ることである。 これらのことから思うに、あるいは、衆生の多くが小乗の機根であれば、大乗を謗って小乗経の信心を増すようにさせ、あるいは衆生の多くが大乗の機根であれば、小乗を謗って大乗経の信心を厚くさせる。あるいは衆生が阿弥陀仏に縁があれば他の諸仏を謗って阿弥陀仏の信心を増すようにさせ、あるいは衆生の多くが地蔵菩薩に縁があれば、他の諸菩薩を謗って地蔵を讃め、あるいは衆生の多くが華厳経に縁があれば、他の諸経を謗って華厳経を讃める。あるいは衆生が大般若経に縁があれば、他の諸経を謗って大般若経を讃める。あるいは衆生が法華経に、あるいは衆生が大日経に縁がある場合も同じように心得るべきである。衆生の機根をみて、法をあるいは讃め、あるいはそしるのはともに謗法とはならない。しかし、機根を知らない者がみだりに法をあるいは讃め、あるいはそしるのは謗法となるのである。たとえば、華厳宗・三論宗・法相宗・天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗等の諸師が諸経を破して我が宗を立てるのは謗法とはならないのである。 |
一事の中に於て或は呵し或は讃す
仏の対機説法のこと。衆生の念願に従って、ある時は訶り、ある時は讃めること。
―――
浄名経
維摩経の別名。維摩詰と音写されたサンスクリットのヴィマラキールティの漢訳が浄名であることによる。
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弥陀仏
阿弥陀仏のこと。浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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地蔵
インド神話における地神がその起源とされ、仏教においては衆生の苦を除いて成仏へ導く菩薩とされた。釈尊から忉利天の衆生の前で、釈尊滅後に弥勒菩薩が出現するまでの無仏の世界の導師として付嘱を受けたとされる。地蔵菩薩への信仰は、日本の平安時代に末法思想と結びついて広まった。
―――――――――
本章では、諸宗の師の謗法に対する考え方を示されている。本章で「答えて云く」といっているのは、諸宗の師の見解であって、大聖人の回答ではない。その第一は、一宗を建立するために、余宗の法を誹謗するのは謗法ではないということである。第二は、衆生の機根に合った法を説き、機根に合わない法を謗っても謗法ではないという考え方である。
この文証として摂大乗論の衆生意楽意趣、大智度論の対治悉檀等の文を挙げているが、ここに諸宗の師の欺瞞性が暴露されている。彼らは自らの主張、行動を正当化するために、文意を無視し、部分だけを取り出して証明の裏づけとしているのである。
大聖人はこうした欺瞞性に対して、後の章で破折されている。
摂大乗論を著した無著菩薩も、大智度論を著したと伝えられる竜樹菩薩とともに、釈尊滅後、正法時代の大乗の論師である。この論師達は法華経を根底に置いて一切経を観察し、四意趣・四悉檀の義を立てて爾前の諸経の意を判釈されたものである。そのように明らかに見ていくならば、四意趣の衆生意楽意趣も、四悉檀の対治悉檀も、爾前権経における仏の随他意の説法であることがわかるのである。
ともあれ、阿弥陀仏に縁のある人には、阿弥陀仏以外の諸仏を謗って、阿弥陀仏を厚くさせ、ある人が華厳経を拠り所にしたいと望むならば、他経を謗って専らこの華厳経を讃めればいいという誤った仏教観が、仏教を混乱させ邪宗邪義の跋扈を許してしまったのである。
この諸宗の師の考え方は、そのまま多くの現代人の考え方にあてはまるといえる。たとえば、「信心が大切なのであって、何も南無妙法蓮華経でなくとも、自分に合った教えであれば、それを強く信心すればよいのではないか。そうした人の願望を無視して責めること自体、釈尊の教えに背いている姿ではないか」という言い分である。また第一の一宗の建立の故には謗法とならないという説も、第二の考え方に基づいて生まれてきたのであって、謗法の断を逃れようとする身勝手な主張であることを知るべきである。
0456:10~0456:16 第27章 諸宗の立義を破すtop
| 10 難じて云く宗を立てんに諸経.諸宗を破し仏・菩薩を讃むるに仏.菩薩を破し他の善根を修せしめんがために・こ 11 の善根をはする・くるしからずば阿含等の諸の小乗経に華厳経等の諸大乗経をはしたる文ありや、 華厳経に法華・ 12 大日経等の諸大乗経をはしたる文これありや、 答えて云く阿含・小乗経に諸大乗経をはしたる文はなけれども 華 13 厳経には二乗・大乗・一乗をあげて二乗・大乗をはし・涅槃経には諸大乗経をあげて涅槃経に対してこれをはす、密 14 厳経には一切経中王ととき・無量義経には 四十余年未顕真実ととかれ・阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根と 15 とかる、 これらの例一にあらず故に 又彼の経経による人師皆此の義を存せり、 此等をもつて思うに宗を立つる 16 方は我が宗に対して諸経を破るはくるしからざるか、 -----― (大聖人が)難じて言う。一宗を立てるために諸経・諸宗を破し、自宗の仏・菩薩を讃めるために他の仏・菩薩を破し、他の善根を修めさせるために、この善根を破する。これがさしつかえないならば、阿含経等の諸の小乗経に華厳経を破した文があるのか。華厳経に法華経・大日経等の諸大乗経を破した文があるのか。 答えて言う。阿含・小乗経に諸大乗経を破した文はないが、華厳経には二乗・大乗・一乗を挙げて二乗・大乗を破折し、涅槃経には諸大乗経を挙げて涅槃経に対してこれを破折している。密厳経には「一切経中王」と説き、無量義経には「四十余年未顕真実」と説かれ、阿弥陀経には念仏に対して他の諸経を小善根と説かれている。これらの例は一つではない。故に、またそれぞれの経々を依拠として宗旨を立てている人師は、すべてこの義を知っているのである。これをもって考えると、宗旨を立てる側が、自宗に対して、他の諸経を破折することはさしつかえないのではないいか。 |
密厳経
大乗密厳経の略。中国・唐の地婆訶羅訳と不空訳がある。3巻。法相宗が依拠する経の一つ。不生不滅・清浄無垢の如来蔵について述べている。さらに、万物の根源は阿頼耶識であり、如来蔵・阿頼耶識・密厳の三者は究極的には一体であることが示されている。
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無量義経
中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
―――
四十余年未顕真実
無量義経説法品第2の文。「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経29㌻)と読む。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ。
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阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
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諸宗の答えに表れた謗法の考え方に対して、大聖人は諸大乗経に華厳経等の大乗経を破した文証はあるのか、また華厳経に法華経・大日経等の大乗経を破した文証があるのかと論難されている。
これは一宗建立の立場から、諸教・諸宗を破しても謗法にはならないとする考え方に対して「小を以て大を破した文」、いよび「権を以て実を破した文」を挙げることを迫られているのである。大聖人は、諸宗の言い分が、小を以て大を破し、権を以て実を破す謗法行為を正当化しようとする詭弁であることを見抜かれておられるからである。
しかも仏説によって論拠を求められるいき方に対して、諸宗の師の答えは諸小乗経の中に大乗経を破した文はないと、一往、兜をぬいでいるが、華厳経・涅槃経・密厳経・無量義経の諸大乗経には他の大乗経典を破した文があると苦しまぎれに答えている。しかし大聖人が問うているのは、権大乗経典の中に実大乗教たる法華経を破している文があるかということであって、一経の中に他経を破した文証を求めているのではないのである。大聖人の問意を巧みにすりかえようとしている諸宗の師の狼狽ぶりがさらけだされている。
0456:16~0457:17 第28章 法華最第一を明かすtop
| 16 難じて云く華厳経には小乗・大乗・一乗とあげ・密厳経には 17 一切経中王ととかれ涅槃経には 是諸大乗とあげ阿弥陀経には念仏に対して 諸経を小善根とは・とかれたれども無 18 量義経のごとく四十余年と年限を指して 其の間の大部の諸経・阿含・方等・般若・華厳等の名をよびあげて勝劣を 0457 01 とける事これなし、 涅槃経の是諸大乗の文計りこそ雙林最後の経として 是諸大乗と・とかれたれば涅槃経には一 02 切経は嫌はるかとをぼうれども 是諸大乗経と挙げて次ぎ下に諸大乗経を列ねたるに十二部・修多羅・方等・般若等 03 とあげたり無量義経・法華経をば載せず、但し無量義経に挙ぐるところは四十余年の阿含・方等・般若・華厳経をあ 04 げたり、いまだ法華経・涅槃経の勝劣はみへず 密厳に一切経中王とはあげたれども一切経をあぐる中に華厳・勝鬘 05 等の諸経の名をあげて 一切経中王ととく故に法華経等とはみへず、 阿弥陀経の小善根は時節もなし善根の相貌も 06 みへず、 たれかしる小乗経を小善根というか 又人天の善根を小善根というか又観経・雙観経の所説の諸善を小善 07 根というかいまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。 -----― (この答えに)難じて言う。華厳経には小乗・大乗・一乗と挙げ、密厳経には「一切経中王」と説かれ、涅槃経には「是諸大乗」と挙げ、阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根と説かれてはいるけれども、無量義経のように、「四十余年」と年限をさして、その間の大部の諸経を阿含・方等・般若・華厳等とその名を呼び上げて勝劣を説いたことは他にない。涅槃経の「是諸大乗」の文だけは、雙林で説かれた釈尊の最後の経として、「是諸大乗」と説かれているので、涅槃経では一切経は嫌われているかと思われるけれども、「是諸大乗経」と挙げて、その次下にその諸大乗経を列記したところには、「十二部」「修多羅」「方等」「般若」等と挙げている。しかし、この中には無量義経と法華経とは載せていない。ただし無量義経に挙げているのは四十余年に説かれた阿含・方等・般若・華厳経を挙げている。いまだに法華経と涅槃経の勝劣は見えない。また密厳経に「一切経中王」とは挙げているけれども、一切経を挙げるなかで、華厳・勝鬘等の諸経の名を挙げて、密厳経は「一切経中王」と説かれている。故にその中に法華経の名は見えない。阿弥陀経に説かれる小善根は時節も挙げず、その善根の相貌も明らかでない。誰が知ろう。小乗経を小善根というのか。また人天の二界の善根を小善根というのか、また観経・雙観経に説かれる諸善を小善根というのか。いまだ一代聖教を念仏に対して小善根ということはどこにも説かれていないのである。 -----― 08 又大日経・六波羅蜜経等の諸の秘教の中にも 一代の一切経を嫌うてその経をほめたる文はなし、但し無量義経 09 計りこそ前四十余年の諸経を嫌い法華経一経に限りて 已説の四十余年・今説の無量義経・当説の未来にとくべき涅 10 槃経を嫌うて法華経計りをほめたり、釈迦如来・過去・現在・未来の三世の諸仏・世にいで給いて各各一切経を説き 11 給うにいづれの仏も法華経第一なり、 例せば上郎・下郎・不定なり田舎にしては百姓・郎従等は侍を上郎といふ、 12 洛陽にして源平等已下を下郎といふ三家を上郎といふ、 又主を王といはば百姓も宅中の王なり 地頭・領家等も又 13 村・郷・郡・国の王なりしかれども大王にはあらず、 小乗経には無為涅槃の理が王なり小乗の戒定等に対して智慧 14 は王なり、諸大乗経には中道の理が王なり 又華厳経は円融相即の王・般若経は空理の王・大集経は守護正法の王・ 15 薬師経は薬師如来の別願を説く 経の中の王・雙観経は阿弥陀仏の四十八願を説 く経の中の王・大日経は印真言を 16 説く経の中の王・一代一切経の王にはあらず、法華経は真諦・俗諦.空仮中・印真言.無為の理.十二大願・四十八願. 17 一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり、これ教をしれる者なり -----― また大日経・六波羅蜜経等のもろもろの秘教の中にも、釈尊一代の一切経を嫌って、その経を讃めている文はない。ただし無量義経だけは、それ以前の四十余年の諸経を嫌い、法華経一経に限って、已説の四十余年の諸経、今説の無量義経、当説の未来に説くべき涅槃経を嫌って、法華経だけを讃めている。釈迦如来や過去・現在・未来の三世の諸仏が世に出現されて、おのおの一切経を説かれるに際して、いずれの仏も法華経を第一とされたのである。たとえば、なにを上郎としなにを下郎とするかは一定でない。田舎では百姓や郎従等は侍を上郎という。都では源氏・平家等以下を下郎といい、公家の三家を上郎という。また主人を王というならば百姓も家のなかでは王である。地頭・領家等もまた村・郷・郡・国の王であるけれども大王ではない。小乗経では無為涅槃の理が王であり、小乗の戒定等に対しては智慧が王である。諸大乗経では中道の理が王である。また華厳経は円融相即が王であり、般若経は空理が王であり、大集経では守護正法の王であり、薬師経には薬師如来の別願を説く経の中の王、雙観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王、大日経は印・真言を説く経の中の王であるがいずれも釈尊一代の一切経の中の王ではない。法華経は真諦・俗諦・空仮中の三諦、印・真言、無為の理、十二大願、四十八願等の一切の諸経が説くところの所詮の法門の大王である。こうしたことを知るのが教を知る者なのである。 |
雙林
釈尊が入滅した場所である、拘尸那城(クシナガラ)にあった沙羅双樹の林のこと。
―――
十二部
経典を形式・内容によって12種に分類したもの。十二分教ともいう。①修多羅(スートラ)。契経と訳す。法義を説いた散文。②祇夜(ゲーヤ)。応頌・重頌と訳す。修多羅に応じて重ねてその義を述べた韻文。③伽陀(ガーター)。諷頌・孤起頌と訳す。散文によらずに韻文だけで説いたもの。④尼陀那(ニダーナ)。因縁と訳す。説法教化のいわれを説く。⑤伊帝目多伽(イティユクタカ、イティヴリッタカ)。本事・如是語と訳す。過去世の因縁を説く。⑥闍多伽(ジャータカ)。本生と訳す。仏が昔、菩薩であった時の行いなどを説く。⑦阿浮陀達磨(アドブタダルマ)。未曽有法と訳す。仏の神通力を説く。⑧阿波陀那(アヴァダーナ)。譬喩と訳す。譬喩を借りて説いたもの。⑨優婆提舎(ウパデーシャ)。論議と訳す。法理の解説・注解。⑩優陀那(ウダーナ)。自説・無問自説と訳す。問いを待たずに仏が自ら説いた。⑪毘仏略(ヴァイプルヤ)。方広・方等と訳す。広大な理義を説いたもの。⑫和伽羅那(ヴィヤーカラナ)。授記と訳す。弟子に対して未来世の成仏の保証を与えること。
―――
修多羅
「経典に基づかない論は誤った論である。経典に基づく論は正しい論である」との意。『十住毘婆沙論』巻7の文の趣意。「修多羅」とはサンスクリットのスートラの音写で、経と訳される。
―――
方等
大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。
―――
般若
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
―――
華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
―――
勝鬘
中国・南北朝時代の宋の求那跋陀羅訳。1巻。勝鬘夫人が一乗真実・如来蔵法身の義を説き、仏がそれを承認している。異訳に北涼の曇無讖訳、唐の菩提流志訳がある。摂受・折伏の立て分けを説いている。
―――
観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
―――
雙観経
中国・魏晋南北朝時代の魏の康僧鎧訳とされるが諸説ある。無量寿仏(阿弥陀仏)の修行時の姿である法蔵菩薩の四十八願を説き、極楽世界の様子を解説している。2巻なので「双巻経」と称し、「双観経」とも記された。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
―――
六波羅蜜経
大乗理趣六波羅蜜多経の略。中国・唐の般若訳。10巻。般若経典の一つ。般若経典を仏の智慧を説いた真実の経典と位置づけるとともに、経典・論書などを学ぶ力がない者のために呪文(陀羅尼)が説かれたとする。菩薩が実践すべき6種の修行(六波羅蜜)が説かれている。空海(弘法)は自著『弁顕密二教論』で、この経典の「大乗般若は猶熟蘇の如く、総持門(=密教の呪文)は譬えば醍醐の如し……総持門は契経等の中に最も第一たり」などの文を引き、「中国の学者らは争って密教に説かれる醍醐味を盗み、それぞれが自宗を醍醐味と名づけた」(通解、244㌻などで引用)と述べている。日蓮大聖人はこの点を法華誹謗として諸御抄で厳しく糾弾されている(222㌻、277㌻以下など)。
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秘教
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已説・今説・当説
已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第10に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」(法華経362㌻)とある。これについて、天台大師は『法華文句』で、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと解釈している。
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三家
公家の三家のこと。中院・関院・花山院のこと。
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地頭
鎌倉時代に幕府によって全国に設置され、荘園(私有地)や公領(公有地)の現地を支配した職。将軍と主従関係を結んだ御家人が任命された。年貢の徴収・納入や土地の管理、治安維持を任務とする。荘園の領主としばしば支配権をめぐり衝突した。
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領家
中世の荘園制度ににおける荘園の領主のこと。
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無為涅槃の理
小乗の涅槃で、煩悩を断じ尽くし肉体も滅無に帰した灰身滅智の状態。
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小乗の戒定
戒は戒律、身口意の三業の悪を止め非を防ぐこと。定は禅定、心を一所に定めて雑念を払い安定した境地に立つこと。智慧とあわせていずれも仏道を修行する者がかならず修学せねばならないので三学という。戒律によって禅定をたすけ、禅定によって智慧を発することを初門とし、智慧によって惑を断じ真理を証得することになるから、智慧を王とする。
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中道の理
中道の真理のこと。中道とは断・常の二見や苦・楽の二受、有・無の二辺など両極端に執着しない不偏にして中正の道をいう。ただし小乗教はたとい中道の名はあっても両極端を離れることをいうのであって、別に中道の理を立てるのではない。大乗経は空諦・仮諦に対して究極の真理として中道を立てて修行の対象とする。法相宗の唯識中道、三論宗の八不中道などがそれである。
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円融相即
隔歴不融に対する語。円融は諸法が完全に融けあって隔てがなく、水と波のように互いに密接不離であること。華厳宗は、十玄六相・法界円融を説き、円融相即の世界観を展開している。
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空理
空という真理。すべてが空であるとする教理。般若経は一切皆空の理を説いている。
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大集経
大方等大集経の略。中国・北涼の曇無讖らの訳。60巻。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を500年ごとに五つに区分する「五五百歳」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後2000年以降を末法とする根拠とされた。
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薬師経
漢訳には4種が現存する。通常、①中国・唐の玄奘が訳した薬師瑠璃光如来本願功徳経1巻をさし、日蓮大聖人もこれを用いられている。ほかに②東晋の帛尸梨蜜多羅訳とされる灌頂抜除過罪生死得度経1巻③隋の達摩笈多訳の薬師如来本願経1巻④唐の義浄訳の薬師琉璃光七仏本願功徳経2巻がある。仏が文殊菩薩に対して薬師如来の功徳を説く。薬師如来に供養すれば七難を逃れ、国が安穏になることを説いている。その内容から、日本では護国経典として尊重された。
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薬師如来の別願
薬師如来が浄瑠璃世界で菩薩道を行じていた時に立てた12の誓願のこと。別願は仏・菩薩の特殊な誓願をいう。
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四十八願
無量寿経に説かれる、法蔵比丘が立てた48の誓願のこと。法蔵比丘はこの四十八願を立てて、それらすべてを成就して阿弥陀仏になったと説かれている。四十八願のなかで日本の浄土宗が特に重視するのが18番目の誓願であり、「もし私(法蔵比丘)が成仏した場合、十方の衆生が心から私の国土に生まれたいと願い、最低10回でもそのことを念じたとして、もし生まれることがないなら、私は覚りを得ることはない。ただし、五逆罪を犯した者や正しい教えを誹謗した者は除く」という内容である。法蔵比丘が現に阿弥陀仏となった以上、この誓願は実現しており、それ故、10回念じるだけで、阿弥陀仏の国土である極楽世界に生まれることができるということになる。法然(源空)は善導の解釈を踏まえて、10回は概数なので1回でもよく、「念じる」というのは南無阿弥陀仏ととなえることであると主張した。
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真諦
①世間では明らかにされていない仏法独自の真理。②「しんだい」とも読む。499年~569年。サンスクリットのパラマールタの漢訳名。中国・南北朝時代の梁・陳にかけて活躍した訳経僧。摂論宗の祖とされる。真諦三蔵とも呼ばれる。
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俗諦
世間一般で認められている真理。
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空仮中
三諦のこと。仏が覚った究極の真理を三つの側面から捉えたもの。諦とは、明らかな真実・真理のこと。天台大師智顗は『法華玄義』『摩訶止観』で、空諦・仮諦・中諦の三つを挙げている。①空諦は、あらゆる事物・事象(諸法)には不変的・固定的な実体はなく空であるという真理。②仮諦は、あらゆる事物・事象は空なるものであって、因縁によって仮に生起する(縁起)ものであるという真理。③中諦は、中道第一義諦ともいい、空と仮をふまえながら、それらにとらわれない根源的・超越的な面をいう。天台大師は法華経の教説に基づいて三諦の法門を確立した。蔵・通・別・円の四教に即していえば、蔵・通の二教は中道を明かさないので三諦が成立せず、別教と円教には三諦が説かれる。別教の三諦は、「但空・但仮・但中」として互いに隔たりがあり、融和することがない。また修行において、初めに空を観じて見思惑を破し、次に仮を観じて塵沙惑を破し、さらに中道を観じて無明惑を破すという段階的な方法を取り、順に歴ていくことが求められる。それ故、隔歴の三諦という。これに対し、円教の三諦は、三諦のそれぞれが他の二諦を踏まえたものであり、三諦は常に「即空・即仮・即中」の関係にある。究極的真実を中諦にのみ見るのではなく、空諦も仮諦も究極的真実を示すものである。したがって、一は三に即し、三は一に即して相即相入する。これを円融三諦という。この円融三諦の法門は、個別と全体、具体と抽象、差別と平等などの対立する諸原理が相互に対立による緊張をはらみながら同時に融即するという、一側面に固執することのない融通無礙の世界観を開くものである。この三諦を一心に観ずることを一心三観といい、天台大師は一心三観の中核として一念三千の観法を立てた。
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印真言
印相と真言のこと。印とは決定不改または印可決定の義で、手指を種々に組み合わせて諸仏諸尊の内証の徳を表示する形式。真言宗でいう三密の中の身密にあたる。合掌ももちろん印である。真言とは真実の言葉という意味で、これを唱えれば不思議の功徳があるという。一種の呪文で、諸仏の梵名などを原語で唱えることなどを指す。真言宗にはこの印・真言が説かれているから法華経に優れているとの邪義を立てる。
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十二大願
薬師如来がもと菩薩道を行じていたとき、衆生を救おうとして立てた12の誓願。
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諸宗の師が密厳経の「一切経中王」の文や無量義経の「四十余年未顕真実」の文を挙げてきたことをとらえてその考え方の誤りをただし、真に「教を知る」とはいかなることかを明らかにされている章である。
この「難じて云く」に対する諸宗側の答えはない。大聖人は、この段で諸宗側の言い分を完璧に打ち破り謗法の義を明らかにされたのである。
無量義経のごとく四十余年と年限を指して其の間の大部の諸経・阿含・方等・般若・華厳等の名をよびあげて勝劣をとける事これなし
前答に対する反難である。諸宗の師が文証として挙げた無量義経の文をそのまま用いられて切り返されている。
「四十余年未顕真実」の文が、何を意味しているかは、無量義経を正視眼で拝すれば明確にわかることである。ちなみにこの文の前後を引いてみたい。
「善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨 多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」。
菩提樹下で成道した釈尊が、40余年にわたって説いてきた法は、衆生の万差の機根に随って説いた方便の経法であると述べられている。そしてこの後に、方便の経法として、四諦、十二因縁を説いた阿含経・権大乗の方等・般若・華厳等の諸経を挙げられている。
このように無量義経では、年限を明らかにして大小諸経の名を挙げて勝劣を説かれているのである。
ところが、涅槃経や密厳教では確かに「王」と自称しているが、一代の経典と自経とを比較して勝劣を論じたものではないのである。いわば局部的な範囲の王であって、全体における王ではない。
40余年の経々が未顕真実であることを明らかにした無量義経も、法華経にくると、法華経最勝を顕すための開経であることが位置づけられる。これが「已今当の三説」といわれるものである。
法華経法師品第十に「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」と説かれたあと「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり。薬王、此の経は是れ、諸仏の秘要の蔵なり」とある。
天台大師は法華文句巻八上に、この文を釈して「已説とは爾前四十余年の諸経、今説とは無量義経、当説とは涅槃経をいう」としている。已とは過去、今とは現在、当とは未来の意で、過去・現在・未来の三世にわたる仏の説法の中で法華経が唯一無二の教法であることを説いており、これを已今当の三説といい、法華経を三説超過の教えというのである。
それ故に「無量義経計りこそ前四十余年の諸経を嫌い法華経一経に限りて 已説の四十余年・今説の無量義経・当説の未来にとくべき涅槃経を嫌うて法華経計りをほめたり」と述べられているのである。
したがって、法華経は一代聖教全体を包括したうえでの大王であるの対して、諸経は部分部分における小王であり、中王にとどまっているのである。
一代聖教における王の威力の及ぶ範囲を、世間の事例に譬えて御教示されているのが、「例せば上郎・下郎・不定なり田舎にしては百姓・郎従等は侍を上郎といふ、洛陽にして源平等已下を下郎といふ三家を上郎といふ、又主を王といはば百姓も宅中の王なり地頭・領家等も又村・郷・郡・国の王なりしかれども大王にはあらず」の御文である。
初めの「上郎」「下郎」の例は所対の不同によって用い方も変化する場合である。侍は百姓に比べれば、上郎になるが、三家の公家と比べれば下郎といわれたのである。
これと同じように華厳経や涅槃経は阿含の小乗経に比べれば、たしかに勝れているが、法華経に比べれば劣る経となるのである。このように一代聖教といっても、大小相対、権実相対があることを知らねばならないのである。
つぎの「王」の例は、中心者という意味で一家の主、地頭、領家のそれぞれにあてはめられ、爾前の諸経で「王」と自称しているのはちょうどこのような王なのである。法華経は、一国全体を統治する大王のような経典なのである。
小乗経には無為涅槃の理が王なり小乗の戒定等に対して智慧は王なり、諸大乗経には中道の理が王なり又華厳経は円融相即の王・般若経は空理の王・大集経は守護正法の王・薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王・雙観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王・大日経は印真言を説く経の中の王・一代一切経の王にはあらず、法華経は真諦・俗諦・空仮中・印真言・無為の理・十二大願・四十八願・一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり、これ教をしれる者なり
爾前の諸経で自称する「王」の意味を検討しながら、法華経が一切経の中の「大王」の経である理由を明らかにされている。ここにはそれぞれの経の中心的な法理が端的に示されており、厖大な一代聖教の急所を簡潔に把握することができる。
即ち小乗経の中心の法理は「無為涅槃」であるから、理の上ではこれが王である。また戒定慧の三学の中では、真理を証得する智慧が王となるのである。故に小乗経典の中で「王」というのは、この無為涅槃の理や智慧をいっているのである。
諸大乗経では中道の理をもって、おのおのの教理の核心即ち王としている。そのなかで華厳経では円融相即の中道の理を明かしているので、その意味で王というのである。
また般若経の根本法理は“空”であり、空理を説く経々のなかで般若経は王といえるのである。
さらに大集経は正法を守護する経々のなかの王であり、薬師経は薬師如来の別願を説く経中の王、大無量寿経は弥陀四十八願を説く経典中の王、大日経は印・真言を説く諸経中の王、というように諸経の王の特質は一様ではなく、皆、部分的な真理における王であることが明らかである。
しかるに法華経は真諦・俗諦、空仮中の三諦、印・真言、無為の理、薬師如来の十二大願、阿弥陀仏の四十八願、その他の一切諸経で説く法門を包摂くいている所詮の法門なのである。
たとえば、真諦・俗諦の法門について、天台大師は法華玄義巻一上につぎのように述べている。
「諸経は或いは俗諦において自在、或いは真諦において自在、或いは中道において自在なるも、ただこれ歴別の自在にして大自在にあらず。今経は三諦円融最も自在を得たり。大梵王に譬う」と。
「今経」とはいうまでもなく法華経であり、法華経こそ円融円満の法門を説き明かした経典であることが明らかである。
このように、諸経の王と法華経の王たる意味と相違は明確であり、このことをわきまえて法華経こそ一切経の最第一の経であることを知ることが、「教を知る」人なのである。
0457:17~0458:07 第29章 教を知る人を示すtop
| 17 而るを善無畏・金剛智・不空・法蔵・澄観・慈恩・ 18 嘉祥・南三.北七・曇鸞・道綽・善導.達磨等の我が所立の依経を一代第一といえるは教をしらざる者なり、但し一切 0458 01 の人師の中には天台智者大師・一人教をしれる人なり、曇鸞.道綽等の聖道・浄土.難行・易行・正行・雑行は源と十 02 住毘婆沙論に依る 彼本論に難行の内に法華・真言等を入ると 謂は僻案なり、 論主の心と論の始中終をしらざる 03 失あり慈恩が深密経の三時に一代ををさめたる事、 又本経の三時に一切経の摂らざる事をしらざる失あり、 法蔵 04 澄観等が五教に一代ををさむる中に 法華経・華厳経を円教と立て又華厳経は法華経に勝れたりと・をもえるは所依 05 の華厳経に二乗作仏・久遠実成をあかさざるに 記小久成ありと・をもひ華厳よりも超過の法華経を我経に劣ると謂 06 うは僻見なり、三論の嘉祥の二蔵等・又法華経に・般若経すぐれたりとをもう事は僻案なり、 善無畏等が大日経は 07 法華経に勝れたりという法華経の心をしらざるのみならず大日経をもしらざる者なり。 -----― ところで善無畏・金剛智・不空・法蔵・澄観・慈恩・嘉祥・南三・北七・曇鸞・道綽・善導・達磨などが、自分の立てた依経を釈尊一代の諸経の中で第一と主張しているのは教を知らない者である。ただし一切の人師のなかでは、天台智者大師一人だけが教を知る人である。曇鸞・道綽等の説く聖道門・浄土門、難行道・易行道、正行・雑行の説はもともと十住毘婆沙論に拠っている。しかし彼らの論に説かれる難行道のなかに法華・真言等を含めると考えるのは誤った見解である。論主の意図と論の始中終の文相を知らない失がある。慈恩は解深密経に基づいて立てた三時教に一代聖教をおさめているが、この経に説く三時に一切の経が含まれないことを知らない失がある。法蔵・澄観等が五教に一代聖教を分類しおさめたなかで、法華経と華厳経を円教と立て、また華厳経は法華経より勝れていると思ったのは、彼らの所依の経である華厳経に二乗作仏・久遠実成を明かしていないのに、これらの法門が説かれていると信じ、華厳経よりもはるかに勝れている法華経をわが経よりも劣ると思ったのは誤った見解である。三論宗の嘉祥が二蔵等の義を立て、また法華経よりも般若経がすぐれていると思うのも誤った見解である。善無畏等が大日経は法華経よりも勝れているというのは、法華経の心をしらないばかりか大日経をも知らない者である。 |
善無畏
637年~735年。東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。
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金剛智
671年~741年。サンスクリットのヴァジラボーディの訳。中インドあるいは南インド(デカン高原以南)出身の密教僧。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂瑜伽中略出念誦経)などを訳し、中国に初めて金剛頂経系統の密教をもたらした。弟子に不空、一行がいる。
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不空
705年~774年。北インド(一説にスリランカ)出身の密教僧。金剛智の弟子。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)など100部143巻におよぶ多くの経典を訳した。玄宗・粛宗・代宗の3代の皇帝の帰依を受け、密教を中国に定着させた。彼の弟子には空海(弘法)に法を伝えた恵果がいる。
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法蔵
643年~712年。中国・唐の僧。華厳宗第3祖とされる華厳教学の大成者。智儼の弟子。実叉難陀による新訳の華厳経80巻の訳出を助けた。賢首大師と通称される。主著に『華厳経探玄記』『華厳五教章』など。
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曇鸞
中国・南北朝時代の浄土教の祖師。著書に『往生論註』がある。
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道綽
562年~645年。中国・隋から唐にかけての浄土教の祖師。はじめ涅槃経に傾倒していたが、曇鸞の碑文を見て改心して浄土教に帰依した。釈尊の教えを浄土門とそれ以外の聖道門とに分け、聖道門を誹謗した。弟子に善導がいる。主著に『安楽集』がある。
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善導
613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
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達磨
菩提達磨のこと。5~6世紀、生没年不詳。菩提達磨はサンスクリットのボーディダルマの音写。達磨と略す。達摩とも書く。中国禅宗の祖とされる。その生涯は伝説に彩られていて不明な点が多い。釈尊、摩訶迦葉と代々の法統を受け継いだ28代目の祖師とされる。以下、伝承から主な事跡を挙げると、南インドの香至国王の第3王子として生まれ、後に師の命を受け中国に渡る。梁の武帝に迎えられて禅を説いたが、用いられなかった。その後、嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続けていたところ、慧可が弟子入りし、彼に奥義を伝えて没したという。
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天台智者大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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十住毘婆沙論
竜樹作とされる。十地経(華厳経の十地品に相当)の初地・第二地について注釈している。鳩摩羅什が仏陀耶舎の口誦に基づいて訳したと伝承される。曇鸞が『往生論註』で引用し、浄土教に大きな影響を与えた。
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円教
円満な教え、完全な教えのこと。法華経などで説かれる、すべての衆生が成仏できるという教えのこと。
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二乗作仏
法華経迹門において二乗(声聞・縁覚)の成仏が釈尊から保証されたこと。法華経以外の大乗経では、二乗は自身が覚りを得ることに専念することから利他行に欠けるとして、成仏の因である仏種が断じられて成仏することはないとされていた。このことを日蓮大聖人は「開目抄」(191㌻以下)で、華厳経・維摩経などの爾前経を引かれ、詳しく論じられている。それに対し法華経迹門では、二乗にも本来、仏知見(仏の智慧の境涯)がそなわっていて、本来、成仏を目指す菩薩であり、未来に菩薩道を成就して成仏することを具体的な時代や国土や如来としての名などを挙げて保証された。さらに法華経迹門では、この二乗作仏、また提婆達多品第12で説かれる女人成仏・悪人成仏によって、あらゆる衆生の成仏が保証され、十界互具・一念三千の法門が理の上で完成した。
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久遠実成
インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。
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記小久成
記小は法華経迹門で説く二乗作仏の授記のことで、久成は久遠実成を意味する。
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二蔵
三論宗が釈尊一代の教えを分類した教判。①声聞蔵(小乗教)と②菩薩蔵(大乗教)のこと。
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前文において諸経にいう王の意味を検討し、法華経こそ諸経の大王であることを明かされた。そこで、この章では、諸経によって立てた諸宗の人師の妄見を挙げて、論破されている。
最初、総じて善無畏等の諸宗の人師を挙げ、彼らがそれぞれのよりどころとする経典を釈尊一代の経典のなかで第一であると主張するのは、教を知らない者であると、破折されている。そして、天台智者大師のみが、すべての人師の中で、五字八教の判釈をもって、法華経こそ一代諸経の大王であり、釈尊出世の本懐であると述べられているから、ただ「一人教をしれる人なり」といわれているのである。
つぎに、「曇鸞・道綽等」のあとは、浄土・法相・華厳・三論・真言等の人師の妄見を順次挙げ、別して破折を加えられている。
中国の曇鸞・道綽や日本の法然等は聖浄二門・難易二行・正雑二行等の教判を立てているが、それらの教判は、源をたどれば竜樹の著した「十住毘婆沙論」に端を発している。しかし、この論では難行道の中に法華・真言は入っていないのである。それを入っていると思うのが根本的な間違いであり、竜樹の本意と、論全体の構造を知らないという過ちを犯しているのである。
法相宗の慈恩は解深密経によって、釈尊の一切経を判釈して、三時に分けているが、この経の三時には一切の経は摂まらないのである。
また法蔵・澄観は、五時教判を立て釈尊一代の教を摂め、華厳・法華をともに第五時の円教とし、しかも華厳勝・法華劣をいう。しかし、これは所依の華厳経には二乗作仏・久遠実成は説かないのに、あると誤認した僻見である。
三論宗の嘉祥も二蔵を立てて菩薩蔵に法華経を入れている。しかし、般若経を法華に勝れたりというのは、般若の空理と法華の円融三諦の勝劣を知らないものである。
真言宗の善無畏等は、大日経を法華経に勝れたりという。しかし、大日経等には二乗作仏・久遠実成はない。それにもかかわらず、大日経が勝れるというのは、法華経が釈尊の出世の本懐であることを知らないばかりか、大日経が何のために説かれたかという化導の意味もわかっていないことになる。結局、天台大師以外の人師は、ことごとく教を知らない者達であるということになるのである。
但し一切の人師の中には天台智者大師・一人教をしれる人なり
前文で述べたように教を知るとは、法華経が一切諸経の所詮の法門の大王であると知ることである。釈尊の教えは厖大な経典として結集されている。釈尊は、自ら覚知した法を説く前提として、種々の方便の経典を説いた。方便の経典と真実の経典、即ち他経と法華経との勝劣を知り、また、爾前経の中にも勝劣浅深があることを正しく知らなければならない。だが、このように釈尊の一切の経典を正しく評価できるためには、当然、その人の境地が、釈尊と同じ悟りにまで高まっていなければならない。釈尊という仏の境地に至ってこそはじめて、釈尊の真意を会得し、すべての経典の浅深を正しく評価できるといえよう。
ところで、釈尊が法華経を出世の本懐としたのは、そのなかに南無妙法蓮華経という根源の一法を含んでいたからである。
このように考えれば、釈尊と同じ悟りの境地に至った人は、当然、法華経が説き明かそうとする根源の一法を知ることができたはずである。つまり、究極的には、法華経の説こうとした根源の一法を知ることが真に教を知ったことになるのである。
大聖人がいわれているように、天台大師が、一切の人師のなかで、ただ一人、教を知っていたのは、天台大師自身の悟りが、法華経を通じて、根源の一法にまで達していたのであろう。そうであるからこそ、天台大師は法華経を一切の経典の大王とし、釈尊出世の本懐であると洞察し、その立場から、五時八教という教判をつくりあげることができたのである。
事実、法華経に的確に表現された根源の法を、より一層宣揚し、当時の民衆に理解させるために、法華経三大部等の注釈書を発表されたのである。そして、法華経に説かれた釈尊の悟りを一念三千の法門として表し、この悟りを凡夫が証得する修行法を摩訶止観に説き明かしたのである。故に摩訶止観は天台大師の説己心中所行法門といわれ、天台大師の出世の本懐とされるのである。
0458:08~0459:05 第30章 謗法の種類を明かすtop
| 08 問て云く此等皆謗法ならば悪道に堕ちたるか如何、 答て云く謗法に上中下雑の謗法あり慈恩・嘉祥・澄観等が 09 謗法は上中の謗法か 其上自身も謗法としれるかの間悔還す筆これあるか、 又他師をはするに二あり能破似破これ 10 なり教はまさりとしれども 是非をあらはさんがために法をはすこれは似破なり、 能破とは実にまされる経を劣と 11 をもうてこれをはすこれは悪能破なり、 又現に・をとれるをはす・これ善能破なり、但し脇尊者の金杖の譬は小乗 12 経は多しといえども 同じ苦空無常無我の理なり、 諸人同く此の義を存じて十八部・二十部相ひ諍論あれども但門 13 の諍にて理の諍にはあらず 故に共に謗法とならず、 外道が小乗経を破するは外道の理は常住なり小乗経の理は無 14 常なり空なり 故に外道が小乗経をはするは謗法となる、 大乗経の理は中道なり小乗経は空なり小乗経の者が大乗 15 経をはするは謗法となる大乗経の者が 小乗経をはするは破法とならず、 諸大乗経の中の理は未開会の理いまだ記 16 小久成これなし 法華経の理は開会の理・記小久成これあり、 諸大乗経の者が法華経をはするは謗法となるべし法 17 華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず、 大日経・真言宗は未開会・記小久成なくば法華経已前なり開 18 会・記小久成を許さば涅槃経とをなじ、但し善無畏三蔵.金剛智・不空.一行等の性悪の法門・一念三千の法門は天台 0459 01 智者の法門をぬすめるか、 若し爾らば善無畏等の謗法は似破か 又雑謗法か五百羅漢の真因は小乗十二因縁の事な 02 り無明行等を縁として空理に入ると見へたり、 門は諍えども謗法とならず 摂論の四意趣・大論の四悉檀等は無著 03 菩薩・竜樹菩薩・滅後の論師として法華経を以て 一切経の心をえて四悉・四意趣等を用いて爾前の経経の意を判ず 04 るなり未開会の四意趣四悉檀と開会の四意趣・四悉檀を同ぜば、 あに謗法にあらずや 此等をよくよくしるは教を 05 しれる者なり、 -----― 問うて言う。これらの人々がみな謗法ならば、悪道に堕ちたというのか。如何。 答えて言う。謗法には上・中・下・雑の四種の謗法がある。慈恩・嘉祥・澄観らの謗法は上あるいは中の謗法であろう。そのうえ自分自身でも謗法と知ったからであろうか。悔い改めた筆を残している。また他師を論破するのに二種あり、能破と似破である。教えは勝れていると知っているけれども、是非を明らかにするためにその教法を破るのは似破である。能破とは、実際に勝れている経を劣っていると思ってこれを破する悪能破と、また現実に劣っているものを破する善能破とがある。ただし脇尊者の金杖の譬えは、小乗経は多いといってもすべて同じ苦・空・無常・無我の理を説いているとの意である。小乗経の人々は一同にこの義を存知しているので、十八部・二十部のあいだで互いに論争はあってもそれはただ入門の諍いであって、所詮の理の諍いではない。故にともに謗法とはならない。外道が小乗経を破するのは、外道の理は常住であり、小乗経の理は無常であり、空である。故に外道が小乗経を破するのは謗法となる。大乗経の理は中道であり、小乗経の理は空である。故に小乗経の者が大乗経を破するのは謗法となる。逆に大乗経の者が小乗経を破するのは破法とはならない。諸大乗経のなかの理は未開会であり、いまだ記小久成が明かされていない。法華経の理は開会の理であり、記小久成が明かされている。故に諸大乗経の者が法華経を破するのは謗法となる。しかし法華経の者が諸大乗経を謗ずるのは謗法とならない。たとえば、真言宗の依経とする大日経は未開会であり、記小久成を説かないので法華経已前の方便権教である。たとい開会・記小久成を許したとしても涅槃経と同じである。ただし善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・一行阿闍梨らの立てた性悪の法門および一念三千の法門は、天台智者大師の立てた法門を盗み入れたものであろうか。もしそうならば善無畏等の謗法は似破か、また雑謗法のいずれかであろう。五百人の阿羅漢の真因は、小乗の十二因縁の悟りであり、無明・行などを縁として空理に入ったと見える。理に入る門を諍っても謗法とはならない。摂大乗論の四意趣や、大智度論の四悉檀などは無著菩薩・竜樹菩薩が釈尊の滅後の論師として、法華経を以って一切経の心を知り得て、四悉檀・四意趣などを用いて爾前の経々の意を判じたのである。未開会の四悉檀・四意趣などを用いて爾前の経々の意を判じたのである。未開会の四意趣と四悉檀と開会の四意趣・四悉檀を混同するならば、まさに謗法ではないか。これらのことをよく知るのが教を知る者なのである。 |
上中下雑の謗法
天台大師は菩薩戒義疏巻下で邪見を上邪見・中邪見・下邪見・雑邪見に分けている。これらの邪見によって正法を謗ずることを上中下雑の謗法という。上邪見はすべてに因果なしとする一闡堤の見解。中邪見はすべてに因果なしとはいわないが、三74宝あ外道に及ばないとする見解。下邪見は大乗を捨てて小乗をとる見解。雑邪見はさらに四種に分けられる。偏執・雑信・繋念小乗・思義僻謬である。
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悪能破
相手の説が正しく勝れているのに誤り劣る者として非難すること。
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善能破
相手の立てた説が誤り劣っている場合に正しく論破すること。
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金杖の譬
金で作られた杖のこと。仏滅後、迦弐志迦王は仏教に異議の多いことに不審を抱き、脇尊者に質問した。脇尊者は金杖の譬えを引いて、金杖を折ってさまざまな形を作っても本体は金であることに変わりがないように、いずれの教義を修行してもみな証果を得られると説明した。一仏乗を金杖、三つに折ったものを三乗というように用いられている。
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苦空無常無我
小乗教の四念処の法門をいう。大乗仏教の「常・楽・我・浄」に対する。
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十八部・二十部
釈尊滅後に形成されたとされる小乗教の18分派および20分派。
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門の諍にて理の諍にはあらず
理とは各経典の文義の指し示す究極の真理のこと。門はその道理に入るための法門のこと。小乗教では18部派、20部派と種々の部門に分かれて諍あったが、それらは小乗教の理である苦空無常無我の理にはいるための法門の争そいであって、真理それ自体の争いではなかったとの意。
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常住
過去・現在・未来にわたって常に存在し、生滅や変化がないことをいう。
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無常
常に生滅変化して移り変わり、瞬時も同じ状態にとどまらないこと。
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未開会
「末だ開会せず」と読む。まだ開会の法門を説いていないということ。「開会」とは、低い教えにおける隔別・差異を除き、高い教えにおいて融合・平等化することをいう。開会には法開会と人開会があり、真実究竟の開会がとかれているのは法華経である。
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開会
爾前権教が方便として仮に説かれた教えであると明かし、これを真実の教えである法華経から正しく位置付けて生かすこと。もともと、一乗(唯一の仏の教え)を三乗(声聞・縁覚・菩薩に対応した教え)に分けて示すのが「開」、三乗を一乗に統一するのが「会」であるが、後には「開会」で一つの熟語となり、さまざまなものを、より高い立場から位置づけ、真実の意味を明かすことをいう。
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一行
683年~727年。中国・唐の学僧。天台学・禅・律を修める。後に善無畏が唐に来ると、共に大日経を訳し、また善無畏による大日経の講義を筆記し『大日経疏』20巻を著した。真言宗の祖師の一人とされる。数学や天文学の大家としても知られ、「開元大衍暦」を作った。▷
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性悪の法門
本有の真如、または仏性、悪が本来備わっているとする天台が立てた法門。この説に沿って言えば、仏は修悪はないが、性悪はあると考えられる。これは、仏は、性悪を断じていない為に、末法の本未有善の衆生に対して、その機縁に応じて(やや逆説的に言えば)悪を発し、しかも悪に染められることなく悪を自在に制御し駆使して一切衆生を救済すると説いている。また仮に性悪を断じているとすると、基本的に六道の娑婆世界で衆生を導いていくことは出来ないとも言える。
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一念三千の法門
三大秘法のご本尊のことをいう。理に約せば一念に三千種の生命活動を具すとの哲理で、中国の天台大師が摩訶止観において、この法門を明かした。釈尊は法華経28品をもって、これを説いたのでああって、このゆえに、天台大師は“小釈迦”ともいわれた。天台の一念三千の法門は“像法の法華経”という。しかしその天台大師のあらわしたものの実体は、末法御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経として示されたのである。ゆえに天台大師の一念三千の法門を“理の一念三千の”といい、日蓮大聖人の三大秘法の御本尊を“事の一念三千”というのである。“事の一念三千”の御本尊こそ、釈尊ならびに天台大師が説かんとした極説中の極説の当体であり、仏法の究極なのである。
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十二因縁
生命流転の因果関係を12に分けて説いたもの。権大乗教で説く苦しみの因縁である。十二因縁とは、過去の二因 ①無明 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。 ②行 志向作用。物事がそのようになる力=業 現在の五果 ③識 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元 ④名色 と精神現象。実際の形と、その名前 ⑤六処 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意 ⑥触 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。 ⑦受 感受作用。六処、触による感受。 現在の三因 ⑧愛 渇愛 ⑨取 執着 ⑩有 存在。生存 未来の二果 ⑪生 生まれること ⑫老死 老いと死 をいう。最初の無明が根本となって、すべてが六道輪廻の苦しみであるとする説。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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前章で述べた人師は果たして謗法であるか、三悪道へ堕ちたのかをめぐっての問答がなされる。
答えのなかで、初めに、「謗法に上中下雑の謗法あり」と謗法にも種類があり、程度の違いがあることを示されている。また謗法を判断する基準として能破と似破が挙げられている。
似破とは、ある教えが勝れていることを知っていながら、その教えの勝れていることを顕すために、わざと勝れた教法を攻撃することであり、いわばにせの攻撃である。これに対して能破は真実の攻撃である。能破はまた善能破と悪能破に分けられる。実際に勝れた経を劣っていると誤認して攻撃するのが悪能破で、これは当然、謗法である。劣れる教えを勝れる教えから攻撃するのは善能破である。これは謗法ではない。
さて、具体的にこれまでに述べられてきた人師とその説について、個々に考えていくと、まず、慈恩・嘉祥・澄観等の謗法の程度が問題となる。
彼等の謗法は上または中の謗法で重い。もし、彼等自身も重い謗法に気づいて、若し悔い改めれば堕獄はまぬかれたであろうが、後悔したところがなければ堕獄は間違いない。
しかし、嘉祥は天台大師に帰伏し、また慈恩も心は天台大師に帰伏している。澄観にも悔い還す言葉があるから、堕獄はまぬかれたかもしれない。
このことを、大聖人は開目抄で詳しく論じられている。
さて、第24章にでてくる脇尊者の金杖の譬であるが、これは今の謗法の問題には逆用されない譬えである。小乗教といっても18部、20部派に分かれていて、互いに争いはしているが、これは小乗の聖果に入るための法門の争いであって、小乗教に説く法理の争いではない。小乗の所詮の理は、苦・空・無常・無我の理を出でず、このことは皆承認しているところである。故に、それは入門の争いであっても、所詮の理の争いではないので、謗法とはならないのである。
但し、外道が自分の理は常住であるが、小乗の理は無常であり、空であるから、外道に及ばずと論ずれば謗法になる。これは所詮の理の争いだからである。さらに仏教内においても六道の法を見て空・無常と主張する小乗経が、十界にわたる法を見て中道を主張する大乗教を攻撃すると、それは悪能破で謗法となる。しかし、大乗教の者が劣った小乗教の者を攻撃しても、善能破となり、謗法にはならない。
このように浅い教え、つまり部分観しか説かない教えから、より高い広い教えを攻撃するのは悪能破であり、これは謗法になる。逆の場合は、より高い教えに導き入れるためであるから善能破である。
故に諸大乗の未開会の中道の理から、開会の法華経を破すのは悪能破であり、謗法である。しかし、法華経から諸大乗教を攻撃するのは、善能破だから、謗法にはならない。
さらに、諸大乗教には二乗作仏・久遠実成を明かしていない。すなわち未開会の法門しか説いていないが、法華経は、開会の法門であり、二乗作仏・久遠実成が明かされている。
このことから、大日経や真言宗をみてみれば、大日経に二乗作仏・久遠実成がないのは已説であることを示すから未開会の法門である。もし記小久成ありというのならば、当説の涅槃経と同じになる。しかし、性悪の法門や一念三千の法理は、一行が天台大師の法門を盗み入れて自説としたものであるから、いずれにしても三説超過の法華経に及ばないことは明らかである。そうすると、彼等の謗法は似破になるか雑謗法になるか考えるべきである。もし、彼等が法華経が勝れていることを示すために天台大師の義を取り入れたとすれば似破となり、謗法も雑となる。しかし、そうでなければ悪能破となり、謗法も上中の重罪となるのである。
つぎに、これも第24章にでてきたものであるが、五百羅漢は、この身の真因をいろいろに説いているが、十二因縁に立脚してある者は“無明”が真因であるとして空理を悟り、ある者は“行”が真因であると考えて空理を悟ったのであって“無明”“明”等の門は違っても入門の理は小乗の空理であるから謗法にはならない。
また、無著は摂大乗論で四意趣を説き仏が説法する際に四種の意向があったことを示し、竜樹は大智度論で四悉檀を説き教説を四種に分類している。彼等は釈尊滅後の論師として一切経の教判を論じたが、これは法華経が一切経の大王であることを知り、法華経に立脚して、その心から“四意趣”“四悉檀”を用いて法華経以前の意味を判じたのである。故に法華経以前の“四意趣”“四悉檀”は未開会であり、法華経によって開会せられたものは、名は同じであっても、開と未開の相違がある。この両者を混同すれば論師の本意に背くことになり、法華経の心にも違反するから謗法となる。このことをよく知ることが、教を知る者になるのである。
諸大乗経の中の理は未開会の理いまだ記小久成これなし法華経の理は開会の理・記小久成これあり
爾前経で次第に衆生の機根を調熟してきて、法華経に至って“開会”が行われる。「開会」とは開顕会融、開顕会帰の略称であるが、本来、開会の意義は多義を含むが、開には“開除”の意味がある。それまでおおわれていた障害物が除去されて真実が明らかに見えるということである。会には融通の意があり、多くの河川の水が大海に流れ入って同一塩味となるということである。
開会には法開会と人開会があるが爾前経において教法の円融平等を説く法開会はあるが、二乗の人を会して成仏することを許さないのである。このことは結局、一切衆生の成仏を許さないことになる。つまり、人開会は法華経に限るから、人法の開会は法華円教でのみなされるのである。ここに真実の開会がある。法華経の説法は、爾前経の理が、真実の仏の意図を隠して方便を用いてなされたものであることを明かすとともに、今経において仏は出世の本懐を説き、二乗の成仏の授記を与え、広く一切衆生がことごとく成仏する“開会”の説法をなされたのである。即ち方便の教門を開いて一仏乗の体内へ帰入せしめることが迹門である。さらに本門では一切の諸仏を開会して唯一の仏、久遠に帰入させるのである。ここに一切の諸法は、一つとして捨てざるべきものはなく、部分的真理はことごとく全体的真理の中に位置づけられ、活かされるのである。爾前の未開会の理がすべて法華の開会によって一切衆生の成仏のために生かされるのである。たとえば山の頂上からあまねく一切を見わたすようなものである。山麓ではまったく見えなかった全体の様子が、頂上に登ることによって、視野が大きく広がり、全体観に立ってすべての部分を知ることができる。また法華経は大海であり、爾前の諸経はその大海に注ぎこむ河川のようなものである。法華経の大海を知った後には、一切の爾前の河川の水が法華経の大海に会入することがわかるのである。故に、未開会と開会とでは大きな相違があるから、未開会の理と開会の後の理を混同することも謗法になる。まして、未開会の諸大乗経から開会の法華経を攻撃することは悪能破であり、謗法である。しかし、法華経から諸大乗を破すことは法華経によって諸大乗の未開会の理を開会する行為となるから善能破であり、かえって諸大乗の理を成仏へと生かす道となるのである。
0459:05~0460:11 第31章 成仏の鍵を明かすtop
| 05 四句あり一に信而不解・二に解而不信・三に亦信亦解・四に非信非解、問うて云く信而不解の者は 06 謗法なるか答えて云く 法華経に云く「信を以つて入ることを得」等と云云、 涅槃経の九に云く難じて云く涅槃経 07 三十六に云く我契経の中に於て説く 二種の人有り仏法僧を謗ずと、 一には不信にして瞋恚の心あるが故に二には 08 信ずと雖も義を解せざるが故に善男子若し人信心あつて 智慧有ること無き是の人は則ち 能く無明を増長す若し智 09 慧有つて信心あること無き是の人は 則ち能く邪見を増長す善男子不信の人は瞋恚の心あるが故に 説いて仏法僧宝 10 有ること無しと言わん、 信者は慧無く顛倒して義を解するが故に 法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ等と云云、 11 此の二人の中には信じて解せざる者を謗法と説く如何、 答えて云く此の信而不解の者は 涅槃経の三十六に恒河の 12 七種の衆生の第二の者を説くなり、 此の第二の者は涅槃経の 一切衆生悉有仏性の説を聞いて 之を信ずと雖も又 13 不信の者なり。 -----― 信と解について四つの句がある。一に信而不解・二に解而不信・三に亦信亦解・四に非信非解である。 問うて言う。信而不解の者は謗法なのであろうか。 答えて言う。法華経譬喩品第三にに「信を以って入ることを得たり」とある。また涅槃経巻九にも「此の経を聞きおわって、すべて皆菩提の因縁となる」とある。 非難して言う。涅槃経の三十六に「仏は経の中で二種類の人があって仏法僧を謗ると説いた。一には信じないで怒りの心があるからであり、二には信ずるけれども教義を理解できないからである。善男子よもしその人に信心があっても智慧がなければ、この人は無明を増し、もし智慧があって信心のない人は即ちよく邪見を増すのである。善男子よ、不信の人は怒りの心があるから仏法僧の三宝はないといい、信心はあっても、智慧のない者は、誤って教義を解釈するから法を聞く者に仏法僧を謗らせるであろう」と説かれている。この二種の人を説くなかで、信じて解のない者を謗法と説いているが、この点はどうか。 答えて言う。ここにいう信而不解の者は涅槃経三十六に説かれた恒河の七種の衆生の第二の者をいうのである。この第二の者は涅槃経でいう一切衆生悉有仏性の説を聞いてこれを信ずるけれども、実には信じない者なのである。 -----― 14 問うて云く如何ぞ信ずと雖も不信なるや、 答えて云く一切衆生悉有仏性の説を聞きて之を信ずと雖も又心を爾 15 前の経に寄する一類の衆生をば無仏性の者と云うなり 此れ信而不信の者なり 問うて云く証文如何、答えて云く恒 16 河第二の衆生を説いて云く 経に云く「是くの如き大涅槃経を聞くことを得て 信心を生ず是を名けて出と為す」と 17 又云く「仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も 必ずしも一切皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為す」文此の 18 文の如くんば口には涅槃を信ずと雖も心に 爾前の義を存する者なり 又此の第二の人を説いて云く「信ずる者にし 0460 01 て慧無く顛倒して義を解するが故に」等と云云、顛倒解義とは実経の文を得て権経の義を覚る者なり。 -----― 問うて言う。どうして信ずるけれども不信というのか。 答えて言う。一切衆生悉有仏性の説を聞いて、一往は信ずるけれども、心を爾前の諸経で説く「二乗不作仏」等に寄せる一類の衆生を無仏性の者というのである。これが信而不信の者である。 問うて言う。その証文はどうか。 答えて言う。恒河第二の衆生を説いて涅槃経に「このような大涅槃経を聞くことができて信心を生ずる。これを恒河を出ると名づける」とある。また「仏性は衆生に具わっていると信ずるけれども、かならずしも一切衆生がみなことごとく具えているのではないと思う。この故に信不具足と名づける」とある。この経文のとおりであるならば、口では涅槃経を信ずるといっても、心には爾前の教義を抱く者である。またこの第二の人を説いて「信ずる者でも智慧がなければ、顛倒して仏法の教義を解釈してしまう」とある。この顛倒解義とは、実経の文を得て、権経の義を覚る者のことをいう。 -----― 02 問うて云く信而不解・得道の文如何、答えて云く涅槃経の三十二に云く「是れ菩提の因は復無量なりと雖も若し 03 信心を説けば已に摂尽す」文九に云く「此の経を聞き已つて 悉く皆菩提の因縁と作る 法声光明毛孔に入る者は必 04 定して当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等と云云、 法華経に云く「信を以て入ることを得」等と云云、問うて云 05 く解而不信の者は如何、 答う恒河の第一の者なり、 問うて云く証文如何、答えて云く涅槃経の三十六に第一を説 06 て云く「人有りて 是の大涅槃経の 如来常住無有変易常楽我浄を聞くとも 終に畢竟して於涅槃の一切衆生悉有仏 07 性に入らざるは一闡提の人なり 方等経を謗じ五逆罪を作り 四重禁を犯すとも必ず当に菩提の道を成ずることを得 08 べし須陀含の人・斯陀含の人・阿那含の人・阿羅漢の人・辟支仏等必ず当に阿○菩提を成ずることを得べし是の語を 09 聞き已つて不信の心を生ず」等と云云。 -----― 問うて言う。信而不解の者でも得道できる文はあるのか。 答えて言う。涅槃経の三十二に「菩提を得る因は無量であるけれども、もし信心で説くならば、すでにその中にすべての因がおさまり尽くす」とある。また同経巻九に「この経を聞きおわって、ことごとく皆菩提の因縁となる。仏の説法の声や光明が毛孔から入る者は、かならず無上の悟りを得ることができる」等と説かれている。さらに法華経譬喩品第三に「信によって仏道に入ることを得た」等とある。 問うて言う。解而不信の者は謗法になるのか。 答えて言う。これは恒河の七種の衆生の第一の者である。 問うて言う。その証文はあるのか。 答えて言う。涅槃経三十六に恒河第一の衆生を説いて「たとえばある人が、この大涅槃経の如来常住無有変易常楽我浄の説を聞いても、ついに涅槃経の一切衆生悉有仏性の仏意を信受しなければ、一闡提の人である。方等経を謗り、五逆罪をつくり、四重禁戒を犯す者でも、かならず菩提の道を成就することができる。また須陀含の人、斯陀含の人、阿那含の人、阿羅漢の人、辟支仏などもかならず無上の悟りを成就することができる。しかし一闡堤の人はこれらの説を聞きおわって不信の心を生ずるのである」等とある。 -----― 10 問うて云く此の文不信とは見えたり解而不信とは見えず如何、 答えて云く第一の結文に云く「若し智慧有つて 11 信心有ること無き是の人は則ち能く邪見を増長す」文。 -----― 問うて言う。この経文は「不信」とだけあって「解而不信」とは説いていないがどうか。 答えて言う。涅槃経巻三十六の恒河第一の衆生を説いた結文に「もし智慧があって信心のない者は即ちよく邪見を増長する」とある。 |
四句
神力品の結要付嘱の文。「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
―――
契経
修多羅の訳。仏教経典のこと。仏の所説は縁に契い、事に契い、義に契うものであるとしている。
―――
瞋恚
怒り、憤怒すること。三毒・十悪のひとつ。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。
―――
無明
サンスクリットのアヴィドヤーの訳で、真理に明らかでないことを意味する。仏教では生命の根源的な無知・迷い・癡さであり、一切の煩悩を生む根本とされる。また三惑の一つである無明惑をさす。
―――
邪見
仏法を信じず、因果の道理を否定する考えのこと。
―――
仏法僧宝
三宝のこと。仏教を構成する仏法僧の三つの要素のこと。この三宝を大切に敬うことが、仏教を信仰する者の基本となる。①仏宝は、教えを説く仏。②法宝は、仏が説く教え。③僧宝は、教えを信じ実践する人々の集い(教団)。「僧」は僧伽の略で、集いを意味するサンスクリットのサンガの音写。「和合」と意訳され、二つ合わせて「和合僧」ともいう。
―――
信而不信
「信じて而も信ぜず」と読む。一切衆生はすべて仏性を具えていることは信ずるが、爾前の諸経の説に心を寄せ、一部の衆生を無仏性の者と考え、一切衆生悉有仏性を信じないことをいう。恒河第二の衆生を示す涅槃経の文を要約した語。
―――
信不具足
信心を完全に具えていないこと。信じてはいるが、まだ不信を残していること。
―――
顛倒解義
「顚倒して義を解す」と読む。顚倒はさかさまになること。義は道理・意味・教義、解は解釈・理解すること。信があっても智慧がなければ、仏の教えを誤って解釈してしまうこと。
―――
得道
仏道をおさめて悟りを開く意で成仏のこと。
―――
阿耨多羅三藐三菩提
サンスクリットのアヌッタラサンミャクサンボーディの音写。無上正遍知、無上正等正覚、無上正等覚などと訳す。最高の正しい覚りの意。仏の完全な覚りのこと。
―――
方等経
大乗経典をさす。方等は広大な教えの意
―――
四重禁
四重禁戒のこと。四波羅夷戒とも。教団追放となる四重罪(殺生・偸盗・邪婬・妄語)を犯さないよう禁止し戒めること。
―――
辟支仏
縁覚のこと。サンスクリットのプラティエーカブッダの訳。辟支仏と音写する。独覚とも訳す。①声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗というサンスクリットのプラティエーカブッダの訳。辟支仏と音写する。独覚とも訳す。①声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗というサンスクリットのプラティエーカブッダの訳。辟支仏と音写する。独覚とも訳す。①声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗という。
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謗法について論じ終わって、教を正しく知ることが肝要であることが再び示された。だが、教を知るとは、たんに釈尊の教えを理解することではない。否、たんなる智解では、けっして、教を知ることはできないのである。
それは、先にも論じたように、教を知るとは、仏の境地を知り、仏意をくみとることである。仏の真意がいかなるものであるかを知るためには、釈尊と同じ境地に立たなければならない。そのあめには、とくに法華経を正しく会得する必要がある。そして、随他意の法華経の会得は「以信得入」によるのみである。
法華経が信を徹底して強調しているのは、法華経が随自意の法を説いた経典であり、しかも、根源の一法である南無妙法蓮華経を包含した経典だからである。他の経典に説かれる随他意の教えを、ある程度理解するだけならば智解でも可能な部分があるかもしれない。だが、それでも十分な体得にはおのずと限界がある。部分的真理の体得においても信が必要なのである。
まして全体的真理をあらわす法華経に包含された南無妙法蓮華経という根源の一法に入るには、信が絶対の要請となるのである。御義口伝に「此の信の字元品の無明を切る利剣なり」(0725-第一信解品の事-04)とあるように、元品の無明を破り、妙法を会得することが智解の要であるとすれば、信心こそ第一義であり、根本であるといわねばなるまい。不信は謗法である。だが、智解が不必要だというのではない。あくまで、信のうえに発する解でなければならない。ここに大聖人が謗法を打ち破り、教を知るための結論として信解についての四句を標示されて、信と解の関連性を検討される理由がある。
初めに信と解の関係は四種に分類される。
第一に、教法を聞いて信ずるけれどもその教義を理解しないという信而不解、
第二に理解はしても信じられないという解而不信、
第三に信じかつ理解した亦信亦解、
第四に信も理解もしない非信非解、
の四種である。これらの四種のなかで、どれが謗法になるかを検討してみると、第四は問うまでもない。第三は最も理想的な信解の姿である。そこで「信而不解」と「信而不信」が問題となるのでこの二つについて問答形式によって論及されている。
そこで、初めに「信而不解」の者は謗法であるかという問いである。法華経譬喩品第三で舎利弗が、「以信得入」といっているように、信心こそ成仏の鍵である。涅槃経の巻九にも同様の文があるから、信心さえあれば智解がなくても成仏は可能であり、謗法とはならないと結論されている。
以下は、涅槃経にもとづく疑問に答えつつ、謗法でないことを明瞭にしていかれる。
そのうち一つの問いは、涅槃経に、不信にして瞋恚のある者と信ずるけれども理解しない者があり、このうち、後者は誤って義を解釈する故に謗法となる、と記されているという疑問である。その答えに涅槃経のなかの「信じて解せざる者」というのは恒河七種の衆生の中の第二で、この者は、涅槃経に説く「一切衆生に悉く仏性あり」の説を聞いて、仏性は衆生に具わっていると信じても、その仏性がすべての衆生に具わっているとは信じない者であるとある。
つぎの「如何ぞ信ずと雖も不信なるや」の問いは、前の問いより起こり、信而不信の者とは、具体的にどういうことかという疑問である。この人は、“一切衆生悉有仏性”の義を聞いて一往は信ずるけれども、一方では、爾前経の権説、たとえば五性各別の説などに心をひかれて、ある衆生は無仏性であると思うのである。このような者が信じてしかも信じない者である。信じているようでありながら、心の底では、無仏性の衆生がいることを思っているのである。これは「一切衆生悉有仏性」の教えを真に信じていることにはならず、結局、不信謗法に陥っているのである。
つぎの問答では、以上のことに対する涅槃経の経文を挙げられて、口では一切衆生の仏性を信ずるというが、心は爾前の義にある者であると示される。また、信ずる者でも智慧がなければ、さかさまに仏法の教えを解釈してしまうと、涅槃経の文を述べられ、とりわけこの文の顚倒解義とは、即ち実経の文を見ても、それを権経の意で解釈してしまう者であるといわれている。
ここまでの問答で“信ぜざる者”とは涅槃経に述べる信不具足者ではないから、謗法ではないことが明らかでる。
そしてつぎの問答では、信而不解の得道の文証が挙げられる。
つぎに四句のうち第二の解而不信の者について三つの問答で検討を加えている。
これは、恒河に入る七種の衆生の中の第一にあたり、謗法のために常に生死の苦しみの河の中に没している者である。これ第一問答である。
第二問答では、その証文を挙げられる。涅槃経の文で、如来は常住で変わりなく、常楽我浄の四徳を具えていると聞いても、どうしても、この経の明かす一切衆生悉有仏性の意を信じて入ることのできない者は信不具足の一闡堤である。正しい経を謗り五逆・四重禁等の重罪を犯しても必ず悟りを開くことができる。また声聞・縁覚も成仏できると聞いても信じない者のことである。
第三問答では、恒河の七種の第一の経文に「若し智慧有っても信心有ること無き是の人は則ち能く邪見を増す」とある。この文に智慧とあるがこれは解のことである。しかも「邪見を増す」とある故に、第二の問答の証文は解而不信の者のことをいっていることが明らかである。仏の法を智解しているようであっても、信じようとしない者は、結局、仏の真意を信ずることができず、邪見がますます盛んになって謗法に陥ってしまうのである。それは、信がなければ、元品の無明を破れず、邪見、煩悩の働きをどうすることもできないからであろう。信のうえに立ってはじめて智解が生まれるのであって、もし信がなければ、成仏することもできず、またその智慧も邪見におおわれてしまうのである。まさしくここでいう邪見とは謗法にほかならないのである。
以上のように、大聖人は信解の四句を検討されて、正法への信こそ教を知り成仏する鍵であり、逆に不信こそ、謗法の根本であることを確認されている。ところで謗法に染まらず、成仏するための根本は信であるが、自らの信心を深め、また折伏行のためには智解を深めていくことは必要なことである。御義口伝には「信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」(0725―第一信解品の事―05)とある。信心によってこそ、仏の智慧をゆずり受けることができるのである。その智慧によって、法門を正しく理解する努力を続けていくことが「亦信亦解」への道であろう。
0461~0468 持妙法華問答抄top
0461:01~0461:04 第一章 成仏の直道を説くtop
| 0461 持妙法華問答抄 弘長三年 四十二歳御作 01 抑も希に人身をうけ適ま仏法をきけり、 然るに法に浅深あり人に高下ありと云へり何なる法を修行してか速に 02 仏になり候べき願くは其の道を聞かんと思ふ、 答えて云く家家に尊勝あり国国に高貴あり 皆其の君を貴み其の親 03 を崇むといへども豈国王にまさるべきや、 爰に知んぬ大小・権実は家家の諍ひなれども 一代聖教の中には法華独 04 り勝れたり、 是れ頓証菩提の指南・直至道場の車輪なり、 -----― そもそも、まれに人間として生まれ、たまたま仏法を聞くことができた。ところが、仏の法に浅深があり、人の機根にも高下があるという。どのような法を修行すれば、すみやかに仏になれるのであろうか。願わくば、その道を聞きたいと思う。 答えて言う。家々に尊勝の親がおり、国々に高貴の主君がいる。その親を崇めるといっても、どうして国王に勝ることがあろうか。これと同じく、大乗と小乗、権教と実教との対立する家々の諍いのようなものであるが、釈尊一代の聖教の中では法華経は、すみやかに菩提を証得するための指南であり、ただちに菩提の道場に至る即身成仏の車輪だからである。 |
仏法
①仏の説いた教法。八万四千の法門・法蔵があるといわれる。②仏が証得した法③仏が知っている法。
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大小
大乗教と小乗教のこと。「乗」とは、乗る、乗せるという意味で、仏の教えが人々を覚りの境地へと導くさまを乗り物に譬えた語。声聞・縁覚のための教えは、自分自身が覚り苦悩から解放されることを目指す。これは、他の人々の救済を重んじる菩薩のための教え(大乗〈=偉大な優れた教え〉と自称)の側からみると、小さな範囲の人々しか救えない劣った教えなので、小さな劣った乗り物に譬えて小乗と呼ばれる。小乗教では、苦悩の原因は自分自身の煩悩にあると説き、苦悩を解決するためには、煩悩を滅して迷いと苦悩の世界に再び生まれることなく解脱することを目指した。しかし、煩悩を完全になくすことは、自らの存在自体、生命そのものを否定するものであり、大乗の側からは、灰身滅智(身を焼いて灰にし、智慧を断滅する)と厳しく非難された。
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権実
実大乗教(法華経)と、真実を明かすための準備・方便として説かれた権大乗教のこと。権とは仮、実とは真実の意。大乗経典の中でも華厳経・般若経・阿弥陀経・大日経などの諸経では二乗(声聞・縁覚)や悪人・女性の成仏を説かず、一切衆生の成仏が明かされていない。また、成仏の明かされた人々についても、何度も生まれ変わって修行を積み重ねて(歴劫修行)はじめて成仏できると説く。さらに仏についても、阿弥陀仏や大日如来など、人間を超越し、現実世界から遊離した世界に住む架空の仏を説く。これらは、各経で目指す理想の人格と世界を象徴的に誇張して投影したものである。これに対して、法華経では、それ以前の諸経(爾前経)は覚りの真実を説くための方便の教えであり法華経がその真実を明かすと説く(開三顕一)。そして、一切衆生に仏の智慧の境涯(仏知見)がそなわりそれを開き現すことで成仏できることを説く。それには、諸経では認められていなかった二乗や悪人・女性も含まれる。また、仏についても、釈尊は実は五百塵点劫という長遠の過去に成仏していた(久遠実成)と明かし(開近顕遠)、これによって諸経の諸仏は釈尊の分身として位置づけられる。これは、諸経の仏は、久遠実成の釈尊の特性の部分部分を取り上げて説いたものに過ぎないことを意味する。このように、諸経は仏の真実の覚りの法を説くための準備として、聞く人々の状態に合わせて説かれた一時的な方便であり、それに対して、法華経は仏の真実の覚りの法を直ちに説いた仏の真意である。
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一代聖教
釈尊が生涯にわたって説いたとされる教え、または経典。聖教とは聖人の教え、すなわち仏の教えのこと。
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頓証菩提の指南
頓証菩提とは、すみやかに仏の悟り・仏の智慧である菩提を証得すること。即身成仏・直達正観と同意。指南は教え示すこと。法華経が即身成仏・直達正観の道を指し示すおしえであるとの意。
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直至道場の車輪
法華経譬喩品第三の文。「「是の宝乗に乗じて、直ちに仏道に至らしむ」とある。直至とは直達正観、道場は菩提、仏果のこと。車輪は衆生を成仏に導く一仏乗の教法に譬える。法華経は凡夫を直ちに悟りを開く場所へ導く乗り物である。
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本抄の成立の由来については、大きく二説があり、いまだに決定的な説はない。
一つは、弘長3年(1263)、日蓮大聖人が42歳の時、伊豆流罪の赦免直後に、鎌倉でしたためられたものとされている。
いま一つは、古来からの伝承であるが、日持が本抄を執筆し、それを日蓮大聖人が御印可されたとするものである。しかし、正本が存在しない今日、この説を決定することはできない。
いずれの説も対告衆は不明である。
さらに、御述作の年代についても、建治2年(1276)、弘安3年(1280)説があり、いずれも確証はない。しかし、ここでは、本文の流れから推察して弘長3年(1263)、大聖人直筆の御文とし、講述していくこととする。
本抄は、題号に「持妙法華」とあるように妙法華即ち妙法蓮華経を持つことに関して、五つの問答形式をもって、展開されているのである。
大意は、成仏得道の法は法華経であり、法華経が諸経中最勝であることを、多くの文証を引いて述べ、つぎに、その法華経の受持は、観念観法でなく、受持即観心であることを明かして信が強調されている。さらに、法華経およびその行者を誹謗する罪の重さを説き、最後に世間の名聞名利に執着することなく、ひたすら法華経を信じ、題目を唱えて成仏を遂げられるよう勧められている。
第一の問答である本章は、受けがたき人身を受け、人間として生まれることができたうえに、さらに聞きがたき仏法を聞く機会を得た問者が、人間の機根に高低があり、さらに仏の法にも高低浅深の差のあることに気づき、一体どの法を修行すればすみやかに仏になることができるのか、と根本的な質問をする。これに対して、答者である日蓮大聖人は、家々に尊卑があり、それぞれの国々に、尊敬する主君がいるけれども、たった一人の国王を尊敬しない人はいないとの例を引かれて、それと同様に、仏法においても、諸経の王たる一仏乗の法華経を信じ尊敬すべきであると答えられ、釈尊の一代聖教の中で、法華経のみが最も勝れた教であり、成仏得道の法であることを強調されている。
希に人身をうけ適ま仏法をきけり
本抄の冒頭の一節であるが、本抄全体にとって重要な意味をもっている。
ここは問者の言葉であるが、問いの内容との関連で考えるならば、日蓮大聖人が、当時の仏教全般に対して抱かれた根本的な疑問がここによく表れている。
仏法においては、六道輪廻を説き、生死生死と変化してゆく生命の流転のなかで、人間として生を受けることは非常に稀であると説かれる。人身を受けることも難しいのに、人間に生れても、仏法をきくことはさらに難しいのである。涅槃経巻二十一には「人身の得難きことは優曇華の如きに、我今已に得たり。如来の値きことは優曇華に過ぐるに、我今已に値たてまつる。清浄の法宝は見聞を得ること難きに、我今已に聞く、猶し盲亀の浮木の孔に値えるが如し」とある。
このように、稀に受けがたき人身を受け、そのうえ、聞きがたき仏法を聞くことができたにもかかわらず、せっかくの機会がむだになるばかりか、かえって、謗法になって地獄に堕する場合もあるということを、日蓮大聖人は早くから察知しておられた。
妙法比丘尼御返事には「此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、 日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり、我れ等が・はかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも・心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日・夜夜に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも・五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち心には八万法蔵をうかべて候やうなる、智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪・五逆の罪人よりも・つよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ」(1407-10)と述べられ、若き日蓮大聖人の心を捉えた当時の仏教界全般に対する問題意識を回顧風に表現されている。
この問題意識を背景にして、本抄の問いを拝読したとき、「法に浅深あり人に高下ありと云へり何なる法を修行してか速に仏になり候べき願くは其の道を聞かんと思ふ」との文は、同じ仏法の中にも高低浅深があり、凡夫の機根にも善悪、高下がある故に、この人身を受け仏法を聞くことができた千載一遇の機会に、かならず成仏できる法は何か、と問うているのである。
大小・権実は家家の諍ひなれども一代聖教の中には法華独り勝れたり、是れ頓証菩提の指南・直至道場の車輪なり
日蓮大聖人当時、仏教の名の下にさまざまな教えが説かれ、八宗・十宗といわれる多くの宗派があったことは、さきに引用した妙法比丘尼御返事の御文からも明らかである。それらを大きく分けると、大乗教と小乗教、あるいは権教と実教とになる。そして、いずれの教えも宗派も、自らの優越性を主張くて、相互に対立しあっていた。
日蓮大聖人は、それら大小・権実の対立と争いを、家柄の高さを主張くて争う家々の対立に譬えられている。そして、一国の王が出現すれば、一挙に、それらの争いが解決するように、一代聖教の王たる法華経のみが仏教各宗の争いを解消しうる最高の教えであると説かれている。
では何故、法華経のみが諸経中の王であるかといえば、法華経が「頓証菩提の指南・直至道場の車輪」の経典であるからである。
即ち、間違いなく、一切衆生を成仏の境界へただちに導くことのできる法が法華経には説かれているからである。それは同時に問者の問い。「何なる法を修行して速に仏になり候べき」の答えになっているのである。
0461:04~0462:06 第二章 法華の独勝を示すtop
| 04 疑つて云く人師は経論の心を得て釈を作る者なり然ら 05 ば則ち宗宗の人師・面面・各各に教門をしつらい釈を作り義を立て証得菩提と志す何ぞ虚しかるべきや、 然るに法 06 華独り勝ると候はば心せばくこそ覚え候へ、 答えて云く法華独りいみじと申すが 心せばく候はば釈尊程心せばき 07 人は世に候はじ何ぞ誤りの甚しきや、 且く一経・一流の釈を引いて其の迷をさとらせん、無量義経に云く「種種に 08 法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす 四十余年未だ真実を顕さず」云云、 此の文を聞いて大荘厳等の八万 09 人の菩薩・一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも 終に無上菩提を成ずることを得ず」と領解し給へり、 10 此の文の心は華厳・阿含・方等・般若の四十余年の経に付いていかに念仏を申し禅宗を持ちて仏道を願ひ無量無辺・ 11 不可思議・阿僧祇劫を過ぐるとも 無上菩提を成ずる事を得じと云へり、 しかのみならず方便品には「世尊は法久 12 くして後 要当に真実を説きたもうべし」ととき、 又唯有一乗法・無二亦無三と説きて此の経ばかりまことなりと 13 云い、 又二の巻には「唯我一人のみ能く救護を為す」と教へ「但楽いて大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受 14 けず」と説き給へり、 文の心はただわれ一人して・よくすくひ・まもる事をなす、法華経をうけたもたん事をねが 15 ひて余経の一偈をも・うけざれと見えたり、 又云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば 則ち一切世間の仏種を 0462 01 断ぜん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、 此の文の心は若し人・此の経を信ぜずして 此の経にそむか 02 ば則ち一切世間の仏のたねを・たつものなりその人は 命をはらば無間地獄に入るべしと説き給へり、 此等の文を 03 うけて天台は将非魔作仏の詞 正く此の文によれりと判じ給へり、 唯人師の釈計りを憑みて仏説によらずば何ぞ仏 04 法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり、 之に依つて智証大師は経に大小なく理に偏円なしと云つて 一切人 05 によらば仏説無用なりと釈し給へり、 天台は「若し深く所以有り 復修多羅と合せるをば録して之を用ゆ無文無義 06 は信受す可からず」と判じ給へり、又云く「文証無きは悉く是れ邪の謂い」とも云へり、いかが心得べきや。 -----― 疑つて言う。人師とは経論の心を会得して釈をつくる人のことである。そうであれば、即ち各宗の人師が、めいめいに、それぞれに教門を設え、釈を作り、義を立て、菩提を証得菩する道を志している。どうしてそれが空しいことがあろうか。しかるに法華のみが独り勝れるというのは心が狭いのではないかと思われる。 答えて言う。法華経独り勝れているというのが心が狭いというのであれば、釈尊ほど心の狭い人は世にいないであろう。何と誤りのはなはだしいことか。しばらく一経・一流の釈を引いて、その迷いを悟らせよう。無量義経には「衆生の機根にあわせて種々に法を説いたが、それは仏の方便の力によるものであって、四十余年の間は未だ真実を顕さなかった」とある。この文を聞いて大荘厳等の八万人の菩薩は一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎても、法華経以前の教えではついに無上菩提を成ずることはできない」と領解したのである。この文の意は華厳・阿含・方等・般若の四十余年の諸経にしたがって、いかに念仏を称え禅宗を持って仏道を願い無量無辺・不可思議・阿僧祇劫を過ぎたとしても無上菩提を成ずることはできないということである。 そればかりではなく、法華経方便品第二には「仏の方便の教えを久しい間説いた後に、かならず真実の教えを説あれるであろう」と説き、また「唯一乗の法のみ有り、二も無く亦三も無い」と説いて、この経だけが真実であるといっている。また法華経巻二の譬喩品第三には「唯我一人のみ能く一切衆生を救い護ることができる」と教え、「但だ楽って大乗経典を受持して、余経の一偈をも受けてはならない」と説かれている。文の意は「ただ我一人だけがよく衆生を救い護ることができる。法華経を受け持つことをねがって、余経の一偈をも受け入れてはならない」ということである。また譬喩品に「若し人が信じないで此の経を毀謗すれば、則ち一切世間の仏種を断ずるであろう。乃至。その人は命終して阿鼻獄に入るであろう」とある。この文の意は、もしこの人がこの経を信じないでそむくならば、則ち一切世間の成仏の種子を断つものである。その人は命が終われば無間地獄に堕ちるであろうと説かれたのである。 これらの文をうけて天台大師は「『将に魔の仏となるにあらずや』との詞はまさしくこの文による」と判じたのである、ただ人師の釈ばかりを憑みにして、仏説によらなければ、どうして仏法という名を付けるべきであろうか。言語道断の次第である。これによって智証大師は授決集巻上に「『経に大乗・小乗の相違なく、理に偏円の差別がない』といって一切人師の言を用いるならば仏説は無用である」と釈している。天台大師は法華玄義巻十に「もし深い道理があり、また修多羅と合うものは収録してこれを用いよ。経典のなかに文が無く義の無い説は信受すべきでない」と判じている。同じく法華文義巻二には「文証のないものは、悉く邪見である」ともいっている。人師の説にのみ依る者はこれをどのように心得るのか。 |
人師
論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師智顗、妙楽大師湛然などをさす。
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証得菩提
菩提を証得すること。菩提はサンスクリット語で覚・智・道と訳し、仏の智慧・悟りを意味する。証得は仏道修行によって仏と同じ智慧・境智を体得すること。
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釈尊
シャーキャ族の聖人(釈迦牟尼)。人々から尊敬される人物の意で、仏教の創始者ゴータマ・ブッダをさす。釈尊は古代インドに王子として生まれ、シッダールタと呼ばれた(生誕の地ルンビニーは現在のネパールに位置している)。若き日、生・老・病・死という免れられない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探究しようとして出家した。シッダールタは、万人が羨む、満たされた王子としての境遇にあった。しかし、人々が求める贅沢さもしょせん、はかなく空しいと知り、楽しむことはなかったと回想している。そこで、釈尊は人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めた。しかし、伝統的な教えにも、また同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因とその解決について探究した。その結果、一人一人の生命、宇宙を貫く永遠普遍の「法」に目覚めた。それ故、サンスクリットで目覚めた人という意味の「ブッダ」と呼ばれる。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと表記した。釈尊は、人々が自己の本来的な尊厳性への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れてでも幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破した。そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて根源的な無知(無明)から解放された、自己本来の清浄な生命に立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えた。また釈尊は、自己の尊厳性を自覚することによって他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えた。これが「慈悲」の基本精神である。釈尊は、ある大王に対して、だれにとっても自分以上に愛しいものはない、自己を愛する者は他人を害してはならないと教えている。仏教の説く「慈悲」とは、他の人も自身と同じように大切な存在であると知って他の人を大切にすることであり、万人に双方向性をもつものである。【諸経典に説かれる釈尊】釈尊の言行は弟子たちによって後世に伝えられ、それぞれが重視する観点から種々の経典が編纂されていった。それらに示される釈尊像は、その経典制作者たちがとらえた理想を体現する仏であり、しばしば神格化され超越的な姿と力をもつものとして描かれている。その釈尊像は、それぞれの経典の教えを反映するものであり、「観心本尊抄」に基づいて経典の教説の分類に対応させて仏身を6種に立て分けられる。すなわち、蔵・通・別・円の四教においてそれぞれの仏身が説かれ、円教である法華経では迹門・本門の仏身が示されている。本門においては、文底の教えを立て分け、文底下種の法を説く仏身を立て分ける。それぞれの仏身はそれぞれの教えにおける成仏観を反映したものとなっている。
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一経・一流
法華一経と天台一流のこと。
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大荘厳等の八万人の菩薩
無量義経の会座に集まった多数の菩薩のこと。大荘厳は大荘厳菩薩のことで、釈尊が耆闍崛山で無量義経を説法したとき、その座に連なった八万の菩薩の代表のひとり、八万は数ではなく多数を意味する。
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阿僧祇劫
「阿僧祇」梵語、はアサンキャ(asaṃkhya)の音写では無数。「劫」は年時の名で長時の意。あわせて、数えることのできない長い間の意。
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無上菩提
最高の悟りを得ること。成仏の境地。「無上」最上・最高。「菩提」は梵語ボーディ(bodhi)の音写、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種あるが、仏の菩提は最高であり、これに過ぎることがないことを無上菩提という。
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唯有一乗法・無二亦無三
法華経方便品第二の文。「唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」と読む。
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法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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無間地獄
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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将非魔作仏
譬喩品の文。「将に魔の仏に作りしには非ざるか」と読む。
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言語道断
言葉で表現することが断たれること。
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智証大師
円珍のこと。814年~891年。平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。智証大師ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」(306㌻以下)などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。
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第一章で、一代聖教中、法華経のみが独り勝れているとの答えが出されたのに対し、この章では、そのように法華経のみ勝れると主張するのは心が狭いのではないかという批判を挙げ、それに対して、仏法の本義は仏の経典によらねばならないことを強調され、この主張は仏の説であることを述べられている。
この章は、仏法の高低浅深の価値判断を人師や論師の説に仰がれず、あくまで、釈尊の説によって行うべきであることを述べられている点が重要な一章である。
法華玄義巻二下に「文証無き者は、悉く是れ邪謂なり」とある。仏法上の教義はすべて文証を基本としなければならない。その文証というのも人師・論師の釈ではなく「修多羅と合する者は、録して之を用う」とあるように、仏法の原典である仏の経によらなければならないとされている。即ち、仏法によらずに、人師の釈によれば、それはもはや仏法ではなく邪見である。日蓮大聖人も破良観御書に「論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん」(1293-03)と述べられている。また「依法不依人」という原理がある。これは涅槃経巻六等に説かれる「法の四依」の一つで、仏法の勝劣浅深の判釈は、仏の説いた経典をよりどころとし、人師・論師の書を用いてはならないということである。即ち、人師・論師のさまざまな所見が横行した場合、まず原典である経にかえり、経の勝劣によって諸宗を判別していくことが肝要なのである。
さてそこで「経・論・釈」という概念に少し触れておきたい。
「経・論・釈」は仏法に関する一切の書物体系のことで、一般に、仏の説いた教法を「経」といい、それを仏弟子が論じて展開したものを「論」、さらにその義を人師・論師が解釈したものを「釈」という。
日蓮大聖人は報恩抄に“依法不依人”を釈して「依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(0294-11)と述べられ、あくまで「経」によるべきであって「論・釈」によるべきでないことを明かされている。日蓮大聖人はあくまでも仏の説である経によってその勝劣を見極め、一切経の中で法華経が最第一であることを世に示されたのである。
然るに法華独り勝ると候はば心せばくこそ覚え候へ
問者の言葉であるが、この問いの背景に、大聖人当時の人々の宗教観、仏教観が反映していることを知らねばならない。否、当時に限らず、今日においても同じような宗教観を持っている人が多いであろう。
その宗教観とは、種々の宗派は経論の源としてそこから立てられたものであるから、帰着するところは同じであり、宗教に勝劣浅深があるわけではないかとの考え方である。
この考え方に立つ者にとっては、日蓮大聖人が一代聖教の中で法華経のみ、独り勝れていると断定されると、たちまち、大きな疑惑にとらわれたのである。
その疑惑に対して、日蓮大聖人は、あくまで釈尊の教えによるべきであり、釈尊自身が法華経のみを真実と定められていることを強調されていく。日蓮大聖人の法華経独り勝るの主張は、あくまでも、仏法を根本にしていうことであるとの仰せである。そして、無量義経、法華経方便品、譬喩品の文、さらには、天台大師の法華玄義等の釈を引かれてこの主張を裏づけていかれるのである。
無量義経に云く「種種に法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす四十余年未だ真実を顕さず」
なに故に、法華経のみが独り勝れているのかといえるかとの問いの答えとして、まず、挙げられた重要な経文である。
無量義経は法華経の開経であるが、釈尊が成道以後四十余年間に説いた爾前の諸経を、あくまで真実を顕すための方便の教えであると規定した点で、大きな意味を持っている。釈尊の悟りの真実を顕す教えはいうまでもなく出世の本懐とされる法華経で説かれるのであるが、その前に、開経・無量義経で四十余年の爾前の諸経を方便の教えであって、いまだ真実を顕していないと、はっきり述べたのである。
ここで、方便と真実の間の関係が重要になってくる。方便は、手だて、手段の意味であり、目的である真実をあらわすために仮に設ける手段の意味である。釈尊は、自らの悟りの真実をそのまま説いたのではまだ聞き受ける能力のととのっていない衆生には皆自分から、かえって混乱を生ずるので、まず、衆生の機根を徐徐にととのえ、向上させるために、さまざまな爾前の諸経を説いたのである。そして、四十余年経って、機根が十分ととのった段階で、ついに、自らの悟りそのものを法華経として説いたのである。
無量義経の「種種に法を説くことを方便力を以てす」とは、爾前の諸経が釈尊の仏としての衆生を導く巧みな手段によって説かれたものということであり、同時に、それは衆生の機根に合わせた説き方であるから、「四十余年末だ真実を顕さず」ということなのである。
爾前の諸経、即ち方便と、法華経、即ち真実とは、部分と全体の関係になっている。そのことを、日蓮大聖人は、蒙古使御書の中でつぎのように明確に説かれている。
「外典の外道・内典の小乗・ 権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず」(1473-08)と。即ち、爾前の諸経は、釈尊の悟りの真実を部分部分を説いた教えにすぎないのに対し、法華経は全体をそのまま説いている、との意である。
したがって、無量義経のつぎの文である大荘厳等の領解の文は、部分観にすぎない爾前の諸経を無量無辺不可思議阿僧祇劫という長期間、修行しても、無上菩提を成就することはできないことを明かし、この文を裏づけとして日蓮大聖人は、爾前の諸経を人師がどれだけ巧みに解釈し、そのうえに教えを構築しても、衆生を成仏に導くことはできない、と断定されているのである。
唯有一乗法・無二亦無三
法華経方便品の文で「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」とある。
一乗とは一仏乗ともいい、一は唯一無二ということであり、乗は乗り物の意で、迷いの衆生を乗せて成仏の悟りの境地におもむかせる教えをこのように譬えている。
無二亦無三とは、声聞・縁覚の二乗も、これに菩薩を加えた三乗も、本来は無く、すべて一仏乗の立場に帰入していくことを説いている。
法華経以前に説かれた諸経は、大きく小乗教の声聞乗・縁覚乗と大乗教の菩薩乗の三つに分けられる。そのなかで、権大乗教では声聞乗・縁覚乗は成仏不可能とされ、菩薩乗のみが強調されていたが、この方便品の文で、声聞乗も縁覚乗も菩薩乗もすべて一仏乗に記入すと説かれている。
これを、方便と真実の関係でいえば、爾前の諸経で三乗がべつに説かれたのは、一仏乗の真実に入らしめるための方便であったと明かしたのが、方便品の根本の意図なのであり、これを開三顕一とも三乗方便一乗真実ともいい、法華経迹門の主要な法門となっている。
それ故、方便品のこの文ははまさに、法華経こそ釈尊の悟りの真実を明かした卓越した経典であることをはっきりと明言しているのである。
此等の文をうけて天台は将非魔作仏の詞正く此の文によれりと判じ給へり
此等の文とは、これまで引用されてきた、無量義経、法華経の文である。
無量義経の文は「四十余年未顕真実」を表し、法華経の方便品では、法華経の一仏乗のみが真実の法門であると説き、また、法華経譬喩品では、唯仏のみが衆生を救う大慈悲の当体であることを述べている。さらに、同じ譬喩品で、法華経を受持し余経の一偈をも受けてはならないと強く勧めると同時に、逆に、法華経を信ぜず、そむいたりすると、自らの仏種を断ち、死後、無間地獄に堕ちると厳しく戒めている。
文中にある「将非魔作仏」とは「将に魔の仏に作りしには非ざるか」と読み、譬喩品の言葉である。
これは、釈尊の説法に前後相違がある故に、舎利弗が抱いた疑問である。爾前四十余年の諸経の中で、それぞれ真実であると説きながら、最後の法華経にきて、それを逆転させて、爾前経は方便、法華経こそ真実と説き、それに止まらず法華経以外の余経を信ずるならば無間地獄に堕ちる、と説いたために、舎利弗等は驚いて、悪魔が仏に変じてこのような自語相違の言葉を吐くのであろうと疑ったというものである。
このことは、それほど、法華経の説法が、それまでの爾前の諸経に比べて、革命的で卓越したものであったということである。
0462:07~0462:16 第三章 権実相対して法華最第一を明かすtop
| 07 問うて云く人師の釈はさも候べし爾前の諸経に此の経第一とも説き 諸経の王とも宣べたり若し爾らば仏説なり 08 とも用うべからず候か如何、 答えて云く設い此の経第一とも 諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語による 09 べからず、 之に依つて仏は「了義経によりて不了義経によらざれ」と説き 妙楽大師は「縦い経有りて諸経の王と 10 云うとも已今当説最為第一と云わざれば 兼但対帯其の義知んぬ可し」と釈し給へり、 此の釈の心は設ひ経ありて 11 諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも 後に説かんずる経にも 此の経はまされりと云はずば方便の経としれと 12 云う釈なり、 されば爾前の経の習として 今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ 13 最後の極説なるが故に 已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ、 されば釈には「唯法華に至つて前教の 14 意を説いて今教の意を顕す」と申して 法華経にて如来の本意も教化の儀式も定りたりと見えたり、 之に依つて天 15 台は「如来成道・四十余年未だ真実を顕さず法華始めて真実を顕す」と云へり、 此の文の心は如来・世に出でさせ 16 給いて四十余年が間は真実の法をば顕さず法華経に始めて仏になる実の道を顕し給へりと釈し給へり。 -----― 問うて言う。人師の釈はいかにもそのとおりであろう。しかし、爾前の諸経に「此の経第一」とも「諸経の王」とも宣べている。もしそうならば、仏説であっても用いてはならないであろうか。 答えて言う。たとい「此の経第一」とも「諸経の王」とも述べていようとも、これらは皆権教である。その言葉によってはならない。このことを仏は「了義経に依るべきであって不了義経に依ってはならない」と説き、妙楽大師は「たとい経があって『諸経の王』というとも、已今当説最為第一といわなければ、兼但対帯の義によって方便の経と知るべきである」と釈されている。この釈の意は「たとい経があって『諸経の王』というとも、その経よりも前に説いた経にも、後に説かれる経にも、この経は勝れているといわなければ、方便の経と知りなさい」というものである。ただ法華経のみが、仏の最後の極説である故に「已今当の経々の中で此の経が独り勝れている」と説かれているのである。それ故、法華玄義釈籤には「ただ法華経に至って、爾前教が方便であるとの意を説いて、今教の本意を顕した」といって、法華経において仏の本意も、教化の儀式も確定したと説いている。 これによって天台大師は「釈迦如来は成道して四十余年の間、未だ真実を顕さず、法華経で始めて真実を顕した」と述べている。この文の意は、如来が世に出られて四十余年の間は真実の法を顕さず、法華経で始めて仏になる真実の道を顕わされた、と釈されている。 |
已今当
已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第10に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」(法華経362㌻)とある。これについて、天台大師は『法華文句』で、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと解釈している。
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兼但対帯
法華玄義巻一上に「華厳は兼、三蔵は但、方等は対、般若は帯、此の経は復兼但対帯なし」とある。「華厳は兼」とは華厳部の経は円頓の法を明かしているのであるが、またところどころに行布の次第を述べ、円教に別教を兼ねているので「兼」という。「三蔵は但」とは小乗阿含経はただ経・律・論の三蔵のみを説いて、通・別・円の三教の理を明かさないことをいう。「方等は対」とは方等部の経々は蔵・通・別・円の四教の義に対応して四教の法を説くところから「対」という。「般若は帯」とは般若部に共般若・不共般若があるが、不共般若は菩薩のみに説いて声聞・縁覚の二乗に共通しない別・円の二教をさし、共般若は声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通する通教をさす。般若はこの不共に共を帯びて説くのであり、別・円二教と通教を帯びて説くゆえに「帯」という。したがって、阿含は円のみならず通・別さえも明かしていないから「爾前の円」に含まれず、華厳・方等・般若は円教を説いても、その経のなかに蔵・通・別の三種の教法をも存しているから「権を帯びた円」すなわち「帯権の円」になるのである。それに対して「此の経は復兼但対帯なし」とは法華経が純円一実の教であるとの意である。
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如来
仏の尊称である十号の一つ。サンスクリットのタターガタの漢訳で、「真如(真実)から来た」という意味。もとは修行を完成した者の意で諸宗教で用いられていたが、仏教では釈尊や諸仏の呼び名とされた。
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人師・論師の釈によらずに、あくまでも仏説によれば、法華経こそ諸経中の王であり、一切衆生を成仏させる教えであるといわれたことに対し、問者は仏の説いた爾前の諸経典の中にも、それぞれ自らの教えを最第一とも、諸経の王ともいっているが、なぜ爾前の諸経を用いないのか、と問うているのである。
確かに爾前の諸経にも、自らの経が第一であるとの文が多々ある。たとえば、大乗密厳経巻上には「是の如き密厳経は、一切経に勝れたり」とあり、金光明経巻一には「是の金光明は、諸経の王なり」とあり、六波羅蜜多経巻一には「総持門には契経等の中、最も第一なり」とある。また大智度論巻四十六には「此の諸経の中にて、般若波羅蜜は、最も大なるが故に摩訶衍と説き」とある。このように、たしかに爾前の諸経にも自らの経が最勝であると説かれている。だが、権経であるがゆえに、その教説にはしたがってはならないのである。この点について日蓮大聖人はその所以を諸経論を引かれて論証されている。そしてここは総じて、権実相対の立場から、法華経の実教をこそ用うべきことを明かされている。
唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ
釈尊の一代聖教の中で、法華経が極説中の極説であり、あらゆる経に対して独り勝れた経であることを結論されている。まず初めに涅槃経巻六で説かれる法の四依の譬の中の「仏法の道理を完全に顕示した了義経に依って、衆生の機根にあわせて説いた方便の教えである不了義経に依ってはならない」の文を挙げ、さらに、天台大師・妙楽大師の疏釈を引いて、法華経が釈尊出世の本意を明かした経典であり、已今当の三説に超過した最勝の教典であることを示している。即ち、法華経法師品第十に「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と。天台大師はこの文を釈して法華文句巻八上には「已説とは爾前の四十余年の諸経、今説とは無量義経、当説とは涅槃経をいう」と述べている。また法華文句記巻七上には「縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し」とある。法華経は前後の諸経に比べて最も勝れており第一の経典であると説くが、爾前の諸経ではそれまでに説いた諸経と相対して第一と立てるのであって、たとい諸経の王と説いてもことごとく方便の教説であるとの意である。
日蓮大聖人は法華取要抄に「専ら本経本論を引き見るに五十余年の諸経の中に 法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり」(0331-14)、また開目抄では「此等の経文を法華経の已今当・六難・九易に相対すれば月に星をならべ九山に須弥を合せたるににたり」(0222-05)と説かれ、権実相対のうえで法華経と華厳・大日・涅槃等の諸経を比較して法華最勝の義を宣揚されている。つまり、釈尊は自ら已今当の三説、即ち過去の説法の中において法華経が最第一であることをはっきり宣言しており、そこから釈尊の出世の本懐が法華経の説法にあったことを重ねて論証されているのである。
0462:17~0463:17 第四章 二乗作仏を示し法華の帰依を勧めるtop
| 17 問うて云く已今当の中に法華経・勝れたりと云う事はさも候べし、 但し有人師の云く四十余年未顕真実と云う 18 は法華経にて仏になる声聞の為なり 爾前の得益の菩薩の為には 未顕真実と云うべからずと云う義をばいかが心得 0463 01 候べきや、 答えて云く法華経は二乗の為なり菩薩の為にあらず、 されば未顕真実と云う事二乗に限る可しと云う 02 は徳一大師の義か此れは法相宗の人なり、 此の事を伝教大師破し給うに「現在の麤食者は偽章数巻を作りて、 法 03 を謗じ人を謗ず 何ぞ地獄に堕せざらんや」と破し給ひしかば 徳一は其の語に責められて 舌八にさけてうせ給い 04 き、 未顕真実とは二乗の為なりと云はば最も理を得たり、 其の故は如来布教の元旨は元より 二乗の為なり一代 05 の化儀・三周の善巧・併ら二乗を正意とし給へり、 されば華厳経には 地獄の衆生は仏になるとも 二乗は仏にな 06 るべからずと嫌い、 方等には高峯に蓮の生ざるように 二乗は仏の種をいりたりと云はれ、般若には五逆罪の者は 07 仏になるべし二乗は叶うべからずと捨てらる、 かかる・あさましき捨者の仏になるを以て 如来の本意とし法華経 08 の規模とす、 之に依つて天台の云く「華厳大品も之を治すること能わず 唯法華のみ有りて能く無学をして還つて 09 善根を生じ仏道を成ずることを得せしむ 所以に妙と称す、 又闡提は心有り猶作仏す可し二乗は智を滅す心生ず可 10 からず法華能く治す復称して妙と為す」と云云、 此の文の心は委く申すに及ばず誠に知んぬ華厳・方等・大品等の 11 法薬も二乗の重病をばいやさず 又三悪道の罪人をも菩薩ぞと爾前の経にはゆるせども二乗をばゆるさず、 之に依 12 つて妙楽大師は「余趣を実に会すること諸経に或は有れども 二乗は全く無し故に菩薩に合して 二乗に対し難きに 13 従つて説く」と釈し給えり、 しかのみならず二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり、 修羅が大 14 海を渡らんをば是れ難しとやせん、 嬰児の力士を投ん何ぞたやすしとせん、 然らば則ち仏性の種あるものは仏に 15 なるべしと爾前にも説けども未だ焦種の者作仏すべしとは説かず、 かかる重病を・たやすく・いやすは独り法華の 16 良薬なり、 只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし 忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、 名聞名 17 利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。 -----― 問うて言う。已今当の三説の中で法華経が最も勝れているということが、いかにもそのとおりであろう。但しある人師の「四十余年未顕真実というのは法華経によって仏になる声聞のための言葉であり、爾前の諸経で得道した菩薩のためには、未顕真実というべきではない」という義をどのように心得るべきであろうか。 答えて言う。「法華経は二乗のためにとかれた経であり、菩薩のためではない。ゆえに未顕真実ということは二乗に限るべきである」というのは徳一大師の義である。これは法相宗の人である。このことを伝教大師が「現在の麤食者の偽りの書物を数巻作って正法を謗り、人を謗っている。どうして地獄に堕ちずにいられようか」と破折されたので、徳一はこの言葉に責められて 舌が八つにさけ死んでいった。 しかし「未顕真実」とは二乗のためであるというのは、最も道理を得ている。そのゆえは釈尊の布教の根元の趣旨は、もとより二乗の得道のためである。釈尊一代の化儀・三周の巧みな説法も、ことごとく二乗を正意とされたものである。それゆえ華厳経には、地獄の衆生は仏になっても二乗は仏になることができないと嫌い、方等経典には、高い峯には蓮が生じないように、二乗は仏の種を焦った衆生であるといわれ、般若経には五逆罪の者は仏になるが、二乗は成仏が叶わないと捨てられている。このようなあわれな捨て人が仏になることをもって仏の本意とし、法華経の規模とするのである。 それゆえ、天台大師は、摩訶止観巻六下に「華厳経・大品般若経も二乗を治すことはできない。ただ法華経のみがよく無学の二乗に善根を生じさせ、仏道を成就させることができる。故に妙と称する。また一闡提にも心があるから、やはり仏になることができる。しかし二乗は智慧を滅するので、菩提心を生ずることができない。法華経はよくこれを治す。ゆえに妙と称するのである」と。この文の意はくわしくいうにおよばばい。まことに華厳・方等・大品般若等の法薬も、二乗の重病をいやさず、また三悪道の罪人をも菩薩であるとして、爾前の諸経に成仏を許しているが、二乗の成仏を許さないのである。 これによって妙楽大師は法華玄義釈籤巻二に「余趣の衆生を仏道に会入させることは諸経にも説かれているが、二乗についてはまったく説かれていない。ゆえに余趣を菩薩に合して、二乗に対して、その難き二乗の作仏を示して法華経の力用を説いたのである」と釈している。そればかりではなく「二乗の作仏は、一切衆生の成仏を顕す」と天台大師は判じられている。修羅が大海を渡るのをむずかしいとするだろうか。幼児が力士を投げることをどうしてたやすいといえようか。そうであるならば、則ち仏性の種子のあるものは仏になる、と爾前に説くけれども、いまだ焦種の者が仏になるとは説かれず、このよう重病をたやすく治すのは、独り法華の良薬だけである。 あなたがただ仏になろうと思うならば、慢心のはたほこを倒し、瞋りの杖を捨てて、ひとえに一仏乗の法華経に帰依すべきである。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後生の足かせである。まことに恥ずべべきであり、恐るべきことである。恐るべきことである。 |
声聞
サンスクリットのシュラーヴァカの訳。「声を聞く者」の意。①仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子のこと。出家教団に属して修行をする。後代には大乗との対比で、小乗の教えを実践し阿羅漢を目指す出家修行者を意味するようになった。縁覚と合わせて二乗という。
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菩薩
菩薩の世界。菩薩が得る部分的な覚りの境涯。菩薩はサンスクリットのボーディサットヴァの訳で、「仏の覚りを得ようと不断の努力をする衆生」の意。もとは釈尊の過去世の修行時代の姿をさし、さらに釈尊と同様に成仏の道を歩む者も菩薩といわれるようになった。仏の無上の覚りを求めていく「求道」とともに、衆生を救おうという慈悲を起こして救済の誓願を立て、自らが仏道修行の途上で得た利益を他者に対しても分かち与えていく「利他」を実践する(上求菩提・下化衆生)という、自行・化他の修行をする。一切の菩薩は初発心の時に①衆生無辺誓願度(一切衆生を覚りの彼岸に渡すことを誓う)②煩悩無量誓願断(一切の煩悩を断とうと誓う)③法門無尽誓願知(仏の教えをすべて学び知ろうと誓う)④仏道無上誓願成(仏道において無上の覚りに至ろうと誓う)の四弘誓願を起こして、菩薩としての在り方(菩薩道)および修行(菩薩行)の目的と方向を明らかにする。そして、四弘誓願に従って菩薩戒を持ち、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)などの修行を積んで仏果を体得する。別教では初発心から解脱までを五十二位などに分類して菩薩の階位を定めている。煩悩のうち見思惑を断じたが、塵沙・無明の二惑を断じていない菩薩は方便有余土に住み、別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩は、実報無障礙土に住むとされる。爾前の諸経では、このような長期間にわたる各段階の修行(歴劫修行)が必要とされたが、法華経に至って即身成仏が明かされた。「観心本尊抄」には「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(241㌻)とあり、他人を顧みることのない悪人でさえ自分の妻子を慈愛するように、人界の生命には本来、菩薩界がそなわっていて、それは他者を慈しむ心にうかがえると示されている。生命論では慈悲を生き方の根本とし、「人のため」「法のため」という使命感をもち、行動していく境涯とする。
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二乗
六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
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得一大師
生没年不明。平安時代初期の法相宗の僧。徳一・徳溢とも書く。出家して興福寺の修円から法相宗を学び、東大寺で弘教したといわれる。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師と法華経の権実に関する論争を行った。著書に「仏性抄」「中辺義鏡」三巻などがある。
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法相宗
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
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麤食者
伝教大師が法華秀句・守護国界章の中で、法相宗の徳一を呵責した語。いまだ法華の醍醐味も知らず、爾前権教の粗食で満足しているとの意。
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一代の化儀
釈尊一代の化導の儀式・方式。仏が衆生を小乗から大乗へと誘引し、一仏乗の記入させる形式をいう。天台大師はこれを法華文句巻一上で、四種に分類して化儀の四教を立てた。
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三周の善巧
三周は三周の説法のこと、善巧は仏が巧みな方便をもって衆生を教化・化導すること。三周の説法は法華経方便品第2~人記品第9に至る説法周・譬説周・因縁周の三段階の説法の形式をいう。爾前の諸経では永不成仏とされていた声聞に対し、仏はその機根に応じて三段階の法門を説き、成仏の記別を授けた。
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無学
修行が完成した者。仏法においては、学を究め尽くして、もはや学ぶものがなくなった聖者のこと。学あるいは有学に対する語。四果のうち、三界の見思惑を断じ尽くした最高位の阿羅漢をさす。
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善根
「ぜんごん」とも読む。善の果報を招き生ずる善因のこと。草木の根が、幹や枝を成長発展させる力をもっているように、善因は善なる果報を生ずる力と強い作用を有するので善根という。
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闡提
一闡堤のこと。サンスクリットのイッチャンティカの音写。本来は欲求しつつある人の意で、真理を信じようとしない快楽主義者や現世主義者をさした。仏法では、覚りを求める心がなく、成仏する機縁をもたない衆生をいう。仏の正法を信ぜずかえって反発・誹謗し、その重罪を悔い改めない不信・謗法の者のことで、無間地獄に堕ちるとされる。
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三悪道
悪業によってもたらされる3種の苦悩の世界のこと。地獄・餓鬼・畜生の三つをいう。
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修羅
阿修羅のこと。サンスクリットのアスラの音写。修羅と略す。古代インドの鬼神の一種。古くは善神だったが帝釈天らに敵対する悪神とされるようになった。後に、仏教で守護神に組み込まれた。
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仏性の種
仏性という種子のこと。仏種子・仏種ともいい、衆生の生命に本来そなわる成仏の種子をいう。仏となりうる可能性としての仏性を草木の種子にたとえたもの。
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焦種の者
二乗のこと。焦種とは焼種・燋穀種ともいう。焼いた種のことで、二乗の仏性をたとえたもの。
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一乗
一仏乗のこと。成仏のための唯一の教えの意で、「すべての者が成仏できる」という法華経の教えのこと。
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名聞名利
世間の名声や利益、それらを追い求める生き方。
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我慢偏執
おごり高ぶった心にとらわれ、偏った考えに執着すること。
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前章で「四十余年未顕真実」の文を挙げたのに対し、この「未顕真実」は二乗の作仏に限るとの法相宗の義をとりあげられている。この答えの要宗は、たしかに二乗作仏が正意ではあるが、二乗作仏に限るのではなく、それによって、一切衆生の成仏の法が確立されたところに法華経のすぐれたゆえんがある、ということである。声聞・縁覚の二乗は、身心を尽滅して空寂に帰すことを目的として修行した。そのために低い悟りに満足し、他者を救済する心を失っているゆえに、権大乗の諸経では永久に成仏できない衆生であると弾呵された。法華経に至って初めて二乗作仏の記別が与えられたのである。
このように、最も至難な二乗作仏をもって一切衆生皆成仏道が可能になったのであり、法華経第一の証拠なのである。
したがって「未顕真実は二乗の為なりと云わば最も理を得たり」とあるように、四十余年間の爾前の諸経が未顕真実なのは、あくまで二乗が作仏できないからであるという点については、道理に叶っている。
しかしながら「二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり」とあるように、法華経迹門において、二乗の成仏が説かれることによって十界すべての衆生の成仏が等しく可能とはったのである。一切衆生を平等に成仏に導くという仏の目的がここに完成されたのであり、その意味からも法華経が最高究極の法であると述べられているのである。
本抄の最後で、「只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり」とあるように、法華経は二乗をはじめ一切衆生の成仏を平等に説いてる最高の経典であるが、法華経に身心ともに帰依することなしに成仏はできない。成仏をめざすなら、自らの慢心・怒り・名聞名利・我慢偏執を捨てて、素直に法華経を受持すべきであると厳しく述べられている。
御書に「地獄も仏界も一如なれば成仏決定するなり所謂南無妙法蓮華経の受持なり」(0791-04)とある。末法今時の信心は受持即観心であり、身口意の三業にわたって妙法を受持することに尽きる。慢心、怒り、名聞名利等は、この妙法の受持を妨げ、信心向上を阻止する働きを持っているので厳しく戒められているのである。
名聞名利の人生は今世だけの虚飾であり、我慢と偏執の心は未来成仏の妨げでしかないのである。結局、いかなる人であっても、純粋な信心を貫く人生ほど尊いものはないと知るべきである。
0463:18~0464:13 第五章 法華経の信受を勧めるtop
| 18 問うて云く一を以て万を察する事なれば・あらあら法華のいわれを聞くに耳目始めて明かなり、 但し法華経を 0464 01 ば・いかように心得候てか 速に菩提の岸に到るべきや、 伝え聞く一念三千の大虚には慧日くもる事なく一心三観 02 の広池には智水にごる事なき人こそ 其の修行に堪えたる機にて候なれ、 然るに南都の修学に臂をくだく事なかり 03 しかば瑜伽唯識にもくらし 北嶺の学文に眼を・さらさざりしかば止観玄義にも迷へり、天台・法相の両宗はほとぎ 04 を蒙りて壁に向へるが如し、 されば法華の機には既にもれて候にこそ何んがし候べき、 答えて云く利智精進にし 05 て観法修行するのみ法華の機ぞと云つて 無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり 是れ還つて愚癡邪見の至りな 06 り、一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし 下根下機は唯信心肝要なり、されば経には 07 「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん」と説き給へり、 いか 08 にも信じて次の生の仏前を期すべきなり、 譬えば高き岸の下に人ありて登ることあたはざらんに 又岸の上に人あ 09 りて繩をおろして此の繩にとりつかば 我れ岸の上に引き登さんと云はんに 引く人の力を疑い繩の弱からん事をあ 10 やぶみて手を納めて是をとらざらんが如し 争か岸の上に登る事をうべき、 若し其の詞に随ひて手をのべ是をとら 11 へば即ち登る事をうべし、 唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への 繩をあやぶみて決定 12 無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、 不信の者は堕在泥梨の根元なり、 され 13 ば経には「疑を生じて信ぜざらん者は則ち 当に悪道に堕つべし」と説かれたり、 -----― 問うて言う。一をもって万を推察するのであるから、あらあら法華経が他経に勝れる趣旨を聞いて、耳目が初めて明らかになった。しかし法華経をどのように心得て修行することが、速やかに菩提の岸に至るのであろうか。伝え聞くところによると一念三千の法門は大空には智慧の日の光が輝いて曇ることがなく、一心三観の広大な池には、智水の水が濁ることのない人こそ、そ の修行に堪えられる機根であるという。ところが、私は奈良の都の修学に臂をくだくほど励むことがなかったので、瑜伽・唯識の法門にもくらい。また比叡山延暦寺の学文にも眼をさらさなかったから、摩訶止観や法華玄義の法門にも迷うばかりである。天台や法相の両宗については、鉢を頭にかぶって壁に向かっているのと同じである。そうかといえば法華経によって得道する機根にはすでにもれている。どうしたらよいのであろう。 答えて言う。智慧がすぐれておりたびたび精進して観法の修行をする人のみが法華経の機根であるといって、無智の人を妨げるのは今の世の学者の所行である。これはかえって愚癡・邪見の至りである。法華経は一切衆生皆成仏道の教えであるから、上根・上機の者は観念・観法もよいであろう。ただし下根・下機の者はただ信心が肝要である。故に法華経提婆達多品第十二には「浄心に信じ敬って疑惑を生じない者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちることなく、十方の仏前に生ずるであろう」と説かれているのである。なんとしても法華経を信じて、つぎの世に仏前にうまれることを期すべきである。 たとえば高い岸壁の下に人がいて登ることができないときは、また岸の上に人がいて繩をおろし「この繩にとりつけば、私が 岸の上に引いて登らせよう」というのに、引く人の力を疑い、繩の弱いのではないかと危ぶんで手をださず縄を取らないようなものである。どうして岸の上に登ることができようか。もしその人の言葉に随って手を差し出し縄をつかめば即ち登ることができるのである。 唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教えの繩を危ぶんで決定無有疑の妙法を唱えなければ仏の力も及ばず、菩提の岸に登ることもむずかしいのである。不信は地獄に堕ちる根元である。故に法華経従地涌涌出品第十五には「疑いを生じて信じない者は即ち悪道に堕ちるのである」と説かれているのである。 |
菩提
サンスクリットのボーディの音写で、覚りの意。特に、仏が体得した最高の智慧による覚りをいう。
―――
一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
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一心三観
一心に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行。天台大師智顗が立てた観心の法門。天台大師はこれを止観の正行とした。別教で立てる次第三観に対して円融三観ともいう。別教においては、まず空観を修し、三惑のうちまず見思惑を断じて空諦の理を証し、次に仮観を修し、塵沙惑を破して仮諦の無量の法門を知り、そののちに中道観を修し、無明惑を断じて中道の理を証する。このように、空・仮・中の三諦を次第に観じていくので次第三観という。これに対して天台大師の一心三観では三観を修行の初めから直ちに修するので不次第三観という。修行の時間も隔たりがなく、中道の理を証するにも空間の隔たりがなく、一境の上に三諦が相即し、三観も一心に円融するので円融三観という。この一心三観を基盤として一念三千の法門が展開される。
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南都
奈良のこと。京都(平安京)に対して南に位置するので、都であった奈良をこのように呼ぶ。
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瑜伽
①瑜伽行派のこと。②真言密教の教えのこと。瑜伽とはサンスクリットのヨーガの音写で相応と訳し、これは「結ぶ、結合する」という意味の動詞ユジュを原語とする。真言宗は、修行者と仏との三密が相互に結び合うこと(相応)で即身成仏できると説く。
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唯識
(1)サンスクリットのヴィジュニャプティマートラターの訳。自身の心の外にあると思われる事物・事象は、ただ心の認識によって映じ出された表象のみである、との意。あらゆる事物・事象(万法)は、心の本体である識が変化して仮に現れたものであり、ただ識のみがあるとする大乗仏教の一学説。唯識では、従前の部派仏教で主張されていた6種の識(眼・耳・鼻・舌・身・意の六識)のほかに、認識の元となる種子を蓄え熟させ認識の根本を担う心(心王)として、阿頼耶識(蔵識)を立てた。また阿頼耶識から、根源的な自我執着意識である末那識を分立させ、八識を立てる説もある。さらに清浄と染汚が並存する阿頼耶識よりも根本にあって清浄な阿摩羅識(根本清浄識)があるとして、九識を立てる説もある。唯識では、煩悩によってけがれた識を転じて、清浄な智慧を得るという転識得智を図る。また、すべての存在の本性や在り方を有無、仮実という視点から3種に分類し、①遍計所執性(他と区別して実体視してとらえられた、ものごとのあり方)②依他起性(縁起によって生じているあり方)③円成実性(実体視をはなれた真実のあり方)の三性を説く。(2)(1)の唯識の思想を唱えた瑜伽行派およびその流れを受ける諸宗のこと、特に法相宗の別称。また、それらの宗派の思想をいう。4世紀ごろ、十地経、大乗阿毘達磨経などの教説に基づいて、瑜伽行派で唱えられた。祖とされる弥勒(マイトレーヤ)は『瑜伽師地論』などを著した。その教説を組織立てたのが無著(アサンガ)で、『摂大乗論』などを著した。無著の弟の世親(天親、ヴァスバンドゥ)は『唯識二十論』『唯識三十論頌』などを著し、唯識の思想を大成させた。その後も瑜伽行派は隆盛し、諸学者が輩出されるとともに種々の異説が生まれた。そのうち、陳那(ディグナーガ)に始まる有相唯識派は、無性(アスヴァバーヴァ)を経て、護法(ダルマパーラ)によって大成された。護法は『成唯識論』を著し、法の相と性を判然と区別し、現象である相の分析から真実なる性へと至ろうとする性相別体論を唱え、新たな学説を大成した。さらに戒賢(シーラバドラ)から中国の玄奘へと伝えられ法相宗となり、日本へも伝えられた。陳那と同時代の徳慧(グナマティ)の弟子である安慧(スティラマティ)には、世親の思想に近い説が伝えられた。これは、陳那らの有相唯識派と対立し無相唯識派と呼ばれる。この派とされるシャータラクシタ(寂護)とその弟子のカマラシーラ(蓮華戒)は瑜伽行派の思想を中観派の思想を統合し、瑜伽行中観派と呼ばれる。その思想は、後のチベット仏教に大きな影響を与えた。またこの派は真諦(パラマールタ)によって中国に伝えられた。中国への伝承は、曇無讖(ダルマラクシャ)による菩薩地持経、求那跋摩(グナヴァルマン)による菩薩善戒経の翻訳で始まった。その後、大きく三つに分かれる。まず、南北朝時代、北魏の宣武帝の時(508年)に、菩提流支(ボーディルティ)、勒那摩提(ラトナマティ)らによって伝承され、世親の『十地経論』に基づく地論宗が起こった。勒那摩提は、世親の著で如来蔵思想を示す『宝性論』を訳している。次いで梁の武帝によって真諦が548年に中国に招かれ、無著の『摂大乗論』をはじめ多くの論書を訳し、その『摂大乗論』に基づいて摂論宗が起こった。そして唐になって、玄奘によって諸経典とともに唯識の諸論書が645年に伝えられ、翻訳が改めてなされ、集大成された。玄奘の弟子の基(慈恩)は新訳にかかわり、真諦訳などに基づく従前の教説に対して、新訳に基づくとともに、護法の『成唯識論』を重んじ護法の主張を正義として法相宗を確立した。同宗は、太宗・高宗の帰依で一時期栄えたが、やがて華厳宗や禅宗が隆盛する影響で衰微していった。日本には摂論宗の教義も伝えられたが、ほどなく法相宗の教義が伝えられて法相宗が盛んになり、摂論宗の教義は大安寺・元興寺・興福寺などの諸寺で付属的に学ばれた。法相宗は興福寺を中心に学ばれ、南都六宗の雄となった。五性各別の教義に基づき三乗真実を主張したが、一乗真実を主張する三論宗と論争した。また伝教大師最澄が天台宗を伝えた後、両宗の間に長く論争があった。鎌倉時代に一時、復興するものの、法相宗は衰微した。その精緻な哲学思想は仏教の基礎教理として伝承され、江戸時代には他宗から唯識の学者が出た。(3)唯識の思想を論じた書である唯識論の略称。唯識論といわれるものに『唯識二十論』(世親著)、『唯識三十論頌』(世親著)、『成唯識論』(『唯識三十論頌』の注釈書、護法編著)などがある。
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北嶺
比叡山延暦寺のこと。
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止観
①止観という瞑想修行のこと。「止」とは心を外界や迷いに動かされずに静止させることで、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。②天台大師智顗の『摩訶止観』10巻の略称。
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玄義
法華玄義のこと。天台大師智顗が法華経の題名である「妙法蓮華経」について講義したものを、章安大師灌頂が編集整理したもの。10巻。「妙法蓮華経」に秘められている深玄な意義を、名・体・宗・用・教の五つの観点(五重玄義)から解明している。
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利智精進
利智を働かせて一心に仏道を求めること。利智はとどこおりのない鋭い智慧をいい、精進は純粋に仏道修行に励むことをいう。
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観法修行
観法という修行の方法。法を観ずることで、観・観念・観行・観門と同義。
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愚癡邪見
愚癡は仏法に暗く愚かであること。邪見は誤りの思想、因果を無視した見解。
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一切衆生・皆成仏道の教
妙法を信受した一切の衆生が皆、仏道を成ずること。法華経をさす。
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上根・上機
上根は仏の教法を受け入れる素質・能力の勝れた衆生、六根が鋭敏で勝れていること、またその人。上機は勝れた素質・能力を有する人。
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観念
①観じ念ずること。対象を心に想い浮かべて観察し思念すること。心を対象とする観念を観心という。天台大師智顗は『摩訶止観』で観心を説き、一念三千の法門を明かした。日蓮大聖人は、末法においては、成仏の法である一念三千の法門は、成仏のための因行果徳のすべてが納まった妙法蓮華経という題目の五字を受持することにあるという受持即観心を説かれた。②日常の語としては、覚悟すること。あきらめること。
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観法
「かんぼう」とも読む。法すなわち事物・事象に対して心を静めて集中し、智慧を発現させてその対象を観察すること。
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下根下機
機根が劣っていること。仏の教法を受け入れる衆生の素質・能力の劣る者。
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唯我一人・能為救護
法華経譬喩品第3の文。「唯我一人のみ能く救護を為す」読み下す。仏のみが一切衆生を救う力があること。同品に「今此の三界は|皆是れ我が有なり|其の中の衆生は|悉く是れ吾が子なり|而るに今此の処は|諸の患難多し|唯我一人のみ|能く救護を為す」(法華経191~192㌻)とある。
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以信得入
「信を以て入ることを得たり」と読み下す。法華経譬喩品第3の文(法華経198㌻)。智慧第一とたたえられた舎利弗ですら、信によって初めて法華経に示される仏の智慧の境涯に入ることができたこと。
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決定無有疑
法華経如来神力品第21の末尾にある結論の文。「(是の人は仏道に於いて)決定して疑い有ること無けん」(法華経576㌻)と読み下す。釈尊滅後に法華経の功徳を聞いてこの経を受持すれば、その人が仏道を成就することは疑いないということ。
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堕在泥梨
地獄に堕ちること。泥梨はサンスクリットのニラヤの音写で、地獄のこと。
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前章において、法華経が出離生死の大法であることが明らかにされたが、このようなすばらしい法華経は凡夫の身では修行できないのではないか、という問いが設けられたのが本章である。それに対して、法華経の修行は信が根本であり、万人が成仏できる法であることを示されている。
一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり
この御文には、像法時代の天台宗が一部の階級のみのものになったことへの指摘と、法華経の修行を困難であると排斥しようとしている当時の邪宗教の考え方への鋭い破折が含まれている。
法華経は他経で否定している二乗作仏や悪人・女人の成仏を説いており、一切衆生が皆、成仏できるとする教えを鮮明にしている。にもかかわらず、一部の者しか修行や理解ができなかったのはなぜか。天台大師や伝教大師によって南三北七・南都六宗の非が明らかとなり、社会から天台宗の正しさが認められたことは歴史の示すところである。それにより、権威ある存在となり、後にそれが形骸化して貴族階級の師弟の専有物と化していったことが、理由の一つとして挙げられよう。しかし、最も大きな原因はやはり、その修行法が困難であることであろう。その故に、本抄でもこの疑問が設けられているのである。
天台宗では観念・観法の修行を説いている。天台大師は、法華経方便品第二の諸法実相の文を根本にして、衆生の起こす一念心に三千の諸法を具することを明らかにした。これを天台の一念三千の法門という。この法理を体得する実践として一心三観の修行を説いた。これは己心の一念を観じて、そこに三千の諸法が円満にそなわっていることを感得する修行であり、三観とは、一念のなかに空仮中の三諦が円有相即して欠けることなくそなわっていると観ずることをいう。この修行を観念観法とも止観ともいうのである。
こうした観念観法の修行は、必然的に禅定を中心とした、脱社会的な方法をとることになる。事実、坐禅の方法を確立したのは天台大師である。しかも、思索をこらして究極の法たる一念三千の法門に迫ることは、まさしく上根・上機でなければできない難事でもある。
ここに、天台宗が一部の者のみの所有物となり、民衆から遊離していった根本原因であるといってよい。そしてそれが、浄土宗などから「千中無一」「未有一人得者」と批判される口実を与えたともいえよう。
しかも、大聖人の御在世の時代には、観心の修行を重んずるあまり、止観が法華経にまさるという曲論を展開し、本末転倒の姿を示すまでになっていったのである。「立正観抄」に「当世天台の教法を習学するの輩多く観心修行を貴んで 法華本迹二門を捨つと見えたり当世天台の教法を習学するの輩多く 観心修行を貴んで 法華本迹二門を捨つと見えたり」(0527-01)とその風潮を厳しく指弾されている。止観と法華の勝劣は、与えていっても止観は法華迹門の分にすぎないのであり、奪っていえば大蘇開悟を根本にしているのであるから爾前権教、別教の分斉であるということができる。その勝劣は天地の開きがあるといってよい。
こうした状況のなかで考えてみれば、日蓮大聖人が「上根・上機は観念・観法も然るべし」といわれているのは、まだ容認の立場で与えていわれたものと拝される。末法は三毒強盛の衆生であり、上根・上機のものはいないばかりか、天台宗の観念観法自体が本末転倒の姿を示しているのであるから、この修行法では、いかなる修行も成仏することはできないのである。
末法においては「唯信心肝要なり」といわれているように、たとい下根下機の者であっても「信」によって仏の智を得、成仏の道を歩むことができるのである。「以信代慧」とはこのとおりであり、どのような機根の者であっても、成仏を可能にしたところに法華経の偉大さがあることを知らねばあらない。
天台宗の行き過ぎもさることながら、法華経は上根上機の者でなければ悟ることができないというのは、当時の浄土宗をはじめとした諸宗の卑劣な妨害である。自らの教義と比較して争おうとするのではなく、「理深解微」等といって、ことさら法華経を讃嘆しているかのようにみせかけながら、かえってその修行の道を閉ざそうとすることほど、悪質なことはない。そうした当時の諸宗の邪論を鋭く破折されているのである。
もとより、五濁悪世の末法の衆生はすべて三毒熾盛の下根下機であり、末法においては、観念観法によって成仏する者は誰もいないのである。妙法への「信心」によってのみ皆成仏道の教えにかなうのであり、そこに「肝要」といわれる意味がある。
また、考え方を変えていえば「下根下機」といわれることは、日蓮大聖人の仏法こそ、あらゆる民衆を救いきる教えであり、最も苦しみ、悩んでいる人々こそ、真っ先に幸せにしていく、民衆のための仏法であることを示しているともいえよう。そこに一切衆生皆成仏道の法華経の意義があるのである。
唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり
法華経を信ずることによって一切衆生が成仏できることは前述してきたが、逆に法華不信の者は成仏できないことは当然であり、不信謗法の故に地獄に堕ちることになる。仏を「疑い」、法華経を「あやぶみて」とはまさしく「不信」である。その不信にとらわれて決定無有義の南無妙法蓮華経を唱えることをしないならば、菩提を成ずることができないばかりか、地獄の苦をうけることになるのである。まさに法華経譬喩品第三に「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん…其の人命終して、阿鼻獄に入らん」とあるとおりである。
いかに仏に力があろうとも、また法華経が最高の教えであっても、それを信じ行じなければ、成仏は思いもよらない。法華経は、信の一字によって成仏することができる教えである故に、逆に法華不信ほど恐ろしいものはないのである。それ故、いかなる艱難辛苦があろうとも御本尊を信じぬいていくことこそ、最も肝要であるということを知るべきである。
0464:13~0465:06 第六章 法華信受の功徳を示すtop
| 13 受けがたき人身をうけ値いがた 14 き仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、 同じく信を取るならば又大小・権実のある中に諸仏出世の本意・衆生成仏の 15 直道の一乗をこそ信ずべけれ、 持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり、 爰を以 16 て経に云く「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て 亦為第一なり」と説き給へり大聖の金言疑ひなし、 然る 17 に人此の理をしらず見ずして名聞・狐疑・偏執を致せるは堕獄の基なり、 只願くは経を持ち名を十方の仏陀の願海 18 に流し誉れを三世の菩薩の慈天に施すべし、 然れば法華経を持ち奉る人は天竜・八部・諸大菩薩を以て我が眷属と 0465 01 する者なり、 しかのみならず因身の肉団に果満の仏眼を備へ 有為の凡膚に無為の聖衣を著ぬれば三途に恐れなく 02 八難に憚りなし、 七方便の山の頂に登りて九法界の雲を払ひ無垢地の園に花開け法性の空に月明かならん、 是人 03 於仏道・決定無有疑の文憑あり唯我一人・能為救護の説疑ひなし、 一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ五十展転 04 の随喜は八十年の布施に勝れたり、 頓証菩提の教は遥に群典に秀で顕本遠寿の説は永く諸乗に絶えたり、 爰を以 05 て八歳の竜女は大海より来つて 経力を刹那に示し 本化の上行は大地より涌出して仏寿を久遠に顕す言語道断の経 06 王・心行所滅の妙法なり、 -----― 受けがたい人身をうけ、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生を空しく過ごしてよいものであろうか。同じく仏法を信ずるならば、大小・権実とあるなかには、諸仏出世の本意であり衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信ずべきである。 持つところの法華経が諸経に勝れていれば、能く持つ人もまた諸人に勝れるのである。このことを法華経薬王菩薩本事品第二十三には「能く是の経を持つ者は、一切衆生の中でまた第一である」と説かれている。仏の金言は疑いないのである。ところが世間の人は、この道理を知らず、また見もしないで、名聞を求め、疑い深く、偏見に固執しているのは、地獄に堕ちるもとである。 ただ願うところは、法華経を持ち名を十方の諸仏の誓願の海に流し、誉れを三世の菩薩の慈悲の天に施すべきである。そうすれば、法華経を持つ人は、天竜等の八部衆や諸大菩薩を自分の眷属とする者である。そればかりでなく、因位にある凡夫の身の肉団に果位円満の仏眼をそなえ、有為の凡身に無為の聖衣を着たことになるから、三途にあっても恐れなく、八難所にあっても憂いはない。七方便の山の頂に登って九法界の迷いの雲を払い、無垢地の園に花は開き、法性の空に月は明らかとなるであろう。法華経如来神力品第二十一の「法華経を受持する人が、仏道を成就することは疑いない」との文は頼りになり、法華経譬喩品第三の「ただ我一人のみがよくこの三界の衆生を救護する」との仏説も疑いない。 一念信解の功徳は、五波羅蜜の修行を越えており、五十展転の随喜の功徳は、八十年の布施よりも勝れている。すみやかに菩提を証得する教えは、はるかにあらゆる経典に秀で顕本遠寿の説は、諸余の経典にはながく絶えてないのである。 このような次第で、八歳の竜女は大海から霊鷲山にきて即身成仏の経力を一瞬に示し、本化の上行菩薩は大地から涌出して仏の寿命が久遠であることをあらわした。まさしく法華経は言語で表現することのできない不可思議な経王であり、心の思慮分別の遠く及ばない妙法である。 |
一乗
一仏乗のこと。成仏のための唯一の教えの意で、「すべての者が成仏できる」という法華経の教えのこと。
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名聞
名聞名利・名聞利養のこと。俗世間の地位・名誉・財産・評判等を追い求めること。
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狐疑
疑い深く事に臨んでためらうこと。
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偏執
偏ったものに執着すること。偏った考えに固執して正邪・勝劣をわきまえないこと。
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十方の仏陀の願海
三世十方の諸仏の誓願のこと。仏は菩薩のときから、仏法を求め一切衆生を救おうとして、海のように広く深い誓いや願いがあること。願海は誓願が深大であることを大海にたとえる。
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三世の菩薩の慈天
一切衆生を救済しようとする三世十方の菩薩の慈悲が、天のように広大であること。慈天は菩薩の慈悲が一切を覆い、養うさまを天に譬えた語。
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天竜
天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅迦等の八部衆の代表。
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八部
八部衆のこと。仏法を守護する八種類の神々のこと。①天(天界に住む諸神)②竜(竜王・竜神)③夜叉(鬼神の一種)④乾闥婆 (天の音楽の神)⑤阿修羅(鬼神の一種)⑥迦楼羅(金翅鳥のこと。竜を主食とする鳥)⑦緊那羅 (天の音楽の神)⑧摩睺羅伽(蛇神)
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眷属
① 一族、親族のこと。②従者、家来など。③サンスクリットのパリヴァーラの訳。仏や菩薩などに弟子などとして付き従い支える者。
因身の肉団に果満の仏眼を備へ
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有為
因縁によって生じた、生滅・変化する事象のこと。無為に対する語。
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無為
因縁によって造作されることなく、生住異滅の相を離れた常住不変の真理。
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三途
死者が行くべき三つの場所。猛火に焼かれる火途、刀剣・杖で強迫される刀途、互いに食い合う血途の三つで、それぞれ地獄道・畜生道・餓鬼道にあてる。三悪道。三悪趣。
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八難
仏を見,正法を聞くことを妨げる八種の苦難・境界。すなわち,地獄・畜生・餓鬼・長寿天・盲聾瘖啞・辺地・世智弁聡・仏前仏後の称。
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七方便
七種の方便のこと。①小乗教の声聞の修行位中、七賢位のこと。②法華玄義釈纎に説かれる天台所立の三種の七方便のこと。
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九法界
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩界のこと。
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無垢地
①菩薩十地の第二離垢地のこと。種々の煩悩の垢を離れた清浄な境地。②等覚の位のこと。52位のなかの51位。等覚は仏の覚りと等しい菩薩の最高位のこと。
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法性
万物を貫く根本の法そのもの、仏の覚りの本質。真理であり、万物のあるべき姿を示すものなので、法性真如ともいう。
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是人於仏道・決定無有疑
神力品に「我が滅度の後に於いて、斯の経を受持すべし、是の人仏道に於いて、決定して疑い有ること無けん」とあり、御義口伝には「是人とは名字即の凡夫なり仏道とは究竟即なり疑とは根本疑惑の無明を指すなり、末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり」(0772-第八畢竟住一乗○是人於仏道決定無有疑の事)とある。
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一念信解
分別品に説かれている四信五品の中の現在の四信の第一である。ほけきょうの修行の位であり、一番最初の初信の功徳である。分別品にはこの一念信解の功徳が説かれている。すなわち、八十万億那由佗劫において、仏道のために五波羅蜜という布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五つを修行する功徳を、この一念信解の功徳に比べるに、百千万億分の一にもおよばないという。末法において一念信解とは信心であり、信心に一切の功徳は収まるのである。
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五波羅蜜
六波羅蜜のうち般若(智慧)波羅蜜を除いたもの。「波羅蜜」は梵語、パーラミター(Pāramitā)の音写。彼岸と訳す。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧波羅蜜の六行があり、その行は万差であるから、六度万行という。菩薩等がこの六法を修して生死の彼岸よりよく涅槃の彼岸に至るということである。爾前経においては菩薩の歴劫修行を説いてきたが、無量義経にいたって「末だ六波羅蜜の修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」と説かれている。すなわちこれは、三大秘法の御本尊の功徳をたとえ、即身成仏を説いている。
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五十展転
法華経随喜功徳品第18で説かれる教え。法華経を聞いて随喜した人が、その喜びを人に伝え、その人がまた別の人に伝えるというようにして、第50人に至ったとして、その第50人の随喜の功徳ですら、莫大なものであると説かれる。
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頓証菩提の指南
頓証菩提とは、すみやかに仏の悟り・仏の智慧である菩提を証得すること。即身成仏・直達正観と同意。指南は教え示すこと。法華経が即身成仏・直達正観の道を指し示すおしえであるとの意。
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顕本遠寿
「本の遠寿を顕す」と読む。妙楽大師湛然の『法華文句記』巻10下の文。久遠の本地を開顕して、仏の寿命が長遠であると示すことをいう。発迹顕本、開近顕遠と同義。「本の遠寿」とは法華経如来寿量品第16に説かれる五百塵点劫成道以来の長遠な仏寿をいう。
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諸乗
さまざまな教法のこと。乗とは乗り物、運載の意。仏教では教法を乗り物にたとえる。
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竜女
海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で8歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第12には、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我は大乗の教を闡いて|苦の衆生を度脱せん」(法華経407㌻)と述べ、釈尊に宝珠を奉ってその身がたちまちに成仏する姿を示したと説かれている。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。
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刹那
極小の時間。瞬間。
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本化の上行
久遠の本仏の教化を受けた上行菩薩のこと。
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久遠
長遠な期間。長遠な過去。法華経では、迹門で三千塵点劫、本門で五百塵点劫という長遠な過去での出来事が明かされている。このうち、五百塵点劫という長遠な過去に釈尊が実は成仏したという本地が明かされた久遠実成が特に重要な法門であるので、久遠は五百塵点劫をもっぱら指すことが多い。また日蓮仏法では、釈尊の因位の時を久遠元初とし、そこからさらに凡夫が成仏する本源の時も久遠元初とすることから、久遠元初の意味でしばしば久遠を用いる。久遠元初とは、寿量品に即して表現すれば久遠五百塵点劫の当初の意で、時間的な表現で釈尊の久遠の成仏の根底を指し示しているが、本質的には、無始無終の妙法を凡夫の信の一念に開覚し、凡夫のままで無作の三身を成就する根源的な成仏の時はすべて久遠元初である。
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言語道断
言葉で表現することが断たれること。
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本章は、引き続き前章の問答の答えの部分で、法華経の信受を勧め、一念信解の功徳の大きいことを明かされている。
受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ
仏法においては三世の生命を説いている。そしてそれぞれの業によって、さまざまな生を受けるとされている。正法を誹謗すれば、無数劫のあいだ阿鼻獄に堕ちると説かれ、たといそれを過ぎても、人身を受けることはまことにまれであり、蛇身となったり、野犬となったり、また牛馬となって、小虫に食われたり人々から迫害され師役されたりすると説かれている。その他、さまざまな業因に応じた生を受けていくが、善業をなすことが少ない故に、人界に生を受けることは、まことに難しいのである。
もちろん、法華経においては、一切の生命が一念三千の当体であると説いているから、理のうえにおいては平等である。しかし、人間は「聖道正器」として、仏道を修める正しい器という。大きな価値をもっている。仏道修行ができるのは、人間だけなのである。したがって、いかに一念三千の当体であっても、その一念三千の当体であることを事相のうえにあらわすこと、即ち自ら修行して成仏の姿を示すことは、人間にしかできないことはいうまでもない。
その故に人間界に生を受けることは、仏法の道理からいって、まことに尊いことなのである。私達はまず、人界に生をうけたことを喜ばねばならない。
しかし、では人間界に生を受ければ、それでよいのかというと、そうではない。一念三千の当体として、成仏への道を説いた法にあわなければ成仏できないのは当然である。その故に、第二に、正法にめぐりあうことが重要になるのである。
ところが、この正法にあうということが、なかなかの難事である。日寛上人は「三重秘伝抄」のなかで、その困難なことについて、三つの点から教えられている。
①仏が世にでることが難しい
②たとい世に出ても法を説くことがない
③たとい法を説いても信受することが難かしい
たしかにこの地球の世界にあっても、かつて釈尊が出現し、末法において日蓮大聖人が御本仏として出現されたのみである。多宝仏のごときは、出現しても法を説いていない。そこに、正法にあうことの困難さがわかるのである。
現在の世界で考えてみても、大聖人の偉大な仏法がこの世界に存在していることさえまだ知らない人々が、知った人よりも、はるかに多い。大聖人の仏法が着々と広まっている今日の時代にあってもそうであるから、かつての時代にあっては、いかにそれが困難であったか想像がつく、私達は、あいがたき妙法にめぐりあったことを何よりも喜びとしなければならないのである。
ではこれで十分かというと、これでもまだ十分ではない。たとい正しい法にめぐりあったからといって、日寛上人がいわれるように、それを信受し生涯実践しぬかなければ成仏することはないのである。その故にここで「争か虚しくて候べきぞ」といわれているのである。
人間という恵まれた立場に生まれながら、法華経を信受することには耐えられないのではないかといって信受しないとすれば、そんな愚かなことはない。それは謙遜に名を借りた不信でもあろう。まして法華経は一切衆生皆成仏道の教えであり、すべての人に門戸が開かれているのである。今こそ、信を奮い起して正法を持つべきであると、慈悲を込めて教えられているのである。
持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり
ここでは一応、法華経がすばらしくても、持つ人が劣っていれば教えにかなわないのではないかという考え方に対して、それを打ち破っておられるのであるが、それをとおして、日蓮大聖人の偉大さがわからず悪口罵詈し、批判中傷する、当時の人々の誤りを厳しく指摘されている。
このことは、当時の社会、また宗教に限らず、いつの世にも、またどのような分野でもよくみられる誤りである。
一つの考え方が示された場合、たとえば新しい学説などが提出されたとき、それに対する反応はといえば、どのような人が発表したかということが、大きな尺度になることがある。有名な人であったり、名門の人であったり、そのときの主流に位置する人の言であれば素直に認められるが、学歴がないとか、縁故がない人の説であると、なかなか評価されないということがある。これなどは、その学説をみるのではなく、人をみて、そこから学説を判断しているのである。まことに恐ろしいことであり、悲しいことであるといわねばならない。
ところが、大聖人の時代においても、まさしく、人を見て法を見るという風潮が、色濃く漂っていたのである。僧侶の大半は、文化の進んだ西国の出であったし、しかも高僧のもとで修業し、比叡山等で正規の学問を積んだとか、外国から来たというような、経歴が重視されたのである。そうした僧侶は、当然のことながら、当時の権力者達とも濃いつながりをもっていた。
それに対して、大聖人は、そうした門閥や経歴とは無縁であられた。東国の貧しい庶民の出であられた。しかし、他の僧侶が及びもつかないほどの修学をされたのである。しかし、人々はその外見だけを見て、持つ法を見なかったのである。そこに、日本が一国謗法に陥った根本原因があった。
人間が人生になんらかの意味を探る生き物である以上、人間の価値は、いかなる人生観をもち、それをどう人生に残していったかによって決まるといっても過言ではない。とすれば、いかなる分野であれ「持つ法」がすぐれているか否かに、人間の価値は帰せられるであろう。その意味からしても、日蓮大聖人の仏法を持つ私達は、最も誉ある存在であると確信してよいのである。
一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり
五波羅蜜は、大乗教に説かれる主要な菩薩行である。布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五つは、また智慧を加えて六波羅蜜ともするが、これらはたしかに仏道修行の過程においては重要なことであるのは疑いない。
しかし、それらは、あくまでも経の深意を得るための方法として立てられもので、それを目的化して、その形式さえ踏んでいれば仏道修行であると思ったならば、仏道修行の本道からはずれていくことになる。法華経分別功徳品においては、在世の弟子に四信を、滅後には五品を説き示している。それぞれの最初が一念信解と、初随喜品である。これらは、修行の根本がどこにあるかを端的に示したものといえる。
法華経においては信をもってはじめて入ることができるのである。これが四信の最初にきているのはその故であり、それは最初であるとともに、最も根本のことなのである。その故に、一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越えるといわれているのである。
初随喜品もそうである。初めて法を聞いて随喜するというのは、「信」の最も純粋なあらわれ方をあらわしている。正法に対する純真な信心が、随喜の心を起こすのである。御書に「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(0788-03)といわれているのは、南無妙法蓮華経こそ、生命の奥底から大歓喜を呼び起こすとの仰せである。
法華経随喜功徳品第十八では五十展転の功徳が説かれているが、これもまた、法華経を聞いて随喜する功徳がいかに大きいかを示している。さらに同品には、四百万億阿僧祇の世界のあらゆる衆生に対して八十年にわたって一切の楽具、珍宝を供養し、阿羅漢果を得せしめるよりも、法華経の一偈を伝え聞いて随喜する第五十番目の人の功徳のほうがはるかに大きいといわれている。
正法を唯一無二と信ずる一念、それを聞いて歓喜する純真な信、そして人に語り伝えていく功徳は、まさしく六波羅蜜自然在前であり、釈尊の因行果徳の二法さえも自然に譲り与えられるほどの広大無辺の大功徳であることを喜び、自行化他に邁進していきたいものである。
0465:06~0466:04 第七章 法華誹謗の業因を明かすtop
| 06 然るに此の理をいるかせにして 余経にひとしむるは謗法の至り大罪の至極なり、 譬 07 を取るに物なし、 仏の神変にても何ぞ是を説き尽きん菩薩の智力にても争か是を量るべき、 されば譬喩品に云く 08 「若し其の罪を説かば劫を窮むとも尽きず」と云へり 文の心は法華経を一度もそむける人の罪をば劫を窮むとも説 09 き尽し難しと見えたり、 然る間三世の諸仏の化導にも・もれ恒沙の如来の法門にも捨てられ 冥きより冥きに入つ 10 て阿鼻大城の苦患争か免れん 誰か心あらん人・長劫の悲みを恐れざらんや、爰を以て経に云く「経を読誦し書持す 11 ること有らん者を見て軽賎憎嫉して 結恨を懐かん其の人命終して 阿鼻獄に入らん」と云云、文の心は法華経をよ 12 み・たもたん者を見てかろしめ・いやしみ.にくみ・そねみ・うらみを.むすばん其の人は命をはりて阿鼻大城に入ら 13 んと云へり、大聖の金言誰か是を恐れざらんや 正直捨方便の明文豈是を疑うべきや、 然るに人皆・経文に背き世 14 悉く法理に迷へり 汝何ぞ悪友の教へに随はんや、 されば邪師の法を信じ受くる者を名けて毒を飲む者なりと天台 15 は釈し給へり汝能く是を慎むべし是を慎むべし。 -----― しかるにこの道理をおろそかにして、他の経と等しいとするのは、謗法の至りであり、これ以上の大罪はない。譬えるにも譬える物がない。仏の神通変化の力によっても、どうしてこの罪を説き尽くせよう。菩提の智慧の力によっても、どうしてこの罪の大きさを計れるであろうか。それゆえ法華経譬喩品第三には「もしその罪を説くならば劫を窮めても尽きることがない」と述べているのである。文の意は、法華経を一度でもそむいた人の罪は、劫をつくしても説き尽くし難いということである。 故に法華経に背く人は三世の諸仏の化導にももれ、恒沙のように数多い如来の法門にも捨てられ、暗い悪道から悪道に入って阿鼻大城の苦しみをどうしてまぬかれようか。誰か心ある人はこの長劫の悲みを恐れずにいようか。このことを法華経譬喩品第三には「経を読誦し書持する者を見て、軽賎憎嫉して恨み懐くならば、その人は命を終えて阿鼻獄に入るであろう」と説いている。文の意は法華経を読み持つ者をみて、軽んじ、賎しみ、憎み、嫉み、恨みをいだくならば、その人は命が終わって阿鼻大城に入るというのである。仏の金言であり、誰がこれを恐れずにいられようか。「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説く法華経方便品第二の明文をどうして疑うことができようか。ところが人は皆、経文に背き、世はことごとく法理に迷っている。あなたはどうして悪友の教えに随うことがあるだろうか。それゆえ「邪師の法を信じ受ける者を名けて毒を飲む者という」と天台大師は解釈されている。あなたはよくよくこのことを考え慎むべきである。 -----― 16 倩ら世間を見るに 法をば貴しと申せども其の人をば万人是を悪む 汝能く能く法の源に迷へり何にと云うに一 17 切の草木は地より出生せり、 是を以て思うに 一切の仏法も又人によりて弘まるべし 之に依つて天台は仏世すら 18 猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども 人は賎しと云はんやとこそ 釈して御坐候へ、 されば持た 0466 01 るる法だに第一ならば 持つ人随つて第一なるべし、 然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賎しむ 02 るは即ち其の親を賎しむなり、 爰に知んぬ当世の人は詞と心と総てあはず 孝経を以て其の親を打つが如し豈冥の 03 照覧恥かしからざらんや 地獄の苦み恐るべし恐るべし慎むべし慎むべし、 上根に望めても卑下すべからず下根を 04 捨てざるは本懐なり、下根に望めてもキョウ慢ならざれ上根も・もるる事あり心をいたさざるが故に -----― つくづくと世間を見ると、法は貴いというけれども、その法を持つ人を万人が憎んでいる。あなたは、よくよく法の源に迷っている。どうしてかというと、一切の草木は大地から生ずる。このことから思うと、一切の仏法もまた人によって弘まるのである。これによって天台大師は「仏の在世でさえ、なお人によって法をあらわす。末代にあっても、どうして法は貴いけれども人は賎しいとはいえようか」と解釈されている。それゆえ持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を毀るのはその法を毀ることである。その子を賎しむのは即ちその親を賎しむことである。これに照らせば、当世の人は言葉と心とすべて合わず、孝経でもってその親を打つような姿であることがわかる。仏菩薩が御照覧あそばされているのが恥ずかしくないのか。地獄の苦しみはまことに恐るべきでありくれぐれも慎しまなくてはならない。 上根にくらべても卑下してはならない。下根を見捨てないのが仏の本懐だからである。下根に比べても高慢であってはならない。上根も救いに漏れるもことがある。心をつくして仏法を求めないからである。 |
神変
神通の変現をいう。仏が超人的な力によって、さまざまな変化の現象を示すこと。
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劫
計りがたい長遠な時間の単位。サンスクリットのカルパを音写した劫波などの略。大時などと訳す。その長さを示すのに種々の説がある。天人が4000里四方の石山を100年ごとに細かくやわらかい衣で拭いて、石山を磨耗し尽くしても劫は尽きない(払石劫の譬え)、また4000里四方の大城を芥子(カラシナの種)で満たし、100年に1度、1粒を取って、取り尽くしてもなお劫は尽きない(芥子劫の譬え)などと説かれている。そのほか、大千世界の草木をことごとく1寸に切って籌とし、100年に1籌をとって、これを全部取り尽くしたときを1劫とする草木劫、ガンジス川の広さ40里の中に細かい砂を埋め尽くし、100年に1度、1粒を取り出し、これを取り尽くしたときを1劫とする沙細劫、大千世界を砕いて微塵とし、100年に1度、1塵を取ってこれを取り尽くしたときを1劫とする砕塵劫などがある。また世界が成立し(成)、継続(住)、破壊(壊)を経て、次の成立に至るまで空虚の状態(空)の過程を四劫(成・住・壊・空)といい、四劫の期間を1大劫という。成住壊空の四劫はそれぞれ20中(小)劫からなるとする。『俱舎論』によると、人寿(人間の寿命)が10歳から8万歳までの間を漸次に(後の解釈では100年に1歳)増加または減少する期間を1増および1減といい、1増1減の増減劫を1中劫とし、1増または1減を1小劫としている。これに対して1増1減を1小劫とする説もある。『瑜伽師地論』では住劫の20中(小)劫をすべて増減劫とするが、『俱舎論』ではそのうち最初の中劫は無量歳から10歳に下がるのみの減劫、最後の中劫は10歳から8万歳に至るのみの増劫(長さは増減劫と同じ)としている。これは住劫における人寿の増減を基準として分別したものであるが、人寿の増減のない成劫、壊劫、空劫のおのおのにもあてはめられる。また住劫の20中(小)劫のおのおのには小の三災(穀貴・兵革・疫病)、壊劫には大の三災(火災・水災・風災)が起こるとされる。
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恒沙
恒河沙のこと。恒河(ガンジス川)の砂のこと。無数であることに譬えられる。法華経従地涌出品第15では地涌の菩薩のことを「我が娑婆世界に自ずから六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り」(法華経452㌻)としている。
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阿鼻大城
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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正直捨方便
法華経方便品第2の文(法華経144㌻)。「正直に方便を捨てて」と読む。釈尊が法華経以前に説いた教えはすべて方便であるとして、執着をもたずきっぱりと捨てること。この文は「但だ無上道を説く」と続き、最高の教えである法華経を説くと述べられている。
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悪友
「あくう」とも読む。悪知識と同義。誤った教えを説いて人々を迷わせ、仏道修行を妨げたり不幸に陥れたりする悪僧・悪人のこと。善知識に対する語。「悪友」ともいう。漢語の「知識」とはサンスクリットのミトラの訳で、「友」とも訳され、友人・仲間を意味する。涅槃経には「菩薩は悪象等に於いては心に恐怖すること無く、悪知識に於いては怖畏の心を生ず。悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」とある。この文は、修行者は凶暴な象に殺されるというような外的な損害よりも、正法を信じる心を破壊し、仏道修行を妨げ、三悪道に陥れる悪知識こそ恐れなければならないことを述べている。日蓮大聖人は、悪知識に従わないように戒められるとともに、悪知識をも自身の成仏への機縁としていく強盛な信心に立つべきであると教えられている。さらには、御自身を迫害した権力者や高僧たちを自身の真価を現すのを助けた善知識と位置づけられている(917㌻)。
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孝経
孝(親に対して子が尊敬し仕えること)について記した儒教の経典の一つ。孔子の弟子である曾子の門人が編纂したとされる。
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冥の照覧
仏・菩薩や諸天善神が一切衆生の心や振る舞いをすべて見通して知っていること。「冥」とは顕に対する語で、通常は見えないが確かにあるものをいう。「照覧」とは、明らかに照らし見ること。「持妙法華問答抄」(466㌻)で日蓮大聖人は、持たれる法が第一ならそれを持つ人もまた第一であり、その人を謗ることは法を謗ることになると仰せである。そして、当時の人々がいかに表面上は仏法を尊んでいるようでも、その法を持つ人(法華経の行者、すなわち大聖人)を謗っていることは、すべて仏・菩薩が見通している。その冥の照覧に対して恥ずかしく思わないのかと厳しく戒められている。
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憍慢
自らおごり高ぶって、他人をあなどること。
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最高究極の法華経を軽んじて余経を同時に置いたり、妙法を持つ行者を蔑る罪がいかに大きいかを指摘された段である。
一切の仏法も又人によりて弘まるべし
仏法の弘宣に寄せて、人の尊いゆえんを示された御文である。
仏法において「法」が大事であることはいうまでもなく、とくに釈尊の経典においては、「法」の優位が強調されている。それを受けて天台大師も、たとえば法華文句巻十下には「法は是れ聖の師にして、能く生じ能く養い、能く成じ能く栄うるは法に過ぐるは莫し、故に人は軽く法は重きなり」と述べているのである。このように仏法を修業するうえにおいては「身軽法重死身弘法」が根本精神である。しかし、仏法を弘める上においては「人」が重要である。この段では、弘経において、「人」がその要であると示されているのである。仏法を求める修業において「法」が最も重要であることは、当然である。「人」に頼ることは不安定であり、仏の教えが歪められる恐れもある。その故に、涅槃経でも「依法不依人」と説かれ、不変である法を根本とすべきであると教えてきたのである。
とくに仏の滅後において、それぞれ勝手な解釈が出る恐れがある。仏の世であれば、仏自身によって、そうした考え方に修正がなされるし、そうした考え方が出ようはずもない。しかし、仏滅後においては、時を経るにしたがって、人師の都合や考え方にしたがって捉え方も変わってくる。そこに原理・原典が歪められる恐れもある故に、仏の法を根本とすべきで“人師”の説に頼ってはならないと教えたのである。
しかし法を弘めていくのは「人」であり法が存在するというだけでは、流布しない。
御書にいわく「法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856-04)と。妙楽大師の法華文句記巻九中にいわく「子父の法を弘む世界の益有り」と。「世界の益」とは世界悉檀の利益であり、娑婆世界の衆生にさまざまな利益を与えることを意味する。
法は人によって現実世界に生き生きと躍動しその本来の力を発揮するのである。法の力を生かすも殺すも、すべて人の力である。それほど人の力は大きい。逆にいえば、その責任は重いともいえる。仏がこの世界に遺した法は、たとえようもなく尊い。その故に、その教えを正しく継承し、弘宣していく使命もまた、たとえようもなく尊い。その自覚、認識を、ここでは教えられているのである。
日蓮大聖人が、釈尊の仏法の本懐は、人の振舞いであり、不軽菩薩の修業が肝心であると教えられているのは、人を最大限に敬っていくべきことを教えられていることに留意しなければならない。しかも不軽品は、弘経の方軌を説いた品であり、法を弘める人の尊さを示しているのである。
冥の照覧について
諸仏・諸菩薩・諸天善神は、衆生は何を考え、何を行っているか、また、いっていることと行動とが一致しているか等ということについて、すべて照覧されているのであり、いくらごまかそうとしてもできるものではない。そのことを恥ずかしく思わなければならないと、厳しく当時の人々の、仏法を敬うといいながらそれを弘めている人を謗るという矛盾を指摘されているのである。
仏や諸天が一切を見通しているという考え方は、さまざまな説き方で示されている。同生同名天、俱生神がそうであり、閻魔王が裁くときに使われる浄頗梨の鏡もそうである。これは、仏法の峻厳な因果の法則を、わかりやすい形を示したものといえる。
ただし、これらを、たんに倫理的な徳目を教えるための譬喩と考えることは誤りである。仏法の因果応報思想は、けっして倫理などで終わるものではない。文字どおり、因果という厳然とした法則なのである。
倫理や道徳は、法則ではない。人間としてこうあるべきである。こういうことが望ましいといった、一つの基準であり、そのことによって宇宙・自然が縛られているべきものではない。もちろん、それが人為的な法律として規制力をもつこともあるが、人為的である以上、時代や社会の変遷とともに変更を余儀なくされる面を含んでいる。とくに人為的に拘束していない道理については、法則として働くことはなく、まして、それに違反すれば、なんらかの罰則を受けるというようなことはまったくない。たとい、そうした応報らしきものを教えていたとしても、それは倫理を実践させるための譬喩にすぎないのである。
ところが、仏法におけるこうした説話は、因果の法則を説明するためのものである。即ち、あくまでも生命内在の因果の法則というものが奥底にあるのである。浄頗梨の鏡などが一つの譬喩にあるとすれば、まさにそのための譬喩であって、根本にあるのは、あくまでも因果の法則である。
たとえば「佐渡御書」には「人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる」(0960-03)と説かれている。これが、餓鬼となるかどうかはわからないけれども、そうなると教えて人の物を奪う心を戒めるために説かれたにすぎないということは、道徳・倫理の範疇である。しかし仏法が教えられている意味は、そうしたものではなく、現実に餓鬼となるということである。即ち、餓鬼界の苦しみを受けるという、因果の法則を教えているのである。
その法則とは、いかに外見をつくろおうが、ごまかせるのもではない。なんとなれば生命内在の因果であるからである。これを「冥の照覧」というのである。言葉でいくら上手なことをいっても、心や行動で仏法に背いていれば、すべて峻厳なる果・報を受けなければならない。
逆に、仏法を正しく修業しているひとは、たとい誰の目に止まらなくても、厳然と功徳を積むことができる。「冥の照覧」という、逃れることのできない厳しき原理があるからこそ、謗法を恐れなければならないし、同時に、一切の仏道修行にも、功徳がかならずあることを確信して歓喜をもって取り組むことである。
上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても憍慢ならざれ上根も・もるる事あり心をいたさざるが故に
十如実相・一念三千の法理を説いた法華経は、一切衆生は妙法の当体であり、これを覚知することによって、すべて等しく成仏できることを明かしている。また方便品に「一切の衆をして、我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき」とあるように、一切衆生を成仏させるのが仏の大慈悲であり、そのために皆成仏道の法華経が説かれたのである。
この御文は、下根とか上根とかにとらわれてはならないという、修業の心がまえを述べられたところであるが、広くいえば社会的な地位の高下とか、学歴の有無とか差は、成仏の資格に関係がなく、大事なのは求道の信心であるということである。末法今時においては、仏即ち三大秘法の御本尊への絶対の信に立って自行化他の実践に励むならば、すべての人は等しく絶対的な幸福の境界を会得することができるのである。
このことを大聖人は「此の道に入ぬる人にも上中下の三根はあれども同じく一生の内に顕はすなり、上根の人は聞く所にて覚を極めて顕はす、中根の人は若は一日・若は一月・若は一年に顕はすなり、下根の人はのびゆく所なくてつまりぬれば一生の内に限りたる事なれば臨終の時に至りて諸のみえつる夢も覚てうつつになりぬるが如く只今までみつる所の生死・妄想の邪思ひがめの理はあと形もなくなりて本覚のうつつの覚にかへりて法界をみれば皆寂光の極楽にて日来賎と思ひし我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり、秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり」(0411-05)と述べられている。
自己の才能や資質を他の人と比べて卑下したり憍慢になったりするのは、厳しくいえば謗法に通ずる行為であるといってよい。なぜなら、自己の才能を卑下して自己の成仏を絶望したり、成仏を他人事と捉えるならば、それは、一切衆生に仏性があるという仏教の教えを疑い、否定することであり、受持即観心の御本尊の力に疑いをはさむからである。
「一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず」(0383-10)また「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」(0557-08)との御教示を深く信じ、御本尊への純粋な信に立って自行化他の実践を貫いていくことが大切である。
「下根に望めても憍慢ならざれ」とは、弘法者は、自己の才能に溺れて下根の衆生を見下してはならないとの謂である。自己の才を慢ずる点において、十四誹謗に憍慢に通じ、他を見下ろすことにおいて軽善に陥っている姿である。
こうした姿勢をただす例として不軽菩薩の弘教の姿勢に学ぶことが肝要である。大聖人は、この不軽を例をとって「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや」(1382-06)と厳しく戒められている。
ともかく、上根・下根といっても、御本尊のもとにおいては平等であり、御本尊への信の厚薄のみが成仏・不成仏を決定する。自己を卑下することなく、憍慢に堕すことなく、謙虚に、また真摯に、信心を貫きたいものである。
0466:04~0467:07 第八章 我慢偏執を排し妙法帰命を諭すtop
| 04 凡そ其の里ゆか 05 しけれども道たえ縁なきには 通ふ心もをろそかに其の人恋しけれども 憑めず契らぬには待つ思もなをざりなるや 06 うに彼の月卿雲閣に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず我即是父の柔ニュウの御すがた見奉るべきをも未 07 だ見奉らず、 是れ誠に袂をくだし胸をこがす歎ならざらんや、 暮行空の雲の色・有明方の月の光までも心をもよ 08 ほす思なり、 事にふれをりに付けても後世を心にかけ花の春・雪の朝も是を思ひ風さはぎ 村雲まよふ夕にも忘る 09 る隙なかれ、 出ずる息は入る息をまたず何なる時節ありてか 毎自作是念の悲願を忘れ何なる月日ありてか無一不 10 成仏の御経を持たざらん、昨日が今日になり去年の今年となる事も 是れ期する処の余命にはあらざるをや、 総て 11 過ぎにし方を・かぞへて年の積るをば知るといへども今行末にをいて 一日片時も誰か命の数に入るべき、 臨終已 12 に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし、 さこ 13 そは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道に・ものうからざるべき、 色なき人の袖には・そぞろに月の 14 やどる事かは、 又命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり、 若し是れ二念三念を期すと云はば 15 平等大慧の本誓・頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず、 流布の時は末世・法滅に及び機は五逆・謗法をも納め 16 たり、 故に頓証菩提の心におきてられて 狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ、 生涯幾くならず思へば一夜の 17 かりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、 又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり、 只先世の業因に任 18 せて営むべし 世間の無常をさとらん事は眼に遮り耳にみてり、 雲とやなり雨とやなりけん昔の人は只名をのみき 0467 01 く、 露とや消え煙とや登りけん今の友も又みえず、 我れいつまでか三笠の雲と思ふべき春の花の風に随ひ秋の紅 02 葉の時雨に染まる、 是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば法華経には「世皆牢固ならざること水沫泡焔の如し」 03 とすすめたり「以何令衆生・得入無上道」の御心のそこ 順縁・逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又 04 本意にかないぬ 又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり、 悲母深重の経文・心安ければ唯我一人の御苦みもかつかつ 05 やすみ給うらん、 釈迦一仏の悦び給うのみならず諸仏出世の本懐なれば 十方三世の諸仏も悦び給うべし「我即歓 06 喜・諸仏亦然」と説かれたれば仏悦び給うのみならず 神も即ち随喜し給うなるべし、伝教大師・是を講じ給いしか 07 ば八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、 空也上人是を読み給いしかば 松尾の大明神は寒風をふせがせ給う、 -----― およそその里を懐かしく思っても、道も絶え、縁もなければ通う心もおろそかになり、その人を恋しく思って、もの人の心が頼みにならず、契り交わしたこともなければ、待つ思いもなおざりになるように、かの公卿や殿上人の宮殿よりも勝れて、しかも行きやすい霊山浄土にいまだ行かず、「我は即ち父である」と仰せられた仏の柔和な御姿を見奉るべきなのにいままで拝見しない。これはまことにを涙で袂を腐らせ、胸をこがすほどの嘆きではないか。 暮れ行く空の雲の色や、明け方の次第に薄らいで行く月の光までも、心をたぎらせる思いがする。事にふれ、折につけても、後世を心にかけて、花の春・雪の朝にもこれを思い、風が騒ぎ、村雲の立ち迷う夕にも少しも忘れてはならない。出る息は入る息を待たないほど短いものである。いかなる時節にあっても、仏の毎自作是念の悲願を忘れ、いかなる月日にあっても無一不成仏の法華経を持たずにいられようか。昨日が今日になり、去年の今年となることも期待できない余命ではないか。すべて過ぎた歳月を数えて年の積もるのを知るけれども、今から行く末のことは、一日片時も誰が命ある者の数に入ると定められるであろうか。臨終はすでに今にありとは知りながら、我慢偏執・名聞利養にとらわれ、妙法を唱えないというのは、その志のほどはまったくいうに甲斐がないのである。そのような姿であっては、皆成仏道の法華法とはいえ、この人がどうして仏道を成就できようか。情愛のない人の袖には、みだりに月が宿ることはないであろう。また、命はまさしく一念の間に過ぎないから、仏は一念随喜の功徳を説かれたのである。もし、これが二念・三念を待つというならば、平等大慧の本誓・頓教一乗皆成仏の法とはいわれないのである。法華経は流布の時は末世、仏法も滅尽の時および、衆生の機根は五逆や謗法を納め入れている。ゆえに頓証菩提の心の指示にしたがって、狐疑・執著の邪見に身を任せてはならない。 生涯はいくばくもない。思えば、この世は一夜の仮の宿であることを忘れて、どれほどの名利を得ようというのか。また得たとしてもこれは夢の中の栄えであって、珍しくもない楽しみである。ただ先の世の業因に任せて生きるがよい。世間の無常を悟ろうとすれば、眼をさえぎり耳に満ちるほど多い。昔の人はただ名を聞くのみで、雲となり雨となったのであろうか。今の友もまた見えない。露と消え煙となって空に昇ってしまったのであろうか。自分はいつまでも三笠の山にかかる雲のようにあると思っていられようか。春の花が風にしたがって散り、秋の紅葉が時雨に染まる。これは皆、生きながらえない世の中の実例であるから、法華経随喜功徳品第十八には「世の中の皆牢固でないことは、水の泡や火の焔のようである」と説かれている。 「なんとしても、衆生を無上道に入らしめ、速やかに仏身を成就させたい」との御心の底、順縁・逆縁の者ともに救おうという御言葉は、まさに仏の本懐であるから、暫くも持つ者でもまた本意にかなうのである。また本意にかなうならば、仏の恩を報ずることになる。悲母のように慈悲深重の経文が心安めれば「唯我一人・能為救護」の御苦しみも、どうにか安まられるであろう。釈尊一仏が悦ばれるばかりでなく、法華経は諸仏出世の本懐であるから、十方三世の諸仏も悦ばれるであろう。「我即歓喜・諸仏亦然」と説かれているので、仏が悦ばれるだけでなく、仏の垂迹たる神もまた随喜されるのである。伝教大師が法華経を講義したときには、八幡大菩薩は紫の袈裟を大師に布施し、空也上人がこれを読んだ時には、松尾の大明神は寒風を防がれたのである。 |
月卿雲閣
月卿は公卿、雲閣は殿上人。雲の上に譬えられる宮中で昇殿を許された人。
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霊山浄土
法華経の説法が行われた霊鷲山のこと。久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける永遠の浄土とされる。日蓮大聖人は、法華経の行者が今ここにいながら往還できる浄土であるとともに、亡くなった後に往く浄土でもあるとされている。
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我即是父
法華経譬喩品第3の文。「舎利弗に告ぐ、汝諸人等は、皆是れ吾が子なり、我は則ち是れ父なり」とある。
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毎自作是念
寿量品自我偈の最後に「毎に自ら是の念を作さく、何を以ってか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」とある。日蓮大聖人が末法の救世主として、一切衆生を救おうと思われる大慈悲である。
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無一不成仏
一人として成仏しない者はいないということ。法華経方便品第2の文。同品に「若し法を聞くこと有らば|一りとして成仏せざること無けん」(法華経138㌻)とある。
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一念随喜
法華経分別功徳品第17に説かれる四信五品(現在の四信・滅後の五品)の中で、滅後の五品の第1。釈尊滅後の法華経の修行の最初の位をいう。一念は瞬時の心のこと。随喜とは歓喜すること。法華経の一句一偈を聞いて少しでも信ずる心のある者をいう。初随喜と同じ意味としても用いられる。また現在の四信の第1、一念信解と同じ意味に用いられることもある。
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平等大慧の本誓
衆生を成仏させようとする仏の根本の誓い。
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頓教一乗皆成仏の法
すみやかに一切衆生を成仏に導く一仏乗の法門のこと・法華経をさす。頓教は誘引の手段を用いないで直ちに大乗を説く教えのこと。一乗は一仏乗、皆成仏は一切衆生を皆、平等に成仏させること。
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業因
善悪・苦楽・迷悟等の果報を招く因となる行為。
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無常
常に生滅変化して移り変わり、瞬時も同じ状態にとどまらないこと。
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以何令衆生・得入無上道
法華経如来寿量品大16の文。「何を以てか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」と読む。
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順縁
仏法に随順する善事を縁として仏道に入ること。
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逆縁
仏法に対する悪い行いがかえって仏道に入るきっかけとなること。
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悲母深重の経文
母のように深重な慈悲を包む経文のこと。法華経を意味する。
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我則歓喜・諸仏亦然
宝塔品の文「此の経は持ち難し、若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり」とある。法華経を受持するのは難しいが、釈尊も諸仏も歓喜するという意味。御本尊受持の功徳の説明である。
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本章は、人生の無常なる現実をさまざまな観点から説かれながら、たんに無常を嘆くのではなく、無常なる故にこそ法華経を信ずべきであると強調されている。
それ故に、ここに展開されてる無常観は、小乗仏教のそれではなく、実大乗教たる法華経を根底としたものであることを知らねばならない。
まず本章冒頭の「凡そ其の里ゆかしけれども道たえ縁なきには通ふ心もをろそかに其の人恋しけれども憑めず契らぬには待つ思もなをざりなるやうに彼の月卿雲閣に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず我即是父の柔輭の御すがた見奉るべきをも未だ見奉らず、是れ誠に袂をくだし胸をこがす歎ならざらんや」の一節は、いかに多くの衆生が法華経を信ぜず、我即是父の仏の慈悲を無視して生きているかを嘆かれているところである。
人の心は、瞬間瞬間、変化し移ろって止まる所がない。まさに、無常としかいいようがない。どれほど恋しく思う故郷であっても、いつも縁を結び、しげく通わなければ、人の心はいつしか故郷を離れて自然に疎ましく思うようになるものである。それと同じく、当世の人々の心も、ただちに霊山浄土に行ける法華経の教えや一切衆生を救う仏の慈悲から次第に離れ疎遠になっていくと述べられ、そのことを大聖人は慈悲のうえから嘆かれているのである。
つぎの「暮行空の雲の色・有明方の月の光までも心をもよほす思なり、事にふれをりに付けても後世を心にかけ花の春・雪の朝も是を思ひ風さはぎ村雲まよふ夕にも忘るる隙なかれ、出ずる息は入る息をまたず何なる時節ありてか毎自作是念の悲願を忘れ何なる月日ありてか無一不成仏の御経を持たざらん、昨日が今日になり去年の今年となる事も是れ期する処の余命にはあらざるをや、総て過ぎにし方を・かぞへて年の積るをば知るといへども今行末にをいて一日片時も誰か命の数に入るべき、臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし、さこそは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道に・ものうからざるべき、色なき人の袖には・そぞろに月のやどる事かは」の個所は、天体の運行や自然の事象、そして人の命の無常なる姿を説かれながら、それ故にこそ、法華経への信を片時も忘れてはならないと訴えられているのである。
この個所は、天然自然や人の命の常無くして変化しゆく冷厳なる事実を見通したうえで、その事実を法華経信仰への契機としていくべきことを教えておられるのである。人生・天然の無常を嘆くのではなく、無常を徹底して見つめたうえで、それを、永遠なるものへと昇華するための助縁にしていくのである。ここに大聖人の積極的な無常観がある。
さらに「又命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり、若し是れ二念三念を期すと云はば平等大慧の本誓・頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず、流布の時は末世・法滅に及び機は五逆・謗法をも納めたり、故に頓証菩提の心におきてられて狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ」の一節は、無常の意味を衆生の命に限定され展開されている。命が瞬間瞬間に起滅する一念の連続にすぎない、という生命に対する深い洞察のうえから、その一念をもって法華経を信じ歓喜すれば、成仏しうることを説いた法華経を信じ邪見にとらわれないよう促されているのである。
つぎに「生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり、只先世の業因に任せて営むべし世間の無常をさとらん事は眼に遮り耳にみてり、雲とやなり雨とやなりけん昔の人は只名をのみきく、露とや消え煙とや登りけん今の友も又みえず、我れいつまでか三笠の雲と思ふべき春の花の風に随ひ秋の紅葉の時雨に染まる、是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば法華経には『世皆牢固ならざること水沫泡焔の如し』とすすめたり」の一節は、人間の生涯というものの無常なさまを説かれて、人が名聞名利や我慢偏執にとらわれる愚かさを訴えかけられるところである。したがって、ここは法華経への信仰になかなか入ろうとしない人に対して、かさねて人生の無常を知らしめようとされているのである。
本章の最後の「『以何令衆生・得入無上道』の御心のそこ順縁・逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり、悲母深重の経文・心安ければ唯我一人の御苦みもかつかつやすみ給うらん、釈迦一仏の悦び給うのみならず諸仏出世の本懐なれば十方三世の諸仏も悦び給うべし『我即歓喜・諸仏亦然』と説かれたれば仏悦び給うのみならず神も即ち随喜し給うなるべし、伝教大師・是を講じ給いしかば八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人是を読み給いしかば松尾の大明神は寒風をふせがせ給う」の個所は、「衆生をして無上道に入らしめたい」という仏の慈悲の広大さに身をまかせて、仏の本懐にかなうために、法華経を信ずるよう促されているのである。
所詮、この無常世界の六道輪廻を脱するには、生命の永遠を覚知し、胸中の仏性の常住を覚知して、絶対の境地を確立する以外にない。そのためには法華経に対する絶対的な信を貫き通すことである。一切衆生を成仏させるために、仏は究極の真実を法華経に明かしたのであり、仏の出世はそのためなのであるから、法華経を信ずることが、また仏の本意に叶うことであり「本意に叶はば仏の恩を報ずるなり」となるのである。
臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし、さこそは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道に・ものうからざるべき
人生の無常、人の命のはかなさをとおして、法華経への信を忘れ、我慢偏執・名聞名利に執着する人の愚かさを嘆かれている。人生の無常、命のはかなさを最も象徴的に表しているものは「死」であり、それは同時に人間存在の不安の最も根源にあるものである。どのような栄耀栄華も死の前には無力である。人間は死すべきものであり、不死への夢は、まさに夢でしかないことは、すべての人が知っている。しかし、かならず死ぬことはわかっていても、死の意味、死ねばどうなるかということについては、まったく無知である。そのような生死の無知のうえに築かれる人生というものは、沼地に建てられる建物のようなもので、不安定をまぬかれることができない。
「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(1404-05)と仰せの一節は、まさに、人生、人の命というものは最も根本にある生死の問題を人生の最大事とされている点で、本章の文と軌を一にしている。
我々の凡智では未来は測りがたく、寿命を知ることができない。死は明日訪れるかもしれない、一念後かもしれない。まさに「臨終已に今にあり」なのである。またかりに、寿命を知ることができたとしても、永遠の生命からみれば、百年の人生も瞬時であり、その意味で「臨終已に今にあり」という状態と変わりはないといってよかろう。
このようなことは、理屈のうえでは、一往は、誰でも知っているといえる。しかし三毒強盛の凡夫は、永遠の生命を覚知して不動の境地を確立することよりも、眼前の名聞利養の価値を、まず獲得しようと、これらの追求に執着してしまう。たしかに、それらの価値も、それなりに人生にとっては意味があるだろうが、生死の問題を解決することなく、外界の名聞利養に左右されて生きている姿は明日も知れない漂流中のヨットの上で、魚釣りに興じている姿にもたとえられるはかないものといってよいだろうか。
不動の人生の基盤は、生命の永遠を覚知し、胸中の仏性を涌現させているところに初めて確立される。そのために「妙法を唱え奉る」即ち御本尊へ真剣な唱題を重ねていくのである。御本尊には一切の人々に、盤石の人生を築く力を涌現させる根源の力があらわれる。しかし、その力は、祈る側の信力・行力によることを知らなければならない。御本尊は皆成仏道の御法であり、絶対の仏力・法力を具えられている。だが、祈る側が「志の程・無下にかひなし」では、仏道を成就することはできない。
我々は「臨終已に今にあり」という冷厳な現実を直視し「我慢偏執」に陥ることなく、大聖人の御金言のままに、一生成仏をめざして、悔いなき人生を歩んでいきたいものである。
命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり
さきの文では、ひとはいつ臨終を迎えるかも知れないという、生死の問題であったが、ここではさらに徹底されて、無常の究極は人の命の一念にきわまるとの生命に対する深い洞察の上から展開されている。
生命は永遠であるといっても、過去はすでに存在しないものであり、未来もまだあらわれていないから、あるのはただ現在の一瞬だけである。生命というものは、結局、この一瞬の連続であるから、最も大事なことは、この一瞬の生命をどのように保っているかということになる。法華経法師品第十には「是の如きの等類、威く仏前に於いて、妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者には、我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。仏薬王に告げたまわく、又如来の滅度の後に、若し人有って、妙法華経の、乃至一偈一句を聞おて、一念も随喜するならば我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」とあり、法華経を聞いて一念も随喜するならば阿耨多羅三藐三菩提、即ち悟りを得ることができると説かれている。これが「一念随喜の功徳」であり、御本尊を信受することによって、この一瞬の生命に「随喜の功徳」をあらわすことができるのである。
御本尊を信受し、唱提することによって「一念随喜の功徳」を得ることができるが、十界の当体である生命は、縁によってさまざまに変化することをまぬかれえない。したがって随喜の一念を持続させることが大事である「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり」(1544-09)と述べられているように、御本尊への偉大な力を感じたときは、喜びに燃え、深い感謝の祈りを捧げるが、時間が経につれ、惰性に流されて感謝を忘れ、御本尊の功徳を当然のことのように思って、喜びを失っていくのが凡夫の常である。そこに、ふたたび六道輪廻の日々に陥る危険が隠されている。
「水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(1544-10)と仰せのように、絶えることなく流れ続ける川の水の如く、日々、新たな決意で唱題を重ねていくことが大切である。
0467:07~0467:14 第九章 末代流布の最上真実の秘法を示すtop
| 07 されば 08 「七難即滅七福即生」と祈らんにも 此の御経第一なり現世安穏と見えたればなり、 他国侵逼の難・自界叛逆の難 09 の御祈祷にも此の妙典に過ぎたるはなし、令百由旬内無諸衰患と説かれたればなり。 -----― それゆえ「七難即滅七福即生」と祈るにも、この法華経が第一である。法華経薬草喩品第五に「現世安穏」と説かれているからである。他国侵逼の難・自界叛逆の難を防ぐための御祈祷にもこの法華妙に過ぎた経典はない。法華経陀羅尼品第二十六に「百由旬の内に、諸の衰患無からしむべし」と説かれているからである。 -----― 10 然るに当世の御祈祷はさかさまなり先代流布の権教なり末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり、 譬えば去 11 年の暦を用ゐ烏を鵜につかはんが如し 是れ偏に権教の邪師を貴んで未だ実教の明師に値わせ給はざる故なり、 惜 12 いかな文武の卞和があら玉何くにか納めけん、 嬉いかな釈尊出世の髻の中の明珠 今度我身に得たる事よ、 十方 13 諸仏の証誠として・いるがせならず、 さこそは「一切世間・多怨難信」と知りながら 争か一分の疑心を残して決 14 定無有疑の仏にならざらんや、 -----― しかるに、今の世で行なわれている御祈祷はさかさまである。正法・像法の時代に流布した権教であり、末代に流布すべき最上真実の秘法ではない。譬えば去年の暦を用い、烏を鵜のかわりに使うのと同じである。これはひとえに、権教の邪師を貴んでいまだ実教の明師に会われていない故である。惜しいことに文王・武王の時の名玉・卞和の粗玉は、どこに納めたのであろうか。実にうれしいことは、釈尊の出世の本懐たる転輪聖王の髻の中の明珠を、このたび我が身に得たことよ。 このことは、十方の諸仏が証明したことであり、いいかげんな事柄ではないのである。さればこそ、法華経安楽行品第十四の「一切世間には、怨む者が多くて信じ難い」の文を知りながら、どうしてすこしでも疑いの心を残して「かならず成仏できる」と約束された仏に成らずにいられよう。 |
七難即滅七福即生
『仁王般若経受持品』に「其の国土の中に七つの難とすべき有り、一切の国王是の難の故に般若波羅蜜を講読為せば、七難即ち滅して七福即ち生ぜん、万姓安楽、帝王歓喜せん」とある経文。七難…経によって若干相違があるが、仁王経では一、日月失度の難、二、星宿失度の難、三、諸火梵焼の難、四、時節返逆の難(水難)、五、大風数起の難、六、天地亢陽の難、七、四方賊来の難をいう。七福…一説には七難が滅することを七福とする。また、一、悪竜鬼を鎮める徳、二、人の所求を遂げる徳、三、輪王意殊の徳、四、竜甘雨を降らす徳、五、光天地を照らす徳、六、能く一切諸々の仏法等を出生する徳、七、能く一切の国王無上の法等を出生する徳を七福とする説もある。
―――
現世安穏
法華経薬草喩品第五に「是の諸の衆生は、是の法を聞き已って、現世安穏にして、後に善処に生じ」とある。法華経を信ずることにより、現世には幸福な生活が築かれると説かれている。
―――
他国侵逼の難
薬師経に予言された、謗法の国に起こる七難の一つ。外国からの侵略をいう。日蓮大聖人は「立正安国論」で、謗法を禁じ正法を用いなければ、七難のうちまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難が起こることを予言された(31㌻)。しかし鎌倉幕府は大聖人に対して文永8年(1271年)に竜の口の法難、佐渡流罪という、生命の危機を及ぼす迫害を加えた。その後、同9年(1272年)2月、北条一族の争いである北条時輔の乱(二月騒動)が起こり、自界叛逆難の予言が的中。同11年(1274年)に蒙古が襲来し、他国侵逼難も現実のものとなった。
―――
自界叛逆の難
薬師経に予言された、謗法の国に起こる七難の一つで、同士討ち、内乱をいう。日蓮大聖人は「立正安国論」(31㌻)で、謗法を禁じ正法を用いなければ、七難のうちまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難が起こることを予言された。しかし鎌倉幕府は大聖人に対して文永8年(1271年)に竜の口の法難・佐渡流罪という命に及ぶ迫害を加えた。その後ほどない同9年(1272年)2月、北条一族の争いである北条時輔の乱(二月騒動)が起こり、自界叛逆難の予言が的中した。
―――
令百由旬内無諸衰患
妙法蓮華経陀羅尼品第26の文。「我亦自ら当に、是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患無からしむべし。」とある。
―――
文武の卞和があら玉
中国、春秋時代の人。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏の璧」と称した。のち、の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。文武とは文王と武王のこと。
―――
髻の中の明珠
安楽行品説かれている。ある大王が最高の勇気ある者に無上の宝である髭中明珠を与えた。しかして、この明珠は、法華経であると説いたのである。文底の意は、御本尊こそあらゆる宝に超越した明珠である。
―――
十方諸仏の証誠
如来神力品で、十方分身の諸仏が舌を梵天につけて、法華経の所説を真実であると証明したこと。
―――
一切世間・多怨難信
安楽行品の文。末法の法華経の行者には怨嫉が多くて、一切衆生は信じがたいというということを予言した文。
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前章において、衆生の一人一人が、人生の無常、命のはかなさを覚知して、法華経への信に立ち帰ることを促されたのに対して、本章では、個人の次元から一歩進んで、国を安ずるための命においても、法華経の祈りにもすぐれるものはない、と述べられ、法華経への絶対の信に立つことが要請されている。
同時に、当時の他宗の邪師による祈禱が権教に依処するもので、いかに時代錯誤のものであるかを述べられ、実教の明師による祈りでなければならないと訴えられている。
さて、災難の根本的な原因は、衆生の一念の濁りであるというのが、仏法の見方である。「国土やぶれんと・するしるしには・まづ山くづれ草木かれ江河つくるしるしあり人の眼耳等驚そうすれば天変あり人の心をうごかせば地動す・」(1140-09)と述べられているように、依報と正報は不二であるから、正報である衆生の心の動き、一念の状態によって、依報である環境に変化が生じる。したがって災難を対治するには、衆生の心を変える以外にない。大聖人の立正安国論において、背正帰悪こそ災難の原因であり、国土の安穏のためには「実教の一善」即ち南無妙法蓮華経に帰していかなければならないと仰せになったのは、このことである。
衆生の機根は時によって異なるから、衆生の生命を変革する法もそれにしたがって変わってくる。末法の衆生は本未有善の衆生であり三毒強盛の衆生である。したがって「先代流布の権教」をもって祈るのは「去年の暦」を用いるようなもので、無意味であるばかりでなく、かえって災難を招いてしまうのである。本未有善の衆生に対しては、仏法の極理である三大秘法の南無妙法蓮華経をもって、生命を変革していく以外にないことを教えられているのである。
0467:14~0468:01 第十章 持妙法華の真実を明かすtop
| 14 過去遠遠の苦みは徒らにのみこそ・うけこしか、 などか暫く不変常住の妙因をう 15 へざらん・未来・永永の楽みは・かつかつ心を養ふともしゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず、 「三 16 界無安・猶如火宅」は如来の教へ「所以諸法・如幻如化」は菩薩の詞なり、 寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし 17 本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の 18 弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と 我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき、 南無 0468 01 妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 -----― 過去遠遠以来の苦しみは、ただいたずらに受けてきただけであった。どうして、しばらくでも不変常住の仏因を植えないでいられようか。未来永永にわたる楽しみは、今はわずかにしか心を養わないとしても、むやみに稲妻や朝霧のような名聞名利を貪るべきではない。「三界は安きところでなく、まさに火に焼かれる家のようなものである」とは仏の教えであり、「諸法は、幻化のようなものである」とは菩薩の言葉である。 寂光の都でないなら、どこも皆苦の世界である。本覚の栖を離れて、どんな楽しみとなるだろうか。願くは「現世は安穏であり、後生は善処に生れる」と仰せの妙法を持つことのみが、ただ今生には真の名聞であり、後世には成仏の手引きとなるのである。すべて心を一にして、南無妙法蓮華経と我も唱え、他人をも勧めることが、今生に人界として生まれてきたの思い出である。 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 |
不変常住の妙因
永遠に変わることのない、常住の仏果を体得する不可思議の仏因のこと。
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三界無安・猶如火宅
法華経譬喩品第3の文。「三界は安きことなし、猶火宅の如し、衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」とある。
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所以諸法・如幻如化
大智度論巻37には「諸法は、幻の如く、化の如く、来ること無く、去ること無く、近きこと無く、定相あること無し」とある。世間の事象は幻のようなもので、実体のないものであるとの意。幻は幻術師の所作、化は仏・菩薩の通力の作り出したもの。
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寂光
①本有常住の仏が発する智慧の光明。②承寂光土のこと。四土の一つ。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第16では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。そして、その久遠の仏が、娑婆世界に常住しており、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。それに対して、釈尊が方便として現した種々の仏とその住む国土は、この久遠の釈尊のはたらきの一部を担う分身の仏であり、不完全な国土であるので、究極の浄土ではなく、穢土ということになる。
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本覚
始成に対する語。①本来備わっている悟り、一切衆生は煩悩に満ちた迷いの身心を有し、生死を繰り返しているが、その本体は本来清浄で一切の妄想離れた覚体であること。②現象界の諸相や凡夫がそのままの姿で仏であると覚ること。③本仏の正覚、本地の覚り。㋑法華経文上では五百塵点劫の釈尊の悟りをさす。㋺久遠元初の自受用身の悟りのこと。総勘文抄には「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)「己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり是を経に説いて云く『如是相(応身如来)如是性(報身如来)如是体(法身如来)』此れを三如是と云う、此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0561-16)等とある。④天台家においては、本覚法門と始覚法門があり、両派は古くから対立している。
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現世安穏・後生善処
法華経薬草喩品第5の文。「現世安隠にして、後に善処に生じ」(法華経244㌻)と読む。如来の説いた法の力を明かしたもので、法を信受する衆生は、現世では安穏なる境涯となり、後世には恵まれたところに生まれるということ。
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本抄の結びとして、三世にわたる生命の永遠性のうえから、今生において自行化他の信心に励み、今生の思い出とするようすすめられている。
これまでの過去遠々劫、苦悩の人生を流転してきたのは、妙法を知らなかったゆえであり、法華経で巡りあった今生においてこそ、迷いの根源を断ち、現世を安穏にし、後生善処の因をつくっていかなければならないのである。「あながちに電光朝露の名利をば貪るべからず」の言葉や、また「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」の御文は、かみしめて己が生命に刻みつけたいものである。
寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき
人生において何が最も重要であるかを述べられたところである。「寂光の都」「本覚の栖」とは、妙法に住する境界であり、これを離れて真実の幸福、楽しみはない。人が六道輪廻を繰り返すのは、環境に支配される迷妄の自己に安住しているからである。この六道輪廻から脱するには、環境を支配し、自身をコントロールできる強靭な自己を確立する以外にないのである。
たとえば、欲望は人間が生きていくためには必要なものだが、欲望に流されれば、つねに満足することを知らず、貪欲の炎に焼かれ苦しむことになり、また得たものを失えば、さらに苦しみを増すことになる。欲望そのものをなくしてしまえば、そのような苦しみを味わうこともなくなるといえるが、欲望を失った人間は生ける屍といってよい。本来、欲望は活動的な「生」にとって不可欠であり、これをなくすことは「生」の否定でもある。欲望は、人間にさまざまな意欲をもたらす源泉の一つであり、生きるためにはなくてはならない力である。
したがって大事なことは、欲望を、人生において意義ある創造をもたらす源泉として使いこなす立場に立つことにある。そのように六道をコントロールする力の源泉が南無妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経の信心に住した環境が「寂光の都」「永遠の栖」である。しかもその境地は、現世だけでなく、未来永遠に続くのである。
そのことを具体的に示された文が「今生の名聞・後生の弄引」である。つまり「今生の名聞」とは、今生において、胸中に三世にわたる妙法の生命を輝かすことこそ、真実の「名聞」であり、三世十方の諸仏菩薩に、日蓮大聖人の眷属として普く尊い名を知られることになるのである。
妙法を離れた今生の名聞・名利は、ただ今生限りのものにすぎない。位人臣を極め、天下に栄耀栄華を誇ったとしても、それは六道に輪廻する無常の苦しみにしかすぎない。人間として稀なる生を受け、しかもあいがたき仏法にあい、妙法を信受できたということは、本有常住の妙法に我が身を住せしめる千載一遇の機会に巡りあったということである。人間として生まれたが故に、自行化他にわたる仏道修行の実践することができるのである。しかも、「後生の弄引」として、妙法信受の因が、後生における成仏の果を決定するのである。これほどの偉大な功徳力が他にあろうか。であるならば、人間であって初めて実践が可能な、妙法信受、即ち自行化他にわたる妙法の実践を貫くことが肝要である。