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日蓮大聖人御書講義80520~0539
0520~0526 小乗大乗分別抄
0520:01~0520:14 第一章 大小の分別を明かす
0520:14~0521:10 第二章 法華経と諸経の教義を比較
0521:11~0522:14 第三章 二乗作仏の意義を明かす
0522:15~0523:18 第四章 久遠実成の意義を明かす
0523:18~0525:10 第五章 成仏の種子は法華経に限るを示す
0525:11~0526:07 第六章 末法の破法の様相を示す
0527~0533 立正観抄
0527:01~0527:02 第一章 当世天台宗の教義を挙ぐ
0527:02~0527:09 第二章 止観勝法華劣の教義を検討する
0527:10~0528:05 第三章 止観が法華経に依ることを明かす
0528:05~0528:14 第四章 止観が法華経に依る文証を挙ぐ
0528:14~0528:15 第五章 四種釈に関する問いを挙ぐ
0528:15~0529:07 第六章 問いに答え正しい義を明かす
0529:07~0529:12 第七章 止観勝法華劣の四失を挙ぐ
0529:12~0530:06 第八章 漸・頓二義からの問いに答う
0530:07~0530:11 第九章 止観=因、妙法=果を明かす
0530:12~0530:18 第十章 妙法が三観に勝るを明かす
0530:18~0531:09 第11章 妙法の不可思議なるを明かす
0531:10~0532:02 第12章 天台の外用・内証を明かす
0532:02~0532:05 第13章 無念の止観という邪義を破す
0532:06~0533:03 第14章 天台宗末学の謗法を断罪す
0533:04~0533:07 第15章 天台の観心の正義を総括す
0533:07~0533:15 第16章 禅宗の観法を天魔外道と破す
0534~0535 立正観抄送状
0534:01~0534:03 第一章 謝辞と当世天台宗の義を述ぶ
0534:03~0534:11 第二章 慧心・檀那両流の教義を示す
0534:11~0535:04 第三章 止観勝法華劣の義を与えて論ず
0535:04~0535:10 第四章 奪えば別教なることを明かす
0535:10~0535:14 第五章 結び
0536~0538 顕立正意抄
0536:01~0536:09 第一章 安国論の予言符合を立証
0536:10~0537:04 第二章 釈尊の予言符号の先例示す
0537:04~0537:09 第三章 二難符号の現証で覚醒促す
0537:09~0538:01 第四章 謗者堕獄を重ねて警告
0537:09~0538:01 第五章 門下の未来堕獄を戒む
0537:09~0538:01 第六章 堕獄を免れる方途示す
0520~0526 小乗大乗分別抄top
0520:01~0520:14 第一章 大小の分別を明かすtop
| 0520 小乗大乗分別抄 文永十年 五十二歳御作 与富木常忍 01 夫れ小大定めなし一寸の物を一尺の物に対しては小と云い 五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う、 02 外道の法に対しては 一切の大小の仏教を皆大乗と云う 大法東漸通指仏教以為大法等と釈する是なり、 仏教に入 03 つても鹿苑十二年の説・四阿含経等の一切の小乗経をば 諸大乗経に対して小乗経と名けたり、 又諸大乗経には大 04 乗の中にとりて劣る教を 小乗と云う華厳の大乗経に 其余楽小法と申す文あり、 天台大師はこの小法というは常 05 の小乗経にはあらず十地の大法に対して 十住・十行・十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり、 又法華経 06 第一の巻・方便品に若以小乗化・乃至於一人と申す文あり 天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず 華厳経の 07 別教・方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う、 又玄義の第一に会小帰大・是漸頓泯合と申す釈をば智証大師は 08 初め華厳経より終り般若経にいたるまで 四教八教の権教諸大乗経を漸頓と釈す泯合とは 八教を会して一大円教に 09 合すとこそ・ことはられて候へ、 又法華経の寿量品に楽於小法・徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小 10 法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず 久遠実成を説かざる華厳経の円 乃至方等般若法華経の迹門十 11 四品の円頓の大法まで小乗の法なり、 又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那盧舎那・大日如来等を 12 も小仏なりと釈し給ふ、 此の心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経・八宗の中には倶 13 舎宗・成実宗・律宗を小乗と云うのみならず華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として唯天台の 14 一宗計り実大乗宗なるべし、 -----― いったい大小には、一定の基準というものがない。一寸の物を一尺の物に対しては小といい、五尺の男に対しては六尺・七尺の男を大の男という。外道の法に対して仏教は一切の大乗・小乗を皆、大乗という。章安大師が「大法東漸」といわれたものを、妙楽大師が「通じて仏教を指して以って大法と為す」等と解釈したのはこの意である。 仏教のなかでも、鹿野苑で十二年の説かれた四阿含経等の一切の小乗経を、諸大乗経に対して小乗経と名づけたのである。 また、諸大乗経においても、そのなかで劣った教を小乗という。華厳の大乗経に「其の余の小法を楽う」という文がある。天台大師は「この小法というは通常の小乗経ではなく、菩薩の五十二位で修行する大法に対して、十住・十行・十回向の大法を下して小法と名づける」と解釈されている。 また法華経第一の巻・方便品第二に「若し小乗を以って乃至於一人を化せば、我則ち慳貪に堕せん」という文があり、天台大師・妙楽大師はこのことについて、ただ阿含経を小乗というばかりでなく、華厳経のなかの別教や方等・般若経のなかの通別二教の大乗経をも小乗とすると定められている。 また法華玄義の第一に「小を会して大に帰るは是れ漸頓泯合するなり」とある文を智証大師は「初めの華厳経より終わりの般若経に至るまでの四教八教、権教諸大乗経を漸・頓と釈し、泯合とはその八教を開会して法華の一大円教に合するのである」と解釈されている。 また法華経の如来寿量品第十六に「小法を楽える徳薄垢重の者」という文があり、天台大師は「この経文に小法とあるのは、いわゆる小乗経でもなく、また諸大乗経でもない。久遠実成を説かない華厳経の円、ないし方等・般若のなかの円、また法華経迹門十四品の円頓の大法までもみな小乗の法である。また華厳経等の諸大乗経の教主は法身仏・報身仏・毘盧遮那仏・盧舎那仏・大日如来等も皆、小仏である」と解釈されている。 この意味からいえば、涅槃経・大日経等の一切の大乗・小乗・権教・実教・顕教・密教の諸経は皆小乗経で、八宗のなかでは倶舎宗・成実宗・律宗を小乗というのみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗も小乗宗であって、ただ天台宗の一宗だけが実大乗宗なのである。 |
外道の法
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
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大法東漸
釈尊滅後、正法・像法時代に仏法が漸次東方に伝わったこと。大法は優れた法・最高の法をいう。通じて仏法全般をさす。
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通指仏教以為大法
妙楽大師の法華玄義釈籤の文。「通じて仏教を指して以って大法と為す」と読む。
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鹿苑
中インド波羅奈国にある園で、古くは神仙の住所とされ、国王が狩をつかまえて放しておかれた地といわれる。釈尊は華厳経の3週間の説法のあと。この鹿野苑で憍陳如など五人を済度した。その後12年間、16大国で、阿含時の説法をしたが、これも鹿苑時と総称する。
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四阿含経
4種の阿含経。長 阿含経・中阿含経・増一阿含経・雑 阿含経のこと。
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華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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十地
仏道修行者の修行段階・境地を10種に分けたもの。地とは能生・所依の義で、その位に住してその位の法を持つことによって果を生成するものをいう。教の浅深によって、説かれる十地の内容も異なる。主なものは❶三乗共の十地❷大乗菩薩の十地などである。他に仏の十地、声聞の十地、縁覚の十地がある。❶三乗共の十地。通教十地ともいう。声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通なもので、四諦・十二因縁・六波羅蜜を行じ、見思惑を断じて覚りを得る境地。①乾慧地(乾慧とは法性の理水も潤し得ない乾燥した有漏の智慧で、智慧はあるが法性の空理を証得していない位。声聞の三賢位〈外凡〉、菩薩の順忍以前にあたる)②性地(わずかに法性の空理を得て見思惑を伏する位。声聞の四善根位〈内凡〉、菩薩の順忍にあたる)③八人地(人とは忍の義で、八忍地と同じ。初めて無漏智を得て見惑を断ずるという見道十五心の位。声聞の須陀洹向、菩薩の無生法忍にあたる)④見地(見とは見惑を断尽して四諦の理を見る意で、見道第十六心の位。声聞の須陀洹〈初果〉、菩薩の阿鞞跋致〈不退転〉の位にあたる)⑤薄地(欲界九品の思惑のうち前の六品を断じて後の三品を残すので薄という。声聞の斯陀含果〈二果〉、菩薩の阿鞞跋致以後の位にあたる)⑥離欲地(欲界九品の思惑を断じ尽くして欲界から離れる位。声聞の阿那含果〈三果〉、菩薩の五神通を得た位にあたる)⑦已弁地(已作地)(三界の見思惑を断じ尽くした位。声聞界の最高位である阿羅漢果〈四果〉、菩薩にとっては仏地を成就した位にあたる)⑧辟支仏地(縁覚の位。三界の見思惑を断じたうえに習気を除いて空観に入る位。習気とは業の影響力のこと。見思惑そのものは断じ尽くしても、潜在的な影響力として残っていく惑をいう。『摩訶止観』巻6上には、見惑を薪に、思惑を炭に、習気を灰に譬えている)⑨菩薩地(菩薩として六波羅蜜を行ずる位。空観から仮観に出て再び三界に生じて衆生を利益するので、乾慧地から離欲地までをさす。また菩薩の初発心から成道の直前までをいう)⑩仏地(菩薩の最後心で、一切の惑及び習気を断じ尽くして入寂する位。一切種智など諸仏がそなえる法〈特徴〉を具備した通教の仏の境地)。❷大乗菩薩の十地。菩薩の修行段階で、五十二位の第41から第50の位。無明惑を断じて中諦の理を証得する過程である。①歓喜地(極喜地、喜地、初地ともいう。一分の中道の理を証得して心に歓喜を生ずる位)②離垢地(無垢地ともいう。衆生の煩悩の垢の中に入ってしかもそこから離れる位。破戒と慳嫉の2種の垢を離れるので離垢地という)③明地(発光地ともいう。心遅苦の無明、すなわち聞思修忘失の無明惑を断じ、智慧の光明を発する位)④焔地(焔慧地、焼然地ともいう。煩悩の薪を焼く智慧の焔が増上する位)⑤難勝地(極難勝地ともいう。断じ難い無明惑に勝つ位)⑥現前地(清浄な真如と最勝智があらわれる位)⑦遠行地(遠く世間と二乗の道を出過する位)⑧不動(中道の理に安定して住して動ずることがない位)⑨善慧地(善巧の慧観によって十方一切にわたって説法教化する位)⑩法雲地(説法が雲のように無量無辺の法雨を降らし真理をもって一切を覆う位)をいう。
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十住
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第11から第20の位。真実の空の理に安定して住する位。初住である発心住は、菩薩の不退位の初めであり、見思惑・塵沙惑を断ずる菩薩の初位にあたる。別教の菩薩の十住は内凡と位置づけられる。菩薩の修行の中で成仏の因である正因・了因・縁因の三仏性は初住から開き始めるので、五十二位中でも初住は大事な位となる。①発心住(十信を成就し広く智慧を求める位)②治地住(常に空観を修して心を清浄に持つ位)③修行住(もろもろの善法や万行を修する位)④生貴住(諸法は因縁の和合によって存するので、諸法の常住不変な体はないとの法理を理解し、本性が清浄である位)⑤方便具足住(無量の善根を修して空観を助ける方便とする位)⑥正心住(空観の智慧を成就する位)⑦不退住(究竟の空理を顕して退かない位)⑧童真住(邪見を起こさずに菩提心を破らない位)⑨法王子住(仏の教えを深く理解して未来に仏の位を受ける位)⑩灌頂住(空・無相を観じて無生智を得る位)をいう。
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十行
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第21から第30の位。利他の修行を行い、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・方便・願・力・智の十波羅蜜を成就する。三惑のうち、見思惑・塵沙惑を断じた不退の位。①歓喜行(外道邪見に動かされずに一切所有の物を衆生に施し、歓喜の心を生じさせる位)②饒益行(常に一切の衆生を教化して利益する位)③無恚恨行(無違逆行ともいう。忍辱を修して怒りを離れ、へりくだって謹み敬う位)④無尽行(無屈撓行ともいう。一切の衆生をして成仏に至らしめる位)⑤離癡乱行(無癡乱行ともいう。一切の法において乱されず、正念を失うことがない位)⑥善現行(生々世々に常に仏国に生まれて、一切の衆生の教化を捨てない位)⑦無著行(一切の法において著する所のない位)⑧尊重行(難得行ともいう。三世にわたって仏法の中に常に善根を尊重して成就する位)⑨善法行(法を説いて人に授け、もって正法を守護し、人々の模範となる位)⑪真実行(無為真実の性によって、仏法を学び語と行と相応じて、色心みな順ずる位をいう)をいう。
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十回向
菩薩の修行の52の階位である五十二位のうちの第31から第40の位。これまでの仏道修行で得た功徳を回らし転じて衆生に振り向け、自他ともに成仏を期す位。①救護一切衆生離衆生相回向(略して救護衆生回向。六波羅蜜・四無量心などを行じて、一切衆生を救護する位)②不壊回向(三宝のもとで不壊の信を得て、その善根により衆生に善利を回向する位)③等一切仏回向(三世諸仏の振る舞いと同じく、生死に著せず菩提心を離れず修行する位)④至一切処回向(行力によって修めた善根をあまねく一切の三宝や衆生の処に至らしめ、供養利益をなす位)⑤無尽功徳蔵回向(略して無尽蔵回向。一切無尽の善根を喜び、これを回向してもろもろの仏事を行い、それによって無尽の功徳善根を得る位)⑥随順平等善根回向(修行して得た善根を回向して衆生に平等に施し、仏に守護されて、よく堅固な善根を成ずる位)⑦随順等観一切衆生回向(一切の善根を増し、これを回向して、一切の衆生を利益する位)⑧如相回向(如相に順じて成ずるところの種々の善根を回向する位)⑨無縛無著解脱回向(一切法において取執縛著なく、善法を回向し、一切智を得る位)⑩法界無量回向(一切無尽の善根を修習して、これを回向して法界差別無量の功徳を願求する位)をいう。
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方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
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若以小乗化・乃至於一人
法華経方便品第2の文。「若し小乗をもって、乃至一人をも化せば、我則ち慳貪に堕せん」と読む。
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妙楽
711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
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阿含経
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
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別教
蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。
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方等
❶大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。大乗 ❷方等部 ❸十二部経。
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般若
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
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通
通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。
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別
別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。
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会小帰大・是漸頓泯合
天台大師の法華玄義巻1の文。「小を会して大に期するは是れ漸頓泯合す」と読む。
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智証大師
円珍のこと。814年~891年。平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。智証大師ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」(306㌻以下)などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。
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四教八教
化儀の四教と化法の四教を合わせて八教とする。❶化儀の四教。天台大師智顗が釈尊一代の教えを説き方によって四つに分類した教判。①頓教(覚りの真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③秘密教(仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある)④不定教(衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある)の四つ。❷化法の四教。釈尊の一代の教えをその内容によって4種(蔵教・通教・別教・円教)に分類した天台宗の教判。①三蔵教。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界内の生死・因果のみを明かし、諸法を構成要素に分析して空とする析空観を観法とし、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として声聞・縁覚を対象とし、傍に菩薩を対象とするが、その究極は声聞の覚りにすぎないので、声聞教という。小乗教と位置づけられる。②通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。③別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。④円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。妙楽大師湛然は『止観輔行伝弘決』で、以上の四教のうち、蔵・通・別の三教には仏果の名はあるが、実際には仏果に至る人はいない(有教無人)と説く。また四教を五時に配すると、『法華玄義』では、第1の華厳時は円教に別教を兼ねて説くので兼、第2の阿含時はただ三蔵教のみを説くので但、第3の方等時は蔵通別円の四教を対比させて説くので対、第4の般若時は円教に通別をさしはさんで帯びて説くので帯、第5の法華涅槃時は純円とする。爾前の円が兼・対・帯であるのに対して法華の円は円独妙であるから、法華経を八教(化法の四教と化儀の四教)を超えて優れた超八醍醐の教えという。
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漸頓
法華文句巻一上に説かれる化儀の四教のうちの漸教と頓教のこと。漸教は衆生の機根に応じて衆生を次第に高い教えに誘因していく教法。頓教は誘因の方法を取らずに、仏の悟りを衆生に対して直ちに説き示す教法のこと。
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寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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楽於小法・徳薄垢重者
法華経如来寿量品第16の文。「小法を楽える徳薄垢重の者」と読む。
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久遠実成
インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。
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華厳経の円
華厳経で説く円教のこと。ただし華厳経には二乗作仏・即身成仏等の義が明かされておらず、名のみあって成仏の実義はない。
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法華経の迹門
垂迹の仏の説いた法門の意。法華経1部8巻28品のうち、序品第1より安楽行品第14までの前半14品をいう。この14品は、釈尊が久遠実成という本地を明かさず、始成正覚という垂迹の姿で説いたので迹門という。迹門の肝心は方便品第2にあり、諸法実相・十如是を明かし、二乗作仏を説いて開三顕一し、また悪人成仏・女人成仏を説いて万人成仏の道を明かした。
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円頓
すべて欠けることなくそなえていて、速やかに成仏させること。天台教学では、万人成仏・即身成仏を実現する法華経の教えをさす。法華経の肝心である題目の南無妙法蓮華経は、法華経のすべてを欠けることなく納め、万人の即身成仏を実現する円頓の法である。
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諸大乗経の教主の法身・報身
法報応の三身仏のうちの法身仏と報身仏を教主とする諸教。華厳経は報身仏・大日経は法身仏を教主としている。
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毘盧遮那
サンスクリットのヴァイローチャナの音写。明らかにする者、太陽の意。華厳経で、釈尊はじめ諸仏の本体として示された仏身。この毘盧遮那仏から無数の分身の諸仏が展開される。ヴァイローチャナを漢訳する際、東晋の仏駄跋陀羅訳(六十華厳)では「盧舎那」と音写し、唐の実叉難陀訳(八十華厳)では「毘盧遮那」と音写した。
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盧舎那
サンスクリットのヴァイローチャナの音写。明らかにする者、太陽の意。華厳経で、釈尊はじめ諸仏の本体として示された仏身。この盧舎那仏から無数の分身の諸仏が展開される。天台宗では報身如来と位置づけられる。
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大日如来
大日はサンスクリットのマハーヴァイローチャナの訳。音写では摩訶毘盧遮那といい、毘盧遮那と略す。大遍照如来などとも訳す。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本の仏とされる。
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涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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権実
仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容能力に応じて説いた権の教え、経典のこと。実教(実経)に対する語。権は一時的・便宜的なものの意。
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顕密
顕教と密教のこと。①顕教。真言宗が密教以外の仏教の教えを指すのに用いた語。広く開かれて説かれた教えを意味する。もとは空海(弘法)が自身の教判として用い、衆生を導くために応身・化身(ここではそれぞれ報身・応身のこと)としての姿を現した如来が衆生の機根に従って広く説いた仮の教えを顕教と呼び、法身の如来が真理をひそかにそのまま示した教えを密教としたことに由来する。後に日本仏教で一般的に用いられ、顕密と併称して日本仏教全般を意味する。円仁(慈覚)以降の天台密教は、顕教と密教が教理の上で究極的には一致すると説くが、別しては印と真言といった事相を説く密教の方が顕教より優れているとする。②密教。インドにおける大乗仏教の歴史的展開の最後期、7世紀から本格的に展開した仏教。古代インドの民間信仰を取り入れ、神秘的な儀礼や象徴、呪術を活用し、修行の促進や現世利益の成就を図る。日本では空海(弘法)以来、密教以外の通常の仏教を顕教と呼んで区別する。【成立と展開】密教の成立は呪術や儀礼の発達から説明できるが、5世紀ごろにはその原初形態があったと考えられている。呪術は初期仏教では否定されていたが、比丘の護身用の呪文は例外的に認められた。大乗仏教では、現世利益のための呪文が菩薩行として正当化されるようになる。例えば大乗経典では陀羅尼や真言(マントラ、神聖な呪文)が説かれ、初期大乗経典である法華経の陀羅尼品には陀羅尼・真言で修行者を守護することが説かれている(法華経640㌻以下)。陀羅尼とは総持とも訳され、もとは教えを記憶し保持することを意味したが、そのために唱える句も陀羅尼と呼ばれ、やがてそれが神秘的な力をもつものとして、災難を取り除くための呪文を意味するようになった。真言はヴェーダ文献から見られる語であり、呪文としての陀羅尼と真言は意味的に明確に区別しがたい。陀羅尼や真言は、やがて仏や菩薩といった種々の尊格が与えられ、その尊格に帰依し一体化して、無病息災や異国調伏といった世俗的な利益を得るための儀礼として用いられるようになる。また手・指の形態によって尊格の徳を象徴する印が取り入られ、さらに覚りの世界を図顕して象徴した曼荼羅が作られる。曼荼羅は当初は一時的に土や砂で壇として作られるものだったが、後に布や紙に描いた絵図の形式が生まれた。さらに、こうした儀礼の効果や象徴の意義を説明し正当化する経典がつくられるようになった。大まかには以上の諸要素が組み合わさり、経典に基づいて、曼荼羅を作り、そのもとで印や真言・陀羅尼を用いて祈禱を行い、それら象徴を媒介として、仏や菩薩といった尊格と修行者とが一体化して何らかの利益を得るという密教の基本形態が形成されていった。こうした密教発達の背景の一つとして、グプタ朝(4~6世紀)以降、ヒンドゥー教のシヴァ信仰が盛んになる中、仏教側が王権や在家信徒の現世利益を成就させるための祈禱儀礼を積極的に取り入れて教勢を維持しようとしたことがあったと考えられている。7世紀に成立した大日経、金剛頂経では、これまでのような世俗的な利益を超えて、覚りを得て成仏することを説くようになる。口に真言・陀羅尼を唱え、手に印を結び、心に仏を思い浮かべることで、大日如来の身口意の三密が修行者の三業と一体化すること(三密加持)を説くなど、教理的な意義づけや体系化が進んだ。さらに灌頂という師から信徒へ法門を伝授する儀式も発達した。9世紀以降の後期の密教では、従来の密教に加え、性的要素を取り入れた修法を行うようになった。【中国・日本への伝来】陀羅尼を説く経典は3世紀ごろには中国で漢訳されていたと考えられている。7世紀の唐には、大日経、金剛頂経といった体系化された密教経典が善無畏・金剛智・不空の三三蔵などによって伝えられ、玄宗はじめ皇帝から護国の祈禱として重用され、厚い保護を受けた。日本には奈良時代に密教経典が伝来していたが、平安初期に空海(弘法)によって初めて大日経、金剛頂経がもたらされた。特に空海は唐に渡って恵果から伝授されたという胎蔵・金剛界の両部の法を伝え、真言宗の根本教義に据えた。その後、日本の密教は天台宗・真言宗において、それぞれ台密・東密として独自に教理や実践が発達した。なお、チベット、ネパールには最終期の密教が伝来し、今日においても民衆に根ざした宗教として存続している。
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八宗
倶舎・成実・三論・法相・律・華厳の南都六宗に、平安時代の天台・真言の2宗を加えたもの。
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倶舎宗
仏滅後900年ごろに出現したインドの学僧・世親の倶舎論を所依とする宗派。南都六宗の一つ。毘曇宗・薩婆多宗・論宗ともいう。倶舎論を主として、六足論・発智論と、発智論を釈した大毘婆沙 論等を所依とする小乗教の宗派である。倶舎とは梵語コーシャ(Kosa)、詳しくはアビダルマコーシャ(Abhidharma-kosa)といい、訳して付法蔵という。その教義は小乗有門の思想を根拠とするものである。インドにおいては、安慧、徳慧らが倶舎論の注釈書を作った頃は、一宗派としては存在しなかった。のちに、中国において、陳の真諦が「倶舎釈論」を著してから倶舎宗と呼ばれるようになった。日本には、法相宗の付宗として伝来し、奈良時代に隆盛をみた。
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成実宗
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
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律宗
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
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華厳宗
華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
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法相宗
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
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三論宗
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
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真言宗
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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天台の一宗
天台宗のこと。❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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実大乗宗
実大乗を依経とする宗派のこと。天台宗。
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本抄は、日蓮大聖人が文永11年(1273)、聖寿52歳の時、佐渡一谷で御述作になり、下総の富木常忍に与えられた御抄とされている。
御真筆は、書簡14紙が小湊・誕生寺ほかに分散して所蔵されているが、末尾は欠損しているようである。
内容は、題号のように小乗教と大乗教の区別について詳しく述べられている。冒頭に「夫れ小大定めなし」と仰せられ、小乗と大乗の名は、比較する相手によって定まるのであり、必ずしも一定でないことを、五つに分けて説かれている。
①外道の法に対しては、一切の大・小乗の仏教は皆、大乗である。
②仏教では、鹿野苑での12年の説法である四阿含経などは、諸大乗経と比較して小乗経という。
③諸大乗経のなかでも、他の大乗経より劣る経法を小乗という。
④法華経迹門の経が説かれると、華厳経から般若経までの、42年間に説かれた諸大乗経は皆、小乗となる。
⑤法華経本門の寿量品において、久遠実成が説かれると、久遠実成を説かない爾前迹門の教説はすべて小乗となる。
仏典等での大乗・小乗という表現は、そのような相対のうえからいわれるのであって、五重の相対のなかの通途の大小相対だけに限らないことを明かされている。
次に二乗作仏と久遠実成の二箇の大事と一念三千の法門は、法華経のみに説かれているので、法華経こそ真実の大乗であり、それが説かれていない余経は小乗であり未得道経である、と示されている。
更に、他経に“処処に得入する”という語があるが、その意味は、過去に法華経の下種を受けた衆生が、機根が進み、爾前経を縁として、過去の法華経の種が薫発して得道するのであると、爾前得道の道理を示され、他経によって成仏したのではないことが明かされている。
そして、この道理をわきまえずに、法華経を誹謗する者は、自ら堕地獄の業を作る者であり、とくに末法の現在は破国破仏の因縁となると、謗法を厳しく戒められている。
夫れ小大定めなし一寸の物を一尺の物に対しては小と云い五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う
一般にいって、大とか小とかいっても、それは固定的な基準があるものではなく、比較相対する相手によって決まるものであることが、初めに挙げられている。
そして、一寸のものを一尺のものに比較すれば小といい、身長が五尺の男と比べれば六尺とか七尺の男は大男になるという比較相対の概念であるということである。
仏法においても、大乗教と小乗教という言葉がよく使われる。乗とは乗る、乗せるという意味で、教法を人々を乗せる乗り物にたとえて、煩悩に苦しむ衆生を乗せて涅槃の彼岸に渡す教えとした。大乗とは、大きい乗り物のことで、数多くの衆生に大利益を与える教えを意味する。それに対して、小乗とは、小さな乗り物で、大乗に対してその法が低いことを下したものである。大智度論では、小乗を自利狭劣の法と下している。
普通、小乗というと、四諦の法門によって阿羅漢果を、十二因縁の法門によって辟支仏果を得るための教法をいい、それらの法門を説いた教説を小乗教という。天台大師の立てた五時八教の教判では、五時のなかの阿含時の四阿含などの経々をいい、化法の四教のなかの三蔵教をさしてゆう。自己の解説をのみ目的とする二乗の道を説いた教えなので、自利・利他の両面を満たす菩薩道を説く大乗に対して、小乗というのである。
それに対して大乗とは、法華経譬喩品第三に「無量の衆生を愍念安楽し、天人を利益し、一切を度脱す。是れを大乗と名づく」とあり、一切衆生を安楽にし、成仏させる利他の菩薩道を説いた教法をいい、天台大師の五時八教によれば、方等・般若・華厳の権大乗教と実大乗教の二種がある、とされている。
日蓮大聖人は、そうした小乗・大乗の立て分けがすべてではなく、最初に述べたように、比較し相対する相手によって大・小が定まるというのが本来の意味であるとされて、この大小という尺度をもって諸経の内容の勝劣・浅深を明かされているのである。
大聖人は観心本尊抄で五重三段を説かれ、第五の文底下種三段を明かした御文で「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」(0249ー06)と仰せになっている。ここでいう一品二半とは、第四の本門脱益三段の正宗一品二半のことではなく、大聖人が仰せの「内証の寿量品」の能詮の二千余字のことで、所詮の辺にあてはめれば、寿量品の文底に秘沈された南無経法蓮華経をいうのである。末法にあっては、大聖人が御建立になった三大秘法の南無妙法蓮華経よりほかの教説は、ことごとく小乗教であり、人々を不幸にする邪教であり、成仏できない教えであり、真実を覆い隠した教えとなるのである。
本抄は、この本尊抄の御文を踏まえて、文底下種仏法こそ真の大乗教であることを示唆されたものと拝されるのである。
外道の法に対しては一切の大小の仏教を皆大乗と云う大法東漸通指仏教以為大法等と釈する是なり、仏教に入つても鹿苑十二年の説・四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経に対して小乗経と名けたり、又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う華厳の大乗経に其余楽小法と申す文あり、天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり
初めに、仏教以外の外道の教えと比較した場合には、一切の仏教の教法は皆、大乗というのである。と仰せになっている。生命の因果の法理を説かない儒教・外道・バラモン教などの外道の低い教えと比べれば、たとえ小乗仏教であっても「大乗」にあたるのである。
その文証として、天台大師の法華玄義の序にある章安大師が仏教東漸を「大法東漸」といい、それを受けた妙楽大師が法華玄義釈籤巻一で「通じて仏教を指して以って大法と為す」と釈していることを挙げられている。五重の相対でいえば内外相対にあたる。
次に、仏教に入って、釈尊が鹿野苑で12年間の間に説いた四阿含経などの二乗のための経は、大乗経に対して「小乗経」と名づけられた、と仰せである。これが先に述べた通途の大小相対である。
更に、大乗経のなかでも、経法が劣るのを小乗というとされ、大乗経である華厳経の「其の余の小法を楽う」とある文がそれである、と示されている。この文を、天台大師は法華文句巻九下で「彼の経を按ずるに声聞二乗無し。但不久行の者を指して小法を楽う人と為すのみ。師の云く、楽小とは小乗の人に非ざるなり。乃ち是れ近説を楽う者を小と為すのみ」と釈している。
大聖人は、その意をとって、華厳経で「小法」といったのは、いわゆる小乗経をさしたのではなく、菩薩の52位のうちで、十地の位を得る大法に対して、それ以下の十住・十行・十回向を証得する大乗の法を下して小法と名づけたのであると釈したのである、とされている。つまり、華厳宗では、華厳経以下の諸経を「小乗」と下しているのである。これは、権大乗経のなかにおける大小相対といえよう。
又法華経第一の巻・方便品に若以小乗化・乃至於一人と申す文あり
次に、法華経に入って、方便品第二には「若し小乗を以って、乃至一人をも化せば、我則ち慳貪に堕せん、此の事は為めて不可なり」という文があり、この場合の「小法」について、天台大師や妙楽大師は阿含経を小乗というだけでなく、華厳経の別経や方等部・般若部の通教や別教などの大乗経も「小乗」であると定めている、と仰せになっている。
天台大師は先に挙げた法華文句で、師の南岳大師以来、二乗のための法のみを小乗というのではなく、最初に説かれた華厳経から法華経の迹門に至るまでの、始成正覚を説く教法を「小乗」とすると定めている。
また、妙楽大師は法華文句記巻九下で「小法を楽うとは、久近を以って相聖を小と為す。仏、本地の仏眼を以って之を見るに、まだ遠説に宣しからず、近説を楽うを以って楽小と為すのみ…始め弊欲より終わり別教に至るを通じて楽小と名づく」と述べ、華厳経の別教以下を「小乗」と定めていることをいわれたものであろう。
また、法華玄義巻一には「若し小を会して大に帰するは漸頓泯合す」とあり、それを智証大師は「始めの華厳経から終わりの般若経までの化儀の四教と化法の四教を合わせた爾前の諸経を『漸頓』すなわち仏の方便の説で真の得益はないと釈し『泯合』すなわち差別をなくして合するとは八教を開会して一代円教である法華経に合することである」と釈している、と仰せである。これは、授決集巻上の意をとられたもので、爾前権教を「小乗」とし、法華経を「大乗」として、方便の諸経が円教である法華経の体内に帰入することを「会小帰大」という、との意である。これは、五重の相対の権実相対にあたる。
法華経の寿量品第十六には「諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に、我少くして出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く」との文がある。これも、前の法華文句巻九下に「近説を楽う者を小と為すのみ」とあり、その意をとられて「天台大師はこの経文に小法というのは、小乗経でもまた諸大乗経でもなく、久遠実成を説かない華厳経から方等・般若部の経、更には法華経の迹門の円教までが『小乗』の法とした」と仰せられている。
また、法華文句巻九下に「法身の如来を毘盧遮那と名づく、此には遍一切処と翻ず。報身の如来を盧遮那と名づく。此に浄満と翻ず。応身の如来を釈迦文と名づく。此の度沃焦と翻ず」とあり、「是の三如来は若し単に取らば則ち不可なり」とも、「今正しく本地三仏の功徳を詮量す。故に如来寿量品という」とある。つまり、報身・法身・応身の三身を一身に具えた仏を寿量品の本仏とするのであり、それに比べて華厳経や大日経などの報身如来は、三身を具えていない「小仏」となるのである。
こうした意味で、経でいうなら涅槃経・大日経などの一切の大小・権実・顕密の諸経はみな「小乗経」であり、それらの経に依る宗派は、俱舎・成美・律の宗派を小乗というだけでなく、華厳・法相・三論・真言などの権大乗の宗派も「小乗宗」となり、ただ天台法華宗だけが真実の「大乗宗」となるのである、と仰せになっている。
0520:14~0521:10 第二章 法華経と諸経の教義を比較top
| 14 彼彼の大乗宗の所依の経経には絶えて 二乗作仏・久遠実成の最大の法をとかせ給は 15 ず、 譬えば一尺二尺の石を持つ者をば大力といはず 一丈二丈の石を持つを大力と云うが如し、華厳経の法界円融 0521 01 四十一位 ・般若経の混同無二 ・十八空乾慧地等の十地 ・瓔珞経の五十二位仁王経の五十一位薬師経の十二の大 02 願雙観経の四十八願大日経の真言印契等 此等は小乗経に対すれば大法秘法なり、 法華経の二乗作仏久遠実成に対 03 すれば小乗の法なり、 一尺二尺を一丈二丈に対するが如し、 又二乗作仏・久遠実成は法華経の肝用にして諸経に 04 対すれば奇たりと云へども 法華経の中にてはいまだ奇妙ならず 一念三千と申す法門こそ奇が中の奇妙が中の妙に 05 て華厳大日経等に分絶たるのみならず、 八宗の祖師の中にも真言等の七宗の人師名をだにもしらず 天竺の大論師 06 竜樹菩薩・天親菩薩は内には珠を含み外には書きあらはし給はざりし法門なり、 雨衆が三徳・米斉が六句の先仏の 07 教を盗みとれる様に 華厳宗の澄観・真言宗の善無畏等は 天台大師の一念三千の法門を盗み取つて我が所依の経の 08 心仏及衆生の文の心とし 心実相と申す文の神とせるなり、 かくのごとく盗み取つて 我が宗の規模となせるが又 09 還つて天台宗を下し華厳宗・真言宗には劣れる法なりと申す、 此等の人師は世間の盗人にはあらねども 仏法の盗 10 人なるべし、此等をよくよく尋ね明むべし。 -----― 天台以外の諸大乗宗の所依の経々には、どこをさがしても二乗作仏と久遠実成という最大の法は説かれていない。たとえば一尺二尺の石を持つ者を大力とはいわず、一丈二丈の石を持つ者を大力というようなものである。 華厳経の法界円融の理や四十一位、般若経の混同無二の理や十八空の理、乾慧地等の十地の位や、瓔珞経の五十二位、仁王経の五十一位の修行、薬師経の薬師如来の十二の大願、雙観経の阿弥陀如来の四十八願、大日経の真言印契等、これらは小乗経に対すれば大法秘法であるが、法華経の二乗作仏、久遠実成の大法に対すれば小乗の法であり、一尺二尺を一丈二丈に対するようなものである。 また二乗作仏・久遠実成は法華経の肝要にして、諸経に対しては不可思議深妙な法門であるが、法華経のなかにおいては末だ奇妙深遠な法門ではない。一念三千という法門こそが奇中の奇、妙中の妙なる法門であって、華厳経や大日経等にはその一分さえなく、八宗の祖師のなかでも、真言等の七宗の人師はその名前さえ知らず、インドの大論師である竜樹菩薩・天親菩薩は、胸の内には珠を含んでおられたが、外には書きあらわされなかった法門である。 劫比羅仙人の弟子の筏里沙が、同類を集めて雨衆と名づけて数論派を立て、先仏の説かれた貧・瞋・癡の三毒の教をを盗み取り、金七十論を造り、二十五諦を説いて、自性に勇・塵・闇の三徳を唱え、かの勝論外道の米斉仙人が同じように仏説を盗み取り、実句・徳句・業句・同句・和合句の六句論を造ったように、華厳宗の澄観や真言宗の善無畏等は、天台大師の一念三千の法門を盗み取り、我が所依の華厳経の「心仏及衆生」の文の心とし、大日経の「心実相」の文の神としたのである。 このように他の法門を盗み取って自分の宗の骨格としながら、かえって天台宗を下して、華厳宗や真言宗に劣った法であるといっているのである。 これらの人師は世間の盗人ではないが、仏法上の盗人である。これらをよく問いただし、明らかにすべきである。 |
二乗作仏
法華経迹門において二乗(声聞・縁覚)の成仏が釈尊から保証されたこと。法華経以外の大乗経では、二乗は自身が覚りを得ることに専念することから利他行に欠けるとして、成仏の因である仏種が断じられて成仏することはないとされていた。このことを日蓮大聖人は「開目抄」(191㌻以下)で、華厳経・維摩経などの爾前経を引かれ、詳しく論じられている。それに対し法華経迹門では、二乗にも本来、仏知見(仏の智慧の境涯)がそなわっていて、本来、成仏を目指す菩薩であり、未来に菩薩道を成就して成仏することを具体的な時代や国土や如来としての名などを挙げて保証された。さらに法華経迹門では、この二乗作仏、また提婆達多品第12で説かれる女人成仏・悪人成仏によって、あらゆる衆生の成仏が保証され、十界互具・一念三千の法門が理の上で完成した。
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華厳経の法界円融四十一位
華厳経で説く、一切万有が互いに縁となり、作用しあってあらわれるという法界無尽縁起、また「心如工画師」「心仏及衆生是三無差別」等の文を挙げて説かれる。万法は自己の一心に由来する唯心法界の理などをさして法界円融と述べられている。四十一位は華厳経で菩薩の修行位を十住・十行・十回向・十地・仏地の段階に分けたもの。
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混同無二
あらゆる事象は縁起によって存在しているのであって、事象そのものには不変的・固定的な実体はなく、互いに関係して分かちがたいこと。
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十八空
①台大師が法華文句巻9のなかで、安楽行品の一切法空の文より18の空と区分したもの。すなわち「一切の法を観ずるに、空なり、(1)如実相なり。(2)顛倒せず、(3)動せず、(4)退せず、(5)転せず、(6)虚空の如くにして(7)所有の性無し。(8)一切の語言の道断え、(9)生ぜず、(10)出せず、(11)起せず、(12)名無く、(13)相無く、(14)実に所有なし、(15)無量、(16)無辺、(17)無碍、(18)無障なり」である。②大智度論にあ18空(1)空(2)外空(3)内外空(4)空空(5)大空(6)第一義空(7)有為空(8)無為空(9)畢竟空(10)無始空(11)散空(12)性空(13)自相空(14)一切法空(15)不可得空(16)無法空(17)有法空(18)無法有法空。
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乾慧地等の十地
十地は仏道修行者の修行段階・境地を10種に分けたもの。地とは能生・所依の義で、その位に住してその位の法を持つことによって果を生成するものをいう。教の浅深によって、説かれる十地の内容も異なる。主なものは❶三乗共の十地❷大乗菩薩の十地などである。他に仏の十地、声聞の十地、縁覚の十地がある。❶三乗共の十地。①乾慧地②性地③八人地④見地⑤薄地⑥離欲地(⑦已弁地⑧辟支仏地⑨菩薩地⑩仏地。通教の仏地とももいう。❷大乗菩薩の十地。菩薩の修行段階で、五十二位の第41から第50の位。①歓喜地②離垢地③明地④焔地⑤難勝地⑥現前地⑦遠行地⑧不動地⑨善慧地⑩法雲地をいう。このうち❶①乾慧地は法性の理水も潤し得ない乾燥した有漏の智慧で、智慧はあるが法性の空理を証得していない位。声聞の三賢位〈外凡〉、菩薩の順忍以前にあたる。
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瓔珞経の五十二位
菩薩瓔珞本業経に説かれる大乗菩薩の五十二位。十信 (信心、念心、精進心、定心、慧心、戒心、廻向心、護法心、捨心、願心) 十住 (発心住、治地住、修行住、生貴住、方便具足住、正心住、不退住、童真住、法王子住、潅頂住) 十行 (歓喜行、饒益行、無違逆行、無屈雪撓行、無礙乱行、常善現行、無着行、難得行、善法行、真実行) 十回向 (救護衆生廻向、不壊一切廻向、等一切仏廻向、至一切処廻向、無尽功徳廻向、随順平等善根廻向、随順等観衆生廻向、真如相廻向、無縛無著廻向、法界無尽廻向) 十地 (歓喜地、離垢地、発光地焔慧地、極難勝地、現前地、遠行地、不動地、善慧地、法雲地) 等覚、 妙覚。
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仁王経の五十一位
仁王経で説く菩薩の修行の階位。十善・十信・十止・十堅心・十地・仏地。
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薬師経の十二の大願
薬師如来がかつて浄瑠璃世界で菩薩道を修行していた時に立てた12の誓願。①光明普照②随意成弁③施無尽仏④安立大乗⑤具戒清浄⑥諸根具足⑦除病安楽⑧転女得仏⑨安立正見⑩苦悩解脱⑪飲食安楽⑫美衣満足。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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四十八願
無量寿経に説かれる、法蔵比丘が立てた48の誓願のこと。法蔵比丘はこの四十八願を立てて、それらすべてを成就して阿弥陀仏になったと説かれている。四十八願のなかで日本の浄土宗が特に重視するのが18番目の誓願であり、「もし私(法蔵比丘)が成仏した場合、十方の衆生が心から私の国土に生まれたいと願い、最低10回でもそのことを念じたとして、もし生まれることがないなら、私は覚りを得ることはない。ただし、五逆罪を犯した者や正しい教えを誹謗した者は除く」という内容である。法蔵比丘が現に阿弥陀仏となった以上、この誓願は実現しており、それ故、10回念じるだけで、阿弥陀仏の国土である極楽世界に生まれることができるということになる。法然(源空)は善導の解釈を踏まえて、10回は概数なので1回でもよく、「念じる」というのは南無阿弥陀仏ととなえることであると主張した。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
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真言
①仏の真実のことば。実語とも。②仏・菩薩などの智慧や力を象徴する一種の呪文。密教では、印と真言によって、仏・菩薩などの力が行者に備わり、祈禱が成就すると説く。
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印契
印のこと。
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一念三千と申す法門
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
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人師
論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師智顗、妙楽大師湛然などをさす。
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天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
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論師
「論」を著して仏法を宣揚する人。例えば、正法時代の竜樹(ナーガールジュナ)、世親(天親、ヴァスバンドゥ)など。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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天親菩薩
4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワール)出身の論師。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。新訳で「世親」、旧訳で「天親」という。初めは小乗を学び『俱舎論』などを著したが、兄の無著(アサンガ)によって大乗に帰依し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させたほか、『法華論』などを著し、大乗を宣揚した。多くの論書をつくり「千部の論師」とたたえられる。主著に『唯識三十論頌』など。
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雨衆が三徳
インドの教論外道の一派で雨際外道ともいう。三徳は彼等が立てた法義の肝要である。昔、インドで劫比羅仙人の弟子筏里沙が、同類を集めて雨衆経論派を立て、仏の説いた貧・瞋・癡の三毒を取り盗み、自性には勇健・塵坌・闇鈍の三徳を具しているとし、これが生死の因であると立てた。
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米斉が六句
勝論外道の祖である米斉が、仏説を盗み取って唱えた六句義のこと。一切のものを実句義・徳句義・業句義・同句義・異句義・和合句義に分析し句義、それぞれ実在しながら離合集散することによって。すべての事物・事象が生ずるとしたもの。
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澄観
738年~839年。中国・唐の僧で、華厳宗の第4祖に位置づけられる。五台山清涼寺に住んだことから、清涼国師と呼ばれた。実叉難陀が訳した80巻の華厳経を研究し、『華厳経疏』『華厳経随疏演義抄』などを著した。
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善無畏
637年~735年。東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。
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心仏及衆生
「心と仏と衆生の三つには区別がない」との意。華厳経(六十華厳)巻10の文。心も仏も衆生も、五蘊(色・受・想・行・識。心身を構成する五つの要素)によって世界を作り出している点で相違はないという趣旨。
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心実相と申す文
大日経巻1に「如何が菩提なる、如実に自心を知るを謂う」とある。心をもって実相としている。真言宗の善無畏にそそのかされて、天台宗の一行が大日経疏を著し、心実相とは心を真実常住の本体とすることで、法華経の諸法実相と同一のものとし、大日経にも一念三千の法門が説かれてあるとした。しかし大日経には二乗作仏・十界互具・百界千如が明かされておらず、一念三千を説く帆法華経の諸法実相と同等とする根拠はない。
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ここでは、華厳・法相・三論・真言等の諸宗の依経と法華経の教義を比較して、諸宗・諸経を小乗というべき理由を詳しく明かされている。
権大乗の各宗の依経には、二乗作仏と久遠実成という最大の法門は説かれていない。二乗は永不成仏とされ、釈尊については始成正覚の立場をとっている。したがって、二乗作仏・久遠実成が説かれている法華経と対比すれば「小乗」なのである。そのことを、大石を持ち上げる者を大力というようなものであるとされて、最大の法を説いているから「大乗」というのである、と仰せられている。
華厳経では「法界円融四十一位」の法門が説かれている。法界円融とは、一切の事物や事象が互いに障害となることなく調和していることをいう。これを十玄六相の法理で説き、証得する菩薩の位を十住・十行・十回向・十地の四十位と、そのうえの仏とで四十一位を立てている。
般若経では「混同無二・十八空乾慧地等の十地」の法門が説かれている。混同無二とは般若経で空をさしていった語で、一切諸法が空の存在であり、本来は無二・無差別であることをいう。そして、般若経では空に十八種あると説き、一切が空であると修行する位の、乾慧地を第一とする十地としている。
瓔珞経では菩薩の修行を説いて、その位を十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚の五十二位と説いている。
仁王経では、同じく菩薩の位を説いている。十善・十信・十止・十堅・十地・仏地の五十一位としている。これを別教の五十二位に配すると、十善は十信・十信は十住・十止は十行・十堅は十回向・十地は十地と等覚、仏地が妙覚となる。
薬師経では、薬師瑠璃光如来が菩薩道を修行していたときに、もろもろの衆生を救うためにすべての衆生を正法に導いて大乗教のなかに安住させるなどの12の誓願を立てたことが説かれている。
双観経では、阿弥陀仏が法蔵比丘として菩薩の修行をしていたとき、自分の国を仏国土に荘厳しようと願い、阿弥陀仏の名を念ずる衆生をことごとく浄土に迎え入れる等、48の誓願を立てたと説かれている。
大日経では、手に印を結び、口に真言を唱え、意に本尊を念ずることによって、衆生の三密が仏の三密に加持されて即身成仏すると説いている。
こうした、諸大乗経の教説は、小乗経の所説である十二因縁や四諦の法門と比べれば、はるかに勝れた大法であり、秘法といえる。しかし、法華経の所説である二乗作仏と久遠実成に対すればいずれも二乗不作仏・始成正覚の域を出ないので小乗の法となるのである。そして。「一尺二尺を一丈二丈に対するが如し」と仰せのように、その教えの差は大きいことを知らねばならない。
又二乗作仏・久遠実成は法華経の肝用にして諸経に対すれば奇たりと云へども法華経の中にてはいまだ奇妙ならず
ところが、法華経よりはるかに劣る経を依経とする華厳宗と真言宗が、法華経の極理である一念三千の法門を自宗に盗み入れかえって法華経を下しているのである。
「前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに其の相違多しといえども先ず世間の学者もゆるし我が身にも・さもやと・うちをぼうる事は二乗作仏・久遠実成なるべし」(0190-18) 「此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり」(019-10)「此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり」(0197-12)と仰せになっているように、法華経迹門では初めて一念三千・二乗作仏が説かれ、本門で久遠実成が明かされたのである。
ところで、本抄では二乗作仏・久遠実成と、一念三千を区別されて「二乗作仏・久遠実成は法華経の肝用にして諸経に対すれば奇たりと云へども法華経の中にてはいまだ奇妙ならず一念三千と申す法門こそ奇が中の奇妙が中の妙にて」と仰せである。
一念三千の法門は、天台大師が法華経迹門に説かれる十如是・十界互具の文と、本門に説かれる三世間等の義によって、摩訶止観で体系化したもので、法華経の内容から導かれた道理なのである。したがって、二乗作仏・久遠実成のほかに一念三千の法門があるわけではない。
二乗作仏と一念三千の関係について、日寛上人は、三重秘伝抄で「一念三千は所詮にして、二乗作仏には能詮なり…若し二乗作仏を明かさざる則は菩薩・凡夫も仏に作らず…若し二乗作仏を明かす則は永不成仏の二乗、尚成仏す、何に況や菩薩凡夫をや、故に九界即仏界にして十界互具、一念三千の義炳然なり」と述べられている。
また、本門の如来寿量品第十六で五百塵点劫という釈尊の本地が説かれ、「娑婆世界説法教化」と釈尊の本国土が明かされたことにより、真の一念三千が成立したことは、観心本尊抄に「其の教主を論ずれば始成正覚の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、過去の結縁を尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり、又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し 寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ」(0248-13)との仰せに明らかである。本尊抄の御文の最初の「其の教主」は迹門の教主であり、後は本門の教主である。
それにもかかわらず、二乗作仏・久遠実成よりも一念三千のほうが奇であり、妙であると仰せになっているのは、一念三千の法門が法華経で説かれた教相そのままではなく、それを更に深めて体系化したものだからであろう。
この一念三千の法門は、華厳経や大日経などにはその一分も説かれていず、したがって天台宗以外の諸宗の祖師達は知るよしもなかったのである。
また、インドの大乗の大論師たる竜樹や天親も、天台大師が摩訶止観巻五で「天親・竜樹・内鑒たり、外は時の宣しきに適い」と述べられたように、内心では一念三千の法理を知っていたが、外に向けては説かず、その時代の機根に合った権大乗教を弘通したのである。そのことを「内には珠を含み外には書きあらはし給はざりし法門なり」と仰せられている。
ところが、中国華厳宗の第四祖・澄観は、法華経をはじめ諸経を研究し、妙楽大師から摩訶止観を学んだ後に華厳経を講じて、「心は工なる画師の如く、種種の五陰を画き、一切世界の中に、法として造らざる無し…心と仏と及び衆生とは、是の三差別無し」の文の心は一念三千をある、と主張したのである。
また、中国真言宗の祖・善無畏は、大日経巻一に、「云何が菩薩なる、如実に自心を知るを謂う」とあり、心をもって実相としているが、大日経の心実相を法華経の諸法実相と同じ理であるとして、大日経にも一念三千の法門が説かれていると主張した。しかし、二乗作仏を説いていない大日経が、二乗作仏を明かして十界互具・百界千如・一念三千の法華経の諸法実相と同等の理とする根拠はない。
所詮、華厳・真言の祖師達が一念三千の法門を盗み入れたのは、雨衆と呼ばれたインド外道の一派、教論派が仏説を借用して三徳とか二十五諦説を立て、勝論派の祖・米斉が仏法を盗んで六句義を立てた例と同じである、と破されている。しかも、一念三千の法理を盗んだだけでなく、かえって天台宗を下して、華厳宗・真言宗に劣っている、と誹謗したのであるから、これはちょうど、他人の宝を盗んでおきながら、自分の方が豊かだと誇って、宝の持ち主を悪口するようなものである。そのため大聖人は、澄観や善無畏を、世間の盗人ではないか「仏法の盗人なるべし」と断じられている。
このことについては、開目抄にも「法華経の種に依つて天親菩薩は種子無上を立てたり天台の一念三千これなり、華厳経・乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子・皆一念三千なり天台智者大師・一人此の法門を得給えり、華厳宗の澄観・此の義を盗んで厳経の心如工画師の文の神とす、真言・大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし、善無畏三蔵・震旦に来つて後・天台の止観を見て智発し大日経の心実相・我一切本初の文の神に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として其の上に印と真言とをかざり法華経と大日経との勝劣を判ずる時・理同事勝の釈をつくれり、両界の漫荼羅の二乗作仏・十界互具は一定・大日経にありや第一の誑惑なり、故に伝教大師云く『新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す』等云云」(0215-16)と述べられている。
0521:11~0522:14 第三章 二乗作仏の意義を明かすtop
| 11 又世間の天台宗の学者並びに諸宗の人人の云く 法華経は但二乗作仏・久遠実成計りなり等云云、今反詰して云 12 く汝等が承伏に付いて 但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎつて 諸経になくば此れなりとも 豈奇が中の奇に 13 あらずや、二乗作仏・諸経になくば 仏の御弟子・頭陀第一の迦葉・智慧第一の舎利弗・神通第一の目連等の十大弟 14 子・千二百の羅漢・万二千の声聞・無数億の二乗界・過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつ 15 らずば永く色心倶に滅して 永不成仏の者となるべし豈大なる失にあらずや、 又二乗界・仏にならずば 迦葉等を 16 供養せし梵天・帝釈.四衆・八部・比丘・比丘尼等の二界.八番の衆はいかんがあるべき、又久遠実成が此の経に限ら 17 ずんば三世の諸仏・無常遷滅の法に堕しなん、 譬えば天に諸星ありとも日月ましまさずんば・いかんがせん地に草 18 木ありとも大地なくばいかんがせん、 是は汝が承伏に付いての義なり 実をもつて勘へ申さば 二乗作仏なきなら 0522 01 ば九界の衆生・仏になるべからず、 法華経の心は法爾のことはりとして一切衆生に十界を具足せり、譬えば人・一 02 人は必ず四大を以てつくれり一大かけなば人にあらじ、 一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・一微 03 塵にいたるまで皆十界を具足せり、 二乗界・仏にならずば余界の中の二乗界も仏になるべからず 又余界の中の二 04 乗界・仏にならずば余界の八界・仏になるべからず、 譬えば父母ともに持ちたる者・兄弟九人あらんか二人は凡下 05 の者と定められば 余の七人も必ず凡下の者となるべし、 仏と経とは父母の如し九界の衆生は実子なり声聞・縁覚 06 の二人・永不成仏の者となるならば菩薩・六凡の七人あに得道をゆるさるべきや、 今此の三界は皆是我が有なり其 07 の中の衆生は悉く是吾子なり 乃至唯我一人のみ能く救護を為すの文をもつて知るべし、 又菩薩と申すは必ず四弘 08 誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば 第四の無上菩提誓願証の願も 成就すべからず、 前四味の諸 09 経にては菩薩・凡夫は仏になるべし 二乗は永く仏になるべからず等云云、 而るをかしこげなる菩薩もはかなげな 10 る六凡も共に思へり 我等仏になるべし二乗は仏にならざれば・かしこくして彼の道には入ざりけると思ふ、 二乗 11 はなげきをいたき 此の道には入るまじかりし者をと 恐れかなしみしが・今法華経にして二乗を仏になし給へる時 12 二乗・仏になるのみならず・かの九界の成仏をも・ときあらはし給へり、諸の菩薩・此の法門を聞いて思はく我等が 13 思ひは・はかなかりけり爾前の経経にして 二乗仏にならずば我等もなるまじかりける者なり、 二乗を永不成仏と 14 説き給ふは二乗一人計りなげくべきにあらざりけり我等も同じなげきにてありけりと心うるなり。 -----― また世間の天台宗の学者や諸宗の人々は「法華経はただ二乗作仏・久遠実成が説かれているだけである」等といっている。今、それに反詰していうが、それなら二乗作仏と久遠実成は法華経に限られていて諸経にはないということを汝らが承伏したということになるが、それならば、これだけでも奇のなかの奇ではないか。 二乗作仏が諸経に説いていないとすれば、釈尊の御弟子で頭陀第一の迦葉、智慧第一の舎利弗、神通第一の目連等の十大弟子、千二百の羅漢、一万二千の声聞、無数の二乗界の人々は、過去遠遠劫から未来無数劫に至るまで、法華経に値いたてまつらなかったならば、永く色心ともに滅して、永不成仏の者となってしまう。これは大いなる失ではないか。 また、二乗が成仏しないならば、迦葉等を供養した梵天・帝釈・四衆・八部・比丘・比丘尼等の二界八番の衆はどうなることであろうか。 また久遠実成が法華経において初めて説かれたが、それがなかったとするならば、三世の諸仏はみな無常としてはかない法に陥ってしまうであろう。たとえば、天に無数の星があっても日月がなければどうであろう。地に草木があっても大地がなければどうであろう。これらは汝が承伏した内容を前提としての義である。 実義ををつていえば、二乗作仏が説かれなければ九界の衆生も仏になることができない。 法華経の心は、自然の道理として一切衆生に必ず十界を具足しているということである。たとえば人は必ず四大をもって造られ、一大も欠ければ人ではない。一切衆生だけではなく十界の依報・正報の二法も、非情の草木や一微塵に至るまで、みな十界を具足している二乗界も成仏できないということになり、余界に具足している二乗界が成仏できないならば、余界の八界は成仏できないということになる。たとえば父母を同じにもつ兄弟が九人があって、そのなかの二人は凡下の身分の者と定められれば、残りの七人もまた、必ず凡下の者と定められたようなものである。仏と経とは父母のようなものであり、九界の衆生は実子である。声聞・縁覚の二人が永不成仏者となるならば、菩薩や六凡の七人も得道を許されるはずがない。法華経第三譬喩品に「今この三界は皆、我が有である。そのなかの衆生は、ことごとく我が子である(乃至)ただ我一人のみがよく救い護ることができる」と説かれている文をもってこのことを知るべきである。 また菩薩というのは必ず四弘誓願を起こす。その第一の無辺の衆生を度脱させようという誓願が成就しなかったならば、第四の無上菩提を証得しようという誓願も成就することはできないのである。法華経以前の前四味の諸経では菩薩、凡夫は仏になれるが二乗は仏になれないので、その二乗の道に入らなかったことこそ賢明であったと思い、二乗は嘆いて、この道に入るのではなかったと恐れ悲しんでいたのである。ところが今、法華経にきて二乗の成仏が明かれたとき、ただ二乗が仏になるばかりでなく、他の九界の成仏も説きあらわされたのである。もろもろの菩薩はこの法門を聞いて「我らのこれまでの思いは間違っていた。爾前の経々で二乗が仏になれないならば、我らもまた仏になれなかったのである。二乗を永不成仏と説かれたことは、二乗一人のみが嘆くべきことではなく、我らも同じ嘆きであったのだ」と了解したのである。 |
頭陀
梵語(dhūta)。淘汰・修治と訳す。身心を修治し、貪欲等を払いのける修行をいう。
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迦葉
①サンスクリットのカーシャパの音写。摩訶迦葉のこと。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、頭陀(欲望を制する修行)第一といわれた。釈尊の教団を支え、釈尊滅後の教団の中心となった。釈尊の言行を経典として集成したとされる。法華経授記品第6で、未来に光明如来に成ると保証された。【鶏足山の入定】摩訶迦葉は釈尊が亡くなった後、正統な後継者となって教えを広めて、阿難にその任を譲った。それ以来、鶏足山で禅定に入って、弥勒菩薩が56億7000万年後にこの娑婆世界に仏として出現するのを待っているとされた。【禅宗における伝承】大梵天王問仏決疑経(疑経)では、釈尊が霊鷲山で一房の花を手にとって人々に示した際、その意味を誰も理解できないなかで迦葉一人が理解してほほ笑んだとされる(これを拈華微笑という)。この話が、釈尊が迦葉に法を伝えたという伝説として、宋以後の禅宗で重用され、教外別伝・不立文字の基盤とされた。②サンスクリットのカーシャパの音写。迦葉童子菩薩のこと。涅槃経巻33の迦葉菩薩品第12の対告衆。同経では、仏はどのようにして長寿を得て金剛不壊の身になったのか、36の問いを立てて釈尊に尋ねている。爾前経の会座にも連ならず法華経の会座にも漏れ、最後に説かれる涅槃経によって利益を受けるので、捃拾(落ち穂拾い)の機根の者とされる。❸優楼頻螺迦葉(ウルヴィルヴァーカーシャパ)、那提迦葉(ナディーカーシャパ)、伽耶迦葉(ガヤーカーシャパ)の三兄弟のこと。火を崇拝する儀式を行う外道のバラモンだったが、成道間もない釈尊の説法を聞いて弟子となった。3人合わせて1000人の弟子を率いており、その弟子たちもともに釈尊に帰依したという。
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舎利弗
サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。【釈尊への帰依】釈尊の弟子となる前、舎利弗は目連(マウドゥガリヤーヤナ)とともに外道のサンジャヤに師事していたが、釈尊の弟子アッサジに出会い、そこで聞いた釈尊の教えに感銘を受け、釈尊に帰依した。その際、サンジャヤの弟子250人も、ともに釈尊に帰依したと伝えられる。【乞眼のバラモンと舎利弗】乞眼の婆羅門【釈尊からの𠮟責】『止観輔行伝弘決』巻2には『十誦律』をふまえて、次のような話が記されている。ある在家の有力信徒から釈尊の弟子たちが食事の供養を受けた時、舎利弗ら長老などがおいしいものをたっぷり食べ、初心者たちは不十分な食事しかできなかった。これを羅睺羅(ラーフラ)から聞いた釈尊は、舎利弗に対して不浄な食事をしたと叱責した。舎利弗は食べた物を吐き出し、今後二度と食事の供養を受けないと誓った。日蓮大聖人は「開目抄」(205㌻)で、この話を、法華経が説かれる以前には二乗が不成仏として糾弾されてきたことの傍証とされている
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神通
超人的な能力・はたらきをいい、仏・菩薩の有する不可思議な力用をさす。
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目連
サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された(法華経269㌻)。【竹杖外道に殺される】『毘奈耶雑事』巻18によると、目連は舎利弗とともに王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。【盂蘭盆経の目連】盂蘭盆経によると、目連は亡き母・青提女が物惜しみの罪で餓鬼道に苦しんでいるのを神通力によって知り、母を助けようとするが力及ばず、仏の教えに従って供養したことで、ようやく救うことができたという。これが盂蘭盆会の起源の一つとされる。
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十大弟子
釈尊の主要な声聞の弟子である10人。経典によって誰が入るか違いがある。維摩経などの大乗経典では、声聞の弟子として小乗の教えにとらわれている弟子として描かれ、糾弾される。法華経では、順に未来成仏の記別を与えられ、二乗作仏が説かれる。①舎利弗(シャーリプトラ)。マガダ国王舎城(ラージャグリハ)の北に生まれ、初めは六師外道のうちのサンジャヤの弟子であったが、目連とともに釈尊の弟子となり、サンジャヤの弟子250人とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称された。法華経方便品第2の諸法実相の文によって三乗即一乗の理を理解し、譬喩品第3で華光如来の記別を受けた。②摩訶迦葉(マハーカーシャパ)。迦葉尊者、大迦葉ともいう。マガダ国王舎城にいた尼俱盧陀長者の子。苦行のすえに釈尊の弟子となり、乞食行に励んだので頭陀(欲望制御の修行)第一と称された。釈尊が入滅した後、阿闍世王の外護を受けて第1回仏典結集を行ったとされる。また付法蔵の第1として小乗経の弘通に努め、法を阿難に付嘱したと位置づけられる。法華経授記品第6で光明如来の授記を受けている。中根の四大声聞の一人。③阿難陀(アーナンダ)。阿難ともいう。歓喜などと訳す。斛飯王の子ともされるが異説もある。釈尊の従弟にあたる。釈尊の給仕をして常に説法を聞き、多聞第一といわれる。また付法蔵の第2として小乗経の弘通に努めたとされる。法華経授学無学人記品第9で、山海慧自在通王如来の記別を受けている。④須菩提(スブーティ)。舎衛城(シュラーヴァスティー)のバラモン、鳩留長者の子。釈尊の弟子となって、空の法門をよく理解したので解空第一といわれた。法華経授記品第6で名相如来の記別を受けた。中根の四大声聞の一人。⑤富楼那(プールナ)。富楼那弥多羅尼子ともいう。バラモンの子として生まれた。初めは解脱を求めて山に入り苦行を積んだが、釈尊の成道を聞いて弟子となった。説法第一と称せられ、証果から涅槃に至るまで9万9000人を救済したという。法華経五百弟子受記品第8で法明如来の記別を受けた。⑥目連。摩訶目犍連(マハーマウドゥガリヤーヤナ)の略。大目犍連、目犍連とも略す。マガダ国に生まれ、初めは舎利弗と同じに六師外道のサンジャヤの弟子であったが、舎利弗が釈尊のもとで解脱を得たことを聞いて、後に仏門に入った。神通第一といわれた。法華経授記品第6で多摩羅跋栴檀香如来の記別を受けた。中根の四大声聞の一人。⑦迦旃延(カーティヤーヤナ)。外道をよく論破したため、論議第一と称された。法華経授記品第6で閻浮那提金光如来の記別を受けた。中根の四大声聞の一人。⑧阿那律(アニルッダ)。阿〓(少に兔)楼駄などとも音写する。迦毘羅衛城(カピラヴァストゥ)の斛飯王の子。釈尊の従弟にあたる。釈尊の前で居眠りしたことを責められて不眠の誓いを立てた。そのため後に盲目となったが、禅定の修行を深く実践して天眼を得た。法華経五百弟子受記品第8で普明如来の記別を受けた。⑨優波離(ウパーリ)。優婆利などとも書く。シュードラ(古代インドの身分制度、四姓の最下層。隷属民)の出身。持律第一といわれ、第1回仏典結集の時、律を誦したとされる。⑩羅睺羅(ラーフラ)。釈尊の子。15歳の時に出家して舎利弗について阿羅漢果を得た。よく戒を守り修行を積み、密行第一と称された。法華経授学無学人記品第9で蹈七宝華如来の記別を受けた。
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千二百の羅漢
羅漢は阿羅漢のこと。方便品で釈尊から成仏の記別を受けた1200人の阿羅漢のこと。
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万二千の声聞
法華経序品第1には「一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と倶なりき。皆是れ阿羅漢なり」とある。
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無数億の二乗界
法華経如来寿量品第16偈の冒頭には「我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ、爾しより来無量劫なり」とある。
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二乗界
六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
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色心
色法と心法のこと。すべての存在を五種に分類した五位のふたつ。「色法」は一切の物質的存在のこと。一定の空間を占有し、自他互いに障害しあう性質と変化し壊れる性質を持つとされる。「心法」は心の働き・精神、及び一切法に内在する性質をいう。
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永不成仏
永久に成仏できないこと。爾前の諸教では、二乗は身心を滅尽して完全な空無に帰することを目的として修行するため、自己に本来具わる仏性をも滅尽することになり、焦種・敗種に譬えられて永久に成仏できないと仏から弾呵された。
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供養
サンスクリットのプージャーの訳語。もともとの意味は、尊敬の気持ちで種々の行いをすること。神々や先祖の霊、また尊敬すべき人や対象に対して、食物や灯明や香や花などを供え捧げて、崇め敬う心を表すこと。初期の仏教教団では、在家が飲食・衣服・臥具(房舎)・湯薬の四つを供養すること(四事供養)で教団を支えることが促された。仏の遺骨を納め祀る仏塔でも種々の供物が捧げられ、舞踊や音楽演奏などが行われた。また仏像が作られるようになってからは、仏像への供養も行われるようになった。法華経法師品第10では、法華経を受持・読・誦・解説・書写する修行とともに、法華経に対して華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢旛・衣服・伎楽の10種を供養すること(十種供養)が説かれている。また故人の冥福を祈るために、種々の仏事を行う追善供養や、そのために卒塔婆を立てて供養する塔婆供養、仏像の開眼のための仏事を行う開眼供養など、さまざまな仏事が供養と呼ばれる。日本では古来からのアニミズムの影響で長年使用した針や箸などへ感謝し鎮魂を願う供養も行われている。また、供養には種々の分類が立てられる。①二種供養。財供養と法供養をいう。財供養とは飲食や香華などの財物を供養すること。法供養とは仏を恭敬・讃歎し礼拝すること。②二種供養を色供養と心供養に分けることもある。色供養とは飲食・衣服・湯薬・住居などを奉ること。心供養とは心のうえの供養をいい、心の誠を傾けて仏道を行ずること。蘇悉地経などには、真心込めて修行する心供養は、財物の供養よりもはるかに優れると説かれている。③三種供養。『十地経論』には、衣服臥具などを捧げる利養の供養、香花幡蓋などを捧げる恭敬の供養、修行信戒行を実践する行の供養の3種を立てる。④三業供養。『法華文句』には、身業供養(礼拝)、口業供養(称賛)、意業供養(相好を想念すること)をあげる。⑤事供養と理供養。『摩訶止観』では、物を惜しみむさぼる事実を破すために財物や時には身体・命までをも捨てる行為が事供養、慳貪の心そのものを破すために理法の方面を仏道に捨てること、すなわち覚りを求める心を起こし、観心の行法に励むなどを理供養とする。日蓮大聖人は、“事供養として身体・命を捨てるのは過去の聖人が行うものである。末法の凡夫は理供養を行うのであり、この理供養では、一つしかない食物を惜しまず捧げるなどの行為が命を捧げることに匹敵し、大きな功徳・善根となる”と教えられている。
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梵天
サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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帝釈
帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
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四衆
比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。
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八部
仏法を守護する8種類の諸天や鬼神。法華経譬喩品第3(法華経160㌻)などにある。天竜八部ともいう。天(神々)・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽の8種。
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比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
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比丘尼
ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。
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二界・八番の衆
法華経序品第一の説法の会座に、聴衆として列座した三衆(声聞衆・菩薩衆・雑衆)の中の雑衆のこと。二界は三界の中の欲界・色界のこと。八番とは雑衆の中の①欲界衆・②色界衆・③竜王衆・④緊那羅王衆・⑤乾闥婆(王衆・⑥阿修羅王衆・⑦迦楼羅王衆・⑧人王衆をいう。
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三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
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無常遷滅
一切万物が無常であり、たえず移りゆき、滅してしまうこと。この一面を見るのは爾前権教の立場であり、妙法の眼開けて見るならば、一切は本有常住となるのである。
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九界の衆生
九界は十界のうち、仏界を除く地獄界から菩薩界までの九つのこと。その境界に住む衆生。
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法爾
存在や実践のあり方などがおのずからそうであること。本来の姿・自然・天然。
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十界
衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。生命論では人間の生命の状態の分類に用いる。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」という。「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。六道の中では、地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」とし、この三悪道に比べれば相対的にはよいことから、修羅・人・天は「三善道」とされる。また三悪道に修羅を加えて、「四悪趣」ともいう。また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯である。小乗の教えに基づき覚りを目指す声聞・縁覚は「二乗」と呼ばれる。これに菩薩を加えて「三乗」と呼ばれる。法華経以外の経典では、十界はそれぞれ固定化された世界・境涯としてとらえられていた。しかし法華経では、その考え方を根本的に破り、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわっていることを明かし、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることを説いて、十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命にそなわる10種の境涯であることを示した。したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべてそなわっており、縁によって次にどの界の境涯をも現せることが明らかになった。このように十界の各界が互いに十界をそなえていることを十界互具という。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
―――
四大
古代インドの思想で万物を構成する4種の元素。地大・水大・火大・風大をいう。大とはサンスクリットのマハーブータの訳で、元素の意。俱舎・成実・唯識の諸論で説かれている。①地大は堅(固さ)を自性(自然にそなわる特性)とし、持(ものを保持する)を作用とする。②水大は湿を自性とし、摂(ものを摂め集める)を作用とする。③火大は煖(熱さ)を自性とし、熟(ものを成熟させる)を作用とする。④風大は動(動き)を自性とし、長(ものを生長させる)を作用とする。
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依正の二法
依報と正報のこと。この二つのは別のものであるけれども、実は分かちがたく関連していること。妙楽大師湛然は『法華玄義釈籤』で、天台大師智顗が『法華玄義』に説いた十妙を解釈するため、十不二門を立てたが、依正不二はその第6にあたる。正報とは生を営む主体である衆生をいい、依報とは衆生が生を営むための依り所となる環境・国土をいう。依報・正報の「報」とは、「報い」の意。善悪さまざまな行為(業)という因によって、苦楽を生み出す影響力が生命に果として刻まれ、それがやがてきっかけを得て現実に報いとなって現れる。過去の行為の果報を現在に受けている主体であるので、衆生を正報という。それぞれの主体が生を営む環境・国土は、それぞれの衆生がその報いを受けるためのよりどころであるので、環境・国土を依報という。環境・国土によって衆生の生命が形成され、また衆生のはたらきによって環境・国土の様相も変化し、この両者の関係は不可分である。それゆえ日蓮仏法では、仏法を信じ実践する人自身が主体者となって、智慧と慈悲の行動で依正の変化の連続を正しく方向づけ、皆が幸福で平和な社会を築くことを教えている。
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非情
草木・山河・大地のように感情を能動的に表すことができず、活動も受動的なものをいう。
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凡下
①平凡なこと、その人。②鎌倉幕府法に見られる身分階層で、侍に属さない一般庶民。
―――
声聞
サンスクリットのシュラーヴァカの訳。「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子のこと。出家教団に属して修行をする。後代には大乗との対比で、小乗の教えを実践し阿羅漢を目指す出家修行者を意味するようになった。縁覚と合わせて二乗という。
―――
縁覚
サンスクリットのプラティエーカブッダの訳。辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗という。
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菩薩
菩薩の世界。菩薩が得る部分的な覚りの境涯。菩薩はサンスクリットのボーディサットヴァの訳で、「仏の覚りを得ようと不断の努力をする衆生」の意。もとは釈尊の過去世の修行時代の姿をさし、さらに釈尊と同様に成仏の道を歩む者も菩薩といわれるようになった。仏の無上の覚りを求めていく「求道」とともに、衆生を救おうという慈悲を起こして救済の誓願を立て、自らが仏道修行の途上で得た利益を他者に対しても分かち与えていく「利他」を実践する(上求菩提・下化衆生)という、自行・化他の修行をする。一切の菩薩は初発心の時に①衆生無辺誓願度(一切衆生を覚りの彼岸に渡すことを誓う)②煩悩無量誓願断(一切の煩悩を断とうと誓う)③法門無尽誓願知(仏の教えをすべて学び知ろうと誓う)④仏道無上誓願成(仏道において無上の覚りに至ろうと誓う)の四弘誓願を起こして、菩薩としての在り方(菩薩道)および修行(菩薩行)の目的と方向を明らかにする。そして、四弘誓願に従って菩薩戒を持ち、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)などの修行を積んで仏果を体得する。別教では初発心から解脱までを五十二位などに分類して菩薩の階位を定めている。煩悩のうち見思惑を断じたが、塵沙・無明の二惑を断じていない菩薩は方便有余土に住み、別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩は、実報無障礙土に住むとされる。爾前の諸経では、このような長期間にわたる各段階の修行(歴劫修行)が必要とされたが、法華経に至って即身成仏が明かされた。「観心本尊抄」には「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(241㌻)とあり、他人を顧みることのない悪人でさえ自分の妻子を慈愛するように、人界の生命には本来、菩薩界がそなわっていて、それは他者を慈しむ心にうかがえると示されている。生命論では慈悲を生き方の根本とし、「人のため」「法のため」という使命感をもち、行動していく境涯とする。
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有
①存在②有ること③所有すること④生存。⑤十二因縁の欲有・色有・無色有。
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四弘誓願
「しぐぜいがん」とも読む。あらゆる菩薩が初めて発心した時に起こす4種の誓願。①衆生無辺誓願度(一切衆生をすべて覚りの彼岸に渡すと誓うこと)②煩悩無量誓願断(一切の煩悩を断つと誓うこと)③法門無尽誓願知(仏の教えをすべて学び知ると誓うこと)④仏道無上誓願成(仏道において無上の覚りを成就すると誓うこと)。
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衆生無辺誓願度
衆生をかぎりなく苦悩から救っていこうとの誓願。あらゆる菩薩が、仏道修行を始めるに当たって立てる4種の広大な誓願「四弘誓願」の第1。釈尊の衆生無辺誓願度は、万人成仏を明かした法華経を説くことによって成就した。
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無上菩提誓願証
仏道無上誓願成もこと。(仏道において無上の覚りを成就すると誓うこと)四弘誓願の第四。
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前四味
五味のうち、最高の味である醍醐味を除いたもの。天台教学では、四味は爾前経に当てられる。醍醐を除くゆえに前。
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法華経はただ二乗作仏と久遠実成が説かれているだけではないか、との天台宗や諸宗の考え方に対し、これらの二つの持つ意義を明かされている。
又世間の天台宗の学者並びに諸宗の人人の云く法華経は但二乗作仏・久遠実成計りなり等云云
「法華経は但二乗作仏・久遠実成計りなり」という考え方をしていたのは「諸宗の人人」だけでなく「世間の天台宗の学者」もそうであった。「世間の」とは一般という意味で「真実の」天台宗の学者ではないとの意を含めていわれたものであろう。
そうした考え方に対して、大聖人は、「但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎつて諸経になくば此れなりとも奇が中の奇にあらずや」と反論されている。すなわち、法華経には二乗作仏と久遠実成しか説かれていないではないのかというが、もしこの二つの大事が法華経にしか説かれていないことを認めるならば、それは法華経を「奇が中の奇」すなわち、諸経とは異なる、珍しく不思議な経であるということではないか、と。
そして、二乗作仏が諸経に説かれていないということは、釈尊の弟子である十大弟子をはじめとする多くの声聞・縁覚達は、それらの爾前教では成仏できないことになる。これは諸経の大きな過失であると仰せになっている。
また、二乗が成仏できないとすると、この二乗に供養した諸天や僧尼や信徒などは、なんの功徳も得られないことになるのである。この場合の供養とは、財の供養の意味ではなく、その教えに従って修行したことも含むと拝される。そうだとすると、在世の僧尼や信徒はだれも功徳を得られないことになるのである。
更に、久遠実成が法華経で説かれなければ、三世の諸仏は常住の仏ではなく今世かぎりの無常で遷り変わり滅する仏となってしまう。それはちょうど、天には多くの星はあっても日月はなく、地に草木はあっても大地がないようなものである、と仰せである。
開目抄に「此の過去常顕るる時.諸仏皆釈尊の分身なり爾前・迹門の時は諸仏・釈尊に肩を並べて各修.各行の仏なり、かるがゆへに諸仏を本尊とする者・釈尊等を下す、今華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり、仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき、今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる、仏は久遠の仏なれば迹化・他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり、一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の・国に大王の・山河に珠の・人に神のなからんが・ごとくして・あるべきを華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往・権宗の人人・且は自の依経を讃歎せんために或は云く『華厳経の教主は報身・法華経は応身』と・或は云く『法華寿量品の仏は無明の辺域・大日経の仏は明の分位』等云云、雲は月をかくし讒臣は賢人をかくす・人讃すれば黄石も玉とみへ 諛臣も賢人かとをぼゆ、今濁世の学者等・彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫ばず、又天台宗の人人もたぼらかされて金石・一同のをもひを・なせる人人もあり、仏・久成に・ましまさずば所化の少かるべき事を弁うべきなり、月は影を慳ざれども水なくば・うつるべからず、仏・衆生を化せんと・をぼせど結縁うすければ八相を現ぜず、例せば諸の声聞が初地・初住には・のぼれども爾前にして自調自度なりしかば未来の八相をごするなるべし、しかれば教主釈尊始成ならば今此の世界の梵帝・日月・四天等は劫初より此の土を領すれども四十余年の仏弟子なり、霊山・八年の法華結縁の衆今まいりの主君にをもひつかず久住の者にへだてらるるがごとし、今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光・月光・西方阿弥陀如来の観音勢至・乃至十方世界の諸仏の御弟子・大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩・猶教主釈尊の御弟子なり、諸仏・釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず何に況や此の土の劫初より・このかたの日月・衆星等・教主釈尊の御弟子にあらずや。而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎・成実・律宗は三十四心・断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子・我が父は侍と・をもうがごとし、華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるに・つけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ不知恩の者なり」(0214-01)と述べられているように、法華経の如来寿量品第十六で久遠常住の仏が明かされたことによって、三世の諸仏もその釈尊の分身であることが明らかとなり、常住の基盤が明確になったのである。したがって、法華経の寿量品が説かれ、久遠実成が明かされてこそ、一切経の魂であり、究極なのである。
実をもつて勘へ申さば 二乗作仏なきならば九界の衆生・仏になるべからず
次に、二乗作仏の意義について、更に詳しく論じられている。
法華経では、一切の衆生がもともと十界を具えていることを明かしており、更には十界の依報と正報も、非情とされる草や木も、大地を構成する塵の一つに至るまで、ことごとく十界を具えている、としている。
したがって、二乗が成仏しないのなら、二乗界を生命のうちにもともと具えている一切の衆生は、だれも成仏することができないのである。
そのことを、日寛上人は三重秘伝抄で「若し二乗作仏を明かさざる則は菩薩・凡夫も仏に作らず。是れ則ち菩薩に二乗を具うれば所具の二乗仏に作らざる則は能具の菩薩、豈、作仏せんや。故に十法界抄に云く『然るに菩薩に二乗を具うる故に二乗の沈空尽滅するは、即ち是れ菩薩の沈空尽滅なり』云云。菩薩既に爾なり、凡夫も亦然なり、故に九界も同じく作仏せざるなり。故に九界即仏界の義なき故に、一念三千も遂に顕るることを得ざるなり。若し二乗作仏を明かす則は永不成仏の二乗、尚成仏す、何に況や菩薩凡夫をや。故に九界即仏界にして十界互具、一念三千の義炳然なり」と述べられている。
大聖人は、同じ親のもとに九人の子供がいて、そのうち二人が公家でも侍でもない庶民であれば、他の七人も同じ庶民でないわけがないという当時の社会制度にたとえに挙げられ、仏と法華経は一切衆生にとっては父母にあたり、九界の衆生は実の子にあたる。したがって、そのうち声聞・縁覚の二人が永久に成仏できないとすれば、あとの菩薩や六道の凡夫の七人も成仏得道も許されるはずがない、と仰せである。
そもそも法華経の譬喩品第三に「今此の三界は、皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり、…唯我れ一人のみ、能く救護を為す」とあるように、仏は我が子である一切衆生を一人残らず救おうとされたのであり、同じ我が子でありながら声聞・縁覚だけは成仏させないなどということはありえない。したがって、二乗作仏を説かない爾前経は仏の本意ではなく、法華経のみが仏の本意を明かした真実の教えなのである。
又菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず
菩薩にとって二乗作仏の意義を示されている。
菩薩は四弘請願といって、初めて初心したときに
①衆生無辺誓願度 一切衆生をすべて悟りの彼岸に渡すと誓う
②煩悩無数誓願断 一切の煩悩を断つと誓う
③法門無数誓願知 仏の教えをすべて学び取ることを誓う
④仏道無上誓願成 仏道において無上の悟りを成ずると誓う
ことの四種の誓願を起こすとされている。
第一の衆生無辺誓願度、すなわち一切衆生を救おうとの願いが成就されなければ、第四の仏道無上誓願成、つまり自身の成仏も達成できないのである。あらゆる人々を成仏に導くからこそ、自身の成仏が叶うのであって、二乗を成仏しないといって二乗を救おうとしないことは、第一の請願が成仏しないことであり、菩薩自身も成仏できないことになるのである。
したがって爾前の諸経では、菩薩や六道の凡夫は、成仏できない二乗の道に入らなくて顕明だったと思い、二乗はこの道に入らなければよかったと嘆き悲しんだが、法華経に至って二乗の成仏が許されたとき、この法門を聞いたもろもろの菩薩は、二乗が成仏しないならば我々菩薩も成仏できなかったのであり、二乗の嘆きは実は我々の嘆きだと気づいたのである。すなわち法華経で二乗の成仏が説かれたことは、二乗だけの問題でなく、九界の衆生のすべてにとって、真実の意味で成仏が明かされたということなのである。
このことを、大聖人は、開目抄にも「諸大菩薩天人等のごときは爾前の経経にして記ベツを・うるやうなれども水中の月を取らんと・するがごとく影を体とおもうがごとく・いろかたち・のみあつて実義もなし、又仏の御恩も深くて深からず」(0207-10)「此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり、十界に皆己界の仏界を顕す妙楽云く『尚仏果を具す、余果も亦然り』等云云、仏此れを答えて云く、『衆生をして仏知見を開か令めんと欲す』」(0209-11)と述べられている。
0522:15~0523:18 第四章 久遠実成の意義を明かすtop
| 15 又寿量品の久遠実成が爾前の経経になき事を以て思ふに 爾前には久遠実成なきのみならず 仏は天下第一の大 16 妄語の人なるべし、 爾前の大乗第一たる華厳経・大日経等に 始めて正覚を成じ我昔道場に坐す等云云、 真実甚 17 深・正直捨方便の無量義経と 法華経の迹門には我先に道場にして・我始め道場に坐すと説れたり、 此等の経文は 18 寿量品の然るに我実に成仏してより已来 無量無辺なりの文より思い見ればあに大妄語にあらずや、 仏の一身すで 0523 01 に大妄語の身なり 一身に備えたる六根の諸法あに実なるべきや、 大冰の上に造れる諸舎は 春をむかへては破れ 02 ざるべしや 水中の満月は実に体ありや、 爾前の成仏往生等は水中の星月の如し 爾前の成仏往生等は 体に随ふ 03 影の如し、 本門寿量品をもつて見れば 寿量品の智慧をはなれては 諸経は跨節・当分の得道共に有名無実なり、 04 天台大師此の法門を道場にして 独り覚知し玄義十巻・文句十巻・止観十巻等 かきつけ給うに諸経に二乗作仏・久 05 遠実成絶えてなき由を書きをき給ふ、是は南北の十師が教相に迷つて三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗・一音・ 06 半満・三教四教等を立てて教の浅深勝劣に迷いし 此等の非義を破らんが為にまず 眼前たる二乗作仏・久遠実成を 07 もつて諸経の勝劣を定め給いしなり、 然りと云つて余界の得道をゆるすにはあらず、 其の後華厳宗の五教・法相 08 宗の三時・真言宗の顕密・五蔵・十住心・義釈の四句等は南三北七の十師の義よりも尚アヤマれる教相なり。 -----― また如来寿量品第十六で明かされた久遠実成が、爾前の諸経に説かれていないということをのべると、爾前経には、ただ久遠実成が明かされていないというだけでなく、仏は天下第一の大妄語の人となるということである。 爾前の諸大乗経の第一である華厳経や大日経等に「始めて正覚を成じた」とか「我は昔、道場に坐して」等とあり、また「真実甚深」といっている無量義経や「正直捨方便」といっている法華経の迹門にも「我は先に道場において」「我は始め道場に坐して」等と説かれている。これらの経文は寿量品の「しかるに我は実に成仏してからこのかた無量無辺である」の文から考えてみれば、まさしく大妄語ではないか。 仏の一身がすでに大妄語の身であるから、その一身に備えている六根から発せられた諸法も真実であるはずがない。大冰の上に造った家は、春を迎えれば壊れないはずがない。水中の満月は実体があるであろうか。爾前経で説かれた成仏往生等は水中の星や月のようなものであり、また、体にしたがう影のようなものである。本門寿量品の実義からみれば、寿量品の智慧を離れては諸経に説かれる跨節、当分の得道はともに有名無実である。 天台大師はこの法門を大蘇山の普賢道場において独りで悟り、法華玄義十巻・法華文句十巻・摩訶止観十巻等を書きつけられたとき、諸経には二乗作仏・久遠実成は全く説かれていない由を書き置かれたのである。 これは南北の十師が釈尊一代の教相に迷って、三時教・四時教・五時教、あるいは四宗・五宗・六宗・一音・半満・三教・四教等を立てて教法の浅深勝劣に迷っていたのであるが、天台大師はこれらの邪義を破し破るために、まず眼前の二乗作仏・久遠実成の法門をもって諸経の勝劣を定められたのである。それだからといって、その他の界は爾前経で得道できるというのではない。 そ後華厳宗は五教判を、法相宗は三時教判を、真言宗は顕密二教・五蔵判・十住心判、また大日経義釈で四句等を立てたが、これらは南三北七よりも甚だしく間違ったの教相である。 -----― 09 此等は他師の事なれば・さてをきぬ又自宗の学者が天台・妙楽・伝教大師の御釈に迷うて爾前の経経には二乗作 10 仏・久遠実成計りこそ無けれども 余界の得道は有りなんど申す人人・一人二人ならず日本国に弘まれり、他宗の人 11 人・是に便を得て 弥天台宗を失ふ 此等の学者は 譬えば野馬の蜘蛛の網にかかり 渇る鹿の陽炎をおふよりもは 12 かなし・例せば頼朝の右大将家は泰衡を討たんが為に 泰衡を誑して 義経を討たせ、 太政入道清盛は源氏を喪し 13 て世をとらんが為に我が伯父 平馬介忠正を切る義朝はたぼらかされて 慈父為義を切るが如し、此等は墓なき人人 14 のためしなり、 天台大師法華経より外の経経には二乗作仏・久遠実成は絶えてなしなんど釈し給へば菩薩の作仏・ 15 凡夫の往生はあるなんめりとうち思いて 我等は二乗にも・あらざれば爾前の経経にても得道なるべし 此の念い心 16 中にさしはさめり、 其の中にも観経の九品往生はねがひやすき事なれば 法華経をばなげすて念仏申して浄土に生 17 れて観音・勢至・阿弥陀仏に値いたてまつて成仏を遂ぐべし云云、 当世の天台宗の人人を始として諸宗の学者皆此 18 くの如し -----― これらは他師のことであるからさておくとする。自宗の学者が天台大師・妙楽大師・伝教大師の御釈に迷って、爾前の経経には二乗作仏・久遠実成だけは説かれていないけれども、余界の得道はあるなどという人々が、一人や二人ではなく日本国に広まっており、他宗の人々は、このことを頼みとして、いよいよ天台宗を滅ぼそうとしているのである。 これらの学者は、たとえば野馬の蜘蛛の網に掛かり、渇えた鹿が陽炎を水だと思っているよりも、はかない。例えば右大将家の源頼朝は藤原泰衡を討ち滅ぼすために、泰衡をたぶらかして義経を討たせ、太政入道の平清盛は、源氏を滅ぼして天下を取るために伯父の平馬介忠正を斬り、源義朝はこれにたぼらかされて、慈父の為義を殺したようなものである。これらははかなき人々の前例である。 天台大師は法華経よりほかの経々には、二乗作仏・久遠実成は全く説かれていないと解釈されたことから、菩薩の成仏と凡夫の往生とは余経でも可能であると思って、我らは二乗ではないから、爾前の経々でも得道できるにちがいないと心中に思い込んでしまったのである。 そのなかにも、観無量寿経の九品往生は願いやすいこただから、法華経を抛げ捨て、念仏を称えて浄土に生まれ、観音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀仏に値って成仏を遂げようとしている。当世の天台宗の人々をはじめとして、諸宗の学者はみなこのようである。 |
大妄語の人
うそつきの人。大虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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始めて正覚を成じ
インドに生誕した釈尊が19歳で出家し、30歳の時、菩提樹の下で始めて仏の悟りを成したこと。
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我昔道場に坐す
大日経巻2に「「我昔道場に坐して、四魔を降伏し、大勤勇の声を以て衆生の怖畏を除く」とある。
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道場
サンスクリットの原語では「覚りを開いた場所」の意。また広く、法が説かれる場、修行する場を意味するようになった。
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真実甚深
無量義経十功徳品第3に「善男子、我是の経を説くこと甚深甚深真実甚深なり。 所以は何ん、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむるが故に、一たび聞けば能く 一切の法を持つが故に」とある。
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正直捨方便
法華経方便品第2の文(法華経144㌻)。「正直に方便を捨てて」と読む。釈尊が法華経以前に説いた教えはすべて方便であるとして、執着をもたずきっぱりと捨てること。この文は「但だ無上道を説く」と続き、最高の教えである法華経を説くと述べられている。
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無量義経
中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
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我先に道場にして
無量義経説法品第2に「善男子、我先に道場菩提樹下に端坐 すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。」とある。
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我始め道場に坐す
法華経方便品第2に「我始め道場に坐し、樹を観じ亦経行して、三七日の中に於いて、是の如き事を思惟しき、我が所得の智慧は、微妙にして最も第一なり、衆生の諸根鈍にして、楽に著し痴に盲いられたり、斯の如きの等類、云何して度す可きと」とある。
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然るに我実に成仏してより已来無量無辺なり
法華経如来寿量品第16に「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」」とある。久遠の仏寿を説き明かした文で、爾前迹門を説てきた始成正覚を打ち破って、釈尊の久遠五百塵点劫成道を明かしたもの。
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六根
目・耳・鼻・舌・身(皮膚)と意(心)という六つの感覚・認識器官。
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往生
死後に他の世界へ往き生まれること。浄土信仰では、苦悩に満ちた穢土であるこの娑婆世界を離れて、浄土に生まれることをさした。特に阿弥陀仏への信仰の隆盛に伴い、往生といえば阿弥陀仏の浄土である安楽世界に生まれる極楽往生をさすようになった。
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跨節
跨節は、その小さな範囲を跨いで、より大きな視野に立って一重立ち入って論ずる事をいう。
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当分
当分というのは“そのままそこで”ということで、ある限られた範囲内で論じた場合を いう。
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有名無実
名ばかりが立派で、それに見合う実質が伴わないさま。
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天台大師此の法門を道場にして独り覚知し
天台大師が大蘇山の普賢道場で自ら悟りを得たことをいう。
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玄義
天台大師智顗が法華経の題名である「妙法蓮華経」について講義したものを、章安大師灌頂が編集整理したもの。10巻。「妙法蓮華経」に秘められている深玄な意義を、名・体・宗・用・教の五つの観点(五重玄義)から解明している。
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文句
天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。
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止観
摩訶止観のこと。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。
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南北の十師
中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三師・北に七師の合わせて十師に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
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教相
経文に説かれている教えの内容。また、その理論的研究。真言密教では、理論的な側面を教相、実践的な側面を事相という。
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三時
南三北七のうち南地の一派である虎丘山の笈師による教判。諸経典を釈尊一代における三つの時期に分類して解釈した。①有相教。釈尊が成道してから12年間、阿含経などの三蔵教(小乗の教え)を説いて、有を見て得道することを明かしたこと。②無相教。空を見て得道することを明かしたこと。先の12年の有相教を説いた後から法華経まで。③常住教。釈尊が沙羅双樹の下で一切衆生に仏性があることや一闡提の成仏を明かしたことで、涅槃経にあたる。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上に挙げている。
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四時
南三北七のうち南地の一派である宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)による教判。諸経典を釈尊一代における四つの時期に分類して解釈した。虎丘山の笈師による三時教のうち、無相教と常住教の間に法華経を立てて同帰教(万善が同じく成仏という一果に帰着する教え)とする。すなわち、有相教・無相教・同帰教・常住教の四つ。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上に挙げている。
―――
五時
天台大師智顗以前の時代、南三北七のうち以下の2派による教判。諸経典を釈尊一代で説かれたものとして、成道から入滅までの五つの時期に分類して解釈した。天台大師が『法華玄義』巻10上に挙げている。❶南三北七のうち南地の一派である定林寺の僧柔・慧次と道場寺の慧観による教判。宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)による四時教のうち、無相教と同帰教の間に維摩経・思益経を立てて褒貶抑揚教(小乗を貶し抑え、大乗を褒め宣揚する教え)としている。すなわち、有相教・無相教・褒貶抑揚教・同帰教・常住教の五つ。❷北地の一派による教判。諸経典を頓教と漸教に分け、華厳経を頓教とした。漸教を①人天教(提謂波利経)②有相教(阿含経など)③無相教(維摩経・般若経など)④同帰教(法華経)⑤常住教(涅槃経)の五つに分けた。
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四宗
南三北七の北地の一派である地論宗南道派の慧光による教判。諸経論を4種に分類して解釈した。①因縁宗(毘曇)②仮名宗(成実)③誑相宗(般若・三論)④常宗(涅槃・華厳など)をいう。天台大師が『法華玄義』巻10上に挙げている。
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五宗
天台大師智顗以前の時代、南三北七のうち北地の一派による教判。諸経論を5種の教えに分類して解釈した。慧光による四宗すなわち①因縁宗(毘曇)②仮名宗(成実)③誑相宗(般若・三論)④常宗(涅槃・華厳など)のほかに、さらに⑤法界宗(華厳経)を立てる。天台大師が『法華玄義』巻10上に挙げている。
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六宗
天台大師智顗以前の時代、南三北七のうち北地の一派による教判。諸経論を6種の教えに分類して解釈した。慧光による四宗すなわち①因縁宗(毘曇)②仮名宗(成実)③誑相宗(般若・三論)④常宗(涅槃・華厳など)のほかに、⑤真宗(法華経)⑥円宗(大集経)を立てる。天台大師が『法華玄義』巻10上に挙げている。
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一音
釈尊一代の教えはさまざまな説かれ方をするが、実は同一の音声つまり同一の教えから出たものであるとする立場。一音説法とも。維摩経巻上の仏国品第1には、仏は終始、同一の音声によって説法をするが、衆生の機根によって理解にさまざまな差異が生ずる(一音異解)とある。中国では教判の一種として用いられ、多種多様に分かれた仏教各派の諸説も帰するところ仏の一音であるとした。天台大師智顗の時代には、『法華玄義』巻10上で、南三北七のうち北地の禅師(未詳)の一人が一音教の教判を用いたとされる。
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半満
天台大師智顗以前の時代、南三北七のうち北地の一派である菩提流支(?~527年、北インド出身の訳経僧)による教判。諸経典を釈尊一代に説かれたものとして、二つの時期に分類して解釈した。釈尊の成道から12年間説かれた小乗の教えを半字教とし、12年以後を満字教とする。天台大師が『法華玄義』巻10上に挙げている。
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三教四教
天台大師智顗以前の時代、南三北七のうち北地の一派である禅師の立てた宗派と思われる。
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華厳宗の五教
華厳宗が立てる教判。創始者である杜順が立てたもので小乗教・大乗始教・大乗終教・頓教・円教と説いたのに対して、法蔵がそれをさらに発展させて体系化したものである
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法相宗の三時・五性
法相宗の立てる誤った教義である。三時は初めに有教で阿含経。次に空教すなわち般若、後に中道教すなわち深密教等であるという。五性とは、声聞種性・縁覚種性・菩薩種性・不定種性・無性有情を立てる。なお五性各別というのは、菩薩と不定の一部のみが成仏の機であって、他はすべて不定仏であるといい、一乗は方便で三乗は真実であると立てる邪義である。
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真言宗の顕密・五蔵・十住心・義釈の四句
❶顕密。①顕教。真言宗が密教以外の仏教の教えを指すのに用いた語。広く開かれて説かれた教えを意味する。もとは空海(弘法)が自身の教判として用い、衆生を導くために応身・化身(ここではそれぞれ報身・応身のこと)としての姿を現した如来が衆生の機根に従って広く説いた仮の教えを顕教と呼び、法身の如来が真理をひそかにそのまま示した教えを密教としたことに由来する。後に日本仏教で一般的に用いられ、顕密と併称して日本仏教全般を意味する。円仁(慈覚)以降の天台密教は、顕教と密教が教理の上で究極的には一致すると説くが、別しては印と真言といった事相を説く密教の方が顕教より優れているとする②インドにおける大乗仏教の歴史的展開の最後期、7世紀から本格的に展開した仏教。古代インドの民間信仰を取り入れ、神秘的な儀礼や象徴、呪術を活用し、修行の促進や現世利益の成就を図る。日本では空海(弘法)以来、密教以外の通常の仏教を顕教と呼んで区別する。【成立と展開】密教の成立は呪術や儀礼の発達から説明できるが、5世紀ごろにはその原初形態があったと考えられている。呪術は初期仏教では否定されていたが、比丘の護身用の呪文は例外的に認められた。大乗仏教では、現世利益のための呪文が菩薩行として正当化されるようになる。例えば大乗経典では陀羅尼(ダーラニー)や真言(マントラ、神聖な呪文)が説かれ、初期大乗経典である法華経の陀羅尼品には陀羅尼・真言で修行者を守護することが説かれている(法華経640㌻以下)。陀羅尼とは総持とも訳され、もとは教えを記憶し保持することを意味したが、そのために唱える句も陀羅尼と呼ばれ、やがてそれが神秘的な力をもつものとして、災難を取り除くための呪文を意味するようになった。真言はヴェーダ文献から見られる語であり、呪文としての陀羅尼と真言は意味的に明確に区別しがたい。陀羅尼や真言は、やがて仏や菩薩といった種々の尊格が与えられ、その尊格に帰依し一体化して、無病息災や異国調伏といった世俗的な利益を得るための儀礼として用いられるようになる。また手・指の形態によって尊格の徳を象徴する印(ムドラー)が取り入られ、さらに覚りの世界を図顕して象徴した曼荼羅が作られる。曼荼羅は当初は一時的に土や砂で壇として作られるものだったが、後に布や紙に描いた絵図の形式が生まれた。さらに、こうした儀礼の効果や象徴の意義を説明し正当化する経典がつくられるようになった。大まかには以上の諸要素が組み合わさり、経典に基づいて、曼荼羅を作り、そのもとで印や真言・陀羅尼を用いて祈禱を行い、それら象徴を媒介として、仏や菩薩といった尊格と修行者とが一体化して何らかの利益を得るという密教の基本形態が形成されていった。こうした密教発達の背景の一つとして、グプタ朝(4~6世紀)以降、ヒンドゥー教のシヴァ信仰が盛んになる中、仏教側が王権や在家信徒の現世利益を成就させるための祈禱儀礼を積極的に取り入れて教勢を維持しようとしたことがあったと考えられている。7世紀に成立した大日経、金剛頂経では、これまでのような世俗的な利益を超えて、覚りを得て成仏することを説くようになる。口に真言・陀羅尼を唱え、手に印を結び、心に仏を思い浮かべることで、大日如来の身口意の三密が修行者の三業と一体化すること(三密加持)を説くなど、教理的な意義づけや体系化が進んだ。さらに灌頂という師から信徒へ法門を伝授する儀式も発達した。9世紀以降の後期の密教では、従来の密教に加え、性的要素を取り入れた修法を行うようになった。【中国・日本への伝来】陀羅尼を説く経典は3世紀ごろには中国で漢訳されていたと考えられている。7世紀の唐には、大日経、金剛頂経といった体系化された密教経典が善無畏・金剛智・不空の三三蔵などによって伝えられ、玄宗はじめ皇帝から護国の祈禱として重用され、厚い保護を受けた。日本には奈良時代に密教経典が伝来していたが、平安初期に空海(弘法)によって初めて大日経、金剛頂経がもたらされた。特に空海は唐に渡って恵果から伝授されたという胎蔵・金剛界の両部の法を伝え、真言宗の根本教義に据えた。その後、日本の密教は天台宗・真言宗において、それぞれ台密・東密として独自に教理や実践が発達した。なお、チベット、ネパールには最終期の密教が伝来し、今日においても民衆に根ざした宗教として存続している。❷五蔵。弘法大師空海が、六波羅蜜経に説かれている爼多覧蔵・毘奈耶蔵・阿毘達磨蔵・般若波羅蜜多蔵・陀羅尼蔵の五蔵にわけているうち、第四の般若波羅蜜多蔵を法華経とし、第五の陀羅尼蔵を真言と立てたもの。❸十住心。空海(弘法)が『十住心論』で、大日経の住心品や『菩提心論』をもとに衆生の心のありかたを10種に分けたもの。真言密教を最高位に位置づけ、華厳を第2、法華を第3としている。①異生羝羊(住)心。異生(衆生・凡夫)が雄羊のように善悪因果を知らず、本能のまま悪行を犯す心。②愚童持斎(住)心。愚童のように凡夫善人が人倫の道を守り、五戒・十善などを行う心。③嬰童無畏(住)心。嬰童は愚童と同意で、現世を厭い天上の楽しみを求めて修行する位をいう。外道の住心。④唯蘊無我(住)心。蘊はただ五蘊(五陰と同じ)の法のみ実在するという意で、無我はバラモンなどの思想を離脱した声聞の位のこと。すなわち出世間の住心を説く初門で、小乗の声聞の住心。⑤抜業因種(住)心。十二因縁を観じて悪業を抜き無明を断ずる小乗の縁覚の住心。⑥他縁大乗(住)心。他縁は利他を意味し、一切衆生を救済しようとする利他・大乗の住心のこと。法相宗の菩薩の境地。⑦唯蘊無我(住)心。心も境も不生、すなわち空であることを覚る三論宗の菩薩の境地。⑧如実一道(住)心。一仏乗を説く天台宗の菩薩の境地。⑨極無自性(住)心。究極の無自性(固定的実体のないこと)、縁起を説く華厳宗の菩薩の境地。⑩秘密荘厳(住)心。究極・秘密の真理を覚った真言宗の菩薩の境地。大日如来の所説で、これによって真の成仏を得ることができるとした。日蓮大聖人は「真言見聞」で、「十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何れの経論に出でたるや」(148㌻)と破折されている。❹義釈の四教。唯蘊無我(住)心・唯蘊無我(住)心・如実一道(住)心・極無自性(住)心をいう。❺これらはすべて真言宗の立てた邪義である。
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野馬
蜻蛉切(トンボ)のこと。
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頼朝
1147年~1199年。平安末期の武将。源氏の棟梁として平氏追討の宣旨を掲げて平氏と戦い、勝利して鎌倉幕府を開き、武家政権の礎を作った。
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泰衡
(1155~1189)。藤原泰衡のこと。平安時代末期の奥州の豪族。奥州藤原氏の三代秀衡の嫡子として四代を継いだ。父の遺言によって源義経をかくまっていたが、頼朝の圧迫に耐えられず、ついに衣川の館で義経を攻め滅ぼし、義経に協力的であった弟の忠衡をも殺した。やがて頼朝の討伐を受け、敗走の途中、家臣に殺害された。
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義経
源義經は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。
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太政入道清盛
1118年~1181年。平安後期の武将。武士として初めて太政大臣になるなど、平氏の全盛期をもたらし大きな権勢をふるった。出家し太政入道と呼ばれたのちも、後白河上皇を幽閉し実権を握った。
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源氏
「源」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つで、多数の流派がある。清和天皇の子孫である清和源氏が有名である。
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平馬介忠正
平安時代末期の伊勢平氏の武将。平正盛の子、忠盛の弟。平清盛の叔父にあたる。
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義朝
(1123~1160)。源義朝のこと。平安時代後期の武将。為義の子で頼朝の父。保元の乱の時に、平清盛とともに後白河天皇方に味方して勝利し、崇徳上皇方についた父の為義を斬った。その後、平清盛の進出に不満をもち、藤原信頼と結んで挙兵した。いったんは政権を掌握したが、天皇・上皇ともに内裏を脱出し六波羅に移動したため、一転して賊軍となった義朝は戦に敗れ、東国に逃れる途中、尾張で長田忠致に謀殺された。
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為義
(1096~1160)。源為義のこと。平安時代末期の武将。祖父が源義家、父は源義親。叔父の源義忠暗殺後に河内源氏の棟梁と称す。なお父は源義家で、源義親と義忠は兄にあたるという説もある。通称は六条判官、陸奥四郎。当初は白河法皇・鳥羽上皇に伺候するが度重なる不祥事で信任を失い、検非違使を辞任する。その後、摂関家の藤原忠実・頼長父子に接近することで勢力の回復を図り、従五位下左衛門大尉となって検非違使への復帰を果たすが、八男の源為朝の乱行により解官となる。保元の乱において崇徳上皇方の主力として戦うが敗北し、後白河天皇方についた長男の源義朝の手で処刑された。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
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九品往生
阿弥陀如来の住む極楽浄土に生れたいと願う者の9段階 (九品) の往生の仕方をいう。浄土三部経のうちの『観無量寿経』に説かれ,上品上生 ,上品中生,上品下生,中品上生,中品中生,中品下生,下品上生,下品中生,下品下生の九品がある。
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浄土
仏の住む清浄な国土のこと。また、国を浄めるという意に使うこともある。煩悩でけがれている穢土(衆生の住む娑婆世界)に対し、仏の住む国土は五濁の垢に染まらず清らかなので浄土という。浄土については大別して2種の考え方がある。①浄土と現実の娑婆世界とはまったく異なった世界であるとする説。無量寿経などに説かれる。菩薩が修行を経て仏になる時に完成する国土で、阿弥陀経に説かれる阿弥陀仏の西方極楽浄土、阿閦仏の東方妙喜世界、釈迦仏の西方無勝世界、薬師如来の東方浄瑠璃世界などがある。こうした諸仏の浄土が、娑婆世界からみてあらゆる方角(十方)にあるので、十方浄土という。②維摩経に「其の心浄きに随って則ち仏土浄し」と説かれるように、心が清浄になれば住む世界も清浄となり、現実の娑婆世界が即浄土となる(娑婆即寂光)との説。法華経如来寿量品第16に説かれる霊山浄土、華厳経の蓮華蔵世界、大乗密厳経の密厳浄土などがこれにあたる。なお爾前経に説かれた種々の浄土観は、衆生の機根を法華経へ導くための方便説であり、釈尊は法華経本門において初めて久遠実成を明かし、本因・本果・本国土を説いて、娑婆世界こそ仏の常住する浄土であると明かした。
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観音
観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。
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勢至
サンスクリットではマハースターマプラプータといい、大きな力を得た菩薩の意で、法華経では「得大勢菩薩」(法華経72㌻)と訳される。観音菩薩とともに阿弥陀仏の脇士として、阿弥陀仏の向かって左に安置され、智慧を象徴する。
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阿弥陀仏
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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法華経の如来寿量品第十六で説かれた久遠実成の意義について述べられ、次に天台大師が二乗作仏と久遠実成を宣揚した意図を明らかにされるとともに、二乗以外は爾前経でも成仏できるとする考え違いが念仏宗などの簇生を許した元凶であることを指摘されている。
又寿量品の久遠実成が爾前の経経になき事を以て思ふに爾前には久遠実成なきのみならず仏は天下第一の大妄語の人なるべし
法華経の寿量品で久遠実成が説かれてから、それ以前の経を振り返ってみると、爾前経および法華経迹門で釈尊は「天下第一の大妄語の人」となると仰せられている。つまり、爾前経の諸大乗経のなかでも第一とされる華厳経や大日経において「始めて正覚を成ず」、「我、昔道場に坐して、四魔を降伏し」と始成正覚を説いており、更に法華経の開経である無量義経でも「我是の経を説くこと甚深甚深真実甚深なり」と述べている。また「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」と説いており、法華経の迹門方便品第二で「我始め道場に坐して、樹を観じ亦経行して」となお始成正覚を説いていることは、最も大事な真実を隠していることになるからである。
ゆえに、これらの経文を、法華経如来寿量品第十六の「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由陀劫なり」との経文からみれば「大妄語」真実ではなく、偽りの言葉、となり、それを説いた仏も「大妄語の身」となるのである。
仏の身が偽りであるなら、その身に具わる六根から発せられた諸法も真実ではないことになる。したがって、氷の上に立てた家が春になって氷が解ければ壊れてしまうようなものであり、また水に映った月に実体がないのと同じである。
また、たとえ諸経でどのように成仏得道を説いていても、その内容がその経の当分の範囲であれ、一代にわたるものであれ、ともに説いている教主の立場から無常であるから有名無実となるのである。
天台大師此の法門を道場にして独り覚知し玄義十巻・文句十巻・止観十巻等かきつけ給うに諸経に二乗作仏・久遠実成絶えてなき由を書きをき給ふ
天台大師が、二乗作仏と久遠実成をもって釈尊一代の諸経のなかで法華経の最勝を論じたのは、南北十師の謬義を破折するために“眼前”の法門であるこの二つを取り上げたのであると述べられている。
天台大師は、大蘇山普賢道場で法華三昧を感得しており、これを大蘇の開悟という。その後、法華経の深義を講説し、それが法華文句・法華玄義・摩訶止観の法華三大部としてまとめられた。
当時の中国では南三北七と呼ばれた十の宗派が、諸経の勝劣に迷って、さまざまな教判を立てて争っていた。江南には笈法師の三時教、宗愛法師の四時教、僧柔法師等の五時教があり、江北には光統の四宗教、自軌の五宗教、安凛の六宗教、北地禅師等の一音教、菩提流支の半満二教、北地禅師の二種大乗教、北地師の五時教があった。これらの教判に共通しているのは、華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三と立てたことである。
天台大師は法華玄義で、五時八教の教判によって釈尊一代の諸経を判別し、法華経第一、涅槃経第二、華厳経第三と立てて、それらの邪義を破したのである。その場合、法華経最勝の根拠として、経文に明確な二乗作仏・久遠実成の二つの法門を取り上げたのである。
しかし、二乗作仏は法華経に限るが、二乗以外の菩薩や凡夫の成仏は法華経以外の経でも許されている、とするのは誤りであって、天台大師以後に、華厳経は五教判を、法相宗は三時教判を、真言宗は二教判や五蔵・十住心などをもってこの義を立てたが、それらはいずれも南三北七の教判よりも更に誤りが甚だしいことを指摘されている。
華厳宗については、撰時抄に「則天皇后の御宇に法蔵法師といふ者あり法相宗に天台宗のをそわるるところを見て前に天台の御時せめられし華厳経を取出して一代の中には華厳第一・法華第二・涅槃第三と立てけり」(0262-12)と述べている。中国華厳宗の第三祖・法蔵は、釈尊一代の教説を判じて小乗経・大乗始教・大乗終教・頓教・円教の五教とし、二乗以外の衆生が頓悟できる法であるといって、華厳経第一と主張した。
法相宗では釈尊の教説を、三時期に分類して、教法の時期による年月の三時教と、説法の内容による義類の三時教に判別している。
そして、三乗に対して格別に悟りの道を説いた解深密経等の三乗教は、皆成仏道を説いた法華経等の一乗教より勝れている、とした。
真言宗は、大日経にも法華経と同じ一念三千があるとし、印と真言については大日経のほうが勝れているといって、大日真言こそ即身成仏の法であると主張したのである。
これらの三宗は、天台大師の法門を知ったうえで、巧みに邪義を立てたものである。天台の法門を知らなかった南三北七の素朴さに比べて、はるかに邪智に富んでいる。このことを「南三北七の十師の義よりも尚アヤマれる教相なり」と仰せられたのである。
自宗の学者が天台・妙楽・伝教大師の御釈に迷うて爾前の経経には二乗作仏・久遠実成計りこそ無けれども 余界の得道は有りなんど申す人人・一人二人ならず日本国に弘まれり
以上の法相・華厳・真言の諸宗はさておいて、天台宗の学者のなかにも、天台大師や伝教大師の教えに迷って、「天台大師法華経より外の経経には二乗作仏・久遠実成は絶えてなしなんど釈し給へば菩薩の作仏・凡夫の往生はあるなんめりとうち思いて我等は二乗にも・あらざれば爾前の経経にても得道なるべし」と考え、更に「其の中にも観経の九品往生はねがひやすき事なれば法華経をばなげすて念仏申して浄土に生れて観音・勢至・阿弥陀仏に値いたてまつて成仏を遂ぐべし」と、本末顛倒して法華経を捨ててしまう者が多く出たことを指摘されている。
それは、二乗の成仏は法華経に限るが、菩薩や凡夫の成仏は爾前の諸経でかなうのなら、そのほうが修行がやさしいので、法華経を捨てて爾前の修行をしよう、という誤った考えによる。しかし、本抄でも度々論じられているように、菩薩や凡夫も、法華経によってのみ成仏するのであって、諸経で成仏したといっても、有名無実にすぎない。このようにして、法華経を捨てて爾前経に堕ちた天台宗の学者等が、人々に成仏の道を見失わせ、地獄への道を開いたのである。具体的にいえば、比叡山で学びながら浄土信仰に走った空也・源信・良忍・叡空・法然などが挙げられる。
そうした者達を、大聖人がトンボが蜘蛛の網にかかり、のどが渇いた鹿が陽炎を水だと思って追いかけるようなものであると、たとえられている。蜘蛛の網にかかるとは、邪義にとらわれている様子を、陽炎を追う鹿とは、実体のない成仏を爾前経に求めることにたとえられている。
また、藤原泰衡が源頼朝にだまされて源義経を討ち、その結果、我が身を滅ぼした例や、平清盛が保元の乱の際に敵方についた伯父の平馬介忠正をきったために、源義朝も敵方の父・源為義を殺さなければならなくなり、そのために源氏の力が衰えていった故事を挙げられている。いずれも、敵にだまされて味方や身内を自ら殺したことにより、結局は自身が滅びていった例であり、それを諸宗の邪義にだまされて法華経を捨て、自宗の正義を破壊した天台宗の学者のたとえとして挙げられているのである。
0523:18~0525:10 第五章 成仏の種子は法華経に限るを示すtop
| 18 実義をもつて申さば 一切衆生の成仏のみならず 六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の 0524 01 力なり・例せば日本国の人・唐土の内裏に入らん事は 必ず日本の国王の勅定によるべきが如し・穢土を離れて浄土 02 に入る事は必ず法華経の力なるべし、 例せば民の女・乃至関白大臣の女に至るまで大王の種を下せば其の産る子・ 03 王となりぬ、大王の女なれども臣下の種を懐姙せば 其の子王とならざるが如し、 十方の浄土に生るる者は三乗・ 04 人天・畜生等までも皆王の種姓と成つて 生るべし皆仏となるべきが故なり、 阿含経は民の女の民を夫とし華厳・ 05 方等・般若等は臣の女の臣を夫とせるが如し、又華厳経・方等・般若・大日経等の円教の菩薩等は大王の女の臣下を 06 夫とせるが如し、皆浄土に生るべき法にはあらず、 又華厳・阿含・方等・般若等の経経の間に六道を出づる人あり 07 是は 彼彼の経経の力には非ず 過去に法華経の種を殖えたりし人 ・現在に法華経を待たずして 機すすむ故に爾 08 前の経経を縁として 過去の法華経の種を発得して 成仏往生をとぐるなり、 例せば縁覚の無仏世にして飛花落葉 09 を観じて独覚の菩提を証し 孝養父母の者の梵天に生るるが如し・飛花落葉・孝養父母等は独覚と梵天との修因には 10 あらねどもかれを縁として 過去の修因を引きおこし 彼の天に生じ独覚の菩提を証す、 而るに尚過去に小乗の三 11 賢・四善根にも入らず有漏の禅定をも修せざる者は 月を観じ花を詠じ孝養父母の善を修すれども 独覚ともならず 12 色天にも生ぜず、 過去に法華経の種を殖ざる人は 華厳経の席に侍りしかども初地・初住にものぼらず、鹿苑説教 13 の砌にても見思をも断ぜず 観経等にても九品の往生をもとげず、 但大小の賢位のみに入つて聖位には・のぼらず 14 して法華経に来つて始めて仏種を心田に下して 一生に初地・初住等に登る者もあり、又涅槃の座へさがり乃至・滅 15 後・未来までゆく人もあり、 過去に法華経の種を殖たる人人は 結縁の厚薄に随つて華厳経を縁として初地初住に 16 登る人もあり、 阿含経を縁として見思を断じて二乗と成る者もあり、 観経等の九品の行業を縁として往生する者 17 もあり、 方等・般若も此れをもつて知んぬべし、 此等は彼彼の経経の力にはあらず偏に法華経の力なり譬えば民 18 の女に王の種を下せるを人しらずして 民の子と思ひ大臣等の女に王の種を下せるを人しらずして 臣下の子と思へ 0525 01 ども大王より是を尋ぬれば皆王種となるべし、 爾前にして界外へ至る人を法華経より之を尋ぬれば 皆法華経の得 02 道なるべし、 又過去に法華経の種を殖えたる人の根鈍にして 爾前の経経に発得せざる人人は法華経にいたりて得 03 道なる、是は爾前の経経をば・めのととしてきさき腹の太子・王子と云うが如くなるべし、 又仏の滅後にも正法一 04 千年が間は在世の如くこそなけれども過去に法華経の種を殖えて 法華・涅槃経にて覚りをとぐる者もありぬ現在・ 05 在世にて種を下せる人人も是多し。 -----― 実義によっていえば、一切衆生の成仏ばかりでなく、六道を離れて十方の浄土に往生することも必ず法華経の力によるのである。 例えば、日本国の人が、唐土の内裏に入ろうとするには、必ず日本国王の勅定によらなければならないようなものである。 穢土を離れて浄土に入ることは、必ず法華経の力によらなければならないのである。例えば民の女でも、関白大臣の女に至るまでも、大王の子を孕めば、その産んだ子は王となるが、大王の女であっても、臣下の種を懐姙するならば、その子は王とならないようなものである。 十方の浄土に生れる者は、三乗・人天・畜生等までも、皆、王の種姓となってこそ生れることができたのである。皆、仏となることができるからである。 阿含経は民の女が民を夫としたようなもので、華厳・方等・般若等は臣下の女の臣下を夫としたようなものであり、華厳・方等・般若・大日経等の円教の菩薩等は、大王の女が臣下を夫としたようなもので、皆、浄土に生れることのできない法である。 また華厳・阿含・方等・般若等の経々で六道を出る人もあるが、これは彼々の経々の力ではなく、過去に法華経の種を殖えた人が、現在の世において、法華経を待たないで機根が進んだゆえに爾前の経々を縁として過去の法華経の種が芽を吹き出して成仏往生を遂げたのである。 例えば、縁覚の無仏の世に生まれて、飛花落葉を観じて独覚の菩提を証得したり、父母に孝養した者が梵天に生まれたようなものである。 飛花落葉や父母の孝養等は独覚と梵天に生まれる修因ではないが、それらを縁として、過去の修因を引き起こし、梵天に生まれたり、独覚の菩提を証得したりするのである。 そうであるのに過去の世に小乗教の三賢・四善根の位にも入らず、有漏の禅定をも修めなかった者は、たとえ月を観じ、花を詠じ、父母に孝養するという善行を修しても独覚ともならず、色天にも生まれない。 それと同じように、過去に法華経の種を殖えなかった人は、華厳経の会座に列なっても初地・初住の位にも上らず、鹿野苑の説教の時にも見惑・思惑を断ぜず、観無量寿経でも九品の往生を遂げられず、ただ大乗・小乗の賢位にまでは上れるが、聖位には上れないで、法華経の説法の座にきて初めて、仏種を心田に下して一生の間に初地・初住等の位に上る者もあり、または涅槃経の説法の座に下がり、更に仏の滅後の未来まで行く者もある。 それに対し、過去に法華経の種を殖えた人々は結縁の厚薄にしたがって、華厳経を縁として初地・初住の位に登る人もあるし、阿含経を縁として見惑・思惑を断じて二乗となる者もあるし、観無量寿経等の九品の修行を縁として極楽往生する者もあるし、同じように方等経や般若経を縁としてその功徳を受ける者もいることは、これらを例として知るべきである。 これらはそれぞれの経々の力ではなく、ひとえに法華経の力によるのである。たとえば、民の女が王の種を宿したのを人が知らないで、民の子と思い、あるいは大臣等の女が王の子を宿した、人々は臣下の子と思っていたが、大王から見れば、皆、王種のようなものである。 そうであるから、爾前の諸経によっての外へ至る人を、法華経から尋ねてみると、皆、法華経の得道である。 また過去に法華経の種を殖えた人で、機根が鈍いために爾前の経々で眼を生じない人々は、法華経に至って得道するのである。此れは爾前の経々を乳母として、后の腹から生まれた太子を育てさせて、王子とするようなものである。 また仏の滅後でも正法一千年の間は、在世のときのようなことはないが、過去に法華経の種を殖えて、法華経・涅槃経で悟りを遂げる者もあり、現在の仏の在世で種を下した人々も多くいる。 -----― 06 又滅後なれども現に法華経ましませば外道の法より小乗経にうつり 小乗経より権大乗にうつり権大乗より法華 07 経にうつる人人・数をしらず、 竜樹菩薩・無著菩薩・世親論師等是なり、 像法一千年には正法のほどこそ無けれ 08 ども又過去・現在に法華経の種を殖えたる人人も 少少之有り、 而るを漸漸に仏法澆薄になる程に宗宗も偏執・石 09 の如くかたく我慢・山の如く高し、 像法の末に成りぬれば仏法によつて諍論・興盛して仏法の合戦ひまなし、 世 10 間の罪よりも仏法の失に依つて無間地獄に堕つる者・数をしらず。 -----― また仏滅後であるけれども現に法華経が存在するので、外道の法から小乗経に移り、小乗経から権大乗経に移り、権大乗経から法華経に移る人々も数え切れないほどいる。竜樹菩薩・無著菩薩・世親論師などがそれである。 像法一千年の間は、正法時代のようではないけれども、過去はまた現在に法華経の種を殖えた人々も少しはいる。 しかるに、だんだんに仏法の力が弱くなるにつれて、各宗の偏った考えへの執着が石のように固くなり、我慢の心は山のように高くなっていった。 像法時代の末になると、仏法についての諍論が盛んに興って仏法の合戦は止む時がない。そのため世間の罪よりも仏法の失によって無間地獄に堕ちる者は数限りない。 |
六道
十界のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界。古代インドの世界観で、衆生が生存する6種の領域をいう。凡夫は迷いに満ちたこの六道で生死を繰り返すとされる。これを六道輪廻という。輪廻からの脱却を解脱といい、これは古代インドの人々にとって最終的に達成すべき理想とされた。仏教では、古代インドの伝統思想であるバラモン教の教えや同時代の新興思想である六師外道などの教えでは、生死の因果について知悉しておらず、それどころか無知であるため、誤った行いとなり、したがって解脱は得られないとされる。そして、むしろ仏道を学び修行することによってこそ解脱できると説かれる。六道のうち地獄・餓鬼・畜生の三つを三悪道といい、これに対し修羅・人・天を三善道という。また、三悪道に修羅を加えて四悪趣という。修羅を除いて五趣という。
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内裏
天皇の住居を中心とする御殿。御所。宮中。皇居。
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勅定
天皇が定めること。
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穢土
けがれた国土のこと。煩悩と苦しみが充満する、凡夫が住む娑婆世界。
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関白
いずれも天皇を補佐し国政を代行する地位。平安時代には、天皇が幼少の時は摂政、成人後は関白が置かれた。
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三乗
声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のこと。それぞれ声聞・縁覚・菩薩の覚りを得るための教え、あるいはそれを実践する修行者のこと。さらに得られた声聞・縁覚・菩薩の境地も意味する。
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人天
人界と天界のこと、またその衆生。
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畜生
飼い養われている生き物の意で、動物を総称した語。人間の行動としては、理性を失って倫理・道徳をわきまえず、本能的欲望のままに動いていく状態をいう。強い者を恐れ弱い者を侮り、因果の道理をわきまえず、目先のことにとらわれて行動する境涯。三悪道の一つ。
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円教
円満な教え、完全な教えのこと。法華経などで説かれる、すべての衆生が成仏できるという教えのこと。
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発得
智慧などを我が身に引き起こし。体得・会得すること。
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無仏世
仏が出現しない世界。またその時代。
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飛花落葉
花が散り木の葉が落ちること。世間の無常の相にたとえる。
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独覚
縁覚のこと。サンスクリットのプラティエーカブッダの訳。辟支仏と音写する。独覚とも訳す。①声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗という。
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菩提
サンスクリットのボーディの音写で、覚りの意。特に、仏が体得した最高の智慧による覚りをいう。
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修因
善悪の因を修すること。果を招く行為。修するところの善悪の因。
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孝養父母の者の梵天に生るるが如し
法華玄義巻一上には「云何なるか麁なる。狂華は無菓、あるいは一華多菓…凡夫の父母を供養して、報、梵天にあることを喩え」とある。
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小乗の三賢
小乗教で説く声聞の修行の位のこと。五停心観・別想念処・総想念処をいう。見道以前の位で、心を調え悪を離れるゆえに賢という。これに四善根を合わせたものを七賢といい、その場合、四善根を内凡として三賢を外凡とする。
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四善根
小乗教で説く声聞の位のこと。煗法・頂法・忍法・世第一法をいう。
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有漏の禅定
煩悩を断じて滅することのないままでの瞑想の修行。
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色天
色界天・色界ともいう。三界(欲界・色界・無色界)のひとつで、物質の世界のこと。
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初地
菩薩の修行の五十二位のうちの第41位。十地の第1で歓喜地ともいう。別教では初地以上を不退位とする。
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初住
菩薩の修行の段階である五十二位の中の第11位、十住の初め、発心住のこと。見惑(思想・見識の迷い)を断ずる菩薩の位をいう。円教の菩薩は初住で一分の中道の理を証得して正念に安住するので、初住位以上を菩薩道から退転しない不退位とする。
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見思
見惑と思惑のこと。見惑は、後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い。思惑は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。この見思惑を断じて声聞・縁覚の二乗の境地に至るとされる。
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賢位
仏道修行者の位。聖位に対する語。
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聖位
聖人の位。小乗教では声聞の見道以後の位をいい、七賢より上の隋信行・随法行・信解・見至・身証・慧解脱・俱解脱の七賢の位をいう。大乗経では、菩薩の無明惑を断ずる位をいい、別教の五十二位のなかの初地以上の位をいう。
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仏種
❶仏の種姓、仏となる家系の者のこと。釈尊の教団では、仏の弟子となった者は仏の子と位置づけられる。大乗では仏に成ることを目指す菩薩をいい、法華経では法華経を信じ実践する者こそが真の仏子であると説かれる。また涅槃経では、にせの教えを説く邪悪な者と戦い、仏の正法を護持し広めるものが真の仏子とされる。❷成仏の根本因を植物の種に譬えて仏種と呼ぶ。衆生の生命にそなわる仏性は、成仏の主な因であるので仏種とされる。さらに衆生の仏性を開発する仏の教法も、成仏の補助的な因であるので、仏種とされる。法華経では、すべての衆生を成仏させる根本法は法華経であると説くことから、法華経が唯一にして真実の仏種である。
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心田
心のこと。心は善悪の種子から善悪の苗を育てる田となるとの意から心田という。衆生の生命を田とし、南無妙法蓮華経を種子とすることについては、曾谷殿御返事に「法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(1056-14)とある。
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行業
①身口意の所作・おこない。②修行・修行のための行為。
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界外
三界六道の苦悩や迷いを離れた世界、境界のこと。界内に対する語。声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖をさす。
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鈍根
鈍い機根の意で、仏法を受容する理解力の鈍いこと。機根が劣っていて、仏道修行する力が乏しいものをいう。
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正法一千年
仏滅後の時代区分である正法時・像法時・末法時の正法時の1000年間。仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。
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無著菩薩
「無著」梵語、漢訳して「阿僧伽」という。仏滅後900年ごろ、インドの健駄羅国富婁沙富羅城の婆羅門の学者、憍尸迦の子に生まれた。弟は世親。はじめ小乗化他部に出家し、小乗教を学んだが、これにあきたらず、大乗に移り「顕揚聖教論」「摂大乗論」「瑜伽論」「十地師経論」など8部37巻の書を著わした。また小乗にとらわれている弟の世親を大乗に帰せしめたことも有名な話である。75歳、王舎城で没。
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世親
4~5世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワール)出身の論師。サンスクリット名はヴァスバンドゥ。新訳で「世親」、旧訳で「天親」という。初めは小乗を学び『俱舎論』などを著したが、兄の無著(アサンガ)によって大乗に帰依し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させたほか、『法華論』などを著し、大乗を宣揚した。多くの論書をつくり「千部の論師」とたたえられる。主著に『唯識三十論頌』など。
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像法一千年
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
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我慢
自分を高みに置き、人を見下すおごりたかぶった心。
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諍論
正邪・是非を論じあうこと。
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無間地獄
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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成仏の実義はあくまで、その種子は法華経であり、爾前経は助縁にすぎないことが明かされている。
実義をもつて申さば一切衆生の成仏のみならず六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力なり
一切衆生の成仏も、六道の穢土を離れて十方の諸仏の浄土に生まれるということも、必ず法華経の力によるとされ、爾前経の修行は、法華経の種子を育成させる縁となったにすぎないことを示されている。
衆生が仏法に縁して成仏するまでを、下種・調熟・解脱の三つに分けて説いたのは、天台大師の法華文句である。下種とは、仏が衆生に仏になるべき種子を下すことをいう。調熟とは、過去に下種された仏の種子が成長し、機根が調っていくことをいう。解脱とは、仏種が成長し終わって、仏の境地に得ることをいう。
爾前の諸経では、この種・熟・脱は説かれず、法華経にのみ三千塵点劫・五百塵点劫という過去世の下種から成仏までの因縁が説かれているのである。
したがって、過去世に植えられた法華経の種子が、爾前の諸経を縁として生育し、成仏したというのが諸経による成仏の実義なのである。
観心本尊抄には「釈迦如来の一代.顕密.大小の二教・華厳・真言等の諸宗の依経往いて之を勘うるに或は十方台葉・毘盧遮那仏・大集雲集の諸仏如来・般若染浄の千仏示現・大日金剛頂等の千二百尊・但其の近因近果を演説して其の遠因果を顕さず、速疾頓成之を説けども三五の遠化を亡失し化導の始終跡を削りて見えず、華厳経・大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん、而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日・天台の一念三千の法門を見聞して或は自ら所持の経経に添加し或は天竺より受持するの由之を称す、天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心・愚心出来す、然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」(0246-02)と述べられている。
そして、過去世に法華経により下種された人が、その血縁の厚薄によって「華厳経を縁として初地初住に登る人もあり、阿含経を縁として見思を断じて二乗と成る者もあり、観経等の九品の行業を縁として往生する者もあり」と仰せになっている。
釈尊は、一仏乗を説くことを目的としたが、機根が熟していない衆生に対しては三乗の法を説き、機根を調熟させてから、最終的に一仏乗に帰せしめようとしたのである。したがって、過去に法華経の下種を受けた衆生が、機根によっては爾前の諸経を縁として分々の悟りを得ることはあった。しかし、それは真の成仏ではなかった。
日寛上人は三重秘伝抄で「種子を覚知するを作仏と名づくるなり…而るに迹門に於ては、末だ久遠下種を明かさず。豈本無に非ずや。而るを二乗作仏と云うは寧ろ今有に非ずや」と述べられており、法華経迹門で二乗作仏が説かれたといっても、成仏の種子が明かされていないので、本無今有であり、有名無実なのである。まして、二乗作仏も久遠実成も明かされない爾前の諸経においては、成仏といっても、名のみで実義が無いことは明らかである。
「爾前にして界外へ至る人を法華経より之を尋ぬれば皆法華経の得道なるべし」と仰せのように、爾前経によって三界六道の迷いを離れて四聖に登ったというのも、法華経の実義からみるならば、すべてが法華経による下種結縁の功徳なのであって、爾前の諸経は機根を熟させた縁にすぎない。
「又過去に法華経の種を殖えたる人の根鈍にして爾前の経経に発得せざる人人は法華経にいたりて得道なる」との仰せは、過去に法華経の下種を受けながら、機根が劣るために爾前の諸経を縁にしては熟脱できなかった人は法華経にきて初めて成仏したということである。
結局、釈尊在世に得道した人々は、そのほとんどが過去の法華経の下種によるのであり、五百塵点劫という久遠の昔に釈尊が成道して以来、下種し化導してきた衆生が、機根が熟し、過去の下種を覚知して解脱し成仏したのである。
又仏の滅後にも正法一千年が間は
次に、釈尊滅後、正法・像法時代の得道について述べられている。
正法一千年の間は、釈尊在世ほどではないが、過去に法華経の下種を受けた人々が法華経や涅槃経によって成仏したという場合もあるし、在世に法華経の下種を受け滅後、正法時代に得道した者も多いと仰せられている。
教行証御書には「夫れ正像二千年に小乗権大乗を持依して其の功を入れて修行せしかば大体其の益有り、然りと雖も彼れ彼れの経経を修行せし人人は自依の経経にして益を得ると思へども法華経を以て其の意探れば一分の益なし、所以は何ん仏の在世にして法華経に結縁せしが其の機の熟否に依り円機純熟の者は在世にして仏に成れり、 根機微劣の者は正法に退転して権大乗経の浄名・思益・観経・仁王・般若経等にして其の証果を取れること在世の如し、されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり」(1276-01)と述べられている。
また、釈尊滅後ではあっても、法華経は現存したので、外道の婆羅門等から仏教に移って小乗経を信じるようになり、小乗教から更に大乗経に移り、権大乗教から進んで、法華経を信ずるようになった人々も多かったとして、竜樹・無著・世親などを挙げられている。
竜樹は、南インドに出現した付法蔵の第14祖で、婆羅門の出身だった。初めは小乗教を学んだが、後に大乗に帰依し、大乗経の諸経典を注釈して大乗思想に大きく貢献し、後世に八宗の祖師と仰がれた。
無著は、北インドのバラモンの家に生まれ、出家して小乗の空観を学んだが満足できずに、唯識論師の弥勒に大乗空間を受けたとされる。その後、広く大乗を説き、摂大乗論等、多くの著作を残している。また、小乗に執着していた弟の世親を教化して、大乗に帰依させた。
世親は、無著の弟で、初めは小乗経を学び、俱舎論を著している。後に兄の無著に大乗教へ導かれ、小乗に執着していた誤りを悔いて舌を切ろうとしたが、大乗を誹謗した舌で大乗を賛嘆すればその罪は消えると無著にさとされて、大乗教をおおいに宣揚した。また、大乗の論を多く著して「千部の論師」といわれた。
ここに挙げられた竜樹・無著・世親等は、権大乗教を表として弘めたが、内心は法華経を根本としていたことは、天台大師が「内鑒冷然・外適時宜」の言葉で表現しているとおりである。このことから、本抄でも「権大乗より法華経にうつる人人」の例として挙げられている。
次に、像法一千年の間は、正法時代ほどでもなくて、過去世や釈尊在世に法華経の下種を受けた衆生が「少少之有り」と仰せられている。いうまでもなく、南岳大師・天台大師・妙楽大師・伝教大師がその例ということになろう。
しかし、像法の末にもなると次第に力が薄くなり、各宗派の我慢偏執のみ強くなって、仏法についての争いが激しくなり、世間の罪によるよりも仏法に背く謗法の罪によって地獄に堕ちる者が数を知れぬほど多くなった。
仏法のなかの争い、合戦とは、諸宗派間の争いもあったが、根本的には諸宗がそれぞれ依経に執着して、法華経を誹謗し下したことをさしている。「仏法の失に依つて無間地獄に堕つる」とは、正法たる法華経を誹謗した罪報をさすものだからである。
法華経譬喩品第三には「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、即ち一切、世間の仏種を断ぜん…若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん…其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と説かれている。したがって、法華経に背き誹謗することは地獄に堕ちる業因となるのである。
0525:11~0526:07 第六章 末法の破法の様相を示すtop
| 11 今は又末法に入つて二百余歳・過去現在に法華経の種を殖えたりし人人も・やうやくつきはてぬ、又種をうへた 12 る人人は少少あるらめども世間の大悪人・出生の謗法の者数をしらず国に充満せり、 譬えば大火の中の小水・大水 13 の中の小火・大海の中の水・大地の中の金なんどの如く悪業とのみなりぬ、 又過去の善業もなきが如く現在の善業 14 もしるしなし、 或は弥陀の名号をもつて人を狂はし 法華経をすてしむれば背上向下のとがあり、或は禅宗を立て 15 て教外と称し仏教をば真の法にあらずと蔑如して増上慢を起し、 或は法相・三論・華厳宗を立てて法華経を下し、 16 或は真言宗大日宗と称して 法華経は釈迦如来の顕教にして真言宗に及ばず等云云、 而るに自然に法門に迷う者も 17 あり或は師師に依つて迷う者もあり、 或は元祖・論師・人師の迷法を年久しく真実の法ぞと伝へ来る者もあり、或 18 は悪鬼・天魔の身に入りかはりて 悪法を弘めて正法ぞと思ふ者もあり、 或ははづかの小乗一途の小法をしりて大 0526 01 法を行ずる人はしからずと我慢して我が小法を行ぜんが為に 大法秘法の山寺をおさへとる者もあり、 或は慈悲魔 02 と申す魔・身に入つて三衣一鉢を身に帯し 小乗の一法を行ずるやからはづかの小法を持ちて 国中の棟梁たる比叡 03 山・竜象の如くなる智者どもを一分我が教にたがへるを見て 邪見の者・悪人なんどうち思へり、此の悪見をもつて 04 国主をたぼらかし誑惑して正法の御帰依をうすうなしかへつて 破国破仏の因縁となせるなり、彼の妺己・妲己・褒 05 姒と申せし后は心もおだやかに・みめかたちも人にすぐれたりき、 愚王これを愛して 国をほろぼす因縁となす、 06 当世の禅師・律師・念仏者なんど申す聖一.道隆・良観・道阿弥.念阿弥なんど申す法師どもは鳩鴿が糞土を食するが 07 如し西施が呉王をたぼらかししに似たり、或は我が小乗の臭糞・驢乳の戒を持て。 -----― 今はまた末法の時代に入って二百余年となり、過去・現在に法華経の種を殖えた人達もだんだんいなくなってしまった。 また種を植えた人は少しはあるだろうが、世間の大悪人や出世間の謗法の者が数限りなく国中に充満している。たとえば大火のなかの小水、大水のなかの小火、大海のなかの真水、大地のなかの黄金のように、悪業のみとなってしまって、過去の善業もきわめがたい。 あるいは阿弥陀の名号をもって人々を狂わせて法華経を捨てさせ、背上向下の罪をつくり、あるいは禅宗を立てて教外別伝と称え、仏教を真実の法ではないと蔑如して増上慢を起こし、あるいは法相宗・三論宗・華厳宗を立てて法華経を下し、あるいは真言宗とか大日宗と称して、法華経は釈迦如来の説かれた顕教で真言宗には及ばないなどといっている。 そこで自然に法門に迷う者もあり、あるいは師匠に従って迷う者もあり、あるいは元祖・論師・人師の間違った教えを、長い間真実の法であると伝えてきた者もあり、あるいは悪鬼や天魔がその身に入り代わって悪法を弘めて正法であると思っている者もあり、あるいは、わずかの小乗のみの小法を知って、大法を行ずる人を間違いであると我慢の心を起こし、自分の小法を弘めるために大法秘法を弘める山寺を抑え取る者もあり、あるいは慈悲魔という魔が身に入るゆえに、三衣一鉢を身に帯して小乗の一法を修行する輩が、わずかの小法を持っただけで、国中の仏法の頭である比叡山の竜象のような智者を、自分の教えと違っているのを見て、邪見の人・悪人であるなどと思っている。 そのうえ、この悪見をもって国主をたぶらかし、惑わして正法の御帰依を薄くさせ、かえって国を破り、仏法を破るの因縁を作っている。 妺己・妲己・褒姒という后は、穏やかな風情があり、容貌も人に優れていたが、愚王はこれに溺れて国をほろぼす因縁となった。 今の世の禅師・律師・念仏者である聖一・道隆・良観・道阿弥.念阿弥などの法師どもは、家鳩が糞土を食べるように、また西施が呉王をたぼらかしたことに似ている。あるいは自分等の小乗の臭糞・驢乳の戒を持って…。 |
末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
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悪業
心身の悪い行為・行動のこと。また、三悪道・四悪趣に堕ちる因となる業をいう。悪業には五逆罪・十悪(業)など種々あるが、最大の悪業は謗法であり、無間地獄に堕ちるとされる。
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善業
善の行為のこと。悪業に対する語。
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弥陀の名号
南無阿弥陀仏を口唱すること。浄土宗では娑婆世界を穢土としてきらい、南無阿弥陀仏の名号を唱えれば、西方極楽世界の阿弥陀仏の浄土に往生することができると説く。
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背上向下
上に背き下に向かうこと。低い教えをもって最上の教えに背くことをいう。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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教外と称し
仏の悟りは経文の教えの外にあると称すること。
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増上慢
まだ覚りや徳を体得していないのに、体得したと思って慢心を起こし、他より優れていると思うこと。七慢(慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢)の第5。法華経方便品第2(法華経118~119㌻)には、5000人の増上慢の四衆が、釈尊の説法を聞く必要がないと座を立ち去ったとある。妙楽大師湛然は『法華文句記』で、勧持品の二十行の偈に描かれる法華経の行者への迫害者を、俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢に分けたが、これを三類の強敵と呼ぶ。
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大日宗
真言宗のこと。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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顕教
真言宗が密教以外の仏教の教えを指すのに用いた語。広く開かれて説かれた教えを意味する。もとは空海(弘法)が自身の教判として用い、衆生を導くために応身・化身(ここではそれぞれ報身・応身のこと)としての姿を現した如来が衆生の機根に従って広く説いた仮の教えを顕教と呼び、法身の如来が真理をひそかにそのまま示した教えを密教としたことに由来する。後に日本仏教で一般的に用いられ、顕密と併称して日本仏教全般を意味する。円仁(慈覚)以降の天台密教は、顕教と密教が教理の上で究極的には一致すると説くが、別しては印と真言といった事相を説く密教の方が顕教より優れているとする。
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論師
「論」を著して仏法を宣揚する人。例えば、正法時代の竜樹(ナーガールジュナ)、世親(天親、ヴァスバンドゥ)など。
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人師
論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師智顗、妙楽大師湛然などをさす。
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悪鬼
悪鬼とは奪命者、奪功徳者で、六道の中の餓鬼道に住する。鬼に善鬼と悪鬼がある。悪鬼は人の生命力を衰えさせ、思考の乱れを引き起こして、正法を行ずる者を妨げる。また国家・社会に対して天変地変や思想の混乱を起こす働きをする。法華経勧持品には「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん」とあり、この文について御義口伝には「悪鬼とは法然弘法等是なり入其身とは国王.大臣.万民等の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を怨むべしと云う事なり」とある。このことから、悪鬼とは、仏教を看板にかけた邪教の指導者のことである。
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天魔
第六天の魔王のこと。欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
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慈悲魔
慈悲の魔。①衆生に一分の慈悲心があるのに乗じてその心に入り、あわれみの情けだけを募らせて是非善悪の価値判断を狂わせる魔。②人を正法に執着させて正法を破る魔。
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三衣一鉢
僧が所持を認められた3種の衣服と、布施を受ける時に用いる鉢1個のこと。「三衣一鉢を持つ」で、戒律を守って清貧でいることを意味する。
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比叡山
滋賀県大津市と京都市にまたがる山。叡山ともいう。古来、山岳信仰の対象とされてきた。主峰を大比叡ケ岳(848メートル)といい、そのやや西に四明岳(838メートル)がそびえる。大岳から東北方に広がる山上の平坦部に日本天台宗の総本山・延暦寺があり、東麓に延暦寺の守護神を祭る日吉大社がある。
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竜象
生没年不詳。鎌倉時代の天台宗の僧。はじめ延暦寺に住んでいたが、比叡山の衆徒により住房を焼き払われた。これは竜象房の人肉を食べるという性癖が露見したためであると考えられる。「頼基陳状」に「彼の竜象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由露顕せしむるの間」(1159㌻)とある。その後、鎌倉に入り、極楽寺良観(忍性)の庇護を受け、桑ケ谷に法席を構えて説法し、釈尊の再来であると敬われていた。しかし建治3年(1277年)6月、日蓮大聖人の弟子だった三位房と問答し、多くの聴衆の面前で徹底的に破折された。このことを恨み、三位房と同行した四条金吾が徒党を組み武器をもち悪口・悪行をして竜象を責めたとの虚偽の証言をつくり、金吾の主君、江間氏に訴えた。このため金吾は主君の勘気を受けた。桑ヶ谷問答のあと、竜象房の行方は不明だが、同年9月に金吾に与えられた「崇峻天皇御書」には「彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ」(1171㌻)と記されている。
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妺己
中国・夏王朝最後の王・桀の妃。桀は妹已の色香に溺れてその歓心を買うため政治を顧みず、ついに殷の湯王に滅ぼされたという。
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妲己
中国,殷の紂王の寵妃。有蘇氏を討って妲己を得た。紂王は彼女のいうことは何でもかなえてやり,淫声の楽を作らせ,賦課を重くして,酒池肉林にふけり,長夜の宴を催し,また炮烙 の刑を行なって妲己を喜ばせたという。
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褒姒
周王朝の幽王の妃。幽王の寵愛を受け、王の子伯服を産んだ。一度も笑ったことのない褒姒の笑顔を見るため、幽王は非常用の烽火をあげ諸侯から反発をかい、また、王妃・申后と太子宜臼を廃し、褒姒と伯服を立てたことから、申后の父・申侯の怒りをかって滅ぼされた。
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聖一
円爾弁円のこと。1202年~1280年。鎌倉時代の臨済宗の禅僧。円爾も弁円も法名。宋に渡り、無準師範のもとで修行し、印可を得て帰国。博多の承天寺で活動した後、摂政・九条道家の発願により京都に建立された東福寺の開山として迎え入れられた。教学面では禅宗と密教の兼修を特徴とする。北条時頼に授戒するなど、国政の要人に影響力を持ち、没後、国師号を得て聖一国師と呼ばれた。「開目抄」(228㌻)では、極楽寺良観(忍性)とともに僭聖増上慢の一人として挙げられている。
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道隆
1213年~1278年。鎌倉時代に南宋から渡来した臨済宗の禅僧。蘭渓ともいう。筑前(福岡県)、京都をへた後、鎌倉の北条時頼の帰依をうけ、建長5年(1253年)に建長寺の開山として迎え入れられた。時頼の出家の戒師も務めている。文永5年(1268年)、「立正安国論」に予言されたとおりに蒙古から国書が到来した際、日蓮大聖人は幕府の為政者や諸宗の僧を諌暁し、道隆に対しても書状(173㌻)を送り、公場対決を迫られた。しかし道隆はこれに応じず、真言律宗の極楽寺良観(忍性)らとともに幕府に働きかけ、同8年(1271年)の竜の口の法難が起こる契機をつくった。権勢を誇った道隆であるが、大聖人は「道隆の振る舞いは日本国の道俗は知ってはいるけれども、幕府を恐れているからこそ尊んでいるとはいえ、内心は皆疎んでいるだろう」(1230㌻、通解)と指摘されている。
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良観
1217年~1303年。鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性のこと。良観房ともいう。奈良の西大寺の叡尊に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。文永4年(1267年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府権力に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。文永8年(1271年)の夏、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。
―――
道阿弥
道教のこと。生没年不詳。鎌倉中期の浄土宗の僧・道教房念空のこと。道阿弥陀仏、道阿とも略称される。鎌倉の新善光寺の別当。鎌倉の念仏者の中心人物。諸行本願義(称名念仏以外の諸行も阿弥陀仏の本願にかなうという法義)を主張した長西の弟子で、法然(源空)の孫弟子にあたる。日蓮大聖人は直接対面して法論をしたことがあり、その時、一言二言で退けている。以来、大聖人への迫害を画策し、文永8年(1271年)の竜の口の法難の直前には、極楽寺良観(忍性)や然阿良忠らとともに、行敏を使って大聖人を不当に告訴している。「四信五品抄」(342㌻)によれば、盲目になった。
―――
念阿弥
良忠のこと。1199年~1287年。鎌倉時代の浄土宗の僧。阿弥号は然阿弥陀仏で、念阿弥陀仏とも書き、然阿・念阿と略称する。法然(源空)の孫弟子にあたり、日蓮大聖人の時代には鎌倉の念仏者の中心となっていた。文永8年(1271年)6月、極楽寺良観(忍性)が祈雨に失敗した後に、大聖人は行敏から提訴されたが、この訴えに対して大聖人が出された反駁書「行敏訴状御会通」(180㌻)では、良観や道阿弥陀仏とともに然阿弥陀仏がこの訴状に関わっていることが明らかにされている。また「開目抄」(229㌻)でも、良観とともに偽書を作成して幕府へ提出する謀略ぶりを暴露されるとともに、三類の強敵の第3・僭聖増上慢の一人として挙げられている。
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西施
生没年不詳。中国春秋時代の越の国の美女。薪売りの娘で越王勾践に見いだされた。越が呉と戦って敗れると、勾践は西施を呉王夫差に献上した。夫差は西施の容色に溺れ、政を怠るようになり、その隙をついて越は呉を滅ぼしたと伝えられる。
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呉王
夫差のこと。〈前0496~0473年)は、中国春秋時代の呉の第7代、最後の王。姓は姫。春秋五覇の一人に数えられる。先代の呉王闔閭の次男。越王勾践によって討たれた父・闔閭の仇を討つため、伍子胥の尽力を得て国力を充実させ、一時は覇者となったが、勾践の反撃により敗北して自決した。
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末法に入って200余年経ち、謗法の者のみが充満して、仏法は破れ、国も滅びようとしている姿を鋭く指摘されている。ただ、以後の部分が欠損しているため、途中までしか拝せないのが悔やまれる。
今は又末法に入つて二百余歳・過去現在に法華経の種を殖えたりし人人も・やうやくつきはてぬ
末法に入って200余年を経た日蓮大聖人御在世当時は、すでに過去世であれ釈尊在世であれ、法華経の下種を受けた衆生は尽き果ててしまい、そこに法華経誹謗の邪宗邪義がはびこっている根本原因があることを述べられている。
教行証御書には「今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し権実の二機悉く失せり、此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」(1276-05)と述べられている。
末法においては、過去世や釈尊在世に結縁した者は一人もなく、したがって「権実の二機」、「権」すなわち権教を縁として調熟する衆生も、「実」すなわち法華経で得脱する衆生も、もはやいなくなってしまったのである。
このように、遠い過去世にせよ、釈尊在世にせよ、法華経の下種を受けた衆生を天台大師は、法華文句で「本已有善」と呼んでいる。そうした衆生は正法・像法時代で得脱してしまい、末法では過去に釈尊の仏法に縁がなく、歴劫修行もしていないため、全く善根を積んでいない「本未有善」の衆生のみとなる。
日寛上人は、依義判文抄で「正像二千年に猶過去下種、在世結縁の者有り。今既に末法に入る。過去下種、在世結縁の者漸漸に衰微し、熟脱の二機皆悉く尽きぬ…故に末法の衆生は皆是れ本未有善にして最初下種の直機なり」と示されている。
末法の衆生は、「本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経」すなわち御本仏・日蓮大聖人の寿量文底下種の三大秘法の仏法に縁し、初めて下種を受けることによってのみ成仏できるのである。
ただし、末法の衆生は「逆謗の二人」と仰せのように、五逆罪の衆生が、そうでなければ正法誹謗の者がほとんどである。しかし、妙法は、たとい誹謗しても、かえって逆縁を結んで救う力をもっている。このように、順縁・逆縁の衆生をともに救うことができるのは下種仏教だからなのである。
ともあれ、末法には、世間・出世間ともに大悪がはびこっているので、少しばかり過去の善業をもっていたとしても役に立たないし、今世で善業を努力して積んでも、その効果はないと仰せられ、出世間の大悪の例として念仏・真言などを挙げられているのである。
当時、日本中に大流行していた浄土宗は、末法には法華経では誰人も成仏できず、阿弥陀仏の名号を称えることによってのみ極楽浄土に往生できると説いて人々の心を狂わせていた。その根本は浄土宗の祖・法然が、法華経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と主張して法華経を捨てさせたところにある。そのため大聖人は「阿弥陀仏は無間の業」(1073-01)と破折されている。
また、武士階級のあいだに広まっていた禅宗は、「教外別伝・不立文字」と立てて、仏の本意の教説の外に伝えられ、文字を立てなかった。ゆえに法華経などを読んでもムダであり、坐禅によってのみ悟ることができるとしているのである。
この禅宗の教義は、仏の教説を卑しみ軽んずる増上慢の邪義であり、仏法を破壊するものである。そのため大聖人は「禅宗は天魔の所為」(1073-02)と破折されている。
既成の南都六宗のうち、大乗の法相、三論、華厳の各宗は、伝教大師に破折されたことを忘れて、以前にも増して法華経を下すようになった。
更に、真言宗は、弘法が釈尊一代の経々を教義内容から顕教と密教に立て分けた教判を立てて、法華経は報身や応身の釈迦仏が衆生の機根に応じてあらわに説いた随他意の法門であり、法身の大日如来が自受法楽のために示した三密の法門は表面からは知りがたい秘密の教えであって、密経のほうが勝れていると主張していた。
このように、本来の教主である釈尊を否定して、架空の仏である大日如来を本尊と立てる真言宗のことを大聖人は「真言は亡国の悪法」(1073-02)と破折されている。
このように仏教界が混乱していたことから、自然に仏教に迷う者もあり、諸宗の師について仏教に迷う者もいれば、あるいは諸宗の元祖や途中の論師・人師の誤った法を、長いあいだ、真実の法と誤り伝えてきた者もあり、あるいは悪鬼や天魔がその身に入り代わっているため、悪法を正法と信じているのである、と仰せである。
或ははづかの小乗一途の小法をしりて
ここは、とくに律宗を弘め鎌倉仏教界で力をもっていた極楽寺良観のことをいわれていると拝される。
大聖人御在世当時、小乗の小法を弘めた者に、奈良の西大寺に住んで南都の戒律を復興しようとした叡尊がおり、その高弟が鎌倉・極楽寺の良観だった。
叡尊は、初め高野山で密経を学んだが、律宗が衰えてきたことを嘆き、東大寺の覚盛に従って受戒して律宗の復興に尽して、後深草・亀山の二上皇に受戒したほか皇室や公家にも多くの信徒を得た。鎌倉でも北条時頼をはじめ北条一族で受戒する者が多く、受戒した弟子は六万人ともいわれた。
叡尊は、二百五十戒・五百戒など小乗の戒律を守るよう人々に勧め、それに真言による祈禱と、阿弥陀如来の名号を称える修行に加えて、律・真言・念仏の三宗を折衷した真言律宗という新興宗派を始めたのである。
良観は、叡尊から受戒を受けて弟子となり、東国の教化を命ぜられて各地を転々とした後に鎌倉に入り、北条重時の招きを受けて極楽寺の開山となった。
その後は、道路を開き橋を架け医療施設を設けるなどの社会事業を興し、また雨を祈ったり病気平癒の祈禱をするなどで、人々から生き仏のように敬われた。しかし、実際は幕府権力と結託し、関所や木戸を設けて関米や人別の銭をとるなどして、庶民を苦しめながら強制的に社会事業の費用を集め、名声を得る一方で私財を蓄えていたのである。
大聖人は、そうした良観の実態を鋭く見抜かれ、「大小の戒律は世間誑惑の法と云云、日蓮が云く小乗戒は仏世猶之を破す其の上月氏国に三寺有り、所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺となり云云、一向小と一向大とは水火の如し将又道路をも分隔せり、日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に小乗の戒壇を三所に建立せり、其の後・桓武の御宇に伝教大師之を責め破りたまいぬ、其の詮は小乗戒は末代の機に当らずと云云」(0181-07)と、末法の衆生の機根に合わない小乗の戒律を弘める誤りを指摘されるとともに、律宗を信じ弘める者は、国を破壊に導く賊となるとして、「律国賊」と破折されている。
しかし、当時の律宗の者は、時機にかなわない小法を持ちながら、権力を後ろ盾に、大乗の寺を奪い取ることさえあった。
大聖人は、小乗の輩が比叡山の学者などをバカにして「邪見の者・悪人」と悪口していたことを、「慈悲魔と申す魔」が身に入った姿であるとされている。
慈悲魔とは、首楞厳経に出てくる語で、衆生に一分の慈悲があるのに乗じてその心に入り、哀れみの情けを募らせて、小善に執着して大善に背かせるような、是非善悪の判断を狂わせる魔をいう。良観の例からも分かるように、小乗は慈善等の小善を行い、その姿は人々の慈悲心に訴えて渇仰の心を起こさせる。小乗に執着して大乗に背くというのは、価値判断の狂いによるものなので、末法の小乗の徒を慈悲魔に魅入られた者とされたのであろう。
「国中の棟梁たる比叡山・竜象の如くなる智者ども」と仰せられているのは、当時の比叡山延暦寺は台密といわれたように真言密経になり下がっていたが、ここでは大小相対の意味からと、本来の天台法華宗という立場から与えていわれたものであろう。
「一分我が教にたがへるを見て」との仰せは、小乗の戒律に少しでも背くことがあればとの意で、律宗の輩は、それだけで天台の学者等を邪見・悪人ときめつけたのであり、時と機根と教法の浅深を知らない全く見当はずれの批判にすぎなかった。
たとえ戒律を守って悪を止めたとしても、それで成仏できるわけではない。小善たる戒律にとらわれて成仏の大法に背くことは、大悪であり大謗法であるから、堕地獄の因となるのである。
叡尊や良観が、天皇や幕府の執権等の為政者をたぶらかして小乗の戒を受けさせたということは、正法への帰依を妨げる結果となり、国土や社会を滅ぼし、仏法を破る原因をつくったのである。
大聖人は、夏の傑王に愛された妺己、殷の紂王に愛された妲己、周の幽王に愛された褒姒は、それぞれ隠やかな風情があり、容貌も人に優れていたが、愚かな王がそれに溺れたことが国を滅ぼす原因となった故事を挙げられ、権力者が小乗の小法に迷って国や我が身を滅ぼすことのたとえとして戒められているのである。
また、小法で人をたぶらかす者として、臨済宗東福寺派の祖・聖一、栄から日本に渡ってきた臨済宗の蘭渓道隆、真言宗の忍性良観、浄土宗の道阿弥と念阿弥を挙げられている。小乗戒を立てた良観だけでなく、当時流行していた新興宗教の禅宗や浄土宗の名も挙げられているのは、それらが法華経の正法と比べれば小乗であり、小法にすぎなかったからであろう。
彼らは、いずれも朝廷や権力者に取り入ってその帰依を受け、権威をかさに世人を惑わして謗法を犯させ、人々を地獄に堕としたばかりでなく、国土に三災七難を招き寄せたのである。
その姿を大聖人は、家鳩が汚い糞にまみれた土を食うようなものであり、また、中国・春秋時代に敵の越王から献上された美女の西施が呉王の夫差をたぶらかし、政治を忘れて国費を乱費させ、国力を弱めてから越軍が攻め入って滅ぼしたようなものである、と仰せになっている。漢土は小法の邪見・悪見に、西施は小法の邪師にたとえられているのである。
更に、小乗の戒は臭糞・驢乳のようなものであるといわれている。ロバの乳は牛乳と色は同じであるが、牛乳は精製加工すると、最後は醍醐になるが、ロバの乳を同じように加工すると糞になってしまうといわれている。小乗の戒は一見すると、善のように見えるが、結局は悪道に堕とすので驢乳のごときものであるとされたのであろうか。末尾が欠けており、この内容は分からない。
本抄のここまでの内容は、権実相対でとどまっているが、本章で末法には釈尊の仏法に結縁し下種された衆生は尽きると述べられていることから、末法の本未有善の衆生に下種される大法こそ、法華経の本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経であることが明かされていたのではないか。
そして、この文底秘沈の大法と比較すると、一切の法は「小乗教」「未得道教」であることを明らかにすることが、本抄の元意であったであろうと推測しておく。
0527~0533 立正観抄top
0527:01~0527:02 第一章 当世天台宗の教義を挙ぐtop
| 0527 立正観抄 文永十一年 五十三歳御作 法華止観同異決 日蓮 撰 01 当世天台の教法を習学するの輩多く 観心修行を貴んで 法華本迹二門を捨つと見えたり、 ・ -----― 法華止観同異決 法華経と止観の同異を決する 現在、天台の教法を習学する人々の多くは観心修行を貴んで、法華本迹二門を捨てているように思われる。 |
法華止観同異決
天台宗では「三大章疏同異決」「華厳天台同異事」などで止観が法華経に勝るという義や、達磨の禅が止観に勝っているとする邪義を立てている。
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天台の教法
天台の立てた教法。
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観心修行
天台家では教相門と観心門をたて、このうち観心門では、不生不滅にして実相というべき心を観ずることとし、さらに三種観心(従行観・附法観・託事観)をあげ、このうちの従行観を中心の観法と立てた。日蓮大聖人は観心本尊抄で「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(0240-01)と示されている。
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本迹二門
法華経の本門と迹門のこと。序品~安楽行品を迹門といい、その中心は諸法実相に約して理の一念三千を明かしている。本門は湧出品~勧発品までで、その中心は釈尊の久遠実成の本地を明かし、本因妙・本果妙・本国土妙に約し、仏の振る舞いから事の一念三千を説く如来寿量品である。
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初めに、本抄御述作の由来と背景に触れておきたい。本抄は文永11年(1274)、日蓮大聖人が53歳の御時に、最蓮房に宛てられたものである。最蓮房は、大聖人の佐渡流罪中に、なんらかの理由で先に佐渡に流罪になってきており、大聖人を知ってその門下になった天台宗の学僧である。
大聖人の佐渡流罪御赦免のあと、間もなく最蓮房も許されて京都に帰ったものと推察されるが、その最蓮房から、当時、盛んに喧伝されていた比叡山・天台宗の新しい教義、止観の修行は法華経に勝っているゆえに法華経を捨ててもよいという義が、正しいか否かについて御教示を請う書簡が身延の大聖人のもとに届き、これに答えられるために本抄を認められた、と考えられる。
したがって、本抄はまず冒頭に「法華止観同異決」という標題を付され、初めに、当世天台宗の、止観が法華経に勝るという義や、達磨の禅が止観に勝っている、という義を挙げられ、これらが天台大師の立てた教観双美から逸脱した、間違った観法であると指摘され、破折されている。
次いで、天台大師が己心のなかに証得した秘法こそ“妙法”であったことを述べられて、この“妙法”を天台大師は止観と説き、今、末法今時において日蓮大聖人は南無妙法蓮華経として明かしておられることを示される。そして、末法の正観たる南無妙法蓮華経からすれば、天台大師の止観は末だ権を帯びた観法にすぎないと結論されている。
以上の大意から、立正観抄の題号の意味に一往・再往の二とおり考えられる。
一つは一往の義であり、当世叡山天台宗の立てている止観が法華に勝るという邪な義を破折して、天台大師の本意である教観双美の“正観を立てる”義である。
二つには再往の義で、天台大師の正観も、あくまでも像法時代の修行であって、今、末法においては三大秘法の南無妙法蓮華経の“正観を立てる”のである。
また、本抄の題号には立正観抄のほかに、本抄冒頭の法華止観同異決という標題をあてる場合もある。なお、本抄の御真筆は存在していない。
さて、本抄の冒頭にあたって、当世の叡山天台宗の人々が立てていた、観心修行を尊び法華経の本迹二門を捨てる謬義を挙げられている。
法華止観同異決
本抄の標題として日蓮大聖人が掲げられたものである。法華経と止観との同・異を決定する、という意味である。
この法華止観同異の問題と別に、十章章で「但止観は迹門より出たり・本門より出たり・本迹に亘ると申す三つの義いにしえより・これあり」(1273-06)と仰せられているように、止観の修行が法華経迹門の実相を観ずることにあるのか、あるいは本門の義を観ずることにあるのか、更には本迹二門にわたって法華経全体を観ずることにあるのか、という議論が昔から続いていた。
この論議は、天台大師の三大部や妙楽大師の同三大部における止観についての記述が、読む者の見地によって解釈が分かれるところから出たものといえよう。
今、一例を挙げると、妙楽大師の止観輔行伝弘決巻三の一に「故に知る、一部の文、共に円乗開権の妙観を成ず」とある。ここで“一部”とは摩訶止観一部をさす。つまり、摩訶止観一部は“円乗開権の妙観を成ず”、すなわち権教を開き、法華円教の一仏乗の乗物に会入する、という不可思議な観を成就することを目指している、というのである。
“開権”ということから、この妙楽大師の文は、止観の修行が法華経迹門の実相を観ずることにあるといっていることになる。
これに対し、止観の行が本門の義や法華経全体の意を観ずることにあると読めるような文も、天台大師や妙楽大師の著作には散見されているのであるから、その詳細はここでは省略する。
以上のような論議が更に発展して、法華経のどこから出たというより、天台大師の独自の悟りによるもので、止観の行は法華経に勝っており、ゆえに法華本迹二門を捨てるべきだ、という極論が出てきたといえる。
日蓮大聖人はこの新たに起こった法華止観同異の問題に対し、あくまでも法華経を根本とすべきであることを明らかにされるのである。
当世天台の教法を習学するの輩多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり
当時の叡山・天台宗では、止観の観心修行のほうが法華経の本迹二門より勝れているので、法華経を捨てて専ら止観のみを行ずる、ということが主張されていた。
この教義は、淵源をたどれば、叡山の学僧達の間で主張されていたもので、文永11年(1274)ごろに初めて出てきたわけではなかった。
その淵源の一つとして、忠尋作と伝えられる漢光類聚が挙げられる。一例を示すと、「行において重重あり、謂く、爾前・迹門・本門乃至観心なり、今の行とは、本迹教門を捨てて不思議末分なる自体なり、一心三観・一念三千、並びに四性推検等、皆これ末分の実体なり」の文などに明らかである。
観心の行とは、法華経の本迹の教門を捨てて、本門や迹門に分けられる以前の仏の悟りそのものを観ずる修行であるということである。
この漢光類聚の一文に明らかなように、止観の観心修行は、爾前・迹門・本門といった教門を捨てて、仏の悟りを直接に観ずるものであるとされていたのである。
0527:02~0527:09 第二章 止観勝法華劣の教義を検討するtop
| 01 今問う抑観心修行 02 と言うは 天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観・一念三千の観に依るか、 将又・世流布の達磨の禅 03 観に依るか、 若し達磨の禅観に依るといわば 教禅は未顕真実妄語方便の禅観なり 法華経妙禅の時には正直捨方 04 便と捨てらるる禅なり、 祖師達磨禅は教外別伝の天魔禅なり、 共に是れ無得道妄語の禅なり仍て之を用ゆ可から 05 ず、 若し天台の止観一心三観に依るとならば止観一部の廃立・天台の本意に背く可からざるなり、 若し止観修行 06 の観心に依るとならば法華経に背く可からず 止観一部は法華経に依つて建立す 一心三観の修行は妙法の不可得な 07 るを感得せんが為なり、 故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なること 08 を、其の故は天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを己心証得の止観とは云う故なり。 -----― 今、問うて云う。その観心修行というのは天台大師の摩訶止観に説かれる「己心中に行ずる所の法門を説く」とされた一心三観・一念三千の観法によるのか。あるいは世に流布している達磨の禅観によるのか。 もし達磨の禅観によるというならば、まず教禅についていえば未顕真実・妄語・方便の禅観である。法華経による妙禅からすれば、それは正直捨方便と捨てられる禅である。 また、祖師・達磨の禅についていえば教外別伝の天魔禅である。教禅・達磨禅ともに無得道・妄語の禅であるから、禅観を用いてはならない。 もし天台大師の摩訶止観に説かれる一心三観によるというならば、止観一部の廃立、天台の本意に背いてはならない。 すなわち止観に立てられた修行の観心に依るというならば、法華経に背いてはならない。それは摩訶止観一部は法華経に依って建立したものであり、一心三観の修行は、感得しがたい妙法を感得するためだからである。 ゆえに法華経を捨てて、ただ観法を正とする人々は、大謗法・大邪見・天魔の所為なのである。そのゆえは天台の一心三観とは法華経によって三昧に入り悟りを開くことを己心証得の止観というからである。 |
天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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摩訶止観
『止観』と略される。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。
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説己心中所行法門
「己心の中に行ずる所の法門を説く」と読む。章安大師灌頂が『摩訶止観』の序に記した言葉。天台大師智顗の止観は、天台が自分自身の心の中で行じた法門を説いているということ。妙楽大師湛然はこの文を引きながら、『摩訶止観』巻5の正修止観章で初めて説かれる一念三千が最高・究極の教え(終窮究竟の極説)であるゆえに、章安は「説己心中所行法門」と記したとしている。「観心本尊抄」(239㌻)で引用されている。
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一心三観
一心に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行。天台大師智顗が立てた観心の法門。天台大師はこれを止観の正行とした。別教で立てる次第三観に対して円融三観ともいう。別教においては、まず空観を修し、三惑のうちまず見思惑を断じて空諦の理を証し、次に仮観を修し、塵沙惑を破して仮諦の無量の法門を知り、そののちに中道観を修し、無明惑を断じて中道の理を証する。このように、空・仮・中の三諦を次第に観じていくので次第三観という。これに対して天台大師の一心三観では三観を修行の初めから直ちに修するので不次第三観という。修行の時間も隔たりがなく、中道の理を証するにも空間の隔たりがなく、一境の上に三諦が相即し、三観も一心に円融するので円融三観という。この一心三観を基盤として一念三千の法門が展開される。
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一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
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流布
広く世に広まること。
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達磨
5~6世紀、生没年不詳。菩提達磨はサンスクリットのボーディダルマの音写。達磨と略す。達摩とも書く。中国禅宗の祖とされる。その生涯は伝説に彩られていて不明な点が多い。釈尊、摩訶迦葉と代々の法統を受け継いだ28代目の祖師とされる。以下、伝承から主な事跡を挙げると、南インドの香至国王の第3王子として生まれ、後に師の命を受け中国に渡る。梁の武帝に迎えられて禅を説いたが、用いられなかった。その後、嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続けていたところ、慧可が弟子入りし、彼に奥義を伝えて没したという。
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達磨の禅観
達磨の立てた禅観のこと。如来禅と祖師禅がある。①如来禅。法身・般若・解脱の三徳を究竟して証得し、衆生のために不可思議な力用を起こす仏の禅をいう。②祖師禅。祖師から弟子へ文字によらず直ちに以心伝心で悟りを伝える禅。菩提達磨の流れを汲み慧能によって立てられた禅。
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禅観
坐禅観法のこと。坐禅を修して深く心を一処に定めて、悟りを観ずる方法。
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教禅は未顕真実妄語方便の禅観なり
教禅の根拠となっている楞伽経・金剛般若経等が未顕真実・妄語方便の経であることから、教禅は未顕真実・妄語方便の禅観にすぎないということ。
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教禅
釈尊の禅定を説く経教によって立てた禅。
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未顕真実
無量義経説法品第2の文。「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経29㌻)と読む。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ。
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妄語
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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方便
仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
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法華経妙禅の時には正直捨方便と捨てらるる禅なり
教禅は未顕真実の権教に依拠としているので、真実の法華経が開顕されたときには、ほけきょうに正直捨方便と説かれるように、方便として捨てなければならない禅観なのである。
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法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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法華経妙禅
法華経によって立てた観法のこと。すなわち天台大師が摩訶止観で明かした一心三観・一念三千の観法をいう。妙は法華経の不思議な力用をいい、禅は禅定のことで観心の修行をいう。
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正直捨方便
法華経方便品第2の文(法華経144㌻)。「正直に方便を捨てて」と読む。釈尊が法華経以前に説いた教えはすべて方便であるとして、執着をもたずきっぱりと捨てること。この文は「但だ無上道を説く」と続き、最高の教えである法華経を説くと述べられている。
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祖師達磨禅
達磨の立てた禅観には如来禅と祖師禅があるが、ここでは祖師禅をさす。祖師禅。祖師から弟子へ文字によらず直ちに以心伝心で悟りを伝える禅。菩提達磨の流れを汲み慧能によって立てられた禅。
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教外別伝
禅宗の主張。大梵天王問仏決疑経に基づいて、釈尊の真意は言葉や文字による教えではなく心から心へ摩訶迦葉に伝承されたとする。
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天魔禅
共に是れ無得道妄語の禅
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廃立
釈尊一代聖教を説法の順序・説教の浅深などによって分類し、体系づけて勝劣を判別し、仮を廃捨して真実を建立すること。
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廃立
釈尊一代聖教を説法の順序・説教の浅深などによって分類し、体系づけて勝劣を判別し、仮を廃捨して真実を建立すること。
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本意
本当の意図・気持・意義。
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感得
①仏因に感応して仏果をえること。②感ずる・感づくこと。③神仏に真心が通じ、悟りを得ること。
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謗法
誹謗正法の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。
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邪見
仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。仏法を信じず、因果の道理を否定する考えのこと。
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天魔の所為
天魔とは天子魔のこと。第六天の魔王より起こり、父母・妻子・権力者等のあらゆる姿をもって仏道修行を妨げようとする働きのこと。他化自在天ともいい、仏教そのものを破壊しようとする最も強力な魔。所為とは行い・仕業。為すところの意。
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三昧開発
三昧に入って悟を開くこと。三昧は梵語、サマーディ(Samādhi)の音写、訳して定・調査定・等持・等念という。心を一処に定めて動かぬこと。無量義経の無量義処三昧、法華経の法華三昧など、釈尊の教えの中には多数の三昧が説かれている。日蓮大聖人の仏法においては、一心に御本尊に向かって題目を唱えることが三枚である。開発は自身にそなわる十界三千の生命を開くこと。
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己心証得の止観
己心が一念三千の当体を感得する止観、一念三千の観法をいう。
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先に挙げた叡山・天台宗の教義に対し、反問するかたちで、その誤りを厳格に追及されていくのである。
初めに、彼らの云う「観心修行」というのが、天台大師が“説己心中所行法門”として摩訶止観に明かした一心三観、一念三千の観法に依っているのか、それとも達磨が将来した禅観に依っているのか、と糺されている。
そして、もし達磨の禅観に依るとするならば、教禅と祖師禅の違いはあっても、ともに無得道妄語の禅であるから、用いてはならないと断じられている。
つまり、教禅であるならば、その禅法は法華経以前の金剛般若経、楞伽経などに説かれた禅であるから、妄語方便の禅観であり、もし達磨将来の祖師禅であるならば、教外別伝の天魔の禅、ということになる。
いずれにしても、ともに成仏することのできない“無得道妄語”の禅であるゆえに「之を用ゆ可からず」と厳しく排除されている。
次に、もし天台大師が摩訶止観に説いた一心三観に依る、というならば、摩訶止観のなかで説かれた廃立、すなわち、邪な禅を廃して正しい禅観を立てる、ということについて、天台大師の本意に背いてはならない、そして、何よりも法華経に背いてはならない、と仰せである。なぜなら、摩訶止観一部十巻は法華経を根本として立てられたものだからである。また、摩訶止観に説かれた一心三観の修行は、不可得である妙法を感得するためのものだからである。
以上の理由から、止観の観心修行の根拠であり目的である法華経を捨てて、ただ観のみを正しいとする輩は大謗法であり大邪見であり天魔の行為となる。
なぜなら、天台大師の一心三観というのは、法華経によって三昧に入り、悟りを開発した観法であり、その法華経の法理を証得するところを“己心証得の止観”というのであって、達磨禅のように法華経を無視し経教から全く独立した己心において証得しようとする観法とは異なるのであると述べられている。
天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観・一念三千の観
摩訶止観に章安大師が付した序文のなかに「説己心中所行法門」という文がある。これは「此の止観は、天台智者が己心中に行ぜしところの法門を説きたもう」とある一節のなかの文である。「此の止観」とは摩訶止観に説かれている一心三観・一念三千の観念観法のことであり、これは天台大師が自らの己心に行じたところの法門であると述べているのである。
ちなみに、一心三観は衆生が日常のなかで縁によって起こす一念の心のなかに、空仮中の三諦が円融して具わっていることを観ずる修行法であり、一念三千の観は同じく衆生の日常の一念の心に百界・千如・三千の諸法が円満に欠けることなく具わっていることを観ずる修行法である。
達磨の禅観
インドのボーディダルマが中国に将来した禅観のことである。元来、禅観には教禅、祖師禅の二種類がある。達磨の禅はこのうち、祖師禅にあたっている。
まず、教禅あるいは如来禅は戒・定・慧の三学の「定」、六波羅蜜の「禅定」など、如来の説法や経典などを通して衆生に教えた仏道修行の一つの構成要素としての禅法のことである。
これに対し、達磨の立てた禅は“教外に別伝”して“文字を立てず”に行う禅法であり、換言すれば全く如来の教法とは無関係というところから、如来ではなく祖師が立てた禅であるという意味で祖師禅という。
この二つの禅法のうち、祖師禅が教外別伝であるのに対し、教禅は教内の禅ともいわれた。また、中国において、祖師禅は主として江南で栄え、教禅は江北で栄えた。
本抄で大聖人は「法華経の妙禅」すなわち法華経に依って立てられた天台大師の一心三観・一念三千の観法からみるとき、教禅はどこまでも未顕真実の妄語方便の禅であるから正直に捨てるべき禅法であるとされ、教外別伝・不立文字の達磨の祖師禅にいたっては天魔の禅であると破折されている。いずれにしても、成仏することのできない無得道の禅であると、二つながら破折されている。
天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを己心証得の止観とは云う故なり
前述のように、天台大師が摩訶止観に説いた一心三観・一念三千の観法は章安大師が賛嘆するとおり、天台大師が己心に行じたところの法門を説いたものであるが、天台大師は法華経から独立して観心修行を説いたのではない。
“己心証得の止観”といっても、法華経や経教とは関係なく体得したものではないのである。一念の心が三千の諸法を円満に具えている当体であることを証得するのが天台の止観であるが、一念三千の法理自体、法華経を根本として構築したものであるゆえに、一念三千の観法はまさに法華経が基盤になっているのである。
0527:10~0528:05 第三章 止観が法華経に依ることを明かすtop
| 09 問う天台大師.止観一部並びに一念三千・一心三観.己心証得の妙観は併しながら法華経に依ると云う証拠如何、 10 答う予反詰して云く 法華経に依らずと見えたる証文如何、 人之を出して云く「此の止観は天台智者・己心中所行 11 の法門を説く或は又故に止観に至つて 正く観法を明かす並に三千を以て指南と為す乃ち 是れ終窮究竟の極説なり 12 故に序の中に 説己心中所行法門と云えり 良に以有るなり」文、 難じて云く此の文は全く法華経に依らずと云う 13 文に非ず既に説己心中所行の法門と云うが故なり 天台の所行の法門は法華経なるが故に 此の意は法華経に依ると 14 見えたる証文なり 但し他宗に対するの時は問答大綱を存す可きなり、 所謂云う可し若し天台の止観・法華経に依 0528 01 らずといわば 速かに捨つ可きなりと、 其の故は天台大師兼ねて約束して云く 「修多羅と合せば録して之を用い 02 よ文無く義無きは信受す可からず」云云、 伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文、竜樹の大 03 論に云く「修多羅に依るは白論なり 修多羅に依らざるは黒論なり」文、教主釈尊云く「依法不依人」文、 天台は 04 法華経に依り竜樹を高祖にしながら経文に違し 我が言を飜じて外道邪見の法に依つて 止観一部を釈する事全く有 05 る可からざるなり、 -----― 問うて云う。天台大師の摩訶止観一部、ならびに一念三千・一心三観・己心証得の妙観は法華経によるという証拠はあるのか。 答えて言う。反論していうに、それでは法華経に依らないという証文があるのか。 ある人が証文を出して「此の止観は天台智者大師が己心中の所行の法門を説く」「ゆえに止観に至って正しく観法を明かすのに、一念三千をもって指南としたのである。すなわち、これは終窮究竟の極説である。ゆえに摩訶止観の序の中に『説己心中所行法門』というのは、まことに意味のあることである」と述べている。 難じて云う。この文は全く法華経に依らないという文ではない。既に、章安大師が「説己心中所行の法門」といっているからである。天台の所行の法門とは法華経であるゆえに、この意味は法華経によるという証文である。ただし他宗に対するときは、問答大綱にとどめておくべきであり、もし天台大師の止観が法華経に依らないならば、速やかにその止観を捨てるべきである。と、それは、天台大師は兼ねてから法華玄義に「修多羅と合えば、これを記して用いよ。文無く義無きものは信受してはならない」と取り決め、伝教大師は法華秀句に「仏説に依拠すべきで、人師の口伝を信じてはならない」と述べ、竜樹の大智度論には「修多羅によるのは白論であり、修多羅に依らないのは黒論である」と記され、教主釈尊は涅槃経に「法に依って人に依ってはならない」と、説かれているからである。 天台大師は法華経によって宗を立て、竜樹を高祖としている。そうでありながら法華経の経文に相違し、自らの言葉を飜し、外道・邪見の法によって、摩訶止観一部を講述することなど全くあるはずがないのである。 |
己心証得の妙観
己心が一念三千の当体であることを証得する止観は、不可思議の悟りであることから「妙観」という。
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反詰
質問し、問いただすこと。
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三千
一念三千の法門をさして「三千」という。
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指南
教え示すこと。導くこと。師範の意味。中国唐代の「指南書」の故事によるものとされている。
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終窮究竟の極説
「終窮」は窮まるところ、「究竟」は究極・終極の意で、最終究極をあらわす。止観輔行伝弘決には「止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為せり、乃ち是れ終窮究竟の極説なり」とある。
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大綱
基本的な事柄。
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修多羅
梵語シュタラ(sūtra)の音写。線・① 経文。経典。契経 。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟 の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
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信受
信じて受けたもつこと。
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伝教大師
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ
伝教大師の法華秀句巻下「無問自説果分勝三」の文。どこまでも仏説を依拠とすべきであって、人師の口伝等を信じてはならないという意。
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依憑
よりどころとするもの。
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口伝
①口移しに伝えること。言葉で伝えること。②奥義などの秘密を口移しに伝授すること。③奥義を伝えた書物。
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竜樹
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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大論
摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)に対する詳しい注釈書。竜樹作とされ、鳩摩羅什の漢訳がある。100巻。法華経などの諸大乗経に基づいて、大乗の菩薩思想や六波羅蜜行などの意義を解明しており、後のあらゆる大乗思想の展開の母胎となった。
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修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり
経典に基づかない論は誤った論である。経典に基づく論は正しい論である」との意。『十住毘婆沙論』巻7の文の趣意。「修多羅」とはサンスクリットのスートラの音写で、経と訳される。▷
―――
白論
『十住毘婆沙論』巻7の文の趣意。「修多羅」とはサンスクリットのスートラの音写で、経と訳される。経典に基づく論は正しい論。
―――
黒論
―――
『十住毘婆沙論』巻7の文の趣意。「修多羅」とはサンスクリットのスートラの音写で、経と訳される。経典に基づかない論は誤った論。
―――
教主釈尊
本抄の用例としては、法華経に説かれる久遠実成の釈尊のことをさす。特に、この現実世界、すなわち娑婆世界の衆生を成仏へと導く仏が釈尊に他ならないという意味が込められている。「開目抄」「観心本尊抄」に基づいて述べると、法華経寿量品では、久遠実成という釈尊の真実の境地を明かし、その久遠の仏が娑婆世界に常住していると説かれる。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土となり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)が分かる。これに対し、諸経典に説かれる、久遠の釈尊以外のさまざまな仏は、すべて釈尊の分身(方便として仮に現した姿)であり、その住む国土も方便として示された国土であり、いずれも娑婆世界の衆生にとって縁の薄いものにすぎない。日蓮大聖人は、浄土宗が阿弥陀仏を自分たちに縁のある仏と思って本尊とすることは、娑婆世界の教主である釈尊を蔑ろにすることであると破折されている。
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依法不依人
涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され(481㌻など)、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。
―――
高祖
①一宗・一派の開祖。②四代前の先祖。③遠い先祖。④中国王朝の最初の天子。
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外道邪見の法
仏法に背く我見の法のこと。「外道」はバラモン等の仏教以外の教え。その道門を立てる者。
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先に、天台大師の一念三千・一心三観の観法は法華経を根本として立てられたものであることを明らかにされたが、ここでは、そのことを証明する根拠は何であるかとの問いを立てられ、その根拠を明確にされているところである。
この問いに対して、大聖人は逆に、法華経を根本としないことを説く経文はあるのか、と問い返されている。
それに対して、ある人は次のような文証を挙げていると示されている。すなわち摩訶止観の章安大師の序の「此の止観は、天台智者、己心中所行の法門をときたもう」という文や、妙楽大師の止観輔行伝弘決巻五の「故に止観に至って正しく観法を明かし、並びに三千を以って指南となす。之ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云えり。良に以有るなり」という文の二つである。
この二つの文を挙げたことに対して、大聖人は論難されて次のように述べられている。すなわち、この二文はともに止観が法華経によらないという証明にはならない。なぜなら「説已心中所行法門」とあるように、天台大師が行じた法門というのは、まさに法華経にほかならないからであって、むしろ逆に天台大師の止観の観法がまさに法華経を根本として立てられたことを表す文証となっているのである、と。
このように答えられたうえで、他宗を相手に問答を行うときには、大網のみに留めるべきで「天台大師の止観が法華経を根本としていないならば、そのような観法は直ちに捨てるべきである」と述べるようにいわれ、その理由として、天台大師自身が「経文と合致する教えはこれを用いるべきであるが、経文にその義もないような教えは決して信受してはならない」と戒め、また伝教大師は法華秀句のなかで「仏陀の教説を根本にして、それ以外の人々の口伝を信じてはならない」、竜樹は大智度論のなかで「教に依る論は白論であるが、経に依らない論は黒論である」、教主釈尊も「法に依って人に依らざれ」と説いていることを挙げられている。
つまり、天台大師が法華経を根本にして竜樹を高祖にしながら、経文に相違したり、自らが述べた法則を翻してまで、外道邪見の法に依って止観十巻を説いたり釈したりするようなことは絶対にありえないことであると断言されているのである。
天台の所行の法門は法華経なるが故に此の意は法華経に依ると見えたる証文なり
摩訶止観の章安大師の序に「此の止観は、天台智者、己心中所行の法門を説きたもう」とあるが、この文中の「己心中所行の法門」という句の意味を誤解したところから、当世の叡山・天台宗の真義のような邪義が生じたのである。
すなわち“己心”の意味を、法華経や仏陀の経教とは全く関係ない。独立した天台大師の“己心”と解釈すると、摩訶止観に説かれている一心三観・一念三千の止観行は法華経に依らない法門ということになろう。
しかし、これはあくまでも摩訶止観の内容への無智から出た謬義にすぎない。
そのことは、天台大師が大蘇山に仮萬していた南岳大師のもとで修行に励み問答したという“大蘇開悟”自体、法華経に基づいてなされたものであることを知るだけで明白なことである。
このとき、天台大師はまず有相行を修し、法華経を読誦すること14日にして、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其の中の諸仏、同時に讃めて言わく、善い哉善い哉善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」の文に至って豁然として悟ったといわれる。
このことからも天台大師がどこまでも法華経に基づき、法華経に説かれている法門を悟るべく止観を修したことは明らかであろう。
0528:05~0528:14 第四章 止観が法華経に依る文証を挙ぐtop
| 05 問う正しく止観は法華経に依ると見えたる文之有りや、 答う余りに多きが故に少少之を出さ 06 ん止観に云く「漸と不定とは置いて論ぜず 今経に依つて更に円頓を明かさん」文、 弘決に云く「法華経の旨を攅 07 て不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」文、 止観大意に云く「今家の教門は竜樹を以て始祖と為す慧 08 文は但内観を列ねて視聴するのみ南岳天台に及んで 復法華三昧陀羅尼を発するに因つて義門を開拓して 観法周備 09 す、○若し法華を釈するには 弥弥須く権実本迹を暁了すべし 方に行を立つ可し 此の経独り 妙と称することを 10 得・方に此に依つて以て観意を立つ可し、 五方便及び十乗軌行と言うは 即ち円頓止観全く法華に依る円頓止観は 11 即ち法華三昧の異名なるのみ」文、 文句の記に云く「観と経と合すれば他の宝を数うるに非ず 方に知んぬ止観一 12 部は是れ法華三昧の筌テイなり若し斯の意を得れば方に経旨に会う」云云、 唐土の人師行満の釈せる学天台宗法門 13 大意に云く「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず 経に依つて観を修す」文、此等の文証分明なり、 誰 14 か之を論ぜん、 -----― 問うて云う。正しく止観は法華経によるという文はあるのか。 答えて言う。余りにも多いゆえに、少々これを出そう。 摩訶止観には「漸次止観と不定止観はこれをさしおき、論ずることはしない。今、経文によって更に円頓止観を明かそう」とある。 止観輔行伝弘決には「法華経の要旨をあつめて不思議・十乗観法・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ずる」とある。 妙楽大師の止観大意には「天台宗の教相門は竜樹をもって始祖となす。慧文はただ内観を修めて視聴したのである。南岳大師・天台大師に及んで、更に法華三昧陀羅尼を発するによって義門を開拓して観法をあまねく備えたのである。○。もし法華を釈するには いよいよ権実・本迹を明らかにしていかなくてはならない。それによって行を立てるべきである。この法華経のみが妙と称することができるのであり、法華経によって観法を立てるべきである。五方便および十乗観法というのは、円頓止観は全く法華経によるということであり、円頓止観は法華三昧の異名である」とある。 法華文句記には「観法と経文とが合うならば他の宝を数える必要はない。まさに摩訶止観一部は法華三昧の方便であり、この意を心得るなら法華経の旨にかなっていると知るべきである」とある。 また中国の人師である行満の著した学天台宗法門大意には「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出ない。法華経によって観法を修行すべきである」と述べられている。 これらの文証の意は明らかであり、異論をはさむ余地はない。 |
漸
摩訶止観に説かれる三種止観のひとつ。物事が少しずつ進むこと。「漸を追って改善する」。
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不定
摩訶止観に説かれる三種止観のひとつ。①一定しないこと。②意外なこと。
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円頓
摩訶止観に説かれる三種止観のひとつ。すべて欠けることなくそなえていて、速やかに成仏させること。天台教学では、万人成仏・即身成仏を実現する法華経の教えをさす。法華経の肝心である題目の南無妙法蓮華経は、法華経のすべてを欠けることなく納め、万人の即身成仏を実現する円頓の法である。
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弘決
止観輔行伝弘決のこと。妙楽大師湛然による『摩訶止観』の注釈書。10巻(または40巻)。天台大師智顗による止観の法門の正統性を明らかにするとともに、天台宗内の異端や華厳宗・法相宗の主張を批判している。
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不思議
不思議の円頓止観のこと。
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十乗
十法成乗の観法のこと。「観法」は「かんぼう」とも読む。天台大師智顗が『摩訶止観』で説いた瞑想法のこと。十境十乗の観法とも。『摩訶止観』では、止観(心を静める止と、真理を思索する観)の対象として①陰界入②煩悩③病患④業相⑤魔事⑥禅定⑦諸見⑧増上慢⑨二乗⑩菩薩の十境を立て、それぞれに対して①観不可思議境②起慈悲心③巧安止観④破法遍⑤識通塞⑥修道品⑦対治助開⑧知次位⑨能安忍⑩無法愛という10種の観法(十乗観法)を立てている。
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十境
天台大師が摩訶止観のなかで説いた10種の対境のこと。陰入界境・煩悩境・疾患境・業相境・魔事境・禅定境・諸見境・増上慢境・二乗境・菩提境をいう。
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待絶滅絶・寂照の行
待絶とは“待を絶する”意で、謗法の相対差別の世界からこれを“絶”していく観法であることから、これを空間とすれば、絶滅とは“絶を滅する”で、相対差別の世界を“絶”するという空間の立場をも更に“滅”する観法ということで、これは空の立場を踏まえて再び相対絶対の世界を観法していく仮観ということ。寂照の“寂”は止に“照”は観にそれぞれあたるから、寂照は止観にあたり“寂”が止観に“照”が明静にあたるといわれる。以上から寂照は中道という。すなわち「待絶滅絶・寂照の行」は、諸法の空仮中の三諦を観ずる一心三観の観法を示しているのである。
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止観大意
妙楽大師の著。摩訶止観の要点を説いたもの。
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教門
仏の教説、教法のこと。仏の教えは生死解脱の道に入る能入の門である。
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慧文
中国南北朝時代の北斉の禅師。天台宗の初祖(開祖)。弟子である慧思の弟子、すなわち慧文から見て孫弟子に当たる智顗が天台宗を確立したため、遡って慧文が初祖とされる。鳩摩羅什が漢訳した『中論』等の龍樹の著作を所依として禅観につとめ、「一心三観」を悟った。
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視聴
見ることと聞くこと。
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南岳
515年~577年。中国・南北朝時代の北斉の僧。慧思のこと。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。慧文のもとで禅を修行し、法華経による禅定(法華三昧)の境地を体得する。その後、北地の戦乱を避け南岳衡山を目指し、大乗を講説して歩いたが、悪比丘に毒殺されそうになるなど度々生命にかかわる迫害を受けた。これを受け衆生救済の願いを強め、金字の大品般若経および法華経を造り、『立誓願文』(558年、大蘇山にて)を著した。この『立誓願文』には正法500年、像法1000年、末法1万年の三時説にたち、自身は末法の82年に生まれたと述べられており、これは末法思想を中国で最初に説いたものとされる。主著『法華経安楽行義』では、法華経安楽行品第14に基づく法華三昧を提唱した。天台大師は23歳で光州(河南省)の大蘇山に入って南岳大師の弟子となった。【観音・南岳・聖徳太子】日蓮大聖人の時代の日本では、観音菩薩が南岳大師として現れ、さらに南岳の後身として聖徳太子が現れ仏法を広めたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では、南岳大師を「観音の化身なり」(604㌻)、聖徳太子を「南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり」(608㌻)とされている。
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法華三昧
天台宗の「摩訶止観」に説く四種三昧の一つ半行半座三昧のうち,「法華経」に基づいて行うもの。21日間にわたって仏像の周囲を歩く行と座禅を中心に修行し,精神を集中させて仏の智慧を得ようとすること。
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陀羅尼
ダーラニー (dhāraṇī)の音写で能持・総持と訳す。総は総摂の義、持は任持の義で、一字の中に無量の義を総摂し、一義の中に一切の義を任持するという意味である。陀羅尼は、能く悪法を遮し、能く善法を持するものである。後に呪・真言と混同され、口に唱えた者を守護し功徳を与える梵語の語句をもさすようになった。
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義門を開拓
「義門」は各種の教義・道理などを分析し明らかにする部門。この義門から深理の法体に通入する。南岳大師・天台大師は法華三昧によって正智を発し、法華経の深義から教相門を開拓したことをいう。
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観法周備
慧文は内観の修行のみであったが、南岳大師・天台大師にいたって三種止観の観法を整足したこと。とくに天台大師は十乗観法を完成し、一念三千の当体を証得する観法を明らかにした。
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権実
仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容能力に応じて説いた権の教え、経典のこと。実教(実経)に対する語。権は一時的・便宜的なものの意。
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本迹
法華経の本門と迹門のこと。本門は仏の本地をあらわした法門で、迹門は垂迹仏の説いた法門をいう。
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暁了
あきらかに悟ること。つまびらかに理解すること。
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五方便
止観の行に入るための準備的な修行方法のことで、摩訶止観巻四などに説かれる。具五縁・呵五欲・棄五蓋・調五事・行五法の五科からなり、それぞれがまた五つの項目がなることから二十五方便ともいう。
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十乗軌行
円頓止観を修するために摩訶止観巻五上から巻十下において説かれた十乗観法のこと。
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文句の記
法華文句記のこと。妙楽大師湛然による『法華文句』の注釈書。10巻
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筌罤
物を捕らえて手に入れるための道具で、転じて目的に達するための手段に用いる。
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唐土
日蓮大聖人の時代には、国名としてだけではなく一般的に中国をさすことがある。
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人師
論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師智顗、妙楽大師湛然などをさす。
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行満
生没年不詳。中国・唐の僧で、妙楽大師湛然の弟子。天台山の仏隴寺の座主。伝教大師最澄に天台の法門を伝えた。
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学天台宗法門大意
行満著・1巻。天台大師所立の五時八教の大意・一心三観の要略を述べている。伝教大師が入唐の際、貞元20年(0804)10月20日に行満から授けられた天台三大部・涅槃経疏をはじめとする82巻のひとつ。
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分明
明らかに分かるさま。はっきり見極めがつくこと。
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ここでは、止観が法華経に依ることを示す明瞭な文証を挙げられている。
止観に云く「漸と不定とは置いて論ぜず今経に依つて更に円頓を明かさん」
最初に摩訶止観の文が挙げられている。これは摩訶止観巻一上の文で、三種止観を説いている部分である。
そして、そのうち漸次止観と不定止観についてはそこまでとし、次に、経によって円頓止観を明かそうと述べている文である。
摩訶止観ではこのあと、法華経・華厳経・仁王経・大般若経等の文を引いて説明している。このように、法華経を用いて円頓止観を示しているゆえに、この文は円頓止観が法華経によることの文証となるのである。
弘決に云く「法華経の旨を攅て不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」
妙楽大師の止観輔行伝弘決巻一で、摩訶止観の序分「止観の明静なること前代に末だ聞かず」という文を釈したものである。
すなわち、止観は釈尊一代の法門を撮り、法華経の要旨を「攅めて」、不思議の円頓止観を修するための十乗・十境の観法を立て、また、絶対・絶滅・寂照の絶対止観の行を立てたのである。との意である。
文中「法華経の旨を攅めて」の文が天台三大部のうち、教相門の法華玄義・法華文句の二部をさし、「不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」という文が観心門の摩訶止観一部にあたる。
妙楽大師はこのように、教相と観心の二門が相互に助け合って仏道が成就されていく教観双美の体系であるとしているのである。
更に「不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」という釈文のうち「不思議・十乗・十境」が一念三千の観法を表し「待絶滅絶・寂照の行」が一心三観を表しているのである。
不思議の円頓止観における十乗・十境の観法については、日蓮大聖人御書講義30巻下の十八円満抄の「七に一念円満」に関する講義に、また寂照についても、「十七に円融円満」に関する講義にそれぞれ詳しく解説されている。
ここでは「待絶滅絶・寂照の行」について簡単に触れておくと、待絶とは“待を絶する”意で、謗法の相対差別の世界からこれを“絶”していく観法であることから、これを空間とすれば、絶滅とは“絶を滅する”で、相対差別の世界を“絶”するという空間の立場をも更に“滅”する観法ということで、これは空の立場を踏まえて再び相対絶対の世界を観法していく仮観ということになる。
次に、寂照の“寂”は止に“照”は観にそれぞれあたるから、寂照は止観にあたり“寂”が止観に“照”が明静にあたるといわれる。以上から寂照は中道ということになろう。
こうして「待絶滅絶・寂照の行」は、諸法の空仮中の三諦を観ずる一心三観の観法を示しているのである。
ゆえにこの文は、止観が法華経によって立てられたものであることを示す文証となっているのである。
止観大意に云く「今家の教門は竜樹を以て始祖と為す慧文は但内観を列ねて視聴するのみ南岳天台に及んで復法華三昧陀羅尼を発するに因つて義門を開拓して観法周備す、○若し法華を釈するには弥弥須く権実本迹を暁了すべし方に行を立つ可し此の経独り妙と称することを得・方に此に依つて以て観意を立つ可し、五方便及び十乗軌行と言うは即ち円頓止観全く法華に依る円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」
止観大意は妙楽大師の著で、天台大師の摩訶止観の要点、大意を説いたものである。これは冒頭の文であり、略して天台一家の教門と観門がどのようにして継承され築かれてきたか、という系譜をたどっている。「今家の教門」というのは、天台宗の教観二門のうち、教相門のことである。「竜樹を以って始祖と為す」とは、天台家の教門は竜樹を受け継いだものであるという意である。「慧文は但内観を列ねて」とあるのは、南岳大師の師である慧文は内観の悟りにおいて竜樹に列なっていた、ということである。
摩訶止観巻一上には「文師の用心は一に釈論に依る。論は是れ竜樹の説く所にして、付法蔵の中の第十三の師なり。智者の観心論に云く『中論は遣蕩し、止観は建立す。云何が同きことを得んや』と。然るに天竺の注論に凡そ七十家あり。応に青目を是として而も諸師を非とすべからず。又、論に云く『因縁所生の法は、我、即ち是れ空なりと説く。亦、是れを仮名となす。亦、是れ中道の義なり』と」とある。
慧文は竜樹に内観において列なっていたのであり、「視聴するのみ」とは、慧文は竜樹と肉親の悟りにおいては通じていたが、まだまだ天台一家独自の教相と観心の二門を開くまでには至らず、ただ大智度論や中論の三観三智を説き示した文を人々に視せたり聴かせたりするにとどまっていた、ということである。
しかし「南岳天台に及んで復法華三昧陀羅尼を発するに因つて義門を開拓して観法周備す」とあるように、南岳大師や天台大師は、法華三昧に入り陀羅尼を発得することによって、教相門の義を開拓するとともに、観法についても周く備えるに至った、ということである。
以上が、略して述べられた天台一家の教門と観門の系譜である。次いで、止観大意では教相門と観心門のそれぞれについて詳細に説かれているのであるが、ここでは、そのなかから重要な文だけを引用されている。
まず教相については「若し法華を釈するには弥弥須く権実本迹を暁了すべし方に行を立つ可し此の経独り 妙と称することを得・方に此に依つて以て観意を立つ可し」との文が引用されている。
すなわち、もし法華経を解釈するならば、ますます権実、本迹の立て分けを明瞭にしたうえで、観心修行を立てるべきである。そして、法華経が独り妙である、ということができて初めて、それにより究極の観法である円頓止観を立てることができると述べているのである。
また観心についての説明文からは「五方便及び十乗軌行と言うはち円頓止観全く法華に依る円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」との文が引用されている。
「五方便及び十乗軌行」とは、ともに摩訶止観に説かれる修行法である。五方便とは止観の行に入るための準備的な修行方法のことで、摩訶止観巻四などに説かれる。具五縁・呵五欲・棄五蓋・調五事・行五法の五科からなり、それぞれがまた五つの項目がなることから二十五方便ともいう。
十乗軌行とは円頓止観を修するために摩訶止観巻五上から巻十下において説かれた十乗観法のことである。
これらの五方便、十乗観法を立てているということは、まさに円頓止観が全く法華経に依るものである証拠であり、円頓止観とは法華三昧の異名にほかならない、と述べている。
以上がこの文の大要であるが、要するに、天台の法門は竜樹の教門上の始祖とし、慧文から内観を受けて、南岳大師、伝教大師に至って、教門と観文とが整えられたことをいっているのであり、これを「教観双美」ともいうのである。
そして、この文は、天台大師の止観がまさに法華経の教えに基づき、その上に立てられていることを明らかに示しているのである。
文句の記に云く「観と経と合すれば他の宝を数うるに非ず 方に知んぬ止観一部は是れ法華三昧の筌テイなり若し斯の意を得れば方に経旨に会う」
法華文句記巻一上の文である。ここで妙楽大師は天台大師の法華文句において法華経の文々句々に因縁・約教・本迹・観心の四種の解釈法を施したことについて、その所以を明らかにしているのであるが、引用された文はそのうち、第四の観心釈を施している理由を明かしているところである。
いま、引用文の前後を補って、文の意味を述べてみると、次のようになる。
すなわち「観心が法華経に説いてあるところに合致するときには、他人の宝を数えるような無駄な労力を用いてはならないのである。このように心得てこそ法華経が趣旨にかなうのである」ということである。
ゆえに、この文も、天台の止観が、法華経に基づき、法華経に依るものであるとの文証となっているのである。
0528:14~0528:15 第五章 四種釈に関する問いを挙ぐtop
| 14 問う天台四種の釈を作るの時・観心の釈に至つて本迹の釈を捨つと見えたり、 又法華経は漸機の 15 為に之を説き・止観は直達の機の為に之を説くと如何、 -----― 問うて云う。天台大師は因縁・約教・本迹・観心の四釈を作り、観心釈に至った時に本迹釈を捨てたように思われる。 また、法華経は漸機のために説いたものであり、止観は直達の機のために説いたというが、これはどうであろうか。 |
四種の釈
天台大師が法華経の文句を釈するために法華文句で用いた因縁釈・約教釈・本迹釈・観心釈の四釈をいう。①因縁釈。四悉檀をもって仏た衆生の関係を釈す。②約教釈。化法の四教にもとづいて四種に釈す。③本迹釈。本地と垂迹の二種によって釈す。④観心釈。経文を一心の法として観ずるように釈すことである。
―――
漸機
五時八教をはじめとする教相を学してのち、観心に入る機根の衆生のこと。「機」は機根のことで,仏の説法を聞き、受け入れて発動する衆生の生命の可能性。
―――
直達の機
直ちに得脱する機根のこと。
―――――――――
止観の観心修行があくまで、法華経に基づいて立てられたものであることを文証を挙げて論証されてきたのであるが、ここでは更に、天台大師は観心釈のときには教相の釈である本迹釈を捨てておられるだけではないか等との反論を掲げられている。
本文中「天台四種の釈を作るの時」とあるのは、天台大師が法華文句で法華経の経文やその語句を解釈するときに因縁釈・約教釈・本迹釈・観心釈という四種の釈を用いたことをさしている。
因縁釈とは法華経の文々句々や語句の起こってきた由来、あるいはそれらが説かれているときの仏と衆生の関係を釈する方法であり、約教釈とは化法の四教に基づいて浅いものから深いものへと四種に釈する方法であり、また本迹釈とは本地と垂迹の二義に基づき、迹の現実の姿からその奥にある永遠なる本地を明らかにする解釈法である。最後に観心釈とは一々の文々句々を観心の対境とし、それにより自己の心の広大で高いことを観じさせていく方法である。
以上の四種の解釈法について、叡山・天台宗の新義を説く人々は、天台大師は因縁・約教・本迹と釈してきて、最後に観心の釈に至ったとき、それまでの本迹の解釈法を捨ててしまった、とみたのである。
また、法華経は漸機のために説かれたものであるのに対し、止観は直ちに得脱天台四種の釈を作るの時のために説かれたものであるから止観のほうが法華経に勝っているとの考えがあるが、これについてはどのように思うかというものである。
天台の四種釈について
天台大師自身が法華文句において四種釈について次のように説いている。
「今文を帖するに四と為す。一には列教、二には所以、三には引證、四には示相なり。列教とは、一には因縁、二には約教、三には本迹、四には観心なり。始め如是より而退に終わるまで、皆四意を以って文を消す。二に所以とは…因縁は亦、感応と名づく、衆生機無ければ近しと雖も見ず。慈善根の力は遠くとも而も自ら通じ、感応道交す。故に因縁の釈を用うるなり。夫れ衆生は脱を求む。此の機衆し。聖人の応を起こす。応も亦衆し。此の義更に広し。所中何れにか在る。然れば大経に云く『慈善根の力に無量の門あれども、略すれば則ち神通なり』と。若し十方の機感ずれば曠きこと虚空の若くならん。今、娑婆国土を論ずるに音声仏事を為すに即ち甘露の門開く。教に依って釈すれば処中の説明らかなり。若し機に応じて教を設くれば、教に権、実、浅、深の不同あらん、須らく指を置いて月を存し、迹を亡じて本を尋ぬべし。故に肇師の云く『本に非ざれば以って迹を垂るること無く、迹に非ずんば以って本を顕すること無し』と。故に本迹の釈を用うるなり。若し迹を尋ぬれば迹広く、徒らに自ら疲労す。若し本を尋ぬれば本高く、高うして極むべからず。日夜に他の宝を数うるに、自ら半銭の分無からん。但、己心の高広を観ずれば、無窮の聖応を扣く、機応じて感を致し、己利逮得す。故に観心の釈を用うるなり」と。
ここで因縁の釈は、仏と衆生との感応道交として説かれている。「衆生は脱を求む。此の機衆し」とあるのは、衆生が“得脱”を求める“機”はさまざまで多種多様である、ということで、したがって「聖人の応を起こす、応も亦衆し」とあるように、聖人が応じていくのも、衆生の機がさまざまであることに対応して多種多様な在り方がある、ということである。このような仏と衆生の関係性を踏まえて、法華経を解釈していくのが因縁釈である。
次に、仏が衆生の機に応じて“音声の仏事”をなし、甘露の門として“教”を説いたのであるが、前述のように、衆生の機根も多種多様であるから、教にも「権、実、浅、深の不同」があることになる。
このことを前提として、法華経の文々句々を、蔵・通・別・縁、更には権・実と、浅いものから深いものへと解釈していくのが第二の約教釈である。
更に、法華経の文々句々を本門と迹門の二門から解釈するのが本迹釈である。垂迹としての仏陀が説く迹門中の文々句々は本地の仏陀が存在するゆえであり、また、本地の仏陀の説く本門中の教えも、垂迹した仏陀の教えからあらわす以外に方法はないのである、と説いている。
最後に観心釈とは「若し釈を尋ぬれば迹広く、徒らに自ら疲労す。若し本を尋ぬれば本高く、高うして極むべからず。日夜に他の宝を数うるに、自ら半銭の分無からん」とあるように、迹門は森羅万象がことごとく平等実相であることを説いているゆえに広く、本門は仏陀の久遠なる境地を明かしていて、その境地が余りに深遠で高いゆえに極めることが難しい。したがって、いかに約教釈や本迹釈によって深遠で高度な解釈を施しても、それはまだやはり観念的であることを免れず、かえって疲労し、日夜に他人の宝を数えていても半銭も得ることができないのと同じ結果になる。そこに、観心釈が必要になるというのである。
すなわち、法華経で説くところの文々句々を自らの己心に表しつつ、己心が高く広大なことを観ずれば、それが聖人の応を“扣く”つまり、聖人の応ずる働きを観心の己心に引き寄せることができると述べている。
例えば、法華経に出てくる「王舎城」について法華文句の四種釈をみると、因縁釈では大智度論に出てくる、人肉を常食とした駁足王の故事を引いて王舎城の名の由来を説明している。
約教釈では像法決疑経に説かれている沙羅林が、見る人の境地によって異なって見えたことを紹介している。すなわち、ある者は土砂・草木・石壁と見、ある者は七宝によって清浄荘厳されたものと見、ある者は三世諸仏の遊行する所と見、ある者は不可思議仏の境界である真実の法体と見た、と。この沙羅の四見を王舎城にあてはめ蔵・通・別・円の四教により所見が異なると解釈している。なお本迹釈は省略されている。
観心釈では「王舎城」の“王”がすなわち心王、“舎”はすなわち五陰、そして心王が五陰を造っていると観じていく。
もし五陰の舎を析して、空を涅槃の城と観ずれば浅い蔵教の観心となり、五陰の舎をそのまま空なりとして、空を涅槃の城と観ずれば通教の観心であり、五陰の舎を観じて常楽我浄と通達するのが別教の観心であり、五陰即法性、一切衆生即涅槃、と観ずれば円教の観心となる。
このように、観心釈とは王舎城という法華経に出てくる城を通じて、修行者の己心の広大さと高さとを観じるためのきっかけとするのである。
0528:15~0529:07 第六章 問いに答え正しい義を明かすtop
| 15 答う漸機の為に説けば劣り 頓機の為に説けば勝るとなら 16 ば今の天台宗の意は華厳・真言等の経は法華経に勝れたりと云う可きや、 今の天台宗の浅マシさは真言は事理倶密 17 の教なる故に法華経に勝れたりと謂えり、故に止観は法華に勝ると云えるも道理なり道理なり。 -----― 答えて云う。もし漸機のために説いたものが劣り、頓機のために説いたものが勝れるというならば、今の天台宗の意では華厳・真言等の経は法華経よりも勝れているということになるのか。 今の天台宗のあさましさは、真言は事理倶密の密教であるから法華経よりも勝れていると思っていることである。ゆえに、止観が法華経に勝れるということも道理である。道理である。 -----― 18 次に観心の釈の時本迹を捨つと云う難は 法華経何れの文・人師の釈を本と為して仏教を捨てよと見えたるや設 0529 01 い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き 法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、 依法不依人の故に竜樹・天 02 台・伝教元よりの御約束なるが故なり、 其上天台の釈の意は迹の大教起れば爾前の大教亡じ 本の大教興れば迹の 03 大教亡じ 観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは 本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を 04 立つるの時、 今像法の修行は観心修行を詮と為るに迹を尋ぬれば迹広し 本を尋ぬれば本高うして極む可からず、 05 故に末学機に叶い難し 但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり、 然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり若し妙法 06 を捨てば何物を己心と為して観ず可きや、 如意宝珠を捨て瓦石を取つて宝と為す可きか、 悲しいかな当世天台宗 07 の学者は念仏・真言・禅宗・等に同意するが故に天台の教釈を習い失つて法華経に背き大謗法の罪を得るなり、 -----― 次に観心釈のときに本迹釈を捨てるというのは、法華経のいずれの文にあるのか。いずれの人師の釈を本にして仏教を捨てよというのか。 たとえ天台大師の釈であっても、釈尊の金言に背き、法華経に背くならば、決してこれを用いてはならない。「法に依って人に依らざれ」という仏の戒めがあり、竜樹・天台大師・伝教大師の初めからの取り決めだからである。 そのうえ、天台大師が『法華経迹門の大教が興れば爾前の大教が亡ぶ。法華経本門の大教が興れば法華経迹門の大教が亡ぶ。観心の大教が興れば法華経本門の大教が亡ぶ』と釈しているのは、本体の本法を妙法不思議の一法に取り定めた上に修行を立てたときに、今、像法の修行は観心修行を究竟とするのに、迹門を尋ねれば迹門は広く、本門を尋ねれば本門は高くて極めることができない。ゆえに、それらの修行は末学の機根にはかなわないので、己心の妙法を観ぜよと云う意なのである。「妙法を捨てよ」とはいっていないのである。 もし妙法を捨てるならば、何物を己心として観ずるべきなのか。如意宝珠を捨てて瓦石を取り、それを宝とすべきであろうか。 悲しいかな、現在の天台宗の学者は念仏宗・真言宗・禅宗等に同調するゆえに、天台大師の教釈の習学を忘失して法華経に背き、大謗法の罪を犯しているのである。 |
頓機
頓人頓悟の機根のこと。頓教で成仏する機根の衆生のこと。
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華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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真言
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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天台宗
法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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事理倶密
事密・理密が俱に備わっていること。天台密教の教判用語。慈覚は蘇悉地経疏巻一等で、顕示教・秘密教に分け、秘密教をさらに理秘密・事理秘密に分類した。顕示教は世俗と勝義の円融を説かない。理秘密教は、真俗二諦の円融を説くが、事相を明かしていない。事理俱密教は、真俗円融不二を説き、さらに身語意三密の行相を説く故に勝れているとする。
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金言
①処世上の手本とすべき内容を持つすぐれた言葉。金句。②仏の口から出た、不滅の真理を表す言葉。こんげん。
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依法不依人
涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され(481㌻など)、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。
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迹の大教起れば爾前の大教亡じ本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ず
四重興廃をいう。ここでいう観心とは南無妙法蓮華経のことにほかならない。
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迹の大教
法華経迹門の教法のこと。「大教」とは外道の教法に対して釈尊の一代聖教をいう。
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爾前の大教
法華経以前の教法のこと。「大教」とは外道の教法に対して釈尊の一代聖教をいう。
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本の大教
法華経本門のこと。「大教」とは外道の教法に対して釈尊の一代聖教をいう。
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観心の大教
不可思議の所詮の法体のこと。法華経に説かれる円頓止観・一念三千の法門のこと。「大教」とは外道の教法に対して釈尊の一代聖教をいう。
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本体の本法
根本の法体である常住本有の要法のこと。この元意は南無妙法蓮華経である。
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妙法不思議の一法
不可思議の功用をもつ妙法のこと。この元意は南無妙法蓮華経である。
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像法
中国では、釈尊滅後、正法・像法・末法の三時を立てる。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、教えそのものとそれを学び修行する者はあるが、覚りを開く者はおらず、仏法が形式的に行われる時代とされる。仏の説いた教えが形骸化した時代。また、釈尊以外の仏にも適用される。例えば威音王仏の像法が法華経で説かれる。インドでは、像法と末法の厳密な区別はなかった。大集経では第3の500年を「読誦多聞堅固」(仏の経典を翻訳し聞持する者が多い時代)とし、第4の500年を「多造塔寺堅固」(寺院・堂塔の造立が盛んな時代)とする。
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末学
①熟な学問・枝葉の学問②後学の学者・末弟のこと。
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己心の妙法
己心が十界互具・一念三千の妙法の当体であること。
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如意宝珠
意のままに宝物や衣服、食物などを取り出すことができるという宝の珠。
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瓦石
瓦礫のこと。法華経常不軽菩薩品第20で、増上慢の四衆が不軽菩薩に投げつけた(法華経558㌻)。同品のサンスクリットの原文では、固くなった土の塊を指している。瓦とは粘土を焼いて固くしたもの。瓦石は、もとは石のように固くなった粘土の塊を意味していたが、やがて「瓦礫(瓦と小石)」と解され定着していったものと思われる。
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念仏
浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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真言
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。▷座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。
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先の二つの問いのうち、まず後の問いから答えられている。すなわち、止観は直機のために説かれたゆえに勝り、法華経は漸機のために説かれたゆえに劣るという説をどのように思うか、という問いに対し、「漸機の為に説けば劣り 頓機の為に説けば勝る」ということが正しければ、当世・叡山天台宗の意は華厳・真言等の教が勝り、法華経は劣る、ということになるのかと、この考え方が法華と止観との勝劣にとどまらず、法華と華厳や真言との勝劣問題にもつながっていることを指摘しておられる。
つまり、華厳宗では華厳演義抄巻三十四で「菩薩大乗の頓教のために説けば勝れ、法華は二乗のために説くに劣っている」と述べ、真言宗では大日経疏巻一に「真言経は頓機のために説き、余経は漸機のために説く」とのべているからである。
言い換えれば、当世天台宗は華厳宗や真言宗による浸食を許した根源であるということである。
「今の天台宗の浅マシさは真言は事理倶密の教なる故に法華経に勝れたりと謂えり」、つまり、当世の天台宗の浅ましさは真言が理密も事密もともに具えているから、ただ実相の理密しか説かない法華経より勝れている、と思って密経に染められてしまったところにある。
真言宗に対してすらこのありさまであるから、いわんや「止観は法華に勝ると云う」のは、しごく当然のことであろう、と嘆かれているのである。
次に、天台大師は観心の釈のときに本迹の釈を捨てたという問者の言い分に対して、そのようなことは、いったい法華経のどの文にあるのか、また、人師のいかなる釈を本として本迹を捨てよ、とするのか、と反論されている。
つまり、仏法にあっては、あくまで仏法を根本とすべきであって、天台大師の言い分たりといえども、仏説の裏づけがなければ用いるべきではないとの姿勢を示されているのである。
したがて次に、たとえ天台大師の釈であっても、釈尊の金言に背き法華経に背くならば絶対にこれを用いてはならないのであるとして、その理由は釈尊の「法に依って、人に依るな」という厳しい戒めがあり、しかもそれは、竜樹・天台大師・伝教大師の元からの約束にも背くからであると仰せられている。
そのうえで、天台大師の本意について明らかにされている。すなわち、法華玄義巻二上の「迹の大教起れば爾前の大教亡じ本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ず」という文について、天台大師の真意を明らかにされている。
それはこの考え方を表面的に読むと、いかにも、爾前の大教、迹門の大教、本門の大教が次第に亡んで、最後の観心の大教のみが唯一もの、ということになりそうであり、観心の釈を立てれば法華の本迹を捨てるとの考えがただしいように見える。
しかし、真実のところは、この法華玄義巻二の文の主旨は観心をとって法華経の本迹の教えを捨てよ、といういみではなく、法華経の根本の法体を妙法の不思議の一法であると決定したうえで、この妙法の不思議の一法に到達すべき修行として、像法時代においては観心修行を究極とするのであるが「迹を尋ぬれば迹広し本を尋ぬれば本高うして極む可からず、故に末学機に叶い難し但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり」と説かれているように、迹門の教えをもって観心しようにも、迹門の教えである諸法実相の理は森羅三千の諸法と亘る故に“広”すぎて極めることができず、本門の教えを観心にしようにも、本門に説かれる久遠実成の仏陀の本地はあまりに“高”すぎてきわめることができないから、結局、本迹二門の教えは初心の修行者の機根にはかないがたい、ということになる。
そこで、初心の行者は、ただ己心の妙法を観ぜよ、というのが法華玄義巻二の釈の意味である、と仰せられている。
以上から、もし当世の天台宗の人々のように、止観が勝っているゆえに法華の本迹の教えを捨ててよい、というならば、それは結局、妙法の不思議の一法を捨てることになるゆえに、そうなれば、何者を己心として観ずべきか、ということになる。
妙法を己心として観じてこそ、初心の行者の観心修行となるにもかかわらず、その妙法を捨ててしまえば、観心修行の根本を失ってしまうからである。
法華経の妙法を捨てて、真言などに心を移しているのは、ちょうど如意宝珠を捨てて瓦石を宝としているようなものであると破折され、そうした真言、念仏などに心を移し同調している天台の学者達が大謗法に陥っていることを悲しまれている。
迹の大教起れば爾前の大教亡じ本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ず
四重興廃を表す文である。この文は忠尋の作と伝えられる法華略義のなかに「迹門の大教起れば爾前の大教亡じ、本門の大教興れば迹門の大教亡じ、観心の大教興れば本門の大教亡ず」とある文から意を取って引用されたものと思われる。
また、この法華略義見聞の文自体が天台大師の法華玄義巻二上に基づいているのである。すなわち「祇妙を喚んで絶と為す。絶は是れ妙の異名なり、世人絶能と称するが如きのみ。又妙は是れ能絶、麁は是れ所絶なり、此の妙に麁を絶するの功有り、故に絶を挙げて以って妙と名づく、迹の中の如き、先に方便の教を施せば、大教起こること得ず、今、大教若し起これば方便の教絶す。所絶を将って、以って妙と名づくるのみ、又迹の中に大教既に起これば、大地の大教興ること得ず。今、本地の教興れば、迹中の大教即ち絶す。迹の大を絶するの功は、本の大に由る。絶迹の大を将って本大に名づく。故に絶と言うなり。又本の大教若し興れば、観心の妙起こることを得ず。今、観に入って妙寂なれば、言語道断して本教即ち絶す。絶は観に由る。此の絶名を将って観妙に名づく」とある文である。
この玄義の文は「妙法」の妙について述べているところであるが、その妙に相待妙と絶待妙の二種あるうちの、ここは絶待妙を明かしているところである。」
相待妙とは麤に対する妙、ということで、厳密には四教のなかでは円教が妙で、蔵・通・別の三教が麤、ということになる。
これに対し、絶待妙とは、相対を絶して超える妙であって不可思議である。この相対を絶する不可思議な働きをもっていることから絶待妙の妙は絶である。また、相対を絶する働きを絶能といい、妙法が能絶であるのに対し、麤法が所絶となる。
このように妙法が絶の功能をもっているところを説明した後、爾前、迹門、本門、観心の順序で、妙=絶の働きを述べていくのである。
なお、爾前・迹門・本門・観心のそれぞれに「大教」とあるのは、外道の教法に対して仏陀・釈尊の教法という意味で名づけているのである。
まず、「先に方便の教を施せば、大教起こること得ず」とあるように、方便爾前の教が先に施されているときは迹門の大教が起こることはできない。しかし、「今、大教若し起これば方便の教絶す。所絶を将って、以って妙と名づくるのみ」とあるように、法華経迹門が説かれると、妙法の妙=絶の功が働いて、爾前方便の教を絶して迹門の教えに開会することを待って初めて、所絶の爾前経を妙と名づけるのである、としている。
同様に、迹門の大教が興っている間は、本門の大教は起ることができない。しかし、本門の大教が興ると、迹門の大教が絶せられて開会される。
この迹門の大教を絶する働きは本門の大教に依存しているのであり、この迹門の大教を絶することができるゆえに“本大”と名ずけ“絶す”というのである。
また、本門の大教が興っている間は、観心の妙は興ることができない。しかし、観に入って妙寂になると、言語では及ばない境地に入ることにより本門の教えが絶せられるのである。
この場合の“絶”はあくまで観心によるものである。そして、この本門の教を絶するということがあって初めて観心の妙と名づけるのである、と述べている。
以上の説明からも明らかなように、玄義の文における、爾前方便・迹門・本門・観心の順序次第は絶待妙の妙の功徳を説いているのであり、爾前方便・迹門・本門のそれぞれの教法の相待を絶し、それぞれが絶対の価値を有するものとして位置づけつつ、観心の言語道断の悟りの境地へと導いていくものである。
この玄義の文の意味を明らかにした後に、法華略義見聞の文を検討してみると、明らかに法華玄義の文の意味するところを簡潔に述べたものであることが分かる。
まず「迹の大教起れば爾前の大教亡じ」とは、迹門の大教が興ると、絶待妙の働きにより、爾前の大教と迹の大教との相対を亡じ絶す、すなわち、爾前の大教は迹の大教に開会されて絶対的価値あるものとして位置づけられる、ということである。
また「本の大教興れば迹の大教亡じ」とは、法華本門の大教が興れば、迹の大教と本の大教との相対を亡じ絶す、すなわち、本門の妙により迹の大教は本の大教に開会されて絶対的価値あるものとして位置づけられる。
そして、同じく観心の妙により本の大教は開会されて、絶対的な価値あるものとして位置づけられるのである。
これを四重興廃といい、日蓮大聖人は十法界事においても次のように説かれている。
「法華本門の観心の意を以て一代聖教を按ずるに菴羅果を取つて掌中に捧ぐるが如し、所以は何ん迹門の大教起れば爾前の大教亡じ・本門の大教起れば迹門爾前亡じ・観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず此れは是れ如来所説の聖教・従浅至深して次第に迷を転ずるなり」(0420-06)と。
仏の教えを浅いものから深いものへと説き進めることによって、衆生や修行者が次第に迷いを転じていき、最後に法華経の本門に至って観心の究極に入り悟らせたというのである。
この過程を“法華本門観心の意を以て”つまり、最後の法華本門に至って入ることのできる観心の窮極の段階から振り返ってみると、それまで衆生や修行者を導いてきた爾前・迹門・本門の経教は不用になり廃亡されてしまう、ということから四重興廃が立てられているのである。
しかし、注意しなければならないのは、この四重興廃があくまでも観心の究極の段階から振り返って立てられているということであって、衆生や修行者にとっては、迷いから悟りへと転じていく過程における爾前・迹門・本門の教えはそれぞれの時点では必要であり、価値をもっているということである。
すなわち、四重興廃というのは、本来、仏が衆生の迷いを転じて悟りへと向かわせる順序次第をしめすものであった、ということが分かる。
ところが、当世、叡山天台宗の人々はこの四重興廃を、最後の観心が最も勝れているゆえに、観心のみを取り、爾前はもとより本迹二門は劣るゆえにこれを捨てるという意味に解釈したのである。本抄冒頭に「当世天台の教法を習学するの輩多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり」と仰せられている現状は、まさに間違った解釈に由来しているのである。
本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時
四重の興廃について日蓮大聖人が正しい義を説かれるところである。
まず四重興廃の釈は修行者が迷いを転じて悟りを開くための修行の道程を示したものであり「本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つる」と仰せのように、修行の目的であり、悟る境というべき“本体の本法”を「妙法不思議の一法」と取り定めて、この“一法”を悟るために立てたのである。
妙法不思議の一法とは、まさに法華経の教説から導かれる法体であり、この法体を悟るために修行を行じていくのであるから、法華経の教相と観心修行とが離れざる関係にあることが明白である。
「妙法不思議の一法」とは、法華玄義の序王で「妙とは不思議と名づくるなり」とあり、更に玄義の釈名段では、妙が不可思議である理由を説明するために、妙に相待妙と絶待妙の二種の妙があると説き進め、結局、妙とは絶待妙のことであると述べている。
そして、この絶待妙の内容として諸法実相論を展開し、そこから“妙”とは十界十如権実の法であると結論している。
以上の経緯からも「妙法不思議の一法」というのは、十界十如・一念三千を円満に具足している“一法”ということになり、日蓮大聖人の文底下種仏法でいえば南無妙法蓮華経の一法になることはいうまでもない。
若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ず可きや
当世・叡山天台宗の人々の邪解を破折されている。観心修行が勝れているゆえに法華経の本迹の教えを捨てるというならば、末学の機根のために説かれた「己心の妙法を観ずる」という修行において、“妙法”を法華経の教相になるからといってこれを捨てて、ただ“己心”のみを観ずるということになる。
大聖人はこれに対して、妙法を捨ててしまえば、いったい何物を己心として観ずるのか、と破折されている。
もともと、己心の妙法を観ずる修行が立てられた背景として“三法無差”という考え方がある。これは旧訳華厳経巻十の「心は工なる画師の如く種々の五陰を画く。一切世界の中、法として造らざるはなし、心の如く仏も亦然り。仏の如く衆生も然り。心と仏と及び衆生、是の三差別なし」という文に由来するもので、天台大師が摩訶止観等で一念三千論の一つの依文として用いているものである。
また、天台大師は法華玄義の巻二上で、妙法の「法」を解釈していくなかで、衆生法妙・仏法妙・心法妙の三法妙を挙げ、いずれも妙法であることは同じであるが「但衆生法は太だ広く、仏法は太だ高し。初学に於いて難しと為す。然るに心・仏及び衆生、是の三差別無ければ、但自ら己心を観ずるは、則ち易しと為す」と述べ、観心修行のうえからは、広い衆生法や高い仏法を究明するよりも、自らの己心を観ずるほうが初学者にはやさしい、と説いている。
衆生・仏法・心法の三法とも同格で“妙法”であるから、やさしい心法を観ずる修行をすればよい、ということになる。これが本文に「末学機に叶い難し但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり」と仰せられている意味である。
以上の説明から、妙法を捨てて、ただ己心のみを観ずればよいというのは、本来の意味から本末顚倒している邪義であることが明らかである。
0529:07~0529:12 第七章 止観勝法華劣の四失を挙ぐtop
| 07 若 08 し止観を法華経に勝ると云わば 種種の過之有り止観は天台の道場所得の己証なり、 法華経は釈尊の道場所得の大 09 法なり是一 釈尊は妙覚果満の仏なり天台は住前未証なれば名字.観行.相似には過ぐ可からず四十二重の劣なり是二 10 法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり是三 法華経は多宝の証明あり来集の分身は広長舌を 11 大梵天に付く 皆是真実の大白法なり是四 止観は天台の説法なり 是くの如き等の種種の相違之有れども仍お之を 12 略するなり、 -----― もし止観が法華経より勝れているというならば、さまざまな過ちがある。 すなわち、止観は天台大師が大蘇道場で証得した己証の法門であるが、法華経は釈尊が菩提樹の下で悟りを得た大法である。これが一である。 釈尊は妙覚果満の仏であるが、天台大師は初住位に登っていないため名字即・観行即・相似即と登る位を越えていないから、釈尊に比べ四十二位も劣っている。これが二である。 法華経は釈尊ないし諸仏の出世の本懐であるが、止観は天台出世の己証の法門である。これが三である。 法華経は多宝仏の証明があり、会座に来集した分身の諸仏が広長舌を大梵天宮までつけた皆是真実の大白法であるが、止観は天台大師の説法である。これが四である。 その他さまざまな相違があるが、それは略す。 |
名字
六即位のひとつ。天台大師が法華経を修行する人の位を理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即の六即位にわけたもので、名字即はその第二、初めて仏法の信仰に入った位をいう。日蓮大聖人の仏法には、修行の段階はない。即身成仏のゆえに名字妙覚という。名字即の凡夫が御本尊を拝んで、仏の生命を感得したときが、妙覚の仏である。総勘文抄には「一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す故に円頓の教には次位の次第無し」(0566-15)とある。
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観行
六即位のひとつ。「観行」とは、観心(自分の心を観察する)の修行のことであり、「観行即」は修行内容の上で仏と等しいという意。仏の教えのとおりに実践できる段階。
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相似
六即位のひとつ。修行の結果、仏の覚りに相似した智慧が得られる段階。
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四十二重の劣
釈尊と天台大師の勝劣を菩薩の位によって判ずると、天台大師は釈尊よりも42位劣ることになる。釈尊は初住位から仏果に至る42品の無明を断じた妙覚位の仏であり、天台大師は初住位にもいたらないので、42位の差がある。
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多宝
多宝如来のこと。法華経見宝塔品第11で出現し、釈尊の説いた法華経が真実であることを保証した仏。過去世において、成仏して滅度した後、法華経が説かれる場所には、自らの全身を安置した宝塔が出現することを誓願した。釈尊が法華経を説いている時、見宝塔品で宝塔が地から出現して空中に浮かんだ。宝塔が開くと、多宝如来が座していた。多宝如来は釈尊に席を半分譲り、以後、嘱累品第22まで、釈尊は宝塔の中で多宝如来と並んで座って(二仏並坐)、法華経の説法を行った。
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来集の分身
法華経見宝塔品第11に来集した十方分身の諸仏。中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。
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広長舌
仏の舌は柔軟で薄く、また額に届くほど長く広いとされる。教えがうそではなく真実であることを表す。仏の三十二相の一つ。広長舌ともいう。古代インドでは言葉の真実を証明するのに舌を出す風習があり、その舌が長ければそれだけ真実も確かであるとされた。法華経では、釈尊による説法に対し、多宝如来が「皆是れ真実なり」(法華経373~374㌻)と保証し、また十方の諸仏が舌相を示して保証した。阿弥陀経では、東西南北上下の六方のそれぞれに、無数の諸仏がおり、その諸仏が皆それぞれの国で三千世界を覆う広長舌を出して、阿弥陀仏の不可思議の功徳を称賛することが説かれている。しかし、法華経のように十方の世界の仏たちが直接、説法の場に集まって舌相を示したわけではない。
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大白法
黒は悪濁・白は浄潔を意味する。大白蓮法は浄潔な大法。南無妙法蓮華経のこと。
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ここでは、止観が法華経に勝っているということが、いかに誤りであるかを、具体的に四点挙げられ、破折されている。
まず、第一点は、止観は天台大師が大蘇山普賢道場で悟った己証の法門を説いたものであるのに対し、法華経は釈尊が伽耶城菩提樹下で証得した大法である。
第二に、釈尊が妙覚という究極の結果を成就した仏であるのに対し、天台大師は“住前未証”すなわち、菩薩の五十二位のうち、第十一の初住位にも登っていない凡夫であり、したがって、六即位でいえば、名字即・観行即・相似即の位までである。このように、天台大師は釈尊に比して、四十二位の差があるから四十二重の劣ということになる。
第三に、法華経は釈尊だけでなく、三世十方の諸仏の出世の本懐であるのに対し、止観は天台大師一人の出世の本懐にすぎない。
第四に、法華経は多宝如来が東方宝浄世界からやってきて、真実である、と証明したばかりか、十方から集まってきた分身の諸仏も広長舌を大梵天に付けて証明した“皆是真実”の大白法である。これに対し、止観は天台大師一人が説いただけで証明者がいない。
以上のように、法華経のほうが止観よりはるかに勝れているにもかかわらず、止観のほうが法華経に勝れるとするのは、明らかに仏意に背くことになる。
止観は天台の道場証得の己証なり
天台大師は23歳の時、慧思の名声を聞き、それまで修行していた大賢山を去って、慧思のいる大蘇山へ向かった。慧思は天台大師智顗との出会いを喜び、直ちに普賢道場を示し、法華経の四安楽行を説いた。という。普賢道場とは、法華経普賢菩薩勧発品第二十八や、法華経の結経である普賢菩薩行法経による散心読誦などを行じて六根懺悔をする有相行であり、四安楽行とは法華経の安楽行品第十四に基づいて修禅する無相行である。
さて、天台大師智顗は大蘇山で、慧思の師導のもと、法華三昧の証得に励んだが、有相行として法華経を読誦すること2週間にして、薬王菩薩本事品第二十三の「善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法。供養如来」の経文に出会い、身心豁然として悟った、といわれる。これを大蘇開悟という。
ここでの「道場所得の己証」というのは、この普賢道場で法華三昧を証得したことをさしており、このときに天台大師智顗が己心に証得した法門を説き明かしたのが止観であると仰せられている。
天台は住前未証なれば名字.観行.相似には過ぐ可からず四十二重の劣なり
天台大師別伝によると、臨終間近い天台大師に弟子の智朗が次のように問うたという。「伏して願わくは慈を以って留まり、余疑を釈くことを賜え。不審、何の位にして、此に没して、何くにか生じ玉う。誰か、宗仰すべき」と。
つまり、智朗は、天台大師に世に留まってさまざまな疑いを解いてくれるよう願いつつ、いったい大師は菩薩のいかなる位をもってここに入滅し、そしていずこに生じてこられたのか。また、大師滅後は、だれを宗仰していくべきであるのか、と問うている。
これに対して天台大師は次のように答えている。
「汝等、善根を種うるに嗷く、他の功徳を問う。盲の乳を問い、蹶者の路を訪ぬるが如し。実を告ぐるも何の益あらん…今、更に汝に報えん。吾、衆を領せずんば必ず六根を浄めん。他の為に已を損す。只是れ、五品の位のみ」と。
ここで、天台大師は君達は自分の善根を積むのに怠情ありながら、他人の功徳については大いに聞きたがるが、それは無益なことである、と戒めたうえで、自分の位について“衆を領せずんば”つまり、弟子をもたなかったなら、自分のために専心没頭できて六根を清浄に保つことができたであろう、しかし“他の為に已を損す”すなわち、他の人々の救済に多忙であったために大して位を登ることができず、法華経分別功徳品第十七に説かれた滅後の修行の位である随喜品・読誦品・説法品・兼行六度品・正行六度品の五品の位を出ていないというのである。
五品弟子位は、六即位でいうと観行即にあたるとされる。そこで瓔珞経五十二位に六即位をあてはめると、
十信 相似即
十住・十行・十回向・十地・等覚 分身即
妙覚 究竟即
となる。
天台大師が“住前末証”というのは、十住の位に入れば、六即位では分身即であることから、観行即にあたる五百弟子位は初住にも至らない位になるのである。
初住位に入って初めて、中道真実の理の一分を証得して不退の位に入るのであるが、初住以前は末だ中道一実の理を証得していないから“末証”となる。
また「名字・観行・相似には過ぐ可からず」とあるのは、十住以降の分身即に至っていないからである。
0529:12~0530:06 第八章 漸・頓二義からの問いに答うtop
| 12 又一つの問答に云く所被の機・上機なる故に勝ると云わば 実を捨てて権を取れ天台云く「教弥弥権 13 なれば位弥弥高し」と釈し給う故なり 所被の機下劣なる故に劣ると云わば 権を捨てて実を取れ、 天台の釈には 14 教弥弥実なれば位弥弥下しと云う故なり、 然而して止観は上機の為に之を説き 法華は下機の為に之を説くと云わ 15 ば止観は法華に劣れる故に 機を高く説くと聞えたり 実にさもや有るらん、 天台大師は霊山の聴衆として如来出 16 世の本懐を宣べたもうと雖も 時至らざるが故に妙法の名字を替えて 止観と号す迹化の衆なるが故に本化の付属を 17 弘め給わず正直の妙法を止観と説きまぎらかす 故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり、 故に知んぬ天 18 台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し、 本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり、 止観・法華は全く体同 0530 01 と云わん尚人師の釈を以て仏説に同ずる失甚重なり、 何に況や止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出すは但是 02 れ 本化の弘経と迹化の弘通と・像法と末法と迹門の付属と 本門の付属とを末法の行者に云い顕わさせん為の仏天 03 の御計いなり、 爰に知んぬ当世天台宗の中に此の義を云う人は 祖師天台の為には不知恩の人なり豈其の過を免れ 04 んや、夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け・今漢土に在ては天台と名け・日本国の中にては伝教と名く 三世 05 の弘通倶に妙法と名く、 是くの如く法華経を弘通し給う人は 在世の釈尊より外は三国に其の名を聞かず有り難く 06 御坐します大師を其の末学其の教釈を悪く習うて失無き天台に失を懸けたてまつる豈大罪に非ずや。 -----― またある質問に「所被の機根が上機であるゆえに勝れる」とあるが、それならば実教を捨てて権教を取るべきである。天台は「教法がいよいよ権教であるならば、位はいよいよ高い」と釈しているからである。 また「所被の機根が下劣であるゆえに劣る」というならば、権教を捨てて実教を取るべきである。天台の釈に「教法がいよいよ実教であるならば位はいよいよひくい」とあるからである。 それに対し、止観は上機のために説き、法華経は下機のために説くということは、止観は法華経に劣るゆえに機根を高く説くということである。まことにそのとおりであろう。 天台大師は霊鷲山の会座の聴衆として、如来の出世の本懐を宣べられたのであるが、時が至らなかったゆえに、妙法の名字を替えて 止観と号し、迹化の衆生であるゆえに、本化の付属を弘められなかったのである。仏の真実をそのままに説かれた妙法を止観と説き代えたのである。ゆえに、ありのままの妙法でないから、帯権の法に似ている。 したがって天台大師の弘通した所化の機根は釈尊在世の帯権の円機のようものであり、本化が弘通する所化の機根は法華本門の直機であることを知るべきである。 止観とは法華経が全く体同であるということすら、人師の釈と仏説が同じであるということであり、その罪は甚だ重い。 まして「止観は法華経に勝れる」という邪義を唱えるのは、ただこれ、本化の弘経と迹化の弘通の違い、像法と末法の違い、迹門の付属と本門の付属の違いを末法の行者に明らかにさせんがために仏天の御計らいなのである。 それゆえ、現在の天台宗のなかにこのような義をいう人は、祖師の天台大師にとっては不知恩の人であり、その罪免れることができないと知るべきである。 天台大師は昔霊山にあっては薬王菩薩といい、いま、中国にあっては天台大師といい、日本国のなかでは伝教大師というのである。三世の弘通した法を、いずれも妙法と名づけるのである。 このように法華経を弘通された人は、在世の釈尊よりほかは、インド・中国・日本の三国にその名を聞かない。 このようにありがたい天台大師を、その末学が、その教釈を誤って習学して、罪のない天台大師に過ちをなすりつけることは、大罪というべきであろう。 |
所被の機
法に依って仏果を被る機根のこと。
―――
上機
勝れた機根のこと。仏の説法を聞き、発心して仏道修行に励み成仏する衆生の機根のこと。
―――
下機
下の機根のこと。仏の説法を聞き、受け入れて発動する生命の性分・資質を三つに分類したなかのひとつ。六根の機根が劣っていて、仏の教説を受容する能力の乏しいもの。三周の説法のうちの因縁説周。
―――
天台大師は霊山の聴衆
天台大師が霊鷲山の説法に参列していた薬王菩薩の再誕と伝えられることから、霊山の聴衆という。
―――
霊山
霊山で行われた法華経説法の集い。また、霊山浄土のこと。▷
―――
如来
仏の尊称である十号の一つ。サンスクリットのタターガタの漢訳で、「真如(真実)から来た」という意味。もとは修行を完成した者の意で諸宗教で用いられていたが、仏教では釈尊や諸仏の呼び名とされた。
―――
迹化
迹仏によって教化された衆生のこと。
―――
本化
本仏に教化された衆生のこと。
―――
迹化の衆
迹仏によって教化された衆生のこと。本化(地涌)の菩薩に対する語。迹は、影・跡、本体から派生したものの意。例えば今世の釈尊の化導を受ける普賢・文殊・観音・勢至・弥勒・薬王らをさす。
―――
本化の付属
本化の菩薩に対する滅後末法の法華経弘通の付嘱をいう。その法体は南無妙法蓮華経。
―――
所化
能化に対する語。弟子のこと。能化を受ける人、化とは教化の義であり、教化する人を教化といい、教化される人を所化という。所とは能動に対して受け身の意味を持つ。仏に対して一切衆生を所化という。
―――
帯権の法
権を帯びている教。
―――
帯権の円
権教を帯びた円教を信受する機根のこと。在世の衆生が権教によって調機調養されて後、円教を聞いて得脱したことをいう。
―――
法華本門の直機
方便権教に一切よらず、直ちに法華本門の大法を信受すべき衆生のこと。
―――
本化の弘経
本仏に化導された地涌の菩薩のこと。弘通する法は南無妙法蓮華経。
―――
迹化の弘通
迹仏に化導された薬王菩薩・弥勒菩薩等。
―――
末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
―――
迹門の付属
迹化の菩薩は、像法時代のために、法華経迹門がふぞくされたこと。
―――
本門の付属
本化地涌の菩薩は末法に文底独一本門を付嘱されているのである。
―――
薬王
衆生に良薬を施して心身の病を治す菩薩。法華経では法師品第10などの対告衆。勧持品第13では、釈尊が亡くなった後の法華経の弘通を誓っている。薬王菩薩本事品第23には、過去世に一切衆生憙見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修行し、ある世では身を焼き、また次の世では7万2000歳の間、腕を焼いて燈明として仏に供養したことが説かれている(ちなみに経文には「臂」〈法華経591,592㌻〉を焼いたと記されているが、漢語の「臂」は日本語でいう腕にあたる)。
―――
漢土に在ては天台と名け
薬王菩薩が漢土に再誕して、天台大師と名乗ったこと。
―――
漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
―――
日本国の中にては伝教と名く
薬王菩薩が日本に再誕して、伝教大師と名乗ったこと。
―――
三世の弘通倶に妙法と名く
薬王菩薩も法華経の会座で法華経の弘通を誓願し、天台大師は法華三大部を著し、法華経の深義と法華経の極理である一念三千の法門を体得する修行法を明かし、伝教大師は天台山に相承を受けて、法華経を日本に弘通している。ということ。
―――
三世
過去世・現在世・未来世の三つ。
―――
三国
仏教でいうところの三国は、インド・中国・日本をいう。
―――――――――
ここでは「一つの問答に云く」として上機のための法は勝れ、下機のためには法は劣るとの論を取り上げて、破折されている。
まず、機根が上根・上機であるゆえに勝れた教えを用いるべきだというならば、「実」を捨てて「権」を取れ、ということになる。その理由は、天台大師や妙楽大師の教えに「教弥弥権なれば位弥弥高し」とあるからである。
他方、所被の機が下機であるゆえに劣った教えでよいというならば、「権」を捨てて「実」を取れ、ということになる。
なぜならば、同じく天台大師や妙楽大師の「教弥弥実なれば位弥弥低し」とあるからである。
それに対して、止観は上根・上機のために説き、法華経は下根・下機のために説いたということは、止観は法華経より劣っているから、機根の高い人々に説いたということが正しい、といわれている。
次に、天台大師は、薬王菩薩として霊鷲山の会座で法華経の説法を聴いていた。したがって、釈尊出世の本懐である妙法を知っていたが、像法の時代で、妙法の五字を弘通すべき末法の時に至っていなかったゆえに、わざわざ妙法の名字を替えて止観と名づけて説いたのである。
つまり天台大師は、迹化の衆であるゆえに、本化の衆に付嘱された妙法を弘めることはできず、妙法を止観と説き紛らわして弘通したのである。
このように、止観は妙法のありのままを説いたものではないから、「帯権の法」に似ている、といってよい。
したがって、天台大師の止観によって化導される機根はちょうど、釈尊在世における帯権の円教によって化導された機根と似ている。
これに対して、今、末法において本化の地涌の菩薩が弘通して化導される機根は、直ちに法華本門の妙法を信受する「法華本門の直機」なのである。
このように、止観と法華経の相違は明らかであるのに、止観と法華経を全く同じであるなどということは、人師の釈を仏説と同じであるとする重大な過失を犯していることになるのである。同一とする邪解ですら重大な過失となるわけであるから、ましてや、止観が法華経に勝るという邪義に至っては論外の謬見というべきである。
しかし、このようなとんでもない謬見も、考えようによっては、一つの意義を有していると述べられている。
その意義とは、このような邪義が広まることによって、本化の弘教と迹化の弘通、像法と末法、迹門の付嘱と本門の付嘱との決定的な相違と立て分けを、末法の法華経の行者に明らかにさせようと仏天の計らいである、と仰せられている。
最後に、当世・叡山天台宗の末学が止観が勝れ法華が劣るとの邪義を主張するということは、祖師天台大師に対して「不知恩の人」となる過失を免れるわけはない、と仰せられている。
ざぜなら、天台大師は昔の霊鷲山にあって薬王菩薩として法華経を聴聞し、中国の漢土に生じては天台大師、日本では伝教大師と称して、三度にわたって妙法を弘通してきた人であって、釈尊は別にして仏法を最も正しく説いた人であるのに、その大師の流れを汲む末学が大師の教えや釈を間違って悪く習い、過失なき天台大師に過失を被らせているのはとんでもない大罪である、と厳しく破折されている。
天台云く「教弥弥権なれば位弥弥高し」と釈し給う故なり所被の機下劣なる故に劣ると云わば権を捨てて実を取れ、天台の釈には教弥弥実なれば位弥弥下しと云う
天台大師の言葉とされているが、正確には妙楽大師の観輔行伝弘決巻六の四の文である。しかし、この弘決の文はすでに天台大師が摩訶止観巻六下で次のように説いているのを釈したものである。すなわち「今、円教を明かす。五品の初め、祇是れ凡地、即ち能く円かに三諦を観ず。中空を修して如来の座に座し、寂滅忍を修して如来の衣を著し、仏の定慧を修し、如来の荘厳をもって而して自ら荘厳す。無縁の慈を修して如来の室に入る。始め初品より進んで第五に入り相似の法起こる。鴰を見て池あるを知り、煙を望んで火あるを験らむ。即ち是れ相似位の人、六根清浄に入れるなり。例せば、外道は念処を修せざれば永く煖の分無きが如し。二観も亦然なり。中道を修せざれば似解発せず。今、五品の中を修して能く似解を生じ、転じて初住に入って即ち無明を破す。故に華厳に初住を解して云く『染なきこと虚空の如し。清浄妙の法身なり、湛然として一切に応ず』と。正使、及び習、一時に皆尽くして遺余有ること無し。『初発牟尼に過ぐ』とは此の謂なり。始め初品より終わり初住にいたるまで一生に証す可し。位、七地に登るを待って爾して乃煖ち修習するにはあらず。何の暇あってか歓喜に始めて双流に入らん。前教に其の位を高うする所以は、方便の説なればなり。円教の位の下きは、真実の説なればなり」とある文である。
この文は十乗観法の第四破法偏を明かすうち、中道破法偏を説くなかの“位”の利益を明かしている段である。
ここで引用した文のまえでは、別接通の教えでは、七地で「修」を論じ、八地で「証」を論じ、別教では、十回向に「修」を論じ、登地で「証」を論ずるのである、と説いている。
そして、このような「修」と「証」では高遠すぎて、初心の行者には利益があるといっている。というのも、初心の衆生は五十二位のうち十信にも入らず、ましてや十回向にはとても及ばないからである。
しかし、別接通や別教の教えでは、少なくとも十回向には達していなければ中道を修することができないし、修がなければ当然、証悟はない。
これに対して、円教による中道観では、六即の観行即にあたる法華経分別功徳品の滅後の五百弟子という低い段階で修行し証得することができる、としている。
すなわち、初品である随記品から読誦品、説法品、兼行六度品と次第に行じて、第五の正行六度品に入ると六根清浄となり、見思・塵沙の二惑を断じ無明を伏して証悟に相似する相似即の段階となる。
引用文中、「始め初品より進んで第五に入り相似の法起こる。鴰を見て池あるを知り、煙を望んで火あるを験らむ。即ち是れ相似位の人、六根清浄に入れるなり」とあるのはこのことを説明している。
さて、相似即の位は五十二位でいえば十信にあたり、全くの初心の行者の位といってよい。この十信の相似即の段階からもう少し進むと、次に十住の第一・初住位に入る。
初住に入ると、不退転となて分身即に入り、一分ずつ無明を破して中道を証していく段階に入る。この分身即の段階は十住・十行・十回向・十地・等覚にあたり、究竟即が妙覚にあたるのである。
したがって、大切なのは不退転の初住位に入ることであって、天台大師も初住位に入ることを極めて重視している。
文中、「今、五品の中を修して能く似解を生じ、転じて初住に入って即ち無明を破す。故に華厳に初住を解して云く『染なきこと虚空の如し。清浄妙の法身なり、湛然として一切に応ず』と。正使、及び習、一時に皆尽くして遺余有ること無し。『初発牟尼に過ぐ』とは此の謂なり。始め初品より終わり初住にいたるまで一生に証す可し」とあるように、滅後の五品のなかの初品・随喜品から中道の観を修行していって、第五・正行六度品で“似解”すなわち、相似即の位に入って証悟に似た解を生じた後、そこから一転して初住に入ると、無明を破して中道を証ていくのである。この初品から初住までを一生のあいだに修行し、かつ証悟していく、というのが円教の“位”なのである。
以上から明らかなように、低い別接通の教えでは、十地のうち七地で修し八地で証悟し、より高い別教では、十地よりは一段位の低い十回向で修し初地で証悟するのに対し、円教の教えでは、十信以前の五品弟子・初品から修して第五品で相似即=十信に到達し、そして第十一番目の初住位で無明を破って中道を証する、というように、先の別接通、別教に比べて、円教でははるかに低い位で一生のあいだに修行し、真理の一分を証得していけるのである。
この教と修行・証悟の関係は、低い教えほどこれを修行・証悟していくための衆生や行者の位は高いのに対し、高い教えほどこれを修証していくための衆生の位は低くなっている。
この関係については「前教に其の位を高うする所以は、方便の説なればなり。円教の位の下きは、真実の説なればなり」と、低い教えは方便の説であるから、円教の教えは真実の説であるからであるとしている。
この思想は妙楽大師の釈にもそのまま継承されており「通は八地に在り。別は八地に在り。円は初住に在り」と述べている。
夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け・今漢土に在ては天台と名け・日本国の中にては伝教と名く 三世の弘通倶に妙法と名く
天台大師は前述のごとく、大蘇山で法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其の中の諸仏、同時に讃けて言わく、善い哉善い哉善男子、是れ真の精進なり。是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」という文に出会って開悟したので、薬王菩薩の再誕と称せられる。
薬王菩薩は法華経の霊鷲山の会座に列なり、とくに法師品第十では対告衆とされており、勧持品第十三では、二万の菩薩を代表して仏滅後の法華経弘通を誓うなど、迹化の菩薩の上首として活躍している。
次に、伝教大師が天台大師の後身であることについては、日蓮大聖人が一代聖教大意に「其の時・邃和尚は返つて伝教大師を礼拝し給いき、天台大師の後身と云云」(0402-17)と、天台宗の言い伝えを用いられている。
「三世の弘通倶に妙法と名く」とある“三世”とは、いうまでもなく、過去世・現在世・未来世のことであるが、この文の場合、薬王菩薩が霊鷲山の法華経の会座に列なった時を過去世、その薬王菩薩が中国で天台大師として最誕した時を現在世、そして更に日本国に伝教大師として再誕した時を未来世とされたと考えられる。
さて、この三世弘通の系譜がいずれも俱に妙法と名づくると仰せられているのは、前段で天台大師は迹化の衆であったために妙法の名字を替えて止観と号して弘通し、正直の妙法を止観と紛かして説いたので「有りのままの妙法」ではなく「帯権の法」であると仰せられていたことと少し相違するようであるが、これはその内心に悟っていた妙法が一貫して看取できるゆえに、こう仰せられたのである。
この点については、本抄の後の段で「外用に於ては之を弘通したまわざるなり、所謂内証の辺をば祕して外用には三観と号して一念三千の法門を示現し給うなり」と仰せられている御文と併せると、より明白となろう。
0530:07~0530:11 第九章 止観=因、妙法=果を明かすtop
| 07 今問う天台の本意は何法ぞや 碩学等の云く「一心三観是なり」今云く 一実円満の一心三観とは誠に甚深なる 08 に似たれども尚以て行者修行の方法なり 三観とは因の義なるが故なり 慈覚大師の釈に云く「三観とは法体を得せ 09 しめんが為の修観なり」云云、 伝教大師云く「今止観修行とは法華の妙果を成ぜんが為なり」云云、 故に知んぬ 10 一心三観とは果地・果徳の法門を 成ぜんが為の能観の心なることを何に況や 三観とは言説に出でたる法なる故に 11 如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり。 -----― 今、天台大師の本意はどのような法かを問うてみると、碩学等は「一心三観がそれである」といっている。 それに対し考えるに、一実円満の一心三観はたしかに甚深な法のようであるが、それでも行者の修行の方法にすぎない。三観とは因の義なるゆえである。 慈覚大師は「三観とは法体を得させんがための観法の修行である」と釈し、伝教大師は「今、止観修行とは法華の妙果を成ぜんがためである」と述べている。ゆえに一心三観とは果地・果徳の法門を成ぜんがための能観の心であることを知るのである。 まして、三観とは言説にあらわれる法であるがゆえに、如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観にすぎないのである。 |
碩学
大学者との意。
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一実円満の一心三観
一心三観は法華経より立てており、法華経が唯一円満の法であることをいう。
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慈覚大師
794年~864年。平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている(281㌻、305㌻以下など)。
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妙果
妙因によって得た成仏の境涯。
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果地・果徳の法門
日蓮大聖人の法門・南無妙法蓮華経のこと。「果地」は仏果の地位のこと。因地の修行をして得た仏の位・成仏の境地。「果徳」は果報の福徳、因行によって得た功徳。南無妙法蓮華経が仏法の究極の果であり、果徳を具えた法門である。果地・果徳の妙法と同意。
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果地・果徳の妙法
日蓮大聖人の法門・南無妙法蓮華経のこと。「果地」は仏果の地位のこと。因地の修行をして得た仏の位・成仏の境地。「果徳」は果報の福徳、因行によって得た功徳。南無妙法蓮華経が仏法の究極の果であり、果徳を具えた法門である。果地・果徳の法門と同意。
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能観の心
対象を観ずる衆生の智慧の側面。
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可思議の三観
思惟・説明できる三観のこと。天台大師所立の一心三観を破した言葉。
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これまでは主として、止観が法華経に勝る、という当世天台宗の末学の邪義を破折され、天台大師の教観双美の“正観を立てる”ことに重点を置いて説かれているのであるが、では、そもそも一心三観の止観修行と法華経の妙法とはいかなる関係になるかを明かされる。
まず、天台大師の本意とはどのような法を説くことにあったかという問いに対し、天台宗の学者達は、一心三観こそ天台大師の本懐であると答えることを挙げられている。
しかし「今云く」と仰せられ、日蓮大聖人の御考えを示されていく。それによると、たしかに一心三観は“一実円満”の法華経によって立てられた観心修行であるから、まことに甚深であるが、しかし、その本質は修行方法にすぎない。その修行の結果、到達する悟りとは、妙法を悟ることなである。
つまり一心三観の修行は、法華経の妙果であり、果地・果徳の法門である妙法への観を成就するため「能観の心」にすぎない。
ましてや、天台大師の説く一心三観というのはすでに言葉に表現された法であるゆえに、如来の果地・果徳の法門である妙法の不可思議に対しては可思議であると、結論されている。
故に知んぬ一心三観とは果地・果徳の法門を成ぜんが為の能観の心なることを
一心三観というのは、いうまでもなく境としての円融三諦を観ずる修行者の智の働きである。
天台大師は法華玄義巻二から巻八上において、五重玄義のうち名玄義と釈しているが、その釈名段のなかでもほとんどの部位を「妙法」を釈することに費やしている。
更には、そのなかでも「妙」の別訳の迹門十妙の説明が中心となっている。
迹門十妙とは十種の観点において法華経迹門の教えが爾前諸経に比べて「妙」であり、勝れていることをいう。
その十種の観点とは、あらゆる経典に共通する境・智・行・位・三法・感応・神通・説法・眷属・利益の十の項目である。
これら十の項目によって、爾前諸経と法華経迹門の教えと比較した結果、法華経迹門のほうが十項目のそれぞれにおいて妙であり勝れている、としたのが境妙・智妙・行妙・位妙・三法妙・感応妙・神通妙・説法妙・眷属妙・功徳利益妙の十妙なのである。
この十妙のうち、第一の境妙の説明において、天台大師は一切諸経が明かすところの対境として、十如・因縁・四諦・三諦・二諦・一諦の六種を挙げている。
この六種類の対境は法華経と爾前諸経に共通しているものであるが、天台大師は法華円教が説く対境として、仏界十如・不思議不生不滅十二因縁・無作四諦・円教二諦・不転一実諦を挙げている。いずれも法華経が明かす「諸法実相」を法門として表現したのである。
これら六つの妙境のなかで、天台大師がとくに重要な法門として強調しているのが円融三諦である。円融三諦は、諸法における空諦・仮諦・中諦の三諦がそれぞれ自己のなかに他の二諦を円満に本具するという原理である。
円融三諦は、あくまで円教が明かす対境であり、この妙境を観ずる修行者の智慧を一心三観というのである。
一心三観は一心に諸法の空諦・仮諦・中諦の三諦を同時に観ずることであり、その観ずる心、からいえば諸法の空諦を観ずる空観、仮諦を観ずる仮観、中諦を観ずる中観の三観が一挙に成立していくことになる。
この一心三観の境地を体得すべく実践していく行軌が十乗観法の止観である。
一心三観が対境教とする円融三諦は、法華円教にのみ明かされた境地であるから、結局、一心三観の対境は「妙法」ということになる。
更に、この「妙法」は「諸法の師とする所なり。故に境妙と称す」と法華玄義巻二上で説いているように、仏のみが悟っているところであり、果地・果徳としての妙法である。
ゆえに、修行であり「因」である一心三観を説いた止観は劣り、不可思議の果徳の妙法は勝れるのである。
三観とは言説に出でたる法なる故に如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり
先には、妙法が果で、止観の一心三観が因であるという因果関係のうえから妙法の勝っていることを述べられたが、この文では、可思議と不可思議という関係のうえから説かれるのである。
すでに天台大師は一心三観の修行を言葉でもって表現している以上、思議可能、すなわち、四惟し説明できるものである。
これに対して、如来の仏果としての境地とその徳用である妙法は法華経方便品第二に「我が法は妙にして思い難し」とあるように、もともと言語道断・心行所滅であるから思議不可能であり、言説で説明できるものではない。不可思議である妙法は勝れ可思議である一心三観は劣るのである。
0530:12~0530:18 第十章 妙法が三観に勝るを明かすtop
| 12 問う一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや、 答う此の事誠に一大事の法門なり唯仏与仏の境界なるが故に我 13 等が言説に出す可からざるが故に 是を申す可らざるなり、 是を以て経文には「我が法は妙にして思い難し言を以 14 て宣ぶ可からず」云云妙覚果満の仏すら尚不可説・不思議の法と説き給う 何に況や等覚の菩薩已下乃至凡夫をや、 15 問う名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや、 答う天台己証の法とは是なり、 当世の学者は血脈 16 相承を習い失う故に之を知らざるなり 故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり、 然りと雖も汝が志神妙な 17 れば其の名を出すなり一言の法是なり 伝教大師の一心三観一言に伝うと書き給う是なり、 問う未だ其の法体を聞 18 かず如何、 答う所詮一言とは妙法是なり、 -----― 問うて云う。一心三観に勝れている法とはどのような法であろうか。 答えて言う。此事はまさに一大事の法門である。唯仏与仏の境界であるゆえに、我らが言説に出しうるものではないから、このことをいうことはできないのである。 このことを、法華経方便品第二には「我が法は妙であり、思議しがたい。言葉をもって宣べることはできない」と説かれている。 妙覚果満の仏すら、なお不可説・不思議の法と説かれているのである。まして、等覚以下の凡夫においてをやである。 問うて云う。法の名を聞かなければ、どのようにして勝れた法であると知ることをができようか。 答えて云う。天台大師己証の法とはこれのことである。現在の学者は血脈相承を忘失しているがゆえにこのことを知らないのである。ゆえに相構えて相構えて秘すべく秘すべき法門なのである。 そうであっても汝の志が神妙であるからその名を出そう。「一言の法」がこれである。伝教大師が「一心三観・一言に伝う」と書かれたのがこれなのである。 問うて云う。いまだにその法体を聞いたことがない。 答えて言う。結論するところ「一言の法」とは妙法である |
一大事の法門
「一大事」とは、これ一つしかない究極の大事との意で、諸仏がそのために世に出現したところの秘密の大法を一大事の秘法という。文底独一本門の三大秘法をさしている。 「法門」とは教えのこと。
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唯仏与仏の境界
「唯仏与仏」とは、ただ仏と仏とのみが、真実を究め尽くされているとの意。法華経方便品第2に「唯仏与仏、乃能究尽諸法実相」(唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり、法華経108㌻)とある。「境界」は、同一の現象に対して各人によって、認識や理解の程度などに差があり、各々の智解の分限。
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不可説・不思議の法
説くこともできず、思議することもできない法。
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等覚の菩薩
仏の覚りと等しい位。菩薩の最高位。大乗の菩薩の五十二位の中で五十一位にあたる。三祇百劫の修行をし、無明を断じて、その智徳や功徳が妙覚と等しいので等覚という。一生補処、金剛心、有上士、無垢地ともいう。
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凡夫
普通の人間。煩悩・業・苦に束縛され、迷いの世界で生死を繰り返す者。
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血脈相承
法が師から、弟子へと相続されることを、人体における血液の流れに譬えた語。師から授けられるものは、本尊や教義・戒律、切紙などの奥義・秘伝の類、あるいは宝物など、要するに血脈相承における「法」とは、“次代の師となるべき者が相続するもの”である。
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一言の法
伝教大師が修禅寺の道邃和尚から相伝した法門を記したと伝えられる修禅寺決に「玄師の伝に云く『一家の本義はただ一言を以って本と為す。謂く、寂滅不二の一言なり』等とあり、究竟の法を「一言」で伝えるという表記が見られる。
―――――――――
ここではいよいよ、一心三観に勝れた法とは何かが示される。初めに、一心三観に勝れている法とは何かという問いを起こされ、それに対して、このことは一大事の法門であり、ただ仏と仏とのみが悟り極めた境界であるから、我々の言説では表現できないゆえに簡単に答えるわけにはいかない、と応じられている。
その文証として法華経方便品第二から「我が法は妙にして思い難し」と。「言を以って宣ぶべからず」、すなわち、仏陀・釈尊が悟った法は妙で不思議であるから思惟しることが難しいうえに言葉で表現することができない、との文を挙げられている。
このように「妙覚果満の仏」つまり、五十二位の最高峰である妙覚に到達して仏果を満足した仏でさえ、説くことも思議することも不可能であるとしている「法」を、どうして第五十一位の等覚の菩薩以下の衆生、とくに凡夫が思議したり説いたりできようかと述べられている。
しかし、「法」の名字を聞かなければ、一体何をもって一心三観に勝る「法」があるかということを知り得ようか、との問いに対して、その勝れた法とは、天台大師の己心に証得した法であり、天台宗では甚深の法として、内々に秘伝されていたのであるが、今の天台宗の学者達は、それを忘れてしまったのであると指摘されている。
したがって、そのような甚深の法であるから、秘すべき法門なのであると述べられたうえで、しかし、問者の真実を求める志があるゆえに、その「法」の名をいおうと仰せられ、それは、伝教大師が顕戒論上に「和尚、慈悲ありて、一心三観を一言に伝え、菩薩の円戒を至信に授く」と認められたなかの「一心三観を一言に伝え」という「一言の法」がそれである、と仰せられている。
では、その「一言の法」の法体とは何かという問いに対し、「所詮一言とは妙法是なり」と明かされている。このようにして遂に、一心三観に勝る法が「妙法」である、と明確にされたのである。
伝教大師の一心三観一言に伝うと書き給う
伝教大師の顕戒論上に「最澄義真等、延暦未年、使を大唐に奉じ、道を天台に尋ね、謹んで国徳を蒙り、台州に至るを得たり。即ち当州刺史離陸綧求法の誠に感じ、遂に天台道邃和上に付す。和上慈悲ありて一心三観に一言を伝え、菩薩の円戒を至信に授く、天台一家の法門已に具す」とある。
この伝教大師は義真とともに渡唐し、道邃和尚から一心三観で一言で伝え、また円頓戒を授けられたことをさしている。文中、「一心三観一言に云う」とあるのは、天台大師己証の法が中国天台宗の相承として綿々と伝えられ、中国天台宗の第六祖妙楽大師の弟子である道邃和上から日本の伝教大師に相承されたことを表す。
その相承の内容というのは、天台の一心三観は「妙法」という一言であらわされる法体を成就するための修行にすぎない、ということ、また天台大師智顗は、この内証の妙法を秘して外用のために一心三観、一念三千の法門を説いたということ、更に妙法の一言に一切の経法が含まれていることなどを表している。
0530:18~0531:09 第11章 妙法の不可思議なるを明かすtop
| 18 問う何を以て妙法は 一心三観に勝れたりと云う事を知ることを得る 0531 01 や、 答う妙法は所詮の功徳なり三観は行者の観門なる故なり此の妙法を仏説いて言く「道場所得法・我法妙難思・ 02 是法非思量・不可以言宣」云云、天台の云く「妙は不可思議・言語道断・心行所滅なり法は十界十如・因果不二の法 03 なり」と、 三諦と云うも三観と云うも三千と云うも 共に不思議法とは云えども天台の己証天台の御思慮の及ぶ所 04 の法門なり、 此の妙法は諸仏の師なり今の経文の如くならば 久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして爾前迹門の教 05 主・諸仏菩薩の境界に非ず経に唯仏与仏・乃能究尽とは 迹門の界如三千の法門をば迹門の仏が当分究竟の辺を説け 06 るなり、 本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず何に況や菩薩凡夫をや、 止観の二字をば観名仏知・止名 07 仏見と釈すれども迹門の仏智仏見にして 妙覚極果の知見には非ざるなり、 其の故は止観は天台己証の界如三千・ 08 三諦三観を正と為す迹門の正意是なり、 故に知んぬ迹仏の知見なりと云う事を 但止観に絶待不思議の妙観を明か 09 すと云えども只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名けるなり。 -----― 問うて云う。どうして妙法は一心三観に勝れているということができるのか。 答えて言う。妙法は所詮の功徳であり、三観は行者の観心門なるゆえんである。この妙法を、仏は法華経方便品に「道場所得の法である」「我が法は妙にして思い難し」「是の法は思量に非ず」「言を以って宣ぶべからず」と説かれている。 これを天台大師は「妙は不可思議・言語道断・心行所滅である。法は十界・十如・因果不二の法である」と釈している。 三諦といい、三観といい、三千と云うも、いずれも不思議法とはいっても、天台大師の己証であり、天台大師の思慮の及ぶところの法門である。 それに対し、この妙法は諸仏の師である。今の経文のとおりであるならば、久遠実成の妙覚極果の仏の境界であって、爾前・迹門の教主、諸仏・菩薩の境界ではない。 法華経方便品第二に「唯仏与仏・乃能究尽」と説かれているのは、迹門の界如三千の法門を迹門の仏が当分究竟の辺を説かれたのである。 本地難思の境智の妙法は、迹仏などの思慮では及ばないのである。まして、菩薩・凡夫においてをやである。 止観の二字を摩訶止観に「仏知を名づけて観といい、仏見を名づけて止という」と釈しているが、それは迹門の仏智仏見であって、妙覚極果の知見ではないのである。そのゆえは止観は天台大師己証の界如三千・三諦・三観を正とするのである。迹門の正意はこれであり、ゆえに止観は迹門の知見であるということが知られるのである。 ただ止観に絶待不思議の妙観を明かしているとはいっても、ただ一念三千の妙観に、一往、しばらく与えて絶待不思議と名づけたのである。 |
功徳
すばらしい性質、特に人々に利益を与えるすばらしい性質のことをいう。南無妙法蓮華経には無限の功徳がそなわっているが、根本であり究極の功徳は成仏、すなわち揺るぎない幸福境涯の確立である。「御義口伝」には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(762㌻)とあり、功徳とは信心の実践に励むことによって、私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、智慧や安楽などの善を生み出すことであると示している。また「功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり」(同㌻)とあり、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意。六つの知覚器官)、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっているはたらきを十分に発揮できることを明かしている。
―――
観門
観心門のこと。己心を内観して、仏法の真理を証得しようとする実践的修行方法。
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道場所得法
方便品第2の文。「道場所得の法」と読む。釈尊が菩提樹下で悟った妙法蓮華経のこと。
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我法妙難思
方便品第2の文。「我が法は妙にして思い難し」と読む。釈尊の説法は不可思議の法であるゆえに、理解を超えているということ。
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是法非思量
方便品第2の文。「是の法は思量に非ず」と読む。妙法蓮華経は舎利弗の智慧第一の声聞をもってしても、理解できない難解の法であるということ。
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不可以言宣
方便品第2の文。「言を以って宣ぶるべからず」と読む。釈尊の覚った法は、そのまま直ちに言説であらわすことができないということ。
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言語道断・心行所滅
究極の法は言葉で表すことも心で思い考えることもできないということ。吉蔵(嘉祥)の『維摩経義疏』巻4の言葉。
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十界
衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。生命論では人間の生命の状態の分類に用いる。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」という。「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。六道の中では、地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」とし、この三悪道に比べれば相対的にはよいことから、修羅・人・天は「三善道」とされる。また三悪道に修羅を加えて、「四悪趣」ともいう。また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯である。小乗の教えに基づき覚りを目指す声聞・縁覚は「二乗」と呼ばれる。これに菩薩を加えて「三乗」と呼ばれる。法華経以外の経典では、十界はそれぞれ固定化された世界・境涯としてとらえられていた。しかし法華経では、その考え方を根本的に破り、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわっていることを明かし、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることを説いて、十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命にそなわる10種の境涯であることを示した。したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべてそなわっており、縁によって次にどの界の境涯をも現せることが明らかになった。このように十界の各界が互いに十界をそなえていることを十界互具という。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
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十如
法華経方便品第2で説かれた、如是で始まる10の語。すなわち如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。仏が覚った諸法実相を把握する項目として示されたもの。天台大師智顗が一念三千の法門を立てる際、これに依拠した。方便品には諸法実相について、「唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」(法華経108㌻)と示されている。ここで諸法実相を把握する項目として「如是(このような)」で始まる10項目が挙げられており、それ故、十如是・十如実相という。①相とは、表面に現れて絶え間なく一貫している性質・性分。②性とは、内にあって一貫している性質・性分。③体とは、相と性をそなえた主体。これら相・性・体の三如是は、事物の本体部分である。これに対し、以下の七如是は、本体にそなわる機能面を表している。④力とは、本体に内在している力、潜在的能力。⑤作とは、内在している力が外界に現れ、他にもはたらきかける作用。次の因・縁・果・報は、生命が変化していく因果の法則を示している。⑥因とは、本体に内在する直接的原因。⑦縁とは、外から因にはたらきかけ、結果へと導く補助的原因。⑧果とは、因に縁が結合(和合)して内面に生じた目に見えない結果。⑨報とは、その果が時や縁に応じて外に現れ出た報いをいう。⑩本末究竟等とは、最初の相(本)から最後の報(末)までの九つの如是が一貫性を保っていることをいう。十如是のそれぞれの在り方は、十界それぞれの生命境涯に一貫しており、十界それぞれで異なる。しかし、衆生が十如是を平等にそなえているという側面、生命境涯の因果の法則は、十界に共通である。これは、十界のいずれもが、内にそれぞれの因をそなえており、それが縁に応じて果を生じ、報として現れることを示している。したがって、十界のどの衆生も、仏界の縁を得れば、仏界を現して成仏できる。
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因果不二
因と果は一往は別のものであっても、再往は不二・一体であるということ。
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三諦
仏が覚った究極の真理を三つの側面から捉えたもの。諦とは、明らかな真実・真理のこと。天台大師智顗は『法華玄義』『摩訶止観』で、空諦・仮諦・中諦の三つを挙げている。①空諦は、あらゆる事物・事象(諸法)には不変的・固定的な実体はなく空であるという真理。②仮諦は、あらゆる事物・事象は空なるものであって、因縁によって仮に生起する(縁起)ものであるという真理。③中諦は、中道第一義諦ともいい、空と仮をふまえながら、それらにとらわれない根源的・超越的な面をいう。天台大師は法華経の教説に基づいて三諦の法門を確立した。蔵・通・別・円の四教に即していえば、蔵・通の二教は中道を明かさないので三諦が成立せず、別教と円教には三諦が説かれる。別教の三諦は、「但空・但仮・但中」として互いに隔たりがあり、融和することがない。また修行において、初めに空を観じて見思惑を破し、次に仮を観じて塵沙惑を破し、さらに中道を観じて無明惑を破すという段階的な方法を取り、順に歴ていくことが求められる。それ故、隔歴の三諦という。これに対し、円教の三諦は、三諦のそれぞれが他の二諦を踏まえたものであり、三諦は常に「即空・即仮・即中」の関係にある。究極的真実を中諦にのみ見るのではなく、空諦も仮諦も究極的真実を示すものである。したがって、一は三に即し、三は一に即して相即相入する。これを円融三諦という。この円融三諦の法門は、個別と全体、具体と抽象、差別と平等などの対立する諸原理が相互に対立による緊張をはらみながら同時に融即するという、一側面に固執することのない融通無礙の世界観を開くものである。この三諦を一心に観ずることを一心三観といい、天台大師は一心三観の中核として一念三千の観法を立てた。
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三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
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此の妙法は諸仏の師なり
諸仏は妙法を悟って仏になったのであり、妙法こそ諸仏の師であるとの意。
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久遠実成の妙覚極果の仏
法華経本門に説かれた久遠五百塵点劫成道を本地とする仏。
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久遠実成
インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。
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爾前迹門の教主・諸仏菩薩の境界に非ず
「爾前迹門の教主」とは19歳で出家し、30歳の時に菩提樹下で成道した釈尊。「諸仏菩薩」は、爾前迹門で説かれる権仏や菩薩のこと。妙法は久遠の本仏であってこれらの迹仏や権仏などの境界ではないということ。
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唯仏与仏・乃能究尽
ただ仏と仏とのみが、真実を究め尽くされているとの意。法華経方便品第2に「唯仏与仏、乃能究尽諸法実相」(唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり、法華経108㌻)とある。
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迹門の界如三千の法門
迹門に説かれる一念三千のこと。これは与えての一念三千で、法華本門の立場から奪っていえば界如三千にすぎないのである。
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迹門の仏
法華経迹門の教主としての仏のこと。
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当分
当位の分際のことで、そのままの立場のこと。跨節に対する語。天台宗ではこれを教判として、爾前経を当分、法華経を跨節としている。
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究竟
究め尽すこと。永遠の不変の真理またはそれを究めること。
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本地難思の境智の妙法
思議しがたい久遠の本地において、境智冥合して悟った仏のこと。
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迹仏
法華経如来寿量品第16で釈尊は久遠実成という本地を明かしたが、この久遠の本仏が衆生を教化するために現した一時的なさまざまな仏のこと。始成正覚の釈尊もその一人。迹は、影・跡、本体から派生したものの意。
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仏智仏見
仏智による知見のこと。「仏智」は一切の真理に通じた仏の智慧。「仏見」はあらゆる事物の本性・本体を覚知する仏の知見。
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知見
知ることと見ること。見て知ること。知識と見識。三智・五眼によって一切の事物・事象を見通し、その本体・本性を覚知することをいう。
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止観は天台己証の界如三千
天台大師の説いた止観は十界互具・一念三千の法理を証得する修行法であり、それは空仮中の三諦、一心三観の止観である。「開如三千」は一念三千の法門のこと。
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絶待不思議の妙観
一念三千の法門のこと。この法門は法華経の絶待妙で立てられ、不思議境であり、法華経の妙用であるから、絶待不思議の妙観という。
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ここでは妙法が一心三観や一念三千の観法に何ゆえに勝っているかについて、具体的にかつ明瞭に説かれている。
すなわち、三観が修行しての観心門であるのに対し、妙法はその観心修行によって詮せられるところの功徳、という相違があるからである、と説かれている。
それゆえに、妙法について法華経方便品第二に「道場所得の法」、「我法妙難思」「是法非思量」などと説いているのであると示されている。
天台大師智顗の法華玄義や摩訶止観でも、妙法が不可思議で言語道断、心行所滅の十界十如、因果不二の法門であることを説かれている。
一方、天台大師の説いた三諦や三観や三千などの法門も皆、不思議法といわれるが、妙法の不思議とは区別される。
つまり、これらは「天台の已証」であり、「天台の御思慮の及ぶ所」の法門にすぎないのに対し、妙法は同じ不思議といわれても、「諸仏の師」である点で、法門よりはるかに勝っているのである。
また、天台の止観の「止」を仏見、「観」を仏知、と釈して、止観は仏の知見を説いているとはいっているが、それはあくまで迹門の仏智仏見にすぎず、本門の久遠の妙覚極果の知見ではない。
止観に「絶対不思議の妙観」とあるのも、一念三千の観法に“与えて”絶対不思議と名づけたにすぎないのである。
天台の云く「妙は不可思議・言語道断・心行所滅なり法は十界十如・因果不二の法なり」
天台大師の法華玄義序王には「言う所の妙とは、妙は不可思議を名づくるなり。言う所の法とは、十界十如権実の法なり」とあり、また私序王には「言う所の妙とは、不可思議の法を褒美するなり。又妙とは、十法界十妙の法なり。此の法即ち妙、此の妙即ち法、二無く別無し。故に妙と言うなり」とある。
この文を引用されたのは、天台大師自身、妙法が不可思議で言語道断・心行所滅としているゆえである。これに対し、一心三観は天台大師自身が己心に悟ったところとして説いたものである。このことから、妙法は一心三観の修行よりはるかに勝っていることを明らかにされているのである。
三諦と云うも三観と云うも三千と云うも共に不思議法とは云えども天台の己証天台の御思慮の及ぶ所の法門なり
天台大師智顗が立てた三諦・三観・三千の法は「不思議法」とはいっても、浅いといわれる。
まず三諦であるが、四教でいえば、別教と円教とのみに三諦があり、別教の説く三諦は隔歴の三諦で、諸法の空諦・仮諦・中諦が相互に隔たった別個の原理として区別されるものである。しかも、中諦に到達するためには、空諦仮諦の二諦を通過するが、一度、中諦に達してしまうと、空仮の二諦は捨て去るべきものとなる。このような三諦を次第三諦とも不融三諦ともいう。
これに対して円教の三諦は三諦それぞれが自己のなかに他の二諦を具え、常に即空即仮即中の関係にある。
別教の隔歴の三諦に対して、円教の三諦、あるいは不次第三諦、不思議三諦ともいわれる。
次にこの三諦を観ずる三観にも、別教のように空観から仮観へ、仮観から中観へと段階的に行っている場合は次第三観といい、円教のそれのように、三観を一心の三側面として同時に成立させる一心三観は不思議三観といわれる。
また、一念三千についても、摩訶止観巻五上において「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す。百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已なん。介爾も心有らば即ち三千を具す…秖、心は是れ一切の法、一切の法は是れ心なるなり。故に縦に非ず横に非ず、一に非ず異に非ず、玄妙深秖絶にして識の識る所に非ず。言の言う所に非ず。所以に称して不可思議境と為す。意此に在るなり」とあり、一念三千が不思議の境であると説いている。
天台大師は一念三千を説くにあたり、思議境と不思議境とを区別している。思議境というのは爾前諸経に明かされる理法で、心が一切世間を生ずるという考えである。
これに対して、一念三千は一念から三千諸法が生ずると考えるのではなく、一念の心に三千諸法を余すことなく具していることを説いたもので、心即一切法、一切法即心であり、この理法が思議を越えた「玄妙深絶」な法であり、「不思議境」であるとしている。
以上のように、三諦・三観・一念三千ともに「不思議」と名づけられているが、しかしこれらは、どこまでも天台大師自身の己心の悟りにすぎず、いかに「不思議」といっても、天台大師の思慮の及ぶ範囲の法門であるから、如来の悟りである妙法と比較すると「可思議」の領域に入ってしまうのである。
先に「三観とは言説に出でたる法なる故に如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり」と仰せられたことにほぼ同じことを説かれているのである。
此の妙法は諸仏の師なり今の経文の如くならば 久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして爾前迹門の教主・諸仏菩薩の境界に非ず経に唯仏与仏・乃能究尽とは迹門の界如三千の法門をば迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり、本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず何に況や菩薩凡夫をや
この段は、妙法が迹仏の境界ではなく本仏の境界であることを論証されている。それは、次下で止観が迹仏の境界であることを論証されていることと対照的になっている。
つまり、妙法は本仏の境界、止観は迹仏の境界ということにより、妙法が止観に勝ることを裏づけられているのである。
大聖人は「此の妙法は諸仏の師なり」と仰せられ、あらゆる迹仏にとっての師であり、「久遠実成の妙覚極果の仏の境界」と仰せられている。
この直前に「道場所得法・我法妙難思・是法非思量・不可以言宣」との法華経方便品第二の文を挙げられ、「今の経文の如くならば」と断われているように、方便品の教主たる迹仏にとっては、この妙法は得道の師であり、思量も及ばず、言に宣べることもできない法なのである。
つまり、久遠の本仏のみが久遠の菩提道場において開悟された法であり、それゆえに妙法は久遠実成の妙覚極果の仏の境界である。
したがって、方便品で「唯仏与仏・乃能究尽」と称えているのは、迹門で説き明かされた「界如三千の法門」すなわち十界十如三千世間の法門」が迹仏の究尽したことであるということである。それは始成正覚の仏の立場における限定された範囲内で究極といっているにすぎないのである。
これに対して、妙法は本地難思の境地の妙法であるから迹仏等の諸仏の思慮には及ばない境地であり、ましてや菩薩凡夫では到底及びもつかない甚深の境地である。
止観の二字をば観名仏知・止名仏見と釈すれども迹門の仏智仏見にして妙覚極果の知見には非ざるなり、其の故は止観は天台己証の界如三千・三諦三観を正と為す迹門の正意是なり、故に知んぬ迹仏の知見なりと云う事を
この御文以下は、止観が迹仏の境界にすぎないことを明かされている。まず、摩訶止観巻六下に十乗観法の第四「破法偏」のうち、「中道正観の破法偏」を明かすなかに次のように説かれている。
すなわち、「是くの如く観ずれば、即ち衆生が仏知見を開く。衆生と言うは、貧瞋癡の心、皆我有りと計す。我は即ち衆生、我は心を逐うて起こる、心は三毒を起こし、即ち衆生と名づく。此の心起こる時、即空即仮即中なり。心の念を起こすに随って止観具足す。観を仏知と名づけ、仏を仏見と名づく、念念の中に於いて止観現前す。即ち是れ衆生が仏知見を開くなり」と。
衆生とは貪欲の心や瞋恚の心や愚癡の心が起こったとき、それぞれの心が我であると思う執着の姿が衆生といわれるものである。したがって、止観修行の際に偏った執着のために修行の進展が阻まれるのは、三毒の心を我とする衆生の状態に陥ったからである。
ゆえに、執着を破って修行を進めるためには貧瞋癡の心が起こるときに、その一つ一つを即空即仮即中の一境三諦として対象化し、止と観とが具わるように観心修行を実践することが大切であると論じており、更に観を仏知、止を仏見と名づけ、念々の心において止観が現前にすることが衆生が仏知見を聞くことであると説いている。
ここで、止観の止は摩訶止観巻一に「法性寂然なるを止と名づけ」とあるように、心を一境に定めることにより、諸法の全体を一挙に直観により観ることをさしているから、止は仏見にあたる。また、観は同じく「寂にして常に照らすを観と名づく」とあるように、寂然として諸法の全体を観た後に、諸法の個々の事物・現象を照らし出すように知ることであるから、観は仏知にあたる。
このように、止・観の二字が、それぞれ仏見と仏知とを表しているのであるが、日蓮大聖人は止観でいっている仏とは、どこまでも迹門の仏智仏見の範囲にすぎず、本門の久遠の仏陀、すなわち妙覚極果の知見ではないと仰せられ、その理由として、止観は天台大師が己心に証得した十界・十如・三千・三諦・三観を正当な根拠として立てられた観心修行であり、これは法華経の迹門の考え方を根本にしていることは明らかであるから迹仏の知見を出ないのである、と仰せられている。
但止観に絶待不思議の妙観を明かすと云えども只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名けるなり
先に摩訶止観巻五の一念三千の文を引用したが、そのなかに「秖、心は是れ一切の法、一切の法は是れ心なるなり。故に縦に非ず横に非ず、一に非ず異に非ず、玄妙深絶にして識の識る所に非ず。言の言う所に非ず。所以に称して不可思議境と為す。意此に在るなり」とあったが、ここに、一念三千をさして「不可思議の境」を述べている。
また、一念三千に代表される天台の円教の止観は絶対止観、つまり」不止不観と止観との対待のない止観であり、わざわざ止観を行うという作為のない現実生活そのままが絶対止観ということになる。
これらの天台の止観の諸特徴を号して、天台宗では「絶対不思議の妙観」という。しかし、この「絶対不思議」というのも、「一念三千」や「一心三観」のことであるから、与えていったにすぎない、と結論されている。
0531:10~0532:02 第12章 天台の外用・内証を明かすtop
| 10 問う天台大師真実に此の一言の妙法を証得したまわざるや、 答う内証爾らざるなり、外用に於ては之を弘通し 11 たまわざるなり、 所謂内証の辺をば祕して外用には三観と号して一念三千の法門を示現し給うなり、 問う何が故 12 ぞ知り乍ら弘通し給わざるや、 答う時至らざるが故に付属に非ざるが故に迹化なるが故なり、 問う天台此の一言 13 の妙法を証得し給える証拠之有りや、 答う此の事天台一家の祕事なり 世に流布せる学者之を知らず 潅頂玄旨の 14 血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り、 天台御入滅の後は石塔の中に之有り 伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以 15 て之を開き道邃和尚より伝受し給う血脈とは是なり、 此の書に云く「一言の妙旨・一教の玄義」文、 伝教大師の 16 血脈に云く「夫れ一言の妙法とは 両眼を開いて五塵の境を見る時は 随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する 17 時は不変真如なるべし、 故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の修多羅一言に含す」文、 此の両大師の血脈の 18 如くならば 天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり、 一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法 0532 01 なり、 三観は因の義・妙法は果の義なり但因の処に果有り 果の処に因有り因果倶時の妙法を観ずるが故に是くの 02 如き功能を得るなり、 -----― 問うて云う。天台大師は真実にこの一言の妙法を証得されなかったのであろうか。 答えて言う。内証は証得されていたが、外用においてこれを弘通されなかったのである。天台大師は内証の辺を祕して外用には三観と号し、一念三千の法門をあらわされたのである。 問う。どうして知りながら弘通されなかったのであろうか。 答う。時が至らなかったからであり、釈尊からの付属がなかったからであり、天台大師が迹化の菩薩であったからである。 問う。天台大師が一言の妙法を証得した証拠はあるのであろうか。 答う。このことは天台一家の祕事である。世間に流布している学者はこのことを知らないのである。 「潅頂玄旨の血脈」といって天台大師自筆の血脈が一紙ある。天台大師御入滅の後は石塔のなかにあった。伝教大師が入唐されたときに、八舌の鑰で石塔を開き、道邃和尚から伝授された血脈がこれである。 この書に云く「一言の妙旨・一教の玄義」と。伝教大師の血脈に云く「一言の妙法とは、両眼を開いて五塵の境を見るときには随縁真如となる。両眼を閉じて無念に住するときは不変真如となる。ゆえにこの一言を聞くときに万法がここに通達して、一代の修多羅が一言に含まれるのである」と。 この天台大師・伝教大師の血脈のとおりであるならば、天台大師の血脈相承の最要の法とは妙法の一言である。一心三観とは所詮、妙法を成就するための修行の方法なのである。 三観は因の義であり、妙法は果の義である。ただ因のところに果があり、果のところに因がある。因果倶時の妙法を観ずるゆえにこのような功能を得ることができたのである。 |
一言の妙法
伝教大師が修禅寺の道邃和尚から相伝した法門を記したと伝えられる修禅寺決に「玄師の伝に云く『一家の本義はただ一言を以って本と為す。謂く、寂滅不二の一言なり』等とあり、究竟の法を「一言」で伝えるという表記が見られる。
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内証
自分の心の中で真理を覚ること。また、享受している内面の覚り。外用に対する語。
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外用
外に現れたはたらき。人々を教え導くために方便として示す姿やはたらきの側面。内証(内面にそなわる覚りの真実、またその境地)に対する語。
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示現
菩薩が衆生を教化するために、さまざまな姿形をとって出現すること。
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付属
相承・相伝のこと。弘宣付属・伝持付属・守護付属の三種がある。日寛上人の分段には「弘宣付属とは謂く四依の顯聖は釈尊一代の所有の仏法を時に随い機に随い演説流布するなり。伝持付属とは謂く四依の賢聖は如来一代の所有の仏法を相伝受持して世に相継いで住持するなり。守護付嘱とは謂く国王壇越等如来一代所有の仏法を、時に随い能く之れを守護して法を久住せしむ」(要旨)とある。
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天台大師自筆の血脈一紙之有り
天台家の秘本である「天台灌頂玄旨」をさすが、現存しない。
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道邃和尚
中国、唐代の天台宗の僧。生没年未詳。諡は興道尊者。妙楽大師湛然に師事。貞元20年(0804)に龍興寺(浙江省臨海市)に住す。同年より翌21年にわたり、最澄と通訳僧であった義真に天台法門を伝えた。道邃が最澄に出会った時の興味深い逸話が「一代聖教大意」に説かれる。天台山国清寺で入寂した。
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伝教大師の血脈
伝教大師が天台家の秘本である天台灌頂玄旨を注したもの。
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五塵の境
色・声・香・味・触の五境のこと。眼・耳・鼻・舌・身の五識が対象とする五種のもの。「塵」は五識の対象として煩悩を起こし、汚染することがあたかも塵埃のごときゆえに五塵という。
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無念
念慮の作用がないことをいう。なんらの念も起こらないこと。
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随縁真如
縁に従って、刻一刻と変化しゆく事象に対応した幸福への生命活動をいい、仏界を涌現すること。一念三千の当体の生命の確立。仏の振る舞いを根本に、因果国に約して、一念三千を説き明かした本門は随縁真如の智となる。また、宇宙の森羅万象を説き明かした御本尊は、随縁真如の智とも不変真如の理ともなる。
―――
不変真如
真如の「真」とは、「真実」ということであり、「如」とは「ごとく」「そのまま」「ありのまま」。「不変真如の理」とは、永久に変わらざる真実。真正の法理。ほけきょう迹門では、諸法実相に約して十界互具・百界千如・一念三千の理を説き明かした。これ不変真如の理である。天台大師は大御本尊出現に先立ち、摩訶止観で理の一念三千法門を説いた。これまた不変真如の理となり、大聖人の一念三千当体の法門からみれば迹門となる。
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三観は因の義・妙法は果の義なり
一心三観の修行をして妙法蓮華経を証得すること。一心三観は悟りへの修行であるから因となり、修行の結果、修得するものは妙法に説かれた法理であるから、妙法は果となる。
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因果倶時
一念の生命に因と果が具足し、前後の差別がないこと。
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前章において、天台の止観が迹仏の知見にすぎず、本地難思の境地の妙法に比べるとはるかに劣ることを説かれたことを受けてここでは、伝教大師は「一言の妙法」を全く証得しなかったのか、という問いを起こされている。
これに対して、天台大師は内証の辺では妙法を証得していたが、外用においては、あくまで内証を秘して妙法そのものは弘通しないで、妙法をあえて三観と言い換え、一念三千の観法という観心修行の法門を衆生のために示し現したのである、と答えられている。
そこで更に、天台大師は何ゆえに内証の悟りである「一言の妙法」を弘通しなかったのか、という問いを設けられて、天台大師のときは、まだ妙法を弘めるべき時がきていなかったこと、天台大師は妙法弘通を仏から付嘱されていなかったこと、天台大師は薬王菩薩の再誕として迹化の菩薩であるから、の三つの理由を挙げておられる。
更に、天台大師が一言の妙法を内証において証得したという証拠があるのか。との問いに対して、天台宗の血脈相承を挙げられている。
すなわち、天台大師自身が筆を取って書いた「天台灌頂玄旨」という、血脈の一紙が存在するというのである。
この血脈の一紙は、天台大師滅後においては、石塔の中に所蔵されており、だれも開けることができなかったのであるが、日本の伝教大師が入唐したとき持参した、叡山の土中から出土した八舌の鑰を用いたところ、石塔が開き、道邃和尚から伝授されたものである、との秘事を明かされている。
その天台灌頂玄旨のなかに「一言の妙旨・一教の玄義」とあり、この文から天台大師が内証においては一言の妙法を悟っていたことが明らかであり、また伝教大師が天台灌頂玄旨に注釈を加えた「注血脈」には一言の妙法についての秘奥の法門が説かれていて、ここから、天台大師の血脈相承の最要の法は一心三観や一念三千の観法ではなく、一言の妙法であると結論されている。
此の書に云く「一言の妙旨・一教の玄義」
「此の書」とは天台灌頂玄旨のことである。本文で天台大師直筆の血脈の書とされているが、現存していない。日好の録内拾遺巻八には、天台家の秘本である天台灌頂玄旨の次の文を引用している。すなわち「生仏自ら一体、是れ一言の妙旨、一教の玄義と謂う。此の智と此の境とあれば、早く三諦の言を失う矣」と。
ここで、衆生と仏とが一体であることを表す法理が「一言の妙旨・一教の玄義」であると述べている。一言の妙旨とは、一言のなかに仏陀の深くて妙なる教えの主旨が尽されているということで、いうまでもなく、一言の妙法をさしている。一教の玄義とは、一教、すなわち法華経の甚深の理を表したものということである。
「此の智と此の境とあれば」とは、一言の妙法には、久遠の本地を開顕した仏陀の智とこの智がとらえた不可思議な境とが具わっているということであり、換言すれば、本地難思の境智の妙法のことである。一言の妙法であれば、すべて言い尽くしていることになるので「早く三諦の言を失う矣」と述べ、三諦や三観、そしてその延長としての一念三千の観法は、天台宗の最要の法ではないということである。
伝教大師の血脈に云く「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし、故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の修多羅一言に含す」
伝教大師の血脈とは、伝教大師が天台大師の灌頂玄旨に注をほどこした書で血脈書といわれているものをさしている。このなかで伝教大師は一言の妙法について説明を加えている。
まず、一言の妙法とは「両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし」と説いている。
随縁真如、不変真如という概念の使用は、天台教学では第六祖、妙楽大師に始まるといわれ、妙楽大師が教相門において、当時の華厳教学との対決の必要性から大乗起信論に説かれていた真如随縁説を採用したときに始まるとされる。
さて、大乗起信論の真如随縁説とは、真如法性が客塵煩悩の縁に随従することによって現実の経験的差別世界を生起する、というものである。
客塵煩悩とは、煩悩が心に本来ある固有のものではなく、偶然的で一時的な客のように、外から清浄な心に付着して汚すものであるところからいわれるものである。
つまり、大乗起信論の随縁真如説は、本来清浄な真如法抄と客塵煩悩との出会いから現実の差別的世界が生ずるとしたのである。
しかし、円教のように真如と現実的差別相との相即を取る立場からとらえると、このように真如法性を本来清浄とすることは、別教の領域に陥っていることになる。
同じ別教に属する華厳宗が自らの性起説を裏づけるための真如随縁説を援用してその教学を展開したが、元来、別教、華厳の特色である性起唯浄説を克服することができなかった。
すなわち、性起唯浄論説からは、いかにしても染悪の現実世界の存在を説明することができなかったのである。
妙楽大師は、この華厳雑学との対決の必要から、真如随縁説の天台教学に採用し金剛錍で次のように説いている。
すなわち「万法は是れ真如なり、不変なるに由るが故に。真如は是れ万法なり、随縁に由るが故なり」と。
ここに説かれた真如と万法の関係は、水と千波万波の関係にたとえると分かりやすい。不変の水が風の縁によって千波万波を起こしているのが随縁真如とすれば、起こっている千波万波のどの波も水の性を具えているところを不変真如というのである。
真如が縁にあう働きをとらえて「真如は是れ万法なり、随縁に由るが故なり」と説き、しかも真如が万法のどこにあっても不変の性を具えているところをとらえて「万法は是れ真如なり、不変なるに由るが故に」と説いているのである。
以上のような天台宗における真如と万法との相即の観を踏まえて伝教大師の言葉を解釈すると、次のようになる。
「両眼を開いて五塵の境を見る」というのは、両眼を開いて、五塵の境、すなわち眼・耳・鼻・舌・身の五官の対境である色・声・香・味・触の五境を見る、ということである。
五境を見るということは、万法の差別相である森羅万象を見ることであるから、その見られた差別相の森羅万象は真如の随縁したもの、つまり随縁真如であるということであり、次に「両眼を閉じて無念に住する時」というのは、両眼を閉じて森羅万象を見ず、外縁を受けることなく、なんの念慮も起こらない状態に住しているときが、不変真如であると説いている。
以上の随縁真如・不変真如は真如に具わる二つの側面であり、しかも、一言の妙法はまさに真如であるから、結局二種の真如は一言の妙法に具わっていることになる。したがって「此の一言を聞くに万法茲に達し一代修多羅一言に含す」と結論しているのである。
すなわち、この一言の妙法を聞けば、万法の理法に到達し、また、釈尊一代の教法が妙法の一言に含まれることになる、というのである。
因果倶時の妙法を観ずるが故に是くの如き功能を得るなり
天台宗の血脈相承の最要の法が一心三観ではなく一言の妙法であるということを文証によって立証されたうえで、この御文は一心三観と一言の妙法との関係を述べられている。
すなわち、一心三観とは一言の妙法を悟るための修行の方法であり、一心三観は因の義、妙法は果の義である、と。
更に、この因と果の関係は、異時ではなく、因の修行のところに果の悟りの妙法があり、果の悟りの妙法のところに因の修行があるという因果倶時の不思議の妙法を観じていくゆえに、「是くの如き功能」、すなわち、伝教大師の注血脈に説かれていたように、一言の妙法が万法に通達し、また一言の妙法のうちに万法の理法をはらんで、仏一代の教法を含有するという大きな功徳を得ることができる、と仰せられている。
このことを、大聖人が久遠元初自受用身如来の証得の立場を述べられたのが、当体義抄の「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり」(0513-04)の御文であることはいうまでもない。
0532:02~0532:05 第13章 無念の止観という邪義を破すtop
| 02 爰に知んぬ天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立てて 最祕の大法とすと云 03 える邪義大なる僻見なりと云う事を 四依弘経の大薩タは既に仏経に依つて 諸論を造る天台何ぞ仏説に背いて無念 04 の止観を立てたまわんや、 若し此の止観・法華経に依らずといわば天台の止観・教外別伝の達磨の天魔の邪法に同 05 ぜん都て然る可からず哀れなり哀れなり。 -----― したがって「天台大師の至極の法門は法華経本門と法華経迹門の未分のところに無念の止観を立て、これを最祕の大法とするのである」という邪義は大なる僻見であると知るべきである。 四依弘経の大菩薩はすでに仏の経典に依拠して諸論を造ったのである。天台大師がどうして仏説に背いて無念の止観を立てられるわけがあろうか。 もし、止観が法華経を拠り所にしないというならば、天台大師の止観は教外別伝を立てる達磨の天魔の邪法と同じである。そのようなことがあるわけがない。このような邪義を立てる彼ら末弟子は哀れなことである、哀れなことである。 |
至極
最上・この上ないこと。
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法華本迹未分の処
法華経の本門と迹門が末だ分かれていないところ。
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無念の止観
言語・思想を超越した止観のこと。日蓮大聖人御在世当時の天台宗において唱えられた説。法華経本迹の教相に勝れ、一切の念慮を超越した止観をいう。当時、新興の禅宗に影響を受けたものと思われる。
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僻見
偏った見方、誤った考え方、見解。僻は偏る・あやまる・よこしま。見は考え方、見方。
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四依弘経の大薩埵
釈尊の滅後、正法を護持し、仏の教説に従って衆生済度のために、法を弘通していく菩薩のこと。四依には法の四依と人の四依がある。❶法の四依・四不依。涅槃経巻6などに説かれる。①修行する人は仏の教えそのものを依りどころとして、教えを説く人に依ってはならない(依法不依人)。②教えの真義に従い、表面上の言葉・文章に依ってはならない(依義不依語)。③真の智慧に依って、凡人の感情・判断に依ってはならない(依智不依識)。③中道実相の義を説いた了義経に依って、そうでない不了義経に依ってはならない(依了義経不依不了義経)の四つをいう。❷人の四依。衆生が信頼してよい4種の人のこと。涅槃経巻6などに説かれる。①具煩悩性の人(三賢の位にある声聞)②須陀洹(預流)・斯陀含(一来)の人(声聞四果の第1・第2を得た人)③阿那含(不還)の人(声聞四果の第3を得た人)④阿羅漢の人(声聞の最高位で見思惑を断じ尽くした人)の4種をいう。『法華玄義』には、菩薩の修行段階である五十二位によって四依を分けている。それによると、五品(十信以前の段階)・六根清浄(十信)を初依、十住を二依、十行・十回向を三依、十地と等覚を四依とする。章安大師灌頂の『涅槃経疏』では、義によって声聞の四依を大乗菩薩の五十二位に配して、別教および円教の菩薩の四依を立てている。
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これまでで、天台大師は内証では妙法を悟っていたが、外用の辺で至極の法として弘めた一心三観・一念三千の止観は、迹化の立場での浅い法門であることを明らかにされてきた。これから以後は、当世・叡山天台宗の末学たちが唱えている邪義を徹底して破折されていくところである。
大聖人が破折されている当世・叡山天台宗の邪義とは、一心三観・一念三千の止観が法華経の本迹に勝るという考え方である。したがって、ここで「天台至極の法門」というのは、天台大師内証の法門ではなく、一心三観・一念三千の止観のことであることはいうまでもない。
すなわち、止観の法門は法華経の本迹末分のところ、すなわち法華経の教えが迹門と本門とに末だ分かれないときの仏の悟りにあり、この無念の止観こそ最大の秘法である、との主張である。
無念の止観とは、念慮の無い止観、ということであり、前章の「両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし」という“不変真如”の側面にすぎない。この無念の止観こそ本迹末分の究極であるとする邪義は、教外別伝の達磨禅に一脈通ずるものである。こうした考え方に対し、大聖人は次のように破折されている。
正法時代の四依弘教の大薩埵、すなわち四依の大菩薩たちは仏陀の説いた経典を依処にしてそれぞれ論を造ってきたのに、天台大師のみがどうして経典に依らない無念の止観を立てるのであろうか。もし天台大師の止観が末学の主張するように法華経に依経しない観心修行であるとするならば、まさに天台の止観は、教外別伝と主張した達磨禅と同じになる、そのようなことは断じてない、と強く破折されるとともに、こうした邪義に陥っている天台宗の末弟子らを「哀れなり哀れなり」と嘆かれている。
0532:06~0533:03 第14章 天台宗末学の謗法を断罪すtop
| 06 伝教大師の云く「国主の制に非ざれば以て遵行する無く 法王の教に非ざれば以て信受すること無けん」と文、 07 又云く「四依・論を造るに権有り 実有り三乗旨を述ぶるに三有り一有り、 所以に天台智者は三乗の旨に順じて四 08 教の階を定め一実の教に依つて一仏乗を建つ、 六度に別有り、 戒度何ぞ同じからん受法同じからず威儀豈同じか 09 らんや、 是の故に天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」文、 本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む 10 若し天台の止観法華経に依らずと云わば 日本に於ては伝教の高祖に背き 漢土に於ては天台に背く両大師の伝法既 11 に法華経に依る 豈其の末学之に違せんや、 違するを以て知んぬ当世の天台家の人人・其の名を天台山に借ると雖 12 も所学の法門は 達磨の僻見と善無畏の妄語とに依ると云う事、 天台伝教の解釈の如くんば己心中の秘法は但妙法 13 の一言に限るなり、 然而当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失う 故に天台の血脈相承の秘法を習い失 14 いて我と一心三観の血脈とて我意に任せて 書を造り錦の袋に入れて頚に懸け 箱の底に埋めて高直に売る故に邪義 15 国中に流布して天台の仏法破失するなり、 天台の本意を失い釈尊の妙法を下す 是れ偏えに達磨の教訓・善無畏の 16 勧なり、 故に止観をも知らず・一心三観・一心三諦をも知らず 一念三千の観をも知らず 本迹二門をも知らず相 17 待・絶待の二妙をも知らず法華の妙観をも知らず教相をも知らず 権実をも知らず四教・八教をも知らず五時五味の 18 施化をも知らず、教・機・時・国・相応の義は申すに及ばず実教にも似ず権教にも似ざるなり道理なり道理なり。 -----― 伝教大師は顕戒論に「国主の立てた制でなければ遵行してはならないし、法王の教でなければ信受してはならない」と述べ、また「四依の菩薩は造ったが、そこには権があり、実がある。三乗の旨を述べるのに三乗があり、一乗がある。ゆえに天台智者大師は三乗の旨に順じて四教の階位を定め、一実の教によって一仏乗を立てたのである。そして六波羅蜜がそれぞれ別であるのに、戒がどうして同じであろうか。受法が同じでないのに、威儀がどうして同じであろか。このゆえに天台の伝法は深く四依の菩薩により、また仏の経典によるのである」と述べている。 日本の天台宗の法門は伝教大師より始まったのである。もし、天台の止観が法華経に依拠しないというならば、日本においては伝教大師という高祖に背き、中国においては天台大師に背くことになる。 天台大師・伝教大師の伝法が既に法華経によっているのに、どうしてその末学がこれに相違してよいのであろうか。 現在の天台家の人々が天台大師や伝教大師に違背しているのは、その宗名を天台山に借りていながら、所学の法門は達磨の僻見と善無畏の妄語とによっていること明らかである。天台大師・伝教大師の述べるところによるならば、己心中の秘法はただ妙法の一言に限るのである。 しかし、現在の天台宗の学者は秘事の天台の石塔の血脈を忘失しているゆえに、天台大師の血脈相承の秘法を忘れ、自分から「一心三観血脈」といって、我が意に任せて書を造り、それを錦の袋に入れて頚に懸け、箱の底に埋めて高直で売っているのである。このために、邪義が国中に流布して天台の仏法を破失したのである。 天台大師の本意を失い、釈尊の妙法を下すこと、これひとえに達磨の教訓、善無畏のよこしまな勧めによっているのである。 ゆえに現在の天台宗の人々は止観をも知らず、一心三観・一心三諦をも知らず、一念三千の観をも知らず、法華経本迹二門をも知らず、相待・絶待の二妙をも知らず、法華経の妙観をも知らず、教相をも知らず、権実をも知らず、四教・八教をも知らず、五時五味の化導をも知らないのである。 教・機・時・国・相応の義はいうに及ばず、実教にも似ず、権教にも似ていない。それが道理である、道理である。 -----― 0533 01 天台・伝教の所伝は法華経は禅・真言より劣れりと習う故に達磨の邪義・真言の妄語と打ち成つて権教にも似ず 02 実教にも似ず二途に摂せざるなり、 故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云う 邪義を申し出して過無き天台 03 に失を懸けたてまつる故に高祖に背く不孝の者・法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。 -----― 法華経が禅・真言よりも劣っていると思い込んでしまったために、天台大師・伝教大師の所伝の法門が達磨の邪義・真言の妄語と同じようになってしまって、権教にも似ず実教にも似ず、その二教にも摂することができないのである。 ゆえに大謗法罪があらわれて、止観は法華経に勝れるという邪義を言い出して、罪のない天台大師に罪をなすりつけたのである。こうして天台宗の人々は、高祖に背く不孝の者となり、法華経に背く大謗法罪の者となったのである。 |
国主の制
国主の決めた法。制度。
―――
遵行
従い行うこと、守り行うこと。道理や法に従って行動すること。
―――
法王
仏を王の位において表現する言。
―――
四依
四つの依りどころとするもの。四不依に対する語。行の四依、説の四依、人の四依、法の四依がある。行、説の四依は釈尊存命中のための四依。このうち行の四依は比丘が修行において守るべき4種のきまりであり、説の四依はインドに生まれた釈尊の四依で仏の4種の意向をいう。人、法の四依は釈尊滅後の者のための四依。このうち人の四依は、正法を護持し広めて人々から信頼され、よりどころとなる4種の導師をいい、法の四依は衆生を利益する導師が必ず順守する四依をいう。したがって末法においては人、法の四依を用いる。❶法の四依・四不依。涅槃経巻6などに説かれる。①修行する人は仏の教えそのものを依りどころとして、教えを説く人に依ってはならない(依法不依人)。②教えの真義に従い、表面上の言葉・文章に依ってはならない(依義不依語)。③真の智慧に依って、凡人の感情・判断に依ってはならない(依智不依識)。③中道実相の義を説いた了義経に依って、そうでない不了義経に依ってはならない(依了義経不依不了義経)の四つをいう。❷人の四依。衆生が信頼してよい4種の人のこと。涅槃経巻6などに説かれる。①具煩悩性の人(三賢の位にある声聞)②須陀洹(預流)・斯陀含(一来)の人(声聞四果の第1・第2を得た人)③阿那含(不還)の人(声聞四果の第3を得た人)④阿羅漢の人(声聞の最高位で見思惑を断じ尽くした人)の4種をいう。『法華玄義』には、菩薩の修行段階である五十二位によって四依を分けている。それによると、五品(十信以前の段階)・六根清浄(十信)を初依、十住を二依、十行・十回向を三依、十地と等覚を四依とする。章安大師灌頂の『涅槃経疏』では、義によって声聞の四依を大乗菩薩の五十二位に配して、別教および円教の菩薩の四依を立てている。❸行の四依。修行者に対して執着のない生活を教えたもので、『四分律』などに説かれる。①糞掃衣を着て②常に乞食し③樹下に座り④腐爛薬(牛の尿を発酵させた薬)を用いるの四つ。❹説の四依。仏が説かんとする4種の意趣(意向)(平等意趣・別時意趣・別義意趣・衆生意楽意趣)の意で、ふつう四意趣という。
―――
論
仏の弟子が教説を論述したもの。
―――
権
法華経以外の諸教。「権」とは仮の意。
―――
実
法華経をさして実教という。
―――
三乗
声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のこと。それぞれ声聞・縁覚・菩薩の覚りを得るための教え、あるいはそれを実践する修行者のこと。さらに得られた声聞・縁覚・菩薩の境地も意味する。
―――
三有り一有り
三乗は本来別々のものであるという法相宗の説と、三乗も本来一仏乗であるとする天台宗の説を相対した語。
―――
四教
❶天台大師智顗による教判。「化法の四教」と「化儀の四教」がある。一般に四教というと化法の四教(蔵通別円)をさす場合が多く、「開目抄」(197㌻)で言及される「四教の果」「四教の因」もこちらの意。 化法の四教けほうのしきょう/化儀の四教けぎのしきょう❷華厳宗の法蔵の弟子・慧苑が立てた教判。①迷真異執教(外道凡夫の教え)②真一分半教(二乗の教え)③真一作満教(初心の菩薩の教え)④真具分満教(如来蔵を識る者の教え)。
―――
一実の教
「一」は純一無雑・唯一無二の義で、「実」はまこと。真実の意。法華経が真実の教えであること。
―――
一仏乗
「仏乗」は仏の境地に運ぶ乗り物の意。一切衆生をことごとくじょうぶつさせることのできる唯一の教法のことで、法華経をさす。
―――
六度
六波羅蜜のこと。大乗の菩薩が実践し獲得すべき6つの徳目。六度ともいう。波羅蜜はサンスクリットのパーラミターの音写で、完成・究極の意。「度」と漢訳される。①布施(財施や法を説くこと)②持戒(戒律を守る)③忍辱(苦難を耐え忍ぶ)④精進(たゆまず修行に励む)⑤禅定(瞑想の実践)⑥智慧(般若)。前の五つそれぞれを完成させ、智慧の完成を目指す。
―――
戒度何ぞ同じからん
戒律に小乗戒と大乗戒とがあること。
―――
戒度
持戒波羅蜜のこと。仏法を修行すべきものが守るべき規範。
―――
受法
受けるべき戒法。
―――
威儀
礼儀の規則にかなった立派な行いのこと。
―――
本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む
遣唐使船によって入唐した栄叡・普照の請いによって、鑑真が天平勝宝5年(0753)に日本に来た時に、多くの仏典等とともに天台の止観法門・玄義・文句等を将来したが、天台法門が興隆することはなかった。伝教大師が延暦25年(0806)勅許を得て天台宗を開創したのが日本における天台宗の始まりである。
―――
本朝
①日本の朝廷。②日本国。
―――
天台山
中国浙江省東部にある山。天台大師智顗が入山した。天台山国清寺は中国天台宗の中心地とされ、日本からも多くの僧が遣唐使として訪れた。
―――
達磨の僻見
達磨が教外別伝・不立文字の邪義を立てて、釈尊の教説を否定したこと。
―――
善無畏の妄語
善無畏が大日経に説かれていない一念三千の法門も大日経の阿字本不生に説かれていると嘘をついたこと。善無畏は大日経と法華経を比較すると、理は同一であるが、事においては大日経が法華経に勝れているとする。これは大日経に説く阿字本不生等の理と法華経の諸法実相・一念三千の理を同一として、しかも印と真言の事相は法華経に欠けているから大日経が勝れているとしたもの。
―――
善無畏
637年~735年。東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。
―――
一心三観
一心に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行。天台大師智顗が立てた観心の法門。天台大師はこれを止観の正行とした。別教で立てる次第三観に対して円融三観ともいう。別教においては、まず空観を修し、三惑のうちまず見思惑を断じて空諦の理を証し、次に仮観を修し、塵沙惑を破して仮諦の無量の法門を知り、そののちに中道観を修し、無明惑を断じて中道の理を証する。このように、空・仮・中の三諦を次第に観じていくので次第三観という。これに対して天台大師の一心三観では三観を修行の初めから直ちに修するので不次第三観という。修行の時間も隔たりがなく、中道の理を証するにも空間の隔たりがなく、一境の上に三諦が相即し、三観も一心に円融するので円融三観という。この一心三観を基盤として一念三千の法門が展開される。
―――
相待
相待妙のこと。法華経以外の諸経と法華経とを比較相対して、他の諸経は粗悪、法華経は妙であるとすること。対立し、相対するものに優劣をつけて一方を否定して一方を肯定する。絶待妙に対する語。
―――
絶待
絶待妙のこと。比較・相対を絶してすべてを妙としてとらえること。一切の事象を一段高い視点から統一的に把握する。相待妙に対する語。
―――
法華の妙観
法華経による観法、一心三観の観法をいう。
―――
教相
経文に説かれている教えの内容。また、その理論的研究。真言密教では、理論的な側面を教相、実践的な側面を事相という。
―――
四教・八教
天台が立てた天台宗の教判。釈尊の一代聖教を教説の内容によって化法の四教・化導の形式方法によって化儀の四教の合わせて八教に分類したもの。❶化法の四教。①三蔵教。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界内の生死・因果のみを明かし、諸法を構成要素に分析して空とする析空観を観法とし、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として声聞・縁覚を対象とし、傍に菩薩を対象とするが、その究極は声聞の覚りにすぎないので、声聞教という。小乗教と位置づけられる。②通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。③別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。④円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。❷化儀の四教。①頓教(覚りの真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③秘密教(仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある)④不定教(衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある)の四つ。
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五時五味の施化
釈尊一代聖教を、時間的経過で五時に、内容の分類で五味に分けることができることをいう。❶五時。①華厳時。釈尊が伽耶城(ガヤー)近くの菩提樹の下で成道した後、21日間、華厳経を説いた擬宜(試みに説いた)の期間。②阿含時。華厳時で教えを理解できなかった者がいたので、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで12年間、衆生を仏法に誘引するため長阿含経などの四阿含を説いた期間。大乗に対して小乗と位置づけられる。③方等時。続いて16年間(一説には8年間)、阿弥陀経・維摩経などの諸大乗経典を説き、小乗に執着する声聞を糾弾して大乗を慕わせた期間。④般若時。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、摩訶般若などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。⑤法華涅槃時。マガダ国の霊鷲山と虚空会の二処三会で、8年間法華経を説き、大乗・小乗を超えて一切衆生が成仏できる真実の教えを開会した期間。また入滅直前に拘尸那城(クシナガラ)の西北の跋提河の沙羅双樹において涅槃経を説き、法華経の説法に漏れた人のために補足的に説法した期間。❷五味。①乳味(牛乳そのもの)②酪味(発酵乳、ヨーグルトの類)③生蘇味(サワークリームの類)④熟蘇味(発酵バターの類)⑤醍醐味(バターオイルの類)の五つをいう。乳味が一番低い教えにあたり、醍醐味が最高の教えにあたる。
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教・機・時・国・相応の義
宗教の五綱のうち教・機・時・国の四つが相応しているかどううかということ。①教を知る。一切の宗教・思想、なかんずく仏教の教えについて、その内容の正邪・浅深・優劣を判別し、どの教えが最高の教えであるかを知ること。②機を知る。機は人々の仏教を信じ理解する能力。人々がどのような教えを求め、どの法によって教化される衆生であるかを知ること。③時を知る。現在がいかなる時であるかを知り、その時にどの法を広めるべきかを知っていること。④国を知る。それぞれの国や社会、地域によって異なる自然的、文化的状況の相違に応じて弘教の方法を考え、教えを展開していくこと。
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教
悟りを得た人が人々を化導するために説いた言葉。
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機
説法を受ける所化の衆生の機根。
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真言の妄語
真言宗の開祖である弘法大師が法華経を大日経・華厳経より劣るなどといったこと。
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引用されている伝教大師の顕戒論巻上の文は、伝教大師に始まる日本天台宗は中国天台宗の教理と修行の体系を継承しているのであるが、「天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」とあるように、四依の菩薩の論に基づき、またどこまでも仏陀の経教に随順したものであることを説かれている。
この天台宗の立場からみて、当世叡山の末学達の立てている邪義は、天台の止観は法華経に依らず、というのであるから、高祖伝教大師に背き、中国の天台大師に背いていることが明白である。
彼らはその名を天台山に借りてはいても、彼らの学んだ法門は達磨の僻見と善無畏の妄語と同じなのである。
天台大師・伝教大師の秘伝によれば、天台大師己心中の秘法は妙法の一言である。しかるに、天台宗の末学が何ゆえに堕落し、伝教大師や天台大師の本意から逸脱していったかというと、この天台宗の肝心の法門が一言の妙法であることを明かす血脈相承を習いそこなったために、勝手に「一心三観こそ天台宗の秘奥の法門である」との血脈書を造り、しかもこれを高値で売るなどして、邪義が国中に流布し、天台の法門が失われてしまったからである、と説かれている。
こうして末学達は堕落して、達磨や善無畏の教えと同等になってしまった結果、天台大師の本意も、釈尊の妙法も、あるいは止観・一心三観・一心三諦・一念三千の観・本迹二門・相待絶待の二妙・法華の妙観・教相・権実・四教八教・五時五味の教化の意図など、天台宗の基本的な教義をすべてわきまえなくなってしまったのである。
そして「法華経は禅・真言よりも劣っているとする邪義を唱えることで、天台大師・伝教大師の伝える秘法を達磨の僻見や真言の妄語と同類のものになってしまい、実教にも権教にも似ないで、二途のどちらにも属さないものとしている、と破折されている。
結局、「止観は法華経に勝る」という邪義は、こうした大謗法から出たものであり、彼らは、天台大師に迷惑をかけ、高祖である伝教大師に背く不孝の者となり、ひいては法華経に背く大謗法罪の者となってしまっていると指摘されている。
伝教大師の云く「国主の制に非ざれば以て遵行する無く法王の教に非ざれば以て信受すること無けん」と文、又云く「四依・論を造るに権有り実有り三乗旨を述ぶるに三有り一有り、所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め一実の教に依つて一仏乗を建つ、六度に別有り、戒度何ぞ同じからん受法同じからず威儀豈同じからんや、是の故に天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」伝教大師の云く「国主の制に非ざれば以て遵行する無く法王の教に非ざれば以て信受すること無けん」と文、又云く「四依・論を造るに権有り実有り三乗旨を述ぶるに三有り一有り、所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め一実の教に依つて一仏乗を建つ、六度に別有り、戒度何ぞ同じからん受法同じからず威儀豈同じからんや、是の故に天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」
ここに引用された二つの文はいずれも伝教大師の顕戒論巻上のものである。
伝教大師は弘仁10年(0819)、南都の小乗戒壇を破り、大乗戒壇を建立するという上表文を嵯峨天皇に上奏した。
これに対して、護命僧都を中心とする僧綱が反論の上表文を提出したので、これを破折するために弘仁11年(0820)に著述したのが顕戒論三巻である。
このなかで伝教大師は、僧綱の上表文の一つ一つの反論に対して克明に破折を加えている。本抄に引用された二つの文は、ともに顕戒論巻上のなかでも冒頭に記されているものである。
まず、初めの引用文は、実際には伝教大師の破折の文ではなく、護命寺の反論の文の一部が引用されている。参考までにその部分を掲げてみると、次のようになっている。
「沙門護命等謹んで言す。僧最澄奉献せる天台の式並びに表、教理に合わざるを奏するの事。沙門護命等聞く。式を立てて民を制するは必ず国主に資り、教を設けて生を利すは良に法王にあり、国主の制に非ざれば以って遵行することなく、法王の教に非ざれば以って信受することなけん」と。
ここで、護命らは、伝教大師が南都六宗の戒壇に代わって新しい大乗戒壇と新しい受戒の式を作るべきであるとした上表文は伝統的な仏教の教理に合わないと反論し、式を作って民を統べるのは国主のみが行うことであり、教えや戒律を設けて衆生を利益するのは法王たる釈尊のみのよくなすところである、としている。
したがって、国主の制定した規則でなければ遵守する必要はないし、法王・釈尊の教えや戒律でなければ信受することはないと反論している。
すなわち、国王でもなければ法王・釈尊でもなく一介の僧にすぎぬ最澄が余計なことをするな、といっているのである。
初めの引用文は最澄に新しい戒壇や受戒の規則を作る資格のないことを述べた護命らの反論であるが、これを本章で引用されているのは、日本天台宗が正式に国主である桓武天皇の勅許を得て開宗し、大乗戒壇も受戒の規則、またその教えもことごとく法王釈尊ならびに経典のとおりに従っていることを意味している文証として逆用されたのである。
同時に、禅宗や真言宗と同化してしまった天台宗末学の教学こそ、護命らのいう反論に妥当するという破折をも込められているのである。
次の引用文は護命らの上表文は以下のような論難に対してのものである。すなわち、「仏在世の時は弟子諍うことなし。正像に至るに及び異見競い起こり、遂に弱植の徒をして偽弁に随って、以って長く迷わしめ、倒置の倫をして、邪説を遂って永く溺れしむ。所以に菩薩は論を造って宗を会し、三乗の顕聖は教に順じて旨を述ぶ」と。
意味するところは、釈尊在世には異見もなく、弟子相互に争うこともなかったが、仏滅後の正像に至ると、さまざまな見解が出されるようになり、詭弁や邪義なども出て意志の弱い者が紛動されるような事態がやってきたのである。そのとき、四依の菩薩や三乗の聖者が出現して種々の論が著されるようになった結果、仏教の要点や要旨は統一されて、なんら問題もなく今日に至っている、というものである。
すなわち、高い段階の菩薩や聖者が仏教の要点や要旨を整理して明瞭になっているところに、何ゆえにまた、最澄のごとき、入唐したとはいえ、都ではなく田舎へ行っただけの僧侶が、勝手な仏教の解釈を加え規則を造って朝廷に上奏するのか、という反論なのである。
これに対して破折されたのが、ここに引用されている文なのである。その意味するところを簡潔に述べると、四依の菩薩が造った諸論にも権と実、三乗と一乗との区別があることを述べ、天台大師智顗が四教により分別し一仏乗を建てたことを明かしている。
更に、菩薩乗の六度にも、権実・三乗などの立場の相違によって別異が存在するから、戒についても同じであってよいわけがなく、受戒の法が同じでないのに、僧の意義、振る舞いが同じであるはずがないのであり、このゆえに、天台の伝える法は、あくまで四依の菩薩達の論を依処として仏の経にしたがっているのであると、破折を加えている。
当時、南都六宗のなかには、法相宗や三論宗などの大乗仏教も存在していたが、僧侶になるとき、小乗の戒と大乗の戒との双方を受けることになっており、厳格な伝教大師は、一度でも小乗の戒を受けた僧を大乗とはよばず小乗の僧と呼んでいた。
南都六宗の戒壇を小乗と破ったのも、同じ考えからである。
したがって、真実の大乗、法華円教・一乗の僧となるには、純粋な大乗の戒壇と大乗の意義が存在すべきであるというのが伝教大師最澄の年来の主張であった。
0533:04~0533:07 第15章 天台の観心の正義を総括すtop
| 04 夫れ天台の観法を尋ぬれば大蘇道場に於て三昧開発せしより已来 目を開いて妙法を思えば随縁真如なり目を閉 05 じて妙法を思えば不変真如なり 此の両種の真如は只一言の妙法に有り 我妙法を唱うる時・万法茲に達し一代の修 06 多羅一言に含す、 所詮迹門を尋ぬれば迹広く本門を尋ぬれば 本高し如かじ己心の妙法を観ぜんにはと思食されし 07 なり、 -----― そもそも天台大師の観法を尋ねれば、大蘇山の普賢道場において三昧を開発して以来、目を開いて妙法を思えば随縁真如であり、目を閉じて妙法を思えば不変真如である。 この両種の真如は一言の妙法にある。自らが妙法を唱えるときに万法が茲に達して一代の修多羅が一言に含まれるのである。 所詮、法華経の迹門を尋ねれば迹門は広く解しがたく、法華経の本門を尋ねれば本門は高くて究めがたい。ゆえに己心の妙法を観ずることが最もいいと思われたのである。 |
大蘇道場
中国南西省商城県大蘇山において、天台大師が行じた修業のこと。道場は仏道を成ずるための修行の意。
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本抄を結ぶにあたり、天台大師智顗の正しい意義を明かされている。
天台大師智顗は23歳の時、光州・大蘇山の普賢道場において、法華三昧を開発し、一言の妙法を体得したのである。そして、両眼を開いて妙法を観想すれば、眼前に展開する森羅万象の種々の差別世界は妙法の随縁真如の側面であり、両眼を閉じて妙法を観想すると一味平等の世界が現れ、妙法の不変真如の側面であることを悟ったのである。すなわち、随縁・不変の両真如は一言の妙法に具わる二側面であるということである。
したがって、妙法を唱えるときは、森羅万象がそこに集約され、釈尊一代の諸経も、一言の妙法に含まれる。
観法の対境として、法華経の迹門に説かれた諸法実相の法理を尋ねて観心修行することは、この理法が空間的に宇宙森羅万象に及んでいるゆえに凡夫の修行者には広すぎ、また、本門に説かれた久遠実成の仏陀の境地を尋ねて観心することは、あまりにも高過ぎて、これも凡夫の観心の境としては不適当である。そこで最も身近で肝要というべき己心の妙法を観ずることが行じやすい、との結論に達し、そこから己心の妙法を観ずる修行を立てられたのである、と仰せられている。
以上が天台大師の本意であり、また天台宗の正当なる観法は、ただ妙法を証得するために立てられた止観であることをここで改めて総括されているのである。
0533:07~0533:15 第16章 禅宗の観法を天魔外道と破すtop
| 07 当世の学者此の意を得ざるが故に天台己証の妙法を習い失いて 止観は法華経に勝り禅宗は止観に勝れたり 08 と思いて法華経を捨てて 止観に付き止観を捨てて禅宗に付くなり、 禅宗の一門云く松に藤懸る松枯れ藤枯れて後 09 如何上らずして一枝なんど云える 天魔の語を深く信ずる故なり、 修多羅の教主は松の如く其の教法は藤の如し各 10 各に諍論すと雖も仏も入滅して 教法の威徳も無し爰に知んぬ 修多羅の仏教は月を指す指なり 禅の一法のみ独妙 11 なり之を観ずれば見性得達するなりと云う 大謗法の天魔の所為を信ずる故なり、 然而法華経の仏は寿命無量・常 12 住不滅の仏なり、 禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり、 是法住法位・世間相常住の金言に背く僻見な 13 り、 禅は法華経の方便無得道の禅なるを 真実常住法と云うが故に外道の常見なり、 若し与えて之を言わば仏の 14 方便三蔵の分斉なり若し奪つて之を言わば 但外道の邪法なり与は当分の義・奪は法華の義なり 法華の奪の義を以 15 ての故に禅は天魔外道の法と云うなり、問う禅を天魔の法と云う証拠如何、答う前前に申すが如し。 -----― 現在の学者はこの意を理解していないゆえに、天台大師己証の妙法を忘れて、止観は法華経に勝り、禅宗は止観に勝っていると誤って、法華経を捨てて止観につき、更に止観を捨てて禅宗についているのである。それは、禅宗の一門の「松に藤が懸かっている。松が枯れ、藤が枯れた後はどうするのか」、また「登らないで一枝を折る」などという天魔の言葉を深く信じているからである。 すなわち「修多羅の教主である釈尊は松のごとく、その教法は藤のごとくである。後の弟子がそれぞれに諍論しているが、仏もすでに入滅しており、教法の威徳もない。結局、修多羅の仏教は月をさす指であり、禅の一法のみが独り妙であって、これを観ずれば見性得達するのである」という大謗法の天魔の所為を信ずる故であることを知るべきである。 しかるに、法華経に説かれる仏は、その寿命は無量であり常住不滅の仏である。それを禅宗は、すでに入滅した仏と見るゆえに外道の無の見である。これは法華経方便品第二の「是の法は法位に住して、世間の相、常住なり」の金言に背く誤った考えである。禅は法華経の方便であり、無得道の禅にすぎないのに、真実常住の法といっているのは、外道の常見である。 もし与えていえば、仏の方便の教え、三蔵の小乗の分斉である。もし奪っていうならば、ただの外道の邪法である。与は当分・一往の義、奪は法華経の立場からの義である。法華経の奪の義をもって、禅は天魔外道の法というのである。 問うて云う。禅を天魔の法という証拠はあるのか。 答えて言う。これまでに言ったとおりである。 |
入滅
仏の死をいう。涅槃・入涅槃ともいう。
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修多羅の仏教は月を指す指なり
禅宗の邪義。釈尊の説いた教説は月をさす指のようなものであって、真実の月が出たあとは不用であるとの説。
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諍論
正邪・是非を論じ合うこと。
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見性得達
見性成仏のこと。禅宗の教義。自己の本性を掘り下げ、見るべきものは何ひとつなく本来清浄であると悟ったときが成仏であるとする。「得道」は成仏と同意。
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法華経の仏は寿命無量・常住不滅の仏なり
法華経の教主である釈尊が久遠実成の仏であり、その寿命が無量無辺であることをいう。
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禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり
禅宗が仏も入滅して教法の威徳もなしとみるのは、外道の無見と同じであるとの意。
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外道
❶仏教以外のインドの諸思想。これには、古代からの伝統宗教であるいわゆるバラモン教の思想や、釈尊と同時代に興隆していたジャイナ教などの新興の諸思想を含む。❷仏教以外の教えや信徒のこと、後に仏教内の異端に対する貶称として用いられた。
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無の見
衆生は死ねば心身ともに断絶するとして、生命は生で始まり死で終わる今世だけのものとする考えに執着する誤った見解のこと。断見ともいう。
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是法住法位・世間相常住
法華経方便品第2の文。「是の法は法位に住して、世間の相常住なり」と読む。
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真実常住法
真実に常住の法のこと。過去・現在・未来にわたって衆生を成仏に導く不変の経をいう。
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常見
断見に対する語。心身ともに不住不滅であると説くが、鳥は、いつも鳥、人は必ず人に生まれると説いて、真の因果を説かぬ思想。
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与えて之を言わば仏の方便三蔵の分斉なり
与えていえば禅宗の説く禅観は小乗教と同じであるとの意。三蔵は小乗の意。「与えて」は仏法の教相判釈の言葉。「与」は容与の義。しばらく自己の本意を隠し、妥協し、相手の主張を容れるという寛容、随他意の立場。
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奪つて之を言わば但外道の邪法なり
奪っていうならば、禅宗が常住不滅の仏を無常の法とみたり、逆に仏が権に説いた禅観を常住の法とみるなどは、常見・断見に立つ外道と同じであるとの意。「奪」は奪うこと。仏法の教相判釈の言葉で斥奪の義。直ちに自己の真実を明らかにし、妥協せず、相手の主張を斥ける随自意の立場をいう。
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与は当分の義・奪は法華の義なり
「当分」はその分、そのままの意。一往と同義。禅宗の禅観は正法に誘引の方便として説かれているゆえに、与えていえば方便・権教の小乗教となるとは当分の辺である。法華経の立場から厳格にいえば、久遠の釈尊を滅度の仏と見、権の禅観を常住とみる禅宗は、天魔外道の所説であるとの意。
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前章で示された天台の正当な観法の本意が分からないために、天台宗の末学達は、止観のほうが法華経に勝ると考え、更には禅宗のほうが止観に勝る、という邪義に陥ってしまったことを指摘されている。
そして、禅宗が何ゆえに天魔の法であり、外道の邪法なのかについて明らかにされるとともに、与・奪の二義のうえから、与えていえば禅宗は方便権教であり、小乗三蔵教といえるが、奪っていえば天魔外道の法であると破折されて、本抄を締めくくられるのである。
禅宗の一門云く松に藤懸る松枯れ藤枯れて後如何上らずして一枝なんど云える天魔の語を深く信ずる故なり、修多羅の教主は松の如く其の教法は藤の如し各各に諍論すと雖も仏も入滅して教法の威徳も無し爰に知んぬ修多羅の仏教は月を指す指なり禅の一法のみ独妙なり之を観ずれば見性得達するなりと云う大謗法の天魔の所為を信ずる故なり
天台宗の末学が天魔の所為である禅宗の邪義にたぶらかされたところに、止観が法華経に勝るとの謬見が出てくることを指摘されるとともに、なぜ禅宗の教義が天魔の語であり所為であるというのかを示されている。
まず、禅宗の一門の言い分である「松に藤懸る松枯れ藤枯れて後如何」、「上らずして一枝」のうち前のほうは、禅林類聚抜からの引用とされている。「修多羅の教主」すなわち仏が松にあたり、「其の教法」すなわち仏の説く教法が藤にあたる。
「各各に諍論すと雖も」とは、後世の者がどれが真の仏の教法であるかについて互いに争っているが、仏も入滅し、教法の力もなくなった後においては、そのような争いには、なんの意味もなくなる。そもそも「修多羅の仏教」すなわち仏の一代聖教は「月を指す指」であり、月がどこにあるかが明らかになれば、指が必要でなくなるように、禅は直接に月を見るのであって、独り妙なる法であるということができる。この禅の一法により「見性得達」、すなわち、自己の心に本来具有する仏性をみて、自己の本性が仏性そのものであると覚知すれば得道=成仏できる、とするものである。
この禅宗の教義が天魔の所為であることは、涅槃経巻七に「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」とあるように、禅宗は仏説を不用として捨てるのであるから、魔の眷属の仕業となるのである。
日蓮大聖人は更に、早勝問答では「問う禅天魔の故如何、答う一義に云く仏経に依らざる故なり、一義に云く一代聖教を誹謗する故なり」(0163-03)と破折されている。
天台宗の末学は、このような大謗法の天魔の禅を信じてしまったから「止観は法華経に勝る」という邪義や「禅宗が止観に勝る」という僻見に陥ってしまったのであると仰せられている。
然而法華経の仏は寿命無量・常住不滅の仏なり、禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり、是法住法位・世間相常住の金言に背く僻見なり、禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住法と云うが故に外道の常見なり、若し与えて之を言わば仏の方便三蔵の分斉なり若し奪つて之を言わば但外道の邪法なり与は当分の義・奪は法華の義なり法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云うなり
まえの文では禅宗が「天魔の法」であることを明らかにされたが、この文では禅宗が法華経の教えに照らして「外道」の「無の見」「常見」にあたることを明かされるとともに、法華経の与・奪の二義に照らし、奪の義から「外道」の邪法であると断じられている。
まず、法華経の如来寿量品第十六では「教主釈尊が久遠に成道して以来、常住不滅であり、その寿命は無量である」と説かれているのに、禅宗は先の松と藤のたとえのように、仏は滅度してしまったとの見解をとる。これは、外道の断無の見と同じである、と破られている。
外道の断無の見というのは、生はこの世限りのものとし、一度死ねば断滅して再び生まれることはないという見解である。禅宗は一度入滅した仏は断滅してしまったと見るから、無断の見と同じになる。
また、法華経方便品第二の「是の法は法位に住して、世間の相常住なり」という仏の金言に背く僻見でもある、と破折されている。
次に、禅観は仏が法華経の教えに導くため衆生の機根を調えるために説いた方便の教えであるにもかかわらず、禅宗がこれを真実にして常住の法であるとする見解をとっているのは、外道の常見と同じであると破られている。
常見とは断見の反対で、人は死んでも我が不滅であると執着し、また我が身がいつまでも常住のものと執する見解である。
そこから、禅が方便・無得道の教えであるといつでも捨てなければならない無常の法であるにもかかわらず、常住不滅の法であると執着しているところを「常見」と破折されているのである。
最後に、法華経の与・奪の二義に照らして禅宗をみるとき、与えていっても、禅観は仏の方便三蔵の分斉にすぎないし、奪っていえば、外道の邪法であると断定されている。
「与える」というのは当分の義で、法華経以前の爾前経の当分の範囲内で禅観を方便の教えと許すのに対し、「奪う」というのは、法華経の真実の立場から判断することである。
つまり、真実の法華経が説かれた以上、方便である禅観は捨てるべきであるのに、禅宗がこの方便の禅観にいつまでも執着しているのは「天魔外道の法」と同じである、と破折することが法華経の奪の義である、と仰せられている。
0534~0535 立正観抄送状top
0534:01~0534:03 第一章 謝辞と当世天台宗の義を述ぶtop
| 0534 立正観抄送状 文永十二年二月 五十四歳御作 与最蓮房日浄 01 今度の御使い誠に御志の程顕れ候い畢んぬ又種種の御志慥に給候い畢んぬ。 02 抑承わり候、当世の天台宗等止観は法華経に勝れ禅宗は止観に勝る、 又観心の大教興る時は本迹の大教を捨つ 03 と云う事 -----― このたびのお使いは、まことに御志があらわれておりました。また、種々の御志の御供養をたしかに頂戴いたしました。 さて、お手紙で、現在の天台宗等が「止観は法華経に勝れ、禅宗は止観よりも勝れる」また「観心の大教が興るときは、法華経本門・法華経迹門の大教を捨てるのである」ということについて拝見しました。 |
天台宗
❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。▷天台大師/妙楽大師/伝教大師/延暦寺/比叡山/円仁/円珍/安然❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
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法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
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止観
止観という瞑想修行のこと。「止」とは心を外界や迷いに動かされずに静止させることで、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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観心の大教
不可思議の所詮の法体のこと。法華経に説かれる円頓止観・一念三千の法門のこと。「大教」とは外道の教法に対して釈尊の一代聖教をいう。
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本迹の大教
法華経の本門と迹門の教法のこと。「大教」とは外道の教法に対して釈尊の一代聖教をいう。
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本迹
法華経の本門と迹門のこと。本門は仏の本地をあらわした法門で、迹門は垂迹仏の説いた法門をいう。
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立正観抄の送状である。文永12年(1275)2月、日蓮大聖人54歳の御時、最蓮房日浄に対して与えられた書であり、冒頭で、最蓮房が身延におられる日蓮大聖人のところに、使いを遣わして種々の御供養を届け、志の誠を尽したことに対する謝辞を述べられている。
次いで「抑承わり候、当世の天台宗等止観は法華経に勝れ禅宗は止観に勝る、又観心の大教興る時は本迹の大教を捨つと云う事」と、当時の叡山天台宗で盛んに論じられていた“止観は法華経に勝る”“禅宗は止観に勝る”“観心の大教興る時は本迹の大教を捨てる”などという教義についてどのように考えるべきか、と最蓮房が日蓮大聖人の御教示をお願い申し上げたことが記されている。
この願いに答えて説き記された書が立正観抄であることは、この書状の終わりに「委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり、又日蓮相承の法門血脈慥に之を註し奉る」との仰せに明白である。
本送状では、当時の叡山天台宗における諸流派は、二大源流ともいうべき慧心・檀那の両流の対立から出ているとの立場から、それらの教義を簡潔に述べられている。
次に、日蓮大聖人自身は、当然のことながら、法華経が止観に勝ることは当然であるとの立場をとられ、法華と止観との勝劣をめぐって、与・奪の二義のうえから明確にされている。
すなわち“与えて”論ずれば、止観は法華経迹門の分斉であり、“奪って”論ずれば、法華以前の爾前権大乗の別教の教説にすぎない、と断じられている。
こうして、与・奪の二義から釈された後、檀那流の“止観は迹門に限る”とする教義のほうが、大聖人が“与えて”論じた立場に近いから、慧心流の“止観の一部は本迹二門に亘る”とする教義よりも真実に近い、と結論されている。
最後に最蓮房に対し“止観は法華に勝る”という邪義を問答を通して打ち破っていくように促されている。なお御真筆は現存していない。
さて、この冒頭においてはまず、最蓮房が身延におられる日蓮大聖人のところへ使いを遣わして、種々の御供養の品々をお届けしたことに対して、その志を賛嘆されるとともに、御供養の品々を確かに受け取られたことを述べられている。
次いで、最蓮房の手紙に、当世の叡山天台宗の学僧達のあいだで“止観は法華経より勝っている”とか“禅宗は止観より勝っている”とか、あるいは“観心の大教が興れば、法華経の本門・迹門の大教を捨てなければならない”という議論が盛んに行われている旨が記されていることを取り上げられている。この問題に対して最蓮房は、日蓮大聖人の仏法を信奉する門下の立場から、どのように考えるべきであるか、あるいはどのように解決すべきであるかを御質問したのであろう。
0534:03~0534:11 第二章 慧心・檀那両流の教義を示すtop
| 03 先ず天台一宗に於て 流流各別なりと雖も慧心・檀那の両流を出でず候なり、 慧心流の義に云く止観の一 04 部は本迹二門に亘るなり 謂く止観の六に云く「観は仏知と名く止は仏見と名く念念の中に於て 止観現前す乃至三 05 乗の近執を除く」文、 弘決の五に云く「十法既に是れ法華の所乗なり是の故に還つて法華の文を用いて歎ず、若し 06 迹説に約せば即ち大通智勝仏の時を指して 以て積劫と為し 寂滅道場を以て 妙悟と為す、 若し本門に約せば我 07 本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し本成仏の時を以て妙悟と為す 本迹二門只是此の十法を求悟す」文、 始の 08 一文は本門に限ると見えたり 次の文は正しく本迹に亘ると見えたり、 止観は本迹に亘ると云う事文証此に依るな 09 りと云えり、 次に檀那流には止観は迹門に限ると云う証拠は 弘決の三に云く「還つて教味を借つて以て妙円を顕 10 す○故に知んぬ 一部の文共に円成の開権妙観を成ずるを」文、 此の文に依らば止観は法華の迹門に限ると云う事 11 文に在りて分明なり両流の異義替れども 共に本迹を出でず -----― まず、天台宗のなかにさまざまな流派があり、その主張が別であるといっても、慧心流・檀那流の二つの流派の域を出ることはないのである。 慧心流の義では、「止観一部は本迹二門にわたる」といい、次の文をその文証としている。 摩訶止観巻六に「止観の観は仏知と名づけ、止は仏見と名づける。瞬間瞬間の一念のなかに止観があらわれるのである。乃至。ただし三乗のなかの始成正覚に執着している者を除く」とあり、止観輔行伝弘決巻五に「十乗観法は既に法華経で説かれているところのものである。このために立ち還って法華経の文を用いて賛嘆しているのである。法華経迹門からみれば、大通智勝仏の時に『何劫にもわたる修行を積んだ』とし、寂滅道場で『思議しがたい悟りを得た』とするのである。法華経本門からみれば我本行菩薩道の時に『何劫にもわたる修行を積んだ』とし五百塵点劫の成道の時に『思議しがたい悟りを得た』とするのである。法華経の本迹二門は、ただこの十乗観法の求道の証悟を説いているのである」とある。 初めの文では、「止観は法華経本門に限る」としており、次の文では「止観はまさしく法華経本門・法華経迹門にわたる」としていることが分かる。ゆえに、これらは止観が法華経本門・迹門にわたるということの文証である、といっている。 つぎに檀那流は、「止観は迹門に限る」といっている。その証拠は止観輔行伝弘決巻三の「立ち還って四教や五味を借り妙円を顕すのである。○。ゆえに、一部の文はともに円成の権を開いて妙観を成じているのを知るのである」の文である。この文によれば、「止観は法華経の迹門に限る」ということが明らかである、とする。 慧心・檀那の二つの流派の義は異なっていても、ともに法華経本門、法華経迹門を出るものではない。 |
慧心・檀那の両流
中世天台宗の代表的宗派をいう。①本迹二門の教相は宗教とも顕説法華ともいい、これはまた六識修行・従因至果の始成正覚とされる。これを継承したのが檀那院覚運で、その流れが檀那流②天台大師の内証の止観は宗旨とも根本法華ともいい、また九識修行・従果向因の本覚法門とされる。これを継承したのが慧心僧都源信で慧心流。
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慧心
(0942~1017)。比叡山第十八代座主。慈慧大師の弟子で権少僧都・慧心源信のこと。大和国葛城郡当麻郷(奈良県北葛城郡當麻町)に生まれ、9歳のとき比叡山に登り、慈慧良源の弟子となった。13歳で得度し源信と名のった。32歳のとき宮中の論議に出席し、才能弁舌がすぐれているので満座を驚かせたという。42歳の時、権少僧都に任ぜられ、横川楞厳院の検校となった。43歳で「往生要集」を作り念仏の行に帰依した。浄土宗門徒が慧心をわが国浄土宗の先駆に崇めるようになったのは、この故である。しかし、慧心は、その後悔いて法華経信仰に戻り、権少僧都の位も辞して「一乗要決」を著した。弟子の指導にも努め、教相を重んずる檀那流に対し、観門を重んずる慧心流台学の源となった。「一乗要決」では「日本一州円機純一=日本国中は、法華有縁の機根の者ばかりで、蔵通別三教に縁のある者はいない」と述べた文は有名で、大聖人も諸御書で用いられている。76歳没。著書は他に「法華科文」「法華略観」「法華弁体」などがある。
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檀那
覚運のこと。(0942~1017)平安時代中期の天台宗の僧。父は春宮少進藤原貞雅。比叡山で良源に師事して天台教学を学んでその学名が高く、東塔檀那院に住して盛んに講説を行った。良源の勧告により静真・皇慶から真言密教を学んだ。宮廷貴族に取り入り、藤原道長に摩訶止観等を講じ、一条天皇には法華疏を進講したほか、道長家に関係する様々な仏事に関与した。この間権少僧都に任じられ、その後権大僧都となった。没後、権僧正が追贈された。後世源信を祖とする恵心流とともに覚運は檀那流の祖とされた。
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止観の一部は本迹二門に亘るなり
文永8年(1271)御述作の十章抄には「但止観は迹門より出たり・本門より出たり・本迹に亘ると申す三つの義いにしえより・これあり」(1273-06)とあるように、止観が迹門から生まれたものか、本門から生まれたものか、本迹二門にわたっているのであるかとの説を、比叡山で遊学されていた大聖人は聞かれていた。このうち止観が本迹二門にわたるというのは慧心流の説であるといわれている。
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止観
摩訶止観のこと。『止観』と略される。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。
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仏知
仏の智慧のこと。一切の事理に通じた、無上・最高の智慧をいう。
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仏見
仏の知見について、「知」は知識作用のひとつで、三智などをいい、事物の本性を覚了することをいい、「見」は五官の一つである眼根によって見ることをいう。すなわち知見は三智・五眼によって一切の事物・事象を正しく覚知することをいう。
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念念
一瞬一瞬、時々刻々のこと。
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三乗の近執
三乗の衆生が始成正覚に執着すること。
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三乗
声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のこと。それぞれ声聞・縁覚・菩薩の覚りを得るための教え、あるいはそれを実践する修行者のこと。さらに得られた声聞・縁覚・菩薩の境地も意味する。
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近執
近成に執するの意で、釈尊がインドに応誕して30歳で初めて成道したと執着したこと。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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十法
天台大師が立てた十種の観法と十重の観法のこと。
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大通智勝仏
三千塵点劫の昔にいたという仏。化城喩品には「乃往、無量無辺不可思議阿僧祇劫、爾の時に仏有ましき、大通智勝如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名づく。其の国を好成と名づく、劫を大相と名づく」とある。大通智勝仏は二万劫の間法華経を説かなかった。大通智勝仏に十六の子供があった。その十六人の子供の請によって、二万劫過ぎてから妙法蓮華経を説いた。その時十六王子および小分の声聞は信受して法華経を得たが、多分の衆生は疑いを起こして信じなかった。そこで後に16王子は父の説を繰り返して法華経を説いた。これを「大通覆講」という。またこれによって、その時の衆生は、ようやく信解することができた。この十六番目の王子が釈尊で、その時の下種を大通下種という。
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積劫
劫を積むの意。極めて長遠な時間。仏道修行を積むこと。
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寂滅道場
釈尊は19歳で出家し、最初は多くの婆羅門について学んだが、解脱の道でないことを知り、もっぱら苦行に励んだ。しかし、これも解脱の道とはならず、尼連禅河にはいり沐浴して、一人の牧女・難陀婆羅の捧げる乳を飲んで身心がさわやかになることができた。こうして最後に伽耶城の菩提樹下の金剛宝座の吉祥の奉る浄輭草をしいて安住した。ここで沈思黙想7週間(49日)魔を降して12月8日の朝暁、朗然と悟りを開き、その座で3週間十方から集まった諸大菩薩に説いたのが華厳経であり覚道の地であるがゆえに「寂滅道場」という。
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妙悟
妙なる悟りのこと。正覚を得たことをいう。
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我本行菩薩道
法華経如来寿量品第16の文。「我は本菩薩の道を行じて」(法華経482㌻)と読む。この文の前後で釈尊は、自身が久遠実成という本来の境地を明かした後でも、もともと菩薩道を実践して、成就した寿命は今なお尽きていないと述べている。これは、釈尊の一身の生命において、仏界の境地が常住であるとともに、九界の境地も常住であることを示している。天台大師智顗は『法華玄義』巻7上に「文に云わく、『我れ本、菩薩の道を行ずる時、成ずる所の寿命、今猶お未だ尽きず』とは、即ちこれ本の行因妙なり」と述べて、我本行菩薩道を本因妙の文としている。
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菩薩道
仏の無上の覚りの体得を求めるとともに慈悲の心をもち人々を救済する菩薩の実践。
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本成仏
釈尊の久遠の成道のこと。法華経本門で釈尊が五百塵点劫という久遠の昔にすでに三身をそなえた仏であったと説きあらわしたこと。
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求悟
求めることと悟ること。仏道を求め修行に精進すること。その結果としての悟り。
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教味
天台大師の立てた四教と五味の教判のこと。詳しくは「五味八教」の項参照。
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妙円
法華経に説かれる法理が妙であり、円融円満であること。
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円成
成仏のこと。
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開権
開権顕実のこと。爾前の方便を開いて、真実の法華経を説き示すこと。
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妙観
一心三観・または一念三千の観法をいう。別教では空仮中の三観をそれぞれ別個に観ずるが、円教では三観を同時に観じ、これを妙観という。
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分明
明らかに分かるさま。はっきり見極めがつくこと。
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初めに、大聖人御在世当時の叡山天台宗にさまざまな流派があって、それぞれが別々の見解を立てて論議しあっていたが、根本的には慧心流と檀那流の二流に収まることが明かされ、次いで、その両流の義を紹介されている。
初めに慧心流の義は、天台大師の摩訶止観は法華経の本迹二門にわたっている。ということであると仰せられている。彼らがそのために用いている文証として、摩訶止観巻六の文と止観輔行伝弘決の文とを引用されている。
次に、檀那流の義は、止観の出処は法華経迹門の教えに限るとするところにあると仰せられ、その文証としているのが止観輔行伝弘決巻三の文であると示している。
以上に明らかなように、慧心・檀那両流の間には、主張の異なりはあっても、いずれも止観が法華経の本迹二門の教えに基づいて立てられた修行である、とする点では共通している、とおおせられている。
慧心流と檀那流について
比叡山延暦寺の第18代座主・慈慧大師良源の弟子に、慧心僧都源信と、檀那院覚運の二人が出て、それぞれが慧心流・檀那流の祖となった。
伝説によれば、伝教大師最澄が入唐したとき、天台山で行満からは本迹二門の教相を、道邃からは天台大師内証の止観をそれぞれ相承したとされている。
本迹二門の教相は宗教とも顕説法華ともいい、これはまた六識修行・従因至果の始成正覚とされる。これを継承したのが檀那院覚運で、その流れが檀那流となるのである。
これに対し、天台大師の内証の止観は宗旨とも根本法華ともいい、また九識修行・従果向因の本覚法門とされる。これを継承したのが慧心僧都源信で慧心流となる。
日蓮大聖人は、文永9年(1272)5月にあらわされた四条金吾殿御返事で、「第十八代の座主・慈慧大師なり御弟子あまたあり、其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします、法門又二つに分れたり、 檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ、されば教と観とは日月のごとし教はあさく観はふかし、されば檀那の法門は・ひろくして・あさし、慧心の法門は・せばくして・ふかし」(1116-05)と仰せられている。ここで、日蓮大聖人は、教相を継承した檀那流について、「ひろくして・あさし」と評され、天台大師の内証の止観を継承した慧心流について、「せばくして・ふかし」と評されている。
しかし、「教と観とは日月の如し」と仰せられているように、教は浅く観は深いということはあっても、両者は本来天台宗においては教観双美と称されるがごとく、日月、車の両輪、鳥の両翼の関係にあって優劣を論ずるものではなかった。したがって、教観双美を前提にしつつ、慧心流は止観を主として継承し、檀那流は本迹の教相を継承した、というのが真実のところであったように思われる。そのことは本状の以下の展開を拝していくとき、おのずから明瞭となるであろう。
慧心流の義に云く止観の一部は本迹二門に亘るなり謂く止観の六に云く「観は仏知と名く止は仏見と名く念念の中に於て止観現前す乃至三乗の近執を除く」文、弘決の五に云く「十法既に是れ法華の所乗なり是の故に還つて法華の文を用いて歎ず、若し迹説に約せば即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し寂滅道場を以て妙悟と為す、若し本門に約せば我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し本成仏の時を以て妙悟と為す本迹二門只是此の十法を求悟す」文、始の一文は本門に限ると見えたり次の文は正しく本迹に亘ると見えたり、止観は本迹に亘ると云う事文証此に依るなりと云えり
慧心流が天台大師の摩訶止観は法華経の本迹二門の教えに基づくとする主張のよりどころとした文証を挙げられている。
初めに「止観の六に云く」の文は「観は仏知と名づく。止は仏見と名づく。念念の中に於いて止観現前す」とある止観巻六下の文と、止観輔行伝弘決巻六の四の取意と思われる「三乗の近執を除く」の文とが合成されたものである。
すなわち、止観巻六の文に対する妙楽大師の止観輔行伝弘決巻六の四の釈文が、慧心流の義の文証とされていたのである。
さて、その止観輔行伝弘決巻六の文をいま引用してみよう。
「凡そ一念起こるに我を離れず。我は即ち衆生なり。念念の心を違するに寂にして照らす。寂なるが故に止と名づけ、照らすが故に観と名づく。一心既に爾り。諸心例して然る。止観を因と為し、眼智を果と為す。一一の念の中、止観の眼智に非ざること無きが故なり。何ぞ必ずしも初住を方に開と名づけんや。三乗を開するが如きは但是れ彼の近執の謂を開く。謂は即ち衆生なり。亦是れ謂情の寂照を点示するに即ち是れ三乗の仏知見を開く」とある。
ここでは、止観を因として眼智を果としている。つまり、己の念々の心を対象化して観ずる修行を因として、その修行の結果、顕現していく眼智を果とするのである。
更に、摩訶止観で「念念の中に於いて止観眼前す。即ち是れ衆生が仏知見を開くなり」とある文の「仏知見を開く」という句を釈して「何ぞ必ずしも初住を方に開と名づけんや。三乗を開するが如きは但是れ彼の近執の謂を開く」と説いている。この釈文から大聖人は意を取られて本文で「三乗の近執を除く」と引用されたと考えられる。
すなわち、衆生が仏知見を開くということは、三乗の衆生が「近執」の情を除き開くことにあるということで、仏陀の始成正覚に対する衆生の執著を破り除くことこそ法華経の本門の教えの眼目であり、このことから止観は法華経の本門の教えに基づいて立てられたことになるのである。
次の引用文は同じく止観輔行伝弘決巻五の二の文である。
これは摩訶止観巻五において十乗観法の名目を述べた後、この観法が縦横に収束し微妙で精巧な法門であるとするとともに「如来の積劫の勤求する所に由る。道場の妙悟する所」と説いている。
すなわち、十乗観法は如来が何劫も修行を積み重ねて勤求したところであり、またその結果、菩提道場で悟ったところである、ということである。
この文を釈して弘決では、まず「十法既に是れ法華の所乗なり。是の故に還って法華の文を用いて嘆ずと述べ、その後に引用文の内容にあるように、如来が「勤劫」して修行した時と、その結果として「妙悟」した時とが、法華経の迹門の教説に約す場合と本門の教説に約す場合とでは、それぞれ異なることを述べている。
すなわち、迹説に約すと、大通智勝仏の時が「積劫」して修行した因にあたり、菩提樹下の寂滅道場に妙悟した時が果となる。
これに対して、本門の教説に約すと、如来寿量品第十六の「我本行菩薩道」が因としての「積劫」にあたり、「本成仏」すなわち久遠五百塵点劫の成道が「妙悟」すなわち果にあたる。
このように“時”の違いはあるが、いずれも十乗観法の因と果であって、十乗観法の止観は本迹にわたる、というのである。そこから慧心流は、これを“止観一部は法華経の本迹二門に基づいて立てられた”との義の文証としたのである。
次に檀那流には止観は迹門に限ると云う証拠は弘決の三に云く「還つて教味を借つて以て妙円を顕す○故に知んぬ一部の文共に円成の開権妙観を成ずるを」文、此の文に依らば止観は法華の迹門に限ると云う事文に在りて分明なり
それに対して檀那流は、止観の出処については慧心流よりはるかに厳密で、止観の出処は迹門に限る、と限定して釈している。彼らは弘決巻三の一の文証としたのである。
その引用文の意味内容は、止観は法華経の立場から還って「教味」を借りて「妙円」をあらわしたのである。したがって止観一部は法華の円頓一仏乗に依り、開権顕実の妙観を成就するためにある、というものである。
0534:11~0535:04 第三章 止観勝法華劣の義を与えて論ずtop
| 12 云うや、但し予が所存は止観法華の勝劣は天地雲泥なり。 -----― 現在の天台宗はどこから相承して、「止観は法華経に勝れる」というのか。ただし日蓮が存じているところでは、止観と法華経の勝劣は天地雲泥である。 ―――――― 13 若し与えて之を論ぜば止観は法華迹門の分斉に似たり、 其の故は天台大師の己証とは十徳の中の第一は自解仏 14 乗・第九は玄悟法華円意なり、 霊応伝の第四に云く「法華の行を受けて二七日境界す」文、止観の一に云く「此の 15 止観は天台智者己心中に行ずる所の法門を説く」文、 弘決の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並び 0535 01 に三千を以て指南と為す○故に 序の中に云く己心中に行ずる所の法門を説く」文、 己心所行の法とは一念三千・ 02 一心三観なり三諦三観の名義は瓔珞・仁王の二経に有りと雖も 一心三観一念三千等の己心所行の法門をば 迹門十 03 如実相の文を依文として釈成し給い畢んぬ。 -----― もし、与えてこれを論ずるならば、止観は法華経の迹門の内容に似ている。それは天台大師の己心に証得したものは、天台大師の十徳のなかでいえば、第一の「自ら仏乗を解す」であり、第九の「法華の円意を玄悟す」である。 天台霊応図本伝集の巻四には「法華教を修行することを二週間にして、己心の境界に入った」といい、摩訶止観巻一には「この摩訶止観は天台智者大師が己心も中に行ずる法門を説いたものである」といい、止観輔行伝弘決巻五には「ゆえに、摩訶止観に正しく観法を明かすのに、併せて一念三千をもって指南としたのである。○。ゆえに、章安大師が序のなかで『己心中に行ずる法門を説いたものである』といっているのである」といっている。 「己心に行ずる法」とは一念三千・一心三観である。三諦・三観の言葉や意味は瓔珞経・仁王経の二経にあるが、一心三観・一念三千等の己心に行ずる法門は、法華経迹門の十如実相の文を依拠として解釈して説かれたものである。 -----― 04 爰に知んぬ 止観一部は迹門の分斉に似たりと云う事を ・ -----― このことから、止観一部は法華経迹門の内容に似ていることを知ることができるのである。 |
相承
相は相対の意、承は伝承の義。師弟相対して師匠から弟子に法を伝承すること。
―――
分斉
ある与えられた内容・程度・範囲。
―――
天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
―――
己証
自ら真理・妙理を悟ること。またその悟り自体のこと。「己」はおのれ、「証」はあかしの意味。
―――
十徳
章安大師が法華玄義私記縁起で、天台大師の10種の徳を挙げている。①自解仏乗・師匠から講義を受けずに、自ら法華一乗の機を悟ったこと。②得陀羅尼・南岳大師慧思のもとで法華三昧を開悟し、禅定に入って陀羅尼を得たこと。③帝京弘二法・定慧を具えたうえに、帝京で定慧の二法を弘めたこと。④隠居山谷・盛んに講義を行ったが、後に名利を捨て修行のために天台山に隠居したこと。⑤為二国師・世を避けて隠遁していたが、召されて陳隋二国の師となったこと。⑥講仁王般若・陳朝の正殿で天子に対して仁王般若を講義したこと。⑦為主上三礼・正殿で講義したうえに天子に親しく三度も礼されたこと。⑧弾指喧殿・天子をはじめ殿内の多くの高官も賛美賛嘆したこと。⑨玄悟法華円意・五時あるいは五味の教判によって法華の玄意を定め、法華は諸教を開会して純円一実とする円融円満な教えであることを悟ったこと。⑩楽説弁流潟・法華経の本意を得て楽説弁をもって早瀬に水が昼夜に流れて尽きないように法を弘め伝えたこと。
―――
自解仏乗
「自ら仏乗を解す」と読む。教えを受けることなく、自ら仏の境地を解ること。『法華玄義』の章安大師灌頂による序文で、章安大師が天台大師智顗の偉大さをたたえた言葉。「寂日房御書」には「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」(903㌻)と述べられている。
―――
玄悟法華円意
「法華の円意を玄悟せんや不や」と読む。天台大師が深く法華円頓の教の宗旨を悟っていたということ。
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霊応伝
伝教大師偏・10巻。「霊応」は霊験ともいい、私に祈り、経を受持することによって現れる験。伝教大師が入唐中に、天台の霊応図を模写して集めたもので、図象に説明や諸人の述作が添えられている。
―――
境界
目や耳や心などの届く範囲を意味する。果報によって受ける境遇。六根の対象。六根の働きによって得られる功徳。
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観法
「かんぼう」とも読む。法すなわち事物・事象に対して心を静めて集中し、智慧を発現させてその対象を観察すること。
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指南
教え示すこと。導くこと。師範の意味。中国唐代の「指南書」の故事によるものとされている。
―――
一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
―――
一心三観
一心に空仮中の三諦が円融し相即していることを観ずる修行。天台大師智顗が立てた観心の法門。天台大師はこれを止観の正行とした。別教で立てる次第三観に対して円融三観ともいう。別教においては、まず空観を修し、三惑のうちまず見思惑を断じて空諦の理を証し、次に仮観を修し、塵沙惑を破して仮諦の無量の法門を知り、そののちに中道観を修し、無明惑を断じて中道の理を証する。このように、空・仮・中の三諦を次第に観じていくので次第三観という。これに対して天台大師の一心三観では三観を修行の初めから直ちに修するので不次第三観という。修行の時間も隔たりがなく、中道の理を証するにも空間の隔たりがなく、一境の上に三諦が相即し、三観も一心に円融するので円融三観という。この一心三観を基盤として一念三千の法門が展開される。
―――
三諦三観の名義は瓔珞・仁王の二経に有り
三諦および三観の名目の出処は瓔珞経・仁王経の二経に(どちらにも)あるということ。
―――
三諦
仏が覚った究極の真理を三つの側面から捉えたもの。諦とは、明らかな真実・真理のこと。天台大師智顗は『法華玄義』『摩訶止観』で、空諦・仮諦・中諦の三つを挙げている。①空諦は、あらゆる事物・事象(諸法)には不変的・固定的な実体はなく空であるという真理。②仮諦は、あらゆる事物・事象は空なるものであって、因縁によって仮に生起する(縁起)ものであるという真理。③中諦は、中道第一義諦ともいい、空と仮をふまえながら、それらにとらわれない根源的・超越的な面をいう。天台大師は法華経の教説に基づいて三諦の法門を確立した。蔵・通・別・円の四教に即していえば、蔵・通の二教は中道を明かさないので三諦が成立せず、別教と円教には三諦が説かれる。別教の三諦は、「但空・但仮・但中」として互いに隔たりがあり、融和することがない。また修行において、初めに空を観じて見思惑を破し、次に仮を観じて塵沙惑を破し、さらに中道を観じて無明惑を破すという段階的な方法を取り、順に歴ていくことが求められる。それ故、隔歴の三諦という。これに対し、円教の三諦は、三諦のそれぞれが他の二諦を踏まえたものであり、三諦は常に「即空・即仮・即中」の関係にある。究極的真実を中諦にのみ見るのではなく、空諦も仮諦も究極的真実を示すものである。したがって、一は三に即し、三は一に即して相即相入する。これを円融三諦という。この円融三諦の法門は、個別と全体、具体と抽象、差別と平等などの対立する諸原理が相互に対立による緊張をはらみながら同時に融即するという、一側面に固執することのない融通無礙の世界観を開くものである。この三諦を一心に観ずることを一心三観といい、天台大師は一心三観の中核として一念三千の観法を立てた。
―――
三観
空観・仮観・中観のこと。三観の三とは、相性体の三如是であり、空仮中の三諦であり、法報応の三身である。また観とは「明らかに見る」の意味で、森羅万象をことごとく三如是。三諦・三身と明らかにみていくことが三観である。三諦は法理であり、三観はその実践修行であり、観念観法である。だが末法における三観は、むろん受持即観心である。
―――
瓔珞
『菩薩瓔珞本業経』のこと。二巻。後秦の竺仏念訳とされる。八章からなり、菩薩の法である十波羅蜜、四諦したい、修行の階位(五十二位)などについて説いた経。
―――
仁王
中国・後秦の鳩摩羅什による仁王般若波羅蜜経と、唐の不空による仁王護国般若波羅蜜多経の2訳が現存するが、中国撰述の経典とする説もある。2巻。正法が滅して思想が乱れる時、悪業のために受ける七難を示し、この災難を逃れるためには般若を受持すべきであるとして菩薩の行法を説く。法華経・金光明経とともに護国三部経とされる。
―――
迹門十如実相
法華経方便品第2に説かれる十如是のこと。諸法に具わっている十種の存在の仕方。諸法を十の側面からみたもの。
―――
釈成
解釈を完成させること。諸経論の文を解釈し、法門を完成させること。
―――
止観一部は迹門の分斉に似たり
天台大師の一念三千の法門は法華経迹門方便品第2の十如実相の文を依文として立てた法門であるから、説かれている法理が迹門の内容に似ているということ。
―――――――――
当世の天台宗で論議されている“止観が法華経に勝る”という義が一体、どこから相承したものであるかは知らないが、「但し予が所存は止観法華の勝劣は天地雲泥なり」と仰せられて、日蓮大聖人御自身は止観と法華経の勝劣については、法華経のほうが勝れていることは天地雲泥であると述べられ、与奪の両面から止観の位置を論じられている。まず、ここでは与えて、止観は法華経迹門の分斉に似ていると述べられている。
其の故は天台大師の己証とは十徳の中の第一は自解仏乗・第九は玄悟法華円意なり
止観が、与えても法華経の迹門の領域であることを証するために、天台大師の己心の悟りがどのようなものであったかを明らかにされている。
ここでは章安大師灌頂が法華玄義に付した私記縁起のなかで、十の徳をもって天台大師を賛嘆しているが、そのなかから第一と第九の徳を引用されている。
第一の徳の自解仏乗は、私記縁起に「曾て講を聴かずして、自ら仏乗を解する者有らんや」とあるように、天台大師が学匠の講を聴かず、師なくして自ら法華経一仏乗の妙旨を解悟したということである。
つぎに、第九の玄悟法華円意は「法華の円意を玄悟せんや不や」とあって、天台大師が深く法華円頓の教の宗旨を悟っていた、ということである。
これを引用されているのは、天台大師は法華経薬王菩薩本事品第二十三によって開悟したのであるから、迹化の境界であり、その悟った法は、迹化の域を出ていないことを示されるためであると拝される。
霊応伝の第四に云く「法華の行を受けて二七日境界す」文、止観の一に云く「此の止観は天台智者己心中に行ずる所の法門を説く」
ここでは、霊応伝、摩訶止観巻一、止観輔行伝弘決巻五から、それぞれ一文ずつ引用されて、一心三観・一念三千の止観が、まさしく天台大師の己心の悟りであったかを裏づけておられる。
初めに、霊応伝とは伝教大師最澄が編集した天台霊応図本伝集のことで、かっては十巻あったが、現存は二巻で伝教大師全集巻四に収録されている。
本文に引用された霊応伝巻四の文は、現存の天台霊応図本伝集のなかの天台山国清寺智者大師別伝第二にある「二七日を経て、誦して、薬王品の『諸仏同讃、是真精進、是名真法供養』に至る。是の一句に到って、身心豁然、寂として定に入る」との文から、意をとったものと考えられる。
この文は、天台大師智顗が、大蘇山で南岳大師から示された普賢道場において、法華三昧に入るための行として法華経読誦すること2週間にして、身心豁然として入定の境界に入った。という大蘇開悟のことを述べたものである。
次の文は、摩訶止観巻一上の文で、章安大師灌頂の序の有名な一節、止観は天台大師自ら己心のなかで行じて悟ったところの法門を説いたものである、ということである。
更に、次の止観輔行伝弘決巻五の三の文は、妙楽大師が摩訶止観巻五の「正しく止観を修す」を釈するにあたって説いた一節である。
つまり、天台大師は摩訶止観の第五の巻で正しく観法を明かすに至って、その観法を指南として一念三千を明かしたということで、それゆえに章安大師は、序のなかで「己心中に行ずる所の法門を説く」と記したのである、ということである。
己心所行の法とは一念三千・一心三観なり三諦三観の名義は瓔珞・仁王の二経に有りと雖も一心三観一念三千等の己心所行の法門をば迹門十如実相の文を依文として釈成し給い畢んぬ
これら三つの引用文は、止観がまさしく天台大師自らが己心のなかで行じて悟った法門であることをあらわしているが、その天台大師の己心所行の法とは、一念三千・一心三観の観法である。
一念三千と一心三観の観法については立正観抄講義に詳しいので、ここでは省略するが、文中の「三諦三観の名義は瓔珞・仁王の二経に有りと雖も一心三観一念三千等の己心所行の法門をば迹門十如実相の文を依文として釈成し給い畢んぬ」というのは次のような意味である。
一心三観というのは、もともと諸法の空・仮・中の三諦の境があり、この客観的な三諦の境を観ずる主体や主観の智のほうは三諦のそれぞれに応じて空観・化観・中観の三観となり、この三観を円融に一心に具足したときを一心三観というのである。この境としての三諦と智としての三観のそれぞれの名目は瓔珞経や仁王経に説かれていたものである。
しかし、瓔珞経や仁王経に説かれていた三諦・三観というのは、あくまで次第、隔歴、思議のそれにすぎなかったので、これを不次第、不思議の一心三観や円融の一念三千という天台大師の己心中所行の法門を明かすのに、法華経迹門の十如実相を依文として、これを明らかにしたのである、ということである。
0535:04~0535:10 第四章 奪えば別教なることを明かすtop
| 04 若し奪つて之を論ぜば爾前権大乗・即別教の分斉なり其 05 の故は天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり 所謂天台大師・大蘇の普賢道場に於て 三昧開発し証を以て師に白 06 す師の曰く法華の前方便陀羅尼なりと 霊応伝の第四に云く「智顗・師に代つて金字経を講ず 一心具足万行の処に 07 至つて顗・疑有り思・為に釈して曰く汝が疑う所は 此乃ち大品次第の意なるのみ未だ是法華円頓の旨にあらざるな 08 り」文、 講ずる所の経既に権大乗経なり 又次第と云えり故に別教なり、 開発せし陀羅尼又法華前方便と云えり 09 故に知んぬ 爾前帯権の経・別教の分斉なりと云う事を・己証既に前方便の陀羅尼なり止観とは己心中所行の法門を 10 説くと云うが故に、 明かに知んぬ法華の迹門に及ばずと云う事を何に況や本門をや、 -----― もし、奪ってこれを論ずるならば、止観は爾前の権大乗経、つまり別教の分斉である。その理由は天台大師が己心に証得した止観とは、普賢道場で証得した悟りである。 天台大師が大蘇山の普賢道場で三昧の境地を開いて証得した悟りを師の南岳大師に申し上げたところ、南岳大師は「その証得した悟りは法華三昧の前方便にあたる陀羅尼である」といわれている。 このことを、天台霊応図本伝集の巻四には「天台智顗大師が南岳大師に代って金字の大品般若経を講じた。そのとき、『一心具足万行』のところに至って智顗に疑問があった。南岳大師慧思はそのために釈して、『なんじの疑問のところは、大品般若経の次第行の意なのである。これは未だ法華経の円頓の意味ではない』と述べた」とある。 講義した経典が既に権大乗経である。また「次第行」といっているのだから別教である。開悟した陀羅尼は、また法華経の前方便であるといっている。ゆえに、爾前の権教を帯びた経や別教の内容であるということが明らかである。 己心に証得した悟りが既に前方便の陀羅尼であり、止観とは己心の中に行ずる法門を説いたものであるというのだから、止観は法華経の迹門に及ばない。まして法華経の本門に及ばないことを明らかに知ることができるのである。 |
爾前
法華経より前に説かれた経典のこと。「爾」とは「それ、その」という指示語。「爾前」で「それ(法華経)に至る前」を意味する。
―――
権大乗
大乗のうち権教である教え、経典。
―――
別教
二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
―――
天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり
天台大師己証の止観とは、大蘇山の普賢道場で開悟した法理であるとの意。
―――
大蘇の普賢道場
中国河南省商城県大蘇山において、天台大師智顗に、師の南岳大師が示した法華経普賢菩薩勧発品第28、および法華経の結経である仏説普賢菩薩行法経をもとにした修行のこと。
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三昧開発
三昧に入って悟を開くこと。三昧は梵語、サマーディ(Samādhi)の音写、訳して定・調査定・等持・等念という。心を一処に定めて動かぬこと。無量義経の無量義処三昧、法華経の法華三昧など、釈尊の教えの中には多数の三昧が説かれている。日蓮大聖人の仏法においては、一心に御本尊に向かって題目を唱えることが三枚である。開発は自身にそなわる十界三千の生命を開くこと。
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法華の前方便陀羅尼
天台大師が証得した禅定の世界とは法華三昧の前段階であって、法華三昧そのものではなく、初旋陀羅尼であったことをいう。
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智顗
天台大師のこと。538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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金字経
南岳大師が造った金字の経典で、大品般若経をさしている。章安大師の隋天台智者大師別伝には「思師、金字の大品経を造り」とある。
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大品
大品般若経のこと。般若経の漢訳の一つで、中国・後秦の鳩摩羅什訳。27巻。天台教学における五時のうち般若時の代表的な経典。
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次第の意
次第行の意のこと。大品経では、乾慧地などの十地を次第に行じて、次第に学ぶ次第道が説かれている。したがって「一心具足万行」とはいっても、法華経の説く「一心具足万行」とは、全く異なるのである。
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法華円頓
法華経の理によって説かれる円頓止観のこと。これは摩訶止観に説かれる三種止観のうちの円頓止観のことで、天台大師が師の南岳大師から伝授されたもの。三種ともに実相を観ずる観法であるから、止観と名づけるが、上中下の機根によって修行が三種に分かれるとしている。
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爾前帯権の経
爾前であり権を帯びている経のこと。止観一部は円教の法門であるが、その依処となる経典が仏の本地を明かされていない大品般若経等の爾前帯権の経であるから、奪っていえば止観そのものも爾前帯権の経となってしまうからである。
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止観は、与えていえば法華経の迹門の領域であるが、奪っていえば、爾前、権大乗の別教でしかない、と破折されている。
その理由について日蓮大聖人は、天台大師の己心の証悟とは、大蘇山での開悟であるが、この天台大師の開悟について、師の南岳大師は法華経方便品であると述べたことが、文証としてあることを示されるのである。
すなわち、天台大師が大蘇山で普賢道場において法華三昧を開いて証悟したのであるが、そのことを師匠である南岳大師に告げたところ、師は智顗の証悟が法華経の前方便陀羅尼と判断したという。
また、霊応伝巻四に伝えられるところでは、智顗が師・南岳大師に代わって金字の大品般若経を講義したときに、「一心に万行を具足す」という経文のところで疑いを起こした。
そのとき南岳大師は、その疑いに対して、それは大品般若経に説く次第差別、隔歴の法門の立場から「一心具足万行」の経文を読んでいないから分からないのであり、智顗の開悟が、まだまだ法華円頓の不次第の妙旨には到達していなかったからである、と述べたという。
このように、智顗の講義していた経典が大品般若経という権大乗経であり、智顗の疑いの原因が次第差別にとらわれていたことにある、とする南岳大師の判断や、更に大蘇開悟の己心の悟りの内容も、南岳大師が法華経の前方便の段階にすぎない、と判断したことなどから、日蓮大聖人は次のように結論されている。
すなわち、天台大師の止観は、天台大師の己心のなかで行じて悟った法門を説いたものであるが、その己心中の悟りが法華の前方便の陀羅尼にすぎないのであり、また大品般若経の次第、隔歴の法門にとらわれていたということから、結局、止観は法華経以前の権を帯びた別教の分斉である。また、別教の分斉である以上、法華経の迹門に及ばないこというまでもなく、ましてや法華経本門に及ばないことは論ずるまでもない、と。
所謂天台大師・大蘇の普賢道場に於て三昧開発し証を以て師に白す師の曰く法華の前方便陀羅尼なりと
天台大師は23歳の時、北州・大蘇山で南岳大師慧思に出会ったが、そのとき慧思は智顗に普賢道場を示し、四安楽について説いたという。
普賢道場とは、法華経普賢菩薩勧発品第二十八および観普賢菩薩行法経に随って、散心のままに読誦して六根懺悔を有相行といわれるものであり、四安楽行とは法華経安楽行品第十四によって、禅定修行する無相行といわれるものである。
智顗はこの慧思の教えに従って、昼夜、法華三昧の行法に精進していたが、3週間の間に法華経二十八品を読誦し終わろうと決意し、修行に励んだ。
2週間を過ぎた頃、薬王菩薩本事品第二十三を読誦していたが、同品の「其中諸仏。同時讃言。善哉善哉。善男子。是真精進。供養如来」という句に至って、突如として身心豁然となり入定し、証悟を得たのである。
このとき、南岳大師慧思は次のように語ったという。
「爾に非ずんば、証せず。我に非ずんば識ること莫らん。所入の定は、法華三昧の前方便なり。所発の持は、初旋陀羅尼なり。縦令、文字の師、千群万象、汝が弁を尋ぬるも窮むべからず。説法の人の中に於いて、最も第一なり」と。
すなわち、智顗の悟りの境地は、智顗でなければ悟ることができず、慧思でなけらば判定できないものである。という意味である。
法華の前方便とは、法華三昧に至る前段階ということであり、智顗の大蘇山で開悟が末だ法華三昧の究極には到達していなかった、ということである。
また初旋陀羅尼とは、法華経の普賢菩薩勧発品第二十八に説く旋陀羅尼、百千万億旋陀羅尼、法音方便陀羅尼の三種陀羅尼と最初の旋陀羅尼をさしている。
陀羅尼とは総持と漢訳し、仏の法の肝要を保持し、記憶して忘れない力をいい、またそのために呪句や呪文をさす。ここでは、呪文の意よりも、保持し記憶している法の力、の意をさしているといってよい。
法華経普賢菩薩勧発品第二十八によれば、仏滅後の五百歳濁悪世中において、もし法華経を読誦し思惟する者があれば、普賢菩薩は白象に乗ってその人の前に現れるであろう、そのときに法華経の修行者が普賢菩薩の身を見るをもってのゆえに、直ちに三昧および前述の三種の陀羅尼を得る、と説いている。
この三種の陀羅尼について智顗は、法華文句巻十下において「陀羅尼は仮を旋して空に入るなり。百千旋とは、空を旋して仮に出づるなり。方便とは、二を方便道と為し、中道第一義諦に入ることを得るなり」と説いている。
この意からすれば、旋陀羅尼は空観百千万億陀羅尼は化観、法音方便陀羅尼は中観となる。
ここからも明らかなように、智顗が大蘇開悟で得た初旋陀羅尼とは、仮を旋して空に入る、いわゆる従仮入空の空間を獲得したということであるから、まさしく法華の中道実相に入る前提であり、法華三昧の前方便である。
霊応伝の第四に云く「智顗・師に代つて金字経を講ず一心具足万行の処に至つて顗・疑有り思・為に釈して曰く汝が疑う所は此乃ち大品次第の意なるのみ未だ是法華円頓の旨にあらざるなり」
引用文は前述と同様、天台霊応図本伝集巻一の天台山国清寺智者大師別伝第二からの取意の文であり、今、この部分で紹介すると、次のとおりである。
すなわち「師恩、金字の大品を造り竟り、自ら玄義を開き、命じて代わって講ぜしむ。是れを以って、智は日月に方べ、弁は懸河に類す。漢舒、称い会して理の存する有り。唯、三三昧及び三観智のみ、用い以って豁い審らかす。悉く、自ら栽す」と。
これと、本抄での引用文での内容とは、天台大師智顗が、師である南学大師慧思から大品般若経の講義を代講するように命じられた、というところまでは同じであるが、智顗が疑問に思った内容についての記述が異なっている。
本抄の引用文では、大品般若経の「一心具足万行」という経文に出会って疑いを抱いた、ということになっているのに対し、今の文では、三三昧と三観智についてのみ南岳大師慧思に尋ねたが、それ以外はすべて自分で裁断した、となっている。
三三昧とは空・無相・無願の三つの三昧のことであり、三観智とは、一切智、道種智、一切種智の三智にあたる。
この三観智と大品般若経との関係であるが、大品般若経巻二十三の一念品では、菩薩が般若波羅蜜を行ずるとき、一念のなかに三観の智、六波羅蜜、四禅、四正勤、四無量心、四無色定を具すなどと説き、要するに般若波羅蜜を行ずるとき、一念、一心に万行を具足することを説いているのである。
智顗は、一念品に至ったとき、何ゆえに一念や一心に万行を倶足するか、という疑問をもつに至ったという。
というのは、大品般若経の一念品の直前の品が「次第学品」であり、ここでは菩薩の十地の階梯を一つ一つ次第に行じていく次第道が説かれている。にもかかわらず、次第道が説かれた直後の「一念品」で突然、「一念・一心に万行を具足する」と、次第行とは逆の道が説かれているのに疑問をもったとされている。
つまり、このときの智顗は末だ法華三昧に達しておらず、したがって次第差別、隔歴の考え方をしていたので、次第道を説いていない「一念品」の内容に疑問をもったといえる。
0535:10~0535:14 第五章 結びtop
| 10 若し此の意を得ば檀那流の 11 義尤も吉なり此等の趣を以て 止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有る可く候か、 委細の旨は別に一巻書き進ら 12 せ候なり、又日蓮相承の法門血脈慥に之を註し奉る、恐恐謹言 13 文永十二乙亥二月二十八日 日 蓮 花押 14 最蓮房御返事 -----― もしこの意を知るならば、檀那流の教義が最もよい。これらの趣旨をもって、「止観は法華経に勝れる」という邪義に対して問答するのがよいであろう。 詳しい趣旨は別に一巻、書き送った。また、日蓮の相承の法門、血脈をたしかに註して差し上げた。恐恐謹言。 文永十二乙亥二月二十八日 日 蓮 花押 最蓮房御返事 |
血脈
法が師から、弟子へと相続されることを、人体における血液の流れに譬えた語。師から授けられるものは、本尊や教義・戒律、切紙などの奥義・秘伝の類、あるいは宝物など。
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日蓮大聖人はこれまで慧心流・檀那流の教義に対して与・奪の二義から検討を加えられてきたが、本送状の結びとして、これら二流のうちでは、檀那流の「止観の出処は法華経迹門に限る」とする説が妥当であるとされている。
そして、最蓮房に対して、以上の種々の論の展開を踏まえて、止観が法華経に勝るとする当世天台宗の末学の邪義に対して、破折するように促されている。
また、詳しいことは別に一巻の書・立正観抄を書いて差し上げたからそちらを見るように、と述べられた後、最後に日蓮大聖人が相承する血脈肝心の法門を確かに書き記し伝えた、と結ばれている。
0536~0538 顕立正意抄top
0536:01~0536:09 第一章 安国論の予言符合を立証top
| 0536 顕立正意抄 文永十一年十二月 五十三歳御作 01 日蓮去る正嘉元年太歳丁巳・八月二十三日・大地震を見て之を勘え定めて書ける立正安国論に云く「薬師経の七 02 難の内五難忽ちに起つて二難猶残れり所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未 03 だ起らず、 所以兵革の災なり、 金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も 他方の怨賊国内を侵掠する 此の災 04 未だ露われず此の難未だ来らず、 仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず 所以四方より賊来つて国を侵 05 すの難なり、 しかのみならず国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るる故に万民乱ると、 今此の文に就て具さに事 06 の情を案ずるに 百鬼早く乱れ万民多く亡びぬ先難是れ明なり 後災何ぞ疑わん若し残る所の難悪法の科に依つて並 07 び起り競い来らば其の時何為や、 帝王は国家を基として天下を治む、 人臣は田園を領して世上を保つ、 而るに 08 他方より賊来つて 此の国を侵逼し自界叛逆して 此の地を掠領せば 豈驚かざらんや豈騒がざらんや、 国を失い 09 家を滅せば何れの所にか世を遁れん」等云云已上立正安国論の言なり。 -----― 日蓮が去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日の大地震を見て、その原因について勘え定めて書いた立正安国論に「薬師経で説く七難のうち五難は、たちまちに起こって、二難はなお残っている。いわゆる他国侵逼の難と自界叛逆の難である。大集経で説く三災のうち二災は早くあらわれ一災は未だおこっていない。いわゆる兵革の災である。金光明経で説くなかの種々の災過が次々に起こっているけれども、他方の怨賊が国内を侵略するという災は未だあらわれていないし、この難な未だ来ていない。仁王経で説く七難のうち六難は今、盛んに起こり、一難は未だあらわれていない。いわゆる四方から賊がきて国を侵略するの難である。それだけではなく『国土が乱れるときは、まず鬼神が乱れる。鬼神が乱れているがゆえに万民が乱れるのである』と仁王経にあるが、今、この文に基づいて詳しく現在の状態を考えてみると、百鬼は早く乱れ、万民は多く亡くなっている。先の難は明らかに起こっており、後の災が起こることは、全く疑いない。もし、残るところの難が悪法の罪によって重なり起こり、競って来るならば、そのとき、どうするのか。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領有して世の生活を保つ。そうであるのに、他方から賊がきて、この国を侵逼し、日本国に自界叛逆が起こって、領地を奪い取られたならば、どうして驚かずにいられようか。どうして騒がずにいられようか。国を失い、家を亡せば、どこに遁れたらよいのであろうか」等と。以上は立正安国論の言葉である。 |
立正安国論
文永元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、鎌倉幕府の実質的な最高権力者である北条時頼に提出された国主諫暁の書(17㌻)。諫暁とは諫め暁す、すなわち相手の誤りを指摘して正しい道に導くという意。本抄御執筆当時、日本では飢饉・疫病・災害によって多くの民衆が苦悩に喘いでいた。本抄では種々の経典を引用しながら、こうした災難の根本原因は謗法であると明かし、その元凶は、浄土教の教え以外を捨閉閣抛せよと主張する法然(源空)の専修念仏であるとして、これをもっぱら破折されている。そして謗法の教えへの帰依をやめて正法に帰依しなければ、三災七難のうち、残る「自界叛逆難(内乱)」と「他国侵逼難(外国からの侵略)」が起こると予言し警告された。しかし幕府はこの諫言を用いることなく、謗法の諸宗の僧らを重用した。その結果、二難はそれぞれ文永9年(1272年)の二月騒動(北条時輔の乱)、文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)の蒙古襲来として現実のものとなった。本抄の構成としては、災難を嘆きその根本原因を尋ねる客(=北条時頼を想定)に対して、主人(=日蓮大聖人)が立正安国(正を立て、国を安んず)を説くという10問9答の問答形式で展開されている。なお、「広本」と呼ばれる身延入山後に再治された本には、真言などの諸宗を破折する文が添加されている。
―――
薬師経の七難
①衆疾疫(人々が疫病に襲われる)の難②他国侵逼(他国から侵略される)の難③自界叛逆(国内で反乱が起こる)の難④星宿変怪(星々の異変)の難⑤日月薄蝕(太陽・月が翳ったり蝕したりする)の難⑥非時風雨(季節外れの風雨)の難⑦過時不雨(季節になっても雨が降らず干ばつになる)の難。
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薬師経
漢訳には4種が現存する。通常、①中国・唐の玄奘が訳した薬師瑠璃光如来本願功徳経1巻をさし、日蓮大聖人もこれを用いられている。ほかに②東晋の帛尸梨蜜多羅訳とされる灌頂抜除過罪生死得度経1巻③隋の達摩笈多訳の薬師如来本願経1巻④唐の義浄訳の薬師琉璃光七仏本願功徳経2巻がある。仏が文殊菩薩に対して薬師如来の功徳を説く。薬師如来に供養すれば七難を逃れ、国が安穏になることを説いている。その内容から、日本では護国経典として尊重された。
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他国侵逼の難
薬師経に予言された、謗法の国に起こる七難の一つ。外国からの侵略をいう。日蓮大聖人は「立正安国論」で、謗法を禁じ正法を用いなければ、七難のうちまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難が起こることを予言された(31㌻)。しかし鎌倉幕府は大聖人に対して文永8年(1271年)に竜の口の法難、佐渡流罪という、生命の危機を及ぼす迫害を加えた。その後、同9年(1272年)2月、北条一族の争いである北条時輔の乱(二月騒動)が起こり、自界叛逆難の予言が的中。同11年(1274年)に蒙古が襲来し、他国侵逼難も現実のものとなった。
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自界叛逆の難
薬師経に予言された、謗法の国に起こる七難の一つで、同士討ち、内乱をいう。日蓮大聖人は「立正安国論」(31㌻)で、謗法を禁じ正法を用いなければ、七難のうちまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難が起こることを予言された。しかし鎌倉幕府は大聖人に対して文永8年(1271年)に竜の口の法難・佐渡流罪という命に及ぶ迫害を加えた。その後ほどない同9年(1272年)2月、北条一族の争いである北条時輔の乱(二月騒動)が起こり、自界叛逆難の予言が的中した。
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大集経
大方等大集経の略。中国・北涼の曇無讖らの訳。60巻。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を500年ごとに五つに区分する「五五百歳」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後2000年以降を末法とする根拠とされた。
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三災
古代インドの世界観で、時代の大きな区切りの末期に起こる三つの災害のこと。大小2種ある。①小の三災。世界のなかで起こる穀貴(飢饉などによる穀物の高騰)、兵革(戦乱)、疫病(伝染病の流行)の三つの災害。②大の三災。世界そのものを破壊する火災・水災・風災の三つの災害。
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二災早く顕れ
穀貴(飢饉などによる穀物の高騰)、兵革(戦乱)、疫病(伝染病の流行)などの三災のうちの穀貴・疫病の二災はすでに現れているということ。
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兵革の災
仁王経・大集経などに説かれる三災七難のうちの三災の一つで、兵乱・合戦・戦争などをいう。
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金光明経の内の種種の災過
金光明経にはこの経を護持する者を、四天王をはじめ一切の諸天善神が加護するが、もし正法をないがしろにすれば、諸天が国を捨て去って種々の災難が競い起こると説いている。
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金光明経
漢訳には中国・北涼の曇無讖訳の金光明経4巻、唐の義浄訳の金光明最勝王経10巻(略して金光明経)などがある。懺悔による滅罪の功徳を強調するとともに、この経を護持する者を、四天王をはじめ一切の諸天善神が加護するが、もし正法をないがしろにすれば、諸天が国を捨て去って種々の災難が競い起こると説いている。
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他方の怨賊国内を侵掠する此の災
他国侵逼難のこと。
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怨賊
人の命を害し、財を奪うもの。
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侵掠
他国に攻め入って領土を奪い取ること。
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仁王経の七難
①日月失度難(太陽や月の異常現象)②星宿失度難(星の異常現象)③災火難(種々の火災)④雨水難(異常な降雨・降雪や洪水)⑤悪風難(異常な風)⑥亢陽難(干ばつ)⑦悪賊難(内外の賊による戦乱)。
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仁王経
中国・後秦の鳩摩羅什による仁王般若波羅蜜経と、唐の不空による仁王護国般若波羅蜜多経の2訳が現存するが、中国撰述の経典とする説もある。2巻。正法が滅して思想が乱れる時、悪業のために受ける七難を示し、この災難を逃れるためには般若を受持すべきであるとして菩薩の行法を説く。法華経・金光明経とともに護国三部経とされる。
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六難今盛にして
大集経の七難①日月失度難②星宿失度難③災火難④雨水難⑤悪風難⑥亢陽難⑦悪賊難のうちの⑦悪賊難をのぞく六難は盛んに起こっているということ。
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四方より賊来つて国を侵すの難
他国侵逼難のこと。
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国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るる故に万民乱る
仁王般若波羅蜜経の文。国土が乱れるときは、まず国土の守護神である鬼神(思想)が乱れ、思想の乱れによって万民が乱れるとの意。
―――
鬼神
超人的な働きをするもの。仏道修行者を守護する働き(善鬼神)や、生命をむしばむ働き(悪鬼神)に大別される。法華経では悪鬼とするとともに法華経を受持する者を守護するとも説かれる。法華経勧持品第13には「悪鬼は其の身に入って|我を罵詈毀辱せん」(法華経419㌻)とあり、「立正安国論」では「魔来り鬼来り災起り難起る」(17㌻)とある。また『摩訶止観』巻8に「病の起こる因縁を明かすに六有り……四に鬼神、便りを得」(1009㌻で引用)とある。さらに鬼神は、人の思考の乱れを引き起こし国家社会を混乱させる働きがあり、そこから鬼神を思想の乱れを起こすものの意に用いることがある。仁王経巻下に「国土乱るる時は、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に、万民乱る」(19㌻で引用)とある。
―――
百鬼
多くの鬼
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先難是れ明なり後災何ぞ疑わん
先難は、今までに起こった所の難。後災はこれから競い起こるであろう災。
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残る所の難
通常は自界叛逆難と他国侵逼難をいうが、文永9年(1272)2月の北条時輔の乱以降は他国侵逼難のみを指す場合が多い。
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悪法の科
一国謗法の罪。
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世上
世の中のこと。
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掠領
他人の所領を奪いとって 領有すること。
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国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん
大聖人が世界平和の重要性を叫ばれた文である。
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本抄は文永11年(1274)12月15日、日蓮大聖人が53歳の御時、身延で著された書である。
題号は「立正安国の意を顕す」という意味である。
文永11年(1274)3月、佐渡流罪を赦免となられて鎌倉に帰られた日蓮大聖人は、同年4月8日、平左衛門尉頼綱と対面され、正法に帰依しなければ、今年中に蒙古が攻めてくるであろうと断言され、三度目の諌暁をされた。
しかし、鎌倉幕府がこれを用いなかったため、「三度・国をいさめんに・もちゐずば国をさるべし」(0923-01)と、身延へ入山された。
大聖人の予言どおりに、同年10月、蒙古の大軍が来襲し、壱岐・対馬が攻め取られ、博多・箱崎も破られたが、夜半、吹き荒れた暴風雨のため、蒙古軍の兵船の大半が沈没、あるいは破損し、敗走した。本抄はそれから数ヵ月後の書である。
初めに、立正安国論のなかの、自界叛逆・他国侵逼の二難が起こることを予言・警告された言を引かれている。
次に、釈尊の予言がことごとく的中したことを例とされ、大聖人の立正安国論における二難の予言が的中したことから、邪法に迷う日本国の上下万人が、死後、無間地獄へ堕ちるという安国論での予言もまた、必ず的中するであろうと断言されている。
最後に、たとえ大聖人の門下となって正法を信ずる者であっても、信心薄き者は、臨終のとき、阿鼻獄の相を現ずるであろうとし、不惜身命の信心を貫くよう、厳しく指南されている。
立正安国論の大意
本抄の冒頭は立正安国論の一節が引用されているが、安国論は文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人が39歳の御時、執権を退いてはいたが、得宗として、当時の鎌倉幕府の最高権力者であった北条時頼に、宿屋入道を通じて提出された諌暁の書である。建長5年(1253)4月28日の立宗以来、満7年にあたっている。
大聖人の数ある御述作のなかでも、開目抄、観心本尊抄とともに最重要の書で、10大部の第一に挙げられている。
本抄に「日蓮去る正嘉元年太歳丁巳・八月二十三日・大地震を見て之を勘え定めて書ける」と仰せのように、正嘉元年(1275)の大地震、同2年(1276)の大風、同3年(1277)の大飢饉、正元元年(1259)の大疫病など、天変地夭が頻発していた。
大聖人は、この世相を深く憂えられ、このような災難の根本原因は邪法邪義にあることを、経文を引いて明らかにし、邪法邪義の帰依をやめるよう諌暁されたのである。
立正安国論とは「正を立て国を安ずる論」という意で、災厄の元凶の代表として、当時、民衆に最も広く信仰されていた念仏宗を指摘されている。
全体が客と主人との十問九答からなっており、最後は客の決意の言をもって結ばれている。
客とは、宗教の理非も知らずに誤った宗教に執着し、迷妄に覆われた一切衆生であり、別しては北条時頼のことである。
主人とは、正法を説き示す人で日蓮大聖人御自身をさされている。
日寛上人は、立正安国論愚記で、全体を次の十段に分けられている。
すなわち、
第一段 災難の由来
第二段 災難の根拠
第三段 正法を誹謗するの由
第四段 正しく一凶の所帰を明かす
第五段 和漢の例を示す
第六段 勘状の奏否
第七段 施を止めて命を断つ
第八段 惨罪の用否
第九段 疑いを断じて信を生ず
第十段 正に帰して解納す
と示されている。
本抄に引用されている立正安国論の個所は、「第九段 疑いを断じて信を生ず」のなかの「二難を予言し謗法対治を促す」の部分である。
立正安国論第九段の内容
第九段の内容を略述すると、客がそれまでの主人の教えにより、ついに邪法邪義への執着を翻し、正法を重んずる決意を述べたことについて、主人は喜び、自分の教えを信じたならば、風和らぎ、波も静かになって、日ならずして楽土の社会になるであろうと説く。
しかしながら、人の心は時として移ろいやすいものであるから、もし、国土を安んじて、現世、未来世の幸福を祈ろうと欲するならば、その決意が揺るがないうちに、速やかに謗法を退治し、折伏せよと勘めるのである。
そして、その理由として、薬師経に説かれている七難のうち、五難は既にあらわれているが、他国侵逼・自界叛逆の二難だけが残っていること、大集経の三災のうち、兵革の災いだけが残っていること、金光明経の災難のうち、他方の怨賊が来って国を侵すの難がいまだあらわれていないこと、仁王経の七難のうち、四方の賊来って国を侵す難だけが残っていることを述べる。
他の難がすべてあらわれていることからみても、もし、正法に帰依しなかったならば、必ず残る二難もあらわれるであろう、と予言されたのである。
さらに、もし邪法を信じたままで死ねば、必ず無間地獄へ堕ちるであろう、大集経・仁王経・法華経等の文証を示されている。そして、結論として「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せ」(0032-14)と述べ、第九段を締めくくられている。
立正安国論の重書たる所以
日蓮大聖人御自身も、安国論の重書たる所以を、建治2年(1276)3月御述作の種種御振舞御書の冒頭で示されている。
「日蓮が去ぬる文応元年庚太申歳に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん」(0909-01)と。
この御文について日寛上人は、立正安国論愚記のなかで、立正安国論を諸御抄の「首に居る事」の意義として、「彼は但世間政道の謬りを糺す。此れは現当の為に謗法の罪を糺す。豈楽府に勝るに非ずや。他国侵逼・自界叛逆の兼識秋毫も差わず、寧ろ仏の未来記に劣らざるや」と御教示されている。
すなわち、中国唐代の詩人・白楽天の「新楽府」は、社会の矛盾を憂え、民衆の苦悩を訴えた詩人として名高い。
それに対して安国論は、人々の現当二世にわたる苦悩をなくすために諌められたものである。ゆえに「白楽天が楽府にも越え」といわれたのである。
また、釈尊の未来記も、未来を正しく言い当てられているが、安国論の予言も、そのとおり的中した。ゆえに「仏の未来記にもをとらず」といわれていたのである、と。
まさしく、立正安国論は、大聖人が末法の御本仏たることを証明した御書と拝することができよう。
安国論を引用された所以
さて、本段で立正安国論の一節を引用された所以は、安国論で予言された“残る二難”すなわち自界叛逆難と他国侵逼難が現実化し、予言が的中したことを指摘されるためである。
すなわち「先難是れ明なり後災何ぞ疑わん」と述べられているように、「先難」とは先にも触れた薬師経の五難、大集経の二難、金光明経の種々の災禍、仁王経の六難など、既に出現している災難をいう。
「先難」がこのように現実となってあらわれている以上、その災いの起こる原因である謗法の帰依を改めないならば「後災」である自界叛逆・他国侵逼の二難は起こることは疑いないと予言し、警告されているのである。
それゆえに、日寛上人は安国論愚記で「法然の謗法に由る故に種々の災難、今世上に盛んなり。若し彼の謗法を退治せざれば、自他の叛逆来らんこと治定なり。故にこの論を勘えて以てこれを奏するなり、故に重ねて四経の文を蝶釈するなり。これこの論の肝要なり」と述べられている。
更に「残る所の難悪法の科に依って並び起り競い来ばば其の時何為や」と、自界叛逆・他国侵逼の戦乱、戦災が、悪法を崇重している罪科によって並び起こり、競い来ったら、その時はどうしようというのか、「豈驚かざらんや豈騒がざらんや」と、重ねて警告を発せられているのである。
しかも「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん」と仰せのように、他国から侵略されて国家社会という機構が崩壊し、内乱が起きて各自の生活の基盤が崩壊すれば、いったい、いずこに幸福な生活、平和な社会を築いていったらよいのかと、憂えられているのである。
自界叛逆・他国侵逼の二難
この文永11年(1274)の時には、立正安国論で予言された“残る二難”の自界叛逆難・他国侵逼難が、いずれも現実化し、大聖人の御予言が正しかったことが証明されていた。
自界叛逆難とは、同士打ち、内乱、自国内の戦争などをいう。この自界叛逆の現証は、大聖人が佐渡後流罪中の文永9年(1272)2月に起きた北条時輔の乱がそれである。
時輔は北条時頼の子で、執権・時宗の異母兄にあたる。時頼の正妻の子ではなく、また器量が劣るという理由で、家督が時宗に譲られたのを恨んで、謀反を企てたとわれる。
事前にこれを察知した時宗は、一味と目された名越教時、仙波盛直らを、2月11日、鎌倉で誅殺し、続く15日、京都南方の六波羅探題であった時輔を、北方六波羅探題の北条義時らに襲わせて滅ぼしたのである。世にこれを「二月騒動」ともいう。
安国論の予言から12年後に的中したわけである。
他国侵逼難とは、外国によって侵略される難をいう。他国侵逼難は、安国論の予言から満7年と7ヵ月たった文永5年(1268)閏正月、蒙古国の牒状が到来したことによって実現化してきた。
そして、安国論から14年目の文永11年(1274)10月に「文永の役」、同じく21年後の弘安4年(1281)5月に「弘安の役」となってあらわれたのである。
蒙古軍は二度とも壱岐・対馬を蹂躙し、その勝利に乗じて博多湾に上陸してきたが、暴風雨で兵船の大半が沈没し、本国に引き上げたため、日本は滅亡を免れたのである。
このように、安国論の予言的的中は厳然たる事実であるが、当時は「蒙古は二度とも暴風雨にあって敗退したのだから“国が滅ぶ”と言った大聖人の予言は外れたではないか。日本が守られたのは神の力による」といった批判が当時からあった。
これについて、日寛上人は撰時抄愚記で次のように二点から論破されている。
第一点は、大悲忠諌の意である。父が子の過ちを責めるのに「改めないと身を滅ぼすであろう」というのが、それは身を滅ぼさせるための親心である。同様に大聖人の予言も、国を安んぜんがための大慈悲心の発露なのである。
第二点は「神の力によって守られた」と世人の言っていることに関連するが、一つは鎌倉幕府が大聖人の佐渡流罪を赦免し、大聖人の御弘通を妨害しなくなったことにあらわれているように、内心は悔い改めたことによる。もう一つは、日蓮大聖人がひかえておられ、国を守ってくださったことによる。
種種御振舞御書に「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、何に況や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・はうに過ぐれば罰あたりぬるなり」(0919-16)と仰せのとおりである。
0536:10~0537:04 第二章 釈尊の予言符号の先例示すtop
| 10 今日蓮重ねて記して云く 大覚世尊記して云く「苦得外道・七日有つて死す可し死して後食吐鬼に生れん苦得外 11 道の言く七日の内には死す可からず 我羅漢を得て餓鬼道に生れじと」等云云、 瞻婆城の長者の婦懐姙す六師外道 12 の云く「女子を生まん」仏記して云く「男子を生まん」等云云、 仏記して云く「卻て後三月あつて我当に般涅般す 13 べし」等云云、一切の外道云く「是れ妄語なり」等云云、 仏の記の如く二月十五日に般涅槃し給う、法華経の第二 14 に云く「舎利弗・汝未来世に於て無量無辺・不可思議劫を過て乃至当に作仏するを得べし号をば華光如来と曰わん」 15 等云云、 又第三の巻に云く 「我が此の弟子摩訶迦葉未来世に於て当に三百万億に奉覲することを得べし乃至最後 0537 01 身に於て仏と成ることを得ん名をば光明如来と曰わん」等云云、 又第四の巻に云く「又如来滅度の後に若し人有つ 02 て妙法華経の乃至一偈一句を聞いて一念も随喜せん者には 我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」等云云、 此 03 等の経文は仏未来世の事を記し給う、 上に挙ぐる所の苦得外道等の三事・符合せずんば誰か仏語を信ぜん・設い多 04 宝仏・証明を加え 分身の諸仏長舌を梵天に付くとも信用し難きか、 -----― 今、日蓮が再び記して云うには、大覚世尊は「苦得外道は七日の間に死ぬであろう。死んで後、食吐餓鬼に生まれるであろう」と予言し、苦得外道は「七日の内には死なない。我は阿羅漢の悟りを得て、餓鬼道には生れじない」等といった。 瞻婆城の長者の夫人が懐姙したとき、六師外道は「女子を生むであろう」といい、仏は「男子を生むであろう」と予言した。 仏は「今から三ヵ月後に我は般涅般するであろう」等と予言し、一切の外道は「これは妄語である」等といったが、仏の予言のとおり二月十五日に般涅槃された。 法華経の巻第二譬喩品第三には「舎利弗よ、汝は未来の世に無量無辺不可思議劫の後に、乃至、作仏するであろう。号を華光如来というであろう」等と説かれている。 また、第三の巻授記品第六には「我が弟子摩訶迦葉は未来世に三百万億の仏を見たてまつるであろう。乃至、最後の身において仏となることを得るであろう。号を光明如来というであろう」等と説かれている。 また、第四の巻法師本第十には「また、如来の入滅の後に、もし人があって、妙法蓮華経の、ないし一偈一句を聞いて、一瞬のこころであっても随喜する人には、我はまた、阿耨多羅三藐三菩提の記別を授与する」等と説かれている。 これらの経文は、仏が未来世の事を予言されたのであるが、先に挙げた苦得外道等の三つの事が符合しなければ、だれが仏の言葉を信じようか。たとえ多宝如来が証明を加え、分身の諸仏が長い舌を梵天につけても、信用しがたいであろう。 |
大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
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苦得外道
苦行によって得道すると説く外道。釈尊在世の六師外道のひとつ。尼乾外道に同じ。この派をジャイナ教と呼ぶ。教祖はマハーヴィーラといわれ、ジナとも呼ばれる。教理はヴェーダを否定するが、カースト制度を認め、苦行を勧める。禁欲によって物質界から解脱し、常満精神を得ようとして裸で修行したため裸形外道とも呼ばれた。後に寛容主義の白衣派と、厳格主義の空衣派に分裂する。
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食吐鬼
人の吐いたものを食う餓鬼のこと。
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羅漢
サンスクリットのアルハトの主格アルハンの音写で、羅漢と略す。応供と訳し、「尊敬・供養に値する人」を意味する。仏の別名の一つ。後に声聞の修行の階位の第4とされ、その最高の覚りの境地をさすようになった。
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餓鬼道
餓鬼の世界。餓鬼が味わう苦悩の境涯。古代インドにおいて餓鬼はもともと「死者」を意味し、常に飢えて食物を欲している死者の世界をさした。「観心本尊抄」には「貪るは餓鬼」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる餓鬼界は、貪るすがたにうかがえると示されている。これに基づいて生命論では、とどまるところを知らぬ激しい欲望にとらわれ、それが満たされず心身ともに苦悩する生命状態を餓鬼界とする。
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瞻婆城
長阿含経に説かれる古代インドの16大国の一つである中インドのオウガ国の首都。ガンジス川とチャンパー川の間のモンギール東南東に位置し、釈尊在世にはインド六大都市のひとつを形成したとされている。
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六師外道
釈尊の存命中にガンジス川中流域のインド中心部に勢力のあった6人の仏教以外の思想の指導者のこと。六師は既成のバラモンの権威を否定して自由な思想を展開し、新興の王侯貴族・商人たちの支持と援助を受けた。それぞれが独自の主張をもち、当時の社会で新しい思想の代表とみなされていた。①富蘭那迦葉(プーラナカッサパ)。不生不滅を説き、人間はたとえ何を行っても悪にも善にもならないといい、業と応報の因果を否定する無道徳論者。②末伽梨拘舎梨子(マッカリゴーサーラ)。邪命外道を率いた外道。一切は無因無縁で、すべてはあるがごとくにあり、なるがごとくになると唱え、人間の意志による解脱は不可能であるとして、地水火風空および霊魂などの要素を認める無因論、自然主義的宿命論者。③珊闍耶毘羅胝子(サンジャヤヴェーラッティプッタ)。人知に普遍妥当性を認めず、世に不変の真理はないとし、一方的断定は論争を生じ、解脱の妨げになるという判断中止の思想を主張し、実践修行によって解脱を得ようとした懐疑論者。④阿耆多翅舎欽婆羅(アジタケーサカンバラ)。断滅論を説き、物心二元ともに断滅に帰し、人間は死ぬと無に帰す。したがって過去も未来もなく、善悪の業の果報も受けることがないとして、現世の快楽説と唯物説を主張した感覚論者。順世外道の祖とされる。⑤迦羅鳩駄迦旃延(パクダカッチャーヤナ)。地水火風の四元素と苦・楽・霊魂とが人間構成の七集合要素であるとみなす唯物論的七要素説者。各要素は常住不動で相互に影響作用しないとして、例えば剣で人を切っても生命を奪うことはできない、ただ剣が七要素の間隙を通過するだけであるなどと説く。無因論的感覚論者。⑥尼乾陀若提子(ニガンタナータプッタ)。ジャイナ教の祖。世界・霊魂の相対的常住を認める蓋然説をとり、苦行によって霊魂が物質から分離するとし、これを解脱と呼んでいる苦行論者で、苦行外道という。
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般涅槃
般泥洹ともいう。寂滅・円寂・入滅のこと。
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外道
❶仏教以外のインドの諸思想。これには、古代からの伝統宗教であるいわゆるバラモン教の思想や、釈尊と同時代に興隆していたジャイナ教などの新興の諸思想を含む。❷仏教以外の教えや信徒のこと、後に仏教内の異端に対する貶称として用いられた。
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妄語
虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546㌻)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、910㌻)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
舎利弗
サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。【釈尊への帰依】釈尊の弟子となる前、舎利弗は目連(マウドゥガリヤーヤナ)とともに外道のサンジャヤに師事していたが、釈尊の弟子アッサジに出会い、そこで聞いた釈尊の教えに感銘を受け、釈尊に帰依した。その際、サンジャヤの弟子250人も、ともに釈尊に帰依したと伝えられる。【乞眼のバラモンと舎利弗】乞眼の婆羅門こつげんのばらもん【釈尊からの𠮟責】『止観輔行伝弘決』巻2には『十誦律』をふまえて、次のような話が記されている。ある在家の有力信徒から釈尊の弟子たちが食事の供養を受けた時、舎利弗ら長老などがおいしいものをたっぷり食べ、初心者たちは不十分な食事しかできなかった。これを羅睺羅(ラーフラ)から聞いた釈尊は、舎利弗に対して不浄な食事をしたと叱責した。舎利弗は食べた物を吐き出し、今後二度と食事の供養を受けないと誓った。日蓮大聖人は「開目抄」(205㌻)で、この話を、法華経が説かれる以前には二乗が不成仏として糾弾されてきたことの傍証とされている。
―――
劫
計りがたい長遠な時間の単位。サンスクリットのカルパを音写した劫波などの略。大時などと訳す。その長さを示すのに種々の説がある。天人が4000里四方の石山を100年ごとに細かくやわらかい衣で拭いて、石山を磨耗し尽くしても劫は尽きない(払石劫の譬え)、また4000里四方の大城を芥子(カラシナの種)で満たし、100年に1度、1粒を取って、取り尽くしてもなお劫は尽きない(芥子劫の譬え)などと説かれている。そのほか、大千世界の草木をことごとく1寸に切って籌とし、100年に1籌をとって、これを全部取り尽くしたときを1劫とする草木劫、ガンジス川の広さ40里の中に細かい砂を埋め尽くし、100年に1度、1粒を取り出し、これを取り尽くしたときを1劫とする沙細劫、大千世界を砕いて微塵とし、100年に1度、1塵を取ってこれを取り尽くしたときを1劫とする砕塵劫などがある。また世界が成立し(成)、継続(住)、破壊(壊)を経て、次の成立に至るまで空虚の状態(空)の過程を四劫(成・住・壊・空)といい、四劫の期間を1大劫という。成住壊空の四劫はそれぞれ20中(小)劫からなるとする。『俱舎論』によると、人寿(人間の寿命)が10歳から8万歳までの間を漸次に(後の解釈では100年に1歳)増加または減少する期間を1増および1減といい、1増1減の増減劫を1中劫とし、1増または1減を1小劫としている。これに対して1増1減を1小劫とする説もある。『瑜伽師地論』では住劫の20中(小)劫をすべて増減劫とするが、『俱舎論』ではそのうち最初の中劫は無量歳から10歳に下がるのみの減劫、最後の中劫は10歳から8万歳に至るのみの増劫(長さは増減劫と同じ)としている。これは住劫における人寿の増減を基準として分別したものであるが、人寿の増減のない成劫、壊劫、空劫のおのおのにもあてはめられる。また住劫の20中(小)劫のおのおのには小の三災(穀貴・兵革・疫病)、壊劫には大の三災(火災・水災・風災)が起こるとされる。
―――
乃至
①すべての事柄を主なものをあげること。②同類の順序だった事柄をあげること。
―――
華光如来
釈尊の声聞の十大弟子の一人である舎利弗が、法華経譬喩品第3で未来に仏になるとの記別を受けた時の仏としての名。舎利弗は無量無辺不可思議劫の後、菩薩道を修行して、華光如来となって離垢という国土に住するとの記別を受け、如来となって後、三乗法を説き、12小劫の後、堅満菩薩に対して次に成仏して華足如来となるとの記別を授け、寿命を終え、その後、正法32小劫・像法32小劫の間、説いた教えが衆生を教え導き救うと説かれている。
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摩訶迦葉
サンスクリットのカーシャパの音写。摩訶迦葉のこと。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、頭陀(欲望を制する修行)第一といわれた。釈尊の教団を支え、釈尊滅後の教団の中心となった。釈尊の言行を経典として集成したとされる。法華経授記品第6で、未来に光明如来に成ると保証された。【鶏足山の入定】摩訶迦葉は釈尊が亡くなった後、正統な後継者となって教えを広めて、阿難にその任を譲った。それ以来、鶏足山で禅定に入って、弥勒菩薩が56億7000万年後にこの娑婆世界に仏として出現するのを待っているとされた。
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奉覲
恭しく見ること。
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最後身
迷いの世界にあって、解脱に達する最後の身のこと。
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光明如来
摩訶迦葉が未来世において成仏する時の名。
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一念
一瞬に働く衆生の心のこと。浄土教では阿弥陀仏の名を一回となえることもいう。また、一回念ずること。
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随喜
「事理に随順し、己を慶び、人を慶ぶなり」と釈し、釈尊の本地深遠の常住を聞いて信順すること、「理に順う」といい、仏の三世益物の一切処に遍きを聞いて信順することを「事に順う」という。「己を慶ぶ」とは、迹門の諸法実相の理、および本門の久遠本地の事を聞いて信解し歓喜を生ずつこと。「人を慶ぶ」とは、仏も衆生も無作の三身を所具しているとの観をもって一切衆生に正道を悟らせようとする大慈悲心を発すことをいうのである。観心の立場から論ずるならば、永遠の生命観に立ち、御本尊の絶対なる功力を信じ、歓喜して行学の力強い実践に励むことである。
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阿耨多羅三藐三菩提
サンスクリットのアヌッタラサンミャクサンボーディの音写。無上正遍知、無上正等正覚、無上正等覚などと訳す。最高の正しい覚りの意。仏の完全な覚りのこと。
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苦得外道等の三事
①釈尊が苦得外道に7日後に死亡すると予言したこと。②瞻婆城の長者の胎児を男子と予言したこと。③自身の入滅が3ヵ月後と予言したこと。
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符合
一致すること。
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仏語
仏の言葉。真実であることを意味している。
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多宝仏
法華経見宝塔品第11で出現し、釈尊の説いた法華経が真実であることを保証した仏。過去世において、成仏して滅度した後、法華経が説かれる場所には、自らの全身を安置した宝塔が出現することを誓願した。釈尊が法華経を説いている時、見宝塔品で宝塔が地から出現して空中に浮かんだ。宝塔が開くと、多宝如来が座していた。多宝如来は釈尊に席を半分譲り、以後、嘱累品第22まで、釈尊は宝塔の中で多宝如来と並んで座って(二仏並坐)、法華経の説法を行った。
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分身の諸仏
本仏から身を分けて、衆生を教化するために種々の世界で法を説く仏のこと。分身は分体・散体ともいう。
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長舌
広長舌相のこと。仏の舌は柔軟で薄く、また額に届くほど長く広いとされる。教えがうそではなく真実であることを表す。仏の三十二相の一つ。広長舌ともいう。古代インドでは言葉の真実を証明するのに舌を出す風習があり、その舌が長ければそれだけ真実も確かであるとされた。法華経では、釈尊による説法に対し、多宝如来が「皆是れ真実なり」(法華経373~374㌻)と保証し、また十方の諸仏が舌相を示して保証した。阿弥陀経では、東西南北上下の六方のそれぞれに、無数の諸仏がおり、その諸仏が皆それぞれの国で三千世界を覆う広長舌を出して、阿弥陀仏の不可思議の功徳を称賛することが説かれている。しかし、法華経のように十方の世界の仏たちが直接、説法の場に集まって舌相を示したわけではない。
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梵天
サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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立正安国論の予言が事実となったことに関連し、釈尊の予言が符合した先例を示されている。
「今日蓮重ねて記して云く」と述べられているのは、本抄の冒頭に「日蓮去る正嘉元年太歳丁巳・八月二十三日・大地震を見て之を勘え定めて書ける立正安国論に云く」との仰せに相対するもので、文応元年(1260)の立正安国論の予言に対し、いま、それを承けて重ねて述べるという意である。
「苦得外道・七日有つて死す可し死して後食吐鬼に生れん苦得外道の言く七日の内には死す可からず我羅漢を得て餓鬼道に生れじと」等云云
「苦得外道・七日有つて死す可し死して後食吐鬼に生れん」という、涅槃経巻三十三迦葉菩薩品に説かれる釈尊の予言の符合について述べられている。「苦得外道」とは、苦得尼乾のことで、苦行によって得道すると説いた外道の名である。裸で修行したため、裸形外道とも呼ばれた。
苦得とは、苦行をして悟りを得る者のことで、尼乾は尼犍陀提子の略であり、釈尊在世の六師外道の一人で、ジャイナ教の開祖である。また、釈尊の弟子・善星比丘を退転させた悪知識でもある。
六師外道は釈尊在世の時代、中インドに勢力のあった六人の外道の論師のことで、いずれも既成のバラモンの権威を否定し、自由な思想を展開して、新興の王侯貴族や商人達の支持と援助を受けていた。
本抄で仰せの苦得外道に関する予言について、涅槃経では次のように説かれている。
釈尊が善星比丘とともに王舎城にいたとき、苦得という外道がいて、善星はこの外道を崇拝し、「彼こそ最高の羅漢である」とたたえていた。
「羅漢」は供養を受ける資格のある者の意であるが、とくに仏教では小乗の最高の悟りの境地、またそれを得た聖者をさしていった。
しかし、釈尊が「苦得は羅漢ではない」というのを聞いて、善星は「釈尊は得悟しているのに、苦得を嫉妬するのはおかしい」と反論した。
そのとき釈尊は、苦得が羅漢でない証拠に「彼は七日後に食中毒で死ぬであろう。そして食吐鬼のなかに生じ、同学の者がその死体をかついで、寒林に置くであろう」と予言した。
「食吐鬼」とは食吐餓鬼のことで、餓鬼に三十六種あるうちの一つである。人が口から吐き出した物や、捨てた残飯を乞い求めて食べる餓鬼のことである。
善星からこの話を聞いた苦得は、「自分は羅漢である。七日のうちに死にもしなければ、死後、餓鬼道にも堕ちない」と強弁し、六日間、断食を続けて頑張ったが、七日目に黒密を食し、冷水を飲んだところ、腹痛を起こして死去した。
釈尊の予言どおり、苦得の死体は同学の者によって寒林に置かれた。善星が寒林に行ってみると、死体のかたわらに、食吐鬼となった苦得がいたという。
善星が、食吐鬼となった苦得から事情を聞くと、苦得は、釈尊の予言が的中したことを告白し、善星に対し「如来の言葉は皆、真実であるのに、なぜあなたは如来の実語を信じなかったのか。もし、衆生が如来の実語を信じなければ、その人も、自分と同じようになるであろう」と忠告した。
釈尊のところへ帰った善星は「苦得外道は死んで三十三天に生まれた」と、報告したが、釈尊にたちまちにそのうそを見破られてしまった。
しかし、善星は「あの予言はあたったが、まだ如来の言葉を全部信受するわけにはいかない」と言い張った 。
この不信の罪によって、善星は生きながら無間地獄に堕ちたとされる。
瞻婆城の長者の婦懐姙す六師外道の云く「女子を生まん」仏記して云く「男子を生まん」等云云
続いて、瞻婆長者の妻の懐妊をめぐり、六師外道が「女子を産むであろう」といったのに対し、釈尊は「男子をうむであろう」と予言して、そのとおり男子が生まれたとされる先例を示されている。
「瞻婆長者」は中インド瞻婆国の長者のことで、釈尊在世に恒河のほとりに都城を構えていた。
涅槃経三十によると、瞻婆長者は世継ぎがないのを悩み、外道に供養したところ、久しからずして妻が懐妊した。
長者は生まれてくる子供が男か女かと六師外道に問うたが、必ず女の子が生まれるとの答えだった。長者は男子の誕生を期待していたので非常に悲しんだが、ある人が釈尊に聞くことを勧めたので、釈尊を訪ねて聞いたところ、男子であると告げられ、長者は大いに歓喜した。
六師外道は、長者が喜ぶのを見て嫉妬し、長者の妻に毒薬を飲ませて殺してしまい、釈尊の予言があたらなかったと触れ回った。長者自身も、子を産まずに妻がしんだことを悲しみ、釈尊に対しても不信の念を抱いた。
屍を棺に納めて、場外で火葬するとき、釈尊は六師の邪見、非道を破折するために火葬場へ赴き、長者に「仏の金言は不二である。必ず男子を得る」と断言した。このとき、死体が焼けて腹が裂け、男児が中から現れて火中に端坐した。釈尊は耆婆に火中の子を抱きいだすよう命じ、耆婆は火中に入って、清涼の大河水を行くようにしてこの小児を抱持した。
釈尊は長者に子を授けながら、「一切衆生の寿命の定まらざること、水上の泡の如し。衆生若し重業の果有らば、火も焼くこと能わず、毒も害すること能わず、是れ子の業報にして我が所作に非ず」と説いて、その子に樹提と名づけた。これを見て無量の衆生が菩提心を起こしたとある。
仏記して云く「卻て後三月あつて我当に般涅般すべし」等云云
これは法華経の結経である観音普賢菩薩行法経の冒頭に説かれている。
すなわち、同経に「一時、仏、毗舎離国、大林精舎、重閣講堂に在して、諸の比丘に告げたまわく、却って後三月あって、我当に般涅槃すべし」とある。
「般涅槃」とは、寂滅・円寂・入滅と訳し、略して涅槃ともいう。釈尊が弟子達に対し、自分は3ヵ月後に入滅するであろうと予言したことをさす。
それに対し、一切の外道は「是れ妄語なり」といって、信じなかった。しかし、釈尊自ら予言したとおり3ヵ月後に入滅したのである。
釈尊の入滅が2月15日とされているのは、周書異記に「穆王即位より五十二年壬申の歳二月十五の旦、暴風雨忽ち起こり、人舎を発損し、樹木を傷折し、小川大地皆悉く振動す。午の後天陰り雲黒し、西方に白虹十二道有り、南北に通貫して連夜に滅せず」とあることによっている。
周書異記は中国の六朝末頃にあったと考えられる書で、現存はしない。ゆえに内容未詳であるが、本書のなかに、周の第四代の王、昭王の代における釈尊誕生と入滅を示す瑞相のことが記されている。
唐の法琳の弁正論巻六や、栄の志盤の仏祖統記巻三十四に引用されている。また穆王は昭王の子で、周の第五代の王である。
釈尊入滅の問題については多くの異説があり、日蓮大聖人は当時一般的に用いられていた、この周書異記による法上の説をとられている。
顕仏未来記で「仏御入滅の時には十二の白虹・南北に亘り大日輪光り無くして闇夜の如くなり」(0508-14)と述べているのも、周書異記によっておられる。
そうした、当時一般に信じられていた説を用いて、釈尊の予言が事実として符合した実例とされているのである。
舎利弗などの未来成仏の予言
引き続き、法華経の文によって、釈尊が弟子である舎利弗や摩訶迦葉らの未来成仏を予言したことを述べられている。
法華経譬喩品第三で、釈尊は十大弟子の一人で智慧第一といわれた舎利弗に対し「華光如来」という名号の未来成仏の記別を授けている。
すなわち、同品に「舎利弗、汝未来世に於いて、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し、菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来、応供、正徧智、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰い、国を離垢と名づけん」とある。
次に、法華経授記品第六では、同じく十大弟子の一人で頭陀第一と称された摩訶迦葉に対して、未来に「光明如来」となるとの記別を授けている。
すなわち、同品に「我が此の弟子摩訶迦葉は、未来世に於いて、当に三百万億の諸仏世尊を奉覲して、供養恭敬し、尊重讃嘆し、広く諸仏の無量の大法を宣ぶることを得べし、最後身に於いて、仏に成為ることを得ん。名を光明如来…仏、世尊と曰わん、国を光徳と名づけ、劫を大荘厳と名づけん」とある。
なお「最後身」とは、三界六道における最後の身のことで、最後生、最後有ともいう。小乗教では、その死後、無余涅槃に入り、再び三界に生まれてくることのない阿羅漢の身をさし、大乗教では、仏界に至る等覚の菩薩の身をいう。
舎利弗・摩訶迦葉などの二乗は、法華経が説かれる以前の諸大乗教では、永久に成仏できないと弾呵されたが、法華経迹門で諸法実相の法門が説かれ、初めて成仏の記別が授けたれた。このことを「二乗作仏」という。
更に、法華経法師品第十では、滅後の衆生の未来成仏を予言している。すなわち「また如来の滅度の後に、若し人有って、妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」とある。
「阿耨多羅三藐三菩提」の「阿耨多羅」は無上、最上の意で、勝るものがないことをいい、「三藐」は正覚または正徧と訳し、清浄で、かつ偏頗のないことをいう。「三菩提」は正覚・真道と訳し、仏の完全な悟りのことである。したがって「阿耨多羅三藐三菩提」とは無上の悟り、智慧のことで、成仏の意となる。
この経文は、釈尊が未来のことを予言したものであり、先に挙げた苦得外道の「七日の死」、瞻婆長者の妻に対する「男子を生まん」、また釈尊自らの「三か月後の入滅」という予言の的中、すなわち「三事・符合」がなかったならば、だれが法華経における未来成仏の予言を信ずるだろうか、信ずる人などいないであろうと仰せられている。
多宝の証明や身分の諸仏の舌相があったとしても、といわれているのは、多宝如来が宝塔の中から「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」と、大音声を発して証明を加えたこと、「分身の諸仏」が長舌を梵天に届かせて、虚言ではないと誓ったことをさす。
こうした証明も、事実のうえで「三事・符合」の証明がなければ信用できないであろうと、重ねて言及されている。以上の御教示は、御述する立正安国論での謗者堕落が必ず符合することを強調するための伏線となっている。
0537:04~0537:09 第三章 二難符号の現証で覚醒促すtop
| 04 今亦以て是くの如し 設い日蓮富楼那の弁を 05 得て目連の通を現ずとも 勘うる所当らずんば誰か之を信ぜん、 去ぬる文永五年に 蒙古国の牒状渡来する所をば 06 朝に賢人有らば之を怪む可し、 設い其れを信ぜずとも去る文永八年九月十二日御勘気を蒙りしの時 吐く所の強言 07 次の年二月十一日に符合せしむ、 情有らん者は之を信ず可し 何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪い取る 08 設い木石為りと雖も 設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きに偏えに只事に非ず 天魔の国に入つて酔えるが如く狂 09 えるが如く歎く可し哀む可し恐る可し厭う可し、 -----― 今も、また同じである。たとえ、日蓮が富楼那の弁をふるい、目連の神通力を現じたとしても、勘え述べたことが当らなければ、だれがこれを信じようか。 去る文永五年に蒙古国の書状が渡来したときに、国に賢人がいたならば、これを不思議なことと思ったことであろう。 たとえそれを信じなくても、去る文永八年九月十二日、御勘気を受けた時に強く言っておいた予言は次の年の二月十一日に符合した。 心ある者は、これを信ずべきである。ましてや、今年は既に蒙古の国が兵をもって攻めてきて、壱岐・対馬の二か国を奪い取った。 たとえ木石であっても、たとえ禽獣であっても、感じ驚くであろ。それを無視していることは実に只事ではない。 天魔が国に入って、酔ったようになり、狂ったようになっているのである。驚くべきであり、哀れむべきであり、恐るべきであり、厭うべきである。 |
富楼那
サンスクリットのプールナマイトラーヤニープトラの音写(富楼那弥多羅尼子)の略。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、聡明で弁論に長じ、説法第一とされる。法華経五百弟子受記品第8で、未来世に法明如来に成ると釈尊から保証された(法華経327㌻)。
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目連
サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された(法華経269㌻)。【竹杖外道に殺される】『毘奈耶雑事』巻18によると、目連は舎利弗とともに王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。【盂蘭盆経の目連】盂蘭盆経によると、目連は亡き母・青提女が物惜しみの罪で餓鬼道に苦しんでいるのを神通力によって知り、母を助けようとするが力及ばず、仏の教えに従って供養したことで、ようやく救うことができたという。これが盂蘭盆会の起源の一つとされる。
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通
神通力のこと。超人的な能力・はたらきをいい、仏・菩薩の有する不可思議な力用をさす。
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蒙古国
モンゴル帝国のことであるが、直接的には元(大元)のこと。チンギス・カンによって創始されたモンゴル帝国はユーラシア全域にわたる広大な領域を支配したが、フビライ(クビライ)が第5代皇帝に即位したのを期に分裂した。フビライの支配領域は中国を中心とするようになり、1271年に国の名前を「大元」とした。
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牒状
まわしぶみ、国書。国の元首が他国に送る書。
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朝
①朝廷。②君主が治めている国。③あさ。
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賢人
智慧ある聡明な人。日蓮大聖人は、先人の正しい教えに基づき行動し人々を教え導く人、他の人が気づいていないことに気づいて、無理解や非難や迫害を恐れず、正しいことを述べ、警告を発し、救おうとする人を賢人とみなされている。中国の季札・弘演・比干・竜逢、孔子・周公旦、日本の菅原道真らが賢人とされている。仏教の中では、仏法の覚りを分々に得ている聖人に対して、聖人に近づいているもののまだ凡夫である人をいうことがある。三賢、七賢などの位が立てられる。
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御勘気
主人または国家の権力者から咎めを受けること。
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強言
語調の強い言葉。相手に強いて聞かせる言葉。
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二箇国
壱岐島と対島のこと。
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木石
非情の代表とっされる木と石のこと。
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禽獣
鳥と獣のこと。
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天魔
第六天の魔王のこと。欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
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釈尊の予言符号の先例を受けて、日蓮大聖人は、立正安国論における自他叛逼の二難の予言が符合した現証を挙げ、鎌倉幕府の覚醒を強く促されているが、その事実を黙殺し、諫言を無視しつづける幕府の愚迷を深く憂えられている。
前章における釈尊の「苦得外道等の三事・符合せずんば誰か仏語を信ぜん・設い多宝仏・証明を加え分身の諸仏長舌を梵天に付くとも信用し難きか」の御文に対応し、日蓮大聖人の場合も同様であることを「今亦以て是くの如し」といわれている。
すなわち、たとえ大聖人が「富楼那の弁」をふるい、「目連の通」を現じても、予言したことが的中しなかったならば、だれも大聖人の言説を信じないであろうと、事実による証明こそ最も肝要であることを強調されている。
ちなみに「富楼那」は釈尊の十大弟子の一人である。聡明で弁論に長じ、その弁舌の巧みさをもって、釈尊の証果から涅槃に至るまでの間に、九万九千人を教化したことから、説法第一と称された。「目連」も同じく釈尊十大弟子の一人で、神通第一といわれた。亡母の青提女が慳貪の罪によって餓鬼道に堕ちているのを神通力によって知ったが、自分では救うことができず、釈尊の教えを受け、盂蘭盆供養をして母を救ったとされる。
続いて大聖人の予言が事実と符合し、人々が目覚めるべき機会がこれまでに幾つもあったにもかかわらず、目覚めなかったことを嘆かれている。
大聖人が予言された他国侵逼難とは、既述したとおり、文永5年(1268)閏正月18日、蒙古国の牒状が鎌倉に到着したことによって、現実のものとなってきた。
このことから、大聖人は直ちに同年4月5日、当時の幕府に影響力をもった人物とされる法鑒房に「安国論御勘由来」をしたためられ、幕府への奏上を依頼されている。
同抄にも「勘文を捧げて已後九ケ年を経て今年後の正月大蒙古国の国書を見るに日蓮が勘文に相叶うこと宛かも符契の如し」(0035-02)と述べられている。「勘文」とは立正安国論のことであり、「符契」とは割符のことである。
そして「賢人有らば之を怪む可し」と、この時点で日本に賢人が存在していたなら、大聖人の予言が符合したことに気づき、賢慮をめぐらしたことであろうと、幕府の不明を嘆かれているのである。
種種御振舞御書でも「国に賢人なんども・あるならば不思議なる事かな・これはひとへにただ事にはあらず」(0909-05)と仰せられている。
しかし、大聖人に返ってきたものは悪口であり、沈黙であり、欺瞞であった。
そのことを種種御振舞御書で「設い日蓮が身の事なりとも国主となりまつり事をなさん人人は取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし、いわうや・この事は上の御大事いできらむのみならず各各の身にあたりて・をほいなるなげき出来すべき事ぞかし、而るを用うる事こそなくとも悪口まではあまりなり、此れひとへに日本国の上下万人・一人もなく法華経の強敵となりてとしひさしくなりぬれば大禍のつもり大鬼神の各各の身に入る上へ蒙古国の牒状に正念をぬかれてくるうなり」(0909-08)と述べられている。
文中の「政道の法」とは、幕府の治政の根本となっていた法典・御成敗式目をさし、平左衛門尉がこの式目によらず勝手に処理することは法に反していたのである。
また、このことに気づかなくても、文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉に向かって諌めた自界叛逆難の予言が、「次の年」の文永9年(1272)2月11日に、早くも符合しているのであるから、「情有らん者は之を信ず可」きなのに、無視しつづけたのである。
すなわち文永8年(1271)9月10日、大聖人は祈雨の勝負に敗れた極楽寺良観らの讒言によって問注所に呼び出され、侍所の所司だった平左衛門尉頼綱の尋問を受けられた。そのとき、大聖人は頼綱に対して厳しく讒言されたため、彼は激怒し、その2日後の9月12日、松葉ヶ谷の草庵を多数の武装した兵士を率いて襲い、大聖人を逮捕したのである。その際、大聖人は大高声を放って「日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり」(0287-11)と諫言され、大聖人を理不尽に迫害することによって“二難”が起こることを予言されたのである。
大聖人はその夜、竜の口の頸の座に坐られ、翌月には佐渡に流罪となられるが、大聖人はこの予言のうち、自界叛逆難は半年を待たずして的中する。すなわち文永9年(1272)2月11日に、執権・時宗とその異母兄・時輔との間の確執から騒乱が起こったのである。いわゆる「二月騒動」である。
この内乱については、その1ヵ月前の文永9年(1272)1月16日、流罪先の佐渡で、塚原問答の直後、大聖人は佐渡の守護代・本間六郎左衛門尉にも予言されていた。
また、「何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪い取る」との仰せは、本抄御述作直前の文永11年(1274)10月、蒙古軍が壱岐・対馬の「二箇国」に襲来し、蹂躙した「文永の役」をいわれている。
これに先立つ文永11年(1274)4月8日、大聖人は鎌倉から佐渡へ帰られた直後・平左衛門尉と対面された。このとき大聖人は、平左衛門尉頼綱に諌暁と予言をされている。
その様子は、撰時抄に「大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うて云くいつごろよせ候べき、予言く経文にはいつとはみへ候はねども天の御気色いかりすくなからず・きうに見へて候よも今年はすごし候はじと語りたりき」(0287-16)と記されている。
すなわち、真言宗こそ亡国の因であり、真言師による蒙古調伏を止めなければ、日本国は滅びるであろうと諌められるとともに、蒙古襲来はいつごろかとの頼綱の問いに対して、今年中は必ずあることを断言されていたのである。
「文永の役」では、蒙古軍15000人、高麗軍8000人、梢工・水手6700人、軍船900隻を整えて日本征伐を起こし、10月6日に対馬を、14日には壱岐を襲った。20日には博多湾に上陸し太宰府攻略を目指して進撃を開始した。
防御にあたった九州武士団との激闘の模様は「八幡愚童訓」等に詳しく描写されているが、結局、九州武士団は壊滅的な敗北を喫したのである。「八幡愚童訓」は鎌倉時代末期、95代花園天皇の御代に、石清水八幡宮祠官によって著されたとされる。
この戦況のありさまを、大聖人は乙御前御消息で「壹岐・対馬・九ケ国のつはもの並に男女多く或はころされ或はとらはれ或は海に入り或はがけよりおちしもの・いくせんまんと云う事なし」(1220-15)と、惨状を述べられている。
しかし、その夜半、博多湾に吹き荒れた大暴風雨によって、蒙古軍の多くの軍船が破損し、沈没し、大半の兵士が嵐の海の犠牲となった。
高麗史によれば、戦死者・水死者含め13500人だったといわれ、蒙古軍は、この第一次日本遠征をあきらめて引き揚げていったのである。
このように“他国侵逼難”という日蓮大聖人の予言が現実となってあらわれたのであえうから、たとえ非情の木石や、禽獣のような畜類であったとしても、大聖人の正しさに目覚めるべきはずである。
しかるに、幕府からなんらの沙汰も、反応もないということは、「偏に只事には非ず」と仰せられ、その本質は天魔が国に魅入って、為政者が「酔えるが如く狂えるが如く」心破作七分の状態に陥っているゆえであると指摘され、「歎く可し哀む可し恐る可し厭う可し」と、御心境を吐露されている。
いうまでもなく、大聖人によるこれらの予言は、いわゆる直観やインスピレーションなどの「利根と通力」によるものでは決してない。あくまで経典という仏法の明鏡に照らした結果であり、それ自体、大聖人が仏法を体得された仏であることを証明したものであった。
撰時抄では「余に三度のかうみようあり」(0287-08)と述べられ、三度にわたって国を諌めて予言したことが的中したことをもって、御自身が三世を見通された兼知末萌の聖人たる証とされているが、ここにあえて「高名」と称されているのも、仏法の正しさ、仏法の智慧の境界を末代の凡夫に教えんがためであったと拝されるのである。
減劫御書にも「文永九年のどしうち・十一年の蒙古のせめの時は周の文王の大公望をむかへしがごとく・殷の高丁王の傅悦を七里より請せしがごとくすべかりしぞかし」(1467-02)と述べられている。
自他叛逼難が、北条時輔の乱と、蒙古軍の襲来となってあらわれたことにより、大聖人が三世を正しく見通されている聖人であることが証明されたのであるから、周の文王が太公望を招いて善政を施し、殷の高丁王が夢で傳悦の姿を見て探させ、土工として働いていた傳悦を見いだして登用したように、日蓮大聖人を求めて師と仰ぐべきであったのである。との意であるが、国の行く手を思われる主師親三徳具備の御本仏の御立場から真情を述べられたものである。
0537:09~0538:01 第四章 謗者堕獄を重ねて警告top
| 09 又立正安国論に云く「若し執心飜えらずして亦曲意猶存せば 早 10 く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕せん」等云云、 今符合するを以て未来を案ずるに 日本国の上下・万人阿鼻 11 大城に堕ちんこと 大地を的と為すが如し、 -----― また、立正安国論にも、「もし執着の心が飜えらずに、また曲がった意でいるならば、早くこの世を去って必ず無間の獄に堕ちるであろう」等とある。 今、予言が符合したことから未来を考えてみるのに、日本国の上下万人が阿鼻大城に堕ちることは、大地を的とするようなものである。 |
執心
執着の心、深く思い込むこと。
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有為の郷
有為は梵語(saṃskṛta)で、為作あるの義。無為の反対語。娑婆世界・人間世界を意味し、因縁によって生ずる種々の現象をいう。すなわち有為の法とは、必ず生住異滅の四相があり、常住でないから「有為無常」ということで、永遠の生命を覚知できない凡夫の生命を「郷」という。
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無間の獄
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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大地を的と為す
法華文句巻10上に「譬えば初めに的を射ることを学ぶに、乖くこと多く、当たること少なり。地を以って的と為せば、往いて著かざる無し」とある文をさすものと思われる。
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謗法の未来堕獄を予言した立正安国論の一節を再び引用され、既に他国侵逼・自界叛逆の二難の予言が符合したことから、この予言も必ず符合するであろうことを断言されている。
「若し執心飜えらずして亦曲意猶存せば早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕せん」の御文は、日本国の上下万人が日蓮大聖人の讒言を用いず、邪法邪義への執着心を翻さないならば、死後、無間地獄へ堕ちるであろうと、厳しく警告されているのである。
「曲意」とは、仏の教えを正しく聞こうとしないで、自分勝手な考えをもつことであり、我見、私曲の心をいう。
「有為の郷」とは、娑婆世界、俗世間のことである。有為は作為有るの義で、無為の反対語である。すなわち、因縁によって生ずる種々の法をいい、有為の法は、必ず生住異滅の四相があり、常住でないから「有為無常」という。
「早く有為の郷を辞して」とは、早死するという意味であり、「無間の獄に堕せん」の「無間の獄」とは無間地獄のことで、八大地獄のなかで極苦の境界をいう。
今、自界叛逆・他国侵逼の予言が符合したことに準じて思惟するとき、死後についての仏法の予言も当然正しいというべきで、「日本国の上下万人」が後生に無間地獄に堕すことは、大地を的として、弓で矢を射るように確かであると断じられている。
日寛上人は立正安国論愚記で、本段の立正安国論の御文の次下にある「所以は何ん、大集経に云く」と、謗者の未来堕獄の文証として引用されている大集経の文を釈されて「今謂く、大集経に法滅の不護の報を説くに具に両意あり。一には現世の災難、二には後生の堕獄なり。前にこれを引用すと雖も、意は現世の災難に在り。今の意は正しく後生の堕獄に在り、既に所引の意同じからず」と御教示されている。
0537:09~0538:01 第五章 門下の未来堕獄を戒むtop
| 11 此等は且らく之を置く 日蓮が弟子等又此の大難脱れ難きか彼の不軽 12 軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加れども 猶先謗の強きに依つて先ず 阿鼻大城に堕して 千劫を経歴して大苦 13 悩を受く、 今日蓮が弟子等も亦是くの如し 或は信じ或は伏し或は随い或は従う但だ名のみ之を仮りて心中に染ま 14 ざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも 或は一無間或は二無間 乃至十百無間疑無からん者か -----― これらはひとまず置く、日蓮が弟子等もまた、この大難は免れがたいであろう。かの不軽菩薩を軽毀した人々は、生きている間に信伏随従したが、それまでの誹謗の罪が強かったために、まず阿鼻大城に堕ちて千劫の間、大苦悩を受けている。 今、日蓮の弟子等も同じである。あるいは信じ、あるいは伏し、あるいは随い、あるいは従うとしても、ただ名のみで心に染め抜いていない信心薄い者は、たとえ千劫は経ずとも、あるいは一度は無間大城に堕ち、あるいは二度、乃至、十度、百度、無間大城に堕ちることは疑いないであろう。 |
不軽軽毀の衆
不軽菩薩を軽賎し、毀謗して地獄におちた増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆。
―――
不軽
法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557㌻、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。【日蓮大聖人の弘通との対比】不軽菩薩の弘通と大聖人の弘通との対比は、次の御文に示されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(「顕仏未来記」、507㌻)「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」(「教行証御書」、1276~1277㌻)以上から、不軽菩薩と大聖人の正法弘通における共通点は、次の点に整理できる。①教。法華経の要法を広める(ただし不軽菩薩の「二十四字の法華経」は法華経一部の要旨であり、広・略・要でいえば略にあたるのに対して、大聖人の「妙法蓮華経の五字」は法華経の所詮の法体であり、真の意味での要にあたる)。②機。逆縁の衆生への化導。衆生の機根が劣悪であり、ただちに法華経を説いて衆生に反発されても縁を結ばせる逆縁の化導を中心に行った。③時。仏の亡くなった後の乱れた世の中に出現し難を耐え忍んで弘通した。④行者の位。不軽菩薩は初随喜の位、大聖人は名字即の位という、いずれも菩薩として初信の位であった。不軽菩薩の実践は、仏の滅後の悪世における法華経弘通の方軌を示しており、大聖人もこの方軌に則って法華経を弘通されている。それ故、不軽品を御自身の弘通の例とされている。
―――
信伏随従
心から御本尊を疑わず、心身ともに妙法に随うこと。しかし、あるいは信ずる心が弱くて疑ったり、行学を怠けたりするなら、罪障を消滅しきれないのである。
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先謗
先に行った誹謗。
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謗
謗る・けなす・非難する・悪口をいう・誹謗すること。
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千劫を経歴して大苦悩を受く
不軽菩薩を罵詈し杖木瓦石を加えた四衆が千劫の間、阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けたことをいう。
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一無間
一中劫のこと。
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次に、謗法の未来堕獄は必定であり、論をまたないところから「此等は且らく之を置く」とされ、日蓮大聖人の弟子門下となっても、信心が薄ければ、未来の堕獄を免れがたいことを「不軽軽毀の衆」を例に挙げて戒められている。
「不軽軽毀の衆」とは、法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる。不軽菩薩を迫害した上慢の四衆のことである。
上慢とは上増慢のことで、最高の法、確証をいまだ得ていないのに、これを得たと思って驕り高ぶることをいい、四衆は比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷のことで、それぞれ出家の男女と在家の男女をいう。
同品で説く内容を挙げると、過去に不軽菩薩が24文字の法華経を弘めて礼拝を行じていたとき、上慢の四衆は不軽を軽蔑し、杖木瓦石で迫害した。
このとき、不軽を軽んじ謗った四衆は、一度は地獄へ堕ちたが、法華経を聞いた縁によって、後にまた不軽の教化を受けることができ、救われたことが説かれている。
「現身に信伏随従の四字を加れども猶先謗の強きに依つて先ず阿鼻大城に堕して」とは、不軽軽毀の四衆が、法華誹謗の失を悔い改めて信伏随従したにもかかわらず「先謗の強き」すなわち消滅しきれなかった謗法の罪業のため、千劫のあいだ無間地獄に堕ち大苦悩を受けたことをいわれている。
そのことに関連して「今日蓮が弟子等も亦是くの如し」と、門下を厳しく戒められているのである。「弟子等」の「等」の字に、出家の弟子だけでなく、在家の檀那も含まれていることはいうまでもない。
「或は信じ或は伏し或は随い或は従う但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる心薄き者」、つまり、日蓮大聖人の弟子檀那となり、正法に信・伏・随・従していても、名目だけで、心中に妙法を深く染めない信心弱き人は、不軽軽毀衆のように、千劫とまではいかなくても「一無間或は二無間乃至十百無間」の間、地獄に堕ちなければならないと仰せられているのである。ちなみに、五逆罪を犯した場合に受ける無間地獄の寿命は一中劫とされ、これを「一無間」といった。
ここで仰せの「信服随従」の意義について、大聖人は御義口伝で「信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり」(0765―第十聞其所説皆信伏随従の事―01)と御教示されている。
したがって、微塵の疑いももたず、身心ともに御本尊に帰伏することが真実の信伏随従であり、仏道修行の肝要となるのである。
信伏随従といっても名目だけで「心中に染まざる信心薄き者」とは、日々の勤行・唱題をなおざりにし、折伏にも励まないことといえるであろう。
その場合は、過去の謗法の罪障を消滅しきれず、そのため無間地獄に堕ちるとの厳しい戒めである。
0537:09~0538:01 第六章 堕獄を免れる方途示すtop
| 14 是を免れんと欲せば 15 各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、 若し爾らずんば五体を地に投げヘン身 16 に汗を流せ、 若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば 奴婢と為つて持者に奉えよ若し爾らずんば・ 17 等云云、四悉檀を以て時に適うのみ、 我弟子等の中にも信心薄淡き者は 臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我 18 を恨む可からず等云云。 0538 01 文永十一年太歳甲戌十二月十五日 日蓮之を記す -----― これを免よういと思うならば、各々、薬王のように臂を焼き、楽法梵志のように皮を剥ぎ、雪山童子のように身を投げ、須頭檀おうのように心から仕えるべきである。もし、そうでなければ、五体を地に投げ、徧身に汗を流すべきでる。もし、そうでなければ、珍宝を仏前に積むべきである。もし、そうでなければ奴婢となって持者に仕えるべきである。もし、そうでなければ等、四悉檀をもって時にかなった修行をすべきである。 我が弟子らのなかにも、信心薄い者は臨終のときに阿鼻地獄の相を現ずるであろう。そのときに日蓮を恨んではならない。 文永十一年太歳甲戌十二月十五日 日蓮之を記す |
薬王
衆生に良薬を施して心身の病を治す菩薩。法華経では法師品第10などの対告衆。勧持品第13では、釈尊が亡くなった後の法華経の弘通を誓っている。薬王菩薩本事品第23には、過去世に一切衆生憙見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修行し、ある世では身を焼き、また次の世では7万2000歳の間、腕を焼いて燈明として仏に供養したことが説かれている(ちなみに経文には「臂」〈法華経591,592㌻〉を焼いたと記されているが、漢語の「臂」は日本語でいう腕にあたる)。
―――
楽法
楽法梵志のこと。釈尊の過去世の姿の一つ。『大智度論』巻49によると、バラモンの姿をした魔が楽法という菩薩に対し、身の皮を紙とし、骨を筆とし、血を墨として書写するなら、仏の一偈を教えようと言った時、楽法は即座に自らの皮を剝いで書写しようとした。すると魔は消え去り、仏が現れ法門を説いたという。
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雪山
雪山童子のこと。釈尊が過去世で修行していた時の名。涅槃経巻14に次のようにある。釈尊が過去世に雪山で菩薩の修行をしていた時、帝釈天が羅刹(鬼)に化身して現れ、過去仏の説いた偈を「諸行無常・是生滅法」と童子に向かって半分だけ述べた。これを聞いた童子は喜んで、残りの半偈を聞きたいと願い、その身を捨て羅刹に食べさせることを約束して半偈の「生滅滅已・寂滅為楽」を聞き終え、その偈を所々に書き付けてから、高い木に登り身を投げた。羅刹は帝釈天の姿に戻り童子の体を受け止め、その不惜身命の姿勢を褒めて未来に必ず成仏すると説いて姿を消したという。なお、帝釈天が雪山で説いた偈の和訳が「いろは歌」であると伝えられる。
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国王
国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。
―――
五体を地に投げ
仏教徒が行う仏道修行のひとつ。五体投地のこと。
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徧身
全身・からだじゅう。
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珍宝
珍しい宝・宝石など。
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奴婢
召使い。家に隷属して使われる人。
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持者
経典を受持する者のこと。
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四悉檀
仏の教法を4種に分けたもので、『大智度論』巻1などに説かれる。①世界悉檀。人々が願い欲する所に応じて法を説くこと。②為人悉檀。詳しくは各各為人悉檀といい、機根などが異なる人それぞれに応じて法を説いて教え導くこと。③対治悉檀。貧り・瞋り・愚かさなどの煩悩を対治するために、それに応じた法を説くこと。④第一義悉檀。仏が覚った真理を直ちに説いて衆生を覚らせること。
―――
臨終
人がまさに死のうとするとき。
―――――――――
前章に続き、弟子門下が未来堕獄を免れるためには、どのような信心姿勢を貫くべきかを御教示されている。
まず、具体的な実例として、古の聖人・賢人の求道に徹した修行の相を示されている。
すなわち、薬王菩薩は自らの肘を焼いて仏に供養し、楽法梵志は自らの皮を剥ぎ、それを紙とし、骨を筆として、血をもって墨とし、仏の教えを書写しょうとした。
また雪山童子は、半偈の教えを求めるために、鬼神に身を投げ、「国王」つまり須頭檀王は、王位を捨てて、一千年もの間、阿私仙人に心から仕えたとされる。
いずれも仏法を求めて信伏随順し、自己の命を仏法に奉った具体的実践の例である。したがって、信伏随従とは「帰命」と言い換えることができよう。
「帰命」の意義については、白米一俵御書に「帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(1596-08)と説かれている。
雪山童子は、文字どおり身命を鬼神に捧げて仏法を習ったが、薬王菩薩以下の例は、直接、命そのものではない。しかし、わが命を構成する一部分という意味で、捨身供養の姿を示している。
つまり、仏道修行には不惜身命の精神、帰命という信仰姿勢が不可欠であることを強調されているのである。このことは時代を越えて不変であらねばならないであろう。
もし、薬王菩薩や雪山童子のような修行ができないならば、「五体を地に投げて徧身に汗を流せ」と仰せである。
信心は単なる理屈でも観念でもなく、自らの五体を大地にたたきつけるような思いで修行に取り組み、また民衆救済へ徧身に汗を流して、実践に生きるかにあることを教えられている。
もし、それができないということならば、「珍宝を以て仏前に積め若し爾ずんば奴婢と為って持者に奉えよ」と仰せられている。
これは、それぞれの立場立場で、可能なかぎりの実践をしていきなさいとの御教示と拝される。
我々の実践に約していえば「珍宝」云々とは、各人が所有する最も大切なものを仏法のために使い切っていくことであり「奴婢」云々とは、自身のわがままを排し、身心ともに法華経の「持者」である日蓮大聖人に仕えていくことといえよう。「奴婢」とは家に隷属して召し使われる人の意である。
これらの修行は、信心薄き、生半可な心では達せられるものでなく、帰命という信仰の姿勢に徹してこそ、初めて可能であるということができよう。
日寛上人は依義判文抄において「勇猛精進」が本門の題目となる意義を述べるなかで、妙楽大師の法華文句記巻四上の「勇猛精進とは二意有り、一には期心有在は即ち信心なり…身心倶に勤むるは即ち唱題なり」と釈され、身心ともの実践を示す文証として、本抄の「是を免れんと欲せば薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、若し爾らずんば五体を地に投げヘン身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為つて持者に奉えよ若し爾らずんば・等云云」の御文を用いられている。
ただし、日蓮大聖人は臂を焼いたり、皮を剥いだり、身を投ずる等といった実践を、そのまま勧めているのではない。
ゆえに「四悉檀を以て時に適うのみ」と断られているのである。これは、四悉檀の道理に順じて、いずれの実践方法を用いるかは、時によるべきであるとの意である。
このことに関連して、白米一俵御書では「雪山童子と申せし人は・身を鬼にまかせて八字をならへり、薬王菩薩と申せし人は臂をやいて法華経に奉る、我が朝にも聖徳太子と申せし人は・手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る、此れ等は賢人・聖人の事なれば我等は叶いがたき事にて候」(1596-11)と仰せになり、身命およびその一部を仏に供養するという帰命の行為は、あくまで聖人・賢人のみがなしうることであって、末法の凡夫にはなかなかできることではないとされ、「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」(1596-14)と述べられ、具体的には「ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ」(1596-15)と御教示されている。
身命の供養とは、帰命という信仰の一つの姿勢のあらわれであり、成仏の方途として重要なことは、薬王菩薩のような身命供養という形にあるのではあなく、帰命という信仰の在り方にあり、それが聖人・賢人の成仏の所以なのである。
本抄でも、凡夫における成仏の方途を御教示されるために、「若し爾らずんば」と断られながら、身命供養という行為形態にあらわれてきた源泉としての強情な信仰、あるいは、ひたぶるな求道心を勧められているのである。
こうした意義をふまえ、末法には末法相応の修行に徹すべきことを「四悉檀を以て時に適うのみ」と仰せられたと拝されるのである。
「四悉檀」について
「四悉檀」とは、仏が法を説くために用いられる四つの方法をいい、大智度論巻一等に説かれる「世界悉檀」「為人悉檀」「対治悉檀」「第一義悉檀」をいう。
「悉檀」についてはさまざまな解釈があるが、南岳大師は「悉」は遍く、「檀」は施す、という意味であり、仏はこの四つの方法をもって遍く衆生に施すゆえに「悉檀」というのであると釈している。
まず「世界悉檀」とは「楽欲悉檀」ともいい、衆生が聞きたいと思うところにしたがって法を説き、正見を得させようとすることをいう。
「世界悉檀」について、日蓮大聖人は「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか」(1015-07)と述べられている。
仏の深遠な教えは容易に理解できるものではない。その理解の手掛かりとなる「世間普通の義」、すなわち、世間の道理や話題を縦横に用いて説くことであり、「世界悉檀」の意義はここにある。
次に「為人悉檀」とは、詳しくは「各各為人悉檀」といい、仏が人々の心を観察したうえで、その人に合った法を説いて、善根を増長させていくことで「生善悉檀」ともいう。
人にはそれぞれ、生まれ育ってきた特有の環境があり、その環境の違いによって、ものの見方、考え方が違ってくるのは当然である。したがって、その人の身に寄せて仏法を説くことを「為人悉檀」というのである。
更に「対治悉檀」とは「断惑悉檀」ともいい、衆生の迷い、生命の濁りという“悪病”を対治するために、その“薬”として法を説くことをいう。
最後に「第一義悉檀」とは「入理悉檀」ともいい、仏法の真髄をそのまま説いて、真実の成仏の道に入らせしめることをいう。
「第一義」とは、末法においては三大秘法の南無妙法蓮華経である。つまり、末法今時においては妙法こそが最高唯一の法理であることを教えていくことが「第一義悉檀」になる。
例えば、日蓮大聖人は破邪顕正の戦いをされたが、「四箇の格言」などに代表される「破邪」は「対治悉檀」にあたり、「顕正」すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経の当体である御本尊を建立されたことは「第一義悉檀」にあたる。
つまり、大聖人はこの「対治」「第一義」を主とされ、そのうえで多くの御消息文にみられるように、人々の理解を助けるために「世界」「為人」の二悉檀を従として用いられたといえる。
このように「四悉檀」とは、仏が用いられる説法教化の方法であるが、我々が仏の使いとして折伏・弘教を進める際にも「対治」「第一義」を根本としながら、「世界」「為人」の二悉檀を用いて、賢明な対話を心がけることが大切であるといえよう。
最後に、日蓮大聖人の弟子門下のなかでも「信心薄淡き者」は、臨終の時、無間地獄に堕ちるであろうと重ねて警告され、そのときになって大聖人を「恨む可からず」と戒められている。
「臨終」は、決してごまかしのきかぬ人生の総決算であり、赤裸々な「一生」の証である。どのような生き方を貫いていたかが、「臨終」の相に如実にあらわれる。
ゆえに、正法の信心、人間としての生き方は、だれが見ていようといまいと、正しく、清浄でなければならないことを深く銘記していきたい。