top ホームページtopへ
日蓮大聖人御書講義70501~0519

0501~0505    如説修行抄
           序講
  0501:01~0501:02 第一章 宗旨の弘教に大難あるを標す
  0501:02~0501:09 第二章 行者の値難を釈す
  0501:10~0502:09 第三章 行者の値難と現世安穏を明かす
  0502:10~0503:05 第四章 如説修行の相を明かす
  0503:06~0504:01 第五章 摂受折伏の大旨を判ず
  0504:01~0504:14 第六章 如説修行の人を明かす
  0504:15~0505:08 第七章 誡勧す
  0501~0505    如説修行抄 2010:01・02・03月号大白蓮華より。先生の講義
0505~0509    顕仏未来記
           序講
  0505:01~0506:01 第一章 釈尊の未来記を挙げる
  0506:02~0506:12 第二章 未来の留難を明かす
  0506:13~0507:09 第三章 末法の弘通の方軌を明かす
  0507:10~0507:18 第四章 末法の御本仏を明かす
  0508:01~0508:10 第五章 月氏・漢土に仏法なきを明かす
  0508:10~0509:02 第六章 御本仏の未来記を明かす
  0509:02~0509:12 第七章 妙法流布の方軌を示す
  0505~0509    顕仏未来記 2008:01月号大白蓮華より。先生の講義
0510~0519    当体義抄
           序講
  0510:01~0510:05 第一章 十界の事相に約す
  0510:06~0511:07 第二章 十界の事相の所以を釈す
  0511:08~0512:13 第三章 信受に約す
  0512:13~0513:13 第四章 当体蓮華と譬喩蓮華を明かす
  0513:14~0514:02 第五章 如来の自証化他を明かす
  0514:03~0514:14 第六章 本地の所証を示す
  0514:15~0515:04 第七章 結要付嘱の法体を明かす
  0515:04~0516:15 第八章 当流の法門の意を明かす
  0516:16~0518:09 第九章 如来在世の証得を明かす
  0518:10~0518:17 第十章 末法の衆生の証得を明かす
  0518:17~0519:08 第11章 善導・法然の邪義を示す
0519~0519    当体義抄送状

0501~0505    如説修行抄top
         序講top

  如説修行の講義にあたり、まずその序講として
  第一に、本抄御述作の由来を明かし、
  第二に、本抄の大意を論じ、
  第三に、本抄の元意を論ずることにする
第一 本抄御述作の由来
(一)本抄の由来 告告衆について

 本抄は、文永10年(1273)5月、佐渡における御述作であり、門下一同に与えられた御抄である。しかし、今日では御正筆の所在は不明である。
 次節「本抄之背景」に詳説しるが、竜の口法難以来、御本仏の御内証を顕わされた日蓮大聖人は、流罪の地・佐渡において「開目抄」「観心本尊抄」等の重書を著わされ、四条金吾と富木常忍に与えられたのである。
 本抄は「観心本尊抄」を著された後、鎌倉にあった門下一同に、日蓮大聖人自身が大難にあわれているのは、真実の如説修行の人であり、御本仏の故であることを述べられ、さらに、日蓮大聖人の説のままに折伏に励み、一生成仏の本懐を遂げるよう激励されている。
 さてこの如説修行抄は、前述のとおり門下一同に与えられた御抄であるが、さらには、大聖人の滅後において広宣流布を実践する者に与えられた御抄と拝するのである。
 翻って大聖人の滅後六百数十年の間、順縁広布の時はいまだ来らず、大聖人の予言された広宣流布は、いつ実現されるか見当もつかず、遥かに遠い未来の夢のようにしか、感じられなかったのである。
 だが、今、創価学会出現の時を迎えて、戦後わずか数十年にして、日本全国はもとより遠く海外にまで発展し、多くの人々が御本尊を受持している。
 このような時代に日蓮大聖人の門下として如説修行の実践に励める立場を誇りとし、仏弟子の襟度を持って、さらに広布実現に邁進していきたいものである。
 持妙法華問答抄に「是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんやとこそ釈して御坐候へ、されば持たるる法だに第一ならば 持つ人随つて第一なるべし」(0465-17)と。また百六箇抄に「法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856-03)と。
 このように広宣流布の主体は人であり、広宣流布が成就するもしないも、すべて折伏弘教を行ずる人の胸中にあり、一念にあるといいたい。
(二)本抄の背景
 日蓮大聖人は、文応元年(1260)7月16日、当時の混乱した世相を見られて立正安国論をしたためられ、一切の不幸、三災七難の原因が、念仏をはじめとする諸宗にあると強く説き、正法によってのみ、真の平和楽土の建設はなる。ゆえに早く信仰の寸心を改めて正法を信ぜよと厳しく諌められ、もし、これを聞き入れなければ、国に自界叛逆難と他国侵逼難が競い起こるであろうと、幕府に警告されたのであった。
 その後の文永5年(1268)正月18日に、蒙古からの使者が来朝した。その牒状の内容は「もく属国にならないならば、日本国を攻め滅ぼすであろう」というものであった。まさに立正安国論の予言どおり、他国侵逼難が起こったのである。
 そこでさらに大聖人は、文永5年4月5日、安国論御勘由来を著わして、為政者の迷妄をつき、また同年10月11日には、11通の御状を発して、諸宗との公場対決こそ、真に宗教の正邪・浅深を決するものであり、これを行うことが、幕府の要人や権力者等のとるべき態度であると諌暁されたのである。
 蒙古は、文永6年(1269)9月に、再度使者を送って、幕府が早く態度を表明するよう、強く求めてきたのである。
 こうした情勢の中にあって、日蓮大聖人および門下の人々は、猛烈なる勢いで折伏戦を展開し、念仏宗をはじめ諸宗を根本的に打破する以外に、民衆救済の道はないことを主張じつづけたのである。
 しかるに、幕府はこの至誠の諌言を聞き入れないのみか、幕府の要人や、要人の上﨟・尼御前たちに取り入った念仏宗をはじめとする諸僧の言葉に迷い、大聖人およびその一門に対して、激しい弾圧・迫害を加えていったのである。
 その時の模様は、種種御振舞御書に「さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す」(0911-03)とあり、報恩抄に「禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり、故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり御尋ねあるまでもなし但須臾に頚をめせ弟子等をば又頚を切り或は遠国につかはし或は篭に入れよと尼ごぜんたち・いからせ給いしかば・そのまま行われけり」(0322-12)と仰せられているなかに、その光景が如実に映じてくるのである。
 そうした迫害のなかで、最大のものは「竜の口の頸の座」と、その後の「佐渡流罪」であった。
 文永8年(1271)にはいって、幕府は、ますます激しく弾圧を加えた。日ごろ大聖人を最も憎んでいた平左衛門尉頼綱は、鎌倉幕府の軍事・警察権を握る立場を利用して、9月10日、大聖人を幕府の奉行所に呼び出し、取り調べをした。
 しかし、逆に日蓮大聖人は平左衛門に向かって、厳然と諌め、迫りくる国難にあたって、法の正邪を決すべく公場対決を申し出たのである。
 翌々日の12日、大聖人は、一通の諌状をもって、平左衛門に「抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述べず君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり」(0183-14)と再度諌言されたが、この熱誠あふれる諌言に対し、平左衛門は、ついに大弾圧をもって応えたのである。
 平左衛門自ら大将となり、大勢の武士を引き連れ、草庵を襲い、大聖人を捕えて、竜の口の頸の座にすえた。いわゆる竜の口の法難である。しかし、いかなる権力をもってしても、大聖人の御本仏の境涯に打ち勝つことはできなかった。頸の座に臨まれたときの御様子は、次の通りである。
 種種御振舞御書にいわく
 「日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、 太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし」(0913-18)と。
 まさしくこの瞬間こそ、日蓮大聖人が凡夫位の迹の姿を払われ、久遠元初の自受用身、すなわち御本仏の本地を顕わされたのである。
 四条金吾殿御消息にいわく、
 「今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く「十方仏土中唯有一乗法」と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば 寂光土ともいうべきか」(1113-06)と。
 翌13日、大聖人は相模国の依智にある本間家に入られたのである。そこに滞在すること20余日。この間、世の中は鎌倉に火事が相次いで起こり、人殺しもひんぴんと起こり、騒然としていた。それを念仏者たちは、火つけや人殺しは、大聖人の弟子たちのしわざであると、幕府に讒言した。しかし事実は、念仏者たちの策謀であった。
 その結果、260人ほどの弟子・信者は、皆遠島に流罪、もしくは入牢等の迫害に遭うであろうとの、もっぱらのうわさであった。大聖人も佐渡流罪に決まり、10月10日に依智を出発、同28日に佐渡到着、翌日の11月1日佐渡塚原の三昧堂に入られた。
 佐渡の国の生活は、われわれ凡夫の立場からでは、想像を絶するものである。時あたかも厳冬、しかも火の気などありえようもない。さながら八寒地獄のごとき様相を呈していた。一度流罪されれば、とうてい生きて帰れないといわれているところである。名目は流罪であるが、実際は死罪同様だったのである。また、住まいの塚原の三昧堂については、種種御振舞御書に次のように述べられている。
 「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり」(0916-04)と。すなわち、塚原という山野の中の、死者を捨てる場所に、寂しく立っている一間四面の堂である。屋根は破れ、板壁は合わず、風雪は絶えず吹き込んでくるありさまであった。
 また、監視も厳しく、お弟子方が日蓮大聖人のもとにいくことも困難のことであった。
 こうしたさなかの文永9年(1272)2月には、かねて大聖人が予言されていた自界叛逆難が現実となって起こったのである。時の執権北条時宗の異母兄にあたる時輔が、長男でありながら、執権職を弟に奪われ、自分はその配下として京都の六波羅探題任命されたことを不満として、鎌倉にいた中務権大夫名越教時と、ひそかに通じて、鎌倉と京都で同時に兵をあげようとした。
 しかし、この陰謀は事前に露見し、時輔・教時はそれぞれ京都・鎌倉で討たれ、幕府は事なきを得た。だが、このように大聖人の予言が事実となって現われたことに幕府はおそれをなし、捕えて牢に入れていた大聖人門下の弟子を放免する一方、文永9年(1272)4月には佐渡へも使者を送って、大聖人を塚原の三昧堂から一の谷に移すよう命じている。
 これ以来、大聖人に対する監視も以前より軽くなり、文永11年(1274)2月には、ついに赦免となり、3月26日に鎌倉に無事に帰られたのである。
 翻って大聖人は竜の口法難以後、御本仏として、久遠元初の自受用身としての本地を顕わされた後、この二年間のうちに「開目抄」「観心本尊抄」をはじめ「生死一大事血脈抄」「草木成仏口決」「祈祷抄」「諸法実相抄」「顕仏未来記」「当体義抄」「訶責謗法滅罪抄」「法華取要抄」「顕立正意抄」など数々の重要な御書を著わされている。
 本抄は文永10年(1273)5月の御述作であり、御本仏としての大確信に立たれて、佐渡の地から鎌倉をはじめ各地で折伏弘教に励んでいる弟子に、御本仏の弟子としての自覚に燃え、折伏に立ち上がるように激励された御書である。
第二 本抄の大意
(一)本抄の概要

 日寛上人は「如説修行抄筆記」に「此の抄の大意は宗教の五箇に依って、宗旨の三箇を弘通すれば、必ず三類の大難有るの相を御書して宗祖の弟子如説修行の人なることを判じ給うなり」と述べている。
 ここに、宗教の五箇とは、教・機・時・国・教法流布の先後をいい、また、宗旨の三箇とは、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法をいう。
 「如説修行」とは、説の如く修行するという意である。「説の如く」とは附文の辺では釈迦仏の説の如くとの意であり、日蓮大聖人の御振舞いは、外用の面においては、まったく釈尊が法華経で予言したとおりの御振舞いであられた。これをもって、日蓮大聖人は、釈迦仏の未来記に符合した本化の菩薩であるとするのである。だが、この姿はあくまでも外用浅近の辺からみた姿である。
 再往、元意の辺は、末法の御本仏日蓮大聖人の所説の如くとの意である。また「修行」とは身口意の三業にわたり実践することを意味するのである。
 すなわち、日蓮大聖人御自身が如説修行することにより、前代未聞の大難に遭い、御本仏であることを顕現されたうえで、弟子檀那に対して日蓮大聖人の法門を所説の如く実践するよう、激励されたのである。これは師弟相対のうえから、また自行化他の立場から如説修行を説かれたのである。ゆえに、如説修行の行者とは、別しては日蓮大聖人御一人を指すのであり総じていえば、いかなる大難があろうとも、あくまでも御本仏日蓮大聖人の御金言のままに、三大秘法の大御本尊を信受し、正しく三宝に帰依して勇敢に折伏に励む人であるといえよう。それゆえ、如説修行の人は、途中いかなることがあろうと必ず一生成仏の本懐を遂げ、永遠に崩れることのない幸福境涯にいたることができる人であると、大聖人は断言されている。
(二)本抄の題号
 日寛上人の如説修行抄筆記にしたがって述べてみると、通じて題号を釈するに、二意がある。初めに内外・大小に通じ、次に在世・滅後に通ずるのである。
 初めに内外に通ずとは、外道の四韋陀、十八大経は如説であり、修行していることは外道の所説のとおりであるから外道の如説修行となる。
 また儒教は仁義礼智信の五常を説き、それを説の如く修行すれば儒経の如説修行となる。これについて大聖人は開目抄上に「此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢・高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家には.にるべくもなし、或は過去・二生・三生.乃至七生・八万劫を照見し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに或は冬寒に一日に三度・恒河に浴し或は髪をぬき或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或は草木をやき或は一切の木を礼す、此等の邪義其の数をしらず」(0187-08)また「此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄とは一には有の玄・周公等此れを立つ、 二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母・未生・已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賎・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という。但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう、此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、 但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば 傍輩も・うやまい」(0186-07)と示されている。
 次に大小に通ずとは、仏道において華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五字、三蔵教・通教・別教・円教の四教があり、それぞれの教義どおり修行すれば如説修行といえる。
 すなわち、法慧等の菩薩は華厳経の如説修行の人であり、迦葉や舎利弗は阿含時、三蔵教の如説修行の人である。文殊や弥勒等の諸菩薩は方等・般若・法華経の迹門および涅槃経の如説修行の人である。上行等の菩薩は本門寿量の如説修行の人である。
 次に、在世・滅後に通ずるとは、また三点から論ずる。一に人法相対に約し、二に師弟相対に約し、三に自行化他に約すのである。
 人法相対に約すとは、「如説」は法に約し「修行」は人に約すのである。釈尊の在世においてこれをいうならば、釈尊所説の一代の諸経は法であり、その所説の如く自らこれを行ずるのが修行である。よって寿量品の文の「我れ本、菩薩の道を行じて」の「菩薩道」とは法であり、「行ず」とは修行である。また「我れ」とは人である。故に修行は人に約すのである。釈尊の所説とは妙法蓮華経である。方便品にいわく「唯一大事の因縁を以って」とはこれであり、修行とは妙法蓮華経の修行である。また同品には「尽くして諸仏の無量の道法を行じ」とも説かれている。
 師弟相対に約すとは、「如説」とは師匠の説くところであり、「修行」とは弟子の実践に約すのである。師の所説の如く弟子が修行するのが如説修行である。在世においては釈尊の所説の如く、一会の大衆がこれを修行したのである。
 薬草喩品には「其れ衆生有って、如来の法を聞いて、若しは持ち、読誦し、説の如く修行す云云」とある。この「其れ衆生有って」とは弟子であり、「如来」とは師である。「法」は所説の法であり、「若しは持ち、読誦し」とは修行である。よって、この一文が師弟人法に約せることは分明である。
 自行化他に約すとは、「如説」は化他であり、「修行」は自行である。五種の妙行おうち、受持・読・誦・書写の四種の修行は自行であり、解説は化他である。自ら妙法を受持し、読誦し、書写するのは自行である。他人の教えを導いて信心をなさしめるのは化他である。他に教えるのは如説であり、他に教える如く自ら修行するのが如説修行である。天台大師の摩訶止め勧巻一下には「所行の所言の如く、所言は所行の如し」とあるが、所言とは如説であり、所行とは修行をいうのである。
 釈尊滅後、末法の御本仏日蓮大聖人の仏法においても、人法、師弟、自行化他の三つがある。宗祖大聖人の如く、口に妙法を説き、身に妙法を修行し、その所説の妙法を弟子檀那が修行するのである。弟子檀那に教えるのは化他であり、自ら修行するのは自行である。
 在世・滅後の人法・師弟等に約する経文疏釈についてみるならば、法師品に在世の師弟、および滅後の師弟が明かされている。まず在世の弟子を明かす文としては「妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん云云」とあり、また在世の下品の師については「広く妙法華経を演べ分別するなり」の文、また滅後の下品の師を説いて「我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん」の文がある。
 師弟を説く経文を合してこれを見れば、師が法華経を説くのを聞いてこれを修行する故に、如説修行は弟子に約すのである。人法に約すとはすでに経文に引いたとおりである。
 また薬草喩品の「其れ衆生有って、如来の法を聞いて」の文にも師弟、人法が具足しているのである。すなわち化他に約するとは、法華文句巻八上にいわく「四人は是れ自行、一人は是れ化他なり」の文であり、五種法師の釈をあげた文にみるとおりである。
 また次に別して本抄の元意は、内外、大小、本迹、観心のなかには、本門観心の如説修行をいうのである。在世、滅後のなかには、別して末法今時の如説修行の師弟・人法を示しておられる。
 その文証として日寛上人は次の四点を示されている。
   一、迹化他方を止められ、経文の元意を観心本尊抄に判ず。
 「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250-09)
 ここに若干の会通を加えるならば、末法等とは滅後第三の末法今時である。地湧の菩薩は師である。閻浮の衆生は弟子である。また地湧の菩薩は人であり、寿量品の肝心の妙法は本門観心の法である。故に末法の師弟・人法に約すのである。
  二には本化の大菩薩を召す。
 経文(撰時抄)にいわく「是の諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、広く此の経を説かん」の文において、滅後とは第三の末法である。護持・読誦は修行である。広く此の経を説くとは如説の大法である。是の諸人等は能説、能修行の人である。同じく、大聖人は「上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり」(0284-11)と仰せであり、明らかに時は末法、寿量品の題目とは本門の観心であり、これ法である。上行菩薩は能弘の人である。
  三には地湧の菩薩が誓う。
 神力品にいわく「仏に白して言さく、世尊、我等仏の滅後、世尊分身所在の国土、滅後の処に於いて、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん。我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持読誦し、解説書写して、之を供養せんと欲す」と。ここで「我等」とは人である。「仏の滅後」とは末法であり、「真浄の大法」とは本門の妙法である。法華玄義巻七下に四徳に約して四徳即妙法である故に真浄の大法の言は本門の大法であるとしている。また「受持等」とは修行というのである。
  四には別付属の文による
 神力品には「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持・読・誦・解説・書写し、説の如く修行すべし」とある。このなかで「如来の一切の所有の法」以下の四句の要法は、本門寿量品の妙法である。「汝等」とは人であり、「如来の滅後」とは末法である。「一心に受持し」等は修行である。その他、十神力の元意および総付属の元意は省略するが、まさしく「末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり」との文がこれにあたるのである。
 では如説修行とはどういう姿をいうのか。如説修行の姿は、受持・読・誦・解説・書写をいう。受持・読・誦・解説・書写せよと人に教えるのは、如説であり、自ら受持・読誦するのは修行である。他に教えるのは説法であり、その説法の如く自ら修行するゆえに如説修行である。「所言は所行の如し」の文をよくよく考えるべきである。これすなわち人法であり、師弟であり、自行化他になるのである。
 また入文の中に五種の行を簡んで摂受の行を斥けている。どうして今の修行に行を用いるのかという疑問もでるが、地湧を召す経文、地湧の菩薩の発誓の文および付属の文は皆、五種の行が出てきている。これを無視して修行はできないのである。
 しかし、その五種の修行とは、在世と名は同じであるが、行の相は不同である。すなわち、妙法を受持し、妙法を読誦し、妙法を解説するのである。また妙法を書写するのである。法華経一部を広く修行するのではない。略を簡んで肝心の五種の行をとるのである。簡ぶところは広略の修行である。
 御義口伝下にいわく「此の妙法等の五字を末法.白法隠没の時上行菩薩・御出世有つて五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り、夫れば神力品に云く「於我滅度後.応受持斯経.是人於仏道.決定無有疑」云云此の文明白なり,仍つて此の文をば仏の廻向の文と習うなり、然る間此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉れば忽ち無明煩悩の病を悉く去つて妙覚極果の膚を瑩く事を顕」(0783-02)と。
 また日女御前御返事にいわく「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて 五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ」(1245-04)と。
 このように末法にいたって釈尊の仏法が隠没する時、上行菩薩が出現されて、五種の修行のなかで読誦等の四種を略して、ただ受持の一行を立てられているのである。
 結論していうならば、御本尊を受持して南無妙法蓮華経と唱うるところに、他の一切の修行を具すのである。
(三)題号を三大秘法に釈す
 「如説修行抄」の題号には、三大秘法が具足している。
 如説とは、本門の本尊を意味する。すなわち、如説には、能説と所説とがあり、所説とは、すなわち南無妙法蓮華経である。能説の教主は、すなわち御本仏日蓮大聖人である。故に、説の一字は、人法の本尊である。
 修行とは題目を修行することである。信ずる故に行は是れ信行の題目である。修行の二字は本門の題目である。
 この本門の本尊の所住の処はすなわち本門の戒壇となる。すなわち、大御本尊を信じて題目を唱える故に非を防ぎ悪を止むることになり、これ戒壇の義である。当体義抄に「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518-15)と述べられていることを考え合わすべきである。
第三 本抄の元意
 如説修行の大意には、通別があり、通にまた二意があることは前述した。いまこれを図示すれば、次の通りである。
  如説修行─┬─通─┬─内外・大小に通ず
       │   └─在世・滅後に通ず
       └─別───本門勧心の如説修行
 さらに別して本抄の元意は、釈尊滅後においては末法、末法の中にも、本門観心の如説修行の人、別しては日蓮大聖人であり、総じては大聖人門下の弟子檀那であり、さらには、日蓮大聖人の正法正義を伝え弘める人が如説修行の人にあたると拝したい。
况滅度後の大難の三類
 故に本抄には「其の上真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし况滅度後の大難の三類甚しかるべし」と。創価学会はまさしくここにお示しのとおりに、三類の強敵と戦ってきた。すなわち三大秘法の大御本尊を受持し、信心折伏に励む決意をした時から、第一の俗衆増上慢が、家庭内でも、隣近所でも、職場でも起こり、そのため、怨嫉を受け、迫害されてきている。
 第二の道門増上慢とは、すでに七百年以前において、日蓮大聖人から破折しつくされた念仏・禅・真言の各宗の僧や、大聖人の滅後に発生した日蓮宗と称する各派のことであり、各派はただ自分の生活を脅かされることを恐れ、自分たちの歴史や教義のうえでさらに誤謬を上塗りして、創価学会を圧迫してきた。
 第三の僣聖増上慢は、世間からは名僧と仰がれ、生き仏のごとく尊はれておりながら、その内心は邪見で貪欲であり、正法の行者を怨嫉し誹謗し、ついには国家権力に訴えて、正法の弘布者を流罪・死罪に陥れるのである。
 しかし、現代は順縁広布の時である。日蓮大聖人の時代は逆縁広布の時であったが故に、大聖人は流罪・死罪にあい、多くの弟子も追放され、斬首される者もあった。
 ともあれ今日では、創価学会が民衆総意の団体となりつつあり、いかなる権力をもってしても、真実の仏法を伝え弘める精神とその流れを破壊することはできないといいたい。今後なお、多くの難と思われる障害があるかも知れない。しかし、それらを難と見定めて、世界平和と人類の幸福を確立していく運動をすすめていくことが、本抄を身読することになろう。

0501:01~0501:02 第一章 宗旨の弘教に大難あるを標すtop
0501
如説修行抄
01   夫れ以んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は 如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべ
02 しと見えて候なり、
-----―
 つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経を流布する時に、生をこの日本国に受け、この三大秘法を持ち、信心に励んでいく人に対しては、法華経法師品第十に「末法においては、釈迦如来在世にくらべて猶怨嫉が多いであろう」と。多くの大難が競い起こることが予言されている。

以んみれば
 考えてみれば、の意。
―――
末法流布の時
 末法において、三大秘法の妙法が流布するとき、の意。
―――
此の土
 総じては全世界、別しては日本国。
―――
此の経を信ぜん人
 法華経を信じ経文とおりに実践するひと。総じては創価学会員、別しては日蓮大聖人の御事。
―――
猶多怨嫉
 法華経法師品第10の文。同品に「而も此の経は、如来の現に在すすら猶怨嫉多し。況んや滅度して後をや」(法華経362㌻)とある。この法華経を説く時は釈尊の存命中でさえ、なお怨嫉(反発・敵対)が多いのだから、ましてや釈尊が入滅した後において、より多くの怨嫉を受けるのは当然であるとの意。日蓮大聖人はしばしばこの文を引かれ、御自身が法華経を身読した法華経の行者であることの根拠とされている。
―――――――――
 この章は、全体の標、釈、結の上からは標に相当し、宗教の五箇にしたがって、宗旨の三箇すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経を弘めるならば、必ず大難がともなうことを述べられている。
 同じく如説修行といっても釈尊の仏法と日蓮大聖人の仏法では難に大きな相違がある。釈尊自身が受けた九横の大難でさえ、日蓮大聖人が三大秘法流布の途上に受けられた種々の難に比較すれば、小難にすぎない。故に聖人御難事には「釈迦如来の大難はかずをしらず、其の中に馬の麦をもつて九十日・小指の出仏身血・大石の頂にかかりし、善生比丘等の八人が身は仏の御弟子・心は外道にともないて昼夜十二時に仏の短をねらいし、無量の釈子の波瑠璃王に殺されし・無量の弟子等が悪象にふまれし・阿闍世王の大難をなせし等、此等は如来現在の小難なり、況滅度後の大難は竜樹・天親・天台・伝教いまだ値い給はず・法華経の行者ならずと・いわば・いかでか行者にて・をはせざるべき、又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあやされず、何に況や仏に過ぎたる大難なし経文むなしきがごとし、仏説すでに大虚妄となりぬ。而るに日蓮二十七年が間・弘長元年辛酉五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる、 同文永八年辛未 九月十二日佐渡の国へ配流又頭の座に望む、其の外に弟子を殺され切られ追出・くわれう等かずをしらず、仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり」(1189-06)と述べられている。
 日蓮大聖人は、種々の大難を呼び起こし、末法に法華経を弘める者は数々の大難にあうという法華経の予言を身をもって読まれ、御自身が末法の御本仏であることを顕されたのである。
夫れ以んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は
 この文は、宗教の五箇、宗旨の三箇を標した文である。
 日寛上人は如説修行抄筆記に、次のように解釈されている。
   一、宗教の五箇に配す。
     末法………時
     流布の時…教法流布の先後
     此の土……国
     此の経……教
     信ぜん……機
 「時」とは、釈尊滅後、正法千年、像法千年を過ぎた末法を指し、今日のことである。末法万年尽未来際にわたり、三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布され、令法久住していく様相を「流布の時」と述べられたのである。薬王品に「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」と説かれているように、末法には必ず三大秘法が流布するのである。その国土は、総じては一閻浮提、すなわち全世界であり、別しては日本国である。
 「此の経」とは末法の法華経、すなわち三大秘法の大御本尊である。「信ぜん」が「機」にあたり、宝塔品に「此の経は持ち難し」とあるがごとく、信力・念力によって御本尊を受持しいぇいくことをいうのである。
   二、宗旨の三箇に配す。
     此の土……本門の戒壇
     此の経……本門の本尊
     信ぜん……本門の題目
 三大秘法に配立すれば、以上のようになる。本門の題目には二意があり、信の題目と行の題目とになる。題号の如説修行抄の修行の行が題目を意味し、この文の「信ぜん」が信の題目を意味する。
 宗旨の三箇と日蓮大聖人一代の化導の次第は、建長五年(1253)4月28日、立宗宣言の時に、本門の題目を唱え始められ、27年の後、弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊を建立され、出世の本懐とされ、滅後の化義の弘教を、門下に託されたのである。
如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり
 この文は、大難を標した文である。法師品には「而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し、况んや滅度の後をや」とある。「况んや滅度の後をや」の文は、正像末の三時を指しているが、正意は末法にある。故に、この文は「况んや滅度の後、正法に於いてをや、况んや像法に於いてをや、况んや末法に於いてをや」と三重によむべきである。
 末法における法華経とは、いうまでもなく日蓮大聖人の三大秘法である。しかして、日蓮大聖人が三大秘法を弘通される上であらわれた難は、釈尊、天台大師、伝教大師などがあった難とは比較にならない大難である。大難が前代に超過していることをもって、御自身が末法の御本仏である証明とされているのである。
 法華取要抄にいわく「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す 在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば 正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、 答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」等云云」(0333-16)と。これらの文証に明らかなように末法における三大秘法の弘通こそ真の如説修行である。それ故に大難のあるのは当然である。
 経文に大難があると説かれたことは「如説」であり、その文のごとく、日蓮大聖人が大難にあって三大秘法を流布される御振舞いは「修行」である。
 さらに師弟相対に約すならば、その日蓮大聖人の御振舞いこそ「如説」であり、大聖人の門下として、大御本尊を受持して折伏に励むことが「修行」になる。四菩薩造立抄に「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(0989-11)とある。この如説修行を明らかにするために、まず、大難を標されたのである。

0501:02~0501:09 第二章 行者の値難を釈すtop
02          其の故は在世は能化の主は仏なり弟子又大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人等なり
03 といへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し、  何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども
04 其の師を尋ぬれば凡師なり、 弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親
05 近す、 其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、 されば此の経を聴聞
06 し始めん日より思い定むべし 況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、 然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしか
07 ども大小の難来る時は 今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、 兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅
08 度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり・予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流
09 罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。
-----―
 その理由は、釈尊在世の時は、一切衆生を化導し、救済したのは、釈尊というりっぱな仏であった。しかも弟子たちは大菩薩や小乗教の悟りを得た阿羅漢であった。また人界、天界の人々、四衆、八部、人非人たちであっても、釈尊は、調機調養といって長い間、機根をととのえ、最後には法華経を聞かしめたのである。しかし、それにもかかわらず、猶怨嫉が多かったのである。
 ましてや末法の今の時は、宗教の五箇からみて、南無妙法蓮華経という教えが打ち立てられ、衆生はそれを求める機根となり、正法流布の時は来てはいるといっても、その法を説く師をみれば、外見は凡師である。そのもとに集った弟子たちもまた、大集経にあるように、闘諍堅固・白法隠没の時代を反映した貧瞋癡の三毒強盛な末法濁悪の衆生なのである。その故に、善師たる日蓮から離れて、諸宗の悪師に親しみ近づくのである。
 そのうえで、真実の法華経を、仏の説の如く修行していく行者の弟子檀那となる以上は、三類の敵人が出現するのは決定的である。それゆえ「この大法を聞いた日から、覚悟を定めなさい。末法には在世以上に三類の敵人がはなはだしく現われるのである」とかねがねいってきていたのに、わが弟子檀那の中に、そう聞いてはいても、いざ、大小の難が来てみると、今はじめて聞いたかのように驚き肝をつぶして、信心を退転したものがいる。難が起こることはかねていっておいたことではなかったか。つねづね経文の文証を立てて、「况滅度後・况滅度後」と、朝夕に教えてきたのはこうした時のためであった。日蓮が、安房の清澄寺を、また以前住んでいた松葉ヶ谷を追われたり、小松原の法難で疵を受けたり、また幕府のとがめを受けて、伊豆や佐渡の遠国に二度も流罪にあったりしたのを、見たり聞いたりしたとしても、それらは前々からわかっていたことであり、今さらあらためて驚くべきことではないではないか。

在世
 釈尊の在世のこと。
―――
能化
 能く化導する人のこと。菩薩は人に対しての能化であり、仏は菩薩・一切衆生の能化である。
―――
阿羅漢
 サンスクリットのアルハトの主格アルハンの音写で、羅漢と略す。応供と訳し、「尊敬・供養に値する人」を意味する。仏の別名の一つ。後に声聞の修行の階位の第4とされ、その最高の覚りの境地をさすようになった。
―――
人天
 人界と天界のこと、またその衆生。
―――
四衆
 比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。
―――
八部
仏法を守護する8種類の諸天や鬼神。法華経譬喩品第3(法華経160㌻)などにある。天竜八部ともいう。天(神々)・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽の8種。
―――
人非人
 「人」とは人間、「非人」とは天・竜・八部等の人間でないものをいう。
―――
調機調養
 調機は衆生の機根を調えること、調養は訓練し教導すること。釈尊は法華経を説くにあたって、42年間・小乗・方等・般若等を説いて、次第に教導・養成したことをいう。
―――
教機時刻当来す
 宗教の五綱を示し、南無妙法蓮華経流布の刻みが来たことをいう。
―――
凡師
 凡夫のありのままの姿で一切衆生を教え導く師。示同凡夫。日蓮大聖人のこと。
―――
闘諍堅固・白法隠没
 闘諍堅固とは、仏の教えの中の論争が絶えず、白法隠没とは正法が見失われてしまう時代。堅固は変化、変動しない様をいい、定まっていることを意味する。五箇の五百歳ともいう。解脱・禅定堅固は正法時代、読誦多聞・多造塔寺堅固は像法時代、闘諍堅固は末法とされる。
―――
三毒
 生命の最も根源的な三つの煩悩である貪瞋癡を毒に譬えたもの。①貪。貪欲のことで、むさぼり。②瞋。瞋恚のことで、怒り。③癡。愚癡のことで、癡か。
―――
如説修行の行者
 仏の教説のとおりに修行する行者のことで、日蓮大聖人のことをいう。
―――
三類の敵人
 釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418~419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
―――
況滅度後
 法華経法師品第10の文。同品に「而も此の経は、如来の現に在すすら猶怨嫉多し。況んや滅度して後をや」(法華経362~363㌻)とある。この法華経を説く時は釈尊の存命中でさえ、なお怨嫉(反発・敵対)が多いのだから、ましてや釈尊が入滅した後において、より多くの怨嫉を受けるのは当然であるとの意。日蓮大聖人はしばしばこの文を引かれ、御自身が法華経を身読した法華経の行者であることの根拠とされている。法華経法師品第10の文。同品に「而も此の経は、如来の現に在すすら猶怨嫉多し。況んや滅度して後をや」(法華経362~363㌻)とある。この法華経を説く時は釈尊の存命中でさえ、なお怨嫉(反発・敵対)が多いのだから、ましてや釈尊が入滅した後において、より多くの怨嫉を受けるのは当然であるとの意。日蓮大聖人はしばしばこの文を引かれ、御自身が法華経を身読した法華経の行者であることの根拠とされている。
―――
大難の三類
 三類の強敵によって起こるところの大難。
―――
所を・をわれ
 ①松葉ケ谷の法難のこと。立宗宣言後の文応元年(1260年)の秋、鎌倉に移られた日蓮大聖人が、名越に構えられた草庵で念仏者らに襲われた法難のこと。草庵があった地は松葉ケ谷と伝承される(現在、松葉ケ谷の地名はない)。文応元年7月16日、大聖人は宿屋入道を仲介として、念仏などの謗法の諸宗を捨て正法に帰依するように勧めた「立正安国論」を北条時頼に提出し、第1回の国主諫暁を行われた。しかし、このことが幕府の権力者たちの怒りにふれ、念仏者をはじめ諸宗の僧らも大聖人に恨みを抱いた。その後間もなく、念仏を信仰していた北条重時ら権力者を後ろ楯とした念仏者らが、深夜に大聖人の草庵を襲撃した。大聖人はこの難を逃れ、一時、鎌倉を離れられたが、ほどなく鎌倉に戻られた。翌・弘長元年(1261年)5月12日、重時の息子で執権であった長時は、大聖人を無実の罪で伊豆へ流刑に処すなど、さまざまな迫害を加えていった。②建長5年(1253)4月28日、立宗宣言直後に謗法の東条景信により、清澄寺を追われたこと。
―――
疵を蒙り
 文永元年(1264年)11月11日、日蓮大聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津に住む門下、工藤氏の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」(1498㌻)に記されている。
―――
両度の御勘気
 ①伊豆流罪。弘長元年(1261年)5月12日から同3年(1263年)2月22日まで、伊豆国伊東(静岡県伊東市)に不当に流罪された法難のこと。前年の文応元年(1260年)7月、大聖人は「立正安国論」を北条時頼に提出して第1回の国主諫暁を行ったが、幕府はそれを用いなかった。「安国論」で大聖人は、念仏を厳しく破折されていたが、この「安国論」提出からほどなく、念仏者は執権・北条長時の父である極楽寺入道重時をうしろだてにして、名越にある大聖人の草庵を襲った(松葉ケ谷の法難)。大聖人は一時的に房総方面に避難されたが、しばらくして鎌倉へ帰られた。幕府は不当にも大聖人を捕らえ、伊豆の伊東へ流刑に処した。はじめ川奈の海岸に着かれた大聖人は、船守弥三郎にかくまわれ支えられ、のち伊東の地頭・伊東祐光の邸へ移られ、2年後に赦免された。その間、日興上人が伊豆に赴いて給仕され、さらに付近を折伏・教化された。また伊東祐光が病気になった時、念仏信仰を捨てる誓いを立てたので、大聖人は平癒の祈念をされた。病気が治った伊東氏は海中から拾い上げた釈迦像を大聖人に御供養した。大聖人はその像を生涯、随身仏として所持され、臨終に当たり墓所に置くよう遺言されたが、百箇日法要の時に日朗が持ち去った。②佐渡流罪。文永8年(1271年)9月12日の竜の口の法難の直後、不当な審議の末、佐渡へ流刑に処せられた法難。この法難において大聖人は、同年10月10日に依智を出発し、11月1日に塚原の三昧堂に入られた。その後、同9年(1272年)4月ごろ、一谷にあった一谷入道の屋敷に移られる。同11年(1274年)2月14日には無罪が認められて赦免状が出され、3月8日にそれが佐渡に届いた。同13日に大聖人は佐渡・一谷を出発され、同26日に鎌倉に帰還された。約2年5カ月に及ぶ佐渡滞在中は、衣食住も満足ではなく、暗殺者にも狙われるという過酷な環境に置かれたが、「開目抄」「観心本尊抄」など数多くの重要な御書を著され、各地の門下に励ましの書簡を多数送られた。
―――――――――
 この章は、如説修行の行者が難にあうことを、略して釈されている。
 まず、釈尊在世の怨嫉を教主・所化・調機・法体の四重に約してあげたうえで末法の大難を釈されている。「何に况んや末法今の時」からは、末法の師弟・人法・自行化他を明かし、「されば此の経を」以下は、日蓮大聖人御自身が難にあわれたことを示され、いかに大難があったとしても断じて退転してはならないと弟子檀那を教誡されている。また、御自身が大難にあわれたことは、経文の予言と一致することを述べ、御自身が末法における如説修行の人であり、御本仏であることを述べられている。
在世は能化の主は仏なり弟子又大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人等なりといへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し
 如説修行の行者は必ず怨嫉され、非難されることを釈す文である。まず釈尊在世における怨嫉をあげて、末法における况滅度後の大難を述べられるのである。しかして釈尊の仏法における教主、所化、調機、法体の四重に約して釈されるのである。いまこれを末法に相対して示すと下記のようになる。
 一に教主に約すならば、在世は能化の主、すなわち民衆を化導し、救済していく教主は三惑をすでに断じた仏であり、三十二相八十種好を具足した色相荘厳の釈迦如来であった。しかも社会的にも王族の出身という地位にあったわけである。それでいてもなお怨嫉が多かったのであるから、末法に日蓮大聖人が、一惑すら断じていない凡夫僧の姿で出現したのであるから、必ず大難があるのが理の当然である。
 二に所化に約すとは、在世において、釈迦如来の弟子は、皆三惑を断じた大菩薩、阿羅漢であり、当時の社会にあっても指導的な立場にあった人々である。これらの人々は怨嫉など、しないはずであるが、それでも怨嫉があった。したがって末法の本末有善、三毒強盛の凡夫が怨嫉しないはずはなく、そのために必ず大難があるのは、これも当然のことである。
 三に調機に約すとは、在世は人非人等であっても調機調養したうえで法華経を説いたのである。それでもなおかつ方便品において、釈尊が説法を始めたとき、五千人の増上慢の四衆が席を起ち去ってしまった。まして、末法においては、まったく調機調養がなされていないのであるから大難があるのは当然である。この釈尊の仏法における調機調養とは、釈尊が民衆の機根を調え、養うために、四十余年にわたって小乗、権大乗を説いたことを指し、さらには、五百塵点劫に釈尊が成道して以来、下種し、調熟したことをいう。これは、今世のみでなく、何回も何回も生まれてきては善根を積んでいく修行で歴劫修行と呼ばれるものである。
 四に法体に約すとは、在世に釈迦如来が説いた法華経二十八品は五百塵点劫以来調熟した衆生を救うためで、脱益の法華経である。これらの本已有善の人々ですら、始成正覚に執着して怨嫉したのである。ところが末法は下種益の法華経たる三大秘法の南無妙法蓮華経を説くのであるから、大難があるのは必然といえよう。これについて妙楽大師は法華文句記巻八に次のように釈している。「今、通じて論ぜば迹門には二乗、鈍根の菩薩を以て怨嫉と為し五千起居は末だ嫌うべきに足らず。本門には菩薩の中の楽近成の者を以て怨嫉と為す。衆こぞって識らざるは何ぞ怪と為すを得ん」と。
 また調機調養の法華経ちは、熟益であり、迹門をいう。熟益の後の法華経は必ず脱益の法華経であり、本門の意である。
 この文は、在世の師弟、人法、自行化他を説いたものであり、題号が師弟、人法、自行化他に約すことができる点と合わせて考えることができる。今、四重に約して、この文を釈したが、初めの二、教主と所化の師弟の関係は、広く諸経に通じる問題であり、釈尊が九横の大難を受けたことを意味するのである。後の二、調機と法体は、別して釈尊が法華経を説いたときのことを述べたもので、調機に約すのは権実相対の意であり、法体に約すのは本迹相対を意味しているのである。
何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親近す、其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには
 この文の読み方について、日寛上人は「何に況んや」の句を「悪師に親近す」まで冠して拝読すべきであるとしている。すなわち「何に况んや師は凡師であり、何に況んや弟子もまた三毒強盛の弟子であり、何に況んや調機調養無き故に、善師をば遠離し悪師には親近するなり」と読むのである。また「末法今の時…悪人等なり」の文は、宗教の五箇を述べられた教相である。すなわち、
   末法今の時…時
   教……………教
   機……………機
   時刻到来す…流布の先後
 国土が略してあげられていないが、これは、以下の文に師弟をのべてある故に、その住処は自ずとあらわれているからである。
   能化…………其の師を尋ねれば凡師なり
   弟子…………弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり
   調機…………故に善師をば遠離し悪師には親近す
   法体…………其の上真実の法華経
 また、この文は、末法における師弟・人法・自行化他を明かした文であって、本抄の題号を師弟・人法・自行化他に約して釈された文と合わせ考えることができる。
 さらに、この文は三大秘法を釈した文である。すなわち「其の師」とは人本尊であり「真実の法華経」とは本門の題目である。御義口伝巻下には「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-14)と述べられている。妙法五字は、法本尊ともいわれ、題目ともいわれるが、前に人本尊があげられているので、ここでは題目とするのである。本門の本尊、本門の題目が述べられている故に、その住処たる本門の戒壇は略されているのである。
 また、別釈としては「真実の法華経」は法本尊であり「如説修行」を信行の題目と考えることができる。
 「其の上真実の法華経」の文で、「其の上」とは「何に况んや」の意である。「真実の法華経」とは、釈尊在世の脱益の法華経二十八品に対して、末法における日蓮大聖人の下種益の南無妙法蓮華経をいうのであり、種脱相対を明かしているのである。
 それでは、釈尊が説いた法華経二十八品は真実ではなく、まったく誤りであるかというと、そうではない。釈尊の法華経も真実ではあるが、末法下種益の三大秘法に相対すると、三大秘法が真実の中の真実となる故に、このように述べられたのである。下種の義のない脱益は、超高が皇帝の位に登るようなもので、まったく砂上の楼閣にも等しいのである。故に、開目抄下には「種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし」(0215-14)と述べられている。また釈尊の法華経において衆生がみな得道したのも久遠を悟ったからである。
 妙楽大師はこのことについて法華文句記巻一上に「『雖脱在現具謄本種』等云々」と述べている。下種は本であり、脱は迹である。脱益が真実であるというのは、本である下種が真実である故である。今は功を種に帰せしめて別して真実というのである。また天台大師の弘教に対して真実というのである。故に立正観抄には「正直の妙法を止観と説きまぎらわす故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり」(0529-17)とある。
 日蓮大聖人の弘教は久遠元初の名字の妙法であり、有りのままの妙法であるから「真実の法華経の行者」といわれたのである。
三類の敵人決定せり
 三類の敵人とは、法華経勧持品第十三に説かれている正法の行者を迫害する三種類の増上慢をいうのである。すなわち俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢の三類の強敵ともいう。
 釈尊が一座の大衆に滅後の弘教を勧めた時、八十万億那由佗の菩薩が、釈尊滅後どのような難にあっても、妙法蓮華経を弘めたいと誓った。このときの文が末法には三類の強敵が出現するという予言の文である。
 勘持品に「諸の無智の人の、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん、我等皆当に忍ぶべし、(俗衆増上慢)。
 悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、末だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん(道門増上慢)。
 或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂いて、人間を軽賎する者有らん。利養に貧著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらることを為ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮って、好んで我等が過を出さん、而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貪るを為っての故に、外道の論議を説く、自ら此の経典を作って、世間の人を誑惑す。名聞を求むるを為っての故に、分別して是の経を説くと。常に大衆の中に在って、我等を毀らんと欲するが故に、国王大臣、婆羅門居士、及び余の比丘衆に向かって、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん」(僣聖増上慢)
 とある。
 この一連の偈頌を勘持品二十行の偈というが、この偈を法華文句記等で、三類の強敵に分別している。俗衆増上慢とは、今でいえば仏法を知ろうとせず、ただ感情的に反対している世間の人をいう。道門増上慢とは、他宗の増上慢の僧である。僣聖増上慢とは、社会的力をもって大聖人の仏法に敵対してくる世の指導者階級と目されている人々のことで、この第三僣聖増上慢が最も邪悪であり、また現在は、この第三の盛んな時である。
然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ
 この文は、弟子檀那を教誡された文である。日蓮大聖人は御書のいたるところに、難を乗り越えて信心に励むよう激励されている。開目抄下に「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」(0234-07)と述べられている。この開目抄の文は、初めに出家の弟子につい述べられ、次に在家の檀那について述べられている。今、如説修行の「然るに我が弟子等」の文は、在家の檀那をも含めていわれているのである。日蓮大聖人のこの精神を受けて、不惜身命の活躍をされたのが、第二祖日興上人、第三祖日目上人である。日寛上人の如説修行抄筆記には御相伝を引いて「日目は毎度幡さしなれば浄行菩薩が、日興先をかくれば無辺行菩薩か」と述べられている。
 日蓮大聖人の御在世は、まったくの逆縁広布の時代であり、大難につぐ大難の中での活動であった。門下の中にも迫害に耐えられず何人かの退転者が出た。その最大のものは熱原の法難であった。このとき、南条時光は、日興上人の指導のもとによく迫害に耐えて熱原方面の信徒を護ったが、三位房などは、僧として日興上人に協力すべき立場にありながら、迫害の中心者、滝泉寺の院主代行智に味方した。また法華経の厳罰により大進房らは落馬して死んでいることが、聖人御難事には「大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか」(1190-05)と述べられている。そして、これらの難を乗り越えることにより成仏できるが、臆病で信心弱き者は地獄のような境涯に堕ちると述べられている。同じく聖人御難事には「此れはこまごまとかき候事はかくとしどし・月月・日日に申して候へどもなごへの尼せう房・のと房・三位房なんどのやうに候、をびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者どもは・ぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ」(1191-02)と勇気をもって信心に励むよう激励されている。また日蓮大聖人御入滅後、第二祖日興上人に背いた五老僧も、折伏精神を忘れ、難を恐れたために天台沙門と名乗り、退転してしまったのである。
 これらは、それぞれ、いざという時の信心がいかに大切であるかとの生きた教訓である。信心は、観念でもなければ、言葉だけのものでもない。奥底の一念であると共に厳然と実相にあらわれるものである。いざという時にひるみ、退く人は、いたずらに胸中の至宝をなげうつようなものせある。
 むろん、今日、大聖人の時代に見られるような難はない。しかし、自己の一生成仏の瞬間には、つねに、魔との厳しい対決があるのは当然である。名越尼、少輔房、能登房、三位房、そして五老僧も、決して過去の人物として、遠くに思うべきではない。己心の三位房ないし五老僧を打ち破り、日蓮大聖人、日興上人、日目上人の示された信心の大道を歩むべきである。
予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや
 日蓮大聖人が大難を受けられたことを述べられている。すなわち、大難があるという釈尊の説のごとく、わが身の上に大難を受けることによって、本仏であることを顕されたのである。ここで「或は所を・をわれ」とは、東条景信によって、建長5年(1253)4月28日の立宗直後、安房の清澄山を追われたこと、ならびに、文応元年(1260)7月に立正安国論を時頼に上書した後、8月27日に鎌倉・松葉ヶ谷の草庵が念仏者によって焼き討ちされ、下総の富木五郎左衛門常忍の邸に身を寄せられたことをいう。また「或は疵を蒙り」とは、文永元年(1264)11月11日申酉の刻、天津の工藤左近尉吉隆の邸に向かう途中、東条の郷、小松原において、地頭・東条景信の軍勢に襲撃され、眉間に景信の太刀をあびられたことをいう。この小松原の法難では、工藤吉隆、鏡忍房の二人が大聖人をお護りして死んでいる。「両度の御勘気」とは、二度の流罪のこと。一度は弘長元年(1261)5月12日の伊豆伊東の流罪であり、二度目は、文永8年(1271)9月12日、竜の口法難に続く佐渡の流罪である。これは文永11年(1274)に赦免となり、3月26日に鎌倉に帰られたのである。
 日蓮大聖人はこのような大難について、聖人御難事に「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり」(1189-18)と。すなわち大聖人の出現によって初めて仏語真実なることが証明されたのである。開目抄下には、日蓮大聖人がまさしく法華経の行者であることを次のように顕わされている。「仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん、抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる 誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし」(0230-01)と。

0501:10~0502:09 第三章 行者の値難と現世安穏を明かすtop
10   問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、 答えて云く釈尊は法華経の
11 御為に今度・九横の大難に値ひ給ふ、 過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り・竺の道生は蘇山に流され法
12 道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ 天台大師は南三・北七にあだまれ 伝教大師は六宗ににくま
13 れ給へり、 此等の仏菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、 此れ等の人人を如説修行の人と
14 云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、 然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上 悪国悪王悪臣悪民のみ
15 有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり、 かかる時刻に日蓮仏勅
0502
01 を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、 法王の宣旨背きがたければ経文に任せて 権実二教のいくさを起し
02 忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ 一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て 未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげ
03 て大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ.おしかけ・ここへ.おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗
04 の敵人をせむるに 或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、 或はせめ返し・せめをとしす
05 れども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、 法華折伏・破権門理の金言なれば終
06 に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして 法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて 妙法独り繁昌せん
07 時、 万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば 吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、 代は羲農の世となりて今生に
08 は不祥の災難を払ひ長生の術を得、 人法共に不老不死の理顕れん時を 各各御覧ぜよ 現世安穏の証文疑い有る可
09 からざる者なり。
-----―
 問うて言う。仏の説の如く修行する行者は、薬草喩品にあるように「現世安穏」であるはずである。どうして三類の強敵が出てくるのであろうか。
 答えて言う。過去の法華経の行者の例を見れば、釈尊は法華経を説いたために「九横の大難」にあわれている。また過去の不軽菩薩は、法華経を説いたために杖木で打たれ、瓦や石を投げつけられた。竺の道生は、正法弘通のために大衆にあだまれて呉の国の蘇山に流され、宋代の法道三蔵は、仏法を護るために国王を諌めて、顔に火印を押された。また、中インドの師子尊者は檀弥羅王に首をはねられ、天台大師は南三北七の諸師にあだまれ、わが国の伝教大師は南都六宗の人々に憎まれた。
 これらの仏菩薩、大聖等は法華経の行者としてこのような大難にあわれたのである。これらの人々を、如説修行の行者といわなければ、いったいどこに如説修行の行者をたずねたらよいのであろうか。
 しかも今末法というこの時代は、闘諍の絶え間ない時代であり、釈尊の教えの力もなくなったうえに、世はすべて悪国・悪王・悪民だけになって、皆、正法に背き、邪法・邪師を崇び重んじているために、国土には悪魔・鬼神が乱入して、三災七難が盛んに起こっている。
 このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれてきたのである。だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐えても、一切衆生を救うという忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、末顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、大白牛車に打ち乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げ、ある者は引き退き、あるいは日蓮に生け取られた者は、わが弟子となった。このように何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の敵は多勢である。法王の一人は無勢であるから、今にいたるまで戦いはやむことがない。
 しかし法華経は折伏であって、どこまでも権教の理を破折していくという金言であるから、最後には権教権門を信じている者を、一人も残さず折伏して、法王の家人となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌する時になり、またすべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに枝をならすことなく、降る雨も壊を砕かないで、しかも世は義農の世のような理想社会となり、今生には不祥の災難を払い、人々は長生きできる方法を得る。人も法も共に、不老不死であるという道理が実現するその時を、みんなが見てご覧なさい。その時こそ「現世安穏」という証文が事実となって現われることに、いささかの疑いもないのである。

現世安穏
 法華経薬草喩品第5の文。「現世安隠にして、後に善処に生じ」(法華経244㌻)と読む。如来の説いた法の力を明かしたもので、法を信受する衆生は、現世では安穏なる境涯となり、後世には恵まれたところに生まれるということ。
―――
三類の強敵
 釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418~419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
―――
九横の大難
 釈尊が在世中に受けた九つの大難のこと。経典により若干の相違がある。ここでは「法華行者逢難事」(966㌻)などに基づいて挙げる。①孫陀利の謗。美女・孫陀利が、外道に唆され釈尊と関係があったと言いふらして謗った。②婆羅門城の鏘。釈尊が阿難を連れ婆羅門城を乞食したが空鉢であった時、年老いた下婢が、供養する物がなくて、捨てようとした臭い鏘(米のとぎ汁)を供養した。バラモンがこのことは臭食の報いであると謗った。③阿耆多王の馬麦。バラモンの阿耆多王が釈尊と500人の僧を自国に招いたが、王は遊楽にふけって供養を忘れ、このため釈尊一行は90日の間、馬の食べる麦を食べた。④瑠璃の殺釈。釈迦族が波瑠璃王によって滅ぼされた。⑤乞食空鉢。釈尊が阿難を連れ婆羅門城に入ったとき、王は民衆が釈尊に帰することを妬んで、布施し法を聞く者に罰金を課して制止したので、鉢は空であった。⑥旃遮女の謗。バラモンの旃遮女が腹に鉢を入れて釈尊の所に来て、釈尊の子を身ごもったといって誹謗した。⑦調達が山を推す。調達(提婆達多)が釈尊を恨んで殺そうとし、耆闍崛山(霊鷲山)から釈尊に目がけて大石を落とした。小片が散って釈尊の足の親指を破って血を出した(出仏身血)。⑧寒風に衣を索む。冬至前後の八夜に竹を破ったほどの寒風が吹きすさんだとき釈尊は三衣を索めて寒さを防いだ。⑨阿闍世王の酔象を放つ。提婆達多に唆され、父王を幽閉して新王となった阿闍世王が、釈尊を殺そうとして悪象を放った。
―――
不軽菩薩
 法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557㌻、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。【日蓮大聖人の弘通との対比】不軽菩薩の弘通と大聖人の弘通との対比は、次の御文に示されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(「顕仏未来記」、507㌻)「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」(「教行証御書」、1276~1277㌻)以上から、不軽菩薩と大聖人の正法弘通における共通点は、次の点に整理できる。①教。法華経の要法を広める(ただし不軽菩薩の「二十四字の法華経」は法華経一部の要旨であり、広・略・要でいえば略にあたるのに対して、大聖人の「妙法蓮華経の五字」は法華経の所詮の法体であり、真の意味での要にあたる)。②機。逆縁の衆生への化導。衆生の機根が劣悪であり、ただちに法華経を説いて衆生に反発されても縁を結ばせる逆縁の化導を中心に行った。③時。仏の亡くなった後の乱れた世の中に出現し難を耐え忍んで弘通した。④行者の位。不軽菩薩は初随喜の位、大聖人は名字即の位という、いずれも菩薩として初信の位であった。不軽菩薩の実践は、仏の滅後の悪世における法華経弘通の方軌を示しており、大聖人もこの方軌に則って法華経を弘通されている。それ故、不軽品を御自身の弘通の例とされている。
―――
杖木瓦石
 不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(1264)11月11日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。
―――
竺の道生
 ?~434年。中国の東晋・南北朝時代の僧。鳩摩羅什の門下。涅槃経の異訳である般泥洹経6巻を研究し、成仏できないとされていた一闡提の成仏や頓悟を主張したが、保守的な僧侶によって宋の都の建康(南京)から追放され、蘇州の虎丘山に逃れた。日蓮大聖人は仏法を広めて大難を受けた一人として挙げられている。
―――
法道三蔵
 1086年~1147年。中国・北宋の僧。永道のこと。1119年、徽宗皇帝が仏教を弾圧した際、上書してこれを諫めたが、かえって帝の怒りを買い、顔に焼き印を押され、道州(湖南省)に流されたという(なお、徽宗の仏教弾圧は翌年撤回された)。その後、赦免され、護法の功績により「法道」の名を与えられた。また、「法道三蔵」とも呼ばれる。「三蔵」は三蔵法師の略で、一般には三蔵(経・律・論)に通じた僧侶のことで、訳経僧の称号であるが、宋代では元豊3年(1080年)に試鴻臚卿少卿を「三蔵法師」と改称しており(『釈氏稽古略』巻4)、ここでは後者の意。法道(永道)は、「宝覚大師」という大師号を与えられており、これが試鴻臚卿に対応する(『雲臥紀譚』巻2)ので、「三蔵」と称されたらしい。法道が「火印」(230,357㌻など)を押された話は、仏法を広めて迫害を受けた例として諸御抄で紹介されている。「火印」は、刑罰として顔などに焼き印を押し、罪人であることを知らしめること。ただし、『仏祖統紀』(1269年成立)巻47によると、法道は「黥涅(入れ墨)」を入れられたことになっており、焼き印ではない。
―――
師子尊者
 アーリヤシンハのこと。付法蔵の最後の人(第23)。6世紀ごろの中インドの人。罽賓国(カシュミール)で仏法を流布していた時、国王・檀弥羅の仏教弾圧により首を斬られたが、師子尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが流れ出たという。
―――
天台大師
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
南三・北七
 中国・南北朝時代(440年~589年)にあった仏教における10の学派のことで、長江(揚子江)流域の南地の3師と黄河流域の北地の7師。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上で分類した。10師はそれぞれ依って立つ経論を掲げ、それを宣揚する教判を立て、優劣を競っていた。その全体的な傾向を、日蓮大聖人は「撰時抄」で「しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり」(261㌻)とされている。天台大師はこれら南三北七の主張を批判し、五時の教判を立て、釈尊一代の教えについて法華経第1、涅槃経第2、華厳経第3であるとし、法華経の正義を宣揚した。南北の諸学派は、釈尊一代の教えを、その説き方によって①頓教(真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③不定教(漸教・頓教に当てはまらず、しかも仏性・常住を明かす)の三つに分類した。頓教は華厳経、漸教は三蔵教(小乗)の有相教とその後に説かれた大乗の無相教、不定教は勝鬘経・金光明経とされた。南三とは、漸教のうち南地における三つの異なった見解のことで、①虎丘山の笈師の三時教②宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)の四時教③定林寺の僧柔・慧次と道場寺の慧観の五時教。北七とは、①五時教②菩提流支の半満二教③光統(慧光)の四宗(教)④五宗(教)⑤六宗(教)⑥北地の禅師の(有相・無相の)二種大乗(二宗の大乗)⑦北地の禅師の一音教。①および④~⑦は個人名が明かされていない。
―――
伝教大師
 767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
―――
六宗
 奈良時代までに日本に伝わった仏教の六つの学派。三論・成実・法相・俱舎・華厳・律の六宗。
―――
三災
 古代インドの世界観で、時代の大きな区切りの末期に起こる三つの災害のこと。大小2種ある。①小の三災。世界のなかで起こる穀貴(飢饉などによる穀物の高騰)、兵革(戦乱)、疫病(伝染病の流行)の三つの災害。②大の三災。世界そのものを破壊する火災・水災・風災の三つの災害。
―――
七難
 経典により異なるが、薬師経には①人衆疾疫難(人々が疫病に襲われる)②他国侵逼難(他国から侵略される)③自界叛逆難(国内で反乱が起こる)④星宿変怪難(星々の異変)⑤日月薄蝕難(太陽や月が翳ったり蝕したりする)⑥非時風雨難(季節外れの風雨)⑦過時不雨難(季節になっても雨が降らず干ばつになる)が説かれる(19㌻で引用)。仁王経には①日月失度難(太陽や月の異常現象)②星宿失度難(星の異常現象)③災火難(種々の火災)④雨水難(異常な降雨・降雪や洪水)⑤悪風難(異常な風)⑥亢陽難(干ばつ)⑦悪賊難(内外の賊による戦乱)が説かれる(19㌻で引用)。日蓮大聖人は「立正安国論」で、三災七難が説かれる経文を引かれ、正法に帰依せず謗法を放置すれば、薬師経の七難のうちの他国侵逼難と自界叛逆難、大集経の三災のうちの兵革、仁王経の七難のうちの悪賊難が起こると予言されている(31㌻)。そして鎌倉幕府が大聖人の警告を無視したため、自界叛逆難が文永9年(1272年)2月の二月騒動として、他国侵逼難が蒙古襲来(文永11年=1274年10月の文永の役、弘安4年=1281年5月の弘安の役)として現実のものとなった。
―――
仏勅を蒙り
 仏から下される命令をいただいてという意味。
―――
時の不祥
 不祥とは不幸・めでたくないこと。悪国・悪民の邪師・邪法の盛んな大変な世という意味。
―――
法王の宣旨
 法王とは仏の王である仏、宣旨とは勅旨のこと。釈尊の経文のことをいう。
―――
権実二教のいくさ
 法華経と権教の論争。折伏戦を意味する。
―――
忍辱の鎧
 いかなる難や迫害も耐え忍ぶこと。
―――
妙教の剣
 妙教は南無妙法蓮華経、剣は無明の惑を断ち切ること。すなわち題目を唱えること。
―――
一部八巻の肝心・妙法五字
 一部八巻は法華経28品、肝心は肝要・文底、妙法五字こそ一部八巻の肝心であり、南無妙法蓮華経のこと。
―――
未顕真実
 無量義経説法品第2の文。「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経29㌻)と読む。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ。弓矢の弓にたとえる。
―――
正直捨権
 「正直に権を捨つ」と読む。権は権教のことで、法華経以外の方便(仮)の教えである爾前の諸経のこと。正直捨方便と同義。弓矢の矢にたとえる。
―――
大白牛車
 白牛に引かれ七宝に飾られた大きな車。法華経譬喩品第3に説かれる「三車火宅の譬え」に登場する。家が火事であることを知らずに、その中で遊んでいる子どもたちを救い出すために、父である長者は、方便として羊車・鹿車・牛車の三車を示して外に誘い出し、出てきた時にはそれらに勝る大白牛車を与えた。羊車・鹿車・牛車の三車は声聞・縁覚・菩薩の三乗を、大白牛車は三乗を統合する一仏乗の教え、すなわち法華経を譬える。「報恩抄」の「白牛を門外に混ず」(303㌻)との文は、六宗の僧が法華経(大白牛車)と権教(三車)とを混同し、仏法の正邪に迷っていることを意味する。
―――
念仏
 浄土宗のこと。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
―――
真言
 密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
―――

 座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
―――

 ①戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。②奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
―――
八宗・十宗
 八宗は倶舎・成実・三論・法相・律・華厳の南都六宗に、平安時代の天台・真言の2宗を加えたもの。十宗は、八宗に鎌倉時代に成立した浄土・禅の2宗を加えたもの。日蓮大聖人の時代までに日本に伝えられていた仏教の全宗派。
―――
法華折伏・破権門理
 天台大師智顗の『法華玄義』巻9上の文。「法華は折伏にして権門の理を破す」と読む。法華経と涅槃経を比較し、法華は折伏、涅槃経は摂受の教えであると説いた一節。法華経は真実を説き方便を廃する折伏の教えであり、権教の理を打ち破っているとの意。
―――
諸乗一仏乗
 諸乗とは、二乗(声聞乗・縁覚乗)および菩薩乗などの方便の教え。一仏乗とは、衆生を成仏の境涯へと到達させることのできる唯一の教えである法華経のこと。法華経方便品第2には「十方の仏土の中には|唯一乗の法のみ有り|二無く亦三無し|仏の方便の説を除く」(法華経129㌻)とある。
―――
吹く風枝をならさず雨壤を砕かず
 人畜草木の育成に最も適した理想的な気候のこと。『論衡』の中の五風十雨を引用されたものと思われる。五風十雨とは、五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降るの意から、気候が穏やかで順調なことで、農作物によいとされる。転じて、世の中が平穏無事であることをいう。
―――
羲農の世
 中国古代の伝説上の帝王である伏羲と神農の時代。伏羲・神農は、黄帝とともに三皇として尊敬される。その時代は天下泰平で幸福な世の中であり、民衆は栄えたとされる。御書中では理想の世の譬えとして用いられる(31,502㌻)。
―――――――――
  日寛上人の如説修行抄筆記によれば、この章では末法の如説修行の行者が難にあう理由を明かされている。一対の問答が説けられており、問いと答えそれぞれに二意を含んでいる。
 問いの二意とは、三類の強敵があることをもって、日蓮大聖人が如説修行の人でないと疑う。これ一である。また大難があることをもって、如説修行の行者というならば、薬草喩品の現世安穏の経文は妄語なのであろうかと疑う。これ二である。答えの二意とは、初めに、如説修行の行者の値難を明かしている。ここでは、釈尊、不軽菩薩、道生、法道三蔵、師子尊者、天台大師、伝教大師の先例をあげている。次に現世安穏の経文が虚妄ではないことを明かしている。ここでは、三大秘法が流布した時の姿を述べられて現世安穏を証されている。
 この章は、開目抄下の行者遭難の故を明かされた御文と関連している。
問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや
 日蓮大聖人があわれた種々の大難は、末法の如説修行の人の証明であり、これによって大聖人が末法の御本仏であることが明らかにされるのである。
 ところが、薬草喩品には、法華経を信ずる者は「現世安穏にして後に善処に生じ」とあり、また安楽行品、陀羅尼品には諸天善神が法華経の行者を守護するとの誓言がある。「それでは何故に、大聖人が難にあわれるのか」と疑ったのがこの文である。
 この疑いに対し、開目抄には、三つの理由があげあれている。今略してこれを述べる。
 第一に、法華経の行者が過去世に正法誹謗した罪があるときは、転重軽受のために難がある。御本仏日蓮大聖人は久遠元初の無作三身であられる故、宿謗があるというのは解しがたいが、一には示同凡夫の姿を示されたこと。二には、謗法の衆生が充満する末法に、三大秘法の御本仏であるから、衆生と同じく謗法の因を存じた姿で出世されたのである、
 第二には、謗ずる者が地獄に堕ちることが確定していれば現罰はない。
 第三には、諸天善神が謗法の国土を捨て去っているために現罰がない。
 それでは、誹謗の者が生涯にわたって安穏であるかというとそうではない。大罰を受け、不幸な死を遂げている。大聖人在世では、東条景信は早く身を滅ぼし、平左衛門尉頼綱は一族滅亡の姿を示している。
然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上 悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり
 この文の意は、釈尊在世および正像の法華経の行者がすでに難にあっている。まして末法今時においては、時を論ずれば、闘諍堅固・白法隠没の時であり、国を論ずれば謗法の悪国であり、機を論ずれば、謗法悪王・悪臣・悪民のみである。故に、正法に背き邪法・邪師を崇重して、正法の行者に対して必ず怨嫉を懐き、大難をなし、国に三災七難が競い起こる。したがって三類の強敵があることをもって法華経の行者でることを知るべきである。これは况滅度後の経文に符号する故である。
 この文を宗教の五箇に分けると次のようになる。
   闘諍堅固・白法隠没……………時
   悪国………………………………国
   悪王・悪臣・悪民………………機
   正法に背き邪法・邪師を崇重…教法流布の先後
 ここで「教」があげられていないのは、日蓮大聖人の弘通される三大秘法が諸経の中で第一の勝教である故である。
 また「国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり」の文は、仏法の依正不二の原理を説かれた御文である。
 今日の自然科学、特に天文学、地球物理学などの発達により、次第にさまざまな災害の直接的な原因が明らかになってきている。しかし、自然科学が明らかにすることのできる範囲は、まだ限界がある。一例として地震についていえば、それが地球の表面をとりかこむ地殻の変動によって生じた波動であるとか、火山の爆発による地殻の振動であるといったことにすぎない。すなわち、そうした災害の現象の物理的、化学的な説明の範囲を出ないのである。
 これに対し、仏法は宇宙や地球と人間生命の関連を説き、人間の幸・不幸という問題を明らかにしているのである。これについては立正安国論講義の「三災七難と依正不二論」に詳説がある。一つの思想・哲学・宗教が人間生命に大きな影響を与え、また人間社会をも大きく変革していくことは当然考えられることであるが、仏法には、五陰世間、衆生世間、国土世間という三種の世間を論じて、国土すなわち自然界に対しても、宗教が大いなる影響をおよぼすことが説かれている。
 悪思想がはびこり、人々の生命力がむしばまれていくならば、社会が乱れると共に、自然界の正常な生命活動にも変調をきたし、四季は乱れ、温度、湿度、降雨、降雪などに異常な現象が起き、そのために三災七難が続発するのである。もし正法たる三大秘法が流布していくならば、個人にあっても、社会にあっても、幸福な境涯を築き、社会の繁栄と個人の幸福が一致する理想社会となると共に、国土も仏国土となり、さまざまな自然現象も、生物や人間生命の成長に適した状態となり、災害も減少すると、自然と人間との融合を仏法では説くのである。これについては、後に「吹く風枝をならさず雨壊を砕かず、代は義農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ」と述べている。
かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ
 日蓮大聖人が御本仏として、釈尊の予言どおりに出現されたことを述べられている。
 この文を日寛上人の如説修行抄筆記によって釈すと次のようになる。すなわち御本仏日蓮大聖人出現の「時」については、分別功徳品に「悪世末法の時」とあり、また薬王品に「後五百歳中広宣流布」と説かれている。また「国土」に約せば宝塔品に「誰か能く此の娑婆国土に於いて」また湧出品に「娑婆世界に、自ら六万」とある。また「教」に約すならば、宝塔品に「広く妙法華経を説かん」とあり、湧出品には「此の経を説く」と説かれ、神力品には、四句の要法に約して、三大秘法の南無妙法蓮華経が説かれている。この外にも、諸文があるが、天台、妙楽、伝教などの像法時代の正師も、末法の御本仏が出現し、南無妙法蓮華経を弘通されることを予言し、また、末法に生まれて、御本仏の正法にあうことを願っていたのである。
法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し
 折伏弘教を説かれた文である。「法王の宣旨」「経文に任せて」とあることから明らかなように、末法今時においては折伏弘教こそ仏意仏勅である。故に日蓮大聖人が折伏の先陣に立たれた姿こそ如説修行である。また今日の創価学会の折伏も、仏意仏勅にかなった如説修行をめざしている。だが、日蓮大聖人御在世中の弟子の中に、ともすると折伏を嫌う風潮があったようである。今日でも、折伏を嫌うものがあるが、本抄において大聖人は折伏以外に如説修行がないことを、厳しく戒められているのである。
 「権実二教のいくさ」いついては、本迹・種脱相対を含むことは、当然の理である。
 また広義に論ずるならば、個人個人がもっている宗教観、人生観を、三大秘法の仏法の立場から折伏していくことを意味するのである。そして折伏弘教にあたっては、御本尊の仏力・法力に対する確信がなければならない。折伏行とは、御本尊の仏力・法力によって、一切の法王の宣旨背きがたければ経文に任せて 権実二教のいくさを起し民衆を幸福にしていく慈悲の活動である。したがって、たんなる議論のための議論に終始したり、感情的な口論に堕しては断じてならない。「妙法五字の旗」「未顕真実の弓」「正直捨権の箭」の御文はいずれも、折伏弘教はあくまでも御本尊の功徳に対する確信を中心としたものであること述べられている。
 そのためには、まず折伏にあたる者が、御本尊に向かって唱題しなければならない。ともすれば、自己のことのみにとらわれ、親をも、友人をも思うことのできない無慈悲な一面があるものである。御本尊に唱題し、御本仏の智慧と慈悲をわが一念に湧現して、折伏にあたらなければならないことは当然といえよう。「妙教の剣」とあるが、「妙教」とは南無妙法蓮華経であり、「剣」とは、御本尊を信ずることができないという無明惑を断ち切る題目のことである。
 また「大白牛車に打乗って」の文について、日寛上人は「打乗る」とは、本門の題目を受持することであると釈されている。これについては、御義口伝巻にも譬喩品の「乗此宝乗直至道場」の文を受持と題目の二義に釈されている。
 また妙楽大師は、法華玄義釈籤の巻五に「此の因易かざる故に直至と云う」と述べている。日寛上人は筆記に「乗る」ということを信心第一の義と釈しておられる。末法において折伏を行ずれば、必ず難があることは前述のとおりである。この難や迫害に耐えることが「忍辱の鎧を著て」になる。これも、御本尊に唱題する信心から生まれることはいうまでもない。ゆえに、どのような立場にあろうとも、折伏弘教にあたっては、御本尊に唱題し、信心第一で臨まなければならない。
 唱題によって得た豊かな生命力、嬉々とした振舞い、思いやりが、必ず人々の心をうち、入信を決意させることができるのである。創価学会の折伏弘教により今日では、幾百万の人々が御本尊を信ずることができるようになったが、全世界からみれば、まだまだ、ほんの一部の人々が信仰しているにすぎない。全世界の平和を実現していく時代に、その先駆者となったわれわれは、勇躍歓喜して励むべきである。本抄の「今に至るまで軍やむ事なし」の御文、諸法実相抄の「剩へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(1360-10)の御金言を思い、いよいよ折伏弘教に邁進すべきである。
天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり
 如説修行の行者は現世安穏であるという法華経薬草喩品第五の経文が虚妄でないことを述べられた御文である。日寛上人は、この文を、当体義抄の「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり」(0512-10)の文と対比されている。
 すなわち下図のようになる。

如説修行抄

当体義抄

法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし

正直に方便を捨て

天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時

但法華経を信じ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば

南無妙法蓮華経と唱うる人は

人法共に不老不死の理顕れん時

煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ

吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得

其の人の所住の処は常寂光土なり

 ここで「吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」の御文は、仏法の立場から見れば、国土世間の平和論である。個人の幸福と社会の繁栄の一致は妙法によらなければならないことは先に論じた、今、与えて論じ、かりに妙法によらないで、理想的な社会が出来上がったとしても、天災が続発するようなことがあれば、人心は動揺し、不幸を感じなければならない。故に真に国土世間の平和を実現できる妙法によらなければ、理想社会の実現は望むべくもないのである。
 国土世間の常住、娑婆即寂光については観心本尊抄に「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり」(0247-12)とある。
 また「人法共に不老不死の理顕れん」とは、法華経寿量品第十六の「常在此不滅・常住此説法」の説相をいうのである。
 以下、日寛上人の如説修行抄筆記による。報恩抄に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(0329-03)とあるが、「日蓮が慈悲曠大」とは人を意味し「南無妙法蓮華経は万年の外・未来まで」とは法を意味するのである。この人法の利益が三世常住の故に、不老不死というのである。祈祷経送状には「日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚し食され候へ」(1356-11)と。三世常住の利益を述べられている。
 また、人の不老不死は日蓮大聖人のことを述べられたことは明らかである。法については、常住の故に不死であるが、どうして不老というのであろうか。これは、爾前経に得益を論ずるのは壮なさまであり、無量義経に未顕真実と説かれたのは、得益を滅せんとする時であるから老いたさまである。
 さらに、法華経にいたって、爾前経が破折され、廃せられるのは死を意味するのである。ところが、法華経の利益にはこうした義が無いので不老不死というのである。大集経には「闘諍堅固・白法隠没」とあるが、これは爾前経が老い死ぬことであり、また、脱益文上の法華経の利益が隠没することをいうのである。薬王品に「後五百歳中広宣流布・無令断絶」とあるが、これは、寿量品の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経の不老不死を意味するのである。
 また、もう一重立ち入ってこの御文を拝するならば、人法共に本因本果の理をあらわすということである。すなわち、不老とは釈尊を意味し、不死とは上行菩薩を意味するのである。妙楽大師の法華文句記巻九に「父は久しく先より種智還年の薬を服せり、父は老たれども少きが若し、子は亦、常住不死の薬力を禀けてより少けれども老いたるが若し」と釈している。
 また、御義口伝巻には「不老は釈尊不死は地涌の類たり」(0774-第六若人有病得聞是経病即消滅不老不死の事-03)とある。これらによれば不老不死を師弟に配することが明らかである。師弟とはすなわち、本因本果である。百六箇抄に「本果妙の釈尊本因妙の上 行菩薩を召し出す事は 一向に滅後末法利益の為なり」(0864-07)と。師弟はすなわち本因本果となることが説かれている。ここで不老不死を師弟と釈された御本意は、人法共に本因妙をもって末法の衆生を利益する理顕割れる時という意味なのである。本因本果俱時の妙法を修行する故に、人もまた妙因妙果を俱時に感得することができるのである。
 次に「人法共に不老不死の理顕れん時」について、広くいえば、今、創価学会によって推進されている宗教運動によって、三大秘法の仏法を信じた人々の一生成仏を意味するのである。三大秘法の仏法は無始無終の故に不老不死であり、御本尊に唱題して、三世常住を悟り我が身即本有無作の三身如来と開覚していくことは、人の不老不死である。こうして、御本尊を受持した個人個人が一生成仏に励み、幸福な生活を営んでいくことが、広宣流布に通じ、法の不老不死を実現することになるのである。
 末法御本仏の出世の本懐である三大秘法を、清純に厳護し「時を待つべきのみ」の御遺命によって、ひたすら正法流布の時が、いまようやくその時が実現しつつある。
 さて、今日の創価学会の広宣流布実現への弘教活動は、三千年にわたる仏教史を通じて見たとき、大きな意義をみいだすことができよう。
 それは、多くの人々を御本尊に帰依せしめたという事実である。報恩抄に「されば内証は同じけれども法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴・竜樹等はすぐれ馬鳴等よりも天台はすぐれ天台よりも伝教は超えさせ給いたり、世末になれば人の智はあさく仏教はふかくなる事なり」(0328-10)とあるように、正法時代、像法時代よりも末法の衆生の機根は悪く、さらにその智は浅く低劣になっている。それゆえ、仏法の教え自体の甚深さが必要とされるわけである。正法時代、像法時代よりも深遠な仏法の流布が必然的に要請されるのである。こうした状況の中で、今妙法を広宣流布しつつあることに重要な意義があるといえまいか。そうした意味からいえば、伝教大師の法華経迹門の流布よりも、本門寿量文底下種の三大秘法の広宣流布が百千万億倍も勝れているのである。
 ともあれ、いついかなる時代にあっても、日蓮大聖人の仏法を持つ者は「法華折伏・破権門理」の本義を実践し、万民一同に南無妙法蓮華経と唱える広宣流布を実現して、現世安穏の仏国土を建設し、仏語の真実を証明していく使命があることを忘れてはなるまい。

0502:10~0503:05 第四章 如説修行の相を明かすtop
10   問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや、答えて云く当世・日本国中の諸人・一同に
11 如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、 念仏を申すも
12 真言を持つも ・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに 仏菩薩の御名を持ちて唱るも 皆法華経なりと信ずる
13 が如説修行の人とは云われ候なり等云云、 予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには 人の言を用う可らず只仰い
14 で仏の金言をまほるべきなり 我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども 衆生の機根未
15 熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に 真実たる法華経を説かせ給いしなり、 此の経の序分無
16 量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、 所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり、 大荘厳等
17 の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得
18 成・無上菩提と申しきり給ひぬ、 然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして
0503
01 無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈と禁め給へり、 是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切
02 衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじきに 末法の今の学者・何れも如来の説教な
03 れば皆得道あるべしと思いて或は真言.或は念仏・或は禅宗.三論・法相・倶舎.成実・律等の諸宗.諸経を取取に信ず
04 るなり、是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり、此等の
05 をきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
-----―
 問うて言う。如説修行の行者というのは、どのように信ずる人をいうのであろうか。
 答えて言う。今の世の日本国の人々がみんな如説修行の人といっているのは、爾前に説かれた権教も、皆、一仏乗と開会してしまえば、どの法もすべて法華経であって、もはや勝劣・浅深はない。したがって念仏を称えるのも、真言を持つことも、禅を修行するのも、総じては一切の諸経ならびに仏菩薩の名号を持って唱えることも、すべて法華経を持つことになるのだと信ずるのが如説修行の人であるといっている。
 予がいわく、それはまったく違っている。詮ずるところ、仏法を修行するについては、人の言を用うべきではない。ただ仰いで仏の金言だけを守るべきである。われらが根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道のはじめから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権の教えである方便の経を四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのである。だからこの法華経の序文である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのであり。いわゆる無量義経の「方便力をもって四十余年末だ真実を顕わさず」というのがこれである。
 そこで無量義経にあるように、大荘厳等の八万の菩薩たちが、釈尊の法華経を説く準備として、権教を説き、権教を開いて実経を顕わし、そして権教を廃し実経を立てたことの由来を知って領解の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行の諸経では、終に無上菩提を成ずることができなかった」と断言されたのである。
 しかして後に正宗分である法華経方便品に至って「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と説いたのをはじめ、「二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」「正直に方便を捨て」、譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒められたのである。このように仏が定められた後は、唯有一仏乗の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、末法の今の学者は、どの経でも仏の説経なのだからすべて成仏できるのだと思って、あるいは真言・あるいは念仏・あるいは禅宗・三論・法相・俱舎・成実・律等の諸宗・諸経を勝手に信仰している。このような人わば、譬喩品で「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と決定しておられるのである。
 このように約束された経文の明鏡を根本として、仏説とすこしも違うことなく、一乗の法が成仏の法であると信じて進むのが、如説修行の行者であると、仏は決定しておられるのである。

諸乗一仏乗
 諸乗とは、二乗(声聞乗・縁覚乗)および菩薩乗などの方便の教え。一仏乗とは、衆生を成仏の境涯へと到達させることのできる唯一の教えである法華経のこと。法華経方便品第2には「十方の仏土の中には|唯一乗の法のみ有り|二無く亦三無し|仏の方便の説を除く」(法華経129㌻)とある。
―――
本師
 ①本従の師。衆生が師と仰ぐべき本来有縁にして、生々世々に従って教えを受けてきた仏。閻浮提の衆生の本師は釈尊であり、末法においては久遠元初の自受用法身如来である。②本来、主として教えを受けてきた師匠。
―――
権実のはうじ
 「はうじ」とは、立札を立てて境界を示すこと。権教と実教の境界とは、無量義経説法品第2に「四十余年未顕真実」の文に代表される。
―――
大荘厳等の八万の大士
 無量義経に出てくる八万人の大菩薩のこと。
―――
施権
 為実施権のこと。釈尊が権教を説いたのは、法華経を説くための方便であり、衆生を誘引するためであったこと。
―――
開権
 開権顕実のこと。爾前の方便を開いて、真実の法華経を説き示すこと。
―――
廃権
 廃権立実のこと。権教を打ち破って、実教を立てていくこと。
―――
領解
 完全に理解すること。法華経迹門においては、三周の声聞の説法の時、正説・領解・述成・授記・歓喜の五段に分かれて説かれている。正説は仏の説法であり、領解は正機の弟子が説法を聞いてわかったと述べることである。述成は仏がさらに領解を補足することであり、授記は成仏の記莂を受けることであり、歓喜は四衆の歓喜する有様を述べていることである。
―――
歴劫修行
 成仏までに極めて長い時間をかけて修行すること。無量義経説法品第2にある語(法華経33㌻)。「歴劫」とはいくつもの劫(長遠な時間の単位)を経るとの意。無量義経では、爾前経の修行は歴劫修行であり、永久に成仏できないと断じ、速疾頓成(速やかに成仏すること)を明かしている。
―――
終不得成・無上菩提
 無量義経十功徳品第3の文。「終に無上菩提を成ず ることを得ず」と読む。
―――
世尊法久後・要当説真実
 法華経方便品第3の文。「世尊は法久しくして後 要ず当に真実を説くべし」と読む。
―――
無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈
 法華経方便品第2の文。「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」と読む。
―――
若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄
 法華経譬喩品第3の文。「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して、疑惑を懐かん。汝当に此の人の罪報を説くを聴くべし、若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を誹謗することあらん。経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん。此の人の罪報を、汝今復聴け。其の人命終して、 阿鼻獄に入らん」とある。
―――――――――
 この章では、権実相対して、如説修行の相を明かされている。
 初めに、権実雑乱した如説修行の邪義をあげ、次に日蓮大聖人の能判をあげて、総じて諸宗の非を破し、略して如説修行を釈されている。次の「我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども衆生の機根未熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり、大荘厳等の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得成・無上菩提と申しきり給ひぬ、然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈と禁め給へり、是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじきに末法の今の学者・何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言・或は念仏・或は禅宗.三論・法相・倶舎.成実・律等の諸宗・諸経を取取に信ずるなり、是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり、此等のをきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり」が結論となっている。これは標釈結の三段に立て分けて論じられたのである。
 広釈では、在世の始終をあげ、如説と修行に立て分けて、権実雑乱の如説修行を破している。
 今日においても、宗教統一運動を標榜する教団の立てる教義は、本抄に説かれる権実雑乱の如説修行の邪義とまったく同様の論法であることを看過してはならないのである。
諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし
 これは権実一体の邪義である。日寛上人は、これを如説修行筆記において、次のように破折されている。すなわち、諸法を一仏乗と開会した場合にも、なお爾前経と法華経には浅深がある。
 一つは能開所開の不同である。これについて、題目弥陀名号勝劣事には「妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり」(0115-18)「又法華経に二事あり一には所開・二には能開なり」(0404-02)とある。
 二つには権実の不同である。十章章に「設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず」(1275-13)とあるが、開会の上の権実勝劣である。その他、体用などの不同があり、すでに権実に勝劣があることは明らかである。
 なお、また十法界明因果抄の「此の覚り起りて後は行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり」(0437-08)の御文の「覚り」の意味は、開会を覚悟する義である。どのように覚るかとというと、十章抄の「開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり」(1275-13)と覚る義である。故に、これもまた勝劣ありとの義である。もし開会の後は、権実一体であって一向に不同が無いとの邪義に執着する心があるならば、それはすでに見開会の法門であり、日蓮大聖人が破折されているところである。
 したがって「行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦して法華経を読む」という読み方は、十章抄の「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず文をばかれども義をばけづりすてたるなり、『境は昔に寄ると雖も智は必ず円に依る』と申して文殊問・方等・請観音等の諸経を引いて四種を立つれども心は必ず法華経なり」(1273-08)の御文にも明らかなように、法華経の義によって読み、爾前・外道の義を捨てることである。すなわち、法華経の義を成り立たすために爾前の経文を読むのでるから、爾前経を読んでも法華経の文を読んだことになるとの意である。文は爾前経であっても、その義意は法華経にあるというのである。すなわち「爾前は迹門依義判文」であり、また「文在爾前・義在法華」の意である。
 また、一代聖教大意に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(0398-03)とあり、また同書には「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(0404-03)とある。この御文によれば、開会の上にさらに体内権実の勝劣を立てるという相伝を知らずして、開会の後は権実一体であるとした場合は、法華経といえども爾前経の利益になり下がってしまうのである。これが権実相対の意である。
 これに準じて考えるならば、発迹顕本した後の体内の本迹にも勝劣があるという相伝を知らずして、発迹顕本の後は本迹一致であると考えて本門を読む功徳は、爾前迹門の利益になり下がってしまうのである。
 このように真実の仏法は、法の勝劣・浅深を厳密に立て分けており、もし、これに迷うときは、正しい仏道修行とはならないのである。
 ところが、今日の宗教、各教団は、宗教統一運動、国民皆信仰運動などを提唱している。すなわち、その主張は「宗教は各宗各派それぞれ、成立、方法などが異なっていても、目的とする所は同じである。したがって、宗教界が、内部でいたずらに争いを繰り返していたのでは、ますます、民衆から見放されてしまい、また民衆は救われない。そこで、宗教の隔たりをなくして、宗教界は団結しなければならない。宗教は本来、寛容の精神を基調とするものであるから、われ一人のみ尊しとして、他宗を排斥するような創価学会の折伏は、宗教本来のあり方ではない」ということである。こうした見解は、宗教の勝劣、正邪を知らず、すべてをないまぜにした憂うべきものといえよう。
 各宗各派が、所詮は同じであるという論法は、まさに開会の上では、まったく不同なしとの邪義そのもので、日蓮大聖人が厳しく破折されたところであった。さらに看破すべきことは、新興宗教等の動向である。彼等は、さまざまな教義を用いて、宗教を知らない民衆に取りいって、布施を修行の中心におく宗教である。これはインドの附仏教、学仏法成等の外道と何らかわりはない。自らの法が無力であることを巧妙にカムフラージュするために、寛容の精神などを持ち出すのである。
 仏法が一切衆生を救済しきっていくということ自体、寛容の精神以外の何ものでもない。ただし、それはあくまでも人を対象とした場合に限られ、法については厳しく浅深・勝劣を判じていくものである。この法に対する厳しい態度があって初めて、一切衆生を成仏せしめていくという寛容の精神が生きてくるからである。ゆえに、涅槃経に「願はくは心の師と作りて心を師とせじ」とあり、また「若し仏の所説に従わざる者有らば、まさに知るべし之れ魔の眷属なり」とある。さらに「戒を破し正法を壊する者あるを見ば、すなわち応に駆遣し訶責し拳処すべし。若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて訶責し駆遣し拳処せずんば当に知るべし。是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駆遣し訶責し拳処せんは是れ我が弟子真の声聞なり」とある。これらの仏説によって明らかなように、経文のいずこに「法の寛容」などが説かれていようか。むしろ、正法正義を明らかにし、正法を護り、令法久住していくことを命ぜられることにより、教義の妥協などという偽りの寛容を厳しく戒めているのである。
 したがって、そうした経団は、一つには、自らの法の低級、無力を隠すため、二つには創価学会の折伏を妨げる働きとして、人法の寛容を混同して邪義をなすのである。
 もし、創価学会が排他的で不寛容であるならば、他の信仰を持つ人々を折伏したり、新しい入信者を迎えるようなことはしないはずである。折伏は、あくまでも相手の秘められた至宝・仏界の生命を開かせる慈悲の行為であり、誤った人生観を破して、共々に豊かな社会を築く人生を歩みたい、という真実の人間性の発露である。これこそ、真実の寛容ではなかろうか。幸福を築く確実な道は、妙法によってのみ可能であるが故に、この正法正義を明らかにし、令法久住することが、全人類の幸福と恒久平和な世界実現のキーポイントであるといいたい。
予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり
 前節の権実雑乱の如説修行の邪義に対して、これより以下は、御本仏日蓮大聖人の真実の如説修行を判ぜられるのである。
 しかして、この文は略して如説修行を釈されている。「然らず」の一言は、総じて諸宗の権実雑乱した如説修行の非を破折されている。
 ここに「仏の金言をまほるべきなり」の御文は「如説」に約され「仏法を修行せんには」の文は「修行」に約すことができるのである。
 今日、世人の仏法に対する関心は、低下しており、念仏も真言も禅も皆同じ仏法であると思い込んでいるきらいがある。しかし、これらの宗の所説の法門は、仏の金言たる経文にはよらない我見である。各宗とも所依の経文があり、仏説によっているようであるが、それは形式にすぎず、法門それ自体は、仏説を無視して勝手に作られたものにすぎない。
 仏法は釈尊滅後、多くの人師・論師の出現により、多数の論釈が作られたが、これらはあくまでも仏説を中心にし、時代に応じ、各分野への応用であったはずである。仏説を無視し、勝手に論を展開したものが、仏教と認められるならば、いかに、論釈の数を誇っても、それは仏法の偉大なる教義体系を崩すものであり、また民衆は、何が正法であるかを見失ってしまう。
 故に、大聖人は「仏の金言をまほるべきなり」と申され、釈尊が涅槃経に説いた「依法不依人」という仏法本来のあり方を示されているのである。日蓮大聖人の御書を拝せばわかるように、御書には、釈尊の経文が引用され、さらに天台、妙楽、伝教などの釈を依用して、法門を述べられているのである。これこそ、日蓮大聖人が仏法の依法不依人戒を守られた証左である。
 これに反し、法然にせよ親鸞にせよ、その他諸宗の開祖といわれる人々の著書は、経文によらないものがある。開祖が如説修行の法理を無視している故に、その教を信ずる者も、また如説修行の人とはならず、謗法の徒になり下がってしまうのである。
 故に、この文の「然らず」の一言は、まさに民衆の苦悩を救わんとする御本仏の大慈悲あふれる一言であるといえよう。
我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども~~如説修行の人とは仏は定めさせ給へり
 これより広く、如説修行を釈されている。初めに、釈尊在世における説教の始終をあげ、経文を引いて、「如説」を釈されている。すなわち、釈尊の真実の教えは、法華経のみに説かれているという権実相対の義を明らかにされて、前述の権実雑乱を破折されているのである。
 「是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじ」の御文は、一往、附文の辺で権実勝劣を判じられた御文であるが、再往、元意の辺は、本迹相対して判じられたのである。
 しかして「末法の今の学者・何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言・或は念仏・或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗・諸経を取取に信ずるなり、是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり」の御文では「修行」を述べられている「何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて」の御文こそ、宗教は何でも同じであるという、今日の宗教に対する一般通念とほぼ同質のものであることに驚くのである。
 日蓮大聖人御在世においては、一般の宗教観、人生観はいまだ仏教中心であったから、この御文のごとく、権実雑乱の段階であった。
 ところが700年を経過した今日の日本にあっては、人生観の形式に仏法の基本を置いていくということは、まず少ない現状といえよう。宗教それ自体が堕落し地に落ちている故に、民衆の宗教観そのものが不透明なものとなっているからである。
 この経文を広く論ずるならば、個人における人生観、世界観の確立の問題について述べられたものと拝することができよう。今日ほど、人々の人生観が安易に流れ、種々雑多になり、利己的になっている時代はないのである。ある者は実存主義による人生観をもち、ある者はマルキシズムにより、ある者はキリスト教に、その他、特定の思想、哲学はもたずとも、各人が種々雑多な思想により、人生観を形成している。だが一方では、無思想、無宗教をあたかも自己の人生観であるかのようにする者もいる。そして、それらの共通点が、自らの人生観を至上のものとして、そこから一歩も踏み出すことがないといった姿をしばしば見聞するのである。人生観、世界観の根本には、必ず宗教思想、哲学があり、その浅深、高低、善悪により、各人の人生観にも当然、浅深、高低はあるのである。
 したがって、より優れた宗教思想、哲学により、人間性豊かな人生を築くことこそ肝要であり、人生論ブームなども、より優れた人生観を形成するための宗教思想、哲学の探求と考えられる。しかし、これらは、観念的な思考の段階にとどまってしまっている。それは「如説」のみあって「修行」がないからなのである。
 そのそも、思想、哲学とか、人間の思考などは言葉によって、その理論性の上に組み立てられた矛盾のない理論体系であり、人生そのものは、一瞬一瞬の生命活動の発露である。
 したがって、思想、哲学に立脚した人生観や世界観といういわゆる「如説」と、人生そのものといういわゆる「修行」との間には、大きな断層が横たわっているのである。この断層を超えて、「如説」と「修行」が一致し、偉大な力を生命、人生にもたらすものは、ただ、正法中の正法たる三大秘法の南無妙法蓮華経のみである。
 すなわち、仏法においては、大御本尊に唱題する修行によって、仏説のごとく、自身の肉団の胸中に存する仏の生命を開覚し、仏としての振舞いを自己の身に顕すことができるのである。
 しかし、一般の思想、哲学にあっては、一つには、理論のみあって、確固たる実践方法が確立されていないこと、二つには、理論そのものが、人間、生命の本義に迫ることのできない観念的な理論に終始しており、たまたま生命の問題に論及しても、部分観に終わってしまっているのである。
 したがって、個人にあって真の人生観、世界観を確立して、その力により人生を豊かに、力強く開き、さらに全人類の恒久的な平和を築く道は、三大秘法の大御本尊を信受し、折伏を行じ、日蓮大聖人の御遺命の広宣流布の実現に邁進することに尽きることを再確認しておきたい。

0503:06~0504:01 第五章 摂受折伏の大旨を判ずtop
06   難じて云く左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、 只一経に限りて経文の如く五種の修
07 行をこらし安楽行品の如く修行せんは 如説修行の者とは云われ候まじきか如何、 答えて云く凡仏法を修行せん者
08 は摂折二門を知る可きなり 一切の経論此の二を出でざるなり、 されば国中の諸学者等 仏法をあらあら学すと云
09 へども時刻相応の道をしらず四節・四季・取取に替れり、 夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下
10 して秋菓を取るべし 秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや、 極寒の時は厚き衣は用なり極熱の夏はな
11 にかせん、 凉風は夏の用なり冬はなにかせん、 仏法も亦復是くの如し小乗の流布して得益あるべき時もあり、権
12 大乗の流布して得益あるべき時もあり、 実教の流布して仏果を得べき時もあり、 然るに正像二千年は小乗権大乗
13 の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固・白法隠没
14 の時と定めて権実雑乱の砌なり、 敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し 敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、 今の時は権
15 教即実教の敵と成るなり、 一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、 是を
16 摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり、 天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、 然るに摂
17 受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、ニワトリの暁に鳴くは用なり宵
18 に鳴くは物怪なり、 権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を
0504
01 失う物怪にあらずや
-----―
 これに対して難じていう。そのように方便権教である諸経諸仏を信ずるのを指して法華経というならば、それはたしかに間違いであろう。それならばただ法華経一経だけに限って、経文どおり受持、読、誦、解説、書写等の五種の妙行に励んで、他を批判せず、この安楽行品のように修行するものは、如説修行の行者といわれないのだろうか。
 答えて言う。およそ仏道修行をする者は、摂受と折伏の二つの修行法を知るべきである。一切の経論も、摂折二門をでることはないのである。こうしてみると国中の多くの学者仏法をだいたい学んだというけれども、時節に合致する肝心な修行の道を知っていない。
 譬えていえば、年の四節や春夏秋冬の四季も、その都度働きが変わるのである。つまり夏は暑く冬は寒く、春は花が咲き、秋には菓がなるのである。だから、その季節の働きに合わせて春に種子をまき、秋に菓を取るべきである。それを逆にして、秋に種子をまき、春に菓を取ろうとするならば、どうして取ることができようか。極寒の時には厚い着物は役に立つ。極熱の夏には何の必要があろうか。また涼風は夏には必要であるが、冬は何の役に立つであろうか。
 仏法もまたこのようなものである。小乗教が流布して功徳のある時もあり、権大乗教が広まって功徳のある時もあり、実教である法華経が広まって成仏できる時もある。しかし、正法と像法の二千年間は、小乗教や権大乗教が流布する時である。釈尊二千年を過ぎて、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経だけが広宣流布していく時なのである。この時は諍いが絶えない、すなわち、闘諍堅固の時であり、しかも、釈尊の白法が隠れ、没する時と定められていて、権教と実教とが雑り、入り乱れ、はっきりしなくなる時である。敵があって戦わなければならない時には刀や杖や弓箭を持って戦うべきである。敵のない時ならば、こうした武器が何の役に立つだろうか。今、末法においては、権教が即実教・正法の敵となっているのである。一乗の法である法華経が流布されていくべき時には、権教が敵となって、権実の区別がはっきりしないならば、実教の立場からこれを責めるべきである。これを摂受・折伏の二門のなかでは、法華経は折伏というのである。天台大師が法華玄義巻九の上に「法華は折伏にして、権門の理を破す」といっているのは、まことに理由のあることである。
 そうであるのに摂受である身・口・意、誓願の四安楽の修行を、今の時に行ずるならば、それは冬に種子をまいて春に菓を取ろうとするようなものではないか。鷄が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪である。権教と実教の立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中に閉じこもって摂受を修行するものは、まさしく法華経修行の時を失った者怪ではないか。

五種の修行
 五種の妙行ともいう。受持・読・誦・解説・書写をいう。法師品に「若し復人あって、妙法華経の乃至一偈を受持、読誦し、解説、書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして(中略)是の諸人等、未来世に於いて、必ず作仏することを得ん」とある。法華経で説かれた仏道修行。このなかで受持が最も根本である。この五種の修行には、一字五種の修行、要法五種の修行、略品五種の修行の三義がある。末法においては受持即観心である。観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)とある。自行化他に配すれば受持・読・誦・書写は自行、解説は化他である。
―――
安楽行品
 妙法蓮華経の第14章(法華経422㌻以下)。釈尊が滅後の悪世における弘通を勧め、その際に留意すべき実践方法を身・口・意・誓願の四つの面から説いている。これを四安楽行という。
―――
摂折二門
 摂受と折伏の二門のこと。
―――
時刻相応
 時刻とは正像末をいい、相応は適ったこと。
―――
小乗の流布して得益あるべき時もあり
 釈尊滅後500年間は、迦葉・阿難等が一向に小乗教を弘め、衆生はそれによって成仏した時もあったこと。
―――
純円一実の法華経
 法華経は爾前の円を帯びていない純円なる円教であるということ。
―――
権実雑乱の失
 権教と実教の教義や修行を混同・混乱する誤り・罪のこと。権教の人師・論師が実教である法華経を下し、あるいは義を盗み、権実を混同した義を立て、互いに争うとき。
―――
刀杖弓箭
 刀・杖・弓・箭のこと。武器のこと。
―――
鶏の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり
 時を知ることの大切さを示された文。末法の現代は折伏である。
―――――――――
 この章は、別して如説修行の相を明かされている。天台家が像法熟脱益仏法の修行を立てた摂受を迹とし、日蓮大聖人が末法下種仏法の修行として立てられた折伏を本とする。すなわち天台家を摂受を破し、末法の折伏を宣揚するのである。これは像法と末法とを相対して本迹を論じられたのである。これについて観心本尊抄には「所詮・在在・処処に迹門を捨てよと書きて候事は今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり」(0972-07)と述べられている。
難じて云く左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし安楽行品の如く修行せんは 如説修行の者とは云われ候まじきか如何
 この文は、前章をうけて、法華経二十八品について、受持・読・誦・解説・書写の五種の修行や、安楽行品に説かれた身・口・意・誓願の四安楽行などの摂受を修行するものが真の如説修行の者ではないかとの難じた文である。ここで暗に、日蓮大聖人が五種の修行をせず、難にあっていることから、如説修行の行者とはいえないだろうとの非難の意をあらわしているのである。
 さて、五種の修行の中では、受持の行が最も肝心なのである。今末法において受持とは、三大秘法の大御本尊を信じ、題目を唱えることをいうのである。天台大師は法華文句巻八上に、大智度論巻五十五を引用して「信力の故に受け、念力の故に持つ」と、受持を釈している。
 また御義口伝には「五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り」(0783-02)と。また同口伝には「末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり云云」(0772-第八畢竟住一乗○是人於仏道決定無有疑の事)とある。ゆえに末法はただ受持の一行が大切なのである。この受持の一行の中に、読・誦・解説・書写の四種も含まれてしまうのである。すなわち、読誦とは南無妙法蓮華経と唱えることである。ゆえに御義口伝に「御義口伝に云く五種の修行の読誦と受持との二行なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり此の経を持つは持なり此経とは題目の五字なり云云」(0743-第十六読持此経の事)と述べられたとおりである。また解説については、御義口伝に「末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり」(0756-第十三常住此説法の事)とある。また御義口伝に「説とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類いは能須臾説の行者なり云云」(0743-第十九能須臾説の事)とある。
 これらの御文によれば、末法当今は、御本尊を受持するという一行の中に、五種の修行がすべて含まれてしまうのである。したがって、像法時代の熟益仏教における五種の修行を破し、末法下種仏法の大御本尊を受持する一行こそ、真実の如説修行なのである。ゆえに観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)と受持即観心の義を述べられている。また四条金吾殿御返事には「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、『則為疾得・無上仏道』は疑なし、三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云うなり」(1136-05)と、このことを述べられている。
凡仏法を修行せん者は摂折二門を知る可きなり一切の経論此の二を出でざるなり
 この文は、摂折二門の大旨を判じるなかで、一切の経論が摂受・折伏の二門の中におさまることを標しているのである。
 およそ仏が説法される元意は一切衆生を成仏させるためであるから、必ず修行がともなう。
 その仏道修行は大別して、自行と化他の二つになる。修行者自身の修行が自行であり、広く他を化導することが化他行である。さらに化他には摂受と折伏という二つの方法がある。仏弟子として修行に励む者が、いまだ真実の仏法を知らない人々に仏法を知らしめていく化他行は、仏道修行の根本である。
 ところが、われわれが折伏に際し、しばしば体験することであるが、宗教は自分が心から求めぬいて信仰してはじめて信仰した価値があるのであって、他人から勧められて信仰しても、それは無益である。自分が信仰する気持ちになってから信心する、という考え方の人にであうことがある。そういう人は、われわれの折伏を、いかにもうるさげに非難して「自分が信仰して満足すればそれでよい。わざわざ他人にまで勧めることは行き過ぎであろう」という。しかるに、日蓮大聖人は、一切の経論は摂折二門におさまると述べられ、化他行を仏道修行の要諦とされている。百六箇抄には「法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856-脱益の妙法の教主の本迹)と、法を弘めることの重要性を強調されている。
 次に、弘教の方軌としての摂受と折伏について述べる。摂受とは摂引容受の義であり、相手の違法を厳しく責めず容認しながら次第に誘引していく化導の方法である。また折伏とは破折屈服の義であり、相手の邪義を折り正法に伏せしめる実践行為をいう。これは、悪心を折り正しい信心に帰伏せしめていく厳愛の行為である。法華経には、摂受・折伏の両者が説かれている。安楽行品第十四には、摂受が説かれ、勧持品、不軽品には折伏が説かれている。
 この摂受・折伏については佐渡御書に「仏法は摂受・折伏時によるべし」(0957-02)とあり、開目抄にも「夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、 譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(0235-09)と述べられている。
 これらの御文によれば、末法における法華経の修行は、折伏であることは明らかである。末法に折伏を行ずることはきわめて難事であり、迦葉、阿難はもとより、迹化の菩薩といえども、難に耐えることができないために、末法に弘通することを許されていない。ただ地湧の菩薩のみが、五濁悪世に出現して如来の使いとして折伏を行ずるのである。
 ゆえに諸法実相抄に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く『我久遠より来かた是等の衆を教化す』とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360-06)と、折伏を行ずる者を地湧の菩薩とされている。その他にも、折伏を行ずるように勧められた御書は多い。
 諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361-11)と、信心を根本として折伏を行ずることを勧められている。さらに教機時国抄には「謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり」(0438-12)と述べられ、末法の衆生は、折伏によって信謗ともに救われるとされている。
 また折伏を行ずるには、絶対の信心に立脚し、勇気をもって振舞うべきである。信心弱く、折伏の実践に踏みきれない人は、厳しい御金言のあることを知り、ひたすら大御本尊に唱題して折伏に励むべきである。
 曾谷殿御返事にいわく「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし」(1056-06)と。また佐渡御書にいわく「螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし」(0961-01)と。
 このように創価学会の折伏こそ、日蓮大聖人の御本意にかなった行動であり、民衆を幸福にしていく働きである。世間の一部の人々には、この折伏があまりにも強く、厳格であることに、その真意をつかむことができずに、恐れをいだき、さまざまに中傷を加えてきたが、前に引用した御金言は、すべてそうした非難を予知された上で、折伏に励むべきことを述べられている。同じく曾谷殿御返事に「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり、若し此等の義をたがへさせ給はば 日蓮も後生は助け申すまじく候」(1056-13)と仰せである。
 未曾有の順縁広布の新時代を迎えた今日、われわれは、さらに信心強盛に、民衆のため、社会のため、法のため、自身のため、地湧の菩薩の眷属として力強く折伏を繰り広げていくべきである。
されば国中の諸学者等 仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず
 ここでは国中の諸学者が時国相応の仏法を知らないことを示されている。摂受・折伏のいずれを用いても弘教するかは、仏法を修学するときの大問題である。これについては、佐渡御書に「仏法は摂受・折伏時によるべし譬ば世間の文・武二道の如し」(0957-02)「正法は一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず」(0957-11)と御教示のとおりである。
 ところが、今日においては「折伏は創価学会がつくり出した非民主的な一方的な討論の方法である」といったような誤った見解が一部の知識人の間にあった。実に大聖人の指摘されたとおりである。彼等は摂受・折伏はおろか、仏法についても、その浅深・善悪・邪正を理論的、哲学的に、また実践の上に検討したことがないのではなかろうか。このように謗法が国に充満する時こそ、折伏の時であり、日蓮大聖人の下種仏法によって人々が幸福生活を確立していくべ時である。
 佐渡御書の「当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(0957-07)の御文は、時代がどのように異なっても、そうした仏法者の姿を如実に述べられたものである。
春は花さき秋は菓なる
 この文は譬えをかりて摂受・折伏の二門が時によって異なることを述べられている。日寛上人は、筆記の中で次のようにこの御文を釈されている。「この文は因果の次第を述べている。春に種子を下し、秋に菓を取るとは、脱益の次第を述べたものである。ところが、日蓮正宗以外の諸門徒は皆本尊に迷い、末だに過去の脱益の人法の本尊を信じている。こうした姿は、まるで秋に種子を下すようなものである」と。
 ここで種脱について付言すれば、種とは、日蓮大聖人の仏法を指し、脱とは釈尊の仏法をいう。今日では、仏法といえば各宗派に分かれていても、皆それは釈尊の説いた法であるという考えが、多くの人々の頭にあるようだが、実はそうではない。また、仏といえば、死んだ人のことをいうと思っている人がかなり多いが、これほど仏法がゆがめられ、迷信化されてしまっているのが現状である。
 仏法には種熟脱の三義があり、これを知らなければ、いかなる教法によりいかなる修行をして仏になるかが明らかにならない。釈尊は、五百塵点劫という大昔に成仏した仏であり、その久遠実成の釈尊に下種された民衆が長い歴劫修行を積んで三千年の昔、釈尊と共にインドに生まれ説法を聞いて成仏得道するのである。
 このように釈尊の仏法は本已有善といって五百塵点劫に下種された民衆を成仏させるための教えであるから脱益の仏法である。末法に入ると、釈尊が大集経に予言したように世は乱れ闘諍が盛んになって釈尊の仏法は隠没してしまう。それは民衆の機根が本末有善といって過去に下種を受けていないゆえに、いかに修行しても得脱することができないわけである。この本末有善の衆生に下種し得道させる仏法が日蓮大聖人の本因妙の仏法である。ゆえに釈尊の仏法の脱益に対し、下種益の仏法というのである。これをまとめると次の表のようになる。 

利益

教主

時代

釈尊の仏法

脱益・熟益

本已有善

本果妙

五百塵点劫第一番成道の釈尊

正像二千年

日蓮大聖人の仏法

下種益

本末有善

本因妙

久遠元初自受用無作三身如来

末法万年尽未来際

 このような区別を知らず、本迹・種脱に混迷しては成仏することはできない。「極寒の時厚き衣は用なり」とは、仏法を修学するにあたっては時を知り、時期相応の教法を修行することが大切であることを述べられた文である。撰時抄の冒頭には「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(0256-01)とあるが、このことを教示されたものである。極寒の冬に涼風があっても、極熱の夏に厚き衣があっても害にこそなれ、何の徳用もないのと同じく、正法一千年、像法一千年の時代には、大小、権大乗、法華経迹門の法が流布して利益を施すのであり、法華経本門はあっても流布の時ではない。
 寿量品の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経を竜樹、天親、天台、伝教は心に存していたが、外に向かっては説かなかったのである。これは曾谷入道許御書に詳しくその理由を述べられているが、今略していうならば、一には、これらの正像の正師は、三大秘法を流布した時に競い起こる大難に堪えられない。二には、正像は本已有善の機であって、三大秘法によって成仏する機ではない。三には、これらの人々は正師ではあっても、仏から末法に三大秘法を流布せよとの付属を受けていない。四には、三大秘法の法門は末法にのみ流布すべき大法であって、正像では末だその時が来ていない。ゆえに開目抄に「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-02)と述べられたのである。
 末法今時は、釈尊の仏法はその形骸をとどめているにすぎない。三大秘法の妙法によって、民衆は揺るぎない幸福生活と世界平和を築くことができるのである。
末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり
 末法の始めの五百年とは、釈尊が大集経に予言した五箇の五百歳の第五に相当する。このときは「闘諍言訟・白法隠没」の経文のままに、世は乱れ仏法の権威が地に落ちた時代である。このようなときに、大白法が広宣流布することを釈尊は予言したのである。
 薬王品にいわく「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃茶等に、其の便を得せしむること無かれ」と。
 しかして、純円・一実の法華経とは、附文の辺でいうならば、権実相対、本迹相対であるが、元意の辺は種脱相対にあり、日蓮大聖人の三大秘法をいうのである。観心本尊抄に「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249-17)と述べられたのもこの意である。
一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり、天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな
 折伏の明文である。附分の辺は権実相対であるが、末法においては、本迹相対さらに種脱相対してこれを読まなければならない。すなわち文底下種、本因妙の大法が流布する時には、次善の文上の法門といえども悪となるのである。
 「一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し」の文は、最高善が出現したときは、次善が不必要となり、もし並列して存在するときは、かえって最高善の存在をまぎらわす大悪となるとの原理を示されたものである。
 宗教が、民衆の幸不幸を左右する存在である限り、この善悪は厳密に区別されなければならない。今日、創価学会の折伏に対する非難として、自宗のみを正しいとして他宗を排除する生き方は、宗教本来の寛容という精神に反するという見解がある。しかし、この寛容は、前述したように、あくまでも人に対してであり、法の正邪、善悪をないがしろにしてよいという教えは、一切経のどこにも無い。この人法の立て分けを混同していることに誤りがある。
 宗教は何でもおなじであるという宗教観も、法に対する勝劣・浅深をわきまえぬ無定見から生じていることに注意すべきである。釈尊自身、九十五派の婆羅門を打ち破って仏教を立てたことを知るならば、これは当然のこととして了解できよう。さらに仏法の中にも法に対して厳しい峻別がある。
 すなわち、釈尊は30歳から50年にわたり八万法蔵といわれる膨大な説法をしたが、後八年に法華経二十八品を説き、出世の本懐とした。この法華経の開経、無量義経において「四十余年には末だ真実を顕さず」と説き、方便品に「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」と。また同品に「今我喜んで畏れ無し諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と。また譬喩品には「但楽って大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けざる有らん」と説いている。
 出世の本懐である法華経が説かれた以上、42年間の爾前経はことごとく捨て去るべきであり、四重興廃、教法流布の先後の原理に照らして当然である。
 また折伏と信教の自由についての非難をする者もあった。信教の自由には、宗教の正邪を明らかにしていく自由もあり、自己が正しいと信ずる宗教を弘める自由もある。また、自己が正しいと信ずる宗教を選択していく自由もある。したがって、折伏活動が憲法の信教の自由を犯すとは、まったくの筋違いである。むしろ、信教の自由が保障されて、初めて、折伏が自由に行えるのである。このことは、第二次世界大戦中、創価学会の折伏活動が軍部政府によって弾圧された事実、また戦後、新憲法によって事実上の信教の自由が確立されて、折伏弘教が可能となった事実に照らしても証明されよう。
 翻って、今日の世相を見るなら、今日ほど、いちじるしく人間性が疎外されている時代はない。機械文明が発達し、社会が複雑になればなるほど個人の主体性の確立が大切になってくる。これなくしては、健全な社会も、個人の幸福生活も現実することはできない。したがって各人がいかなる思想をもち、いかなる生活法に則って生活していくということは、実に人類社会の重要問題である。
 日蓮大聖人は立正安国論を述作され、誤った宗教こそ、個人の不幸と社会の混乱の元凶であると、時の為政者に教示し、国主諌暁された。今日、創価学会が世の人々に対し、折伏を行っているのは、各人が正しい宗教・思想により最高の生活法を得て、それぞれの生活の上に価値創造をなし、幸福生活を実現していくための直道を説いているのである。
 三大秘法の仏法を知り、邪な宗教の害毒をいやというほど身にしみて感じた人々が、暗い不幸な生活から立ち上がり、嬉々として折伏活動をする姿、また正法により人間的に成長した人々が、力を合わせて繰り広げる文化運動等に、折伏こそ、民衆救済、幸福生活確立の実践活動であるという実証を、雄弁に物語っているのである。
 一部のマスコミが過去において、一部の行き過ぎた活動をみて、全ての折伏活動を狂暴なる布教活動と報道したことがあった。だが、理論的、哲学的に、また、実践の上に宗教の浅深・高低・善悪・邪正を知るならば、創価学会が、社会のために、隣人のために平和と文化を築く団体であることをやがて理解するであろう。
 一切の先入観念を離れて、冷静に創価学会の宗教活動、文化活動を見つめるならば現代の人類社会に課せられた多くの難問を解決する道を、その行動の中に、また行動の中に、また行動の支柱である仏法哲理の中にみいだすことができるはずである。すでに今、心ある人々は、虚心坦懐に妙法の偉大な力を認めている。その意味では、時に適った仏道修行である折伏弘教が、今日ほど大切になってきているといえまいか。実に如説修行抄のこの御文は、今日のために遺されたものと確信したい。

0504:01~0504:14 第六章 如説修行の人を明かすtop
01            されば末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐
02 せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと 音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御
03 覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し
-----―
 そうであるなら、末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文どおりに実践しているだろうか。だれでもいい、諸経は無得道であり、堕地獄の根源であり、ただ法華経だけが成仏の教えであると声を大にして主張し貫いて、諸宗の人々を、またその教法を、折伏してみられるがよい。三類の強敵が競い起こってくることは間違いない。
-----―
04   我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年
05 の間権理を破す其の間の大難数を知らず、 仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、 恐らくは天台・伝教も法華
06 経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、 彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ
07 竜口の頚の座・頭の疵等 其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ 篭に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされ
08 し、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、 されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定
09 んで有る可しと知り給へ、 されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さ
10 てをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、 我等を如説修行の者といはずば釈尊・天台・伝教等の
11 三人も如説修行の人なるべからず、提婆.瞿伽利・善星.弘法・慈覚・智証.善導・法然.良観房等は即ち法華経の行者
12 と云はれ、釈尊.天台・伝教・日蓮並びに弟子・檀那は念仏・真言・禅.律等の行者なるべし、法華経は方便権教と云
13 はれ念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか、 東は西となり西は東となるとも 大地は持つ所の草木共に飛び上
14 りて天となり天の日月・星宿は共に落ち下りて地となるためしはありとも・いかでか此の理あるべき。
-----―
 われらの本師である釈迦如来は、随時意の法華経を説いた在世八年の間折伏をなされ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の間折伏なされた。今また日蓮は二十余年の間、権教の邪義を折破してきた。その間に受けた大難は数えることができないくらいである。これは釈尊の九横の大難におよぶかおやばないかは論じられないが、像法時代の天台や伝教でさえも法華経のために日蓮ほどの大難にあっていない。彼らはただ悪口されたり怨嫉されたりしただけである。
 日蓮は二度の御勘気をうけ、遠国に流罪され、また竜の口の法難では首の座にすえられ、小松原では頭に疵をうけた。そのほか悪口されたり、弟子等を流罪されたり、牢に入れられたり、また日蓮門下の檀那はその所領をとりあげられて領内から追放されたりしている。こうした大難は竜樹・天台・伝教の難といえどもどうして及ぶはずがあろうか。
 したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。ゆえに釈尊の滅後から二千年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮とその門下の弟子檀那がその行者である。
 われわれを如説修行の者であるといわなければ、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者ではなくなってしまう。謗法の提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等が法華経の行者といわれ、釈尊・天台・伝教・日蓮とその弟子檀那は逆に念仏・真言・禅・律等の行者ということになってしまうであろう。そして法華経が方便権教の教えであるといわれ、念仏等の多くの経々が、かえって成仏の教えである法華経になるという、逆の関係になるのである。こしたことはたとえ東が西となり西が東となることがあっても、大地がその上に繁茂する草木と共に飛び上がって天となり、天の日月・星宿が共に落ち下って大地となる等のことがあったとしても提婆達多等が法華経の行者となり、爾前経が法華経となるなどということはあろうはずがないのである。

諸経は無得道・堕地獄の根源
 諸教は爾前権教のこと。法華経以外の一切経。無得道は得道できないこと。爾前諸教はじょうぶつできない教えであり、人を地獄に堕とす根源であるとの意。
―――
釈迦如来は在世八年の間折伏し
 釈尊が法華経を説いた期間。法華経は随自意で権教の法門を破折する折伏の法門である。
―――
天台大師は三十余年
 天台大師は23歳の時に南岳大師について法華経を究め、31歳の時、金陵の瓦官寺において法華玄義を開講し、57歳の時、出世の本懐たる摩訶止観を説いた。この23~57歳の期間を三十四年という。
―――
伝教大師は二十余年
 伝教大師は延暦21年(0802)に南都六宗の邪義を打ち破り、弘仁13年(0822)に入滅している。この期間が二十余年である。
―――
日蓮は二十余年(如説修行抄の)
 建長5年(1253)4月28日の立宗宣言から、如説修行抄の述作の文永10年(1273)までの期間。
―――
九横の難
 釈尊が在世中に受けた九つの大難のこと。経典により若干の相違がある。ここでは「法華行者逢難事」(966㌻)などに基づいて挙げる。①孫陀利の謗。美女・孫陀利が、外道に唆され釈尊と関係があったと言いふらして謗った。②婆羅門城の鏘。釈尊が阿難を連れ婆羅門城を乞食したが空鉢であった時、年老いた下婢が、供養する物がなくて、捨てようとした臭い鏘(米のとぎ汁)を供養した。バラモンがこのことは臭食の報いであると謗った。③阿耆多王の馬麦。バラモンの阿耆多王が釈尊と500人の僧を自国に招いたが、王は遊楽にふけって供養を忘れ、このため釈尊一行は90日の間、馬の食べる麦を食べた。④瑠璃の殺釈。釈迦族が波瑠璃王によって滅ぼされた。⑤乞食空鉢。釈尊が阿難を連れ婆羅門城に入ったとき、王は民衆が釈尊に帰することを妬んで、布施し法を聞く者に罰金を課して制止したので、鉢は空であった。⑥旃遮女の謗。バラモンの旃遮女が腹に鉢を入れて釈尊の所に来て、釈尊の子を身ごもったといって誹謗した。⑦調達が山を推す。調達(提婆達多)が釈尊を恨んで殺そうとし、耆闍崛山(霊鷲山)から釈尊に目がけて大石を落とした。小片が散って釈尊の足の親指を破って血を出した(出仏身血)。⑧寒風に衣を索む。冬至前後の八夜に竹を破ったほどの寒風が吹きすさんだとき釈尊は三衣を索めて寒さを防いだ。⑨阿闍世王の酔象を放つ。提婆達多に唆され、父王を幽閉して新王となった阿闍世王が、釈尊を殺そうとして悪象を放った。▷
―――
両度の御勘気
 伊豆流罪と佐渡流罪のこと。①伊豆流罪。日蓮大聖人が弘長元年(1261年)5月12日から同3年(1263年)2月22日まで、伊豆国伊東(静岡県伊東市)に不当に流罪された法難のこと。前年の文応元年(1260年)7月、大聖人は「立正安国論」を北条時頼に提出して第1回の国主諫暁を行ったが、幕府はそれを用いなかった。「安国論」で大聖人は、念仏を厳しく破折されていたが、この「安国論」提出からほどなく、念仏者は執権・北条長時の父である極楽寺入道重時をうしろだてにして、名越にある大聖人の草庵を襲った(松葉ケ谷の法難)。大聖人は一時的に房総方面に避難されたが、しばらくして鎌倉へ帰られた。幕府は不当にも大聖人を捕らえ、伊豆の伊東へ流刑に処した。はじめ川奈の海岸に着かれた大聖人は、船守弥三郎にかくまわれ支えられ、のち伊東の地頭・伊東祐光の邸へ移られ、2年後に赦免された。その間、日興上人が伊豆に赴いて給仕され、さらに付近を折伏・教化された。また伊東祐光が病気になった時、念仏信仰を捨てる誓いを立てたので、大聖人は平癒の祈念をされた。病気が治った伊東氏は海中から拾い上げた釈迦像を大聖人に御供養した。大聖人はその像を生涯、随身仏として所持され、臨終に当たり墓所に置くよう遺言されたが、百箇日法要の時に日朗が持ち去った。②佐渡流罪。日蓮大聖人が文永8年(1271年)9月12日の竜の口の法難の直後、不当な審議の末、佐渡へ流刑に処せられた法難。この法難において大聖人は、同年10月10日に依智を出発し、11月1日に塚原の三昧堂に入られた。その後、同9年(1272年)4月ごろ、一谷にあった一谷入道の屋敷に移られる。同11年(1274年)2月14日には無罪が認められて赦免状が出され、3月8日にそれが佐渡に届いた。同13日に大聖人は佐渡・一谷を出発され、同26日に鎌倉に帰還された。約2年5カ月に及ぶ佐渡滞在中は、衣食住も満足ではなく、暗殺者にも狙われるという過酷な環境に置かれたが、「開目抄」「観心本尊抄」など数多くの重要な御書を著され、各地の門下に励ましの書簡を多数送られた。
―――
竜口の頚
 文永8年(1271年)9月12日の深夜、日蓮大聖人が斬首の危機に遭われた法難。大聖人は、9月10日に平左衛門尉頼綱の尋問を受け、同月12日の夕刻に頼綱が率いる武装した多数の軍勢によって鎌倉の草庵を急襲された。その際、大聖人は少しも動ずることなく、かえって頼綱に対し、謗法を禁じ正法を用いなければ「立正安国論」で予言したように自界叛逆難・他国侵逼難が起こると再度、警告された。これは、第2回の国主諫暁と位置づけられる。大聖人は捕縛され、鎌倉の街路を引き回されて、武蔵守兼佐渡国の守護であった北条宣時の邸宅に勾留された。ところが、その深夜(現代の時刻表示では13日の未明。当時は夜明け前、午前3時ごろまでは前の日付を用いた)に突然、護送されることになり、鎌倉のはずれの竜の口あたりに到達した時、斬首が試みられた。しかし突如、光り物が出現し、その試みは失敗した。この斬首の謀略は、大聖人を迫害する一派が、正式な処分が決定する前に護送中の事故に見せかけて、暗殺を図ったものと推定される。大聖人は、竜の口でのこの暗殺未遂によって、末法の凡夫(普通の人間)である日蓮の身は、業の報いをすべて受けてこれを消し去って、死んだととらえられた。そして、法華経の行者としての魂魄が佐渡に流されたと位置づけられている。すなわち、竜の口の法難を勝ち越えたことを機に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という姿(迹)を開いて、凡夫の身において、生命に本来そなわる仏の境地(久遠元初の自受用身という本地)を顕されたのである。この御振る舞いを「発迹顕本」と拝する。この法難の後、大聖人は、北条宣時の部下で佐渡の統治を任されていた本間重連の依智(神奈川県厚木市北部)の邸宅に移動した。一旦は無罪であるとして危害を加えないようにとの命令が出たものの、正式な処分が決まるまでそこにとどめ置かれた。その間、反対勢力の画策により、大聖人門下に殺人・傷害などのぬれぎぬが着せられ、厳しい弾圧が行われた。その中で多くの門下が信仰を捨て退転した。しばらくして佐渡流罪が決定し、大聖人は10月10日に依智をたって佐渡へと向かわれた。
―――
提婆
 サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
―――
瞿伽梨
 梵名コーカーリカ(Kokālika)の音写。倶伽利・仇伽離などとも書き、悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。雑阿含経巻四十八等によると、提婆達多の弟子であり、釈尊の制止も聞かず、舎利弗や目連を悪欲があると難じた。その報いによって、身に悪瘡を生じて大蓮華地獄に堕ちた。
―――
善星
 釈尊存命中の出家者の一人。一説に釈尊の出家以前の子とされる。出家して仏道修行に励み、欲界の煩悩を断じて、四禅を得たので四禅比丘という。後に釈尊の教えを誹謗し、無間地獄に生まれたとされる。
―――
弘法
 774年~835年。平安初期の僧。日本真言宗の開祖。弘法大師ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
―――
慈覚
 794年~864年。平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている(281㌻、305㌻以下など)。
―――
智証
 814年~891年。平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。円珍ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」(306㌻以下)などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。
―――
善導
 613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
―――
法然
 1133年~1212年。法然房源空のこと。平安末期から鎌倉初期の僧。日本浄土宗の開祖。天台宗の僧であったが、中国浄土教の善導の思想に傾倒し、他の一切の修行を排除し念仏口称をもっぱら行う専修念仏を創唱した。代表著作の『選択集(選択本願念仏集)』では、法華経をも含む一切の経典の教えを捨て閉じ閣き抛てと排除し、もっぱら念仏をとなえることによって往生を願うべきであると説いた。法然の専修念仏に対しては、当初、後白河法皇や摂政・関白を歴任した九条兼実ら有力者の支持を得たが、やがて諸宗派からの反発が強まる。朝廷・幕府も禁止の命令を出し、建永2年(1207年)、法然らが流罪され、高弟が死罪に処せられた。その後も繰り返し禁圧が続くが、念仏は広がっていった。弟子に親鸞がいる。
―――
良観
 1217年~1303年。鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性のこと。良観房ともいう。奈良の西大寺の叡尊に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。文永4年(1267年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府権力に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。文永8年(1271年)の夏、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。
―――――――――
 この章は、日蓮大聖人が、末法の如説修行の人であり、御本仏であることが明かされている。
 ここに二意がある。初めに、日蓮大聖人が諸宗の人法を破折されるや、釈尊・天台・伝教に超過した三類の強敵が競い起こったことをとおして、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であることをまさしく明かされている。
 次に「されば釈尊御入滅の後」以下は本章の結論であり、末法の如説修行の人は、別しては、御本仏日蓮大聖人であり、総じては、日蓮大聖人の説のままに、三大秘法の大御本尊を受持し、折伏に励む弟子檀那であることを結論されている。
 日寛上人の筆記には「文相の大旨は日本国の諸人、誰か経文の如く行ずるや、日蓮は経文の如く修行する故に如説修行の人なりという意なり」とある。
諸経は無得道・堕地獄の根源
 折伏の義を述べられた御文である。日寛上人は、この文について総破と別破をあげて、釈されている。
 総破とは、総じて諸経が無得道であり、衆生を成仏させることのできない教えであると破折されたことをいう。無量義経説法品第二の「四十余年未顕真実」「終不得成無上菩提」の文、方便品の「正直捨方便」等の文がこれにあたる。これらの文は、附文の辺においては、権実相対であるが、末法今日において、日蓮大聖人の仏法からこれを読むならば、種脱相対であり、三大秘法の南無妙法蓮華経以外はすべて無得道の経々となるのである。
 別破とは、別して諸経をあげて、一々にこれを破折することをいう。日蓮大聖人は、四箇の格言をもって、当時の爾前経を完膚なきまでに打ち破られている。
 秋元御書には「而るを日蓮一人.阿弥陀仏は無間の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗・持斎等は国賊なりと申す故に上一人より下万民に至るまで父母の敵宿世の敵・謀叛・夜討・強盗よりも或は畏れ・或は瞋り・或は詈り・或は打つ、是をソシる者には所領を与へ・是を讃むる者をば其の内を出だし或は過料を引かせ・殺害したる者をば褒美なんど・せらるる上・両度まで御勘気を蒙れり」(1073-01)とある。
 この御文は、諸経は無得道であり、かつまた、堕地獄の根源であると破折したために、三類の強敵が競い起こったことを述べられたのである。
 ここで四箇の格言について付言する。四箇の格言の内容については、今、引用の秋元御書にあったように「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」である。しからば、何故に、このように断定されたかというに、日寛上人の如説修行抄筆記に基づきながら述べてみたい。
 念仏が人々を無間地獄に堕とす悪法である理由は、主師親の三徳を持たれ、娑婆世界の衆生と縁のある釈迦仏に背き、娑婆世界とは何の関係もない他方仏土の教主たる阿弥陀仏を崇める故に、師匠に敵対し、親に背く五逆罪のために、無間地獄に堕ちるのである。譬喩品には「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん…其の人命終して、阿鼻獄に入らん」とある。念仏を信ずる人々は、無量義経で、仏が自ら「末顕真実」と破折した浄土の三部経を修行し、真実の教えたる法華経を「千中無一」「末有一人得者」などを毀謗する故に、この文のように、大阿鼻地獄に堕ちるのである。
 禅天魔については、禅宗の教外別伝・不立文字の教義が、涅槃経の「仏の所説に従わざる者有らば、当に知るべし是れ魔の眷属なり」の文に合到するところから、このようにいうのである。行敏訴状御会通には「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云、教外別伝の言豈此の科を脱れんや」(0181-06)と禅天魔の所以を明かされている。
 次に、真言亡国については撰時抄に詳しく説き明かされている。日本における真言宗の開祖弘法は、第一真言・第二華厳・第三法華の教義を立て、その著「十住心論」には、法華経などの一切経は応身の釈迦仏の説であり、大日経は法身の大日如来の説であるとし、法身の大日如来に比較すれば、応身の釈迦仏は無明の辺域であり、法華経を「第三の劣」であり、戯論であると下している。さらに慈覚・智証・安然等は、法華真言勝劣事で示す通り、法華経と大日経は「理」は同じであるが、大日経には「印と真言」があるから「事」において勝れているという理同事勝の邪義をかまえたのである。
 こうした真言宗の教義は、本師たる釈迦如来に敵対する教義であり、また無量義経において、末顕真実と下された大日経を第一とし、真実たる法華経を第三とする故に、本主を突き倒して、無縁の仏である大日如来を立てる故に、亡国・亡家・亡人の悪法なのである。
 また、律国賊とは、国を誑惑し人を惑わし、この娑婆世界に居して安楽の法を勘めて国民を誑惑する故に国賊というのである。爾前経も法華経も勝劣は無いとか、法華経は時機にかなわないとして国民を誑惑する者は、国賊である。
 御義口伝下には「御義口伝に云く末法の正法とは南無妙法蓮華経なり、此の五字は一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり、正法を天下一同に信仰せば此の国安穏ならむ」(0786-第五正法治国不邪枉人民の事)とあり、正法治国、邪法乱国の原理が説かれている。
 日蓮大聖人は、これらの四箇の格言によって、諸宗を強折し、三類の強敵を呼び起こすことによって、御自身が末法の御本仏であることを証明されたものである。この日蓮大聖人の御振舞いを、御本仏の御姿と拝し得たのは、数ある御門下の中にも、日興上人、お一人であった。その他の弟子の中には、こうした日蓮大聖人の強折に疑問を持ち、内々に批判する者もあった。
 諌暁八幡抄に「我が弟子等が愚案にをもわく我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給うゆへなり、例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云」(0585-14)とある。日蓮大聖人の御本意は、あくまでも御本仏として一切衆生が無間地獄におちて大苦にあうことを知悉しておられる故に、そうした苦悩を「一切衆生の同一苦」、即御自身の苦しみとして受け止められているのである。したがって、大慈悲の故に大難にあわれたと拝されるのである。自己の保身のみを考える愚かな弟子等のまったくおよびもつかない御境地と拝すべきであり、これこそ折伏精神の真髄である。
 御義口伝巻上には「今日蓮等の類いは無問自説なり念仏無間禅天魔真言亡国律国賊と喚ぶ事は無問自説なり三類の強敵来る事は此の故なり」(0713―第七天鼓自然鳴の事―03)と述べられている。折伏はあくまでも随自意であり、この御義口伝の御文は日蓮大聖人が御本仏の境地にまかせて、振舞われた随自意の折伏を意味するのである。また、その折伏精神は、而強毒之の精神でもある。諸宗の邪義に誑惑され、生命力をむしばまれ、本心を失った人々を正法に目覚めさせるには、こうした勇気が必要なのである。故に、御義口伝には、不軽品の「聞其所説皆信伏随従」の文を釈して「聞とは名字即なり所詮は而強毒之の題目なり、皆とは上慢の四衆等なり信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(0765-01)と述べられている。国中の非難を受け、生命にもおよぶ大難にあわれながら、弟子を励まし、折伏を行じられた日蓮大聖人こそ、まさに末法の御本仏であることが明々白々ではないか。
 今日、時代は順縁広布へと転じ、化儀の折伏は日々、月々、年々に大きな前進をしているが、こうした時こそ、なおいっそう、強き折伏精神に立脚し、大勇猛心を奮い起して信行学に励まなければならない。「音も惜しまずよばわり給いて」とは、まさにこうした大勇猛心を指して述べられた一句であり、われわれはこの日蓮大聖人の折伏精神をば、よくよく心して折伏弘教に励まなくてはならない。日寛上人は、この項について「宝塔品の以大音声普告四衆の経文と合わすべし」といわれている。滅後末法のために妙法華経を説き、付属しようとされた釈尊の元意と日蓮大聖人の弘教の精神とを理解すべきである旨からこういわれたと思われる。
 しかして、化儀の折伏においては「諸経無得道」の諸経の内容も、転じていえば、あらゆる思想、哲学がこれに該当する。今日、世界の民衆を指導する思想・哲学・宗教はさまざまであるが、二十世紀の初めから始まった自然科学の驚異的な発展は、あらゆる面で人間生活を一変させてしまった。本来、こうした自然科学を指導し、豊かな人間生活を築くべき思想・哲学・宗教は限界にきている。しかるに、世間の人々は、それに気づかず、いまだに執着しているのが現状である。われらは、そうした諸思想を再検討し、あるべき所に位置づけ、真の人間性に根ざした21世紀の新時代が築かれなければならない。
 この具体的な実践としては、各人が一対一の折伏弘教に励むことが大事である。われらの折伏、弘教流布は地道な仏法の対話であることが明白である。われらは妙法の人生観、社会観、世界観を有している。ゆえに永遠にわたる世界観の確立の上から、一切の思想、哲学を明らかにしていくことが肝要である。
 現今の思想・哲学を一つ一つ考えることは、ここではしないが、妙法の立場から見て、各々に共通に指摘しうる二、三の点をのべておく。
 第一に、マルキシズムにせよ、実存主義にせよ、その人間観、社会観、世界観の根底に人間生命に対する正しい深い洞察を欠いていることが指摘できる。各人の人生にあって、また社会人として、幸、不幸を感じていくのは個人の生命それ自体である。生命それ自体の尊厳が保障されずして、社会制度上の自由、平等を論じてみても、それは空理、空論にすぎない。妙法は、生命それ自体を説いた哲理であり、現実に、尊厳なる生命体としての自己を確立する実践方法を有している。ゆえに、いっさいの人間観、社会観、世界観といえども、妙法より生じ、また妙法に帰着すべきである。いっさいの思想の根底となる生命観が、あるいは唯心論に偏し、あるいは唯物論に偏していることを知るとき、妙法の透徹した深さに、いよいよ信を深めるのみである。
 第二に、今日の思想、哲学は、現世論が基点にあると思われる。すなわち、人間の生命は、生まれた時に、出来上がり、死ぬと共に、無に帰するという生命観に基づいたものといえよう。人間の幸・不幸という問題は、こうした現世論の考え方に立つ以上、一回限りの生と死といった限定した枠の中での思考方法では明快な因果関係を失い、もはや不可解なものとなってしまっている。しかるに、妙法は、永遠の生命観の上に、厳しい因果が存することを説いており、その上で、幸福を実現する方途を説き明かしている。実に仏法と現代の諸思想とでは幾重にも勝劣があり、隔たりがある。
 これらの勝劣に立ち「諸経無得道」との折伏精神に生ききっていくことが、真実の大聖人の弟子の一分であることを深く胸奥に懐いて、勇猛精進する日々でありたいものである。
我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年の間権理を破す其の間の大難数を知らず、仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ竜口の頚の座・頭の疵等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ篭に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり
 釈尊・天台大師・伝教大師等の如説修行の正師の先例をあげて、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であることを結論され、さらに、大聖人門下として折伏に励む者こそ、真実の如説修行の人であることを述べられている。これは師弟相対に約して末法の如説修行の人を説かれたのである。
 「釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ」とは、釈尊一代聖教50年の説法のうち、後8年に法華経を説いたことをいうのである。法華経のみが折伏に通ずるという理由は、42年の爾前経がいずれも衆生の機に応じて説いた随他意の権の経であるのに対し、法華経のみが、釈尊の内証を無問自説した随自意の経の故である。
 像法時代の天台大師は23歳にして法華経を究めてより、57歳にして出世の本懐たる摩訶止観を説くまでの30余年間、南三北七といわれた諸宗を破折したのである。また、日本における伝教大師も20余年間、南都六宗を破折している。天台大師、伝教大師は、時をもってこれを論ずるならば像法・摂受の正師であるが、摂の時になお、折伏を行じたのである。
 日蓮大聖人は建長5年(1253)4月28日、立宗宣言されてより、正像に超過する種々の大難の重なるうちに、諸宗を折伏されたのである。その間の大難については、前述したが、まさしく「其の間の大難数を知らず」との仰せのとおりであった。釈尊の九横の大難、天台、伝教が悪口され、怨嫉されたのみであることを比べれば、まさに天地の差がある。
 「九横の大難」の文について、日寛上人は、この文は種脱相対して読むべきであると釈されている。すなわち、御本仏日蓮大聖人と天台、伝教等とは、種熟の異なりがあり、本迹事理の不同勝劣が存するのである。天台、伝教は迹門熟益の教主であり、理の一念三千を説いたのに対し、日蓮大聖人は、下種本因妙の教主として、文底独一本門の事の一念三千を説かれたのである。これについて、治病抄いは「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千な」(0998-15)と述べられている。
 しかして、これらの大難の中にあって、日蓮大聖人の御振舞いは、悠揚迫らずの大確信にみちたお姿である。御義口伝に「御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云」(0765-第十一於四衆中説法心無所畏の事-01と述べられている。この御振舞いこそ、御本仏の大慈大悲にあらずしては、とうていなし得ないことである。ゆえに御義口伝には「御義口伝に云く不軽礼拝の行は皆当作仏と教うる故に慈悲なり、既に杖木瓦石を以て打擲すれども而強毒之するは慈悲より起れり、仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば礼拝の住処は慈悲なり云云」(0769-第廿六慈悲の二字礼拝住処の事-01)と。
 この実践に立ったとき、はじめて「日蓮並びに弟子檀那等是なり」と申されたように、日蓮大聖人の弟子檀那の一分ともいわれ、如説修行の人の眷属ともいわれているのである。

0504:15~0505:08 第七章 誡勧すtop
15   哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも
16 昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、 只今仏果に叶い
17 て寂光の本土に居住して自受法楽せん時、 汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時 我等何計無慚と思はんず
18 らん、汝等何計うらやましく思はんずらん、 一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する
0505
01 心なかれ恐るる心なかれ、 縦ひ頚をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき・足にはほだしを打つて
02 きりを以てもむとも、 命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦・多
03 宝・十方の諸仏・霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて 手をとり肩に引懸けて霊山へ・はしり給はば
04 二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し 諸天・善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ
05 送り給うべきなり、あらうれしや・あらうれしや。
06       文永十年癸酉五月日                       日蓮在御判
07     人々御中へ
08   此の書御身を離さず常に御覧有る可く候
-----―
 哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦こんで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか。そしてついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、今度は反対に、今まで笑ってきた謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのである。そのとき、われわれはその姿をどんなにかわいそうに思うことだろう。また彼らはわれわれをどんなにかうらやましく思うことだろう。
 一生は束の間に過ぎてしまう。いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退転することなく、恐れる心をもつようなことがあってはならない。迫害を受けて、たとえ頸を鋸で引き切られようとも、胴をひしや鉾でつきさされ、足にほだしを打って、その上に錐でもまれたとしても、命の続いているかぎりは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかけ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、妙法受持の者をかばい護り、諸天善神は天蓋を指し旗をかかげわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に、送りとどけて下さるのである。なんとうれしいことではないか。なんとうれしいことではないか。
       文永十年癸酉五月日                       日蓮在御判
     人々御中へ
   此の如説修行抄を常に身辺から離さずみられるがよい。

仏果
 成仏の果法・果位のこと。衆生が仏道修行をすることによって得る証果をいう。
―――
寂光の本土
 常寂光土のこと。四土の一つ。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第16では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。そして、その久遠の仏が、娑婆世界に常住しており、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。それに対して、釈尊が方便として現した種々の仏とその住む国土は、この久遠の釈尊のはたらきの一部を担う分身の仏であり、不完全な国土であるので、究極の浄土ではなく、穢土ということになる。
―――
阿鼻大城
 阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
―――
ひしほこ
 両岐の鉄に柄をつけた武器。
―――
ほだし
 ①人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの。②馬の足をつなぎとめるための縄。ふもだし。③手かせや足かせ。
―――
二聖
 二人の聖人のこと。薬王菩薩と勇施菩薩のこと(1246㌻)。法華経陀羅尼品第26で持国天王と毘沙門天王(二天)、鬼子母神、十羅刹女とともに、陀羅尼呪を説いて法華経の行者を守護することを誓った(法華経642~644㌻)。この二聖、二天、鬼子母神を合わせて五番善神という。
―――
二天
 古代インドで崇拝された摩醯首羅天と毘紐天のこと。御書では三仙などと併記される。②多聞天王と持国天王のこと(1246㌻)。須弥山四面の中腹の四峰に住み、正法を護持する四天王のうちの二天王をいう。多聞天王とは毘沙門天王のことで須弥山の北方の三城に住み、法を多聞して法座を守る働きをする。持国天王は東方の守護神で、法華経序品第1の列衆でもあり、一般には民を安んずる働きをする。二天は陀羅尼品第26で、陀羅尼呪を説いて法華経の行者を守護することを誓っている(法華経644,645㌻)。③日天と月天のこと。④梵天と帝釈天のこと。
―――
十羅刹女
 法華経陀羅尼品第26では、10人の羅刹女が、法華経を受持する者を守ることを誓っている。羅刹はサンスクリットのラークシャサの音写で、人の血肉を食うとされる悪鬼だが、毘沙門天王の配下として北方を守護するともいわれる。羅刹女はラークシャサの女性形ラークシャシーの訳で、女性の羅刹のこと。
―――――――――
 本章は如説修行全体の結論に相当する段である。前章までに論じてきたように、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であり、日蓮大聖人の仰せのままに、三大秘法の大御本尊を受持し、折伏に励むことが末法の如説修行であることが明らかにされた。
 本章では、いかなる難があろうとも、退転したり、恐れてはならないと誡められ、さらに、いかに苦しいことがあっても、生命ある限り大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱え貫くように勧められている。
 本抄で、弟子門下に対し、断固として信行を貫くよう厳しく激励されている背後には、竜の口の発迹顕本以後さらに佐渡において「開目抄」「観心本尊抄」などの重書に人法の本尊を開顕され、御本仏としてのさらに深い確信に立たれた上に、門弟を思う大慈悲のお心が働いていると拝されるのである。
哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし
 俗衆増上慢、謗法の人の人生を述べられた御文である。大聖人御在世当時の世間の人々の姿を述べられているが、こうした俗衆増上慢の出現は、仏法の方便であり、また彼らが正法誹謗の罰を受けていくことも当然の帰結である。聖人御難事に「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(1190-02)とその方軌が示されている。
 さて、門下の立ち場からこれを考えるならば、聖人御難事の「ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(1190-18)との信心に徹すべきである。また、閻浮提中御書の「日本国のせめは水のごとし・ぬるるを・をそるる事なかれ」(1589-12)との御金言のままに、正法を知らないで誹謗する人などに、ほめられることこそ、第一の恥と心得て、御本仏にほめられるような透徹した信心に立つべきである。
 また、仏法を知らない人々から謗ぜられることにより、悪業を転じ福運豊かな生命活動となっていくことができるのであり、他方謗ずる人々も、一たんは地獄の苦にあっても、必ず逆縁を結んで救われていくのである。故に御義口伝下には「御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり」(0765-第九言是無智比丘の事-01)とある。地域的にも、時間的にも広範な活動を展開している以上、世人の批判をあびることは、むしろ当然すぎるほど当然である。
 先に引用した「言是無智比丘」の御義口伝によればこれらの人々こそ、末法で三大秘法を信受する機であり、生命の奥底においては、折伏を待ち望んでいる人々である。故に勇躍して折伏に励むことこそが急務であり、重大事であることをさらに確認しておきたい。
只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん
 種々の難を乗り越えて信心しぬいた大功徳、無量の福運を述べられた御文である。ここで「仏果に叶いて」とは、大御本尊と境智冥合し、わが身即当体蓮華、無作三身と開覚していくことをいうのである。さらに「人貴きが故に所尊し」の理によって、その人の所住の処は仏国土と変じ、自受用身の当体として、「ほしいままに受け用いる身」として行動し、生活に豊かな価値創造をしていくことができるのである。
 御文をあげて広くいうならば、かって創価学会は、病人と貧乏人の集団であると悪口されたことがあった。しかるに、五年、十年と信仰に励んだ人々の家庭が、どのように幸福になっているかは、今日の学会員の姿の中に明らかである。各人が自己の宿命と闘い、人間的に円満になり、また明るい豊かな家庭を築いている現実こそ、何にもまして、如説修行の一分の功徳を証明するものである。
 たんなる繁栄、富裕ではなく、各人が強い主体を確立し、人間として自己に生ききっている姿、そしてよき社会人として、おのれの個性を生かして価値創造していく生活こそ、自受法楽である。
 ここで御本尊と、われら衆生との関係について論ずれば、日寛上人が観心本尊抄文段で四種の力用として明かしている。四種の力用とは信力・行力・法力・仏力である。信力・行力はわれら衆生の二力であり、法力・仏力は御本尊の功徳力の二力を指している。
 総勘文抄におわく「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く「一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得る」と已上、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礙わる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず」(0569-16)と。
 「己心と仏心と一心なりと観ずる」ということは、仏心も妙法の本尊であり、己心も妙法五字の当体であると悟ることである。すなわち、われら衆生の生命それ自体が、妙法の当体であるというのである。仏心、己心は異なるといっても、妙法蓮華経の五字に変わりはないのである。
 しからば、それを覚知するためにはどうすればよいか。それは、われら衆生の信力・行力にあるのである。ただ一心に御本尊を信じ、信力・行力に励むところに、仏心と己心が冥合して仏力・法力は厳然とあらわれるのである。
 それでは信力・行力とは何か。観心本尊抄文段によれば、信力とは「一向に唯此の本尊を信じ、此の本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずるを即ち信力と名づくるなり」とある。
 また行力とは、同文段に「日出れば燈詮無し雨降るに露は詮無し、今末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し、故に余事を雑えず但南無妙法蓮華経と唱うれば即ち是れ行力なり」とある。また同文段上に云く「伝教大師の深秘の口伝に云く臨終の時南無妙法蓮華経と唱うれば妙法三力の功に由り速かに菩提を成ず、妙法三力とは一に法力・二に仏力・三に信力なり」云云。南無妙法蓮華経と唱るは豈に行力に非ずや」と。
 この信力・行力のあるところに、仏力・法力の功徳の花が咲くのである。おのれの信力・行力が常に仏説どおりの如説修行であることを願って大信力・大行力を出して、仏力・法力を顕現していきたいものである。
縦ひ頚をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき・足にはほだしを打つてきりを以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へ・はしり給はば二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し諸天・善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり
 「一期を過ぐる事」からが誡門であり、この文は勧文である。すなわち、どんな苦しい目にあっても、どのような難があったとしても、生命のある限り南無妙法蓮華経と題目を唱えぬいていくことを勧められている。日寛上人の筆記には「此の下誡勧成り、初めは誡門。『縦ひ頸をば』の下は勧門なり、『ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』とは勧持品の『当に忍辱の鎧を着るべし』及び湧出品の『精進の鎧を被』の文の意なり、啓運抄三十九に云く『瞋恚の剣をば忍辱の鎧・之を防ぎ懈怠の剣をば精進の剣・之を防ぐ』文、今の御文言の意当に精進の鎧を着して退心無く忍辱の鎧を着て恐れる心無ければなり云云」とある。
 門家に約していえば、どのような苦しい難があっても、生涯不退転の決意で信心を続けるべきである。そのようにして死んでいくことができたなら、釈迦・多宝・十方の諸仏が、法華経の会座で法華経の行者を守ることを誓っているから、すぐ飛んで来て、霊山まで連れていくのである。これはわれわれの仏道修行に犠牲がないとの明文であり、信心を貫くことにより、必ず成仏・永遠の幸福・絶対の幸福境涯に生ききれるという因果俱時・受持即観心を明かされた御本仏の断言である。
 われら衆生の幸福を願う御本仏日蓮大聖人が、御自身は佐渡流罪の大難のまっただ中にあって、門下に対し、不退の仏心の決意を固めておられることを考えるときに、専制政治、封建制度の逆縁広布の時代に信心を貫くことがいかに困難であったかを思わざるをえない。今順縁広布の時に生まれ合わせ、守られながら信心に励むわれらは、弘法のためにつくしていく心がけでありたいものである。
此の書御身を離さず常に御覧有る可く候
 此の如説修行抄を身口意の三業で読みきっていきなさいとの御文である。
 日寛上人は、この文について、次のように述べられている。常に心に折伏を忘れて、四箇の格言を思わなければ、心が謗法に同ずることになる。また、口に折伏しなければ、口が謗法に同ずることになる。手に数珠を持ち、本尊に向かい、口に法華本門文底下種の一念三千の南無妙法蓮華経を唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者となるのである。これこそ身口意の三業に法華経を信ずる人なのである。

0501~0505    如説修行抄 2010:01・02・03月号大白蓮華より。先生の講義top


広布に戦う師弟に真の「現世安穏」

 「妙」の一字とは「開く義」です。そして「八」もまた「開く義」です。
 いよいよ創立80周年が開幕しました。一切が開かれゆく年です。いな、一切を開きゆく年です。
 師弟不二の祈りで開く!
 勇猛精進の勇気で開く!
 随縁真如の智慧で開く!
 威風堂々の行動で開く!
 創価学会は、初代会長の牧口常三郎先生以来、どこまでも「御書根本」によって、広宣流布の一切の環境を切り開き、前進してきました。ここに未来永劫にわたる学会の不滅の原点があります。この「絶対勝利の信心」の根幹の精神を拝していくのが、今回から学ぶ「如説修行抄」です。
 「如説」とは文字通り「仏の説の如く」との意味です。また、「師の説の如く」とも拝することができます。
 何よりも大聖人自身が、正法である法華経を身読され「如説修行」するお姿を門下に教えてくださいました。
 それは、釈尊の説いた正法が見失われ、人心が乱れ、争いごとが惹起される末法の闘諍言訟の時に、決然と、万人成仏の旗を掲げられた「破邪顕正」の言論闘争であられます。この大折伏戦は、経文に説かれている通り三類の強敵を招き寄せました。大聖人は、その魔性に敢然と立ち向かって勝利され、法華経こそが真実であることを証明されたのであります。
 私たちの如説修行とは、大聖人が仰せられるままに実践することです。
 牧口先生は『価値論』の最終章で「如説修行抄」の一節を引用されました。
 すなわち「人間の生命を説き明かす真実の仏法が流布されたとき、初めて無上最大の幸福なる寂光土が建設されるのでる」と綴られ「法華折伏・破権門理の金言なれば…現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」との有名な御聖訓で、この名著を結ばれているのです。
 真実の現世安穏が実現した「寂光土の建設」 これが、創価の父・牧口先生の切望であり『価値論』の帰結でありました。その理想のために、牧口先生は、権力の不当な弾圧に屈せず、身命を賭して戦い抜かれた。まさに、大聖人が仰せの「如説修行」を寸分も違わず実践されたのです。
 戸田先生も、御自身の御書の「如説修行抄」の題号に、大きく赤字の二重丸をつけておられました。不二の弟子の私もまた、この「如説修行抄」を拝して、大聖人の折伏精神を心肝に染め抜いてまいりました。
 男子部第一部隊長の時、わが家に集ったメンバーとともに、本抄を学びあったことも懐かしい。また、高等部の代表にも本抄を講義しました。未来を担う青年たちと、共々に御書を学び、実践する。 これほどの喜びはありません。青年部は今こそ、大聖人の大哲理を深く拝いて、「確信」と「言論の力」を鍛えに鍛えていただきたい。
 どこまでも「師匠の仰せのまま」に、苦難に臆さず理想のために戦う仏弟子の生き方を教えられたのが本抄です。「師弟不二の書」ともいうべき重書をただただ末法万年の広布のために、未来永遠の創価の勝利のために、魂に刻みつけて拝してまいりたい。
01   夫れ以んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は 如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべ
02 しと見えて候なり、(0501)
-----―
 つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経を流布する時に、生をこの日本国に受け、この三大秘法を持ち、信心に励んでいく人に対しては、法華経法師品第十に「末法においては、釈迦如来在世にくらべて猶怨嫉が多いであろう」と。多くの大難が競い起こることを予言されている。

真正の弟子に末法流布の覚悟を促す
 「如説修行」は文永10年(1273)5月、流罪先の佐渡・一谷で認められました。本抄の末尾に「人々御中へ」「此の書御身を離さず常に御覧有るべき候」と綴られているように、門下一同に対して、不退転で信心に励んでいくよう示された書です。
 佐渡流罪とは、普通であれば生きて帰ることのできない、死罪にも等しい刑罰でありました。その佐渡では、本抄の翌月に執筆された「顕仏未来記」に「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(0509-03)と仰せのように、大聖人のお命も危うい逼迫した状況にあられた。
 そうした筆舌に尽くしがたい苦境をはね返されて、大聖人は一切衆生の闇を照らす民衆救済の光明を掲げられ、末法の御本仏としての闘争を宣言なされたのです。
 すなわち、文永9年(1272)2月には、人本尊開顕の書である「開目抄」を、翌10年(1273)4月には、法本尊開顕の書である「観心本尊抄」を認められております。この両書によって、末法万年にわたる民衆救済の仏法の骨格は確立されました。
 後は、弟子です。
 ”これからは、本物の弟子によって一切が決まる”
 ”真剣な弟子が立ち上がれば、広宣流布は必ずできる”
 この日蓮大聖人の御確信が「観心本尊抄」御執筆の翌月の著作である本抄「如説修行抄」さらにまた一月後の「顕仏未来記」から烈々と拝されてなりません。
 これらの御抄は、まさに大聖人の御遺言の書とも拝察されます。本抄は”不惜の弟子よ、今こそ折伏行に立ち上がれ”との渾身の呼びかけであり、「顕仏未来記」は仏法西還・閻浮提広宣流布を遥かに展望された理想実現の書です。
 すなわち、末法万年にわたる一切衆生救済という壮大な民衆仏法の大構想は、「日蓮と同意」「日蓮が如く」とあるように、真正の弟子が出現して初めて現実のものとなる。ゆえに、全門下に、わが本物の弟子よ、不惜の心で末法広宣流布の大聖業に立ち上がれ”と全魂の呼びかけをなされているのではないでしょうか。
 本抄の冒頭は、末法において法華経流布の時に、この国に生を受け、法華経を信ずる者には、釈尊の時代よりも甚だしい難が競い起こるとの「猶多怨嫉况滅度後」の経文から説き起こされています。
  これは末法流布の使命の自覚と苦難の覚悟を促されているのです。苦難に臆する弱き精神では、広宣流布の大業を成し遂げることはできません。大聖人と同じく民衆救済の深い精神に立ち、不惜身命の強靭な心で大難に立ち向かってこそ、真の弟子です。また、師匠と同じ心で共に戦える喜びが、あれゆる苦難を乗り越える力となるのです。
 続く御文で大聖人は、釈尊の在世と、末法とを比べて、釈尊の時代よりも末法のほうが激しい大難が起こることは必然であることを明快に論じられています。
 在世で「教えを説く人」は「仏」であり、かたや末法の師は「凡師」である。また、在世の弟子は「大菩薩・阿羅漢」かたや末法の弟子は「三毒強盛な悪人等」である。
 仏が法を説き、立派な弟子が実践した時代にあってもなお、怨み嫉む者が多かった。ましてや、外見は凡夫の師匠が法を説き、貧瞋癡の三毒が強盛な人々が弟子である末法では、在世以上の大難が競うのは必然あると示されています。
 ゆえに「善師をば遠離し悪師には親近す」と仰せのように、せっかく善き師・日蓮大聖人にめぐり会えたのに、正邪の判断を失い、自ら離れて悪師に近づいていってしまうのです。それが末法の現実です。
05        真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、 されば此の経を聴聞
06 し始めん日より思い定むべし 況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、 然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしか
07 ども大小の難来る時は 今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、 兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅
08 度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり
-----―
 そのうえで、真実の法華経を、仏の説の如く修行していく行者の弟子檀那となる以上は、三類の敵人が出現するのは決定的である。それゆえ「この大法を聞いた日から、覚悟を定めなさい。末法には在世以上に三類の敵人がはなはだしく現われるのである」とかねがねいってきていたのに、わが弟子檀那の中に、そう聞いてはいても、いざ、大小の難が来てみると、今はじめて聞いたかのように驚き肝をつぶして、信心を退転したものがいる。難が起こることはかねていっておいたことではなかったか。つねづね経文の文証を立てて、「况滅度後・况滅度後」と、朝夕に教えてきたのはこうした時のためであった。(0501)

「何があっても恐れるな!」
 私にとっても忘れえぬ原点となった御金言です。戸田先生との運命的な出会いを果たし、創価学会の信仰の道に入ったばかりの私は、この一節を肝に銘じました。
 大聖人は如説修行の行者には「三類の強敵の出現は必定である」「况滅度後の大難は甚だしい」と厳然と示されています。
 私は覚悟し、決意しました。
 「革命は死なり」と。
 私は、広宣流布の師匠・戸田先生の弟子である。師匠が獄に入り、壮絶なる闘争を刻まれた以上、この師匠と共に歩めば大難は必ず出来する。その時に何も恐れてはいけないと、深く心に誓いました。
 もちろん、仏法は殉教主義ではありません。法のため、師匠のため、不惜の心で、働きに働き、尽くしに尽くし、生きて生き抜いて弘通してこそ、真実の死身弘法・不惜身命の実践です。
 ここで大聖人は、いざ大小の難が現実に起こると、肝を潰して臆病になり、信心を失い退転してしまう。愚かな弟子の敗残の生命を峻厳なまでに打ち破られています。
 この御聖訓を講義してくださったときの戸田先生は本当に厳しかった。東京・市ケ谷にあった先生の小さな事務所の一室であったと記憶しています。真の弟子には、厳格な日蓮仏法の真髄を教えておこうとの渾身の講義をしてくださいました。
 「何があっても恐れるな! 一歩も退くな!」
 日蓮大聖人の御精神に直結するがゆえのあまりにも峻厳なる御指導でした。
 本当の信心とは、これほど厳しいのか!
 本当の学会活動の使命とは、これほどまでに御聖訓通りの厳格があるのか。
 強く深い衝撃と触発を受けました。
 大聖人は、この御文の最後で、「猶多怨嫉况滅度後」と朝に夕に教えてきたのは、このことであると仰せです。
 三類の強敵は、三障四魔の中で最も恐ろしい天子魔がその働きをつぶさにあらわしてきたものです。
 大聖人はその迫害と敢然と戦い抜かれている師匠の立場から、「猶多怨嫉况滅後後」を日々教えられました。それでも門下たちは臆病の心を起こし退転してしまった。「千が九百九十九人は堕ちて候」(0907-08)と述べられているほどです。
 臆病に勝つか負けるか、末法流布において決定的に重大なことです。簡単に障魔に心を打ち破られていく弟子の姿を見ることほど師匠にとって辛いことはない。
 大聖人は「開目抄」でも綴られています。「我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(0234-08)
 いざ苦難に直面した時に、いかに人の心とは弱くなるものか。難が起こった時こそが「まことの時」であり、信心の真価が試される時なのです。
15                                           かかる時刻に日蓮仏勅
0502
01 を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、 法王の宣旨背きがたければ経文に任せて 権実二教のいくさを起し
02 忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ 一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て 未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげ
03 て大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ.おしかけ・ここへ.おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗
04 の敵人をせむるに 或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、 或はせめ返し・せめをとしす
05 れども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし
-----―
 このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれてきたのである。だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐えて、一切衆生を救うという忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、末顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、大白牛車に打ち乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げ、ある者は引き退き、あるいは日蓮に生け取られた者は、わが弟子となった。このように何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の敵は多勢である。法王の一人は無勢であるから、今にいたるまで戦いはやむことがない。(0501・2)

「権実二教のいくさ」の本質
 大聖人が「権実二教のいくさ」に敢然と打って出られたことを宣言なされた御聖訓です。
 また、この御文は、如説修行の行者は「現世安穏」であるはずなのに、どうして三類の強敵が盛んなのかという、世間の人々や門下たちが抱いていた疑難に対する回答の一つでもあります。大聖人は本抄で、次の3つの観点から回答されています。
 第1に、釈尊や、釈尊の過去世の修行の姿であ不軽菩薩、竺の道生・法道三蔵・師子尊者・天台大師・伝教大師などを挙げ「如説修行の行者」でありながら皆、大難を受けていると示されている。
 第2に、末法の如説修行の行者は、仏の命令の通り「権実二教のいくさ」を起こし、妙法弘通に縦横の活躍をする人であることを示されます。それが今、拝している御文です。
 第3に、末法の如説修行の行者が目指すのは、人も法も「不老不死の理」が現れた真実の理想世界を実現することであり、まさに「現世安穏」の経文が指し示す通りの世界であると断言されています。
 その第2の部分に相当する、この御文では、如説修行の行者であられる大聖人御自身の戦いの肝要を明かされています。それは苦難を受けているのではなく、むしろこちらから「権実二教のいくさ」を起しているのであるといわれているのです。
 末法の本質は「闘諍堅固・白法隠没」ということにあります。つまり、仏教が内部から乱れ、教えと教えの争いが起こり、何が釈尊の正法かわからなくなって、ついには仏法が滅びてしまう「法滅の時代」が末法です。そして、法の乱れとともに、万民が乱れ、ついには国土が滅びてしまうのです。
 そのような法滅の時代に、法を正して法滅を阻止する折伏の戦いを起こす。それとともに、民衆を苦脳から救い、国土の崩壊を止めていく立正安国の理想を掲げて戦うのが、末法の如説修行の行者です。
 これが「如説修行」であると言えるのは、法華経で仏が菩薩たちに向かって、この滅後の戦いを命じられているからです。それを「仏勅」「法王の宣旨」と言われています。
 法華経では、仏の教えに方便と真実があることを示し、釈尊の滅後には正直に方便を捨てて、一乗たる法華経を弘めていくべきことを菩薩に命じます。ゆえに、法滅の危機に出現した末法の如説修行の行者は、方便権教と真実である実教を明確に立て分けていく「権実二教のいくさ」をあえて起こさなければならないのです。あくまでも法滅を阻止するためです。
 すでに諸経が混乱している闘諍言訟の末法において、この権実二教の違いを明確にしていくならば、権教を拠り所として既存の宗教的権威と化した諸宗から、必ず反発があり、誤解と批判と迫害の嵐が押し寄せてくる。ゆえに、この「いくさ」を戦う人は「時の不祥」であると覚って覚悟の戦いをしなければならない。なた「忍辱の鎧」を着て迫害の嵐に耐えなければならない。
 この「いくさ」における最強の武器は、仏みずからが権実二教を立て分けて示された法華経そのものです。これを「妙教の剣」と言われています。仏の言葉以上に切れ味のよい折伏の力はありません。折伏はどこまでも「道理」を武器とする慈悲の戦いです。
 もし道理以外のもの、たとえば権威や権力、また暴力などを武器としたならば、それは、仏の命じた思想戦とはいえません。宗教としての自己否定であり、最も堕落した末法の法滅の様相そのものと言わざるをえない。
 「一部八巻の肝心・妙法五字の旗」とは、法華経の真髄としての南無妙法蓮華経の題目のことです。正義の軍勢の旗印です。万人成仏の妙法を高く掲げて、人々を不幸に陥れる悪と戦う「法華弘通のはたじるし」です。
 「妙法蓮華経の五字」とは、全民衆の仏性の名であり、自他の仏性を呼びあらわす実践が唱題です。ゆえに、一人一人に生命の勝利の旗を打ち立てる力があるのです。「権実二教のくさ」とは、妙法への強盛な信を根本に、真剣な唱題で自他の不幸を打ち破り、幸福を切り開く「人間勝利の戦い」にほかなりません。
 この妙法五字の旗を掲げた行者が「未顕真実」「正直捨権」の仏語を弓矢として使い、魔の働きを止めていけるのです。
 また「大白牛車」とは、あらゆる人を成仏の目的地まで運ぶ「法華一乗」を意味します。壮大にして華麗な大安心の乗り物です。どのようなところでも自在に赴き、人々を救い出すのです。
 この法華経の大白牛車に乗り込んで「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ…今に至るまで軍やむ事なし」と仰せです。
 なんと躍動感にあふれた御文でありましょうか。縦横無尽に広布に駆け巡る生命力が湧き起こってきます。この御文で、如説修行の行者が現世安穏ではないという疑難は一挙に吹き払われます。草創以来の学会員の活動も、この御聖訓通りの生き生きとした、そして力強い実践でした。
 戸田先生はこの御文を通して、次のように指導されました。
 「悪を放置してはならぬ!前へ前へ攻めて出て、敢然と打ち破っていくことだ」
 戸田先生は民衆救済の指導者であり「破折顕正」の闘将でもあられた。先生の生命には、常に邪悪と戦う破折の精神が漲っておられました。
 この攻撃精神、折伏精神こそ学会の魂です。青年部の心意気です。この御文に、「せめ返し」「せめおとし」ともあります。青年部の諸君には、この御聖訓通り、民衆を苦しめる一切の悪の根を断ち切るまで戦い抜く執念を持ってもらいたい。広宣流布のため、人々の心にはびこっていく魔性を打ち破っていかなくてはならないのです。
 この御文の最後で大聖人は「かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり」「今に至るまで軍やむ事なし」と仰せです。
 創価の三代の師弟は常にこの決定した一念で戦ってきました。牧口先生は軍国主義の荒波の中、日蓮仏法の興隆のため、一人、決然と立ち上がられました。戸田先生も戦後の荒野に一人立たれ、学会の再建と75万世帯の願業に挑まれました。そして第3代の私もまた、戸田先生の弟子として一人立ち、世界広布の大航海へと旅立ったのです。
 広宣流布とは仏の軍勢と魔軍との連続闘争です「軍やむ事なし」です。戦い続けるなかにこそ、真の成仏の境涯が輝くことを「如説修行」の実践が示しているのです。
05                                     法華折伏・破権門理の金言なれば終
06 に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして 法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて 妙法独り繁昌せん
07 時、 万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば 吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、 代は羲農の世となりて今生に
08 は不祥の災難を払ひ長生の術を得、 人法共に不老不死の理顕れん時を 各各御覧ぜよ 現世安穏の証文疑い有る可
09 からざる者なり。
-----―
 しかし法華経は折伏であって、どこまでも権教の理を破折していくという金言であるから、最後には権教権門を信じている者を、一人も残さず折伏して、法王の家人となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌する時になり、またすべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに枝をならすことなく、降る雨も壊を砕かないで、しかも世は義農の世のような理想社会となり、今生には不祥の災難を払い、人々は長生きできる方法を得る。人も法も共に、不老不死であるという道理が実現するその時を、みんなが見てご覧なさい。その時こそ「現世安穏」という証文が事実となって現われることに、いささかの疑いもないのである。(0502)

粘り強い対話と人間性の輝きを
 道理と仏意のうえから、「現世安穏」の経文が虚妄ではないことを明らかにされている御文です。
 「法華折伏・破権門理」とは天台大師の「法華玄義」にある有名な言葉です。法華経における折伏は、権門の理を破折するところにある。との意です。
 法華経において、仏自身が権門の理を破しているのですから、「権実二教のいくさ」においては、権教に執着する人々は結局のところ仏自身の折伏によって破折され、仏意に随わざるをえません。すべての人が仏意に正しく随っていくことを「法王の家人」となると言われ、すべての教えが一仏乗たる法華経のもとに統合されていくことを「諸乗一仏乗」と言われている。
 また「妙法独り繁盛せん時」とは、仏が悟った成仏の法である妙法が正法として正しく信受され、妙法に対する誹謗・不信も一掃され、仏法が妙法を根本として栄える時を指しています。
 ここで言われていることは、八宗十宗というように諸宗派が乱立して闘諍言訟の様相を呈しているなかで、そのなかの一宗派が諸宗を制覇いていくことではありません。諸宗の根源でもある仏の悟りの妙法が、社会の根本原理として妨げられることなく働いてくることを意味するのです。
 「万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば」との仰せも、仏が実証し、説かれた万人成仏の法の功徳が、あまねく順縁広布の精神的状況を確立していくことにほかならない。それが即ち「立正安国」の「立正」ということでもあります。 
 牧口先生は、妙法流布によって、実現すべき精神的価値を、一次元から「大善」と言われた。戸田先生は、全人類の「人間革命」を高らかに謳われた。そのうえで私は、全人類が目指すべき精神的価値を「生命の尊厳」として展開してきました。
 広宣流布は難事中の難事です。それは、人々の生命を内から変革する作業が伴うからです。妙法への「信」とは内発の力です。一人一人の生命の内から変革する「信」を芽生えさせるには、粘り強い一対一の対話が不可欠です。
 したがって、言うまでもないことですが、「天下万民・諸乗一仏乗」といっても、強制されて法が広まることはありません。仏法の人間主義が人々に受け入れられ、社会の思潮となり、全人類の共通の価値観となって初めて「諸乗一仏乗」と言えるのです。粘り強い対話と、法を弘通する側の人間性の輝きがなければ広宣流布は実現しません。
 その意味で、創価学会・SGIによって、現在、壮大なる対話の陣列が築かれたこと自体、現代の奇跡といっても過言ではありません。
 学会が唯一の日蓮仏法の「如説修行」の仏勅の団体だからこそ、幾多の荒波を乗り越えて広宣流布に邁進することができたのです。
 いまや大聖人の仏法を根幹とする、創価の人間主義の連帯は、世界192カ国・地域にまで興隆しました。国内においても、各地で会館建設が進み、地域の名士の方々も喜んで学会の集いに参加される時代となりました。すべては、粘り強く対話を重ね、地域友好に率先して取り組んでくださる学会員の皆様方の信頼の勝利です。
 まさに「妙法独り繁昌」する時、必ず現世安穏の世の中になると御断言です。
 では広宣流布の暁には、どのような世界が出現するのでしょうか。続く御文では「吹く風枝をならさず雨壌を砕かず」と仰せです。万人が生命尊厳の妙法を信じ、題目を唱えていくならば、大風や豪雨などが起こっても、必ず変毒為薬していくことができる。
 「義農の世」という古代中国の伝説上の世のように、我が国土に平和と繁栄と幸福がもたらされていくのです。
 「人法共に不老不死」ともあります。“法の不老不死”とは、万法を包み、支え、生かしていく妙法の働きが衰えることも絶えることもないことです。一次元で言えば、すべてのものが調和し、多様性のままに価値創造の働きを起している姿とも言えるでしょう。
 また“人の不老不死”とは、もちろん老いない、死なないということではなく、老いの苦しみ、死の苦しみに負けない常楽我浄の境涯が実現するということです。釈尊が明らかにしたように、老いや苦しみは無明がもたらすものです。妙法の力が顕現する世にあっては、人々はおのずと妙法への確信に立ち、無明を打ち破っていけるのです。
 このように、如説修行の行者が広宣流布の戦いによって実現する世界は「現世安穏」が明らかな理想社会です。しかし「現世安穏」といっても、決して彼方の理想社会のみのあるものではありません。法華経の教えの通りに、「自他共の幸福」と「平和安穏の国土」の実現を目指して戦う如説修行の行者の境涯そのものが、実は既に「現世安穏」なのです。
 それは、大聖人御自身の戦いを示された先の御文にも明らかです。いかなる困難にも負けず、広宣流布のために戦う躍動の姿に、真の「現世安穏」が輝きわたるのです。これこそ、日蓮仏法の「現世安穏」の本義なのです。
 戦えば、自身の仏界が躍動します。最高の歓喜が満ちあふれます。日蓮仏法の不惜身命には非壮感はありません。溌剌たる挑戦には、常に歓喜の生命が漲るものです。
 「如説修行の行者」の戦いの意義を説かれた本抄の末文も、大聖人は「あらうれしや・あらうれしや」と結ばれています。また、「法華経の行者」の戦いの意義を余すところなく述べられた「開目抄」でも、その結びの一節に「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(0237-11)と、大歓喜の境涯を謳われています。
 広宣流布への挑戦は苦闘の連続です。それは同時に歓喜が伴う仏界湧現の実践にほかならないのです。戦う生命の中に成仏の喜悦の大境涯が躍動する「大難即成仏」「大難即悟達」の境涯にまさる「現世安穏」はありません。
 大聖人の御指導のままに、御書の仰せの通りに、広宣流布に戦う魂を赫々と燃え上がらせていくなかにこそ、幸福と希望の大前進があるのです。


全民衆を幸福にする慈悲の折伏行

 昭和27年(1952)1月末、あの「二月闘争」の出発に当たり、私は、縁も深き東京・蒲田の同志の前で、こう呼びかけました。「見事な勝利の結果をもって、戸田先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか」
 2月は日蓮大聖人の御生誕の月であられる。そして、恩師・戸田城聖先生が誕生された月でもあります。「師恩」に感謝し、報いようとする心から、この「二月闘争」は始まったのです。
 大聖人が末法に御出現され、万人救済の旗を掲げて妙法を弘通されたがゆえに、私たちは偉大なる仏法に巡り合うことができました。そして、戦後、殉教された牧口常三郎先生の遺志を受け継ぎ、戸田先生が広宣流布に一人立ち上がられたからこそ、創価学会員として正しき信仰の道を歩むことができたのです。
 広宣流布は、慈悲から起こった「如来行」です。そして、その仏の心を真っ直ぐに受け止めた弟子が挑戦する「菩薩行」です。ゆえに、一人一人が、仏法の師、そして、広宣流布の師に直結していくところから、広宣流布をすすめていく本当の力が生まれるのです。
 75万世帯の折伏とうい戸田先生の大誓願を受けて学会は蘇生しました。この広大無辺の師恩にいかに報いるか。師匠への一筋の思いで若き弟子が立ち上がったのが、「二月闘争」です。
 この「二月闘争」こそ、学会として本格的な広宣流布の拡大に打って出た最初の大闘争でした。戸田先生の事業を支え続けてきた私自身にとって、先生の直接の命を受けて、組織の最前線に躍り出た初陣でもあった。私は、ただただ、戸田先生が掲げられた75万世帯の誓願の実現を、断じて成し遂げるという一念しかなかった。すべてを「戸田先生のために!」という思いで戦いました。わが身をなげうちました。結果として、それが「師の説の如く」仏法の真髄を実践する「如説修行」にほかならなかったのです。
 如説修行に徹すれば、必ず壁は破れる。如説修行とは、要するに師の心に直結する不二の実践です。師匠の広大な境涯に触れて、勝利できないわけがない。師弟に徹すれば、無限の力が湧いてくるからです。
 私は、この「如説修行」の信心と行動を、戸田先生のもとで学びました。先生が事業の苦境のために学会の理事長職を辞任された時もそうでした。ただ一人敢然と、広宣流布の師匠と定めた戸田先生をお護りする死闘の中で、私は当時の日記に、こう記しました。
 「『如説修行抄』拝読、勇気ある信心を、深く自覚する」「詮ずるところは、信力と行力に尽きる。御本尊様には、法力と仏力があられるのだ。この御本尊様の、偉大なる大法則の力を、実証し、実験し、体得するには、自身の信心によりほかに何もないのだ」
 如説修行の勇気ある信力と行力のあるところ、必ず、偉大な仏力・法力が現れます。この日蓮仏法の真髄を学ぶ意味でも、今月も「如説修行抄」をひもとき、師弟不二の「信力」「行力」の意義を深く拝してまいりたい。
13                     予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには 人の言を用う可らず只仰い
14 で仏の金言をまほるべきなり 我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども 衆生の機根未
15 熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に 真実たる法華経を説かせ給いしなり、 此の経の序分無
16 量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、 所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり、 大荘厳等
17 の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得
18 成・無上菩提と申しきり給ひぬ、 然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして
0503
01 無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈と禁め給へり、 是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切
02 衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじきに 末法の今の学者・何れも如来の説教な
03 れば皆得道あるべしと思いて或は真言.或は念仏・或は禅宗.三論・法相・倶舎.成実・律等の諸宗.諸経を取取に信ず
04 るなり、是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり、此等の
05 をきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
-----―
 予がいわく、それはまったく違っている。詮ずるところ、仏法を修行するについては、人の言を用うべきではない。ただ仰いで仏の金言だけを守るべきである。われらが根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道のはじめから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権の教えである方便の経を四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのである。だからこの法華経の序文である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのであり。いわゆる無量義経の「方便力をもって四十余年末だ真実を顕わさず」というのがこれである。
 これで無量義経にあるように、大荘厳等の八万の菩薩たちが、釈尊の法華経を説く準備として、権教を説き、権教を開いて実経を顕わし、そして権教を廃し実経を立てたことの由来を知って領解の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行の諸経では、終に無上菩提を成ずることができなかった」と断言されたのである。
 しかして後に正宗分である法華経方便品に至って「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と説いたのをはじめ、「二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」「正直に方便を捨て」、譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒められたのである。このように仏が定められた後は、唯有一仏乗の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、末法の今の学者は、どの経でも仏の説経なのだからすべて成仏できるのだと思って、あるいは真言・あるいは念仏・あるいは禅宗・三論・法相・俱舎・成実・律等の諸宗・諸経を勝手に信仰している。このような人わば、譬喩品で「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と決定しておられるのである。
 このように約束された経文の明鏡を根本として、仏説とすこしもたがうことなく、一乗の法が成仏の法であると信じて進むのが、如説修行の行者であると、仏は決定しておられるのである。(0502・3)

仏意である「一仏乗」への信で確立せよ
 本抄では「如説修行の行者とは、どのように法華経を信ずる人なのか」との問いが立てられます。そして、末法における法華経への「信」の在り方が明らかにされていきます。
 釈尊の「仏意」を明かした経典が法華経です。法華経に示された仏意とは、何か。それは「諸乗一仏乗」でり、「万人の成仏」です。
 「諸乗」とは、釈尊の教えとして残されている種々の教えです。声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の「三乗」は、その代表です。釈尊は人々の機根の違いに合わせて、これらの種々の教えを説きました。しかし、その真意は人々の機根を整えて最終的には「一仏乗」を教えることにあったのです。
 「一仏乗」とは、“人々を仏の境涯に至らしめる唯一の乗り物”という意味で、万人を成仏させる仏の教えは最終的に、この一仏乗以外にありません。
 この「一仏乗」を説ききった経典こそ、法華経です。
 法華経では、仏の真意が「万人の成仏」にあることを明らかにされています。とともに、成仏の大法の名を「妙法蓮華経」と明かし、その哲学的本質を「諸法実相」と説きました。その釈尊自身が行じた究極の成仏の因果を「本因本果」として示し、法華経を修行する功徳を「一念信解」「六根清浄」「其罪畢已」「即身成仏」等として究めたのです。
 さらにまた、万人の成仏を実現していくための「広宣流布の大願」が掲げられました。この大願に生きることにこそ、真実にして永遠なる「菩薩道」があることを宣言されています。
 このように法華経は、あらゆる角度から仏の真意である「一仏乗」を教えているのです。また、全編が「一仏乗」の教えで一貫しているのです。ゆえに、法華経を聞いて、受持していけば「一仏乗」への信が起こり、成仏を妨げる迷いが打ち破られていきます。そして、成仏の因果が我が生命に刻まれ、偉大なる一生成仏の大功徳が現れるのです。具体的な教法と修行の功徳としての一仏乗は、法華経にしか説かれておりません。
 だからこそ、法華経を如説修行する行者の「信」の在り方は、「ただ法華経のみを信ずる」という在り方でなければならない。仏意が分からず他経に心を移せば、一仏乗への信をうしなうことになりかねないからです。
 ところが、大聖人の御在世の多くの学者たちは「諸乗一仏乗」を誤解し、誤った「信」の捉え方を言い立てました。それは、「諸乗はすべて一仏乗であると法華経で開会されるのであるから、念仏・真言・禅のどれを信じて修行しても、また、諸経典に説かれる種々の仏菩薩を信ずる信仰も、すべて一仏乗を信じたことになる」という謬見です。
 ここには「開会」という考え方をめぐって、重大な間違いがあります。「開会」とは、究極の真実を明らかにして、方便の諸経をその真実に関係づけて統一していくことです。諸経を統一する究極の真実、つまり一仏乗は法華経においてのみ明らかにされております。したがって統一される方便の諸経は、法華経において正しく位置づけられたうえで、その限りで法華経の一部を表現する教えとして用いることができるのです。方便の諸経は、一仏乗たる法華経を根本とした時に、初めて生かされるのです。
 法華経の本義をよく知らない世間の学者は誤った「信」の在り方を主張しました。しかしながら法華経には、仏自身の言葉として正しい「信」の在り方が明確に示されております。ゆえに、この段で大聖人は、人々の誤りを認識させ、正しい「信」を確立させるために、仏法を修行する際には「人の言葉を用いてはならない」「仏の金言を根本とすべきである」と戒められているのです。
 そして、法華経への正しい信の在り方を示す仏の金言として、本抄では、法華経の開経とされる無量義経や法華経の諸品から多くの経文が引用されております。
 まず、無量義経からは、経典といっても権経と実経を明確に分けるべきことを示す「方便力を以てす。四十余年には末だ真実を顕さず」との経文があります。また歴劫修行を説く爾前経では永久に成仏できないことを示す経文も引かれている。
 法華経からは、まず仏自身が法華経において方便を捨てて真実の一仏乗を説くことを示す経文があります。また、法華経を信ずる人はもっぱら法華経のみを信ずべきことを説く経文等を引かれている。
 そして、結論として「唯有一乗法の経文を通して、仏法には一乗法のみがあるとの断固たる信心を立てる人が「如説修行の行者」であることを示されています。
 ここで注意すべきことは、これらの経文は決して“排他的信仰”を示すものと誤解してはならないという点です。大聖人は、どこまでも仏意に従って、一仏乗への信仰を確立せよと促されているのであります。
 末法は「闘諍言訟・白法隠没の時」です。すなわち、仏の真実の教えである一仏乗が分からなくなり、仏法としての統合の基軸を失い、仏法の内部の争いが生ずる。そして、ついには仏法自体が滅していかざるをえない時代です。大聖人の御在世の八宗・十宗という日本仏教の分裂状況は、一仏乗を忘れた法滅の危機を示すものにほかなりませんでした。
 その仏法の危機を乗り越えるために、法華経信仰の確立をここで訴えられました。万人の成仏を成り立たせるために、究極の生命尊厳・人間尊敬の原理と実践が説き切られている経典は、法華経以外にないからです。
 また、この法滅の危機は、人間の危機でもある。国土・社会の安穏を崩壊させゆく戦乱の危機でもあります。この危機を乗り越えるためにも、一仏乗への「信」の確立した主体者を輩出していくことが、法華経に目覚めた大聖人一門の使命なのです。
07                                            凡仏法を修行せん者
08 は摂折二門を知る可きなり 一切の経論此の二を出でざるなり、 されば国中の諸学者等 仏法をあらあら学すと云
09 へども時刻相応の道をしらず四節・四季・取取に替れり、 夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下
10 して秋菓を取るべし 秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや、 極寒の時は厚き衣は用なり極熱の夏はな
11 にかせん、 凉風は夏の用なり冬はなにかせん、 仏法も亦復是くの如し小乗の流布して得益あるべき時もあり、権
12 大乗の流布して得益あるべき時もあり、 実教の流布して仏果を得べき時もあり、 然るに正像二千年は小乗権大乗
13 の流布の時なり
-----―
 およそ仏道修行をする者は、摂受と折伏の二つの修行法を知るべきである。一切の経論も、摂折二門をでることはないのである。こうしてみると国中の多くの学者仏法をだいたい学んだというけれども、時節に合致する肝心な修行の道を知っていない。
 譬えていえば、年の四節や春夏秋冬の四季も、その都度働きが変わるのである。つまり夏は暑く冬は寒く、春は花が咲き、秋には菓がなるのである。だから、その季節の働きに合わせて春に種子をまき、秋に菓を取るべきである。それを逆にして、秋に種子をまき、春に菓を取ろうとするならば、どうして取ることができようか。極寒の時には厚い着物は役に立つ。極熱の夏には何の必要があろうか。また涼風は夏には必要であるが、冬は何の役に立つであろうか。
 仏法もまたこのようなものである。小乗教が流布して功徳のある時もあり、権大乗教が広まって功徳のある時もあり、実教である法華経が広まって成仏できる時もある。しかし、正法と像法の二千年間は、小乗教や権大乗教が流布する時である。釈尊二千年を過ぎて、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経だけが広宣流布していく時なのである。(0503)

「摂受・折伏時によるべし」
 前段では、末法における「如説修行の行者」の「信」の在り方について論じられました。この段からは「如説修行の行者」の「行」すなわち、如説修行の人が、末法においては、いかなる実践をなすべきかがテーマとなっていきます。
 この段に最初に質問が掲げられています。それは、法華経のみを信受するというのであれば、法華経に説かれる五種の修行を安楽行品の如くに励むのは如説修行の行者といえるのか、という問いです。
 五種の修行というのは、法華経法師品などに説かれる修行法で、法華経を「受持」「読」「誦」「解説」「書写」することです。大聖人は、これに対して、「妙法蓮華経の五字の受持」の一行を法華経修行の根本として立てられました。
 また、安楽行品には、初信の者が悪世に法華経を安楽に修行して仏果を得るための「摂受」の修行法が説かれています。例えば、「楽って人、及び経典の過を説かざれ」とあるように、悪口せず心静かに修行するという行き方です。
 ここでの質問には、大聖人が末法の修行として「折伏」を重視することへの人々の疑問が含まれています。この問いは、諸宗の人々だけでなく、大聖人の門下からもなされました。
 これに対して大聖人はまず、「仏法を修行する者は、摂受・折伏の二つの修行法を知らなければならない」と仰せです。
 ここでいう「摂受」とは、仏道修行に独り静かに専念する修行法のことです。法華経の中では、安楽行品のように「摂受」の修行も説かれている一方で、不軽品のように法華経の真実をあらゆる人々に言い切っていく「折伏」の修行も説かれています。
 この摂受と折伏とは、本来、両方とも時によって必要な修行で、摂受を行ずべき時には冷静に判断して摂受を行い、折伏を行ずべき時には勇気を起して折伏を実践すべきものです。どちらか一方が是で、どちらかが非であるとすべきものではありません。それゆえに、法華経にも両義が説かれているのです。
 これに対して、折伏を排斥する摂受主義、摂受を認めない折伏主義などは、本来の「摂折二門」から外れた思想となります。
 本抄の前年に認められた「開目抄」や「佐渡御書」では、摂受・折伏について次のように教えられています。
 「開目抄」では、「末法に摂受・折伏あるべし」(0235-12)と言われ、無智の者・悪人が国土に充満している時は摂受を第一とし、邪智・謗法の者が多い時は折伏を第一とすべきであると仰せです。
 「佐渡御書」にも「仏法は摂受・折伏時によるべし」(0957-02)とあります。
 すなわち、大聖人はどちらの修行を用いるかは、「時」を基準に判断すべきであると仰せなのです。それが、本抄で言う「時刻相応の道」です。
 ところが、大聖人御在世の現実の仏法者たちは、仏教を学んでいるようでいて、この基準を知らなかった。それゆえに、正法・像法時代の主流的な慣行であった摂受に偏って、大聖人の折伏を仏教にあってはならないものとして非難していったのです。それは、仏教の根本を知らない愚かな姿そのものでした。 本抄では、「時」が重要である例として、農作業などにおいても「時」や「季節」をわきまえるべきであることを示されます。仏法にも同じく小乗経、大乗経、実経のそれぞれが流布して得益がある「時」が存在します。
 ここでいう「時」とは、単に時間の推移を意味する時ではありません。正法・像法・末法という、釈尊滅後の「法」の受容の変遷を鑑みた時代区分です。それは、衆生の生命状態や、衆生を取り巻く社会・国土の状況、思想・宗教の流布の次第などを含めた総合的な時代認識であるともいえます。
 大聖人は、正法・像法の2000年は、小乗教や権大乗経が流布する時であると明かされています。正法時代、像法時代は、衆生の機根が整っている人が多い。また、過去世等における法華経の結縁が熟したことにより、小乗経や権大乗経を縁として、得道していける人がいました。また、大方の傾向として、一部の人が得道できれば、その人々の人格・振る舞いを通して社会によい影響力を及ぼすことができた時代であったともいえます。
 一方、末法は「純円・一実の法華経」のみが広宣流布していくべき時であると示されています。「純円」とは、方便を交えずに、もっぱら完全なる成仏の法のみを説く教えのことです。また「一実」とは、究極の真実の教えという意味です。要するに「純円・一実の法華経」とは、先に述べた一仏乗を説き尽くした教えとしての法華経を指しております。
 仏法が法滅の危機にあり、しかも、衆生の生命を惑わす悪縁に満ちた五濁悪世である末法の時代においては、一仏乗を力強く説き尽くした法華経以外に、衆生と時代を救う力を持ちません。
 しかも、一仏乗を誹謗する魔性が跋扈するのが末法です。大聖人は、成仏するために信ずべき法を、このうえなく明確にされた御本尊を顕わされましたそして、信の持続を可能にする唱題行を立てられることによって、末法の人々の生命に内在する仏性を直接的に触発する下種仏法を確立されました。さらに、この日蓮仏法の修行の要諦として、謗法の魔性と戦う折伏の実践が不可欠であることを、御自身の実践を通して厳然と示してくださったのです。
13                                        此の時は闘諍堅固・白法隠没
14 の時と定めて権実雑乱の砌なり、 敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し 敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、 今の時は権
15 教即実教の敵と成るなり、 一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、 是を
16 摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり、 天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな
-----―
 この時は諍いが絶えない、すなわち、闘諍堅固の時であり、しかも、釈尊の白法が隠れ、没する時と定められていて、権教と実教とが雑り、入り乱れ、はっきりしなくなる時である。敵があって戦わなければならない時には刀や杖や弓箭を持って戦うべきである。敵のない時ならば、こうした武器が何の役に立つだろうか。今、末法においては、権教が即実教・正法の敵となっているのである。一乗の法である法華経が流布されていくべき時には、権教が敵となって、権実の区別がはっきりしないならば、実教の立場からこれを責めるべきである。これを摂受・折伏の二門のなかでは、法華経は折伏というのである。天台大師が法華玄義巻九の上に「法華は折伏にして、権門の理を破す」といっているのは、まことに理由のあることである。(0503)

末法は「法華経の敵」と戦う時
 ここで大聖人は、末法は「闘諍堅固・白法穏没の時」であると仰せです。これについては先に述べました。また、この末法における仏法内の混乱を「権実雑乱の砌」ともいわれています。
 権教は、本来釈尊の教えの中に位置づければ、衆生の機根を整えて、法華経の一仏乗に至らせしめるための方便の教えです。ところが、末法では、権教の一部を拠り所とする勢力が、自らが拠り所とする経典を絶対化して、果ては法華経を誹謗し、人々の正しい信仰を捨てさせる魔性を起していく濁った時代です。その意味で権教が、直ちに「実教の敵」「法華経の御敵」となる時代であるといわれています。
 このような時代や国土にあっては、法華経による万人の成仏を実現させるためには、法華誹謗の魔性を帯びた権教の勢力の悪を力強く打ち破らなければならないと仰せです。これが大聖人の折伏です。
 「実教より之を責む可し」と仰せです。この折伏戦は、部分的な教法である「権教」を絶対化してしまう仏法上の悪を、仏の真意である一仏乗を顕した「実教」によって鋭く打ち破っていく思想戦です。前回拝したように、大聖人はこれを「権実二教のいくさ」と呼ばれた。
 大聖人が言われる「いくさ」は、徹頭徹尾「対話のいくさ」であり「道理の戦い」にほかならない。どうすれば仏の真意を納得させられるかという戦いである。いかに仏の心を人々に届けゆくかという勝負である。
 そこで、大聖人は、天台大師の「法華折伏・破権門理」の文を再び引用されています。仏自ら、衆生を成仏させるために法華経を説いて、権門の理を鋭く破折されていった。この慈悲と道理の戦いが、法華の折伏にほかなりません。
 加えて、諸宗を破折し、妙法を弘通すれば、三障四魔が競い、三類の強敵が立ちはだかることは、経典に照らして明白です。しかし、眼前に立ちはだかる民衆の不幸を黙って見過ごすわけにはいかない。何より、仏の正法が失われてしまうことを放っておくわけにはいかない。
 こうした、やむにやまれぬ熱誠で立ち上がられた不惜身命・身軽法重による民衆救済の大闘争こそが、大聖人の「折伏精神」の本義なのです。万人成仏という、仏法本来の寛容の精神に満ちあふれた実践こそが「法華経の折伏」なのです。
 「悪を排斥することと、善を包容することとは同一の両面である」とは、牧口先生の信念でした。
 真の寛容とは、人間の尊厳と平等性を脅かす暴力や抑圧を断じて許さず、万人信敬の思想を掲げて、民衆を苦しめる魔性と戦うことです。そして「生命を手段化する思想」「人を差別・分断する思想」が広まっていくならば、その精神的土壌となっている元凶を強く打ち破らねばならない。人々を不幸に陥れる無明との戦い、これが「権実二教のいくさ」の本質であり、日蓮仏法の折伏精神の根幹にほかならないのです。
 すなわち、自他の仏性を信じ抜く、ゆえに万人を尊敬する。折伏の根幹は「慈悲」の精神です。
 同時に、人間の尊厳を嘲笑する魔性や無明とは毅然と戦う。「慈悲」即「勇気」の破折精神でもあります。
 創価学会が、世界の宗教と文明間対話を繰り広げることができるのも、この「慈悲」即「破折」の人間主義の旗を掲げているからです。「生命の尊厳」「人間の尊敬」という哲学を共有する一切の思想・宗教とは、人類の不幸を根絶するために「人道的競争」が可能です。そもそも、人間の尊厳性を否定する「悪」と戦うことが、21世紀の人類に必要な宗教の要件なのであります。
 いずれにせよ、不軽菩薩の実践に象徴される、人を敬うという尊貴な振る舞い、迫害や難にひるまない信念の強さ、邪悪と闘い抜く心、今いる場所で信頼を勝ち得て、妙法への理解を深める実証。 要するに、私たちの日々の活動のすべてが、破邪顕正の高貴な精神闘争であり、現代における折伏行であることを強く訴えておきたい。
16                                                 然るに摂
17 受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、ニワトリの暁に鳴くは用なり宵
18 に鳴くは物怪なり、 権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を
0504
01 失う物怪にあらずや
-----―
 そうであるのに摂受である身・口・意、誓願の四安楽の修行を、今の時に行ずるならば、それは冬に種子をまいて春に菓を取ろうとするようなものではないか。鷄が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪である。権教と実教の立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するものは、まさしく法華経修行の時を失った者怪ではないか。(0503・4)

戦うべき時に戦ってこそ真実の修行
 ここで大聖人は、権実雑乱の戦うべき時に戦わず、山林に閉じ籠って権威を飾るような既成仏教の「摂受主義」を痛烈に破折されます。それは、暁ではなく宵に鳴く役立たずの鷄のような「物怪」であると断じらえているのです。
 末法は、魔性により権教と実教が入り乱れるということは先ほど述べました。加えて重大な問題として、本来、法華経を信仰の規範とすべき天台宗の者たちが、悪を放置して折伏もせず、現実を離れた山林で摂受の修行に耽っていたのです。
 戦うべき時に戦わない。悪が跋扈しても傍観する。それは悪を助長していることと同じです。結果的に、仏法破壊に加担してしまっているからです。
 仏の説いた法の厳格さが薄れ、曖昧になると、実践する人々の精神も腐敗・堕落していきます。修行が懶惰懈怠になれば、魂が脆弱になり保身に走ります。そうなれば、権力側にすり寄って宗教の権威化が始まる。この権威主義の悪弊が「摂受主義」の本質です。当時の仏教界の大半がそうであったといっても過言ではありません。社会の基底部たる宗教が混迷している時代だからこそ、精神の土壌を変革する折伏行の実践こそが、仏の真意を実現する如説修行となるのです。
 今の日顕宗も、大聖人を迫害した当時の諸宗とまったく同じです。戦時中、軍部政府権力と対峙し、非道な弾圧にも屈せず平和と幸福のために戦ったのは、他の誰でもない。創価学会の牧口先生であり、戸田先生でした。宗門は権力の弾圧を恐れ、御書の刊行を禁止し、御書の御文を一部削除するという、大聖人門下としてはあってはならないという過ちを犯したのです。そればかりか、如説修行の牧口先生・戸田先生が逮捕されるや、両先生を登山禁止処分にしたのです。
 戦後もまた、大聖人の仰せのままに折伏に励み、妙法を弘通してきたのは、宗門ではありません。学会です。その崇高な仏勅の広宣流布の団体・創価学会を破壊しとうと企んだのが今の日顕宗です。
 どちらが如説修行の団体か、どちらに大聖人の折伏精神が脈打っているのか、正邪はあまりにも明白です。
 戦うべき時に戦う その真正の勇者の道をあゆんだのが牧口先生・戸田先生です。創価学会は、大聖人の御精神のままに、立正安国論のために、自他共の幸福のため、現実に広宣流布をすすめている「如説修行」の和合僧です。まさに広宣流布の「時」に適った仏意仏勅の団体の出現、これが、学会が誕生した意義なのです。
 牧口先生・戸田先生という不世出の仏法指導者が出現されたのが、法滅の戦乱期の日本であったということも、「時」の不思議さを感ぜずにはおられません。
 牧口先生は、一国を戦乱に陥れた誤った思想に対して厳然と声をあげ、御本尊根本に「罰論」を主張された。戸田先生は、戦後の荒野に一人立たれ、不幸に喘ぐ民衆を救うべく、妙法に生き抜く「利益論」で折伏をされた。そして三代の私も、両先生の御精神を受け継ぎつつ、戦後の世界の動乱の中で、仏法に説かれる「人の振る舞い」を基軸とした「実証論」を展開し、一閻浮提の広宣流布を推し進めてきました。
 これも「如説修行」の原理のままに「戦うべき時にどう戦うのか」「仏法のため、民衆のためどう戦うのか」という覚悟から生じた創価の智慧です。
 私は戸田先生の叫びを忘れることはできません。
 「いざという時、指導者は悪と戦う勇気がなくてはならない。そうでなければ、無責任である。最も大切な庶民を守れないからだ」
 「ひとたび、広宣流布の戦を起こしたならば、断じて勝たねばならぬ。戦いを起しておいて、負けるのは、人間として最大の恥だ」
 私は、この「師の説の如く」戦ったゆえに、一切に勝利してきました。特に、わが青年は、この勝利の因を勇敢に受け継いでほしいのです。


大難こそ民衆救済の大法弘通の証し

 「創価学会は宗教界の王者である!」
 六千人の青年が勇み集った「3・16」記念式典。
 恩師・戸田城聖先生が放たれた大音声は、今もなお、わが胸中に轟いて離れることはありません。
 それは、獄中で妙法を悟達され、日蓮大聖人の御遺命のままに、広宣流布へ不惜身命の実践を貫いてこられた恩師の大確信の叫びでありました。敗戦の焦土に一人立ち、幾多の大難を勝ち越えられた「如説修行」の王者の勝利宣言でもありました。まさに万代に輝きわたる、学会の永遠不滅の魂の大師子吼であります。
 青年たちは皆、恩師のこの勝鬨に燃え立ち、崇高な使命を自覚し、日蓮仏法を行ずる歓喜と感動に打ち震えました。まさしく弟子が、恩師の正義の大確信をまっすぐに受け継いだ広宣流布の儀式でした。
 以来52星霜「御義口伝」に「師弟共に唱うる所の音声なり」(0748-第五作師子吼の事-03)と仰せのままに、私は、師の叫びに呼応し、不世出の偉大なる師匠を宣揚し、日本中、いな、世界中を舞台に妙法を弘通し続けてきました。
 我らは思想と哲学の王者なり!
 平和と文化と教育の王者なり!
 新しき「人間主義」の王者なり!
 そして、いよいよ、この創価の魂のバトンを青年が受け継ぐ時を迎えました。君たちの青年が、末法万年の広宣流布の一切を継承しゆく段階に入っています。全世界に平和と人道の連帯を結びゆく使命を担う青年が立ち上がることを、人類は待望しています。ついに創価の青年が、自ら勝ち開いた凱歌とともに本舞台に躍り出る時が到来したのです。
 今、「如説修行抄」を拝する意味も、青年に後事を託すためにあると言っても過言ではありません。
 今回は、不二の「如説修行の弟子」の出現へ、師匠の厳たる期待が込められた本抄の結論部分を拝していきたい。
01            されば末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐
02 せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと 音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御
03 覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し。
-----―
 そうであるなら、末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文どおりに実践しているだろうか。だれでもいい、諸経は無得道であり、堕地獄の根源であり、ただ法華経だけが成仏の教えであると声を大にして主張し貫いて、諸宗の人々を、またその教法を、折伏してみられるがよい。三類の強敵が競い起こってくることは間違いない。(0504)

正法弘通に三類の出現は必然
 本抄の前段までで、日蓮大聖人は末法における「如説修行の行者」の「信」と「行」のあり方について論じられました。すなわち、万人救済の成仏の法たる「一仏乗」、つまり法華経のみを信ずることこそ、仏意に適った正しい信心であると明かされました。そして、民衆の幸福を阻む法華経誹謗の勢力は断じて戦うという「法華経の折伏」こそが末法の時に適った実践であることを教えられています。
 以上を受けて、ここからは、正しい信心に立ち、正しい実践を貫く、末法の時に適った「如説修行の行者」とは誰なのかを示されていきます。
 最初に「末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ」と仰せです。「末法・今の時」とは、前段で述べられているように「権実雑乱の時」です。この権実雑乱を正さなければ、「闘諍言訟・白法隠没」の法滅の時を迎えてしまうことは避けられません。だからこそ、「諸経は無得道・堕地獄の根源」「法華経独り成仏の法」と権実雑乱を正していく折伏が重要なのです。
 爾前の諸経には、様々な得道が説かれていますが、爾前諸経に説かれている道だけでは決して成仏はできません。なぜならば、爾前諸経には十界互具・一念三千の法理が説かれているからです。ただし爾前諸経を縁として法華経に入り、十界互具・一念三千の妙法に触れれば得道は可能です。しかし末法今時においては、諸宗が乱立し、自らの拠り所とする諸経を絶対化し、法華経に入るどころか法華経を誹謗する教えを立ててしまっているのです。これが権実雑乱です。
 ゆえに諸経はそれ自体は無得道であり、法華経のみが成仏の法であると破折しなければならないのです。
 大聖人は、たとえ誰人であっても、この折伏を行えば、三類の強敵が出現することは疑いないと仰せです。
 「法華経の折伏」とは、このように成仏の道理に基づく破折なのであって、決して、排他的、独善的なものではありません。これまでも確認してきましたが、「折伏」の根幹は、「慈悲」の精神です。正法を誹謗し、民衆を不幸に陥れる魔性と敢然と戦う「身軽法重」の破折精神です。それが根本にあればこそ、悪を打ち破ることができるのです。
 この法華経の折伏は、法を護り、民衆を救う正義の実践であるがゆえに、増上慢の勢力から迫害が生じるのです。この構図を理解しなければ、法華経の行者が受ける大難の本質は分かりません。
末法は、三類の強敵との戦い
 ここで、この点を理解する意味で、「三類の強敵」について再確認しておきたい。
 法華経勧持品第十三の冒頭には、悪世の衆生は善根が少なく、増上慢が多いことが示されています。増上慢の者は、供養を貪り、悪の因を積み、解脱から遠ざかることも説かれています。この増上慢の勢力の中でも、正法である法華経を説けば、おのず迫害が生ずることは明らかです。
 勧持品では、そうしたなかで、法華経の会座に蓮なった菩薩たちが、滅後悪世の娑婆世界で、いかなる大難を受けても、法華経を弘通していくことを誓います。その誓いが示され、迫害の様相を説かれるのが「勧持品二十行の偈」です。この中で、迫害者を三種に分類したのが「三類の強敵」です。
 それぞれの特徴について経文にもとづいて言えば、第一の俗衆増上慢は「無智」の者であり、第二の道門増上慢は「邪智にして心諂曲」の者であり、第三の僣聖増上慢は「人間を軽賤」し「利養に貧著」する、「悪心」の者です。
 この「無智」「邪悪」「悪心」という増上慢の心は、「無明」の働きによってもたらされます。
 無明とは、生命に具わる根源的な無知です。その無知から煩悩などの暗い衝動が生じ、生命を不幸へと追いやっていく、特に万物が妙法の当体であることがわからない最も根源的な無知を「元品の無明」といいます。正法が説かれた時にも、それを信解できず、かえって反発して、正法を破ろうとする働きを生む。ここに無明の恐ろしさがあるのです。
 人間自身に潜む元品の無明から第六天の魔王の働きが起こります。そして、この第六天の魔王に生命を支配された者が法華経の行者に敵対するのです。
 「三沢抄」には、末代の凡夫が仏になろうとする時に、第六天の魔王が、それを妨げようとして様々な働きを起こすことが説かれています。
 すなわち、その人が成仏すれば多くの人が導かれ仏になり、やがてこの娑婆世界が浄土に変革される。娑婆世界を所領とする第六天の魔王は、自分の国土が奪われることを恐れるために、家来全員に命じて法華経の行者が成仏することを妨げようとする。それが駄目であれば、今度は法華経の行者の弟子檀那や国土の人々の身に入り、諌めたり脅したりして妨げようと仕組みます。それでも駄目なら、第六天の魔王は自ら行動を起して、国主の身に入って法華経の行者を脅し、なんとしても成仏を止めようとする、というのです。
 戸田先生はよく、「三障四魔のうち死魔までは勝てるが、本当に恐ろしいのは最後の天子魔である」と言われました。この天子魔とは第六天の魔王のことです。そして「三沢抄」に示されているように、第六天の魔王が、俗衆・道門増上慢の心を操作し、僣聖増上慢の身に入って、法華経の行者に対する迫害を引き起こすのです。
 御書には「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(0751-15)と仰せです。戸田先生は、「この第六天の魔王を破るのは信心の利剣しかないんだ」と幾度も強調されていた。妙法への「信」によって無明を打ち破れば、生命に本来的に具わる「元品の法性」が湧現するのです。元品の法性とは、仏が悟った究極の真理のことです。
 成仏とは、いわば、この法性と無明との戦いに勝つことです。そして、法華経の行者の折伏行とは、元品の法性を現す行動にほかならないのです。
法華経は仏性を触発する経典
 さて、この無明と法性の観点から、あらためて見れば、大聖人が「諸経は無得道」であると強く破折されているのは、諸経がそれを信奉する人々の無明をいっそう助長するからです。
 本来、成仏の因果は、十界互具に基づかなければなりません。しかし、諸経が説くように、九界と仏界が断絶し、九界を否定して仏界を求める生き方のほうが、ある意味で凡夫には“常識的”に映り、理解しやすい面がある。それゆえに権経は衆生の機根に応じた随他意の教えなのです。
 本当であれば、この随他意の方便の教えを捨てて、随自意の真実の教えに向かわなければならない。ところが、この権教の教えにとらわれてしまうと、むしろ、正しい成仏の因果が説かれている法華経を否定し、誤った因果に拘泥し、いっそう無明が助長されていくのです。
 無明の働きが権教への執着を生み、権教の不十分な教えが無明をさらに助長する。この無明の連鎖ゆえに、諸経は「堕地獄の根源」であると断ぜざるを得ないのです。
 反対に「法華経独り成仏の法なり」とは、十界互具の真の成仏の在り方を説く随自意の経典である法華経だかが、人々の仏性を触発する力ある経典にほかならないということです。
 それゆえに、末法の一切衆生を救うためには、人々の無明を助長する諸経を破折し、法性を触発する法華経を弘通しなければなりません。しかしそれは同時に、法華経の行者に敵対する第六天の魔王の働きが激化することであり、三類の強敵が必然的に起こらざるをえないのです。ゆえに「三類の強敵来らん事疑い無し」なのです。
04   我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年
05 の間権理を破す其の間の大難数を知らず、 仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、 恐らくは天台・伝教も法華
06 経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、 彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ
07 竜口の頚の座・頭の疵等 其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ 篭に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされ
08 し、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、 されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定
09 んで有る可しと知り給へ
-----―
 われらの本師である釈迦如来は、随時意の法華経を説いた在世八年の間折伏をなされ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の間折伏なされた。今また日蓮は二十余年の間、権教の邪義を折破してきた。その間に受けた大難は数えることができないくらいである。これは釈尊の九横の大難におよぶかおやばないかは論じられないが、像法時代の天台や伝教でさえも法華経のために日蓮ほどの大難にあっていない。彼らはただ悪口されたり怨嫉されたりしただけである。
 日蓮は二度の御勘気をうけ、遠国に流罪され、また竜の口の法難では首の座にすえられ、小松原では頭に疵をうけた。そのほか悪口されたり、弟子等を流罪されたり、牢に入れられたり、また日蓮門下の檀那はその所領をとりあげられて領内から追放されたりしている。こうした大難は竜樹・天台・伝教の難といえどもどうしておよぶはずがあろうか。
 したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。(0504)

大難を乗り越えゆく大慈悲の闘争
 ここでは釈尊、天台大師、伝教大師等の受難の先例をあげて、誰がどのような大難を受けたのかを明かされます。
 釈尊も、天台も、伝教も、法華経の正義を宣揚し、権教の教えを折破したがゆえに、大難を受けました。釈尊がうけた「九横の大難」は有名です。大聖人は、この釈尊の大難を別として、天台・伝教の受けた大難は「悪口・怨嫉計り」であり、大聖人ほどの大難ではなかったと明言されています。
 大聖人が受けられた難は幕府からの二度の流罪、竜の口の頸の座、また、左腕を折られ、額に傷を負った小松原の法難など身命に及ぶ大難が続きました。また、大聖人と共に戦う弟子たちも、流罪・入牢・所領没収・追放などの大難を受けたことが記されています。
 ここで大聖人がなにゆえに、天台・伝教が受けた難と、御自身が受けられた難を比較されているのか。それは、弘通する法の深さと大難が密接に関係しているからであると拝することができます。
 大聖人は「治大小権実違目」で、法華経を修行する時に生ずる三障四魔について、天台・伝教が受けた時よりも大聖人のほうが、「具さに起こり」「ひとしをまさりたり」と示されています。そして、大難と教法の関係について、こう仰せです。
 「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる」(0998-15)
 「事の一念三千」とは、元品の法性を直ちに触発する下種の大法です。南無妙法蓮華経による直達正観です。無明を断ち切り、万人の仏性を呼びあらわす力ある大法です。ゆえに、元品の無明を揺さぶり、三障四魔、なかんずく天子魔、すなわち第六天の魔王をも呼び起こす動執生疑の力があるのです。
 このように、末法の法華経の行者は、成仏の根源となる下種の法を弘通するがゆえに、像法時代の天台・伝教よりも激しい大難が起こるのです。
 重要な点は、そうした大難を乗り越えてこそ、真の法華経の行者であるということです。大難を勝ち越えてこそ、弘通する法の力を証明できるからです。
 大聖人は、大難の渦中において「自受法楽」の勝利の境地を悠然と表明されている。例えば、伊豆流罪の折にも、第六天の魔王が働きかけた大難の中で「大なる悦びあり」(0935-01)「人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき」(0937-02)と、歓喜の大境涯を宣言されています。佐渡流罪の時にも「当世・日本国に第一に富める者」(0223-02)と仰せであられる。
 そして大聖人は完璧に勝ち切られた。すなわち最大の法難である竜の口の法難について「竜口までもかちぬ」(0853-09)と仰せです。また、「今では魔王も懲りているであろう」とまで述べられ、あらゆる大難を乗り越えて第六天の魔王に打ち勝った凱歌の御心境を明かされています。
 戸田先生はよく言われました。
 「大聖人は、ありとあらゆる大難を忍ばれながら、一切衆生を救おうという大慈大悲の戦いをなされた。そして、すべての大難を勝ち越えられた。これが御本仏の実証であられる」と。
 仏法は勝負です。三障四魔・三類の強敵に打ち勝ってこそ、真実の法華経の行者です。
 「開目抄」に云く「難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)と。
 日蓮大聖人は、末法の民衆を救う大慈悲のゆえに、大難を覚悟のうえで莞爾と法華弘通に先駆なされた。苦しむ民衆を守る屋根の如く、混乱する国を支える柱の如く、一人立たれ障魔の嵐を受け切っていかれた。
 それは、悪と不幸の見えざる根を看破し、苦脳する人々を励まし蘇生さしつつ、自他ともの幸福を目指す善の大連帯を永遠に築きゆくためであられた。いかなる障魔も強敵も、この巨大な慈悲即智慧の魂を侵すことはできません。末法万年の全人類に及ぶ究極の慈悲の姿を一身に現じておられるゆえに、私たちは日蓮大聖人を末法の御本仏と拝するのです。
09              されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さ
10 てをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、 我等を如説修行の者といはずば釈尊・天台・伝教等の
11 三人も如説修行の人なるべからず
-----―
 したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。ゆえに釈尊の滅後から二千年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮とその門下の弟子檀那がその行者である。
 われわれを如説修行の者であるといわなければ、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者ではなくなってしまう。(0504)

真実の「如説修行の師弟」を明かす
 「如説修行」の行者とは一体、誰なのか。本抄の結論を明かされる重要な御文です。
 釈尊滅後において、釈尊・天台・伝教はさておいて、末法に入ってからの「如説修行」の行者は、「日蓮並びに弟子檀那」だけであるとの絶対の御確信です。
 ここで肝心なことは、大聖人お一人ではなく「日蓮並びに弟子檀那」「我等」と、大聖人に連なる弟子、門下一同まで含んでくださっていることです。大聖人も同じく、死身弘法・不惜身命の心で仏道修行に励む弟子は、如説修行の行者にほかならないことを明かされているのです。
 何という大聖人の大慈悲でしょうか。
 仏法の精髄は師弟です。「如説修行」という師弟不二の実践の中に真実の成仏があるのです。
 日寛上人の文段には、「如説とは師弟なり、修行とは弟子に約す。謂く、師の所説の如く弟子これを修行す。これ如説修行なり」と明かされています。すなわち、「如説修行」即「師弟不二」の実践が、一切の要諦なのです。
 師匠の願いはただ一つです。それは、不二の弟子が誕生することです。そして、師匠と同じ志に立った地湧の群像が、ここかしこで活躍することです。本物の弟子を求めるゆえに、あえて同じ苦労の道を歩めと、師匠は厳命するのです。本物の弟子であるがゆえの苦労と試練こそ誇りである。「日蓮並びに弟子檀那」との仰せからは、甚深の意義が拝されます。
 また、今日まで様々な大難の中、「師と共に」との思いで一緒に戦ってきたわが弟子に対する最大の御自愛のお言葉であったに違いありません。
 いずれにしても、本抄のこの一節を拝して、弟子たちが、不二の覚悟に立ち上がったことは想像に難くありません。
 真実の弟子たちが立ち上がってこそ、師弟の如説修行が完成します。広宣流布の大河の流れが滔々と始まるのです。
 この民衆の大河を受け継ぎ、大聖人の御精神のままに、現代において大難と戦いながら、広布の前進を続けてきているのが、わが創価学会です。
 軍部政府からの弾圧と戦われた初代の牧口常三郎先生も二代の戸田城聖先生も、そして私もまた、数々の「三類の強敵」「三障四魔」と戦い、厳然と勝利してきました。 不当な権力による弾圧と戦った、あの大阪事件の渦中、戸田先生は訴えられました。
 「破折すべきことは徹底して破折していくんです。黙っていれば、世間はそれが真実だと思い込んでしまう」
 「正義が嘘八百に負けてたまるものですか」
 「正義が勝つというのが、かならずしも勝つとは限りません。戦わなければ正義も破れる。学会は正義なればこそ、負けるわけにはいかん。断じて勝たねばならない。だから戦っていくんです。
 正義の中の正義であるがゆえに、戦い続けなければならない。そして断固、勝たねばならない。これこそ三代の師弟に脈打つ学会精神であり「宗教界の王者」たる学会の如説修行の魂です。
 大聖人は、女性の千日尼への御消息文の中で「よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり」(1308-04)と記されています。大聖人は女性の弟子にも師と同じ「如説修行」に生きる重要性を訴えられているのです。
 学会も、婦人部・女子部の「如説修行」の祈りと行動と団結で築かれてきたことを絶対に忘れてはなりません。
18                      一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する
0505
01 心なかれ恐るる心なかれ、 縦ひ頚をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき・足にはほだしを打つて
02 きりを以てもむとも、 命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦・多
03 宝・十方の諸仏・霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて 手をとり肩に引懸けて霊山へ・はしり給はば
04 二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し 諸天・善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ
05 送り給うべきなり、あらうれしや・あらうれしや。
-----―
 一生は束の間に過ぎてしまう。いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退転することなく、恐れる心をもつようなことがあってはならない。迫害を受けて、たとえ頸を鋸で引き切られようとも、胴をひしや鉾でつきさされ、足にほだしを打って、その上に錐でもまれたとしても、命の続いているかぎりは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかけ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、妙法受持の者をかばい護り、諸天善神は天蓋を指し旗をかかげわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に、送りとどけて下さるのである。なんとうれしいことではないか。なんとうれしいことではないか。(0504)

三世永遠の成仏の境涯を確立
 大聖人は、三類の強敵の責めにあい、苦難と戦う門下に対して「ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」と、烈々と御指導なされています。私は若き日、恩師・戸田先生から、この御文の講義を直接、うけたことがあります。その時、戸田先生は語られました。
 「この決心なくして、信心のリーダーとはいえない」
 そしてさらに、死身弘法・不惜身命の信心を教えられた「縦ひ頸をば」以下の御文では「これが信心の真髄なのである」と強く語られました。
 恩師の鋭く痛烈なる指導は、今も鮮明に胸中に焼き付いています。
 この仰せは、当時の大聖人や門下への迫害の様子からして、決して誇大な表現ではなかったと推察されます。
 もちろん仏法は、命を軽んずるような殉教主義ではありません。「命のかよはんほどは」「唱えて唱え死に死ぬならば」とある通り、最後の最後まで生き抜き、正法を行じ抜いていくべきであります。生きて生きて生き抜くための信仰です。
 そのうえで、もし仮に仏法のために殉教するようなことがあったとしても、それは不幸の死、悲嘆の死では決してない。戸田先生は、「妙法のための死であるならば、それは、たとえば眠ったとき、はじめ、ちょっと何か夢をみたが、あとはぐっすり休めるようなものであるから、成仏は間違いない」と厳粛に語られたことがあります。また、不慮の事故などで亡くなる場合もあります。しかし、妙法の大功力を思えば、まったく心配はありません。
 続く御文でお約束されている通り、題目を唱えた生命は、命終の時には、仏界の大境涯に入り、未来永劫の絶対的幸福境涯へと到達することは必定なのであります。
 釈迦・多宝の二仏・十方の諸仏が、たちまちのうちに飛んできて、手を取り肩に担いで霊山へと走ってくださると仰せです。
 まさに、二聖・二天・十羅刹女等の諸天善神が、法華経を受持した者を守護し、功徳に満ちた仏国土へと送って下さると明かされています。なんとありがたいことではないでしょうか。
 大聖人は門下に対して、もし大聖人より先に亡くなるのであれば、梵天・帝釈・閻魔大王等に「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なり」と名乗りなさいと仰せです。また、大聖人の名前は十方の浄土にも伝わっているから、どんな悪鬼でも知らないと言うはずがないと示されている御書もあります。
 師弟不二の信心は、正死不二の安穏を約束するのです。「生も歓喜・死も歓喜」です。法華経の行者の弟子として妙法に生き抜いた時、師弟共に「生も安穏・死も安穏」「生も勝利・死も勝利」の三世永遠の幸福境涯を実現できることは断じて間違いありません。
 「只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん」と仰せです。妙法を根幹に生き抜いていけば誰もがこの絶対的幸福の境地を得ることができると約束されているのです。それゆえに文末には「あらうれしや・あらうれしや」と示されているのです。
 師に誓った不二の信心を貫きゆく人生以上の誉れはありません。まして、その人生は必ず「仏果」に叶い「寂光の本土」に住して大安心の境涯となると御断言です。したがって、いかなる大難があっても何も心配することはないし、恐れる必要もありません。さらに、御本仏の永遠の眼から見れば、「自受法楽」は間違いないと保証してくださっている。これ以上の喜びはありません。
 本抄に「唱えて唱え死るならば」と仰せの如く、最後まで自行化他にわたる題目を声も惜しまず唱え抜いていけるかどうか。それが師弟不二の「如説修行の信心」の肝要です。
 あらためて先に拝した「法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給いて」の一節が心に蘇ってきます。これこそが「如説修行の実践」の要諦と言えるでしょう。
 諸御抄にも「声も惜まず」「声をも惜まず」等とあります。また「声仏事を為す」とも仰せです。
 声を惜しむこともなく、言うべきことをはっきりと言う。語るべきことは、一言一句たりとも、語らずにはいかない。 この折伏精神に基づいた弘教の方軌を忘れない限り、広宣流布は必ず大きく前進します。そう御本仏・日蓮大聖人が御断言されているのです。
 また、これが学会精神です。
 牧口先生は「言わなければならないことを言えないような臆病者は、大聖人の弟子にはなれない」と語られています。
 大聖人は「此の書御身を離さず常に御覧有るべき候」と仰せです。私たちも、この御書の精神を常に忘れず、誉れの「大聖人の弟子」として、どこまでも折伏精神を根幹に「一対一の対話」を真剣に実践して、自他の生命変革を遂げていきたい。
 それが「宗教界の王者」たる創価学会の根本の活動です。題目を唱えに唱え、語りに語り抜きながら諸天善神が賛嘆する仏勅の如説修行の拡大の歴史を勝ち開いていこうではありませんか。
       わが真正の弟子の勝利を祈りつつ

0505~0509    顕仏未来記top
         序講top

 顕仏未来記の講義にあたり、その序講として、
 第一に、本抄御述作の由来を明かし、
 第二に、本抄の大意を明かし、
 第三に、本抄の元意を論ずることとする。
第一 本抄御述作の由来
 本抄は、文永10年(1273)5月11日、如説修行抄の御述作のほとんど同時またはその直後に、佐渡において御述作されたものである。
 とくに宛名はないので、特定の弟子檀那ではなく、門下一同に対して与えられた御抄であると拝される。御正筆の所在については不明である。
 本抄の背景については、如説修行抄の序講に詳しく述べておいたので参照されたい。顕仏未来記の題号が示す通り、日蓮大聖人の広布の予言書として重大な意義を有し、御本仏の絶対の確信に満ちた偉大な書である。恐らく、弟子達に、御遺言のようなお気持で、全生命をこめて書かれた御抄であるに違いない。
 本文にいわく「日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え云云」と。
 まさに、この一節のなかに、大聖人が本抄を御述作されたお心がにじみ出ているではないか。死はもはや必定であり、一切を弟子に託されたのである。しかし、この間に、綽然として、かかる御書をしたためられ、さらに「我を損する国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん」と仰せられているのでる。まことに悠々たる、広々とした御本仏の境地であると共に、大慈悲のお姿ではなかろうか。
 戸田前会長は、本抄について「つらつら、この御抄を拝するのに、大聖人が、御本仏としての御確信が巌のごとく堅く、また、末法法華経の行者としての意気天をつくの思いがあり、かつは生を思わず、死をもおそれず、ゆうゆうとして子弟を教ゆるの態度が躍如としている」と述べている。
 とまれ、今日広宣流布をめざし実践する人にとって、感銘深き御抄であるとともに、仏の未来記を虚妄にすることなく証明されたのが日蓮大聖人の御振舞いであった。しかも、そうした大聖人の御振舞いをさらに一重立ち入って拝するならば、末法の御本仏の御振舞いであったと拝することができる。
第二 本抄の大意
 本抄は、仏の未来記を顕わすとの題号のとおり、まず日蓮大聖人が、釈尊の未来記のことごとく実証されたことを述べられ、御自身が末法の御本仏であることを大確信をもって宣言せられ、ついで本抄の眼目たる御本仏日蓮大聖人の未来記を論じられている。大要次の通りに本文を七段に分けることができる。
   第一に 釈尊の未来記を挙げる。
   第二に 末法の留難を明かす。
   第三に 本門の本尊の流布を明かす。
   第四に 末法の御本仏を明かす。
   第五に 月氏・漢土に仏法無きを明かす。
   第六に 末法の御本仏の未来記を明かす。
   第七に 弘教の方軌を示す。
 以上が本抄の大要である。
 次に、大意を順次、簡略して述べてみる。
 第一に 釈尊の未来記を挙げるの段は、冒頭に「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と。法華経薬王品の未来記の文をあげ、まず「一たびは歎いて云く」と。仏在世に、さらに正法の四依の菩薩の時代、像法の天台大師・伝教大師の時代に生まれ合わせなかったことを歎いておられる。しかしながら「亦一たびは喜んで云く」と述べられて薬王品の経文に示された大白法流布の時代に生まれ合わせたことを、大聖人は心から喜んでおられるのである。さらに末法の始めに対して像法の教主、天台・伝教が「時代以て果報を論ずれば竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るるなり」と時代の果報を論じ、末法の御本仏としての大福運を論じておられる。
 第二に 末法の留難を明かすの段は、日蓮大聖人が末法に生まれ、殊に喜悦している理由を留難の相をもって明かしている。まず「如来の現在すら、猶怨嫉多し。况や滅度の後をや」の法華経法師品の文を冒頭にあげ、さらに妙楽大師の弟子・東春の文をあげ、伝教大師の法華秀句を用い、最後に仏説を掲げて、「况滅度後」の末法には必ず留難のあることを論じられている。すなわち末法の法華経の行者に必ず留難のあることを仏説および論釈をもって示している。
 第三に 本門の本尊の流布を明かすの段は、正像二時と末法を比較すれば、時も機も共に正像が勝れているのにどうして末法を尊ぶのかとの問いに対して、教行証をもって、末法の衆生が釈尊の仏法に結縁のないことを論じ、まさに釈尊の仏法が隠没し、仏法が混乱した時こそ、必ず本眷属たる地湧の菩薩が末法の法華経の行者として出現して諸天の加護を受け、本門の本尊・妙法蓮華経の五字が広宣流布することを、不軽菩薩の例をあげて述べている。すなわち、末法に謗法の者が充満することをあげ、末法の御本仏日蓮大聖人が三大秘法の法体の広宣流布をすすめることを明かした章である。
 第四に 末法の御本仏を明かすの段は、どうして日蓮大聖人を末法の始めの法華経の行者と知ることができるのかとの疑難に答え、はじめに「況や滅度の後をや」勧持品の「諸の無智の人の、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん」さらに同品の「数数擯出せられん」安楽行品の「一切世間怨多くして信じ難し」不軽品の「杖木・瓦石を以って、之を打擲す」薬王品の「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得ん」等と末法の法華経の行者に留難あることを、仏が未来の衆生のために記していることを示されている。 そしてこれらの経文をもって、まさしく大聖人が法華経の行者であることを明かし、大聖人を非難する者に対して「汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり」と大聖人こそが末法の法華経の行者として釈尊の予言を身業読誦し、仏の実語を証明されたことを述べておられる。すなわち「日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」「日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや」と仰せである。
 この段は末法に法華経の行者として、仏記を証明したことを示され、疑難を破しておられるが、さらに一重立ち入るならば、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であり、仏語の証明を借りて、御本仏の内証を明かされているのである。よってこの段は惑者の疑難に対して厳しい御文をもって回答されたのである。まさしく日蓮大聖人こそが末法に三大秘法を広宣流布される御本仏であると拝すべき段といえよう。
  第五に 月氏・漢土に仏法無きを明かすの段は、日蓮大聖人が法華経の行者であり、仏の未来記を証明した人であることを惑者は納得したが、インドや中国にも法華経の行者がいるのではないかとの問いに答えて「四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」と日蓮大聖人こそ法華経の行者であり、その内証は末法の御本仏であることを明かされたのである。
 一往文義として「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」と広布の方軌を述べ、妙楽大師の「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや」と、まずインドに仏法無き証文をあげ、次に「漢土の大蔵の中に小乗経は一向之れ無く大乗経は多分之を失す、日本より寂照等少少之を渡す然りと雖も伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」と漢土に仏法がないことを明かし、その後に東西北にも仏法のないことを明かしたのである。
 第六に 末法の御本仏の未来記を明かすの段は、末法の法華経、寿量文底の事の一念三千、三大秘法の南無妙法蓮華経が後五百歳の始めに日本国に出現することを述べられたのである。よって「仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」と仰せである。
 さらに仏の誕生、転法輪、入涅槃の諸瑞相と、日蓮大聖人との瑞相を挙げて、釈尊在世の瑞相と日蓮大聖人在世の瑞相では、日蓮大聖人の瑞相のほうが比べものにならないほど大きく、これをもって、末法に三大秘法の仏法が興隆すべきことを現証をもって論じておられる。すなわち「当瑞大地を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て之に課せん、当に知るべし通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし 惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり」と仰せである。
 第七に 弘教の方軌を示すの段は、内証を述懐なされ、大聖人滅後の遺弟に必ず広宣流布を成就すべきであるとの文と拝せられる。冒頭の「日蓮此の道理を存して既に二十一年なり」と仰せられ、「日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす 」の文にあるとおり、文永8年(1271)9月12日の竜の口の法難から佐渡の一の谷に移るまでの三年間、苦難の中にありながら、令法久住のために、振舞われたことを示されている。しかも奥底に只今臨終なりの精神を堅持されていたことは「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」との御文に脈々としている。
 さらにこうした事態であるが故に「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」と門弟に一切を託されている。そして、「未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ」と御自身を凡夫として、末法の衆生として振舞われ、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」、「我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん」、「我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん」と大慈大悲の心境をもって仰せられている。
 しかるに門弟に対して「但し今夢の如く宝塔品の心を得たり」と、仏説の六難九易を御自身が身で読まれたことを示唆され、さらに伝教大師の法華秀句を借りて「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」の文によって、広宣流布をかならず実現していくよう、その実践を強調されている。まさしく第七段は広布の一切を遺弟に託された段といえよう。
 なお最後に「三に一を加えて三国四師と号く」とは、あくまでも仏法の正統の流れを述べられたものであり、その元意は末法の法華経の行者は日蓮大聖人以外にないとの結論である。
第三 本抄の元意
 本抄の元意といっても、大意のなかに尽くされているので、重複することになるが、日蓮大聖人が、御本仏の境地に立脚して、三大秘法の大仏法が、太陽のような輝きをもって、東土の日本から広宣流布していくことを確信し、予言しておられるのが、本抄の意である。
 したがって、題号の「仏の未来記を顕わす」との文を、日蓮大聖人が、釈尊の未来記を、事実の上に顕わすのであると読み、さらに一重立ち入って日蓮大聖人こそ末法の御本仏であると実証の上から、御自身の未来記を顕わすのである。と二重に読むべきである。すなわち、仏の未来記とは、釈尊の未来記であるが、再往、日蓮大聖人の未来記であり、この再往の義に本抄の元意がある。
 日蓮大聖人の未来記とは、化儀の広宣流布である。これ以外に末法御本仏の未来記はない。
 ゆえに、ひろく門家の立場で拝するならば、日蓮大聖人の弟子檀那の実践が、日蓮大聖人の未来記を事実の上に顕わすものでなくてはならない。そうでなければ、御本仏の未来記は虚妄となるわけである。
 今思うに、あの700年前、佐渡で叫ばれた唯一人の大聖哲の叫びが、現在、全世界に輝いているのである。大聖人の、この未来記を当時誰人が信ずることができたであろうか。想像も及ばなかったに違いない。まさに、今日の日蓮大聖人の弟子檀那にして、はじめて知る、御本仏の偉大な予言であり、達見ではなかろうか。
 それゆえ顕仏未来記は、一往、門下に対する遺命の書ではあるが、再往、化儀の広宣流布のために不惜身命で活動する者に対する遺命の書と拝していきたい。

0505:01~0506:01 第一章 釈尊の未来記を挙げるtop
顕仏未来記          沙門 日蓮 之を勘う
01   法華経の第七に云く「我が滅度の後.後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云,
02 予一たびは歎いて云く 仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ 何なる罪業に依つて仏の在世に生れず正法の四依・像
03 法の中の天台・伝教等にも値わざるやと、 亦一たびは喜んで云く 何なる幸あつて後五百歳に生れて此の真文を拝
04 見することぞや、 在世も無益なり前四味の人は未だ法華経を聞かず 正像も又由し無し南三北七並びに華厳真言等
05 の学者は法華経を信ぜず、 天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」等云云 広宣流布の時を指すか、伝教
06 大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云 末法の始を願楽するの言なり、 時代を以て果報を論ず
0506
01 れば竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るるなり。
-----―
 法華経の第七の巻、薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に、この閻浮提に広宣流布して断絶することがないであろう」等と述べられている。
 日蓮が一たびは歎いていういは、今は仏滅後、すでに2220余年も経っている。一体いかなる罪業があって、仏の在世に生まれあわすことができず、また正法の時代に生まれて、人の四依といわれる迦葉・阿難・竜樹・天親等の諸の菩薩に会えなかったのだろうか。またさらに、像法時代の天台・伝教にも会えなかったのであろうかと。
 また、一たびは歓喜していう。一体いかなる幸があって、後の五百歳に生まれて、この薬王品の真実の文を拝見することができるのであろうかと。釈尊在世に生まれたとしてもこの真文にあうことはなかった。なぜならば乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味の前四味の説法を受けた人は、いまだ法華経を聞いていないからである。また正法・像法時代に生まれたとしても、少しも意義がない。なぜなら、法華経はすでに説かれてはいたが、南三北七ならびに華厳・真言等の学者は法華経を信じなかったからである。
 天台大師は法華文句巻一に「後の五百歳、すなわち末法の始めから、遠く末法万年・尽未来際にいたるまで妙法が流布し、一切衆生がその功徳に沾おうであろう」等といっているが、この文は広宣流布の時を指すのであろうか。また伝教大師は守護国界章上に「正像二千年は、ほとんど過ぎおわって、末法が、はなはだ近づいている」といっているが、これは末法の始めに生まれることを願い慕っている言葉である。ゆえに、時代の比較によって、身に備えた果報の優劣を論ずるならば、日蓮は正法時代の竜樹・天親を超えているばかりでなく、像法時代の天台・伝教にも勝れているのでる。

後の五百歳
 末法の初めの時代のこと。①経典では釈尊滅後の500年をさす。②大集経では釈尊の滅後を500年ずつ五つの時期に区分し(五五百歳)、第5の500年は、仏の教えの中の論争が絶えず正しい教えが見失われてしまう(闘諍堅固・白法隠没)時であると説かれている。日蓮大聖人は、五五百歳のうち、はじめの第1・第2の500年を正法時代、第3・第4の500年を像法時代とする解釈に基づき、第5の500年と①の「後の五百歳」が同一であると考えられ、「後の五百歳」が末法の初めの500年であると考えられた。
―――
閻浮提
 閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
―――
罪業
 罪悪の業。苦しみを招く因となる悪の行為。福業・善業・浄業に対する語。涅槃経巻二十に「一切衆生の所作の罪業に凡そ二種あり、一つには軽、二つには重なり、若し心口の作は則ち名づけて軽と為し、身口意の作は則ち名づけて重と為す」とある。罪業の中でも謗法は最も重い罪業で、無間地獄に堕ちる因となる。
―――
正法の四依
 正法とは釈尊滅後の正法時のこと。四依とは四つの依りどころの意であり、法の四依と人の四依とがあるが、ここでは人の四依のことで①具煩悩性の人、②須陀含・斯陀含の人、③阿那含の人、④阿羅漢の人をいう。すなわち正法時代に民衆の依処となった迦葉・阿難・竜樹・天親等をさす。
―――
前四味
 五味のうち、最高の味である醍醐味を除いたもの。天台教学では、四味は爾前経に当てられる。
―――
南三北七
 中国・南北朝時代(440年~589年)にあった仏教における10の学派のことで、長江(揚子江)流域の南地の3師と黄河流域の北地の7師。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上で分類した。10師はそれぞれ依って立つ経論を掲げ、それを宣揚する教判を立て、優劣を競っていた。その全体的な傾向を、日蓮大聖人は「撰時抄」で「しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり」(261㌻)とされている。天台大師はこれら南三北七の主張を批判し、五時の教判を立て、釈尊一代の教えについて法華経第1、涅槃経第2、華厳経第3であるとし、法華経の正義を宣揚した。南北の諸学派は、釈尊一代の教えを、その説き方によって①頓教(真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③不定教(漸教・頓教に当てはまらず、しかも仏性・常住を明かす)の三つに分類した。頓教は華厳経、漸教は三蔵教(小乗)の有相教とその後に説かれた大乗の無相教、不定教は勝鬘経・金光明経とされた。南三とは、漸教のうち南地における三つの異なった見解のことで、①虎丘山の笈師の三時教②宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)の四時教③定林寺の僧柔・慧次と道場寺の慧観の五時教。北七とは、①五時教②菩提流支の半満二教③光統(慧光)の四宗(教)④五宗(教)⑤六宗(教)⑥北地の禅師の(有相・無相の)二種大乗(二宗の大乗)⑦北地の禅師の一音教。①および④~⑦は個人名が明かされていない。
―――
華厳
 大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
―――
真言
 密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
―――
天台大師
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
伝教大師
 767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
―――
竜樹
 150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。▷
―――
天親
 4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワール)出身の論師。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。新訳で「世親」、旧訳で「天親」という。初めは小乗を学び『俱舎論』などを著したが、兄の無著(アサンガ)によって大乗に帰依し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させたほか、『法華論』などを著し、大乗を宣揚した。多くの論書をつくり「千部の論師」とたたえられる。主著に『唯識三十論頌』など。

―――――――――
法華経の第七に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云
 今、法華経第七の巻、薬王品第二十三の文を、日寛上人の御教示によって拝してみよう。
 初めに「後の五百歳」の意は、何であろうか。これについては、大集経に五箇の五百歳を明かしている。いわゆる釈尊滅後の五百年は解脱堅固である。次の五百年は禅定堅固である。ここまでが正法一千年である。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固、ここまでが像法一千年である。次の五百年は「我が法中において闘諍言訟し・白法隠没」であり、末法の始めの五百年である。以上が、釈尊滅後の五箇の五百歳、合わせて二千五百年を示している。日本の歴史においては、人王70代後冷泉天皇の時代、永承7年(1052)壬辰より末法になったといわれている。
 次に、大集経には第五の五百歳を白法穏没と説いているのに、薬王品には広宣流布といわれているのは、釈尊の自語相違ではないかとの疑問が生ずる。
 日寛上人は、この問いに答えて、大集経にいう白法という意味は、権教当分の白法であり、末法に入って、この権教当分の白法が穏没することを明かすのである。薬王品は南無妙法蓮華経の大白法が広宣流布することを明かすのであるとおおせである。
 妙楽大師の法華文句記には「然るに五の五百とは且く一往に従る、末法の初め冥利無きにあらず」とある。この文の意は、大集経の五箇の五百歳は爾前権教について盛衰を説いての一往の論であって、末法において実大妙法の利益が滅無するのではない。ゆえに薬王品には「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布」と説き、その天台大師の釈には「後の五百歳、遠く妙道に沾おわん」と説かれている。妙楽大師の指南の「冥利」とは、ただ在世の顕益に対していうのである。
 釈尊の仏法の権教当分の白法が穏没し、南無妙法蓮華経の大白法が広宣流布することは、たとえば、闇が去れば明が来り、明がくれば闇が去る。これが同時であるようなものでる。
 これは撰時抄の「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに 臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり」(0258-14)の仰せと少しも相違しないのである。
 次に薬王品には「後の五百歳」と説き、天台大師の法華文句には「後の五百歳、遠く妙道に沾おわん」とあるが、もしそうであるならば、妙法の利益は、ただ末法の始めの五百年に限るのかという疑問があるがそうではない。妙楽大師の法華文句記には「且く大教の流布すべき時に拠る故に五百と云う」とある。この文の意は、薬王品や法華文句の「後の五百歳」という文は、しばらく妙法大教流布し始まる時を指している。しかし、実は、尽未来際までも流布すべしという意なのである。もし、そうでないなら、薬王品の次下の「断絶せしむること無けん」の文を、どのように解釈しようとするのか。報恩抄にいわく「日蓮が慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(0329-03)と。これ「後の五百歳広宣流布」とは末法万年、尽未来際まで、南無妙法蓮華経が流布することは明らかである。
 つぎに「広宣流布」の文について、日寛上人は、次のような問答を示して、その真意を明かされている。
 問う、天台大師は像法五百年に出現して、三大部において法華経の義を尽くし、南北の邪義を破して法華経を弘通している。いわんや、また伝教大師は像法八百年に出現して、天台宗を弘宣するのみでなく、天台大師もいまだ立てなかった円頓の戒壇を比叡山に建立し、日本一同が法華経を信じた。これ像法の中に広宣流布したことではないか。
 答えていうには、法華経において、広略要がある。しばらく広略について論ずるのに三意がある。一には利生隠顕。いわゆる彼の像法の時は権小の利益もあったがゆえに法華の利生は独り分明でなかった。今、末法に入れば権小の利益隠没して法華経独り分明なるがゆえである。二には利生強弱、いわゆる彼の像法の時は利生弱く末法は強盛である。法華経薬王品の十喩の第三の月の譬である。薬王品得意抄にいわく「月はよいよりも暁は光まさり・春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり」(1501-08)と。三には像末正序。いわゆる像法の弘通は、なお末法の序分である。下山御消息にいわく「世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346-10)と。本門とは迹門を簡び、寿量とは十三品を簡び、肝心とは文上の寿量品を簡ぶのである。
 次に肝要について論ずれば、これ天台末弘の大法である。いわゆる寿量文底の南無妙法蓮華経がこれである。つぶさに、これを談ずれば三大秘法である。すなわち妙法五字を図顕された大曼荼羅である。これすなわち本門の本尊である。本門の本尊の住所の処は、すなわち本門の戒壇である。また本門の本尊を信じて妙法を口唱するのは本門の題目である。伝教大師の守護国界抄上には「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り法華一乗の機・今正しく是れ其の時なる、何を以て知ることを得る。安楽行品に云く末世法滅の時なり」と。撰時抄には、これらの文を引きおわっていわく「末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え 正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや」(0260-07)と。
 これは末法において、三箇の秘法が流布するゆえんである。これ、しかしながら、法はみずから弘まるものではない。法を弘める人の如何により、法の弘通の先後が決定するのである。すなわち、末法今時に、日本に妙法が流布したのは、ひとえに日蓮大聖人の大慈大悲の弘通によるものである。報恩抄にいわく「三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしと・いうこれなり、周の代の七百年は 文王の礼孝による秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり、日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳」(0328-16)と。
 「閻浮提に弘宣流布して断絶せしむること無けん」の文についても、日寛上人は次のように示されている。
 問う、閻浮提の中に十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散国がある。およそ物には先に始まる処があって後に広布する。たとえば天台宗のごときは釈尊所立の宗旨であるが故に天竺に始まる。禅、念仏、真言は人師の所立で大唐に始まる。今、三大秘法は閻浮提の中には何れの国に在って先に始まるのか。答えて云うには、日本国に始まるのである。
 一には、弥勒菩薩の瑜伽論にいわく「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云と。安然の普通授菩薩戒広釈にいわく「弥勒菩薩説きて云く東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有りとは、我れ日本国みな成仏すと知れり、豈其の事にあらざるにあらずや」云云と。
 二には、肇公の法華翻経の後記にいわく「什云く予昔し天竺国に在る時、遍く五竺に游て大乗を尋討す。大師須利耶蘇摩より理味を飡稟し殷懃に梵本に付属す、云く仏日西に入りて遺耀将に東北に及ばんとす、茲の典東北に縁有り汝慎んで伝弘せよ」云云と。
 三には、法華秀句下にいわく「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり」云云と。唐の東・羯の西とは即ち日本国である。
 四には、依憑集にいわく「我が日本天下の円機已に熟し円教遂に興らん」と。
 五には、一乗要決にいわく「日本一州・円機純一・朝野遠近同じく一乗に帰し緇素・貴賤悉く成仏を期す」云云と、日本はすでに有縁にして円機已に熟している。どうして先に広布しないわけがあろうか。
 六に遵式の天竺別記にいわく「始めは西より伝う月の生ずるがごとし今復東より日の昇るがごとし」云云と。顕仏未来記にいわく「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(0508-02)と。
 問う、今世(日寛上人の時代)はすでに後の五百歳を過ぎている。どうして一同に南無妙法蓮華経ではないのか。また、どうして、いまだ広宣流布しないのか。
 答えていうには、これに二意がある。
 一には順縁広布
 法華取要抄にいわく「是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」(0338-02)と。
 二には逆縁広布
 顕仏未来記にいわく「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し」(0507-05)と。
 もし逆縁に約するならば広宣流布である。もし順縁に約せば、末だ広布ではないが、後の五百歳の中より、漸々に流布することは疑いないものである。もし、この一事虚しければ世尊は大妄語、法華経も虚説となるのである。どうして仏の説が虚語となることがあろうか。仏説の如く日本国一同に流布すべきである。報恩抄にいわく「「我滅度の後.後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔.魔民.諸の天竜.夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無けん」等云云、此の経文若しむなしくなるならば舎利弗は華光如来とならじ迦葉尊者は光明如来とならじ目ケンは多摩羅跋栴檀香仏とならじ阿難は山海慧自在通王仏とならじ摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ耶輸陀羅比丘尼は具足千万光相仏とならじ、三千塵点も戯論となり・五百塵点も妄語となりて恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち多宝仏は阿鼻の炎にむせび十方の諸仏は八大地獄を栖とし一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべし・いかでかその義候べき、 其の義なくば 日本国は一同の南無妙法蓮華経なり」(0329-08)と。
 以上が、日寛上人の法華経薬王品第二十三の文「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん等云云」についての講義である。
 すなわち、日寛上人は、末法において必ず日蓮大聖人の大仏法すなわち三大秘法惣在の本門戒壇の大御本尊が、わが国から広宣流布すべきことを、確信をもって論じている。
 とくに、日寛上人の時代は、広宣流布といっても、逆縁の広宣流布の時であった。だが日寛上人は、順縁の広宣流布をも、確信しておられたのである。
 今や、日蓮大聖人の御予言のままに、そして日寛上人の確信の通りに、順縁の広宣流布、化儀の広宣流布の時代がやってきたのである。すなわち、末法の御本仏、日蓮大聖人の大慈大悲のゆえであり、また時のしからしむるのみといわざるをえない。そして、創価学会が、この順縁広布の大業をにあわせていただくことを、心から感謝すべきではあるまいか。
亦一たびは喜んで云く何なる幸あつて後五百歳に生まれて此の真文を拝見することぞや
 「予一たびは歎いて云く」の文によると、大聖人は、仏の在世及び竜樹・天台・伝教等にあえなかったことを、わが罪障であると一たびは歎かれているようにみえるが、真実はこのように、薬王品の「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」の真文にあわれたことを心から喜ばれているのである。
 真実の仏法にあうことの難しさは、あるときには一眼の亀の浮木の穴にあうことに譬えられ、ある場合には、三千年に一度しか咲かないといわれる優曇華に比較されている。なぜならば、方便品に「諸仏世に興出したもうこと、縣遠にして値遇すること難し」等とあるように、仏が世に出現するのは極めて希であり、たとえ世に出現しても真実の法門はなかなか説かれない。また、たとえ仏が説かれたとしても信受する者は、これまた希だからである。
 ここでいう真実の法門とは、いうまでもなく事の一念三千・人法一箇の三大秘法の南無妙法蓮華経のことである。三世十方の諸仏も皆この妙法によって成仏したのであり、皆ことごとく南無妙法蓮華経の広宣流布の時節に生まれあわせることを請い願っていたのである。釈尊の法華経が勝れている所以も、その文底に三大秘法の南無妙法蓮華経が秘沈されていたからにほかならない。ゆえに撰時抄には「法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて 末法の始をこひさせ給う御筆なり」(0260-05)と大聖人は仰せられているのである。ここに「末法の始をこひさせ給う御筆なり」とは、天台大師の「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」、妙楽大師の「末法の初め冥利無きにあらず」、伝教大師の「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等の文を指しているのである。
 このように像法の正師・天台大師でさえ願望していた三大秘法の広宣流布の時に生まれあわせたことを、日蓮大聖人は喜ばれているのである。否、すでに竜の口で発迹顕本され、久遠元初の自受用報身如来の内証を顕わされた大聖人にあっては、本地難思・境智冥合・久遠元初自受用報身如来の当体の御本尊を広宣流布すべき時を迎えられたことを心から喜ばれているのである。
 今日のように順縁広布の時に生まれ合わせた者にとっては、広宣流布といっても、決して夢のような言葉ではない。しかし上一人より下万民にいたるまで、国をあげて悪口誹謗しているなかで「広宣流布の時を指すか」と仰せられ、喜びにあふれているご心境は到底凡夫の及ぶところではない。しかも大聖人の弟子檀那の数は少なく、御自身は、ほとんど一生を迫害のなかで過ごされたのである。実に大聖人の境涯は、常に諸仏・諸菩薩の功徳の雲集する境地に立ち、大確信に満ちておられたと推察される。
 聖人知三世事には「幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已」(0975-02)と。また四菩薩造立抄には「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり」(0988-14)と仰せである。
 余人には到底耐えられそうもない佐渡において、絶えず死の恐怖に直面されているなかで「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360-10)「経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし」(0203-06)と仰せられ、盤石の巌のような揺るぎない確信に立っておられたと推察申し上げるのである。
 この御抄を著わされた大聖人のご心境を戸田前会長は次のように述べている
 「この顕仏未来記を拝し、また他の御書を拝読するにあたり、御本仏日蓮大聖人の澄みきったご心境が如実にうかがわれる。成仏の境涯とは絶対の幸福境である。何ものにも犯されず、何ものにも恐れず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。この境涯が大聖人の佐渡ご流罪中のご境涯である」と。
 なお、本講義の冒頭で、大集経の五箇の五百歳を正像末の三時に配当しているが、これは当時あった数説のうち一説を採用したものである。また、正像末の年次についても、正法五百年・像法五百年・末法万年の説や、正法五百年・像法千年・末法万年説等の諸説があるが、日蓮大聖人は、それらの中から、正法千年・像法千年・末法万年の説を用いられている。

0506:02~0506:12 第二章 未来の留難を明かすtop
02   問うて云く後五百歳は汝一人に限らず何ぞ殊に之を喜悦せしむるや、答えて云く法華経の第四に云く「如来の現
03 在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」文、天台大師云く「何に況や未来をや理・化し難きに在り」文、妙楽大師云
04 く「理在難化とは此の理を明すことは意・衆生の化し難きを知らしむるに在り」文、智度法師云く「俗に良薬口に苦
05 しと言うが如く 此の経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ 故に凡を斥ぞけ聖を呵し大を排し小を破る乃至此
06 くの如きの徒悉く留難を為す」等云云、伝教大師云く「代を語れば則ち像の終り末の始・地を尋れば唐の東・羯の西
07 人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、 経に云く猶多怨嫉・況滅度後と 此の言良に以有るなり」等云云、 此
08 の伝教大師の筆跡は 其の時に当るに似たれども意は当時を指すなり 正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有りの釈は
09 心有るかな、経に云く「悪魔.魔民・諸天竜・夜叉.鳩槃荼等其の便りを得ん」云云、言う所の等とは此の経に又云わ
10 く「若は夜叉.若は羅刹.若は餓鬼.若は富単那.若は吉遮.若は毘陀羅.若はケン駄.若は烏摩勒伽・若は阿跋摩羅.若は
11 夜叉吉遮・若は人吉遮」等云云、 此の文の如きは先生に四味三教.乃至外道・人天等の法を持得して今生に悪魔・諸
12 天・諸人等の身を受けたる者が円実の行者を見聞して留難を至すべき由を説くなり。
-----―
 問うていうには、後の五百歳の記文は別にあなた一人を対象として説いたものではないのに、どうして特にこのことを喜びとしているのか。
 答えていうには、法華経第四の巻、法師品には「仏の在世中さえ、なお怨嫉が多いのであるから、ましてや仏の入滅の後には、さらに大きい怨嫉が競いおこるであろう」といっている。天台大師も法華文句に、この法師品の文を「仏の在世においても、なお怨嫉が多い。まして仏滅後の末法においてはなおさらである。その理由は、なかなか教化し難いところにある」と記している。妙楽大師は、さらに法華文句記に「理在難化とは、その理由を明かす真意は、末法の衆生が教化し難いことを知らしめることにある」と釈している。
 智度法師は天台法華疏義纉に「俗世間のことわざに“良薬口に苦し”というように、この法華経は、人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗が人生の目的であるという偏見に執着することを打ち破って、その目的は成仏することであるとする故に、人においては爾前の凡位の者をしりぞけ、聖位の者を訶責し、法においては、諸の大乗を排し、小乗を破折する。乃至そのために、このように破折をうけた五乗・凡聖の徒輩が、正法流布を妨げる」と述べている。
 伝教大師は法華秀句巻下に「妙法が流布するのは、その時を語れば、像法の終わり末法の始めである。その地を尋ねれば、中国の東、カムチャッカの西、教えをうける人を尋ねらば、五濁悪世の末法に生をうけた本末有善の衆生であり、闘諍堅固の時の人である。法華経法師品に「如来の現在にすら猶怨嫉が多い、况や滅度の後をや」と予言しているが、これはまことに深いわけのある言葉である」等といっている。
 この伝教大師の秀句の文は、一見これを著わした大師の時代に相当するようにみえるが、本意は末法の始めである今を指すのである。「正法・像法はほとんど過ぎおわって、末法がはなはだ近づいている」との釈文は、実に深い心をもった言葉ではないか。
 また薬王品には「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃茶等が、さまざまな災いをなすであろう」と説かれている。この中の「等」とは、この陀羅尼品に、「あるいは夜叉・あるいは羅刹・あるいは餓鬼・あるいは富単那・あるいは吉遮・あるいは毘陀羅・あるいははケン駄・あるいは烏摩勒伽・あるいは阿跋摩羅・あるいは夜叉吉遮・あるいは人吉遮」等をいうのである。この文は、先の世に爾前権教である四味三教・ないし外道・人天等の法を持得して、その結果、今生には悪魔や諸天竜・諸人等の身を受けた者が、円教・実教である法華経の行者を見聞して、その行者に種々の難を加えるであろうということを説いているのである。

怨嫉
 反発し敵対すること。特に、正法やそれを説き広める人を信じられず、反発して誹謗したり迫害したりすること。
―――
妙楽大師
 711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
―――
理在難化
 妙楽大師の法華文句巻8の3の文。
―――
智度法師
 東春のこと。妙楽大師の弟子、智度法師の著書「天台法華疏義績」の異名。法華文句の釈書。「東春」は地名で智度法師の住んでいたところ。
―――
五乗の異執
 「五乗」とは人・天・声聞・縁覚・菩薩。これらを人生の目的と思い込み、執着して成仏を願わないことを「異執」という。
―――
一極の玄宗
 「一極」とは一仏乗の極地、宇宙根本の実相、究極の教え。「玄宗」の「玄」とは幽玄ということで、奥深い、深遠という意味。「宗」とは根本ということ。すなわち「一極の玄宗」とは、妙法を言葉を変えて表現したものである。妙法こそ一仏乗の極地であり、宇宙本源の実相であり、究極の教えであり、深遠にして十方の諸仏がこれを根本として仏になったがゆえに一極の玄宗である。
―――
留難
 仏道修行を妨げるさまざまな困難。
―――
唐の東・羯の西
 唐は中国、羯は沿海州をいい、その間に「日本」があるとされた。
―――
五濁の生
 五濁悪世の末法に生を受けること。またその人。五濁とは生命の濁りの諸相を五種に分類したもの。劫濁・衆生濁・煩悩濁・見濁・命濁のこと。
―――
闘諍の時
 戦い争うこと。大集経には「闘諍言訟して白法隠没せん」とあり、末法の初めの500年を指している。釈尊の仏法のなかにおいて争いが絶えず起こり、正しい教えが隠没する時代である。
―――
猶多怨嫉・況滅度後
 法師品の文「猶お怨嫉多し。況や滅度の後をや」と読む。釈尊の在世においてすら怨嫉が多いのだから、仏の滅後に法華経を弘める者はより多くの怨嫉を受け大難にあうのは、当然であるということ。滅後においてま末法はなおさらである。
―――
悪魔
 魔と同義。仏道修行、成仏を妨げる働きをするもの。煩悩に従って現れてくるもので、その種類は多いが、欲界の第六天・他化自在天を一切の魔の首領とする。
―――
魔民
 魔界の衆生。魔王の眷属の民衆。仏道修行を妨げる働きをするもの。
―――
諸天竜
 諸々の天神と竜神。
―――
夜叉
 サンスクリットのヤクシャの音写。薬叉とも。樹神など古代インドの民間信仰の神に由来し、猛悪な鬼神とされる。
―――
鳩槃荼
 サンスクリットのクンバーンダの音写。人の精気を吸う鬼神。
―――
羅刹
 梵語ラカーサ(Rāṣasa)の音写。羅刹婆・羅叉婆・刹婆・阿落刹婆・夜叉羅刹婆とも書く。暴悪・可畏・悪鬼・護者・護王と訳す。恐るべき悪鬼であるところから速疾鬼ともいう。
―――
餓鬼
 餓鬼の世界。餓鬼が味わう苦悩の境涯。古代インドにおいて餓鬼はもともと「死者」を意味し、常に飢えて食物を欲している死者の世界をさした。「観心本尊抄」には「貪るは餓鬼」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる餓鬼界は、貪るすがたにうかがえると示されている。これに基づいて生命論では、とどまるところを知らぬ激しい欲望にとらわれ、それが満たされず心身ともに苦悩する生命状態を餓鬼界とする。
―――
富単那
 梵語プータナ(pūtana)の音写。臭餓鬼と漢訳する。熱病をもたらす鬼。
―――
吉遮
 悪鬼の名前。怨人を害する働きをする悪鬼といわれている。
―――
毘陀羅
 赤色鬼で屍鬼ともいう。死屍を起たせて怨人を殺させる通力を持つ悪鬼。
―――
揵駄
 黄色または赤色の身体を持った鬼。
―――
烏摩勒伽
 黒色で、人の精気を餌食とする鬼。
―――
阿跋摩羅
 インド神話に登場する小鬼、邪鬼、または夜叉の類である。名の意味は「無知」である。アパスマーラはシヴァ神の一形態である舞踏神ナタラージャ(Nataraja)に踏みつぶされている像が有名である。
―――
夜叉吉遮
 悪鬼の名前。怨人を害する働きをする鬼。夜叉の悪鬼。
―――
人吉遮
 悪鬼の名前。怨人を害する働きをする鬼。人の悪鬼。
―――
四味三教
 四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。
―――
円実の行者
 円は円教、実は実教で、ともに法華経の行者を意味する。
―――――――――
 後の五百歳に生まれあわせたことを、日蓮大聖人御一人がどうして喜ばれているであろうかとの問いに対して、末法の法華経の行者には必ず留難があるという。仏の予言、天台大師・妙楽大師・智度法師・伝教大師の予言をもって、円実の行者として留難にあっているがゆえに、ことに喜悦していると答えられたのがこの章である。一重立ち入れば、仏の未来記を明かし、滅後の人師の末法への渇仰を示し、その後に末法の御本仏、日蓮大聖人の出現を示唆された章である。
仏在世と滅後の留難の相
(一)仏在世の留難

 釈尊の出現により、インドの六師外道、さらには九十五派の婆羅門はことごとく邪道とされたのである。すなわち釈尊出現の頃の婆羅門の姿は開目抄に「仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢・高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり」(0187-10)とあるように、九十五派の婆羅門は四葦陀、六万蔵を聖典となして、修行をしていたのである。だが釈尊は、華厳をもって一切の婆羅門の義を破り、正法を大いに弘めたのである。
 その後、釈尊を慕って声聞たちが集まってきた。声聞たちの中には、ある者は婆羅門の家を、ある者は高貴の種姓を、ある者は富裕の家を捨てて釈尊の下に参じた。そして、慢心を捨て、白衣を脱ぎ、糞掃衣をまとい、釈尊に従ったのである。
 だが、こうした動きに対して、提婆達多をはじめとして陰に陽に迫害を加えてきた。このような釈迦教団の難について、後世、大智度論等では九横の大難と呼称している。たとえば次のような難があった。阿耆多王が遊楽に耽って供養を忘れたために、九十日間、釈尊とその弟子、五百の僧は馬に与える麦を食べて飢えをしのいだ。孫陀梨が、釈尊は過去世に私を殺して自分だけ仏になり、その罪を辟支仏に転嫁したと謗じた。また、釈尊があるとき阿難をともない、乞食行をしているとき、老婢が腐った米のとぎ汁を供養した。それを見て臭食の報いであると婆羅門が釈尊を謗った。
 さらに提婆達多が釈尊をなきものにしようとして、耆闍崛山の山上から長さ三丈、幅一丈六尺もの大石を落とした。だが諸天の加護により、大石は当たらず、小石が散って釈尊の足の親指に当たり、血を出した。さらに提婆達多にそそのかされた阿闍世王は、父の頻婆娑羅王を幽閉して新王となり、提婆達多を師とした。さらに象に酒を飲ませて、釈尊の一行の中に放ち多くの犠牲者を出した。憍薩羅国の波瑠璃王は、父の波斯匿王が欺かれて釈迦族の卑賤な婢と結婚をしたのを恨んで、即位後、釈迦一族を数多く殺した。
 九横の大難の内容は、経文、御書により若干の相違がある。興起行経には「孫陀利の謗、奢弥跋の謗、頭痛、筋肉痛、背痛、木槍刺脚、調達擲石、栴遮の謗、食馬麦、苦行」とある。大智度論には「孫陀利謗、栴遮女謗、提婆推山、迸木刺脚、琉璃殺釈、一夏馬麦、冷風背痛、六年苦行、乞食空鉢」とある。日蓮大聖人の諸御抄の中にも九横の大難が引用されている。
 たとえば、開目抄に「仏すら九横の大難にあひ給ふ、所謂提婆が大石をとばせし阿闍世王の酔象を放ちし阿耆多王の馬麦・婆羅門城のこんづ・せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし、何に況や所化の弟子の数難申す計りなし、無量の釈子は波瑠璃王に殺され千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ迦廬提尊者は馬糞にうづまれ目ケン尊者は竹杖にがいせらる、其の上六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり、彼がいたる処は三災七難を前とす」(0205-18)と述べられている。
(二)仏滅後の留難
(1)正法時代の留難の相

 正法年間に留難は比較的に少なかったが、その少ない時代でも正法弘通のため留難を受けた師として、馬鳴・竜樹・迦那提婆・如意論師・師子尊者をあげることができる。馬鳴菩薩は仏滅後600年ごろ、竜樹菩薩は仏滅後700年ごろに出現して、小乗ならびに外道を破して大乗を立てた。
 しかしながら当時の衆生は、小乗に執着して、次の理由によって迫害を加えたのである。その一つは仏の第一、第二の弟子、迦葉・阿難が一代仏法の肝心として、苦・空・無常・無我を説いたのであって、この法門こそ仏法の詮要である。馬鳴・竜樹がいかに勝れ、賢明であっても、迦葉尊者・阿難尊者よりも勝れるわけがないではないかとする。その二は迦葉は直接に釈迦仏にあって相承された尊者であって、馬鳴・竜樹は仏にあわないではないかという。
 以上の理由から「おそらくは釈迦仏の入滅後にしかも迦葉・阿難が死んで、第六天の魔王がこの馬鳴・竜樹らの身に入って、仏法を破り外道を弘めようとするものである」と考え、「馬鳴・竜樹らは仏教の怨敵であるから、頭を破り、首を切れ、また命を断て、食をとどめよ、国を追い払ってしまえ」といって小乗教徒は激怒し、夜も昼も悪口をいい、杖や木でさんざん打ったといわれる。
 なお馬鳴についていえば、中天竺・摩訶陀国華氏城に遊化していたとき、迦膩色迦王が攻め華氏王の軍を破り、九億の金を求めた、そこで華氏王は、馬鳴と仏鉢と一つの慈心鷄をもって各三億にあてて迦膩色迦王に奉献したのである。
 仏滅後750年ごろ、南インドに出現した付法蔵第十四竜樹の弟子、迦那提婆は南天竺の王が外道に帰依していたので、宿衛となって王宮に入り、大乗教が最勝の仏法であることを王に説き、もし論士がわが義を破ったならば、首を切ってわびようと王に誓った。そこで王は、外道の各派にこの旨を通達し、論士を集め討論させた。だが、結果はことごとく迦那提婆に論破されたのである。だが、ある外道の弟子が師匠の屈辱を恥じ、王宮から出る迦那提婆を待ち受けて害を加えた。しかし迦那提婆はこれを許し、弟子が仇討ちしようとするのを制して絶命したといわれる。
 仏滅後900年ごろ、天親の師、如意論師は室羅伐悉底国の毘訖羅摩阿迭多王に私怨を抱かれ、外道の学者百人を相手に、王の前で討論し、九十九人まで屈服せしめた。だが、最後の一人と国王のためにはずかしめを受けた。そのときの論師は「党援の衆と大義を競うことなかれ、群迷の中に正論を弁ずることなかれ」と天親に遺誡し、自ら舌をかみ切って死んだ。
 仏滅後1200年前後、中インドに出現した師子尊者は、鶴勒夜那について仏教を学び、罽賓国で仏法を弘めた。しかし、国王檀弥羅のために殺され、付法蔵二十四人の最後として伝持を断つている。師子尊者が檀弥羅王に殺された理由に二説ある。一説には、王の邪見が強く、多くの寺塔を破壊し、多くの僧をも殺害し、ついに師子尊者を殺したとする説である。もう一説は、師子尊者が罽賓国に遊化して衆生を化導していた。このために二人の外道が恨み相謀って乱を起こし、仏弟子の姿をして王宮に潜入してわざわいをなしたために、檀弥羅王は師子尊者を誤解し怒って首をはねたというものである。以上が正法時代における留難である。
 報恩抄に「付法蔵の人人は四依の菩薩・仏の御使なり提婆菩薩は外道に殺され師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ仏陀密多・竜樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとなり如意論師はおもひじにに死す。此れ等は正法・一千年の内なり」(0297-)とあるのがそれである。
(2)像法時代の留難の相
 像法年間では、天台大師と伝教大師の難に代表される。天台大師が南三北七の教義を破して法華経が一切経の中で最勝の経であることを明かすことにより、法華経が仏法中で最も重要な経典であることを確立した。したがって生存中はあまり難を受けなかった。天台大師死後の、玄奘三蔵が天竺に渡り、唐の貞観19年、月氏から帰って諸経を伝え、「法華経は一切経には勝れたれども深密には劣る」といって法華経を謗じ、則天武后の時代に法蔵法師があらわれ、一度は天台大師によってせめ落とされた華厳経に、その後、訳された新訳の華厳経の助けを借りて華厳宗を開いた。
 こうしてふたたび権教と実教とが入り乱れたのである。わが国の法相宗の僧・得一は中辺義鏡において「つたないかな智公よ、汝はこれ、誰の弟子であるか。三寸に足らざる舌根をもって釈尊一代の所説を謗じ、世間を迷わしている」と悪口し「豈是れ顚狂の人にあらずや」と天台大師を狂人扱いにしたのである。
 次に伝教大師は、桓武天皇の時代に出現して、天台大師の五時八教、理の一念三千、三諦円融の法門等の深理を顕揚して、当時の華厳宗、法相宗、三論宗、俱舎宗、成実宗、律宗の南都六宗を破折したのである。顕戒論に、当時の悪口雑言の由を「六人の僧統が天皇に上奏していうには、西のインドに逆説的理論をもてあそぶ鬼弁婆羅門があり、東の国の日本には巧みな言葉をもって民衆を惑わす禿頭沙門がいる。これらは共に同類の輩で自然と集まって世間を誑惑している」と難じたと記している。
 以上、天台大師、伝教大師の留難について述べたが「况滅度後」と予言されているような難は受けていないのである。
(3)末法の留難と円実の行者
 正法時代には、迦那提婆、如意論師、師子尊者が仏法のために死を賭したものの、法華経の故ではない。像法時代においては、天台大師、伝教大師が法華経を弘通したが、さしたる難は受けていないのである。ここに、末法の御本仏の出現の必然性があり、法師品の「况滅度後」の予言を身業読誦されたのは、まさしく日蓮大聖人お一人であった。
 法華行者逢難事に「夫れ在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り所謂仏と天台・伝教となり、真言宗の善無畏・不空等・華厳宗の杜順・智儼等・三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人人なり、竜樹・天親等の論師は内に鑒みて外に発せざる論師なり、経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず、而るに仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し 其の時の大難・在世に超過せん」(0966-09)と。
 すなわち、日蓮大聖人は建長5年(1253)4月28日、安房の国、長狭郡の内、東条の郷、清澄寺にある諸仏坊の持仏堂の南面で、南無妙法蓮華経を唱えられたのである。
 しかる後の蓮祖大聖人は周知のとおり、大白法弘通のために死身弘法の振舞いであられた。大聖人ならびに門下の振舞いが壮絶をきわめたが、北条幕府の迫害は日を追って激しさを増したのである。
 聖人御難事に「而るに日蓮二十七年が間.弘長元年辛酉五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる、 同文永八年辛未 九月十二日佐渡の国へ配流又頭の座に望む、其の外に弟子を殺され切られ追出・くわれう等かずをしらず」(1189-13)と。
 正法時の竜樹・天親、像法時代の天台・伝教の留難と末法の日蓮大聖人のそれとを比較すれば、大聖人の難は正像の正師とは比較にならないほどの大難である。これらの現証をもって、釈尊の予言した末法の法華経の行者は日蓮大聖人であることが証明される。
 同じく聖人御難事に「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり」(1189-18)と仰せられていることに瞠目すべきである。
 さらに立入って論ずるならば、仏在世の九横の大難に超過する留難の相貌ゆえに、まさしく日蓮大聖人こそ末法の御本仏であることが証明されたわけである。だが大聖人はつねに謙遜され「仏の使いなり」「喜い哉况滅度後の記文に当れり」と申されている。そなために、門下の五老僧でさえ大聖人の正意がわからずに本迹一致論を立てたり、釈尊を本仏と立てて大聖人を上行菩薩の再誕としたのである。まったく本師の心を知らぬ不肖の弟子達であると、いわざるをえない。
 日蓮大聖人こそ末法の御本仏であり、本地は久遠元初の自受用報身であり、上行菩薩は外用の姿であって、内証は久遠元初の自受用報身の再誕であることを正信の人は、よくよく心得ていくべきである。

0506:13~0507:09 第三章 末法の弘通の方軌を明かすtop
13   疑つて云く正像の二時を末法に相対するに 時と機と共に正像は殊に勝るるなり何ぞ其の時機を捨てて偏に当時
14 を指すや、 答えて云く仏意測り難し 予未だ之を得ず試みに一義を案じ小乗経を以て之を勘うるに 正法千年は教
15 行証の三つ具さに之を備う 像法千年には教行のみ有つて証無し 末法には教のみ有つて行証無し等云云、 法華経
16 を以て之を探るに 正法千年に三事を具するは在世に於て法華経に結縁する者か、 其の後正法に生れて小乗の教行
17 を以て縁と為し小乗の証を得るなり、 像法に於ては在世の結縁微薄の故に小乗に於て証すること無く 此の人・権
18 大乗を以て縁と為して 十方の浄土に生ず、 末法に於ては大小の益共に之無し、 小乗には教のみ有つて行証無し
0507
01 大乗には教行のみ有つて冥顕の証之無し、 其の上正像の時の所立の 権小の二宗・漸漸・末法に入て執心弥強盛に
02 して小を以て大を打ち 権を以て実を破り国土に大体謗法の者充満するなり、 仏教に依つて悪道に堕する者は大地
03 微塵よりも多く 正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり、 此の時に当つて諸天善神其の国を捨離し
04 但邪天・邪鬼等有つて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し法華経の行者を罵詈・毀辱せしむべき時なり、爾りと雖
05 も仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て 実大乗の法華経に帰せば 諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の
06 行者を守護せん 此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、 例
07 せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て 彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きし
08 が如し、 彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も 其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ
09 彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。
-----―
 疑っていうには、正法・像法の二時を末法と比べてみると、時も衆生も機根も、共に正像は末法よりも特に勝れている。それなのに薬王品の後五百歳の文は、どうしてその勝れた正像の時と機を捨てて、ひとえに末法を指しているのであろうか。
 答えていうには、仏の御本意は凡夫には測りがたいので、まだ日蓮もこのことは証得していない。だが試みに一義を考えてみると、まず小乗教をもって正像末の三時を勘案してみると、正法一千年間には教行証の三つがそろっている。像法一千年には教と行だけがあって証果はない。末法には教だけあって行と証がないのである。
 そこで法華経をもってこの教行証について考えてみると、正法千年の間に教行証の三つがそなえているのは、釈尊在世において法華経に結縁した者であろうか。その後、これらの人々が正法時代に生まれて小乗教の教と行とを縁として、小乗教の証果を得たのである。像法時代においては釈尊在世の法華経に結縁がきわめて薄いために、小乗教で証果を得ることはなく。権大乗教を縁として、十方の浄土に生ずるのである。
 ところが末法においては、大乗教・小乗教の益は共にないのである。まず小乗教は教だけは残っているが、行と証はなくなっている。次に、大乗教においては教と行だけは残ってはいるが、冥益・顕益の証はまったくなくなっている。そのうえ正法・像法時代に立てたところの権大乗教・小乗教の二つの宗派は漸次に末法に入ってからは、その執着心がいよいよ強くなって、小乗教で大乗教を批判したり、権教の教義で実教の教義を破ったりして、国中にこうした謗法の者が充満しているのである。
 そのために仏教を誤って三悪道に堕ちる者は大地微塵よりも多く、正法を修行して成仏する者は、爪の上の土よりも少ない。こういう時期に当面して、諸天善神はその国を捨てて離れ、ただ邪天・邪鬼だけがいて、王臣・比丘・比丘尼等の身心の中に入り住んで、これらの人々に法華経の行者に対して悪口をいったり、そしりはずかしめたりさせる時になっている。
 しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。法華経の行者は、この諸天善神や地湧の菩薩などの守護の力を得て、本門の本尊・南無妙法蓮華経を一閻浮提に広宣流布させていくであろう。
 この姿は、たとえていえば、威音王仏の像法の時に、不軽菩薩が「我深敬」等の二十四字の法華経をもって彼の国土に広宣流布して、一国から杖や棒で迫害されるという大難を呼び起したようなものである。不軽菩薩の二十四文字と日蓮の五文字とは、その語は異なるけれども、本意は同じであり、その時の像法の末と今の末法の初めとは、弘法の方軌がまったく同じである。また不軽菩薩は、初随喜の人であり、日蓮は名字即の凡夫であり、同じく本因妙の行者なのである。

小乗経
 乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
―――
正法千年
 釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする。
―――
教行証
 教行証とは教法と行法と証法のことで、三法ともいう。教とは仏の説いた教法をいい、行とは教法によって立てられた修行法をいい、証とは教・行によって証得される果徳をいう。
―――
像法千年
 中国では、釈尊滅後、正法・像法・末法の三時を立てる。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、教えそのものとそれを学び修行する者はあるが、覚りを開く者はおらず、仏法が形式的に行われる時代とされる。仏の説いた教えが形骸化した時代。また、釈尊以外の仏にも適用される。例えば威音王仏の像法が法華経で説かれる。インドでは、像法と末法の厳密な区別はなかった。大集経では第3の500年を「読誦多聞堅固」(仏の経典を翻訳し聞持する者が多い時代)とし、第4の500年を「多造塔寺堅固」(寺院・堂塔の造立が盛んな時代)とする。
―――
権大乗
 大乗のうち権教である教え、経典。
―――
十方の浄土
 十方とは東西南北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維と、上下の二方を合わせたもの。空間的に全宇宙を表している。浄土とは、仏の住む清浄な国土のこと。また、国を浄めるという意に使うこともある。煩悩でけがれている穢土(衆生の住む娑婆世界)に対し、仏の住む国土は五濁の垢に染まらず清らかなので浄土という。
―――
執心
 執着の心、深く思い込むこと。
―――
謗法の者
 日蓮大聖人は「開目抄」で、「無智・悪人が国土に充満している時は摂受を優先する。安楽行品に説かれている通りである。邪智・謗法の者が多い時は折伏を優先する。常不軽菩薩品に説かれている通りである」(235㌻、通解)と仰せになり、弘教のあり方として摂受・折伏のどちらを採用すべきかは時によることを示されている。正法を信じず強く反発し誹謗する者。
―――
悪道
 悪業によってもたらされる苦悩の世界のこと。
―――
威音王仏の像法
 法華経常不軽菩薩品第20には、不軽菩薩は最初の威音王仏の像法時代に出現したと説かれているが、「顕仏未来記」に「彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ」(507㌻)と仰せのように、日蓮大聖人は不軽菩薩出現の時を、御自身がお生まれになった末法の初めと同様であるととらえられている。
―――
不軽菩薩
 法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557㌻、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。【日蓮大聖人の弘通との対比】不軽菩薩の弘通と大聖人の弘通との対比は、次の御文に示されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(「顕仏未来記」、507㌻)「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」(「教行証御書」、1276~1277㌻)以上から、不軽菩薩と大聖人の正法弘通における共通点は、次の点に整理できる。①教。法華経の要法を広める(ただし不軽菩薩の「二十四字の法華経」は法華経一部の要旨であり、広・略・要でいえば略にあたるのに対して、大聖人の「妙法蓮華経の五字」は法華経の所詮の法体であり、真の意味での要にあたる)。②機。逆縁の衆生への化導。衆生の機根が劣悪であり、ただちに法華経を説いて衆生に反発されても縁を結ばせる逆縁の化導を中心に行った。③時。仏の亡くなった後の乱れた世の中に出現し難を耐え忍んで弘通した。④行者の位。不軽菩薩は初随喜の位、大聖人は名字即の位という、いずれも菩薩として初信の位であった。不軽菩薩の実践は、仏の滅後の悪世における法華経弘通の方軌を示しており、大聖人もこの方軌に則って法華経を弘通されている。それ故、不軽品を御自身の弘通の例とされている。
―――
初随喜の人
 釈尊滅後の法華経修行の位を五つに分けたうちの第一で、法を聞いて歓喜の心を起こす初信の位のこと。法華経分別功徳品第十七の「如来の滅後に、若し是の経を聞いて、毀訾せずして、随喜の心を起こさば、当に知るべし、已に深信解の相と為す」の文に基づいて、天台大師が法華文句巻十上に述べている。 悪口を言わないで随喜の心を起こす人のこと。
―――
名字の凡夫
 名字即の凡夫のこと。名字即とは天台大師が法華経を修行する人の位を理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即の六即位にわけたもので、名字即はその第二、初めて仏法の信仰に入った位をいう。日蓮大聖人の仏法には、修行の段階はない。即身成仏のゆえに名字妙覚という。名字即の凡夫が御本尊を拝んで、仏の生命を感得したときが、妙覚の仏である。総勘文抄には「一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す故に円頓の教には次位の次第無し」(0566-15)とある。 凡夫とは梵語で婆羅、新訳では異生という。元来は一般人のこと。後になって断惑証理の聖者に対する称となった。凡庸な士夫。いまだ四諦の理を見ない浅識愚鈍の者で、煩悩に束縛された者をいう。法華経譬喩品第三に「凡夫は浅識にして深く五欲に著し、聞くとも解すること能わじ」とある。 所詮名字の凡夫とは久遠元初自受用身のことである。
―――――――――
 この章は、末法に三大秘法の御本尊が広宣流布することを明かしている。初めに教行証に約し、末法こそ、妙法が弘通すべき時にあたり、また衆生も妙法の下種を受けて成仏得道する機根にあることが示されているのである。
教行証について
 この段では教行証と時代の関係を一往・再往に分けて述べられている。すなわち、最初の部分は小乗経を中心とした通途の説を、次に法華経の立場から論ぜられているのである。
 いま「小乗経を以て之を勘うるに正法千年は教行証の三つ具さに之を備う像法千年には教行のみ有つて証無し末法には教のみ有つて行証無し等云云」と述べられているが、この通途の説はむしろ教行証による正像末三時の定義にあるといってよい。
 大乗法苑義林章には「教行証の三を具するを名づけて正法となし、但だ教行のみあるを名づけて像法となし、教あり余なきを名づけて末法となす」とあり、また仁王経疏に「教あり行あり得果あるを名づけて正法と為し、教あり行あり果証なきを名づけて像法と為し、唯其教のみありて行なく証なきを名けて末法と為す」と。
 次に、正法・像法が一千年ずつであるということは大集教に依るのである。すなわち釈尊は大集経巻五十五に未来の時を予言し「我が滅後において五百年中は、諸の比丘等猶我が法において、解脱堅固なり。次の五百年は、我が正法禅定三昧堅固に住するを得るなり、次の五百年は読誦多聞堅固を住するを得るなり、次の五百年は、我が法中において、多くの塔寺を造りて、堅固に住するを得るなり、次の五百年は、我が法中において、闘諍・言訟し白法隠没し損減して堅固なり」と定めている。このうち第一の解脱堅固と第二の禅定堅固が正法時であり、第三の読誦多聞堅固と第四の多造塔寺堅固が像法時であり、第五の五百年の闘諍堅固は末法の始めであり、今日のことである。末法を「教のみ有つて行証無し」の定義をもってみるならば、釈尊の経教には今日の衆生に利益を与える力がないことは明らかである。したがって、現在が末法であることを認めながらも、なお、釈尊の経典によって救おうという念仏・真言等の諸宗は、釈尊の教えをわきまえない者であり、自らの主張が自語相違するのにも気づかないのである。
 次に「法華経を以て之を探るに」として、法華経の立場から通途の説をみるならば、正法時に正乗教で得道した衆生も、その原因をたずねると在世に法華経に結縁したためであることを明かされる。さらに教行証御書には「仏の在世にして法華経に結縁せしが其の機の熟否に依り円機純熟の者は在世にして仏に成れり、根機微劣の者は正法に退転して権大乗経の浄名・思益・観経・仁王・般若経等にして其の証果を取れること在世の如し、されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり、像法には教行のみ有つて証無し、今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し権実の二機悉く失せり」(1276-03)と機根が純熟の者は在世に成仏でき、微劣の者はその後、権教で証果を得たことを述べられている。
 以上、明らかなように、末法には釈尊の仏法は教のみ存在するもののもはや力はないのである。釈尊の仏法の衆生は、歴劫修行を経てきた本已有善の衆生であるのに対し、末法に出現する衆生は、以前に下種を受けていない本末有善の衆生である。したがって、末法の衆生は、たとえ法華経といえども釈尊の教えでは得道できないことが明瞭である。ただ、寿量文底下種、事の一念三千の南無妙法蓮華経以外に末法の衆生が成仏できる法はないのである。
 上野殿御返事にいわく「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)と。また、教行証御書にいわく「此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」(1276-06)と。
 いま、世界の人々は、宗教を真剣に模索しており、眼を東洋に向けている。20世紀をリードし、21を開いていく宗教は、教義面、実践面、さらにはその結果としての証果、得益の面から明確に教える教行証兼備の三大秘法の仏法が現代人の要請に応じ得る宗教であることを心から叫ぶものである。
 さて、大聖人の仏法における教行証を論ずるならば、教とは、教法、教義であり大聖人の仏法である。大聖人の仏法は、いかなる時代、いずこの世界にあっても、人びとの生命の中には仏界の生命がそなわっており、その仏界を顕わすのは、三大秘法の御本尊を信じ、行じていくことであるとの教義、法理は不変である。行とは、修行である。末法今時の修行は勤行唱題および折伏行であり、さらに敷衍すれば、化儀の広宣流布の推進が修行にあたる。証とは、教法を信じて得られた証果、得益をいう。三大秘法の御本尊を信受した結果、生命、そして生活の上に偉大な功徳の花を咲かせていくのが証である。今、何百万人の人々の上に、生活の上に厳然と実証されているのである。
此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか
 御文は、末法今日にあって、三大秘法の御本尊を世界に広宣流布していくことを明かされている。「本門の本尊」とは三大秘法の御本尊であり、本抄より20日ほど前に著された観心本尊抄において、末法の観心の本尊、すなわち本門戒壇の御本尊の解明がなされている。
 だが「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254-08)と仰せのごとく、広宣流布を明確に示されてはいない。それは観心本尊抄が法本尊開顕を正意とされたためであると思われる。
 したがって、本抄において広宣流布の実践の方途が示されたことは重大な意義があるといえよう。この時は、諸天善神、地湧の菩薩の守護の力によって実現することができると仰せである。
 諸天善神とは、なにも絵に描かれたようなものが、どこかにいるのではなく、生命自体に備わる働きにほかならない。仏の生命にせよ、ことごとくこれらの働きに備わってくる。さらに国土も、いな大宇宙それ自体が一個の偉大なる生命体である。そしてこれらの働きは大宇宙に遍満している。諸天善神の働きとは、これら宇宙の働きのなかで、法華経を教え弘める法華経の行者を守護する「働き」をいうのである。
 治病権実違目に「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-07)とあるごとく、御本尊を信受して修行に励むことによって、仏界が顕現したときに、その者の生命のなかに、梵天・帝釈の力が働きとなって、いかなる災難をも克服していくことができるのである。宇宙のさまざまな事物や現象、すなわち天体の働き、太陽の光、星辰のまたたきであれ、雨や風であれ、山川草木であれ、動物であれ、人間であれ、すべてが幸福実現へと働くのである。広宣流布という偉業実現への実践活動に対しても、諸天が守護するのはこうした原理から当然といえよう。
 また、地湧の菩薩が守護するとは、教主大覚世尊から妙法の付属を受けた地湧の菩薩が、世尊滅後の末法に妙法を弘通する働きをなすわけであるから、今、日蓮大聖人が法華経の行者として本門の本尊を閻浮提に広宣流布しようとしているゆえ、当然これを守るのであると、一往の立場で仰せられたのであろう。だが再往は御自身が末法の御本仏であり、外用の姿が地湧の菩薩である。ゆえに、ここでは、凡夫としての立場で述べられたかと思われる。
 かような未曾有の大業は、少数の人々によって達成されるものではなく、外用法華経の行者、内証末法の御本仏日蓮大聖人のもとに、六万恒河沙の地湧の菩薩およびその眷属、さらに諸天の加護を得て実現されるのである。
威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり
 この文は、末法の法華経の行者である日蓮大聖人と、不軽菩薩の関係を示されているところである。すなわち法華経不軽品には、威音王仏の像法時代に、悪口罵詈、杖木瓦石の難にあいながら二十四文字の法華経を説き礼拝を行じたことが説かれている。
 この菩薩は、危害を加えた衆生に向かって「但行礼拝」といって、もっぱら礼拝を行い、「汝等を軽しめず、汝等当に作仏すべし」と、衆生の具している仏性を敬って、つねに説いたので常不軽菩薩と名づけるのである。
 一方、不軽菩薩に迫害を加えた、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の上慢の四衆は、この因によって、一度は地獄に堕ちるが、逆縁によりまた不軽菩薩と共に生まれ、法華経を信じて成仏できるのである。釈尊はこの常不軽菩薩の修行をとおして、折伏の方軌と逆縁の功徳を説いている。
 常不軽品に説かれていることは、ただ威音王仏の像法時のことのみでなく三世にわたって通ずる真理であり、とりわけ日蓮大聖人の弘教の方軌を示したものである。
 寺泊御書にいわく「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し」(0953-18)と。
 されば、日蓮大聖人の弘教の姿は、いかなる迫害もものとせず、むしろ謗ずる人々をも包容して、すべての人々を救う不軽菩薩の姿に通ずるものがある。また、日蓮大聖人を害した当時の人々は不軽品にある上慢の四衆を想起させる。一方、不軽菩薩の二十四文字の法華経は、末法今時における寿量文底下種の南無妙法蓮華経にあたろう。礼拝の行とは、折伏行である。礼拝とは、相手の生命の中にある尊極の仏界を敬ったのである。しかし、末法今時においては、礼拝の行はおよそ意味をなさない。ただ、折伏弘教の行為のみが、時機相応の修行であるといえよう。折伏弘教こそ、生命の尊厳を最大に認めた行為であり、それは、あらゆる人々の生命の奥底に、仏界という尊極極まりない偉大な生命があり、その偉大な生命を折伏によって、たとえその時は信心しなくとも、折伏が縁となり仏種が薫発され、やがて御本尊を受持し、真に光輝ある人生を進みゆくことができると確信しての、振舞いだからである。
 不軽菩薩の説いた二十四文字の法華経は略法華経ともいわれる。その所詮は南無妙法蓮華経である。したがって「其の殊なりと雖も意是れ同じ」と仰せなのである。
 御義口伝巻にいわく「此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」(0764-第五我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事)と。教行証御書には「得道の時節異なりと雖も成仏の所詮は全体是れ同じかるべし」(1277-03)とある。本抄に「其の意」といい、御義口伝巻には「其の意」とあり、教行証御書に「成仏の所詮」と仰せられているのも、文底深秘の南無妙法蓮華経を指していわれているのである。
 四信五品抄に「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ」(0342-04)とあり、我深敬等の二十四字の法華経といえども、南無妙法蓮華経と元意は同じであり、南無妙法蓮華経の序文であり流通分であるといえよう。
 また「彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ」とは、弘教の方軌が共に同じであることをいう。
 上慢の四衆が、不軽菩薩の教化に反対し、地獄に堕ちるのを承知の上で、なおかつ法を説き而強毒之によって根本的に救われたのは、慈悲から起こった行為である。同じく末法において、折伏すると多くの場合は、相手が反対するものである。“反対すれば罰を受けて不幸になる。しかし逆縁の功徳でいったんは地獄に堕ちても、かならずその罪が消えて信心にめざめて行に励み、幸福をつかむ”。こうした仏法の道理をふまえて、相手の幸福を願う行為が折伏弘教である。したがって、この折伏弘教を実践する姿は経文に明確に説かれているとおりである。それゆえ、誇りをもち、勇気をもってすすんでいきたいものである。
 御義口伝巻にいわく「此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり」(0766-第十三常不値仏不聞法不見僧の事-01)と。不軽菩薩を憎んで軽賤した上慢の四衆は、千劫の間、無間地獄という想像を絶する大苦悩を受けた。だが末法において、日蓮大聖人および弟子檀那を軽賤した場合は無数劫の間、無間地獄に堕ちるのである。ここに、不軽菩薩と日蓮大聖人の間には天地雲泥の相違があることを知るべきである。日蓮大聖人は、末法の御本仏である。不軽菩薩と大聖人とは、その弘教の法軌においては一致するが、仏としての力、資格はまったく問題にならないのである。
 「彼の不軽品は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」とは、修行の位が共に同じであることを示されている。すなわち、初随喜とは、法華経修行の最初の位であり、四信五品のうち最初の位を指している。法を信順して歓喜する意である。
 法華経分別功徳品には「又復、如来の滅後に、若し是の経を聞いて、毀訾せずして随喜の心を起さん。当に知るべし、已に深信解の根と為づく」とある。天台大師や妙楽大師はこの初随喜の位を六即位の相似即、勧行五品の初品、名字即の位に配立している。しかし、日蓮大聖人はこのうち名字即をもって仏意にかなう位とされている。四信五品抄に「予が意に云く、三釈の中名字即は経文に叶うか」(0339-05)と仰せられる。
 しかして、不軽菩薩の位が初随喜であることについては、法華文句巻十に次のようにある。すなわち「文に云く、専ら経典を読誦せずして但礼拝を行ずとは、此はこれ初随喜の人の位なり、一切の法は悉く安楽の性でありて皆一実相なることを随喜し、一切の人に皆三仏性があることを随喜す」と。
 日蓮大聖人は外用の面は凡夫即であり、名字即の位である。
 御義口伝巻にいわく「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり」(0766-第十三常不値仏不聞法不見僧の事-03)と。また三世諸仏総勘文教相廃立に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世・番番に出世・成道し」(0568-13)とある。五百塵点劫の当初とは久遠元初のことであり、久遠の本地をあらわすのである。その久遠元初に凡夫の位として、わが身が妙法蓮華経の当体であることを即座に開悟されたわけである。すなわち久遠元初の自受用報身と成じたのである。
 凡夫の位としては、名字即の位にほかならない。それでは、日蓮大聖人がなぜ凡夫の姿をとられたかというのに、まったく大聖人の仏法が民衆救済の仏法であり、不幸な人々を救いきる宗教であるからである。民衆の中に入って信心を教え、ともに成仏の道を歩まれようとされたのである。
 ところで、名字即とは、末法今時においては信心である。御義口伝にいわく「信の一字は名字即の位なり」(0760-第一其有衆生聞仏寿命長遠如是乃至能生一念信解所得功徳無有限量の事-01)と。名字即とは六即の第二であり、天台大師は「一切法是れ仏法なりと通達解了する」位と説いている。一切法とは、宇宙の森羅万象である。その一切法そのものが妙法の当体であると通達解了するその者の位が名字即にあたるわけである。通達解了とは、生命の覚知即信心であり、御本尊こそ、大宇宙の本源であり、その法力・功力は宇宙大であると信ずることである。すなわち、御本尊を唯一無二と信ずる、無疑曰信の信の一字が名字即であることは明瞭である。

0507:10~0507:18 第四章 末法の御本仏を明かすtop
10   疑つて云く何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、 答えて云く法華経に云く
11 「況んや滅度の後をや」又云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん」又云く「数数擯出
12 せられん」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「杖木瓦石をもつて 之を打擲す」又云く「悪魔・魔民・
13 諸天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得ん」等云云、此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣・四
14 衆の面目に引き向えたるに予よりの外には一人も之無し、 時を論ずれば末法の初め一定なり、 然る間若し日蓮無
15 くんば仏語は虚妄と成らん、 難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、 答えて云
16 く汝日蓮を蔑如するの重罪又 提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり、 我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来
17 の実語を顕さんが為なり、 然りと雖も日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん 汝日蓮
18 を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや。
-----―
 疑って言う、あなたを末法の初めの法華経の行者と決定することは、何をもって知ることができるのであるか。
 答えて言う、法華経には次のように説かれている。法師品には「釈尊在世でさえも怨嫉が多い。まして、滅後末法に法華経を持ち弘める者いは、それにもまさる怨嫉がおこるであろう」と。勧持品には「滅後末法に於いて法華経を弘める者には、多くの無智の人が、悪口をいい、ののしるなどし、さらに刀で切りつけ、杖で打つ者がいるであろう」と。
 同じく勘持品には「一度ならず二度まで法華経の行者は所を追われるであろう」と。また、安楽行品には「世間のあらゆる人は仏に怨嫉し、正法を信じようとしない」と。また不軽品には「法華経を説けば、増上慢の衆が、杖木や、瓦、石などでこの人を打ちたたき迫害する」と。また前に述べた薬王品にも「悪魔、魔民、諸天竜、夜叉、鳩槃茶等の魔や悪鬼がつけこんで、さまざまな災いをなすであろう」等と説かれている。
 これらの法華経の明鏡について、仏語を信じさせるために、日本国中の王と臣下および四衆の行為に当てはめてみるに、この経文に符合するものは日蓮よりほかに、一人も見当たらない。時を論ずるならば、末法の初めで、まさに「その時」にあたっており、それゆえ、もし日蓮が出なかったならば、仏語は虚妄となってしまうであろう。
 非難して言う、あなたは大慢の法師であって、その慢心ぶりは、大天に過ぎ、四禅比丘にも超ええいると思うが、どうであろうか。
 答えて言う、あなたがこの日蓮を軽蔑する重罪は提婆達多の犯した逆罪に過ぎ、無垢論師の罪にも超えている。わが言葉は、大慢に似ているように聞こえるかもしれないが、それは、仏の未来記をたすけ、如来の実語を顕わすためである。それゆえ、日本国中において、日蓮を除いてほかに、誰人を選びだして法華経の行者ということができようか。あなたはこの法華経の行者である日蓮を誹謗しようとして、仏の未来記を虚妄にするのである。これこそ、まさに大悪人ではないか。

法華経の行者
 法華経をその教説の通りに実践する人。日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」(284㌻など)「如説修行の行者」(501㌻)などと言われている。法華経には、釈尊滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対して、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)とあり、また勧持品第13には悪世末法に俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害が連続する御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。
―――
数数擯出せられん
 法華経勧持品第13に説かれる。釈尊滅後に法華経の行者を迫害する様相の一つ。度々、追放され流罪されること。「数数」とは、しばしばという意。同品には「濁世の悪比丘は|仏の方便|宜しきに随って説きたまう所の法を知らず|悪口して嚬蹙し|数数擯出せられ|塔寺を遠離せん」(法華経420㌻)とある。日蓮大聖人は、この経文通りに伊豆と佐渡へ流罪に遭われた。
―――
一切世間怨多くして信じ難し
 法華経安楽行品第14の文(法華経443㌻)。仏が法華経を説く時は、どのような世間でも敵対・反発が多く、信じることがなかなかできないとの意。
―――
杖木瓦石をもつて之を打擲す
 法華経常不軽菩薩品第20の文。威音王仏の像法時代に不軽菩薩が24文字の法華経を弘めた時、上慢の四衆が杖木瓦石などをもって迫害したことをいう。妙法尼御返事には「此は彼には似るべくもなし彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし・杖木瓦石はありしかども疵をかほり頚までには及ばず、是は悪口杖木は二十余年が間・ひまなし疵をかほり流罪・頚に及ぶ」1416-01とある。
―――
明鏡
 磨かれて曇りのない鏡。まだ磨かれていないで曇っている闇鏡に対する語。真実をありのままに映し出しているもの。仏の覚りの真実を直ちに説いた法華経の一念三千の法門は、人々が成仏のために用いるべき明鏡とされる。
―――
仏語
 仏の言葉。真実であることを意味している。
―――
王臣
 国王・為政者・権力者・大臣・部下等。
―――
四衆
 比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。
―――
妄語
 虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
―――
大天
 サンスクリットのマハーデーヴァの訳。釈尊滅後200年(一説に100年)ごろの僧。彼が阿羅漢にも煩悩が起こるなどといった阿羅漢を低く見る説(五事)を唱えたことで、激しい論争が起こり、それにより仏教教団が大きく二つに分裂したと伝えられる。ただし仏教教団の大分裂(根本分裂)は、一説によると、律に関わる見解の相違が起こったことを機にヴァイシャーリーで行われたと伝えられる、第2結集の頃に起こったと考えられている。
―――
四禅比丘
 善星比丘のこと。釈尊存命中の出家者の一人。一説に釈尊の出家以前の子とされる。出家して仏道修行に励み、欲界の煩悩を断じて、四禅を得たので四禅比丘という。後に釈尊の教えを誹謗し、無間地獄に生まれたとされる。
―――
提婆達多
 サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
―――
無垢論師
 無垢は、サンスクリットのヴィマラミトラを漢訳した無垢友の略。5,6世紀ごろのインドの論師。部派の説一切有部に属した。世親(ヴァスバンドゥ)の『俱舎論』に論破された衆賢の教義を再興し、大乗の名を絶やして世親の名声を滅ぼそうと誓いを立てた。しかし道半ばで狂乱し、舌が五つに裂け、熱血を流して後悔しながら無間地獄に堕ちたという。
―――――――――
 日蓮大聖人こそ、末法に出現した御本仏であることを明かされたところである。
 初めに、なぜ大聖人が末法の法華経の行者であるのかとの問いに対し、法華経の文を引用され、もし日蓮大聖人が御本仏として末法に出現しなかったならば、法華経にある仏語がすべて虚妄になることを厳然と言いきったところである。そのためさらに、こうしたことを述べるのは大慢の法師ではないかという問いに対して、言葉としては大慢の法師に似てはいるが、実際に仏記を扶け、仏語をあらわそうとしている今日にいたっているのである。それならばこの日本国に日蓮を除いて他の誰が法華経の行者であるというのだろうか、他に見あたらないではないか。故に仏語をそのまま行じている日蓮を謗るならば、仏記を虚妄にする大悪人となるであろうと、批判に答えられ、御自身が御本仏であることを示唆しておられる。
此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣・四衆の面目に引き向えたるに予よりの外には一人も之無し、時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん
 もし、日蓮大聖人の出現がなければ仏語は虚妄となるとの大確信である。釈尊の法華経はことごとく日蓮大聖人の予言書であり、証明の書にほかならない。二千余年にわたり、大河の流れのごとく西より東に向かった仏法は、ここに日蓮大聖人の大仏法の大海に注がれたのである。開目抄にいわく「いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば 我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天・善神等の此の国をすてて去り給えるか・かたがた疑はし、而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし」(0202-09)と。
 そしてさらに「今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は 妄語となりぬ」(0202-13)と仰せられている。
 また法華取要抄にいわく「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」等云云」(0333-16)とも仰せられている。
 思うに日蓮大聖人は、三大秘法の御本尊を建立されて、広宣流布の基盤を築かれた。そして、化儀の広宣流布を未来の弟子に託されたのである。
 この予言を虚妄とすることなく、創価学会は滅後700年の今日、大聖人の正意を継承し、折伏行に邁進しているのである。
日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり
 大聖人を末法の法華経の行者、即御本仏であると認めず、大聖人を軽蔑する者に対して、答えられた言葉である。ゆえに門下の立場でこの文を拝するならば、日蓮大聖人を末法の御本仏を拝さない者に対して、その迷妄を破した箇所である。「仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり」との言は、まさに仏の未来記を虚妄とせず、末法出現の御本仏であるとの大確信に立ったものである。
 戸田前会長はこの文について「この御文意、じつに壮絶で浄光輝き、世に獅子吼とは真にこのことであろうか。この声にひとたびひびいて百獣おののく(中略)すなわち大聖人は、末法の御本仏としての御内証に立って、大聖人を法華経の行者にあらずという者を大声叱咤したのである」と述べている。
 開目抄に「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」(0223-16)と述べているように、大聖人の凡夫の身は、そのまま久遠元初の自受用身と顕わたのである。

0508:01~0508:10 第五章 月氏・漢土に仏法なきを明かすtop
0508
01   疑つて云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、 答えて云く
02 四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや、 疑つて云く何を以て汝之を知る、 答えて云く月は西より
03 出でて東を照し 日は東より出でて西を照す 仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に
04 往く、 妙楽大師の云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや」等云云、天竺に仏法無き証文なり漢土に
05 於て高宗皇帝の時 北狄東京を領して今に 一百五十余年仏法王法共に尽き了んぬ、 漢土の大蔵の中に小乗経は一
06 向之れ無く 大乗経は多分之を失す、 日本より寂照等 少少之を渡す 然りと雖も伝持の人無れば 猶木石の衣鉢
07 を帯持せるが如し、 故に遵式の云く「始西より伝う猶月の生ずるが如し 今復東より返る 猶日の昇るが如し」等
08 云云、 此等の釈の如くんば天竺漢土に於て 仏法を失せること勿論なり、 問うて云く月氏漢土に於て仏法無きこ
09 とは之を知れり、 東西北の三洲に仏法無き事は何を以て之を知る、 答えて云く 法華経の第八に云く「如来の滅
10 後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、 内の字は三洲を嫌う文なり、
-----―
 疑って言う、確かに釈尊の法華経の予言はあなたにあてはまっている。ただし、日本のみならず、インドや中国に法華経の行者がるのではなかろうか。
 答えて言う、全世界に二つの日があるわけがない。一国にどうして二人の国主がいようか。いるわけがないではないか。同じく法華経の行者は一人のみである。
 疑って言う、何を根拠として、あなたはこのことがわかるのか。
 答えて言う、月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまたこの大宇宙の法則どおりである。正法ならびに像法時代には、仏法は西のインドから、中国、朝鮮、日本へと次第に東へ伝わり、末法においては、南無妙法蓮華経の大仏法が東のこの日本から、西へと流布してゆくのである。
 妙楽大師は、法華文句記の巻十に「これは仏法の中心地たるインドでは仏法を失って、これを四方に求めていることではないか」と、述べている。これはインドに仏法がないという証文である。また中国においては、宋の高宗皇帝の時に、金が東京開封府を占領してから現在にいたるまで、百五十余年の歳月を経過し、すでに仏法も王法も共に滅んでしまった。中国における大蔵経の中には小乗教はまったくなくなっており、大乗経もそのほとんどを失ってしまった。
 その後、日本の国から中国へ天台僧の寂照等が少々経文を渡した。しかしながら、中国においては仏法を持ち、伝えていく人がいないので、それはちょうど木石の像が衣を着、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない。故に遵式は天竺別集に次のようにのべている。「始め、釈尊の仏法が西から伝わってきたのは、ちょうど月が西から東へと移っていくようなものであった。今、再び東の日本から仏法が返ってきた、これはちょうど太陽が東から昇るようなものである」等と。この妙楽大師や遵式の釈のとおりならば、インドや中国においては、すでに仏法を失ってしまったというのが明確である。
 問うて言う、インド、中国に、仏法がないことはよくわかった。では南閻浮提以外の三洲に仏法がないということは、どうしてわかるのか。
 答えて言う、法華経の八の巻、勘発品第二十八に「如来の滅後において、法華経を南閻浮提の内に広宣流布して、永久に断絶させないようにするでありましょう」と説かれている。この経文にある「内」の字は、東の弗婆提、西の瞿耶尼、北の欝単越の三洲を除くという文証である。

五天竺
 天竺とはインドの古称。東天竺・西天竺・南天竺・北天竺・中天竺の五つをいう。
―――
漢土
 漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中
―――
四天下
 須弥山を中心とした東西南北の四大洲すべてのこと。
―――
四海
 古代インドの世界観では、世界の中心に須弥山がそびえ、その周囲の東西南北の四方に諸天(天界の各層)があり、またその麓に海が広がり、その四方にそれぞれ大陸があるとする。このことから、「一四天・四海」とはこの世界のすべてを意味する。
―――
豈中国に
 中国とはインドのこと。仏教の中心地の意味でこういう。
―――
四維
 四方。周囲のこと。
―――
高宗皇帝
 (1107~1187)高宗は栄の第十の皇帝である。都を臨安に移し、勤王の兵をつのって王威の回復に努めたがふるわず、大陸の南隅を保っていたのみで没した。高栄は南京で即位し、次々と金人に追われていたが、これ以後を南栄といい、のち蒙古が復興して金を滅ぼし、また南栄も滅ぼしてしまった。南栄が滅びたのはこれより約100年後である。
―――
北狄
 中国北方の民族。狄とは犬を飼い狩猟を行うこと。
―――
東京
 中国・栄の首都。
―――
大蔵
 大蔵経のこと。経・律・論を総称した仏教経典の総称。
―――
寂照
 応和2年(962年)頃~ 長元7年(1034)。平安時代中期の天台宗の僧・文人。参議大江斉光の子。俗名は大江定基。寂昭・三河入道・三河聖・円通大師とも称される。長保5年(1003)宋に渡海し、蘇州の僧録司に任じられ真宗から紫衣と円通大師の号を賜った。また、天台山知礼から源信の天台宗疑問27条への回答とその解釈をえた。日本へ帰国しようとしたが、三司使の丁謂の要請により、蘇州呉門寺にとどまった。その後、日本に帰国する事がないまま杭州で没した。
―――
遵式
 (0964~1032)。中国・宋代の天台宗の僧。寧海(浙江省台州府)の人。 姓は葉氏。字は知白。慈雲懺主、霊応尊者ともいう。はじめ禅を学んだが、20歳の時、禅林寺で具足戒を受け、宝雲について天台学を学び,28歳の時、法華・維摩・涅槃・金光明の四経を講説した。また天台学を宣揚して天台宗の章疏を大蔵経に入れさせた。著書には「大乗止観釈要」四巻、「往生淨土懺願儀」、「金園集」三巻、「天竺別集」三巻などがある。
―――
月氏
 中国・日本などで用いられたインドの古称。月支とも書く。仏教では伝統的に「がっし」と読み習わすが、現代では「げっし」と読む。月氏は、もともとは紀元前後数百年、東アジア・中央アジアで活躍していた遊牧民族の名とされる。この月氏が、後に匈奴に追われ、中央アジアに進出し、ガンダーラ地方を中心にして大月氏国を築いた。特に2世紀のクシャーナ朝のカニシカ王以後、大乗仏教が盛んとなり、この地を経てインドの仏教が中国へ伝えられたことから、中国ではインド全体に対しても月氏と呼んでいた。
―――
東西北の三洲
 一閻浮提のうちで、南閻浮提を除いた三州。東弗波提、西瞿耶尼、北鬱単越のこと。
―――――――――
 この章では、インドにはもはや仏法はなく、中国には大乗経だけがわずかに残っているが、それらも形骸を残すのみで、すでにそれを伝持する人がいない、ということを述べられている。すなわち、次の第六章で、末法には日蓮大聖人の大仏法が日本から全世界へと弘まっていくことが明かされるが、この章はその伏線となっているのである。
仏法も又以て是の如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く
 釈尊は大集経において、末法の時を予言して次のように定めている。
   第一の五百歳───解脱堅固───┬正法千年
   第二の五百歳───禅定堅固───┘
   第三の五百歳───読誦多聞堅固─┬像法千年
   第四の五百歳───多造塔寺堅固─┘
   第五の五百歳───闘諍堅固────末法の始め
 なお、各経典によって正像末の年次が異なるがここでは、大集経にしたがって、インド、中国、日本の三国における仏法流布の歴史をあてはめてみると、以下のようになる。
 第一の解脱堅固の時とは、釈尊滅後五百年において、衆生が小乗教を修し、戒律をたもって解脱を求めた時代である。この時代には、付法蔵の二十四人のうち、摩訶迦葉から付法蔵の第十の富那奢までが小乗教を弘また。また四回にわたる経典の結集が行われ、阿闍世王、阿育王、迦弐志加王などの守護のもとに、仏法は大いに興隆したのである。
 次に正法千年のうち、後半の五百年間は、権大乗経が弘められ、衆生は大乗を修して深く三味に入り、心を静めて思惟の行を行った。この時代には、付法蔵第十一の馬鳴から二十四の師子尊者にいたるまで、大乗経を弘めたのである。その中で、特に小乗を破して大乗を宣揚した論師としては、馬鳴、竜樹、無著、天親などが有名である。
 次の像法時代に入ると、後漢の明帝の永平10年(0067)に、仏教はインドから中国に伝えられた。これをきっかけとして、読誦多聞堅固の名の示すとおり、経典の翻釈事業や講説、解釈などがひんぱんに行われた。経典の翻釈で特筆すべきは、法華経の名訳で知られる鳩摩羅什である。またこの時代の終りころ、天台大師は、南岳大師に師事して法華経の深義を悟り、後に有名な法華文句、法華玄義、摩訶止観の法華三大部を講述して、天台教学を打ち立てた。
 像法時代の後半の五百年に入ると、玄奘がインドから経典を持ち帰って翻釈した。これを新訳という。以後、法相宗、三論宗、華厳宗、真言宗が中国全土に広まり、多数の寺塔が建立された。したがって、表面上は仏法が大いに興隆しているように見えたが、事実は仏法の堕落であり、次第に混迷の度を濃くしていった。
 このころになると、仏法の中心は日本に移っていった。西歴0552年、欽明天皇の時代に、百済から仏教が伝来した。聖徳太子は仏教を鎮護国家の法と定めた。以後、寺塔や仏像が盛んに建立された。またこの時代に来日した鑑真は戒壇を建立し、桓武天皇の代には伝教大師が南都六宗の諸義を破り、西歴0827年、遺弟によって叡山に戒壇が建立されたのである。
 だが、仏滅後二千年が過ぎて末法に入ると「闘諍言訟・白法隠没」の予言どおり、釈尊の仏法の実義は失われ、ただ形骸を残すのみとなってしまった。衆生は、法華経二十八品をもってしても救済することのできない、本末有善の衆生であり、ついに釈尊の仏法の命脈は尽きてしまったのである。もはや末法の時代に相応した仏法を、インド、中国に求めようとしても、見い出すことはできない。この時に末法適時の大仏法である日蓮大聖人の三大秘法が、この東土の日本から東洋さらに世界へと流布していくのである。
 つぎに「月は西より出でて東を照し」とは、釈尊の仏法を月に譬え、「日は東より出でて西を照す」とは、日蓮大聖人の大仏法を太陽に譬えられている。
 それは太陽の仏法が、仏法の真髄であり、仏法の究極であるからである。あえて現代風にみてみると、太陽が自らの熱核反応によって、莫大な光と熱を発しているように、大聖人の仏法は、民衆、社会、宇宙に、その生命力と法則性を及ぼしている本源なのである。これに対し、釈尊の仏法は、大聖人の仏法、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経の光と熱を受けて反射する月のような存在であり、釈尊一代の教え、さらには竜樹・天親・天台・伝教等の教えは、この三大秘法の仏法の反映に他ならないのである。
 また「月は西より出で」というのは、月の視運動、即ち月の見かけの空間運動のことで、月を同一時刻で観察すると、月が第一日は西の空から輝き始める、次の日は、やや東寄りの空から、さらにその次の日は、またさらに東寄りの空から輝き始めることをいう。それは、太陽の視運動が、一日のうち東の空から出て西へ移り、沈むといったものとは異なるわけである。
 その姿は、釈尊の仏法がインドから中国、朝鮮、日本へと移ってきた中に、見事に示されている。インドに流布し終わって、中国に伝えられ、中国で興隆したときには、すでにインドの仏教は凋落していた。同様にして、中国から朝鮮を経て日本に流布したときにも、中国における仏教の勢威は、衰えていったのである。
 今、日蓮大聖人の仏法は、太陽のごとき仏法であり、日本に興り、世界へ流布するとともに、末法万年尽未来際、すなわち末法永遠にわたって、衰滅することなく輝きわたっていくのである。
 日蓮大聖人御在世から現代にいたるまで、700年の歳月が流れた。現在この化儀の広布のときを迎えるまで、思えば、民衆にとっては長い苦悩の闇であった。だが、そうした長い期間は、実は、末法万年の広宣流布の盤石の基礎をつちかうための準備期間であったとうけとめたいものである。
 今日、時を迎えて化儀の広布の幕は切って落とされた。まさに、700年間、否、仏教3000年の歴史の上から、一貫して希求されてきた、最も光輝ある時代が到来したのである。この時に生まれ合わせ、この偉大なる事業に参加した身の福運を感ずるならば、誰人といえども、不自惜身命の実践をせずにはいられないであろう。
東洋文明と西洋文明
 末法の大白法が東の日本から、西の中国、インドへと流布していくことを仏法西還という。これは仏法東漸に対する言葉である。だが、元意は、たんに日本から、中国、インドへと還って、そこで終わりになるのではなく、世界に流布することをいうのである。
 近代における西洋文明の台頭、そして近代に入ってからのヨーロッパ人による世界の植民地化という、西洋優位の波のなかにあって、とかく、文明といえば、西洋のそれ以外にないかのような考え方がなされがちであるが、これは、大いなる誤りであるといわなければならない。
 少なくとも、有史以来の幾多の分明の生成、発展、推移をかえりみるならば、創造的で、人間生命にかかわる偉大な文明の光は、東洋からあらわれ、西洋を照らしてきたともいうべきであろう。
 農業に始まる最初の文明の発祥の地は、エジプト、メソポタミア、インド、中国の黄河流域の四つが挙げられる。これは、いずれも、今日、AA諸国と呼ばれる地域であり、現在、先進地域とされているヨーロッパ、アメリカは、当時、全くの未開地であった。
 このエジプト、メソポタミア、それにインドの文明の恩恵を受けながら、西洋文明が成長を始めた。それがギリシャ文明である。これは、母親の乳を呑みながら育つ子供に似ている。
 ギリシャ人はペルシャの大軍を破って、西洋文明の最初の興隆の波をつくった。ギリシャの後継であるローマは三次にわたるポエニ戦役など幾多の戦争で、地中海世界における武力的勝利を勝ちとった。しかし、武力による勝利は、文明の勝利に直結するものではない。
 ローマの中にはペルシャのミトラ信仰、エジプトのオシリス・イシス信仰など、東洋的精神文明が流入し、浸透していった。政治体制それ自体も、アジア的な帝政に変わってしまった。最後にローマに流布したのは、ユダヤ教の流れを汲むキリスト教である。
 ヨーロッパの二本の柱として、ギリシャに発するヘレニズムと、キリスト教のヘブライズムとがあげられるが、このローマ末期から中世末に至る約千年はヘブライズムがヨーロッパを支配した時代なのである。
 近世のはじまりもまた、東洋からの光によってもたらされた。十字軍の遠征によるサラセン文明との接触により、ヨーロッパ以外の世界に対する眼が開かれ、サラセン人によって保存され、研究され伝えられてきたギリシャの文化が、ヨーロッパに流入して盛んに研究されるようになったのである。
 以来、ルネッサンス、宗教改革、市民革命、地理的発見時代、産業革命と、各方面における飛躍的な発展がなされ、ヨーロッパ人の世界征服、西洋文明優位への時代へと入っていく。しかし19世紀末ごろから、すでに、西洋文明の合理主義、主知主義的思想のみには飽き足りない人々は、東洋の思想、哲学を求めるようになってきた。ニーチェ、ショーペンハウアー等がそれであるが、この風潮は、西洋文明の帰結である物質文明の増長にしたがって、ますます強くなっている。
 かって、西洋文明が東洋文明を母胎として生育したように、いま、行き詰まりの壁に直面した西洋文明は、ふたたび、その新しい生命力の源泉を母なる東洋文明に求めているといえないだろうか。
 いうまでもなく、東洋文明の最高峰であり、その真髄をなすものは仏教である。しかして、その本体は、三大秘法の南無妙法蓮華経である。
 西洋の物質文明のもとにあって、その人間疎外、生命軽視の風潮に対し、三大秘法の仏法による真の人間解放と、人間の主体性の確立を求めるに至ったことは、むしろ時代の趨勢とゆうべきであろう。
令法久住について
 「令法久住」とは「法をして久しく住せしめん」と読み、末法今時においては三大秘法の御本尊を永遠に守り、弘宣していくことをいう。
 宝塔品には「又我が分身、無量の諸仏、恒沙等の如く、来れるは法を聴き、及び滅度の、多宝如来を見たてまつらんと欲して、各妙土、及び弟子衆、天人竜神、諸の供養の事を捨てて、法をして久しく住せしめんが故に此に来至したまえり」とある。
 この文について、日蓮大聖人は開目抄に「夫れ法華経の宝塔品を拝見するに釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ『令法久住・故来至此』等云云、三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたるを」(0236-16)と述べられている。すなわち、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が法華経の会座に来集したのは、ひとえに令法久住のためであると仰せである。
 日蓮大聖人の生涯は、われらの想像を越える苦難の連続であった。すなわち、文応元年(1260)8月27日の松葉谷の法難、翌弘長元年(1261)5月12日伊豆流罪、文永元年(1264)11月11日の小松原の法難、文永8年(1271)9月12日の竜の口法難、続いて佐渡流罪等々、三類の強敵は大聖人に容赦なく襲いかかったのである。
 開目抄にいわく「法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし」(0202-11)と。
 日蓮大聖人は権力に屈することなく「立正安国論」「十一通の書状」等をもって諌暁され、弘安2年(1279)10月12日には、人類永遠の繁栄と平和の基である一閻浮提総与の御本尊を建立されたのである。
 このように、日蓮大聖人の一生は、末法万年にわたって一切衆生を救済するための、死身弘法の生涯であり、その行住坐臥が、令法久住を願う慈悲の振舞いであった。
 報恩抄にいわく「日蓮が慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(0329-03)と。
 日蓮大聖人から、令法久住の精神を正しく受け継ぎ、本門戒壇の御本尊を奉持したのは、日興上人である。日興上人は、身に影の添うがごとく、20年間にわたって日蓮大聖人に常随給仕し、流罪先の伊東や佐渡へもお供をしたのである。また熱原の法難に際しては、大聖人の御心を体して、獅子奮迅の戦いを展開されたのであった。
 一方、他の五老僧は、大聖人が入滅されると、時の権力者からの圧力を免れるため天台沙門と名乗って師の法門を破ったため、日興上人はただ一人、正義を守って戦われた。このことは「五人所破抄」「富士一跡門徒存知の事」等に明らかである。
 やがて日興上人は、地頭波木井実長によって謗法の山と化した身延を離山され、また、「二十六か条の遺誡置文」を遺され、末法万年、未来永遠にわたって、弟子檀那に対して信心のあり方を教示されたのである。日興遺誡置文にいわく「後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり」(1617-03)またいわく「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(1618-06)と。
 また、創価学会の今日の戦いも、まさに令法久住のための活動にほかならない。そして、いかなる困難に直面しようとも、日蓮大聖人の正法正義を厳護していくことが、創価学会の根本精神である。牧口初代会長は、当時の国家権力に対して、厳然として諌暁の姿勢に立たれて獄中でその生涯を閉じた。また、戸田前会長は、第二次大戦による荒廃の真っただ中に、不死鳥のごとく立ち上がり、七十五万世帯の折伏を達成し、妙法流布のレールを敷いた。こうした令法久住の精神を根幹に創価学会の中に生ききり、広布への責任感に立って、仏道修行に励んでいきたいものである。

0508:10~0509:02 第六章 御本仏の未来記を明かすtop
10                                               問うて曰く仏
11 記既に此くの如し汝が未来記如何、 答えて曰く 仏記に順じて之を勘うるに 既に後五百歳の始に相当れり 仏法
12 必ず東土の日本より出づべきなり、 其の前相 必ず正像に超過せる天変地夭之れ有るか、 所謂仏生の時・転法輪
13 の時・入涅槃の時吉瑞・凶瑞共に前後に絶えたる大瑞なり、 仏は此れ聖人の本なり 経経の文を見るに仏の御誕生
14 の時は五色の光気・四方に遍くして夜も昼の如し 仏御入滅の時には十二の白虹・南北に亘り大日輪光り無くして闇
15 夜の如くなりし、其の後正像二千年の間・内外の聖人・生滅有れども此の大瑞には如かず、 而るに去ぬる正嘉年中
16 より今年に至るまで或は大地震・或は大天変・宛かも仏陀の生滅の時の如し、 当に知るべし仏の如き聖人生れたま
17 わんか、大虚に亘つて大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん、 当瑞大地を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て
18 之に課せん、 当に知るべし通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし 惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり、 天台云く
0509
01 「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云、 妙楽の云く「智人は起を知り蛇
02 は自ら蛇を識る」等云云、
-----―
 問うて言う、釈尊の未来記があなたの身の上にあてはまることはよくわかった。それではあなたの未来記はどうなっているのか。
 答えて言う、釈尊の未来記にしたがってこれを考えてみるに、今はすでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに相当している。末法の真の仏法は、必ず東土の日本から出現するはずである。ゆえに、その前相として、必ずや正法・像法時代に超えた天変地夭があるだろう。いわゆる釈迦仏の誕生の時、仏が法を説いた時、また仏の入滅の時に起こった瑞相には、吉相も凶相も共に、前後の時代に比べるべきものがないほどの大瑞であった。仏は聖人の本である。経文を見ると、釈尊が誕生した時の有様は、五色の光が四方を照らして、夜も昼のように明るかったと説かれている。また、釈尊が入滅の時には、十二の白い虹が南北にわたって現われ太陽は光をなくしてしまって、闇夜のようになったと説かれている。
 その後、正法・像法二千年の間に内道・外道の多くの聖人が出現し、滅していったけれども、この釈尊の時のような大瑞にはとうていおやばなかった。
 しかるに、去る正嘉年中から今年に至るまでの間に、あるいは大地震が起こり、あるいは大天変があって、これらは、あたかも釈尊の生滅の時の瑞相のようである。釈尊のような聖人が生まれてきていることをまさに知るべきである。大空には、大彗星が出現した。だがいったいどのような王臣が、この瑞相に対応するのであろうか。また大地を傾動して、三度も振裂したほど激しいものであった。だが、どのような聖人・賢人の出現をもって、この瑞相に当てることができるのだろうか。これらの大瑞は、一般世間における普通の吉凶の大瑞ではない。これはひとえに、大仏法が興隆し、釈尊の仏法が廃れるという大瑞であることをまさに知るべきである。
 天台大師は、法華文句の巻九に次のように述べている。「雨のはげしさを見て、雨を降らせている竜の大きさを知ることができる。また蓮華の盛んなのを見て、その池の深さを知ることができる」と。妙楽大師は、法華文句記に釈して「智人は事の起こる由来を知り、蛇は自ら蛇を知っている」と述べている。

前相
 前ぶれ。
―――
天変地夭
 天空に起こる異変。暴風雨・日蝕・月蝕等と地上に起こる異変。風水害・地震等。
―――
仏生
 仏が生まれるとき。
―――
転法輪
 法輪を転ずるの意で、仏が教法を説くこと。説法。法華文句巻五上には「仏の心中の化他の法を転じて他心に度入するを転法輪と名づく」とある。
―――
入涅槃
 仏が入滅するとき。
―――
吉瑞
 よいことが起こる瑞相。
―――
凶瑞
 悪いことが起こる瑞相。
―――
五色の光気
 釈尊降誕の瑞相のひとつ。
―――
十二の白虹
 釈尊入滅の瑞相のひとつ。
―――
内外の聖人
 内道と外道の聖人のこと。聖人とは智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
―――
彗星
 尾を長く引く見かけから、ほうき星とも呼ばれる。ほうきがすべてを掃き出すように、旧来のものが一掃されるような大変革が起こる予兆とされた。日蓮大聖人は文永元年(1264年)に出現した大彗星を大きな変化の予兆とみなされた。
―――
雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る
 天台大師の法華文句巻9の文。「雨のはげしさを見て、雨を降らせている竜の大きさを知ることができる。また蓮華の盛んなのを見て、その池の深さを知ることができる」ということ。
―――
智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る
 天台大師の法華文句を、さらに妙楽大師が釈した文。 「智人は事の起こる由来を知り、蛇は自ら蛇を知っている」ということ。
―――――――――
 この章は御本仏日蓮大聖人の未来記を明かされたところである。
 末法において日蓮大聖人の仏法が、かならず東土の日本より出現して、東洋へ、世界へ広宣流布していくことを予言され、その証拠として、現実の証拠としてインドの釈尊の降誕、そして入滅の瑞相を引き、さらに大聖人当時の天変地夭を挙げて、これこそ大法興廃の大瑞であると明言されたわけである。
仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり
 本抄のはじめに薬王品の文を引き「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」と、釈尊が末法においてかならず正法が広宣流布することを予言している。
 それに対し、この文は、日蓮大聖人が末法のために予言なされた大聖人の未来記の文である。末法において正法がかならず東土の日本から興り、朝鮮、中国、インドはもとより、世界に流布することは間違いないと御本仏の確信を述べられた文である。
 天台大師、妙楽大師、伝教大師にも未来記の言葉はあった。撰時抄に明らかなように「未来記の言はありや」との問いに対して、天台大師は法華文句に「後の五百歳遠く妙道に沾わん」と末法に妙法が流布することを示唆し、妙楽大師は法華文句記に「末法の初め冥利無きにあらず」と、末法の初めに下種の大利益を得ることを願っており、伝教大師も守護国界章上に「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」と、末法の来ることを恋い慕った。
 こうした願望に対して日蓮大聖人は「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」と御自身の未来記を明かされたのである。
 すなわち、東国の辺土ともいわれたこの日本の地から、あたかも「日は東より出でて西を照らす」ように、大仏法が興隆し、東洋へ、世界へと流布することを予言された御文である。
 いま、時を迎えて、この大聖人の予言は真実性のあることが証明されつつある。ひるがえって、20世紀初頭まで、広宣流布など、夢のような話であった。まして13世紀において、御自身の命もおぼつかない状況の中で、広宣流布を断言されている大聖人の言葉は、なんと偉大な予言ではなかろうか。御本仏なればこその確信であり、一切を見通された上での言葉と拝する以外にないのである。
瑞相について
 瑞相の瑞とは、昔、中国において、天子が諸侯を各地に封ずるとき、その符節として下賜した圭玉をいったが、これが転じて、めでたい微を瑞相というようになった。後に、さらに転じて、兆し、前相を意味するようになったのである。
 何事にせよ、ある事象の起こるときには、かならずそれを必然ならしめる、現象界の変化があらわれるものである。無から有が生じないように、ある事態が生ずるためには、その条件が整えられなければならない。
 たとえば、一点の雲もない青空から、突如として雨が降るなどということはあり得ないであろう。そこにはかならず気圧の変化、雲の出現等がある。人々は、それを見て、雨が近いことを知る。雨がふるという事象に対して、気圧の変化、湿気、雲の出現等は前相である。
 自然現象に限らず、人間社会の場合も、社会的変動が起こるときには、それなりの前相というものがあるのである。一般の人には分からなくとも、専門的に社会現象を分析している人や透徹した知性の眼でみれば、明らかに知覚することができる場合がある。
 ところで、いま、この御抄で示されているような、仏法でいう瑞相は、これらの気象上の現象や社会現象とは、大きい相違がある。上にあげた例は、起こるべき事象が気象上の現象であるならば、その前相も、やはり気象上の現象である。そこには、気象の科学によって裏づけられた明白な因果関係がある。したがって、それについて疑義をはさむ人はいない。社会現象の場合もまた、社会科学によって裏打ちされているわけであるから疑問の余地を残さない。
 しかし、仏法でいう瑞相、前相は、本抄で示されているように、起こるべき事象が仏の出現という、人間社会の出来事でありながら、その前相である天変地夭は、自然現象であるところにこの両者の間の因果関係が、現代科学では解明できないゆえに、仏法の瑞相論の理解を困難にしている淵源がある。
 それでは、人間社会と自然界とは、それぞれ独立した無関係な存在なのであろうか。今日の、あたかも人間と自然との関係を切り離して一定の数値や記号で抽象化し普遍化して、ある法則性なり仮説なりを組み立てていくといった方法が、これまでの科学的思考である。だが、こうした思考法の基本にあって、学問は分化し専門家の道をたどってきている。そうした事情に対して科学界においても、総合的なものごとを考えてみるといった総合化の試みがなされるようになってきている。
 ところで仏法では、人間と環境、人間社会と自然現象の一体性を説いてきている。依正不二の原理がそれであり、正報とは果報の主体、依報とは、この正報の所依、すなわち自己主体に対して、それをとりまく環境の一切である。
 一念三千の法門の中で、三世間のうち、五陰世間とはわが生命、衆生世間とは社会、そして国土世間とは、この生命の住する自然環境をいう。この三種が、わが生命の一念に収まっていることを一念三千というのである。気象学の眼をもってみれば、雨が降り、雪が降ることを、前相によって予知できるのと同じく、この仏法の眼をもって見るならば、自然現象の大きな変化をみて、人間社会の事象を予知することは何ら不思議ではなくなってくるのである。
 そこには自然と人間、とりわけ生命そのものを洞察した仏法の道理があり、その道理を示すところを、仏は説いているのである。
仏の如き聖人生まれたまわんか
 これは、日蓮大聖人が、御自身のことを仰せられた御文である。「仏の如き聖人」と言葉は和らげておられるが、御自身が末法の御本仏であることを厳然と示されている。
 初めに、釈迦仏の生滅の瑞相を挙げ、正像二千年の間、内外の聖人の生滅の時の瑞相がこれに及ぶべくもないことを述べ、ついで末法今時の瑞相は、まさに仏の生滅以上の大瑞であるといわれ、このように「仏の如き聖人」云云と仰せられたのである。
 ここに大聖人出世の時の瑞相が、「宛かも仏陀の生滅の時の如し」といわれているが、釈尊の瑞相よりはるかに大瑞であることは、文によって明白である。ここに仰せられた一連の御文を拝するなら、日蓮大聖人こそ、末法の御本仏であるとの宣言された元意が汲みとれるではないか。
 しかも、その後に「惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり」といわれ、日蓮大聖人の三大秘法の大法興ることを明言されているのである。すでに、釈尊の仏法を月に、大聖人の仏法を太陽に譬え、その勝劣を明かし、さらにここで瑞相論の立場から、大聖人が末法の御本仏であり、今、日本に釈尊の仏法に代わって、それに勝る大白法が勃興することを告げられているのである。

0509:02~0509:12 第七章 妙法流布の方軌を示すtop
02              日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既
03 に死罪に及ばんとす 今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、 世の人疑い有らば 委細の事は弟子に之を問え、
04 幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを 悦ばしいかな 未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、
05 願くは 我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、 我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等に
06 は未だ死せざる已前に此の大善を進めん、 但し今夢の如く宝塔品の心を得たり、此の経に云く「若し須弥を接つて
07 他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為難しとせず 乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん 是
08 れ則ち為難し」等云云、 伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり 浅きを去つて深きに就くは丈
09 夫の心なり、 天台大師は釈迦に信順し 法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて
10 日本に弘通す」等云云、 安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す 三に一を加えて三国四師
11 と号く、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
12   文永十年太歳癸酉後五月十一日              桑門日蓮之を記す
-----―
 日蓮はこの道理を覚知して、すでに21年になる。そのために日ごとに災いを受け、月ごとに難をこうむってきた。とくにこの二・三年の間の難は大きく、すでに死罪にまで及ぼうとした。今年また今月は、万が一にも助からない生命である。世の人々はもし私のいうことについて疑いがあるならば、詳しいことは弟子に問われるがよい。
 生涯のうちに無始以来の謗法の罪業を消滅できるとは、なんと幸福なことであろうか。また、いままでに、見聞できなかった教主釈尊にお仕え申しあげられるとは、なんと悦ばしいことであろうか。私はこのような大利益を得たのであるから、願わくは私を害した国主等を先ず最初に化導しよう。私を助ける弟子等のことを釈尊に申し上げよう。また私を生んでくださった父母には、死なないうちにこの南無妙法蓮華経の大善をおすすめしよう。この数々の大難によって、今、夢のように、宝塔品の要である六難九易の文意を証得することができた。
 宝塔品には、つぎのように説かれている。「もし須弥山をつかんで、他方の無数の仏土に投げようとも、それはむずかしいことはしない。乃至、もし仏の滅度の後、悪世末法においてよくこの法華経を説くということはこれこそ非常にむずかしい」等と。
 伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅い爾前権教につくことはやさしいが、深い法華経を持つことはむずかしいというのは釈尊の教判である。しかし浅い小乗を捨てて、深い大法につくことこそ、丈夫の心である。この教えにしたがって天台大師は釈尊に信順し、法華宗を助けて中国に法華経を宣揚した。叡山の一家は天台大師の法を承けて法華宗を日本に弘流した」と。
 安房の国の日蓮は、おそらくは、釈尊、天台大師、伝教大師の三師に相承し、法華宗を助けて、末法に南無妙法蓮華経を流通するのである。ゆえに釈尊、天台大師、伝教大師の三師に日蓮を加えて三国四師と名づけるのである。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
   文永十年太歳癸酉後五月十一日              桑門日蓮之を記す

無始の謗法
 久遠元初以来正法を信じないで誹謗してきたこと。
―――
教主釈尊
 ①御書中の用例としては、法華経に説かれる久遠実成の釈尊のことをさす。特に、この現実世界、すなわち娑婆世界の衆生を成仏へと導く仏が釈尊に他ならないという意味が込められている。「開目抄」「観心本尊抄」に基づいて述べると、法華経寿量品では、久遠実成という釈尊の真実の境地を明かし、その久遠の仏が娑婆世界に常住していると説かれる。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土となり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。これに対し、諸経典に説かれる、久遠の釈尊以外のさまざまな仏は、すべて釈尊の分身(方便として仮に現した姿)であり、その住む国土も方便として示された国土であり、いずれも娑婆世界の衆生にとって縁の薄いものにすぎない。日蓮大聖人は、浄土宗が阿弥陀仏を自分たちに縁のある仏と思って本尊とすることは、娑婆世界の教主である釈尊を蔑ろにすることであると破折されている。②法華経本門文底の釈尊。法華経本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経を説く仏。無始無終・本有常住であり、色相荘厳という衆生教化のための方便を帯びない無作三身の仏であるから、久遠元初の自受用報身如来という。万人成仏の根本因を教示し体現する仏であるから、本因妙の仏である。この仏は、宇宙と生命を貫く根源の法である南無妙法蓮華経を本質とするものであるから、あらゆる生命・存在に仏界としてそなわる。末法において、この根源の法と仏を自身のうちに覚知され体現されたのが日蓮大聖人であられる。大聖人はその法が南無妙法蓮華経であると明かし、人々を教え導くためにこれを三大秘法として説き示された。それ故、日蓮大聖人は、法華経本門文底の南無妙法蓮華経を説く本因妙の教主であり、末法の御本仏であられると拝される。
―――
宝塔品
 妙法蓮華経の第11章。正法華経の七宝塔品第11に相当する。サンスクリット文の法華経の多くは、この品に提婆達多品第12の内容が含まれている。この本品から虚空で説法がなされるので、嘱累品第22に至るまでの12品の説法の場を虚空会という。初めに大地から多宝如来の高さ500由旬の七宝の塔が涌出して、虚空に住し、その宝塔の中から法華経が真実であると保証する大音声がある。続いて裟婆世界が三変土田によって浄土となり、十方世界の分身の諸仏が集められ、次いで釈尊が宝塔に入って多宝と並んで座り(二仏並坐)、神通力で聴衆を虚空に置く。そして釈尊の滅後に法華経を護持する者は誓いの言葉を述べるよう3度、流通を勧める(三箇の鳳詔)。この中で、第3の鳳詔では他の経典は持ちやすく、法華経を受持することは難しいとの六難九易が説かれ、この後に「此経難持」の偈頌が説かれている。本品は、方便品第2から次第に説かれた三周の説法が真実であることを証明する(証前)とともに、如来寿量品第16の久遠実成の義を説き起こす(起後)遠序であると位置づけられている。
―――
須弥
 須弥はサンスクリットのスメールの音写。妙高山と訳される。古代インドの宇宙観で、一つの世界の中心にあると考えられている巨大な山。須弥山の麓の海の東西南北に四つの大陸があって、一つの世界を構成する。須弥山の頂上は六欲天のうち第二天の忉利天に位置しており、ここに帝釈天が忉利天の主として地上世界を支配して住んでいる。
―――
浅きは易く深きは難し・浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり
 浅い教えである諸経を離れて深い教えである法華経の立場に立つことこそ、丈夫(仏)の心、仏の本意にかなうということ。伝教大師最澄の『法華秀句』の一節で、法華経の六難九易の法門に基づく言葉。同書には「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(271,310㌻などで引用)とある。「浅き」は爾前の諸経のことで、これは人々に合わせて説いたので易信易解(信じ易く理解し易い教え)で弘通もやさしい。「深き」は法華経のことで、これは釈尊の覚りの真実を説いた深い教えなので難信難解(信じることが難しく理解することも難しい教え)で弘通が難しい。
―――
叡山の一家
 伝教大師最澄を開祖とする比叡山延暦寺の日本天台宗の一門。
―――
相承
相は相対の意、承は伝承の義。師弟相対して師匠から弟子に法を伝承すること。
―――
安州
安房の国(千葉県南部)。
―――
三師
インドの釈尊・中国の天台・日本の伝教のこと。
―――
三国四師
インド・中国・日本の3国に出現して法華経を弘通した4人の師のことで、インドの釈尊、中国の天台大師智顗、日本の伝教大師最澄と日蓮大聖人をいう。大聖人が文永10年(1273年)閏5月に著された「顕仏未来記」(509㌻)で述べられている。
―――――――――
 この段は本抄全体のしめくくりであり、末法御本仏としての、御自身の悦びと、民衆を救わんとの大慈悲、また妙法を受持して起つ丈夫の心をのべておられる。この一文一句は、そのまま日蓮大聖人の弟子たる者の自覚であり、決意であり、勇気でなければならない。
日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり
 「此の両三年の間の事」とは、文永8年(1271)9月12日竜の口の頸の座から佐渡流罪を指す。この間、大聖人の身辺はつねに危険にみまわれている。「昼夜一二時に仏の短をねらいし」とあるように、念仏者は大聖人を念仏の怨敵と思い、悪口をいい、大聖人の命を狙っていたのである。こうした中で日蓮大聖人は毅然と振舞われた。また身を切るような寒さの中で、妙法流布と令法久住のために、魂魄を止めて観心本尊抄をはじめとする重書を執筆されたのである。
 よってこの御文を拝するときに、妙法流布の厳しさを痛感すると共に、今日、順縁広布の時に生まれあわせた者は、大聖人の佐渡流罪の厳しさを、忘れてはなるまい。いかに時代が変わろうとも、妙法流布への燃え上がる情熱と闘魂を秘めて、さらに只今臨終の決意に立つ人こそ、日蓮大聖人の弟子であると信ずる。
幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ
 大聖人御自身が、32歳の立宗から52歳のこの年にいたる21年の間に受けられた数々の大難は、御自身の罪障消滅のためであり、妙法流布のためであるがゆえに、無上の幸せであり、喜びであるといわれている。
 もとより、これは示同凡夫の立場に立ってのお言葉であり、大聖人の御内証は本来、本有の自受用如来である。それゆえ、ここでは信心の極意を弟子檀那に教えられているのである。
 仏法のために受けるいかなる障害であっても、それはわが身の罪業を消滅するための薬にほかならない。人は過去からの無数の悪業を犯し、無量の罪業を重ねてきている。その罪障は永劫にわたっても、なおかつ消滅できるものではない。しかしながら、今、妙法に巡り会い、偉大な妙法の功徳力によって一生の間に罪業を消すことができるのである。
 あたかも、化膿した悪質の傷を治すようなものである。適切な治療をほどこすならば、たとえ当座は痛くても、必ず後はよくなるのである。もし、当座の痛みを恐れて、治療を怠るならば、化膿はさらに進み、ますます苦しみを増すであろう。この原理を覚知するならば、妙法の故に、どんな迫害を蒙ろうと、それは、最高の幸福への道程であり、たのしみではないか。
 ましてこのように、一生の内に無始の謗法の罪を消滅することができる仏法は、日蓮大聖人の三大秘法の仏法をおいて、他にはない、それゆえ大仏法を受持しえたこと自体がすでに最高の幸福なりと確信すべきである。
 また「悦はしいかな末だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ」とは、仏に仕え、妙法広布に活躍できることこそ、この上ない喜びであるとの意である。御文の教主釈尊とは、インド応誕の釈尊をいわれているのではなく、久遠元初の自受用報身如来を指しておられるのである。すなわち、久遠の教主釈尊をいわれたのである。御自身を凡夫の立場に置いて、今、一度も拝見したことのない久遠の釈尊にお会いすることができ、しかも、久遠の釈尊に仕えて仏道に励む悦びはなにものにもかえがたいと仰せられているのである。
 ゆえに、弟子檀那の立場で御文を拝していくならば、あらゆる民衆を、未来永劫にわたって、根底から救済していかれる仏に仕え、その精神を受けついで妙法の広宣流布のために活動しゆく人生は、永遠不滅の、崇高なる人生というべきであろう。これこそ、人間としての、最高の喜びであり、感激であるといいたい。
願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん
 この一文に、末法御本仏としての大慈大悲と確信があらわされている。
 「我を損する国主等」とは逆縁の衆生である。ここに「国主等」とは、社会的権力を持つ者であり、それに列なる人々を指すと思われる。
 「我を扶くる弟子等」とは順縁の衆生である。大聖人は、まず逆縁の衆生を最初に導こうとされ、つぎに順縁の衆生を久遠の釈尊に、よく自分を扶けたと報告しようといわれている。ここに順逆とも救っていく大聖人の大慈悲があらわれている。
 仏の慈悲は絶対的なものであり、愛憎の範疇をはるかに超越したものである。「眼には眼を」と教えたイスラエルなどの神とは異質なものである。また、「汝の敵を愛せよ」と説いたキリストの博愛の態度とも根本的に異なる。
 「我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん」についての別の解釈をほどこすならば、次のようにもなろう。大聖人に仕え、その教えを実践し、民衆救済、広宣流布への理想達成へ身心を捧げた者こそ、仏のお賞めにあずかり、成仏することができる。絶対的幸福境涯に入ることができるのだとの大確信の言葉である。
 いうまでもなく、この釈尊とは、久遠元初の自受用身であり、即、御本尊であり、日蓮大聖人御自身のことである。ここでは、一往凡夫僧の立場で、第三者的に「釈尊」と申されたことは意味のあることである。この点については前述したとおりである。
 「我を扶くる弟子等」の文は、一端は凡夫の立場から、いまだに見聞していない久遠の釈尊に、弟子達の活躍ぶりを報告するという形をとりながら、実は、弟子達の振舞いを大聖人自身の胸奥に深くおさめられることにあったと拝する。ゆえに、そうした立場から御文をみるならば、ここでは大聖人こそ、末法の法華経の行者であり、御本仏であることを宣言されていると拝するのである。ここに「我を扶くる弟子等」とは、弟子のあるべき姿を示された言葉であり、大聖人の偉業を扶け、実践し、具現しゆく人こそ、真の弟子であるとの仰せと拝する。その大聖人の偉業とは「此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」と本抄にも述べられているように、世界に、三大秘法の仏法を広宣流布することである。ゆえに、折伏に励み、広宣流布のために不惜身命の活躍をなす人こそ「我を扶くる弟子等」の御文にあたる人であり、大聖人の心からの賞讃を受ける人であることは文により明白である。
 「我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん」とは、自分を生み、育ててくれた父母に対してこの仏法に導くことが、最高の親孝行であり、報恩の道であるとの御文である。
 では、真の孝行とは何か、それは、親を幸福にしていくことであり、永遠に崩れることのない幸福境涯に住せしめてくことである。ゆえに、最高の道理を説く妙法を教え、受持させることが、真実の孝行となるのではあるまいか。
浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり
 丈夫の心とは、仏法の立場でいえば、調御丈夫の心であり、即ち仏の心ということである。具体的にいえば、浅い爾前権教を去って、最も深い法華経に就くことが、仏の心であり、即ち日蓮大聖人の心である。こうした丈夫の心を門下は深く受けとめていくべきである。
 一般的にいえば、勇気ある人という意味になる。すなわち、人間は、本来的に安易な道をとろうとする弱みをもっているものである。遠大な目的観に立てば、いまは苦しくとも耐えて、困難な道を進むべきだということがわかっていても、なかなか思うようにできないことが多い。その弱い自己に打ち勝って、あえて苦難の道を選び、前進していくのが丈夫の心、すなわち勇気ある人といえるのである。
 平坦な道や下り坂であれば、そこには努力は必要としない。だが、それはいくら進んでも、出発の時に立っていた位置の高さより高くなっているということはない。険しい登り道は、なみなみならない努力を必要とうる。しかし、それをのり越えていったとき、かっていた地点をはるか眼下に見下ろすような、高い位置に立つことができるのである。
 妙法は、あらゆる哲学、あらゆる人生の生き方の中で、最も難しい、険しい道であるといえるかもしれない。だがしかし、妙法を修めることで、無始以来の罪業をこの一生の間に消滅することができるのである。そうであるからこそ、三類の強敵は行く手を阻まんと迫ってくる。ゆえに三類の強敵や三障四魔に臆せず、屈せず、自己の宿業をみすえて、あらゆる障害と戦いぬいていく人こそ、丈夫の中の大丈夫であり、最も勇気ある人であるといえるのである。

0505~0509    顕仏未来記 2008:01月号大白蓮華より。先生の講義top

世界広宣流布 地湧の勇士よ!立ち上がれ!! 流罪地佐渡から全人類救済の大宣言
 「顕仏未来記」は、私の大好きな御書です。「仏が予言した広宣流布を実現せん」との日蓮大聖人の広大なる御境涯を拝することができるからです。 
 そして、「未来の我が弟子よ、仏の心のままに世界広布に立ち上がれ!」との、御本仏の御遺命の叫びが、私の生命に響きわたってやみません。
 大聖人直結の学会精神の源流は、この一書にあるといっても過言ではありません。
 ゆえに戸田先生も、力を入れて幾たびも本抄を講義してくださっています。あの「大阪の戦い」の折にも、先生は弟子の勝利のために本抄を講義してくださった。この大恩は決して忘れません。
 昭和31年(1965)の1月17日、戸田先生が大阪で初めて、一般講義をされるにあたって選ばれた御書が「顕仏未来記」でした。
 戸田先生は講義の後に質問会をもってくださった。ある質問に答えて、先生は断言された。それはまさに獅子吼でした。
 「法華経で南無妙法蓮華経を受けとった地湧の菩薩が、広宣流布のときに生まれて集まってくる。だから皆さんは貧乏なんかしていられないのだよ。「南無妙法蓮華経」という題目の力、無限の福運の力をもっているのだ!題目を唱え、人にも題目をとなえさせることによって、この力を開くのだ
 常勝関西の不滅の歴史。あの“まさかが実現”と言わしめた昭和31年(1965)の「民衆の大行進」は、先生の獅子吼に呼応した「地涌の同志」の決起から始まったのです。
 「人材・拡大の年」の年頭にあたり、「顕仏未来記」を謹んで拝読し、創価の原点たる「広宣流布の大願」に立ち、この一年も、連続勝利の凱歌の「勝ち戦」を全地区から繰り広げていきましょう。
01   法華経の第七に云く「我が滅度の後.後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云,
02 予一たびは歎いて云く 仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ 何なる罪業に依つて仏の在世に生れず正法の四依・像
03 法の中の天台・伝教等にも値わざるやと、 亦一たびは喜んで云く 何なる幸あつて後五百歳に生れて此の真文を拝
04 見することぞや、 在世も無益なり前四味の人は未だ法華経を聞かず 正像も又由し無し南三北七並びに華厳真言等
05 の学者は法華経を信ぜず、 天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」等云云 広宣流布の時を指すか、伝教
06 大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云 末法の始を願楽するの言なり、 時代を以て果報を論ず
0506
01 れば竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るるなり。
-----―
 法華経の第七の巻、薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に、この閻浮提に広宣流布して断絶することがないであろう」等と述べられている。
 日蓮が一たびは歎いていういは、今は仏滅後、すでに2220余年も経っている。一体いかなる罪業があって、仏の在世に生まれあわすことができず、また正法の時代に生まれて、人の四依といわれる迦葉・阿難・竜樹・天親等の諸の菩薩に会えなかったのだろうか。またさらに、像法時代の天台・伝教にも会えなかったのであろうかと。
 また、一たびは歓喜していう。一体いかなる幸があって、後の五百歳に生まれて、この薬王品の真実の文を拝見することができるのであろうかと。釈尊在世に生まれたとしてもこの真文にあうことはなかった。なぜならば乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味の前四味の説法を受けた人は、いまだ法華経を聞いていないからである。また正法・像法時代に生まれたとしても、少しも意義がない。なぜなら、法華経はすでに説かれてはいたが、南三北七ならびに華厳・真言等の学者は法華経を信じなかったからである。
 天台大師は法華文句巻一に「後の五百歳、すなわち末法の始めから、遠く末法万年・尽未来際にいたるまで妙法が流布し、一切衆生がその功徳に沾おうであろう」等といっているが、この文は広宣流布の時を指すのであろうか。また伝教大師は守護国界章上に「正像二千年は、ほとんど過ぎおわって、末法が、はなはだ近づいている」といっているが、これは末法の始めに生まれることを願い慕っている言葉である。ゆえに、時代の比較によって、身に備えた果報の優劣を論ずるならば、日蓮は正法時代の竜樹・天親を超えているばかりでなく、像法時代の天台・伝教にも勝れているのでる。

未来記 後世の門下への遺命
 題号の「顕仏未来記」とは、「未来を予見し、記した仏の言葉を実現する」という意味です。
 「仏の未来記」とは一往は釈尊の未来記を指しますが、本抄の元意は、末法の御本仏としての「日蓮大聖人の未来記」を明かされるところにあります
 釈尊の未来記とは、本抄冒頭に引用されている法華経薬王品の経文です。釈尊の滅後の悪世、とりわけ末法においては、あらゆる魔性の跳梁と戦い、全世界への法華経広宣流布を断絶させてはならないとの仏意・仏勅が示されています。
 本抄では、この釈尊の未来記を現実のものとしたのは、大聖人ただお一人であることが示されています。
 そのうえで、大聖人御自身の未来記として、法華経の肝要である南無妙法蓮華経の大法が世界中に流布することが明かされていきます
 本抄は文永10年(1273)閏5月、流罪の地・佐渡の一谷で執筆されました。
 本抄には、特定の対告衆が存在しません。それは、現在と未来の全門下に与えられた御遺命とも拝される重書であることを示しているのではないでしょうか。
 同じく佐渡で著された「開目抄」「観心本尊抄」には、人・法の本尊をめぐる法門が明かされています。本抄は、この深義を踏まえ、宇宙根源の妙法と一体の尊極の生命を万人に開いていく日蓮大聖人の仏法こそが、末法の全世界の人々を救いうる大法であることが示されていいきます。
末法に生まれ合わせた喜び
 本抄の冒頭では、末法に生まれたがゆえに、法華経を説いた釈尊にも、正法・像法時代に法華経を弘めた天台・伝教と巡り合ことができないのは、実に嘆かわしいことであると言われています。
 釈尊の在世から遠く隔てられた末法の時代は、衆生を教化する師たる釈尊の影響力が薄れ、残された教えも形骸化し、仏教全体の救済力が弱まっていく時代です。
 本抄では、末法は形だけは釈尊の教えが残っているが、実践も実証もなくなってくる時代であると、末法の本質を示されています。
 このような仏教の衰えとともに、人々の生命力も衰え、時代全体も濁ってしまう。したがって、末法は、法の上からも、時代相の上からも、嘆くべき時代であると、当時の人々は受け止めていたのです。
しかし、大聖人は一転して、実は末法に生まれることは喜ばしいことだと仰せです。それは、この薬王品に説かれた釈尊の一閻浮提広宣流布の遺命を実現すべき時代こそが、「後の五百歳」とあるように、まさに末法であるからです。
 更に、傍証として、末法に生まれることを願い求める天台・伝教の言葉を引かれています。
 一見すると、末法は生き詰まりの時代です。しかし、大聖人は法の上から、むしろ末法は真実の法が広まる喜ぶべき時代であると言われているのです。
究極の妙理と尊極の生命
 では、末法が法の上からは、むしろ喜ぶべき時代であると言えるのは、なぜでしょうか。
 本抄では、末法という時代の様相と、この時に、いかなる法が、いかなる人によって弘められるかを示されています。その結論として、次のように述べられていいます。
 「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」
 すなわち、末法にひろまるべき法は「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」です。弘める主体者は「法華の行者」です。この二つの要件が揃ったとき、末法は、嘆くべき「法滅濁世」から一転して喜ぶべき「法華経広宣流布の時代」へと転換するのです。
 「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」とは、一切衆生を救済する根源の妙理です。また、妙理と一体になった尊極なる仏の生命でもあります。
 また、これは、あらゆる仏の成仏を可能にした究極の法であり、成仏の種子という意味で「仏種」ということできます。
 この仏種は、万人の生命に本来、具わっています。しかし生命が無明によって覆われているために、その働きは容易には現れてきません。そこで、無明と戦う道を示す「教法」が必要になるのです。
 その師が末法においては「法華経の行者」であり、その「教法」が「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」です。 
 人間に本来具わっている仏種を触発する「成仏の直道」が、末法の衆生を救うためには不可欠となります。
 日蓮大聖人は、そのための「師」と「教法」を「開目抄」と「観心本尊抄」で明かされました。そして、師と教法が確立された時に、本抄「顕仏未来記」を著され、世界広宣流布を宣言されたのです。
魔性と戦う「法華経の行者」こそ末法の師
 さて、末法流布の「時」たる存在を「法華経の行者」と言われていることは、大聖人仏法において限りなく重要なポイントとなります。
 なぜなら、生命の法である仏種の働きを我が身に現すのも人間であり、仏種の顕現を妨げ無明と戦うのも人間であるからです。
 一人の人間が無明と戦いうること、そして、仏種を現しうることを、自らの身をもって実証し、それを人々に教え伝えていいける人こそが「末法の師」でありうるのです。
 その人こそ大聖人が仰せの「法華経の行者」です。法華経を研究するだけ、あるいは法華経を形のうえで読誦するだけ人は法華経の行者とは言えません
 法華経の行者の本質は、仏種の力を生命に現す実践と実証にあります。特に、すべての人が現実に仏種を現していける道を確立するためには、あらゆる魔性に打ち勝っていく信念と実践が不可欠です。
 創価の戦いも、まさに、魔性との戦いから始まりました。牧口先生は喝破されました。
 「現在の如き恐怖悪世の相を現出し釈尊の三千年前の御予言たる『末法濁悪』の世が現実に証明されるのは、強盗殺人等の大悪よりも(中略)社会的な大悪よりも高官高位に蟠踞して賢善有徳の相をしてゐながら、大善を怨嫉し軽蔑して大悪に迎合し加勢し、以てその地位の擁護と現状の維持とに力を尽す高僧大徳智者学匠によるといわねばなるまい」
 社会的に善人と思われている人が、大善を怨嫉し、大悪に迎合する。こうした逆説的な事実が必ず起きることが、末法弘通の困難さの根源にあるのです。
 末法の師である「法華経の行者」とは、この困難さと戦い抜く人でなければなりません。創価の三代の会長は、この戦いを貫いたがゆえに、現代広宣流布の指揮を執ることができたのです。
10                                               問うて曰く仏
11 記既に此くの如し汝が未来記如何、 答えて曰く 仏記に順じて之を勘うるに 既に後五百歳の始に相当れり 仏法
12 必ず東土の日本より出づべきなり、
-----―
 問うて言う、釈尊の未来記があなたの身の上にあてはまることはよくわかった。それではあなたの未来記はどうなっているのか。
 答えて言う、釈尊の未来記にしたがってこれを考えてみるに、今はすでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに相当している。末法の真の仏法は、必ず東土の日本から出現するはずである。

日蓮大聖人の未来記 仏法西還
 大聖人御自身の未来記が明快に示されています。問いも明確です。大聖人の未来記は何かと、真っ直ぐに問いを立てています
 大聖人の答えも、明快です。
 「仏法西還」 世界広宣流布です。末法万年、一閻浮提の全民衆を救う大法が、今出現し、平和と楽土を築いていく、というのが大聖人の未来記です。
 大聖人は次のようにも仰せです。
 「月は西から出でて東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまたこの通りである。正法・像法時代は、釈尊の仏法が西のインドから出て東の日本へと次第に伝わり、末法においては、南無妙法蓮華経の大法が東の日本から西へと流布していくのである」と。
 戸田先生は、この御文を拝して記されています。
 「もしこの御予言を実現せずんば、仏の未来記を虚妄にするの罪、われら仏弟子にあるのではなかろうか。おそるべし、つつしむべしと、思わざるをえないのである」
 先生は、大聖人の仏法西還の未来記を受けて「東洋公布」と叫ばれ、青年に世界公布の舞台を指し示してくださった。
 今や妙法を根本とした平和の連帯は、世界の190ヵ国・地域へと広がりました。私は戸田先生の心を、我が胸に抱しめて、世界に道を開きました。
  大聖人が御宣言された仏法西還・世界広布。 これを受けて、創価の父・牧口先生は、全世界の人類の即身成仏の実現を熱望されていました。
 戸田先生は、師匠の熱き思いを、真っ直ぐに受け継いでおられた。逝去の直前には、メキシコへ行った夢を見たと言われ、こう語られました。
 「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな。世界へ。広宣流布の旅に」
 この言葉は永遠に私の耳朶から離れません。戸田先生を世界にお連れし、一閻浮提広宣流布の発展を見ていただく、その思いで私は世界を駆け巡り、対話行動に邁進してきました。
 私は、海外へ行く時は、常に、戸田先生の写真を携えました。そして今、戸田先生に私は堂々と勝利のご報告ができます。初代、2代の悲願を、私が実現してきました。と莞爾とされる戸田先生の慈眼が浮かびます。
 世界広宣流布の第2幕は、絢爛たる地湧の友の乱舞によって、仏法に基づく価値創造の華が万朶と咲き誇っていく時代です。
 私は、そのための舞台を完璧に整えてきました。世界の各界の人々が、私たちの平和と文化の行動に期待を寄せております。
 この勝利と栄光の福徳は、世界の同志の皆さまを晴れやかに包みゆくことでありましょう。私は全同志に心から感謝を申し上げたい。
02              日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既
03 に死罪に及ばんとす 今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、 世の人疑い有らば 委細の事は弟子に之を問え、
04 幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを 悦ばしいかな 未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、
05 願くは 我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、 我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等に
06 は未だ死せざる已前に此の大善を進めん、
-----―
 日蓮はこの道理を覚知して、すでに21年になる。そのために日ごとに災いを受け、月ごとに難をこうむってきた。とくにこの二・三年の間の難は大きく、すでに死罪にまで及ぼうとした。今年また今月は、万が一にも助からない生命である。世の人々はもし私のいうことについて疑いがあるならば、詳しいことは弟子に問われるがよい。
 生涯のうちに無始以来の謗法の罪業を消滅できるとは、なんと幸福なことであろうか。また、いままでに、見聞できなかった教主釈尊にお仕え申しあげられるとは、なんと悦ばしいことであろうか。私はこのような大利益を得たのであるから、願わくは私を害した国主等を先ず最初に化導しよう。私を助ける弟子等のことを釈尊に申し上げよう。また私を生んでくださった父母には、死なないうちにこの南無妙法蓮華経の大善をおすすめしよう。

「御本仏のすみきった御心境」
 「この道理」とは、法華経で釈尊が予言した通りに、末法に広宣流布を実現する法華経の行者が出現する、という道です。大聖人は、立宗21年、この道理を自覚されていた。
 その間、大難は激しさを増し、流罪の地・佐渡に至っても、明日をも知れぬ身命であられながら、正法流通と民衆救済へ、いやまして挑まれる御心境を記されています。
 当時、佐渡流罪は、斬首に次ぐ重罪であり、一度流されたならば生きて帰ることはないと言われていた。
 まさに「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」とは、誇張などではありません。「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」との仰せからも、餓死、凍死、謀殺の危機という極限状態のなかで、後世のために残すべき法門を、また門下への激励を「これが最後の一遍になるか」との思いで認められたのではないかと拝されます。
 「顕仏未来記」を拝して戸田先生は「御本仏日蓮大聖人の澄みきった心境が如実にうかがわれる」と記されました。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片もなき虚空のごときものである。大聖人の佐渡御流罪中の御境涯はこのようなご境涯であったと拝される」
宿命転換と民衆救済の慈悲の大闘争
 障魔との戦いである広宣流布の闘争は、各人の宿命転換を実現する力に漲っています。
 それが、一国の宿命転換、そして全人類の宿命転換へと広がっていいきます。仏の大願に生き、自他の仏界の生命を涌現していく戦いであるからこそ、人類の境涯を高める大道になるのです。
 大聖人は、「幸いなるかな」「悦ばしいかな」と、仏界の生命を実現された歓喜を述べられています。
 また、自他ともの幸福を目指す広宣流布の闘争においては、慈悲の生命力が増進します。本抄で大聖人は、国主、弟子、父母に対して、その慈悲の生明で大きく包まれていきます。
 私を迫害した国主を第一に救おうとの仰せは、慈悲の極致を示されていると拝することができます。
 私を支えた弟子を仏に報告し、讃嘆していこう。私を生んだ父母には、成仏という大善を送り、報恩を尽くそう、とも仰せです。
 これらの歓喜と感謝と慈愛に満ちた透徹した宣言は、法華経の行者として戦い抜いた大境涯から迸り出たお言葉であり、いかなる迫害も打ち負かすことができなかった「仏界の生命の勝鬨」「御本仏の闘争の大勝利宣言」であると拝されるのではないでしょうか。
06                     但し今夢の如く宝塔品の心を得たり、此の経に云く「若し須弥を接つて
07 他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為難しとせず 乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん 是
08 れ則ち為難し」等云云、 伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり 浅きを去つて深きに就くは丈
09 夫の心なり、 天台大師は釈迦に信順し 法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて
10 日本に弘通す」等云云、 安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す 三に一を加えて三国四師
11 と号く、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
-----―
 この数々の大難によって、今、夢のように、宝塔品の要である六難九易の文意を証得することができた。
 宝塔品には、つぎのように説かれている。「もし須弥山をつかんで、他方の無数の仏土に投げようとも、それはむずかしいことはしない。乃至、もし仏の滅度の後、悪世末法においてよくこの法華経を説くということはこれこそ非常にむずかしい」等と。
 伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅い爾前権教につくことはやさしいが、深い法華経を持つことはむずかしいというのは釈尊の教判である。しかし浅い小乗を捨てて、深い大法につくことこそ、丈夫の心である。この教えにしたがって天台大師は釈尊に信順し、法華宗を助けて中国に法華経を宣揚した。叡山の一家は天台大師の法を承けて法華宗を日本に弘流した」と。
 安房の国の日蓮は、おそらくは、釈尊、天台大師、伝教大師の三師に相承し、法華宗を助けて、末法に南無妙法蓮華経を流通するのである。ゆえに釈尊、天台大師、伝教大師の三師に日蓮を加えて三国四師と名づけるのである。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

「浅きを去って深きに就くのは丈夫の心」
 ここで大聖人は法華経宝品第11の六難九易に言及されています。
 「須弥山を手にとって他の国土に投げ置く」「枯れ草を背負って劫火の中に入っても焼けない」等よりも、滅後に法華経を弘通することは難事中の難事である。釈尊は、この六難九易を通して何を示したかったのか。それは末法広宣流布が難事であることを強調することで、民衆救済の強い請願を起こすべきであることを菩薩たちに勧めるためです。
 「宝塔品の心」。それは全人類の幸福を実現しようとする仏の誓願の心です。そして、この仏の誓願を受け継ぎ、いかなる大難があっても末法広宣流布を断固実現しようと立ち上がった地湧の菩薩の誓願の心でもあります。
 「開目抄」に示されているように、大聖人は、立宗宣言のときに、この宝塔品の六難九易の意義を深く知って、地湧の誓願をたてられました。そして、その誓願のままに相次ぐ大難をすべて勝ち超えてこられた。
 そして、最後の大難である佐渡流罪においては、全民衆救済の大法を確立し、その世界広宣流布を本抄において宣言されたのです。それは、末法の御本仏としての偉大なる勝利宣言であると拝することができます。
 ゆえに「今夢の如く宝塔品の心を得たり」と記されております。すなわち、誓願のままに大難に耐え、末法弘通に生き抜いてこられたがゆえに、「宝塔品の心」すなわち「仏の心」を会得なされたと仰せです。
 ともあれ、いかなる大難をも越えて、法華弘通の誓願に生き抜くことが、「仏の心」を我が心としていく唯一の道なのです。
 どんなことがあっても、広布の誓願に生き、自身の使命を果たし抜こうとする「強き心」「深い心」を貫けば、我が生命を仏の生命へと鍛え上げていくことができる。
 そのことを大聖人は「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」との伝教大師の言葉をもって示されています。
 「丈夫の心」とは、法華経に示された「仏の心」のままに、敢然と広宣流布の信心に立ち上がる「勇者の心」にほかなりません。
 勇敢に広布に戦い抜くならば「仏の心」が我が生命に満ちあふれてこないわけがない。
法華宗とは「人間宗」
 本抄の末尾で大聖人は、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師という法華経の三国師を受け継いで、末法に妙法を弘通してきたと述べられています。したがって、御自身を加えて「三国四師」と名づけると宣言されています。
 この「三国四師」は、法華経の行者の系譜です。それは、万人の成仏という、究極の理想を実現する真の正統であり、その道を開きゆく創造的開拓者が法華経の行者です。
 妙法という無間の力を自他ともの胸中に湧き立たせ、濁悪の世にあっても蓮華のように価値の花を咲かせ切っていく、その勝利の人華を陸続と開花させ、自分も蓮華と咲き、万人をも蓮華と輝かせていくのが「法華宗」です。言い換えれば、「法華宗」とは、万人に尊極の生命を開く「人間宗」であり、「価値創造宗」です。
 ここで、大聖人は「日本の日蓮」ではなく「安州の日蓮」すなわち「安房の日蓮」と言われ、身近な郷土に根ざした一人の人間の立場を示されている。これは、御謙遜であられるとともに、国を超えて全世界に広まりゆく普遍的な正法を確立されたお立場を示されているとも拝されます。
 創価学会は、この三国四師の系譜において創立された、真の法華宗を世界に弘通している唯一の仏勅の教団です。
 そして、無数の地湧の菩薩を全世界に呼び覚まし、万年の未来にわたる堂々たる平和への大行進を続ける尊貴な和合僧団であります。
 戸田先生は「広宣流布のさきがけをしようではないか」と叫ばれ、「創価学会は宗教界の王者である」と宣言されました。
 私は、私とともに戦ってくださった皆様とともに、「我らこそ御本仏の未来記の主人公なり」と、誇り高く宣言いたい。
 そして「私は勝った!我らは勝った!」と言える輝かしい人生を、愉快に、朗らかに、はるかな未来へ向かって共々に生き切っていいきましょう。

0510~0519    当体義抄top
         序講top

当体義抄        日蓮之を勘う  文永十年  五十二歳御作  於佐渡

 当体義抄の講義にあたり、まずその序講として、
   第一に本抄の御述作の由来を明かし、
   第二に本抄の諸御抄における位置を論じ、
   第三に本抄の大意を論じ、
   第四に当体蓮華と譬喩蓮華について論ずることにする。
第一 本抄の御述作の由来
 当体義抄は、著作の年代、場所、宛名も記されていないので、その由来については詳らかではない。だが、誰に授与されたかは「当体義抄送状」に、最蓮房に伝うとあるところから、明らかである。いちおう日蓮大聖人が佐渡流罪中の文永10年(1273)聖寿52歳の時、一の谷において御述作されたとされているが、異説もある。
 大聖人は、文永8年(1271)9月12日竜の口の法難後、佐渡に流罪され、文永11年(1274)3月13日、離島されるまでの約2年半を、北海の佐渡で不自由な生活を送られた。
 しかしながら、実に、この時期こそ、最も重要な数々の法門を説かれたのである。まさに竜の口法難において発迹顕本された、久遠元初の御本仏の所作以外の何ものでもない。なかんずく「開目抄」において人本尊を開顕し、また「観心本尊抄」によって法本尊を示されたのである。本抄も、この開目抄、本尊抄の宗門の二大柱石ともいうべき御抄と並んで、大御本尊を信ずるものの証得を明かされた甚深の御書である。
 本抄がいかに重要な御抄であるかは、次の送状の御文に伺い知れる。
 「問う当体の蓮華解し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか、答う経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢んぬ」(0519-01)と。
 本抄を賜わった最蓮房とは、詳しくは最蓮房日浄といい、かっては天台の学匠であったが、佐渡流罪中の文永9年(1272)2月に大聖人の門下になったことが、最蓮房御返事に見えている。相当学識のあった人のようであり、天台の法門についてかなりつっこんだ質問をしている。だが、大聖人は、これらについて、すべて文底の奥義から論ぜられている。
 しかも、病弱であった最蓮房を激励し、祈祷経送状には「仮使山谷に篭居候とも御病も平癒して便宜も吉候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし」(1357-01)と、たとえ山谷にこもっていても、病気が平癒したなら身命を捨てて法華経を弘めるべきであると指南されている。弘安3年(1280)7月に与えられた十八円満抄にも「末法に入つて天真独朗の法を弘めて正行と為さん者は必ず無間大城に墜ちんこと疑無し、貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実・時国相応の智人なり 総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし」(1367-10)と末法今時における天台の修行法は堕地獄の因であるから、大聖人門下となったからには南無妙法蓮華経を修行すべきであると厳しく指導されている。
 ともあれ、大聖人が佐渡に流罪され、まもなく門下になったことを思えば、宿縁深厚の人であったことは事実である。諸法実相抄の追伸にいわく「まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(1362-01)とあり、賜わった御書は、本抄のはかに「生死一大事血脈抄」「草木成仏口決」「諸法実相抄」「祈祷抄」「十八円満抄」ほか数々あり、いずれも甚深の法門が明かされている。佐渡流罪中に門下となった宿縁の故であろうか。だが、大聖人は、本抄を著わされたのは後世のためであったことは、送状に「国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり」とあることからも察せられる。
 ここに「国主」とは、社会的権力を行使できる指導者の意である。
第二 本抄の位置
 本抄の大意を論ずるにあたって、まず本抄の諸御抄中における位置を明らかにしたい。すなわち「開目抄」と「観心本尊抄」と「当抄」を教行証に配することができる。
 すなわち、開目抄は教行証のうち教の重に、観心本尊抄は行の重に、本抄は証の重にあたるのである。教行証の教とは仏の所説の教法、行とは教法によって立てた行法、証とは教行によって証得される果徳をいう。仏の教法は衆生の機根と相応するものであるから、すべての教法がつねに行証をともなうとはかぎらない。機により所によって、一つの教法によって修行が行われ、証得のある時代もあれば、逆に、その教法はあるが修行する人もなく、修行があっても証得する人がいない時代もある。ただ日蓮大聖人の法華経、三大秘法の南無妙法蓮華経の立場からみるならば、教行証の三つが具備しているのである。
 教行証御書に「末法には教行証の三つ倶に備われり例せば正法の如し等云云、已に地涌の大菩薩・上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし」(1283-02)と。
 次に教行証の配当を詳しくみると、はじめに開目抄が教の重となるのは、開目抄において、一代諸経の勝劣・浅深を判じているからである。その一切経の勝劣・浅深を判ずるに、五重の相対をもってしている。
   一に内外相対、通じて一代の諸経をもって外典外道に対して経を論ずる。開目抄に「一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし」(0188-11)と
   二に権実相対、八か年の法華経をもって真実とし、四十余年の権教に相対して論じられている。開目抄に「大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は要当説真実と定め給し」(0188-15)と。
   三に権迹相対、迹門の二乗作仏をもって爾前の永不成仏に相対して論じている。開目抄の結文に「此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きやうに・をぼゆもし爾前つよるならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし・いか・なげかせ給うらん」(0195-18)と。
   四に本迹相対、本門をもって爾前迹門にてこれを論ずる。開目抄に「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す」(0197-15)と。
   五に種脱相対、寿量品の文上は脱益、文底は下種である。開目抄に「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と。
 一念三千文底秘沈とは、但法華経の、但本門寿量品の、但文の底に沈められていると読むべき意で、権実、本迹、種脱の相対が明らかである。この種脱相対は本抄においては「彼は脱此れは種なり」(0249-17)判ぜられ、また常忍抄に「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981-08)とも判ぜられている。
 以上のように、五重の相対して、はじめて日蓮大聖人の御本懐に達するのである。
 諸宗の者は、ただ内外相対のみを知って、そのほかの相対を知らず、あるいはまた本迹一致派の徒は本迹相対を知らず、勝劣派といえども本迹相対までは知っているが、種脱相対を知らないのである。ゆえに大聖人の法門に到達することができないのは、理の当然である。妙楽大師は「諸の法相は所対によって同じからず」といい、大聖人は法華取要抄に「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0332-07)と仰せられている。このような御金言があるにもかかわらず、他門流の者がこのことを知らないのは、哀れむべきことである。まことに法門を論づるには、この判定の基準がなければ、空論となることを知らねばならない。
 次に、観心本尊抄が行の重であるということは、観心本尊抄に受持即観心の義を明かしているからである。
 観心本尊抄に「無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給」(0246-11)と。
 まず引く所の無量義経の「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」とは、因位の万行が妙法五字に具足するの義を顕わしているのである。因位しかり、果位が具足するのも当然である。故にこの妙法五字を受持すれば、因位の万行、果位の万徳が自然に具わるのである。その次の文も同じである。一切諸仏の因位の万行、果位の万徳は、皆ことごとく妙法五字に具足する。故に末法下種の大御本尊の功徳は無量無辺であり、広大深遠の力用を具備しているのである。われらは、妙法を受持することにより何らの行功もなく、三世諸仏の万行万善の功徳を受得することができるのである。
 三に当体義抄が証の重であるとは、御本尊を受持することによって、わが身が妙法蓮華経の当体と顕われることを説き明かした御書だからである。
 当体義抄に「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518-15)と。
 また同抄に「本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(0512-12)と。まさに妙法を持った人は、事の一念三千の当体としての自己を確立し、生命活動のうえで、また生活活動のうえで、最高の生命活動、最高の生活を営み、幸福を満喫していけるのである。それはあたかも、白馬に乗って天空を翔けめぐるがごとく、自由自在な光輝に満ちた人生である。
 以上のごとく、教行証の三つを御書の上で論じてくことができる。
 末法には教のみあって行証なしというのが通途の仏法の姿である。しかるに、日蓮大聖人の仏法は、末法において、厳然と教行証を具備するのである。
第三 本抄の大意
 本抄は、まず十界の依法、正法ことごとく妙法蓮華経の当体であることを論じ、さらに日蓮大聖人の観心から大御本尊を持つ者のみが「当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す」ことが明かされている。
 さらに日寛上人の文段によれば、本抄はまず所証の法たる妙法蓮華経を法体に約し、信受に約し、さらに解釈を引いて明かし、次に当体蓮華を証得した人を久遠元初、釈尊在世、末法という三世に約して論じられたものである。いまこれを図表として掲げれば大略次のようになる。
                       ┌法体に約す①②③
           ┌所証の法を明かす①~⑤┼信受に約す④
           │           └解釈を引いて本有無作の当体の蓮華を明かす⑤
  大意(当抄の始終)┤           ┌如来の自証化他を明かす⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭
           └能証の人を明かす⑥~⑲┼如来在世の証得を明かす⑮⑯
                       └末法衆生の証得を明かす⑰⑱⑲
 また本抄の始終は問答形式であることも特質すべきであろう。問答形式であることは、立正安国論や聖愚問答抄等にもみられるが、日寛上人は立正安国論文段に「まさに知るべし、賓主問答を仮立したもう所以は、愚者をして解し易からしめんがためなり」と仰せである。一方的な押しつけではなく、諄々と相手を納得させるために有効な方法である。本抄においても問いと答えをつねに念頭におかなければならない。本抄では19の問答を掲げている。
  ①妙法蓮華経の当体とは、宇宙森羅万象のことごとくをいう。
  ②一往はわれら一切衆生も妙法の全体である。
  ③九界の生命活動も妙法の当体の働きである。その故は法性の妙理に染浄の二法、迷悟の二法があり、このことごとくが法性真如の一理である妙法蓮華経に期する。
  ④再往は権教を捨て実教の法華経を信ずる人のみ当体蓮華である。所詮、日蓮大聖人の弟子のみが本門の当体蓮華仏と顕われるのである。
  ⑤当体蓮華とは因果俱時・不思議の一法を指し、譬喩蓮華とは華草の蓮華であり、これをもって当体蓮華を説明しているのである。
  ⑥五百塵点劫の当初に日蓮大聖人が当体蓮華を証得された。
  ⑦法華経においては当体蓮華は方便品に、譬喩蓮華は譬喩品・化城喩品に説かれている。
  ⑧当体蓮華の文は方便品において諸法実相に約して一念三千を明かした文である。
  ⑨当体蓮華の現証は、当世の学者は宝塔品の三身、妙音・観音の三十三・四身等を勘えているが、日蓮大聖人は方便品の文と神力品の結要付嘱の文をあげておられる。
  ⑩神力品の結要付嘱の文には深意があり、よき文証・現証である。
  ⑪神力品の結要付嘱の文は、外用上行菩薩に本門の当体蓮華を付嘱ことを示す。
  ⑫当流の法門の意は、二十八品の初めにある妙法蓮華経の題目が当体蓮華である。
  ⑬品々の題目の蓮華は、当体譬喩を合説するが故に、品々の題目は当体蓮華をいう。
  ⑭法華経の意は譬喩即法体、法体即譬喩である。
  ⑮釈尊在世に当体蓮華を証得したのは、本門寿量の教主のみである。
  ⑯爾前の円の菩薩・迹門の円の菩薩は本門の当体蓮華を証得せず、ただ本門寿量の説顕われて後は、霊山一会の衆、皆ことごとく当体蓮華を証得したのである。
  ⑰末法今時に当体蓮華を証得したのは、日蓮大聖人の御門下のみである。
  ⑱南岳・天台・伝教等の正師は当体蓮華を証得したといっても内鑑冷然で妙法を流布しなかった。
  ⑲妙法五字は末法の大白法である。
第四 当体蓮華と譬喩蓮華
(一)天台大師の譬喩蓮華

 蓮華とは、普通は草花の蓮華のことである。しかし、この蓮華の特質が妙法を説明するのに、ひじょうに好都合で、しかもわかりやすい譬喩となる。したがって、法門の譬喩として用いられた草花の蓮華を譬喩蓮華という。この草花の蓮華のさまざまな特質によって説明した法門それ自体が妙法蓮華経であり、これを譬喩蓮華に対し当体蓮華と名づけるのである。
 とくに蓮華が妙法をあらわす特質として華と果実が同時であるといわれる。また、泥沼の中にあって、しかも泥沼を出て、清浄な花が咲く等がある。
 天台大師は当体蓮華を難解の蓮華とし、これこそ正意であるとしている。譬喩蓮華は易解の蓮華であり、下根、中根の者に対する説明であるとしている。そして、天台大師は、難信難解の妙法を譬をかりて顕そうとして、法華玄義に譬喩蓮華を説明している。
 法華玄義巻七下にいわく「唯此の蓮華のみ華果倶に多し、因を満行に含み、果に万徳を円するを譬うべし、故に以って譬となす。又世の華は麤なり、九法界の十如是の因果を喩う。此の蓮華は妙なり、仏法界の十如の因果を喩う。又此の華を以って仏法界を喩うるに、迹本の両門に各三喩あり」と。蓮華の華果をもって、仏法界の因果に譬えているのである。その他の華果は、一見はなやかで美しく咲き誇っているようにみえるが、風に誘われて散り去るように、実に、はかないものである。これらは、瞬間的な喜びであり、感動であり、潤いである九法界に譬えることはできるが、円融円満、因果俱時である仏法界に譬えることはできない。
 さらに天台大師は、法華本門、迹門の二門に約しておのおの三喩を説いている。
 迹門の三喩とは、
 一には、華が生ずるとき必ず蓮がある。だが、華のうえから見たのではそれがわからない。権教の心は実教にあれども、それが知る者がないことを譬えており、実教をあらわすためには権教を説いて衆生を誘引してきたことを譬えている。すなわち、為実施権を譬えている。
 二には、華が開く故に蓮の実が現われることである。権の中に実があっても、知ることができなかったものが、いま権を開いて実を顕わすことで、実である仏の知見をしらしめたことを譬えたものである。これは開権顕実を譬えている。
 三には、華落ちて蓮の実がみのることである。これは三乗を廃して一乗を顕わし、唯一仏乗の法のみが成仏の直道であることに譬えたものである。廃権立実を譬えたわけである。
 次に本門の三喩とは、
 一には、華には必ず蓮がある。迹には必ず本があり、迹には本が含まれるものである。仏の意は本門に在るのであるが、仏の本意は知り難いことを譬えたのである。これは従本垂迹を譬えている。
 二には、華が開いて蓮が現われる。迹門を開いて本門を顕わすこと、すなわち開迹顕本を譬えている。その意は迹門において、よく菩薩に仏の方便を識らせる、すでに迹を識り終われば、還って本を識り増道損生することを譬えたのである。
 三には、華落ちて蓮がみのるのは、迹門を廃して本門を顕わすこと、すなわち廃迹立本を譬えている。
 以上の六譬は、華と蓮との関係に約して説明したものであるが、さらに種子から蓮成に至るまでを妙法に譬え、蓮華の始終をもって十如是の法門を譬えているのである。
 例をあげれば法華玄義巻七下に「譬えば蓮子の汚泥の中に在れども四微朽ちず、是を蓮子の体と名づくるが如し。一切衆生の正因仏性も亦復是の如し、常楽我浄の不動不壊なるを仏界の如是体と名づく」と。「如蓮華在水」の原理にもとづき、蓮華の花は泥沼の中に見事に咲き誇っている。蓮華の種子もまた泥沼の中で朽ちない。これはそのまま、濁りきった不幸の人生を歩んでいる衆生の生命のも、仏性が厳然と存在していることにも通ずる。譬喩蓮華はすなわち人生における「如蓮華在水」の原理をあらわしたものともいえるであろう。
 さらにまた法華玄義巻七下に「譬えば蓮子の、また鳥皮汚泥中と雖も、白肉改まらざるが如し。一切衆生の了因の智慧も亦復是の如し。五住の汚泥、生死の果報、一切の智願猶お在りて失せず、是を如是性と名づく」と。
 蓮華の種子は、泥沼の中にあっても成長していく。すなわち、一切衆生は、煩悩の淤泥の中にあって、しかも智慧を奮い起して成仏する。煩悩即菩提を譬えているのである。
 このように天台大師は、蓮華の種子から次第に成じて蓮の実にいたるまでの蓮華の始終について十義が具足することを明かし、仏界の衆生においても始めの無明から終わりの仏果にいたるまでの十如是が欠けることのない譬えとして挙げている。さらに十二因縁、四諦等、あるいは本門の十妙についても蓮華をもって譬えている。
 以上のように譬喩蓮華は天台大師にあっては、釈尊の法門の究極を、誰にでもわかるように例をとって説明したものである。
(二)当体蓮華について
 譬喩蓮華をもって顕わそうとした当体は実は当体蓮華である。
 当体義抄にいわく「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513-04)と。
 この「因果倶時・不思議の一法」が当体蓮華であり、三大秘法の御本尊の異名である。大聖人はこれを「本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華」とも仰せである。
 九界を因として仏界を果とした場合、九界即仏界・仏界即九界となり、九界・仏界ともに一念の心法にある。
 故に「因果倶時・不思議の一法」という。そして再往、十界各具の因果に約せば、地獄界の場合は「瞋恚は是れ悪口の因、悪口は是れ瞋恚の果」となる。仏界の場合は「信心は是れ唱題の因、唱題は是れ信心の果」となる。このように因果はあるけれども、共に一念の心法にあるが故に「因果倶時・不思議の一法」と説かれているのである。
 この「因果倶時・不思議の一法」に対して、因果俱時であることを妙法蓮華経に相似の華草の蓮華をもって、わかりやすく説明しているのである。このように華草の蓮華をもって、難解の妙法蓮華経、因果倶時・不思議の一法を顕わす故に譬喩蓮華という。
 また当体蓮華には、二つの義があると日寛上人は当体義抄文段に説かれている。
 一には、十界三千の妙法の当体を直ちに蓮華と名づける故に、当体蓮華というのである。
 二には、一切衆生の胸間の八葉を蓮華と名づけ、これを当体蓮華という。このことを十如是にいわく「妙法蓮華経の体のいみじくおわしますは何様なる体におわしまするぞと尋ね出してみれば、我が心性の八葉の白蓮華にてありける事なり、されば我が身の体性を妙法蓮華経とは申し上げる」と。
 さてわれわれの胸の中に八葉の蓮華ありというかとは、何を意味しているのかというと、二つの意味がある。以下日寛上人の当体義抄文段を通じて講じた「御義口伝講」を引用しておくので了承されたい。
 その一つは、われわれの生命それ自体が妙法蓮華経であるということである。
 二つには、われわれの生命自体が妙法蓮華経即当体蓮華であるということを、われわれの肉体の中から見出したことである。しからばなにをもって、胸間の八葉の蓮華というかというに、心臓と肺蔵の一対を意味するのである。解剖学による心臓と肺蔵の有り様を見るに、二つの肺蔵の中に包まれている心臓がある。その形が、あたかも蓮華によく似ているのである。これを名づけて、胸間の八葉の蓮華といっているのである。
 これあたかも法華経と譬喩蓮華のごときもので、法華経に当たる当体蓮華は、われわれの生命それ自体であり、譬喩蓮華に当たる当体蓮華は、心臓とそれを包んだ二つの肺蔵である。そえゆえ、われわれの胸間に八葉の蓮華ありとするのは、われわれ自体が妙法蓮華経の当体であることを、強く意識せしむるのである。あたかもタイのひれの付け根に、タイの形と同じ骨があって、これをタイのタイと名づけ、また人間の死後、火葬に付した時に、人の形によく似た骨ができるが、それを「のど仏」と名づくようなものである。牛馬決にいわく「妙法蓮華とは一切衆生の胸の間に八葉の蓮華があり、これを名づけて当体蓮華となす」等云云。
 この胸間の八葉の蓮華は、男子は仰ぎ、女子は伏すといわれている。しかして、もし女人が妙法を受持すれば、男子と同じく仰ぐなりと仰せられている。これには深い意味があると思う。解剖学的に、肺蔵が回転するという意味ではなかろう。生理学的には、何かしら、心臓と肺蔵の活動に差異が生ずるであろうと推定するだけである。
 男子と女子とは、一般的に、生活力の差異があることは認めざるを得ない。しかして、本門戒壇の大御本尊を信ずる女性は、その生活力が男子と同様になるとの意ではあるまいか。それゆえ日寛上人は「当流の女人は外面は女人であるが、内心はこれ男子である」と仰せられている。
 そして、この胸間の八葉の蓮華の色はどうかというと、これは白蓮華であると決定されている。
 また大日経第一に胸間の蓮華を説く文にいわく「内心の妙白蓮は八葉円満なり」等云云。
 法華伝第六にいわく「比丘尼妙法、俗性は李氏、年漸く長大にして情出家を欣ぶ、年十二の時其の姉法華経を教ゆ。日に八紙を誦し月余にして一部を誦し訖る。人其の徳を美にして名づけて妙法と云う。願を立て諷誦八千辺臨終の時三茎の白蓮を生じ、池に生ずる時の如し、七日にして萎落せず」云云。
 釈書十一にいわく「釈氏蓮長天性精勤にして妙経を持す、唇舌迅疾にして一月に千部を経る。臨終の時、手に不時の蓮華一茎を把る。鮮白薫烈なり、傍人当うて云く此の華何より得る。答う是れ妙法蓮華なり云い已って已に寂す、手中の蓮華忽然として見えず」等云云。
 これは、妙法読誦の功用によって胸間の白蓮華を顕現したと説いているのである。実際問題として白蓮華が顕現したとするのか、また妙経の体を体得したとするのか、これは上中下の機根にまかせて判読すべきであるといわれている。それゆえ日寛上人の仰せに「像法既に爾なり、今唱題を励む豈顕現せざらんや、ゆえに知んぬ胸間の蓮華は生に是れ白蓮華なり」と。
 今、末法下種の三宝は日蓮大聖人の胸間の大白蓮華が顕現し給うのである。十如是事にいわく「妙法蓮華経の体のいみじくおはしますは何様なる体にておはしますぞと尋ね出してみれば我が心性の八葉の白蓮華にてありける事なり」(0411-12)等云云。ゆえに、御本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とおしたため遊ばされている日蓮とは、白蓮華をいみしているとの仰せである。
 日蓮大聖人が白蓮華であるということは、籤の十六に「有る人云く白蓮は日に随って開き回り、青蓮は月に随って開き回る、故に諸天の中に華の開合を用いて昼夜に表するなり」等云云とのべられているとおりである。日蓮の二字は、日に随って開き回る蓮華である。ゆえに白蓮なることは疑いないのである。したがって日蓮大聖人の当体そのままが、中央の御本尊であり、すなわち白蓮華なのである。
 また日興上人も白蓮華である。そのゆえは「白蓮阿闍梨」と名乗られている。所詮自性の理によって、名は必ず体を顕わす徳がある。白蓮阿闍梨の名はまさしく日興上人が白蓮華であることを明かしているのである。ゆえに末法下種の三宝は、われわれ衆生の胸間の白蓮華である。
 日蓮大聖人は末法本果妙の仏界であり、日興上人は本因妙の九界である。すなわち、文底下種の本因・本果・本国土の三妙合論の事の一念三千であって、すなわち本門の本尊でる。されば依正の因果悉く是れわれわれ衆生の心性、八葉の白蓮華、本門の本尊である。ゆえにこの本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、すなわち本門寿量の当体蓮華仏ということである。日女御前御返事にいわく「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(1244-09)等云云。
(三)法華経と当体・譬喩蓮華
 さらに「御義口伝講義」には、法華経の当体・譬喩蓮華をめいかしているので、以下それについて論じておきたい。
 一体、法華経には、何が説かれているのか、これこそ、根本問題である。序品における儀式、宝塔品の二処三会、湧出品における地湧の菩薩の大地より湧現等々、これらは、何を示すものであろうか、法華経を、本当にわかろうとするならば、当然ぶつかり、解かねばならぬ重大課題といえよう。ただ文上のみにとらわれ、満足しているとすれば、増上慢であり、謗法の科はまぬかれないのである。
 なお大仏法を、われわれとまったく無関係に位置づけてしまうものであって、生活と遊離した空理空論に終始してしまうわけである。法華経序品にすでに大不思議がある。それを戸田城聖前会長は、次のように述べている。「さて、この耆闍崛山に集った第一類声聞衆・第二類菩薩衆・第三類雑衆の数をざっと数えてみれば、約三十万に近いと思われる。それ以上であるか、それ以下であるかは、若干百千とあるので、推測にまかせる以外にはない。これだけの大多数の人間が、どうして集れたのかということが不思議になってくる。たとえ、集まりえたとしても、釈尊の音声がこれらの人へ、どうして聞かせたことか。仏は梵音声があるといって、梵音声の一相をもってこれを片づけるとしても、末代のわれわれ凡夫は信ずることができない。拡声器のようなものがあったと説く人がいるが、今日の科学者は断じてこれを信ずまい。古跡の発掘から、それらしきものが出てくれば別であるが、いまだ、そんな話は聞いたこともない。ことに雑衆中、帝釈天とか自在天とか、大梵天とか、また、人にあらざる竜王とか、緊那羅とか、乾楼羅とかにいたっては、どうしてこれを信ずることができようか。法華経をひもといて、これを鵜呑みにするならいざ知らず、少しく科学的に考慮する者は、序品第一から、疑いを起して二十八品を読了する気にはならないであろう。
 しかるに、経文の処々において、これを信ぜざる者は悪道に堕つとある。日蓮大聖人もまた六万九千三百八十四文字ことごとく金色の仏なりと仰せである。金色の仏とは仏の真理なりとのお言葉である。信ぜんとすれば、疑わざるをえず、これを疑えば釈尊および大聖人の二仏を妄語の仏となし、かつは悪道に堕ちねばならない。吾人はここに進退きわまれりというか、翻って仏語を案ずるに、仏の言葉はいつわりではない。しからば何を意味するのか。法華経には当体蓮華、譬喩蓮華の義がある。当体蓮華とは、動かすことのできない真理の直接説明であり、譬喩蓮華とはその真理を、譬をかりて説明したものである。たとえば、蓮華のことであるが、因果俱時の法それ自体を説くときは当体蓮華であって、因果俱時の法を蓮華の花をかりて、その花と実とが同時にあることを示して、これを説明するのは譬喩蓮華である。
 この序品の三類の大衆の集りは、すなわち、譬喩蓮華であって、当体蓮華ではないのである。しからば序品の当体蓮華はいかん。何万の声聞・何万の菩薩・何万の雑衆は、これことごとく釈尊己心の声聞であり、釈尊己心の雑衆である。妙法蓮華経は、釈尊の命であり、釈尊の心である。さればこそ、十界の衆生ことごとく釈尊の内証にすむというのも、なんのまちがいもないのである。序品を読む者、よくよくこれを心得なければならぬ。なお、すすんでいうならば、寿量文底の仏の大地がここにあらわれていると読んでいいのではないか」と。
 結局、法華経は、序品から、仏の生命を説いていることが明確であろう。さらに宝塔が湧現し、十方分身の諸仏が坐し、地湧の大菩薩が大地から湧出するという、虚空会の儀式も、ただ門上のみにとらわれては理解することができない。それでは、虚空会の儀式は何を説こうとしたのであろうか。虚空会の儀式は、教主大覚世尊が、滅後弘通の大法である妙法蓮華経を本眷属に付嘱し、流通を托すための一連の儀式の初めにあたる部分といえる。この儀式を日蓮大聖人の仏法から見直すならば、日蓮大聖人が虚空会の儀式を借りて三大秘法の御本尊をご図顕されたわけであり、このことをさらに立ち入って考えれば、久遠の如来が末法の御本仏として出現し、末法の衆生に御本尊を遺されたものである。ここに虚空会の儀式の深意があったわけである。
 ところで、こうした観点から法華経を見直すなら、迹仏のあらわした法華経は末法の御本仏である大聖人の仏法の説明書にあたるものといえよう。それでは、御本仏の顕わされた御本尊すなわち南無妙法蓮華経とはいかなる当体であろうか。実は、過去の宗教者、思想家たちが、模索し続けてきた。その悟りの当体こそが南無妙法蓮華経なのである。この南無妙法蓮華経は、文字は七文字であるが、その義は実に深固幽遠である。この不思議なる当体を顕わすために、釈尊は二十八品を説いて、説明に務めた。
 こうしてみてくると釈尊の仏法は、今日では、家の設計図に譬えられ、日蓮大聖人の仏法たる南無妙法蓮華経は、家それ自体に譬えられる。ゆえに、釈尊の仏法は、南無妙法蓮華経を説明する、譬喩蓮華であり、大聖人建立の大御本尊こそ当体蓮華であるといえよう。

0510:01~0510:05 第一章 十界の事相に約すtop
0510
当体義抄               日蓮之を勘う
01   問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、 答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切
02 衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、 答う勿論なり経に云く「所謂諸法・乃至・本末究竟等」云云、妙楽大師釈
03 して云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千
04 の諸法は今経の正体なるのみ」云云、 南岳大師云く「云何なるを名けて 妙法蓮華経と為すや 答う妙とは衆生妙
05 なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。
-----―
 問う、妙法蓮華経とは、その当体は、どのようなものであろうか。
 答う、十界の依報と正報とのすべてが、妙法蓮華経の当体である。
 問う、もしそうであるならば、われわれのような一切衆生も妙法の全体であるといえるのであろうか。
 答う、もちろんそうである。
 その証文としては、方便品第二に「所謂諸法・乃至・本末究竟して等しい」とあるとおりである。この文を、妙楽大師は金錍論でつぎのように解釈している。「実相にはかならず諸法がそなわっている。諸法にはかならず十如がそなわり、十如はかならず十界に収まる。十界はかならず正報と依報の身土に収まっている」と。天台大師は法華玄義に「十如・十界・三千の諸法は、法華経の正体なのである」と説いている。南岳大師は法華経安楽行義において「いったい、いかなるものを妙法蓮華経というのであるか。答う、妙とは衆生が妙であるが故に、法とは衆生が法であるが故に、衆生は妙法の当体である」と述べている。さらにこれを天台大師が釈して「衆生の法は妙である」と法華玄義でいっている。

妙法蓮華経
 ここでは、十界の依正がことごとく妙法蓮華経の当体であるということ。
―――
十界の依正
 十界の衆生と、そのよりどころとなる一切の環境のこと。依は依報、正は正法。
―――
当体
 そのままの本体。ありのままの本性。
―――
本末究竟等
 本と末は一貫して等しいこと。
―――
妙楽大師
 711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
―――
実相
 ありのままの真実のすがたのこと。
―――
諸法
 ①社会で広く行われている世間法・国法。②あらゆる宗教の教法。③仏教に説かれる一切の経典法。
―――
十如
 法華経方便品第2で説かれた、如是で始まる10の語。すなわち如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。仏が覚った諸法実相を把握する項目として示されたもの。天台大師智顗が一念三千の法門を立てる際、これに依拠した。方便品には諸法実相について、「唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」(法華経108㌻)と示されている。ここで諸法実相を把握する項目として「如是(このような)」で始まる10項目が挙げられており、それ故、十如是・十如実相という。①相とは、表面に現れて絶え間なく一貫している性質・性分。②性とは、内にあって一貫している性質・性分。③体とは、相と性をそなえた主体。これら相・性・体の三如是は、事物の本体部分である。これに対し、以下の七如是は、本体にそなわる機能面を表している。④力とは、本体に内在している力、潜在的能力。⑤作とは、内在している力が外界に現れ、他にもはたらきかける作用。次の因・縁・果・報は、生命が変化していく因果の法則を示している。⑥因とは、本体に内在する直接的原因。⑦縁とは、外から因にはたらきかけ、結果へと導く補助的原因。⑧果とは、因に縁が結合(和合)して内面に生じた目に見えない結果。⑨報とは、その果が時や縁に応じて外に現れ出た報いをいう。⑩本末究竟等とは、最初の相(本)から最後の報(末)までの九つの如是が一貫性を保っていることをいう。十如是のそれぞれの在り方は、十界それぞれの生命境涯に一貫しており、十界それぞれで異なる。しかし、衆生が十如是を平等にそなえているという側面、生命境涯の因果の法則は、十界に共通である。これは、十界のいずれもが、内にそれぞれの因をそなえており、それが縁に応じて果を生じ、報として現れることを示している。したがって、十界のどの衆生も、仏界の縁を得れば、仏界を現して成仏できる。
―――
十界
 衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。生命論では人間の生命の状態の分類に用いる。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」という。「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。六道の中では、地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」とし、この三悪道に比べれば相対的にはよいことから、修羅・人・天は「三善道」とされる。また三悪道に修羅を加えて、「四悪趣」ともいう。また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯である。小乗の教えに基づき覚りを目指す声聞・縁覚は「二乗」と呼ばれる。これに菩薩を加えて「三乗」と呼ばれる。法華経以外の経典では、十界はそれぞれ固定化された世界・境涯としてとらえられていた。しかし法華経では、その考え方を根本的に破り、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわっていることを明かし、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることを説いて、十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命にそなわる10種の境涯であることを示した。したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべてそなわっており、縁によって次にどの界の境涯をも現せることが明らかになった。このように十界の各界が互いに十界をそなえていることを十界互具という。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
―――
身土
 「身」は正法であり、三世間にあてはめれば五陰世間・衆生世間を意味し「土」は国土世間を意味する。
―――
天台
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
三千
 一念三千の三千世間のこと。
―――
三千世間
 天台大師が摩訶止観で一念三千を具す相貌を明かす際、世間に約して三千の数量を示したもの。
―――
今経
 法華経のこと。南無妙法蓮華経のこと。
―――
南岳大師
 515年~577年。中国・南北朝時代の北斉の僧。慧思のこと。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。慧文のもとで禅を修行し、法華経による禅定(法華三昧)の境地を体得する。その後、北地の戦乱を避け南岳衡山を目指し、大乗を講説して歩いたが、悪比丘に毒殺されそうになるなど度々生命にかかわる迫害を受けた。これを受け衆生救済の願いを強め、金字の大品般若経および法華経を造り、『立誓願文』(558年、大蘇山にて)を著した。この『立誓願文』には正法500年、像法1000年、末法1万年の三時説にたち、自身は末法の82年に生まれたと述べられており、これは末法思想を中国で最初に説いたものとされる。主著『法華経安楽行義』では、法華経安楽行品第14に基づく法華三昧を提唱した。天台大師は23歳で光州(河南省)の大蘇山に入って南岳大師の弟子となった。【観音・南岳・聖徳太子】日蓮大聖人の時代の日本では、観音菩薩が南岳大師として現れ、さらに南岳の後身として聖徳太子が現れ仏法を広めたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では、南岳大師を「観音の化身なり」(604㌻)、聖徳太子を「南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり」(608㌻)とされている。
―――
衆生法妙
 衆生の法が妙であることで、一切衆生が妙法蓮華経をそなえた存在であるとの意。南岳大師が法について衆生・心・仏の三法を示し、更に天台大師が衆生法について釈したもの。衆生法とは九界の衆生であり、そのおのおのが仏の知見を具しているが故に妙であるということ。すなわち衆生法妙とは、九界即仏界を意味し、また衆生が妙法蓮華経の当体であるということ。
―――――――――
 この章は宇宙の森羅万象ことごとく、妙法蓮華経の当体であることを明かされている。すなわち所証の法を明かすにあたって、まず法体に約して、森羅万象を当体蓮華といわれたのである。
 ただし「妙法蓮華経とは其の体何物ぞや」との問いの元意は、文底秘沈の事の一念三千の本尊の南無妙法蓮華経を問われたのである。この元意が難信難解であるため、浅きより深きに至るいくつかの設問を論じられている。したがって、あくまで妙法蓮華経とは三大秘法の御本尊の異名であることを念頭において本抄を読まなければならない。
 本章は、十界三千の諸法とはそのまま妙法蓮華の当体であり、衆生もまた妙法の全体である義を明かしている。引用されている四箇の証文もこの意である。
十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり
 妙法蓮華経の当体は何かという質問である。これに対して十界三千の依正が、すなわち森羅万象のことごとく、妙法蓮華経の当体であることを明かされたのである。ただしこれは、あくまでも一往の義であり、理の上の法相である。再往は、後に論ずるように、南無妙法蓮華経と唱えたものが、真実の妙法蓮華経の当体となり、仏界を湧現できるのである。
 十界とは、地獄界から仏界までの十種の生命活動である。依正とは、依報と正報のことである。十界の依正とは三千の諸法ということである。有情界のみならず非情界の草木、瓦石であっても妙法蓮華経の当体である。また悩みや苦しむという地獄の活動をしている生命も、それ自体が妙法蓮華経の当体である。正報とは、果報の主体の意であり、主観的立場、自己自身の生命である。依報とは、正報のよりどころとなる非情の草木、国土、つまり自己をとりまく一切の環境である。
 一切の現象、物事の姿には、この依報、正報があり、しかもそこに依正不二 依報と正報は二にして、しかも一体不二という関係がある。瑞相御書にいわく「夫十方は依報なり.衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし・又正報をば依報をもつて此れをつくる」(1140-06)と。
 ここで明らかなように、依正について、正法を中心として、依報を論ずる場合と依報を中心として正法を論ずる場合の二つの立場がある。だがあくまでも、依正といっても正報が根本であり、自己の一念によって環境を変えていくのである。したがって、地獄の苦しみに沈んでいる境涯の人にとって、依正不二で、どこへ行こうと、その世界は地獄である。反対に、自分の境涯ともいいうる正報が天界であつたならば、環境世界をなんとなく明るく感ずるのである。
 自分自身が仏界であれば「何とかして仏法を説いて御本尊を教えたい」という折伏精神になる。これによって相手の仏界を開いていくことも可能である。
 このように正報が地獄界であれば、依報も地獄界を感じ、正報が仏界であれば、依報も仏界を感ずる。すなわち、一個の人間にあてはめてみても依正不二の当体ということができる。
 したがって、地獄界から仏界まで十種の生命活動はあるが、瞬間瞬間、正報と依報というものは、一つの当体として考えることができよう。詮ずるところ依正とは生命と約せるのである。
 しかも万法ことごとく、一法も残さず、その本源をたどっていけば、妙法蓮華経の法則にのっとっているのである。
 だがこれは、あくまでも、理の上の法相であって、真実の当体蓮華の義を明かしてはいない。御義口伝にはこれを「不変真如の理」と「随縁真如の智」に約して説明されているが、ここでは「不変真如の理」の段階である。
 釈尊は、法華経迹門にいたって、諸法実相を説いて、森羅万象が妙法の当体であることを示し、一切衆生は妙法の当体であると説き、二乗作仏、女人成仏、悪人成仏を説いた。理論的に考えるなら、たしかに森羅万象は百界千如、一念三千の当体であり、有情、非情にわたって、皆、仏界、仏性を具しているはずである。しかしこれは、あくまでも理にすぎない、仏性を具しているだけでは価値は生じない。譬えば、自分自身がいかに理論的に妙法の当体であり、かつ仏界を具していると理解していても、現実の生活が悩みだらけではどうしようもない。では仏界を湧現する方法は何か、これこそ仏法上の問題である。
 日蓮大聖人の仏法においては、法華経二十八品が大御本尊の説明書であり、大御本尊を信じ、題目を唱えることにより、仏界を湧現できると説いているのである。わが身も妙法の当体、宇宙も妙法の当体である。それゆえ妙法を唱えるとき、大宇宙の本源の力に合致して、現実の生活の上に偉大な妙法の功徳力としてあらわれ、苦難、苦悩を打開していくのである。
所謂諸法・乃至・本末究竟等
 本末究竟等の文は、われわれが朝晩の勤行のときに読誦する法華経方便品第二の十如是の文である。
 まずその文をあげると「所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」である。
 この本末究竟等とは、法華玄義巻二上に「初めの相を本と為し、後の報を末と為す」とあり、初めの如是相を本とし、如是報を末とするのである。究竟とは、物事のきわみ、究極のことをいう。すなわち、十如実相の初めの如是相より如是報にいたるまで、相・性・体等おのおのの差別はあっても、その本源をたずねていくならば、一貫して変わらない中道法相であるとの意味である。
 この段では、宇宙の森羅万象が妙法蓮華の当体であるとの文証として引かれている。このことは、諸法実相抄に「此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」(1358-01)とあることからも明らかである。
 「本末究竟等」のこの道理は、空間的には、大宇宙を包含し、時間的には永遠をはらむ瞬間の生命を説き明かしたものであり、依正不二、因果俱時の原理にも通ずる仏法の道理である。戸田前会長は、この「本末究竟等」を、釈尊の立場から、次のようにわかりやすく説明している。
 「如是相を初めとし、如是報を終わりとして、本末究竟して中道法相であります。畜生界の人は如是相から如是報にいたるまで一貫して、十万円に執着しきっている姿で相性体力作因縁果報まで、究竟して等しく、この状態以外の何物でもありません。修羅界の人も、如是相から如是報にいたるまで、一貫して腹をたてきっている状態で、相性体力作因縁果報、皆、究竟して、この姿であります。声聞・縁覚界の人は如是相から如是報にいたるまで一貫して、皆、関係したくないという個人主義的な状態で、相性体力作因縁果報まで究竟して等しく、この姿であります。菩薩界の人は、如是相から如是報にいたるまで、一貫して思いやり深い状態で相性体力作因縁果報まで究竟して等しく同じであります」と。
 だが、釈尊の仏法においては、地獄から仏界まで本末究竟等を理の上で、観念的に論じたものである。しかしながら、大聖人の仏法における本末究竟等は、事実の上で仏界を湧現させることに尽きるのである。
 それゆえ、九界即仏界を事実の上で示された日蓮大聖人こそが本末究竟等の当体である。したがって、日蓮大聖人おしたための御本尊を信ずる者の生命もまた本末究竟等とあらわれ、一切の振舞いが、妙法に合致し、幸福を享受していくことができるのである。
 この本末究竟等は多角的に論ずることができる。ここでは、おもな例をあげて説明してみよう。
 まず「本末究竟等」とは、時間的にこれを論ずるならば「因果俱時」の原理をいうのである。
 聖人知三世事にいわく「教主釈尊既に近くは去つて後三月の涅槃之を知り遠くは後五百歳・広宣流布疑い無き者か、若し爾れば近きを以て遠きを推し現を以て当を知る如是相乃至本末究竟等是なり」(0974-05)と。御文では、教主釈尊に事寄せて仰せである。釈尊は自身の入滅を知っておられたし、遠く後五百歳の未来に、すなわち末法に妙法が弘まることをも予言しておられたではないか。との意である。そして、もしその通りであれば、近い現在のことから遠い未来のことを知るということは、言い換えれば本と末とを知ることであり、本末究竟して等しい本末究竟等の原理であると仰せである。
 日蓮大聖人の仏法は、現当二世の仏法であり、因果俱時の仏法である。したがって、現在の瞬間瞬間の活動は、ことごとく、未来の果を、はらんでいるのである。また信心に反対すれば、瞬間に、地獄の果をはらんでいるがゆえに、地位、名誉、財産等がどうであろうと、その人は、地獄へ、地獄へと、向かうのである。この道理が本末究竟等である。
 次に本末究竟等を「久遠即末法」の原理から論じてみよう。
 一念をつきつめていくならば、まことに過去遠々劫も、未来永劫も、ことごとくこの一念に包含されるのである。永遠といっても、瞬間の連続以外何ものでもない。これを「久遠即末法」というのである。
 久遠即末法を、仏に約して論ずるならば、久遠元初の自受用報身如来が、末法にそのままの姿、振舞いで、日蓮大聖人とあらわれ、久遠元初の大法である南無妙法蓮華経を末法の衆生に、授けたれたことを意味する。
 これ、久遠元初が本であり、末法は末であり、本末究竟して等しい姿である。
 さらに「本末究竟等」を、空間的に論ずるならば、まさしく「依正不二」の原理をいうのである。
 先に述べたとおり、依正とは依報と正報のことである。正報である自己が本であり、依報である一切の環境は末と考えることもできる。この本末究竟等の原理にのっとり、三大秘法の御本尊に題目を唱え、修行するところ、行き詰まりはなく、希望と勇気と歓喜に満ちみちた行動となり、さらには、一念の働きが環境世界を変えることができるのである。
実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土
 これは、妙楽大師が法華経方便品第二の「所謂諸法・乃至・本末経竟等」の文を解釈した言葉である。妙楽大師の金錍論の中にある語で、実相四必銘といわれ、一念三千の法門を説きあらわしている。
 ここで経・釈・論について簡単に説明しよう。釈尊の教説・釈尊自身の教えを「経」という。経や論の意義や趣旨を解釈したものが「釈」であり、天台大師の法華文句・妙楽大師の法華文句記等をいう。また竜樹菩薩・天親菩薩等の論師が「経」をもとにして、さまざまな論議を展開したものを「論」という。たとえば、中論、十住毘婆沙論、大智度論、法華論などである。
 この妙楽大師の釈は妙法蓮華経を開いて広大無辺の内容を明かし、その関係性について述べたものである。すなわち大宇宙に遍満し、また個々の生命に包摂される万物の真実の姿を明かしたものである。 実相とは宇宙の究極の本体であり、また生命のありのままの姿である。
 御義口伝に「実は心王相は心数なり」(0782-14)と仰せであり、実相とは心のはたらきをいう。つまり生命の発現するところに実相があるということである。
 有情・非情を問わず、いかなる存在も十界三千の法をそなえている、実相はすなわち諸法である。あらゆる存在が実相なのである。
 その諸法には必ず十如是がそなわっている。十如とは如是因・如是縁・如是果~如是本末究竟等という究竟の法理である。ひとつの現象には、本末究竟して等しく、瞬間のうちに十如がそなわっているのである。すなわちあらゆる現象は、それぞれ何の関連もなく変化していくのではない。因果の理法にもとづく生命活動であるということである。
 この十如の法理は、必ず十界の範疇の活動の中に出現する。地獄界の人はあくまでも地獄界の十如の働きをしていくのである。餓鬼界の人は、如是相から如是報まで、一貫して餓鬼をかこっている状態で、相性体力作因縁果報まで、究竟して等しく、この状態以外の何ものでもないのである。
 この十界の生命活動は、必ず衆生のおのおのの身体と国土世間とを一体不二とし伴っているのである。主体として衆生と環境とは一体となって、一つの生命活動を行っているといってもよいであろう。
 詳しくいうならば、身土の身とは生命活動の主体である衆生の一身をいい、土とはその一身が存在する場所すなわち国土をいう。その衆生の身と国土とが身土不二、依正不二なのである。
 一生成仏抄にいわく「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(0384-01)と。
 所詮、妙楽大師の文は生命の本性を十界互具、十如是、三世間というさまざまの角度から論じたものであり、一念三千をこのような言葉で表現したのである。だが、釈尊や天台大師、妙楽大師の説いた一念三千の法門は、日蓮大聖人の仏法の立場からみるならば、理の上の法門であり、有名無実のものである。
 たとえば、マイクロホンという非情の生命について考えてみても、この実相は必ず諸法を具している。声を拡大させるという作用および力、また使用する人間との縁等々、一つのマイクロホンに必ず十如是があり、その十如是は必ず十界の範疇での因果の理法なのである。マイクロホンを講義に使用すれば、マイクロホンは声聞界の縁の働きをする。そのマイクロホンをとおして美しい歌声がながれれば、天界の働きに変わるのである。このように、非情のマイクロホン自体にも有情とおなじように十界三千の働きがある。万法ことごとく、一法も残さず、どんな現象であっても、その本源をたどってみるならば、すべて妙法蓮華経の当体なのである。
 諸法実相抄にいわく「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、天台云く『実相の深理本有の妙法蓮華経』と云云、 此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり」(1359-03)と。諸法実相の実相も教相の面からいえば、森羅万象の実相、すなわちありのままの姿であるということであるが、日蓮大聖人の観心の立場から見るならば、三大秘法の御本尊の姿の現れである。すなわち、十界三千の諸法が、南無妙法蓮華経の一法に具足した姿、これが御本尊の相貌であり諸法実相である。
 それゆえ、当門流にあっては、実に妙楽大師のこの釈も、御本尊の相貌を明かさんとしたものと読むのが正しいといわねばならない。具体的にいえば、中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とあり、南無妙法蓮華経は法本尊、日蓮は人本尊で人法一箇であることを示している。これが十界三千の諸法の当体であり、実相であり、この左右にしたためられた十界は、大聖人己心の十界であり、南無妙法蓮華経の光明に照らされた十界の生命活動である。
 十界を、御本尊のなかに拝するならば、仏界は釈迦・多宝になる。菩薩界は四菩薩ならびに文殊師利菩薩・薬王菩薩、声聞・縁覚は迦葉尊者・舎利弗などである。天界は毘沙門天・大日天・大月天・大持国天・帝釈天・さらには第六天の魔王もはいる。人界は阿闍世王、修羅界は阿修羅、餓鬼界は鬼子母神、畜生界は竜王、地獄界は提婆達多で代表される。
 この十界には必ず身土がある。十界の生命それ自体は、御本尊即日蓮大聖人の御身である。御本尊自体のまします所が「土」となる。このように、無始無終の宇宙観、生命観が見事に説かれているのである。

0510:06~0511:07 第二章 十界の事相の所以を釈すtop
06   問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや、 答う法性の妙理に
07 染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り 浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、 此の迷悟の二
08 法二なりと雖も然も法性真如の一理なり、 譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り 月輪に向えば水を取る玉の体
09 一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し、 真如の妙理も亦復是くの如し 一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇
10 えば迷と成り 善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり、 譬えば人夢に種種の善悪の業を見・夢
11 覚めて後に之を思えば我が一心に見る所の夢なるが如し、 一心は法性真如の一理なり 夢の善悪は迷悟の無明法性
12 なり、 是くの如く意得れば悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり、 大円覚修多羅了義経に云く「一切
13 諸の衆生の無始の幻無明は皆 諸の如来の円覚の心従り建立す」云云、 天台大師の止観に云く「無明癡惑・本是れ
14 法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る」云云、 妙楽大師の釈に云く「理性体無し全く無明に依る無明体
15 無し全く法性に依る」云云、 無明は所断の迷・法性は所証の理なり 何ぞ体一なりと云うやと云える不審をば此等
0511
01 の文義を以て意得可きなり、 大論九十五の夢の譬・天台一家の玉の譬誠に面白く思うなり、 正く無明法性其の体
02 一なりと云う 証拠は法華経に云く「是の法は法位に住して 世間の相常住なり」云云、 大論に云く「明と無明と
03 異無く別無し 是くの如く知るをば是を中道と名く」云云、 但真如の妙理に染浄の二法有りと云う事・証文之れ多
04 しと雖も華厳経に云く「心仏及衆生是三無差別」の文と 法華経の諸法実相の文とには 過ぐ可からざるなり 南岳
05 大師の云く「心体に染浄の二法を具足して 而も異相無く一味平等なり」云云、 又明鏡の譬真実に一二なり委くは
06 大乗止観の釈の如し 又能き釈には籤の六に云く「三千理に在れば 同じく無明と名け 三千果成すれば咸く常楽と
07 称す三千改むること無ければ無明即明・三千並に常なれば倶体倶用なり」文、 此の釈分明なり
-----―
 問う、一切衆生の当体がそのまま妙法の全体であるならば、地獄界から菩薩界までの九界の業因業果も、すべて妙法の当体であろうか。
 答う、諸法の本性の不思議な理として、一念には「染浄の二法」がある。染法が働くならば迷いとなり、浄法が働けば悟りとなる。この悟りが、すなわち仏界であり、迷いは、衆生すなわち九界となるのである。この迷悟の二法は二ではあるけれども、しかもその根底においては共通した法性真如の一理である。譬えば、水精の玉は太陽に向ければ火を取り、月に向ければ水を取る。このように玉は一つであるが、縁によってその効能が同じでないようなものである。
 十界に具わった真如の妙理も、また、このようなものである。法性の理は、ただ一つの妙なる真如の理ではあるけれども、悪縁にあえば迷いとなり、善縁にあえば悟りとなる。その悟りはすなわち法性であり、迷いはすなわち無明である。譬えば、夢の中で、善悪の業についていろいろと見る。しかし、夢からさめて、これを思い返してみれば、夢の善悪は迷いの無明と悟りの法性である。このようにわきまえたならば、悪い迷いである無明を捨てて、善の悟りである法性にもとづくべきことは当然である。
 華厳部の大円修多羅了義経には「一切衆生の無始以来の幻の無明は、すべて衆生の本性である本覚の法身如来の円覚の心から作り出したものである」といっている。また、天台大師は摩訶止観巻五に「無明の癡惑は、本来それ自身が法性と一体である。しかし、癡と迷いのために法性が変じて、無明となるのである」と述べている。また、妙楽大師の法華玄義釈籖の巻一には「理性といっても、別の本体があるのではなく、すべて無明の働きによるのである。また無明といっても、無明に別の本体があるのではなく、すべて法性の働きによるのである」と説いている。無明は断じ尽くすべき迷いであり、法性は証得すべき仏の道理であって、まったく異なるものであるのに、どうして無明と法性とが体一であるかという疑問は、以上の数々の経釈の文義によって正しく理解すべきである。大智度論の巻九十五に説かれた夢の譬えや、天台大師の玉の譬えは、共に無明・法性一体であることをよく説明してあり、まことに興味深く思うものである。
 まさしく無明と法性とが体一であるという証拠は、法華経の方便品第二の「是の法は法位に住して世間という差別相がありながら、そのまますべて衆生と仏ともに永遠に常住である」の文である。
 大智度論には「明と無明とは、何の異もなく別もない。このように知ることを中道と名づけているのである」といっている。
 ただ真如の真理に、染浄の二法があるという証文は多いけれども、華厳経の「心と仏と及び衆生とこの三つは、まったく差別がない」という文と、法華経の「諸法実相」の文にまさるものはない。南岳大師は「心の本体に染法と浄法の二法を具足して、しかも、別に異なった姿はなく、まったく一味平等である」と。また同じく南岳大師の明鏡の譬は、まことに詳しい。さらに詳しくは大乗止観の釈のとおりである。
 また、すぐれた釈文としては妙楽大師の法華玄義釈籤の六に「一念三千の道理が、ただ衆生の理具としてとどまっているだけでれば、それを無明と名づけ、一念三千が仏果として成就したのであれば、すべてそれを常楽というのである。いずれにしても、一念三千という実相は不変なのであるから、無明即明であり、三千が衆生、仏ともに常住であるがゆえに俱体俱用である」といっている。この解釈によって明らかであろう。

地獄
 地獄の世界。苦しみに縛られた最低の境涯。古代インドでは、大きな悪の行いをした者は死後、地の下にあって苦悩が深く大きな世界に生まれるとされた。その世界をサンスクリットでナラカといい、音写して奈落と呼び、意訳して地獄という。経典には八熱地獄や八寒地獄など数多くの地獄が説かれている。「観心本尊抄」には「瞋るは地獄」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる地獄界は、瞋るすがたにうかがえることが示されている。この「瞋り」は、思い通りにいかない自分自身や、苦しみを感じさせる周囲に対して抱く、やりばのない恨みの心をいう。これに基づいて生命論では、生きていること自体が苦しい、あらゆることが不幸に感じる生命状態を地獄界とする。
―――
業因業果
 業因は善悪の二業が未来に善悪苦果を感ずべき因種をいい、業果は因業によってもたらされる結果をいう。
―――
法性の妙理
 法性は諸法の本性。あらゆる法則・現象において本来、自ら具わっており、他によっても改まらないものをいう。境に約していえば、諸法の当体、智に約していえば悟りの境涯をいう。妙理とは法性所具の本有の真理・不可思議な真理ということ。
―――
染浄の二法
 染法はけがれた法のことであり、悪縁にふれたときに貧・瞋・癡・慢・疑の五住の煩悩によって生命が深く染まりついていくことをいう。浄法は煩悩のけがれに染まらない清浄の法のことで、仏界の善縁にふれたとき、信心の善業によって生命が清浄に浄化されていくことをいう。九界の権には染法が働き、仏界の実には浄法が働く、この染浄の二法は、共に生命が善悪の縁にふれることによって働いていく。悪縁にあえば染法が薫じ、生命自体が濁り、悪業を積み、善縁にあえば浄法が薫じ、六根清浄の果報を得て善業を積むことができる。
―――

 菩提のこと。サンスクリットのボーディの音写で、覚りの意。特に、仏が体得した最高の智慧による覚りをいう。
―――
法性真如の一理
 法性は法が本来、具えている性分、真如の真は真実の義・如は如常の義である。虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であって不変であるから如という。したがって法性真如の一理は宇宙万有の真実にして平等無差別な絶待真理をいう。南無妙法蓮華経のこと。
―――
悪縁
 仏道修行を妨げ、悪い行いを助長する縁となるもの。
―――
善縁
 成仏させる助縁となるもの。大御本尊のこと。
―――
無明
 サンスクリットのアヴィドヤーの訳で、真理に明らかでないことを意味する。仏教では生命の根源的な無知・迷い・癡さであり、一切の煩悩を生む根本とされる。また三惑の一つである無明惑をさす。
―――
善悪の業
 善縁と悪縁のこと。
―――
大円覚修多羅了義経
 円覚経のこと。大方円覚修多羅了義経の略、大方広円覚経・円覚了義経・円覚修多羅了義経ともいう。唐・長寿2年(0693)北インド・罽賓国の仏陀多羅の訳。文殊・普賢・弥勒・円覚・賢善首等十二菩薩のために、仏が大円覚の妙理と、その実修観法を説いたものだが、古来、中国で撰述された偽経であるとの説がある。唐代の宗密の円覚経第疏3巻をはじめ注釈書が多く、華厳宗・禅宗に影響を与え、特に禅宗では、維摩経・首楞厳経とともに重視している。
―――
心仏及衆生是三無差別
 旧釈華厳経夜摩天宮菩薩説偈品大十六で、如来林菩薩が説いた偈の文。「心は工なる画師の如し、種々の五陰を画く。一切世間の中、法として造らざる無し、心の如く仏も亦爾り。仏の如く衆生も然り、心仏及び衆生、是の三差別無し」を略して挙げられたものである。すなわち、此と仏と衆生とは、三法に説かれているけれども、事実は差別がないという意味である。
―――
円覚
 円満の覚体で、妙法蓮華経の当体のこと。
―――
天台大師
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
止観
 摩訶止観のこと。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。
―――
無明癡惑
 無明は最も根本的な煩悩であり、迷いの源をいう。癡惑は心性がおろそかで、ものの道理に迷うことをいう。諸法の本性を見究めることのできない迷いや、おろかに迷うことをいう。正法に帰依できない迷いにたらわれた心をもいう。
―――
妙楽大師
 711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
―――
理性
 理は法性真如の実理のこと、性は不変不改の義である。森羅万象において永遠に変わらない本来的な性分をいう。
―――
所断の迷
 断ずべき迷いのこと。
―――
所証の理
 証得すべき理。すなわち妙法のこと。
―――
大論
 大智度論のこと。摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
―――
大論九十五の夢の譬
 大智度論巻95に「是の事を証明せんと欲するが故に、夢中に五欲を受くるの譬喩を説く」とある文をさす。
―――
天台一家
 天台宗一門のこと。
―――
玉の譬
 無明も法性もその体は一つであるということ。当体義抄には「譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り 月輪に向えば水を取る玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し」(0510-08)とある。
―――
是の法は法位に住して世間の相常住なり
 法華経方便品第2の文。権と実の理一を」あらわす文。
―――
中道
 相対立する両極端のどちらにも執着せず偏らない見識・行動。①苦楽中道。不苦不楽中道とも。快楽主義と苦行主義の二つの生き方を捨てること。出家前の釈尊は、王子としての贅沢な暮らしから快楽を求める生き方をしていたが、これを捨てた。また出家して苦行を行っていたが、覚りに無益であるとしてこれを捨てた。その後、心身を整えて瞑想する中で覚りに至った。②有無中道。非有非無中道とも。断見と常見の両極端のどちらにも偏ることなく、あらゆるものごとは、縁起の法にしたがって、生成消滅するという正しい見識に立つこと。③八不中道。竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』の冒頭にある詩句、不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去という八不(八つの極端の否定)によって指し示されるものごとの真実のあり方。④空と中道。竜樹の『中論』には、「衆因縁生法は|我即ち是れ無なりと説く|亦是を仮名と為す|亦是中道の義なり」とあり、衆の因縁生の法(縁起)と空と仮名と中道を同一視している。竜樹は「もし一切は皆、空ならば、生も無くまた滅も無し」と説く。空こそが、生滅・有無などの対立する2項を離れたものごとのありのままの姿であり、これを中道というとする。⑤三諦における中道。天台大師智顗は『中論』の説を受けて、空仮中の三諦円融に基づく中諦を説いた。修行者の一心を観じて三諦円融を覚る一心三観の実践を説いた。『摩訶止観』巻3上には「中道第一義観とは、前に仮の空なるを観ずるは、是れ生死を空ず。後に空の空なるを観ずるは、是れ涅槃を空ず。双べて二辺を遮す……また、初めの観は空を用い、後の観は仮を用いる。これを双存の方便と為す。中道に入る時、能く双べて二諦を照す」と述べ、双遮・双照をもって中道としている。つまり空と仮をならべて否定(遮)すると共に、空と仮をならべて用い、障害なく通じ合って融和し、偏ることのない境地である。
―――
華厳経
 大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
―――
心仏及衆生是三無差別
 華厳経旧訳第10巻で如来林菩薩が説いた偈文。「心と仏と及び衆生と是の三差別無し」とある。心と仏と衆生とは、本来別のものではなく、三つの差別はただ一念のつくりなせる業であるとの意。
―――
法華経の諸法実相の文
 法華経方便品第2の文のこと。「唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」とある。十界のおのおのが実相として十如是を具えているがゆえに、地獄界の衆生も、仏も、その本体は同じであるということ。
―――
南岳大師
 515年~577年。中国・南北朝時代の北斉の僧。慧思のこと。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。慧文のもとで禅を修行し、法華経による禅定(法華三昧)の境地を体得する。その後、北地の戦乱を避け南岳衡山を目指し、大乗を講説して歩いたが、悪比丘に毒殺されそうになるなど度々生命にかかわる迫害を受けた。これを受け衆生救済の願いを強め、金字の大品般若経および法華経を造り、『立誓願文』(558年、大蘇山にて)を著した。この『立誓願文』には正法500年、像法1000年、末法1万年の三時説にたち、自身は末法の82年に生まれたと述べられており、これは末法思想を中国で最初に説いたものとされる。主著『法華経安楽行義』では、法華経安楽行品第14に基づく法華三昧を提唱した。天台大師は23歳で光州(河南省)の大蘇山に入って南岳大師の弟子となった。【観音・南岳・聖徳太子】日蓮大聖人の時代の日本では、観音菩薩が南岳大師として現れ、さらに南岳の後身として聖徳太子が現れ仏法を広めたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では、南岳大師を「観音の化身なり」(604㌻)、聖徳太子を「南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり」(608㌻)とされている。
―――
異相
 異なった姿・形をいう。
―――
一味平等
 仏の心体にも衆生の心体にも同じく染浄の二法があり、まったく平等であるということ。
―――
明鏡の譬
 南岳大師の大乗止観巻2にある。一切像と鏡体の関係が二にして不二であることをとおして、衆生と仏の関係・九界と仏界の関係が不二であることを明かしている。
―――

 法華玄義釈籤のこと。妙楽大師湛然による『法華玄義』の注釈書。10巻。
―――
三千理に在れば
 一念三千の道理が、ただ衆生の理具としてとどまっていれば、との意で、一切衆生は本来、一念三千の体を所有しているが、それが開顕せずに、ただ理の上であって本有の所有にとどまっている間は、との意味。
―――
倶体倶用
 体とは本体、用とは働き、この体用を具えていることを俱体俱用という。
―――――――――
 この章は、森羅万象が妙法蓮華経の当体である理由を明かされたところである。一切衆生の当体が妙法蓮華の全体というならば、地獄界ないし菩薩界等の業因業果も皆これ妙法蓮華の当体と考えてよいのかという問いに対して、そのとおりであると答え、その理由を染浄の二法の上から、体一相異、相異体一に約して述べられている。
 悩み苦しむ九界の生命活動といっても、力強い仏界の生命活動といっても、それは法性真如の一理たる妙法に帰するのである。共に妙法の働きであって、九界の業因業果に苦しみ、不幸な人生を送る人も、その本性は妙法蓮華の当体である。
 しかしこれは一往の義であり、地獄界、畜生界、修羅界等の生命に支配されている人は、染法の濁った罪業であるが故に、真実の妙法の当体とはいえないのである。再往は御本尊を受持し、仏界を湧現し、浄法の清浄な生命を確立して初めて妙法蓮華の当体といえるのである。
染浄の二法
 一念には染浄の二法がある。その一つは、汚れた生命で、煩悩・業・苦に左右される迷いの法ある。これを染法という。いま一つは、清浄な法で、煩悩・業・苦に左右されない悟りの法である。これを浄法という。十界の上からこれをみれば、染法とは九界であり、浄法とは仏界である。また染法は無明であり、浄法は法性である。
 この染法が働くならば迷いとなり、不幸な人生となっていく。逆に浄法が働けば悟りとなり、幸福な人生になっていく。しかし、染法といい、浄法といっても、別々にあるものではなく、同じ生命のなかの変化であり、しかも法性真如の一理に帰するのである。法性真如の一理とは、衆生に本来そなわっている真実の絶対的真理であり、つまり妙法蓮華経のことである。
 自身に収まっている法性真如の一理を覚知し、顕現するかによって幸不幸もきまってくるといっても過言ではない。ただしこの法性真如の一理である南無妙法蓮華経を顕現するとめには、三大秘法の御本尊の信受以外にはない。それは、譬えば鏡に自身の姿を映すようなものである。もし鏡がなければ自身の姿を映すことができない。鏡の前に立つとき、自身の内にある法性真如の一理が映し出される。すなわち御本尊に向かって信力・行力を出すときに、御本尊の御力があらわれ、もともとそなえている法性真如の一理が現前するわけである。
 ところで、一念の生命を説いたのが仏法である。およそ、人間の本性について、古来から、おのおのの立場で考えてきている。ここで、性善説、性悪説と仏法との関連性について考えてみたい。
 性善説を唱える思想家に孟子がいる。その孟子は「人生の善なるや、なお水の下に就くが如きなり」と語り、人の本性は水が高きより低きに流れるがごとく、自然に善に向かうものだというのである。
 これとはまったく反対に、人間は本来、悪の性分であるというのが性悪論である。荀子は「人の性は悪、その善なるものは偽なり」と人間の本性がもともと悪であると語っている。
 過去の思想をみると、どうも性善説より性悪説の方が優勢であったようである。アメリカのプラグマティズムの創始者・ジェームズは「生物学的に考察すると、人間は最も恐ろしい猛獣であり、しかも同じ種族を組織的に餌食にする唯一の猛獣である」と。これまた性悪説を唱えている。
 またこうした、互いに相反する性善、性悪両説の中庸をとって、本来、両面があるとする考え方も古くからある。ただし、その根拠はあいまいであり、理性的に解明されたものではないといえよう。
 仏法では、人間の本性といったものも十界論、一念三千論、さらには染浄の二法といったさまざまな観点から洞察している。
 治病抄には「善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-06)とある。
 総勘文抄には「無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性と云う、故に無明と法性とは一心の異名なり、名と言とは二なりと雖も心は只一つ心なり斯れに由つて無明をば断ず可からざるなり」(0564-07)と、無明と法性といった観点から、人間の本性を見直している。
 無明といっても悟りといっても、共に一念の心のなかにある。したがって一念をどこに定めるかによって、無明にもなるし、法性にもなっていく、大事なのは、表面的な現象ではなくて、生命の内奥にある自身の一念が何を志向しているかであり、そのことをよく知ることである。
 人間の本性は本来一つであり、法性真如の一理である妙法に帰着する。一切の現象は、共に妙法の振舞いであり、働きである。だが、人間として生を受けながら、ある人は幸福な人生を送り、ある人は不幸な人生を送る。こうした事柄は実に重大な問題を含んでいる、一回生といった立場で考えたならば解決の困難な問題であるが、仏法の立場でみるなら、業という道理を通して理解することができる。それは人間の生命が過去世からの行為である善業、悪業や、善縁、悪縁の積み重ねにより染浄が決まり、その結果、今世の果報となってあらわれるからである。
 染法の濁りきった生命は不幸の根源であり、浄法の清浄な生命は幸福の原動力であると、仏法は説いている。誰しも不幸を願う人はいない、皆、幸福を願うのは当然である。そうであれば、人を不幸にする悪縁は何か、濁りきった生命は何によるのか。これこそ誤れる宗教や思想によるのである。その悪縁によって、多くの人々は苦しみ悩み地獄界や餓鬼界、畜生界等々の境涯に甘んじているのである。これらは、染法に染まった悪業の果報であり、真実の妙法蓮華の当体とはいえない。
 このような不幸な境涯にならないために、悪縁を捨てて、善縁を求めていくことが肝要である。ところで、末法今日に民衆を不幸から救う善縁とは三大秘法の御本尊である。この御本尊に唱題することによって、自分自身の生命と調和をとっていくこたができる。すなわち仏界を湧現することができるのである。また、これによって、染法を、浄法に変えていくことができる。それはあたかも、曇ったガラスを掃除するようなものである。掃除をして、きれいなガラスになったとしてもガラスはガラスであって同じ当体なのである。妙法を持つということは、九界に住していながら、しかも地獄、餓鬼、畜生といった三悪道の濁った生命に左右されないで、常に仏界を湧現していくということである。それこそ妙法蓮華の当体の所作ではなかろうか。「法性の妙理に染浄の二法有り染法は薫じて迷いと成り浄法は薫じて悟りと成る悟りは即ち仏界なり迷いは即ち衆生なり、この迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり」とも述べられている。
 日寛上人は文段に、この文は体一相異、相異体一を明かしたものであると述べている。法性の妙理は一つであると雖も、染浄の二法が薫じて迷悟の二法に成るというのは、体一相異である。一念の体は妙法であるが、その具体的な現われは染法として、また浄法として、迷いと悟りとしてあらわれて、その人の幸・不幸の人生といった結果が生ずるからである。この幸・不幸も所詮、自分自身の一念で決定するというのは、まさに相異一体といえるのである。
無明癡惑・本是れ法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る
 天台大師の摩訶止観巻五の文である。ここでは無明も法性も、その体は一つであり、法性真如の一理に帰すことの文証として出されたものである。
 摩訶止観にはこの文に続いて「起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅なり」とあるように、あらゆる現象の起滅も、所詮は妙法蓮華経の働きであることを表わしている。
 法性とは万物に本来そなわっている法性であるが、ここではわが一念のことで、一念の生命であるととらえることもできよう。無明癡惑とは無明は迷い、癡惑は心性がおろかで、ものの道理にまどうことであり、九界の生命活動のことで、悩み苦しんでいる迷いのある生命である。こうした九界の生命活動もわが一念から出たものであり、妙法の働きである。また一念に染浄の二法のうち染法が作用した場合に、法性が変じて無明になってしまうのである。
 この原理はまた、第六天の魔王が梵天・帝釈に変わっていくという法華経の原理にも通じよう。治病抄にいわく「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-07)と。
 元品の無明は転じて第六天の魔王と働き、元品の法性は即梵天・帝釈となって働くのである。わが生命の中に第六天の魔王も、仏界も、梵天・帝釈も厳然と存在する。それは縁にふれて、あるときは第六天の魔王の働きとなり、あるときは梵天・帝釈の働きとなってあらわれる。
 幸福も不幸も、わが一念で決まるとの道理が仏法の極理である。換言すれば「無明癡惑・本是れ法性」という無明や癡惑といっても、本来は法性のうちにそなわっているとの原理がそれである。末法今時に約せば、三大秘法の御本尊を信受し、題目を唱えることによって、わが身も福徳に満ちてくるということである。
 逆にまた「癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る」との原理からして、御本尊を知らない。あるいは疑ったり誹謗する生命は、必ず行き詰まり、わが身を不幸にするのみならず、民衆を不幸に陥れ、全世界の福徳を消していく魔王の働きをなすのである。
法華経に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」
 この文は、法華経方便品の「是法住法位世間相常住」の文である。全体の意は、九界も仏界も本来その本体の真如の法位におさまっており、妙法に照らして見れば、差別ある相がそのまま常住不変であって、これらの現象のほかに実相はないということである。したがって、ここで引用した意味は、森羅万象が妙法の当体であるということをあらわそうとしたためである。
 次に部分的に日寛上人の文段により解釈を加えれば、
   ①「是の法」とは、無明のこと。
   ②「法位」とは、法性のこと。
   ③「住して」とは、安住しての意、法性真如の法位に落ち着いて、その妙理の内にいるということ。
   ④「世間の相」とは、差別の姿、十界のうちでも九界の姿であり、差別の相をいう。
   ⑤「常住なり」とは、体一すなわち一如をあらわす。妙法の悟りを得てみれば生滅無常の差別の相も、本有常住、妙法の当体であること。
 この文全体について、日蓮大聖人は御義口伝下に次のごとく示されている。
         方便品
      真諦            俗諦
   是ノ法住シテ2法位ニ1 世間ノ相常住ナリ
     迹門 スレハ       本門
      此の文衆生の心は本来仏なりと説くを常住と云うなり万法元より覚の体なり(0787-01)
 すなわち「此の文衆生の心は本来仏なりと説くを常住と云うなり万法元より覚の体なり」と釈され、また、その前には「是法住法位」を真諦、迹門、「世間相常住」を俗諦、本門と配当されている。
 これについては「御義口伝講義」に明瞭に説かれているので、それを要約しておきたい。
 まず「是の法法位に住して」が真諦、「世間の相常住なり」が俗諦とは、信心即生活ということである。「是の法」とは御本尊のことであり、一切の生活、社会等、すべて差別の姿をとっていることを意味する「常住なり」とは、その差別の姿のままで大御本尊の偉大なる光明に照らされて、自身、崩れない永遠不滅の幸福な当体とあらわれることである。
 次に、この経文を、迹門、本門に立て分ければ「是の法法位に住して」が迹門、「世間の相常住なり」が本門である。「是の法法位に住して」とは、宇宙森羅万象が妙法の当体であることを意味し、実相の本理をあらわしているから迹門であり「世間の相常住なり」とは、常住の当体を説き明かし、実相の本理を事実相としてあらわした立場であるから本門である。
 ここに迹門とは、不変真如の理のことであり、本門とは随縁真如の智のことである。これを大御本尊に約して論づれば、「是の法法位に住して」とは、大御本尊は大宇宙の根源の法理であるということである。「世間の相常住」とは、大御本尊は、大宇宙の根源の法であると共に、事の一念三千の常住不滅の幸福の当体であるということである。したがって、御本尊の相貌に約していえば「是の法法位に住して」とは、中央の南無妙法蓮華経であり、「世間の相常住なり」とは、御本尊におしたための仏・菩薩をはじめとする界々の衆生であり、すなわち左右の十界互具、百界千如、三千世間の相貌であり、これらが、中央の南無妙法蓮華経の光明に照らされて、皆ことごとく、久遠元初の自受用身如来の働き、力用、福徳になってあらわれている姿であると拝することができるのである。
 また、御本尊とわれわれの関係として、不変真如、随縁真如を論ずれば、先の真諦と俗諦の説明と同じになる。すなわち、大御本尊それ自体は「是の法法位に住した」お姿であり、不変真如の理である。それを、さらに御本尊を根底に信心を開き、人々の生活の上に、現実に智慧となり、大生命力となって湧現してくることを「世間の相常住」というのである。

0511:08~0512:13 第三章 信受に約すtop
08   問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、 答う当世の
09 諸人之れ多しと雖も 二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり 而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の
10 当体と云わる可からず 実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華・真如の妙体是なり 涅槃経に云く「一切衆生大
11 乗を信ずる故に 大乗の衆生と名く」文、 南岳大師の四安楽行に云く「大強精進経に云く 衆生と如来と同共一法
12 身にして 清浄妙無比なるを妙法華経と称す」文、 又云く「法華経を修行するは 此の一心一学に衆果普く備わる
13 一時に具足して次第入に非ず亦蓮華の一華に衆果を一時に具足するが如し 是を一乗の衆生の義と名く」文、 又云
14 く「二乗声聞及び鈍根の菩薩は 方便道の中の次第修学なり 利根の菩薩は正直に方便を捨て次第行を修せず若し法
15 華三昧を証すれば衆果悉く具足す 是を一乗の衆生と名く」文、 南岳の釈の意は次第行の三字をば当世の学者は別
16 教なりと料簡す、 然るに此の釈の意は法華の因果具足の道に対して方便道を次第行と云う 故に爾前の円・爾前の
17 諸大乗経並びに頓漸大小の諸経なり・証拠は無量義経に云く「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて菩薩
18 の歴劫修行を宣説す」文、 利根の菩薩は正直に方便を捨てて 次第行を修せず若し法華経を証する時は 衆果悉く
0512
01 具足す是を一乗の衆生と名くるなり.此等の文の意を案ずるに三乗・五乗・七方便・九法界.四味三教・一切の凡聖等
02 をば 大乗の衆生妙法蓮華の当体とは名く可からざるなり、 設い仏なりと雖も権教の仏をば仏界の名言を付く可か
03 らず権教の三身は未だ無常を免れざる故に何に況や其の余の界界の名言をや、 故に正・像二千年の国王・大臣より
04 も末法の非人は尊貴なりと釈するも此の意なり、 南岳釈して云く「一切衆生・法身の蔵を具足して 仏と一にして
05 異り有ること無し」、 是の故に 法華経に云く「父母所生清浄常眼耳鼻舌身意亦復如是」文、 又云く「問うて云
06 く仏・何れの経の中に 眼等の諸根を説いて名けて如来と為や、 答えて云く大強精進経の中に 衆生と如来と同じ
07 く共に一法身にして 清浄妙無比なるを妙法蓮華経と称す」文、 他経に有りと雖も下文顕れ已れば 通じて引用す
08 ることを得るなり、 大強精進経の同共の二字に習い相伝するなり 法華経に同共して信ずる者は妙経の体なり不同
09 共の念仏者等は 既に仏性法身如来に背くが故に妙経の体に非ざるなり、 所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる
10 日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、 正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は 煩悩
11 業・苦の三道・法身.般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居
12 所居・ 身土・色心・ 倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち
13 法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり 敢て之を疑う可からず之を疑う可からず、
-----―
 問う、一切衆生が、皆ことごとく、妙法蓮が教の当体であるならば、われわれのように愚癡で道理に闇く、理解も鈍い凡夫も、妙法の当体であるのか。
 答う、当世の人々は数多いけれども、全ての人は二種類に収まってしまう。それは、権経を信ずる人と実教を信ずる人である。しかして、権教・方便の念仏等を信ずる人は、妙法蓮華の当体ということはできない。実教の法華経を信ずる人が当体の蓮華であり、真如の妙体なのである。涅槃経には「一切衆生の中でも、とくに大乗を信ずるゆえに大乗の衆生と名づけるのである」とある。南岳大師の四安楽行には「大強精進経に、衆生と如来とが同共の一法身であって、清浄にして妙で比いないことを妙法蓮華と称するのである」と説いている。また、同じく南岳大師は「法華経を修行する者は、一心一学の修行にあらゆる得果がそなわる。しかもそれは一時にそなわるのであって、歴劫修行のように次第に得入するものではない。それはあたかも蓮華の一つの華に、多くの果実を一時にそなえるようなものである。これを一乗の衆生の義と名づけるのである」と述べている。また、「二乗の声聞及び鈍根の菩薩は、方便道の中での次第に修学して得果していく歴劫修行を修めるのである。これに対して利根の菩薩は、正直に方便を捨てて次第の修学である歴劫修行をしない。若しも法華三昧を証得するならば、一切の果徳をことごとく具足するのである。これを一乗の衆生と名づける」と。
 南岳大師のこの釈の中の次第行の三学を意味を、当世の学者は別教であると理解している。しかし、この釈の意味は、法華経の因果具足の教えに相対して、方便道を次第行といっている。故に次第行とは爾前の円、爾前の諸大乗経並びに頓漸大小の諸経をいうのである。
 その証拠として、法華経の開経である無量義経説法品第二に「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説した」と説かれている。利根の菩薩は正直に方便を捨てて次第行を修めないで、もし法華経を証得するときは、一切の果徳を具足することができる。これを一乗の衆生と名づけるのである。
 これらの文の意を考えてみれば、三乗・五乗・七方便・九法界等、四味三教を修行する一切の凡夫・聖人等を、大乗の衆生・妙法蓮華の当体と名づけるべきではないのである。たとえ仏であっても、権教の仏に対しては仏界すなわち真実の仏と名づけるべきではない。権教の三身は、いまだに無常を免れないからである。まして、その余の九界に対しては、どうして当体蓮華と名づけられようか。
 ゆえに正・像二千年間の国王・大臣よりも末法の非人のほうが尊貴であると釈しているのもこの意である。
 南岳大師は法華経安楽行義に「一切衆生は法身の蔵を具足しているので、仏と同一であって何ら異なることはない」と述べている。また法華経法師功徳品第十九では「父母所生の清浄の常の眼・耳・鼻・舌・身・意もまた是くのごとし」と説いている。さらに同安楽行義に「問うていわく、仏は、いずれの経の中で眼等の諸根を説いて名づけて如来とするのか。答えていわく、大強精進経の中に、衆生と如来とが同共の一法身であって、その清浄にして妙であって比類がないことを妙法蓮華経と称するのである」と説いている。
 この大強精進経は、方便権教の文ではあるが、法華経がすでに説きあらわされているから引用することができるのである。大強精進経の同共の二字に習って相伝するのである。法華経に同共して信ずる者は、妙経の当体である。法華経に不同共の念仏者等は、すでに所具の仏性が法身如来に背くゆえに妙経の当体ではないのである。
 所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の父母から生じたところの肉身そのものをいうのである。正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦がそのまま一心に顕われ、その人の所住の処は、常寂光土となるのである。能居所居・身土・色心・俱体俱用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮の弟子檀那等のなかの正しい信心をする者のことである。これすなわち法華経の当体であり、妙法に具わる自在神力の顕わすところの功徳である。決してこれを疑ってはならない。これを疑ってはならない。

愚癡闇鈍
 愚癡は真理に対して無智で、しかも心が暗く道理に通じる智慧にかけているさま。闇鈍はものの道理に暗く理解が鈍いこと。
―――
涅槃経
 大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
―――
四安楽行
 法華経安楽行品第14(法華経423㌻)に説かれる四つの行法。文殊菩薩が浅行初心の行者が濁悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問い、釈尊がこれに対して身・口・意・誓願の4種の安楽行を説き、初心の人がこれによって妙法蓮華経を弘通し修行することを示した。①身安楽行。身を安定にして10種の誘惑を避け、静寂の処にあって修行すること。②口安楽行。仏の滅後にこの経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に宣べ説くこと。③意安楽行。末世になって法が滅びようとする時、この経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと。④誓願安楽行。大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発すること。▷法華経安楽行品第14(法華経423㌻)に説かれる四つの行法。文殊菩薩が浅行初心の行者が濁悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問い、釈尊がこれに対して身・口・意・誓願の4種の安楽行を説き、初心の人がこれによって妙法蓮華経を弘通し修行することを示した。①身安楽行。身を安定にして10種の誘惑を避け、静寂の処にあって修行すること。②口安楽行。仏の滅後にこの経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に宣べ説くこと。③意安楽行。末世になって法が滅びようとする時、この経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと。④誓願安楽行。大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発すること。
―――
大強精進経
 大蔵経のなかに、この名の経典はない。「当体義抄」に出てくる内容からして、「鴦掘摩羅経」と思われる。師が王の招きにより留守だったが、師の妻がアヒンサに邪に恋慕し誘惑した。しかしアヒンサはこれに応じず断ると、その妻は自らの衣を破り裂き、悲相を装い師の帰りを待って「アヒンサに乱暴された」と偽って訴えた。之を聞いた。師は怒り、鴦掘摩羅に剣を渡して「明日より、通りで出逢った人を順に殺して、その指を切り取り鬘(首飾り)を作り、100人(あるいは1000人)の指が集まったとき、お前の修行は完成する」と命じた。鴦掘摩羅は悩んだ末に、街に出て師の命令どおり人々を殺してその指を切り取っていった。これにより彼は指鬘と呼ばれ恐れられた。なお、この頃の彼を指鬘外道と呼ぶことがある。なお鴦掘摩羅を大強精進であるともいわれている。
―――
清浄妙無比
 清浄にして妙なること比がないということ。法華経安楽行義で、法華経が他の一切経に比して最高無比の経であると称している。
―――
衆果
 修行によって得られるもろもろの果報のこと。
―――
次第入
 次第行・次第修学と同じ。次第に修学し成仏得道することをいう。
―――
二乗
 六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
―――
声聞
 サンスクリットのシュラーヴァカの訳。「声を聞く者」の意。①仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子のこと。出家教団に属して修行をする。後代には大乗との対比で、小乗の教えを実践し阿羅漢を目指す出家修行者を意味するようになった。縁覚と合わせて二乗という。
―――
次第修学
 次第行・次第入と同じ。次第に修学し成仏得道することをいう。
―――
次第行
 次第入・次第修学と同じ。次第に修学し成仏得道することをいう。
―――
一乗の衆生
 仏の金言のとおりに、正直に権教・方便の歴劫修行を捨てて、法華経を行じ、真実の成仏を願う者。
―――
別教
 二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
―――
料簡
 思いめぐらし考えること。思索すること。
―――
因果具足
 九界を因とし仏界を果とする九因一果の因果と刹那始終の因果とを具足した真の成仏得道の教え。
―――
無量義経
 中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
―――
方等十二部経
 一切の大乗教のこと。方等とは方広平等な大乗経典の意。仏教の経文の形式上の類別を12部にわかつゆえに、十二部経という。
―――
摩訶般若
 ①偉大な智慧のこと。「摩訶」はサンスクリットのマハーの音写で、大きな、偉大なという意。「般若」はサンスクリットのパーラミターの音写で、智慧のこと。②摩訶般若波羅蜜経のこと。「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
―――
華厳海空
 無量義経説法品第2にある(法華経32,33㌻)。華厳経の法門のこと。「海空」は無量義経の異本では「海雲」とあり、華厳経の広大さを表す譬えと考えられる。
―――
歴劫修行
 成仏までに極めて長い時間をかけて修行すること。無量義経説法品第2にある語(法華経33㌻)。「歴劫」とはいくつもの劫(長遠な時間の単位)を経るとの意。無量義経では、爾前経の修行は歴劫修行であり、永久に成仏できないと断じ、速疾頓成(速やかに成仏すること)を明かしている。
―――
三乗
 声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のこと。それぞれ声聞・縁覚・菩薩の覚りを得るための教え、あるいはそれを実践する修行者のこと。さらに得られた声聞・縁覚・菩薩の境地も意味する。
―――
五乗
 仏教を理解し受容する衆生の能力の違いに応じて説かれる人・天・声聞・縁覚・菩薩の教え。
―――
七方便
 蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の声聞・縁覚・菩薩、別教の菩薩をいう。
―――
九法界
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩界のこと。
―――
四味三教
 四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。
―――
凡聖
 凡は小乗教における六道の凡夫。聖は大・小乗の聖果。
―――
権教の三身
 三身は仏の3種類の身のあり方(法身・報身・応身)。権教の三身は相即しないゆえにいまだ無明を免れない。
―――
界界
 十界のおのおのをいう。
―――
非人
 ①に非ざる衆生。天・竜・夜叉・等。②遁世の沙門・乞食。
―――
父母所生
 父母によって生み出された肉親のこと。
―――
三徳
 仏にそなわる3種の徳相のこと。①法身とは仏が証得した真理、②般若とは真理を覚る智慧、③解脱とは生死の苦悩から根源的に解放された状態をいう。
―――
常寂光土
 四土の一つ。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第16では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。そして、その久遠の仏が、娑婆世界に常住しており、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。それに対して、釈尊が方便として現した種々の仏とその住む国土は、この久遠の釈尊のはたらきの一部を担う分身の仏であり、不完全な国土であるので、究極の浄土ではなく、穢土ということになる。
―――
自在
 なんの障りもなく、束縛もなく、思いのままの意。一切のものに通達して障りなきこと。自由自在という。真実の自由の境涯。
―――
神力
 神通力のこと。超人的な能力・はたらきをいい、仏・菩薩の有する不可思議な力用をさす。
―――――――――
 本章は信受に約する段である。前段において、法体に約する意は、信と不信を分別することなく、十界の依正を通じて、妙法蓮華経の当体となしているのである。これは総別の二義のうち、総の立場である。
 今、ここに信受に約する意は、不信謗法の類いを簡び捨て、但妙法信受の人をもって、別して妙法の当体となすのである。
総別の二義について
 総別の二義は、仏法上極めて重要な原理である。日蓮大聖人の御書も、総別の二義をわきまえて拝さなければ、重大な誤りを犯すことになる。曾谷殿御返事にいわく「総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん」(1055-11)と。よくよく心肝に染めるべきである。
 総別の総とは、総じて論ずることである。別とは、再往さらに一重立ち入って論ずることである。したがって、総より別が大事となるのである。
 総別は仏法の正邪を論じ、教義の浅深・高低を判別する基本的なもので重大な意義がある。たとえば、釈尊一代五十年の説法のうち、総じては一代聖教は真実ではあるが、別しては最後の八年間に説いた法華経のみが、真実の教えである。さらに、総じては法華経二十八品が真実の教えであるが、別しては本門十四品が真実である。また、総じては本門十四品が円満の教えであるが、別しては本門寿量文底の三大秘法の南無妙法蓮華経が究極の法であり、即身成仏の教えである。
 付嘱にも、総別の二義がある。総付嘱と別附嘱である。総付嘱とは法華経の嘱累品において仏が本化・迹化の菩薩に妙法を付嘱したように、総じて一往付嘱したことをいう。別附嘱とは、神力品において、上行菩薩をはじめとする仏の本眷属に妙法を結要付嘱したことをいうのである。
 如来、仏においても総別がある。御義口伝に「今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」(0752-05)とあるように、日蓮大聖人の仏法においては、総じていえば、如来とは一切衆生をいうが、別していえば、御本尊を受持した日蓮大聖人の弟子檀那である。ところで、別の中にもまた総別の二義がある。すなわち日蓮大聖人の弟子檀那を如来というのは総であり、別しては、如来とは日蓮大聖人御一人のことである。これを両重の総別という。
 両重の総別は、当体義抄においても、分明である。すなわち「一切衆生悉く妙法蓮華経の当体」とは、総であり、「妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」とは別である。ところが「能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」との文は別の中の別である。「中」の字を日寛上人は「正信にあたる」と解釈されているように、大聖人の仰せどおり、広宣流布をめざす正しい信心の人が、真実の妙法蓮華経の当体にあたるのである。
当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり
 第一章の、あらゆる衆生も妙法の当体であるとの仰せに、重ねて「我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや」と問うているのである。法体に約し、理の上の法相から論ずるならば、実に所問のとおりである。
 だが、信受に約し、事について論ずれば、そこに厳然と差別が存する。ここでは一切衆生を、権教の人と実教の人とに分別し、別して実教の人が妙法蓮華の当体であると仰せである。
 権教とは法華経以前の爾前権教であり、「権教の人」とは念仏者等の爾前権教を信じ、執着している人のことである。また、実教とは法華経であり、「実教の人」とは法華経を信ずる人のことである。しかしこれは、まだ種脱相対をわきまえない見方であって、当体義抄に「当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518-16)との御金言を拝しても、実教とは末法の法華経である三大秘法の御本尊にほかならない。そして「実教の人」とは、三大秘法の御本尊を受持した人であり、この人が当体の蓮華・真如の妙体と顕われるのである。
大強精進経に云く衆生と如来と同共一法身にして清浄妙無比なるを妙法華経と称す
 この文は、法華経がもっとも勝れた経であることをあらわしているとともに、妙法が九界即仏界・仏界即九界の不可思議な当体であることをあらわしている。この大強精進経の文について、日寛上人は、次のように釈されている。
 「問う妙法蓮華と称する意如何。答う、衆生と如来は即是れ蓮華の二字なり、謂く衆生は是れ因にして如来は是れ果なり、与の一字は因果俱時を顕わすなり。同共一法身とは即是れ法の一字なり。謂く衆生如来に同共すれば九界即仏界なり。如来衆生に同共すれば仏界即九界なり。十界互具、百界千如は即是れ法の字なり。清浄妙無比とは即是れ妙の一字なり。此の五字は通じて能歎の辞なる故なり。中に於て清浄の二字は衆生と如来の蓮華を歎ず。妙無比の三字は同共一法身の法の字を歎ずるなり。是の故に妙法蓮華経と称するなり」と。
 妙法蓮華経とは、九界即仏界・仏界即九界の即身成仏の法であることは、これによって明確である。しかも、この文の「同共」の二字は甚深の意味がある。下の文に「大強精進経の同共の二字に習い相伝するなり法華経に同共して信ずる者は妙経の体なり不同共の念仏者等は既に仏性法身如来に背くが故に妙経の体に非ざるなり」と仰せのように同共しなければ妙経の体、すなわち当体蓮華の仏ではありえないからである。
 それでは、同共とは何か。日寛上人は分段において、如来と同共するとは人に約していっているのであり、今、法に約していえば法華経と同共することであり、如来は妙法の人、妙法は如来の法であり、人法ことなるがその体は一つであると説いておられる。すなわち、人法一箇の妙法を信受することが同共の真実義といえる。ここでいう如来と法華経とは、無作三身の如来と寿量文底の法華経であり、末法今時にあっては三大秘法の南無妙法蓮華経の御本尊であることは言をまたないところである。
法華経を修行するは此の一心一学に衆果普く備わる一時に具足して次第入に非ず
 この文は、南岳大師の安楽行義の文である。無量義経に「末だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在現す」とあるがごとく、因位の万行を修めなくとも、御本尊を受持し、自行化他にわたる信心修行によって、果位の万徳を備えるのである。「一時に具足して」とは直達正観・即身成仏ということである。
 また、日寛上人の文段によれば、この文は因果俱時をあらわしている。
 すなわち「一心」の一の字は因であり、「衆果普く備わる」とは果である。また「一時に具足して」とは、すなわち、俱時ということである。
故に正・像二千年の国王・大臣よりも末法の非人は尊貴なりと釈するも此の意なり
 たとえ、国王・大臣といえども、正像年間に生まれては、仏法の真髄たる文底独一本門の大御本尊にめぐりあうことはできない。法華経の説法にあらわれた天竜・夜叉・悪鬼等の非人のような存在であったとしても、末法に生まれ、大御本尊を信受し、わが身即当体蓮華の仏と開覚できる故に、尊貴であるとの仰せである。
 人間の真実の偉大さは何によって決まるのか。国王、大臣とは、社会的地位であり、肩書きである。人間生命それ自体にとっては、枝葉末節のことであり、はかない栄枯盛衰の姿であり、夢の中の夢ではなかろうか。わが生命は、妙法を信受し、実践することにより、輝きを増していくのである。
 なお、この文について、日寛上人の文段には、つぎのように申されているので、現代語に訳して引用する。
 正法千年は四味三教流布の時である。ゆえに国主・大臣といえども妙法の当体蓮華ではない。しかし、像法の時には天台、伝教が法華経信受の人であるから、妙法の当体の蓮華仏ではないかとの疑問が生ずる。だが天台・伝教の像法時代は、法華経迹門の時である。ゆえに、これを信受した人々もことごとく、迹門の人である。たとえ仏といえども迹門の仏は妙法の当体の蓮華仏ということはできない。まして、それ以外のものはいうまでもないことである。
 これは本門寿量の真仏にのぞむ時は、いまだ無常を免れることができない夢中の虚仏だからである。
 しかし、末法今時は、本門寿量の肝心が広宣流布する時である。故にこれを信受する人はたとえ非人であっても、本門寿量の当体の蓮華仏なのである。したがって正像の国王よりも、末法に妙法を信受する非人は尊貴である。
 それでは、この釈はどこからでているのであろうか。日講著の啓蒙には「此の釈の本拠は末だ的文をみていないが、但大論十三に相似の文がある」とあるが、此の釈は取意の引用である。さらには天台大師の法華文句の「後の五百歳遠く妙道に沾わん」、妙楽大師の法華文句記の「末法の初め冥利無きにあらず」、また伝教大師の守護国界章の「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り」、同じく法華秀句の「代を語れば則ち像の終り末の始め」等の釈がそれである。
 ゆえに撰時抄にこれらの文を引きおわって「末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや」(0260-07)と仰せである。
 すなわち末法の始めは、本門の流布の時であるから、是れを信受する者は皆これ本門寿量の当体の蓮華仏である。故に末法の始めを恋うるのである。
 さて、大御本尊を受持し、折伏に励む人は、たとえ今は貧乏に悩み、病気に苦しんでいるとしても、仏法の眼開けてみれば、地湧の菩薩の眷属として、人類の一切の苦悩を救うべき、尊い使命をもって生まれてきているのである。
 しからば、なぜ地湧の菩薩の眷属が、貧乏人や病人に生まれてきたのであろうか。それは一つには本人の宿命であり、罪業によって悩んでいるのである。二つには願ってこの世へ折伏を行ずるために生まれてきたのである。折伏を行ずる人が裕福で健康で、何一つ不自由しない人ばかりでは、折伏される方の不幸な人々にとって、御本尊を心から信ずるに至る手がかりはなくなってしまうであろう。戸田前会長は「われわれは折伏を行ずるために、願って貧乏で、また病気の身などで生まれてきたのだ。故に折伏をやりきれば、必ず絶対的幸福の境涯にもどる」といわれていた。
 折伏を行ずるには、一般大衆と同じ悩みや苦しみを共にしながら仏道修行に励んで、そのなかに大御本尊の功徳を身をもって証明し、事実の生活の上にあらわさなければ、大衆が信用しない。ゆえに、法華経法師品には「此の人は、願って此の間に生まれ広く妙法蓮華を演べ分別するなり、是の人は、自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広く此の経えを演ぶるなり」と。
 日蓮大聖人が、王候や貴族に生まれることなく、貧窮下賤の身で御出現になった理由は、一切衆生を救わんがためであた。
 開目抄にいわく「経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし、此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり」(0203-06)と。
 また善無畏三蔵抄にいわく「日蓮は安房の国・東条片海の石中の賎民が子なり威徳なく有徳のものにあらず」(0883-09)と。
 佐渡御勘気抄には「日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり」(0891-07)とも仰せられている。
 しかして、日蓮大聖人の大難をおもうならば、われわれの悩みや苦しみなど取るに足りぬものではなかろうか。ともかくも、われわれもまた使命があって、この世に生まれ、信心したのであり、いかなる悩みも解決していくとの確信に立って、信心強盛に折伏に励むべきである。
 しかも、今、時はまさしく化儀の広宣流布の時代である。中天の太陽のように赫々と輝きわたる黄金時代が到来したのである。このすばらしい時代に生まれ合わせた我が身の福運を感じて、一生成仏を目指していきたいと思うのである。
所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身.般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず
 妙法蓮華の当体とは、三大秘法の大御本尊を信ずる日蓮大聖人の弟子ならびに檀那の父母から生じたところの生命であると仰せである。
 当抄の冒頭に「十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」とあるのは、あくまでも理の上の法相であって、この文こそまさに信心に約しているのである。ゆえに「日蓮が弟子檀那等の中の事なり」の「中」の字を日寛上人は「正信にあたる」と述べられている。
 はじめに「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」の文について述べてみる。
 生命の尊厳をこれほど明確に説ききった宗教が他のいずこにあろうか。「父母所生の肉身」とは、われわれの、ありのままの人間である。妙法を信じたときには、それが即、尊極なる妙法蓮華の当体とあらわれる。
 キリスト教においては、肉体を悪魔の所産とし、そこから離れた霊魂、精神にのみ尊厳を認める。過去、世界の主流となってきた思想、宗教は、いずれも、こうした「父母所生の肉身」を忌み嫌う考え方に立つものであったといってよい。
 もとより、古代ギリシャにおけるように、肉体の美を賛嘆する思想もあったし、ルネサンス以後も、この古代ギリシァの精神が一つの流れを形成してきたことも事実である。だが、それは、あくまでも、均勢のとれた、見事に発達した肉体の美感の問題にすぎない。生命の尊厳にかかわる思想・宗教にはありえなかった。
 いまここに「父母所生」の、われらのありのままの人間生命が、そのまま「妙法蓮華の当体」とあらわれるとする仏法によって、はじめて生命の尊厳が具現されるのである。
 肉体を離れて、生きた人間存在はありえない「父母所生の肉身」を否定して、いかに尊厳を説こうとも、それは観念論となるであろう。
 阿仏房御書に「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(1304-06)と。この御文に「法華経を持つ男女の・すがた」と仰せられているのも、御本尊を受持した現実の人間ということである。色心不二のわが身をさして、このように仰せられているのである。また「貴賤上下をえらばず」とは、社会的地位の上下も、財産の有無も、この生命の尊厳ということについては、一切無関係であるとの意である。
 ただ大事なことは信心であり、信心があれば、この生命の尊厳を事実の上に顕現し、輝かせていくことができる。信心がなければ、それを開発することはできない。あたかも、大地の中に埋蔵されたダイヤモンドの鉱石のように、そのままでは、価値を発揮していくことはできないのである。
 ひるがえって、人類の歴史をふりかえりみるとき、生命の尊厳が常に叫ばれ、その実現が渇仰されながら、現実には戦争と弱肉強食の争いと、生命軽視の醜い流転を繰り返してきた。その原因は、とりもなおさず、生命の尊厳を説く哲学、宗教が、たんなる観念論の域を出なかったが故の無力さにあるといわなければならない。
 日蓮大聖人の仏法こそ、生命のありのままの姿を捉え、そこに確立した尊厳観であると共に、事実の生活の上に、生命の尊厳を具現する唯一の仏法なのである。
 悲惨と残虐の流転に、今こそ終止符を打たねばならない。核戦争による人類絶滅の脅威におおわれた現在、人類の生きる道は、それ以外にない。この仏法によって真実の生命の尊厳の土台を確立し、慈悲と平和と栄光の歴史を築いていきたいものである。
 次に「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身.般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり」の文を日寛上人の文段にしたがって論じていくことにする。
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は」の文は正釈の文であり、妙因を明かしている。これにまた二意がある。初めは因果依正に約して、次に能居の下の文は釈成の文である。初めの文にまた二意があり、一つは因果俱時、次の其の人の下は依正不二に約す。また、初めの文に二意があり、一つは妙因、次に煩悩の下の文は妙果をあらわす。次の文にまた二意があり、初眼の文は正報、次の寂光土の文は依報にあたる。能居の文の下は釈成の文であり、また二意がある。初めが依正不二であり、俱体俱用の下の文は因果俱時をあらわすのである。また、日寛上人の文段には、次のようにある。
 「正直とは譬えば、竹を竹と識り、梅を梅と識り、松を松と識る、権を権と識り、実を実と識り、迹を迹と識り、本を本と識り、脱を脱と識り、種を種と識る、是を正直というのである。既に権を権と識り、実を実と識る則は、永く権を用いない故に権を廃捨する。故に捨方便と云うのである。本迹種脱、之に例して知るべきである。若し、権実雑乱、本迹迷乱、種脱混乱は即ち是れ邪曲の義なのである。故によくよく慎まなければならない。邪義を立てるときは責めなければいけない」との仰せである。
 「但法華経を信じ」とは、ひたすら三大秘法の御本尊を信ずることである。上野殿御返事に「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)とあるがごとくである。
 この法華経を、三大秘法の御本尊ととることは次の日寛上人の文段からも明らかである。
 すなわち、この文は、ただ権実相対に似ているけれども、釈成の文より立ち返ってこれを見るときは、本迹相対、種脱相対の意を含んでいるのである。ゆえに具さには、但法華経の本門寿量の教主の金言を信じ、南無妙法蓮華経と唱うる人等というべきである。これすなわち釈成の文中に本門寿量の当体の蓮華仏というゆえである。
 もし本門寿量の教主の金言を信じないならば、本門寿量の当体の蓮華仏とは名づけることはできないのである。
 また、末法の衆生の証得を明かす文の中に、当体の蓮華を証得し、寂光当体の妙理を顕わすことは、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱えるゆえである。どうして本迹一致の妙法等ということができるであろうか。
 「煩悩業・苦の三道・法身.般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦.即一心に顕われ」の文は妙果をあらわしている。なぜなら、信心唱題の妙因によって顕われた妙果でるからである。
 「煩悩業・苦の三道・法身.般若・解脱の三徳と転じて」とは、煩悩即菩提、生死即涅槃ということである。いわゆる釈尊の仏法は、三惑を断じて、煩悩を断じて、初めて幸福境涯が得られると説くが、これは現実にはありえない低級な教えである。日蓮大聖人の仏法は、煩悩を断ずるのではなく、煩悩は煩悩のまま明らかに見、そして大御本尊を信ずる大功徳によって、煩悩はそのまま悟りの境涯に住すると、実際生活の上から、明らかに妙理を説かれているのである。ゆえに、生死一大事血脈抄に「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり」(1338-08)と。
 三道の道とは、能通の義であり、この煩悩・業・苦の三つは互いに因果となって、よく通ずるゆえに三道というのである。すなわち煩悩は、業の因であり、業すなわち宿業は、煩悩のあらわれであり、苦はそれによって六道の生死の苦果を招くということである。この六道の苦界を流転する末法の衆生は、文底下種の南無妙法蓮華経の御本尊を信じて唱題修行することによって、煩悩・業・苦の三道が法身・般若・解脱の三徳と転じ、最高の幸福境涯に住することができるのである。
 ここで、法身とは、仏の生命それ自体である。広くいえば、永遠の生命、色心連持、調和された生命、人格をいう。般若とは煩悩に縛られることなく一切の事物事象の道理を明らかに覚知する智慧をいい、社会にあって、人々を幸福にし、悠々と価値創造していく英知をいう。解脱とは煩悩生死の苦縛から解き放された自在の力用を起こすことであり、広くいえば、自由清新な生命活動をいうのである。
 このような、本来、仏にそなわっている法身・般若・解脱という尊極極まりない生命も、実はわれわれが妙法を信受することによって、われわれのなかに厳としてあらわれるのである。すなわち煩悩・業・苦の三道が、妙法の力用にとって、法身・般若・解脱へと、かわりゆくのである。これこそ煩悩即菩提、生死即涅槃の原理なのである。始聞仏乗義にいわく「但し付法蔵の第十三天台大師の高祖・竜樹菩薩・妙法の妙の一字を釈して譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し等云云、毒と云うは何物ぞ我等が煩悩・業・苦の三道なり薬とは何物ぞ法身・般若・解脱なり、能く毒を以て薬と為すとは何物ぞ三道を変じて三徳と為すのみ、天台云く妙は不可思議と名づく等云云、又云く一心乃至不可思議境・意此に在り等云云、 即身成仏と申すは此れ是なり」(0984-01)と。
 また法身・般若・解脱の三徳について、日寛上人は文段において、三徳はすなわちこれ三身である。法身はすなわちこれ法身如来であり、般若はすなわちこれ報身如来であり、解脱はすなわちこれ応身如来である。また釈成の文からこれを見るときは、すなわちこれ文底秘沈の無作三身であるといわれている。
 「転じて」とは、その人自身に変わりはないが、信心の自覚により、今までと180度変わった人生、境涯に入ることをいうのである。この「転じて」について日寛上人は文段で次のように述べている。
 「転」とは、その体を改めないで、ただその相を変ずることを転というのである。大論にいわゆる「毒を以て薬と為す」とある。本尊供養御書にいわく「金粟王と申せし国王は沙を金となし・釈摩男と申せし人は石を珠と成し給ふ、玉泉に入りぬる木は瑠璃と成る・大海に入りぬる水は皆鹹し、須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を薬となす、法華経の不思議も又是くの如し凡夫を仏に成し給ふ」(1536-02)と、諸文を挙げて、こうした不可思議な変化相ががその意であるといわれている。「三観・三諦・即一心に顕われ」とは境智の二法をわれわれの生命に顕現することである。三観は能観の智、三諦は所観の境である。曾谷殿御返事にいわく「抑此の経釈の心は仏になる道は豈境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり、而るに境の淵ほとりなく・ふかき時は智慧の水ながるる事つつがなし」(1055-02)と。
 空仮中の三諦は一切万法に通ずるから、万法の体はことごとく三諦の境すなわち御本尊である。また「境の淵ほとりなく・ふかき時は智慧の水ながるる」すなわち三諦の境より発する三観は智となる。魔訶止観巻三上に「もし智に由りて境を照し境によりて智を発す」とある。
 同じく曾谷殿御返事に「此の境智の二法は何物ぞ但南無妙法蓮華経の五字なり」(1055-06)と仰せのごとく、三諦・三観とは南無妙法蓮華経のことである。
 三観とは、御本仏日蓮大聖人の智慧であり、三諦とは大宇宙の妙法である。一心とは信心の心である。よって「三観・三諦・即一心に顕われ」とは大御本尊を信じ、題目を真剣に唱えたとき、仏の智慧が湧現し、その行動は大宇宙のリズムに叶った自在の振舞いとなっていくとの意と拝するものである。
 されば、日寛上人は文段に次のように仰せである。
 「三諦はこれ境であり、三観はこれ智である。故にただ法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えるときは、本地難思の境智の妙法をわれらが一心に悟り顕わして、本門寿量の当体の蓮華仏と顕われるのである。これを本覚無作の一心三観と名づけるのである。修禅寺決に云く『本門実証の時は無想無念にして三観を修す、無想無念にして誰も造作すること無し故に無作と云うなり』」と。
 「其の人の所住の処は常寂光土なり」の御文は、依正不二を明こされている。「其の人」とは、南無妙法蓮華経と唱うる人で、すなわち、煩悩・業・苦の三道が即ち法身・般若・解脱の三徳と転じた妙人である。この妙人は正報である。
 「其の人」に対して、その「所住の処」等とは依法である。この中において「所住の処」の四字は依報の中の因であり、「常寂光土」の四字は依報の中の果である。されば依正不二である故に、正報の因果が俱時であるから、依報の因果も、また俱時である。このように依正の因果が俱時であるから依正の因果ことごとく蓮華の法である。
 ここで「常寂光土」とは、仏の住する清浄な国土のことをいうのであり、当体の蓮華仏の住む処である。
 したがって、常寂光土は、爾前、迹文で説かれるような、われわれ衆生とかけ離れた、特別な理想世界をゆうのではなく、われわれが住むこの娑婆世界をいうのである。これ娑婆即寂光土の原理である。
 われわれが住むこの世界を、娑婆とするか寂光土とするかは、正報であるわれらの一念によって決定されるのである。わが奥底の一念が地獄であれば、われらの住む世界はことごとく地獄である。奥底の一念が修羅界であれば、われわれをとりまく世界はことごとく修羅界である。われわれの一念が天界であれば、国土も天界となるのである。
 それゆえわが一念に仏界を湧現し、当体蓮華と顕われれば、依報はことごとく常寂光土となるのである。
 したがって、妙法が広宣流布して、一人一人が仏法の功徳力用に浴して当体蓮華仏としての所作をあらわす世界こそ常寂光土となることは、明白である。だが、現実は幾多の悲惨が眼前に展開している。戦争、飢餓等、その現状はあまりにも悲惨であり、残酷である。この五濁乱漫の世相の根源は実に人間生命の濁りである。現実がそうであるからこそ、妙法を広宣流布し、一人一人が崩れることのない永遠の幸せを、生命の内に構築していくことが大事である。それは妙法による内からの変革なくしては考えられないのである。そのことを「煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり」と仰せられているのである。
 また「其の人の所住の処は常寂光土なり」とは信心唱題の故に、仏身を成じその所住の処は寂光土となるというのであるから、本国土妙ということである。
 それゆえ、本因、本果は正報の十界である。本国土は十界の依法である。このように三妙合論するけれども、三千の相はいまだに明らかではない。したがって次に能居所居・身土・色心等といって依正の十如を明かしているのである。
  「能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」の文について日寛上人はつぎのように述べている。
 此の文は釈常の文である。すなわち文底の意にこれを釈して、日蓮大聖人の末弟に結成するのである。
 されば、初めに依正不二を釈成し、次に因果俱時を釈成するのである。初めの依正不二を釈成すとは上の御文には広く「其の人の所住の処は常寂光土」等といい、今、文底の意によって無作三身の依正に約してこれを釈すのである。
 すなわち、能居所居はこれ無作応身の依正である。例を挙げれば妙楽大師が即本応身所居の土というのと同じである。
 身土とは無作法身の依正ということである。例を挙げれば妙楽大師が、すなわちこれ毘盧遮那身土の相というのと同じである。
 色心とは、無作報身の依正ということである。十法界を心とするを報身というのである。
 それゆえ報身とは色をもって所依となし、心を報身とする故である。この無作三身の所依を常寂光土というのである。解釈にいわく「無作三身、寂光土に住す」等云云、これについて日蓮大聖人は総勘文抄に「十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う」(0563-02)と。是れ無作三身の一仏である。
 したがって、「能居所居・身土・色心」の文を日蓮大聖人御身に拝することができる。すなわち、日蓮大聖人御自身は能居であり、大聖人の住する所は所居である。この能居所居ともに依正不二で一体である。
 また、身とは大聖人の御身であり、大聖人の住するところは土である。この身も土も一体不二である。
 さらにこの文において、事の一念三千の義が明らかに説かれている。すなわち、能居の身の色心とは、すなわちこれ正報の十如是である。されば衆生世間・五陰世間の二千となる。所居の土の色心とはこれすなわち依報の十如でこれ国土世間の一千である。
 能居の身の色心、所居の土の色心が十如である理由は、摩訶止観巻五上に「国土世間亦十種の法を具す、所謂悪国土相性体力等」と。法華玄義釈籤の六に「相は唯色に在り、性は唯心に在り」とあるようなものである。
 以上において三妙合論、事の一念三千の文義が分明である。
 此の事の一念三千即自受用身なるが故に、俱体具用と仰せられているのである。
 「俱体俱用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは」の文の下の因果俱時を釈成している。初めに果をあげ、次に日蓮の下は因を結しているのである。初めに果をあげる中に、俱体俱用の無作三身とは、上の文の三道即三徳の文に配し、本門寿量の当体の蓮華仏とは上の文の三観即三諦の文に配してこれを見るべきである。
 前には汎く三道即三徳と転ずるをいう。今は文底の意に約すから、俱体俱用の無作三身というのである。
 爾前迹文の意では、法身を体となして報身・応身を用としている。ゆえに俱体俱用ではない。また色心荘厳之仏であるがゆえに無作三身ではない。本門の意は、三身俱体、三身俱用であるから、俱体俱用である。まして名字凡身の本のままであるから無作三身である。それゆえ俱体俱用の無作三身とは日蓮大聖人の御事である。われらが妙法信受の力用にとって、即日蓮大聖人と顕われるのである。すなわち、人法一箇の御本尊を信ずることによって、われらもまた当体の蓮華仏となるのである。
 また、一往、義立に約せば、俱体俱用の義は迹門に通ずる義辺がある。等海抄十二には、「迹門の意は法身に即し、報応二身は倶に体と成り、報応に即し法身は倶に用と成る。故に俱体俱用と云う義之有り」とある。
 また、総勘文抄等は此の義辺に当たるか。次に本門寿量の当体蓮華仏とは、前には汎く三観三諦等といい、今は文底の意に約して本門寿量等というのである。
 いうところの当体とは妙法の当体である。これは譬喩に対する故に当体というのである。故に本門寿量の当体蓮華仏とは本門寿量の妙法蓮華仏ということである。すなわち、これ本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華仏というのである。ゆえに、本有無作の当体蓮華仏とは、本門の本尊の御事である。われら妙法信受によって、本門の本尊、本有無作の当体蓮華仏と顕われるのである。
 「日蓮が弟子檀那等の中の事なり」の文の下は因を結しているのである。前の「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」は信ずることが因であるから因を結しているのである。
 本門の本尊・無作の当体蓮華仏という仏身は未曾有の大御本尊を信ずる以外にない。故に「日蓮が弟子檀那等の中の事なり」と仰せになっているのである。
 この「檀那等の中のことなり」の「中」の文字をどう読むかということであるが、日我は「此の中の字はアタルと読む」といっている。しかるに日寛上人は大聖人の御本意をよくよく拝するならば「正信にアタル意」であると仰せられている。
 「中」とは、その義不定である。
   一、あるいはその一切を持って中という。華厳頓中の一切法、および法華経の一切の三宝等の中の字のようなものである。
   一、あるいはそとから見て中という場合がある。たとえば、この経中においてとか、および衆生の中等の中字のようなものである。
   一、あるいは外に望んで中という。洛中、寺中、文中等というようなものである。
 ところで今「檀那等の中の事なり」の中は、正に外に望んで中である。
 文意にいわく、本門寿量の当体蓮華仏とは、不信謗法の人のことではなく、ただこれ日蓮が弟子檀那等の中の事にある。これすなわち前後の文は皆非を簡んで是を顕わすからである。
 また、次下の文に、日蓮一門等というゆえに、今の文の意は、まさに一門の中にあたっているのである。
 「是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず」の文は、われら末弟に対する勧誡の文である。
 われら凡夫の生命が本門寿量の当体蓮華仏と顕われるのは、御本尊の仏力・法力によって顕現される功能であると仰せである。
 自在とは、あらゆることが自由自在になることであり、神力とは、仏がそなえている不思議な力、すなわち、一切衆生を成仏得道させることをいうのである。これこそ人法一箇の御本尊の力用である。
 以上のことをわれら末弟は疑ってはならないと厳しく戒められているのである。「無疑曰信」とあるように、御本尊に対する信こそ大事の中の大事である。
 さらに日寛上人は、本門の題目によって、本門の本尊、本門の戒壇を証得し、自受用身を顕現することを明かされている。すなわち、文段に次のように述べている。「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」とは、本門の題目である。「煩悩・業・苦乃至即一心に顕われ」とは本尊を証得することである。
 また「三道即三徳」とは人本尊を証得して、わが身まったく日蓮大聖人と顕われるのである。
 「三諦・三観・即一心に顕われ」とは法本尊を証得して、わが身まったく本門戒壇の本尊と顕われるのである。「其の人の所住の処」等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕わすのである。
 この三大秘法の証得は皆、題目の力用によるのである。しかりといえども、体一互融の相はいまだ分明ではない。故に「能居所居・身土・色心」と仰せになって、体一互融の相を分明にされているのである。能居・所居とは法本尊の能所不二を顕わしている。身土とは人本尊の能所不二を顕わしている。色心というのは、色はすなわち人本尊、心はすなわち法本尊である。
 また色はこれ境であり、心はこれ智である。故に、人法体一・境智冥合、その義分明である。この故に本尊、戒壇、人法本尊、体一互融となるのである。
 以上のように証得すれば、すなわちこれ久遠元初の一身即三身・三身即一身の本有無作の自受用身である。この仏身まったく本門の題目、日蓮が弟子檀那等の外のいずこにも求め得られないのである。
 次の法華の当体以下は勧誡であって、初めに勧門、次は誡門である。
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ」とは信力である。「南無妙法蓮華経と唱うる」とは行力である。「法華の当体」とはこれ法力である。「自在神力」とはこれ仏力である。この信・行・法・仏力の四義具足すれば、成仏は疑いない。そして、法力・仏力はまさしく本尊にある。決してこれを疑ってはならない。われらは一心に信力・行力を励むべきである。

0512:13~0513:13 第四章 当体蓮華と譬喩蓮華を明かすtop
13                                         問う天台大師・妙法蓮華の
14 当体譬喩の二義を釈し給えり 爾れば其の当体譬喩の蓮華の様は如何、 答う譬喩の蓮華とは 施開廃の三釈委く之
15 を見るべし、 当体蓮華の釈は玄義第七に云く「蓮華は譬えに非ず当体に名を得・類せば劫初に万物名無し聖人理を
16 観じて準則して名を作るが如し」文、 又云く「今蓮華の称は是れ喩を仮るに非ず乃ち是れ法華の法門なり法華の法
17 門は清浄にして因果微妙なれば 此の法門を名けて蓮華と為す 即ち是れ法華三昧の当体の名にして譬喩に非ざるな
18 り」又云く「問う 蓮華定めて是れ法華三昧の蓮華なりや 定めて是れ華草の蓮華なりや、 答う定めて是れ法蓮華
0513
01 なり法蓮華解し難し 故に草花を喩と為す 利根は名に即して理を解し 譬喩を仮らず但法華の解を作す中下は未だ
02 悟らず 譬を須いて乃ち知る易解の蓮華を以て 難解の蓮華に喩う、 故に三周の説法有つて上中下根に逗う上根に
03 約すれば是れ法の名・中下に約すれば 是れ譬の名なり三根合論し 雙べて法譬を標す是くの如く解する者は誰とか
04 諍うことを為さんや」云云、 此の釈の意は至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の
05 一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す 此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して 闕減無し之を修行する
06 者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが
07 故に妙覚果満の如来と成り給いしなり、 故に伝教大師云く「一心の妙法蓮華とは因華・果台・倶時に増長す三周各
08 各当体譬喩有り、 総じて一経に皆当体譬喩あり別して七譬・三平等・十無上の法門有りて皆当体蓮華有るなり、此
09 の理を詮ずる教を名けて 妙法蓮華経と為す」云云、 妙楽大師の云く「須く七譬を以て各 蓮華権実の義に対すべ
10 し○何者蓮華は只 是れ為実施権・開権顕実・七譬皆然なり」文、 又劫初に華草有り聖人理を見て号して蓮華と名
11 く此の華草・因果倶時なること妙法蓮華に似たり 故に此の華草同じく蓮華と名くるなり水中に生ずる赤蓮華・白蓮
12 華等の蓮華是なり、 譬喩の蓮華とは此の華草の蓮華なり此の華草を以て 難解の妙法蓮華を顕す天台大師の妙法は
13 解し難し譬を仮りて顕れ易しと釈するは是の意なり。
-----―
 問う、天台大師は法華玄義で妙法蓮華経を当体蓮華と譬喩蓮華の二つの立義で説き明かしている。それでは、その当体蓮華と譬喩蓮華とはどのようなものであろうか。
 答う、譬喩の蓮華とは、施開廃の三釈に詳しくあるから、これを見るがよい。当体蓮華の解釈については、法華玄義巻七下に「蓮華は譬えではない。当体そのものの名前である。たとえば住劫の初めには万物に名がなかったが、聖人が道理にのっとり、その道理にふさわしい名をつけていったようなものである」とある。また、法華玄義巻七下に「今、蓮華という呼び名は、喩えていったものではない。それこそ法華経の法門を指しているのである。法華の法門は、清浄そのものであり、因果が奥深くすぐれているので、この法門を名づけて蓮華とするのである。すなわちこの蓮華が、法華三昧という純一無雑な法華の当体そのものの名前であり、決して譬喩ではないのである」と。またいわく「問う、蓮華というのは、はっきりさせれば、これは法華三昧の蓮華であろうか、草花の蓮華のことだろうか。答う、明らかに、これこそ法華経のことである。だが法華経といっても理解しがたいので、草花を譬えとして使用している。利根のものは蓮華の名前を聞いて、直ちに妙法を理解し、譬喩は必要としないで法華経を悟る。ところが中根・下根の者は、それだけでは悟れず、譬を用いて知ることができる。そこで理解しやすい草花の蓮華をもちいて難解な当体蓮華を譬えたものである。それ故、迹門において、釈尊は三周の説法にあって、上根・中根・下根の機根にそれぞれにかなうような説法を行った。上根のものに約せば蓮華という法の名を、中根、下根の者に約せば蓮華という譬えの名を借りたのである。このように上中下の三根合論し、ならべて法説と譬喩説をあらわしたのである。このように理解すれば、誰がこの問題でどうして論争するであろうか」と。
 天台大師の法華玄義巻七下の意味は、妙法の至理には、もともと名はなかったが、聖人がその理を勧じて万物に名をつけるとき、因果俱時の不思議な一法があり、これを名づけて妙法蓮華と称したのである。この妙法蓮華の一法に十界三千の一切法を具足して、一法も欠けるところがない。よってこの妙法蓮華を修行する者は、仏になる因行と果徳とを同時に得るのである。聖人は、この妙法蓮華の法を師として修行し覚られたから、妙因・妙果を俱時に感得し、妙覚果満の如来となられたのである。
 ゆえに伝教大師は守護国界章の中の巻に「一心の妙法蓮華とは、因華・果台が俱時に増長するものである。仏の三周の説法に、おのおの当体蓮華と譬喩蓮華がある。総じて法華経一経に皆、当体蓮華と譬喩蓮華がある。その中でも別しては、七譬・三平等・十無上の法門があって皆、当体蓮華がある。この当体蓮華の理を詮ずる教を名づけて妙法蓮華経というのである」と述べている。また、妙楽大師は法華玄義釈籤の巻一に「すべからく七譬を解釈するときには、おのおのの蓮華が権実の義を顕わしているのと同じ義で解釈しなければならない。何となれば、蓮華はただこれ実の為に権を施し、次に権を開いて実を顕わすことを譬えたものであり、七譬もことごとく同様であるからである」と説いている。
 また住劫の初めに、草花があり、聖人はその理を見て蓮華と名づけた。この草花は因果が一時にそなわっているところが、妙法蓮華に似ている故に、この草花を同じく蓮華と名づけたのである。水中に生ずる赤蓮華・白蓮華等の蓮華がこれである。譬喩の蓮華とは、この草花の蓮華を指しているのである。この草花の蓮華によって難解な妙法蓮華をあらわしているのである。天台大師が法華玄義の第一の巻に「妙法は解しがたいが、譬えを仮りれば理解しやすい」と釈したのはこの意味である。

施開廃の三釈
 方便権教を法華実教に会入し、迹門を開いて本門を顕すために開いた施開廃の三義のこと。天台は妙法蓮華経を釈するにあたり、当体蓮華と譬喩蓮華の二義を立て、当体蓮華を説明するために、花の蓮華の特質から蓮を法華実教・華を方便権教にたとえて、三義、蓮を本門・華を迹門にたとえて三義を立て、六義をもって釈した。①迹門の三喩、為実施権(実の為に権を施す)・開権顕実(権を開いて実を顕わす)・廃権立実(権を廃して実を立つ)。②本門の三喩、住本垂迹(本より迹を垂る)・開迹顕本(迹を開いて本を顕わす)・廃迹立本(迹を廃して本を立つ)。
―――
玄義
 天台大師智顗が法華経の題名である「妙法蓮華経」について講義したものを、章安大師灌頂が編集整理したもの。10巻。「妙法蓮華経」に秘められている深玄な意義を、名・体・宗・用・教の五つの観点(五重玄義)から解明している。
―――
三周の説法
 法華経方便品第2~人記品第9に至る説法周・譬説周・因縁周の三段階の説法の形式をいう。爾前の諸経では永不成仏とされていた声聞に対し、仏はその機根に応じて三段階の法門を説き、成仏の記別を授けた。すなわち舎利弗等が方便の得道を聞いて得道する=法説周、須菩提・迦旃延・迦葉・目連等が譬喩品の譬を聞いて得道する=譬説周、富楼那等が大通智勝仏以来の因縁を聞いて得道する=因縁周。このように声聞の成仏は三周に分かれてはいるが、いずれも大通の下種を覚智しての成仏である。
―――
上中下根
 上根・中根・下根の三根のこと。機根は仏の説法を聞き、受け入れて発動する衆生の生命の性分・資質をいう。機根の鋭利・遅根によって上・中・下の三つに分けたもの。
―――
三根合論
 蓮華という言葉が上中下の三根を合わせて論じていること。法説・譬喩説・因縁説の三周の説法も、一つの法門を上中下の三根に三周り説かれたのである。すなわち、上根には法の蓮華、中・下根には譬喩蓮華、三根合わせて論じて法と譬えとの二意をならべてあらわしたのである。上根にはただちに三乗即一乗の法を説き、中根には三車火宅の譬えをもって示し、下根には三千塵点の昔に法華経を下種し、中間で熟し、今脱益すると往昔の因縁を説き、重ねて三百由旬の化城・五百由旬の宝処の譬えをもって、三乗即一乗を信解させるというのである。蓮華について、上根は法の当体蓮華、中・下根は譬喩蓮華を説き示したことを三根合論といったのである。
―――
法譬
 法説と譬喩説のこと。
―――
至理
 至極の深理の意で、久遠元初・名字凡身の「聖人」の一念の心法を指す。この一念の心法こそ、因果倶時の不思議の一法であり、十界三千の諸法を円融具足した本有無作の当体である。
―――
因果倶時・不思議の一法
 妙法蓮華経のことで、十界互具・一念三千、大御本尊その当体をいう。
―――
闕減
 足りないこと、欠けていること。
―――
覚道
 因行によって得る証果、仏道を覚ること。真の覚道は妙法の信心以外にない。
―――
感得
 ①仏因に感応して仏果をえること。②感ずる・感づくこと。③神仏に真心が通じ、悟りを得ること。
―――
妙覚果満の如来
 一切の因行果徳を円満に具足した仏のこと。妙覚は52位のなかの究竟位で仏果の位である。南無妙法蓮華経は因果倶時・不思議の一法であり、妙法に一切の妙因・妙果が具わっている。その妙法を感得した如来のことをいう。
―――
伝教大師
 767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
―――
因華・果台
 一心を妙法蓮華経の当体として、九界の因行を蓮華に譬え、成仏の果を蓮華の台にたとえたもの。
―――
七譬
 法華七譬のこと。①三車火宅(譬喩品) ある時、長者の邸宅が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中で火事に気づかず、長者が説得するも外に出ようとしなかった。そこで長者は子供たちが欲しがっていた「羊の車と鹿の車と牛車の三車が門の外にあるぞ」といって、子供たちを導き出した。その後にさらに立派な大白牛車を与えた。この物語の長者は仏で、火宅は苦しみの多い三界、子供たちは三界にいる一切の衆生、羊車・鹿車・牛車の三車とは声聞・縁覚・菩薩(三乗)のために説いた方便の教えで、それら人々の機根を三乗の方便教で調整し、その後に大白牛車である一乗の教えを与えることを表している。なお檀一雄の「火宅の人」のタイトルは、この三車火宅を由来としている。②長者窮子(信解品) ある長者の子供が幼い時に家出した。彼は50年の間、他国を流浪して困窮したあげく、父の邸宅とは知らず門前にたどりついた。父親は偶然見たその窮子が息子だと確信し、召使いに連れてくるよう命じたが、何も知らない息子は捕まえられるのが嫌で逃げてしまう。長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘うよう命じ、ついに邸宅に連れ戻した。そしてその窮子を掃除夫として雇い、最初に一番汚い仕事を任せた。長者自身も立派な着物を脱いで身なりを低くして窮子と共に汗を流した。窮子である息子も熱心に仕事をこなした。やがて20年経ち臨終を前にした長者は、窮子に財産の管理を任せ、実の子であることを明かした。この物語の長者とは仏で、窮子とは衆生であり、仏の様々な化導によって、一切の衆生はみな仏の子であることを自覚し、成仏することができるということを表している。なお長者窮子については釈迦仏が語るのではなく、弟子の大迦葉が理解した内容を釈迦仏に伝える形をとっている。③三草二木(薬草喩品) 大地に生える草木は、それぞれの種類や大小によって異なるが、大雲が起こり雨が降り注がれると、すべての草木は平等に潤う。この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、中草とは声聞・縁覚の二乗、上草とは二乗の教えを通過した菩薩、小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、大樹とは大乗の教えの奥義を理解した菩薩であり、それら衆生は各自の機根に応じて一乗の教えを二にも三にも聞くが、仏は大慈悲をもって一味実相の教えを衆生に与え、利益で潤したことを例えた。④化城宝処(化城喩品) 宝のある宝処に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、一乗の境界に至らしめることを説いている。法華経では、遥か昔の大通智勝如来が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見え、四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。⑤衣裏繋珠(五百弟子受記品) ある貧乏な男が金持ちの親友の家で酒に酔い眠ってしまった。親友は遠方の急な知らせから外出することになり、眠っている男を起こそうとしたが起きなかった。そこで彼の衣服の裏に高価で貴重な宝珠を縫い込んで出かけた。男はそれとは知らずに起き上がると、友人がいないことから、また元の貧乏な生活に戻り他国を流浪し、少しの収入で満足していた。時を経て再び親友と出会うと、親友から宝珠のことを聞かされ、はじめてそれに気づいた男は、ようやく宝珠を得ることができた。この物語の金持ちである親友とは仏で、貧乏な男は声聞であり、二乗の教えで悟ったと満足している声聞が、再び仏に見え、宝珠である真実一乗の教えをはじめて知ったことを表している。⑥髻中明珠(安楽行品) 転輪聖王は、兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。しかし髻の中にある宝珠だけは、みだりに与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により与えられた宝とは爾前経、髻中の明珠とは法華経であることを表している。⑦良医病子(如来寿量品) ある所に腕の立つ良医がおり、彼には百人余りの子供がいた。ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。そこへ帰った良医は薬を調合して子供たちに与えたが、半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に飲んで本心を取り戻した。しかし残りの子供たちはそれも毒だと思い飲もうとしなかった。そこで良医は一計を案じ、いったん外出して使いの者を出し、父親が出先で死んだと告げさせた。父の死を聞いた子供たちは毒気も忘れ嘆き悲しみ、大いに憂いて、父親が残してくれた良薬を飲んで病を治すことができた。この物語の良医は仏で、病で苦しむ子供たちを衆生、良医が帰宅し病の子らを救う姿は仏が一切衆生を救う姿、良医が死んだというのは方便で涅槃したことを表している。
―――
三平等
 乗平等・世間涅槃平等・法身平等をいう。①乗平等・仏の教えは根本的に一切衆生を平等に救済していく広大な御本仏の智慧。②世間涅槃平等・俗世間の悟りの世界とは本来、二なく別のないこと。③法身平等・両極にかたよることなく、一様に平等であること。
―――
十無上の法門
 法華経が最高の教えであることを説いた天親の説。種子無上・修行無上・増力無上・令解無上・清浄国土無上・説無上・教化衆生無上・成大菩薩無上・涅槃無上・勝妙力無上をいう。
―――
為実施権
 法華玄義序王・巻7下にある語。「実の為に権を施す」と読む。釈尊が法華経を説くための方便として40余年間、爾前権教を説き衆生を誘引したこと。
―――
開権顕実
 「権を開いて実を顕す」と読む。権は方便、実は真実の意。法華経以前の諸経の教え(三乗)はすべて方便にすぎず、法華経こそ真実の教えであることを表したもの。教理に関していい、実践上は開三顕一 という。
―――
劫初
 劫のはじめ。
―――――――――
 本章は、天台大師の法華玄義の釈を引いて、当体蓮華と譬喩蓮華を明確にあらわし、その中で文底の意であるところの本有無作の当体蓮華を明かされている。すなわち当体蓮華とは因果俱時・不思議の一法であり、久遠元初において、久遠の御本仏である自受用報身如来が、妙法蓮華と名づけられたのである。それが当体蓮華である。当体蓮華は、法華の法門であり、清浄であってしかも因果微妙の甚深の法門それ自体である。
 これに対して譬喩蓮華とは、草花の蓮華であり、この蓮華も因果俱時であり、妙法蓮華に似ていることから、これを譬えとして難解の妙法を説いたのである。
譬喩の蓮華とは施開廃の三釈委く之を見るべし
 天台大師が、法華玄義の序で蓮華をもって難解の妙法を譬えている。この譬喩蓮華を、本門と迹門におのおの施開廃の三喩を立て、六重の蓮華で釈した。法華経迹門については、法の上で釈し、本門については仏の上で釈している。これらの関係を図示すると次のようになる。
   ①為蓮故華(施)┬──為実施権┐
           │┌─開権顕実├法に約す――迹門の三喩
   ②華開蓮現(開)┼┤┌廃権立実┘
           └┼┴従本垂迹┐
            └┬開迹顕本├仏に約す――本門の三喩
   ③華落蓮成(廃)──┴廃迹立本┘
 さて天台大師は、まず蓮華とは権実の法を譬えるのであるといっている。すなわち、蓮は実教の妙法を譬え、華は権教を譬えている。
 ①施の「為蓮故華」とは蓮の実を守るために華がおおうということであり、これは為実施権を譬えている。為実施権とは「実の為に権を施し」と読み、随他意の教法である。法華経を説くことにあたって、まず四十二年の間、機根の低い衆生の機を熟させるために爾前権教を説いてきたことを指している。
 ②の「華開蓮現」とは華が開いて、蓮の実が現われるということであり、これは開権顕実を譬えている。開権顕実とは、爾前権経を開いて、法華経迹門を説き顕わしたことをいう。また事に約して、二乗作仏のこと、教に約して三乗を開いて一仏乗を顕わすこと、理に約して十界互具・百界千如の実相を顕わすことをいうのである。
 ③廃の「華落蓮成」とは、華が落ちて蓮の実が実ることであり、これは廃権立実を譬えているのである。
 廃権立実とは、法華経が説き顕わされたのちは、爾前権教を廃捨することをいう。方便品第二には「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」とは、廃権立実を示している。
 この施開廃は前にも述べた通り蓮華に譬えている。蓮華は、華が開いて実が顕われると同時に、華が落ちるといわれていた。それゆえ因果俱時である。また法華経にも同様に開と廃とが同時である。爾前権教を開いて、法華の真実が顕われた時、同時に権経を廃しているのである。ここに、施開廃の三釈が譬喩蓮華をあらわしていることが明らかである。
 また、蓮華をもって妙法に譬える意味について日寛上人の文段にはつぎのようにある。
 蓮華は多奇なるがゆえである。余花は妙法を顕わすに堪えられない。余花に多くの種類はあるが、七種あげることにする。
 一には、無花有菓である。いちじくのようなものである。いちじくは、華は咲かないが実はなる。実は葉の際に生ずる。ある人はこのいちじくを埋木といっている。古歌にいわく「埋木の花さくことも無かりしに身のなる果ては哀れなりけり」等云云。
 二には、有華無菓である。例えば山吹等のようなものである。集義和書八に云く「太田道灌、狩に出て、民家に蓑を借る。其の妻の言は無くて、山吹の花の一枝を指し置きぬ。後に和歌を知る人云く、是れ古歌の意なり、七重八重、花は咲けども山吹の、みの一つだに、なきぞかなしき。是より道灌、和歌を学ぶ云云」
 三には、一華多菓、例えば胡麻や芥子等のようなものである。
 四には、多華一菓、桃や李のようなものである。
 五には、一華一菓、柿のようなものである。
 六には、前華後菓、瓜や稲のようなものである。
 七には、前花後菓、一切の草木のほとんどはこれである。されば、花は因であり、菓は果である。しかるにこれらの草木は因果・一・多・前・後等であって妙法をあらわすに堪えることができない。この蓮華のみ因果俱時にして、微妙清浄である。故に妙法に譬えるのである。
因果俱時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す
 この文は五重玄に約して、名玄義をあらわしている。またこれ依義判文して三大秘法に配せば、一念の心法、すなわち色心総在の一念をいい、これは三大秘法総在の妙法蓮華経であり、一代秘法をあらわしている。
 日寛上人の文段には次のようにある。
 「問う、因果俱時・不思議の一法とはその体何物であろうか。
 答う、これ、すなわち一念の心法である。故に伝教の釈に云く『一心妙法蓮華経なり』とある。一念の心法とは、すなわち色心総在の一念である。妙楽云く『総一念に有り、別は色心を分つ 別を摂して総に入る』等とは、これである。
 問う、因果俱時・不思議の一法の相貌とは何か、答う、今これを説明するのに二義をもって説明する。
 一には、一往、九界一果に約す。
 この一念の心に十法界を具えている。九界を因として仏界を果とする。十界宛然と雖も、しかも互具互融して、一念の心法にある故に、因果俱時の不思議の一法というのである。
 二には、再往各界に約す。
 地獄の因果のようなものである。悪の境智冥合には、すなわち因果がある。謂く瞋恚は悪口の因である。悪口はこれ瞋恚の果であり、因果を具すと雖も但刹那である。故に因果俱時の不思議の一法というのである。また善の境智冥合には、すなわち因果がある。謂く信心は唱題の因、唱題は信心の果を具すといえどもただ地獄界との始終をあげて、中間の八界は同じきが故に略す」と。
 さらに因果俱時について論究する。
 一瞬の生命の因果を具しているとは、すなわち、過去のあらゆる行業の集積が因となって、現在に結集としてあらわれるということであり、また現在の行動が因となり、未来に果を生むといくことである。したがって、現在の瞬間を離れて未来はない。否、未来は現在の瞬間の一念でどのようにも変えていくことができるとみることができる。そうであれば、一瞬の実相のうちに過去の生命をはらみ、かつ未来永遠の生命を含んでいるのである。これを「因果俱時・不思議の一法」すなわち妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮大聖人の仏法はこの瞬間の生命を説き、しかも永遠の幸福確立の方途を示されたのであった。
 総勘文抄にいわく「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」(0562-08)と。過去・現在・未来は一念の心中におさまるとの明文である。
 また御義口伝巻下にいわく「所謂南無妙法蓮華経は三世一念な」(0788-02)と。また本因妙抄にいわく「久遠一念の南無妙法蓮華経」(0871-09)また同抄にいわく「因果一念の宗」(0871-04)と。これらの文によれば、久遠の一念も現在の一念におさまることが明確に説き示されている。
 日蓮大聖人は、受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生が真実の幸福を会得する原理を打ち立てられたのである。
 観心本尊抄にいわく「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)と。
 あらゆる仏の因位の万行・果位の万徳はことごとく三大秘法の大御本尊を信ずる一念のなかに具足するのであり、これ因果俱時である。
 したがって、釈尊の仏法の用に、過去遠々劫からの悪行を歴劫修行によって消していくようなものではなく、たとえ過去に少しも福徳を積んでいなくても、大御本尊を信ずる一念のなかにあらゆる因位の万行を具足し、それだけの修行を積んできたと同じになり、また、未来のあらゆる幸福境涯を現在の瞬間に開くのである。
 幸福というものは、どこか遠くに特別にあるものではない。過去の因によって現在というものが、がんじがらめに縛りつけられているものでもない。大事なことは過去でもない。また、現在を離れた未来でもない。この瞬間瞬間が大切である。しかして、大御本尊を信じる一念こそ、現在の瞬間を、真に生ききる源泉であり、金剛不壊の幸福境涯に住することができる本源である。
 所詮、歴劫修行を説く釈尊の仏法は、因果異時であり、受持即観心を説く日蓮大聖人の仏法は、因果俱時の生命観に立脚しているのである。
 次に因果俱時、因果異時を生活に約してのべてみよう。
 多くの植物の場合、春に種をまくと秋に実がなるものである。薬を投与すするならば、その薬が全身に回り、薬によっては、効きだすのに時間がかかるものもある。これらは、原因と結果が同時ではなく、ある一定の間隔がある。したがって、これらの事象の因果を表面的に追っていけば、因果異時である。
 これに対し、例えば熱湯の中に手を入れて熱いと感ずるのは、瞬間の因果である。また、怒ると人相が変わるというのも因果である。このように因果が同時であることを因果俱時というのである。しかし、これらの例はあくまでも因果俱時をわかりやすくするための例であり、因果俱時そのものではない。因果俱時は、日蓮大聖人の仏法の奥底をなすものである。
 もしも、厳密にいえば、因果異時の例としてあげた春種をまいて秋に実が成るということも、因果俱時の例としてあげた熱湯の中に手を入れて熱いと感ずることも、共に因果異時である。因果異時とか因果俱時というものは、決してこれが因果異時で、因果俱時であるというような、因果の法則のたんなる分類ではない。正しくいえば、一切が因果異時であり、一切が因果俱時である。
 例えば、春種をまいて秋に実がなるというのはたしかに因果異時にみえる。しかし春まいた種のなかに秋に成る実がふくまれていると考えた場合、それは因果俱時である。すなわち、ある現象のあらわれた姿について因果を追究していけば、因果異時であり、その事象の本因をみていけば因果俱時なのである。
 700年前、日蓮大聖人を迫害した平左衛門尉頼綱の威勢は天をも突く勢いであった。ところが、この頼綱の晩年は悲惨であり、次男資宗を将軍の位に登らせようと計って、長男宗綱に訴えられ、永仁元年(1293)年4月、執権貞時によって父子ともに誅殺され、長子宗綱は佐渡に流罪されている。実に大聖人滅後11年のことであった。
 もしも、頼綱の表面にあらわれた現実だけをみるならば、当初は華々しい、また万人からうらやましがられる立場であったろう。しかし仏法の立場で見るならば、頼綱の生命の奥底は、無間地獄の苦悩をはらんだ生命であったとみるのである。ところで頼綱が大聖人滅後11年にして滅亡したとみれば、因果異時である。大聖人を迫害したときすでに頼綱の滅亡が決定していたとみれば、因果俱時である。
 日寛上人は、撰時抄文段下に大要次のように述べている。
 「平の左衛門入道果円が首を刎ねられたのは、日蓮大聖人の御顔を打った故である。また最愛の次男・安房守が首を刎ねられたのは、大聖人の御首を刎ねようとした故である。嫡子宗綱が佐渡に流されたのは、大聖人を佐渡へ流したゆえである」と。
 このように日蓮大聖人の仏法は、あらわれた事実を表面的な因果関係でみるのではなく、事物の本因、生命の奥底を問題にし、また瞬間というものを、徹底して説き究められているのである。
 われわれが御本尊を持ち、20年、30年と、うまずたゆまず信心を貫いていけば、必ず崩れることのない人生を築くことができよう。いかなる立場の人でも、心に御本尊を信ずれば、将来、かならず崩れることのない人生を築くことができよう。いかなる立場の人でも、心に御本尊を信ずれば、将来、かならずや所願満足の人生となるであろう。しかし以上のように考えることは、まだ因果異時の立場である。
 大御本尊をひとたび受持する者は、たとえ身はどんなに貧賤であろうと、御本尊という正境に縁したわけであり、その人が御本尊を奉じて信力と行力をあらわすときには、御本尊の仏力と法力が厳然とあらわれる。言葉を換えていえば、その人の一念には仏界がそなわり、しかも、その仏界をあらわすことができるわけである。それゆえ、いかなる大王よりも尊貴なのである。
 十字御書にいわく「今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(1492-08)と。大御本尊を信じた人は、大御本尊を受持したことで、結果として、ありとあらゆる福徳を積んだことになるのである。これが因果俱時である。だからといって因果異時が誤りではない。あらわれた現象、姿は因果異時にみえるわけである。直達正観とか、即身成仏というのは、釈尊の仏法で歴劫修行を説いて長時間かけて次第に証果を得るのに対して、直ちに正観に達することであり、この身を改めないで成仏できるという、大聖人の仏法の偉大な修行の功徳をあらわしたものであるとともに、時間的にみてみるならば、因果俱時についていっているのである。だがその証拠は、5年10年、20年先に幸福な姿となってあらわれるのである。したがって、因果異時も因果俱時に摂せられるのである。
此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し
 日寛上人の文段には次のようにある。
 「これは体玄義をあらわしている。天台いわく『十如十界三千の諸法、今経の正体』等云云、これ一念三千なのである」と。今経の正体とは、妙法蓮華経の正体にして御本尊の正体である。されば、これを体玄義というのである。すなわち、御本尊には十界三千の諸法が一法も欠けることなくそなわっているのである。
之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり
 同じく文段によれば「これは、宗玄義をあらわしており、本門の題目にあたる。すなわち玄義にいわく『宗とは要なり、いわゆる仏の自行の因果なり』と。
 問う、因を修して果を感ずるのは、常の所説である。今どうして因果をもってともに感得する所に属するのであろうか。
 答う。一往の義辺は実に所問のとおりである。しかし、今は再往の義辺によるのである。
 すなわち、九界の衆生は、この御本尊を修行して、仏界の因果を同時に感得するのである。故に『仏因・仏果同時に之を得る』というのである。次の行の『妙因・妙果・俱時に感得し給う』の文もこれに準じて知るべきである」と。
 すなわち、仏因・仏果を同時に得るとは、末法今時に約していえば、御本尊を信じ、唱題することに尽きるのであり、これ以外に真実の幸福実現の要諦はないとの意と解釈することができよう。
聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり
 同じく文段によれば「これは用玄義をあらわす。俱時感得をもって、妙用をあらわすのである」と。
 さて「此の法」たる本有無作の当体蓮華、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経を受持し、自行化他にわたる題目を唱え、修行することにより、因果俱時にして、この瞬間に揺らぐことのない最高の幸福境涯を開いていくことができる。まさしくこの姿、特質こそ五重玄の用玄義を示すものであり、実に偉大な文と拝せられよう。

0513:14~0514:02 第五章 如来の自証化他を明かすtop
14   問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、 答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して
15 世世番番に成道を唱え 能証所証の本理を顕し給えり、 今日又・中天竺摩訶陀国に出世して此の蓮華を顕わさんと
16 欲すに機無く時無し 故に一法の蓮華に於て 三の草華を分別し 三乗の権法を施し擬宜誘引せしこと 四十余年な
17 り、 此の間は衆生の根性万差なれば種種の草華を施し設けて終に妙法蓮華を施したまわざる故に、 無量義経に云
18 く「我先に道場菩提樹下乃至四十余年未だ真実を顕さず」文、 法華経に至つて四味三教の方便の権教・小乗・種種
0514
01 の草華を捨てて唯一の妙法蓮華を説き 三の華草を開して一の妙法蓮華を顕す時、 四味・三教の権人に初住の蓮華
02 を授けしより始めて開近顕遠の蓮華に至って二住・三住乃至十住・等覚・妙覚の極果の蓮華を得るなり。
-----―
 問う、劫初からこれまでの間に、いったい誰人がこの当体蓮華を証得したのであろうか。
 答う、教主釈尊が五百塵点劫の当初に、この妙法蓮華経を証得してその後、迹を垂れて世々番々に成道を行ない、能証所証の本理を顕わされたのである。
 そして今日、また釈尊は、中天竺摩訶陀国に出世して、この当体蓮華を顕わそうとしたが、衆生の機が熟しておらず、いまだ時いたらなかったので、一法の当体蓮華ではあっても、三つの草花に分けて、その三乗の権法である仮の教えを衆生に施し、四十余年の間、擬宜誘引したのである。この期間は、衆生の根性が万差であったので、種々の草花の譬えをかりて、権経を顕わし示して、ついに妙法蓮華経を示されなかった。故に、法華経の開経である無量義経には「我先に道場菩提樹の下で乃至四十余年間真実はあらわさなかった」と示している。そして法華経にいたって、四味三教である方便の権教・小乗教に説かれた種々の譬喩の草花を捨てて、唯一の妙法蓮華を説き、三つの草花の譬喩蓮華を開いて一の妙法蓮華を顕わす際に、四味三教に従っていた人達に、初住の蓮華を授けることからはじめて、本門の開近顕遠の蓮華にいたって、二住・三住乃至十住・等覚・妙覚の極果を得さしめたのである。

証得
 正しい智慧によって真実の理についての証悟を得ること。仏道を成すること。
―――
五百塵点劫の当初
 五百塵点劫は法華経如来寿量品第十六に「譬えば五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を、仮使い人有って抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんが如し(中略)是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を、尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我れは成仏してより已来、復た此れに過ぎたること、百千万億那由佗阿僧祇劫なり」とある文を意味する語。釈尊が真実に成道して以来の時の長遠であることを譬えをもって示したものであるが、ここでは、久遠の仏から下種を受けながら、邪法に執着した衆生が五百塵点劫の間、六道を流転してきたという意味で使われている。 当初とはそのかみ。久遠元初。ある特定の遠い過去ではなく、宇宙と生命の永遠の根源の次元。
―――
中天竺摩訶陀国
 中天竺はインドを五つの地域、東・南・西・北・中と立て分けたうちの「中」釈尊はこの中天竺の迦毘羅衛国の太子として生まれた。摩謁提国はインド古代の王国、マガダ(Magadha)国のこと。現在のインド・ビハール州南部。仏教に関係の深い王舎城や霊鷲山はこの地にあった。
―――

 仏教を理解し信じ実践する能力・資質。根機ともいう。
―――
擬宜誘引
 仏が衆生の機根に合わせた教えをとくことによって、仏の慈悲の懐へ誘い手引きすること。衆生の心が下劣で弱いゆえに、仏はまず小乗教、諸阿含経をといたことをいう。すなわち仏が40余年間に説いた爾前権教のこと。
―――
根性
 機根のこと。仏教を理解し信じ実践する能力・資質。根機ともいう。
―――
道場菩提樹
 道場は①仏の常道の場所。②仏道を成するための修行や行教法。③仏道を修行する場所。④仏を供養するところ。⑤寺院のこと。菩提樹はクワ科イチジク属(フィクス属)の植物の一種。別名:テンジクボダイジュ。無憂樹、沙羅双樹 と並び仏教聖木の一つ。 仏教三大聖樹(仏教三霊樹)。釈尊はこの樹の下の金剛宝座に坐し、開悟したといわれている。
―――
初住
 菩薩の修行の段階である五十二位の中の第11位、十住の初め、発心住のこと。見惑(思想・見識の迷い)を断ずる菩薩の位をいう。円教の菩薩は初住で一分の中道の理を証得して正念に安住するので、初住位以上を菩薩道から退転しない不退位とする。
―――
開近顕遠
 「近を開いて遠を顕す」と読み下す。「近」とは近成(始成正覚)、「遠」とは遠成(久遠実成)のこと。すなわち法華経本門で釈尊が、自身が今世ではじめて成仏したと説く始成正覚は方便であり、実は久遠の過去に成仏していたと説き久遠実成を明かしたことをさす。
―――
十住
 菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第11から第20の位。真実の空の理に安定して住する位。初住である発心住は、菩薩の不退位の初めであり、見思惑・塵沙惑を断ずる菩薩の初位にあたる。別教の菩薩の十住は内凡と位置づけられる。菩薩の修行の中で成仏の因である正因・了因・縁因の三仏性は初住から開き始めるので、五十二位中でも初住は大事な位となる。①発心住(十信を成就し広く智慧を求める位)②治地住(常に空観を修して心を清浄に持つ位)③修行住(もろもろの善法や万行を修する位)④生貴住(諸法は因縁の和合によって存するので、諸法の常住不変な体はないとの法理を理解し、本性が清浄である位)⑤方便具足住(無量の善根を修して空観を助ける方便とする位)⑥正心住(空観の智慧を成就する位)⑦不退住(究竟の空理を顕して退かない位)⑧童真住(邪見を起こさずに菩提心を破らない位)⑨法王子住(仏の教えを深く理解して未来に仏の位を受ける位)⑩灌頂住(空・無相を観じて無生智を得る位)をいう。
―――
等覚
 ①仏の異名。等正覚。等は平等の意、覚は覚悟の意。諸仏の覚りは真実一如にして平等であるので等覚という。②菩薩の修行の段階。五十二位のうちの第51位。菩薩の極位をさし、有上士、隣極ともいう。長期にわたる菩薩の修行を完成して、間もなく妙覚の仏果を得ようとする段階。
―――
妙覚
 仏の優れた覚りの境地。②菩薩の修行の段階。五十二位のうちの最高位の第52位。等覚位の菩薩が、42品の無明惑のうち最後の元品の無明を断じて到達した位で、仏と同じ位。六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即にあたる。文底下種仏法では名字妙覚の仏となる。「法華取要抄」には「今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向って之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり」(334㌻)と述べられている。法華経の文上の教説では、釈尊在世の衆生は、釈尊によって過去に下種されて以来、熟益の化導に従って本門寿量品に至った菩薩の最高位である等覚の位にまで登って得脱したとされる。日寛上人の『当流行事抄』によれば、これを文底の意から見た場合、等覚位の菩薩でも、久遠元初の妙法である南無妙法蓮華経を覚知して一転して南無妙法蓮華経を信ずる名字の凡夫の位に帰り、そこから直ちに妙覚位(仏位)に入ったとする。これを「等覚一転名字妙覚」という。
―――――――――
 この章からは、当体蓮華を証得した人を明かす段である。初めに久遠元初における証得と垂迹化他を明かし、次に釈尊在世の証得の人を論じ、最後に末法の証得の人を明かされている。
 この章は、まさしく久遠元初に当体蓮華を証得した人は、御本仏日蓮大聖人であることを明かされている。したがって、本抄においても最も重要な章であるといえよう。五百塵点劫の当初とは、久遠元初であり、釈尊とは本地自受用報身・再誕日蓮大聖人である。もしも五百塵点劫の当初の証得を、五百塵点劫に寿量品文上の教主が証得したと解すならば、この章のみならず本抄の元意を理解することができないであろう。
釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して
 この文は、日寛上人の文段によれば、本地の自証を明かす。五百塵点劫の当初とは本地であり、釈尊とは能証の人、妙法の当体蓮華とは所証の法である。以下文段に従って現代釈をほどこすことにしたい。
 五百塵点の当初とはいずれの時を指すのであろうか。諸門流の意は天台大師に准じて、皆本果第一番の時を指して五百塵点の当初といっている。これすなわち不相伝の故である。当流の意は久遠元初の名字凡夫の時を指して五百塵点の当初という。「当初の両字・意を留めて案ずべし」とある。
 この名字凡夫の御時に、妙法当体の蓮華を証得されたがために本門寿量の当体の蓮華仏と名づけるのである。またこの本仏を、久遠元初の自受用身とも、久遠名字の報身とも名づけ、また所証の法を久遠名字の妙法とも名づけるのである。その証文として日寛上人は文段に次の文を引いている。総勘文抄に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)と。また本因妙抄に「夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(1021-03)と。
 釈尊が久遠五百塵点劫の当初、いかなる法を修行して妙法の当体蓮華を証得したかというと、これは下種家の本因妙によるのである。当初の前文に「聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・俱時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり」とあるとおりである。この文に聖人とは名字即の釈尊である。故にこれは位妙に当たる。後をもってこれを呼ぶ故に聖人というのである。名字凡夫の釈尊が一念三千の妙法蓮華をもって本尊となした。故に「此の法を師と為して」という。すなわち、これが境妙である。「修行」とは、修行に始終があり、始は信心、終は唱題である。信心は智妙であり、唱題は行妙なる故、修行の両字は智行の二妙に当たるのである。この境智行位を合して本因妙となす。この本因妙の修行により即座に本果に至る故、「妙因・妙果・俱時に感得し給う」という。すなわち、今の文に「妙法の当体蓮華を証得して」というのがこれである。またここで本因・本果とは、すなわちこれ種家の本因本果である。名字即の釈尊とはすなわち日蓮大聖人である。
五百塵点劫の当初について
 五百塵点劫の当初とは、久遠元初であるということは前項に述べたとおりである。当初とは、すなわち元初の意味である。諸御書に五百塵点劫の当初とあるのは、すべて久遠元初を意味していると解さなければ、日蓮大聖人の真意は理解できない。
 たとえば観心本尊抄に「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」(0247-04)と。この「乃至」を諸門流では、所願に対して能顕と読んでいる。蒙抄等には「能顕以て乃至という、所顕の二字に望むる故」等と説明しているのがそれでる。だがそれは大聖人の元意を知らないのである。今、ここに五百塵点乃至とは時に約すべきである。蒙抄のようであれば「我等が己心の釈尊は、五百塵点能顕所顕の三身にして無始の古仏なり」となってしまうのである。
 もし五百塵点の時と無始の時と同じであるというならば、あえて日蓮大聖人が五百塵点といった意味がなくなってしまうのである。それでは乃至とはどう読むのか、これは後より前に向かうことを乃至というので、乃至は「当初」と読んで、当抄の久遠元初の名字凡夫の御時となすべきである。
 したがって五百塵点を久遠ともいい、元初を当初ともいうのである。久遠とは、御義口伝に「所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず.つくろわず.もとの儘と云う義なり」(0759-第廿三 久遠の事-01)とあり、すなわち仏の因寿は、劫初からのものであって、無量であるとの御文である。同じくわれわれの神によってつくられたものでもなく、偶然に発生したものでもなく、久遠元初から宇宙と共にあって、生死生死と連続し、現在にいたっている。したがって日蓮大聖人の仏法は、五百塵点劫の有始有終の仏法ではなく、久遠元初の仏法であり、無始無終の生命観を説かれているのである。
 所詮、この当体義抄の御文は、久遠元初の名字凡夫位の御時に、我即宇宙、宇宙即我と悟り、わが身が宇宙の本源の妙法蓮華経の当体であると開覚された方を、本門寿量の当体の蓮華仏と名づけるとの意である。また、久遠元初の自受用身とも、久遠名字の報身とも名づけ、その所証の法を久遠名字の妙法とも名づけるのである。
 次に文にあるように、後化他の為に世々番々に出現した本果第一番以後の仏も、結局、久遠元初の自受用身、南無妙法蓮華経の一仏一法の本地に帰趣することは明白である。
 実にこの仏とこの法こそ、一切の仏の能生の根源であり、十方三世諸仏の微塵の経々の功徳が具足しているのである。玄文第七にはこのことを「百千枝葉同じく一根に趣くがごとし」と述べている。さらに日寛上人は、この玄文第七の文を引用して、当流行事抄に「横に十方に徧じ竪に三世に亘り微塵の衆生を利益したもう垂迹化他の功、皆同じく久遠元初の一仏一法の本地に帰趣するなり」と述べている。
 日蓮大聖人は、末法において、この久遠元初の自受用身の再誕として出現され、南無妙法蓮華経を持って一切衆生の救済にあたれられたのである。
 百六箇抄にいわく「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854-03)と。外用浅近に望めば「上行菩薩の再誕日蓮」であり、内証深秘に望めば「本地自受用報身の再誕日蓮」である。
 同じく百六箇抄には「久遠の釈尊の修行と今日蓮の修行とは芥子計も違わざる勝劣なり」(0864-末法時刻の弘通の本迹)
 本因妙抄には「釈尊.久遠名字即の位の御身の修行を末法今時.日蓮が名字即の身に移せり」(0877-06)と。したがって、行と位がまったく同じである故に、久遠元初自受用身即日蓮大聖人となるのである。
世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり
 日寛上人の文段によれば、この文の下は垂迹化他を明かされている。初めに中間次に今日を明かし、ことごとく垂迹化他の仏であり、化他のために身を荘厳して出世成道した本果妙の釈尊であることを論じられている。
 この文は正に中間を明かされたものである。したがって五百塵点劫において、本果第一番成道の釈尊も、この迹仏であり、以来、世々番々に出世成道して衆生の機根を調養し、最後にインドに出現して法華経を説いて、それらの衆生を得脱させたのである。
 他宗では、この文の「中間」について、天台家の法門に准じて本果第二番成道以後を指すと解しているが、それは誤りである。というのは、文上の仏法の範囲で論ずれば、釈尊の本果である五百塵点劫の成道をもって源とするが、日蓮大聖人の下種仏法においては、さらに一歩深く立ち入って、文底の意により、本果の成道は迹中化他の成道となるのである。すでに明らかにしたように、久遠元初の名字凡夫位の時、妙法蓮華経を自証自得されているのである。したがって本地は久遠元初であり、五百塵点劫における本果第一番成道も中間に属するのである。
 それでは本果の成道はなぜ迹中化他の成道となるのであろうか。
 その理由は、在世今日の化儀とまったく同じだからである。在世の釈尊によって、化法化儀の四教八教という随他意の教えが説かれたが、五百塵点劫の本果第一番成道の時に、すでに随他意の四教八教があったのである。
 また妙楽大師は法華玄義釈籤の七に「久遠に亦四教有り」とも「既に四教浅深不同有り、故に知らんぬ不同は定めて迹に属す」とも、さらに法華文句記の一に「本地の自行は唯円と合す、化他は定まらず亦八教有り」と述べている。これによって本果第一番成道が垂迹化他であることは分明である。
 これらの文は内証の寿量品の意によったものであり、文上の意ではない。また玄文第七の三世料簡の初めに久遠元初を本地自証として本果以後を垂迹化他に属する明文がある。天台家の学者はこれを知らないゆえに、この義は異説紛々としている。
 この当体義抄の文は次の総勘文抄と同旨であるので、対比してみるとわかりやすい。
 「後に化他の為に世世・番番に出世・成道し在在・処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す」(0568-14)と。
 この文のうち「後に化他の為に世世・番番」云云が本果以後の中間を意味し、当抄の文にあたるのである。そして「王遇に誕生し」からは、十九出家・三十成道の、インド応誕の釈尊在世の振舞いをあらわし、「今日」を意味するのである。
 次に「能証所証の本理を顕す」についていえば、能証はこれ智であり、所証はこれ境である。したがってこれは、本地難思の境智冥合・本有無作の当体蓮華を顕わすということである。本理は極理と同意であり、兄弟抄には「法華経の極理・南無妙法蓮華経の七字」(1087-08)と仰せである。本果第一番の釈尊にしても、あるいは今日の釈尊にしても、その出世の本懐は、三大秘法の御本尊の相貌、本地難思の境智冥合・本有無作の当体蓮華を顕わすことにあったとの仰せである。したがって「能証所証の本理を顕す」とは、諸仏が本地を明かすことをいうのである。
 これは五仏道同の儀式といって、総諸仏、過去仏、未来仏、現在仏、釈迦仏にせよ、中間、今日のあらゆる仏が今日と同じ説法の儀式で当体蓮華を明かすということである。すなわち爾前において種々の草花を施し、迹門にいたって、開三顕一の蓮華を説き、本門にいたって、開近顕遠の蓮華を顕わし、内証の寿量品には本地難思の境智冥合・本有無作の当体蓮華を顕わすのである。
妙覚の極果の蓮華を得るなり
 法華経文上においては、悟りは等覚位までであって、妙覚位は説かれていない。これに対して大聖人は「妙覚の極果の蓮華を得るなり」と仰せられている。日寛上人の文段によれば、これは文底の意であって、文底の意では皆、名字妙覚位に入るのである。すなわち寿量品を聞いた大衆は文上の寿量品を聞き、等覚位に登ったことになっているが、文上を聞くと共に文底の秘密を悟り、ことごとく久遠元初に戻って名字妙覚の位に入ったのである。台家の口伝に「等覚一転理即に入る」とあり、当家深秘の口伝に「等覚一転名字妙覚」とあるのがこの意である。

0514:03~0514:14 第六章 本地の所証を示すtop
03   問う法華経は何れの品何れの文にか正しく当体譬喩の蓮華を説き分けたるや、 答う若し三周の声聞に約して之
04 を論ぜば 方便の一品は皆是当体蓮華を説けるなり、 譬喩品・化城喩品には譬喩蓮華を説きしなり、但方便品にも
05 譬喩蓮華無きに非ず 余品にも当体蓮華無きに非ざるなり、 問う若し爾らば正く当体蓮華を説きし文は何れぞや答
06 う方便品の諸法実相の文是なり、 問う何を以て此の文が 当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、 答う天台
07 妙楽今の文を引て今経の体を釈せし故なり、 又伝教大師釈して云く「問う法華経は何を以て体と為すや、 答う諸
08 法実相を以て体と為す」文、此の釈分明なり当世の学者此の釈を秘して名を顕さず然るに此の文の名を妙法蓮華と曰
                                     う義なり、又現証は宝塔品の三身是れ
09 現証なり、 或は涌出の菩薩・竜女の即身成仏是なり、 地涌の菩薩を現証と為す事は経文に如蓮華在水と云う故な
10 り、 菩薩の当体と聞たり 竜女を証拠と為す事は 霊鷲山に詣で千葉の蓮華の大いさ車輪の如くなるに坐しと説き
11 たまう故なり、又妙音・観音の三十三・四身なり 是をば解釈には法華三昧の不思議・自在の業を証得するに非ざる
12 よりは安ぞ能く 此の三十三身を現ぜんと云云、或は「世間相常住」文、 此等は皆当世の学者の勘文なり、 然り
13 と雖も 日蓮は方便品の文と神力品の如来一切所有之法等の文となり、 此の文をば天台大師も之を引いて今経の五
14 重玄を釈せしなり、殊更此の一文正しき証文なり。
-----―
 問う、法華経では、どの品の、どの文にまさしく当体・譬喩の蓮華を説き分けているのであろうか。
 答う、もし三周の声聞に約してこのことを論ずれば、方便品は全部、当体蓮華を説いており、譬喩品、化城喩品には譬喩蓮華を説いているのである。ただし方便品にも譬喩蓮華がないというのではなく、他の品にも当体蓮華がとかれていないというのではない。
 問う、もしそうだとすると、まさしく当体蓮華を説いた文は、どの文であろうか。
 答う、方便品の諸法実相の文がこれである。
 問う、どうしてこの文が当体蓮華の文であるということを知り得るのであるか。
 答う、天台・妙楽が、今の諸法実相の文を引いて法華経の法体を解釈しているからである。また、伝教大師が釈して「問う法華経は何をもって法体とするのであるか。答う諸法実相をもって体とするのである」といっている。この釈で明白である。
 また現証は宝塔品の釈迦・多宝・分身の三仏がこれである。あるいは湧出品の地湧の菩薩、提婆品の竜女の即身成仏がこれである。地湧の菩薩を現証とすることは、湧出品第十五に「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」という故である。
 これは菩薩の当体蓮華であると説かれているのである。竜女を現証とする理由は、提婆品の中に霊鷲山に詣でて、千葉の蓮華の車輪のように大きな蓮華に坐し、と説かれている故である。また妙音菩薩の三十四身や観音菩薩の三十三身がその現証である。
 これを妙楽大師は止観輔行伝弘決に「法華三昧の不思議自在の業を証得しなかったならば、どうしてよくこの三十三身を現ずることができようか」と説いている。あるいは方便品第二に「世間の相常住なり」と。以上の諸文は皆当世の学者の勘えた文証である。
 しかしながら日蓮は方便品の十如実相の文と、神力品の如来一切所有之法等の四句の要法の文とを当体蓮華の証文とするのである。この神力品の文を天台大師もまた引用して法華経の五重玄を釈している。ゆえに神力品の一文はことさらまさしく当体蓮華の証文である。

三周の声聞
法華経迹門における仏の三周りの説法(法説・譬説・因縁説)によって、開三顕一の法門を理解し成仏の記別を受けた声聞のこと。法華経の会座において開三顕一の法門を聞いた声聞の中には、法理を聞いてすぐに覚りを得ることができる上根の声聞もいれば、法理を聞いてもよく分からず譬え話や因縁話を聞いて初めて分かる中根・下根の声聞もいた。故に同じ法華経迹門の法理を聞いても、覚りには前後があり、法説・譬喩説・因縁説の三つの説法にしたがって、それぞれの法を聞いて得道したのである。最初に、方便品第2の開三顕一の法理を聞いて、智慧第一といわれる舎利弗が法門を理解し、譬喩品第3において華光如来という記別を受けた。中根の声聞は、その法理を聞いても理解することができなかったため、釈尊は譬喩品の三車火宅の譬えをもって説き明かした。この譬喩説を聞いて理解したのが神通第一といわれた目犍連、頭陀第一の迦葉、論議第一といわれた迦旃延、解空第一の須菩提の四大声聞であり、授記品第6で記別を受けた。それでもまだ理解できなかった下根の声聞は、化城喩品第7の三千塵点劫以来の因縁を聞いて初めて理解することができた。これが富楼那や阿難、羅睺羅などの弟子である。下根の声聞は五百弟子受記品第8・授学無学人記品第9において記別が与えられた。
―――
宝塔品の三身
 方等品に出てくる釈迦・多宝・十方の諸仏のこと。初めに大地から多宝如来の高さ500由旬の七宝の塔が涌出して、虚空に住し、その宝塔の中から法華経が真実であると保証する大音声がある。続いて裟婆世界が三変土田によって浄土となり、十方世界の分身の諸仏が集められ、次いで釈尊が宝塔に入って多宝と並んで座り(二仏並坐)、神通力で聴衆を虚空に置く。そして釈尊の滅後に法華経を護持する者は誓いの言葉を述べるよう3度、流通を勧める(三箇の鳳詔)。この中で、第3の鳳詔では他の経典は持ちやすく、法華経を受持することは難しいとの六難九易が説かれ、この後に「此経難持」の偈頌が説かれている。本品は、方便品第2から次第に説かれた三周の説法が真実であることを証明する(証前)とともに、如来寿量品第16の久遠実成の義を説き起こす(起後)遠序であると位置づけられている。
―――
現証
 教えの正しさを保証する三証(文証・理証・現証)の一つ。現実の証拠。その宗教の教義に基づいて信仰を実践した結果が、生命や生活、そして社会にどのように現れたかということ。
―――
涌出の菩薩
 地涌の菩薩のこと。法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。これに対して、文殊・弥勒などは、迹仏(始成正覚の釈尊など)あるいは他方の世界の仏から教化された菩薩なので、迹化・他方の菩薩という。
―――
竜女の即身成仏
 海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で8歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第12には、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我は大乗の教を闡いて|苦の衆生を度脱せん」(法華経407㌻)と述べ、釈尊に宝珠を奉ってその身がたちまちに成仏する姿を示したと説かれている。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。
―――
霊鷲山
 古代インドのマガダ国(現在のベンガル州)の首都である王舎城(ラージャグリハ、現在のラージギル)の東北にある山。サンスクリットのグリドゥラクータの訳。音写語は耆闍崛山。法華経の説法が行われたとされる。法華経本門寿量品の自我偈の教説に基づいて、久遠の仏が常住する仏国土を意味し、霊山浄土と呼ばれる。霊山ともいう。『大智度論』巻3によると、山頂が鷲に似ていることと鷲が多くいるため霊鷲山と名づけられたいう。
―――
妙音
 妙音菩薩のこと。法華経妙音菩薩品第二十四に説かれる。妙音菩薩が法華経の会座に列なるため、この娑婆世界に来至する時、「経る所の諸国は、六種に震動して、皆悉な七宝の蓮華を雨らし、百千の天楽は、鼓せざるに自ら鳴る」と、種々の神力を有するところから妙音の名がある。ここで華徳菩薩が釈迦牟尼仏に「是の妙音菩薩は、何なる善根を種え、何なる功徳を修してか、是の神力有る」との問いを発すると、仏の告げたまうに、過去の雲雷音王仏 の在世の時、現一切世間という国があり、劫を喜見といった。その時一人の菩薩があり、名を妙音菩薩といった。妙音菩薩は一万二千年の間、十万種の伎楽を雲雷音王仏に供養し、八万四千の七宝の鉢を奉納した。この果報として、妙音菩薩は浄華宿王智仏の有す一切浄光荘厳国に生じ、三十四身を現じて法を説き衆生を利益する神力を得たのであると。そしてこの妙音菩薩品が説かれたことで、華徳菩薩は法華三昧を得たのである。
―――
観音
 観世音菩薩のこと。観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。
―――
三十三(身)
 法華経観世音菩薩普門品第25に説かれる観世音菩薩の示現すべき33身。A聖身①仏②辟支仏③声聞 B天身④梵王⑤帝釈⑥自在天⑦大自在天⑧天大将軍⑨毘沙門 C⑩小王⑪長者⑫居士⑬宰官⑭婆羅門 D四衆身⑮比丘⑯比丘尼⑰優婆塞⑱優婆夷 E婦女身⑲長者婦女⑳居士婦女㉑宰官婦女㉒婆羅門婦女 F童男女身㉓童男㉔童女 G八部身㉕天㉖竜㉗夜叉㉘乾闥婆㉙阿修羅㉚迦楼羅㉛緊那羅㉜摩睺羅迦 H執金剛身㉝執金剛神。
―――
(三十)四身
 法華経妙音菩薩品第24に出てくる。妙音菩薩が機により、時により、種々の身を現じて法を説き、衆生を利益する34身をいう。①梵王②帝釈③自在天④大自在天⑤天大将軍⑥毘沙門天⑦転輪聖王⑧小王⑨長者⑩居士⑪宰官⑫婆羅門⑬比丘⑭比丘尼⑮優婆寒⑯優婆夷⑰長者の婦女⑱居士の婦女⑲宰官の婦女⑳婆羅門の婦女㉑童男㉒童女㉓天㉔竜㉕夜叉㉖乾闥婆㉗阿修羅㉘迦楼羅㉙緊那羅㉚摩睺羅伽㉛地獄㉜餓鬼㉝畜生㉞後宮女。
―――
自在の業
 自受用報身如来の智力、御本尊の功能をいう。
―――
勘文
 ①占いや先例や古典を調べた結果を考察して作成した意見書。平安時代以後、朝廷や幕府の諮問に対して、諸道の専門家が答申した。②中世では勘状のこともいう。勘状とは自身の考えを述べた意見書。日蓮大聖人は御自身が国主諫暁のために出された「立正安国論」を勘文と呼ばれている(33~35,1069㌻など)。
―――
如来一切所有之法
 法華経神力品第21に明かされた結要付嘱の文を指す。所有之法は五重玄に約せば妙名。三大秘法の全体を意味する。前後の文を示す。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す。
―――
五重玄
 天台大師智顗が諸経の深意を知るため、諸経の解釈をするにあたって用いた法門。五玄、五章、五重玄ともいう。天台大師は『法華玄義』に釈名・弁体・明宗・論用・判教(名・体・宗・用・教)の5面から、妙法蓮華経を釈した。①釈名とは経題を解釈し名を明かすこと。②弁体とは一経の体である法理を究めること。③明宗とは一経の宗要を明かすこと。④論用とは一経の功徳・力用を論ずること。⑤判教とは一経の教相を判釈すること。天台大師は五重玄の依文として法華経如来神力品第21の結要付嘱の文である「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法(=名)、如来の一切の自在の神力(=用)、如来の一切の秘要の蔵(=体)、如来の一切の甚深の事(=宗)は、皆此の経(=教)に於いて宣示顕説す」(法華経572㌻)を挙げている。また教とは法華の一切の教えに対し優れている教相をいい、名体宗用をもって釈するときに法華の無上醍醐の妙教であることが明らかになる。その釈には通別がある。通釈は、七番共解(標章・引証・生起・開合・料簡・観心・会異)のおのおのにおいて五重玄の概念を総括的に解釈したもの。別釈は名・体・宗・用・教の五重を各別に釈したもので、別釈五章という。日蓮大聖人は「曾谷入道殿許御書」(1032㌻)で、法華経の肝心である妙法蓮華経という題目の五字に五重玄義がそなわることを示されている。
―――――――――
 この章からは日寛上人の文段に「文底秘沈の本地難思の境智の冥合・本有無作の当体の蓮華を明かすなり、略して本地の所証なりというべきも、この義、卒爾に顕れ難き故に諄々として重々に之を明かす」とあり、中でもこの章は「当体譬喩の説処を示す」段である。
三周の声聞と当体・譬喩蓮華
 まず三周の声聞に約して、法華経における当体蓮華・譬喩蓮華が明かされている。
 三周の声聞とは、その機根に応じて、法説、譬喩説、因縁説の三段階の説法を聞いて得道した声聞界の弟子たちである。
 第一に、迹門方便品の説法を聞いて智慧第一といわれる舎利弗が最初に得道した。これが上根の声聞である。
 第二に、中根の声聞のために、釈尊は法華経の偉大なことを譬喩品の三車火宅の譬えや、信解品の長者窮子の譬えをもって説き明かした。この譬喩説を聞いて領解したのが、目連、迦葉等の四大菩薩である。
 第三に、法説でも譬喩説でもまだ解領できないでいる富楼那等の下根の声聞は、化城喩品で説く三千塵点劫の昔、大通智勝仏以来の化導の始終の因縁を聞いてはじめて領解したのである。
 このように、中根、下根たる譬喩説周、因縁周の声聞は、十如実相をただちに悟ることはできず、譬喩、因縁を釈尊から聞いてはじめて悟ることができたのである。したがって、当抄に、三周の声聞に約せば、方便品は当体蓮華を明かし、譬喩品、化城喩には譬喩蓮華を説いたとあり、また日寛上人の文段に「方便一品は皆是れ法説の開権顕実なり、故に当体蓮華という。譬喩品は三車大車の開権顕実、化城喩品は化城宝所の開権顕実なり、故に譬喩の蓮華を説くという」といわれている。
 天台大師は法華玄義巻七下に「法の蓮華は解し難し、故に草華を喩えとなす。利根は名に即して理を解す、譬喩を仮りず。但だ法華の解を作す。中下は末だ悟らず、譬を須いて乃ち知る。易解の蓮華を以って、難解の蓮華に喩う。故に三周の説法あり、上中下根に逗う。上根に約せば是れ法名なり、中下に約せば是れ譬名なり」と述べている。
 しかし、また方便品にも譬喩蓮華があり、余品にも当体蓮華が説かれてる。
 方便品にいわく「譬えば優曇華の、一切皆愛楽し、天人の希有にする所として、時時に乃し一たび出ずるが如し」とある。これは十如実相、一念三千の法門にあいがたいことを優曇華の譬えを用いて説明している。法華玄義釈籤の十六にいわく「これ蓮華に似る故に以て喩えとなす。この故に正応に須く蓮華を用ゆべし」と。これは方便品にも譬喩蓮華の説かれていることを示すものである。
 また譬喩品には「諸仏方便力の故に、一仏乗に於いて、分別して三と説きたもう」とあり、また化城喩品には「諸の比丘、若し如来、自ら涅槃の時至り、衆又清浄に、信解堅固にして空法を了達し、深く禅定に入れり」とある。これは譬喩品、化城喩品にも当体蓮華が説かれてることを示すものである。
当体蓮華の現証
 次に、当時の学者が当体蓮華を説いた文として勘えているものとして、宝塔品の三身、地湧の菩薩、竜女の即身成仏、妙音菩薩の三十四身、観音菩薩の三十三身、さらには方便品の「世間の相常住なり」の文をあげている。
<宝塔品の三身>
 宝塔品の儀式に列なった釈迦・多宝・十方分身の諸仏をいう。すなわち、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中に坐したことを法華経見宝塔品第十一には「二如来の、七宝塔中の、師子座の上に在ます」とあり、さらに十方分身の諸仏が宝塔品の儀式に列なった姿を同品には「諸仏、各宝樹の下に在して、師子座に坐し」とある。これはまた法・報・応の三身を顕わすが故に宝塔品の三身というのである。天台大師は法華文句巻八下に「多宝は法仏を表わし、釈尊は報仏を表わし、分身は応仏を表わす、三仏は三なりと雖も而も一にして異ならず」と述べている。
<湧出の菩薩>
 宝塔品第十一から釈尊が滅後の弘経を勧進し、菩薩は勧持品第十三で滅後弘経の誓願を立てたが、湧出品第十五にいたって「止みね善男子」とて、諸大菩薩の弘経を制止したときに大地から湧出したのが地湧の菩薩である。経文には、この地湧の菩薩の巍々堂々とした姿を「善く菩薩の道を学して、世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」と説かれている。この地湧の菩薩が蓮華の当体であり、当体蓮華の現証であるとしている。
<竜女の即身成仏>
 提婆品には提婆達多の成仏と竜女の即身成仏が説かれている。竜女といえば畜身であり、女身である。その竜女が即身成仏するということは、されまでの爾前経の考え方とは、まったく相反するものである。
 この竜女は、大海の娑竭羅竜宮より、自然に湧出して霊鷲山に詣でるのである。これを提婆達多品には「千葉の蓮華の、大いさ車輪の如くなるに坐し」とあり、さらに竜女の成仏について、同品には「竜女の、忽然の間に変じて男子と成って、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて、宝蓮華に坐して」と説かれている。当時の学者は、竜女が千葉の蓮華に坐していると経文にあるのは、竜女が当体蓮華であることを示していると説いている。
<妙音の三十四身>
 妙音菩薩とは、この菩薩が浄光荘厳国、浄華宿王智如来のもとからこの娑婆世界に来至するとき「経る所の諸国、六種に震動して、皆悉く七宝の蓮華を雨らし、百千の天楽、鼓せざるに自ら鳴る」とあり、それはこの菩薩が過去に十万種の伎楽を仏に供養し、八万四千の宝鉢を奉った因縁によって、今は浄華宿王智仏の国に生まれて種々の神力があるからである。すなわち妙音菩薩が機により、時により、種々の身を現じて法を説き、衆生を利益することを明かしているのである。
 妙楽大師は止観輔行伝弘決に、法華三昧で不思議自在の力を得たのでなければ、どうして三十四身を現わすことができとうかと述べている。それゆえ、当時の学者は、妙音菩薩が、あるときは梵天に、帝釈にと三十四身を現じられるのも、妙音菩薩が当体蓮華であるが故に可能なのであるといっているわけである。
<観音菩薩の三十三身>
 観音菩薩は観世音菩薩普門品第二十五に説かれている菩薩で、三十三身の普門示現の妙法を垂れて、一切衆生を救っていくという。法華玄賛ではこの三十三身を聖身、天身、君臣、四衆、婦女、童男女、八部、執金剛神の八種に大別している。当時の学者は、そうした観世音菩薩の三十三身の変化身が当体蓮華をあれわすものであるとしている。
<世間相常住>
 方便品の文である。世間は即ち十界である。九界が因であり、仏界は果である。常住とは俱時を顕わす故に、この文は因果俱時の当体蓮華をあらわしている、と釈している。
日蓮は方便品の文と神力品の如来一切所有之法等の文となり
 当世の学者は、今まで明らかにしたように方便品の諸法実相の文にまさしく当体蓮華が説かれているとし、その現証として、宝塔品の三身、竜女の即身成仏、地湧の菩薩等をあげている。だが、これは一往の義であり、理上の法相にすぎないのである。彼らは法華経といっても、文上の義にこだわって、その真意を理解していないのである。
 日蓮大聖人の観心から、法華経のいずこに当体蓮華が明かされているか、その当体は何かについてのべられたのがこの御文である。大聖人は敢えて、方便品の諸法実相の文と神力品の結要付嘱の文を挙げられている。
 今、大聖人が方便品の諸法実相の文を挙げられたのは、当時の学者の考えとは大いに異なっているからである。即ち大聖人が方便品の諸法実相の文を挙げられた理由について、日寛上人は文段において、方便品の文を借りて、本地の所証を示すためであることを明記しておられる。つまり、当体の蓮華仏、すなわち人即法、法即人の御本尊の相貌を顕わさんがためである。日寛上人が文段で、方便品の文即ち迹の文を借りてとあることに着目すべきである。ここで当時の学者の見解と大聖人の立場を明確にするために、しばらく文段を引用してみたい。「問う若し爾らば当世学者の所解と何の異なり有りや。答う指す所、同じと雖も其の意大いに異なるなり、彼れは謂く体外の迹を用い、此れは体内の迹を用う。彼れは文義倶に用い、此れは文を借りて破るなり、謂く迹の文を借り本地の所証を示すは仍ち迹の義を破るなり、是れ体内の本に及ばざるゆえなり」
 したがって諸法実相の文も、大聖人の観心から拝すれば、迹の文であり、体内の迹にあたる。ゆえに体内の迹を打ち破って体内の本をあらわすための前序として用いられたわけであり、そのあとに三大秘法の御本尊をあらわさんがために方便品を用いられたのである。
 さらに神力品の「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」という決要付嘱の文を挙げられている。これは結要付嘱の文に寄せて、釈尊から地湧の菩薩の棟梁たる上行菩薩に付嘱した当体こそ、当体蓮華であるとの仰せである。日寛上人も「此の下次に、能付の文に寄せて所属の法体を示すなり。能付の文は神力品文にして所属の法体とは寿量の妙法なり」と仰せである。これについては次章に詳しく明かすことにする。

0514:15~0515:04 第七章 結要付嘱の法体を明かすtop
15   問う次上に引く所の文証・現証・殊勝なり何ぞ神力の一文に執するや、 答う此の一文は深意有る故に殊更に吉
16 なり、 問う其の深意如何、 答う此の文は釈尊・本眷属地涌の菩薩に結要の五字の当体を付属すと説きたまえる文
17 なる故なり、久遠実成の釈迦如来は我が昔の所願の如き今は已に満足す、 一切衆生を化して皆仏道に入ら令むとて
18 御願已に満足し、 如来の滅後・後五百歳中・広宣流布の付属を説かんが為地涌の菩薩を召し出し本門の当体蓮華を
0515
01 要を以て付属し給える文なれば 釈尊出世の本懐・道場所得の秘法・末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠
02 証は此の文なり、 故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人 都て有る可からざるな
03 り真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経爾前の円の菩薩等の今経に
                                              大衆八万有つて具
04 足の道を聞かんと欲す云云
-----―
 問う、次上に引いた数々の文証・現証は、殊に勝れている。それなのに、どうしてあなたは神力品の一文に執着するのか。
 答う、この一文には、深い意味がある故に当体蓮華の文として最もふさわしいのである。
 問う、その深意とは何か。
 答う、この文は、釈尊が、本眷属である地湧の上行菩薩に結要の付属五字の当体を付嘱するとお説きになられた文だからである。久遠実成の釈迦如来は「わが昔の所願は今はすでに満足した。一切衆生を化導して皆仏道に入らしめた」といわれて、その願いをすでに満足し、ついで「如来滅後、後五百歳の中において広宣流布させよう」という結要付嘱を説かんがために、地湧の菩薩を召し出し、本門の当体蓮華を要をもって付嘱した文である故に、釈尊の出世の本懐であり、道場所得の秘法であり、われらが現当二世の願いである成仏を成就する当体蓮華の誠証はこの文なのである。
 故に末法今時において、如来の使い以外に、この当体蓮華の証文を知って取り出す人はありえないのである。真実もって秘文であり、真実もって大事であり、真実もって尊いのである。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
 (爾前の円の菩薩等が法華経の座に連なり、八万の大衆となって具足の道を聞きたいと、仏にお願いしたのは、このことを意味しているのである。)

文証
 人々を幸福へと導き成仏させる正法かどうかを判定する基準。文証・理証・現証という三つの項目のひとつ。経典など根拠となる文言。
―――
現証
 人々を幸福へと導き成仏させる正法かどうかを判定する基準。文証・理証・現証という三つの項目のひとつ。実際に現れたものごとの証拠。
―――
本眷属
 久遠において本仏と結縁した衆生のこと。①涌出品で出現した六万恒河沙の地涌千界の菩薩のこと。②久遠元初自受用法身如来の眷属。
―――
地涌の菩薩
 法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。これに対して、文殊・弥勒などは、迹仏(始成正覚の釈尊など)あるいは他方の世界の仏から教化された菩薩なので、迹化・他方の菩薩という。
―――
結要の五字
 結要の五字とは法華経の肝要、妙法蓮華経の五字であり、三大秘法の南無妙法蓮華経のことである。この三大秘法を末代のために付嘱されたこと。
―――
久遠実成
 インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。
―――
我が昔の所願
 法華経方便品第2に、「「我、本誓願を立てて、一切の衆をして我が 如く等しくして異ること無からしめんと欲しき、我が昔の所願の如き、今者は已に満足しぬ 、一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」とある。
―――
如来の滅後・後五百歳中・広宣流布
 法華経薬王菩薩本事品第23に、「我が滅度の後.後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」とある。
―――
誠証
 真実の証拠・証言。
―――
爾前の円
 法華経より前に説かれた諸経にも、部分的に円教(真実の完全な教え)にあたる教えが説かれており、これを「爾前の円」と呼ぶ。これに対して、法華経は純粋な円教(純円)とされる。日寛上人は『開目抄愚記』で、爾前の円といえども、法華経の相待妙と比較した時は悪であり、たとえ法華経の相待妙と同じだと容認したとしても、法華経の絶待妙には到底、及ばないと解釈している(文段集199㌻)。
―――
具足の道
 方便品の文であり、皆一善三千の妙法が即完全円満に具足している義を顕わす。当体義抄には「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513-05)開目抄には「此の文に具足の道を聞かんと欲すと申すは大経に云く『薩とは具足の義に名く』等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法に六を以て具足の義と為すなり』等云云、吉蔵の疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』等云云、天台の玄義の八に云く『薩とは梵語此に妙と翻ずるなり』等云云、付法蔵の第十三真言・華厳・諸宗の元祖・本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩・初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云、妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く『曩謨三曼陀没駄南帰命普仏陀洹三身如来阿阿暗悪開示悟入薩縛勃陀一切仏枳攘知娑乞蒭毘耶見ギヤギヤ曩三娑縛如虚空性羅乞叉ニ離塵相也薩哩達磨正法浮陀哩迦白蓮華蘇駄覧経惹入吽遍鑁住発歓喜縛曰羅堅固羅乞叉マン擁護吽空無相無願娑婆訶決定成就此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり薩と申すは 正なり正は妙なり妙は正なり 正法華・妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、妙とは具足・六とは六度万行、諸の菩薩の六度万行を具足するやうを・きかんとをもう、具とは十界互具・足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり満足の義なり」(0209-01)とある。
―――――――――
 前章において、日蓮大聖人は諸法実相の文と神力品の結要付嘱の文とが当体蓮華の現証の文であることを明確にされた。本章では、これを受けて、神力品の結要付嘱の文の深義を明かされている。
結要付嘱と当体蓮華
 法華経神力品第二十一において、釈尊が法華経一部を四句の要法にくくって、上行菩薩に付嘱したことを結要付嘱という。この結要付嘱の文は神力品の「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経において宣示顕説す」の文である。
 このように釈尊は、結要の五字の当体蓮華を、文殊や薬王に付嘱しないで、湧出品から嘱累品にいたる八品の間に地湧千界の大菩薩を召し出して付嘱したのである。すなわち湧出品には付嘱すべき地湧の菩薩を召し出し、寿量品に付嘱する当体である本門の当体蓮華を説きあらわし、神力品には別してこの本門の当体蓮華を上行菩薩に付嘱するのである。
 天台大師は法華文句巻十下に「総じて一経を決するに唯四のみ、其枢柄を撮って而して之を授与す」と述べている。すなわち、法華経の究極は名体宗用の四句の要法であって、その枢柄、肝心をとって上行菩薩に付嘱したといった。
 このように天台大師は四句の要法をもって結要付嘱といったが、それがなにゆえの要法であるかは、たんに名体宗用と解釈するのみで、その当体は明かされていない。この解答は、末法における日蓮大聖人の出現を待つのである。大聖人は本抄の次下に「如来の滅後・後五百歳中・広宣流布の付属を説かんが為地涌の菩薩を召し出し本門の当体蓮華を要を以て付属し給える文なれば釈尊出世の本懐・道場所得の秘法・末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり」と述べられている。
 また御義口伝には「一経とは本迹二十八品なり唯四とは名用体宗の四なり枢柄とは唯題目の五字なり授与とは上行菩薩に授与するなり之とは妙法蓮華経なり云云、此の釈分明なり今日蓮等の弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なり廿八品は助行なり題目は正行なり正行に助行を摂す可きなり云云」(0794-01)と述べられている。
 さらに四句の要法を三大秘法に約せば「如来の一切の所有の法」とは、三大秘法の本門の題目を、「如来の一切の自在の神力」とは本門の戒壇を、「如来の一切の秘要の蔵」とは本門の本尊を、「如来の一切の甚深の事」とは称嘆を意味するのである。
 三大秘法抄にいわく「問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(1021-03)と。
 また同じく三大秘法抄に「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(1023-05)と。
 以上のことにより四句の要法の当体は天台大師は名体宗用の四つであらわしたが、日蓮大聖人は三大秘法の御本尊であることを明確にあらわされている。それゆえ、日寛上人は結要付嘱の文をさらに本尊付嘱であると断言されているのである
我が昔の所願の如き今は已に満足す
 これは、方便品第二に「舎利弗当に知るべし、我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき、我が昔の所願の如き、今者は已に満足しぬ。一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」とあるのを指す。
 天台大師の法華文句巻四下に「我本立誓願の下二行は、是れ因を挙げて勧信す、此れ亦二と為す。初め本立誓の下一行は昔誓を挙ぐ、二に如我昔の下一行は願満を明す」とある。また日寛上人は文段に「玄文第三の意、一には寂滅道場、二には大通智仏、三には本果、四には本行菩薩道なり、当流の意はこれなお近し。久遠元初の御誓願なり、在世の脱益は一往の御願満足なり、後五百歳の付嘱を説いて真実の御願円満なり」と釈尊の仏法と日蓮大聖人の文底仏法の相違を明確に示されている。
 すなわち仏が昔に立てた誓願といっても、釈尊の場合は、爾前経では寂滅道場の三十歳成道から説法が始まっている。法華経迹門では三千塵点劫以前の大通智勝仏以来の因縁を説いている。また法華経本門寿量品では、五百塵点劫の本果成道を説き、それより以来、常にこの娑婆世界にあって説法教化してきたといい、また「我れ本、菩薩の道を行じ」とその本因を明かしている。これらはすべて釈尊の仏法における昔であって、末法における日蓮大聖人の仏法では、我は久遠元初の自受用身即日蓮大聖人、昔といえば久遠元初である。
 釈尊が方便品において「今者已満足」と説いたのは、諸法実相を説き終わったことを指しているが、釈尊の真実の満足は、本門寿量品を説いて、一切衆生を得脱せしめ、しかも神力品において滅後末法の付嘱を終わったことをいう。そのことを日寛上人の文段で「在世の脱益は一往の御願満足なり。後五百歳の付嘱を説いて真実に音願円満なり」といわれている。
 日蓮大聖人は、末法御本仏の「今者已満足」を次のように述べられている。
 御義口伝に「我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり、如我の我は十如是の末の七如是なり九界の衆生は始の三如是なり我等衆生は親なり仏は子なり父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱うる者是なり、爰を以て之を思うに釈尊の惣別の二願とは我等衆生の為に立てたもう処の願なり、此の故に南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を我が成仏せしめんと云う所の願併ら如我昔所願なり、終に引導して己身と和合するを今者已満足と意得可きなり、此の今者已満足の已の字すでにと読むなり何の処を指して已にとは説けるや、凡そ所釈の心は諸法実相の文を指して已にとは云えり、爾りと雖も当家の立義としては南無妙法蓮華経を指して今者已満足と説かれたりと意得可きなり、されば此の如我等無異の文肝要なり、如我昔所願は本因妙如我等無異は本果妙なり妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや、釈には挙因勧信と挙因は即ち本果なり、今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり豈今者已満足に非ずや、已とは建長五年四月廿八日に初めて唱え出す処の題目を指して已と意得可きなり、妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり此れを思い遣る時んば満足なり満足とは成仏と云う事なり」(0720-第六如我等無異如我昔所願の事-02)と仰せである。
故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人都て有る可からざるなり
 神力品の四句の要法が、実は甚深の意を含んだものであり、釈尊の結要付嘱の当体であり、それをあらわさんがために釈尊は出世したわけであった。そして、末法においては、本門の当体蓮華として、まず地湧の菩薩が譲り受けたのである。これが一往の読み方である。ところが当門流においては、さらに一重立ち入って、地湧の菩薩とは、久遠元初の自受用法身如来の外用の姿であり、末法においては、この久遠の本仏がふたたび誕生されて、久遠名字の妙法を末法の衆生に授けられたのである。即ち、日蓮大聖人が、久遠元初の自受用法身如来の再誕として、五字七字の妙法を弘められた、と読むのである。そうした当流の意を前提として、日寛上人は文段において、本文をさらに釈されている。即ち「凡そ所属の法体は三大秘法総在の本地難思の境智冥合本有無作の当体の蓮華なり」といわれ、その次下に「ゆえに三箇の真実、二箇の題目恐らくは意あるか」と、本文次下の「真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」の深意にふれておられる。
爾前の円の菩薩等の今経に大衆八万有つて具足の道を聞かんと欲す云云
 法華経方便品第二に諸法実相・略開三顕一が説かれた時、舎利弗等は驚いてさらに仏に対して「願わくは世尊、斯の事を敷演したまえ」と質問をする。その時に舎利弗と共に疑いをいだき質問を発した者の中に「仏を求むる諸の菩薩、大数八万有り、又諸の万億国、転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞きたてまつらんと欲す」とある。この「具足の道」こそ、神力品で結要付嘱された本門の当体蓮華である。「爾前の円」については一代聖教大意に「次に円教に二有り一には爾前の円・二には法華・涅槃の円なり、爾前の円に五十二位・又戒定慧あり、爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門・文に云く『初発心の時便ち正覚を成ずと』又云く『円満修多羅』文、浄名経に云く『無我無造にして受者無けれども善悪の業敗亡せず』文、般若経に云く『初発心より即ち道場に坐す』文、観経に云く『韋提希時に応じて即ち無生法忍を得』文、梵網経に云く『衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり』文、此は皆爾前の円の証文なり、此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、その故は五十二位が互いに具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にも成り又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても仏に成る少少開会の法門を説く処もあり、所謂浄名経には凡夫を会し煩悩悪法も皆会す但し二乗を会せず。般若経の中には二乗の所学の法門を開会して二乗の人と悪人をば開会せず、観経等の経に凡夫一亳の煩悩をも断ぜず往生すと説くは皆爾前の円教の意なり」(0396-01)と。
 しかし爾前の円は与奪の上で与えていったのであって成仏の実義はない。なぜならば爾前には十界互具も三身相即も説かれていないからである。成仏の実義はあくまでも法華経のみにあり、法華初心成仏抄に「いかさまにも法華経ならぬ得道は当分の得道にて真実の得道にあらず、故に無量義経には「是の故に衆生の得道差別せり」と云い又「終に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり」(0548-05)と、また一代聖教大意に「爾前の円教の菩薩・皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり」(0398-08)と示されている。ゆえに法華の円に対するときは徧円となるのである。

0515:04~0516:15 第八章 当流の法門の意を明かすtop
04           問う当流の法門の意は諸宗の人来つて当体蓮華の証文を問わん時は法華経何れの文を出す可き
05 や、 答う二十八品の始に妙法蓮華経と題す此の文を出す可きなり、 問う何を以て品品の題目は当体蓮華なりと云
06 う事を知ることを得るや、 故は天台大師 今経の首題を釈する時・蓮華とは 譬喩を挙ぐると云つて 譬喩蓮華と
07 釈し給える者をや、 答う題目の蓮華は当体譬喩を合説す天台の今の釈は 譬喩の辺を釈する時の釈なり、玄文第一
08 の本迹の六譬は 此の意なり同じく第七は当体の辺を釈するなり、 故に天台は題目の蓮華を以て当体譬喩の両説を
09 釈する故に失無し、 問う何を以て題目の蓮華は当体譬喩合説すと云う事を知ることを得んや、 南岳大師も妙法蓮
10 華経の五字を釈する時「妙とは衆生妙なるに故に法とは衆生法なる故に 蓮華とは是れ譬喩を借るなり」文、 南岳
11 天台の釈既に譬喩蓮華なりと釈し給う如何、 答う南岳の釈も天台の釈の如し云云、但当体・譬喩合説すと云う事経
12 文分明ならずと雖も 南岳天台既に天親・竜樹の論に依て合説の意を判釈せり、 所謂法華論に云く「妙法蓮華とは
13 二種の義有り一には出水の義、 乃至泥水を出るをば諸の声聞・如来大衆の中に入つて坐し 諸の菩薩の如く蓮華の
14 上に坐して如来無上智慧・清浄の境界を説くを聞いて 如来の密蔵を証するを 喩うるが故に・二に華開とは諸の衆
15 生・大乗の中に於て其心怯弱にして 信を生ずること能わず 故に如来の浄妙法身を開示して 信心を生ぜしめんが
16 故なり」文、 諸の菩薩の諸の字は法華已前の大小の諸菩薩法華経に来つて 仏の蓮華を得ると云う事法華論の文分
17 明なり、 故に知ぬ菩薩処処得入とは方便なり、 天台此の論の文を釈して云く今論の意を解せば若し衆生をして浄
18 妙法身を見せしむと言わば 此れ妙因の開発するを以つて蓮華と為るなり、 若し如来大衆に入るに蓮華の上に坐す
0516
01 と言わば 此は妙報の国土を以て蓮華と為るなり、 又天台が当体譬喩合説する様を委細に釈し給う時 大集経の我
02 今仏の蓮華を敬礼すと云う文と 法華論の今の文とを引証して 釈して云く「若し大集に依れば 行法の因果を蓮華
03 と為す菩薩上に処すれば即ち是れ因の華なり 仏の蓮華を礼すれば 即ち是れ果の華なり、 若し法華論に依れば依
04 報の国土を以て蓮華と為す復菩薩・蓮華の行を修するに由つて 報・蓮華の国土を得当に知るべし依正因果悉く是れ
05 蓮華の法なり、 何ぞ譬をもつて顕すことをもちいん鈍人の法性の蓮華を解せざる為の故に 世の華を挙げて譬と為
06 す亦何の妨げかあるべき」文、 又云く若し蓮華に非んば何に由つて遍く上来の諸法を喩えん 法譬雙べ弁ずる故に
07 妙法蓮華と称するなり、 次に竜樹菩薩の大論に云く「蓮華とは法譬並びに挙ぐるなり」文、 伝教大師が天親・竜
08 樹の二論の文を釈して云く 「論の文但妙法蓮華経と名くるに 二種の義あり 唯蓮華に二種の義有りと謂うには非
09 ず、 凡そ法喩とは相い似たるを好しと為す 若し相い似ずんば何を以てか他を解せしめん、是の故に釈論に法喩並
10 び挙ぐ一心の妙法蓮華は因華・果台・倶時に増長す此の義解し難し 喩を仮れば解し易し此の理教を詮ずるを名けて
11 妙法蓮華経と為す」文、 此等の論文釈義分明なり文に在つて見る可し 包蔵せざるが故に合説の義極成せり、凡そ
12 法華経の意は 譬喩即法体・法体即譬喩なり、 故に伝教大師釈して云く「今経は譬喩多しと雖も大喩は是れ七喩な
13 り此の七喩は即ち法体・法体は即ち譬喩なり、 故に譬喩の外に法体無く 法体の外に譬喩無し、但し法体とは法性
14 の理体なり譬喩とは即ち妙法の事相の体なり 事相即理体なり理体即事相なり故に法譬一体とは云うなり、 是を以
15 て論文山家の釈に皆蓮華を釈するには法譬並べ挙ぐ」等云云、釈の意分明なる故重ねて云わず
-----―
 問う、当門流の意は、諸宗の人が来て当体蓮華の証文を問うたときには、法華経のどの文を出すべきであるのか。
 答う、二十八品の始めに妙法蓮華経と題しているが、この文を出すべきである。
 問う、何をもって、各品の題目が当体蓮華であるということを知ることができるのか。その故は、天台大師が法華経の首題を釈するについて、蓮華とは譬喩をあげているのであるといって譬喩蓮華なりと釈しているではないか。
 答う、題目の蓮華は当体・譬喩の両方の蓮華を合説しているのである。天台大師の今の解釈は、その譬喩の辺を解釈した場合の釈である。玄文第一にある本迹の六譬は、この意味なのである。それに対して、玄文第七は、当体蓮華の辺を釈してある。故に天台大師は、題目の蓮華をもって当体・譬喩の両方を釈している故に失は無いのである。
 問う、どうして題目の蓮華が、当体・譬喩の両義を合説しているということを知ることができるのか。南岳大師も妙法蓮華経の五字を解釈する時に「妙とは衆生が妙であるからであり、法とは衆生が法そのものであるからである。蓮華とは、草花の蓮華を借りて譬えたのである」と安楽行義の中で述べており、このように南岳大師も天台大師も共に譬喩蓮華と解釈しておられるがどうなのか。
 答う、南岳大師の解釈も、天台大師の解釈と同様である。ただ、当体・譬喩の両義を合説するということは、経文上では、明らかではないが、南岳大師も天台大師も、すでに天親菩薩の法華論と竜樹菩薩の大智度論によって当体・譬喩の合説の意を判釈している。
 いわゆる法華論には「妙法蓮華とは、二種の義がある。第一は出水の義である。乃至、蓮華が泥水から水上に出るというのは、諸の声聞が、仏の大衆の中に交わり入って坐し、諸の菩薩たちと同様に蓮華の上に坐って、如来の無上の智慧、清浄の境界を説くのを聞いて、如来の秘密の蔵を証得することに喩えるが故である。二に華開とは、諸の衆生が大乗の中に於いて、その心が忶弱で、信心を生ずることができなので、如来が、自ら、浄妙法身を開示して信心を生ぜしめようとするが故である」と説かれている。この文の諸の菩薩の諸の字は、法華以前の大乗小乗の菩薩が、法華経の会座にきてはじめて、仏の蓮華を証得することができるということが、法華論の文で明らかである。ゆえに菩薩が法華以前に処々で悟りを得たということは方便であることを知るべきである。天台大師は、この法華論の文を法華玄義巻七に解釈して、「この論の意味を解釈すれば、法華論で、仏が衆生に浄妙法身を開示して見せしめるというのは、妙因の開発することを指して、蓮華とすることである。また、仏が大衆の中に入って蓮華の上に坐るというのは、妙報の国土を指して蓮華とすることである」といっている。
 また天台大師が、当体・譬喩の両義を合説する様子を詳しく解釈された時、大集経の「我れ今、仏の蓮華を敬い礼拝する」という文と、法華論の今の文とを引証して解釈して、次のようにいっている。「若し大集経によれば、修行上の因果を蓮華とする。菩薩が蓮華の上に坐していれば、これは因の華であり、仏の蓮華を礼拝するならば、すなわちこれは果の華である。若し法華論によれば、依報の国土を蓮華とするのである。また菩薩が、蓮華の法を修行することによって、その果報として蓮華の国土を得るのである。これによってまさに依報の国土も正報の自身も、因である菩薩も果である仏も、ことごとく蓮華の法であることを知るべきである。したがって、どうしても譬えを借りてあらわすことを必要とするのであろうか。しかしながら、鈍根で法性の蓮華を理解できない者のために、草花の蓮華を挙げて譬えとすることもまた、何の妨げとなろうか」と。
 また「もし蓮華でなければ、何によって、完全に、以上述べた法華の諸法を喩えられるであろうか。法と譬えとを並べて論ずるが故に、妙法蓮華と称するのである」と述べている。
 次に竜樹菩薩の大論には「蓮華とは法と譬えとを共に挙げている」といっている。
 伝教大師の守護国界章巻中の中に、この天親菩薩の法華論と竜樹菩薩の大智度論の文を解釈して「法華論の文は、ただ妙法蓮華経と名づけるのに、二種の義があるといっているのであり、ただ華草の蓮華に二種の義があるといっているのではない。およそ、法と喩えとは、互いに良く似ていることが好ましいのである。もし、似ていなかったならば、どうして、他の人々を理解させられようか。この故に大論には法と喩えを並べ挙げたのである。一心の妙法蓮華とは、因の華と果の台とが同時に増長するのである。この義は理解しがたい。しかし喩えを仮れば理解しやすい。この理が教えをあらわす故に妙法蓮華と名づけるのである」と。
 これらの論文や釈義によって明らかである。文についてよく見るべきである。包み隠すところは、まったくなく、法譬合説の義は、説き尽くしているのである。およそ法華経の真意は、譬喩即法体・法体即譬喩である。故に伝教大師は、法華経を解釈して「法華経には、譬喩が多くあるけれども、大きな喩えは七つである。この七喩は、そのまま法体であり、法体はそのまま譬喩である。故に譬喩の外に法体はなく、法体の外に譬喩はない。ただし法体とは法性の理体であり、譬喩とはそのまま妙法の事相の体である。事相がそのまま理体であり、理体がそのまま事相である。故に法譬一体というのである。以上の理由によって竜樹・天親・南岳・天台等の解釈には、皆、蓮華を釈する時は法体と譬喩とを並べ挙げている」等と述べている。このように釈の意が明らかであるから、これ以上重ねて述べない。

二十八品
 妙法蓮華経28品であること。
―――
法華論
 『妙法蓮華経憂波提舎』の略。世親(ヴァスバンドゥ)の著作。インドにおける法華経の注釈書として唯一現存する。法華経が諸経より優れている点を10種挙げた十無上などを説く。如来蔵思想による法華経解釈を特色とし、天台大師智顗や吉蔵(嘉祥)、基(慈恩)らに影響を与えた。
―――
出水の義
 天親が法華論の中で妙法蓮華に出水と華開の二義をたてたうちのひとつ。蓮華が泥の中から水上に出る姿をもって、諸の声聞が仏の大衆のなかにまじわって多くの菩薩のように蓮華の上にすわり如来の無上の智慧、清浄の境界を聞いて、如来の密蔵を証得することに譬えたもの。二乗も法華経にきて、当体蓮華を証得したことを表している。但しこれは一往の釈である。
―――
如来無上智慧
 仏の持つ最高の智慧。一念三千の理を悟り究めた仏智。
―――
清浄の境界
 煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱と転じた清らかな仏の悟りの境地。
―――
華開
 天親が法華論の中で妙法蓮華に出水と華開の二義をたてたうちのひとつ。諸の大衆が大乗の中でその心が弱く信心を起こすことができないので、如来が清浄法身を開示して、衆生の信心を起こさせようとしたことの譬え。法華時に約した義で法華経に至って浄妙法身の妙旨を開いて信心を起こすのを、蓮華であらわしている。
―――
怯弱
 臆病なこと。積極性のないこと。
―――
浄妙法身
 清浄にして不思議な仏の当体のこと。一念三千の妙法の仏身。
―――
菩薩処処得入
 天台大師の釈義。二乗の得道は法華経のみに限るが、菩薩は利根であるから前四味の経々においても得道するとの意味である。但しこれは方便であって実義ではない。
―――
妙因の開発
 妙果を得るための修行をいう。南無妙法蓮華経の下種によって信心を起こし九界所具の当体蓮華を開かせていくこと。
―――
妙報の国土
 妙因・妙果の上にともなえる果報の国土。御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人の所住の処が妙報の国土である。
―――
行法
 仏法の修行、修行の方軌、修行の仕方。
―――
鈍人
 物事の道理を悟ることが鈍い人。仏の説法を聞いても理解しがたい人。
―――
法性の蓮華
 本来、自ら具わっていて、他から改められないもの。三世変わらぬ生命が因果倶時であることをらわす当体蓮華のこと。
―――
法譬
 法と、法を具体的に説明する譬え。
―――
法体
 法の本体のこと。妙法の法体は大御本尊に尽きるのである。
―――
理体
 理相の体をいう。万法の本体のこと。
―――
事相
 ①現実の具体的な姿、形、様子。②密教では、理論的な側面を教相、実践的な側面を事相と称している。
―――
事相即理体
 具体的にあらわれている現象そのものが、即理体であり具体的に示す譬喩が法体そのものをあらわしている。事相は譬喩蓮華・理体は当体蓮華で、不二であるという意味。
―――
法譬一体
 法説と譬説が一体であること。譬は法に対する譬えである。
―――――――――
 この章は、まさしく文底の本地所証の当体蓮華を明かす段である。
 はじめに法華経二十八品の品々の題目をもって、本有無作の当体蓮華の証文とする。次に異文を会して、題目に当体・譬喩の両義が合わせて説かれていることを論証する。すなわち法華経の真意は、譬喩即法体・法体即譬喩の一体である。ゆえに品々の題目の「妙法蓮華経」が、まさしく本有無作の当体蓮華の証文となるのである。
 この章で論ずる当体蓮華は、本門寿量品文上の釈尊が五百塵点劫に証得した当体蓮華を明かすのではない。あくまで再往、文底下種に約して、久遠名字の所証、三大秘法総在の南無妙法蓮華経をもって、本地所証と名づけることを知らなくてはならない。よって脱益の教主の所説たる題目を借りて、日蓮大聖人が久遠元初、名字凡夫位に証得した本有無作の当体蓮華の証文としているのである。
二十八品の始に妙法蓮華経と題す此の文を出す可きなり
 この文はまさしく当体蓮華の証文を明かされている。以下、日寛上人の文段にしたがって講ずることにする。
 すなわち日蓮大聖人は、脱益の教主たる釈尊の所説である法華経品々の題号をもって、御自身が久遠元初の名字凡夫位において証得したところの真実の当体蓮華の証文としているのである。
 しかし釈尊の仏法においても、この「妙法蓮華経」をもって本地所証の当体蓮華としている。なぜそのような迹中所説の題名をもって証文をするのかという疑問が起きる。すなわち、天台大師は法華玄義の一に「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥義なり、三世の如来の証得する所なり」と。また妙楽大師は、この文を法華玄義釈籤の一に釈して「迹中に説くと雖も功を推すに在ることあり、故に本地と云う」といっている。
 この問いに答えて、妙楽大師がすでに本果に証すると雖も推功有在の故にとのべているように、本果所証の当体蓮華は、一往脱益に約したものである。ここでは再往下種に約して、久遠名字の所証・三大秘法総在の妙法蓮華経をもって、本地所証の当体蓮華と名づけるのである。
 この意味を文義意から説明すると、次のようになる。
 四信五品抄に「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ」(0342-04)と。それゆえ、二十八品の品々の題名は「文」の妙法蓮華経である。五百塵点劫本果第一番成道の釈尊が証得した当体蓮華は「義」の妙法蓮華である。久遠名字の妙法は「意」の妙法蓮華である。迹門・本門の二門の所証が皆ことごとく文底に帰す故に、文底下種の妙法をもって「一部の意」と名づけるのである。まさに「文」の妙法蓮華を引いて「意」の妙法蓮華を証するのである。今日迹中の題名は久遠名字の妙法の朽木書である。故に品々の題名をもって、当体蓮華の証文とするのである。
 寿量品文底大事にいわく「文底とは久遠下種の法華経、名字の妙法に今日熟脱の法華経の帰入する処を志し給うなり」と。また古徳いわく「文は謂く文字一部の始終なり義は則深く所以有り意は則所以帰する有り」と。
 この釈を思い合わすならば「文」の当体蓮華を引いて「意」の当体蓮華を明かすことが理解できるであろう。したがって、文・義・意の中には意の妙法蓮華、種熟脱の中には種の妙法蓮華こそ、本底秘密の大法にして寿量品の肝心ななである。
 ここで御書に「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ」とあるところから、妙法五字は本迹一致であるという邪義を立てた者がある。すなわち円明院日澄の本迹決疑抄上に「本迹二門の妙法蓮華経は但本迹一致の法体なり」といっている。これに対して日寛上人は文段に次のように破折している。「此れは是れ名同義異を知らざる故なり。且く当抄所引の大強精進経の『衆生と如来と同共一法身清浄妙にして且無比なるを妙法蓮華経と称する』が如し等云云。日澄若し此の文を見ば応に権迹一致というべきのみ、彼等なお迹中の本迹に迷えり、況んや種脱の本迹に於いておや云云」とある。
妙法蓮華とは二種の義有り
 天親菩薩の法華論の文である。法華論には妙法蓮華に、出水の義と華開の義との二義があると説いている。ここでは二義の要約を示すことにする。出水の義とは、蓮華の泥水の中から水上に出る姿をもって、二乗が四味三教の泥濁の水を出離し、法華経に悟入して諸の菩薩のごとく当体蓮華を証得したことに譬えたのである。
 華開の義とは蓮の華が開くことをもって、如来が法華経において浄明法身の妙旨、すなわち、当体蓮華を開示し、大衆の信心を起させようとしたことをあらわしている。
 この法華論の文を、当体・譬喩合説の文証として引かれている。だが、あくまで妙法蓮華に二種の義があるのであって、法華に二義の義があるというのではない。
 日寛上人は当体蓮華抄文段で「一義には、華開の義は直ちに当体の義に約し、出水の義は譬喩を兼ねる。故に合説の義となしている。また一義には、出水、華開の標文に譬喩を兼ねる。自余の釈相は当体に約す故に合説の意がある」と述べている。
 この妙法蓮華の二義すなわち出水の義、華開の義を、われわれの生活に約しておきたい。
 蓮華は泥沼の中にあって、しかも水上に出るのである。これが出水の義である。そして、ここに、清浄な華が開くのである。これが華開の義である。
 われわれの生命は、煩悩に満ち、苦悩が充満し、偏見、我見が渦巻いている場合が多い。これは泥水に譬えられる。むろん、それは人間である以上、誰しも同じである。だが、これだけであったならば不幸である。この上に出る何ものかがなくてはならない。それが信心である。また、地湧の菩薩の眷属としての自覚であり、広布への使命感である。平凡な人間でありながら、しかも力強い自己を発揮していくことが、まことの人間としての生き方ではなかろうか。
 また、泥水とは、汚濁した社会である。この現実の社会を離れて、特別な世界に住する人は、あえていえば、迹化他方であって、地湧の菩薩の眷属とはいいがたい。地湧の菩薩の眷属は、進んで社会の泥沼に飛び込み、民衆と共に歩んでいくのである。しかし、泥沼の中に埋没していたのでは、何の価値をも創造しがたい。ゆえに泥沼に生きつつ、しかも、泥沼を出て、輝かしい妙法の世界の建設に邁進していきことこそ、地湧の菩薩の一分の姿である。これ、出水の義ではないか。
 ここにこそ、真に、清浄な蓮華の開花も幸福な開花もある。そう考えていくならば、出水の義なくして、華開の義はないといえよう。

0516:16~0518:09 第九章 如来在世の証得を明かすtop
16   問う如来の在世に誰か当体の蓮華を証得せるや、答う四味三教の時は三乗.五乗・七方便・九法界.帯権の円の菩
17 薩並びに教主乃至法華迹門の教主総じて 本門寿量の教主を除くの外は 本門の当体蓮華の名をも聞かず 何に況ん
18 や証得せんをや、 開三顕一の無上菩提の蓮華尚 四十余年には之を顕さず、 故に無量義経に終不得成無上菩提と
0517
01 て迹門開三顕一の蓮華は爾前に之を説かずと云うなり、 何に況んや開近顕遠・本地難思・境智冥合・本有無作の当
02 体蓮華をば迹化弥勒等之を知る可きや、 問う何を以て爾前の円の菩薩・迹門の円の菩薩は 本門の当体蓮華を証得
03 せずと云う事を知ることを得ん、 答う爾前の円の菩薩は迹門の蓮華を知らず 迹門の円の菩薩は本門の蓮華を知ら
04 ざるなり、 天台云く「権教の補処は迹化の衆を知らず 迹化の衆は本化の衆を知らず」文、伝教大師云く「是直道
05 なりと雖も 大直道ならず」云云、 或は云く「未だ菩提の大直道を知らざるが故に」云云此の意なり、 爾前迹門
06 の菩薩は一分断惑証理の義分有りと雖も 本門に対するの時は当分の断惑にして跨節の断惑に非ず 未断惑と云わる
07 るなり、 然れば菩薩処処得入と釈すれども二乗を嫌うの時一往得入の名を与うるなり、 故に爾前迹門の大菩薩が
08 仏の蓮華を証得する事は本門の時なり真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり、 天台大師・涌出品の五十小劫・仏
09 の神力の故に・諸の大衆をして半日の如しと謂わしむの文を釈して云く 「解者は短に即して長・五十小劫と見る惑
10 者は長に即して短・半日の如しと謂えり」文、 妙楽之を受けて釈して云く 「菩薩已に無明を破す之を称して解と
11 為す大衆仍お賢位に居す之を名けて惑と為す」文、 釈の意分明なり 爾前迹門の菩薩は惑者なり地涌の菩薩のみ独
12 り解者なりと云う事なり、 然るに当世天台宗の人の中に 本迹の同異を論ずる時・異り無しと云つて 此の文を料
13 簡するに解者の中に 迹化の衆入りたりと云うは大なる僻見なり 経の文・釈の義分明なり 何ぞ横計を為す可けん
14 や、 文の如きは地涌の菩薩五十小劫の間如来を称揚するを 霊山迹化の衆は半日の如く謂えりと説き給えるを天台
15 は解者惑者を出して 迹化の衆は惑者の故に半日と思えり是れ即ち僻見なり、 地涌の菩薩は解者の故に五十小劫と
16 見る是れ即ち正見なりと釈し給えるなり、 妙楽之を受けて無明を破する菩薩は解者なり 未だ無明を破せざる菩薩
17 は惑者なりと釈し給いし事 文に在つて分明なり、 迹化の菩薩なりとも住上の菩薩は 已に無明を破する菩薩なり
18 と云わん 学者は無得道の諸経を有得道と習いし故なり、 爾前迹門の当分に妙覚の位有りと雖も本門寿量の真仏に
0518
01 望むる時は 惑者仍お賢位に居ると云わるる者なり 権教の三身未だ無常を免れざる故は夢中の虚仏なるが故なり、
02 爾前と迹化の衆とは未だ本門に至らざる時は 未断惑の者と云われ彼に至る時 正しく初住に叶うなり、妙楽の釈に
03 云く「開迹顕本皆初住に入る」文、 仍賢位に居すの釈之を思い合すべし、 爾前迹化の衆は 惑者未だ無明を破せ
04 ざる仏菩薩なりと云う事真実なり真実なり、 故に知ぬ 本門寿量の説顕れての後は 霊山一会の衆皆悉く当体蓮華
05 を証得せしなり、 二乗・闡提・定性・女人・悪人等も本仏の蓮華を証得するなり、伝教大師一大事の蓮華を釈して
06 云く「法華の肝心・一大事の因縁は蓮華の所顕なり、 一とは一実相なり大とは性広博なり事とは法性の事なり一究
07 竟事は円の理教智行、円の身.若・達なり一乗.三乗・定性・不定性.内道・外道・阿闡・阿顛.皆悉く一切智地に到る
08 是の一大事仏の知見を開示し悟入して一切成仏す」女人・闡提・定性・二乗等の極悪人霊山に於て当体蓮華を証得す
09 るを云うなり。
-----―
 問う、仏の在世においては、いったい誰が当体の蓮華を証得したのであるか。
 答う、法華経以前の四味三教の時は三乗・五乗・七方便・九法界・権が帯びて説かれた爾前の円教の菩薩並や、その教主、さらには、法華迹門の教主にいたるまで総じて本門寿量の教主を除くの外はすべて、本門の当体蓮華の名目をも聞かない。まして証得することなどありえようか。
 声聞、縁覚、菩薩の三乗の教えを開いて一仏乗をあらわした。迹門における無上菩提の蓮華の法門さえ、四十余年の間にはこれを顕さなかった。その故に無量義経に「終に無上菩提を成ずることを得ず」と述べて、迹門で説かれた開三顕一の蓮華は、爾前四十余年の間には、これを説かなかったというのである。まして・開近顕遠・本地難思・境智冥合・本有無作の文底の当体蓮華を、迹化の弥勒菩薩等が、どうして知り得るわけがあるだろうか。
 問う、いかなるわけで爾前の円の菩薩や、迹門の円の菩薩が、本門の当体蓮華を証得しなかったということを知ることができるのか。
 答う、爾前の円の菩薩は、迹門の蓮華を知らない。また迹門の円の菩薩は本門の蓮華を知らなかった。故に天台大師は「爾前権教の補処である大菩薩でも迹化の衆を知らない。同様に、迹化の衆は、本化の衆を知らない」といっている。また伝教大師が註無量義経巻二に「これは直道ではあるが、大直道ではない」あるいは同巻三に 「いまだ菩提の大直道を知らない故に」といっているのは、このことをいっているのである。 
 したがって、爾前迹門の菩薩は、一分だけ断惑証理の義があるとはいっても、本門に相対してみたときは、当分の断惑であって、一重立ち入った跨節の断惑ではないから未断惑の者といわれているのである。
 したがって爾前経においても菩薩が処々に得道したと釈しているけれども、それは二乗を断訶するために、一往、菩薩に得道の名を与えたまでである。故に爾前迹門の大菩薩が、仏の蓮華を悟ることができるのは、本門の時である。すなわち真実の断惑は、寿量品の一品を聞いた時である。 
 天台大師が、涌出品の「五十小劫という長い年月を、仏は神通力をもって、諸の大衆に、わずか半日の短時日のようにおもわせた」という経文を解釈して、法華文句の巻九の上に「解者は、短に即して長、すなわち半日の時日を五十小劫という長い年月と見る。逆に、惑者は、長に即して短、すなわち五十小劫の長年月をわずか半日と見る」と説いている。
 妙楽大師は、この解釈を受けて、法華文句記の巻九で「本化の菩薩は、すでに無明惑を破っている。これを称して解とする。迹化の大衆は、いぜんとして無明惑を破ることができないので、賢位すなわち十信の位にとどまっている。これを名づけて惑とする」と解釈している。
 この解釈によって意味は明らかである。すなわち爾前迹門の菩薩は惑者であり、ただ地涌の菩薩のみが解者であるということである。
 このように両者の差がはっきりしているのもかかわらず、当世の天台宗の学者の中には、本門と迹門の同異を論ずるときに、本迹の相異はないといって、この文を解釈して、解者の中に迹化の大衆も入っているのだというのは大きな僻見である。経文、そして天台等の解釈の義は明らかである。どうして、そのような邪な考えをすることができようか。
 湧出品の文は「地涌の菩薩が五十小劫の長い間、仏を讃めたたえたことを、霊山の迹化の菩薩の衆はわずか半日のように謂った」と説き明かされたのを、天台大師が解者と惑者を出してそれを相対して、「迹化の菩薩衆は惑者であるために半日のように思った。これは、僻見である。地涌の菩薩は解者であるために五十小劫の長時日と見る。これが正しい見解である」と解釈されているのである。妙楽大師は、さらにこの解釈をうけて、「無明を破した菩薩は解者であり、未だ無明を破すことのできない菩薩は惑者である」と解釈していることは、文についてまさに明らかである。迹化の菩薩であっても初住以上の位に登った菩薩は、すでに無明を破した菩薩であるなどという学者は、無得道の爾前経を得道できると習ったがためである。
 爾前、迹門は当分において、妙覚の位があるけれども、本門寿量品の真仏に相対したときには、あくまで惑者であり、なお賢位をでない者といわれるのである。権教における法報応の三身が、いまだ無常を免れない理由は、夢の中のできごとであり同様の架空の仏だからである。
 爾前と迹化の衆とは、いまだ本門にいたらないときは、未断惑の者といわれ、本門に来た時に初めて初住に住することができたのである。故に妙楽大師は法華玄義釈籤の巻一に「迹を開いて本を顕した時に、皆が初住の位に入る」といっている。この意と先に述べた「大衆はいまだに賢位に居る」という解釈とを思い合わせるがよい。爾前・迹化の衆は惑者であって、いまだ無明を破っていない仏菩薩であるということは、まさに真実である。
 故に、本門の寿量品が説き顕わされた後は、霊山の会座の大衆は、皆ことごとく当体蓮華を証得したと知ることができるのである。二乗も、不信誹謗の一闡提も、定性性の者も、女人や悪人等も、皆、久遠本仏の蓮華を証得したのである。
 伝教大師は「一大事の蓮華」を守護国界章の巻下に釈して「法華経の肝心である一大事の因縁は、蓮華の顕わすところである。一とは、中道実相であり、大とは、その中道実相が森羅万象にわたってのものであり、事とは法性すなわち本来そなわったところの事実の姿・振舞いという意である。一究竟事は円の理教と教義と智慧と修行の円の法身、般若、解達の三徳とである。これによって一仏乗、三乗、決定性、不定性、内道の者、外道の者、阿闡提の者、阿顛提の者、皆ことごとく一切智地という仏の位にいたることができる。故に、この一大事によって仏の知見を開かしめ、示し悟らしめて一切の者が成仏したのである」と述べている。
 これは在世の女人・一闡提・決定性・二乗等の極悪人が霊鷲山において、当体蓮華を証得したことをいっているのである。

五乗
 仏教を理解し受容する衆生の能力の違いに応じて説かれる人・天・声聞・縁覚・菩薩の教え。
―――
七方便
 蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の声聞・縁覚・菩薩、別教の菩薩をいう。
―――
九法界
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩界のこと。
―――
帯権の円
 爾前の円等は法華経に比べいずれも真の円教ではなく権を帯びていること。
―――
法華迹門の教主
 「観心本尊抄」に基づいて、経典の教説の分類に対応させて、釈尊を6種に立て分けたもの。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華本門の釈尊⑥法華本門文底の教主釈尊。④法華経迹門の釈尊。法華経迹門を説いた仏。法華経見宝塔品第11で十方分身の諸仏が来集するにあたり、釈尊は第1に同居の土を方便土に、第2に実報土に、第3に寂光土にと3度変じた。これにしたがって仏身もまた同居土では劣応身、方便土では勝応身、実報土では報身、寂光土では法身と4種の仏身を現じた。4種に現じた仏身を四土の色身という。迹門では二乗作仏を説き、化城喩品第7では三千塵点劫の化導の始めを示してはいるが、まだ発迹顕本しておらず、本門の久遠実成の釈尊に相対すれば、始成正覚の迹仏にすぎない。
―――
本門寿量の教主
 「観心本尊抄」に基づいて、経典の教説の分類に対応させて、釈尊を6種に立て分けたもの。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華本門の釈尊⑥法華本門文底の教主釈尊。⑥法華経本門文底の釈尊。法華経本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経を説く仏。無始無終・本有常住であり、色相荘厳という衆生教化のための方便を帯びない無作三身の仏であるから、久遠元初の自受用報身如来という。万人成仏の根本因を教示し体現する仏であるから、本因妙の仏である。この仏は、宇宙と生命を貫く根源の法である南無妙法蓮華経を本質とするものであるから、あらゆる生命・存在に仏界としてそなわる。末法において、この根源の法と仏を自身のうちに覚知され体現されたのが日蓮大聖人であられる。大聖人はその法が南無妙法蓮華経であると明かし、人々を教え導くためにこれを三大秘法として説き示された。それ故、日蓮大聖人は、法華経本門文底の南無妙法蓮華経を説く本因妙の教主であり、末法の御本仏であられると拝される。
―――
開三顕一
 法華経迹門で釈尊が、法華経以前の諸経で説かれた声聞・縁覚・菩薩を目指す三乗の修行は方便の教えであり、仏の真意は万人を成仏に導く一仏乗の法華経であると明かしたこと。
―――
終不得成無上菩提
 無量義経十功徳品第3の文。「終に無上菩提を成ずることを得ず」と読む。
―――
開近顕遠
 「近を開いて遠を顕す」と読み下す。「近」とは近成(始成正覚)、「遠」とは遠成(久遠実成)のこと。すなわち法華経本門で釈尊が、自身が今世ではじめて成仏したと説く始成正覚は方便であり、実は久遠の過去に成仏していたと説き久遠実成を明かしたことをさす。
―――
本地難思
 仏の本地は思議できないものであるということ。日蓮大聖人の本地が久遠元初であり、九界の智慧や思索では思議できないということ。
―――
境智冥合
 観法(瞑想の修行)において、観ずる対象である境と、それを観ずる智慧が分かち難いこと、またそれを覚知すること。
―――
本有無作
 本有とは、久遠から常住していること。無作はもとからそなわっていて他によって作られたものでないということ。
―――
迹化
 迹化の菩薩のこと。本化の菩薩に対する語。釈尊が三十成道して以来、華厳・阿含・方等・般若の爾前経および法華経迹門において化導された菩薩。
―――
弥勒
 弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
―――
補処
 仏のあとを継いで、やがては仏になる位。仏の地位を補う位。等覚の菩薩をいう。一生を隔てて成仏するところから「一生補処ともいう。釈尊の補所の菩薩は弥勒である。
―――
本化
 本仏に教化された衆生のこと。迹化に対する語で、具体的には地涌の菩薩をいう。
―――
直道
 一生成仏への正しい道。平和楽土建設への根本的解決の道。
―――
一分断惑証理の義分
 ある程度見思・塵沙・無明の三惑を修行の結果断じて、真理を証得する法理の一分。菩薩が断ずるという無明惑にも42品の段階があって、菩薩の位により断惑の程度は違ってくる。
―――
当分・跨節
 当分は当位の分際のことで、そのままの立場のこと。跨節は節を跨ぐことで、一歩深い立場のこと。天台宗ではこれを教判として、爾前経を当分、法華経を跨節としている。
―――
得入
 仏道を修めて悟りに入るの意。成仏することを意味する。
―――
涌出品の五十小劫
 「是の諸の菩薩摩訶薩、地より涌出して、諸の菩薩の種々の讃法を以って、仏を讃めたてまつる。是の如くする時の間に五十小劫を経たり。是の時に釈迦牟尼仏、黙然として坐したまえり。及び諸の四衆も、亦皆、黙然たること五十小劫、仏の神力の故に、諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ」の文をさす。
―――
解者
 久遠の遠寿を悟った者をいう。地涌の菩薩のこと。
―――
惑者
 真実の断惑を得ていないもの。
―――
賢位
 仏道修行者の位。聖位に対する語。
―――
住上の菩薩
 別教の52の菩薩の階位のうち、10住以上にある菩薩をいう。
―――
無得道
 仏道を得られないこと。
―――
有得道
 大御本尊を信じて仏道修行に励む行動。
―――
爾前迹門の当分に妙覚の位
 爾前迹門でも凡夫がそのまま成仏すると説かれている。これを爾前迹門の円というが、これは理の上の悟りであって、事実の上での悟りではないゆえに真実の得道とはなり得ないのである。
―――
本門寿量の真仏
 真仏とは真実の仏、本門寿量品の三身常住の仏をいうが、文底の意は久遠元初の自受用身・日蓮大聖人のことである。
―――
権教の三身
 権教における仏の三身は格別に説かれていて、具体具用でないから真仏ではない。
―――
夢中の虚仏
 爾前権教の仏のこと。爾前の円で正覚を得たと思っても、それは夢の中の出来事であって真実ではない。
―――
初住
 菩薩の修行の段階である五十二位の中の第11位、十住の初め、発心住のこと。見惑(思想・見識の迷い)を断ずる菩薩の位をいう。円教の菩薩は初住で一分の中道の理を証得して正念に安住するので、初住位以上を菩薩道から退転しない不退位とする。
―――
霊山一会の衆
 霊山は法華経の説法があった霊鷲山のことで、インドのベンガル州にある。一会は会座で仏の説法の会座。霊鷲山でッ法華経を聴衆した一切の大衆。
―――
二乗
 六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
―――
闡提
 サンスクリットのイッチャンティカの音写。本来は欲求しつつある人の意で、真理を信じようとしない快楽主義者や現世主義者をさした。仏法では、覚りを求める心がなく、成仏する機縁をもたない衆生をいう。仏の正法を信ぜずかえって反発・誹謗し、その重罪を悔い改めない不信・謗法の者のことで、無間地獄に堕ちるとされる。
―――
定性
 物質の本質が何であるかを定めること。法相宗の護月は五性各別の法門を立て、化導の有無にかかわらず声聞・縁覚・菩薩となることは決定しているとしている。
―――
一大事の蓮華
 当体蓮華のことで、妙法蓮華経のこと。
―――
一実相
 実相はありのままの姿・本来の姿のことで、実相の根本はただ一つであるということ。
―――
性広博
 御義口伝には「一は即ち一実相なり五に非ず三に非ず七に非ず九に非ず故に一と言うなり、其の性広博にして五三七九より博し故に名けて大と為す、諸仏出世の儀式なり故に名けて事と為す」(0716-第三唯以一大事因縁の事-01)とある。
―――
一究竟事
 一は一実相、究竟は一実相の体性が三世十方に遍満し、森羅万象を包含する無上究竟の当体であること。事には具体的にあらわれた姿、諸仏出世の儀式の意。一実相の広大な法性は仏の出世によってあらわれる。つまり初め方便権教によって化導し、ついに法華経にいたって法性の実義が明かされ、一実相の法性の広大無辺を示すゆえに法性の事という。伝教は一究竟事とは円教の理教智行であることを明かしている。
―――
円の理教智行
 円教の理境・教義・智慧・行法をいう。対教と教えとを、信受することによって、仏智を会得し、その智によって、さらに仏道修行することをいう。なお伝教大師は守護国界章において、円の理智行を一大事に約して法身・般若・解脱の三徳を成ずることができるとしている。
―――
円の身・若・達
 守護国界章にある。円教の法身・般若・解脱のこと。修行によって、円理は法身・円智は般若・円行は解脱を、それぞれ達すに達する。三大秘法の南無妙法蓮華経を信じ仏道修行に励めば、煩悩は法身・業は般若・苦は解脱と転ずることをいう。
―――
一乗
 一仏乗のこと。成仏のための唯一の教えの意で、「すべての者が成仏できる」という法華経の教えのこと。
―――
三乗
 声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のこと。それぞれ声聞・縁覚・菩薩の覚りを得るための教え、あるいはそれを実践する修行者のこと。さらに得られた声聞・縁覚・菩薩の境地も意味する。
―――
阿闡
 不楽欲・無欲・随意作と訳す。唯識論の五種性の第五、無性有情の一種で、成仏を欲しないところからこの訳名がある。成唯識論に無性に一闡底迦・阿闡底迦・阿顛底迦の三種があると説く。無涅槃性の阿顛底迦に対し、一闡堤と阿闡堤は長い時を経て成仏すると説く。権大乗の論である。当体義抄には「内道・外道・阿闡・阿顛.皆悉く一切智地に到る(0518-07)」とある。
―――
阿顛
 阿顛底迦・阿顛提・畢竟のこと。とどのつまり正法を信ずることができない者。
―――
一切智地
 一切智を証得する位。すなわち仏の境涯、智慧をいう。
―――
開示し悟入して
 あらゆる衆生の生命にそなわっている仏の智慧(仏知見)を開かせ、示し、悟らせ、その境地に入らせること。諸仏が世に出現する根本目的(出世の本懐)として、法華経方便品第2の文で明かされる。同品には「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう」(法華経121㌻)とある。
―――――――――
 この章は釈尊が在世に誰が当体蓮華を証得したかとの問いに対して、本門の教主の化導を受けた者以外は当体蓮華を証得していないことを答えた段である。さらに、それではどういうわけで爾前迹門の円の菩薩が本門の当体蓮華を証得しなかったことを知ることができるのか。という問いに対して、当分、跨節、所対不同にしたがい、爾前迹門の菩薩が、久遠下種を知らない故に無明を断じていない惑者であり、本門寿量の真仏たる下種を受けた者が解者であり、当体蓮華を証得した者であること、そして「五十小劫半日の如し」の文をもちいて、断惑と未断惑、解者と惑者の差別をくわえ、本門寿量の真仏の化導により、霊山一会の大衆も皆未断惑の菩薩が断惑の菩薩となり、惑者が解者となるように、皆ことごとく当体蓮華を証得したことを答えられたところである。
迹門開三顕一の蓮華
 方便品第二に「如来は但一仏乗を以つての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三有ること無し、舎利弗、一切十方の諸仏の法も亦是の如し。舎利弗、過去の諸仏も、無量無数の方便、種種の因縁、譬喩の言辞を以って、衆生の為に諸法を演説したもう。是の法も皆一仏乗の為の故なり」と。また「一仏乗に於いて分別して三と説きたもう」と。さらに同品に「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」とある。すなわち、仏が出世した目的は声聞、縁覚、菩薩の三乗の法を説くことではなく、一切衆生がすべて仏道を得ることのできる一仏乗の法を説くことにあったわけである。
 釈尊は成道してから四十二年にいたるまで方便権経を説き、声聞には、苦・空・無常・無我の四諦の法門を説いて、これらを観ぜしめ、見思の惑を断じて阿羅漢果を得さしめ、縁覚には、十二因縁を説き、これらを観ぜしめ、無明を打ち破るために、煩悩を断じ、灰身滅智を教え、菩薩には、一切衆生の済度を願い、衆生菩提を求めるために六波羅密を行じ、解脱を目的とし、歴劫修行を説き、成仏を説くにいたらなかったのである。すなわち法華経の開経たる無量義経説法品第二に「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成うることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき、種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余は末だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」と説き、方便品にいたって「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」といわれて、法華経の真髄を説くのである。以上が開三顕一の経文上の意味である。
 この開三顕一を、さらに理として解すると、二意となる。すなわち一は略開三顕一であり、二は広開三顕一である。略開三顕一とは法華経方便品の十如実相を指す。十如実相は開三顕一それ自体の文ではないが、その内容が三乗を開いて一仏乗を顕わすことに帰着する故である。これにより爾前経では、各別に説いてきた三乗の法も一仏乗におさまっていると説き、四十余年の爾前権経は、実教を説くための前提として説かれた経教で、いまここに権を開いて実を示すにいたって、権を廃するのである。これすなわち開三顕一である。しかして方便品の十如実相の理こそ、純円一実の本理をほぼ説いた故に、略開三顕一というのである。
 次に広略開三顕一とは、法華経迹門の正宗分である方便品長行から人記品にいたるまで開三顕一を広く声聞に説き、仏出世の一大事因縁を開示悟入せしめるために五つの譬喩をもって三乗を開いて一切衆生が成仏できると説くことをいう。
 しかし迹門で開三顕一を説いても、成仏できる当体が顕わされなければ理の法門である。すなわち成道の真実の姿が示されなければ、真実の開三顕一とはなりえない。ここに真の開三顕一を説く法門が必要となるのである。二乗作仏事に「爾前迹門は異なれども二乗は見思を断じ菩薩は無明を断ずと申すことは一往之を許して再往は之を許さず、本門寿量品の意は爾前迹門に於て一向に三乗倶に三惑を断ぜずと意得可きなり」(0593-17)とある。ここにいたって法華経本門の必然性がでてくるのである。しかして本門の元意は久遠実成を明かすことであり、さらには、寿量品の文底を明らかにすることが大事の中の大事であり、それが開近顕遠である。
開近顕遠の当体蓮華
 開近顕遠とは「近を開いて遠を顕わす」と読み、仏の始成正覚を開いてその本地を顕わすとの意である。すなわち、「近」とは、近成の略で、釈尊はこの世で始めて成道したとする説である。これに対して「遠」とは「遠成の略で、仏は久遠の昔に成道したとする説である。すはわち、釈尊が、この世で修行して始めて仏になったという説を開いて、実は五百塵点劫という久遠の昔にすでに成道していたと説きあかすことをいう。それゆえ、迹を廃して本地を立てたところの本門の当体蓮華にあたるのである。
 ところで開近顕遠には日蓮大聖人のそれと天台大師のそれとがある。この両者の開近顕遠を図示すると次の通りである。
               ┌┬天台大師の略開近顕遠──湧出品
   ┌日蓮大聖人の略開近顕遠┘└天台大師の近開近顕遠──寿量品
   └日蓮大聖人の広開近顕遠──寿量文底
<天台大師配立の開近顕遠>
 図した通り広略の両意ある。まず略開近顕遠とは、爾前迹門において、仏はインドに出現して今世で成仏したと説いている。しかし湧出品では地湧の菩薩が出現したことを、一座の大衆が驚き、どこの国の、なんという仏の弟子で、なんという仏法を修行したかとの質問を発したのに対し、仏は「我伽耶城、菩提樹下に於いて坐して、最正覚を成ずることを得て、無上の法輪を転じ、爾して乃ち之を教化して、初めて道心を発さしむ、今皆不退に住せり、悉く当に成仏を得べし、我今実語を説く、汝等一心に信ぜよ、我久遠より来、是れ等の衆を教化せり」と説いて、近を開いて、ほぼ久遠を明かし、仏の遠寿が長遠であることを説いている。これ略開近顕遠である。こうした略開近顕遠の説に一座の大衆は、疑念の問いを発するのである。そこで仏はこれらの疑問に答えられている。この仏の答えが広開近顕遠となるのである。
 すなわち広開近顕遠とは、寿量品に「一切世間の天人、及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて、伽耶城去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり、然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と説かれたのがその答えである。この答えをもって、釈尊がこの世で出家して成仏したと思っていた者に対し、実は久遠五百塵点劫の昔に成道したと説くのが広開近顕遠であり、その概要である。
 天台大師は、法華玄義巻九下において、五重玄義のうち用玄義を明かしている。その中で本門の用を釈している。いわく「二に本門の力用は、例して十意と為す。若し文の便を扶せば応に開近顕遠と言うべし、若し義の便を取らば応に本迹と言うべし。秖だ近を呼んで迹と為し、遠を本と為す。名は異なれども義は同じ、言う所の十とは、一には破迹顕本、二には廃迹顕本、三には開迹顕本、四には会迹顕本、五には住本顕本、六には住迹顕本、七には住非迹非本顕本、八には覆迹顕本、九には住迹用本、十には住本用迹なり、通じて本門に就くに、一一の妙の中皆な十意を具す」と、十重顕本の名を挙げている。そしてそのおのおのについて詳しく釈している。
<日蓮大聖人配立の開近顕遠>
 大聖人の開近顕遠は、天台大師の略開近顕遠と広開近顕遠とを共に略開近顕遠とし、あらためて広開近顕遠を立てておられる。すなわち、大聖人の略開近顕遠とは天台大師がたてたところの、久遠実成の釈尊の遠寿をもってほぼ久遠を顕わしたものである。すなわち五百塵点劫という想像もつかない昔で、日蓮大聖人が久遠を無始といっているものの、大聖人の仏法からみれば依然として無始ではないのである。そこで大聖人は釈尊の真の遠寿を顕わすために、広開近顕遠を説かれるのである。
 では日蓮大聖人の広開近顕遠とは何かといえば、大聖人内証の寿量品文底に秘沈されたところの久遠元初の名字の顕本を指すのである。すなわち総勘文抄に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)とあり、この文の釈迦如来とは日蓮大聖人の御内証の姿であり、五百塵点劫の当初とは久遠元初を指すのである。日寛上人は当流行事抄に「五百塵点は即ち是れ久遠なり、当初の二字あに元初にあらずや」と答えられている。
 日寛上人は天台大師の広開近顕遠・大聖人の広開近顕遠を「我実成仏の文の如き若し久遠本果の成道を我実成仏と説くと言わば、即ち是れ文上顕本なり」として、天台未弘の法門である大聖人の広開近顕遠については「若し久遠元初の成道を我実成仏と説くと言わば即ち是れ文底顕本なり」と述べられている。日寛上人の文でわかるとおり、開近顕遠の真意は久遠元初を説き明かすことであり、仏の遠寿とは無始無終ななである。
本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華
 以上の迹門・本門文底の比較相対について、日寛上人は当体義抄文段に「即ち是れ文底秘沈の妙法、我れ等が朝暮行ずるところの妙法なり、迹門は開三顕一の妙法・文の妙法・熟益の妙法なり、本門は開近顕遠の妙法、義の妙法、脱益の妙法なり、文底は本地難思の境智の妙法、意の妙法、下種の妙法あり、当に知るべし、迹門は華の如く、本門は華の如く・文底は種子の如し」と仰せられている。この文を図示すると次の通りである。
   迹門──開三顕一の妙法──文──熟益の妙法──華
   本門──開近顕遠の妙法──義──脱益の妙法──蓮
   文底──本地難思の妙法──意──下種の妙法──種子
 しかして、本講においては「本地難思・境智冥合・本有無作」についてはおのおのの意味を述べることにする。
①本地難思
 本地とは垂迹に対する言葉であり、本地難思とは、仏の本地は実に思議しがたいことをいう。ところで、ここでいう仏とは、いうまでもなく御本仏日蓮大聖人のことであり、御本仏の本地は、久遠元初である。すなわち、久遠元初の自受用報身如来が日蓮大聖人の本地である。その仏が末法においてそのまま日蓮大聖人として出現されたのである。
 百六箇抄に「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854-03)と。さらにこの文から日蓮大聖人の内証と外用について述べると、文底秘沈抄に「若し外用の浅近に望めば上行の再誕は日蓮なり、若し内証の深秘に望まば本地自受用の再誕日蓮なり、故に知りぬ本地は自受用身・垂迹は上行菩薩・顕本は日蓮なり」とあり、外用浅近の辺からみれば、上行菩薩の再誕が日蓮大聖人となる。しかし、内証神秘の辺から見れば、本地自受用即ち久遠元初の自受用報身如来の再誕が日蓮大聖人となるのである。したがって、本地は、久遠元初の自受用身であり、その垂迹として上行菩薩が虚空会で釈尊から付嘱を受けられたのである。
 しかも、末法今時において出現された大聖人は、末法の御本仏即久遠元初の自受用報身如来としての本地を顕わされたと拝するわけで、御文の中に当流の最大神秘が説いているわけである。
②境智冥合
 境智の二法を総別の二義に分けて論ずると、まず御本尊それ自体が境智冥合の当体であられる。境とは御本仏の甚深無量の智慧を指す。しかして境智和合した姿、大御本尊の当体をいう。曾谷殿御返事に「夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云、釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水測り難き故に無量と云う」と、抑此の経釈の心は仏になる道は豈境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり」(1055-01)と。
 次に御本尊とわれわれの関係が境智の二法となり、境とは弘安2年(1279)10月12日に日蓮大聖人御図顕の三大秘法の御本尊であり、智とは御本尊を信じ奉るわれら衆生である。すなわち、われら衆生が正境である御本尊に信心唱題することによって、成仏の境涯にいたることが境智冥合をあらわしている。
 文底秘沈抄に「夫れ本尊とは所縁の境なり・境能く智を発し智亦行を導く、故に境若し正からざれば智行も亦随って正しからず。妙楽大師謂える有り『仮使発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し・若し正境に非ずんば縦い偽妄無きも亦種とならず』等云云、故に須らく本尊を簡んで以て信行に励むべし」とある。
③本有無作
 久遠元初以来、無作三身の当体として、常住していることをいう。すなわち御義口伝でよれば、御本仏は、はたらかず、くつろわず、もとのままあることをいう。御義口伝にわく「久遠とははたらかさず.つくろわず.もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云」(0759-第廿三 久遠の事)と。さらに本有無作こそ如来であり、かつまた一切衆生であることについて「如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり」(0753-第四如来如実知見三界之相無有生死の事)と述べ、仏即衆生として、永遠の生命の当体を明かしている。
 所詮、本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華とは、南無妙法蓮華経のことである。この妙法の当体を、まずその本地を尋ね、次に境智の二法より論じ、そして本有無作と開いたわけである。
 日寛上人は文段で、総勘文抄の「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)の文をもちいて、地水火風空とは即ち妙法蓮華経なり云云、五百塵点劫の当初なり。故に本地という。智は是れ能証の智なり、わが身等は所証の境なり、故に境智と云う。我が身即地水火風空妙法蓮華とは即ち是れ本有無作の当体の蓮華なり。是くの如く境智冥合して本有無作の当体の蓮華を証得する故に即座開悟と云うなり」と述べられている。
 次に日寛上人は文段でさらに末法の衆生の境智行位を立て、この境智行位は本因妙であって、しかも南無妙法蓮華経を唱えることにより、即座開悟して本果妙となる。すなわち、われらの一念のうちに本因本果共にそなえ、しかも、妙法の当体であると、次のように述べられている。
 「当に知るべし。凡夫はすなわち名字即、是れ位妙なり、知の一字は能証の智、即ち是れ智妙なり、以信代慧の故に、亦是れ信心なり、信心是れ唱題の始めなる故に、始を挙げて後を摂す。故に行妙を兼ねるなり、故に知んぬ我が身は地水火風空の妙法蓮華経と知ろしめし南無妙法蓮華経と唱え給うなり、即ち是れ行妙なり、我が身等は是れ境妙なり。此の境智行位は即ち本因妙なり、即座開悟は即ち本果妙なり。是れ即ち種家の本因本果なり、譬えば蓮の種子の中に花菓を具するが如きなり、当に知るべし、前は一念の心法に約して境妙を明かす。今は本有の五大に約して境妙を明かす。心に即してしかも色、色に即してしかも心なり。人法体一の本尊これを思え」と述べている。
 以上、表題「本地難死等の文」について述べたが、三大秘法の妙法を信受して、自行化他にわたる修行をすることによって、われわれもまた妙法の当体蓮華を証得することができるのである。本因妙抄にいわく「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真独朗の即身成仏と名く」(0872-13)と。
当分の断惑と跨節の断惑
 まず仏法を論ずるにあたって、常に念頭におかねばならぬことは、教えの高低・浅深を判ずることである。よって教・機・時・国・教法流布の先後である五綱、五重の相対、一往、再往の両意、総別の二義等をよくよく熟慮して、さらに経釈論をも立てて読まねばならない。とりわけ、日蓮大聖人の門下であるなら、先に述べた基準に基づいて文証を拝さなければ、正しい読み方とはならない。さて本講における「当分の断惑と跨節の断惑」は、当分・跨節の両意から、爾前、迹門、本門、文底の菩薩の断惑について、権実、本迹、種脱等の相対の上から論じなければならないのである。
 その前に当分と跨節についていえば、当分とは、そのまま、そのところで、ということであり、跨節とは、そこから跨がってということで、さらに一重立ち入ってということである。竹の譬えをかりて説明することができる。当分は一節を示し、跨節は一節から次の跨があることを示すのである。よって一往・再往に似た意味合いである。
 次に当分と跨節について、三重秘伝抄に「一には爾前は当分・迹門は跨節なり是れは権実相対にして第一の法門なり、二には迹門は当分・本門は跨節なり是れは本迹相対にして第二の法門なり、三には脱益は当分・下種は跨節なり是れは種脱相対して第三の法門なり、此れ即ち宗祖出世の本意なり故に日蓮が法門というなり」とある。
 さらに菩薩の断惑について述べると、爾前の菩薩、帯権の円の菩薩においては、見思・塵沙の二惑を断じたという経文はあるが、これは二乗を弾訶するために、菩薩の得道を許したのであるが、爾前権経では、得道できる根源の種を明かしていないために当分の菩薩の断惑なのであり、法華経迹門と相対して跨説の菩薩の断惑ではない。一方の迹門の菩薩の断惑は跨節の断惑である。すなわち、迹門の化城喩品で、三千塵点劫における大通智勝仏の下種を明かしている故に、爾前の菩薩にくらべれば、跨節の断惑である。
 しかし、本門に対すれば迹門の菩薩の断惑証理の義は三千塵点劫にあるといっても、末だに久遠下種を明かしていない故に当分の断惑となる。本門において久遠下種を明かす故に跨節の断惑となるのである。だが、本門においても再往これを論ずれば、本門文上は五百塵点劫本果第一番成道の下種を明かしたとはいえ、本門文底に相対すれば、本門文上の久遠下種は当分の断惑となり、独一本門においては文底下種を明かす故に跨節の断惑となるのである。
 観心本尊抄に「設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり」(0249-09)といわれ、開目抄には「真言・華厳等の経経には種熟脱の三義・名字すら猶なし何に況や其の義をや、華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり、種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし」(0215-13)と、下種益のない仏法を破し、文底仏法の大事を説いている。
 結論して、爾前、迹門、本門、独一本門の菩薩の断惑・証得は峻別され、独一本門の菩薩にその真実の断惑がある。
五十小劫・仏の神力の故に・諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ
 これは、法華経湧出品の「是の諸の菩薩摩訶薩、地より湧出して、諸の菩薩種種の讃法を以って、仏を讃めたてまつる。是の如くする時の間に、五十小劫を経たり。是の時に釈迦牟尼仏、黙然として坐したまえり(中略)黙然たること五十小劫・仏の神力の故に・諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ」の文である。
 湧出品で大地からあらわれた六万恒河沙の地湧の菩薩は、さまざまに仏を賛嘆したのである。仏は黙燃と坐し、この間五十小劫という長い時間がたった。しかし、久遠を知らない爾前迹門の菩薩は、そのように長い期間のたったことを知らず、あたかも半日の出来事のように思った。すなわち、仏と地湧の菩薩の関係を、虚空会の儀式が半日のことであったと思ったのである。このことを天台大師は、法華文句巻九上に「五十小劫と半日とは、此れは是れ時節不可思議なり。如来の見たもう所は二相を以てせず、下方は菩薩は当に面り称揚したてまつり、如来は黙然として常に其讃を受けたもう。解する者は短に即して而して長なれば五十小劫と謂う。惑う者は長に即して而して短なれば、半日の如しと謂う」と述べている。地湧の菩薩は、五十小劫もの長遠を仏と自分との関係として悟ったのである。
 これに対して、迹門の菩薩は、久遠実成を知らないのである。したがって仏と地湧の菩薩の関係を、虚空会の半日の間柄のように思い、地湧の菩薩を見て驚嘆し、いったいいかなる仏が教化し、いかなる修行を積んだ大菩薩であろうと疑い惑ったのである。さらに釈尊がこれらの菩薩は、ことごとく久遠の昔から教化してきた者であると説いたので、ますます疑いを深めていき、いままでの考え方が大きくゆさぶられるのである。
 ともあれ、本門の地湧の菩薩が解者であり、爾前迹門の菩薩が惑者である。こうした解者の判別は、本門文底と本門文上を修める者にあてはまる。それゆえ、本門文底の解者となり、邪見、悪見によらず、正見をもって諸事を見きわめることが大事である。

0518:10~0518:17 第十章 末法の衆生の証得を明かすtop

10   問う末法今時誰れ人か当体蓮華を証得せるや、 答う当世の体を見るに大阿鼻地獄の当体を証得する人之れ多し
11 と雖も仏の蓮華を証得せるの人之れ無し 其の故は無得道の権教方便を信仰して 法華の当体真実の蓮華を毀謗する
12 故なり、 仏説いて云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば 則ち一切世間の仏種を断ぜん 乃至其の人命終して
13 阿鼻獄に入らん」文,天台云く「此の経はアマネく六道の仏種を開く若此の経を謗せば義.断ずるに当るなり」文、日
14 蓮云く此の経は是れ十界の仏種に通ず若し此の経を謗せば 義是れ十界の仏種を断ずるに当る是の人無間に於て決定
15 して堕在す何ぞ出ずる期を得んや、 然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師
16 の正義を信ずる故に 当体蓮華を証得して 常寂光の当体の妙理を顕す事は 本門寿量の教主の金言を信じて 南無
17 妙法蓮華経と唱うるが故なり、
-----―
 問う、末法今時において、誰人が、当体蓮華を証得したものがあるだろうか。
 答う、当今の世相を見る時、正法を誹謗して無間地獄の当体を証得する人は数多いけれども、仏の蓮華を証得した人はまったくいない。その理由は、得道できない権教方便の教えを信じて、法華の当体である真実の蓮華を毀謗するからである。
 釈尊は法華経譬喩品第三にこのように説いている。「もし、人がこの法華経を信じないで毀謗するならば、その者は、すなわち一切世間の仏の因種を断ってしまうであろう。あるいは、その者は、死んで後、無間地獄に堕ちるであろう」と。
 天台大師は「この法華経は、あまねく六道の者の仏種を開く毀のである。もしも、この経を謗るならば、それは六道の仏種を断絶することになる」と解釈している。
 日蓮は、次のようにいいたい。この法華経は、広く十界の仏種に通ずるのである。もしも、この経を謗れば、それは十界の仏種を断絶することになる。したがってその者は死んで後、無間地獄が決定してそこから出られる機会が得られないのである。
 しかるに、日蓮の一門は正直に権教方便の邪法・邪師を捨てて、正直に正法・正師の正義を信ずるが故に、当体蓮華を証得して、常寂光の当体の妙理を顕わすことは、本門寿量文底の金言を信じて、南無妙法蓮華経と唱えるからである。

大阿鼻地獄
 阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
―――
無得道
 仏道を得られないこと。
―――
毀謗
 誹謗と同意。破りそしること。
―――
仏種
 ①仏の種姓、仏となる家系の者のこと。釈尊の教団では、仏の弟子となった者は仏の子と位置づけられる。大乗では仏に成ることを目指す菩薩をいい、法華経では法華経を信じ実践する者こそが真の仏子であると説かれる。また涅槃経では、にせの教えを説く邪悪な者と戦い、仏の正法を護持し広めるものが真の仏子とされる。②成仏の根本因を植物の種に譬えて仏種と呼ぶ。衆生の生命にそなわる仏性は、成仏の主な因であるので仏種とされる。さらに衆生の仏性を開発する仏の教法も、成仏の補助的な因であるので、仏種とされる。法華経では、すべての衆生を成仏させる根本法は法華経であると説くことから、法華経が唯一にして真実の仏種である。
―――
無間
 阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
―――
決定
 一定ともいう。きっと・必ず。
―――
本門寿量の教主
 「観心本尊抄」に基づいて、経典の教説の分類に対応させて、釈尊を6種に立て分けたもの。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華本門の釈尊⑥法華本門文底の教主釈尊。⑥法華経本門文底の釈尊。法華経本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経を説く仏。無始無終・本有常住であり、色相荘厳という衆生教化のための方便を帯びない無作三身の仏であるから、久遠元初の自受用報身如来という。万人成仏の根本因を教示し体現する仏であるから、本因妙の仏である。この仏は、宇宙と生命を貫く根源の法である南無妙法蓮華経を本質とするものであるから、あらゆる生命・存在に仏界としてそなわる。末法において、この根源の法と仏を自身のうちに覚知され体現されたのが日蓮大聖人であられる。大聖人はその法が南無妙法蓮華経であると明かし、人々を教え導くためにこれを三大秘法として説き示された。それ故、日蓮大聖人は、法華経本門文底の南無妙法蓮華経を説く本因妙の教主であり、末法の御本仏であられると拝される。
―――
金言
 ① 処世上の手本とすべき内容を持つすぐれた言葉。金句。②仏の口から出た、不滅の真理を表す言葉。こんげん。
―――――――――
 この章は、末法今時において、誰が当体蓮華を証得したのかを明かす段である。末法万年尽未来際における成仏の直道は何か、当体蓮華を証得できる人は誰であるか。
 大聖人は、正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて、正直に正法・正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して、常寂光の当体の妙理を顕わすのであり、本門寿量文底の教主の金言を信じて、南無妙法蓮華経と唱える故に、そうした妙法の当体としてあらわれることを明示しておられるのである。
当世の体を見るに大阿鼻地獄の当体を証得する人之れ多し
 この御文によれば、証得には、必ずしも仏界の証得だけではなく、地獄の証得、餓鬼の証得等もあることが明らかである。証得とは生命自体の感得である。地獄の証得ほど悲惨な人生はない。とりわけ、大阿鼻地獄の当体を証得した人の苦悩は、筆舌に尽くせるものではない。
 当時の人々の多くが、苦悩に呻吟しているのを、大聖人は心から嘆かれ、なんとしても救われようとなされた。三災七難が並び起こり、いかに当時の世相が、すさまじいばかりの地獄の絵巻図を展開したかは「立正安国論講義」の第一段・第一章で示された通りである。
 現代の世相をみるにつけても、人類は、まさしく無間地獄への道を歩んでいるといっても過言ではない。すなわち、現代において、大阿鼻地獄とは、核であり、公害であり、人口、食糧等の難問であると考えることができよう。だが、そうしたさまざまな難問も、実は、人間自身の胸中にあり、この胸中を開いてみるに、地獄の世界があらわれてくるのが、実相である。それゆえ、自身が何を証得するかが大事となる。地獄の証得ではなく仏の証得を大聖人は教えられているのである。
 いま、われらは、日蓮大聖人の仏法を信ずるが故に仏界の証得であり、人間としての、ありのままの凡夫として、最高の境涯である。すなわち、最も光輝に満ちた人生を刻印しゆくのである。この誇りを忘れず、勇気をもち、希望に燃えて力強く、未来をめざし進んでいきたいものである。
然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり
 日寛上人は、この文に三大秘法が説かれていると述べている。すなわち「当体蓮華を証得して」とは本門の本尊にあたり、「常寂光の当体の妙理を顕す」とは、本門の戒壇にあたる。われらが本門の本尊、本有無作の当体蓮華を証得し、我が身即本門寿量の当体の蓮華と顕われ、所住の処が戒壇、寂光当体の妙理と顕われることは、本門内証の寿量品、本因妙の教主の金言を信じて、本門寿量の肝心・南無妙法蓮華経と唱える故である。これは本門の題目にあたる。
本門寿量の教主について
 本門寿量の教主とは、すなわち内証の寿量品、本因妙の教主日蓮大聖人の御事である。
 これに対して、本門寿量品の教主とは在世の本門寿量品の教主であって、どうして末法の日蓮大聖人をもって、本門寿量の教主となすのかという反論がある。
 この問いは、教主といい、釈尊という真の意味を知らないところから発せられたものである。まさに、日蓮大聖人こそ、その内証は久遠元初の自受用報身如来であり、即末法下種の主師親として後五百歳の世に出現し、初めて、事の一念三千の大御本尊を弘宣されたのである。これ本因妙の教主ではないか。儒教においては三皇五帝を教主とし、真言宗では善無畏三蔵を教主とし、天台宗においては、智者大師を教主と仰いでいる。いま、日蓮大聖人を教主と称するのは、あまりにも当然のことである。また、釈尊におよそ六種類の釈尊があることを知らねばならない。
   一に蔵教の釈尊
   二に通教の釈尊
   三に別教の釈尊
   四に法華経迹門の釈尊
   五に本門文上の釈尊
   六に本門文底の釈尊
 ここに「本門寿量の教主」と仰せられるのは、実に第六の本門文底の釈尊であり、即日蓮大聖人のことを示されているのである。釈尊というのは、必ずしもインド応誕の釈尊とは限らない。「如来」等と等しく「仏」という意味で使われている場合が多い。
 教行証御書にいわく「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何に況や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし」(1282-03)と。この文にも明らかなように、釈尊とは、決して固定した一人の人を指すのではなく仏の別名である。船守弥三郎許御書にいわく「過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」(1446-04)と。五百塵点劫の当初とは久遠元初のことである。またここに「我等衆生」と仰せられているのは、総じては一切衆生、別しては無作三身如来の日蓮大聖人である。ここに久遠元初すなわち本因妙の教主釈尊とは、末法に凡夫僧として出現された日蓮大聖人であることは歴然としている。
 また、次にあげる御文によっても明らかである。
 報恩抄にいわく「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(0328-15)と。観心本尊抄にいわく「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254-08)と。また同抄にいわく「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う」(0247-16)と。日女御返事にいわく「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢.文殊等.舎利弗・目連等坐を屈し.日天・月天.第六天の魔王・竜王.阿修羅・其の外不動.愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる」(1243-09)と。
 上の四文によってもわかるように、釈尊は脇士に連なっているのが、大御本尊の厳然たる相貌である。事実、大聖人の顕された大御本尊には、中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」としたためられており、釈迦・多宝等は脇士となっているのである。
 また本尊問答抄の「此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず」(0365-14)との御文を思い合わせるならば、「本門寿量品の教主釈尊」とは、末法の南無妙法蓮華経所持の仏、すなわち日蓮大聖人の事である。末法の御本仏こそ、久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・大慈大悲の日蓮大聖人である。
 この本仏論に対して「蓮祖は本化上行菩薩の再誕である」との浅義を唱えているのが、一般の日蓮宗である。たしかに本化上行の再誕説には一理ある。しかし、それは外用浅近の面からみたのであって、これのみに執着して、内証深の面からみることを、浅識といわなければならない。
 外用、内証は、言葉をかえていえば、一往、再往、当分、跨節といえよう。これも所対によって不同である。たとえば、本因妙抄に「予が外用の師・伝教大師」(0870-01)と述べられているのは、一往、迹化である伝教大師は、大聖人の外用の師であるが、再往、大聖人の内証は迹化とは比較にもならない本化地湧の上行菩薩である。しかしながら、これはあくまでも、文上の上で外用、内証を論じたのである。文底に立つならば、本化地湧の再誕というのも外用であって、その内証は久遠元初の本仏であられる。
 百六箇抄に「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854-03)と。
 この御文でもわかるように、次の三段になっている。
   本地──自受用報身
   垂迹──上行菩薩
   再誕──日蓮
 久遠元初の自受用身が、釈尊の説法を助けるために迹を垂れて、法華経の説法の時に上行菩薩として出現した。この垂迹、上行菩薩の本地は、久遠元初の自受用報身である。故に、日蓮大聖人の末法出現を、垂迹上行という中間の立場からみれば、外用浅近にとどまって、真のお姿を拝することはできないのである。
 大聖人のご出現の意義を知るためには、法華経説法会座に上行菩薩にまでさかのぼっていくことは当然であるが、さらにその奥、すなわち上行菩薩の本地を究めることが大事である。その本地にまでさかのぼり、そして本地から立ち返って、末法出現の日蓮大聖人を拝するとき、御本尊の尊容をまのあたりに仰ぐことができる。
 本因妙抄にいわく「釈尊.久遠名字即の位の御身の修行を末法今時.日蓮が名字即の身に移せり」(0877-06)と。また百六箇抄にいわく「今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違わざるなり」(0863-不渡余行法華経の本迹)と。

0518:17~0519:08 第11章 善導・法然の邪義を示すtop

17                問う南岳・天台・伝教等の大師法華経に依つて 一乗円宗の教法を弘通し給うと雖
18 も未だ南無妙法蓮華経と唱えたまわざるは如何、 若し爾らば此の大師等は未だ当体蓮華を知らず又証得したまわず
0519
01 と云うべきや、 答う南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり 等云云、 若し爾らば霊山に於て本門寿
02 量の説を聞きし時は 之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、 故に妙法の名字を替えて止観と号し一念
03 三千・一心三観を修し給いしなり、 但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を 自行真実の内証と思食され
04 しなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、 天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、
05 又云く「稽首妙法蓮華経」云云、 又「帰命妙法蓮華経」云云、 伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙
06 法蓮華経」云云、 問う文証分明なり 何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、 答う此れに於て二意有り一には時の
07 至らざるが故に 二には付属に非ざるが故なり、 凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり 地涌千界の大士の付属
08 なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。
-----―
 問う、南岳大師も、天台大師も、伝教大師も、共に法華経によって一仏乗の円教の法理を弘められたけれども、末だ南無妙法蓮華経とは唱えられなかった。それはどういうわけか。また、もし、そうであるならば、これらの大師は、いまだに真実の当体蓮華を知らないし、また悟ることもできなかったというべきではなか。
 答う、南岳大師は観音菩薩の化身であり、天台大師は薬王菩薩の化身であるといわれている。たしかにそうであるが、霊山において本門寿量品の説法を聞いた時は、この仏の蓮華を証得したけれども、出現した時節が妙法流布の時ではなかった。故に妙法という名字をかえて「止観」と名づけて、一念三千、一心三観の法門を修行したのである。
 南岳大師は法華懺法に「南無妙法蓮華経」といい、また天台大師は「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」また「稽首妙法蓮華経」また「帰命妙法蓮華経」といわれている。
 伝教大師の最後臨終の十生願の記にも「南無妙法蓮華経」と記され、自行として「南無妙法蓮華経」と唱えられたことがわかる。
 問う、たしかに文証は明らかである。では、何故内証の悟りをそのまま弘通されなかったのか。答う、それには二つの理由がある。一には文底の大法弘通の時が来なかった故で、すなわち末法の時でなかったためである。二には迹化の菩薩であるため文底の大法を付嘱されなかったのである。
 およそ妙法の五字は、末法に流布すべき大白法であり、本化地湧千界の菩薩に付嘱されなかったのである。それ故、南岳、天台、伝教大師は、心の中では、十分知っていたのである。末法の導師に譲られて、弘通されなかったのである。

一乗円宗
 一仏乗を説く法華経を依経とする宗のこと。創価学会のこと。
―――
南岳大師は観音の化身
 515年~577年。中国・南北朝時代の北斉の僧。慧思のこと。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。日蓮大聖人の時代の日本では、観音菩薩が南岳大師として現れ、さらに南岳の後身として聖徳太子が現れ仏法を広めたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では、南岳大師を「観音の化身なり」(604㌻)、聖徳太子を「南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり」(608㌻)とされている。
―――
天台大師は薬王の化身
 538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
自行真実の内証
 自行は随自意。天台大師は随自意・化他のために止観をあらわし、一心三観の修行を説いたが、自行として南無妙法蓮華経を唱えたと言われ、これが天台大師の内証の真実であり、究極の悟りである。
―――
法華懺法
 法華経を読誦し罪障を懺悔する法。
―――
平等大慧
 諸仏の実智のこと。諸法平等の理を悟り、一切衆生を平等に利益する仏の智慧をいう。宝塔品には「釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経を以って、大衆の為に説きたもう」とあり、一切衆生を平等に、救済していく、広大な御本仏の智慧、大御本尊の智慧をいう。 
―――
稽首
 南無・帰命。
―――
臨終の十生願の記
 伝教大師の臨終最後の記録。「臨終の時南無妙法蓮華経と唱うれば妙法三力の功に由て速やかに菩提を成じ生死の身を受ざらしむ」とある。
―――
大白法
 黒は悪濁・白は浄潔を意味する。大白蓮法は浄潔な大法。南無妙法蓮華経のこと。
―――
地涌千界の大士
 法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。これに対して、文殊・弥勒などは、迹仏(始成正覚の釈尊など)あるいは他方の世界の仏から教化された菩薩なので、迹化・他方の菩薩という。
―――
内に鑑みて
 内鑒冷然のこと。心の中では充分知っているが、外に向かっては言いださないこと。
―――――――――
 この章は、正像末の所以を述べることによって、三大秘法の南無身要法蓮華経が末法流布の大白法であることを明かしている。
 天台大師や伝教大師等も、南無妙法蓮華経と唱えることによって、当体蓮華を証得できることを、自行真実の内証としていた。彼等は内鑑冷然で、自身の内証の法門とはしながら、この章で明かす理由により、説けなかったのである。
 したがって「凡そ妙法の五字は末法流布の大白法」であり、その法を本化の菩薩が付嘱を受けたのである。しかも今、末法の導師がこれを譲り受けたといわれることに注目しなければならない。大聖人は、御文の上では迹化末弘の所以を示されながら、文の底においては、御自身こそが末法の御本仏として大白法を流布することを明かしておられるのであり、そのことをよくよく知るべきである。
南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり
 南岳大師は中国の人で天台大師の師である。観音は観世音菩薩の略称である。法華経観世音菩薩普門品だは、観世音と名づける因縁を説いて「若し無量百千億の衆生有って、諸の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて(中略)皆解脱することを得せしめん」とあり、観音は観世音の名を持つ者を火・水・羅刹・王・鬼・枷鎖・怨賊の七難から救うといい、また仏・縁覚等の三十三身を現じて説法して衆生を救うと説いている。南岳大師はこの観世音菩薩普門品から法華経の妙理を体得して、本地を感得したところから、観世音菩薩の化身といわれる。しかし末法の今日においては観音の功徳は少ない。御義口伝に「今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり」(0776-第二観音妙の事-02)とある。
 次に天台大師は中国で一念三千を説いた。薬王菩薩は法華経迹門流通の対告衆として各品に出ている。まず迹門流通分の最初、法師品では「爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて、八万の大士に告げ」とその上首となり、勧持品には二万の菩薩眷属とともに誓言をなし、その後、寿量品・神力品・嘱累品を経て薬王菩薩本事品には薬王菩薩の本事を説き、苦行や焼身供養を明かした。また陀羅尼品では勇施菩薩とともに法華経の持者の擁護を誓い、妙荘厳王の太子として生まれては薬上菩薩と共に、浄蔵、浄眼の二太子として父王を救っている。
 天台大師はこの薬王菩薩本事品の一偈から自らの本地を感得したところから、薬王菩薩の化身と伝えられる。御義口伝に「天台大師も本地薬王菩薩なり、能説に約する時は釈迦なり衆生の重病を消除する方は薬王薬師如来なり又利物の方にて薬王と云う自悟の方にては薬師と云う、此の薬王薬師出世の時は天台大師なり薬王も滅後に弘通し薬師如来も像法暫時の利益有情なり、時を以て身体を顕し名を以て義を顕す事を仏顕し給うなり、薬王菩薩は止観の一念三千の法門を弘め給う」(0801-一薬王品-02)とある。また前の観音品とともにこの薬王品も末法の利益が少ないことは、法蓮抄に「其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり」(1049-18)と説いている。
先聖の末弘と日蓮大聖人の弘通
 日蓮大聖人所持の妙法五字は、仏の滅後迦葉、阿難等、馬鳴、竜樹等、天台、伝教等がいまだ弘通したことのない大白法である。
 常忍抄に「日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり」(0981-08)と説示しておられる。
 このような大白法であるならば、なぜこれらの先聖が弘通されなかったのであろうか。それには四つの理由がある。
 曾谷入道等許御書に「一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり」(1028-16)とあるのがその理由である。
 これに対して、すでに日寛上人は三重秘伝抄の中でその理由を明かしているように、日蓮大聖人の弘通は、一には自身堪えうるが故に、二には所被の機有るが故に、三には仏より譲り与うるが故に、四には時来るが故なのである。
 本抄において、このうち「一には時の至らざるが故に二には付嘱に非ざるが故なり」と、先聖の末弘の二つの理由を明かされたのである。ここでは末法今時の御本仏日蓮大聖人の大白法の弘通が、婉曲に表現されているのである。

0519~0519    当体義抄送状top

当体義抄送状
01   問う当体の蓮華解し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか、 答う経に云く「世間の法に染まら
02 ざること蓮華の水に在るが如し 地より而も涌出す」云云、 地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日
03 に之を改め書すべし、 此の法門は妙経所詮の理にして 釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん
04 経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢んぬ。  日蓮花押
-----―
 問う、当体の蓮華ということは、理解しがたい。そこで譬喩を仮りて、これをあらわしたというのが、その証拠の経文にあるか。
 答う、法華経従地湧出品第十五に「本化の菩薩は、世間の法に染まらないこと、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清浄であるのと同じである。しかも、この本化の菩薩は大地から湧出した」と説かれている。これは、まさしく地湧の菩薩が当体蓮華であることを示している。譬喩はおのずと明瞭であろう。これについては後日、改めて書くことにする。
 この当体蓮華の法門は、法華経の究極の理であり、釈尊の出世の本懐であって、地湧の菩薩に付嘱したところの、末法に弘通すべき肝心である。このことは国主が信心した後に、はじめていい出すべき秘蔵の法門である。日蓮はこれを最蓮房に伝えたのである。        日蓮花押

世間の法
 儒教・道教・婆羅門外道・国法・規則等。
―――――――――
 この送状は、題名の示すように、当体義抄に添えて、最蓮房に与えられたものである。当体蓮華の意義について、重ねて明示されていると共に「国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり」と、この法門の弘通の法軌について指示されている。
地涌の菩薩の当体蓮華なり
 「如蓮華在水」の蓮華は、地湧の菩薩の姿を譬えた譬喩蓮華である。その当体蓮華は地湧の菩薩そのものに他ならない。なお、地湧の菩薩が末法今時においては、再誕し日蓮大聖人としてあらわれて振舞われたことは前述した通りである。これが大聖人の外用の姿であった。
 不幸と悲惨と、欺瞞と残酷が充満する世界にあって、日蓮大聖人は、妙法を持つが故に、微塵も染まることなく、誠実と慈悲の人生を貫かれたのである。むしろ、汚泥を離れて蓮華がないのと同じく、そうした世の中なればこそ「如蓮華在水」の理をあらわす地湧の菩薩として出現し、民衆救済のために立ち上がられたのである。現実を直視し、現実の中に飛び込み、民衆と苦楽を共にしながら妙法の力によって、清浄無垢の生命の輝きを開発なされたのである。